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    <title>AdhocBlog</title>
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    <updated>2010-03-10T10:13:16Z</updated>
    <subtitle>変化にまみれる日々を凝視</subtitle>
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    <title> &quot;ＨＤＤクローン・コピィ&quot; 作成手順をラクにしてくれる &quot;アダプタ&quot;  ......</title>
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    <published>2010-03-10T10:11:16Z</published>
    <updated>2010-03-10T10:13:16Z</updated>

    <summary>この &quot;アダプタ&quot; を利用して、内蔵型ＨＤＤを &quot;裸のまま&quot; で接続して、 &quot;ＵＳＢデバイス&quot; としての &quot;外付けＨＤＤ&quot; と認識させて &quot;クローン・コピィ&quot; の &quot;コピィ先ＨＤＤ&quot; としたわけなのである。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[<p> 　 "ＨＤＤクローン・コピィ" に関しては、やはり皆さんご関心がおありのようだ。中には、試してみたい......、ということでメールで質問して来た知人もおられた。<br />
　その質問の一つは、現在使用中の "ＯＳ" は "Ｖｉｓｔａ" なのだけれど大丈夫だろうか？　というもの。<br />
　自分が実施したＰＣの "ＯＳ" は、 "ＸＰ" と "Ｖｉｓｔａ" の両方であり、いずれも問題はなく成功した。ベンダー・サイトの解説では "WINDOWS ７" にも対応しているとの表示もあるが、それは体験していないのでわからない。</p>

<p>　もう一つの質問は、＜ "クローン・コピィ先ＨＤＤ" を、ＩＤＥ接続ではなくて、 "ＵＳＢ接続" でもＯＫ＞とあったが、 "ＵＳＢ・外付けＨＤＤ" を使うのか？　あるいは "裸のＨＤＤ" ならば、それをどのようにして "ＵＳＢ接続" するのか？　という疑問であった。<br />
　この点に関しては、盛んに "有難い点" だと持ち上げながら、そう言えば "説明不足" だったかと思い、改めて追加説明をさせていただくことにした。<br />
　実は、ここではちょっとした "特殊アダプタ" を使ったのだった。別に、メーカーとの関係はいっさいなく、宣伝する必要はないのだけれど、結構、便利だと気に入って使ってきたものである。<br />
<a href="http://www.green-house.co.jp/products/storage/adapter/ushd-idesa/index.html" target="_blank">「 IDE/SATA⇔USB2.0変換ケーブル GH-USHD-IDESA 」</a><br />
＜対応ドライブ：IDEインターフェースの内蔵型2.5インチHDD/3.5インチHDD、IDEインターフェースの光学ドライブ(DVD-ROM、DVD-R/RW、CD-ROM、CD-R/RW)、SATAインターフェースのHDD＞（ Amazon の記事より。ちなみに、Amazon で、\.2,412.-　で購入。）</p>]]>
        <![CDATA[<p>　これは、 "裸のＨＤＤ" に、 "ＵＳＢケーブル" および "電源ケーブル" の双方を接続させて、ＰＣ側に "ＵＳＢデバイス" として認識させる、そんなアダプターである。<br />
　購入したきっかけは、余っているＨＤＤを "裸のまま" で再活用できないかと思ったこと。いつの間にか、内蔵型のＨＤＤが3.5インチ、2.5インチを問わず、またＩＤＥ、ＳＡＴＡ（シリアルＡＴＡ）を問わず、数多く "余って" いたのだった。<br />
　そんな時に、この "多用途" アダプタを見つけて試してみたところ、実に使い勝手が良かったため愛用しているというわけ。<br />
　余っているＨＤＤを、いちいち "ＵＳＢ" の外付け専用ケースに入れて使うのは、結構面倒なものであり、そのうち、このケースにはどんな容量のＨＤＤが入っていたのやら......、と迷うことにもなりかねない。そこへ行くと、 "裸のまま" のＨＤＤにメモ紙を貼り付けて並べておくと一目瞭然というわけだ。</p>

<p>　そんなわけで、この "アダプタ" を利用して、内蔵型ＨＤＤを "裸のまま" で接続して、 "ＵＳＢデバイス" としての "外付けＨＤＤ" と認識させて "クローン・コピィ" の "コピィ先ＨＤＤ" としたわけなのである。<br />
　この方法だと、 "ＵＳＢ・外付けＨＤＤケース" をばらしたり、組み立てたりというしなくてもいい手間が省けて、実に機能的なわけである。<br />
　また、この "アダプタ" は、ＩＤＥ、ＳＡＴＡのどちらのＨＤＤでも接続できるため、使用中のＰＣがＳＡＴＡ（シリアルＡＴＡ）であって、 "すぐに挿げ替えできるスペアＨＤＤ" としての "クローンＨＤＤ" を作りたいのであれば、ＳＡＴＡのＨＤＤを繋げればよい。また、とりあえず "バックアップＨＤＤ" を作っておいて "備え" だけをしておこう、というのであれば、 "余っているＩＤＥのＨＤＤ" を繋げてコピィをしておく、ということも可能なわけだ......　(2010.03.10）</p>]]>
    </content>
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    <title> &quot;ＨＤＤクローン・コピィ&quot; フリーソフトに関する &quot;体験的情報&quot;  ......</title>
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    <published>2010-03-09T04:57:43Z</published>
    <updated>2010-03-09T09:13:55Z</updated>

    <summary>ところで、手っ取り早い &quot;ＨＤＤ換装&quot; というテーマに関しては、少なくない方たちが関心を寄せておられるようなので、前回に書いたこと以降の &quot;体験&quot; をレポートしてみようかと......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[<p> 　 "ＨＤＤ換装" を手っ取り早くこなす方法については以前に書いた。（ c.f.<a href="http://adhocrat.net/adhocblog/2010/02/post-744.html" target="_blank">当日誌 「"ＨＤＤクローン・コピィ" も "パーティション編集" もできるフリーソフト！ ......」 2010.02.11</a>）<br />
　その後、思い立った時にとばかりに、現在使用中のＰＣ数台のすべてに "バックアップ用" の "クローンＨＤＤ" を設えた。こうしたことは、 "思い立った時" に "慣れの勢い" に任せて一気に済ませておくに越したことはないと思えたからだ。<br />
　とにかく、このフリーソフトが有難いのは、 "クローン・コピィ先ＨＤＤ" を、ＩＤＥ接続ではなくて、 "ＵＳＢ接続" でもＯＫという簡便なところである。その昔は、何かと面倒なＩＤＥ接続で同種のことを行っていただけに、手数の掛からない "ＵＳＢ接続" 方式は実に有難いと思えた。<br />
　その甲斐あって、まずまずつつがなく完了させることができた。これでどのＰＣについても、もし、現行のＨＤＤがトラブルに見舞われてしまった際には、何ら慌てることもなく保管した "クローンＨＤＤ" と速やかに挿げ替えればよいだけとなった。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　ところで、手っ取り早い "ＨＤＤ換装" というテーマに関しては、少なくない方たちが関心を寄せておられるようなので、前回に書いたこと以降の "体験" をレポートしてみようかと......。<br />
　先ず "特記" すべきことは、前回に焦点としたフリーソフト<a href="http://www.partition-tool.com/" target="_blank"> EASEUS Partition Master 5.0.1 - Best Free Magic Partition Manager </a>は、非常に "優れもの" ではあるけれど、 "苦手" とするＨＤＤ構成もありそうか？　という点。<br />
　実は、同一ＨＤＤ内に、メーカーの手による "バックアップ" 用の "隠しパーテーション" が設えられたＨＤＤは、何度トライしても出来上がったＨＤＤからの "ブート" は叶わなかったのである。詳しく分析するならば何か原因を見つけられたのかもしれないが、そのヒマもなかったため、別の対処法を試みてみた。<br />
　それは、このフリーソフト "Partition Master" を提供しているベンダー "EASEUS" が別に提供しているこれまたフリーソフト "Disk Copy" （<a href="http://www.easeus.com/disk-copy/" target="_blank"> EASEUS Disk Copy: Free Disk Copy Software. Sector by Sector for hard drive backup tool. </a>）の方を試してみたのである。<br />
　すると、何とも "スンナリと成功" したのであった。 "隠しパーテーション" 付きのＨＤＤ構成はムリなのかと一時は落胆したのだが、ホッとさせられた。</p>

