確かに、<「失われた影響力を回復すべきだという感覚」>( 下記引用サイト記事:「日本は右傾化」戦後最も対決的と米紙/msn.産経ニュース/2012.09.22 )に "思い当たる節" がある人は少なくないのかもしれない......。
親たちにしても、教師たちにしても、はたまた会社での上司にしても、あるいは夫婦間でも "失われた影響力" というフレーズが意識されたり、その "回復劇" が "心中で夢想" されたりしていると考えることは、あながち的外れでもなかろう。
政界でさえ、"リーダー" の "失われた影響力" については、もはや "既成事実化" していそうである。
さらに言えば、"マス・メディア" の機能もまた "失われた影響力" と見なされざるを得ないようだ。
またそれに付随して、その "(マス・メディア)影響力" の上で浮かんでいた諸々の "浮遊物(?)" が沈殿し始めている点も併せて目につく。
しかし、これらのそれぞれは、それぞれのアプローチによって、いわば "失地回復" が図られているのが現状であり、もしそこにやや共通しているかに見える点を探すとすれば、これまでの "上から目線" 的な硬直した姿勢から、いわゆる "ソーシャル" な姿勢へと漸次シフトしつつある点ではないかと見える。
この推移の内実は、必ずしも確定的とまでは言えないにしても、この流れに真っ向から逆らうには "蛮勇(?)"( 考えなしにふるう勇気 )なしでは済まないことが感じられ始めているのではなかろうか。
つまり、<「失われた影響力を回復すべきだという感覚」>があったとはしても、それらが直ちに "蛮勇" を不可欠とするような "短絡的" な選択へと収斂するとは考えにくいということなのである。
もっとも、"蛮勇" を "表看板/起爆剤" としている人たちは別であるが......。
こうした観点に立って下記引用サイト記事を読む時、<「日本は右傾化」>しているとするその原因として<20年にわたる経済停滞の下で「失われた影響力を回復すべきだという感覚」が日本国内で広がっていること>だと一概に決めつけることは、やや短絡的だと思える。
ちなみに、"失われた影響力" を言うならば、むしろ米国自体の方がその筆頭格なのかもしれない。
もし、<「日本は右傾化」>しつつあることを憂慮するとするならば、むしろ<沖縄県・尖閣諸島をめぐる中国との対立/中国の存在>との関係という目前の現実問題で、内外の "蛮勇" 派勢力によって国民が煽りたてられる事態こそが危険視されるべきかと思える。
そうした流れによっては、何ら "恒久的な解決" に至らないばかりか、現在の政治混乱の動きの中で、ここぞとばかりに "日本の右傾化!" の再立ち上げを目論む政治勢力の姿も垣間見えるからである。
「日本は右傾化」戦後最も対決的と米紙/msn.産経ニュース/2012.09.22
21日付の米紙ワシントン・ポストは、沖縄県・尖閣諸島をめぐる中国との対立などを背景に、日本が「緩やかだが、かなりの右傾化」を始めていると指摘、周辺地域での行動は「第2次大戦後、最も対決的」になっていると1面で報じた。
同紙は、日本の政治家が与野党問わず集団的自衛権の行使容認を主張するようになり、憲法改正論が高まっていると分析。沖縄県・与那国島への陸上自衛隊配備計画などを挙げ、自衛隊にも「より強力な役割」が与えられつつあるとの見方を示した。
背景として海洋進出を活発化させる中国の存在に加え、20年にわたる経済停滞の下で「失われた影響力を回復すべきだという感覚」が日本国内で広がっていることを指摘した。一方で、日本には軍事力保持への複雑な感情が根強く残り、右傾化には一定の限界があるとの専門家の見方も紹介している。(共同)
翻って考えるならば、そもそも "失われた影響力" とは何であったのか? 何が前提条件となっていたのか? そんな内実をこそ見つめ直さなければ、この日本社会は「右傾化」どころか「斜陽化!」してしまうだろうと心配せざるを得ない ...... (2012.09.23)
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