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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





………… 2002年02月の日誌 …………

2002/02/01/ (金)  「 外務省、蓋となるよなシャッポを探し 」( ちしき )
2002/02/02/ (土)  『悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する』!
2002/02/03/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (25)
2002/02/04/ (月)  『や組』シリーズ・このめっぽう冷える時候によー、富士のお山を参ろうなんてとんでもねぇ話だぜ!
2002/02/05/ (火)  『や組』シリーズ・ご存知、銭形平次ならぬ「銭撒き平次」の参上!
2002/02/06/ (水)  『や組』シリーズ・そんなあいまいな「御触れ」は、かえって人の悪心を誘いまさあ!
2002/02/07/ (木)  『や組』シリーズ・この景気の悪い時に、南へ行くなんて馬鹿な話があるもんかね!
2002/02/08/ (金)  『や組』シリーズ・人情、紙の如しとはよく云ったもんだぜ!
2002/02/09/ (土)  『や組』シリーズ・平成不況を制するのは楽観性と忍耐力!そして笑い(ユーモア)なのかも!
2002/02/10/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (26)
2002/02/11/ (月)  『モノ語り』シリーズ・座布団のひとり言
2002/02/12/ (火)  『モノ語り』シリーズ・「孫の手」依存症?
2002/02/13/ (水)  『モノ語り』シリーズ・カセット・テープの恨み節!
2002/02/14/ (木)  『モノ語り』シリーズ・十五分進ませた掛け時計!
2002/02/15/ (金)  『モノ語り』シリーズ・なめてはいけない鉛筆たち!
2002/02/16/ (土)  『モノ語り』シリーズ・「苦痛や痛みを無くせば、喜びさえなくなるんだよ……」
2002/02/17/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (27)
2002/02/18/ (月)  『反戦』シリーズ・フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん……
2002/02/19/ (火)  『反戦』シリーズ・実質世界は、プロレス・リングに置き換えられちゃうのかい?
2002/02/20/ (水)  『反戦』シリーズ・現在の日本は戦争への道の瀬戸際に立っている!と考えてみること
2002/02/21/ (木)  『反戦』シリーズ・外務省の民営化、NGOへの委託で内閣支持率回復!
2002/02/22/ (金)  『反戦』シリーズ・地道な「外交努力」より、なぜ「有事法制」を急ぐのか?
2002/02/23/ (土)  『反戦』シリーズ・現代の戦争には直接的対処療法などはなく、「予防療法」しかあり得ない!
2002/02/24/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (28)
2002/02/25/ (月)  予備校シリーズ:日本文化特有の「ダブル・スタンダード」構文に注意しよう!
2002/02/26/ (火)  予備校シリーズ:二二六と二四六の、器用なタイム・シェアリング方式の講義?
2002/02/27/ (水)  予備校シリーズ:「脱線」センセの「空気支配!」なるお話し
2002/02/28/ (木)  予備校シリーズ:"old"と言わず"longer-living"と言うPC表現に慣れよう!





2002/02/01/ (金)  「 外務省、蓋となるよなシャッポを探し 」( ちしき )

 知識は、二日酔いで割れるように痛む頭で、まだ悩んでいた。自分たちが置かれたどうしようもない虚しさから解放されず、痛々しい悔いと愚痴に蝕まれ続けていた。
 「なぜ、『知識社会』とも称される時代にあって、わたしらは、額面どおりに尊重されないのだろうか?人々には、よそよそしさでしか迎えられず、人々の生活に自然なかたちで溶け込ましてもらえないのだろうか?人々の未来に光を投じる希望となって、僭越ながら力とならせてもらえないのだろうか……」
 うな垂れ、ふと視線を新聞に落とす知識であった。と、そこには、「マキコ、アホの坂田似、座頭一」ら三人の記事が溢れんばかりにデカデカと掲載されているのが眼に入った。

 うーむ、なるほどねえ。結局はこういう締め括りになっちゃうワケね……
 いや、ちょっと待てよー、ここにわたしらの悲劇の遠因がチラ見えるような気がしてきたぞー。
 Poser Koisumiは、「云った、云わない」の子どものケンカ問題として、蚊帳の外を決め込んだ。だけど、問題の本質は、まさしく政治の「構造改革」の重要課題、官庁による「知識の独占と隠蔽、捏造」という体質そのものだったんだよね。
 「マ」が下手な鉄砲を撃ちまくってきたのも、言ってみればそういう旧態依然の体質の外務省の改革だったからに違いない。何よりも隠すことを旨とする「機密」費問題は、隠し上手な官庁体質を、キャンペーン的に曝け出していたのと同じなんだ。
 そうなんだ!わたしら知識が、庶民から浮き上がり、何かと肩身の狭い思いをしてきたのも、この「知らしむべからず、依らしむべし」の知識処遇によるところが大であったはずだ。本来、万人に知らされてこそ、万人による知が、万人の力となり社会は前進するものだ。ところが、「番人」だけが知識を独占し、「番人」の力増強のために、自己保身のために捏造までするとなれば、まともな庶民の誰が知識を尊重するものだろうか。

 もし、国民のサーバントたる官公庁が、国民的課題に関する知識、情報を正確に公開するなら、コストの掛かるいらないものが一目瞭然に浮かび上がってくると思うのだ。
 「ア」のような族議員も然り。税金を、自分のふところの財布のような言い草をするなんぞ言語道断の話である。だが、こうした族議員の暗躍を許している基盤が何かと言えば、各省庁における知識、情報が密室化されているからなんだと思うね。
 狂牛病問題にしても、農水産省が、英国からのファースト情報を入手した時点で、国民的課題にしていれば、牧畜業者、飼料製造業者、流通業者、焼肉店業者などを地獄に落とさなくても済んだし、雪印みたいな火事場何とかを生み出さなくて済んだかもしれない。 道路行政にしても、必要な道路は何かの知識が密室化され続けて、族議員の手にゆだねられ財政を圧迫するに至った。河川工事、ダム建設も然り。
 税金の使い道に関する知識、情報が、なぜ密室化されることとなるのか。それも、納税者である国民という発注者に、しっかりと事情が公表されないのか。
 もしこれが、実業界のビジネスだとしたら、言うまでもなく契約違反であり、訴訟に発展しかねない問題である。そして、そんな株式会社「各省庁」は、ユーザーから相手にされなくなるはずであろう。「構造改革」を言うなら、こんな「非」ビジネス空間をこそ真っ先に是正しなければならないはずだと、わたしらなんかに言わせないでほしいよなあ。
 知識、情報が、その関係当事者に十分に告げられるということの重要さは、最近の医療界では常識になっているんじゃないですかね。
 「インフォームド・コンセント」というのがそれです。医師の治療を受ける患者がその方法、危険性、費用などについて十分な知識、情報を与えられたうえで、その治療に同意する、という方式ですよね。こうであってこそ、病で不安のかたまりになっている患者に、闘病意欲がわくというものじゃないですかね。病気も早く治るものじゃないですかね。 医療だって、政治だって同じだと考えるべきですよ。
 わたしらのような知識は、他の動物には見られない人間ならではの発明なんですよね。これを、うまく使いこなせないのなら、いや悪用するだけなら畜生以下だと感じます。
 それにしても、今日の大きな課題は、次の点じゃないでしょうか。
 知識、情報の独占的な組織でもある官僚機構を、国民がどうコントロールするのか、できるのか、という点です。科学技術の進展で、とかく庶民が手軽に見渡せなくなったブラック・ボックスも増大しているだけに注意すべきなんですよね。NGOに対する国民の期待はこんな点にもあるのかもしれませんね。

 「 外務省、蓋となるよなシャッポを探し 」( ちしき )(2002/02/01)

2002/02/02/ (土)  『悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する』!

 「フランスの哲学者アランの『幸福論』に『悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する』という名言」がある、と紹介するコラムがあった。そして、とかく現在の環境の厳しさに打ちひしがれ、悲観主義に陥ることの危険を説くものだった。共感を覚えた。
 今週は、「知識」について書いてきたが、上記の「気分」をこの「知識」に置き換えても意は通じるかもしれない、と思った。

 知識万能的風潮の危うさの一つは、知識という「ブロック」(積み木の玩具)を、無造作に連結させることで、現実と将来のすべてが見えた気になってしまうことであろう。しかも、悲観的材料が多い今日のような場合には、知識に頼るタイプの人こそが真っ先に悲観主義に走って、他の可能性を封じ込めてしまいがちではないだろうか。
 もちろん、客観的な事態を省みず、意気込みだけで押し捲ろうとする精神主義は危険この上ないことである。だが、知識のみに依拠する者は、多分に知識が表明してはいない部分にまで悲観ムードを持ち込み、ニヒリストに陥るといった危険を犯しがちではなかろうか。

 先ず、知識とは決して現実の鏡でも、等価物でもないことに注意を向けたい。それと言うのも、知識は科学的であればあるほど、視界を狭めたその上で、厳密な方法論的前提で拡大解釈を禁じているはずである。したがって、多くの知識は蓋然性の高さをこそ示しはすれども、事態の推移を占い師のように言明はしていないはずなのだ。不確かな部分を、遠慮深く保留にしているはずなのである。
 そして、その保留にされる部分には、人間の意志や意欲によって変化し得る可変的なものが、担当外とばかりに冷静に突き放されているわけである。知識万能主義者たちは、その部分を見ようとはしない。というか、そうした範疇のあることにさえ気づいてもいないのかもしれない。

 知識によって操作される人間環境が増大した現代、知識によって当該の事態の推移を予測しながら行動することは、もはや必須ではあろう。しかし、その行動様式は必要条件を充たしこそすれ、決して十分条件を充たすものではないはずなのである。
 昔の人間は、「人事を尽くし、天命を待つ!」と言った。その「人事」の中に、意志や意欲に基づく人間営為が含まれていたはずであり、さらに「天命」と言う人間にとっては偶発的な事柄をまで、絶望に陥る前に想定したのである。現代人に較べ、はるかに生命力と活力が備わっていたと言わなければならない。
 大雑把に言い切れば、すべての意味ある変化とは、みなこうした可能性の隘路を突き破って達成されたものばかりではないのだろうか。人間が、知を持ち始めたことでさえ、原始における気候の変化、森の変化、垂直ニ脚歩行、手による道具の発明、言葉の発明などほとんど偶発的な重なりの中で達成されたものと言える。

 経済だけではなく、人間にとってのさまざまな領域が、これまでのように順調ではなくなって行くこれからを遠望する時、高々、歴史の近代、現代においてもてはやされた知識を、しかもその扱い方におけるワン・パターンを後生大事にするだけで済むはずはない、と大見得を切ってみたいところである。
 絶望は、決して結果ではなく、むしろデフォルト(初期設定値)なのだ、と心と頭を覚ました上で、粘り強い人間的営為を重ねてゆけたらいいと考えている……

 「 知識人、急な変化に色も無く 」( ちしき )(2002/02/02)

2002/02/03/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (25)

 舗道の敷石に、わずかに残った枯葉が舞う季節、師走も押し迫った頃になると、保雄は、海念を想い起こすことがあった。あの快活で豪放な海念の、もう一つの顔をどうしても想い浮かべがちとなった。
 都心、新橋の通りに面する喫茶店で、保雄はコーヒーカップを手にしながら、大きなガラス窓の外を往く人たちを、見るとはなく眺めていた。コートの襟を立て気ぜわしく行き交う人々の流れを見つめ、その先で待つ人々もいるだろうことを想像したりしていた。
 恒例化していた月に一度のセミナーの講師の役を果たした日は、帰途につく前に、そうして気分をクールダウンするのが常となっていた。まして、今年はこの日が最後であったためか、安堵感めいたものが時間を忘れさせる解放感をもたらしていた。

 あの日、海念は地下鉄赤坂見附の入口付近に、托鉢姿で佇んでいた。
 帰途につく保兵衛は、正門からすぐに続く長い遅刻坂を下りきったところで、クルマが行き交う道路の向こう側の歩道に、笠を深々と被った托鉢僧の姿を見つけた。
 立ち並ぶビルが夕日をさえぎり、薄暮となったビルの谷間では、商店などが施したクリスマスの飾り照明の彩りが人目を引いていた。そんな中、黒白の法衣に身を固め、笠を被った托鉢僧侶の姿は、関心がなければ容易に見過ごす光景であったに違いない。
 だが、保兵衛は見逃さなかった。横断歩道の信号の替わるのが待ち切れないような仕草で、その僧侶の方を凝視していた。時々外人が眼を向ける以外に、多くの通行人はその姿を黙殺する。保兵衛には、ひょっとして海念さんかもしれない、という澄み切った直感が働いていた。それと言うのも、この二、三日、どういう脈絡かは自覚できなかったが、海念を思い出すことが奇妙に続いていたからであった。
 保兵衛は、自分と同じ背丈ほどのその托鉢僧侶に近づいた。が、海念だと確かめるすべが思い浮かばず、一瞬たじろぐ。小銭入れから硬貨を取り出し、黙って托鉢の鉢に投じることとした。僧侶は軽く会釈する。と、
同時に、
「保兵衛さんでは、ありませんか?」
という、まさに聞き覚えのある口調が、低く返ってきたのだった。
「ああ、やはり、海念さんだったのですね……」

 保兵衛が東海寺へ時空超越してから、すでに七年が過ぎていた。二人は十七歳となり、保兵衛はこの赤坂見附にある高校の二年生の冬を迎えていた。
 確かに、いつか海念が言ったように、保兵衛は、優れ者が集まったこの高校に進学して、それまでにはなかった物差しを用意せざるを得なくなっていた。そして、ようやく自分なりの新しい物差しを見つけ出し始めていた頃だった。
 少年が大人となってゆくためには、一度や二度はまともな階段を踏み外し、死ぬかと思わされるほどの激痛を味わうことが通過儀礼であるのかもしれない。
 保兵衛は、自分程度に、いやそれ以上にゲームを巧みに進める者たちがこの世に大勢いたことに、否が応でも気づかされた。そして、ゲーム上の勝利だけで組み立ててきた幼く脆い自分の内面が、音を立てて崩れてゆくのを知らされたのだった。
 何の対応策も用意してこなかったためのみじめなうろたえが、一年程度は続いた。不用意にこの学校へ入学するローカル・エリートたちが、少なからず落ち込むトラップであったのだ。周辺の何人かが、それぞれの症状でドロップしてゆくのも目撃していた。
 保兵衛の選んだ方向は、不良となってやるということだった。周囲の連中は、決して不良になんかなれない奴らばかりだと見抜くにつれ、不良となって、荒野を彷徨する自分のイメージが積もってゆくのだった。知的に、精神的に不良となってゆくことを、ぎりぎりの内的バランスの中で選び始めていたのだ。「アウトサイダー」となってゆくことを夢見る日々を積み重ね始めていた。
 それは、挫折の弱さと、開き直りつつ希求し始めてゆくという両面を不器用に引き摺る点において、紛れもなく青春時の不良の本質そのものであっただろう。この世の権威を支える全ての存在への疑念を叫びながら、叫ぶ自身の根拠としてはわがままな主観以外の材料を何も持ち合わせないという、まさに青春と不良の、いわば合金時代を歩み始めていたのだ。

 保兵衛は、佇む海念を、話ができる場所へと誘うことにした。赤坂見附交差点に降り、青山通りを西へ向かう神宮外苑方面へと歩くこととした。陸上部に属したころ、毎日のようにこの道筋を走り込んだ保兵衛だったのだ。
「あそこで待てば、遅かれ早かれ保兵衛さんが見つけてくれるものと確信していました」
 海念は、沈んだ口調でそう切り出す。保兵衛には、海念に何か深く思い悩むことがあっての時空超越だと、十分に察知はできていた。だから、よく場所がわかりましたね、とか、どのくらい待ちましたか、などという瑣末な会話をする気にはならなかったのだ。ただ、沈む口調の背後に、どのような難事があったのだろうかという点だけが気掛かりとなっていた。東海寺での修行生活で手に余ることに遭遇したのだろうか、と想像していた。
「何かあったようですね、海念さん」
 ようやく、そう言って、学生服の上にはおったコートの襟を立てながら、保兵衛は海念が被る笠の下を覗いた。海念の顔は、以前と較べほっそりとなっている。それがなおのこと精悍さを強めていた。が、眉を曇らすその表情の奥に、秘められた並大抵ではない苦悩を見てとった時、保兵衛は戦慄に似たものを覚えるのだった。
「沢庵和尚が、遷化(せんげ)なさいました……」
「遷化とは、お亡くなりになられたということですよね」
「そのとおりです。去る十二月十一日の早朝に……、七十三歳で……」
 海念はそのあとの言葉を継げずに押し黙ってしまった。保兵衛も、遠く夕日を背にした神宮球場や、葉を落とした木立のシルエットを見つめるともなく見つめ、黙っていた。
 夕日を見つめる保兵衛は、あの最初の日に、年寄りの風貌ながら夕日の残照を受けたそのお顔が、毅然として力を漲らせていたことを思い起こした。
 そして、矍鑠(かくしゃく)と歩む和尚を先頭に、海念さんや自分が追っかけるようにして江戸まで歩いたことを。さらに、自分が現代へと戻る不安に怯えた際、快活な様子でそれを振り払っていただいたことを……。いつしか、保兵衛が見つめる夕日の光景は、まばたきとともにきらきらと滲み始めていた。
「そうだったのですか。実は、ぼくはだいぶ以前に東海寺のことを図書館で調べたことがありました。七十何歳かで亡くなられたこともその時に知りましたが……」
 保兵衛はそう言って、ふとその時に感じたある種の奇異な感情を思い出そうとしていた。何であったかは定かに思い出せなかった。が、『ええっ』というような驚きが伴ったことだけは記憶に残っていたのだった。
「それじゃあ、まだ幾日も経っていないので、海念さんもお葬式などで大変だったんでしょうね」
「そこなんです。そうした世の通例を、和尚はすべて拒まれて、独り逝かれたのです……」
 保兵衛は、その言葉から、鳥肌が立つような感覚で、つい先ほどまで思い出せずにいた衝撃的な事実を、脳裏に蘇らせたのだった。そして、その事実が、海念の師を亡くした悲しみを、さらに複雑な苦悩へと変えていたことを瞬時に確信したのだった。(2002/02/03)

2002/02/04/ (月)  このめっぽう冷える時候によー、富士のお山を参ろうなんてとんでもねぇ話だぜ!

