ネットを駆使した "アマゾン" などの "ネット通販" は、確かに "便利(convenience)" なことこの上ない。昨今では、配送料・配送待ち時間も極小化されて好感度を高めているので、近々、街中の道路が宅配便トラックで埋め尽くされるのではなかろうか......、と余計な心配をしたりもする。
しかし、こうした趨勢に一抹の懸念を感じないこともない。つまり "ネット通販" などの "便利(convenience)" さは決してオールマイティなんぞではなく、"一局面" の出来事だということ。
もし、その"一局面" の "便利(convenience)" さのために、他の諸々の "便利(convenience)" さが損なわれるとするならば、それは考えもの! なのかもしれない......、と。
現に、"ネット通販" に縁のない方々も少なくない。配送料・配送待ち時間に問題アリの地域もあろう。対象商品(生鮮食料品etc.)の制約もある......。
考えてみれば、"ネット通販" で賄えるモノの方が "限られている" と見るべきであろう。
生活必需品の調達へのニーズを埋めているのは、地域に立脚した "リアル" 商店街やサービス機関であることは、言うまでもなく昔ながら変わらない。
こうした実情の中で、"コンビニ(convenience store)" は、"地域のニーズ" に "寄り添い" ながらサバイバルしつつ、今や、"社会インフラ化" 水準にまで至ったと言われる。
しかし、その一方で "飽和が近い" と囁かれはじめたのも事実。
下記引用サイト記事:ブログ:「飽和の壁」破るか、コンビニ移動販売/REUTERS/2012.11.29 は、こうした文脈にある "コンビニ" が、持ち前の地域 "寄り添い" 姿勢を活かして、"コンビニ移動販売車" というニューモードへと歩を進めたという話題なのである。
"高齢者の買い物" がどんなに骨の折れること! か、そして、いつまでも続けられない "高齢ドライバー"! しかも、全国各地にこうしたシビァな "高齢化" 状況が広がって行くことを考えると、この "コンビニ移動販売車" というニューモードは、自治体が補助金を出しても良いくらいの "社会的貢献度!" がありそうにも見える......。
ブログ:「飽和の壁」破るか、コンビニ移動販売/REUTERS - 清水 律子 - /2012.11.29
東日本大震災の被災地で始まった「コンビニの移動販売」が、高齢者の多い過疎地域などで広がりを見せている。最大手のセブン―イレブン・ジャパンが昨年5月、茨城県でスタートした移動販売車は、現在28台が1道13県を走る。2013年2月末までに50台以上の稼働を予定しているという。
ファミリーマートも今年度中に、現在の6台から15台以上に増やす計画だ。「県に必要な地域を聞いたり、地域からのリクエストに応える形で広げている」(ファミマ広報)という。
1974年にコンビニ1号店がオープンして以来、右肩下がりの食品スーパーとは対照的に、店舗は増え続けている。日本フランチャイズチェーン協会によると、10月末で4万6224店舗(加盟10社ベース)に達した。
4万店超えで「飽和が近い」と言われたのが2006年。しかし、たばこ自動販売機の成人識別カード「タスポ」の導入によるたばこ購入者増や、震災後の消費者の変化に合わせることに成功。チケットサービスの充実や住民票の取得、代行収納、ネットショッピングの受け渡しなど、社会インフラ化も進んだ。
「飽和だと思った瞬間にイノベーションは起きない。常にマーケットは創造していく。創造の先には新しいマーケットができる」と、セブン&アイ・ホールディングスの村田紀敏社長は話している。
消費者のニーズをくみ取りながら変化してきたからこそ、飽和の壁を乗り越えることができた業態だ。移動販売という試みは、今後どのような進化を見せてくれるのだろう。
田舎暮らしでは、車が必須のアイテムだ。日常の買い物だけでなく、銀行、病院や薬局などに向かうために、高齢者がやむなく車を運転していることも多い。「被災地で、移動販売車に切手を乗せることすらできなかった」(関係者)というほど、現状は規制が厳しく、ほとんど不可能とも思われるが、規制緩和が実現すれば、移動販売車にATMや調剤薬局、医者などが相乗りし、新しい小売りの形ができるかもしれないなどと勝手に想像する。
小売り首脳から「ライバルはアマゾン」という言葉をよく聞く。各社が米アマゾン・ドット・コムへの対抗策として掲げる「ネット強化」とは真逆に位置するかもしれないが、消費者に寄り添うこうした取り組みも、高齢化が進む日本では強く求められている。目前に迫るコンビニ5万店の、その先の成長の形かもしれない。
(東京 29日 ロイター)
一体何が切実な "便利(convenience)" さなのか、について改めて振り返らされたものであった...... (2012.12.04)
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