何となく "うるっとくる" 出来事......。
古くは島崎藤村の詩歌 "椰子の実"、新しくは小惑星探査機 "はやぶさ" の帰還などの感慨に通じるものもありそう。
と言うか、一年前のあの東日本大震災の津波の恐怖や悲惨さに、そっと添えられた "一輪の献花" というような印象を抱かされた......。
まるで、あの『千の風になって』の歌詞「...... そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風になって 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています ......」という優しいイメージをも想起させる。
未だに戻って来ない被災者の方々の魂は、あるいは数千キロの海原を超えた対岸、アラスカへと渡った......。
下記引用サイト記事:「漂流のボール 持ち主見つかる」/NHK NEWS/2012.04.22 にある、<自分の元に戻って来たら、ボールをなでてやりたいです>という村上クンの気持ちがしみじみと分かる......。
東日本大震災 の最近のブログ記事
相変わらず "地震" が多くて不安が絶えない昨今だ。
そんな中で、先日紹介した iPhone アプリの "ゆれくるコール" (無料) が頼もしいと実感している。
・ゆれくるコール価格:無料(2012年3月21日現在)
緊急地震速報システムを搭載したアプリ。震度に応じてアラームが鳴り響き、地震に関する情報をプッシュ通知してくれる。地域、震度の設定も可能なので日本全国で使用可能。
( iPhone ユーザーなら必携アプリか!? "災害時に備えるためのiPhoneアプリ10選"!( 当誌 2012.03.29 ) )
インストール直後は、うんともすんとも言わずおかしいと思いながらもそのままにしていた。実は、基本的な "設定" をしていなかったからだ。
然るべく "設定" をしたところ、実に "饒舌(?)" に "プッシュ通知" してくれるのだ。
NHKサイン音の「チャランポラン、チャランポラン」(?)という"緊急地震速報" 音とともに、"オフ" となっている iPod が立ち上がり、下記掲載画面のような緊急地震速報を表示するのである。
<震度2がおよそ47秒後>といった速報が随時更新されつつ表示されるのは、"吉報" ではないにもかかわらず、妙に頼もしく思われ、 "そうか、そうか" と頷いたり......。
こうした "頼もしさ" を感じるためには、下記掲載画面の "(4) 設定/通知される震度" ほかの "設定" をしておかなくてはいけない。
また、<通知震度>を、<全て>としておくと、テストにはなるが、やや "うるさい" はずだ。
また、 "何秒後に......" という部分が "予測" されるために、自分の "現在地" も設定しておかなければならない。
"ヒマ潰しアプリ" が意味を持つのは "災難" を逃れてからの話! 先ずは、迫り来る(?) "大地震災害" に対して、スマホユーザーならではの "応戦態勢" が望まれる。
下記引用サイト記事:「イザというときに慌てない、災害時に備えるためのiPhoneアプリ10選」/CNET Japan/2012.03.25 では、そんなスマホ( iPhone )ユーザー向けに、"iPhone ユーザーなら必携アプリ" とも言えそうな "災害時に備えるためのiPhoneアプリ10選"( 11本 )を紹介してくれた。
(1) ゆれくるコール
(2) 家庭の医学
(3) radiko.jp
(4) 懐中電灯
(5) 避難所ガイド
(6) イマドコ送信
(7) 災害用伝言板
(8) NHKネットラジオ
(9) 渋滞情報検索
(10) LINE
(11) Map Fan
想定被害の大きさを視野に入れておかなければならないはずの "首都直下地震" である。
◆参照 <首都直下地震の対策を検討している文部科学省の研究チームは7日、東京湾北部でマグニチュード(M)7級の地震が発生すれば、東京湾岸の広範囲で、従来想定の震度6強より大きい震度7の揺れが予想されるとの研究成果を公表した。>(大震災は教訓化されているか?"首都直下地震"の想定震度が"震度7"へと見直し!( 当誌 2012.03.13 ))
そこで注目したのが、下記引用サイト記事二点だ。
【 引用記事 1 】<首都直下地震:想定震度7で木造建物の全壊倍増/毎日jp/2012.03.23>
【 引用記事 2 】<災害に強いと導入相次ぐ PHS、「非常時に繋がる」のはなぜか?/japan.internet.com/2012.03.22>
"首都直下地震" の想定規模が "震度7の揺れ" だとすれば、<全壊する木造建物が約39万棟>にも及びそうだとの見直しが掛けられたわけである。
その結果、<倒壊した建物の下敷きになる人>の数も膨大なものになるだろうが、さらに恐いのは、<火災被害>が伴うであろう点に違いない......。
<研究チームは耐震化促進を訴えている>とあるが、今一つ "歯がゆい" 思いが禁じ得ない......。
幸いにも "命拾い" したとしても、この規模の大震災であったなら、その後の混乱は想像を絶するであろう。そして誰もが急ぐのが、"近親者同志の安否確認" のはずだ。
ところが、心配を拭えないのが "携帯電話の通信網" の "安否(?)" でもある。東日本大震災の折に実際に経験しているだけに、不安材料は大きい。スマホがさらに増加し、通常時でさえ "通信障害" に見舞われていることを思えばなおのことだ。
