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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





………… 2001年9月の日誌 …………

2001/09/01/ (土)  ささやかでも、こんな時期の知恵の成果!
2001/09/02/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (3)
2001/09/03/ (月)  「対人地雷除去キャンペーン」募金をしていた子どもたち!
2001/09/04/ (火)  ハイテク企業の大リストラと『ユニクロ』人事戦略!
2001/09/05/ (水)  欧米の壮絶な経済活動の背後には精神的支柱が?
2001/09/06/ (木)  魂の「癒し」が緊急課題化する現代!
2001/09/07/ (金)  「感動」の少なき時代に考えること!
2001/09/08/ (土)  本当に必要な能力の「能力主義」を推進したい!
2001/09/09/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (4)
2001/09/10/ (月)  こんなにうるさい客の眼もあるご時世なんですぜ!
2001/09/11/ (火)  デフレ傾向で、危惧するもう一面の問題!
2001/09/12/ (水)  Oh,my God!Unbelievable!
2001/09/13/ (木)  ハイテク環境と、人間の思考力、注意力、記憶力!
2001/09/14/ (金)  パソコン&インターネットへの醒め始めた(?)傾向に異議申し立て!
2001/09/15/ (土)  目標さえも見失った時代は、目的の再構築しかない!
2001/09/16/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (5)
2001/09/17/ (月)  テロの撲滅と長期に渡る戦争の勃発とが、なぜ直結するのか?
2001/09/18/ (火)  本当に大事なことは何なんだ?という素朴な問い!
2001/09/19/ (水)  人も歩けば、多くを考える?
2001/09/20/ (木)  大らかで、個性も豊かだった縄文人に夢を馳せる人々!
2001/09/21/ (金)  IT時代=「圧縮」時代(?)に考える「圧縮」の意味!
2001/09/22/ (土)  やっと訪れた秋らしい日和の散歩
2001/09/23/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (6)
2001/09/24/ (月)  「圧縮」論議その二。身辺のガラクタ整理!
2001/09/25/ (火)  平和な自然の摂理=棲み分けに学べないものか!
2001/09/26/ (水)  こんな時期に、何を、どのように購入するのだろうか?という問題!
2001/09/27/ (木)  生活に密着したIT活用に関心を!
2001/09/28/ (金)  現実におけるイレギュラー・ケースのかたまりへの対応力!
2001/09/29/ (土)  自分が自分自身であることを根気強く確認してゆくことが大事な時期!
2001/09/30/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (7)



2001/09/01/ (土) ささやかでも、こんな時期の知恵の成果!

 多少の勇気が与えられたような半日だった。
 これが「三隣亡!」かと駄目押しされるような時があるものだが、今日はそんな気配だった。ただでさえ、景気その他でとかく気が沈みがちな昨今なのに、さらにこんな気配が漂う事態を迎えると、試練かも「しれん」などとダジャレを言ってる場合ではなくなってくる。この事態を覆す快挙を仕上げたのだった。(そこまで喜ぶスケールではないかもしれないが……)

 ノートPCのハードディスクが、最悪のかたちでクラッシュしてしまったのである。しかも、そのPCには、納期に急かされている仕事の作業用データが集積されていたのである。個々のデータそのものは当然バックアップされているが、当面の作業のための環境を作り直すには余分な二、三日を要するといった「王手」がかかってしまったのである。
 HDDをはずし、通常の修復作業を繰り返すが、バイオス認識も不能という最悪事態だと分かった。その事実を作業担当者に告げると、顔中に絶望感が広がり、肩を落とした。
 Webサイトで、破損HDD修復サービス業者を探し、休みでもダメ元と考え、連絡してみる。所要期間と、コストの面で選択肢にはならなかった。一週間以上と、十万〜二十万円もかかるというのだ。

 担当者の落胆ぶりを知ると修復作業を止めるわけにはゆかずあれやこれやとねばってみた。ふと、DOS/Vショップ時代のあるマニアのことを思い出し、最後の手に希望を見出そうとした。
 「同じ型のHDDがあれば、何とか修復できるのかもしれない……」
とわたしがつぶやいた時、若手が、
 「確か、*****でノートPC用の中古HDDが展示されてました」
早速、型番を問い合わせるべし!との指示。しかし、さほど期待もかけず修復作業を継続していた。と若手が走って戻って来た。
 「同じ型番が数本残っているそうです」
『よーし』という気合いが立ち上がってくるのが分かった。

 夏休み最後の土日ということか、その店までの往復には普段の倍の時間がかかり、車中では、さまざまなことを思い巡らせていた。今チャレンジしようとしていることは、まるで「ドナー」確保のようかな?とか、もしHDDではなく、身内の者(自分が一番該当しやすいことを棚に上げ……)が一般の医者ではお手上げとなった時にも、自分はこうして希少な可能性をとことん追求して走り回るはずだろうな……とか、目先に迫っている未曾有の景気悪化に対してもこれでなくてはならないのだ!とか、ハンドルを握りながら上の空であった。

 事務所に戻り、「臓器(?)移植」作業に取り掛かった。幸い予想以上に「オペ」は順調に進み、機能チェック作業に入れた。「バイオス認識」OK。胸が高鳴ってきた。
 『行きそうだぞ……』
とその時、予想外の表示が出てドキッとする。
 『そうかそうか、ファイルフォーマットの違いなんだ。』
で、やり直すと、見事収納されていた全ファイルが表示されたのだ。話に聞いたことはあったが、経験したことはなかった方法に目をつけたことが図星であり、「オペ」も成功したのであった。

 不安ばかりが押し寄せる昨今、小さなことでも「知恵をしぼる!」ための勇気ときっかけが欲しいと願っていたのだが、ささやかに実証できたことを励みにしようと思った。(2001/09/01)

2001/09/02/ (日) <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (3)

 寝つかれない夜を少年は悶々とした。
 つい先ほど、偶然に気づいたもの、それが心から離れなかったのである。
『あれは、一体どういうことなんだろう?』
が、やがてスーッと深い眠りに落ちていった。

 「保兵衛さん!保兵衛さん!」
 海念は、薄い掛け布団を背負い込むようにして縮こまって寝ている保兵衛を揺り動かした。初秋の夜明け前は一段と冷え込み始めていた。
 「ハッ、ウーム……」
 一瞬、ここは?と思ったに違いない。だが、周囲は静かながら緊張感に満ち溢れていた。修行中の他の弟子たちがすべるように迅速な身のこなしで起床し始めていたのである。眠りに落ちる前のすべてが、ほどなくよみがえったのだった。
 そして、言うまでもなく「気掛かりなこと」を思い出していた。ちらっとそれに視線を向けてみる。が、やはり間違いではない。夜明け前ではあっても、薄明に浮かんだそれは、保兵衛の確信をただただ深めさせることになった。

 早朝の座禅が終わるや否や、海念は保兵衛を井戸の近くに行くよう促した。
何のことだか分からず言うままになってその場所へ向かった。やがて海念は両手に何やら衣類を乗せて戻ってきた。
 「保兵衛さん、今日からはあなたは禅僧になるんです」
 海念が着用していたという白装束と黒い袈裟が、井戸端の脇の腰掛けの上に置かれた。そして、それらの上の手拭には、小刀が挟まれているのが見えた。
 「和尚さんからの急なお言いつけなんです。わたしの古い装束で恐縮なんですが使ってください。それから、頭髪はわたしが剃らせていただきます。兄弟子たちもわたしが手伝っておりますので、腕は確かですからご心配は無用です」
 保兵衛は、唖然とした。もはや一言もことばを差し挟む余地がなかった。しかし、保兵衛は、和尚には泣き言が言えても、同い年くらいのこの海念に向かっては言えなかった。また、彼とは友だちとしてやってゆこうと考えてもいたからだろうか。
 黙って海念の言うとおりになり丸坊主とされてゆく保兵衛は、多少みじめに見えたかもしれないが、これが最も自然な成り行きなんだろうと観念していたに違いない。
 寺の外のこの時代の人たちと顔を合わせないわけにもいかないとすれば、海念さんとまるで双子のような格好となっているのが一番無難なのだろうな。多分、和尚はそう配慮したに違いない、と想像していた。
 「イタッ」
 「ごめんなさい。ちょっと手元が狂ってしまいました。でも傷にはなってません」
 保兵衛は、その痛みから、こうしていることが決して夢なんかじゃないんだと改めて実感させられた。
 「さあ、終わりました。さっぱりしましたでしょ。そうそう、薪集めは朝げが終えてから出かけましょう。和尚さんからも、保兵衛さんを寺の敷地と周辺を案内しながらお勤めしてきなさいと言われました」
 とその時、突然木々の間でがさがさという音がして、薄茶色の野うさぎが駆け出した。
 「うわっ、あんなものがいるんだ!」
 「ここは、しばらく前まではお殿様の鷹狩の場だったくらいですから、野生の動物と頻繁に出会いますよ」
 「お殿様というのは、家光将軍のことだよね」
 「そうです、そうです。たまに、お来しになることがあるんですよ。お殿様は豪快なお方で、先日は、何か食したいと仰せになり、和尚さん発案の『たくわえ漬け』を添えてお出ししたところ、『これは美味じゃ、美味じゃ。何と申すものか。』とお尋ねになられました。和尚さんが、備蓄のために考案した<たくわえ漬け>でございます、とおっしゃったら、『うーむ、和尚の発案ゆえに、今後は<たくあん漬け>と命名するがよかろう。』と仰せになられました。みんなして大笑いをしたものです」
 「へえー、そうだったんだ。家光将軍まで来られるお寺なんだね」
 「武蔵さんも立ち寄られたことがあるんですよ」
 「ひょっとしてあの剣豪の宮本武蔵?ひゃー、ここはなんてとこなんだー……」(2001/09/02)

2001/09/03/ (月) 「対人地雷除去キャンペーン」募金をしていた子どもたち!

 昼の食事に出た帰途、駅前で子どもたちが黄色い声を上げていた。何だろうかと目を向けると、「対人地雷除去キャンペーン」に関する募金集めである。通り過ぎそうな足をとどめ、小銭を募金カンに投じた。わずかな募金に、「ありがとうございまーす!」と四、五人全員から挨拶されてしまった。

 以前から「対人地雷除去」については関心を持っていた。軍事用武器というのはいずれにしても反人道的なものであるが、対人地雷はとりわけその卑劣極まりない発想においてワースト1だと思っている。
 敵兵を殺戮せず、重大な負傷をさせることで敵の看護陣に負荷をかけ、また敵に不安と恐怖を煽る狙いがあると聞いたことがある。敵の戦闘意欲を消沈させるのに最もコストのかからない武器なのだそうである。だから、世界各地の局地戦で頻繁に使用されたために、戦火を耐え忍んだ国民の日常生活を脅かす多大な負の遺産が残されたそうなのである。 何十年だったか100年だったかにもわたる危険な回収、除去作業が待ち望まれているそうである。加えて、対人地雷製造阻止の運動も急務であるそうだ。「死の商人」たちの糾弾もしなければならないだろう。

 現在、エコロジー問題の領域では、電気機器はメーカーが責任をもって回収する方向にあるとも聞くが、対人地雷についてもこの方向を適用してはどうだろうか。対人地雷を紛争国に売り込んだ「死の商人」達には、戦争終結後、どっちの国が勝っても負けても地中に埋め込まれたすべての地雷を速やかに回収させる義務を負わせるのである。ドサクサにまぎれて儲けることを絶対に許さない国際世論を形成してゆくべきだと思う。(端ゼニを募金して、こんなに言いたいことばかり言っていてはあの子どもたちに笑われるかな?)

 それにしても、もはや何事につけ「まあいいか……」では済まさせない市民感情と市民の姿勢が要請されているのだと思う。ここまで国の経済をガタガタにさせられ、その付けを経済弱者に振り向ける者たちの牛耳る国では、「まあいいか……」なんて寛容ぶることは御法度!なのである。責任ある者に、きっちりと責任を果たさせていく几帳面さがこの国の再生のための第一歩であるに違いない。

 人で無しの大人たちが始めた戦争で、子どもたちも死傷し、その後始末においても子どもたちが努力するといった、大変大変素晴らしい世界になってしまったもんだなあ……(2001/09/03)

2001/09/04/ (火) ハイテク企業の大リストラと『ユニクロ』人事戦略!

 先日、ほとんど同業であるソフト・ハード開発業の社長と話していて、なるほど、と思うような話題が飛び出してきた。
 大手メーカーをいわゆるリストラで退職した技術者を自社に採用し、新企画の中心メンバーとして現在活躍してもらっているという。これに関連する後日談が興味深いのだが、これらの事態を当の大手メーカーの開発責任者が知り、「何でそんな良い人材を手放したのか?」と臍(ほぞ)をかみ悔やんでいたという話なのだ。

 長引く経営不振の中で人事管理どころではなくなり始めた大手メーカーの杜撰さということになるのだろうか。もともと、早期退職制度などを含むリストラは、良質の人材を残し、そうではない人材のみを排出したいというご都合に沿うとは限らないもののようである。むしろ、優秀な能力を持ちながら会社方針の中で窮屈な思いをしてきたやる気のある人材が、「この際、ひとつ……」とばかりに飛び出すことも多いと聞く。

 数字だけは、何とか帳尻が合っても、その後に問題なしとはしない後遺症が大きいのがリストラのように思える。まして、わが国のように終身雇用を大原則としてきた環境では社内に残る影響はことのほか大きいと言わざるを得ないだろう。戦々恐々としたムードの中で、他社員が担当していたため要領を得ない業務も加わるし、後ろ向き業務だけでは済まず前向きの挑戦的な業務展開も図らなければならないだろう。うまく、意識改革と連動してゆけばよいが、それをしくじると長年の人事の努力も形骸化し、全社の潜在力が一気に停滞してゆくことにもなりかねない。

 IT,ITと新技術を追っかけることに忙しくなり過ぎ、技術は人なり!を軽視した風潮が久しく続いてしまったのかもしれない。確かに、90年代半ばから矢継ぎ早に登場し続けた新技術の激流は、技術者たちの作業環境をガラガラと変えていった。人事の根幹である評価自体を予想以上に困難にもさせた。従来型の人事制度がうまくゆかないだけでなく、かたち優先で持ち込まれた実力主義、能力主義指向の人事制度も、効を奏さず結局元へ戻した企業もあると聞く。

 技術は技術者という人間と不可分のかたちで存在するという認識を採り続けてきたのだが、今、大手ハイテク企業さえもが浮き足立ったアクションをとるのを目の前にすると、わが国のIT戦略推進など到底無理だと思えてくる。ITのインフラや資金は、右から左へと調達可能な資源ではある。しかし推進力たる技術者の力量アップ、成熟には時間と適切な配慮(制度)が不可欠なのである。昨今の、技術ではなく技能偏重的な一般的風潮と相俟って、わが国のハイテク技術は、ハイエンド(先端)も、裾野もともに貧しい水準へとずり落ちてゆくように見える。「構造改革」「構造改革」と叫ばれながら、行く先と思しきIT主導の経済ビジョンモドキもにわかに萎みつつある今、もはや小手先で通用するものは現代には何もない!と知るべきか。

 人事コンサルタントを長年務めてきている知人から、不況知らずのあの『ユニクロ』の経営の舞台裏に、徹底した実力主義の人事政策があるという資料が届いた。一見華やかな技術推移に目を奪われ、人という本源的な存在を軽んじてきたかに見えるIT関連、ハイテク企業の子どもっぽさに対し、プロのしたたかさをどっしりと感じさせられた……(2001/09/04)

2001/09/05/ (水) 欧米の壮絶な経済活動の背後には精神的支柱が?

