技術は、人の生活に役立ってこそ技術だと言える。もともとあらゆる技術は、その用途に関係なく進展するものであり、善にも悪にも可能性を開いた「双面神(ヤヌス)」としての性格を持つ。コンピュータ・ウィルスやハッカーにも使われてしまうし、テロにも軍事的にも使われる可能性を常に残しているわけである。
これまで多くのソフト技術者と接触してきたが、概ね軍事目的の仕事を拒否したり、敬遠したりする者が多かった。確かな感覚だと共感してきたものだ。また、われわれとは関係を持たない技術者の中には、テクニカルな興味に引きずられ、軍事利用という点に無頓着な技術屋さんがいなかったわけではなかった。
軍事目的ほどには最右翼でなくとも、ただただ需要があるからという技術利用もある。ITで言えばアダルト系関連の仕事がそうだ。以前に、それに関する依頼があって話しは聞くことにした。ちょうど仕事の欲しい時期ではあったが、断ることにした。ただでさえインターネットのコンテンツは玉石混交、どちらかと言えば粗悪なものが多過ぎる状態であるのに、さらにこれに手を貸すようなことは選べなかったのだ。
技術に携わる人、会社は、仕事になりさえすればよいではなくて、何らかの社会的貢献という視点を持ちたいものだと思っている。なぜなら、技術とは私的なものではなく、歴史・社会に根ざすある意味での公共的側面を持つものだからである。
とりわけソフトのジャンルは、例えば"Linux"のように、世界中の技術ボランティアが参画して築き上げてきた経緯もあり、その活用に当たっては良識や想像力を発揮すべきだと思われる。
かねてから、インターネットはショッピングやオークションといったビジネス的動機のコンテンツだけでなく、医療、環境問題などの公共的分野で活用されてゆくことが重要だと思ってきた。また、生活で必須のテーマに活用されるべきだとも。
問題は、目的 vs.コストにあったと言えるのかもしれない。生活で必要としても、ネット接続料が高ければ活用意欲が萎えてくるのは当然である。この辺を、IT革命なることばを口にした政府がもっと配慮すればよいものを、放置されてきた観があったのは残念である。
生活にとってのITという場合、やはりいわゆる「つなぎっ放し」環境がベストであろう。接続料を気にしないで済むとともに、相対的な速さも好ましい。
昨日の夕刊で、"YAHOO"が四面を通した大々的な広告を打っていた。「YAHOO!BB」と称し、あの"ADSL"ブロードバンド方式(プロバイダー込み)の設定が、月額2,800円より、ということなのである。
この位の値ごろ感のある水準なら、生活とインターネットが結びつく可能性が広がるのかと思えた。ただ、この不況で被っている痛手と、インターネットの活用方法での貧弱な発想の現状をにらむと、孫 正義氏が目論むような展開になるのかどうかは定かではないだろう。
BBが活用されるようになると、ビジュアルなメディアが圧倒的に活用できるのであるが、現状のひとつの課題は、活用用途のイメージの貧困にあるのかもしれない。
出来合いのコンテンツが魅力を高めると同時に、個々人のコンテンツが新しいコミュニケーション・メディアとして活用されてゆくべきだと考えるし、生活に密着したジャンルでこのIT環境が活用されてゆくべきだと思っている。
たとえば、これからの高齢化社会にあって、独居老人も増加してゆくはずであるが、この"ADSL"ブロードバンド環境は、比較的低コストで独居老人たちの生活異変を察知できる仕掛けを作りやすくしているはずである。また、犯罪抑止力が低下している昨今、責任ある行動を促すような高性能監視カメラ(記憶装置付き)も可能である。また、教育ジャンルでも、リアル・タイムで可能となるインタラクティブな教育学習コンテンツがますます可能となる。
ただ、従来のメディア、たとえばテレビなどとの差異が強く意識されるような実例がまだまだ不足しているのが現状なのかもしれない。生活に密着したIT活用に関心を持ち続けてゆきたいと思う。(2001/09/27)