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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2002年04月の日誌 ‥‥‥‥

2002/04/01/ (月)  錯覚と自覚その1:政界人物たちの「錯覚」症状!
2002/04/02/ (火)  錯覚と自覚その2:現代社会という「仮面舞踏会」が生み出す「錯覚」!
2002/04/03/ (水)  錯覚と自覚その3:『裸の王様』が示唆する心理的・社会的「錯覚」!
2002/04/04/ (木)  錯覚と自覚その4:「意を強めあう」場やチャンネルを見出すことがお薬三日分!
2002/04/05/ (金)  錯覚と自覚その5:激動する時代での自己「錯覚」と自己喪失!
2002/04/06/ (土)  錯覚と自覚その6:ガリレオは天動説という「錯覚」を暴いた!
2002/04/07/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (34)
2002/04/08/ (月)  じっくり観察シリーズ:人の言葉、人の姿が身にしみる!
2002/04/09/ (火)  じっくり観察シリーズ:自己観察で多くの欠点を!そして自信を!
2002/04/10/ (水)  じっくり観察シリーズ:人々の観察力の盲点に挑む者たち!
2002/04/11/ (木)  じっくり観察シリーズ:人を「読む」のはむずかしいィィィー!
2002/04/12/ (金)  じっくり観察シリーズ:「静観・傍観」ではない行動的な観察とは?
2002/04/13/ (土)  じっくり観察シリーズ:眼くらましも飛ぶ激動の時代を観察、監視する!
2002/04/14/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (35)
2002/04/15/ (月)  ルールづくり:ルールづくりの人柱になろうとするヒーローたち?!
2002/04/16/ (火)  ルールづくり:独裁者シーザーの多様性への「寛容」とルールづくり!
2002/04/17/ (水)  ルールづくり:現代の科学・技術とこれにふさわしいルールづくり!
2002/04/18/ (木)  ルールづくり:ルールに含まれる「裁量」部分の危険さ!
2002/04/19/ (金)  ルールづくり:子供時代のルールづくりの天才たちはどこへ消えたか?
2002/04/20/ (土)  ルールづくり:日常的生活でのルールづくりの姿勢が政治を変えてゆく!
2002/04/21/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (36)
2002/04/22/ (月)  ポータルサイト型〜:他人のふんどしで相撲をとるあり方のニュースタイル?!
2002/04/23/ (火)  ポータルサイト型〜:インターネット環境ではほぼ必須なポータルサイト!
2002/04/24/ (水)  ポータルサイト型〜:ソフト化経済の方向を支え切れない日本の現状!
2002/04/25/ (木)  ポータルサイト型〜:ビギナーの案内や教育こそベテランを配して対応すべし!
2002/04/26/ (金)  ポータルサイト型〜:ポータルサイト型スタイルの言動に磨きを!
2002/04/27/ (土)  ポータルサイト型〜:急激に膨張、肥大化してしまった「同時代」への関心?!
2002/04/28/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (37)
2002/04/29/ (月)  デジ・アナ再論:デジタル化による便利さとやりがい感!
2002/04/30/ (火)  デジ・アナ再論:前田利家のような35ミリアナログ・カメラ!





2002/04/01/ (月)  錯覚と自覚その1:政界人物たちの「錯覚」症状!

 自分も含めておかなければならないが、この世は何と「錯覚」している人が多いものだろうか。ちなみに辞書によれば、「錯覚」とは、「知覚が刺激の客観的性質と一致しない現象。俗に、思いちがい」とある。「目の錯覚」などと言うように、もともとは生理的な知覚の誤りを指したもののはずである。今でも薬物使用常習者の感覚や、「超常現象」などをもっともらしく語る人々に対しては、この原義の「錯覚」を使うべきなのであろう。
 ただ、ここで改めて言及してみたい「錯覚」なるものは、生理的知覚には概ね問題がないにもかかわらず、われわれの日々の人間関係を悩ませ続けている広い意味での「錯覚」についてである。
 昨今、ニュースを賑わしている政治家たちのほとんどが、その見解や了見の善し悪し以前に、「あっ、この人は『錯覚』してるな」と思わされてしまうのだが、それこそ「錯覚」であろうか。
 自分の支配圏の人間が、内部告発などするはずはないとする「錯覚」で平気で虚偽を語リ続けたS議員を筆頭に、自分の天性なら万事アバウトな言動でも政界を泳いでゆけると「錯覚」して窮地に追い込まれたT元大臣、重大な過失を生んだ省内の改革を自分なら可能と「錯覚」しているT大臣やK大臣、総理候補だと言われ過ぎたために大物「錯覚」で立ち振る舞いのすべてが「錯覚」だらけになってしまったK元幹事長。舞台の上の米大統領演説を「錯覚」させるような大道具で、完璧に気分を「錯覚」させ、無内容なスポークスマンを曝け出しているF官房長官。K首相も、人気を「実力」だと「錯覚」している点が情けないと言うべきか。これらは、永田町が日本のヘソだと「錯覚」したボタンの掛け違いが尾を引いているに違いない。
 公平を期すため野党の「錯覚」現象も指摘しておくべきだろうか。与党の失政は必ずや自党の評価に結びつくという「錯覚」を続けているかのようなM党、やがては内部対立を解消できると「錯覚」しているらしいS党(M党も同様)、名称が重要だと「錯覚」し続けているようなK党。要するに、集中力を増そうとしながら「錯覚」問題がますます頑固になってゆくようだ。
 政界という化け物屋敷では、自分の感覚のズレを杓子定規にみずから糾しているようでは通用しないのかもしれないかと思ったりもする。確かに組織や人間関係を切った張ったでさばく人たちの中には、咎められた言葉をも自分への賛辞にすり替えて解釈できる「錯覚」の達人がいたりすることを見聞してはいる。そのような場合、「錯覚」できること(?)は重要な取り得となり、能力にすらなっていると、こちらが「錯覚」してしまうわけだ。

 だが、恐ろしいのは、環境の客観的事実をズレて認識してゆくこと(錯覚)に慣れてゆくと、常識的生活感覚が次第に無効化されてゆくことなのであろう。そして、イエス・マンばかりで囲まれた孤独な権力者たちは、それを是正する機会を失い、一途に薬物中毒者の末路のような幻覚症状の世界へと邁進してゆくことになるのかもしれない…… (2002.04.01)

2002/04/02/ (火)  錯覚と自覚その2:現代社会という「仮面舞踏会」が生み出す「錯覚」!

 自己の能力を、過信もなく卑下もなく客観的に了解したいものだと思う。とかく現代は「錯覚」へと誘う環境に満ち満ちているからだ。
 「額面どおり」という言葉がなつかしくさえなるほどに、商業主義一色の現代は、上げ底とパフォーマンスと自己主張が全盛となっている。そのひとつひとつを「額面どおり」の実体をもつものと「錯覚」しないのが現代人なのであろう。外界の人やものに対して、常に「上げ底比率」(?)を勘案し、割り引いて実体を見極める、そんな作法が身についているのが現代人だとも言えようか。
 ところが、評価すべき対象が、外界の人やものではなく、自分自身となるとにわかに事情が異なってくるのが人間である。自分自身の評価となると、すっぽりと「錯覚」のわなに嵌り込んでしまいやすいのが人間だとも言える。

 「敵を欺くには、まず身内から」といった言い回しがあったかと思う。それほどに用意周到でなければことは成就しないということであろうか。
 現代では、商品をヒットさせるには組織をあげて取り組まなければならない。いわゆる芸能タレントもそうであるし、大統領だってそうだ。そして、一般消費者大衆に、魅力あると「錯覚」してもらうためには、当然上げ底に向けた「下駄」が履かされるだろう。だが、それだけでは足りない。「錯覚」に相当する魅力が限りなく自然であるためには、当のタレント自身が自然でなければならない。要するに、その魅力の持ち主が、それが真実だと「錯覚」してこそパーフェクトなのだと、プロデューサーは画策するに違いない。自身にその魅力の実体があるのだと「錯覚」するタレントこそが、大衆の「錯覚」を遺憾なく誘えるのだ、という理屈でそのタレント自身の「錯覚」が指導されるに違いない。
 とんでもないことのように思える。しかし、このカラクリは意外と一般的に実践されているはずである。

 この新年度という時期、あらゆる組織がニュー・フェイスを迎えているようだ。そして、集合教育などがなされてもいる。指導側が望むことは、彼らが一刻も早く即戦力となることであるはずだ。勢い、おどおどする新人たちに向かって「そうそう、自信をもっていいんだから……」、「もっと自信をもって臨みなさい」とやたら、自然に身につくはずの「自信」を促成栽培させようとするだろう。「錯覚」することを強要しているニュアンスさえある。顧客が、新人職員をして慣れた職員だと「錯覚」するほどであるためには、新人職員自身が「錯覚」していなければならない、と言いたげである。

 また、組織はより大きな生産性を上げるためにはあらゆる方策を採る。その最たるものは、職務拡大であり、自由裁量の拡大による「任せる」部分の増大である。その処理能力が乏しい者にとっては負荷でしかないが、挑戦心旺盛な者にとっては、水を得た魚のような条件であるだろう。だが、ここにひとつのカラクリも存在している。
 成果を上げる者は、やがてその成果のすべてが自分の実力によるものと「錯覚」してゆく可能性が高いという点である。そう感じられる充実感こそが、「任せる」部分の目的であるのだから、当然と言えば当然の成り行きではある。
 そこで、「錯覚」がもし過大なものとなっていった場合、その担当者は、その組織に属さなくともやってゆけるほど自分の実力は大であるとの「錯覚」にまで突き進んでしまうこともある。そして、思い切って自立した後、かねてのお得意様への挨拶時に、手痛い言葉でこれまでの「錯覚」を是正されたりする。「『看板』を失ったあなたとはぼちぼちやってゆくしかありませんよね」と。

 現代は、注目こそがビジネス・チャンスと見なされる傾向が強く、また個人が組織の部分的役割を担って仕事をすることが一般的でもある。個人の素顔が前面に出るのではなく、個人は上げ底ふうに誇張された「仮面」を被り、「仮面舞踏会」のような社会関係に歩み出ていると表現できるのかもしれない。
 そして、人間は、自分自身への評価となるとどんな御仁でも甘く、狂いの多い存在である。ここに、「錯覚」という何でもない心理的誤算が、現代人にとって結構大きな問題点であり、わなとなっている根拠がありそうだ…… (2002.04.02)

2002/04/03/ (水)  錯覚と自覚その3:『裸の王様』が示唆する心理的・社会的「錯覚」!

 「錯覚」が生じる原因には、生理的原因と心理的原因とがあるようだ。疲労に基づく幻視や幻覚は生理的なものの撹乱であろう。若い頃単独登山した際に、頂上付近の疲労困憊時に風で揺らぐ野草を人影と錯覚し一瞬狼狽したことがあった。直後に、それが野草であったことと、自分の極度な疲労とを自覚した。緊張のため意識は定かでも、その分生理的な負荷が極度に重なるとこんなことが起きるんだなと思ったものだ。生理的な原因は、それが自覚されれば意外と用意に脱出できる。
 だが、どちらかと言えば多少やっかいなのが、心理的・社会的原因によるものだ。しかも、その場で確かめたり、証明し得ないような場合には、なおさらやっかいである。

 『裸の王様』という有名な童話がある。権力を持った王様に、悪い商人がうまく取り入って、姿も形もない服を高値で売りつけてしまうという話だ。王様は、プライドをくすぐられながら高価な服だと言われたために、実際は何もないのに、さぞかし素晴らしいものだと勝手に思い込み、買ってしまう。
 そして、絶賛を受けることでその素晴らしさを再確認しようとしたのであろうか、裸で街に繰り出してゆく。一方、街の人々も自分の目には見えないが、王様が堂々と裸で街を歩いているのだから、きっと素晴らしいものだと思い込んだり、または、裸だと口に出して言うと、他人から馬鹿にされてしまうのではないかと思い、黙ってしまうのである。
 正直で素直な子どもが「王様は裸だあ!」と叫ぶまで、延々と思い込みというか「錯覚」というかの世界が続いてゆくという話であったと思う。

 これを、ストリーキング事件(?)事件と見なした場合、どう裁かれるべきなのだろうか、とくだらない関心を持つとしよう。商人が詐欺罪となることに異論はない。加えてストリーキングという軽犯罪を幇助したことになるかどうかは、王様が軽犯罪法違反となるのかどうかに掛かっていよう。
 さて王様は、意図的にストリーキングをしたのかどうかである。王様は裸であることを知覚していたのかどうかが問われる。秘書の監督責任とともに、秘書との共謀関係があったのかどうか、いやこれは関係ないか……。知覚はしていたが、そうでないことを信じようとしたとあれば、そんなばかな話はないでしょ、となり勢い軽犯罪法違反プラス虚偽罪へ向かうこととなる。もし知覚さえしなかったとなれば、虚偽罪の可能性を残しながらも、概ねお気の毒に、となり精神鑑定の措置へと向かうこととなろう。
 街の人々の軽犯罪幇助も問われるであろうか。その場合にも、争点は裸を知覚したかどうかで、大量の罰金刑により国庫が増大したり、または精神科医が大儲けする場合もあったりする。とまあ、生理的な知覚や法律での仕切りを焦点にすればこんなことになるのだろうか。

 しかし、この童話の妙味は、生理的知覚がどうのこうのではなく、大人の世界では心理的・社会的「錯覚」とでも呼ぶべき現象が、十分に発生し得るのではないかと衝いている点であろう。王様みたいな自尊心と虚栄のかたまりの人間も「いるいる!」であるし、二種類の街の人々もリアリティがある。もちろん、商人も、そうした人間の盲点を衝いて稼ごうとするあとを絶たない犯罪者というかたちで、われわれはいやというほど見聞している。このように生理的原因ではなく、さまざまな人間関係の文脈の中で、意図的にあるいは無意識に知覚をゆがめたり、それを利用したりする現象(=広義の「錯覚」)が、結構ありそうだと思えるのである。
 さらに、これらと関係して、混迷してますますわかりにくくなっている時代の現象に対して、国民が「錯覚」ではない政治判断をどうすればできるのかというテーマも思い起こされる。
 こうしたグレーゾーンの心理的・社会的「錯覚」現象こそを、その危ない論理の内訳と詳細な事例を添えて、白日のもとに曝け出すべきではなかろうか。
 元来、マーケットにしても、政治の領域にしても「錯覚」など起こりようがないほどの透明性が望まれる。だが、それは無いものねだりだとすれば、消費者や国民は、あらゆるフェイントに対しクールな視線臨み、陥りがちな「錯覚」に注意するしかないのだろうか…… (2002.04.03)

2002/04/04/ (木)  錯覚と自覚その4:「意を強めあう」場やチャンネルを見出すことがお薬三日分!

 孤立した人が「錯覚」に陥りやすいという事実は十分想像できる。昨日の『裸の王様』においても、王様がワンマンではなく周辺の側近と忌憚のない会話ができていれば、また街の人々も相互に孤立した関係ではなく開けっ広げのコミュニケーションができていれば、子どもの率直な声以前にどこかで真実が大人たちにも共有されたはずである。

 ある人が、電車などでの車内暴力に対する対処法を教えてくれた。決して、唐突に当人を咎める挙動に出てはいけないと言っていた。まず、周囲の人に「困ったものですよねえ」などと言って共感や、会話の輪を作ることが先決だそうだ。そうしておくと、注意する行動に入った時に、見て見ぬ振りができなくなるというのだ。なるほど、と思った。
 人間は孤立した状態では、知覚を捻じ曲げることも辞さないほどに受身的な存在となってしまう。恐怖が伴えば、「何も見えていないよな!」とすごまれれば「はい、何も見えていません……」と言ってしまうことくらいは起こってしまうものだろう。
 こうした「広義の錯覚」現象が、政治の場、外務省で発生していたことが、不十分ではあれこの間明らかにされていることを国民は知った。大の大人も、一本釣り的な人事介入の可能性をちらつかされれば孤立した環境と同様の心理とさせられるのであろう。

 現代社会が「錯覚」への落とし穴をいくつもこしらえてしまっている事実を考えてきたが、現代人が意外と孤立しているのではないかという点は、表面的な様相とは別に、強調されてよいのではないだろうか。
 今、職場でも学校でも、過激な競争に向かったビジネス環境は、ますます人間同士の会話や対話を押し退けているという。ムダ話と見なされているのだろう。不安やストレスを解消するガス抜き場面が次々と排除されている。課題のプレッシャーと孤立感が募っていると見える。孤立した個人が「錯覚」に紛れ込む可能性は低くなくなっている。
 家庭や地域が、職場や学校での苦悩を癒すざっくばらんなコミュニケーションの場としての機能を果たせなくなっている事実は、もう大分以前から指摘されている。個々の家庭や地域でその実態は千差万別であろうけど、従来のような「心の港」のような機能が果たしにくくなっている現実傾向は否定できないだろう。孤立した個々人が、「無防備!」な心理状態でマスメディアが提供する情報の前に立つ、というイメージが最大公約数として観測できるのではないだろうか。
 かつて、マスメディアからの情報は、家庭なり地域なりでのさまざまな会話や意見によってフィルタリング(フィルターをかける)されていたと言われる。マスメディア情報に独自の距離を置くことができていたのである。
 しかし、メディア機器がパーソナル化した環境を加えた現状は、ますますマスメディア情報と孤立した個人とが向き合う関係を強めているはずである。もとより、マスメディア情報の真偽を確かめる機会を個人は持たない。マスメディア情報によって、誘導される可能性が極めて大きいと判断せざるを得ない。社会環境を「錯覚」して受けとめる可能性が決して低くはないのである。

 「意を強める」(支持・賛成してくれる人がいるのを知って心づよく思うこと)という表現がある。これは、個としての人間の弱さと、強くなれる方法を示した重要な言葉だと考えている。どんなにか強く見える人でも、孤立して他者との対話が途絶えると、「錯覚」などは当然のこと、信念さえも蝕まれてゆくのが人間の性(さが)なのだろうと思っている。孤立が前提視される現代人は、どこかで「意を強めあう」場やチャンネルを見出してゆくことがビョーキにならない秘訣のように思う……

2002/04/05/ (金)  錯覚と自覚その5:激動する時代での自己「錯覚」と自己喪失!

