知識は、二日酔いで割れるように痛む頭で、まだ悩んでいた。自分たちが置かれたどうしようもない虚しさから解放されず、痛々しい悔いと愚痴に蝕まれ続けていた。
「なぜ、『知識社会』とも称される時代にあって、わたしらは、額面どおりに尊重されないのだろうか?人々には、よそよそしさでしか迎えられず、人々の生活に自然なかたちで溶け込ましてもらえないのだろうか?人々の未来に光を投じる希望となって、僭越ながら力とならせてもらえないのだろうか……」
うな垂れ、ふと視線を新聞に落とす知識であった。と、そこには、「マキコ、アホの坂田似、座頭一」ら三人の記事が溢れんばかりにデカデカと掲載されているのが眼に入った。
うーむ、なるほどねえ。結局はこういう締め括りになっちゃうワケね……
いや、ちょっと待てよー、ここにわたしらの悲劇の遠因がチラ見えるような気がしてきたぞー。
Poser Koisumiは、「云った、云わない」の子どものケンカ問題として、蚊帳の外を決め込んだ。だけど、問題の本質は、まさしく政治の「構造改革」の重要課題、官庁による「知識の独占と隠蔽、捏造」という体質そのものだったんだよね。
「マ」が下手な鉄砲を撃ちまくってきたのも、言ってみればそういう旧態依然の体質の外務省の改革だったからに違いない。何よりも隠すことを旨とする「機密」費問題は、隠し上手な官庁体質を、キャンペーン的に曝け出していたのと同じなんだ。
そうなんだ!わたしら知識が、庶民から浮き上がり、何かと肩身の狭い思いをしてきたのも、この「知らしむべからず、依らしむべし」の知識処遇によるところが大であったはずだ。本来、万人に知らされてこそ、万人による知が、万人の力となり社会は前進するものだ。ところが、「番人」だけが知識を独占し、「番人」の力増強のために、自己保身のために捏造までするとなれば、まともな庶民の誰が知識を尊重するものだろうか。
もし、国民のサーバントたる官公庁が、国民的課題に関する知識、情報を正確に公開するなら、コストの掛かるいらないものが一目瞭然に浮かび上がってくると思うのだ。
「ア」のような族議員も然り。税金を、自分のふところの財布のような言い草をするなんぞ言語道断の話である。だが、こうした族議員の暗躍を許している基盤が何かと言えば、各省庁における知識、情報が密室化されているからなんだと思うね。
狂牛病問題にしても、農水産省が、英国からのファースト情報を入手した時点で、国民的課題にしていれば、牧畜業者、飼料製造業者、流通業者、焼肉店業者などを地獄に落とさなくても済んだし、雪印みたいな火事場何とかを生み出さなくて済んだかもしれない。 道路行政にしても、必要な道路は何かの知識が密室化され続けて、族議員の手にゆだねられ財政を圧迫するに至った。河川工事、ダム建設も然り。
税金の使い道に関する知識、情報が、なぜ密室化されることとなるのか。それも、納税者である国民という発注者に、しっかりと事情が公表されないのか。
もしこれが、実業界のビジネスだとしたら、言うまでもなく契約違反であり、訴訟に発展しかねない問題である。そして、そんな株式会社「各省庁」は、ユーザーから相手にされなくなるはずであろう。「構造改革」を言うなら、こんな「非」ビジネス空間をこそ真っ先に是正しなければならないはずだと、わたしらなんかに言わせないでほしいよなあ。
知識、情報が、その関係当事者に十分に告げられるということの重要さは、最近の医療界では常識になっているんじゃないですかね。
「インフォームド・コンセント」というのがそれです。医師の治療を受ける患者がその方法、危険性、費用などについて十分な知識、情報を与えられたうえで、その治療に同意する、という方式ですよね。こうであってこそ、病で不安のかたまりになっている患者に、闘病意欲がわくというものじゃないですかね。病気も早く治るものじゃないですかね。 医療だって、政治だって同じだと考えるべきですよ。
わたしらのような知識は、他の動物には見られない人間ならではの発明なんですよね。これを、うまく使いこなせないのなら、いや悪用するだけなら畜生以下だと感じます。
それにしても、今日の大きな課題は、次の点じゃないでしょうか。
知識、情報の独占的な組織でもある官僚機構を、国民がどうコントロールするのか、できるのか、という点です。科学技術の進展で、とかく庶民が手軽に見渡せなくなったブラック・ボックスも増大しているだけに注意すべきなんですよね。NGOに対する国民の期待はこんな点にもあるのかもしれませんね。
「 外務省、蓋となるよなシャッポを探し 」( ちしき )(2002/02/01)