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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





………… 2001年8月の日誌 …………

2001/08/01/ (水)  青少年の結婚観、性意識調査結果について考える!
2001/08/02/ (木)  子どもたち!夏休みは思いっきりのんびりしなさい!
2001/08/03/ (金)  「官の聖域」で温存されている癌を切除すべし!
2001/08/04/ (土)  いよいよ、HP作成実習《3》「町内パソコン教室」堂々第十二回!
2001/08/05/ (日)  ひょんなことから、定番づくしの盆踊りを撮影?
2001/08/06/ (月)  犯そうにも犯せない現実的な仕組みを創り出すこと!
2001/08/07/ (火)  気持ちのデフレ・スパイラルから回避しよう!
2001/08/08/ (水)  リーダーは、自然で、虚栄を張らない人がいい!
2001/08/09/ (木)  被爆体験、戦争体験の語り継ぎは必須項目!
2001/08/10/ (金)  「話しても無駄!」と「話さなくても分かる!」
2001/08/11/ (土)  「町内パソコン教室」とりあえず堂々《 最終回 》です!
2001/08/12/ (日)  ついでだから、「バッジ」について考えてみた!
2001/08/13/ (月)  日替わり中華ランチを一年間お届け?!
2001/08/14/ (火)  弱者たちの痛みを逆撫でする言動はいかがなものか?
2001/08/15/ (水)  戦争を是認する者たちの次の手は何?
2001/08/16/ (木)  管理人日誌、継続「百日目」を向かえて!
2001/08/17/ (金)  何十年も前の過去の地層に埋もれたことばの化石?
2001/08/18/ (土)  その身を経済戦士にやつしてきた者たちの自己回復?
2001/08/19/ (日)  われわれが「鵜の目鷹の目」で探すものは何?
2001/08/20/ (月)  セミと一緒に、「往く夏」を振り返ってしまった!
2001/08/21/ (火)  経済と、テクノが世界を閉じてしまった!?
2001/08/22/ (水)  台風は「いる」もの?シクラメンは「飼う」もの?
2001/08/23/ (木)  「30歳前後のITスペシャリスト」の名前をプリーズ!
2001/08/24/ (金)  高度な「情報化/消費化社会」の中の古典的な不況?
2001/08/25/ (土)  「インフレ・ターゲット(目標)」なる金融政策案?
2001/08/26/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (1)
2001/08/27/ (月)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (2)
2001/08/28/ (火)  「消化人生」なんてものがあってたまるか!
2001/08/29/ (水)  ダメもとでも、昭和恐慌史に温故知新の眼を!
2001/08/30/ (木)  牛丼業界の身を切る苦しさは「ひと足先」の出来事か?
2001/08/31/ (金)  流行性「貧すれば鈍する」症候群からの脱却が緊急課題か?



2001/08/01/ (水)  青少年の結婚観、性意識調査結果について考える!

 現在のわが国の「歪み」が、経済面に限られないのは残念なことです。とくに教育に関係する家庭、学校、地域社会の荒廃が、青少年にさまざまな悪影響を及ぼし続けて来たことが懸念されてきました。相変わらず、殺人集団と化した暴走族が、残虐な犯罪を続けているようで、昨日も若い僧侶がひとり、20〜30台の暴走集団に殺されたという事件が報じられました。なんとも痛ましい限りです。
 暴走するのは、男子たちだけではなく、青少年女子たちも迷走を続けていることを知っておきたいと思います。
 (財)日本青少年研究所による最新の意識調査の結果が発表され、やはりという驚きが隠せなかった人が多かったのではないでしょうか。同研究所は、日本、米国、フランス、韓国など四カ国の中学二年生、高校二年生の男女3700人を対象にして、結婚や性行動についての意識調査を行ったとのことです。
 まず、結婚については、「必ずしなければならない」と答えた生徒は、米国が79%であるのに対して、日本の生徒たちは20%。結婚前の性交渉を認めるとの回答は、日本は54%で、フランスに次いで多く、韓国、米国を上回っていたそうです。そして、こうした傾向は、女子生徒に強く表れており、女子生徒の86%が「結婚はしなくても構わない」と考え、「結婚前の性交渉を認める」についても62%に上ったといいます。
 また、「人生で最も大切な目標」に関しては、日本は、「人生を楽しんで生きること」が62%と高く、各国に較べて際立って高い数字を示したそうです。「高い社会的地位や名誉を得る」については、米国が41%であったのに対して、日本はわずか2%に止まったともいいます。
 これらの結果からはいろいろなことを考えさせられます。まず第一に人間関係の難しさが表面化、自覚化されている現状が挙げられそうです。すでに、若い世代の意識として、全人的な人間関係が敬遠され、相手に踏み込まず、踏み込まれずというやや距離を置いた関係を望む傾向が指摘されていました。また、現状で、ややもすれば悪戦苦闘している親たちの結婚後の姿を身近で見聞するなら、結婚という制度をわずらわしいものと受けとめてゆく風潮は、あながち現実離れしたものではないのかもしれません。しかも、シングルが生活してゆけるための生活環境は、不足なものを見出すのが困難なほどに商品化されている現代でもあります。
 性意識についても、結婚への意識比重が低ければ、上記のような結果が出て来るのは必然的なのかもしれないと思われます。
 ただ、「高い社会的地位や名誉を得る」が低いのは、これらを得ている日本の大人たちの節操のない姿がそうさせているとの推測を成り立たせますが、「人生を楽しんで生きること」への際立って高い比重は、荒廃した刹那主義を強く懸念させます。決して悪い判断ではないのですが、観念的であり、よく思量された判断だとは思えないのです。学ぶということが、現時点で喜びに繋がらなかったり、将来への望みとうまくリンクできなかったりしている教育環境の問題がまず大いに懸念されます。
 また、高い社会的地位や名誉を傷つけるものが多く、それ自体を求める意欲を減退させることは分かるのですが、より充実した挑戦や、仕事や、行動などができるチャンスは、どんな社会・時代でも、それらと無縁ではないというリアルな思考力を与えてゆかなければならないように思います。ノーマルに生きる努力をしている大人たちが、こうした世代と、実のあるコミュニケーションをもっともっとしなければならないことを痛感させるのです。初めから「どうせ……」といった諦めに支配された、まるで世捨て人のような感覚を若い世代が持ち始めているとするなら、大人たちの責任は甚大だと感じます…………(2001/08/01)

2001/08/02/ (木)  子どもたち!夏休みは思いっきりのんびりしなさい!

 近所の子どもたちも、今日はいくらか涼しいためか、昨日までは水着になってはしゃぎ回っていたビニールプールには近寄っていないようだ。それでも、弾む甲高い子どもの声がどこからか聞こえてくる。すいか模様のビーチボールがプールに残った水の上でゆらゆら揺れている。
 今でも、小学校などでは早朝のラジオ体操をやっているのだろうか?わたしが子どもの頃、小学校低学年の頃には、夏休みといえども、朝六時からのラジオ体操のために登校した記憶がある。夏休み中のすべての日ではなかったかもしれない。その日の参加印を押してもらう、現在で言えばショップのポイント還元カードのようなものを首からぶら下げ、朝日でできた日陰を探しながら学校へ向かったものだ。よその家の玄関先の、手入れされた朝顔に目をやったり、畑で背丈以上に伸びたひまわりを見上げたり、普段の登校とは幾分異なったのんびり気分でこなしていたように思う。
 子どもたちにとっての夏休みは、「のんびり」した気分となれるところがなんといってもうれしいのである。大人とて、子どものころの夏休みを思い起こし気分がなごむのは、そうした「のんびり」気分を懐かしく呼び覚ますからなのだろう。
 のんびり気分ではあっても、午前中は、宿題のドリル、絵日記帳などにとりあえずは向かうことになる。鉛筆を削ってみたり、かぶと虫のかごが気になってかごから取り出してみたり、のどが乾いたといってはコップに飲み物を入れてきたり、はかどるはずがないのである。
 昼寝から醒めた頃に、チリンチリン、チリンチリンと、昔の学校で鳴らしていた鈴の音をたてて、屋台の「わらび餅」屋がやって来るのが楽しみだった。炎天下で陽射しを遮る屋台の屋根の下は、涼しげに思えた。覗き込むと、真中に氷を浮かした水槽があった。おじさんは、脇の容器から小さな網で取り出したわらび餅を、その氷水に浮かべる。二、三センチの米粒型をした半透明のわらび餅が小魚のように泳いだ。やがて、それらは小さな網ですくい上げられ、水を切られて、金皿のきな粉の上にあけられ、きな粉用の網で転がされる。そうしてきな粉まぶしになった「わらび餅」たちは、舟型の経木にぱらぱらと載せられ、「はい、お待ちどう!」となるのだった。楊枝で刺して口に入れると、ひんやりとした舌触りと、香ばしく甘いきな粉が絶妙なおいしさを作りだした。後年、いろいろなところで「わらび餅」と称するものを口にしたが、いつも求めたものと異なりがっかりするのだった。
 夏休みの夜の楽しみは、蚊取り線香を脇に置きながらの花火と決まっている。日中に、近所の駄菓子やで、おもしろそうな花火をバラで買っておく。何の飾りもない白い封筒大の袋に入った花火は、気になってしょうがない子どもの視線を浴びながら、整理ダンスの上で夜を待つ。そんな日の夕飯は、そそくさと終わってしまう。半ば水を満たしたバケツを備え、父親がマッチ箱を手にする。どれから始めようかと迷ったりして、一番高かった吹き上げ花火は最後に回る。細長い紙っぺらのチカチカ音をたてる平凡なものが前座となったりする。じっと吊り下げるだけでは物足りなくなり、振り回したりして怒られたりもした。吹き上げ花火は、みんなの顔がよく分かるほど明るく火花を吹き上げたが、あっという間に終わってしまうのだった。袋の中で、忘れられていた線香花火が最後をしめくくった。パチッパチッと雪の結晶のような火花が散り、名残を惜しませた。
 たとえその喜びが実にささやかなもので彩られていようとも、大人となって世知辛い感覚で埋め尽くされてしまい、生きることに息苦しささえ感じた時に、眩く、そして潤いのある想い出となって蘇ってくるのが、子ども時代の夏休みなのであろう。(2001/08/02)

2001/08/03/ (金)  「官の聖域」で温存されている癌を切除すべし!

 「競争」社会をどう思うかと尋ねると、怪訝な顔つきをされる方もいらっしゃる。子どもたちの運動会での徒競走さえ、負けた子がかわいそうだからとばかりに「競争」を受け容れたがらない方もおられるとか。
 確かに、みんな揃ってとか、みんな平等にという発想に馴染んできたわれわれ日本人にとって、何でもが競争という環境となれば、不安を感じさせるものがあるだろう。しかし、今、有無を言わせぬ形で「競争」原理が取って代ろうとしている。国境を取り払われた経済活動、経済のグローバリスム化が、「みんな揃って」原理(護送船団方式?)を、「競争」原理のうねりで置き換えようとしていると言える。
 また、この時代趨勢は、「競争」原理と抱き合わせに、「自助努力」という原理も忍び込ませてきているはずなのである。
 つまり、「みんな揃って」原理を国や社会の主要な原理とした場合は、国や社会が後見人的な役割を果たすことになり、後見人的役割を自認する政府が、経済活動にせよ、福祉にせよさまざまな場面で調整的な介入をしてきたのである。このあり方を、「大きな政府」と言い、必要とする国家財政もかなり大きなものとなるのである。
 ところが、国家財政が現在のわが国のように逼迫してくると、とかく多大な財政的背景を必要とする政府の介入は事実上不可能となってくる。まして、海外自由主義諸国が貿易の自由化を迫ってくる時代となると、「競争」原理が貫かれた経済市場に任せることの方が自然であり、政府が介入することが不自然とさえなってくる。要は、民間の動き、市場における自由な競争原理が主流となってくるのである。こうした方向を目指すあり方は、「小さな政府」と言われている。
 そして、「小さな政府」の発想は、経済活動に介入する度合いが少ないとともに、経済活動の犠牲者(?)の救済(社会福祉諸制度)も消極的とならざるを得ないことになる。ここから、「自助努力」という原理が浮かび上がってくることになるのである。
 昨今、取りざたされている「構造改革」は、バブル崩壊後の後始末としての不良債権処理という問題がクローズアップして、それ以外のイメージは定かに伝わってはこないのだが、大筋では「小さな政府」の方向であることは間違いないと思われる。
 ところがなのである。不良債権問題も、きわめてわが国固有の負の問題がまつわりついていた。だが、この「小さな政府」へ向けての針路変更に関係して、わが国に特殊な巨大な負の問題が横たわっているのである。もはや危機的となっている国家財政であるにもかかわらず、さまざまな部分から資金を流出させ、民間に対して「自助努力」や「競争」といった奇麗事など言えない実態が潜んでいそうなのである。
 しばらく前に、KSD問題という庶民や中小企業経営者の現状の苦しさを逆撫でするような事件が話題になった。贈収賄も問題であったのですが、労働省という官僚機構が、官僚天下り先の財団法人、特殊法人、公益法人などの下請け的団体と癒着して、国家財政から多額の補助金を引き出し、不明朗に支出していたことが問題であったわけなのです。KSD問題は、現在の官僚機構が関係しているグレーゾーンの問題の単なる氷山の一角であり、今なお、官僚機構と不透明なかたちで癒着し、膨大な補助金が流れ込んでいながら、情報公開されていない政府系の団体が無数にあると睨まれているのです。
 国民や民間には、苦しい痛みを強いながら、「官」のエリートたちは、「規制」という錆びた宝刀を振り回しながら温存させている無数の「公益法人」などに群がっているという。年収何千万円、退職金何億何千万円という私腹を肥やすのが直接的動機だと見てとれるが、そのために世界の自由主義経済が要請している自由な経済活動の足かせを確実に残存させ、日本の経済回復を足踏みさせているのである。
 IT(情報通信技術)を活用した経済の活性化を議論したこの春のOECD(経済協力開発機構という自由主義諸国の国際団体)でも、このような「規制」を大幅に残した日本の現状が鋭く批判されているほどである。
 本当に日本の将来、若い世代、子どもたちの未来を憂うのなら、やるべき順序を間違えてはならないと思う。「官の聖域」で温存されている癌を切除せず、制癌薬だけを投入して生理的機能低下をもたらす現状の治療法は、瀕死のわが国を、死に至らしめると思えてならない…………
(岩波新書『公益法人』北沢 栄著 \.700.-をお読みください!)(2001/08/03)

2001/08/04/ (土)  いよいよ、HP作成実習《3》「町内パソコン教室」堂々第十二回!

