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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





………… 2001年11月の日誌 …………

2001/11/01/ (木)  再び、"How to do!" から"What to do!" を考える!
2001/11/02/ (金)  一見、地味と思われる「問題解決型」の"What" 探し!
2001/11/03/ (土)  新たに芽生えている「情報ニーズ」をどうキャッチするかという課題!
2001/11/04/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (12)
2001/11/05/ (月)  シミュレーションや「経験」の商品化とそれらへのニーズ!
2001/11/06/ (火)  安全(セキュリティ)へのニーズと「盲目的に信じる」姿勢、「チェック」!
2001/11/07/ (水)  「トロイの木馬」型のワームは、平凡な人を犯罪者にも仕立て上げる?!
2001/11/08/ (木)  人間のニーズの変化と追いかけっこの商品交換経済!
2001/11/09/ (金)  商品としてのモノは、観念的なサムシングを運ぶ容器!
2001/11/10/ (土)  「モノばなれ」して「ソフト」指向となる人間の欲求!
2001/11/11/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (13)
2001/11/12/ (月)  モノへのニーズから、「ソフト」へのニーズへの推移!
2001/11/13/ (火)  負の「悪循環」がヒートし、さらに地下深く温存された「悪循環」!
2001/11/14/ (水)  「リスク社会」という新語は、何を問いかけているのか?!
2001/11/15/ (木)  危機やリスクの日常化と、文化的ボーダレス化!
2001/11/16/ (金)  日本人のリスク観は、やっぱり集団主義に根ざしている!
2001/11/17/ (土)  リスク対処能力を高めるのに、リスクを犯さない方法があるか?!
2001/11/18/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (14)
2001/11/19/ (月)  公共事業に依存する経済体質から抜け出すには?
2001/11/20/ (火)  不況に加えての「少子化」問題であえぐ学校関係者たち!
2001/11/21/ (水)  知り合いからのメールでも、不信な場合は「添付資料」は開かないこと!
2001/11/22/ (木)  大人はあどけない子どもに責任を負い、政府は勤勉な国民に責任を負う!
2001/11/23/ (金)  本来は、失業対策どころか職業選択のサポートが期待できる時代!
2001/11/24/ (土)  200日継続して書き続けて思うことあれこれ!
2001/11/25/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (15)
2001/11/26/ (月)  「貴社のIT事業分野にあてはまるものはどれですか?」
2001/11/27/ (火)  流通すべき貨幣が停滞しているデフレ現象とは?
2001/11/28/ (水)  ハードウェアのボトル・ネックが取っ払われたかの昨今!
2001/11/29/ (木)  現在の不況は、われわれに従来の経済観念の変更をも迫っている!
2001/11/30/ (金)  下手な経済行為は、下手なコミュニケーション行為と同根!



2001/11/01/ (木)   再び、"How to do!" から"What to do!" を考える!


 新市場(新事業)の模索が、やはり然るべき企業では試みられているようだ。地域新聞にもそうした情報が報じられている。中には、いわゆるビジネス・モデル特許を申請して、有望かと想像させる動きもありそうだ。昨日注目した"Howto-ism"から、"What-ism"への挑戦だと言える。こうした挑戦によってしか、現在の袋小路からの脱出はないと感じられるだけに、触発されるところがある。
 従来の市場に、"Howto-ism"を活用した上での低価格化路線で挑むのもビジネスのあり方であるには違いない。だが、いくさにおいて、戦って勝ついくさより戦わずして勝ついくさこそ価値あると言われるように、価格戦争をせずに勝てる道があり得るのならこの道をこそ編み出すべきであろう。

 昨日のテーマを、"How to do!" から"What to do!" へという一般的な表現で置き換えて、この発想転換に一体何が潜んでいるのかを探ってみたい。
 現代は、如何に為すべきか("How to do!")の難易度よりも、何を為すべきか("What to do!")の方が困難だとして自覚される時代だと言えるであろう。そのサンプルを思い浮かぶままに列記してみる。

 ・如何に指示されたことをこなすかより、何をやるべきかを考えることの方が難しい!
 ・如何にPCを操作するかより、操作する目的を自覚することの方が難しい!
 ・何かを如何に学習するかより、何を学習するかを決めることの方が難しい!
 ・如何に努力するかより、何に向かって努力するかが難しい!
 ・如何に旅行をするかより、どんな「旅」をするかが難しい!
 ・如何に生活するかより、どんな「人生」を生きるかが難しい!
 ・如何に製品を作るべきかより、どんな新製品を作るべきかが難しい!

 要は、「手段」の豊富化、精緻化は溢れるばかりなのに対して、「目的」に相当するイメージなり、方向なりが捉えどころをなくしている、あるいは、従来暗黙のうちに「目的」の位置にあり、自明の理でさえあったものが形骸化してしまい、いざ問い直してみると茫漠としている、と言ったところなのであろうか。
 長い期間、眼を向ける必要がない程に安定して存在してきた「目的」内容、例えば「協調性」でもよいが、「個性尊重」の価値観や「慣れ合い」に基づく不祥事などが登場するに至り、手放しでは賛歌できなくなったりすると、指示されないでする自主的な行動をどこに向けたらよいかが簡単ではなくなってくるといった事情もあるやもしれない。
 自主的な行動は、単なる「量的」追加では済まず、周辺の人々に拒絶されるかもしれない「質的」な判断=価値判断を持ち込むことになっていると、大袈裟に言えばそう言えるのではないだろうか。
 ともかく、人々に共有された「目的」の長期安定時には、"What to do!"を問う必要がないだけに"How to do!"という「手段」のみに生産者も消費者も眼を向けていたのではないだろうか。"How to do!"路線の「より良いものをより安く」を生産者が作り、「より良いものをより安く」を消費者が買うという循環で回ったと言える。

 しかし、少しずつ市場の事情が変化していった。消費者は、モノを買うのではなく、それに付着したイメージを買うのだと、ある時期から指摘され始めたが、さらに、イメージを買うだけではなく、さらに向こうに見え隠れしている時代の新たな「目的」を買う、あるいは時代の新たな「目的」を意識して消費行動をとり始めたと言えば言い過ぎであろうか。
 米国のハイテク・バブルは、人々が、IT産業によって景気変動を根絶した素晴らしい米国という「目的」イメージを買ったのではなかったのだろうか。そして、現在その「目的」イメージが破綻しただけではなく、同時テロによって「目的」に関する悲観主義が浸透してしまうことで消費低迷に帰着していると言える。
 一国の経済全体の推移というのは、小手先の政策なんかではなく、その社会が明確な「目的」を掲げることと密接な関係があるのだと痛感するのである。

 とともに、ミクロなレベルでの新市場開発というのは、「量的」に漸進的な商品・サービスの提供によって生み出される時代は終焉し、新たな「目的」・「価値観」要するに「質的」な差異をこそ世に問う商品・サービスの提供によって生み出される時代なのか、と考えるのである。このリスク・テイキングな冒険をまともに思案してゆかなければならないところまで、われわれは来てしまっているのだ……(2001/11/01)

2001/11/02/ (金)   一見、地味と思われる「問題解決型」の"What" 探し!

 また今日も "What-ism" を考える。前々日に言及したとおり、邱永漢(きゅうえいかん)氏が「お金の儲かる商売を見つけること」即ち「魚の居場所を探し出す」と言った時、では、どうしたら魚のいるところがわかるのかという当然の疑問が出てくるはずである。氏は、「それは、経験的にわかるとか、勘が働くということでしょう」と述べているにとどめる。要するに、何をどうするならわかるといった並みの "Howto-ism" では迫れず、まさにこれを超えた方法しかないということなのであろう。この点は、いろいろなことを物語っているように思われる。

 "What" が定まれば、"How to" がいもづる的に導き出されていくのが現代の時代環境である。何を作るか、何を商うかの的が定まれば、その大半のプロセスは相応の支出を覚悟するならパーフェクトにその筋の人たちに注文することができる世の中なのである。工場設備など所有する必要や、店舗さえ設ける必要はなく、あとすべきことと言えば宣伝・広告ぐらいであろう。これさえも、"What" に新規性と魅力があれば、無償でアピールしてくれる媒体がこれまた五万とあるのだ。だから、"What" がトリガー(引き金)の時代だということなのである。その分、この"What" を見つけ出すことが容易ではなくてもしかたがないのである。

 釣りの話であるが、ある時近郊の山間部にバーベキューキャンプに行ったことがあった。その近くに、釣りに適した感じを漂わせる小さな湖があり、キャンプ客がやたらに竿を垂れていた。しかし、誰も何も釣り上げてはいないようであった。
 釣りに中毒的な関心を持っていた時期だったので、当然クルマには釣り道具一式、二式は用意していたため、とりあえず挑戦した。で、その時、ふたつの観点に着目したのだった。晩夏とは言え、結構暑い日であった。魚だって、ぬるい水温より、冷たい水温を好んでいるのではないかナと。すばやく、釣れていない多くの人たちの釣り道具のタナ(うきから、針までの長さ)をそれとなく観察すると、ほとんどの人たちが、この湖の深さを知ってか知らずか、1メーター程度の浅い部分、水温が高い部分をターゲットにしていたのだった。
 わたしはその湖の深さを錘で測り、2メーター以上のタナをとり餌をつけて投入した。うそのような反応が現れたのである。うきがキューンと沈み、竿先に激しい当たりが伝わってきたのだ。20センチ以上のアマゴであったかが見事ヒットしたのだった。そして、第二投にも同様の当たりが生じ、同等クラスが上がった。
 多くの釣り人の衆目を集めることとなり、帰り支度を始めていた釣り人が再度挑戦し始める始末であった。

 こうした思いがけない釣果を上げることが時々あった。だから、釣りに凝る時期があったのである。が、現在は醒めている。がんばっても釣れない時期も長かったからでもあるのだろう。
 思うに、魚の習性を知り、魚の気持になり切れば、一定程度魚の居場所は推定できそうである。まずいのは、釣り人の感情をむき出しにすることであり、自分が涼しい木陰で、すわりの良い場所で釣りたいと思うからそこで釣るというようなスタンスは、よくビギナーにありがちだが、これはダメに決まっている。
 撒き餌で魚を集めるというのも、釣堀のふな釣りの常道なのだが、これも如何なものか。"How to" を駆使し始めるなら「魚群探知機」にまで行き着いてしまうではないか。

 釣りの話が本題ではないので軌道修正するならば、"What" で思い悩む領域は、やはり、自分の良く慣れ親しんできたジャンルが良いかと思われる。そのジャンルでの自分自身の感じてきた「悩み」というのがきわめて手堅い"What" 探しの材料となるはずだということなのである。
 とかく、不案内なジャンルの"What" 探しをするならば、とっくに解決されたり、試されたりしてきた課題を、独りよがりで後追いする愚を犯しがちとなり、時間と労力を浪費するからである。第三者であるがゆえに、斬新な発想を持ち込む場合はそう多くないと見るべきであろう。

 "What" 探しは、創造力(想像力)の問題とまったく同様なのであって、その確かなきっかけは、現状の問題、現状の苦痛、現状のトラブルなどなど現状のマイナス事象なのである。華やかな姿は結果として出てくるとしても、最初からそうしたプラスの姿のイメージを追っ駆ける方法はどうも違うように思われる。
 然るべきジャンルをとりあえず設定して、そのジャンルでの自分の感じてきた問題点、悩みを掘り下げてみる、また同ジャンルでの他人の苦労や失敗なども好材料となるはずなのである。一見、地味と思われる「問題解決型」の"What" 探しが、意外と大きなアィディアのトリガーとなるものである。(2001/11/02)

2001/11/03/ (土)   新たに芽生えている「情報ニーズ」をどうキャッチするかという課題!

 製造業が経営的に難しく、期待されるのが「情報化社会」を推進し続ける「情報処理」産業だとしてみよう。「情報処理」が生み出す価値とは一体何であるのだろうか。今日のテーマもやはり"What" 探しの延長線上の問題としたい。

 ところで、"What-ism"(わたしの造語!)というのは、既成概念や常識から自由になって、と言うかそれらがアブナクなってきたために頼れなくなって、従来の方法論全能主義をやめ、「何を?」という「目的」それ自体を問い直すべし!という発想であった。
 したがって、「情報処理」という言葉に関しても、従来どおりのコンピュータ処理、たとえばコンピュータ・プログラム作成、データ入力などの、コンピュータなしでは始まらない業務だけを指す捉え方を一度白紙にして見つめ直す必要があると考えている。
 もちろん、コンピュータ処理をすることが当該の業務処理にとって効果的であるなら(その場合が圧倒的に多いはずであろうが)当然、活用すべきなのである。
 強調すべきは、「情報処理」は「コンピュータ処理」を含むのだが、コンピュータ処理だけが「情報処理」のすべてではないという事実なのである。「公式的」職業分類がどう定義されているかの問題もあるだろうが、経済構造の大改革をテーブルに上げているのなら、そんな分類こそ暫定的なものだと見なして構わないはずであろう。

 そもそも、「情報」を何らかの「処理」をして商品とするということは、何を意味するのであろうか。そんな初歩的な問いかけから再スタートしようとするのが "What-ism" なのである。そうすることで、見過ごしてきた「魚の居場所!」たる "What" に行き当たる可能性があるかもしれないと "What-ism" は期待するのである。

 モノを加工処理すれば商品となることは誰でも分かる。その加工処理のあり方が、消費者(次の生産者である場合もある)の望む形態であれば価値が増す。生のサンマは、焼いておろしを添えるという加工(?)で商品価値を増すものである。
 「情報」の「処理」が商品となる形でわかり易いのは、このモノの加工処理のプロセスと直結している場合であろう。
 『サンマ自動焼きレンジ』なるものがあり、焼き具合のための熱や時間がプログラムなどの「情報」活用によってコントロールされ省力化されているとする場合などは、ベテランの調理人の人件費削減分の商品価値が主張されても当然ということになるかもしれない。こうしたモノ作りを効率化の観点でサポートするために、コンピュータ・プログラムという形の「情報」、「情報処理」が商品となることは分かり易いだろう。

 直接モノ作りの現場ではなくとも、商品が氾濫しているのが現代であるが、教育現場ではどうであろうか。学校経営者は、受講者の、モノのように眼に見えるものではない「能力」に付加価値をつける(=向上させる)一連の「サービス処理」を施すことを商品にしていると見なされよう。すでにここで、たとえコンピュータを使用しなくともある種の「情報処理」が展開されているのだと考えることも不可能ではない。
 だが、ここでパソコンを教材として使い、より教育効果が上がるソフトが期待された場合、これを提供するとなれば立派な「情報処理」に基づく商品提供ということになる。直接的に、眼に見えるモノの価値を高めるわけではないが、ここでもベテランの教師の人件費を十分に肩代わりするとなればその価値が主張されて然るべきなのであろう。

 こうして考えると、先ずわれわれは、商品価値を眼に見えるモノと見なしがちな古い先入観(わが国の『民法』は現在でもこの考えをベースにしている!)から解放されなければならないようだ。既に、わが国の産業構造もモノ作りの製造業という第二次産業を上回る第三次のサービス産業が占めている時代である。そして、今、製造業の将来が危ぶまれてもいるのだ。
 「情報化社会」と呼ばれる産業社会は、コンピュータを使うかどうかは別として、何らかの「情報」が経済活動で重要な役割を果たすようになった社会なのである。そして、コンピュータと通信技術が、この動きを効率的、効果的に推進し始めたのが現代だと言えるのである。

