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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





………… 2001年10月の日誌 …………

2001/10/01/ (月)   困難でも「新規需要開発」という王道しか道はない!
2001/10/02/ (火)   危機的になればなるほどよく見える、中心部分の真っ白さ!
2001/10/03/ (水)   新規需要開発のコツは「オブジェクト」ターゲット視点で!!
2001/10/04/ (木)   「新しいモノ」の想像/創造とふさわしい思考ツール!
2001/10/05/ (金)   シーズ過剰時代における「用途=ニーズ!」発見と創造の活性化!
2001/10/06/ (土)   不安を掻き立てる材料に全面包囲されたわれわれ!
2001/10/07/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (8)
2001/10/08/ (月)   米国の勇み足と、わが国政府の「追っかけ」!
2001/10/09/ (火)   そのうち、きっといいことがあるから、気を落とすんじゃないよ!
2001/10/10/ (水)   "XML"における『データ』と『修飾』の峻別!実世界の『事実』と『虚飾』!
2001/10/11/ (木)   異質な存在同士をコーディネイトしてしまうオルガナイザー!
2001/10/12/ (金)   「ぶっちぎり」で先行してゆく現実と言語的に意識される世界!
2001/10/13/ (土)   ネットワーキング時代の大前提は、参画要素の自律性!
2001/10/14/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (9)
2001/10/15/ (月)   激動の中で、今後の変化の方向をどう予測してゆくのか!
2001/10/16/ (火)   「一時性」に特徴づけられた現代と、「戦略」樹立の困難さ!
2001/10/17/ (水)   「一時性」、「変化」、そして軟体動物としての日本のわれわれ!
2001/10/18/ (木)   「人手」削減の効率化路線は本当の未来を切り拓くのか?!
2001/10/19/ (金)   「情報」に対するどれだけ緊迫感を伴ったニーズがあるのか?
2001/10/20/ (土)   秋の日の自然の寛大さと「人間たちの仕業」!
2001/10/21/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (10)
2001/10/22/ (月)   寅次郎が小さな眼で、不思議そうに遠くから眺めている……!
2001/10/23/ (火)   お国は、ぶどうの世話をしっかりしなければイケナイ!
2001/10/24/ (水)   自分の目で観察すること、批判的意識を持つこと!
2001/10/25/ (木)   「没頭」こそが、細い稜線上に走るサバイバルの道!
2001/10/26/ (金)   今回の不況は、「特化」企業選別の篩(ふるい)の役を果たす!
2001/10/27/ (土)   「存在感のない透明な自分」と悩み、鬱積する者が静かに増加している!
2001/10/28/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (11)
2001/10/29/ (月)   愚痴ったって始まらない!やるべきことに忙しく!
2001/10/30/ (火)   万国のパソコン初期挫折難民(?)!サディスティックに立ち上がれ!
2001/10/31/ (水)   "Howto-ism" から "What-ism" への急速な脱皮!



2001/10/01/ (月)   困難でも「新規需要開発」という王道しか道はない!

 現在、あらゆるものが「値下げ」競争に巻き込まれている。この競争に巻き込まれている業者の中には、合理的なコストの圧縮を基盤にした上で低価格を実現している部分と、まさに外発的な流れに巻き込まれて当面の売上のみの実現に引き回されている部分とがあるのだろう。言うまでもないかもしれないが、多分、不本意ながらの後者が圧倒的な比率を占めるものと想像される。

 後者にあっては、いわく言いがたいが自転車操業というよりも、ブレーキの効かない自転車が坂を下るような印象ではないだろうか。カタストロフィが見えているのである。前者にあっては、コスト・ダウンのための生産や流通過程における工夫やイノベーションという合理性が着目されるが、これとて限度があることであり、ブレーキを掛けながらの坂道下降には違いないのであろう。

 自転車は右でも左でもよい、一刻も早く「わき道」へ迂回すべきなのである。しばし自分を取り戻して操業できる平坦な道に迂回しなければならないのだ。この「わき道」というのが「新規需要開発」である。新製品開発と言ってよいかもしれない。
 例えて言うは易く、実践ははなはだしく困難に満ちたコースであり選択なのは誰もが承知している。しかも、誰もが浮き足立つようなこの不安定で不穏な環境でこれを遂行してゆくことは並大抵のことではないはずであろう。
 しかも「新規に」生み出した需要が永続する保証などはなく、競合他社の類似「新規需要」に撹乱されたり、陳腐化ののち胡散霧消することも多いはずであろう。単発ではない継続的な「新規需要開発」が望まれるゆえんである。

 しかし、どうもそれほどの柔軟さとスピードこそが、勝ち残る者には要求されているのが現ビジネス界ではないかと推測せざるを得ない。この厳しい「公案」(禅宗で、悟道のために与えて工夫させるための問題!)を解いてこそこれからのビジネスにエントリーしてゆけるのだと自戒せざるを得ないのである。そして、多分この課題は企業規模の大小に分け隔てのなく振り落ちている試練であるはずなのだ。

 多分これは、個々の企業にとっての試練であるとともに、需要そのものを海外に依存してきた日本経済にとっての試練でもあると思われる。米国からはかねてより「内需拡大」を要求されてきたが、「需要」に焦点を合わせて考察する時、他国が歴史の中で育てた国内需要に向けて生産活動をするスタイルは日本のお家芸であり続けたのかもしれない。需要を創り出すことは、規格で製品を作り出すことよりもさらに困難なことであったのかもしれないのだから。

 そして今、日本経済は、緊迫した失業対策に向け、労働力新規需要を生み出さなければならず、そのために企業は、新製品・新サービス提供と同時に「新規需要」を確かなものとしてゆかなければならないのである。
 「起業家」精神を培うと言うが、現代の「起業家」とは、人間とその生活でのニーズを洞察できる者のことであり、しかも現金を支払うという現代人が一番いやがることをも納得させることができることであり、大変な能力を要することなのだと思う。
 西欧社会を手本にして、常にキャッチ・アップのためのモノづくり技術のみに専念できてきた日本経済にとって、まったく異なった種類のことをしてゆかなければならなくなっているのが現在なのである。インターネットにしてからが、米国で展開されてハジケたことをそのまま再現したって成功するわけがないはずなのである。

 いずれにしても、「新たな需要」という眼に見えず、不確かなものをいち早く察知、洞察して、なおかつリスクを負いながら対処してゆくといった日本人にとっては「新スタイル」の行動様式だけが、不況の中での企業を救い、経済全体を導くのだと考える。体力をつけるとは、このこと以外の何ものでもないはずであろう。(2001/10/01)

2001/10/02/ (火)   危機的になればなるほどよく見える、中心部分の真っ白さ!

 米国が現在、事件の後遺症を克服すべく、いたるところで国歌が流され、星条旗が林立していると報じられている。未曾有のショックを受けた国民が、みずからを癒し励ます手立てとして、「原点」の確認に向かっていることが容易に想像できる。軍事報復への支持も、過激なショックを癒す過程でのキャリーオーバーな反応だと想像したい。
 ここに見られるように、米国国民には、国歌や星条旗に象徴される誇りと民主主義という原点が少なくとも存在し、危機的な環境となるとそこへ復帰する。激しい混乱時にあって重要なことは、とにかくホーム・ポジションなり、原点なり、中心に再結集することであろう。そこからどのような再出発の選択がなされるかは、その時点の成熟が促すものであり次の問題である。

 こうした、危機的状況における「原点」復帰なり、求心力なるもの自体が、今のわが国に最も欠落しているもののように感じられてならないのである。
 「多少の痛みは耐えよう!」と賛同した国民が多数いたことは周知の事実である。しかし、「痛み」に耐えるためには、それも個々人が勝手な思いによってではなく、全国民がこぞって耐えられるためには、何のためという明確なイメージや理念がなくてはならなかったのではないだろうか?それらが不問に付された言質はあまりにも軽々しかった。かといって、君が代、日の丸が持ち出されたりしたのでは話にならないが。

 今、わが国の政治経済はパーフェクトに混乱が成り行き任せとなっていると言わざるを得ない。多くの問題が錯綜するが、要点は、「どんな社会をどんな社会へと変えてゆこうとするのか」というキー・コンセプトの欠落にあると思われる。
 目的が不明確なシステムの設計は、結局誰もが望まぬ結果を増幅してゆくものだが、目的イメージが玉虫色のわが国の現状は、メンバーのそれぞれが思い思いの勝手な我田引水的イメージを追っ駆け、結果的には混乱を助長しているだけではないか。

 詳細に踏み込むことは避けるとして、ただひとつ、「足元」と「将来」を見据えるべきだと言いたい。「足元」とは、まさしく展望なき政治経済のもとで、国民がもはや絶えられないほどの痛みと苦悩を引き受け始めているという事態である。他国への援助資金や「助っ人」も結構だが、「家族」の苦痛を放置したままの「義侠心(?)」や見栄っぱりは軽薄のそしりをまぬがれないのではないか。さらに、こうした議論が封じ込められている空気にも反発を感じてならない。
 そして、もうひとつは「将来」が見据えられていない点である。製造業の競争力低下と海外移転、輸入の増大による経済の破綻は、1980年代の米国に酷似しているといわれるが、米国は「手品」を使ったにせよこの後IT産業や金融・サービス業を発展させたのである。「手品」のタネが明かされてしまい今日に至ったのではあるが。
 しかし、わが国は米国の後の出番だから、もう同じ「手品」は使えないのである。しかし、製造業に望みが掛けられるはずもなく、やはりIT産業をなおかつ起爆剤とするほかないはずである。ここを中心とした産業振興を図ってゆかざるを得ないのである。しかも早急にである。が、その早急さは全く伝わってこないどころか、不況の成り行き任せによって、IT産業と技術者層が萎縮し始めている始末ではないのか。

 米国による軍事的報復を諌めるものに対して「平和ボケ」なる賛辞を贈るご時世であるが、この政治経済の大混乱にあって矢継ぎ早の緊急対策を要する時に、手数の少ないボクサーに対しては「ファイト意欲無し!」(もちろん、自衛隊による支援活動なんかじゃない!)との宣告をすべきではなかろうか……(2001/10/02)

2001/10/03/ (水)   新規需要開発のコツは「オブジェクト」ターゲット視点で!!

 何かにつけ「需要」低迷と嘆かれる時代であるので、今日も「需要」、もう一歩踏み込んで「ニーズ、欲求」について考えてみる。考察の視点は、「現代における需要の対象は、シングル=単体であるか?コンプレックス=複合体であるのか?」としたい。
 つまり、現代人が何かが欲しいと感じる時、その何かとは限りなく細分化された単一体のモノであることが多いのか、システムとまでは言わないまでも様々なモノがセットとなってその全体で何か価値を持つ複合的なモノであることが多いのか、という設問なのである。

 すでに後者であることを匂わせているのだが、そのことの意味を深めるところに「需要」問題、新規需要開発、ひいては新産業振興問題、失業問題の解決の糸口が見出せると睨んでいるのである。まあ、そこまで大袈裟に言うこともないのだが……

 昨今、リサイクル・ショップが繁盛しているようで、そこへゆくといろんなものが並んでいる。そんな中で、本の全集でもよし、ステレオ・セットでもよし何でもよいのだが、「一式」揃っているものは比較的高値なのである。しかし、ノート・パソコンでも安いと思って関心を示すと、OSが無いとかHDDが無いとかはよいとして、電源コードまで無し!ときてはお手上げとなるのである。ジャンクものを趣味とする御仁なら「ウーム、このタイプはあれを工夫すればなんとか……」ともなろうが、通常は安くても見捨てることになるはずである。ここにすでに、商品価値とは何がしかの「まとまり」を持つモノという感触がうかがえるのである。

 事務所の近所の「王将」は、最近低価格化の余念がない。金曜日は、通常価格200円の餃子が、150円となる。先日、すでにB定食を注文して首長く待機しているところへ、とある兄さんが隣に腰掛け、「餃子二人前!」とオーダーした。「他にはなにか?」「またあとで頼むからイイヨ!」「かしこまいりました」。
 ところが、その兄さんは、スポーツ誌を忙しそうに読みながら餃子二人前をぺろりとたいらげ、お勘定書をもってまたまた忙しくレジーへ向かった。金曜特価の餃子というおいしいとこ二人前だけを食らって立ち去ったのであった。「この手があったんだ!」と感動したものであった。
 これが言いたいことではないのであって、食べ物とは通常「一式」的なモノではないかと信じているのだ。餃子があれば、チャーハンがあり、スープがあり、にらレバ炒めなどが揃っており、ビールが立ってオールインワンというものではないのだろうか。かの兄さんは、百分の一以下の変わり者なのであって、通常現代人はオールインワンの料理で空腹を癒し、なぜかどこかで心に空いてしまった空洞感などもついでに満たしたりするものではないのか、と信じているのである。

 日誌であって論文ではないので(ある訳ない!)詳細を端折るのだが、現代の商品価値=現代人のニーズとは、事ほど左様に単体志向ではなく、「一式」志向、システム(ターン・キー・システム)志向なのである。(ものすごく強引な論証!)
 ところがである、現在、新規需要対策で悩む人々(我も含む!)はだいたいが単体ターゲットを念頭において、あるはずもない新商品の幻を追っ駆けているのである。クリスマス・ケーキほどの手頃な質量の単一商品をどうしても追っ駆けてしまうのである。この冥府魔道の思い込みから開放されない限り、自社の明日も、日本の夜明けもないことになぜ気づかないのであろうか。

 新規で単機能の製品は大向こう受けはしても、さほど売れるものではない。ユーザに多大な負荷が掛かり、現代人は負荷を嫌うからである。現代人は、暇になるほど簡単で、それでいてそれら「一式」を買うことが計り知れない(実際計れないような茫漠とした)夢を持つことになるような、そんな商品がお好みなのである、と言ったら言い過ぎであろうか。クルマももはや走行機能達成のモノではなく、プライベート生活「一式」をデザインする記号となっているのに違いないのである。

 失業者も、単体でセールスするのではなく、「われわれにお任せいただければ、こうした課題『一式』が達成できます!」と、集団、プロジェクト売り込みをしたらどうだろうか。

 システムも、バラバラのコマンドで組上げられる時代ではなく、自律的まとまりをもった「オブジェクト」が構成要素とされる時代である。考え方、感覚によって構成される「欲求」もきっと「オブジェクト」化しているに違いないはずなのである。新規需要開発は「オブジェクト」的単位をターゲットとして考察しなければならない!(2001/10/03)

2001/10/04/ (木)   「新しいモノ」の想像/創造とふさわしい思考ツール!

