今回の参院選、やはり、本来を言えば "原発問題" こそが "争点" とされるべきであっただろう......。
いや、もう終わったような書き方となってしまったが、"自公与党の過半数確保" がほぼ決定と報じられ続け、まるで "消化試合(?)" にも似た雰囲気さえ漂わせる状況がそうさせる......。
しかし、景気/経済の再生問題が争点となっていたならばまだしも、"アベノミクス" という "アイキャッチ・ターム" とそれに関連する "不安定/不確実" な金融・経済現象だけが "猫だまし/目くらまし"( "コイズミ劇場" の再来!? )の役割を果たした状況! それが、まともな "アジェンダ(争点形成)" プロセスを駆逐してしまったかのようである。
さて、下記引用サイト記事:原発問題に正面から取り組まない政治の由々しき事態/nikkei BP net 田原総一朗の政財界「ここだけの話」/2013.07.17 に着目してみた理由は、まさに、今回の参院選で "争点" とされて然るべき "原発問題" が "不発" に終わりつつあり、"スルー" されてしまった観があると思えたからなのである。
下記記事筆者の田原氏は、まず "投票率の低さ" を想定している。だが、それもまた、"アベノミクス" という "猫だまし/目くらまし" の思わぬ効能で、本来、形成されるべき争点、"原発問題" が頓挫したこと、さらに "プロらしからぬ" 野党の戦闘意欲無きアプローチとが相俟って、こんな惨憺たる事態となりつつあると言えるのではなかろうか......。
ところで、田原氏は、<どの政党もまともに原発問題に取り組まない> 現状を指摘した上で、<原発推進にしろ脱原発にしろ、どちらにしても> "原発問題" の実質的解決には、<インディペンデントな体制にすべき> だと主張している。
確かに、<原発最大の問題> が <政府(経済産業省)、電力会社、関連メーカー、大学研究者などが「原子力村」と呼ばれ、癒着となれ合いにより独特の村社会を築いてきたこと> にあるとの状況認識は妥当だと思われる。
しかし、こうした「原子力村」を温存してきたのは、誰あろう現与党政権の自民党以外ではなかったのであり、その元凶の重さを跳び越えて、<インディペンデントな体制にすべき> と、最終解答を先取りしてみたところで、事はそう簡単ではないように思われてならない。
いわば、 "癒着となれ合い" 事態は "政治勢力状況" に基づく "反映状態" にあるわけであり、畢竟、この "政治勢力状況" に変化がない限り "インディペンデントな体制" なぞは "絵に描いた餅" 以外ではなかろう。それは、現 "規制委" の動きからも推測できる。
そうであるからこそ、今回の参院選においては、"原発問題" こそが "争点" とされなければならなかったのである......。
原発問題に正面から取り組まない政治の由々しき事態/nikkei BP net 田原総一朗の政財界「ここだけの話」/2013.07.17
7月21日投開票の参院選を控え、マスメディアが各党代表や幹部たちの応援演説をはじめ選挙戦の様子を連日報じている。
自公の過半数確保はほぼ確実な情勢メディアの世論調査を見てもそうだが、参院選は自民党の勝利に終わるだろう。自民党と公明党の与党で過半数の122議席を大きく上回ると見られる。
一方の野党は、共産党以外はいずれも伸び悩むのではないか。
その最大の理由は、自民党以外の野党はいずれもはっきりとした政策を打ち出していないからである。アベノミクス批判をしながら、対案らしいものは何もなく、批判も言ってみれば部分的批判に過ぎない。
共産党以外の野党は、いずれも自民党の亜流だと国民は見ている。
6月の東京都議選で躍進した共産党は、参院選でも議席数を伸ばすだろう。いわば資本主義を否定する共産党だけが、自民党をはじめ各党を真っ向から批判する図式になっている。自民党の亜流に過ぎない各党に愛想を尽かした国民は、今回も共産党に票を投じるのかもしれない。
投票率50%の選挙で選ばれた議員には正当性はあるか今とても気になっていることがある。メディアがあまりにも「自民党が勝つ」と報じるので、自民党支持者を含めた少なからぬ有権者が、選挙への関心を失い、投票に行かなくなるのではないか。下手をすると、投票率が50%を切る事態になるのではないか。私はこのことを心配している。......
