何となく "うるっとくる" 出来事......。
古くは島崎藤村の詩歌 "椰子の実"、新しくは小惑星探査機 "はやぶさ" の帰還などの感慨に通じるものもありそう。
と言うか、一年前のあの東日本大震災の津波の恐怖や悲惨さに、そっと添えられた "一輪の献花" というような印象を抱かされた......。
まるで、あの『千の風になって』の歌詞「...... そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風になって 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています ......」という優しいイメージをも想起させる。
未だに戻って来ない被災者の方々の魂は、あるいは数千キロの海原を超えた対岸、アラスカへと渡った......。
下記引用サイト記事:「漂流のボール 持ち主見つかる」/NHK NEWS/2012.04.22 にある、<自分の元に戻って来たら、ボールをなでてやりたいです>という村上クンの気持ちがしみじみと分かる......。
文化一般 の最近のブログ記事
今日では "知識や教材" は、その気がありさえすれば "溢れ返って" いる! したがって学習する者にとってむしろ問題なのは、それらをどう "取捨選択" して "より効果的なアプローチ" をするかとなっているはずだ。
また教育側としても、そうしたアプローチを可能とするようなカリキュラム(コース)をどう構成するかであるに違いない。
現代のような "情報過多" 環境における学習・教育の基本的課題はそんなところに潜んでいるはずだと思われる。
"溢れ返って" いる!というのは、書籍・マスメディア・インターネットなどに限らず "Social" メディア上の知識・情報も含まれる時代だということだ。YouTubeなどが好例であろう。
しかし、今やその質量は手に余るほどに膨れ上がってるのが悩ましい点! そこで注目されているのが、いわゆる "キュレーション"(編集)の視点だと言える。簡単に言えば、"交通整理" であり、"お見立て" である。まあ、"信頼し得る" という条件付ではあるが。
◆参照 情報過多の時代の鍵"キュレーション"で問われるのは"メタ鍵"としての編集能力!( 当誌 2011.09.01 )/"キュレーション"への佐々木俊尚氏の熱い眼差し!"編集" に関する松岡正剛氏!( 当誌 2011.09.02 )
教育側にとってもう一つ悩ましい問題は、学習ニーズの多様化や急速に変化する時代環境が、"教材制作" に時間的ゆとりを与えていない! という実情ではないかと思われる。より "スピーディーな対応" が求められているというわけだ。
こうした現代特有のシビァな課題に応えるかたちで、<YouTubeなど既存の教材から学習コースを組み立てる>というアイディアを実践しているのが、今回の下記引用サイト記事:「YouTubeなど既存の教材から学習コースを組み立てるCourse Heroに一流投資家たちが殺到」/TechCrunch/2012.04.13 である。
思わず "お見事!" とガッテンしてしまうほどに優れた発想の "スタート・アップ(新ビジネス)" だと感心させられた。
下の写真は、"物干竿" の長刀を背負ったと言われる "佐々木小次郎" にゆかりのワンちゃんではない。また、"大リーグボール養成ギプス" を装着した "星飛雄馬" とも無関係だ......。
庭に放し飼いにされたワンちゃんが、フェンスの隙間から "脱出" して "家出" してしまうことを防ぐ "アイディア・グッズ" なのだそうだ。
昔、近所の飼い犬が、"雷鳴" があるとそれに怯えてか、必ずと言っていいほど "家出" をして秘密の隠れ家に身を潜めるということがあった。その犬の場合、フェンスの隙間から滑り出るのではなく、ブロック塀を乗り越えるという荒技をこなしたようではあったが......。
下の写真が妙に気になったのは、どうしてであろうか?