 またまた「需要」について思索を深め、自社の明日に備えたいと思う。
 「新しいモノ」とは何であるか?と、たいてい『創造力』に薀蓄を傾ける書物は書き出しているに違いない。「今までに存在しなかったモノである」などと聞いたふうなことが書かれてあったら、その本にコーヒーをぶっかけて捨てるべきである。そんなモノは今どきないと言ってよいからだ。そんな、「そもそも〜」の議論をしているようでは結論が見えているからである。

 せき、のどの痛みに「龍角散」というモノがあるが、のどのうっとうしさついでに効能書きに眼を通すと、な、なんと「相乗作用!」なるキーワードが出てくるではないか。複数の漢方薬草たちが、個々では発揮できない作用を何種類かの組み合せ(順列ではない!)の結果、新作用を及ぼすに至るというのである。今風に表現するなら「シナジー効果!」なのである。高が薬草たちのくせして生意気というほかないのである。

 むかし、ジャズ・バンドで、ボーカルの女の子を替えることだけで「新装開店」していたバンドがあったように思う。「ピンキーとキラーズ」なんてのもそうだったか?しかし、それは完璧に正解なのではなかったかと思う。組み合わせ要素が替わることで、サウンドの本質が変わり、新規性が発生するのであろう。台の場所を替えるだけで「新装開店」を押し通そうとする場末のパチンコ屋もあることはあるが……

 要素が替われば、組み合わせ構造も一変するのが不思議なところなのである。振り返って見れば、(別に、振り返らなくてもいいと言えばいいのだが)世界の物質は、高が二百何個かの原子の、その組み合せ(順列ではない!)によって万華鏡を展開させているのである。分子となり、高分子化合物となり、中には不満分子も紛れ込み、こうして賑やかな世界、うるさい世界、色即是原子の世界が出現しているのである。
 さらに、最近のゲノム(遺伝子染色体)科学をも覗くなら、同じような事情が見えてくるのがおもしろく、神の万物創造の基本方針がそこはかとなくうかがえるのである。
 こう考えると、「新規性」の生みの親は「組み合せ」、いや父親が「組み合せ」で、母親が「構造」、いやコウゾウだから父親だろうか……、まあとにかくその両者が「新規」クンのご両親であることは間違いないのである。

 したがって、神になり代わり「新しいモノ」を創造しようとするなら、「組み合せ」とその「構造」に眼を向けなければならないのである。そして、その際には、決してダジャレではなく「想像力=イマジネーション」がジョン・レノンほどに必要となるのである。握り寿しにカレーを掛けてみるとどんな按配となるかをはじめ、……といって何か突拍子も無い、奇想天外な組み合せを想像しようとしながら挫折していることが問題なのかと自覚してしまっている始末だ。創造が困難である以上に、想像力の貧困こそが大問題なのかもしれないと痛感させられてしまうのである。

 「部分は、全体を内包している!」という考え方があったように記憶しているが、想像力を持ち、創造性を発揮するためには、そのための「要素」を以ってしなければならないのではないかと思っている。コンピュータが、非現実の想像をしないように、0,1のデジタル要素は、イマジネーションとは馴染みにくいのではないかと思うのだ。
 そして、限りなくデジタル思考に慣らされてしまっている現代人は、「確かな予測」は知性的に推測できても、起こりうる蓋然性の低い特殊な組み合せ(この増幅が想像か?ex.不謹慎ではあるが「構想ビルへ突入する旅客機!」)への感度は高いとは言えないのではないか。
 アナログ的な要素、輪郭に不明瞭さを持ち、他の要素をも連想させるような刺激をも秘めた、たとえばことばや記号(信号ではない!)、そしてフリーハンド図形などこそが限りないイマジネーションを紡ぎ出してゆくように思えてならない。俳句や短歌に込められたイメージを然るべく「解凍」するなら、無限大のイメージに拡大するその不思議は、ことばという要素の構造自体に秘められているのではないか。(2001/10/04)

2001/10/05/ (金)   シーズ過剰時代における「用途=ニーズ!」発見と創造の活性化!

 不況とは、生産過剰、つまり生産が消費(有効需要)を上回ってしまうことだから、この現実の内部には、シーズ(技術)とその生産物が、ニーズと消費を上回ってしまっている事実も含まれていると言える。実勢の消費水準と較べて、「過剰」設備(技術)と言われるのがこれである。
 例えば、半導体のメモリは、生産過剰で在庫処理が進まないため、価格は低水準に止まっている。デジカメなどで利用される「スマートメディア」なら、現在最高の大容量である128MB(メガバイト)が一万円を割って店頭に並んでいるのである。
 米国のITバブル崩壊も、ITインフラ設備がIT利用者数を大幅に上回る過剰さという事実を含んでいるのだ。

 経済を外部から見ている限りは、生産と消費のアンバランスという事実で終わってしまうのだが、こと現代の技術とエンドユーザ(末端の消費者)との関係に踏み込んでみると、是正されるべき特殊な事情が無いとは言えないようにも思えるのである。
 インターネットでもそうであるが、PCそのものについて言えば、PCというシーズのかたまりは、エンドユーザにとって「料理できる食材」となっているのかという問題なのである。ハイエンドの技術が提供する万能の用途を秘めた道具を、PC冥利で活用しているのは業者、オタクと言ったやはり限られた人々によってなのである。そのほかは、PCの可能性の何十分の一程度の活用に止まっており、さらにゼロパーセントの活用でほこりを被っているというケースすら多いと聞く。

 現代技術と非技術領域の普通人とのギャップの問題はこれまでにも様々な視点で取り上げられてきた。ビデオ・デッキにしても余りにも操作ボタンが多過ぎて複雑過ぎるのは、製造側技術者たちのひとり勝手ではないかとか、ユーザ・インターフェイス(使用者の操作性)にもっと工夫を凝らすべきだとかである。
 あるいは、ユーザ自身がもっと「PCリテラシー」なり、「情報リテラシー」なりを高めて、現在提供されているハイテク、IT環境に食らいつくべきだとも言われてきた。
 技術提供者側における分かり易さへの努力と、技術享受者側のリテラシー向上努力の双方が、指摘されてきたとおり必要で重要なことなのだと考える。

 しかし、この両者をつなぐ「コーディネーター」の機能をもっと注目してもよいのではないかと思うのだ。シーズとニーズの「仲人」役のことなのである。
 これら領域の役割が無視されてきたわけではなかっただろう。シーズ/技術側は、新製品、新規事業開発という観点で、技術の適用対象を模索して来たはずである。また、技術とはさしあたって無縁に発生している様々な在野のニーズは、当事者たちの革新意欲によってニーズ達成技術の探索が行われてきたであろう。地域社会で時々実施される技術フェアや、地域産業新聞などはこうした「お見合い」機能を果たしてきたのであろう。

 ただ、今日のように「新産業振興」が叫ばれている時、このジャンルの活性化がもっともっと強化されなければならないように思われる。優れた技術というものは、その技術の開発時の動機はどうであれ、幅広い活用可能性を秘めながらも眠っている場合が少なくない。それというのも、「用途」とは、当事者にあってこそリアリティを持ち、意外と第三者からは見えないものであることが多いからではないか。そして、その当事者/経営者はハイエンドのシーズ/技術領域をつぶさに知ることが無理であったり、想像さえできない場合も、あながち否定できないのが実態ではないだろうか。

 今、起業家意欲を持った人たちが、ITに限らず種々の技術の活用によってビジネス参入を図ろうとする動きがある。例えば、こうしたこころざしを持ちながら、ソフトウェア開発の実態を知らないがために、途方も無く高額の開発費を要求されたり、然るべき安全な契約手続きを踏み間違えトラブルにあっている話しも耳にしたりする。技術の実体とともに、技術関連業種の慣行的/実態的知識もまた重要な要素となるのである。

 インターネットという、手軽で便利なコミュニケーション・ツールが活用できる時代であるにもかかわらず、本当に必要なことがらの擦りあわせがままならないでいるのが、残念ながら現実であるように思われてならない……(2001/10/05)




2001/10/06/ (土)   不安を掻き立てる材料に全面包囲されたわれわれ!

 今週は、深まる不況の時期にあって、「需要、ニーズ」に関心を向けて考えてきた。
 恐らく、今最も高いニーズは何であるかについてほぼ確実に言えることは、「不安解消」へのニーズであるに違いない。現在、われわれは不安を掻き立てる材料に全面包囲されているというのが事実であろう。いちいち列挙する愚を避けるとして、それらのうちのひとつであっても、従来なら大騒ぎの上何ヶ月も話題として通用したものが、まさしく「同時多発」してしまっているのが現状の特徴である。しかも、現状はまだまだ一合目なのだろうと先回りした悲観的推測まで背負わされているのが悲しいわけである。

 しっかりしなければならない時期なのである、こうした時期は。不安によって、気力や体力を吸い取られているバヤイではないのである。あらゆる人間の運命の中で最も確立の高いケースは「自滅」である、とどこかで聞いたことがある。もしこの情報に耳を貸すなら、少なくとも現在流行中の「不安病」に感染しない自分をキープできれば、それだけで大事業を為したことになるのである。くれぐれも、きらびやかな業績を上げようなどと大それたことを考えてはいけないのであって、淡々と日々をお勤めすること、それだけでよいのである。

 まず、自分の健康、体力への不安を最小限に食い止めておくことが前提だ。ここでもことさら特別大変なこと、例えば急にジョギングなどを始めるといった続かないことを仕出かす必要はさらさらない。ただ意識して深い呼吸をこころがける。まずはそれだけでよいはずだ。
 最近は充電式のバッテリーによくお目にかかるが、うまく充電ができず壊れたと思い込んでしまう場合がある。コツは、一度スイッチをオンにして放置しておくのである。つまり、バッテリーの中の「残電流」をすべて放流してしまうのである。すると、見違えるというか驚くほどにパーフェクトな充電状態が得られることとなる。
 人間の呼吸もここから学べるように思われる。習慣となってしまった日常の呼吸は実に浅いはずである。肺の中の残留した二酸化炭素が排出されない状態で、酸素を息継ぎしているのである。これが重なると、毛細血管のすみずみに酸素が行き渡らなくなるそうである。おまけに、不安な心理は呼吸をして浅く、数多くとさせてしまう。ゆっくりとした深い呼吸こそが重要なのであり、中国のかの「気功」はこの原理であり、毛細血管のすみずみに酸素を送り込み、細胞の活性化を図っているそうなのである。
 この呼吸法の改善と、汗をかく程度の散歩を取り入れればとりあえず身体への不安は拭い去れるはずである。

 恐怖心とは、その対象が明瞭である場合を言い、不安とは、対象が定まらずに漠然とした雰囲気から引き起こされるものであるという。それでいてかなりの量のネガティブなエネルギーが浪費させられるのである。不安解消のためには、不安にさせている環境から目を離さず、そのおぼろげさをはっきりさせればよい、と言う人もいるが、現在の不安については難しいのではないかと思う。
 自己側の対応で防戦する手しかない場合には、不安とは、こころに集中がない状態に忍び込む、という原理(?)を逆手にとるしかあるまい。集中できる、集中すべき対象を設定し一心不乱に没頭してしまうことがよい。
 ナチズムの捕虜収容所で家族のすべてを失い戦後を迎えた『夜と霧』の著作者が、絶望的な悲しさと途方に暮れた心境を乗り越えたのは、嘆いたり涙を流す暇もないほどにこの著作を仕上げることに没頭したからだと言い伝わっている。

 不安な心境からは、理性的で建設的な解決策は出てこない。不安とは何らかの差し迫った危機を告げるシグナルではあっても、何の解決策につながるものでもないのだ。仮に半鐘にしても、サイレンにしても火事の存在を知らせはするが、いっさいの消火活動に手を貸すものではないのである。
 危機の存在は分かった!でどうするという議論に参画するためには、動物的水準の感覚である不安から、人間的水準の理性、知性に這い上がるしかない……(2001/10/06)

2001/10/07/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (8)

 昼食を済ませた海念と保兵衛は、午後からの勤めである薪を段取りするため弁天社をあとにした。衆目を集めてしまった騒ぎがあって間もないだけに、街道を通る道は避けることになった。来た時と同様に目黒川沿いを二人は歩いていた。
 秋の陽はまだ高く、二人の額には小さな汗が幾粒も滲んで光っていた。
「海念さん、海念さんの『こだわり』って何なの?」
「はい。…………」
「…………」
「保兵衛さん、保兵衛さんのお父上はどのようなお方ですか」
「えっ、急に何なの……。ぼくの父は、普通のサラ、いや勤め人さ。もとは大阪、いや難波(なにわ)で働いていたんだけど……」
「難波なんですか?わたしの父ももとは難波の浪人だったのです」
「ええっ?確か、漁師さんだって言わなかった?」
「いろいろと込み入った事情があるのです……」

 海念に促され、二人は品川沖を望む岩場で岩に腰を降ろした。川のせせらぐ音と海岸に打ち寄せている波の音とが奇妙に入り混じって聞こえていた。
 海念は、落ち着かない様子で自分の父親について語り始めた。

「保兵衛さん、保兵衛さんは同じ場面の夢を見ることってありますか?」
「またまた突拍子もない質問だね。そうだなあ……、そう言えば小さい頃、空高くから大海原に突然落ちていく夢がとても怖かったことがあった。同じ場面が何回もあったかもしれない……」
「怖い夢ですね。……実は、わたしの父が漁に出て嵐に遭遇し戻らなくなった後、わたしは何度もある同じ夢を見ることになってしまったのです」
 海念は、秋の陽を照り返してきらきらと鱗のように輝く品川沖を、まぶしそうに目を細めて見つめていた。何度もまばたきをして、何かためらう様子でもあった。そして、思い切ったように口を開くのだった。
「父の夢なんです。父が戻って来た夢なのです。今日のように、晴れて海が一際輝いていた日に、父が、巨大な鯨になって品川沖に戻って来たんです。ここが夢なんでしょうか、その鯨が父であることに何の疑問も感じることはなかったのでした。わたしは妹といっしょに
『おとうさーん!おとうさーん!』
と叫びながら海岸に走り出て、手を振っているんです。母も、漁から戻る舟を迎えるように後ろの方で見ていました」
「へぇー、すげぇ夢だなあー。で、どうなってゆくの?」
 保兵衛は、またまたおもしろい話が聞けると期待し、海念の方を覗き込むのだった。
 が、海念は、力なく首をうなだれてしまっていた。ことばにつまり、目までつぶってしまうのだった。閉じた目元からはきらっと光るものが一筋流れ落ちた。固く閉じた唇は幾分震えるようにも見えた。保兵衛は、次第に尋常ではない空気に包まれてゆくのをようやく悟らざるをえなかったのだ。
「そ、それが……」
 海念は、黒い袈裟で隠れた両腿の上に、両手を固くこぶしにしながら、うめくように話し続けようとしていた。
「み、みんなが……、どこからともなく漁師たちみんなが舟を出し始め、その漁師たちは手に手に頑丈そうな銛を持ち、その鯨の捕獲に乗り出し始めてしまうんです。やがて、一番手の舟から大柄の漁師が黒い銛を放ちました。岸で見つめるわたしには、漁師の腕から鯨の背に一筋の黒い糸が走ったように映りました。その時、父が哀しそうな叫び声を発するのが聞こえたようでした。そして、次々と近づいてゆく舟から何本もの黒い糸筋が走り始めたのです。わたしは無力にも呆然と見つめるほかなかった。身体が凍ったように身動きできなかったからなのです。すると、傍で妹が叫び始めたんです。
『みんなー!やめてー!それはわたしのおとうちゃんなのー!死なしちゃいやだー!殺しちゃいやだー!おとうちゃんを助けてー!おとうちゃん、逃げてー!』
と……」
「…………」
「地獄のような喧騒が収まるのです。海岸に立ちすくむわたしの足元に、父の血で染まった真っ赤な波が打ち寄せていました。足の甲が赤く血色に染まり、わたしは声を上げて泣き狂っているのです……、夢はいつもそこで終わりました……」
 海念は、涙声で語り終えた時、大きく深い呼吸をして背筋を伸ばしていた。

 保兵衛は、全身に鳥肌が立つのを抑えることができないでいた。その話の壮絶さからとも言えたのだが、実は保兵衛はそれが実話であることを思い出していたからなのであった。
 時は、一七九八年、寛政十年と言うからこの時点からおよそ百数十年後に、品川沖に巨大な鯨が迷い込み殺されて捕獲されたとの史実がある。それが事実であったことは、「弁天社(利田神社)」境内に今なお祀られる「鯨塚」が明瞭に示していたのである。
 この事実を海念に告げることは保兵衛にはできなかった。タイムトラベラーとしての自分の立場を明かすこととなる懸念もあったが、むしろこの事実が海念の苦悩をさらに増幅してしまうことを知っていたからに違いなかった。

 保兵衛には海念へのことばがどうしても見つからなかったのである。
 いろいろな疑問が渦巻いていたこともあった。それ以上に、海念の『こだわり』の原点がどこにあって、海念がそれをどう乗り越えたいと考えているのかが、自分の身に照らし朧気ではあっても推測できるように思えたからだったのかもしれない。
 しかし、大事なものを奪ってしまった不条理ななにものかを、何かを恨むこころでしか報いてゆけない人の世の哀しさを、十歳ばかりの子どもが凝視したわけではなかったのではあろうが……

「海念さん、行きましょう」
「ど、どこへですか?」
「海念さんの実家へです。ちょっと寄りましょう」
「いや、それはできません。わたしは出家した身ですから」
「じゃ、場所を教えてよ。ぼくが海念さんの代わりに行って来るから……」(2001/10/07)

2001/10/08/ (月)   米国の勇み足と、わが国政府の「追っかけ」!

