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        <title>AdhocBlog</title>
        <link>http://adhocrat.net/adhocblog/</link>
        <description>変化にまみれる日々を凝視</description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2010</copyright>
        <lastBuildDate>Tue, 09 Mar 2010 13:57:43 +0900</lastBuildDate>
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            <title> &quot;ＨＤＤクローン・コピィ&quot; フリーソフトに関する &quot;体験的情報&quot;  ......</title>
            <description><![CDATA[<p> 　 "ＨＤＤ換装" を手っ取り早くこなす方法については以前に書いた。（ c.f.<a href="http://adhocrat.net/adhocblog/2010/02/post-744.html" target="_blank">当日誌 「"ＨＤＤクローン・コピィ" も "パーティション編集" もできるフリーソフト！ ......」 2010.02.11</a>）<br />
　その後、思い立った時にとばかりに、現在使用中のＰＣ数台のすべてに "バックアップ用" の "クローンＨＤＤ" を設えた。こうしたことは、 "思い立った時" に "慣れの勢い" に任せて一気に済ませておくに越したことはないと思えたからだ。<br />
　とにかく、このフリーソフトが有難いのは、 "クローン・コピィ先ＨＤＤ" を、ＩＤＥ接続ではなくて、 "ＵＳＢ接続" でもＯＫという簡便なところである。その昔は、何かと面倒なＩＤＥ接続で同種のことを行っていただけに、手数の掛からない "ＵＳＢ接続" 方式は実に有難いと思えた。<br />
　その甲斐あって、まずまずつつがなく完了させることができた。これでどのＰＣについても、もし、現行のＨＤＤがトラブルに見舞われてしまった際には、何ら慌てることもなく保管した "クローンＨＤＤ" と速やかに挿げ替えればよいだけとなった。</p>]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/03/post-769.html</link>
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            <pubDate>Tue, 09 Mar 2010 13:57:43 +0900</pubDate>
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            <title> &quot;脚色、演出、効果音&quot; などがまるで無いというのが &quot;事実、現実&quot; ？ ......</title>
            <description><![CDATA[　昨日の "琵琶湖マラソン" は、先日の東京マラソンの時と同様に小雨が降り肌寒い天候の中での実施であった。アフリカ勢のランナーたちはさぞかし辛かったのでは、と想像したりしていた。<br />　そんな中で、昨日のＴＶ中継は、ちょっと変わった楽しみ方をしてみた。<br />　実は、アナウンサーや解説者の "音声" が無いと、結構、 "新鮮な臨場感" があってこれもまたいいものだ、と思ったのである。というのは、たまたま、 "ＴＶの設定" で "主音" のみとし、解説などが流される "副音" を消していたのだった。以前に行った録画の時の設定を引き摺っていたのだ。<br /><br />　すると、当たり前の話だが、 "主音" のみだと聞こえてくるのは、競技場やコース周辺で拾われた音のみであり、場内放送、アスリートたちを追うカメラマンを乗せたクルマの音、そして沿道で応援するファンたちの声援、といった "環境音" だけがのどかに聞こえてくるのだ。まるで、自身が競技場や沿道にぽつねんと立って観戦しているような、実に "自然なリアリティ" を感じたのである。<br />　確かに、ゼッケンを付けたランナーたちがどんな選手なのかというような事情はわかりにくい、というか、わからない。しかし、そんな事情を知ること以上に、ランナーたちの走行状況や表情が、むしろよく読み取れるような気もしたものである。解説者などの音声情報が無い分、自分なりに想像力を駆使するからであろうか。<br />　また、周囲の "ステレオ環境音" が、これまたリアルに聞こえてきたりして、結構 "味なもの" であった。さしずめ、日頃、調味料だらけで食べていた野菜を、生のまま直に口にして、食材自体の新鮮な食感をじっくり味わっているような気さえした。<br /> ]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/03/post-768.html</link>
