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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





………… 2001年7月の日誌 …………

2001/07/01/ (日)  すべてを伝える感動的な瞬間を撮りたい!
2001/07/02/ (月)  高倉健演じる勇気あるコミュニケーター!
2001/07/03/ (火)  宴(うたげ)の後のようになったというシリコンバレー!
2001/07/04/ (水)  ハードランディングの指揮者はインフォームド・コンセントをすべし!
2001/07/05/ (木)  教えるということ(インストラクション)の基本のき![天の巻]
2001/07/06/ (金)  教えるということ(インストラクション)の基本のき![地の巻]
2001/07/07/ (土)  ソフトのプロへの道は?「町内パソコン教室」堂々第八回!
2001/07/08/ (日)  『徳川埋蔵金』の場所は、上州(群馬)にあらず、台場であった?!
2001/07/09/ (月)  現代人の「先楽後憂(?)」的生き方の源泉!
2001/07/10/ (火)  夏風邪にうなされても、世間の仕組みを単刀直入に見るぞ!
2001/07/11/ (水)  資源浪費の量的拡大より、余り金のかからない幸せ!
2001/07/12/ (木)  人間の生活時間は40倍も速くなった!との学説
2001/07/13/ (金)  「40倍速!の文明ドラマ!」を演じつづけているのが現代人?!
2001/07/14/ (土)  以外と知られていない操作のコツ二つ!「町内パソコン教室」堂々第九回!
2001/07/15/ (日)  書くこと、考えることは、「自分になる!」こと
2001/07/16/ (月)  経済の構造改革は、個人生活の構造改革に波及する?
2001/07/17/ (火)  危な気な時代の、危な気な人!
2001/07/18/ (水)  十数階下の駐車場がせり上がってきた?
2001/07/19/ (木)  火星への移住計画さえ存在する、意表つかれっ放しの現代!
2001/07/20/ (金)  論理的に裏付けられた「意表をつく奇策」が出せる"孔明"はいないのか?
2001/07/21/ (土)  いよいよ、HP作成実習《1》「町内パソコン教室」堂々第十回!
2001/07/22/ (日)  比較的「気に入っている」写真!「つれるかな?」
2001/07/23/ (月)  怖くなんかない、実に切なく、勇気づけられる話!
2001/07/24/ (火)  「自分が効果的に存在している」かどうかに振り回される人々!
2001/07/25/ (水)  「群生相」バッタと団塊世代!
2001/07/26/ (木)  昨日の雷雨のあとが気づかせてくれたこと
2001/07/27/ (金)  海外からの第三者の眼と評価に、耳を傾けるべき時!
2001/07/28/ (土)  いよいよ、HP作成実習《2》「町内パソコン教室」堂々第十一回!
2001/07/29/ (日)  夜明けに開花する孤高の蓮の花!
2001/07/30/ (月)  いよいよ、待ったなしの痛みがやってくる?
2001/07/31/ (火)  「似て非なるもの」に包囲されて生きるわたしたち!



2001/07/01/ (日) すべてを伝える感動的な瞬間を撮りたい!

 一枚の写真を見て感動するということがあった。オレは、そんなふうに人を感動させる写真というものがあるという事実に引きずられてここまできてしまった。
 あれは、米軍によるベトナム空爆ですべてを奪われたベトナムの子どもが、丸裸で泣きながら農道を逃げ惑う姿だった。その子の姿全体からほとばしる世界への訴えを、ヒューマンな知性と感性を伴ったカメラが、素早く、しっかりと受けとめた結果であったのだろう。
 もうずっと以前のことだ。その時の衝撃が、こうして写真の道にはまり込んでしまったきっかけだったには違いない。しかし、今、オレがやっていることはそんな初々しい感動からは程遠い雑事まみれだ。カメラマン助手という下積みが、技術習得のためなどというきれい事で済まないことはそれなりに了解したつもりではいたものの、仕事のためならどんな対象でも撮リ続けるそんなプロの下に居続けるのがいいかどうかだなぁ。
 確かに、カメラ技術の技はオレなんかからは手が届かない水準だ。薄っぺらなタレントたちを対象にしても、いつでもそこそこ意味あり気な絵に仕上げてしまえるのだから技量は大したものだ。それだから、仕事が継続しているというわけでもあるんだろう。かたや、かつては、大手出版社から写真集まで出していたプロが、今では仕事が無く鳴りを潜めているという話も聞いている。感動云々などと言っているオレが青臭いんだろうかなぁ。
 それにしても、感動というものは、もはや時代にそぐわない代物になってしまったんだろうか。あると言えばあるのかもしれないよね。スポーツ界のスーパースターによるプレー、大仕掛けにプロテュースされた映画やイベント、そしてこれもまた大掛かりに宣伝された出版物といったところがさし当たって思い浮かぶかな。でも、オレが考える感動と、なんか違うようなんだよなぁ。これらの感動には、いまひとつリアリティというものが欠けているとは言わないまでも、不足しているような気がする。空々しさと言うか、手ごたえにおける物足りなさが否定できない。だから、いつまでも引きずられるようなことがなく、いつの間にかその痕跡が消えてしまっていたりするのだ。
 オレがイメージしている感動というものが、ひょっとしたら古典的なのかもしれない。この目まぐるしい今時、後遺症を残すような感動はあるはずがないだけでなく、ありがた迷惑でさえあり、むしろストレスを晴らす、ほんのちょっとした手頃な感動こそが現代人には似合っているということなのかもしれない。
 しかし、もしそうだとしたら、いや多分そうなのだと確信するのだけれど、現代人は非常に哀れだと思う。人間のヘビーな感動というのは、人間である限り解除することができない人間固有の実存条件、生老病死を初めとする不変の条件に係わるものであるはずだ。こうした根源的に気掛かりなものを、他者と共有共感せず不問と付す生き方を、スマートに押しつけられているかのような現代人は、哀れだとしか言いようがないように思うのだ。
 オレはやっぱり、オレが感動することを大事にしたいし、その瞬間を見逃すことのない技量をとことん向上させたいと思う。(2001/07/01)

2001/07/02/ (月) 高倉健演じる勇気あるコミュニケーター!

 日本人であることは、限りなく無に近い一億分の一未満の責任でしかないのか。まして、もう五十年という歳月が過ぎ、誰もが終わったと見なす戦争だから、生きる現在の日常から削除してしまっていいのか。
 しかし、忘れようとしてもそれを忘れることができない人たちがいる。いや、それを忘れ去ることが、自分の生きた証しの根幹を消し去るだけではなく、それを忘れたふりをすることが、生き続けることを奪われた人々が存在し、さらにその無法な事実をさえ、無情に風化してゆく時の流れによって削除させることになってしまうため、決して忘れることを選べない人たちがいる。
 時代がどう変化しようが、生きることを人為的に放棄させられる異常な事実に無感覚となってしまうことは、殺人への荷担を意味する。誰のものであれ命を人為的に抹消しようとする意志に無感覚となってしまう文化や社会には、人間は力強い未来を決して形成してゆけない。口をつぐみ、風化してゆく時の流れに荷担できないのは、ただただ、人間の未来を信じ続ける生き方がしたいからである。
 こんなことを、高倉健主演の『ほたる』という映画を見てきて考えさせられました。
 ストーリーは、機体不良に阻まれ、生きて終戦を迎えた特攻隊員(山岡軍曹、藤枝)と、沖縄の海に散って行った戦友たちとの関係を照らしながら、とくに、死んで行った朝鮮出身学生(金山少尉)との関係に焦点が絞られ、展開してゆく。
 題名の『ほたる』とは、特攻機で戦死した者が、出発前夜に寮の「お母さん(代わり)」に語った言葉に由来している。
「ぼくは、必ず『ほたる』になって帰ってきます。『ほたる』が舞い込んできたら、ぼくが帰ったのだと思って追い出さないでください……」
 これだけでも目頭が熱くなってしまいますよね。
 生き残って「しまった」山岡、藤枝の戦後の生活は、昭和天皇崩御時から紹介されてゆくこととなる。高倉健扮する山岡は、かつての特攻機発着基地、知覧空港からさほど遠くない鹿児島の港で、小さな漁船を操り細々とした漁業を営んでいた。腎臓を患った妻との二人暮しである。
 一方、藤枝は、郷里の青森でリンゴ園を営み、毎年、恩人の上官であった山岡にリンゴを送ってきていた。藤枝は、山岡たちと一緒に沖縄戦に向かったものの、機体不良が原因で上官山岡に帰還を命ぜられ、命を助けられていたのであった。その山岡も、撃墜され負傷の身で捕らえられていたのだが。
 藤枝は、天皇崩御と時を合わせるごとく、雪の八甲田山へ単身で踏み込み、死を選んでしまう。そして、孫娘が、藤枝が密かにノートに記した遺言を、山岡に届けるのである。
 山岡は、藤枝の気持ちに対して言葉を与えることはできなかっただろうが、ただいっしょにいることで報いることはできたと、後悔する。
 山岡の妻の腎臓病が悪化し、あと一、二年の命と宣告され、山岡は自分の腎臓の片方の提供を決意する。ここで、ひとつのクライマックスである妻との会話が披露される。
 「二人でひとつの命じゃろが!」と。
 ここから、これほどの二人の強い結びつきのいきさつが解き明かされ始めていくのである。山岡の妻は、特攻時代の上官、金山少尉のいいなずけなのであった。しかし、朝鮮出身学生の金山少尉は、山岡たちに先立ち出発し、そして果てた。遺された彼女は狂乱するのであり、そんな彼女と山岡はともに生きようとしたのであった。ともに死にたかったのであろう二人が、「二人でひとつの命」として生き続ける決意に踏み切ったのだった。二人は、子どもを作らなかった。
 そんな折、戦後も特攻兵たちの慰霊を見守ってきた「お母さん」が退くこととなり、それでこれまで気掛かりだった金山少尉の遺品を、韓国に届けてくれまいかとの依頼を山岡は受けるのであった。
 山岡の鎮痛な表情が執拗にクローズアップされていく。藤枝にとっての天皇崩御のように、山岡にとっては決して忘れるはずのない金山少尉(の遺族)との突然の対面という課題が立ち上がってきたのだ。
 お母さんは、金山少尉の出撃前夜の思い出を話し始める。日本人隊員には、家族たちが面会にきていたのに対し、金山にはだれひとり来ず、金山も自分の置かれた不条理にひとり悶々としていたのだ。そして、歌を聴いて欲しいと願い、「アリラン」をひとり歌い始めるのだった。
 やがて、山岡は、夫婦揃って韓国の金山少尉遺族に遺品を届ける決意を固める。妻には、金山少尉が出撃前に、山岡、藤枝に遺言を残していた事実を語った。金山少尉は、大日本帝国のために死ぬのではなく、幸せだったともさん(山岡の妻)のために、そして朝鮮のために死ぬのだと述べたことを。ともさん万歳!朝鮮万歳!と叫んだことを。
 韓国釜山で、山岡夫妻を迎えた金山の遺族たちは、遺骨も届けられない仕打ちを行った日本に対する厳しい対日感情を、山岡たちにぶつけるのだった。「なぜ金山が死に、おまえが生きているのか?!おまえが死ぬべきだった」という謗りは、むしろ山岡が何十年もこころの中で叫び続けた言葉であったのだ。
 山岡は、余計なことはいっさい言わず(この辺が高倉健起用の意図かもしれませんね)金山少尉が出撃前日にこころの本音を伝えていたこと、日本人女性ともさんによって幸せでもあったと語ったことを伝える。そして、金山から教わっていた「アリラン」を歌う。 金山の遺族は、ようやく遺品を受け取るに至るのだった。
 何十年も前に死にそこない、かろうじて密かに生きる決意をした者たちが、なぜこんなに辛い役目を引き受けたのだったか。
 山岡は、金山の出撃前日について話した際に、自分が語り継がなければ、金山少尉は、いなかったことになってしまう、そんなことは絶対にあってはならない、とも話していたのでした。
 またしても時の政府は、歴史をゆがめる策動を始めようとし、近隣アジア諸国の理性を逆撫でし始めているのが現状ではないのでしょうか。半世紀経ったとは言え、時間経過だけでは指標にはなりません。むしろ、時間経過があれば逆にそれに乗じた改憲の動きや、緊張を高める同盟関係強化の動きも、鎌首をもたげてきているのが現状でもあります。
 忘れっぽい日本人のためには、こうした戦争の悲惨さと、無責任な組織や人々に較べて、個人的に勇気を持った人間を描く作品は不可欠だと痛感しました。理性的である当たり前の姿勢を怠るならば、われわれもそうした策動の加担者に、いつの間にか成り果ててしまうことの怖さを想像したいと思います。
 また、もうすぐ終戦記念日がやってきますが、きな臭い動きと、不安定な国民心理のあるここしばらくは、じっくりと終戦の意味を考え続けるべきなんでしょうね。(2001/07/02)

2001/07/03/ (火) 宴(うたげ)の後のようになったというシリコンバレー!

 ドットコム企業など、ハイテク産業のメッカと言われた米国西海岸のシリコンバレーが、「宴の後!」という様相を色濃くしているらしい。上昇する失業率、街角で頻繁に目にする「FOR SALE(売出し中)」、「FOR LEASE(貸し出し中)」という看板が物語る住宅事情、そしてこれまで人々を悩ませたフリーウェイの渋滞も、にわかに緩和しているとか。
 ドットコム企業のバブル崩壊、米国経済の後退がもたらした厳しい現実の一端のようなのですが、それにしても「IT革命」のご本尊様がこのような低迷ぶりだと、わが国の「革命」なんぞは、この暑さの中でも寒々しい限りですかな?
 そう言えば、「革命」、いや「革命」という花火の口火を切った前内閣が終了して以降、「IT革命」なる言葉も影が薄くなってきたようですね。政府からの補助金(国民の税金)で、的外れな「コンピュータ・リテラシー」教室などが各地で、予算消化的に実施されてはいるようですけどね。
 米国にしてからが、エール大学のシラー教授が度重なり表明しているように、米国の好景気はインターネットなどITが労働生産性を飛躍的に高めた結果ではなく、インターネットなどへの国民の期待感のムードが株価バブルを立ち上げてしまったことに起因していると言う。
 確かに、「情報」が各種産業で重要な役割を果たす「情報化社会」の次元を、インターネット環境は猛烈に押し上げたには違いない。しかし、実質経済を、これまでの産業に替わって、帆を満帆に風で充たし、船団を否が応でも推し進めるといった「神風」ほどの力に未だなっていなかったことを、とりあえず実証したと言ってよいのかもしれない。
 そこで、考えるべきことはふたつ、ひとつは、ITが労働生産性を飛躍的に向上させるとはいったいどういうことなのかという点。B to B (ビジネス to ビジネスという企業間取引。B to C が、企業と一般消費者のeコマースを言う)の領域や、企業内部では、様々な「効率化」システムが、いやというほどの要素技術を駆使して展開されている。何が足りないのだろうか?単なる「効率化」の範疇の出来事に過ぎないのならば、これほど騒ぐ必要もなかったように思われる。ITによる飛躍的生産性向上の雛型とはどんなイメージが託されているのだろうか?
 二つ目は、株価バブルをはじけさせた、人々の現状ITへの失望感は何に基づいたのか?確かに、ドットコム企業の業績悪化や杜撰さが、アナリストや投資家たちを冷やしたことは容易に想像がつくが、期待していたものをどこかで見限る際には、何かそれなりに重い判断材料となったものがあったに違いないと思われるのだが。
 短絡的な私見を述べるなら、インターネットという画期的な器に対して、これを活用する人間側の能力、情報活用能力(情報リテラシー)が、思いのほか熟していないという状況が最大のボトル・ネックとなっているのではないだろうか。
 これは、ユーザ側の問題でもあるが、それ以上にeコマースなどを始めたドットコム企業などの貧弱な構想力に対して感じることである。「器」の新しさ以外に、いったい何が新しいというのか!と言いたくなるサービスが問題なのである。
 企業の中には、より人間的要素の強い個人の業務ノウハウなどをこの「器」を使って共有化してゆくといった「ナレッジ・マネージメント」という難しいシステムなどの試行錯誤が進められています。こうした次元こそが「器」と「中味」のマッチングなのでしょうが、こうした試みは、「情報」や「知識」というものへの深い洞察と、地味な研究が不可欠なはずなんですね。
 ただ「濡れ手で粟」の儲け方がしたいという動機だけで世間を騒がせた、そんな「宴」が終わったことは、状況が正常化されたのだと考えたいと思います。(2001/07/03)

2001/07/04/ (水) ハードランディングの指揮者はインフォームド・コンセントをすべし!