 とうとう米国は、アフガンへの空爆を始めてしまった。
 なぜ、戦争という人間にとって最悪の愚を過去と同じように繰り返すのか、過去は教訓にならないのかと多くの人が感じているに違いない。
 ふと思い至ったことは、所詮人間は「個体としてしか」考えられない存在なのか、ということだった。科学技術などは、個体を越えて全人類規模で情報を交換し人類が共同体のように結束し得ている。また、歴史の知的遺産を継承し、人類としての時間の積み上げができていると見える。
 しかし、戦争という悲惨な事象は、過去のそれを追体験として経験され難く、死と同様に常に観念となって浮遊してしまうのだろうか。「個体として」自分自身が最悪の経験をするまでは実態的に認識できないものなのだろうか。政治家は最初からそうであると思われるが、ミサイル発射にしても、空爆戦闘機のパイロットにしても、ただボタンを押すだけという「間接的」行為となってしまった時代の戦争だから、その悲惨さが抽象化されてしまうのだろうか?誰であれ、殺されるものたちの地獄の苦痛と恐怖が、なぜ認識されたり想像されたりできないのか?

 ここで冷静に事態の推移を考察するならば、この開戦が現時点の国際的緊張を最小限に食い止める戦略だとはとうてい思えない。早期にテロ首謀が取り除かれ、世界が沈静化の方向に向かうと一体誰が予想しているのだろうか。
 米国は、あの「同時多発テロ」を「新しい戦争」だと警戒しながらも、「新しい」という部分に如何ほどのウェイトをおいているのだろうか?むしろ「戦争」なのだという部分を強調し、従前どおりの体制と戦術にのめり込んでしまっているのではないのか。
 この事実認識のズレが最悪であり、巨大な盲点を作り出していることが懸念されるのである。空爆反撃テロの再発の可能性(無いことを否定できる人はいないはず!)をいたずらに強調することはないのであって、既に生じている米国を中心とした世界のダメージをリアルに見つめただけで、今後ボディブローのように、深刻な痛みが広がるはずではないのだろうか。
 米国のITバブルは、ITへの期待感を「心理的に」過剰なかたちで作り出すことで成り立ったわけだが、いま米国国民や世界に仕掛けられてしまったテロの恐怖という「心理的テーマ」は米国経済のがん細胞となってゆかないと誰が明言できるだろうか。複数の航空会社の倒産などが既に報じられている。「新しい戦争」という概念の中には、直接的な物理的破壊というダメージとともに、当然間接的な経済破壊の意図が含まれていても不思議ではないはずなのだ。

 現時点では、表面上は国際テロが共通の敵として合意されているかの観がある。しかし、対イスラムの対応で必ずしもクリーンでなかった米国が、イスラム総勢力を敵に回さず、危ない稜線を歩み続けることがいつまで可能なのであろうか。今回の戦争の長期化を予想する米国だけに、その長期間の過程で既存の緊張関係に延焼してゆかなければいいと考えている人も少なくないと思われる。
 いずれにしても、米国の勇み足と、わが国政府の「追っかけ」に不安以上の憤りを覚える人が次第に増えてゆくと思う。(2001/10/08)

2001/10/09/ (火)   そのうち、きっといいことがあるから、気を落とすんじゃないよ!

 小中学校時代同期であった友人のお母さんが亡くなったことを知った。享年七十八歳、数年以上病床にあったと聞いていた。ご冥福をお祈りしたい。
 彼が現在、いろいろな面で行き詰まっていることは分かっていたのだが、そんな状態の中で、無条件の肉親関係が終息してしまった悲しさは如何ばかりのことかと同情せずにはいられなかった。
 彼が、どんなに現在の不運とみずからの至らなさを自責したとしても、お母さんはきっと無条件に彼を許容して、こうおっしゃっていたに違いないだろう。
「そのうち、きっといいことがあるから、気を落とすんじゃないよ」と。
 すべての母親が、いくつになった子どもたちにとっても永久に変わらない無条件な許しの存在であるのかもしれないと思っている。

 団塊の世代のわれわれは、今、親たちとの死別という避けがたい事実と直面しつつあると言える。そして、その遭遇は、いろいろなことを学び、いろいろな体験をしてきたにもかかわらず、ただただうろたえるに違いないそんな出来事なのだと思えてならない。
 子どもの頃のわれわれは、大人の人たちがとても立派に思えたものだった。知恵と忍耐と勇気に溢れ、何があっても動じない信念を持った、子どもなんぞはかなわない存在として目に映ったはずだ。だからこそ、とっくにその年となってしまったにもかかわらず、何ひとつ悟ることもなく、右往左往している現在が情けなく、みじめに思ってしまうのであろう。以前は、存在したはずの大人となるための重大な通過儀礼が、いつからかなくなってしまい、自分はそれを通過してこなかったのではないかといぶかるほどなのかもしれない。

 しかし、大人たち、親たちが決して特別な経験と力を持っていたわけではなかったはずなのである。われわれと同様に悩み、悲しみ、不安にあけくれた同等の存在だったはずである。ただ、われわれ程には堪え性のない甘えに身を任してはいなかったということではないかと推測している。
 「演じる」と言えば語弊を招くことにもなりかねないが、大人とは、大人を演じさせられることを引き受けてゆく、そんなルールの中の存在なのかもしれないと考えたりする。大人とは、「弁慶の勧進帳」であり、自分にとっては「空白」であることに、限りない彩りを盛り込もうとする祈願であり、信念であるとさえ言えるのかもしれない。

 現在、苦境の中でみずから死を選ぶ不遇の人たちも少なくない。ただ、急がずとも訪れるものはやがて訪れるのである。むしろ、気分とは裏腹に、生きることの意味を「大張ったり」で演じ続けることこそ、自分をも偽って生きることこそ立派な大人なんだと言い切りたい!まあ、そんなに深刻ぶらずに、自分にも言い添えておきたい。
「そのうち、きっといいことがあるから、気を落とすんじゃないよ」と。(2001/10/09)

2001/10/10/ (水)   "XML"における『データ』と『修飾』の峻別!実世界の『事実』と『虚飾』!

 昨年から関心を持ち続けているテクニカル・ジャンルに、"XML(eXtensible Markup Language)"という技術対象がある。このような不況とならなければ、多分ソフトウェア業界はこのジャンルに相当の比率で手を割かなければならなかったであろうテーマであった、いや現時点でも将来を見通すならその比重に変わりはないと言えよう。
 詳細は、このHPでも紹介しているので措くとするが、情報化時代の要請に真正面から応える技術的「発想」なのである。

 例え話をすると、われわれはよくコミュニケーションの過程で、
「話が混乱しないように、『事実』と『感想』は区別しましょう」
と言ったりする。確かに、物事の不透明さは、事実と、それ以外の様々な非事実的事柄、それは個人的な感想であったり、集団的な利害関係的憶測(ex.偏見、イデオロギー、思想、宗教 etc.)、ビジネス的誇張などとが渾然一体となってしまうことで生じやすいと言えよう。そして、さらなる悲劇は、混乱の中で『事実』そのものが消滅させられてしまう場合すらあることではないか。
 最近の例で言えば、「同時多発テロ」と、オサマ・ビン・ラディン、アフガニスタンの相互関係が、事実として一体であるのか、米国による状況判断によって一体であるのかは決して自明の理ではないと言えよう。また、正義と悪との対立と言う表現も、事実と言うには苦しい歴史的背景が存在するのではないだろうか。「事件」が米国の過去の軍事的介入と無関係に発生したことでないことぐらい、世界の平和を願う人々は百も承知しているのであるから。
 要するに、人の世の混乱は、『事実』の奪い合いであり、そのためには様々な『虚飾』がいやになるほど張り巡らされるのが常なのである。

 インターネットがこのように普及した背景には様々な要因があるが、各サイトを構築するに当たってツールとなるスクリプト言語、HTML(HyperText Markup Language)が比較的扱い易く、厳密さが寛大である点を無視するわけにはいかないはずである。インターネット・ユーザに優しいHTMLスクリプトが、インターネット普及の最大貢献者だったのである。
 しかし、これだけ普及したインターネットであるからこそ、ある問題が自覚されることになったのである。何千万とあるサイトに蓄積された『データ』は、たとえネット検索によってラフな検索はされるにせよ、人間の目視以外の方法によってスピーディに『再利用』されることは不可能だという点なのである。それというのは、HTMLスクリプトが、『データ(表示)』と『装飾(表示)』とを渾然一体とさせることで扱い易さを追求したツールだったからなのである。

 インターネットが、様々な活動に資する貴重な実データを交換し始めるようになると、『データ』の再利用可能性という計り知れない可能性の価値がクローズアップしてきたのである。そして、単純化して言えば、問題の本質はHTMLにおける『事実』と『虚飾』の未分化なのであり、"XML"は、ほかにも重要なメリットを持っているのだが、再利用可能な『データ』部分を『修飾』部分から峻別して解き放った点が何よりも大きいと言えるのだろう。
 この"XML"方式の採用によって、今後ますます増大の一途を辿る『データ』生産が、一時期の活用のみで見捨てられてゆく悲劇(これまでの非標準化システムの歴史では、この点における膨大な損失が指を咥えて看過されてきた!)から開放されてゆくのである。 混迷する環境にあっては、『事実』であれ、『データ』であれ、より現実に即した存在こそが堅持されてゆくべきだと思われてならない。(2001/10/10)

2001/10/11/ (木)   異質な存在同士をコーディネイトしてしまうオルガナイザー!

 「リーダー不足!」と言われる時代なのは、政界の不様さを見せつけられている毎日で、いやというほどに自覚を深めさせられている。時代環境によって求められるリーダー像が変化することはしばしば論じられるところであるが、時代環境の急激な変化をベースとした人々の考え方や感じ方、そして組織のあり方や時代風潮などと見事適合する人格、パーソナリティが見出されることはなかなか難しい問題なのであろう。

 いま「人格、パーソナリティ」という言葉を出したが、リーダーにはそうした「ソフト」面が要望されてきたのかもしれない。方針であるとか、構想であるとか、さらに計画といったどちらかと言えば「ハード」な面は、知的参謀役がこなすのに対し、リーダーは組織内対人関係の局面でポジティブな促進役を果たしてゆく存在と見なされてきたのか。
 わが国にあっては、勢い「調整役」という面が濃厚に求められてきたのかもしれない。「ハード」な面での方向性が問われるというより、組織なり集団なりのまとまりが重視され、これらをとにかく一枚岩に束ねてゆく粘着力がリーダー役に期待されてきたのであろう。いわゆる日本的「空気」をかもし出し、それと一体であり続けられる存在としてのリーダーである。「ハード」面の影響力はそこそこあればよく、「ソフト」面での潜在力こそがリーダーの「器」とされてきたのではないだろうか。

 古いエスタブリッシュメントの組織には、未だにこうしたリーダー像が残存しているのであろうが、おおかたの現代状況にあっては、上述の「ハード」面の良否がかなりのウェイトを占め始めているのではないだろうか。むしろ、参謀が組織内の調整機能を担って結集力を補強しているのかもしれない。
 これらの推移は、組織、集団が、とにかく存在することに比重を置いていた状況から、何を遂行する組織であるのかという機能が鋭く問われるようになった、そうした時代変遷の結果であると言うことができる。

 だが、急激に変化する時代の要請は、さらにニ、三歩先へ進んでしまっているのかもしれないと感じる。リーダーが示す「ハード」面の良否はさらに厳しくなり、構想の斬新な魅力、政策の厳密さがフォロワーたちによって吟味される事態となっているように思われる。
 想定している領域は、新規事業であったり新産業振興などなのである。この不況期にあって、こうした動きを、挑戦的な旗印を掲げ、行動的に組織化してゆくことができるリーダーこそが時代の求めるリーダーだと思われるからなのである。いわゆるアントレプレナー(起業家!)こそが、現代的なリーダーだと思われるのだ。

 とってもじゃないが、粘着力を売りにしたシャッポのようなリーダーでは、話にならないだろう。たとえば、鋭いカンと緻密な計画力、強い信念と切り込み隊長的行動力といった資質群とともに専門分野への造詣、そして何よりも幅広い情報と人脈に裏付けられた組織力などが成功の前提となっているに違いない。
 形だけののSOHO(スモールオフィス、ホームオフィス)を思い描いていたのではおぼつかないであろうし、既存の業種の実態にイメージが縛られていてもうだつが上がらないと思われる。

 月並みな発想となってしまうが、歴史上の人物のイメージで言えばやはり坂本竜馬ということになるのだろうか。竜馬に見るべき点は種々あるが、とりわけ注目すべきは、異質な存在同士(薩・長)をコーディネイトしてしまうオルガナイザーとしての力量であろうか……(2001/10/11)

2001/10/12/ (金)   「ぶっちぎり」で先行してゆく現実と言語的に意識される世界!

 最近の、自分の思索の中心となっているものは一体何なのかを振り返ってみた。こうして、デイリーで思索を文章化していると、不思議なものでその時に関心の的を射抜けずにいても、その周囲を堂堂巡りしている事実を痕跡として残し、後にその事実に気づかされるようである。

 人間はもとより、考えること、意識に上らせ言語で考察すること以上の生命活動をしているはずである。何気なく視界に入り、何かを淡く感じたがそのままとなってしまうことがら、そうしたものも自分の生命活動なのであろう。もちろん他にもいろいろあろう。
 そう言えば昨日、このビルのスポーツ・センターの水泳教室に通っている子どもであろうか、濡れた髪への対処なのか鮮やかなブルーのタオル製の三角帽をかぶり、小さな身体を「スキップ」させながら帰宅の途についていた。童話にあるコビトのように見えた。その時、ふっと大人が「スキップ」する姿はついぞ見ないものだな、と馬鹿なことに思いを巡らせた……
 「スキップ」がテーマではない。人は、必死で考えてもうまく対象化できないことを数多く抱えている、いや、むしろ意識して考えられることは氷山の一角であるのかもしれないくらいである。そして、考えるという行為の本来の目的は、意識がそんな未踏の領域にもどかしくも踏み込んでゆくことなのかもしれないと思っている。

 ところで、言語的に意識される世界とは、もはや「過去」であるのかもしれない。象徴的分野は法律の世界かとも思えるが、時代環境の激変は、すんなりと言語的には意識され難い新現象を矢継ぎ早に発生させることで、言語によって意識されてきた多くの領域の伝統的、常識的事象を「過去」へ「過去」へと追いやっているようだ。
 新現象を「新語」として捉えようとする動きや、もはや内実が失われてしまったがゆえにその言葉が「死語」となってしまう動きなどに見られるように、言語的意識と、変化してゆく現実との間には目まぐるしいおっかけっこが展開されているのである。

 「ぶっちぎり」で先行してゆく現実と、言語的に意識される人間の思索世界との大きなズレこそが、現代という時代に生じている様々な問題を噴出させている「地割れ!」なのだととりあえず想定できるのではないか。
 そして、当然のことながら人間には言語的意識があるとともに、言語的意識以前のセンサー、感性が内在しているのである。これらが、先行する現実に呼応して、その姿をイメージとして捉える場合もあるにはある。言語的意識以前のセンサー、感性が常に言語的意識に先んじて現実を照らし出すと決まったものならば、事情はまたすっきりもするのであろうが、必ずしもそうとは言い切れないのが辛いところなのであろう。
 無意識の感性は、フロイトなどによっても、エロスとタナトスというように前進的側面と後退的側面の二面を持った双面神として描かれている。そういう表現ではなくとも、全面的な信頼を託せるほにど素性が明らかではないのが感性なのである。個人的に振り返っても、その大きな振幅が否定できないでいる。

 人間のどの能力が信頼できるものなのかという大テーマは措くとして、先行してゆく現実と、言語的な意識との間に生じた乖離という点に先ずは着目して良いかと思う。
 そして、この視点から現代を見つめ直す時、単純化して表現すれば「再編」という問題に行き当たるのだ。特に、人と人とを連携させていた器(慣習、制度 etc.)のアップ・バージョンへの圧力が、想像以上に高まっていると思われる。だが、その器はイメージとしては存在しても、まさしく前人未踏の器なのであり、その実現に足るほどの下準備が整っていないという事情が現代人の苦悩を形作っているのだ……(2001/10/12)

2001/10/13/ (土)   ネットワーキング時代の大前提は、参画要素の自律性!