そこで、注目度が高まっているのが、<通信インフラがダメージを受けた状態での連絡手段>として、「非常時に繋がる」と見なされている "PHS" だ。
次のような "マイクロセルという方式の基地局配置" が、眼目なのだそうだ。
<「PHS は、マイクロセルという方式で基地局を設置しています。一般的な携帯電話では、1つの基地局で数百メートルから数キロメートルの範囲をカバーしますが、PHS では数十から数百メートル程度ごとにきめ細かく基地局を設置しています。これにより、通信が集中した場合でも効率的に分散してアクセスを処理することができます」>
"3.11" がこの国の人々の "生活意識" に大きな変容を迫ったとする見解は、広く散見できるそんな昨今かと思われる。"一理" あるどころか "百理" もあると言えようか。
"安全神話" で染め上げられてきた "日常" が一瞬の出来事で瓦解し、その "日常" によって育まれていた無数の "人生" が無残にも呑み込まれてしまったのだ。挙句に、"安全神話" の象徴でもあったはずの "原発" が "メルトダウン" という大破局に至り、"放射能汚染" が人々を恐怖に慄かせ続けている......。
子供っぽいどなたかの発言ではないが、「夢であって欲しい......」と言わせるほどの戦慄の出来事であったわけで、これが "生活者" たちの意識、価値観を根底から揺さぶらなかったとはとても考えにくい。
こんな状況下で、とある調査が<20代のオピニオンリーダー層>の "価値観" について調査結果をまとめた。( 下記引用サイト記事:20代オピニオンリーダーに社会が追いついた?--3.11を教訓に/cnet/2012.03.13 )
<これまでの調査で、震災の発生以前から積極的に社会貢献活動を行っている20代や、収入や会社のブランドよりも仕事のやりがいを重視する20代の存在が明らかになったが、今回の調査でも、社会貢献志向や脱大企業志向が20代の普遍的な価値観となっている様子>
が認められる、というものだ。そして、調査側は下記のように結んでいるという。
<「モノやお金といった既成概念にとらわれることなく、同じ価値観を共有できる仲間と刺激を与えあいながら、社会性の高い自己実現に向けてモチベーションを高めている20代の姿は非常に頼もしい。ポスト3.11は、20代が既に気付いていたことに社会全体がようやく気付いたと言えるかもしれない」>
まあ、"社会全体" に関する意識調査はなかったようなので、"ようやく気付いた" かどうかは別問題となろうが、十分に説得力のある推定ではないかと思われる。
課題としては、彼ら以外のわれわれ皆がこうした "20代の姿の頼もしさ" を称賛するだけではなく、彼らの "モチベーション" を "反面教師" 的に高めているに違いない "旧態依然とした社会矛盾" に、容赦なく目を向けて行くこと、それが不可欠なのではなかろうか......。
一年を経た "3.11" の日に寄せられた人々の思いは、被災者への心からの追悼であり、一刻も早く復旧・復興が進められることへの熱い願いであった。一昨日、3月11日に国内各地で繰り広げられたさまざまなイベントからはそうした情感がひしひしと伝わって来るようであった。
そうした空気の中で改めて思い起こされた点は数々ある。だが、あえて絞り込むならば、もはやこの国この社会にとって、"巨大地震" は決して過ぎ去った不幸であるどころか、"目前" に迫っている "不気味な可能性" だという点ではなかろうか。
"不吉" なことを口にするのは憚られもするが、余りにもその被害が甚大でありそうなためか、ひょっとしたら "タブー視" されたりしてはいないか......、という危惧の念が立ち上がる......。
過(よぎ)る不安を打ち消し難いのは、言うまでもなく "首都直下地震" のことなのである。もし、最悪のケースとなれば<首都機能は維持できるか>(下記引用サイト記事:首都直下地震:震度7を予想...「6強」見直し 文科省/毎日jp/2012.03.07 )という信じ難い事態が視野に入っても来るとかである......。
同記事では、この "首都直下地震" の "想定規模" に関して、"好ましからざる新事実" が発覚したことを伝えているわけだ。
これをどう受けとめるかは、種々あり得るはずだ。<一つの試算に過ぎない。......予測は不可能だ。>と見なすことももちろんあり得る......。
だが、われわれは、<東日本大震災で定説に依拠する危うさ、最悪の条件に備える必要性を学んだ>はずではなかったか......。
東日本大震災という未曾有の "国民的な悲劇" は、このような<記録と記憶を共有する映画>として制作されることこそがふさわしい! そんなふうに素直に共感できた。( 下記引用サイト記事:"3.11の日常"を紡いで映画に、「Japan in a Day」プロジェクト発足。/Narinari.com/2012/02/28 )
どのような "哀しみ" や "人の強さ" を秘めた貴重な動画が寄せられるのか。楽しみだと言うのはやや心引けるところがあるが、本当の苦悩に囚われた人たちだけが伝えることのできる "人の心" のあり様を "共有" させて頂ければと......。