 自分がいつまでも若いと「錯覚」している人は少なくない。かく言う自分もつい先ごろまで、若かった頃の体力・気力イメージを何の疑いもなく温存していたものだ。
 時間はあっという間に過ぎ去ってゆく。実は、あっという間なんかではなく、当たり前に過ぎているのである。意識だけがあっという間だと感じているに過ぎない。そして、その自己本位な意識の上に、記憶、思い出、思い込みが乗っかっている。二十代の自分が昨日のことのように思い出されたりもするのがそれである。
 しかし、身体の方は、意識と較べれば不器用なほどに、実直に歳をとっていく。隠しようがなく、かばいようがなく体力低下と不具合となって定着されてゆく。ここに、若さに関する「錯覚」の発生するメカニズムがあるというわけだ。
 自分を「若い」と「錯覚」することは、「いやー、もう歳でねぇ」と妙に年寄りという「錯覚」に陥るよりはましかもしれない。まして、この変化の時代、何事にもチャレンジ姿勢が叫ばれる時、自分を若いと「錯覚」するくらいでやる気を鼓舞するのがいいのかもしれない。

 若さへの「錯覚」はともかく、人は、大なり小なり程度の差こそあれ、自分を「錯覚」して捉えていることが多いと言うべきか、一般的だと言うべきかではないか。「いや、わたしに限ってそんなことは絶対ありません」といきり立つ方は、先ず「錯覚」の第一人者と見るべきかもしれない。
 なぜそうかと言うと、「あの人ってどんな人?」というわれわれが日常的にしばしば発する疑問に対して、人はどう答えるかを思い起こせばわかる。よく耳にする回答に、「自分では大物ぶってるけど、小さい小さい、せこいせこい!」とか、「ご本人は厳格だと言ってるんですけどね。それは他人に対しての話。自分のことは大甘でずぼらそのもの!」とかがあり、要するに、主観的評価と客観的評価が著しく異なる現象を世人は当然視しているかのようである。
 そして、人使いのうまい方などは、「いやー、先生のようなご寛大なお方なら、やはりここはウンと言って大目に見るのでしょうね」などと、本人の「錯覚」を逆手にとって誘導操作に利用したりもするであろう。「うーむ、これでぼくも意外とシビァーな面もあるんだよ」と巻き返しをはかろうとしても奏効しなかったりするのがおかしい。

 自分のイメージを「錯覚」している人はどんな人種に多いかと言えば、それは決まっている。我がままが通る社会的ステイタスにふんぞり返っている御仁たちに違いないのだ。 別な表現をすれば、「〜すべき」という点を意識せざるを得ない立場や環境や「肩書き」で支えられた人々だとも言える。
 元来、人が自分や自分のイメージを意識する時、二つの側面があるはずである。周囲が期待する、言い換えれば「期待された自己」と、ありのままの「存在する自己」である。 額面どおりの子どもには「期待された自己」はなく、ようやく「存在する自己」が意識されるかどうかであろう。ボクはだあれ?の問いに「ウルトラマン!」というかわいい段階もあるが……。
 人が社会関係に参加してゆくことは、「期待された自己」という「社会的役割」を自覚しこれを果たしてゆくことにほかならない。「〜ごっこ」の「役」と同様なのである。お母さん、お父さん、先生、サラリーマン、課長さん、部長さん、新聞記者、国会議員、検察官、裁判官、逮捕いやこれは脱線、などの「社会的役割」が、「期待された自己」を強化してゆき、いわゆる「社会的自己」となってゆくのである。
 しかし、「社会的自己」はひとつの側面なのであって、どんなに多くの「役や肩書き」(しばしば町会議員先生が、教育委員やら、防犯委員やら、〜を守る会会長やらと多数の役職を兼任する方がいらっしゃる)を重ねても、真の自己である「存在する自己」の空白が埋まるわけではない。この点はご本人が最もご存知のはずである。そこで勢い自分とは「役や肩書き」なんだという開き直りの「錯覚」へと速やかに紛れ込むのだろう。

 ただ、天下泰平の時代の世の中では、社会的問題が無いところからあれこれ詮索される機会もなく、「社会的自己」=ご本人で十分通用したかもしれない。「あそこのご主人は、〜会社の社長さんなんですって!」となれば、道で会っても「こんにちは社長さん」、買い物行っても「こっちはどうです?社長」、すべてが「社長さん」となり、負ぶさる赤ちゃんまでが「ちゃちょーちゃん」という漫画のような世界。
 しかし、現代のような激動の時代は、「役や肩書き」自体に大きな変化を与えずにはおかない。課長職の名称がマネージャに取り替えられたとたん、「ぼくって誰?」と部下に問う旧課長がいたりしても、まあわかると言えばわかる。
 激動の社会環境は、「役や肩書き」を揺るがすことで、それらをそのまま自分だと「錯覚」してきた人々を、他愛無い夢から醒めさせる機能を果たしつつある。そして、多くの人を、自分にとって「存在する自己」とは何なのかという問いの前に立たせ始めている。 リストラで、「〜会社の部長」というレッテルを剥がされた人たちだけが自己喪失に陥っているのではないのだ。自己喪失でありながら自己喪失は他人事として無視してきたわれわれすべてが、自己喪失を気づかされる隙間に落ちやすくなっているということなのだろう…… (2002.04.05)

2002/04/06/ (土)  錯覚と自覚その6:ガリレオは天動説という「錯覚」を暴いた!

 「知覚が刺激の客観的性質と一致しない現象。俗に、思いちがい」という意味の「錯覚」に関心を持つという動機は、なぜ生じたのかである。たぶん、自分自身にも、自分を取り囲む社会や世界の人々にも、事実を取り違えた認識や感覚があるのではないかと感じる疑念があったからだろうと思っている。
 目先の問題にしても、国会もマスコミも、事の軽重を取り違えて何を重箱の隅を突き回し、いたずらに時間をつぶしているのか。当事者たちは「錯覚」していると言うべきか、額面通りの能無しかのどちらかであるに違いない。そもそも、国民の真の関心事である重要課題を脇に置いて、後でゆっくりやればよいかのような問題に血眼になっている現象は、政権の末期症状だとしか言いようがないだろう。

 さて、自分自身をどうイメージするかに関する「錯覚」の問題も重要ではある。しかし、もっとマクロな「錯覚」が現代に潜んでいるのではないかと感じている点が大きい。実際に、そう感じる対象も多々ある。とともに、もうひとつ重要な点がある。
 かつて、ガリレオは、天動説は「錯覚」なのであり、地動説こそが真実だと究明した。大変革とは、まさに大きな「錯覚」を糾すことなのであろう。大言壮語を吐いても始まらないが、今、日本や世界の実情は、あらゆる面での行き詰まりを示し、大きな変革=大きな「錯覚」からの離脱が望まれていると言える。難しい表現をすれば「パラダイム(理論的枠組み)」の変換が期待されている、そんな時代の曲がり角を迎えているのかもしれないと思われる。揺ぎない当然の事実、当然の基盤と見なしてきたものを、ひょっとしたら「錯覚」だったのかもしれないという疑念の目で見つめ直すことを、激動の時代は人々に要請していると思うのだ。
 大理石もふんだんに使用され、その建物も見るからに重厚さと安定を誇示していた銀行こそが、差し迫る金融危機に直面して今最もアブナイ存在となっている。銀行への庶民の信頼感はまさしく「錯覚」だったとしか表現できない状況なのである。
 国が司るべき国民の安全な食生活も、医療も、考えられないほどの杜撰さが暴露され始めている。知らされていなかったことは、ちゃんとちゃんと遂行してくれているものとばかりに、国民はどこかで国というものを信じていただろう。それが、「錯覚」でしかなかったことを、度重なるおぞましい事実によって今国民は自覚しつつあると言える。
 マスコミへの信頼も十分に「錯覚」である可能性が高いと思われる。どうしても、商業主義の論理が、権力への迎合(そうでなければ政治記者は記事が書けない仕組みがある!)と、消費者大衆への迎合(営業的なマジョリティをひたすら掴もうとする!)と、自己存続の保身(真実の報道ではなく、一貫性とやらの体面にこだわり、隠す情報はしっかりと隠す!)を促すからだと観測できる。

 「大きいことはいいことだ!」、「重厚長大」賛美の時代がちょっと前にあった。そして、「軽薄短小」賛美の時期が訪れた。しかし、人々の価値観や感覚は、「寄らば大樹」の「錯覚」をそののまま引き摺ったと言えるだろう。「軽薄短小」側存在の多くが、腰がすわった実績を示しえなかったという悲しい現実がなきにしもあらずだったかもしれない。
 ただ、激動と新情報が飛び交う時代は、ちょうど絶滅した巨大恐竜たちのように、組織が巨大であればあるほど不利なはずなのである。激しい変化に即応する仕組みというものは、難しい上に膨大なエネルギーをも消耗させるからだ。
 にもかかわらず、巨大だという点だけで信頼感を寄せようとする感覚こそは、現代の大きな「錯覚」だとしか言いようがない。むしろ、この変化の時代にあっては、巨大な組織ほど、「保守的」となり、内在する矛盾を隠さざるをえないために「情報隠蔽」が避けられず、巷(ちまた)に流通する新情報を吸収咀嚼できずに遅れさえとることになる。
 米国(経済)は、この点をこそ不況時に学び、ITと組織の抜本的変革をセットにした「リエンジニアリング」を敢行したのだった。古い体質は温存されたまま、人員削減だけの「リストラ」だけをやって事足れりと「錯覚」しているわが国とは相当異なっているのかもしれないと感じる。

 現時点でやるべき課題は、もはや誰の目にも明らかなはずである。新しいことをやる必要などないのだ。それはすでに存在しつつある。これらに手枷、足枷をはめ身動きを封じ込めようとしている制度と組織と、そしてただただ既得権益からそれらの温存を図ろうとしている連中にお引取りいただければよいだけの話だと、そう思っている…… (2002.04.06)

2002/04/07/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (34)

 翌朝、海念と十三郎は、もうしばしの滞在をと勧める庄屋の主の言葉を振り切り、礼を言って江戸へと向かうことにした。主は、それでは気持ちが済まないと言って、二人にそれぞれ金子(きんす)を包んだ。
 宿場町八王子へと向かう甲州街道に出た二人は、夏のまぶしい朝日に向かって進むこととなった。笠のない十三郎は、右手のひらを額にかざし、まぶしさを堪えながら歩いていた。
「今日も暑くなりそうな気配じゃのう。江戸はさぞかし暑苦しいのでござろうな」
「山中の信州に較べると暑いと言えましょう」
 十三郎の郷里が信州であることを海念は昨夜聞いていた。浪人となってからも、なお長く郷里を離れずに留まっていたと話していた。
「江戸は、冬は火事で熱くて、夏は夏でむし暑いということか。おまけに浪人たちは不平で熱くなっておる。正雪先生は、それで涼しい蝦夷地の開拓をとお考えに及ばれたのかのう。いやいや、そんな戯言(ざれごと)を言ってはいかんか。はっはっはっはっ」
 十三郎は、昨夜の飲み語らいですっかり海念に気を許すようになっていた。おまけに自分がこれから向かう由井正雪先生のその名を海念が知っていたとわかり、なおのことであり、仲間意識をさえ抱き始めていたのだった。
 昨夜、十三郎は自分が江戸へのこの旅に至る顛末をくどくどと海念に聞かせていた。
 十三郎は、江戸から戻った同じ浪人者の知人から、軍学者由井正雪の江戸での噂を聞いたとのことだった。すでに正雪の軍学塾には、少なからぬ門弟がおり、江戸在住の浪人や大名家の家臣たちのみならず、各地からの浪人までもが出入りするほどに人気を博しているとのことだった。ただ噂の片方中には、大ぼら吹きの曲学阿世の徒だとか、幕府転覆をねらう危険な学者といったものもあるにはあるという。
 だが、塾での講義を直接聴講した十三郎の知人の話によれば、由井正雪は実直な趣きで当世の浪人たちの苦境を見つめているという。幕府に対して浪人救済の策を一途に嘆願するお方だという。そして、その策としては幕府にとっても益あるに違いない、浪人たちを使った蝦夷地(北海道)大開拓案を研鑚されておられるというのだった。
「で、もし正雪先生のご提案が幕府によって取り上げられたとしたなら、蝦夷地へ向かおうとする浪人はいかほどおりましょうか」
「うーむ。千、いや二千、いやいや三千にも上るかもしれぬ。当然拙者はいの一番に向かう覚悟じゃ。なんせ、この数年の苦しい浪人生活で、拙者は浪人たちには何ほどの将来もないことを、痛いほど知らしめられてきもうした。この先、何年経とうが浪人たちに明日というものは来ないはずでごさる」
 まだ人の出のない街道ということもあってか、十三郎は傍若無人に大声を張り上げて喋り続けるのだった。

「そろそろ八王子の宿が見えてきました」
 江戸方面は初めてだという十三郎に、海念は案内のつもりでそう言った。
「早くも喉が渇き始めたものだ。どこかで、湯茶を所望できぬものかのう」
 旅の速足に慣れている海念に対して、十三郎の口からははや泣き言ともとれる言葉がもれた。
「まだまだ先はなごうございますぞ。まあ、あの茶屋でのどを潤しますか」
 二人は、宿場のはずれの茶屋に立ち寄ることとした。宿場の方向から、諏訪方向へと向かう旅人の姿がわずかにうかがえた。
 海念は腰を降ろしながら、錫杖を腰掛けた台に立て掛ける。十三郎も腰からはずした大刀を立て掛ける。そして、突然妙なことを言い出すのだった。
「海念さん、太刀は武士の魂と言いますが、当世の浪人の中には魂まで、食扶持(くいぶち)に替えてしまう者もおる有様なんですぞ。情けないことじゃのう。とは言うものの、実を言うとな、拙者も一時は、大事な魂を質草にしたことがあったのじゃ。はっはっはっはっ」
 海念は、隣に座る十三郎に笑顔を向けるのだった。
「では腰が妙にさみしくなりましたのう」
 海念も冗談で応じるのだった。
「そうそう、格好ばかりの竹光の太刀を差したとて、軽くて様にならんのじゃ。その時知ったのだが、竹光を腰にする浪人は見ればわかるものじゃぞ。町人たちは騙せても、武士同士では容易に見抜けるものでござる」
「ほう、そんなものですか」
 茶屋の老婆が、盆に二つの湯のみを載せて運んできた。
「これから江戸へ向かわれますのかね」
「おお、そうじゃ。ところで、宿場からの旅人は少ないのではないのか」
「いいえぇ、大方の旅の方たちはもうとっくに発たれましたのじゃて」
 そう言って老婆は静かに茶を置いた。そして、曲がった腰を伸ばすように反り返り、右手をかざして宿場の方を眺めるのだった。何やら目を引くものがあったようだ。と、老婆が心配そうな声でつぶやく。
「いやいや、あの子は大丈夫ですかのう」

 宿場のはるか前方に、砂埃が立ち上がっているのが見える。侍が乗った早馬に見えた。その手前に、子どもが一人こちらを向いて歩いている。泣きべそをかいている仕草のようだ。そしてさらにその手前には、ぐずるわが子にわざと距離をあけたかのような父親と思しき浪人が歩いている。
 老婆の言葉に促され、視線をやっていた海念と十三郎は、その光景に言い知れない不吉さと、次に起こる何事かを咄嗟に察するのだった。
 見る見る砂埃は大きくなった。そして、その子ども付近でそれが起きたのだ。馬がいななき、激しく立ち上がった。侍がぶざまに落馬した。子どもは、血相を変え、子猫のように父親のもとに走り寄る。親子は、凍ったように寄り添って、砂埃の中央を呆然と眺めていた。
「無礼者めー」
 落馬した侍が、起き上がり、腰の砂を払いながらその親子に詰め寄っていた。
「この無礼者!えーい、この無礼者めー!」
 侍は、興奮状態の中で自分の面子をどう修復したものかと戸惑っていたのか、ただただ浪人親子をなじる言葉を繰り返した。
 海念と十三郎も思わず、茶屋からその現場へ駆け寄っていた。
「この子が大変な失礼をいたし申した。お許しくだされ」
「ええい、許せるものか。そなたも、武士であるなら、早馬の大事がわかっておろう。ええい、何としたものか……」
 浪人親子は萎縮して誤り続け、侍はまるで大きな駄駄っ児(だだっこ)のように振舞った。
 とその時、海念は、侍の表情に意地悪い笑みが走ったのを見逃さなかった。
「浪人もの、成敗いたすから親子ともどもそこへ直れ。直れというのだ。さ、さもなくば、刀を抜け!」
 浪人の子は、父親にしがみつき、真っ青な顔となっている。
「お戯れを、どうかお許しくだされ。街道の中央を歩かせていた拙者が悪うござった。このとおり、お許しくだされ」
「いいや、許せぬ。そなたも武士ならば、太刀にて決着を付けようぞ!さあ、抜け!抜けというのだ!」
 侍は、右手を刀の柄にやりながら執拗に迫った。
 この時ふいに、十三郎が、海念にそっと耳打するのだった。
「大変だ。浪人の腰のものは竹光だ、おそらく」
「うむ……」
 海念は、先ほどの侍の顔によぎった意地悪そうな笑みの意味を確信した。

 父親はなすすべなしと思ったのか、さらに許しを乞うべく、土下座の姿勢に入ろうとした。と、その時、
「いや、しばらくお待ちくだされ!」
 海念が、この緊張に素早く割り込んだのだった。
「な、なんだ。この乞食坊主が何事ぞ。武士の作法に口出しするとでも言うか」
「いいえ、とんでもございませぬ。ただ、幼気(いたいけ)な童のなしましたことゆえ、どうかお許し願いたいのでございます。どうか、お許しを」
 海念は笠をはずし、深々と頭を下げた。
「ならぬと言うておるわ。もはや勘弁ならん」
 この出来事を取り囲む宿場の者たちから、舌打ちする様子がうかがえた。
「では、何としても果し合いでございますか。致し方ありますまい。それでは、このわたくしめが見届け役を買って出ることにいたします」
「うむ」
 侍は、それでよいのだという表情で頷いた。 
「それはそうと、お侍さま、ご浪人さまの方は親子二人でございます。後々重なる仇討ちというのも面倒なことでございましょう。お父上が済みましたら後、ご子息の番ということでいかがでございましょう」
「ええーい、併せて成敗してくれる」
 海念の落ち着き払った言動に、侍は押され気味となっていた。居合わせた者たちは海念の挙動に首をかしげている。
「では、お父上、お父上の刀は後ほどのご子息の番に備えてお預かりいたします」
 海念は、素早く浪人の刀を預かった。浪人はなすままとなっていた。
「で、十三郎どの。そなたの太刀をご浪人にお貸ししてくだされ」
 十三郎は、なるほどと頷き、合点の表情で、いそいそと太刀を腰からはずした。十三郎の真剣の太刀が、その浪人に手渡された。
 この仲介の段取りを、侍は、あっという思いで見とれてしまった。
「何をしておるのじゃ!」
と叫んだが、それ以上に踏み込む言葉が出なかった。表情は歴然として曇り始める。
 他方、浪人の表情は一変した。腹を据えたような、堪えていた怒りを一気に吐き出すような鋭い形相に変わった。そして十三郎からの太刀をおもむろに腰に差し始めた。
 そこで海念は、畳み込むように言うのだった。
「お侍さま、ここは天下の往来でございます。また、お急ぎの早馬が参りますと、再び惨事となりましょう。ここしばらく先の右手に邪魔の入らぬ野原がございますので、果し合いはそちらでということにはなりませんでしょうか」
「うーむ、よかろう……」
 侍は、憮然と答えたが、居心地の悪そうな素振りが見え透いていた。馬の様子を振り返ったりして、先ほどまでの気迫はすっかり失われていた。
「それから、これは余計な心配でございますが、早馬というお役目でこのように時を失っていてよろしいのかどうか……。何か、一時を争う火急のお知らせなのではないのかとご心配申し上げるのでございますが……」
「ええーい、わかっておる。そうに決まっておる。じゃて、このようなことで、時を失っている場合ではないのだわ。うーむ、止めじゃ、止めじゃ」
 侍は、海念の余計な節介を、これぞ潮時と見たのか、袴の砂を払うようにして、きょとんと立ちすくむ馬へと足早に戻ってゆくことになった。
「お侍さま、果し合いの方はいかがなりますので」
「取り止めと申しておる。それどころではないわ」
 と言うが早いか、侍は馬に飛び乗り拍車をかけ、再び荒っぽい砂埃を立てて街道を西へ向かって疾駆していった。

 早馬が街道の西へ消え去るのを見届け、その場に居合わせた者たちは一様に胸を撫で下ろし、笑みが戻った。
 浪人の子どもは父親に向かって大事そうに太刀を差し出した。が、いかにも軽々と扱うのが武士の目からならわかった。父親は言いようのない苦笑いをして受け取った。そして腰から真剣の太刀をはずし、十三郎に丁寧に手渡しながら言うのだった。
「まことに面目ないことでござった。生きるため、ここまで失ってしもうたわけなのです」
「致し方ない事情なのでござろう。……ご子息のためにも生き抜いてくだされ。きっと、……きっと良いことも訪れましょうぞ」
 十三郎は、鼻をすすりながら、たどたどしくつぶやいた。
 うな垂れた浪人の脇で、痩せた子どもが、磨り減ったわらじを履いて海念を見上げていた。そのうす汚れた顔には血色が取り戻されていた。見つめていた海念は、この子の目の前で、父親が武士の誇りの最後の最後までを奪われるという悲惨さが、とにかく回避できたことに、ただただ安堵するのだった。
 浪人親子は、海念たちに几帳面にそろって頭を下げ、二人並んで街道を西へ向かっていった。 (2002.04.07)

2002/04/08/ (月)  じっくり観察シリーズ:人の言葉、人の姿が身にしみる!