 以前から「異業種交流」とか「企業間ネットワーク」とかが取り沙汰されてきた。まさしく今後のビジネスはそうでしかあり得なくなっているはずである。
 何十年となく自己充足的な実体を保ち続ける企業、それを支えてきた年功序列・終身雇用の制度などが崩壊寸前の軋み音を発していることはもはや常識となっている。
 しかし、外部との連携というスタイルは、単純にバラ色の方策として存在しているのだろうか?
「これからは『ネットワーク』の時代ですよ!」と軽々しい言葉を吐き、短期に破綻していった業者を多数知るし、「異業種交流」を口にしながら、酒を飲む回数が多い割には建設的に実る話をさほど耳にしないというのが、残念ながらの現状だと言ってよいのかもしれない。方向は正しくとも、それですぐさま「サクセス!」とは行かないところをどう考えるかが、考えどころなのではないのだろうか。

 テーマは昨日の続きである。もはや、「足かせ」というマイナスの機能をさえ果たすほどに、「内部完結的な」集団・組織(家族、学校を含む地域社会、企業 etc.)の諸々の制度は疲労困憊状態に陥っていると言われてもいる。
 シンプルに過ぎる表現をするならば、そうした諸制度は、現代の「ものすごーい!」環境を、到底想像できない状況でつくられたものだから、齟齬が生まれても当然といえば当然の話なのである。

 今からもう何十年も前の高校時代の話であるが、この高校は生徒の自律性を殊のほか尊重する方針を誇りとしており、いろいろな制度でこれが実施されていた。制服は指定しなかったし、隔週で土曜日が「自主研究日」として休日とされたり、修学旅行の列車乗車でも事前に喫煙習慣者の列車を設定してみたり……。
 中でも、年度替りのクラス編成が、自主編成という方針であったのは面食らった。校庭がワークエリアとなり生徒個々人が互いの顔をみながら、また、まとまりつつあるクラスの面々を睨みながら所属クラスを自己決定するのである。ここまでの自律性を要望されると逆にうろたえたりするもので、だいたいが前年の面子とあまり変化しない結論に至ったと記憶している。

 このクラスの自主編成ではないが、自由なネットワーキング環境が存在しても、困難さと問題は、この自由な環境を生かし得る個人あるいは企業でもよいのだが、その自律性の内実如何にかかっていると思われるのだ。
 ネットワークの個々の要素は、そのネット全体の「バリューアップ」に貢献するのが当然であり、ネットから引き出せるバリュー、便宜だけを期待するのではネット自体が立ち枯れるであろう。
 またネットワークの要素関係は基本的には対等関係である。わが国の多くの企業関係が形成してきた「親会社<-->下請け会社」というタテ関係ではないのだから、「リスクを背負わない代わりに、指示待ちに止まる!」という従来の企業の典型スタイルも当然のごとく問題となる。計画作り(プラン・メイキング!)に参加するといった意味の「参画」姿勢こそがネットワーク・メンバーの基本姿勢だと言えるだろう。

 企業間のあり方が自分にとっての当面の緊急課題であるため例に出したが、同様のことが企業内や個人ベースでも重要だと思われる。企業内の人間関係もまさしくネットワークであり、依存のし合いではなく、貢献のし合いと見なせる個々人の参画が課題となっている。

 ところで、指示されたことしかやらない社員がとかく批判の的となるのだが、この現象がまた重い問題なのである。そして、これは個人の心構えといった精神論に解消すべき問題ではないと思われる。何故なら、諸個人の自律性を目指す様々な制度、仕掛け(ex.能力主義制度!)が目指したものは、先ずは最低限の「個人」職務を全うすることであり、前述の社員は少なくとも必要条件はクリアしているのである。
 この種のプラスαを望むという十分条件が満たされないと嘆く種類の問題は、実は企業にとって重要な課題となっているはずなのである。個人職務上のプラスα成果を期待する点もさることながら、個人職務には分割し切れない「共同」目的の達成という局面で概ねしっぺ返しが炸裂しているはずだからである。集団的、組織的なシゴトは、構成員個人の職務を定義して定義しつくせない「共同」領域が控えているものである。いや、むしろこの「共同」領域の生産性こそがシゴト全体の成果を左右するといってもよいかもしれない。

 現代のシゴトは、スペシャリスト達の連携によるプロジェクト方式が多いのだが、当然のごとく参画したスペシャリスト達は専門的な責任範囲を請け負うのであり、全体目的の達成を請け負うのではない。後者を請け負うのは、プロジェクトのリーダーであったり、マネージャであったりするのが常である。しかし、その彼らが今言い知れない負荷を背負わされていることは、知る人ぞ知る愁眉の問題なのである。

 この「共同」目的達成に絡む問題は、個人の自律性重視路線の延長線上でどう位置付けられるのかという新たな重要テーマなのである。(2001/10/13)

2001/10/14/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (9)

 保兵衛は、海念が半紙に墨で素描した地図を持ち、境橋を渡り街道を西へ向かった。
 保兵衛と海念は別行動することとなったのである。保兵衛が海念の実家を訪ねている間に、海念は一足先に、広い東海寺境内の林に入り薪を集め始めることになっていた。
 振り向くと、橋の上で海念がこちらを向いて軽くお辞儀をした。海念さんは礼儀正しい人なんだから……と思い、保兵衛もぺこりとお辞儀した。
 海念の実家は、境橋からさほど離れていない街道の海岸側に見つかった。かぶっていた笠を軽く上げて見渡したが、決してりっぱとは言えないたたずまいの建物である。質素な門柱には、墨で「掛け接ぎ」と書いた板が無造作に打ち付けてあった。
『ここら辺は、現代なら南品川と呼ばれている場所のはずだ……』
と保兵衛は思った。が、同時に肝心なことに思いを寄せるのだった。自分は、海念のお母さんたちに何を話せばいいんだ?そもそも何を思って訪問を考えたんだと頼りなくも困惑し始めていたのだった。
 とその時、
「あっ、お兄ちゃん?」
と呼ぶ声が塀の向こうから聞こえてきた。と思うと少女の声が近づき、その少女が笠の下から覗き込むのだった。くりくりとした大きな眼が輝き、喜びを満面に湛えた少女の顔を、保兵衛はまぶしそうに見つめた。
「はっ、……ごめんなさい」
少女は、自分の思い違いに狼狽し俄かに顔色を変えた。泣きそうなほどの面持ちになってしまった。
「いや、ぼくは、わたしは、海念さんの友人で……」
この海念という言葉が、かろうじて少女の表情を立ち直らせたようだった。
「じゃ、東海寺のお坊さんなのですね?」
と言ったかと思うと、少女は急ぐ様子で家の中へ消えて行った。そして、髪を直す仕草をしながら年配の女の人が現れた。きりっとした顔立ちが、海念とよく似ていたので、保兵衛はこの人が海念さんのお母さんだと確信した。笠をとり、深々とお辞儀をする保兵衛だった。

「そうなんですか……。うちのまさ(正)とご一緒に東海寺で修行をされておられるのですね」
 庭の植木越しに海が見渡せる間(ま)に通された保兵衛は、海念のお母さん、妹と向き合って座っていた。かすかに線香の香りが漂っていた。たぶん隣の間(ま)に仏壇が置かれているのだろうか、と保兵衛は思った。この母娘(おやこ)は朝となく昼となく海に消えた夫、父を慕っているに違いないと感じさせられた。
「正(まさ)兄ちゃんは、元気でお勤めしていますか?」
「大変お元気です。もうりっぱな禅僧になられて、わたしなど足元にも及ばない悟りを得とくされています。今日は、そのことをお伝えしたくてわたしは来ました」
 保兵衛は、ようやく挨拶らしくまとまったことが口にできたことで、胸を撫で下ろす心持ちとなった。そして、ふと、視線を上げた時、母親が急いで左手の袖で目元を拭っているのが見えた。
「保兵衛さん、正(まさ)と友だちでいてやって下さいね。相談相手になってやって下さいね。正(まさ)は一見気丈夫そうに見えても、親の目からは痩せ我慢に見えてしょうがないのです……」
「そんなことはありません。海念さん、いや、正(まさ)さんはご自分のことも正確に見つめておられ、ちっとも無理をされてはいません」
「あらあら、お茶が冷めたようですね」
と言って母親は席を立った。と、まるでその虚(きょ)をつくように妹が言うのだった。
「保兵衛さん、お兄ちゃんから『鯨の夢』の話は聞きましたか?」
妹の大きな眼は、優しさとともに、油断のならない厳しさが秘められているように見えた。
「ええ、少し……」
 保兵衛は、ドキッとして、動揺をあらわにした。自分でも明瞭に自覚していたわけではない。しかし、この訪問の動機には、もっと海念さんのことが知りたい、そして、海念さんの原体験があの『鯨の夢』に秘められているに違いない、だからそのことをもっと知りたい、という思いがあったはずなのだ。動揺は、それが見透かされたように思えたからなのかもしれなかった。
「保兵衛さんにお兄ちゃんは話したのですね。きっと、お兄ちゃんは保兵衛さんのことを信頼しているのだと思います。お兄ちゃんは苦しんでいます」
「まあまあ、静(しず)ちゃん、保兵衛さんがお困りですよ」
戻ってきた母親はそう言って、保兵衛の前に置かれた茶を差し替えていた。
「保兵衛さんは、どのようないきさつでご出家されたのでしょうか?」
またまた、保兵衛は窮地に追い込まれることとなった。が、またも救われるのだった。
「いや、失礼しました。このような不躾なことはお聞きしてはいけませんでしたよね……。実は、正(まさ)の出家にはある事情があったものですから……」

 母親は、庭越しに望める遠い品川沖の水平線を、眼を細め見つめながら語り始めるのだった。その表情は、しばらく前に海岸で示した海念の表情を思い起こさせずにはおかなかった。(2001/10/14)

2001/10/15/ (月)   激動の中で、今後の変化の方向をどう予測してゆくのか!

 「問題設定ができれば、答えの半分は解かれた!」と言われる。実感的にも、頭脳や胸中が闇雲の際には、何が問題であるかさえ分からないことが多い。それを思うと、さもありなんと思える。建設的に考えるためには、適切な「問題設定」が必要なのである。
 先週から気になって書き留めてきたテーマは、「ぶっちぎり」的に変化して先行してゆく現実と、取り残された人間側の意識とのズレの問題である。ここに、現在われわれが衝撃を受け続けている様々な現代的問題の鍵が潜んでいることは間違いないだろう。

 しかし、この亀裂から生じている問題に立ち向かう時、それは例えば不況による離職と就職問題でも、業種不況と新興業種の問題でもよいのだが、変化し先行してゆく側に視点を置くのか、これまで継続してきた従来の事実側に視点を置くのかでは、まったく「問題設定」が異なってくると思われる。
 一見五分五分同士のふたつの選択肢だとも見えなくはないが、どうしても生活者としては不透明でリスキーな前者ではなく、馴染んできた後者に傾き、その延長を無意識に願ってしまい、その観点での「問題設定」をしがちとなるのではないか。
 解決の見通しが立つのであれば、後者であっても一向に差し支えはないはずであろう。だが、この激動のエネルギーが何に発しているのかに思いを巡らさなければならない。

 今日の激動の発端は、やはり「グローバリズム」の進展にあったと言えるのではないだろうか。わが国にあっては、従来の様々な「閉鎖」的慣行が、待ったなしの国際化を迎えてしまったことにより、温存されてきた問題が白日の下に曝け出されたという印象であろう。最も閉鎖的と言われてきた官僚機構や、銀行などにおいて破格の問題が露呈している事実は、その証拠とさえ言ってよいかと思えるのである。
 また、現在国際的な主要問題であるテロ事件も、「グローバリズム」に名を借りた米国の独善的な国際行動と無縁ではなさそうでもある。
 振り返れば、共産圏諸国の崩壊と自由化も、この「グローバリズム」の先駆けのうねりによって引き起こされたはずである。
 そして、このうねりは、今や前代未聞の道具立てであるインターネットというコミュニケーション手段の出現によって後戻りは不可能な事態とさえなっている。

 こう考えると、上述のふたつの選択肢の後者を選ぶことはほぼ不可能な事態だと言わざるを得ないだろう。
 しかし、それでもわれわれの頭の中や心の中は、後者の「風景」で渦巻いているのかもしれないのである。幸か不幸かわれわれは、終戦後、半世紀を越える長期に渡り、考え方や感じ方を衝撃的に変えなければならないほどの苦境に遭遇してこなかった。やはり根底において旧態依然とした流れに掉さしているのだと推定せざるを得ない。

 もう30年も以前、1970年に著された、未来学者アルビン・トフラーの『未来の衝撃』に再度目を通してみた。弊社社名の「アドホクラット」のヒントとなった「アドホクラシー」(ビューロクラシー官僚機構とは対極で、一時的な目的実現のために形成されるプロジェクトやタスクフォースと言った組織が、その発想やその人間関係を含めて広がってゆく社会のこと。)現象に関する指摘が、精彩さを失わず叙述されていた。
 キーワードとされた「一時的」というコンセプトに適合してゆく現象が、組織や人間関係にますます広がって行く変化の中で、われわれは生き続けることになりそうだ……(2001/10/15)

2001/10/16/ (火)   「一時性」に特徴づけられた現代と、「戦略」樹立の困難さ!

