[ 元のページに戻る ]

【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





………… 2001年12月の日誌 …………

2001/12/01/ (土)   ニュー・ビジネスとは、古い制度、環境への決別なのであろう!
2001/12/01/ (土)   ★緊急ウィルス警報!!「Re:」とだけ記されたメールは即座に削除!
2001/12/02/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (16)
2001/12/03/ (月)   この冬に到来する悲観と絶望の「インフルエンザ」を封じ込める!
2001/12/04/ (火)   ADSLのお陰で、ウェブ環境の奥行きがもうひとつ見えてきた!
2001/12/05/ (水)   「自殺防止」の呼びかけ記事を、政治家諸君はどう感じるのか?
2001/12/06/ (木)   グローバリゼーション過程で、すべきこととしてはいけないこと!
2001/12/07/ (金)   あどけない子どもたち、母親たち、そして父親/男たち……
2001/12/08/ (土)   決してそうは見えない不景気な師走の街の賑わい!
2001/12/09/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (17)
2001/12/10/ (月)   「オンリー・ワン」を目指す以外にサバイバルはない!
2001/12/11/ (火)   時代の変化を受けとめるのに、等身大でまたは宇宙物理学的物差しで?
2001/12/12/ (水)   気がつけば、日本に「痛いことはいいことだ」の大合唱が起きている!
2001/12/13/ (木)   右に左に二極を「ぶれまくる」われわれ日本人の発想!
2001/12/14/ (金)   「直接的」方策の悲しさと「媒介的」方策の冷静さ!
2001/12/15/ (土)   「情けは人の為ならず」や「損して得取る」が「媒介的」な発想!
2001/12/16/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (18)
2001/12/17/ (月)   「人材育成力重視」型の課長人事考課の登場に感じたもの!
2001/12/18/ (火)   「生存なくして経済なし!」といった最終局面が近い!
2001/12/19/ (水)   風邪のウイルスに直接効く薬を世界で初めて開発!
2001/12/20/ (木)   「井の中」の蛙の安らぎと「四面鏡の中」の蝦蟇の苦悩!
2001/12/21/ (金)   ここまで書いてようやく気分が落ち着いてきたもんだ……
2001/12/22/ (土)   木と紙の間柄のように相手をあいまいに許容してゆくゆとり……
2001/12/23/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (19)
2001/12/24/ (月)   今年一年を振り返る人々の口から「立ち戻る」という言葉が……
2001/12/25/ (火)   ボクの身体はもう耐え切れないから、こうやって笑っちゃうの!
2001/12/26/ (水)   再度「インストラクション」について。言葉が風化しているのか?
2001/12/27/ (木)   白昼夢!危機感薄く、せり舞台で沈んでゆくような日本?
2001/12/28/ (金)   牛肉だけは敬遠されるかたちの弱肉強食、弱者切り捨て御免!の実感、予感
2001/12/29/ (土)   自分自身の実感やイメージと、自分の言葉とをしっかり結合させること!
2001/12/30/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (20)
2001/12/31/ (月)   現代人の重い自省の問題と、挑戦し続ける人間の問題の二冊!





2001/12/01/ (土)  ニュー・ビジネスとは、古い制度、環境への決別なのであろう!

 二、三日前にセールスの電話に出てみた。投資・不動産関係や、街金(まちきん)関係などのセールス電話には出る必要がないと考えてきたが、ニュービジネスと思しき者たちからのセールス電話には極力対応することにしている。なぜかと言って情報収集に決まっている。自分たちのビジネスの着眼点、そして苦労談、おまけにウィークポイントまで、いろいろとこちらからのインタビューに応じてくれるのでありがたい。
 今回は、税理士、弁護士等々の「士(サムライ)」業の先生たちを無償で紹介(ということは、サムライたちから会費を取るということ)するといったビジネスからの営業であった。なるほど、と思いながらも「そうすると、スポンサーである先生方の評価が甘くなりはしませんか?ムーディーズのような相応の評価システムを組み込むと、依頼側が安心できるんじゃないかな……」などと言う必要のないことまで言い添える始末だった。

 こういう方面の方たちは若い世代が多いからということもあるが、基本的には話してみて楽しいのだ。情報収集としていい勉強をさせてもらうのだが、一言で言えば、「異質」の遭遇だという点が新鮮で好感が持てるのかもしれない。
 これに対して、オールド・ビジネスの営業は、手垢のついた常套句、分かりきったウソや脅し、ぷんぷん臭ってくる嵩(かさ)にきた言葉と卑下する言葉に揺れる分裂姿勢、あるいは気持ち悪いほどベッタリと擦り寄ってくるかのような馴れ馴れしさなど、知的刺激が皆無であるだけでなく、すでに「終わっている感性」を呼び覚まそうとする厚顔さが不快なのだと言えよう。

 こんな「戦国不況!」なので、志あるものは日夜ニュー・ビジネスに思いを巡らせているに違いない。昨日は、経済行為とはコミュニケーションであると強調したのだが、さらに言えば人間関係のあり方と密接に関係するものだと言ってよいのだろう。
 だから、どうも、ニュー・ビジネスとは、ニュー・コミュニケーションであり、人間の新しいニーズに着眼した斬新な人間関係の創造だとも言えるのではないだろうか。もちろん「全人的な」人間関係などではない。

 ところで、この「全人的な」人間関係というのがくせものと言えばくせものなのだという気がしている。それは、もはや存在し得ないのではないのだろうか。むしろその自覚から再出発し再構築する対象となっている課題なのではないのだろうか。
 しかし、この「全人的な」人間関係の幻想だけはさまざまな形で存在したし、存在し続けてきたような気がする。そして、その幻想が逆に人間の感性を出口無しかのような苦痛に追い込んでいるのかもしれない、とさえ思えるのだ。
 ビジネスの世界では、つい先ごろまでこの「全人的な」人間関係幻想としての「終身雇用」制があり、そのサブ・システムとしての「年功序列」制があった。当然、存在し続けた制度にメリットが無かったわけではない。しかし、時代の進展がその存立基盤を取り除いてしまった。
 「全人的な」人間関係の基盤であった家族環境と地域社会環境は、現在、かたちだけが残されその内実は一変してしまっていると、認めたくはないにせよ、事実はそうであるに違いないと言えよう。

 団塊世代以前の大人たちは、この「全人的な」人間関係の幻想に引きずり回されてきたのである。西欧ではとっくに卒業してしまった幻想であり、擬似アメリカ環境を柔軟な脳に刻んだ団塊ジュニア以降にとっても、そんなものが幻想であること、それにもかかわらずそれに順じた制度や環境ばかりの時代に打つ手もなく戸惑ってきた、と言えば言い過ぎとなるであろうか?

 馬鹿でかいテーマに踏み込んでしまった。後日落ち着いて反芻したいが、要するに、今迎えている世界同時経済不況への正攻法としては、まずニュー・ビジネス志向でなければならないだろうと言う点、そして、自ずからその方向選択のベースは新しい人間関係、少なくとも同質性、同一性の幻想や、全人的関係の幻想に基づく人間関係ではない新しい関係の創造にある点に注意を向けておきたいのである。

 もちろん、古い幻想は、人々に束の間の癒しを与えてくれ、何よりもありがたいという想いにさせてくれるものである。辛い時には、何よりも慰めであったりもする。が、わたしは、ようやくこの幻想と真っ向から向かい合わなければならないと思い始めている……(2001/12/01)

2001/12/01/ (土)  ★緊急ウィルス警報!!「Re:」とだけ記されたメールは即座に削除!

【 2001.12.01の第二信 】

 アンチウイルスベンダー各社が,新種ウィルス「BADTRANS.B」に警告を発しています。いわゆる「トロイの木馬」型の一種であり猛威をふるい始めていると聞いていましたが、その存在をつい先ほど確認しました。
 メールの発信人は不明で、その件名は「Re:」とだけ記されていました。事前にマークしていたため、「即座に削除しました」が、多分「BADTRANS.B」ウィルスのはずです。
(当サイトおよび当方のPCは、厳重なウィルスチェックをしているのでご心配なく!)
 これを知らずに「添付ファイル」を興味本位で開くと、次のようになるそうです。

『BADTRANS.Bが実行されると,自分自身を「\windows\system」ディレクトリ内に「kernel32.exe」としてコピーし,レジストリに次の値を追加する。「HKEY_LOCAL_MACHINE\SOFTWARE\
Microsoft\Windows\CurrentVersion\
\RunOnce\Kernel32=kernel32.exe.」。
 そして,プログラム稼働中は,デフォルトのMAPIプログラム内で発見したアドレスから電子メールを送信するほか,キー操作のログを作成するトロイの木馬をインストールする。』(http://www.zdnet.co.jp/news/0111/26/badtrans.html)

 ちなみに、新しいウィルスのためか「ウィルス警告ソフト」もスルーさせていました。

 知人、友人にもお知らせして、このウィルスに「門前払い!」を食わせるようにしましょう!!(2001/12/01)

2001/12/02/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (16)

 沢庵和尚と、海念そして保兵衛の三人は、朝露を含んだ草で足元の白足袋、脚半を濡らしながら街道へと向かっていた。もう七十の声が聞こえてくる高齢の沢庵和尚であったがその足取りは軽やかである。二人の子ども禅僧が後を追うようにして歩んでいた。その光景は、どこか心和む雰囲気が漂っていたものだ。三人は、将軍家光の招きで江戸城へと向かい、東海寺を後にしたのだった。
 早朝の広大な境内は朝靄に包まれ、笠に触れて水滴となった雫が時々ぽたりと落ちてくるほどである。
 と、和尚が突然足取りを緩めた。そこは林を抜けた見晴らしの良い高台である。各々の笠の先に、品川宿の軒並みが広がっている。その向こうには静かな品川沖、そして今まさに日の出を迎え、目を射るように輝く朱色の旭日が、水平線から立ち上がろうとしていたのだ。
 和尚は実にありがたそうに、その旭日に合掌し始める。そうだそうだとばかりに、子ども禅僧たちも小さな手で合掌するのだった。目をつぶっていても、旭日が次第に立ち上がってゆくその動きが見えるのだった。
「何百年経てもこの光景だけは変わらぬものであろうのう」
とつぶやく和尚の言葉で、二人も目を開けるのだった。保兵衛は、大きく頷き、品川神社で新年のご来光を迎えた時のことを思い出していた。
「そうじゃのう、保兵衛さん」
 一瞬、何と答えたものかと保兵衛はためらうのだった。
「はいっ」
とだけ答えるにとどまってしまう保兵衛だった。

 本当は、この機を逃さずいろんなことを続け様に聞きたかったに違いなかったのだ。
『和尚さん、ぼくは以前ここへ来たことがあるんですよね。ぼくは忘れん坊だから覚えていないんだけど、ちょっと前にここへ来たんですよね。もし、そうじゃないとすれば、一体ぼくのことや、海念さんのことまで知っている誰がここへ来たと言うんです?和尚さんはすべてを知っていながらなぜ教えてくれないんですか?それじゃ、せめてその理由だけでも教えてください!』
と……。しかし、初めてここへ来た時の、ぞんざいまでの和尚に対する対応が、この一日、二日でもはやできなくなってしまっている自分に気づくのだった。なぜだかは分からなかった。海念を初めとして、この世界で出会う人々の緊張感に満ちた濃密な生き方が、保兵衛の感覚に影響を与えたのかもしれなかった。

 まぶしそうに品川沖を眺める和尚が言った。
「海念や、そちは『不立文字(ふりゅうもんじ)』なる言葉を得とくしたかのう」
海念もまた、突然の問いかけにためらうのだった。
「はいっ。禅の根本思想である『達磨の四聖句』、即ち、『不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)、直指人心(じきしにんしん)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)』の第一で、真理は、文字や言葉では伝えることができない、という意と心得ております」
「そうじゃ、よく心得たのう。文字や言葉は時として心の迷いを増幅するだけとなる場合が多いものじゃ。無心でことに当たるべし、ということじゃな」
海念は、この場の文脈をにらみ何事かに思いを巡らせるのだった。

『和尚さまは、きっと保兵衛さんのいきさつについて知っておられるに違いない。ただ、そのことを保兵衛さんに伝えることは、保兵衛さんにとって良くないことだとお考えのようだ……。保兵衛さんの心の迷いが増すだけだとおっしゃっているに違いない。
 確かに、知ることが幸いに繋がるとは限らないかもしれない。生半可に知ることがただただ悩みを深くすることだってあるに違いない……』

 しばらくの沈黙の後、和尚は再び保兵衛に向かって言うのだった。
「保兵衛さん、とにかく、ここでの今を一心に生きなされ。ここであろうが、どこであろうが同じことなのじゃ」
保兵衛には、分かる言葉ではなかっただろう。しかし、『四つの図柄』の秘密を詮索することより、ここでの今を一心に生きることが大事だという和尚の言葉に、奥の深い何かがありそうだとだけは感じとったのだった。
 心細そうに保兵衛は海念の方を見つめた。海念は、何かを伝えたいように静かに二、三度頷いていた。

「そうじゃ、海念。そちはいつの間に和尚の得意技たる外道への技を得とくしたのじゃ?そう、昨日の街道での技の披露のことを言うておる」
 和尚は、街道へと坂を下りながら、明るい声で言うのだった。
 まぶしい旭日の光と乳白色の朝靄に、三人の影はあっという間に溶け込んでいった。(2001/12/02)

2001/12/03/ (月)  この冬に到来する悲観と絶望の「インフルエンザ」を封じ込める!

 小学生の頃だったはずだ。風邪を引いたか何かで気分が悪くなり、早退したことがあった。ふらふらと帰宅すると、明治生まれの元気な祖父が、家の周りの片付けか何かをしていた。
 精彩のない顔をしたわたしを見つけて「どうしたんだ?」と聞かれた。簡単に事情を説明すると、「情けない顔するんじゃない。身体こわしてうちに帰るのに、何の遠慮がいるもんか。大いばりで帰ってくればいいんだ」と言われた。妙に、その情景のことが忘れられないでいる。
 先週から風邪気味のぱっとしない状態が続き、今日は思い切って自宅で養生することにした。祖父の言葉を思い出したからというわけではなく、むしろただでさえ滅入るこんな時期に挑むには、気力を充実させるに限ると思えたからだ。

 不況の冬は、インフルエンザが猛威を振るうと聞いたことがある。原因は、ストレスで免疫性が低下するとかであったかと思う。さしずめ今年の冬は大変なことになるのかと予期する間もあったものではなく、自分がはまり込んでしまう始末だ。
 ストレスは万病の原因だと言われるが、失業率の数字の高まりとともに、人々のストレスもうなぎ昇りになっていると想像される。しかも、出口が見えないのだから、エンドレスの我慢やがんばりが要請されていることになる。したがって、目下の課題は、それが可能かどうかの先の心配であるよりも、そうした負荷とそれに伴うストレスにどう対処するかであるに違いないだろう。

 先ずは、不用意に貯め込んではいけないはずである、ストレスというものは。六分、七分くらいの状態で、自分でドクターストップをかけ、とりあえず全削除、チャラにしてしまわなければいけない。しかも、几帳面で、誠実な性格の人ほど気をつけなければならないようだ。そうしたタイプの危険は、事実以上の責任範囲拡大をしてしまい、不可能観と「やらねばならぬ」の脅迫観念を誘い込み、そのスパイラルに突入することが最も怖いらしいのだ。
 わたしは、几帳面でも誠実でもないが、時として「ねばならぬ」の当為過剰感を持ってしまう場合があるが、どうもこうした際には事がうまく運ばないと記憶している。事がうまく運ぶとは、文字通り自然の道理で事が進行することであり、当為感過剰となればどこかに自然の流れを撹乱するものが紛れ込み、うまく運ぶどころか予期せぬ不運さえ呼び込んでしまうのであろう。

 定かには知らないが、逆風に向かってさえも、ヨットや帆船は進めるものらしい。とりあえず、順風満帆時の安逸なイメージから自由となり、不安やあせりというあっても意味の無い感情を極力抑制し、自然の道理だけを物静かに見つめることなのだろうか。
 たぶん、道理を物静かに観察するとは、道理がもたらす片面のみに捕らわれる見方から抜け出し、裏面で進行している事態をも想像し、事実の全体を視野に入れることであるのかもしれない。今、手探りすべきは、うずたかく積み上げられたマイナス現象、逆風現象に悲観するだけではなく、それらを翻してみて意味を探ることであるのかもしれないと思っている。(2001/12/03)

2001/12/04/ (火)  ADSLのお陰で、ウェブ環境の奥行きがもうひとつ見えてきた!

