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    <title>AdhocBlog</title>
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    <updated>2008-11-20T08:07:04Z</updated>
    <subtitle>変化にまみれる日々を凝視</subtitle>
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    <title>痛々しくも、新たなチャレンジに一歩も二歩も踏み出すこと ......</title>
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    <published>2008-11-20T08:06:27Z</published>
    <updated>2008-11-20T08:07:04Z</updated>

    <summary>　事務所が面している通りは、以前にも書いたことがあるように、 &quot;店舗の新旧交代&quot;...</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
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        <![CDATA[　事務所が面している通りは、以前にも書いたことがあるように、 "店舗の新旧交代" が激しい通りである。いや、こうした事情はここに限らず、全国津々浦々の地域がそうなっているのかもしれない。<br />　今や、全国の商店街が多かれ少なかれ "シャッター通り" と指摘される現状からしてみると、まだ "新旧交代" というかたちで "新店舗" が登場してくるだけまだましだと言えるのかもしれない。<br />　この通りでは、この一、二ヶ月の間に二店舗が開業した。自分がそれらを知った時、こんな "落ち目" の景気で、いわば "地合(じあい)" が尋常ではない時期に開業するとは、かなり "挑戦的" だなぁ、と感じたものだった。<br />　まあ、景気の客観的状況は良くなくても、人にはそれぞれの事情もあるし、また目論見や勝算もあるのだからつべこべ言うべきではないはずではある。みながこの景気を悲観視して、とことん萎縮していたのでは何も始まらないのだから、むしろ、 "火中の栗を拾う" ようなアクションもあっていいと思う。<br />　関心を寄せてそうした新規店舗に目を向けるならば、それぞれが慎ましい "前向きさ" を感じさせる雰囲気を秘めている。痛々しいほどに......。やはり、いかにも厳しいことだろうな、と思わざるを得ないのが正直なところではあるが。]]>
        <![CDATA[<p>　しかし、やり遂げなければならないに違いなかろう。<br />　そう考えると、他人事ではなくなってくるのである。しかも、この時期、これから深まってゆくに違いない不況風の中、多分、 "うちだけは安全！" と高を括っていられる経営体はまず皆無に近いのではなかろうか。今回ばかりは、これまでの景気状況では "安全地帯" で澄まし顔ができていた経営体も、大なり小なり、いやかなりの程度で辛酸を舐めさせられるような予感がする。かく言う自分たちも、ひたひたと忍び寄ってくる未曾有の不況の浸水音に生きた心地がしない不安感を伴いながら耳を傾けていると言わざるを得ない。<br />　ところで、こうした未曾有の危機状況ともなると、多分、すべてが "逆転" してしまうような、そんな感触を抱く。<br />　つまり、これまで羽振りが良かった業種や経営体ほど、 "どんでん返し" のごとく突然の苦境に引き込まれもするだろう。と言うのも、羽振りが良かった理由そのものが、足かせへと急変するようだからである。それほどに、環境において定数的な要素と見続けてきた側面が "どんでん返し" を食らっている模様である。<br />　簡単に言えば、 "外需" が一つのそれであり、対米、対中国への輸出依存の経営体質は、完璧に裏目に転じたと見て間違いないようだ。<br />　また、強い競争力を目指して築き上げた生産能力が、そのまま過剰生産力とそれがもたらす膨大な不良在庫量へと転化しているようでもある。<br />　そして、これらのいずれもが、巨大なスケールであるために、 "臨機応変な小回り" でスピーディーに対処することを阻み続けてもいそうである。</p>
<p>　そうした "恐竜たち" の苦悩に対して、それでは "小動物" たる生き物たちの被害状況はどうかと言えば、大局的には変わるはずがない。もとより、この国の経済の基本的な仕組みでは、 "小動物" は、 "恐竜たち" の食べ残し（下請け）に依存する傾向が大であったのだから、 "恐竜、転べばみな転ぶ" となりがちだと認めざるを得ないこととなる。<br />　また、このような未曾有の経済危機の最中に、そうした基本的な仕組みを離脱した経路を、日力な "小動物" たちが見出していくことは、ラクダがかりの穴を通過するほどに困難なことだと言えそうである。<br />　しかし、それしか方途がないと自覚した時に、まんざら何も生まれないとは言い切れないのかもしれないと感じている。まして、上述の "どんでん返し" のリストの中には、 "左脳優先のビジネス力" という項目も含まれていそうでもある。とかく、危機的状況にあっては、 "左脳に基づく能力" は限界を露呈し、 "右脳" や感情に近い能力が威力を発揮するとも見られている......。<br />　この経済危機を前にして、今、要請されているのは、国や国際協力に基づく大掛かりな金融制度の見直しであることは疑いない。とともに、今ひとつ、スモール・ビジネスに携わる者たちがこれを機してに新たなチャレンジに一歩も二歩も踏み出すことも極めて重要なのかもしれない、と感じつつある......　(2008.11.20）</p>]]>
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    <title> &quot;厄介な光景&quot; と &quot;取り越し苦労&quot; とで構成された夢 ......</title>
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    <published>2008-11-19T08:31:51Z</published>
    <updated>2008-11-19T08:33:40Z</updated>

    <summary>　昨晩は、またまた風邪気味となってしまい早めに床に就いた。　おかげで、いやという...</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　昨晩は、またまた風邪気味となってしまい早めに床に就いた。<br />　おかげで、いやというほどいろいろな夢を見ることになった。まあ、昨今は気の利いた夢を見ることはほとんどない。<br />　大体、覚えているものは、明け方近くの夢であり、昨晩の夢も良く覚えているものはその類である。]]>
        <![CDATA[<p>　どうも "京急" を利用して横浜方面から品川方面に向かっているようだった。車内の空いた座席を探していたようだが、しばらくは見つからない。やがて、ようやく見つけて "ヨッコラショ" と腰掛ける。<br />　しばらくして、ふと隣の座席の方に目をやると、 "厄介な光景" を目にすることとなるのだった。<br />　それはそうと、座席はいつの間にか、通勤電車ふうではなく、４人が向かい合って座る列車ふうのものになっていた。座席を探していた時には通勤電車ふうのものであったのが急遽差し替えられていたのだが、まさにこの辺の脈絡のない流れというものが夢の特徴である。<br />　で、 "厄介な光景" というのは、窓側に落ち着いて座っている若い男が、何食わぬ顔をして "咥えタバコ" で喫煙していらしたのである。<br />　自分は、何という傍若無人の輩かと思い、いくらなんでもこれを見て見ぬ振りをするわけにはいくまい、と思った。が、そうした注意をしたために、物議をかもし、いきなり "ブスリ" と刺されるというありがちな事例を思い浮かべざるを得なかった。<br />　ここは、注意の仕方を工夫すべきかもしれないなぁ、と一瞬考えてもいたようである。そして、そんなことを仕出かすような男かどうかを吟味すべく、相手の顔つきを確かめたりする。<br />　幸い、その男は決して "頬に傷" を持った人種のようではなく、大人しそうなサラリーマン風の感じであった。とは言っても、昨今は、見た目だけでは判断できず、虫も殺さぬような顔で "ブスリ、ザクリ" とやってのける "新種" もいらっしゃるようだ。<br />　注意をすること自体は "固く心に決めていた" 自分としては、さぁて、どう切り出すかが問題だと思案する。そして、ここは、映画・ＴＶでおなじみの "交渉人（ネゴシエイター）" のごとく、相手を刺激せずに、どちらかと言えばやや "持ち上げ" 気味で迫るのが正解かもしれないと夢の中で考えているようだった。<br />　が、何せ夢の中なので実のところ結局どんな言葉で迫ったのかは定かではない。<br />『お見受けしたところ、立派なお仕事をされている方のようですが、そうしたお方が、車内で喫煙されるようなことはご遠慮された方が良さそうですよ......』<br />とか何とか言ったのかもしれない。<br />　ただ、上下に開閉する窓の戸を数センチほど上げて（いつの間にか、 "列車" ふうの状況に変わっていたことは前述のとおり）、そこから、吸いかけのタバコをお捨てなさい、と促したことは薄っすらと記憶に残っている。<br />　どうも、その男は、そうした運びにあえて逆らうこともなく、苦々しい顔つきはしていたようだったが、言うとおりにしたのであった。<br />　という、ただ単に "取り越し苦労" としか言いようのない夢だったのである。</p>
<p>　そんなことがあって何となく気分を害した自分は、その電車を降りたようだった。そこから次の電車を待つというような、そんな "二幕目" の夢が始まっていたのである。<br />　ところが、ここでまた "厄介なこと" に遭遇することになったのだった。何と先ほどの電車が "終電" であり、次の電車は朝まで無いということだったのである。<br />　で、自分はこうなったら線路伝いにでも歩いて行くしかないな、と "短絡" するのだ。タクシーを拾うなり何なりの方法が、夢の中では思いつかないというのが情けない。<br />　とっぷりと暗くなった道をとぼとぼと歩く自分であったが、そのうち、またまた別の "取り越し苦労" が始まっていた。<br />　待てよ、自分は "京急" で品川方面に向かっているわけだ。となると、当然、あの六郷川（多摩川下流）を渡らなければならない。この夜更けに、 "京急" の鉄橋を渡るっていうことかぁ？　勘弁してもらいたいなぁ......、と。<br />　すると、やがて自分は六郷川の土手に行き当たることになる。そして、恐々と土手越しに川幅の広い六郷川に目をやると、そこには真っ暗な空間に広がる不気味な川が見えてくるのであった。<br />　どういうものか、 "夢に現れる川" の相貌はいつも不気味であり、そして奇妙な恐怖感をかもし出している。かつて、よほど怖い経験をして、深層心理にそんなものを刻み込んでいるのかもしれない。</p>
<p>　というところで、わけのわからない夢に "見切りをつけて" 目を覚ますことになった次第なのである。風邪気味で早く床に就いたからといって、こんな "取り越し苦労" の夢を見ていたのでは休養にはならなかったのかもしれない......　(2008.11.19）</p>]]>
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    <title> &quot;定額給付金&quot; がメイン対策ならばお粗末過ぎる ......</title>
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    <published>2008-11-18T08:49:10Z</published>
    <updated>2008-11-18T08:49:55Z</updated>