どうも、"囚われ人" が "脱出" 不可のままでいることの、その原因について、妙に "暗示的!" だと思えたからかもしれない。
人は、さまざまなシチュエーションで "囚われ人" の境遇に陥る。別に受刑者とは限らず、自由が制限されたり拘束される状態のことだ。そして、そこからの "脱出" の試みに悪戦苦闘し、もがく......。
やがて、自身を "囚われの身" とあらしめている環境側への恨みを募らせても行く。自分を "閉じ込める" この "囲い塀" や "閉塞環境" さえなければ......、と。
だが、時として、ふと気づくことがあったりする。"囚われの身" からの "脱出" がままならないのは、果たして拘束的な外的環境のせいだけなのだろうか、と。自分が知らず知らず自分に "装着" してきた(?)諸々の "装置"( 習慣、既成観念、価値観、信条、自主規制、諦め...... )自体が、もっとも手強い "脱出不可" の原因を構成してはいないか......、と。
現状の "問題山積!" の社会環境は、たとえば "ビンボー" という "囚われ人" を日毎排出して止まない客観的事実を、疑問の余地なく内在させている。
◆参照 あなたの隣にもいる「貧困女子のビンボー生活」/現代ビジネス - 経済の死角/2012.03.18
ただ、かと言って、"囚われの身" を強いる環境からの "脱出" が絶対に不可能だと決めつけるのもどうであろうか......。たとえば、"諦め" という "自己装着装置" は、ただただ環境側の目論みに加担するだけでしかないことにも気づいておきたい......。
犬の家出を防ぐ竿
犬の背中に取り付けて使うグッズ。超軽量なので犬に影響を与えないが、フェンスの外に出てしまい、家出や行方不明になることを防ぐことが出来る。値段が高いと思うなら、DIYすることも可能。
価格:29.95ドル【ここから購入】
( 犬の家出を防ぐ竿/J-tokkyo/2012.03.17 )
"問題山積!" の社会環境が張り巡らす "フェンス、壁" という環境側障壁は、実は、われわれ側の "諦め" などの "自己装着装置" と相まって、その威力(?)を発揮しているに違いない...... (2012.03.20)
"3.11" がこの国の人々の "生活意識" に大きな変容を迫ったとする見解は、広く散見できるそんな昨今かと思われる。"一理" あるどころか "百理" もあると言えようか。
"安全神話" で染め上げられてきた "日常" が一瞬の出来事で瓦解し、その "日常" によって育まれていた無数の "人生" が無残にも呑み込まれてしまったのだ。挙句に、"安全神話" の象徴でもあったはずの "原発" が "メルトダウン" という大破局に至り、"放射能汚染" が人々を恐怖に慄かせ続けている......。
子供っぽいどなたかの発言ではないが、「夢であって欲しい......」と言わせるほどの戦慄の出来事であったわけで、これが "生活者" たちの意識、価値観を根底から揺さぶらなかったとはとても考えにくい。
こんな状況下で、とある調査が<20代のオピニオンリーダー層>の "価値観" について調査結果をまとめた。( 下記引用サイト記事:20代オピニオンリーダーに社会が追いついた?--3.11を教訓に/cnet/2012.03.13 )
<これまでの調査で、震災の発生以前から積極的に社会貢献活動を行っている20代や、収入や会社のブランドよりも仕事のやりがいを重視する20代の存在が明らかになったが、今回の調査でも、社会貢献志向や脱大企業志向が20代の普遍的な価値観となっている様子>
が認められる、というものだ。そして、調査側は下記のように結んでいるという。
<「モノやお金といった既成概念にとらわれることなく、同じ価値観を共有できる仲間と刺激を与えあいながら、社会性の高い自己実現に向けてモチベーションを高めている20代の姿は非常に頼もしい。ポスト3.11は、20代が既に気付いていたことに社会全体がようやく気付いたと言えるかもしれない」>
まあ、"社会全体" に関する意識調査はなかったようなので、"ようやく気付いた" かどうかは別問題となろうが、十分に説得力のある推定ではないかと思われる。
課題としては、彼ら以外のわれわれ皆がこうした "20代の姿の頼もしさ" を称賛するだけではなく、彼らの "モチベーション" を "反面教師" 的に高めているに違いない "旧態依然とした社会矛盾" に、容赦なく目を向けて行くこと、それが不可欠なのではなかろうか......。