 いやはや、まだまだ「痛み」の先ゃあ長えってのに、こんなところで四の五の云ってちゃいけねぇやな。かしらだ、蜂の頭だって人さまに呼ばれてるおれっちのこけんにかかわるじゃねぇか。
 ここが、富士のお山の七合目だ、八合目なら、ちーとは愚痴のひとつも聞かにゃーなるめえが、ほら見な、お山はまだおめーたちの背中の向こうに、丸々肌さらしてるじゃねぇか。てやんでい、ここはまだまだ地べたの五合目だってんだよ。
 見やがれあれを、品川沖がすぐそばに面(つら)覗かせているじゃねぇか。なにい?あれは海じぁねえ?富士五湖だってえのかい?(オロッ)まあ、なんでもいいやな、要はだなあ、「痛み」も、蛙のションベンもこれからだってぇことが云いてぇんだよー。痛てぇーんじゃねぇよ、云いてぇんだよー、べらぼーめぇー。

 それにしてもよー、このめっぽう冷える時候によー、富士のお山を参ろうなんて、とんでもねぇ話の口火を切ったのは、どこの誰なんでぇい。
 何を〜?江戸一番の米問屋自民屋の大番頭だ〜?命知らずの野郎だぜ。で、そいつぁー、こんな冷てぇ時によー、独りで駆け上がったことでもあんのかい?たぶんねぇだろうって?その証拠に、駕籠に乗って後からついてくるってぇのかい?そりゃあ、ざまねぇーやな。まっ、踊らされてここまできたおれっち、「や組」のおあにいさんたちもざまーねぇけどな。
 それで何かい?真冬に富士のお山を詣でると何かいいことでもあるのかい?ええっ?誰も聞いてねぇのかい。へこ八が聞いてるはずだよなっ。何を〜?聞いてません〜?かしらが聞いてるはずだって?おれっち、何も聞かされてねぇーよ。てっきり、おめーらが聞かされて納得してんじゃ、おれっちが横槍入れるすじじゃねぇ話しだと、そう腹くくったって按配よ。そんじゃー、誰もそのご利益を聞かずに、みんなが一人合点してのこのこやってきたってぇわけだぁな。こいつぁーつらねぇや。

 どうします、ってかい?どうするって、どうする?ほかの組の野郎たちはどうしてるんだい?なに、「に組」の奴らは逃げ降りましただと?「と組」の連中も逃走しちまったか。「さ組」なんざさっさと散っちまったてかい?そいで、「む組」が?座って休んでます?なに?足のむくみで?「か組」がかしらかくみて相談中?ばかやろー、おれっちからかってどーすんだ。
 おいおい、ところで旗持ってダミ声張り上げてた元気な年増姉さんは見えねぇじゃねぇか?誰か見なかったかい?なにおー?降ろされたあ?おかしいじゃねぇーか。そいつぁ、解せねぇ話だなあ。だってそうだろ?あれだけこの富士のお山参りを持ち上げてたじゃねぇか。
 へこ八、何か聞いたかい?ええっ?なんでも?「云った、云わねぇ」でもめて?大番頭が山降りろって采配したってのかい?それで、娘たちもあらかた一緒に帰っちまったってのかい?そいつぁー、おもしろくねぇ話だぜ。そんじゃあ、おれっち「や組」が一番のりでお山のてっぺんに登っても、やんや、やんやと騒いでくれるもんがいねぇじゃねぇか。
 あっ、大事なこと思い出したぜ。江戸はこの冬場がでーじな時なんだよ。おれっちがいなくて大きな火の手が上がったらどうすんでい。お山参りもでーじかもしんねぇが、おれっち頼ってくれる江戸市中百万人の庶民には代えられねぇってことよ。
 おい、てめぇーら、転がるように急いで江戸へ戻るんだー!(2002/02/04)

2002/02/05/ (火)  ご存知、銭形平次ならぬ「銭撒き平次」の参上!

<「や組」のやす>  明神町の親分さん、やさ、銭形の親分さん、てえしたじでえになりやしたぜ。ぜひとも聞いておくんなせえや、この、やすの愚痴をさあ。おとついもよう、おれっち、わけえ奴らに付き合って、富士のお山に参ったと思いねえ。そいつが、とんだ見込み違いだってえ訳よ。
 なあに、おれっちも、とんだ浅はかな野郎だったんですがねえ。親分さんなら、こんな冷てえ時候に、富士のお山に登ろうってえ了見にゃ、さぞかし深けえ魂胆があるもんとお考えなさるんでしょうねえ。
 そいつがさあ、てんで話にもなったもんじゃねえのさ。自民屋の大番頭ときたら、あることねえことまくしたてやがって、町家のまっ正直な町人に富士のお山参りを焚き付けたってえ塩梅さ。まあな、まっ正直な町人にだって、すねにきずがないわけじゃねえやな。お山参りで罪のひとつも消せりゃありがてえこったなと思いまさあ。おまけに、がきたちのあしたがすごし易くなるってえなら、こいつはひとつ痛てえ思いもがまんしてみようかって思いまさあ。
 それがさあ、田中屋さんの年増姉さんがお役柄ちいっと口はばってえこと云っただけで、駕籠ん中から、「おまえの役は終わった。帰ってもらおうか」とぬかしやがったのさ。なんてえひでえこったぜ。そんな話が、お山の吹きっ晒しに響いてきたと思いねえ。誰云うともなく、このお山参りは、危ねえ、何のご利益もねえんじゃねえかと云うことになってなあ、そいで転げるように戻ったてえ始末でさあ。
 おれっちは、真実苦しむ町家の町人がためならよう、死んでおくれと云われりゃ、や組の奴らのかぼちゃ頭の雁首四五十並べて、大川のふちに晒してもやろうね。どでえ、くだらねえ奴らばかりのや組でさあ。町人たちの朝飯の味噌汁の薬味でもなりゃ御の字なんでさあ。
 けれどもさあ、ぬくぬくとした大店の旦那連中としっかりつるんでいながら、町人をお為ごかしにするに及んじゃあ黙ってられねえのよ。現に、永代橋の豆腐屋の永吉さんなんざあ、凍傷とか云うえれえ厄介なことになって、金輪際、豆をひくこともできねえ始末なんでさあ。
 景気が、富士のお山参りすりゃあ良くなるっていう道理がさあ、よくのみこめねえのよ。寺子屋の髭せんせにも確かめたんだが、おれっちには見当もつかねえが、確かに、コウゾウカイカク、コウゾウカイカクとか唱えながら富士のお山に詣でれば、為になるってえらしいぜ。だがよう親分、髭せんせもいってたぜ。この寒く冷てえ時候に挑ませんのは筋ちげえだとさ。むしろ、景気の問題と、コウゾウカイカクとやらちゅうもんは別個に睨むのがでえじだとさ。
 どうでえ親分さん、おれっちのほざいてることは見当はずれですかい。

<明神町の平次>  お静、かしらの話に聞き入ってねえで、熱いのをつけてこねえか。
 まあまあ、かしらの言い分は腹の底からわかったぜ。おれっちも、この神田明神町じゃあお上から十手預かりの、目明し張らせていただいてるって男でさあ。町家の町人は云ってみりゃみんな身内ってえことよ。
 話はわかったが、それで、かしらはこのおれっちにどうしろとおっしゃるんで?
 なになに、景気をつけるのが先決だってえのかい。それで?そもそも町家に銭が出回らねえのがよくねえんだと?だから、決してけちらねえで、じゃんじゃん銭飛ばしてくれねえかとおっしゃるんで。豆撒きみてえに、あっちこっちで銭撒きをやってくれねえかと……
 お静も、八も笑ってるばやいじゃねえぜ。そんじゃ、おれっち銭形平次改め、「銭撒き平次」参上ってかい?お静、おれっちの所帯が惨状になるってかあ。はっはっはっは……(2002/02/05)

2002/02/06/ (水)  そんなあいまいな「御触れ」は、かえって人の悪心を誘いまさあ!

<「や組」のやす> へいっ、あっしは、神田は明神町の鳶職長屋に住まわります、「や組」のやすべえと申しますんで、へいっ。
 この度ゃあ、お白須にお招きいただきやして、へいっ、おったまげておりやすしでえでしてへいっ。こちとらのばあさんなんぞ、腰を抜かして驚きやして、「あたしゃ、お白須に上がるようなせがれを生んだ覚えはないよ!」とまあ、勘当まがいの騒ぎになりやして、へいっ。
 何でも、下手人探しに一役買う参考人とかいう奴だそうで、あっしらなんぞの了見は、大岡様の参考になんか決してなりゃあしねぇと思っておりやすが、よろしかったら何でも聞いておくんなさい。で、ご用向きてのは、何でございやしょう?富士のお山参りの件でしょうか?いや違うんで……。はっ?あれは、そちが心配しないでも、おっつけなるようになるだろう、と、そうおっしゃるんで……。へいっ、ごもっともなお考えで。
 じゃあ、あっしなんぞに何が聞きてえとおっしやるんで?

<大岡越前> やすべえとやら、ご足労であったのう。拙者はいま、困った問題を抱えておる。しばし、拙者の話を聞くがよい。
 これは、よその国の話だと思うて聞いてくれ。その国ではのう、牛が病で次々と命を落とす事態があったという。いろいろと詮議してみると、餌に問題があったということになった。ところがだ、その種の餌は、すでに広く出回ってしまっていたのだ。
 ああ、申し遅れたが、その国では牛を食する習慣があってな、問題は人に感染するという大事に至るだけに大問題となった訳だ。
 もとはと云えば、そうした事態を見て見ぬ振りをしていた役人側が手抜かりだったのだ。だが、何とかしなければならぬということで、お上が、食肉を買い上げようということにしたのだ。
 ところがだ、これに乗じて、羊頭狗肉を地で行くようなあきんどが出没したという。もちろん、あきんどたちは取り調べの上、然るべく罰せられることになろう。そこなのだ、問題は!
 ところで、「や組」のかしらは、この越前の裁きの眼目は知っていようかのう?

<「や組」のやす> へいっ、悪い奴らをこっぴどく罰するんでやんしょ?

<大岡越前> では、なぜ罰するのだろうか?

<「や組」のやす> へいっ、そりゃあ、二度と悪いことをしねぇようにでさあ。

<大岡越前> 二度と、と云うか?一度目はどうだ?

<「や組」のやす> はああ?おっしゃってることがよく飲み込めないでやんすが……

<大岡越前> そうか、そうか、これは越前が不覚であった。では、別の例えを出すこととしよう。やや物議をかもす話となるが、市中に出回っておる銭は何ゆえあのように複雑な形をしていると思うかのう?
<「や組」のやす> やだなあ、からかっちゃあ。贋金づくりが出てこねぇようにでさあ。お上の銭が巧みであればあるほど、贋金づくりたちゃあ参ったと云ってしゃっぽを脱いで悪さに走らないからでさあ。

<大岡越前> よくぞ云った。かしらはさすがに人の上に立つかしらだ。見上げたものだ屋根屋のふんどし!
 拙者は、お上の銭は、人に悪心を決して起こさせないほどに見事に精密でなければならぬと考えておる。贋金づくりへの悪心を誘うような粗雑な銭づくりは、むしろ罪人をお上が生み出す愚を為すと云わなければならぬ。
 拙者の裁きにしても、罪人を裁くとともに、新たな罪人をつくり出さないことが肝要だと常々願っておるのだ。

<「や組」のやす> そういたしやすと、先ほどのお話に戻れば、二度と起こさないだけじゃなくって、出来心で仕出かす奴もでてこねぇように配慮なさってるってえのが、大岡様の裁きだと、こうおっしゃりたいんですねえ。

<大岡越前> そこでだ。拙者が、もしこの奉行所にて町人たちが捕まえたねずみを買い取るという「触れ」を出したとしよう。ただし、その家の食べ物をかじって人に被害を与えたものに限る、と制限を付すのだがな。そちは、この「触れ」をどう思うか?

<「や組」のやす> 大岡様、よしやしょうや、そんな馬鹿な「御触れ」は!だって、そうでやんしょ、「その家の食べ物をかじって人に被害を与えたもの」なんて、どうやってお役人さんたちが見極めるんで?
 そんなあいまいな「御触れ」は、かえって人の悪心を誘いまさあ。大岡様らしくない罪作りな話なんじゃござんせんかね……

<大岡越前> やはり、かしらもそう思うか。それで得心したぞ。この越前も、迷う時がしばしばなのだ。そのような時は、市中で命懸けで働いておる者たちの偽りなき言葉が聞きとうてならなくなるのだ。いや、本日は誠にかたじけなかった。
 足代は出せんので、食事の支度がしてある故、たんと召し上がっていってもらいたい。

<「や組」のやす> いやあこれは有り難いこって。なあに、たんとは食わねえ、たった「越前」!

<大岡越前> これは参った!はっはっはっは!(2002/02/06)

2002/02/07/ (木)  この景気の悪い時に、南へ行くなんて馬鹿な話があるもんかね!

