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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2002年07月の日誌 ‥‥‥‥

2002/07/01/ (月)  甘えん坊の日本人たちを、思いっきり突き放す男たち!
2002/07/02/ (火)  激動の時代を乗り切るのは、<Skill>ではなくて<Will>!?
2002/07/03/ (水)  「アミューズメント」関連業種の景況が「晴れ」なのだそうだ!
2002/07/04/ (木)  気になる番組『プロジェクトX・挑戦者たち』が投げかけるもの!
2002/07/05/ (金)  今こそ蘇れ!エリオット・ネス率いる『アンタッチャブル』!
2002/07/06/ (土)  長野県民は、いや国民は今こそ目を覚ましたい!
2002/07/07/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (47)
2002/07/08/ (月)  パソコンの「システム・リソース」見直しと自己のパワーの総量見直し!
2002/07/09/ (火)  気で気を病みながら、少年老い易く学成り難し!
2002/07/10/ (水)  さまよえる現代人たちの心とその仕組みは?
2002/07/11/ (木)  荒々しい台風への妄想!
2002/07/12/ (金)  「心」にこだわるのは、それが今消滅しようとしているからか?!
2002/07/13/ (土)  「心的エネルギー」操作不全症候群の行方?
2002/07/14/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (48)
2002/07/15/ (月)  時代の変化は、全身をセンサーとする体験でしかつかめない!
2002/07/16/ (火)  「保身」的生き方が常識となった時代に訪れた激動の変化!
2002/07/17/ (水)  新しい変化を実現できなくとも、しがらみから離脱する変化だけでも!
2002/07/18/ (木)  デフレで鍛え上げられた者たちが明日に辿り着くのだろうか!?
2002/07/19/ (金)  綿綿と蛇のように続く過去をバッサリと断ち切る!
2002/07/20/ (土)  激動の時代の副産物たる「廃棄物」の重み!
2002/07/21/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (49)
2002/07/22/ (月)  時代環境とインターネット小サイトの連携!
2002/07/23/ (火)  すいてる場合は、椅子ひとつ空けたっていいじゃない!
2002/07/24/ (水)  個人と社会との関係。社会(=政治)に関心を向けなければ……!
2002/07/25/ (木)  米国の「知的著作権」保護期間延長論争が投げかけるもの!
2002/07/26/ (金)  なんだ、不況は「底打ち」したんじゃなかったの?!
2002/07/27/ (土)  部分の小片が全体の情報を含む「ホログラム」の不思議!
2002/07/28/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (50 最終回)
2002/07/29/ (月)  何億年前、何億年先の「まあいっか」危機と、目の前の「ウーム」危機!
2002/07/30/ (火)  根強い「ローテク」の輝きと、穴だらけの脆い「ハイテク」!
2002/07/31/ (水)  夏休み中の子どもたちが教えてくれたこと……





2002/07/01/ (月)  甘えん坊の日本人たちを、思いっきり突き放す男たち!

 日曜の午後、BSTVで、モノクロ時代劇映画『上意討ち・拝領妻始末』(1967年、東宝、監督:小林正樹[『人間の条件』!]、原作:滝口康彦、脚本:橋本忍、出演:三船敏郎、加藤剛、司葉子、仲代達也、山形勲、松村達雄ほか)を鑑賞した。
 先ず、久々にモノクロ映画を見て、案外いいものだと新鮮な印象を受けたものだった。シリアスな時代物はモノクロと効果音で、よりリアリティが増すに違いないと思えたのだ。
 ストーリーの基調は、山本周五郎・藤沢周平的世界のものだと言ってよいだろう。何故だか時代ものが好きなわたしだが、この映画はどういうものか見逃していた。そんなわけで、新作を見るように十分惹きこまれて堪能することができたのだった。

 ところで、いくら時代物とはいっても、今見ると違和感を感ぜざるを得ない演出の映画も多い。とくに東映の錦之助、千恵蔵演ずる大衆時代劇は、臭くてどうにもならない。それはそれで楽しむのではあるが、当時の役者の人気に引きずられた限界があるのだろう。 そこへゆくと、仲代達也あたりが現実感のある役どころを抑制の効いた演技でこなす作品は、不思議なもので現在の感覚で受け止めても全然浮いていないのである。同監督、同脚本で、やはり仲代達也主演の『切腹』も、この『上意討ち』と並ぶリアリズムが、胃を痛めさせるほどの緊張感をもたらしてくれたことを記憶している。

 話のすじは、よくある話である藩(会津藩)の世継を巡っての悲劇である。特異な点はというと、藩主(松村達雄)が目をかけて側室とした娘(司葉子)を、男子を設けたにもかかわらず、粗相があったとの理由で下がらせるに至り、家臣(三船敏郎)の息子(加藤剛)が正室として拝領することになる。以前の<司>への思いがないわけではなかった<加藤>ではあったが、要は藩の家老たち(山形勲など。むかし、いつも思っていたのだがこの山形勲という俳優は、漫画『赤胴鈴之介』の道場主の先生とよく似ているのだ!)の差し金であった。
 ところが、ようやく二人が許しあい、子までなした時、藩主の正室の世継が病死し、<司>の子が急遽世継となるに及び、藩主、家老たちは<司>を世継の生母として返上せよと画策し始めたのだ。
 もとより<加藤><司>は不承知だったが、隠居となった<三船>は、人倫にもとる措置だと憤りをあらわとするのだった。養子としてこの家に入り、己を殺して隠居となるまで平穏無事をつとめてきた<三船>にとって、<加藤><司>たちの真のむつまじさと、これを踏みにじる藩主、家老たちの身勝手さの対比が、<三船>をプッツン切れさせてしまったのだ。お家取り潰しの威嚇や親戚たちの反対をも押し切り、<三船><加藤>親子は、屋敷に篭城し、家老たちが差し向ける刺客たちと闘う。が、<加藤><司>は惨殺され、生き延びて幕府に事を暴露せんと江戸に向かおうとした<三船>も、国境で多勢によって殺されてしまうのだ。

 小林正樹監督は、観客が心のどこかで期待するハッピーエンドや、溜飲を下げたい結末を、真実の歴史の悲惨さを見なさい!と言わぬばかりに断じて拒絶するのである。上記『切腹』においても、観客の取り付く島は与えられなかったと記憶する。
 この観客の、いや甘えん坊の日本人たちを、思いっきり突き放して覚醒させんとするかのようなリアリズムが、実に新鮮だと感じたのだった…… (2002.07.01)

2002/07/02/ (火)  激動の時代を乗り切るのは、<Skill>ではなくて<Will>!?