感覚的、経験的には "周知の事実" ながら、今一つ "公言" するのが憚(はばか)られた事実! その事実とは、<「金持ちになるほど、ズルくなる」>、<人は多くの富を手に入れるほど、そして社会的地位が高くなるほど、倫理に反する行いをする傾向が強まる>、<「社会で恵まれた立ち場にいる人物には、無意識に他人を無礼に扱う心理的傾向が見られる」>( 下記引用サイト記事:「金持ちになるほど、ズルくなる」:実験結果/WIRED JAPANESE EDITON - SCIENCE/2012.03.01 )などであったに違いない。
どうしても、こうした事実を声高に表明すると、"負け犬の遠吠え" や "ごまめの歯軋り" と聞こえてしまうからだ。まして、"自由競争" と "自己責任" とが過剰に強調されるご時世にあってはなおさらのことであろう。
そして、悶々とした気分が募り、悔しい独白 『ズルや非道でもしなきゃ、儲かりっこない世の中じゃないの......』 の響きが胸の内で共鳴する......。
超格差社会を糾弾する "ウォール街占拠" 運動が巻き起こったからだろうか、米国でも<富や階級をめぐる緊張感はかつてなかったほど高まっており、「貪欲であることはいいことで、誰よりも裕福なことは美徳か?」などの論争が巻き起こっている>らしい。
そして、そんな状況だからなのであろう、そうした<答えることが難しいこうした社会的疑問に対し、Piff氏や同僚らは科学的方法を使って答えを見つけ出そうとした>のがこのレポートのようである。
ひとつ気になったのは、"因果関係" についてだ。
「金持ちになるほど、ズルくなる」と表現すれば、"ズルくなる" のは、"金持ちになった" その結果であるようにも受けとめられる。
しかし、実情は "ズルくなる" ことで "金持ちになった" というのが妥当だという気がしないでもない......。
<競争心、自分の利害、自分の安寧を優先する意識など>によって "富や地位" を手に入れた、と見る方が自然ではないかと......。やっぱり、"負け犬の遠吠え" の響きがまとわりついてしまうか......
東日本大震災という未曾有の "国民的な悲劇" は、このような<記録と記憶を共有する映画>として制作されることこそがふさわしい! そんなふうに素直に共感できた。( 下記引用サイト記事:"3.11の日常"を紡いで映画に、「Japan in a Day」プロジェクト発足。/Narinari.com/2012/02/28 )
どのような "哀しみ" や "人の強さ" を秘めた貴重な動画が寄せられるのか。楽しみだと言うのはやや心引けるところがあるが、本当の苦悩に囚われた人たちだけが伝えることのできる "人の心" のあり様を "共有" させて頂ければと......。
"大震災" の壮絶な悲惨さに比べれば "まだまし" だとは言え、この社会、この世界には苦痛や苦悩で喘ぐ人々が限りなくいるはず。そうした人々に、毅然とした姿勢となれる勇気を与えてくれる、そんな仕上がりとなることを切に望みたい。
リドリー・スコット監督の映画では「グラディエータ―」が記憶に残っている。単なるスペクタクル映画ではなく、ラッセル・クロウ演じる剣闘士に "死別"(殺された妻子)の苦悩というサブトーンを見事に与えていたのが妙に印象的であった......。
中川 こうじ STREET CATS -のらねこ。写真集 |
もちろん、震災・津波・原発事故を被災した人々の苦痛・苦悩への共感、思い入れが先立つのは言うまでもない。むしろ、そうした感情が "ゆれるちいさな命たち" の健気な姿によってより鮮烈に湧き上がってくる、ということなのだと思う。
TV報道で、"のら" となってしまった犬たち、牛たちの姿が伝えられ、そのたとえようもない "所在なき彷徨" が映し出された時にも、絶句させられてしまったものだ。誰かれを恨むわけでもなくただ "漂う命たち" の、その姿が、逆に "人間たちの責任" を寡黙ながら糾弾しているように感じられたからだ。
今回、下記に引用したサイト記事:「フクシマ残された猫たち 戦場カメラマンが写真展/大阪日日新聞/2012.02.15」 は、"のら猫大好き" 人間としては、目に留まらないわけがなかった。