 ADSL回線に替えたため、インターネットの利用を四六時中行う行動スタイルとなってしまった。気掛かりなキーワードで検索してちょっとした情報を補填することはもとより、和英・英和・国語・新語辞典などの利用も重宝して活用している。
 気になることは、二つ、その一つはここしばらくの間にも何回か書いているウィルスや不正アクセスといういやらしい訪問者の問題である。これは一応、ファイアーウォールと対ウィルスのソフトでガードしている。

 もう一つは気になるというか、今さらながらの驚きと言ってよいかもしれない点であるが、サイト数の膨大さである。絞り込んで利用していた時には、さほど感じなかったのだが、寄り道自由というスタンスでアクセスしてみると、あるわあるわのサイト種類、サイト数にめまい(?)がする思いとなってしまう。ややもすれば、田舎者の大都会参上と言った気分にさせられるほどかもしれない。
 しかも、手作りHPと分かる親しみやすいたたずまいのHPではなく、どこか垢抜けた業者制作のHPに接触し続けていると、なぜだかこちらの卑小感、無力感などが呼び覚まされるようでいらだたしくもなる。
 感じさせられることは、「こんなに膨大な数のHP、一見きらびやかな装丁のHPの砂漠の中で、自分たちのHPは人知れず埋もれてゆく……」という悲観主義であろうか。

 Web活用のビジネスが盛んに取り沙汰されるわけだが、言うまでもなく問題はどうやって、砂漠の中で小さな小石を選んでもらうのか、に尽きるわけだ。昨今では、ネット・ユーザのために「検索エンジン、検索ロボット」などがHPを紹介して、小石サイトもどうにか一元のお客さんの目にもとまることにはなった。
 HP運営者の中には、何の根拠をもってしてか「開いたのだけど、いっこうにアクセス数が伸びない……」と悩む人もいらっしゃる。そんな人に限って何の登録事務も、サイトのキーワード設定もされずというか、知らずに、「内容で勝負!」と我田引水、唯我独尊となっておられたりする。
 そこへゆくと若い世代は、勘所を熟知していて、アクセス数稼ぎのための万策を講じているようだ。ポータル・サイト風の内容を提供したり、自由掲示板を設定したり、以前ならネット利用者をにらみPCショップ情報を掲載したりなどなどである。弊社がPCショップに熱をいれていた当時、よくそうした若者が訪れたりもしたものであった。

 HP運営に関与していると、時代はまさに情報戦争時代だと肌身で感じさせられるのである。大企業は、資金にものを言わせ、サイト専門業者部隊を使って確かにアクセス者を一時はうならせるサイトを構築したりはする。しかし、不必要で、ムダな情報も多く、ネット・ユーザにとっては単なるワン・オブ・ゼンでしかなかったりもするのだ。
 小さなサイトでも、じっくりと読み味わい、そしてリピータとさせられる場合だってある。まさに、個性的なビュー・ポイントとコンテンツの濃ささえあれば、ネット・ユーザは背後の規模を問題としないオープンさがあると言える。
 先日、ある思い入れしたキーワードで検索エンジンを回していたところ、当HPを紹介するポータル・サイトが見つかった。へぇー、しっかりマークしてくれていた人がいたんだと、感激したものであった。
 情報戦争は、ゴテゴテした武器やらゲンナマなどを使わず、自分が共感する情報をただただ指し示しさえしてゆけば、やがてパワーと結実してゆく可能性を持つものだと考えたい。当サイトも、これからは共感の持てるサイトをしっかりと紹介してゆく役割も果たしてゆきたいと考えている。ADSLのお陰で、寄り道自由となったわけなんで……(2001/12/04)

2001/12/05/ (水)  「自殺防止」の呼びかけ記事を、政治家諸君はどう感じるのか?

 朝日新聞は最近、小さな広告のようなかたちで、「自殺防止」の呼びかけ記事を掲載している。独りで悩まずに電話してください、とカウンセラーか何かの電話番号が記載してある。もちろんこの不況による被害者に向けたものである。

 今、被害者と書いたが、たぶん異論を唱える人もいるかとは思う。しかし、政治の無策、無力が弱小の経営者や勤労者を死に追い込んでいることは事実であろう。
 しばしば、この不況がスタートした90年代を「失われた10年」と表現されるが、今日、不況の原因とも目され、日本経済の足を引っ張りつづけている地価下落などによる「不良債権」は、まさに90年代を通して無策でやり過ごされて来たのが事実である。しかも、何度かの対応すべき機会があったにもかかわらずである。
 そして、「構造改革」と叫ばれながら、同時進行するデフレの悪影響に加え、果断さの不足による不透明で、不安定な事態がダラダラと継続している。ムーディーズの評価下げだけでなく、経済アナリストの中にも、このままでは「失われた10年」の再来となりかねないという厳しい見方も現れている。

 とりわけ憤りが隠せないのは、弱者がデッドラインに追い込まれる「痛み」どころではない状況を迎えているにもかかわらず、日本経済にとって足枷でしかない税金の垂れ流し機構が温存されていることであろう。特殊法人の役員給与、大幅削減へなどということをなぜ考えるのか。廃止という即断が望まれている事態を前にして。余りにもアンバランスなのである。税負担者たちをこそ第一に重視し、公的機関が進んで「痛み」を分かち合う当たり前がなぜできないのか。なぜ当然のことが指導できないのか。
 この姿勢は、この時期に健保の国民負担分の無造作な増大を仕出かす動きにも共通しており、為政者たちは自分が何をしているのかが感覚的に分からなくなっているとしか云いようがない。

 テレビで経済アナリストが、蔵相の発言に対して的確なコメントをつけていた。政治判断に対して責任を持つこと、国民に事実を情報公開すること!さもなくば、第二次世界大戦時と同様に、国民は「欲しがりません勝つまでは!」の姿勢で玉砕にまで導かれてしまうではないかと。
 責任のとり方を忘れたか、はなから責任など眼中になければ、政治家とは一体何者なのだろうか。不況の原因は「不良債権」としたら、「不良債権」の原因は「責任」という言葉を忘れた金融機関幹部の無責任、その無責任は、取りも直さず政治家たちが範を以って示し続けて来たからだと見なすのは無理があるだろうか。

 不況の自殺で親を失った遺児たちに、時の政治家はどう責任を果たすつもりなのか?そこまでの責任はないと言い切るなら、それは政治家としての資質がないのだから、国費を返上してトーク番組で好き勝手が言える立場に鞍替えするのが器にあっていると言いたい。(2001/12/05)

2001/12/06/ (木)  グローバリゼーション過程で、すべきこととしてはいけないこと!

 全世界が、米国型の民主主義と市場経済へと統合されてゆくうねりとしての「グローバリゼーション」が、現在の世界中の人間たちの足元を形成していると言えるのだろう。
 「……グローバリゼーションとは、強烈な外的刺激にさらされながら、既存の世界システムに組み込まれるために自らを作りなおす過程にほかならない。しかも自国のアイデンティティーは失いたくない」(朝日新聞、2001.12.05(夕)、大野健一『グローバル化という試練』)と述べ、大野氏は途上国における「グローバリゼーション」の課題を探っている。そして、「世の中には理性できれいに割り切れることと割り切れないことがある。コンピュータを速く走らせミサイルの精度を上げるのは主として理性の方面である。だが、社会という複雑な生命体が別の社会と出会うときに起こるドラマは、単純な公式で描写しつくせるものではない。開発には、二つの相反する原理がともに正しいという状況もありうるのであって、この非合理にどれだけ耐えられるかが勝負である。……」と興味深い指摘をしている。

 「二つの相反する原理がともに正しいという状況」が今世界各地で多くの問題を引き起こしているのだと言える。かつては、西洋と東洋であり、資本主義と共産主義であった「二つの相反する原理」が、今では、米国スタンダーズ(ドル!)を軸とする「一対多」の相反関係となって世界中に広がっているのである。そして、「多」の側の国々、社会ではまさに「二つの相反する原理がともに正しいという状況」の中で「自らを作りなおす」苦しい過程を歩んでいるわけだ。
 異質な原理が遭遇する場合、基本的には「対話」関係となるのが自然なのであろうが、統合主体(?)意識がいまだ濃厚な米国の姿勢と流れは、「ともに正しい」というフィフティ・フィフティの関係に、偏重した圧力を持ち込んでいると見える。

 グローバル経済の中でサバイバルするには、自国なり、こちら側社会の歴史ある原理をまさに「作りなおす」しかないのが事実であろう。まして、残存している歴史ある原理というものは、概して保守勢力の利害と思惑で残存させられてきた、言うならば保守勢力の道具として残されてきたことがままあるからである。それらは、米国型であろうが何型であろうが、そのうねりによって排除されてゆくべきだと思える。
 ただ、「産湯を捨てて、赤子を流す」たとえのような粗雑なことを決してすべきではないと考えるのだ。グローバリゼーションの過程においても、ぎりぎり見放してはならぬ何かわれわれ固有の文化があるはずだと思うのである。決して右翼が指し示すようなナショナリズムを言っているのではない。言うならば、自然とともに暮らして培ってきた日本人独特の優しさ、山本周五郎的、藤沢周平的世界への憧れなどは、咀嚼された上でグローバリズム型骨格に肉付けされなければならないと思うのだ。世界中が、米国型の「金太郎飴」になってしまうことを想像するとぞっとするのである。

 大野氏が懸念する日本による途上国への姿勢にしても、わが国自身が上記のような主体性と繊細さを持ちえなければ、単なる米国の「太鼓もち」的役割を果たすだけとなってしまうのだろう。
 「わが国は(途上国への)最大の援助国であり、最近はカネのみならず知恵も出そうとしている。NGO活動にも関心が高まっている。われわれは、理性、感性、意志、直感、情熱など、人間がもつあらゆる能力を動員して途上国と接しなければならない」と述べ、欧米の共通戦略を途上国にあてはめてゆく動きへの警戒も促している大野氏の見解に共感が持てた。(2001/12/06)

2001/12/07/ (金)  あどけない子どもたち、母親たち、そして父親/男たち……

 駅前の安いファミリー・レストランで遅い昼食をとった。ランチ・タイムだと、480 円からのランチ・メニューがあり、学生や子ども連れの主婦で賑わう。できるだけ人手を割こうと努力しているのだろう、ウエイトレスも少ない。
 テーブル上に、「ピンポーン」と店内全体に鳴り響く呼び鈴が据え付けてある。オーダーが決まったらそれでウエイトレスを呼ぶのである。わたしは、頼むものが決まったので押した。「ピンポーン」と。そうしたら、小さな子どもが、まじめな声で「ハア〜イ!」と答えたのだった。わたしの裏手側に座っていた親子連れの、一、二歳位の男の子が、かわいい大きな声で叫んでいたのである。多分自宅で、チャイムに応える母親の対応を覚えてきたのであろうか。店内のみんながくすくすと笑った。わたしも、ほのぼのとした気分にさせられた。

 現在、世界に対して無頓着な姿勢で挑んでいるそうした子どもたちだけが、大人たちのこわばった心を癒してくれていると思う。
 子どもに育てた恩返しなど期待するものではない、子どもたちはそのあどけなさで、その時その時、親たちに生きる勇気と喜びを与えているのだから、と言う考え方があるが、気に入っている。この事情は、きっと人間だけではなく、動物たち、厳しい環境で生きる野生の動物たちにも共通するものであり、神としか言いようがない万物の創造者が与えた優しい掟なのかもしれないと感嘆する。

 確かに、あどけない子どもたちの姿に表情を崩すのは、そろそろ孫の顔を見てもおかしくはない年代となり、あくまでも第三者的立場でいられるからだと言えば、そう言えないこともないだろう。そうした子どもたちが、喜びを与えるとともに、どんなにか大人たちの神経と体力を無造作に撹乱させるかは分かる。とりわけ、母親からは惜しみなくそれらを奪うのが子どもたちなのだ。
 極端に言えば、そうした関係の中から「幼児虐待」なる悲劇も生まれてしまうのだろうか?子どもたちが、親に、唯一の絆としてしがみつく行動は、健康な親にとってはかけがえのない関係として喜ばれても、何らかの躓きと病気的な心境に陥ってしまった親にとっては、言いようのない負荷を与える存在と見誤ることを余儀なくさせられてしまうのであろうか?

 現在、子育てに男女の区別はなくなる風潮が広がっている。安全地帯に駆け込んだ格好の「卒業生」としては、端的に良い事だと言い切ってしまう。ただ、古いわたしなんぞは、野生動物のオスたちのように、男がより傾注すべきは、子どもを守るその母たちを守るべく、配慮し、行動すべきだと考える。自分の子という観点だけでなく、種族の子どもたちという抽象性を発揮できる男たちが、社会的環境の整備という責任を果たさなければならないと思っている。もちろん、その仕事を排他的に占有して、女性の参画を拒むということでは決してないが。
 むしろ、母親による「幼児虐待」(父親によるものもある)のその責任は、母親にあるだけではなく、その父親と、そして孤立分断の寂しい社会しか作れなかった全男たちの責任が大きいと率直に感じるのだ。
 男には男の仕事があるなどとほざいて、極論すれば戦争に解決策を幻視してしまう男たちの時代は終わったのだろうと思う。男を演じるブッシュの演説する姿を見るにつけそう感じるのである。男たちが自他ともに納得できる生き方が定着するには、あとどれだけの時間がかかるのだろうか……(2001/12/07)

2001/12/08/ (土)  決してそうは見えない不景気な師走の街の賑わい!