 原点に立ち返って現代の状況を見る場合、IT(情報通信技術)自体が価値を生み出す部分を見るよりも、「情報」が商品価値を生み出す社会現象をこそじっくりと睨む必要があると思われるのである。前者と後者は、相互に影響を与えあっていることは事実であるが、どうもITが独立独歩で産業を活性化させてゆくかのような風潮が本末転倒だと思えてしかたがないのである。
 ITバブルから「しらふ」に戻った米国では、インターネット熱も冷めていると言われるが、要は器の物珍しさに群がる時期から、内実、つまり自分と「情報」との関係がじっくり見直されているということではないのだろうか。

 先日、ある情報誌に「テレビドラマでタレントが着ていた洋服のブランドや旅番組の旅館・店舗の名称といった情報をオンタイムで検索しアクセスユーザに提供」というサイト上のサービスの登場と、そのためのデータ収集とデータベース化という情報処理という記事があった。
 関心を持ったのは、こうした形の「情報ニーズ」の発生がなるほどと感じさせた点であったのだ。新たに芽生えている「情報ニーズ」をどうキャッチするかという課題こそが、これからの「情報処理」産業に携わるものたちのマークすべき点なのである……(2001/11/03)

2001/11/04/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (12)

 海念さんには、実家への訪問の結果をどのように報告したものかと、保兵衛は思案しながら歩いていた。やがて境橋が見えてきた。ふと振り返ると、静(しず)がまだ家の前で手を振っていたのだ。保兵衛も大きく右手を振って応えた。
 また訪ねることができるだろうか?いや、品川宿への使いに出た際にちょっと立ち寄ることぐらいはできるだろう。そう思うと、気が楽になり、さらに大きく手を振って静(しず)に応えるのだった。

 陽はもうだいぶ傾き始めていた。境橋の下の川原周辺のすすきが、傾き始めた秋の陽で白い穂が透けて輝いて見えた。川面には低くなった太陽が赤くまぶしく照り映えていた。
 保兵衛は、海念と打ち合わせしていたとおり、境橋を超え宿場街道を程なく行ったところから左に曲がり、夕陽の方向の林への道を進むのだった。この道は北馬場(きたばんば)駅から街道へと続く商店街の道ではないのかなと想像した。
 そう言えば、現代からこの時代へやってきて一日が経とうとしている。自分がいなくなったことで、家族や親戚の人たち、そして学校のみんなも心配しているんだろうな……と急に気持が沈んでゆくのを感じる保兵衛だった。
 伝馬舟に乗っていた自分の姿を見た人の証言が出て来るんだろうな。それで、目黒川の捜索が行われるのかもしれない。紺の帽子に紺の制服を着た警察官たちが、大勢舟に乗って長い竿で川をつつきまわして探すのだろうか?土佐衛門になっていると見なされてしまったこのぼくを……。ああ、いやだいやだとそんな想像を振り切るように保兵衛は頭を左右に激しく振るのだった。
 もし戻れても、こんなことを説明したって誰にも分かってもらえるはずはないだろうな。どうしよう、とまた心配の種が芽生えてくるのだった。そのうち、そうだ、東海寺で気絶して倒れていたと言うしかないかな……それしかない、そうしよっ!とやや投げやりな考えに無理やり持ってゆくありさまだった。

 夕陽の木漏れ陽だけで薄明かりとなった林の中の、細い獣道を進んだ。ひんやりとした空気が保兵衛の心細さを促すのだった。
 と、前方のやや木々が途絶えた草地に人影が見えた。海念だった。保兵衛は、ほっとするのだった。海念は、倒木に腰掛け、手にした「けんだま」をじっとながめていた。
「遅くなってごめーん!」
と、声を掛けながら保兵衛は海念のもとに走り寄った。
 もの思いに耽っていた海念は、どきっとした。が、保兵衛だとわかると表情が緩むのだった。
「ずいぶんゆっくりでしたね。薪は二人分を集めておきました」
「ごめんなさい。海念さんに手間ばかり掛けさせて……」
「どういたしまして。さぁ、暗くならないうちにお寺へ向かいましょう。母上も、静(しず)も変わりありませんでしたか?」
「はいっ、お二人ともとてもお元気そうでしたよ。お母さんは、元気そのものでいろいろお話してくれました」
「どんな話が出たんでしょう?……」
 海念は、保兵衛が背負子を背負うのを手伝いながら聞いた。
「たくさんあったのだけど、ぼくは、海念さんとますます友だちになりたいと思った。ぼくなんかと違って、海念さんは一生懸命で生きてるっていう感じがじっくり伝わってきたもんね……」
「そんなことは……」
 海念の確かな足取りの後を、保兵衛は離れないようについて歩いた。一日の活動を終え、眠るためにねぐらに戻った野鳥たちが、木々の高い枝葉の中でザワザワとしていた。林の中は一足先にすっかり、暗くなろうとしていた。と、途絶えていた会話を、海念が再開したのだった。
「あっ、そうそう、保兵衛さん。ひとつお聞きしようと思ったことがあるんです。いいですか?」
「はいっ、何でもどうぞー」
「さっき、保兵衛さんが戻るのを待っている時、けんだまの練習をしてみました。楽しいものをいただいたと感謝しています。で、……」
「それで、どうかしたの?」
「けんだまって面白い玩具だなあと、じっくり眺めていたんです。そうしたら、小さな楕円形の紙片が貼ってあるのを見つけたのです」
「多分、そのけんだまを作ったところの名前だと思うけど……」
「そうでしょうね。しかし、そこに『品川』という文字があるんです。『東』という字と『京』という字があり、小さな点の後に『品川』とあるんです。この品川と何か関係があるんでしょうか?」
 保兵衛は、それを聞き頭の中にガーンという響きが広がるのを自覚した。そして『いやー、今度こそ、もう隠せないぞ……』と観念するのだった。
 と言うより、保兵衛はもう海念には打ち明けたい、打ち明けなければいけないのだとわだかまっていた気持ちに、思いがけないきっかけが与えられたことを歓迎していたのかもしれなかった。
「海念さん、ちょっと折り入っての話があるんです……」
保兵衛は、立ち止まり、改まった口調となるのだった。
 二人は、既に暗い林を通り抜け、寺が見通せる畑地を貫く道にさしかかっていた。西の空に朱色の残照のみが漂い、秋の日は今まさに暮れようとしている。
 沢庵和尚に見出されたのが、昨日の今時分なのであった。たった丸一日しか過ぎていないのに、保兵衛にはとてつもなく長い時間が経過したように思われてならなかった。
「えっ、わたしの質問と繋がっているようですね?」
「そう!けんだまの『品川』とは、ぼくらが今暮らしているこの品川の三百年以上将来の品川なんです」
「何ですって?保兵衛さん、今何と言いました?」(2001/11/04)

2001/11/05/ (月)   シミュレーションや「経験」の商品化とそれらへのニーズ!

 ビジネスの観点で、現代人の新しいニーズ(欲求)を追跡する場合、先ず二つの点に注意を向けたい。
 1.便利さの追求と、そこからの離脱!(「Quantity 量」から「Quality 質」へ)
 2.経済レベルと非経済レベルの問題(「有効需要」かどうかという点)

 以前、社内に「演劇同好会」なるものを作り、演劇指導の先生を外部から招いていたことがあった。直接的な動機は、仕事のベースに根づいていた。
 かねてからソフト会社向けのリーダ、管理職のセミナー講師を申し受けていたのだが、技術職受講者たちが一様に対人関係における表現力に問題があることに気づいたのだった。一日の大半を、コンピュータなどの「非」人間対象と向き合ってきた技術者たちにとって、当然と言えば当然のパーソナリティ結果なのである。しかし、昨今のプロジェクトは、込み入ったコミュニケーションを必要とするばかりか、その不首尾が思わぬトラブルを誘発し、生産性の低下に直結することが少なくないのであった。
 そこで、セミナーの教材としても、模擬的なソフト開発現場を舞台としたロールプレイングという設定などを盛り込んだシミュレーション教材を作成したりもしたのである。
 基礎的な演劇学習は、きっと対人表現力を活性化するに違いないと思ったのだった。

 この同好会に参加してみて感じたことは、やはりプロの演劇への視点は素人の想像とはまた別なのだと感じた点、また、架空の人物を演じるということが意外と楽しいという点であった。
 たとえば、ある日、街中で偶然に知人に遭遇して驚き合うという簡単な脚本があった。記憶に残っている先生からの指導は、スタート時の視線の向け方であった。緊張して、気になるものだから最初から遭遇する相手に視線が向けられてしまいがちだ。それが不自然だという至極当然の指摘なのであった。また、カラ元気となりがちで、リアリティに乏しくなるという指摘も覚えている。
 人間には、自分とは別な何かを演じるということに楽しささえ感じる部分があるのかもしれないと、そう思ったものだった。

 現在、楽しまれているコンピュータ・ゲームの大半は、何らかのロールプレイング機能が仕組まれているようだ。やはり、「何か別者となろうという経験」はひとつの楽しさ、アミューズメントであるに違いない。思えば、子どもの「ままごと」遊びや、「鬼ごっこ」だってこの道理を物語っていたはずなのである。

 以前に書いた未来学者・アルビン・トフラー( 2001/10/15 激動の中で、今後の変化の方向をどう予測してゆくのか!)は、同じく 著書『未来の衝撃』1970年の時点で、「製品をつくる場合、心理的要素の演ずる役割はますます重要なものとなっていくであろう」、「サービス分野における心理的要素の拡大化」と述べ、『経験産業』(「あらかじめプログラムを組まれた"経験"だけが唯一の製品である特定産業」)が登場すると予測した。
 「これから重要になってくる経験商品は、お客に冒険、危険、性的刺激、その他の快楽を、その人の生活や名声をそこなうことなく安全に味わわせる模擬的環境に関連したものであろう」と、多少危なげなジャンル(?)をも含んだ想定を予測をしている。
 ディズニー・ランド、ディズニー・シーなどは、まさにこの好例だと言えるし、パイロット養成のためのシミュレーターも確かな例として挙げることができる。

 こうした単なる便利さという商品価値を思いっきり飛び越えた商品価値を商い、享受するといった可能性が確実に到来していると考えてよいと思われる。これらの商品は、便利さという究極的には時間節約という「量的」視点では取り扱えない「質的」商品価値だと言えよう。
 ただ、こうした商品にニーズ(欲求)を感じ、しかも相応の対価を支払うかどうかが貧乏社会、遅れた文化社会では問題となるのである。それが、2.経済レベルと非経済レベルの問題(「有効需要」かどうかという点)なのである。
 パソコンという、とてつもなく潜在パワーを秘めた道具の価値でさえ容易に受け容れられない社会では、こうした高度な人間的ニーズとその商品が流通してゆくことは困難なのであろうか……(2001/11/05)

2001/11/06/ (火)   安全(セキュリティ)へのニーズと「盲目的に信じる」姿勢、「チェック」!

 現在、当然のごとく注目すべきニーズとして、安全(セキュリティ)へのニーズが挙げられるであろう。世界一安全な国だとつい先ごろまで言われていたわが国であるが、今や非常に危ない国に成り下がってしまった観がある。
 それと言うのも、残念ながら公的機関が、海外での事件の波及を水際で食い止めることができない、そんな危機管理能力しか持ち合わせていない事実が不安を増大させるからである。狂牛病が代表例となるが、過去の血液製剤も同様の不始末であった。危機意識の乏しい官僚たちによる行政の結果が恨めしいかぎりである。
 しかし、一般生活での危険は、行政に託した分野に限定されているはずもなく、自衛すべき範囲は広いと言わざるを得ない。しかも、被害者となってからでは行政の責任を責めても空しいこととなりかねないからである。

 総論的に言えば、やはりわれわれはあまりにも無防備過ぎると先ずは自覚すべきなのかもしれない。それと言うのも、顔の知れた閉鎖的な人間関係の中で、相互の信頼関係に裏付けられながら、逸脱や犯罪を抑止してきたというきわめて特殊な経験に、あまりにも長期間頼り過ぎてきたからである。
 他人を見たら泥棒と思えと言うのではなく、もっと周囲に警戒心を持つべきだと言うだけで、「そんな他人に不信感を抱くような寂しい生き方はいやです!」という応えが返ってくる人々が多い風土を、海外の人たちはどう考えるのかと思う。

 人(他人)を信じるということの真意をしっかりと把握すべきなのではないだろうか。 ただ「盲目的に信じる」というケースが比較的わが国には多いと想像できるが、これは尊敬に値する姿勢であろうか?一見、無限大の寛容さ、聖人君子を意味するようでもあるが、どうもそうではないと思われてならない。
 いわゆる「チェック」するという言葉があるが、「盲目的に信じる」というケースはこの行為を意識的に、あるいは無意識に省略していると言える。別な表現をすれば、日本人の特有の「美意識」に拠るものとも言えるし、皮肉っぽく言うなら「怠惰」だと言うこともできる。

 不安と苦悩のこんな時期にも、公的機関の役人の横領であるとか不祥事が報道されたりして、何とも情けないかぎりである。そして同様の事件は、われわれの記憶に枚挙のいとまがないほどに蓄積しているのである。「チェック」を度外視して「盲目的に信じる」という風潮こそが、公的機関での信じられないような犯罪を許してきたとは言えないであろうか。人(他人)を信じるという前向きなことが、そんなことに結びついてはいけないはずである。
 問題は、「チェック」というニュートラルな行為を、「人を疑るようで良くない!」と感じる感性やら、面倒なことを避けようとする怠惰などではないかと思う。こうした風潮、それは日本人の良き慣習であったとともに、絶ちがたい腐敗を残存させてきた大きな要因でもないかと思うのだ。そして今、個々人の日々の生活が、さまざまな悪意によって犯され始めている時、あれこれの小手先の危機管理手法ではなく、意識の持ち方自体を見直す必要に迫られているとも思えるのだが……(2001/11/06)

2001/11/07/ (水)   「トロイの木馬」型のワームは、平凡な人を犯罪者にも仕立て上げる?!

 そんなことは起こるはずがない、起こす人はいないと思い込んでいる間は、安全(セキュリティ)へのニーズも自覚されようがないであろう。できればそうでありたいのが山々だが、現実は「生き馬の目を抜く」ごとき熾烈さである。

 コンピュータ犯罪も他人事ではない様相を呈してきたと言えそうだ。先日、ある知人が「トロイの木馬」型と称されている "SirC32.exe"(W32.Sircam.Worm@mm)に進入された話を聞かせてくれた。「トロイの木馬」型のワームとは、ウィルスのように即座に発病してシステムに異常や破壊をもたらすのではなく、まさに古代ギリシャ兵がトロイに巨大な「木馬」を持ち込み、トロイ市民が寝静まった夜にその「木馬」から出撃したという話そのものの動きを仕出かすのである。しかも、システムの破壊が当面の目的ではなく、一見正常動作状態をしていながら、ユーザーがインターネットへ接続した際に、HDDのプライベート・データを見境無く外部へ送信流出させると言う。
 知らないうちに、重要なデータを漏洩させるといった被害とともに、「不幸の手紙」のように第三者にメールなどを使って自己増殖を広げてゆくというから、犯罪の片棒を担がされてしまう結果となる。最悪は、被害者からの損害賠償訴訟に直面することにもなりかねないのだ。
 いつ被害者に成りかねないケースだけに詳細を記しておくが、どうも「意味不明の英文メール」が原因だったかもしれないと言っていた。そしてその後、特に異変はなかったけれど、ほかのトラブルのために Windows98 の「システム・ファイル・チェック」をかけたその後、全てのアプリケーションが妙なダイアログ・ボックス表示によってストップする現象が現れたそうだ。リブートすればそのまま「正常」に戻るため気にしなかったそうだが、これがツールなしでの発見の方法かもしれないと述べていた。
 ワームの侵入に気づいたのは、市販の「ウィルス対策ソフト」を購入してウィルス検索をかけた時だったという。発見したそのソフトでは駆除できず、「シマンテック社」のサイトで見つけた同ワーム駆除ソフトで除去したそうなのだ。

 現在、CATVやADSLによる「常時接続」でインターネットを活用する人が増えてきているが、ハッカーたちにとってはこれ幸いと言える状況のようなのである。IPが固定となっている時間が長ければ、ピッキングの泥棒にとって作業時間が長く確保されることと似ているのだ。さらに、「トロイの木馬」型のワームが侵入すれば、情報の流出や、第三者への攻撃の時間が十分過ぎるほど確保されてしまうという事態にもつながるわけでもある。

 ここでも「チェック」するということの不可欠さ、これを度外視することは欠陥車に乗って事故を起こす責任と同様の責任問題を発生させることではないだろうか。
 それにしても、知人の体験を聞くと、ウィルス問題を他人事と感じていた楽観が吹き飛んでしまった。思うに、目に見える凶悪な犯罪が、毎日テレビ・ニュースや新聞などで報じられている現状であれば、何が起こされても不思議ではない世の中なのであろう。しかも、コンピュータやインターネットの領域は、素人には幾重にも見えないベールが被せられている一方で、この道一筋にのめり込んで歪んだ発想を増殖させている者も少なくないのが現状だと言えよう。経済的なプレッシャーが増せば、金になる!ことを動機としたアクションも増えることはあっても減ることは考えにくいと思われる。
 便利さの陰に潜む闇の怖さを、ここでも視野に入れて行動すべきなのであろう。(2001/11/07)

2001/11/08/ (木)   人間のニーズの変化と追いかけっこの商品交換経済!

