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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2002年08月の日誌 ‥‥‥‥

2002/08/01/ (木)  「売り手」提供側と「買い手」顧客とがともに発展成長する関係は?
2002/08/02/ (金)  「必要」以上のモノを消費させる経済における難しい問題!
2002/08/03/ (土)  「情報」消費時代における「経済原論」?
2002/08/04/ (日)  50週の土日を突っ込んだ後の爽快感と、もとの木阿弥感!?
2002/08/05/ (月)  いま、秀吉がなんとなく疎んじられているように見える理由!
2002/08/06/ (火)  わびしい中高年の思惑を、無残にも打ち壊すセルフ給油スタンド!
2002/08/07/ (水)  「自分史」への思い入れはわかるが、それを商売とするのはいかがなものか?
2002/08/08/ (木)  「ゴールデンバット」たち! 慎ましき昔の良さをくわえておいで!
2002/08/09/ (金)  システム化のジレンマ、二律背反をもっとシビァに見つめたいもの!
2002/08/10/ (土)  「フガフガ」の状態で、町内会について考える!
2002/08/11/ (日)  「夜は龍のごとく、朝はネズミのごとし」に生まれついた自分!
2002/08/12/ (月)  生きる力をむしばむマンネリ!この轍にはまっている内的な力!
2002/08/13/ (火)  お盆とは、「株主」である霊たちへの「株主総会」なのだ……
2002/08/14/ (水)  「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」
2002/08/15/ (木)  レッド・パージならぬデッド・パージ(死の観念の駆逐)を進めた技術文明!
2002/08/16/ (金)  自分も同じなのかもしれないと想像すること!
2002/08/17/ (土)  「消費資本主義社会の『自分は自分、人は人』という規範」!
2002/08/18/ (日)  通勤電車が「只今より、海中走行に入ります」!
2002/08/19/ (月)  チャリンコ・ライダー優遇の知恵を発揮するオランダに対してわが国は?
2002/08/20/ (火)  スピード化時代は、「遮眼帯」をつけられた競走馬たちの世界?
2002/08/21/ (水)  涙はひとのために流すのが相場でしょ?!
2002/08/22/ (木)  現代型<自尊心>の海で溺れ死なないための二大処世術!
2002/08/23/ (金)  外来新語「EAP」が運ぶ、薄ら寒い秋風!
2002/08/24/ (土)  どんな「ニッチ」なら、大手企業に伍して儲けられるのか?
2002/08/25/ (日)  歴史へのロマンを駆り立てる番組『その時歴史が動いた』!
2002/08/26/ (月)  その時自分史が動いた! (1)「個室の耳」
2002/08/27/ (火)  その時自分史が動いた! (2)殿中でござる! <その1>
2002/08/28/ (水)  その時自分史が動いた! (3)殿中でござる! <その2>
2002/08/29/ (木)  その時自分史が動いた! (4)葬式の場での説教!
2002/08/30/ (金)  「飽食の時代」に知らされる飢えの切なさ!
2002/08/31/ (土)  暑っ苦しいのだけれど、元気の素でもあるようなおふくろ!





2002/08/01/ (木)  「売り手」提供側と「買い手」顧客とがともに発展成長する関係は?

 モノが売れない時代だから、DM(ダイレクト・メール)が、郵便箱に、またネットのメール・ボックスにやたらと投じられる。街金(まちきん)からの電話セールスもあとを絶たない。
 いわゆる「提案型」営業というスタイルが叫び続けられてきた。売り手側の論理で押しまくる上記のような拙い方法ではなく、買い手側に自然な購買意欲を発生、成長させるような営業方法と言えばよいだろうか。買い手が目を向けることがなかったような部分に視線を誘い、企画的な案を示しながら買い手側と一緒になって考えてゆく方法だとも言えようか。
 これは、もはやビジネスの世界では当たり前となっているセールス方法であるが、いま注目してみたいのは、この方法が最終的なねらいとする「買い手、顧客の創造!」という点なのである。

 商売、ビジネスには、既に存在する需要、顧客、市場を相手にする場合と、潜在的にしか存在しない顧客を掘り起こす場合、当面は顧客像すら掴めないリスキーな対象を掘り当てようとする場合などが想定できるかと思う。
 既に存在する顧客を対象とするビジネスは、ある意味で容易であるとともに、競合他業者との闘いが熾烈なはずであろう。
 後ニ者は、今盛んに推奨されているベンチャー・ビジネスと言えるのかもしれないが、どうしても現在、将来の顧客群を新たに創りだしてゆくという努力が焦点となるはずである。想定した需要が現実のものとなったとしても、その需要を植物を育てるようにこまめに成長させてゆく努力が課されるはずだと思われる。それがなければ、一過性のビジネスで終わり、いわゆるバブルと評されることになる。

 先日、スーパー歌舞伎の市川猿之助を焦点にしたテレビ・ドキュメンタリーを見た。伝統的な古典芸能である歌舞伎には、既存のファン、顧客がそこそこいるはずである。にもかかわらず、猿之助は新しいジャンルへと挑戦している。猿之助が挑戦しているのは、新しいジャンル創りであると同時に、それを支える新しいファン、顧客創りでもある点が見ていてよくわかった。しばしば、閉じていては衰退するだけだと強調し、弟子の育成にしても名門の師弟だけに目が向けられるのが現状だと憂え、在野の人材を熱意で育てている姿に共感を覚えたものだった。
 同じ古典芸能である落語については、立川談志のような亜流をわたしは嫌っている。談志も「挑戦」をしたのであろうし、新しい顧客創りに「挑戦」したつもりなのであろうが、どうも似て非なるものだという気がしている。
 猿之助は、名門の出身であるだけに、骨の髄まで伝統芸を自分のものとした。その上で、新たなスタイルへの挑戦を試みている。しかも、思いつきではなく、「宙吊り」にしても、江戸の頃だかの過去に観客を沸かせた経緯があり、伝統の実績を踏まえた挑戦のようである。
 これに対して、談志による古典落語の認識と消化は余りにもお粗末であり、使い捨てテレビ・タレントとして無駄な時間を費やし過ぎたのが命取りだったと思われる。だから、談志は落語の内在的発展者にあらず、落語への犬の遠吠えでしか過ぎないと密かに見なしている。

 伝統の歌舞伎の本質をしっかりと捉えた上で、猿之助が目指しているのは、歌舞伎を活性化してファン、顧客の裾野をなんとか広げようとすることではないかと思ったものである。歌舞伎についてはど素人の自分なので偉そうな能書きをこいてはまずい。だが、名門出身の役者だけで、純粋というか玄人客だけを楽しませる「身内」だけの芸能となってゆくなら、その前途は見えてしまうのではないかと、余計な心配をした。とは言っても、歌舞伎の大衆化と称して縁もゆかりもないものへと変質してゆくのもまずいような気がする。

 多分、猿之助は在野の人材を厳しく教育し、またそれと同時に、ファンや顧客にも、いっしょに歌舞伎を育ててください(=いっしょに育っていってください)という両面の思いで、きわどいとも見える挑戦をしているのではないのだろうか。
 われわれビジネスに携わるものも、当世は考えられないが、売ってやっているのだという売り手側の立場で力むのでもなく、かと言って買い手への迎合と無節操さに流されるでもなく、買い手たる顧客と売り手たる提供者がともに育て合うような関係づくりを目指すべきなのだろうと思ったものだ。この両者の緊張関係、バランス関係が決め手であると思えた。とにかく、やたらに目にするのは、百対ゼロ、ゼロ対百という極端で不毛な関係でしかないように見える…… (2002.08.01)

2002/08/02/ (金)  「必要」以上のモノを消費させる経済における難しい問題!

 モノが売れない状況を目の前にしていると、あれこれと思案するものだ。
 昔、下駄や草履の鼻緒が切れ易いのにはわけがあると聞いた覚えがある。製造技術に由来するものなどではなく、程よく切れてくれないと買い換えをしてくれないからだというのであった。真偽のほどは定かではない。
 めったにないことだが、旅行先で散財気分となってアンマやマッサージを頼むことがある。これも聞いた話だが、終了間際になると、まるで電気アンマ機の電気が切れる寸前のように揉む動作をゆっくりにして、最後は手のひらで肩なり腰なりをパンパンと叩くというのである。要は、終了メッセージを送り、締めくくり準備をするそうなのである。でないと、客はいつまでも気持ち良さの持続を期待してしまうからだそうだ。

 もちろん、モノやサービスが売れるためには、それによって何らかの効用がなければならない。だが、もうひとつなければならないのは、モノやサービスの「買い替え可能性」ではないかと思う。確かに、一生一回モノ(マイホーム、、結婚式、七五三……)という場合もあるにはある。その場合は、リピーターをねらう目は、視野を広げ新規顧客獲得に向けられることとなる。
 「買い替え可能性」というものを制するのは、それらの消化、磨耗、消失、消滅であり、「使用済み納得感状態」であるに違いない。切れ易い下駄の鼻緒も、アンマの平手打ちパンパンも、この道理にそっていたのであろう。
 そして、モノが溢れる時代における売り手側の密かな目論みは、いかにして「使用済み納得感状態」を生み出す仕掛けを、限りなく自然を装って巧みに組み込むかではないかと、推定(邪推)する。
 大掛かりな仕掛けで大成功を収めているのが、「年次流行方式」であろう。アパレル・ファッションのみならず、クルマのデザインなども年毎に変わるのが当然視されるようになっている。当人は「使用済み納得感状態」がなくて当年モノでないものを使用していると「かわいそうに」という社会的非難の視線が自動的に浴びせられるほどに、この仕掛けは効を奏するようになってしまっている。
 デザインなどのような、モノ自体の効用と直接関係がないもの(情報!)を助っ人に呼び込んで、販売と消費を加速させたのは、現代経済の妙技だと言えるのだろう。

 パソコン関係ジャンルも、これに似たメカニズムが仕掛けられたと思われる。ウィンドウズといったOSおよびアプリケーション・ソフトが、年次モノのように次々とアップ・グレード版がリリースされた。また、常に最新版は、推奨ハードウェアの必要リソースを拡大してきたことから、PCというハードウェアの買い替えをも促進させる流れを生み出してきたのである。PCユーザーを囲い込み、追い込むような状況である。
 だが、ここにちょっとした不測の事態が生じた。
「ウィンドウズ95,98さえ満足に使えていないのに、2000やXPなんて……」
という、ユーザー側の愚痴にも似た不安感の発生である。最初は一緒に走ろうと団子状態でスタートした市民参加青梅マラソンで、先頭集団がばかに突進して水をあけるものだから、後続部隊が嫌気をさすといった図であろうか。
 ここら辺に難しい問題が潜んでいると思われる。
 確かに、ベンダーやメーカーは初期投資の開発費用を回収するために矢継ぎ早の新規製品のリリースを企てざるを得ないのであろう。ファッションのようにそれを受け入れる側にさほどの労力を要せず楽しめるモノはついてもくるのだろうが、PCのようなユーザーにもそれなりの活用能力を要求するモノは、マニアを除けば、アップ・グレードを重っ苦しいものと感じさせる可能性が高いのではないだろうか。書店に山積されたPC解説書の類は、こうした実態を裏書きしているような思いがする。

 ここに、ベンダーやメーカーの固有の事情と、ユーザーの実態との間のかなり深刻なズレが見受けられるように思われるのである。前者は、画期的な前進のみに拘泥するのではなく、後者の実態水準をしっかりと見つめる時期にきていると思われるのだ。また、前進する分、後続ユーザーたちの裾野を広げるための十分な配慮もより必要となっているのかもしれない。そして、ユーザーの裾野広げのためには、単なるPC操作の教育といった問題だけでなく、PC生活とでも表現するような踏み込んだ包括的な内容が必要なのかもしれないと感じている。

 自由市場経済にあって、そこまでのユーザー育成、消費者育成をする必要はないというのが大方の意見であることはわかる。しかし、モノが売れないという状況が単なる経済局面の一時的な現象であるならばそれでよいとして、もしこれが経済的先進諸国における文明の何らかの意味での歴史的段階だとするならば、腰を据えて考える重要なテーマだと思える。どう考えても生産優先であり続けてきた経済において、消費という重要な経済活動を本格的に研究する段階だと言ってもいいのではないかと…… (2002.08.02)

2002/08/03/ (土)  「情報」消費時代における「経済原論」?

 今週は、不況、デフレ、モノが売れないという深刻なあり様を、少しでも深めて理解したいと思い右往左往してきた。「消費」とは何なのかについて踏み込んで考察してみてはどうかと思い始めている。それと言うのも、一概に「消費」といっても、現代のそれは過去のそれと事情が大きく異なっているように見えるからである。

 現代が、「情報化時代、社会」とか「ソフト化経済」とか言われて久しい。
 これらを荒っぽく説明すれば、「情報」が商品や経済全体に不可欠な要素として組み込まれた環境を指すと言ってよいだろう。「情報」がモノの付加価値を圧倒的に高めたり、またそのことによって「情報」そのものがモノばなれして商品として自立して流通し、「消費」される環境である。だから、現代の「消費」の大きな特徴はと言えば、モノの「消費」に加えて、「情報」の「消費」という概念が登場したことにあるはずだ。

 ところで、過去の歴史、たとえば江戸時代にも「情報」を売る瓦版屋があったし、知識という情報を売る寺子屋だってあった。が、経済全体から見れば微々たる比重であったはずだし、経済の周辺部にしか位置づけられなかっただろう。文士や芸能人の経済的非力さを思い起こすだけでも想像はつく。その位置づけがモノ中心経済を主張した明治の民法を生み出したのであり、特に日本の場合は、担保と言えば土地といったモノ至上主義の金融経済へとつながってきたのである。
 比較的新しい時代の話でも、コンピュータとソフトの経済的比重の推移を思い起こすとわかりやすい。PCが登場する以前の大型汎用コンピュータの時代には、ソフトはハードという本体のモノの付随、付録(バンドル)扱いであったのだ。それが、アン・バンドリング(ハードとソフトは別扱い!)宣言がなされ、ソフトウェアの価値が市民権を得て、自立化させられたのである。「コンピュータ、ソフトなければただの箱」と言われたのがその当時であっただろう。これが、二十年程前の話であり、このあたりから、「情報化」・「ソフト化」という言葉が広がったものと思われる。
 要するに、「情報」を「消費」する比重が増した経済というものは、歴史も浅く、その正体は必ずしも掌握され切っていないと言っても過言ではないのかもしれない。

 「情報化時代、社会」や「ソフト化経済」というものが首尾よく回ってゆく前提や条件とは何なのだろうか、と関心を持つのである。いろいろあるはずだと思われて興味深いのだが、ひとつ取り上げるとすれば、「情報」を「消費」する側の課題に注目してみたいと思う。
 結論から言えば、「情報」の「消費」が旺盛となるためには、<1>モノの生産という基盤と、<2>人間のメンタル、マインド両面にかかわる文化の充実との両面が不可欠であるように思われるのである。

 <1>モノの生産が不可欠なのは、人間の欲求がモノに基礎づけられているからである。現代がモノばなれの時代だとは言え、動物でもある人間の構造がモノ的でもあることからして、モノを捨象して「情報」のみで生きることは不可能である。
 「情報」は一方で、モノの生産を支援する役割から離れることはできないと思われるのである。もともと、情報「化」、ソフト「化」という表現には、そうでないモノ経済の変化を指すと同時に、モノ経済との一体性を含んでいたものとも考えられるのである。
 何が言いたいかと言えば、IT産業こそが今後の経済牽引役だと言われるのだが、IT産業は、モノ経済(製造業とは限らないにしても)との関係性なくしては、経済的価値を生み出し得ないと考えられるのである。視野は国内に限定する必要はないにしても、モノ経済を支援して経済的価値向上に貢献する以外に方法はないと思われる。

 <2>人間のメンタル、マインド両面にかかわる文化の充実というのは、「情報」のふたつ目の役割、つまり人間が人間らしさを支えていくための機能に関わった側面である。「情報」が、一方でモノの生産において貢献して経済的価値を生み出すのを「対・自然」機能だと呼ぶならば、ここで指すのは「対・社会」機能と呼べるかもしれない。
 人間の欲求は、まず自然のモノに対して向けられるが、それに留まらずに対人関係へ、対社会関係へと発展するものと認識されている。(c.f.マズローの『欲求段階説』)
 この点は、モノへの飢餓感はなくとも、自尊心や愛情、自己実現などに飢えを感じる現代の若い世代の動向が如実に表しているはずである。また、消費不況の中でもブランド品(=他者への差別化)がそこそこ人気を維持している点も参考となるはずだ。
 つまり、文化的な「情報」への欲求と、そのための商品が発生する道理が確実に存在するのである。
 しかし、これらの領域の「情報」に向けられた欲求や購買意欲が前提としているのは、社会的な文化であり、その充実であるに違いないと思われる。個人を尊重する文化がないところでは、個人の自由に関する「情報」も、個室というモノと関係した「情報」も受け入れられないはずだろうからである。

 青臭い「経済原論」的な口調となってしまったが、それぞれが勝手なことを言いっ放しとなっているご時世では、自分で問題の源流に遡り、何らかの指針を得るしかないと思えるからなのである。
 で、われわれはどうするのか、自社はどうするのかを考えたい。中国が「世界のファクトリー」となるつもりならば、日本は世界の何となればよいのだろうか。世界の難民にだけはなりたくないものだが…… (2002.08.03)

2002/08/04/ (日)  50週の土日を突っ込んだ後の爽快感と、もとの木阿弥感!?