 パソコンメーカーのコンパックが、同業のヒューレッド・パッカード(HP)に買収されたそうだ。これで、PC、サーバー業界は、同社とデル、IBMなどの生き残り組みが席巻する環境になる。これでコンパックの社名は消滅するのだろうが、個人的には、コンパックのPCは悪くなかったという印象を持っている。機能・実質本位の風格があった。
 HPについては、日本の横河ヒューレッド・パッカード社とお仕事をしたことがあったが、そこの部長曰く、「社員旅行の際、旅館側がうちの社名を間違えたのには参ったよ。『横山ヒットパレード御一行様』と案内板が出ていたもんね」という、どうでもよい話を思い出した。

 経済のグローバリズムは、合併などによってますます企業を巨大化させる方向を辿るのだろうか。もちろんねらいは、パーフェクトなコスト・ダウンとシェア拡大にある。そして、言うまでもなく効果的、効率的な利益確保である。この凄まじさはいろいろなことを考えさせる。

 先ず、この壮絶な国際土俵に既に上がっている日本企業と日本経済が、現状の体たらくではただただ牛耳られるだけではないかという危惧である。現代資本主義は、近代の合理性追求の延長で飛躍したのだが、日本の場合、その経済に「前近代的」な非合理性を未だに山積みさせているからである。官民両面で、非合理的で、不透明な経済行為を野放しにしてきた付けが、「構造改革」という課題に今収斂しているわけである。

 欧米の経済活動の大胆さ、シャープさを目の前にする時、やはりわが国と精神構造が異なるのではないかと思ってしまうのだ。ゴーン氏(日産)の信念で固めた徹底的な改革行動!ちなみに彼は、熱心なカトリック信者だそうだ。
 欧米人たちは、経済活動の面と、個人が生きるという面の両面をしっかりと持っているように見える。そして、後者は程度の差こそあれ宗教、神に依拠しているように感じられる。むしろ、そこから信念が生まれ、神に祝福されているからのごとくの大胆で、強烈な経済的アクションが推進されるのであろうか。

 資本主義のルーツの話で言えば、キリスト教はプロテスタンティズムの倫理が、資本主義経済活動の精神的支柱となったこと(マックスウェーバー)はよく知られている。いまさらという気がしないでもないのだが、経済をはじめとして時代が過酷になればなるほど、この精神的支柱の存在がどうも気になるのである。多分、日本文化の右傾化を図ろうとしている連中の良質な部分の不安も実はそこにあると推測する。

 日本人は今、いやこの経済大国化の道を歩む過程で、とてつもなくムリをして来たように見える。何を精神的な支えにして、それ自体が目的とはなり得ない貨幣を追求してきたのだろうか?マザーレス・チャイルドのような空白感の精神状況でありながら、自分をごまかしごまかしやってきたのかもしれない……(2001/09/05)

2001/09/06/ (木) 魂の「癒し」が緊急課題化する現代!

 まだまだ残暑が続くのであろう。しかし、ここしばらく朝晩の空気が初秋らしくなってきたようだ。夜半に鳴く虫の音も一段とにぎやかになってきた。たぶん山間(やまあい)では、条件抜きの初秋が訪れているのだろう。夕闇の帰途、甘い金木犀の香が多くの疲れた人々をつかの間に癒すのももうすぐのことなのだろう。
 さまざまな不安材料が満載の現在、秋の訪れはなぜかほっとするとともに、寂しい気分になり過ぎはしないかと、これまた不安にならないではないが。

 いつも思うことだが、観葉植物にも水性肥料というものがあり、猫にはまたたびがあり、犬には骨があり、それぞれに元気になるクスリのようなものがある。人にも、肉体的疲労にはさまざまなドリンク剤が用意されている。また、ストレス解消に功を奏するとされるもの、これは過剰なほどに出回ってもいる。ただし、魂(たましい)の疲れ(?)や、魂の寂寥感にじわーっと効くものが少ない。今、最も求められているものはこうしたものではないのだろうか?

 いつの間にか「癒し(いやし)系」なになにというカルチャーのジャンルが市民権を得た風潮があるのもこうした傾向を表しているのかもしれない。延々と野鳥の鳴き声や、せせらぎの音を収録したテープやCDなどがこれであり、「オカリナ」や「ひちりき」のような人のぬくもりを感じさせる楽器による演奏もこの範疇とされている。
 たぶんレンタルビデオ、CDのショップに行けば、「癒し系コーナー」なるものが用意されているのかもしれない。ただ、そういうコーナーで立ち止まるのは、いかにも「わたしは魂を癒されたいのです……」と告白しているようなものだから、パスされる可能性がないではないだろう。
 また、何が「癒し系」なのか判別するのはそれなりに洞察力を要するのではないか。若いアルバイトの兄ちゃん、ネェちゃんでは難しいかもしれない。
「店長!これって『癒し系』になるんスかね?」
「いや、そのバヤイは、むしろ『アニマル系』の方が分かりやすいかもね」
などと、手にしたビデオ『小熊物語』をめぐる仕分け論議が想像されたりする。

 何が「癒し」の特効薬なのかは、学者先生をはじめとした識者諸氏につまびらかな議論をしていただくとしても、この問題がいよいよ国民的イシュー(争点、課題)となり始めているのではないかと懸念したりするのである。もはや関西系のお笑いも、過激に殺伐となり切った現状にはどうも効き目がないと察知され始めたし、五木寛之のベストセラー『大河の一滴』が映画化もされたし、宮沢賢治が見直されてもいるようだし(なんだかよく分からない理屈をならべているが……)、刻一刻と「癒し」問題が、経済の「構造改革」問題と肩を並べる比重を持ち始めている!との声も聞こえないわけではないようなそんな気がする。

 しかし、いくら「癒し系」の商品にがんばってもらっても、
「あれって、気持ちがスーと落ち着いて、夜もグッスリ眠れるわヨ!」
といった、針灸マッサージと異ならないレベルでの受けとめ方がメジャーだとすれば、高をくくる「癒し系」の商品が氾濫するし、本当に魂が癒されたい人々に絶望が広がるだけに終わるのがオチかもしれない。
 「魂」といえば、心霊現象だの心霊写真だのとバカをいうのが一般化している現状では、たぶん「魂の寂寥感」なんて口が裂けても言うべきではないんでしょうかね……(2001/09/06)

2001/09/07/ (金) 「感動」の少なき時代に考えること!

 「感動する」ことが少ない環境になったように思います。
 「一日一善」(ダイエットのためのゴハン「一日一膳」じゃありません、念のため。)ということばがありますが、さしずめ「一日一感」(一日一本の燗酒を飲み〜♪でもありません、念のため。)とも言うべきかたちで、その日その日に小さなものでも「感動する」ことがあったらどんなに健全な毎日が過ごせるものかと、切望してしまいます。

 朝に迎える「感動」は、一日中を「今日も元気だタバコがうまい!」の比ではないエネルギッシュなものにしてくれるでしょう。昼時に迎える「感動」は、仕事した振りして眠る姿勢のムリ、苦痛から解放してくれるでしょう。夕刻に迎える「感動」は、赤提灯に寄り道して悪酔いすることになる誘惑を見事撃退し、ハツラツと帰宅する明るさを与えてくれるでしょう。
 てな具合に、肉体疲労とストレスの最強コンビネーションにがんじがらめとなっている者にとっては、「癒し」以前に、とにかく先ず「感動」が先なのです。「先ず、ビール!」というあの順序感覚とまったく同様だと言ってもよいでしょう。

 しかし、感動しにくい時代となりました。残念ながら、感動しがたい環境となりました。なのに、なぜそんなことばが「死語」にならないのかと不思議に思い検討してみました。実は、それは、週末の新聞広告、そう新着映画の広告で定期的に拡大文字で使われていたからなのです。
「主人公の運命に『感動』しました。泣きました。○山×子 22歳」
「こんな人生があったのかと、眼の覚める『感動』に襲われた。□川△夫 42歳」
「『感動』の嵐が、わたしを息苦しくさせました。@島$美 18歳」
とまあ、試写会の映画館では、流通コントロールされ一般市場には出回りにくくなっている「感動」なるものが、一気に大放出されていたのです。死語どころか、キーワードとして活用されていたのです。

 冗談はさて置き、さらにきつい冗談になりますが、われわれはこころで感動するのではなく、目で感動するように成り下がってしまったのではないんでしょうか。素晴らしい行為に感動するのではなく、素晴らしい行為をするケビン・コスナーなるいい男を見て感動するというように、です。だから、日常生活の平凡な外見の人間たちがどんなに感動的な行動をとったとしても、ケビン・コスナーのようなカッコイイ者がしたのではないから感動には至らないわけなのです。

 きつい冗談もさて置き、感動とはもちろん単に泣けることなんかじゃない。いや、そういうのがあってもよい。しかし、強烈な感動とは、その人の考え方、感じ方、生き方が畳み込まれた地平、しかもそこはたいてい薄暗いそんな地平、そこに、突如として差す陽の光のようなものだと思う。よくぞこんなところを照らし出してくれたという喜びであり、対象への感謝である。
 そんな難しいものは、まずないワ!と言われそうであるが、さらに言えば、感動とは与えられるものであるとともに、感動する「能力」の問題でもあるのではないだろうか。尾っぽをふって喜びはしても、感動にむせぶ犬の話を聞いたことがないように、感動できるためには、受信機やセンサーなどの感受性に磨きをかけておく必要が十分ありそうだと思ったりする。時代だ、環境だと外のせいばかりにしていてはいけないのかも……(2001/09/07)

2001/09/08/ (土) 本当に必要な能力の「能力主義」を推進したい!

 昨日は、感動するためには「能力」が必要なのだと書いた。
 さて、あの人は人情が厚いタチだとか、性格だとかいう表現はよく聞くところである。また、あの人は優しいタイプなのよ!という言い方もよく耳にしたりする。しかし、あたかも親からDNAで受け継いだ生得的なもののように、人情だとか、優しさだとかを扱うことは妥当なのであろうか。
 確かに、親子が揃って情に厚いという場合も少なくないので、性格の問題に帰着するかのような印象が与えられたりする。気質的に共通性があることは否定できない事実であろうが、むしろ、親のこころ細やかな言動を、子どもが子どもなりに積極的に学びとったことにより、その子どもは親と同様の人情家となるというのが真実の実態なのではないのだろうか。

 こう考えると、その子どもが人情に厚いという特質は、生得的な性格などと言って流してしまうより、獲得された「能力」なのだと言ってみたい気がするのである。その人なりの並々ならぬ努力によって人情家なる人格を形成したのだと言ってみたいのである。
 というのも、世知辛い現代では、人情家を通すのは、常識的となった打算づくを排除するだけでも大変な意志の力を要することが十分想像されるからなのである。

 なぜ、こんなことにこだわるのか?
 人は、理数的な才能や、スポーツ、芸術、さらには経営などの才能などを、当人の努力によって獲得された「能力」と認定することには躊躇しない。それらは、職業的なスペシャリティ(=商品価値!)に直結している大義名分があるからそうしやすいのであろうか。

 にもかかわらず、人と人との関係に関わる本来重要度の高い力である感受性、共感、同情、さらに人が生きていく上で基礎力となる喜ぶこと、悲しむこと、怒ること、そして感動することなど当たり前の力だが重要な力に、「能力」という市民権を与えたがらないように見受けられるのがどうも腑に落ちないのである。

 むしろ、現代に生じているさまざまな問題は、大なり小なりこのような力が貧弱となってしまったが故という側面があるようにさえ思えないだろうか?かつてとは異なった青少年問題にせよ、また理解不能に近くなった犯罪にせよ、こうした以前の人間なら自然に備えていたかもしれぬ力が希薄となった時点で発生しているように観察されないであろうか?

 集団や社会の問題、教育の問題など複雑な背景が想定されるのだが、少なくとも言えることは、これらの人間的な力は、現代にあってはその個人が意図的に、意志を以って創り上げていかなければ発揮できる力ではないということ、その意味でりっぱな獲得的な「能力」なのだということである。
 他人の痛みを痛むことができる能力、他人の苦しみを苦しむことができる能力、他人の悲しみを悲しむことができる能力、そして他人の喜びを喜ぶことができる能力、これらは今、人々からほとんど失われつつある能力であり、残念ながらこの傾向を助長するシステムのみが自己増殖しているのが現代の特徴ではないのだろうか。(2001/09/08)

2001/09/09/ (日) <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (4)

 「和尚さま、本日は保兵衛さんを案内しがてら薪集めをして参ります」
 「おお、それがよかろう。境内は広いからのう。また、何かと用を頼まねばならぬこともあろうから、品川宿や海岸も検分してもらっておくことじゃ。おお、おお、保兵衛さんも、すっかり禅僧におなりになったものじゃ」
 沢庵和尚の前で、二人は白装束と黒袈裟に身をかため、頭には笠を、背中には背負子(しょいこ)を背負い、背丈には不釣合いな長い錫杖(しゃくじょう)を手にして立っていた。
 日頃はどちらかといえば厳しい面持ちを崩さぬ和尚であったが、かわいい禅僧二人を目の前にすると、しわになった目元が思わず緩むのであった。
 「和尚さま、本日は昼餉として握り飯をこさえさせていただきましたので、戻りは夕刻にしとうございますがよろしゅうございますか?」
 「よかろう、よかろう。気配りしてゆくのじゃぞ」
 「では、行って参ります」

 二人は、先ずは目黒川沿いに海岸に出て、品川海岸と品川宿を検分することにしていた。そして、薪集めは、寺への帰途、うっそうとした広い境内を通りながら果たす段取りなのであった。
 たぶん海念も同様であっただろうが、保兵衛などはすっかり遠足気分である。まだ、薪を載せていない背負子には、海念が炊いた麦飯の握りの包みの重さだけがあった。
 保兵衛は、三百年以上も前の品川を目の前にできる期待感ではちきれそうになっていた。自分が住んでいる北品川の八つ山下などは海の下なんだろうな。たぶん、旧街道の坂下すぐに海が迫っているはずだ。そうだ、台場小学校のある地域も海のはずなんだ。そもそも、幕末に台場が造られたのはこの後二百年も経過してのことだったはずだから……。それじゃ、何にも無いのだろうか?