 初めての会社に入社して間もない頃のことだった。同じ課に鮮やかな感性の女子社員がいた。歳は一回りも違っただろうか、多少の荒っぽさは気になったが、てきぱきとしていて、何よりも人とのやりとりにおける感性の天才かとさえ思わせる女性だった。的確に人の特徴を見抜く凄さに舌を巻いた。どんな文脈だったか忘れたが、その彼女がある時わたしにこんなことを言ったことがあった。
「ヒロセさんのお宅には、ヒロセさんが使う道具があっちこっちにふんだんとありそうですね。押し入れから、物置までぎっしりあるんじゃないですか?」
 最近はそうでもないが、二十年も昔はまさにそのとおりだったのだ。世界の不具合は、すべて自分の手で修理してやる、といった活力と傲慢さで満ちていただろう。

 別な会社でシステム開発の責任者を務めていた頃、飲み会で、ある若手の部下がおもしろいことを唐突に言った。実力はあった。正直過ぎて表現法がやや気になる男だった。
「ヒロセさんは、話しながら自分で自分の話に酔っていきますよね」
 そこで、
「自画自賛できないような半端な話を他人にはしない」
 と負け惜しみを言ったものの、見てる奴は見てるもんだなと内心恐れ入ったものだった。

 同じ頃だっただろうか、新宿の場末のラーメン屋で部下と一緒に飲食して、いざ勘定を済まそうとした時、初老のある酔っ払いが突然「独り言」を言い出した。
「部下に向かってしたり顔して説教するのはよくないよなあ。もっと、わかりやすくわかりやすく砕いて話してやらなくちゃなあ」
 特に説教などしていたわけではなかった。その時の部下はどちらかと言えば過剰に気を回すタイプであり、わたしは声が大きいタイプだったことからその対照が際立ったのだろうか。が、そう見えるものなんだなと記憶に残った。

 現在の会社の初期の頃、みんなで密教の僧侶を迎えて講話を聴こうという機会があった。わたしらと同様のシステム関係の事業を清算し、突然仏道に転身された方で非常に興味深い話が聴けた。個人的に会話をしていた際、盛んに強調されていたことがあった。
「社長は、どうしても理詰めで攻めようとするタイプだ。それでは空回りがさけられませんぞ」
 当時、そんなことは熟知しているけど、と言って御坊のように宗旨替えするには至っていませんのでね、と心の中でつぶやいていたような気がする。が、水面下でのあくせくした余裕のなさが、見る人から見ればお見通しなんだと愕然としたものだった。

 最近、同じビル内である他社の重役と出会うたびに、彼が放つ異様な気配にウッと目をそむけたくなることがあったりする。たぶん、ご当人もその周辺も「やり手」という一致した評価を下しているに違いない。しかし、その評価のために失っていると感じられるマイナスの魅力は甚だしいものがあると、冒頭の彼女なら喝破するだろう。コストをケチった中国製のサイボーグのように、余裕を感じさせない身のこなしと、バリ(金属板切断部分の跳ね上がり)だらけでとげとげしい所作が不快感を存分に刺激するのだ。
 その彼と出会うたびに、こうはなりたくない、いや同じ穴のムジナではあるんだろうけど、ここまではなりたくないと痛感する。だが、上記のように過去を振り返ってみると、また現在においてもなお、他者の柔軟な視界の中ではしっかりとそうした「鼻持ちならない存在!」となっている自分を想像せざるを得ない。こうした自分をどうにかしない限り、何ともいたしかたないか、と昨今殊勝な気分にさせられている。
 なんせ、この春の自然が織り成す新鮮な息吹は、迷いの中で醜態をさらす人間たちに、美しくあるべし! とシュプレヒコールでもしているように聞こえてならないのだ…… (2002.04.08)

2002/04/09/ (火)  じっくり観察シリーズ:自己観察で多くの欠点を!そして自信を!

 「自信というのは、自分の欠点を他人よりより多く知っていることだ」と言う人がいる。逆説的な表現だが、なかなか洞察的だと思う。自分の欠点を自覚すれば、それで萎縮してさらに自信を喪失しそうな気もするが、そうではない。
 そもそも欠点とは、他人から責め(攻め)られて然るべき弱点であろう。これを十分に自覚することは、おのずから意識的な守備がなされることであるから、人前での自信につながるということであろう。
 また、欠点の欠点たるもうひとつの理由は、これらによって対象や環境への認識が歪むからだと言えよう。詰めの甘さを欠点とする者は、常に事態の推移を楽観視してしまい、結局は失敗へと行き着くこととなる。自分の考え方や感じ方における欠点を熟知することができれば、目に映る光景の受け止めや今後の予測、勘(勘ばたらき!)に伴う自分特有の狂い(バイアス)をそれなりに是正することが可能となる。事物のより客観的な姿が把握できれば、判断に自信が生まれるのは当然だと言わなければならない。
 「己を知るものは云々」というかびが生えたような言葉の真意は、自分のセールスポイントのみならず、弱点・欠点を含めて知ることを勧めてきたのだろうと推測できる。

 ところが、他人の欠点はいくらでも歯止なく発見できる人間だが、自分の欠点を知ること、自覚することは結構難しい。土台、よっぽど大きな失敗でもしない限り、そうしたことをしらふで考えようとはしないのが人間なのだろう。自分の欠点を、まじまじと新しいノートに、嬉々としてメモしている人を見たことがあるだろうか。絶対にない!たとえ、いやな奴の欠点や弱点を、藁人形に釘の替わりに憂さ晴らしとして列記する暗い人間はいても、自分についてはお目こぼしするのが人情であるに違いない。四六時中他人から責められたりしているのに、自分が自分をかばってやらなきゃ誰がかばってくれるというの!という思いで一杯なのが人間だ。
 また、先週テーマとした「錯覚」が最も発揮される対象は、何を隠そう自分自身に対してというのが相場のはずである。

 だから「じっくり観察」という作業がどうしても必要だと思えてくるのである。しかも、人は一定の年齢になってしまうと余程の友人か、身近にいる被害者(?)でもなければ他人の欠点など指摘してくれたりはしないものだ。まして、ちょっとしたことが殺人事件に発展しやすい(?)物騒な現代ではみんなが誉め上手、誉め殺しの達人になっているのだから。
 まあ、いい年して自己変革、自己改造でもないとは思っている。欠点を是正しようなどと真面目な小学生みたいなことは所詮無理、無理。そこで、世界の核兵器廃絶が無理なら、核抑止力による平和外交が現実的であるように、せめて自分の欠点を熟知しつつ事に当たりたいと思ったりしている。
 さらに、この混迷した時代環境に対して何がしかの見通しを立てるには、少なくとも自分自身の欠点で歪み放題となっている自分の眼力を、先ずは正すに越したことはないとも思ったりしているのだ…… (2002.04.09)

2002/04/10/ (水)  じっくり観察シリーズ:人々の観察力の盲点に挑む者たち!

 自分自身以外に何を観察すべきか。観察すべき対象は無数にあるはずだ。政治の馬鹿馬鹿しさ(ところで、「馬鹿」という言葉は「差別用語」に昇格したそうだ。固有の言語文化をそこまで脱色、消毒して無菌状態にしたら、それこそみんな馬鹿になっちまう!)もしかり、経済の暗闇もしかり、仕事がらの技術動向もしかり、通勤途中の景色の変化もしかりである。(ついでに記せば、年度末予算消化の道路工事が終わったかと思えば、昨今近所でやたらと豪華な新築工事が目に入る。ビジネス関係もありそうだが、みんなどうしてそんなに金もってるの?証人喚問したくなっちゃうほどだ)

 観察への傾注が必要なのは、大人であり、しかも長く生きている自分のような大人なのである。「ああ、あれも知ってるよ。うん、それも知ってるなあ。それなんか目に焼きつくほど熟知しているわ。だから、観察なんて全然必要ないもんね!」と高をくくって世を渡ろうとするかわいげのない熟年世代。そのくせ、「最近、何だか時間があっという間に過ぎちゃう。どんどん歳とっちゃう」なんて不安がったりしている。
 時間を止めることは無理である。しかし美空ひばりの唄『川の流れのように』、「ゆるやかに」、「おだやかに」時を過ぎさせる方法がありそうだ。一日を、「カンサツ、カンサツ」と呪文のごとくつぶやきながら、ものごとや人様を、決して高をくくらずにじっくりと観察させていただくのである。ほとんど老人の挙動ではないかと馬鹿(差別用語?)にしてはいけない。もともと老人じゃないわけじゃないのだから。

 思うに、人はろくにものを見つめないで、自分の頭の中に勝手に作った「状況証拠」的形象とも言えるアイコンを、ちょこちょことクリックしながら言動しているのではないだろうか。限りなく大雑把なのではないか。いつもとよく似た状況を、いつもとよく似た人なり物なりが、すーっと通り過ぎるなら、半数以上の人は、スルーさせてしまうのではないかと、冗談抜きで想像する。
 その種の飲み屋では、酔っ払いからの追加注文の酒は、健康問題を憂慮して(?)水で割った酒を出してくれるそうだが、まずわかりっこないものと思われる。が、酔っ払いではなくとも、日常生活の対象をまともに認識することもなく、言ってみれば「雰囲気」で対処しているような気がしないでもない。若いこだけじゃなくみんなが「なになにーっていう感じー」で結構済ましているんじゃないのかと。

 わたしは、ある団体から届く会報の存在価値を、最後の一ページにある上下二つの絵に潜む「七つの間違い探し」ゲームだけに認めている不届き千万者である。「よし、今日の制限時間は十分間だ」などとつぶやき、いそいそと事に当たるのだ。これが実におもしろいのである。何がおもしろいかといって、紛らわしさを多分必死で案出しているであろう出題者の努力の跡がうかがえるからおもしろいのだ。以前の手法と同様の手法が見出せた時には、「おぬしも、タネが尽きたか。仕事と言えども、苦労よのう!」と語りかけてやるのである。
 で、冷静に振り返ると、人の観察力、注意力の盲点に関心を持つ人種は、何もこうしたゲームの制作者に限らないだろう、ということに気づくのである。推理小説家もそうであるに違いない。はたまた、保護色で必死に生き延びているかわいい昆虫や小動物もそうであるに違いない。しかし、それ以前に関心を向けるべきは、何と言ってもその種の事柄をお仕事そのものにしていらっしゃる方々のことである。とは言ってもここに困った現象がある。政治家もそれに近いし、食肉業者もそれに近い。お役人も決して遠くない。他にも遠くない例がぞろぞろと待ち行列で並んでいそうなのである。やたらと「もどき」が多い昨今では、大御所たる本来の詐欺師の影も薄くなりがちになっているのが、最も困った世相なのだと言わなければならない‥‥ (2002.04.10)

2002/04/11/ (木)  じっくり観察シリーズ:人を「読む」のはむずかしいィィィー!

 人を「読む」=「観察」するのは難しい!と断言する。まあ、別に威張って言うほどのことではないはずである。ただ、この断言姿勢の背後には、断固たる失敗経験が控えているからそう結論しているのである。
 おだてに乗って気を許したり、勝手な思い込み、思い入れが禍したり、仕事上での窮地に立たされたこともあったし、昨日の話ではないが「プロ」級の詐欺的人格が見抜けなかったり、個人的ベースで数十万の金を踏み倒された経験も複数回にわたったりもした。事物的な事柄での失敗というより、人の目論みが読み切れずに苦境に立たされたことが大半であった。要するに柔で甘かった。表面的な人間関係からもう一歩踏み込み、たとえ気まずい雰囲気に突入しようとも確認すべきことは確認してゆくといった、したたかさなんかというより、当然の確認手順をことさら軽視していたのだろう。
 よく、人を洞察する力量などが話題になるが、自分は要するに、この力量に乏しいと自覚せざるを得ない。そう卑下することはないとしても、とにかくばらつきが激しく信頼性が乏しいとは確実に言えそうである。

 先ず、「話し上手」を自負できても、決して「聞き上手」でないのがいけない。応募者面談など、初対面の人と向き合うとどうしても当方からの口数が多くて、先方の口数を誘い、クールに正体を暴こうというつもりになかなかなれないでいた。しがない会社を経営していると、情けないことに誰でもがお客様に見えて、ついついアピールして、プレゼンテーションをぶってしまうのが情けないのだ。
 しかし、いろいろな人と出会ってみると、実にこういうタイプが掃いて捨てるほどいるものだ。どう見ても経営者とは見えない人の中にも、インプットのチャンネルがなくて、アウトプットのチャンネルだけの人がいたりする。誰でもいいから、自分の話を聞いてくれればいいと思っている人が実に多いということだ。
 人の話を聞かずしてその人を知ったり、読み込んだりすることができるのは占い師だけであろう。しかし、気の利いた占い師なら、初発の当てずっぽうで客をおろおろさせた上で、たっぷりと本人から情報収集をしているものだ。愚痴のひとつも聞いてほしいとする上記のような人間の性をうまくつついて、完璧に聞き上手となりきっているようなのだ。人を見抜くのに王道はないようだ。
 そうだからこそ、何と言っても観察する姿勢で、視覚情報、聴覚情報を入手する以外に手はないのかもしれない。観察するのは目とはかぎらないのであり、耳からの言葉を心の目で吟味できるはずであろう。

 さらに、自分の話を聞いてくれる人をもの欲しそうに待望する寂しい自分を、何とかしておかなければならないはずである。これがあるとどうしても聞くより話すの誘惑に引き摺られることとなるからだ。
 とは言っても、寂しさから自由な人間などそういるものではない。人間の寂しさは本来的な条件なのであり、そう簡単に解決できるものではないと思っている。となると、人間はみな口数人間ということであろうか。そうではないようだ。ここら辺に重要な問題が横たわっていそうな気がしてならないのである。
 ただ口数や会話があればよいと思える人と、「対話」がしたいと望む人とのその差は大きいという問題!聞いてもらえさえすれば誰でもよいし、相手からの言葉がなくともよいと思える人も、十分にいそうではある。しかし、これは余りにも切なくないだろうか。レベルとしては、生理的レベル、あるいは病理的レベルとさえ言える。丁寧に表現しても一人芝居なる言葉をまぬがれない。
 寂しさを自覚した人が真実欲しいのは、自分と同じく同じ思いでたたずむ人からの確かなレスポンスのはずである。それは慰めとは限らない。「王様の耳はろばの耳〜!」と叫び、返ってくるのが井戸の底からの反響という虚しさでなければ、厳しさであっても一向に構わないのだ。この人と人との確かな相互やりとりこそが、心底望まれていそうである。そして、これを可能とするのが「対話」なのだと考えられているようだ。

 人を「読む」=「観察」するのはやはり難しいのである。いくら「聞き上手」になったとて、涼しく距離を置いた聞き手には人は何も本質的なことを語らないであろう。ということは、人は、モノを観察するように観察してわかる存在ではなく、しっかりと「対話して、理解する」しか方法のない、やっばり難しい存在なのではないかと、薄々感じ始めている‥‥ (2002.04.11)

2002/04/12/ (金)  じっくり観察シリーズ:「静観・傍観」ではない行動的な観察とは?