 昨年の8月26日(日)を第一回とした「Web上連載小説」を、ほぼ一年間50週をかけ第50回をもって完了させることができた。四百字詰め原稿用紙にすれば470〜80枚となりそうだ。
 何はともあれ、一区切りをつけてホッとしていることは事実である。書き始めた際には、完結しないかもしれない予感が強かったからだ。現に、今回の『心こそ〜』の前に挑戦した『かもめたちの行方』は、第九話にて中断し、昏睡状態に突入して再開のめどは立っていないのである。

 だが、今回の作品は途中で止めようという気にはならなかったのが不思議である。
 決して、当初に確たるプランがあったわけでもないし、筋書きがスラスラとでてきたわけでも、書き貯めがあったわけでもない。ただひたすら、穴をあけまいと、くつろぐべき土日を毎週毎週返上し続け50週間継続させてきたのである。金曜の夜から土曜日一日が勝負であった。集中力が伴わずデレーッとした時は情けない気分となったものだった。
 それでも、中断させてしまおうと思ったことがなかったのが不思議なのである。回を重ねるごとに何となく「次はこうかな」、といった想像力が働いたものだ。また、「これじゃ終わっちゃうじゃないの。どうする、どうする」と焦ってみると、ふいに「じゃあ、こうしてみたら」といったアイディア(?)が浮かび上がってくるのである。まるで、大人から恫喝されている子どもが、言い逃れのために必死で大嘘を考え出してしまうような感じというべきであろうか。プロの小説家先生たちのプロたる所以(ゆえん)は、原稿締め切りのプレッシャーを大嘘にかえてしまえる錬金術のパワーなのではないかと、小さな経験から垣間見させてもらった次第である。

 機会があったら「加筆訂正」という偉そうなことをやるべきかと思ってもいるが、その際には、ストーリーの整合性の再確認と、そして禅の専門用語や、江戸時代のモノの名前などに関する慎重な吟味が必要になるだろうと思っている。
 いくら、素人の書きなぐり小説とはいっても、ウソを本当らしく感じさせるための下調べや下準備ぐらいは必須であり、その辺のもっともらしさは重要であるはずだ。
 そこで、もともと関心を向けていた禅については、四、五冊の参考書に目を通すこととなった。しかし、それでも俄か勉強で専門用語をマスターし切れるものではなく、気になる箇所がまだまだ残っている。
 また、当該舞台の江戸初期の歴史的事実は当然洗い直した。歴史的事実の詳細な参考書も購入したし、主たる歴史的人物、たとえば沢庵和尚、宮本武蔵、由井正雪などについては、小説などにも目を向けざるを得なかった。さらに、江戸時代の「古地図」をも入手せざるを得ないはめとなった。しかし、創作活動(偉そうに言ってしまうが……)のための基礎としてはまだまだ甘いことを自覚せざるを得ない水準だと感じている。調査を含め、取材という下準備作業がいかに重要かということを、体験したというに留まるのである。
 しかし、これらの作業は仕事意識ではないのだから、概ね楽しんでいるのであり、「へぇーそうなんだ。それで、それで……」といったわくわくものだったのだと言える。
 このあたりから思うことは、これは小説だけでもないのだろうけれど、自分が精通している対象、あるいは飯よりも好きとなれる対象を持つことができたら、それだけで小説の半分は書けてしまえるのではないかということだ。

 大して読者がいなかったことは薄々察知していたが、それでも何人かが好奇心を持ってくれた。そこから、連載を続けるにあたっての心得のようなものも勉強せざるを得なかった。読者の関心をどう先へと繋いでいくのか、そのためには先への関心と余韻をどう埋め込んでいくべきか、といったエンターテイメント的要素を当然意識させられたのである。
 おもしろさというものは、もちろん複雑であり、一概に語れない課題だ。しかし、執筆側にとっても、これが原動力にもなるような気がしているので重視すべき側面だと実感した。
 書きたいことを、読者がわかろうがどうしようがとにかく書くんだという気分になりがちな自分にとって、小説は、読者に途中で放り出されないための努力がかなり必要なものだと重々意識させられたというわけなのである。

 何が書きたかったのか、何を表現したかったのかという本質的な問題についてである。
 わたしが小説を書くことに関心を示したのは、以前の『かもめたちの行方』でもそうであったのだが、何が書きたかったのかを即答できないから書く、というのが本当なのではないかと思い始めているのである。
 もし論理的な明晰な即答ができて、人様にその意をクリアに理解してもらえると信じられるのであれば、手間のかかる小説ではなくて、論文を書けばよいからである。
 問題が煮詰まっていないからなのではなくて、自分にも、また他者にもイメージ構成でしか伝わらないようなものが、この世には確実にあると思えるのである。
 最後に、捨て台詞のように言うならば、演目を終えた落語家に向かって、「で、師匠、この話では一体何が言いたかったのでしょうか」とたずねたなら、志ん生(しんしょう)なら次のように答えたかもしれない。
「で、おまえさんは、一体何が言いたくて生きてるんだい?」 (2002.08.04)

2002/08/05/ (月)  いま、秀吉がなんとなく疎んじられているように見える理由!

 NHK大河ドラマ『前田利家』を見ていると、やはり時代の空気を反映しているのかと、ふと感じるのがおもしろい。織田信長、柴田勝家、前田利家に較べて、秀吉がいかにも美的センスを逆撫でして、嫌悪を催させる存在として描かれているからである。
 かつては、国民的英雄として、庶民の太閤として崇められ、愛されていたはずの秀吉であった。だが、この時期には、色あせた憎々しい脇役として描かれているようである。それでいいのだとして、なぜそうなのかという思いがよぎる。

 秀吉のイメージは、典型的な「すごろく」であるような気がするのだ。ゼロからスタートして、紆余曲折の末、天下取りの成り上がりに至るというわかりやすい構図。そのプロセスはと言えば、特殊な営為というよりも、庶民にもその気になればできそうな知恵と努力と駆け引きの量的な積み重ね。方向と路線が定まっている環境にあっては、そのエネルギッシュな行動の軌跡は、世渡りと成功者の手本となるに十分な存在であっただろう。
 したがって、やみくもに一直線を駆け上がるかのイメージを持った高度経済成長期には、もてはやされた人物だったと記憶している。いまでこそ、その「ごちゃごちゃ」としてうっとうしい駆け引きや政治手法も、それらがあってこその知恵者秀吉とプラス評価されていたと思われる。

 そんなイメージに依りすがるかのように、あの政治家・田中角栄が登場し、誰もが知るように政界の階段を上りつめ、「今太閤」とさえ評され、そして身から出た錆びによって失脚していったわけだ。それでも、経済成長が続いた間は、その人間掌握のうまさなどを未練がましくたたえ続けた人々もいたはずである。
 昨今、鈴木宗男議員が、リトル角栄としてこうした古いスタイルの政治家だったとして揶揄され、批判されている現在である。が、思うにこのスタイルは、決して個人に還元されるものではなく、政権与党であり続けてきた自民党そのものの体質、スタイルだと言ったほうが的確であるような気がするのである。

 そして、こうした秀吉のイメージから綿綿と継承されてきたスタイルとは、まさに他国水準にキャッチアップすることを目標とした時期となじむ。もの凄い勢いで、右肩上がりの成長を続けた時期をこそ何よりも基盤としていたスタイルではなかったかと思い起こす。パイが膨らみ続ける環境の中でこそ、秀吉流の知恵と政治力は効を奏するものだったのである。現に、秀吉は国内平定によってパイが限界に達した後の、朝鮮出兵時のあたりから挫折を重ね、坂を下り始めたのであった。
 野球監督が、先発、中継ぎ、抑えを勘所にして投手を起用していることは良く知られている。
 先発投手は、いわゆる流れや、空気を作り出す課題に直面する。多くの資質を必要とするはずだろうが、歴史上の織田信長を先発投手にたとえて振り返ってみると、何よりも信念、理念が卓抜であったことに気づく。「天下布武」という理念、思想があったればこそ、無から有を創り出すことができ、結果的に秀吉という中継ぎたる後継へのバトンタッチが可能となったはずだろう。
 中継ぎの役割は、without 理念 で、状況それ自体を維持することがすべてなのである。詳細を省くとして、秀吉は、政治理念としては信長が遺したものをそのまま継承したに過ぎない。むしろ、信長のような理念創造者ではなかった分、政治手法は脱理念的で人間関係論的な「ごちゃごちゃ」とした手法に依存していたのではないかとさえ思われる。

 秀吉という存在が、もし現在疎まれているとするならば、その背景には、上りつめてしまい、パイの増大どころかパイの縮小という事態に直面している現状のわが国の閉塞が反映しているのかもしれないと思うのである。
 秀吉のような、そして現在の政権与党自民党のような「ごちゃごちゃ」とした小手先手法ではなくて、将来のわが国の姿を示すスッキリとした理念をこそ人々は求めているのではないかと思うのである。
 理念が無く、顔を立て合うことにきゅうきゅうとする人間関係論の坩堝たる町内会とかわらない自民党に、もはや人々は飽き飽きとしているその空気が、秀吉を醜い脇役とさせているのではないかと感じているのである。

「つゆとをち つゆときえにし わかみかな なにわの事も ゆめの又ゆめ」と辞世の句を読んだ秀吉と同様のエンディングが、早くわが国の政界の出来事となればいいと勝手に感じている…… (2002.08.05)

2002/08/06/ (火)  わびしい中高年の思惑を、無残にも打ち壊すセルフ給油スタンド!

 大量に失業者があふれているこんな時期には、安い人件費ではあっても仕事の量が増えるほうがいいのかもしれない。「ワーク・シェアリング」と呼ばれる、一人で長時間していた作業を、複数の人たちで分け合う合理的妙案もどこまで進んでいるのだろうか。
 聞くところによれば、リストラのしわ寄せで、いま30代のやり手世代が過労死環境に追い込まれるほどの、長時間勤務のきつい状況にもなっているらしい。
 「構造改革」をテコにした景気回復路線と、「需要創出」による景気刺激路線との同時追及体制は、錯綜して奇妙な混乱状態を生み出しているのかもしれない。

 通勤経路の途中にセルフ給油スタンドがお目見えして気になっていた。上記のような「需要創出」路線の視点に立つなら、安い給料でも給油サービス・スタッフを雇えばいいものをと思わないわけでもなかった。高い機械でやらせることもないものをと……
 しかし、こうした社会経済への懸念もさることながら、新しいものが登場すると気になってしまう性分の自分としては、客が閑散としていればしているだけ、「よしっ、試してみるか」とそそられてしまうのである。
 こうしたスタンドは、以前から紹介されていた。何となく、キケンな印象がつきまとっていると言えば、そう言えないこともない。間違って、ガソリンが噴出すノズルを、クルマの給油口から落として、車体の熱い部分で引火して大変な騒動に発展してしまう、と誰もが想像しがちなものであろう。
 自分にもそんな懸念がないわけではなかった。まして、自分には妙なくせがあり、こんなことをしたらいけないぞと思えば思うほど、そんなことをしでかしてしまうのではないかと強迫観念のようなものを抱き、心の葛藤(?)に突入してしまうからだ。ガソリン・ノズルを、庭に水を打つようにスタンドの床に撒いたらいけないぞ、などと途中で妄想しはじめたら結構苦しいことになるのではないかと……

 が、よくよく考えてみれば、昨今のスタンドには、女子高校生らしきアルバイトを多数見かけるものだ。ダボタボ・ソックスにできて、自分にできないなんてことはないぞと思えば気が楽にもなってくる。
 確かに、いつだったか、どうもあぶなそうな手つきの彼女が給油してくれたことがあった。あぶないかな?と予感していたので、それとなく観察していたらやっぱりあぶなかったことがあった。給油後、クルマの給油口のキャップを棚に置き忘れたまま、ボディ側の給油口扉を閉めてしまっていたのだ。そのまま気がつかなかったら、走行中の振動で、ガソリンを吹きこぼすところであった。ダボダボソックス嬢は、チェッカーがいないと、棚の上にまるで戦利品のようにキャップを並べ続ける可能性をなしとはしないと思った。

 いざ、セルフ・サービスをしてみると、幾分かの緊張感が腕といわず、足といわず体中に走った。おおげさに言えばである。装置の前に立つと、音声案内が流れてきたが、そんなものは信用できないと感じ、一応、お兄ちゃんを呼んで、「初めてなもんでね」と挨拶をした。
 まず、自販機の札入れのような口に紙幣を入れる。これは、何の問題もない。そして、ガソリンの種類をボタンで指定する。ハイオクは黄色ボタンだった。次に、リッター数量を指定する。30リッターボタンを押した。そして、クルマの給油口の扉、キャップを開けておく。キャップを一時置いておくポケットのようなものが装置側についていた。ひょっとしたら、ダボダボ嬢のように忘れた場合には、「キャップをお締めください!」と音声アラームが知らせるのかもしれないな、と想像した。
 いよいよ、ガソリンの種類を指定したボタンの色、黄色のガソリン・ノズルを掴んで、クルマの給油口に差し込んだ。勝手に流れ込むのかと思ったら、お兄ちゃんが、「ノズルの引き金を引いていてください!」と指示してくれた。装置側のデジタルが30となるまでおよそ3分ほど引き金を引き続けた。手から、ドーッとガソリンが流し込まれてゆく振動が伝わっていた。

 終わってみると何ということもなかったのである。あるはずがないのだ。
 近所にある人手の給油スタンドがリッター100円だったのが、98円であったからやや安いが、大したことでもない。安さを売り物にはできないようだ。
 このセルフ給油スタンドは、古い人手スタンドを建造し直して最近オープンしたのだったが、ハイテク装置などのイニシアル・コストを考慮すると自動化によるコスト・メリットはそんなに大きいものとは思えない。
 ただ、リストラされたら、ビルの夜警か、ガソリン・スタンドのスタッフにでもなるかと当てこんでいたわびしい中高年の思惑を、無残にも打ち壊したことだけは確かなようである。これで、夜警ロボットがHONDAあたりからリリースされようものなら、リストラ中高年はお先真っ暗となってしまうじゃないか…… (2002.08.06)

2002/08/07/ (水)  「自分史」への思い入れはわかるが、それを商売とするのはいかがなものか?

 先日、書店でパソコン関連雑誌を覗いていたら、「自分史」作成ソフトを添付した自分史作成マニュアルとでもいうような雑誌が眼にとまった。一言で言って、驚くに値するほどのものではないと即断した。むしろ、その商魂たくましき商品に幾分戸惑ったと言うべきであったか。
 自分自身、もう十年も前から「自分史」という観点に関心を持ってきた。何なのであろうかと? 「自分探し」という観点もその種の人たちの関心を呼び起こしていたことも覚えている。アイデンティティ(自己同一性、自己存在根拠)が危機にさらされている現代にあって、人間はなおのこと自己にこだわり、そして自己愛に至るのであろうか、と。

 しかし、「自分史」という観点に限って言えば、あるいはそうしたものへの関心に限って言えば、アイデンティティがどうのこうのというようなそんな小難しいものとして考えてはいけないのかもしれない。
 思いっきり茶化して表現するならば、「自分史」とは、人生終盤戦となって、ふと自分の葬式にどんな人々がやってきて、どう自分の死を惜しんでくれるかを先取りしてみたいという心境によって咲くあだ花ではないのか。それは、誰もが自信なさと迷いで生きてきて、自分の人生に一抹の掴みどころのなさ、霞のようでもあり、陽炎のようでもあり、せめて豆腐くらいの重みがほしいものじゃないかという衝動によって、チラリと向けられる関心事ではないのか。「自分史」とはこうした心境の受け皿だと言うと怒られそうだから、言わないに越したことはないようだが……

 あるいは、これまた茶化すなら、熟年ともなれば自己の存在を再確認するかのように、自分の過去をやたらに人に話したくなるものの「ようである」。他人事のように言うのは多少なりとも若さの見栄があるからなのであるが。ともかく、話したいとする。しかし、昨今の若造は、年寄りの昔話なんぞをありがたく聞くはずがない。「爺ちゃん、もう遅いから寝た方がいいよ。朝早いんでしょ」といなされ、語り足らずして悶々とする不快感を抱えて床につく、というのがごく一般的な実情なのではないか。
 そしてこともあろうに、NHKは、朝の連ドラで「おしん」を筆頭とするバラエティに富んだ感動の人生モノを性懲りもなく綿々と重ねてきたものだ。つつがなく平凡な人生を送ってきた庶民なら、場合によっては抱くかもしれないねたみ、ひがみを、国営放送局ならちょっとは配慮してもよさそうなものだと思ったものだ。
 ここに当然、自分にも、そりゃ「おしん」とまではいかなくとも、「爺ちゃんも結構隅には置けない人生やってきたんだあ」と孫に言わせたい衝動にかられたとしても、それはそれは無理からぬ話だと言えるのではなかろうか。

 実は、そんな人を知っていたのである。わたしの祖父なのである。いつだったか、たぶん、年に一回の川崎大師の帰りの、くず餅たずさえての年始の折りだっただろう。
「爺さん、爺さんの生涯にはいろんなことがあったようだね。小説かなんかにまとめてみると結構おもしろいかもしれないね」
と何気なく言った時、はからずも祖父はニンマリと笑ったものであった。そして、当時悪くなり始めていた足をもつれさせるようにして箪笥に近づき、羊羹かなんぞが入っていたような桐の小箱を持ってきて、わたしの前で開けたのだった、その小箱を。
 何と、競輪が好きで始終愛用していた赤青抱き合わせ鉛筆で書いたと思しき紙片が、その中にぎっしりと詰まっていたのである。祖父の人生の輝かしきエピソードを記した紙片群のようであったのだ。ちなみに、祖父は「おしん」と同様に米沢出身であったのだ。
 わたしは、思わずググッと胸が詰まったものだった。何も言えなかった、言わなかった。ただ、その後二週間にわたって、あることをたびたび思い起こしたものだった。結構大変なことになるかもしれないけど、あれらの紙片をまとめて整理して、ワープロでペッペッペーと打ち込んでやろうかな、と。だが、薄情な孫は、三週間目にはさっぱりと忘れてしまっていたのだった。

 「自分史」というものへの、人生終盤戦という人たちによる憧れというものが、確かにあるに違いない。そして、それを盗み見している商魂たくましい若造たちもいるようだ。小金を蓄えた熟年のふところを除き見するような若造たちが。
 またまた、ネット検索で「自分史」という言葉を打ち込んでみるに、バラバラバラと凄い勢いで500件を超えるヒットがあったものだ。その種の企みを持つ若造が多いのかなあ、と思わされたものだった。
 しかし、よっぽど功成り名遂げたご老人か、あこぎに金を掻き集めて、この上は自分の汚れた人生を洗濯屋に出したいと手前勝手なことを願う爺くらいしか、「自分史」なんぞに金は出さないものと、若造はそう認識すべきなのである。
 しかも、前者のご老人は他人が半生記などを出版するだろうからまずあり得ないだろう。後者の爺は、綺麗事ばかり書かせようとするから「自分史」代筆屋と喧嘩となってこれも無理、となるに違いない。商売には、なりそうでならないのである。
 人が良く、しかし振り返った自分の人生に一抹の虚しさを禁じえない庶民老人は、「自分史」なんぞという贅沢なものに金をかけるくらいなら、孫が欲しがっているノート・パソコンでもヤマダ電機で買ってやろうと考えたりするのではないか。そして、優しい孫は、爺ちゃんの昔話を、よくわからなくともただひたすら黙って聴いてあげるのだろうな、とそう思ったりした…… (2002.08.07)

2002/08/08/ (木)  「ゴールデンバット」たち! 慎ましき昔の良さをくわえておいで!