 「業績が悪いのは社員が働かないからだ」と発言した某大手電機メーカー社長の発言がマスコミの「餌食(?)」となっているようだ。この時期に適合した生産的な取材視点が見えないので、単なる暴露取材だという印象を持つに過ぎなかった。
 ものの道理に従って、社員が生産的に働ける戦略と仕掛けづくりが経営陣の役割だと正論を吐いてあとはお任せというのも空しいし、かと言って苦言を吐いてしまう立場の苦しさに共感が示せるほどの寛容さを持ち合わせているわけでもない。
 どうも、この苦境の中で注目して、議論すべき次元の問題ではないと考える。混乱した時代には、庶民も感覚的レベルの憂さ晴らしの対象を求めるものだが、マスコミは良識、見識を発揮して、庶民にとっての遠い明かりを共に探す立場に徹してもらいたいものだ。
 ちなみに言えば、巨大な変化のうねりの中で、マスコミさえも遠くない将来に、「読者、視聴者がバカだからうちのメディアが売れない!」といった的外れなことを口にするはずである。無償メディアが足元にまで迫っているのだから……

 「正義」や「悪」と言った単純な感情論を誘うような二分化議論をしている場合ではない時代に来ていることは、多くの人が先刻承知のはずではないか。話題を脇道にそらしたくないが、「同時多発テロ」事件にしても、議論や対応を単純化すべきではないと考える。少年非行を撲滅するために刑罰主義で臨む発想がすべてなら、人間に想像力や思考力は不必要となる。教育機関などは不要で、ただただ警察力を強化するに限ることとなる。
 必要なのは、どうしても過去にとらわれてしまうことに傾く感情を抑止して、「事実の流れ」と「次善策」(生じてしまった問題に、いつも最善策はありえない。最善策というのは、問題未然防止策であるのだから!)とを模索する以外にないはずである。

 「戦略」が立てにくくなっている時代!というのが今日の関心テーマだ。
 インターネットに象徴される世界同時性は、ひとつの器に様々な化学物質を無造作に注ぎ込むイメージに似て、器の中は変化、変化、また変化で変化の坩堝となった。これが現代の世界各地の実情であろう。
 永続するものは価値を低減させつつ激減して、「一時性」こそがあらゆる事象のキー・コンセプトとなりつつある。「長い眼で見てください!」が死語となりパロディとなり、その証拠として年功序列・終身雇用が否定されている。儒教文化の洗礼を受けたわが国に存在した「敬老」精神も形骸化している。今日の「高齢化」問題の深刻さのひとつは、財政的問題の二番底にこの事実が潜むことも想像しておかなければならないかもしれない。

 「戦略」とは、変化する局面毎に適用される「戦術」とは区別されてきた。その区別とは、部分的な局面の変化を超えて、幅と時間的パースペクティブ(見通し)を保持した方向性を持った考えという点であっただろう。「戦術」が目標と並べられるとすれば、「戦略」は目的のレベルと言えようか。
 ところが、幅はともかく、時間的パースペクティブ(見通し)とは、緩やかな変化の時代、比較的安定した時代の発想なのであって、「一時性」によって特徴づけられる時代にはとてつもなく困難な知的作業と言わなければならないのである。
 もともと「戦略」とは、『三国志』を例に出すまでもなく軍事用語である。そして、米国大統領が語ったように、戦争の概念が変化したという意味に注目するなら、「戦略」を駆使した戦争は不可能となり、局面変化に「戦術」を適用し続けてゆくゲリラ戦しか無くなった時代ということなのではないだろうか。

 「戦略」や目的など有って無いがごとく、その日その日をわけの分からない「戦術」のみで生きてきたような小動物のわれわれは、これはこれで「戦術」の精度を高めるなりなんなりして対応しなければならないのではあるが、「恐竜たち」にとっての危機!ほどではないとは言えるかもしれない。
 また、年配者がよく口にする「いまどきの若いものたちには、『目的』意識ちゅうものがなくてイカン……」という若い世代の実態にしても、どうも「一時性」が支配している現代環境では『目的』何ぞにこだわってたら身が持ちまへん!と言いたいのだろうと解釈するなら、それもひとつの理屈だと聞こえてくるのである。

 「戦略」によって登りつめた頂点が、もはや「戦略」自体が成立し難い環境となっては、「戦略」と共に巨大化した「恐竜たち」の将来について語る必要はないかもしれない。 むしろ、小動物でしかなかったわれわれが、倒れかかってくる「恐竜たち」の下敷きとならずにどう生き延びてゆくかが、今日、最も生産的なテーマなのではないか。これはこれでまた小さな心臓に負荷を及ぼす大きな問題には違いないか……(2001/10/16)

2001/10/17/ (水)   「一時性」、「変化」、そして軟体動物としての日本のわれわれ!

 「一時性」に特徴づけられる現代とは、目まぐるしい変化によってもたらされるものであった。新商品、新モード、新語、新現象、新奇的事件 etc.という変化が加味された新しいモノが矢継ぎ早で登場することが、様々な事象に「一時性」という性格をいやおう無く与えていると言える。
 それらと平行して、これらを受け容れる人間側は、したたかさと言うべきなのか、新しいモノや、変化全般それ自体に「慣れてしまう!」という事態が発生していないかと思われる。

 元来、新しいモノの登場、変化の発生は人々に衝撃を与え、それらへの新しい対応姿勢を迫るものだったはずである。心理的な混乱や組織的な混乱が発生し、これを収拾、修復する努力が要請され、その過程で人なり組織なりが従来のあり方を、何がしかの感慨をもって変更してゆくといった具合にである。たぶん、終戦時における激動とはそんなふうであったのではないか。
 しかし、現代人は、確かに変化と新規性に振り回されている一方で、それらの変化の「ワン・パターン」に慣れてしまい、高を括りさえし始めているのかもしれないと考えてみた。
 対象の変化自体がマイナーチェンジであって、驚嘆を呼び覚まさなくなっている事情もあるのかもしれない。さして変化していない商品が、「新〜」と銘打たれて「新発売」されることもままあることである。パッケージだけが変化するといった商品だって当然あった。これらの驚嘆に値しない変化によって、変化への「免疫」ができてしまい、なめてかかるスタンスが生まれたと考えることも可能であろう。

 しかし、現代人がどんな変化に対してもアパシー(無反応)となってしまっているとするなら、これは注目に値する現象なのかもしれないと思う。これはいわゆる変化対応力のなせるわざというものなんかでは決してなく、対象の変化が見過ごされることによる「何事も無し!」反応、能天気以外のものではないからだ。
 例えば、現在主流となっている「オブジェクト指向」言語(Java,VC++,VB etc. )の登場という大きな変化を変化として認識できないオールドファッションのソフト技術者は、表面的にそれらの言語を使いこなしているつもりであっても、いたるところで次元の異なったバグを持ち込んでしまう、といったことを仕出かしてしまうのである。
 今、結構シビアな問題でもある自衛隊の海外派兵問題にしても、政府の「口先解釈」の中に重要な変化が読み取れないなら、憲法九条改悪へのなし崩し的移行は成り行きとされかねないのである。

 もともと、日本の歴史は「異文化」の流入を、大きな変化として受容せず、単なる素材として受け容れてしまう「雑居性」があったとも言われている。変化を額面どおりの変化として考慮せず、軟体動物のように自在に変形し、カメレオンのように場当たり的に色彩を取り替えてきたのがわが国の実体であったのかもしれない。
 変化に強い日本と言って言えないこともないのではあろうが、しかしそう言えたのも真似るべき先行モデルが存在したからなのだと思われる。どんな素材が流入しようが、素材製造元が示している運用モデルに従いさえすれば何の問題もない、といった調子だったのであろう。

 ところが、現代はグローバリズムによって「世界同時性」という言葉が象徴するように、ある意味では世界各国が同一ラインに立って未曾有の、同一世界に対応せざるを得なくなってしまったのである。横並びの他国以外に先行して範を示す国や文化はどこにもなくなってしまったと言えるのだ。すべての国々が、未知(変化)との遭遇という課題を背負っているのである。
 変化をなめてかかれる根拠は皆無となっているのであるから、先ずは変化の実相をしっかりと観察して、実体をもった変化対応力を磨き上げて行かざるをえないはずではないだろうか。

 何事にせよ、変化を本当の変化として「新鮮に」語れなくなってしまっている惰性の状況が問題なのだろうか……(2001/10/17)

2001/10/18/ (木)   「人手」削減の効率化路線は本当の未来を切り拓くのか?!

 現在、各企業はサバイバル競争の中でコスト削減に血眼となっている。コストに大きな影響を及ぼす人件費がリストラという荒手で削減されると同時に、従来「人手」で賄われていた作業から「人手」が姿を消す自動化が不可避となって、推進されている。
 このデフレ景気によって、商品価格が引き下げられ、製造コスト低減へと跳ね返ってゆく道理は良く分かる。この積み重ねによって、国際的にも高すぎると言われてきたわが国の人件費が妥当な額に落ち着いてゆくのであろうか。

 「人手」が排除されてゆく経済活動が、差し当たって留まるところを知らず推進されてゆくことになる状況はどう考えられるのだろうか。最終局面をSF的に想像するなら、整然と回転してゆく巨大な無機質の世界と、小さな壊れ物としての人間の世界が対置する世界ということになるのであろうか。そして、人間たちが、「われわれは、実際のところ必要な存在なのだろうか?」と自問し始める局面にまで突き進んだとしたら……

 極端な想定は置くとして、効率化という原理を大前提とした「人手」削減の方向は、当然とされているほどに自明の正しさを持っているのだろうか?天邪鬼な視点で再考してみるなら、気になることがいろいろ出てくる。
 昔、名古屋で研究していた頃のことだが、名古屋市近隣の市に、ある「半導体製造工場」が誘致され、これがもたらした地域への波及効果を調査したことがあった。単純に言えば、同工場のような高度な製造自動化工場は地域に「人手」を求める比率は極めて小さく、求められたのは地下水枯渇をもたらすこととなった地下水だけだったと記憶している。
 フルオートメーション化された工場が、「人手」を必要としないのは当然として、そもそもハイテク、ITはそれ以外の展開の可能性を秘めてはいても、現実的には「人手」を廃する省力化という面での効率化を実現しているのである。そして、当たり前のことだが、ハイテク、ITという業種が抱える「人手」は、この業種が技術的成果によって生み出す「人手」削減より常に少ないはずである。そうでなければ、この業種が経済的に成り立たないのであるから。
 現在、経済構造の再編で叫ばれている雇用の「製造業からITへ」というスローガンが如何に非現実的なことであるかが推定できるのである。

 「人手」作業を自動化する理由は、高価な人件費を安価な機械に置き換えるという点のほかに、「人手」はとかく「ヒューマン・エラー」を発生させるため、精度と耐久性を売りとする機械システムに置き換えるといった理由があるだろう。たぶんこの事情で妥当性を持った機械化・システム化の好例があろうかと思う。
 しかし、ただただコスト削減、「人手」削減という経済第一主義によって不測に発生している不具合ももっと凝視されるべきではないかと思われる。
 そもそも、「人手」はとかく「ヒューマン・エラー」を発生させると決めつけた大前提を吟味する必要はないであろうか。分野においてはこういう事態が大問題であることは百も分かるが、同時に分野においては、機械やシステムが推し進める画一的、イレギュラー・ケース排除的なアクションが適切ではないことだって多々あるはずなのである。
 「人手」は「ヒューマン・エラー」を起こすだけでなく、もしその機能を機械にやらせるとしたらとてつもなく巨大な装置になってしまうような高度な人間的能力を発揮することだってあるのではないだろうか。環境の複雑な文脈を瞬時に洞察したり、不確かな確率を推定しながら妥当な判断を進めたりする高性能さが「人手」でもあるのではないだろうか。
 そして「人手」というものは、単なる経済的行為、例えばモノを買うという行為で言えば、それを超えた付加価値が伴っており、その事柄の持つメタ(超)経済的意味が見直されるべきだと思う。ましてこれからの時代はサービス産業、超サービス産業の時代となるのであればなおのことである。
 「人手」を廃した自動販売機だけが店舗の間口を覆い尽くした酒屋、たばこ屋のあり様は、販売と購入という経済行為のみに視点を限定すれば最適なシステムであるのかもしれないが、地域に住み、地域で生活し、地域で生の情報交換もする、したい生活者にとって最適なシステムと言えるのだろうか?
 「〜さんとこの息子さんでしょ?未成年には酒もたばこも売らないからね!」といった年寄りの「人手」の付加価値などが、生活者たちにとって必要なのではないだろうか。

 今、経済至上主義で突っ走ってきたわれわれが、出口なしの袋小路に追い込まれていると言わざるを得ないのだが、これを支えた効率至上主義にさらに期待を託すべきなのであろうか?それとも、遅ればせながらも、経済は何のため?という原点に立ち返り、人間の生きる目的への問いを発する地点から、経済の方向を問い直すべきなのであろうか。
 システムにしても、省力化次元のみをターゲットにしたものではなく、新たな価値への需要を促すターゲットが想像(創造)されるべきだと念じているのだが……(2001/10/18)

2001/10/19/ (金)   「情報」に対するどれだけ緊迫感を伴ったニーズがあるのか?

 PC作業の過程で、ある必要に迫られディスプレイのスクリーン上の動画を、静止画のハード・コピィ機能のようにキャプチャ(記録)できないかとここしばらく思案していた。誰もが感じるような通常のニーズではなく、やや変わった特殊なニーズに直面すると、これにこだわりたくなるものである。天邪鬼な性格であれば、なおのこと探究心が刺激されてしまうのであろう。
 こんな時、やはりインターネットは便利である。それとなく、動画キャプチャジャンルの新ソフトをマークしていたら、このニーズをほぼ満たすソフトが米国のシェアウェアとして見つかったのである。ダウンロードしてお試し版を試用してみたところ、こういう仕様で存在するのではないかと考えていた通り、さらにこういう限界もありそうだと推定していた通りの限界も確認できたので溜飲を下げるに至った。

 「必要は、発明の母!」と言われてきたものだが、まさにその通りだと思う。それを「必要」として渇望するニーズが、発明と呼ばれる新しいシーズを牽引してゆくのであろう。ただ、「必要」やニーズをそれとして自覚したり、認識したりすることは、そう簡単なことではないかもしれない。と言うのも、自分が感じた「必要」やニーズは、当然きわめて主観的なものであり、場合によっては、それを満たす製品が存在することを単に知らなかったというケースすらあるからだ。
 また、既存製品が存在しない場合であっても、自分にとっての「必要」やニーズが他者、それも多くの他者にとって潜在的に存在するとは言い切れないからでもある。最初に「うに」や「なまこ」を食べた人の不安と感動をこそ想像すべきなのである。

 以前(2001.10.5)に『シーズ過剰時代における「用途=ニーズ!」発見と創造の活性化!』と題して、埋もれたシーズと、埋もれたニーズを仲介することの必要性について書いたが、今日、より重要で差し迫った課題は、その題名どおり「用途=ニーズ!」の豊富な自覚や発見なのではないかと痛感している。
 確かに、癌やエイズの治療におけるニーズのように医療技術(シーズ)が追いかけている場合も存在はする。しかし、現代はやはりシーズ過剰、つまり「ニーズの未成熟!」というアンバランスこそが時代の問題なのではないかと懸念する。こうした世界的不況のただ中にいると、なおのことそう感じるのである。(もちろん、南北問題のような想像を絶する地域格差、アンバランスの問題も存在している。)

 「ニーズ(必要感、欲求、要求……)の未成熟!」については、話を広げてしまうと収拾がつかない広がりを持っているので、さし当たって今後のわが国の基幹産業(?)と目されているIT:情報通信技術のジャンルに絞ってみる。
 衣食住に関しては、誰でもがそれらへのニーズを、様々な形で表明することができる。
 しかし、「情報」に関してはどれだけ緊迫感を伴ったニーズを表明できるだろうか。
 企業は、確かに「情報」処理による効率化を図り、効果性を目指さなければ企業間競争でサバイバルできない実情になっている。しかし、効率化へのニーズは無限のものであるのだろうか?コスト・パフォーマンスにおける低減性の問題もある。
 また、IT導入によってITユーザーとなったからと言って、米国パテントのソフトを導入したからと言ってそれはわが国のIT産業化のレベルとは異なるのではないか。
 「メル友」に象徴されるケータイ文化は、「情報」への切迫したニーズと現れと解釈できるのだろうか?もし、そうだとしたら習熟期間が過ぎれば、より「情報」を総合的に操作できるPC操作へと這い上がり、本格的なPCユーザーの増大に繋がるのであろうか?
 否定的な問題を並べて悲観視したくはないのだが、「IT革命」が目指した時代、社会というのは、IT機器へのニーズというより、「情報」へのニーズであったはずなのだ。IT設備敷設事業やIT関連製品も、「情報」へのニーズを促進するものではあるが、これまでのわが国の行政全般がそうであったように、文化会館とか巨大な体育館とか箱モノ建設優先主義で迫れる課題とはちょっと違うのではないかと思えてならない。

 現在、インドにIT技術者を求める動きが活発化しているが、その根拠は、インドの人々の永い文化に根ざした論理的思考力にあると言われている。つまり、彼らは概して論理的水準でものを考え、論理的なものへのニーズを強く感じるからなのである。現在の情報科学に適合した国民文化を持っていたということなのだろう。

 じっくりと「情報リテラシー」に取り組み、いや、本来はニーズというものは教育で植え付けられるものではなく自然な発露として発生するものだろうが、それはともかく「情報」の意義とこれへの国民的なニーズが成熟してゆくことなく、IT主導型産業の成立は絵に描いた餅としか言いようが無いだろう!(2001/10/19)

2001/10/20/ (土)   秋の日の自然の寛大さと「人間たちの仕業」!

