第三話 鍵っ子かもめの秘密

| | コメント(0) | トラックバック(0)


 第三話 鍵っ子かもめの秘密



 いつしか辺りは薄暗くなり、遠い川岸の建物には点々と明かりが灯っていた。
ただでさえ透明度がなく、どぶの水のように黒く濁った水面は、不気味にその明かりを映していた。
 時折、だだっ広い水面を、まるで履くように涼しい一陣の風が通り過ぎてゆく。
そのたびに、波が生じ、身体が揺れた。
もう、皆が空腹と心細さにさいなまれていたに違いなかった。
すでに『いかだ』は目黒川を下り、河口に出て、四号地などの埋め立て地にはさまれた海に近い運河に乗り出していたのである。

 畳二畳ほどの手製の『いかだ』には、マストのような柱が立てられ、そこそこの推進力が発揮できる櫓も取り付けられていた。
つい先ほどまで、少年は、櫓をこぐ役を果たしていた。次第に海らしい波に遭遇し始めるに至り、年上のコンドウさんに替わったのだった。親戚のタケちゃんと彼と同級のコンポンは、オールを使って無心に漕いでいた。
 マストにつかまりながら櫓の動きを見つめていた少年は、じわじわと高まってくる不安と後悔、そして恐怖心にこころを占領され始めていたのだった。
 「あっ、まずい!」
と、その時、コンポンが叫んだ。
コンポンは『いかだ』の進路のななめ前方を指差していた。
いつの間にか、夕闇のなかに大きな背丈の黒い影が出現していた。
貨物船である。
その巨体は、うねる波を生み出しながら、すべるように前進してきた。
海面を這うような低い位置の『いかだ』にとって、その光景は、恐怖心を煽りたてられるのに十分過ぎた。
 巨大な黒い怪物のかき分けたうねりは、木の葉の『いかだ』を捕えようとするかのように、静かにそして迅速に迫って来た。
緩やかな第一陣が『いかだ』をゆっくりと上下させた。かと思うと、間髪を入れず到達した第二波が『いかだ』の上に置かれた水筒や菓子袋を流し去った。
そして次には、身を低くしていた全員に、激しく覆いかぶさってきた。
その後も波は容赦なく訪れた。
『いかだ』は、上下左右のおかまいなく、まさしく木の葉同様に翻弄され続けた。
四人は、必死にマストの根元にしがみついていた。いつ止むとも知れぬ信じられない揺れの中で、ただただしがみついているほかなかった・・・

  少年たちが、『いかだ』を出航させたのは、いつもの遊び場である目黒川の川岸であった。
river2.jpgそこは、二車線ほどの幅のある裏通りが突然、河口に近い目黒川に直面して行き止まりとなるそんな場所である。
川の景色でも見ようと思わぬかぎり、近所の人でさえ近づかない空間であった。
そんな事情を読み込んだ子どもたちが、いつしか我が物顔の遊び場と化していたのである。
 コンポン、本名根本さんなどは、ほとんどここを自分の庭と見なしていた。
中学生であったが、妙に大工作業が好きな人であった。学校から帰ると毎日、自作の道具箱を職人よろしく左肩に背負って、すたすたとここへやって来るのである。
野菜や植木を育てるための、植木鉢用木箱をさんざん作った。
しっかりとした縁台も作った。
やがて、大きな鶏小屋を作った。
そして、物見台のような鳩小屋まで建築してしまったのだ。
もちろん中味の植物や動物も好きで、小遣いで惜しみなくえさのとうもろこしを買っていた。
鶏や鳩もコンポンにはよく懐いていた。
 「あいつは、お母ちゃんが再婚したから、家に居たくないんだよ」
と訳知り顔で言っていたタケちゃんの言葉を、少年は時々思い出した。
 少年は、こんなコンポンを、むしろタケちゃんより慕うのだった。

 ところで、この当時の少年の日常は、いわゆる「鍵っ子」という言葉で表現できるだろう。
 誰もいない薄暗い四畳半の部屋に帰宅すると、吊り下がった蛍光灯を点ける。
母親が用意していった菓子をほう張り、宿題をあっという間に済ませてしまう、そして階段を転がり落ちるようにして明るい戸外に飛び出すというのが、この頃の少年の日課となっていた。
そして、夕刻のお使いの時刻までは、くたくたになるほど遊びまくるのだった。
姉がいたことも幸いしてか、いつも母親が勤めで夜までいないことを別段寂しがるふうは見せなかった。
 北品川にも慣れてきた少年は、もはや、祖父の館の中で女の子たちとは遊ばず、近所の四、五才年上の「悪がき」たちの仲間に入れてもらっていた。
Kちゃんの兄で、叔父にあたるタケちゃんに付きまとううちにそうなった。そして、タケちゃんがいない時でも連中と遊ぶことが常となった。
「やすべえ」というあだ名までもらい、仲間の一員として認知され始めていたのだった。