 こないだの土曜日、気になる体重を思って暑いさなかに真昼のウォーキングを決行した。家人が、「やめたほうがいいんじゃないの。もう少し陽がかげってからにしたら」と言った。わたしはといえば、汗がダラダラと流れる姿に、体重がぐんぐん減ってゆくイメージをひとり合点でダブらせ、「行ってくる」と言って出かけた。
 汗はかけたが、さすがに暑くて参りそうになった。ようやく「ポカリスウェット」なんぞをいつも買う自販機にたどり着いた。120円也の「ポカリスウェット」を買うことを頭の中に充満させていた。ところがどうだ、自販機の前までくると、急に隣に設置してあるタバコの自販機に目移りした。そして、こともあろうに、愛用している「NEXT」ならず、隅っこのほうで慎ましく座しているそら豆色のあの「ゴールデンバット」に視線が向かってしまったのだ。たぶん、日頃の涼しい頭であったならそんな選択はしなかったかもしれないが、暑さで頭が朦朧となっていたわたしは、110円を突っ込んで慎ましい「ゴールデンバット」を購入しているではないか。

 机の上に、その「ゴールデンバット」がいまも余り減ることなくちょこんと転がっている。いまだに、なぜあの時に「ポカリスウェット」ではなくて「ゴールデンバット」であったのかがよく飲み込めないでいる。せっかく苦労して汗を流したのに、それを帳消しにするのは虚しいと考えたのであろうか。この暑苦しさにはヒリヒリとするタバコこそが似合うと妄想したのであろうか。

 ところで、机の上でサンテ40NEの目薬と並んで転がっている、そら豆色の地に安っぽい金色の図柄の「ゴールデンバット」を見ていると、何だか「かわいいなあ」と、いま感じている。とてもJTで作ったものとは思えないのだ。
 うらさびれた木造住宅の長屋のような場所で、病がちな母親の内職を、二人の小学生の兄妹たちが助け、
「おかあちゃん、これ一個つくるといくら儲けられるの?」
「静はばかだなあ。こういう場合は儲けるとは言わずに稼ぐというんだよ」
 黙って黙々と糊の筆を動かしていた母親が、
「どっちでもいいの。たった3円なんだから」
 というような慎ましい光景の中で作られたタバコのように見えてならないのである。

 そんな、機械によるオートメーションの流れとは無縁の環境で作られたというか、でっち上げられたような雰囲気が漂っているパッケージなのである。なんだか判別しがたいこうもり二羽の絵といい、子どもの落書きのようなフォントで記された「SWEET & MILD」というキツイ冗談の謳い文句といい、はたまた4〜50年前の子ども月刊雑誌の付録を思い出させるような印刷具合といい、どこまでも今風ではない。当世風であることを、何か重い心の傷でもあって、そう、たとえばトラウマのような原因があって、必死に避けているようなけはいさえ漂わせているのである。なぜか、そのかたくなさが、とてもいじらしく思える。吸わないで飾っておくタバコ、いやそれはかわいそうなので、あいにく深夜にタバコを切らせてしまって、よんどころなくありがたそうに吸うタバコと位置づけておきたい。

 そう言えば、この「ゴールデンバット」を親戚のおばあちゃん(祖父のお姉さん?)が愛用していたのを何となく覚えている。派手好きな祖父は、かっこつけ屋らしくピースなんぞを吸っていたが、息子の家の小さな部屋で居候をして、嫁さんとうまくいっていなかったようなそのおばあちゃんは、南京袋からこの「ゴールデンバット」を取り出して、うまそうに吸っていたという記憶がかすかに残っている。
 また、夏の夜、縁台将棋の将棋盤の傍ら、蚊取り線香を収めたぶたの瀬戸物の脇に、マッチ箱といっしょに鎮座していたような記憶もあるのがこの「ゴールデンバット」だ。
 このタバコと兄弟のような銘柄に、確かオレンジ色のパッケージの「しんせい」というこれまた飾り気のないタバコもあったようだ。こいつは、父が人生で最悪であっただろう頃、その頃わたしは5〜6歳であったのだが、そのころに父のタバコ盆の中で見かけたような思い出がある。ちなみに、そのタバコ盆は、父を亡くしてもう20年となるのだが、父のかたみだと思って未だに使っている。

 お盆が近いせいか、昨日といい今日といい、はからずも亡くなった人たちのことを思い起こすようなことを書いてしまった。昔は良かったなどと思うべきではないと固く心に誓って生きてきたはずだったが、ビョーキとしか言いようのない荒ぶれた世相に我慢がならない昨今は、大威張りで昔の良さを評価しようとしている…… (2002.08.08)

2002/08/09/ (金)  システム化のジレンマ、二律背反をもっとシビァに見つめたいもの!

 あちら立てればこちらが立たずとは、悩ましいこの世の常である。ジレンマ、二律背反、はたまたバーター関係と言われたりもする。
 もはやインターネット環境は不可欠であり、同時にウィルス、ハッキング対策も不可欠である。ということで、自分のPCをガードするためのファイアウォールというものも不可欠となっている。不審な者が外部から侵入しないように、通信の侵入口を制限してしまうシステムである。
 ところが、ここにひとつのジレンマが発生するのだ。
 ADSLに換えたこともあり、ここしばらくはネットのセキュリティばかりに目が向いていた。確かに、あいかわらず一週間に一、二度はウィルス侵入を水際で発見して、「タタッ殺して」いる始末だ。その後には、そうしたものを恥じずに仕出かす輩たちに天誅下れという念力を送信することも欠かさないでいる。
 それはそれなのだが、今日、LANサーバーを再立ち上げしたところ、何としてもうまく繋がらずその不具合発見に右往左往してしまった。で、結局、外部からの侵入を防ぐファイアウォールが、初期設定では内外関係なく過剰なガードをはっていたそのためであったことを究明したのだった。
 不審なものの侵入を防ぐには、とにかく入り口を限りなく狭くしてしまえばよいことはわかる。しかし、自身を含む不審でもなんでもないものの通行までシャットアウトもしくは制限してしまうところがこの方法の悩ましいところなのであろう。一応、オプション設定で、内部LANについては制限をはずして事無きを得た。

 「住基ネット」問題への甘い政府の判断から、このところ国民の間に個人情報漏洩への不信感が募っているようだ。当然のことである。個人情報を取り扱う慎重さにも、インターネットやITの不完全さにも、また現代人の心に埋め込まれた危険この上ない悪意にも、それらすべてに対して能天気な政治家たちの杜撰(ずさん)な姿勢には、ほとほと困り果てたものである。
 目に見える悪人しかいないと思い込んでいるのではないか。しかも、そうした悪人には、泥縄の法律で対処するか、恫喝で迫るか、カネを提供すればことが済むと信じてやまないようだ。まるで時代劇水準のお役人たちのようである。おっと、横道にそれてしまった。
 防衛庁の仕事を元請けした大手企業が、下請構造の実態を不鮮明にしたり、その挙句にユーザーたる防衛庁のLAN構造の機密を漏洩したことも、昨今問題となっている。
 機密情報への接近と侵入、そして情報漏洩については、大半が組織内部の当該関与者であることは周知の事実であり続けてきた。「住基ネット」問題に絡む、官公庁の機密情報にしてからが、組織内部の仕業であることが多かったはずなのである。
 官公庁の内部規律が緩んでいる実態に関しては、国民の誰もが先刻承知である。「上」が、公共事業の発注予定額の情報などを頻繁に「売る」ことや、内部留保資金を組織ぐるみで作ろうとするご時世であり、なおかつ不正の内部告発保護法なども消し飛ばす風潮で、公務員をはじめとする職員は、はかない個人的良心のみで正義を貫かねばならないという危うい実情である。この実態を、しっかり現状認識すべきなのである!

 まずなすべきは、「上」が公明正大な範を垂れること以外にない。ヤミ米は死しても食わずと言って死すべきである。(エッ!)というくらいに白黒をはっきりさせてこそ、「下」のものたちが、職務上で知り得た情報をカネに換えるなどというはしたないことを抑止することにつながるのである。
 しかし、この最も低コストで済む王道は採用されずに、たぶんジレンマと二律背反の方法が、より精緻化される方向へと流れてゆくのだろうと予感している。つまり、組織内部への過剰なチェック体制が、厳しいことはいいことだ!とばかりに追求されてゆくのであろう。そして、その挙句に、ハイテクをもふんだんに盛り込んだチェック・システムが肥大化され、本来の目的である業務のスムーズな進展にあちこちで支障をきたすことになりかねないのである。
 「住基ネット」の将来は、国民があくびをするのも監視する「いやらしい」システムである。そして、その前哨戦として全国の市町村の役所や官公庁において、職員間の相互監視、相互不信の体制という「いやらしい」環境が拍車をかけられて形成されてゆくのではないかと懸念するのだ。
 ITを駆使したシステム化さえ推進すれば、効率化が図れると安直に発想することを、もうそろそろ控え目にしたらどうなのかと思うのだが…… (2002.08.09)

2002/08/10/ (土)  「フガフガ」の状態で、町内会について考える!

 間違いなく猛暑と言わなければならない暑さだ。酷寒の中で人はガタガタと振るえると表現されるが、猛暑の中で人はフラフラと揺れると表現できそうだ。揺れているならまだましなほうで、毛皮をまとった犬や猫は、日陰のコンクリートや、フローリングにベチャッと平伏す格好となっている。それが放熱姿勢のようだが、見るからに体力を消耗させている姿である。
 仕事で、館内冷房のビルに一日収まっていると、「今日は暑かったですね」と言われると、正直言って「そうでしたか?」と間抜けな応答でもしようものだが、休みでうちにいると、この季節の動物たちのみじめな苦痛に共感してしまう。
 そして、今日は昼前より近所の広場から、あの実に「涼しげ!」なチャチャラカチャンチャンがガンガンと聞こえてくる。万物が鎮まる秋の深まりの中なら、チャチャラカチャンチャンは、憂いに染まる人々の心をどんなにか励ますものであろうに。
 が、いくら納涼盆踊りとはいっても、このフラフラの際に、ガンガンやられると、フガフガと泡を吹きそうになる。確か、先週も反対方向の寺の境内で敢行されたはずである。

 盆踊り大会というものは、商店街であるとか、集合住宅地であれば、都市化されて「隣はなにをする人ぞ」という日常関係ではあっても、まずまず格好がつきそうな気がする。しかし、一般の住宅地だと、もひとつ「浮いて」いそうな感じがしてならないのだ。120〜30%の個人主義者たちばかりの空間に、無礼講のチャチャラカチャンチャンが鳴りわたるのは、一種異様で不気味な感じさえしてしまう。それほどに地域の相互関係は孤立化しているということなのだろうか。
 以前には、かろうじて月一回程度、町内会の一翼で皆でドブ掃除をしていたことがあった。大したことではないのだが、しっかり地に足のついた実利目的があったので互いに拒む理由はなかった。そんな時は、なんとなく日頃の「無関係」的関係を詫びあうような雰囲気があって、まずまずの行事であったような気がしている。しかし、市の行政方針で下水道が完備されるようになり、その月一行事もなくなってしまった。町内会の「回覧板」は回ってきているようだし、家人が時おり参加もしているから、町内会は存続しているに違いない。

 居住地近辺の人々が「無関係」的関係であること、お互いが都市化の極致である超個人主義的雰囲気であることをいいことだとは思わない。自然でかつ建設的な空気であればいいのにと思うことがある。
 地域への新参者たちが、地域になじめない理由のひとつに、伝統的な「町内会」体質というものがやはり残存しているような気がしている。何代にもわたって住んできた家々の人たちがどうしても持つこととなるやや閉鎖的な「先住」意識。これはこれでよしとしても、保守系政党の息がかかった政治家たちが、なにやかやと影響力を発揮しようとする考え違いがよくない。上記の盆踊りにしても、必ずといってよいほどに、「では、最後に何々先生が、お忙しい中お出でいただきましたので一言ご挨拶を賜りたい……」とくる。あんたたちの体たらくで日常たまったストレスを晴らそうとしているのに、あんたらが顔出して逆撫でしてどうすんの!と思っている人も少なくはないはずだ。

 地域だけに限らず、野放図に広がる超個人主義(これは、自律・自立とは無関係だと感じている)の「無関係」的関係の世の中、集団性、共同性を再度見直したいと思う。
 しかし、自然発生的で自発的なそうしたものを、いつも「上から」からめとろうとする動きが絶えなかったのが残念であった。自発的な集団は、「ひも付き」でない誇りを貫いてこそ意味があるし、真実楽しいのだと思う…… (2002.08.10)

2002/08/11/ (日)  「夜は龍のごとく、朝はネズミのごとし」に生まれついた自分!

「夜は龍のごとく、朝はネズミのごとし」
ということわざを台湾の人からだったか聞いたことがあった。エンジニアのその人も、たぶん夜型のタイプであったから、そんなことわざを気にしていたのだろう。
 実際、自分の頭の活性サイクルは、まったくそのことわざどおりだと認める。
 夜になると、ニューロンたちが、「怠け者の節句働き!」のように、やたらに活性化し始め、連携プレーも鮮やかとなる。アルコールでも入ろうものなら、ニューロンたちよ、その輝かしいチーム・プレーでワールド・カップなり、メジャー・リーグなり、オリンピックなりに行ってこい!と言いたくなるほどに冴えが際立ってくる(と、アルコールの入った本人は自画自賛の境地である)。
 ところが、目覚めて居間にて新聞を広げた時間帯の、何とふぬけであることか。ネズミでも3グラムくらいの頭脳をもうちょっとましに使っているのではないかと、最悪の頭脳が考えている(もっとも最悪の頭脳が考えるのだから、所詮大したことではないとも感じているのだが……)。自己卑下の極致で、日の丸の旗を立てて座り込んでいるイメージであり、情けない心境の地獄に落ちて、お釈迦様から蜘蛛の糸が垂れてくるの待つイメージなのである。
 新聞の記事は、ことごとく我をめがけて狙撃してくるように感じたりするのだ。国際状況における深まる軍事色に、自分は何か抗議行動をしているのか?いや、何もしていない。それは、すご〜くまずいんじゃないか! 国際的同時不況突入のけはいの最中で、うちの会社はサバイバルに向けて何をやっている?座して死を待つような怠慢はまずいんじゃないか?すご〜くまずいんじゃないか?
 国内は、政治だけじゃなくて、社会もひどいもんだぞ!カネ目当てに、あっちこっちで強盗、人殺しが頻発しているじゃないか。お前だけは、ひもじくても人様をあやめることなんぞするなよな……。
 りっぱな人たちは、精力的にがんばっているじゃないか。石原慎太郎などは、三日に一度くらいは、雑誌広告に名をひけらかして、秋の政変に備え、名を売ってるではないか。
 アメリカン・ファミリーは、いけいけドンドンの広告を出して日本国民制覇を目指しているではないか。折込広告の活力ある企業は、「給与相談応!」といって羽振りがよさそうではないか! お前の会社は、新規採用はどうしたのだ?
 ああ〜と、嘆息して新聞を閉じると、家人が言う。
「朝は、何にする?」
 何も食べたくないのだ。ヤクルトと、カロチン入りのジュース、そしてタバコ意外には何も口にしたくないのである。あれほど、夜には「あんなものが食いたいな。こんだあ、こいつにマスタードたっぷりつけて食べてみよう!」などと食欲旺盛だったにもかかわらず、液体と煙以外には何も受けつけたくなくなっている始末なのだ。
 ことほど左様に、自分の場合、起きぬけの「へっこみ」は尋常ではないのだ。きっと、何十年か前に生まれた時(朝早くだとか聞いたことがある……)、何とも不機嫌な顔で泣いていたんだろうと想像する。

 ふと、振り返るのだが、朝のペシミスト、夜のオプティミストという自分の分裂的サイクルは、血筋が為す仕業のような気がしないでもない。
 亡くなった父は、早起きで、石橋を叩いて渡らない現実主義者、もう一言言えば悲観主義者であった。百まで生きると言う母は、この上ない夜更かしで、ネアカの楽観主義者なのである。だから、自分は「夜は龍のごとく、朝はネズミのごとし」に生まれついているような気がしてならないのだ…… (2002.08.11)

2002/08/12/ (月)  生きる力をむしばむマンネリ!この轍にはまっている内的な力!

 この日誌、エッセイ、駄文を、すでに461日継続して書いている。
 文章を書いて上手になりたいとかをさほど意識してはいない。それはもっと先の話というか、いや、たぶんそんな日はこないだろうと予感している。
 むしろ、「まともに考えたい!まともに感じたい!」と望んでいるのである。文章を書くとは、考えたこと、考えていること、感じたこと、感じていることを表現することにほかならない。あるいは、結果としての表現だけではなく、文章化しながら考えていること、感じていることを推し量り、確認しようとする意図も含まれているはずである。
 だから、何かのために書くというよりも、身体の健全さを維持するためのラジオ体操と同様の位置づけで、頭と心の現状維持を図るべく書いているというのが実態なのかもしれないのである。

 つい最近、米国の偉大な映画俳優であるチャールトン・へストンが、アルツハイマー病に冒されたことを宣言したそうだ。今後、自分の発言、行動に不審を抱く人々にあらかじめのインフォメーションを与えておきたかったのだという。こうした配慮が可能な今のうちに、社会的に宣言をすべきだと見なしたそうだ。
 さすがに、「モーゼ」や「ベンハー」を演じた世紀の大スターだと感じ入った。と、ともに、健常者として考え、感じることがいまだ可能である自分自身の状況を、ありがたいとも、幸せだとも思わなければならないと感じたのであった。

 われわれは、経済不安、社会不安の極みで、とかく考えること、感じることを冷遇視しているような気がする。どうせ、ろくなことしか考えられなくさせられているとか、いやなことばかりを感じさせられているとかを理由にして、こともあろうに不当にも考えること自体や感じること自体を蔑視しがちなのではないかと思うのだ。
 あるいは、不幸にも、人間の特性でもある考える力や感じる力を、この社会的不安の中で病で壊してしまったり、失ってしまったりした人々も大勢いるに違いない。
 いずれにしても、現在の不幸は、社会制度や社会事象などといった外在的なものだけが壊れているのではなく、人間の内側に内在する能力としての考える力や感じる力さえもが危篤状態(?)にあることなのかもしれないという唐突な不安に襲われるのである。

 考え、感じる力が無力化させられているように見える様子は、あたかもコンピュータ・ウィルスに侵入されてしまったPCにたとえることができるのかもしれない。ウィルスを撤去することだけで正常化できればそれに越したことはないが、こじれた場合にはその上で再インストールを行わなければならない場合も少なくない。
 自分の身の回りの環境改善に向けて建設的に立ち向かえなくなっている状態があるとするなら、それは、考え、感じる力の虚脱化というウィルス汚染状態だと言えるのであろう。
 その症状の最大の特徴は、感動というものが失われることであり、考え、感じることが完璧にマンネリ化することなのではないかと思う。
 「同じ轍を踏む」と言われるが、何を見ても、何をしても、考えること、感じることが、従来の自分が歩んできた軌跡の、寸分の狂いもない同じ轍に、しっかりとはまってゆくのがマンネリなのであり、これは、本来の人間の特性である考え、感じる力の本性などでは決してないと思えるのである。なぜならば、このマンネリは、人間の生きようとする力を必ずむしぱむことにしかつながらないからなのである。

 悪しき現実だけが、光陰矢のごとく驀進するかのような現状を前にして、何をするにせよ、先ずなすべきは、自分の内に、考え、感じる力の膝元に累々と築き上げられているマンネリ是認の体質を何とかすることなのかもしれないと、そんなことを感じている…… (2002.08.12)