 ソフトランディング、ハードランディングという言葉を耳にしたことがありますよね。前者は「軟着陸」、後者が「強行着陸」という意味でしょうか。さしずめ、現在、わが国が遭遇している問題は、ハードランディング=強行着陸という選択肢しか残されていない種類のものが多いのではないでしょうか。
 その原因もはっきりしているように思います。昨日、今日急に発生したような、予想しがたい問題はともかくとして、少子高齢化は言うに及ばず、不良債権問題という足かせに起因する不況の二番底、三番底が曝け出される経緯などは、典型的な「問題先送り」の政治体質の結果以外の何ものでもないはずでしょう。食い物にされ続けた政治のつけが、ちょうど早いもの勝ちのバーゲンセールのワゴンの中のように、もはや残りカスの強行着陸という荒業しか見当たらなくしてしまったのではないのでしょうか。
 わたしは、決して現状を楽観視していません。だから、不良債権処理問題を初めとする経済の構造改革は、最悪のハードランディングであっても成功させることは、かなり難しいのではないかと感じています。振り返れば、この間、ただただなし崩し策ばかりで、不可続きであった経緯に、いったいどんな強力な契機が付け加わったのでしょう?何も事態は熟していません。
 問題先送り型政治の張本人たちと仲間でありながら、根拠のない「人気」だけを持ち札にして、成り行き的なゲームに身をまかせている小人物に、どうしてこの壁が破れるのかと、冷静に悲観視しているわけです。
 今日も、初っ端からマジぐるっているようです。梅雨だというのに、この狂った蒸し暑さなもんですから。まあ、キレるほど若くはありませんから大丈夫です。
 昨日の、「IT革命」の話ですが、前内閣がこの花火の、何十キロメーターもある長くて、湿った導火線に着火したのは、偏(ひとえ)に、米国が1980年代の不況をITによって克服したと見誤ったからなんですね。米国の真相がそうでなかったことは、現時点では知る人ぞ知る事実となっています。最大限の善意で解釈したとしても、ITという小道具におんぶにだっこの依存をしたというよりも、米国流の超大リストラを敢行したことが企業の業績を回復に向けた決め手だったようです。米国は、名(?)「外科医」にこと欠かない国なんですね。とともに、退院後の受け皿も、レーガン時代からの規制緩和で用意もされていたので、ニュービジネスへの失業者たちの流れもできたそうです。
 わが国は、仮にITを積極的に導入したとしても、これを経営状況に反映させる外科手術として必要な大リストラはできない国です。大リストラのために、海外から社長を引っ張ってこなきゃならなかったニッサンはそのことを雄弁に語っています。このことの人道的な良し悪しは議論のあるところでしょうが、こんな事態にまで症状を放置してきた者たちの責任の明確化と、もはやこの時点では、瀕死の患者が事態を認識した上での大手術をすることしか残されていないことを知るべきだと思います。
 また、受け皿となるべき新分野の業種を活性化する規制緩和も相変わらず低迷しているため、みずから飛び出して新地開拓をする者も少ない、要はITがあっても企業業績が上げられない、つまり景気回復に向けた「IT革命」なんて起こりようがない国だと言えるのかもしれません。
 真の指導者なら、経済の構造改革という超ハードランディングが、今までの日本人が経験したことがないどんなに厳しいものであるかを、国民に向かってその全貌を説明するはずではないのでしょうか。米百表などというとんちんかんな話ではなく、地震情報、津波情報のように、予想される被害の規模、時間、可能な対策など、誠意を以って解き明かすことが、先ずなければいけない。もし、最小限の機体損傷のかたちでハードランディングを敢行する決意と計画があるのなら、科学者の目で推定し、医者の冷静さで、「インフォームド・コンセント」をなすべきなのです。そうした事実の詳細を告げることがないから、まるで子どもたちのような方々が、然るべき受け容れ姿勢を考慮できずに、楽観的な指示を表明したりするのではないのでしょうか。これまでと違って、政治が身近に感じられるようになったと言って嬉々としてしている老人たちの姿を見るにつけ、どんな弱者にも身に降りかかる事態の真相を知る権利がある!と叫ばざるを得ない気持ちです。
 山本周五郎『赤ひげ』の中の、一家心中をする貧乏な家族の話を、わたしは今ふと思い出しています。これからひもじい思いもしなくて済む、お花畑のようなところへ行くんだよと言われ、道連れにされていく子どもたち!保本や、長屋の者たちの善意で一人は生還することにはなるものの、一昼夜も苦痛の死線を彷徨うことになる子ども!周五郎の大きなこころは、この親たちへの同情の視線を禁じていませんが、わたしは、乗客の命を預かるものが、危機的状況の誠意ある説明をインフォメーションできない機長に、当然ながら寛大ではいられません。
 政治的な話題をこうした場にしたためる無粋なことは避けたいと考えてきましたが、この暑さのせいで、礼を失することになってしまいました。とともに、失敗することが分かっている「IT革命」なるあだ花が、路傍のたんぽぽとして咲き直ることを願う者としては、こころある者たちがこころの叫びでITを息づかせていくべきではないかと……(2001/07/04)

2001/07/05/ (木) 教えるということ(インストラクション)の基本のき![天の巻]

 クルマの教習所で、教官と喧嘩する人がいることを聞いたりします。役所で喧嘩して大騒ぎになったという話も聞いたことがあります。キップを切られそうになった警官と口論して、結局切られたけれども、言いたいことは全部言ってやったという話を聞いたこともあります。木陰になって見えなかった信号を無視したと咎められたので、万人に見えるべき信号が見えなかったのは、法の下での平等が保障されていなかったからであると反駁したそうです。
 こんな話が流れ込んでくるのは、わたしも同類だと世間が認知しているからなのでしょうか。まあ、それはどうでもいいのですが、他人にものを教えたり、指示したりする(インストラクション)ということが、にわかに難しくなりました。もちろん、わが国の話であり、ここ十年くらいの間にガラッと様変わりした観があります。
 教えたり、指示したりする側にあっては、登校拒否、登社拒否にも至る辛い状況なのかもしれませんね。しかし、時代の流れとして至極当然の変化だと言うほかないものと思われます。
 以前に、「パーミッション・マーケティング」の時代到来ということに触れたことがありました。(2001.06.12 お客様は神様です!を本格的に!)大量生産・大量販売という作ったものは何でも買ってもらえる、いわば売り手市場の時代から、現代は、お客さんが選び、お客さんが影響力を持つ時代へと変化して来た、と言いました。
 まったくと言っていいほどの同様の変化が、教育界にも生じていると考えてよいと思います。「我が、ありがたくも教えてつかわす故、そこに並んで正座しなさい!」という何百年も続いたスタイル、発想がとりあえず無効となってしまっているわけです。むしろ、よくもこんなことが続いてきたと驚くべきなのかもしれません。
 「皆さんがあのようになさってます!」でザンブ!……の日本だからこそ、また、米国へのキャッチアップを口実にした画一教育を誰も疑わなかった日本だったからこそ、おとなしくみんなが「正座」していたのかもしれません。
 ものを教わるということは、個々人に或る事を教えてもらいたいという動機があるわけです。そして、仮にも、ものを教えようとする立場の人間なら、その動機の部分以外に「玄関」はないことを知っているはずです。いや、そんなことも無視していたのかもしれませんね。動機がなければ、動機付けという前段教育をしなければならないところを、「動機がある振りをしろ!」と、さまざまな暴力的行為で迫ったんでしょうか。体罰というやつですね。
 で、時間の都合で突如として、コンピュータ教育の話に転じます。今、各地で、政府補助金(国民の税金!何度でもこう強調するのが怖いですね、私って。)を垂れ流すようにして「パソコン教室」なるものが実施されています。その申し込み手順などにざっと目をとおしましたが、あれではいけません。「パソコン初期挫折難民(?)」(2001.05.21)を逆に増やす結果に終わるかもしれないからです。

 先ず第一に、現実的な学習目的を納得し合うこと!
 こんな経済不安、人生不安、生活不安、イチローファン(?)の時代ですから、老若男女こぞってこう考えるんじゃないでしょうか。
 「あたしも、表計算でもできるようになれば、小さな企業の経理見習、いや見習補助、いや見習補助心得くらいの仕事にありつけるようになれるかもしれないワ!」と。
 可能性がないと言明する勇気はありませんが、PC初心者がその技量だけで就職できる時代は、もう十年以上も前の話なんです。むしろ、半端な期待を抱くことは、かえって「覚えなきゃ、覚えなきゃ……」という無用なあせりと自然な興味をつぶして、「難民」への道を急がせることになるのです。就職状況の実態を助言しておくべきでしょう。そして、とにかく初心者に必須の興味拡大に絞り込んでゆくべきなんですね。

 第二に、当人の動機を尊重し、内的学習意欲を十分にサポートすること!
 上記のようなかげろうに近い動機を放任していることは論外ですが、個々人の動機を支援する、「動機補助的動機付け」こそに時間を費やすべきなのです。自分も初心者と変わらないような、「突っ込まれたらどうしよう?そんな時は、しょうがないからおどかしちゃお」と腹を決めているお姉さんが、いきなり多機能なWordなんぞを、一見スマートそうに説明していっちゃいけないっちゅ〜の。どだい、何十人もの受講生を開発室のような部屋に閉じ込めて、初っ端からアルバイトさせるような雰囲気でやったんじゃそれだけで、「難民」の気分になっちゃう気の弱い人も出てくること必定なんだから。
 パソコンができるとどんなに楽しいかを具体的な裏話を含め、しっかり一時間以上はやるべきなのです。
 (長くなりそうなので、例によって【 INTERMISSION 】を入れます。トイレでも、お風呂でもご自由にどうぞ。はい、寝てしまってもいいですよ。明日に続きます!)(2001/07/05)

2001/07/06/ (金) 教えるということ(インストラクション)の基本のき![地の巻]

 第三に、パソコンが何に役立つか、そして何に役立たないかを納得してもらうこと!
 パソコンが高額であっちにもこっちにも転がってる時代じゃなかった時には、とにかく触れるということに大変な動機向上の意味があったのですが、今はそんな時代じゃない。実習と称し、いきなり操作に臨ませることは、インストラクションの貧弱さを宣言するだけのことなんですね。操作なんて、もう二、三年もすれば意味のないことになってゆくに違いないのです。そんなことに税金使わないでくれっちゅ〜の。(また言ってます!)
 人が、日常生活、仕事現場で考えたり、困ったりすることと、パソコンを使うこととがどう関連しているのかというようなざっくばらんなミーティングなどをしたいですね。その結果、「なんだあ、パソコンなんてわずらわしいもの使わなくたって何にも困らないワ〜!」と悟った人には、「特別暫定卒業証書」を即座に発行しちゃうんですよ。必要を感じた時にお出でなさい、と言ってね。
 そもそも、パソコンを導入すれば必ず便利になる!と決めつけることには問題がありそうです。生活や業務の情報化度合い、情報活用度合いが低いにもかかわらず、無理に導入して作業量を増やすだけとなれば、便利どころではないでしょう。パソコン・メーカーのモニター役を買って出るわけじゃないんだから、90%が肉体労働だという現場にはとりあえず不要なのです。また、90%が数字に置き換えること不可能な、経験、感性、直感に依存する分野に、馴染まないパソコンをごり押しするくらいなら、意欲を高める癒しの音楽、あんま機、香り高いコーヒーなどを用意した方が、絶対効果的なわけです。なんで、みんながみんなやらなくちゃならないかっちゅ〜の。別に疱瘡の予防注射じゃないのよね。
 こんな当たり前のウォームアップをして、いよいよパソコン指導ということになるわけですが、こんな面倒くさいことをと感じてしまうわれわれは、あまりにもこれまでの杜撰な教育に慣れすぎてしまっているんですね。

 第四に、個々のアプリケーション固有の操作方法ではなく、パソコン一般の操作上の暗黙ルールを印象的にインストラクションすること!
 「パソコン初期挫折難民(?)」とベテランとの大きな違いのひとつは、新たなアプリケーションへの対応力、あるいは初歩的トラブルへの対処法でしょう。柔軟な、臨機応変処理ができるかどうかの局面なんですね。ここが大変大きな問題であり、小手先ハウトゥだけだとここで挫折してしまうのです。自分で考え、何をすれば良さそうかを推定してゆける姿勢を形成させていかなければならないわけなのです。

 @パソコンは「易者」ではなく、「バカ忠実な召使い」であることをインストラクトすること!
 ただでさえ会話、対話が苦手となっている現代人なので、易者の前に座った時のように「黙っていても、何かをしてくれる?」との期待感を粉砕しなければなりません。
 「自分が何をしたいのか?」、「どういう指示をだすべきなのか?」、「パソコン側の指示受け容れ窓口はどこにあるのか?」といったパソコンとの対話上で必須の基本事項を肝に銘じさせること。
 A「自分が何をしたいのか?」をメモで書き出させる習慣を促進させる!
 日常生活では、以外と「自分が何をしたいのか?」を曖昧にさせており、場当たり的な行動をしているものですね。書籍を探しに出かけて、ケーキを買って帰ってくるといったふうに。初期目的を次、次、次善策で妥協させてはばからないのが人間で、これだとパソコンの多機能をいつまでたっても使いこなすことにはなりません。初期目的を貫徹させるよう促すことが大事です。
 B「パソコン側の指示受け容れ窓口」を知ることは、パソコン側(アプリケーション側)の「組織構成図」のしくみを知ることなのだ、という点をインストラクトする!
 例えば、「メニューバー」の「ファイル」、「編集」、「表示」などがどういう視点での分類となっているかなどは、どんなアプリケーションでもだいたい共通しているものです。こういう分類概念と自分がしたいこととの関係づけがスムーズに行えるようにすることが大事なのです。
 C共通手順である「対象指定」→「処理方法指定」の鉄則を肝に銘じさせること。
 文章にしても、画像にしても、ファイルにしても「どの」部分なのだという指定をしてから、例えば「コピー」という「どう処理したいか」の指定をするといった手順のことです。この辺がこんがらがって右往左往する初級者が少なくありません。
 D「フォルダ」(ディレクトリ)の階層構造がいつでも頭に思い描けるようなインストラクトをすること。
 「保存」、「読み込み」ができなければ、学習の充実感が生まれてきませんので、そのための前提として、「フォルダ」イメージと操作が基本事項なのです。
 E「ヘルプ」で疑問を打開する習慣を促進すること。
 各アプリケーションのメニューバーの最後にある「ヘルプ」を積極的に使わせるように促すことが重要です。決して分かりやすいものではないのが相場なんですが、イージーに他人に頼っていると必ず癖がつくと戒めましょう。
 F失敗を恐れず、無難な素材で疑問点に関する「テストする!」ことを勧めること。
 実際にテストしてみると、サクセスの実感が蓄積して良い結果に繋がってゆきます。失敗したら、その原因を楽しみながら考えればいいのですから。

 どうでしょうか?こうしたインストラクションを実施していくなら、「パソコン初期挫折難民(?)」を生み出すことにはならないと確信しています。と言うのも、単なるハウトゥ伝授ではなく、考えることの生活習慣に食い込むことになるからです。
 ひとつの道具とはいえ、パソコンという道具は、情報という考える動作と密着した事柄を扱う道具なのです。あくまで、考えることの重みと喜びを理解してゆけない人だと、ほぼ確実に「難民化」することは否定できません。現に、ソフトウェア技術者の中にさえ躓く者がいないわけではないのですから。(2001/07/06)

2001/07/07/ (土) ソフトのプロへの道は?「町内パソコン教室」堂々第八回!