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            <pubDate>Mon, 08 Mar 2010 20:15:38 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>社会や国家が何とかしてくれるという &quot;妄信&quot; からは漸次醒めるべし ......</title>
            <description><![CDATA[　クルマが "バッテリー上がり" になってしまった。<br />　原因は明瞭だ。最近はほとんど利用しないためセルフ充電がなされないこと、そしてこの寒さのため、バッテリー液が機能低下したためである。<br />　こうなると、ブースター・ケーブルでつないでエンジン起動を図ってもいいのだが、まだここしばらくは寒さが続きそうなので、クルマからバッテリーを外して屋内に入れ、 "バッテリー充電器" で時間を掛けて充電することにした。<br /><br />　若い頃、格安の中古車に乗っていた当時は、冬場になると "バッテリー上がり" に見舞われ、しばしば "バッテリー充電器" で対処したものであった。<br />　当時は比較的走らせることが少なくなかったにもかかわらず、そんなことがたびたび発生していた。整備士に調べてもらうと、バッテリー自体が古いだけではなく、クルマ本体側のセル・モーター近辺の部品の劣化が原因だとかであり、それを直すには相応の修理費が嵩むということだったかと思う。<br />　ならば、マメに "バッテリー充電器" で対処しようと思ったのだった。<br />　が、一々、バッテリーをクルマから降ろすのは面倒過ぎると考えた。そこで、 "バッテリー充電器" 側のケーブルを延長し、ボンネットを半開きにしながら、オンラインで "一晩掛けて" 充電するという "のどかなこと" をしていたのである。<br />　最近は、 "ハイブリッドカー" や "電気自動車" が注目され、ガソリン注入ならぬ、 "ケーブル使用による充電" の光景がＴＶなどでも映し出される。しかし、そんな光景を見ると、なぁに、自分なんぞはもう何十年も前に "同じようなこと(?)" をやっていたさ......、と思わないわけでもないのである。<br /> ]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/03/post-767.html</link>
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            <pubDate>Sun, 07 Mar 2010 20:00:28 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>中高年・熟年の &quot;おカネを掛けない趣味&quot; デジタル・カメラ？ ......</title>
            <description><![CDATA[　まったく、この時季は気温の "乱高下" が激しい。その模様をＴＶが折れ線グラフで表示していた。まるで、不安定な株式相場の変動のようである。<br />　もともと、春先のこの時季は "三寒四温" と呼ばれる行きつ戻りつの気温変化があるわけだが、それにしても今年の変動は激しい。ニューヨークなどに何十年ぶりの大雪をもたらしている "北極寒気団" の、その特殊な動きが原因だとも聞く。やはり、地球温暖化現象が災いして、異常気象気味の現象が引き起こされているだろうか。<br />　今日の天候は、昨日が "春、真っ盛り" のような陽気であっただけに、何とも意気消沈させられる "冬戻り、戻り冬" と言った寒さである。<br /><br />　今日あたりはこんな寒さなので話は別だが、最近、陽射しがあって暖かい日には、いつものウォーキング・コースの川辺の遊歩道は、カメラを携えた中高年が目立つようになった。いずれも、カメラには思い思いの望遠レンズを装着して、いかにも "野鳥" （カワセミ）を撮りたいという一心が見え見えの光景である。<br />　昔は、 "カメラ" を趣味にすると "おカネが掛かる" と言われたりしたこともあった。カメラやレンズなどの機材自体が比較的高価であったし、また現像したり、プリント、そして引き伸ばしなどフィルム写真ならではの処理費用も馬鹿にならなかったからかもしれない。<br />　が、デジタル・カメラが主流となった現在では、事情が一変した。贅沢を言わなければ一眼レフカメラもさほど高くはないし、何よりもその後の処理が簡便である点、これがデジタル写真ならではのメリットであろう。撮ったものすべてをプリントせずとも、安直にデジタル画像で確認したり、楽しんだりできるからだ。<br /> ]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/03/post-766.html</link>
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            <pubDate>Sat, 06 Mar 2010 18:54:58 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>低価格競争ではなくて、 &quot;品質向上競争&quot; とでも言う路線がリーズナブル！ ......</title>