 はい、皆さん、こんにちは!
 HP作成実習も、いよいよ第三段階、サーバーへの「アップロード」となります。
 先ほど、手元のPCでの、皆さんが先週作ったHPスクリプトのテストを見せていただきましたが、全員OKでしたね。キムラさんなどは、サンプル・スクリプトをいろいろ改造して、結構見栄えの良いHPに仕上げておられました。改造は今後の実習で予定しているので、皆さんもおいおいグレードアップすることを楽しみにしてください。

 さて、今日は、サーバーへの「アップロード」の実習をしましょう。本来は、皆さんが各自契約したプロバイダーによって割り振られた、プロバイダーのウェブ・サーバーの所定の場所へ、例の「FTPソフト」を使って送信するわけです。
 ただ、ここでの実習では、LAN(ローカル・エリア・ネットワーク)を使ったプロバイダーのウェブ・サーバー「もどき」に向けて送信していただくことになります。こうした仕組みは「イントラネット」と呼ばれており、インターネットと同じTCP/IPという通信方法が使われ、インターネットのローカル版と言えます。現に、会社内のコミュニケーションなどに活用されているのです。電話回線に繋げられていないので、もちろん外のインターネットにアクセスできない点、外からアクセスされない点が、通常のインターネットと異なるところです。
 しかし、「アップロード」の操作はインターネットとまったく同様ですし、他の方のHPも、それぞれのURLを入力すれば閲覧できますし、感覚的にはインターネットと何ら変わるところがありませんので、HPのテストの環境としてはパーフェクトだといえます。ちょっと難しい話をすれば、HPでよくお目にかかる「掲示板」とか、「カウンター」とかは、スクリプトがCGIという特殊な言語で作られているのです。そして、プログラムにミスがあると、最悪、プロバイダーのサーバーに被害を与えることもあり、このCGIを禁じているプロバイダーもあるくらいなのです。そこで、そのCGIを使ったHPのテストなどを、このLAN形式の環境で実施している人もいるほどに、この環境は実践的意味があるということです。

 さて、LAN環境およびウェブ・サーバーの設定、それからウェブ・サーバーには皆さんひとりひとりの指定席としてのフォルダーも作ってあります。それから、ユーザーIDとパスワードもこちらで設定しておきました。ここに、それぞれの方の分を記入したメモを作っておきましたので、お配りします。天王ラーメン、田中さん、細田さん、勅使河原さん、吉永さん、キムラさん、はい、それぞれアルファベットの名前と数字を中心としたパスワードが書かれてありますね。よく確認してください。
 それでは、「FTPソフト」の「FFFTP」をダブル・クリックして開いてみてください。「ホスト一覧」という小さなウィンドウが表示されましたね。「ホスト」というのはプロバイダーなどに設置されたウェブ・サーバーのことなんです。
 一番上の「新規ホスト」をクリックしましょう。順次、入力してゆきます。
 「ホストの設定名」……プロバイダーの名称。この実習では「daibasou」。
 「ホスト名(アドレス)」……プロバイダーから指定された「FTPアドレス」。この実習では「192.168.1.1」。
 「ユーザー名」……自分のユーザーID。
 「パスワード/パスフレーズ」……自分のパスワード。
 すべて入力できたら、「OK」をクリックします。すると、先の「ホスト一覧」のウィンドに戻り、そこに「daibasou」の表示がでていますよね。これをクリックで選んでおき、下にある「接続」ボタンをクリックします。
 どうですか?右側のウィンドの上の欄には「/home/ユーザー名」が、また下の大きな欄には「WWW」などのフォルダーが表示されていますね。それならば結構です。その「WWW」のフォルダーをクリックするとどうですか?まだ何もないですね。ここに、皆さん各自のHPのスクリプトや画像ファイルを収めることになるわけです。そのまま空白の状態にしておきましょう。その前に左側のウィンドの設定をしましょう。
 左側のウィンドは、自分のPCの内容が表示されているのです。左上の上向き矢印のアイコンをクリックしましょう。さらにもう一度クリックすると、上の欄が「c:\」に変わります。そして、下の欄に、Cドライブのいろいろなフォルダー名が並んでいるはずです。そこから「My Document」のフォルダーを選び、ダブル・クリックします。先週作った「testhp」フォルダーが見つかったはずです。これをダブル・クリックします。
 すると、index.html、hanami.gif のファイルがあるはずです。先週、ここへ保存したのですからね。これらを、アップロードするのですが、まず hanami.gif を選び、ドラッグ・アンド・ドロップで右側のウィンドに運びます。ドラッグ・アンド・ドロップとは、マウスの左ボタンを押した状態でポインタを移動させ、所定の場所で押している指を離すことだったですね。次に、index.html のファイルをドラッグ・アンド・ドロップしてみましょう。それで、右側のウィンドにふたつのファイル名が表示されたら、アップロードが正常に終了したことになります。簡単ですよね。できた方は待っていてください。
 そこで、いよいよアップロードした自分のHPにアクセスして閲覧することにしましょう。
 細かいことを言えば、ブラウザの「接続」の部分の設定が必要なのですが、混乱するといけないので省略します。先ほど回った時に私が設定しておきましたから。
 では、ブラウザを開き、アドレスを次のように入力してください。
 http://192.168.1.1/~各自のユーザー名/
 「各自のユーザー名」の前の「~」は「チルダ」と呼ばれ、入力はキーボードの上の方にあるひらがな「へ」のキーの半角設定で、「Shift」キーと同時に押すと表示されます。「を、わ」のキーにある「〜」では表示されませんので注意してください。
 「わー、出た〜!」
 吉永さん表示されましたか、よかったですね。田中さんも、細田さんも、勅使河原さんも、キムラさんもOKですか。えっ?天王ラーメンさん、どうしました?画像にバッテン印がついて表示されませんか。どれどれ……、やっばり先週にご注意したことをまもっていませんね。ほら、「hanami.gif」が「Hanami.gif」となっていますよ。修正して再度アップロードしてください。
 では、この後、お互いのHPをアクセスしてみましょう。「各自のユーザー名」のところを、変更すれば可能です。
 来週は、HPのグレードアップということにしたいと思いますので、
@ お気に入りのデジカメ画像二、三枚をフロッピーに保存してくること、A 簡単な自己紹介文を「メモ帳」で作り、これもフロッピーに保存してくること。これを宿題とします。
 カチャカチャ、カチャカチャ、ガヤガヤ、カヤガヤ…………(2001/08/04)

2001/08/05/ (日)  ひょんなことから、定番づくしの盆踊りを撮影?

 昨夜、外食した帰り道、夜空を見上げると満月だった。撮影ごころが刺激され、急いで部屋に戻り、デジタル・カメラと三脚を用意した。さて、と思った時に電話が鳴った。同僚が、月曜日は夏休みにしたいけど担当している仕事を替わってくれないかとだらだらと長話をしてくる。やっとのことで、表に飛び出すと、ややや、月が無くなっていたのだ。夜空を探すと、いつの間にか雲が広がっていた。二十分程の間に、あの品の良い満月は雲に隠れてしまっていたのだった。
 手にしたカメラと三脚に立場というものがなくなっていた。何だか部屋に戻るのも悔しいなぁとためらっていたら、♯ちゃちゃらかちゃんちゃん♪、♯ちゃちゃらかちゃんちゃん♪というあの手の音頭が聞こえてきた。眼を凝らすと、通りの向こうから浴衣姿のご婦人方が気取って歩いて来る。近くで盆踊りが催されているとの明白な推量が、渡りに舟とばかりに押し寄せてくるのだった。カメラたちの立場を救うべく、ご婦人方の後について行くことに、こころは決まっていた。
 例のごとく、アイコンをクリックしてやってください。
 近所の神社には、定番矢倉が聳え立ち、定番来賓テントが張られ、定番おばさんが踊り、もちろん定番音頭の♯ちゃちゃらかちゃんちゃん♪が大音響で流され、万事、定番づくしの貫徹された空気が充満していたのであった。
 こういう場所での撮影は、躊躇してはいけないのが鉄則で、あたかも報道関係者であるかのように、毅然としてしゃしゃり出て、シャッターチャンスをものにすべきなのだ。やはり、笑っちゃうような定番矢倉を存在感豊かにフレイミングすべきだと考え、踊りの邪魔にならない程度に人垣を掻き分けた。踊りの輪に近い場所に堂々と三脚をセットした。ところが、回り灯篭のように巡ってくる定番おばさんのどなたを撮るべきかを考え出したら、にわかに迷い始める。誰が絵になるかという思いと、誰だっていいじゃないの、誰だって同じじゃないのという、いわば基準なき水掛け論がこころの中で始まってしまったからだった。おまけに「報道関係者」たるもの毅然としていなくてはいけないのだが、毅然というのはどういう姿勢だったか、などと考え始めるにおよび、動揺が極まってしまったのである。で、結局は適当なシャッターの連続に終わってしまった。
 あえて、フラッシュなしの低速にして、踊りの動きを出そうとしたことだけが、セミプロの誇りのかけらと根性の一端なのであった。(2001/08/05)

2001/08/06/ (月)  犯そうにも犯せない現実的な仕組みを創り出すこと!

 今週こそ、戦争を思い出すべき一週間であろう。6日が広島に、9日が長崎に原爆が投下されているからだ。もう、56年が経つ。
 といっても決して過去の話にはなっていないと言うべきなのだ。被爆者健康手帳を持つ人は約29万人もいらっしゃるとのことである。過去だと言える道理がないのだ。
 一瞬にして何十万人もの人間が亡くなった上に、身体とこころに傷を背負う何十万の人々が作り出されてしまった。そして、被爆者たちは死ぬ以上の苦痛を耐え忍び、56年間を生き続けてきた。悲惨な歴史に明確な終止符を打つことによって、被害者としての自分たち自身を、歴史の過去に埋めるために生き続けてこられたに違いないと思う。
 しかし、核廃絶の国際的合意は米国の独善性によって遠ざけられ、被爆の原因であった戦争を断固退ける意思と聡明さも、現在のわが国からは薄らぎ始めていそうである。何のための、辛苦の56年間であったかとの悔しい思いが共感できる。
 わたしが始めて広島の地を踏んだのは、もう二十年以上も前のことである。当時、大学院生であったわたしは、四国の松山で開かれる学会で自分の拙い研究成果を発表する運びとなっていた。それで、瀬戸内海をフェリーで渡るべく、新幹線で広島駅を降りたのだった。
 その時のわたしには、子ども地味た他愛のない期待感があったことを思い出す。始めて到来するよそ者に対して、何十万人もの犠牲者たちの霊魂が何かを伝えてくれるのではないかという期待だった。これから、科学的な関心事が検討される場に向かおうとする者が何と非科学的な思いを抱くものかと、われながら笑止ではあった。
 初夏の広島は、照り返る道路に路面電車を走らせ、何事もなく忙しそうに歩く人々を包み、もちろん期待した何らかの特殊な印象を与えるというようなことはなかったのだ。当然のことである。
 今を生きるものたちこそが、この世の不条理に怒り、それらを糾してゆかなければならないのである。メッセージにせよ、作為にせよ、安らかとなった死者たちに、何事かを頼みにするようであっては、それこそその安らかさをかく乱することになろう。
 これと同じ何らかの漠然としたものへの依存という心理が、問題なのかもしれないのである。人間である以上そんな非道なことはできる筈がないと単純に思い込むこと。戦争なんて起こそうと考える人なんていない筈だと楽観的に思い込むこと。もしそんなことがありそうなら、きっと誰かが反対するに決まっているとひとり合点すること。動機はどうであれ、人々のこうした思い込みが破綻したことを、前世紀の歴史は何度となく証明してきたのではなかったのだろうか。信じたくはあるが、結局無力さを曝け出してしまった牧歌的なヒューマニズムを超えなければならない。そして、犯そうにも犯せない現実的な仕組みを創り出すこと、これを実践する人間の聡明さこそが必要なのだと思う。
 原爆投下を誘ってしまった日本の好戦的な指導者たち、A級戦犯たちを合祀(ごうし)されたその靖国神社を、参拝すると公言しているもの分かりの悪い政治家が、慰霊式典で空虚なことばを語っていることに、わたしは怒りを隠せないでいるのである。(2001/08/06)

2001/08/07/ (火)  気持ちのデフレ・スパイラルから回避しよう!

 デフレ・スパイラルという言葉がある。売れないために商品価格が低下してゆくことと、そのことによって生産、販売に採算割れが生じ、景気がさらに悪化してゆくといった悪循環を意味している。

 人の気持ちのこうした傾向にも、十分注意する必要がありそうだ。先日、テレビ番組で作家五木寛之が嘆いていた。最近は世情を伝える新聞やテレビのニュースに接したくない。余りにも殺伐とした内容の報道に接すると一日中気分が滅入ってしまう、と。

 人は手元に生き生きとした張りのあることがなく、手持ち無沙汰であると、ついついテレビや新聞に目を向けてしまう。しかし、昨今は、そこで得られるものときたら、さらに気を滅入らせ、気分を絶望的なものにしてしまうようなものばかりだ。五木のような感性豊かな人間ではなくとも、耐えがたい状況だと言える。

 気分の「デフレ」を誘う原因は、ふたつある。ひとつは、報道される内容自体が昨今は常軌を逸していること。そして、もうひとつは、日頃思索をする者にとっても、その解釈や対策案がまともに思案できなくなっていることだ。いわば、パンチを食らいながら反撃できない喧嘩に巻き込まれた格好となってしまうのである。

 もっと明るく、楽しいニュースを報道すべきだ!と無理を承知で叫べば、ほとんど無意味で安上がりのお笑いトーク番組が増えるだけなので、黙っているに限る。むしろ、この夏の猛暑で心配されるダムの水量のように、誰もが乏しくなっている元気を、どう「自家生成」するのかをまじめに考えるべきなのかもしれない。

 もはや、既製品や吊るしの元気を、できれば安く購入したいといった、良き物は外にあるとする思い込みは、賞味期限を過ぎているのかもしれない。われわれの感性や思考スタイルなどの内部装置自体を総点検しなければ、絶望の渦へと連なるスパイラルからは逃れられないのかもしれないと感じる。

 わたしは、昨今ようやく悟りを求め始めているのかもしれないと思うことがある。ほんの入り口付近で、右往左往しているに過ぎないのではあるのだが。ひとつには、不満を言うことに飽きたというか、言っても始まらないなあと痛感するようになってきたこと。むしろ、上手に満足できるようになりたいと考え始めたのだ。

 以前から、正確に言えば、中学の修学旅行で京都は龍安寺に行った際、徳川光圀が寄進したという手水に「吾唯足知」の紋が刻み込まれていたのを知った時から気になってはいた。しかし、高度経済成長の時期、自分のあらゆる能力を過信していた頃には、「吾ただ、足るを知る!」という表現はやせ我慢以外の何ものでもないと高をくくっていたものだ。

 しかし、自分の器量が見えてきたとともに、世界、いや地球の資源の限界も多くの人々に見え始めてきた現在、何が貴重なものであるのかを薄々感づき始めたということであるのかもしれない。奢り高ぶった自己錯覚からくる不満を野放しにしていては、こころの平静は得られず、こころが平静という境地でなければ、結局自分の意志とは無関係な外界に引き回されるだけだと思われる。こころの平静こそが、現代の価値であるに違いない。

 誰と比較するということなく、自分が恵まれていることを自覚するのはさほど困難なことではない。さしあたって、身体は日常生活を不便にさせられるような支障もなく、経済的不安はないことはないが、それでも何とか日々の生活が過ごせている。これらだけでも満足に値するものと言うべきだろう。おまけに、リスクを得ての上ではあるが、自由裁量できる時間まで与えられているのだ。そして、現代の価値基準からするならゼロでしかない文章作成の場まで与えられている。一身上に関し、不満や文句などみじんも口にしてはいけないと肝に銘じたい。

 ただ、こころの平静は、幸いではなく苦しむ人々と、他人事とはせずに接することで試されるものだろう。苦しむ他者との共感を持ち得ないこころには、深遠な平静は訪れないのかもしれない。無邪気で華奢な平静ではなく、逞しいこころの平静こそが現代に通用する価値なのであろう。

 奇麗事を並べているつもりはない。政治やビジネスやその他は、精緻な戦略・戦術や計画、かけひきなどがなくては始まらないだろうが、こころの問題に関する限りは、それらはいっさい通用しないからだ。むしろ、素朴な姿勢以外に解決の道はないと確信するが故である。多分、人間以外の動物たちは、今なおそうして上手に生きているに違いないのだ……(2001/08/07)

2001/08/08/ (水)  リーダーは、自然で、虚栄を張らない人がいい!