 ある経営評論家が、今のわが国に欠けているものは<Skill>ではなくて<Will>だと述べていた。まさしくその通りだと共感する。同時に述べていたこともなるほどと思えた。中国の経済発展は、人件費が日本の十分の一だという点もさることながら、強烈な<Will>に基づくマネージメント、現在の日本の比ではないそれに基づいている、と。

 <Skill>と<Will>の関係について言えば、現在のわが国がどうこうという観点からではなかったが、わたしもかねてよりそうした直観を持ってきた。
 わたしの論拠は、端的に言って「必要が発明の母!」であり、誤解を恐れず極端な表現をするなら「無理が通れば道理引っ込む!」と言ってもよい。要するに、<Skill>:技能や技術は、<Will>:意志や渇望によってこそ活性化させられるパワーであるに違いないのだと考えてきた。<Will>が希薄なところに、<Skill>の素材が山積したところで、いまひとつ精彩を欠くに違いないと見なしてきたのである。
 ところが、知識万能主義に染まる「公式的」な発想は、<Skill>を<Will>から隔離して、クールに整然と発育させることが可能であるかのような幻想に味方してきたようである。
 もともと、<Will>を重要な基軸とせざるを得ない集団営為である「プロジェクト」でさえ、数式と概念の集積で多くの成果が達成できると錯覚してきた嫌いがあったかもしれない。そして、今ごろとなってあの『プロジェクトX』という<Will>の塊を望郷しているのだから、呆れてしまうのだ。どうも、マインド・ファクターとメンタル・ファクターとの関係付けが、極端に両極に振れてしまい、両者の適度な緊張関係が見出せないのがわが国の弱点として目につくのである。

 ここ一週間ほど、ささいなことだがあることに着眼して、ソフトのある特殊な技術要素を調べ、マスターしようとしてきた。この歳になって、さらに不況のこんな時期に……という懸念もなくもないのだが、気になると放ってはおけない性分なのでしょうがない。
 昨今、大体の技術要素に関しては、そこそこの技術参考書が出回っていて、その気になれば「えいやー!」と咀嚼できるものである。しかし、時として何らかの理由でエアポケットのように、そうした参考書、解説書が出回っていない技術要素というものもある。
 そうしたものというのは、多分ビジネスになりにくいという読みでそうなっているのであろう。が、そこに関心が向いてしまったのだ。
 そうなると、資料探しから、素人向けではない解説書の解読からまで、結構シンドイ作業となる。そんなことに挑戦していて、ふと気がついたことなのである。

 新しい知識の理解と咀嚼というプロセスは、次第に分かってくるという通り一遍ではないなあ、ということなのだ。必ず、プロセスの途中で、投げ出したくなる知的パニックといらだちという疾風怒濤の時期が介在するのである。その対象が内在するのであろう秩序がまるで見えてこず、徒労感、不信感、そもそもこんなことやっていていいのかという醒めた気分がごちゃ混ぜとなった心境が必ずやってくるのである。
 これは、あたかも生命体への臓器移植時の拒絶反応のようなものだと言えるかもしれない。既存の秩序が、新しい秩序を体現する存在をさまざまなスタイルで取り込もうとするのだが、その選択肢がなくなると今度は拒絶して、黙殺、遺棄を図ろうとし始めるのである。そうしたパニックなのである。
 ここで、引き下がるのが通常人かもしれない。しかし、こちとら「知的やくざ」は執念深い。敗北感で打ちひしがれたかのようなうずくまり方をしておいて、まずは若干のクールダウンの時間をおく。するとその間に、頭のどこかでボランティアの「事態調停委員会」のごときものが発足しているようなのである。そして、「待てよ〜」と気持ちを落ち着かせてじわじわと再接近していくと、ようやく「うむうむ」と納得して飲み込める断片がちらほらと見えてくるのである。多分、頭の既存知識秩序側が、「そこまで、新規参入を望むのなら、あくまで『見習いの補佐の補助の心得』というかたちでなら、やってみるかね」と折れてくれるのではなかろうかと推測したりする。

 下世話な表現だが、この「知的やくざ」の執念深さなるものが<Will>とも重なる、いわばエンジンのようなものだと感じるのである。所詮人間の能力、パワーの歴史をたどれば、知識活用能力や<Skill>などは歴史の浅いベンチャー企業のようなものであり、苔むす累々たる歴史を持つ老舗企業だといえる知恵や<Will>の底力が軽んじられていいわけがないと思うのである…… (2002.07.02)

2002/07/03/ (水)  「アミューズメント」関連業種の景況が「晴れ」なのだそうだ!

 新聞の広告では、相変わらず国内、海外を問わず旅行の広告がかなりのスペースを占めていて目立つことに気づく。多分、こんな時期でもと言うのか、こんな時期だからと言うのか、旅行を望んでいる人が多いに違いない。
 ある調査によると、今後もお金をかけたいもののトップ3は、「貯金」、「旅行」、「趣味」だという。逆に節約したいものトップ5は、「衣料費」、「外食費」、「通信費」、「お中元・お歳暮」、「日常の食費」だそうである。
 また、日経の調査での「業界天気図」(6月)によると、「雨」の業種は、「鉄鋼」、「建設」、「貨物輸送」、「セメント」、「外食」だという。「晴れ」の業種は、かろうじて「アミューズメント」だけだそうである。

 「旅行」、「趣味」に人々の関心が集中し、「アミューズメント」関連が順調な経済状況であるとの事実を知る時、人々の心理状況がなんとなく垣間見れるような気がする。要するに、気分が疲れ、心が痛んでいるのだろう。人々という一般人称で想像するまでもなく、各自が自分のことを振り返りさえすれば自ずから了解できる事実ではある。
 これらへの願望を、浮いたものだとは決して思えない。むかしの人たちが口にした「道楽は出世してからするもの」という事情と、現代のこれらとはまったく異なるものなのだろうと思っている。

 もはや、「リ・クリエーション」とは、あればあったに越したことはない、という単なる添え物的位置ではなくなったのであろう。二重の意味で現代人にとっては必須の選択となっているようだ。
 ひとつは、働くことの負荷と緊張が並大抵のものではなくなっているという点から、この時間帯で奪われた自分を「リ・クリエーション」によって奪還しなければその先やってられない、からなのかもしれない。
 そして、もうひとつは、時代が求める「クリエーション」=創造に迫ってゆくには、気分の転換なり、発想の転換なりを積極的に進めなければやれそうもないと感じているのかもしれない。
 おそらく、この傾向は、一部の重責を担う仕事に携わっている人たちだけという限定的なものではなく、老若男女、子どもを含め、それぞれの立場でそれぞれの強度で持ち始めたものではないかと思う。