 「保兵衛さん、その下が目黒川です」
 海念は足取りを止め、振り向いて言った。錫杖の扱いが規則正しい海念は、足運びも軽やかであった。急ぎ足で追うことになった保兵衛に二、三歩の開きをつくっていたのだった。
 「海念さんは足が速いね」
 「そうですか?兄弟子などはもっとずっと速いんですよ」
 追いついた保兵衛の視界に、松ノ木越しにまさしく美しい清流と呼べる目黒川が目に入った。
 「あれっ、あの小船は何でしょう?」
 海念が指さす方向に目を向けた保兵衛は、一瞬ドキッとした。自分が「現代」からやってきたあの伝馬舟であった。
 『実は……』
と、海念だけには打ち明けておいた方がいいと考えた保兵衛であった。が、
 「ああ、そうですね。保兵衛さんが品川の沖の船から乗って来られたものでしたね。保兵衛さんは、海路遠方から来られたと和尚さまがおっしゃっておられましたよね。そうですよね」
 察しがよく、屈託のない海念のことばに救われた保兵衛は、黙って頷いていた。
 「舫い綱をもっとしっかりと結んでおきましょう」
 海念は小走りで川岸に近づき、舫い綱を引く。伝馬舟がズズッーと砂利の岸へ乗り上げる。緩んだ綱を松の幹に回し、見るからにしっかりとした結びを手際よく仕上げてしまった。
 「ありがとう。しかし、海念さんはすごいもんだね」
 「実は……」
と、海念の方が身の上を明かし始めたのだった。海念は、この品川の漁師の家の子であった。さらに幼いころには、漁師の父親の手伝いをよくしたという。しかし、七歳の頃、嵐の日に父が漁から戻らず、そのまま母と妹との三人暮らしになってしまった。父の兄弟の漁を手伝い続けていたある日、品川宿で宿をとっていた浪人が幼いながら利発な海念を認めたという。その浪人は誰あろう浪々中の宮本武蔵だったそうだ。そして、武蔵がかつて自分自身が子どもの頃世話になった沢庵和尚に紹介したのだという。
 剣の道を極めつつも、孤独な幼少時に思いが残り続けた武蔵は、海念の才が埋もれることを惜しく思ったのであろう。武蔵はその後、江戸に上る毎に東海寺に立ち寄り、年老いてゆく沢庵和尚の身体と、海念の健やかな成長を見守ったと言われている。

 「そうだったのかあ。どうりで頭が良さそうな子だなあって思ったんだ。宮本武蔵に認められるくらいなんだもんね」
 二人は、しばし川岸の岩に腰掛けて話していた。目黒川の川面は優しい秋の陽の午前の光を反射させ、さらさらと静かに流れていた。とその時、
 「保兵衛さんのお国はどちらなんですか?」
と、海念の関心が保兵衛に向けられたのだった。今度こそしかたなく、
 『実は……』
と、ことばが口に出かかった。が、その時川岸に乗り上げ傾いた伝馬船の隅に転がっているものが急に目に入った。あの日、伝馬舟に持ち込んだ「けんだま」であった。学校への持ち込みは禁止されたばかりであったが、それほどに流行っていた遊びなのであった。ふいに、これを海念にプレゼントしようと保兵衛は思いついたのだった。
 「ふるさとの話はまた別な機会にするとして、海念さんにあげたいものがあるんです」
保兵衛は、舟に近寄り「けんだま」を取り上げた。
 「それは何ですか?」
 「これは、ぼくのふるさとの玩具なんです。こうやってね、ホイホイホイッ、ホイホイホイッ」
 「ヘエッー、おもしろそうですねぇー。これをわたしに?」
はじめて海念は子どもっぽい顔、いたずらっぽく光る目つきになっていたのだった。(2001/09/09)

2001/09/10/ (月) こんなにうるさい客の眼もあるご時世なんですぜ!

 地上で、人の眼にさらされる「能力」という植物の姿には、地中に根ざす地味な「努力」という根が隠されている、という気がしてならない。腰の据わらない者を称して「根無し草」とはよく言ったもので、これとは逆に自分を生かす場をここぞと定めた者は、地中にぐいぐいと根を生やし、みずから移動する可能性を閉ざしながら、その場での活力を地中からどんどん吸い上げてゆく。

 ちょっとした気分転換になるかと思い、遅れた夏休みをとり北海道へパック旅行をしてみた。沖縄へは十回以上訪れたものの、津軽海峡の北は初めてであったので、三日間バスで運ばれっ放しというパックを選んでしまったのだ。北海道らしい広大な風景に接することはできたものの、さすがに疲れた。後半は、観光旅行というより、敢行セミナーといった気持ちになり、何ら必要のない使命感みたいな気分までが頭をもたげてくるありさまであった。

 二泊三日は、ちょうど以前に長く講師を担当していた管理職向け意識改革合宿セミナーと同じスケジュールでもあったため、悲しい職業感覚を蘇らせてしまったのだった。
 たいくつに任せて、バス・ガイドさんと、添乗員の「品定め?」を始めたりしていたのだった。
 バス・ガイドさんは三十過ぎ、三十半ばであっただろうか。はじめはゆったりとし過ぎた、特殊なイントネーションが気になり、やれやれ三日間が苦痛かもしれないなと聞き流していたのだった。が、やがて丸暗記とはいえその博識ぶりに気がついた。俳優が台詞を覚えるように、落語家が話を飲み込むようにかなりの練習があったのだろうなと十分想像させた。
 さらに、年代や数字、まぎらわしい名称の記憶以外に、ニュースに類する社会的出来事を、さりげなく取り混ぜたりする話ぶりに気がついた。とりわけ、年配のおばさん方々を意識してのことかテレビ番組、芸能ジャンルなどのエピソードもうまく取り入れていた。自分自身の体験、感想も、もう一歩踏み出せばうるさく聞こえるぎりぎりのラインまで上手に主張していた。
 ウームこれは、ベテランの域と見なして差し支えあるまいと思わされてしまったのだ。すると、今度は、どんな下準備を私生活の時間をつぶして遂行しているのだろうか、とか、こういう職業とそのための努力を惜しまない人というのはどんな性格であり、何を目標にしているのだろうか、とかを、どこまでもその姿が隠れない十勝連峰をボンヤリ見つめながら考えたりしていたのだった。

 かたや、添乗員のお兄ちゃんは、ガイドさんの迫力に押されハンディを背負ってしまったこともないとは言えないが、就業四ヶ月とはいうもののお粗末さまであった。客のわたしですら持つ必要のない使命感もどきを手にしたというに、こういった気迫が感じられないのがさみしかった。どうも勉強不足というより、職業に対する高の括り方や生活に問題がありそうな気配すら感じさせた。もし、これを聞いたら、そのお兄ちゃんは、「見ず知らずのあなたにそこまで言われたくはない!」と開き直るに違いない、そんなふうなのである。

 旅行に出てまで、人材品定めに走るわが身の疲れぶりに涙が出るが、それにしてもこれからの時代は、職業というものも顧客の鋭い評価眼にさらされ能天気ではいられない厳しさが伴うようになるのだろう。拘束時間だけが勤務時間だと思ってしまう半端な職業人は何に遭遇すればことの道理に気がつくのだろうか……(2001/09/10)

2001/09/11/ (火) デフレ傾向で、危惧するもう一面の問題!

 こんなにデフレ傾向が強まっても、ブランド志向の衰えは見受けられないそうだ。
 ブランド志向はともかくとしても、本当に良いモノに対して相応の対価で報いるスタンスは重要なことだと思っている。
 せっかく高度経済成長の時期で、「安かろう悪かろう!」に甘んじる水準を脱却したかもしれない日本人が、ここへ来て再び「質」よりも、安くて「量」のあるものに先祖返りするのはいただけない気がする。贅沢であれと言うのではない。培い始めた「質」的なセンスを、デフレ傾向に紛れこむ商品の質を第二義とするかもしれぬ低価格路線で失ってはならないと思うだけだ。

 欧米人と日本人の消費傾向の違いで指摘されてきた点のひとつに、欧米人は所得が下がっても購買商品のランクを下げることはしないそうなのだ。その理由は、社会的階層/クラスの自意識が強く、購買商品のランクを下げることをプライドが許さないそうなのである。クルマも然り、列車などの乗り物も然り、その他諸々の対象にそうした意識が込められるのだと言う。
 これに対し、国民の大半が中間層を決め込んでいる日本人は、階層意識が希薄な分、その時その時の財布の都合自体が購入ランクを決定するとか言われている。きわめて合理的であるとも言えよう。

 これからますます注目される商品は、モノというより、サービスに類するものではないだろうか。介護サービスにしてからがそうであるし、ハイテク、IT関連のサービスを受けることもこれに当てはまるだろう。スペシャリティに裏付けられた人的、技術的サービスが生活で重みを持ってくる時代なのである。
 だが、これらのサービスの良否は、以外と判定が難しくないだろうか。製品を対象とするJIS規格やISOのようなものがどこまで適用可能なのだろうか。
 また、単なるモノではないのだから、劣悪な質のサービスに遭遇するとかなり不幸だということになろう。以前にも、老人を食い物にした老人ホームが話題になったことを思い出す。また、誰もが知っているハイテク商品購入後のアフター・サポートの「不親切さ!」も例として挙げられるかもしれない。

 これらのサービスの良し悪しは、ひとえにサービス提供者の質的向上、つまり教育や学習に掛かっているのではないだろうか。しかし、企業における教育機能の実態は、現在必ずしも良好な状態にあるとは考えられない。
 これまでの経済状況においては、わが国では終身雇用がベースとなり、比較的長期にわたる新人の集合教育などが一般的であり、まがいなりにも安定した教育体制が存在した。しかし、このリストラが敢行されている状況下では、さぞかし教育の合理化もなし崩し的に行われていると想像されるのである。また、いろいろな観点で、先輩のノウハウが後輩に伝承されるという教育の基本も危なくなっているのではないかと危惧される。

 本格的な企業間競争が、一定程度これらの問題を整序していくのだろうが、このデフレ傾向の中で、ただただ低価格であればありがたいという習性を、消費者も提供者も身につけてしまって、「サービスの質」から目が離れるならば、惨憺たる生活が広がるような恐れもあると懸念してしまうのである。

 われわれのソフトウェア開発業もサービス業である。本当に安心していただけるシステムを提供すべきだと考えている。しかし、低価格路線の傾斜の中で、いわゆる「手抜き」に至るような地獄に遭遇しないことを念願している。そのためには、ますますの技術習熟と洞察力の練磨が必須だと考えている。(2001/09/11)

2001/09/12/ (水) Oh,my God!Unbelievable!

 オーマイゴッド!アンビリーバブル!の表現がピッタリしてしまう現代だ。
 米国の同時多発テロ事件のことである。夜の最終テレビ・ニュースを見ていて、最初は、事故かもしれないなどと言われていたものが、コマーシャル・タイムが入り、最新情報が報じられる毎に、事件のアンビリーバブルさが姿を現し始めたといった急展開であった。ジグゾー・パズルか、ウェブのインターレース画像のように全貌が少しずつ判別可能になってゆくことへのもどかしさと、不謹慎ではあるが、バイオレンスものの新着ビデオなんか足元にも及ばない緊張感が高まった。

 いろいろ不鮮明な問題の残されている分、さまざまな憶測が成り立ってしまうのだが、はっきりしていることは、なぜ易々と同時に多数の大型航空機のハイジャックが成立してしまったのかという疑問である。犯人側の組織性や計画性や残忍さなどを形容することは要するに結果論であり、事実を見聞していれば誰だって分かる。
 そんな事態を防止する危機管理体制がなぜ米国にはなかったのか?新しい現象は、ハイジャックした航空機を特攻隊のごとく自爆的に対象へ衝突させたことであるが、そのきっかけたるハイジャックそれ自体は、テロ・グループの常套手段であり、防止の研究もやり尽くされていたのではなかったのか?
 同じ「ならず者国家」を想定して、「ミサイル防衛構想」なる高コストかつ御法度兵器(核)採用の危機管理を推進していながら、足元というか懐中というか内部空間の無防備さを曝け出している事実は、一体どう考えればよいのだろうか。

 昨今、「灯台下暗し」に当てはまってしまう社会現象が多過ぎるようだが、今回のテロは、「灯台下暗し」となりがちな現代の陥穽をズバリと突かれてしまった観がある。
 そして、現代の陥穽とは、現代「人」の陥穽であると言い添えたい。技術システムにせよ、そのデザインは人間の頭脳や心理によるのだから、結局問題は人間に帰着せざるを得ないのである。

 思うに、今回の航空機ハイジャック&自爆のテロ事件を許した最大の陥穽は、「自爆」にあったのであろう。米国のような文明国には、特攻隊のような存在が理解できず、思考の上でリアリティが伴わなかったのではないだろうか。ハイ・ジャック防止策も、「自爆」的犯人像がマークし切れず、たとえ犯人が航空機に侵入したとしても、「ネゴシエーション」手法などでリカバリーできるという前提思想があったのではないか。要するに、侵入には甘く、出口で逮捕という仕組みか。
 ここには、対人危機管理を練るに当たって、「自爆」などを選択するはずがない欧米人のみが想定されていたという限界が潜んでいたのではないか。さんざんイスラエルへの軍事支援などをして相手国を刺激しておきながら、相手国の宗教、文化、そして行動様式などの認識が徹底していなかったと思える節がある。もし、相手国への認識の深さがあったのなら、国内危機管理対策ももう少し緻密であっただろうし、そもそも「覚悟を決めた」ようなテロを誘発しなかったかもしれない。いわば、これもまた結果論には違いないのではある。

 それにしても、アンビリーバブル!な時代が進行しているのである。便利さなどプラス面における目を見張るアンビリーバブル!が生まれている一方、暗闇はますます暗黒となりマイナスのアンビリーバブル!現象も底を打つことなく深化しているのかもしれない。 国際問題も、対人関係も、最良の危機管理対策は、友好関係への努力であり、少なくとも「窮鼠猫を噛む!」という誰もが望まぬ事態を招いてしまう強引さを心して抑制することではないかと思ったりする……(2001/09/12)

2001/09/13/ (木) ハイテク環境と、人間の思考力、注意力、記憶力!