 みなさん今日は!暑い中ごくろうさまです。
 さて、先日、当パソコン教室の受講者最年少の吉永さんから質問がありました。「コンピュータソフトのプロになるにはどうしたらよいでしょうか?」というご質問でした。
 やはり若い方は、挑戦的でいいですね。いろいろとアドバイスさせていただきましたが、ここでちょっとプロと、アマというかユーザというかの関係に関してお話しておこうかと思います。今後、みなさんがますますパソコンを使いこなしていかれた時、あるいはみなさんのお子さんがコンピュータ関係の仕事に関心を持たれた時などに何かの役に立つかもしれません。
 こういう笑い話があるのを知っていますか?
 飛行場で航空機の整備を担当している技師に、友人が「こんな景気の時は、お前みたいなエンジニアは、なんと言っても心強いよなあ〜」と言ったところ、その技師曰く「ほんとのエンジニアならそうだろうが、オレなんか、もっぱらコンポーネントを取り替えるだけの『チェンジニア』さ!」と。
 限られた整備時間という厳しい制約のせいもあるのでしょうが、安全性重視ということでしょうか、内部の末端部品あれこれではなく、消耗が懸念される周辺のセットをコンポーネントとして丸ごと取り替えちゃうんですね。
 クルマでも、わたしらが若い時は、ポンコツの愛車を自前で丹念に整備しました。キャブレターまで分解して、元に戻す作業に手間取って夜更かししてしまったことも覚えています。素人でもそんなことができる構造になっていたんですね。
 ところが、現在では、どうやって中を覗けるのかさえ難しい構造になっています。そして、修理に出すと、末端部品の交換ではなく結構大きなブロックのコンポーネント毎チェンジしてしまう方式になっているようですね。
 電気製品でも、昔は基盤上のコンデンサー一個を半田ゴテ使って取り替えたりしたものですが、現在では、コンポーネントたる基盤毎を取り替えてしまう方式ですね。
 そして、コンポーネント自体は素人にはアンタッチャブルになっていることが多いのです。
 パソコンも今でこそ「自作パソコン」というひとつのジャンルができて事情がやや異なってきましたが、以前は一切ユーザが中をいじれないように、プラス、マイナス型のビスではなく、アスタリスク型のビスなどが使われていたり、中を開けた場合にはメーカー・サポートが受けられなくなるといった掟もあったりしたのでした。今でも、ノートPCなどは、素人ユーザが中を開けられないように、ビスを使わず「組木細工」のような組立になっていたりするものもあります。
 要は、安全性の観点で製品内部については、部外者であるユーザが立ち入れないようになってきたということでしょうか。そして、ソフト(OS)もWindows以降こうした体裁になってきているようです。もっとも、ソフトという無形資産の場合、内部を公開することは版権を放棄することにつながるためという事情もありますけどね。
 それにしても、Windowsなどはこれを使う分には、これまでのどんなプログラムよりもイージーになっているものの、その中身のいっさいはブラックボックスになっていて、部外者を排除しています。ここに、現在のソフト環境の構図が象徴されているように思うのです。こうしたソフトとは立場を異にしたものとしてLinux(リナックス)というソフトもありますが。
 Windows以前のMS-DOSというソフト(OS)が主流の時代は、ユーザとプロ(ベンダー)との境は連続的だったようです。経験を積んだユーザは、アプリケーションソフトをみずから作ることもめずらしくなかったのです。ただ、そもそもユーザとなることにやや骨が折れたかもしれませんけどね。
 これに対して現在は、Windowsユーザとなることは比較的簡単で、しかも結構一見高度な内容と見えることにまで到達できてしまうのですが、プロの領域の仕切り線は意外とはるか遠くに引かれているのです。ちょうど、富士山の裾野のアプローチが思いの外長いのに似ています。歩けど、歩けどプロの高みにはなかなか到達できないのです。
 Windowsは、誰でもが使えるように工夫されたソフトなのですが、それがどうして可能になったかと言えば、舞台裏のいっさいを見えないように、考えなくてもいいように隠してしまっているからなのです。ユーザは、これをこうすれば「どうして、こうなるのか」のいっさいを考えなくてもできてしまう舞台で、「何を演じたいか」だけを考えればいいキャスティングをされたわけなのです。
 だから、ソフトのプロになんぞなりたくなくて、ただ自分の演じたい趣味なり仕事なりを持つ人にとっては、この上なくありがたい道具なんですね。しかし、ソフトのプロになりたいと望む人にとっては、一刻も早く「舞台裏」を覗き、メカニズムをともに考える習慣をつけてゆかないと、いつまでたってもやや小高いだけの裾野にとどまってしまうのです。
 これは、WindowsというOSに限った問題ではなく、今日存在する多くのソフトが持っているワナと言えば語弊がありますが、錯覚でしょう。ソフト・ベンダーは、当然多くを売り上げたいために、誰でもが操作できるように、即ち考えなくてもいいように工夫したかたちで製品を世に出してくるわけです。したがって、これらばかりを使っていたのでは、プログラムを作るといった本格的な能力は身に付かないというわけです。
 例えば、HPを作るにしても、現在では、HTMLスクリプトを使わずに済む様々な簡易エディターが世に出ています。しかし、それらを使っていると、より高度なことをしたいと考えたときに困る場合が必ず生じてくるはずです。
 また、Windowsアプリケーション作成に適したVisual Basicという開発言語がありますが、これのみを学習することも、あとで問題なしとはしないのです。あまりにも、便利な道具立てが、システムというものを考える力を育ちにくくしてしまう場合もあるからなのです。
 分かり易い例えをしましょう。数学的な力量を高めるためには、「公式」をただ活用するだけでは圧倒的に足りないのであって、むしろその「公式」がどのように作られたのかをみずから確かめる作業をしなければならないのと似ています。
 そんなわけで、ソフトのプロになろうとするなら、便利なソフトに物足りなさを感じた上で、ソフトを作るプログラミング言語、開発言語を理解しながら、システム思考力を身に付けてゆくことが必須なのです。
 今日は、ちょっと小難しい話をしましたが、一ユーザとして趣味なり、仕事なりでWindowsを活用してゆく場合でも、いろいろやってたらできちゃったという場当たり的な操作ではなく、論理的に考えながら進めるというスタンスを忘れないようにしてください。
 さて、今日の実習は、Windowsの、日頃あまりクリックして開かない部分をあえて開いて、それが何なのかの概略を「ヘルプ」→「トピックスの検索」を頼って調べるということをしてみましょう。何だか分からない場合は深追いせず、「キャンセル」ボタン以外はクリックしてはいけません。見当がつかない場合はわたしを呼んでください。では、始めましょう。
 ガヤガヤガヤガヤ…………(2001/07/07)

2001/07/08/ (日) 『徳川埋蔵金』の場所は、上州(群馬)にあらず、台場であった?!

 先々週、志村管理人が言われていた「過去の埋もれた品川とコミュニケーション!」に触発され、オレは今かなり興味深い歴史的事実を推理し始めている。
 幕末、徳川幕府最後の勘定奉行であった小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)が、およそ10兆円と言われる財宝を埋蔵したとの伝説が、今なお実しやかに語り継がれていることは、知る人ぞ知る事実だ。そして、その場所は、小栗の領地のひとつであり、また徳川家が江戸の次に拠点として考えていたと言われる上州(群馬)だと考えられてきた。現に、この地方に「埋蔵金伝説」が集中している。昨今も、マスコミがその発掘過程をドキュメンタリー風の番組に仕立て上げたが、残念にも何も発掘されなかったことが報じられた。
 この説は一見もっともらしいのだが、もっともらしいからこそ小栗が仕組んだダミーだと思えるのだ。そして、検証は後日に回すことになるが、オレの推理では、すでに造られ、時の幕府としては有名無実となりかかっていた数個の品川台場のいずれかの地下深くに埋蔵されているものと推定した。小栗活躍当時には、すでに、幕府は開国路線に入り、小栗は、「日米修好通商条約」のために渡米までしているのであるから、台場建設の意図は半減していたはずなのである。また、幕府直轄的な個所であったことに変わりはない。
 これは、一見無謀な策であるようにも見えるのだが、そうであるが故の秘密としての安全性がある。また、考察を進めるなら、いくつかの有力なロジカルな根拠が見出されるのである。その中でも、徳川に忠誠篤き小栗、国際情勢、時事情勢にも明るい小栗が何のために財宝を埋蔵したのかを推定するならば、決して上州ではあり得ないことが判明する。 そんなわけで、新説、もしくは珍説であるには違いなく、いっさい責任の負える説ではないことを断っておきたい。したがってまかり間違っても、夏休みを利用して発掘調査に赴く人々が出ないことを念じつつ、以下にその説得力あふれる説を披露してゆきたいと思うのである。何しろ、時価10兆円だと言われているので、様々な波及効果を想定するなら、この不況に何がしかの回復兆しをさえ与えることになるやもしれないため、可能な限り綿密な推理を進めたいと考えている。

 先ず、「徳川埋蔵金」というからには、幕末1860年代に幕府が、埋蔵するほどの財政状態であったのかどうかという点が気になるところである。大局的には苦しい状態なのであった。だからこそ、1862年、有能な小栗が幕府の金蔵を預かる勘定奉行に任ぜられ大胆な財政改革に乗り出したのである。幕府内部に厳しい倹約令を発し、自他ともに届く賄賂をも糾弾する徹底ぶりは、幕府内に反感勢力を生み出すほどのものであった。
 この程度のことで如何ほどの額が可能かとの懸念が生じるが、以下の三点を挙げておきたい。
 その一、勘定奉行としての小栗は、その徹底ぶりが守旧的な上司たちの反感を呼び、たびたびその職を解かれ、後任の人材がないことで復帰するという事態を繰り返していたのである。1866年、四回目の就任、これが最後の就任となったのだが、この時の小栗の職務は、「軍用金の調達」なのであった。言うまでもなく、折からの倒幕勢力薩長との戦いに備える軍用金確保である。小栗は、「兌換紙幣発行」、「商社設立」、「徹底的な倹約行政」などによって多額の軍用金を捻出したと言われる。
 その二、この額の規模は、小栗の財政処理能力に依存していたと当然考えられるが、小栗は、初回の就任時に優れた国際感覚に裏付けられ海軍力育成のために横須賀に巨大な造船所建設を企画するのだが、その巨額の建造費を捻出している実績があるのだ。それは、かねてより幕府に近い勢力であった仏国からの借り入れなのであったが、小栗は、仏国に日本の生糸輸出の優先権を与える条件でこの借り入れを達成するという辣腕だったのである。この実績から見ても、幕府の命運を左右する軍用金調達の規模が貧弱なものでなかったであろうことは容易に推定されるのである。
 その三、1868年、いよいよ倒幕勢力薩長連合軍に対する幕府の態度を決する江戸城大広間での会議で、小栗は断固徹底抗戦論を唱え、勝海舟らの官軍との和議路線と真っ向から対立した。その時、慶喜は小栗に軍資金に心配はないのかと確認を迫ったところ、小栗は「すべてそれがしにおまかせください!」と自信を持って答えたという。結局、幕府の選択は、軍資金に頼ることなく和議に至るのではあった。
 また、江戸城無血開城後、城内金蔵が空であったことを官軍側が、勝海舟に問い詰めたところ、「小栗に聞かれよ!」と答えたと言われている。
 これらの状況から、軍用金は確かに存在したであろう推理以外が困難なのである。しかも、幕府に余力があったわけではないので、「埋蔵」されたとする額の大半は、1866年に軍用金調達の名目で集められたものと考えるのが自然であろう。
 とすれば、「埋蔵」時期は、1866年ないし1867年あたりと推定される。というのも、小栗は幾度も解任の憂き目にあっており、いついかなる時に再び解任されるか分からない状況認識の中で「埋蔵」の時期を先送りすることはできなかったはずだからなのである。
 これらより、すでに薩長連合が成立し、風雲急を告げるこの時期に、比較的安全に「埋蔵」できる場所は限られてくるように思われるのである。上州までの距離を遠いとみるかそうでないとみるかは判断の分かれるところだが、むしろ江戸城から遠くなく、小栗が行動しても不審に思われない場所があるならば、あえて上州にこだわる必要はないのかもしれないのである。また、軍用金の用途を推定するならば、国内の幕府勢力支援のみならず仏国を初めとする諸外国勢力との交渉が考えられるのだが、その場合、ゲンナマが海岸線に近い幕府占有地!にあった方が好都合なのではなかろうか。
 ところで、小栗の行動を推定するには、小栗がどのような人物であったのかをトレースすることが重要である。財務処理能力に長けていただけではなく次の点が重要となろう。
 1.小栗家は家康時代から二千五百石を受けてきた名門旗本であり、小栗の第一のプロフィールとしては、徳川家への忠誠心溢れる者という特徴が挙げられよう。ここから、むしろ勝海舟以上に幕府存続を軸にした情勢認識をしていたはずである。
 2.「日米修好通商条約」の詰めをすべく渡米し、大老井伊直弼の命による為替レート改正の交渉を、見事に実現させるほどの対外的交渉力を持った人物であった点。ここから、幕府存続の可能性を国内勢力関係だけではなく、諸外国勢力を視野に入れて探っていたことが容易に想像されるのである。
 3.小栗は、勘定奉行であっただけでなく、幕末最終段階では、陸海軍奉行でもあったのである。とりわけ、横須賀造船所建設を進めたことからも分かるように、また諸外国の事情に通じた時代認識から、海軍力増強に関しては群を抜いた洞察をしていた人物なのであった。後日、日露戦争で日本の海軍力を世界に示したと言われる東郷平八郎をして、「われわれが勝つことができたのは、小栗上野介のおかげだった」とさえ言わしめたのである。
 こうした小栗が、薩長連合との徹底抗戦に関して描いたバトルは、幕府海軍力と諸外国勢力(仏国ロッシュ)を抜きにしたものでは決してなかったはずなのである。現に、最後の戊辰戦争での榎本武揚、土方歳三らは軍船にて東京湾から北海道の五稜郭へと戦いの場を移したのだった。
 海軍を指揮してきた小栗も、江戸からの撤退の局面を想定していなかったとは決して言えないのであり、その際、東京遷都ではあるまいに、内陸の上州へと戦地を移動させることなど考えられないであろう。やはり、仏国との連合を東京湾にて組織するほどのことはシミュレーションしていたのではなかろうか。
 とすれば、「埋蔵金」を託す場所としては、海軍奉行としての小栗が平時の行動をとっても何ら不思議ではなく、またラストバトルで「埋蔵金」を回収し易い位置付けを持つ品川台場以外にはあり得ないということになるのである。
 これまで、こうした説が囁かれず、当然ながら発掘調査がなされなかったのは、幕臣として忠実な小栗の最後のパフォーマンスがあったためであろう。すべての役割が終わらされてもなお、新政府への目くらましとして、あたかも上州に「埋蔵金」があるかの印象を深めさせるべく、その上州に身を移し、そして官軍に斬首させたのであった。倒幕勢力が永遠に「埋蔵金」に手を触れることがないケースを密かに選択したのであった。少なくとも、自分を本当に理解するものが現れるまでは「埋蔵金」は眠りつづけるであろうと確信しながら……
 トロイの遺跡を発掘したシュリーマンは、はるかに時を隔てた古代人との丹念なコミュニケーションの末に、その成果を納めた。時空を越えたコミュニケーションは、闇雲なアクションから生まれるものではなく、人の願いを真摯に追体験しようと努めることから成立するのだと思えてならない。
 くれぐれも、台場小学校の校庭を闇雲に掘り起こさないようにしてください。(2001/07/08)

2001/07/09/ (月) 現代人の「先楽後憂(?)」的生き方の源泉!

 梅雨明け宣言が無いままで、真夏のような暑さが続いています。
 このように、真夏のような暑さが先で、梅雨明け宣言がまだ!というように、通常の順序が逆に入れ替わると、「ひょっとして、今年の夏は猛暑かな?」と余計な心配をしなければならなくなるものですよね。
 常々思うのですが、物事の順序というものは案外おもしろいものなのかもしれません。上記のような自然現象やこれと同類の物理現象は、元来が因果関係の支配している領域のため、勝手に入れ替えることはできないのですが、事が人間の考え方や行動の範疇となると、物事の順序はにわかにバリュアブルとなり、おまけに順序づけが何がしかの意味づけを表すことにつながっていたりするようだからです。
 しばしば指摘されるのが、日本と米国の大学に関する考え方の違いですね。日本は、最初(=入学試験)が難しく、進級や卒業試験はあってないがごとくとか。これに対して、米国では、最初は易しく、ほぼ誰でもが許可されるほどに入学は寛大であるけれど、進級や卒業が難しいと言われていますね。難しい選別を先にしようとする考え方と、後にしようとする考え方。どちらにも、それなりの意味が盛り込まれてありそうです。
 遊びなどの楽しみにしても、「先憂後楽」という言葉のごとく、しかるべき努力と苦痛を先ず済ましてから、その後ゆっくりと楽しむといった為政者風の考え方とでも言いましょうかそんなスタイルがあるかと思えば、いや、まず英気を養い、しかる後に事に挑もうという考え方もあるでしょうね。
 そう言えば、子どもの頃には誰もが一度は意識する問題として、おいしいものは先に手をつけ真っ先に食べてしまうのか、最後の楽しみにとっておくのかという順序選択肢があったように思います。「楽しみ先送り主義」の子が、ターゲットを不測の事態で失ったり、満腹になってリタイヤとなったりした場合は、実に気の毒なことになるんですけどね。私は好物を先に食べちゃう、衝動優先的安全主義の子どもだったような気がします……
 モノの購入方法にも、モノを先に入手してその後、分割支払いをしてゆくスタイルと、あくまでも憧れ、思い描きながらせっせと必要額を貯め、その後に入手するスタイルがありますね。今どきは、後払いのモノ先ずゲット、というのが一般的なんでしょうか。
 ということで、現代人の「先楽後憂(?)」的生き方に焦点が移るわけなのですが、リアルな話で言えば、住宅ローンを残したままでの失業、倒産とか、馬鹿げた話では派手な遊びが原因でのカードローン地獄などがありますかね。またマクロレベルの話では、資源浪費を重ね、つけを後世に回す結果となった20世紀型文明もこれに該当するんでしょうか。
 現在、かなりシビアな局面に遭遇しているこれらの悲劇の原因は、例えば右肩上がりの経済成長にしても、また一見無尽蔵とも見えた地球資源にしても、大抵のものが有限であるにもかかわらず、無限であるかのごとく錯覚してしまった点に起因しているのかもしれません。
 楽と苦の順序にこだわった往年の人々は、「楽あれば苦あり」と表現したように、むしろ何よりももの事には「限りがある」ことを、低い労働生産性や、命のはかなさを知らしめる厳しい環境のただ中で、肝に銘じさせられてきたのではないかと思います。
 それに対して現代人は、飛躍的に向上させた生産性や、制御が可能かに見える景気変動、科学によって半減させたかに見える自然の脅威、そして日常生活から隔離させた人の死などによって、あらゆるものからそれぞれの有限性、限界を除去したつもりになってしまったのかもしれません。あらゆるものに際限が無いなら、順序の発想は希薄になっていくものではないでしょうか。なおかつ、際限のない楽や、喜びや、快楽は、その希少さを失う程度に応じて、貴重ささえ失ってしまうため、不足感が量の拡大を追求することに走らせるのではないでしょうか。
 そして、経済成長にせよ、地球資源にせよ、すべてに限界があることを気づかされることとなった今、それでもなお無限を追いかけ心やすまらない者と、有限の世界での有限の生に向き合った生き方を探り始める者とに、見事に分かれ始めているように見えます……(2001/07/09)

2001/07/10/ (火) 夏風邪にうなされても、世間の仕組みを単刀直入に見るぞ!

