"女優・川島なお美さんの訃報" はさまざまに報じられている。 当誌でも関心を向けてきた "胆管がん" の恐さという点もあるが、その点もさることながら、川島さんが "抗がん剤" 治療を拒否した! というその一点が "鮮明な印象" を与えた、と受けとめている。
◆ 参照 当誌過去の "抗がん剤 副作用" 関連記事
(1) "抗がん剤副作用が原因"で死亡!遺族、病院など提訴!投与の見直しあれば...(市川市)/当誌 2015.09.14
(2) がん患者の苦悩10年前より減少、ただし"抗がん剤の副作用"など「身体の苦痛」は増加!/当誌 2015.09.10
(3) 抗がん剤=殺全身細胞薬は、がん完治の薬ではない!だから"やめどき"が必ずや訪れる!/当誌 2015.05.16
今回注目する下記引用サイト記事 : 町医者だから言いたい!《1984》 余命宣告と抗がん剤拒否 長尾和宏(ながお・かずひろ)/apital/2015.09.26 は、やはり、"抗がん剤拒否" という点に焦点を合わせつつ、なおかつ、よりシリアスなテーマである「余命宣告」という点を関係づけながら、"女優・川島なお美さんの訃報" を過不足なく伝えている。
<川島なお美さんの訃報にショックを受けた方が多いでしょう。 私も彼女と同世代なのでショックです。ご冥福をお祈りします。 報道によると川島さんは、2013年7月の人間ドックを受けた際に偶然に胆管がんが発見され、その半年後の2014年1月に腹腔鏡手術を受けられた。 2013年7月の腫瘍発見時に、主治医から「余命1年」と宣告されたとのこと。 腫瘍発見時に、余命1年と宣告?? 私は、患者さん本人にそのようなことを言ったことは一度もありません。私の予測はよく外れるので自信も無いし、なにか呪いをかけるような気がするからです。 彼女は半年後に手術を受けられましたが、余命1年なのになぜ腹腔鏡手術を受けたのか、詳しい事情は知りません。 しかし川島さんは、1年という余命宣告で生き方を変えたのではないか。抗がん剤治療を拒否して、最期まで舞台に立とうと決意したのではないか。 つまり、私にしたら残酷にも見える「余命宣告」が結果的に彼女の人生の最終章の生き方を決定づけたのでしょう。 その意味では、余命宣告が良かったのかもしれません。 私の経験上、胆管がんには、抗がん剤治療はあまり効きません。 その余命宣告は、彼女が強く望んだのか、あるいは主治医が勝手に
言ったのか、詳しい事情は知りません。 しかし彼女は、死を受容した(できた)からこそ、ああして堂々と最期まで舞台に立ち続け、多くの人に感動と勇気を与えることができたのではないか。 川島さんは、「余命宣告」に対する私の考え方を変えました。 余命宣告が抗がん剤治療に大きな影響を及ぼすことを学びました。 参考文献) 「長尾先生、近藤誠理論のどこが間違っているのですか?」(ブックマン社)> とある。
町医者だから言いたい!《1984》 余命宣告と抗がん剤拒否 /apital/2015.09.26長尾和宏(ながお・かずひろ)
川島なお美さんの訃報にショックを受けた方が多いでしょう。
私も彼女と同世代なのでショックです。ご冥福をお祈りします。報道によると川島さんは、2013年7月の人間ドックを受けた際に偶然に
胆管がんが発見され、その半年後の2014年1月に腹腔鏡手術を受けられた。2013年7月の腫瘍発見時に、主治医から「余命1年」と宣告されたとのこと。
腫瘍発見時に、余命1年と宣告??
私は、患者さん本人にそのようなことを言ったことは一度もありません。
私の予測はよく外れるので自信も無いし、なにか呪いをかけるような気がするからです。彼女は半年後に手術を受けられましたが、余命1年なのに
なぜ腹腔鏡手術を受けたのか、詳しい事情は知りません。しかし川島さんは、1年という余命宣告で生き方を変えたのではないか。
抗がん剤治療を拒否して、最期まで舞台に立とうと決意したのではないか。つまり、私にしたら残酷にも見える「余命宣告」が結果的に
彼女の人生の最終章の生き方を決定づけたのでしょう。その意味では、余命宣告が良かったのかもしれません。
私の経験上、胆管がんには、抗がん剤治療はあまり効きません。
その余命宣告は、彼女が強く望んだのか、あるいは主治医が勝手に
言ったのか、詳しい事情は知りません。しかし彼女は、死を受容した(できた)からこそ、ああして堂々と最期まで
舞台に立ち続け、多くの人に感動と勇気を与えることができたのではないか。川島さんは、「余命宣告」に対する私の考え方を変えました。
余命宣告が抗がん剤治療に大きな影響を及ぼすことを学びました。
参考文献) 「長尾先生、近藤誠理論のどこが間違っているのですか?」(ブックマン社)
<川島さんは、1年という余命宣告で生き方を変えたのではないか。 抗がん剤治療を拒否して、最期まで舞台に立とうと決意したのではないか......彼女は、死を受容した(できた)からこそ、ああして堂々と最期まで舞台に立ち続け、多くの人に感動と勇気を与えることができたのではないか> と述べる "町医者としての筆者" は、"がん治療" を "人の人生から切り離さず!" に掌握できる数少ない医師なのであろう...... (2015.09.28)
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