 では、なぜこんなふうになったのか?
 当てずっぽうに言うなら、人間世界の「機能分化」が極限状態となったからではないかと感じている。従来、働くことの中には、現代から見れば余分なアクションが付随していたであろう。同僚仲間との会話であり、ムダと見なされがちなちょっとした動作などである。が、現在は生産性向上のために、あらゆる角度からこれらが削除されているはずである。それは、「合理化」という名によって推進されてきたはずである。さらに、昨今では、生産性向上に結びつかない人員までがリストラの名のもとに「合理化」されているのである。
 子どもたちの勉強も同じことが言えそうである。かつての、子どもの生活行動をたらふく含んで豊かであった勉強というものは、「成績表、内申書」、受験に直結する「学習」というかたちにか細く洗練されてしまったのではないだろうか。ある種のスキル習得というアクションに変貌してしまったと言ってもよいか。これが、子どもたちにストレスを生み出させ、これを短時間で解消させるアミューズメントを要求させていると見なせよう。
 現代人は、ある場所ある時間帯にとある力を発揮しつつ、その分とある力を喪失する。そして、その喪失した力を別の場所別の時間帯に効率よく奪還しようとしているようだ。したがって、この傾向が進めば進むほどに、「リ・クリエーション」需要も増大するのであろう。
 しかも、労働の場で知的、精神的力を発揮せざるを得なくなればなるほどに、「リ・クリエーション」の場で求められるものも、それらの損傷を治癒させるに足る同領域の知的、精神的要素が必須となってゆくはずだと推定されるのである。

 『今年のビジネスのツボは「Re〜」となると観(み)た!』(2002.01.07)において、「Re〜」のつくビジネスの有望さを書いたが、「Refresh、Recreate」はまさしく当たったようである。うちの会社も、「Re」ストラではなく、できるなら「Re〜」業種へと模様替えしてゆけたらいいなあと思ったりしている…… (2002.07.03)

2002/07/04/ (木)  気になる番組『プロジェクトX・挑戦者たち』が投げかけるもの!

「だが、事態は急変したのだった。
 みんながうつむいて黙ってしまった。
 その時、ひとりの男が呟いた。
 △△を担当していた※※だった。
 ※※は、『私に任せて欲しい』とだけ言った……」

 これはNHKの人気番組『プロジェクトX・挑戦者たち』の特徴あるナレーションを真似てみたものだ。「……た」で終わる口調を淡淡と繰り返しながら、ドラマチックな盛り上げ方をして、視聴者に予想以上の、小さくない感動を呼び起こしているようである。特に中高年の人たちに人気を博し、シリーズものの出版までなされている。

 この日誌でも、この番組については以前から何かと触れてきた。気になる内容を持っているからなのであるが、そのひとつは、残念ながら、ここに登場する「日本人たちのタイプ」は、もはや過去のものとなってしまったのではないかという危惧の念なのである。
 もとより「過去のもの」という印象は、視聴者だけではなく、制作者たち自身の前提でもあったに違いないと思っている。作詞、作曲:中島みゆきの『地上の星』というテーマソングにしても、偉業をなしたのが「無名」の人たちだと強調し、「地上にある星を誰も覚えていない」とするだけでなく、「つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう」と、現代におけるそうした「日本人たちのタイプ」の希少となった所在を問うてもいるかのような気がするからである。

 ちなみに、同番組を紹介するNHKサイトでは、この番組を次のように紹介している。「『プロジェクトX』は、熱い情熱を抱き、使命感に燃えて、戦後の画期的な事業を実現させてきた『無名の日本人』を主人公とする『組織と群像の知られざる物語』である。……」「番組では、先達者たちの『挑戦と変革の物語』を描くことで、今、再び、新たなチャレンジを迫られている21世紀の日本人に向け『挑戦への勇気』を伝えたいと考えている。」と。
 感銘を与える『無名の日本人』たちが今なお脈々と受け継がれ現存しているとの判断が前提となっているならば、多分こうした表現にはならなかったのではないかと思う。むしろ、「熱い情熱を抱き」「使命感に燃えた」『無名の日本人』たちが、さまざまな理由によって少数派となり、もはや見い出し難くさえなっているとの予断が窺えそうな気がするのである。

 こうした脈絡に、船曳建夫(ふなびきたけお)氏(東大教授・文化人類学)がシャープな光を当てていたのを知った。これまたNHKの番組、『人間講座』の中での『「日本人論」再考』であった。
 船曳氏に対しては以前から共感を覚え、その興味深い視点に対してわたしはわたしなりの関心を持ってきた。同氏は、上記の『無名の日本人』たちというのは、「日本人の生き方のひとつのモデル」であるところの「職人」なのだと言い切っている。
 この職人という、「もの言わず、もの作る」無名の人々は、単にものを作るのではない。「きちんと」「ちゃんと」作るという美意識をもって工夫を積み重ねて知恵を働かせているのだと。そして、日本人の誰もがこうした職人的側面を持っているのだそうである。
 もともと職人という職種とその生き方は、もの作りの技を中心にしながら、江戸期以来綿綿と日本人に受け継がれてきたものだという。そして、上記の『無名の日本人』たちもその末裔だというわけなのである。同氏は、こうした経緯と事情を、永六輔『職人』、宮本常一『忘れられた日本人』をも読み解きながら説得力ある語り口で説明していた。

 製造業の空洞化など、日本経済の変質と衰退(?)がささやかれている現在である。チェックすべき対象は表面的な経済の制度や事象に留まらない重い例がここにあると思えたのだ。戦後の日本経済の飛躍的発展を縁の下で支え続けてきた日本人の生き方が、バブル経済を経てもし大きく変質してしまっているとするならば、いやそうなのかもしれないと思うのだが、少なくとも問題の根が深いことを認識した上でことに当たるべきだと考えている…… (2002.07.04)

2002/07/05/ (金)  今こそ蘇れ!エリオット・ネス率いる『アンタッチャブル』!