 うららかな土曜日の午後、いつものように少年たちは目黒川川岸、「コンポンの庭」にたむろし始めていた。
いつも何かを作っていたコンポンであったので、集まってくる少年たちは、いつしか好奇心と期待感を抱き、いそいそとやって来るようになっていた。
近所の大人たちでさえ、煙草をふかしながらやって来ては、
 「今度は、何ができるんだね?」
などと冷やかしていった。
 しかし、今回の建造物への少年たちの関心は、いつもとは違っていた。夜、眠る前にワクワクと思い起こすといった程に熱が入っていた。
しばらく前から、コンポンは、大きな『いかだ』を作り始めていたのである。
当時、目の前の広い川には、釣り舟が頻繁に往来していた。それらを目にするにつけ、自分で自由に操れる乗り物への憧れが、少年たちの胸の内に蓄積していたのである。
 この川岸には、上流からごみといっしょに古い木材なども流れてきたので、コンポンは材料には困らなかった。
今回は、これまでの収集物のうちの大物の材料を援用する大事業となっていた。
枕木のような角材を結集させ、中央にはヨットのマストのような太い柱まで打ち立てる構想となっていた。
 中でも、推進力として三メートルほどの、ほぼ本格的な櫓を取り付ける計画があり、それは、自ずから「遠洋航海」への夢と意志を示していた。
 しかし、櫓の具合の調整が難航していた。本体はほぼ完成し、すでに何度か対岸までの運行は試されていたが、どういうものか櫓に不具合が残り続けるのだった。櫓を載せる受け側の凸部分の木材が崩れてしまうのである。
 目黒川河口を出て、埋め立ての四号地、現在で言えば天王洲アイルを周回するといった「遠洋航海」予定の今日になっても、まだ櫓の問題が出航を遅らせていたのだった。
 初夏の日差しが、長い影を作り始めた頃、何度も自宅と川岸を往復していたコンポンが、何やら黒っぽい金属を抱えて走ってきた。
櫓を載せる受け側を、何かの機械部品でまかなおうという思惑だったのだ。そして、実にこれが効を奏することとなった。
 「じゃあ、行こうぜ!」
と、偉そうにタケちゃんが言った。
 「最初は、コンドウとやすべえがオールだよ」
と言いながら、コンポンは長い櫓を担ぎ『いかだ』に向かって川原を歩き始めた。
 引き潮になると、中央だけの三分の一に川幅が縮み、ごみだらけの川原が露呈するのが目黒川だった。しかし、もう満ち潮が始まりつつあり、長いロープでつながれた『いかだ』は、半身を浮かし、ゆらりゆらりとしていた。
 櫓の具合が良いとみえ、思いのほか『いかだ』は快適に進むのだった。何をやっても器用なコンポンは、熟練の船頭のように櫓を漕いでいた。
ごみの川原で見守る、ほかの子どもたちの手を振る姿がだんだんと遠のいていった。
 お世辞にもきれいな川とは言えなかったが、川面を吹く風は心地よく、じわっとくる開放感に酔いしれた。
 いつも見慣れた大きな橋を、下から見上げながら通過した。橋の歩道を行く人が、ちらりと顔を向けたあと、「ええっ!」というようにして、立ち止まってこちらを見続けていた。
少年は、胸の内で『行ってきまーす!』と叫んでいたに違いない。
 「やすべえ、漕いでみるか」
 「いいの?」
 「この辺はまだ波が無いから漕ぎ易いよ」
 少年は、オールを引き上げ、櫓を止めて待つコンポンと替わった。
 少年が櫓を漕ぐのは決して初めてではなかった。以前にも、船宿の小さな伝馬船で教えてもらっていた。ただしコンポンが手作りした櫓を漕ぐのはもちろん初めてである。
 だが、実に滑らかに操ることができた。水面に浮いた青っぽく光る油を切り刻むように、櫓の先は調子よく動いた。
少年は、もう得意満面の気分となった。
 十分に無謀である『いかだ』だったが、誰言うとなく、川岸に沿いながら進むこととなっていた。
しかし、進路の都合で対岸に向かって川を横断する際には、皆が緊張を隠せなかった。
 「コンポン、前に落っこちた時どんなふうだった?」
と、タケちゃんが突然ややうわずった口調で切り出した。
 「水が濁ってるから、どっちが水面だか分かんなくてあせっちゃったよ」
 「それでよく赤痢なんかの病気にならなかったよな」
 「服のにおいが取れないもんで、結局母ちゃんにばれないように捨てちゃったよ」
 必死で櫓を漕ぎながら、「母ちゃん」という言葉が耳に入った時、少年はドキッとしたものだ。
もちろん、こんなことをしていることは内緒にするつもりでいた。タケちゃんだって、義理の姉の母親から怒られるに決まっているから話す訳はないはずだ。
しかし、このどぶ川に落ちて、服のにおいが消えなかったらどうするかが、にわかに心配になってきたのだった。
 ようやく対岸にたどり着くと、少年は汗びっしょりで、櫓を握る掌も、腕も痛くなっていた。また、次第に水面の波も、海特有の荒い波に替わり始めていた。
四号地の河岸のコンクリート壁には、細かい貝が付着し、フナ虫がざわざわと蠢いていた。時々、壁に叩きつけられた波が、白い波しぶきをつくっていた。
 四号地の東側の運河に出た頃、
 「コンドウ、替わってやれよ」
というタケちゃんの言葉で、少年は櫓を替わることになった。
 それにしても、あっという間に時間は過ぎていたのだ。
対岸にそびえる火力発電所の煙突のてっぺんには、赤いランプが際立って光り、何かを警告するかのようだった。
もう、先ほどまでの夕日は見えなくなり、空の明るささえ翳り始めていたのだった。