 このうだるような暑さだというのに、風邪を引いてしまいました。
 喉から気管支にかけてが痛み、好きな煙草さえ火をつけるのをためらうほど。こじらせたくないので、思い切って横になることにしました。
 思い返してみると、二、三日前に仕事上の避けられない講習会に参加したのですが、斜め後ろの席で怪しげな咳をし続ける人がいたのを思い出します。うつされるという懸念を、不思議にも感じませんでした。別なことに注意を向けていたからかもしれません。しかし、講習会が一日にわたる長時間であったため、ウィルス菌をしっかりと吸引してしまったのでしょう。
 わたしが注意をむけていたのは、講師への評価だったのです。
 この講習会は、受講者数三百人という規模のものでしたが、前後文脈から推定するに、受講者の専らのねらいは、最後に授与される「受講証明書」にあったはずなのです。この「証明書」がなければ、業務手続きが進めてもらえない仕組みになっていることが受講者側の最大の関心事なのです。もちろん実質的な内容が度外視されてよいというものではないのですが、言うならば、クルマの教習における「学科」、免許更新時の「講習」といった意味合いだと言えるでしょう。
 したがって、わたしは、退屈しのぎの観点もあり、自分側で課題設定を行なったのでした。挨拶をする人、順次講義にあたる人、どこが評価に値し、改善すべき点はどこにあるだろうか、と。
 そもそも、「受講証明書」で「つる」という裏打ちになんのためらいもなく打って出る「単刀直入」さは、それはそれで、すっきりした発想ですね。人間は、目先の利害で動くものであり、利益供与と利益剥奪こそが人々の行動を律する!倫理などはとんでもない原理であり、また将来起こるかもしれない難儀に備え、危機管理的対策を学ぶという聡明な人間像も完璧にらち外にされているのです。そして、こうした「単刀直入」さは、無数の一般的仕事関係者(ビジネスマンと表現することを一瞬ためらってしまいました)によって「それでいいんじゃない」、「それしかないんじゃない」と指示されている事実と見事に一対となっているのでしょう。
 さて、ひとりだけ、自分の話している内容を自分の頭で考え、咀嚼し、めりはりをつけている若手の講師がいました。いわゆる、エリート官僚候補生といったところなんでしょうね。聴衆の中に分かる水準の人もいるだろうことを、とりあえず想定し、ほぼ100%に近い出力水準で臨んでいたようです。「短刀直入」の元祖のような官僚機構の中で、潰されないでいつまでもがんばるんだよ!と念じ拍手もしてあげました。
 残りの講師たちは、彼らのこれまでの勤務ぶりのりっぱさが見透かせるようなとんでもない体たらくでした。彼らは、大体が人間への想像力を欠落させています。自分が描く自分同様の脳天気で、怠け者で、横柄な井の中の蛙しかこの世にはいないと信じきっている喋り方なんですね。そして、最も良くない点は、「負」のリーダーシップを発揮する点だと言えましょう。話しているジャンルを、聴衆が自分で興味を以って調べてみようという関心を呼び覚まさないどころか、「何だ、そんなにおもしろみのないものなのか」と思わせてしまうような足のひっぱり効果さえ気になりました。そして、話し振りの端々からにじみ出て来る諦念感が、聴衆に「ああ、いやだいやだ。病気がうつっちゃう。早く終わればいいのになあ」と思わせ続けていたようでもありました。それで、終わった時、私は心からの拍手をしたものです。「ああ、終わってよかった」との思いを込めて。
 体たらくな講師たちは、もし「受講証明書」という仕掛けがなかったならば到底インストラクターとしては通用しない人たちであるに違いないのですが、このような講師や先生方は決して少なくないような気がしています。
 国会の先生方からして、記者その他のマスコミ関係者に取り巻かれ、自他ともに錯覚に陥っているのでしょうね。だから、ちょっとばかり世間の風を読むタレントがかった政治家が出てくると、ものの見事に差がついた受け止められ方になってしまうのでしょう。ただ、そういう人気政治家も、人気の背景、国民がどんな虫の良い期待、「単刀直入」な期待をしているのかを冷静に掌握しなければ、最後は拍手さえもらえないんじゃないでしょうか。誤解という名のねじれたコミュニケーションは、至る所で発生しますが、やはりいつかは正されてゆくものです。もっともこの政治家の問題に関して言えば、早くも、持ち上げ切ったマスコミが反転する動きに出始めたようですね。もともと、日本のマスコミは節操などあったものじゃなく、政治家まがいの「マッチポンプ」さえ事業繁栄のためにはやるものだと見なしておいた方が妥当なのかもしれません。
 真実が人を動かし、歴史を動かすといった正真正銘の単刀直入さが光り輝く社会と時代が来ることを願うばかりです。(2001/07/10)

2001/07/11/ (水) 資源浪費の量的拡大より、余り金のかからない幸せ!

 本日も、気管支がゼイゼイとして、体調すこぶる悪し。なれども、風邪のために気分が世知辛い日常から浮遊して、このフワフワ感は決して悪くはないと言える。もっとも、「世知辛い日常から浮遊」しているのは、風邪の時だけじゃなく、日常がそうだとも言えますけどね。仕事が有って無いような、無いようで有るようなアパート管理人という立場がそうさせてくれているのです。いくら幾ばくかの縁があったからとはいうものの、こんな立場に安住させていただいたオーナーには感謝しなければなりません。
 「志村さんは、何よりもご自分の時間を望まれているようなので、このお仕事はぴったりなのかもしれませんね。お手当てはそこそこですが、とにかく自由にやっていただいて結構ですから」
 こう言われてお引き受けしてはや半年、わたしにはぴったりの仕事というか環境であり、ヤドカリがお気に入りのヤドを得たようなもんでしょうか。拾ってきた捨て猫を飼うことも目をつぶっていただいてるし、管理人室前のガーデンで野菜を作ることも許可していただいてる。おまけにパソコン教室だって、応援さえしていただいてもいる始末。年をとったら晴耕雨読の生活ができればと望んでいたわたしにとっては、何ともありがたいことなんです。
 元来、わたしには物欲というものが余りないようです。いや、物欲は刺激されて生まれるものなので、物欲が刺激されそうな場を、心して遠ざけてきたと言えるのかもしれません。見上げた者だと言う方もいらっしゃいますが、そうではないのです。物欲に身を任せ、人生をこれによってガンガン支配してゆける性格が、自分にはないと感じていたのです。
 そう言えば、子どもの頃に、メンコにのめり込んだことがありましたっけ。最初は、無理強いされたようなかっこうで、駄菓子屋で十枚程度のメンコを買いました。しかし、遊んだ経験もなかったのであっという間に悪童連中に巻き上げられてしまった。それから、じわじわと子ども心にも地獄が始まってしまったのです。寝ても覚めても、取られたメンコが悔しくて、取り返そうと悪戦苦闘。好きな読書にも落ち着けず、メンコの打ち方研究に没頭してしまう毎日。ただ、その甲斐あってか近所の悪童連中の持つメンコの大半をダンボール箱いっぱいに回収してしまったのでした。そして、充実感を得たかと言えば、手にしたのは、わけの分からないものに引きずり回された徒労感だけ。悪童連中を前にして、すべてのメンコを焚き火にくべてしまいました。そしてその後、近所で流行り始めたベーゴマの場に、わたしはいっさい近づかないようにしました。
 物欲が希薄である分、わたしは知識欲と言えばよいのか、知りたがり屋というのか、とにかく不思議、不可解なことを察知すると放ってはおけない性向が身についてしまいました。考え事をしていると、床についても何度も枕もとのメモ帳に走り書きをして、結局夜が明けてしまうという経験もあるほどです。考えることに最も充実感を覚えるタイプなのでしょう。確かに、長時間に渡ってそうしていることや、長期間に渡ってねばり続けることに、肉体的な疲れや苦痛を感じることはあっても、それ以上の忘我状態を掴み取っているところをみると、そこそこのタイプに仕上がってしまっていると言えるのかもしれません。書籍の衝動買いがなければ、金のかからない存在、この不況で騒がれている国内需要喚起にとって最も好ましくない存在として非国民扱いにされるのではないでしょうか。
 ただ、これからのわが国の将来を考えるならば、人々は、「余り金のかからない幸せ!」というものを早く見出してゆかなければならないように思えるし、経済のあり方も資源浪費型の量的拡大路線ではないビジョンを打ち立ててゆく必要がありそうですね。とは言っても、これは後追いが常であった政治が推進できる課題ではなく、そういう生き方しか望まない人々が、その生き方に自信を持って生きてゆく、そして次第に増えてゆくという青写真しかないのかもしれません……(2001/07/11)

2001/07/12/ (木) 人間の生活時間は40倍も速くなった!との学説

 表にでると、燃えるような暑さです。気象庁から梅雨明け宣言のお墨付きをもらったと思って、大威張りでギラギラするとこなんざ、御天道様も案外、几帳面であって、決してお天気屋なんかじゃない?いや、何だか変な表現になってしまいました。
 ともかく暑い。毛皮が脱げない犬や猫が、表情の無い分哀れです。おまけに、犬や猫の時間は人間の時間より数倍速い、つまりこの暑い日一日は、彼らにとっては人間で言えば数日続く勘定になるそうなんですね。
 変化の激しい現代が「ドッグ・イヤー」と呼ばれて久しいのですが、これは、半導体製品などITの技術進歩が、かつての数倍の速さとなったこと、その結果、コンピュータなどの半導体製品などに依存する分野やその周辺の変化速度が数倍となっている状況を悪戯っぽく表現したものです。
 わたしも以前、パソコン・パーツの取引に関与したことがありましたが、95〜96年を境にして、PCパーツのアップグレイドの速さは目を見張る速度だと感じました。それ以前は、一年ないし半年位は次期製品が出荷されなかったはずが、二〜三ヶ月で、さらに一〜二ヶ月で性能UPした低価格の製品が出荷され始めたのには、驚きと言うより、これでは取引自体が危うくなると目を白黒させたものでした。
 それだけに、もはや数ヶ月分の変化が一ヶ月足らずで、数年分の変化が一年足らずで発生してしまう時間経過の加速化を、まるで人間が犬になって感じるような時間だとした「ドッグ・イヤー」なる表現は、当を得ていると思ったものです。戌年などと勘違いできるものではありませんでした。
 ところが、ある筋の情報、といっても決して伊賀や甲斐に放っておいてとんと忘れてしまっていた間者からではなく、れっきとした学者先生、東京工業大学の本川達雄教授の説によると、「人間の生活時間は40倍も速くなった」そうなのです。どうも最近一日、一週間の過ぎるのが速い、「誰かが裏で、年寄りの時計は早く回しているんじゃないか」(2001.06.21参照)と勘繰っていたわたしとしては、溜飲が下がる思いがしました。詳細は、ネットのキーワード検索で「本川達雄」と入力して歩けば、『ゾウの時間ネズミの時間』という棒に当たるので参照してください。
 要点を記すと、
 @ 各種動物は、そのサイズ・体重に応じて時間の速さを持つ!小動物の時間は速く、大きな動物の時間は遅い!体重の1/4乗に比例して時間が遅くなる!これは、体重と心周期(心拍の周期)との関係の問題であること。
 A 単位体重当たりのエネルギー消費量は、小動物ほど大きく、大きな動物ほど小さい。エネルギー消費量は、体重のマイナス1/4乗に比例する。単位体重当たりでは、「やせの大食い!」説が妥当するという。
 B 各種動物の一生のエネルギー消費量、および心拍数は何とほぼ一定!一生の心拍数は20億回で打ち止め!とか。
(ちなみに、人間の心拍数を一秒に一回として電卓たたくと、63.4歳という結果が出ます。ハツカネズミは、0.1秒、ゾウは、3秒に一回だそうです。)
 C 現在、人間はヒトという動物が本来いきていくのに必要なエネルギーのおよそ40倍を消費しており(と言っても、心周期が40倍に増えたわけではない!)、上記の関係から別表現するならば、人間の生活時間は40倍も速くなったと言える!
 何とも考え落ちのような説でもありますが、確かに大量のエネルギーを消費して、寿命を伸ばしている事実があり、また、時間観の基礎に横たわる仕事達成量を、エネルギーの塊であるIT機器などの活用により飛躍的に高めている事実もある。実感的にも納得させられてしまう指摘だと思われるのです。
 省時間を叶える多数の便利な機器の恩恵に与っていながら、決して時間の速さから免れられずに、時間速度と競う労働と生活習慣に支配されている現代人のジレンマが、ここに起因していたのかという思いがするのであります。そして、この、現代人にとって怪物のような時間の問題は、いろいろな顔をもってわれわれを脅かしているように思えます。
 まず、円生の『死神』のように、現代の人間が自由時間を得るために、ヒト本来が生きるに必要な40倍もの資源を消費することで、確実に地球の寿命を漸次縮めている点が銘記されなければならないでしょう。しかも、手を合わせるがごときありがたさを以って便利さが享受できているならばまだしも、当たり前感どころか、みんなしてよりいっそうアクセクした心理状態に突入している愚はなんとしたものなんでしょうか。
 なぜ、もっとゆったりとした毎日を過ごせないのか、なぜ、ゆったりとした自然や、ゆったりとしていた点だけでも豊かであった過去の人々の生き方、伝統に目を向けないのか、なぜ、入館料を払いながら可能な限りの速足で出口へ向かって急ぐのか…………
 今後、時間の問題についてあれこれと考えてみたいと思います。幸福論も、現代ビジネス論も、みなここら辺の問題に鉢合せになっている気配を感じます。(2001/07/12)

2001/07/13/ (金) 「40倍速!の文明ドラマ!」を演じつづけているのが現代人?!

 窓際に置いた観葉植物のポトスが、緑色のステンドグラスのような透明色を楽しませてくれています。熱気だけを充満させているような外の光景を、透過性のポトスの葉の緑がフィルター代りとなって遮ってくれているようです。
 手入れを怠り、枯れる寸前にまで追い込んでしまったのが、二、三年前のことです。ちょうど、身辺に辛いことがあったため、わが身を見る思いで同情したものでした。茎のいたるところから根を生やす生命力の強さが定評のポトスとは知っていましたが、ここまで葉を落とし、見る影もなくなってしまうと果たしてどうだろうか、という悲観的な観察もしました。と、逆に何とかして再生させたいという決意にも似た衝動が押さえられなくなったものでした。
 その日から、ペットボトルに作り置いた液体肥料入りの水を、毎朝丹念に注ぎ続けました。何ヶ月かは、わたしの丹念さに呼応するような、そんな変化は見られず、それまでの怠惰な仕打ちを恨み続けているかのようでさえあったかもしれません。
 そんなポトスの一枚一枚の葉が、今、強烈な夏の陽の光に嬉々として対応しているようです。それなりの時間は掛かったものの、この躍動感には目を見張ってしまいます。むしろ、窓際からやがて部屋全体が植物園の温室になってしまうのではないかとの懸念さえ抱かされるほどなのです。
 ほとんど枯れかかった観葉植物に見切りをつけ、見栄えの良い姿の代替の鉢を調達する選択肢を、みずからをやや蔑む気持ち、後ろめたさを黙殺するなら選べなかったわけでもなかったはずなんです。
 しかし、今こうしてポトスの無邪気な元気さを眺めていると、「これでよかったでしょ!」というポトスの、さり気ないささやきが聞こえてくるような気がします。
 濃密な時間経過とは、こういうことではないんでしょうか。あるいは、そもそも時間とは、共存するものたちとの共感の中でこそ意味をもって流れるものではないんでしょうか。そして、人間にとっての手ごたえのある実感、喜びというものはこうしたものなのであって、「いきなり感動!」なんてもんじゃないんですよね。少なくとも、わたしはそう思います。
 現代人は、本来のヒトとしての生活時間を40倍にも速めて生きていることになるという説について昨日書きました。他の動物、自然から大量のエネルギー資源を収奪して、「40倍速!の文明ドラマ!」を演じつづけているのが現代人なのだと。それで皆が異口同音に「幸せだなあ!われわれは現代文明と一緒にいる時が一番幸せなんだ!」と言えているなら、それはそれですが、「もう、こんなとこでいいんじゃない?」という声を少なくない人々が聞きはじめている昨今ではないんでしょうか。
 演じていることが、二重、三重に辛くなり始めていないでしょうか。
 自然が内在する本命の時間推移を、こともあろうに嘲るかのごとく、自然を、専ら人間が自分たちだけの時間を速めるために破壊し、このことを抑止できなくなってさえいる。野生のトラの個体数も危険水域に突入したと聞きます。日々刻々と、多くの生物の種さえ絶滅に追い込んでいるのが現実なんですね。そして、自然の緩やかな時間の流れの蓄積と偶発性との奇跡的結合によってもたらされた生物の種は、絶滅したならば二度と再生は有りえないそうですよね。また、この膨大な損失の中には、人間の不治の病を癒す薬になるものがあるかもしれないとも言われているようです。便利とも表現される時間の加速化のために支払っている代償の膨大さに、やはり目を向けざるを得ないと思われます。
 また、これだけの犠牲を払って得た40倍速時間を、現代人は活用し切れているのでしょうか。どうも、そうではないような気がしてなりません。
 本川達雄教授も、こうした現代人の時間速度に、生物としてのヒトの時間(感覚)が、追いつけなくなっているのではないかと懸念されているようですが、この懸念はもっと具体的に注目されてよい問題のように思われるのです。
 仕事といわず生活といわず、時間加速のための道具開発や再編集は、限りなくプロセスを圧縮したり、割愛したりすることで目的を果たそうとしているようです。例えば、わざわざ出向いて膝を突き合わせての会議を、居ながらにしてのテレビ会議に置き換えるというのがこれでしょう。わざわざ、テレビの置かれている場所まで立ち上がらなくてもチャンネルが選べるリモコンスイッチもそうでしょう。わざわざ、ショップまで足を運ばずとも買い物ができるネット・ショップ。わざわざ、すべてを読まなくとも臨場感が味わえるとするダイジェスト版。
 大相撲ダイジェストという番組もありますが、あれの極限は、中13日の割愛になったらどうします?また、くだらないことを言えば、落語家も高座に上がると、わざわざ、忙しい観客をたわいも無い話術で引きずり回さず、演題だけを述べると、観客も心得ていて演題の話を即座に頭の中で再現して、ドッと沸く。すると、もう終了のお囃子が聞こえてくる、といった高速バージョン寄席なんかはどうです?
 とにかく、この「わざわざ〜」を血眼で、狩ろうとする、言うならば「わざわざ・パージ」と代替製品、商品の投入こそが、40倍速生活への露払いだったはずです。そして、その積み重ねで、便利でゆとりのある生活となっているはずなのに、現実は、いつもし忘れたことが残っているようなあくせくした心境や、乗り遅れはしまいかという恐れで支配されてしまっている。
 しかし、「わざわざ」何かをしたいのが自然な人間だろうし、無駄が必ずしも無駄じゃないところに人間生活の奥深さもあるもんじゃないでしょうか。それに、無駄を非難し始めるなら、すべてを無駄だと結論づけなければ論理的には決着しない事実、人間という矛盾に満ちた存在の絶対的哀しさという事実が、足元で暗い大きな口をぱっくりと開けてしまうようにも思えます。「わざわざ」結構!無駄も結構!これらを太っ腹で許容できないような了見の狭い世界なんぞは、どっかに間違いを隠しているんだ!と叫んでやりましょう。(2001/07/13)

2001/07/14/ (土) 以外と知られていない操作のコツ二つ!「町内パソコン教室」堂々第九回!