<「や組」のやす> いよっ、おやじ、いつものように剃刀当ててもらおうかい。

<髪結床おやじ> へいっ、かしこめいりあした。

<「や組」のやす> やいやい、どいつもこいつもふけえきな面しやがって、どうしたんでえ。いくらニ、八はけえきが悪いったって、そうふけ込むこともねえだろうさ。

<髪結床おやじ> なあに、今しがたも話してたんですがね。こう、江戸中が不景気で、あっちもこっちも行き詰まりばかりだってえと、やり様がありゃしませんですぜ。
 大川へ飛び込む奴がいたかと思えば、枝振りのいい松の木にぶら下る奴はいる、娘を売り飛ばさにゃならねえかわいそうな親子もいたりで、お先真っ暗てえご時世でさあ。

<「や組」のやす> おいおい、よそおおじゃねえか。おれっち、そんなくれえ話聞くためにこの髪結床へ来たってんじゃねえんだよなあ。
 まあな、おれっちの仕事も、昨今は手空きがちだがな。それに、市中の火事もどういう訳だかここんところめっぽうすくねえんだよ。まあ、いいことにはちげえねえが、火消しのかしらとしては、何だかよお、張りええがねえっていうか……

<髪結床おやじ> 多分、市中の町人たちや火も起こせねえ按配なんでさあ。

<「や組」のやす> ああ、どうしておやじは、そうくれえことばっか云うの?まあ、しがねえ髪結床じゃあ、しょうがねえか。
 それでよ、こうくすぶってたんじゃ、いざってえ時に支障があってはならねえ稼業だからよ、わけえ奴を連れて南にでも繰り込んで、ばあああっと、いや、ばっと一泊二日のささやかな散財でもしようてえ段取りになってんでい。だからよお、そいつに水かけるようなかわいそうなことしねえでくれよな。

<髪結床おやじ> そうですかい、南へね。そりゃ景気のいい話でよおござんしたね。
 ああ、思い出したが、確か、かわいそうな親子が娘を売り飛ばした先ってえのは須崎の先だってえ話だったから南だったんだなあ。かわいそうな話だったなあ……。あっ、かしら動いちゃあぶねえですぜ。

<「や組」のやす> …………

<髪結床おやじ> そう云えば、またまた思い出したなあ。枝振りのいい松にぶら下った奴にはよお、まだ小さながきがいたそうなんでさあ。でさあ、そいつはその日から病気のおっかあのために、この寒い中しじみ売りして生計を立ててるとかでさあ。何とも健気な話じゃありませんか、ねえ、かしら!ぐすん、ぐすん……

<「や組」のやす> おいおい、そこで泣かれちゃ鼻がたれてくるじゃねえか……

<客のひとり> うわさすりゃあ、あのしじみ売りが表を通ってらあ。おやじ、呼んでみようかねえ。おいおい、しじみ屋!このかしらが呼んでるよ。いい話かも知れねえぜ。

<「や組」のやす> おれっち、呼んでないっちゅうの〜。

<髪結床おやじ> しじみ屋さん、このきっぷのいいかしらがお前に話があるとさ。

<「や組」のやす> …………

<しじみ屋> おいちゃん、やさ、かしらあ!ありがとお!

<「や組」のやす> …… そおかい、とおちゃん死んじゃったのかい。そりゃ、かわいそうなことだったなあ。それで、なにかい、しじみ売り歩いてるっつうわけか。そおおかい。わかった、それじゃな、おれっちが持ってる銭全部おめえにやるから、おめえの持ってるしじみを全部置いてきな。おっかあ、でえじにするんだぜ。

<客たち> いよっ、太っ腹!かしらはやっばりえれえ。明日の瓦版に載るんじやねえかい。やんや、やんや!

<「や組」のやす> まあな、はなっからそう云ってくれりゃよお、おれっちも人情には人いちべえ篤い男だから、こうなるっつうもんよ。銭も、南の化粧女のとこへ行くより喜んでるはずだぜ。
 おい、おやじ、これで気持ちよくけえれるぜ。手間だったな。

<髪結床おやじ、客たち> シーン。おかみさん、おかみさん、けえりやしたぜ。

<「や組」のやすの女房> まあまあ、みなさんには手間かけさせちゃったね。次ん時は、また違った筋でお願いするからよろしく頼むよ。
 これは少ないけど、皆さんで一杯やっておくれ。(2002/02/07)

2002/02/08/ (金)  人情、紙の如しとはよく云ったもんだぜ!

<「や組」のやす> おいおい、騒がしいじゃねえか。やい、へこ八、ちょいと見てきねえな。

<へこ八> うぇえ〜ん、うぇえ〜ん、かしらあ〜、何とかしてやっておくんなさいよ。あっしは、かわいそうで見てられねえや。

<「や組」のやす> なんでえ、なんでえ、いいわけえもんが泣きっ面なんかしやがって、みっともねえぜ。どうしたんでえ。何、表通りの紙問屋の番頭が?貧乏人の親子たちをいたぶってるってのかい?番屋へ突き出すって騒いでんのかい。盗みだあ?半紙を一条持ち去ったってえのかい?ええっ、親子の言い分じゃ、風で舞ったものを拾っただけだってんだな。
 よしっ、わかった。おれっちが掛け合ってやろうじゃねえか。

<紙問屋の番頭> さあさあ、言い訳は番屋でしな。行くんだよ!さあさあ!

<「や組」のやす> おっと、番頭さん、ちょいと待ちなよ。半紙の一条のこって、番屋だ番台だって騒ぐってえのはちいと酷じゃねえかな。ほら、見ねえ、この寒空、裸足の子どもらあすっかり怯えてんじゃねえか。
 この「や組」のやすに免じて許してやっちゃあもれえめいか、なあ番頭さんよお。

<紙問屋の番頭> 何をお云いだね、かしら。いくらかしらでもご勘弁願いましょう。こちとら一条どころか、一枚からの紙を商っておまんま食べてるんだ。風で飛んだかどうか知らないが、見逃す訳にはいかないのさ。

<「や組」のやす> へぇえ、そうなんですかい。おれっちが、こうして頼んでもだめですかい。おねげえだと頭下げても承知しちゃあくれねえんで……
 てやんでいべらぼうめえー!もう、頼まねえーやい。人情、紙の如しとはよく云ったもんだ。てめえみてえな薄情な野郎は、鼻紙一枚以下だってんだあ。
 そおかい、そおかい、半紙を風で飛ばしたっていう話だな。ちいいと待てよ。おい、へこ八、ここんとこ続いてるあの付け火のこったがなあ。あの手口は、何でも煙草の火を何かに移して……とか聞いてたなあ。よく燃える何かに移してとかなあ。よく燃えるものってえのは、こうゆう紙じゃねえのかなあ。そんな物騒な紙を、この番頭さんとこじゃ、風に任せてばらまいてるってえ話になるなあ。火消しとしちゃあ、こいつぁあひとつ、おおそれながらと申し出なきゃなるめえなあ。なあ、へこ八、そう思わねえかい?

<紙問屋の番頭> …………

<「や組」のやす> おお、そうだそうだ、おれっちこうしちゃいられねえんだ。またまた大岡さまから江戸市中の話が聞きてえと頼まれてたんでえ。

<紙問屋の番頭> あっ、お待ちください、やすかしらさま。

<「や組」のやす> 何だとお?八つ頭だとお?おれっちは、さといもなんかじゃねえや。

<紙問屋の番頭> 「や組」のかしらさま、こりゃあどうもわたしどもの思い違いで、風で「飛んだ」のは半紙ではございませんで、勘違いが飛んだようで「とんだ」勘違いだったようでございます。御代はとっくに頂いていたのを、ころっと忘れておった次第なんで。年はとりたくないもんで、へへへ。

<「や組」のやす> ああそうだったのかい。濡れ衣が晴れたってえなら、おれっちもさらりと忘れようぜ。なあに、大岡さまには、来月に会った時にゃあよろしく云っとくぜ。
 さあさあ、こっちおいで。怖かったなあ、辛かったなあ。おいちゃんが何かあったけえもんでもごちそしてやるぜ。おっかさんもいっしょに来なせえな。鍋焼きでも、てんぷらそばでも好きなもんをな。うめえぜぇ、何せりっぱな「やくみ」が付いてるからよお〜。

<子どもたちを含む町人みんな> ははははは……

※ 今週は、暗くてつれえ平成不況をあえて避け、時代に世相風刺を求めてみやんした。題して『や組のかしらシリーズ』でやんした。またの当地お目見えをお楽しみに!(2002/02/08)

2002/02/09/ (土)  平成不況を制するのは楽観性と忍耐力!そして笑い(ユーモア)なのかも!

 今週は、遊び半分で「時代もの」風に書いてきました。
 もちろん「遊び半分!」でいい訳なのだと思っています。「丸ごと遊び!」でも悪かあないとも思って、開き直っている始末です。
 とにかく、楽しくて元気がでなくちゃなりません。「額に汗して作ったモノは、額に汗して売らねばならぬ!」というど真面目な時代もあるにはありました。ですが、ただでさえモノが売れない今時、「額に汗して作ったり」、「涙を流して作ったり」おまけに、「額に汗して」、「涙を流して」売ろうとする暑苦しさでは、お客さんは逃げる一方なんでしょうね。先ず、生産者、ベンダーという原点の消費者が、楽しくなければならないのでしょうね。
 まあ、かと云っても、楽しさにもいろいろあって、何の緊張感もなく、手抜きといいかげんさのかたまりで当人が楽しんでいたのでは、誰も相手にしないことでしょうけどね。

 無理やり、江戸やくざ口調を繰り返してきたため、なんとなく職場でも、家庭でも「てやんでい!」口調が染み出したりするあんべえでした。
 国会中継の録画ニュースを見ながら、
「ふざけた旦那がただぜ!雁首揃えて、打ち首獄門だあーな」
なんて、ひとり言云う始末。
 事務所のエレベータでは、ご婦人に向かって、
「いやいや、ご新造(しんぞ)さんからどうぞお先に!あっしは、てえして急ぐ用でもねえもんですから……」なんぞと口に出そうになったので、ホントに驚いた。
 ひょっとして、時代劇撮影中の映画俳優たちは、日常生活でも口調にこんがらがりがあったりするもんじゃないでしょうかね。さらに、やーさん映画に出続けたりするってえと、口調ばかりでなく、限りなく本物に近づいちゃったりしてね。ありそうな気がします。

 それにしても、こう苦しさがいつ止むともなく持続させられると、苦しさにまっちょう面から付き合ってたんじゃ身が持たねぇなあ、なんて感じ始めたりしています。
 ひょっとして、この平成不況は、「ノアの箱舟」のように神さまが、ここいらでこの先やってゆける人間と、そうでない人間とを選別なさる試練なのかもシレンと思ったりもします。
 で、この先とりあえずやってゆける人間というのが、神ならではのユニークさがあってですね、凡人が思いそうな「英語堪能大きな胆石、パソコンバリバリ、経営指標スラスラバッチリ」なんてもんじゃ全然なかったりしてね。
 むしろ、神さまがお望みの品種、いや人種とは、何よりも楽観性と忍耐力!どんな地獄に遭遇しそうでも、どこ吹く風とばかりに落花生ポリポリの楽観性!それに加えて、痛みの坩堝に転がり落ちたとしても、神経麻痺とばかりの平気の平座!
 この二大能力に未来を託したいというのが、我が儘な人間に手を焼いてきた、そんな神さまの最後の、最後の思し召しだったりしそうじゃないですか。さらに、慈悲深い神さまは、これら二大能力に滋養と活力を与えるかけがえのないものをそっとご用意されてもいたのです。笑い(ユーモア)がきっとそれに違いないとご推察する次第です。
 しかしね、神さまがね、人間をこしらえたのは、決して「額に汗して」なんかじゃなくて、場合によっては「遊び半分!」あるいは「丸ごと遊び!」だったのかもしれないと思うことがあるんですよ。信心深い方々には怒られそうですけどね。
 それと云うのも、人間ってとてもうまくできていると思う一方で、とんでもなく不安定な存在じゃないですか。他の動物は、生まれた時からしっかり神さまのプログラミング通りに、一歩たりとも道を踏み外さず生きてゆくのに、人間ときたら、本能意外の「可変部分」が大き過ぎるわけですよね。育ち方によっては、ほぼどうにでもなってゆく。ばか殿のせりふじゃないけど、「良きにはからえ!」的にこの世に放り出されたのが人間じゃないんでしょうか。

 そんなこんなで、笑いが司る二本の手綱、楽観性と忍耐力のニ馬力を備えた品種の人間たちが、「ノアの箱舟」の入り口のスロープで、汗まみれの手で整理券握って、並んで待っている光景が目に見えるようです。
「ノアの整理券、もらえて良かったわよねえ。きっと、あたしらなんかには手の届かないものと諦めてたんだあ〜」
「ええっ、これって『ワールド・カップ』で韓国行くんじゃなかったのかい?!」(2002/02/09)

2002/02/10/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (26)

 正面に絵画館の建物が見通せた。二人はそんな歩道を歩いていた。師走の夕刻ではあったが、歩道に枯葉が舞う神宮外苑には、思いのほか散策する人影がちらほらと見受けられた。

 二人の会話は、重苦しく沈み、そして途絶えがちとなっていた。
 何故、沢庵和尚は、もはや禅僧たちの常ともなっていた葬式や法事を拒絶されたのか。そればかりか、墓をつくることをも拒否された。ご自分の七十三年の生涯を意味のなかったこととして、消し去ってくれ、と言われ亡くなられた。そうした和尚の最後のご遺志を、どのように受けとめればよいのかという難問の前で、身じろぎひとつ封じ込められてしまった海念だったのである。
 その難問は、いわば和尚から弟子たちへの最後の「公案」(こうあん)とも言えたが、師を失い途方に暮れた者たちにとっては、はかり知れない難易度を秘めたものであったに違いない。まして、まだまだこれからとも言うべき、若く未熟な海念にとっては、茫然自失の出来事以外の何ものでもなかったのだ。
 保兵衛にとっても、図書館での調べで知り、その際に受けた衝撃以来、心のある部分に手がつけられない重荷として潜めてきたものだった。

 和尚の遺戒の言葉は、漢文で以下のように記されていたという。
『全身を後(うしろ)の山にうずめて、只土を掩(おお)うて去れ。経を読むことなかれ、斎(とき)を設くることなかれ。道俗の弔賻(ちょうふ)を受くることなかれ。衆僧、衣を着、飯(はん)を喫し、平日のごとくせよ。塔を建て、像を安置することなかれ。諡号(しごう)を求むることなかれ。木牌を本山祖堂に納むる事なかれ。年譜行状を作ることなかれ。』
 また、『わたしに法を嗣ぐ弟子はない。わたしの死後、もし沢庵の弟子と名のる者があれば、それは法の賊である。官に告げて厳罰にせよ。』とさえも記されていたという。自分一代で終わることをよしと仕切ったのである。