 「静観」という言葉がある。「自らは行動することなく、静かに成行きを見守ること」の意味である。先ずは、観察者の行動に対して注意が払われた言葉だといえる。さらに「傍観」、そのことに関わらないで、傍(はた)で見ていることという意味の言葉となると、行動が伴わない観察に対して何やら非難めいた感情が込められ始めているようだ。
 つまり、ものごとをよく観察しないことに問題があるだけではなく、観察に終始したり、徹したりしてしまうことにもまた問題がありはしないかと、世間は考えていそうである。
 時の首相がどうも傍観的だとの批評を目にしたりもする。またすべからく評論家的スタンスの人がやり玉にあがったりもする。人々の常識的感覚の中には、一方で冷静な観察を尊重するとともに、他方では冷静を保つために一線を画す努力より、泥まみれの当事者たることを要求する意向が強いようにも思われる。この辺の問題は判断に迷う難しさがある。
 現代の戦争でも総司令官はきっとそうであるに違いないのだろうが、戦国時代の大将は見通しの良い本陣で、軍配団扇(ぐんばいうちわ)を手に、どっかと床几(しょうぎ)に腰掛けていくさ全体を鳥瞰的に観察して指令を出していたようだ。自らが泥まみれ血まみれになって戦うことは先ずない。適切な戦略戦術を適用すべく戦況を正確に観察することこそが大将の役割であったのだろう。総責任者の役割としては、今も変わらないはずである。
 だが、人々はどうも「体を張る!」というイメージに親近感を抱く。だから、水戸黄門のごとく、観察するなら全国の庶民の生活を見よとばかりに、天下の副将軍を全国行脚させる物語に嬉々とするのであろう。
 ものごとを飲み込むには、現場当事者となって膝を突き合わせて、時にはとばっちりを食らったりしてこそはじめて可能なのだと人々は信じているのかもしれない。確かに、昨日も書いたように、人間の理解は観察を超えた対話という行動によってこそ叶うといった事情がいろいろな状況にありそうな気がする。ジャーナリズムによって切り取られた断片としての情報だけで観察するのは困難であろう。また、たとえ現場を観察しても、パック・ツアーの海外旅行では現地の実態が見過ごされるように、リアルな姿を掌握し切れないかもしれない。現地の状況とまるで対話するように行動的に関わってみてこそ実態に触れられるのではないかと想像したりする。

 首相や大将といった総責任者のレベルの話はともかくとして、われわれが関心を持ってよさそうな問題は、事に関わらずしてどこまで対象の観察が可能であり、どこからはお手上げとなるのか、といった事情についてなのである。
 とかく現代は、文明がもたらしたさまざまな技術環境(特に通信映像技術)によって、「見れば何でもわかる」に近い錯覚が生じているのかもしれない。昔も「百聞は一見に如かず」とあったが、昔の「一見」とは、現在のような映像通信メディアがなかったのだから、当然体を現地に運ぶといった大変な行動であったはずである。つまり、伝聞より、現地・現物!というほどの意味ではなかったのかと推測する。
 だが、現代は映像を見ればわかった気になれる環境なのかもしれない。わかった気がするのは、見ている映像が解釈できただけのことであって、決して映像の実対象がわかったわけではないはずなのである。が、後者の大事な点は忘れ去られるのである。もっとも、現代のアイドルやヒーローの誕生は、この原理の応用でもあるとすれば、そんなことは百も承知で、騙されることを楽しんでいるとも言えなくはない。

 「静観・傍観」ではなく、対象に関わってゆくことで言うならば行動的な観察が深まる、といったそんな事情がおもしろいなあと関心を向けているのである。裏返せば、行動的な関わりを持たないことを、いくらじっくり観察を重ねても対象の認識には至らないのではないか、ということでもある。確かに、通り一遍の能書きをこくくらいのことは可能であるに違いない。しかし、人は能書きをこきたくて、事物や人の認識や理解に向かうのではないだろう。じゃあ何?と問われても困るが、自分が生きることとの絡みを持って対象が知りたいのではないのだろうか。そうした絡みがあればこそ、人は対象にこだわってゆくのに違いないし、他人の目からは瑣末な対象だと見えるものを命懸けで追っかけたりもするのだろう。世界が、すべての人々の目に均一に見えていると盲信できる人たちにはまったく関係のない話ではあるのだが‥‥ (2002.04.12)

2002/04/13/ (土)  じっくり観察シリーズ:眼くらましも飛ぶ激動の時代を観察、監視する!

 自分の眼にはどう見え、自分の心にはどう映るのかが観察だと主張したいと思う。かた苦しくも「主体的」観察とでも言おうか、あるいはくだけて、「生活的」観察とでも言うべきか。客観性を過度に強調する「科学的」観察や、治療のために行われる視力検査のような、輪っかの欠けた方向がどちらであるかといった「正解と間違い」が明瞭な観察は、一見正しいようにも思えるが、たとえ正しくともその種の観察は、少なくともわたしにとってはさほど重要なことではない。
 ひるがえって考えてみるに、現在のわれわれにとって差し迫った観察とはなんであろうか?その多くは、日常生活の場での人間関係や、生活関連の事象観察であるはずである。何か自然科学の領域での、例えば天体の新しい星の発見でもなければ、植物の新種の発見でもなかろう。あるいは、顕微鏡下の微生物の世界での新発見でもない。
 要するに、その厳密な客観性を追及すべく方法論を必要とするような観察ではないのである。生活周囲の人や事象を、ごく大雑把に、ありのままに認識できる観察なのである。生活の中でのさまざまな判断の基本を揺るがすほどの狂った観察結果でなければ、それでよいはずなのだ。

 「目視(もくし:人の目で観察すること)」では不足として、科学的な厳密さが追及される現代であり、観察における厳密さの能書きをこく人も少なくない。なら、人々は、日に日に観察力を高め、社会的事実を客観的に認識した上で判断して、行動しているのだろうか。そうだとしたら、とっくに社会は変革されていそうなものだと思う。
 観察結果だけが問題でないのは承知している。判断力や思考力にも大いに関係しているはずである。しかし、判断材料となるはずの観察結果が「ぬるい」ものであったなら、判断結果が望ましいものであるはずがないと思われるのだ。
 今日の政治、経済、社会の大混乱で、人々の不安が日常化している時、細かいことや専門的なことはともかくとしても、何が諸悪の根源なり原因なのかくらいは観察できてよいはずだと思えてならないのである。確かに、それを観察されては困る連中は、庶民のその観察眼を曇らせようと策謀していることもれっきとした事実であろう。

 昔から「どっこい庶民はよく見ている!」という表現がなされてきたものだ。だが、現代でも果たしてそれは通用しているのだろうか。ふと、いぶかしげに思ったりもするのである。差し当たって、その原因を二つ挙げたい。
 大変革を迎え、時の政権が大きく揺らぐ際、それまでの政権が延命を図るためになりふりかまわぬ策謀を打つこと、庶民を味方にしようとしてあらゆる手を講じることは、何も現代に限らないことである。ローマ時代から繰り返されてきた末期政権の常套手段だと言われている。この、庶民を味方にせんとするさまざまな手法は、のほほんとした観察力では見抜けないだろう、という点が一つである。
 二つ目は、現在の支配者は、効率的、効果的に一つ目の手法を実現する現代ならではの科学技術的、IT的手段を持っているという点である。マスコミであれ、インターネットを通じたメール・マガジンであれ、政府ともなれば制約なく使いこなせて当然であろう。庶民が観察したいものを遠のけ、隠し、都合のよい材料だけを庶民の観察眼にさらすことは、そんなに難しいことではないはずなのである。だからこそ、情報公開が叫ばれるのであろう。

 このように、激動の時代環境と従来の政権の崩壊過程では、デマや流言飛語は当然のごとく入り乱れるものである。多分この一ヶ月の週刊誌ネタや右往左往するマスコミの状況は、まだまだ続く変革プロセスのプロローグでしか過ぎないもののはずである。
 だからこそ、これまでになく、庶民にとっての鋭い観察眼が要請されているのだと考えるのである。
 その際、注意すべきは次の点だと思っている。観察眼を曇らす要因は、仕掛け側にも当然あるが、受け止め側にも半分ある。おいしい話を信じるようなら、眼力はにわかに曇ってしまうという点。また、それこそ「痛み」を伴うことのない安全地帯からものを言う評論家、「行動的」観察ではない者たちの一見客観的そうな観察結果を、しっかりと割り引いて受け容れてゆく点などであろう。
 個人の人間関係でも、観察眼をくらますプロの仕業には梃子摺るもののはずだ。しかし、政治の世界の出来事はそれこそ全国区をくぐり抜けた海千山千のプロたちが蠢いているのだから、よほどしっかりと庶民は観察しなければ、監視しなければ良い結果になるわけがないとそう思っている‥‥ (2002.04.13)

2002/04/14/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (35)

 海念と十三郎の二人は、甲州街道八王子宿から内藤新宿までのおよそ十里、約十時間を歩き通した。すっかり夜となった暮れ六つから夜五つ(午後八時頃)頃、ほうほうのていで宿場にたどり着くのだった。旅慣れしていない十三郎はこたえているようだ。
 ここは正確にはまだ江戸ではない。ここからが江戸だとされた関所、四谷大木戸までは半里を残していた。
 内藤新宿は、江戸からの五街道の最初の宿場町である四宿(ししゅく)のひとつである。ほかに、品川(東海道)、板橋(中仙道)、千住(日光街道・奥州街道)があり、それぞれに、大名の泊まる格式を誇る宿屋である本陣、脇本陣と、町人向けの旅籠(はたご)、加えて飯盛り女の名目で遊女を置いた遊郭があり、常に賑わいを見せた宿場であった。
「お泊りではございませんか」の呼び声に誘われ、二人は、さっそく宿をとった。八王子の庄屋の主からもらった金子が心強かったに違いない。

「海念さんは、もうお休みになりますか? 拙者は折角だから……」
 湯に入り旅の汗を流し、遅い夜の食事が終えた時、十三郎は元気を取り戻しそわそわとしていた。
「どうぞ、ごゆっくりしてください。わたしは先に横になります。」
 十三郎は階段を降り、夜の宿場街に出て行った。窓の障子戸の外からは、まだ賑やかな人声が聞こえていた。海念は、旅の疲れを癒すように、畳の上で仰向きとなり手足を存分に伸ばすのだった。
 天井に目をやりながら、明日、江戸に戻ってからのことに思いを巡らした。
 やはり、由井正雪先生の講義を一度は聴講しておこうと思った。同時に、今朝八王子の宿場での惨めな浪人親子の姿が目に浮かんだ。とその時、もう一組別な親子、中村小平太と娘静のことが突如として思い起こされ、海念は胸の高鳴りを覚えるのだった。
 静さんはどうしているだろうか。あの訪問時、夕食の支度に精を出していた甲斐甲斐しい静の姿が目に浮かぶのだった。また、あの路地裏で、午後のひと時、数奇な運命を辿る直太郎を遊んでやっている姿、いとまごいの際に名残惜しそうに言った言葉「きっとまたいらしてくたさいね」という優しい声音などの記憶が、睡魔と入り混じり海念を包み込んだ。海念は深い眠りに落ちて行くのだった。そして、奇妙な夢の中を彷徨った……

「保兵衛さん、なぜ駄目なんですか?」
 必死に問いかける海念に対して、保兵衛は険しい顔をして首を横に振りその理由を説明している。海念の目からは、保兵衛の表情が尋常ではないものと映っていた。だが、緊迫した光景のわりには何も聞こえてこないのが不思議だった。そこに言い知れないもどかしさがあった。
「だから、どうしてご浪人たちの窮状を憂えてはならないのですか?」
 海念は、そのようなことを口走っていた。保兵衛は、静かに右手のひらを左右に振っている。
「えっ?そうじゃなくて?じゃ何だと言うのです?」
 保兵衛はうつむいて悩むように考えこんでしまった。が、ようやく保兵衛は、身振り手振りで人の姿を模し始めたようだった。髷(まげ)ではなく肩まで届く総髪(そうはつ)だと表現しているようだった。さらに、袴姿の男だとも表しているように見えた。
「その人が駄目だというのですか?」
 腕組みして目をつぶった保兵衛はやがて、大きく頷いた。
「なぜなんです?それは誰なのです?」
 保兵衛は、海念に向かって人差し指を差した。そしてその右手を手刀にして自分の首の右側に強く押し当てた。ガクッとうな垂れ首が落ちる格好を演技した。
「わたしの首が飛ぶとでも?」
 目を伏せ腕組みしたままの保兵衛が、再び大きく頷くのだった。
「ええっ! だ、だけど、何のことだか、皆目わからない……」
 海念は保兵衛を見つめ押し黙る。保兵衛もがっかりしたように、身振りをやめた。
 とその時、傍らの戸板がドンドンと乱暴に叩かれた。自分たちが、ある建物の薄暗い中に佇んでいたこともその時初めて意識させられた。
 外では、何やら捕り方らしき者たちが互いに合図らしき言葉を発し合っている気配があった。
 海念は、その瞬間、保兵衛の血相が急変したのを見てとった。
 戸板を叩き続ける音が一瞬止んだ。と思うと、戸板は荒々しく蹴破られた。
 戸外の陽の光が、爆発時の閃光のごとく一気に差し込んだ。二人は、眩しさに瞬時目がくらむ。その光に誘われるように、数人の鉢巻姿の代官所役人たちが、雪崩のように踏み込んできた。
 保兵衛がとっさに右腕全体で裏手の方向を指し示す。
 二人は裏手から脱兎のごとく抜け出した。草原とも林ともつかぬ空間を二人は疾駆し続けた。が、ふと振り返ると、六尺棒を手にした役人たちは、その数を増してみるみるうちに迫って来ていた。

「ううーっ」
 と息苦しさの余り、海念は夢から覚めた。閉め切ったままの部屋の中はムッとする暑さだ。海念は、首筋の汗を手で拭う。ちょうどその時、十三郎が戻って来たようだった。宿の廊下から十三郎の鼻歌が聞こえてくる。
「腹〜の〜、立つときゃ〜、茶碗で〜、酒を〜……」
 障子を開けた十三郎は、部屋の真中で背を丸めてぽつんと座りこんでいる海念を見つけた。
「おや、まだお休みではなかったのですか」
「いや、うたた寝をしておりまして……」
「いやはや、今晩は極楽、極楽。庄屋の主からの軍資金ですっかり極楽気分にさせてもらいましたぞ。さあて、明日に備えて眠るとしますか」
 のん気そうにそう言った十三郎は、窓の障子を開け放ち、手早く布団を海念の分まで敷いた。そして、極楽、極楽とつぶやきながら引っくり返って寝てしまった。

 十三郎は寝息を立てていたが、海念の意識は冴え冴えとなるのだった。開け放たれた窓からは、蒸し暑い部屋に心地よい外気が流れ込んできた。
 そう言えば、保兵衛さんとはしばらく会っていない、と海念は振り返った。これまで、保兵衛さんが苦境に立っている時、不思議にもその振動が自分に伝わってきた。そして、何度も時空超越に及んだ、と思い返していた。
 だが、和尚の遷化の時以来二年間も、空白の期間が続いている。不思議だった心の共振は途絶えている……。と、そこまで思い至った時、すべての原因が自分にあったことを合点する海念であった。そうなのだ、この二年間、自分には心の余裕なんていうものが一切なかったわけだ。空虚な虚脱感に浸りながら、生ける屍同然の日々を重ねていた。これが、たとえ保兵衛さんからの振動があったとしても共振できなかった原因に違いない、とそう思えた。
 とすれば、先ほどの夢はどんな意味をもつのだろうか? と海念は思いを一歩進めてゆく。自分は人の心に共振することができるほどには空虚さから脱出できたということなのだろうか。
 確かに、東海寺を出て托鉢の旅を続けながら多くの人々と巡り合った。人が苦悩する姿とまじまじと接することができた。他者の苦悩を憐れと受けとめる自分が確かに自覚できる。だとすれば、先ほどの夢はまさしく保兵衛さんの心の振動への共振であったと見なすべきなのか。
 だが、この共振は、保兵衛さん自身の苦境ではなかったようだ。どうも自分に向けられた保兵衛さんの懸念であったと受けとれる。保兵衛さんは、必死で何かを自分に伝えようとしていたのだ。そして、それは命にかかわることであり、しかも代官所役人たちによる捕縛に至るとの暗示も含まれていたと解釈できる。そうなるとこれは尋常なことではない……。
 また、それらは、自分が夢の中で口走っていたようだった「浪人たちの窮状を憂える」こととどう関係しているというのだろうか。そして皆目見当がつかないのが、総髪で袴姿の男だ。一体どこの誰のことを指しているんだろうか。わからない……。
 両手を頭の後で組み、暗い天井を見つめながら考える海念の推理は、ようやくそこで行き詰まってしまうのだった。 (2002.04.14)

2002/04/15/ (月)  ルールづくり:ルールづくりの人柱になろうとするヒーローたち?!

「おまえはビョーキだ。オレが薬だ」(シルベスター・スタローン主演『コブラ』)なるセリフが、時としてふっと浮かんでくる自分がアブナイと思っている。
 なおかつ、クリント・イーストウッド主演の『ダーティ・ハリー』の名場面、「人権侵害を訴えてやる!」とほざく往生際の悪い悪人に、「そうじゃない。おまえはここで死ぬんだ。バスーン!」なる場面がちらついたりするに及ぶと、われながらダイジョーブかしらとも思う。
 さらに、中村吉右衛門がはまり役の『鬼平犯科帳』にて、平蔵が、町奉行所に伺いもたてずに極悪人を即座に切り捨てる独断専行及ぶ場面。若年寄、老中などから圧力がかかると、ビクともせずに、
「火付盗賊改方は、もともとが手続きなしで無頼の輩を罰する荒々しい御役目が特徴。それがいかぬと申されるのなら、火盗改メを廃止したらよろしい」
と言い切る場面まで、快感を伴って脳裏をよぎったりするとなると、何と言っていいものやら‥‥。口ごもっていたら、藤田まことの『必殺仕置人シリーズ』の闇の仕置き場面の数々までが連なって浮かんできた。よほどある種の憤懣が渦巻いているのでしょうかね、わたしの頭の中には。

 決して法治国家でのリンチのすすめを望むわけではない。リンチは、誰もが自分もされる可能性が否定できない措置なので絶対に反対すべきである。
 わたしが上記のヒーローたちに快感を覚えるのは、「法治」国家でありながら、まるで「放置」国家のように巨悪を、駅前のチャリンコのように放置しているかのような現状を、はてはて、いかがなものかと痛感しているからなのである。
 また、駅前の放置チャリンコもそうだし、薄暗い山道への粗大ゴミ投棄、犬のオシッコみたいに壁とみればスプレーで落書きするバカなどなど。そして、それらを見て見ぬふりの横行。こう、小言を言っている自分はまるで「小言幸兵衛」のようで、気分は決してよくないが、とにかく何かが欠落していると痛感しているのだ。はっきり言えば、「ハトヤに決めた!イトーに行くならハトヤ!」じゃなくて、ルール観と、ルールづくりの能力がわれわれ日本人には無いのじゃないかと、ぞっとして思い当たるのだ。
 そんなこんなの憤懣が、無頼の輩に対して何の後ろ盾もなく果敢に決済させようとするその凛々しさに共鳴させるのである。心の琴線をビンビンと爪弾くのである。

 自宅の近所に、どえりゃー威勢のいいダンナがいた。しばしば近所の道路には、誰もが生理的嫌悪感をもよおす「暴走族(わたしは以前この日誌で、暴走族なる名称は人々に、または当事者たちに錯覚を与えるから、ダサい印象をかもし出す<ぼうチン>と呼ぶべきだと提言したことがあった。<暴走族チンピラ>の略である)」が用もないのに走り回っていたのだ。ある晩、どえりゃー大声で叫ぶのが聞こえた。
「てめーら、ここは『イッツウ(一方通行)』だあ!行きたいならオレをひき殺して行けー!」
 飛び出してみると、そのダンナが、淡々と言ったものだ。
「ああ、いいとこへ来た。すんませんがケーサツに電話入れてもらえるかね。」
 周囲を見ると、空き地に二、三台のバイクが投げ出してあった。ダンナを引き殺せなかった<ぼうチン>が、パトカーに追われて駅前ならぬ空き地にバイクを放置して逃げたのだった。
 やがて警官がやって来た。ダンナは、<ぼうチン>をなぜ徹底的に検挙しないのかと食い下がっていた。その時、警官が言ったのは、厳しい追跡で事故を誘発させたら市民がまたケイサツの行き過ぎを咎めるし、ムズカシー問題なんです、とのこと。
 二人して開いた口がふさがらなかったのを覚えている。

 法治問題に、生活上の人間関係でのいざこざ。そして、常識や暗黙の了解が消し飛んでしまっているジコチュー人間の増大。犯罪もそうだけれど、それ以前の人間関係のさまざまなゴタゴタが、今人々のストレスに輪をかけている。
 人々全員に禅寺での修行と悟りを勧めるわけにもいかないとすれば、みんなのルールというようなものを考えるしかない。まあ、これもどえりゃー大変なことではあるに違いないが‥‥ (2002.04.15)

2002/04/16/ (火)  ルールづくり:独裁者シーザーの多様性への「寛容」とルールづくり!