            <description><![CDATA[　 "農産物直売所" は相変わらず盛況なようだ。<br />　その空気にあやかろうとしてか、自宅の近所の農家でも、玄関近くの庭の一角に簡易スタンドを作って、 "どれでも１００円" といった貼り紙でアピールして "にわか直売" に打って出たりしている。<br />　昨日のＴＶ番組であったか、この "農産物直売所" をまた報じていた。ちょいと関心を向けたのは、そのコンセプトが単に "安い" という視点から "美味しい！" という視点へと移行していることを伝えていたからであった。<br />　もともと、 "農産物直売所" のセールス・ポイントは、その値段の安さとともに、 "新鮮さ" という点にあったかと思う。やはり野菜は "新鮮" なものほど美味しくて価値があるからだ。<br />　が、その "新鮮さプラスα" が追求され始めているようなのである。生産者農家におけるちょっとした配慮と手間を掛けることで獲得される "プラスαの美味しさ" に目が向けられているというのである。<br /><br />　そして、この路線は "直売所" の管理方式によって支えられている、という点が注目に値すると思った。<br />　 "農産物直売所" の盛況さは、そこに農産物を展示販売しようとする農家の新規参入を促進するわけだ。それじゃぁ我が家も......、ということだ。<br />　しかし、供給者数が無闇に増えるならば、どこでも "ドロ沼化" している低価格競争に突っ込み、やがては "安かろう悪かろう" の轍を刻むことは目に見えていそうだ。<br />　そこで、とある "直売所" が知恵を絞ったシステムというのが、振るっていると思えたのである。それは、同一農産物の展示販売で、 "後続" として新規参入する者は、これまでのその "販売価格" 水準以下であってはならない、というのである。<br />　一見、新規参入を締め出すための非合理的な仕切りのようにも見えるが、その狙いは、 "後続" 参入者は "より高く評価される" 品質の良いものを携えて参入してください！　というメッセージなのだそうである。<br />　つまり、このシステムは、低価格競争ではなくて、 "品質向上競争" とでも言う路線を支援しようとしているわけである。これは、実にリーズナブルで "頷けるコンセプト" だと思えた。<br /> ]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/03/post-765.html</link>
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            <pubDate>Fri, 05 Mar 2010 18:31:15 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title> &quot;壊れたＰＣ&quot; の &quot;ＭＡＣアドレス&quot; と &quot;ライセンス解除&quot; の問題 ......</title>
            <description><![CDATA[　今どき、ＰＣが壊れたと言って騒ぐことはない。そこそこ使える低価格ＰＣはいくらでもあるからだ。<br />　しかし、留意しなければならないことも無くはない。そんなことに遭遇してしまった。<br />　かなり使い込んだＰＣならば、いわば "耐用年数" が過ぎたのだと思って諦めざるを得ないだろう。貴重なデータさえキープされていれば、 手間とコストは掛かるが、"新規購入ＰＣ" に "再設定" を施したり、常用アプリケーション・ソフトを "再インストール" すればそれで一応済みそうである。<br />　後は、個人データなどを残さないように処理して、壊れＰＣを処分すればよさそうな気もする<br /><br />　が、 "問題が残る" 場合もあり得る、ということなのだ。<br />　昨今の "アプリケーション・ソフト" は、その "使用権" を "ライセンス" として扱うのが一般的だ。かつてのように、 "ソフトＣＤ" を購入すれば、何台もの複数ＰＣにもインストールして流用するわけには行かないものも増えている。<br />　また、よりバリューのある "アプリ" であれば、Windowsの "ＯＳ" と同様に、 "オンラインでの認証" を要求したり、その上でその "複数制限数" を "２台、３台" までと制限する場合もある。<br />　自分が利用している "Ｗｅｂサイト構築ソフト" や "ウイルス対策ソフト" などもこうした "制約" が条件となっている。<br />　その際、ソフトベンダー側での "監視手段" としては、ユーザー側のＰＣハードの、言ってみれば固有のＩＤである "ＭＡＣアドレス" （ネットワークアダプタ（LANカード）に設定されている固有の番号で、OSによって Ethernet Address、アダプタアドレス、Physical Address とも呼ばれる）というものを掌握するようである。昨今のＰＣでの "ネットワークアダプタ" はマザーボードと一体化している場合が多いので、いわばＰＣ判別の "ＤＮＡ" に相当しそうである。<br /> ]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/03/post-764.html</link>
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            <pubDate>Thu, 04 Mar 2010 00:25:15 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「国家の心意気」なんぞよりもアスリートたちの &quot;柔軟な心意気&quot; こそ ......</title>