 十二人の陪審員たちにより、父親殺しの嫌疑をかけられた非行少年についての審議が行われ、数々の証言により少年の有罪が決定的とされるなか、疑問を抱く陪審員たちがひとつひとつ無罪を明らかにしてゆく。もう40年も前になるヘンリーフォンダ主演の映画、『十二人の怒れる男』の話である。

 結局、論理的に無罪を証明してゆこうとする十一人と、感情的に有罪を主張する一人との対立に収斂してゆく。そして、最後の男が何故、論理的に明白な無罪を認めようとしないのかが解き明かされてゆくクライマックスが訪れるのである。その男は、被告人と同世代の息子を持ち、息子との親子関係が憎悪を伴うかたちで破綻していた。被告人に、息子の姿を投影していたのだった。

 陪審員制度に基づくデモクラシーの壮絶な姿を知らされたのであったが、今わたしが思い起こすのは、次の点にある。人が偏狭な感情に呪縛され、事実を冷静に承認できなくなる背景には、本人にとっては相応と言えるなにがしかの心理的対応物が潜伏しているという点である。「トラウマ」(trauma=心的外傷:子ども時代に受けた深く激しい心の傷)という子どもたちの精神的障害を説明する用語がある。ややこれに近いニュアンスの構造がありそうに思えるのである。

 今、生活者にとっての緊急関心事は、目の前の景気の悪化であるに違いない。しかし、この比重に劣らず関心を向けなくてはならないのは、わが国とその近所付き合いしている周辺諸国との関係の問題だろう。親分子分関係といった米国との関係に頼るわが国だが、近隣諸国との緊密な関係こそが、今後ますます重要となるのではないのだろうか。しかも、戦後半世紀以上が経過したとは言え、周辺アジア諸国から「バツイチ」ジャパンが消去されたわけではない。

 そして、いま唐突に戦前へと逆行する一連のきな臭い動きが表面化している。さまざまな耳障りのよい表現をとろうとしているが、ジグゾーパズルのように、組み合わせてゆくと、そこに見えてくるのは、時代逆行的な偏狭な国粋主義、偏狭なナショナリズム以外の何ものではないと思われる。
 国旗掲揚と国歌君が代が義務づけられ、歴史教科書に神話がたらふく盛り込まれ、周辺諸国への侵略戦争の事実が別表現された。その教科書が、東京都の一部学校で採用されるという政治的な動きがとられた。押し付けの奉仕活動も組み込まれた。教育の荒廃状況を口実にした、教育の場への復古的な介入(石原都知事)がずるがしこく進められていると見える。首相の靖国神社公式参拝意向が無造作に飛び出してもいる。すでに、憲法改悪の動きは久しく話題に上ってもきた。

 なぜ今、戦争を反省する良識を抱く者たちを尊重しない動きが出てくるのか。
 多くの戦争の背景に経済的動機が見出されることは常識であるが、これを推進し、火に油を注ぐのは非論理的で偏狭な国粋主義の考え方であろう。そしてこれらの考え方に雪崩れ込む人たち、リーダーの姿が、わたしには、冒頭の映画で最後まで感情に棹差していた男の姿と重なってしかたがないのである。大言壮語し、不自然なほどに虚栄を張るにもかかわらず、きわめて個人的な心的外傷に支配され続けているガキ大将としか見えないのである。(2001/08/08)

2001/08/09/ (木)  被爆体験、戦争体験の語り継ぎは必須項目!

 今日は長崎の「原爆の日」だ。午前11時前にテレビを点け、11時3分からの黙祷に参加させてもらった。被爆者代表の挨拶に涙した。亡くなった兄弟姉妹の話をされていた。
 弟が、昭和16年の開戦の年に生まれ、4歳の時、終戦直前に被爆して亡くなったという。平和を知らず、戦争の体験だけで一生を終えた弟が不憫だと語った。手足の痺れをさすって欲しいと言った14歳の姉がいた。黒い斑点が浮かび上がっていたので、もうダメだと思ったそうだ。
 「戦争は、どっちが勝ってるの?」
 「日本だよ……」
姉は、ふりしぼった気力で床から立ち上がり、
 「天皇陛下、万歳!」
と叫び、床に崩れて息が絶えたという。

 壮絶な惨さの一端が伝わり、涙が反応した。こうした惨さが、生々しいイメージとして語り継がれなければならないと強く感じた。貧弱となってしまった現代人の想像力にとって、そしてそうだから乏しくもなってしまった同情心と共感力にとって、あらゆる植物を潤す降り注ぐ雨のような意味を持つ被爆体験の語りは、やはり必須なのだと思った。
 できれば、ピカソの「ゲルニカ」のように、優れた芸術家が魂の叫びを込めて後世に警告してゆくようなことも必要だと思った。人類にとって、これ以上に重大な反省事項はないはずだからである。移ろいやすい知性を、しっかりと生き物の地平に停泊させる、確かなイメージがなければならない。

 戦後56年も経過して、平和と生命の価値の前で、われわれが性懲りもなく揺らいでいる原因は、一体なんなのだろうか?いろいろと屁理屈を並べることはできるだろうが、破壊と人殺しでしかない戦争に対し、何が何でも「ノン」と言い切る国民的合意を形成し得なかったからではないのかと思いめぐらす。その形成のために、やらねばならなかったことを曖昧にしてきたからではないのか、と。

 昨今では、こうして戦争の罪を振り返ると、それは「自虐的」であるとの表現をする人々さえ生まれている。人が深い反省をしようとするのは、センチメンタリズムなどであるわけがない。二度と同じ過ちをしたくない、信じられない自分でいたくない、自信をもって未来に立ち向かってゆきたいと、そう決意するからではないのだろうか。「自虐的」などという埒外で、傲慢なことば使いをする人々は、人が生きること、国民が生き続けることにとって何が必須なのかを知っていない。

 被爆体験をされた方々の平均年齢は、すでに70歳を超えているという。同時に、戦争を知ってしまった人々も同様なのだ。誰しも、悲惨なことを思い出すのは辛いことであるし、それらを聴き、追体験することにも勇気とエネルギーが必要となる。しかし、知らなければならないのだと思う。人間に生があるとともに、確実に死があることを知らなければならないように、平和な日常生活と同じ地平に、生命を虫けらのように扱った戦争があったこと、そして再びでも三度でもあり得るということを、視野に入れておかなければならないのだと思う。そのためにも、戦争体験の語り継ぎは必須項目なのだ。

 生命の尊さの認識をすることの前で、戸惑いを感じる子さえもいるという現代の危機的な状況が、戦争に対して何が何でも「ノン」と言い切れる大人たちの毅然とした姿勢に掛かっていると考えるのは、考えすぎであろうか……(2001/08/09)

2001/08/10/ (金)  「話しても無駄!」と「話さなくても分かる!」

 「話しても無駄!」という言い方があり、「話さなくても分かる!」という表現もある。これらは、どちらも間違いではないだろうか。どちらも、そう考えたくなる、またはそう感じたくなる一瞬が多々あることは否定できない。しかし、このどちらにも組しない稜線のような場所に、苦しいながらの人の生き方があると言えそうだ。

 現在の日本で、「話さなくても分かる!」という、いわば以心伝心を絵に描いたような人間関係を取り結んでいる幸せ者は、もはやいないのではないかと推察したりする。もし、その一瞬があるとすれば、そのための気の遠くなるほどの当事者間の意思疎通の努力があったがためではなかろうか。そうした努力もなく、以心伝心に期待を寄せることは、ファンタジックに過ぎると思える。だが、以外とこうしたことは多いのかもしれない。
 親子関係や、夫婦関係を始めとした親しい関係ほど、こうした思い込み関係に陥り易いのかもしれない。自分を含め、耳もこころも痛むところだ。

 「話しても無駄!」と思いたくなる場面は、不幸にも遭遇してしまった杓子定規で、融通のきかない、ごりごり頭のお役人さんに対した時という場面もないことはないのだが、そうした初対面の外部の人との関係より、意外と身近な人との関係で生まれることの方が多いのが相場ではなかろうか。「いつもの」堂々巡りを察知してしまうから、この思いに行き着いてしまうのであり、親しい間での「いつもの」の関係が前提になっているからと考えられるのである。

 で、両者に共通するものはと言えば、感情や情念への過剰な思い入れと、ことばを軽視する姿勢だと思える。感情や情念というものは、ことばを費やしても変わるものではないと決めつける傾向、ことばで説明して分かるような精神的内容は大したものではないのだと信じる傾向には、情念尊重、言語蔑視という暗黙の前提が潜んでいると言わざるを得ないが、どうであろうか。

 こうした日本の特性であり惰性でもあるものが、今、裏目に出始めているように感じる。身近な人間関係での様々な問題をはじめとして、こういう特性など理解してもらえるはずのない海外との関係で発生する問題などのことである。
 家庭や地域社会が、以前のような環境ではなくなっている中で、特性、惰性だけが残っているところから生じている日常生活のいろいろな不具合も気になるといえば気になる。しかし、今は、もっと大事(おおごと)に注目すべきだと思っている。

 今週は、戦争に関することがらをあえて書いてきたのだが、今、わが国が周辺諸国に対してしていること、教科書歪曲問題、首相の靖国公式参拝意向など日本人でさえ危惧する行動は、さぞかし被害国であった諸国の人々にとっては、言語道断だと受けとめられていると懸念するのである。
 ビジネスをはじめ、現代社会では、影響下にある人々に向けて、影響力を行使するものは、事の経過を意を尽くして説明しなければならないというアカウンタビリティ(説明責任)という発想がある。
 戦争責任のアカウンタビリティをまっとうし得ていない上に、逆撫でとしか受け取れない説明不可能な行動を上乗せすることに大きな危惧の念を抱かざるを得ないのだ。
 そして、これらの行動は、完璧に情念尊重、言語蔑視という日本のまずい傾向そのものに開き直ったものと思われてならないのである。こうしたことに寛大であることは、やがて「話せば分かる!」ということばを刺殺して突き進んだ流れを、どこかで是認してゆくことに繋がると不安視するのである。日常生活の個人的人間関係でも、国際関係でも、やはりことばを尊重した意思表示と、意を尽くした説明を重視するのが道理だと思う。(2001/08/10)

2001/08/11/ (土)  「町内パソコン教室」とりあえず堂々《 最終回 》です!

 みなさん、こんにちは。
盆休みに連なる土曜日だというのに、ご精が出ることでございます。

 さて、今日は、HPのアップ・グレイドをしましょう。先週作っていただいたサンプルHPを、宿題で用意していただいているデジカメ画像と、自己紹介の文章を盛り込んで、ホームページらしく改造することにしましょう。

 今日の課題は、このホワイトボードに書いておきましたので、これを見ながら説明してゆきます。大きく分けて三つのことをやります。
 1.文章を、読み易く掲載するには
 2.画像の効果的な掲載法
 3.別ページを作り、リンクさせてみよう!

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1.文章を、読み易く掲載するには
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 自己紹介の文章を、「メモ帳」で作ってきてもらいました。「自己紹介.txt」というファイルでフロッピーに入っているわけですね。これを、再度「メモ帳」に読み込んで、「html」スクリプトの所定の個所に、コピーして貼り付けるのですが、単純に貼り付けただけでは、文字が隙間なく埋まる形になって、非常に読みにくく表示されることになります。時々、そうしたHPに御目にかかることもありますが、次の二点を採用するだけで、読みやすい文章表示となります。

 @改行と行空け……行末としたい個所に<BR>または<P>を添えると、改行となります。<BR><BR>とすれば、改行に加えて一行分の行空け表示となります。

 A両端に余白を置く……<BLOCKQUOTE>文章</BLOCKQUOTE>のように、すると、文章の両側に2センチほどの余白が置かれ、圧迫感が取り除かれ読みやすくなります。

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2.画像の効果的な掲載法
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 いろいろと工夫の余地があるのですが以下の二点だけお話しましょう。

 @HP掲載向けの画像処理……デジカメでできる画像は、最近ますます大きくなってきています。一枚が200〜300KBの画像を気に入ったからといってHPに貼り付けると、見てくれる人がダウンロードするのに大変な負担となります。画像一枚は、およそ30〜40KBサイズに縮小するのが原則です。圧縮度を高めて画質を落とすより、見た目のサイズを縮小して調整するのが良いでしょう。

 A画像に影を付けよう……HPは、二次元なので、三次元の立体であるかのように見える工夫をすると、見栄えが良くなるものです。そこで、一枚の画像が、背景に影を落として浮いて見えるようなことをやってみましょう。画像ソフトを使うと簡単にできるのですが、ここでは「ペイント」を使って、ちょっと面倒ですがやってみます。

 デジカメ画像は普通JPEGファイルなので、ここでは、その代わりのサンプル画像(JPEGファイル)を作成しておきます。
 @Cドライブ→Windows→花見をダブルクリック→「ペイント」で「花見」の画像が表示される→「ファイル」クリック→「名前をつけて保存(A)」→ここで以下の操作をする
 A保存先の変更(現在はWindowsとなっている)上向矢印アイコンクリック→「My Documents」をクリック→先ほど作った「testhp」をクリック
 B「ファイル名(N)」を変更する=hanami
 C「ファイルの種類(T)を変更する=JPEG 形式(*.jpg)
 D「保存」をクリック
 E「マイドキュメント」→「testhp」で、「hanami.jpg」のファイルがあることを確認。
 この「hanami.jpg」をサンプルとして、以下の手順で影を落とした画像を作成します。
 1.「ペイント」を開く
 2.「ファイル」→「開く」→「hanami.jpg」
 3.「編集」→「すべて選択」→「選択範囲のクリア」→白紙となる!
 4.左下のパレットで「黒」をクリック
 5.左上のツールボックスの右列上から二番目の瓶を傾けた図のアイコンをクリック
 6.白紙の範囲にポインタを移動(傾いたビンのアイコンが表示されている)しクリック→白紙の範囲が黒色に塗りつぶされる
 7.「ファイル」→「名前を付けて保存」→「kage」(ファイルの種類は、JPEG形式のままでよい)で保存する。
 8.ツールボックスは、右列最上の破線の長方形をクリックしておく。
 9.「ファイル」→「新規作成」→白紙の下地が出たら、右下の隅へポインタを持って行き、両端矢印が表示された時に、クリックしたまま右下へ移動すると、白紙の下地が広がる。元の倍くらいに拡大しておく。
 10.「編集」→「ファイルから貼り付け」→「kage.jpg」→「kage.jpg」が表示されたら、ドラッグ・アンド・ドロップで中央に移動させておく。
 11.白地をクリックして、「kage.jpg」の選択範囲の破線を消しておく。
 12.「編集」→「ファイルから貼り付け」→「hanami.jpg」→「hanami.jpg」が表示されたら、ドラッグ・アンド・ドロップで、先ほどの「kage.jpg」の上に移動させ、右側と下側から2ミリほど黒地が覗きちょうど影のように見える位置で止める。
 13.白地をクリックして、「hanami.jpg」の選択範囲の破線を消しておく。
 14.ツールボックスが、右列最上の破線の長方形となっていることを確認して、「hanami.jpg」とその影の周りをぎりぎりいっぱいで囲む→ポインタを破線で囲まれた部分へ移動し、ドラッグ・アンド・ドロップで左上隅ぎりぎりいっぱいの位置に移動させる。
 15.白地をクリックして、選択範囲の破線を消しておく。
 16.白紙の下地の右下の隅へポインタを持って行き、両端矢印が表示された時に、クリックしたまま「hanami.jpg」とその影の周りをぎりぎりいっぱいで囲む位置に移動させ、全体画像を小さくする。
 17.「ファイル」→「名前を付けて保存」→「hanami2」(ファイルの種類は、JPEG形式のままでよい)で保存すれば出来上がり!