 沈んだ表情となっている社員がいた。話を聞いてみると、かわいがっていた猫が肺癌になって、入院させているのだという。症状が変わらず、すでに一週間以上もペット病院に入院させ、一日当たり一万五千円程度だと言っていた。大変だなぁと思った。
 私の自宅にも飼い猫がいて、その一匹は何の変哲もない野良猫タイプだが、自分が拾ってきた上に、そこそこなついてくれるものだから、愛着が湧いている。猫なで声とはよく言ったもので、家人には無愛想な会話しかしないくせして、その猫には「リンちゃん、今日は何してたの?」などと声をかけたりする。「何、あほらしいこと言ってんだ!」と言わんばかりの涼しい顔がまたかわいかったりするもんだ。ありていに言えば、商品価値など皆無(うちの場合、かわいそうだが事実であろう)と言える猫でも、出費を出し惜しみできない心境となるものだと思う。互いに、一度だけ受けた生命を、縁あっていっしょに暮らし、気持ちを和ませてくれる存在は、単なる商品価値を超えて、貴重な存在に転じてゆくものらしい。
 前述のペット病院の院長は、ある会合で会ったことがあるのだが、誰かが「動物の治療費というのは、基準や規制があるの?」と尋ねた際、「あるようでありませんね!」とぬけぬけと答えていたのを覚えている。動物が好きな獣医も多いが、金儲け主義の獣医も確かにいそうだ。そして、ペットに対する人間の、勘定を越えた感情を見抜いているようで何ともはや……

 ビジネスに即したニーズについて思いを巡らせているわけだが、もちろん人間のニーズのすべてを、ビジネスに関係づけたり、商品交換価値との関係で観察することは一面的であるに違いない。商品となったモノやサービスでは充たされないニーズが、人間の深みなのである。木下順二演出の『つう』(鶴の恩返し)はその点を見事に描き出したものだった。商品交換経済の『疎外』構造の悲劇を見事に表現し切っていた。
 また、現在NPO、NGOといった貨幣経済を超えて人間の切実なニーズに応えてゆこうとする新潮流にも注目しなければならない。一時期は経営学の神様的存在であった米国の学者ガルブレイスが、高齢となった現在NPOの組織化に精力を注いでいる事実も示唆的である。また、昨今、『地域貨幣』の発行によって、一般市場の矛盾を解決しようとする運動も興味深い。
 何でも無造作に商品化して、その結果の矛盾や問題を無責任に社会へ放り投げている動きや、行き過ぎた弱肉強食促進に歯止めが掛からない問題など、現在の商品経済は問題含みであることは間違いないところであろう。

 だが、商品交換経済や市場という、先ずはこれしかない現実の原理を脇に置いてしまうことはできないと思われる。たとえば、一連の「民営化」問題が示しているのは、「非」貨幣経済的領域(公的管理領域、「聖域」)における「非」競争原理が、メリットが無いとは言えないにしても、あまりにも高コスト体質と無責任体質で染まり、現実の緊張感からかけ離れているという点であろう。そのマイナス結果は、すべて国民の税金負担へと跳ね返されているのである。市場経済とリンクすることが、リアルな経営感覚を維持することに必要だとみなされての「民営化」問題なのであろう。
 商品経済に基づく市場原理は基盤としては、もはやはずすことは不可能に近いだろう。この原理にどのような補正を掛けて運用してゆくのかが現代の世界的な課題だと考える。もちろん、NPOなどの「非」市場活動は、それによってしか充たされないニーズが、不幸で、貧困な層に存在する現実がある以上必須となるだろう。さらに、これらが市場経済の行き過ぎを是正することにもつながるはずである。

 こうした背景と前提を踏まえた上で、今後、市場にどのような商品が登場することになるのか、どのような新しいニーズがそれを充たす商品を要請してゆくのかに関心を向けているのである。これもまた、現在の閉塞的な経済の打開策のひとつ、新市場開拓につながると思われるからである。
 ここで着目したいのが、現代の特殊な社会環境に密着して特殊な形で派生している顕在的・潜在的ニーズへのアプローチなのである。あまりに漠然として掴みどころがない対象にどう迫れるかが課題となる。( 明日へつづく )(2001/11/08)

2001/11/09/ (金)   商品としてのモノは、観念的なサムシングを運ぶ容器!

 昨日は猫の話で、今日は犬の話となるが、自宅の飼い犬、レオ(なのにめす!)とつき合っていると、事実はそうではないのかもしれないが、そのニーズ(欲求)のシンプルさに感動(?)してしまう。食べ物へのニーズと、散歩へのニーズ、そして恐怖への条件反射なのであろうか吠えることへのニーズの以上三点でリストアップ終了!となってしまうからである。
 丹念に観察するなら、上記三点から派生した、種々のニーズを見出すことができるのかもしれない。たとえば、私の帰宅時にうれしそうに尾を振って出迎えるのは、親愛に関するニーズだとか……。しかし、その後すぐに「伸び」の姿勢をするところを見ると、どうも散歩ニーズの延長としか思えないのだ。もう十歳だというのに、ニーズに発展というものがない。
 動物というのは、学習が欠落している分、基本的にニーズの構造が「閉じられている」のであろうか。新たな刺激や、環境変化によって、新しいニーズを次々に自覚してゆくといった人間のような発展がないようである。たとえば、「武士は食わねどたか楊枝」というような、食欲より誇りを大事にしようなどというニーズの自覚などは、訓練によっても不可能なのであろう。

 犬のニーズはともかく、人間のニーズとなるとこれはとてつもなく複雑だと言わざるを得ない。先ず、「基本的ニーズ」であるとされる飢え、渇き、活動、睡眠、呼吸、性、体温調節、哺乳、排泄など、個体の維持または種族の保存のために必要不可欠な生理的・先天的な欲求がある。
また、米国の心理学者A.マズロー(1908年〜1970年)は、「欲求段階説」なるものを唱え、人間の欲求の段階は,「生理的欲求」,「安全の欲求」,「親和の欲求」,「自我の欲求」,「自己実現の欲求」があり、一般的には暫時上昇してゆくものだという。「生理的欲求」と「安全の欲求」は,人間が生きる上での衣食住等の根源的な欲求,「親和の欲求」とは,他人とかかわりたい,他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求で,「自我の欲求」とは,自分が集団から価値ある存在と認められ,尊敬されることを求める認知欲求のこと,そして,「自己実現の欲求」とは,自分の能力,可能性を発揮し,創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求のことだそうである。そして、これらは、5段階のピラミッドのようになっていて,底辺の「生理的欲求」から始まって,1段階目の欲求が満たされると,1段階上位の欲求を志すというものだとされているのである。

 幼児にも「親和の欲求」が見出せるのではないかと思うし、「生理的欲求」が充足されなくとも「安全の欲求」を求めるアフガン難民もいるのだし、「自己実現の欲求」を充たそうとする仏陀や多くの断食僧侶も存在する(いや、この方たちは、欲望そのものを超越しようとされていたのでしたか?)ので、この説は概してこう言う傾向が見受けられるとする理念型として見ておくべきかもしれない。
 ただ、人間の欲求は、モノから離れ、社会的、文化的、精神的なレベルに迫り、この領域が実に広いものだと言う点!この点の認識が、非常に重要だと考えられる。
 一般的には、欲求は、動物的本能を想定して「欲望」と称され、その時点ですでにあさましいものと見なす偏見が紛れ込んでしまうのである。現にそうした事件や社会事象に枚挙のいとまがないだけに、常識的には納得させられる説得力があると言えばあるだろう。
 思いつく限りの比較的通りのよい「〜欲」という言葉を列挙してみると分かる。食欲、物欲、金銭欲、所有欲、愛欲・性欲・情欲・色欲、支配欲、権力欲、名声欲、知識欲などは、知識欲を除き、「三面記事」や松本清張の推理小説を連想させるものばかりである。知識欲とて、非行動的、実践なしの能書き人間を思い浮かばせる否定的な響きが込められていそうだ。多分、かつて言葉を生み出し、操作できた人々というのが、わが国の場合、仏教徒であったため欲求への否定的バイアスがかかったのだろうと想像する。

 「欲望」に対するネガティブな色めがねはともかくとして、人間の欲求とその対象は決してモノばかりではない。前述の「欲望」の内訳たる「支配欲、権力欲、名声欲、知識欲」にしてからが、やがてはモノに帰着する可能性があるとは言え、モノ自体からはかなり距離がある事柄に対象が移行している。「親和の欲求」、「自我の欲求」、「自己実現の欲求」にしても同様のことが言えたのだった。
 昨今の若い世代の言動を観察するなら、欲求がモノに向けられていた事実すら忘れてしまうほど様変わりしていそうである。欲しいモノがないわけではないのだろうが、モノを得る喜びは実に希薄であるかのようだ。むしろ、ケータイでさして深い付き合いでもない多くの「メル友」からのメールを得るという他者からの関心に満足感が隠せなかったり、過度に自尊心を優先させたり、ゲームを初めとするフィクションに強い関心と欲求を向けたり、いわゆる「モノばなれ」的欲求現象が指摘されている。

 むかし、おまけ付の「グリコ」が子どもごころを刺激したものであった。「一度で二度おいしい!」とはよく言ったものである。私の子どもの頃は、もちろんおまけの魅力は十分感じていたが、キャラメルも捨てがたいと言うか、フィフティフィフティの比重で両者への欲求を自覚したものであった。そして、そのおまけは、確かにモノではあるのだがモノというより夢という観念であったような気がする。小さな夢と満足感が結晶化するための「触媒」という位置付けであろうか。
 大方の現代人のモノへの欲求とは、この「触媒」としてのモノとなっていそうな気がするのである。子どもたちには、既にだいぶ以前から、おまけ付の「グリコ」ではなく、「ガツチャン」(?)とかいう自動販売器でのプラスチック入りおまけオンリーの商品も売られ人気を博していたようだ。商品としてのモノは、観念的なサムシングを運ぶ容器の度合いが強くなったのかもしれない。(2001/11/09)

2001/11/10/ (土)   「モノばなれ」して「ソフト」指向となる人間の欲求!

 PCのアプリケーション・ソフトを買うと、いつもふと感じるのは、ノン・パッケージの時代でもあるのに、ソフトのCDを格納した箱が「上げ底」なんてものではなくドデカイことである。こうでもしないと、ソフトの価値のわからない大勢が金離れを悪くするとでも懸念しているのであろうか?そう推測すると、なるほどなあと思ったりするのだ。

 人間の欲求は、「モノばなれ」してどこへ向かっているのかと言えば、「ソフト」であると表現すればわかりやすいかもしれない。そして、無形の価値である「ソフト」への評価意識が希薄な社会では、「ソフト」のありがたさを演出するパッケージやら、のしがみやら、何やらが不可欠となるようなのである。
 価値はモノ、ハードに属し、とりわけ土地に付着するとしてきたわが国も、「ソフト」の意義、価値が市民権を得たと思しきはまだまだ新しいと言わざるをえないであろう。コンピュータのプログラムという本家本元の「ソフト」でさえ、コンピュータのハードのおまけと見なされていた時代が決して遠い過去ではなかったのだから。今でも、「ソフト」の複製のどこが悪いと開き直る方々もいらっしゃるかに聞いている社会であり、ソフト・ベンダーによる海賊版防止の自衛策にも拍車がかかっているようである。

 現代人の欲求の強い対象となりつつある「ソフト」というのは、コンピュータ・ソフトウェアが代表的ではあるが、決してそれに尽きるわけではない。知識、情報、さらには文化一般をも含む包括的な言葉として使われている。欲求の対象となるから、商品としての価値を持つ、商品化されるからさらに欲求の対象となる、そんな無形の価値は現代では数えあげればきりがないであろう。
 あらゆるサービス業のサービスがすべて「ソフト」だということも不可能ではない。現代人の強い欲求対象たる「ソフト」を扱うからこそサービス業の比率がますます高まるのだとも言えよう。そして、このサービス業のジャンルにニュー・ビジネスが次から次へと登場しているのは誰でもよく知っている。昨今では、「ビジネス特許」なるものも現れ、新しいアィデアに基づくビジネス「方式」自体が特許で保護されるに至っているほどである。
 ビジネスの「様式、方式、スタイル」が重要な「ソフト」として注目される一方、既に数年以上も前から「コンテンツ(内容)」という面での「ソフト」が重要視されてきた。「ニューメディアの普及には、何と言っても新しい『コンテンツ』が不可欠だ!」などと言われ、「ソフト」としての斬新で良質な「内容」が着目されてきたのである。「ソフト」を運び、提供する新しいメディア(媒体)方式が著しい速度で先行する事態でのバランシングであったのだろうか。

 また、昨日も書いたように、「ソフト」が「ハード」であるモノの価値を左右する役割を果たしている点も見逃せないかと思われる。
 ウィンドウズに押され気味となって販売台数が伸び悩んだマッキントッシュのPCが、スケルトン・デザインのPCで巻き返しを図った動きは、まさに機能的な「ソフト」ではなく、デザインと何がしかのコンセプトという「ソフト」によって「ハード」の付加価値を高め販売に結びつけた例だと思えたのである。
 こうした例は、機能的に成熟し切った「ハード」の商品で使われる常套手段であり、クルマも同様であろう。デザインやコンセプトという「ソフト」が時代の空気とマッチするならば、大きな成果を挙げる例だと言えよう。

 また、「ブランド」指向の「ブランド」も、「ソフト」への欲求を考察する上では見逃せないテーマであるのかもしれない。確かに、その「ハード」がどこで作られたのかという点で「ハード」に密着した問題であるかのようでありながら、どうも従来の「ハード」というモノ指向の範疇の問題ではないような気がするのである。もとより、「ブランド」指向の対象は、モノの機能への関心よりデザインへの関心が中心のようでもある。

 「モノづくり」を見直す動きがあったりする。「モノづくり大学」構想が、とんだ汚職問題と関係していたというのもつい先ごろの話であった。
 もとより私などは、モノのありがたさ、モノへの愛着などを培ってきた世代である。「ソフト」への強い関心もあるのだが、モノとの一体感が自然と言えば至極自然なのであり、モノづくりなどは心和むひと時であるのだ。しかし、製造業は立ち行かなくなり、人々の欲求は「モノばなれ」して「ソフト」指向が強まってゆくようだ。
 欲求の「モノばなれ」と「ソフト」指向という傾向の内実を、もう少し丹念に追いかけてみたい。(2001/11/10)