 「ブルータスよ、お前もか」、「賽は投げられた」、「ルビコン川を渡る」、「カエサルの物はカエサルに」など慣用句に事欠かないのがシーザー(カエサル)である。
 しかし、なぜシーザーが多くの慣用句で語り継がれる人物なのかを、我流でも何でも説明できる人は少ないかもしれない。などと高飛車に出るのがわたしの悪いくせだ。高々、NHK『その時歴史は動いた』かなんかを見て「そーなんだ!」と納得したくらいで偉そうなことを口にしてはいけない。
 ただ、この番組によるシーザーの業績紹介を見て、なおかつ日頃注目していたイタリア研究作家塩野七生(しおのななみ)女史出演によるシーザー解説を聞いて、わたしはわたしなりに、シーザーはルールというものの本質を見つめていた男だという印象を受けたものだった。
 番組は、「『賽は投げられた』−英雄カエサル・ローマを変えた運命の決断−」というもので、戦地ガリア(現フランス)に赴いていたシーザーが、かねてから何百年も続いた共和政ローマの旧体制の弊害を憂えていたので、本国ローマに軍勢を率いて改革に戻るべきかどうかを、国境を流れる川ルビコン川を前に逡巡し決断する苦悩を紹介したものであった。結局、「賽は投げられた」と叫び、ルビコン川を超えたシーザーは、ローマ本国での内戦に勝利し、元老院を超えたインペラトールの地位を得ることとなるのである。
 イタリア半島を主体としていた共和政のローマは、地中海沿岸地域を広大な領土とするに及び、元老院たちの合議という統治体制に限界を来していたのが事実であり、まして、長期安定の中で元老院は保身と腐敗に毒されていたようだ。シーザーは、領土にふさわしい統治体制としての君主政をめざしていたのである。

 この過程を見る限りは、シーザーは単なる独裁者としてしか見えない。しかし、シーザー亡きあと、古代ローマは共和政から帝政へと統治体制を変換したからこそその後の400年の継続があったと言える。事実を先取りして洞察していたことになろう。
 また、ここが重要な点だと思われるのだが、シーザーは単なる言葉どおりの独裁者ではなかったようである。戦地ガリアの統治時代にも、決して領民たちに一方的にローマを押しつける政治を行わず、領民たちの言語、文化に基づいた自治をも認める政治で支持を獲得していたという。
 さらに、「ブルータスよ、お前もか」の慣用句の出所となった元老院でのシーザー暗殺の原因も、シーザーの横暴にあったというより、シーザーの「寛容」さにこそあったと解釈される。つまり、インペラトールの地位を得た時、シーザーは旧勢力やブルータスを含む反対派を「寛容」に受け容れ、抹殺や追放を選ばなかったのである。今風に言うなら、「憎しみとテロの連鎖」でローマを滅ぼしたくなかったと言われている。多様な要素を含みつつ統治してこそ永続できると洞察したようなのである。そのためにこそ、合理的な法というルールの設定に全力を注いだと。シーザー当時のコインには、「寛容(クレメンティア?)」の文字が刻印されているそうで、多様な要素の統一としての現在の「ユーロ」がイメージとして重なるとも、番組では指摘していた。

 わたしの関心は、多様な要素でしかない人間たちがどう生かし合うのかが現実問題であり、ここを出発点としかしようがないとするならば、それが可能となるルールを見出すこと以外に方法はないという点なのである。
 また、結論を出せない無責任な共和政の堕落を批判したシーザーをもとに考えるなら、じゃどうするという実践的な問いから目を背け、多様な要素の一要因にだけ固執する時代でもないと感じるのだ。押しつけの一元的ルールを排除排斥すれば良い時代はとっくに過ぎ、ではどんなリーズナブルなルールが考えられるのかという各論、具体論が差し迫った時代に突入していることを痛感したい…… (2002.04.16)

2002/04/17/ (水)  ルールづくり:現代の科学・技術とこれにふさわしいルールづくり!

 自然法則を発見するのが、いわゆる科学、自然科学であるならば、ルールすなわち人間間の約束事(広義では倫理〜法律までの「規範」全般が対象となる)というものは断じて自然科学ではない。いくら自然を精緻に観察しても、ルールの片鱗たりとも自然現象には記されてはいないはずである。ルールは、あくまでも人間世界独自の創造物である。人工物と言ってもよいし、人間による設計であり、デザインだと言うことができる。
 現代は科学の時代、その応用を含めて科学・技術の時代だと誰もが知っている。現代の日常生活にとって、科学・技術とその成果である現代文明は不可欠なことも誰もが知っている。ただ、必須であることは、もちろん万能であることまでもを意味するものではない。
 現に、科学・技術によるマイナス成果の問題、たとえば核兵器や核汚染にはじまり、地球環境の汚染や破壊など、どんなに自然現象自体が長期継続しようがそれだけでは起こり得ないマイナス現象が、科学・技術を通してこの地上に生み出されたことは事実なのである。
 それは科学・技術の責任ではない、とする見解がすぐにでも主張されるであろう。まさにその通りなのである。その使い方、活用方法について、差し当たり科学・技術は中立的立場を堅持して来たし、今後もそうであろう。

 とするならば、第一に、科学万能的な発想、つまり科学的思考のみをもってすればすべての問題が解決されると盲信する姿勢を改めなければならないと思う。
 科学が、大自然の一部でしかなく、またその脅威のもとでの卑小な存在であった人間たちに、巨大なパワーを与え、自然の大改造に挑ませたことはよく知られている。今や、人間の生殖や遺伝の操作すら可能な水準にまで這い上がっていることも知られている。
 しかし、人間にとっての最大の関心事である人間自身の意識の働きなどを科学はどこまで追跡できたのであろうか。しかも、日常生活者にとっての幸せな生きがい感などはどこまで解明されているのか。解明だけでなく、その実現に科学はどこまで貢献できているのか。こう考えると、科学が達成していることはまだまだ序の口の出来事だけであり、あるいはそもそも科学が人間の幸せや生きがいの問題などに関与できるのかという疑問さえ生まれるのである。
 つまり、科学的思考とは、人間が生きることのごく一部分を照らすだけの方法だということなのである。にもかかわらず、現代人の多くが、科学やその思考法に過剰な期待を寄せ、科学万能的な傾向になっているかも知れない点は改めてよいと思われるのだ。

 また第二に、科学・技術を人間にとって最良のかたちで活用するためには何が必要なのかに、もっと熱い眼差しを向けてしかるべきではないだろうか。科学・技術は中立的だとするならば、意思決定ができない、あるいは対外的責任がとれないということと同じなのではないのか。
 たとえば、ヒトに関する「クローン」技術は、技術的には可能だと言われている。これが科学的事実である。また、ちょっと古いオウムの話になるが、サリンが民間でも製造できるというのが科学的事実である。しかし、これらのレベルと、人間的事実や社会的事実になることのレベルとの間には「分厚い壁」があるのだと考えることこそが重要なのだと思う。
 この種の問題はこれまで、科学の「倫理」とか、科学者の「倫理」とか表現されて取り扱われてきたものだ。しかし、現代の科学・技術はもはや個人的営為の範疇を大きく突破している。その影響範囲と深さが膨大であることと比例するように、巨大な組織的活動で支えられているのが現状であろう。となれば、「倫理」といった個人的ニュアンスを漂わせるレベルではなく、強制力をも伴うルールであるところの法のレベルこそがふさわしいのではないだろうか。現に、ヒトに関する「クローン」技術問題で米国は、その意図の背景は不明だが、禁止立法を検討していると聞く。

 手みじかな考察で済むわけのない問題に踏み込んでしまったが、強調したいのは以下の点である。
 現代のわれわれは、科学・技術というようなそれ自体は自律的制御能力を持たない怪獣のようなペットを飼いながら、飼い主としてのわれわれが、新たな「ルール構築能力」を要請されていることに無頓着すぎるのではないかということなのである。科学・技術にせよ何にせよ、おまかせ姿勢でハッピー・エンドに運んでくれるものなどはこの世に存在しないはずなのである…… (2002.04.17)

2002/04/18/ (木)  ルールづくり:ルールに含まれる「裁量」部分の危険さ!

 法律用語に「裁量」という用語がある。行政権の一定の範囲内での判断、あるいは行為の選択の自由が法律で認められている場合をさすようだ。ルールについて考える時、多様な現実に対して柔軟に対応できるルールという面も重要なことだろう。二つほどの例をもとにしてちょっと考えてみる。
 この二泊三日、この不況に打ち勝つべく英気を養おうと、健康保険組合の保養施設(箱根)を利用させてもらった。往復のクルマの運転さえなければ言うことなしだが、それでも何もせずの温泉びたりは十分に気分を転換させてくれた。
 施設のほど近くに「お玉ヶ池」という旧跡がある。同名の池が、東京は神田にもあり、幕末にはその近くに千葉周作の北辰一刀流道場「玄武館」があったことが知られている。
 しかしこちらの池は、謂われがなければ通り過ぎて何の不思議もない実に質素な池である。直径三、四十メートルの小さな池でしかない。そうだからこそ何となく心に残ったのだろうか、この施設を利用する際には立寄ることにしている。
 その謂われとは次のとおりである。
 元禄十五年(1702)四月二十七日、伊豆大瀬村太郎兵衛の娘、お玉は父の病を見舞うため、奉公先の江戸新田島から国元に帰る途中、手形がないので箱根関所を通ることが出来ず裏山を通り抜けようとして捕らわれ、関所破りの罪で処刑された。処刑は、お玉が本道をそれて裏山である屏風山に踏み入った坂道の所で行われ、お玉の首をなずなヶ池で洗ったといわれる。このためいつの頃からかこの池がお玉が池、坂がお玉坂と呼ばれるようになった。
 当時、江戸から諸国へ出る者は手形が必携であった。関所破りは重罪とされていた。まして幕府は、大名の奥方をいわば人質というかたちで江戸市内に住まわせていたので、手形なしで女性が江戸から出ることは厳禁だったのであろう。
 しかし、今回、箱根の関所の博物館で思わぬ新知識を得た。関所破りは重罪とされていたのだが、実際に刑を実施されたのはきわめて少数であったというのである。
 それというのも、「薮入り(やぶいり)」という異名のもとに、道に迷って関所以外の山間部に紛れ込んだと見なす「裁量」によって多くのものが軽い御咎めで見逃してもらったらしいのである。これを知った時、世間知らずでしかなかったはずのお玉が何故許されなかったのかとさらに哀れに思われた。「裁量」は一見、大岡裁きのように拍手喝采ものもあるが、担当する者の器によっては悲劇も惨劇も起こるものなのだなあと思わされた。

 ニュースも新聞も覗かない旅行から戻ってみたら、「有事法制関連3法案閣議決定」なるものを知った。多くの国民が、なぜ今?という疑問を禁じえない法案、歓迎するのは米国だけという印象の法案を小泉内閣は急いだ。この法案の意図自体に作為的なものを感じ続けているのだが、ここでは「これではあいまい過ぎる」(朝日新聞社説)という点にのみ言及したい。
 要するに、現憲法違反に抵触するおそれが高いにもかかわらず、重要な言葉の定義があまりにもあいまい、ずさんであり、時の政権の事実上の「裁量」にゆだねられる危険が大き過ぎると思われる点なのである。
 「法が想定する『武力攻撃事態』とはどんな場合か。法案では日本が直接の攻撃を受けた場合だけでなく『武力攻撃が予想されるに至った事態』も含むとする。だが、その基準は明らかでない。」(前述同)、「首相は地方自治体に必要な措置を指示し、従わなければそれを代行できる。国民は『必要な協力をするよう努めることとする』とされ、政府への協力が義務に近くなる。ここでも『必要な協力』の範囲はあいまいで、政府の裁量次第になりかねない。」(前述同)
 「担当する者の器」=現政府の器は、現在国民によってどう評価されているのだろうか?そんな器の政府が立法化して、実施もするとなれば、この日本が「お玉」のような惨劇になりかねないと、誰もが推定するのではないだろうか!

 ルールとは、それを運用するキャスティングによって事態が変化するようであっては、存在意義がないに等しい。以前にも、BSE問題で政府が国産牛肉買い上げのルールがあいまいであったことが、食肉業者の詐欺誘発に拍車をかけたのではないかという疑問を書いた。お上は、法(ルール)の運用による誤りがどんな惨事を招くかについて、もっともっと慎重であるべし、と言いたい…… (2002.04.18)

2002/04/19/ (金)  ルールづくり:子供時代のルールづくりの天才たちはどこへ消えたか?

 最近、「地域貨幣」という言葉を耳にすることがある。ある地域だけに通用するお金のことであり、確か老人介護相互扶助サービスなどをも組み込んでいた地域もあったかと思う。商店街のサービス・チップの延長だと思えば何の不思議もなくなる。
 また、子供の頃、両親の誕生日とかのプレゼントを考えあぐねた末に、「肩たたき交換券」なるものを作りこれを贈ったりした人もいたのではないだろうか。
 こうした自分を含む特定の人々の間だけで通用する仕組みをつくる、ルールをつくるといった発想は楽しくもあり、また重要なことではないかという気がする。いわゆる自治の基本はこんなところにあると言えるのかもしれない。そして、今週のテーマ「ルールづくり」の真意は、実はこの辺に潜む身近な事情を指しているのである。

 子供時代、やり慣れた遊びに飽きると、なにか新しい遊びを創りたいと思ったはずだ。そこで直面するのが、誰もが納得できる決まり、つまりルールを考えることだったのではないだろうか。コンクリートの島だけは安全地帯にしてオニも捕まえられないとか、みそっかすの小さな子にはハンディを与え三回捕まったらアウトにするとか‥‥
 こうした小さなローカル空間でのルールづくり訓練(遊び)がなければならないと昨今感じている。
 もともと人と人との人間関係は、ローカル・ルールづくりの関係だと言ってもよいくらいではないかと思う。人が他者との関係である行為をする(選択する)ということは、相手の行為を大なり小なり拘束することになるのだから、小難しく言えば暗黙のルール定立をすることになるのかもしれない。
 たとえば、ベンチに誰かが座っていてまだ座れる余地があった時、「すいません、そこよろしいですか?」と尋ねることは、両者の間にルールを定立しようとすることだと言える。黙って座っても「常識」的には咎められないだろうが、「常識」という不確かな価値基準に判定をゆだねるよりは当事者同士のルールづくりに打って出る(それほどのことでもないか?)ほうが安定はしていると言えようか。

 日常生活における他者との間でのちょっとしたルールづくり、これは古い世代では当然のごとく行われていたはずである。もちろんいつの時代にもそれなりの数の例外者の存在は否定できないのだが。マナーとか、気配りとかと言う前に、世間という観念で他者を十分に意識していたと言ったほうがいいのかもしれない。
 しかし、現在の風潮はと言えば、ジコチュー人間は言うに及ばないが、他者の存在やまして前述のルールづくりなどもってのほかという人々が闊歩していると観察される。ルール感覚(他者との説得納得関係に関する感覚)などどこ吹く風の唯我独尊で生きる寂しい人たちが多くなっているのかもしれない。こうした状況を、単に住み難くなったという愚痴の次元でとやかく言うつもりはない。
 ただ危惧する点は、人間が無人島で暮らす絶対自由の環境以外では、ルールは不可避であり、また誰にとっても最善のものを誰かがお膳立てしてくれるものでは決してないということ、放っていたからこそ、今の日本の政治のような惨憺たる事態が出来上がったのだという点なのである。
 社会全体のルールを定めるのが政治である。それに参画するのが選挙である。選ぶべき人がいないとか、どっちにしても変わらないとかのへ理屈はどうでもいい。身の回りであろうが、社会全体であろうが、それらのルールづくりに参加しないというのは、それだけで現代人失格、人間失格であるに違いないのだ。社会のシステム化によって現代は個人生活と社会とがますます切り離しがたく直結する時代となってしまっている。税金のことひとつを考えてもそれがわかろうというものである。ルールづくりの場から外される、あるいは自主的に外れることは、自分にとって不利なルールが作られてしまうと懸念するくらいでちょうどよいはずなのだ。

 政治だけではなく、経済の場面でもルールづくりは重要なはずである。思うに、ベンチャー企業であるとかニュービジネスであるとか起業とかは、要するに何かと言えば、新ルールづくりだと言ってよいのではないか。ビジネス・モデル特許などはまさにそう言える。知恵と創造力に基づく新ルールメーカーこそが、現代経済でも求められていると思われる。
 こう考えると、ますますもって現代の日本は力不足であるように思えてくる。既存のルールにただ黙々と従う人材と、既存のルールをいじりまわすだけの官僚的な人材にあふれた日本であり続けたら、確実に世界の田舎国となるに違いない。ルールは守りさえすれば良いものではなくて、ルールはつくり出すものだと考え直したいと思うのだが‥‥ (2002.04.19)

2002/04/20/ (土)  ルールづくり:日常的生活でのルールづくりの姿勢が政治を変えてゆく!

