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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2002年12月の日誌 ‥‥‥‥

2002/12/01/ (日)  書くのもまた、読むのもまた、何ともばかばかしい夢の話……
2002/12/02/ (月)  信長なら、「現代官僚機構」の「焼き討ち」を目論むか?
2002/12/03/ (火)  感情が増幅される夢の世界、ますます知性が頼りとなるうつつの世界!
2002/12/04/ (水)  欲しいもの、魅力的なものはもはや「都心」にはない!
2002/12/05/ (木)  北朝鮮の子どもたちは、『半透膜』を通過する水の分子のようだ!
2002/12/06/ (金)  「一芸は道に通ずる」に潜む「ニューロン」間刺激伝播パターン!
2002/12/07/ (土)  柔軟かつ創造的な発想へと接近するためのわかり切った議論!
2002/12/08/ (日)  「他者の営為を鵜呑みにした Copy to Copy の人生?」をどう避けるか!
2002/12/09/ (月)  天気予報まで、経済展望にならって無難な言い方すんなよなあ!
2002/12/10/ (火)  「捨てる神あれば拾う神あり、とでも言うのでしょうか……」
2002/12/11/ (水)  闇雲に投げ込んでくる変化球を、アグレッシブに返球してやる!
2002/12/12/ (木)  ほとんど営業コストをかけない「新商品」をまたまた発売!
2002/12/13/ (金)  「スバル360」は、やはり「フラジャイル(fragile)」なもの……
2002/12/14/ (土)  「幸福」発「気分」行きではなく、「気分」発「幸福」行きの切符を!
2002/12/15/ (日)  大きな自然の摂理と現代人の心の奥底に密閉されてしまった「マグマ」!
2002/12/16/ (月)  黙って待ってなさい! は、顧客の「参画意欲」を確実に殺ぐ?
2002/12/17/ (火)  日本人の「個性的」幸福観形成は至難の業なのかもしれない?
2002/12/18/ (水)  青春時代が夢なんて あとからほのぼの想うもの……
2002/12/19/ (木)  「言葉」の意味を担保する「共同体験の場」の痩せ細り! <その1>
2002/12/20/ (金)  「言葉」の意味を担保する「共同体験の場」の痩せ細り! <その2>
2002/12/21/ (土)  「言葉」の意味を担保する「共同体験の場」の痩せ細り! <その3>
2002/12/22/ (日)  PCを活用するなら、PCメンテナンスは必須!
2002/12/23/ (月)  真実はスゴイことになっているとか……
2002/12/24/ (火)  個人の生き方が、ここまで世界の動向の「関数」となってしまった時代!
2002/12/25/ (水)  脳の「膨満感」を一気に解消、激しい「空脳感!」をもたらす、そんな消化剤!
2002/12/26/ (木)  政府は、「イラ数」軽減に向け「目刺し」配布を目指せばァ?!
2002/12/27/ (金)  「御用納め」は、できれば「誤用おさめ」でもありたい!
2002/12/28/ (土)  ネガティブな事象の裏にポジティブな発展への萌芽が隠れている!?
2002/12/29/ (日)  アル中問題に見え隠れする現代の問題絵図!
2002/12/30/ (月)  道具立て職人の年末恒例奮闘記!
2002/12/31/ (火)  ウォーキングで明け暮れた今年が過ぎ行く時……





2002/12/01/ (日)  書くのもまた、読むのもまた、何ともばかばかしい夢の話……

「昨日、久々に鮮明で、リアルな夢を見たよ。聞きたきゃ話してもいいけど、このところ、特に追い詰められているというわけでもないんだけどね。そういう心境はと言えば、もはや慢性化していると言った方が当たっているかもしれない」
「だからさ、正夢だとか、逆夢だとか言うけどさ、あれってこじつけがましい感じがするんだよな。夢を司っているのは、深層心理だって言うだろ。起きている時の意識じゃないんだよな。起きている時の通常の意識が夢を見させるなら、『リアルタイム』性というものがあってもわかるけど、深層心理だよね。これってさ、通常の意識とどう関係してんだろうね。通常の意識で不当に我慢させたり、抑圧したものが、夢で現れ、帳尻合わせをするとも言うぜ。そうすると、夢は、現実の裏返しということになるよな。で、どんな夢だったんだよ。エッチな夢なんだろ?」
「冗談じゃないよ、いい年してそんな夢見たくたって見れるもんじゃないさ。だからさ、追い詰められているような、スリリングな夢なんだよ。しかも、妙に光景がシャープで鮮やかなんだから、手に汗握ったし、ヒヤヒヤの感覚も尋常じゃなかった。あんまり切羽詰っていたんで、目が覚めた。そしたら、外が明るくなってたな。寝疲れたとでもいう状態で、思わずふぅーと深呼吸しちゃったよ」
「そうそう、朝方に見る夢は深いって言うぜ。まあ、その人の睡眠の型によって違うようだけど、一般的には目覚める直前に深くなる『朝型』のタイプが多いらしいね」
「休息をとるために眠ってるのに、夢で疲れてたんじゃ何してんだかわかんないよな。」
「それで、どんな光景がでてきたんだい?」

「JRというか、要するに鉄道なんだ。と、駅なんだよな。急いで乗り込んだ車両が、いつの間にか、ジェット・コースターみたいになっちまってるんだ。それが進行してゆくうちに、ほら、よく催し物場なんぞで走らせている、またがって乗る模型の兄貴みたいな列車があるだろ。あんなふうなものにまたがって乗っているんだよ。しかも、走ってる場所は平地のレールの上じゃなくて、ジェット・コースターのような軌道の上なんだ。いやそんな高さじゃなくて、恐ろしく高度のある山岳の峰のような個所を突っ走ってるんだ。まるで、飛行機に乗っているような感じで、下を見ると、どこだか知らないけど湖だの小さな家々が見えて絶景には違いないんだよな。
 だけど、気になるのはレールの上をきちんと走ってるのかということなのさ。おまけに、またがって前の席に乗ってるやつが、『揺れると危ないことになりますね……』なんぞとほざきながら、実のところ揺らしているんだよね。で、危なっかしく揺れるのさ。だから、めまいしながらも、思わず、車輪がレールからはずれないように手を伸ばして押さえようなどと無駄なことしたりしたんだ。が、まあ悲惨な事故にはならず、目的地らしいところにいつの間にか着いていた。

 ところが、そこがまたとんでもない駅でね。どうも、スクラップ・アンド・ビルド実施中といった感じなんだ。夢ん中の本人は、『そうか、経営再建(!)のためにそんなことしてるんだな……』なんて了解していたようなのさ。が、とんでもない光景が次々と現れる。駅に向かって驀進してくる電車の車両が何とも哀れな格好なんだよ。塗料がはげているのはまあよしとして、驚いたのは、窓がある側面の鉄板が末広がり状にベラベラと揺れてるんだ。ちょうど、工作の下手な子どもが糊付けに失敗したみたいになんだ。呆然と見つめながらも、『経営再建』中ならやむを得まいと、これまた当人は了解していた。
 ところがだ、末広がりのベラベラ側面のせいだろうか、鉄塔か何かを引っ掛けて倒してしまったんだ。それで、鉄塔の上にあった鉄製のタンクのようなものがホームに転がり落ちてきたんだよね。で、当然、下敷きとなった負傷者が出た。
 そこへ、赤十字の帽子かぶったナースたちが駆け寄ってきたのはいいんだが、こともあろうに負傷者を距離も相当あるホームからホームへと手荷物のように投げているんだよな。ヒヤヒヤして見てると、案の定うまく受け止められないで、コンクリートのホームに投げ出される人も出てくる始末。怪我人は、落ちたタンクでつぶされ、放り投げられてつぶれて目も当てられない。が、これも、夢の中の当人は、『緊急の際だから、まっ、しょうがないんだな』と納得してやがる。
 しかし、状況が何か変だとの疑いを持っているらしく、当たり前なんだけどね、線路状況の調査かなんかを始めたようなんだ。『イラクの核査察』のつもりなのかね。するとだね、これがまたとんでもないのさ。レールはまともな平地になんか敷設してないのよ。崖っ淵に寄り添わせるようにとか、河川の上とか、要するに道なき場所ばかりに、危なっかしい古鋼材で仮設してある様子。が、これも『新路線敷設の邪魔にならないように仮設で苦労しているんだな、大変なご苦労だ』なんて、好意的に了解しちゃってるのさ。
 だけど、さすがに『しかし、これはいくらなんでもやり過ぎじゃないか?』と首をかしげている光景に出っくわすのさ。線路が、ほぼ90度の直角に曲げられて敷設されている個所があったんだ。直角になった崖っ淵に沿う廊下かなんぞのように、平行な二本のレールが右折しているんだね。曲げられたレールの内側はしわしわとなり、外側には亀裂さえ入っていた。こればかりは、『車輪や、車体はここをどうこなすんだろうか?』と疑問を禁じえなかった。と、そこに線路工夫たちを乗せたトロッコのようなものがやってきたかと思うと、あっという間になんなく右折して通り過ぎて行ったのさ。『そうか、大丈夫なんだ……』と、結局は了解しちゃうんだね。
 で、どこだかわからない駅に不安を感じてなんだろう、帰宅しようとしたんだろうか、込み入った路線網から、どうしてなのかわからないけど『水道橋』方面行きのホームはどこかと探しているんだね。
 どうも、一度駅から外へでなくてはならないらしくて、仕方なく外へ出ることとなった。『暗くならないうちに急がれたほうがいいですよ』なんて誰かが言っているのが聞こえたりする。ほんに、あたりは薄暗くなり始めていた。ほとんど迷子の心境。通りすがりの人に出会うが、これも変な話だけれど、聞いたわけでもないのに『わたしは、九州は熊本から来たのです』なんぞと言っている。そんな熊本の人に、水道橋方面へ行くホームはどう行けばいいのかを聞いてるのがばかばかしい。『皆さんあっちの方へ歩いていかれましたよ』と聞いて、それで妙に納得して、向かってみるのがまた不思議。
 と、そこは鬱蒼とした急斜面。柔らかい赤土のようで、足が取られて登るに登れない。しかし、先行者がいたというのだから、手立てがあるのだろうと模索する。すると、太いツタのようなものが垂れ下がっているのを発見。これだっと思い、やっとのことでそれを手繰り寄せるようにして這い上がってゆく。が、またまた不安と恐怖が押し寄せてくる。そのツタは、人ひとりがやっとくぐれる真っ暗なトンネルから伸びてきているのだ。夢の当人はこう思ったね。『自分は、<狭所恐怖症>に違いないんだから、ここで運の尽きか……』と。
 だが、あきらめるのはまだ早かったのだ。トンネルはほんの数メートルしか続かず、もがきながら、頭上に生い茂った草むら越しに薄暗い空がのぞいてきた。顔を出した場所は『水道橋』駅の駅員宿舎の裏手のようだった。ほっとしながら、そうだ、切符を買わねば、と思い、改札に回る。駅員に自分でもよくわからない事情を話そうとすると、『あっ、調査の人でしょ。自由に通ってくださいな』ときた。それで、やっと……

 あれっ、あいつ聞いてるとばかり思ってたら、どっかいっちゃったじゃないか。そりゃ、まあそうだよな。本人にもわけがわからないこんなくだらない話、カネ貰ったって聞いちゃいられないはずだよな……」(しかし、ホントの夢の話! どうにでも解釈してくやれ!) (2002.12.01)

2002/12/02/ (月)  信長なら、「現代官僚機構」の「焼き討ち」を目論むか?

 もう、年の終盤、師走となってしまった。今年も残すところ一ヶ月を割ってしまったわけだが、この一年弱、一体何がどうだったのだろう。ちなみに、昨年の日誌を振り返ってもみたが、自分が何も変わっていないようでもあれば、日誌にうかがえる世相のありようとて何ひとつ変わっていないかのようである。「世界同時不況」「グローバリズム」「デフレ」「構造改革」などの言葉が飛び交う状況に、現時点との差異は何ひとつとしてないかのような気がする。雑誌の巻末によくある二つの絵の「間違い探し」、さあ七つの間違いを探しましょう! と言われても困る。
 一年前と現在の違いと言えば、株価の低落(一万円プラスアルファから九千円前後へ)、過去最悪の男性失業率5.9%(男女平均は5.5%で昨年並み)といった重要経済指標の下落だけか。それと、得体の知れない黒幕が操る「右傾化」(国民「総背番号」制への動き、有事法制化、「愛国心」賛美復活の教育路線 etc.)のなし崩し推進か。
 あとは、北朝鮮による拉致問題の表面化と引き続く不透明化、銀行不良債権処理問題へのジャブと動きがとれないクリンチ(?)といった相変わらず煮え切らない政治推移。小泉首相に託された「構造改革」という「大変化」への国民気運からすれば、完全に肩透かしを食った一年だったと言えよう。大言壮語のパフォーマンスだらけだっただけに、「ええかげんにせい!」という国民感情が芽生え、自民内部でもそれを声高に叫び、小泉引き下ろしに解禁(?)令が下ったかのようである。
 要するに、何だったんだこの一年! というのが実感である。九十年代の「失われた十年」と同じような二年が過ぎようとし、この調子で「失われた二十年」、「失踪してしまったジャパン」となってしまうような気もしないではない。
 しかし、この一年の間に、多数の企業が倒産し、失業で人生を奪われた多数の人々がちまたに放り出されたのだ。幸い、その難を逃れたわれわれにしたところが、一寸先は闇であるのが事実であろう。

 ホントに自力では何も変えられないのが日本という国なのであろうか。
 残念ながらそうだと思う。「外圧」頼みという点もあるが、現在の問題点はもっと別の箇所にありそうだ。
 変わる必要などないと信じてやまない「ブロック」が厳然と存在し、しかもその「ブロック」は最も世相の荒波に影響を受けない高い防波堤の内側で日向ぼっこしているからである。いや、日向ぼっこといった無為を過ごしているだけならばまだかわいいが、彼らは、「隠然として」権力を振るっているから、恐ろしいのだ。「専門性」という看板やら、事実上の「継続性」(彼らに「解散・総選挙」といった国民・市民の審判はないのだ!)などを武器として、了見の浅い政治屋たちを、「使いっ走り」として操作し、「匿名」的に事を動かし続けている。首相、大臣の国会答弁書は、彼らが用意していることはかねてから周知の事実である。それだけでも、「やらせ」をやらせる隠然たる権力を持っていることになろう。
 今回の北朝鮮との日朝トップ会談実施も、巷間伝えられるところでは、外務官僚の「根回し」だったと言うではないか。何でもちょいと箸をつけるだけで「丸投げ」処理を得意とする小泉首相は、「隠れた」演出家によって脚本をあてがわれ、北朝鮮ロケに出演したといった位置づけに見えてならない。

 昔、宗教によって支配された中世という時代に風穴を開け、近世・近代への突破口を作ったのは、あの織田信長だったと言われる。数多くの斬新な軍事、経済政策を実施したことも注目に値するが、比叡山延暦寺の「焼き討ち」に目を向けないわけにゆかないだろう。比類無比の残酷さと表裏一体のかたちで為した、中世宗教権力の一掃、とりわけ伝統的な権威を欲しいままにし、巨大な私領(荘園)を背景に隠然たる勢力を持っていた比叡山延暦寺を、事も無げに「焼き討ち」したことが、天下統一への急接近と、時代を画する画期的な変化とをもたらしたのだった。誰でもが知る歴史的事実である。

 たぶん、小泉首相に国民が甘く期待したのは、多数の僧兵をも抱え、世相に隠然たる影響を持っていた当時の比叡山延暦寺、現在にたとえ直せば、不透明性この上ない行状に加え、国民が直接関与できない「現代官僚機構」を、バッサリと糾してくれるのではないか、ということではなかったのか。田中議員の件がクローズ・アップしたのも、とりわけ横暴な印象がぬぐえない外務省問題が控えていたからに違いなかったと思われる。
 自民党にしたって、この「現代官僚機構」との一体化を抜きにしては存在し得ないはずだ。またこの「現代官僚機構」は数々の「天下り」先「特殊法人」などを自己増殖させ、国家財源に大きな負荷をかけてしまっているのは、「道路公団民営化」問題を見ても明らかだ。この「現代官僚機構」は、民間企業の経済関係をも「許認可制度」などをテコにして牛耳っているだけに、この機構の「構造改革」こそが、民間企業のグローバル化改革に先行して進められなければ全体の進捗がうまく進まないはずである。まさに、現代の「比叡山延暦寺」のような存在だとたとえられる。

 「現代官僚機構」の歪んだ実体は、なかなか国民の目からもよく見えない。「情報公開」とて満足に進んでいないことも原因なのであろう。そこに属する彼らは、時代とともに変わろうなんて殊勝なことを考えているようにはとても思えない。むしろ、再度、自分らの手で過去へと変えようとしているかのようである。
 何万回も「構造改革」の言葉が国民の耳に入りながら、一向に何も変わらないのは、常にジャブやパンチをしっかりとガードしながら、はずしている隠然とした勢力が存在するからなのだとしか考えられない。視界の盲点に安住するものたちへの凝視こそが、今後の変化に大きく影響するに違いない…… (2002.12.02)

2002/12/03/ (火)  感情が増幅される夢の世界、ますます知性が頼りとなるうつつの世界!

 先々日、あえて夢をうつつで再現してみて、いくつか考えることがあった。
 夢は、意識下の深層心理が生み出すものと仮定するなら、やはり、自身の深層心理は、われながらだいぶストレスをこうむっているようだと気づかざるを得ない点がひとつである。実を言うと、昨日もまた尋常ならぬ夢を見ていた。ぞっとするような恐怖を伴った光景の前で、凍るようにたじろぐ自分であった。
 とかく、夢の世界では、万事が感性によってイニシアティブをとられているのではないかということはかねてより気づいていた。いやむしろ、感性とイメージこそがすべてであって、事実の意味も不明瞭なら、時間的推移の因果関連にこだわる自分もいない(=ねてる!)。なのに、感性の振幅だけはやたらに大げさなのである。

 今でもよく思い出すのだが、そんな事情を確認させたちょっとした経験があった。
 若い頃の話だが、ある時昼寝をしていて、夢の中で感動にむせぶ音楽を聞いたのだった。それはまるで、天国で聞く天使の歌だとさえ思えたのだった。で、目が覚めた時、かけっぱなしのラジオがそばで鳴っていることに気づいた。歌謡番組か何かがまだ続いていたからだった。
 そこで、夢の中で感動した音楽とは、きっとその番組が流していた曲なのだろうと推測したのだ。番組欄その他を必死で調べることにした。で、どうもある歌手のある歌であることが、ようやく推定できたのだった。そこで、後日その歌をうつつで聞いてみたところ、ほぼその歌に違いないとの確認もできた。夢の中で自覚した感動のかけらが蘇ったからである。が、その感動の度合いは、夢の中で感じていた感動の、その振幅のほんの一、二割程度にしか及ばないことも冷静に理解したのである。ちなみに、その歌とは、水前寺清子の『三百六十五歩のマーチ』(?)であった。決して悪い歌でないことは、その後大ヒットしたことでもわかるが、「天国で聞いたり」「感動に咽ぶ」というのは、やはり夢の中ならではの針小棒大の過大評価だったと思っている。

 夢の世界では、あたかも覚せい剤を用いたように(想像でしかないが)、感覚が異常に増幅されるようだということなのである。クールに自省する意識が不在であるため、感覚、感情が原始的に羽ばたくからなのであろうか。ちょっとした喜びは、有頂天の喜びとなり、わずかな恐怖は、膨大な恐怖感へと膨らみ、同時にそれに相応したイメージが形成されてしまうのかもしれない。小さな悲しみは、耐え切れないほどの悲痛感へと変わってゆき、淡い切なさは、胸が引き裂かれるような切ない感情へと発展させられてしまう。
 いずれも、目を覚まし思い出せる夢を反芻してみると、ほとんどさしたることではないことに気づかされるのである。自分以外の人の夢と、うつつの意識をのぞいて、比較させてもらったことがないので、これが一般的なことかどうかは、もちろん定かではない。

 そんなわけで、夢といい、意識下の深層心理といい、まるで文明化された人間の意識の中に残された「原始的」な感性のようで、そうだからこそ「健気で愛しい」空間のようだと感じ続けてきたわけなのである。
 が、こう「不気味な夢」のシリーズものとなるに及ぶと、ははーん、やっぱり「原始的」感性にとってみると、昨今のご時世の殺伐とし過ぎた「超常」事態や、極度に混乱し続ける世相は、ドクターストップに値するほどに耐え切れない世界なのだろうな、と、ふとそう思えたのだった。
 精神の正常さを失った人を哀れだと思ったりするわれわれも、土俵際のすんでのところで持ち堪えているに過ぎないのかもしれない。いや、ただ単に鈍感ぶった振りをして気をそらしているに過ぎないのかもしれない。

 ただ、夢の世界の不気味さが、冷静な「知性」不在によるところが大であることに目を向けると、悲惨さを強めるうつつの世界にあっては、人は冷静なその「知性」を研ぎ澄まして、たくましく現状打破を図ってゆくべきなのであろうと再確認している…… (2002.12.03)

2002/12/04/ (水)  欲しいもの、魅力的なものはもはや「都心」にはない!