<p>　ただし、こちらの "Disk Copy" の方は、 "付帯条件" がある。<br />
　その１は、 "起動用ＣＤ" をあらかじめ作成しておくこと。<br />
＜本ソフトはHDD内のすべての情報をコピーするため、Windowsが起動する前にCD起動で動作させる仕組み。そのため配布されているISOイメージを、CDライティングソフトを利用してCD-Rなどへ書き込んでおく必要がある。使い方は簡単で、作成したCDを挿入してパソコンを起動し、表示されたウィザード画面の指示に従っていくだけ。＞（<a href="http://www.forest.impress.co.jp/article/2008/08/26/easeusdiskcopy.html" target="_blank"> オンラインソフト紹介サイト 窓の杜 REVIEW（08/08/26）HDD内のデータを丸ごと別HDDへコピーできるフリーソフト「EASEUS Disk Copy」 </a>）<br />
　自分の場合、このＣＤ作成に当たっては、これまたフリーソフトの " DVD Decrypter " を活用して簡単に作成した。<br />
　その２は、この "ＨＤＤクローン・コピィ" 用ツールは、 "Partition Master" による同種処理と比べて、 "圧倒的に処理時間が掛かる！" という点である。まあ、使用中のＰＣのＣＰＵにもよるのだろうが、極端に言えば、 "ほぼ１０倍" の時間が掛かった。<br />
　自分の場合、夜、寝る前にセットして翌朝に結果を刈り取るという段取りを採った。だが、結果は実に安定しており、二機種について行ったが両方とも問題なく成功した。<br />
　したがって、もし、 "Partition Master" の方で何度か失敗した場合は、 "Disk Copy" の方で "のんびり確実に" 試してみるのがいいかもしれない。</p>

<p>　それから、これは "両ソフト" の使用で両方ともに当てはまることなのであるが、コピィ処理を開始する前に行っておくことが二つある。<br />
　一つは、 "コピィ元ＨＤＤ" の "パーテーション・サイズ" と "コピィ先ＨＤＤ" の容量との関係調整である。つまり、 "前者 ≦ 後者" でなければならないわけだ。これは、ＨＤＤの容量というよりも、前者の "パーテーション・サイズ" とそれを受け容れる後者のＨＤＤの容量との関係であり、もし、前者の "パーテーション・サイズ" が大き過ぎる場合には、それこそ "Partition Master" を使ってその "パーテーション・サイズ" をあらかじめ後者のＨＤＤの容量よりも小さく "リサイズ" しておけばよい。<br />
　自分の場合、前者：２５０ＧＢ、後者：８０ＧＢであったものを、前者の "パーテーション・サイズ" を７５ＧＢに "リサイズ" してからコピィ処理を行い、無難に成功させた。ちなみに、それぞれのＨＤＤの "パーテーション・サイズ" は、後で "Partition Master" を使っていくらでも "リサイズ" 可能なのである。<br />
　もう一つは、 "コピィ元ＨＤＤ" の "ディスク・チェック" をして、 "クラスター" のエラーなどを修復しておいた方が問題なさそうである。今回はそうしたアクシデントはなかったが、かつてのコピィ・ソフトの場合には、途中で "リード・エラー" が発生して "中断" されてしまったことがあった。</p>

<p>　 "ＨＤＤ換装" については、もし時間的余裕があって "困って" いるのであれば、ＯＳから始まり、種々のアプリケーション・ソフトを一つ一つ「再インストール」してみるのも悪くはない。ドライバーの問題とか、日頃気づかない "水面下" の事情がいろいろと勉強になることは確かだからだ。<br />
　そんな勉強は卒業したという方にとっては、 "ＨＤＤクローン・コピィ" 用ツールで、しかも "フリーソフト" だという存在は有難くないわけがなかろう......　(2010.03.09）</p>]]>
    </content>
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    <title> &quot;脚色、演出、効果音&quot; などがまるで無いというのが &quot;事実、現実&quot; ？ ......</title>
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    <published>2010-03-08T11:15:38Z</published>
    <updated>2010-03-08T11:17:08Z</updated>

    <summary>やはりわれわれは、解釈尽くめの情報のその &quot;情報過多&quot; のメディアに慣れ過ぎているということ。それらが &quot;嘘&quot; だとまでは思わない。だが、 &quot;事実&quot; はひょっとしたら &quot;別のところ&quot; に置き去りにされている可能性は否めないのかもしれない、と思った。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　昨日の "琵琶湖マラソン" は、先日の東京マラソンの時と同様に小雨が降り肌寒い天候の中での実施であった。アフリカ勢のランナーたちはさぞかし辛かったのでは、と想像したりしていた。<br />　そんな中で、昨日のＴＶ中継は、ちょっと変わった楽しみ方をしてみた。<br />　実は、アナウンサーや解説者の "音声" が無いと、結構、 "新鮮な臨場感" があってこれもまたいいものだ、と思ったのである。というのは、たまたま、 "ＴＶの設定" で "主音" のみとし、解説などが流される "副音" を消していたのだった。以前に行った録画の時の設定を引き摺っていたのだ。<br /><br />　すると、当たり前の話だが、 "主音" のみだと聞こえてくるのは、競技場やコース周辺で拾われた音のみであり、場内放送、アスリートたちを追うカメラマンを乗せたクルマの音、そして沿道で応援するファンたちの声援、といった "環境音" だけがのどかに聞こえてくるのだ。まるで、自身が競技場や沿道にぽつねんと立って観戦しているような、実に "自然なリアリティ" を感じたのである。<br />　確かに、ゼッケンを付けたランナーたちがどんな選手なのかというような事情はわかりにくい、というか、わからない。しかし、そんな事情を知ること以上に、ランナーたちの走行状況や表情が、むしろよく読み取れるような気もしたものである。解説者などの音声情報が無い分、自分なりに想像力を駆使するからであろうか。<br />　また、周囲の "ステレオ環境音" が、これまたリアルに聞こえてきたりして、結構 "味なもの" であった。さしずめ、日頃、調味料だらけで食べていた野菜を、生のまま直に口にして、食材自体の新鮮な食感をじっくり味わっているような気さえした。<br /> ]]>
        <![CDATA[　とりわけ、沿道などで声援を送るその音声が妙に興味深かった。子どもたちのあどけない声援がとくに印象的であった。<br />　なかでも、競技場でマイクが拾い続けた、とある子どもの声援は、最初のスタート時から最後のゴールの時までしっかりと良く聞こえていた。「がんばれー」という一言を繰り返すだけではあったが、よくも２時間以上にも渡って飽きずに続けていたと、その健気さに感心さえさせられた。関係者のお子さんだったのかもしれないが、子ども心に、選手たちはよくがんばっていると感じていたのであろうか。薄着のユニフォームだけで、雨が降る寒空の下を走っている選手たちは "えらい" と思ったとしても無理はなかろう。<br /><br />　こんな "環境音" だけのマラソン中継を観ていて感じたこと、それは、やはりわれわれは、解釈尽くめの情報のその "情報過多" のメディアに慣れ過ぎているということ。それらが "嘘" だとまでは思わない。だが、 "事実" はひょっとしたら "別のところ" に置き去りにされている可能性は否めないのかもしれない、と思った。<br />　ふと、自分は幼い頃、５、６歳ごろのことを思い起こしていた。文脈までは覚えていない。叔父の家で、叔父が幼い自分や従兄弟たちに向かって、自身の戦争体験の話をしていた時のこと。<br />「そりゃ恐かったなんてもんじゃない。爆発音が響くし、弾がビュンビュンと流れ飛ぶんだから。それに、 "映画やテレビみたいに音楽とかが流れるなんてこともないんだからね" 」<br />　なぜだか、その言葉が記憶に残り続けている。人間染みた "脚色、演出、効果音" などがまるで無いというのが、それが "事実" であり、 "現実" なのだ、という意味として受けとめて来たのかもしれない......　(2010.03.08）<br />]]>
    </content>
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    <title>社会や国家が何とかしてくれるという &quot;妄信&quot; からは漸次醒めるべし ......</title>
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    <published>2010-03-07T11:00:28Z</published>
    <updated>2010-03-07T11:02:08Z</updated>