 今日は、クルマでの通勤途中で危ないクルマを三台も見た。ウィンカー操作無しで駐車状態から急に道路中央へ発進してきた二台のクルマと、後方確認無しでバックしてきたものが一台。注意不足、散漫としか思えなかった。
 ただでさえ、最近はドライバーがイライラしているような荒っぽい運転が気になっていた。景気が悪く、皆それぞれの苦しい立場でやりきれなさを抱え込んでいるのかと推測させられてきた。

 今、注意不足という現象に関心を向けてみるだけのことはあるかもしれないと感じている。人それぞれに、考え事が多くなっている現状、場合によっては健全な睡眠がとれなくなっているような悩み多き昨今、将来への不安で気だるくなっているような時、日頃の注意力もその姿勢もが崩れがちとなるのは容易に想像できることである。
 しかし、もうひとつ重要な問題が潜んではいないかと気になるのである。
 先日、これまた週刊誌の吊るし広告で恐縮だが、「若者たちの記憶力減退!」、その原因はハイテク機器への依存、というような見出しが目についた。ナルホド、ありそうなことだナと思わされたものである。

 人間の思考が決して頭脳のみで実現されるのではなく、身体全体の動きと密接な関係を持っていることは、いろいろと指摘されてきたところである。
 暗記をしなければならない時に、目で読むだけでなく、口を使って声を出し、それを耳で聞くといったことが効果的であり、さらに手振り身振りをつけるとさらに効果的であると。また、バスの車掌や、駅員が実践している、「ゼンポー、ヨーシ!コウホー、ヨーシ!」といった「指差し呼称」も、ボディ・アクションによる思考や注意力の強化なのである。

 ところが、最近の生活環境は、比較的小さなボディ・アクション、例えば手によるキーボード操作、場合によってはケータイとか、リモコン・スイッチの操作のように、片手の指先だけというケースも多くなってきた。しかも、これらの操作は、誤操作の「取り消し」と「やり直し」機能が準備されているためほとんど緊張感を伴わずに遂行されてしまうのだ。もともと、今日のハイテク機器は、身体の一部のようにほとんど無意識に操作できることをよしとしているのだから当然と言えば、当然のことである。が、そのため操作自体が記憶に残るとっかかりが、きわめて少ないと言えるのではないだろうか。

 苦痛とこれに伴う思考は、いやでも記憶に残ってしまうものである。しかし、ハイテク応用機器によって、苦痛が和らげられ、さらに思考もいろいろと親切機能によってサポートされてしまうと、思考本来のハイテンションは必要ではなくなってゆく。この環境に依存し、慣れてゆくと一体人間はどうなってゆくのかと懸念し続けてきたところへの、その週刊誌の見出しなのであった。こうしたハイテク環境が原因で、記憶力が減退しているのかどうかは定かではない。しかし、こうしたことはあながち当て推量とばかりは言えないのではなかろうか。

 米国の同時多発テロを許してしまった危機管理の陥穽のひとつが、ハイテク環境への依存にあったと言い切るには語弊を残すはずであろう。だが、全面的ハイテク環境は、必ずしも人間生活の安全を保障し切るものではなく、人間たちの柔軟な思考力、注意力を補強してゆくものだと考えるべきなのであろう。その意味では、どんな便利な環境になろうとも、それらに依存し切って人間の思考力、注意力が衰弱してしまうことを回避しなければならないと思う。どんなジャンルにせよ、現代に、もはや絶対的な「神話」はない!のだと思い定めるべきなのであろうか……(2001/09/13)

2001/09/14/ (金) パソコン&インターネットへの醒め始めた(?)傾向に異議申し立て!

 株価に表れているITバブル崩壊の流れであろうか、一般的にITへの関心が薄れ始めているようにも見える。もともと、内実も掌握せず「興味本位」の一部マスコミは、ITのネガティブ・キャンペーンを始めているし、一般庶民も「それみたことか!」のような反応を示したりもしている。
 今年1月から各地方自治体が住民向けに展開している無料のパソコン教室「IT講習会」で、募集定員に対する受講希望者数が減少し始め、定員割れするケースまで生じているとかである。中途半端な講習内容や指導体制にも問題があると思われるが、住民とて、いくらかゆとりもあったもっと早い時期ならいざ知らず、明日をどうするといった切羽詰った現時点で、不慣れなものをじっくりと勉強するといった気分でもないというのが実感なのではないだろうか。いかにも政府系の対策にありがちな、おざなりなイベントだとしか言いようがなかろう。

 景気回復対策といった目先の動機で提起された「IT革命」なるものに関しては、まだ人々が大きな期待を込めていた当時から問題を感じていた。しかし、人々の関心がここまで手のひらを返すように過小評価ないし醒めた視線へと移行すると、今度はそれでいいんですか?という気分になってくる。
 内実を吟味することもなく、持ち上げてみたり、見放してみたりという、例のごとくの日本人の熱しやすく醒めやすい傾向は、そろそろ止めるべきだと思うわけである。これは、庶民だけではなく、政府やマスコミにも当てはまる情けなさだと見える。

 破格の少子高齢化という未曾有な人口構造へ突入するわが国ほど、その問題解決の一端をITというハイパーツールにも求めなければならないはずではなかったのか。もっとも、「IT」が着目された時から、B to Bだの、B to Cだのと私的企業のビジネス的活用にばかり関心が寄せられ、ITによる社会環境基盤整備などは軽視されていたものだった。
 公共的領域、例えば環境問題、廃棄物処理、交通事故や渋滞、通勤地獄、地震対策など、そして医療・看護領域、教育的領域、さらに精神的文化の充実など、現在のITが応用されなければならない、あるいは大きな活用可能性のある対象は無数にあるのだ。

 ITは、言うまでもなくツール=道具である。もともと、道具が一人歩きして金儲けするわけでもないし、景気刺激するわけでもないのだ。個々人の場合にしても、PC&Net自体が自動的に便利と快適さを自己追求するわけではないのである。活用する目的や構想が豊かであってこそ、優れた道具はその存在価値、頭角を露わにするのである。
 経済効果にしても、土台ネット・ショッピングだけで牽引していこうとする安直さと発想の貧困さが然るべき結果をもたらすのである。しかも、米国で下り坂になり始めた時期に、柳の下の同じドジョウを追っかける恥ずかしさである。

 ITの道具としての潜在力は無限に近いと思われる。問題は、これを活用する人間側のビジョン構成力の頭打ち、貧困以外の何ものでもないのだ。個人にしても、「PCはホントにシゴトに役立つか?」なんて寝ぼけたことを言っている暇があるなら、自分はシゴトする意欲があるのかをこそ問い直すべきである。知恵不足の責任まで、昨今心成しか肩身の狭い顔つきに見えるパソコンに押しつけるのは、八つ当たりというものである!!(2001/09/14)

2001/09/15/ (土) 目標さえも見失った時代は、目的の再構築しかない!

 これまで日本の企業やサラリーマンは、売上「目標」にはじまるさまざまな年次「目標」や期間「目標」に誘導され活動してきた。「目標」達成に向けマネージメントする「目標管理」という手法が常識であったくらいである。
 個人生活にあっても、前向きの人々には何がしかの年間「目標」なりがあって生活をコントロールしていたかもしれない。
 「目標」とは、個人や組織がその都度ゼロから考え始めて、そして判断するといった意思決定のフル工程を経ずに、当面のパワー投入対象、水準を分かりやすく事前に定めたものと言えるだろう。要するに当面の行動指針である。

 安定した環境にあっては、この「目標」なるものは、個人や組織の行動力の牽引役を果たしてきた。しかし、いろいろな存在の「構造」そのものが変動したり、変革されたりする環境では、「目標」というものが、あって無きがごとく形骸化したり、何か空しいものとなりがちとなる。やたら「下方修正」といった変更を余儀なくされたりする事態がよい例である。

 もともと「目標」とは、「目的」という最高、最終のねらい、標的が定められた上で、そこに到達するための里程標という意味で設定されるものであっただろう。ただ、目的は鮮明にこしたことはないのだが、たとえ不鮮明なイメージでも何とか「目標」設定することは不可能ではなかった。
 しかし、大きな環境変化で「目標」が頻繁に変更されたり、信頼性を失う事態が露わになる時は、問題は「目標」にあるのではなく、それらを導き出す「目的」自体の不確かさや誤りにあると言わざるを得ないのではないだろうか。

 愁眉の関心は、不況と構造改革の混乱にあるのだが、この問題にしてからが、「目的」(ビジョン)なるものが一貫してビジュアルな説得性を欠き続けているのである。トンネルを通過したらどんな新しい社会としてのわが国になるのか、そこではこれまでの生活と何がどのように異なっているのか。こうした「目的」イメージが国民レベルで合意されることなく、今、ダラダラとした成り行き任せ的に状況が推移させているかのように観測される。「構造改革」といって財政の圧縮を目論見ながら、デフレに手をこまねき不良債権額を自己増殖させ、日経平均一万円割れで何十兆円の実質損を発生させ、やっていることはてんでんばらばらでしかない!明確であることを留保しても、目的、すなわち戦略のかけらさえも窺えないのが情けない。

 結果的に、残酷なテロを未然防止できなかった米国にも新世紀を導く目的=戦略(役に立たない軍事戦略はあるかもしれないが)が希薄であることが露呈したと見える。さらに、軍事的報復に突き進み、局面をエスカレートさせるなら、新世紀のグローバル・リーダーたる資格をみずから放棄することになりかねないとさえ思える。

 恐竜のように巨大な身体と小さな頭を持つ存在に、もはや将来、未来を洞察して新しいビジョンを描いてゆく能力はなくなっているに違いないと思われる。小動物がどうできるのか、すべきなのかにわかにビジョンを描くことは困難ではある。ただ、相変わらず「寄らば大樹の陰」の垢にまみれようとしている人々が存在し続けるご時世、これを拒否する節操と心意気だけは持ちつづけたいと考えている。これを失う者に未来を語る資格はないと信じる故である。(2001/09/15)

2001/09/16/ (日) <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (5)

 海念と保兵衛は、目黒川の川岸を海岸方向へ下って歩みを進めた。
 ところが、保兵衛の顔つきは、川面のきらきらとする輝きを映してはいたが、なぜか沈んでいたのだった。こんなにも清く、さわやかで美しい流れが、どうして、自分が慣れ親しんできたあの魚の住めない目黒川になってしまったんだ!というやりきれない悲しさが込み上げてきていたのである。
 「保兵衛さん、どうしたんですか?悲しそうな感じです……」
 「いや、大丈夫。あんまりこの川がきれいなもんだから……」
 「そうですね、『川は人の心なり、海は人のふるさとなり。』です」
 「えっ、それは誰のことばなの?」
 「和尚さまの講話にあったのです。気に入ってるんです、このおことばを。海念という命名にも、その意味が込められていると信じているんです。だから、人々の苦しい心の流れを、寛く受け容れてゆけるそんな禅僧になれたらと願っています」
 「…………」
 「人の心は、この川のように激しく波立っているもんですよね。跳ねるようにうれしかったと思ったら、渦巻くように悩んでみたり……。だけど、きっと、こんなに透明で美しいものなんだと信じています」
 「…………」
 保兵衛は、息苦しい気分となった。「現代」の目黒川を思い起こしていたのだった。海念さんの言うとおりなら、現代の人々の心は、あんなにも汚れて暗く、不透明になっているんだ、自分だって同じに違いない、と、一瞬めまいがするような思いに打ちひしがれるのだった。

 ふたりは、街道を渡す小さな橋、境橋をくぐっていた。
 「この道が東海道の街道なんです。左手方向に、にぎやかな品川宿があります。さあ、もう海岸が近くなってきました。どうです、心地よい潮風が吹いてきますね」
 やがてふたりは、松林を通して真っ青な海原が見渡せる位置に立つ。
 「何て真っ青なんだろう!こんなにきれいな海は初めてだ!あっ、沖に大きな帆掛け舟が何艘も泊まっているね!」
 保兵衛は三百年以上も前の品川沖を眺望し、嬉々として感激するのだった。
 「今日はお天気も良いので特別にいい眺めですね。遠くの半島の姿もよく望めます」
 そのあたりから目黒川は、左手方向に大きくうねり始めていた。海岸に接している川の向こう岸は、青い海を背にして姿のよい松林が広がっている。長い年月の間にできた細長い州が、落ち着いて形成されたものだと想像させるのだった。

 波の音を耳にしながらふたりは明るい川岸を歩み進む。左手には、街道沿いに点在する宿場の建物の裏手が見える。たぶん、宿場とは言え、その閑散としたたたずまいにも保兵衛は意外さを感じていたに違いなかった。あの密集して華やかな北品川商店街に較べて、何とも質素に過ぎたからである。
 「あれっ、あの社みたいな建物はなんだろう?」
 保兵衛が指差す方向、川の対岸の州の先端には、何本かの松の木に囲まれた小さなお社が見えていた。
 「あれは、目黒川を護る『弁天社』なんです。和尚さまも大事にしておられます」
 あっ、と保兵衛は、その時ピンときたのだった。台場小学校の正門から旧街道へ向かう道の右手奥にあるあの『弁天様』に違いないと。確か名前は『利田(かがた)神社』とつけられていたが、みんなは『弁天様、弁天様』と呼んでいたのだった。きっと境内に『鯨塚』もあったあの『弁天様』に違いない!
 ドキドキと胸が高鳴ってくるのを抑えられない。すると、台場小学校がある『お台場』はあの州の向こう側に造られることになるんだ、そして、ぼくが住んでいる八つ山下は、ああ……あの明るい波間のあの辺くらいなのだろうか……、とキョロキョロ見回す保兵衛であった。
 だが、頭の中の「現代」の品川の姿と、眼前に広がる現実を、目まぐるしく比較している保兵衛に、突如言い知れない不安と恐怖が訪れるのだった。何をどう考えていいのか、何を信頼できるものとして考えればよいのか、そんなわけの分からない考えが頭の中に広がり、不安が渦巻いてしまったのである。タイム・トラベル酔いとでも言えるのだろうか。
 保兵衛にとっては、以前のお正月に、いたずらでお酒をぐい飲みした時に迎えた狼狽ぶりと似たような、そんなうろたえなのであった。目をつぶり、何度も何度も激しく頭を左右に振る。そして、とうとうしゃがみこんでしまうのである。
 「保兵衛さん、保兵衛さん、どうしました?大丈夫ですか?」
 海念はしゃがみ込む保兵衛の顔を両手ではさみ、覗き込んだ。尋常ではないものを感じ取ったのか、
 「保兵衛さん、立ってください。下腹に手をあてて、深呼吸しましょう。そう、いいですか、ゆっくり息を吐き出します。ぜーんぶです。そして、はい、ゆっくりと吸います。いいですか、ひとーつ、ふたーつ、ひとーつ、ふたーつ……」
 海念の言うままに深い呼吸を続ける保兵衛である。そしてようやく視線が定まる落ち着きを取り戻し始めるのだった。
 「どうしたっていうのでしょう?驚きました」
 「うん、急に気分が悪くなってしまったんだ。でも、たぶんもう大丈夫」
 「あっそうか、きっと空腹の仕業ですよ。そうだ、そうなんですよ。景色もいい場所ですから、さっそく昼餉にするとしましょうか。せっかくですから、あの橋を渡り、『弁天社』でいただくとしましょう」