 電車を使って「都心」に出ることは実に久しぶりのことだった。ユーザとの打合せで出向いたのだ。今週は、月曜日にも「都心」を通過して遠方のユーザとのミーティングに出かけた。ビジネス的に厳しいこのような時期に、目算の立たない営業訪問ではなく、継続している仕事の打合せは幸いだと言うべきなのである。「お仕事、お仕事」と手揉みの姿勢で対応すべし、である。

 社員たちには、全国各地に出張してもらっているので、こんなことを言ってはばちが当たるのだが、わたしは、「都心」というものがどうも好きではなくなった。外回りがではない。「都心」に出ることがおっくうとなってしまったのだ。若い時分には、それこそ欲しいもののすべては「都心」にしかないとさえ思えたものだったのにである。
 しかし、最近では、欲しいもの、魅力的なものはもはや「都心」にはない! あるのは、猥雑さと災害の危険、そして身体も神経も疲れさせられる粗雑な人工物であり、その洪水となった不快な空間でしかない、と思うようになっている。

 「都心」から離れて、緑を多く残す郊外、生活圏内で仕事をしようという方針をとってきた者にとって、「都心」の印象はいかにも異質なものと見えるようになってしまったのであろうか。本心を言えば、郊外の町田どころではなく、八ヶ岳山麓で生活と仕事ができればいいなあ、と思い続けていたくらいなのだから、当然と言えば当然の「都心」観なのかもしれない。
 まして、現在、および今後の経済、ビジネスのあり方は、必ずしも資源集積地域と言われて来た大都心に活動拠点を構えることでもなさそうである。むしろ、時代のニーズを射抜くクオリティーの高いものを、知力を駆使してどう創り出せるのかが決め手であろう。あとの一切は、それこそここまで普及してきた情報インフラが担うに違いないはずだからである。

 誰もが懸念しているように、日本の製造業は驀進する中国経済域に飲み込まれ、その地位と位置は中国に取って換わられようとしている。都市のウェートどころではなく、国のウェートがシフトしようとしている。流通や金融市場の結節点としての東京の地位も、国民が惰性で思い描くほどに国際的には高くなくなっているとも聞く。国際政治の上でも同様なのであろう。文化的にも、バブル崩壊後の九十年代以降は、東京を拠点とした文化的有名人は国際舞台から姿を消していると言われる。
 ことによったら、日本の東京大都心は、バブル時までの経済や文化の一大中心地であったとしても、国際的なわが国の位置付けの低下や性格の希薄化とともに、今や世界からの印象もぼやけ、巨大な都市問題だけを抱え込まされてしまった奇妙な空間になろうとしているのでは……とさえ危惧するほどである。

 山手線渋谷駅近辺で、路線に沿う公園の線路寄りに、「青いテント村」(青いビニール・シートで組まれたホームレスたちの住まい?)が電車の車窓からよく見えた。今日は雨が降っていたので住人たちの姿は見えなかったが、若干驚いた。関西では、こうした状況への対策として、ホームレスたちの宿泊施設を新設したとのニュースを、つい最近耳にした。この尋常ではない不況が原因で「都心」には、こうしたホームレスの人たちが増加しているのだろう。
 ふと、自分がホームレスとなったら一体どこに住むものかと想像してみた。ロビンソン・クルーソーのように無人島のような人里離れた場所が良いが、それでは残飯も確保できない。かといって郊外のベッドタウンでは中学生たちに殺される(?)し、やっぱり「都心」の一角しかないのかなあ、と妙に納得したりしていた。雨が滴る車窓越しに見えた「青いテント村」の光景は、彼らの生活力を感じさせる一方で、「この国、この時代の寂しさ」を受けとめずにはいられなかった。

 せっかくだからと思い新宿の紀伊国屋本店で、かねてから読みたいと考えていた書籍を十キロほどまとめ買いをした。「都心」の利点にも目を向けたところでおもむろに帰路についた…… (2002.12.04)

2002/12/05/ (木)  北朝鮮の子どもたちは、『半透膜』を通過する水の分子のようだ!

 中学時代の理科・生物の授業の時であったかと記憶している。植物の「毛根」がどんなメカニズムで水を吸い上げるかについての説明であっただろうか。毛根の細胞膜が『半透膜』という奇妙な構造となっており、細胞内部のより高い液体濃度と、外部(土中)のより低い水分濃度との間で、外部から内部への浸透作用が働き水が吸い上がってゆくというメカニズムであった。いわゆる「青菜に塩」は、この逆であり、外部の濃度が高いため、内部の水が外に流れ出すということになる。どういうわけか、わたしはこのメカニズムにほの熱い興味を感じたものだった。
 このメカニズムは、同じく植物の話では背丈の高い樹木の上層部にまで水が行き渡るダイナミズムを実現しているとともに、人間の体内での血管や腸においては、栄養素の分子に対する「関所」的な役割を果たしてもいるそうである。

 関心が向かったポイントは、濃度の異なる液体は、現象的には半透膜をはさんで濃度の均等化へ向かうという点がひとつであるが、より感じ入ったのは次の点であった。
 つまり、『半透膜』とは要するに「メッシュ(網の目)」なのであり、水の分子や各種の溶質分子を通したり、通さなかったりする「メッシュ」の個別のサイズを持ったものだった、という点である。そして、最小の分子(?)である水だけは、どの『半透膜』をも、昔の銭湯の男女を隔てた壁を丸裸の子どもが行き来するように「フリーパス」してゆくという小気味良さに対してなのであった。

 関心の焦点は、有機体にこの『半透膜』のメカニズムがいたるところに存在するように、人間の意識作用、知的作用、認識作用、コミュニケーションなどにも、あるものを受容し、またあるものを拒絶するというセレクト(選択)を司る「メッシュ」のような働きが存在して、邪魔をしているのではないかと思う点なのである。
 いろいろなことを他愛なく推測することもできるが、ここでは『半透膜』をほぼ「フリーパス」で通過、浸透してゆく水の分子のようなものに着目できれば、どんなにか人間の意識作用一般はスムーズであることかと妄想するのである。
 心と心の通い合い然りであろう。ある者の心に満たされた水、想いが、そっくりそのまま、あたかも『半透膜』を通過してゆく水のように、他者の心へと静かに流れ込んでゆくことが可能であったならどんなにか…… と思うわけだ。
 また、世界のモノの姿が、モノから人間の脳の認識構造に向かって、上記同様の水の通過、浸透が起これば、一面的で歪んだ認識は胡散霧消するに違いないだろう。

 がしかし、現実のわれわれ人間は、実は有機体共通の『半透膜』で生成されているにもかかわらず、万物に分与されている水の分子で大半が生成されているにもかかわらず、「水の分子を容易には通過させない甲羅」を全身にまとって防御し、孤立しているイメージだと言えるかもしれない。
 弱者に「共感する」といった「『半透膜』水分子通過」現象(?)を認めてゆくなら、自己が解体してでもゆくかのような奇妙な恐怖を持っていようか。巷に流れ出て、溢れている水分子に一たび触れれば、とんでもないことになってしまうと恐れる自己防衛本能で雁字搦めとなっていようか。むしろ、より強い(!)「甲羅」を求め、「撃退スプレー」を求め、そして「サバイバル・ツール」たる「各種資格」で「武装」しようとしているのかもしれない。

 北朝鮮と中国の国境を、空腹に喘ぐ北朝鮮の子どもたちが、「甲羅」の壁を、最も弱き者のみが通過できる『半透膜』と化す挑戦をしているように見える。逞しい自然の道理だと思わざるをえない。
 わが国では、記者団を前にして政府スポークスマンが、「せっかくあるモノは、使わない手はないですよね!」(イージス艦派遣!)といった、誰の脳にも心にも浸透しない言葉もどきを涼しい顔をして吐いている。棺おけに半分足を突っ込んだ見栄っ張りジジイのボケとしか思えない。
 『半透膜』を通過する水の分子といった有機体の根源的営為を、もはや許容できなくなったところまできてしまった現代社会のシステムは、「強さ」だけを誇示して、恐怖だけでシステム存続を果たそうとしているに違いない。

 今、手遅れ気味でもなお必要なのは、この「『半透膜』水分子通過」現象(?)のように、限りなく小さく、弱い存在が、それだから許された限りない浸透力をもって、生きものたちが生きる世界全体を照らし出すことなのだろう。
 わたしは今、松岡正剛氏の『フラジャイル(fragile)』を読む動機を、ほぼスタンバイOKの状態にしているとそう思っている…… (2002.12.05)

2002/12/06/ (金)  「一芸は道に通ずる」に潜む「ニューロン」間刺激伝播パターン!

 「一芸は道に通ずる」(ある一つの芸をきわめた人は、他のどんな分野でも人にぬきんでることができるということ。ex. He can nothing that cannot speak well of his own trade. 自分の商売が自慢できない者はなにも言えない人間である)ということわざは、実に説得力を秘めた洞察だと思っている。
 現代が「エキスパート」の時代であると叫ばれる事実を、好意的に解釈するならば、もちろん「専門性」の深さと新しさ(ハイ・エンド)が期待されているという点が一つと、もう一つ重要な点として、「脳」の働きの「大原則」(?)に相応する見事なこの直感、「一芸は道に通ずる」ということわざに由来しているのではないかと推定している。
 ただ、組織においては、後者は、さほど期待されず専ら前者の「専門性」のみが酷使されているのが実情であろう。後者の観点「らしき」ものが日の目を見ているとおぼしきは、一時期に「一芸」で名をはせた有名人が、タレントとしてテレビ番組などに駆り出されて、まずまずそつのない役割を果たしたりしている趨勢であろうか。

 (先日も、ある元ボクサーのタレントが、うがった発言をしており、なるほどと思わされた。北朝鮮拉致被害者五人の帰還と、その子どもたちを北朝鮮に残している現状についてなのだが、親が子を想う度合いと、子が親を想う度合いには、大きな温度差があり、親 > 子 なのだと。この力学を北朝鮮は折り込み済みなのであろうと話していたのは、勝負の世界を生きてきたボクサーが、心理的駆け引きの原理を会得していたようで、ちょっと注目することになった)

 もっとも、世には「専門バカ」という、上記ことわざを打ち消すごとき観点が存在するのも事実である。また、そうしたサンプルが多数実在するようでもあることは、多くの人が知っているはずである。
 これらの二通りに分裂した見方に潜む問題も興味深いのだが、ここでは「一芸〜」と言う命題がベースであり、「専門バカ」というケースは基本命題の変種として見ておくこととする。

 ものの理解や認識ということは、その「しくみ」を納得することだと、簡易的に言うことができるはずだろう。「しくみ」とは、その対象が全体として内部の各要素に対して保持している関係や、また逆に各要素や全体が対外的に取り結んでいる関係などの「構造」のことだと表現できるに違いない。
 PC(パソコン)であれば、人間の「脳」や「心臓」に相当する「演算部、主記憶部(CPU,メモリ,主要制御部など)」がまずあって、「目」、「耳」、「手」、「その他感覚」といった、外部情報を取り入れる「入力装置部(キーボード、マウス、通信ボードなど)」があり、「口」、「手」、「その他身体全体」といった「表示・出力装置」(ディスプレイ、プリンター、スピーカーなど)があり、そして、「脳」や身体の外部にあって記憶を補助するさまざまな媒体にあたる「補助記憶装置部(フロッピー、ハードディスク、その他の補助記憶媒体など)」がある、というのが「しくみ」であり「構造」だと言える。
 ところで、すでに今、PCの「しくみ」「構造」を説明するにあたって、人間の身体の「しくみ」「構造」を例え、類比(アナロジー)として援用した。こうしたことは、自身が新しい対象を理解する時にも、また人に何かを説明する時にもしばしば活用する方法のはずである。そして、そこそこ、あるいは上首尾で目的が達成されたりするものである。
 「脳」の活動は、膨大な数の「ニューロン(神経細胞)」同士が、刺激を伝え合うという「ネットワーク」を形成することで、処理されているという。それは、ちょうど現代の「インターネット」の機能のイメージと似ていると言ってもよいのだろう。
 そして、「ニューロン」同士の間での<刺激の伝わり方の「パターン」>というものが、人間の考えや記憶の「コンテンツ(内容)」と深い関係があると見なされているようである。
 そこで、推定できるのが、<対象を理解、認識する=「しくみ」「構造」を納得する>ということと、<刺激の伝わり方の「パターン」>というものとが深い関係を持つと同時に、ある一つの<刺激の伝わり方の「パターン」>というものが、類似する<パターン>の「下書き」「下敷き」(?)となるに違いないということなのである。

 ということで、どんな「芸」域であっても、その「芸」に専念してゆくなら、まず、その「芸」にとって必要な<刺激の伝わり方の「パターン」>が「脳」内の「ニューロン」間に形成されるのだろう。しかし、そこで形成された<パターン>は、その「芸」の習得だけで活用されるのではなく、その<パターン>が「母型」となって、他の「芸」の習得にも「下敷き」としての機能を果たしてゆくであろうことが、容易に想像できる、というわけなのである。

 「目から鼻に抜ける」「一を聞いて十を悟る」ということわざの内実とは、そうした「優れた人」というのは、何らかの経験によって、当該事実の「しくみ」「構造」を知るための「母型」<パターン>を、ありそうな種類だけ多数を、くっきりと刻み込んでいる人だということではないのだろうか。

 歳を取ると、「あっこれはどうも忘れてしまいそうだな……」という予感、直感に襲われることがしばしば発生する。「明日は家人が留守なので、犬と猫にえさをやってから出社すべきだ」などということは、<パターン>として形成されていないからである。そんな場合には、新<パターン>への対応として、トリガーとなる奇異なことをしておかなければならないわけだ。
 鞄の脇に、キャッツ・フードのパッケージを寄り沿わせておくとか、履いて出かける靴の上に犬のえさ用の食器を載せておくとかである。これと同様に、忘れっぽい政治屋たちのためには、現在の国会議事堂をやめて、原爆ドームのレプリカの中で議事を進行させてはどうだろうか。それでも、「三つ子の魂百まで」のたとえの<パターン>を優先してしまう政治屋さんのような気もしないわけではないが…… (2002.12.06)

2002/12/07/ (土)  柔軟かつ創造的な発想へと接近するためのわかり切った議論!

 「柔軟に考える」ということを、昨日書いた「脳」内部の「ニューロン」間の<刺激の伝わり方の「パターン」>という視点で言うなら、従来リンクさせてもみなかった「ニューロン」同士の間に刺激を伝播させて、新しい<パターン>を、いかに随時形成させていくことができるかどうかということになるのだろうか。
 奇しくも「ワン・パターン!」という、現代における「最高の侮蔑」の言葉があるが、これは過去に形成された「ニューロン」間の<刺激の伝わり方の「パターン」>にしがみつき、結果としてこの<パターン>を硬直させてしまっている事態だと言えそうだ。どんな新事象に遭遇することとなっても、「脳」内にくっきりと刻み込まれた既存深い轍となった<パターン>の軌跡を、生真面目にトレースしてゆく(踏み固めてゆく)ことなのであろう。

 現状打破が効を奏さなかったり、旧態以前とした閉塞状況が断ち切れないさまざまなジャンルでの現代状況の背景というか、根底には、人々の発想が、「脳」内の古い<パターン>に支配され続けているからだと、想像することは難しいことではない。「ワン・パターン!」に加えて、固定観念と言ってもよいし、さらに過去の「成功体験」の<パターン>などの轍から抜け出せない状態だと言ってもよいのだろう。さんざん口にされてきたことである。

 だが、今一歩踏み込んで考えるならば、それじゃ現代環境に即した発想が生み出せる「脳」内部の「ニューロン」間の<刺激の伝わり方の「パターン」>は、どのようにしたら可能となるのであろうか?
 「個性的」な発想だとか、「創造」的な思考だとかが取り沙汰され、そうしたモデルやサンプルなどを交えたセミナーや書籍などが人目をひいたりもしてきた。それはそれで「啓発」的なことに違いないが、今ひとつ、不安を鎮める自己満足でしかありえないような気がしないわけでもない。
 それというのは、「脳」内に刻み込まれた<パターン>というのは、それが固定観念と言われる場合にはなおさらであるが、ちょっとのことでは「脱輪」などしないほどに深い轍を掘り込んでいるように思われるからである。その<パターン>を解消して、新たな<パターン>を生み出すということは、妙な表現をするならば、「右利き」の人がその固着し習慣化した状態を、「左利き」に変えてゆくほどの「無理!」があると言うべきなのではないかと推定している。
 しばしば、「意識改革」を謳ったOFF-JTのセミナーなどが、これを成し遂げると大見得をきってきたりした。実を言えば、わたし自身そんなセミナーの講師を引き受けたりもしてきた。が、その謳い文句の達成は並大抵のことではないと判断している。要するに、一時の成果らしきものが、その後の日常勤務、日常生活の過程で消し飛んでしまう可能性が非常に高いからなのである。それほどに、上記の「脳」内に刻み込まれた<パターン>というのは深い轍を掘り込んでいると言えそうなのだ。

 もともと、生物の身体は「可変的」とは言っても、安定を志向するからなのであろうか、きわめて「惰性的」でもありそうだ。習慣的なものに支配されがちであり、そこでは、一過性の新規情報ごときでどうなるものではない頑固さが想像される。ダイエットにしてからが、構造化してしまった生理的な諸関係を解きほぐしてゆくのには、気の遠くなるほどの時間と努力が必須となる。しかも、リバウンドするのには大した時間を必要としないようだ。こんなことに現在挑戦している自分なので、実感的に理解できるのである。
 加えて、身体の中の「王」とも言える「脳」の働きは、まさに中小零細企業の頑固なトップほどに、そう簡単に宗旨変えをするものではないはずだと思われるからである。

 では、「脳」内に刻み込まれた既存の<パターン>は、洗脳された者への対応のようにほとんど手が出せない種類の問題なのであろうか。まずは、それほどの困難さが伴うことだけは了解されるべきだと思える。だがしかし、決して不可能なことではないと気をとり直したい。
 突破口となり得るアプローチとして、仮設的に考えていることがある。大したことではないのだが、要するに、現代的だとおぼしき<パターン>に体感的に、かつ長時間接して「矯正」してゆくことを実践すればよいのである。
 その際、現代という環境に即した外在する対象の中には、時代の<パターン>をシンボリックに内在させたジャンルというものがありそうな気がしている。端的に言えば、一連のコンピュータ環境であり、サッカーなどの現代スポーツなどがそれだと思われる。なぜという点はここでは省略するが、これらが秘めた原理というか<パターン>を興味深く追跡して、自己の「脳」内に<パターン>として刷り込んでいくならば、やがて、他のジャンルに対してもその<パターン>が「下敷き」的な役割を果たしてゆくはずだと推定しているのである。

 要するに「ニューロン」間に新しい<パターン>を形成するためには、外界の新しい<パターン>に接する(いや、格闘する!)ことが必須であるように思われるのである。そして、新しさの典型と思える<パターン>を、生活感覚をも含めて自分のものとしてゆくことがポイントかと思える。
 少なくとも、旧態依然とした職場環境、生活環境に浸かりながら、発想だけは斬新でありたいと望むことは、水に触れることなく水泳をマスターしようとするようなものであるに違いない…… (2002.12.07)

2002/12/08/ (日)  「他者の営為を鵜呑みにした Copy to Copy の人生?」をどう避けるか!