    <summary>　 &quot;定額給付金&quot; という景気対策は、すこぶる人気がない。というよりも、この対策...</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[<p>　 "定額給付金" という景気対策は、すこぶる人気がない。というよりも、この対策が、この間猛威を振るい、今後さらに悪影響を引きずり続けるであろう金融危機・経済危機の、その破壊力に対して、 "......の突っ張りにもならない" ようだと国民自体が感じ取っているということか。だから "選挙対策" という実施側のもうひとつの狙いの方も功を奏していない。<br />　そればかりか、これを "目玉" にして消費税アップをアナウンスしてしまおうという見え透いた "作法" もバレバレとなったし、 "所得制限" がどうたらこうたらとか言ってダラダラ振りを露呈もしたし、挙句に、面倒だからと地方の市町村に "責任転嫁と丸投げ" をするといういい加減振りもいかんなく曝け出してしまった。<br />　結局は、ほとんど誰もが喜ぶことのない "八方ふさがり" の愚策に墜してしまった観がありありではなかろうか。</p>
<p>　何が、問題だといって、 "不純な動機" と "成り行き任せ" という二大要素が揃って事が始められたのだから、こうなることは至極当然なのかもしれない。<br />　われわれとて、降って沸いたようなシチュエーションに遭遇した際には、似たような経験をしてきたかもしれない。じっくりと考えてみたり、日頃のポリシーに沿って動こうとはせずに、浮き足立って浮ついた判断や行動に出て、結局は、虻蜂取らずの手痛い失敗に至るという、そんな経験のことである。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　そもそも、麻生内閣は "選挙管理内閣" ではなかったのか？　ご当人もそのつもりであったはずだ。それなのに、この金融危機・経済危機に急展開に遭遇し、いわばドサクサに紛れて "こんな時期に政治空白を作ってはいけない" と正論ぶった貼り紙をおでこに貼り付けて走り出してしまったのだから恐れ入ってしまう。<br />　未曾有の出来事の中で、大抵の人は、 "そこまで言うのなら自信があるのかもしれない......" と思ってしまうではないか。何か、緊急景気対策としての "隠し玉" があるに違いないと憶測してしまってもムリはなかったかもしれない。<br />　ところが、出された "隠し玉" とは、 "ばら撒き給付金" のことだったのだから、 "な～んだ！" ということにならざるを得ない。それも、その処理が立て板に水どころではなく、横板に鳥もちといった歯切れの悪さだったのだから、 "いい加減にしろ～！" と言いたくもなろう。</p>
<p>　昨日、民主党の小沢氏が、そうした麻生氏の理解不能な言動に対して党首会談というかたちで "苦言" を呈したようである。当然のことだと思える。<br />　何を怯んでか、マス・メディアはいつもどおり事態を静観しているようではある。しかし、今や国民生活は、まるで戦時中の "空襲爆撃" を被った市街地さながらの状況ではなかろうか。一刻も早く、 "焼け石に水" のような子ども騙しの経済対策ではなく、持続し続けるしっかりとした経済復興対策こそが講じられなければならないはずである。<br />　そんな対策を、現政府に期待することは、あたかも、任期も人気もなくなりつつあるブッシュ大統領に、この経済混乱を何とかしてくれと言うのと同じではなかろうか。先の金融サミットでは、 "賢い" 欧州勢は決して "無いものねだり" する姿勢をとらず、速やかにブッシュをパッシングしたかのようである。そうでなくてはならないはずだ。<br />　麻生内閣の "器"とは、この "定額給付金" 対策の運び以上ではないことをしっかりと先読みしてしまっていいのだろうと思っている。今や国民には、悠長に構えて待つような時間的ゆとりがあるようにはとうてい思えない。<br />　いずれにしても、この危機的状況の広がりと深さとを、そこで喘ぐ者たちの苦悩に共感しつつ推し量れるリーダーでなければ、この危機的事態をお預けしておくことはできないのではなかろうか......　(2008.11.18）</p>]]>
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    <title>安直に、 &quot;大麻&quot; などに頼るべからず！ ......</title>
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    <published>2008-11-17T07:58:05Z</published>
    <updated>2008-11-19T00:07:58Z</updated>