2001/11/11/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (13)

 すっかり陽が落ちてしまい、辺り一面は薄暗闇が支配し始めていた。小高い場所に望める東海寺にも既に灯がともされていた。
 畑の中央を寺へと続く細い道には、暗闇が覆い被さっていた。その中で、海念と保兵衛の二人が、緊張感に包まれてしばし立ちすくんでいる。
 保兵衛の意表をついた言葉が、海念を押し黙らせていたのだ。保兵衛もまた、これまで秘密にしていたことへの呵責の念と、海念の思いのほかの沈黙に、身と心を凍らせてしまっていたのだった。
 やがて、我に返ったように海念がつぶやいた。
「とにかく、寺へ戻りましょう。和尚さんが心配なさるでしょう。その話は、後で聞かせてください」
 保兵衛は、しおらしく頷くのだった。この時、保兵衛は、のちほど海念が驚くべき事実を告げてくれることになるなどと微塵も思い及ばなかったのである。

 二人は、和尚に戻ったことを告げようとしたが、あいにく和尚は接客中とのことであった。珍しいことではなく、いつものごとく幕府の諸侯が訪ねてきていたのだった。
 兄弟子たちは、それぞれの作務(さむ:修行としての労働)を終えつつあり、薬石(やくせき:夕食のこと)の下ごしらえに向けてのちょっとしたあわただしさの中にあった。
 海念と保兵衛も、薬石の前に風呂焚きの準備という作務が残されていたのだった。

「保兵衛さん、そのことは和尚さんはご存知なのですね」
 風呂のかまどに、今日集めてきた焚き木の枝葉を敷き並べながら、海念は聞いた。
「はい」
 保兵衛は、焚き木の枝葉をむしりとり、海念に手渡しながら答えた。
 海念は、手燭のろうそくから小枝に火を移し、敷き並べた枝葉にその火を投じた。ぼっと音がしたかと思うとかまどの中に火が広がった。パチッパチッと音を立てるかまどの前でしゃがむ二人の姿も、明々と照らされた。
 海念は、すばやく二、三本の太い焚き木を燃え盛るかまどに差し入れるのだった。そして、一段落ついたように両手を打ち払いながら、海念は保兵衛の方を振り返った。
「すると、保兵衛さんは、三百年以上も未来の品川からはるばる旅をされたということなんですね。和尚さんのお話に、時空を越えた世界を念力が引き寄せるというのがありましたが、保兵衛さんはご自分が時空を飛び越えてしまったわけですね。そんな不思議なことがあるんですね」
「そうなの、不思議も不思議、大不思議なの……」
 保兵衛は、海念が事態を意外と穏やかに受け止めようとしているのを知り、ほっとしながらこれまでのいきさつを事細かく説明し始めた。念のために、自分は念力なんてものとは無縁であること、ただ、小さい頃にしばしば夢遊病のような行動をすることがあったことをつけ沿えたりまでしたのだった。
「だから、ぼくに原因があるのではなく、きっとこのお寺自体の念力なんじゃないかとも思うんだよね」
「うーむ、もしお寺と言うのなら、むしろ和尚さんの念力なんでしょうか……」
 海念は、太い焚き木に火が移り火力を増してゆくかまどの中を見つめながら唸った。
「ところで、東海寺はその時代にもまだ存続しているのですね」
「うん、このようにだだっ広くはなくなったのだけど、沢庵和尚の名とともにちゃんと存続している」
「小さくなったのですね」
「ご威光が薄れたとかじゃなくて、社会が発展して、交通手段の広い道路や、新しい乗り物のための線路なんかを作るのにだんだん削られたんじゃないかと思うよ。それに、この広い境内を生かして、子どもたちが勉強をする学校という施設も作られたんだよ。品川小学校と、城南中学校という学校がね。ぼくは、台場小学校といって、海岸の埋め立て地の学校なんだけど、中学に進級すれば城南中学校へ通うことになるんだ」
「やはり、三百年以上も経つと様変わりするものなのですね。お上は、どうなるんでしょう?」
「江戸幕府は、鎖国制度のために戦争もなく、この後まだ二百年以上も続いてゆきます」
「へぇー、そーなんですか。そのあとのお上はどんな方がなるんですか?」
「うん、お上という形ではなくて、みんなで相談しながら政治を進めようという明治政府ができるんだ」
「人々の暮らしは楽になっていったのでしょうか?」
「なってはいったのだけれど、楽ではない人たちはいつの時代もなくならないように見える……」
「あとひとつだけ聞かせてください。お寺が残り続けるということは、禅や仏の教えも生き続けるということですよね」
「ぼくは、その辺はよくはわからないんだけど、科学という西洋の学問が広がっても、お寺に行く人は減ってないようだよ。人が死んだ時のお葬式は大抵お寺でするから、『葬式仏教』だと言う人もいるけどね」
「……」
「それでね。この時代に来たのはいいんだけれど、ぼくはもう一度元の時代に戻れるのかどうかが心配なんだ。和尚さんにもそう言ったら、大丈夫だとは言ってくれたんだけど……。あっ、そうだ、それからついでに海念さんに聞きたいことがあったんだけど、いいですか?」
「何でしょうか?」
「昨日就寝した部屋がありますね」
「禅堂に通じる部屋ですね。わたしはまだ未熟なので、兄弟子たちの修行の邪魔にならないように、禅堂の脇の部屋で修行することになっているんです。それがどうかしましたか?」
「壁にいくつか色紙のようなものが掛かっていますよね」
「わたしもよくは知らないのですが、来訪された修行僧などが残していったもののようですね」
「実は、その一枚、『四つの図柄』を記したものがとても気になるのです」
 保兵衛は、ここへ来て以来ずっと脳裏から離れなかった気掛かりなことを口にしたのだった。
「えっ、何ですって?あの書のことを何か知っているのですか?!」(2001/11/11)

2001/11/12/ (月)   モノへのニーズから、「ソフト」へのニーズへの推移!

 モノへのニーズから、「ソフト」へのニーズを考える上での出発点は、先進諸国におけるモノの過剰なほどの生産と、モノへのニーズの飽和状態という現象であろう。『豊かな社会』(1958,ガルブレイス)では、高度な生産力によってモノが溢れ、モノへのニーズはマスコミを通じた広告・宣伝というニーズの刺激、操作に依存するほどに至る。既に情報操作という「ソフト」的なものに、大衆のモノへのニーズの自覚が支えられなければならないほどの充足状況が登場していたのである。
 もちろん、これは社会一般のことであり、社会内部にはモノのニーズが充たされない人々も存在したし、その社会の大半が高度に充足されるために、しわ寄せを食らう他の社会も存在していたことも事実である。

 もともと、モノへのニーズは生理的な面(たとえば食欲)や功利性・効用性(たとえば時間節約)に依存し、それらはおのずから限界を持つのである。社会の生産力が低い時代には、モノの希少さによってモノへのニーズが非常に強烈で、あたかも無限に増大するかのような印象を与える。しかし、人間のモノへのニーズは、人口増を伴わない限り無限に増大するということはあり得ない。

 ここから、「より良いモノ」という掛け声のもとで、モノに様々な「ソフト」が付加され、購買意欲(ニーズ)を刺激する動きが一般化するようになる。
 モノの改良というレベルでのアイディア(これも「ソフト」!)投入で、新製品化が図られたり、デザイン(これも「ソフト」!)に工夫が施されたり、さらには、モノとしての変化はなくともイメージ・コンセプト(たとえばテレビCMによるイメージアップ作戦)を付加したりするなどの「ソフト」の抱き合わせ方法が広がっていったものと思われる。
 消費者のニーズは、モノの機能や効用性を求めながらも、次第に「ソフト」的な側面を当然視するようになる、つまりモノへのニーズが境界線を意識することなく「ソフト」へのニーズへと拡大していったと言えるのではないだろうか。
 やがて、消費者にとってモノとは、その機能や効用性というモノ本来としてではなく、あたかも記号のような存在として受けとめられてゆく。「ブランド」モノがその代表だと言えよう。「ユニクロ」の人気も、その安さもさることながら、ある種の現代「ブランド」のイメージをかもし出せた点にあるのではないだろうか。

 商品イメージという「ソフト」面は重要な問題であるが、「ソフト」へのニーズに常識的地位を与えたのは、コンピュータ・プログラム・ソフトであったはずだ。一連の「機械化」・「情報化」がそれであり、モノの生産、流通、金融、不動産取引などに関する情報処理システムづくりである。
 コンピュータ・プログラム・ソフトは、何をアプリケーションとするかでその性格が様々に変わるのだが、「機械化」・「情報化」と呼ばれた時代の「ソフト」は、どちらかと言えばモノの世界と密着しており、その目的が「効率化」という効用性である点からいっても、「ソフト」の本義である無限性からは離れているのではないだろうか。
 現在、期待がかけられているITにしても、現状のイメージではこの性格、つまり「効率化」という効用性の目的が強いと言わざるを得ないのであり、この点に止まるニーズならば無限に発展するとは言い難いだろう。所詮、現状の手段重視的発想のITなら、その手段が整備されることで一段落してしまうことは当然であろう。

 「ソフト」へのニーズの重要さは、その無限性にあると言えよう。しかも枯渇する危機と、汚染する危機とが秒読み段階に入っている自然資源に依存することが少なく、経済活動を活性化してゆけるからなのである。多分、「ソフト」化経済が叫ばれ、期待されているのもこうした観点での「ソフト」のはずであり、そのニーズなのであろう。
 モノへのニーズが、「必要」という功利性・効用性に根ざしていた(だからこそ、限界もあったのだが)のに対して、この「ソフト」は無限であることと引き換えに、功利性・効用性の観点から離脱していると言える。
 と言うことは、このニーズは、開かれたニーズであると同時に、拓かれる(開拓される)ニーズでもあるということなのである。モノへのニーズのように、自然成立し、それに対する充足手段たる商品がまずまず売れるという状況は考えにくいのではなかろうか。
 こうした「ソフト」へはどうアプローチしたらよいのだろうか?(2001/11/12)

2001/11/13/ (火)   負の「悪循環」がヒートし、さらに地下深く温存された「悪循環」!

 昨日もまたひとつの「危機」が追加された。事故であるか、テロであるかがまだ不明であるが、ニューヨーク郊外での航空機墜落である。
 「これでまた航空機が敬遠されることになるのでしょうか?」との記者から政府関係者への質問に対して、「いやそんなことは絶対ありません。積極的に乗るはずです。どんどん乗ります」という政府関係者の、常識的感覚から浮き上がった強弁が不快に感ぜられたものだ。狂牛病事件に対して、焼肉を食うパフォーマンスをしたどこだかの国の政治家たちの茶番劇を想起させたからである。

 米国でもわが国でも、もはや「危機管理」という言葉がまるで大安売りのように飛び交ってはいる。しかし、両国ともに国民に対する危機に関してミス・フォーカス、焦点ぼけしているように思われてならない。
 ニューヨーク郊外での航空機墜落は、テロではなく事故であったとしても、テロ関連の犠牲のような気がしてならない。それというのも、整備不備などのテクニカルな原因だとして、ではなぜこの時期に発生したのだろうか。容易に想像されるのは、搭乗客減少で大打撃を受け、リストラその他の経営打開策を講じている航空業界が、整備スタッフ数の合理化などを強行していたのではないかという推論である。いわば航空業界も犠牲側なのだろうが、注目すべきは、事態の「悪循環」だという点なのである。

 そもそも、同時テロは突如として発生したものであったのだろうか。また、日本の狂牛病も突如として発生したものだったのだろうか。すべて、何がしかのヒストリーと因果の線上でブレイクしたことは誰だって想像するはずである。
 そして、国民の生命・財産を守る義務がある政府なら、二度と起こさない抜本的対策へと目を向けるはずなのである。「悪循環」の連鎖を断つ聡明な方策を選択してこそ国民の信頼を勝ち得るものであろう。
 米国は、暴力連鎖と様々な不幸の連鎖を選んでしまい、わが国は、初期方策で不信の連鎖を生み出した。また、テロ問題では米国の誤りに追随していった。これらの選択は、たとえ言葉の強弁があっても、国民の常識的感覚に潜む恐怖や不信感を決して拭い去ることにはつながらないに決まっている。

 「悪循環」と言えば、そもそも経済「不況」自体が、経済現象の「悪循環」なのであった。好況が放っておいても、好循環の経済事象を促進するように、「不況」は抜本的な手をこまねいていたのでは、「悪循環」を深めてゆくだけだから怖いのである。
 ところで、今、わが国の景気の「悪循環」の原因を、不良債権問題と米国不況に求める動きが一般的なのかもしれない。しかし、それだけが原因なのだろうか?それが解決すれば好況に転じるのだろうか?もっとも、それらの問題自体が現時点では最悪の「悪循環」でヒートしているのであるが。
 しかし、現経済の不調は、マクロな問題だけではないと分析する人もいる。
「景気対策、構造改革、金融政策、税制など、政府・日銀によるマクロ経済対策が日本経済の回復に必要なことは否定しない。しかし、日本経済の究極的な構造問題は、企業競争力の低下にこそある。……解決すべきは、日本企業が低収益に甘んじている根本問題だ。例えば、コーポレート・ガバナンスやリーダーの不在など、内部改革を阻む構造問題に本格的なメスを入れるしかないのである」(三和総合研究所理事長:中谷 巌)
 「内部改革を阻む構造問題」といった表現が照らすところに、わが国の度し難い「悪循環」が潜んでいるのかもしれないし、われわれ自身がそれらに加担していないとも限らないところが不気味なのではなかろうか……(2001/11/13)

2001/11/14/ (水)   「リスク社会」という新語は、何を問いかけているのか?!

「リスク社会」という新語ができていたことを知った。
 これだけ危機的な事柄のオンパレードがあれば、当然といえば当然なのかもしれない。気になって考えてみたが、言葉の発生の由来には、大きく分けて三つの背景がありそうだ。
 一つは、海外での同時多発テロ、国内での凶悪な犯罪の連続など治安的な面での危機的様相が与え続けている安全神話の崩壊!
 二つめは、これもある種の安全神話(銀行は潰れない!)の崩壊に属するのだが、金融危機、ビッグバン、ペイオフ、確定拠出年金など個人財産をめぐる危機的ともいえる大変化との遭遇!
 三つめが、じわじわと忍び寄る未曾有の失業問題に象徴される、職業という生活基盤そのもの危機的不安!

 そして、これらの問題状況からは、ひとつの共通したテーマが浮かび上がっているように見える。それは、これまでは日本人が何かと心の支え、原理としてきた「集団主義」が、逆に問題を生み出す元凶にさえなっているかもしれないという事実である。より正確に言えば、集団が悪いのではなく、集団への過度の幻想に依存し、甘えてきた構造と風潮だと言えそうである。
 地域社会は、顔見知りの地元集団なのだから安全としてきた風潮の、その虚を衝かれたかたちでの小学校襲撃事件も発生した。
 官僚機構という無責任「集団主義」体質が、不正問題を連発させたり、国民の健康を守り切れなかったりした。
 「護送船団方式」という官民一体の集団主義の結果が、グローバリズムのうねりの中で問題を露わにされもした。
 これまた金融機関の無責任「集団主義」体質が、責任の所在をうやむやにしたことで「不良債権問題」が長期化させられてしまった。
 不況の長期化、大量の失業という現象は、単純な原因には帰着しない。しかし、わが国の現状の大リストラという事態は、これまでの終身雇用・年功序列というまさに「集団主義」原理の破綻と清算以外の何ものでもないことに注目しないわけにはゆかない。

 こうして従来からのわが国の原理であった「集団主義」の矛盾が曝け出され、個人の自助・自律という「個人主義」への流れが加速させられており、この事実との関係を視野に入れてさまざまな現状の「リスク」を考え、対処する必要があろうかと思えるのだ。

 しかし、それにしても現在「危機管理」という言葉が飛び交い過ぎているのは、いや、ありていに言えば、様々な「危機」的現象に国あげて右往左往しているのは、これまでが平和であったということとともに、如何に上から下まで、国から個人までが「危機管理」やリスク・マネージに対して無頓着であったか、ということではないだろうか。
 平和だったからということも大きな原因ではあろうが、それだけではない何かがありそうな気がしてならない。わが国の特徴的な原理としての「集団主義」をもう少し考察する必要がありそうな気がする……(2001/11/14)

2001/11/15/ (木)   危機やリスクの日常化と、文化的ボーダレス化!