2002/08/13/ (火)  お盆とは、「株主」である霊たちへの「株主総会」なのだ……

 八月(本来は七月)十五日を中心に、十三日を迎え盆、十六日を送り盆といい、十三日から十六日までの四日間が、お盆(盂蘭盆会[うらぼんえ])の期間となる。
『盂蘭盆とは、サンスクリット語の"ウラバンナ"を音訳したもので、「地獄や餓鬼道に落ちて、逆さづりにされ苦しんでいる」という意味で、そのために供養を営むのが、盂蘭盆会なのです。釈尊の弟子の一人、目連尊者という人が、神通力で亡き母の姿を見たところ、母親は、餓鬼道に落ちて苦しんでいました。何とかして救いたいと、釈尊に尋ねると、「七月十五日に、過去七世の亡き先祖や父母たちのために、御馳走を作り、僧侶たちに与え、その飲食をもって、供養するように」と教えてくれました。教えの通りにすると、目連の母親は餓鬼道の苦をのがれ、無事成仏することができたそうです。この故事が、盂蘭盆会の始まりといわれています。お盆(盂蘭盆会)は、先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、私たち子孫が、報恩の供養をする時なのです。』(サイト『宗派辞典』より)

 そして今日、十三日は「迎え盆」。『夕刻に、仏壇や精霊棚(しょうりょうだな)の前に盆提灯(ぼんちょうちん)や盆灯籠(ぼんとうろう)を灯し、庭先や門口で迎え火として麻幹(おがら)をた焚きます。それが「迎え火」です。』(同上)という正式な作法で、この間ずっと行ってきた。
 迎える霊は、二十一年前に亡くなった父親だが、思えば、こうした盆の作法を誰よりも丁寧にわれわれに伝えていたのが、亡き父だったことを思い起こす。
 思い出の中の父は、とにかく信心深い人であった。わたしが生まれてからというもの、住居は狭かった記憶しかないのだが、どの思い出にも、大きな仏壇とそして神棚があったものだ。
 父がどうして信心深くなったのかを、ようやく考えるようになったが、たぶん、父の母親(保江。ちなみに、わたしの名はこの祖母にあやかっているそうだ)への想いがそうさせていたのではないかと推測する。末っ子であった父は、母親から随分とかわいがられたと聞いているからである。母の霊を迎えるお盆を丁寧に行っていたのであろう。わたしが小さかった頃にも、迎え火として焚いた麻幹(おがら)の火をまたいだ記憶がうっすらとある。
 また、いつも起床が早かった父が、出かける前に神棚に向かっていた姿の記憶も残っている。合掌しながら「ムニャムニャ、ムニャムニャ、……ハッ」とつぶやき、パンパンとかしわ手を打っていた父の面影が、小さな頃の、蒲団の中で寝ぼけていた目に残っている。そんな時、早朝のラジオが、「北北東の風、風力3。南大東島では、南南西の風、風力2。……」と気象通報を報じていたことも、記憶にからんで残っているから、結構記憶は構造的なのかもしれない。
 信心深い父が、固く殺生を禁じていたことは、わたしが、原っぱで虫を追っかけたり、川で魚を採ったりしたくてたまらなかった頃には、何とも煙たいと思ったものだった。
 しかし、そんな信心深く、用心深く、そして情けに篤い父にもかかわらず、何と早目にあの世から呼ばれてしまったものだと不思議に思う。
 が、父が今存命であったらと思うこともあるが、ひょっとしたら、この荒ぶれた現世は父の感性では、とても耐え切れないのではないかと推察したりしている。

 無念にも戦死した人たちだけでなく、無数の死んでいった人たちが、きっと最期に願ったことというのは、自分は死んでもこの世が、そしてわが郷土が、子孫たちのために美しく穏やかであることではなかったかと、ふと、思ったりする。
 そう思うと、お盆とは、まるで「株主総会」のようだと、ふと考えてみた。現世の「株主」である無数の霊たちに対して、この現世が、安心というものを「配当」できるようになっているのかどうかを、「説明責任」のもとにご報告しなければならないのだと。
 精一杯に生きるべきである。自分のためとともに、現世「株式会社」の社員として、OBであり「株主」である霊たちを悲しませることのないように、少しでも世のため他人のために生きるべきである…… (2002.08.13)

2002/08/14/ (水)  「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」

 さほど遠くない距離の場所に住んでいながら、義兄と飲んで話すことは年に一、二度程度しかない。正月と盆くらいのものであろう。おまけに、自営業の義兄は仕事の都合などで、盆の供養の席に来られないこともままあったりした。
 昨日は、是非お出でくださいと日中に電話でもしようかと思う心境であった。正直言って、義兄は飲むと羽目をはずしてうるさい存在に豹変するタイプである。鹿児島出身の薩摩隼人を自他ともに任ずる男なのである。よくありがちなように、はっぱをかけることを得意とし、元気がない者を時として「食」ったりもする。だから、わたしとて、場合によっては何となくうっとうしく感じさせられることもあったりした。

 が、どういうわけか昨日はそんな義兄と話したいと思ったのだった。
 思えば、最近は、仕事関係でもプライベートでも、飲んで話する機会というものがとんと途絶えている。対話とは、酒を交えずにしらふですべきものと信じている人もいようが、それはそれで間違いではないが、必ずしも正解でもなかろう。
 確かに、仕事関係での接待に類する酒の席や、部下をひきつれた上司がリードする酒の席などでの会話は、今思えばやはりいかさまっぽい気がしているし、できれば避けたいと思うようにはなっている。

 「朋あり遠方より来る」の心境は、誰しも時として抱くものであろうが、世知辛くかつ荒ぶれたこのようなご時世ならば、なおのことあって然るべき感情なのかもしれない。
 「朋」との話において愉快なのは、禅問答ではないが「言わずもがな」で話が進行し、いつの間にか微細な本質的テーマに話題が収斂(しゅうれん)してゆくことなのではないだろうか。
 別に排他的になって、「わからない人はわからなくてもいいんですよ。寝てていいんですよ」とまで言うつもりはない。しかし、心の琴線を何ら振るわせることのない会話、エッセンス5%未満とでもいうような薄められた話だけで、人間なら一体誰が満足できるものだろうか。薄口に慣れ切った最近の若い世代ならともかく、濃口醤油を煮詰めて煮詰めて、それをジャムのようにして塗りたくって話をしてきた世代にとっては、
「へぇー、そーなんだー」
なんて、感心しているのが自分何だか、相手なんだかわからない会話や、同様の曖昧さで煙幕を張る「語尾上げ口調」の会話とのお付き合いは、ほどほどにしたいのである。仕事関係の接待会話と同様である。言うまでもなく、やりたい人はやればいいし、それしかできない人もそれでいい。それが自由社会というものだ。

 「言わずもがな」が指し照らすものは、何も専門書を何冊か読破しておかなければわからないようなことばかりではない。そういうものも時々あったりすれば、確かに話は弾む。が、しかし、「言わずもがな」でわかり合うことというのは、恥ずかしくて口に出せない苦労、みじめ過ぎて日の光を当てられないほどの失敗体験、いつまでもメラメラと火が消えない憤り体験、表現し切れずに茫漠として結晶化した想い…… などのことであるのかもしれない。
 そうしたものを、言葉や表情のやりとりの過程で、「ウム」共有しているに違いないと確認し合えることによって、話がグングンと深められてゆくのだろう。それが楽しく、愉快だと思えるのだ。
「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(論語)といった誇張された心境がよくわかるような気がしてくるのである。

 努力などという暑苦しいことを避け、ツーといえばカー、イトーといえばハトヤと言って万事そつが無いことをモットーとして生きている方々ともお話はしたいものである。そうした人でなければわからない会話の呼吸の極意などが教えられるかもしれない。
 が、濃口、辛口の激しい会話、対話で、身を焼き焦がしたいという衝動に駆られる時、そうした相手というのは、誰にとってもやはり少ないものなのではないかと思っている…… (2002.08.14)

2002/08/15/ (木)  レッド・パージならぬデッド・パージ(死の観念の駆逐)を進めた技術文明!

 今日は、盆の最中であるとともに、終戦記念日でもある。
 だが、正直に言って、どちらも内実を失ったまま形骸化しているという印象が否めない。両方が、人間の生と死がかかわっており、死者たちや、人間の死というものに対して真摯に対面し、生きる者たちが「生き直す」ためのイベントのはずだと考えている。
 だが、今、死の問題は現代の個々の人間の内面からは消え失せていると言わざるを得ない。また、技術進歩こそを背骨としている現代文明にあっては、もとより人間の個としての死の問題など端から存在しないのだと言えるかもしれない。存在するのは、モノと同様に、さまざまな人間が「消滅!」するのだという事実でしかない。

 ニ、三年前であったか、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と青少年が問うたことに世間が関心を向けたことがあった。その際、意表を突かれたように戸惑う有識者たちから、心底納得できる雄弁な回答が返されたであろうか。
 「そんなことは当たり前ではないか」という当然視の観念が、いつの間にか現実の変化によって包囲され、いつの間にか侵食されてしまっていたのだと、まずは直視しなければならない。

 無力な常識や、盲信にしか過ぎない思い込みに頼らずに、現時点でのわが国の実態や、世界の現実を振り返る時、はたして、上記の「当たり前ではないか」と言えるほど自然に「殺人」は抑止されているであろうか。また、人間を本人の意思に反して死に至らしめる社会環境が抑制されているであろうか!
 わたしのような中年男でも、いくらかナーバスになって世界を見回すなら、感受性が研ぎ澄まされた青少年たちの見ているであろう世界の姿に多少なりとも近づくことが不可能ではないと思っている。
 そのズタズタな姿を、思いつくままに列挙するだけで、「人殺しはいけない!当たり前ではないか」と人々が信じることと裏腹に、あまりにもそうした信仰に抵触する実態が野放しにされていることに気づかざるを得ない。

 どのように診断するのかは別にして、人の命と尊厳を手玉にとってモノのように捨て去る事件が多くなった。誘拐殺人・死体遺棄事件、保険金詐欺殺人・死体遺棄事件、ホームレスのなぶり殺し事件。以前からもあっただろうが、あまりにも人間をモノとして扱う手口が渇ききっていると思える。
 また、年間三万人を突破し続ける自殺者。「経済・生活問題」がその理由のトップだそうだが、「数字からは、不況、倒産、リストラ、借金苦に、働き盛り、一家の中心だった中高年男性が押しつぶされるように、自ら命を絶つ姿が浮かんでくる。」とある。ますます激化する不況のしわ寄せとして、こうした数字が生み出されているのだろうが、政治はこれらを事実上放置、見て見ぬ振りをしている印象がぬぐえない。
 今年、長崎市の市長が原爆慰霊イベントで、米国の核兵器推進姿勢を名指しして批判した。人類死滅にもかかわる核兵器であれば、使用目的や理由など論外であるはずだろう。米国は、テロ撃滅を大義名分として、イラク攻撃というきわめてリアルな政治状況まで作り出そうとしている。核兵器の使用や、核兵器推進姿勢は、一言で言って人間の生命に対する挑戦以外のなにものでもない!どんな屁理屈を並べようが、ほかで個人の自由を立派に尊重しようが、人間の生命を危機にさらしてはばからない主張は、根底において人類の敵だとしか言えまい。
 こうした米国に、日本政府が協調・賛同路線をとっていることはもはや周知の事実である。式典その他で表明される核兵器廃絶、戦争抑止という声明が、声明でしかないことももはや周知の事実である。政府が、有事立法化問題でさらした一連の危険さと杜撰(ずさん)さは、表明することとやることとが乖離(かいり)していることを表している。
 生命尊重、戦争抑止と公式表明を出していながら、その実反対方向の危険な選択をじりじりと進めるさまは、波風が立たなければ何をしてもよいと範を垂れているようなものではないのか。
 捕まらなければ、何をしたってかまわないという末期的社会風潮を助長しているのが、もし政府や政治家たちの言動だとすれば、これほど情けないことはない。

 人間の生命を生命として扱えなくなってしまった現状の地獄の原因は、永遠の進歩を旗印にして今なお推進されている技術文明がもたらしたその副作用であるのかもしれないと思っている。
 永遠の進歩というまるで初めから破綻を内蔵させた「ねずみ講」のような論理(梅原猛氏は、近代文明・現代文明の危うさを、「ねずみ講」がエンドレスであることを論拠としているように、永遠に進歩し得ることを信じる危うさだと述べている。『精神の発見』)が、過剰に「永遠」を強調し続け、人間個々人の「有限性=死」、「自然の有限性=地球環境の汚染と破壊」などの問題を棚上げにしてきたのではないだろうか。
 本来、人の「有限性=死」が意識の中にビルト・インされていればこそ、生命のありがたさと尊重が自然に生じるのであろう。近代・現代では、永遠の技術進歩を推進する一方で、「死」に関する状況を、生活の舞台から完璧にパージ(駆逐)し続けてきたのである。病院ではなく、自宅で死を迎えたいと望む人たちの登場は、その反動として現れたきわめて健全な感覚だと感じている。
 ただでさえ想像力が貧困になったと嘆かれる現代、死者から遠ざけられてしまったわれわれは、死をどのようにリアルに想像できるだろうか。まして、自分自身の死、そしてその死への恐怖を想像することはどうか。それが人間の尊厳の出発点のような気がしてならないのだが。
 8月15日だからこそ、あえて書いてみたわけである…… (2002.08.15)

2002/08/16/ (金)  自分も同じなのかもしれないと想像すること!

 今週は気のきいた会社なら丸々一週間を盆休みにしていたのだろう。クルマの影も少ないと感じたし、事務所の近辺も、ビルの内も、なんとなく閑散としたけはいだったようだ。どうせヒマなんだったら、お客さん側も休みなんだし、思い切って休みにしちゃうくらいの度量がほしかったかな、なんてちょっと後悔したりしている。

 閑散としたビル一階のフロアー。食事に出て暑い通りから戻り、いつものようにタバコの自販機で "NEXT" を買う。街路樹に響きわたっていたセミの鳴き声が耳に残りつづけているような気がしながら、硬貨を投入した。
 自販機の下方の口に手を入れ、つり銭とタバコを取り出す。
 半身にかがんだ姿勢で見上げると、エレベータ方向から、疲れた顔をした四十前くらいの男性、当ビル内の人と思しき人がこちらに向かって歩いてきた。タバコか、ドリンクの購入が目当てであったのであろう。すれちがう際、その男性が顔といわず、歩む姿勢といわず、からだ中に疲れを滲ませているのをじわーっと感じた。
 盆休みも返上しての仕事じゃお気の毒だ。しかし、その疲れ丸出しの姿勢じゃ仕事にもならないんじゃないのかな? なんぞと、勝手なことを思ったりしていた。課長さんといった立場なんだろうけど、はたから疲れが見透かされるようじゃマズイぞーなんていう余計なことまで考えながら、扉が開いていたエレベータに乗り込んだ。
 とその時、いつもエレベータの中で退屈まぎれにする仕草、ふたつのタバコの箱をパタパタと打ち鳴らそうとした時に気がついたのだった。ふたつあるはずのタバコがひとつしか手中になかったのである。要するに、いつものように二つ分の硬貨を入れながら、取り出してきたのがひとつだったというわけだ。扉が閉まる前にエレベータから飛び出していた。そして自販機の方に目を向けると、先ほどの男性が、わたしのタバコを振りかざして笑っていた。
「いやー、暑さでボケちゃってねえ」
と、照れ隠しに暑さのせいにしたりするわたしだった。

 疲れていたのは、彼だけじゃなかったということであった。きっと彼の側でも、
『役員クラスの年配なんだろうけど、そんな苦虫かみつぶすような顔しているようじゃ、あかんのとちゃいまっか。おまけにいくらこの残暑とはいえ、注意力まで散漫状態になっているようじゃ、気をつけなあきまへんで』
とでも感じていたに違いない。わたしはエレベータの中でひとり苦笑いをしていた。
 以前に、同じ自販機で二度ほど、タバコが取り出し口に残っているのを見つけ守衛に預けたことがあった。その時には、金を投入してタバコを忘れてゆくなんて、なんと間抜けな奴もいたものだと思ったものだった。が、そうしたこともあり得るのだと実感的に思い知らされたのである。言い訳がましいが、複数個を買おうとした場合には、こうした錯誤も起こりうるのだと再認識したりするのだった。

 ともかく、他人(ひと)様のことをえらそうに揶揄(やゆ)したり、非難するのは心して慎むのが正解なんだなあと、買ってきたタバコをふかしながら何となく考えていた…… (2002.08.16)

2002/08/17/ (土)  「消費資本主義社会の『自分は自分、人は人』という規範」!