 やっと床屋(理髪店)へ行く気になって、馴染みの床屋へクルマで向かった。
 町田の土日は、いつもマイカーで混雑する。こんな景気の悪い時期でも、師走だからだろうか、思いのほかの渋滞だった。個人消費が落ち込んでいるというのに、それにしては買い物客と思しきクルマが、そこここのショップの駐車場入り口で待ち並んでもいた。

 個人消費低迷という状況は、早とちりすれば、みんながうちに閉じこもって、顔を見合わせて耐乏生活をしていると想像したりしてしまう。ところが、決してそうではないらしい。先週も、比較的大きなスーパーへ行った際、食料品売り場は満員盛況の有り様だった。レジ付近も、たいそう待たされるほどの混雑状況だった。
 思うに、量の問題ではなく、質、つまり安いモノがそこそこ買われ、高額のモノが敬遠されているという状況の進展なんだろうか。それが生活の知恵でもあるのだろう。卓上の品数が急減するのは、いかにもさみしく、物議をかもすことにもなるなら、比較的安いモノで皿が埋め尽くされる工夫も当然なされて然るべきなのだろう。

 しかも、デフレの最中なのでモノの値段は確かに安い。こんなことでは、生産者は泣いているのだろうと余計な心配までしてしまう。何十分の一の人件費を売りとした中国の品の到来が至るところで、ジャパニーズ・プライスをことごとく溶解させているのであろうか。
 小腹がすいた帰り路に立寄った「昔ながらの中華そば店」では、中華そば(ラーメン)一杯が、\.390.-也、餃子が、\.180.-也であった。元来が「中国産」ではあっても、モノがモノなので中国で作られてきたわけではないに決まっているが、安過ぎる。製麺業者、チャーシュー業者、しなちく業者、海苔業者などなどの陰で泣いている業者たちの顔を思い浮かべながら、ありがたくスープまで啜ってきた。ちなみに、確か以前メニューにあった「牛丼小 \.280.-也」は、泣く子も黙る狂牛病のためか「焼豚丼小 \.280.-」に差し替えられていた。ここでも、牛肉業者のみじめに泣く顔がちらつく思いであった。

 さて、床屋のおやじも客数がめっぽう減ってしまったとこぼしていた。近辺にあった製造業二、三社が、本社に吸収されたり、相模川寄りの安い工業団地へ移転してしまったとかなのである。店に入ると、店員三人(そのうち一人は、退屈ゆえに遊ばせていた二、三歳の店の子ども!)に歓迎して迎えられた。もちろん待ち客なんぞはいなかった。
 その製造業の従業員二、三百人がいなくなったことを今更ながら悔しがっている。頼みの綱は、現在近辺で建設中の有名私立大学の開校だと言っていた。私立大学だと、生協かなんかの一角に理髪室くらいはできてしまうんじゃないの、と口に出かけたが、かろうじてその言葉を飲み込んだ。かわいそうな気がして言えたものではなかった。
 もう師走の八日。不安と恐怖の連続だった二十一世紀幕開けの年も、あっという間に大晦日へと雪崩れ込んでゆくはずだ。そして、床屋のおやじの大学開校待望のように、今年こそはと特に根拠があるわけでもない期待に身を託すひと時としての年中行事、新年がやって来る。
 どうせ大した期待も持てない来年なんだろうけど、それを言っちゃおしまいか。良いことも悪いことも何が起こるか分からない時代だとすれば、ダメ元承知で期待をかけ、精一杯燃焼することとするか、と考えながら理髪椅子の上でうとうととしていた……(2001/12/08)

2001/12/09/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (17)

 三人が街道に入った時、すでに街道は江戸から西へ向かう旅人たちで賑わいを見せていた。
 さすが、東海道の出発点である日本橋から二里の距離にある最初の宿、品川宿である。日の出を迎えるほどの早立ちでなければ歩く距離がかせげなかった時代であった。まして、季節は釣瓶落としに陽が落ちる晩秋であった。街道を西へ向かう旅人たちは、まだ真新しい旅衣装をまとい、一様に明るく、気を張った面持ちと見えた。

 沢庵ほか三人は、旅人たちと対面するかたちで江戸へと歩を進めていた。時々、宿の店の者が沢庵たちに会釈をした。錫杖を左手にした沢庵たちは、右手のみの合掌で応えた。 やがて、海岸の右手方向に弁天社が見えてきた時、沢庵は二人に告げた。
「家光殿とのお約束の昼時までには十分に余裕がある。先ずは、弁天に挨拶をするとしよう」

 実は、品川須崎の弁天社は、東海寺に迎えられる以前の沢庵が、一六二六年、寛永三年に祀り始めた社だと言い伝えられているのである。当時、この須崎に隣接する地域は上方から移住した漁民たちが漁業を営み始め、猟師町と呼ばれていた。また沢庵はと言えば、この時期、幕府権力の蠢きを避け故郷但馬(現兵庫県)に閑居していたのだった。しかし、この漁民たちとの何らかのつながりによるものだったのであろうか、漁民たちのために目黒川という「河川を神格化」する弁財天を祀ったのだった。
 ところで、沢庵にとっての弁天社は、むしろその直後に引き起こされた一連の苦い思いを蘇らせるものであったかもしれない。あの幕府権力とにらみ合った「紫衣(しえ)事件」である。

 元来、禅の考え方はこの世の差異、美も醜も、大も小ものすべてを認めず、権力をも当然認めるものではなかった。だが、時代は、二代将軍秀忠から三代将軍家光の時代、寛永へと突然に移行し、家光による万全の幕府勢力確立に向け、権力の誇示が開始された時期にさしかかっていたのであった。
 折から、幕府は朝廷側との力関係に業を煮やしていた。また、寺院を、檀家制度によって完全に支配下に置く動きにも余念がなかったのである。家光は、僧侶の官位昇進、名誉表彰の一切の権限は、朝廷側からの勅許によってではなく、幕府が握ると宣言したのであった。それが、寛永三年のことであった。「妙心寺、大徳寺法度」がそれである。
 その幕府の虎の尾を踏むかのごとき奔放さを「大徳寺」の長老たる沢庵こと、沢庵宗彭(そうほう。若き沢庵が、「大徳寺」の開祖であり住持であった春屋[しゅんおく]宗園より与えられた号。)は展開するのだった。幕府の命令を無視して僧侶の入山を進めたとともに、抗議書を所司代に呈したのであった。
 ここで言い添えるならば、沢庵が若い時から修行し、一時は住持とまでなった(三日間で辞退してしまったのだが)「大徳寺」は、歴史上で幾度か生ぐさい権力の異臭が漂った場所であったかに思われる。秀吉が、千利休を切腹自殺に追い込んだ「大徳寺山門木像事件」も良く知られている。また、関ケ原の戦での西方の大将たる石田三成とも縁があり、敗死し河原に捨てられた三成が、春屋宗園、沢庵宗彭らによって葬られたのもこの大徳寺だったのである。
 そして、この「紫衣事件」である。抗議を続けた沢庵ら三人の僧は、江戸に呼ばれ詰問された上、各地へと配流(流罪)され幽閉されることとなった。寛永六年、沢庵は出羽(現山形県)へと向かい、寛永九年、柳生宗矩の骨折りによって配流赦免されるまでを北の配流先で幽閉閑居の身を送ったのである。しかし、沢庵の身柄をあずかった城主土岐頼行は、文武を尊び、仏心にあつく、沢庵を大いに歓迎したとのことであった。

 弁天社に接するたびに、沢庵はこの「事件」に翻弄された頃のことを想起したのではなかっただろうか。そして、将軍家光の計らいで東海寺の住持となったいきさつをも振り返るに違いなかった。
 将軍家光は、沢庵を信奉していた柳生宗矩の度重なる言上と、沢庵自身の禅僧としての魅力を動機としていたことは確かであろう。しかし、沢庵のような行動力のある名僧を、公家、朝廷の影響範囲である京に置き続けることに不安を感じていたことも確かではなかっただろうか。自らの懐に納めておきたいと望んだ権力者ならではのそうした思いが、沢庵に伝わらなかったはずはないと思われる。

 沢庵和尚は、弁天社の弁財天に、静かに祈念した。そして、錫杖を手に戻し、子ども禅僧たちが祈念する姿を、愛しさの眼差しで見守っていた。

 この者たちに我が思いを言葉として伝えることもやぶさかではないが……。
 人々が生きるに当たって、避けがたい苦難が付きまとうのがこの世である。しかも、それに加えて、人はさらに苦難を自らが作り出し、持ち込むという愚かしい所業を繰り返しておる。また、それらを正すとばかりに臆面も無い所業で臨むいかがわしい権力……。虚しさをこそ自覚すべし。自覚された無をこそ生きるべし。海念、保兵衛、そちたちは、この沢庵から奪えるものを奪い尽くし……

 「和尚さま、この弁天社は三百年以上経ても人々から祀られているそうです。そうですよね、保兵衛さん」
 三人は、互いに視線を交えた。そして、和尚が大きく頷くのを合図にしたかのように、みんなして満足そうに大きく頷き合うのだった。
 これから会いに行く巨大な権力たる幕府のその存続が絶えた後にも、この小さな、小さな社が祀られ続けられてゆく歴史の不思議を、三人は見据えていたのかもしれなかった。(2001/12/09)

2001/12/10/ (月)  「オンリー・ワン」を目指す以外にサバイバルはない!

 日本人の起源を辿る研究によると、シベリアから氷結した海を歩き渡って来た民族であるとか、中国大陸、朝鮮半島から舟で海を超えて来た民族があると聞く。しかし、いずれにしても、他民族との戦いなど、「大陸での生活が望めない深刻な事情!」が、海を越える命がけの脱出、冒険へと駆り立てたと考えられている。

 「今が一番まし!今後はさらに悪化する!」と見なすのが妥当とさえ言えるわが国の経済状況を見据えて今後のビジネスを展望すると、他国への脱出、冒険ではないが、あらゆる既存のジャンルからの大脱出と新天地への挑戦しか活路はないように思われる。もちろん、そう簡単なことなどではあり得ず、まさに隘路以外の何ものでもない。
 ビジョン無き無能な現政府を責める気にもなれなくなったが、現時点における経済の「構造改革」とはそうした「民族大移動的イベント!」のはずだと考える。多分、そうした水準のことは想定されていないに違いない。首相にしても、「支持する」国民にしても、台風か悪天候のように、時間が過ぎればやがて晴れ間が出てくると考えているに違いないだろう。なぜなら、この民族大移動は余程の体力と知恵と幸運を持ったものたちであっても、まさに日本海を越えるほどの大事業だと推測されるからである。大半が溺れ死ぬほどの大事業を想定していたとすれば、ニヤニヤ笑って「構造改革だからしかたない」とは言えないだろうし、そんな日本経済の墓穴を掘るだけでしかない方向を良識ある国民が支持するわけがないからである。
 財政再建的方策イコール「構造改革」などであるわけがない。また、リストラ、コスト削減、縮小均衡的方策さえもが、「需要低迷」を特徴とする現不況症状にフィットするものではないはずだ。もはや、海を渡るという新産業構造造りしか方策のないところまできているのだから、やるべきことは安全な航海をどう薦めるかということではないのだろうか。

 多分、現在、期待過剰で漠然と思い描かれている「構造改革」の大半は失敗に終わるはずだろう。しかも、無造作な抗がん剤治療がなされなければ死滅するはずのなかったそこそこ正常な細胞が大量に道連れとされるかたち、いわば最悪のかたちで失敗するのではないかと予感している。
 ただ、現在をそんな危機的な歴史的時点と覚悟して、過ぎ行く時間との戦いで、ありったけの知恵と勇気を鼓舞する者たちだけがかろうじて生き残るに違いないだろう。できれば、わずかなサバイバル・メンバーに加わりたいが、そのためにはよく言われてきた「オンリー・ワン」を目指す以外にはないのだろうと推測している。そして、それは結果だとすれば、プロセスには、決して捨て去れないどころかそれが生きがいとさえ思えるジャンルにおける一心不乱な燃焼がなければならない。元来、職業とか生業とかはそうしたもののはずなのではある……(2001/12/10)

2001/12/11/ (火)  時代の変化を受けとめるのに、等身大でまたは宇宙物理学的物差しで?

 小学校当時だったかと思う。国語の教科書に収められた話である。ふと、夜空の星座を見上げ、宇宙に思いを馳せた時、家庭内で生じていた心から離れない人間模様が、まるで望遠鏡を逆さまに覗いた光景のように、小さく、小さく、はかなく思えた……、というのがあった。教科書の挿絵を含めて、記憶に残っている。
 当面の課題に集中することも重要だが、思考や感性の物差しを、当面に限られた狭く、かつ微細なものばかりに求めていてはさみしい話だなあと思うわけなのである。途方もなく大きな話題にばかりに目を向け、足元が危うい人間もどうかとは思うが、逆さ望遠鏡から覗けば、ほとんど識別すらできないような些細なことの塊にだけ関心を向け、それらと掛け替えのない一生を交換してゆくのは、いかにもさみし過ぎることだと。

 宇宙の寿命は100億年だそうである。(まあ、仮に間違っていたとしても咎める者がいるかどうかであるが)ビッグバンから始まり、限りなく収縮し、ブラックホールとなって、そのブラックホールが崩壊し完全な暗黒の真空状態となるまでの時間だそうだ。銀河系も、10億年位で(位としか言いようのない話だ)太 陽のエネルギー核である水素融合が消滅して、巨大に熱エネルギーが膨張し、地球などの銀河系を飲み込むこととなると言うのである。
 人類は、その危機を避けることができるのかを、正面切って研究している科学者たちもいれば、100億年後の宇宙の消滅に対して、「真空のエネルギー」という新理論を打ち出して反論を展開する宇宙物理学者たちもいるそうなのである。
 以上は、NHKテレビの深夜放送で仕入れたネタであるが、わたしが興味を寄せたのは、こうした「マクロ経済」どころではない大マクロ(大マグロではない)なスケールでの宇宙の変化に対して、多分人類も、想像を絶するかたちで変化してゆくであろうというくだりであった。遺伝子科学の急速な発展によって望みどおりの機能を達成する生物が造られたり、「ロボコップ」のような存在なのかどうかは知らないが、人間とコンピュータとはボーダレスとなってゆくに違いないとかが、実にさり気なく科学者の口から言い放たれていた点なのである。

 10億年、100億年後の宇宙の消滅といった話の切り出し方をされると、やっぱり人類もはかなく消滅するのだろうなとさみしい気分となるものだ。そこへ持ってきて、生き延びる方策がないわけではないと慰められ、宇宙ステーションの建設やら、人間自体の改造やらが並べられると、なぜかほっとしたりしてしまうのだ。そうだよ、ステーションでもどんどん作ればいいんだ!住みにくくなってゆく宇宙環境に適合できるように人間改造もいいんじゃないの!という判官びいき丸出しとなるから変なものだ。

 クローン人間の問題のように時代の倫理との関係で危うい問題もある。しかし、上記のような物差しを使って今後の人類の対応に思いを巡らすならば、今遭遇しているグローバリズムによる環境変化に適合すべく、変わるべきは変わるというテーマが、俄然矮小なものと思えてしまうから不思議ではある。ただ、余りに巨大過ぎる時間の物差しを使って考えると、個人という存在が消し飛び、人類という人間の半面の条件しか見えなくなってしまうのは、どこか違うというべきなのかもしれない。(2001/12/11)

2001/12/12/ (水)  気がつけば、日本に「痛いことはいいことだ」の大合唱が起きている!

 「……経済的な『痛み』を感じれば、それを『成果』と取り違える。景気が落ち込めば、これこそが構造改革だと思い込む。……/気がつけば、日本に『痛いことはいいことだ』の大合唱が起きている。これはいったいなぜなのか。/一つは、改革を最も声高に叫ぶ政治家や学者、評論家が、痛みとは最も遠いところにいることだ。彼らはハローワークに通うこともなく、ホームレスになることもない。/経済的な問題が起これば、彼らには仕事が来る。欧米の会議に出かけ、テレビに出演し、経済誌に華々しく載ったりもする。/(略)/日本人が『痛み』を求めるのは、自国の構造的問題の本質を誤解しているためだ。一九八〇年代にアメリカとイギリスが改革を経験したときは、インフレと慢性的な貿易赤字、自国通貨の弱体化に悩んでいた。いまの日本は正反対だ。デフレに見舞われ、貯蓄額はふくらみ、円高は行きすぎている。(略)/政府は異常な『SM経済』を捨て、正常で健康的な『快楽』を国民に推奨すべきなのだ。/もしかすると出生率も上昇するかもしれない」
 これは、リチャード・クー氏(野村総合研究所主席研究員)が「日本の禍機」で紹介しているピーター・タスカ氏(英国の日本株投資ストラテイジスト、著書に『不機嫌な時代』あり)が、『ニューヨークタイムズ』誌に寄せた「改革論議に見る一億総マゾ化」という論文の抜粋である。

 わたしもまったく同感することを禁じ得ないでいる。「構造改革」の中味も定義できずに、国民向けには、ただただ「痛み」を耐えさえすれば「改革」が進んでいるかのニュアンス!だけを与えている政府、そして取り巻き連中、マスコミなどの能天気にほとほと愛想が尽きているからだ。
 もちろん、ここで「改革抵抗派」と称される自民本流勢力たちに肩入れするつもりなど毛頭ないのだが、「『改革』なくして『成長』なし」などと尋常小学校の標語みたいなことで国民を引き回すのはやめてもらいたいのである。今進行していることは、「『改革』あっても『成長』なし」という事態のようだからである。いや、マイナス成長でも良いとする無責任で闇雲なスタンスが、「改革」、たとえば不良債権処理などさえを手が付けられないようなデフレ膨張額にしている無計画性に情けなさが込み上げてくるのである。
 プロとしての責任を果たすなら、計画性を持ってもらいたい。また、その前に国民受けするかもしれないような精神主義を離脱して、クールで科学的な戦略性に立脚すべきなのだと思う。

 クー氏は、自身の経験である八ニ年に生じた米国の「中南米債務危機」(これが現在の日本の状況と酷似しているというのだが)を詳細に振り返り、日本の現況を戦略的に再掌握しようとしている。もはや個々の銀行、業界というミクロな問題が取り沙汰されるべき段階ではなく、システム全体が異常をきたし始めている「システミック・リスク」なのだと断定し、個々の問題が正されれば正されるほどシステム全体の異常度が増すといった「合成の誤謬」さえ発生していると述べている。
 「合成の誤謬」とは、われわれが馴染むことばで表現すれば、「サブ・システムの最適化は、必ずしもトータル・システムの最適化には直結しない」ということであろうか。不良債権を抱え、財務の悪化した個別企業が、一所懸命に財務改善の努力たるリストラや債務返済という合理的行動に出ることが、経済システム全体では、需要をますます減らせて、デフレを深めさせるという現実がこれなのである。

 クー氏はそこまでは述べていないのだが、現政府を支援する国民感情も「合成の誤謬」を形作っていると言えるのかもしれない。ミクロ過ぎる家計を物差しとしながら、家計の健全化のためには債務をなくさなければならないように、不良債権は一刻も早く処理すべきであり、財政赤字も一刻も早く改善すべきであると。これが、インフレ時に考えられたなら望ましい結果が得られたかもしれないが、現状況では、ただただデフレをますます深めさせ、個々人の「前向きな」思いが、「合成」されてしまうとまったく逆の事態を加速させるという悲劇が生まれているのだ。
 また冒頭の引用にあるような「痛み」といった似非アナロジー!こそが「合成の誤謬」を増幅させていると思える。複雑で奇怪な全体システムの力学上の問題なのにそれを、日本人個々人の繊細な感情論理の平面に置き替えてゆく弁舌は、やはり禁じ手ほどの出来事であったと思われる。とかく自分を自虐的に責め、また自分さえ努力したり犠牲となれば……と閉ざされた自分本位となりがちな日本人感性にとっては、「痛み」を分かつ!とのことばはとにかくツボを得過ぎたことばだったのだ。こうしてみると、「地獄への道は、善意によって敷き詰められている!」という悲劇中の悲劇が着々と進行しているのか……
 いや、「痛み」をことばとしてしか知らない者たちに、耐え切れない痛みの実情を饒舌に語り、不幸な者たちのみに偏在する痛みを共有化していかなければ何も変わらないのだと考えたい。(2001/12/12)

2001/12/13/ (木)  右に左に二極を「ぶれまくる」われわれ日本人の発想!