 ふたりは社を参拝したあと、海を眺望する側の濡れ縁に向かう。
 背負子を降ろし、腰掛けた。背負子に括りつけていた包みには、朝餉の残りでこさえた麦飯のにぎりがふたつづつと「たくあん漬け」が二切れほどづつが収まっていた。竹筒の水筒もそれぞれが持ってきていた。
 海念のしぐさを真似て、握り飯に合掌したあとふたりは食べ始める。
 保兵衛は握り飯を左手にして、東の空を群れて飛ぶ鳥をぼんやり眺め、あれはかもめだろうか、がんだろうかと考えるふうではある。しかし、心は先ほどの混乱を思い返していたのであろう。一度は、この際楽しんでしまおうと楽観ぶってはみた。が、いざ、自分の見知った場所をこのようにまったく別様に見せられてしまい、その驚きを収拾できなかったに違いなかったのだ。
 と同時に、海念さんは何から何まで大した子だとも感じていたのだった。年や体つきは自分と同様なのに、まるで大人のようにしっかりしていて頼りになる子だと。
 保兵衛は、海念の方に顔を向け、視線があった時、思い切りにこっと笑うのだった。
 「どうしたんです?妙ですね」
 「いや、何でもない。いろいろとありがとう……」
 若い二、三本の松の木のすぐ下には、穏やかに波が打ち寄せている。その向こうには、うろこのようにきらきらと輝く海原が広がっている。

 と、その時ふいに海念は耳をそばだてる動作をした。素早く食べかけの握り飯を包みに戻す。社の境内の中央に三、四歩進み出る。そして街道の方向を、ただ事ならぬ顔つきで覗き込み始めていた。
 「保兵衛さん、ここでしばらく待っていてください!」
 海念は、さっと濡れ縁に立て掛けていた錫杖を手にする。そして、橋を駆け渡り、街道めがけて疾風のように走り去ってしまうのだった。(2001/09/16)

2001/09/17/ (月) テロの撲滅と長期に渡る戦争の勃発とが、なぜ直結するのか?

 相模原や厚木の基地からさほど遠くないこの近辺では、このニ、三日、気のせいか軍用機の飛来が激しくなっているようだ。
 米国の同時多発テロは、ほぼ5000人の犠牲者が出る模様で何とも痛ましいかぎりである。身内や知人が遭遇しなかったからよいというのではなく、民間人を無差別に、このように殺戮するテロは理由がどうであれ許されてはならないと思う。

 しかし、テロの撲滅と長期に渡ると言明された危険な戦争勃発とが、なぜ直結しなければならないのだろうか?そもそも、テロといった、ゲリラ戦以上に捉えどころのない対象を軍事力といったパワーのみで消滅させることが可能なのだろうか?すぐに思い出すのは、同じ米国が、ベトナム戦争において民族解放のために森林で神出鬼没のゲリラ戦術を展開した「ベトコン」に対して、ナパーム弾という非人道的兵器を駆使しても結局どうにもならなかった事態である。ゲリラ以上に、テロは戦闘と非戦闘の地域区分や、戦闘員と非戦闘員との区別を無視するところに残酷さと特殊性があるのではないのか。テロ撲滅のための軍事力発動が勝利するとは、そのプロセスで大量の民間人の巻き添えの死の山が同時に築かれることを意味すると考えるのは杞憂なのだろうか?長期に渡る戦争犠牲者の拡大を選ぶのではなく、同じく長期に渡っても、粘り強い紛争解決外交がなぜ選ばれないのであろうか?

 米国は現在、報復爆撃を正当化すべく、内外の支持を集めることに躍起となっている模様だ。自己の戦略を説明することもなく、支持を与えない勢力は、テロ集団と仲間だと見なす構えで、強引に指示を取り付けようとする姿は、またあることを思い起こさせる。
 1950年、米上院議員マッカーシーが、国務省の五七人を共産党員と演説し、「マッカーシー旋風」が始まった。 いわゆるレッド・パージ(赤狩り)であり、併せて注目すべきはこの年に朝鮮戦争が起きているのである。
 米国大統領は、米国のトップであるだけでなく、世界の平和の後見人ではなかったのか。テロの悲惨さを見つめるその目で、国際社会の今後の平和をじっくりと見つめなければならないはずだ。ところが、現大統領は、狩猟で、猟犬たちに獲物を追い詰めさせるハンターのようなイメージを平気で曝け出しているように見えてならない。森全体の平和を思量深く憂える、そんな重厚な責任者としての風格を備えて欲しいと願わざるを得ない。

 しかし、好戦的ムードが危な気に高まっている米国の中で、冷静さと良識を堅持する人物も存在するところが米国の懐の深いところなのであろうか。米下院で、民主党の女性議員が、武力行使の採択時に、420 票の賛成に対してたったひとりで反対票を投じたという。カリフォルニア州選出のバーバーラ・リー議員(55)だという。同議員は、ブッシュ政権が離脱宣言した地球温暖化防止の例の京都議定書に対しても、単独支持を表明していたという。何とも、生きた自由の女神のように受けとめられる。

 朝鮮戦争が、軍需好況をもたらしたことはよく知られている。しかもこの年の初め、低迷していた景気の中で、時の蔵相池田氏は「中小企業の倒産や自殺はやむをえない」趣旨の発言をし、国会で問題化していたのである。
 今回の「長期に渡る戦争」という表現に、軍需産業への刺激を早くも投資家たちの俊敏さは触手を伸ばしているそうな。
 また、軽々しい日本の首相は、武力行使への支持を先進諸国では真っ先に表明し、手もみの姿勢で御用伺いをしているそうな。米国は、反戦運動を呼び起こしたベトナム戦争で学んでいるので、「長期に渡る戦争」のすべてに自国兵を投入し続けるはずはなかろう。バトンタッチが最初から考慮されていると想像すべきである。どこへであろうか?

 テロ撲滅・抑止という大義名分を、武力行使、長期戦争勃発へと直結させては絶対にならないと思う。まして、そんな米国のスタンスを軽々しく「全面支持する」などと表明すべきではない。核ミサイル・トマホークを使用することがあったとしたら、わが国は、核兵器使用にも盲判を押したことになるじゃないですか。
 国際平和のためなのか、血の気の多い米国の国策なのかを冷静に判断する能力は、首相にとっての必須能力ではないのだろうか。(2001/09/17)

2001/09/18/ (火) 本当に大事なことは何なんだ?という素朴な問い!

 何故だか今日は、何かを書き出そうとする意欲が湧いてこないでいる。ことさら近辺にて特別なことが起きたというわけでもなく、幸いかどうかさし当たって平穏ではある。早朝の地震で起こされたからというのでもなさそうである。
 強いて言うなら、本当に大事なことは何なんだという積もり積もる心底の思いと、これとは異なった次元の、ただただ危機感のみを煽り立ててくる現実との収拾し難いほどのギャップに疲れたということだろうか。

 昨夜は、テレビニュースでニューヨークの株式取引再開後の株価の動向を、多くの経済人がそうしていたであっただろうように、心配気に見つめていた。米国は、テロに屈しない米国を強調するためにも、暴落を防がねばならぬ、と力み、グリーン・スパン議長は取引活性化に向けて破格の金利引き下げも行った。
 取引再開時からのマイナス幅が、マイナス200ドル、400ドル、600ドルと推移し、戻したかと思えば再び下げたりした。途中で見ることを止めた。何のために見ているのか、に対して納得できる答えが見つからなかったからである。

 株価の暴落阻止が、テロに屈しない米国を意味するのかどうかとか、米国の株式水準が日本の株式市場に少なからぬ影響を及ぼすのかどうかとか、あるいは世界同時不況の引き金になるのではないかとか、そんな数字への関心の持ち方はいろいろとあったに違いない。そして、われわれの経済活動や、生活にどう影響が及ぶのかを心配することもできるであろう。
 しかし、こうしたことに不安となったからといって、しかもリアルタイムで心配したからといってなにが始まるのかというバカバカしさを直感したのであった。さらに、まるで株式投資家たちの、愛国心だか損得勘定の計算行動が世界を支配している、そして自分の人生をも支配しているのかと感じさせられることが、いたたまれない腹立たしさを刺激してきたのだった。

 どうも、現在発生してきているマイナス現象のすべては、日本と言わず米国、世界と言わず、自分勝手に暴利を貪ってきた一部の者たちが、その時点ではわれわれ凡人を蚊帳の外に追い出していながら、いざ破綻したとたんにそのつけを全体に振り向けているといった不条理以外のなにものでもないと感じる。
 テロにしたって、パーフェクトな善人、国益を第二義にして国際平和に尽力してきたそんな米国に為されたわけではないと思える。さんざん国益重視で、他国の紛争に介入してきた過去が無かったかのように振舞うのはフェアじゃないと見えてしょうがない。
 わが国の不良債権にしてからが、庶民の真っ当な生活感覚が作り出したものなのだろうか?まともな経済感覚もなく、一部のただ貪欲な経済組織らが、さらにさらにと欲ボケした結果ではなかったのか。それが今現在、全国民を悲劇の坩堝に引きずり込んでいるのである。
 しかし、悪党たちのさまざまなやりたい放題のプロセスをチェックできなかったわれわれも、結局は加担者だと見なければならないのが辛い。

 ここへ来て多くの矛盾が示しているものは、どうも、単なるシステムのほころびなどではないのではなかろうか。現在の支配的文明自体が内包する必然的な限界が、悲鳴を上げ始めているのではないかという直感さえ、背筋を走るのである。
 パッチ・ワーク的な発想ではなく、本当に大事なことは何なんだという問いを、ひとりひとりが始めなければならない時代にさしかかっているのだろう。それでどうなる?という功利主義的な発想からも自由になって…………(2001/09/18)

2001/09/19/ (水) 人も歩けば、多くを考える?

 事務所までの徒歩五十分の距離を、クルマを使わずに今日は歩いた。日陰に入ると、汗をかいた身体に、風が心地よい。まだまだ陽射しは穏やかとは言いがたく、日陰のない直線道路には、その長さに閉口したりもする。
 四キロ程度の道のりではあるが、道を選べば郊外ならではの風情を味わいながら歩くこともできるのである。人さまの庭先の艶やかな花、植木も目を楽しませてくれるし、さほど広くはない畑地の野菜の緑も目によい。比較的多い街路樹も心を落ち着かせる。澄んでいる川ではないが、訪れている野鳥たちの無邪気さが気持を和ませてくれるのである。

 座して、頭の中を人工的に過ぎる情報のみで満たし続けることは、どう考えても異常なことだと再認識させられるのである。高度情報化社会になったからと言ったって、人間の身体の構造までが「高度情報化身体」バージョンにアップ・グレイドされたわけではないのである。脳と神経ばかりが、過度に緊張し、長時間稼動させられる一方で、そのほかの部署、足腰や肩、腕などは、この景気低迷よろしくほとんどシゴトらしいシゴトが命ぜられない窓際的放任のありさまである。さぞかし、そのやりがいの無さで落ち込んでいるに違いないのだ。「わたしたちが、いなくたって身体は存続する……」と自暴自棄の気分に打ちひしがれているに違いなかったであろう。
 そんな「自暴自棄」の気分に浸された足腰たちが、今日は汚名挽回、面目躍如を果たし、「やっぱりオーナーは、わたしたちを見捨ててはいなかった……」と感涙に咽んでいたのではないだろうか。(それほどの大袈裟なものでもないのだが。)

 「ホメオスターシス homeostasis 」(生物体の持つ体内諸器官が、気温や湿度などの外的環境の変化や肉体的変化に対し、ある範囲の均衡状態を保つこと。)ということばがある。ウィンドウズが持つシステムの自動修復機能なんぞおよびもしない、生物が保持している確かで忍耐強いシステムなのである。生物が何十万年もの営為努力を重ねてきた結果と言えよう。
 が、高々十年、二十年のこの期間に、こうした生物の基本機能に多大な負荷を掛け、壊れモノ寸前の状態に追い込んでいるのが、現代人の生活なのかもしれないと、ふと思ったりするのである。ここで、現代人の生活の悪癖をリストアップするのはみじめ過ぎるのでおくとして、人間も生物であり、動物なのだという動かしがたい事実をじっくりと噛みしめたい思いがするのだ。

 身体や身体の本来の感覚と一体となり統一がとれた意識、精神こそが信頼に足るものだと考えられる。生物としての基本構造からテイクオフ(離陸)できたかのように錯覚して、記号と情報が錯綜する世界のみにリアリティを感じ取ろうとする風潮に、わたしは全体重をかけてのめり込みたくはないと思っている。
 記号と情報による制御と称する企てがますますわれわれの生活を包囲することは、否定できない趨勢であろう。それが現代の支配的文明が、過去完了的に選んでしまった選択肢なのであるから。
 ただ、この文明が最良である保証はもちろん無いし、世界には、こうした文明以外の文明も存在している。
 個人が、文明の選択の前に立たされると考えることは、それだけでしり込みしてしまう重っ苦しさではある。しかし、きっとそれほどの転換点、折り返し地点に遭遇しているのが現代なのだと感じる。ゴミの分別収集がそこそこ進展したように、道理ある生活に焦点を合わせて行動するなら意外と難しく構えることもないのかと楽観視したりもするのではあるが……(2001/09/19)

2001/09/20/ (木) 大らかで、個性も豊かだった縄文人に夢を馳せる人々!

