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    <title>AdhocBlog</title>
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    <updated>2010-03-16T11:23:07Z</updated>
    <subtitle>変化にまみれる日々を凝視</subtitle>
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    <title> &quot;ライフログ&quot; とは、デジタル空間に蓄積され始めた個々人特有の生活関連情報 ......</title>
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    <published>2010-03-16T11:21:29Z</published>
    <updated>2010-03-16T11:23:07Z</updated>

    <summary>個人のデータ(ライフログ)が自動的に収集され、1人1人に最適化した生活情報サービスが提供される第3世代へ突入。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　気がついてみると、自分は、 "Amazon" の "上客" あるいは "常連客" となっているのかもしれないと思う。 "衝動買い" はもちろんのこと、出来る限り購入することを抑制しなければならないと思いつつも、ついつい "クリック" を連ねてしまう愚か者である。<br />　 "気を許す" ワケは、先ずは "品揃え" であり、 "欲しいと思うモノ" を扱っていなかったためしがないこと。そして、とにかく "入手までに時間が掛からない" こと。さらに、昨今では "価格面での魅力" も次第に大きくなっている。それだけ、 "捌く量" が増大して、仕入れ価格を下げることに成功しているということなのであろう。<br />　このところ、ＰＣ関連商品にしても、 "秋葉原" 通信販売ショップからの購入はメッキリと減り、専ら "Amazon" ルートとなってしまった。 "送料無料" という特典を活かすと、 "秋葉原" 価格をわずかながら下回ることが多いからであろう。<br />　また、 "Amazon" サイトを利用すると、 "商品情報" が手っ取り早く了解できてしまうという情報面での便利さが否めない。まさに、 "Amazon" の "情報戦略" に見事に絡め捕るられている自分だと痛感する......。<br /> ]]>
        <![CDATA[　ただ、そんな "Amazon" の "情報戦略" にはできるだけ "引っ掛からない" ように、まるで、 "ルアー・フィッシング" で狙われた魚たちが警戒するような、そんな心境になっていることも事実ではある。当然のことか......。<br />　よく、 "同サイト" へ行き、とある "商品チェック" をしていると、＜よく一緒に購入されている商品 ＞とか、＜この商品を買った人はこんな商品も買っています＞とかという欄が眼につく。 "親切心" も無いとは言わないわけだが、もちろん、より多くの購買を刺激しようという意図であることは見え見えであろう。<br />　えっ？　そんなモノもあるの？　とクリックすれば、 "Amazon" の "勝ち！" ということになるシナリオだ。が、時として後学のためと思いクリックしてしまうのが人情ではなかろうか。<br />　また、 "Amazon" の "情報戦略" と言えば、 "マイページ" 方式で ＜こんにちは、○○　△□さん。　おすすめ商品があります。＞という仕掛けが周知である。<br />　これこそは、 "Amazon" ならではの販売履歴（ログ）やアクセス履歴（ログ）などに基づいた "統計的処理" で、＜おすすめ商品＞を "提案" するという "ご自慢の方式" のようだ。<br />　ただ、自分はこれに接してみて、これまで特に "感動(?)" した覚えは一度もなかった。逆に、何だ、こんなモノしか思いつかないの（解析できないの）？　と感じたことが大半であったような気がしている。<br /><br />　今日のテーマとしたかった点は、この辺のことなのである。<br />　つまり、ある個人の購入履歴やアクセス履歴から、 "次に買うかもしれないモノ" や "欲しいモノ" を "解析" することは、販売側にとっては "喉から手が出る" ほど貴重な情報なのではあろうが、そう簡単なことではなかろう......、ということなのである。<br />　まして、自分のような、自分でも自身が "理解し難い" ような個人ならば、なおのこと困難なはずに違いない。<br />　が、モノを売る側の組織にとっては、もうとっくに "大量販売" 路線が破綻している現状である限り、 "この辺" 事情をターゲットにせざるを得ないのは十分に推定できる。<br />　どうも、この事情から熱い眼差しで注目され始めたのが、 "ライフログ" という新たな手法のような気がする。<br />　今日は、問題提起のみにとどめざるを得ないが、 "ライフログ" というのは、デジタル空間に蓄積され始めた、個々人特有の生活関連情報のようである。<br />　ちなみに、寺田 眞治 (著) 『ライフログビジネス』に関する "Amazon" での著作紹介での次のような記述が参考にはなる。<br /><br />＜　内容紹介<br />ついに始まった生活密着型IT革命!<br />　企業がウェブサイトを続々と開設した第1世代の90年代、ユーザー自らがブログやSNSへ情報をアップするWeb 2.0が花開いた2000年代、そして2010年からはさらに進化し、個人のデータ(ライフログ)が自動的に収集され、1人1人に最適化した生活情報サービスが提供される第3世代へ突入する。<br />　行動ターゲティング広告、レコメンド、エージェント、ソーシャルグラフ、見守りサービス、ライフレコーダー、コンテンツマッチングなど、すでに身の周りで始まっている、または始まろうとしているライフログビジネスを、実例を交えて紹介する国内初のライフログ解説書。<br />　内容（「BOOK」データベースより）<br />　ブログやSNSに集まる人々の生活の記録は、多種多様なセンサーデバイスから自動的に収集され、高度なアプリケーションによって再利用される「ライフログ」へと進化する。2010年に花開く生活密着型IT革命「ライフログ」。その定義とビジネスへの課題を技術面、社会面からわかりやすく解説。＞（ "Amazon" サイトより）<br /><br />　検討すべき視点は、もちろん "個人情報保護" の視点であるわけだ。が、今ひとつ関心を向けているのは、自身でも "闇" であることが否定できない個人の "自己表出" 的側面（最近、再び、吉本隆明氏の「芸術言語論」［ＮＨＫ　ＥＴＶ特集「吉本隆明　語る～沈黙から芸術まで～」］を観て印象的であった......）は、おいそれと "デジタル化" されてしまうものでもなさそうだ......、という視点なのである。<br />　しかし、それにしても、市場経済の論理、資本の論理というものは何と飽くなきものかと、 "恐れ入谷の鬼子母神" と言うほかない......　(2010.03.16）<br />]]>
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    <title>今回の &quot;異変&quot; は、健康管理に関する &quot;督促状&quot; を着き付けられた感触だ ......</title>
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    <published>2010-03-15T10:24:49Z</published>
    <updated>2010-03-15T10:26:28Z</updated>

    <summary>自分は、 &quot;飛蚊症&quot; という鬱陶しさもさることながら、これを機にして、 &quot;血糖値&quot; 対策を再度まともにやるべし、と思い至ったのである。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　 "飛蚊(ひぶん)症" の発生からまだ一日ということで、とにかく、右目の視界の鬱陶しさといったらない。明るい陽射しの下でのウォーキングでも、どういう眼差しにすれば比較的気にならないで済むかと、いろいろと試行錯誤しながら歩いたりせざるを得なかった。<br />　何しろ、ややうつむき加減となると、右下の視界の半分ほどに数本のカールした髪の毛のような格好の影が、眼球の動きとともについて回るのだ。ただ、気にせずに視線を前方に向けて遠目にしていると薄っすらとした存在感しかなくなり、これで "往なす" しかないか......、と思ったりもした。<br />　この "邪魔者" はそう簡単に消え去ることはなさそうだから始末に負えない。多少の移動はあるようだが、悲観的に言えば "生涯の障害" だと見る向きもある位だ。ということは、 "往なし" ながら "慣れ" の境地に至るしかないということのようなのである。<br /> ]]>
        <![CDATA[　ただ、今回の "異変" を一方的に "厄介者" だと見なして済ますのはやめようと考えている。手前味噌の発想となるが、やはりこれは一つの "警告" だと思うことが妥当ではないかと......。<br />　それと言うのも、自分はこの間、ただ単に楽観的となって "持病" の "糖尿病" に対して "大雑把な対応" しか採って来なかったからである。体重制限さえマークしていればそれで御の字だろうと高を括って来たのだ。<br />　今回の "異変" は、昨日も書いたとおり "老化による一般的な" 原因の "眼底出血" という診立てではあった。しかし、 "眼底" の "毛細血管" が切れたということは、 "毛細血管" が丈夫であれば免れたはずであり、やはりそれなりに "劣化" していたと言わざるを得ない。そして、 "毛細血管" の "劣化" に少なからず悪影響を及ぼすのが、 "血糖値" の高さであることは周知の事実だ。<br />　 "高・血糖値" は、身体中の "血管のその壁" を弱らせ、とくにその悪影響は "毛細血管" に対しては危険極まりないようである。<br /><br />　そこで、自分は、 "飛蚊症" という鬱陶しさもさることながら、これを機にして、 "血糖値" 対策を再度まともにやるべし、と思い至ったのである。<br />　幸いと言うべきかもしれないが、長く残り続ける "飛蚊症" の鬱陶しさは、多分、四六時中、 "何故、こんなことが起こったのか" と詰問し続けるに違いなかろう。うるさ型の健康管理士に付き添われているような図なのかもしれない。そこから、もはや "血糖値" 対策への取り組みを仇や疎かにはできなくなるような気がしているのである。<br />　この間、ウォーキングなどによる体重のコントロールだけは留意してきたが、実を言えば、 "測定器具" を備えておきながら、 "血糖値" の測定は、とんとサボっていたのであった。<br />　そこで早速、測定してみたところ、やはり勝手に想像していた予想値をはるかに上回り、しっかりと "要注意・要対策" の域の数字が表れたのである。<br />　もはや、何の言い訳も成り立たたない。勝手な姿勢で済ましていると、いつ何時災難に襲われるかもしれないと想像せずにはいられない。<br />　今回の "異変" は、そういう意味では、 "督促状" を着き付けられたような、そんな感触だと言うほかない。これまでにないこまめな健康管理に徹する以外はなさそうだ......　(2010.03.15）<br />]]>
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    <title> &quot;飛蚊(ひぶん)症&quot; が &quot;急に明瞭&quot; となったら要注意？ ......</title>
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    <published>2010-03-14T09:26:46Z</published>
    <updated>2010-03-14T09:29:06Z</updated>