 こうして、しばらく後にあの貨物船に遭遇することになってしまったのである。
 幸い、少年たちが身を低くして『いかだ』のマストに、夢中でしがみついている間に、波は『いかだ』を四号地の岸壁に押し寄せてくれたのだった。
転覆するといった最悪の事態には至らなかったのが幸運だった。
 波が収まったあと、少年たちは、暗くなり、やがて真っ暗となった運河と川を、ただ黙々と漕ぎまくった。そして無事母港に戻ることができたのだ。
河口の大きな橋の橋げた越しに、「コンポンの庭」の鳩小屋が見えてきた時、少年はホッとため息をついた。
最年少とはいえ、男仲間の面子の手前、弱音を吐くことはしたくなかった少年だったが、今度ばかりはこたえていた。
多分、他の年長者たちも、内心胸を撫で下ろしていたに違いなかっただろう。

 部屋に戻った時、姉が、何か臭いんじゃないのと言ったかどうか、また、お使いをしなかったことを責めたかどうか、そんなことは少年は忘れてしまった。
ただ、母親、そしてもう東京に来ていた父親にばれなかったことだけはしっかりと覚えている。
 『これは今までで最高の秘密やろうな・・・』
と、少年は自問し、そして心理的な重荷を、またひとつ背負い込んでゆくのであった。
 しかし、これで『鍵っ子』の少年が、親には話せない危険なことを避けるようになったわけでは決してなかった。
その後も、遊び中に大きな石を左足の親指の上に落として爪を崩してしまうけがをしたこともあった。
その時も、内心死ぬほどの痛さを堪え、部屋に戻り独りで包帯を巻いて治療した。そしてそのことを隠し通した。
 少年が秘密を重ねていったのは、親たちに怒られる怖さからというより、無駄な心配をさせる必要はないというひとり合点であった。そして、自分の身体は自分で守るしかないんだ、という当り前の事実を見据え始めていたのであろう。
それが正しいかどうかは別問題である。
いや、むしろ最近では、親にたっぷりと心配をかけ、親からこっぴどく怒られる、といった単刀直入な関係の重要さに関心を向けたい心境になったりしている。

 とかく、人の自律性は、似て非なるものが多すぎると言えそうだ。
やせ我慢をして、自力、自前でことを成すことが、そのまま自律的であるというわけではないのかもしれない。空疎な自己を抱えながら、他者との関係を絶ち、外見だけ一人前を装わされた世代があるとすれば、なおのことそう感じさせられるのである。
 現代にも通用する、いや、現代を救うことになるであろう個人の自律性とは、いったいどんなものなのだろうか?
べったりと周囲の人々に埋もれることでもなければ、かといって「独り寂しくもの凄く!」のスタイルでもない何かなのだろうが・・・
 いずれにしても、本格的な『鍵っ子』が登場する数年前にも、少年のような先駆けが同じ学級に二割程度はいたのである。そして三十年代後半の本格的消費ブームには、大量の『鍵っ子』たちが排出されたという。
『鍵っ子』たちが抱かされた寂しさは、彼らを一面で強くしたはずである。しかし寂しさを口に出せないひずみは、問題を先送りにしてしまったという可能性のあることも、あわせて想像すべきなのかもしれない。
 あの時のコンポンは『鍵っ子』と同様の、いやそれ以上に自律を無理強いされた境遇にあったはずである。しかし、見事というほかない程に、寂しさを上手に処理していると見えた。
その後、うわさでは、コンポンは、夜間高校を卒業したあと、自衛隊の通信部隊に入隊したという。コンポンは今、どんな家庭を構築し終えているのだろうかと、ふと、思いめぐらすことがある。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 第三話 鍵っ子かもめの秘密

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://adhocrat.net/mt/mt-tb.cgi/196

コメントする

リンク

このブログ記事について

このページは、yasuo hiroseが2008年5月28日 11:14に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は、
◆ 「第二話 かもめたちの群れ
です。

次のブログ記事は、
◆ 「第四話 かもめたちのすみか
です。

最近のコンテンツは、
インデックスページ
で見られます。

過去に書かれたものは、
アーカイブのページ
で見られます。

カテゴリ

ウェブページ