「ヒロインが失墜した。もう二度と飛翔(ひしょう)することはないだろう」 (評論家・芹沢俊介「『個』の感覚欠き自滅」−−ヒロイン描けぬ崩壊の時代−− 『朝日新聞』2002.08.13 夕 ) と切り出し、筆者が分析しているのは、言うまでもなく公設秘書給与流用疑惑の問題で、突然に議員辞職した田中真紀子女史についてである。
 この問題については、その人気によってこの間の政局が少なからず左右されてきただけに、さまざまな視点から取り沙汰された。が、わたしには、同筆者の分析が核心を突いているように思われた。

「……マスコミが田中真紀子を議員辞職に追い込んだ。マスコミによってヒロインは失墜した。そのとおりであろう。しかしほんとうの理由は、自滅ではないだろうか。
 自滅とは、どういうことか。消費資本主義社会(高度に成熟した資本主義社会)の規範をしっかりわきまえていなかったということだ。消費資本主義の規範とは何か。いくつかあるだろうけれど、その主要な一つを私は『自分は自分、人は人』という命題でとらえている。こうした規範が社会に浸透してきたのはごく最近のことだ。
 言い換えれば、自分の意見をもちそれを主張することと、自分のお金をもちそれを自分の意思で使うこととは同じであり、どんな理由があろうと人はそうした行為を制約してはならない、ということである」(同上)

 真紀子女史は、この「規範」を踏み外したというのである。確かに、別の感慨も示してはいる。辻本清美女史とあわせて、「政治悪といえないような悪、政治悪とよぶのが恥ずかしいような悪が暴露され、それがもとでヒロインが消えていく。いやな風潮だ−−」と。
 しかし同筆者はこう結ぶ。
「消費資本主義社会の『自分は自分、人は人』という規範は、必然的に個人を際立たせる。自分も個人、人も個人であることを自覚しない人たちは、保守だ革新だといったイデオロギー以前に、今を生きている者の倫理感覚に欠けていると指摘せざるをえない状況が生まれてきているのである。そしてこの倫理感覚はいまや、きちんと身につけていないと、どんな立派なことを言ってもしても、その人の全部がうさんくさく思えてしまうほどに根底的な課題なのである」

 もちろん、もっと別の角度からの同問題へのアプローチも可能である。だが、「消費資本主義社会の『自分は自分、人は人』という規範」という視点は、思いのほか実際的な切れ味を秘めているように思われる。けっして万能さを期待などしてはいけない。この視点による発想が、自動的に来るべきポスト消費資本主義社会を導いてくれるなどという過大な期待は不似合いであろう。現に、「住基ネット」問題の核心テーマである「個人情報保護」問題や、有事法制化に絡む「個人の自由制限」問題に対する国民の関心度は思いのほか低いことを憂える人もいる。(「透け透け」問題で、火はつき始めているようではあるが……)
 それにもかかわらず、この視点でこそ裁かれなければならないのが、まさしく現在のわが国のさまざまな現状だと見えるのである。それほどに、『自分は自分、人は人』という当たり前の人権水準がいまなお踏みにじられているのが、残念ながらわが国の現状だと思えるからである。
 また、この視点が、踏みにじられがちな個人に関する政治的理念に立脚するのではなく、「消費」という庶民の実感ベースに根ざしていることは少なからぬ重みがあると言わなければならない。もはや大企業といえども、消費者の動向を無視した企業活動はありえない時代に突入している。また、現時点での経済不況の最大の問題は、国内需要、消費動向なのである。言うならば、消費者たちが、経済活動のイニシアチブの一翼を握り始めているとさえ言っても過言ではないだろう。

 もうひとつ書き添えるならば、現在のわが国の政治、経済の閉塞状況がよってきたる基盤には、保守勢力のどし難さがあるだけではなく、革新を標榜する側の人や組織の古い体質にも期待しえない問題があるからなのではなかろうか。いわゆる「浮動」層の増大は、イコール政治的無関心層の増大だとばかりは言えないのかもしれない。
 「消費資本主義社会の『自分は自分、人は人』という規範」にひとたびは竿をささなければならない水準というのは、考えてみれば淋しいことであるような気もする。また、ご乱心とばかりに保守化を急ぎ、戦争へのリスクを高めようとしている動きのある現在、悠長な気がしないわけでもない。
 いわゆる「劇場型政治」(政治が、マスコミを通じて、演じる政治家たちと鑑賞する観客たちとの関係にたとえられるような状況となったこと。スタンドプレーやパフォーマンスの肥大化が懸念される!)という諸刃の剣の状況の中で、ファシズムへと雪崩込むことなく、観客が賢明となっていくことを望むしかない…… (2002.08.17)

2002/08/18/ (日)  通勤電車が「只今より、海中走行に入ります」!

 熱帯夜が続くほどに暑ければ暑いでうんざりさせられるものだが、今日のように台風(13号)の影響で急変した天気も、気分の調子を狂わせるものだ。昨夜は明け方まで読書したり、PCの調整をしたりと気ままに過ごし、今日は昼過ぎまで寝床に入っていた。それもあってか、気分は今日の空のようにどんよりと白けている。
 昨夜、途中まで手がけた短編小説もどきも、読み返してみると、仕上げるまでにはまだまだ膨大なエネルギーが必要となりそうな見積りとなり、今日はそんな元気はないなあと、先送りにしようとしている。

 ふわあっとした頭に、奇妙な夢のかけらが残っていた。夢を覚えているというのは、前後関係の脈絡がどうのこうのというよりも、奇異で唐突なシーンがワンカットでもある場合が多い。今回の場合は、何の変哲もない通勤電車が、線路が水没して海原となった海底めがけて驀進してゆくシーン。しかも、車内放送では車掌が、
「只今より、海中走行に入ります。およそ数分間にわたりますがご了解ください」
などと、至って平静なのである。
 おいおい、と思って前方を見ると、単線の線路が波しぶきを上げる海岸に突っ込み、存在感ある海原へと消えているではないか。一瞬、誰でも考えるように、夢の中の自分も気がかりなことへと考えをめぐらせてはいるのだ。
『この電車は、防水加工がほどこしてあるのか? 防水腕時計のように100mくらいの水圧に耐えるウォーター・プルーフがなされているのかな?』と。
 が、やがて電車の前方、左右側面の車窓からは、みるみる海面が高まってゆくのが見え、薄暗い海中が車窓に広がるのだった。とりたてて、海水の車内への浸入はないもようである。ただ、次に気がかりとなったのは、車内空気中の酸素含有量である。車内を見渡すと乗客が大勢座っている。酸欠状態となる前に、とりあえず体内にできるだけ多くの酸素を吸入しておくべきだと思い、自分は、水泳で潜水をする前の動作のような忙しい呼吸を
している。火事場泥棒のような後ろめたさを一方で感じながら、スーハースーハーと、忙しく呼吸するこっけいな自分であった。
 このシーンの前後に、プラットホームでの場面や、並んで乗車して、ドアが開いた途端に乗客が座席争奪合戦をしている様子、自分も、誰かが仲間のためにハンカチかなんかを座席に置いたものを、「こんなもんは、無効だかんね!」と言わぬばかりに放り投げて座り込むというような場面があったようだ。

 そもそもこの夢の「出典」は何なんだろうといぶかしく思ったものだった。
 先ず短絡的に思い当たるのは、日頃不安がらされているわが国の経済や社会の「沈没」的危機への懸念であろう。あるいは、今ヨーロッパで問題となっている異常気象による洪水だと言ってもそこそこの説得力はあるだろう。
 しかし、わたしはもっとも有力な「出典」に、はたと気がついたのである。
 それは、宮沢賢治の「銀河鉄道」でもなければ、アニメーション「銀河鉄道999」でもない。最近のクルマのテレビ・コマーシャルで、まるで海かダムの底に水没した土地の景観に、ファミリー・カーがすいすいと走るというCGフィルムなのである。
 確かに、初めてそのCMを見た時、ちょっとした違和感というか、小さな衝撃を受けた覚えがある。CGを使えばどんなシーンだって合成できる時代なので、もはや視聴者を驚嘆させることができるイメージは少なくなったとも言えそうである。
 だが、批判力も覚醒している起きている時に涼しい顔をして見ていても、意外と深層心理にはそれなりのインパクトを与えているのかもしれないと、そう思えたのだった。

 現代人は、意識の上では、「何でもありのご時世だーい。ちーとのことじゃ驚くもんかね」といきがってみたりしている。しかし、どちらかといえば閉ざされて保守的だと思しき人間の意識下の深層心理は、結構、現代の百花繚乱の時代風潮、マルチメディアなどに撹乱されているのかもしれない。夢というテーマとあわせて、この辺の問題はそこそこおもしろいのかもしれない…… (2002.08.18)

2002/08/19/ (月)  チャリンコ・ライダー優遇の知恵を発揮するオランダに対してわが国は?

 自転車で通勤する人には、所得税控除額にメリットを与えるそんな国があることを知った。何とあの海抜ゼロメーターのオランダなのだそうである。
 その政策の意図は、温暖化現象亢進のひとつの原因であるマイカーによるCO2排出を抑制することだという。
 これ以上世界のCO2排出が増大し、温暖化 → 海面水位上昇という傾向が、海抜ゼロメーター国土への危機を高める事態を少しでも抑止しようとしているのである。国民と政府の良識と聡明さに感じ入った。

 わが国で、もしこうした知恵を働かせる対象が何かと言うなら、多過ぎて困るのだが、あえて言えば「少子化」問題であるのかもしれない。
 1990年代の10年間におけるわが国の合計特殊出生率(女性が一生涯に出産する子供の数)の変化は、<1.53>から<1.36>への落ち込みだという。その低下幅は、先進7カ国中、最大で、水準自体も最下位に近いと言われている。なおもこの傾向は強まっているらしい。

 これらの問題が、個人の考え方の自由がもたらした結果だと見るよりも、政府による政策の欠如、政策の誤りであったと誰しもが考えるのではないだろうか。経済と財政に長期にわたって悪影響を及ぼし続ける事態(社会保障制度の破綻[はたん]、内需の萎縮などなど)が容易に想像でき、なおかつこうした統計的推移を誰よりもいち早く掌握できる立場にありながら、放置してきた能天気は犯罪的だとさえ言える。

 さまざまな原因が想像されよう。将来への不安もあろう。しかし、最大の理由は、もはや経済的にも、文化的にも主婦の就業が当然視されている現代にあって、子どもをつくり育てることと、事実上両立し得ない、目先の、眼前の、その情けない環境なのだと言うほかないだろう。産休制度の充実、育児の保育問題、保育園や学童保育施設などの、現状における消極的政策を知る者にとって、子どもをつくることは容易には選べないはずだ。
 こうした政策の貧困さには、子どもたちが「社会的存在」であるという「いろはのい」が広く認識されていないのであろう。

 子どもたちが「社会的存在」であるという視点に立つなら、「どーしてぶつの?」の「DV(ドメスティック・バイオレンス)」や、若い母親たちの「母性愛」の希薄化問題(?)など、深刻で新しい問題も、先ずはその視点でアプローチされるべきだ。
 他人の子どもに暴力を振るうことは許されないと誰もが直感するはずだ。わが子は、自分だけの存在だと錯覚することが問題なのだが、そう錯覚させないためには、子どもたちへの「社会的な」、「実質的な」支援、誰でもわかる支援があってしかるべきなのである。多くを望めないご時世であれば、上述の「産休制度の充実、育児の保育問題、保育園や学童保育施設など」をきちんと実施すればよいのだ。暴力の背景に、貧困をはじめとする苦悩があることは、ワイド・ショーで映された場末のアパートの若夫婦を見れば推測できるというものだ。
 若い母親たちの「母性愛」の希薄化が指摘されたりするが、これだって、経済的環境、文化的環境が大きく異なった現代を、家制度の延長たる過去と同列に並べて比較などしてもせん無きことなのである。
 過去の母性愛の実態は、自立しがたい環境に置かれた母親が、自分の将来、とくに老後を子どもに託したり、期待せざるを得なかったりすることと無縁ではなかったと言われる。母の愛は無償の愛だと表現することも可能ではあるが、それを強調することは、現代の若い母親たちを突き放し過ぎることとなるのだ。
 彼女たちは、自分の子どもたちが、自分の老後を保証してくれるとは限らない文化環境の中で生きている。かたや、子育ての課題と並列して、母親自身が自立できる可能性としての環境、自立しなければならないと急かされる環境に直面しているとも言える。まして、「構造改革」はすべての個人の自立化を叫んでいるのである。
 そうであれば、両極に引き裂かれるストレスやいらだちが、現代の「初期設定」の中に組み込まれていると言えるかもしれない。個人的資質だけに、かつてのような母性愛を要求してもせん無きことなのではなかろうか。
 ここでも、子どもたちが「社会的存在」であることを、社会側がいま少し実際的に支援しなければ道理に反する時代となっていると思われるのだ。

 オランダは、国土が水没するかもしれない危機感に立って、チャリンコ・ライダーを優遇する知恵を発揮していると言える。わが国は、わが国が世界の過疎化社会となる危機感を抱き、反「少子化」の知恵を今すぐにでも働かすべきじゃないのかなあ…… (2002.08.19)

2002/08/20/ (火)  スピード化時代は、「遮眼帯」をつけられた競走馬たちの世界?

 高速でクルマを走らせると、周囲側面の景色が消しとび視野が狭く限られてしまうという経験をする。F1レースなどのクルマだと、まさに前方のみの鋭角的な視野となることは、レーシング・カーに搭載されたカメラによる映像などからも知らされる。それでもよく、進路が適切に操作されるものだと感心してしまう。
 ところが、スピードこそが勝負だと言われる現代の環境とは、実にこの道理を地で行くもののように思えてならない。視野の狭隘化(きょうあいか)を伴ってのスピードアップなのではないかと懸念しているのである。
 このスピードの限りない加速が強烈に要請されているのは、いうまでもなく現代の企業活動であろう。いやその前に、さらにシビアな軍事領域が想起されるべきなのかもしれない。また、各種スポーツ競技を添えることもできよう。

 先日も、ある大手電気機器メーカーのトップが、業績不振の現状を回復するためには、消費者ニーズの急変に、スピードをもって対応することが、最重要な課題であると切実に語っていた。
 とすると、スピード化傾向の川上には消費者がいることになるのだろうか。消費者こそが震源地であり、「速」太郎! の桃を流していたのは、誰あろう一般消費者だということになるのだろうか。
 せっかちなオヤジ消費者や、欲しいとなったらいてもたってもいられなくなるわがまま息子の消費者や、買ってもらえるとなったらダンナの気が変わらないうちに入手したいと急ぐカアチャン消費者などが、企業の生産、流通、販売活動のスピードアップに火をつけているのだろうか。
 まあそんな短絡的な因果関係ではないだろう。消費者たちといえども企業の一員であったり、その予備軍たる学生であったりするわけだから、企業活動からの要請やその空気の影響によって、効率的でスピード処理可能な道具などを求めるはめになっているのであろう。効率化志向のPCを拒絶していては、企業活動についてはいけないのだから。
 消費者と生産者のどちらが先だとか、とちらが原因だとかではなく相互関係において、加速化が図られてきたというのが実態なのであろう。そして、そのプロセスで全体が、スピードアップの行動様式を選択しつつ、それとの引き換えのようなかたちで視野の角度や幅を削り落としてきたのかもしれない。「巧遅拙速」ということわざが、非常に暗示的だと言える。

 では、スピードアップが現代的な要請に沿っていることはわかるとして、随伴することとなっているであろう視野の狭隘化は、どんな不都合をもたらしているのだろうか。
 ただ、速度が遅ければ視野が広がり、万事OKというわけでもなかろう。迷いだけが深まる場合だって十分に想像できる。
 それにしても、スピード優先の至上命令が、人々の視野の狭隘化を亢進させていることはいたるところで知らされる。
 毎朝どこの子どもたちも耳にするであろう「なにをぐずくずしてるの!早くしなさい!」という母親のスピード主義は、子どもの視野を狭め、朝食にどんな野菜が出ているから今はどんな季節なのだといった緩やかな生活実感などをスポイルしたりする。
 そんなことよりも、速く理解すべしという学習スタイルが、試行錯誤という思考過程を省いた丸暗記を促している事実に注目すべきかもしれない。また、早く就職口を決められる進路として、専門(=狭める!)学校を選ぶスタイルは、今ではもはや常識とさえなっているだろう。
 そして、教育の場から職場へ進むと、そこで待ち受けているのはスピード優先のための現実である。狭いジョブ範囲に自らを閉じ込めていかざるを得ない現実、分業と言っても良いし、専門分化と言っても良いそんな現実であろう。組織レベルに置き換えれば、自分たちのセクションのことだけしかわからないし、その範囲でしか責任を感じないといった「セクショナリズム」の現実である。
 これらは、今に始まったことではない。また、今問題が気づかれたわけでもない。それでは何が今問題だと考えられるのか。従来、視野の狭隘化、分業、専門分化が伴う問題は、最善の場合、相応の時間をかけた相互交流、コミュニケーションによって何とか補填されていたと言えるのではなかろうか。
 これに対して、極度に加速されたスピードの時代である現代では、この時間までもを削減しようとしているように観測できる。コンピュータを核にした情報通信技術、すなわちITの導入をもって、このコミュニケーションの合理化を推進しようとしている動きは、情報伝達やコミュニケーションの高速化以外の何ものでもないのである。
 このITの実質が、万全であるならば、幸いであろう。しかし、現実は万全であるのではなく、そうであることが期待されている段階であるのではないだろうか。昨今、統合された銀行の立ち上がり時に発生した不首尾は、何とも象徴的だとしか言いようがない。

 超スピードの時代のボトルネックは、「視野の狭隘化」に由来する「部分の孤立化」である。そして、部分間の十分な情報交流が重要課題となっているのである。
 サブ・システムがますます専門分化(視野狭隘化!)してゆくために、そのインターフェイスに思いがけない負荷がかかっていること、その結果、システム統合自体がきわめて困難となっていることが、しっかりと見据えられなければならないように見える…… (2002.08.20)

2002/08/21/ (水)  涙はひとのために流すのが相場でしょ?!

 昨日のニュースを読んでいて、思わず貰い泣きさせられてしまった。
 決して人がいいわけのない自分だが、どういうわけか涙腺が緩みがちなタイプである。映画館の暗闇ならまだしも、家人といっしょにテレビドラマなどを見ていて、涙が出てくるとなんだかきまりが悪くてしょうがない。どうも、歳をとったからというのでもなく、若い時からそうであったようなのだ。要は、所詮、感情的で、甘い人間なんだろうと自覚している。

 そのニュースとは、やくざに殺された神戸市の大学院生の公判で、検察官が遺された母親の供述書を朗読中に、その検察官が感極まって涙を流して読み続けられなくなり、法廷が数分間中断したという報道であった。朗読された供述調書には、「大学院生の母親が妊娠中毒に苦しみながら、帝王切開を経て『命がけで子供を産みました』という出産の経緯」(『朝日新聞』2002.08.20)から始まる、息子を亡くした母親の心境などが書かれていたらしい。
 多くが報じられてはいなかったが、この事件を以前に知っていたこともあり、藪から棒に最愛の息子を亡くした母親の哀しさが、十分に想像されたのである。たぶん、自分が検察官であっても、同じような失態を仕出かしたかもしれないなあと思ったものだ。

 涙では社会的な事柄が一向に解決しないことは先刻承知している。企業の不祥事でのトップの謝罪や、政治家の釈明時などに時々涙の場面が登場するが、どちらかと言えば「見苦しいなあ〜。泣いてる場合じゃないでしょ?」と感じるのではないだろうか。やはり、基本的に涙と、感情に埋没してしまうことは避けられれば避けたいと思う。
 第一、このような極悪犯罪を引き起こす連中、血も涙もない人非人(にんぴにん)には、涙など何の意味も持たないはずであろう。涙を流して命乞いしたかもしれない被害者をうむを言わさず残忍に殺したのが、そうした連中の正体なのであろう。
 「女の涙は武器か?」などというスットコドッコイな議論があったが、涙はやはり武器などにはなり得ないのである。それは、この間のスキャンダラスな政治家たちが自分のために泣いた涙の、その結末がしっかりと教えてくれているはずである。

 しかし、涙も自分のためではなく、他者への同情や共感で流される涙は、尊いものだと思う。薄っぺらな表現となり、歌謡曲系ともなるが、ほかに思いつかないのでとりあえず言えば、そうした涙は「真珠の涙」である。「お宝鑑定団」に、ミリリットル単位で高値の鑑定額を出してもらえるほどに価値がある。
 こうした「真珠の涙」を流せる(そう、この際は、流すではなく流せるという「可能動詞」で表現すべきだと信じる!)者が、またまた少なくなったのが当世なのではないだろうか。他者の不幸や、他者の感動的行為に、同情、共感、感動の感覚で身をうち震わせて涙する「能力」を持った人が、イリオモテヤマネコやタンチョウヅルほどに少なくなり、希少価値を持つようになっているような気がするのである。

 ちなみに、海岸にいて、沖で溺れている人を見た際に、良識ある人間のできることは「3モード」あると聞いたことがある。海念さんのごとく、下帯ひとつとなって波間にザンブと飛び込み救助に向かう第1モード。よくよく考えてみれば自分はさほど泳げないことに気づいて、誰か泳げる人なりボートなりを必死で探しに走るのが第2モード。せめて、溺れている人の苦しさに同情して、海岸に立ちつくし涙を流すのが第3モードだ、と。
 同情や共感とは、「せめて」という水準の人間的状態なのであろう。しかし、この「せめて」という状態すら失われているのかもしれないと思うと、思わず、どんな種類かは不明の涙がポロリと滴り落ちてしまう…… (2002.08.21)

2002/08/22/ (木)  現代型<自尊心>の海で溺れ死なないための二大処世術!