 英会話で、自分を含む周囲のみんなに呼びかける(勧誘する)「Let's‥‥」という表現がある。ルールづくりの原点のイメージを模索していたら、どういうわけかこの表現が思い浮かんできた。
 専制君主でもない限り、ルールづくりが上意下達の命令というかたちにはならないはずだ。自分とともにみんなを方向づけたり、拘束するのだから、この「Let's‥‥」が最も理にかなっていると思えたのである。すると、ルールづくりの原点は「リーダーシップ」とも近い関係にあることが見えてきたりする。

 ちょっと前に東村山市で、少年たちにホームレスの男性が殺された事件があった。集団となった少年たちが執拗に暴行を働き、とうとう年配の男性を死に至らしめた惨い犯罪である。これが報じられた時、ふたつのことに注目した。ひとつは、少年たちがホームレスの存在を人間の敗残者と見なして済ましていた想像力の欠落である。それは大人たちの意識にも潜む現代日本の怖さでもあろう。
 もうひとつが、誰かひとりでも「もう、やめようや!(Let's stop!)」と言えなかったのかという疑問なのであった。集団パニックを止めることは簡単なことではなかろう。かつて日本軍が行ったとされる残虐行為などは、軍隊という閉鎖空間であったことから、なおのこと個人の良心がメルト・ダウンしてしまったのだろう。しかし、平常の日常生活でも、そうした集団パニックが起こることが恐ろしいと思ったものだ。

 1970年代に全国各地でさまざまな「住民運動」が火を噴いたのを覚えている人は少なくないだろう。社会運動にはさまざまなものがあり、組織的な労働運動もあれば、非組織的な市民運動もある。そんな中で、「住民運動」は居住地に立脚して生活の場がそのまま社会運動となったのである。例えば、空港や高速道路建設、ダム建設などの公共工事に絡む反対運動などであった。自分たちの住む場、生活の場が侵害されるだけに、反対姿勢は直接的であり、そこから住民エゴなる非難の言葉も聞かれたりした。
 この「住民運動」の経緯を見つめる研究者たちの中に、次のような関心を持つ人たちがいたことを覚えている。
 「住民運動」は、単なる喉元過ぎれば熱さ忘れるといった住民エゴの発露に終わるのか、それともこの運動を通してさまざまな共通する社会矛盾へと目が向き、恒常的な社会運動の主体へと発展してゆくのか、という関心であったかと記憶している。
 人間は先ず当面の欲求(憤り)から動き出す。しかし余程の了見が狭いエゴイストではない限り、共通する欲求を抱く者たちと共同するうちに視野を広げ、ルールをつくり組織的行動ないし組織化へと向かってゆくものだと考えられていた。
 しかし、1970年代の「住民運動」は大方が当面の課題に終始して終了していったと見られているようだ。

 草の根民主主義こそが、全体社会の民主主義政治に新鮮な血液を流し込み続けるものだというイメージを持ちたい。脳梗塞に近い状態となっている霞ヶ関を糾すのは、実は手足という身体末端の毛細血管での健康な血流であるに違いないのである。
 言い換えれば、社会全体のルールづくり=政治の基礎には、地域社会のルールづくり=地方自治があるべきであり、そのさらに根底には日常生活での小さな人間関係でのローカル・ルールづくりが欲しいところなのである。
 70年代の「住民運動」はルールづくりの循環へと這い登ることができなかったかもしれないが、環境問題やその他さまざまな市民運動がその後生まれてもおり、NGOといった新たな運動体にも期待がかけられている。
 ルールと言えばお上から押しつけられるものという経験が長かった非民主的社会のわれわれだが、ルール観を再度見直す必要があるのではないかと思う。それは机上で叶うのではなく、生活での切実な願望をみんなでルールとして実現してゆく行動によって叶うような気がしている‥‥ (2002.04.20)

2002/04/21/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (36)

『あっ……』
 と、海念は思わず突き上げてくる驚愕の声を、かろうじて堪えた。
 昨夜の内藤新宿での夢以来、心の中に不気味に居座っていた影のその実体が、ほんの目の前にいることに気づかされたからだった。

 その男は講堂の右手口よりおもむろに現れた。正面に進み出て軽い会釈を済まし書見台を前にした講座に座った。座した男の背後には、意味ありげな古い甲冑が置かれ、上方には神棚が祀られてあった。男は小柄ではあったが、整った顔立ちにぎろっと光る眼を持つその風貌といい、正面まで歩んできた凛(りん)とした動作といい、人をして畏敬の念を抱かしめる何かを放っているように思われた。
 海念が『そうだ、この人のことに違いない!』と直観したのは、その男が座した直後であった。男は白い袴を正し、首を一瞬小さく、素早く振りながら肩まで垂らした総髪の髪の乱れを直したのである。夢の中での総髪と袴という観念が眼前の現実の光景と重なったのである。まさかと思う海念だったが、それと同時に、先入観が盲点を作っていたのだということを知らされるのだった。
 確かに目の前に座る男は総髪で、袴姿なのである。夢の中で保兵衛が危惧していた人物は、由井正雪先生のことであったのだ……と、海念は確信するのだった。

 海念と十三郎は、ここ神田連雀町の裏店(うらだな)の軍学塾に訪れていた。さほど広いとは言えない講堂の後方で聴講者として加わっていたのだ。最前列は門弟らしき数人が各々の書見台を前にして占めていた。その後に常連と思しき十数人の聴講者が気迫を込めた姿勢で陣取り、立錐の余地なく座していた。見るからに食い潰した浪人者と受け取れる身なりの者が多い。中には江戸づめの諸藩の家臣と見える整った身なりの武士たちもいた。
 江戸の夏の午後は、講堂内を容赦なく残酷に蒸していた。が、誰ひとりとして扇子を使う者もなく、滴り落ちる汗をただ何人かが手ぬぐいで静かに拭っているだけだった。張りつめた緊張感だけが静寂の中に満ちている。
 海念の隣には、十三郎がやや興奮気味で身を乗り出して座っている。懐から取り出した懐紙と携帯用の小筆で覚え書きをしようとの準備まで整えていた。
 海念は、由井正雪の表情を目を凝らして見つめた。二つに分かれた人々のうわさ、つまり一方の、妖気を漂わせた野心家だとする見方、また他方の、浪人の苦境に思いを寄せ静かに幕政を糾さんとする学者だという見方、そのいずれであるのかを見定めたかったに違いない。さらに、この先生のどこに保兵衛が抱く危惧の根拠が潜んでいるのかという関心も加わり、海念の視線は否が応でも鋭利に研ぎ澄まされていたのだ。

 正雪は静かに、だが最後尾の海念たちにも聞きまがうことのない澄み切った声音で語り始めた。初めに、本日の講釈の次第について述べ、先ずは楠木流の軍学講釈を、次に『老子』の原典講釈、そして質疑応答の順であることを告げるのだった。
 この日の軍学講釈は、城の縄張りや設計に関する築城術と呼ばれる話であり、『孫子』の兵法などが例示され、淡々と進められた。思いのほか講じる側に特別の熱の入れようが感じられなかっただけではなく、聴講側も何かに打たれる様子も見受けられなかった。その気配から、『そうか、これが眼目ではないのだな……』と海念も了解するのだった。
 ところが、引き続き始まった『老子』の講釈に移ると、講堂内の空気がにわかに変わった。その変化は誰の目からもわかった。聴講者たちは、座り直す仕草を始め、漸く懐紙と筆とを懐から取り出す者も増えたのだった。
 幕藩体制にあって学問の主流、官学は、言うまでもなく儒教・儒学の流れとしての『朱子学』であった。これに対抗して、いわば無為・自然の道を説く『老子』を講じることは、そのまま幕府権力への非難を意味していたと言えよう。禅の道を学んできた海念には、その脈絡がうすうす見えていたはずである。

 正雪はこの日講釈する『老子』の一章を、朗々と読み上げ始めた。要所要所の語句を強めるその朗読は、あたかも職人技とさえ勘ぐれる慣れを感じさせた。
「民、威(い)を畏(おそ)れざれば、則ち大威至る。其の居る所を狭(せば)むること無く、其の……」
 そしてこの章の意味を講釈してゆく正雪であった。
「強権的な治世の行き過ぎによって、民がお上の権勢を畏れないようになると、大威すなわち世の大乱がやってくる。それゆえ、世の為政者は民の居所を狭めるようなことをしてはならない。生業を圧迫するようなことをしてはならない。こうした圧迫をしなければ、民もまた治世をよろこび飽くことがない。」
 正雪は、聴き入る聴講者たちの反応をうかがうように書見台から顔を上げ、講堂内を見回した。そしてまた続けた。
「これに対し聖人は、自身が知り尽くしたことであっても、それを誇示することなく、また自身がかわいくとも自身を貴しとすることがない。望ましい聖人の治世というものは、権力権勢から遠ざかり、謙虚を旨として進められるものである」
 随所で、浪人たちの頷く素振りが、最後尾の海念からはよくうかがえた。いや、それ以前に、隣に座る十三郎から、「うむ、うむ」としつこいばかりに合点する動きが海念に伝わってくるのだった。
 十三郎にとって、この講釈の意味するところは、まさに浪人たるわが身の悲痛さと憤りに差し込む、明るさとぬくもりのある陽光であったに違いなかったのだろう。
 湯飲みを手にして喉を潤した正雪は、この後、この日の主題に関連した『老子』の他のいくつかの章を紹介した。そして、強権的な為政者を非難する意を鋭く込めた言葉を講堂内に響かせて締めくくったのだった。

 海念は、正雪の熱っぽい語り口が、確実に講堂内の聴講者たちの溜飲を下げている事態を肌身で感じとっていた。正雪が博していた人気の理由を知る思いがした。そして講堂内の聴講者たちの高ぶる様子を軽く見回していたが、ふとある箇所で目が止まるのだった。
 自分たちの最後尾の一列前の最左翼、出入り口付近に座る武士の妙に醒めた様子が気になったのである。右手は小筆を持っているのであろうか、海念からは見えなかった。が、左手は親指と人差し指で下あごを撫でる動作を繰り返していた。それは、他の浪人たちのように上気している姿とは別に、何か思案している内面を表しているように見えるのだった。しかも、その武士は、羽織、袴の身なりが整い、月代(さかやき)も綺麗に剃られており、それが見苦しい他の浪人とは明らかに異なっていた。どこかの藩の家臣としての武士であることが十分想像されたのである。
 海念にとっては、『老子』の講釈は特段に新鮮な感動を覚えるものではなかった。禅の修業にあって学ぶことといわば同一線上の内容であったからである。それよりもむしろ、唖然としたのは、仮に『老子』の講釈に名を借りているといえども、この江戸市中にある軍学塾にてここまで明白なかたちでの幕政非難を敢行する由井正雪という人物に対してであった。権力という凶暴な獣に対してあまりにも無神経、無防備な振る舞いが奇異にさえ感じられたのだった。それは、あの優れた禅僧沢庵和尚のそれを知る海念にとっては信じがたい杜撰に思えたのだ。
 醒めた様子の武士が気になった理由も、その武士が幕政関与者と通じていないという保証などあり得ようはずがないと思われたからだっただろう。聴講者を別段制限するわけでもなかったのは先刻明らかであったからだ。
 とすれば、由井正雪という人物は、無防備であることを恐れないまれに見る純粋無垢な人柄であるか、あるいはどこかで虎の威を借りる算段をも織り込んでいるしたたかな野心家であるかのどちらかだということになる。海念はいまだ、当初の疑問であったうわさの二極分化の天秤の、そのどちらにも加担できない振り出し地点で当惑していたのだった。

 やがて、質疑応答の段へと進むことになった。
「どなたからでも質疑くだされ」
 と正雪はゆったりと聴講者に質疑を促した。
「それでは」
 中頃の列に陣取った浪人が口火を切った。
「本日は、正雪先生のご高説を賜り誠にありがとうございました。さて、さっそくではございますが、先日とある知人より、先生が浪人救済のため『蝦夷地開拓』の計画なるものを研鑚され、幕府にご提案されるとのありがたきお話を漏れうかがいました。是非とも成就されたしと望むのでございますが、そのような遠大なご計画なれば、幕府内の賛同勢力の後ろ盾などが何としても必須ではなかろうかと推察申し上げる次第です。この点は如何でございましょうや」
 その武士は、今日の質疑のためにかねてから質疑内容を準備していたかのように、流暢にかつ一気に申し述べたのだった。
 周囲の浪人たちは顔を見合わせ頷き合っていた。が、海念はただ一人再度唖然としたのだった。聞き覚えのある語り口だと感じていたのだが、なんとその浪人は中村小平太だったからである。以前に、小平太がこの塾に時々通っていると聞かされたことがあった海念だったのだ。
「そうなのだ。その点は拙者も是非知りたいものじゃ」
 十三郎がにわかに色めき立ち、右手で膝を打ち、海念の隣で独り言のようにつぶやいた。他の多くの聴講者も耳をそばだてて静まり返った。
「良いお尋ねでござる」
 正雪は、何ら臆することなく応え始めるのだった。
「すでに、内々では皆様方の一部の方々にはお話したこともござるが、実は、拙者は幕府内の有力な勢力の一角と通じておりまする。」
 講堂内は水を打ったように静まり返った。
「ただいまのご質問の応えとしては、幾たびかの御目通りも叶っておりまする、御三家のひとつ紀州公の御名を挙げさせていただくことといたしましょう」
 正雪は、何ら躊躇する様子もなく、むしろ重々しい口調でそう言い切った。その意表を突いた回答に、静まり返っていた講堂内がどっと沸いたことは言うまでもなかった。

 海念が、ようやく由井正雪への評価を見定めるに至ったのは、この時なのであった。二極分化したうわさの後者、すなわち野心家としての由井正雪なる人物を静かに、そして確信に満ちた眼差しで凝視するのだった。それは、何故そうかという問いには整然とは応え切れない、海念の直感的な到達点ではあった。
 そして同時に、怪訝な表情で、出入り口付近の醒めた武士がうつむいて忙しく筆記している様子をそれとなく見守る海念なのであった…… (2002.04.21)

2002/04/22/ (月)  ポータルサイト型〜:他人のふんどしで相撲をとるあり方のニュースタイル?!

 ポスト小泉での政界再編の動きがチラチラと見え始めたと言えようか。
 わたしは断固反対なのであるが、ご本人およびマスコミサイドは現東京都知事石原慎太郎氏の動向に関心を寄せているようだ。
 確かに、現在の政界はリーダーシップ低迷が問題であるような雰囲気があり、また同氏の言動は一見それがありそうな印象も無きにしもあらずであり、短絡的に期待を寄せる流れもわからないわけではない。
 しかし、見た目の高姿勢の割りには、信念が伴っていないと見ている。現に国政から訳のわからない身の引き方をしている。同じ右傾の小説家であっても、三島由紀夫氏などとの気の入れ方が異なることを、学生時代に揶揄したものだった。三島氏は、まったく立場の違う全共闘などとも議論をする柔軟性が見受けられたものだったが、当時石原氏の影は消し飛んでいたはずだ。

 いや同氏の動向をどうこうと言うつもりではない。昨日、田原総一郎のテレビ番組で同氏が出演していたことについて触れたかったのである。
 ところでかねてから、田原総一郎の破天荒な司会ぶりを見ていて不愉快に思っていたことがあった。「知識人の調教師!」などと評され、出演知識人や政治家を手玉にとるかのような印象を与え続けてきていた彼である。しかし、彼は司会という特殊な立場を最大限に活用する典型的な日本型ジャーナリストでしかない。彼には、首尾一貫した思想がある訳では毛頭ない。しばしば、「じゃあ、あなたはどう考えているのか」と問いたい衝動に駆られることがあったものだ。
 ご本人に思想がなくともそれはそれでかまわないのだ。まして司会者であれば、思想がなくとも役は勤まるはずである。ただ、彼のトーク番組は、出演者たちに生の発言を視聴者に直接お届けするといったかたちをとらないことに気をつけなければならない。出演者たちの思いは、「幾重もの手品的操作!」を駆使して司会者側によって編集されてしまうからである。真摯な議論へと発展するきっかけはいたるところで、司会者の権限によって抑制をかけられスポイルされる。それも司会者としてはフェアではない揚げ足とり的な発言によってなのである。彼の技はここで発揮されるのである。きっと、出演者の中にはぼやいている人も少なくないものと思われる。この番組は、牛と狐の泣き別れ、もうこんこん、と。
 要は、トーク・エンターテイメントの視点での筋書きに、いかにリアリティを施してなんぼの番組だと見なせばよいのであろう。言ってみればプロレス中継と大同小異なのである。

 余計なことが長引いてしまったが、石原慎太郎氏についてである。
 同氏と田原氏とのトーク(対談などではない)を見ていて、とりわけ石原氏の話し振りから、わたしは突如「ポータルサイト(portal site)[ポータルは玄関の意]」のイメージを思い浮かべたものだった。というのも、質問されたことに直裁に応えようとはせずに、あれやこれやと手持ちの札を並列的に並べるかのような話し振りがそう感じさせたのかもしれない。単に、見栄っ張りなのだと言って済ますこともできる。トーク番組だからということであるのか、都議会での答弁にそんなことはないのだろうが、いい年をして質問者の意図を思いはかるという深さが見えなかったことに驚いたのだった。
 ポータルサイトは、インターネットでウェブ・ページを見る際に,最初に入るウェブ・サイトであり、だから「玄関」サイトと呼ばれる。しかし、昨今では自身がオリジナルのコンテンツを提供せずに、あるテーマに沿った外部のサイトをいろいろと紹介する、いわば目次やカタログのようなサイトを指すことも多くなった。とかくネットではどこへアクセスすればよいか迷う人も多いことから、こうしたポータルサイトがある程度歓迎されるのだ。また、そこそこアクセスする人々が出てくるので、このサイトの広告価値が高いため注目されたりもしているのである。

 選挙の際には「石原(裕次郎)軍団」などを最大限活用して大衆受けをねらう同氏、そしてオリジナルな主張がよくわからない同氏は、このポータルサイトとしてのイメージがとてもフィットしているように思われるのだ。そう言えば、小泉総理もこのイメージなのかもしれないと気づいた。
 ポータルサイトが悪いというのではない。情報洪水、砂漠で針を探す迷いにある人たちに情報を整理して提供する役割は貴重なものであろう。
 もっとも日本のアカデミズム(学会)も、長らく同じ機能を果たしてきたとも言える。みずから独自の問題意識を持ってオリジナルな問題設定をするのではなく、先進諸国の学者・研究者、たとえばマックス・ウェーバーの翻訳紹介や解釈をすることで学者でございとしてきたのは、ポータルサイト学者とでもいうべきなのであろう。
 はたまた、日本の政治は、諸外国の物まねに明け暮れ、戦前はヨーロッパの、そして戦後は米国のポータルサイト政府だという感じもしないではない。
 人々の生き方も、自分の見解を持たず、誰がああした、彼がこうしたと他人の動きへの関心ばかりで埋め尽くし、まるでポータルサイト人生だとでもいったら怒られるだろうか。
 オリジナル・コンテンツの努力やリスクテイキングなどしなくとも、とにかく情報をそれなりに整理して提供しさえすれば何とかやってゆける。他人のふんどしで相撲をとるあり方のニュースタイルだとも言える。そして規模を大きくできたなら安定性が増す、といった有り難しづくめのポータルサイト型スタイルが、ジャンルを問わず隆盛(?)を極めているのが現代の一面なのであるのかも‥‥ (2002.04.22)

2002/04/23/ (火)  ポータルサイト型〜:インターネット環境ではほぼ必須なポータルサイト!

