科学一般 の最近のブログ記事

 次々に公表される巨大地震の "想定震度・津波" に関する破格の数値! 余りにも "想定外" の巨大な規模に対して、正直言って "茫然自失" の心境とさせられる。
 今回は、下記引用記事:南海トラフ」地震・津波の新想定/NHK NEWS WEB/2012.03.31 のとおり、「南海トラフ」に関するものだ。

<従来の国の想定の2倍近い680余りの市町村で震度6弱以上の激しい揺れが想定されているほか、四国などの23の市町村では、20メートル以上の巨大な津波が想定されています。>

とある。また、<なぜ津波想定は高くなったのか>については、<去年3月の巨大地震の最新の調査などに基づいて、津波発生についての考え方が大きく見直されたため>とされている。
 この結果、<高知県で30メートルを超える巨大な津波が予想>され、しかも、東日本大震災との違いは、大きな津波が早いところでは2分から3分で到達するという不気味な予想まで加わっている点であろうか。

 今はまさに "茫然自失" とならざるを得ないが、もし "想定された規模" で見舞われたならば、ほぼ確実に "国の存亡" に関わる事態と言うほかない。想定規模の地域差に関わらず、国を挙げての事前対策が早急に着手されなければならない......。


















FeBe


 一年を経た "3.11" の日に寄せられた人々の思いは、被災者への心からの追悼であり、一刻も早く復旧・復興が進められることへの熱い願いであった。一昨日、3月11日に国内各地で繰り広げられたさまざまなイベントからはそうした情感がひしひしと伝わって来るようであった。
 そうした空気の中で改めて思い起こされた点は数々ある。だが、あえて絞り込むならば、もはやこの国この社会にとって、"巨大地震" は決して過ぎ去った不幸であるどころか、"目前" に迫っている "不気味な可能性" だという点ではなかろうか。

 "不吉" なことを口にするのは憚られもするが、余りにもその被害が甚大でありそうなためか、ひょっとしたら "タブー視" されたりしてはいないか......、という危惧の念が立ち上がる......。
 過(よぎ)る不安を打ち消し難いのは、言うまでもなく "首都直下地震" のことなのである。もし、最悪のケースとなれば首都機能は維持できるか(下記引用サイト記事:首都直下地震:震度7を予想...「6強」見直し 文科省/毎日jp/2012.03.07 )という信じ難い事態が視野に入っても来るとかである......。

 同記事では、この "首都直下地震" の "想定規模" に関して、"好ましからざる新事実" が発覚したことを伝えているわけだ。
 これをどう受けとめるかは、種々あり得るはずだ。一つの試算に過ぎない。......予測は不可能だ。>と見なすことももちろんあり得る......。
 だが、われわれは、東日本大震災で定説に依拠する危うさ、最悪の条件に備える必要性を学んだはずではなかったか......。

 "理性と感情" とを比較する議論は随分と古くから、様々なかたちで行われて来たはずだ。だから、"今さら......" という印象が拭い切れないテーマでもある。
 そうした "感情" について、いつも "科学的検証" の上での興味深い記事を提供し続けている "WIRED JAPANESE EDITON" が、感情が「理性より賢い」とき/WIRED JAPANESE EDITON - SCIENCE/2012.03.06 という表題の記事( 下記引用サイト記事参照 )を掲載していた。

 この種の記事には常々関心を向けてきた自分ではあるが、やや "食傷気味" な感触がないわけでもなかった。
 で、思いを巡られたのは、"今、何故、感情なのか?" という文脈についてであった。
 すぐに思い当たった点は、われわれの時代環境がますます "情報過多" の様相を強め、そこで生きるわれわれがその "情報処理" で日々右往左往させられている現状である。
 しかも、その "情報処理" ではのんびりと "理性的" に構える時間的ゆとりも許されていないかのようなので、何かスピーディな "情報処理方法" がないかと思案する......。
 振り返れば、コンピュータ操作における "アイコン" 操作方式に見られるごとく、昨今、デジタル処理操作では、"直観的" 操作という処し方が一般化している。"感覚的" 対応が果たす "スピーディさ" への着目だと言うべきか......。
 どうも、"情報処理" 操作におけるこの "スピーディさ" への要請が、今、アナロジカルに "感情" という働きに着目させている理由ではないか......、と。