    <summary>　庶民の &quot;自前力&quot; ・&quot;自力救済&quot; 力・&quot;自給自足&quot; 力なぞは、高が知れたものであることは疑う余地はない。ただ、今や、 &quot;親方日の丸&quot; だの &quot;安全神話&quot;だのという、見る見るうちに腐食劣化してしまった言葉などにとてもすがれる事態ではなさそうな気がする。
　社会や国家が何とかしてくれるという &quot;妄信&quot; からは漸次醒めるべし、か......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　クルマが "バッテリー上がり" になってしまった。<br />　原因は明瞭だ。最近はほとんど利用しないためセルフ充電がなされないこと、そしてこの寒さのため、バッテリー液が機能低下したためである。<br />　こうなると、ブースター・ケーブルでつないでエンジン起動を図ってもいいのだが、まだここしばらくは寒さが続きそうなので、クルマからバッテリーを外して屋内に入れ、 "バッテリー充電器" で時間を掛けて充電することにした。<br /><br />　若い頃、格安の中古車に乗っていた当時は、冬場になると "バッテリー上がり" に見舞われ、しばしば "バッテリー充電器" で対処したものであった。<br />　当時は比較的走らせることが少なくなかったにもかかわらず、そんなことがたびたび発生していた。整備士に調べてもらうと、バッテリー自体が古いだけではなく、クルマ本体側のセル・モーター近辺の部品の劣化が原因だとかであり、それを直すには相応の修理費が嵩むということだったかと思う。<br />　ならば、マメに "バッテリー充電器" で対処しようと思ったのだった。<br />　が、一々、バッテリーをクルマから降ろすのは面倒過ぎると考えた。そこで、 "バッテリー充電器" 側のケーブルを延長し、ボンネットを半開きにしながら、オンラインで "一晩掛けて" 充電するという "のどかなこと" をしていたのである。<br />　最近は、 "ハイブリッドカー" や "電気自動車" が注目され、ガソリン注入ならぬ、 "ケーブル使用による充電" の光景がＴＶなどでも映し出される。しかし、そんな光景を見ると、なぁに、自分なんぞはもう何十年も前に "同じようなこと(?)" をやっていたさ......、と思わないわけでもないのである。<br /> ]]>
        <![CDATA[　ところで、クルマに限らないのだが、こうした "自前" での "対処法" を講じることが、結構、自分は好きなようである。 "貧乏性" と言ってしまえばそれまでだ。が、むしろ "遣り甲斐" とか "自力救済" とでも言うべきことにこだわろうとしているのだと思いたい。<br />　言うまでもなく、現代という時代環境では、対価を払えば何だって肩代わり、代行が頼める。スマートに生きようとするならば、そうしたサービスを適時活用して、自分は "より稼げる仕事" に邁進すべきなのであろう。そうありたいものではある。が、実情はまったく逆のダサイ振る舞い方をしていそうである。<br />　ただ、スマートさを標榜する現代ではあるが、社会や国家は本当にスマートであり続けられるのだろうか......、という "不信感" が拭い切れないでいるのも事実である。<br />　 "巨大な財政赤字" と "国家の財政破綻" という危機の可能性！　現在の国家状況は、まるで全身をスマートに着飾った者が、足元だけは "裸足" か "ボロ靴" で済ましているような "アンバランス" だからである。<br />　そして、現代社会は、あたかも "秀吉による刀狩り" のように人々から "自給自足" のための手段と能力とを召し上げておきながら、 "破局" に至っても到底必要なリカバリーができないと来たら、人々はあらゆる点、可能な限りの "自前力" に関心を向けておくしかないような気がするのである。<br />　庶民の "自前力" ・"自力救済" 力・"自給自足" 力なぞは、高が知れたものであることは疑う余地はない。ただ、今や、 "親方日の丸" だの "安全神話"だのという、見る見るうちに腐食劣化してしまった言葉などにとてもすがれる事態ではなさそうな気がする。<br />　社会や国家が何とかしてくれるという "妄信" からは漸次醒めるべし、か......　(2010.03.07）<br />]]>
    </content>
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    <title>中高年・熟年の &quot;おカネを掛けない趣味&quot; デジタル・カメラ？ ......</title>
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    <published>2010-03-06T09:54:58Z</published>
    <updated>2010-03-06T09:57:30Z</updated>

    <summary>もうひとつ、注目すべき &quot;効用&quot; は、初対面の人とも &quot;会話が弾み易い&quot; という点であろうか。とかく、中高年・熟年の男性は、 &quot;見ず知らずの他人と容易に会話しない&quot; という &quot;鉄則&quot; (?)、 &quot;習性&quot; がお定まりなのかもしれない。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　まったく、この時季は気温の "乱高下" が激しい。その模様をＴＶが折れ線グラフで表示していた。まるで、不安定な株式相場の変動のようである。<br />　もともと、春先のこの時季は "三寒四温" と呼ばれる行きつ戻りつの気温変化があるわけだが、それにしても今年の変動は激しい。ニューヨークなどに何十年ぶりの大雪をもたらしている "北極寒気団" の、その特殊な動きが原因だとも聞く。やはり、地球温暖化現象が災いして、異常気象気味の現象が引き起こされているだろうか。<br />　今日の天候は、昨日が "春、真っ盛り" のような陽気であっただけに、何とも意気消沈させられる "冬戻り、戻り冬" と言った寒さである。<br /><br />　今日あたりはこんな寒さなので話は別だが、最近、陽射しがあって暖かい日には、いつものウォーキング・コースの川辺の遊歩道は、カメラを携えた中高年が目立つようになった。いずれも、カメラには思い思いの望遠レンズを装着して、いかにも "野鳥" （カワセミ）を撮りたいという一心が見え見えの光景である。<br />　昔は、 "カメラ" を趣味にすると "おカネが掛かる" と言われたりしたこともあった。カメラやレンズなどの機材自体が比較的高価であったし、また現像したり、プリント、そして引き伸ばしなどフィルム写真ならではの処理費用も馬鹿にならなかったからかもしれない。<br />　が、デジタル・カメラが主流となった現在では、事情が一変した。贅沢を言わなければ一眼レフカメラもさほど高くはないし、何よりもその後の処理が簡便である点、これがデジタル写真ならではのメリットであろう。撮ったものすべてをプリントせずとも、安直にデジタル画像で確認したり、楽しんだりできるからだ。<br /> ]]>
        <![CDATA[　こうなって来ると、中高年・熟年の "おカネを掛けない趣味" としては、持って来いなのではなかろうか。<br />　健康にとっても良いと言えそうだ。 "バード・ショット（野鳥撮り）" にしても、 "風景撮影" にしても、そこそこの重さの機材を背負って方々歩き回ることになるからだ。手ぶらで歩くというのは、今ひとつ単調かしれないが、 "撮影" という目的意識を持つと、結構、歩くモチベーションが高まるはずである。<br />　もうひとつ、注目すべき "効用" は、初対面の人とも "会話が弾み易い" という点であろうか。<br />　とかく、中高年・熟年の男性は、 "見ず知らずの他人と容易に会話しない" という "鉄則" (?)、 "習性" がお定まりなのかもしれない。自分にしてもそんな傾向は否定できない。<br />　だが、カメラが "間に挟まる" と、それがきっかけで自然な雰囲気で "会話が促進され" 、そんなことが重なると "カメラ友だち" とも言うべき間柄にもなり得る。パチンコ屋、飲み屋、競馬場などで知り合う間柄は、多少なりとも "要注意" なのかもしれないが、 "野鳥" （カワセミ）追っかけのアマチュア・カメラマンに対しては、まずまず警戒心を持つことはなさそうである。<br /><br />　こんな中高年・熟年男性の "カメラ道楽" も、やはり陽気が良くなくては始まらない。 "土門拳" やプロ・カメラマンじゃないんだから、 "手がかじかむ" 苦痛に耐えてまでシャッターに執着することはないわけだ。<br />　自分も、この春は、気分を晴らすためにもカメラを携えて春の風を味わいたいものだと思っている。カメラ・メーカー提供の写真関連ＴＶ番組に見入っていたら、無性に撮影意欲が刺激されたりしてしまった......　(2010.03.06）<br />]]>
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    <title>低価格競争ではなくて、 &quot;品質向上競争&quot; とでも言う路線がリーズナブル！ ......</title>
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    <published>2010-03-05T09:31:15Z</published>
    <updated>2010-03-05T09:32:58Z</updated>