 ウェブ・サイトとしてのポータルサイトは、検索機能を盛り込んだ「総合ポータルサイト」がまずあげられる。有名なところでは、次のようなサイトがある。
 マイヤフー、NTTマイディレクトリ、マイエキサイト、マイイサイズ、フレッシュアイ、Goo、MSNスタートペ−ジ、インフォシーク、マイライコス、ネットスケープセンターなどである。
 また、それぞれのジャンル別、テーマ別のポータルサイトとしては、ポータルサイトのポータルサイトが必要なほどに無数に存在する。任意に取り出し、順不同で例示してみると次のようなサイトがある。
 企業情報ポータル、行政ポータル、映画ポータル、図書ポータル、地域情報ポータル、技術情報ポータル、住宅・不動産ポータル、日本舞踊ポータル、鯨ポータル、健康ポータル、法律ポータル、手話認識ポータル、釣りのポータル、音楽ポータル、半導体市場ポータル、女性向けポータルなどなど。検索ソフトで、キーワード検索してみるなら五百件以上のヒット数に上り、一種の最多部類のサイトであることがわかる。

 これらの事実を踏まえると、やはり「情報化時代」の真っ只中での、人々の戸惑いに気づかざるを得ない。インターネットという、まるでビッグバン(宇宙のはじめに起こったと考えられる大爆発)のような情報の爆発膨張環境に遭遇して、とにかく人々は闇雲に手掛かりを求めているとでも言えるような気がする。
 従来人々が情報に接するあり方は二つ、一つはごく身の回りの体験的世界での実感を伴った情報獲得と、もう一つは新聞・ラジオ・テレビなどのマス・メディアから一方的にワンウェイで流され続けてきた情報に受身的に接するかたちであっただろう。
 前者は、知り合いや、友だちや、馴染みの顔の人々から、肌身で感じられた環境についての情報を交換するのだから、実にしみじみとした安心感を伴った情報入手と交換であった。情報に関する戸惑いや撹乱されることはまずなかった。近所の奥さん同士の心地よさそうな長話はそれを表していたかもしれない。
 後者のマス・メディアからの情報は、突然に、想像もしていなかった馴染みの薄い新規の情報が飛来するのだから、それなりの当惑感が生まれることも大いにある。胸騒ぎや、動揺や、落ち込みも大いにあり得る。しかし、人々が一方的に与えられた情報によって種々の当惑が引き起こされたからといっても、マス・メディアは、いつも受け手の当惑や混乱を放置するかたちでの情報提供はしてこなかった。むしろ、どう受け止めればよいかの結論までもを、お節介にも提供してきたはずである。お仕着せではあっても、何らかの収束をその都度その都度講じ、受け手は情報処理に関してそれなりに溜飲を下げてきたのではなかったか。これが、マス・メディアによる一方通行型情報提供の特質でもあっただろう。

 ところが、インターネットを使っての情報入手、検索、そして自分自身での情報処理は、まったく事情が異なっている。通常、この入り口には何のサジェスチョンもない。そして、一度アクセスを始めると、リンク関係が作動し始め、次第に情報のあり地獄の斜面に足を取られてゆくことにもなりかねない。「空っぽの洞窟」だと批判する人もいないではないが、ブラウザの向こうには、とりあえず無限の情報、情報群の底なし沼、情報の砂漠が広がっているわけだ。
 やはり水先案内人がどうしても必要だと感じてしまう。だからこそ、ポータルサイトがもてはやされるのであろう。昨今のプレインストールの新規のPCには、CM的意味あいもあるのだろうが、最初からポータルサイトが付いていたりもする。
 ただ、パック旅行をした人なら誰でもが一度や二度は感じたことがあるように、水先案内人の良し悪しで、事情がまったく異なってしまうという点である。
 同じポータルサイトでも、各々のジャンルやテーマに、その道のベテランを配して案内させているサイトもあれば、単にそのジャンルに関心を持っている人がそれだけでポータルサイトでございます、と開いているものまで様々であるのが実情だ。これを見極めて利用するのが大事な点であると思われる。
 そして、さらに重要な点は、ユーザー側の自覚だという気がする。マス・メディアは勝手に選んだ内容の情報を、熨斗紙(のしがみ)を付け、おまけに評価・結論までしのびこませて提供してきたので、われわれには無自覚に対応するくせがついてしまっている。
 しかし、インターネットでの情報処理には、何を検索したいのか、さらに言えば自分は一体何に関心を持っているのかなどという自覚が最も重要であると思われる。そして、こういうユーザーが増えてゆけば、現在の玉石混交のポータルサイトも次第に淘汰され、信頼性や、好みが託せるサイトへと変貌してゆくのだろうと思っている‥‥ (2002.04.23)

2002/04/24/ (水)  ポータルサイト型〜:ソフト化経済の方向を支え切れない日本の現状!

 ポータルサイトのように、自分でではなく他者が製造したものや、自分ではなく他者たちを素材として何かを行う営為は、ややもすれば聞こえはよくない。だが、やはり現代的だと言えるのかもしれない。その営為は、「案内」と言ってもよいし、「編集」と言ってもよい。「批評」と言ってもよいし、「アレンジ」とも言えるし、「斡旋」、「管理」だとも言える。「剽窃!」や「ピンはね!」のような不当行為に落ちさえしなければ、むしろ未来を切り開く有意義な営為だと言うべきなのかもしれない。
 初日に、ポータルサイト型スタイルなるものを、「他人のふんどしで相撲をとるあり方」というネガティブな響きで表現した。確かにそうしたイージーな振る舞いの輩もいないわけではないと思う。また、如何なる付加価値を付けようとするのかに無頓着なケースも少なくない。だが、やはりこの種の営為スタイルは立派な現代的ジャンルと考えた方がよさそうかもしれない。

 むしろ、自分で自分でと何でも自分にこだわったり、地球上でお初といったオリジナルにこだわったりする方が、非現代的なアナクロニズムだと笑われるのかもしれないのだ。
 それというのも、われわれが目にしている素材というものは、すでに何らかの加工を施された人工物であり、他者による製造物なのである。われわれの出発点は、他者の手による加工物や製造物を基礎とする以外にないのであり、手つかずのオリジナル素材などというものがそもそも存在しないと言えるからである。
 だからわれわれが独創的営為を目指そうとするなら、他者の営為の成果を素材(モノとは限らない)として用いたリストラクチャリングしかないとも言える。それは、新しい組み合わせであったり、イノベーションであったり、新視点からの再構成であったり、別なジャンルへの応用であったりとその着眼はいろいろであろうが、とにかく素材に対して新しい付加価値がつけられるのである。これらは、製造業寄りの加工技術をてことする場合もあろうが、斬新なアイディアや知的営為に基づくものも少なくないと見受けられるので、広義のソフトウェアだと言ってよいのかもしれない。

 現在の閉塞した日本経済、とくに製造業を中心とした業種は、将来展望を探しあぐねているようだ。かと言って、展望が明るい業種業界がバラ色を誇っているわけでもない。政界に強力なリーダー的存在がないように、牽引力を持った業種業界らしき存在がないことが問題となっていそうだ。
 ソフト化経済の方向が叫ばれてきて、多分大局的にはこの方向しかないと思われるのに現実はかんばしくない。おそらく、グライダーのように、ソフト化経済がテイクオフ(離陸)するためには、いましばらく従来の有力業種業界による牽引が必要であったにもかかわらず、この不況に遭遇してしまったというのが実態なのかもしれない。
 ビジネスは、ベンダー(提供)側が新規性のあるものを提供すれば済むものでないことは言うまでもない。顧客側、市場側がこれを価値とみて需要を形成してこそ成立する。
 そして、モノから、ソフトウェアという無形の価値への商品の移行がそんなに短兵急に進むはずはないと考えられる。一定の慣らし期間が必要なはずである。まして、銀行による融資の担保は不動産というモノと決まっていた日本にあってはなおさらである。広義のソフトウェアや、ましてポータルサイト型ビジネスなどをどこかでいかがわしい商売、手堅くない仕事と見なす風潮が、見えない足枷となり続けているはずなのである。

 現在のデフレ不況の原因たる需要縮小にはいろいろな理由が絡まっている。将来が不安だと見る国民感情も大きいし、これを助長さえしている政治不安も大きい。だが、大きな歴史の流れを鳥瞰した時、消費者需要がモノ離れの先に確たるものを見出していない現状をどう見るかといった問題視覚を設定してもよいのではないだろうか。
 市場経済は自然であるのが良いに決まっているが、今の日本経済は、ポスト製造業の牽引役を早く見出さないことには将来がないはずである。モノ縛りから抜けられないでいるかもしれない国民生活のソフト化をもっと本気で志向してよいのかもしれない。
 ただ、箱モノ政治、不動産政治を公共投資で延命させている度し難い政治の実態を何とかする方が先か!誰か、とっくに植物人間となってもがいている自民党体制にきっぱりと引導を渡してやってくれまいか‥‥ (2002.04.24)

2002/04/25/ (木)  ポータルサイト型〜:ビギナーの案内や教育こそベテランを配して対応すべし!

 東急ハンズには、日曜大工博士のような店員がいたりする。
「留め金で‥‥」などと質問しようなら、「ああそれね。それはね‥‥」とたちどころに展示場所へ連れて行ってくれて、設置方法などの講釈までしてくれる。大抵、この道苦節何十年といった年配のおじさんが担当している。
 また先日、ある法務局へ行った際にも、こうした役割を担っているらしい嘱託ふうの年配の方が、デスクを与えられて座っていて助かったことがあった。おまけに、実に愛想がよく、快活で、手続き事務のわずらわしさで気が滅入っていたのが吹き飛んだほどであった。
 だいたいこうした方は、物知りの上に勘がよく、質問側の迷いを素早く察知して、決して質問者に「だからぁ〜」と苛立たせるような対応はしない。おそらく、このジャンルのマネージャクラスの方が定年退職かなにかされて、「何々さん、嘱託でこんな仕事があるんだけどやってみます?」とか言われて、一も二もなく引き受けたという気配が濃厚である。
 こうした感じのよい苦節何十年組の案内おじさんがいるかと思えば、顧客のこちらよりはるかに商品知識の薄い若き店員がいたり、こちらのニーズの確認よりも歩合目当てが見え見えの売らんかな店員が跋扈していたりもする。当該の質問さておいて文句のひとつもいってやりたい気分となることさえある。まさに、べこと狐の泣き別れ、もうこんこんである。だからこそ、気の利いたところでは苦節何十年組案内おじさんを嘱託で設置したりするのであろう。ことほど左様に、不案内な人を案内することとは重要な業務なのである。

 書籍にもポータルサイト型書籍、いわゆる『猿にもわかる‥‥』といった入門書がいろいろ出版されている。ところが、これは曲者(くせもの)が多いというのが相場である。「ど素人相手ですから、もっともらしいキーワードを散りばめてぺっぺっぺーと殴り書きしていただければいいのかと思います」なんていうなめた出版社の担当者に乗せられたうだつのあがらないその道の自称プロが、「じゃ、小遣い稼ぎのつもりでやってみますかな」として、急ぎ働きでお茶を濁したとしか思えない産物が多すぎるではないか。
 本屋に出向かれたなら、何でもよいから入門書と称する書籍を手に取って検閲(?)していただきたい。わかりやすいかどうかという点であるが、この判定は意外と難しい。だから自称プロたちの勝手を許すことになっている。そこで、一例ではあるが次の点を点検していただきたい。
1.巻末に「索引」が豊富にあるか?なおかつ、ある用語の初出のページで、その用語説明が十分になされているかどうか?素人にわかる用語解説であるかどうか?
2.全体の構成で、イントロダクション部分に初心者の具体的な実情などが例示されていたりするか?(これは筆者の教育体験の有無をうかがわせる!)
3.同じくイントロダクション部分で、この道に習熟できるとどんなよいことがあるかといった学習意欲向上に向けた配慮がなされているか?
4.不必要な事柄や用語には言及しないか、その旨を記して潔く割愛しているか?
5.「図解、図説」と謳っていながら、わかりやすい図表が豊富であるかどうか?
などなどである。

 こうしたいわば当然の配慮が抜け落ちた入門書が多いし、ほかのジャンルでもこうしたアナーキーな初級者教育がまかり通っているのが現実だと思われる。クルマの教習所の教官にもそんなケースが見受けられるし、パソコン教室のトレーナーにも見受けられる。
 要するに、不案内な人、ビギナーの案内や教育こそ、白紙をどぎつく染めてしまうのだから、酸いも甘いも噛み分けた超ベテランが出る幕なのではないのか。その証拠に、小学一年生の学級担当はそこそこのベテラン教師が配属させられているではないか。
 ビギナーには親しみやすい、ついこないだまでビギナーだった者がいいとするのは、目先の人件費コストをケチる策でしかないように思われる。コストにこだわるなら、最初の立ち上げを理想的にかためておけば、あとのメンテナンスが極めて低コストで済むという常識に目を向けるべきなのである。
 ポータルサイト型スタイルの営為にはしっかりと金を掛けるべきだと言いたい。いろいろな領域でますます再教育が必須となるご時世、後戻りさせない丁寧な教育はきっと評判を取り、ペイしてゆくに違いない。その意味で気になるのは、時代の要請に応えうる人材をと云々していながら、わが国の初等・中等教育に対する関心の向け方は余りにも杜撰すぎるのではないだろうか…… (2002.04.25)

2002/04/26/ (金)  ポータルサイト型〜:ポータルサイト型スタイルの言動に磨きを!

 日本建築の入り口(portal)は意味深でもある長いアプローチのあることが特徴だと言われる。
 飛び石が埋め込んであったり、通路を囲むこざっぱりした植木が目を癒したり、これはこれで趣き深いものがあって素晴らしい。門から玄関に至るアプローチを歩む(こういう上流社会の経験はめったにないのではあるが)と次第に気分が塗り替えられてゆくような気がしたりする。その道の専門家にうかがうと、外界と建物内部との堺で、訪問者や住人の心の切り替えを促す日本文化の伝統が前提になっているとのことだ。なるほどと感じ入る。

 だがこれをビジネスに応用するならどうだろうか。業務レポート書きや、プレゼン資料作成でこれをしたなら、たちまち黙殺され、へたをすればストレス多い上司によって暗殺(?)さえされかねないだろう。
「要点・重点先出し!」がビジネスでは金言となっている。そして、現代ではビジネスに限らずより広い領域でその原則が採用され始めているように思われる。短いCMで、意味深なアプローチを試みることは非常に困難であるし、学校の講義でも、一般向けの講演でも、その序章でのインパクトある掴みなしでは、せっかちな人々を繋ぎとめることはほぼ不可能であろう。
 そこで、現代のさまざまな言動(もの書きを含む)には、優れたポータルサイト型プロローグが必要だと思えるのである。その後の言動の魅力ある抜粋を、キラキラと輝かせて十分興味を惹くかたちで冒頭に提示する作法である。

 とにかく人々の忙しがる(ホントに忙しいのかどうかは不明!)姿は尋常ではなくなっている。わたしも、先日あるお店で買い物をして、忙しい気分に急かれてレジで支払いを済ませそのまま出口へ向かおうとした。「お客さん、これ! 」と、呼ばれて振り返ると包装された支払い済みの商品がレジのテーブルに残っていたのだ。まあこれは忙しさというより単なるボケというべきかもしれないが。
 最近、知人でビジネス書を出版した人がいるが、意表を突かれる思いがしたのは、一ページあたりの文字数を大幅に抑制し、まるで写経の手本ほどの文字の大きさにした点であった。要するに、エグゼクティブに読ませるビジネス書としては、老眼が進む中高年だからという点よりも、要点だけを鮮明に印象付けて即行動に着手してもらいたいとする意図を込めたとおっしゃっていた。それにしても、ブリーフィング(briefing、要約)もここまで来たかと頷いたものだった。
 また、忙しい現代人の感性を効果的にキャッチしようとする意図を持つのだろうか、最近の新聞のテレビ欄の表には、番組名や出演者だけではなく、内容のブリーフィングが書き込まれ、ポータルサイト型テレビ欄と変貌しているのに気がつく。(また、9:54〜、10:54〜の番組スタートという妙な新趣向もいつのまにか定着したんですね!)
 人々が忙しく、また情報も洪水気味で溢れるような環境においては、宣伝行動の第一義である「アイ・キャッチ」のように初発を制することの重要さがいたるところで実践されているように見えるのである。まさにポータルサイト型スタイルの言動が駆使されていると見える。

 かと思えば、この作法を無責任にまたは詐欺的に使う人々も、もう片方にいることに同時に気配りしなければならないのが現代でもあるのだ。昨今この点で大いに国民的顰蹙(ひんしゅく)を買っているのが「プリテンダー」小泉であろう。中身もないくせして「構造改革」やら「改革なくして成長なし」やら「米百表」やら、「らしき言葉!」を連発してきたのは、下品に言えば田舎娘を手玉にとるようでやってはいけないことでした。
 しかし、何であれ真摯に追求する人がいればその逆に悪用する人もいるのが、避けられない人の世の現実なのでしょう。表示と中身が異なる不祥事は牛肉・鶏肉問題でしっかりと学ばせてもらったわけであり、その後遺症と言うべきか教訓的学習効果と言うべきか、われわれは、あらゆる対象への懐疑的姿勢を培うことにあいなった。多分、時代はますます複雑怪奇となり、ますます忙しくなり、ますます時間に急かされるようになってゆくに違いないとすれば、ポータルサイト型スタイルのものや言動がますます広がってゆくのだろう。われわれとしては、額面どおり忙しい人たちに黙殺、暗殺されぬよう要点把握能力に磨きをかけるとともに、ウソを見抜くために懐疑的、批判的姿勢も培っていかなければならないと思ったりしている…… (2002.04.26)

2002/04/27/ (土)  ポータルサイト型〜:急激に膨張、肥大化してしまった「同時代」への関心?!

