今回注目する下記引用サイト記事 : 精神科医・内田直樹の往診カルテ 衰えがつらい...認知症の人のためにできること/yomiDr.ヨミドクター/2018.07.05 は、 <認知症を患う人の中には、自身の病状を認識でき、そのために苦悩する人もいます。病気の自覚がない人とは違った対応が必要になります> と述べている。
<......■ 自覚できるからつらい 福岡市のAさんは、87歳の元銀行員です。真面目で責任感が強く几帳面な性格で、現役時代は職場で大変頼りにされたそうです。一線を退いた後は妻と2人暮らし。毎日のように碁会所にでかけていました。 2014年6月の朝、トイレで倒れ、救急搬送された先の病院で左脳内の血腫除去術を受けました。リハビリ病院に転院しましたが、軽度の失語症と顔の右側にまひが残り、短期記憶障害と見当識障害、および本人も自覚する「物忘れ」がありました。「脳血管性の認知症」と診断され、当院が訪問診療に入ることになりました。妻にパーキンソン病があり、通院が難しかったからです。 Aさんは、礼儀正しく、穏やかな人でした。ただ、言葉がなかなか出ず、話すこと自体も不自由でした。それでも、人の話の内容は理解できるので、時間をかければ私たちの会話は成立していました。 診察の途中、Aさんは何度も「言葉が出てこない」「ボケてしまった...」と言っては、涙を流しました。思ったように話せない、意思が伝えられない――そんなもどかしさに苦悶(くもん)していました。 認知症の代表的な評価スケール「改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)」(30点満点で、点数が低いほど認知機能障害が重い)で見ると、Aさんの結果は13点。なかなか寝つけないことや食欲が湧かず、半年で体重が5キロも減ったこと、趣味の囲碁をする気にならず、一日中ぼーっとしていることにも悩んでいました。 ■ もどかしさがうつ状態を招いた 気分の落ち込みも抱えているAさんを、私は認知症にうつ病が加わっていると判断しました。 「抗うつ薬を飲んでみませんか?」と提案すると、Aさんは「せ、っせっせんせいが、っそっそそう、お、おっ、しゃるののなら、の、のの、のんのんでみます」と、言葉をしぼり出すように答えました。Aさんの真面目な性格が伝わってきました。 眠りやすくするタイプの抗うつ薬を開始すると、2週間後には「寝つきが良くなった」、1か月後には「食欲が出て、好きだったまんじゅうなど、甘いものをまた食べるようになった」と、改善が見られました。 初めの訪問から2か月目に、Aさんの妻から「笑顔がみられるようになった」と報告がありました。再度HDS-Rを試みたところ、短期記憶障害と言葉の不自由さはあいかわらず「重度」でしたが、点数は18点に上がっていました。 ■ 投薬治療には限界が 確かに、Aさんは笑うようになりました。しかし、私が質問を始めると、「ばかになってしまって...」と表情が曇ります。 このままではできないことにばかりに目が向いて、元気がなくなってしまう――。Aさんの言う「能力低下」に耳を傾けながら、囲碁に代わり楽しめるものがないかを、一緒に考えるようにしました。 ある時、Aさんの妻が、「お父さん、猫を飼ったら?」と言い出しました。近所の家から子猫を1匹引き取ってもらえないかと相談されたのです。動物好きなのに「今の自分では世話ができない」というAさんに、私はここぞとばかりに「使える能力はたくさん残っています。真面目でいらっしゃるし、世話はできますよ」と強調しました。 ■ できることをして、意欲を取り戻す 猫を飼い始めたAさんに変化が訪れました。訪問するたびに必ず出ていた「能力低下」の話は鳴りを潜め、うれしそうに猫について話すようになりました。猫は、Aさんにしかなついておらず、私がその姿を見られたのは一瞬だけです。 それでも「認知症が進んでいないだろうか」と不安に思うAさんのためにHDS-Rをまた行いましたが、結果は17点で、ほとんど変化していませんでした。それを知ったAさんは、安堵(あんど)の表情を見せました。 認知症になると自分が病気であることがわからなくなり、医療機関を受診しなくなることは珍しくありません。一方で、Aさんのように自覚できるがゆえに能力低下を悲観してしまう人もいます。 医療を行う側は、往々にして患者の具合の悪い部分を見つけて、そこを何とか改善しようとします。専門的には「医学モデル」と言います。しかし、この方法だけでは行きづまることもあります。Aさんの例のように、残っている能力を引き出し、本人がやりたいことを実現できるように環境を調整する――そんな「社会モデル」を考えることも重要なのです。(内田直樹 精神科医)> とある。
精神科医・内田直樹の往診カルテ 衰えがつらい...認知症の人のためにできること/yomiDr.ヨミドクター/2018.07.05