 弊社は、以前からソフトウェア技術者の能力問題に関心を向けて来た。ある時期には、『ソフトウェア技術者のための人事考課』なるシステムを、全国の大小ソフト開発会社数百社に購入いただいた実績も作った。新職種としてのソフトウェア技術者、新産業としてのソフトウェア開発業にとって、従来の業種に適用されていた人事考課制度では不適切であることを趣旨としていた。能力勝負の業種であるがゆえに、能力をどう適切に評価し、インセンティブを鼓舞するかについてより注意を払うべきであることを強調した雛型を提起したのだった。

 しかし、いわゆる今日叫ばれているような「個人能力主義、成果主義」に偏重しない構造に留意したものだった。それと言うのも、ソフトウェアの開発は、個人能力に依拠するとともに、プロジェクトという組織的生産性の部分がきわめて大きな比重を持つものであったからである。個人能力の高低だけに拘泥していたのでは、優秀な人材を集めた会社でも、会社全体での業績が上がらない事態が往々にして生じる実態を見据えていたのである。

 現に、ニ、三年前に、「能力主義」と銘打った考課制度を実施した大手ソフト会社が、一年ほどで白紙撤回したというニュースがあったものだ。理由は、「能力主義」なる体制は、減点評価を恐れた社員が、挑戦意欲を萎縮させた結果、企業全体の成果が縮小傾向に至ったからだと報じられていた。
 なるほど、個人「能力主義」的な評価制度は、あの「プロジェクトX」のような組織的ダイナミズムの環境を生み出すものとはなりにくいもののようである。ドラマ仕立てに演出された同番組であるから、そのままに信じるわけにはいかないにしても、組織的成果に目を見張るものが現れる論理は、個人主義的能力主義の原理とはどこか異なったものと考えざるを得ないのである。

 この不況の中で、リストラによる従業員数削減とともに、「人件費の抑制」と「成果に応じた賃金処遇」を軸にした人事制度の改定が大流行しているという。将来を見渡す余裕のない、当面の止むを得ない対策としてなら分からないわけでもないが、新しい人事制度が「業績を向上させてくれる便利な機械」と勘違いしているならとんでもない問題だと思われるのである。
 確かに、横並び意識や集団依存癖によって生産性が見る影もないほどに低下してしまった組織もある。そんなことでは、個人主義的能力主義の環境を空気のように自然と考えてきた欧米諸国の企業と組織戦を交えることは不可能であろう。
 しかし、組織の生産性や成果の課題とは、「プロジェクトX」を待つまでもなく、個人能力の総和以上のものを、組織ならどう出せるのかの問題なのであろう。組織内個人の協同性というか、個人間の関係性というか、いずれにしても個々バラバラではない関係性によってこそ、組織力は増幅されるのである。
 こう表現すると、「だから、日本流の一枚岩的組織が良かったんだ!」と早とちりする人もいようが、決してそうではない。そこでは、個人が死滅しており、当面の生産性に見るべき水準があったとしても、組織自体の発展成長の可能性と引き換えにしているのだから、変化と発展の時代においては論外なのである。

 わたしが懸念するのは、人事考課制度の問題にとどまらず、とかくわれわれ日本人が採りがちな発想なのである。餅の方式がだめなら、じゃ米粒方式で行こうやとか、協調性がだめだったから競争主義で行こうやとか、二極の往復に急速にぶれてゆく場当たり的な思考がとても危ういと痛感するのだ。ファシズムを支える経験をした国民には、こうした傾向があるとも言われるが、もっと継続的に考え続けるという粘り腰が重要なのだと思う。
 そこで注意すべき点は、ものごとを「直接的に捉えず、媒介的に捉える」ということではないかと考えている。分かりやすい表現をすれば、ものごとは距離を置いて冷静に取り扱うということであり、分かりにくく言えば、ものごとは二段階で考えるのではなく、三段階以上のプロセスを設定して考えるということである。「北風」のように、強風で「旅人」のコートを吹き飛ばすという二段階は逆効果なのである。「太陽」のように、暖める、熱がる、自分から脱ぐという三段階こそがものの道理だと…… (たぶん、明日この続きを書く予定なり)(2001/12/13)

2001/12/14/ (金)  「直接的」方策の悲しさと「媒介的」方策の冷静さ!

 今、誰しもが何らかの緊急課題を抱えて、あくせくとしているに違いない。そうしたことが容易に想像される時に、ものごとは「急がば廻れ!」なのだ的なニュアンスの話は歓迎されないであろう。しかし、希望的観測やら一時の自己満足でしかない「直接的」な方策が短兵急に採られがちな、そんな苦しい環境が一般的だからこそ、留意してみることも一理あるかと思うのだ。

 「直接的」な方策やこれにとらわれ過ぎる発想の誤りは、それらが現実の論理とは異なるからだと言ってよい。「企業の業績を向上させたい!」という経営者の願望を基点として、ならば従業員個人に「成果に応じた賃金処遇」をしてゆけば良いとする「直接的」な発想は、一見、頭の中での論理上は合理的で妥当性が高いと判断される。
 だが、過去の現実における「企業の業績向上」がそうした制度の結果であったと立証されたのであろうか?多分、そうではないはずだ。
 また、何をもって個人の「成果」を計測するのであろうか?「直接的な」売上額であろうか?しかし、「直接的な」売上額に至るプロセス全体は、そう簡単に個人努力に還元できるものではないはずであろう。顧客が製品、商品を購入するのは、当然のことだが、その販売担当者のみによって動機づけられるわけではないはずだ。広告宣伝効果もあろうし、アフターサービスもあろう。要は、その企業のトータルな協働活動全体への評価という言い方が自然なのではないだろうか。
 しばしば、有力製品をセールスする営業マンが、より大きな営業業績の原因が自分にあると錯覚してしまい、辞めて独立してみて初めて自分の実力を知ったという耳たこ話がある。これ自体も、「直接的」発想の誤りを示す例となるが、注意すべきは、組織的業績というものは、個人努力の積み上げを材料とするには違いないけれども、組織内個人たちの連携プレーがことさら大きいという歴然とした事実なのである。
 この事実をすくい上げる自然な発想、これを「媒介的」な発想と呼びたいが、これ無くして、材料要素、原子である個人成果のみにストレートに目を向けるなら、必要条件を満たしながら、重要な十分条件を黙殺することになってしまうのではないだろうか。それというのも、「個人成果のみにストレートに目を向ける」仕組みは、必然的に個人間「競争」心理を助長して、協働性を困難にさせざるを得ないからでもある。

 話を転じると、われわれはとかく、「無理が通れば、道理引っ込む!」的に、願望と方策・対策を短絡的に直結させがちなのである。
 東海林さだお氏の人気まんが「ショージ君」にこんなストーリーがあったのを覚えている。真夏のアパートの一室、寝つかれずにイライラするショージ君。ウトウトと眠れそうになった時、蚊が耳元でブーンと唸る。腹立つショージ君は、手元の竹の物差しで蚊を追いまわし、物差しがボロボロとなってしまう。でも、蚊はまだサバイバル!ショージ君は、サンダルをつっかけ商店街へ駆け込む。「香取線香」を店先に積み上げた薬屋をとおり越し、文房具屋へ飛び込み、「じょうぶな物差しくれ〜!」と叫んでいるのである。

 失業で、何としても就職したいと願望する。仕事が減って、何としても仕事を受注したいと願望する。容易にそれらの願望が叶う環境なら、「直接的」な方策に邁進するべきである。しかし、それが困難な時に、「直接的」な方策だけに量的な努力をだけ積み重ねるのは悲しいことかもしれない。「竹の物差し」を遮二無二入手しようとするのではない別な方策検討も考えなくてはならないのではなかろうか。決して他人事ではなく、そう思うのである。(2001/12/14)

2001/12/15/ (土)  「情けは人の為ならず」や「損して得取る」が「媒介的」な発想!

 昨日、おとといと「直接性」にこだわった理由は、問題解決というものはワン・クッションの媒介を設定した方が、効を奏する場合が多いのではないかという点がひとつ念頭にあった。そして、もうひとつは、グローバリゼーションのうねりの過程で、米国流のストレート志向(直接性志向)の発想が雪崩れ込み、それらの中には速戦的なものと、そうでないものがありそうだと感じる点があったからである。

 元来、日本の文化は、とかく「直接性」を避け「間接性」を生かすことを旨とする文化ではなかったかと思う。「いきなり〜」は忌み嫌われていたはずである。それが、グローバリゼーションと、激動の変化の時代を迎え、「直接性とスピード」がまかり通るような風潮となっている。いたしかたない部分もあろうが、だからと言ってこれらが伝統を引きずるわが国でも万能であるということにはならないのではないか。
 「直接性とスピード」志向の米国文化には、それを支え、不備を補う環境と歴史が培われていたはずである。経済の雇用関係にしてからが、労働力の高い流動性をささえる環境(現在わが国で叫ばれている「セイフティ・ネット」は日常化されている)が既設されている。企業業績にしても、単年度で株主に応えてゆくという方式で、これまでわが国の企業が「長〜い目で見てやってください!」という基本姿勢と大きく異なる。消費や投資に対する考え方も極端に異なるので、いざデフレ傾向が出てくると、極端にタンス貯金に向かってしまうわが国の特殊性もある。

 「囚人のジレンマ」の話は幾度も書いているが、二人の囚人が片手しか使えないかたちで拘束されていて、食事は相手に食べさせることしかできない状況とされているのであった。自分が食べさせてもらいたかったら、相手に食べさせて、その見返りを期待するというまさしく「媒介的」方策を実施するしかないのである。しかも、リスクも含まれている。必ず、見返りが返ってくるという保証のない「媒介的」方策なのである。
 日本文化は、この「媒介的」方策をうまく機能させてきたのかもしれない。「情けは人の為ならず」や「損して得取る」、「損せぬ人に儲け無し」などのことわざは、無償の善や損を勧めるものではなく、この「囚人のジレンマ」を解決する功利主義を庶民が実施していたことを物語っている。

 ところが、現在のわが国の様々な状況は、「囚人のジレンマ」だらけのように見えてならない。どうも、経済政策自体が「直接的」方策の誤謬に乗っかっているのかもしれない。それぞれが、ワン・クッション置く媒介的な発想に立てず、オレがオレがの直接的アクション、いきなりアクションに奔走、暴走していると思われるからである。
 利己主義や「ジコチュー」を、もはや無力とさえ見える道徳観念から咎める空しさを勧めたいとは考えない。むしろ、合理的な観点から、相手や自分の外に利をもたらすことの、その一歩先にこそ自分の利が形成されたり、目的が達成されたりするという「媒介的な論理」に気づくべきだと思うのである。経営者は顧客や従業員を喜ばせ、従業員も顧客や経営者を喜ばせる。そして、その結果が「こんなに儲かった」、「こんなにボーナス貰った」の相互ハッピーに帰着するという道理に気づくべきなのだ。

 「漁獲量」の制限という国際的なルールがあったり、フィッシングでも「リリース」というマナーがあったりするのは、自然資源保護の観点があるだけではなく、人間にとってのネクストの利益を睨んだものだと知らなければならない。魚たちは、手放しで喜んでいてはいけないのであって、人間たちの小利口さを警戒すべきなのであろう。そして、人間は、「小利口さ」の効用を冷静に再評価すべきなのではなかろうか。(2001/12/15)

2001/12/16/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (18)

「保兵衛さん、昨晩、また奇妙な夢を見てしまいました」
 弁天社から街道へ出た時、海念は振り返ってそう言った。
「また、鯨なんですか?」
「いや、そうではなくて、怖い『大火事』の夢なんです。どこだかはわからなかったけれど、大きな建物が炎上して、お侍さんたちが大慌てしていたようです」
「昨晩、風呂のかまどの火を見つめていっしょに悩んだからかもしれないね」

 沢庵和尚たち三人は、右手に品川沖を臨みながらひたすら東海道を日本橋方面に向かっていた。品川宿を出た頃まではさほど気にしていなかった三人であったが、前方からの乾いた風が行く手を阻むことを感じ始めていた。乾いた北風が江戸の冬が間近であることを告げ始めているようだった。和尚たちはやがて、笠を煽られないよう前かがみで進む格好となっていた。
 だが、保兵衛だけは、最後尾につきながらあたりをきょろきょろとしている。自分の時代、現代に通じる光景がどこかに見出せないかとの思いであったのであろう。
 多分、八ツ山を過ぎたようなので、高輪あたりだろうかと保兵衛は思った。もうすぐ左手には泉岳寺が見えてくるはずだ、と予想した。芝公園あたりまでは、徒歩で歩き回ったりしていたので光景は変わろうとも、距離感はあったのだった。
 だが、お寺のような建物は一向に見えてこなかった。
 保兵衛が泉岳寺の存在を知ったのは、もちろんあの忠臣蔵、赤穂浪士の討ち入りからである。親戚の人に連れて来てもらったこともあったし、友だち同士で来たこともあった。赤穂浪士たちが立寄った寺であったのだから、元禄時代にはすでに開設されていたはずで、そう言えば確か徳川家康が創立したという説明書きが掲示されていたことを薄っすらと思い出していた。
 残念さと、合点がゆかない思いで歩く保兵衛だった。が、その時ふいに写真のように泉岳寺の観光案内用の「掲示板」の文面が脳裏をかすめたのだった。
『泉岳寺は……徳川家康が……創立した寺である。……「寛永の大火」によって焼失……現在の高輪の地に移転せられた。』
 たしか、「寛永の大火」によって焼失し、その後高輪に移ったと書いてあったとの記憶が蘇ったのだった。すると、その「大火」はまだ起きていない。じゃあ、家康は最初どこに泉岳寺を造っていたのだろうか……
 そう考えると、いても立ってもいられなくなった。小走りに沢庵和尚を追っかける保兵衛だった。
「和尚さん、お聞きしたいことがあります」
「おお、どうしたね、保兵衛さん」
「泉岳寺は、どこにあるんでしょうか」
「泉岳寺かな。泉岳寺はわれらが向かう江戸城の桜田門外、外桜田にある。まだ一理ほど歩かねばならぬのう。じゃが、いかがいたしたかな」
「そうなんですか。それから、『寛永の大火』とはいつあったのでしょうか」
「今年は寛永の十六年じゃが、大火と言えば昨年に川越で大きな火事があったそうじゃ。その前は寛永八年と十二年にたしか大火があったと聞いておる。江戸の冬は、空っ風が山手から下町に吹きおろすため火事が多いのが相場じゃ」
 保兵衛は、和尚のことばでも気持ちがおさまらなかったと見え、きまり悪そうに自分が知る泉岳寺と寛永の大火の経緯を和尚に告げ始めるのであった。
 和尚は黙って聞いていた。そして目を閉じた。が、何か胸騒ぎを覚えたのであろうか、顔を曇らせ始めたのである。折りからの風が和尚の笠を煽り、その面持ちがはっきりと窺えた。
 俄かに、和尚は錫杖を傍らの町屋の板塀に立てかけると、江戸城方向に向かって合掌し始めたではないか。それは、明らかに遠く隔たる彼方を見据える所作としか言いようがないものと見えた。
 そして和尚は素早く錫杖を手に戻し言い放つのだった。
「海念、保兵衛さん、急がねばならぬようじゃ」