 地球の温暖化現象によってじわじわと高まっている海面と同様に、下がることがなく上昇しているのが、人々の「自意識」なのかもしれない。なぜなのかについて、説明していると話の腰が折れてしまうほどに長くなりそうだから、意に反するが割愛省略。
 そして、自意識とともにオゾン・ホールのように膨れあがっているのが、人々の<自尊心>ではないかと思う。たとえ、自分の節操に傷をつけようが、泥をぬろうが、ないがしろにしようが生きてはゆけても、人様の自尊心ばかりは、一度傷つけようものならただではすまないご時世となっているような気がするのである。
 決して、基本的人権が云々とかいう小難しい水準の話なんかではない。どちらかと言えば「なめんなヨー!」的場面に近い話だと言っておくことにしよう。

 他人にどう思われ、受けとめられているかが極度に気になってしかたがない世の中になったということなのだろうか。自分で自分が満足できて、自分で自分をちょっとほめることができれば天下泰平だと感じる当たり前のことが、非常にむずかしくなった世の中となってしまったのだろうか。
 いずれにしても、人様の<自尊心>を決して攻撃してはならない世の中となったのである。ちょっとしたことで、ガラスのような自尊心が壊されたと騒ぐのが世の常となりつつあることに、重々注意しなければならない。
 親しい中だからとつい無防備に「オマエなんざあ……」とか口走ってしまう団塊世代が、ことのほか顰蹙(ひんしゅく)を買うのも、こんな時代風潮が大勢を占めているからなのかもしれない。

 ところで、<自尊心>=プライドとは、本来、自身を律する側面が大きかったのではないかと推察している。「 武士は食わねど高楊枝 」とは、武士が自身の行動を律するための「自尊心」を表現していたはずである。傷つける可能性が自分自身にあることを強く意識した感覚であったはずだ。
「そんなに硬いことを言わずに、まあまあ……」と迫られても、「いや、たとえ神様、仏様が勧めてくださっても、オレ自身の<自尊心>がそんなことに応じるワケにゃいかないのサ!」とほざく場合も、多少の見えもあろうが、心の内側の<自尊心>であったと言えそうだ。

 ところが、現代の<自尊心>とは、心の内側(いやそもそも心なんてものがあるかどうかも疑わしいのだから、その内側というのもおかしいか?)に根っこなどなにもなく、外見ばかりを覆っているまるで『 コケ 』のような気がしないわけでもない。だからということもないのだろうが、
「やいやい、オメエはオレを『 コケ 』にするのか?」
なんていうお言葉をたまわったりもするではないか(?)。
 万事、大事にされるのは、他人が自分を傷つけたと、別な他人が認めることに対してナーバスとなる、そんな<自尊心>なのではなかろうか。だから、自分ではバカにされたと感じなかったとしても、「アナタ、あの方にバカにされましたね。お気の毒に……」などとささやかれるようものなら、突然ハラが立つといった、時差あり<自尊心>というか、他者決定型<自尊心>だというのが正しいのかもしれないのである。

 こんな時代をつつがなく生きてゆくための、処世二大原則を提示したい。
 そのひとつは、「ほめ殺し」であり、もうひとつは、「卑下自慢」である。
 とにかく、勝負どころが、実質的コミュニケーションなんかであるわけがないご時世である。実態的で正確なことを言ってあげて喜ぶような偉人は、これまたイリオモテヤマネコやタンチョウヅル(長いので今後は「イリタン」と略す)ほどに希少価値となっている。
 ちょうど、女性の似顔絵を描くように、真実は打っちゃって、ただただ空想力を働かせて目の前にはいない女優の面持ちを描かなければいけないのである。そして、
「ええっ、似てないじゃないの〜。そう?似てる?そうかしらあ。でもよく描けてるわね。これ少ないけど取っといて。今度、お友達連れてくるわネ」
と運ぶべきに決まっているのである。
 ほめてみて、怒るほど立派な人は「イリタン」である。歯が浮くほどにほめて、やっと怒り出すという人もさほどいるわけではない。それほどに、他者決定型<自尊心>を『 コケ 』のようにまとった現代人は、「ほめられたがり」なのである。
 多少、実のある人は、いくぶんアルコールを飲んだ後のようにいい気分となり、次第にそれを醒まして正常心理に戻る。身体に良かったのだ。
 が、傲慢で、実のない人は、まるで高級な資格証明書を獲得したかのような錯覚に陥り、尊大な人生を驀進し、やがてコケる…… ほめることは、なんと人に応じて効き目をあらわす万能薬であることか。

 「卑下自慢」の術を知らない者は、現代の<自尊心>の海の中では、どうしても溺れて、水死することとなるようだ。誰もほめてくれないと、自分で自分をほめるという禁じ手である自慢をしたくなるのが人情であろう。が、この禁じ手に手を染めるなら、他人は立つ瀬がないので、知らんぷりを始める。さらには足を引っ張ってやろうという衝動をさえ抱きかねないのである。恐ろしいが、これが「渡る世間は鬼ばかり」のリアルな現実!
 そこで、「多少とも自分に自信のある者」は、人前では極力自らを卑しめ、自らを罵倒し、自らを萎縮させることに徹するべきなのである。すると、
「いやそこまで、ひどくはない。むしろ、あなたのこれこれはすばらしい!」
と、自然なほめ言葉がいただける。それがなくとも、
『いやー、あいつは謙虚ないいやつだ。そうだ、引越しするとか言っていたようだが、手伝いに行ってやっか』
となったりする(かもしれない)。
 ただ、この「卑下自慢」は誰にでもお勧めできる処世術ではない。「多少とも自分に自信のある者」に限定しなければならない。他人の前で卑下する演技をしているうちに、そのリアルさから、自殺したくなる危険を感じる方は、信頼できる医療機関に相談した上で服用してください…… (2002.08.22)

2002/08/23/ (金)  外来新語「EAP」が運ぶ、薄ら寒い秋風!

 昨今、「EAP」という外来新語を目にするようになった。「ERP(統合業務ソフト)」の新種かなんぞかと思っていた。コンピュータ・ソフト関係ではこうした簡略語がひしめいており、うんざりしているのだが、これらに通じないと新しい動向が見えなくなるため必要悪だと思い、簡略語の「SOS」をつぶやきながらおつきあいしているのだ。
 アルファベットの簡略新語が注目されるのは、コンピュータか、経済か、金融か、政治か、そしてスポーツかのジャンルであり、発信地は米国と、まあだいたいそんなところに決まっているものだ。
 不勉強にも初耳で、なおかつ知ったかぶりをしたいのなら、次のように感想を述べ、相手の発言を模様眺めしていれば急場はしのげるであろう。

「いやー、わたしもネットで知りましたがね。」(だいたい、簡略新語はインターネット発が多い!)

「アメリカも大変だということですわ」(だいたい、何につけ米国の大変な事態のプロセスで生じたものが多い!)

「しかし、そいつはどの程度効果があるんでしょうかね」(まず、「そいつ」と指示代名詞を使うことで固有名詞をくり返さない。間違うことがあっては台無しになる。また、相手が読み方を間違っている場合もあるため。次に、着目される簡略新語というものは、往往にして過剰に期待がかけられているのでその真偽や効果に疑問を投げかけておくことは、当方が付和雷同型でない印象をあたえることになり得る!)

「まあ、今後の推移をじっくり見守りたいところですな」(相手が切り出した話題にあまりそっけないと問題もあるので、こう言って締めくくっておくとよい!)

 くだらない横道にそれてしまった。「EAP」とは、臨床心理学者を中心とする「従業員援助計画」のことである。もちろん、米国発であり、その効果のほどはいまだわかってはいない。
 だが、ITバブルがはじけて以降、米国の景気も惨憺たるもので、その回復を図ろうとしているが、ITという文明の利器が頼りにならない場合、やっぱり頼りにしたいのはマン・パワーということになる。ところが、生産性や効率を従業員に過度に求めると、生身の人間であるがゆえに発生するのが「潰れ」現象! そこで、「潰れ」た従業員や「潰れ」そうな従業員のこころの修理とケアに企業が乗り出さなければならなくなっているというのが、その文脈であるらしい。

 「EAP」のプログラム・メニューは、(1)従業員・管理者の啓発と教育、(2)無料カウンセリング、(3)24時間電話相談、(4)ストレス・コントロール法の講習、(5)専門医への紹介、などが基本となるそうだ。
 これらを、多数の専門カウンセラーを抱えた専門企業が、依頼主の人間「潰し」企業との契約で実施するとのことである。かなりの高額となる模様で、カウンセリング企業は繁盛しているとのことだ。そして、わが国でも大手企業ではこうした対応が始められているそうである。

 いわゆる「構造改革」の影の部分があらわになり始めたというわけなのであろう。
 リストラではじき出されてしまった失業組も確かに大変なのだが、さらなる生産性の向上が強制される現役残留組も、医者にかからなければならないほどに辛い水準の環境となっている、と企業側は見ているのであろう。
 しかし、企業の内外を問わず、おそらく心が病の症状と化している人々が決して少なくはなく、国民的規模の広がりを見せているような気もする。一言で言って、敗戦に打ちひしがれた戦後の一時期(正直に言って、体験してはいない世代であるが)のようではないかと想像させられてしまうほどだ。
 利益があげられないのは社員ががんばらないからだ、と思わず「ホンネ」を口にしてしまった経営トップの話が以前注目されたことがあった。「ホンネ」とは、口に出されたその言葉などではなく、そういう非論理的な八つ当たりが口に出てしまうほどに、経営者としてビジョンを形成しにくい袋小路に突っ込み、いらだちと困惑の最中にあるというのが実のところのホンネなのではないだろうか。

 決して他人事ではないのだが、生産性をめぐる問題は七転八倒のもだえの中にあるようだ。ピラミッド型軍事組織が効を奏さなくなったために、ITを駆使したフラット型組織に変革され、それでも芳しくないため、現場支援を主旨とした逆ピラミッド型組織が模索されてもいる。これをどう見るかである。絶え間ない革新とも言えるには違いないが、より上位の目的自体が行きづまっていることが示されているとも見えなくはない。
 話を「EAP」に戻すなら、このプログラムのお世話になる従業員というのは、怠けているわけでも、能力が乏しいわけでもないのではないかという気がしてならない。さらなる生産性向上、売上向上という至上命令が、どこかで虚しく聞こえてしまう何かを察知してしまった人々ではないかと思うのである。
 その何かとは、いろいろとあるだろうが、犠牲とせざるを得ない個人生活/人生などの重みとの比較考量であるかもしれない。あるいは、生産性や効率化という原理自体が直面しているより大きな問題枠を見つめてしまったのかもしれない。
 従業員にしても、経営者にしても目先の問題に直面しているようでありながら、これまでになく厚く、高い壁に遭遇しているのだろうと思われる…… (2002.08.23)

2002/08/24/ (土)  どんな「ニッチ」なら、大手企業に伍して儲けられるのか?

 「ニッチ」産業とか、「ニッチ」商法とかが言われて久しい。いわゆる「隙間」産業、「隙間」商法のことである。大手企業が取りこぼした市場ニーズを、小さな刷毛や、楊枝を駆使して(?)置き去りにされた市場ニーズをかき集めるイメージから、そう呼ばれているのであろう。
 確か、宅急便もこれでスタートしたと聞いた覚えがある。それがどうだ、今やちょん髷の飛脚や、子猫を咥えた黒猫は、天下の大通りのど真ん中を突っ走っているではないか。首相発案の郵政法案による誘い水を、「そんなのやらんもんネ」と断るほどに成長してしまった。「塵(ちり)も積もれば山となる」とはよく言ったものである。

 リストラ時代は、みんなが「ニッチ」ねらいの起業を考えているような気がする。ひとりだけ、いや核家族が食っていければいいんだから、とささやかな「ニッチ」に見当をつけているリストラー(リストラ退職の方を一応便宜上こう呼ばせていただきます)がいらっしゃるかと思えば、世界中に散在する「ニッチ」をこの際だからかき集めようやないか、と大志を抱くリストラーもいらっしゃるに違いない。
 上記の宅急便も今やビッグになってしまったため、小回りがきかず周回路線からはずれたり、時間範囲からはずれたりするニーズを落ちこぼすようになった。そこをねらった「ニッチ・ニッチ」(何だか鳥もちのネバネバのような語感?)の宅急便を使わせてもらったことがあった。いつでも連絡すると、小型トラックで荷を取りに来てくれて、しかも安いというシステムであった。安い理由は、運転手が出来高払いのフリー契約者であるからのようだった。「隙間」の「隙間」ねらいは当たり前、「隙間」の3乗くらいが目論まれているのかもしれない。建築ジャンルでも、システム開発でも3次外注、4次外注があったのだから、別に不思議な話ではないのかもしれない。

 おっと、何が書きたかったかと言えば、「ニッチ」産業の有力候補は何かという、その筋のリストラーの方々には生唾飲んで迎えられそうな気がしないでもない、かもしれない場合もありそうな話なのである。
 あらかじめ言っておけば、真偽のほどははなはだ不確かである。と言っても「今年のビジネスのツボは『 Re〜 』となると観(み)た!」(同日誌、2002.01.07)に関してはまずまずはずれてはいなかったようだ。
 ただ、心底確証があれば、ご本人が着手するに決まっているのだから、競馬の予想屋と同水準だと見なしていただいた方が気が楽である。

 キーワードは、「繋ぎ!」である。といってもプロバイダーと繋ぐADSLの話なんかではない。また、いまだに顰蹙(ひんしゅく)を買っている、アブナイ出会い系サイトの運営でもない。また、ベンダーとユーザーとを繋ぐ広告サイトでもなければ、売り手と買い手とを繋ぐオークション・サイトなどの運営でもない。はたまた、独身男女をハッピーな結婚へと繋ぐ結婚相談所でもない。もちろん、原告と被告の争いを和解へと繋ぐ家庭裁判所業務でもない(突如[ヤジ]が乱入! わかってら〜 裁判所がなんで「ニッチ」なんだ、ばか〜)。
 だが、これらのサンプルから読み取っていただきたいのは、いずれもが人と人を「繋ぐ!」営為がいかに繁盛しているかということなのであります。([ヤジ]裁判所が繁盛してどうだと言うんだ〜 ばか〜 出会い系サイトが繁盛してエッチと犯罪が蔓延するのはいいことなのか〜 ばか〜)

 何とヤジられてもかまいません。わたしは、石をぶつけられてもひるまない親鸞のように、来るべき時代の事実を淡淡と述べるだけです。([ヤジ]わかった。とりあえず聞こやないか〜)先ず、NPOではなくて、ビジネスを志向するなら、目線を上向きにしなければなりません。利益は、庶民の財布からではなく、大手企業の金庫から得ることに絞り込む必要があります。(シーン……)
 現在、「オー※※※、オー※※※」のCMで、羽振りをきかせている派遣会社があります。うちの事務所の同フロアーにもその事業所があるので、悔しいながら繁忙ぶりが伝わってきます。
 端的に言えばCMの勝利だと判断せざるを得ません。派遣会社から人を入れて、あのCMで描かれる人事上の惨状が克服されるとは誰も思わないはずでしょう。しかし、受けている感じがする。その原因は何であるか?
 世の大半の大手企業は、とにかく組織の問題と人の問題がここへ来て爆発的混乱に見舞われ始めている、かと言って抜本的人事制度を打ち出すことができない。大手企業管理職層の頭の中は、苦しい人事問題でいっぱいのはず。
 その不安と心痛は、まるで歯茎から血が出て、歯槽膿漏ではないかと不安がる心境に酷似している。そこへもってきて「あなた!リンゴを噛むと歯茎から血がでませんか?」に酷似したCMが流れると、ばかばかしいとは思いつつも「オーこれだ!」と短絡してしまうのでしょう。もともと、大手企業の管理職層に共通した特性は、取るべき責任が薄い、軽いことであればGOサインを出す点でしょう([ヤジ]おい、弁士! おまえはうちの部長のこと知ってるなあ? どうも昨日のことを見てたような感じがする……)

 わたしが言いたいのは、大手企業の人事問題は、今後ますます悲惨さを極めるであろうと言う点なのです。([ヤジ]そんなこと、どうして言えるんだ〜)簡単なことです。終身雇用制度が完璧に崩壊して、加えてリストラが頻発したのだから、大手企業の従業員にとっての人事的メリットはないに等しくなったからです。がまんしてしがみついている根拠が、一気にはずされてしまったからです。
 そこで生じる問題は、多くのことがあります。昨日の「EAP」が必須となるような、成果主義競争の激化もあるでしょう。が、簡単に言えば、企業の求心性が弱まり、従業員同士、上司部下の関係がバラバラとなる傾向が強まるだろうということです。そこで、そうした社員分散状況を解消するための手立て、つまり効果的業務推進に向けた社員間の「繋ぎ!」、社員と企業との「繋ぎ!」が緊急課題として浮上してくるはずなのです。([ヤジ]なんだかもっともらしいけど、ほんじゃ「ニッチ」として何をやれば、大手企業から儲けられるというんだい?)

 そろそろ、お時間がまいりましたようなので、次回の講演に入場料をしっかりと払ってまたお出でください…… (2002.08.24)

2002/08/25/ (日)  歴史へのロマンを駆り立てる番組『その時歴史が動いた』!