もとより、"感情" に根差す "直観"(「感情によるお告げ効果」(emotional oracle effect)) を働かせて、瞬時に "判断"("情報処理" )してしまう方式は、昔から馴染みのある処理方式であった。
 ただ、"感情" に根差す "直観" は、"ヤマカン" に代表されるごとく、如何にも危うさ、信頼性の乏しさが付きまとう。もし、説得性のある "科学的根拠" が伴うならば、"感情" に根差す "直観" ほど "現代スピード時代" に適合した "情報処理" 方式はないはずだ......。
 こうした事情が、今、"感情" という、人間に古くから備わっていた "情報処理装置" の問題に、光を投射している理由のように思えたのである。
 この辺の勘繰りがあながち不当でもなさそうなことは、下記引用記事を精読するならば了解できるのではなかろうか。

 ところで、"今、何故、感情なのか?" という点で目を向けてみたい文脈がある。それは、今や時代環境の一大トピックス化した "ソーシャルメディア" との関係である。
 もっとも、"ソーシャルメディア" もまた、"情報過多" 環境とスピーディな "情報処理方法" の模索という状況下で普及したものであることを考えれば、無縁であるはずがない。
 ただ、それ以上に、"共感" という要素の比重が高い "ソーシャルメディア" は、"感情" と深い親和関係を持っていると思われる。

 ◆ 参照 "YouTube"サイトのプレゼン動画:"Social Media Revolution"が説得力ある理由!( 当誌 2011.12.04 ) ex. "感情の共有"!
 ◆ 参照 <人気動画が拡散する理由>人々は事実の共有より感情を共有(連帯感)したがる?! ( 当誌 2011.08.27 ) ex. 「われわれは、事実を共有したいというより、感情を共有したいのだ。」
 ◆ 参照 やはりインスタントメッセージよりも直接会話が!Socialメディア考察にヒント!?( 当誌 2012.01.17 ) ex. 母が何を言ったかということよりも、母の声自体(韻律学として認知されてきたトーンやイントネーション、リズムなど)に、癒し効果がある

 この辺の問題は、 "言葉によるソーシャルと感情によるソーシャル" というテーマなどさらに "深み" がありそうなので、稿を改めて考察したい。

 感覚的、経験的には "周知の事実" ながら、今一つ "公言" するのが憚(はばか)られた事実! その事実とは、<「金持ちになるほど、ズルくなる」>人は多くの富を手に入れるほど、そして社会的地位が高くなるほど、倫理に反する行いをする傾向が強まる<「社会で恵まれた立ち場にいる人物には、無意識に他人を無礼に扱う心理的傾向が見られる」>( 下記引用サイト記事:「金持ちになるほど、ズルくなる」:実験結果/WIRED JAPANESE EDITON - SCIENCE/2012.03.01 )などであったに違いない。

 どうしても、こうした事実を声高に表明すると、"負け犬の遠吠え" や "ごまめの歯軋り" と聞こえてしまうからだ。まして、"自由競争" と "自己責任" とが過剰に強調されるご時世にあってはなおさらのことであろう。
 そして、悶々とした気分が募り、悔しい独白 『ズルや非道でもしなきゃ、儲かりっこない世の中じゃないの......』 の響きが胸の内で共鳴する......。

 超格差社会を糾弾する "ウォール街占拠" 運動が巻き起こったからだろうか、米国でも富や階級をめぐる緊張感はかつてなかったほど高まっており、「貪欲であることはいいことで、誰よりも裕福なことは美徳か?」などの論争が巻き起こっているらしい。
 そして、そんな状況だからなのであろう、そうした答えることが難しいこうした社会的疑問に対し、Piff氏や同僚らは科学的方法を使って答えを見つけ出そうとしたのがこのレポートのようである。