 穏やかで、透明感のある秋の日は、何という寛大さなのかと痛感した。紅葉狩りなどの観光地に出たわけでもなく、いつもどおりの一時間程度の散策での感想である。
 見慣れた退屈な近所の光景ゆえに、昨日までの刺々しい思索や悩みの数々を思い起こさせそうなものであったが、秋の日の青く深い空、無邪気な野鳥たちの鳴き声、街路樹を輝かせる暖かな陽射しなどは、暫し心を空白にさせてくれた。
 情景に似つかわしくない思いは禁物とばかりに、さながら無の心境で歩き進む。すると、普段は気にもしなかった自然の光景が意味あり気に見えてくるから不思議だ。
 遊歩道に面して生い茂る広葉樹が、クリーム色の小粒の実を房状にして「バーゲンセール」をしていた。その実は、五ミリほどであり、その大きさは野鳥たちのくちばしの大きさを思い起こさせるのだった。
「さあさあ、もうすぐ寒い冬が来るよ。どんどん食べて栄養をつけておくがいいよ」と聞こえてくるように、実の房はそよ風で揺れ、枝影の中では野鳥がさえずっていた。
 樹木と野鳥たちとの共存共栄の摂理が、実にさりげなく、聡明に、パーフェクトに繰り広げられていた。これが、平和というものなのだと……

 境川の水は先日来の雨が上流の土を流し込んだのか幾分茶色がかっていた。時々、思わぬ方向で、「バシャッ」と鯉が飛び跳ねる。
 いつ頃のことであったか、川であれ、池であれ、沼であれ、水さえ見れば胸をときめかせて釣りのことを考えていた昔をふっと思い出したりしていた。釣りに夢中となれたその当時は、一体どんな心境だったのかと……

 今日はマガモたちは、川面で流れに逆らわず「ずぼら」に身を任せていたように見えた。流れに乗るでもなく、流れを横切るでもなく、斜めになったまま流れるマガモたちの姿がおかしく思えた。

 帰宅して、これを記している部屋に、近所の木造建築現場から聞こえてくるトントン、コンコンと鳴るかなづちの響きが、妙に懐かしさをかもし出してくれている。そう言えば、昔の街から聞こえた音は脳神経を逆撫でするエンジン音ではなく、こうした単純な響きなのだった。人の動作が思い浮かぶ音で溢れていたのだった。
 小学校からチャイムの響きが聞こえてきた。秋の日はつるべ落としとはよく言ったもので、午後五時となった今、窓の外はもう暮れようとしている。近所の臆病な飼い犬が、何かに向かって吼えている。

 自然がもたらしてくれたこんな平和で穏やかな一日の遥かかなたで、戦闘機の轟音に怯え、爆撃に慄く子どもたちがいる!敵兵の進軍に、涙と震えが止まらない子どもたちがいる!「人間たちの仕業!」によってそんな運命を背負わされた子どもたちが……(2001/10/20)

2001/10/21/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (10)

 海念の母親は、突然何かを思い立ったかのような素振りとなり、保兵衛に軽く会釈しながら立ち上がった。
 やがて、大事そうに両手で一振りの大刀を抱えて、隣の仏間から戻って来た。
「夫、正之信は、不運な武士でございました」
 母親は、幾分首を傾げながら、茫漠とした感慨を込めるかのような眼差しで、保兵衛の前に置いた大刀を見つめている。妹の静(しず)も、正座した姿勢で父の形見に視線を落としていた。

 夫婦が難波からこの品川に移り住んだのは十年以上前のことだったという。
 難波での浪々の武士生活に見切りをつけ、新天地で漁師として再出発することに賭けたのだったと。

 当時、品川周辺には上方からの漁民の移住が多かったとの記録も残されている。
 江戸幕府が誕生して二十数年を経過していた江戸は、当代一の大消費地となっていたのである。そして、品川周辺は、従来からの野菜のみならず、魚介類をも提供する地域へと変貌し始めていたのであった。

 ところで、毛利家家臣であった頃、若い正之信は持ち前の正義感から上役の不正を咎める立場に立ってしまったのだという。しかし、逆に汚名を着せられた上に、藩から放逐されることになってしまった。結婚して日も浅い時期のことだったと。
 剣の腕は藩内でも指折りの位置にあった正之信であったため、関ケ原の戦いの折りには、西軍に御陣場借りをして仕官の口を求める動きもとったのだった。同じく西軍に御陣場借りをしていた宮本武蔵との出会いはこの時のことであったという。
 だが、西軍に参戦した正之信が仕官の口を逃したのは言うまでもなかった。そしてその後は、果てしない浪々生活が続いてゆくのだった。その性分から不正を嫌い続けた正之信であったため、清濁併せ呑むことを知らず、武骨さばかりのゆえ、清貧に甘んじる果てしない日々を継続させるのだった。そして、ようやくのこと品川での漁師としての再出発に至ったのである。

 風光明媚な品川での生活は、苦労の連続であった夫婦に漸く落ち着いた生活をもたらすこととなった。これまで願っても叶わなかった子ども二人が突然に授けられる幸運にも恵まれた。長男正(まさ)、海念と、妹静(しず)である。
 漁師生活に慣れる並々ならぬ努力の一方、正之信は幼い息子、正(まさ)に武士として成就し得なかった自分の思いのすべてを託し始めるのであった。粗末な漁師の家は寺子屋ともなり、海岸の砂浜は道場代わりとなったのである。
 父の期待に応えようとして歯を食いしばる幼い正(まさ)を、母はけなげだと感心した。が、同時に哀れにも見えてならなかったという。ただ、幼い正(まさ)は、父を尊敬するだけではなく、父が言葉を噛み殺して耐えてきた人生の辛さをも、不思議なほどに共感しているかのような言動を示したのだという。
 ある時、漁師仲間が、
「正(せい)さんは、息子さんの指導にご熱心だが、この天下泰平のご時世が再び乱世にでもなるとお思いなのかい?」
と父を揶揄した時、幼い正(まさ)は、泣きながらむしゃぶりつき、小さな拳で殴りかかったという。

 海念の夢の種子である突然の悲劇が降って落ちたのは、ようやく漁師生活にも慣れた年の秋のことであった。
 満れば欠くるの謂れのごとく、漁師生活の慣れは、同時に当時の漁師の生業に食い込んだある矛盾に気づかされるに至るのであった。濁る水を飲めない性分の正之信が悩み始めていたのは、折からの権力者たちによる支配の非情さなのであった。
 当時、漁民たちは好き勝手に漁をしていいわけではなく、幕府から付与された漁業権に基づき漁を行う仕組みが設けられていたのだった。そして、これは月に一度、幕府に魚介類を献上する義務と引き換えというかたちで付与されていたのである。さらに、大きな制約は、幕府が実施した問屋仕込み制度に基づく江戸の独占的な海産物問屋の横暴であった。
 その年の秋は、無情にも不順な天候で時化(しけ)が続くのだった。幕府への上納に値する漁獲も、問屋への過大な義務を果たすに足る収穫も到底準備できない日々が、空しく続いて行った。
 そして、漁師たちの焦りと苦悩の日々が積み重なったある激しい時化の日の早朝、海岸は漁師たちの騒ぎで埋め尽くされたのだ。
「正(せい)さんが、舟を出したー、助けろー、いいや、今舟を出したらともびきになるぞー……」
 やがて漁師たちは、荒れ狂う海を前にしてただ呆然と立ちすくむのだった。
 そんな騒然とした海岸で、独り、眼を泣きはらしながら、静かに、放心の様で海を眺めている者がいる。妻であった。漁師たちには理解されない、夫の無謀さの意味を、哀しく反芻していたのだった。夫は、漁になんか出たのではない。焦りの結果の暴挙なんかではない。熟慮の上の、武士ならではの申し立てなのだ。幕府や、問屋の非情な支配に、捨て身で反省を促そうとした抗議に違いない……と。

 正之信の遺体はその舟とともに上がることはなかったという。そして、このうわさは江戸中に広がったという。うわさの中および幕府重臣の一翼に、妻と同様の洞察をした切れ者が居たには居たそうである。だが、この非情な制度がこの後見直されたとの記録は残されてはいない。
 漁師仲間からの同情もありはしたのだが、権力への申し立てという危ない部分に蓋をする大勢の空気が、いつしか正之信の遺志をかき消していくことになったのだった。

 そんな経緯の中、ある日突然に旅の途中の武蔵が哀れな親子を訪れたのである。(2001/10/21)

2001/10/22/ (月)   寅次郎が小さな眼で、不思議そうに遠くから眺めている……!

 それが真意かどうかは定かではないが、この度はずれた不安と世知辛さが渦巻く時期だからと見据えているようなテレビ番組がある。渥美清主演の『男はつらいよ』シリーズ全48作が、テレビ東京で連続して放映されているのである。同シリーズのファンは、ビデオによっても既に何度も鑑賞済みであり、筋にしても容易に思い出せるはずなのだが、何となくチャンネルを合わせてしまい、NHKの『北条時宗』さえ裏番組にしてしまうことになる。わたしだけなのであろうか?

 もとより同シリーズは、筋を売り物にする映画ではなかった。一時、そのマンネリの打破に思案してか、寅次郎がヨーロッパへ渡る苦慮もあったかと記憶している。が、葛飾柴又に象徴される日本人のふるさと、ふるさとのイメージ、寅次郎がそうであるふるさとのかたまり以外に、深遠で斬新なテーマはあえて据えられなかったと言えよう。むしろ、そうした難しがる(?)テーマは、おいちゃんの言う「ばっかだねぇ、あいつは!」なる寅次郎にも通用するのかどうか試してみるといいよ!と、山田洋次は端的に問いかけ続けたのではなかったのか、と思える。
 そして、今、「ああ、もうダメだ……」と悲観に明け暮れる日本人の前に、寅次郎こと亡くなった渥美清がひょっこり現れた。気取って言うなら「死せる諸葛(孔明)、生ける仲達を走らす」(『三国志』の逸話。死んだ孔明の人形を恐れ、敵軍の仲達が兵を後退させたと言う。)ことになるのかどうかというところだろうか。

 振り返ると、山田洋次が設定し、際立たせたものは、寅次郎に象徴される暖かく、包容力があり、下品さはあるが逞しい日本人の庶民性に対して、近代化・現代化された日本の現代のすべてが、スマートではあるもののどこか暗く、冷たく、ひ弱であるといった印象ではなかっただろうか。暴論を吐くなら、山田洋次は、後者の「近代・現代産物!」のすべてが本心を押し殺して、形だけの帳尻を合わせている底の浅いものと見抜いてさえいるように思われるのだ。
 妹の「さくら」でさえもが、長い間消息不明となって戻らなかった寅次郎が現れるまでは、スマートで、形だらけの一流企業に勤めていた。さくらと結婚することとなった「ひろし」は、これまた後者の一角を代表する暗く、小難しがっている「学者」を父とし、その父と不仲である想定で登場している。そして、馬鹿であるのか洞察力があるのか(前者に違いないのだが)寅次郎は、さみしい「近代・現代産物!」の底の浅さをことごとく揶揄して、その化けの皮を引っ剥がしてゆくのである。
「そんな小難しいこと言わないの!蜂のあたまだ、蟻のおちんちんだなんぞと!」という具合である。
 シリーズを形作った数々の登場人物の一翼には、そのさみしい「近代・現代産物!」の矛盾に悩む者たちで埋め尽くされているとさえ見える。一流企業の重役の家に婿入りして精彩を失った中年サラリーマン、人一倍悩ましい顔つきをするインテリたち、そして何よりも毎回登場する「マドンナ」たちの大半が、「近代・現代産物!」の矛盾を抱えた男、小説家崩れであったり、教授であったり、重役であったり……、との恋や結婚で悩んでいるといった状況なのである。

 防備する理由さえ思いも及ばなかったに違いない、無防備そのものの寅次郎的なもの!そうしたものを無表情で力づくで排斥し、駆逐して、現代のわが国の実情が成立したと見える。こんなはずではなかったと多くの人が感じている実情が……
「えっ、オレ邪魔だったの?そんならそうと早く言ってくれりゃいいんだよ。でも、あんたたち、だいじょぶかい?」
 と、寅次郎が小さな眼で、不思議そうに遠くから眺めている……(2001/10/22)

2001/10/23/ (火)   お国は、ぶどうの世話をしっかりしなければイケナイ!

 この時期、散歩をしても、通勤時のクルマの窓からも濃い朱色の柿がたわわに実る光景を目にする。夕焼け空を背景にした、そんな柿の樹の姿は実に心がなごむものだ。うらさびしいすすきの穂の揺れとともに、秋ならではのシーンである。

 小さな、陽当たりの悪い自宅の庭なのだが、毎年、夏から秋にかけて喜ばせてくれるものがひとつだけある。もう、十数年飼ってる(飼ってるんじゃなくて、栽培してる!)「ぶどう」である。「栽培してる」と書いたが、実は栽培らしい手入れを何もせずに放任していながら、成果物だけを横取り(?)しているのが実情である。善人ぶって振り返るならば、たちの悪い資本家か高利貸しのような了見でいささかきまりが悪い。
 そんなもんで、罪滅ぼしとばかりに近辺の人に振舞うと、意外と甘くて美味なものだから、お返しとばかりに取れたて野菜などが届けられたりする。たちの悪い悪人が、次々と利益を膨らませてゆくのだ。これはもう、現代資本主義そのままの矛盾だとしか言いようがないのかもしれない。

 とは言っても、このぶどうの幼い頃(?)には、そこそこ手をかけ、目をかけなかった訳ではないのだ。このぶどうは、母親の元の住まいの庭で栄えていたのだったが、転居という人間側の事情で、突然見放されることとなってしまったのだ。哀れに思い、鉢に苗を移して様子を見ることにした。ぶどうなどの果樹は、結構土にこだわると聞いていたので生育が難しいかと案じていたのだが、どっこいさすがは武道!強かった!鉢植えのメリットとして、陽当たりの良いところを狙って移動させてやったりしているうちに、背丈がめきめき伸び、何本もの支柱を必要とするようになった。が、花は咲かせても実を実らせるといった反応はなかった。
 やがて、ローンだらけの家の小さな庭の片隅に鉢ぶどうを置くことになった。そして「あっという間に十年の月日」が経ってしまった。この十年が不作為の作為という犯罪行為であった訳なのだ。ただ一度、手をかけたことがあった。何かの理由で鉢を動かそうとしたのだった。が、動かなかった。鉢の底の穴からしっかりと根を伸ばしていたのだった。黙認することにした。それが、ぶどうにとっては市民権の承認と映ったらしい。ぼちぼちと実を実らせ始めたのであった。

 そしてここ二、三年は、一家では食べきれないほどの量産体制となってしまったのだ。 それにしても、ぶどうは強くて寛大な果実だ。すねることもなく、恨み言ひとつ言わずに毎年毎年、家人に、そして野鳥たちにせっせせっせと甘味を振舞ってくれるのだ。

 ただ人間の生育や、処遇はこうであってはならないのだろう。いかな庶民と言えども、刈り取る税金だけはしっかり徴収しはするが、「痛み」という甘言で路頭に迷わされるのはかんべんしてもらいたい。全国三万人もの自殺者が生み出され、トラウマを背負い続けることとなる十万人の孤児も生まれているわが日本!はっきり言うけど、アフガンどころじゃないんじゃないの!足下見なきゃ!足下を!(2001/10/23)

2001/10/24/ (水)   自分の目で観察すること、批判的意識を持つこと!