 「リスク社会」という切り口を設定する人々の関心は、大きく分けて二つの点にあるかと思われる。その一つは、治安面などに象徴される安全が破壊された事態への対応能力の問題(これを「危機管理」としておく)である。
 もう一つは、金融領域で見られるようなグローバリズムの進展に伴うよりいっそうの自由主義経済のうねりの中で、経済活性化のためにより意欲的なリスク・テイキングが各層に求められているという事実(これを「リスク管理」としておく)であろう。
 この両者が、現状のわが国では、ともに弱体ぶりをさらけ出していること、しかも、激動する時代変化は、分秒きざみのスピードで進んでいるため、「危機」や「リスク」への対応力の稚拙さは取り返しのつかない惨事と悲劇を呼び寄せてしまう。ここから「リスク社会」という観点が注目されているはずなのである。

 両者の事柄は共通した点を含んでいる。それは、マイナス(損失)現象発生の不確実性という点であり、これに対応するにはそれなりの対応能力が必要だという点であろう。
 非常訓練が行われたり、プロのレスキュー隊が日常的訓練に余念がない事実を思えば当然なことであろう。だが、これまでは、危機的現象の規模や頻度に他人事でも済まされた余地があった。しかし、現在遭遇している環境は、一般大衆の日常生活の足元にまで忍び寄ってきており、無差別化していることで注目されるのであろう。

 無差別化と言えば、以前のわが国では、危険やリスクを背負う「玄人(プロ)」と、安全地帯の「素人(アマ)」との区別がいろいろな形や仕組みの中にあったはずである。ちなみに、危険やリスクを背負う職業は保険の掛け金も高い事実は、この辺の事情をよく飲み込んでいると思われる。
 職業とは言えないのだろうが、アブナさを背負うやくざ集団と素人さんの間には、目には見えないが壁があり、前者の方々は後者の人々には手を出さないという暗黙の掟もあったようだ。だから、惨い犯罪も壁の向こう側の出来事として等閑視していられたのである。
 だが、いつの頃からか、壁のこちら側でも惨事は頻発する時代となってしまった。やくざ集団も仰天するような壮絶で残忍な犯罪すら素人間で発生しているのである。玄人と素人との境界が、ここでもボーダレスとなったのであろうか。
 こうしたことは、博打のジャンルについても同様のことが言えるであろう。さらに株の購入、取引についても然りである。損失負担をしてくれと騒いでみたり、それに応じてみたりの「リスクテイキング」ごっこがまかり通った話があった。
 様々なプロたちは、危機、リスクの管理とは言わないまでも、何らかの形で対応能力を身に付けたと思われるが、素人は「文化的ボーダレス」環境の中で、安易にプロたちの表面を真似ることはしても、免疫なしでリスクを背負ってしまっているように思われてならない。そして、年齢的な壁さえもが、有名無実化しつつあり、青少年たちがこのボーダレス環境の諸刃に遭遇している。
 ところが、この「文化的ボーダレス」環境自体が現代の大きな特徴なのだという点に注目したい。それと言うのも、現代は、個人の自由が驀進する時代であり、あらゆる障壁が除去される時代だからなのである。と同時に、諸刃のもう片側に、自律性と責任の問題があるにもかかわらず、この点の内実が伴わずに手をこまねいているのがわが国の実態なのであろう。

 問題は、この個人の自律性や責任という局面であるのだが、従来のわが国は、これらを阻みこそすれ、育て、支援する構造や風潮が、実に乏しかったと言わざるを得ないのではないだろうか。
 水平的なボーダレス化は無造作に進みながら、真の個人の自律へ這い上がるという垂直的な壁を打ち破れないところに日本の苦しい現状があるように見える。
 この面での絡み合った問題が、今、「危機管理」や「リスク管理」の弱点となって現れていると思われてならないが、その辺については、日本人のリスク観についての検討を通して考えてみることにしたい。(2001/11/15)

2001/11/16/ (金)   日本人のリスク観は、やっぱり集団主義に根ざしている!

 「リスク社会」に眼を向ける者たちの関心の焦点は、「マイナス(損失)現象発生の不確実性」に対して人々や組織がどう対応するのか、どう対応できるのかという点に違いない。ここで問題となるのが、人々のリスク感である。

 「日本人はリスクに対して保守的であるといわれる。実際、その価値観は、世界的にみて非常に高い貯蓄率、銀行預金などノーリスクの金融商品への個人投資の偏り、学生の就職先の選択、起業率の低さ、安心できるブランド選択などにみられる消費者の志向など、さまざまな行動となって表れている」(「日本人のリスク感は変わるか」/「電通総研」/山本浩一)との指摘は、なるほどと共感できるものであろう。
 では、その保守性を生み出している原因は何かが気になるところだが、同山本氏の分析の中の以下の三点に注目してみたい。

 そのひとつは、「日本人がリスクに対して保守的であるというよりは、日本社会がリスクに対する保守性を奨励する社会なのだという説がある。これについては、産業政策、教育システムなど個別の社会特性による説明が一般的だが、より構造的な分析でも、日本社会のリスクに対する保守性の説明が可能である」として「集団志向が強く、上下関係など階層のはっきりした社会では、リスクは一般個人では対処できないものとして捉えられ、リスクへの対応は専門家に任せる傾向にあるという。逆に、個人志向で階層の少ない社会では、リスクには個人で対処する傾向にある。日本は前者の典型であり、後者のひとつの典型は米国であるといって差し支えないであろう」と述べている。
 日本人のこの辺の傾向は、しばしば「責任」の問題で議論されるところだが、同じパターンが指摘されていることが興味深い。表裏一体のことがらということなのであろう。

 次に、個人の価値観という視点では「日本人はネガティブ志向」だと言う点が強調されている。「日本人の意思決定の特徴として、『ダメだったらどうしよう』といったネガティブな結果により重点を置くこと」に注目し、『うまくいったら』というポジティブな可能性に重点を置く欧米人と対照的であることを指摘している。そして、その原因がまた「集団主義」に求められているのである。
 それというのも、「集団の和が求められるなかでは、目標像として『ideal 』(理想)よりも『ought 』(べき)が求められ、個人としても『ought 』」を目標としたほうが生産的なのである。下手に『ideal 』を追求すれば、『野心家』『融通の利かない』などといわれかねない」と見ており、集団の規範や空気でしばりをかけられた日本人が、「ネガティブ志向」となることを説明している。
 リスク回避の傾向に、こうした背景が潜むとすれば、職場で「能力主義」を旗印にしても組織体質が旧態依然であれば、挑戦的な成果が出てこないのは当然だということになるだろう。

 三つ目は、「不確実性」に対する日本人の特質という点である。
 余談となるが、中高年がパソコン学習でつまづく原因は、ひとつひとつの操作アクションを「どうしてそうするの?」としつこく繰り返し、すべてを「分かろうとする!」ことにある、と言う説がある。確かにそうなのだ。ブラック・ボックスとなっている機構が多いパソコンに対して、単純な自社製品を勉強するように「どうしてそうするの?」は場違いなことが多いはずなのである。
 日本人は、単一民族で、共通認識、情報を土台として、きめ細かい感情的要素の相互理解にあくせくしてきた。人間関係では、基本的に「分かり合える」と自認し、より繊細な「分かり合い方」なる各論にいつも入ろうとしてきた。
 「このようなかたちのコミュニケーションが成立する日本社会においては、『分かる』ことが当たり前である。それに対して、米国などの多民族社会においてはむしろ『分からない』ことが当たり前である。『分からない』ことが当たり前の社会では、不確実性に対する免疫性もできれば、不確実性に対処する能力も養われる。一方、日本のように『分かる』ことが当たり前の社会では、不確実性に対する免疫性もつかなければ、不確実性に対処する能力や自信も培われない」というわけなのである。
 この点は、中高年が若い世代のサバサバとした人間関係を憂えるのに対し、「そんな他人のことなんか分からなくて当然じゃん!」と言ってのける若者衆との違いにも貴重な視点を与えてくれているような気がする。

 こう見てくると、今、われわれがさまざまな「危機」や「リスク」に遭遇して、右往左往している現実は、ちょっとした不手際なんぞではなく、根の深い不具合であり、それこそ「危機」なのかもしれないと懸念させられるのである……(2001/11/16)

2001/11/17/ (土)   リスク対処能力を高めるのに、リスクを犯さない方法があるか?!

 今週は、「リスク社会」なる新語に注目しつつ、危機、リスクとの遭遇に対して関心を向けてきた。従来、日本人の多くは、想定されるそれらを先ずは極力回避することを基本として対処してきたと言えるのだろう。そして、リスキーな選択を回避してきたために、それらへの対応姿勢、能力さえ不要であり、度外視することが一般的であったのかもしれない。せいぜい、「転ばぬ先の杖!」の心構え、もっと楽観的には「案ずるより生むが易し!」でこなしてきたわけである。
 ところが、現時点に至り、避けて避け切れないケースの危機、リスクが様々な形で押し寄せてきているがゆえに、なおざりにはできなくなっているというのが実情なのではないだろうか。この推移の大きな原因は、急速なグローバリズムの進展、第二の鎖国解除、開国であったと言ってよいのかもしれない。

 日本人の「リスク回避姿勢」や、その「ネガティブ志向」、そして「不確実性に対する免疫性の無さ」を恨めしく小突き回しても始まらない。これらを生み出していた従来の「集団主義」自体が立ち行かなくなる過程で、おのずから何らかの変化が生じてくるはずだと思われる。すでに、新しい世代の中には、リスク・テイキングな姿勢、ポジティブ志向、不確実性に対する免疫性が見受けられるとも言われている。

 ここで、上手な「リスク・テイキング」や「リスク・マネージメント」とは何かを論じることも不可能ではない。現に、「リスク社会」と題して論じられている議論の多くはそうした類のように見える。しかし、組織のあり方が旧態依然の悪しき「集団主義」でありながら、それでいて「能力主義」の仕組みをあれこれと議論するような愚かしさを重ねるのと、似たことをしても意義が薄いと思われる。
 「集団主義」の悪癖に気付きながら、どっぷりとはまり込んで身動きがとれない中で、どんなに知恵をしぼり、策を弄しても、それは陸で水泳訓練をするに似ているのではないだろうか。むしろ、現代がもたらしている危機やリスクの額面どおりの潮流に、一刻も早く慣れてしまうことしかない!というのが実情なのではないかと思えるのだ。

 とかくわれわれは、「段階的に!」とか、「ソフトランディングで!」とかの漸次主義をとるのが定石の世界で生きてきた。緩やかな変化の時代においては、それが効を奏したこともあった。が、もはやそんな時代環境ではないと判断すべきではないのだろうか。いろいろな領域が、もはや「待ったなし!」、「王手、飛車取り!」の局面に遭遇しているのだ。

 以前、こんなことがあった。地域の自治組織に関与した時、詳細は省くがそれなりに危機的と言える問題を抱えてしまった。メンバー皆が、おろおろする程の顔つきとなったものだが、ただ一人涼しい顔つきで平然としているメンバーがいた。不思議に思い、訊ねてみた。
「早川さん、随分いい度胸をしてますね」
「こんなことは四六時中体験している商売なんでね。ええ、わたしは損保の事後処理を専門に担当しています」と。物事、慣れるということほど強いことはないなぁ、と皆で感心したものだった。

 多分、現代のリスク環境の特殊性は、事前計測性を超える面を内蔵していることではないかと予感する。もちろん、事前に行っておく情報収集、分析は必要であるに違いない。しかし、それらを大きく裏切る推移があり得るのが現代のリスク環境なのではないだろうか。有効な情報があるとすれば、情報としての体裁が整い切らない「体感」的な情報なのかもしれない。そして、そうした情報に接近できる場を持つためには、「集団主義」を旨とする安全地帯に身を置くだけでは決定的に不足するはずだと思われるのだ……(2001/11/17)

2001/11/18/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (14)

 薬石を終えた後、就寝までの時間は各禅僧の自主性に任されている。座禅修行に励む者が多かったが、「公案」(こうあん:すぐれた禅僧の言葉や行動の記録をもとにして、修行者に示し、悟りに導くために工夫させる課題。師との問答が繰り返される。)の備えに没頭する者も少なくなかった。
 海念と保兵衛は、兄弟子たちの入浴のため再び風呂かまどの場に戻っていた。
と、そこへ兄弟子のひとりが、和尚が海念をお呼びだと伝えてきたのだった。
「何でしょう?……」
と、海念はいぶかしがりながら和尚のもとへ走った。

 やがて戻ってきた海念は、やや興奮気味で言った。
「保兵衛さん、大変なことになりました」
「えっ、何だろう?」
「わたしたちは、明日、和尚さまとご一緒にお城に上がり、将軍さまにお目通りすることになります」
「家光将軍にお会いするってこと?」
「そうなんです。和尚さまは、しばしば将軍さまとお話するためにお城に向かわれますが、明日はふたりとも同伴するのじゃ、とおっしゃられたのです。何でも、今日の品川宿での『犬騒動』が早くも将軍さまのお耳に入り、うわさのふたりの子ども禅僧と話がしたいとご所望されたとのことなんです。保兵衛さんは大丈夫ですか?」
「大丈夫といえば大丈夫だけど、ぼくなんかが行ってもいいのかなぁ……」
「あっ、そうそう、和尚さまが保兵衛さんにと、おっしゃっていました。『故郷の話は避けるがよかろう。』と。おそらく、先ほどの話は内輪の話にしておくべきだということなんでしょうね」
「そりゃそうだよね。もうそろそろ鎖国政策が本格的になろうとしているのだから、まかり間違うと捕らえられるかもしれないもんね。絶対余計なことは言わないつもりだよ」
 「先ほどの話」という海念の言葉で、ふたりは再び薬石前の会話に戻ってゆくことになった。
「保兵衛さん、『四つの図柄』の書の件ですが、実はわたしも気になっていたのです」
「えっ、どうして?」
と保兵衛は不可解に感じた。その書に関して驚くのは自分しかいないとでも思っていたかのような不思議がりようだった。
「他の三つの図はどういう意味かわかりませんが、ほら右の下にあった図は、あれは鯨が潮を吹いているところではありませんでしたか?わたしは以前に、父上から南蛮の図書で鯨の姿を描いたものをみせてもらったことがありましたが、普通の人は余り知らないはずだと思うのです……」
 この時、再び保兵衛に戦慄のようなものが走ったのだった。もう自分が推測していたことがほぼ確実だと念を押されたような確信を感じたのだった。身体がぶるぶると震えるようだった。
「か、海念さん、……」
と保兵衛は声を震わせながら言った。
「あ、あとの三つの図は何に見えますか?」
「左上は、鳥が翼を広げているところでしょうか?くちばしの鋭さからいえば、将軍さまの鷹狩の鷹のようにも見えます」
「そ、そのとおり!あれは鷹が翼を広げている図に違いありません」
「右上は、ちょっと複雑でわかりにくいのですが、左右対称となっているのが翼だとすれば、やはり鳥の姿、それも真上から見たところでしょうか……」
「そうなんです。あれは、かもめのはずなんです」
「で、左下の図は、三枚の木の葉に見えますね」
「大当たり!あれは確か樫の樹の葉っぱが三枚合わさったものです。そして、右下は、海念さんの言うとおりの鯨です」
「でも、ちょっと待ってくださいな。保兵衛さん、保兵衛さんの口調だとまるでご自分が描いたように聞こえますよ」
「そう、たぶんぼくが、ぼく自身が描いたものじゃないかと考えているんです……」
「ええっ、そうたびたび驚かさないでくださいよ。まことの話ですか?」
「うん、なぜかというと、これらの図の関係はぼく以外の他の人が知るわけがないと思うからなんだ。実は、それぞれが校章を表しているんだ。かもめは、今ぼくが通っている台場小学校の校章、樫の三つ葉はほとんど確実にぼくが進学するはずの城南中学校、ほら今境内に池があるよね。あそこを埋め立てて城南中学校が作られるんだ。そして、一番最初の鷹の図、あれはぼくが難波、現在では大阪というのだけど、そこにすんでいた頃に通っていた鷹合(たかあい)小学校の校章なんだ。そんなことまで知っているのはぼくしかいないからね」
「……」
「で、鯨なんだけど、それは海念さんの夢の話だと思うわけ……」
「ということは、保兵衛さんは、今回初めて時空超越をしてここへ来られたのではなく、以前にも来たことがあるということなんですか?」
「まったく覚えてはいないんだけど、そうなんじゃないかと……」
「でも、おかしいですよ。だって、鯨の話は、わたしは保兵衛さんに今日初めてしたんですよ。それに、そんな話は他の誰にもしてはいませんからね」
「うーん、そこなんだよね。そこだけが、謎として残るんだ……」
「しかし、三つの校章の話は、非常に説得力がありそうですね……」
「……」
 ふたりは、しばしかまどの中の火を見つめながら押し黙ってしまった。その火が不思議さに迷うふたりの顔を火照らせていた。どこかに謎が隠されていると睨むきらきらとした眼には、かまどの赤々とした火が映っていた。
 と、その時海念が何かを思い出したように頷きながら言うのだった。
「保兵衛さん、もし保兵衛さんがこれを描いていたとしても、わたしがここへ来る前の話だということで、もちろんわたしは知りません。そこで、わたしがここへ来る前の出来事といえば、兄弟子から聞いたちょっとした話を今思い出したのです。関係があるかどうかはわかりませんが……」(2001/11/18)