 ひとつ気になったのは、"因果関係" についてだ。
 「金持ちになるほど、ズルくなる」と表現すれば、"ズルくなる" のは、"金持ちになった" その結果であるようにも受けとめられる。
 しかし、実情は "ズルくなる" ことで "金持ちになった" というのが妥当だという気がしないでもない......。
 競争心、自分の利害、自分の安寧を優先する意識など>によって "富や地位" を手に入れた、と見る方が自然ではないかと......。やっぱり、"負け犬の遠吠え" の響きがまとわりついてしまうか......

 下記引用サイト記事: 時系列で見た「2011年の地震」:動画/WIRED JAPANESE EDITON - SCIENCE/2012.02.07 で紹介されている 動画 を観るならば、「見ざる、聞かざる、言わざる」の "人生観" がメルトダウンしてしまいそうだ......。

 もはやこの世界に "あり得ないこと"( the impossible )は無くなったと作家・辺見庸が語っていた( c.f. 私にとっての"3.11"「作家・辺見庸」(こころの時代~宗教・人生~ シリーズ)/NHK 番組表/2012.02.04 13:00~14:00 )のを思い起こす。
 "あり得ないこと" 自体が "あり得ない!" ということを、"3.11" の悲劇的事実はわれわれに知らしめた。だが、それでも "知らんぷり" を決め込む "鈍感さ" に、このビジュアルなメディアは、静かに迫ってくるかのようだ。
 
 勝手に信じ込んできた "平穏な日常"( c.f. 「終わりなき日常」宮台真司 )自体を、自身の頭と感性でじっくりと再吟味してみることが迫られているかのような気がしている......。
 いつも "誰か任せ" となり、"いいとこ取り" さながらに振舞いつつ "気休め" に終始してきた、そんなライフスタイルが、徐々にメルトダウンしていることを、この動画は淡々と語っている......。

 最近、"Windows" から "Mac" へと "乗り換える(?)" PCユーザーが増えているとも聞く。"iPhone,iPod touch,iPad" という Apple デバイスが人気を博しているからであろうか。
 自分も、"乗り換え" とまではゆかないが、"Mac" PC( "iMac" )に親しむ頻度が増えてきた。きっかけは、例の Apple による "電子教科書" 作成無料ソフト:"iBooks Auther" のリリースである。

 ◆参照 "iPad 1"では残念にもレビューできない"Life on Earth"?! 注目のiBook2教科書! ( 当誌 2012.01.26 )
 ◆参照 米Apple社:"iBooks Auther(& iBooks2)"は"電子教科書"へのジョブズ氏の"遺志"!( 当誌 2012.01.22 )

 いざその気になって "iMac" を操作し始めると、"Windows" 操作ほどの慣れはなくとも、実に直観的に操作し易いこと、万事が "粋(スマート)" であることに気を良くしてしまう。こんなことならもっと早くから馴染んでおくべきだったと後悔するほどだ。
 しかも、昨今では、"Windows" で使っていた "アプリ" の多くに "Mac版" が登場し、それらを利用するならば "アプリ" ノウハウが活かされるのも有難い。

 "ソーシャルメディア" を素材としながら、人と人との "つながり" についていろいろと考えさせられている昨今である。
 人間に "つながる" ことへの "欲求" が存在することは疑いようがない。だが、単に "つながる" ことだけをターゲットとしていて済むのであろうか? 人と人との "つながり" の意味を知ることによって、人と人との "つながり" は、さらに鮮やかな輝きを増すのではなかろうか......。