 今晩は小雪が降るという予報も出ており、昨日今日の冷え込み具合は冬本番といった気配だ。おまけに昨日も今日も、小雨まじりときて、「悟り切り、開き直り」でもしないかぎり始末に終えない気分となってしまう。
 ふと、子どもの頃や若かりし頃には、こんな天候をもあり余る内部のエネルギーや情熱で、ものともしなかったのだったかどうだったかを、思い出そうなどとした。が、手がかりがなかった。たぶん、スキーなどもしようとしなかった自分は、冬はすべからく行動のオフ・シーズンと決め込んできたのかもしれない。
 クリスマスや正月という真冬の国民的行事は、寒さで萎縮しがちな者たちにとって、それ相応に気分の張りが生じるので存在価値のある行事かもしれないなあ、などとうすらくだらないことを思ったりもした。

 昨日は、親戚の法事で早朝から寺に出向いた。この時期の寺の本堂というものは、冷え冷えとしているに決まったものだ。おまけに、「ビジネスライク」であることを自然と身につけてしまった住職らの振る舞いは、なおのこと身体を寒々とさせるに足るものだ。
 人間の生死の問題をまともに考え、多少なりとも宗教関連のものの本を読んだりするならば、宗教関連施設(寺や墓など)や宗教関連従事者(坊主たち)、そして宗教関連慣習などを、一方で「相対視」し始めるとともに、他方でどう「自分なりに(主体的に)」受けとめ直すかに考えをめぐらすこととなるものであろう。
 こうしたことは、当然といえば当然のことであり、誰よりも坊主たちが一番早く心得始めたに違いない。「ビジネスライク」に「お布施は、三万円ということになっています」と口にする坊主たちが多くなるにおよび、人のよい「カスタマー」たちの頭の片隅にもやもやとして残存していた宗教関連従事者たちへの依存心が、何となく氷解してゆき、寺とスーパーを隔てていた壁が低くなってゆくのだろう。坊主たちの「ビジネスライク」化は、自分たちの足元を崩しているようなもので、戦術的には一考すべきなのかもしれない。

 こうして、毎日文章を書いていると、「何を書く」「どう書く」という点などについてさまざまに考えることとなる。「文章を綴る」という作業で、かたちとして文章化する作業は、いわば最後の作業なのであって、むしろ「前工程」の「何を書く」「どう書く」という点を考えることこそが眼目なのだと思い続けている。おそらくは、「前工程」があらかた定まるならば、文章化が手際よくアウトプットできる「高度な」ワープロ、「センプロ(センテンス・プロセッサー)?」が登場する日もそう遠くないはずであろう。なぜならば、そのプロセスは「一般性」(文法や、慣習など)の範疇であるからだ。
 人に残された「やりがい」のある作業、処理とは、「文章を綴る」その「前工程」という「独自性」が要求されるプロセスを如何に充実させるか、如何に楽しむかという部分以外にないと思われるのである。
 こうしたことを考えた際、たとえ日誌(公開日誌)であっても、一般性の「最終工程」に引きずられて「前工程」が凡庸に、紋切型的に、要するに「理解し易いけれども、新聞のように何の独自性も感じられない!」ということであっては無意味であろう。自分自身にとっても、また読者にとっても。
 わたしは、自身の日毎に揺れ動く(成長とは言えない)ビビッドな内面=「前工程」にできるだけ関心を注ぎたいと思っている。そして、ビビッドな内面の実態とは、決して起承転結がはっきりしていて、ひとまとまりを保持したものというわけにはゆかない。いやむしろ、焦点が定まらず、かたちもおぼろげであることも多い。
 しかし、実を言えば、そうしたおぼろげながら浮上してくる思いや、考えこそが貴重なものではないかとねらいをつけているのである。わかりきったことを、あるいは人の口に何万回ものぼったフレーズや、ものの見方を繰り返しても何も始まらないと考えている。
 こう考えた時、「おぼろげ」であり、市民権獲得以前のために「おずおずとした」ものをこそ大事にするにはどうすればいいかに思いが向かうのである。まず、あまりかたちにこだわってはならないであろう、別に、一日一テーマといった暗黙の前提にも遵守しなくてもよいだろう、小説であってもよいし、散文でなくともよいし、場合によっては写真や絵であってもかまわない、とさえ思っている。
 とにかく、「他者の営為を鵜呑みにした Copy to Copy の人生?」をどう避けるかが、ターゲットといえばターゲットなのであろう…… (2002.12.08)

2002/12/09/ (月)  天気予報まで、経済展望にならって無難な言い方すんなよなあ!

 大したことはない!という天気予報を信じてしまい、朝からドタバタとしてしまった。朝起きて窓の外を眺めると、一面の銀世界だ。犬や子どもではなく、毎日ルーチン・ワークに追われる大人にとっては、「な、な、なんだー、こりゃー」と、パジャマの襟口から雪を突っ込まれたようにゾゾーとしたものだった。

 もちろん、今日はウォーキングは中止とした。特に仕事のスケジュールが混んでいなかったなら、いつもの二、三倍の時間をかけた雪中ウォーキングも話のタネかとも考えたが、目前の必須作業がクローズアップしていたからである。通勤のために、クルマのタイヤにチェーンを装着する作業である。そして、その実行のためには、一連の準備作業を済まさなければならないことが想定されたのだった。もう一度、布団の中に潜り込んでしまいたくなったものだ。

 まず、チェーンをどこに仕舞い込んだかを探さねばならない。庭の物置の底の底の方だったら悲惨なことになる。同時に、錆びて、家人から「捨てれば?」と言われていたジャッキの所在と、その安全度と機能の確認。毎年いつも、ジャッキで後輪を浮かせるほどにジャッキ・アップしながら懸念することは、ジャッキが外れ、車体に押しつぶされたというまれにある事故のことだ。だいたい、こんな作業をするのは身体も心も冷え切った冬場に限られるので、萎縮した気分が、毎年同じことを思い巡らさせて、歳ごとに心配は「雪だるま」のごとく大きくなっているようだ。
 首尾よくそれらを、クルマの脇に置くこととなっても、クルマ自体に積もった雪を払い、当該作業を安全に進めるために、周囲の雪も始末しておかなければならない。
 雪の中の作業は、決して見くびってはならず、足元が滑らないような履物や、手がかじかまない手袋の準備も必要となってくる。

 置きぬけの茶をすすりながら、そんなうっとおしい計算をしなければならなかった。自然現象とは言え、天気予報に腹が立ってきた。何をおもんぱかってか、さほどの積もり方ではないなどと言うものだから、昨夕、雪が降る前に準備できたものを、まさしく「泥縄」対応をするはめにさせられたからである。
 そういえば、ここ二、三年は、雪が降る前にタイヤ・チェーンはしっかりと装着していたかもしれない。用意周到というのではなく、ただでさえ苦手な冬の朝に朝っぱらから、体力消耗と気苦労とを重ねることを避けたいと思うだけのことだったのである。
 念のために装着しておいたタイヤ・チェーン、しかもオレンジ色で目立つそれをつけて、雪なんぞかけらもない車道をうるさい音を立てて走ったことも何度かはあった。しかし、不快な「泥縄」対応に較べればなんということもないと思っている。

 イラクの民を支援しに行けるような完全「武装」をして、銀世界へと飛び出した。案の定、飛び石の上の雪が足にちょっかいを出してきて、滑りそうになったが姿勢は崩れなかった。作業前に転んでどうするというんだ!
 必要なモノたちは、容易に見つけ出すことができた。錆び錆びになっていたジャッキも、見た目は年老いていたが錆びを払ってやると、「任してくださいよ!」という渋い声が聞こえてくるようだった。
 懸念し続けているジャッキ・アップも問題なかった。が、合成樹脂でできているチェーンの内側の留め金が何としてもうまく留まらない。かがむ姿勢の無理もたたってきた。ウォーキングなんぞよりはるかにこたえてきた。いやんなってきた。が、やめるわけにはいかない。惨憺たる気分となってきたので、いまだ降りつづける雪を顔に受けながら、「ま、一服つけるべしか……」と、タバコをくわえることにした。息の白さだか、煙の白さだかわからない白い気体が立ち込める。これがまさしく「しらける」ってえことか、なんぞと幾分気分が立ち直ってきたりした。
 無理もないことで、一年ぶりで取り付ける取り付け方は、見事に忘れてしまっていたのだった。ようやく試行錯誤の末に正解を見つけ出し、ホッとしたものだった。

 「タイヤ・チェーンが一発で取り付けられる新製品を開発したら、ノーベル賞ものなんじゃないかな」なんぞと、手間取った言い訳をしながら朝飯を食べた。テレビでは、田中さんのノーベル賞受賞記念「イングリッシュ・スピーチ」の結構イケテル様子を報じていた…… (2002.12.09)

2002/12/10/ (火)  「捨てる神あれば拾う神あり、とでも言うのでしょうか……」

 この寒々しい師走!人の心の温まる話はないものかと思案をすれば、思い当たったのが「使い捨てカイロ」である。「違うでしょ」と言われそうだが、違わない。

 回遊魚のコイではないが、わたしは毎朝、所要時間一時間の決まったコースをウォーキングしている。慣れてきた昨今では、手ぶらでただ歩いているだけでは、何だかもったいないような気もして、かつて慣れ親しんだ新聞配達でも請け負うべきかと思ったりもしている。まあ、そんなことはどうでもよいのだが、その決まったコースの遊歩道部分のとある場所に、「捨て猫さん」のハウスがあるのだ。

 先月くらいからであろう、遊歩道のすぐ脇、集合住宅の敷地というべきか、そんな場所の草むらに、ダンボール箱を工作(工作というと今時は北朝鮮を連想しがちで困ったものだ……)して猫ハウスが作られてあった。
 初めてお目にかかった時、「捨て猫さん」は、日差しで温まったアスファルトの遊歩道に出てくつろいだ姿勢で長々と寝そべっておられた。「おうおう、そなたは何をしとるんじゃ」と近づくと「にゃーお」と挨拶をなさった。人なつっこく、たぶん飼われていた猫が「リストラ」の憂き目をみたといった気配であった。
「こんなところで、お休みになられていると、自転車や、金髪バカが乗ったバイクでお怪我をなさいますぞ」と、わたしは抱えて乾いた枯草の上にご移動させたのだった。
「まあまあ、優しい旅のお方! このようにうらぶれた老猫にお触れになると手が穢れます……」と、その品の良さの面影を残した「捨て猫さん」は恐縮顔をされたのだった。
 何だかわたしは、急に憐憫の情を誘われてしまったようだった。その時に、集合住宅の優しい住人たちが、同じく憐憫の情を刺激された故のことか、ダンボール製の猫ハウスが二軒と、横たえたブロック石の上に餌さ皿が置かれ、キャッツ・フーズや煮魚のかけらがあったりするのを見つけたのだった。
「よし、明日は出かける時に、うちのバカ猫のキャッツ・フーズをかすめてきてやろう」と決心した。
 その後、わたしのように遊歩道を歩く習慣を持っている中年の三人連れのおじさん連中が、「おとなしくて、かわいいんだよな」などと、口にしているのを聞いたりもした。まるで、遊歩道街道を往く旅人たちの人気者となっているようでもあった。

 餌もみんなからあてがわれているためか、「捨て猫さん」はその場所に居着く気配で、ほぼ毎日、ウォーキング途中でそのお姿を垣間見ることとなったのだ。妙なもので、何の縁もゆかりもないにもかかわらず、その「捨て猫さん」のことがちらっちらっと脳裏をかすめるようになってしまったのである。
 うちに、手のかかるバカ猫がいなければ、「よーし」と意を固めることもあっただろうが、その最良の手、うちにおいでいただくという選択は採用するわけにはいかなかった。そう自覚すると、ますます、この寒空の下、『フラジャイル(fragile)』なダンボール・ハウスで余生を過ごされる「捨て猫さん」がなんとも哀れに思えてならなくなるのだった。
 猫は、「家」につくと言われてきた。確かに、むかし、近所の野良猫が、戸を開けると階段を駆け上り、二階の部屋の真中まで侵入したことが忘れられない。「家」への執着は、一頃の中年サラリーマンの「持ち家」への憧れと同様に切実感があるのかもしれない。 だからこそ、一度、家で飼われた猫が、捨てられるというのはこの上ない悲劇と言うべきなのだ。時々、むかしを夢に見る猫は、きっと枕を濡らし(猫に枕はない?)ているに違いない。

 この一週間、曇った日の冷え込みは尋常ではなかった。この間に、わたしは法事で寺へ行かなければならなかったのだが、その時、板の間の冷え冷えとした本堂を思い浮かべた際、とっさに「使い捨てカイロ」の持参というちょっとした工夫に思いあたったのだった。
 寒がりとか、歳のせいでなおのこと寒がりとなったとかいうのではなく、わたしはもとより、「使い捨てカイロ」のような知恵のかたまりに好感を持ってきたのだ。
 昨今、モバイルPC、とかケータイとか、デジカメとか、「超LSI」を駆使した「超小型」グッズが人気を呼んでいる。わたしも、そうした「007」ライクなグッズは嫌いではない方なのだが、より感動的なのは、そんな「超LSI」なんぞにいっさい依存せずに、生活感覚レベルの知恵を凝り固めたグッズなのだと信じてきた。「扇子」がそれであり、「風呂敷」がそれであり、「十徳ナイフ」もそうだ。そして、とりわけ「使い捨てカイロ」は絶品だと思ってきた。密封のビニール袋を破き、空気に触れさせるだけで、18時間も長きに渡って数十度の熱を放出し続ける優れモノである。しかも、最近では、成分である鉄粉・水・活性炭・バーミキュライト・塩類などは、自然の土にリサイクルさせることまで可能となったのだ。
 いつだったか、仕事の都合で、真冬の深夜にいっさい火の気のない工場のとある一角で夜を明かさなければならないはめになったことがあった。その時は、寒さのためにホントに上下の歯がガチガチと音を立てたものだった。おそらく、そんな特別な経験をすると、現代市民生活にもいつ何時に「極寒」に遭遇するかもしれないと思うようになったのかもしれない。そして、「使い捨てカイロ」への信頼感が増幅したのかもしれない。

 昨日は、「事なかれ主義」気象庁の予報のせいで、ウォーキングは取り止めとしたが、今朝は、万が一に備えキャラバンシューズを履いてウォーキングに出かけた。そして、ポケットに未開封の「使い捨てカイロ」を突っ込んだ。もちろん、さぞかし寒い思いをしたであろう「捨て猫さん」のダンボール・ハウスにしのばせてやろうと考えてのことだった。
 現場についた時、「捨て猫さん」は、ハウスから出ての食事を終えたところだった。食後の落ち着いた、満足げな顔をして、口の周りをぺろぺろと掃除されておられた。
「お寒うございましたでしょ」と、頭をなでてやると、「まあ、こうした暮らしにも慣れ始めました、にゃーお」とおっしゃられたものだった。
 さてと思い、「使い捨てカイロ」の封を切り、ハウスに「カイロ」を差し入れた時、わたしは、あることによって人の心の温かさをいやというほどに知らされたのだった。
 ハウスの中の、床のぼろ布が妙に暖かかったからである。その暖かさは、今まで「捨て猫さん」が丸まっていたからというようなものではなく、まさしく「カイロ」による暖かさなのであった。と、ダンボール製の屋根の隙間に、暖色系のパッケージ、「使い捨てカイロ」の袋が挟んであるのが目にとまったのだ。すでに誰かが、ぼろ布の下に「カイロ」を差し入れていたことが判明したのだった。
 わたしは、表情をくずしながら「捨て猫さん」を振り返った。「ようございましたね」と言うと、「捨てる神あれば拾う神あり、とでも言うのでしょうか……」とおっしゃりながら、丸く曲げた手の先をぺろぺろとおなめになっておられました…… (2002.12.10)

2002/12/11/ (水)  闇雲に投げ込んでくる変化球を、アグレッシブに返球してやる!

 毎年欠かさず「クリスマス・カード」を送ってくれる知人から、今年も気が利いたフォト入りのカードが送られてきた。カードには一言添え書きがしてあった。
「2冊の本で仕事が増え、忙しい一年でした!」
とあった。ビジネス・コンサルティングに携わるこの知人は、どうやらこんなボトムの時代にありながら、理想的な闘い方をしたようだ。
 彼からは、今年の正月早々にビジネス関連書籍を出版したといって、サンプルが送られてきた。そのことはこの日誌にも書いた。内容といい、出版形式といい、はたまたビジネス関係者の大勢が萎縮しきったこの時期に、ビジネス・トリガーとして自著を出版するというそのアグレッシブな(攻勢的な)姿勢に爽やかさを感じたものだった。一抹の懸念を感じなかったわけでもなかったが、わたしも概ね、彼のように、関が原での島津藩ではないが「正面突破」こそが危機打開の正攻法に違いないと考えてきた。
 そんな彼から、まずまずの刈り取りの結果報告をもらって、「よかったよかった」と思えたのだった。

 以前にも書いたが、わたしもPCショップの経験の中から、販売価格の引き下げという「特価」戦略ではなく、意表をつく独自性を前面に打ち出す「特化」戦略こそが、商売の妙味だと考えてきた。モノを買ったり、サービスを依頼したりする顧客側の決断にとっては、「安く」というポイントは捨てがたいとしてもそれがすべてであるはずはない。現代という変化の時代にあっては、その変化への対応を支援してくれるような「プラスα」が盛り込まれた商品・サービスへの期待は、購入の決断にあたって小さくない比重を占めると思われる。ここから、商品・サービスの斬新さと革新性がおのずから重要度を増すのである。

 潜在的顧客からの信頼を得るために、ビジネス書を出版してみるという方策、しかも、一頃のビジネス書籍のように、非実践的で好事家のような担当者のお勉強のための書籍ではなく、「板子一枚下は地獄」の日々を送る経営者に向けた実践的な書籍は、むしろこんな時代であるからこそ重宝がられるといったロジックも、あながち見過ごせないだろう。 たぶん、彼はそんなロジックを直感して、高額な投資を惜しまず出版に挑戦したものと思われる。
 今時、大手出版社は、コンビニの「POS」データさながら、売れ筋が明確な本しか出版せず、無名の著者からの出版相談など受け入れるはずがない。ところが、世の中は、人の心の裏の裏を読み、ビジネスのかたちづくりをする人々もいる。
 素人が自分の本を出版したいという動機を持つ場合は、必ずしも稀有ではない。がしかし、出版業界大手がこんなケースに応じることは稀有である。ならば、「受益者負担」方式を採用しながら、著者と出版社がビジネスとしての「リスク」を共同で負うことにしましょう、という方法はまずまず合理的だとして受け入れの可能性が出てくるのである。
 しばしば、新聞の広告で見かける「あなたの原稿を本にしませんか」という「すき間(ニッチ)」出版社のことなのである。ただし、出版社もビジネスであり、まして昨今は、「文字ばなれ」現象が著しい。出版に伴う売れないという「リスク」は、予想以上に大きい。そこで、出版社は、素人著作を社内の「目利き」審査員に審査させ、三つのグレードに峻別するのである。
 まず、「これは、出版しても多くの読者の共感を得るどころか、知人、友人、親戚どまりの売れ筋しかない!」という自費出版クラス(あくまで、著者が必要な経費のいっさいを出費することになる)、次に「宣伝広告次第では、多くの読者をつかむことができる訴求性を秘めている!」と判断された協力出版(出版必要経費の実費を著者が受け持ち、宣伝広告費と国会図書館への献本手続きなど根回し作業を出版社が行う)、そして、抜群に売れ筋が明確な内容を持った著書および、有名人・著名人が著者である場合などの企画、特別出版(いっさいの経費と根回しを出版社が行う)という三クラスなのである。
 知人は、審査の上で協力出版に判定され、一冊当たり二百万円ほどの出費となったと聞いた。

 ところで、実はこのわたしも、当日誌に書きつづけた「Web上連載小説」がかたちの上で区切りをつけたこの夏に、冷やかし半分の気分も手伝って、彼の出版を扱った、とあるその筋の出版社に審査を依頼したのである。経営に携わる者として、この時期に余計な出費をすることは考えられなかったが、万が一わずかな出費で出版が可能ならば今後のビジネスのためにも経験をしておこうかと思ったのである。
 結果は、かなり丁寧で、著者にとってはうれしい、意が汲み取られた「賛辞」が添えられたかたちで「協力出版をお薦めします」との回答を得たのだった。しっかり読み込んでいただいて、好意的な批評をいただいたことはありがたかったが、結局出版は見送ることにした。冒頭の彼のように、ビジネス書であって仕事の営業戦略に資するものならば相応の出費も考慮できたが、なんせ反ビジネス的な「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」なんぞに、二百万円もこの時期に流し込む道楽はできるはずがなかったのだ。

 だが、ビジネスにしても趣味にしても、この悶え狂っている時代が闇雲に投げ込んでくる変化球をしっかりと受け止め、アグレッシブに返球してやらなければならないと思い続けてはいる…… (2002.12.11)

2002/12/12/ (木)  ほとんど営業コストをかけない「新商品」をまたまた発売!