 もう三十数年も昔、『アンタッチャブル』というテレビ・ドラマがあった。1930年禁酒法時代のシカゴで、暗黒街の帝王アル・カポネと真っ向から対決し、公務員としていかなる金銭的誘惑をも拒絶して職務を遂行した、言ってみれば『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵率いる火付盗賊改方のような存在についての実話である。男であることを意識し始める中学生時代であったので、隊長「エリオット・ネス」のようでありたいと思っていたはずである。
 テレビでは、意志の強そうな俳優ロバート・スタックが隊長のエリオット・ネスを演じたが、87年の米国映画では、ショーン・コネリーが脇を固め、いかにも清潔を売りとするケビン・コスナーがネスを演じた。そして、見るからにしぶとそうなロバート・デ・ニーロがカポネを熱演していた。

 テレビや映画の話がしたいのではなく、昨今のわが国における「汚職」事情について書きたいのである。その実態のひどさは今始まったものではないが、公職にある者たちがよくぞそこまでカネを追っかけ回し、立場を汚し尽くして平気でいられるものだと感心さえしてしまうのだ。発覚さえしなければ何事もなしとできる図太く狂った神経が平凡な庶民からは到底想像できないものなのである。
 ありありとした贈収賄もさることながら、昨今話題に上っているのはいわゆる「口利き」という犯罪性の立証がやや手間取る汚職であろう。「疑惑の総合商社」と揶揄された御仁についての報道が、政治家と公務員との関係の裏事情を白日のもとに曝け出したと言える。

 この「口利き」に関して、地方公共団体サイドから興味深い動向が生まれているのだ。その場所が、弊社のサテライト・オフィスのある鳥取県であっただけになおさら注目したのである。(ちなみに、鳥取県議会は8月5日施行の住民基本台帳ネットワークシステム[住基ネット]の延期を求める意見書も賛成多数で可決している!)
 朝日新聞の報道によると、「鳥取県は2日、県議や地元選出の国会議員ら公職にある人からの意見や要望などを、特別職を含む全職員が文書化し、情報公開の対象とする制度を8月1日から実施する」とある。その相手は、当初、県議だけだったが、範囲を国会議員のほか、県内の市町村長、市町村議、秘書、代理人に広げたという。そして、「制度では、非公式の場で意見などを受けた県職員は、その内容や相手の氏名を記録。記録内容は、相手にメールやファクスで確認したうえ、上司に報告し、情報公開の対象とする。また、県外の公職にある人からの意見なども、名前とともに県のホームページで発表する」ということだそうだ。

 米国には、「内部告発保護法」という先進的な法律があるようだが、わが国では猫が自分の首に鈴をつけるようなことはしないのが情けない。そうしてみると、上記の鳥取県の挑戦は、汚職列島日本に対するきわめて具体的な予防対策だと思え、注目したいのである。
 こうした仕掛けがあると、金権ワル猫も、恫喝カラスも、いくらかは恐れをなして、市民の畑には近づかないかもしれない。
 こうした試みは、全県で実施され、やがて中央の各省庁を包囲できないものであろうか。政治家はカネにならない、という原点の認識に戻らせるべきなのだ。カネに未練があるのなら、血税の結果たる公金などに近づかず、公明正大な市場において頭脳と身体を張って燃え尽きようとすればよいではないか。日頃口走っている「構造改革」の渦の中で、是非お手本を見せてもらいたいものだと思う。ただ、権力を笠に着てきた御仁らが立ち向かえる半端なお仕事ではないとは思うのだが…… (2002.07.05)

2002/07/06/ (土)  長野県民は、いや国民は今こそ目を覚ましたい!

 長野県議会は昨日5日、田中康夫知事に対する不信任案を賛成多数で可決したという。「自民党など保守系の3会派が共同提案し、賛成44人、反対5人だった。採決に欠席・退席した議員も11人いた。田中知事は10日以内に議会を解散するか、解散せずに失職するかを迫られる。知事は知事職への意欲があり、失職するか、解散しても自ら辞職するかして知事選に臨むとみられる。」(朝日新聞)
 同不信任案の主たる提案理由は「脱ダム宣言」にあると伝えられているが、「『長野モデル』の発信と称して、県民の生命や財産を守ることよりも自己の理念の実現を優先させた」「独善的で稚拙ともいえる政治手法により県政の停滞と混乱を招き、多くの県民の期待を裏切る結果となった」「『脱ダム宣言』以来1年4カ月。タレント活動に励み、無為無策だった」などの田中知事批判内容が説明されたという。これらが、不信任案提出に匹敵する比重の理由であるなら、小泉首相不信任にも十分当てはまるのではないか。

 県民が選んだ県の最高責任者を、議会が不信任決議をするほどの、反県民的失策や反社会的な犯罪行為をしたというのか?知事の決断は、識者や住民を交えた検討委員会による審議と答申によっても支持されていると言うではないか。県議会は、本当に県民の意志と県民の将来を斟酌した民主主義的立場に立っているのか?県議会の「ご乱心!」と言うほかないように見えるのだが、そうではないのか。

 県外の人間が口を差し挟むのが悪いというなら、ちなみに因縁を述べてもおこう。
 わたしは東京は町田市の木曽町在住である。町名が示すとおり、かつては信州の木曽にゆかりのある人々が集まり住んだ場所だと聞いている。そこに住んでいるのだから、長野県とはまんざら無縁ではないのである。また、わたしの名は、ヤスオであり、田中知事と同じである。まあ、これは余談でどうでもよいことであるが。

 政治家であるなら、現状のわが国の経済の末期的症状を直視し、現在の子どもたちが莫大な財政赤字を背負い、破壊された自然の中で意気消沈する惨めな姿をこそ思い描き、これを避ける努力を身命を賭して追求すべきではないのか。
 本当の政治家なら、優れた洞察力で将来をこそありありと思い描かなければならない。目先の利害と、何とでも表明できる屁理屈に抑圧された中で、埋もれながらも健気(けなげ)に将来へと伸びようとする時代の萌芽をいち早く発見するのが、真の政治家の役割ではないのか。

 それがどうだ。今、心ある国民が心配している高速道路建設計画と同様に、高度経済成長期であればまだ考慮の余地もあったかもしれない巨大な財政負担を伴う箱モノ建設にしがみついて、自然災害がどうのと屁理屈をこねまくっている。自然破壊の理屈ならわかりやすいのではあるが。
 今最も注意を向けるべきは、正直言って自然災害であるよりも、利権で動く政治家たちによる政治災害のはずである。災害を口にするなら、自らが最も大きな災害の元凶であることを悟るべきである。
 土建国家日本にふさわしく公共投資による景気刺激策をと言うのなら、建設関連公共投資がどのように現在の景気低迷に好循環の波及的刺激となるのかが聞きたいものである。そんなかたちでの公共投資が、この十年、大した効を奏しなかったというのが衆目の一致するところではないのか。それでも、この種の公共投資にこだわるとするならば、県経済の景気刺激というより、関連業者たちへの配慮としか見えなくなるのだ。
 また、巨大なダム建設は、不可逆的な自然破壊であろう。期待効果がなかったとか、問題が生じたとかで現状へ復帰することができない工事であろう。そうした類の計画をなぜなりふり構わず急ごうとするのかがわからない。何か別の動機を想定してみると実に分かりやすい計画推進となるのだが、そうではないのか?