 今、人々の関心を集めている "ソーシャルメディア" も、人と人との "つながり" が秘めた根源的な意味、それが納得できるようになれば、かなり趣きが異なってくるのではないか、とも思われるわけだ。
 その人と人との "つながり" が秘めた根源的な意味の理解に関して、非常に説得力のある感動的なコンテンツに接することができた。
 NHK 番組『ヒューマン なぜ人間になれたのか 第1集 旅はアフリカからはじまった』(2012年1月22日(日) 午後9時00分~9時54分 総合テレビ)がそれである。(【 ※ 注 】)
 以下、自分なりに了解したこの番組内容をレビューしてみたい。

【 ※ 注 】

ヒューマン なぜ人間になれたのか 第1集 旅はアフリカからはじまった

人間とは何か。人間を人間たらしめていているものは何か。私たちの誰もが内に秘めている"人間らしさ"の起源を20万年という人類史のなかに探るシリーズ(全4回)。
第1回は全人類のふるさとアフリカが舞台。アフリカでは今、人類史を塗り替える発見が相次いでいる。その最たるものが南アフリカで見つかった人類最古の装身具。貝殻で作られた首飾りで「仲間」であること示す身分証のようなものだったと考えられている。祖先たちが暮らしていたアフリカの草原は常に危機と隣り合わせだった。肉食獣の脅威、食糧不足・・・。そうした過酷な環境で生き抜くには互いに協力しあい、「絆」を確認しあうことが不可欠だったのだ。しかし自然は容赦なく祖先たちを追い詰めた。7万4千年前に起きた火山の大噴火。食料が激減し、人類は絶滅の淵に追いやられる。ところが最新の考古学調査では意外な実態が分かってきた。小さな血縁集団で生きていたはずの祖先たちが、大噴火を境に遠く離れた集団と資源を交換し合うようになったのだ。未曽有の危機を前に赤の他人とも協力し合う。現代にも通じる人間らしさがこの時から発揮されたのだ。
震災からまもなく1年。「ともに生きる」という人間集団の基本が確立した過程をたどっていく。>
ヒューマン なぜ人間になれたのか 第1集 旅はアフリカからはじまった(2012年1月22日(日) 午後9時00分~9時54分 総合テレビ)/NHK ONLINE


 新年おめでとうございます!
 年明け初回のテーマが "ソーシャルメディア" に関する "建設的!" なものとなったことに幾分安堵しているところです。
 今回レビューすべく引用したサイト記事は、下記のとおり<「ソーシャルメディアがもたらす、科学報道の変化とは!?」>です。
 一言で印象を言えば、"ソーシャルメディアの社会的役割" に関する視野を広げられたとの感があり、至るところに現代が抱える重要な問題に対する指摘と示唆があり、非常に読み応えのある記事であったと思います。(引用記事の圧縮、省略を試みたものの、いずれも捨て難く思え、長い引用となってしまいました......)
 別に "新年増大号" というつもりなぞないにもかかわらず、大きなボリューム(?)となってしまったのはそんなことに由来しています。

 昨年は、"大震災"、"原発事故"、"大規模自然災害" などが衆目を集め、その都度、社会問題へと発展した事態について理解することが、科学技術の情報や報道なくしては不可能であることを嫌と言うほど知らされた思いがします。
 つまり、科学技術が関わる社会問題 が多発し、事態が複雑になっていたわけです。言い換えれば、問題解決に当たって、科学技術という 專門知と市民の知 とが、どうジャーナリズムを通して "橋渡し" されるのか、それが焦点となっていたとも言えそうです。恐らくこの点は、今後ますます浮上し、表面化していくことが予想されるため見過ごすことができない課題かと思われます。

 また、その "橋渡し" が何のためかと振り返れば、言うまでもなく問題解決のためであり、さらにその問題解決のためには 「社会がいま議論すべきこと」 (=アジェンダ、議題 )を妥当な道筋で定めなければならないからだと言えます。
 一般的に、いろいろな問題解決に当たっては、"どう解決するのか?" が重要であることかは自明ですが、その前に注意が向けられるべきなのは、"何を解決するのか?/何が問題なのか?/何が議題とされるべきなのか?"(=アジェンダ、議題 )だと考えられています。