 三人は小走りに近い速度で東海道を急いだ。やがて右手方向から海が見えなくなり、真新しい大名屋敷が、街道沿いの町屋の奥に覗ける光景となった。家光が「武家諸法度」(寛永十二年)にて参勤交代を制度化したことにより、大名、武家屋敷が広がったのである。
 そして、ようやく芝の増上寺にさしかかった。ここは家康によって大造営され、将軍家の菩提所として祀られ続けた寺院である。
 その時和尚の念力に不吉な何かが共鳴したのであろうか、突然和尚はつぶやくのだった。
「これは、いかん。大事となりそうな気配じゃ」
海念と保兵衛は唖然として顔を見合わせていた。

 街道の両側にぎっしりと町屋が並ぶ日々谷の埋め立て地あたりに走り込んだ頃であった。
 街道の町人たちが、ばたばたと駆け回り蜂の巣を突いたような騒ぎとなっていたのだった。あちこちの店先に店の者たちが飛び出し、また伝令のように何かを告げ回る者も行き交った。中には、二階家の屋根に仁王立ちとなっている者さえいた。
「お城から火が出たぞー」
「大変だー、千代田城が火事だー」 
 町人たちが不安げに顔を寄せる町屋の軒並みの空隙、そこから覗ける北西の空。増築が完了したばかりの千代田城、江戸城の影に、薄っすらと立ち昇る一筋の不気味な煙が、誰の目からも確認できたのだった。(2001/12/16)

2001/12/17/ (月)  「人材育成力重視」型の課長人事考課の登場に感じたもの!

 「9月中間連結決算で過去最高の経常利益を出した」トヨタであるから、正攻法としての人事考課が打ち出せるのであろうか。
 先週、「直接性」に走りがちな現在という例として、「成果主義」の人事考課で一気に業績不振を挽回しようとする企業が少なくないことを書いた。そんな中で、トヨタが、「課長」業務を人材育成力重視に転換するとの報道があった。

 「トヨタ自動車は02年1月1日付で「課長」の業務を大幅に変える。課長級社員は自ら業務をこなすスタッフの役割が求められてきたが、今後は管理職の役割として指導力や管理能力を重視する。査定項目に部下の育成能力を加え、名称をグループ長とする。会社の業績は好調だが、人事評価が成果主義に偏ると、部下を育てるよりも自分の仕事を優先する傾向が強まることへの危機感が背景にある。
 トヨタが新人事制度を導入し、部下の育成力を管理職に強く求めるのは、業績や成果をベースにした人事制度の効果を認めながらも、管理職個人の業績だけが企業収益の向上に結びつくわけではないとの思いが強くあるからだ。……」(朝日新聞 2001/12/16)

 こうした転換の理由については「企業の力は、組織と個人の力がうまくかみ合って強まると考えた」と説明しているそうだ。「個人成果主義」といういかにも「直接的」な方策に、疑問を抱いていた私としては、好ましい方向だと思えた。
 この数年、水平的ネットワークを旨とするITの普及もあって、企業組織は大きな変化に見舞われた。専門性の重視とそれらの機能的なネット構築という方向で、組織のフラット志向=中間管理職排除が進展したと言える。「リエンジニアリング」という経営手法がこれを推進した。
 確かに、これによってコスト削減と、業務スピード化が従来になく達成されたところもあるはずだ。しかし、この発想は、プロジェクト方式と共通した点を持ち、最大の問題は「人材育成」がボトルネックとなることではなかっただろうか。と言うよりこの発想は、極論するならば、人材は既存するとの前提、もしくは専門的な人材は組織内部からではなく、外部調達を前提にしていたのではなかったかとさえ思える。しかも、景気低迷の折り、企業内教育は草刈り場的に軽視されてきたのではなかったか。
 しかし、常に組織外部からスタッフを調達する発想は、コスト面ではメリットがあっても、いかにも不安定である。しかも、外部の人材水準は、現在のわが国では新卒、中途ともに必ずしも望ましい水準が期待できないようである。企業外教育機関の質に期待ができないということである。また、人材とは、専門知識のデーターベースではなく、生身の人間であり、高いモラール(士気)が必要である。現在の若い世代のデフォルト状態にそれを期待することは期待過剰だと言わなければならない。
 したがって、現況を冷静に観察するならば、企業内教育のどこかにしっかりとしたアンカー・ボルトを打ち込まなければ、企業の将来が危なかったはずなのである。と言っても、従来のような入社時の「集合教育」のようなハイコスト・ローリターンを再現する必要はない。

 フラット組織における教育部門としての、例えば「人材開発部」などはどの程度有効に機能してきたのであろうか。こうした部門の機能は、どうしても現場から遊離するので、いわゆる「Off-J-T」とならざるを得ないだろう。「必要な状況、必要な時点での教育」こそが高い有効性を持つものと考えるならば、やはり「O-J-T」こそが最有力な教育に違いないのである。そして、これを妨げてきたのが、課長などの現場の教育者的側面を縛ってきた制度なのであろう。課長自身に、時代の最先端の専門性を期待したり、過大な業務成果を託す制度が存在すれば、自ずから教育的側面は形骸化するに決まっているのである。もとより、専門的実務が重視される制度環境において就任する課長諸氏は、決まって「育成能力」に問題ありの人物となりがちなのである。

 冒頭に書いた「経常利益を出した」トヨタだからこうした人事考課制度を打ち出したのだとは考えたくないものだ。企業活動だけではなく、一般生活上でも、時代環境が厳しくとも次世代の人間たちの幸福のために、現世代が教育の問題に最大限尽力する空気が必須なのだろう……(2001/12/17)

2001/12/18/ (火)  「生存なくして経済なし!」といった最終局面が近い!

 この寒い季節だと言うのに、しばしば水泳をしている夢を見るのだ。今日も、小学校当時のプールで、実に楽々とクロールしていた。ニ、三日前には、海岸から沖に見える島までの遠泳に挑んだ。スタート地点では、不安に苛まれていたが、他の大勢と見切り発車した。が、海水の浮力によって思いのほか呼吸が楽で、あっというまに島にたどり着いた。

 子どもの頃のわたしは、他のスポーツは何でもまずまず得意としていたが、水泳だけは大の苦手で、小学校の時には、プールの7mを渡り切れずに溺れていたありさまだった。
 怖いものなしの自分にとって、水だけは恐怖の対象だったようだ。どうにか泳げるようになったのは、高校時代に水泳部の者たちと冬場のプールで泳いだりしてからである。また、太りぎみになった大人となってから、運動不足解消を目的に、住まいの近所にできたスイミング・スクールに通ったことが上達へのきっかけだったかもしれない。

 なぜ水泳の夢を見るのだろうかと振り返ると、いきさつが無いわけでもない。
 以前、90年代最初の不景気に直面した時、会社の者たちにある話をしたことがあった。バブル景気が終わったこれからは、次第に景気が悪くなる。そして、バブルの思いが抜け切らず放漫な経営を続ける企業は当然倒産することになる。ちょうど、大気中のCO 2が増え、気温上昇で次第に海面が高くなり人家が水没してゆくのに似ているのではないかと。しかし、水没することを恐れるのではなく、泳げるようになっておくことだ。泳げる者にとっては、水深が何メートルとなろうが関係ないのだから……と、気合いをかけたのだった。
 そんな話が尾を引いて、今、夢の中で気合いを入れて泳いでいるのではないかと推測しているのである。

 しかし、現況は放漫経営企業の倒産どころか、ジェノサイド、皆殺し的な悲惨さのようだ。つい先ほども、年末の挨拶に来た金融機関の担当者と世間話をしたが、地域の企業の百パーセントに近い会社で、仕事が止まり、売上ががた減り、危機的な状況が蔓延し始めているとのことで、担当者は暗く疲れた顔をしていたものだ。改革の名のもとに、ここまで事態を悪化させている政府の考えはおかしい、と愚痴りあったものだ。
 不良債権問題処理に期待をかけていた米国も、ようやく事態の進展の遅れと、デフレの深刻さにいらだち始めたと報道されている。当然のことだ。外圧でしか動けない政府なら、米国関係当局は、景気下支え、デフレ・ストップ策に向けた公式メッセージを出してもらってもよい。情けない話ではあるが。
 マスコミも怠慢だと言ってのけたい。現実に進行している悲惨な実態を、きちっと国民的レベルで認識し合うことが急務ではないだろうか。こんな時に大儲けしているマチキン提供で、『ドキュメンタリー:ここまで来てしまった日本経済の破綻!』などの二十四時間テレビ番組でもやればいい。

 現在の状況が進めば、どんなに水泳が達者な大手企業であっても、連鎖的に溺れ死ぬそんな全体の破局が近いのかもしれない気がする。「改革なくして成長なし」ではなく、もはや「生存なくして経済なし!」といった最終局面が近いことを、政府は即刻認識すべきなのである!(2001/12/18)

2001/12/19/ (水)  風邪のウイルスに直接効く薬を世界で初めて開発!

 コンピュータ・ウイルスがネット・ユーザを悩ませているが、ご本家の風ウイルスもそろそろのさばり始めていそうだ。景気が悪い時期の冬は風邪が流行ると書いたが、当の本人がこのところ頻繁に風邪を引くありさまとなっている。
 ストレスもあるのだろうが、主たる原因がハード・スモークにあることを自覚しているので、余り騒げないでいる。
 そうしては市販の風邪薬のお世話となり、のどや鼻、頭痛の回復と、胃の不調をトレードしているのが、我ながら惨めになる。ある時期から始めた冷水シャワーも継続しているが、あまり効き目があるとは思えなくなっている。どうも、巷でのさばっているウイルス、年々メキメキと実力を高めていると思しき風邪ウイルスが相手だと、滝にでも打たれないとダメなのかもしれないと思い始めた。

 風邪の原因は、ストレスや体調不良により、ウイルスなどの外部からの悪性細菌の侵入に対するいわゆる抵抗力が低下した際に、それらの細菌によって呼吸器系統が損傷を受けるということなのであろう。また、抵抗力の低下原因には、一時的で急激な寒さに遭遇することも含まれるのかもしれない。いずれにしても、従来、風邪というものはウイルス自体がどうこうというよりも、すべての病気がそうであるように、当人の身体に備わっている抵抗力の低下が発病の引き金だとして扱われてきたようだ。風邪薬にしても、特に市販の風邪薬とは、この抵抗力を支援する目的で開発されてきたに違いない。日本の自衛隊のアフガン出動のように、攻撃力を持たず、救援機能に限定されてきたのが風邪薬だったと言えようか。
 ただ、町医者に行ってもらう薬、「お薬、三日分出しましょう!」などと言って出してくれる「お薬」には、「抗生物質」なるある種の対ゲリラ重火器(?)の成分が配合されている。これはウイルスなどの細菌自体の機能、発育を阻害するという攻撃的な効き目を持っている。しかし、これとてもオサマ・ビン・ラディンなるウイルスを捕縛、殺傷する能力を持ってはいない。

 人々が難儀している風邪に対して、何とぬるま湯のような対策しかできないのだ、これでは日本の経済対策と同じではないか、と立腹しかけていたら、何でもストレートに、場合によっては強引に問題解決を目指す米国から朗報が飛び込んだ。
 「風邪のウイルスに直接効く薬を世界で初めて開発」というニュースである。「プレコナリルと呼ばれる新薬は、風邪の半分の原因とされるライノウイルスの表面にくっつき、人の細胞への感染を防ぐ効果がある」(朝日新聞)と言うのである。

 ただ、ウイルスも脳があるから、いや脳はないけど、進化する生物だから、新薬を上回る強豪バージョン世代を打ち出してくるんだろうナと想像してしまうのだ。ここでも、米国は悲劇の連鎖を仕掛けたのかな……。でも、玉子酒飲んで、「痛み」に耐えるのだぞ!と言う隣のオッチャンよりかはまだマシか……(2001/12/19)

2001/12/20/ (木)  「井の中」の蛙の安らぎと「四面鏡の中」の蝦蟇の苦悩!

 子どもが大人に成ってゆくということのひとつには、狭い世界から広い世界へと出てゆくことが含まれているはずである。母親や家族といった最小集団、そして近所の親しい仲間集団から、小学校とその学区へ、さらに中学校や高等学校というより広い学区の空間に出て行き、自分とは異質のより多くの人間と接触し、交際してゆくといったような過程である。
 自閉症や引きこもりに陥る青少年の中には、こうした過程で何かに躓くことが原因の場合もあるという。例えば、地元の小中学校では自他ともにトップクラスを任じていた子が、選抜されて進学した比較的優秀な高校へ行った途端に、優秀な者ばかりの中で落胆して躓くというようなケースである。
 わたしにもそうした経験があったが、少なからず苦しかったこと、そしてその環境を突破するために、自分の「独自性」という観点に目を向けたことを苦々しく思い出したりする。

 現代の子どもたち、青少年は早くからこうした段差に直面させられているのではないかと推察する。と言うのは、家族や近隣の小集団に所属している頃から、テレビその他のマスメディアから生々しい情報を与えられてしまうからである。
 人間という社会的動物は、他人との同質性とともに、差異についても敏感な生き物である。他者よりも先んじているちょっとした点があることで、自信ややりがいが膨らんだりもすれば、ちょっとした劣る点で消沈したりもするはずである。しかし、小集団の中では、余り大きな差が生じることがなく、これが成長にとってバリアフリー的な適度の刺激となるのであろう。そこに、天才少年、少女などについての情報が、その凄さを増幅してマスメディアによって投じられると、凡人少年、少女たちはただただ敗北感と卑下する感情に支配されがちとなりそうだ。

 話題の焦点は、少年少女というより、現代という情報化社会に生きる現代人全体なのである。自分が直接的に生きる環境からの情報より、マスメディアそしてインターネットを通して入手する間接情報の方がはるかに大きなウェイトを占める状況、これに対して然るべき免疫性を持たなければ、やってられないと思うのである。
 しかも、情報がもたらされる空間はもはや国内に限定されず、グローバルな広がりとなっていることが重要である。情報空間のグローバル化は人々に大きな利点をもたらしているには違いないのだが、個人はそれらの空間に向けてそれなりのスタンスを持つことが必要だと感じている。

 例えば、余り元気でない時に、何気なくインターネットのポータル・サイトを開き、ネット・サーフィンをしていると、元気な時なら「へぇー、知らなかったなあ!」で済むところが、思わぬ落ち込み感に襲われたりしてしまうのだ。「ああ、世間の連中はみんな賢くて、やり手な奴たちばかりだ。不器用でバカなのは自分だけだ〜」なんていう自分への卑小感に苛まれたりすることになりかねないのだ。啄木の詩『友がみな我より偉く見ゆる時……』というシチュエーションと言えるだろうか。