    <summary>こうした &quot;品質向上競争&quot; 路線こそが、この長引くデフレ不況の闇で、遠くにチラチラと見えて行く先を教える &quot;人家の灯(あか)り&quot; だということなのかもしれない......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　 "農産物直売所" は相変わらず盛況なようだ。<br />　その空気にあやかろうとしてか、自宅の近所の農家でも、玄関近くの庭の一角に簡易スタンドを作って、 "どれでも１００円" といった貼り紙でアピールして "にわか直売" に打って出たりしている。<br />　昨日のＴＶ番組であったか、この "農産物直売所" をまた報じていた。ちょいと関心を向けたのは、そのコンセプトが単に "安い" という視点から "美味しい！" という視点へと移行していることを伝えていたからであった。<br />　もともと、 "農産物直売所" のセールス・ポイントは、その値段の安さとともに、 "新鮮さ" という点にあったかと思う。やはり野菜は "新鮮" なものほど美味しくて価値があるからだ。<br />　が、その "新鮮さプラスα" が追求され始めているようなのである。生産者農家におけるちょっとした配慮と手間を掛けることで獲得される "プラスαの美味しさ" に目が向けられているというのである。<br /><br />　そして、この路線は "直売所" の管理方式によって支えられている、という点が注目に値すると思った。<br />　 "農産物直売所" の盛況さは、そこに農産物を展示販売しようとする農家の新規参入を促進するわけだ。それじゃぁ我が家も......、ということだ。<br />　しかし、供給者数が無闇に増えるならば、どこでも "ドロ沼化" している低価格競争に突っ込み、やがては "安かろう悪かろう" の轍を刻むことは目に見えていそうだ。<br />　そこで、とある "直売所" が知恵を絞ったシステムというのが、振るっていると思えたのである。それは、同一農産物の展示販売で、 "後続" として新規参入する者は、これまでのその "販売価格" 水準以下であってはならない、というのである。<br />　一見、新規参入を締め出すための非合理的な仕切りのようにも見えるが、その狙いは、 "後続" 参入者は "より高く評価される" 品質の良いものを携えて参入してください！　というメッセージなのだそうである。<br />　つまり、このシステムは、低価格競争ではなくて、 "品質向上競争" とでも言う路線を支援しようとしているわけである。これは、実にリーズナブルで "頷けるコンセプト" だと思えた。<br /> ]]>
        <![CDATA[　低価格な商品でなければ......、という消費者の苦境は百もわかる。と同時に、いくら生産・製造過程が合理化されようとも、やはり "安かろう悪かろう" の "滲み" のようなものは残り続ける。まして、価格水準帯が通念でのボトムにまで下降している昨今では、その "滲み" を度外視することは、消費者にとって却って危険であったりもする。<br />　また、低価格な商品を求めたとしても、消費者はより高品質、たとえば "少しでも美味しいもの" を諦めたわけではないはずだろう。<br />　この辺の事情をしっかりと読み込むことで、前述のシステムが考案されたのだと思える。しかも、 "直売" 方式なのだから、中間流通業者などによる "便乗値上げ" 的要素はいっさい無く、まさに買い手たる消費者の "品質吟味" がストレートに反映されると推測される。 "どこが１０円高い理由なの？" というレスポンスもあろうし、 "さすが、１０円高いだけのことはあるわ！" という背中を押すような反応もあるはずだ。<br /><br />　先日、ランチを何にしようかと迷った挙句、とある "おにぎり専門店" で調達することにした。そこは、 "産地直送米" を使い、その場で握ったものを販売していた。確かに、コンビニでの販売価格よりも高いことは高い。<br />　しかし、持ち帰る道すがらでも芳醇な "海苔の香り" が空腹を刺激したし、また、頬張った時のその "めし" の美味さが格別であり、こいつは "やみつき" になるかもしれないぞ、と感じたりした......。<br />　こうした "品質向上競争" 路線こそが、この長引くデフレ不況の闇で、遠くにチラチラと見えて行く先を教える "人家の灯(あか)り" だということなのかもしれない......　(2010.03.05）<br />]]>
    </content>
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    <title> &quot;壊れたＰＣ&quot; の &quot;ＭＡＣアドレス&quot; と &quot;ライセンス解除&quot; の問題 ......</title>
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    <published>2010-03-03T15:25:15Z</published>
    <updated>2010-03-04T12:18:21Z</updated>

    <summary> &quot;ライセンス&quot; を &quot;現行使用中&quot; でそのＰＣが &quot;逝ってしまった&quot; ら、ユーザー側は &quot;ライセンス解除&quot; をしていないのであるから、その権利の復活をベンダー側に申請できない、つまり、 &quot;自己責任&quot; としてむざむざ諦めなければならないわけなのである。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　今どき、ＰＣが壊れたと言って騒ぐことはない。そこそこ使える低価格ＰＣはいくらでもあるからだ。<br />　しかし、留意しなければならないことも無くはない。そんなことに遭遇してしまった。<br />　かなり使い込んだＰＣならば、いわば "耐用年数" が過ぎたのだと思って諦めざるを得ないだろう。貴重なデータさえキープされていれば、 手間とコストは掛かるが、"新規購入ＰＣ" に "再設定" を施したり、常用アプリケーション・ソフトを "再インストール" すればそれで一応済みそうである。<br />　後は、個人データなどを残さないように処理して、壊れＰＣを処分すればよさそうな気もする<br /><br />　が、 "問題が残る" 場合もあり得る、ということなのだ。<br />　昨今の "アプリケーション・ソフト" は、その "使用権" を "ライセンス" として扱うのが一般的だ。かつてのように、 "ソフトＣＤ" を購入すれば、何台もの複数ＰＣにもインストールして流用するわけには行かないものも増えている。<br />　また、よりバリューのある "アプリ" であれば、Windowsの "ＯＳ" と同様に、 "オンラインでの認証" を要求したり、その上でその "複数制限数" を "２台、３台" までと制限する場合もある。<br />　自分が利用している "Ｗｅｂサイト構築ソフト" や "ウイルス対策ソフト" などもこうした "制約" が条件となっている。<br />　その際、ソフトベンダー側での "監視手段" としては、ユーザー側のＰＣハードの、言ってみれば固有のＩＤである "ＭＡＣアドレス" （ネットワークアダプタ（LANカード）に設定されている固有の番号で、OSによって Ethernet Address、アダプタアドレス、Physical Address とも呼ばれる）というものを掌握するようである。昨今のＰＣでの "ネットワークアダプタ" はマザーボードと一体化している場合が多いので、いわばＰＣ判別の "ＤＮＡ" に相当しそうである。<br /> ]]>
        <![CDATA[　ところで、ベンダー側もユーザーの不便さを最小限に抑えようという配慮もしており、仮に "２台" までとされている場合、さらに別なＰＣ上でその "アプリ" が使いたい場合には、現行使用中の一台をオンラインで "ライセンス解除" すればＯＫという仕組みを採っていたりする。<br />　が "問題" はここなのである。つまり、 "ライセンス" を "現行使用中" でそのＰＣが "逝ってしまった" ら、ユーザー側は "ライセンス解除" をしていないのであるから、その権利の復活をベンダー側に申請できない、つまり、 "自己責任" としてむざむざ諦めなければならないわけなのである。この辺はまさに "ビジネスライク" であるが、多分それ以外に合理的な "交通整理" はないのかもしれない。<br /><br />　ということで、今回、このケースが "他人事" ではなくなってしまったのである。<br />　当該ＰＣの "死因" は、 "電源ボックス" のクラッシュということで、いわば "臓器移植" ふうに新たな "電源ボックス" を挿げ替えてやらなければならなかった。しかし、当該ＰＣは、いわゆる "ピザパイ型" の薄型デスクトップであり、しかもやや古くなっていた。同等のパーツを入手するのはかなり困難であり、また、そこまで苦労して "蘇生手術" をするのも憚(はばか)られた。<br />　要は、もう一度だけ "息を吹き返し(?)" て、ＰＣ機能が立ち上がり、 "遺言" 証言ならぬ、 "ライセンス解除" 処理さえ済ましてくれれば......、と実にハードボイルドなことを願ったのである。<br />　で、挙句の果てに思い至ったのが、他のＰＣ（タワー型ＰＣ）の "電源ボックス" を一時取り外して、当該ＰＣのマザーボードに暫定的に電力供給をしたのだった。いささか面倒な作業ではあったが、それでＰＣは立ち上がり、問題の "アプリケーション・ソフト" も稼動し、 "ライセンス解除" 処理のウィザード画面も表れ、 "解除しちゃる！" とばかりにクリックしたのである。<br />　これで、他のＰＣにおいて "ライセンス認証" が受けられることになり、先ずは "ひとつの悔しさを撲滅した" というわけであった。些細と言えば些細なことに、 "悔しがる" 自分が、何とも "悔しい" と思わないわけでもなかったが......　(2010.03.04）<br />]]>
    </content>
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    <title>「国家の心意気」なんぞよりもアスリートたちの &quot;柔軟な心意気&quot; こそ ......</title>
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    <published>2010-03-03T04:52:33Z</published>
    <updated>2010-03-03T04:59:49Z</updated>

    <summary>世界中のオリンピック観戦者たちに、清々しい＜白い思い出＞を刻んでくれたオリンピック・アスリートたちの &quot;柔軟な心意気&quot; 。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[<p> 　 "バンクーバー五輪" がつつがなく終了し、ＴＶ放送も静かになった。<br />
　が、＜白い思い出＞を "無粋(ぶすい)" に融かすかのように騒いでおられる面々もいる。やはり、 "ちょっと違うんじゃないの！？" と横槍を入れてみたくもなる。いずれも、 "無粋" さの根底には "国粋(こくすい)" （その国家・国民に固有の、精神上・物質上の長所や美点）に執着するかのような心根が透けて見えるようだ。<br />
　ナチスに "利用" された時代のオリンピックイベントならいざ知らず、グローバリズム現代のオリンピックにあっては、 "国家" の影は "背景色" 位に落ち着いていいように思えるが......。<br />
　その一つが、 "ロシア" の動きだ。 "やっぱり、そう来るのか" なぁ、という思いであった。</p>]]>
        <![CDATA[<p>＜【モスクワ＝星井麻紀】「バンクーバー冬季五輪の準備責任者は、今すぐ責任をとれ」――。ロシアのメドベージェフ大統領は１日、金メダル３個という記録的な不振に終わったロシアの五輪代表選手団に強い不満を表明した。<br />
　メドベージェフ氏は、与党「統一ロシア」の指導者との会合で「責任者は勇気を持って決断し辞表を書くべきだ。できないなら手助けする」と更迭も示唆。成績不振については、長くソ連時代の遺産にあぐらをかいてきたせいだとし、「抜本的な訓練体制の変革が必要だ。責任者は億万長者のような役人ではだめだ」と汚職のうわさが絶えないスポーツ当局者を非難した。<br />
　バンクーバー五輪でロシアの金メダル獲得数は１１位で過去最低だった。 ＞（<a href="  http://www.asahi.com/olympics/news/TKY201003020110.html?5 target="_blank"> 朝日新聞 「五輪不振でロシア大統領激怒『責任者は辞表書くべき』」 </a> ）</p>