 『プロジェクトX』とならんで、中高年の人気を博しているNHKの番組と言えば、『その時歴史が動いた』であろう。
 歴史上の事件や人物に焦点を合わせ、至って地味な教育テレビでの歴史学習、歴史研究とはやや異なる雰囲気をかもし出している。何と言えばよいかと考えてみたが、「もっともらしさ」と言えば適当なのかもしれない。だから講談的だと言ってもよいのかもしれない。
 歴史の学習・研究であれば、司会と対談するゲストは歴史学者が然るべきだが、専門の歴史学者よりもその周辺の研究家や作家などの出演が多い印象である。

 「この番組は、教科書にあるような歴史事項の解説ではなく、歴史の決定的な瞬間をつくった人間たちの姿を描きます。そこには、さまざまなドラマがあります。決断があります。迷いがあります。思いがけない偶然や、幸運もあります。そして努力の積み重ねの結果としての成功や、運命によって操られたあげくの悲劇もあります。」(NHK番組解説)として、歴史をつくった人間の内面の、その心のひだを照らそうとする意図をもっているようである。歴史が動いたところの「その瞬間に注目し、その一瞬に凝縮された人間の姿を見つめます」がねらいなのだそうだ。
 だから、どうしても状況証拠(?)に頼らざるを得ない領域へ踏み込むため、推定的なニュアンスが立ち込めるとともに、またそうであるがゆえのくめども尽きせぬ興味が喚起されるのかもしれない。視聴者としては、通説から離れてくれれば離れてくれるほどに興味しんしんとなる。が、その分まゆつば度も高まるはずである。と言っても、これまでそれほどに通説から離れた、意表をつかれる話運びはなかったようである。
 それにしても、公式的史実に人の心についての推定を持ち込もうとするのであるから、そこで必要なお膳立てが「もっともらしさ」だと思われるのだ。史実の裏方を見てきたように語る講談師が、落語家に較べて、ひげを生やしたり、説得力のある渋い声を出したりして「もっともらしさ」を添えて迫ろうとする思惑となぜか似ているように思う。
 また、司会、松平アナの、ちょっと高圧的で慇懃無礼なキャラクター(?)がフィットしているのかもしれない。テーブルに蝦蟇のように手をついてお辞儀する、どこか勿体をつけたしぐさも、「もっともらしさ」への援護射撃かと思うと、うなずけるのである。

 ちなみに、視聴者のアンケートが実施され集計されてもいるようだ。それによれば、視聴者が選んだ「日本を動かした15人」とは、1位 織田信長、2位 坂本龍馬、3位 徳川家康、4位 豊臣秀吉、5位 聖徳太子、6位 マッカーサー、7位 源頼朝、8位 ペリー、9位 西郷隆盛、10位 徳川慶喜、11位 勝海舟、12位 新選組、13位 東条英機、14位 明智光秀、15位 手塚治虫という結果だそうだ。やっぱり信長、なるほど龍馬、フムフム家康と言えようか。
 また、「日本史十大事件」とは、1 太平洋戦争、2 関ヶ原の戦い、3 本能寺の変、4 明治維新、5 大化改新、6 黒船来航、7 蒙古襲来、8 鎌倉幕府成立、9 日露戦争、10 赤穂浪士討ち入りだったそうである。その歴史的体験者たちの悲惨な記憶と、今日にまで尾を引く甚大な影響からいって、太平洋戦争が第一となるのは至極当然のことであろう。
 もちろん、これらは放送された番組への投票であったはずだから、史実への関心というよりも、あくまで番組としてのおもしろさだったと言うべきなのかもしれない。

 歴史が、英雄個人によって動かされたと見る英雄史観を鵜呑みにする人は少なくなったのではないかと思う。多くの名も無き人々や、文化や、そして偶然をも含む複合的な要因の組合せの結果が歴史を形成してきたはずだ。英雄たちは、その気運を背負い、象徴的に行動してきたのではないかと思う。
 しかし、人間ドラマとして、等身大の人間の心の葛藤や迷い、決断などによって歴史の動きが照らし出されると、なんだか大変よくわかる気になるから不思議なのである。
 明日からは、このNHKの趣向をお借りして、「その時自分史が動いた!」という、比較的シリアスなテーマに迫ってみっかと思っている…… (2002.08.25)

2002/08/26/ (月)  その時自分史が動いた! (1)「個室の耳」

 わたしは、腰掛けて、ホッとした気分となっていた。

 もう二十数年も前のことなので、定かには思い出せない。たぶん、ほうほうの体(てい)で『修士(マスター)論文』を大学院事務局に提出した直後のことだから、二月の下旬か三月初めのころだったのであろう。まだ薄ら寒さが残っていたかもしれない。
 何と言ってもホッとしていたのは、修士課程二年目で、修士課程卒業=博士過程進学の関門である『修・論』を、とにかく規定どおりに大学院事務局のカウンターに「運び込んだ」ことにあった。
 一般的に言って、一年遅れの三年目で「充実した」研究成果を納めるのが通例であっただろう。まあ中には、三年目とは言え、四年目とは言え、二年目とはさほど変わらないドタバタ内容で締め括られる方々もおられたようではある。
 わたしが、身の程知らずにも二年目で「運び込んだ」のには理由があったのである。東京の大学から、名古屋の大学院入学を果たしたのは良かったが、当初奨学金がいただけなかったのである。おまけに、学生結婚までしていた。さらに、子どもまで生まれた。
 頼る者とていない名古屋で、妻子あり・奨学金なしでスタートしたため、当然、苦学生ならぬ「苦学院生」としての辛苦をなめつくしたのだった。もちろん、家庭教師のアルバイトから、旋盤工まがいの作業アルバイトまでやった。妻も貯金をはたいてくれた。
 そんなわけで、決して自分でも、つめた研究成果の集大成ができたなどとは考えてはいなかったが、修士課程卒業=博士過程進学=奨学金獲得という<黄金の連鎖>を何としても達成したかったのである。「貧すれば鈍す」の苦境から突破すべしと心に決めたのだった。不純と言えば不純ではあったが、そんなことを斟酌しているゆとりがなかったのである。
 まだ当時は、今これをタイプしているようなPCもワープロもない時代であったから、下原稿を書き上げた時には、右手中指がぐちゅぐちゅとなり清書が困難となってしまった。その時、親切な仲間たちが苦境を聞きつけて、総勢十名ほどが代書を買って出てくれたのである。そんなこんなで、自分の字はどれだかわからないほどの数百枚程度の『修・論』が仕上がり、これをわたしは「運び込んだ」のであった。
 『修・論』が、教授・助教授の審査によって「落とされる」ということは余り例がなかった。まして、その年に提出していた者は「抜け駆け」的暴挙の自分くらいであったので、内心まずまず黄金の連鎖はいただきだ!と思っていた。しかし、『修・論』審査や口頭試問が過ぎるまでは油断ができないのは当然であった。
 とりわけ、わざわざ東京から出向き、わたしが師事していたのは助教授の方であった。教授の方は、立派な方ではあったがわたしの問題意識とはかけ離れていたのだ。したがって、古い研究室体質から言っても、わたしやわたしの論文が、好意的に評価される必然性は乏しかったに違いない。ひょっとしたら、「額面どおり」のドタバタをもって振り落とされる危険もあったに違いなかったであろう。

「どうです、今年の『修・論』のできは?」
 研究室のあるフロアーのトイレの個室で、わたしがホッとして腰掛けていた時、外の男子用足し方面から、突然に教官同士と思しき会話が聞こえてきたのであった。
「いやー、ああいう手合いは困ったもんです。わたしらが何十年も研究している学者を片っ端からこき下ろすんですからな。困ったもんです……」
「いけませんか?」
「いや、論旨は通っていて、当人の主張も理解できるので、いけないというのではないですがね……」
 ななんと、連れしょん対談の片方は、主任教授だったのである。春まだ浅い時期の寒さもあってか、わたしは身震いをしたものだった。もうひとりの対談者はあまり良い評判を聞いていなかった教養部の「系列」教授だとわかった。教授会か、他の所用でいつものように一緒となりそして一緒に用を足しに入って来たという文脈だったのであろう。

 あまり、かっこがよくない状況ではあるのだが、この時自分史が動いた!と言ってよいのかもしれないと思っている。
 ほどなく、「系列」教授の方が
「お食事はまだでしたよね」
とか言って、二人は出て行ったようだった。しかし、わたしは身を正してものち、しばらくは腰掛けて腕組みして考え続けたものだった。もちろん、論文の甘さにも目を向けて、形ばかりの反省もした。が、一番強く考えたのは、「そーか、わかった」という妙な感慨であった。トイレの中で、院生の魂の結晶(わたしのは、そうは言えないかもしれないが……)を軽軽しく評定する品性のヤツらであったのか、という思いもよらない視野が、「そーか」という思いで開かれたのだった。同時に、日頃もったいつけたことをお述べになっておられても、要は権威主義で固まっておられるのだとも確信した。「そーか」それじゃ、口頭試問の際には、ここでの「個室の耳」のことは言わないまでも、遠慮会釈なく同教授信奉の学者批判もやってやらあ〜と、妙に度胸がついたのかもしれない。

 口頭試問では、師事していた助教授からは、今後どのような問題に目を向けてゆくべきかなど、きわめて内容文脈的な示唆を与えていただいた。しかし、教授は妙に口数が少なく、口にしたことは、数箇所の誤字脱字と、いろいろな書体が見受けられましたなとかいう、脱内容的な話題だった。よっぽど、「こういう論文の手合いはよくありませんでしょうか」と誘い水を出してみようかとも思ったくらいであった。
 間もなく、何はともあれ<黄金の連鎖>は叶い、いくらかましな「苦学院生」へと這い上がることができたのだった。
 しかし、歴史は単純ではなかったのである。師事していた助教授は、まもなく関西の居住地近くの国立大学教授へと栄転されたのである。またさらに、新たに訪れた教授が、わたしの自分史をあらぬ方向へと動かすことになっていったのであった…… (2002.08.26)

2002/08/27/ (火)  その時自分史が動いた! (2)殿中でござる! <その1>

 よく大学の研究室周辺での「セクハラ」事件が報じられる。そうしたものに接するたびに、「なるほどなあ、いまだに閉鎖的なのかなあ……」とある種の感慨を抱かされる。
 ヤクザの組織においては、セクハラが起ころうが、人権蹂躙(じゅうりん)が起ころうが、はたまたその末の虐待、殺人が起ころうとも、部外者はさほど驚くものではない。むしろ、紳士的過ぎる面だけを見せられた方が不気味さをこそ感じさせられよう。逆に破天荒なありさまを知らされると、その種の路線が滞りなく発揮されているのだと思い、妙になっとくさせられたりするのかもしれない。
 ところが、大学の研究室という、インテリジェンス結集の場で起こる「セクハラ」事件などは、一般庶民の目からははなはだ奇異に映るのであろう。こうした場では、憲法を絵に描いたような人権尊重の人間関係が展開し、性の問題とて、コウノトリが新生児を運んで来るといったハイエンド・メルヘンで処理されているのではないか(そこまでの買いかぶりはないか?)と見なされていまいか。
 しかし変な視点だが、ヤクザ組織と大学の研究室には、共通項がないわけではないのかもしれない。それは、第三者の介入や自由な往来を拒絶する「閉鎖性」と、必要以上に上意下達の「秩序」が珍重される点であるかもしれない。
 流れぬ水、淀む水は腐る、と言われるが、どんな立派な人間たちの集合であっても、「閉鎖性」の環境で形成される「秩序」は、鼻持ちならぬ臭気を帯び始めるのが世の常なのかもしれない。

 師事する助教授が他大学へと転任し、そのあと新たな教授が赴任してきた。その※※教授は、東京の大学時代に既に知っており、研究傾向も概ね共感が持てる方であったため、当初はたわいもない期待すらしたものであった。
 が、それが絶望へと変化してゆくのに、さほどの時間はかからなかったのである。一言で表現すれば、研究室の活性化をこそ旗印にしていながら、実のところ研究室は、量産・量販をねらう街の有限会社※※商事へと変貌を遂げていった観があった。

 確かに、以前の教授、助教授の研究室体制は、院生個々人の個性と自発性を尊重することをタテマエとしていながら、「放任」が主義とさえなっていたかもしれない。個人分散的雰囲気が否定できなかった。一方で、それで良いんではないですかと感じる者がおり、いやこれではまずい、体質変換が必要だとうすうす思っていた者もいた。
 言ってみれば、従来からの一般の大学研究室の伝統が堅持されていたと言えよう。ただ幸いにも「閉鎖性」がもたらす毒気が比較的抑制された雰囲気だったと表現できたのかもしれない。
 問題が指摘されるとすれば、折から深刻化しつつあった「オーバー・ドクター」問題(規定の博士課程修了後も大学への就職口が決まらずに研究室に残り続ける現象)に何ら有効策がとられなかった点であろうか。

 ※※教授は、この問題点を強調しつつ、体質変革を訴え始めたのだった。そして、一部の頑固な研究者イメージを持つ者、つまり、所詮研究とは個人営為であり、環境がどうのこうのの問題ではないと信じる者以外は、大半の関係者がこの方針に期待したのだった。思えば、この過剰な期待がすべての災いの元凶だったのかもしれない。
 前述のとおり、大学の研究室というのは、教授を父親とする古い伝統的な父権家庭のような「閉鎖性」が与えられている。これを「タコツボ」と表現する者もいた。したがって、「父権」を持つとたとえられる教授が何らかの方向を強力に指し示し、尽力すれば容易にその色彩に染まってゆくのが道理なのである。
 ※※教授は、研究室体質の変革を、よくあるモーレツ企業の基本的色調である組織ぐるみ的体質への変換によって成し遂げようとしたようだ。イエスマンの助教授を従え、何事にも、自己を頂点とする集団合議のかたちをとろうとしたのである。が、それは集団合議のかたちはとっても、「タコツボ」の中の出来事とすれば、集団の圧力を借りた上意下達となることは容易に想像がつくことである。

 また、こうした流れをより推進するために頻繁に活用されたのが、集団的調査という素材であった。調査依頼をどこからか引き受けてきては、研究室メンバーを総動員する体制をこしらえた。また、ご自分が「監修」の立場をとる書籍出版のシゴトをとってきては、研究室メンバーに執筆を割り当て、これまた総動員体制に拍車をかけたのであった。
 これは、余談となるが、※※教授の出版物は、早い時期から、ご自分固有の研究テーマに関する精力的な論文というスタイルではなく、ご自分は巻頭に掲げるもったいぶった一文を書き、多くの若手などに各章を分担するといった「監修」役に徹するというパターンが特徴的であった。教授個人のオリジナル・テーマは、スッキリと見えてこなかった。
 後日、出版社に勤めた友人の弁では、
「※※さんは、今でも自分が『監修』を演じる、購読者が見込めないような出版企画をあちこちの出版社に持ち込んではいやがられているようだね。『……学会の手配師』と異名をとったくらいの人だったからね」
とあったので、なるほどと了解したものだった。

 だが、大学人のこうした振る舞いは決してめずらしいものではないのかもしれない。どこの研究室でも同じような光景が見られるのかもしれない。しかし、ふつつかではあっても個性的テーマを研究したいとする大学院生にとっては、問題とせざるを得ない風潮であった。個々の院生の研究テーマを指導、支援するといった重要な側面が、限りなく軽視され、かたちと一般論と、そして上記のような有限会社※※商事の組織ぐるみ的作業が極度に強められていったからである。
 なおかつ、降って沸いたかのように、かたち優先の業績主義を声高に叫ぶのだった。内容に関する指導が希薄な土壌の上で、年何本の論文と学会発表が必要だ!やるしかないんだ!と叫ぶ姿は、まさに街外れの有限会社※※商事の社長か、部長のイメージそのものとさえ見えたものだった。

 ※※教授については、上記のような研究に関する本筋的な懸念のほかに、個人キャラクターに関しても驚嘆を禁じえない記憶が残っている。大学の先生という人たちを「人格」という観点で、決して錯覚すべきではないと悟らされた。
 当時、※※教授は赴任後も東京に在住して新幹線で大学までこられていた。(これを『新幹線教授』と呼んでいたようだ)そして、わたしには小さな子どもがいたため廃車寸前の中古車を生活のために使っていた。そこで、駅から大学まで、大学から駅までの距離をしばしば※※教授の運転手役を果たしたりもしたのである。ごまをすったと言うより、忙しそうにふるまう教授と話ができる時間をつくろうとしたのが動機であった。
 ある時、駅で教授を出迎えて、駐車した場所へ戻ると、クルマがまさにレッカー車で運ばれてゆくではないか。教授も見ていた。路上の指示にしたがってすぐ近くの警察までキップを切られに出頭した。教授は、「とんだ災難だったね。どれ、わたしも警察までつき合おう」と言った。いや、「これは、わたしのミスなので、ご心配にはおよびません。今日は、どうかバスでお出でください」と言ったが、警察までつき添ってくれた。が、あくまでつき添っただけであった。「罰金はいくら取られるんだい?一万数千円とレッカー車代とは痛かったネ」との言葉だけはあった。とてつもなく「冷静な」方であったのだ。
 また、就職問題でいろいろ相談にのってもらっていた時、見え透いた会話をされたのも驚嘆だった。
「ひとつ訪ねたいことがある。もし、君の大学当時の××教授が、病気で入院されたら君は何をさしおいてもお見舞いに行きますか?」と唐突に言われたのである。要は、ご自分が、就職の世話をする以上、自分に対してもそうした義理人情のつながりを大事にしてくれるんだろうね、という念押しだったのであろう。末期の床での秀吉が、家康に哀願するかのような気味悪さだと言うべきか。
 後年、理解できたあることがあった。※※教授と研究分野やテーマなどどこにも共通項のない、わたしと同期のある研究者が、※※教授に引き立てられ、教授が新たに赴任した大学に呼ばれ、さらにその後釜まで与えられたという推移なのである。彼はわたしなどと較べると、はるかに従順な性格であった。要するに、※※教授とは、ほかの何者かではあっても、決して純粋な研究生活者ではなかったようだ。少なくとも、自分の研究分野を惜しみ、その研究の後継が絶えることを何よりも憂えるであろうはずの研究者なんぞではなかったのだと理解したのだった。

 さて、そこで、その時自分史が動いた! の第二弾なのであるが、「自分史」が動いた点の詳説は、長くなってしまったので明日へと回さざるを得ない。そこで、今日は、暫定的に、「その時クルマが動いた!」としておきたい。
 大学浪人で、新聞配達をしていた頃、店主に勧められバイクを使ったところ、早朝だというのに、忘れもしない「川越警察」の交通取締りパトに出っくわし、一万数千円(当時の一ヶ月バイト料まるまる!)の罰金を取られた。あの不幸と、同種の不幸が、上記レッカー車でクルマが動いた出来事であったのだ。
 だが、この時は、罰金などが恨めしかったのではなかった。警察まで一緒につき添い、罰金額まで確認していながら、「もとはと言えば、わたしのせいだよ。半分だけでも出させてくれないか」という言葉が出てこなかったことへの寂しさというか、情けなさがトホホと、はたまたどんよりと心に染みわたったのであった。
 レッカー車でクルマが動いたあと、この時、※※教授への高まりつつあった不信感をせき止めていた防波堤の一部が、静かに崩れ始めていたのだろうと思い返している…… (2002.08.27)