自分は、猫とは相性が良く、自宅では今4匹と共生している。
◆参照 奇跡の"クロネコヤマトなでしこ"(外猫)/行方知れずの十日後に疲労困憊で生還!( 当誌 2011.09.06 )
そんな "猫大好き" 人間なのだが、強いて言うならば "のら猫大好き" 派なのだ。
いや、それはともかくとして、危な気ながらも横暴な人の世で "インディ" に生きる "Street Cats" が、素直に好ましく思えてならないわけだ......。
しかし、"フクシマに残された猫たち" となると事情はまったく違う。人が住まない見放された地平は、たとえ "インディ" を誇る "Street Cats" であっても "地獄" 以外ではなかろう。しかも、彼らの大半が直前までは "Home Cats" であっただろうことを思えば......。
戦場カメラマンがファインダーから見つめた "フクシマに残された猫たち" の姿とその表情は、見たいと言うよりも見て何かを感じ取らなくてはならないと思えた......。
"ソーシャルメディア" はいろいろなことを考えさせるものだ。利用者の立場でもいろいろと考えさせられることに事欠かないが、きっと、コンテンツ制作提供側にとっても、果たしてこんな仕組みでペイできるのか? と悩んだりする向きもあるに違いない。
たぶん、"コンテンツ(著作)のあり方" 自体が "問われ直している" という "大変な過渡期" に遭遇しているのではあろうが、この辺の問題に関しては "奥行きが深い!" ため、腰を据えて考えてみなければならないような気がしている。
そんな観点に立ってサイト記事を振り返ってみた時、下記引用サイト記事:忍び寄る新たなネットバブルの正体 ソーシャルの名のもとにあなたが消費される デジタル植民地時代がやってきた
ちょうど "一年前" に書かれた記事ではあるが、"その主旨" は何ら風化していないかに思えた。"その主旨" とは、"コンテンツ制作提供側の立場を憂えるもの" だとして、取りあえず了解しておく。
現在、一世を風靡している "ソーシャルメディア" に対し、当筆者は歯に衣を着せない表現をしている。
<今回のネットバブルのキーワードは"ソーシャル" ...... ソーシャルメディアの企業や、ソーシャルな機能も駆使したハフィントン・ポストのようなサイトがその主役 ...... 今回のネットバブルの本質は、ユーザーなどローコストなコンテンツを作る者から搾取して、そのコンテンツをユーザーに過剰に共有させるという点にある ...... フェイスブックなどのソーシャルメディアやハフィントン・ポストなどのサイトは、プラットフォームを提供するだけで、そこを利用する者が作るローコストなコンテンツを使い倒すというかたちで"地代"を徴収している ...... 今回のネットバブルの主役たちは凄まじいまでに錬金術に長けている>
当筆者が "牙をむいている(?)" のが、<凄まじいまでに錬金術に長けている> とされる <ソーシャルメディアの企業や、ソーシャルな機能も駆使したハフィントン・ポストのようなサイト> であることは、<搾取、使い倒す、"地代"を徴収>という表現からもすぐに分かる。
要は、"他人の褌で相撲をとる" ことで膨大な収益を上げていることへの "憤り" と言っていいのかもしれない。この辺は受けとめ方が分かれるところだろうが、共感を覚える向きも少なくなさそうだ。
ただ、それだけではなさそうである。"こんな仕組み" の中では、"コンテンツの劣化傾向" に歯止めが掛からなくなる! と憂慮しているスタンスが透えて見えるからだ。
冒頭の "果たしてこんな仕組みでペイできるのか?" と懸念する "コンテンツ制作提供側" から、"クリエイト意欲" を殺ぐことになれば "良質なコンテンツ" がスポイルされ、駆逐される......、そんな可能性が容易に想像できるからである......。
様々な悪条件によって日本経済が概してヘコむ中で、ソーシャルメディアの "ソーシャルゲーム" は "元気な柱(?)" の様相を見せていた。
だが、下記引用サイト記事:「国内ソーシャル3社に変調の兆し、事業モデルに弱点 編集委員 小柳建彦/日本経済新聞/2012.02.09」 によれば、<グリー、ディー・エヌ・エー(DeNA)、ミクシィの国内ソーシャル3社>に "変調の兆し" が出ている、とのことだ。