            <description><![CDATA[<p> 　 "バンクーバー五輪" がつつがなく終了し、ＴＶ放送も静かになった。<br />
　が、＜白い思い出＞を "無粋(ぶすい)" に融かすかのように騒いでおられる面々もいる。やはり、 "ちょっと違うんじゃないの！？" と横槍を入れてみたくもなる。いずれも、 "無粋" さの根底には "国粋(こくすい)" （その国家・国民に固有の、精神上・物質上の長所や美点）に執着するかのような心根が透けて見えるようだ。<br />
　ナチスに "利用" された時代のオリンピックイベントならいざ知らず、グローバリズム現代のオリンピックにあっては、 "国家" の影は "背景色" 位に落ち着いていいように思えるが......。<br />
　その一つが、 "ロシア" の動きだ。 "やっぱり、そう来るのか" なぁ、という思いであった。</p>]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/03/post-763.html</link>
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            <pubDate>Wed, 03 Mar 2010 13:52:33 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>大震災のような巨大災害時での &quot;ケータイ&quot; と &quot;アマチュア無線、ＨＡＭ&quot; ......</title>
            <description><![CDATA[<p> 　 "チリ大地震" は復旧もままならぬかたちで、刻一刻と過ぎる時間とともに被災者数が膨れ上がっているようだ。巨大地震の災害規模というのは、通信網が寸断されるだけに、深刻な状況がなかなか掴みづらく、そして伝わりにくい。<br />
　チリの現地ではもちろん苦痛、苦悩が頂点に達していることだろうが、遠く離れた国々で暮らすチリ出身者や関係者たちの不安や心配も、この "音信不通" 状態では計り知れないものがありそうだ。<br />
　ちなみに、ちょうど一年前に、我が家で "救命" した子猫、 "ミミ" を貰ってくれたご家族のご主人がチリの出身者だったそうだ。しかも、しばしばＴＶ報道で登場するコンセプシオン出身だとか。<br />
　家内が何気なくそのことを思い起こしたのである。それで、その奥さんにメールをしたところ、やはり現地と電話が通じなくて、親戚・友人・知人の安否を大変気遣っておられるとのことであった。</p>

<p>　去年の今頃はケータイのメールで、その後の "ミミ" の様子などが写真添付で送られてきたりしていた。どこにでもありそうなケータイ・メールを通じた手軽なコミュニケーションである。<br />
　自分は、もともとケータイやケータイ・メールを活用する方ではなく、この方がめずらしい位に、もはやこの便利なツールは一般的となっている。いや、ケータイはこの現代の日常生活にとっては不可欠だというステイタスさえ獲得していそうだ。<br />
　だが、ケータイという便利な通信ツールは、 "巨大なＩＴインフラ" に浮かぶ木の葉のようなものであり、もしその "インフラ" が中枢部の機能麻痺に陥ったとしたら、目も当てられない事態が引き起こされるわけであろう。<br />
　現に、 "チリ大地震" ではそうした "インフラ" が壊滅的に崩壊した模様であり、パーソナルな日常的コミュニケーション不能どころか、重要な社会的機能を麻痺させる結果となっているようだ。</p>]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/03/post-762.html</link>
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            <pubDate>Tue, 02 Mar 2010 21:02:41 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>現時点での、 &quot;士&quot; の付く職業の羽振りはどんなもの？ ......</title>
            <description><![CDATA[　間際にならないと本気になれず、もちろんやる気も沸かない。毎年そうである。結構、時間はあるにもかかわらず、 "そんなこと" に時間を割く位なら、他にやるべきこと（やりたいこと）はいくらでもある......、と構えてしまうわけだ。<br />　かと言って、そのことを完璧に黙殺するわけでもなく、そこそこ気にしたりして、脳裏を過ぎらせては嫌な思いになったりもする。さっさと済ましてしまった方が精神衛生上もよかったはずだったわけだ。<br /><br />　何の話かと言うと、 "確定申告" のことなのである。<br />　そう言えば以前、とある脳科学者が、こうした税務処理を何年も怠り、当局から指導を受けたり "追徴税" の罰を受けたりと世間を賑わしたことがあったか。そのご当人は、大層な人気者で飛ぶ鳥も落とす勢いで稼がれていたようだったから、税務処理なぞは "自前" でやろうとせずに、専門の会計士なり税理士なりを賄えばいいのに......、と思ったりしたものであった。<br />　自分とて、相応の稼ぎがあったなら、こんな税務処理なんぞを "自前" でこなそうとは思わないはずである。ところが、如何せん、専門家に任せなければならないほどの稼ぎの規模ではないから、しかたなく "自前" でやろうとするわけである。<br />　そんなわけで、今月１５日が期日なので３月になってしまった今日、ようやく手を付ける運びと相成った。この節目の日を外すと、あとは自堕落になってしまいそうな予感がしたからである。<br /> ]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/03/post-761.html</link>
