生まれも違うし、長く住んだ所はほかにもいくつかある。しかし、多感な子ども時代を過ごしたせいなのか、そのため "記憶の宝庫" により多くより深く刻まれたせいなのか、「北品川」が "ふるさと(故郷)" として定着している。
それにしても、別に、"ふるさと合戦" でもある "全国高校野球" が催されるからでもないと思われるが、"春4月" の時季は、"故郷の香が漂う!" ような気がする。
そして、封印され続けていた "記憶の宝庫" の扉が開かれ、無数の記憶の断片たちが思い思いに深い呼吸をはじめる。その吐息こそが、閉塞する時代で萎縮している者たちの日常感覚を活性化させる......。
たぶん、こうしたことは、あって良いというよりも、なければいけない! ような気がしたりしている。あまりにも、時代環境は人々の関心を "現在時の出来事" にのみ集中させ、その挙句に "どこからどこへ" というような大事な "方向感" 自体を無力化させていそうだからだ。
正直言って、自分たちは良いも悪いもなく "日常生活" の連鎖を "繋いで行く" ことだけに日々忙殺され、一本の狭い路地を歩くかのように視野を狭くしている。この狭い視野はいわば構造的であって、海外旅行などなどの気分転換行動くらいでどうにかなるものでもなさそうに思える。
必要なのは、"実感が溢れていた過去(とその記憶)" へと立ち戻り、自分なりの "方向感" を模索し直すことではないかと思ったりするわけだ。そして、その契機を掴むためにこそ "香が漂う、故郷!" への想いが少なからず役立つのではないか......、と。
今回の記事のきっかけは、"北品川" に住み続けている友人が、新聞の特集記事( c.f.「名言巡礼」 落語「居残り左平次」 東京都品川/読売新聞日曜版/2013.03.31 )で、"北品川" の最近の様子が写真を交えて紹介されている、と知らせてくれたことにあった。
"北品川" にことのほか思い入れをする自分( ◆ 参照 電子書籍/小説『海念と保兵衛』 )を考慮してくれた連絡なのであった。
自分は、ペーパー版の新聞ではなく、冒頭の 【動画】名言巡礼/落語「居残り左平次」から 東京都品川 の方を閲覧してみたが、"北品川" に由緒がある<落語「居残り左平次」>の話を "切り口" にしながら、"北品川" の現在の光景をとても上手く取り上げていた。
<落語「居残り左平次」>をご存じない人には、映画『釣りバカ日誌』第一作で主人公ハマちゃんが住んでいた釣り船屋近辺のアパートのあった所が "北品川" だった、と言えばお分かりいただけるはず......。
それにしても、現在の "北品川" は、自分の記憶でなお息づいている "故郷:北品川" とは随分と様変わりしてしまった。過去の姿を彷彿とさせる光景も残ってはいるが、それらもこの後いつまで "持続" されるのかは分からず寂しい限りだ......。さらに寂しいのは、"人生" だとか "故郷" だとかという人間に密着していた観念を、現代の時代環境の変化が確実に "漂白" していく事実かもしれない。 もちろん、故郷がいつまでも昔のままであれ、と願う気持ちもまた独りよがりであることは十分に承知しているつもりではあるが...... (2013.04.02)
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