    <summary>　あまりネガティブな事象ばかりに目を向けたくはないものだ。とは言っても、社会的な...</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　あまりネガティブな事象ばかりに目を向けたくはないものだ。とは言っても、社会的なニュースはそんなものばかりである。<br />　最近、大学生たちが "大麻" という違法薬物に汚染されているという事件が頻繁に報道されている。多分、発覚している事実はほんの氷山の一角であり、 "大麻汚染" の実態は想像以上ではないかと推測される。<br />　そして、しばしば解説されるように、 "大麻汚染" の怖い点は、決してその域に留まることなく、やがて "覚せい剤" などの危険性がより高い薬物へと誘われることだろう。もしや、そこまで突き進んでしまった "薬物汚染" とて、実態は驚くべき蔓延ぶりなのではなかろうか。<br />　思うに、関係当局は、こうした危険な実態については時代社会に警告を鳴らす意味でも、実態の事実を広く公表して、社会問題として対処する空気を作り出すべきかと思う。また、薬物医学に関する有識者たちは、もっと社会的観点に立って啓蒙活動に精を出すべきかと。また、医療費コストの点から予防医学にために目を向け始めた行政サイドとて、今後さらに薬物汚染患者が増大したならば、どんなに大きなコスト負担となってしまうかをもっとシビァに見つめ、その対策を講じる必要があるのではなかろうか。<br />　事は、 "暴力団の資金源" という観点からだけではなく、不条理で残忍な犯罪を誘発する土壌を広げて市民生活を脅かすとともに、あたら若い世代の精神荒廃を取り返しのつかないかたちで広げてしまいかねないからだ。<br />　そして、昨今、これだけ若い世代に忍び寄っているという事実は、この風潮が相当の "感染性" を秘めていると先読みしてもいいのではなかろうか。望ましいことは "感染" しにくい時代環境であっても、イージーに個人的な "快" をもたらす事柄については歯止めなく広がっていくであろうことは、まさに現代という時代環境の最大の特徴なのだろうと見受けられる。]]>
        <![CDATA[<p>　言われているところでは、 "大麻" の煙を吸引することは、脳の神経伝達物質を撹乱させて、一時的に＜高揚感＞を醸成させたり、＜諸感覚の鋭敏化＞をもたらすというような "酩酊" 状態を得させるらしい。<br />　そして、決して楽観できない点は、その脳内で生み出される感覚はほぼ確実に "依存性" を強め続けるという点なのであろう。タバコの喫煙ですら、一定程度継続するならば、脳内メカニズムはニコチンへの依存性を確実に強めるらしい。（注）</p>
<p>（注）<br />＜動物実験などの知見から、ニコチンは明らかな依存性を持つことが知られている。ニコチンは、神経伝達物質であるアセチルコリンに分子構造が類似し、ニコチン性アセチルコリン受容体（レセプターとも）に作用することで、中枢神経のドパミン神経系、特に脳内報酬系を活性化する。そのため、摂取後に一時的に快の感覚や覚醒作用が得られる。このような報酬系を介した薬理作用は、覚醒剤など依存性を有する他の薬物と共通である。＞（出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』）</p>
<p>　規範逸脱をさりげなくやらかしてしまうような "自制心" のない若者が、動き始めてしまった脳内反応に基づく "依存性" を、自力救済的に断ち切ることはほとんど不可能だと言っていいのではなかろうか。たかが "禁煙" をするくらいで、七転八倒してきた自分としては、そんな残念な成り行きが十分に推測できてしまう。</p>
<p>　理想論的なことを書くようだが、本来、＜高揚感＞や＜諸感覚の鋭敏化＞という脳内現象は、日常生活での知的活動やその他、集団内活動によって十分に自前で入手可能な心的現象のはずである。この辺は、脳科学者の茂木健一郎氏に聴くまでもなく一般的なことであろう。ただし、当然のことだろうとは思えるが、この脳内成果を得るには、相応の継続的な努力や訓練が前提となる。<br />　しかし、大学生などにとっては、これしきの事は当たり前だと言っていいはずである。こうした、＜努力・訓練と脳内成果＞というセットプロセスを経験してこそ、自力で思考が続けられる大人になってゆけるというもののはずであろう。<br />　だが、現代という時代環境は、何事もカネを出しさえすれば外部にあるモノを入手可能となっているし、またそれら（薬物）によって自身の脳機能を "騙す" ことも可能であるかのように目に映る。<br />　また、過剰な "個人主義的風潮" は、個人尊重という大義名分と裏腹に、個人単独ではムリっぽいことをも個人的処理で済まさせようとしているかのようだ。大学生くらいの若者が、集団の中でもまれることなく個人思考を進めるというのは、まるで綱渡りでしかないと言えそうな気がしている。<br />　かくして、孤独な若者たちが、恐ろしい薬物へと道を踏み外して転げ落ちて行くとするならば、何とも悲惨な社会的風潮だという気がしてならない......　(2008.11.17）</p>]]>
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    <title>暗い予感を吹き飛ばすかのごとく語る人 ......</title>
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    <published>2008-11-16T12:25:10Z</published>
    <updated>2008-11-16T12:27:09Z</updated>

    <summary>　そのタバコ・ショップを知ったのはネット検索からであった。昨日、そのショップを訪...</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
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        <![CDATA[　そのタバコ・ショップを知ったのはネット検索からであった。昨日、そのショップを訪れてみて、ねらいの用件はともかくとして、そのショップで出会ったそのおやじさんが実に話し好きで面白い人物だったのである。<br />　禁煙をしている自分がいまさらタバコ・ショップでもないのだが、ちょっとわけがあった。いわゆる "刻みタバコ" の "小粋" という銘柄がいきなり気になり始めたからだった。喫煙習慣のある時分には、面白半分にパイプタバコも時々愛用していた。パイプも何本か用意して、特に冬場には、手のひらが温まるのが心地よく吹かしたものだった。<br />　だが、パイプタバコを火が消えないようにパイプで吸い続けるのは、そこそこテクニックが必要で、言ってみれば結構厄介だったのである。<br />　そこで、パイプタバコを "煙管" で吸うというヘンテコなことをやるようになった。 "煙管" だと火も行き届きやすく、比較的 "きつい" パイプタバコもそれなりにまろやかに吸えたりしたからだったのかもしれない。]]>
        <![CDATA[<p>　だが、それはそうとして、振り返ると "煙管" で本来吸うべき "刻みタバコ" をいまだかつて一度も吸ったことがなかった。<br />　あの吉右衛門演ずる鬼平の映像を見ていると、鬼平が在宅する時には必ずといっていいほど "猪口" を傾けているか、 "煙管" で "刻みタバコ" を吹かしているではないか。そんな場面を見慣れている自分が、急に熱燗で一杯やろうとしたことがあっても、 "煙管" で "刻みタバコ" を吹かしてみようと思うことがなかったのは逆に不思議なくらいであった。が、事実一度も試したことがなかった。禁煙を続け、昨今それが落ち着き始めてみてはじめて今回、 "煙管" で "刻みタバコ" を試しておかなくては......、という衝動を俄かに自覚するに至ったのである。もちろん、これがきっかけで禁煙習慣をご破算にしたいとは思っていないのであるが......。</p>
<p>　ところが、今時 "刻みタバコ" を手に入れることは中々難しい。そこいらのタバコ屋では販売していないのだ。おまけに、専売公社でも、 "小粋" という一銘柄だけを出しているマイナーな状態となっているようだった。この状況がさらに自分の衝動を煽ることとなってしまった。<br />　そこで、ネット検索に及んだところ、幸いクルマで十数分くらいのタバコ専門店で、それを扱っていることが判明した。<br />　なぜだか、今、この機会を逃したら、この先手に入れようとすればバカバカしい手間を掛けなくてはならなくなるかもしれない、というヘンな脅迫観念が生じていた。<br />　そんなことで、休日の暇にまかせて行ってみようということになったのである。</p>
<p>　そのタバコ専門のショップは、名前は "世界......" と称してはいたものの、決して大きな佇まいの店ではなかった。ただ、店内には所狭しと世界中のタバコのカートン箱がひしめくように見受けられた。ところが、店には人影がなかった。<br />　自分は、クルマを路上駐車させていたため何となくあわただしい気分が手伝って、店の奥に声を掛けてみた。すると、<br />「はぁーい、いらっしゃいませー」<br />という明るい年配の男性の声が聞こえてきた。<br />「 "小粋" ありますか？」<br />「えっ？　コイキ？　ああ、刻みの "小粋" ね、ありますとも。おいくつ？」<br />と、応えたのは、頭の禿げ上がった元気そうなおやじさんであった。<br />「この前ね、ドイツの人が言うんですよ、日本の "刻みタバコ" の刻み方は実に細かくて、一体、どんな機械技術でそうなるのか、と。感心してるんですね。そりゃあ、日本の "刻みタバコ" はまるで糸みたいですもんね......」<br />と、いう講釈が皮切りとなって、ここから切れ目の無い会話が始まって行くたのであった。タバコ店の利益は十パーセントしかなく、専売公社は儲け過ぎだとかという話もあったようだ......。<br />　とにかく、話好きのおやじさんであることは間違いなく、今、振り返っても、どんな話題が連発したのかを秩序だって思い出せないほどである。<br />　が、自分の方は、話は嫌いではなくまして実に楽しげに語る語り口だったからお付き合いしてみたかったが、なんせ路上駐車が気になっていた。しかし、そんな素振りにお構いない会話が続いてしまったのだった。</p>
<p>　漸く、話の途切れ口を掴み退散することにしたのだったが、逆にちょっと悪い気がしたものだった。<br />　どこへ行っても、どんな店に行っても、味気ないビジネスライクな会話で終わってしまうこのご時世にあって、実に人との話を本気で楽しもうとするかのような話し好きの人間と出会うことは久々だったのである。商売人というステイタスも当然あるはずだ。しかし、そうしたステイタスにありながらそれを忘れてしまったり反故にしたりしている者が多くなった現状である。<br />　おそらく、そのおやじさんには何の悩みもないということではなかろう。世の中は、喫煙を犯罪扱いにする風潮が蔓延しているし、また、もうすぐタバコの大幅な値上げも画策されている流れがある。そんな状況で、自身の営む商売が、次第に日陰者扱いとされていくという暗い予感にどんよりと包まれつつあることを感じていないわけでもなかろう。<br />　にもかかわらず、あれだけ活気のある会話をぶち上げられるその元気に、じわーっと感服してしまったということだったのだ......　(2008.11.16)</p>]]>
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    <title>戸外は一段と寒さが強まってもくるだろうし、いやー困った ......</title>
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    <published>2008-11-15T10:57:45Z</published>
    <updated>2008-11-15T10:59:25Z</updated>