    <summary>自分の場合、かねてから &quot;生理的な原因&quot; によるものと思しき &quot;飛蚊症&quot; が無くはなかった。ところが、昨夜は、急にその &quot;浮遊物&quot; がはっきりと自覚できるほどの小指先位の大きさとなり、おまけに、何やら &quot;出血&quot; を推定させるような &quot;赤っぽい&quot; 影も自覚するようになってしまったのだ。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　一昨晩に "奇妙な夢" を見たこととは関係があるとは思えない。が、昨夜からちょっとした "身体の異変" に見舞われてしまった。<br />　眼のちょっと変わった症状に "飛蚊(ひぶん)症" と呼ばれるものがある。<br />　明るい所や白い壁、青空などを見つめたとき、目の前に虫や糸くずなどの "浮遊物" が飛んでいるように見えることがある。視線を動かしてもなお一緒に移動してくるように感じられ、まばたきをしても眼をこすっても消えず、暗い所では気にならなくなる、というような症状のことだ。<br />　そもそも、眼球の中の大部分は、 "硝子体(しょうしたい)" と呼ばれるゼリー状の透明な物質でできているという。<br />　角膜と水晶体を通して外から入ってきた光は、この "硝子体" を通過して網膜まで達する。ところが硝子体に何らかの原因で "濁り" が生じると、明るい所を見たときにその濁りの影が網膜に映り、眼球の動きとともに揺れ動き、あたかも虫や糸くずなどの "浮遊物" が飛んでいるように見え、 "飛蚊症" として自覚されるという。<br />　で、この "濁り" には、 "生理的な原因" によるさほど気にしないでもよいものと、 "病的な原因" によるものとがある、と言われている。<br /> ]]>
        <![CDATA[　自分の場合、かねてから "生理的な原因" によるものと思しき "飛蚊症" が無くはなかった。ところが、昨夜は、急にその "浮遊物" がはっきりと自覚できるほどの小指先位の大きさとなり、おまけに、何やら "出血" を推定させるような "赤っぽい" 影も自覚するようになってしまったのだ。<br />　こいつはちょっとヘンだと考えた。と言うのも、現在は体重のセルフコントロールだけで自家対応している "糖尿病" という持病があり、そこから "合併症" として "網膜症" の "眼底出血" を起こすと、失明にも至るそんな危険があると言われているからだ。<br />　だが、今回の "飛蚊症" の自覚からは、どうもどこであるのか場所は不明だとしても "出血" らしきものを伴っていることは確からしいと思えた。<br /><br />　そこで、家内にも手伝ってもらい、電話にて、土曜日の夜でも対応してくれる緊急病院探しをした。が、緊急救命センターが教えてくれた病院は都内であったり、遠方ばかりで適当とは思えなかった。<br />　そこで、かつて何回か通院したこともあり、診察カードの発行も受けている北里病院でとりあえず "問診" をしてもらおうと思ったのだ。これが奏功して、眼科医の女医さんから、とりあえず "緊急" を要するものではなさそうだ、という情報を得た。<br />　そして、今日は朝一で、日曜も診療を行っている通院履歴のある眼科医を訪れることになったのだ。やはり、自身で "懸念" したのは、 "糖尿病" → "眼底出血" という、わかり易い因果関係だったことは否めない。<br />　だが、 "瞳孔拡大" の目薬から始まった精密検査の結果は、 "眼底出血" の跡は確認されたものの、その原因は、何と "老化による一般的なもの" であり、症状からは "糖尿病" → "眼底出血" という形跡は認められない、というものであった。<br />　この "老化による一般的なもの" というメカニズムは、要するに、歳とともに "硝子体" と "網膜" との間に軋轢が生じ易くなり、時として網膜の毛細血管を引っ張って出血させることも起こり易くなるのだと説明された。で、結局は特別の治療をする必要はなく、経過観察をしましょう、ということに落ち着いたのであった。<br /><br />　 "異変" は "異変" であったものの、最悪ケースのシナリオではなかったため、幾分胸を撫で下ろすことになった。<br />　ただ、一度発生してしまった "浮遊物" は長期にわたって残り続け、鬱陶しい "飛蚊症" の症状からは自由になれないそうである。まるで "汚れた眼鏡" をかけているような、 "視界に浮遊する糸くず" の不愉快さには、要は慣れるしかないそうなのである。<br />　それともうひとつ慣れるべきは、体験外の "身体上の異変" が、加齢とともに増えることなのだろうな......、という点である。まぁ、こればっかりは "覚悟する" しかなく、面倒見い見い長持ちさせることなのかと......　(2010.03.14）<br />]]>
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    <title> &quot;春めいた陽気&quot; だからこその物置整理 ......</title>
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    <published>2010-03-13T09:10:54Z</published>
    <updated>2010-03-13T09:12:36Z</updated>

    <summary>こんな &quot;奇妙の三連チャン&quot; の夢のことをつらつらと思い起こしつつ、物置での探し物作業はたらたらと続いた。ほどなく探し物は見つかったが、もし陽射しもなくて肌寒い日であったなら気分がいじけるところだったであろう......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　やはり今日のような春めいた陽気だと自ずから活動的となる。<br />　朝のウォーキングも少し足を伸ばしてみようかと思ったりしたし、戻ってからも、久しく封じ込めていた物置の整理をする気にもなった。<br />　かねてより、かつてそそくさと仕舞い込んで行方不明となっていたとあるモノを出さなくてはと思っていた。が、結構厄介な探索となりそうだと想像すると、肌寒い日に外気にさらされながら立ち往生することは敬遠された。<br />　そこへ行くと今日のような陽射しと暖かな気温だと、日向ぼっこがてらに一汗かいてみるか、という気分にもなる。<br /><br />　目当てのモノをどこへ仕舞い込んでしまったかなかなか見当がつかず、多くのダンボール箱を外に引っ張り出す羽目になった。中腰でそこそこ重量のある箱を動かすのは注意を要した。ギックリ腰にでもなったら、せっかく良い陽気になり活動的となろうとしているのに、水を差されるからだ。<br />　ところで、そんな単調な作業をしながら、自分は、昨日の夢のことを思い起こしていた。久しぶりに、ありありとした "奇妙な夢" を三本立てで見たからだ。<br /> ]]>
        <![CDATA[　その一、まず "奇妙さ" の筆頭となる夢とは、自宅が、公共工事の計画に抵触するとかで立ち退き要求をされているのである。まさに "寝耳に水" である。どうも、高速道路建設予定地に含まれているとかなのだ。で、恐れ入るのは、代替地の話まで出ていて、それが好感の持てる場所であれば "夢のある話" にもなろうものだが、さにあらず、現在の自宅からかなり離れた辺鄙な場所となっていて、家族が皆で悩んでいるのである......。バカバカしい限りである。<br />　その二、これも、 "わしはこんな夢は見とうはなかった！" とでも言えるようなもの。多分、寝相が悪くて片足を布団の外に出してでもいたのか、左足が奇妙に痛み、医者に診てもらっているようなのである。それで医者の前で、痛みを訴えながら投げ出している左足の足首は、 "奇妙にも" 内部が透けて見えていて、その図がまた何とも気持ちの悪いものだったから参った......。<br />　その三、これはまぁいくらか "マシ" なものではあったが、それでも "奇妙さ" に変わりはない。<br />　おかしなもので、夢には "しばしば登場する場所" というものがありそうで、これもそのひとつであった。推測するに、子どもの頃に住んでいた近所の "河" 、いつも黒く淀んだ水を湛えていて、泳ぎたいどころか、決して落ちたくはない思いだけが呼び覚まされる、そんな "河" の一角である。<br />　その河面(かわも)を、こともあろうに "サーフィン" に乗って渡ろうとしているのだ。とある知人と二人で、おっかなびっくりの格好で立ちながら......。と、何を思ってか、その知人は、ザンブとばかりに頭から飛び込んだりするのだった......。<br />　で、自分はというと、河岸に辿り着くのだが足場が悪くて岸には這い上がれないままでいる......。が、いつか情景が変わってしまい、自分は、橋の上を "サーフィン" を抱えて歩いているのであった......。<br /><br />　こんな "奇妙の三連チャン" の夢のことをつらつらと思い起こしつつ、物置での探し物作業はたらたらと続いた。ほどなく探し物は見つかったが、もし陽射しもなくて肌寒い日であったなら気分がいじけるところだったであろう......　(2010.03.13）<br />]]>
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    <title>大学生・高校生の &quot;就職内定率&quot; が &quot;８割&quot; だという哀しい現実 ......</title>
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    <published>2010-03-12T10:31:51Z</published>
    <updated>2010-03-12T14:51:08Z</updated>