 ただし、それは必ずしも単純なことではなさそうであり、従来は、マスメディアなどによって "トップダウン型" で定められるアジェンダセッティング、議題設定 がなされて来たと言われています。
 しかし、これは問題含みだと見なされてきました。一般市民の理解からかけ離れた 專門知 が "独り歩き" する傾向に加えて、"一方通行" の弊害を持つ "トップダウン型" の アジェンダセッティング、議題設定 によってジャーナリズムの報道がなされる時、一体どういう状況になるかについては、われわれが何度も見聞して来たことかと思われます。一般市民が "蚊帳の外!" に置かれるという状況かと思われます。

 ところが今、マスメディアに加えて "ソーシャルメディア" が登場し、それとともに アジェンダ、議題 を "ボトムアップ型" で定めていく一翼が付け加わったという構図が出来上がりつつあるわけです。下記引用記事にもあるとおり、現に、今回の大震災時には、その活動と影響力とが発揮されたとされています。
 そしてこの構図が充実するならば アジェンダビルディング(議題構築) と呼ばれるものが実現されるであろう、と。
<ソーシャルメディアが出現してきたことで、マスメディアと市民が協働して議題を構築できるようになってきた。これをアジェンダビルディング(議題構築)と言います>

 このように、 "ソーシャルメディア" という新しいメディアが、科学技術と社会とを橋渡しして、繋ぐところの新しいジャーナリズムが形成される上で、重要な役割を果たすであろうと期待されているのです。
 なお、こうした構図の実現には、決して単純ではない諸々の問題が絡んでいること、それらについても、この記事では丹念に言及されています。
 以下、この記事の骨子を6点ほどリストアップすることで、それらに目を向けておくことにします。

1.アジェンダセッティング、議題設定「社会がいま議論すべきこと」......アジェンダセッティング、議題設定アジェンダビルディング(議題構築)

2.科学的な情報がソーシャルメディアでどう扱われているか=最終的にアジェンダビルディングに繋げていくかという問題

3.專門知と市民の知をどうアジェンダビルディングしていくかサイエンス・メディア・センター(SMC)......サイエンス・アラート研究者データベース

4.社会のなかで経済的な独立性と持続性をもつこと「持続可能なジャーナリズム・ビジネスモデル調査(Mapping and Understanding Sustainable Business Model for Journalism)」

5.(ウィキリークス)集合知だけではなかなか「社会のアジェンダ」を作るまでは行き着かない専従ジャーナリストの活動が必要資金的に自立、寄付活用の仕組み

6.科学とジャーナリズム、そしてインターネット
 科学は集合知によって積み上げていく仕組みを作ったけれど、科学以外の社会の意思を反映する仕組みを欠いたまま、ジャーナリズムは科学ほど方法論を熟成できないまま......結果として現代のように混乱
 インターネットは、両者を含む仕組みを持つため、ネットが議論の仲介者となりうる可能性あり

 なお、以下にこのサイト記事を引用します。

 人間は理性的である反面、度し難い "非合理性" を秘めている点は、日々報じられる不祥事のニュースに接していると嫌でもよく分かるものだ。と言って、自身が仕出かす "非合理" な行動には中々気づけないのもまた人間の非合理性の表れなのかもしれない。
 下記の引用記事のとおり、結局、<われわれは自分で信じたいほど合理的な存在ではない>であるし、<われわれは、つまずく原因を知っていてもなお、転んでしまうようにできている>、そんな存在のようである。
 こうした "非合理性" をもたらすのは、<自信過剰バイアス>などの様々な "バイアスや盲点" が潜伏している(ビルトイン?されている)からだそうだが、困ったことに、これらは<人間の愚かさの症状ではない。それらは人間性の本質的な要素であり、長い進化を遂げてきた脳が持つ、避けがたい副作用といえる。>もの、<このような習性は事実上、修正不可能>と見なされる......。