<p>　この記事には、以下のような "Ｐ.Ｓ." (追伸)報道までくっ付いて来たので、さらに "無粋" さが極まれり、というところか......。</p>

<p>＜【モスクワ＝星井麻紀】バンクーバー冬季五輪でのロシアの成績不振で、更迭も取りざたされるロシアのムトコ・スポーツ観光青年相は２日、「私のせいだというなら、おとなしく辞任する。だが、それで勝てるようになるのか」と、強気の構えを見せた。<br />
　バンクーバーから帰国したムトコ氏は、モスクワの空港で記者団に「五輪の結果は失敗ではなく客観的事実だ。具体的に誰のせいということはない」と自らの責任を否定。ロシア勢が盛り返すには６～８年かかるとし、自身が手がける２０２０年までの選手強化プログラムを継続するべきだと主張した。<br />
　ロシアは金メダルの国別獲得順位で１１位に終わり、メドベージェフ大統領は１日、関係者の辞任を求めていた。 ＞（  <a href="http://www.asahi.com/international/update/0303/TKY201003020520.html" target="_blank"> 朝日新聞 「『辞めたら勝てる？』五輪不振のロシアスポーツ相逆ギレ」 </a> ）</p>

<p>　＜白い思い出＞を融かしたり、汚したりする、そんな "無粋" さは、 "他国の話" だけかと思いきや、何と何と、国内にもそうした方がおられた。</p>

<p>＜......▼「銅を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」。東京都知事の石原慎太郎さんは、ご本人言うところの惨敗にあきれ、「国家の心意気」を求める。「国家という重いものを背負わない人間が、いい成績を出せるわけがない」と......＞（  <a href="http://www.asahi.com/paper/column.html" target="_blank"> 朝日新聞 「天声人語」2010年3月3日（水）付 </a> ）</p>

<p>　自分なんぞは、思わず、これは "都庁" の "都知事" によるご発言というよりも、どこにでもいそうな "横丁" の時代錯誤気味の "じじ(爺)" による、いつもの "大言壮語" かと受けとめてしまったものだ。<br />
　＜国家という重いものを背負う＞、それもこの際良しとしよう。ただ、＜だが、それで勝てるようになるのか＞と皮肉を込めて言い添えておくべきであろう......。</p>

<p>＜......▼ロシア代表としてフィギュアのペアに出た川口悠子さんは、日本国籍を捨ててまで夢を追った。「日本のためとか、ロシアのためではなく、自分が好きだから滑っています」と話すのをテレビで見て、爽快（そうかい）だった......＞（同上「天声人語」）<br />
　これが、世界中のオリンピック観戦者たちに、清々しい＜白い思い出＞を刻んでくれたオリンピック・アスリートたちの "柔軟な心意気" じゃないのかなぁ......　(2010.03.03）</p>]]>
    </content>
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    <title>大震災のような巨大災害時での &quot;ケータイ&quot; と &quot;アマチュア無線、ＨＡＭ&quot; ......</title>
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    <published>2010-03-02T12:02:41Z</published>
    <updated>2010-03-02T12:04:35Z</updated>

    <summary>他の &quot;ライフライン&quot; の確保も言うまでもなく重要なことである。が、時間を争う支援と復旧の活動に、いわば &quot;レバレッジ的効果&quot; を期するには、やはり何といっても &quot;非常時通信&quot; 手段とその体制を早急に立ち上げることであろう。そして、それは偏に &quot;平常時での備え&quot; に掛かっていそうである......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[<p> 　 "チリ大地震" は復旧もままならぬかたちで、刻一刻と過ぎる時間とともに被災者数が膨れ上がっているようだ。巨大地震の災害規模というのは、通信網が寸断されるだけに、深刻な状況がなかなか掴みづらく、そして伝わりにくい。<br />
　チリの現地ではもちろん苦痛、苦悩が頂点に達していることだろうが、遠く離れた国々で暮らすチリ出身者や関係者たちの不安や心配も、この "音信不通" 状態では計り知れないものがありそうだ。<br />
　ちなみに、ちょうど一年前に、我が家で "救命" した子猫、 "ミミ" を貰ってくれたご家族のご主人がチリの出身者だったそうだ。しかも、しばしばＴＶ報道で登場するコンセプシオン出身だとか。<br />
　家内が何気なくそのことを思い起こしたのである。それで、その奥さんにメールをしたところ、やはり現地と電話が通じなくて、親戚・友人・知人の安否を大変気遣っておられるとのことであった。</p>

<p>　去年の今頃はケータイのメールで、その後の "ミミ" の様子などが写真添付で送られてきたりしていた。どこにでもありそうなケータイ・メールを通じた手軽なコミュニケーションである。<br />
　自分は、もともとケータイやケータイ・メールを活用する方ではなく、この方がめずらしい位に、もはやこの便利なツールは一般的となっている。いや、ケータイはこの現代の日常生活にとっては不可欠だというステイタスさえ獲得していそうだ。<br />
　だが、ケータイという便利な通信ツールは、 "巨大なＩＴインフラ" に浮かぶ木の葉のようなものであり、もしその "インフラ" が中枢部の機能麻痺に陥ったとしたら、目も当てられない事態が引き起こされるわけであろう。<br />
　現に、 "チリ大地震" ではそうした "インフラ" が壊滅的に崩壊した模様であり、パーソナルな日常的コミュニケーション不能どころか、重要な社会的機能を麻痺させる結果となっているようだ。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　こんな文脈でふと思い至るのが、 "アマチュア無線、ＨＡＭ" なのかもしれない。<br />
　実際、あの "阪神・淡路大震災" の際には、 "ボランティア活動" が一定の成果を挙げたと報告されている。</p>

<p>＜震災時のように、被災者に対する緊急のヒト・モノの適切や援助が必要な時には、とりわけ迅速な情報伝達の意義は大きい。しかし先の阪神・淡路大震災において、情報通信ネットワークの物理的被害に加えて被災地への電話などの殺到から、情報通信の大規模な輻輳が生じた。このようなときに非常時通信において少なくない貢献を果たしたのがアマチュア無線によるボランティア活動であった。郵政省などの報告書｢2｣においても、「非常時におけるアマチュア無線の有効活用を図るため、アマチュア無線のボランティアという性格に配慮しつつ、その組織など体制の整備について検討する必要がある」と指摘している。......<br />
　阪神・淡路大震災に際し、ＪＡＲＬ、ＪＡＩＡ、郵政省の３者で協議し、郵政省は非常通信のための免許手続きを簡略化し、ＪＡＩＡは無線機を提供し、ＪＡＲＬがそれを被災地に配ってボランティアの募集を行った。１月17日震災の１週間後から４月15日までの間、1000人以上のハム、15以上のグループが活動した。活動は、全非常無線局の統括と活動報告の集中・アナウンス、被災地に殺到した緊急物資の配送通信サポート、被災者への情報提供、各地から集まったボランティア同士の通信支援などにわたって行われた[3]。......<br />
　震災時におけるアマチュア無線ボランティアの経験は、本来このようなときこそその機能を遺憾なく発揮すべき携帯電話などが機能せず、日常の通信手段としては副次的役割であったアマチュア無線という媒体がクローズアップされたことに加え、こうしたメディアを介してつながった意欲的な個人のネットが、震災時という緊急事態に対して有効に機能したことを物語っている。その意味でこれらの活動は、アマチュア無線従事者たちが情報社会の中での有効なボランティアの一つのあり方を身体で経験し、社会一般に対しても一つのモデルを提起した意義を持っている。＞（<a href="http://aurum.cs.inf.shizuoka.ac.jp/tao/resia7_fujii.pdf" target="_blank"> 「阪神・淡路大震災における非常通信の機能―ＪＡＲＬ兵庫県支部の活動記録より―」</a>）</p>

<p>　とにかく、日頃、当たり前のことだと感じている "情報通信網" が、いざという災害時には "無効" となる可能性が十分に潜伏しているわけだ。<br />
　他の "ライフライン" の確保も言うまでもなく重要なことである。が、時間を争う支援と復旧の活動に、いわば "レバレッジ的効果" を期するには、やはり何といっても "非常時通信" 手段とその体制を早急に立ち上げることであろう。そして、それは偏に "平常時での備え" に掛かっていそうである......　(2010.03.02）<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>現時点での、 &quot;士&quot; の付く職業の羽振りはどんなもの？ ......</title>
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    <published>2010-03-01T11:09:39Z</published>
    <updated>2010-03-01T11:11:13Z</updated>