認知症を患う人の中には、自身の病状を認識でき、そのために苦悩する人もいます。病気の自覚がない人とは違った対応が必要になります。
■ 自覚できるからつらい
福岡市のAさんは、87歳の元銀行員です。真面目で責任感が強く几帳面な性格で、現役時代は職場で大変頼りにされたそうです。一線を退いた後は妻と2人暮らし。毎日のように碁会所にでかけていました。
2014年6月の朝、トイレで倒れ、救急搬送された先の病院で左脳内の血腫除去術を受けました。リハビリ病院に転院しましたが、軽度の失語症と顔の右側にまひが残り、短期記憶障害と見当識障害、および本人も自覚する「物忘れ」がありました。「脳血管性の認知症」と診断され、当院が訪問診療に入ることになりました。妻にパーキンソン病があり、通院が難しかったからです。
Aさんは、礼儀正しく、穏やかな人でした。ただ、言葉がなかなか出ず、話すこと自体も不自由でした。それでも、人の話の内容は理解できるので、時間をかければ私たちの会話は成立していました。
診察の途中、Aさんは何度も「言葉が出てこない」「ボケてしまった...」と言っては、涙を流しました。思ったように話せない、意思が伝えられない――そんなもどかしさに苦悶(くもん)していました。
認知症の代表的な評価スケール「改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)」(30点満点で、点数が低いほど認知機能障害が重い)で見ると、Aさんの結果は13点。なかなか寝つけないことや食欲が湧かず、半年で体重が5キロも減ったこと、趣味の囲碁をする気にならず、一日中ぼーっとしていることにも悩んでいました。
■ もどかしさがうつ状態を招いた
気分の落ち込みも抱えているAさんを、私は認知症にうつ病が加わっていると判断しました。
「抗うつ薬を飲んでみませんか?」と提案すると、Aさんは「せ、っせっせんせいが、っそっそそう、お、おっ、しゃるののなら、の、のの、のんのんでみます」と、言葉をしぼり出すように答えました。Aさんの真面目な性格が伝わってきました。
眠りやすくするタイプの抗うつ薬を開始すると、2週間後には「寝つきが良くなった」、1か月後には「食欲が出て、好きだったまんじゅうなど、甘いものをまた食べるようになった」と、改善が見られました。
初めの訪問から2か月目に、Aさんの妻から「笑顔がみられるようになった」と報告がありました。再度HDS-Rを試みたところ、短期記憶障害と言葉の不自由さはあいかわらず「重度」でしたが、点数は18点に上がっていました。
■ 投薬治療には限界が
確かに、Aさんは笑うようになりました。しかし、私が質問を始めると、「ばかになってしまって...」と表情が曇ります。
このままではできないことにばかりに目が向いて、元気がなくなってしまう――。Aさんの言う「能力低下」に耳を傾けながら、囲碁に代わり楽しめるものがないかを、一緒に考えるようにしました。
ある時、Aさんの妻が、「お父さん、猫を飼ったら?」と言い出しました。近所の家から子猫を1匹引き取ってもらえないかと相談されたのです。動物好きなのに「今の自分では世話ができない」というAさんに、私はここぞとばかりに「使える能力はたくさん残っています。真面目でいらっしゃるし、世話はできますよ」と強調しました。
■ できることをして、意欲を取り戻す
猫を飼い始めたAさんに変化が訪れました。訪問するたびに必ず出ていた「能力低下」の話は鳴りを潜め、うれしそうに猫について話すようになりました。猫は、Aさんにしかなついておらず、私がその姿を見られたのは一瞬だけです。
それでも「認知症が進んでいないだろうか」と不安に思うAさんのためにHDS-Rをまた行いましたが、結果は17点で、ほとんど変化していませんでした。それを知ったAさんは、安堵(あんど)の表情を見せました。
認知症になると自分が病気であることがわからなくなり、医療機関を受診しなくなることは珍しくありません。一方で、Aさんのように自覚できるがゆえに能力低下を悲観してしまう人もいます。
医療を行う側は、往々にして患者の具合の悪い部分を見つけて、そこを何とか改善しようとします。専門的には「医学モデル」と言います。しかし、この方法だけでは行きづまることもあります。Aさんの例のように、残っている能力を引き出し、本人がやりたいことを実現できるように環境を調整する――そんな「社会モデル」を考えることも重要なのです。
(内田直樹 精神科医)
昨今のがん治療においては、 "個人差" 対応と "最適化" とが重視されている。 認知症の人に対する治療にあっても、投薬治療に加えて、上記記事の "Aさんの例" のような患者個人別の治療が欠かせない...... (2018.07.07)
コメントする