 インターネット時代の情報化社会では、パソコン操作やネット操作、はたまたウイルス対策などへのスタンス作りもさることながら、直接的に飛び込んでくる情報そのものに対する自分なりのスタンス作りが絶対に必要なのだと感じている。難しく言えば「情報リテラシー」となるのだが、情報は生かすものであり、その逆に自分自身が心理的にでも撹乱されてはならないはずだと思うからである。
 外部からの情報で問題となるのは、結局自分自身の生きざま、考えざまであり、ちょうど四面を鏡に囲まれた蝦蟇(がま)の油の蝦蟇のように、おのれの姿で脂汗を流すのではないかと思う。情報化社会の真っ只中で、情報を使いこなして生きてゆくためにも、自己確立と言えば大袈裟となるが、少なくとも自分自身の個性的な生き方に目覚めておくことが必要かと考えている。(2001/12/20)

2001/12/21/ (金)  ここまで書いてようやく気分が落ち着いてきたもんだ……

 「痛み」なる語をキーワードにして、あるサイト検索エンジン・ソフトを試してみたら、あるわあるわで387件!よっぽど皆さんこの経済政策で「痛み」を抱えておられるのだなあと、早とちりしてしまった。内2件だけが、該当するもので、ほかすべてが「関節の痛み」だの、「痛みのレディスクリニック」だの、中には「失恋の痛み」なるものもあった。生理的な痛みも確かに辛い。だから、その除去方法や、緩和策に多くの人が関心を持つことはあって良いし、悪いことなんかでは決してない。

 しかしである。なぜ、人々はこの現在の政治経済環境による「痛み」の実態を情報として分かち合わないのだろうか?マスメディアも、失業率なる数字や、景気指数などの数字は通り一遍に報道しても、「痛み」の中味、実態に関してはさり気無さ過ぎないか。巷で見聞し、実感する事態にまったく蓋をしているように見えてならない。
 政策に基づく「痛み」についてコミュニケーションして、議論することはまるでタブーとなったかのようなおかしな空気が満ちている。百歩譲り、不良債権の解消や財政改革がこれで前進すると仮定したって、これに伴っている激しい「痛み」、庶民の死が空しく犠牲になっている事実を認識し合うことのどこが悪いのか。過去の政策の誤りが、今日の犠牲を生んでいることを認識してこそ、政策担当者たちの責任意識も高まるというものではないだろうか。

 百歩など譲らずに客観的に推移を見つめるならば、財政改革だけが自分の責任であるかのようにも見える首相のもとで、景気自体は完全に「死に体」状態へと突き進んでいる。デフレ・スパイラルは既に起動し始めている。政府系の判断が、常に半年以上のラグをもってしか事実を追認してこなかった経緯を思い起こすべきだろう。
 デフレを随伴させての不良債権処理、財政改革が、トレーニング・センターに設置してある自転車と同様に汗を流すだけで前進はしないものだと冷静に計算すべきなのである。 事態の推移は、以外と第三者の眼からこそ客観的に見えるものかもしれない。現在の「円安」(本日129円39銭)の強まりは、海外投資家たちが「日本売り!」を始めているからではないのか。決して、わが国側が政策的な「円安」誘導をしているわけではないのだから。

 上述の2件の該当サイトの一件では、企業城下町と言われた大阪のある都市が、大手電器メーカーのリストラを引き金として、人口低迷と地元商店街の閉店などにより見る影もなくさびれてしまった現状を訴えていた。
 こうした実話はいたるところで耳にしている。そして、耳にする話の水面下ではさらに悲惨な事実も隠されていることが推測される。誰が、店主や経営者の自殺話を自慢して話すものだろうか。

 じゃあどうすればいいの?と聞く人がいたなら、じゃあ、あなたはどうなると思っていたのですか?と先ずお聞きしたいと思う。「改革」のグランド・プランも定かではなかった政治家を、ただ期待感だけで支持したことは、現在生じている悲惨な「痛み」を被っている現実に加担したのと同じですよ、と。
 これは、終戦後に親たちに向かって、「結局、オヤジたちは戦争に加担したんじゃないか!」と言い放つ戦後世代の発言論理と同じ論理で言うのである。

 政治とは、結果責任以外の何物でもない。そこが、プライベート空間とは区別されるべき点だと思う。弁舌などどうでも良いではないか。口先で相手の心理を和らげることが通用するのは、まさにプライベート空間なのである。もし、結果を予見できず、さらに望ましい結果への誘導の方策もなく政治的発言なり、行動をする者がいたとするなら、それは国民にとっては最大の不幸だと思われる。
 「生存なくして経済なし!」と以前書いたが、もう一つ補足するなら「経済なくして財政なし!」でもある。「特殊法人」や公的機関の改革が為されるに越したことはない。しかし、忘れてもらっては困るのは、無税の特権で機能しているすべての機関は、何を原資としているのかという点である。紙幣を刷るのは日銀であっても、紙幣に価値を付与しているのは、すべての国民の税金と民間企業の税金のはずではないか。納税者を元気づけることが政治でなくして何が政治だと言えようか。

 とまあ、ここまで書いてようやく気分が落ち着いてきたもんだ……(2001/12/21)

2001/12/22/ (土)  木と紙の間柄のように相手をあいまいに許容してゆくゆとり……

 今日は、一年中で昼の時間が一番短いという冬至。今年ももう後残すところ一週間余りだ。やり残していることが多いなあと思い、昼の時間の短さに抗して今朝は幾分早く起きることとした。この連休で年の瀬の家内任務をいくらかでもさばいておきたいという目論見である。仕事関係はエンドレスなので、せめて家庭内の区切りをということなのだ。

 障子をはずし、風呂場へ持ち込んだ。飼い猫たちの爪研ぎでぼろぼろとされた障子紙をはがすためである。猫たちの爪は、いやがるのを押さえ込んで定期的に切ってやっているが、爪の長さと「研ぐ」動作とはさほど直結していないので困ったものだ。
 障子紙というものは、所定ののりを使い、障子丸ごと一枚で貼っておくと、剥がす作業が楽なのである。障子紙側にシャワーの水をかけて、ほどなくめくってゆけば、へろへろと剥がれてゆくのだ。そして、たわしでそのぬるぬるを洗い落とせば、また新しいのりがしっかりと効く肌となる。粘着テープやボンドを使うなら絶対にこうした段取りにはならないのだ。実に、優しい合理性だと感心させられるのである。

 仕事仕事と追われるようになってからは、必要最小限の家内作業しか実践しなくなったものだが、子どもの頃から所帯を持ち始めた貧乏浪人(?)の頃まではマメにあらゆる作業をしたものだった。
 大工仕事を趣味としていた祖父を、おやつにつられ一番弟子を任じて手伝ってきた子ども時代が、そのきっかけだったのだろう。祖父の大工作業は季節を問わなかったが、やはり年の瀬になると一段と熱が入ったものだった。そして大詰めが、各部屋部屋の襖と障子の張り替えだったのである。
「お爺さんは、玄人はだしよね〜」
などと娘たちにおだてられ、
「そうでもないがなあ、けど、こうやってしわを出さないようにするのがまたコツがいるだよ〜。誰でもできるわけじゃないわな〜」
とまんざらでもなく機嫌をよくしていたものだった。ギャラリーがあってこそはかどる作業だったようだ。

 しかし、そんな時代の年の瀬を、今は喉から手が出るほど懐かしく思い出すものだ。自分が年をとってしまったというだけではないような気がしている。あの時代にはあったはずの、人と人とをつないでいた空気、それは障子紙と棧(さん)を優しくつなぐのりとでも言うべきか、そうした繋ぎがぎくしゃくとしたり、あるいは真空的なものとなってしまったかのように思ったりする。少なくとも、誰しもが、他人を決して他人だと決めつけない、そんな優しいあいまいさがあったかと思う。それが強い繋がりだとは言えないまでも、木と紙の間柄のように相手をあいまいに許容してゆくゆとりのようなものがあった。

 子ども時代であったからということなのであろうか。もうすぐ冬休み、冬休みになればもういくつ寝るとお正月とはしゃいだ、そんな子ども時代であったからなのであろうか。
風呂場の窓の外からは、子どもたちが遊ぶ声が聞こえてくる。連休に加えて、冬休みが間近であることが有頂天にさせているに違いない……(2001/12/22)

2001/12/23/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (19)

 日本橋に近づくにつれ、街道沿いはうろたえる町人たちでごった返していた。
 日本橋、京橋近辺の木造家屋が密集した下町は、とかく火事が多かったという。二、三年に一度くらいの割合で大火事に見舞われていた。そのため、町人たちに奇妙な慣れも見受けられたりした。しかし、この日の火事騒ぎは、江戸城内からの出火という点が町人たちを興奮に追い込んでいたのだった。

 大名屋敷と下町を区切る外濠の町屋側には、火事慣れした野次馬の町人たちが危険をかえりみず埋め尽くしていた。どこをどう短時間に伝わったのか、火元は本丸の大奥であるとの情報までが早くも広まる始末だった。
 町人たちの彼方で、見る見るうちに、天主台を囲む本丸付近が炎上し、しかも冬さながらの強い北風が火の手を放縦に広げさせているようだった。

 沢庵和尚たちは、日本橋付近から先に進めず、立ち往生することとなったのである。
「和尚さま、大変なことになりました……」
海念は、うわずるような声で言うのだった。
「家光殿の身の上に間違いが無ければよいが、何とも無情なこととなったものじゃ……」そうつぶやいた和尚は、右手で笠のふちをもたげ、悲痛な面持ちで彼方の炎上を見つめ続けた。保兵衛も、家康が創立した泉岳寺を焼失させたのはこの大火だったのだと知ることとなった。

 和尚が「無情なこと」とつぶやいた際、その言外には「無常」という意がこもっていたのかもしれなかった。
 三代将軍家光は、ちょうどあの「紫衣事件」のあった年、寛永六年より約八ヵ年にわたり、従来よりも一層厳しく諸大名に負担を強い、莫大な金銀を費やして江戸城内外の大増築をしたのだった。幕府権力の完成を目指すものであった。中心城郭としては本丸と西の丸とのほか、その間に北の丸と吹上とを設け、外郭としては汐留,虎の門,溜池,赤坂見附,四谷見附,市谷見附,飯田橋,お茶の水,両国を通ずる一線を外濠を以って囲み,城池は東西六キロ,南北四キロにわたり,その外郭の要所々々に枡形の城門を造って出入りを監視し,所々に木橋を架けて有事の場合にこれを切って落とす仕組みにしてあった。城門は外郭に二十、内閣に十一、城内に八〇、天守閣の外に三重または二重の城櫓が二十,多聞二十六などであった。
 こうした江戸城が、この大火によって天守と僅かな櫓を残して、大半が灰に帰したのである。この惨事によって権力としての幕府が支障を来たすことにはならなかったにせよ、この惨事に、和尚ならずとも「無常」を感じるのは不思議ではなかったはずである。

 和尚たちは、将軍家光の無事だけでも確認したかった。しかし、この混乱の中で採るべき手段を失っていた。また、江戸市中への延焼も心配であった。が、東海寺の留守を守る者たちに無用な心配をさせるわけにはいかなかったため、この日はそのまま品川へ戻ることとしたのだった。
 野次馬たちが駆ける方向とは逆の方向へと三人は戻った。野次馬たちの上気した顔つきがありありと窺えた。思えばそれらは、他人の不幸に関心を抱く残酷さを持っていた。が、彼らとていつ他人から関心を抱かれる不幸の身の上に陥るかもしれない、そんなお互い様の江戸市中であったのであろう。

 帰途につく和尚たち三人の胸中には、それぞれにさまざまなものが去来していたに違いない。
 やり場のない複雑な心境で顔を曇らせていたのは海念である。今朝、保兵衛に話したように正夢を見てしまったこと、そのことを反芻していたのだった。
 ひとに語れる夢といえば残酷で、不幸な夢しか見ない自分を、憐れに感じていたのであろうか。
 仮にも仲間であったはずの同じ浜の漁民たちが、鯨に姿を変えた父を、みんなで射殺すという像を何度も描いてしまう自分、そんなふうに自分の中に潜む狷介な心から、ようやく距離が置けそうになっていたというのに。
 なのに、今度は、こともあろうに家光将軍の不幸を、その狷介な心は望んだのかもしれない、と自分を見つめていた。父が命懸けで抗議したその相手を、憎しと思わなかったことはない自分がいたことを、海念は否定できないでいたのだった。
 海念は、前を歩く和尚の後姿に目をやっていた。笠の下から覗ける和尚の規則正しい足取りをじっと見つめた。
『和尚さま、せっかく仏道を修行させていただきながら、わたしは心の中の阿修羅(あしゅら:戦闘を好む鬼神。)の奴隷となったままでいます。こんな自分でも、いつかは……』

 「おお、もう品川沖が顔を覗かせ始めたぞ。人の世に何が生じようとも、海の表情は変わらぬものじゃな」
 いつの間にか芝の浜あたりまで和尚たちは戻っていた。
 和尚が何に思いを巡らせていたかいなかったかは定かではない。しかし、炎上する城を眼前にしていた時の悲痛な面持ちは、既に消え、穏やかでさえあるいつもの表情に戻っていたのだった。
 戦乱の時代のあらゆる地獄絵図を、望まずとも脳裏に焼き付けてきた和尚にとって、今日の出来事、光景は長い絵巻のごく一部に過ぎなかったのかもしれない。
 仮に江戸城まるごとが焼失しようが、さらに万が一家光将軍に不幸があったとしても、もはや天下争奪の終わった勝負が振り出しに戻るはずの決してないこと、徳川幕府の軌道が延々と続きゆくであろうことを、和尚は当然承知していたはずなのである。
 もとより、和尚は、海念が今思い煩うような阿修羅をもう何十回も心から追い払い、そして東海寺に入山する決意をしたはずである。権力の権化を身近に置きながら、これを超越する、という禅道の最終課題を引き受けようとしていたに違いなかったのである。

 ところで、保兵衛に異変が生じ始めていたことに気づいていたのは、和尚だけであったかもしれない。保兵衛でさえ、目にする光景とは無関係に、耳にする音の中に時々聞きなれた音が混じり始めていることには気づかないでいたのだった……(2001/12/23)

2001/12/24/ (月)  今年一年を振り返る人々の口から「立ち戻る」という言葉が……

 燦燦とふりそそぐ冬の陽ざし。風もなく、空気は優しい。葉を落とし針金細工のようなシルエットで空に映える木々のこずえ。わずかに残った葉の影を模すかのように野鳥たちがとまり、さえずる。
 束の間、何も考えず、ひたすら満足気に歩む犬とともに私は散歩する。そうしていると、これ以外に幸せというものはあり得ないという直感に満たされてしまう。

 今年一年の、まるで地獄のような社会的出来事の連続を振り返る人たちの声の中で、「立ち止まる」、「立ち戻る」というようなニュアンスの言葉が目を引く、いや耳に残る。もうこの先は行き止まりなんだ、戻るしかない、と直感する人々の率直な感覚なのであろう。
 実に共感できる発想ではある。より多く、より広く、より強く、より便利、より……と望むことが、必然的にそれらに伴う暗い影をも背負ってゆくことになってしまうといった連鎖。どこかで、そんな悪循環を断ち切り、すがすがしく清純な再出発をしてみたい、と切望することは、まったく私自身の思いでもある。

 しかし、あえてシニカルになるつもりはないのだが、人間世界をそこまで単純化することはかえって副作用が大きいと思えるのも事実である。
 昔、夏山登山で背丈以上の高さの茂みに迷い込み慌てたことがあった。その際に、焦る気持ちを抑えた考えは、無闇に動き回らず、確実性の高い元の地点に戻るということであった。その場は、どうにか急場をしのいだのだが、実は元に戻るということは結構大変なことなのである。
 また、われわれは仕事柄システムの種々のプログラミングなどを行う。しばしば、機能向上に向け、改造作業を進める時があるが、そうした際には必ず改造前の元のリストを別様にキープして置くのが常識である。さもないと、予想外に時間を浪費してしまう場合があるからなのだ。
 元に戻るという行為は、進んで来た時と同等以上の時間と、進んで来た時以上の意志の力が必要となるはずなのである。

 デザインやファッションのジャンルであれば、「立ち戻り」傾向は効を奏する場合も多いことだろう。しかし、生活や人間関係や社会のあり方が、現状を否定して「立ち戻る」ためには、予想外に多大なエネルギーの必要となることを認識すべきだと思うのだ。
 また、どんな馬鹿な理由であれ、進んで来た過程にはそれなりの理由や原因や魅力が随伴して来たはずではなかったか。だから、もしそれらから離脱したいのなら、そんな理由を侮蔑できるほどの魅力をこそ生み出してゆくことが重要なことなんだと感じている。

 そんな魅力が創造できるのであろうか?可能性はなくはないと感じている。人間が人間である以上逃れられない条件たる老・病・死などに対する自然な感性が蘇るならば、新たな魅力の価値観が当然現れてくるに違いない。
 こう考えると、「この先は行き止まり」という感覚を与えている張本人は、人間である以上逃れられない条件を、あたかもそうではないとの幻想を増幅させてかき消し、あるいはその事実を思い起こす暇も与えないかたちで一途に喧騒を拡大させ、ぼやかしてきた、そんな近代・現代文明全体だということになってしまうのだ。
 文明史サイズの話に迷い込む議論の非生産性を避けるなら、間近に迫っている超高齢化時代の実相を引き寄せるだけで良い。成長経済と、すべてが成長するという神話の申し子たる団塊世代各位が、突っ張るのでもなく、落ち込むのでもなく、ただ静かに人間の条件を承認して行動するなら、何かが変わる可能性は高いと予感している。

 二千年以上前の今夜、西方で生まれた方は、地上の現代を一体どう嘆かれておられるのだろうか?(2001/12/24)

2001/12/25/ (火)  ボクの身体はもう耐え切れないから、こうやって笑っちゃうの!