 ある人が言ったものだ。「クルマの運転というのは実に中途半端なものだね。運転に集中すべしと言われていてもそんなに集中力が必要なわけではない。かといって別な考え事ができるほど手放しになれるものでもない」と。

 確かに言えてると同感したものだ。と同時に、どこか現代人の生き方と共通するものもありそうだと思えたのだ。
 先ず、毎日毎日わき目も振らず全力投球で臨むべしと自分に言って聞かせてはみるものの、毎日の生活は、それほど集中でき、興味をそそられる変化があったりするわけではなし、挑戦対象がくっきりと見えているわけでもないのが普通であろう。昨今は突如、変化の雪崩現象すらあるのだが。まあ、どちらかと言えば、パターン化した対象に半ば機械的に反応してゆけばことが足りそうなこれまでであっただろう。むしろ力むならば、「肩に力が入りすぎてますよ!」と聞こえてきそうなほどでもあっただろう。
 それではというので、寝てしまうのは論外として、何か当面の問題以外のじっくりとした思索に心を砕こうにも、当然ではあるが当面の問題とやらは落ち着いた思考力を開放してくれたりするわけではない。

 また、これが結構大きい問題だと思われるのだが、クルマの運転にしても、現代人の生活にしても、目に入るものをとりあえず視覚的に認知はしても、要するに注意を傾けた「観察」なんぞはしていない!という大方の事実である。
 ドライブ中に見えるものが、流れ過ぎるイメージの印象でしかないのは止むを得ないとして、日々の生活で遭遇する数々の場面も、意外と意識には残さずただただ流し続けてはいないだろうか。年をとるとなおさらのこと、こうした「ずぼら!」を平気で仕出かしてしまうようだ。

 「観察」をするとは、過去のイメージを惰性で追認することを拒絶して、眼前の事態、状況をつぶさに見つめること、過去のイメージとの差異に気づき、記憶に新鮮なイメージとして更新をかけてゆくことのはずである。
 しかし、こうした疲れることを回避して、万事変化ナシ!のマンネリを決め込む心理が現代人の生活に忍び込んでいるのかもしれない。人間の注意力さえサポートするハイテクシステムへの依存の結果なのであろうか。あるいは、個人としての責任という概念が限りなく希薄化した風潮のなせる業なのであろうか。

 狂牛病、エイズ、核燃料などへの一連の対応から覗ける役所、官僚機構の無責任な管理体制などは、変化する事態を「自分の眼で観察」し、責任を果たすかたちで判断をすることをどこかに置き去りにしてしまった現代のおおきな罪悪なのだと思う。
 しかし、それらを許したり、それらと共通した姿勢が自分にも染み込んでいると感じないわけにゆかない。特に、日々報じられる情報に関してそう思うのである。
 今時、様々な出来事の真実を、ニュース・ソースを辿り自分の「観察」によって確認することは到底不可能である。だから、ジャーナリズムの役割はことさら重要なのであるが、信じ切るわけにはゆかない。
 とすれば、「自分の眼による観察」ができない状況でこの意義を補うのは、「批判的考察」以外にないかと思う。いや、われわれのこれが希薄であることが、役所、官僚機構の「観察」怠慢、結果的無責任を助長しているのかもしれない。

 「批判的(critical)」というと何かとげとげしさを思い浮かべてしまうわれわれ日本人なのだが、"critical" の別の意味は「危機的」であり、今日のような危機的な時代には不可欠な考え方だと思われるのだが……(2001/10/24)

2001/10/25/ (木)   「没頭」こそが、細い稜線上に走るサバイバルの道!

 モノを買わ「ない」消費者、モノが作れ「ない」生産者、働く機会が「ない」勤労者、知恵が「ない」大企業経営者、能と責任感、加えて節操が「ない」政治家たち、そして希望が持て「ない」国民!日本は今、こぞって死んだふりを始めてしまったのか……

 晩秋から冬に向かうと言うのに、死んだふりをしていると本当にそうなってしまうではないか。ならいっそ、周囲の不完全燃焼、冬眠姿勢(?)には眼もくれず、やり残してきてしまったことに、死んだ気になっての努力と、燃え尽きるような燃焼で挑んでみたいもの。

 きっと、醒めた気分がお互いの足を引っ張り合っているという情けない事態も少なからず問題なんだろう。経済構造の問題が主要問題だとは言え、勘違いしていけないのは、経済は自然現象ではないということ、株価がそうであるように、人の心や情によってかなりの作用を受けるものだということだ。
 米国のITバブルにしてからが、ITへの過剰な期待感という人間心理がもたらしたものであったのだ。人間が作り出している経済社会は、多かれ少なかれ人間の持つ気持の現れ方で決まってきたと言っても過言ではないはずだ。

 で問題なのが、人々の萎縮した心理、絶望に近い心境がかくも広がってしまっていることであるに違いないのだ。米国の消費動向も、テロ以降は、遠出を控え自宅でくつろぐといった「繭ごもり」現象となっているそうである。とかく、真っ正直で、悲観的傾向に傾き易い日本の国民性を思うと、このままでは、まさに「冬眠」になりかねないのではないか。
 消費税問題から、介護医療問題という何から何までが、そんな日本人の国民性を逆撫でしてしまい消費意欲を減退させてきたというお上のやったことを、いまさら嘆いても空しいばかりである。もはや、気分の持ち方だけでも自力救済で臨むしかないのである。

 そこで不安心理からの回避が重要な自衛策となる。なぜなら、不安は何の即戦力にもならないどころか、事態悪化へのグリースのようなものだからである。悪い方へ悪い方へと滑らされてゆくだけなのである。癌の発生率を高めることにもなりかねない。
 不安から逃れる唯一といってよい方法は、無の心境になること!しかし、そんなことは凡人にそう簡単にできることではない。
 そこで次善策として浮かび上がるのが、何かに「没頭する!」である。没頭し易いものにのめり込めばよい。
 そして、極力金はかけない方が良い。(これだから、消費が伸びないわけだよね!)金をかけるというのは、とにかく他人に助けてもらって自分の労力を割かないということなので、「没頭係数(?)」が低下する。あくまで自給自足型で挑戦するのがベストなのだ。
 ところで、できれば没頭する対象が、金儲けに繋がればよいと考えがちになる。止むを得ない道理ではある。しかし、安直な誘惑に流されてはいけないのだ!むしろ、自由な自分の心の命じるままの対象を選定すべきなのである。それがやがては多少の金儲けにも繋がってゆくのである。
 それというのも、ほぼ確実にこれまでの日本の消費傾向は、ここで大きくブレてゆくに違いないからである。人々は、この未曾有の不況と混乱の中で、人間にとって何が大切なものかに急速に接近してゆくとすれば、目先の金儲けよりも、人間らしく生きることに目覚め、そのための道に経費を割くことになるからだ。そうならない日本なら、皆して沈没するだけである。

 年は五十が六十でも、その道の熟達者になろうと没頭すること、それがどうにもくだらない時代を生き生きといきてゆく細い稜線上に走るサバイバルの道なのである。(2001/10/25)

2001/10/26/ (金)   今回の不況は、「特化」企業選別の篩(ふるい)の役を果たす!

 昼食のための外出時、駅前で「チラシ配り」の若い女性二人が鉄道公安員らしき者に注意を受けていた。彼らのアクションがそこそこ強引であることを知っていたが、たまりかねた誰かが通報したのであろうか。
 この時期、逃げる顧客を追いかけろとばかりの強引なセールス行為がひときわ眼につく。こんな不況の時期だけに、同じ経営者としては気持は分かり過ぎるほどによく分かる。われわれも以前に、求人関係のチラシを駅前で全社員によって配ったこともあった。社員はもちろんいやがっていた。また、業務関係で、関係業者多数にFaxを送信したこともあった。ある経営者から「うちのFax用紙を無断で浪費させるとはけしからん!」なるお小言をいただいたりした。
 そう言えば、昨今では、営業電話や、DM郵便の増加に加えて、e-メールによるDMもいつの間にか増えたように思う。急ぎの発信が必要な時に、巨大な営業ファイルのダウンロードが詰まっていたりすると立腹ものである。

 少しでも自社や自社製品を多くの人にしってもらいたい意図や気持はよく分かるのだが、どうも多少なりとも「人の迷惑」に結びつく営業活動の成果は、希望的観測に反して惨憺たるものであることが多いようだ。中には、名前だけでも知られることで満足だという経営者もおられるが、顧客側の不快感と結びついた知名度というのは何を意味するのだろうか?

 以前に、「パーミッション・マーケティング」について言及したことがあった。(2001.06.12 お客様は神様です!を本格的に!)顧客側の好感に基づいた「Permission(許容)」の有無が現代の営業の決め手だという主旨である。この点からすれば、上記の方法は完璧に場違いな古典的方法だということになるに違いない。
 顧客を追っ駆けるのではなくて、いかに顧客に追っ駆けてもらうのかでなければならないというわけである。店商売で言えば、いかにお客さんに「並んでもらう」のかでなければならないというわけでもある。
 以前にPCショップを併せて営業していた折、冬場の寒い朝の開店前に、何十人もの待ち行列を作っていただいたことがあった。喜ばしいことに違いなかったが、寒さで気の毒に思い、熱いお茶を配らせていただいたりしたものだった。しかし、その時その時で採算割れしないかたちでの待ち行列作成企画というのは至難の業なのである。だいたいが、後日のための宣伝効果ねらいに落ち着いてしまうのが相場であろう。

 そうしてみると、大概、店の前で客が並んで待っているラーメン屋は大したものだと感心してしまう。並んでいる客については、「ホントに味が分かるの?」と冷やかしてみたくなるが、並ばせているラーメン屋は、何はともあれ立派だと賞賛しなければならない。多分、涙なしには語れない陰の努力と苦労が、輝かしい行列を生み出す下地となっているのであろう。
 特価で並んでもらうのではなく、業務「特化」、製品「特化」、サービス「特化」で評価され顧客の待ち行列ができるシゴトをしたいし、しなければならない。今回の不況は、その選別の篩(ふるい)であるような気がしてならないのである……(2001/10/26)

2001/10/27/ (土)   「存在感のない透明な自分」と悩み、鬱積する者が静かに増加している!

 子どもはなぜ「スキップする」のかと言えば、うれしい時に、世界が自分のものであることを確認するためである。それによって、自分ひとりのものだとさえ信じられるからである。大人が先ず「スキップをしない」のは、世界は自分ひとりのものではないばかりか、世界は自分をないがしろにしてさえいると思い込まされるに至ったからかもしれない。そして、青少年たちは、幻想の中でしかスキップできないでいる。

 以前に、「『自分が効果的に存在している』かどうかに振り回される人々!」(2001/07/24)と題して、象徴的な「存在感のない透明な自分」ということばに託された青少年の感覚や、これを埋め合せもするが、また助長さえもするかのような、「操作性」万能感もどきの商品群を提供する現代について書いた。

 自己の実感を伴うあり方を求める人々に対して、現代の環境は「複雑骨折(?)」してしまっているかのように見えてならない。とりあえず言えることは、青少年に限らず「存在感のない透明な自分」と感じている者が大多数に上るであろうということである。
 いつの時代にも、自己の存在が確認できない抑圧された人々は確かに存在した。しかし、現代は事情が幾重にも複雑化しているのではないだろうか。
 一方で「個性」ということばが頻繁に叫ばれるように、個人化が価値ある方向として謳われている。タテマエ的レベルの市民権はとっくに獲得していると言えよう。
 しかし、実質的な意味での個人尊重、個性化を導く環境は、圧倒的に未成熟だと思われる。その結果としての「右へならえ」が眼につき過ぎるではないか。
 しかも、それを確実に通過した上で、乗り越えなければならない、単なるわがままな気分と未分化な自己意識でしかないものを、個人意識と見なして扱う錯覚がまかり通ってきてしまったのかもしれない。あの成人式での愚行が曝け出した問題だった。

 「ジコチュー」ということばが、現代の日本の危なさを照らしているかもしれない。
 自己を抑制させられ、殺してしまったがゆえに大人としての自己の姿、あり方を見失ってしまった大人たちと、そんな大人たちに結果的には放任され、子どもが持っても止むを得ないわがままでしかない自己「感覚」を、「自己意識」と錯覚したまま年を重ねている者たちしかいないという危なさである。そして、確実に後者の比率が高まってきているのであろう。後者のような自己意識は、たとえタテマエ的レベルの市民権しか与えられていないわが国ではなくとも、過剰な空虚感で憂鬱に沈むことになってしまうはずなのである。出口としては、犯罪、病気、まれに芸術といったいずれにしても苦しい隘路であるに違いないのだ。こうした「存在感のない透明な自分」と思い悩み鬱積する者が静かに増加していると想像することは、決して楽しいことではない……

 子どもの持つ自己「感覚」が、「自己意識」へと発達するためには、他の自己「感覚」の持ち主(=他者)との交流と格闘、そして Corporate する(協働する)ことが不可欠であると言われながらも、うまく機能してこなかった。そして、登校拒否現象などによってここしばらくも機能不全となりがちなのであろう。
 今後、ますます「存在感のない透明な自分」を慰めると称する様々な商品群が登場してくることは容易に推定できる。これまでも、生身の人間関係を代替する阿片のような機能を果たす商品が生み出されてきたのだった。どんなに精巧なシステムであっても、人間の自己意識の成長に必須な「他者」をシステムとして完成させることは不可能だと思われる。ふと、「人面魚」なるソフトを思い起こしてみたが……(2001/10/27)

2001/10/28/ (日)   <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (11)

 傍らの静(しず)は、何度も母親からこの話を聴かされていたに違いない。にもかかわらず、聴く度ごとに父を想い、そして何度でもぽろぽろと涙するのだった。保兵衛は、そんな静(しず)を哀れに思いながら、母親の話にじっと耳を傾け続けた。

 武蔵が突然この家に訪れた時、親子はたいそう驚いたという。既に剣豪としてのうわさが高かった武蔵であったが、その異形もまた尋常ではなかったこともひとつの理由ではある。
 しかしむしろ、年恰好が、ちょうど正之信が海に消えた時と同じくらいであったことが大きかった。帯刀こそしてはいたものの、髪は無造作に肩へと流し、着古した旅姿のそんな武蔵が、表通りの光を背後にして、すくっと玄関に立ち現れた時、親子たちは正之信が戻ったと取り違えたのだった。幾度も幾度も願い続けたように、あの嵐をかいくぐり、生き延びることとなった夫、父がふらりと戻ったと信じたかったのだ……

