晴天の元日はそれだけでうれしいものだ。曇天だという予報から、問題含みである日本の年明けに似合った薄ら寒い正月を思い浮かべていた。陽射しに強ささえ感じさせる冬晴れが、時からのかろうじてのの恵みのように思えた。
いつの頃からか元日の午後は、近場の神社へ初詣することにしてきた。大げさではないどころか、ほんのかたちばかりの初詣なのである。町田の中心部に古くから祀られている学問の神、町田天満宮と、そのすぐ近くに祀られている鹿島神社を「はしご」詣でするのである。しかも、いずれも熱心な人々が長蛇の列をつくっているため、小賢しくも裏口から入れてもらうのである。なおかつ、列の脇、神殿から遠く離れた場所から柏手を打って「簡易型!略式!」の詣でで済ますという不信心極まりない所業なのである。
ところで、この鹿島神社を「はしご」詣ですることとなったのは、明治時代(1880年代)にこの境内でこの地域の「困民党」が決起集会を開いたとの謂れがあることに興味を持ったからかもしれない。「秩父事件」を起こした「秩父困民党」が有名であるが、深刻な不況の折り、借金の利子減免などを要求して立ち上がった負債農民の大衆運動だったのである。
思えば、現行の不況も深刻さを増し続けている。たぶん、今年もその傾向に拍車がかかり、被害を被る人々の深刻さは並大抵なものではないだろうと予想される。不穏な表現をするなら、平成「困民党」のような事件が起こっても不思議ではない深刻さが進行しているやもしれない。
ただし、大衆的な騒動が発生するだろうとは誰も考えない。思いもよらぬ凶悪な犯罪が起こるかもしれないことに不安を抱く人々がいても、大衆が社会なりに向けて要求を掲げ、実力行使をするイメージがいつの間にか生まれにくくなっているのが現代なのであろうか。それはなぜなのだろうか?現代人は怒ることができなくなったと言われることと関係しているのだろうか?複雑すぎる社会機構が、不幸の原因や、敵としての元凶を限りなく不透明にしているからなのだろうか?
帰る道すがら、ようやく冬の午後らしい冷たい強い風がアスファルト通りを吹きすぎた。背中が押されるような一陣の風であった。
歩道寄りの車道を、その風で紙コップがカラカラと飛ばされて行った。横倒しで転がるのではなかった。コップの中に風を湛え、吹き上げられ、着地して転がっては、また吹き上げられ、延々とはるか前方まで飛ばされて行くのだった。乾いたアスファルトを飛び転がる紙コップは、カラカラ、コンコンと派手な音をたてながら吹き飛んで行くのだった。
側溝にでもひっかかって止まるものとばかり思っていた私は、どこまでもどこまでも飛ばされてゆく紙コップに、呆気に取られてしまった。と、ふいに、「翻弄される」、「弄ばれる」という言葉が心をよぎった。誰も止めることができない一陣の風、誰も助けてやることができないその転がり。紙コップは、翻弄されているとしか見ようがなかったのである。
ようやく歩道に横たわった紙コップに近づいた時、私はそれを意を込めて踏み潰した。『もう二度と弄ばれたりするんじゃないぞ……』と思いながら。(2002/01/01)