    <summary>危機に瀕した &quot;国家財政&quot; をどう回避、変革して行くのかという課題も重い。しかし、 &quot;新しい世代と人材&quot; あっての &quot;新しい経済&quot; であり、 &quot;新財政構築&quot; であることも否めない。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　何とかならないものかと "深刻な事態" を案じる。この春に向けた "就職内定率" （今春卒業予定の大学生・高校生の就職内定率）が "８割" だという現実のことだ。<br />　これからが人生の "本番" だという、伸び盛りの若い人たちの活動の場が無いということは、本人たちもさぞかし無念で、また肩身の狭い思いに苛まれていることだろう。<br />　と同時に、ただでさえ "少子化傾向" の深まりで新しい就労人口が心もとないそんな時に、社会が "ルーキー" を迎え入れたり、育てたりすることができないというのは、とてつもなく大きな "社会的損失" であると思われる。<br /><br />＜卒業予定の２割が就職決まらず　大学・高校生調査<br />　今春卒業予定の大学生の就職内定率は２月１日現在で前年同期に比べ６・３ポイント低下し、８０・０％だったことが１２日、厚生労働、文部科学両省の調査で分かった。比較できる２０００年の調査以降、過去最低で、同年前後の「就職氷河期」よりも依然として低い。<br />　高校生の内定率は１月末現在で６・４ポイント下回る８１・１％。過去最低だった０３年の７４・４％を上回ったが、就職氷河期と同程度の厳しさとなっている。<br />　厚労省は「景気の動向による影響が大きく、企業も求人を出せない状況が続いているのではないか」としている。<br />　調査は全国の国公私立大の６２校を抽出し、就職希望者に占める内定者の割合を調べた。調査結果と文科省の学校基本調査から推計すると、約５６万人の大学生が今春卒業予定で、就職を希望する４０万５千人のうち内定しているのは３２万４千人にとどまっている。<br />　高校、中学は厚労省がハローワークと学校を通じて調べた。＞（ 2010/03/12 16:26 【共同通信】）<br /> ]]>
        <![CDATA[　確かに社会情勢の現状は、至るところほころび、そして病んでいる。生活者たち、高齢者たちが日々不安の中で呻吟する思いとなって生活している。<br />　そんな中で、人々が心の支えになり得るものがあるとすれば、 "きっと将来は良くなる" という淡い期待感なのかもしれない。そして、その眼差しは、 "次世代" の若い人たちに注がれるのではなかろうか。<br />　先日も、ある高齢者の方と話をしていて、この袋小路のように閉塞した時代環境であっても、若い世代の中にはこの分厚い壁を打ち破ろうとしている人たちもいる......、という話題に触れたところ、大層喜んでおられたのには驚いた。<br />　今現在が苦しくて精一杯耐えている者にとって、若い世代による将来に希望を託す、というのは、人間としてきわめて当然なことなのであろう。<br />　だから、その若い世代が積極的に活動し、活躍できる、そんな環境を "先行者たち" は最大限作ろうとしなければならないわけだ。<br />　このことはさまざまな場面で行われるべきであろうが、社会的場面では何をおいても "働く場" の提供ということになるに違いなかろう。<br /><br />　そしてこの課題は、若い世代側にとっての課題というだけでなく、冒頭にも触れたように、社会側が真剣に次世代や将来を見据えるならば、この課題の最適解答が案出できない限り "先細り" の未来しか望めない、ということになりそうである。<br />　危機に瀕した "国家財政" をどう回避、変革して行くのかという課題も重い。しかし、 "新しい世代と人材" あっての "新しい経済" であり、 "新財政構築" であることも否めない。<br />　 "子ども手当て" にしたところがすったもんだと騒ぎ、ようやく先進諸国の常識的水準に至るかどうかという呆れた感覚の国家である。まあ、新政権がどうこうというよりも、これまで無策と暴政とで逃げまくっていた自民党政権の負の遺産と言った方が妥当ではあろう。<br />　口を開けば "企業の国際競争力" だと馬鹿の一つ覚えを唱える方々に言いたいが、もっとまともな視野とパースペクティブとをもって、差し迫る惨めなこの国の将来としっかり直面してほしいものである。<br />　なんだかんだと言い訳ばかりをして、 "私企業" の "財務状況" だけにしがみついているのは "みっともない限り" ではないか......　(2010.03.12）<br />]]>
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    <title>ＰＣを介しての &quot;地デジ番組の録画＆ＤＶＤコピィ&quot; 体験レポート ......</title>
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    <published>2010-03-11T11:53:18Z</published>
    <updated>2010-03-11T11:55:04Z</updated>

    <summary>昨今、ＴＶだけでなく、ＰＣのディスプレイも &quot; 16：9 &quot; の横長画面になって来ているので、やはり &quot;ＤＶＤコンテンツ&quot; もこれに合わせるべきかなぁ......、なんぞと結局 &quot;ミーハー&quot; 的感覚になってしまっている自分に &quot;コラッ&quot; と怒ったりしているが......。</summary>
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        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　このところ、この日誌は "ＰＣ関連" に偏っている。別に何を書かなくてはいけないとでもいうような制限があるわけではないので、まあいいか、と思って書いている。<br />　今日は、ＰＣを介しての "地デジ放送" (予約)録画とその "ＤＶＤ焼き" （ＣＰＲＭ対応メディアによるもの）について、その後の経過を書くことにする。<br />　ＰＣを介した "ＴＶ録画" と "ＤＶＤ焼き" については、もう何年も続けてきた。まるで "オタク" さながら、録画済みＤＶＤの数は大変なものとなってしまい、整理に困るほどだ。<br />　最近はそこまで手が回らなくなってしまったが、一時期までは録画済みＤＶＤのホワイトレーベルに、録画コンテンツの画像とタイトルとをインクジェットプリンターで印刷をするといった手の込みようなのであった。<br /><br />　以前は、アナログＴＶの録画でしかなかった。精々、受信状況を調整してよりシャープに映るようにしたものだったが、従来テレビのアスペクト比（縦横比）である " 4：3 " という、かなり粗くて古めかしい感触の画面を文句も言わずに録画し、それをそのまま "ＤＶＤ焼き" をしていたものだ。<br />　ただ、ＴＶ録画をする以上、せめて簡単な方法で "予約録画" のできることが最低条件であったため、それにふさわしい "システム" を設えたのだった。<br />　 "I-O DATA" のＴＶチューナー付きビデオ・キャプチャである "ＧＶ-ＭＶＰ/ＴＺ" という小型のＵＳＢ外付けデバイスである。これは、 "Ｓ端子" 付きで比較的綺麗な画像を作ってくれた。また、 "コンポジット端子" が付いていたため、ここに "画像安定装置" という名 "プロテクト（ＣＰＲＭ）解除装置" を "試験的に" 付けて、 "地デジ" 対応を図らせてもらったりもした。ただし、 " 4：3 " 画面でしかキャプチャできないという中途半端なものであったが......。<br />　それでも、たとえ " 4：3 " 画面ではあっても、 "地デジ番組" が、録画できて、しかもそれを編集できる（ＣＰＲＭコンテンツの場合は原理的に編集不能！）という点は無視し難かった。あまり大っぴらにはできない話ではあるが......。<br />　ところで、前記の "ＧＶ-ＭＶＰ/ＴＺ" には、便利な "添付ソフト" が付いており、中でも "ｍＡｇｉｃガイド" と "ｍＡｇｉｃＴＶ" は、実に使い勝手がよい。前者は、番組テーブルが表示され、そのテーブルのコマをダブルクリックすると "予約設定" 画面を介して予約が可能になる。また、後者はＰＣのディスプレイ上で放送中の番組が視聴できるというちょい便利なツールだ。サイズが可変のため、ディスプレイの片隅に置いて気になる番組をチェックすることも可能なわけだ。<br /> ]]>
        <![CDATA[　で、現在は、同メーカーの前記の上位機種である "ＧＶ-ＭＶＰ/ＨＺ" なるものを使って、まともな "地デジ番組録画" と "ＤＶＤ焼き" （ＣＰＲＭ対応メディアによるもの）とを行うに至っている。<br />　一時期、 "地デジ番組録画" には "「コピー・ワンス」（Copy Once）" という、 "１回だけのコピィ" の原則が実施されたわけだが、それでは処理中の失敗をもカバーできず、非常に非現実的だと思ったため、 "地デジ番組録画" 自体を敬遠していた。その辺が、 "画像安定装置" という名 "プロテクト（ＣＰＲＭ）解除装置" に目を向けさせた理由でもあった。<br />　だが、 "ダビング１０" という "１０回までのコピィ可" という現実的な方針に変化（2008年7月4日から適用）したことで、にわかに "地デジ番組録画" に熱い眼差しを向けるに至ったのかもしれない。<br />　それに何と言っても、日頃、液晶ハイビジョンＴＶで " 16：9 " の横長画面を見慣れてしまうと、これまでの " 4：3 " 画面は何とも "惨め" な雰囲気が拭いきれないと感じ続けていたことは否定できない。<br />　かと言って、奮発して "ブルーレイ（Blu-ray Disc）" を駆使したハイビジョン録画を行おうという気にまではなれない。なんせ、コスト面が大きなネックだからだ。<br />　そこで、 "地デジ番組の録画＆ＤＶＤコピィ" が、手軽でかつ低コストで運用できるもの、という観点から白羽の矢を立てたのが前記のデバイスだったのである。<br />　このデバイスの使い勝手や運用状況の子細についてはまた後日に譲るが、これで現在、順調に運用し、ハイビジョン画像ほどのシャープさはないけれど（ "720×480 " という画素画像となる）、" 16：9 " の横長画面で鑑賞可能な "ＤＶＤ焼き" も続けている。<br />　昨今、ＴＶだけでなく、ＰＣのディスプレイも " 16：9 " の横長画面になって来ているので、やはり "ＤＶＤコンテンツ" もこれに合わせるべきかなぁ......、なんぞと結局 "ミーハー" 的感覚になってしまっている自分に "コラッ" と怒ったりしているが......　(2010.03.11）<br />]]>
    </content>
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    <title> &quot;ＨＤＤクローン・コピィ&quot; 作成手順をラクにしてくれる &quot;アダプタ&quot;  ......</title>
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    <published>2010-03-10T10:11:16Z</published>
    <updated>2010-03-10T10:13:16Z</updated>