 いずれにしても、暴挙を敢行するものたちの常軌を逸して「キレル!」ようなアクションがまたまた実現してしまったわけだ。21世紀初頭とは、20世紀型権力が最後の悪あがきをする時間帯なのであろうか。そんなことが、ここしばらくは頻発することをしっかりと折り込みながら、警戒し、批判的姿勢を持つ国民でなければ、次の日本は永久に来ないのだろう…… (2002.07.06)

2002/07/07/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (47)

 品川宿を後にしたおやえは、東海道をひとり日本橋方向へとひたすら急いでいた。
 飯盛り女として、普段歩くことの少ないおやえにとっては、つらい逃避行であった。まして、僧侶の衣装をまとい、大きな被り笠で身を隠しての急ぎ足は、そのうっとうしさと梅雨時のむし暑さで、生きた心地をかすませた。
 ただ、追っ手の宿の若い衆が背後から迫って来るのではないかという恐怖だけが、おやえの背中をぐんぐんと押すのだった。

 被り笠の下の視界には、街道の渇いた路面と、白足袋にわらじで包まれたもつれるような自分の足が見えていた。行き交う人は少ないようで、その視界にほかの人の足元をほとんど見ることがない。
 黙々と歩くおやえの胸中には、時々、郷里下総は佐倉で息も絶え絶えとなっていると知らされていた母の面影が浮かんだ。また、心細いこんな時に、昨日、今日思いがけず優しく接してくれた人たちの姿が去来していた。
 あのお坊さまがこうして助けてくれなければ、今ごろはあの暗い座敷牢で半殺しのお仕置きを受けていたに違いないと想像した。すると、思わず身震いが襲いかかってくる。名前もお聞きできなかったことに、ふと恥じ入る気持ちが自覚された。この手紙の宛名のところにたどり着いたら、必ず教えていただこうと思った。
 笠の下の視界にようやく浪人者の袴とわらじ履きの足元が見えてくる。そして通り過ぎていった。その時ふと、前夜まで品川の宿でお相手をすることとなった若い浪人とのことが、ありありと思い浮かんできたのだった。

 おやえが、その浪人と初めて会ったのは一週間ほど前である。
 不幸なめぐり合わせでこの半年、宿の飯盛り女を務めてきたおやえは、自分が相手する男たちを、旅の恥はかき捨てとばかりの仕打ちをする情なし者ばかりであると見限り始めていた。だが、なぜだかその浪人は、そうした男たちとは異なる空気を持っているようにおやえの目には映ったのだった。
「お客さんは、どちらへお出でで?」
「おれか?そうさなあ、どこへ行くんだろうか…… おれにもよくは分からぬが、きっと西の果てへでも向かうことになるんだろうな……」
「お国がそちらなのですか?」
「まあ、そんなところだ。で、おまえの郷里はどこなのじゃ?」
「あたしは、お侍さんと反対方向の東、下総よ」
「暖かいところだと聞いておるな。で、親御さんがおられるのか?」
「ええ、……」
「どうした?」
「母が病気で、いけない様子だと…… 下総から、京へ向かう村の人が立ち寄って教えてくれたの」
「そうか、それは気の毒じゃな。さぞかし飛んで帰りたいんだろうなあ。そうもゆかぬか……」
 こんな場では禁物とされていた身の上話が、自然に口からこぼれてしまう不思議な雰囲気を持ったお侍さんだと、おやえは感じたのだった。
 その浪人は、次の日もまたやってきた。そして、再びおやえを名指ししたのだった。
「お侍さん、まだお旅立ちじゃなかったのね」
「いや、しばらくこの品川に所用があってな。いいではないか、だからまたこうして会えたのだから」
 おやえは、その浪人がみやげだと言って持ってきたびわの実を、初物だと言って喜んだ。たっぷりと甘い水気を含んだびわの実を、二人は子どものように味わった。
 そして、また次の日も、その次の日も、浪人は、やって来た。いつもおやえと一緒に食べるみやげを片手にしていた。それが一週間も繰り返されたのだった。
「今夜で上がりだ。所用は済んだ。明日は昼前にここを発つことになる。そんなわけで、今夜はおまえとゆっくり飲み明かしたいものだ」
 浪人は突然一両小判を袂から取り出し、おやえに差し出す。そして言った。
「これで、ありったけ酒を持ってくるように宿の亭主に言っておいで。それから、明日の昼までは、いいか、昼まではだぞ、おまえを借り受けたともな」
「まあうれしい!」
 おやえと浪人は、あり余るほどに並ぶ銚子を次々に空け、横たえていくのだった。おやえは、驚くほどに吝嗇な客や、愚痴っぽい客の話をしたりして浪人を笑わせていた。いつの間にか夜がふけ、宿屋内は廊下も各部屋部屋も静かになってしまっていた。
「むし暑いのう」
 酔いが回り、身体が火照った浪人は、ふらふらと立ち上がり、海に面した障子窓を開け放った。海原を渡ってきた一陣の涼しい風が、何のてらいもためらいもなく、傍若無人に部屋の中へと舞い込んでくるのだった。
「ああ、極楽じゃ極楽じゃ。そうだ、そうなのじゃなあ、この一陣の潮風のように、人も思い存分振舞ってみたいものではないか。そうは思わぬか、なあ、おやえ」
 そう言って、浪人は楊枝をくわえたまま、しばらく静かな品川沖を見つめていた。が、何かを思い立ったように、窓から身を乗り出し両隣の部屋の明かりが消えているのを確かめる様子をした。そして静かに障子を閉めた。振り返った浪人は、真顔になっておやえに近づき、おやえの傍に立ったまま、小さくささやくのだった。
「おやえ、そなたはやはり下総へ飛んで帰りたいか?母御が存命のうちに一目なりとも会いたいのだろうな」
 酔いで頬を桜色に染めたおやえは、目を白黒とさせてきょとんと見上げていた。しかし、浪人は酔ってはいながらも真面目な目つきに変わっていることを見逃さなかった。
「首尾よくうまくゆくかどうかは分からぬ。だが、もしおまえが心底、母御に会いたい、会えるのだったらどんな犠牲も惜しまぬというなら、明日拙者とともにこの宿から逃げればよい。昼までは、宿の者たちもおまえを探すことはないはずだ。それまでにできるだけ遠くまで逃げ、身を隠せば叶わぬ話ではないかもしれぬ。どうじゃ……」
 浪人をじっと見つめ、その言葉に聞き入っていたおやえは、その目に涙を溢れさせるのだった。こんな立場に身を落とし、不幸に慣れてしまっていたおやえは、運命を耐え忍ぶ以外、なんの思いも浮かばなくなってしまっていたのだ。が、今、この部屋に吹き込んできた潮風のような、単刀直入な浪人の言葉を耳にして、これまで自分を縛りつけていた固い縄目が、ばらばらとはずれてゆくような気がするのだった。
「かく言う拙者も、明日の昼には、どんな犠牲をも惜しまぬ一世一代の大勝負をしようとしている……」
「えっ、果し合いでもなさるので?」
 おやえは、袂で涙を拭いながら、心配げに浪人の顔を覗き込むのだった。
「いや、それはそれじゃ。できればそなたを下総まで付き添ってもやりたい心境だが、そんなわけで二つない身体ではそれができぬ。そなたを宿の表まで連れ出すことしかできぬのが口惜しいてならぬが……」
 おやえは、一瞬強く目を閉じたかと思うと、身を崩して泣き伏せた。ここまで自分に情けをかけてくれる男がいたことがうれしかったに違いない。
 浪人は、おやえの傍らに座して再び冷めた酒を飲み始めていた。
「お侍さん、ひとつだけ教えてくださいな」
「何だな」
「お侍さんのお名前は何とおっしゃるの?」
「名前など聞いてもいたしかたなかろう……」
「いいえ、生涯……、一生心に刻んでおきたいのです」
「信州は諏訪の生まれの十三郎。掃いて捨てられるような食い潰し浪人じゃ」
「十三郎さま。こんな女に情けをかけていただきましてありがとうございます。」