 良い悪いの観点ではなく、現代らしさという関心で、ちょっと気になったポータルサイト型なるものを種々の角度からいじり回してきた。
 流行を追っかけるほどに若くはないが、それでも現代という化物のような存在をにおわせる現象にはどういうわけか、自ずから関心が向いてしまうものだ。と言うより、より現代的かと注目するものには、何か得たいの知れないリアリティや実感がある、と言えばよいのだろうか。

 TVのCMでも浮き上がった雰囲気のものと、何と言うこともないが実感的なものとがある。前者の例として思い浮かぶのは、「スタッフサービスのオージンジ」のドタバタ、小泉ジュニアの缶ビールCM。後者の例としてはさほどお勧めでもないが、ちょっと前になるが、かぜ薬コンタック顆粒のカプセル人形のCM。「効くっちゅーの!」と言っていたころ、おもしろがって楽しみにさえしていたことがあった。あと、「ごはんが、ごはんがすすむ、すすむ!」というふりかけのCMだったですかね。ワルガキふうのアニメの顔の反転がちょっとスリリングで実感的でした。

 実感とか、リアリティというものは、同時代空間に浸透している何かと微妙に共鳴するところに生まれるものなのかという気がしている。たとえば、効果的なパロディというものは、もとになっている素材が、同時代人たちによって周知の事実となっていることが大前提のはずだ。これがあって、実感やリアリティが喚起されるのだろう。
 飼い犬に「お手!」「おすわり!」を教えると、もっと教えたくなってくる。犬小屋に戻らせるために「ハウス!」と仕込む。念のため「ムネオハウス!」と茶化したら、歯を剥いて脅かされた(単なる思いつき)‥‥ という場合、「ムネオ」の名と実態があまねく同時代の人々の心に淀んでいることがパロディの大前提のはずなのである。

 それにしても同時代としての空間の広がりは目を見張るものがある。これをボーダレス世界、グローバリズムと言うのだろうか。たった一人の人間の身体と心の空間ですら持て余しているというのに、世界各地の生々しい出来事の情報が同じ町内で起きているかのように報じられる時代、いや報じられるだけではなくリアルタイムで現実的にリンクしている時代である現代は大変な時代だ。
 ひと頃、歴史意識が喪失した時代だと言われたことがあったかに思う。人々が、現在だけにとらわれて、時間と体験の積み上げである歴史をかえりみなくなった時代というほどの意味であったか。戦争(体験)の問題などとの関係で言われることが多かった。

 ものの位置を表現するのにしばしば座標軸というものが使われる。いま仮に、われわれの生きる場の空間的な広がりをX軸に、時間的歴史的流れをY軸にたとえてみよう。すると、現代人はここへ来て眼も眩むように巨大化したX軸のただ中で、広大な情報砂漠へ突如として放り出されたような当惑に遭遇していると言えないだろうか。
 ディズニーランドへ行って、眼前に目を引く興味対象が溢れる時に、宿題があったという将来に関することや、先生に叱られたという過去のことなどがさっぱりと消し飛んでしまう子どもの心境と似ていると言えようか。
 あまりにも急にX軸がリアルに拡大してしまったため、Y軸の存在感すら希薄となってしまっているのかもしれない。歴史認識や歴史感覚が、少なくとも日常人にとって蚊帳の外の事柄のように等閑視される様子は十分に想像できる。
 だから、本来現在は、過去と未来に問いかけることで切り拓かれるにもかかわらず、それらへのアプローチが躊躇されているようだ。もっぱら現在自体にウェイトがかかる、言ってみれば刹那的とさえ見える状況が広がっているように見える。「ポータルサイト型」スタイルとは、そんな時代を照らし出すもののように思えたのだ。

 しかし、公設秘書問題などという、あえて言い切るなら不要不急問題でバカ騒ぎをして、その影で、不要!不要!問題である有事法制や、言論弾圧法案を着々と進めようとする動きは、歴史感覚を失った日本人をしっかりと見据えた保守反動勢力の暴挙としか言いようがない。日本の経済的閉塞を、軍需産業復活によって乗り切ろうとするための露払いがいま姑息なかたちで進められていることをじっくりと見つめなければならない‥‥ (2002.04.27)

2002/04/28/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (37)

「いやー、聞きしに勝る迫力でござった。これでは正雪先生の評判が高まるのも無理からぬことでござるのう」
 十三郎は、人を待つように佇む海念に、興奮覚めやらぬ口調で語りかけた。
「そうでござろうか」
 海念の思いのほか冷ややかなつぶやきに、十三郎はやや拍子抜けするのだった。
 二人は軍学塾の路地から表通りに通じる角で佇んでいる。夏の日は傾きかけ、表通りも漸く表店(おもてだな)の建物の長い影がおおい始めた。三々五々、塾の聴講者たちが通り過ぎて行く。皆一様に上気した様子がうかがえた。
「お久しぶりでございます」
 海念は突然に、塾の玄関からやや遅れて出てきた初老の武士に向かって挨拶をした。
「おやおや、海念さん。そなたも聴講されておられたのですか。これはこれは……」
 中村小平太は、きまじめな顔を思い切りほころばせてそう言った。
「最後列で聴かせていただきました。あ、それから、こちらは、旅の途中で知り合った諏訪十三郎どのです。十三郎どのとは……」
 海念は、小仏峠や八王子でのいきさつをかいつまんで話し、十三郎にも小平太との出会いを紹介するのだった。
「こんなところでの立ち話も妙ですから、むさ苦しいところでよければお二人ともお出でになりませんか。ここから馬喰町までは七、八町(約7〜800m)程度しかござらぬ。静もきっと喜ぶに違いないでしょう」
 海念と十三郎は顔を見合わせてうなづくのだった。途中、十三郎は気を使って一升徳利を求め、左手に携えた。

 三人を迎えた裏長屋の路地からは、相変わらず子どもたちがはしゃぎ回る声が響いていた。まだ二度しか訪れていない海念であった。だが、妙に懐かしく思えるのが不思議だった。
 とその時、
「あっ、かいねんさんだー」
 とどこからか子どもの甲高い声が聞こえた。声の主は海念の前に飛び出してきて、海念を見上げる。直太郎であった。と、路地の奥へと駆け出して行った。
 やがて、路地の奥に、直太郎の手に引かれた静の姿が現れた。遠くからお辞儀をしている。静が、日頃、直太郎に自分のことを話していたのだろうと海念はそう思った。そしてこの路地の懐かしさのわけが、静にあったことに思い至るのだった。

 一升徳利の持込みによってか、小平太宅ではたちまちのうちに宴(うたげ)が始まってしまった。静は酒の肴のこしらえであたふたとする始末だった。
「それにしても、山賊たちを懲らしめたとは、お二人は若くて羨ましい限りですな。」
「いいえ、これも浪々の身であるがゆえに身体を持て余している証拠ではございますまいか。のう、海念さん。いや、海念さんは御浪人ではなかったか、はっはっはっはっ」
「いやいや、おっしゃるとおりわたくしは親子代々の浪人者、筋金入りの二代目浪人と言えます。おまけに世捨て人でもあります」
「はっはっはっはっ、これはこれは、海念さんも言いますのう」
「だが、お二人ともご立派ですぞ。八王子宿で御浪人親子を救われた話などは涙ものですな。しかも、不遜で卑劣極まりない武士を操ったところなどは真似のできることではござらん。武士は相身互い(あいみたがい)と申すが、それがそうでないご時世じゃ。武士道も地に落ちたもので、江戸市中における旗本侍の悪行も度を越し始めておるようじゃ。それはともかく竹光を腰にとは、浪人の窮乏は身につまされるものですのう……」
 小平太は、十三郎に徳利を向けようとして、すでに、徳利が軽くなり始めたのに気づくのだった。
「静、酒はあったはずじゃのう」
「はいはい、お父上のお薬は欠かしませんよ」
 静は、心配させまいとすぐに新しい一升徳利を運んできた。
「中村どのもやはりお薬がなくてはいけませんか。拙者も早くもこの世の憂さを晴らすためにお薬を常用し始めておりまする。はっはっはっはっ」
 小平太が新しい徳利を持ち上げると、十三郎はかしこまっていそいそと杯を差し出した。
「ところで、諏訪どのも正雪先生の講義は初めてとのことでござったな。して、本日のご感想は如何なものでしたかな」
「はい、一言で申して感服の至りでござった。よくも、浪人たちの怨みつらみと憤りのツボを押さえておられるお方だとそう感じ申した。これまで、今ひとつ了解に苦しんだ『老子』の教えでありましたが、正雪先生の講釈だと染み入るように受け止められたのが不思議でござった。うーむ何と言うか、全体としてまるで芝居でも見ているような思いにかられたものでした。」
「なるほど……」
 小平太は十三郎が語り終えると、胸元でとめていた杯を口に運び飲み干した。
 海念も、『まるで芝居でも見ているような思い』という言葉には頷いていた。
「中村さまは、本日質疑なされましたが、幕府内の後ろ盾については如何なる理由でご関心がおありだったのでしょうか」
 杯をなめるように静かに飲んでいた海念が、ほろ酔い加減となり始めた小平太に切り出すのだった。
「うーむ、あれですか。実はちょいと気になるうわさを耳にしたものでしてな……」
「何でございます?幕府は『蝦夷地開拓』の計画をこころよく考えておらぬとか?」
 十三郎が身を屈め不信そうに顔を突き出した。
「いいや、話はもっとねじれておるのじゃ。実はな、その真偽は定かではないのじゃが、またしてもあの老獪な知恵伊豆、松平伊豆守信綱がことじゃ。かやつがどうも密かに正雪先生の身辺を探らせていそうな気配なのじゃ。」
「ありそうなことです。もしや講堂の隅に座していたあの侍がそうなのかもしれません……」
 海念は自分が違和感を抱いたその侍の挙動について、見たままを説明するのだった。
「もし、あの侍が伊豆守どのの家臣だとすれば、正雪先生のご高説と言質は一言一句伊豆守どのの手中にあると言えましょう。で、中村どのはそれもご存知で?」
「左様、存じておる。本日もぬけぬけと聴講していましたな。実は、かやつに不信を抱いた者が、密かに帰途を確かめたところ知恵伊豆の屋敷の中に消えたとのことなのじゃ。
 で、拙者が心配いたしておるのは、昨今正雪先生の幕府非難のお言葉が次第に昂進しているご様子だからである。それが、知恵伊豆のような老獪な敵の耳が講堂内にもあることを知った上でのことかどうか、いやご存知なきことはなかろう。とすれば、知恵伊豆などを上回る幕府要人の後ろ盾などがなくしてあそこまでの大胆な言動には及べまいと思えたのじゃ。そこで、拙者はあえてあのような質疑に及んだ。」
「ちょっと待ってください。知恵伊豆がどうだこうだとは何のことでござるか?」
 小平太と海念の間では既に周知の話となっている浪人潰しの先鋒、知恵伊豆について熟知しない十三郎が二人の話に割り込んできた。
「知恵伊豆というのはな……」
 小平太は、知恵伊豆こと、松平伊豆守信綱が十年の昔、西国の島原、天草における切支丹の反乱を鎮める折に、すでに巷に溢れ幕府にとって目障りとなっていた西国の浪人たち一掃の意図をもあわせて抱いていた事実を説明するのだった。それがゆえに知恵伊豆との異名をとることにもなったのだと。
「幕府にはそんな卑劣なやつが……」
 十三郎は杯をぐいっとあおった。
「それで中村さまは、正雪先生のご回答をどのようにお受けとめになられたのでしょう? 」
「そう、そこなのじゃ。拙者は、先生は実名は言わぬと読んでおった。拙者としてはさわりだけでよいと思っておった。むしろ、あえて敵に言質をとらせず、漠然とした含みをもって敵を脅かすべしとな。そうであるはずだと思っておったからこそあえて質疑したのだったが……」
「ところが、正雪先生は実名を言明なさいましたね」
 海念は小平太の言葉に畳み掛けるようにそう言った。
「講堂の聴講者らは嬉々として騒いでおったが、拙者は内心当惑した。しまった! とも思ったものじゃ」
「これで事態はどう進んでゆくのでしょうか?」
「わかりません。知恵伊豆ことゆえ奇想天外なはかりごとに突き進むやもしれぬ。拙者はあの一途な正雪先生に恩をあだで返したことになるのじゃろうか……」
 小平太は、飲みかけの杯を置いた。そして、あぐらの両膝にだらりと両腕を置き、うつろに天井を見上げるのだった。
「中村さま、正雪先生は一途なお方には違いないと推察いたしますが、ひょっとしたら中村さまがお考えのようなお方ではないかもしれません」
 それを聞くや、小平太と十三郎は思わず顎を引き、問い詰めるようなきつい眼差しを海念に向けるのだった。 (2002.04.28)

2002/04/29/ (月)  デジ・アナ再論:デジタル化による便利さとやりがい感!

 車検のためクルマをなじみの整備屋さんに出すと、代車を貸してくれた。日頃乗っているクルマはオートマチック・ギヤーの上に排気量も大きい。操作がラクであるとともに、エンジン音も静かで、ウインドウを開けないなら外界を完全にシャットアウトできてしまう。その分、ややもすれば自分が運転しているという実感が薄くなる。
 ところが、整備中に貸してもらえる代車は、マニュアル・ギヤーチェンジのミニカーなのである。マイカーとは大きな落差がある。
 まず日頃、手持ち無沙汰となっていた左半身、つまり左足、左手がにわかに忙しくなる。クラッチの断続のための左足と、こまめなギヤーチェンジを担う左手の、しばし忘れ去っていた繁忙ぶりなのである。まるで、とっくのとうに引退して隠居となり、猫の背をなでて悠悠自適の生活に入った年配の職人さんに、急遽現役復帰してもらってる観がある。
 また、軽いミニカーのアクセル・レスポンスは際立って鋭い。ちょいと踏み込むと、待ってましたとばかりに飛び出すわ、轟音をがなり立てるわで、その小ボディの一所懸命さが全身に伝わってくる。切ったハンドルの直進復帰力が弱いので、手動で切り戻す動作も必要となる。何から何までが忙しくなる。
 ほっと一息ついて、タバコだなと思い、ウインドウを開けようとすれば、これがまた右手でクルクルとクランク・ハンドルを回さなければならない。

 こうして、とんと忘れちまった忙しいバイ・マイセルフのクルマの運転、さぞかし閉口の感かと言えばさにあらず。左半身の現役復帰、第一線への思いがけない復帰がただただ感激を呼び覚ましたように、久々の実感的充実感なるものを味わわせてくれたと思えるから不思議である。ミニカーの代車は、しっかりと「運転手はキミだ、車掌もキミだ、あーとの操作も自分でやれよ!」とばかりに、ドライバーの原点復帰を遺憾なく悟らせ、またそのやりがいと充実感とに目をむけさせてくれたのである。帰宅時の深夜、そこそこのスピードを出し、窓からの風と車体の振動を感じながら走っていたら、バイクの搭乗感がよみがえり、何やら恍惚感に浸ったものだった。

 人の生きがいとは、自分でなければできないことをする、自分がいなければまわりが困ることをこなすことだと表現できるのかもしれない。しかし、そうした対象を得ることはそう簡単なことではない。自分がいなくても、また自分でなくてもよいことを、さほどありがたがられずにやらねばならぬことの方が多いであろう。味気ない時代環境になってきたものだとつくづく思う。
 そして、そうした時代環境を推進している一翼に、「誰でもができるデジタル何々」という技術環境があると思われる。これらは確かに人々に便利さを与え、未経験のジャンルへの挑戦意欲を鼓舞した。が、同時に実感的プロセスを味わうことを台無しにし、個性的な工夫と努力をスポイルし、とりわけやりがいという人間的な大事な要素をどぶに捨てさせていると見え、密かに心憎く思っている。
 便利な馬鹿チョン的デジタル機器と、とにかく当事者の使いようが眼目だと言えるアナログ的道具との比較にゆきつく問題だということになるのかもしれない。
 優等生的回答としてある、誰でもできるという垣根のない大衆性の拡大、それもよかろう。また便利さで自由時間を増大させ人々の自己実現のためのゆとり時間確保、それも結構。しかし、こうした優等生的決めつけを額面どおり是としてよいものか、損なわれているものの甚大さに注意を向けなくてよいのかと、昨今感じたりしている。手数が省けることを正解だとする考え方には、やりがいという人間的な余りに人間的な心情のからくりには、決して迫れない軽薄さが潜んでいるのかもしれない…… (2002.04.29)

2002/04/30/ (火)  デジ・アナ再論:前田利家のような35ミリアナログ・カメラ!

 使い勝手の良さから言えば、デジタル・カメラに軍配があがるのは目に見えている。パソコンさえ愛用しているのなら、成果をすぐに確認できるし、画像の整理・加工・収納もラクであり、合理的でもある。だいたい、機材も小型、軽量であり旅行などでも荷物にならないのがありがたい。
 しかし、デジタル・カメラも十分に活用してはいるのだが、どこか気を許し切れないでいるのが実情だ。信長にとっての明智光秀が、どこがどうと言うわけではなく、前田利家ほどに気が許せないといったところか。

 また最近、実直な前田利家、いや35ミリアナログ・カメラ(銀塩写真)に親しんでいる。アナカメというものは、デジカメほどに気が利いてはいない馬鹿正直者だし、図体も大きく重量も大げさである。何もかもが軽量化されて、軽快な現代という時代に足並みを揃えているのに、アナカメは時代というものを一向にわきまえていない。しかし、まさにその「反」現代性、まるで荒馬が不遜にも乗り手を選ぶように、使い手の技を涼しい顔で御覧じるかのような構えそのものに好感を持つのである。
 いや、昨今ではデジカメに色目を向けて、あわよくば同類になってしまおうと姑息な了見を持ったポケットアナカメもどんどん販売されてはいる。しかしそんな節操のない類はもとより関心の対象ではない。
 また、最近のアナカメは、小型軽量化以前に、露出からシャッタースピード、フィルム巻き上げからフィルム装填、オートフォーカスから、シャッターを半押しせずともフォーカスを開始してしまうものなど、そのデジタル・プログラム化は、デジカメに勝るとも劣らない勢いなのである。どんなものかと遊んではやるのだが、遊び相手ではないなと悟らされてしまう。

 やはり、手にずっしりとくるフル・メタル感、と言っても両手で包み込めるぎりぎりの小型ボディがいい。精巧な機械的メカニズムがたとえ重さは残しても、精一杯努力して小さく収まりましたというのがカメラの本領であろう。そうでないなら、引き締まり感のない事務機器か製造機器ということになってしまう。
 デジタルどころか、できれば電池切れで禍根を残すエレクトロニクスなどに依存しないフル機械的作動が理想である。そもそも、デジカメに気を許せない最大の理由は、肝心な時に電池切れでこざいます、などと泣きをこぼす点なのである。しかも、わたしのせいではなく、電池が悪いのです、と言って責任転嫁してはばからないその根性がいやなのだ。
 アナカメでも、エレキに頼りすぎるカラクリのカメラは、寒冷地や寒い時期には電池能力が急激に劣化してシャッターさえ切れなくなったりする惨事も発生する。エレキ依存のシステムは、現代文明の脆弱さを思わぬところで曝け出すのが怖い。
 だが、エレキにまったく依存しないとなると人間的ミスが大きな災いに直結してしまうので、露出計程度のエレキ、つまり長期耐久のボタン電池程度は大目にみよう。

 こうしたアナカメの良さは、人間と掛け値なしの実直な付き合いをしようとするスタンスなのである。デジカメのように、要するに結果さえ出せばいいんでしょ、と言わぬばかりに自分の内部をブラックボックスにして隠蔽しているのはどうもいけない。小さな液晶の勝手な場所にちょこちょこと表示してアリバイづくりがなされるとなおいけない。
 その点アナカメはかわいい。何がどうなっているかをボディに行儀欲貼り付けたゲージ・ボタンで公明正大に示し、さあお好みのように命令してくださいと身を投げ出しているところがいじらしい。フィルム送りや残量も、ボタンの回転で実感的に知らせるが、何よりも信頼感を呼び覚ますのは、『シュバッ』という心地よいシャッター音なのかもしれない。あたかも佐川急便の愛想の良い兄ちゃんが、「はい、確かに承りました!」と元気よく応えているように聞こえたりする。信頼感とともに、思わず、確かに撮ったのだ!という充実感、そしてゆるぎない自己満足と遣り甲斐などがじわっと喚起されるのである。
 デジカメのシャッター音に手応えある音を施したら中高年受けするかもしれない。機械的シャッター音でもよいし、「はいっ、了解!」とでもいう擬似音声でもいいのかな?
 デジカメのシャッターの無音、ないしはピッという頼りない信号音は、昨今の若い部下に指示を出した時の、あの手ごたえの無さに似て、何とも腑に落ちないでいる…… (2002.04.30)