 縄文人への関心が高まっているそうだ。確かに、あるネット検索で「縄文遺跡」とキーワードを入力したら、軽く五百件以上がヒットしたものだ。なぜ関心があり、魅力があるのだろうか?
 NHKで放映中の『北条時宗』の原作者、高橋克彦氏が縄文人に関心を寄せていることは、同じNHKの藤原氏の史実を扱った『炎立つ』が話題にされた際に知った。
 高橋氏は、縄文人を弥生人との比較で、要するに個性豊かな個人たちが共同体を形成していたと推測している。周知の事実だが、弥生時代から米作農業が始められ、その作業に対応するかたちで単なる集団性から、規律を持った組織性が要請されてゆく。そして、その過程で貧富の差もまた生まれ、支配と被支配の関係、やがて権力も、そして戦争も生まれるのである。そして、高橋氏は、この弥生文化と弥生人が現代日本の起源となっているという。
 これに対して、縄文人たちは、狩猟生活を中心にしながらのんびりとした一万年間を過ごしたという。土器に見られる縄文の美しさには、日がな米作労働に縛られ始めた弥生人ではとうてい不可能な、時間の余裕が刻み込まれているというのである。そう言う目で見れば、弥生式土器は、スマートさはあるが、なるほどあっさりとした模様であり、手抜き式土器(?)と見えないわけでもない。

 生活と結びついた堅固な組織、さらに言うなら閉じられたような巨大なシステムの一要素として、生活時間から意識の隅々まで隷属させられてしまっているかのような現代人は、やはり弥生人の末裔と言うしかないのだろう。
 「構造改革」の遅遅とした進展を思い浮かべても、そこには個人を練りつぶしてしまった典型的な組織エゴの姿しか見えない。また個人は、組織と一体化することで既得権益を追求するずるくてひ弱な個人しかいない。政治領域がそうであるなら、経済も文化も同様に、個性を摩滅させてしまった結果の組織とその力学に身をゆだねているのが現状だと見える。

 こうした閉塞状況が、人々をして大らかで、個性を許し、たたえた縄文時代に夢を馳せさせるのであろう。以前に、三内丸山遺跡を訪れたことがあったが、天候も良い日だったこともあり、明るくダイナミックな光景が印象的であった。
 宗教心もすでに備えていたらしく、埋葬も定式化しており、確か、津軽海峡の方向を意識した埋葬が行われていたと記憶している。後日知ったことだが、縄文人たちは、マンモス狩猟をする民族でシベリアから樺太を経て、北海道に渡り、訪れた寒冷気で津軽海峡が凍てついた際に本州へ向かったとも言われている。自分たちの祖先が辿った方向を念頭に置いていたことが想像されるのである。
 また、住居の程近くから小さな壺に入れられた幼子の遺骨が見つかっており、幼くして亡くした子が寂しかろうと両親の住む住居の傍に葬ったと推定されている。穏やかで、優しさのあった縄文人たちの姿が浮かび上がってくる事実である。

 世紀が替わっても閉塞し続ける時代に生きる者にとって、希望の燈を絶やさないためには、また愚痴にあけくれないためには、時代と空間を相対化する発想をどこかで確保することが必要なのだろう、という思いを強めている昨今である。(2001/09/20)

2001/09/21/ (金) IT時代=「圧縮」時代(?)に考える「圧縮」の意味!

 布団を圧縮して、狭い押し入れの収納率を高めるというのがある。ナイロン袋に布団を入れて、掃除機で袋内部を真空にしてしまうという原理のようだ。面白いアイディアを考える人がいるものだと感心する。ペチャンコになってしまった布団が、快適に使用できるようにフワフワに復帰するものかどうかが気にはなるが……

 インターネット時代は、データの圧縮、特に画像、音声などのマルチメディア・データの圧縮が重要な課題となっていることは良く知られている。パソコン通信の時代は、もっぱら文字というテキスト・データがやりとりされていたのだが、インターネットの醍醐味は、マルチメディア・データが駆使されることであろう。それが良いかどうかより、何よりもスピードが要求される環境にあって、百聞は一見にしかずのたとえどおり、ビジュアルに見せることによる瞬時の理解という方式が好まれるのであろう。
 しかし、それらのデータは、テキスト・データに較べると容量がバカでかいのが悩みの種なのである。ここから、見た目や、ちょっと聴いた限りではオリジナルと変わらないような「データ圧縮」という手品が使われ始めたのである。
 デジカメの映像、静止画で使われているJPEGはよく馴染まれている。人間の目は明るさの変化には敏感だが、色の変化に比較的鈍感であるという性質を利用して色データを間引くことで、データの圧縮率を高めており、圧縮率の変更によって10〜100分の1程度まで小さくできるのである。このほかGIFという方式やその他様々な圧縮方式が活用されている現状だ。
 画像において説得力が大きいのは、ビデオなどの動画となる。静止画では了解できない空間や周辺情報を盛り込み、シーンの状況認識を大きく助ける。しかし、静止画以上に容量サイズが大きく、その点のデメリットがこのメディアの採用を妨げてきたという事情があったであろう。
 しかしここでもMPEGという圧縮方式が考え出され、すでにMPEG2はブロードバンドなどの高速環境では活用されている。動画の圧縮は、静止画レベルのJPEG的な圧縮に加え、動きに関してはすべてのデータをフォロウするのではなく、動いた差分のみを加えるかたちの「手抜き」(?)をするそうなのである。
 さらに現在、ケータイやモバイルなどの移動体通信向けに開発されたMPEG4となると、対象を「オブジェクト」という視点で分解して扱い、画像や音声をきわめて高い比率で圧縮してしまうのである。
 音楽好きの人々の間ですでに関心が向けられてきた音声圧縮のMP3方式も、音質を損なわずに容量を十分の一にしてしまうのだから驚きである。

 こうした圧縮技術自体が趣味でもビジネスでも興味深いテーマであるのだが、現代が追求する何でも「圧縮」する発想というのがまたまたおもしろいし、見つめてみる価値がありそうな気がするのだ。

 その一。自然対象と、人間や社会を対象とする場合ではだいぶことなるのではないか?
 「圧縮」とは、要するに残すべき必要な部分と、なくても差し支えない不要な部分とを仕分け、後者を取り除くことであり、そうした再構成(符号化)を通じて容量を極小化することであった。
 いわゆるリストラがすぐに思い浮かぶわけであるが、果たして結構複雑な人間組織は、JPEGやMPEGのような発想だけでスマートに目論見が達成できるのであろうか。規模は小さくなったものの、元の規模が秘めていた潜在力が予想外に損なわれたというようなことがなければよいが……

 そのニ。人間の「ブリーフィング(要約)」能力はどの程度確かなのであろうか?
 対象の本質を洞察して、必要な部分とそうでない部分を仕分けるという行為は、要は「要約」するという行為のことであろう。これがなかなか難しいことだと思えるのだ。
 分かり切ったことを要約するのは子どもでもできよう。しかし、今日の世の中は、いつも何が本質なのか分からないことばかりではないか。そんな状況のただ中で、要約したり、必要な部分とそうでない部分を言い当てることは、困難であるだけでなく、恣意的な判断がまつわり付くと思えるのだ。
 財政「圧縮」、省庁などの行政組織「圧縮」など、多くの国民が納得できるような「圧縮」はどのようにして可能となるのだろうか。
 いや、それ以前に、選挙とは、住民や国民のいわゆる「民意」なるものを然るべき候補者に「圧縮」表現するとも言えるが、民意が損なわれないような「圧縮」が行われていると言えるのだろうか?少なくとも「圧縮率」が違うではないかとのクレームはある……(2001/09/21)

2001/09/22/ (土) やっと訪れた秋らしい日和の散歩

 幾分かの冷気さえ含んだ、さわやかな秋日和が実にうれしい一日である。人間の仕出かすことのおぞましさが、こう続くと、誰にも平等に、確実に訪れる季節感のある日和が何よりの慰めだと痛感する。休日とは言え、いろいろとやるべきことを予定していたが何はさておき、散歩に出ることとした。

 半袖シャツではやや寒さを感じるのは、わずかに流れる風のせいであろう。深い青空に雲が流れ、空気に透明感がある。木々の緑も、ボワッとした夏の空気を通した不透明感が拭われシャープに目に映る。

 境川に新しく開設された橋まで足を伸ばしてみた。この夏のうだるような日中、作業着を汗まみれにして工事に当たっていた人夫たちも、ブルドーザーも、シャベルカーもあとかたも無く消え失せ、整然とした橋と護岸の光景があった。白い軽自動車が一台、ピカピカの橋を渡り走っていった。
 辺りは人気(ひとけ)がなく、晴れた正月を思い起こさせるような静かさだった。フェンスに肘をのせて、煙草に火をつける。川面を眺めると、溝の粗い碁盤のようなコンクリートを洗うように流れができていた。工事中に眺めた際に、たぶんあれは川の水を空気にさらし、浄化する役目を果たすものだろうと思ったものだが、そのとおり川の流れは、秋の空気と存分に混ざり合っているようだった。小さな満足感が、どうということもなく湧き上がってきた。この下流すぐの地点に、マガモや鯉たちが生息しているからである。

 ふと、先ほど遊歩道に面した林で見かけた手作りの看板のことを思い出していた。確か、『ここでカブトムシやクワガタを採る人たちへ。自由に入っていただいて結構ですが、穴を掘った時は、埋めておいてください。樹の皮をはがすようなことはしないでください。昆虫たちの棲家を荒らさないようにしてください。』といったことが書かれてあった。
 普通なら、有刺鉄線でも張りめぐらし、『立入り禁止!』とでもするはずのところだろうが、開放した上でマナーを呼びかけていることに、ほのぼのとしたものを感じていたのだった。

 季節感を満喫して(?)、帰る途中で目にした世相光景二点。
 そのひとつは、公営住宅や小学校などの修理工事。外壁の塗り替えや、台所の調度品の取り替え工事がいっせいに実施されていた。ガス工事の業者の人たちがなぜかウキウキしているように見えた。こうした時期、自治体の公共工事に伴う仕事受注はありがたいのだろうと勝手に推測したものだ。

 その二つ目は、中古車販売展示場で、いつもは見かけない大型トラックがタイヤを新しく付け替えられ、並べられていた。土建業も難しい時代を迎えているから、商売道具を手放さざるを得ないご時世なのかな……などとこれまた想像させられた。

 散歩も、自然や季節の光景に親しめるだけではなく、すぐさま世知辛い世情に引き戻されてしまうのが郊外の町に住む住人の散歩なのであろうか……(2001/09/22)

2001/09/23/ (日) <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (6)

 待ってるようにと言われたって、あれだけ海念さんが血相を変えていたのに自分だけが握り飯を食っている場合じゃないじゃないか、と保兵衛は考え、ばたばたと荷物をまとめ海念のあとを追っ駆けた。
 やはり、街道ではただならぬ何かが起こっている気配が満ちていた。人々が小走りに向かう方向へ保兵衛も胸を高鳴らせ走る。が、人々は、ことの中心と思える個所から十分に距離をおいたところで、逃げ腰の姿勢でピタリと立ち止まっている。
 中心には、海念だけが一人すくっと立っていたのだ。そして、海念の視線の先には、なんと大きな犬が、泣き叫ぶ赤ん坊の入った藁製の籠、稚蔵(ちぐら)に向かって、今にも飛びかかりそうに唸っているのであった。
 突然、遠巻きの人垣から
 「お坊さん、早く、早く助けて!」
という絶叫が聞こえてくる。海念は、その方向に顔を向け、口先に人差し指を立て、静かにするよう促している。赤ん坊の泣き声と、低くうなる犬の唸り声だけが響くようになった。
 固唾を飲む人々の視線を浴びながら、海念は静かに深呼吸をしている様子である。そして、ゆっくりと錫杖を街道に横たえ、実に静かに犬へと近づいて行く。下あごを引いた顔は、時々威嚇するように唸るその犬に向いて崩れることがなかった。
 ところが、さらに静静とと近づく海念に、不思議なことに犬の唸り声は次第に小さくなっていくのである。そしてほぼ一間ほどの距離となった時、海念はゆったりと左の手の甲を口に寄せる。唾で手の甲を濡らしていたのだった。その手を海念は静かに犬の方へ差し出すのである。何のまじないなのかと、人々はいぶかしがるのだった。
 と、力んでいた犬は姿勢を崩し、海念の左手の甲をぺろぺろと舐め始めたのである。海念は、犬の頭をゆっくりとなでてやっていた。と、犬はごろりと横たわり、片足を上げ、海念に白毛の腹まで見せ始める光景に急変したのであった。
 じわじわと人垣が縮まり始める。赤ん坊の入った稚蔵がすぐさま背後によけられた。そこへ、犬の飼い主らしき年配の旦那風の男が、恐縮した様子で現れた。そして、何度も何度も海念に例を述べ、その飼い犬に綱を掛け、きまり悪そうに連れて行くのだった。
 あちこちから、最初はぱらぱらと、やがて波のような拍手が鳴り始めた。
 「お坊さん、えらい!」
 「東海寺の坊さんだね。さすが沢庵和尚さんの弟子だなあ」
と、安堵した人々による賛辞のことばがあちこちから飛び交った。
 呆然としていた保兵衛もやっと我に返り海念に駆け寄る。涙目をしながら、
 「海念さんって、なんてすごいんだ。完璧に尊敬しちゃう。どうして、あんな技ができちゃうんだろう?」
 「さあ、行きましょう」
 話しはあとでというように、海念は促した。保兵衛は、街道に横たえられた海念の錫杖を拾い上げ、手渡すのだった。

 ふたりは、再び『弁天社』に戻り、食べかけの握り飯を落ち着いて食べ始めるのである。海念は何事もなかったかのような涼しい顔をしていた。保兵衛は、濡れ縁から垂れる両足をぶらぶらさせながら、一口食べるごとに海念の顔を覗き込んでいる。海念の口から、あの技の秘密が解き明かされるのを今か今かと待っていたのだった。そんな興奮が、タイム・トラベルの「酔い」をすっかり吹き飛ばしていたのだった。
 「保兵衛さん、わたしはさきほどのあのようなことができて大変うれしいです」
 海念はそう言って顔を子どもっぽく崩すのだった。
 「そりゃそうだよね。あんなこと、魔術師にだってできることじゃないさ。でも、海念さんが錫杖に頼ろうとしなかったのを見た時、ははーんと思ったけどね。でも、分からない。どうしてあの犬は大人しくなってしまったの?」
 「心なんです。わたしも実は怖かった。自分に襲い掛かってくることも怖かったのですが、何よりも、あの赤子が襲われることにでもなったらということの方がなお恐ろしかった。まだ新しいお寺にも傷がつくし、心が乱れに乱れました。心を鎮めようとすればするほど、いろんな雑念が入り乱れたのです。
 そこで、とりあえず、先ほど保兵衛さんに勧めたように深い呼吸を試みました。ひとーつ、ふたーつ、ひとーつ、ふたーつとね。すると落ち着いてきただけでなく、重要なことに気がついたのです。あの犬は決して野良犬ではない!とね。何も身につけてはいなかったものの、あんなに太ってつやのある毛をした野良犬なんていませんからね。
 きっと、周りが騒ぐもので、気が立ってしまったのでしょう。そこで、錫杖を置きました。そして、あの犬の心とひとつになろうとしたのです。大きな身体をしていても実は臆病なあの犬の心になりきろうとしたのです。わたしの心からも雑念が次第に消えてゆきました。そして、飼い主もしていたであろう人間の唾を舐めさせたのです」
 「…………」
 保兵衛は、紙芝居を見い入るようにまばたきもせず海念の顔を見ながら黙って聞き入っていた。
 「保兵衛さん、しかし、この『技』は実は和尚さまがすでに実践されており、わたしはそれを真似ただけなんですよ」
 「えっ、それはど、どういうことなの?」
 ようやく保兵衛は、興奮のため枯れてしまいかすれた声で問い返すのだった。
 「わたしも、兄弟子から初めて聞かされた時は正直言って疑問だったのですが……」(2001/09/23)

2001/09/24/ (月) 「圧縮」論議その二。身辺のガラクタ整理!