    <summary>この &quot;アダプタ&quot; を利用して、内蔵型ＨＤＤを &quot;裸のまま&quot; で接続して、 &quot;ＵＳＢデバイス&quot; としての &quot;外付けＨＤＤ&quot; と認識させて &quot;クローン・コピィ&quot; の &quot;コピィ先ＨＤＤ&quot; としたわけなのである。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[<p> 　 "ＨＤＤクローン・コピィ" に関しては、やはり皆さんご関心がおありのようだ。中には、試してみたい......、ということでメールで質問して来た知人もおられた。<br />
　その質問の一つは、現在使用中の "ＯＳ" は "Ｖｉｓｔａ" なのだけれど大丈夫だろうか？　というもの。<br />
　自分が実施したＰＣの "ＯＳ" は、 "ＸＰ" と "Ｖｉｓｔａ" の両方であり、いずれも問題はなく成功した。ベンダー・サイトの解説では "WINDOWS ７" にも対応しているとの表示もあるが、それは体験していないのでわからない。</p>

<p>　もう一つの質問は、＜ "クローン・コピィ先ＨＤＤ" を、ＩＤＥ接続ではなくて、 "ＵＳＢ接続" でもＯＫ＞とあったが、 "ＵＳＢ・外付けＨＤＤ" を使うのか？　あるいは "裸のＨＤＤ" ならば、それをどのようにして "ＵＳＢ接続" するのか？　という疑問であった。<br />
　この点に関しては、盛んに "有難い点" だと持ち上げながら、そう言えば "説明不足" だったかと思い、改めて追加説明をさせていただくことにした。<br />
　実は、ここではちょっとした "特殊アダプタ" を使ったのだった。別に、メーカーとの関係はいっさいなく、宣伝する必要はないのだけれど、結構、便利だと気に入って使ってきたものである。<br />
<a href="http://www.green-house.co.jp/products/storage/adapter/ushd-idesa/index.html" target="_blank">「 IDE/SATA⇔USB2.0変換ケーブル GH-USHD-IDESA 」</a><br />
＜対応ドライブ：IDEインターフェースの内蔵型2.5インチHDD/3.5インチHDD、IDEインターフェースの光学ドライブ(DVD-ROM、DVD-R/RW、CD-ROM、CD-R/RW)、SATAインターフェースのHDD＞（ Amazon の記事より。ちなみに、Amazon で、\.2,412.-　で購入。）</p>]]>
        <![CDATA[<p>　これは、 "裸のＨＤＤ" に、 "ＵＳＢケーブル" および "電源ケーブル" の双方を接続させて、ＰＣ側に "ＵＳＢデバイス" として認識させる、そんなアダプターである。<br />
　購入したきっかけは、余っているＨＤＤを "裸のまま" で再活用できないかと思ったこと。いつの間にか、内蔵型のＨＤＤが3.5インチ、2.5インチを問わず、またＩＤＥ、ＳＡＴＡ（シリアルＡＴＡ）を問わず、数多く "余って" いたのだった。<br />
　そんな時に、この "多用途" アダプタを見つけて試してみたところ、実に使い勝手が良かったため愛用しているというわけ。<br />
　余っているＨＤＤを、いちいち "ＵＳＢ" の外付け専用ケースに入れて使うのは、結構面倒なものであり、そのうち、このケースにはどんな容量のＨＤＤが入っていたのやら......、と迷うことにもなりかねない。そこへ行くと、 "裸のまま" のＨＤＤにメモ紙を貼り付けて並べておくと一目瞭然というわけだ。</p>

<p>　そんなわけで、この "アダプタ" を利用して、内蔵型ＨＤＤを "裸のまま" で接続して、 "ＵＳＢデバイス" としての "外付けＨＤＤ" と認識させて "クローン・コピィ" の "コピィ先ＨＤＤ" としたわけなのである。<br />
　この方法だと、 "ＵＳＢ・外付けＨＤＤケース" をばらしたり、組み立てたりというしなくてもいい手間が省けて、実に機能的なわけである。<br />
　また、この "アダプタ" は、ＩＤＥ、ＳＡＴＡのどちらのＨＤＤでも接続できるため、使用中のＰＣがＳＡＴＡ（シリアルＡＴＡ）であって、 "すぐに挿げ替えできるスペアＨＤＤ" としての "クローンＨＤＤ" を作りたいのであれば、ＳＡＴＡのＨＤＤを繋げればよい。また、とりあえず "バックアップＨＤＤ" を作っておいて "備え" だけをしておこう、というのであれば、 "余っているＩＤＥのＨＤＤ" を繋げてコピィをしておく、ということも可能なわけだ......　(2010.03.10）</p>]]>
    </content>
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    <title> &quot;ＨＤＤクローン・コピィ&quot; フリーソフトに関する &quot;体験的情報&quot;  ......</title>
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    <published>2010-03-09T04:57:43Z</published>
    <updated>2010-03-09T09:13:55Z</updated>

    <summary>ところで、手っ取り早い &quot;ＨＤＤ換装&quot; というテーマに関しては、少なくない方たちが関心を寄せておられるようなので、前回に書いたこと以降の &quot;体験&quot; をレポートしてみようかと......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[<p> 　 "ＨＤＤ換装" を手っ取り早くこなす方法については以前に書いた。（ c.f.<a href="http://adhocrat.net/adhocblog/2010/02/post-744.html" target="_blank">当日誌 「"ＨＤＤクローン・コピィ" も "パーティション編集" もできるフリーソフト！ ......」 2010.02.11</a>）<br />
　その後、思い立った時にとばかりに、現在使用中のＰＣ数台のすべてに "バックアップ用" の "クローンＨＤＤ" を設えた。こうしたことは、 "思い立った時" に "慣れの勢い" に任せて一気に済ませておくに越したことはないと思えたからだ。<br />
　とにかく、このフリーソフトが有難いのは、 "クローン・コピィ先ＨＤＤ" を、ＩＤＥ接続ではなくて、 "ＵＳＢ接続" でもＯＫという簡便なところである。その昔は、何かと面倒なＩＤＥ接続で同種のことを行っていただけに、手数の掛からない "ＵＳＢ接続" 方式は実に有難いと思えた。<br />
　その甲斐あって、まずまずつつがなく完了させることができた。これでどのＰＣについても、もし、現行のＨＤＤがトラブルに見舞われてしまった際には、何ら慌てることもなく保管した "クローンＨＤＤ" と速やかに挿げ替えればよいだけとなった。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　ところで、手っ取り早い "ＨＤＤ換装" というテーマに関しては、少なくない方たちが関心を寄せておられるようなので、前回に書いたこと以降の "体験" をレポートしてみようかと......。<br />
　先ず "特記" すべきことは、前回に焦点としたフリーソフト<a href="http://www.partition-tool.com/" target="_blank"> EASEUS Partition Master 5.0.1 - Best Free Magic Partition Manager </a>は、非常に "優れもの" ではあるけれど、 "苦手" とするＨＤＤ構成もありそうか？　という点。<br />
　実は、同一ＨＤＤ内に、メーカーの手による "バックアップ" 用の "隠しパーテーション" が設えられたＨＤＤは、何度トライしても出来上がったＨＤＤからの "ブート" は叶わなかったのである。詳しく分析するならば何か原因を見つけられたのかもしれないが、そのヒマもなかったため、別の対処法を試みてみた。<br />
　それは、このフリーソフト "Partition Master" を提供しているベンダー "EASEUS" が別に提供しているこれまたフリーソフト "Disk Copy" （<a href="http://www.easeus.com/disk-copy/" target="_blank"> EASEUS Disk Copy: Free Disk Copy Software. Sector by Sector for hard drive backup tool. </a>）の方を試してみたのである。<br />
　すると、何とも "スンナリと成功" したのであった。 "隠しパーテーション" 付きのＨＤＤ構成はムリなのかと一時は落胆したのだが、ホッとさせられた。</p>