    <summary>　が、今、かなり酷い就職難の状況にあってか、 &quot;士&quot; の付く職業、 &quot;有資格職&quot; は羨望の眼差しで見られているとも言われる。
　しかし、どうなのであろうか？　 &quot;有資格職&quot; を雇う顧客側にしても経営状況が厳しいがゆえに、その選別基準もまたシビァになっているのではなかろうか。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　間際にならないと本気になれず、もちろんやる気も沸かない。毎年そうである。結構、時間はあるにもかかわらず、 "そんなこと" に時間を割く位なら、他にやるべきこと（やりたいこと）はいくらでもある......、と構えてしまうわけだ。<br />　かと言って、そのことを完璧に黙殺するわけでもなく、そこそこ気にしたりして、脳裏を過ぎらせては嫌な思いになったりもする。さっさと済ましてしまった方が精神衛生上もよかったはずだったわけだ。<br /><br />　何の話かと言うと、 "確定申告" のことなのである。<br />　そう言えば以前、とある脳科学者が、こうした税務処理を何年も怠り、当局から指導を受けたり "追徴税" の罰を受けたりと世間を賑わしたことがあったか。そのご当人は、大層な人気者で飛ぶ鳥も落とす勢いで稼がれていたようだったから、税務処理なぞは "自前" でやろうとせずに、専門の会計士なり税理士なりを賄えばいいのに......、と思ったりしたものであった。<br />　自分とて、相応の稼ぎがあったなら、こんな税務処理なんぞを "自前" でこなそうとは思わないはずである。ところが、如何せん、専門家に任せなければならないほどの稼ぎの規模ではないから、しかたなく "自前" でやろうとするわけである。<br />　そんなわけで、今月１５日が期日なので３月になってしまった今日、ようやく手を付ける運びと相成った。この節目の日を外すと、あとは自堕落になってしまいそうな予感がしたからである。<br /> ]]>
        <![CDATA[　しかし、つくづく感じるのは、自分はいわゆる "事務職" 的な作業は好かないな、ということだ。別に "苦手" だというわけではなさそうだが、こう言っては傲慢かもしれないが、慣れた者であれば誰がやっても変わり映えはなかろう、と思える点に引っかかるのだろう。だからと言って、それでは自分ごときが他人のできないようなことをバリバリやれるのかとなると......。<br />　かつて、その "事務職" の上位クラスの職業、象徴的に言えば語尾に "士" の付く職業は、やがてすべて "ソフト・パッケージ" に取って代わられるだろう、とささやかれたものであった。<br />　確かに、 "有資格職" とも言い換えられる "士" の付く職業のある部分は、その専門職業的ノウハウが "プログラム" に書き表され、システム化される可能性は十分に考えられた。また、現在もなお挑戦的なソフト・ベンダーたちはその目論見を続けているはずであろう。<br />　ちなみに、 "士" の付く職業はざっと以下のようになるようだ。<br /><br />＜税理士、弁護士、弁理士、公認会計士、行政書士　司法書士、経営士、中小企業診断士、社会保険労務士、測量士、土木施工管理技士、技術士、不動産鑑定士、土地家屋調査士、マンション管理士、建築士、消防設備士、社会福祉士、介護福祉士、作業療法士、理学療法士、言語聴覚士、音楽療法士、栄養士、管理栄養士、臨床工学技士、通訳案内士、エネルギー管理士、販売士、保育士、精神保健福祉士、気象予報士、臨床心理士、色彩士、歯科技工士、歯科衛生士、健康運動指導士、防災士、浄化槽整備士、細胞検査士、建築施工管理技士、管工事施工管理技士、電気工事施工管理技士、建設機械施工技士、造園施工管理技士、コンクリート診断士、コンクリート主任技士、コンクリート技士、場所打ち杭施工管理技士、ボイラ技士、ボイラ溶接士、ボイラ整備士、発破技士、救急救命士、糖尿病療養指導士、臨床心理士、視能訓練士、社会調査士、専門社会調査士、電気工事士、認定眼鏡士、事業用操縦士、小型船舶操縦士、海技士、潜水士、作業環境測定士、通関士、海事代理士、ファイナンシャル・プランニング技能士、建設業計理士、宇宙士......＞<br /><br />　もちろん、単に "専門知識" の蓄積・積み上げだけでは職務が果たせない職業も少なくないわけであり、すべてが"プログラム" 化され "ソフト・パッケージ" に取って代わられるということもなかろう。<br />　ただ、 "士" という "敬称" が付けられて差別化された現職の人たちの中には、人間ならではの "総合力" や "プラスα" で "専門知識" を活用できずに、まさに "ソフト・パッケージ" まがいの "物足りなさ" を振りまいている "プロ" もいなくもなさそうである。そうした顧客側の不満が、前述のような「 "士" の付く職業は、やがてすべて "ソフト・パッケージ" に取って代わられるだろう」という皮肉めいた表現に至ったのだとも考えられる。<br /><br />　が、今、かなり酷い就職難の状況にあってか、 "士" の付く職業、 "有資格職" は羨望の眼差しで見られているとも言われる。<br />　しかし、どうなのであろうか？　 "有資格職" を雇う顧客側にしても経営状況が厳しいがゆえに、その選別基準もまたシビァになっているのではなかろうか。<br />　言ってみれば、 "資格" を取ることよりも、 "資格を取らせる支援" に当たる、そんな教育関連業者たちの方が "分がいい" ような気もしないではない......　(2010.03.01）<br />]]>
    </content>
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    <title> &quot;チリ地震津波&quot; が示す &quot;対岸の火事&quot; という &quot;他人事&quot; 眼差しの無効性 ......</title>
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    <published>2010-02-28T10:41:17Z</published>
    <updated>2010-02-28T12:54:21Z</updated>

    <summary>もはや &quot;対岸の火事&quot; という &quot;他人事&quot; の眼差しは、この現代という &quot;緊急時間帯&quot; においては &quot;不都合極まりない&quot; のではないか、と......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　今日は一日、 "チリ地震津波情報" が列島中を震撼させ続けた。住民や船舶関連などが避難行動で割いたエネルギーは決して小さくなかったようだが、悲惨な大被害に見舞われずに済みそうなのが何よりも不幸中の幸いだと思われる。ただ、まだ第二波への警戒は解除されないようではあるが......。<br />　それにしても、太平洋を遥かに挟み何千キロと離れた地域での自然現象が、一日ほどの時間のズレはあったものの、その "対岸" である日本列島に確実なかたちで影響を及ぼすという自然現象の因果連関には目を見張らざるを得ない。<br />　５０年以前にも、今回と同じ "チリ地震津波" が宮城県三陸沿岸に甚大な被害を及ぼすという過去があった。当時の状況、つまり被害を受けるに至る経緯がどうであったのかはよく思い出せない。少なくとも、今回のような "リアルタイム性" に満ち満ちた状況ではなかったのではないか。<br /> ]]>
        <![CDATA[　しかし、今回は、前回の体験と教訓があり、また観測技術の発展もあり、そして今日は日曜日ということもあってか、刻一刻と "リアルタイム" に推移する恐ろしい自然現象に日本中の人々の関心が集中したかと思われる。<br />　東京マラソンに熱中した人々もいただろうが、バンクーバー・オリンピックも峠を越したそんな空隙に、よくもこんな自然現象が訪れたものだと思った。<br />　ただ、妙な表現をすれば、こうした事態に遭遇したことは、われわれ現代人にとっては災難という面ばかりではなかったようにも思える。<br />　とかくわれわれは、世界各地での出来事を、距離を置いて "他人事" のように受けとめる習性に染まりがちであった。日々、怒涛のように押し寄せる "情報津波" に接していると、そうでもしなければ "身が持たない" という理屈も成り立たないわけではない。<br /><br />　だが、現代の "グローバリズム環境" にあっては、空間的距離も時間的ズレも圧倒的に縮小されてしまい、事の影響から免れられるような "安全地帯" というものが見つかりにくくなり、その分、 "他人事" として済ます暢気さがなかなか難しくなっていそうだ。<br />　時代環境は、もはや "対岸の火事" というような "閉鎖社会" ならではの暢気な言葉を死語とさせるような迫り方をしていそうだ。が、なかなか、そうした事実を了解し切れないのが人間の性(さが)というものかもしれない。<br />　ところが、今回の状況は、自然現象（グローバリズムというような人間世界固有の出来事ではない）自体が、地球環境規模での密接な "関係性" とでもいうものをまざまざと知らせてくれたような気がするのである。<br />　すでにこうした自然における地球環境規模での密接な "関係性" については、 "地球温暖化問題" で執拗に牽制されてはいたはずである。にもかかわらず、今ひとつ......であった嫌いがある。<br /><br />　だが、今日、こうしてメディアの生々しい映像を通じて、しかも "リアルタイム" に注意を喚起させられると、見て見ぬ振りをしていたものをありありと見せつけられたような気がしてならない。<br />　もはや "対岸の火事" という "他人事" の眼差しは、この現代という "緊急時間帯" においては "不都合極まりない" のではないか、と......　(2010.02.28）<br />]]>
    </content>
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    <title> &quot;情報社会&quot; の基本構造に楯突く &quot;嗅覚&quot; 情報という &quot;ダサイ(クサイ)&quot; 課題 ......</title>
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    <published>2010-02-27T08:59:28Z</published>
    <updated>2010-02-27T09:00:54Z</updated>