 経済現況のひどさを嘆き、無為に過ごすのではなく、隙間(ニッチ)を探して「発信」し続けるというのが性分にあっている。もちろん「大した」仕事なんかではない。いや、現在は「大した」仕事を想定するのは、はなはだ危険だとさえ考えている。
 「大した」仕事ではない「等身大」の仕事を、性懲りも無く継続してゆくことで我慢しなければならないのだと、自分にも言い聞かせている。

 この間、仕事の合い間に手がけてきた「ホームページ作成者向け教材」をなんとかリリースにこぎ着けることができそうなのである。「Microsoft PowerPoint」を最大限駆使して、ホームページ作成ビギナーが必ずといってよいほどにつまずく部分を中心に、PCの実画面をふんだんに取り入れ、操作の実体験もどきを展開しながら、ナレーション(サイバー音声)で指導する、といった労作なのである。少なくとも制作者本人にとっては、そこそこの苦「労作」であったことには違いない。

 ちなみに、コンテンツに添付する解説書(昨今は、「Readme」も、ブラウザで閲覧できるかたちのHTMLスクリプトで書いておくのが親切であると考えたので、これまた余分な工数がかかった)の冒頭一部を記録しておく。

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★ ACC multimedia 教材シリーズ
  インターネット・ブラウザや、現在広く利用されているさまざまな汎用ソフトは、パソコンの高性能化とあいまって、「フォト」、「動画」や「サウンド」などを織り込んだ「マルチメディア」としての環境を充実させています。
  一方で、こうしたパソコンを使いこなすための「学習」の必要性も、日に日に高まってきています。
  そこで、普及し続ける「マルチメディア」環境を駆使して、パソコン学習の「教材」を作るという自然なテーマが発生するワケです。
  誰もが持っている標準装備の「マルチメディア」環境をベースとするならば、これまでその環境まで作ることで「コスト高」となっていた従来の「マルチメディア」教材制作は、比較的「安く」、「書籍並み価格!」でご提供できるワケです。
  アドホクラットは、教育関連事業の経験を踏まえ、「コンテンツ(教材内容)」の質によって時代のニーズにお応えします!

★ 『HomePage を作ろう! まねして実感! <初級コース>』のセールス・ポイント!
◆ ホームページ作成希望者が、かならず「つまずく!」と言えるファイルの『アップロード』作業の手順が、自然にわかって、できるようになってしまう! もちろん、インターネットの概略、ホームページ作成の大まかな流れがのみこめる! 「スクリプト」や、細かい「タグ」を覚えるのは、「後回し!」にしなければいけないのです!
◆ まるで、パソコンに向かいながら、隣に先輩が座って教えてくれているような臨場感のあふれる内容が特徴!

◆ 臨場感あふれるその秘密のひとつは、「ビデオでは画像がにじんでしまう」パソコン画面を、ほぼ忠実に再現し、また、アニメーション効果を活用し、操作手順の進行が、マウス・ポインタの動きなどでしっかり表示されること!

◆ ふたつめは、「サイバー音声」でありながら「できる先輩」の指導のような、的確な「ナレーション」が、全ページの随所で展開されること!(※ ナレーション数 110回!)

◆ ホームページ作成ビギナーの「つまずき!」は、意外と、ホームページ作成以前の疑問の積み重なりであることが多い! ファイルの保存手順や、フォルダの意味、『拡張子』が表示されない初期設定の設定変更方法、自分のホームページをいつもまっ先に開く設定方法 etc. これらを適時説明!

◆ ホームページ作成では、お金のかかるソフトツール類が必要という先入観を取り払い、Windows 付属のソフトと、無償のフリーウェアでこなす方法を伝授! 特に『アップロード』に欠かせないFTPソフト(フリーウェア)の、設定方法から使い方までの手順説明は手順動作が見えるので一目瞭然!
  ※ Windows は、米国Microsoft Corporationの、米国およびその他の国における登録商標または商標です。

◆ 当教材の自体が、マイクロソフト社から「無償配布=ダウンロード」できる『 Microsoft PowerPoint Viewer 97 』で鑑賞・学習することが可能!もちろん有償の専用ソフトなら再編集やカスタマイズも可能。
  ※ Microsoft PowerPoint は、米国Microsoft Corporationの、米国およびその他の国における登録商標または商標です。

◆ 当ソフトは、ビギナー個人が活用できるとともに、ホームページ作成「教室」のオリエンテーション用メディアとして最適! 液晶プロジェクタで、大画面画像と迫力あるサウンドが伴えば、集合教育の効果は抜群!

◆ 当ソフトの制作主旨は、市販の「簡易型ホームページ作成ソフト」をあえて使わず、「HTML」スクリプトで基礎からホームページ作成を学ぶこと! その最大の理由は、今後ホームページでますます重視される「XML」仕様に接近するには、「HTML」スクリプトをオーソドックスに学んでおく必要がある、という判断! だから、やがてホームページ作成の『プロ』を目指そうとする人にはお勧め!

◆ 今回のご提供は、<初級コース>編ですが、今後、「スクリプト」「タグ」の活用方法と、画像の加工方法などに踏み込んだ<中級コース>編、JavaScript や CGI 、そして「XML」活用を誘う<上級コース>編を、続編として企画中!

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 こうしたモノは、すでに数を忘れるほど頻繁に作り、随時公開したり販売したりしてきた。制作しながらいつも思うことがいくつかある。

 1.現在は、「道具立て」環境には不自由しない時代だという点。問題は、ニーズを汲み取り、コンテンツやコンセプトをいかに構築するかという点に違いないこと。
   ものを考えたり、学んだりすることがコアとなったジャンルには、まだまだ新商品の受け入れられる可能性が溢れていそうだ、ということ。

 2.「販売」というスタンスに立ってこそ、「趣味」レベルではお茶を濁しがちな不具合部分へのシビアな配慮と調査が生じ、制作側のスキル向上が図れること。ただし、制作者側に、「趣味」に通じる「入れ込み」がなかったならば、ろくなものはできないであろう、ということ。

 3.「売れる、売れない」の視点にはあまり拘泥すべきではないという点。現代の営業推移は広告宣伝効果に依存するところ大であり、そうしたコストを増大させて帳尻が合う時代はとっくに過ぎ去っているのではないかということ。(大量生産大量販売の終焉!)お互いに育て合えるお客さんとの遭遇を寝て待てばいい、ということ。
 ただ、インターネットを通じての「発信」だけは怠らないようにしたい、と…… (2002.12.12)

2002/12/13/ (金)  「スバル360」は、やはり「フラジャイル(fragile)」なもの……

 「スバル360」(富士重工)という軽自動車があった。これもまた昭和30年代前半の懐かしい思い出である。おなじみの『プロジェクトX』(NHK)でその秘話を知って、懐かしさがこみ上げてきたのだ。
 このクルマの思い出は、中学時代にある。M先生は、三年生の時にクラス担任となった音楽担当、ブラスバンド部顧問の先生であった。如何にも芸術家といった、静かで、重厚で、そして厳しさを漂わせる小柄な先生であった。そのM先生が、このクルマで通勤されていたのである。マイカーで通勤される先生が皆無に近かったこの時期に、M先生は三鷹から北品川までの距離をこの「スバル360」で疾走されていたのだ。
 高台の校舎へと向かうスロープを走り上る「てんとう虫」型の「スバル360」は、決して威圧感など与えるはずはなく、実に愛らしくスマートであった。小柄なM先生が運転されていたため、滑稽さとて感じさせはしなかった。

 このところ「フラジャイル(fragile)」というコンセプトにご執心なのだが、「スバル360」は、まさにこのコンセプトの範疇に属すると言える。
 ボディも小さければ、その鉄板も0.6ミリだかの薄さで、総重量も排気量と同じ程度の数字360キロほどであったらしい。しかも、価格も40万円前後と安く、開発プロジェクト・メンバーたちの願いであった庶民家族4人同乗でドライブができることが目指され、達成されたのだった。何から何までが、「フラジャイル」的なのである。
 これに対して、この不況の最中でも、街で見かけがちなズータイのデカイ現在のクルマは何と反「フラジャイル」的であることか! とりわけ、車高の高い四輪駆動のRV車は、何とかわいげがなく、シャイさもなく、感受性のないクルマであることか!
 一時期、自分もフラフラと関心を向けたことがあっただけに、自嘲の意も込めて、そんなクルマに出会った時には、必ず心の中で「ば〜か」とつぶやくことにしている。
 その種のクルマは、人身事故を起こすと、運転者は安全であるのに対して被害者は、車高の高いボディと重量、そして駆動力など何をとっても街中を走るクルマの水準を越えている反「フラジャイル」性によって、致命的な損傷を受けるとのことなのだ。

 この種のクルマに乗るヤツのことを、時々想像してみることがあったりする。
 空威張りタイプ、見栄張りタイプ、突っ張りタイプ、欲張りタイプ(どうも先ずは「張り」もの!タイプとして括れそうな気配?)とでも性格づけできようか。
 とにかく、トラックのように高いシートから世間を見下し、対して原野に出かけるわけでもないのに4WDを選び、高い重量税を負担しながらイキがり、公道をわがもの顔で走る姿がそう思わせるのである。がらの小さな旦那が、虎のように大きな飼い犬を散歩させているようで、よほど、自分に自信がないのをモノでカバーしようとしているかのような痛々しさがやりきれない。

 しかし、こうしたタイプの人間が、あっちこっちで闊歩しているのが、実は現代なのですと言えようか。こうしたタイプの奴は、まずクルマをステイタス・シンボルと信じ切り、大枚をはたくものなのか。
 時々、祭日などに禿げた頭をメットで隠し、出っ腹でぱんぱんとなった革ジャン、革ブーツで身をかため、乗用車よりも高いバイク、ハーレなんぞにまたがってパレードしてるオッサン連中がいたりするが、笑っちゃうよりほかない。
 もちろん家でも、億ション屋敷とか呼ばれてご満悦の方々もいらっしゃる。決して傍から見るほどには優雅に暮らしておられないことを知るなら、一応溜飲が下がったりする。 大枚をはたくだけがこの手合いの得意技ではない。場所がらもわきまえずに、身についた横柄な態度を押し通すというのが、はた迷惑この上ない。「なにさま」という言葉はこの人たちのためにあるのだと思わされるような不快さである。
 この手の方々は、この度外れた景気の悪さの中でどんなふうにお暮らしなのかつぶさに知ってみたいと思うこともある。

 で、「フラジャイル」にもどるなら、上記のタイプの方々は、決して「フラジャイル」なものなんかに目を向けないものである。そうした対象は、すべからくひ弱で、矮小で、貧乏たらしく、そして物理的・社会的に危険でさえある、とお考えのことかと思われる。 では反対に、繊細な感性や、体験などの有無という視点を離れるなら(というのは、感性や長い体験で「フラジャイル」なものに好感を持つ人たちもおられるから)、一体どういう理由が、ある種の人々を、「フラジャイル」なものに対して気掛かりにさせるのだろうか? こんなことを、今後じっくり、ゆっくりと考えてみたいと思っている…… (2002.12.13)

2002/12/14/ (土)  「幸福」発「気分」行きではなく、「気分」発「幸福」行きの切符を!

 天気が良いとこんなにも「気分」が晴れるものかと不思議に思った。昨夜も深夜まで仕事をしていたのだし、決して十分な休息があったからというわけでもない。にもかかわらず、窓に差し込む戸外の明るさだけで、日本経済が不況から脱出したような、と言えばうそになるが、とにかく元気はつらつとした「気分」が訪れた。

 顔を洗ったり、なんだかんだの朝のしたくをしながら、なんとなく思いを寄せたものだ。人の「気分」というのは、わかったようなわからないようなまさにとらえどころのないアバウトなものであるが、これがまた意外と重要なものではないかと。
 絵画や、デザイン、フォトでも、バックグラウンドの背景色が作品全体の印象を支配する。いや、テーマの訴求力にさえ甚大な影響を及ぼすはずである。背景色がブルーなどの寒色系統で占められてしまうと、前面に浮かぶオブジェクトはどうもがいても同系色ないし近似色系統で抑制せざるを得ないだろう。間違っても赤や黄などの暖色系の原色を置こうものなら場違いに浮いてしまう。悲痛感漂う葬式にかくし芸大会の出で立ちで臨むような図であろう。とかく、類は類を呼び、一度設定されたベースはその後の動向ににらみを利かすかのようである。したがって、朝一番の「気分」というものは、その日一日を左右するかのごとく貴重だと言えるのだ。

 わたしは、とかく何でもないことを意味あり気に考える性分だからこんなことを考えるのだが、「気分」というものは、どうも七味唐辛子やペッパーのような「薬味」ではないように思えるのだ。人のさまざまな営為の九分九厘までが整って、画龍点睛を欠かないようにと、湯気の上からぱらぱらとまく唐辛子のように、後からちょいと付け足されるような素性のものとは違うように思うのだ。
 そうではなくて、ひょっとしたら「先ず『気分』ありき!」が事実の真相なのではないかと思ったりしている。仕事がうまくいったから、物事に成功したから、人間関係がうまく運べたから「気分」が良くなるのではなく、いや、そういうこともあるだろうが、むしろ事態の真相は逆なのであって、何の拍子か「気分」が良かったために、その余裕で人あたりがよくなって人間関係が好転する、弾むような「気分」となっていたために頭の回転が速まり仕事がはかどる、「気分」の良さが明るさを生みおのずからラッキーを招来する、といったロジックこそが真相であるように思えるのだ。

 こうした「逆説」はちょっと真剣に考えてもいいのかもしれない。
 たとえば、もう半月も経てば正月である。誰もが何の不思議もなく「初詣」に出向く。そして、「今年こそは、……でありますように!パンパン」となる。が、本来は、大晦日あたりに神社に出向き、「今年一年、まずまずつつがなく過ごせましたことを感謝いたします!パンパン」というのが正解のような気がするのだ。神さまというものは、政治家先生のように、しつこく陳情されて、あるいはお布施をいただいて事にあたるような俗物ではないはずである。「言わずとも万事心得ておる!」というのが神様なのだ。そんな神さまには、行列を作って「陳情」もどきの「初詣」ではなく、ご報告まじりの「お礼参り」こそが道理に叶っていると、そう思うのだ。じゃ、自分は絶対に「初詣」に行かないかと言えば、やることのない正月は、絶対に行ってしまうのではあるが……

 ほかにも逆を考えた方が効果的だと思えることがありそうだが、とにかく「気分」に関しては、「幸福」発「気分」行き! では断じてなく、その逆、「気分」発「幸福」行き! の切符を買うべきなのだと信じる…… (2002.12.14)

2002/12/15/ (日)  大きな自然の摂理と現代人の心の奥底に密閉されてしまった「マグマ」!

 ウォーキングの際に毎度見かける「境川」のマガモたちはほんに可愛い。冷たくはないのかと余計な心配をしてしまうのだが、当人(?)たちは平気な顔をしている。
 だいたい決まったエリアに、一群が群がっていたりする。その個所に、動物好きの篤志家が食パンの耳切れなどをばら撒いてやるものだから、なおのこと活動エリアが固定化してくるのであろう。
 歩きながら、二、三メートル下の彼らの動きを見ていておもしろいのは、身体の下の水面下で、水かき付きの黄褐色の足をヒラヒラさせて目まぐるしく水をかいている姿である。水面の反射が消える加減で透視できるのである。流される方向へ向かっている時には余裕のあるかき方をしているが、流れに逆らう際には、模型船のスクリューが回転しているようにさえ見える。それでいて、浮かせているボディは前かがみになるわけでもなく変化がないのだから、そのアンバランスが何ともおかしい。

 彼らは、川底の藻を常食にしているようだ。尾っぽを天空に向けくちばし、顔、首を川底に突っ込んで、藻をあさっているのだ。その格好は、どう言ったらいいかと思案するが、太った竹の子が地面から顔を出している様子、とでも言えようか。
 先日、群れの中であわただしく動く一羽がおり、目をやると、定かにはわからなかったが「きつねうどん」に添えられる油揚げのようなものをくちばしで咥え、両端を垂れ下がらせていた。仲間たちにねらわれることを恐れてか、猛スピードで「スクリュー」を回転させ、群れから離れようとしていたのだ。そこへ、「なになに?」と事態をかぎつけた二、三羽が追っかけて突進する。両端を垂れ下がらせていたのが運の尽きだったのか、その油揚げは別の追手に取り上げられてしまった。ああ、可愛そうに! と思ったが、それで幕は下りなかったのだ。奪われてしまったマガモが、再び油揚げ奪還に突進して、首尾よく奪い返し、そして咥えたまま流れに乗って群れから遠ざかっていったのだった。
 たまに喧嘩のようなゴタゴタを展開する様子を見る程度で、大体が規律を遵守してのおとなしい集団である。それだけに、油揚げの争奪劇は、「ほおー、やるもんだね」というちょっとした興奮を喚起させられたのだった。

 彼らは、もちろん飛べる。川の流れを滑走路と見立てるかのようにして飛び去り、また着陸もする。時々、所定の個所から群れの姿が消える時があったりする。群れでどこか別の場所へ移動していた時なのであろう。彼らの姿が見えない時は、なんだか寂しい感じとなるし、どうかしたのだろうかと心配になったりもする。
 要するに、わたしは身体のためというウォーキングの過程で、可愛いマガモたちという自然に、たいそう癒されていそうな気がするのである。これが毎日のことであるから、かなりの度合いで「自然人」(?)へと復帰させられつつあるのかもしれない。
 いや、それは誇張した言い草かもしれないが、ただ、マガモたちのような自然の摂理をのみ信じて、自然に命を託して生きている存在をそれとして目を向けていると、蓋をし続けて生きている、何か大きな存在の部分が照射されているかのように感じたりする。
 渡り鳥たちに餌をやり続けて何十年という偉業をなし遂げた、岩波書店のロゴのような格好の老人が、新春の番組で紹介さたりすることがあったが、十分にその心情が理解できる話だと思う。大きな自然の摂理とともに生きる感動は、やはり現代人の心の奥底に密閉されてしまった「マグマ」のようなものと通低しているのではないかと一人合点したりしている…… (2002.12.15)

2002/12/16/ (月)  黙って待ってなさい! は、顧客の「参画意欲」を確実に殺ぐ?