2001/11/19/ (月)   公共事業に依存する経済体質から抜け出すには?

 この季節、毎年それとなく目の保養にしていた通勤通路の銀杏並木を、今年は忘れかけていた。それというのも、クルマの運転中に、ふと目をやり、気がついてみると、銀杏の葉が付くべき枝がすべて切り落とされていたからである。一瞬驚きが隠せなかったものだった。
 確かに、葉が黄葉し、さらに落葉した葉が歩道の全面、車道の脇に舞ってからでは、その清掃により多くの人手を要することになりそうである。そんな手間より、枝打ちの方が低コストだと判断したのであろうか。定かにはわからない。

 街路樹の手入れや、遊歩道の植木の手入れなど、ここの自治体はそれなりに予算づけをしているようだ。これらは、そこそこ納得感も伴うのだが、道路工事と称して正直言ってその必要度がどの程度なのかわからないままに実施され、その結果は交通渋滞でイライラさせられるのには閉口する。公共事業が悪いというのではなく、将来への見通しや、経済効果などが詳細に吟味されるべきだと思えてならないのである。

 道路公団の民営化問題などが構造改革の一環として課題に上り、高速道路の必要性、切迫性にも目が向けられているが、つくづく思うのは、公共事業はカンフル的効果しかない!という当たり前の事実である。民需を刺激し、育てることに公共事業の意義は限定されるべきであるに違いない。カンフル注射ばかりを期待する経済が、国際的競争力に欠ける病体となることは当然ではないか。「必要なはず!必要になるに違いない!」との強弁で、土木事業に肩入れしてきた流れは、もうやめるべきだと確信する。

 通勤のクルマから今日気がついたのはもうひとつ、この地域では有名な建築会社のビルが移転(?)工事らしきを行っていたこと。これもまた驚きのひとつであった。詳細ないきさつを知る由もないが、羽振りのよい建築会社が公共事業に依存していたであろうことは容易に想像がつく。その縮小傾向と、不況による民需の低迷が帰結した結果であろうか。

 いつの間にか、経済情勢について考えることが多くなっている最近であるが、経済にとって重要なことは、バランスのとれた回転や成長なのかと痛感する。とりわけ、生産・供給に対する消費・需要の成長の問題の重要さである。
 公共事業は、確かに需要で行き詰まった資本制経済を刺激する方法、公的なものが市場経済に介入して活性化を図る方法として、ケインズ以来常套手段として採用されてきた。しかし、やはり、需要は自由な市場に生まれてこそ強く、継続するものではないのだろうか。
 人間の身体に例えれば、一時に無理な量を食しても、その人の運動量に変化がなければ結局のところ元の食欲水準に戻ってしまうではないか。また、悪銭身につかず!とも言う。定常的に得た収入でなければ、一気に使ってしまいその後の継続的需要として成長してゆくものではないだろう。

 要するに、今、経済にとって必要なことは、自然な需要を回復することであるに違いない。将来への不安がゆえに欲求を緊縮させてでも、その結果貨幣をストックしている現状が改善されることしかないと思われるのだ。欲求の緊縮によって、人間も組織もその運動量を限りなく低空飛行させてもいるのだろう。
 自然資源の浪費などという贅沢に再び戻る必要はないはずだ。ただ、運動量を低減させ続けることは危険なことだと思える。自然資源の浪費などせずとも、人間社会は、ここでようやく到達した情報化社会という高い水準の文化・文明にふさわしい経済の回転を進めることは可能なはずだと信じたい。

 誰もが財布の紐を結んで開こうとしないこんな時にこそ、安さではなく、購買心をそそる魅力のある製品、商品を提供してゆくことこそビジネスに関与するものたちの職業冥利だと思うのだが……(2001/11/19)

2001/11/20/ (火)   不況に加えての「少子化」問題であえぐ学校関係者たち!

 「少子化」傾向が原因となって、学校関係者も大変な思いをしているようだ。大学院当時の友人、知人たちは、大学での教職にあるものが多いが、異口同音にその大変さを嘆いている。実業の世界と較べて、社会の生々しい動きに距離を置いてきた世界だけに、避けようにも避けられず、ここへ来てリアルな事象に直面する今、いろいろな思いを抱くことになっているのではないかと想像する。

 一時期、耳にしていた話は、とにかく学力などの低下、質の低下が嘆かわしいという点があったものだ。すでに、少子化傾向は進行していたのだから、大学、短大もボーダーラインを下げるなどして、学生数の確保をはかった結果の水準低下だったのであろう。
 しかし、現在直面している課題は、詰まるところ「お客様」である学生数が定員を大幅に下回ってしまうという最終局面への対応策のようである。

 学校関係という世界は、とかく教育現場と事業経営とがしっくりゆかず、ぎくしゃくとしていたかのように思い出す。小さくとも企業の経営を担い続けてきてみると、そして今日のような経済環境を迎えてみると、両者は不毛な対立に終始するのではなく、生産的で建設的な良好関係を保持すべきなのだと振り返ってしまう。
 政治がらみの問題で教職側が教育的配慮から主張すべきを主張することは当然として、共通の土俵である経営の問題に関しては、議論と協調がよりリアルに展開されるべきなのである。経営という問題を考えることによってこそ、現実的な方向性が導き出される可能性が高いのではないだろうか。

 「聖域」だったからなのであろうか、大学という空間の前近代的「閉鎖性」は度し難いと思える。流れぬ水は腐るのたとえのとおり、閉鎖的人間関係では、一般人が考えられないような陰湿かつ病的な現象さえ起こる余地を残しているものなのである。昨今、セクハラ教授などが訴訟を起こされたりもしているが、閉鎖的空間での「権限」は常に「権力」に転化する可能性を持ち、人間関係を歪めるのは必然的ではないだろうか。
 実業界のいいかげんさも目に余るものがないとは言えないが、その開放性、実力主義的競争がチェック・アンド・バランスを促しているのである。この部分もまた、現在の学校関係者が速やかに取り入れるべき要素だと思う。

 NHKのドキュメンタリーで、少子化の強まりの中での学校関係の世界の変化が取り上げられていた。奇しくも、わたしの出身である品川区での小学校の「自由選択」の動向と、経営出身者を校長とする都立工業高校の展開が興味深くレポートされていた。
 入学する小学校が「自動的に」決められていた従来に対して、「児童的に」選択できる制度となった変化への対応が紹介されていたのである。各学年が一桁だらけの学校と、何百人の学校のそれぞれの校長が対応策を持って、教育長とやりとりする場面が、企業の課長と部長が次年度計画を吟味するようで面白かったのだ。不謹慎と言う人もいるかも知れないが、あれで良いのだと思う。いや、あれしかないとも言える。学校関係者も含めたすべての人が、自由の中で能力を高め、強く正されてゆくことが重要なのだと思う。
 経営出身の高校校長が、生徒をお客様だというのはそれでよい。ただ、実質的な教育内容が、決して弱小商店のように「お客」に媚びることなく、納得と本当の満足感とを梃子にしながら、画期的な学力向上をもたらすよう期待したいものである。「自由選択」の小学校も同様である。(2001/11/20)

2001/11/21/ (水)   知り合いからのメールでも、不信な場合は「添付資料」は開かないこと!

 インターネットを通じた「ウィルス」関連の事態は、やはり思いのほか悪化しているのかもしれない。先日、この場にも書いた「トロイの木馬」系のワームが、今日は自分のPCに届くという出来事があった。
 実は、昨日、ブラウザ「インターネット・エクスプローラ Ver.5.5」に、cookie関連のセキュリティホール(個人情報漏洩の恐れ)があることを知り、マイクロソフトのサイトからダウンロードして、その修復バッチ・ファイルで修正したばかりなのであった。

 メール・ボックスを開いた時に、かねてからインストールしてあった「ウィルス防止ソフト」が、その発見を通知したのだ。「ウィルスを検知しました!」と。ウィルス名をみると、「TROJ〜」であり、「トロイの木馬」系であることが明瞭だった。
 とりあえずネット回線を遮断し、駆除前の不手際で送信が開始される可能性を断った。そして、メールボックス中の当該メールを即座に「削除」した。もちろん、悪の本命である「添付資料」にはいっさい手をつけないでである。後日のために、そのメール本文の印刷だけはしておいた。

 その後、「ウィルス・チェック・プログラム」を稼動させ、感染の有無を確かめたが問題はなかった。入り口で撃退することができたのだった。
 ほっとして、印刷したものに目をとおすと、ななんとお付き合いのあった会社の、しかもお付き合いのあった担当者が差し出し人であったのだ。そこで推測したのは、その人は自分のPCに「トロイの木馬」系のワームが侵入していることを知らずに、インターネット作業をしているに違いないということだった。
 「トロイの木馬」系のワームは、侵入したPCに存在する「メール・アドレス」を無差別に使って、不幸の手紙のごとく手当たり次第にみずからを発信するのが定石だと聞いていた。しかも、そのPCの所有者のメール・アドレスを使ってである。他の悪意に満ちた機能を果たすものもあるが、「添付資料」を未開のまま削除したためそれ以上のことは不明である。
 「添付資料」を開いてしまうと、その時点で、そのPCのメール・アドレスで勝手な自己増殖メーリングを始めてしまうとともに、そのファイルを削除しようとするとPCそのものに致命的な打撃を与えることになる場合もあるという。

 まさか、その担当者が意図的に行うわけがないと考えたので、さっそく電話で連絡をとってみた。ご本人は、つい先ほど事態に気がついて対策の対応中であったのだ。「宛先不明」の理由で戻ってきたメールを見て、事態に気がついたとのことであった。相当数の数の自己増殖メールが発進されてしまったようだと語っていた。
 最悪、取引関係にひび割れをいれてしまうことにもなりかねない事柄だけに、お互い注意しましょうという挨拶で電話を切った。

 そう言えば、トラブルがあって後、社員のメール・アドレスの交換を廃止したという身近な企業での話を聞いたこともある。一般的には、信用問題でもあるということであろうか、こうした被害の無造作な公表は抑制されているに違いない。とすれば、表面化したケースの下には想像以上の被害が眠っているのかもしれない、と感じた。
 ますますもって、「ウィルス」などのインターネット関連犯罪は急速に身近な出来事となってしまったようだ。しかも、本人が知らないうちに犯罪に加担させられてしまうかもしれないのであるから、予防策を講じることと、関連情報に関心を向けてゆくことは必須だと思われてならない。(2001/11/21)

2001/11/22/ (木)   大人はあどけない子どもに責任を負い、政府は勤勉な国民に責任を負う!

 明日からは、「勤労感謝の日」の祝日を含む三連休!
 それぞれが不安なこと、辛いことを持ちながらも、どこかに開放への期待感が窺えるような今日の午後だった。
 駅前の人々にも、そんな雰囲気が漂っていたかもしれない。特に子どもがそんな風だった。「下から見ると『きもい!』ぞ〜!」と近くの友だちに向かって叫んでいる子がいた。街路樹の下のベンチに、傍目かまわず横たわって、街路樹に引っかかって萎み始めた風船を見上げて叫んでいたのだ。一瞬『きもい!』とはなんぞ?と首をかしげたが、どうも「気持ち悪い」の略語のようだった。けらけらと笑いあって、他愛のないひと時を過ごしていた。

 しかし、「勤労感謝」とは、現在では何と「じわっー」とくる言葉であろうか。われわれの身の回りにさえも、つい先ごろまで働き蜂であった人で職を失った人がいたりする。そして、多くの人々がこの先いつ失業するかしれない潜在的可能性に脅かされている。地元に就職先が見つからない地方の高校生も多いと聞いている。とにかく、史上最悪の失業地獄となってゆくのだろうか。

 働くことの意義が、生計を立てること以上に、自己実現に向けられていると言われていたのがつい先ごろだったような気がする。それが今では、先祖返りしているような雰囲気でもある。こんなにも脆い社会や世界であったのかと慄然とする思いだ。
 よく、現代は何をしてでも食ってはゆける時代だと言ったものである。そのバイタリティは失ってはならないのだが、何をしてでも食ってゆけるそんな「ニッチ(隙間)」が次第に閉ざされ始めていることにも目を向けておく必要があるかもしれない。
 規制国家ゆえのさまざまなシバリがあちこちに残ってもいる。大手資本は、スケール・メリットを狙って「隙間」の可能性にも侵入している。都市環境は、ホームレスをも排斥、隔離する方向に進んでいる。とにかく、さまざまな対象の規格化を推進し、人間の生き方まで規格化してきたこの社会には、以前のような「隙間」が乏しくなっているのは事実なのであろう。

 かつて前近代には、農村では「入会権」、漁村では「入浜権」という名で認め合った共同利用の権利と、その空間があった。時代の進展は、そうした柔軟な「隙間」を私的な所有や管理の対象にどんどんと転換していったわけなのだ。人々が委託したと言ってもよい。だから、その管理が誉められたもの、水準であれば人々は幸福にもなれようが、管理という形式だけを占有しながら、その責任を果たし切れない管理主体ならば、ただただ人々を苦しめる結果だけをもたらすことになる。権限を人々から預かりながら、それが果たせない管理主体がどうして黙認されてよいのだろうか。
 「働くという基本的な権利」さえ保障できない、あるいは見通しを立てることができない管理主体たる政府は、国民の審判からすれば不合格以外の何ものでもないはずなのではなかろうか。
 萎んだ風船の格好を見て、けらけらと他愛無く笑うあどけない子どもたちの生活を守るために大人たちは責任を負っているはずである。同じことが、勤勉に働こうとする国民を守るべく、政府は責任を果たさなければならないはずである。いちかばちかの博打勝負のために国民は、高い税金と権限の委託をしているわけではないのだから……(2001/11/22)

2001/11/23/ (金)   本来は、失業対策どころか職業選択のサポートが期待できる時代!