「保兵衛さん、和尚の禅の道は、あまりにも壮絶です」
 ようやく海念は短い言葉を口にした。当惑を隠さない響きが保兵衛に伝わった。
「禅の厳しさは、わたしなりに追求してきたつもりでした。しかし、この度の和尚の遷化によって、わたしは、一体何を修行してきたのかと……」
「無理もないことだと思います。海念さんは、禅の修業も熱心だったけど、ひたすら和尚を慕っておられましたからね」
「常に見守っていただいていると思うことが、わたしのすべてだった。修行の辛さなど、和尚の眼差しの前では、ないも等しいものだったのです。それが、突然に……。そしてあのようなお考えをお示しなさった……」
「…………」
「いや、保兵衛さん。わたしがここへ来たのは、泣き言を聞いてもらうためではありませんでした。和尚の最後のお考えについて、保兵衛さんならどのように思われるか、その一点が知りたくて飛んで来たのです。
 先ほどのお話ですと、和尚の遷化についてお調べになったとのことですから、なおのこと、保兵衛さんのお考えを聞かせていただけませんか。なんでも結構です。今のわたしには、わたしではない人の受けとめようを知ることが必要なんです……」
 常になく取り乱してはいるものの、確かな眼差しで突破口を睨んでいる海念らしさを、保兵衛は感じ取った。
「ぼくは、偉そうなことなんか言える立場じゃありません。禅のことだって聞きかじっているだけです。
 ただ、ひとつ気にしてみたいことがあるんです」
「えっ、それは何でしょうか?」
「ええ、権力との関係という視点なんです。ぼくも、歴史や社会を学ぶにつれ、今までは何のことだか皆目わからなかった権力という存在が、ようやく視野に入ってきました。
 人の世を見つめる上では、好き嫌いの問題ではなくて、この視点が避けられないものじゃないかと思ったりしています」
「和尚の場合、徳川幕府との関係ということですか?」
「そう、ぼくも以前から感じてはいたんだけど、後世の人々の中には沢庵和尚を『権力と仏法のはざまに生きた和尚』だと評する人もいるくらいです。そうした人たちの分析を踏まえてお話します。
 もともと禅の考えは、いっさいの権力を承認しない立場ですよね。和尚が『紫衣事件』に巻き込まれたのも、それが理由であったはずです。
 しかし、いろんな事情から和尚は、家光将軍が帰依し、おまけに東海寺の住職といういわば、当代の禅匠で出世一座にすわることになってしまったわけです。
 和尚自身の自然な傾きとしては、乞食を夢みる閑居の人であったはずだと言う人もいます。わたしもきっとそうだったのだろうと思っています。現に、若い時に、あの大徳寺の住職に推され、三日で降りたりされているんですよね。
 しかし、そんな和尚が避けて避けられなかったのが東海寺の住職就任だったのです。そしてこの選択には、見つめる必要がある二つの点が隠されていると思っています」
「…………」
「ひとつは、紫衣事件以降、禅の臨済宗正当派である大徳寺、妙心寺の二寺が相変わらず幕府権力の直接的支配下におかれ続けたことに関係しています。和尚としては、自らが招いたことでもあり、これをなんとか解放したかったに違いないと思われるんです。
 多分、家光将軍の和尚への好意を頭ごなしに拒否せず、東海寺住職の座を受け容れたのは、その点を凝視しておられたのではなかったかと推測できます。そして、見事、家光将軍を口説き、大徳寺、妙心寺二寺の直接的な権力介入を止めさせてしまうのです。和尚が東海寺に入って二、三年後のことだったはずです」
「そうだったのですか……。まだわたしは新参であったので何も……」
「こうした思惑があったために、和尚は、禅僧としての本来の望みであった乞食を夢みる閑居の人の生き方を、諦めざるを得なくなってしまったのですね。だからその分、東海寺での不本意な生活に言い知れない苦悩が寄り添い続けたということになります。これが二つ目の点なんです」
「…………」
「おそらく、和尚の苦悩は誰にも言えないどころか、誰にも見せられないものであったはずでしょうね。家光将軍や幕臣周辺の者たちには当然のこと、寺の内の修行僧たちにもね。そう、海念さんにも、それをにおわせるほどの和尚の拙さではなかったんではないですか。違いますか?」
「…………」
 海念は、かたく眼を閉じ、押し黙っている。自分を恥じ入るかのような印象が溢れんばかりに見受けられた。
「保兵衛さん、わたしはなんて了見が狭かったんでしょう。自分の抱える苦悩だけに眼が向き、柔和な和尚の眼差しの奥に秘められたそんな苦悩に到底思いが及ばなかった……。なんと言う自分本位な人間だったのだ……」

 二人が腰掛けた外苑の木立の下のベンチは、薄暮に包まれていた。いつの間にか、散策する人影も少なくなり始める。
「何故、和尚があのような遺戒の言葉を遺したかの解説をしようとした書物は見出せませんでした。だけど、さっきのような二点をもとにすると、和尚の心の内側が少しは想像できるように思うのです。どうでしょうか、海念さん」
「十分です。十分だと思えます。わたしから抜け落ちていたその部分をいただいた今、わたしには、この七年間の和尚の表情やお姿が、まったく異なった様相で蘇ってくるようです。何もして差し上げられなかったとは思いますが、何故、和尚の立場やご心情をもっと察することができなかったかと……」
「…………」
「保兵衛さん、今日はやはりこちらへ来て良かった。保兵衛さんのお話を、東海寺に戻ってじっくりと咀嚼したいと思っています。今度お会いする時には、きっと溌剌とした海念をお見せできるはずです」
 海念は、ベンチからさっと立ち上がった。保兵衛の方に向き直り、軽い会釈をする。そして、右手を懐に収まったものに触れるかと見えた途端に、海念の姿は忽然と消えていた。
 保兵衛は、海念の懐に収まったものをほほえましく思い浮かべながら、ベンチからゆっくりと立ち上がった。そして、グランドの遠くに眼を凝らした。走る犬に引き回されて小走りとなった、そんな初老の人の姿を、保兵衛はしばし見つめていた。(2002/02/10)

2002/02/11/ (月)  『モノ語り』シリーズ・座布団のひとり言

 世間の人らは、わてらのことをどない思ってはるのやろ。
 はいっ、申し遅れましたけど、わてらは「座布団」なんどす。朴とつな四角四面で、何の飾りもおまへん。人の尻に従順に敷かれること数百年、いやもっと経つのかもしれへん。けど、あんまり単調な毎日やさかい、昔のことは忘れてもうたわ。
 わてらの売りは、「従順さ」と「身軽さ」だけなんや。だいたいやな、こんな単純明快な取り得だけで、このきびしゅうて、無常な世の中を一筋に、何百年もやってきたもんがほかにおるかっちゅうねんや。まあ、おまへんやろなあ。

 わてらの親族(寝族)には、「枕」っちゅうのがおります。あいつらも、人さまの身体支えて何百年になる勘定でおます。そやけど、わてらとちゃうのは、あいつらは頭もええし、努力家やさかいに、人さまに喜んでもらおうと、よう、姿かたち変えて来よったもんや。
 人さまがちょんまげ結うてた時代には、「箱枕」でデビューしよったし、夏に涼しいとか銘打って「籐枕」とか、「陶枕」なんてもんも考えよった。中身も、籾殻だけやのうて、小豆やらスポンジやらと忙しいことやで。また、最近では「安眠枕」や、「健康枕」やとか言うて、えろうカラクリ施したりしはってな、まあ、ようやりはりまっせ。
 ほんで、人さまも、枕がかわいいと思いはったんやろか、枕という言葉をあっちゃこっちゃでお使いになりはるわね。やれ「枕詞」だ、「枕草紙」だ、「枕物語」だとか言う按配でっせ。わてら座布団族には、そんなもん一個もおまへん。まあ、寝族での出世頭が枕はんたちやと言うことですわ。

 ただ、人さまも、わてらを見放してはおりまへんでえ。敷かれても何ひとついやな顔せず、どんな尻がよくて、どんな尻が悪いとの陰口もたたかんで、ひたすらお役目大事と支え尽くしてきた実績を、ちゃんと見てくれとりましたんやねえ。
 その証拠に、座布団へのご注文は、日に日に拡大の一途を辿ってきましたがな。
 ご案内のとおり、何ともあり難い事に、いつ頃からやったか、お寺の木魚を支えよとの下知(げち)を申し受けましたわね。わてらの青年部がお勤めしとります。
 さらに、並びに、各檀家のお仏壇の鈴(りん)も支えるべしとの追加命令が下ったもんやで、これはわてらの町内の子ども会が肩代わりしとります。
 温泉街のみやげ物屋から、置物のねこを支えて欲しいとのご依頼も唐突に飛び込んで、うれしい悲鳴を上げたもんですわ。

 わてらの取り得のもうひとつでおます「身軽さ」を経営方針に謳ったのも、わてらなりの経営を長期にわたり温存させた勝因とちゃいますやろか。
 最近でも、地域センターの板の間で寄り合いなんかが催されると、わてら座布団持参で行く人がおますわいな。そんで、「今度から、座布団持参で来んと底冷えしてあかんわ!」なんてゆうて再認識する人も出てくる始末や。昔は、運動会や、映画大会やゆうたら、身軽で便利なわてらをよう携帯する人が多かったもんやで。今でこそ「ケータイ」ゆうたら、電話に決まっとりまっけど、当時はわてら座布団のことでんがなあ。
 ただ今でも、わてらがいのうては話にならへん場所があるやけど、知っとりまっか?
そうや、大相撲の国技館やがな。あそこでわてらが買われとんのは、持ち運びの便利さだけやないんや。感極まった折りに飛ばし易い便利さと、その飛行距離なんやねえ。何とも何がようて人気がでるのか、わからへんのが世の中やねえ。
 そやそや、あのテレビの「おおぎり」とか言う番組でのわてらのキャスティングも変な人気でおました。あれのお陰で、旅館での宴会でもよう担ぎ出されたもんでしたわ。

 しかし、やっぱり今時は寂しおますなあ。畳敷きのおうちも少なくなりはって、フローリングにソファというこしらえが増えてきよりましたさかいに、座布団やのうて、クッションなんてゆうボテボテな代物がまかり通ってますわな。
 わてらが一筋に守ってきた、どこへでも顔を出す身軽さと、屁理屈こねる前に下支えを買って出る謙虚な姿勢は、時代がどう変わろうと大切なもんやと、そう思っとりますが、どないでっしゃろか?やっぱり、世の中、ほんまもんでのうてはあきまへんのとちゃうやろか。(2002/02/11)

2002/02/12/ (火)  『モノ語り』シリーズ・「孫の手」依存症?

 「孫の手」という実に愛らしい名称の家庭必需品(?)がある。
 「耳掻き」のような形をして、大きさは「耳掻き」の親ほどに大きい。もちろん、「耳掻き」に指は必要ないわけだが、「孫の手」はどうかと言えば、わが家に常備して、愛用している三本の「孫の手」にはしっかりと指がある。
 あって差し支えないし、なくても差し支えないのだけれど、いずれも指がある。と言っても、四箇所切り込みが施してあり、確かに指が五本あるんですからね!と、まるで役所に申し開きしているような形で存在する。「孫の手」と名づけた発明者が、実用新案申請で差別化をはかったせいであろうか?
 いや、そんなことはどうでもよかった。むしろ、「常備して、愛用している三本!」という表現の方が、この際重要なのである。三本の内訳は、居間に一本、書斎に一本、そして寝室に一本なのである。これらの事実は、如何に当人が「孫の手」への深い信頼を寄せているかを、あるいは如何に「孫の手」なしでは生きてゆけないか、いやもはや「孫の手」依存症(以降「孫手存(まごてぞん)」と記す)とも呼ぶべき人生に立ち至っているかを明瞭に語っていることになる。

 もちろん、「孫の手」の基本的用途は、突如痒くなった手が届かない背中などを、心ゆくまで掻くことにある。年を経るごとに、身体の柔軟性を放棄してゆく者にとって、まさに痒いところに手が届くこの道具は、シンプルな作りではありながら貴重この上ないものなのである。
 で、注意を喚起させていただくならば、その必要時は、いつも唐突に、突然に訪れるという点なのである。そして、その時が訪れたなら、速やかに、迅速に対処しなければならない、という点でもある。「ジャスト・モーメント・プリーズ!」や「しばらくお待ちください!」などという悠長さが決して適さない事態なのだと理解されたい。いわば、心臓発作時におけるニトロのごとき特効薬的緊急性がこの際の正解なのだと理解されたし。
 となれば、隣の部屋へ移動して取りにゆく時間も、はたまた階段を上り下りするような時間はまるでないと考えなければならなくなる。「孫手存」となった者にとっては、それが手を伸ばせば届く距離になければ、あくまでたとえではあるが、絶命の危機にも似たパニックにさらされるのだ。だから、各部屋に一本の「孫の手」がちゃんとちゃんと常備されてこそ、ゆとりと安心が確保されるのである。

 また、「孫の手」の副次的用途は、これまた深遠にして、広大無辺である。これを手にする者は、あたかも孫悟空が如意棒を手にするごときだと言える。手に届かぬ距離でとどまった新聞を引き寄せることはもちろんのこと、寝ながらコタツのスイッチを操作することも、あるいは知らん振りを決め込んで寝ているねこにちょっとしたちょっかいを出すことも可能といえば可能である。
 さらに、これを逆さに持って、気だるくなった肩や首筋をペタペタと叩くもこれまた心地良きものでもあったりする。
 また書斎にあっても、考えに行き詰まった折に、将棋指しが扇子で調子を整えるごとく、肩とはなく、腿とはなくを軽く打つならば、妙案を引き出すこともできたりする。
 が、書斎にあっても頻度が高い活用法は、やはり遠くの物を近くにという操作であるには違いない。ぶら下がった蛍光灯の紐スイッチなど、これぞ「孫の手」の指の切り込みに引っ掛けるならたやすい操作となる。

 ところで、事の重大さを鑑み、あえて「孫手存」なる異名を使用してきたのだが、最後に、部外者にも平易に理解できる表現をも併記しておくのが親切かと思われる。
 いろいろと申し述べてきた「孫手存」であるが、簡単に言えばいわゆる「ものぐさ」と表現しても一向に差し支えないような気がしないわけでもないと思っている。(2002/02/12)

2002/02/13/ (水)  『モノ語り』シリーズ・カセット・テープの恨み節!

アナログ・テープの哀しさよ!
どんどん磨り減り、伸び縮み、
当時の声やら当時の音が、途切れて歪んで出せなくなって、
それでも出すから哀しいものよ。
復元無理がなお哀し!

落語が好きなご主人は、志ん生好きなご主人は、
馬生が好きなご主人は、円生狂いのご主人は、
毎晩寝る時お呼びになった。
そのまま眠るご主人は、かわいいけれどああ無常!
電源切れないカセットは、朝までカタカタ働いて、
あたしをぐんぐん引き伸ばす!
そんなこんなで、疲れたあたし。

勝手気ままなご主人は、あたしを捨てて宗旨替え。
丸い円盤デジタルさんは、さぞかし能ある立派な女(おひと)。
若さも、お声も当時のまんま。
軽くて痛まず、薄いが取り得!
あああ何とも勝ち目がないわ!
CD、CD楽勝CD、CD、CD圧勝CD!

恨みますぞえお母様、も少し丈夫に生まれていたら、
恨みますぞえお父様、も少し便利に生まれていたら、
ご主人様に気に入られ、負けなかったわCDに!
こんなはずではなかったと、哀しいけれども愚痴るのよ。
昔思えば、涙が出るの、何と無常よ人の世は!

それでもあたしは想像するの!
今が天下のCDだって、そんなに春は続かない!
満つれば欠くるが慣わしと、誰もが認む人の世と。
やがて来る来る幻滅が、やがて来る来る絶望が!
その時までは生きるのよ、哀しさ見るまで生きたいの!

何てあたしは意固地なの、何てあたしはさみしいの。
いいじゃないのよほおっておけば、忘れることが大事なの。
諦めこそが人の道、さらりと捨てるが恋の道!
忘れて今を大事にすれば、きっと来そうな幸せが。
きっと来る来る喜びが、きっと来る来る幸せが!(2002/02/13)

2002/02/14/ (木)  『モノ語り』シリーズ・十五分進ませた掛け時計!

 世の中にはこざかしいことを平気でする人がいるものである。たとえば、わざと時計の針を何分か進ませておいて、時に追われるその時その時に、ちょっとした得をした気になろうというような小細工がそれである。何を隠そう、わが家の居間の掛け時計もなぜだかそうなっていたりする。

「あっ、まずい!これじゃ四十七分の特急に乗り遅れる!……いやいや、だいじょうぶなんだあ。この時計は十五分進ませてあったからね」と、何とも独り芝居のさもしい話である。
 部外の方々からすれば、こうおっしゃるに違いない。
「そんなわけネェだろ〜。自分でわざと時計を進ませたことくらい、いつだってまず思い出すに違いないから、何の意味もないはずさ」とね。

 確かにそういった「醒めた」議論も不可能ではない。
 しかし、そういった「醒めた」方々に、逆にお尋ねしてみたい気がするのである。愚かな人間というものは、いつも怜悧に「醒めた」筋書きどおりに行動し、生きてるものかどうかを!
 文明は禁煙に向かってひた走りに走っている。タバコは百害あって一利なし。と、「醒めた」頭脳活動は、NOのボタンを力まかせに何十回も叩く。そして叩き終え、一息ついて、やおら胸ポケットからの一本に火をつけるのが人間じゃないんでしょうか。
 近所のショップでバーゲンが催される。「通常価格」一万二千円のトレーナー上下セットが、何とニ九八(にぃきゅっぱ)!「醒めた」頭脳演算装置は、次のように稼動する。
「一万二千円だという『通常価格』っつうのは解せないなあ。うそっぽいなあ……」
 で、その場から速やかに立ち去るかといえば、手に取って見たり、鏡の前で胸に当ててみたり、挙句の果てに試着して、そして大いに得した気分になってその商品をレジーに運んでいたりするのが人間じゃないんでしょうか。
 「こんなに家族を不安がらせるなら、オレは酒やめる!もう明日からゼッタイ酒やめる!」と何回聞いたことかの辛抱強いお内儀さん。今回ばかりは顔色が違う、声音が違う、いつもとはちょっとだけ違うと、またまた信じようと決心なさる。それが人間なんじゃないんでしょうか。
 そうそう、こんなのだってあったんだ。飯食う金にも困った学生時代。ところが、ひょんなことでそこそこの大金(五万円也)が舞い込んだ。こんだ飯食う金に困った時のためにと、一万円だけ分厚い書物の聖書の中に畳み込む。どうせ、すぐ開けるに違いないと思いながらも、畳み込んだ。ところがどうだ、半年以上も忘れて過ごした。風邪ひいて、バイトにも行けずひもじくしていた時に、突然なけなしの一万円のことを思い出し、涙流して安堵した。醒めていながら、醒め切れないのが人間なんじゃないですか。

 まあ、人間というのは、場所も覚えず餌を隠し回る野うさぎと大差ない面もあるということ。見え透いていながらも、時計の針を十五分進ませて、いざという時に「ああー良かった!」と思いたい、そんなこざかしさが人間の否定しがたい一面なんではないでしょうか。
 十五分進んだ掛け時計は、愚かな人間に、冗談交じりで暖かく付き合ってくれているのである。(2002/02/14)

2002/02/15/ (金)  『モノ語り』シリーズ・なめてはいけない鉛筆たち!