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3.別ページを作り、リンクさせてみよう!
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 前回作っていただいたサンプル・スクリプトは、たった一ページの単純なものでした。今回は、このページのある部分をクリックすると、別のページへと移動し、そのページのある個所をクリックすれば元のベージへ戻るといったしかけのスクリプトを作りたいと思います。以下のように、各スクリプトを修正してください。

@ 前回のスクリプト

<HTML>
<HEAD>
<TITLE>
私のホームページ(テスト版)
</TITLE>
</HEAD>
<BODY>
<CENTER>
<H1>私のホームページ(テスト版)</H1>
<IMG SRC="hanami.gif">
</CENTER>
</BODY>
</HTML>

A 前回のスクリプトの改造(保存は、「index.html」で構いません。……以降は説明文なので不必要。)

<HTML>
<HEAD>
<TITLE>
私のホームページ(テスト版)
</TITLE>
</HEAD>
<BODY>
<CENTER>
<H1>私のホームページ(テスト版)</H1>
<IMG SRC="hanami2.jpg" BORDER="0">……影付きの画像に替わりました!
</CENTER>
<A HREF="jikoshokai.html">自己紹介のページへ</A>……ページを移動表示させる仕掛け!
</BODY>
</HTML>

B 新たに作るスクリプト

<HTML>
<HEAD>
<TITLE>
自己紹介のページ
</TITLE>
</HEAD>
<BODY>
<CENTER>
<H1>自己紹介のページ</H1>
<IMG SRC="watashi.jpg" BORDER="0">……デジカメ画像をHP向けに加工したもののファイル名!
</CENTER>
<BLOCKQUOTE>

 ここに、自己紹介の文面を、改行処理をした上で、入力または貼り付ける。

</BLOCKQUOTE>
<A HREF="index.html">元のページに戻る!</A>……元のページに戻るための仕掛け!
</BODY>
</HTML>

 これで、ブラウザで読み込み表示させてテストしてください。成功だったら、前回同様にアップロードしてみましょう。すでに存在するHPに修正を施してアップロードすることを、「更新をかける」と言います。まめに更新をかけると喜ばれるわけですね。

 さて、三ヶ月にわたっていっしょに学習してきましたが、とりあえず今回で一応ひと区切りをつけることにします。また、新しい教室の案がまとまりましたらご連絡いたしますので、その際にはご参加ください。受講生の皆さんは、一度の欠席もなく本当にごくろうさまでした。今後、疑問や質問がありましたら、個別に訪ねて来てください。ごくろうさまでした。
 「ありがとうございました!」

<第一部「町内パソコン教室」めでたく修了!>(2001/08/11)

2001/08/12/ (日)  ついでだから、「バッジ」について考えてみた!

 志村管理人から頼まれて、写真にしたのがこれです。
例によってアイコンをクリックしてみてください。
 何でも、台場小学校創立当時に生徒に配られていた胸バッジだそうです。当時の美術の先生が、かもめのイメージをデザインしたものだということです。白色のかもめ、翼と尾を飾るグレー、わずかに覗くネイビーブルーの海、そして、灯台の赤い燈を表す学校名。漢字を象形文字風にしているのも意味あり気ですね。実に素晴らしいデザインだと思います。男子は、帽章があったはずですから、少女たちが身に付けたのでしょうか。志村管理人の話だと、なんでも第一期生の廣瀬知映子さんから預かったものだそうだ。翼の塗料の一部が欠けているのが年代物を表していますね。
 バッジといえば、地盤、看板、カバンを総動員させて亡者のように手に入れる菊の紋の議員バッジ、青春の時間を注ぎ込んで獲得する名門校の校章バッジ、同じくビールの味を覚える前に猛勉強して得る弁護士バッジ、はたまた一流企業の社章バッジなどいずれにしてもオレには縁のないものが多い。しかし、そういうものを付けていると、自然に胸を張りたくもなるんでしょうね。あるいは、うかつなことができなくなるんでしょうね。でも、うかつなこと以上のことをやる政治家がいたりもするのは、バッジを付けたりはずしたりしているんでしょうかね。
 昔、西部劇映画やテレビドラマで出てくる保安官が胸にしていた星型の保安官バッジは、バッジの中のバッジ、バッジの王様といったところでしょうか。なんせ自分は命懸けだぞ〜!と公言するに等しいのですからね。子どもごころにも、あのバッジを胸にすれば強くなれるんじゃないかと憧れたものですが、そもそもバッジには、魔力というよりそんな心理的な仕掛けがあるのかもしれませんね。他人の視線と自分のプライドをとことん引き出す仕掛けを持ったものがバッジであるのかもしれませんね。
 この台場小学校の校章バッジも、かわいらしいかたちで、この小学校の生徒として恥ずかしくないように行動しましょう!という願いが込められたのでしょうね。
 それにしても、最近は、議員バッジだけでなくバッジの効用が地に落ちはじめているのでしょうか。もっとも、胸に所狭しとバッジを付けまくり、戦意高揚のみを煽る軍人さんたちのあり方も如何なものかと不安になりますけどね。
 個性ある私服が評価され、制服が敬遠される世の中では、バッジといったものも風化の一途をたどるような気がします。組織集団への所属に左右されず、個人として責任と誇りを持った行動をするのが良いと思います。しかし、バッジの願いのかけらもなく、やたら匿名に隠れてネットで言いたい放題言う連中とか、しっかり怪しげな組織に入っているくせして、バイクのナンバープレートという公式バッジを跳ね上げている連中は一体何なんじや〜!(2001/08/12)

2001/08/13/ (月)  日替わり中華ランチを一年間お届け?!

[管理人] いやーどうもどうも、助かりました。天王ラーメンさんもてっきり盆休みだと思ってましたよ。はいはい、そのテーブルに置いてください。お代の方は、これでいいですか。
[天王ラ] 毎度、ありがとうございます。まあ、うちらサービス業は人様がお休みん時こそがんばらしてもらうんですわ。それに、常連さんのテレビ局関係者というのもサービス業で、お偉いさん以外はうちらとそう変わらないんでね。そうそう、今年は小泉さんの例の靖国問題が15日だってんで、報道関係の人たちは盆休みでもないらしいね。
[管理人] 天王さんは、景気の方はまずまずってとこなんでしょ?
[天王ラ] 小さくやってますから、食い扶持だけが何とかなってるだけですよ。そいでも、同業者の中には雇人を辞めてもらって、オヤジやかあちゃんがまた店に立ったりし始めたとこも多いみたいね。土台、自営業は人なんて入れてたらやっていけませんわ。
[管理人] わたしはいいんだけど、ほかの出前の方はだいじょうぶ?
[天王ラ] いや、この時間は薄いから、この涼しいとこでちょっと一服さしてやってくださいな。管理人さんは、伸びないうちにやってくださいね。
[管理人] どうぞどうぞ。じゃ、冷たいもんでもお出ししましょう。
[天王ラ] でも、管理人さん、パソコン教室終わっちゃったのはちょっとさみしいよね。みんなさみしがってますよ。なかなか、ああいうのってないもんね。また教えてくれるんですよね。
[管理人] いやー恐縮です。まあ、一通りのことは終わったし、マンネリにならないうちに一休みしようといったとこです。それに、疑問点があったらいつでも来てくれていいんですからね。
[天王ラ] いや、ダメだって言われたって来ちゃおうと思ってるんですけどね。ちゅうのも、ホームページ作るなんて考えてもいなかったんだけど、先生の教え方がうまいから、私もできそうかななんて思うとこまで来たもんね。
 先日、局の若い連中が店に来た時、パソコン教室の話をしたらみんなうらやましがってましたよ。そいで、今ホームページを作るとこを教えてもらってるんだと言ったら、是非店のホームページ作って、出前の注文もそこでできるようにして欲しいって言うんですよ。混み合う夕方に店に電話して通じない時、ネットで注文できたらいいと思ったっていうんですよ。そういうことってできますよね。
[管理人] もちろんできますよ。ホームページ上に、お客さんが注文を入力できるページを作り、天王さんのメールボックスに送信されるようにすればいいんです。新規メールが到着したら音で知らせるようにでもしたら間違いがなくていいですよね。
 それから、店の中を映し出した動画をホームページに表示したりすると、客が客を呼ぶという効果を出したりするかもしれませんよね。
 さらに、インターネット・カフェみたいに店内にインターネットができるPCを備えつけておくと、その利用を目当てに来る客も誘えるでしょうね。
[天王ラ] いやー、そうですよね。パソコンのこと何も知らなかったら、そう言われても分からなかったと思うけど、今は何となくイメージできるもんね。
 こちとら客商売だから、何やかやとお客さんとの接点が増えればそれに越したことはないってわけだわ。志村先生!わたし、いろいろとああしたい、こうしたいという案をまとめますんでその節は是非よろしくご指導ください。うちの日替わり中華ランチを一年間お届けというので、どないでっしゃろか?(2001/08/13)

2001/08/14/ (火)  弱者たちの痛みを逆撫でする言動はいかがなものか?

 「赤ん坊の泣き声は、敵に我々が隠れていることを告げるようなものだ!各自、殺せ!自分で手にかけられない者は、申し出よ。我々が処分する!」
 乳が出ない母親に抱かれ泣き叫ぶ赤ん坊、母親たちも泣き叫び、薄暗い洞窟内は地獄そのものだった。
 兵士たちが、母親たちをせかせた。狂乱する母親たちの中には、「ごめんね、ごめんね……」と慟哭しながら、我が子に手を掛けるものも現れた。兵士たちは、銃剣を突きつけ執拗にことをせかすのだった。親子ともどもの死を覚悟して、洞窟から逃げ出してゆく者も出てきた。

 これは、サイパンの戦線で生き残った八十歳を越える日本軍元兵士の話である。他の元兵士も語った。

 「靖国神社に残された兵士たちの手紙を読み、遺族の方たちは涙しますよね。
 『お父さん、お母さん、先に逝く親不孝をお許しください。私はお国のために……、きっとこの靖国神社に帰ってきます……』
 しかし、手紙は真実を伝えられなかったのです。私らも書かされましたが、気持ちはあんな奇麗事なんかじゃなかった。しかし、検閲のためにああ書くしかなかったんです。有りのままを書けば、何と言う女々しいことだ!と一蹴されたのですから……」

 「南京虐殺とか、731部隊(細菌戦に向け、中国人捕虜を使って人体実験や解剖を行ったと伝えられている)が話題に上りますが、あれらは決して特殊な事件ではなかったのです。スケールが大きかっただけで、あのような非道は日常的、全般的なものでした」
 お盆は、苦しいご時世で生きている者たちのほっとする休暇であるとともに、身近な死者たちを思い、人が生死の定めを考えるよい機会なのだと思う。そして、死者たちのうちでも不幸にして、無念で亡くなった戦死者たちに思いを馳せる時でもあるだろう。
 だが、われわれは、戦争の実態に対してやはり無知であり過ぎる。あるいは、庶民感覚では推し量ることのできない残忍なことを選ぶ人たちもこの世には存在することに対して無知であり過ぎるような気がする。

 惨い事実を知って、それでもことの成り行きに任せようとする者は少ないはずだろう。しかし、事実は、風化するとともに、事実を意図的に歪めようとする者も人間なのである。多かれ少なかれこれまでの歴史は、勝者や、引き続く権力によって都合よく改ざんされてきたことは知られている。そして今、こうした意図的な動きが新たに始まろうとしていると感じる。事態は放置されれば、手が付けようの無い袋小路に突き進んでしまうのであり、そのことこそ戦争体験者たちが伝えたい点なのだと思う。

 まともな想像力を発揮するなら、戦争に綺麗な死などあるわけがなく、最も苦しく、最も残酷な生物の暴力的な破壊があるだけである。首相は、有機的な生命が生き、死ぬことの複雑さを想像できないらしい。先の戦争で「散っていった」との表現、死者たちに対する「誠」という表現は、右翼の街宣車ががなる言葉使いと同じではないのか。こうした人を首相として多数の人々が指示する事実が、わたしにはいまだに信じられない。多くの弱者が背負わされる経済的な痛みの上に、周辺諸国との関係改善に費やされた多くのこころある者たちの努力を無にする痛み、さらには再び平和が脅かされるかもしれないといった戦争体験者たちの痛みを、なぜ無造作に突きつけるのか。(2001/08/14)

2001/08/15/ (水)  戦争を是認する者たちの次の手は何?

 戦後半世紀以上が経過して、なおかつ「神の国」的な言動や、反動的な政策がまかり通ってきたりして嘆かわしくもあり、危なくもあります。余計な心配はしなくてよしと言えるほどには健全ではない環境が広がっています。しかし、尻尾を巻いて不安や怯えに陥ることはないわけで、その気になれば十分に数十年の時間を埋め合せてゆくことが可能だと信じたいと思います。

 良からぬことを考え、隙を見ては姑息な手を打つ者たちが、未来に耐えられるほど強くはないことをしっかりと見据えた上で、良識ある者たちは言動を定めるのがよいと思う。時代逆行の動きを採ろうとする者たちは、一体現代をどのように認識して、どうありたいと考えているのだろうか?