投票率が50%を切るのは、国民の半分以上が投票に参加しないということだ。国民の半数も参加しない選挙で選ばれた国会議員たちに、いったいどういう正当性があるのだろうか。そんな疑問を抱かざるをえない。
さて、選挙戦を通してはっきり見えてきたのが 原発問題 である。
自民党は、本音では原発を再稼働するという政策でありながら、2012年12月の総選挙で「全ての原発について3年以内の結論を目指す」と言った。つまり、原発を推進するのかしないのか、極めて曖昧な表現だった。
しかも、「安全性については、原子力規制委員会の専門的判断に委ねる」とし、原発再稼動の責任を回避しようとしている。
工程表も示さず脱原発では説得力がない自民党はいまだに「10年以内には将来にわたって持続可能な『電源構成のベストミックス』を確立する」と言っているが、これは極めていい加減な発言と言わざるを得ない。
一方、自民党以外の政党は「脱原発」を打ち出している。しかし、原発をいつゼロにするのか、原発に替わるエネルギーをどう確保するのかについては明言していない。......
多くの政党は太陽光発電や風力発電、地熱発電などの再生可能エネルギーを代替策としているが、それらの再生可能エネルギーでいつまでに全電力の何%をまかなえるようにするかといった工程表(ロードマップ)は具体的に明らかにしていない。
いや、工程表など考えてもいないだろう。これは極めて無責任だと言わざるを得ない。
脱原発を唱えるだけではポピュリズムに過ぎない自民党以外の政党が脱原発を打ち出しているのは、いってみればポピュリズム以外の何ものでもない。脱原発を掲げていれば、国民に批判されずにすむからだ。
これまでも繰り返し述べていることだが、原発推進にしろ脱原発にしろ、どちらにしても当面は同じことをしなくてはならない。取り組まなければいけない大きな問題は三つある。
一つは福島第一原発1~4号機の廃炉問題である。廃炉にするまでに最低でも30年以上、年間数千人規模の技術者が必要と言われる。さらに5兆円以上のお金がかかるという。これをいったい誰がやるのか。どう考えても東電にはその能力はない。
二つめは「トイレのないマンション」と呼ばれている問題。使用済み核燃料の最終処理をどこでどうするのか、見当もついていない。仮に原発ゼロを目指すとしても、使用済み核燃料の最終処理に真っ向から取り組まなくてはならない。
この問題は日本だけでは解決できない。私は国際的な協力が必要だと考えるが、それを真剣に考えている政党は一つもない。
どの政党もまともに原発問題に取り組まない三つめは除染問題である。福島第一原発事故で放出された放射性物質を取り除くための除染は、被曝水準を年間1ミリシーベルト以下にすると決められている。ところが、この厳しい目標では半永久的に実現せず、福島県の避難者16万人は自宅に帰ることができない。
福島県知事も「その基準を緩和してほしい」と言っているし、放射線の専門家たちの間では「被爆水準の年1ミリシーベルト以下は無理で、少なくとも年5ミリシーベルト以内にすべきだ」という意見がある。
だが、こうしたことを公言すればたちまち非難されるに違いない。誰も言う勇気はない。おそらく政治家が口にしたら政治生命は危ういものになるだろう。
こうした原発の三つの問題に、どの政党もまともに取り組もうとしていない。責任を持ちたくないのだ。私は、これは由々しき事態だと考えている。
インディペンデントな体制にすべき原発最大の問題は別にある。政府(経済産業省)、電力会社、関連メーカー、大学研究者などが「原子力村」と呼ばれ、癒着となれ合いにより独特の村社会を築いてきたことだ。これに対し、脱原発を打ち出す政党は「敵対」する。
癒着となれ合い、そうでなければ敵対しかないのが日本の現状だ。
米国の場合は原子力規制委員会(NRC)をはじめ様々な組織がインディペンデント(独立したもの)である。そこには、癒着となれ合いも、単なる敵対もない。
原発問題をめぐってはインディペンデントな体制を構築しなければ、どんな新しい組織をつくっても意味がない。最大の課題はここにあると言える。
( ※引用者注 ―― 文意を損なわないよう留意して割愛しています。)
株式用語である "反騰" と "反落" とは、言ってみれば "表裏一体" なのだと見受けられる。昨今の "ボラティリティ" 満ち溢れる市場動向を目の当たりにすれば、尚のことそう思われる。"欺かれた状況" の、その反動を制御することは至難の業であるに違いなく、状況の "反転" は不可避だと思われる...... (2013.07.19)
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