 鉛筆をながめていると心がなごむ。ペン立てから取り出し、手にとると、その謙虚で奥ゆかしい軽さが、なぜだか、「そうかそうか」と思いやる気持ちを刺激してくる。
 実用本位でなりふりかまわず、けな気にも頭に小さな消しゴムを載せたりしている努力の跡がいじらしい。ピカピカ光るブリキのサックをかぶった鉛筆も、思わず「そーなんだあ」と言ってやりたくなるかわいさがある。青と赤との半分半分で分業して、ひたすらご用命に応じようとしている色鉛筆も、三色パンに匹敵して、誇りに満ちて「どーです」と自慢しているような気もする。
 鉛筆たちはとにかくけな気でかわいい。今や人間たちが、手間を惜しんで他の筆記具に移り気となったことを思うにつけ、それでも、羊羹ほどの箱に収まりひたすら出番を待ち望む姿は、目頭を熱くさせるものがある。
 そもそも、その生きざまの潔さに頭が下がる思いである。おのれの身を削らせ、おのれの使命を果たし、確実におのれの生きた痕跡を残してゆく生き方は見事と言うほかはない。しっかりとした芯が一本通っていると思わざるを得ないのだ。(通っているから鉛筆であるわけなのですが)
 きっと、鉛筆たちの生き方、使命のためにわが身を摩滅していく生き方は、多くの心ある人間たちに感銘を与え続けてきたに違いない。子どもたちには、ものの加減というものも悟らせてきたのではないだろうか。芯をポキッと折らせることで、「人生、力を入れるだけじゃダメなんですよ!」と教えてきたはずだ。中には、こともあろうになめてかかられた鉛筆もあったであろうが、概ね愛され、耳に挟まれるほどに愛玩されてきたのではなかろうか。

 が、何と言っても鉛筆たちは、モノの本質というものを多くの人間に教え続けたのではあるまいか。
 モノとは、消滅して無くなってしまう存在であることを。モノとは、同じ形に見えても、それぞれが微妙に異なり、個性すらあることを。だからこそ、モノとは人間と似たもの同士の友達であることを。

 つらつら思うに、モノへの愛着、こだわりとは、静かに確実に滅びゆく存在へのひたすらな恋慕以外の何ものでもないと言えまいか。それは、確実に形を失うことを定めとする人間の、そんな写し絵のあわれさへの禁じえない同情であり、共感であるとも言えるのではなかろうか。
 モノの真髄がアナログであると言い切ることに賛同する人は少なくないだろう。そして時代は、確実に「負け組」のアナログに対して、「勝ち組」のデジタルを日増しに際立たせている。
 確かに、この時代にあってモノにこだわってゆくことは、一時の比較を絶する至福に酔うことの見返りに、苦労が絶えないこの先と、不運を嘆く辛さを招来するに違いないように思える。
 時代は、完璧な「金太郎飴」、同一性を売りとするデジタル一色で塗りつぶそうと企てていると言えよう。その方が、人間世界が操作し易く、管理し易いからだと誰もが知っている。
 それなのに、モノはと言えば、どんなに画一性を目指して作ろうが、ひとつひとつがみなどこか異なってしまうものだ。だからアナログだと見透かされるのである。そして、その不均等な姿が、操作や管理に不都合をもたらし、妨げもする。だから、この時代にあってそれを選べば、時代の中で苦しい立場とならざるを得ないのは、当然のことだと言わなければならない。

 しかし、デジタル存在を操作する人間は、どれほどがんばればデジタルそのものになり切れるのか?心も身体もアナログ以外ではあり得ない壊れものとしての人間が、どんな手品を使ってデジタル世界に溶け込んでゆけるのか?
 モノたちは、新たに作りだされてゆくモノたちは、すでに廃棄されゴミの島に埋もれたモノたちは、「では、人間の未来はどこにゆき着くのだろうか?」と、じっと見つめているに違いない。ペン立てに刺さっているあどけない鉛筆も、実は興味深々で人間たちの未来を見つめているのではなかろうか……(2002/02/15)

2002/02/16/ (土)  「苦痛や痛みを無くせば、喜びさえなくなるんだよ……」

 経済不況と政治の貧困を引き金として、庶民の生活の苦境は「全面開花」(?)してしまった。そんな中で、精神的にも参って、行き詰まってしまう人が少なくないとも聞く。
 わが身を振り返っても、こんな時期、決して順調な気分であろうはずがないことに気づく。だが、わが身について言うなら、気分が晴れない原因は、何も経済的苦痛にのみ依存するものではないだろうと自己診断している。確かに、経済的プレッシャーは、生活のすべてに波及するものだけに、尋常でない要因ではある。

 しかし、現在、精神的に追い込まれた状況にある人たちの中には、仮に経済状態がまずまず問題なく進展して行ったとしても、遅かれ早かれ何らかの支障をきたす人も少なくないのかもしれないのじゃないかと、そう推測したりする。
 人が幸せに生活できるために必要とされるものは、言うまでもなく経済的な条件だけではない。そして、残念ながら、ここに至った現代という時代環境は、必ずしも人々の生活の幸せを保証などしていない。いやむしろ、それを脅かす顔さえ覗かせているのかもしれない。なおかつ、対策が困難だとは言っても原因らしきものが特定される問題(政治・経済問題はこの類だと言える)がある一方、原因がどうこうというより、文明に伴う病のような問題(たとえば、「便利さ」の追求で見落とされた人間の変質!?)もありそうな気がしてならない。そんな問題のひとつに、感覚や感性の劣化現象が指摘できるのかもしれない。

 いつであったか、米国の映画で『普通の人々(Ordinary People)』という精神医学的内容を含んだ映画があった。ある衝撃で、自閉的となった青少年に、精神科医が言うのである。「苦痛や痛みを無くせば、喜びさえなくなるんだよ……」というような意味のことを。人間の感覚・感性は表裏一体なのだと聞こえたものだった。
 簡単には言明できないが、子どもたちを含めて、やはり現代人は感覚と感性をフル活動させる状況を阻まれているのかもしれないと感じるのだ。文明環境が、あらゆる場面でのネガティブな方向の感覚・感性、苦痛や不快感などを先回りして除去し続けた結果、感覚・感性自体が衰退し、劣化されつつあるのではないかと懸念してしまうのである。
 これが最も昂進させられてしまった領域は、苦痛や不快感をも伴わざるを得ない人間関係の場であり、その量的、質的縮小なのかもしれない。苦痛や不快感を抱く必要がないような、直接的人間関係不要の仕組みが、便利さの名のもとにいたるところに作り出されているイメージを思い浮かべているのである。
 こうして、感覚・感性が押し下げられた日常にもってきて、対処に梃子摺る急激な環境変化、環境悪化に遭遇するならば、悲惨な結果に陥ることは案外容易かもしれぬと推測するのである。

 現代という時代は、一方でというか全面的にというか、デジタル情報化が推進される趨勢を持つ時代である。それはそれで避けられず、また間違っているわけでもない。ただ、その過程で、優れてアナログ的存在である人間が、その存在根拠さえ見失ってしまうことになれば、それは絶対に間違いだと思える。たった一回の個性的な人生という部分を、どんな大義名分を以ってしても侵食するようなものは、何によらず間違いだと言わなければならないからである。
 今週は、モノに焦点を当て、アナログ的性格を引きずって、けな気に活躍するモノの気持ちを推し量るつもりになってみた。
 精神科医たちは、しばしば、モノの立場になって想像力を働かせるといった精神活動の重要さを指摘するが、確かに、これはおもしろいし、十分に意味がありそうな感じがしたものである……(2002/02/16)

2002/02/17/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (27)

「学校周辺が騒然としていると思ったら、ビートルズが来日してるんだって?」
「すぐ裏手のヒルトン・ホテルだってさ。うちらのクラスでもエスケープして様子見に行ったのがいるらしいっていうじゃない」
「あんな長髪のどこがいいって言うのかねぇ?」
「南沢、そいつは認識不足っていうやつだよ。アメリカじゃ、キリストより人気があるとか騒がれてる革命児たちだぜ。なんせ、伝統社会英国の堅い殻をぶち破ってるんだからすごいと言うほかないさ」
「ほらまた、始まったよ、高井のプチブルの言い草!ベトナムが深刻になりつつあるこんな時に、よくまああんなへんてこなやつらに関心なんか持てるもんだよ。ねぇ、大島さん?」
 南沢は、一年留年している部長の大島に、加勢を求めるような口調で言った。
「おれはいいセンスしてると思ってるけどね……」
「いやー、これは以外だ!」
 放課後の社研(社会科学研究部)部室には、保兵衛を含むいつものメンバーが顔を揃えていた。校舎四階の片隅にある部室からは、日枝神社越しに、間近に東京ヒルトン・ホテルが眺望できた。四人は、窓際から古びた窓ガラスをとおして壮大な白亜のホテルを見るとはなく見つめていた。

 保兵衛は、高校三年の初夏を迎えていた。海念の悩みに接して以来、考えることが多くなり、いつしか社研のメンバーたちと連むようになっていたのだ。
 高井と、南沢とは同級であり、考え方や素性はだいたい呑み込んでいた。
 高井は、いわゆる知識人家庭での育ちを強くにおわせるタイプだった。社研に入った動機も、自分は個人主義だから、社会のことをもっと知るべきだと思ったからだと、何とも「合理的な」対策を、保兵衛は聞かされていたのだ。万事、高井の発想には、当事者としての泥臭い体験などが捨象された、透明性と第三者性、言ってみれば評論家風の涼しさがいつも漂っていた。だが、そうだからこそと言うべきなのか、常にジャーナリスティックな刺激性とシャープな切れ味がそれなりの魅力を醸し出していた。
 それに対して南沢には、社会正義のようなものを志向する傾向が随時感じられたものだった。悲憤慷慨を基調とする情感含みの弁をしばしば聞かされて来たし、そもそも保兵衛の入部も南沢の勧誘によるものであったのだ。どちらかと言えば、あまり実生活を語らない方だったが、か細い声で一度だけ聞いたことがあった。
「おれのうちにはそんなものは無かったよ。なんせ、下の下のプロレタリアート家庭だったからね」
卑下するような薄笑いを込めた独白を、保兵衛は覚えていた。
 保兵衛も、過去、現在ともに決して裕福などではない家庭生活に慣れていたが、それを恥じたり卑下する感情は皆無に近かった。だから南沢に多少の共感を覚えるとともに、何か違和感が禁じえなかった。また、いわゆる学業を押し並べて出世の道具と決めつけ、完璧に軽視する短絡さにも賛同できなかったりした。悲憤慷慨にしても、熱っぽい口調ではなく、半ばニヒリズムに膝まで浸かった趣きがあり、まさに屈折していたのだ。
 ひとつ年上の部長を務める大島のことは、もうひとつ不案内な保兵衛だったが、研究や活動に取り組む大島の姿勢にどこか腰の据わった落ち着きを感じとっていた。南沢の話では、何でも幼い頃に九州の炭鉱で父を亡くし、その後親戚を頼って上京したという。将来は、弁護士となって社会的弱者のために働きたいとのことだった。
 子ども時代の忘れがたい体験や思いを、現在の動機として引き摺っている点や、真摯な身のこなしなどが、保兵衛にはどこか海念との類似点として映っていた。

 この時期、保兵衛が行きつ戻りつしながら考えていたことは、いわば、人生を左右するような体験とでも言うようなものに、人はどう立ち向かうべきかということだった。
 海念の生きざまへの関心が、保兵衛の心に大きく占めていたのは言うまでもない。そして、沢庵和尚の一生とその衝撃的な遺戒に、ことさら関心を向けたのもそうした視点からなのであろう。
 幼い頃の生活体験は、幼い心に、強いコントラストのイメージで焼き付き、その後の人の心を捉えて離さないものなのであろう。いや、幼い時期と限定することはないのかもしれない。人は、生活体験の中で、心を形成し、そして知識を定着させ、行動してゆくものである。心は、ある時には信念となり積極的な行動を支える。が、ある時は人の行動を縛り、何にもまして当人を不自由に陥れる。心の操作ほどに厄介なものはないようだ。心の操作の達人とも言うべき禅僧沢庵和尚であってさえ、「心に心心ゆるすな」と格闘した形跡が窺える。そんなふうに、保兵衛は見つめ、困惑していたに違いなかった。

「上期の研究課題は、それぞれ進展してるのかなあ?廣瀬はどういう角度から迫るつもりだ?」
 大島が、黒板を背にしてテーブルに付きながらそう言った。黒板には、かねてから部としての上期研究課題が次のように記されてあった。
『 知識人問題とサルトルの<アンガージュマン> 』
 「浮動する」いいかげんな知識人に対して、第二次世界大戦の戦中、戦後に、「レジスタンス」の立場で積極的に政治活動を進めてきたフランスの実存哲学者サルトルが、上期の研究対象だった。そして、知識人たちが浮動・浮遊する弱点を、鋭く批判してサルトルが提起した<アンガージュマン>(社会的、政治的問題への自己拘束的参加)を、焦点としようとしてきたのだった。
「分からないことばかりで困ってるんだけど……、知識人たちの生活体験の実態を洗い出してみようかと考えてるんだ。中産階級とか、中間階層とか言って、紋切り型の理論面で追ってもあんまり手堅いものは出てこないような気がするんだよね」
「おもしろそうなアプローチだけど、材料集めに難航しそうじゃないかい?」
「行動的知識人と呼ばれた人たちの人生を追うということになるんだけど、まずはサルトルや、カミュたち自身のヒストリーを調べるつもりだ」
 部員それぞれの独自な視点をめぐる議論が続いた。そして、こういう場合のいつもの特徴が繰り返されたものだった。高井は、いつもによって独自な視点を避け、日本の知識人たちの評論を、評論するといった作業に逃げるのだった。そして、南沢はうだうだと回りくどく、決めていない言い訳に終始した。

 保兵衛は、窓の外に覗く夕日に照り映えるヒルトン・ホテルに目をやりながら、あの後海念はどうしているだろうかと思い浮かべていた。
 彼ほどに、心に留まり続ける心象との闘いに明け暮れなければならない者はいないだろう。いわば心の傷は、一方で時とともに癒されもしようが、新たな知識や見聞との遭遇は古傷を掘り起こすことにつながり、新たな血が噴出す事態にならないとは言えないはずだ。
 現に、保兵衛は、海念が幼少時に迎えた事件を、時が経るごとに薄れるどころか、新たな位置付けで鮮明さを増して想起するのを自覚していたのだ。
 まして、東海寺は、古傷を容赦なく刺激する幕府関係者たちの出入りが激しい場所である。海念には、あの沢庵和尚と同様の緊張と苦悩が果てしなく続いていくに違いないはずだと思われた。
 昨年の年末に、沢庵和尚が秘め続けた幕府権力との心の闘いを、保兵衛は海念に暗示することになった。海念もそのことに、はたと気づいたようだった。沢庵和尚のように、何がしかの建設的な目的意識を持って状況に立ち向かうのだろうか?あるいは……