 半世紀前の軍国主義をそのまま再現しようとしているとは思えない。あるとすれば、もう少し「スマート」なものであるだろう。そしてその「スマート」さを指南するのが米国だと推定される。
 経済的に将来を見通せない米国にとって、軍事費の重みを軽減したいという意向は容易に読み取れる。そんな米国にとって、自国の軍事費削減と武器輸出が両立するような選択が可能であればありがたいと願うことも容易に想像できる。軍事同盟を結んでいる日本が当然のこと候補視されている。が、日本には、かつて米国がイニシアチブを取って制定させた絶対平和の憲法が存在し、過剰な軍事力を保持させることができない点がジレンマとなっているに違いないのです。

 平和憲法の改悪にいつ着手するか、というテーマが米国のタカ派たちと、日本のよからぬ者たちの共通した関心事であることは間違いないはずです。そして、この平和憲法の改悪に向けて、なし崩し的なムードづくりと環境づくりをしているのが、いっさいの現状だと観察できます。
 現在政府が進めている時代逆行的なさまざまな政策は、実効果をねらったものというより、平和憲法を改悪するためのアレルギー除去、バリアフリーといった露払いだと見なすと非常に分かりやすいと思われるのです。
 なぜ、首相が靖国参拝にこだわるのかも、自民党が何十万の遺族会票田を持っているからという点とともに、こうしたアレルギー除去運動だと見れば、操り人形だとしか見えないわけです。首相公選論などのアドバルーンも、憲法を変えることに近づきやすくするキャンペーンだったのでしょう。

 私は、米国の自由な発想を持つ人々は好きです。しかし、世界の憲兵を自認し横柄に振舞う米国には批判的とならざるを得ません。また、何の主体的発想もなく、経済的に脅される関係の中で、国の現在、将来を預けてしまっているかのようなわが国の支配者たちの不甲斐なさにもあきれてしまうのです。

 終戦記念日の今日は、過去を振り返ると同時に、もし新たな戦争が起こされるとすれば、どのようなシナリオが想像されるのかという批判的聡明さも必要なのではないでしょうか。(2001/08/15)

2001/08/16/ (木)  管理人日誌、継続「百日目」を向かえて!

 この日誌を書き続け、早いもので今日で百日目になりました。
 当初は、このHPの連絡通知板の意味合いで始めたのでしたが、さほど連絡事項とてあるわけではなし、いつの間にか日々の所感を気ままに書くことになりました。気ままではあっても、毎日継続してということになると、そこそこハードなものです。もっとも辛いのが、風邪をひくなどの体調を崩した時。次に辛いのが、気分が落ち込んでいて考えることも避けたいほどに精神壊滅状態の時でした。忙しい時は、意外と楽なんですね。それというのも、そんな時は意識がハイになっているので、書くことの題材も定まりやすく、また文章も比較的スイスイと出てくるのです。

 書き始めると、まあまあ進み、制約がないものでダラダラもしてしまうのですが、結構きついのが題材、テーマを決めることなんです。公序良俗、誹謗中傷の類を避ければ、何を書こうが構わないと思ってみても、この自由は逆に茫漠としたとらえどころのなさとなって、ただただいたずらに時間ばかりが過ぎてゆくといったことにもなりかねない自由なのです。書き終わると何となく肩の荷を降ろし、ほっとしたりするのですからかわいいもんです。

 百日が過ぎたからといって、これで何ほどのこともないわけです。修了証書をいただけるわけでもなし、一日分百円として一万円が振り込まれるわけでもなし、どうということがない。だがしかし、自身にとっての意味はかなり大きなものがあるわけです。
 ひとつには、とかくこの年になると、軽度言語障害(?) の初期症状も出はじめたりして、やたら「ほらほら、あれ、これ、それ、あれよ〜」などと代名詞連発症候群と成り果てたりするもんですが、これが先送りできている模様です。また、感じることは年々多くなっていっても、じゃあ何を感じて何を考えているのかと問われれば、はなはだ残念なしどろもどろとなりがちなところを、まあまあ口答えくらいはできそうだぞとなっていそうなんです。口が重くなりがちにさせられる世情ですが、日常会話に不便はしないで済んでいます。
 ふたつには、自由な文章を書くことで日頃、蜘蛛の巣が張っている脳の回路がそうじされたせいか、学習意欲が高まってきたようです。パソコンと常時にらみ合っているためか老眼が進み、そのうっとうしさから読書を遠ざける怠惰が生まれ始めていたのですが、これが正された。様々なことへの知的関心と、挑戦意欲が揺り動かされたようです。ことばを強く意識することは、考えることにつながっているようです。

 ところで、パソコンというか、技術がらみのことにのめり込んでいると思考力は使っても実に狭い範囲の思考に偏るんですね。それなりに興味深く、はまる要素を持っているのが技術ジャンルですから、ついつい追っかけてゆくと、視野の狭い頭脳に仕上がってしまいがちなんですね。とかく、ハイテク製品のマニュアルなどが分かりにくいのもそうした技術屋が書いたりしてるからなんです。
 技術は、とりあえず自分が理解できれば、ものとの関係に限れば先へ進むことができるものです。そこから、他者との意思疎通が不必要に思えてくるのかもしれません。本当は、昨今の現場ではプロジェクトという集団組織で仕事を進めるのが普通ですから、技術者にとってのコミュニケーションの比重は増大しているんですけどね。

 こういう視野閉塞症状(?) に、文章を書くことは実に効果的なのかもしれません。普通、いくら自分しか読まない日記とはいっても、文章を書くことは他者を想定するためシャドウ・ボクシングならずシャドウ・コミュニケーションをしているんですよね。この書き方じゃ、他人には理解できないかな、とか思ったりしてね。書くことは、おのずから他者との交わりだと思います。

 また、昨今はマルチメディア時代で、それはそれでよいことなのですが、ビジュアルなもの、イメージなどは、やはり曖昧である点と主観的に流れがちな点で限界があるように思います。煮詰めて考えなければならない深刻な事柄が多くなっている昨今、これらのみに頼ることは、事態を堂々巡りさせそうです。やはり、ことばを軸にして考え、伝え合うという行為を抜きにしてしまうことは不可能でしょう。ことばが様々な振る舞いで軽視され、その重みが減じていようともこれを大切に扱ってゆきたいと思います。(2001/08/16)

2001/08/17/ (金)  何十年も前の過去の地層に埋もれたことばの化石?

 昨日は、何十年ぶりかで中学の同期のKさんと会った。依頼されたソフトの仕事の打ち合わせである。担当予定の部下をひとり連れて伺った。仕事関係で、学生時代の知人、友人と接触するのはめったにないことだ。いや過去に一度だけ奇妙な遭遇をしたことがあると言えばあった。

 もう数年以上前のことだっただろうか。技術者募集の広告を出していたところ、そのOさんが訪れたのだった。部下が、彼の履歴書を持ってきたが、いつもの常で最終学歴に目を向けたら、立派な大学名だった。時々、東大卒というような応募者もいないわけではなかったが、そういう人に限り何らかの問題を抱えているのがこれまでだったので、いぶかしく思いその履歴書を眺め直し、ハッとしたものだった。自分の出身高校名が目に入ったのだ。姓名欄をまじまじと見た。また驚いた。何と、高校の同級生だったのだ。受付で待つ男性の姿に目を移した時、もう感情が隠せなくなっていた。
 「Oさんじゃないの!これはどういうことなんだろう!」
と叫ぶ私に、Oさんの方も私だと認識し、
 「ええっ、廣瀬さんがここの?」
と、戸惑いを隠さず、記憶に残っていた笑い顔を見せた。
 大学卒業後、大手ソフト会社に入社して長期に渡り勤めたが、事情があって退職したのだという。自宅が、私の事務所と近いため、ふらっと応募したのだったという。
 結局、私は知人を通じて、うちの会社などよりはるかに大きなあるソフト会社を紹介して、彼はそこに収まった。その後、季節の挨拶をその都度送りつける律儀さを、彼は示し続けた。
 その対応が正解だったと今でも考えている。ほかにも内部事情があったが、プライドの問題などを斟酌した時、自社に迎え入れることはすべきではないと直感したのを覚えている。それにしても、確率の低い偶然の出来事というほかなかった。

 今回のKさんからのソフト開発依頼は、仕事内容が自社の得意領域に当たることがあり、ビジネス的にグッド・マッチングとの評価が成り立つゆえに前向きでの対応を考えたのであった。もっとも、そこそこ長いこと零細企業経営をしていると、柔軟に対応するようになるものだが、ただひとつ窓口の人の人柄には厳しい眼を向ける習性も身につくものでもある。どんなに好条件が重なっていても、その点に問題を直感した場合にゴウサインを取り止め、難を逃れたことも経験しているからだ。
 彼が、はじめて電話をしてくれた時から、彼は、ビジネス的問題と、同期である懐かしい関係とを垣根で仕分けする作法にぬかりはなかった。また、ビジネス的問題を誤解なく進めるための如才なさも心得ていた。そのことにわたしは好感を持った。また、彼は、自社が外資系でありいろいろと杓子定規でもある点を嘆く表現もしてはいたが、わたしは外資系会社に慣れていたことと、むしろ不透明さが少ない点を買っていたため、ありがたい話と受けとめさせてもらったのだった。

 その会社で、二十七年間を勤め上げていた彼は、自社や製品の説明をする際に自信と余裕が溢れていたものだった。話を聞きながら、フッと何十年も前の中学時代の彼の姿を脳裏に探ったが、何十年もの時間経過は、両者を自然には重ね合わさせなかった。重ね合うようでは、彼の何十年間は淡きものとなってしまうではないかと、ひとり納得したりしたものだった。

 エレベータまで送りに出てくれる途中、彼は、両者の部下たちに、私の中学時代の一端を懐かしそうな口ぶりで紹介していた。生徒会長をやっていたこと、そしてそれは勉強ができることに加えて、人望がなくてはならないこと……と、シンプルに言い切った。わたしは、それらを面映く、にがにがしく耳にしていた。しかし「人望」という古風なことばには妙に感じいったのだった。
 自分自身というものが確立し得ていなかったと位置付けている当時のわたしに、そんなものがあったとはとうてい思えない。だが、そのことばが実に新鮮に聞こえたのだった。「そうだ!そうしたものを久しく意識していなかった!不釣合いに始めたビジネス経験の中で、私は、実利や機能ばかりに眼が奪われ、そうしたものを視野の外に置いてきたのだったかもしれない……」と。「人望」を目指して振舞うというような「偽善さ」も、また逆に「うぶさ」も、現在の自分は採りえないことを知ってはいる。しかし、人望という、時代遅れと受けとめられがちな、人のこころの不確かで、生暖かきものを指すことばが、妙にこころの中に染み渡ってゆくのを感じながら自社に向かっていた。(2001/08/17)

2001/08/18/ (土)  その身を経済戦士にやつしてきた者たちの自己回復?

 つい先ほど小雨の中の遊歩道散歩から帰った。わざわざ、雨の中を濡れてまで敢行することもないようなものだが、日課ならぬ週課と定めているので汗をかいてきた。誰もいないであろうと思いきや、川をはさんだ反対側を外人女性らしき人が歩いていた。わたしと同様に小雨が顔に当たらぬようにであろう深深と野球帽をかぶり、ジーンズの長い足を気ままに運んでいた。いつも川面で見かけるマガモたちは、小雨などなにくわぬ素振りでくつろいでいる。

 帰宅し、昨日の残り湯で汗を流したあと、今パソコンに向かっている。土日はこの日誌の記入を止めようかとも思案していた。百日間継続も終えたことだし、若い頃の新聞配達アルバイトのように、連日の拘束を義務づけてしまうとやっかいなことだぞ、とひるんでいたのかもしれない。

 だが、こうして書きとめているのはどうしたことだ。どうも、自由な立場で記せるこのような場を、嫌ってはいないのだろう。というより、必要だと認めているのかもしれない。

 経営といえるほどの規模ではないにせよ、この十数年、四六時中仕事のことを脳裏からはずさない習性を身につけてしまっていた。ことばどおり、「お陰様」によって存立してきたのであって、何の後ろ盾があるわけでもなく、外部経済の荒波に翻弄されることを当然のごとく受け止め、持続してきた。だからというのでもないが、この「木の葉」を四六時中でも見つめ、思いを寄せてやるものがなければいけないと感じ続けてきたのかもしれない。

 しかし同時に、ビジネスは人間の活動のひとつのジャンルなのであって、これのみに自分を閉じ込めることに違和感を抱き続けてもきた。人間は継続によって形成されてしまうものだとすれば、何十年にもわたって商売をし続ければ、その人は商売人以外の何者でもなくなるのではないだろうか。まして、わが国のような閉鎖的な社会環境にあってはその傾向が濃厚だと思われる。

 今、世界や日本は大きな方向転換を始めようとしている。いろいろな変化を指摘できるが、仕事とか、経済的視点の問題だけしか眼中にない人が行き詰まってゆくであろうという点はかなり重い課題だと思う。日本人は、戦後、戦争はしなかったものの「経済」戦争に邁進し、その身を経済戦士にやつしてきたとも言われる。エコノミック・アニマルとも揶揄された。経済だけがすべてなどではあり得ない世界、というか経済が他のジャンルとの間に境界を設けられない世界が展開し始めたと言えるのかもしれない。もっと言えば、従来の経済概念自体が脱皮を計らなければならない局面に立ち至っているとも。

 いずれにしても、口に糊する立場(職業)をひとまず脇に置いて、誰もが分からない世界の変化、行く末を自由に憂え、自由に思い描く機会が、今、誰にとっても必要だと、そんなふうに感じる。この場や、このホームページはそんなことに役立つ可能性があると信じたりするのです。(2001/08/18)

2001/08/19/ (日)  われわれが「鵜の目鷹の目」で探すものは何?

 今、人はいつも何かを探しているようです。新聞を見ても、折り込み広告を見ても、また街を歩いていても。インターネットにアクセスすれば何か新しい情報を探します。ビジネスに係わる人は、顧客を探し、ニュービジネスのネタを探します。もちろん、職を離れた人は、就職先を必死で探します。主婦は、わずかな額でもお買い得の商品を探します。 そんなわれわれを言い当てるかのように、「鵜の目鷹の目」という言葉が、古くから使われています。

 例によって、アイコンをクリックしてください。定番となりそうな趣向ですが、特ダネフォトを売りにした『フライデー』も廃刊となったとのこと、続くとこまでお付き合い願いましょう。

 町田市の薬師池公園で撮影した「河鵜」です。500ミリの望遠レンズを使い、河鵜が何かを探す表情(?)を捕らえようと思いました。確かに、鋭く凝視する姿が特徴の鷹と相並べられるように、遠くを探るような面持ちはなるほどと思わせますね。フナなどの小魚を狙うようですが、彼らがかもす水面の小さな動きに目を凝らしているのでしょうか。

 あの有名な「鵜飼い、鵜匠」の鵜が、海鵜という河鵜よりも大型の野鳥を飼育したものだそうですが、河鵜は野鳥であり、ことわざにも名を残すくらいですからさほどめずらしいものではないようです。東京は、上野不忍池で1000羽以上にも増えたことがあったとも言います。「鵜のまねをするからす」(できもしないのに、人まねをして失敗する人をたとえた言い方。)のとおり、黒色をして存在感があります。からすより倍ぐらいの大きさですから、いたずら者のからすも一目置かざるをえないのでしょう。

 それにしても、「鵜の目鷹の目」となってわれわれが探すものは、そして得たかに思うことは、河鵜が鵜の目で探し出し、しっかりと飲み込むその充実感ほどの確かさと手ごたえがあるものなのでしょうか。何を、どんな意図で探すのかという前処理と、得たものをどう活用したり加工したりするのかという後処理の重要さに気づくことこそが、「鵜のまねをするからす」にならない要諦なのかもしれないと思ったりしています。(2001/08/19)

2001/08/20/ (月)  セミと一緒に、「往く夏」を振り返ってしまった!