 昨日、「文明史サイズの話に迷い込む議論の非生産性」と書いた。しかし、大きな誤りであったかもしれない。もはや、そんな悠長なことを言っていられる時代ではなくなっていたはずだ。熟慮するなら、今年起きた驚嘆すべき最大の事件、「同時テロ」に潜む問題の根底には、異質な文明間の抜き差しならぬ関係という問題が潜んでいると言わざるを得ないからだ。
 あの問題はやはり、単に、限定された一部の異常なテロリストをどうするかというような問題ではなかった。もし仮にそうだとしたなら、なぜあそこまでの執拗なアフガン空爆をしなければならなかったのか。なぜ、その後のパレスチナ問題が再燃の上、破局を迎え、さらに過激な攻撃の応酬が再発しているのか。
 地球資源を圧倒的に支配し続けてきた文明と、あたかも中世の延長であるかのように停滞し続けて来た文明とが、同時並存しているという歴然とした事実がクローズ・アップしたのである。この事実に人類や世界はどう対処してゆくのかという、まさに「文明史サイズ」の問題に直面したことが今年の最大の特徴であったはずなのである。
 しかも、両文明が平和的共存の歴史を歩んできたのではなく、一方が他方に対して介入と収奪をさえ行ってきたというアンバランスな関係を継続してきたのであった。少なくともアフガニスタンの歴史は、イデオロギーは異なっても西欧文明の両雄であった米ソの独善によって撹乱されて来た悲劇の歴史ではなかったか。

 ところで、こうした海外での出来事は、十年、二十年前であれば、関係者や国際政治に関心を抱く者たちに限定された話であったかもしれない。しかしこれが、庶民にとっても重大な関心事となっていることが、今年の新しさだと言えるのだろう。
 ビジネス、観光で海外に出向くことが日常茶飯となった日本人という点はもちろんある。だが、それ以前に、もはや閉ざされた国内情勢だけで、現代という時代に生きることの意義と課題を考え、感じることが不可能になっている環境、そこまでもグローバリゼーションによって浸されてしまっている環境の変化に気づかなければならないようだ。

 私は、テロや暴力によって事態の変化を呼び起こそうとする、「人間を下回る!」発想と行為を軽蔑し、糾弾する。それは、イスラム過激派であれ、アフガン空爆という暴挙であれ、イスラエル過激派であれ糾弾したい。
 それらは、決して他人事などではなく、常に国際諸国の国民の脳と心に、そのテロや暴力への選択の可能性を作り出してしまうからなのである。まして緊迫した火種を抱え続けている国々には、好戦派を助長する口実さえ与えてしまうからである。現に、わが国の自衛隊は一線を超えようとしているし、「不信船!」騒ぎでは従来の一触即発の事態回避が解除されてもいるようである。
 また、どんな大義名分を付けて正当化しようが、テロや暴力の選択を許容することは、様々な国内的、国際的政治的軋轢において少数派を脅す手段に転化しないとは限らないことも警戒すべきだからである。

 今年は、悲惨なテロが引き起こされたのに加えて、アフガン無差別空爆という「正義の(?)」暴力が導入されてしまった年だったのである。アフガンの子どもたちを含む多くの非戦闘員が巻き添えとなり、また空爆の影響で多くの難民がこの冬凍死、餓死するという悲惨な予想が伝えられてもいる。
 アフガンの幼児が、米軍特殊部隊のマークがいくつもプリントされたシャツを着せられ、母親に抱かれていた。他の子どもたちが、暗い表情をしているのに対して、場違いなほどに、きゃっきゃっと笑っていた。
 爆撃機が飛び交う暗黒の恐怖の中、身近に炸裂した爆撃に耐え切れなかった小さな脳と心が破壊されてしまったのだと説明された。大写しとなったその幼児の顔は、瞬時に心を激しく揺さぶり、涙を誘わずにはおかなかった。TBSテレビのアフガン現地からの優れたレポートであった。(2001/12/25)

2001/12/26/ (水)  再度「インストラクション」について。言葉が風化しているのか?

 今年は、こんな時期から道路工事が目立っている。通常、予算消化のための公共工事は年度末近くになって行われるものと思っていたのだが……
 寒い冬の夜の工事は、携わっている者たちにとってはキツイ仕事であろう。中でも、交通誘導をする者は、赤いライトの棒を動かすだけなので冷え込みが身にしみるはずだ。
 同情もするのだが、ひとつ気になることは、その赤いライトの棒による「インストラクション(指示)」の仕方が当を得ないことが多いことなのである。「止まれ!」を示しているのか、「進め!」を促しているのかが判別できない曖昧な指示で戸惑わされるのである。ひょっとしたら、リストラにあった中高年の方による俄か就職か何かなのだろうか。現に、つい先だって、そうした人たちが大勢集められて訓練させられていた現場を目撃したこともあった。

 なぜ、そうした「インストラクション」に関心を寄せるのかと言えば、現在のわが国は、コミュニケーションに関して相当の問題を抱えていると感じてきたからである。さらに、コミュニケーションの中でも、相手に何らかの動作の指示を与える「インストラクション」が特に緊急課題として浮上していると思い続けて来たからなのである。( c.f.2001/06/18/ (月)『「飲ミニケーション」なんて言ってる場合じゃないね!』)
 既に考察した経緯があるので、要点を復習するなら、
(1)日本の同質性社会幻想の崩壊( ← グローバリゼーション)
(2)生活環境の高度技術化( ← ex. インターネット、IT普及)
という事態が、様々な変化と影響をもたらし、人間の社会的生活に不可欠な「インストラクション」行為の周辺を掻き乱しているはずなのである。

 「インストラクション」で重要なジャンルは、もちろん教育現場である。また、教育現場とは、集合教育が行われている学校に限られるものではない。家庭も、職場も、街頭も人々が集まる場はすべて教育現場だと言ってよいのだろう。
 そうした場での相互教育が今、かなり悲惨な状況となっているのは誰もが感じていることなのではないだろうか。これは、決してどうでもよいことではないと思われるのだ。
 なぜ、そうなっているのかにもっと関心が持たれるべきだと思っている。いろいろな原因が挙げられるかと思うが、ひとつ挙げれば、言葉がうまく機能しなくなっている点が気になるのである。
 こんな景気の中で、それに加えて「活字離れ」現象も加わって、今年、廃業となった出版社も少なくないそうだ。共通文化を支える、活字が軽視され、その過程で言葉とその使われ方の風化が進行しているのかもしれないと懸念してしまう。
 もちろん、「インストラクション」の手段は、言葉だけではない。PCの世界では、ウィンドウズのように、瞬時の操作性をねらい、「アイコン」などのビジュアルで直感的なものを駆使した「インストラクション」環境も市民権を得ているし、その発想は、道路標識などでも馴染んできた。新たな「インストラクション」環境が登場することはかまわないとして、日本語が風化しているのかもしれない事態は、憂慮すべきことではないだろうか。

 実に細かい世代区分内でしか通用しないローカル言語が当たり前のように使われ、活字離れ現象が進行してゆくなら、言葉は風化せざるを得ないはずだ。そして最初に生じる不便さは、人と人との気持ちの通い合いどころではなく、最小限の指示伝達行為での不具合なのであろう。危険を避けるための伝達すら十分な伝わり方ができない世界を想像などしたくないものである。
 そして、次には、言葉の衰弱が考える力を風化させ、社会の重要な選択が、アブナイ直感的選択に流されてゆくのであろうか。今年のわが国国民の政治的判断を見る限り、こうした懸念は決して杞憂ではない気がしてならない……(2001/12/26)

2001/12/27/ (木)  白昼夢!危機感薄く、せり舞台で沈んでゆくような日本?

 昼食時、スピーカーから流れる若い女性歌手のサウンドが耳に入った。あいも変わらぬイージーなラブソングである。女子高校生らしきアルバイトを使っている店としては、こんなジャンルのサウンドを無難と考えたのかもしれない。
 頼んだ食事が出てくるまで、わたしは夢うつつのような突拍子もないイメージを頭に思い描いていた。ちょうど、年末恒例のNHK紅白歌合戦のような広い舞台である。中央で、煌びやかだがどこか軽い感じの多くの歌手たちが自己陶酔しながら歌っている。
 が、そこは、いわゆる「迫り(せり)」舞台であった。まだまだ歌や演奏はまっ最中なのだが、その「迫り」舞台は静かに沈み始めてゆくのだ。陶酔する当事者たちは、騒ぐこともなく、ただひたすら陶酔して歌や演奏を続けている。観客から見える部分が腰の高さ程となっても、胸の高さとなっても当事者たちは異変に気づかないでいる。そしてやがて、すっかり見えなくなってしまった。それでも歌と演奏は変わらず続くのだった。
 そして「迫り」舞台の上には、実はミュージシャンたちがいたのではなく、日本そのものが乗っかっていたわけなのである。

 こんな白昼夢を思い描くほどに、現在の日本の状況に対する人々の危機感は薄いのかもしれない。海外からの評価は、このところ突き進む「円安」のように、「日本売り!」というかたちで下落を続けている。
 そして政府は尻馬に乗るごとく、「円安誘導」の姿勢を見せ始めた。政府の目論見は、景気底割れの歯止めになると見ているようだ。つまり、(1)輸入物価の上昇によるデフレへの歯止め、(2)輸出企業を中心に企業業績が改善、の2点を消極的に(不作為に!)ねらおうとするもののようである。

 だが、その効果はストレートに効を奏するものではなく、疑問視もされている。
 ひとつのねらいは、輸入物資の価格高騰が誘導されることでデフレ現象を抑止することについてだ。確かに、現状のように海外からの超安値の物資が到来し続ければ、消費者物価は下げ止まらないだろう。国内企業のコスト割れ承知での対抗もそう続けるわけにはいかないだろう。
 しかし待て!である。既に起動しているデフレ現象によって、収入が不安定かつ、低下し始めている庶民は、少なくとも安くなった商品で救われる気持ちで消費していたはずである。そこへ持ってきて、ここで物価が上昇し始めるとどういうことになるのであろうか。消費の低迷は、輪をかけることになりはしないのか。また、輸入品が高くなるということは、これまでの消費低迷の中でブランド品などはそこそこの水準ではけていたといわれているが、これも萎縮することになるのであろう。
 さらに、ふたつめのねらい、輸出が有利となるとの読みも、もはや海外での現地生産が増えた現状では論理的にも期待薄となっているはずである。確かホンダなどの先進企業は、海外で部品生産をして、それを逆輸入するかたちの戦略を打ち出していたかと記憶するが、そうしたケースもあるため一概に輸出企業が有利になるとばかりは言えないであろう。

 ただ、ほぼ確実に進行するであろうことは、日本株や債券の価値の低下を招き、海外投資家による日本株や国債売却を誘発する可能性である。「日本売り!」の加速だけが勢いを増してゆくことになるのである。
 こうした海外の評価と、政府を始めとする国内の評価のズレは大きく、その原因は、ひとえに日本側の現状に対する「危機感の欠落!」以外の何ものでもないと思われてならない。そして、その結果から来るのであろうか、対策推進における圧倒的なスピード不足であろう。
 円安は、ほぼ確実に年を越し、140〜150円、まさか360円にはならないまでも、100円台後半にまで突き進むと予想する経済評論家もいるくらいだ。

 経済がすべてではないはずである。しかし、経済もダメとなる寂しい日本は、相変わらずのイージーな日常カルチャーで陶酔しつつ、あたかも沈んでゆく迫り舞台のように静かに沈没してゆくのであろうか……(2001/12/27)

2001/12/28/ (金)  牛肉だけは敬遠されるかたちの弱肉強食、弱者切り捨て御免!の実感、予感

 まずまず慎重なのだろうと自任するわたしなのだが、対物レベルの交通事故を起こしたこともある。煙草の灰に気を取られ、信号待ち停車からの発進で前のクルマに衝突させたことがあった。もう一年以上前の話ではある。
 その時の感想だが、事故前の感覚と、事故後の感覚が連続しないという奇妙な印象を持ったのである。と言うか、まさに事故直前の記憶があたかも消失してしまったかのようなのである。意識の問題で言うと、この前後間には、水平的な連続性がなく、あたかも「断層」のような非連続があったように思い出すのである。

 危機感、危機意識という点について昨日書いた。どうも、現在われわれは既に生じている経済・社会環境に危機感が乏しいのではないかという点であった。以前には、「リスク社会」という視点で「リスク」について書いたこともあった。
 注目したいのは、さし当たっては平穏な日常生活のただ中で、危機的な事態を認識して、どう先取りして、できればどう対策が準備できるのかという点なのである。

 結論から言えば、どうも、日常生活を無意識に送るわれわれには、危機的な事柄を想定することは極めて難しいのが当然なのかもしれないということなのである。
 極端な話であるが、現代にあって、死を想定して日常生活をすごしている人がどれだけいるであろうか。人間の死は、現代にあっては完全に日常生活から隔離されてしまっているようだ。さらに言えば、死など存在しないかのように日常生活が構築されているのである。もちろん、あっては欲しくない事柄ではあるに違いないのだが、無くなったわけではないものを、無いと見なす生活をしているのが事実に違いない。
 同様に、地震や火事という災難についても、阪神大震災のような経験をした人以外で、それらをリアルに想定して対策する人は少ないように思える。
 そして、経済危機についても同様のことが言えるのではないだろうか。

 「火事場の馬鹿力」という表現がある。真実だそうであるが、その謎は実は、日常生活にありそうなのである。人は、延々と継続するはずである日常生活では、あらゆる能力を100%なんか発揮していては身が持たないため、7〜80%だかに抑えているそうなのである。そして、危機的なシチュエーションとなったら100%を振り絞るというのが種明かしのようなのだ。
 だから、日常生活と危機的状態との間には、生理的なレベルでも大きな落差があり、いわばモードが異なるとさえ言えそうなのである。おそらく、意識についても異なったモードほどの落差があるのではないかと推定する。

 したがって、この経済危機前夜に危機感を持て!と言われても鍋の取っ手を持つほどに簡単なことではないのが実情かもしれないと、そう考えるのである。まして、何十年も右肩上がりの経済成長と、中小規模の危機のまずまずの修復を肌身で感じてきた者たちにとっては、そう簡単にアドレナリンが放出できるわけがないのかもしれない、と。
 まして、古い世代の政治家たちが、自分たちの通信簿を汚すような現状認識を語るはずもなく、非難が生まれない言葉遊びに終始するとなれば、全国民こぞって楽観的になってしまうのは無理もないことなのかもしれないと思う。だが、意を注ぐべきは、これが一億玉砕、「玉音放送」のパターン再来となり得てしまう怖さなのではないだろうか。
 そして、だれの目にも明らかな危機の猛威が始まる時には、弱肉強食が、今風に言うなら牛肉だけは敬遠されるかたちの弱肉強食、弱者切り捨て御免!がまかり通る事態となってしまうことを憂慮する……

 今日で仕事納め!大掃除のあと、休憩しているところへ協力会社の社長がご挨拶に来られた。いろいろ話をしている中で、今、そして来年にかけて挑戦する気構えをうかがわしてもらった。われわれと同様に、逆風に向かってヨット・セイリングをするタフな話となり、仕事納めとしては良い締めとなった。
 隘路ではあっても、必ず身の立つ道がある!問題は、絶望に足を取られず、保有する知恵と勇気と信じる心をありったけ機能させること以外にない!(2001/12/28)

2001/12/29/ (土)  自分自身の実感やイメージと、自分の言葉とをしっかり結合させること!