<p>　ただし、こちらの "Disk Copy" の方は、 "付帯条件" がある。<br />
　その１は、 "起動用ＣＤ" をあらかじめ作成しておくこと。<br />
＜本ソフトはHDD内のすべての情報をコピーするため、Windowsが起動する前にCD起動で動作させる仕組み。そのため配布されているISOイメージを、CDライティングソフトを利用してCD-Rなどへ書き込んでおく必要がある。使い方は簡単で、作成したCDを挿入してパソコンを起動し、表示されたウィザード画面の指示に従っていくだけ。＞（<a href="http://www.forest.impress.co.jp/article/2008/08/26/easeusdiskcopy.html" target="_blank"> オンラインソフト紹介サイト 窓の杜 REVIEW（08/08/26）HDD内のデータを丸ごと別HDDへコピーできるフリーソフト「EASEUS Disk Copy」 </a>）<br />
　自分の場合、このＣＤ作成に当たっては、これまたフリーソフトの " DVD Decrypter " を活用して簡単に作成した。<br />
　その２は、この "ＨＤＤクローン・コピィ" 用ツールは、 "Partition Master" による同種処理と比べて、 "圧倒的に処理時間が掛かる！" という点である。まあ、使用中のＰＣのＣＰＵにもよるのだろうが、極端に言えば、 "ほぼ１０倍" の時間が掛かった。<br />
　自分の場合、夜、寝る前にセットして翌朝に結果を刈り取るという段取りを採った。だが、結果は実に安定しており、二機種について行ったが両方とも問題なく成功した。<br />
　したがって、もし、 "Partition Master" の方で何度か失敗した場合は、 "Disk Copy" の方で "のんびり確実に" 試してみるのがいいかもしれない。</p>

<p>　それから、これは "両ソフト" の使用で両方ともに当てはまることなのであるが、コピィ処理を開始する前に行っておくことが二つある。<br />
　一つは、 "コピィ元ＨＤＤ" の "パーテーション・サイズ" と "コピィ先ＨＤＤ" の容量との関係調整である。つまり、 "前者 ≦ 後者" でなければならないわけだ。これは、ＨＤＤの容量というよりも、前者の "パーテーション・サイズ" とそれを受け容れる後者のＨＤＤの容量との関係であり、もし、前者の "パーテーション・サイズ" が大き過ぎる場合には、それこそ "Partition Master" を使ってその "パーテーション・サイズ" をあらかじめ後者のＨＤＤの容量よりも小さく "リサイズ" しておけばよい。<br />
　自分の場合、前者：２５０ＧＢ、後者：８０ＧＢであったものを、前者の "パーテーション・サイズ" を７５ＧＢに "リサイズ" してからコピィ処理を行い、無難に成功させた。ちなみに、それぞれのＨＤＤの "パーテーション・サイズ" は、後で "Partition Master" を使っていくらでも "リサイズ" 可能なのである。<br />
　もう一つは、 "コピィ元ＨＤＤ" の "ディスク・チェック" をして、 "クラスター" のエラーなどを修復しておいた方が問題なさそうである。今回はそうしたアクシデントはなかったが、かつてのコピィ・ソフトの場合には、途中で "リード・エラー" が発生して "中断" されてしまったことがあった。</p>

<p>　 "ＨＤＤ換装" については、もし時間的余裕があって "困って" いるのであれば、ＯＳから始まり、種々のアプリケーション・ソフトを一つ一つ「再インストール」してみるのも悪くはない。ドライバーの問題とか、日頃気づかない "水面下" の事情がいろいろと勉強になることは確かだからだ。<br />
　そんな勉強は卒業したという方にとっては、 "ＨＤＤクローン・コピィ" 用ツールで、しかも "フリーソフト" だという存在は有難くないわけがなかろう......　(2010.03.09）</p>]]>
    </content>
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    <title> &quot;脚色、演出、効果音&quot; などがまるで無いというのが &quot;事実、現実&quot; ？ ......</title>
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    <published>2010-03-08T11:15:38Z</published>
    <updated>2010-03-08T11:17:08Z</updated>

    <summary>やはりわれわれは、解釈尽くめの情報のその &quot;情報過多&quot; のメディアに慣れ過ぎているということ。それらが &quot;嘘&quot; だとまでは思わない。だが、 &quot;事実&quot; はひょっとしたら &quot;別のところ&quot; に置き去りにされている可能性は否めないのかもしれない、と思った。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　昨日の "琵琶湖マラソン" は、先日の東京マラソンの時と同様に小雨が降り肌寒い天候の中での実施であった。アフリカ勢のランナーたちはさぞかし辛かったのでは、と想像したりしていた。<br />　そんな中で、昨日のＴＶ中継は、ちょっと変わった楽しみ方をしてみた。<br />　実は、アナウンサーや解説者の "音声" が無いと、結構、 "新鮮な臨場感" があってこれもまたいいものだ、と思ったのである。というのは、たまたま、 "ＴＶの設定" で "主音" のみとし、解説などが流される "副音" を消していたのだった。以前に行った録画の時の設定を引き摺っていたのだ。<br /><br />　すると、当たり前の話だが、 "主音" のみだと聞こえてくるのは、競技場やコース周辺で拾われた音のみであり、場内放送、アスリートたちを追うカメラマンを乗せたクルマの音、そして沿道で応援するファンたちの声援、といった "環境音" だけがのどかに聞こえてくるのだ。まるで、自身が競技場や沿道にぽつねんと立って観戦しているような、実に "自然なリアリティ" を感じたのである。<br />　確かに、ゼッケンを付けたランナーたちがどんな選手なのかというような事情はわかりにくい、というか、わからない。しかし、そんな事情を知ること以上に、ランナーたちの走行状況や表情が、むしろよく読み取れるような気もしたものである。解説者などの音声情報が無い分、自分なりに想像力を駆使するからであろうか。<br />　また、周囲の "ステレオ環境音" が、これまたリアルに聞こえてきたりして、結構 "味なもの" であった。さしずめ、日頃、調味料だらけで食べていた野菜を、生のまま直に口にして、食材自体の新鮮な食感をじっくり味わっているような気さえした。<br /> ]]>
        <![CDATA[　とりわけ、沿道などで声援を送るその音声が妙に興味深かった。子どもたちのあどけない声援がとくに印象的であった。<br />　なかでも、競技場でマイクが拾い続けた、とある子どもの声援は、最初のスタート時から最後のゴールの時までしっかりと良く聞こえていた。「がんばれー」という一言を繰り返すだけではあったが、よくも２時間以上にも渡って飽きずに続けていたと、その健気さに感心さえさせられた。関係者のお子さんだったのかもしれないが、子ども心に、選手たちはよくがんばっていると感じていたのであろうか。薄着のユニフォームだけで、雨が降る寒空の下を走っている選手たちは "えらい" と思ったとしても無理はなかろう。<br /><br />　こんな "環境音" だけのマラソン中継を観ていて感じたこと、それは、やはりわれわれは、解釈尽くめの情報のその "情報過多" のメディアに慣れ過ぎているということ。それらが "嘘" だとまでは思わない。だが、 "事実" はひょっとしたら "別のところ" に置き去りにされている可能性は否めないのかもしれない、と思った。<br />　ふと、自分は幼い頃、５、６歳ごろのことを思い起こしていた。文脈までは覚えていない。叔父の家で、叔父が幼い自分や従兄弟たちに向かって、自身の戦争体験の話をしていた時のこと。<br />「そりゃ恐かったなんてもんじゃない。爆発音が響くし、弾がビュンビュンと流れ飛ぶんだから。それに、 "映画やテレビみたいに音楽とかが流れるなんてこともないんだからね" 」<br />　なぜだか、その言葉が記憶に残り続けている。人間染みた "脚色、演出、効果音" などがまるで無いというのが、それが "事実" であり、 "現実" なのだ、という意味として受けとめて来たのかもしれない......　(2010.03.08）<br />]]>
    </content>
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    <title>社会や国家が何とかしてくれるという &quot;妄信&quot; からは漸次醒めるべし ......</title>
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    <id>tag:adhocrat.net,2010:/adhocblog//1.1101</id>

    <published>2010-03-07T11:00:28Z</published>
    <updated>2010-03-07T11:02:08Z</updated>