 パソコンで、ある処理を行ったとき、たとえば「ダウンロード」を行った場合、処理がどう進んでいるのかが当然気になるものだ。それなりの時間を要するものだとしても、途中経過が知らされず、まるで蚊帳(かや)の外にでも置かれたように放っておかれると、不安となってくる。最初のクリックがミスっていたのかという猜疑心が生まれ、よせばいいものを、再度クリックしたりして進行中の処理を台無しにしたりすることもあろう。
 最近のソフトは、そうしたユーザ心理を考慮して、プロセスをグラフが伸びるようなバーを表示するのが通例となり始めている。それでこそ、「マン・マシン・インタフェイス」が配慮されたプログラムだと言える。

 昨日、弁当程度の安い価格で販売している寿司屋へ買い物に行った。町田の休日はとにかくマイカー・ラッシュで人をイライラさせる。そのせいであったかも知れないが、店に入ってしばらくすると、猛烈に苛立ってきたのだった。
 ショウウィンドウの前には、無言の客が四、五人立っていた。店のパートらしきおばさん連中は、売り場の向こうに仕切られた厨房で黙々と寿司をこしらえ、箱詰め作業に没頭している様子が、仕切りの窓から見えた。
 まあ、ここで立っている待ち客のオーダーを作っているのだから、待てばいいのだろうと思い、しばらく待っていた。が、数分たってもその不気味な沈黙、パソコンで言えば「フリーズ」したような様子に何ら動きが見られないのである。
 待ち客も、何の会話もなくただただ托鉢僧侶のように無言で立っている。わたしは、この空間の進行している、あるいは停止している事態が飲みこめないものだから、苛立ちが極端に高まり、すんでのことで「スイマセーン」(この言葉もいやなものだ。なんで、悪いことひとつしない者が謝罪しなけりゃならないんだっちゅーの!)との決まり文句を発しそうになった。が、その時ようやく奥の厨房からおばさんが出てきて、接客対応を始めたのだった。
 どうでもいい、ささいな事ではある。しかし、このチェーン店のオーナーがこの推移を見ていたとしたら、人員削減の是非を反省するか、従業員の再教育を考えるかにいたるのではないかなと思った。

 接客対応がどうこうという視点で考えたのではなかった。冒頭で書いたように、ユーザなり、顧客なりに「プロセス情報の提供」がないとマズイのではないかという視点の問題なのである。
「今、あなたが、托鉢僧侶のように無言で立っている理由は、先に来たお客様のオーダーを奥で作って手が空かないためであり、誠に恐縮ではございますがしばらくお待ちください!」という程にくどくどしくなくともよいのだが、それが了解できる「インフォメーション」が欲しいのである。ショウウィンドウの上に、そんな「メッセージ」ボードを立てるだけでもいいのだ。

 以前に「インフォームド・コンセント」(医学的処置や治療に先立って、それを承諾し選択するのに必要な情報を医師から受ける権利)について書いた。寿司屋の店頭で待つくらいのことで、こんな大仰な人権概念を引っ張り出すのはどうかとも思うが、ここは、これからの商売にとって極めて重要なツボだと思うのである。
 これからの商売は、「個人の意思の尊重」を第一義と見なさなければ成り立たないだろうと思っている。「自由な判断・選択」と、それを促す前提情報の過不足なき提供だと言える。加えて、顧客側に余計な心配をさせたり、無駄な時間を使わせたりすることも絶対に避けなければならないであろう。
 逆に、顧客側が好感を抱いたり、自尊心に満足感を覚えたりした場合には、その人は固定客になるだけでなく、「隠れ宣伝マン」の役まで果たしてくれるに違いない。
 昨今多いDM(ゴミ箱直行便)、DMメールの「未承諾広告」で、潜在的顧客を結果的に「蹴散らす!」ようなことをするくらいなら、現代顧客の心理をこそ性格に掌握すべきものだと思ったのである…… (2002.12.16)

2002/12/17/ (火)  日本人の「個性的」幸福観形成は至難の業なのかもしれない?

 わたしは古い世代の、何でも有り難がる姿勢が好きだ。その反対に、誰に間違って教わってきたのか知らないが、何にも喜ばず、何にも感謝できない人間が嫌いだ。
 どうしてこんな違いが生じるのかを考えてみると、個人差もあるには違いないが、時代が形成する「欲求スタンダーズ(その時代の欲求充足標準値?)」とでも言うべきものに関係しているのであろうか? つまり、この時代に生きている者にとっては、こうした種類、こうした水準の欲求充足はあって当然という感覚の流布によって、先入観が与えられる、というふうに。

 とかく、わが国ではこうした「欲求スタンダーズ」がいつの間にか設定されがちであった。いわゆる「三種の神器」とかいう無責任なスローガンが、1950年代後半〜60年代前半に「白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫」が庶民の欲求ターゲットとして謳いあげられた。また、1960年代後半〜70年代前半には、「3C」と称して、「カラーテレビ(Color TV)、乗用車(Car)、ルームクーラー(Cooler)」がリストアップされたものだ。
 これらは、経済の発展、しかも「大量生産・大量販売」の経済にとっては、有効な需要操作であっただろうが、今となってはその弊害をこそ指摘すべきだと思われる。
 その1は、こうした出所不明でありながら、心理的圧力を秘めた「欲求スタンダーズ」の設定・流布は、個人生活にとって余計なお世話である「目標」もどきを与え、奇妙な「先入観」を埋め込むことになる。そして、これらの方向から外れないようにという奇妙な「強迫観念」を与え続けた点。
 その2は、「横並び」意識を植えつけ、「個性的選択」意識を遅れさせた点。しばしば、全員が「画一的に」充足されてから「個性的選択」が芽生えると言われ、前者は後者のための前提だと見なされてきた嫌いがあった。もっともらしく聞こえはするが、ウソのような気がする。
 さまざまな種類の動物たちは、ある程度体力がついてからそれぞれの種類の相貌へと変化してゆくのだろうか。それまでは、「画一的」な仮の格好をしているのだろうか。そうではなく、魚は卵を破った時から魚という独自な相貌をしており、マガモも、そして猫もそうである。つまり、「個性化」の道程は、端っから始まっているのであって、「画一性」にこそ慣れ親しむと、その軌道修正ははなはだ困難だと言うべきなのではなかろうか。
 「欲求スタンダーズ」にこだわる理由は、モノへの欲求に関する問題よりも、幸福観などといった心理的、精神的分野で、同じような「画一的」スタンダーズが機能していたのではないかという危惧があるからである。
 何だか、幸福な家族関係という所定のパターンなりイメージがあるかのような時代が支配し続けてきたような気がする。国民が極めてよく似た家族生活をしていた頃には、そうしたものが事実上通用したかもしれない。しかし、時代環境の急変は、個人生活のバラツキ(個性化とは言い切れない)と、家族生活のかたちのバラエティを急速に進めただろう。それこそ、志村けん曰くの「カラスの勝手でしょ!」が広がった。

 そんな実情でありながら、幸福感のスタンダーズのようなものが横行しているとするならば、それは肯定的な目標意識を与える機能を果たすどころか、「あなたは、幸せではないのだ!」と囁き、自立的、個性的な幸せ探求への挑戦に冷や水をかける強迫観念の機能しか果たさないのではないかと懸念しているのである。
「どうしてウチにはお父さんがいないの?」
と問う子どもに対しては、
「ヨソはヨソ、ウチはウチ! 楽しけりゃいいじゃない!」
と、言いのける姿勢からこそ逞しい幸せがつかめると考えてはいけないだろうか。
 と同時に、自分自身で追求したい幸福というイメージを作り出せなければ、幻想でしかない幸福一般のイメージによって常にに脅かされる不安がつきまとうことにも目を向けておきたいと思っている…… (2002.12.17)

2002/12/18/ (水)  青春時代が夢なんて あとからほのぼの想うもの……

 山崎 正和氏(劇作家・評論家、東亜大学教授)が、ラジオでの対談で、「青春」という観念というか、言葉は、決して普遍的なものではなくて、特殊な時代背景を背負ったものだと話しておられた。同氏によれば、特に日本では、明治・大正・昭和の旧制高等学校(「寮歌」で知られた「全寮制」の全人教育! 新制大学の教養課程に相当)が設置されていた時代に形成され定着した言葉、観念だと言う。自由、不安、エリート意識などによって特徴づけられる、同氏によれば「中二階!」(子どもでなく、大人でなく……)、それが「青春」に盛り込まれた意味であった、と。
 また、工業化が進む過程で、地方から若年労働力が都市に駆り出されていった経緯なども、「青春」という言葉が社会的に定着してゆく駆動力になった、と。いわば、工業化時代の社会環境と親和性を持つ言葉である、とも指摘されておられた。

 ややもすると、甘美なイメージを湛えた「青春」というものは、誰にでも訪れる二十歳前後の時期を、超時代的に指すものだと決め込んでいた。だから、時代背景とともにあった言葉、観念なのだと言われると、やや意表をつかれるものがあった。

「 卒業までの 半年で 答を出すと言うけれど 二人が暮らした年月(としつき)を 何で計ればいいのだろう 青春時代が夢なんて あとからほのぼの想うもの 青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり

二人はもはや 美しい 季節を生きてしまったか あなたは少女の時を過ぎ 愛を悲しむ女(ひと)になる 青春時代が夢なんて あとからほのぼの想うもの 青春時代の真ん中は 胸に刺(とげ)さすことばかり

青春時代が夢なんて あとからほのぼの想うもの 青春時代の真ん中は 胸に刺(とげ)さすことばかり 」(『青春時代』1976年 阿久悠作詞・森田公一作曲 より)
[ http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/seishun.html ]

 この、森田公一とトップギャランの歌には、甘美な「青春」イメージに裏切られてゆく現実の様子が鮮やかに歌い込まれているように思う。
 わたしは、このように、聞きなれた「言葉」や固定観念となっているイメージに裏切られるという事実を、しっかり凝視したいと思っている。固定観念のイメージと自分の現実がかけ離れていることに嘆いたってしょうがないのであって、自分の現実こそが重くリアルなものだと胸を張るべきなのではないかと思っている。もちろん、独自でしかない自分のリアルな現実を、「言葉」や固定観念の紋切型の内容で置き換えることはむなしい。また、「永遠の青春」だの、「青春現役」だのと言葉の遊びをすることも、どうかと思っている。
 要は、「共同幻想」を誘うかのような「言葉」や観念に、無造作に心を許すべきではないと感じているのである。小難しいことを言えば、政治的な「言葉」や観念にしても、実態・実体との対応関係にこそ注意を向けるべきなのであろう。「社会正義」という「言葉」などは、その担保である実態・実体は危機に瀕し、死語にさえなりつつあると言ってよい。さまざまな「人権」でさえ、それらを本気で行使しようとしない者にとっては、形骸化していると言える。
 日々の生活においても、実態・実体を失ってしまった「言葉」や観念に寄りすがってわれわれは生きているのかもしれない。「ホンネとタテマエ」という「多重人格」行動様式を是認してきたわれわれは、その両者の乖離の極限にたどり着き、途方にくれているのかもしれないと思うことがある。

 山崎 正和氏の指摘するところも、たぶん同じではないかと勝手に推測している。「言葉」はいつも限定的な背景を背負って生まれてくるに違いない。限定された時代、限定された立場や環境の人々にとっての実体と結びついた「言葉」が、即、自分のものとなり得るかは、自分の体験が決めることなのだろう。決して、「言葉」に振り回されたり、翻弄されてはいけないのだと思う。そうした検証をしてゆくことが、考えるということであり、自立して生きるということなのであろう。
 この点は、昨日書いたことともつながっていて、人が「幸せ」になれるかどうかとも深く関わっているとともに、現代のような雪崩現象が起きかねない「危ない」時代にとっては、キャラバン・シューズのスパイクのように重要なことだと思っている…… (2002.12.18)

2002/12/19/ (木)  「言葉」の意味を担保する「共同体験の場」の痩せ細り! <その1>

 ある経済団体のトップ・リーダーが、小泉首相は一国の首相として、国民に丁寧に説明することを怠っている、と「苦言」を呈していた。ある意味では現在の国民的苦境の大元にある「構造改革」の件、そして「デフレ不況」の見通しのことを言っているようだ。
 この間、小泉内閣支持率は大幅に低下している。すべての改革案件が無責任な「丸投げ方式」であることに、マスコミも歯を剥き始めた。そんな苦言は出るべくして出たと言うべきなのであろう。
 ところで最近は、政治問題についてあまり書きたくなくなっている。愚かしさの何乗もの姿に込み入っている政治問題については、できるなら避け、もっと実のある根源的なテーマについて考えたいと思っているからなのだ。
 だが、上記の「苦言」は、捨ててはおけない。もう、だいぶ以前から領域を問わず指導者、責任者の「説明責任」という指摘と社会的関心が盛り上がっている。「結果責任」もさることながら、状況の推移や、事態がなぜうまくいっていないのかなどに関して、責任者は責任を負う相手に対して、まさにきちんと「説明」をする責任があるということなのである。
 現在のわが国の不幸の原因の大きなものに、「官僚主義」の弊害があるが、その問題のひとつが、国民や市民に対して「説明責任」を果たしていないという点であろう。先日も、厚生労働省が同省が認可した「末期癌向け抗癌剤」によって多くの死者が出ている事実を公表していなかったことが問題視された。
 こうしたわが国の恥ずべき傾向を改革しようとする首相自身が、「説明」に言葉を惜しむというのは、危機的状況との間に、致命的なミス・マッチがあると言わざるをえないと思うのだ。と言うより、小泉首相は、国民に自由に、勝手に想像させることによって評価だけを刈り取る「ポーズ屋」さんだったのだから、「構造改革」などというシビァな内実の中身は伏せるに限ると読んだのかもしれない。まさか、理解や説明が不能だったというわけではないのだろうから。
 こんなことを考えていたら、国会での首相による「所信表明演説」を衆参両議院でダブって行うのは無駄だと、小泉首相は考え、一回にすることを提案しているとのニュースが入った。そりゃあ、国民とて無内容な演説を聴くのは少ない方がいいかも知れないが、余程「説明」を惜しむ首相なのだと思えたものだった。

 で、政治の話は端折ることにする。より大きなテーマは、この現代という怪物的状況における「説明」という難問なのである。これは、わたしがかねてから関心を寄せてきた「インストラクション(教育、与えられたり教えられる知識・情報など、教えること、レッスン、指示、命令。……『ウェブスター大辞典』より)」という問題、もう少し幅を設ければ、手垢に汚れ過ぎた言葉なのであまり使いたくないが「コミュニケーション」という問題などと密接に関係するテーマなのである。
 「話せばわかる!」と、むかしこの言葉を叫んで凶刃に倒れた政治家がいたが、わたしの観測では、現代のさまざまな不幸、悲惨、悲劇、対立、戦争、テロなどの問題は、上記のテーマが絶望的なほどに困難となってしまっていることと深く関係していると思う。
 もちろん、たとえば相手を殴った者がなぜ殴ったかの理由をきちんと意思疎通したからといって、殴った事実と殴られた相手の感情が消えうせるわけではない。否定しようのない行動事実が原因として残ることは言わずもがなではある。
 しかし、そんな行動事実がなぜ生まれたのかとか、その後の和解のプロセスとかにおいて、両者の意思疎通のあり様如何は、決定的な重要性を持つものに違いないだろう。にもかかわらず、現代という時代は、意思を持つ者同士の疎通がきわめて困難な状況に置かれている、という点が懸念されてならないのだ。

 図式的に鳥瞰するならば、「言葉」がいらないほどに密着した共同生活をしていた人間関係(共同体!)が、「言葉」なしには成立しない人間関係(個人優先社会)へと急速に移行した上に、なおかつ「言葉」の意味を担保(裏付け)する「共同性=共同体験の場」が見る影もないほどに痩せ細ってしまったこと、これらがどうも今日の不幸のアウトラインとなっているように思われてならない。とくに、無造作に「個人主義」が賛美される現代にあって、必要な時期に必要な「共同生活」が与えられにくい環境については再考されるべきなのかもしれない。

 家族という卑近な場を例とするなら、子どもの自立過程とは家族共同体から個人生活者への移行だとしてとらえられる。この際、この移行期の過程はいわばきわめて不安定で危機的な色合いの強い時期(思春期は、昆虫の脱皮や、中高年の更年期に匹敵!)であるところから、何がしかのサポート、訓練が必要となる。
 実のところこのサポートとは、他者との意思疎通に必須の「言葉」とその扱いをマスターさせることではないかと考える。言葉などは二、三歳から口にしているはずだと思えるが、それはいわば家族共同体の中での内輪の言葉、甘えそのものの言葉ではないかと見なせる。
 自我をベースにして他者と向き合う際に必要となる「言葉」とその扱いは、それまでは用意されていなかったと言うべきなのではなかろうか。そして、この「言葉」を検証し、自分のものとしてゆく時に必要となると思われるのが、「共同体験の場」ではないかと推察するのである。
 自我をベースにして他者と向き合う際に必要となる「言葉」、その中には、自我の衝突を避けるための挨拶や謝罪に関するもの、自分の考えを説得的に主張する仕方に関するもの、"Let's 〜"と言って共に〜することを呼びかける仕方に関するものなどいろいろとありそうだが、それらを具体的な行動・しぐさと「対(つい)」となって学ぶことが必須だと思うのだ。

 かつてのわが国の生活習慣では、これらの学習が行える場はいたるところにあったような気がする。家庭内でも、大家族でありおまけに子ども部屋などという「個室」などなかった大部屋、オープン・フロアでは、否応なく「言葉」としぐさのペアを学ぶことになったのだと思う。
 さらに、地方では「青年宿」というようなこの時期の若者たちによる「共同生活」が制度化されたりもしていたようだ。
 ところが、家族は「核家族」形態へと雪崩れ込み、この時期の「子ども大人」は、受験勉強を御旗にして「個室」生活を敢行することが通例となってきた、または大人たちはそれを是認してきてしまった。これは、「引きこもり」予備軍を作り出す可能性を高めたとしても、他者と向き合う個人への成長を促す上では問題が大き過ぎたと思っている。
 思春期の者たちの問題とともに、「ワーカホリック、仕事人間」となって家庭、夫婦間での「共同体験の場」を希薄化させ、「言葉」を不毛なものにさせてきた大人たちの問題、わたしも含め日本の中年男性の多くが反省しているやっかいな問題も控えている…… (2002.12.19) <明日につづく>