「それにしても、人騒がせなビートルズだよ」
 南沢が窓側を振り向いて言った。救急車のサイレンが聞こえていた。
「おれの予感だけど、彼らは単なるアイドルじゃないかもしれない。特に、英国女王陛下からの勲章に難色を示したらしいジョン・レノンのあの反権力的スタンスは、馬鹿にしたもんじゃないかもしれないね……」
 ノートや筆記具類を片付けながら、大島は、ほかの者たちの顔を見回し、眼を輝かせてそうつぶやいていた。(2002/02/17)

2002/02/18/ (月)  フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん……

 なぜだか急にこの曲、『フランシーヌの場合』のことを思い出しています。
 学園紛争が激しかった1969年の6月に、「反戦歌手」新谷のり子さんが歌ったデビュー曲です。
 1969年3月30日の日曜日、この日の朝、当時二十歳だった女学生フランシーヌ・ルコント(Francine Lecomte)嬢は、ベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議してパリで焼身自殺したのでした。彼女は当時盛んだった学生運動に参加して反戦活動をしていました。この事実は、1969年3月31日付 朝日新聞夕刊にも記載されています。

『フランシーヌの場合』 いまいずみあきら:作詞  郷 五郎:作曲

フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ

ホントのことを云ったら オリコウになれない
ホントのことを云ったら あまりにも悲しい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ

Francine ne nous reviens plus
Pauvre carriere l' enfant perdu
Francine s'est abandonnee
A la couleur de fraternite
Au petit matin du 30 mars
C'eat dimanche
Une vie s'enflamme pour son eternite
A Paris Francine

ひとりぼっちの世界に 残された言葉が
ひとりぼっちの世界に いつまでもささやく
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ

フランシーヌの場合は 私にもわかるわ
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ

 この歌詞を口ずさむと、今でも当時の感慨が蘇り、目が潤みます。そして、悲惨なベトナム戦争を終結させてもなお、湾岸戦争、アフガン戦争と、悲惨さを絶やさない現実にやり切れなさを感じてしまいます。
 さらに、来日中の米国ブッシュ政権には、戦争抑止の姿勢などが決して見て取れない危うさを感じるのです。日本政府の米国追随姿勢にもまた、世界の戦争抑止の方向に逆撫でしている愚かさを見てしまいます。
 当時世界中に広がっていた反戦運動は、残念ながら、現時点ではさみしい水準として目に映ります。
 こんな現況を思い詰めると、当時のわれわれみんなの願いが水泡に帰したかのような虚しさが襲って来るのです。どうしたら、戦争反対という単純で明快な願いが、ひとつにまとまってゆけるのでしょうか?
 苛立ちと深い悲しさに立ち至る、そんな時、突如として、若く純真なフランシーヌの哀しさが舞い降りてくるのでしょうか。(2002/02/18)

2002/02/19/ (火)  実質世界は、プロレス・リングに置き換えられちゃうのかい?

 ブッシュ米大統領の来日を記念して、今週は「戦争」=「反戦」について書くことになってしまった。こんなにも経済的なシビァさが足元に忍び寄り、悠長な気分ではいられない時に関与できるテーマではないとの、そんな拒絶反応が少なくないかもしれない。今日、明日の生活レベルの生存が脅かされている時に、いつ起きるか分からない、指し当たって国内で火花が散るとは思えない戦争について危惧することは、贅沢な杞憂だと考える向きが一般的であるかもしれない。

 だからこそ、あえて考えておきたいのである。
 言うまでもなく、われわれの鋭い関心は、この不況の今後であり、日本経済の近未来であるに違いない。いや、もっと実感的に言えば、わたしを含めて、それぞれの経済的現場、会社や家計が果たしていつまで持ちこたえられるのかという差し迫った状況に、関心のすべてが注がれていると言ってよいだろう。
 しかし、庶民、国民が足元の危機に関心が奪われているからこそ、今、戦争問題が手薄になっているとも言えるのではないだろうか。「テロ撲滅」キャンペーンがあり、それは戦争抑止になるではないかと考える人もいないではない。だが、「テロ撲滅」キャンペーンが目指すのは、戦争の抑止や回避では決してない。「正義の戦争」推進意外の何ものでもない。むしろ警戒すべき対象そのものだとさえ言える。「悪の枢軸国」などという挑発的な言辞は、不良らしき兄ちゃんたちに、「オイ、そこのやくざ!」とぶつけて喧嘩を売っているのと同じではないのか。

 先週であったか、わたしは再度『プライベート・ライアン』(スティーブン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演、アカデミー賞受賞作品)を、テレビ放映で見た。(参考:http://www.geocities.co.jp/Colosseum-Acropolis/3063/pryan.html)トム・ハンクスの演技のファンとしての立場から見たのであった。
 確かに、凝り性のスピルバーグらしく、戦争の惨さ、悲惨さがリアルに追求されてはいた。しかし、落ち着いて振り返るならば、これは決して反戦映画ではなかった。米国の固定観念である「正義のための戦争」を軸とした、犠牲者たちの愛国的な生きざま、死にざまの賛美なのであった。
 3人の兄をこの戦いで一度に亡くしてしまったライアン家の4人兄弟の末子、ジェームズ・ライアンを最戦線から救出し、母親の待つ祖国に連れ戻せという、国家権力の「恣意性」という焦点の問題に対して、若干の異論・反論がエピソード的に取り上げられはする。しかし、結局「とげ」は抜かれて、「正義の戦争」賛美へと雪崩れ込んでしまうのである。要は、『コンバット』、『ギャラントメン』などの戦争娯楽作品と本質的な違いは見出せないと、冷静に判断せざるを得なかったのである。

 スティーブン・スピルバーグ監督ですらこうした思想であるのだから、米国の一般国民が、タカ派のブッシュが先頭に立ち煽り立てられれば、大きな流れが出来上がる危険は、十分に予想しなければならないと思われる。
 いろんな意味で急を要する時に、うだうだとした議論をする余裕はないので、分かりやすく表現したい。
 「やくざ」と呼ばれるような人々がこの世にいることは、素人でも分かる。しかし、聞くところでは、スーツ姿で礼儀正しいサラリーマンには、彼らは手を出さない、と聞く。それが、人の世の最低限の道理だろう。
 話の次元は異なるが、米国が、「やくざ国家」だの何のと言うならば、スーツ姿で礼儀正しくしていてもらいたいのだ。アフガンをやっつけた上に、核保有疑惑が問題だからと言って「イラク進撃」だ、「悪の枢軸国」だと騒いでもらいたくない。片方では、このところ米国は英国と共同で、地下核実験をおおっぴらに推進しているのはなんじゃい!被爆国日本としては、トラの尾を踏まれるような事態でもあるのだ。

 血の気の多い米国に、博愛主義に徹してくれとは言わない。せめて、世界をプロレスのリングのように、ケリをつけるのは筋肉と荒わざだけという情けない空間にしないでくれよォ〜!!(2002/02/19)

2002/02/20/ (水)  現在の日本は戦争への道の瀬戸際に立っている!と考えてみること

 幸運の女神には後髪が無い!と古くから言い伝えられてきた。近づいて来る正面は、多分金髪("茶髪"ではないんじゃないかなァ)の前髪麗しいお姿なんでしょう。この時、迅速に彼女をひっ捕まえなければいけないと言うのです。なぜなら、目の前をあっと言う間に通り過ぎてしまうからであり、さらに幸運の女神の後姿は、何とも不思議なことに、背中も、お尻もつるつるの上に、後髪が一切無いときている。頭の後半分は、つるっぱげなのだそうだ。いっさい、掴み所がない!のだそうである。したがって、後手に廻ると手の施しようがないというのだ。
 これには、「あとで気がついたって遅いんだからネ!そんなドジは大キライなんだから!」という幸運の女神のきついご信条が隠されているとかである。
 そう言われるとナルホドと思い、過去を振り返って反省してしまうわけだ。
 「あの時に、やめていれば良かった……」やら、「あの時に、今ひとつ努力していればチャンスだったのに……」と、誰にもひとつや、ふたっつ、ふたつやみっつの後悔の種が転がっているものだ。ちなみに、これを「愚者の後知恵」と言うそうだが、そこまで言われると腹が立つものである。

 本筋の話に入る前に、もうひとつ、人間のリスク感覚について触れておきたい。
 ギャンブル好きは、こうした経験をしているはずなのだが、勝っている時は、手堅い勝ち方を重ねようとする。だが、負けが込んでくると取り戻そうとして一発勝負への誘惑に流されがちとなる。これは、心理学では次のような「定理」(?)となっているようである。
「儲けは確実に手に入れようとするが、損失はギャンブルしてでもなくそうとする!」
 もし、このリスク感覚が現実だとすれば、バブル崩壊後の国民心情の底流には、カケに打って出ようとする危ないガスが温存されていると推測されるのである。
 確かに、言語明瞭、内実不明の「小泉内閣」を支えてきた気運には、こうしたカケっぽいガスが作用していたと推論することは知的好奇心を満足させよう。
 しかし、のん気なことを言っている場合ではない。このガスは、フロンガスのように大気圏の境界へと上昇することなく、ますます地表に充満し、濃度と引火性を高めていると観測されるからなのである。

 またまた、いろんな意味で急を要する時期なので、うだうだとした空議論をすることはやめよう。結論から言って、現在の日本は戦争への道の瀬戸際に立っている!と懸念する。
 これでは、藪から棒なので、若干の説明を要するかもしれない。
 まず、戦争が到来する状況は、幸運の女神の到来とまったく同様に、予兆の期間は瞬時であり、始まったが最後引き戻すことははなはだ困難だ、ということである。国と国との争いに緩慢さが許されるはずがない。戦時統制や戒厳令などは、この迅速さを促進するもの以外の何ものでもない。そして、今「有事法制」が国会のテーブルに乗ろうとしているわけだ。
 また、戦争が到来するプロローグには、必ずと言ってよいほどに、冷静さを欠いた国民の雪崩的とも言える支持が存在するという点である。
 そして、この大多数の支持というものは、上記のように、何らかのパニックによって火をつけられた冷静さを欠く大衆心理(繰り返すと、投機的色合いの強い心理!)によっていつも助長されてきた。経済的危機のパニックを梃子にした上で、さらに人種問題を絡めてきたのがこれまでの歴史だった。ヒットラーでなくとも、国民を総動員する戦争に向けて、原始的な感情に愛国心の火をつけるには、人種的問題を引っ張り出すことが手っ取り早いと見なされてきたのであろう。
 そして今、危機的な経済状況に加え、「テロ撲滅」と主張されながら、実質、宗教・人種問題をクローズアップさせているのが実情である。まさかと懸念された「イラク攻撃」の現実的な動きは、米国の関心がアラブ・イスラエル問題にあることを裏書きしていると推察される。
 そして、こうした米国の戦略にぴったりと寄り添って同盟関係を深めているのが小泉内閣である。わが国は、これまでにない危険な加担をしようとしており、言うまでもなく国内の経済危機はどん詰まりとなっている。不穏なガスは充満し切っており、今日本は戦争への道の瀬戸際に立っている!と観測せざるを得ないのである。

 もはや、現代はあらゆる地域に一触即発の不気味なガスが蔓延している時代であり、「そんなことは起こるはずがない!」、「そんなことを起こす人はいない!」とする信仰の根拠が完璧に奪い去られた時代だと言えよう。
 日々の生活に直結する環境の苦しさへの対処とともに、それら一切を根底から覆す可能性を秘めた「きな臭い動き」への庶民の聡明な直感が、今最も貴重だと、そう思う。(2002/02/20)

2002/02/21/ (木)  外務省の民営化、NGOへの委託で内閣支持率回復!

 今週は、「上半身に問題あり!」と指摘されたブッシュ米大統領(ちなみに、前大統領のクリントンは「下半身に問題あり!」と指摘されていた)が来日したために、あえて、彼をとりまく「きな臭さ!」から戦争への危険について書く羽目となっている。
 実際、読まれる人もそうだろうが、書く方も、うれしくもなければ楽しくもない。
 ただ、うれしさや楽しさ、新しいことばかりを追っかける無責任で、能天気なマスメディアを思うと、意地でも書いてやると言う気になるだけだ。実を言えば、戦争へと駆り立てる危ない勢力のひとつに、日本の場合はマスメディアを挙げなければならないと、わたしは直感している。他国のジャーナリズムのような主義主張ができず、権力迎合の体質であれば、非常時寸前に容易に戦争へ加担することは明々白々だからである。戦前、戦中の新聞を覗けば一目瞭然なことではないんでしょうか。

 ところで、こうしてわれわれが、政治だ、国際関係だ、戦争だを口にすると、とんでもない破廉恥なことを口走る人がいたりする。
「国際問題というものは複雑で、素人が考えるほど簡単じゃありません。もっと、じっくりお勉強をしてから発言してください!」
などという能書きを放く(こく)評論家や学者たちのことである。彼らは、役所の近辺でくもの巣を張って客を待つ司法書士屋よろしく、素人目に小難しそうな事柄を以って稼ぎたいだけの話なのではないか。
 人殺しの戦争に反対するのに、どんな複雑な書類が必要だというのか?戸籍簿謄本も、住民票でさえ必要はない。必要なのは、
「わたしは、どんな事情があろうと、人殺しをしたくない。その加担も拒否したい!」
と言う堅い意志と率直な表明だけで十分だと言い切りたいのだ。庶民の生命と財産(庶民に財産らしきものはないかもしれないが)を否定する可能性の高い戦争という問題なのに、庶民の素人としての感覚を蹴散らし、勉強して来いとは何事かと言ってやるべきなのではないか。だいたい歴史を振り返ると、御用学者や、御用評論家たちは、軍事勢力には尻尾を振ってついて行ったものじゃなかったのかい?

 アウシュヴィッツでかろうじて生き残れた老女が、激白していた。自分の夫がナチスに連行されたその時、自分はなぜそのことに自然な感情で不当さを訴え、抵抗しなかったのか、静かな諦めの行動でやり過ごしてしまったのか、そのことが悔やまれてならないと。 正しいこと、大事なことには能書きを必要としない場合が多いのではないだろうか。
 「愚者は多弁!」とあるが、道理に反したことをした者、したい者も、屁理屈や能書きを醜い姿で熱弁するのが常である。
 昨日の国会での参考人質疑で、汚らわしいので誰とは言わないが、はげ、ちび、でぶの3タイトル制覇議員が、正常な人間感性を逆撫でして余りある多弁に終始した姿は、背後の暗闇をただただ増幅していただけの光景であった。そして、われわれに教えたものだった。YES or NOで済むことを、政治家たちは何と不明朗でいかがわしく塗りたくるのが好きな人種かということを。経済の構造改革以前に、政治家たちの、さらにその前に彼らの屁理屈ぐせの構造改革をこそバシッとやってもらいたいものである。

 庶民が外務省問題に拘るのは、正解だと思う。横柄で、腐敗した官僚機構に対する小泉内閣の性根が見えるからだと言えるとともに、何よりも平和と戦争の問題にとって、外務省の役割は甚大だからなのである。
 半世紀を経てもなお戦禍の傷が癒されずに残存する東アジア、東南アジアとの自然な友好関係を築くことこそが、日本の平和を推進する大方策ではないのだろうか。
 朝鮮半島の民族分断を再固定化するような言辞(「悪の枢軸国」として北朝鮮を名指ししたこと)で、対中国政策を進めようとする米国に、なぜ日本は尻尾を振るのか。もっと大局的な立場で、なぜ毅然として国際平和の外交ができないのか。
 こう考えると、真摯に国際平和を追求しているNGOを、国際会議に出したくなかった外務省の下心も、見え透いてくるのである。要は立場が無くなってしまうことを、彼ら自身が一番深く認識しているのであろう。であれば、いっそのこと国際外交は、すべて民営化して有能で、低コストのNGOに任せればいいじゃない。まだまだ問題が絶えない外務省は廃止、解散としたらいかがなんでしょうか?小泉内閣の支持率が急遽回復することを請合いますよ。(2002/02/21)

2002/02/22/ (金)  地道な「外交努力」より、なぜ「有事法制」を急ぐのか?