 決して気取るつもりなんかはない。こうして毎日、ただならぬ時代と向き合う自分の思いを文章化していて、感じるのは、こんな文章しか書けないのでは、分厚い時代の壁に針の穴ほども空けられないなあ、という焦燥感である。
 それは同時に、文章の問題以前に、自分自身の思索の圧倒的な力不足と偏りに気づかされるということでもあったりする。多分、すべての根っこには、自分自身の生き方の脆弱さがその醜さを広げているのだろうとは自覚している。

 現在、のた打ち回っているに違いない日本の現実は、その醜く、そして哀れな姿を完膚なきまでに「描き尽くされる」そのことを望んでいるように思われるのである。妙な表現となるが、人一倍羞恥心豊かな日本という存在は、いつまでも醜態を曝け出し続ける苦しさに耐えられないはずなのではないだろうか。
 自分の何が最も傷つき、自分のどこが汚され、自分の何がいまだに誇りに満ちたものであり、そして自分はどこへ向かうべきなのか?また、自分を再生させてくれる人々とは誰なのか?なかなか聴き入れられない断末魔の声を、聴き取り、共感をもって描かれることを、瀕死の日本という存在は待ち望んでいるに違いないような気がしている。誤解を避けるために言っておけば、もちろん国というようなワケの分からない存在のことを言っているのではなく、日本という社会であり、人々のことなのである。そして、自分自身のことでもある。

 率直に言えば、現在のわれわれの不幸の焦点は、経済破綻なんかではないだろう。何がどうなっているのかが言葉で認識できなくなり、確かな方向を手堅く言葉で手探りすることもまま成らなくなっている現状こそが、不幸の最大の源だと感じている。もし、これらの道具立てが確かでありさえすれば、現状の苦悩は道具立てに支えられた希望によってたやすく相対化されていたに違いないのだ。
 しかし、その道具立ては絶望的なほどに汚され、無力化させられてきた。信じられないほどの無責任な構造とその体質が、言葉と言葉によって提示されるいっさいを無力に漂白してきたと言える。
 いまだに実額さえ分からない「不良債権」総額、もちろん曖昧にされている金融機関責任者の引責、また言葉の厳密さ、責任の厳密さを表看板にしてきながら、ますます明らかとなってくる公的機関やその隠れ蓑たる公的法人の度し難い不潔さ!そうした貪欲さ以外には何の特徴も持たない破壊者たちによって、共有財産が瀕死状態に追い込まれたのだ。
 なおかつその破壊者たちの臆面もない言葉使いが、言葉への不信感、言葉へのアパシーを蔓延させることとなった。
 通勤途中の経路に、焼肉点が三、四件ある。いずれも、かつては甲斐甲斐しいサービス姿勢でがんばっていた店である。しかし、気がついてみると、今は寒々しく照明も消えていた。これとても、言葉を責任から切り離すことが常となったかのような公的機関やそこで動く「人形」の責任だと言えまいか。もっとも「人形」に責任と言う言葉は不似合いかもしれないが。

 信頼できる言葉、手堅い言葉、信念を形成する言葉を失ってしまった現実が、今のわれわれの最大の不幸なのではないかと直感している。
 言葉の喪失は、他者の消失へと必然的につながってゆくのだろう。伝える道具がないならばどうして人間としての他者が存在し得るだろうか。意識をかすめる他者は風景のひとつでしかなくなってしまうはずではないか。
 責任ある言葉を喪失した政治家にとって、他者である国民は既に存在していないのである。だからこそ恥知らずの言葉もどきが口に出せるのであろう。きっと、公衆の面前で化粧直しができる女子高校生たちにも、失われてしまっていることであろう。言葉と他者とが。
 そして、言葉の喪失は、やがて自分自身の意識の解体、動物的人間へと落ち込んでゆくのだろうか。

 大事なことは、誰も否定することはできない自分自身の実感やイメージと、自分の言葉とをしっかり結合させることだと思っている。概ね当たっていても、何かが異なると感じる言葉や言葉使いを拒絶して、自分の言葉で置き換えてゆく地道な作業である。
 また、自分自身の言葉と思っていながら、世過ぎ的に使っているだけの空しいものも多々あるかと感じているが、それらも警戒すべきなのかもしれない。
 再び、「信念」という人間的な能力が待望され、有効化してくる時代が来るような気がしている。これは、当てずっぽうな話だが、多分ヒトゲノムで注目されている遺伝子とは、癌などの発病に関係するものと、もうひとつは人間の気質、とりわけ強い「信念」が発揮できる遺伝子なのかもしれない、と。それが、科学とて代替できないパワーであるからなのだ。

 もうすぐ新しい年、そう「新年」を迎えるに当たって、再度思いを巡らせてみたい。先ずは、信念の形成を阻むものは何かについて。そして、否が応でも発揮を迫られる信念の育て方について……(2001/12/29)

2001/12/30/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (20)

 午後に差し掛かった品川宿に三人が戻った時、街道は市中の大火事を気遣う者たちでざわついていた。鼻が慣れてしまっていた三人にはわからなかったはずだが、相変わらずの北からの強風が、江戸市中からきな臭い匂いを運んでいたのだった。
「難事でございました。お城は如何がなりましたのでしょう?」
 街道に出て不安げに北の空を眺めていた宿屋の亭主が、そう和尚に尋ねてきた。
「将軍殿にまさかの事はないはずじゃが、この風ゆえに市中へ広がらなければよいと念じておる。念のため、あるだけの桶などに水を用意されておかれるがよろしゅかろう」
 和尚の言葉を耳にした宿場の者たちは得心顔で頷き、気ぜわしく店の中へ消えて行くのだった。

 東海寺が見渡せる通りにまで三人はやっと辿り着いた。和尚の顔にもやれやれといった幾分かの疲れの表情がにじんでいる。とその時、寺からの坂道を転がるようにひとりの修行僧が駆け降りて来た。
「和尚さま、ご無事で何よりでございました」
その修行僧は息を切らし、紅潮した顔つきでそう言い切った。
「おお、心配をかけたのう。皆、このとおり無事じゃ」
「お城からの早馬がございました。将軍殿はご無事とのことでございます」
「ああ、そうであったか、そうであったか。それで安堵じゃ」
 三人が寺の玄関口に面した時、修行僧たちが総勢で出迎えていた。皆が、三人の無事な姿を見て各々安心した面持ちを示すのだった。
「お食事をとる暇もございませんでしたかと察しまして、ご用意いたしております」
足元を拭う手桶を携えた修行僧が、丁寧にそう言った。
 和尚は、用意された手桶を脇にして足元を拭い始めた。脚半も藁草履も砂ぼこりで真っ白となっていた。
「保兵衛さん、食事を済ませたらわたしの部屋に来なされ。そう、海念も一緒にな」

 厨房部屋の片隅に、二人用に膳が用意されていた。海念たちは、早朝から飲まず食わずで歩き通したため空腹が絶頂に達しているはずだった。ひっそりとした厨房部屋で黙々と食事に向かう二人だった。
「海念さん、それにしてもとんでもない大火事だったよね。ぼくの時代は、放水車が圧力をかけた水を大量に放水して火を消しにかかるんだけど、ほとんど何もしていないように見えたものね」
「江戸の火事は、建物を壊して燃え広がるのをくい止めるだけのようです。だから一度出火すると大事になるんです」
 こんな会話が途切れると、また二人は黙々と食べ続けるのだった。兄弟子たち修行僧は座禅に入っていた模様で、厨房の外も寺じゅうが静寂に包まれていた。
「えっ、何ですか?海念さん、何か言った?」
「いいえ、何も言いませんけど」
「……」
「……」
「ほら、何か言ったでしょ?」
「いやですねえ。何も言いませんよ。こうして食事をいただいているんですから……」
「どうも何かが聞こえてくる。あの大火事の騒ぎでおかしくなったのかな?」
 食事を終え、後かたづけをしながらも、保兵衛は不可解な空耳に悩まされ続けた。
と、そこへ兄弟子の修行僧が和尚様がお呼びだと伝えて来た。

 和尚の前に、二人は幾分緊張気味の様子で並んで正座した。
「いやはや今日は、あいにくのくたびれ儲けじゃったのう。しかも、保兵衛さんにはとんだお土産となってしもうたわけじゃ。できれば、江戸幕府三代将軍家光殿をご相手に、時空を越えた禅問答なりに興じてもらいたいと思ったのだがのう」
「和尚さま、お土産とおっしゃいますと、えっ、もしかしてぼく、いやわたしは、元の時代に帰ることになるということですか?」
「そうじゃ。もうすぐその時がやって来よう。ややもすれば、既にそなたの時代からの響きが届いてはいまいかのう」
「えっ、それじゃ、この空耳はぼくの時代からの音ということなんでしょうか?」
保兵衛は、はっとする思いで隣に座っている海念を見た。海念も、驚きを隠さなかった。目をぱちくりとして保兵衛の顔を見つめていた。
「保兵衛さんが、ここへ来られ拙者が出迎えたのが一昨日の夕刻じゃ。もうすぐ日暮れ時となればまる二日が過ぎることになるのじゃのう。さすればじゃ、その折りに、保兵衛さんはあの伝馬舟を介して、そなたの時代に速やかに戻ることになるはずなのじゃ。たぶんな……」
「へぇー、そんな筋書きになっていたんですか……。でも、和尚さま、もっとちゃんと、そうです、もっとちゃんと教えてください。だけど、どうして和尚さまはそれをご存知なのですか?それから、えーっと、えーっと、そうそう、どうして『たぶん』というお言葉になっちゃうんですか?ちゃんとでないと怖くなります……」
「そうか、そうか。それでは『ちゃんと』お話しして進ぜよう」
 その時、偶然みんなして、時を計るかのように障子に差す陽を眺めるのだった。が、晩秋と言えども夕刻までにはまだだいぶ時間がありそうな外の明るさだった。

「海念や、そちが使っておる部屋に色紙が掛かっておるのう。向かって一番左端に掛かっておる、そう四つの絵が描かれた色紙があるはずじゃが、それをもって来なされ」
 またまた、海念と保兵衛は思わず顔を見合わせるのだった。どちらもその表情は「やっぱり!」という思いで嬉々として輝いていた。これで、きっとあの『四つの図柄』の秘密が解かれるという思いが、二人の期待感をいやが上にも高めてゆくのだった。
「はいっ、持って参ります!」
と言うが早いか、海念は素早く立ち上がって和尚の部屋を出て行った。


[ ※ いよいよ、『第一部』のクライマックスが接近!不思議な時空の秘密!新たな友情に向かうことになるのか、保兵衛と海念たちのちょっと哀しい別れの時が迫る!そして、現代を舞台とする『第二部』が、本格的な「痛み」の年、西暦2002年の傍らで平行して進行してゆくはず!楽しんで読んでいただいた方、そうでもなかった方、どちら様も、来るべき鮮やかな新年をお迎えくださいませ! ](2001/12/30)

2001/12/31/ (月)  現代人の重い自省の問題と、挑戦し続ける人間の問題の二冊!

 大晦日、日頃の不精者が最低限のことを超えていざやるべきことを探すなら無限の作業が思い浮かぶ。だが、いっさい目をつぶることとした。毎年ここに落ち着く。そして、書斎にこもり、机の上には二冊の新刊本。
 一冊が『 Little Tern リトルターン』(ブルック・ニューマン作、五木寛之訳、リサ・ダークス絵)。もう一冊が『大前研一「新・資本論」見えない経済大陸へ挑む』(大前研一著)という対照的な取り合わせである。

 『リトルターン』は、食べることより、いかに速く飛ぶかに挑戦した一匹のかもめの物語であった『かもめのジョナサン』(1973、リチャード・バック)を訳した五木寛之が、またまた、挫折した多くの人々という世相に共振するかたちで訳した寓話である。
 突然に、飛べなくなったリトルターン(あじさし)が、悩みながら海岸を歩き回り、様々な環境と遭遇してゆく。そして、元気に大空高く飛んでいた時には気づかなかった(気づけなかった)自分に寄り添う自分の影に気づいたことから、再び自然な気持ちで飛べるようになるまでの、いわば絵本なのである。水彩画の挿絵が美しく思えた。
 ちなみに、現在、ビートルズの『イマージン』さえ拒絶されている米国では、このうじうじした寓話も歓迎されていないと、訳者自身がどこだかで述べていた。

 『大前研一「新・資本論」』は、四百数十ページの大作で、この十五年間の世界経済の変化を対象にしている。そして、その激変は「あたかも新大陸が発見されたときに起こる大変革のようだ。……この新大陸を『見えない』大陸と呼ぶことにした」として、世界経済変化としての『見えない』大陸をシャープに分析している。日本の混迷に対しても、突き放した診断が下されている。
 各部分の詳細は措くとして、この大陸での次元の異なる厳しさは次のくだりによく表現されているだろう。「新・資本論」との表題もここから来ているのかもしれない。
 これまでの歴史での革命には、階級の対立が存在し、
「『革命』の攻撃の対象は、どの場合にも明確であった。人々は搾取する支配者に反旗を翻して戦ったのである。
 ところが今の時代、見えない大陸に移動していくにつれて、搾取しているのが誰なのかを見つけることは非常に難しくなってきている。攻撃の対象となる貴族階級、革命の敵として絞られる対象、抵抗の根源、旧世界の勢力とはあなた自身(傍点あり)である。変わらなければならない『あの連中』という敵は存在しない。変わらなければならないのは、あなた(と私、それに我々の大半)なのだ。抵抗は自らの内側にあるのだ。それは、心理の奥底にある保守的な部分であり、明日も昨日のようであればよい、と望む保守的な心である」
と言った緊張感である。

 両者とも、未だ流し読みではある。ただし、この両極、つまり、多くの現代人の重い自省の問題と、それでも来るべき時代を果敢に眺望し、挑戦し続ける人間の問題、この二つの問題両方へと自分自身が関心を寄せていることを知らされるのである。
 振り返れば、この日誌にしても、その両極の領域への関心の往復であったような気がしてならない。どちらをも吹っ切ることができず、心を揺らし、矛盾そのものを生きている自分を知らざるを得ないといったところである。

 ただ、生き方の自省を描くリトルターンの中にも、「変わる」必要を促す次のようなくだりがあるのだ。悩むリトルターンに、友だちとなったゴースト・クラブ(ゆうれいガニ)が忠告するところである。
「普通でない君を受けいれるのに、普通でない僕ほど適しているものはいないだろう。きっときみは、自分が知っていることに慣れすぎているんだよ。きみはこれから、自分が知らないことを知る必要がある。それだけのことさ……きみは飛ぶ能力を失ったんじゃない。ただどこかに置き忘れただけだ」

 個人の生も国際経済も、継続するためには、もはや過去の姿でとどまることが許されなくなっていると言うべきか。だが難しく考えるのはやめよう。要は、生きるものすべては退屈を嫌うものだと思い直してみれば、なるほどと実感でき、勇気も湧くはずである。(2001/12/31)