2002/12/20/ (金)  「言葉」の意味を担保する「共同体験の場」の痩せ細り! <その2>

 「情報化社会」について議論される時、不思議と黙殺されがちなのが、「情報」の意味を確定する「デコーダー(decoder):復号器」的部分ではないかと懸念している。均一を旨とするハードウェア・システムであれば、「エンコーダー(encoder):符号器」で符号化された情報は、対応する所定の「デコーダー」によって、あたかも解凍されるように当初の情報に復元される。
 しかし、人間の「言葉」という「情報」は、「言葉」自体の複雑さに加えて、「エンコーダー」「デコーダー」の両者の役割を司る人の脳はあまりにもまちまちであり過ぎる。まさに個性的なはずである。しかも、現代の「言葉」という「情報」の変化と多様化は目まぐるしいものがある。ある人の発信した「情報」が、誤解なく無難に別の人の個性的な脳で「デコード」され、額面どおり理解される場合は、むしろ奇跡に近いとさえ言えるのではなかろうか。
 こうした危ういコミュニケーション環境は、当然何かによって支えられなければならなかったはずなのである。それを、昨日は共同生活の中での「共同体験の場」と言ったのである。
 たとえば、「彼がそう言ったのは、彼の日頃の行動からすれば、〜という意味に違いない!」というような場合、「言葉」は、日頃の「共同体験」によって解き明かされていると言える。「共同体験」は、「言葉」の意味を確定する上で最も重要な役割を果たすに違いないと考えられよう。「隠語」や「スラング」が、濃厚な「共同体験」を持つ仲間同士の間でこそ生まれる事実を想像すれば頷けるはずである。

 ところが、高度「情報化社会」とは、「情報」がローカルな仕切りを越えて、まさしくボーダレスに、グローバルな地球レベルにまで範囲を拡大させたコミュニケーション環境なのだと言ってよい。もちろん、言語システムの違いがあり、文化の相違があり、感性の異なりもあるそんな異質な「エンコーダー」「デコーダー」を働かす者たち同士が、意思疎通を図ろうとしているのである。これは、「情報」が一人歩きしている姿だとも言えそうである。
 こうした最も外側の事態を思い浮かべながら、ローカルで、日常的な場ではどういう事態になっているのかを考えてみるとどうであろうか。

 平均的な現代人の「止まり木」の場所は、@ 家庭、A 職場または学校、そしてB サード・エリア(?)の三箇所ということになるのであろうか。
 まず、@ 家庭であるが、自営業者は別としても一体どれほど濃厚な「共同体験」がここでは展開されているのだろうか? 簡単に気がつくことは、一日の多くの時間がA 職場または学校で費やされる時間で占められてしまっていることだ。そして、残余の時間は個人的に疲れを癒すこと(家族「一体での」レジャー、娯楽は想像しにくい)と、マスメディア(テレビ)との接触で消費されてしまっているのではなかろうか。小さな子どもがいれば、若干事情が異なってくるのであろうが、そうでもなければ「共同体験」が濃厚であるとは決して言えないような気がする。
 NHKのホームドラマが、しばしば飲食店とか、何かの製造業とか、さらには農家とかの自営業者の家庭を舞台とすることには、重要な意味が隠されていると思われる。要するに、サラリーマンの核家族では、余りにも家族としての「共同体験」時間が少なすぎるからではないだろうか。食事という家族とともにする「共同体験」ですら、リストラに勝ち残ったサラリーマンの夫には与えられていないのが現実であるのかもしれない。
 また、家族個々人が一日の間に「情報」交換するその「情報」の大半は、他の家族とは「無媒介的に」個々人で処理されてしまうことが多い。(ケータイの普及!)
 そして、夫婦関係の問題が浮かび上がってくる。「共同体験」の先細り傾向と、両者間で得る「情報」量のかなり大きな差などを考慮するなら、夫婦の意思疎通は常に危うい状況にありそうな気がするのだ。

 次に、A 職場または学校での「共同体験」についてである。
 今や、家庭よりも実体をともなった「共同体験」がありそうだと想像される、いやされてきた。少なくとも、わが国のこれまでの常態であった「仕事人間」的中高年にとっては、ほぼ確実にそう言えたのであろう。「家庭よりも仕事が大事!」と言い切った「仕事人間」には、そう言わせるだけの職場による拘束力と「共同体験」が存在したはずなのだ。妻との会話以上に、職場での同僚との会話の方がスムーズだという感覚もあったであろう。
 職場での「共同体験」という時に、真っ先に念頭に浮かぶのは、それを通じた知識や情報の伝達・継承であったかもしれない。かつては、「オン・ザ・ジョブ・トレーニング=OJT」という形での後継者育成が一般的であり、「やって見せ、言って、聞かせて……」というまさに「共同体験」に基づく教育が常態であっただろう。
 一般勤務も、オープン・フロアという大部屋で、必要な時は「フェイス・トゥ・フェイス」の「打ち合せ」が頻繁に行われた。こうした「共同体験」的接触は、単に相互の感情的安定を促進しただけではなく、その接触を通じて相互の緻密な情報交換とスキル・アップが図られたはずである。
 だが、ここへ来てリストラが進み、余剰人員が極力殺ぎ落とされた現在の職場では、事態は寒々としているのかもしれない。OJTどころか、社内教育自体が即戦力重視の結果比重を下げ、かろうじての教育はコスト安のOFF・JTに切り替えられているに違いないからである。
 また、「フェイス・トゥ・フェイス」の「打ち合せ」も、社内イントラネットという情報ネットワーク・システムによって、PC画面上で展開されることが多くなってきたはずである。まあ、これもデジタルを媒介にした「共同体験」であるには違いないのだが、わたしが今、懸念しているのはこのデジタル「共同体験」には、従来のアナログ的、人間接触的な「共同体験」を、前提として必要としているのではないのか、という点なのである。
 今、職場ではやはり、形骸化した人間関係が広がっているかの印象を受ける。とにかく、アウトプットを吐き出すという掛け声ばかりが鳴り響いていると言えよう。それはあたかも、農民から、雑巾の水を絞れるだけ絞るというイメージに酷似する。
 しかし、その水を含んだ状態こそが「共同体験」そのもののように思える。それを常に吐き出すということは、何か貴重なものを提供する基盤を常に空虚にしておくような愚行なのかもしれないのだ。
 現在の職場では、相変わらず「青い鳥」を探すように「創造性」について言葉だけは云々されているに違いない。
 以前にも書いたが、「創造性」に関係しての話で、「知識」には「形式知」と「暗黙知」または「経験知」とが含まれるという。詳細を省くが、後者の「暗黙知」または「経験知」こそが、より大きな「創造性」に開花する可能性が注目されているのだと思う。そして、それらは、当該の場における「共同体験」に根ざしているような気がしてならないのである。にもかかわらず、現在、大半の職場では、「創造性」のための大事な「揺りかご」が、次々に廃棄されているのではなかろうか…… (2002.12.20)  <まだ、明日につづく>

2002/12/21/ (土)  「言葉」の意味を担保する「共同体験の場」の痩せ細り! <その3>

 最近「セレクトショップ」という言葉をよく聞く。ひとつの「重要なサイン」だという気がする。
「セレクトショップと呼ばれる店に人気が集まっている。ある嗜好(しこう)を持った客にあわせて、お店がお店の目でいいと思った商品を選び、売っている営業形態の店である。もちろん、大きな店もあれば、ネットだけのビジネスもある。生活者は、その店の選ぶセンスを気に入り、その店の目を信じてやってくる。店の売り物は、商品ではあるが、それ以上に商品を選ぶ目である。そういう意味では、モノは作ってはいないが、モノを選ぶ目やセンスがお店をブランド化していると言える。」(『朝日新聞』 2002.12.02 「経済気象台」「選ぶという価値」より)

 平均的な現代人の「止まり木」の場所の、B サード・エリア(?)での「共同体験」について書こうとしている。わたしは、ここでの「共同体験」の可能性が一番強まっていくのではないかと推定している。もちろん、@ 家庭、A 職場または学校 などと競合するものではない。むしろそれらも、この「サード・エリア」的色彩を強めてゆけばいいということになる。
 上記の「セレクトショップ」とは、従来型の縁(地元の店だからとかいう地縁や、何らかの義理があるからとか)によるものではなさそうだ。また、ただただ安いからという功利的な観点などでもない。自分の好ましい選択と共通性の高い選択をするショップに好感を持つという点にポイントがありそうだ。つまり、自身の「個性」や「センス」、「趣味嗜好」のクローズアップだと先ずは言える。
 ただ、わが国の国民がそうしたパワーをどれだけ高めているかは定かではなく、「セレクトショップ」への関心とて、気まぐれだとも、選択の依存だとも、皮肉を言う気なら言えないわけではない。

 かつて、堺屋太一氏は、わが国の人間関係の変遷をおもしろいキーワードで説明したことがあった。地域の共同体的なつながりが中心であった「地縁」社会が、職業ないし会社関係の人間関係が前面化する「職縁」社会へと移行し、バブル崩壊とともにその「職縁」社会も乗り越えられようとしている。そして、新たに浮上する関係は、「好縁」社会だと言うのである。
 「情報化によって鮮明になったことの一つは、人間の欲求が、客観的に計り易い物財やサービスから、計り得ない主観的満足へと変わっていることである。そしてそれこそが、知価社会を生み出す原動力である。情報化はその一部、ITの発達で急速に露出した一角に過ぎない」(堺屋太一『日本の盛衰 ─ 近代百年から知価社会を展望する ─ 』PHP新書)
 情報化をきっかけにした消費社会の進展は、「個人の主観的満足」を満たす「ブランド」「デザイン」などといった無形の価値(=「知価」)を押し上げつつ、知識や知恵、そして感性の価値を新しい時代の主役にさせつつあるという。それが「知価社会」であり、そこでは人々は、「個人の主観的満足」を満たすモノやサービスを「縁」にして、従来には見られない「好縁」としての人間関係を形成する、というのである。

 確かに、わが国の現在の倒産と失業が深刻化するデフレ不況の最中では、また異なった動きも予想されるとは思っている。しかし、従来の人間関係、社会関係が、「地縁」社会にせよ「職縁」社会にせよ、『生産』を軸にした関係であったのに対して、『消費』の場の、しかも「個人の主観的満足」を軸とする人間・社会の関係という舞台に移行しつつある、という指摘は、ある意味での実感的リアリティを伴っていそうである。こんな不況の中でも、ボランタリー組織も含めて、元気のある集団とはだいたいそうした集団であるとも言えそうだ。学校時代の「クラブ活動!」的集団なのだと言えようか。
 わたしが、「サード・エリア」での「共同体験」のみが濃厚化してゆきそうだと推定している背景にはこんな事情が潜んでいるからなのである。

 問題意識の原点に戻るなら、社会の情報化の進展の過程で、人間関係での意思疎通が危うくなっているのではないかということであった。人間関係での「言葉」という情報を通じた意思疎通は、絶えざる「共同体験」を下敷きにおいてこそ完成するものなのであろうが、いたるところでその「共同体験」は割愛され、過小評価されつつあるのかもしれない。
 おそらく、情報化の進撃はもっともっと過激に突き進むはずだ。「共同体験」の場は限りなく消滅させられてゆき、その結果としての「個人主義」化がさらに度を越すのであろう。そして、個人にとっての「情報」の意味が、ますます「不確か」で「不安定」な色彩を濃くしていくのだろうか。
 ケータイやインターネットという先端の情報化ツールが、「いま、なにしてた?」といった類の情感の交流目的で使用されていることが多いという実態を思い浮かべると、何だか時代は、まずまずおとなしく遊んでいる子どもたちに、使い勝手の悪い高級玩具を無理やりあてがって子どもたちを当惑させている、といったやらなくてもいいことを必死で進めているような気がしないでもない…… (2002.12.21)

2002/12/22/ (日)  PCを活用するなら、PCメンテナンスは必須!

 コンピュータ環境は確かに便利ではある。だが、手数のかかることも確かなのだ。
 この休日、日頃手を抜いている家事のひとつでもやるべしと考えていたところ、PCにちょっとしたアクシデントが発生してしまった。複数のハードディスクのうちのひとつがクラッシュもどきに陥ったのである。
 システム・ディスクではなく、また、唯一のデータ・ディスクというわけでもなく、予備データを収めたHDDであったことと、完全なクラッシュは免れたため、データの復旧でなんとかなりそうで、ほっとしている。しかし、こんなことが起きると居ても立ってもいられなくなる性分なので、とうとう休日を丸二日費やすことになってしまった。

 PCを扱う上で、あるいはPCを便利に使えば使うほどに、決して完璧ではないPCの不具合にそこそこ遭遇することになるのである。処理の速さと価格の安さが競われて世に出されるPCのハードウェアとソフトウェアは、使い込むほどにその脆弱さもさらけ出されることになるわけだ。おまけに、ユーザとて人間、避けがたいヒューマン・エラーをたっぷりと仕出かすものだ。したがって、PCを達人的に使うということは、単に技だけではなくて、同時にPCへの面倒見が良くなくてはならない。職人は道具を大切にするというが、PCを活用し頼りとする者は、PCの保守、メンテナンスにしっかりと労力と、場合によっては投資もしなければならないだろう。

 今回のHDD不調も、決して突然というわけではなかった。だいたい、必ずといっていいほどに前兆としてのアラームがあるものだ。PC稼動時に時々「コトン、コトン」という軽い不調音があった。「うーむ、調子が悪そうだな」と認識はしていた。まあ、人で言えば、「クスン、クスン」という軽い咳のようなものであろうか。何とか持ち直すであろうという希望的観測と、最重要なデータを保存しているわけでもなかったため軽視してしまったのだ。
 が、やがて「読み取りエラー」が生じ、そしてドライブ・チェックを行うと途中でデバイス自体が消息を絶つところまで亢進してしまったのである。ただ、HDDというものは、精巧なものであるとともに、物理的な「何かの拍子に」左右されるいい加減な面も持っている。今までにも、絶望的な気分にさせられたあとで、いろいろと延命措置を施して九死に一生を得させたこともあった。
 いつぞや、社内で使っていた作業用のHDDが仮死状態となった折、HDDの基板回路の破損と推定して、同種類のHDDドナーを確保した上で、その基板の「臓器移植」を行い見事救命したことさえあった。

 要するに、簡単にあきらめてはいけないのである。これはと思い浮かぶ「手練手管」を試してみるに限るのだ。今回もそんな試行錯誤によって、どうにか捨てたくはないデータのみは救出することができたのだった。データの中には、自己努力の結晶というような何よりも重視したいものもあったりする。また、二度と入手することができないデータもある。もっとも、そんなデータならば、CDなどの外部メディアに保存しておくべきではあるが、事故というのは、そうした万全策を講じようと思いたった直前などに起きたり皮肉なものでもある。

 データにせよ、システムにせよ「バックアップ」策の手を必ず打っておく必要がある。 それは、自分自身のためなのである。PCとは、"Personal" Computer であり、"Personal" に使う以上、他の誰にも助けを求められない事態も発生するかもしれないのである。たとえば、パスワードを失念してしまった場合、誰が助けてくれるものでもないし、こうした極めて "Personal" な設定のかたまりがPCなのであるから、自前で対処するのが原則だと言えるのである。
 だからこそ、自身の身体と同様に、自分が面倒を見てやらなければならない対象なのだと心得ている。それにしても、最近は「ウイルス」の脅威もあるし、イージーに売り出されている大容量(120GB!)のHDD(バックアップなど不可能に近い!)という問題もある。身体の健康問題でもそうだが、すべからく個人の判断力が必須のご時世であろうか…… (2002.12.22)

2002/12/23/ (月)  真実はスゴイことになっているとか……

 歳出額の半分が国債など国の「借金」によってまかなわれるという前代未聞の国家財政には驚きである。誰が管理をしていたのか? その管理責任は問われないでいいのか? まったくあきれてものが言えない国である。ボランタリーのスタッフが手弁当で事をなしていたのならまだ話がわからないでもない。これらを専門職として携わってきた者がいるとするなら、こんなベラボウな事態に、よく恥ずかしくないものだと思う。要は、まるで不可抗力であったかのような顔をするそうした厚顔無恥な者たちが多いためにこんな結果になったのであろう。誰がやったってこんなにひどい結果にはならないはずだと思う人は、決して少なくないと思われる。

 こうした無策のツケはすべてが国民の負担に回ってくることを見つめれば、この国はなんと「不幸な国」なのかと、この年の瀬にしみじみ痛感させられるのである。
 だが、こんなことでかっかとしていたのではまだまだ読みが浅いのであって、もっともっと事の本質を洞察すべきなのかもしれない。
 先日、「相続問題」に関してやや茶化すかたちの内容を書いた。実は、まんざらフィクションではなく親戚関係の周辺で起きたことだっただけに、あのような書き方をしたのだった。書き留めたかった趣旨は、余り歳をとって金銭的な問題のみで心を掻き乱すことはないだろうという点と、裁判というものにとかく庶民が期待してしまう「正義」のための調停などということは、幻想に過ぎないという点であった。

 昨日、あるテレビ番組で、「犯罪被害者」たちの間尺に合わない苦痛のために立ち上がったNPOを紹介するものを見た。その被害者たちというのは、暴力団や、凶悪非行少年たちや、その他異常な精神状態のものたちによって、怨恨関係もまったく無い無関係な第三者として殺害されたり、重傷を負わせられた人々でありその家族なのである。これらの人々は、加害者が以外に軽い刑を受けその執行を終えた後にも、長い傷跡を引きずっているとのことである。ある方は、慰謝料の請求もできず多額の医療費の債務を背負い、またある方は、殺されてしまった息子さんがなぜ、どのように死に至ったのかも知らされずに、気持ちの立ち直りができずにいたりするのだ。
 問題は、偶発的な不幸などではなく、現行の裁判制度が「被害者の救済」という点に対して驚くほどに「無関心!」であるからなのだと、番組は指摘していた。たとえば、被害者は、裁判に関与できないのであり、もし事情が知りたければ、加害者の裁判を傍聴する以外に知る手段はないというのだ。
 また、被害者が、加害者に対する慰謝料請求などを望む場合には、弁護士費用、裁判費用をみずからが持ち民事裁判を起こさなければならないという。
 ちなみに、海外(たとえばドイツなど)では、被害者が加害者の裁判に参与できるとともに、その場で慰謝料請求を申し出ることもできるようになっているとかなのである。

 いかにも、わが国の現行裁判制度は間尺に合わない印象を与えている。「被害者の救済」という、誰もが目を向ける視点が欠落しているのである。しかし、それもそのはずであり、番組では、この点を、現在の裁判制度にあっては、「裁判とは、被害者を救済するためのものにあらず、国家の秩序の安定のためのものである」という現在の裁判の位置付けが紹介されたのであった。何と言う時代錯誤の発想なのであろうか。ここに、わが国の現在が、相変わらず「国家主義」の体質によって維持されている事実を見ないわけにはいかない。

 国の政策によって、度外れた経済の失態が拡大し、国民は経済的苦痛を背負わされるだけでなく、昨今の社会情勢を見れば一目瞭然のとおり、破れかぶれとなった者たちによる凶悪な犯罪社会の恐怖をも押しつけられているのではないか。
 上記の「被害者の会」の人たちは、決して他人事ではないはずで、いつ自分がその当事者にならされてしまうかわからない時代だと述べていた。たぶん、そのとおりだと言えるだろう。たまたま当事者ではなく、また制度の実態も知らなかったために勝手に楽観的な希望的観測をしてきた自分を恥じる思いがしたものだった…… (2002.12.23)

2002/12/24/ (火)  個人の生き方が、ここまで世界の動向の「関数」となってしまった時代!