 ミーンミンミンミンミンミン、ミーンミンミンミンミンミンと見事に鳴いているセミがいた。昼食の帰り道、駅前広場の大きな桜の木の枝からだった。昨日今日は、台風の影響で九月の予告編のような天候である。事の詳細を知らされていないセミたちは、往く夏と見なし、あるったけのエネルギーを注いで鳴いていたのであろうか。
 過ぎ行く夏は、終わる夏休みを惜しむ子どもたちでなくとも、もの悲しさが漂ったりする。歩道にころがる終わったセミたちの跡を見つけたりすると、過ぎ行く時に身を任せた命のはかなさにまで思いを至らせてしまう。

 そういえば、過ぎ行く今という時間に狂おしいほど囚われ、将来への備えなどが色褪せてしか眼に入らなかった時期があったものだ。セミがひたすら鳴くことしか自己制御の方法をしらないように、今という時間に存在のすべてが収斂していると直感した時期が……
 訳知り顔の大人たちが口にした「刹那主義」ということばを、何のためらいもなく笑って蹴飛ばし、ささやかな将来のために今を売ってしまっている者たちを嘲笑った。それが、多分、私の人生の八月だったのだろう。

 その時期は、奇しくもいわゆる学園紛争の激しい時代でもあり、人生の八月は、時代の八月と折り重なっていった。確かに、そんな環境でも、司法試験準備に身をやつし、日なが夜なが一日中を研究室や図書館に身を埋める者たちもいたことは知っていた。しかし、熱い身体はそんな場所におさまり切らなかった。時代の空気を、事の現場で吸い続けたかった。そんな衝動に支配され続けたと言っていい。

 時代としての八月は、通常の季節と同様に、いや速やかに九月を迎え、現在に至る管理主義の社会、怜悧な秋へと移行していった。しかし、わたしはといえば、いつまでも夏の八月を惜しみ続け、その名残を追いかけるかのような生活を続けていたのだったかもしれない。

 刹那を鮮やかに生きることと、目的を重視し自身を日々コントロールしてゆくことの双方が重要なことなのであろう。しかし、言うまでもなく前者の生き方は、もはや現代にあっては誰にも許容されているとは思えない。若い世代にさえ許容されてはいない。その消毒済み、抗菌処理加工の精緻なレプリカが高価な商品として販売されているに過ぎないのだ。それでは、目的に向け管理されつくされた社会は、その果実が刈り取れるほどのりっぱな社会を生み出しているのだろうか?
 危なく、野蛮な人生の八月が、すべての人から遠ざけられた時代の夏に話題となったものは、いっそう深刻化する経済破綻と、日常化しつつある残忍な犯罪事件と、「殿!ご乱心!」を絵に描いたような、何を今さらといった政府の右傾化といった無秩序の極み群であり、そして人為的管理の外の出来事で破格に伸張したクーラーの売上だけである……

 まだまだ猛暑は続くはずのようですが、慌てん坊の駅前広場のセミのように、「往く夏」を振り返ってしまいました。(2001/08/20)

2001/08/21/ (火)  経済と、テクノが世界を閉じてしまった!?

 台風の接近で、たぶん低気圧となっているからだろうか。一日中考える力が立ち上がってこないのだ。事務的な作業をしつつ、あれやこれやと思いを巡らせはするものの、明瞭なトリガーが見つからないまま時間が過ぎた。
 見切り発車をして書き出したが、何を書こうとしているのか本人にも見当がついていない。字面を埋めればよいというような退廃には陥っていないつもりであるが、こんな時はリアルタイムで考えるしかない、書き始めれば、犬も歩けば棒に当たるの例えもあることだし、何かきっかけに突き当たろうものだと腹を決め、スタートしている。

 そういえば、今朝は起床時から奇妙な感覚であったかもしれない。
 しぱしば、朝食を取りながら今朝の夢は何だったかを思い出そうとしたりすることがあるのだが、今朝は幽体離脱(?)でもあるまいに、部屋の中の色彩ある光景を見ている自分に距離を置く別の主体が、奇妙なことを考えていたのだった。
 「こうして色鮮やかに鮮明にものを見て、感覚機能を持って、おまけに思考する存在が、あっちこっち歩き回って移動できるというのは、スゴイことに違いない。このレベルを、人工的な科学技術で実現するとしたら、先端技術でもとてつもなく巨大な質量になるんじゃないだろうか?」と、一瞬、目の前の光景を受け容れている自分を感じながら、同時にそんなことを考えていたのだった。もったいぶった言い方をしてみても、要するに寝ぼけていたに過ぎないのかもしれないのではある。子どもの頃は、よく寝ぼけて歩き出したり、ある時には、家のなかの中央の柱によじ登ったりしたこともあったそうだ。自分のことは覚えていようもないのだが、息子が幼いころ、唖然とするような寝ぼけぶりをまざまざと見せてくれたので、その親の程度も推測できようというものである。

 コンピュータとそのプログラムに係ることで一日の大半の時間を費やしていると、テクノ・ストレスの一種かもしれないが、脳に少なからずコンピュータ・イメージが残像するのかもしれない。しばしば例に出されることがある夢の中でのデバッグ(ミスの発見)も覚えがあるし、夢そのものをあたかもセーブするような操作をしているといった訳の分からない場面に遭遇することもある。

 思えば、人間の内部にある自然は、人間の外に人間が作り出した人工物やテクノ・プロダクツなどの影響を受けないではいられないのであるから、勝手に想像するほどにネイチャーではなくなっているに違いない。
 PCBのような自然分解しないがゆえに毒性があると言われる人工物質が体内に蓄積すること、環境ホルモンの問題も然り、加えて人間の意識・精神にしても、自然な空間を越えて意思疎通が可能なインターネット環境や、現実には存在しないバーチャルな映像や空間などによって多大な影響を受け、変容していることを忘れてはならないと思う。

 そして、人間が外部に作り出していった人工物の環境は、バラバラに放置されて存在するのではなく、巨大なかたちで連携を結び始めてもいる。いや、ひとつの輪として完結してしまったと言ってよいのかもしれない。世界の隅々にまで浸透してしまったひとつの経済のリンケージはそのことを如実に示している。

 少女誘拐で指名手配されているはたちそこそこの若者たちが、逃げ惑っているようだが、逃げられないのは彼らだけではなく、われわれ犯罪を犯したでもない現代人も、もはやどこへも逃げられない巨大な籠の鳥となっているのだと、まだ寝ぼけているのであろうか、そんなことを夢想したりしているのだ……(2001/08/21)

2001/08/22/ (水)  台風は「いる」もの?シクラメンは「飼う」もの?

 台風11号の暴風雨を懸念して、今日は自宅勤務とした。まだ紀伊半島に「あった」昨晩の深夜の状態が、尋常ではなさそうだったのでそういうことにしたのだ。
 ところで、ラジオのニュースでNHKのアナウンサーが「台風は、現在紀伊半島の南に『あり』……」と伝えた時、思わず苦笑したものだった。意思のある怪獣のように動き、勢力を高めたり、衰えたり、おまけに被害を及ぼしたりする存在なので、いつのまにか台風がどこどこに『いる』という表現を、頭のどこかで是認していたからだった。なるほど、『ある』でなければならないのだと苦笑いしたのだった。

 ついでに言うなら、ある子どもが「ぼくは、鉢植えのシクラメンを『飼っている』のですが……」と言って大人からたしなめられていたのを聞いたことがあり、こちらは爆笑したものだった。とは言え、シクラメンにも自分に似た感情や感覚がありそうに思い、『飼っている』と思い込んでいたとするなら、「シクラメンが『壊れてしまった』のですが……」という子どもよりも、はるかに救われる気がしないではない。

 意思があって『いる』と表現すべき存在と、たとえそうは見えてもそうでなく『ある』と言い切らねばならぬものとの区別は、意外と深遠な問題に繋がっているのかもしれないと思わされる。もっとも、単にことば上の問題に限らず、対象への自分の姿勢自体にことば使いが根ざしているならばであり、慇懃無礼を処世術と心得、自分のことばを失ってしまっている人々には無縁の話題ではある。

 トーテムポールというものがあり、未開社会でその部族に特別の血縁関係があるとして大切にする、動物や植物を塔にかたどったものだと言われている。この考え方の前提には、万物に霊魂が存在し、この世界の現象はこれらによって生じるとする「アニミズム(animism)」という考えがあったようだ。まさに、すべての存在が「いる」と表現されていたに違いないのだ。まだ人間が自然界の「王」を気取れなかった時代に、恐れるこころと謙虚なこころを重視し、自然界の調和こそを崇拝して生きていた頃のことである。

 人間には、動植物を初めとする他のもろもろの存在と共に「いる」、つまり共生していた時代があったのだ。すべての存在が共に「いる」と目に映った時代であり、それは同時に人間が世界の中のひとつの存在として、かろうじて「ある」ことを許されているのだと感ぜざるを得ない状況と表裏一体だったのであろう。

 だが、今人間は、自然界に君臨するキング・オブ・キングズを自認し、他の存在に向けて「ある」ということばを多用するようになってきている。すべての対象は、科学技術によって、如何ようにもコントロールし得る、と高をくくることができるようになったからなのであろうか。これは、権力にものを言わせる人々に限らず、科学技術万能という風潮に押し流されているわれわれ全体に共通する傾向であるのかもしれない。
 これを、祝福すべき時代の到来と見るべきかどうかは人それぞれであろうが、注目すべきは、人間同士の尊厳という視点で譲れない、互いに「いる」のだという合意(人権!)さえもが踏みにじられ、いつしか「ある」という処遇に貶められる不条理の有無であろう。
 自分たち以外の人間を、「いる」べき存在としてではなく、「ある」べき存在、「あらしめる」存在として見なす者たちが生まれることを、いまだ阻止しえていないのが現代という時代の不幸だと思える。「すみ分け」という微妙な響きのことばも生まれていたりはするのだが……(2001/08/22)

2001/08/23/ (木)  「30歳前後のITスペシャリスト」の名前をプリーズ!

 大規模なリストラが敢行される時期ではあるが、こんな経済情勢であっても、欠かせないのがより優秀な人材確保の推進であろう。ビジネスは、若い女性のようにただ外見がスリムでありさえすればよいというわけにはゆかず、厳しい水準の"出力"が問われるからである。IT環境やグローバリズム化など、問われる"出力"水準を引き上げている条件に事欠かない時代である。良質な「人的資本」の水準如何が、個々の企業や国の経済活動の命運を分けるとも言われている。

 先日、事務所に奇妙な電話が入った。
 不況だと言われ始めてこの方、さまざまな営業関連の唐突な電話が多くなり、中にはまともな商談を装った詐欺まがいの話もなかったわけではない。警戒、警戒!これも、ビジネス・ゲームお定まりのフェイント(?)なんだろうと合点したものだ。
 しかし、先日の電話は、合点するまでにしばし時間がかかる中級クラスのフェイント(?)というべきであった。話はこうなのであった。

 "Hello!"で始まる電話だったのである。事務の者が、処しかねてわたしに回してきたのだった。"Can you speak English ?"、"Yes ! But a little."、"Oh,I see."から始まったのだが、どうも要領を得ない。わたしのヒアリング能力不足にも原因があったが、彼氏の言ってることに胡散臭さが滲んでいたからなのだ。胡散臭さというのは、例え English であろうがなんであろうが伝わってくるものである。
 「ソフトウェア開発のアドホクラットさんですよね。お尋ねしたいことがあって電話しました。実は先日、横浜のあるレストランでアドホクラットのITスペシャリストの方とご一緒する機会があり、話が盛り上がりました。その時の話題でもう一度情報交換をしたいと願っているのですが、その方の名前は聞き漏らしてしまいました。お助けいただけないでしょうか?30歳前後の男性ですが、お名前を挙げていただければ思い出せるはずです」
 わたしは、胡散臭さを感じながらも、国際問題を引き起こしてはいけない(?)と思ったのかどうか、確認すべきを確認しようとしていくつかの質問を繰り返したのだった。
 「いつのことか?横浜はどこか?名刺は受け取らなかったのか?30歳前後だとどうしてわかったのか?」と。しどろもどろの返答が返ってきた。わたしは、言い切った。
 「何かの間違いであり、それに該当するかもしれない社員はいない」と。
 確証はないのだが、この電話は、 English 版を隠れ蓑にした技術者ハンティング向け情報収集業者だったはずである。English アレルギーで浮き足立った相手から、心当たりの名前を列挙させておいて、ダイレクト・メールなり、再度の電話なりでコンタクトを取りハンティング活動を展開するつもりであったのだと推測し得る。
 それにしても、「30歳前後のITスペシャリスト」とは、あまりにも「頭隠して尻隠さず」だと言わざるを得ない表現であり、求人依頼者の生の願望をそのまま使ったものだと容易に悟らせるではないか。しかも、「ITスペシャリスト」という表現は、若いソフト技術者でもあまり口にしないのが通常であり、話が架空であることに色を添えていたのである。

 こうした新手の業者が徘徊するほどに、派手なリストラが展開されるもう片方では、優秀な人材の希少価値が増しているということなのである。
 そしてこの背景には、終身雇用・年功序列とバンドリング(一体)であったかもしれない企業内教育が、前二者自体が大幅に見直され、それに伴い揺らいでいる結果、多くの企業は人材に関しては外部の即戦力としての人材に期待をかけている、という現実が潜伏している。
 種々の問題が先送りされ続けて来たソフトウェア技術者たちの環境にあって、いま漁獲保護(?)そっちのけの「生け捕り」や、「伐採」にも似たかたちのその場しのぎの動きが波立っている。ここでも手に余った問題がただただ自然増幅している観の拭えないのが業界人として辛い。
 また、熱く求められる技術者たちはこの上ない幸せ者かと言えば、求められた者はすぐさま過剰なほどの問題解決能力発揮が求められるのが常であり、これまた尋常ではないのが相場である。この辺に関して、現在、求められる技術力や周辺能力が何かなどに言及することは別の機会に譲りたい。(2001/08/23)

2001/08/24/ (金)  高度な「情報化/消費化社会」の中の古典的な不況?