    <summary>　まあ、しょうがないか、にしてもこれからどうする？　という事態が生じた。またわが...</summary>
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        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　まあ、しょうがないか、にしてもこれからどうする？　という事態が生じた。またわが家に猫が一匹増えそうなのである。<br />　昨夜帰宅すると家内が鎮痛な面持ちで、<br />「大変なことになっちゃった」<br />と言って、事情を話した。日中、庭のフェンス越しで鋭く鳴き続ける猫の声がして、放っておくこともできないので傍に寄ってみると、子猫がうずくまっていたというのだ。手にしてみると、つぶらな目にはベットリと目やにがこびり付いていて、それが放置して置けない引き金のようなきっかけとなったという。<br />「で、今どこにいるの？」<br />「猫用のミルクを買って与え、とりあえず、出窓の下の物置に......」<br />　自分は、着替えもせずにさっそく顔を見ることにした。まあ、後先のことはおくとして、どんなやつなのかに興味を持ってしまったのだ。<br />　すぐに家内が連れてきたが、そいつは、暖かそうな毛布のかけらに包まって、寝ぼけ顔をのぞかせていた。多分、あちこちを彷徨い歩き、そしてありったけの声で鳴き続けて疲れ切ったところで満腹になり、今度は眠気に襲われているといったところなのであろうか。<br />　両手で包めるほどのいかにも頼りなさそうな大きさの子猫である。が、生後まもないという感じでもない。模様は三毛で、顔のつくりは小さいが、結構、耳が大きいような印象を受けた。動物の赤ちゃんといものはみなかわいいものだが、まずまずの器量かと思われた。]]>
        <![CDATA[　さてさて、どうしたものか......。というのも、現在、家の中で飼うことにして外には出していない "内猫" が二匹すでに "先住" していて、おまけに、玄関先の猫小屋で飼っている "外猫" が二匹いるのである。いずれも "よんどころなく" 飼うことになったものたちなのである。<br />　"外猫" たちは朝晩の餌やりだけの手間でありどうということはないのだが、 "内猫" たちが意外と手間を掛けさせている。毛づくろいで毛を舐めるためであろう、しばしば畳の上に "もどす" という不始末をする。また片方の猫は "便秘" 気味で苦し紛れに所かまわず "粗相" を仕出かす。だから、彼らがいる居間に朝一番入る際には、どんな "粗相" をしているかとビクビクものとなったりしている。<br />　また、猫たちは、 "新参もの" に対して過剰反応をするものだ。まして、防御力のない子猫となれば何をされるかわからない。<br />　そうしたことをいろいろ思案すれば、まるで子猫のように途方に暮れる思いとなってしまうわけだ。しかし、これから戸外は一段と寒さが強まってもくるだろうし、いやー困った......　(2008.11.15)]]>
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    <title>思考の &quot;フリーズ状態&quot; が蔓延する時代なのか？ ......</title>
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    <published>2008-11-14T07:58:52Z</published>
    <updated>2008-11-14T07:59:37Z</updated>

    <summary>　この日誌を書こうとしてしばしば陥る罠がある。書きたいテーマが一目瞭然の場合はそ...</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　この日誌を書こうとしてしばしば陥る罠がある。書きたいテーマが一目瞭然の場合はそんなことはない。しかし、そんな場合は実に少ない。<br />　大抵は、さぁーて何を書こうかとしばし足踏み状態となる。やがて、思考が固まってしまい、 "フリーズ状態" とも言えそうな雰囲気に舞い込む。<br />　そうした推移を自覚的に振り返ると、多くの場合、手に負えないような重くて、大きなテーマを掲げようとしているかのようである。それで、どこから手をつけていいのやら困惑したり、そのテーマに迫るだけのエネルギーが今現在あるだろうか......といった懸念も生じ、うろたえて、そうこうしているうちに思考が "フリーズ状態" に近くなってしまうようだ。<br />　理想を言えば、日誌なのであるから、まさに日常的なこじんまりした材料を見つめ、それを叙述しながら自身に潜伏する感想や問題意識の一端を添える、というスタイルでありたいと思っている。<br />　が、しかし、これだけ問題が山積し、かつまた "複雑骨折" を何十回と繰り返したと思しき時代環境を目の当たりにしていると、その状況に見合った自分なりの何らかの視点を形成したいと欲張ってしまう。そして、どこから手をつけるかという無謀なことを仕出かそうとするもので、荷が重くなりその挙句思考の "フリーズ状態" に接近してしまうのかもしれない。]]>
        <![CDATA[<p>　 "生産的な思考" というものは、 "解のあり得る問い" に対して挑むというのが前提なのかもしれない。 "解不能" もしくは、自身の能力とのバランスからいってそう判断せざるを得ない、そんな "問い" を立ててみたところで、 "生産的な思考" が回ってはゆかないようである。<br />　かと言って、解くことが容易なことだけを探して思考すべきだとまで言うつもりはない。そうではなくて、思考が可能な "段取り" をしながら、思考を進めるべきなのであろう、それが "生産的な思考" というものに違いない、と思うわけだ。<br />　多分、人間の頭脳というものは、然るべき "段取り" があれば、 "丸腰" では躓くことにしかならない思考を、結構、遠方まであるいははるか高くまで突き進めることができるものではないかと感じている。</p>
<p>　大事なことは、思考や考えをムリなく進めるための "段取り" であり、その準備なのであろう。その "段取り" とは、建築に例えるならば、 "足場" 作りだと言えるかもしれない。民家でもビルでも、ひの建築工事が首尾よく進められるためには、安全かつ効率的な作業が進むように、必ず "足場" 作りがなされる。確かに、そのための工数は掛かるものの、その利用意義から言えば十分にペイするものだと言えそうだ。<br />　こんなことに関心を向けていると、こうした "足場" 作りを軽視することによる問題発生が、結構いたるところで見受けられそうに思えるのである。<br />　まあ、冒頭で書いたように、自身がこの日誌を書く時に陥る思考の "フリーズ状態" にしてからがその好例である。他にもいろいろと気づくことがあるわけだが、今は二点だけ注目したい。</p>
<p>　ひとつは、自身の頭で考えるためには、自身の "言葉" を持ち、その "言葉" を使いこなすという経験が必須だと思える。これは、自分なりに考えるための必須の "段取り" であり "足場" 作りではないかと思える。これを省略するならば、自身の考えがまとまるはずはなく、結局、思考以前の衝動や感情で行動が決定されることになりがちなのでああろう。<br />　昨今、世相は極めて荒ぶれていると見えるが、こうした状況の底流には、情報は飛び交う環境ではあっても、 "言葉" というものが想像以上に風化しているかのような風潮がありそうだと思える。 "言葉" を風化させた人間は、限りなく動物レベルへと下降するのがことの成り行きであるに違いない。</p>
<p>　もうひとつは、個人の思考と "実体的世界のレベル" との恐ろしいほどの "乖離" 状態なのである。<br />　個人の思考とは、個人が生きて生活する限られた空間を離れてはあり得ないと思われる。たとえ、情報化時代の環境でグローバルな情報を入手していたとしても、それらがすべて個人の思考の血肉となっているとは言いがたいのではなかろうか。<br />　また、 "実体的世界のレベル" とは、まさに現時点の "金融危機・経済危機" をはじめとする世界的広がりの時代現象のことである。これらは、情報や知識としては、個人の思考に接触はするものの、それだけの話なのかもしれない。<br />　個人の思考の内側でそれらの "危機" を額面どおりに認識することも不可能であるし、まして思考の末にそれらを解消させるためのどんなアクションがとれるというのであろうか。<br />　個人（の思考）と "実体的世界のレベル" とが "直接対面" してもそこから生じるものは、個人側における不安、恐れ、そして思考の "フリーズ状態" でしかないのかもしれないのである。<br />　まあ、正論を言うならば、この両者の間に介在する国家機関その他の重層的な存在の働きが折り込まれてこそ、まともに思考できるのだろう。しかし、現実においては、恐ろしいほどの "乖離" 状態の結果、個人が途方もない "無力感" と思考の "フリーズ状態" に陥れられているかのようである。</p>
<p>　ではどうしたらいいのか？　残念ながら現状では、そうした問いに明解を与えることはムリであり、それに接近するための "段取り" と "足場" 作りが精一杯なのかもしれない......　(2008.11.14）</p>]]>
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    <title> &quot;新規の製品が買えてしまう額！&quot; の修理費には敏感となるべき ......</title>
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    <published>2008-11-13T07:29:23Z</published>
    <updated>2008-11-13T07:30:10Z</updated>