 何はともあれ線香を差し上げたいとする武蔵は、しばし仏間で手を合わせ続けたのだった。その丁重さが、正之信と武蔵とのいわくの一端を自ずから物語っていたのである。
 当時、武蔵は相変わらず仕官の願いが叶わず、養子とした伊織(いおり)の縁故をもって豊前小倉藩の客分として遇されていた。そして、その年の前々年、寛永十四年に勃発した天草・島原の乱平定に出陣していたとのことだった。この度の江戸への来訪は、その出陣をしたためた口上書を携えた仕官への働きかけに関するものであったとか。
 小倉へと戻る武蔵は、品川宿に宿をとったとのことである。武蔵にとって品川宿はゆかりのある場所だったのである。伊織(いおり)を養子とした理由は、彼の非凡な直観力、ある種の超能力を認めたからだそうなのだが、その伊織(いおり)が小倉藩の参勤交代の行列に従って江戸へ赴いた際、品川で往来の人々の人相を垣間見ただけで、その夜に起きることとなった大火事を予見したというのだ。
 そして、昨晩、偶然にも宿の者たちから正之信の二、三年前の出来事を耳にすることとなった。これも因縁だと観じ焼香を望むに至ったのだという。
 振り返れば、正之信と武蔵との出会いは、およそ四十年前、正確には三十八年前の関ケ原の戦であった。ともに仕官を目指す御陣場借りで西軍として出陣したのである。正之信は二十歳、武蔵は十六歳である。荒削りという以上に粗野でしかなかった武蔵に、武術の上でも、人の道についても兄らしさで処したばかりか、無謀ゆえに足を怪我をした武蔵を助けたのが正之信であったのだ。その後、正之信が浪々の身を続けることとなっていた間も、書簡のやり取りだけは続けられたのだという。

 「惜しむらくは、生きてお上に申し立てる手立てがなかったものかと思案いたす。が、それはそれで難しき事やも知れぬ。してみると、いかにも正之信殿らしき御最期かなと感じ入り申した。昨夜は、正之信殿の胸中を量り、一睡もできず一晩中品川沖を眺望いたしており申した……」
 「亡き夫も、武蔵さまに事の次第が伝わり、それだけでも無念が晴れているかと……」
 「おう、利発そうな子じゃのう。名はなんと申す?」
 武蔵は、正(まさ)を見て、「利発」ということばを選んだのだった。しかし、武蔵が正(まさ)に見出だしたものは、むしろおのれと同様の「狷介」さ以外の何ものでもなかったはずなのであった。
 「はい、正(まさ)と申します。武蔵さま、お尋ねしてよろしゅうございますか?」
 正(まさ)は待ち受けていたごとくに、語気を強めて武蔵に迫るのだった。
 「おうおう、なんじゃ」
 「父上の死を『犬死』とうわさするものがおります。如何お考えでございましょうか?」
 「正(まさ)と申したの。人の死に『犬死』などはありはせぬ。お父上は、身を呈して確かな種を蒔かれたのじゃ。だから、そなたは誰をも恨むではない。恨みは、わが身を滅ぼすに至るだけぞ……」
 武蔵は、しばらくしてゆっくりと立ち上がり、再度仏間に戻った。再度の焼香をして、仏前に何かを供えていたようだった。武蔵がいとまごいをした後、親子たちは仏前に、懐紙に包まれた数枚の小判を見つけることとなったという。

 東海寺の住職、沢庵和尚直筆の手紙が届けられたのは、武蔵が、親子たちのもとから去って四、五日経ってのことであったという。
 手紙には、古くからの知己である武蔵より、正(まさ)を禅僧としてご指導いただけないかと懇願されたこと、そしてその理由として、少年時代の武蔵自身が和尚からその狷介さを指摘されたごとく、武蔵が正(まさ)に対して狷介さとその呪縛の相を見出してしまったこと、そして、和尚としても、正(まさ)の鋭敏な資質は仏法の世界でこそ開花するであろう旨などがしたためられてあったのだった。
 まもなく親子は、始めて真新しい東海寺を訪れ、沢庵和尚を訪ねたのである。
 和尚は、正(まさ)を一目見てそのすべてを洞察したのであろうか、即座に「海念」と名づけたのだった。
 「海念、そちは、決して武蔵のような寂しさを味わってはならぬ。武蔵は一人でたくさんじゃ。海は地上の雑多な想いを集め湛えても、深遠に輝いておる。ひとつの想いに執着していたのでは海原の度量には勝てぬぞ」
 和尚は、早速、海念こと正(まさ)の地獄のような苦悩に、一筋の竿を差し入れてくれたのであった。
 そして、正(まさ)は、即日寺に引き取られることになったのである。

 よどみなく続けられた母親の話は、片時も保兵衛のこころを掴んで放さないでいた。まばたきもできず、保兵衛は眼を白黒とさせながら海念の母の顔を見つめてきた。
「正(まさ)は、先ずわたし達のことを心配してくれたのです。『母上や、静(しず)の暮らしはどうするのですか?』と。しかし、わたしも静(しず)も武蔵さまや和尚さまのお考えが正しいと思ったのです。
 夫のあのような出来事があって以来、正(まさ)は、お上を恨み、この漁村の人々を恨み、武蔵さまがおっしゃられた通り狷介さのかたまりのようになって手がつけられない有り様でございましたから……」
 その時、静(しず)は泣きやみ、そっとつぶやいたのだった。
「お兄ちゃんが、かわいそうなお父さんの魂を慰めてあげてくれればそれでいいんです……」
 収まりかけていた保兵衛の感情が、この静(しず)のことばで再び無造作に崩れてしまうのだった。左腕を眼に当て、白い袖をただただ濡らすばかりの保兵衛であった。
 こんなにも愛しく思える人たちを目の前にしていながら、何ひとつできないでいる自分が悔しくてしかたがなかった。家に飛んで帰って、母親が使わなくなった足踏み式ミシンを海念さんのお母さんのために持って来てあげたいとも思った。北品川商店街のおもちゃ屋へ飛んで行って、ありったけの貯金で、静(しず)さんのために一等かわいいお人形さんを買ってきてあげたいとも、歯軋りするように思うのだった。
 でも、この家を、この親子を、無理にでも訪ねてよかった、海念さんのことがよく分かってきたし、この時代のこともいくらか見えるようになってきたんだし……と自分に言い聞かせるしかなかった。

 今日保兵衛が見聞したことは、今後この時代から知ること、そしてさらに時空の不思議として体験する様々な出来事からすれば、ほんの序章でしかなかったことを、保兵衛は知るよしもなかった。(2001/10/28)

2001/10/29/ (月)   愚痴ったって始まらない!やるべきことに忙しく!

 当社が入居している、神奈川県企業庁が運営する「ハイテク企業」向けビルに、開設以来継続している企業は、当社ほかもはや一、二社という様変わりとなってしまった。入居時は、県による会社内容の審査で「ハイテク」なる観点がそこそこ厳しかったと記憶している。が、現在は、ビル経営上の課題からであろうか、進学予備校まで許容され、「ハイテク」なる名目は棚上げされたかに見える。
 それよりも、互いに励みとなってきた技術を売りとしてきたハイテク業種の仲間さんたちが、いつとはなく出てゆかれたことがさみしい限りである。同フロアーで、日頃立ち話までした会社がまるで夜逃げのようにこっそりと退去されたのには驚きと、切なさが伴ったものだ。先ほど注意して他のフロアーもチェックしてみると、てっきりがんばって入居中だと思い込んでいた会社のネームプレートも無くなっている始末だった。

 現在の日本経済の縮図を見る思いなのであるが、この地域で期待をかけられたいわば上澄み的企業がこうした実情なのであるとするならば、長年日本の経済を小規模な人の顔を持った技術で底支えしてきた無数の零細企業が時の経済から見放されていることは容易に想像できよう。以前の円高不況時に、京浜工業地帯の経済を支えてきた蒲田・川崎・大森地域の下請け零細企業が壊滅状態となったことを憂えたが、今回の不況では、こうした分野がジェノサイド的打撃を被るのであろうか。

 なんと言っても製造業の活躍があってこその、ハイテク関連業種であろう。しかし、製造業はもはや国内でやってゆける見通しを断念し、人件費の安い中国・東南アジアへと移動している。いわゆる「空洞化」現象の進展である。
 これに伴い、ハイテク関連企業の一翼が不完全燃焼となってゆくことは目に見えていると言える。ハイテク関連企業への就業可能性など一体誰が信じようか。これに対して、IT関連産業は、モノ作り領域への依存はやや低く、サービス産業に根ざす部分が大きいと言えよう。しかし、サービス産業は国内需要に大きく依存しており、現在の国内消費の低迷ぶりではその発展速度は多くを望めないであろう。

 今朝の朝日朝刊にも、今後日本は外貨赤字への転落と深まりをどう克服するのかを懸念する記事があった。要するに、工業製品など製造業の不振に替わり、何が輸出できるのか、農業技術なのか?と悲観めいて書かれてあったのだ。
 日本を今後どういう国にしてゆきたいのかというビジョンが是非とも必要な時期なのである。イチローに国民栄誉賞(イチローは立派だと思う!今の日本を相手にしなかった点において!)を出そうなどといういつもながらの後追いなどを考えている暇があったら、差し迫った明日の日本についてもう少し憂えたらどうなのだと、多くの人が感じているに違いない。いや、もうとっくに「親」の考えること、やることには見切りをつけ、「親はなくとも子は育つ!」という苦しい道を決意し始めているやもしれない。

 不安と同様に、愚痴もそこからは何も始まらないことを知りながら今日は愚痴ってしまった。どんな地獄でも仏にめぐり合うことがあると信じ、今やるべきだと感じていることにベストを尽くすのみであろう。(2001/10/29)

2001/10/30/ (火)   万国のパソコン初期挫折難民(?)!サディスティックに立ち上がれ!

 パソコンの売れ行き台数が相変わらず伸び悩みだそうだ。パソコンが、仕事と生活の両面に深く食い込んでしまって、もはや必需品と考える者にとっては信じ難い事実だと言える。本当に必要であるなら、Windows95リリース時点で購入したユーザーも、より良い使い勝手を求めて買い換えに及ぶであろう。しかも、その当時から較べれば圧倒的に価格も低下しているのであり、クルマの価格と比較するなら手頃な値段となったと言うべきであろう。また、例の経済の構造改革云々というふれこみを耳に入れたりするなら、せめてパソコン操作くらいは慣れておこうと思うのではないか、と推測したりもするのだが……

 多分、パソコンへの接近における入り口、ないし玄関付近で悪印象を持ったか、挫折したかといった人たちの数が相当数に上っているのではないかと想像する。以前に「『パソコン初期挫折難民(?)』を救え!」(2001/05/29)と題して、この辺の事情を書いたり、「情報リテラシー」、「デジタル・デバイド」などについて関心を深めてきたのも、こうした「食わず嫌い」であったり、「ビギナーズ・アン・ラッキー」の問題が看過できないと思えたからであった。

 今日も、その道一筋のバリバリ建築家の知人が、パソコンの操作で分からないところを教えて欲しいというので立ち寄ってきた。既にパソコンをフル活用している同業者との協働作業で新ソフトを使わざるを得なくなったためだとのことだった。
 建築設計関係のアプリケーション・ソフトにわたしは慣れているわけではないが、ことさらその点を気にする必要はないと見なし、一応、知人の要望を充たすかたちのインストラクトを済ませてきた。
 かっこをつけて言えば、それなりのピアニストは、初見の楽譜を弾きこなすと言われているし、もっと卑近な例で言えば、レンタカーを借りてもその運転にさほど困らないといった道理だと言ってよい。商品化されているアプリケーション・ソフトなら、操作スタンダーズが一応あると考えて良いのであり、ファイル操作や表示操作、そして諸機能の構成などが大体共通しているはずだからである。

 こうしたことから、パソコンの操作とは、「意思伝達処理」方法の得とくであると見なすべきだと考えている。多分、パソコン初期挫折難民(?)の多くは、パソコンを超能力を持った特別な存在とでも思い込んでいはしないだろうか。むしろ、今時の若い衆と同様の、「言われたことしかしない!」指示待ち人間だと考えればよいのである。
 ワンステップごとに、「自分は何を指示したか、次は何を指示したらよいか」ということを考えるべきなのである。そして、「何を指示するか」という場合に、これも若い衆に対してと同様に、この若い衆(このソフト)はどういう表現をすれば(どのアイコンをクリックすれば)こちらの指示を受け容れるかを思案すればよいのである。くれぐれも、パソコンに気を許してはならないのである。気の利いた世話好きなお年よりなどと考えてはならないのである。指示の機関銃で、打ち込みまくらねばならないのだと言ってよい。

 このようなビジネスライクというか、サディスティックでさえある攻撃姿勢の「意思伝達処理」が馴染めないというのが、パソコン初期挫折難民(?)輩出の最大原因ではないのだろうか。
 サディスティックなわたしは、もう何枚ものキーボードのEnterキーばかりを破壊してしまっている。八つ当たりするもののひとつふたつがなければやってゆけませんワ……(2001/10/30)

2001/10/31/ (水)   "Howto-ism" から "What-ism" への急速な脱皮!

 「お金儲けのうまい人とは、お金の儲かる商売を見つけることがうまい人のことである」そうだ。それは、「どうしたら釣りが上達するかといえば、その鍵は釣りの技術よりも魚の居場所を探し出すことにあります」という道理と同じであるらしい。金儲けの「達人」邱永漢(きゅうえいかん)氏の単刀直入な説である。

 お家芸と言われてきた製造業が低迷し、大量の失業者が輩出されている。このまま製造業の空洞化が推移すれば、失業率は8%、さらに10%を超えるとの試算も現れている。雇用受け皿としての元気のある新業種が待ち望まれる理由である。
 大手企業の早期退職者たちが手にする退職金は、年収の何倍と言うからうらやましい気がしないでもないが、先ず再就職が可能な環境ではないので、やる気と能力があれば「起業」という選択となろうか。が、ここで重要な思案が始まるのであろう。
 現時点は、一時期の脱サラ奮闘記としていくらかのバラ色基調で注目もされた状況とは格段の相違がありそうである。大半の業種が冷え込んでしまっているからだ。ハイテク、IT、ソフト開発など牽引役であった業種も潮が引いてしまっているのである。
 既存業種への、多少の How to 技術を生かした新規参入という手は、自己満足と希望的観測でこそあれ、勝算は薄いであろう。今、賭ける価値ある手は、リスクをとりながらもオンリー・ワンをねらうくらいの新事業開業しかないと推測される。
 いわば、How to に依拠するのではなく、新しい What を模索せざるを得ない環境だということなのである。慣れ親しんできた "Howto-ism" から、日本人のわれわれが不得意としてきたかもしれない "What-ism" への方向転換だと表現できようか。

 この課題は、経済行為に限らず政治の課題でもあり、米国に What を依存し、下請け企業か、下士官のように専ら How to 部分だけで世界に貢献しようとする茶番劇が問題となっている。NGO などに見られるように民間活動の方が先行しているのが実態であろう。だが、この重要な時期に、茶番劇などに言及している暇はないのが実感である。

  How to に力点を置く思考は、どうしたら What に感応してゆく思考へと飛躍することができるのだろうか。
 長年ソフトウェア開発を営んできたわれわれは、実を言えばこのテーマを常に傍らに置いてきたのだと言える。ソフトウェア技術とは、システム・エンジニアリング技術とプログラミング技術とを駆使するものととりあえず定義できる。しかし、この技術は、何らかのユーザー・ニーズの実現というアプリケーション・テーマがなければ何も始まらないのである。後者の What と一体となってこそ価値が実現されるのであるからだ。
 そして、この What とのかかわり方のあり様で、ソフト開発会社の内実が決まってきたと言えるのかもしれない。 What =アプリケーションとのかかわり方が希薄でプログラムの作成に専念する会社、他のソフト会社が替われないほどに What =アプリケーションに深くかかわってきた会社、さらに What =アプリケーションのノウハウ自体を追求しながらパッケージ・ソフトを提供する会社と言った具合である。

 いずれにしても、退職組か現業組かを問わず、「釣りの技術」に専念する"Howto-ism"から、「魚の居場所」を模索する"What-ism"へと脱皮することが緊急課題となっていることだけは確かである。これを、これからの世代への順当な教育という次元で考えたら、相当大規模なカリキュラムづくりを必要とするはずであろう。しかし、現時点での差し迫った当該者たちは、短時間で結果を出してゆかなければならないのである。危機感に包まれながら集中力を増した時間の最大活用に留意することが先ず必要なのであろう。(2001/10/31)