 風邪気味であったことや、祝日でもあったため昼まで寝床に入っていた。だらだらとしていたせいか、快晴に近い良い天気であったにもかかわらず、気がついてみると既に陽の光はオレンジがかり、くっきりとした影が広がっていた。秋の一日は過ぎるのが速い。もったいないことをしてしまったと、今ごろ後悔したりしている。

 秋の日のみならず、一週間の過ぎるのも速い。年のせいでそう感じるとは思いたくはないが、やはり速い。ろくなこともできずにこの一週間も過ぎてしまった気がする。
 同様に、過去を振り返ればとにかく「あっと言う間」だと感じるのが人の常であるが、自分の五十余年の流れについても例にもれない。そして、最近時々思い当たることは、職業選択に関する時間の流れや経緯が、思いのほか希薄であったと感じることである。

 所詮、現時点でどんな職業に就いていようとも、様々な思いがまつわりつくのが人の心というものなのかもしれない。逆にそんな迷いを逃れ、子ども時代から青春時代に、職業を意識した努力のできた者は極めて少ないはずである(ウッズ!イチロー!)。しかも、それがベストであるかどうかは難しい問題であろう。成功者と見なされる例だけをもって考えるわけにもいかないからである。

 それにしても、職業選択の前には未知数や、変数が多過ぎて、まるで極めて難易度の高い多変量解析のようでもある。そして、時代環境の変化の激しさはこれをさらに複雑にしているのであろう。
 昨日は、生計のためというミニマムな基準での就職すら困難な高失業率の現況について書いた。そこでは選択の余地など残されておらず文字通り職にありつくという水準が関心の焦点とされてしまうのであった。また、「ミス・マッチ」という表現での、就業に関する需要と供給の関係におけるすれ違いも表面化し続けている。さらに、これらの事態がまるで自然現象であるかのように受け止められてしまっている不思議もある。

 本来は、現代の先進諸国では職業の選択の問題が最重要視され、その対策が教育を含めて最大限注目されなければならないはずなのである。それというのも、職業は個人の能力発揮や生甲斐と、社会経済の発展との最も重要で基本的な結節点だからである。この結節点に無理がなく、ベスト・マッチの内実が創り出せれば、個人側の充実と社会経済側の活性化との好循環が両立するに違いないからである。
 これらの方向づけはとても個人側だけの自助努力の範囲を超えている。われわれが、社会的視野や社会的経験に乏しい学生時代に、さあ職業選択ですよ!と言われて戸惑ったこと自体がその点を物語っていよう。その不合理は、その後どう改善されたのであろうか。そんな重要な課題をかき消す形の受験教育(恐ろしいほどの「単一」基準の教育!)がまかり通り続け、良い進学さえできれば、どんな職業にでも思いのままに就ける!という幻想が今でも温存されているのが実態ではないだろうか。教育も含めた社会の方向づけのビジョン自体が、無かったか、間違っていたかのどちらかであったとしか言いようがないのだ。
 こうしたビジョンの明示こそが、当面の「痛み」を超えた国民的苦痛を乗り越えてゆくためにも必須なのだと思う。当面の悪を倒せば自然に良くなる時代環境ではないはずだ。ちなみに、悪と見なされた「タリバン政権」の放逐は、新たな政治的混乱の到来であることは周知の事実となっていないか……(2001/11/23)

2001/11/24/ (土)   200日継続して書き続けて思うことあれこれ!

 今日の日誌で、200日継続して書き続けたというカウントになります。どうということもありませんが、むしろこれらの駄文にお付き合いいただいた読者の方々にお礼を申し上げるのが筋だと思っています。一人でも、二人でも立会人(?)がいると想像できることが、意志薄弱な自分への歯止となっているのが事実です。状況が許す限り継続させようと望んでいますので、暇つぶしに読んでやってください。
 読んでいただく方々に、何か役に立てれば幸いとは考えているのですが、無償なもんですので基本的には自分自身のボケ防止のためとくくっています。(今日は一応読者を意識しながら、「です、ます」調となっているわけです!)

 それで、200日継続して書き続けた自分なりの効果があったかという点ですが、際立ったものがあったとは自覚していません。もしこうした作業を課していなかったならどうであったか、との比較ができないものですから。ただ、もし書き続けていなかったとしたら、激動のこの期間ゆえに、不安と意気消沈とそして憤りと……が絡み合ってとんでもないことになっていたかもと想像したりします。言葉を使って考えることが、かろうじて理性のかけらを持つ人間にとどまらせてくれたのかもしれないのです。この点が少なからずの動機になっているやもしれません。まるで、太平洋の孤独恐怖から自分を救うために書かれた堀江謙一さんの航海日誌のようなものでしょうか。

 それから、書き続けてみてわかることは、自分自身がいかにものを考えていないか、感じていないかという点かもしれません。よく文章が上手、下手について議論されたりしますが、それもあるにはあるのでしょうが、それ以前の問題の方が比重は大きいと感じています。
 その日の日誌を書き始める時に、よし、と書き始めても、書けるほどに内容がまとまっていないことに気づかされることがしばしばあります。要するに、漠然と考えていたつもりにはなっていた対象について、実際はさほど考えていなかったことに気がつくのです。文章が続かなくなるという現象の正体は、文章づくりの力量の問題ではなく、そのことについてまともに考えたのかどうか、感じたのかどうかということなのかもしれません。
 状況をリアルに書こうとする際にも、観察が乏しかったこと、感受性が情けなかったことに気づかされるわけです。

 考える、感じるということでもうひとつ言えることは、「自分なりに」という観点へのこだわりでしょうか。この日誌を続けるにあたって、自分なるものの個性、特殊性を追詰めてゆこうという発想がどこかにあるわけです。たぶん、それが重要な生甲斐だと思えるからなのでしょう。ですから、他人と同様の発想や、まして他人の表現で字数を埋めるという意味の無いことは避けたいと思うわけなのです。
 そうすると、書くことが無くなってしまうという事態に直面してしまうのです。自分がいない!という現実に遭遇するのです。少しづつでも、自分らしい発想と表現をスタイル化できればうれしいと願っているわけです。
 好きだと自覚していながら、描くことから遠ざかってしまった絵画についても、どこかにカメラの写実性と便利さとに引きずり込まれたかの印象があります。しかし、それは絵画への不当評価なのであって、絵画とは視覚的な写実ではなく、心に映る存在を描写するものなのですね。日誌を書き続けて、絵画の魅力を再発見したりもしているわけです。

 この未曾有の大変化時代の向こうにはどんな時代があるのでしょうか?最も希望に溢れたイメージとしては、これまでの「規格品」的な人間の生き方が嫌われ、皆それぞれが自分らしい人生を追及する人々と、それを支援する社会との登場でしょう。そして、そうした時代が生まれるかどうかは推測の問題ではなく、現時点でそういう生き方を単独渡航的ではあっても選択するかどうかの問題なのではないでしょうか……(2001/11/24)

2001/11/25/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (15)

 海念は、自分がこの東海寺に来た頃のことを必死で思い出そうとしていた。しかし、当時、海念は、父親の出来事と、それに対する入り乱れた感情などで決して尋常な心境ではなかったはずである。自分の感情で自縛され苦しむ海念が、しかも来たばかりの新しい環境の一体何を記憶にとどめることができたのだろうか。

「あれは、やはりこうして風呂のかまどの火を絶やさない番をしていた時のことでした。風呂場から聞こえる兄弟子たちの声の中に、『やはり、禅修業は南蛮人の方には三日ともたないのでしょうか……』とか、『それにしても消えるように退散なさった……』とかと聞こえたような会話があったようです。
 さまざまな方がお出でになる寺だと聞いていましたから、特に不思議とは思いませんでした。ただ、南蛮人という表現が気になっていましたので、今、思い出したのです」
「でも、ぼくのような子どもじゃなかったんでしょ?」
「そうですね。子どもを相手にした言葉ではなかったかもしれませんね……」
「ほかに何か覚えていることはないの?」
「うーん、ほかには……」

 保兵衛は、海念の口から、自分のような子どもが既にこの寺を訪ねて来ていたかもしれないと聞きたかったに違いないのだ。たとえ自分に覚えがなくとも、忘れてしまうことなんていくらでもあるから、ただ、そうした事実さえあれば謎解きは完了としたかったのだ。
 しかも、一度過去に来ているとなったなら、現代に戻れたということでもあるわけなので、なおのこと過去の自分が来ていたとの証言がほしかったに違いないのである。

「そうそう、子どもではなかったことなら確かなようです」
「なあーんだ、でもそのわけは?」
「保兵衛さんに着ていただいている白装束と黒い袈裟はわたしのものですよね。もし、子ども用のそれらが、わたしがここへ来た時にあったなら、わたしもそれを借りることができたはずです。わたしは、ここへ来て二、三日は仕立てを待ちながら、実家から着てきた着物を着ていたのですから、そんなものは無かったということではないですか」
「なるほど、そういうことだよね。とすると、その南蛮人は大人だったということなんだ……。じゃ、以前にぼくがここへ来たのはもっと前だということなんだ……」
「しかし、そんな前だとまだ東海寺が出来ていない頃になってしまいますよ」
「そうかあ、それじゃ話にならないよね」

 二人は、またまた解けない謎を巡って、首を傾げ、腕を組み身動きできないありさまとなった。とその時、風呂場から声が聞こえてきた。
「海念、わたしで最後なのでもう薪は足さなくてよし」という兄弟子の一人の声であった。
「はい、わかりました」
 海念は、そう応えながらかまどの周囲を整理し始めるのだった。
「保兵衛さん、わたしはここへ来る前も、父が入浴する際にこうした風呂焚きをよくしたものです。そして、さっきの兄弟子の声のように父が……」
と言いかけながら海念の眼が光った。
「保兵衛さん、保兵衛さんのお父さんなら『三つの校章』のことくらいご存知ですよね」
「うん、そりゃ知っていても不思議はないよね。ということは、ぼくの父がここへ来ていたということ?」
「変ですか?確かに、『鯨の図』については該当しませんが、それは保兵衛さんだとしても今日よりも前の保兵衛さんなら同じことですからね」
「うーん、父かあ……、そんなことってあるかなあ……」

 保兵衛は、自分の父に対する印象を頭の中で手探りしながら考え込むのだった。
 父は、煙草は吸うが、酒も飲まずバクチもやらず、人当たりも悪くはない真面目一筋の人間だ。どちらかと言えば気を遣い過ぎる方だろう。会社から寄り道して遅くなることは先ずない。朝だって、通勤ラッシュを避けるためにほかの人より二時間も早起きして出かける。母が、そんなことしてたら身体を壊すわよ、と言っても、いいんだと言っていた。いや、そんなことはどうでもいいとして、父が「時空を越える!」ようなことをするかどうかだけど、うん、先ずなさそうだなあ……。会社から真直ぐに帰宅する父が、そんな冒険をするわけがないな。しかし、このぼくだって望んでこうなったわけじゃないんだから、なんかのキッカケ、そうちょっとした危ないことをしてしまうということ、うん、それも父はしそうもないなあ……。母がよく父のことを「石橋を叩いて渡らない」ほど慎重だと言っていたからなあ。うん、父ではないだろう、と保兵衛は結論を出すのだった。

「海念さん、先ず父ではないと確信する!」
と保兵衛は言い切っていた。
「そうですか、ありそうもないですか……、お手上げですね」
「……」
「保兵衛さん、そうがっかりすることはありませんよ。たぶんこの辺の事情をすべて呑み込んでいる方がいらっしゃいますから……」
「えっ、誰ですか?」
「和尚さまですよ。だって、保兵衛さんの名前を聞かずとも言い当てられたのでしたよね!ということは、何かをご存知のはずに違いありません」(2001/11/25)

2001/11/26/ (月)   「貴社のIT事業分野にあてはまるものはどれですか?」

 産業界の激動の中で、当然のごとく従来からの「事業分野」のくくりに変化が生じていても不思議ではないはずだ。また、ベンチャーなどによる「新規事業」も登場しているのであるから、現実に即して整理しようとなると「事業分野・分類」はなおさらのこと複雑となるに違いない。

 たまたま、「2001年『日経IT企業調査』」と称して日本経済新聞出版局からアンケート調査依頼が舞い込み、「貴社のIT事業分野にあてはまるものはどれですか?」の問いに真面目に対応しようとしていろいろと考えてしまったのである。
 なお、分類の基準としておおよそ次のようなくくりが示してあった。(細部は省略)

【 IT事業分野 】

<Web上のサービス>

1.情報仲介(求人・求職など)
2.情報提供(サーチエンジンなど)
3.商取引支援(ショッピングモールなど)
4.マーケティング(インターネット広告代理店など)
5.デザイン関連(Webページ制作など)
6.サービス(金融商品など)

<Web上の流通>

7.電子小売店(オンラインスーパーなど)
8.通信業(インターネットサービスプロバイダーなど)
9.リソースレンタル(ASPなど)
10.サービス情報支援(技術)(画像・配信関連技術など)
11.その他のインターネットインフラ技術

<ハードウェア等周辺産業>

12.ソフトウェア(各種プログラム受託開発など)
13.ハードウェア(コンピュータ関連機器など)
14.半導体デバイス
15.その他のハードウェア等周辺産業
16.その他

 細部の例示的なものをはずしたため分かりにくいのだが、要は、IT、ITと叫ばれている内実には、このような事業群があったと理解させるのである。
 現時点は、「IT不況!」と表現されているごとく、これらのどの事業も一時期ほどの華やかさはなくなっているはずである。が、まあ「IT事業」以外の業種と較べれば、期待が託されている事業だということになるのだろうか。

 先日来、新規事業、新規ニーズなどソフト的な対象に関心を持ってきたのだが、そうしたニーズに対応する業種がとりあえず上記の事業だと言えるのであろう。長期的には、こうした分野が質量ともに増大するであろうことは予想されるが、現時点の不況の実態を眼前にすると、何とはなしに醒めた印象を受けてしまうのはわたしだけであろうか。
 新聞報道された大手企業群のリストラ人員予定のリストアップが示す「縮小均衡」の方向にあって、こうした事業が対象とするソフトへのニーズというものが、どれだけ事態を打開する牽引役を果たすものだろうか。(2001/11/26)

2001/11/27/ (火)   流通すべき貨幣が停滞しているデフレ現象とは?