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            <pubDate>Mon, 01 Mar 2010 20:09:39 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title> &quot;チリ地震津波&quot; が示す &quot;対岸の火事&quot; という &quot;他人事&quot; 眼差しの無効性 ......</title>
            <description><![CDATA[　今日は一日、 "チリ地震津波情報" が列島中を震撼させ続けた。住民や船舶関連などが避難行動で割いたエネルギーは決して小さくなかったようだが、悲惨な大被害に見舞われずに済みそうなのが何よりも不幸中の幸いだと思われる。ただ、まだ第二波への警戒は解除されないようではあるが......。<br />　それにしても、太平洋を遥かに挟み何千キロと離れた地域での自然現象が、一日ほどの時間のズレはあったものの、その "対岸" である日本列島に確実なかたちで影響を及ぼすという自然現象の因果連関には目を見張らざるを得ない。<br />　５０年以前にも、今回と同じ "チリ地震津波" が宮城県三陸沿岸に甚大な被害を及ぼすという過去があった。当時の状況、つまり被害を受けるに至る経緯がどうであったのかはよく思い出せない。少なくとも、今回のような "リアルタイム性" に満ち満ちた状況ではなかったのではないか。<br /> ]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/02/post-760.html</link>
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            <pubDate>Sun, 28 Feb 2010 19:41:17 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title> &quot;情報社会&quot; の基本構造に楯突く &quot;嗅覚&quot; 情報という &quot;ダサイ(クサイ)&quot; 課題 ......</title>
            <description><![CDATA[　湿気を含む空気だと "臭い、香り" が伝わり易いのだろうか。梅の花の香りまでは漂ってこないが、周辺の植物などの何気ない香りが漂い、そんなことからも気候が変わりつつあることを知らされる。<br />　今日も小雨となっているし、どうもここ一週間ほどは雨模様が続くようだ。冷えた空気での雨というのはいただけないが、気温が１０度前後での雨（春雨？）だと、気分にも "潤い" めいたものが与えられるような気がしている。<br />　冷たく乾燥した空気だと "臭い、香り" を運ぶこともできないのだろうか。よくはわからないが、それらの要素は一定の気温と湿気とともに漂い、人や動物の "嗅覚" に届くのかもしれない。そう考えると、これからの季節、とりわけ小雨混じりの日々などは、植物たちが織り成す春の香りが気分を和ませてもくれるのだろう......。<br /><br />　あえて、 "臭い、香り" にこだわるのは、これらが "記憶" を呼び覚ます重要な刺激だと実感するからである。この点はかねてより体感的に気づいていたが、どうも少なからぬ脳科学者たちもこの事実をあちこちで指摘しているようだ。<br />　記号情報で飛躍的発展を遂げた人間も、動物としての基本構造は、今なおしっかりと内蔵しているわけであるが、その動物たちにとっては、 "嗅覚" は重要な "生存ツール" のはずであり、その関係から "嗅覚" にまつわる "記憶" はかなり刻印が深いのではなかろうかと推測できる。<br />　先日も、南極の皇帝ペンギンたちの生態に関するＴＶ番組を観た際、彼らが何千、何万組という数の親子の群れの中でその固有の関係を識別するのが "臭い" だと伝えられていた。 "臭い" と固体のアイデンティティ（ＩＤ）とが一体化しているのだと了解される。 "ＤＮＡ鑑識" の水準にも匹敵する "嗅覚" パワーが動物に内在しているのは、ただただ驚かされるばかりであった。<br /> ]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/02/post-759.html</link>
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            <pubDate>Sat, 27 Feb 2010 17:59:28 +0900</pubDate>