 お暑うございます!天王ラーメンのダンナさん、大丈夫ですか?えっ?お昼の出前で熱射病になりかかって?つい、今し方まで横になってましたか?無理しないで下さいね。
 じゃ始めますが、今日は小難しいことは抜きにして、インターネットに関する実用的なちょっとした方法をいくつかお話して、みなさんのお役に立ちたいと思います。

1.万が一に備え、アドレス帳のバックアップを!
 PCは、いついかなる時に不調に陥るか分からないという話は、前々回にお話しましたね。妙な話ですが、季節で言うと夏場、冬場に多いようです。CPU、HDDはとかく加熱するもので、放熱作用がうまくゆかないと即トラブルに結びついてしまうものです。で、今日のような暑さで長時間使用していると危ない。もっとも、クーラーが効いた部屋などですと問題ありませんけどね。逆に、冬場は、部屋の暖房でついうっかりということがあったりするわけです。
 で、PCがそもそも立ち上がらなくなって、再インストールが必要になった場合や、HDDがクラッシュした時ですが、一番困るのが、インターネット関連のデータ、とくにメールのアドレス帳を失ってしまうことですね。
 そこで、アドレス帳のバックアップだけは、必ずとっておくようにしましょう。
 アウトルックの場合は次の場所にあります。

 C:\Windows\Application Data\Microsoft\Address Book

 このフォルダーにある「帳面型」のアイコンで、みなさんご自身の名プラス拡張子「.wab」(拡張子を表示させない設定をしている場合は、拡張子は表示されません)というファイルがアドレス帳なんです。このコピーを保存しておけばよいのですが、次のようにしましょう。
 その前に、新しいフロッピーディスクを一枚用意します。これを、フロッピードライブに挿入し、フォーマットをかけておきます。「マイコンピュータ」→「3.5 インチ FD (A)」を右クリック→「フォーマット(M)」→「開始」でできます。終了したら、そのまま挿入しておきます。
 先ほどの「アドレス帳」をマウスで右クリックします。そこで、「送る(T)」→「3.5 インチ FD (A)」をクリックすると、「アドレス帳」がフロッピーディスクにコピーされるわけです。

 「おまけ!」という話になりますが、この、右クリックで出てくる「送る(T)」という機能は、結構便利なものなんです。初期設定では、送られる先が決まった場所だけ表示されますが、ここに、自分なりの特定のフォルダーの「ショートカット」アイコンを設定しておくと、いちいちそのフォルダーを開けなくても、そこへコピーを送り込むことができるんです。
 そのためには、C:\Windows\Send To というフォルダーを開け、そこに自分なりの特定のフォルダーの「ショートカット」アイコンをおいておけばよいのです。

 さて、こうしてフロッピーに「アドレス帳」をバックアップしておけば、いざと言うときに、再インストールされたアウトルックから、「ファイル」→「インポート」→「アドレス帳」をクリックし、Aドライブのバックアップしておいた「アドレス帳」を選択すれば、元どおりのものが活用できるわけです。
  ネットスケープの場合は次の場所にありますので同様に考えてください。

 C:\Windows\Program Files\Netscape\Users\ユーザ名のフォルダ\Mail

2.インターネットのページの完璧な印刷!
 そんなこと簡単さ、ツールバーの「印刷」アイコンをクリックすれば済むことじゃない!とおっしゃる方は、印刷が仕上がった時、残念がったり、疑問を持ったりするはずです。
 まず、アドホクラットのHPのようにメニュー画面とメイン画面が「フレーム」で分かれているような場合、ツールバーの「印刷」アイコンをクリックすると、メニュー画面の方が印刷されてしまいます。メイン画面を印刷したい時には、その画面を右クリックして出てくるメニューの「印刷」を選ばなければなりません。
 そうしてみても、まともに印刷できずに端が切れてしまう場合もあります。
 その時は、「ファイル」→「ページ設定」で「余白」の寸法を調整してみるとうまく印刷される場合があります。
 これでも、次の問題は解消されません。
 「ありゃ、何で、『背景色』が印刷されないんだろ?こういうもんなのかな?」と。
 この問題は、90%のユーザが遭遇しながら、あきらめている問題でしょう。答えは簡単で、初期設定がそうなっているためです。で、この設定を替えなければなりません。次のようにします。
 最上段の「メニューバー」より「ツール」→「インターネット オプション」を選び、「詳細設定」のリストの一番下にある「背景の色とイメージを印刷する」にチェックを入れてやればOKなのです。
 こうした「初期設定」は、間違っているというより、最小限必要なものだけに応えるようにしておいた方が、ユーザ側の設備(ここではプリンターということですね)がミニマムな場合でもトラブルが少ないからということなんでしょうか。

 さて、他にもまだ用意していたのですが、今日はここまでを実習していただきましょうか。疑問が出てきたら、その都度質問してください。では、始めましょう。
 ガヤガヤ、カチャカチャ、ガヤガヤ…………(2001/07/14)

2001/07/15/ (日) 書くこと、考えることは、「自分になる!」こと

 志村さんから、とにかくこの「日誌」を付けるように言われて、アルバイトながら職務のひとつだと見なして書いてきた。こう暑いと、ぼーっとしてしまって、ただでさえ何を書こうかといつも焦点が定まらないのに、なおのこと散漫な気分から抜け出せないのが情けない。
 いつだったか、こんなもの書いて何の役に立つのですかと聞いたことがあった。その時、こんなことをおっしゃっていた。
 「ひと(他人)の役に立つかどうかは別にして、少なくとも自分の考えが分かるでしょう。自分の考えもろくに掴もうとせず、場当たり的に無責任なことを口走らなくなるだけでも、ひと(他人)様に迷惑を掛けなくて済むんじゃないですか」と。
 キツイ方だと思ったものの、振り返ってみると日常生活では、案外何も考えずに、動物と同様の条件反射でものを言い、無意識な行動をしていることが大半のように思える。自分の考えがどうこうというより、単にひと(他人)とのやりとりがスムーズであることだけに意を払っているのかもしれない。また、情報を得るといっても、多くのひと(他人)が何に関心を持っているのかということにだけ神経を張り巡らしているというのが実情なのかもしれない。
 本を読むと考えるというけれど、考えない人間はもとより考えさせられるような本を敬遠して、さらさらとページが繰れる類を選ぶだろうからこれもあんまり効き目がないんだろうな。苦労すれば必死に考えるようになると聞くけど、ものを考えない人間がみずから進んで苦労を選ぶ道理はないはずだ。
 いつだったか、あえて皮肉な質問をしたことがあった。
 「志村さん、なぜ考える必要があるんでしょうか?」
そう言ったら、涼しい顔しておっしゃってた。
 「考える必要なんかありませんよ。『寝た子を起こすな』の言葉どおり、必要を感じなければ、なんともいたしかたないですからね。それはそれで幸せなんでしょうから、そっとしておくべきなんでしょう」
 「じゃ、志村さんはなぜ考えようとするんですか?」
 「わたしは、考えようとはしていません。まるで、空腹になるのと同様に、考えざるを得なくなる時がしばしばあるだけなんです。ただ、空腹と異なるのは、簡単には満腹にならないということですね。その時は、閃きなどであたかも満腹になったようでも、不思議にも時間が経ってしまうと、また空腹になります」
 「じゃあ、空腹と同じじゃないですか」
 「そうだね、そうかもしれないね。軽い体操をすると、適度に空腹となるように、文章を書くと適度に知的空腹感が自覚できるようになってくるというのも似ているかもしれないね」
 「文章を書くというのは、考えた結果のように思えますが、そうじゃないんですか?」
 「そういうりっぱな人や、ジャンルによっては、論文、報告書のように、文章に贅肉や偶発的な筆の勢いが許されないものもあるのでしょうが、わたしの実感としては、書きながら考え、考えながら書くという同時進行のように思えます。書くことは、人(他人)に伝えるだけじゃなく、自分に『打診』するという重要な契機があるようにも感じ取っています。例えば、もやもやとして頭やこころの中で浮遊しているイメージを表現しようとした時、浮かんでくる言葉がそのイメージに適切かどうか、結構悩むんですよね。この言葉、こういう言い回しでは、そのイメージの軽やかさが台無しになってしまうとか、インパクトが失われてしまうとか…………」
 「へえー、何だか、その辺は、写真撮影とすごく良く似ていて分かるような気がします。オレの場合も、満足できる写真というのは、偶然ではなく、形にならずに長く頭の中に滞在していたイメージが表現できた時ですもんね」
 「そうなんですよ、東海林さん!書くということ、あるいは写真撮影をするということなど、表現したり、考えたりすることは、すべて自己表現であり、結局『自分になる!』ということなんですよ!だから、何のために『自分になる!』必要があるのか、ないのかという筋合いのものでは決してないんですよね」

 写真撮影の点で、それなりに光景というものに日頃こだわる習性が身についているつもりだったけれど、文章を書き綴るうちに、何となく日常がシャープに見えるような気がしてきていたのは、自分になり始めているからなのかな……(2001/07/15)

2001/07/16/ (月) 経済の構造改革は、個人生活の構造改革に波及する?

 真昼の夏の都会は、夕刻のように淡く、優しい長い影もなく、ただただ、照り返すまぶしい光と、存在にまつわり付いた真っ黒な陰が、激しいコントラストを構成しています。体温計の数字のような高温が全国各地から報じられています。七月も半ばが過ぎ、子どもたちの学校も今週いっぱいで修了し、夏休みに入る時期になってしまいました。これから始まる経済や世相の混乱に煩わされず、子どもたちとともに、抜けるような真っ青な空と、この陽射しをそのまま満喫できたならどんなによいかと考えてしまいます。
 今、われわれにとっての不幸のひとつは、この夏の陽が光景として作り出すような強烈なコントラストに見舞われることなのかもしれないと予感しています。どんなに、物事を悲観的に受けとめる人であっても、知らず知らずのうちに培ってきてしまった生活向上への期待感!久しく続いた経済成長と、それに伴って日常環境の隅々にいたるまで、量的拡大と向上を、それが自然な姿だと受けとめてきてしまったわれわれは、何の根拠がなくとも、今日より明日の方が、今年より来年の方が豊かで過ごしやすくなるはずだと思い込むようになってしまったのではないでしょうか。
 しかも、多大な努力を重ねて成果を得るというリアルな仕組みの中で、悪戦苦闘してきた前線の兵士(経済の最前線で身体を張ってきた地道な自営業者など)なら、悪化し始めた戦況から事態を予測し、こころの準備もできようものの、永遠に続くとも思えるような実績をもたらされて来た後衛の人々にとっては、まさに「寝耳に水」の状況到来となるのではないでしょうか。確かに、知識、情報の上では、久しく続いた不況環境で、もはやバブル時代のような贅沢はできないし、してはいけないとの認識に至ったはずでしょう。だから、一般消費が低迷してもいるわけです。
 しかし、生活感覚が、来るべき経済環境に見合った構造改革、リストラされなければならないことを予感する人はそう多くないように思われます。そして、その必要に急遽迫られた時のコントラストが気になるわけなのです。
 阪神大震災の時、その復興運動で懸念された事実のひとつに、現代の通常生活の優雅さと、被災後の生活の不自由さとの落差が指摘されたことがありました。また、終戦直後の復興は、さほど高くはない当時の生活水準や、戦中の窮乏生活の実態が、変な表現ですが忍耐力を付与し、復興の潜在的パワーとなったとも言われています。
 もし、現時点で切迫している経済の構造改革にふさわしい生活(感覚)の構造改革が構想されるとするなら、新しい視点でのエネルギー問題や環境問題を当然視野に入れたものでなければならないはずでしょうが、現状の経済指標ではクルマの需要は決して下がっていないとのことです。クルマは、「プライベート」空間を象徴するものと考えられますが、経済の構造改革の本番では、国民は、数量的な苦痛を引き受けるだけでなく、「個人」生活のあり方、特にクルマに象徴されるような「個人主義」的生活のあり方(公共交通の再評価など)の見直しも迫られる可能性が出てくるかもしれませんね。(2001/07/16)

2001/07/17/ (火) 危な気な時代の、危な気な人!

 受話器を置いてから、わたしはしばらく虚ろに考えていた。灰皿に置いた煙草をどうするということなく見つめ続けていた。
 「別れたんです。もう、一年ほどになります」と、言ったその人の言葉が、会話の中ではさり気なく流れたものの、やはり消化しきれずに残っていたのだった。
 昨今、離婚話は決してめずらしいものではない。近辺の友人関係でも、即座に何組かを思い起こすことができるほどである。中には、男の方の極悪非道さ(?)が目に余るといったケースもたまにはあるようだが、概ね双方に止むに止まれぬ事情があり、どちらがどうだとは一概に口を差し挟めぬ場合が多いと感じてきた。
 その人の言葉が気になったのは、こうした一般論ではなくて、幾分かの想像ができるほどの距離にわたしがいたためなのである。と言っても、決して事の磁場が働いている圏内などではなかった点は、この一年間、何の音沙汰もなかったことが示している。
 その人とは、幼なじみであり、その「危なげな」気性に惹かれた時期もあった。何十年も経って偶然遭遇し、昔話に興じることもあった。相変わらず「危な気な」部分は変わることがなく、いわゆる水商売に関心を向け、そんな手伝いを引き受けたりしてもいた。一度、そのスナックへ顔を出したことがあったが、万事、雰囲気を掌握仕切り、過不足のない言動に舌を巻く思いがしたものだった。
 元来、女性をはべらすような場で飲むことをさして好まないわたしは、それ以来の誘いには応じることがなかった。だが、その時、その人の「危な気な」性分が、次第に形ある動きとなって流れ始めていることをなんとなく了解したものだった。水商売がどうこうと言うほど世間知らずの年ではないのだが、客である男の心理の虚虚実実をもスマートに商売に絡めて、処理してゆかなければならないこの種の生業は、やはり際どい商売だと言わざるを得ない。清濁併せ呑む思い決め方を、どの程度覚悟したのかしないのか、そこまで話込む経緯は持つことができなかった。
 取り留めのない話の端はしを思い起こせば、結婚後の生活でかなり張り詰めた生活をしていたのかもしれない。結婚した女性の多くが背負うことになってしまう生活の重みを、その人も人一倍背負ったのかもしれない。国内各地を転居したとも聞いた。病気の舅の世話話を唐突に耳にしたこともあった。気性の激しい人でもあったから、やるべきだと思い決めたことは、遮二無二やり通したはずである。
 そして、子どもたちが自立し始め、舅の世話をする必要も断ち切れた時、再出発の思いを固めたということなんですね。考えてみれば、「危な気」なのは、みな同じかもしれない。際どさだって、そう。たとえ安全地帯ではあっても、自分の望む視野の外にそれがあるなら、いたし方ない。自分が、切望した選択肢を、いつになったって、犠牲があったって、さらに勝ち目があろうがなかろうが、諦めずに手を差し出す「危な気な人」を、わたしは決して他人事とは思わない。(2001/07/17)

2001/07/18/ (水) 十数階下の駐車場がせり上がってきた?