 連休で在宅すると、書斎と称している部屋で作業なりする時間が増える。すると、溢れかえった本やモノで立錐の余地がなくなってしまっている空間にいやでも気づく。整理して、不要となったものは捨てるべし!と痛感させられるのだ。
 ただでさえ貧乏性で、何でも役に立つ時がありそうな気がしてとっておく上に、大したものではない、ちょっとばかり役立ちそうなもの、本や、例えば道具に類するモノなどは見境なく購入してしまう方だから、部屋が物置ふうになってしまっている。家人からもこの性分は再三非難の的となっているありさまである。

 かつては、まめに整理していた時期もあったにはあった。だが、仕事に追われるような気分、錯覚が始まった頃から、自宅のことがらにかまける暇はないとばかりに放置し始めた。一時期は、書斎に一週間以上も入らずじまいのことさえあったほどである。

 頭の中、意識の中さえ、自分なりの起伏のある秩序が維持されていれば、それで万事よし、といった驕りがあったと言える。部屋の中の乱雑さは、そう見えて実は内面の秩序を支えるためにそうしてあるのだ!と誰だか作家が言うようなことを口にしていたこともあったりした。
 しかし、今はもう何とかしなければならぬと思うことしきりの状態になってしまった。目に入るモノからうるさいほどの連想が呼び覚まされてしまうからだ。『そういえば、アレはどこへいってしまったんだろう?』とか、『そんなことやる暇もないのに取っておくことはないな……』とか、要するに逆に意識を散漫とさせる環境となってしまっているからである。「茶室」のようなすっきりさ、空の極限がいいんだよな、などとできもしない幻想に目を向けたりもする錯乱状態なのである。

 先週、「圧縮」について書いたが、再度これに関係付けるなら、現代という時代はどうでもよいモノが市場に溢れ、生活に溢れて、人はこうしたどうでもよいモノの洪水に溺れかかっているのかもしれない。まさに、生活環境を何らかの方法で「圧縮」する必要があるのかもしれない。
 「これダー!」と、感激を伴うようなモノは、先ずなくて、「こんなところかな……」程度のものをついつい身の回りに置くことになってゆく。だから、そのうちどうでもよくなり、ただただアイテム数が増える煩雑さだけが残ってしまうのである。そして、その煩雑さは、無秩序感だけを増幅してゆくように感ぜられるのだ。とびっきり気に入った価値あるモノがあって、それが住む人の意識環境に何がしかの張りつめた秩序感をかもし出すといったおもむきが作りにくいのではないか。

 すでに、指摘されてきた事実として、多すぎる情報が、逆に人々をして情報に無関心(アパシー)とさせるという逆説があった。等身大程度の量の、処理可能な情報量ならば、人々はそれらをこまめに吟味し、情報整理するのだろうが、類似性も高い膨大な情報を目の前にすると、どうでもいいや、となってしまうのは分かる気がする。
 モノも情報と同様なのかもしれない。活用し切れないほどの量のモノに囲まれてしまうと、モノへのありがたさ、愛着など湧くどころか、人がそれによって充実感がもたらされる意識の集中や緊張の成立を妨げる結果となっているのかもしれない。

 本当に今はコレが必要なんだ、だからコレの存在はありがたい!と言えるものを持つことが幸せ感なのかもしれない。そして、そのためには、どうでもよい他のモノは不要なモノとして放棄する潔さが、幸せを得るコツのようにも思えてくるのである。こんな駄文を書いている暇があったら、身辺のガラクタを整理して家人を喜ばせるべきか……(2001/09/24)

2001/09/25/ (火) 平和な自然の摂理=棲み分けに学べないものか!

 今、自宅には二匹の猫(プラス一匹の犬)がいる。片方は二本の牙まで抜けて年老いてしまった十三歳のグリ。もう片方は、犬の散歩の途中でよんどころなく拾ってくることとなった三歳のリンである。
 グリは元来が臆病で、人間への不信感を拭いきれない性格の上に、長い間の主人の行状をつぶさに観察し、学んできたこともあってか、わたしには常に距離をおいた行動に終始している。片やリンは、若いという点に加え、拾ってきてからしばらくいろいろな病気をして家族皆が気を使いチヤホヤしたせいもあってか、「やんちゃ」な猫となってしまった。
 からかうといつまでも反応してくるのが面白く(?)、ついつい遊んでしまうことになる。尻尾を握ると、握った手をめがけてジャブをいれてくる。ただ、遊びだと了解しているらしく、余程機嫌の悪い時でない限り爪を立てていない。握った回数だけ必ず仕返しをしてくる。しっかりと回数を覚えていて反撃してくるのがかわいい。

 こんなことでからかうのはよくないと思いながら、ふと人間と動物との関係を考えたりしたものだ。「棲み分け」という関係が双方にとってベストなのかなあ、と勝手に決め込んだりしていたのだった。
 人間と一緒に住ませる以上、最低限のルールは教え込む必要は出てこよう。だが、人間の発想を一方的に押しつけてばかりでも、角がたつだろうし、また猫の発想に押し切られどうしも閉口してしまうとすれば、「棲み分け」よろしく適当に相互介入をしないのがよいとか考えたものである。

 人間と猫との関係に例えをとって不謹慎の謗りをまぬがれないのだが、現在、国際情勢は、冷戦構造時のイデオロギー対立の関係から民族や宗教に根ざす「文明」自体の対立の関係へと移行していると言われる。イデオロギー対立がなくなり、二十一世紀の世界はグローバルに民主主義と市場経済秩序が定着したバラ色の平和と協調の時代が来ると期待されていたにもかかわらず、「数多くの文明間の違いに起因する、分断された世界」(サミュエル・ハンチントン『文明の衝突と21世紀の日本』集英社新書)が、現実となってゆく様相である。
 ここでトンチンカンなことを書いてはいけないので詳細は後日に譲るとするが、要するに、これまで米国は西欧とともにみずからが文明だと自認して「西欧アィデンティティ論」を唱え、それを実践してきた。米国が、世界の「保安官」として軍事行動してきた思いや、グローバリズムと称して米国流儀を押し出して来た背景にはこうした脈絡があったと言えるのだろう。
 しかし、現代の米国の国内外では、非西欧文化も対等な存在としての立場があると主張する「文化多元主義」を唱える無視しがたい勢力が登場してきていたのである。さしあたって「イスラム文明」であり「中華文明」であるが、こうした非西欧文明は経済力・軍事力を漸次強化して、今や西欧文明とのパワー・バランスを拮抗状態にまで持ち込んでいると言われる。

 「アメリカを体現する」ハンチントンは、こうした現状の勢力関係の構図の中で、漸次衰えつつある西欧の盟主たる米国が、今後もイニシアティブをより長く発揮し続けるためには、むしろ、西欧文明を「普遍」と思い込んで世界に押しつけていってはならないと警告しているのである。主人公であり続けた米国の身の振り方に、今後は要慎重であるべきだと促している模様なのである。

 こうした認識が米国でどれだけ採られているのかは分からないが、きわめて冷静でリアルな国際認識だと思える。「報復爆撃」を唱える血の気の多いブッシュ大統領を支持する90%の米国国民も、こうした「賢い」認識と判断に立って米国の誇りを維持したらどうかと思えてならないのである。
 力づくの「報復爆撃」がもたらすものは、冷戦時代のベトナム戦争とはまったく異なった、米国が予期できない(今回のテロ攻撃さえ、結果的には予期できなかったのであるから)米国の国威失墜と世界無限戦争への皮切りとなりかねないのである。

 森林の動物たちの世界に、弱肉強食の原理が存在する一方で、平和共存を志向する「棲み分け」があると言われるが、こうした平和な自然の摂理に学べないものかと切に思うのだ。(2001/09/25)

2001/09/26/ (水) こんな時期に、何を、どのように購入するのだろうか?という問題!

 景気が悪い状況(デフレと言ってもよい)とは、要するに商品が何であれ「買い手」が少なく、「売り手」が多いバランス関係だと言える。モノが売れないから、必然的に生産活動も抑制されてしまう。ここから、リストラなども発生し、失業も生まれる。しかし、労働力という商品自体も「買い手」が少なく、「売り手」が多くなると失業も長期化することとなってしまう。

 こんな「買い手市場」の環境で、失業者が就職を達成するには「買い手」側のニーズにふさわしい労働力の内実を「売り手」側が持つ以外に方法はないわけだ。この辺の問題がいわゆる「セーフティ・ネット」と呼ばれるものであり、再就職訓練などが直接的な方法となる。しかし、よく言われるように、元建築現場作業者が、プログラミング言語のJavaを習得できるのか、というようにミス・マッチングの問題が深刻である。

 労働力の「買い手」である企業にしても、当然のことながら「買い手」の立場だけではない。本筋としての商品の「売り手」としての苦悩に満ちた立場できゅうきゅうとさせられているのだ。従来のようにモノが売れないことに加え、デフレで収益が悪化しているのだから惨憺たる状況となる。
 愚痴を言ってもしょうがないからというので、現状の厳しい「売り手」と「買い手」の関係を転倒させるに足る新企画を編み出したいと日夜頭を悩ませることとなる。顧客の待ち行列ができるようなブレイク・スルーするようなアィデイアはないものかと!しかし、そんなものがおいそれと転がっているわけはないのである。

 景気も、治安も、諸々の空気が沈滞したこんな時期に、何を、どのように購入するのだろうか?と、この問題を解こうと考えている人は、今現在何百万人という規模で頭数をならべているに違いないはずである。デフレ対策の必要を痛感する政策マンも考えてはいるのだろうが、企業活動に携わる者にとっては考えざるを得ないテーマであるはずだ。かく言うわたし自身もその一人ではある。
 ただ、このテーマは経営評論家のように抽象的に考えたり、統計的に割り出そうとしても決して効を奏するものでないことは既に十分経験してきている。
 作ったモノは必ず売れる時期は当然遥かかなたで終わっているだけでなく、良いモノは売れる、安ければ売れると単純に信じ込める時期でもない。さらに、売れているからウチも!といういわゆる新規参入が成功できるほど甘くもない。

 ニーズや需要ばかりを追っ駆けていて、その商品を提供する側、「売り手」の能力、水準を軽視しがちなことが結構、見逃されがちな問題であることも多い。
 ヒット商品とは言わないまでも、そこそこの成功というものは、「買い手」側のニーズと、「売り手」側の能力と、そして時間的、空間的なタイミングなどが、まるで「一期一会」のような形で収斂した場合に限られるようだ。さまざまな外発的、偶発的な条件をコントロールすることは不可能であるのだとすれば、「売り手」側の能力の問題に専念する以外にないとも言えるのかもしれない。
 その意味では、何が需要としてあるのかの問題を検討する際には、われわれの能力ならそれに向けてどうアプローチできるのか、といった「シーズ(提供できる[技術]力)吟味」型検討が最優先されるべきであろう。自分たちの能力「財産目録」をこそ最大限に生かす以外に、安直な方法はないと肝に銘ずるべきなのであろう……(2001/09/26)

2001/09/27/ (木) 生活に密着したIT活用に関心を!