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            <title> &quot;内なる声(Inner voice)&quot; と &quot;外界&quot; （ &quot;過剰情報環境&quot; ）の響き ......</title>
            <description><![CDATA[　 "内なる声(Inner voice)に耳を傾ける" という表現が、ふと思い浮かんだ。 "瞑想" というほどのことではない。ただ、 "外界" （ "過剰情報環境" ）と距離を置くなり、暫時、遮断するなりして、 "静寂" の内に身を置いた時、何かが起き上がってくるのか、それとも何ということもないのか......。<br />　考えてみると、睡眠というのは、ある種、暫定的な "外界" 遮断環境だと言えるのかもしれない。そして、そこで見る夢というのは、一種の "内なる声" と言えないこともなさそうだ。とは言うものの、その夢という "内なる声" は、特有の、一筋縄では行かないロジックで構成されていそうだから、通常の声、つまり覚醒時の思考の地平へ拾い上げる、即ち "コンバート(変換、翻訳)" することは難題であろうが......。<br /><br />　 "過剰情報環境" に日常的に身を置くわれわれには、そうした喧(かまびす)しい "外界" はあっても、もはや "内なる声" が発生するような "内面" というようなものは無いのであろうか......。いや、無いというのは語弊がありそうだとすれば、 "目を向けるに値しない" ほどの地盤沈下にでも陥っているのであろうか。<br />　 "内なる声" の象徴との扱いを受けてきた "良心" という言葉にしても、昨今ではタテマエ的に引き合いに出される（ "宣誓" ？）ことはあっても、その機能的価値は風化している気配がする。 "法的規制" であったり "衆目" といった、いわば "外的(社会的)存在" が有効性を持っているのが実情のようにさえ見える。本来を言えば、人間の "良心" というものが想定されない、そんな社会は "底が抜けている！" と見なされて然るべきなのだろうが......。<br /> ]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/02/inner-voice.html</link>
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            <pubDate>Fri, 26 Feb 2010 18:46:35 +0900</pubDate>
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            <title>判断基準は、 &quot;セキュリティの安全&quot; と &quot;便利さ&quot; との比較、天秤考量 ......</title>
            <description><![CDATA[<p> 　知らず知らずのうちに、ネットでの "ブックマーク" システムを愛用するようになっている。まあ、別に目新しいことではなく、今や多くのＰＣユーザーが利用しているシステムであろう。<br />
　ちなみに、活用しているのは＜はてなブックマーク＞であり、ちょいと概要を引用すると以下のとおりだ。</p>

<p>＜■ はてなブックマークとは<br />
　後でもう一度見たいページを保存しておくブラウザの「ブックマーク」。通常コンピュータの中に保存されて他の人の目には触れられることがないブックマークですが、これをウェブで公開し共有すると、これまでになかった新しい体験を味わうことができます。<br />
　はてなブックマークはオンラインにブックマークを保存する便利なオンラインブックマークツールであると同時に、そのブックマークを公開し共有することで新しい情報体験を提供する、ソーシャルブックマークサービスです。はてなブックマークを利用することで、ウェブ上の一つ一つの情報をより深く消化することができるようになり、また有用な情報をより少ない時間で見つけることができるようになります。<br />
より具体的には、はてなブックマークは以下のように利用することができます。</p>

<p>■ ウェブがあればいつでもアクセスできる、個人用のオンラインブックマークツールとして利用できます。<br />
■ ブックマークを公開できるので、はてなブックマークのユーザー同士で話題/感想を共有するコミュニティとして利用できます。<br />
■ 旬なニュース、面白いネタ、役に立つ情報を見つけるためのメディア、情報源として利用できます。<br />
＞（<a href="http://b.hatena.ne.jp/help/about" target="_blank">「はてなブックマーク　ヘルプ」</a>より）</p>]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/02/post-758.html</link>
            <guid>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/02/post-758.html</guid>
            
            
            <pubDate>Thu, 25 Feb 2010 19:06:08 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>かつての &quot;トヨタのカンバン方式&quot; から &quot;トヨタの新・現地経営方式&quot; へ ......</title>