 昔、わたしがソフト開発関係の会社でお付き合いのあった方が、先日ふらりとお見えになりました。前日の電話連絡で、これまで勤めていた会社を退職したという推移までは知らされていたので、身の振り方の相談かと先走り、その難問を抱えて悩みました。
 わたしよりは年下ですが、五十代後半のれっきとした中高年、今やリストラという言葉と同義でさえある年齢なのです。景気がこんな時期でなければ、若年世代ばかりでそれが経営的な弱みにもなっているソフト開発関連会社なら、システム経験のある中高年はそれなりに受け皿があったものです。しかし、今は他業種と違うところがない。
 「いやあ、志村さん。会社を起こすことになりました」という言葉で、わたしは正直言って肩の荷が降り、「そうなんですか!」という軽やかな言葉を返すことになった。が、話を聞くうちに、降ろした荷を再び背負い直すような重苦しさを感じ始めたのだった。 わたしは、この年になるまで、数多く、職場リタイア組の人たちを見聞してきましたが、この方のケースが実に甘い部類に属していたからなのです。
 三十年も勤めた職を辞するに至る経緯には、筆舌に尽くし難い辛さが介在したと想像され、それについて言うべき言葉はなかったのですが、会社設立とその後の読みに関する余りの楽観的観測に、老婆心ながら、思わず嗜めるような話をしてしまったのです。
 「こんな話を聞いたことがあります。高層ビルの火災で運良く生き残った人の後日談だそうです。部屋中に煙と炎が渦巻き、出口にも近寄れず、窓際に追い詰められたそうです。窓の外は、十数階下に駐車場が見えるだけで、言うまでもなく脱出口などであろうはずがない。ところが、苦し紛れに、窓の下を眺めると、何と彼の目には、その駐車場がせり上がってくるように見え、窓ガラスさえ割れば、飛び出して助かると思えたと語ったそうなんです。運良く、救助隊に助けられたとのことですが。
 人間は、窮地に追い込まれると、生理的にも変調を来たし、願望の錯覚に陥ることがあるようなんです。不本意に職場を辞すことになる時、多くの人が、隣の芝生といったレベル以上に、外の世界の素晴らしさを思い描いてしまいます。理由はともかく、苦しくて辞める時は、この心理のワナに十分注意しなければならないようです。だから、同じ辞めるなら、気持ちをクールダウンさせる時間をおいて辞めるべきだと言う人もいるくらいです。
 この門出という時に、水を掛けるようで恐縮なのですが、会社を辞めた今は、環境の厳しさをとことんリアルに見つめて、楽観的な思い込みのいっさいは除去すべきなんじゃないでしょうか。先ほど言われた、受注予定の案件も、速やかに具体化を計って伏兵を排除してゆかなければなりません。後続の入社予定者の受け容れに関しても、彼らの不安な心境を十分配慮したフォローが必要です。また、何よりも、設立したばかりの会社は社会的信用がゼロであるため、リースにしても許可されず、運転資金は自前のものしか使えない点を十分押さえておく必要がありましょうね」
 「良い話を聞かせてもらいました」と言って、帰ったが、どうであっただろうか。以前に、同じような文脈で、これまで勤めていた会社で自分が担当して開発したシステムを、知らん顔して新会社で売ろうとするつもりであった人に、「それは、絶対危ないですからおやめなさい」と嗜めたところ、二度と連絡して来なくなった苦い思い出もあります。こちらが良かれと考えても、受けとめ方は人それぞれだというのが、この世間というものなんでしょうか。(2001/07/18)

2001/07/19/ (木) 火星への移住計画さえ存在する、意表つかれっ放しの現代!

 「テラ・フォーミング」という言葉とその遠大な目論見を始めて知りました。
 現在、地球は二酸化炭素の急激な増加を原因とする温暖化現象によって、百年後の地球上での人類の生活はかなり危機的なものになりそうだと知られています。気温の上昇により、北極の氷原や、地下で氷結している氷などが融けだし、海水の水位が大幅に上昇する。また、尋常ではない異常気象が、想像を越えた災害を引き起こすとも言われています。科学的な数字が推定する恐るべき事態を迎えようとしていますが、一方では、きわめて現実的な懸念として、二酸化炭素排出規制の国際版たる「京都議定書」への米国の消極的姿勢が、人々の不安を煽ってもいます。そんな中、米国では、人類の火星への移住計画の基礎研究が進められているようなのです。それが、「テラ・フォーミング」という構想です。
 この構想の発端は、まさしく地球の温暖化現象それ自体。SF的発想では、人類が住める可能性がある第二の惑星は、火星だと目されてきましたが、勿論酸素が無い上に、何と言っても零下数十度という気温が、その可能性を打ち砕いてきていたようです。
 ところが、地球の温暖化現象のように、もし火星の地表で、大規模な二酸化炭素放出を長期間に渡り人工的に継続させるなら、次第に気温を上昇させることができる、という話なのです。その際には、地球では悪者のフロンガスが有効であるとも言われています。
 気温が上昇するならば、ほぼ確実にその存在が推定されている地表近くで氷結してストックされている水が、最大、火星の面積の三分の一に当たる大海原を形成することになると言う。そして、人類移住のための仕上げが、二酸化炭素の濃度を濃くしてしまった大気に、酸素を増やすことであり、このためには、効率的な光合成を行う水生プランクトンを大量に投入するそうです。このプランクトン研究は、人類の当面の課題である地球の二酸化炭素量縮小に向けて既に進められているとのことです。もちろん、この構想の時間単位は、何百年だと考えられているようです。
 素晴らしい構想だとして注目したい一方、言うまでもなく、この地球の危機である温暖化をこそなんとしてでも回避すべきだと考えてしまいます。他の惑星の気温を、人間がどうにか受けとめられる時間の範囲で、人為的にコントロールできるであろうという事実は、逆に、今後の同じ人間の所作が確実に温暖化を加速させ、危機を現実のものにしてしまう高い可能性を裏書しているとも読めるわけです。確実に急上昇している世界の人口増が、生活と生産の両側面での絶望的なCO2放出を予想させているのですから。
 それにしても、グローバル・リーダーを自認する米国が、何とだらしなく、無責任なことなんでしょう。そして、冷戦後の世界を再度緊張の坩堝に引きずり込む危険すらある「ミサイル防衛構想」には理解を示しながら、人類の切なる声である「京都議定書」への米国の参画を説得し切れないわが国の現政府は、自立性のかけらもない米国追随としか言いようがないでしょう。だから、民主党も、海外から候補者を招くことまで考えるのなら、セコハンではあろうけれども、本場民主党のクリントン氏に三顧の礼、十顧の礼を為して登板願い、対米対策の切り札に使うくらいの意表をついてもらいたかったものだ……(2001/07/19)

2001/07/20/ (金) 論理的に裏付けられた「意表をつく奇策」が出せる"孔明"はいないのか?

 『孫子の兵法』でも、『五輪の書』でも、勝つ方法の重要な一策は、「意表をつく!」(「奇襲」という表現は、『パールハーバー』上映中でもあり、誤解を招くといけませんので避けます……)ことだと云われています。と言っても、荒っぽいことを書き出すつもりではありません。
 ユーモアも、この「意表をつく!」原理そのものなんですね。張り詰めて身構えた陣の針の一点の空隙を突き、対峙している陣総勢のバランスを平和的に切り崩してしまう絶妙なユーモアは、どこであろうと苦しいに違いない現時点の現場に必須だと思われます。
 さらに、見通しが立てにくい現状だからこそ望まれるものは、意表をついた奇策だと思われます。現在のリーダーに強く求められる要素は、論理的に裏付けられた「意表をつく奇策」だと言って間違いないと言えそうです。従来どおりのあり方、やり方を踏襲するどころか、必要なのはがんばりなのだと信じ、悲壮感を携えて過去に固執する人々に対して、自然な状態のままで新たな挑戦心を鼓舞し得るならば最高のはずです。それを達成するのは、説得力のある「意表をついた奇策」しかないでしょう。説得力があるというのは、論理的に吟味された策だという意味です。
 これに似た形で、現在人気を博している方もいらっしゃいますが、論理的に吟味された策を提示できずに得ている人気なので、片想い(?)に終結するのではないでしょうか。
 それはともかく、論理的に裏付けられた「意表をつく奇策」とは、通りのよい表現をするなら、創造的で斬新なビジョンのことなのです。それは、衆目を集めんがために奇をてらうパフォーマンスとは似て非なるものであり、知恵と創造性を発揮して、人跡未踏の地に分け入ることのはずなのです。
 現代は、少なくともわが国にあっては、「閉塞」の時代、社会だと言われたりしますが、知恵と創造性に裏付けられた存在感のある「意表をつく奇策」の不足がそうさせているということでしょう。額面どおりの個性と、奇をてらうことだけに目を向けた薄っぺらなパフォーマンスとが混同されたり、自由な振る舞いと単なる我が儘な逸脱とがごちゃ混ぜとなったり、ベンチャー・ビジネスと称して単に海外での成功を物真似してみたり、とにかく何の根(思索)もなく奇策まがいを巻き散らかしているだけのことが多すぎるように見えます。
 また、「意表をつく奇策」を真剣に考える者たちを、心から応援しようとする空気や、社会機構が未熟だと言わざるを得ない点も残念なことです。いま、唐突に思い出しましたが、あのメジャーでのヒーロー、イチロウが日本を捨てた理由は「ヤジ」であったという週刊誌ネタがあるようですが、イチロウに同情しつつ、何となく日本社会が持つ吐き捨てたいような立ち腐れが見えてくるようです。
 「貧すれば鈍す!」とは、苦しい時にはとかく知恵も回らなくなることを戒めた言葉でしょうが、われわれが概して陥りがちな陥穽だと思われます。恨みや妬みなどを含めた多情を持て余し、聡明な論理力を欠き続けて来たわれわれ日本人は、このような最も苦しい中で短所を鍛え直してゆかなければ、国際的にも孤立し、アジアの孤児となりつつあると思えてなりません。
 昨日、何気なく耳にしたニュース、日本の教科書歪曲問題で、韓国、中国が反日感情を強め、この夏に予定されていた、日本の姉妹校への小学生たちの訪日を取り止めたとか。日本の指導者たちの頭の中の回路のバグ(プログラム・ミス)を、この夏の休暇(果たして、管理人風情のわたしにそんなものがあるのか、ないのか?)中に、片目つぶって二、三日で(数学の大島先生がよく口走ってましたよね……)デバッグ(プログラム修正)してあげたいものだとマジに考えています。(2001/07/20)

2001/07/21/ (土) いよいよ、HP作成実習《1》「町内パソコン教室」堂々第十回!

 いやあ〜、今回で第十回を迎えました。みなさん、どなたも欠席せず、よくがんばりましたね。みなさんの熱心さには感心しております!そこで、今日はごほうび代わりに、みなさん全員にホームページ公開の体験をしてもらいます。
 「1.HPの下準備、2.HPの作成、3.HPのアップロード」という全工程をとにかく体験していただきます。ただ、アップロードについては、現実は、「プロバイダー」のサーバーに向けて行うのですが、この実習では、従来の教材パソコンのほかに、ノート型PCに「リナックス」というOSを使って、「プロバイダー」のサーバーと同様の環境を作ってあります。後で、このノート型PCに、みなさんが使っているPCをLAN(ローカルエリアネットワーク)接続して、あたかも電話回線とモデムを介したインターネット接続に似た環境を仕上げることにします。これは、「イントラネット」と呼ばれている方式なんですけどね。
 今日は、「1.HPの下準備」の中でも一番やっかいな部分をクリアすることにしましょう。「2.HPの作成」以降は、宿題も出しますが、次回に継続することになります。  そこで「1.HPの下準備」に入ります。
 その一は、最小限のツールの準備で、三つのツールを準備しなければなりません。
 まず、@「エディター」ですが、HTMLスクリプトというHPのいわばプログラムを書くためのソフトツールです。Windows98付属の「メモ帳」を使うことにします。次に、AHPはやはりビジュアルでありたいので、画像編集のためのソフトツールが必要ですが、これも。Windows98付属の「ペイント」を活用しましょう。
 これで、HPの作成は可能なのですが、むしろやっかいなのはこの後なんでして、B作り上げたプログラムをアップロードするために、通信ソフトが必要となります。これはFTP(file transfer protocol)ソフトと呼ばれているものです。フリーソフトという無償でダウンロードして使えるもので良いものがありますので、これを使いますが、この準備がやや、注意を要するのです。
 山田和夫さんという方が作った「FFFTP Ver.1.18」を、各自フロッピーにダウンロードしてもらいます。550KB 程度の容量ですから、十分フロッピーに収まります。で、どこからどのようにダウンロードするかということも、重要な勉強になりますから、ついでにお話しておきましょう。
 フリーソフトは、雑誌の付録CDなどにまとめて収録されている場合があったり、いろいろなサイトで扱っています。わたしが、たまたまPC関係のニュースを検索している次のサイトの、ダウンロード・ページを一例としてご紹介しましょう。
 「ZDNet」というソフトバンク系の情報サイトで URL は、http://www.zdnet.co.jp/news/index.html です。上部のメニューから「Downloads」をクリック。「インターネット」という分類の「FTP/ダウンロード」をクリック。リストから「FFFTP Ver.1.8 URL:http://www2.biglobe.ne.jp/~sota/」をクリックして、サイトを移動します。左側のメニューから「FFFTP」をクリックしてページが変わったら、「 実行ファイルはこちら。(通常はこちらをダウンロードしてください)Download ffftp-1.82.exe (548,703バイト)」をクリックしてダウンロードを始めます。
 ダイアログ・ボックスが表示されたら、「このプログラムをディスクに保存する」にチェックを入れ、保存先の自分のPCのフォルダーを指定します。「My Documents」であればそれでも構いません。できれば、あらかじめ、「FTP」とかというフォルダーを、「My Documents」の中に作っておいて、そのフォルダーを指定するようにした方がよいでしょう。
 フォルダーにダウンロードされた「ffftp-1.82.exe」は、圧縮されているのですが、ダブル・クリックすると「自動解凍」されます。ダイアログ・ボックスが表示されたら「次へ」と「はい」をクリックし続ければ問題なくインストールされます。途中、メールアドレスの入力を求められますので、入力してください。この教室では、後で指定するアドレスを入力します。
 「ホスト一覧」入力個所では、「新規ホスト」をクリックして、プロバイダーから得ている情報を入力します。この教室の場合は、後で指定するように入力してください。そして、次に表示される「ホスト一覧」から、今入力したプロバイダー名を選び、「接続」をクリックすると、ブラウザが自動接続するように接続されます。
 ただし、若干初期設定の変更をしなければならない場合があるので、「ヘルプ」→「問題が起きた時には(T)」を参考にして、条件変更をしましょう。
 HPは、作るのはまあまあできても、このアップロードに慣れないと、公開ができないだけでなく、その後の大事な「更新」ができないので、この「FTPソフト」を何としてでもうまく使えるところまで持って行かなければなりませんね。
 このソフト自体の使い方は、Windows のエクスプローラと同じような感覚で扱えるように作られています。左右二つのウィンドウがあり、左側が自分のPCのHPファイルを収めたフォルダーが表示されるようにして、右側が、プロバイダーのサーバーで自分に割り当てられたエリアのフォルダーが表示されるように設定できるのです。
 そして、アップロードする際には、左側のファイルを、右側へ「ドラッグ・アンド・ドロップ」するだけで自動的に開始される仕組みになっています。ここで、初心者にとってひとつ注意すべき点は、フォルダーの「階層」なんですね。HPのプログラムは、ページ数が増えてくると、どうしても、システムを地下何階建て(?)というように例えられるようなフォルダー構成にする必要が生じてきます。この構成を、プロバイダーのサーバーにも同じ形になるようにアップロードしてやらなければならないのですが、当該のファイルが地下一階で使われるのに、地上一階のフォルダーに送り込んでしまうと、HPが正しく表示されなくなるということなんです。
 それから、右側の Window は、プロバイダーのサーバーで処理されているのですが、通常、ユニックス(UNIX)というOSが使われています。これに関連して注意すべきことがらが二点あります。HPで作るファイルの名称のつけ方なのですが、@アルファベットの大文字、小文字は区別して使うこと!Windws では、「Temp.jpg」も、「temp.jpg」も同じファイルとして扱われるのですが、ユニックス(UNIX)では別物と見なされます。自分のPCでテストした時にはちゃんと表示されたのに、アップロードしたら正しく表示されないという原因にこのポイントが関係している場合も少なくありませんので注意しましょう。Aファイル名に漢字、かなを使うことを避け、アルファベット、数字にしましょう。
 さて、「FTPソフト」だけで、今日は精一杯でしょうかね。大事な山場ですからここまでのところをきちんと実習でマスターすることにしましょうか。じゃあ、インターネット接続PCから、一人ひとり「FTPソフト」をダウンロードする実習からはじめましょう。
 がやがや、カチャカチャ、ピーピピ、ピー…………(2001/07/21)

2001/07/22/ (日) 比較的「気に入っている」写真!「つれるかな?」

 何の脈絡もなく思い出すことってあるもんです。
 その「うなぎ釣り」屋は、住宅地のど真ん中にありました。父と買い物に行った帰り道、途中の公園を目当てにぶらぶら歩いていたら、「うなぎ釣り」と手書きで書いた張り紙が目に付きました。父も、
 「へえー、こんなものがあったんだ……」
と足を止めました。
 店の前には、風呂桶を三、四個連ねたようなセメント製のプールがあり、覗いてみると、黒っぽい水の中に、何やらにょろにょろ蠢くものがいたようでした。父が、
 「やってみようか?」
と言い店の人に声を掛けました。細い竹の先に、こよりが結わいてあり小さな錨のような針がついていました。三回ほど試し、うち一回は自分もやらせてもらったけれど、結局、みなこよりが切れてしまい、釣れなかったのです。
 その後、しばしばその店の前を通りましたが、それからはプールの中を覗くだけで通り過ぎるようになりました。そんな単純な思い出なんです。
 突然ですが、下の「写真表示」ボタンをクリックしてみてください。(もう、先週から「暑中御見舞い!」の意味合いで、埋め込んであったんですが、どなたか気づきましたか?)
 一昨年くらい前に、三脚を担いで撮影意欲満々で出かけた時に撮った写真です。撮ろうとした時の動機、イメージがそこそこに包み込めたような気がして、比較的気に入っています。
 どこのどなたかは知らない人たちなのですが、あどけない坊やとその父親(あるいはお祖父さん)とが、ひとつの浮きを見つめて寄り添う姿が、何となく「絵になる!」と直感したものでした。周辺も、うっそうとした森で、レンブラントとかの写実絵画がチラリと脳裏をかすめたかもしれません。だから、望遠レンズも備えてはいたのですが、比較的明るいレンズを絞り込んで、パン・フォーカスで捉えたのです。
 やはり風景写真は、四つ切大に拡大しても、手前から背景までが、シャープさの損なわない程の精緻さで表現できれば最高だと常々願っています。もちろん、テーマで見る人を釘づけにしたいですけどね。
 シャッターチャンスに振り回されず、ゆったりとした気持ちで自然に溶け込みながら、カシャッカシャッという心地よいシャッター音を耳にしていると、まさに至福だと感じます。
 この写真は、現像を依頼する行きつけの写真屋の主人も、
 「これは雰囲気出てるよ〜」
と感心してくれたので、なおのこと気に入っているというわけです。(2001/07/22)

2001/07/23/ (月) 怖くなんかない、実に切なく、勇気づけられる話!