 久しぶりに仕事関係で成田に出向いた。町田から成田までというと往復すれば完全に一日仕事となってしまう。まして最近はあまり都心に出ない勤務スタイルが定着してしまっているので、成田行きは気分的にも、疲れ具合から言ってもたっぷりと一日仕事といった重みとなってしまう。
 町田から新宿、新宿から日暮里、日暮里からスカイライナーで成田までとかなりの乗車時間となる。社内担当者とは現地待ち合わせとしているため、往きはもっぱら眠ることと、京成沿線成田寄りの田園風景を楽しむことにしている。今日は秋晴れで何となく小旅行気分にさえなれたものだった。帰りは担当者とともにあれやこれやと車中で話しながら帰ることにしている。

 どうしても景気の話となってしまうのがこの時期の常である。その中で、国内需要、消費低迷の原因でもある「貯蓄」してしまう日本人という点が話題となったのだ。なぜ、貯蓄してしまうのか、日本人は冒険しない、将来が不安であるから、社会保障に不安があるからといった具合であった。政府首脳の麻生氏が地方講演で、「貯め込んでいるお年寄り」に留まっているお金を動かすために、贈与税、相続税の見直しをするとかの話題も出たりした。

 「貯め込んでいるお年寄り」の真偽のほどは別として、現時点での経済の最大の問題は貨幣が流通せずに停滞していることにある点は誰もが知るところであろう。もともと貨幣とは、蓄えられるものとして考案されたというより、モノが交換されたり流通したり、さらには投資という他者による経済活動を通した増殖など、いずれにしても「流動する」ものとして存在意義があるものであろう。それ自体に価値があるわけではないのは、超インフレで紙くず同様となる、という表現が言い当てているわけだ。
 貨幣が象徴的には箪笥の中などに停滞している事態の経済学的説明としては、要するに「デフレ」傾向で、手元に置くことが最も貨幣価値の増大につながるということなのであるはずだろう。モノに替えたり、リスキーな投資をする以上に安全な利殖となるということである。したがって、デフレという現象が貨幣の流通を滞らせて悪循環を始めているというのが実態のはずであろう。
 だから、「インフレ・ターゲット論」がささやかれたり、ヘリコプターから札をばらまいたりして市場にゲンナマを放り込むといった荒療治の話しが飛び出したりもするのだ。
 確かに、貨幣価値の増殖に徹するならば、余剰貨幣の持ち主の選択、結論はひとつかもしれない。放っておいても儲けられる状況で、なぜリスクを犯す必要があるのかということになるのであろう。
 余剰貨幣など持っていない者の犬の遠吠えなのではあろうが、それで金、貨幣を生かす人生なのだろうか。貨幣の自己増殖を自己目的的に追求するのではなく、高が知れた時間しか与えられていない人間の一生を、挑戦的に生きる魅力になぜ向かわないのだろうか、と思ったりもするのだ。「金は天下の回りもの!」という言葉は、楽観論の表明であるだけではなく、「回って」こその金、「回して」みることのアクションこそに人間の生きる価値があると言っているようにも聞こえるのである。

 「リスク社会」について以前書いたが、「リスクテイキング」したがらない日本人の問題は、人生観を含めて見直すべきなのかもしれないと思う。そして、そんな日本人が本当に変わるべきだと思うのなら、政治指導者たちは、何よりも将来の不安に備える必要がない社会保障の整備にもっと尽力すべきであろう。それが長期的に望まれる本当のセイフティ・ネットなのである。そうした発想がなく、「貯め込んでいるお年寄り」の貨幣を流出させるべし、との言い草はどこか本末転倒気味かもしれない。(2001/11/27)

2001/11/28/ (水)   ハードウェアのボトル・ネックが取っ払われたかの昨今!

 ある外資系通販専門のPCメーカーから、FaxでのDMが届いたのを見ると、CPUが1GHzでWindowsXPに十分応えると思われるデスクトップPCが、15インチ液晶モニタ付きで¥79,800−だという。PC購入の特別税法が終了した現在だから、経費扱いとなる10万未満対応による販促的効果を狙っているのだろう。
 それにしても、PC価格がここまで下がるとは驚きである。PCがデフレの旗振り役となっているとの表現も分かる気さえする。

 これに関して、デフレ問題もさることながら、ここでひとつ考えてみたい技術的な問題がある。
 従来、ソフトウェアの構築における基本方針は、ハードウェアのボトル・ネックに、自ずから影響を受けてきたはずである。そもそも、PCのメモリー容量が小さく限られていた時には、相応のサイズのプログラムしか走らせることができず、そのために如何に効率的なプログラムを作るかの課題が課された。後日のプログラムのメンテナンスがし易いかどうかより何より、プログラム自体の軽さや効率的なアルゴリズムに目が向けられていたのであった。
 また、インターネットが普及するようになってからも、PCの性能がこれほどではない時期、そしてADSLのような高速ブロードバンド登場以前には、ウェブページも如何に質量的に軽くするかとか、クライアントPCには負荷をかけないで高性能なサーバー側処理でまかなうとかの方針も立てられていたはずである。

 しかし、ここへ来て事情が一変してしまったようだ。CPUも、800MHzだ、1GHzだと一頃の何十倍もの速さとなり、メモリーも、128MBだとか、256MBだとかこれも何倍もの大きさとなり、追加しても大したコストにはならないのである。
 一般ユーザーにとってのアプリケーション・ソフトなら、いわば無尽蔵と言えるほどのハード的な器となってしまった。また、インターネットにおけるクライアントとサーバーとの関係においても、高性能なサーバーに対する貧弱なクライアントという観念や、速度が遅い通信メディアという観念も通用しなくなってしまった。
 ホームページのパーツは、できるだけ容量を軽くだとか、クライアント側に負荷をかけないようにとかの鉄則めいた発想もかなり様子が違ってきたと言ってよいのだろう。むしろ、ホームページなどでは、事態の進展に追いつけないプロバイダーのサーバー側環境に負荷を強いるCGIなどのサーバーサイドプログラムの方が、問題視されるようになってきたのかもしれないのである。

 こうしたハードウェア環境の急速な低コスト化の過程で、ますますソフトウェア、とりわけコンテンツの充実こそがクローズアップしてきているのだと言えよう。現に、これまで大容量であるがゆえに敬遠されてきたサウンドや動画がにわかに注目され始めてもいるわけだ。しかし、単にメディアの種類の問題で止まっていてはならないはずである。ゲームもそうであるように、ニューメディアだけが前面に打ち出されたコンテンツは、やがて飽きられるはずであるからだ。
 今こそ、無尽蔵とも言うことが可能なハードウェア環境をとことん生かしたコンテンツの質的向上が課題となっているのではないだろうか。しかも、ユーザーサイドでの処理負荷が多少は高まっても差し支えなくなって来ているという認識で良いのかもしれない。

 こうした状況を図式的に鳥瞰するならば、元気がなくなった組織(国家財政、地方財政、不良債権を抱える大手企業 etc.)と、ある部分ではの話だが、個人側に蓄積した貯蓄という現在の経済構図にも似ていなくはないかもしれない。
 そして、今後期待されるべきは、国家を含めてこれまで様々な領域であたかも「サーバー」の役割を果たしてきた機関や機能が、高まる性能を秘めてきた市民個人たちによって肩代わりされてゆく社会構造ではないのだろうか。ただ、ハードウェアの高性能低価格化はスムーズでも、市民個人の性能アップはなんだかんだと問題含みであることは予想されるが……(2001/11/28)

2001/11/29/ (木)   現在の不況は、われわれに従来の経済観念の変更をも迫っている!

 ノーベル賞の100周年記念行事を前に、創設者であるノーベルの親族が「経済学賞はノーベル賞の名に値しない」として名称を変えるよう提案したという。「経済学賞は遺書の中にも明記されておらず、全人類に多大な貢献をした人物に贈るとの趣旨にもそぐわない」とのことらしい。
 ちなみに、一時は「経済大国日本」、「エコノミック・アニマル」とさえ評された日本であるのに、日本人での「ノーベル経済学賞」受賞者は皆無であり、多分今後もこの賞だけはとれないのではないかとの風評があるそうだ。一方、ヘッジ・ファンドなどのマネー理論が進む米国に受賞者が多いことは周知の事実である。

 現在の世界同時不況、とりわけ日本の大不況を憂う時、翻って経済とは何なのかについてまで掘り下げて思いを巡らす必要があるのかもしれないと思える。
 「構造改革」などと抽象的な見出しだけが一人歩きし、しかも藪医者の手術のように、ためらい傷(?)のような周辺的な「痛み」ばかりを引き起こさせ、一向に病巣にメスが入らない経過を見るにつけ、そう思うのである。
 すでに海外では、日本の「国債」の評価づけが地に落ちたと報道されてもおり、日本の経済構造改革は失敗に近い否定的評価がなされ始めているようである。
 すべての問題は複数原因によって引き起こされるわけだが、個々の原因に振り回されていたのでは、いたずらに事態を混乱させるだけなのであろう。あるいは、政治責任者に言い訳の口実を作らせるだけとなる。問題の焦点を明瞭に絞り込んで、より深い病巣を摘出してこそそれ以外の治療も効を奏するというものである。
 現在、着手すべきは日本の「経済」観念を、現行のグローバリズムでの経済たらしめるための抜本的な体質改善以外にはないはずである。

 ノーベル氏の経済観は、グローバル経済=アメリカである現時点での経済のビビッドな問題を100年前に予知していたかのようでおもしろい。そうした経済のしわ寄せを食らう「南北問題」の南をも含めて照らしたいという同氏のヒューマニズムが窺える。「賞」の問題は同氏の遺志を尊重すればよいと思うが、否定的に過ぎる経済観はやはり古典的であり、後ろ向きであるように思える。確かに、グローバル経済=アメリカの現状は、問題含みではあるが、これ以外に今日の経済観は存在しないのが現実なのである。

 日本の経済(観)は、体質的には「鎖国経済」の延長であり、国家によって庇護された擬似経済だったのだと言い切って良いだろう。大きな特徴は、第一点として、自由な個人が主体となった経済活動、これが現在の常識的経済観念であるが、これは相対的に希薄であり、常に「お上」の介入と庇護のもとで大から小までがまかなわれてきた点であろう。
 この点は、競争自体をないがしろにしてきた「護送船団方式」の問題、現在再度目を向けられている「公共投資」云々とか、「特殊法人」民営化とか、経済への公的関与自体が問題としてやり玉に挙がっているネガティブな現状が如実に示しているはずである。
 第二点は、経済活動自体を、経済=儲けること!というようなニュアンスで「卑しい行為!」と見なす根源的風潮であろう。現時点でも、この根源的風潮は脈々として生きているのではないだろうか。りっぱな人は「カネのことを口にしない!」(実態は、りっぱな人は「黙ってふところを指差す!」?)という慣習や、「手切れ金」などにも窺えるように、カネに基づくやりとりを暗黙裡に卑しめるのが日本であったし、現にそうである。
 なぜこうなったかと言えば、長い期間の共同体としての日本、そしてその再生産と継続がそうした風潮を持続させたはずである。もともと共同体の内部では、貨幣に基づく経済は無かったのであり、かろうじて外部との臨界部分で発生したにとどまったのである。そして、内部での非貨幣的やりとりこそが重要な行為であり、対外部との貨幣によるやりとりは無いに越したことはない二義的位置付け以下と見なされてきたのであろう。

 このような経済の体質が、まったく正反対の経済観念のグローバリズム経済に巻き込まれたのだから、勝ち目がないどころか小手先の手当てでは済むわけのない混乱が広がってしまったというのが実態だと見える。
 経済活動とは、卑しいものであるどころか、人間のコミュニケーション活動の重要な一環であるはずであり、現在われわれが試されているのは、個人としての人間関係、コミュニケーションの質を転換させてゆくことだと予感するのだ。したがって、この不況の深まりの中で、経済活動の抑制と沈滞が他のコミュニケーションまでを消極化させズタズタにさせてゆく懸念を感じているのである。この辺は、明日続けることとする。(2001/11/29)

2001/11/30/ (金)   下手な経済行為は、下手なコミュニケーション行為と同根!

 買い控えが続く事態に対して、経済アナリストなどが「消費者の買い控えも、もう耐え切れない!ということなのでしょう」などと表現することがある。モノを買わないということが苦痛であるという口ぶりは、モノを買う行為が喜びである事実を指している。欲しいモノを我満するのが苦痛で、欲しいモノを手にするのが喜びであることは当然と言えば当然の理屈であろう。
 しかし、それだけのことであれば、より安く買えた時の充実感はどう説明されるのだろうか。たぶん、値段を「負けさせる」ことができた実感がうれしかったと言えようか。
 関東は従来より買い物でのやりとりはさりげないのが相場であり、デパート方式そのものであるが、関西での買い物、商いは「負けさせる」、「負ける」という折衝を巡る濃密なやりとり、すなわちコミュニケーション丸出しなのである。
 「もうちょい負かりまへんか?」「そない、せっしょうなこと言わんといてんか!」といった具合であろう。
 つまり、買い物、経済行為が他者を相手とした立派なコミュニケーション行為として実践されているのである。しかも、予断を許さない緊張関係を内包した個と個の切り結びとしてのコミュニケーション行為なのである。

 現代日本の経済観念は、関西の伝統のものではなく、江戸以降の関東の商い通念が色濃く反映しているように思える。お上の膝元での静かで淡白なやりとり、加えて権威をかさにきた殿様商売的な、関西人から言わせれば商いごっことしか言いようのないものかもしれない。
 堺の商人、近江商人など関西商圏の伝統のエッセンスが日本の経済に色濃く反映、継承されていたなら、今、到来しているグローバリズム経済に何らうろたえたり、騒ぐ必要はなかったのではないかと思ったりするのだ。
 そして、しばしば指摘されるように、堺の商業の繁栄が権力からの個人の自由な空気とともに花開いた点にも注意をむけなければならない。個人の自由、自律、充実したコミュニケーション力、活発な商業という連鎖が重要だと思われる。

 最近はキャッチ・セールスの被害は減少したのであろうか。一時は社会問題ともなり、なぜそんな手に引っかかってしまうのかが話題にも上った。その当時、米国では小学校の教育に「ショップ・シミュレーション」のような教科があり、キャッチ・セールスなんぞは子どもでも引っかからないと聞いた。
 また、米国では、ベンチャー起業家を育成する教育課程の中には、新規技術の練磨と同比重でディベートなどのコミュニケーションや、スピード感のあるパフォーマンスのテクニックなどが盛り込まれてもいるという。個人の自律という国民性のベースに加えて、何重ものテクニックさえ上乗せする周到さで経済行為に挑もうとしているのである。

 日本人のコミュニケーション能力は、決して高くないのが定評であるが、それは共同体の中での会話に頼らない以心伝心方式が推奨されていたことと無関係ではないはずである。同質性のため異質な他者を意識した会話が必要なかったからとも言えよう。
 経済行為もコミュニケーションの重要な範疇だと見れば当然のことではあるが、今うろたえている日本における経済行為、経済は、「お上」による庇護の傘を張り巡らせ、統制と調整づくめを重ね、個人の出番がないほどに個人の経済活動能力を去勢してきた、そんな歴史の産物だとは言えないだろうか。殖産興業という「国営的」構造をとんでもなく永く引きずってきたがゆえに、グローバリズム経済という個人戦ベースに耐え得る逞しい民力成長が損なわれたのだと思えてならない。
 そして、現在もなおかつ不必要となっていることが見え見えの機関、役割に、しがみつく者がいるだけの理由で、重要な未来選択ができずにいるのが情けない。恐竜のような図体となり財政圧迫の原因にしかならない食欲を発揮している行財政機関、特殊法人、公益法人などなどのことである。そしてそれらと同数の古い「規制」が残され、民力成長に足枷がはめられ、自由な個人の経済行為が阻まれてもいるのである。

 リストラは、結果的には良質な社員を輩出する場合が多いとのシニカルな認識が流布している。同じ傾向が国家的規模で進行しているのではないのだろうか?
 挑戦的な研究者たちは「頭脳流出」的に海外へ向かう。そしてチャレンジャブルなスポーツマンもメジャーなど海外をやりがいありと選ぶ。生き残りをかけた製造業も海外流出する。若い世代で潜在的に海外へと望んでいるものたちは相当数に上るのであろう。さらに、税金や年金積み立て等々所得から控除される分が高比率化することも動向に拍車をかけるのではなかろうか。このままゆけば、ひところの地方の農山村のように「三ちゃん」とあどけない子どもだけの「過疎化」国日本となってゆくのであろうか……。それとも、品川区の小学校「自由選択」制度ではないが、所属する国を自由に選択できる制度を日本人の誰かが国連にでも提唱するのであろうか……(2001/11/30)