            <description><![CDATA[　今日は待ちに待った春めいた日となった。気温も１０度を上回り陽射しも暖かい。戸外が心地良いというのは、萎縮しがちな心持ちが解きほぐされるようでありがたい。<br />　そんな陽気の良さとともに、どうということもないのだが、ここしばらく拘泥してきた一台のＰＣのチューニングがやっと手離れするようになり、これもまた気分解放のひとつとなった。<br />　完了することにさしたる意味があったわけでもないのだが、当初思い描いたゴールに達しないのがなんとも気分が悪く、拘り続けてきた。途中で放り出す気になれず、そのうち次第にむきになり始めたから始末に負えない。<br />　さらに、こんなことが上手く行かないでどうする、といった調子の脅迫観念のようなものが立ち上がって来て気分を一層急かすのだ。 "悪い心理パターン" そのものである。<br />　どうも最近は、自縄自縛的に、いや下手をすれば自虐的に自分の気分を追い込んでいるようでまずい。 "まとまった規模のターゲット" を見失い、手元の細々とした茶飯事に視野を狭めているからだろうと了解はしている。<br /><br />　 "先手必勝" という眩(まぶ)しい言葉がある。 "攻撃は最大の防御なり" という勇ましい言葉もある。万事、これらの言葉のごとく振舞っていられたら、さぞかし気分は爽快で、持てる力も１００％以上に発揮できるはずだ。それが人間というものだろう。<br />　その逆に、 "守り" の姿勢に引き篭り始めて、なおかつ打つべき手も "後手後手に回る" という湿った感じの循環に足を踏み入れると、どういうものか万事が "裏目裏目" に出始める。誰もが何度も経験している成り行きのようである。<br />　個人的な昨今の心理について書いているわけだが、こうした雰囲気、空気に浸され、支配されつつある職場や組織も、昨今では決してめずらしくないのかもしれない。<br />　なんせ、今の時代環境は、何が希薄かといって、 "まとまった規模のターゲット" が設定しにくくなっていそうだからだ。いや、絵に描いた餅のような荒唐無稽な "ターゲット" ならばスイスイと並べ立てることもできよう。問題は、相応の実現可能性を宿した "ターゲット" なのである。<br /> ]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/02/post-757.html</link>
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            <pubDate>Wed, 24 Feb 2010 19:07:42 +0900</pubDate>
        </item>
        
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            <title> &quot;オーバーヘッド&quot; を削減しつつ、機能アップを図るという当たり前の方向 ......</title>
            <description><![CDATA[　やはり、 "Windows Vista" は "重過ぎる" 。別な言い方をすれば、 "オーバーヘッド" （「間接費」と言う意味から転じたコンピュータ用語。あるコンピューターの処理を実行するのに付随する作業を指すもので、処理に時間がかかるようになるなど、システムの負荷になるものを指す。）が大き過ぎる。<br />　 "Windows 7" が登場しているのに、いまさら "Vista" というのは、テンポが一周遅れにズレてはいる。これまで、 "Windows Vista" は "重過ぎる" という評判のため、本格的に使うのは敬遠してきたのだ。が、たまたま手元にあったプリインストール版のＰＣを使うことになり、いろいろとチューニングをしてみると、やはり噂どおりの "重さ" を痛感したのである。<br />　自分はどちらかと言えば、ＰＣは "重装備" であるよりも、頻度高く使うアプリケーション・ソフトがサクサクと軽快に稼動する、そんなＯＳに好感を抱く。だから、今でこそ "Windows XP" を常用ＯＳとしているが、ちょいと前までは "Windows 2000" を愛用していた。<br />　アプリケーション志向の立場に立つと、上位ＯＳに乗り換えた時、必ずしも従来使って来たアプリケーション・ソフトが、そのＯＳに対応しているとは限らないのも、ホイホイと乗り換えたくない理由のひとつであった。<br /> ]]></description>
            <link>http://adhocrat.net/adhocblog/2010/02/post-756.html</link>
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            <pubDate>Tue, 23 Feb 2010 20:51:11 +0900</pubDate>
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    </channel>
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