 『フランシーヌの場合』を端緒として切り出した戦争問題シリーズの一週間。決してこれで終わらせるつもりではないが、何かけじめをつけておきたいと思ったものだ。フランシーヌのような「思い切りのよいこと」ができない者としては、状況を冷静に認識した上で、あらゆる戦争に対する拒絶の意思表示をしておきたいと、そう考えた。反戦運動への署名というささやかな参画ではある。
 この経済危機で振り回され、結局は閉ざされた個人生活だけにすべての関心が奪われ続ける自分にとって、何か歯止めが必要だと感じた。自分と、無謀に突き進む社会や世界に対する、自分なりの、可能な範囲でのアクションがなければならないと、そんな風に感じた。結果的には、見て見ぬ振りをすることと変わらない日常というのは、やはり惨め以外の何ものでもないからだ。

 現状の世界と日本を再確認するなら、悲惨な戦争に至る危険は過去になく増大している。世界に「冷戦」構造という緊張が無くなったにもかかわらず、存在し続ける国際的緊張は、決して偶発的なものではない。
 事実上、排他的に富を集積し、世界を一極支配で手中にしようとする米国こそが、国際関係の緊張のメーカーの役を果たしてしまっているのではなかろうか。偶発性を超えた、「戦争への意志」が、危険と緊張を増幅しているのである。
 悲惨な「9.11」事件を梃子とした米国の報復戦略、火に油を注ぐ形の、長期に渡ると言明された戦略は、明らかに「戦争への意志」を誇示している。「テロ撲滅」などという非科学的なネーミングは次第に剥げ落ち始めていそうだ。
 03会計年度の米国国防予算案が前年度より約15%増で、過去20年間で最大の伸びであるとの見通しは、その「戦争への意志」が単なる脅しではないことを裏書きしている。
 米国さえ、世界に蓄積された富や環境の不平等といびつな構造に対して大局的な、まさに真の意味でのグローバリズムの姿勢をとるなら、こうした緊張は最小限に食い止められていたはずだと思われる。

 われわれ日本人が、戦争の脅威に思いを至らせる時、先ず考えるべきは、こうした好戦的な米国と迎合的に歩調を合わせているという点である。
 「まっち、ポンプ」という表現があるが、戦争問題に関しては、現在の米国の動きを照らし出しているかのようだ。「悪の枢軸」などという挑発的な言葉で火種を埋め込んでおいて、膨大な武力で消す必要を納得させようとするからである。
 現在注目しなければならない「有事法制」、「有事立法」は、北朝鮮を「悪の枢軸」国へと追いやろうとする米国戦略と完全に符号したものなのである。もともと、「有事法制」は、一九六五年、朝鮮半島の有事を想定して自衛隊制服組が極秘にまとめた「三矢研究」が国会で暴露されたのが発端である。北朝鮮を仮想敵国と定め、そこからの侵略にどう自衛隊と米軍の戦闘行動を円滑に進めるかが立法化されようとしているのだ。
 しかし、先日の米大統領の韓国訪問時にも、ブッシュが「力を背景にした外交」を主張したのに対して、韓国大統領は、朝鮮半島の民族統一を遠望した「支援と援助」に基づく外交努力を主張していたのだ。民族分断を固定化して、あえて緊張を高める米国と、まったく同じ方向を向いて「有事法制」整備を敢行しようとしている日本政府!この構図にこそ、現在の日本の戦争の脅威の根本があるということ、だから今、日本は大きなリスク・テイキングをしようとしていると思われるのである。

 ビジネスの世界は、コスト・パフォーマンスの尺度でいろいろなものが評価される。また、この尺度での効率化、高い効果性があの「構造改革」の内実でもあるのだろう。
 そうすると、今米国が展開している世界戦略は、決して「構造改革」的ではないと言わざるを得ない。なぜなら、平和外交に徹して、後戻りしない恒久平和を構成する方が、「力を背景にした外交」でその場を捻じ伏せて、必然的な禍根を残し手戻りを生み出す方策より、はるかにローコスト・ハイリターンだからである。残念ながら、ここでもまた、小泉内閣の「構造改革」の底の浅さが見えてくるようだ。

※ご参考までに。「とめよう戦争への道 百万人署名運動」 http://www2u.biglobe.ne.jp/~hyakuman/index.htm (2002/02/22)

2002/02/23/ (土)  現代の戦争には直接的対処療法などはなく、「予防療法」しかあり得ない!

 現代という時代における戦争への道を警戒する場合、やはり、現代という時代の特殊性を考慮に入れておかなければならないように思う。
 一言で言えば、日常生活と戦争状態とのボーダレスではないかと懸念している。この懸念の中には、空間的なボーダレスと、時間的なボーダレスの二つが含まれている。
 空間的なボーダレスとは、都市の市民生活の真っただ中で戦争状態が繰り広げられてしまうあの「9.11」テロとその報復としての誤爆を含んだ無差別爆撃のようなかたちを指す。
 国と国との日常関係が、経済や文化などかつてなくボーダレス化して、グローバリズム化している現在、さまざまな国際的軋轢、緊張などが炸裂する場は、無制限に広がってしまっているはずである。国家と国家の境界線に限らないのが、現代に起こる可能性のある戦争の大きな特徴なのかもしれない。
 また、正規の軍隊によって宣戦布告の上、戦争が開始されるということも考えにくい状況となっているのではなかろうか。テロや小競り合いによって都市空間などで所を選ばず勃発する戦争状態があるのだから、まさにいつ戦争が始まったのかもわからない時間経過のボーダレスもあり得ると言わなければならなくなるのだ。

 「核抑止力」という言葉がある。世界が冷戦構造にあった時、核兵器を保持し合う両者の関係は、世界が終末となる核戦争を避けようとするために、戦争自体を抑止することになるという意味だったかと思う。この指摘の時以来、戦争と言えば局地戦を意味するようになったと考えられる。局地戦と言えばゲリラ戦であり、この行き着いた先が都市ゲリラであり、テロだと考えられる。これらは、言うまでもなく基本的に神出鬼没を最大の特徴とした戦闘形式なのである。したがって、これを未然に防止するということは、ほとんど不可能に近いのかもしれない。ちょうど、コンピュータ・ウィルスが、どんなにガードを張ったコンピュータにも侵入してしまうのと比較可能なのかもしれない。われわれの日常生活を構成するハイテク文明は、どんなにかシステム・セキュリティを高めても、悪意ある犯罪にパーフェクトであることができないことを冷静に推測しなければならないのではないか。
 こうした現代の特徴を踏まえるなら、現代の戦争には直接的対処療法などはなくなってしまっている。「予防療法」しかあり得ないというのが、理性的な認識なのではないだろうか。下手な直接的対処療法は、ただただ傷口を広げることになる。また、時代遅れの武力増強は、テロ誘発の潜在的可能性を増幅させるだけのことに終わってしまうに違いないと思われる。

 戦争と日常とがボーダレス化しつつあるということは、その対策に「予防療法」しかないことを物語るとともに、一般市民自身が、「戦争は兵隊さんに!」と他人事にできなくなっていることをも物語っているのではないかと思える。決して、「有事」に備えて武装しておくべきだと言っているのではない。むしろ逆に、市民自身が戦争への道のリスクをしっかりと凝視し、阻止してゆく構えが必要となってしまっている、と言うことである。
 なぜ、ある地域の青少年たちが「自爆テロ」を英雄行為として見なし、自分もやりたいと思うのか、なぜそうした地域には想像を絶する貧困が蓄積してしまっているのか、これが当たり前と信じ切っているわれわれの「豊かな」日常生活は、果たして彼らの貧困とまったく無関係であると言い切れるのか、などを一度は考えてみる必要があると思える。NGOに結集する人々が次第に増えているのは、現代がはらむ問題が次第に人々の目に映り始めているからではないのだろうか。
 また、その裏側の問題として、奇麗事を表明しながらも、「力の論理」を振り回している勢力や、その尻馬に乗って「有事法制」、「平和憲法改悪」などを推進しようとしている者たちの真意と出所は何なのかをも、しっかりと追い詰めたいものだと思う。(2002/02/23)

2002/02/24/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (28)

 机の上に、二、三の参考書と年表が開かれてあった。卓上スタンドは、日本史の年表のある一行を照らし出している。黄色い蛍光ペンで引かれた一行の文字は、くっきりと浮かび上がり、保兵衛の視線を惹いていた。
 大学浪人中の保兵衛の受験勉強は、余り芳しく進んでいなかった。
 受験のためという切迫感が盛り上がらずに、浪人という未拘束な立場が、その時その時の知的関心を野放しにするような実情だったのだ。
 日本史の受験勉強をしているこの時にも、保兵衛の関心は別なことに向けられていた。
 「一六五一年(慶安四年) 三代将軍家光没。慶安の変[由井正雪(ゆいしょうせつ)の乱]。末期(まつご)養子制度緩和」
 蛍光ペンでこの一行をマークして、保兵衛は腕組みしながらの瞑想にふけってしまっていた。

 徳川幕府は、幕府権力を誇示しつつも、所詮は諸大名の筆頭であるに過ぎない。したがって、権力の安定は、他大名との実質的力の格差に依存せざるを得なかった。
 ここで単刀直入な政策として、大名取潰しが頻繁に行われたのであった。しかし、この政策は、裏腹の難問を幕府に投げかけていたのである。大名取潰しは、新たな浪人たちをひたすら輩出させることにつながったからである。
 もとより、幕府にとって頭の痛い問題は、関ケ原の戦以降、浪人が急増していたことであった。浪人たちは武の力を以って戦うことはできても、生計を立てることに疎く、多くが生活に窮し、その結果当然のごとく幕府への不満分子、危険分子として表面化していたのである。
 これに加えての家光時代の度重なる大名取潰しによる浪人の輩出は、二律背反的な意味合いで、幕府にとっての危険を否が応にも増幅していたことになる。
 やがて、江戸市中には幕府にとっての危険分子たる浪人たちが、溢れるようになってゆくのだった。そこにそうした、生活に窮しやり場のない浪人たちが、いつしか門下生となって通う軍学塾が生まれ、浪人救済を訴え、幕府のご政道(せいどう)を改めようとする密かな動きも発酵し始めるのだ。
 こうした塾のひとつに、神田連雀町の裏店(うらだな)で、楠流軍学を教授した由井正雪によるものがあった。
 一六五一年(慶安四年)、家光が没したその年、その空隙に合わせたかたちの幕府への謀議だとして、由井正雪、丸橋忠弥(まるばしちゅうや)らが、動きを未然に封じられ追討されることになったのである。内通者による発覚だったとされている。由井正雪は自害し、丸橋忠弥らは鈴ヶ森で処刑された。
 連累者は二千余名にものぼったと言われ、幕府はこの事件後、浪人対策を重視して浪人の発生を防ぐため、末期養子の制度を緩和して大名取潰しの機会を少なくしたとされる。

 保兵衛がこの「慶安の変」に思いを寄せるきっかけは、言うまでもなく海念の身の上であった。
 この事件の性格を、自分なりに形どれば形どるほどに、慶安四年で二十三歳となっているはずの海念の姿が、薄っすらと滲みあがってくるのだった。
 長い浪々の身の末、武士としての壮絶な最期に至った父の影を背負い、幕府への秘めた思いを抱き続ける海念。その海念とこの事変との関係に、断ち切りがたい不吉な胸騒ぎを禁じえない保兵衛なのであった。

 沢庵和尚が遷化した後、東海寺での海念は、ただ悶々とした日々を送っていた。
「海念、師を亡くしたのはおまえだけではないぞ。そういつまでも心を乱し続けるではない」
 兄弟子たちからの叱りを受けても、虚脱感からどうしようもなく抜けられない日々が続くのだった。
 保兵衛から知ることとなった和尚の隠された苦悩を反芻することで、一時の海念は落ち着いたかに見えた。より深い悟りを得ようとする思いが、盲目的な修行に向かわせもした。
 しかし、和尚の苦悩をあらしめていたに違いない現世的な存在と、自身の苦悩の根拠とが重なり合う事実を、打ち消しがたく見つめてしまう海念がそこにいた。次第に、自分が何をすべきなのかについて途方に暮れ、不毛な苛立ちへと迷い込んで行くのだった。
 和尚のいなくなった寺へは、将軍家光の訪問は途絶えた。が、幕臣たちの訪れにさほどの変化はなかった。彼らは城内から離れた開放感からか、不用意に時世のさまざまな話を吐き捨てていった。そして、知客(しか:客の応接係)の任を仰せつかり茶の対応をする海念には、そんな話が聞くとはなく耳に入ってくるのだった。

「ご同輩は、あの武蔵が亡くなったことをご存知かな?」
「何と、あの剣豪と言われた宮本武蔵のことですかな?」
「いかにも。当寺の遷化された和尚とも因縁浅からぬ武蔵が、和尚の遷化の半年前に卒去されたと聞いたものだ」
「確か、肥後熊本細川家が客分として遇していたと聞いており申した。さすれば藩主細川忠利(ただとし)殿の急逝からまだ間もないこととなるのう」
「いよいよもって関ケ原西軍兵(つわもの)の亡霊たちも姿を消し尽くす時代なのだのう」
「ごもっとも。いや、しかしながら、新たな仕官などありようはずもないこのご時世での浪人たちの存在は、お上もご心痛のご様子ではあるぞ……」

 一六四五年(正保二年)五月、宮本武蔵は、肥後熊本細川家で賓客として遇されたまま、遺言状とも言うべき『五輪書』、『独行道』を書き遺し、享年六十二歳で逝ったのだった。藩主・細川忠利(ただとし)の急逝によって、武蔵が密かに抱いていたと言われた藩政への参与という志は費え去り、士官が叶わぬ長い浪々生活の失意のままの終焉だったと思われる。「我事において後悔せず」(『独行道』)と遺された言葉は、自身の生涯に対する無念さを、反語的に言い表していたのかもしれなかった。

 海念が追い討ちをかけられたように、心をなおのこと沈潜させることとなったのは、この会話を耳にしてからのことであったかもしれない。
 父との不思議な縁、和尚との深い関係、そして自分が今こうして東海寺で修行する端緒をも作り出してくれた武蔵さままでが……。
 海念は、もはやすべての拠り所が消失してしまったような、茫漠とした空虚感のただ中に放り出されたのだった。
 そんなある日、苦渋に溢れ、やつれた海念を見るに見かねて声をかけた者がいた。日頃海念の相談役を果たしていた兄弟子の創円(そうえん)が、海念を呼んだのだった。
「海念、わたしが観るところ、今のおまえの心境の出口はあまりに遠いようだ。このまま、当寺内での修行を続けたとて悟りに至るは、はなはだ困難ではないのか?」
「…………」
「思えば、わたしがおまえほどの未熟な時期には、乞食僧として各地を歩いたものであった。沢庵和尚もそうであったとお聞きしたことがある。和尚は、乞食にして閑居にあってこそが望みと心底お考えだった節もある。決めるのはおまえしかない。だが、そこへと踏み出してみてはどうだ。各地で修行ができるための書状はわたしがしたためようぞ。そして、たとえ何年経過しようが、必ずここに戻って来るがよい」
「…………」
 海念は、うな垂れ、堰を切ったようにとめどなく涙し始めた。なぜ、と応えることはできない涙であった。
 はじめてこの東海寺に身を寄せた際に、あの和尚が声をかけてくれたことを海念は思い出していたのかもしれない。
 海念は、もうこれ以上沈みようのない心の水底を、残った最後の力で蹴る思いで、兄弟子創円の意向を静かに受け入れようとしていた。(2002/02/24)

2002/02/25/ (月)  日本文化特有の「ダブル・スタンダード」構文に注意しよう!