    <summary> &quot;嗅覚&quot; 情報という、いかにも &quot;ダサイ(クサイ)&quot; 範疇の課題が、ひょっとしたら現代文明が遭遇している難問に突破口を開く、そのヒントを与えるのだろうか......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　湿気を含む空気だと "臭い、香り" が伝わり易いのだろうか。梅の花の香りまでは漂ってこないが、周辺の植物などの何気ない香りが漂い、そんなことからも気候が変わりつつあることを知らされる。<br />　今日も小雨となっているし、どうもここ一週間ほどは雨模様が続くようだ。冷えた空気での雨というのはいただけないが、気温が１０度前後での雨（春雨？）だと、気分にも "潤い" めいたものが与えられるような気がしている。<br />　冷たく乾燥した空気だと "臭い、香り" を運ぶこともできないのだろうか。よくはわからないが、それらの要素は一定の気温と湿気とともに漂い、人や動物の "嗅覚" に届くのかもしれない。そう考えると、これからの季節、とりわけ小雨混じりの日々などは、植物たちが織り成す春の香りが気分を和ませてもくれるのだろう......。<br /><br />　あえて、 "臭い、香り" にこだわるのは、これらが "記憶" を呼び覚ます重要な刺激だと実感するからである。この点はかねてより体感的に気づいていたが、どうも少なからぬ脳科学者たちもこの事実をあちこちで指摘しているようだ。<br />　記号情報で飛躍的発展を遂げた人間も、動物としての基本構造は、今なおしっかりと内蔵しているわけであるが、その動物たちにとっては、 "嗅覚" は重要な "生存ツール" のはずであり、その関係から "嗅覚" にまつわる "記憶" はかなり刻印が深いのではなかろうかと推測できる。<br />　先日も、南極の皇帝ペンギンたちの生態に関するＴＶ番組を観た際、彼らが何千、何万組という数の親子の群れの中でその固有の関係を識別するのが "臭い" だと伝えられていた。 "臭い" と固体のアイデンティティ（ＩＤ）とが一体化しているのだと了解される。 "ＤＮＡ鑑識" の水準にも匹敵する "嗅覚" パワーが動物に内在しているのは、ただただ驚かされるばかりであった。<br /> ]]>
        <![CDATA[　昨日、唐突に "内なる声" という言葉を使ったが、その背景のひとつには、こうした動物に内在する本能的なパワーへの畏敬の念が潜んでいるのかもしれない。<br />　動物たちは、 "情報社会" を構築できない、しないその分、おのがボディに内在する持ち前の本能的パワーを研ぎ澄ますことだけに注力し続けている。<br />　そして、彼らのそれを現代人は往々にして "愚かしい" と見るわけである。が、その反面、それでは人間たちは、輝かしい "情報社会" を構築しつつ、あらゆる点で生存の危機可能性を克服しているのか......、という思いも禁じえないのではなかろうか。<br />　もっとも、この期に及んで、現代文明の到達点である "情報社会" の基本構造に "楯突く" ことは、言うまでもなく無謀過ぎるに違いなかろう。<br />　ただ、注目しておくべきは、現時点で諸科学に残されている小さくない課題は、 "脳や心の問題" をはじめとした、この辺の "人間の内なる部分" であるに違いないという点なのである。<br />　また、穿った言い方をするならば、現代文明が成立するために、方法論としてあえて視野の外に置き続けてきたのがこの "人間の内なる部分" であったのかもしれない、と推定できなくもない。<br />　 "嗅覚" 情報という、いかにも "ダサイ(クサイ)" 範疇の課題が、ひょっとしたら現代文明が遭遇している難問に突破口を開く、そのヒントを与えるのだろうか......　(2010.02.27）<br />]]>
    </content>
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    <title> &quot;内なる声(Inner voice)&quot; と &quot;外界&quot; （ &quot;過剰情報環境&quot; ）の響き ......</title>
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    <published>2010-02-26T09:46:35Z</published>
    <updated>2010-02-26T09:47:53Z</updated>

    <summary> &quot;内なる声&quot; が発せられる人間の内面奥深くには、 &quot;レアメタル&quot; ならぬ貴重な &quot;サムシング・グッド&quot; が豊饒に埋蔵されていそうな、そんな予感がするのである......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　 "内なる声(Inner voice)に耳を傾ける" という表現が、ふと思い浮かんだ。 "瞑想" というほどのことではない。ただ、 "外界" （ "過剰情報環境" ）と距離を置くなり、暫時、遮断するなりして、 "静寂" の内に身を置いた時、何かが起き上がってくるのか、それとも何ということもないのか......。<br />　考えてみると、睡眠というのは、ある種、暫定的な "外界" 遮断環境だと言えるのかもしれない。そして、そこで見る夢というのは、一種の "内なる声" と言えないこともなさそうだ。とは言うものの、その夢という "内なる声" は、特有の、一筋縄では行かないロジックで構成されていそうだから、通常の声、つまり覚醒時の思考の地平へ拾い上げる、即ち "コンバート(変換、翻訳)" することは難題であろうが......。<br /><br />　 "過剰情報環境" に日常的に身を置くわれわれには、そうした喧(かまびす)しい "外界" はあっても、もはや "内なる声" が発生するような "内面" というようなものは無いのであろうか......。いや、無いというのは語弊がありそうだとすれば、 "目を向けるに値しない" ほどの地盤沈下にでも陥っているのであろうか。<br />　 "内なる声" の象徴との扱いを受けてきた "良心" という言葉にしても、昨今ではタテマエ的に引き合いに出される（ "宣誓" ？）ことはあっても、その機能的価値は風化している気配がする。 "法的規制" であったり "衆目" といった、いわば "外的(社会的)存在" が有効性を持っているのが実情のようにさえ見える。本来を言えば、人間の "良心" というものが想定されない、そんな社会は "底が抜けている！" と見なされて然るべきなのだろうが......。<br /> ]]>
        <![CDATA[　とりわけ、 "衆目" という、 "得体の知れないもの" が幅を利かせていそうだ。<br />　 "衆目" と言えば、先ず "メディア(マス・メディア)" となる。かつては、 "世間" という、これもまた "得体の知れないもの" が人心を拘束し左右したが、地域社会が根付いていた当時は、これがかなりの効力を持っていたようである。<br />　言ってみれば、現在の "メディア(マス・メディア)" によって構成された "過剰情報環境" とは、その、かつての "世間" を拡大的に継承したもの、 "世間の拡大版" のような気がしてならない。<br />　そして、言わずもがな、主たる継承ポイントは、 "得体が知れない" という点になるのであろう。なぜなら、この "過剰情報環境" の動向は、タテマエ的にはいろいろと根拠付けされ正当化はされるものの、実のところ "評判" といった実に捉えどころのないもの以外に、これと言った根拠が見つけにくいからである。強いて言えば、昨今では、 "市場環境" で好感が持たれて、有効なもの、それが根拠だとでも思われているかのようではなかろうか。<br /><br />　ところがと言うべきか、だからこそと言うべきか、われわれは知らず知らずのうちにその "得体の知れないもの" の声に、神経質に耳を傾け、それに沿って気に入られよう(?)とした行動選択をしていそうである。<br />　こうして、 "内なる声(Inner voice)に耳を傾ける" という生活習慣なぞは、 "過去のこと" 、あるいは "遠い先のこと" として棚上げされているのであろうか。<br />　この期に及んで(?) "内なる声" に目を向けようとしているのは、 "良心" と言う言葉の風化を嘆こうしているというよりも、 "内なる声" が発せられる人間の内面奥深くには、 "レアメタル" ならぬ貴重な "サムシング・グッド" が豊饒に埋蔵されていそうな、そんな予感がするのである......　(2010.02.26）<br />]]>
    </content>
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    <title>判断基準は、 &quot;セキュリティの安全&quot; と &quot;便利さ&quot; との比較、天秤考量 ......</title>
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    <published>2010-02-25T10:06:08Z</published>
    <updated>2010-02-25T10:07:43Z</updated>

    <summary>とかく、現状況では &quot;絶対安全セキュリティ&quot; なぞというものは考えられないわけで、判断基準は、 &quot;セキュリティの安全&quot; と &quot;便利さ&quot; との比較、天秤考量にありそうな気配ではなかろうか......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[<p> 　知らず知らずのうちに、ネットでの "ブックマーク" システムを愛用するようになっている。まあ、別に目新しいことではなく、今や多くのＰＣユーザーが利用しているシステムであろう。<br />
　ちなみに、活用しているのは＜はてなブックマーク＞であり、ちょいと概要を引用すると以下のとおりだ。</p>