 なぜかいつも堂々めぐりをすることとなり、突破口が見出せないようなもどかしい心境というものがあるものだ。多分多くの人、あるいはすべての人に経験があることなのかもしれない。
 その堂々めぐりを当然のこと、つまり分からなくてもしょうがないことだと見切れずにいるのには、そうなってしまう何か原因と構造が潜んでいるのだと感じている。これに似た苛立ちがあるとすれば、年齢に伴う健忘症的状態となった時、イメージはほぼ90%意識されているのに、情けなくも名前などのことばがついてこない場合などである。ここから推測すると、ことばによる思考と、自分の頭やこころの中のイメージなり感覚なりといった非言語的な存在とが齟齬をきたしている状態ではないのかと思われる。

 現代という時代に次から次へと展開する新しい現象、カルチャーに対して、先行した時代に生きた者たち(古い世代とはあえて言わない!)が示す態度、姿勢にありがちな傾向に、今わたしは関心を向けているのである。何がしかの疎外感を抱かされてしまうことを警戒し、ことば、言語などを駆使して分かろうと努めてはみるのだが、どこかで途切れてしまい、いつの間にかホームグランドに戻っていたりするといった堂々めぐりのことである。

 自分よりも年長の方たちと対面していると、その状況のその思考軌跡と戸惑いが良く見てとれたりする。自分自身についてもその自覚が大いにある。加えて、若い世代同士でも若干の年齢差の関係で、類似したことが発生しているようにも見受けられたりする。
 こうしたことは、趣味嗜好の分野では著しく表れ、商品選択でもかなりの頻度で生じ、どのタレントが……などとなると典型的事例と化すわけである。価値観の問題として括ってみても、もうひとつもどかしさが残る。

 そこで考えるのだが、昔は(できれば、こうしたことばは避けて通りたいと思っているのですが)いわゆる価値観と、好き嫌いという感性は峻別され、後者は日陰者的位置に置かれていたように思う。ところが、現代では、両者は融合し、むしろ後者の感性やセンスなどが価値観の基軸にとって替わったとさえ言えないだろうか。
 理解しようとして言語的に飲み込んだつもりとなっても、不信感(?)が沸き立ち、元に戻ってしまうというメカニズムの原因は、自分の古き体験に根ざすその感性・センスなどが、観念上の新規性に馴染み切れずにいると考えてみると、なんとなく納得できた気となる。

 今、わが国の深刻な不況は、消費不況だと評されてもいる。複雑な問題が絡んでいるようだが、とにかくモノが消費されない。モノによっては、半額にしてもそっぽを向かれるという。どうも、社会不安、雇用不安などの将来への不安が、消費を抑制させ、貯蓄指向をアクティブにさせているとのことだ。頷けると言うほかない。
 だが、現代の消費について考える時、古典的な発想での「合理的な」消費者個人像を思い描くだけではこと足らないようである。低価格になったとは言え、決して減ることのない海外旅行者数ひとつ挙げても「合理的」と言うには苦しいところがありそうだからである。

 「必要を根拠とすることのできないものはより美しくなければならない。効用を根拠とすることのできないものはより魅惑的でなければならない」(見田宗介)という原理で展開されている「情報化/消費化社会」の商品群は、「必要」・「効用」といった分かりやすい「古典的」な価値からとっくに離陸して、現代に固有の「楽しさ」「華やかさ」「魅力性」などの吸引力の論理空間を創っていると言う。ファミコンにしても、ケータイにしてもこんな観点からでないと理解できないだろう。冒頭のもどかしさの根源はここにあったようである。

 現代人は、必要・効用といった実体的なモノを消費する以上に、感性・センスなどを触発する記号的なものへの購買意欲が強くなってしまったのだ。それは、消費ではなく浪費ではないか!などと目くじらたてているようでは現代人ではないそうである。
 しかし、こうした高度にデザイン化された現代社会が、5%に及ぶ大量の失業者を発生させ、なおかつ経済的不具合の調整の見通しを立て切れないという不釣り合いが、これまた不可解だと言うほかないのである。政治に携わる者たちが現代人ではないからなのであろうか?(2001/08/24)

2001/08/25/ (土)  「インフレ・ターゲット(目標)」なる金融政策案?

 個人努力、企業努力は大前提であるに違いない。しかし、今日の人々の深刻な憂えの根源は、個人的な範囲にあるのではなく、よりマクロ(社会的、国際的)なレベルにあると言うほかはない。話題は、やはり暗雲垂れ込める不況問題となってしまう。

 個人の自由が謳歌され、あたかも外の世界とは無関係にその自由が享受できるという錯覚さえ生じているかもしれないわれわれの日常に、そんな個人の無力さを知らしめるかのような猛威をふるっているのが目の前の巨大不況であろう。個人的な努力を無にすることはないにせよ、この推移を度外視した生活は空しいものとさせられる可能性が予想されるだけに、われわれは、もはや個人の枠内でマイペースを決め込み「あとはお任せ!」といったこれまでの生活スタイルをとり続けるわけにはゆかなくなっているのかもしれない。

 それにしても、事態は悪化の一途をたどっている。当面の差し迫った課題は、「構造改革」を推進するにせよ、不良債権の元になっている土地担保価値が「デフレの進行」により時間経過とともに確実に押し下げられ、これに伴い不良債権総額がますます拡大していっているという矛盾である。
 また、「デフレ」そのものは、雇用不安、老後不安などを当然の根拠とした個人消費の低迷によって、これまた日を追うごとに悪化している。また、これまでの経済の牽引役であったIT関連、半導体関連企業が軒並み大リストラに踏み切る動きも、デフレの悪化を深めさせるアクセルとなってゆく。
 今、ほぼ確実にデフレ・スパイラルというアリ地獄への動きと、負の遺産の増幅といった最悪シナリオの幕が切って落とされたと言っていいのではないか。

 国民の七割、八割が賛同した「構造改革」路線は、大局的に見れば間違いではなかったにせよ、今われわれが問われているのは、大筋で正しいという選択では荒過ぎるのであり、折り重なって浮上するトラブルの伏兵に対して、如何に随時適切な手を打ってゆくのかという危機管理手法ではないのだろうか。

 不況悪化を促すデフレ傾向が愁眉の問題となっているこんな今、時期を見計らっていたかのようにして登場してきたのが「インフレ・ターゲット(目標)」なる金融政策案なのである。デフレとは、市場に出回る貨幣が相対的に少ないがゆえに、物価が下がるのだが、であれば日銀が貨幣を増刷して市場に流し込み、市場に貨幣を溢れさせれば物価が上がる。生産者の売上額、利益額も上昇し景気に弾みがついてゆく。また、高額資金を動かす時期を、これまた見計らっていた金持ちも、眠らせていたのでは損をするとばかりに堰を切ったように資金をモノに替えて行く。こうして、インフレへの動きが始動し、現経済のガン的存在になろうとしているデフレが切除される、という構想のようである。
 すでにこの前段とも言うべき「量的緩和」という金融政策が実施されたが、日銀が増刷した貨幣は、大手銀行で止まってしまい市場にまで浸透してこなかった。手荒な経済学者は、「ヘリコプターで空から貨幣を撒く!」方法まで口にしているとかである。

 「構造改革」は推進に障害物も多く、時間もかかる。「痛み」を甘受しましょうと判断した国民も、その痛みが過酷でリアルな姿を立ち現し始めるにおよび、いらだちを隠さなくなるかもしれない。そんな時期を、さらに見計らって「インフレ・ターゲット(目標)」を携えた政治勢力がスポットライトを浴びて登場するのであろうか?(2001/08/25)

2001/08/26/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (1)

 少年は、木陰から覗く秋空を流れる雲を眼にしながらも、半ばうとうととしている。
 伝馬舟は、もやい綱を、荏原神社に面した護岸の突起に引っ掛けていた。こんなところが見つかったら大変なことは十分承知してはいる。だが、眠くてたまらなくなり、そんな奇妙な場所、伝馬舟の中で奇妙な格好で身を横たえていたのだった。川面の揺らぎで、伝馬舟は気持ちよく揺れた。程近い京浜国道を流れる単調なクルマの音が聞こえてくる。何とも無心な心持ちとなり、次第にボワーっとした睡魔が少年を捕らえ始めていたのだった。

 少年は誰かの呼び声で目が覚める。いつも早朝に出勤する習慣のある父親に、起こしてもらうことを頼んでいたのだった。早朝マラソンの自主トレをしようと決めていたのである。小学生だったが、負けん気の強い子である。品川区の体育大会出場に選ばれ、すっかりその気になっていたのだ。
「うん、分かった」
と言って、上半身を起こす。が、頭の中はもやーっとしていた。人通りのない早朝の通りを走る自分の姿のイメージなんぞが思い浮かぶ余地はなかった。父親は、
「じゃ、出かけるからな」
と言って出て行った。
「行ってらっしゃーい」
と言ったところまでは覚えていた。

 再び、誰かが少年を呼んだ。
「おいおい、そこのわらべ、起きなされ!」
 聞き覚えのない野太い声が寝ぼけた少年の耳を捉えた。初秋の日は傾き、もう薄暮となっていた。いやそんなことより、「わたしは誰?わたしはどこに?」というほどのパニックが少年を包み込んでいた。
 辺りは見覚えのない光景なのであった。川岸には葦が生茂っている。微かに夕日を残した方向に建物などは見当たらず、ところどころに小高い林を背負った丘を含む田園がうら寂しく広がっていた。自分を載せた伝馬船を浮かべる川は、澄みきった涼しげな水がさらさらと流れていた。

「日も暮れるというに、そなたはここで何をしているのじゃ?」
 声のする方に目を向けると、一人の僧侶がこちらを眺めて立っていた。残照に映える顔はすでに六十歳を超える年寄りの面持ちがうかがえた。
「わからないんです……」
 少年は、途方に暮れた心細さをそのまま声にして、伝馬船から降りた。ズックの足元に寄せるさざなみは、濡れることを気にさせない清らかさだった。
 その僧侶の背後を見渡すと、小高い場所に真新しい立派な寺が望めた。
「ここは、どこなんですか?」
「これはこれは、早々に難しい問答をなさるわらべじゃな」
「????」
「此処(此岸)は此処にして此処に非ず。無住(むじゅう)の境地に入らば、彼の地(彼岸)のみあるべし」
「????」
「此の地の俗名は、お上が建立せし品川の東海寺なり」
「えっ、東海寺?姉が通っている城南中の近くにあるあの東海寺?すると、お坊さんは、ひょっとして沢庵和尚ですか?」
「おうおう、そなたはわしのことを承知なのか」
「で、お上というのは、どなたですか?」
「わしの名を知りながらお上の名を知らぬとは、家光殿もなおいっそうの精進、精進」
「ひゃあー、沢庵将軍に家光和尚、じゃなかった、とにかく沢庵に徳川家光だなんてこりゃ一体どうなってるんだあー。いや、きっとこれは夢なんだ……」
「おかしなことを言うわらべじゃ。覚めている者がこれは夢ではないかと疑うことはある。じゃが、夢をみている者は、覚めるまで夢とは気づかぬのが道理じゃぞ。まあ、よかろう。仮に夢であったとしても、此処をそなたが望んだことには違いがない。また、現(うつつ)は夢のごとし、夢は現に通ずじゃからの」
「きっと夢なんだ……。伝馬舟で寝ちゃって……、上潮で流されて……、一度父ちゃんに起こされて……、あー分かんない」
「わしは、海岸の散策から寺へ戻るところじゃ。暗くなるで、よければ今夜は寺で休むがよい。舟は、その松の根にもやっておけばよかろう」
 少年は、やっとのことほっとした気分になりかかった。と思うと、堪えていた空腹がにわかに意識された。少年の内の腹の虫は、きっと夕飯にはあの『沢庵漬け』が膳に載るに違いないとにらんでいた。(2001/08/26)

2001/08/27/ (月)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (2)

※ 「日曜連載小説」スタートを記念して、特別仕立ての第二話を掲載!

 寛永十五年、徳川家光は禅僧沢庵和尚のために、品川に東海寺を建立した。この当時の品川のこの一帯は、家光が鷹狩に出向くような場所である。寺の背後には山が迫り、寺の敷地には田園が一面に広がっている。森が散在し、目黒川を挟む谷も深く、その清流が海へ注いでいた。松林、竹林越しに海原も望め、山紫水明の景観だったのである。
 こんな場所であったこと、和歌を愛し、自然を愛する沢庵和尚の目に叶ったことが、丹波の小庵をこそ己が定住の場と見なし続けてきた沢庵和尚にようやく移住の決意をさせたのであった。ただ、「紫衣(しえ)事件」(寛永六年)から覗ける、禅の道と権力(幕府)との緊張関係といった解きがたく心煩わしい問題が、和尚の視野の外であったわけではなかったとも思われるのではあるが……

「和尚さん。和尚さんは、ぼくが何者だか気にならないのですか?」
 もうすっかり暗くなろうとしていた寺への道すがら、少年は尋ねた。
「どう気にすればよいのかな?」
「だからさあ、おまえはどこから来たのじゃ、とか、ひょっとしておまえは違った時代から、何かの拍子でこの時代に紛れ込んでしまったのではないのか、とかさあ……」
「そうなんじゃろ。そのようなことは最初から承知しておる」
「ええっ、じゃあ、ぼくはやっぱり、タイムトラベルしちゃったっていうわけー?こりゃ大変だ!みんなが心配するじゃないのー。どうする?どうすればいいんだあー。和尚さん、そんな涼しい顔してないで教えてよー」
「まあまあ、往生際の悪いわらべじゃのぉ。ほらほら、寺に着いた」
 が、その時和尚は、思い立ったように立ち止まり、振り向いて言ったのだった。
「時空を戻ることはた易いことじゃ。じゃが、こじらせてはいかん。寺の者たちには、他言は無用ぞ。よいか。おおい、海念、海念は居らんか。今戻ったぞ」
 沢庵和尚は、寺の玄関で、幼い弟子の海念を呼んだ。そう言えば、海念は少年と同い年の十歳前後なのであった。
「お帰りなさいませ、和尚さま。はっ、そちらのお方はどちらさまでしょう?」
「こちらはな、海路遠路はるばる旅しているお方じゃ。そうじゃな。何と言うたかの?そうじゃそうじゃ保兵衛さんだったかの?」
「うひゃあー。何でそんなことまで知ってんのー?確かに、ぼくのあだなはやすべえだけど……」
「すると、十兵衛様にゆかりの方?和尚さまのお知り合いの柳生宗矩(むねのり)様ご子息の柳生十兵衛様の?」
「何を言っておる。無関係じゃ、無関係じゃ。今夜は、いや、しばらくは滞在されることになろうかな……、海念、よくお世話するのじゃぞ」

 少年は、海念ほか数名の弟子たちとともに、禅寺ゆえの質素な夕餉を済ました。やがて弟子たちは、夜の修行のため本堂へ向かい、少年はひとり残された。まだ建立されたばかりの寺は、木の香り、畳の匂いが漂い、少年は、新しい旅館にでも通されたような気分でもあったが、時々言い知れない不安が押し寄せてくるのを自覚した。
『和尚さんは、元の時代に戻ることはた易いことだと言ってくれたけれど、どうやって戻るんだろう?信じるしかないな。戻れるんだったら、この際思いっきり冒険しちゃうかな。こんなことって、そうあるもんじゃないからな……』
 暗くなった石庭をぼんやり眺めながら少年は廊下に座っていた。
「保兵衛さん、保兵衛さんの寝具はわたしの隣に用意します。朝のお勤めは早うございますので、今夜はもう就寝されるのがよろしいでしょう」
 海念は、質素な寝具を用意したあと、寺での修行生活のあらましを少年に伝えた。離れた場所にある厠へも案内し、その使い方も説明した。起床は夜明け前で、朝餉前にはそれぞれが受け持った仕事をしなければならないこと、そして明日は、少年も海念とともに、焚き木を集めにゆこうという予定もまとまったのだった。

 床に就いたかと思ったら、海念はすぐに寝息をかいていた。少年は、しばらく寝付けないでいた。障子越しの月明かりだけの部屋の中は暗かった。きょろきょろと眺めまわしているうちに、暗さに目が慣れ部屋の中の様子が見えるようになってきた。
 とその時、少年は思わず「あっ」とつぶやき、急いで右手を口に当てた。身体がぞくぞくとしてくるのを抑えられなかった。暗闇の中の少年の視線は、一点に向けられたまま凍っていた。(2001/08/27)

2001/08/28/ (火)  「消化人生」なんてものがあってたまるか!