 おやえは、次第に行き交う人が多くなってきた通りにたどり着いていた。すると、もうすぐ、手紙の宛て先のところに着くのだという気がしてきたのだった。そう思うと、きっと、きっと願いが叶うに違いない、という思いもにわかに込み上げてきた。
 十三郎さまとお坊さまが、諦めでよどむ泥水の底に沈んでいた自分のわがままな願いを、大事なものだとしてすくい上げて下さった。しかも、あの方たちに決して余裕がおありだったわけではなかったと思うと、そのありがたさで身が震える思いとなるおやえであった。
 この自分の願いは、もはや自分ひとりのものではないような気さえしていた。自分のつまらない弱気で、台無しにしてはならないとおやえは思うのだった。
 日本橋界隈に来た時、街のその賑わいの中でおやえは一時方向を見誤りかけた。が、懐から取り出した地図によって、それはほどなく解消できた。
 そして、ようやく馬喰町の裏店、その路地にたどりついた時には、もう日は傾きかけていた。
 路地におやえが差しかかった時、奥の方から子どもたちが集まって来た。
「お坊さまは、海念さんのお友だちかい?」
「早く、直ちゃんを呼んどいでったら」
 子どもたちは口々に叫んでいる。と、ここは任せてくれと言わぬばかりの直太郎が、すたすたと駆け寄って来た。そして、笠の下から覗き込んで言うのだった。
「何かご用でしょうか」
「政五郎さんのおうちはどこでしょうか?」
「おいらの父さんです」
「ああ、よかった」
 と、それまでいぶかしげに取り囲んでいた子どもたちの中から、「女のお坊さまだぞー」という声がわき上がるのだった。

「おやえさん、とおっしゃいましたね。女の足でよくここまでお出でなすった。この政五郎、海念さんのお頼みとありゃ世間を敵に回したってお引き受けさせてもらいますぜ。どうか大船に乗ったつもりでご安心してくだせいまし。おいおい、何をぼさーとしてるんでい。着替えをはやく用意してあげねえかってんだ」
 いつもながら、裏長屋の話の流れは早く、頭、政五郎のうちにはいち早く中村小平太と静が飛んで来ていた。そして頭に当てられた海念からの手紙は、字の苦手な頭の手から小平太に渡り、小平太が読み上げることとなったのである。事情のすべてを皆が一気に了解することになるのだった。
 しかし、さらに詳しい事情を胸に秘めた小平太と静はといえば、その後の海念の消息を案じ、ただただ悲痛な思いを深めていくのだった。 (2002.07.07)

2002/07/08/ (月)  パソコンの「システム・リソース」見直しと自己のパワーの総量見直し!

 パソコンの作業は、サクサクとした快適な稼動が命だ。電源を入れたら、即座に立ち上がり、アプリケーションの起動アイコンをクリックすれば、これまたシャキッとオープンする。ウィンドウズならではの、複数アプリケーションの同時使用でも動きがもたつかず、思考速度を撹乱させないてきぱきとした作業の流れが作り出される。

 こうでなければならないはずが、時としていらだたしい緩慢な動きに陥ることもあり得る。ウィンドウズの宿命という面もあろうが、ひとえにユーザ側によるメンテ不足に起因することが少なくない。さまざまな原因が考えられるのだが、とかく昨今生じやすい問題はメモリー逼迫であろう。大容量HDDや、DVD、そしてマルチメディア機器などの登場で、とかく大きなメモリ消費を促す環境となっているからである。
 そこで、メモリも比較的安くなっているご時世なので、128、256、さらには512MBのメモリ増設に挑んだりする。それで確かに改善される動きもある。
 ところが、いっこうに改善されずに、一番気になっていたフリーズという「死んだふり」の頻度が減少しないこともあったりする。

 その原因は、メモリを無駄遣いさせている放漫な環境設定であり、それによって気づかない個所でのメモリ消費がかさんでいることと、もうひとつ「システム・リソース」という、外部増設メモリとは別の特殊なメモリ制約の仕業なのである。
 たとえば、いつでも即座に使えることが良いことだと言わぬばかりに、いろいろなデバイスや、アプリケーションをスタンバイ状態に置いておくと、いわゆるメモリへの「常駐」という状態によって、プログラムが自由に動けるスペースが乏しくなるのだ。
 いくらマルチ・タスクを特徴とするウィンドウズではあっても、ユーザが同時にできることには限界があるので、いつも多くの作業レパートリーをスタンバイ状態に置いておく必要はないはずなのである。だから、ウィンドウズ起動時にスタンバイ状態となる設定(「スタートアップ」登録!)などはほどほどにしておればよいのである。
 そのほかにも、さほど使わないデバイスやアプリケーションに実質上不必要なメモリ分配をしている例が少なくなさそうだ。こうして、不要不急の選択肢に手厚い保護をして、当面の稼動に足かせをつけさせているのが、ウィンドウズのお仕着せの初期設定のようである。