<p>＜■ はてなブックマークとは<br />
　後でもう一度見たいページを保存しておくブラウザの「ブックマーク」。通常コンピュータの中に保存されて他の人の目には触れられることがないブックマークですが、これをウェブで公開し共有すると、これまでになかった新しい体験を味わうことができます。<br />
　はてなブックマークはオンラインにブックマークを保存する便利なオンラインブックマークツールであると同時に、そのブックマークを公開し共有することで新しい情報体験を提供する、ソーシャルブックマークサービスです。はてなブックマークを利用することで、ウェブ上の一つ一つの情報をより深く消化することができるようになり、また有用な情報をより少ない時間で見つけることができるようになります。<br />
より具体的には、はてなブックマークは以下のように利用することができます。</p>

<p>■ ウェブがあればいつでもアクセスできる、個人用のオンラインブックマークツールとして利用できます。<br />
■ ブックマークを公開できるので、はてなブックマークのユーザー同士で話題/感想を共有するコミュニティとして利用できます。<br />
■ 旬なニュース、面白いネタ、役に立つ情報を見つけるためのメディア、情報源として利用できます。<br />
＞（<a href="http://b.hatena.ne.jp/help/about" target="_blank">「はてなブックマーク　ヘルプ」</a>より）</p>]]>
        <![CDATA[<p>　自分が専ら活用しているのは、＜個人用のオンラインブックマークツール＞という＜オンラインにブックマークを保存する＞というツールである。<br />
　言うまでもなく、 "ブックマーク" とは "お気に入りサイト" に自在にアクセスすることをサポートするためのツールである。<br />
　従来は、一度訪れて "気に入った" サイトは、常用ＰＣの "ブラウザ" の "お気に入り" エリアに、当該サイトのＵＲＬなどのサイト情報をリスト化して保存しておくのが一般的だった。それで、思い立った時に、そのアイコンなりをクリックてそのサイトにアクセスするという "段取り" であったか。<br />
　しかし、この "段取り" で不都合な点は、常用ＰＣ以外のＰＣで "お気に入り" のサイトにアクセスしたい場合であったはずだ。 "お気に入り" のデータは、それぞれのＰＣのブラウザのみに保存されるから、異なったＰＣではムリだったのだ。<br />
　昨今では、職場と自宅では異なったＰＣを使うケースも増えているし、それにかかわらず複数のＰＣを活用することも多くなった。<br />
　そして、人間であるから当然のこと、物理的状況にかかわらず、唐突に情報ニーズが発生する。ちょいと気になったことをその場で再確認してみたいとか......。</p>

<p>　こうしたニーズにこそ＜オンラインブックマークツール＞は威力を発揮するわけだ。＜オンライン＞上にブックマークが保存されているから、オンラインが可能な環境であれば、どこのどのＰＣであろうが "ログイン" して自分が保存したブックマークのリストを閲覧し、当のサイトにアクセスできるというわけだ。<br />
　もちろん、 "ログイン" 情報はＩＤやパスワードで "プロテクト" されているため、自分が登録したブックマークを他人に知られることは先ずない。<br />
　このシステムを使い始めてみると、想像以上に便利だとの実感が深まった。これは、今や、マネーと同様に重要度を高めている情報という観点に立つと、現金を持ち歩かずにカードで済ますというスタンスに似ているのかもしれない。<br />
　大体、現在では、 "情報＝ネットサイト情報" が一般化していそうだが、 "自分が評価したネットサイト情報" を、いつでもどこても閲覧できることを可能にしたこのシステムは、やはり便利だし、画期的だとさえ言えそうである。</p>

<p>　ただ、 "情報漏洩" が気になると言えば気にならないこともないが、 "直接的" な個人情報ではなくて、誰がどのサイトを評価しているかという情報なので、 "まぁ、イイカ" と流している実情ではある。この辺まで気にし始めると、オンライン情報を予想外の規模でサーチしている存在(!)もあるようだし、そうなるとオンラインでは何も出来ないという判断に辿り着きそうだからである。<br />
　とかく、現状況では "絶対安全セキュリティ" なぞというものは考えられないわけで、判断基準は、 "セキュリティの安全" と "便利さ" との比較、天秤考量にありそうな気配ではなかろうか......　(2010.02.25）</p>]]>
    </content>
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    <title>かつての &quot;トヨタのカンバン方式&quot; から &quot;トヨタの新・現地経営方式&quot; へ ......</title>
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    <published>2010-02-24T10:07:42Z</published>
    <updated>2010-02-24T10:09:16Z</updated>

    <summary>かつて、トヨタ経営と言えば、 &quot;トヨタのカンバン方式&quot; というタイムリーさで名を馳せた経営方式が注目されたものだ。きっと、トヨタはこの &quot;ピンチ&quot; を契機にして、海外での &quot;現地経営&quot; の先行的雛形を作り上げるのだろう。</summary>
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        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　今日は待ちに待った春めいた日となった。気温も１０度を上回り陽射しも暖かい。戸外が心地良いというのは、萎縮しがちな心持ちが解きほぐされるようでありがたい。<br />　そんな陽気の良さとともに、どうということもないのだが、ここしばらく拘泥してきた一台のＰＣのチューニングがやっと手離れするようになり、これもまた気分解放のひとつとなった。<br />　完了することにさしたる意味があったわけでもないのだが、当初思い描いたゴールに達しないのがなんとも気分が悪く、拘り続けてきた。途中で放り出す気になれず、そのうち次第にむきになり始めたから始末に負えない。<br />　さらに、こんなことが上手く行かないでどうする、といった調子の脅迫観念のようなものが立ち上がって来て気分を一層急かすのだ。 "悪い心理パターン" そのものである。<br />　どうも最近は、自縄自縛的に、いや下手をすれば自虐的に自分の気分を追い込んでいるようでまずい。 "まとまった規模のターゲット" を見失い、手元の細々とした茶飯事に視野を狭めているからだろうと了解はしている。<br /><br />　 "先手必勝" という眩(まぶ)しい言葉がある。 "攻撃は最大の防御なり" という勇ましい言葉もある。万事、これらの言葉のごとく振舞っていられたら、さぞかし気分は爽快で、持てる力も１００％以上に発揮できるはずだ。それが人間というものだろう。<br />　その逆に、 "守り" の姿勢に引き篭り始めて、なおかつ打つべき手も "後手後手に回る" という湿った感じの循環に足を踏み入れると、どういうものか万事が "裏目裏目" に出始める。誰もが何度も経験している成り行きのようである。<br />　個人的な昨今の心理について書いているわけだが、こうした雰囲気、空気に浸され、支配されつつある職場や組織も、昨今では決してめずらしくないのかもしれない。<br />　なんせ、今の時代環境は、何が希薄かといって、 "まとまった規模のターゲット" が設定しにくくなっていそうだからだ。いや、絵に描いた餅のような荒唐無稽な "ターゲット" ならばスイスイと並べ立てることもできよう。問題は、相応の実現可能性を宿した "ターゲット" なのである。<br /> ]]>
        <![CDATA[　ところで、今、 "米トヨタ公聴会" という問題が衆目を集めているようだ。当初は、そういうつもりがなかったらしい豊田社長が、24日に米下院監視・政府改革委員会の "公聴会" に出向いて、事情説明や釈明、謝罪におよぶことになっているという。<br />　ＴＶニュースなどに登場する豊田社長の、 "浮かない" 表情を見るにつけ、前述の言葉、 "守り" の姿勢とか "後手後手に回る" という字面がどうしても脳裏を過ぎる。<br />　 "腹に一物背に荷物" と思しき米国 "批判勢力" に対して、何とむざむざと "好材料" (?)を与え過ぎてしまったことかと悔やまれるわけだ。そして、これに対する "切り返し" は至難の業とも見える、そんな難しい流れを作ってしまったものかと......。<br />　ここで振り返って、 "反省会" 的苦言を呈したところで当面の "攻防戦" には役には立たない。ただ、とある評論家が指摘していた、 "現地製造" 方式のみならず、 "現地経営" 方式をもっと強化すべきではないか、という点が頷けた。<br />　今回の拗れた推移の原因は、問題現象に対して "後手後手に回る" という "時間的ズレ" があったとされるが、その背景には "情報" の遅れやそれに対するタイムリーな "意思決定" の欠落が指摘されてもいる。これらは、要するに、現行の "トップダウン" 方式では貫徹し難い課題であり、まさに、 "現地経営" に大きく裁量権を委譲した "現地経営" 方式が担う課題かと推測されるのである。<br />　 "トップダウン" 方式が色濃いと推察される米軍事組織でも、確か、最前線でのチームにかなりの裁量権を委譲する方式が採られ始めているらしい。テロやゲリラ戦その他の環境では、より "臨機応変" な "意思決定" が必須だと考えられてのことのようである。<br /><br />　かつて、トヨタ経営と言えば、 "トヨタのカンバン方式" というタイムリーさで名を馳せた経営方式が注目されたものだ。きっと、トヨタはこの "ピンチ" を契機にして、海外での "現地経営" の先行的雛形を作り上げるのだろうとは想像する......　(2010.02.24）<br />]]>
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