 これは、オーナーとご一緒に飲んだ時に聞いた話なんです。
 この蒸し暑い時期、わざわざアクセスしていただいている皆様に、少しでも涼風をお届けしたいと思いお話します。
 オーナー、いやこんな表現はまどろっこしいのでOと記しましょう。アルファベットのOと思っていただいても、数字の0(ゼロ)と見なしていただいてもご自由になさってください。
 Oが怠惰な了見不足で大学受験に見事失敗し、その反省を込めて新聞配達をしながら受験勉強をしていた当時の話だそうです。250〜300軒の家々に配達し、しかも新興住宅地のため、家と家の距離があり、バイクを使ってもゆうに二時間半は掛かったと言います。Oは、現在でも新聞配達をしていた頃の夢を時々見るとのことです。配達順序が、途中で分からなくなって途方に暮れている光景とか、やっとのことで入手したマイホームであることがありありしている、不便で、地形も良くない地域に、薄暗い早朝にバイクを走らせている光景とかが、時として夢に現れるそうなんです。
 そんな楽ではないアルバイトにあって、配達を専従としていたKさんという人がOを励まし、勇気づけてくれたそうです。痩せ型で毛深いKさんは、謙虚で、物腰柔らかい人柄だったそうです。Oが風邪で身動きがとれなかった時には、自宅まで様子を見に来てくれ、「じゃ、今日はアタシが配っておくよ」と言ってくれたりもした。また、甘えの抜け切れないOが、気晴らしで泊まりの旅行をせがんだ時、Kさんは、「そうだよね。若いんだから、年がら年中拘束されてるわけにはいかないでしょ。分かった、アタシが替わるよ」と甘えさせてくれもした。
 そんなKさんが、突然亡くなったのでした。店長から実績を認められ畑地のど真ん中にあしらわれた新店舗の店長に任じられた直後のことでした。酒が唯一の愉しみだったKさんは、その晩も、一杯、いや、しこたま飲んで、畑地の中を走るまっすぐな道路を、新店舗に向けバイクを走らせ帰宅する途中の事故だったのです。即死だったそうです。
 もちろん、Oは、通夜に赴いたのでしたが、その時、涙無くしてはすまない話を、遺された奥さんから聞いたのでした。ちょうど、事故があったその時刻に、まだ三、四歳の男のお子さんが、「おかあちゃん、おとうちゃん帰ってきた」と言いました。奥さんも店の正面のガラス戸が立てるガタガタという音を確かに聞いたとのことなんです。でも、店の入口に向かった時、そうではないことを知り、なぜか胸騒ぎを覚えたといいます。
 Oは声を震わせてこんなことを言っていました。新興住宅の畑地をまっすぐに走るその道路を、事故にあったKさんが最期の気力を振り絞って駆ける姿、翔ぶ姿がありありと思い浮かぶと。そんなことって、絶対あるんですね、とOは力を込めて言い放っていました。
 でき過ぎたこういう類の話には、笑って茶化すタイプのOが、シリアスに語る姿は妙にリアリティがあり、わたしも思わずもらい涙してしまったものです。ゾクゾクとはくるのですが、何て、人間は凄いんだろうという感動も確実に押し寄せてきたものです。
 その事実をさりげなく否定できるほどにわたしは不幸ではないし、人間にとっての事実とは、当事者たちが精一杯信じた事象をも優しく包み込んだ、その全体なのだと思えてなりませんでした。
 時として、砂を噛むような分かり切った事を、「科学」という葵の御紋を振りかざし叫ぶ人で無しもこの世界には五万といるものです。そんな時には、熱くなる必要などないわけでして、静かにこう言ってやれば済むことでしょう。
 「仰せのとおりかもしれません。しかし、あなたの言う事実が構成する世界に、わたしは住みたくなんかありません!」と…………(2001/07/23)

2001/07/24/ (火) 「自分が効果的に存在している」かどうかに振り回される人々!

 太陽の黒点などの異変が重なって、この猛暑は長引くとか言われているようです。自然現象の異変にもかかわらず、人為的な原因による温暖化現象の影響ではないかと邪推してしまいますね。
 人為的というと、人間は分不相応に巨大なものを操作していると、そのような力が自前で持っているかのような錯覚に陥ることがあるようです。巨額の資金を預かる人物による不祥事や、不相応に大きな権限を手にした者が乱脈の限りを尽くすといった事件はめずらしくありません。
 注意深く観察するなら、身の回りの日常的な道具も、十分この錯覚を呼び起こす可能性がありそうだと思えます。青少年にとってのバイクやクルマもその例かもしれません。そして、現在の高機能化したパソコンが注目に値します。
 現実世界では不可能なことが、パソコンのバーチャル空間では「操作」できてしまうという万能感覚は、その受けとめ方を誤るなら、大袈裟ではなく薬中毒に匹敵する症状の原因になるのかもしれないと懸念します。ケータイネットを悪用した犯罪や、一連の青少年の異様な犯罪がその不安を暗示していたかもしれません。
 パソコンが、スタンド・アローン(単体での使用)であった頃は、その「操作性」の優秀さを自分の力だと錯覚した若者が、周囲から奢り高ぶった変人として見なされる程度の事態だったはずです。ソフト業界にはそうした症状の若い技術者まがいが少なくありませんでした。
 しかし、今やパソコンと言えばインターネットに接続され、多くの他者と関係する環境が一般化しています。「操作」のターゲットは、モノの世界に留まらず、ネットに関与する人間、不特定多数の他者にまで拡大してしまっているのです。そこで、自分の身は匿名という安全な隠れみのに置き、高度な技術的環境を悪用しながら、他者たちが騒ぐことを楽しむといった不逞の輩も登場してくるわけです。
 先日、こうしたインターネットの暗い実態をテーマとしたテレビドラマがありました。他人が書き込んだ掲示板の内容に向け、複数の匿名を使い、個人攻撃を扇動するといった筋で、被害者がその加害者を突き止めてゆくといったものでした。そして、最終的に突き止められた加害者がホンネを語る場面で、「自分が効果的に存在している」ことを確認したい、というせりふがあったのです。妙にリアリティがありました。
 確かに、この間の異様な少年犯罪でも、「存在感のない透明な自分」という情報があったかのように覚えています。現代にあっては、一方で、マスコミその他で脚光を浴びるその種の人々の存在感が華やかな話題にのぼるとともに、もう一方には、その観点においては、ゼロや、透明に近い存在感しか与えられていない大多数の人々がいるわけです。青少年にとっては、耐えがたい環境なのでしょうが、「操作性」万能感のツールばかりを与えられ、自己過大評価を日常的に感じさせられている環境にも少なからず問題ありでしょうね。また、自己を自己として映し出してくれる他者との具体的関係が軽視されているところにも問題がありそうです。さらに、これだけ価値多様化、個性化だと言われながら、一枚岩のようなのっぺりとした一元的価値観が流布し続けているわが国の現状にも、大いに問題がありそうです。これまでとは異なり、パイが拡大しないどころか、減少の一途を辿る今、かの家康ではありませんが、価値観の基準を多元化して、相対的多数を満足させてゆくそんな手立ての必要が差し迫っているかもしれません。(2001/07/24)

2001/07/25/ (水) 「群生相」バッタと団塊世代!

 「群生バッタ」または「ワタリバッタ」という奇妙なバッタ(昆虫)の話は、すでに大分以前から注目されていました。ちょっと、おさらいをしてみます。
 「ワタリバッタ」とは、バッタの一種で、個体群密度が高くなると、つまり一定の地域に数多く生息し始めると、接触や、フェロモンなどの相互作用により変異を起こし、形態や行動に著しい変化が現れると言います。このように変異したバッタは、「群生相」と呼ばれ、通常の「孤独相」とは区別されるそうです。群れをつくる性質と、優れた飛翔能力とが備わり、大群となって各地を飛び回り、バッタの大発生として観測されるとのことです。
 これを知った時、とっさに思い浮かべたのは、ふたつの事柄。そのひとつは、仮面ライダー!あのフィクションでは、長距離移動にはバイクを使っていたようですが、「群生相」仮面ライダーとなり、大群で大空を飛翔するストーリーがあってもよかったのじゃないか、なんてたわいも無いことを考えたりしたものです。
 そして、もうひとつが、シリアスな事柄として、「団塊世代」の生息、行動様式でした。昭和22年〜24年生まれの団塊世代は、小・中・高の学校時代には、一クラス、一教室が50名前後、一学年が10クラス前後という超過密状況で「生息」し続けて来たわけです。まさしく「群生相」バッタのようだったと言って間違いないでしょう。
 60年代半ばのいわゆる「学園紛争」時代には、御茶ノ水、駿河台、新宿、羽田と大群で群がり、ヘルメットをかぶって飛翔したりもした。その後、職場に散って行ったあとは、日常的な革新パワーとして期待され続けたけれど、結局、折からの成長経済路線のプロセスでは、変化を促進するのではなく、Yes勢力として機能し続けることになる。さらに、バブル時代には、その理不尽さに気づくどころか、多分、切り込み隊的な役割さえ果たして行ったのであった。
 そして、バブル崩壊と長期不況への突入にあっては、低成長経済への構造変化にそぐわない時代遅れの鼻つまみ者たちとの烙印を押されただろう。「団塊はずし!」なる言葉まであてがわれ、リストラ対象にさえ目されてしまうことになった。
 「学園紛争」時代のイメージが残っているだけに、ダイナミックな「群生相」バッタたちへ、のその後の世代たちの期待は大きく損なわれもした。むしろ時代変化が認識できずに、形骸化してしまった行動、言動様式だけを踏襲する姿に非難さえ生まれた。
 冷静に観察するならば、「群生相」バッタは、一種の純正ジャパニーズバッタであったと言えるのかもしれません。狭い国土に、単一種族が密集し、群れることを日常として生息してきた純正ジャパニーズバッタは、もともとが、「群生相」バッタの資質を保持していたのではないでしょうか。皮肉で際どい表現をするなら、太平洋戦争はその資質を、時の権力に遺憾なく利用されてしまったと言えます。後衛で、女性、子供までが竹やりを持たされ軍事訓練もどきをやらされた光景は、国民こぞっての「群生相」化が、意図的になされたとしか思えないじゃありませんか。
 「孤独相」と呼ばれる薄緑のバッタの生態は、多分、今どきの「ジコチュー」の行動様式と限りなく似通っているものと推定できます。「群生相」バッタが無意識に進めた「協力」と名の行動様式が、もはや容易には実践されない環境となっているのかもしれません。しかし、「群生相」バッタが、「時よ戻れ!」と衝動的に叫んでもせん無きことでしょう。
 むしろ「群生相」バッタだけが知る、あるいは純正ジャパニーズバッタが本来知っている「共感」や「協力」関係の良さを、さみしい限りの「孤独相」ばかりが蔓延する環境で、どう納得してもらうか、そのために「群生相」バッタ自体もどう変わるかがポイントのように思われます。とかく、数を頼みにしてしまう「群生相」バッタの習性を省みることも不可欠でしょう。
 もう風化したかの観がありますが、「学園紛争」時代に囁かれた知る人ぞ知る言葉がありました。「連帯を求めて、孤立を恐れず!(高橋和巳)」(2001/07/25)

2001/07/26/ (木) 昨日の雷雨のあとが気づかせてくれたこと

 昨日の午後、雷鳴とどろき激しいにわか雨が振りました。「瞬停(瞬間停電)」で点けていたパソコンが三度も落ちてしまいました。幸い、作業中ではなかったので実害はなかったのですが、新幹線が一時止まったりもしたそうです。
 にわか雨のあがった夕刻、おもてに出る機会がありました。空気が新鮮な感じがして、植物の葉の香りまで漂い、まるで避暑地で森林浴でもしているかのような気分になれたものです。
 幼い頃、自宅の前に広い原っぱがありました。幼い当時は、空き地というような言葉は知らず、草がぼうぼうと生えただだっ広い原っぱでした。背の高い雑草越しに覗ける原っぱの向こう側を走るバスが小さく見えたので、相当に広い面積だったのでしょう。
 どういうわけだか、かなりの凹凸もあり、雨が続くと雑草の生えた窪みは、水溜りというより、小さな池のようになったものでした。そんな場所に、ゲンゴロウという虫が見つかり、近所の子供たちと一緒になって網ですくったりしたのを思い出します。小さな空き瓶に一、二匹入れ、水草代わりに雑草の葉を入れ、窓際に置いて楽しく眺めたものです。水底と、水面を定期的に往復する姿がかわいくてならなかったのでしょう。
 しかし、小さな瓶の中ではかわいそうだということになり、翌朝早く元の小池に戻しに行ったのでした。雑草がたたえる朝露で足元が濡れたはずですが、原っぱ全体が草の香りと新鮮な空気で充ちていたのをうっすらと覚えています。瓶から手のひらに移動したゲンゴロウが、手のひらの内でくすぐったくもがいたのも、夢のようなおぼろげさで記憶に残っているようです。昨日の雷雨の後のさわやかさが、遠すぎるほどの昔の感覚を呼び覚ましてくれたのでした。
 幼い頃の、あるいは子供時代の自然との接触や、生活で刻まれた五感の記憶は、何ものにも替えがたい宝なのかもしれません。そして、ある時突然訪れた香りや、音(メロディ)や、光景、そして触覚などの刺激が、厚く堆積した日常生活の記憶の地層の底の底から、宝としての懐かしい想い出を、さりげなくそっと掬い出して喜ばせてくれるのです。
 五感の中でも、臭覚がきっかけとなる場合が少なくないので、犬や猫たちとわたしは近いのかもしれないなどと思うことがあります。彼らが、不信な対象に鼻を寄せ、くんくんと何かを吟味している姿は、妙に共感を抱いたりもします。
 春の菜の花畑の香りは、皮の匂いも抜け切らないランドセルや、その中に詰めたワクワクする新しい文房具や教科書を、そして緊張感に充ちていた小学校入学の頃を確実に思い起こさせてくれ続けました。
 小雨含みの湿気の中を漂う焚き火の煙とその匂いは、幼い頃、薪の火で夕飯ごしらえをしていた特殊な一時期を切なく思い出させます。
 揮発性の匂いは、油絵の具やパレット、石膏像が置かれた中学や高校時代の美術室を想起させ、やがて当時感じ続けていた当を得ない漠とした青春の感覚などにわたしを包み込みます。
 マルチメディアの時代だと言われて久しいのですが、臭覚のみがコミュニケーション・メディアとしてデジタル化されず残されているようですね。というか、人間は、他の動物たちの重要な伝達メディアであった匂いを蔑視し、切り捨てることで文明を切り拓いて来たのかもしれません。人類の嗅覚をめぐる歴史には、何か思いもよらない秘密が隠されているのかもしれない…………(2001/07/26)

2001/07/27/ (金) 海外からの第三者の眼と評価に、耳を傾けるべき時!