 こうした事情に目を向けた時、いろいろと考えさせられることが思い浮かんできた。
 時代は、まさしく自然資源から財政にいたるまで、「リソース」の枯渇が問題視される時代となっている。単なる惰性や、不透明な慣習による「リソース」の無駄遣いは極力避けなければならないからだ。「あれもこれも」という百花繚乱、総花的な幻想のバブル時代が、「あれかこれか」というシビアな精選がふさわしい時代に移行してしまったかのようである。この点に配慮することが、今極めて現代的な課題なのであろう。

 そして、個人的に痛感する問題も、にわかに浮上してくるのが否定できない。
 「大風呂敷を広げる!」という表現がある。とかく若い時期には、大望を抱き、あれもこれもと、リアルな可能性を度外視して、夢と展望をごっちゃ混ぜにしがちである。
 昔の映画、ゴダール監督、J.P.ベルモンド主演の『気違いピエロ』で、主人公が、到底食べきれるはずのない巨大なフランスパンに、満遍なくバターを塗って、その端っこにむしゃぶりつく場面があった。それが青春なのだと思ったものだった。
 しかし、広げた風呂敷は、いつかは畳んでゆかなければならないのだろう。すべてを中途半端で終わらせたくないなら、完結させるものを選んでゆかなければならない年代になっていると、ふと感じるのである。社会が「構造改革」なら、個人の側も、自分の人生の突破口となし得る対象を絞り込んでゆく必要があるのかもしれない…… (2002.07.08)

2002/07/09/ (火)  気で気を病みながら、少年老い易く学成り難し!

 昨日の関心事への迫り方は、いかにも舌足らずで終わっていたことに気づいた。
 毎日自分が最も強く意識した事柄を書こうとしているのだが、的を射るようにズバリその事柄が書けるわけではない。文章化の過程で、目先の作文処理でいつの間にか迷子となってしまったり、かすってはいるようなのだが、肝心の中心部分が、まるで台風の目のように真空状態とさせてしまっていることが、やはり少なくない。
 文章とは、誰に向けてというよりも前に、自分に内在する書こうとする動機と一対の双子の関係にならなければならないと思っている。そこにたどり着こうとすることが、さし当たっての目的であるに違いないと思っている。

 「誰にでもある自分の内の『リソース』を大事にコントロールする」ということ、それが昨日の主題であったように思い返している。今日は、横道に逸れないようにのっけから結論を書いていたりするが、今度はそこまで先走ってしまうとやや違うような、身も蓋もないような気もしてくるので困ったものである。

 まあ、話を進めるとするが、とかく人の世は、他人がどうだ、外界の条件がどうだと決めつけがちである。ましてこんな未曾有の不況と、時代の激動が絡まり合う場合は、外界にばかり意識が向かってしまうものだ。そして、そこから導き出されるものはといえば、増幅された不安であったり、いらだつ気分を外在化させて「誰でもよかった」と言えるような他者への恨みであったり、あるいは幸運と見える他者への妬みであったりと、まあネガティブな感情に尽きたりする。

 これらは、パソコン操作の過程で誤動作やその他の原因で発生するトラブルが、メモリ内に不良データ、破損データをジワジワと蓄積させる事情と結構似ていると思えたのだった。パソコンはこうしてやがてはフリーズを引き起こすに至るわけなのである。決して外部から、異常な電圧が加わったり、突如とした振動が及んだからという事情ではないのである。これは、大事なデータの入れ物であるメモリが、同時に不良データたるゴミの入れ物にも成り得るというヤヌス(双面神)的なシビアな道理で動いているからなのだ。

 「多くの失敗者は、他人によってではなく、自滅的にそうなる」というような意味の言葉があったように思う。メモリの事情のように、人は不良リソースとしてのネガティブな感情などを内部に溜め込んでしまい、良質なリソースを劣化させたり、その足を引っ張ったりしている、とたとえることができるように思うのである。
 不良データを溜め込まないまでも、いつ遭遇するかわからない用途のためにムダな待機をさせている不合理なメモリ状況も、人の内部のリソース状況の愚かしさを照らしているようにも思われたのである。いろいろなことができるはずだという観念的な想定がもたらす架空の可能性への盲信が、どれほど人に内在する優良リソースを足踏みさせ、疲れさせ、そしてスポイルしてしまっていることかと推測するのである。
 「わき目も振らず」とか、「一心不乱」とか、「継続は力なり」という、子どもの頃に聞き流していた言葉が蘇ってくる。パーフェクトに正解だったのだと、今改めてそう思えるのである。
 一人の個人に秘められたリソースというものは高が知れている。また、人の一生も決して長いとは言えない。それを、ディレッタント(好事家)のように多用な関心に微分していたのでは、自分の正体など掴めるわけがないと思われる。
 「雨垂れ石を穿つ」のごとく、自身の身と心と脳を、マシーン(機械)に変えてはばからないほどにのめり込むことこそが、かろうじて自己のリソースを開花させることになるのかもしれない。とまあ、そんな気負ったことを夢想したのではあるが…… (2002.07.09)

2002/07/10/ (水)  さまよえる現代人たちの心とその仕組みは?

 二、三日前、もはや定番ともなっているいやな夢を、久々に見たものだ。
 梅雨だというのに一足早い熱帯夜での寝苦しさがわざわいしたのであろうか、それともこの時代の不安、社会不安に脅かされてのことであろうか。
 もう二十数年も前、大学院での研究生活時代の情景であった。当時、最も苦しかったことは、論文を思ったように書き進められなかったことであった。もとより怠け者のくせに、物事に対して高をくくるという始末に終えない性格から、しばしば窮地に立たされたものだった。
 学会発表の準備でも同様であり、発表日前の三日間72時間一睡もしないラストスパートで、なんとか対応したこともあった。執筆中、思考を止めたが最後睡魔に襲われ、机にうっ伏してしまうという危ない橋を渡っての敢行であった。当日も、発表中に余談をまじえたりしたことがきっかけで、一瞬もとの話題に戻りかねるという、ちょっとしたパニック状態になることもあった。
 夢は、明日提出となっている論文に全然手がついていないという悲劇的なと言うか、言語道断、支離滅裂な情景なのだった。しかも、机に向かって、原稿用紙に向かって呻吟しているならまだしも、記憶に残っている名古屋の情景の中、アルバイトの帰りかなにかで自転車に乗って、「どうする、どうする」と苦しんでいる光景なのであった。
 一晩で数十枚を書きなぐったこともあったのだから、なんとかやっつけちゃえ。いや、まず無理かな、などと考えているのである。あきらめようとしないでいるところが、偉いと言うか、なんと言うか……