 やはり、師走もあと一週間という時期になると気ぜわしい気分となってしまう。別に、年が改まるからといって何がどうということもないはずなのだが、いろいろと済ましておきたいことなどが頭の中を駆け巡り、気ばかりがせく。
 そして、事の処理を「効率的!」にと考えることとなってしまう。が、同時に、いよいよこの「効率」という言葉への態度決定が問われる時代となってしまったのだと感じたりしている。
 「グローバリズム(=アメリカン・スタンダーズ=米国型資本主義の世界浸透=環境破壊と貧富の差の拡大)」と、これに同調する日本型「構造改革」が一応タテマエとするキーワードが、この「効率( efficiency )」なのである。「効率」自体が悪いわけではないだろう。しかし「効率」第一主義となれば、それは猛威をふるい他の価値を排斥することにつながってゆく。これが大規模な風潮、トレンドとなるに至れば、その盲目的なうねりは、「効率」を原理としない多様な存在(地球環境を含む)を、一律に敗者たち、弱者たちへと追いやってゆく。当然の成り行きだということになる。「セイフティ・ネット」などというほとんど言葉の遊びでしかないものに期待をかける者はいない。

 今年の正月元旦に、わたしはまさにこのおぞましい風潮の猛威が人々をどんな運命へと引きずり込むかのイメージを得たものだった。つまらない現象ではあったが……

「 帰る道すがら、ようやく冬の午後らしい冷たい強い風がアスファルト通りを吹きすぎた。背中が押されるような一陣の風であった。
 歩道寄りの車道を、その風で紙コップがカラカラと飛ばされて行った。横倒しで転がるのではなかった。コップの中に風を湛え、吹き上げられ、着地して転がっては、また吹き上げられ、延々とはるか前方まで飛ばされて行くのだった。乾いたアスファルトを飛び転がる紙コップは、カラカラ、コンコンと派手な音をたてながら吹き飛んで行くのだった。

 側溝にでもひっかかって止まるものとばかり思っていた私は、どこまでもどこまでも飛ばされてゆく紙コップに、呆気に取られてしまった。と、ふいに、『翻弄される』、『弄ばれる』という言葉が心をよぎった。誰も止めることができない一陣の風、誰も助けてやることができないその転がり。紙コップは、翻弄されているとしか見ようがなかったのである。
 ようやく歩道に横たわった紙コップに近づいた時、私はそれを意を込めて踏み潰した。『もう二度と弄ばれたりするんじゃないぞ……』と思いながら。(2002/01/01) 」

 われわれにとっての過酷な状況とは、生活をして生きていくためにはこの「効率」という原理を念頭に置かざるをえないこと。ビジネスに携わっているならば、この原理を放棄することは不可能だと言える。しかし、もしこの原理に「白紙委任状」を許すなら、知らないがゆえに平気でいられるだけである最悪の結果、それに通じるルートに荷担してゆくこととなる。
 だが、この事実に気づき始めた人々(NGOなど)が増えつづけているという勇気づけられる事実もある。考えようによっては、現在のわれわれの深刻な苦境は、まさに「桁外れ」、十桁くらい異なった桁外れに大きな問題に遭遇しているのかもしれない。経済不況だとか、我慢すれば景気が回復するだとかといった水準の桁でないことは確かだ。「効率」を旨とする経済そのものの生き死にが問われ始めたレイヤー(層)の問題にぶつかっているのかもしれない。

 たぶん来年は、今最も未来を見失ってしまっているかに見える米国経済と、その推進役である米国という国家が、世界からブーイングを浴びるような事態を頻発させていくような予感がしてならない。自由な理性と寛容な柔軟性を誇りとしていた米国が、その資質を発揮できないほにどに硬直化していかないことを願うばかりだ。
 それにしても、個人の生活、生き方、幸不幸が、ここまで世界の動向の「関数」となってしまった時代はなかったはずだ。それほどに、「グローバリズム」が突き進んでしまったということなのであろう。もはや、世界の動向に目を向けることは、隠居して時間を持て余す年寄りの趣味なんぞではなく、現代人の必修科目だと言えそうだ…… (2002.12.24)

2002/12/25/ (水)  脳の「膨満感」を一気に解消、激しい「空脳感!」をもたらす、そんな消化剤!

 飲み過ぎ・食べ過ぎには胃腸薬「パンシロン」が効いたりする。もっとも、今年の年の瀬はそんな胃腸薬のお世話になるようなことはない。毎日、小一時間をかけてのウォーキングで労力をかけているのに、衝動的な飲み食いをする気にはならないからである。
 ふと、妙なことを思ったのだった。飲み食いの消化には胃腸薬がある。同様に、知識や情報の吸収、いや吸収ではなくともその消化に効くものが何かあるのだろうか、と。
 それというのも、今年一年を振り返ってみて、確かに文章はよく書いたものだ。書いたというより、書きなぐったものだ。しかし、じっくりと読んだ本の何と少ないことか。これではそのうちに「知的栄養失調」になってしまうのではないかと懸念したりした。

 情報収集が少ないというわけではなさそうだ。インターネットを通じた収集、新聞・テレビ番組などのマスメディアを通じた収集は、例年になく豊かであったかもしれない。が、老眼の進行や、日中にPCディスプレイを見続けるための目の疲れなどが災いしてか、読書量が芳しくないことに思い至ったのだ。
 で、思ったことが、知識・情報の消化剤はないものか、であった。脳の「膨満感(?)」を一気に解消し、激しい「空腹感!」を覚えるような、そんな消化剤はないものかと、マジな気分で考えながらクルマの運転をしていたものだった。わたしは大体マジな気分で、薄らくだらないことを考えるタイプなので、そしてなおかつ書く場があればこうして書いてしまうのである。

 とりあえず考えたことは、以下のとおりである。
 現代という時代環境は、当人が食べたくないものを食べさせ、飲みたくもないものを飲ませるといった厚かましいキャラを持っている。知識・情報とて同じ文脈に置かれているに違いない。さして知りたくもない情報が、「おひとつ、いかがです? どうです?」といったまるで客引きのようなしつこい格好で人々に迫りまくっているのだ。そして、よせばいいのについつい手を出してしまうのではないか。挙句、動機なき殺人ではなく、動機なき情報収集は、脳に不快な「膨満感(?)」を与え続けるのである。もちろん、新たな情報収集意欲などを減退させてしまう。ひどい場合には、情報アパシーにさえ突き落とされてしまう。
 何か、画期的な対処法はないものか? 新聞広告によく出ている「銀杏の葉を煎じて飲み、わたしは万病から解放された!」(月刊誌『☆快12月号』?)の類の意表をつく妙薬はないものか? と考えた。
 そんなものはあるわけがない。無難に、不器用に考えるなら、「膨満感(?)」ではなくて「空腹感!」を喚起するためには、方法はひとつしかないはずだ。身体を激しく動かすこと、運動をすることである。ウォーキングは、しっかりとそのことを悟らせたではないか……
 しかし、脳の「空腹感!」、いやここまでくれば「空脳感!」と言い換えるのが妥当かつ厳密なのであろう。で、その「空脳感!」とやらを喚起させるための運動とは、現実的に考慮するならば、一体何をすればいいということになるのであるか?
 それはたぶん、脳が汗をかくほどの最大の負荷である「考える」ということではないか、と目星をつけてみた。確かに、ごまかさずにテッテイ的に「考える」ことにのめり込むならば、必要な知識・情報への動機が純化され鮮明となるはずなのだ。それは丁度、徹夜を続けヨレヨレとなった最中に、「何が欲しい? カネか? 女か? それとも何だ?」と聞かれた時、すかさず「睡眠とまくら!」と答える迷いのなさに似ているであろう。

 そのとおりだろうな、と自分ながら納得したものである。徹底的に「考える」こと、ロダンの「考える人」のように本質的な問題を考え続けることによって、問題意識を鮮明にさせるならば、知識・情報への枯渇感が否応なく生まれるのだと思った。また、不必要なそれらを自然に回避する賢さも生まれるだろうと思えた。
 知識・情報への純化された動機を手に入れるならば、その貪欲さが、読書のあり方さえも制御していくに違いない。読みたいものは放っておいても読むだろうし、不必要な本は買っても読まないことになるだろう。「何冊読みました! 何回読みました!」と、小学生の読書週間でのせりふのような点にこだわることはないのである。

 が、決して贅沢は言わないのだが、仕事や資金繰りにも思い煩わされることなく、自然のふところに抱かれて、気が向いたら温泉にも浸かり、日中は野鳥の鳴く声に耳を傾け、夜半は遠い夜汽車の汽笛(今時そんなものは聞こえないか……)に注意を向け、わたしは静かに読書がしてみたいと思った(それが贅沢なんだよ、という声が聞こえる)…… (2002.12.25)

2002/12/26/ (木)  政府は、「イラ数」軽減に向け「目刺し」配布を目指せばァ?!

 わたしは最近、努めて「カルシウム」を摂取するよう心がけている。若い時分はさほど意識しては飲まなかった牛乳も、この頃は「低脂肪加工」とやらを飲むようにしている。また、家人が買い置きしながら一向に減らない「カルシウム剤」も時々飲んだりしている。いまさら背を伸ばそうなどという動機があるはずはない。せいぜい、飲兵衛の知人が「骨粗しょう症」のために転んで骨折したという話が頭の片隅にあるといえばあるくらいか。

 本命の動機は、神経の苛立ちを抑制する精神安定剤の働きに着目してのことなのである。もとより血の気の多い自分は、何かと腹を立てやすい。加えて、このご時世は神経を逆撫でするような事象が多すぎる。自分なりに何らかの対策を立てなければ、それこそ「憤死」(学生時代に、世界史の際にヨーロッパの教皇が正統派から外れて「憤死」したというのを知った時、「憤死」とはどんな顔をして、どんなふうに死ぬんだろうかと思いを巡らせたことがあったのを思い出す……)してしまうのではないかと危惧の念を抱いているのである。
 幸い、このところまずまずの精神安定状況だと言えようか。世の中は相変わらず七転八倒、悲憤慷慨、疑心暗鬼に、戦戦兢兢、一触即発、危機一髪に、絶体絶命、前途多難(今日のところはもうこれくらいで勘弁してやろう……?)であるが、修行を積む毎日と「カルシウム」の心した摂取によって、限りなくのんびり屋の牛に近づきつつあるのだろうか。このまま牛になっちまってもかまわないが、狂牛病が懸念されるといえば懸念される。
 しかし、とにかく世の中の皆さんは、苛立っているようだ。無理もないことなのだが、そのために余計に事態を悪化させたり、身を滅ぼしたりする行状がなんとも憐れに見えてならない。相変わらず、悲惨な「DV(デジタル・ビデオではない!ドメスティック・バイオレンス)」も横行している。
 最近、町田では最先端の犯罪も起きるようになってしまった。先日も「現金自動預入払出機(ATM)」破壊強奪事件がお目見えしたが、昨日は悲惨な「DV」がついに起きてしまった。
 同棲中の女性側の子どもが、同棲中の若い男性に暴行を受け意識不明の重態となってしまったのだという。よくはわからないが、想像できることは、不安定な心理状況の子ども、母親と女性の間で揺れ動きこれまた不安定な心理であるに違いない若い女性、そしてまともな父親役さえ困難かもしれない上に、難しい役柄を引き受けて揺れ惑う若い男性。一方で急かれるように期待する幸せの足元、この前途多難な関係には、一触即発を初めとする前述の四字熟語がすべて雪崩れ込んでしまうような苛立ちが潜んでいたのであろうか。
 ほかにも、傍目からは「動機なき犯罪」と見えるような惨い犯罪があいつぎ、「どうしてあんなことするんだろうね」と人々は眉をひそめる。しかし、時代や社会自体が決して真っ当でも論理的でもなくなれば、犯罪の動機も「物取り」「怨恨」「痴情のもつれ」といった古典的典型、『事件記者』『七人の刑事』時代の刑事たちが大原則とした犯罪動機の様相とは変わってしまっても無理もないのではないか。
 そして、もはや人間の精神や心理という難しい議論をするよりも、危険水域にまで高まっているに違いないストレス、苛立ちを物理的に係数化する時代となっているのではないかと思う。それはあたかも、気象情報の「不快指数」のようなものである。
 定期検診や、人間ドックでは、血圧値や空腹時血糖値とともに、この「苛立ち指数」(以下、「イラ数」と略す)を科学的に測定し、不慮の事態を招来する前に適正な治療を義務づけることとするようにしてはどうだろう。
 「犯罪の温床」という言葉があり、あやしげな酒場や、歓楽街が指摘されたりするが、もはやそんな整然とした「区画整理」は取っ払われ、国中にボーダレスなかたちで「犯罪の温床」が拡大しているのだ! と言えば言い過ぎだということになるのだろうか。

 来年度予算の折衝は終了したようだが、未来を切り拓く論理的な政治が無理だとわかっているならば、せめて国民の「イラ数」軽減、適正値への治療を目指し、「目刺し(カルシウム!)」を配るのもよかろう、牛乳を宅配するのもよかろう、なんでもよいから「カルシウム」摂取を促し、バカな政治を、ウットリと、あるいは笑っていなせるようにしてみてはどうなんだろう…… (2002.12.26)

2002/12/27/ (金)  「御用納め」は、できれば「誤用おさめ」でもありたい!

 今日は「御用納め」とやらである。われわれも一応、今年のお仕事は今日で「中断」ということになる。メールによる他社からの「御用納め」通知の中には、ドキッとするような「終業」通知という表現もあった。間違いではないものの、「廃業」を連想させてしまうそんなあぶない年の瀬なのだ。
 今年の「御用納め」は、何となく「誤用おさめ」の方がが妥当であるような気がしてならない。世相混乱の極みの中で、どうもいろいろなものが当を得て使用、活用されずに、誤用もしくは悪用される姿をみるからである。そうした誤用・悪用が、今年限りで止んでもらいたいものだと思うわけなのである。

 誰もがあほらしくなっているのが、選挙民からの信託を誤用・悪用する政治屋である。民主党、保守党からの離党と保守新党なる新党結成という茶番劇は、当事者たちの次元の低さを知らしめただけではなく完璧に選挙民からの信託を誤用・悪用していると言わざるをえない。中には、「比例」代表制という党への信託を、「職務上横領(?)」的に誤用・悪用された方もおられたようだ。今年は、この例が社民党にもあったはずだ。
 やはり、大変な勘違いをされておられるのだろう。あるいは、プロ野球の華やかな「FA」制と取り違えておられるのだろうか。はたまた、ローリング・ストーンのように転職に転職を重ねる若い世代の病に感染したのであろうか。いずれにしても、政治理念や意欲などあるわけもなく、あるのは一身上の都合だけだとお見受けする。

 今年は、「ショベルカー」も随分と誤用されたものだった。きっと彼らは肩身の狭い思いで、この年末年始の寄り合いに顔を出すことになるのだろう。ただでさえ、一頃のように、昨日はビル建設現場、今日は宅地増設、明日は高速道路というような繁忙さがなくなり、日がな一日青天井の駐車場で退屈三昧をさせられてきた昨今である。「御茶を挽く」連日連夜にあって、突然深夜におよびがかかったと思えば、ビル解体にあらず小さな「小屋」のぶっ壊しとくる。おまけに、お客たちは勝手に彼らを引っ張り出しておきながら、現場に放置してゆくというつれなさだ。こんな誤用・悪用がされ続ければ、もうトミーのモデル・カーのラインアップからも外され、子どもたちの熱い眼差しを浴びることもなくなってしまうのではないか、との悲観論も生まれる始末。

 ケータイも随分と誤用・悪用されてきた代表格なんだろうな。犯罪の温床とも言われる「出会い系サイト」「援助交際」「不倫関係」など日陰の湿った関係の取り持ち役を専任とさせられているケータイたちはきっと叫んでいるに違いない。「オレたちは、もっと明るく陽気な人間関係でお役に立ちたいのだ!」と。
 同じ主旨のことはパソコンも叫んでいるのかもしれない。とても一生懸命に使ってくれてありがたいと思っていたら、それがなんと新種ウイルス作りであり、主はハッカーとやらだったというケース。人を困らすことだけに熱意を燃やす困った人たちが後を絶たないのはどうしたことだ、と。また、輝かしい人類の未来に役立つ仕事を手伝わしてもらえると思っていたら、何と言っても軍需産業に、戦略的な株取引での使用が多い現実。経済活性化のためにと願っても、インターネットでの商取引にはトラブルが絶えないのが悩みの種だ、と。

 何かが狂ってしまったようだ。誤用・悪用とは、使われる道具とそれを使う人間側との関係で生じるものだが、言うまでもなく、前者をきちんと使いこなす人間側の能力が追いついていない点が至るところで問題となっているのだろう。
 ますます高度化する科学技術にせよ、社会システムにせよ、やはり主役たる人間の能力とセンスの向上がなければ、逆に不幸な結果につながりかねないのかもしれない…… (2002.12.27)

2002/12/28/ (土)  ネガティブな事象の裏にポジティブな発展への萌芽が隠れている!?

 「御用納め」も過ぎたというのに、まだ事務所に出て仕事をしている。おまけに、昨夜は久々の徹夜なんぞをしてしまった。帰宅に向けた運転をしながら、ここしばらく見ることがなかった夜明け前の空を仰いだ。たちこめた薄グレーの雲と、雲間に薄明るくのぞくライトブルーの空が、同系色のコンビネーションで味わいのある光景をかもし出していた。若いころには、しばしば徹夜となりさまざまな色調を織りなす夜明け前の空に親しみの思い入れをしたものだった、と懐かしさがこみ上げてきた。
 昨日からの疲れと倦怠を引きずってはいても、それにも増した冴え冴えとした頭が、「さあ、新しい一日が始まるよ!」と晴れがましく現れる空や、その光でリフレッシュされた街の新鮮な光景などと、何だか張り合うような感じが、いいといえばいい。また、疲れは取れているのだろうが、腫れぼったくきょとんと寝ぼけ顔をしている人々と顔を合わすのも、優越感といえば奇妙だが、悪くない感覚だと思えたりする。

 しかし、思うように作業が進まず、加えて睡魔と疲れの中で凡ミスを繰り返しながら這うような進捗を図っている時は、自分の愚かさへの自責の念と、不運さへの恨めしさが交錯し、実にみじめな地獄のトンネルを這い回っているのだ。
 調子が良い場合には、絶妙なインスピレーションが浮かび、遭遇するトラブル、難問も意外とほぐされるものだが、調子が良くない時というものは、すべてが裏目に出たりするのが不思議だ。そんな時にほぞをかむように思い浮かぶのが、『あああ、あの時妙な悪い予感があったんだよなあ。それに気がついてやめておけばよかった』という後の祭りの繰言なのである。あの時やめておけば、若干の不満は残ったものの、さっさと切り上げて今頃は暖かい布団の中で寝ていられたのになあ、とおまけの繰言まで出てくるから、なおさらのことカッカとなるし、苛立つことにもなる。すると、やることが冷静でなくなり、凡ミスが増えるという悪循環が始まるのだ。

 が、どこかでちょっとしたツキとでもいうようなきっかけを掴むと、そのはずみで形勢を逆転させることにもつながるのである。過去を振り返ると、3対1くらいの比率で、一発逆転勝利に持ち込み疲れを吹き飛ばし、残りの1は、まるで敗軍の兵が故郷に戻るような姿と心境でよれよれとなって朝帰りの帰宅をする始末であっただろうか。
 こうしたことに思いを寄せていると、いくつか考えることがある。
 そのひとつは、勝負事、ギャンブルとの類似点である。多分、勘をも含めた体調に起因するところが大きいのであろうが、人間の行動は、浮き沈みの「波」を形成するようだ。浮き上がる時には良い勘が働き万事が思い通りとなる。が、いったん沈み始めると勘が引っ込み悪い予感で満ちる。にもかかわらず悪い予感に逆らう自分がいたりする。そして、自制しがたい坂道を転がっていくようだ。
 ふたつめは、のめり込むほどに詰めてゆくと、「セレンディピティ」ではないが、たいていは何か貴重なものを掴みがちだという点である。負け惜しみという色合いもあるにはあるだろうが、『うむ、しかしこの点での新発見があったのはありがたいことだった!』などと振り返ることが多いのだ。この点は重要なことだと考えている。
 物事には常に両面がある。見える部分だけを見てそれに拘泥しないで、隠れた部分とその意味、意義に思いを至らせるならば、意外と心も落ち着くし、大局的な観察眼が養われるものだという気がする。

 現在、国内、国際を問わず時代環境は最悪のように見えたりする。このまま来年も流れに大きな変化はなく、突き進んでゆくようだというのが大方の見方であろう。
 もう悲観的偏りのものの見方にも、わたしは飽き飽きしてきた。そこで、天邪鬼な自分は、ネガティブな事象の裏にポジティブな発展への萌芽が隠れているというきわどい発想に熟達していくべきか、と考えたりしている…… (2002.12.28)

2002/12/29/ (日)  アル中問題に見え隠れする現代の問題絵図!