 こうなると、"打つ手" はないかのようでもある。
 しかし、ふと振り返ってみると、様々な "バイアスや盲点" が威力を発揮してしまう状況というのは、"振り込め詐欺" を例に挙げるまでもなく、個々人が閉ざされた "孤立" 環境でいろいろな情報を処理して対応する場合に目立つのではなかろうか。
 閉ざされ "孤立" した環境では、情報に対する判断が頼るものは自身の思考の習慣・習性以外にはないだけにそうなりがちなのかもしれない。

 また、一般的に<人間は情報を丹念に評価したり、関連のある統計データを調べたりしない。>という、そんな日常の情報処理姿勢にも少なからぬ問題がありそうだ
 たまたま、昨日は以下のようなことを書いた。

<もちろん自身もそうであるが、現代の環境に慣れ過ぎたわれわれは、"情報" の獲得にあくせくし、それが叶えば一件落着、事足れりとなってしまいがちだ。"情報" 自体の真偽や、いやそれ以前にその "情報" の意味そのものが "理解=納得" できているのかどうかは、無意識にスルーされてしまっているかのようである......。>"バイラル・ループ"をも駆動するソーシャルメディア!平凡ながら正攻法伝播力!( 当誌 2011.11.02 )

 <検索主義的ネット環境>下では、このような "習性" が身についてしまうばかりか、助長されさえするかのようだ。

 こうした実情を思い浮かべる時、いささか唐突かもしれないが、"ソーシャルメディア" がこうした状況への "解毒剤"(チェッカー?)になりそうか......、と思ったりする。
 いや、"ソーシャルメディア" のユーザーたちの "「社会とつながりたい」" という思いの中には、目まぐるしく飛び交う情報群を目の当たりにして、"孤立" と "丸腰" の状態では余りにも不安に過ぎるとする感覚が働いているに違いなかろう
 思えば、生活現場での身の回りに様々な "リアルなコミュニティ" (家族・地域社会など)がアクティブであったかつての時代環境では、想像できなかった "個々人の孤立化" 状況( "無縁社会!" )が、現状では当たり前のようになってしまった......。
 こうした "孤立化" 状況は、 "孤独感・寂しさ" という人間の感情を生み出すが、それ以前に、情報認識やそれに基づく対応という次元での "ヒューマン・エラー" を引き起こしがちだという問題がさらに要注意だと思われる。
 現状の"ソーシャルメディア" が、果たして、人間が閉ざされ "孤立" した環境で増幅させがちな<自信過剰バイアスや盲点>を抑制しているかどうかは分からない。だが、かつてのコミュニティの "疑似代替物" としての機能を果たす、あるいはその可能性を十分に備えた空間であることは間違いなさそうだ。


 現在、国内には1000万人以上、1300万人とも言われる程多数に上る "糖尿病患者" がいると推定されている。
 要するに、その多くが "生活習慣病" としての "2型糖尿病" だと見られている。折しも、"生活習慣病" については、それを裏付けるかのような最新ニュースも目に付く。

―――― 一日の歩数、男性1千歩減 健康課題9項目悪化

 1997年と09年の国民健康・栄養調査などの結果を比較すると、日常生活での歩数の1日平均(15歳以上)が、男性は8202歩から7243歩に、女性は7282歩から6431歩に減った。背景には、エレベーターやエスカレーターなどが増えたことがあるとみている。......>
一日の歩数、男性1千歩減 健康課題9項目悪化 厚労省/asahi.com/2011.10.08

 その多くが "生活習慣病" であり、また自覚症状も無いことから "糖尿病" はややもすればおざなりにされ易い。しかし、怖いのは "合併症" だと言われている。(【 注 】
 そんな "糖尿病" に "新たな治療法" につながる研究成果が発表された。それも、今注目されている "神経幹細胞" を、自身の "鼻の粘膜" から採取して "膵臓に移植" するという "安全な治療法" だとされている。

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