    <summary>　庶民の &quot;自前力&quot; ・&quot;自力救済&quot; 力・&quot;自給自足&quot; 力なぞは、高が知れたものであることは疑う余地はない。ただ、今や、 &quot;親方日の丸&quot; だの &quot;安全神話&quot;だのという、見る見るうちに腐食劣化してしまった言葉などにとてもすがれる事態ではなさそうな気がする。
　社会や国家が何とかしてくれるという &quot;妄信&quot; からは漸次醒めるべし、か......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　クルマが "バッテリー上がり" になってしまった。<br />　原因は明瞭だ。最近はほとんど利用しないためセルフ充電がなされないこと、そしてこの寒さのため、バッテリー液が機能低下したためである。<br />　こうなると、ブースター・ケーブルでつないでエンジン起動を図ってもいいのだが、まだここしばらくは寒さが続きそうなので、クルマからバッテリーを外して屋内に入れ、 "バッテリー充電器" で時間を掛けて充電することにした。<br /><br />　若い頃、格安の中古車に乗っていた当時は、冬場になると "バッテリー上がり" に見舞われ、しばしば "バッテリー充電器" で対処したものであった。<br />　当時は比較的走らせることが少なくなかったにもかかわらず、そんなことがたびたび発生していた。整備士に調べてもらうと、バッテリー自体が古いだけではなく、クルマ本体側のセル・モーター近辺の部品の劣化が原因だとかであり、それを直すには相応の修理費が嵩むということだったかと思う。<br />　ならば、マメに "バッテリー充電器" で対処しようと思ったのだった。<br />　が、一々、バッテリーをクルマから降ろすのは面倒過ぎると考えた。そこで、 "バッテリー充電器" 側のケーブルを延長し、ボンネットを半開きにしながら、オンラインで "一晩掛けて" 充電するという "のどかなこと" をしていたのである。<br />　最近は、 "ハイブリッドカー" や "電気自動車" が注目され、ガソリン注入ならぬ、 "ケーブル使用による充電" の光景がＴＶなどでも映し出される。しかし、そんな光景を見ると、なぁに、自分なんぞはもう何十年も前に "同じようなこと(?)" をやっていたさ......、と思わないわけでもないのである。<br /> ]]>
        <![CDATA[　ところで、クルマに限らないのだが、こうした "自前" での "対処法" を講じることが、結構、自分は好きなようである。 "貧乏性" と言ってしまえばそれまでだ。が、むしろ "遣り甲斐" とか "自力救済" とでも言うべきことにこだわろうとしているのだと思いたい。<br />　言うまでもなく、現代という時代環境では、対価を払えば何だって肩代わり、代行が頼める。スマートに生きようとするならば、そうしたサービスを適時活用して、自分は "より稼げる仕事" に邁進すべきなのであろう。そうありたいものではある。が、実情はまったく逆のダサイ振る舞い方をしていそうである。<br />　ただ、スマートさを標榜する現代ではあるが、社会や国家は本当にスマートであり続けられるのだろうか......、という "不信感" が拭い切れないでいるのも事実である。<br />　 "巨大な財政赤字" と "国家の財政破綻" という危機の可能性！　現在の国家状況は、まるで全身をスマートに着飾った者が、足元だけは "裸足" か "ボロ靴" で済ましているような "アンバランス" だからである。<br />　そして、現代社会は、あたかも "秀吉による刀狩り" のように人々から "自給自足" のための手段と能力とを召し上げておきながら、 "破局" に至っても到底必要なリカバリーができないと来たら、人々はあらゆる点、可能な限りの "自前力" に関心を向けておくしかないような気がするのである。<br />　庶民の "自前力" ・"自力救済" 力・"自給自足" 力なぞは、高が知れたものであることは疑う余地はない。ただ、今や、 "親方日の丸" だの "安全神話"だのという、見る見るうちに腐食劣化してしまった言葉などにとてもすがれる事態ではなさそうな気がする。<br />　社会や国家が何とかしてくれるという "妄信" からは漸次醒めるべし、か......　(2010.03.07）<br />]]>
    </content>
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<entry>
    <title>中高年・熟年の &quot;おカネを掛けない趣味&quot; デジタル・カメラ？ ......</title>
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    <published>2010-03-06T09:54:58Z</published>
    <updated>2010-03-06T09:57:30Z</updated>

    <summary>もうひとつ、注目すべき &quot;効用&quot; は、初対面の人とも &quot;会話が弾み易い&quot; という点であろうか。とかく、中高年・熟年の男性は、 &quot;見ず知らずの他人と容易に会話しない&quot; という &quot;鉄則&quot; (?)、 &quot;習性&quot; がお定まりなのかもしれない。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　まったく、この時季は気温の "乱高下" が激しい。その模様をＴＶが折れ線グラフで表示していた。まるで、不安定な株式相場の変動のようである。<br />　もともと、春先のこの時季は "三寒四温" と呼ばれる行きつ戻りつの気温変化があるわけだが、それにしても今年の変動は激しい。ニューヨークなどに何十年ぶりの大雪をもたらしている "北極寒気団" の、その特殊な動きが原因だとも聞く。やはり、地球温暖化現象が災いして、異常気象気味の現象が引き起こされているだろうか。<br />　今日の天候は、昨日が "春、真っ盛り" のような陽気であっただけに、何とも意気消沈させられる "冬戻り、戻り冬" と言った寒さである。<br /><br />　今日あたりはこんな寒さなので話は別だが、最近、陽射しがあって暖かい日には、いつものウォーキング・コースの川辺の遊歩道は、カメラを携えた中高年が目立つようになった。いずれも、カメラには思い思いの望遠レンズを装着して、いかにも "野鳥" （カワセミ）を撮りたいという一心が見え見えの光景である。<br />　昔は、 "カメラ" を趣味にすると "おカネが掛かる" と言われたりしたこともあった。カメラやレンズなどの機材自体が比較的高価であったし、また現像したり、プリント、そして引き伸ばしなどフィルム写真ならではの処理費用も馬鹿にならなかったからかもしれない。<br />　が、デジタル・カメラが主流となった現在では、事情が一変した。贅沢を言わなければ一眼レフカメラもさほど高くはないし、何よりもその後の処理が簡便である点、これがデジタル写真ならではのメリットであろう。撮ったものすべてをプリントせずとも、安直にデジタル画像で確認したり、楽しんだりできるからだ。<br /> ]]>
        <![CDATA[　こうなって来ると、中高年・熟年の "おカネを掛けない趣味" としては、持って来いなのではなかろうか。<br />　健康にとっても良いと言えそうだ。 "バード・ショット（野鳥撮り）" にしても、 "風景撮影" にしても、そこそこの重さの機材を背負って方々歩き回ることになるからだ。手ぶらで歩くというのは、今ひとつ単調かしれないが、 "撮影" という目的意識を持つと、結構、歩くモチベーションが高まるはずである。<br />　もうひとつ、注目すべき "効用" は、初対面の人とも "会話が弾み易い" という点であろうか。<br />　とかく、中高年・熟年の男性は、 "見ず知らずの他人と容易に会話しない" という "鉄則" (?)、 "習性" がお定まりなのかもしれない。自分にしてもそんな傾向は否定できない。<br />　だが、カメラが "間に挟まる" と、それがきっかけで自然な雰囲気で "会話が促進され" 、そんなことが重なると "カメラ友だち" とも言うべき間柄にもなり得る。パチンコ屋、飲み屋、競馬場などで知り合う間柄は、多少なりとも "要注意" なのかもしれないが、 "野鳥" （カワセミ）追っかけのアマチュア・カメラマンに対しては、まずまず警戒心を持つことはなさそうである。<br /><br />　こんな中高年・熟年男性の "カメラ道楽" も、やはり陽気が良くなくては始まらない。 "土門拳" やプロ・カメラマンじゃないんだから、 "手がかじかむ" 苦痛に耐えてまでシャッターに執着することはないわけだ。<br />　自分も、この春は、気分を晴らすためにもカメラを携えて春の風を味わいたいものだと思っている。カメラ・メーカー提供の写真関連ＴＶ番組に見入っていたら、無性に撮影意欲が刺激されたりしてしまった......　(2010.03.06）<br />]]>
    </content>
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    <title>低価格競争ではなくて、 &quot;品質向上競争&quot; とでも言う路線がリーズナブル！ ......</title>
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    <published>2010-03-05T09:31:15Z</published>
    <updated>2010-03-05T09:32:58Z</updated>