    <summary>　今時、ＰＣの修理費で &quot;６万円プラスα&quot; を出費する人がいるだろうか。まあ、余...</summary>
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    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　今時、ＰＣの修理費で "６万円プラスα" を出費する人がいるだろうか。まあ、余程高価な構成のＰＣであるならばいないとは言えないかもしれない。しかし、通常のＰＣであれば、 "６万円プラスα" を用意すれば新規の製品が買えてしまうだろう。<br />　実は、先日、長く愛用してきノートＰＣのディスプレイが急に著しく暗くなってしまった。画像出力機能には問題なく、現に外付けディスプレイには鮮やかに出力できる。<br />　若干調べてみると、ディスプレイ本体の交換が必要な場合と、ことによったら "ＦＬインバーター" という液晶のバックライトを光らせる部品の交換で済む場合とがあるらしいことがわかった。後者であれば比較的小額の修理費で済むようだった。<br />　そこで、以上の状況をメーカーのサービス部門担当者に電話で話し、とりあえず当該ＰＣを送り込むことにした。そして、検査の上、価格見積を依頼したのであった。]]>
        <![CDATA[<p>　それで、今日その見積書がＦＡＸで届いたのだが、あまり親切とは言えない内容であった。その見積額にも驚いたものであったが、検査報告書もまた下記のように不親切なものであった。<br />＜検査の結果、液晶ディスプレイの故障を確認しました。液晶ディスプレイの交換が必要です＞<br />　＜液晶ディスプレイの故障＞については、指摘されなくてもわかっていた。だからこそ修理に出したわけだ。知りたいのは、 "ＦＬインバーター" の交換ではなくて＜液晶ディスプレイの交換＞でなければならないその理由だったはずである。というのも、それで部品代が４-５万円も違ってくるからなのである。<br />　しかし、そうした詳細については何も説明されていな淡々としたい報告書だったのである。ひよっとしたら、 "ＦＬインバーター" のチェックをした上でそうした結論に至ったのかもしれない、それはわからない。<br />　であれば、 "部品代が４-５万円も違ってくる" ような事柄だけに、もう少し顧客の立場に立って "言葉による説明を惜しまない" ようにすべきではなかろうか。そう思ったのである。</p>
<p>　余談であるが、自分たちがＰＣショップを運営していた時には、こんな場合ならば、先ず検査過程は詳細に報告したのは勿論（でなければある程度知識を備えた玄人顧客は納得しなかったゆえ）のこと、こんなに破格の修理見積（新規の製品が買えてしまう額！）となってしまった場合には、一応 "参考見積書" とか称して見積はするものの、あえて修理をお勧めはしないはずである。お節介なことかもしれないが、それが顧客に対する "実のあるサポート" だと思うからである。<br />　が、今回の "大手ＰＣメーカー" のサポート部門は、 "咎められる非" は無いもののそんなことでいいのかなぁ、と感じさせられたのである。<br />　現在、こんな不況の環境も手伝って、ますますＰＣ価格は低廉化している。昨今では、 "モバイル型ＰＣ" に至ってはハイエンドな仕様で４万円台、５万円台にまで価格は低下してきているのが実情だ。<br />　日本のノートＰＣメーカーが、いつまでも２０万円台、１０数万円台のノートＰＣを出荷できると勘違いしていては大きな間違いなのではなかろうか。とともに、その水準に倣ったかたちでのサポート部門のあり方も、必然的に見直されなければならなくなっているのかもしれない。少なくとも、 "新規の製品が買えてしまう額！" の修理費に対してあまり疑問を感じないかのような感覚は、現在の市場感覚とは大幅にズレていると思われてならない......　(2008.11.13）</p>]]>
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    <title>あきれ顔を超えて &quot;怒り&quot; 顔（いかりや顔）となってしまう ......</title>
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    <published>2008-11-12T08:13:24Z</published>
    <updated>2008-11-12T08:14:09Z</updated>

    <summary>　＜ &quot;２兆円&quot; もあれば、耐震不備な学校の校舎の補強工事が、全国で必要な分の半...</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　＜ "２兆円" もあれば、耐震不備な学校の校舎の補強工事が、全国で必要な分の半分ができる勘定になるんですよね。しかも、建築工事とあっては、その経済的波及効果も大きいし、 "給付金" バラマキよりもはるかに景気対策としてはいいんじゃないでしょうか......＞<br />とは、昨夜のとあるＴＶ番組でのニュース・キャスターの弁であった。<br />　そういうことだ！　と思わず頷いてしまったものである。<br />　今日、ようやく政府与党は "給付金" 対策の方針を固めたようだ。まるで、町内イベントの方式を巡って、あれやこれやと行きつ戻りつの小田原評定を重ねてやっと見切り発車した町内会そのもののような印象である。<br />　こうした知恵も工夫もなく、もとよりビジョンも方針も描けない政府の現状をありありと見せつけられると、コメディアンいかりや長介のセリフ、 "ダメだ、こりゃ" をそのままなぞって言いたくもなる。<br />　もとより政治とは予算なりと言う人もいるくらいだが、これからの政治の舵取りで重要なことは、 "少ない財源" を何に、いかに効果的に配分するかであろうことは政治家ならずとも了解可能な話である。<br />　社会全体のパイが自然成長的に増大する時代とはわけが違い、経済成長の低迷と増大せざるを得ない福祉予算だけを見つめてみても、納得できることであろう。]]>
        <![CDATA[<p>　まともな発想で考えるならば、先ずは "出" を制して、 "入り" を計るはずだ。そして、限られた財源の水漏れ（ムダ、不正な流出）が徹底され、現国際経済状況に見合った長期的視点での "入り" につながる経済環境整備が然るべきビジョンに則って展開されるべきなのであろう。<br />　ところが、現政府は、 "財源の水漏れ（ムダ、不正な流出）" は野放しのままの上に、その代わりにイージーな策である国民負担増大にすぐ頼ろうとしている。そんな算数の立案しかできないのならば、政治家や官僚たちも決して "プロフェッショナル" とは言えまい。そうした状態だからこそ、現実の町内会に携わっている人たちには失礼な表現だが、半分素人である町内会のようだと書いたまでなのである。<br />　また、 "出" と "入り" とを絶妙な観点で組み合わせるのが、 "投資" というアクションだとするならば、これも現状の執政者たちには不可欠な要素となるに違いなかろう。中長期の視点に立って、どの分野に貴重な資金（税金）を配分すべきかという予算づけ、あるいは広い意味での "投資" 的予算づけがこれまでになく重要となっていそうである。<br />　なお、言うまでもなく、"投資" 的と言っても民間レベルの市場主義ジャンルでの短期回収的なそれではなく、もっとベーシックなもの、つまり、公共的な視野に基づきながら、他の民間経済を活性化したり、それに向けて方向づけたりするもの、それでいて、社会全体にあっては将来の財政支出が縮小するようなものをイメージする。</p>
<p>　最近、悪化し続ける医療環境に手を焼くかのように、執政者側はまるで泥縄的とも見える病気 "予防" 対策に目を向けている。あの "メタボリック" 対策がその例となる。<br />　確かに、病気というものを社会的医療費の観点で考える時、可能な限り "予防" 対策に予算づけを講じた方が、発病して重篤となってしまってから対処するよりもはるかに低コストで賄えるもののはずだ。こうしたきわめて常識的で論理的な視点こそが、これからはあらゆるジャンルで要求されることになりそうだ。<br />　また、科学技術にしても、市場的価値の観点から目先のテーマだけが持て囃されるのではなく、 "基礎理論" 領域の研究分野が中長期的観点からもっと予算づけされることが、今後ますます重要となるはずである。<br />　こうして、ちょっと鳥瞰してみるだけで、 "２兆円" もの "給付金" （名称は、 "定額給付金" と改名されたようだ）が、景気刺激と称してばら撒かれる政治水準が、いかに現段階でのこの国の現状から浮かび上がった "愚策" かと思えるのだ。<br />　恐らく政府与党は、現状の金融危機・経済危機に対しての "即効性" が重要なのだと釈明（選挙対策としての偽装）したいのだろうが、 "貯蓄" 残高に回るだけの "給付金" 支給の何が "即効性" の材料になると言い張るのだろうか......。まったく説得力に乏しい押しつけ対策には、あきれ顔を超えて "怒り" 顔（いかりや顔）となってしまうではないか......　(2008.11.12）</p>]]>
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    <title>＜Google マップ (maps.google.co.jp)＞の＜ストリートビュー＞ ......</title>
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    <published>2008-11-11T09:08:01Z</published>
    <updated>2008-11-11T09:08:43Z</updated>