 技術は、人の生活に役立ってこそ技術だと言える。もともとあらゆる技術は、その用途に関係なく進展するものであり、善にも悪にも可能性を開いた「双面神(ヤヌス)」としての性格を持つ。コンピュータ・ウィルスやハッカーにも使われてしまうし、テロにも軍事的にも使われる可能性を常に残しているわけである。

 これまで多くのソフト技術者と接触してきたが、概ね軍事目的の仕事を拒否したり、敬遠したりする者が多かった。確かな感覚だと共感してきたものだ。また、われわれとは関係を持たない技術者の中には、テクニカルな興味に引きずられ、軍事利用という点に無頓着な技術屋さんがいなかったわけではなかった。

 軍事目的ほどには最右翼でなくとも、ただただ需要があるからという技術利用もある。ITで言えばアダルト系関連の仕事がそうだ。以前に、それに関する依頼があって話しは聞くことにした。ちょうど仕事の欲しい時期ではあったが、断ることにした。ただでさえインターネットのコンテンツは玉石混交、どちらかと言えば粗悪なものが多過ぎる状態であるのに、さらにこれに手を貸すようなことは選べなかったのだ。

 技術に携わる人、会社は、仕事になりさえすればよいではなくて、何らかの社会的貢献という視点を持ちたいものだと思っている。なぜなら、技術とは私的なものではなく、歴史・社会に根ざすある意味での公共的側面を持つものだからである。
 とりわけソフトのジャンルは、例えば"Linux"のように、世界中の技術ボランティアが参画して築き上げてきた経緯もあり、その活用に当たっては良識や想像力を発揮すべきだと思われる。

 かねてから、インターネットはショッピングやオークションといったビジネス的動機のコンテンツだけでなく、医療、環境問題などの公共的分野で活用されてゆくことが重要だと思ってきた。また、生活で必須のテーマに活用されるべきだとも。
 問題は、目的 vs.コストにあったと言えるのかもしれない。生活で必要としても、ネット接続料が高ければ活用意欲が萎えてくるのは当然である。この辺を、IT革命なることばを口にした政府がもっと配慮すればよいものを、放置されてきた観があったのは残念である。

 生活にとってのITという場合、やはりいわゆる「つなぎっ放し」環境がベストであろう。接続料を気にしないで済むとともに、相対的な速さも好ましい。
 昨日の夕刊で、"YAHOO"が四面を通した大々的な広告を打っていた。「YAHOO!BB」と称し、あの"ADSL"ブロードバンド方式(プロバイダー込み)の設定が、月額2,800円より、ということなのである。
 この位の値ごろ感のある水準なら、生活とインターネットが結びつく可能性が広がるのかと思えた。ただ、この不況で被っている痛手と、インターネットの活用方法での貧弱な発想の現状をにらむと、孫 正義氏が目論むような展開になるのかどうかは定かではないだろう。

 BBが活用されるようになると、ビジュアルなメディアが圧倒的に活用できるのであるが、現状のひとつの課題は、活用用途のイメージの貧困にあるのかもしれない。
 出来合いのコンテンツが魅力を高めると同時に、個々人のコンテンツが新しいコミュニケーション・メディアとして活用されてゆくべきだと考えるし、生活に密着したジャンルでこのIT環境が活用されてゆくべきだと思っている。
 たとえば、これからの高齢化社会にあって、独居老人も増加してゆくはずであるが、この"ADSL"ブロードバンド環境は、比較的低コストで独居老人たちの生活異変を察知できる仕掛けを作りやすくしているはずである。また、犯罪抑止力が低下している昨今、責任ある行動を促すような高性能監視カメラ(記憶装置付き)も可能である。また、教育ジャンルでも、リアル・タイムで可能となるインタラクティブな教育学習コンテンツがますます可能となる。
 ただ、従来のメディア、たとえばテレビなどとの差異が強く意識されるような実例がまだまだ不足しているのが現状なのかもしれない。生活に密着したIT活用に関心を持ち続けてゆきたいと思う。(2001/09/27)

2001/09/28/ (金) 現実におけるイレギュラー・ケースのかたまりへの対応力!

 現在の若い技術者の中に、基礎的な知識やノウハウの積み上げが薄く、ハウトゥ的な知識・技能を中心にしてさし当たってのシゴトをこなしている人たちがしばしば見受けられる。そうした技術者(技能者)が増える背景には、それなりの根拠もまたあるだろうことは想像できる。
 ソフトウェア技術などはこの数年でめざましいイノベーションがなされ、それ以前の技術的経験を積み重ねてきた先輩技術者が肩身の狭い思いをしていたりすると、とりあえずの技能志向促成栽培教育が幅を利かせるのであろう。また、ユーザーサイドの開発が志向されてきた流れもあって、開発技法そのものがわずらわしい(?)基礎能力がなくとも比較的着手しやすくなってきたことも理由に挙げられるかもしれない。

 こうした人たちにとって何が「壁」となるかといえば、イレギュラーな事態、それもほんの少しのレギュラーケースから外れている事態なのである。そうした事態に遭遇すると、とたんに呆然として途方に暮れてしまうのである。「そんなこと聞いてないよー……」と、他者をさえ責めたげな調子になったりするのかもしれない。
 それもそのはず、「ウケル!」ハウトゥ技法本は、わずらわしさは、限りなく透明にして、「いきなりできる!」印象がポイントだから、ノーマル・ケース、レギュラー・ケースの伝授だけで十分とされるからである。
 しかし、現実はノーマルでないことの方が多いのだ。多少の食い違いに機転をきかせて先に進められるものはよしとして、そこで躓くとみじめな気分に落ち込むのである。昔の縁日や祭りでよく売っていた「十特ナイフ」で、商売人は見事にガラスを掻っ捌くのに、うちに帰ってやってみたら、ガラスは割ってしまうし、おまけに怪我までしてしまうといった情けなさに通じるものがあったりする。

 技術に限らず、現実におけるイレギュラー・ケースのかたまりそのものを咀嚼できるのがプロの条件なのであろう。経験をベースに、集中力、応用力、そしてイマジネーション力を凝縮させ、対象を柔軟に捉える時に、適切な方策を講じて壁を取り崩していくのである。
 こうした能力が「問題解決能力」(=創造力!)と呼ばれ、多くの研究者たちの関心をひいてもきた。シゴトを実質的にこなすパワーの大半がこれに依拠しているからである。しかし、繰り返し、繰り返し議論されてきたということは、その能力の存在は確かだとしても、正体が掴めず、ましてその教育方法の決め手が捉えられないということなのであろう。まるで「ツチノコ」のような神秘なのである。現在でもなお「暗黙知(tacit knowledge)」とか「個人的な知識(personal knowledge)」として組織の生産性を上げる問題として追及され続けてはいる。(c.f.グループウェア)

 禅におけるキーワードに、「不立文字(ふりゅうもんじ)」(悟りの道は、文字・言語によっては伝えられるものではないという意。)ということばがある。上記の能力とはひょっとして悟りにも匹敵するものなのかもしれないと思う時があるのだ。
 「我ながらよくぞこの点に気づいたものだ!」と自画自賛できる時が一年に一回くらいはあるものだが、そうした時、そこに至った経路を慎重にだどってみるのだが、意外と自分でもある箇所に関してはブラックボックスとなっていたりすることを知らされる。インスピレーションと言うしかないのである。

 ことばによる意識された世界だけを現実だと考える考え方の限界が、こうした解きがたい問題を提起させているのかもしれないと感じている。(2001/09/28)

2001/09/29/ (土) 自分が自分自身であることを根気強く確認してゆくことが大事な時期!

 ここに文章を書く際に、自分を戒めている暗黙の掟がいくつかある。そのひとつが、何の個性的な視点や実感もないことは書かないようにしよう!ということ。とりわけ、マスコミが言い散らしたことをそのまま繰り返すことは絶対にすまい!である。
 もともと天邪鬼だという変えがたい性格もあるにはあるが、自分が自分であろうとするために書こうとしているのに、主体も不明確で無責任、常に第三者的な寄らば大樹的表現、斬新な切り口など皆無といったマスコミの表現など決してまねてはいけない!と言い聞かせている次第である。

 昨日の話題と通じているのだが、ことばによって意識された世界だけが現実だと見なす考え方では、もはや本当に重要な問題は解決不能なのではないかと直感する。特に、政府や役所で使われたり、マスコミで流布されることばは、決して問題の本質に迫れない構造と宿命を内蔵しているように感じられてならないのである。昨今では、「ことば遊び!」に墜しているのではないかとさえ受けとめられるありさまだ。
 そうしたことば使いと内容とを、毎日自分の頭の回路に流し続けていると、発進側と同様に何の解決策も提示できない、あるいはする気がないそんな病気の頭脳(?)になっていく気がしてならない。

 自分が自分であろうとするためとは、自分自身に固執しているとも聞こえはするが、むしろ、ことばが空転する仕掛けや土俵の中が絶望一色なら、希望を紡ぎ出せる考え方や感じ方を独立独歩で試みるしかないだろうという背水の陣なのだ。ひょっとしたら、さまざまなマイノリティが、心のどこかで覚悟を決めているある種の心境と共通するものであるのかもしれない。いや、そこまで深刻ぶっては真意に反することになりそうであるが。

 「小泉人気」、テロ後の「ブッシュ支持」が90%に及ぶ事態というのは、如何にマスコミ、マスメディアが人々に重大な影響を及ぼす時代となっているかが改めて実証されたと言える。このツールを活用する側がますます巧みになっている点と、受けとめる側の問題、例えば従来はそれらの情報は近辺の所属集団(準拠集団)とともにあることで相対化され、再受けとめがなされたりしたようだが、現状ではそれらの集団が弱体化し、個人は孤立化しているためストレートに情報を肯定しがちとなっているという点が挙げられるかもしれない。
 この傾向は「社会の均質化と均質社会の病理」と言われ、しばらく前から関心が持たれている。孤立感で苛まれる現代の個人が抱く不安感が、みんなと一緒という選択に流れる「マジョリティ主義」とでも言えるのだろうか?そうだとすれば、戦前のドイツの中産階級の不安定な意識が、全体主義のナチズム支持に回った事態と構造的には酷似しているのである。
 もし新しい原因を模索するとすれば、マイクロソフトが技術情報の大半を制したように、規格化された情報の浸透が人々の意識をかなりの程度同質化させてしまったというべきなのであろうか。
 個性化へ向かうはずの現代は、個々人の生き方の差異を上手に剥がし切って、のっぺりとして同質であるまるでデジタルCDのような個人たちを生み出しているのであろうか。個性的と見えるのは、オプション・リストに挙げられた既に織り込み済みの表面的な「個性」なのであって、同質規格はそれらのオプションを最初から包含しているのであろう。
 ビジネスの世界では、「勝ち組」v.s.「負け組」という構図が、同じ社会傾向によって生じているとの指摘がすでになされていた。
 しかし、振り返ってみるともう十数年も前頃から、子どもたちの学校では「みんなと一緒」でなければ安心できないといった風潮が支配的であったかに記憶している。弱者と少数派へのいじめ現象と平行していたかもしれない。
 自分が自分自身であることを根気強く確認してゆくことが大事な時期だと言わざるをえない……(2001/09/29)

2001/09/30/ (日) <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (7)

 海念は、兄弟子から聞いたという沢庵和尚の不思議な逸話を話し始めた。
 東海寺が建立される二年前、寛永十三年頃のことだったという。沢庵和尚は、しばしば家光によって江戸城に招かれており、その時も和尚は柳生宗矩ほか、諸侯数人とともに、家光に伴い城内を散策していたのであった。
 やがて、朝鮮から献上された猛虎を飼う檻に差しかかった時、突然家光が彼特有の所作に及んだのである。
「虎は死んで皮残す、人は死んで名を残すと言うのう。誰かあの虎の生きたままの毛皮を愛でて、生きたままで名をはせる者はおらぬか」
 重い沈黙が支配する中、家光はさらに続けるのだった。
「ここは、やはり指南役の但馬(柳生)でなくてはならぬかのう。但馬、檻に入り虎を撫でてみよ」
と、いつも難題を出しては家臣たちを困らせたという家光は、追い討ちをかけて言い放つのだった。
 周囲が冷や汗をかき心配する一方、柳生はもはやひくにひけない立場となっていた。やがて、檻の扉が開かれたのである。柳生は檻の内に入った。猛虎は、いまにもとびかかろうとする構えで、柳生をにらんでいる。キバをむき唸り声さえたてていた。
 しかし、さすが指南役の柳生は、鉄扇を正眼に構え、気迫で猛虎につめよってゆく。そして、鉄扇は猛虎の眉間に打ち込まれるや、勢いをそがれた猛虎はその場にうずくまってしまった。柳生は、その機を逃さず静かに近づき毛皮を撫でたのだった。
 檻から出た柳生に、家光も他の者たちも、さすがは将軍御指南役だとの賛辞を呈するのだったが、これでこの緊張が解かれたわけではなかったのである。

 海念の話にまばたきもせず聞き入っていた保兵衛は思わずことばをもらすのだった。
「このあと、沢庵和尚さんの番になるんだね……」

 いっそうの興に乗る風となっていた家光は、目を輝かせながら沢庵和尚に向かい、言ったのだった。
「和尚。和尚の禅は人界に限らず、畜生界にもあまねく通じるものと申しておったのう。どうだろうか、但馬とは異なる法であの猛虎をなだめてみせてはくれぬか」
 沢庵和尚は殊更の揺らぎもなく微笑んで応えた。
「仰せのとおり仏法は普遍でございます。但馬殿のごとき御し方に及ばないまでも、多少馴らす程度のまねごとはご覧いただけましょう」
「ではごめん」
と一礼のあと、沢庵和尚はおもむろに扉の内に入っていった。猛虎は、檻への再びの侵入に気を荒げ、唸りたてた。が、和尚は武器と言えるものは何も持たず、静かに近寄ってさりげなく手を差し出すだけであった。
 猛虎はむしろ不思議そうにその手を見つめるふうとなる。そこで和尚はその手に唾を吐き、ふたたび差し出すのだった。猛虎はますます不思議そうに鼻先をその手に近づけ、くんくんと嗅ぐ様子をしたかと思うと、大きな舌を出してべろべろと舐め始めたのである。すかさず、和尚はあたかも飼い犬の頭を撫でるように頭を撫でたかと思うと、耳の下や首筋などを撫で回した。もう、猛虎は大きな猫のごとく眼を細め、しかもごろりと横たわってしまったのであった。
 固唾を飲んで見入っていた家光や諸侯一同の前に和尚が出で来た時、拍手が鳴るのだった。家光も、猛虎を制する剣道、仏道の硬軟二様の極致を知り、これ以上の満足はない様子を湛えていたのである。
 また、すでに柳生宗矩は、沢庵和尚を禅匠と仰ぎ、「不動智」(不動明王のごとく、一心が動かず身がぐらつかない心境。一つ所に心が止まる執着から離れ自在となる境地。)こそ剣の極意と教えられていたのだったが、その心の働きをまざまざと眼前にすることができ感激していたのであった。

 海念の話は一通り終わった。饒舌に語った海念は火のように顔を火照らせていた。
「海念さん、海念さんも立派だけど、沢庵和尚さんはすごいお坊さんなんだね。正確には分からないけど、『一つ所に心が止まる執着』というのは、ぼくもいつも経験しているように思う。気になって気になってしょうがないことって言う意味だよね。そんなことから自由になるにはどうすればいいの?」
「それが禅の修行なんです。わたしだってまだまだできていないんです……」
「だって、さっきあんなりっぱなことができたじゃないの?」
「それはそうですが、人というのは、自分にとって大事なことと思えば思うほど、そのことに執着してどうにもならないがんじがらめの地獄にはまり込んでゆくようなんです……。いま、情けないほどにこだわってしまっているものが、わたしにもあるんです……」
「よかったら話してよ」
「ええ……」(2001/09/30)