    <summary>こうした &quot;品質向上競争&quot; 路線こそが、この長引くデフレ不況の闇で、遠くにチラチラと見えて行く先を教える &quot;人家の灯(あか)り&quot; だということなのかもしれない......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　 "農産物直売所" は相変わらず盛況なようだ。<br />　その空気にあやかろうとしてか、自宅の近所の農家でも、玄関近くの庭の一角に簡易スタンドを作って、 "どれでも１００円" といった貼り紙でアピールして "にわか直売" に打って出たりしている。<br />　昨日のＴＶ番組であったか、この "農産物直売所" をまた報じていた。ちょいと関心を向けたのは、そのコンセプトが単に "安い" という視点から "美味しい！" という視点へと移行していることを伝えていたからであった。<br />　もともと、 "農産物直売所" のセールス・ポイントは、その値段の安さとともに、 "新鮮さ" という点にあったかと思う。やはり野菜は "新鮮" なものほど美味しくて価値があるからだ。<br />　が、その "新鮮さプラスα" が追求され始めているようなのである。生産者農家におけるちょっとした配慮と手間を掛けることで獲得される "プラスαの美味しさ" に目が向けられているというのである。<br /><br />　そして、この路線は "直売所" の管理方式によって支えられている、という点が注目に値すると思った。<br />　 "農産物直売所" の盛況さは、そこに農産物を展示販売しようとする農家の新規参入を促進するわけだ。それじゃぁ我が家も......、ということだ。<br />　しかし、供給者数が無闇に増えるならば、どこでも "ドロ沼化" している低価格競争に突っ込み、やがては "安かろう悪かろう" の轍を刻むことは目に見えていそうだ。<br />　そこで、とある "直売所" が知恵を絞ったシステムというのが、振るっていると思えたのである。それは、同一農産物の展示販売で、 "後続" として新規参入する者は、これまでのその "販売価格" 水準以下であってはならない、というのである。<br />　一見、新規参入を締め出すための非合理的な仕切りのようにも見えるが、その狙いは、 "後続" 参入者は "より高く評価される" 品質の良いものを携えて参入してください！　というメッセージなのだそうである。<br />　つまり、このシステムは、低価格競争ではなくて、 "品質向上競争" とでも言う路線を支援しようとしているわけである。これは、実にリーズナブルで "頷けるコンセプト" だと思えた。<br /> ]]>
        <![CDATA[　低価格な商品でなければ......、という消費者の苦境は百もわかる。と同時に、いくら生産・製造過程が合理化されようとも、やはり "安かろう悪かろう" の "滲み" のようなものは残り続ける。まして、価格水準帯が通念でのボトムにまで下降している昨今では、その "滲み" を度外視することは、消費者にとって却って危険であったりもする。<br />　また、低価格な商品を求めたとしても、消費者はより高品質、たとえば "少しでも美味しいもの" を諦めたわけではないはずだろう。<br />　この辺の事情をしっかりと読み込むことで、前述のシステムが考案されたのだと思える。しかも、 "直売" 方式なのだから、中間流通業者などによる "便乗値上げ" 的要素はいっさい無く、まさに買い手たる消費者の "品質吟味" がストレートに反映されると推測される。 "どこが１０円高い理由なの？" というレスポンスもあろうし、 "さすが、１０円高いだけのことはあるわ！" という背中を押すような反応もあるはずだ。<br /><br />　先日、ランチを何にしようかと迷った挙句、とある "おにぎり専門店" で調達することにした。そこは、 "産地直送米" を使い、その場で握ったものを販売していた。確かに、コンビニでの販売価格よりも高いことは高い。<br />　しかし、持ち帰る道すがらでも芳醇な "海苔の香り" が空腹を刺激したし、また、頬張った時のその "めし" の美味さが格別であり、こいつは "やみつき" になるかもしれないぞ、と感じたりした......。<br />　こうした "品質向上競争" 路線こそが、この長引くデフレ不況の闇で、遠くにチラチラと見えて行く先を教える "人家の灯(あか)り" だということなのかもしれない......　(2010.03.05）<br />]]>
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    <title> &quot;壊れたＰＣ&quot; の &quot;ＭＡＣアドレス&quot; と &quot;ライセンス解除&quot; の問題 ......</title>
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    <published>2010-03-03T15:25:15Z</published>
    <updated>2010-03-04T12:18:21Z</updated>

    <summary> &quot;ライセンス&quot; を &quot;現行使用中&quot; でそのＰＣが &quot;逝ってしまった&quot; ら、ユーザー側は &quot;ライセンス解除&quot; をしていないのであるから、その権利の復活をベンダー側に申請できない、つまり、 &quot;自己責任&quot; としてむざむざ諦めなければならないわけなのである。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[　今どき、ＰＣが壊れたと言って騒ぐことはない。そこそこ使える低価格ＰＣはいくらでもあるからだ。<br />　しかし、留意しなければならないことも無くはない。そんなことに遭遇してしまった。<br />　かなり使い込んだＰＣならば、いわば "耐用年数" が過ぎたのだと思って諦めざるを得ないだろう。貴重なデータさえキープされていれば、 手間とコストは掛かるが、"新規購入ＰＣ" に "再設定" を施したり、常用アプリケーション・ソフトを "再インストール" すればそれで一応済みそうである。<br />　後は、個人データなどを残さないように処理して、壊れＰＣを処分すればよさそうな気もする<br /><br />　が、 "問題が残る" 場合もあり得る、ということなのだ。<br />　昨今の "アプリケーション・ソフト" は、その "使用権" を "ライセンス" として扱うのが一般的だ。かつてのように、 "ソフトＣＤ" を購入すれば、何台もの複数ＰＣにもインストールして流用するわけには行かないものも増えている。<br />　また、よりバリューのある "アプリ" であれば、Windowsの "ＯＳ" と同様に、 "オンラインでの認証" を要求したり、その上でその "複数制限数" を "２台、３台" までと制限する場合もある。<br />　自分が利用している "Ｗｅｂサイト構築ソフト" や "ウイルス対策ソフト" などもこうした "制約" が条件となっている。<br />　その際、ソフトベンダー側での "監視手段" としては、ユーザー側のＰＣハードの、言ってみれば固有のＩＤである "ＭＡＣアドレス" （ネットワークアダプタ（LANカード）に設定されている固有の番号で、OSによって Ethernet Address、アダプタアドレス、Physical Address とも呼ばれる）というものを掌握するようである。昨今のＰＣでの "ネットワークアダプタ" はマザーボードと一体化している場合が多いので、いわばＰＣ判別の "ＤＮＡ" に相当しそうである。<br /> ]]>
        <![CDATA[　ところで、ベンダー側もユーザーの不便さを最小限に抑えようという配慮もしており、仮に "２台" までとされている場合、さらに別なＰＣ上でその "アプリ" が使いたい場合には、現行使用中の一台をオンラインで "ライセンス解除" すればＯＫという仕組みを採っていたりする。<br />　が "問題" はここなのである。つまり、 "ライセンス" を "現行使用中" でそのＰＣが "逝ってしまった" ら、ユーザー側は "ライセンス解除" をしていないのであるから、その権利の復活をベンダー側に申請できない、つまり、 "自己責任" としてむざむざ諦めなければならないわけなのである。この辺はまさに "ビジネスライク" であるが、多分それ以外に合理的な "交通整理" はないのかもしれない。<br /><br />　ということで、今回、このケースが "他人事" ではなくなってしまったのである。<br />　当該ＰＣの "死因" は、 "電源ボックス" のクラッシュということで、いわば "臓器移植" ふうに新たな "電源ボックス" を挿げ替えてやらなければならなかった。しかし、当該ＰＣは、いわゆる "ピザパイ型" の薄型デスクトップであり、しかもやや古くなっていた。同等のパーツを入手するのはかなり困難であり、また、そこまで苦労して "蘇生手術" をするのも憚(はばか)られた。<br />　要は、もう一度だけ "息を吹き返し(?)" て、ＰＣ機能が立ち上がり、 "遺言" 証言ならぬ、 "ライセンス解除" 処理さえ済ましてくれれば......、と実にハードボイルドなことを願ったのである。<br />　で、挙句の果てに思い至ったのが、他のＰＣ（タワー型ＰＣ）の "電源ボックス" を一時取り外して、当該ＰＣのマザーボードに暫定的に電力供給をしたのだった。いささか面倒な作業ではあったが、それでＰＣは立ち上がり、問題の "アプリケーション・ソフト" も稼動し、 "ライセンス解除" 処理のウィザード画面も表れ、 "解除しちゃる！" とばかりにクリックしたのである。<br />　これで、他のＰＣにおいて "ライセンス認証" が受けられることになり、先ずは "ひとつの悔しさを撲滅した" というわけであった。些細と言えば些細なことに、 "悔しがる" 自分が、何とも "悔しい" と思わないわけでもなかったが......　(2010.03.04）<br />]]>
    </content>
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    <title>「国家の心意気」なんぞよりもアスリートたちの &quot;柔軟な心意気&quot; こそ ......</title>
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    <published>2010-03-03T04:52:33Z</published>
    <updated>2010-03-03T04:59:49Z</updated>

    <summary>世界中のオリンピック観戦者たちに、清々しい＜白い思い出＞を刻んでくれたオリンピック・アスリートたちの &quot;柔軟な心意気&quot; 。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[<p> 　 "バンクーバー五輪" がつつがなく終了し、ＴＶ放送も静かになった。<br />
　が、＜白い思い出＞を "無粋(ぶすい)" に融かすかのように騒いでおられる面々もいる。やはり、 "ちょっと違うんじゃないの！？" と横槍を入れてみたくもなる。いずれも、 "無粋" さの根底には "国粋(こくすい)" （その国家・国民に固有の、精神上・物質上の長所や美点）に執着するかのような心根が透けて見えるようだ。<br />
　ナチスに "利用" された時代のオリンピックイベントならいざ知らず、グローバリズム現代のオリンピックにあっては、 "国家" の影は "背景色" 位に落ち着いていいように思えるが......。<br />
　その一つが、 "ロシア" の動きだ。 "やっぱり、そう来るのか" なぁ、という思いであった。</p>]]>
        <![CDATA[<p>＜【モスクワ＝星井麻紀】「バンクーバー冬季五輪の準備責任者は、今すぐ責任をとれ」――。ロシアのメドベージェフ大統領は１日、金メダル３個という記録的な不振に終わったロシアの五輪代表選手団に強い不満を表明した。<br />
　メドベージェフ氏は、与党「統一ロシア」の指導者との会合で「責任者は勇気を持って決断し辞表を書くべきだ。できないなら手助けする」と更迭も示唆。成績不振については、長くソ連時代の遺産にあぐらをかいてきたせいだとし、「抜本的な訓練体制の変革が必要だ。責任者は億万長者のような役人ではだめだ」と汚職のうわさが絶えないスポーツ当局者を非難した。<br />
　バンクーバー五輪でロシアの金メダル獲得数は１１位で過去最低だった。 ＞（<a href="  http://www.asahi.com/olympics/news/TKY201003020110.html?5 target="_blank"> 朝日新聞 「五輪不振でロシア大統領激怒『責任者は辞表書くべき』」 </a> ）</p>