 「消化試合」ということばがある。プロ野球で、リーグ優勝を競うペナント・レース中、もはや優勝が期せず、それでいて所定のゲーム数が残された場合、こう呼ばれる。どう転んでも大勢に影響はない。当該チームのファンとて、もう一つ興味が薄れる。万事がナガシ気分に支配されがちとなり、暗黙のうちにコナスベシ!の同意ができ上がってしまうからなのか、「消化試合」と呼ばれ、「だって、消化試合でしょ」となる。

 ある者が、人生も50歳を越せば、「消化人生」じゃないの!なんて、とんでもないことをほざいていた。半ば、当を得ている部分もあるだけに悔しくなるもんだ。「じゃ、君は若くて、確かに優勝の可能性は『数字上は』あるに違いないけど、マジに可能性を信じちゃいないでしょ?」と、「消化人生」と「潜在的消化人生」とがなじり合い、みっともない話にもなりかねないのである。

 確かに、昨今は「勝ち組」「負け組」なる二極分化の現象が取りざたされ、一握りの「勝ち組」に到達することを煽る風潮がないわけではない。やたら競争時代だ、サバイバル・レースだと空転した議論を振りまく傾向である。ただ、そういう表現をする者は、一番その者自身が「勝ち負け」にこだわっていたりする形跡が見え隠れするからおかしい。
 また、実質的な「勝ち組」本人は以外と寡黙だったりするのに対して、成金的!「勝ち組」あたりが、「実は、苦節何十年……」などとまっかなうそを言い、ほどなく人の話題から姿を消しているのも笑ってしまう。

 勝敗ゲームの心理的裏論理として「消化試合」なるあだ花も咲くのだろうが、「消化人生」なんてものは存在し得ないのである。勝率再判定といった不測の事態が発生して、優勝可能性が生じるとかの問題なんかではない。そもそも、人生にとって、優勝劣敗なんぞ、はなからないのだ。仮に、棺が星条旗で覆われることはあっても、棺が人生の優勝旗(どこの大会委員長が手渡したものかという疑問も生じたりする)で覆われた光景を見た者はいないのである。まして、棺が泡ビールを吹きかけられる馬鹿騒ぎは悪乗りして考えられこそすれ、まずあり得ない。

 そもそも、「消化なんとか」という表現は、人の身体、いや動物全般の身体の「消化器官」に対してとてつもなく失礼な侮蔑ではなかろうか。彼らは、四六時中黙々と働いており、見方によっては、ルーチン・ワークをマンネリでコナシテいるとも見えないわけではないが、それを以って、気を抜いて惰性で勤めていると即断するのはいかがであろうか。
 昨今の彼らは、おちおちしていられないはずである。形も成分も新規性を帯びた得体のしれないものが侵入してくるご時世だからである。しかも、何をしているのか本体工場はどんどん稼動時間が深夜にずれ込み、いついかなる時間帯に稼動要請がかかるか分からなくもなっている。待機体制継続が延長されっぱなしなのである。多分、胃腸長や胃腸長補佐の神経の使い方は尋常ではなく、さぞかし胃を荒らす思いではないのだろうか。

 だから、仮に「消化人生」なるものが、もしあったとしても、その実態はマンネリに身を任せ、気を抜き、手を抜きの「抜きづくし」なんかではあり得ないはずなのである。混乱の極みなる世の中を睨み、糾せるところは糾し、背負うところは背負うといったアクティブな「消化人生」なのである。
 長寿人気テレビ番組『水戸黄門』で、隠居という「消化人生」をそこはかとなく感じさせてきたイメージとキャスティングが替わっていた。まだまだ現役!をにじませるひげ無し石坂浩二黄門への変化は、現代の「消化人生」への応援歌なのであろうか?(2001/08/28)

2001/08/29/ (水)  ダメもとでも、昭和恐慌史に温故知新の眼を!

 経済学に、「流動性トラップ」という稀有な悪性不況に関する理論があるそうだ。この「罠」にはまると、金利政策=金融政策さえ効かなくなってしまうそうだ。
 確かに、現状の日本は、実質金利がゼロの状態であり、加えてデフレ抑止のための資金量的緩和策も効を奏さない泥沼にはまり込んでいるとしか見えない。
 この理論による「罠にはまる」条件とは、長期の成長見通しが低く予想される場合、例えば人口減少などが予想されていると、消費や投資に資金投入するよりも貯蓄に向かう傾向が強まり、ますます景気が悪化するとか。「金利がマイナス!」に、しかも比較的長期に渡って、でもならなければ「罠」から抜け出せないとも。「金利がマイナス!」というのは、別に、銀行から借金したら利子をつけて貸してくれるのではなく、資金を動かさずに貯蓄などしていたら目減りするということ、つまりインフレ経済化させるということのようだ。

 問題の根源には、何度も指摘されてきたように、人々が消費しようとせずに貯蓄しようとしている現状、つまり需要が完全に冷え込みフリーズ(冷凍)してしまっていることにあるのは事実だ。ただ、一般庶民としては貯蓄なんていう贅沢なものなんかあるわけがないのであり、むしろ一部の金持ち層が、より儲けるためにはもっともっと値下がりしてからの方がよいと睨んで資金を寝かせているように思える。まあ全体として、みんながみんなお金を隠していることには変わりがないが。

 きっかけは、、少子高齢化の厳しい事態への政策不在で、まるで北風の仕業のごとく不安だけを庶民に押し付けてきたことが結果的に大きかったと言えそうである。不安を押し付けられた庶民が、貯金とも言えない額ではあってもしっかりと抱き込むのは至極当然の話に違いないのだ。無能な政府を持つならば、庶民は細々と自衛するしかないではないか。
 しかし、それが社会全体では、脱出し難い「罠」へと通じていたのである。しかも、日本の場合は、良識に乏しい銀行と金亡者たちがぐるになって国民経済を食い物にし、巨額な不良債権をこしらえていたのが痛かった。

 確かに「構造改革」がなければ、日本の将来の安定経済は絶対に望めないはずだ。だがそれが看板倒れであることは、どうも着々と傍証されているように観測される。経済学者野口悠紀雄氏は『金融緩和が構造改革を遅らせる 「痛み」なくせば、非効率さ温存』( http://www.asahi.com/business/issin/K2001082600137.html )で、「政府は「痛みを伴う構造改革」を標榜(ひょうぼう)しているが、現実にそうした政策を取ろうとする意思はないことだ。実際には、古い経済構造を温存し、混乱を回避することが、最重要の目的なのだ」と述べ、ありったけの絶望感を以下のように爆発させている。
 「そうである以上、日本経済の基本状況が今後好転することは望めない。国民にとって最重要の課題は、沈みつつあるこの国からいかに脱出するかを考えることになってきた」と。

 「昭和恐慌(1930〜1932年)」は、端折って言えば「構造改革」論者の井上蔵相により生じ、インフレ論者の高橋蔵相により収束を図られたのであった。しかし、そのインフレ策の財政支出の拡大は時の軍部によって財政の軍事化へと変質させられ、戦争への道を驀進することに繋がっていったのであった。歴史は同じことを繰り返すのであろうか、そうではないのであろうか?よりいっそう鋭く観察しながら、最悪事態の中でも少しでも被害の少ない道を選びとってゆけたらと願う……(2001/08/29)

2001/08/30/ (木)  牛丼業界の身を切る苦しさは「ひと足先」の出来事か?

 やはり、モノが安くなった。
 久しぶりに、事務所近くの牛丼の『松屋』に入る。牛丼セットが、牛丼並と生卵、生野菜、味噌汁付きで440円という破格であった。ちなみに、牛丼単品は290円!納豆定食が350円。お新香80円、キムチ80円、生卵50円、生野菜100円、納豆70円、とろろ100円、のり50円、さけ150円、ペットボトルお茶120円……(もういいか……)学生食堂の価格である。どうやって利益を出しているのかが非常に心配になりながらも、好きなきざみ紅しょうがをたっぷりと牛丼にかぶせていただいた。
 決して味が落ちていたわけでもなかったし、店内はやけっぱちになっているわけでもなかった。ただ、店員は全員がアルバイトといった面々であったように思う。そうでもしなければやってゆけないはずだ。

 デフレ傾向の牽引役かのように牛丼の価格は取り沙汰されてきた昨今である。「利益無き牛丼戦争!」の様相を呈しているが、当事者たちの気も狂わんばかりの苦悩は想像に余りある。
 われわれもアンテナ・ショップとしてのパソコン・ショップを営業していたことがあったので分かるのだ。95年、96年当時は楽勝気分であった。DOS/VPCの自作といったノウハウ伝授を売りにした特化路線で皮切りは順調であった。が、その後ジワジワと大手競合店が開店するわ、秋葉原の卸値的価格が一般化するわ、そして駄目押し的なPCパーツの「価格破壊」が進み、とうとうリタイヤに至った。もともと、ソフト開発が主体の会社であったので、パソコンジャンルの新規情報やノウハウを種々仕入れたところで深追いはしなかったのである。案の定、その後大手競合他店も、秋葉原パーツ・ショップも次々に無残な閉店に追い込まれていったのであった。

 それにしても店舗が苦しくなるというのは体感的な辛さ、苦しさを伴うものである。客は途絶え、来た客も他店の安さを皮肉っぽくつぶやき、レジを閉めた時の売上の数字は、疲れの上に絶望という字を上書きしてくれたものだ。
 今の牛丼業界は、確かに食材加工などの技術的合理化というコストダウンの側面もあることはあるのだろうが、有体に言えば「我満較べ」の低価格競争であるに違いない。客寄せだけが突出した目標と化しているのであろう。われわれが関与したパソコン・ショップ時代の無理の累乗と酷似している。サラリーマンにとっての昼食がワンコイン(500円)に押し込められた現在、こうした牛丼戦争は、傍目にはありがたいのだが、当事者たちの苦悩を想像させ過ぎて、もらい涙しながらの昼食ということにだけはならないようにしてもらいたい。また、牛丼業界の現在の辛さ、苦しさが、決して他人事では済まないことも重々噛みしめておかなければならない……(2001/08/30)

2001/08/31/ (金)  流行性「貧すれば鈍する」症候群からの脱却が緊急課題か?

 気を取り直して、「あえて!」こう考えるようにしてみようかと思う。
「今の世の中、<悪いこと>ばかりで『犬も歩けば落とし穴に落ちる!』(こんな諺はありません。念のため。)ように見える。だけど本当はそうじゃない。もうそこの曲がり角のところまで、<良いこと>氏は、はるばる歩いて尋ねて来てくれているのだ。にもかかわらず、わたしが愚か者だから、わたしは派手好みだから、わたしは『パッと見』系人間だから、わたしは近眼だから、その姿を認めていない。
 <良いこと>氏は、つぶやいているのだ。『あそこで待っている人だな。まだわたしのことに気づかないのかな。何だかずっと遠くを見ているようだな。困ったな……』と」

 あじの干物のように開き直っているつもりはない。カラスだかインコだかの宗教集団に入信したわけでもない。いわんや、この不況のツラサで頭が麻痺してきたというわけでもない。(たぶん……)

 「貧すれば鈍する」(これは不況時における諺界ベストオブザイヤー賞に輝いたに違いない諺。もしそんなものがあったらの話。ちなみに、『貧には知恵の鏡も曇る』が第二位、「貧にして楽しむ」が第三位。『貧すれば金襴緞子(きんらんどんす)の帯(おび)を売り』はノミネートはされたものの、ダジャレは不謹慎との反対多くボツになった、とか。)が、現最重要課題をみごと解き明かすキーコンセプトになりそうなのである。

 宝くじに当たっても、「こんな大金は使い切れない。泥棒にも狙われるし……。かえって、心痛のタネが増えた……」と悩みぬく人もいるほど(いないか?今どき!でも落語には『水屋』という似た話がある。)に、われわれ日本人は悲観主義者である。したがって苦境に立ったらそのプレッシャーで、それこそ真っ先に頭が痺れてしまいがちなのである。そして、見えるものも見えなく、極端に悲観的となり切ってしまうのだ。仮に札束が落ちていても、読書ギライの自分には縁のない古い岩波新書がほつれたものと見なして、寂しそうに通り過ぎる。(そんなことはないか!?)

 ところで、<悪いこと>ばかりが目についてしまうのは、われわれの悲観主義的傾きで説明がつくとして、見えるべき希望、<良いこと>氏の到来さえも見えなくなってしまうというのはどうしたことであろう?
 ここである、新たな別の視点の導入が緊急要請されなければならない個所は。
 われわれは、とかく<良いこと>氏はたった一人なんだと決めつけてきたキライがありわたしはこの考え方はキライである。<良いこと>氏は、例えるなら日本で最も多い苗字である<鈴木>氏なのであり、無数といって差し支えないほどおられるのだ。わたしにとっての<良いこと>氏がいれば、あなたにとっての<良いこと>氏もいれば、彼にとっての、彼女にとっての、はたまた落とし穴に落ちたワンちゃんにとっての<良いこと>氏がちゃんとちゃんとの味の素なのだ。トヨタ車のコンソール以上に多品種少量生産、選択自由なレパートリーなのである。この事実を忘れ、われわれは、<良いこと>氏がたった一人であり、その彼のイメージは高収入、安定、安心、権力、ラク……と思い込んできてしまったのだ。ズーッと。そして、そのイメージが備わっていなければ<良いこと>氏ではない!と見なす悪癖さえ身につけてしまったのである。別の<良いこと>氏なんぞ存在しないという共同幻想が、現在の日本をやりきれなくなるほどに暗くしている!と、そんな風に考えてみようかと思う。

 「人間万事塞翁が馬」(この諺は『直木賞』を受賞しました、いや同名の小説がでした。その作家は、先の参院選は残念賞でしたが)でもあり、万事、明るく笑い飛ばす度胸と活力が、見覚え無き<良いこと>氏の到来を促すことになるんでしょう。「笑う門には福来る」とも言う、脳生理学会ご推奨(だったかもしれないような気がします)のスローガンもあるくらい……(2001/08/31)