 狭い金魚鉢で飼育した金魚を、より大きな水槽に入れ替えてやると、不思議なことにその金魚の遊泳(生活泳?)範囲はしばらくの間元の金魚鉢の容器の大きさ未満となるといいます。生活で慣れ親しんだ環境が、思考や行動に限界を与えることを容易に推測させます。
 最近、マスコミ、中でもテレビ番組、特に民放の番組の質の劣化、悪化に対してただただ溜息が出てしまいます。今さらの話でもないのですが、視聴率基準万能のメカニズムが、質的レベルの引き下げ競争を推進させているのでしょう。そして、これが世の趨勢、さらに勝手に拡大解釈して世界の趨勢と無意識に決めつけたりしているのでしょうか。
 しかし、そんな中で、NHKが流す海外放送局制作の(科学・教育)ドキュメンタリー番組などを鑑賞すると、目を見張ってしまい、同時に、わが国の民放番組の稚拙さが改めて再確認させられてしまいます。
 われわれは、小さな金魚鉢の金魚のように、とかくこれが世界だと、この規制だらけの不自由さや、聖域に隠れて行われる腐敗や、人間の尊厳がいとも簡単に圧殺されることや、みんなが見て見ぬ振りを決め込むこと、これがやむを得ない世界なのだと思いがちです。もっとも、身近に他の情報が入らなければ、あるいは、海外のヒューマンな情報を、わが国のジャーナリストが遮蔽し続けているなら、無理もないと言えば、無理もない話なのかもしれません。
 これだけグローバリズムの時代だと叫ばれながらも、国内の日常情報と、時として気づかされる海外の良質な情報との間の格差を感じさせられるのは、マスコミの責任以外の何ものでもないでしょう。政治の世界が「永田ムラ」に閉塞しているのと同様に、カルチャーの世界が「マスコミ・ムラ」に牛耳られているかのような傾向を持つ現状は異常だとしか言いようがありません。
 ところが、奢るマスコミも今や戦々恐々とした心境であるに違いないはずなのです。
 庶民がその気になりさえすれば、現行のマスコミ各社に大反省を迫らせることが決して難しくはない環境が、今広がりつつあるからです。そう、インターネット環境です。インターネットによる情報収集は、まさしくグローバルに可能なのです。現在のわが国の大ピンチ状況の認識にしても、間の抜けた国内マスコミ情報に引きずり回されているより、第三者としての海外から情報を得た方が、国内の歪みがよく理解できるというものです。
 そして検索テクニックを高めさえすれば、いわゆる「中抜き!(存在価値の薄い中間流通部分をはずして効率を高めること)」さえ可能となり、庶民から見放されるマスコミ各社も出てくる可能性があるのです。
 それにしても、現在のマスコミの流す政治関連ニュースは、どうして旧態依然としているのでしょうか。テレビ局が開局された昭和30年代でもなければ、映画と抱き合わせで存在したニュース映画の時代ではないのですから、政治家たちが登院する姿や、料亭から出て来るお偉いさんの姿なんて毎日毎日見たくないというんです。また、国会記者クラブとかいうこれまた旧態依然とした慣行(これなんかも自由な報道に足枷を付けてきたりっぱな「規制!」なんです)の下で書く御用提灯話なんぞで、大事な第二面なんか埋めてくれるなと言いたいわけです。
 OECD(自由主義諸国加盟の経済協力開発機構)が分析・提言した『ニューエコノミー:熱狂を超えて』という文書をダウンロードして読みました。
( http://www.oecdtokyo.org/activity/news/growth2001.pdf )
 このグローバル水準での国際経済分析と提言を読むと、各国に較べて、バブル崩壊後の90年代において如何にわが国が無為無策を続け、現在の奈落にまで至ったか、さらに、IT戦略においても、各国と較べ如何にわが国のそれが底の浅い矛盾に満ちたものであるかが淡々と知らされてしまうのです。各国が、クールに日本を問題視していることが透き通って見えてきます。「経済大国日本」などという言葉は、とっくに死語となっており、東アジアの遅れた国という国際評価がじわじわ伝わってくるのを残念に思います。韓国の各商店が、教科書問題での日本政府の対応に抗議して、「日本人お断り!」を始めたとかの情報も耳にする昨今です。ふわふわした日本人は、今、正念場に遭遇しているようです…………(2001/07/27)

2001/07/28/ (土) いよいよ、HP作成実習《2》「町内パソコン教室」堂々第十一回!

 お暑うございます。そんな中みなさんご熱心なことで頭が下がります。
 さて、先週は、FTPソフトを各自ダウンロードしていただいたわけですが、インターネットのメリットのひとつは、PCを使う上で必要となったソフトやプログラムを、必要となった時点で、深夜であろうと所定のサイトからダウンロードできる、ということがあるんですね。例えば、スキャナーなどの周辺機器を取り替え、ドライバーというつなぎソフトをインストールしようとしたら、そのフロッピーを紛失していたというような場合、急遽メーカーのサイトからダウンロードして間に合わせるという便利なことが可能なんですね。
 さて、今日は、「2.HPの作成」という第二段階の作業を学習しましょう。とりあえず、雛型のサンプル・スクリプトを入力して、自分のPC上のブラウザで表示させるところまで試してみましょう。これで、ホームページの仕組みが薄々理解できるはずです。
 要点を説明しながら、ホワイト・ボードに書いてゆきますからね。

1.「マイドキュメント」フォルダーに「testhp」フォルダーを新規作成。

2.HPで使うサンプル画像(gifファイル)の作成。
@Cドライブ→Windows→花見をダブルクリック→「ペイント」で「花見」の画像が表示される→「ファイル」クリック→「名前をつけて保存(A)」→ここで以下の操作をする
A保存先の変更(現在はWindowsとなっている)
 上向矢印アイコンクリック→「My Documents」をクリック→先ほど作った「testhp」をクリック
B「ファイル名(N)」を変更する=hanami
C「ファイルの種類(T)を変更する=GIF 形式(*.gif)
D「保存」をクリック
E「マイドキュメント」→「testhp」で、「hanami」のファイルがあることを確認。

3.「メモ帳」で、下記のスクリプトを作成。
@スクリプトの打ち込み

<HTML>
<HEAD>
<TITLE>
私のホームページ(テスト版)
</TITLE>
</HEAD>
<BODY>
<CENTER>
<H1>私のホームページ(テスト版)</H1>
<IMG SRC="hanami.gif">
</CENTER>
</BODY>
</HTML>

Aスクリプトの保存
「ファイル」をクリック→「名前を付けて保存(A)」→「マイドキュメント」の「testhp」をクリック→「ファイル名(N)」を「index.html」として「保存」をクリック→「マイドキュメント」→「testhp」で、「index.html」があることを確認。

 以上で、HP用の材料ができました。この準備のプロセスでの補足説明を以下に書いておきます。

【 注. 1 】本番向けには、「homepage」といったフォルダーを作るとよい。
【 注. 2 】HPに載せる画像は、表示速度を速めるために容量を小さくしなければならない。そこで、「*.gif」や「*.jpg」など圧縮されたファイル形式に変換して使うのが一般的である。また、一枚の容量は、30〜40KBを標準とすべきであり、容量が大き過ぎる場合には、サイズを縮小して調整する必要がある。
【 注. 3 】スクリプト作成上の注意としては、
 @「私のホームページ(テスト版)」などのテキスト表示文字を除き、タグ(<>)はすべて半角で入力すること。
 Aタグは、<〜>と</〜>が一対となって機能するので、特に後で閉じる</〜>を忘れないこと。
 Bサンプルのスクリプト「index.html」は、最小限の構成であり、本格的に作る場合には、市販の『タグ辞典』などを参考にするとよい。
 Cサンプルのスクリプト「index.html」の「index」には特別の意味がある。HPを内容的に充実させるには、複数の「〜.html」スクリプトを組み合わせて構成するが、一番最初に表示すべき「〜.html」スクリプトは、「index.html」としなければならない。
 D「〜.html」と、省略形の「〜.htm」とは同じものと考えてよい。
 E<IMG SRC="hanami.gif">のような画像指定での注意としては、
(1)「〜.html」と画像ファイルが同じフォルダーになければならず、別フォルダーの画像を指定する時には、<IMG SRC="別フォルダー名/hanami.gif">のようにする。
(2)<IMG SRC="hanami.gif">で指定された hanami.gif というスペルは、画像ファイル名と同じでなければならず、Hanami.gif とか HANAMI,gif であってはならない。

 さて、これでみなさんのPCにあるブラウザでテスト表示させることができるはずなんです。テスト表示という訳は、HPの素材をプロバイダーのサーバーに転送していないで手元で表示確認をするので、テストということです。
 「マイドキュメント」フォルダーの、「testhp」フォルダーの「index.html」をダブル・クリックすれば、「Internet Explorer」が自動起動します。それで、皆さんが入力したHPが表示されれば、とりあえず合格ということです。じゃ、そこまでの操作を実習してみましょう。
 ガヤガヤガヤガヤ、カチャッカチャッ、ガヤガヤ…………(2001/07/28)

2001/07/29/ (日) 夜明けに開花する孤高の蓮の花!

今日は参議院選挙の投票日。既に、オレは先週不在者投票を済ませている。
 人間世間は、これからも何かと大変な騒ぎとなろうが、夏の自然は泰然自若として静かな営みを繰り返しているようだ。アジサイはその出番を終え、うっとりとさせる香りを放つクチナシも咲き終えた。何となく中国をイメージさせるサルスベリやフヨウが豪華に咲き乱れ、オシロイバナ、カンナ、アサガオといった夏の懐かしい常連たちも顔を揃えている。ふと、どうしたのかと気掛かりだったセミの声もようやく耳にするようになった。
 今年は、撮影にゆく機会を逸してしまったが、夏の花といえばやはりその神秘的な「蓮の花」を挙げないわけにはゆかない。
 例によって、下の「写真表示」のボタンをクリックしてみてください。
 昨年の七月、夜明け前に出向き、開花する五時代に撮ったものです。町田市の薬師池公園の「大賀ハス」です。昭和二十六年、故大賀一郎博士によって千葉県検見川遺跡で、2000余年前のハスの実三個が発掘され、そのうちの一個だけが発芽に成功し、限られた場所に株分けされてきた末裔だそうです。弥生、縄文時代の夏の光景が、時代を飛び越えて再現されたというわけなのです。
 ハスの花は、日中はあたかも桃の実のような形で閉じ、夜明け前だけに開花するのです。何故なのだろうと探求心をそそられもしますが、一日の最もすがすがしいひと時のみを自分の時として選び、他の植物の常識からさりげなく離れる、そんな孤高の姿が興味を感じさせます。さらに、二千年を超えた種の驚嘆すべき寿命にも、神秘的な力を想像させずにはおきません。
 したたか、などという小細工風の響きがある言葉では言い尽くせない、むしろ悠久とも言うべき生命力の偉大さに感嘆してしまいます。初夏から夏の間のハス田は、ハスの葉がうっそうとして茂り埋め尽くされてしまいます。幾重にも大きな葉で覆われて作られた日陰は、暑さを避けるマガモや、他の小動物たちに憩いの場を提供してもいる。しかし、冬場の地上の光景は見る影もなく、無そのものが露呈されてしまいます。そして、やがて季節が巡ってくると幾度となく鮮やかな彩色をみごとに再現し切ってしまうのです。
 大賀ハスに限らず、他のハスも、いや他の植物すべての営みが、東洋人に栄枯盛衰、流転、輪廻などの原初イメージを、色濃く刻み込んだのだとつくづく思わされます。(2001/07/29)

2001/07/30/ (月) いよいよ、待ったなしの痛みがやってくる?

 米国のネットバブル後遺症が予想以上にひどく、また長期化する見込みが伝えられています。ネットバブル時から、流される経済情報の真偽に関しては吟味を要するという状況がありましたので鵜呑みにはできません。特に政府系の情報は、わが国同様、株価への影響が必然ですからとかく割り引いた受け止め方が必要となります。
 こんな中で信用性の高い情報といえば、投資家に直接影響を及ぼしてしまうことになる立場で景気判断をビジネスとしている株取引アナリストたちの発言だと思われます。結論から言って、彼らの読みでは、今年下半期での景気底打ちと緩やかな反転というこれまで期待されてきた事態は望み薄で、むしろ来年上半期においても難しいと、現状の材料は示しているそうです。いわゆるIT関連ベンチャー企業の業績の悪化が、目を覆いたくなる惨劇のようなのです。詳細はともかく、この事態から米国株価をさらに悪化させ、連動するただでさえ迷走する日本経済を、今後さらに撹乱するだろうことが予想されます。
 さまざまな不安定な時代現象が発生し、何を基準と見なし、何に棹差せばよいかに迷う時代環境なのですが、ふたつのことを考えます。
 ひとつは、以前にも書いたとおり、これだけ世界各国が経済を初めとして緊密な相互関係を形成している以上、世界の動きをこそ注意深く観察しなければならないという点です。そして、二つ目は、現在のわが国が政治を初めとして、余りにも国際的な客観的事実から遊離、浮遊しているのではないかという危惧です。
 参議院選挙の結果は、予想どおりの情緒的結末でしたが、とりわけ開票速報番組が、折からの盆踊り大会と、能天気な雰囲気において酷似していることに、生理的な嫌悪観を呼び起こさせます。これから始まるであろう人々の本当の痛みを想像できず、「万歳、万歳」を叫ぶ者たちの姿は、特攻兵や、学徒出陣や、赤紙召集令状で出陣する兵士たちに向けて叫ぶ過去の光景に通じるものをさえ感じとってしまいます。
 現代という時代は、どんな領域であっても荒っぽい総論で済ませられる環境ではなく、各論としての具体的実現方法のよしあしが問われる時代のはずです。各論的なレベルでの個々の選択肢の優劣が論理的に競われているのが、国際的なスタンダーズ=標準となり始めているのではないのでしょうか。そして、優れた各論という戦術は、大局をにらむ戦略や、哲学、そして協力者を募る組織論などによって裏打ちが与えられるものです。何しろ思いつきで改革されるような単純な問題などはもはや残っていないのですから。
 にもかかわらず、単なる情緒的言動と雰囲気を最大限に利用して、決して経験が浅くもなく、若くもない政治家が為したことの、どこがさわやかなのでしょうか。こうした「禁じ手」を臆面もなく使える老獪な政治屋を見抜けない国民側の政治的甘さはかねてから指摘されてきましたが、日本人の情緒性の良さは良さとしながらも、もう少し差し迫った自分たちの苦境を、そして将来を賢く、論理的に見つめる姿勢を持つ必要があるでしょうね。海外の人々がそういう評価をしているだけでなく、わたしも痛切にそう思います。
 言葉だけの痛みに耐えられると言う人は、実体験のない人ほどそう言うものでしょうし、多分ご本人もそうなのでしょうが、実効性のきわめて薄いセイフティ・ネットや知恵のかけらもない対策などは、かなりの確率で、百万社単位の倒産、数百万人の失業者を生み出すのではないかと思われます。その社会不安が、人々の生存を脅かしたり(既に、こうした人々が百万人に上っているとの情報もあります)、凶悪犯罪を誘発し、日常生活を脅かしたりする蓋然性の高い危機はどの程度シミュレーションされているのでしょうか。
 構造改革が推進されるにせよ、またぞろ骨抜きにされるにせよ、国際情勢から見るなら事態の悪化は変わらないでしょう。さしあたって、環境の変化の小さな事実にもいろいろな兆しを読み取ってゆきたいと思っています。(2001/07/30)


2001/07/31/ (火) 「似て非なるもの」に包囲されて生きるわたしたち!

 再び猛暑が戻って来た。気だるさの中で、こころが許せる夏という季節を探すのだが、ただただ不快な気温と湿度以外に見出せるものがない。都会の夏は、不快なものだけが残されてしまった季節の抜け殻なのかと、ふと感じてしまった。
 「似て非なるもの」と題した小文で、藤原周平が農村の変化について書いているのが眼に留まった。都会の激変は、昭和30年代から始まったのだが、この推移は、農村も同様であったらしい。同時期から、農作業の機械化が進み、昭和30年代後半以降、農業近代化の名で農村改革が「せわしなく」進められ、「馬も牛も姿を消して、かわりにトラクターが田圃を這い回った。村のそばを流れる川は生活汚水と農薬で濁り、背骨の曲った魚が泳いだ。機械化はその後もすすんで、いまは田植え機とコンバインが田圃の主役である」と。
 そして、農村光景について以下のように叙述していた。
 「しかし私は近年になって、農村は急激な近代化をついに消化しきれずに解毒不能の毒が回ったのではないかと疑っている。陳腐な言いぐさだがむかしの農村には自然と共存するよろこびがあった。しかしいまはどうか。農薬まみれの自然、バイオテクノロジーがらみの自然とは、共存は可能でもそこによろこびがあるとは思えない。草は緑、小川の流れの水は澄んで、一見してむかしと変わらない農村風景に、私は近ごろふと似て非なるものを見てしまうといった感想を、郷愁ではなく漠然とした懼れから記しておこう」
 自然というものを想起させる農村が、外見は人々の遠い思い出を湛えていようとも、「似て非なるもの」だと言わざるを得ないところにやり切れない哀しさがある。とともに、直接的には自然を配慮する緊急性を持たない都会に、人間的な夏という季節を探そうとすることなどは、まったく埒外のことなのかとも悟らされるのが辛いことである。
 だが、思い返せば、われわれを取り囲むあらゆるものが「似て非なるもの」で埋め尽くされている可能性が高いのではなかろうか。クーラー、扇風機の風は、汗を抑える冷気と感触を持ちながらも、林を吹き抜ける涼風には及ばない。無菌化された水道水はもちろんのこと、ペットボトルで売られる水でさえ源流のせせらぎとは異なる。ガーデニングされた観葉植物も、パックされた生鮮食品も、すべて「似て非なるもの」をそれでよしとして受け容れて生活しているのが動かしがたい事実なのである。
 しかも、オリジナルな自然を知る者たちが次第に少なくなり、人為的にコントロールされた「自然」を自然として見なす世代がメジャーとなってゆく時代なのである。藤原周平も書くとおり、郷愁という観点だけで物議をかもすことはないのかもしれない。ただ、「人為的なコントロール」が盲信されてよいほどに完成されていないのも残念ながら事実なのではなかろうか。むしろ、極めて初歩的な人為的ミス、あるいは意図的な暴挙によってコントロールが歪められたことを、われわれは見聞しなかったわけではないのだから。
 ところで、われわれは失われた自然の代替物たる「似て非なるもの」を受容してゆくプロセスで、さらに過激な「似て非なるもの」をも、それはそれとして受け容れてきていることも再確認しておいてよいかと思う。つまり、コンピュータの駆使によって生み出されたバーチャル映像であり、バーチャルな環境のことである。これらも含め、われわれ現代人は、「似て非なるもの」の壮大な複合の中で生きているわけです。
 せめて、生身の人間関係、そして多くの人々の生死が掛かった政治に、悪質な「似て非なるもの」が紛れ込まないことを、ただただ願いたいものです…………(2001/07/31)