    <summary>　遅ればせながら、＜Google マップ (maps.google.co.jp)...</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　遅ればせながら、＜Google マップ (maps.google.co.jp)＞の＜ストリートビュー＞なるものを試用してみた。<br />　最近、このシステムに自身の姿が写っていてプライバシーや肖像権の侵害ではないかという話も聞いていたので、一体どれほどのものかと興味があった。<br />　＜Google マップ＞の＜航空写真＞の方は、これも興味本位で何度か試してみたりはしていた。確かに、このような詳細なものであれば、例えば物騒な話である "北朝鮮" の核施設の有様も手に取るようにわかるはずだと思ったものだ。いや、実際その現場を鳥瞰したのではないが......。こちらはもっぱらちまちまとした試用なのであり、かつて自分が居住した名古屋市内のとある町内の様子を、ほぉ～、あまり変わってないもんだな、なんぞと渡り鳥さながら "見下ろす" 暢気さだったのだ。]]>
        <![CDATA[<p>　そして、今日、噂の＜ストリートビュー＞なるものを試してみたのだが、第一印象としてはやはり驚きであった。ここまでやるかぁ？！　といった感触であった。<br />　先ずは、誰もが試すのであろう自宅近辺をまさぐってみる。なるほどなるほど、自宅近辺の＜ストリート＞の概観写真がまるでクルマの窓から眺めるように流れる映像で表示される。どうやってこんな技術処理をしているのだろうかと、とりあえず疑問を持ったが、それよりもいつこんな "隠し撮り" をしたんだぁ？　さぞかし手間ひまが掛かったのだろうなぁ......という感想の方が上回ったものだ。<br />　あいにく、自宅の建物は＜ストリート＞から外れた奥の方にあるため、その姿は "隠し撮り" されていることはなかった。しかし、 "ウォーキング" の途中の野暮ったい自身の姿なんぞが写されていたらただでは済まさないところであったかもしれない。</p>
<p>　が、今度は、事務所の方が気になり、早速点検してみると、何とこちらの方は＜ストリート＞に面しているため "もろ" にその全貌（それほどのものではないが......）が写し出されていた。屋内に蛍光灯の明かりが写っているところをみると、どうも撮影は夕刻のようである。自分は、しばしば窓の外を覗くため、偶然に顔でも写されていないかと目を凝らしたがそれはなかった。ただ、日頃、洗車なんぞしないでほったらかしにしている愛車が恥ずかし気もなくその姿をさらしているのが哀れに見えた。<br />　それにしても、建物全体は実に明瞭に写されており、これでは、弊社ビルは斬新な概観で......などと今流行りの "偽装" をしても、バレバレだな......、と嘆かわしく思えた。</p>
<p>　もう十年も前のことになるが、このＨＰの一部のコーナーに、 "VirtualSpace" と称する "３Ｄ" のＰＣショップのページを作ったことがあった。これは、"ＶＲＭＬ"という動く "３Ｄ" 画像を見せることができるソフトで作ったものであり、ねらいは、閲覧者がマウスを操作しながらＰＣショップのある交差点周辺の町並みを歩くことができ、そして、ＰＣやらパーツ類やらを展示しているショップ内をも歩きながら移動することができる点であった。<br />　かなりの労力を割いて作ったものでそこそこの評判をとったが、なんせ当時はＰＣの性能とネット環境が現状と比べるとはるかに劣っていたため、その動きがギクシャクとしていて今ひとつ快適さを欠く結果でしかなかった。<br />　そんな苦労をしたことがあっただけに、 "VirtualSpace" ではなく "RealSpace" を、しかも広大な地域をまるでクルマで移動しながら光景を眺めるかのようなこんな実用的なシステムが稼動していることは隔世の感を伴う驚きだったのかもしれない。</p>
<p>　しかし、こうしたシステムを見せつけられると、技術の進展の凄まじさを痛感するとともに、ますます、この現実世界は "閉じた" 世界へと完結しつつあるのかな......と思わざるを得なかった......　(2008.11.11）</p>]]>
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    <title>生活者の身近な場における何らかの &quot;雇用機会&quot;、&quot;働く機会&quot; を ......</title>
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    <published>2008-11-10T09:32:55Z</published>
    <updated>2008-11-11T00:51:38Z</updated>

    <summary>　景気悪化で、需要の低迷が否応なく意識される。恐らく、今よりもさらに今後の方がそ...</summary>
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        <name>yasuo hirose</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　景気悪化で、需要の低迷が否応なく意識される。恐らく、今よりもさらに今後の方がその傾向は強まるのであろう。<br />　そんなことを思いながら、一体、この時代、低迷しない需要なぞというものがあるのだろうかと考えたりした。<br />　窓の外に目をやると、気づかされることがひとつあった。どの街でもそうなのだろうが、最近ますます "宅配便" の箱型トラックの往来が目につく。<br />　流通業は、この間の燃料費の高騰という苦境を抱えたはずではあるが、そこそこに "繁盛" しているのかもしれない。逆に考えれば、燃料費の高騰という事態は、クルマを使った消費者のショッピングそのものを抑制させるであろうから、配送業にとっては必ずしも否定材料ばかりでもないとも考えられる。]]>
        <![CDATA[<p>　配送業に目を向けさせる材料としては、地元商店などからの消費はジリ貧なのではあろうが、 "通販" の売上はそれほどに落ちてはいないのではなかろうかという想像がある。まあ、消費規模全体が縮小しているのはわかるが、相対的に "通販" ばかりはそこそこの水準を維持してはいまいかと推定するのである。<br />　とすれば、その "配送" での主流と思しき "宅配便" は健在なのではなかろうかと思わせるのである。実情の数字を確認していないので印象めいた感想に過ぎないが......。<br />　ただ、いわゆる "ネット・ショッピング" や "ＴＶ通販" という形式は、確かに、生活者の行動様式にしっかりと根を張りはじめていそうである。<br />　そして、どこで買っても同じという画一的な製品の場合は、 "激安" 志向が表面化しやすく、勢い、間接費の圧縮と、大量に捌ける可能性を持つがゆえに低価格で販売することも可能な "通販" 形式に雪崩れ込みやすいのかもしれぬ。<br />　こうした捌き方は、とても街の商店や店舗を構えるショップが可能なことではなかろう。<br />　一頃は、こうした価格の安い "通販" に対抗すべく、地元の店舗は "アフター・ケア" などのサービスで対抗しようとしていたかもしれない。しかし、家電製品などの場合、どうも "修理" が必要となった場合には、両者ともに "メーカーへの送り込み" となっているのが現状のようである。こうなれば、言うまでもなく "通販" 形式の方に分がありそうだ。<br />　そして、ここでもまた "宅配便" の出番となるわけで、ますます配送業者の役割は膨れ上がっていそうである。</p>
<p>　しかし、考えてみると、販売者から消費者の手までが "ドア・トゥ・ドア" の直通という "ありがたい" スタイルは、やや "贅沢" な気がしないでもない。その分、 "宅配便" 業者を儲けさせることになり、それはよしとしたとしても、 "宅配便" トラックが吐き出し続ける "ＣＯ 2" のことを考えれば、別の方法が模索されても良さそうではないか。<br />　 "宅配便" トラックは、町内などの "とある受け渡し場所" まで運ぶこととし、そこから先は "地元の人間" が賄うというかたちはどうなのだろうか、と考えたりするわけだ。ここで、 "地元の人間" の "雇用機会" を創出するという狙いなのである。<br />　こう言えば、その "とある受け渡し場所" は "コンビニ" が適切だという声が聞こえてきそうであるが、着眼点は、たとえわずかな収入ではあっても、地元での"雇用機会" を創出するということなのである。<br />　こんなことを "夢想" するのも、これからは、生活者の身近な場において何らかの "雇用機会"、"働く機会" を生み出していくことがますます重要な課題となりそうだと想定するからなのである......　(2008.11.10）</p>]]>
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    <title>映像コンテンツがしっかりと暇を埋めてくれる寒い休日 ......</title>
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    <published>2008-11-09T09:39:27Z</published>
    <updated>2008-11-11T00:53:35Z</updated>