2002/08/28/ (水)  その時自分史が動いた! (3)殿中でござる! <その2>

「まずいですよ、ひろせさん。あのままじゃまずいですよ。ひろせさんらしくないじゃないですか」
「そう、あれじゃもう二度と研究室に出入りできないじゃありませんか」
「われわれも気持ちは一緒なんです。しかし、とりあえず※※教授にわびを入れとくべきです」
 その「事件」を引き起こし、呆然自失で帰宅したあとを、研究室で日頃意をかよい合わせていた仲間たちが、心配の余り自宅へ詰めかけてくれアドバイスしてくれたのだった。
 寒さと穏やかさの変化の激しい早春の出来事であった。その時わたしは風邪をひき、熱っぽく、明らかに内面コントロールの不調を自覚していた。そして、そんな時にこともあろうに、衝動的なかたちで「虎の尾を踏む」無謀をやってのけてしまったのである。
 いつかは仕出かす必然であったかもしれないと今でも危ぶむとともに、もし風邪の最中の不調ではなかったら回避していたかもしれないと、振り返ったりもしている。
 唐突な話だが、もし暗殺された龍馬があの日、風邪を患っていなかったなら刺客たちの歯牙から免れていたのではないかと思うこととあわせ、風邪をひいた際には心せねばというのが、その後わたしの小さな教訓になったりしている。

 いずれにしても、その時自分史が動いた! の決定的瞬間は、早春にひいた風邪による熱っぽい男の、無鉄砲な一言によって引き起こされたのだった。
 舞台は、研究室関係者一同が会する年度末全体ミーティングの場であった。とにかく、ここまでする必要がどこにあるのかを疑わせるような、「タコツボ」型集団合議が、いつものように※※教授の演出する緊張感の中で進行していた。※※教授は、おそらく、個人分散の怠惰な集団をここまでの秩序によくぞ導いてきたものだ、と自画自賛の気分に酔ってもいたはずである。そして、こうした流れはきっと自他ともに良い環境づくりへと発展するに違いないと盲信する、あるいはそういうことにしておこうと考えていた「大人」たちのメンバーは、盛んに雰囲気に合わせる演技に頭を使っていたようだった。

 が、わたしのストレスを囲い込んでいた堰は、もはやあちこちが破砕していたのだった。だが、老練な※※教授の何がどう悪いという整然とした批判論理を展開するまでには至ることができなかった。まして、自身の不甲斐なさを感じる発展途上の自分にとって、教授批判などという大それたことのおぼろげなイメージさえままならなかったはずである。 にもかかわらず、インフルエンザ菌で撹乱されたわたしの体には、ふつふつと破壊的衝動がつのっていったのだった。はなはだ危険な心の状態が、発酵していったのだった。
 と、その時、議題は、来期の新たな院生内定の話へと移った。すでに、内容は伝わっており、ここでもわたしは教授の判断に疑問を持っていたのだった。確かに、誰を院生として認めるかどうかというような、評価問題は、評価される立場たる院生ごときが口を出す問題ではなかったかもしれない。だが、もしそうしたルールを杓子定規に遂行したいのであれば、こうした全員参加型を装った紛らわしいセレモニーなんかしちゃあいけませんよ! とも感じていたのである。

 来期院生評価で感じていたわたしの疑問は、次の点だった。院への進学を望んでいたとある研究生が残念にも落とされたのだった。委託調査というほぼ一年間にわたった有限会社※※商事のシゴトの際には、さんざん持ち上げて評価する賛辞も与えて、その当人をその気にさせて活用しておきながら、公式的な評価の際には手のひらを返したようになされた判断がそれはおかしいじゃないかという印象なのであった。当人が、院への進学を望んでいることが明白であったのだから、事前にもし力不足が分かっていたのであったのなら、シゴトに精を出させるだけでなく、不足能力アップに向けた指導をしてあげれば良かったでしょ?それが、どうも見えてこず、シゴトの際には強く期待を持たせていたかのような印象でさんざん尽力させながら、最終的にはその判断というのが解せなかったのである。
 わたしは、このことを未消化なまま疑問としてその場に持ち出したのだった。最初から、喧嘩をふっかけるつもりでもなかった。教授からの当人への、あるいは大勢が感じていた疑問への合理的な説明が出てくれば、意外と気持ちは鎮まっていたのかもしれない。
 ところが、これが思いのほか「虎の尾」そのものであったのだ。明らかに、教授は激怒して、わたしへの攻撃=自分の面目と権威のプロテクトに走ったのだった。必死に、わたしの疑問が主観的な邪推でしかすぎないことの論証にかかったのである。わたしはと言えば、「えーっ、なんじゃ? なんでそんなに怒るの?」と思いながら、次第に、コンディションの悪さから、追いつめられていったのだった。そのうちに、彼は、「ここは家庭の中の夫婦喧嘩とは違うのだから、発言を正式に取り下げなさい!」なんぞと「民主的」教授を標榜する者が、そこまで横柄で余計な言い方をするか、といった圧力をかけてきたのであった。その言葉は、にわかにわたしを喧嘩ごしスタンスへと猪突猛進させることになってしまった。さらに、教授の恫喝と、挑発に乗って、
「それじゃわかりました。それでは研究室を出ることにさせていただきます!」
と、言っちゃならない捨て台詞まで言ってしまったのだった。
 それで、仲間たちがわたしを追って自宅まで諌めにきてくれたのである。それは、まさに「ご乱心めさるな!殿中でござる!」という叫びであったというわけだ。

 この時自分史が動いた! ことは確かであろう。わたしは、老練な手練手管の人物に対して無防備な迫り方をしてしまった自分をめっぽう恥じた。わたしの直観は、いま少しの大人げのある方法を欠いてしまったがゆえに、ぶざまな結果を招いてしまったのだ。
 直観したことが、まんざら外れてはいなかったことは、その後だいぶ時間が経過してから、いろいろなうわさを聞くこととなりわかった。当時※※教授を信じ切っていた助教授自身が悲惨な最期を迎えることになったとも聞いている。※※教授がその大学から去って以降、彼が強引に作ったかたちは、別の姿へと変わっているとも聞いている。もはや、それはどうでもいいことではあるが……

 仲間たちが熱心に心配してくれた姿にほだされて、わたしは翌朝、当時教授が勤務日のために借りはじめていたアパートの寝込みを襲うかたちで攻撃、いや謝罪を入れに向かったことは定石どおりであった。まずまず、神妙ぶって謝罪したものだった。
 正直に言って、この時わたしが確信した自分の変わる可能性とは、言うまでもなく従順であること、なんかでは決してない。下世話な言い方、誤解をも招く表現をするなら、それは「面従腹背」という大人としての常識への接近であっただろう。そうした態度をも、清濁併せ呑むようにとってゆけないなら、自分は単なるガキだと痛切に感じていたのだった…… (2002.08.28)

2002/08/29/ (木)  その時自分史が動いた! (4)葬式の場での説教!

 義兄とは、つい先だって盆の折に、酒を酌み交わし口角泡を飛ばす人生論議をしたものだった。この年になると、何の利害関係もなく、さりとて上っ面で流すこともなく学生チックな議論をすることは、酒の肴としては最高である。
 わたしは、義兄とマジにつき合っているのだろう。兄だから、持ち上げなくてはならないとも考えていないし、誰にでもあるいやな側面があるからといって遠ざけてもいない。むしろ、概ね信頼でき、尊敬できる人だと考えている。

 いや、親父の突然の死によって、大学院での研究生活にピリオドを打ち、オープンであり何でもありの生々しい実業界に転身して、実業人へと変身してゆくにあたり、兄の姿と生きざま、そしてその感性が、身近な良き手本となってきたと心底思っている。
 そのひとつ、兄を軽んじるつもりではなく、実業人にとって酒を媒介にして人とつき合うことは重要なことだと信じてやまないが、これを教えてもらったのが兄であったと言えるだろう。亡父も酒をたしなまなかったし、親戚関係でも酒をたしなむ者は稀有であった。しかし、日本の実業人にとっては、たしなむ、たしなまないの別なく、酒と酒の場は、今どきのパソコンやケータイの比重に十分匹敵するものではなかったかと確信する。まあ、これまでのところはであるが。

 兄は、九州薩摩の男である以上、生まれついての酒好き、酒の文化人である。酒の文化人とは、酒が入った人間同士が織りなす場の空気を上手に処す人のことを想定している。薩摩隼人であるので、ややバンカラ的色彩に偏るところがあるが、まあまあ酒の文化人の主流派だと言ってよい。
 楽しく盛り上げ、しらふの日常で誰もが築いている垣根をほどほどにぶっ壊し、ホンネらしきことを丁丁発止で語りあい、許しあう場は、矛盾が日常茶飯の実業では必須の場だと、とりあえず言えそうだ。もちろん、それだけで処していたのでは信用されないが、しらふでの落ち着いた冷静な会話も常備されるなら、最高なのであろう。

 兄が尊敬できる点は、それに限らない。今でこそ、年齢のなせるところか、どことなく気迫に欠ける様子がちらほらと見えないでもないが、その「男一匹やらいでか」と腹に決め込み、我武者羅に動くバイタリティーが立派であった。
 鹿児島での高校卒業後、七、八千円のみを懐に、単身で上京し、まずは食いつなぐ職に就きながら、自力のみで工業大学の建築学科を卒業し、一級建築士の資格へと這い登ったのである。建築事務所に入っても、実務がそうそう簡単にできるわけがない。しかし、今どき流行りの「おせて!おせてください!」では男がすたるとばかりに、デイ・タイムにはせっせとこなす振りをして、自宅に持ち帰っては徹夜で調べ上げて帳尻を合わせる前向きのはったり勤務を続けたという。

 さて、その時自分史が動いた! の第四段である。
 東京は町田で、兄たち夫婦が住む近くに住んでいた親たちの、親父が心筋梗塞で危篤状態になった。わたしの就職を心待ちにしていた親父であったが、わたしが※※教授とゴタゴタしているそんな、皐月晴れの日に倒れたのだった。
 郷里大阪への旅行の帰りに寄ってくれた新築県営住宅の明るい居間の電話が哀しい知らせを伝えたのだった。兄が電話で知らせてくれた。
「やすおくん?お父さんが倒れて病院に運び込まれた。心筋梗塞だって言うから、戻った方がいいね」

 その時に、確かに自分史が動いたのだった。兄たち夫婦の近くに住む母だとは言え、わたしは、母をもひとりでさみしく逝かせるわけにはいかないと瞬時に思ったからである。もはや、研究生活はドクター・ストップだと見切りをつけざるを得なかった。もう、自分のやりがいだけを追い求める生活は打ち止めだと観念せざるを得なかった。すべてが不本意ではあった。が、すべてに目をつぶり、東京に帰還することを優先させなければならなかった。
 その時、この動きを促進してくれたのが、兄だったのである。研究生活という観念的生活に現(うつつ)を抜かし続け、長男でありながら親父の死を取り仕切れないでふわふわとしていたわたしを、兄は、葬式の場で厳しく説教したのであった。
 自分は自分なりに自立してやっていると錯覚していたが、何から何まで単独人生渡航してきた兄の目から見ると、わたしの生きざまは何とも自分の状況を把握し切れていない「甘ちゃん」だと映っていたのだった。なおかつ、わたしの就職を楽しみにしていた親父に不本意な死を迎えさせてしまったことも、何をもたもたやっていたんだという叱責の材料となってしまった。死んだ親父のホンネが響きわたったようでもあった。
 不思議に、わたしには反抗する感情は生じなかったように覚えている。恐らくは、親父の死の混乱状況の過程で、兄が説教してくれたそのすべては、わたし自身が頭と心のどこかで自分なりに思いめぐらせてはいながらも、しっかりとそれらと直面しようとしなかったことがらばかりだったからなのだと思っている。
 その時自分史が動いた! の瞬間とは、まさにこの兄の説教であったのだ。

 わたしは、研究職でなくともかまわない旨を告げ、※※教授に「泣きついて」、東京での就職先を紹介してもらった。もはや、自分を、何にでも目をつぶる心境に追い込んだのだった。町田から、神田のソフト会社まで、片道二時間半の通勤もよし、研究への未練が出てこないように全ての書籍を押し入れに仕舞い込むこともよし、若い事務の女の子から仕事のいろはを教わるもよしで、すべてに目をつぶって突っ走ることにしたのだった。もう、二十年余り以前の話ではある…… (2002.08.29)

2002/08/30/ (金)  「飽食の時代」に知らされる飢えの切なさ!

 明らかに品数が多すぎる料理が出るホテルである。もう四、五回(四、五年)も経験していることながら今回もそう感じた。
 昨日までの三日間、遅ればせの夏休みをとり、健康保険組合の契約施設である城ヶ島Kホテルで気分転換をした。去年は外すこととなったが、ここ数年八月の最終週をここで過ごすことが固定するようになっている。
 それが目当てでは決してないのだが、夕食をご自慢とするホテルなのである。最初のころは、その豪華さに目を奪われうれしい悲鳴を上げていた。しかし、多くを食べ残すことが重なってくると、さすがに何とはなしの違和感を感じ始めるようになってきたものだ。

 宿泊料を下げるのは難しいだろうから、デザートに工夫を凝らすという手はどうか。いや、膳にみやげを積み上げるというのはどうか、それじゃみやげ売り場から苦情が出るだろう。いやいやおそらく、海産仕入れ自体が地元の三浦三崎港の魚市場と出来上がっていて、それを減らすわけにはいかないといった事情があるのかもしれないよ、などと勝手なことを食後に会話する始末であった。

 が、実は、前々回ほどから、密かな解決方法をあみだしていたのであった。
 どういうわけか、城ヶ島には野良猫が多い。いや、江ノ島でも野良猫を多く見た覚えがある。昼間はどこかに隠れているようなのだが、早朝や夕刻後に散歩をすると、岩場や廃屋などの物陰からやたらに腹を空かせた野良猫が顔を出すのである。一匹にえさを与えると、どこからともなくあちこちからニャオニャオといって集まってくる始末である。死に絶えた兄弟たちの中で生き残った子猫が、フーッと大人猫に脅されながらも、ボクも生きる権利があるんだ、とばかりに餌が飛ぶ方向へ駆け寄る姿は感動ものでさえある。
 このことを知ってから、品数が多すぎるホテルの料理と、どこからともなく湧いて出てくる野良猫たちとの関係が出来上がってしまったのだ。
 より包括的に推測するなら、<ホテルの料理自慢路線踏襲>=<三崎港からの固定した仕入れ数量堅持>=<多すぎる品数という「惰性」(?)の夕食>=<宿泊客による野良猫「餌付け」!>という奇妙な連立等式の成立なのである。もっとも、野良猫たちに「餌付け」している宿泊客をほかに見た覚えはない。やせている猫が多いので、そんなに餌はもらっていないのかもしれない。

 自宅の猫たちは、飢えというものを知らない。ちょいと小腹が空けば、キッチンの所定の場所へ向かうといつの間にか、食器皿にキャッツ・フーズが「湧いて」いる。飼われた猫たちは、食べ物とは、自然に「湧いて」くるものと信じ始めてしまっているのではないだろうか。
 いや、われわれとて飢えなど知らないと言えば知らないはずである。また、食べ物はどうにでもなるもの、いやむしろ「肥満の大敵」だと敵視さえしているご時世なのかもしれない。まさしく「飽食の時代!」なのである。

 そんな環境で、キャッツ・フーズならぬ残飯に群がりありがたそうに食べてくれる野良猫たちを見ていると、城ヶ島の磯や海原の光景の美しさに劣らない心の安らぎが得られることは確かである。野良猫に餌を与えないでくださいと、聞こえてきそうだが、それを言うなら、野良猫を観光客の目にとまらない環境整備をしてください、と言いたくなってしまう。夏場だけでも、一晩だけでも刺身なり、焼き魚なりで、「ああ、こんなうまいものが世の中にあったんだニャン」と思わせてやったっていいじゃないと、無責任な旅の人は思うのであった…… (2002.08.30)

2002/08/31/ (土)  暑っ苦しいのだけれど、元気の素でもあるようなおふくろ!

 おふくろは特別なのであろうと思うが、何と人なつっこく、話好きであることか。今回の旅行でもじっくりとそれを再確認したものだ。
 フーテンの寅・男はつらいよの寅次郎は、しばしば旅先で、天才的な間合いで初対面の人にも気軽に声をかける。居眠りしていて映画など見ていなかったくせに、出口ではこう言うのであった。
「おばちゃん、おもしろかったよ〜 ありがとうよ」と。
 おふくろは、そんな寅次郎の振る舞いをまざまざと思い出させるようなふうである。
 ホテルのロビーで近くに幼児が座っていると、
「いくつ?」
 これまた人なつっこい女の子がニコニコしながら、右手親指と人指し指で『二歳』を示すと、
「ありゃありゃ、あんな指使ってる。おばちゃんがちゃんとしたのを教えてあげるからね」
と言って、その子を呼び、人指し指と中指だけが伸ばせる方法を伝授する。残りの指三本をくっつけると自然にそうなるのよ、という具合である。
 同じ日の宿泊客で、八十三歳同士の同窓会メンバーたちにもいつの間にかアプローチする。「へぇー、同窓会なんですか。で、皆さんおいくつになられるの?」
 もう、話しかけようとすると、背筋が伸びて、目が輝き、鷹かなんぞのように気合が入るからすごい。
 中居さんが料理を膳に並べている時にも、
「こういっぱいあると大変ですねぇ。宴会なんかもあったりするんでしょ?」
となる。
 妻と女二人で散歩に出かけて帰ってくると、
「いやーうれしいわ。よその人に『おたくは、暮らしに困らない生活してきたようだね』と言われちゃった」
と報告するのだ。よその人って誰なんだ? 誰がそんな差し出がましいことまで言うんだ? とちょいと耳を傾けていると、地元の年配のおじさんと話が弾んだというのである。まあまあ、この人の人なつっこさは「寅さん」顔負けだと感服してしまうのだ。

 買い物で疲れ切ったような若い母親とわんぱくそうな男の子がいた。タクシーを待っているようだが、男の子はじっとしていない。物陰にある水道の蛇口をいじってみたり、柱の裾のコンクリートに登って落っこちそうになったり…… そうしては、モーヤダといった顔つきをした母親に、叱られている。こんな時にも、おふくろはアプローチする。
「まあまあ、ボクは怒られてばっかりだね!」
 こんな時には、見ているこちらもハラハラするのである。他人さまの機嫌はわからないものである。幸い懸念は杞憂であったが、「余計なお世話ですよ。ほっといてください」という言葉が返ってこないともかぎらないからである。

 わたしは、おふくろのこうしたオープン・マインドを尊敬している。当人の目の前でそれを言うと増長して、手に負えなくなるので言わない。しかし、現代の世間がさみしくなってしまった原因は、こうした人々がめっきり減ってしまったからに違いないと観測している。自身の内からも、そうしたオープンさが抜け出し、その分元気が失われているのかもしれないと感じることがある。
 個人の意思を大事にしたり、個人の自由を尊重したりすることは大切なことである。だが、履き違えたかのように、みんながすまして、個々人の感情表現を抑制し、その結果、都市空間でのさみしい人間関係となったり、最悪の場合には見て見ぬふりの悲しい結果となったりするご時世は、やはり何かが失われてしまったに違いないと思う。

 わたしにとってのおふくろとは、そうした南国の太陽のように、暑っ苦しくてしょうがないのだけれど、すべての生き物の元気というものがそこに由来しているといった、そんな存在なのかもしれない…… (2002.08.31)