"大震災" の壮絶な悲惨さに比べれば "まだまし" だとは言え、この社会、この世界には苦痛や苦悩で喘ぐ人々が限りなくいるはず。そうした人々に、毅然とした姿勢となれる勇気を与えてくれる、そんな仕上がりとなることを切に望みたい。
リドリー・スコット監督の映画では「グラディエータ―」が記憶に残っている。単なるスペクタクル映画ではなく、ラッセル・クロウ演じる剣闘士に "死別"(殺された妻子)の苦悩というサブトーンを見事に与えていたのが妙に印象的であった......。
中川 こうじ STREET CATS -のらねこ。写真集 |
もちろん、震災・津波・原発事故を被災した人々の苦痛・苦悩への共感、思い入れが先立つのは言うまでもない。むしろ、そうした感情が "ゆれるちいさな命たち" の健気な姿によってより鮮烈に湧き上がってくる、ということなのだと思う。
TV報道で、"のら" となってしまった犬たち、牛たちの姿が伝えられ、そのたとえようもない "所在なき彷徨" が映し出された時にも、絶句させられてしまったものだ。誰かれを恨むわけでもなくただ "漂う命たち" の、その姿が、逆に "人間たちの責任" を寡黙ながら糾弾しているように感じられたからだ。
今回、下記に引用したサイト記事:「フクシマ残された猫たち 戦場カメラマンが写真展/大阪日日新聞/2012.02.15」 は、"のら猫大好き" 人間としては、目に留まらないわけがなかった。
自分は、猫とは相性が良く、自宅では今4匹と共生している。
◆参照 奇跡の"クロネコヤマトなでしこ"(外猫)/行方知れずの十日後に疲労困憊で生還!( 当誌 2011.09.06 )
そんな "猫大好き" 人間なのだが、強いて言うならば "のら猫大好き" 派なのだ。
いや、それはともかくとして、危な気ながらも横暴な人の世で "インディ" に生きる "Street Cats" が、素直に好ましく思えてならないわけだ......。
しかし、"フクシマに残された猫たち" となると事情はまったく違う。人が住まない見放された地平は、たとえ "インディ" を誇る "Street Cats" であっても "地獄" 以外ではなかろう。しかも、彼らの大半が直前までは "Home Cats" であっただろうことを思えば......。
戦場カメラマンがファインダーから見つめた "フクシマに残された猫たち" の姿とその表情は、見たいと言うよりも見て何かを感じ取らなくてはならないと思えた......。
下記引用サイト記事: 時系列で見た「2011年の地震」:動画/WIRED JAPANESE EDITON - SCIENCE/2012.02.07 で紹介されている 動画 を観るならば、「見ざる、聞かざる、言わざる」の "人生観" がメルトダウンしてしまいそうだ......。
もはやこの世界に "あり得ないこと"( the impossible )は無くなったと作家・辺見庸が語っていた( c.f. 私にとっての"3.11"「作家・辺見庸」(こころの時代~宗教・人生~ シリーズ)/NHK 番組表/2012.02.04 13:00~14:00 )のを思い起こす。
"あり得ないこと" 自体が "あり得ない!" ということを、"3.11" の悲劇的事実はわれわれに知らしめた。だが、それでも "知らんぷり" を決め込む "鈍感さ" に、このビジュアルなメディアは、静かに迫ってくるかのようだ。
勝手に信じ込んできた "平穏な日常"( c.f. 「終わりなき日常」宮台真司 )自体を、自身の頭と感性でじっくりと再吟味してみることが迫られているかのような気がしている......。
いつも "誰か任せ" となり、"いいとこ取り" さながらに振舞いつつ "気休め" に終始してきた、そんなライフスタイルが、徐々にメルトダウンしていることを、この動画は淡々と語っている......。
"東日本大震災" の際に、"ソーシャルメディア" がさまざまな社会貢献をしたことは広く語り継がれている。
本来、人と人との "つながり" を "自主的" に 構築してゆく "ソーシャルメディア" には、そうした "潜在的パワー" が内在していると思われる。
そして、今、時代環境は、とても "手放し" ではいられない未曾有の "苦境・苦難" に遭遇している。誰かれに関わりなく、誰にとっても同じである。
そんな場合、四の五のと言っては言られまい。"自力救済と人助け" という "問題解決型スタンス" に立つことが大なり小なり望まれそうだ。"ソーシャルメディア" も、そうしたアプローチが活性化されてもいいのではなかろうか。
そんなふうに思い直す時、自然に視野に入って来るのが「ソーシャル・キャピタル(Social Capital)」という観点である。
"キャピタル" というと "資本" となり、"経済的な、強欲な(?)" イメージを思い起こさせるが、実はそうではなく、<「信頼」「規範」「ネットワーク」といった社会組織の特徴であり、共通の目的に向かって協調行動を導くものとされる。いわば、信頼に裏打ちされた社会的な繋がりあるいは豊かな人間関係>(【 引用記事 3 】より)のことなのである。
なぜ、"キャピタル" と称されるのかと言うと<人と人のネットワークが社会システムを補完し効率を高めるなど経済的な効用があるため>(【 引用記事 1 】より)だからだという。
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