    <summary>　急に &quot;冬&quot; となってしまった。もう &quot;立冬&quot; も過ぎたので、そうなっても不思...</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　急に "冬" となってしまった。もう "立冬" も過ぎたので、そうなっても不思議ではない。早、冬到来、といった感じがする。日暮れも早くなった。 "秋の日は釣瓶落とし" と言われるとおり、午後４時過ぎでもう薄暗い。今日は雨混じりの曇天であるためなおのことなのだろう。<br />　薄ら寒いこともあって、今日は朝一番のウォーキング以外は外出もせず自宅にこもって過ごしている。録り貯めたＴＶ番組をチェックしながらＤＶＤに焼くというようなことが時間を埋めてくれている。ＮＨＫ ＥＴＶ特集「神聖喜劇ふたたび　～ 作家・大西巨人の闘い ～」とかＮＨＫ 「世界ドキュメンタリー　オバマ対マケイン」などは、チェックのつもりがじっくりと鑑賞することとなってしまった。<br />　昨今は、フィクションの映画作品よりも、ノンフィクションやドキュメンタリーなどが強く興味をそそるようだ。]]>
        <![CDATA[<p>　大西巨人やその代表作『神聖喜劇』については何度も "接触" していながら、結局読む機会を持たなかったが、大西巨人ご本人が出演した今回の番組から、作品の本質と大西巨人の思想の一端がかなり効果的に伝わってきたかに思え、感動できた。<br />　若い主人公（大西本人）は旧日本軍の不条理さの只中で人間として誠実に生きようとしつつ、必然的に上官や組織と "抗(あらが)う" 関係となる。そして、その過程で、虚無主義的な姿勢が変容し、逆に生きること自体や生命というものを強く肯定する姿勢へと転換していくことになる......。<br />　番組の末尾で、大西巨人が主張していた、どんな劣悪な状況の中からも自身の側の視点によって学ぶことは可能である、という教訓じみた発想は、凡庸に流れることなく伝わってきたかのように思えた。</p>
<p>　「オバマ対マケイン」という米国放送局制作の番組は、両者がそれぞれの党内部で大統領選候補へと這い上がってゆくプロセスがリアルにトレースされていて、実に厚みのある番組となっていた。<br />　オバマ氏が新大統領へと上り詰めて行くプロセスも、彼自身の "カリスマ的" 資質だけでなく、現在米国が置かれている終着駅的な最悪の状況との関係で紹介されていたため、オバマ新大統領の "前途多難さ" が浮き彫りとなっていた。<br />　また、他方のマケイン氏の運動プロセスも、彼自身が "一匹狼" 的存在であったことやブッシュ現大統領との "確執" などの点から、共和党の内部において苦しい立場であり続けた様子が描き出されていて、思わずウームと唸らされたものであった。<br />　とかく、報じられる最終の選挙戦だけを見せられていると "水面下" のどろどろとした現実がなかなか見えてこないものである。が、こうした番組からは、米国政治の頂上部分がどのような複雑な事情の堆積物に根ざしているかが見えてくるようであった。まあ、現実はさらに一筋縄では行かない複雑さを秘めているのであろうが......。</p>
<p>　それにしても、映像コンテンツというものは、読書とは一味も二味も異なったインパクトを与えてくれるものであり、これはこれで大いに活用させてもらうべし、であろう......　(2008.11.09)</p>]]>
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    <title>高齢なので &quot;薬服用による治療&quot; という診断結果 ......</title>
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    <published>2008-11-08T10:36:16Z</published>
    <updated>2008-11-08T10:37:08Z</updated>

    <summary>　寒い雨の休日となり、いやでも気は滅入りがちとなった。だが、おふくろの &quot;心臓検...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　寒い雨の休日となり、いやでも気は滅入りがちとなった。だが、おふくろの "心臓検査結果" は無難なものとなり、とりあえずほっとさせられた。<br />　担当医は、 "薬服用による治療" で様子を見ましょう、という無難な診断をしたのである。<br />　冠動脈にはほとんど問題はないとのことであった。若干の動脈硬化の兆しは診てとれるものの、措置を必要とする段階ではないと。むしろ、血管は丈夫そうだとの感想まで述べていた。<br />　そして、懸念された "弁膜" の方は、確かに、心臓内の血流に一部逆流現象が認められ、その点では "弁膜" に異常なしとはしないけれど、手術を要するほどの容態ではない。若ければ手術による治療も薦めたいところだけれど、高齢なので "薬服用による治療" の方が妥当だと思われる、というものだったのである。<br />　担当医は、こうしたことを、昨日の検査の映像を流しながら説明をしてくれたのだが、 "弁膜" の異常に関連する映像もさほどの異常感を与えるものでもなかったし、医師が説明する様子も過度の心配を誘発するような、そんな感じでもないようであった。そんなことで、 "薬服用による治療" という診断は、額面どおりその場の "同席者たち" をほっとさせたのである。<br />　診断室のその場には、患者本人、そして自分のほかに、姉と昨日の姪っ子などが同席しており、皆が一様に胸を撫で下ろすことができた。<br />　こうして、おふくろの "検査入院" は一日半で完了することとなり、午後に退院できる運びとなったわけである。<br />　それにしても、今回の検査は、短い時間ではあったものの緊張と不安に満ちた気苦労の伴った出来事だったと言えそうだ......　(2008.11.08)]]>
        
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    <title>別室のモニター凝視で否応なく張り詰める緊張感 ......</title>
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    <published>2008-11-07T09:51:38Z</published>
    <updated>2008-11-07T09:52:18Z</updated>