 「スカートの裾を踏む!」との表現が受けている。多くの庶民が日常で舐め慣れている辛苦を、見事に、かつ滑稽に言い当てているからであろう。
 ここには、わが国の津々浦々の人間関係で通用してきた日本文化特有の「ダブル・スタンダード」(二重行動規範?)[以降、略して「ダス」と呼ぶ]の原理が根強く息づいていると思われる。

 もう一度「スカートの裾を踏む!」という表現の中味をおさらいしておくと、一方では大いにやるべし!と推奨しておきながら、いざという時に、正反対とも言うべきブレーキをかけてくるというほどの意味なのであろう。
 こうしたケースが日本の日常的場面でいかに多いかを振り返ってみたい。

 母親:「子どもは風の子、表で元気よく遊ぶの。だけど、お洋服を汚す子は悪い子なのよ!」

 校長先生挨拶:「現代は何と言っても個性と創造性が求められています」(校長先生のホンネの説教:「いくら個性とは言っても、他人に奇異な目で見られるようじゃまずいんじゃないの。程度という尺度が大事なのよ」)

 入社式での社長挨拶:「当社は、優等生ではなくて、型破りな若者や野人を求めているのです!」(社長のホンネの小言:「君ねぇ、その茶髪で上司に口答えするのはどうかと思うよ。みんな仲良くやらなきゃねぇ!」)

 宴会での部長挨拶:「本日は、この間の労をねぎらい、一切『無礼講』として羽目をはずして楽しむように」(個室に呼んでの小言:「君も大人でしょ。課長の気に触ることをあそこまで明け透けに突っついたんじゃ、妙な空気になるじゃないのよ!」)

 とまあ、思い出すなり、想像するなり、種は尽きまじといったところである。

***** ここから急に、予備校の補講ふうに変わります…… *****

 これらはすべて「ダス」構文と呼ばれるわが国特有の言い回しなのであって、その文法の構造は次のようになっています。

 「@本来は…………、Aしかし実は********」

 ここで多くの受験生が間違いやすいポイントを指摘するならば、前半文、すなわち「@本来は…………」をまに受けて、後半文「、Aしかし実は********」を軽い修飾節と考えてしまうことなんですね。これはこの日本では大きな誤りとなるのです。
 ここを勘違いというか、認識不足というか取り違えて苦しんだ人々が多数いました。中には命を落とした悲惨な例や、大臣を更迭された例もあったようです。まあ、日本の伝統文化も、このグローバリズムのうねりの過程で変化しなければならないのでしょうが、どうでしょうか……。まあ、受験生諸君は、「間接話法」、「as soon as ……」構文といった出題率の高い問題とともに地味だけど致命的な間違いにつながるこうした特殊問題にも注意せんとあかんね。
 さて、むしろ、前半文こそが、枕詞のような軽い修飾節なのであって、根強い主義主張の重みは後半文にあるわけなのですね。
 文法的には「、」が打たれることによって、これまでのことはきれいさっぱり忘れなさいよ、と促されるわけです。そして次の「しかし」で、まったく別な内容を予想しておきなさい、との警告を受け、「実は」によってとどめがさされるといった、三段強調論法となっているわけなのですね。
 将来、日本古来の古い組織に進路を志望している受験生、そんな者はおらんとは思うけど、そうした受験生はここんとこをよーく勉強しておくように。
 ハイッ、じゃこれで今日の補講、「まに受けると危険な『ダス』構文!」を終わります。あっ、「補講券」まだ出していない人は、この箱に入れておくようにね。(2002/02/25)

2002/02/26/ (火)  二二六と二四六の、器用なタイム・シェアリング方式の講義?

………… センセ、ホントに大丈夫ですか?そんなにお酒が残っていたんでは……

【 センセ 】 だいじょーぶだとも。全然酔ってないよ。大丈夫なの〜、わたしはー!

………… 今日は受講生も少ないから、休講にしてもいいんですよ。その方が丸く収まるかもしれませんよ。

【 センセ 】 何ゆってるんだね、きみー!月謝取ってるんでしょ?だったら、たとえ、二日酔いであろうが、死にそうであろうが、講義はせにゃいけませんちゅーの!

………… それじゃ、危なそうだったら、脇から止めますからね、いいですかセンセ!

【 センセ 】 いやー諸君、お待ちどうさま!私立大目指してる諸君は、もうすぐ本番だね。あんまり、肩肘はっちゃダメよ〜。実力ちゅうものは、リラックスしないと出ませんからね。
 でね、今日は、ちょっと生き抜きの話なんかしちゃおうかな〜なんて思ってるの。
 あっ、一番前の席の君!今日は何の日だかゆってみたまえ!何?バレンタインは終わったでしょ。ああそう、チョコレートもらえなかったから分かんなかったんだ。そんじゃ、分かんなくてもしょうがないか。ほんじゃ、5メートル離れた隣の君は?そうそう、今日は二四六だったんだよね。いや、違うでしょ〜。二二六だったんだよネ〜、正確に言えば。
 で、二二六事件ちゅうのは、日本が悲惨な戦争へと<玉突き衝突>して行くいわばそのきっかけとなった事件なんだね。うぃー。

………… (小声で)センセ、だいじょーぶですかー?

【 センセ 】 だいじょーぶだとも。何ゆってんだね、きみー。でねぇ、国道二四六ちゅうのは、<玉突き衝突>が絶えないんだよねぇー。それはなぜかと言えば、高速料金がもったいないと思う中小運輸会社のトラックがね、うぃー、うぃー。

………… (もっと小声で)センセ、<洗面器>もってきましょうかー?

【 センセ 】 そんなものはいらんよー。だからね、<センメン的>に軍部が政治を牛耳ってゆくその<タンショ>となったのが、うぃー。

………… (小声で)センセ、ホントにだいじょーぶ?

【 センセ 】 しつこい方だねぇ、君もー。で、何だったっけ、あっそうそう<タンシャ>も、二四六では縫うように突っ走るから、おちおち運転していられないっていう話だったね。そ、こないだも<ヘルメットもつけてない青年>がね、ういー。

………… (あきらめまじりの小声で)センセー、だいじょーぶなよーですねー。

【 センセ 】 二二六に結集した<皇道派青年将校たちはヘルメット>じゃないんだね、将校だからね。あの日は、雪の降る冷える日だったんだよね。青年といえども軍服の下は、たぶん<厚着>だったと想像するんだがね、うぃー。

………… (開き直った小声で)センセー、わかった!<厚着=厚木>で引っ掛けてまた二四六に入るんでしょー。うまい!

【 センセ 】 いや、そうじゃなくてね。青年将校たちは、厚着してても、まあかっこ良かったちゅうのよ。だから、小説家・<三島>も『憂国』なんて書いて、自作自演映画まで作っちゃったのよね、ウィー。

………… ???

【 センセ 】 ここで二四六に入るのよ。確か、国道二四六の終点は、<三島>付近だったんじゃないかな、うぃー。で、すぐに二二六に戻るの。で三島由紀夫は、二二六事件に憧憬を抱く形で、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部でクーデターを呼びかけ割腹自殺に及んだんだったね。1970年のことだったかな。というわけで、二二六事件は、戦後もなお奇妙な姿をとって影響を残し続けたんだねぇー。

………… ほっ!……(小声で)センセ、センセ!受講生はみんな帰っちゃいました。(小声じゃなくて)センセ、もうだいじょうぶじゃなくてもいいですよ!やってらんないわ、三流予備校の事務なんて……。

【 センセ 】 ???(2002/02/26)

2002/02/27/ (水)  予備校シリーズ:「脱線」センセの「空気支配!」なるお話し

………… 『次は、化け学(化学)の**センセだ。こうやって黒板を拭いてると、いろいろわかるけど、**センセの人気は、どうも「脱線」部分からきてるようだなぁ。』
あっ、ごくろうさまです。じゃ、今日もよろしくお願いします。(三流予備校の事務員)

【 **センセ 】 どうもどうも。あー、あー。マイクもOKね。はいっ、それでは始めますか。
 さて、ありゃー?国立の二次が終わったというのに、今日も満席ですな。しかも、いつものように、みなさんノートをとる様子もなく、寄席で咄家(はなしか)を迎えるような姿勢!無言の「脱線」コールともいうべき圧力、「空気」を感じちゃいますねぇ。

------- そのとおり!(受講生のヤジ)

【 **センセ 】 やっぱしそうなの。苦節三十年の化け学研究者としては一抹の寂しさがないわけでもありませんが、まあ、何で喜ばれても同じだと考えましょうか。
 ええー、それじゃ本日のお題は「空気」ということにしましょうかね。初っ端からお題まできめたんじゃ、これは「脱線」というより「暴走」になりますかな。まっ、所詮同じだと考えましょうか。お友だちに聞かれたら、第二章第三節「空気成分」の補足講義だったとでも言っといてください。
 ところでね、科学者の端くれとしてのボクは、常々気になってることがあるんですわ。この日本という国は、ひょっとしてとんでもなく進んでるか、とんでもなく遅れてるかのどっちかじゃないか、ってね。と言うのがね、日本人は「超・言語的コミュニケーション」の達人揃いだからなのよ。その証拠はね、(板書を始める)

『口は禍の元』、『物言えば唇寒し秋の風』、『言わぬが花』、『西と言うたら東と悟れ』、『いやいや三杯十三杯』、『目は口ほどにものを言い』、『以心伝心』・・・

とまあ、言語的コミュニケーションの否定あり、疑義あり、そしてテレパシーありなのよね。これってね、人間という言語的存在を超えた神々だと見るか、言語以前の意志伝達の動物たちとみるか、議論の分かれる難しいとこなのね。科学者としてのボクは、今後の冷静な研究成果を静かに待ちたいと、そう思っとります。
 で、です。最後のテレパシーのジャンルに、「空気支配」というとてつもなく奇妙な現象があるんだなぁ。奇妙なやつがね。
 ほら、さっきもみなさんは「脱線」コールの「空気」を作ったでしょ?それなのよ、それ!そんでもって、ボクはその無言の意志を認識しちゃったよね。
 そんな時、欧米人なら、「standing ovation スタンディング・オベーション」(立ち上がった拍手喝采)という明確な形ある意思表示をするもんなんですよね。
 この、日本人によるいわば「集団テレパシー」というか「集団念力」というか、これがおもしろいというか、くせものなんですね。わが国のさまざまな社会現象を見つめる際、この「空気支配」という観点がどうも必須だと思うんですよ。
 この意味での「空気」という言い回しを始めた山本七平氏はこう言ってるんですね。

「……『空気』とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力をもつ超能力であることは明らかである」(「『空気』の研究」文春文庫)

 君らにもこんな経験あるんじゃないのかな。そーだなぁ、あんまりいい例とは言えないが、君らがね、エッチな本を買おうという不純な動機を持って書店を訪れたとする。立ち読み客もパラパラであることを願っていたのに、店内は現役高校生たち男女がひしめいていたとする。
「ねぇねぇ、当分社の『試験に出る英文解釈』って、結構当たるんだって……」
とか、
「おいおい、**が出してる『騙されたつもりで勉強する化学』が、私大ではそこそこ行けるそうだぜ」
なんぞの会話が聞こえたとする。そんなただ中をエッチ君は、その種の本をレジーに運ぶことができようか。いやむしろ、さほど動機が熟してもいない『猛烈必死の英文法』なんぞを引っつかんでレジーに行く按配になるんじゃなかろうか。
 この場合、書店店内には「勉学一色、無論エッチ論外!」なる「空気」が見事に醸成されていたと言えるんですね。群集心理と似ている部分もないことはないが、もしこの店内の男女高校生がアルバイトのさくらだったとしたら、つまり、たまたま集まったメンバーではなくて事前に仕組まれていたり、馴染みだったらどうなります?そういう場合の方が多いかもしれないからね。
 ということでね、集団主義がまかり通る日本の集団や組織では、こういう「空気支配」が脈々と生き残っているんですよ。事件を起こした会社がよく「組織ぐるみ!」なんて言われたりするでしょ。そんな場合、この「空気支配」が見事に貫徹していたはずなんですね。

………… 『へぇー、そういうのがあったんだぁ。この予備校で給与のことが言い出せない理由は、「給与云々論外!」空気が張り巡らされていたと推測されるなぁ……』(2002/02/27)

2002/02/28/ (木)  予備校シリーズ:"old"と言わず"longer-living"と言うPC表現に慣れよう!

………… 『英語担当の小泉七雲センセは、洗練された方なんで安心してお世話できるんだよねぇ。だから今日は眠っちゃおっと。』
 それでは先生、よろしくお願いいたします。

【 小泉センセ 】 ハイッ、みなさん今日は!
 今日は、今後ますます強まって行くであろう "politically correct(政治的に正しい)" という表現、いわゆるPC表現について勉強しときましょう。と言っても、不良債権、財政赤字をどうするこうするといった政治面の話ではないんです。
 仮に、わたしがめちゃくちゃ太っていたとします。そんな場合、
 "You are a fat<デブの> man."
と事実を明け透けに言われると、侮辱されたと受けとめるに違いありません。が、
 "You are a stout<恰幅の良い> man."
と表現されると、「のどかわいてない?ビールでもおごろうか」なんてことになるわけですね。
 世の中、不安と苛立ちでとげとげしくなってますね。また、性差別を初めとして、いろいろな差別問題が表面化していて、ちょっとした表現にも配慮を必要とする時代になっているんですね。こうした配慮と斟酌にもとづく表現のことをPC表現と言うんです。
 いろいろとサンプルを示してみたいと思うのですが、……

………… グー、グー……

【 小泉センセ 】 (眠っているいる事務の方に視線を移して)このような場合、事実ではあっても audacious<図々しい>という表現を抑制して、 defferently behavioral<異なった行動の>といった丸い言い回しにするのがPC表現の趣旨なんですね。

 日本でも「老化」というさみしい響きを拒否して「老人力」(赤瀬川原平)と言い直す動きがありますね。 "old"と言わず "longer-living"と言うのがPC表現になるんですね。それから "How old are you?"といった年齢を尋ねるのは控えた方がいい質問のようですよ。会社の採用でも「年齢制限」は否定視されてますよね。

 PC表現では、男女差別問題関係が多いわけですが、こんなのが作りだされているそうです。 "womage(ウーミジ)"というものですが、何だかわかりますか? "manage(マネージ:経営する)"のは男性に限らないのだからとの造語だそうです。女性経営者もがんばってる時代ですもんね。

 心理学の自己暗示療法とかいうものに、「ネガティブ」表現を止めて「ポジティブ」表現で元気を出そう、という発想がありますよね。PC表現にも同じような意味合いのものがあります。
 "incompetent<無能の>"というほとんど喧嘩を売るに等しい表現は "uniquely proficient<独自の才能のある>"となります。
 "failure<失敗者>"という決めつけも余韻を残し、窮鼠猫を噛むといった予期せぬ事態を避けなければなりませんので "incompletely successful individual<不完全な成功者>"となります。
 "wrong<誤った>"というのも、無用な波風を立てるに違いないので "differently logical<異なった論理の>"とオブラートで包んじゃいます。

 一見、お世辞に終始しているようでもあります。しかし、有頂天になって猛威を振るうような議員さんに向かってではなくて、どちらかと言えば支援を望まれる立場の人に対してなので、こうした配慮が万事いい結果への促進剤になるのかもしれませんね。
 先日来日した米ブッシュ大統領の、小泉首相への一連の表現は、おそらくこの種のPC表現だったのではないかと、わたしは想像してしまいましたね。誉められたとは思わずに、初心を貫かないと、本当の"politically"な圧力が来そうですよ。

 もっと詳しいことを知りたい人は、『最新!通じる英語』(イミダス編集部編/集英社新書)で研究してください。では、今日はここまでです。

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………… (廊下を追っかけながら)先生、先生! "defferently behavioral"とはどういう意味なんでしょうか?はあ?

【 小泉センセ 】 有体に言えば、audacious<図々しい>というほどの意味です。あなたにはストレートな表現の方がいいかもしれませんね!(2002/02/28)