 なぜあんなアル中親子の家に出入りするのかと尋ねられたその男は、静かに答えていた。
「あいつの面倒を見てやっていると、こんな自分でも頼ってくれる者がいることを実感できて、心が落ち着くんだよね」
 その男も、以前に酒に溺れたことがあったという。一身でたたき上げて作った工場を、友人の連帯保証人となったばかりに、人手に渡らせてしまい、女房、子どもも逃げてしまったためだった。元社長は酒に溺れていた時期に、そのアル中親子と知り合いになったようだ。
 アル中親子とは、七十に近い母親と、四十台半ばのせがれであり、母親は年金だけを頼りとする、もちろん無職である。が、せがれもその年で長く無職を続けている上に、日中から酩酊状態を続ける毎日である。ゴミの山のようになった四畳半で、昼間から酔い崩れてブタのように眠る姿は、思わず眼をそむけたくなる光景であった。

 これは、ある民放が報じていたアル中をめぐるテレビドキュメンタリーの話である。
 そのせがれは、一時、元社長の励ましもあって働く機会にありつくのだが、また元の木阿弥となり、母親を残し突然死してしまうこととなる。
 この番組で思いを寄せた事柄は二つあった。ひとつは、もちろんアル中という酒への過度の依存の問題である。アル中患者が何らかの精神的な傷をきっかけにして、酒への依存を強めていったのであろう過去は、誰でもが想像できるところである。だが、精神的な傷だけがアル中患者を作り出す唯一の原因ではないはずである。精神的な傷などは、誰だってひとつやふたつは心のどこかに刻んでいるからであり、それが唯一の原因ならば、世界中の大人も子どももアル中でなければならないことになるからだ。
 原因の中には、心の弱さというよりも「強さへの間違った願望」がありそうな気がしている。しばしば、「あの人は気が弱いからああなってしまった」とか「あいつは意志薄弱だから酒がやめられないんだ」とかという、人間の弱さに原因を求める発想が採られがちである。
 その発想は、百パーセントの間違いではないと思うが、弱さを持ち出して美化してはならない部分があるように思えるのだ。

 先ず、酒に溺れた人間が他者に対してどう振舞うかをじっくりと観察すべきではないかと思われる。彼らは、決して自己の弱さを修復して他者と対等な立場に落ち着くだけでは満足していないように見える。むしろ、過度に尊大になり、傲慢になり、しらふの際の不安定で卑屈な自分のへっこみを何倍にもして埋め合わせようとするかのように見える。少なくとも、他者を対等な位置から引き下げることに関心が集中しがちである。
 とかく酔っ払いは、気持ちが大きくなって虚言も吐くし、ホラも吹く、しかし他愛もなく可愛いものだと、世の中は見なしてきた。確かに、たしなむ範囲で酒を飲んで酔う者に対しては通用する対応かもしれない。しかし、アル中となると問題は別だと思える。

 先ほどのドキュメンタリーで、こんな場面があった。
 元社長が、家族とも別居して父親としての役割が果たせなくなっている気持ちの埋め合わせもあって、その「せがれ」の誕生日にケーキを持ってアル中親子を訪れたのである。元社長は、父親の真似事のひとつもしたくなるじゃないですかとホンネを語っていた。真似事のスタートは順調に進んだ。が、やがて、「せがれ」は酔い始め、そしてそのケーキを何を思ってか、けなし始めたのである。
「ウヘッ、何だこのケーキ! まずい!」と言って、吐き出す。そして、他の者に残してあるケーキ本体にも自分の箸を突き刺したりし始めたのだ。
 この後にも、もうひとつの重要な問題が控えているのだが、ここで「せがれ」のしたことはアル中の言動がよく表現されていたと思えた。完璧な他者黙殺と、他者蔑視なのである。元社長の好意への感謝などは眼中にない。いや、むしろ、神のように尊大であると思い込む自分を表現する模索の行動なのかもしれない。少なくとも、他者や、他者の感情への配慮が完璧に消失し、他者攻撃へと転化している事実が読み取れた。
 これが、アル中は「弱さ」故ではすまされず、「強さへの間違った願望」と言った理由でもある。過度に酒に依存する者には、消しがたい他者(現実社会と言ってもいい)への「ルサンチマン(怨念)」が潜み、これと闘っているように思える、酒の力を借りて。だが、「ルサンチマン」が容易に消せないとわかると、酔った勢いでの他者攻撃へと反転してゆくのかもしれない。人の心理構造の中には、「補償」といういわば「埋め合わせ」があるらしいからだ。欲しいモノが手にはいらない場合、「あんなモノ、ほんとは欲しくなかったんだ」と思い込もうとする動きのことである。日頃おとなしいと評判の人が、飲むと豹変することがあったりするのはこの類なのだろう。
 ところで、なぜ「ルサンチマン」というような構造的なものが生まれるのであろうか。単なる恨みや、卑下ではなく、どっかりと根を下ろし、心に居座り続けるしこりの構造とはどんなものなのか?
 それはどうも、「自家撞着」だと言えそうだ。自分を卑屈にさせ、苦しめてきた、または苦しめている敵である「強きもの」(=他者や現実社会)! もし、その「強さ」がまやかしであると喝破できたなら、その呪縛から解放されようものだが、実は、何よりもその「強きもの」のイメージを追い求めている自分がいる! この「自家撞着」が、出口なしの屈折となり、恨みの構造体としての「ルサンチマン」を形成してしまう、のではないかと推理するのである。
 このループする回路から出るためには、真に「強きもの」のイメージを自分で形成していくこと、これは同時に「弱きもの」への間違ったイメージの是正以外にないような気がしている。「君死に給うことなかれ」と言い、「女というものは戦争ぎらいに候」と切り返すことこそが、「弱さ」(実は、わたしの「フラジャイル[fragile]なもの」への気掛かりとはこの辺に関係している)ではなく、真の「強さ」なのかもしれない、あるいは「強さ」対「弱さ」という対立構図自体が意義の薄い発想なのかもしれないと思う。
 しかし、「強さ」対「弱さ」という対立構図は、論理的な問題である以上に、感性の問題でもあるようだ。躾や教育による子ども時代からの「刷り込み」の痕跡が大きい。

 アル中問題から、やや普遍的問題へと踏み込んでしまった。
 で、「せがれ」の悪口雑言以降の話に戻ると、ここで元社長が「キレテ」しまったのである。テレビの取材カメラの手前、抑制はしていたものの、「せがれ」への憤りとともに「せがれ」をかばい気味となった母親に対してまで、バカヤロウ呼ばわりの感情をぶっつけるのであった。
 わたしは、どちらかと言えばやむを得ない成り行きと思えたのだったが、実は、もうひとつ別なことを考えていたのであった。これが前述した「もうひとつの重要な問題」なのである。つまり、元社長の、アル中親子への対応姿勢にも問題はなかったか、という点なのである。
「あいつの面倒を見てやっていると、こんな自分でも頼ってくれる者がいることを実感できて、心が落ち着くんだよね」とホンネを語っていた元社長も、厳しく言うならば、動機が「不純」(ここまで言ってしまうのはやや気持ちの抵抗を伴うのは事実であるが)であったのかもしれない。切羽詰っている相手にとって必要なのは、「施し」でも「同情」でも「親分・子分の関係」でもなく、「対等な関係」なのであろう。また、それが不可能であるならば、医者と患者という治療関係となるのかもしれない。元社長も、苦い思いをしていたようだったが、多分そのことに気づいていただろう。
 この問題も、「強さ」と「弱さ」という二項対立問題と並ぶ、現代の人間関係の重要な面を照らし出しているように思えたのだった。人間と人間との関係で正常かつ豊かな関係へと発展してゆける関係は、「対等な関係」しかありえないのであろう。

 わたしが、アル中の問題にこだわったのは、現代の人間の問題は、心の問題であるとともに、身体や自然な生理の撹乱の問題にまで広がっていることはほぼ確実だと感じていたからである。薬物汚染、薬物依存、自然破壊(人間の内部自然破壊も含む)という身体に対する前代未聞の攻撃(?)! そして、先の見えにくい社会環境に基づく精神的不安と心の病、これらが一直線上につながっているとしか思えないのである。部分的な修正作業では済まない袋小路への回路に迷い込んでいるような予感がしている。
 心側からのアプローチとして思い当たる問題のひとつが、「強さ」と「弱さ」という二項対立問題であるような直感が、胸の内でふつふつと湧き上がりつつあるのだ。
 この師走も余すところ二日となって、自分の来年の課題が薄っすらと見えてきたような気がしている。もちろん、足元の課題、しがない零細企業をこの荒波からどう守ってゆくかは言わずもがなの現実課題ではある。しかし、ミクロな現実にも、巨大なうねりの影が覆い被さっていることを思えば、的を射抜く問題意識を持つことは無意味であろうはずがないと考えている……

 気になるある友人の素行について。君はもうとっくに、青少年のように自分の一身上の問題だけに拘泥する時期は通り過ぎている。君が選んだ何十年間の人生に、もはや誰もが介入できないように、誰も君の今後の道を用意することはできない。それは、君だけに当てはまることではなく、すべての大人たちが同様なのだ。それが大人たちの自由という意味でもあり、苦しみの中の誇りでもあるに違いない。先ずは、何にも過度に依存しない身体づくりが先決であると思う、特に酒には! わたしも、来年は税金を吸うようなタバコについては、やめることを前向きに検討したい。この辺は、やや声が小さくなるが…… (2002.12.29)

2002/12/30/ (月)  道具立て職人の年末恒例奮闘記!

 家の掃除などを始めて、ようやく年末気分になることができた。
 今日は一気に事をなそうと思い、いつもより早めに寝床から出ることにした。ウォーキングと朝食を済まし、いよいよ戦闘開始だ。
 まずは、障子の張り替え、いやその準備をしなければならない。それというのは、ばかな飼い猫のリンが、ご法度破りの「爪研ぎ」を、障子紙のみならずその桟にまで仕掛けいたるところをささくれ立った状態に変えていたからだ。これらの個所を、紙やすりをつけたサンダーで補修をしなければならない。それが終えてから、破損した障子紙を剥がすべく水洗いをしながら桟の糊を洗い落とすことになる。
 すべて、仕事は道具立てが肝心である。サンダーを探しにゆく。水洗いの際に足元が心配なので、しばらく履いたことがない長靴も探しにゆく。サンダーのコードは短かったので、ドラム型の延長コードも探しにゆく。道具立てにうるさい職人は、やたらと道具を探しにゆくのが特徴となる。
 クルマの洗車用に使っている各種の水流が作れるドラム巻き取り型のホースを、これまた探しに行ったのだが、「シャワー」型水流を選び、立てかけた障子に吹きかけしばらく置く。十分に糊づけ部分が水を吸い込んだところで、障子紙の上端を剥がすと、ペローッと下まで気持ちよく剥がれる。まるで、アンコールが終わって速やかに下りる幕の速度にたとえることができようか。
 なんだかんだで洗い終わったが、幸い本日は、日当たりがよく、たっぷり水を含んでしまった障子の桟を干すのに打ってつけであった。何となく、しめしめという感じがしたものだった。この乾きがうまくゆかないと、障子紙の糊づけに影響するだけでなく、目いっぱいのきつさで収まっていた元の場所に収まらなくなる危険さえあるからなのだ。
 障子の戸、複数枚は、あたかも北品川の海苔養殖業の天日干しのごとくに並んだものだ。一服つけながら、「さあて、乾く間に、次は何をするんだったっけな? 門松を付けたり、玄関口にお飾りをつけなければならないが、玄関の壁のシートが汚れすぎているのが気になるなあ。」と考えた時、またまた道具立てにこだわる職人は、ちょっと前に購入した「スチーム・クリーナー」という新兵器を思い出したのだった。「そうだ、アレを使わない手はない。なんせ、小一万も取られたんだからなあ」と、まるで、官房長官が「せっかくいいものがあるのだから、使わない手はないですよ」と高価な「イージス艦」を頼みにしたような感じである。
 いそいそと、長靴を脱いで「イージス艦」いや「スチーム・クリーナー」を、これまた探しに行くのだった。昨今は、衝動買いで入手した「道具類」は、買ったあとろくに使わずに片付けたりして時間をおくものだから、正真正銘に探すはめになったりするのだ。
 わたしは、テレビでの通信販売のコマーシャルで登場する「洗浄」関係の薬品や道具類の新製品には、ぞっこん参ってしまいがちなのだ。以前も、「AURI(オウリー)」とかいうクリーム状の万能洗浄液に参ってしまい、何を思ったか使い切れないほどの数量を注文してしまった。しばらくは、あっちこっちを磨いて遊んでいたが、まだあっちこっちに未開封のボトルが仕舞われている。
 この「スチーム・クリーナー」も、テレビ・コマーシャルでさんざん目にしたものだった。しばらくは無関心を装っていたが、ある日急に欲しくなって、二、三軒のショップを探し回って購入したのだった。自分のイメージでは、まさしく高温の蒸気が吹き出るため、黴落としにはもって来いなのではないかと、そう思った。また、放ったらかしにしているクルマのホイールの汚れも、コマーシャル通り見事に落ちるのかどうかにも興味津々であった。手にしてみると、小型の火炎放射器を手にしているようで、なんとなくゾクゾクする。そして、風呂場の黴にも、クルマのホイールにも、極めて有効であった。意外と、周辺の蒸気は熱さを感じさせないのが奇妙だったが、多分先端のノズルから噴出す直後の温度は高温なのであろう。ただ、音がやや気になった。作業はだいたい瞬間で終わらずに、継続させるのだろうからややうるさい。使っている本人も気になるが、隣近所の人で何から出ている騒音だかわからない人にとっては、「ウルセーなあ」と思うに違いない。白い蒸気も窓の隙間からもれたりするので、何やらキケンなことが勃発したのではないかと勘繰る隣人もいないとは限らない。
 ともかく、この「スチーム・クリーナー」の威力で、玄関のビニール壁シートはほぼ真っ白に戻り、玄関が明るくなったので、「道具立て職人」は今日は何となく自己満足することになったのである。しかし、よく考えてみれば、自分という職人が技を発揮したというよりも、高価な道具が計算通りに働いたということになりそうだ。「イージス艦」を送り出した官房長官も、その辺のとこよーく考え直した方がいいかもしれないネ…… (2002.12.30)

2002/12/31/ (火)  ウォーキングで明け暮れた今年が過ぎ行く時……

 今日も朝からの掃除三昧で日が暮れた。昨日は中腰の姿勢での作業が多かったためか、腰の筋肉に鈍い痛みが残ったが、体調はすこぶるいいようだ。それというのも、つい先ごろまでなら、うっとうしく思うに違いなかった掃除の類を、次から次へと「拡大的に」こなそうとする意欲があったのだ。これは体調の良さを表して余りあるものと言わざるを得ない。

 やはり、もう四ヶ月連続、連日のウォーキングがもたらした成果なのであろう。今年は、仕事面でもその他でも、これといった成果らしきものはなかった。去年に引き続き、悪い景気の余波を懸念し続けて悶々としてきたようだ。
 ただ、この日誌を書き綴っていることで、「いじける」ことはなかった。と言うより、むしろ「来るならきてみろ!」といった開き直りともとられかねないくそ度胸というか、悟りというか、そんなものを年の後半から手にしたようだった。
 そして、そんな折に、ウォーキングを始める機会を得たのだった。ジョギングという選択も無くはなかっただろう。が、体重に問題ある者がにわかに走り始めると膝を傷めてしまうことはかつて経験していたので、小一時間を毎日継続して歩くこと、ただし「紋次郎」のようにスタスタと速度を上げて歩くことを選んだ。意を決しての敢行であっただけに、体重も数キロ以上減らし、腰周りもそこそこスッキリさせた。なおかつ、毎日の気分にとにかく「前向き」度が高まったことが、隠れた大きな成果であったと言うべきなのであろう。汗とともに、蓄積されていた「倦怠」物質が排泄されたのであろうか。いや、たぶん、直立歩行し始めたがゆえに脳を発達させることになった原始の類人猿のように、脳への意味ある刺激が起こったに違いないと勝手に思っている。毎日文章を書くこととあわせて、脳活動に「ルネッサンス」をもたらしたとさえ信じようとしている。

 今日も、朝一番で今年最後のウォーキングを済ませた。大晦日らしく、おそらくは初詣向けのテキヤ(香具師)の御兄さんと思しき旦那の自転車とも出会った。荷台には大きな箱を背負い、前の駕籠には屋台を彩る煌びやかな布が覗いていた。とりわけ、革ジャンと野球帽で身をかためた姿と、目つきといい雰囲気といい、フーテンの寅とご同業に違いないと思わせた。「さあて、どんくらい稼げるもんやら……。なんせ、こんな不景気なご時世ときちゃ、大きく望んじゃいけねぇだろうぜ。餅代なりとも稼げりゃ『結構毛だらけ猫灰だらけ』ってぇとことかなあ」なんていう表情で通り過ぎて行ったものだった。境川の遊歩道は、町田天満宮とも程遠くない走りかたをしているのも、その推測を強めさせたのである。
 マガモたちは、師走も正月もなく、与えられた命を満足気に冷たい川面に浮かべていた。最近は、マガモと違和感なく交じって、ハトくらいの大きさで、くちばしも小さい「ユリカモメ」(たぶん!)が群れている。どういうわけだか、ハトまでが護岸に群れていたりもする。皆、羽毛の色も、信じる宗教も違うであろうに、シュプレヒコールをするものもなく、まして「自爆テロ」をしかけようとするものもいない。「そんな違いなんか関係ないよね」といわぬばかりの自然さは「ウーム」と唸らせるものがある。一度見かけたことがあるのだが、動物好きなお年よりが、パンくずをこの近辺で与えている、その結果がこの野鳥たちの出会いのエリアとなっているのかもしれない。
 「仮設住宅」の猫ちゃんも、元気そうであった。いつも座っているブロック石にかぶせられた毛皮のクッションの上には見当たらず、あれっと見回したところ、散歩でもしていたのであろうか、川の方からひょこひょこと戻って来られたところだった。ますます冷え込む時期に入るのが心配ではあるが、どうか春まで生き延びて欲しいものだと念じた。

 さて、もうすぐ来年である。来年は良い年になるのであろうか。部屋の掃除をしながらかけていたテレビで、「いかりや長介」が、「では、みなさん、良い年を……、いや良い年にはなりそうもないので、皆さんは『自力で』良い年にしてください!」と笑わせていた。言い得て妙であり、これもまた「ウーム」と唸らせるものがあった……

 『冬が来た』 高村光太郎
きっぱりと冬が来た
八ツ手の白い花も消え
公孫樹(いてふ)の木も箒になった
きりきりともみ込むような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、蟲類にも逃げられる冬が来た
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のような冬が来た

 『切なき思ひぞ知る』 室生犀星
我は張り詰めたる氷を愛す。
斯る切なき思ひを愛す。
我はその虹のごとく輝けるを見たり。
斯る花にあらざる花を愛す。
我は氷の奥にあるものに同感す、
その剣のごときものの中にある熱情を感ず、
我はつねに狭小なる人生に住めり、
その人生の荒涼の中に呻吟せり、
さればこそ張り詰めたる氷を愛す。
斯る切なき思ひを愛す。

 (2002.12.31)