    <summary>　今日は、再びおふくろの &quot;心臓検査&quot; の &quot;付き添い&quot; 役を果たした。　以前に...</summary>
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        <name>yasuo hirose</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　今日は、再びおふくろの "心臓検査" の "付き添い" 役を果たした。<br />　以前にも書いたとおり、おふくろは、＜心臓関連に加齢特有の複合的な不具合の症候群が現れているとのこと＞である。そこで、 "カテーテル" による "造影剤" 注入によるレントゲン撮影という精密検査が必要となったわけである。<br />　口から "内視鏡" や "カテーテル" を挿入しての検査は、 "胆石" の除去で経験していたおふくろであったが、今回は、腕の "血管" から "カテーテル" を挿入し、冠動脈やら心臓内部にまで届かせて、 "造影剤" を注入しつつそれらの状況を映像化するという、ちょいと想像し難い検査であった。<br />　他の臓器であればともかく、こともあろうに心臓周囲や、心臓の内部に "カテーテル" というリモート・コントロールの管を挿入する、そんな検査が、とても恐ろしい印象をかもし出すのである。<br />　操作のミスでその先端が血管を損傷させて不測の出血をもたらしはしないかとか、高齢者の心臓の動きが、そんな "異物" の浸入によって鼓動停止に陥ったりしないだろうか、とかといった不安、心配が、当然のごとく湧き上がってくるのである。<br />　当の本人も不安であったに違いなかろうが、こちらとて、正直言って、昨晩そして今朝は神妙な気分とならざるを得なかった。]]>
        <![CDATA[<p>　検査は、午後からであったが、一泊の検査入院ということで、先ずは朝、当人を病院までクルマで送った。なおその後、自分は一度事務所に出社することにしたが、どうも気分は落ち着かないありさまであった。<br />　そして、午後の検査の時刻に再び病院へ向かった。<br />　そもそも、 "付き添い" 役が必要だというのが、先ずもって人を心配がらせるわけだ。いや、近親者に検査のプロセスをモニターで見てもらっていた方が、いろいろな点でいいだろうことは十分に理解できる。しかし、別室で、検査中の "リアルなレントゲン映像" を凝視するというのは、実はかなり "非日常的" な出来事である。<br />　こうした映像を見慣れている人というのもあまりいないはずであろうが、初めてこうした映像を目にする者は、やはり否応なく緊張するに違いなかろう。<br />　画像の中央に、透視された心臓がビクビクと鼓動しており、やがて、片側から糸のような "カテーテル" の影がスルスルと這い登ってくる。そして心臓の周辺でとぐろを巻く。動脈の中を通されて冠動脈に接近したわけだ。そこで、冠動脈内に "造影剤" を放出して冠動脈に狭窄した部分がないかどうかを撮影しているのである。<br />　それが終わると、今度は、静脈から通された "カテーテル" が、これまたスルスルと這い登り、その先端が何と左心房の内部にまで届く。どうもここでは、弁膜の開閉動作に異常がないかどうかを検査しているらしい。心房内に放出された "造影剤" が、まるで蛸が吐く墨のように内部の血流の様子を可視化して、そのことで弁膜の様子がわかるということのようである。</p>
<p>　所要時間は、３～４０分程度であっただろうか、自分は、まな板の上の当人と同様に張り詰めた緊張の時間を過ごしたものだった。<br />　前回に引き続き、この心臓の検査に当たっては、元看護婦として勤めていた姪っ子が付き添ってくれており、今回も、二人して別室のモニターを見て緊張していたのだった。<br />　果たして、検査の結果がどうであるのかは、もちろん素人にわかりようもない。医者の方で画像やその他のデータを解析して実情が判定されるようだ。その詳細は、明日の昼に "付き添い" 役たちに報告されることになっている。<br />　検査の途中では、ことさらのハプニングもなかったし、素人目にあれっと思わされる映像もなかったので、深刻な症状に至ってはいないのではないかと、自分は希望的観測をしている。まあ、明日を待つ以外はないわけだが......　(2008.11.07）</p>]]>
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    <title> &quot;自主的・自発的&quot; の語感の響きで判断を避けている？ ......</title>
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    <published>2008-11-06T07:24:13Z</published>
    <updated>2008-11-06T07:25:02Z</updated>

    <summary>　米国の &quot;一大政治スペクタクル&quot; である大統領選を目(ま)のあたりにしたところ...</summary>
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        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
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        <![CDATA[<p>　米国の "一大政治スペクタクル" である大統領選を目(ま)のあたりにしたところで日本の国内政治に目を向けると、いかにもスケールが小さい。発想水準が "ちまちま" としている。まるで、小中学校の "学級" 内での出来事を見ているかのようでさえある。<br />「みんな、人に言われないでも "自主的・自発的" にやりましょうよ......」<br />という声が聞こえてくるようでさえある。</p>
<p>　いや、別に "空耳" でもないようである。<br />　今日、二つの政治関連記事が目についた。ひとつは、政府の追加経済対策の "給付金" 関連の記事であり、もう一つは、防衛省の田母神俊雄・前航空幕僚長更迭と退職金支給に関する記事である。その共通点が、 "自主的・自発的" という言葉なのである。<br />　 "自主的・自発的" とは、インフォーマルな集団や組織にあっては、個人尊重の視点が生かされた麗しいアプローチだとして拍手喝されもしよう。<br />　しかし、国の政治領域の出来事に関して、そんな言葉が使われると、えっ？　 "学級活動" みたいね、と言いたくもなる。謝って済めば警察はいらない！　という荒っぽい言い草と一緒にまではしないけれど、法制度が仕切りをせざるを得ない一般社会にあって、"学級活動" の基準のようなタラタラした責任逃れ対応はよそうじゃないか、と言いたいものである。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　ちなみに関連記事を抜粋引用しておくと以下のようになる。</p>
<p>＜給付金、自発的辞退促す案浮上　　　&nbsp; 一定年収以上に<br />　政府の追加経済対策に盛り込まれた総額２兆円の定額給付金に関し、全世帯に「引換券」となるはがきを送った上で一定の年収以上の所得者に対して自発的な辞退を促す案が浮上していることが６日、分かった。麻生太郎首相が求めている所得制限には法的措置が必要で手続きも煩雑になり、年度内支給が困難になるためだ。政府筋が明らかにした。<br />　　......<br />　政府筋によると、各世帯ははがきを市町村の窓口に持って行けば引き換えに定額給付金を受け取れることを原則とした上で、はがきには一定額以上の所得がある人に対し「給付を辞退することができる」との文言を明記する。所得の線引きは年収１５００万円前後が検討されている。＞（2008/11/06 12:54 【共同通信】）</p>
<p>＜論文応募隊員は７８人&nbsp; 防衛相、退職金返納要求<br />　防衛省は６日、田母神俊雄・前航空幕僚長が過去の侵略戦争を正当化する論文を発表し更迭された問題で、同じ懸賞論文に７８人の航空自衛官が応募していたことを明らかにした。民主党の外務防衛部門会議で明らかにした。応募者総数は２３５人で、３割が空自隊員だったことになる。内局や陸自、海自の応募者はゼロ。防衛省は同日、航空幕僚監部の教育課が「自己研さんに役立つ」と全国の部隊に紹介していたことを明らかにし、空自トップの田母神氏の意向を踏まえて組織的に投稿していた可能性が出てきた。<br />　これに関連し、浜田靖一防衛相は同日午前の参院外交防衛委員会で、田母神氏に約６０００万円の退職金を自主返納するよう求める考えを表明した。......＞（2008/11/06 12:28 【共同通信】）</p>
<p>　注意を向けたのは、＜一定の年収以上の所得者に対して "自発的な辞退" を促す＞という箇所と、＜退職金を "自主返納" するよう求める＞という箇所なのである。<br />　どうしてこんなふうに、耳障りの良い言葉の響きに乗じて "曖昧な基準" や "無責任な対応" をするものかと怪訝に思ったのである。<br />　年金問題で、十分に "曖昧さ" を曝け出した政府なのだから、 "景気をつけろ" の主旨の景気対策だと言うのなら、うだうだとやっていないでスッキリとやればいい。そもそも、こんな＜給付金＞対策で何とかなる "町内の活性化キャンペーン" とは違うでしょ、と言いたい。効き目のないことをダラダラとやってないで、もっと奏功する対策を出す方に知恵と時間を振り向けたらよかろう。<br />　また後者については、侵略戦争を正当化したからこそ "更迭" という（懲戒）処分対応に至ったのではないのだろうか。それを、円満退職ふうに "退職金支給" というのがどう考えても不自然だったのである。そしてこんな筋書きを書いておきながらこの期に至って＜自主返納＞を求めて辻褄を合わそうとするというのが、とても見るに堪えないわけである。まったく、官僚機構に対する国民感情を逆撫でするだけのように見える。</p>
<p>　やはり、 "つなぎ内閣" だからこそ "腰が据わらず" に "心ここにあらず" のような失策を続けるのではなかろうか......　(2008.11.06）</p>]]>
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