"日本のソーシャルゲーム業界" に関しては、別な記事で以下のような懸念が語られていたため、やや注意を向けていたところでの "アラーム" である。
<ソーシャルゲーム業界はアイテム課金収入が収益のメインであるため、ヘビーユーザーを増やす必要があります。そのためにテレビCMで芸能人を起用するなど、とてもコストがかかっており、収入が急増して好調のように見えても、同時に支出も増えていますから、決してビジネスとしておいしい状態ではないと思います。そうは言っても、SNSやソーシャルゲームは、日本で頑張っている数少ないプラットフォームプレイヤーなのは間違いありません。ですから、正しい形で永続的に"日本型ビジネス"をする方向に進化をしてほしいですね。> ( 「【テーマ13】 日本の文化やジャーナリズムはこのまま衰退するか ネット、スマホに搾取されるテレビ・音楽業界の行く末 ――岸 博幸 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授/ダイヤモンド・オンライン - 2012年の論点を読む/2012.01.30」 )
そこでは、<ネット世界では、コンテンツ業界が垂直統合型で担っていた流通網は崩壊し、流通は他人まかせ、つまりプラットフォームサービスを提供するグーグルなどの米国ネット企業が事実上、情報の流通を担うようになって>しまい<米国ネット企業の一人勝ちとそれによる日本の国益搾取の現状>が危惧されていたのである。
そうであるだけに、その "日本のソーシャルゲーム業界" が "変調の兆し" を見せているという観測からは、やや考えさせられてしまった......。
"ソーシャルメディア" を素材としながら、人と人との "つながり" についていろいろと考えさせられている昨今である。
人間に "つながる" ことへの "欲求" が存在することは疑いようがない。だが、単に "つながる" ことだけをターゲットとしていて済むのであろうか? 人と人との "つながり" の意味を知ることによって、人と人との "つながり" は、さらに鮮やかな輝きを増すのではなかろうか......。
今、人々の関心を集めている "ソーシャルメディア" も、人と人との "つながり" が秘めた根源的な意味、それが納得できるようになれば、かなり趣きが異なってくるのではないか、とも思われるわけだ。
その人と人との "つながり" が秘めた根源的な意味の理解に関して、非常に説得力のある感動的なコンテンツに接することができた。
NHK 番組『ヒューマン なぜ人間になれたのか 第1集 旅はアフリカからはじまった』(2012年1月22日(日) 午後9時00分~9時54分 総合テレビ)がそれである。(【 ※ 注 】)
以下、自分なりに了解したこの番組内容をレビューしてみたい。
【 ※ 注 】
<ヒューマン なぜ人間になれたのか 第1集 旅はアフリカからはじまった
人間とは何か。人間を人間たらしめていているものは何か。私たちの誰もが内に秘めている"人間らしさ"の起源を20万年という人類史のなかに探るシリーズ(全4回)。
( ヒューマン なぜ人間になれたのか 第1集 旅はアフリカからはじまった(2012年1月22日(日) 午後9時00分~9時54分 総合テレビ)/NHK ONLINE )
第1回は全人類のふるさとアフリカが舞台。アフリカでは今、人類史を塗り替える発見が相次いでいる。その最たるものが南アフリカで見つかった人類最古の装身具。貝殻で作られた首飾りで「仲間」であること示す身分証のようなものだったと考えられている。祖先たちが暮らしていたアフリカの草原は常に危機と隣り合わせだった。肉食獣の脅威、食糧不足・・・。そうした過酷な環境で生き抜くには互いに協力しあい、「絆」を確認しあうことが不可欠だったのだ。しかし自然は容赦なく祖先たちを追い詰めた。7万4千年前に起きた火山の大噴火。食料が激減し、人類は絶滅の淵に追いやられる。ところが最新の考古学調査では意外な実態が分かってきた。小さな血縁集団で生きていたはずの祖先たちが、大噴火を境に遠く離れた集団と資源を交換し合うようになったのだ。未曽有の危機を前に赤の他人とも協力し合う。現代にも通じる人間らしさがこの時から発揮されたのだ。
震災からまもなく1年。「ともに生きる」という人間集団の基本が確立した過程をたどっていく。>
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