<p>　この記事には、以下のような "Ｐ.Ｓ." (追伸)報道までくっ付いて来たので、さらに "無粋" さが極まれり、というところか......。</p>

<p>＜【モスクワ＝星井麻紀】バンクーバー冬季五輪でのロシアの成績不振で、更迭も取りざたされるロシアのムトコ・スポーツ観光青年相は２日、「私のせいだというなら、おとなしく辞任する。だが、それで勝てるようになるのか」と、強気の構えを見せた。<br />
　バンクーバーから帰国したムトコ氏は、モスクワの空港で記者団に「五輪の結果は失敗ではなく客観的事実だ。具体的に誰のせいということはない」と自らの責任を否定。ロシア勢が盛り返すには６～８年かかるとし、自身が手がける２０２０年までの選手強化プログラムを継続するべきだと主張した。<br />
　ロシアは金メダルの国別獲得順位で１１位に終わり、メドベージェフ大統領は１日、関係者の辞任を求めていた。 ＞（  <a href="http://www.asahi.com/international/update/0303/TKY201003020520.html" target="_blank"> 朝日新聞 「『辞めたら勝てる？』五輪不振のロシアスポーツ相逆ギレ」 </a> ）</p>

<p>　＜白い思い出＞を融かしたり、汚したりする、そんな "無粋" さは、 "他国の話" だけかと思いきや、何と何と、国内にもそうした方がおられた。</p>

<p>＜......▼「銅を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」。東京都知事の石原慎太郎さんは、ご本人言うところの惨敗にあきれ、「国家の心意気」を求める。「国家という重いものを背負わない人間が、いい成績を出せるわけがない」と......＞（  <a href="http://www.asahi.com/paper/column.html" target="_blank"> 朝日新聞 「天声人語」2010年3月3日（水）付 </a> ）</p>

<p>　自分なんぞは、思わず、これは "都庁" の "都知事" によるご発言というよりも、どこにでもいそうな "横丁" の時代錯誤気味の "じじ(爺)" による、いつもの "大言壮語" かと受けとめてしまったものだ。<br />
　＜国家という重いものを背負う＞、それもこの際良しとしよう。ただ、＜だが、それで勝てるようになるのか＞と皮肉を込めて言い添えておくべきであろう......。</p>

<p>＜......▼ロシア代表としてフィギュアのペアに出た川口悠子さんは、日本国籍を捨ててまで夢を追った。「日本のためとか、ロシアのためではなく、自分が好きだから滑っています」と話すのをテレビで見て、爽快（そうかい）だった......＞（同上「天声人語」）<br />
　これが、世界中のオリンピック観戦者たちに、清々しい＜白い思い出＞を刻んでくれたオリンピック・アスリートたちの "柔軟な心意気" じゃないのかなぁ......　(2010.03.03）</p>]]>
    </content>
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    <title>大震災のような巨大災害時での &quot;ケータイ&quot; と &quot;アマチュア無線、ＨＡＭ&quot; ......</title>
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    <published>2010-03-02T12:02:41Z</published>
    <updated>2010-03-02T12:04:35Z</updated>

    <summary>他の &quot;ライフライン&quot; の確保も言うまでもなく重要なことである。が、時間を争う支援と復旧の活動に、いわば &quot;レバレッジ的効果&quot; を期するには、やはり何といっても &quot;非常時通信&quot; 手段とその体制を早急に立ち上げることであろう。そして、それは偏に &quot;平常時での備え&quot; に掛かっていそうである......。</summary>
    <author>
        <name>yasuo hirose</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://adhocrat.net/adhocblog/">
        <![CDATA[<p> 　 "チリ大地震" は復旧もままならぬかたちで、刻一刻と過ぎる時間とともに被災者数が膨れ上がっているようだ。巨大地震の災害規模というのは、通信網が寸断されるだけに、深刻な状況がなかなか掴みづらく、そして伝わりにくい。<br />
　チリの現地ではもちろん苦痛、苦悩が頂点に達していることだろうが、遠く離れた国々で暮らすチリ出身者や関係者たちの不安や心配も、この "音信不通" 状態では計り知れないものがありそうだ。<br />
　ちなみに、ちょうど一年前に、我が家で "救命" した子猫、 "ミミ" を貰ってくれたご家族のご主人がチリの出身者だったそうだ。しかも、しばしばＴＶ報道で登場するコンセプシオン出身だとか。<br />
　家内が何気なくそのことを思い起こしたのである。それで、その奥さんにメールをしたところ、やはり現地と電話が通じなくて、親戚・友人・知人の安否を大変気遣っておられるとのことであった。</p>

<p>　去年の今頃はケータイのメールで、その後の "ミミ" の様子などが写真添付で送られてきたりしていた。どこにでもありそうなケータイ・メールを通じた手軽なコミュニケーションである。<br />
　自分は、もともとケータイやケータイ・メールを活用する方ではなく、この方がめずらしい位に、もはやこの便利なツールは一般的となっている。いや、ケータイはこの現代の日常生活にとっては不可欠だというステイタスさえ獲得していそうだ。<br />
　だが、ケータイという便利な通信ツールは、 "巨大なＩＴインフラ" に浮かぶ木の葉のようなものであり、もしその "インフラ" が中枢部の機能麻痺に陥ったとしたら、目も当てられない事態が引き起こされるわけであろう。<br />
　現に、 "チリ大地震" ではそうした "インフラ" が壊滅的に崩壊した模様であり、パーソナルな日常的コミュニケーション不能どころか、重要な社会的機能を麻痺させる結果となっているようだ。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　こんな文脈でふと思い至るのが、 "アマチュア無線、ＨＡＭ" なのかもしれない。<br />
　実際、あの "阪神・淡路大震災" の際には、 "ボランティア活動" が一定の成果を挙げたと報告されている。</p>

<p>＜震災時のように、被災者に対する緊急のヒト・モノの適切や援助が必要な時には、とりわけ迅速な情報伝達の意義は大きい。しかし先の阪神・淡路大震災において、情報通信ネットワークの物理的被害に加えて被災地への電話などの殺到から、情報通信の大規模な輻輳が生じた。このようなときに非常時通信において少なくない貢献を果たしたのがアマチュア無線によるボランティア活動であった。郵政省などの報告書｢2｣においても、「非常時におけるアマチュア無線の有効活用を図るため、アマチュア無線のボランティアという性格に配慮しつつ、その組織など体制の整備について検討する必要がある」と指摘している。......<br />
　阪神・淡路大震災に際し、ＪＡＲＬ、ＪＡＩＡ、郵政省の３者で協議し、郵政省は非常通信のための免許手続きを簡略化し、ＪＡＩＡは無線機を提供し、ＪＡＲＬがそれを被災地に配ってボランティアの募集を行った。１月17日震災の１週間後から４月15日までの間、1000人以上のハム、15以上のグループが活動した。活動は、全非常無線局の統括と活動報告の集中・アナウンス、被災地に殺到した緊急物資の配送通信サポート、被災者への情報提供、各地から集まったボランティア同士の通信支援などにわたって行われた[3]。......<br />
　震災時におけるアマチュア無線ボランティアの経験は、本来このようなときこそその機能を遺憾なく発揮すべき携帯電話などが機能せず、日常の通信手段としては副次的役割であったアマチュア無線という媒体がクローズアップされたことに加え、こうしたメディアを介してつながった意欲的な個人のネットが、震災時という緊急事態に対して有効に機能したことを物語っている。その意味でこれらの活動は、アマチュア無線従事者たちが情報社会の中での有効なボランティアの一つのあり方を身体で経験し、社会一般に対しても一つのモデルを提起した意義を持っている。＞（<a href="http://aurum.cs.inf.shizuoka.ac.jp/tao/resia7_fujii.pdf" target="_blank"> 「阪神・淡路大震災における非常通信の機能―ＪＡＲＬ兵庫県支部の活動記録より―」</a>）</p>

<p>　とにかく、日頃、当たり前のことだと感じている "情報通信網" が、いざという災害時には "無効" となる可能性が十分に潜伏しているわけだ。<br />
　他の "ライフライン" の確保も言うまでもなく重要なことである。が、時間を争う支援と復旧の活動に、いわば "レバレッジ的効果" を期するには、やはり何といっても "非常時通信" 手段とその体制を早急に立ち上げることであろう。そして、それは偏に "平常時での備え" に掛かっていそうである......　(2010.03.02）<br />
</p>]]>
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