 夢には二種類あるのかもしれない。深層心理を染める処理しがたい気分が、それにふさわしい形をとって、さももっともらしい光景となって現れるものがひとつである。
 今回の夢などはこれであろう。やはり、とらえ難い茫漠とした不安が自分の経験、記憶の中の形、イメージを借りて登場してきたのであろう。過去に自分の慣れ親しんできた情景、何でもない川が激流となっていて、その川っ淵を遡行しているという定番も覚えている。
 もうひとつは、代償行動的な意味合いとなった夢である。わけのわからない闘いの場面や、猛スピードのバイクで疾走したりというのがこれなのであろうか。要するに直接実現できない目標や手段を他のものにおきかえて、感情のバランシングを行っていると推定できる。

 現代は、生活周辺のさまざまなものが、かつては想像できなかったほどに便利となった時代である。いわゆるモノの環境は、まさに夢が現実となったとも言えよう。しかし、この推移と関係してか無関係か、人の内面には個人努力では処理し難いほどの「バックログ(backlog)」が堆積させられているような印象がぬぐい切れないのである。
 何も人の心の内の波風や葛藤は、現代だからということはないであろう。人の世が始まって以来、一方で心ある動物だからこそ感動や喜びを享受してきたとともに、多分それらと同量の否定的感情に苦しめられてきたに違いないと思われる。
 だとすれば、とりわけ現代において、心の安定化が困難に見えたり、あるいは心が病む現象が懸念されたりするのは、思い過ごしと言うべきなのであろうか。
 いや、そうではなくて、どうもその悲劇性が放置されているように感じるのだ。また、別の表現をするならば、経済活動の直接的対象となりにくい人の心というものは、環境破壊、自然破壊をもたらした同じ文明の論理によって、環境汚染のような、いわゆる「外部負経済」のように、マイナスを背負わされ、放置され続けてきたようにも思われるのである。
 「心無い」人々が増えたとも言われるこの時代、そもそも「心が無い」んじゃ話にならないとも言えようが、それはさておき、新しい「幸福論」を模索するにあたっては、心の仕組みなるものをいろいろな角度から洗い出す必要が差し迫っているのかもしれない…… (2002.07.10)

2002/07/11/ (木)  荒々しい台風への妄想!

 台風がやって来るといつも想い出すひとつの情景がある。
 もう亡くなった祖父が、よく、テレビの台風情報ニュースを飽きもせず深夜遅くまでひとりで見ていたのである。元来が夜更かしの祖父であったから、取り立てて不思議だとは思えなかったが、まるで室戸岬の不安を一身で担っているかのような素振りが記憶に残っている。
 確かに、家屋は古く、そのために日曜大工で頻繁に修繕をしていた祖父であったから、その種の心配もなかったわけではなかろう。が、子どもの感覚からしても、どうも心配している様子ではなかった印象が残っている。どこかワクワクしているような、興奮しているような、いずれにしてもひとりなぜだか生き生きしていた気配がしていたものだ。台風マニアとでもいう表現がしっくりしていたかもしれない。

 じゃあ、なぜ台風がそれほどの関心をひいたのであろうか。世間の皆が心配する事態であったことも理由であろうが、今、ふと思うと、思い当たることがないわけではない。
 これだけ科学技術が高度化してあらゆるものが操作可能となった現代でも、人間は台風の進路ひとつ変えられずに、台風をまるで気まぐれな動物、ゴジラかなにかのように振舞わせている点なのである。以前に、台風は「どこどこにある」というべきなのか「どこどこにいる」と言ってよいのかというくだらないことを書いた覚えがある。ことほど左様に、台風とは操作し難い巨大な生き物のような存在感を持っているように見える。
 今となっては確かめようもないが、亡くなった明治男の祖父が、興味を寄せていたのはその辺にあったのかも知れないと思ったりしている。

 わたしはといえば、台風は人間の「心」のようだと言ってみたい気がしているのだ。コロコロ変わる秋の空に引っ掛けているつもりはない。そうではなく、その氏素性(うじすじょう)の謎やら、動きの不可解さ、そして人智が及ばぬ点、だからこそ操作不能となっている点などに奇妙な類似点を見出しているのである。何よりも、あらゆるものが知的人為の手にゆだねられてしまった現代にあって、自然に根深く棹差している時代遅れさが何ともいじらしいのである。(台風災害を受けた人々に失礼ではないかという配慮は、ここでは気が行き届かなかったことにしておく)

 しかし、自然の人為的変容と人為的破壊の極限たる現代にあっても、人の内なる自然の味方であり続けようとする「心」は、今、とてつもない苦境に立たされているような気がしてならない。「知」は自然からテイクオフすることによって、故郷を忘れ、恩を忘れ、今や成り上がり者の常たる、故郷への裏切りさえはばからなくなってしまった。
 それなのに、「心」はいつまでも故郷のぬくもりを忘れず、侮蔑されても故郷の味方であろうとし続ける。とっくに故郷はズタズタに破壊されていても、故郷に足を向けては寝られないでいる律義者なのである。だから、「心」はひたすら疲れと徒労感に苛まれるのであろう。幼なじみの「知」と「心」は、今や都会のエリートとうら寂れた地元の年寄りほどの隔たりで分かたれた観があろうか。

 「知」は勝ち組、「心」は負け組の敗残者なのであろうか。近視眼である時代(時代はいつもそうであるからこそ時代なのである!)はそうだと言って強弁する。だが、今「心」が「心」であることを辞めようとはせずに、「病める」に留まるのはわけがあるに違いないと予感する。自然の賜物でありながら、自然からの離反者と成り上がった/成り下がった人間の行方は益々不透明度を加えている。先のことはおくとしても、「知」の片棒をかつぐばかりか、「知」に過剰な期待をかけてきた人間は今、果たして充足できているのであろうか。
 天国や地獄は、死んで後にあるものではなく、今既にあるものだとするのが原義だというが、人間の将来は既に現在の時点に宿っていると言うほかないと思われる。今現在が充足されていないとするならば、問題は残り続けるに違いないと言うほかなさそうな予感がしてならない。

 台風は、自然災害を忘れさせないためだけにやって来るのではなく、人間はどこまで行っても自然の一部であること、その出生を色濃く秘めた「心」を、「知」という人為の技はねじ伏せられないことを思い出させるためにやって来るのだと、そう妄想したりするのである‥‥ (2002.07.11)

2002/07/12/ (金)  「心」にこだわるのは、それが今消滅しようとしているからか?!

 「『心無い』人々によって観光地の河川には空き缶や空き瓶が……」という場合の『心無い』とは、道徳心やモラルが欠けた人のことを言うわけで、決して喜び、悲しみを感じとる心が存在しないことを指すのでないことは誰にでもわかる。
 「心」とは、いかにも漠然としている。「頭脳(メンタル)」が、身体の脳という実在に根拠を持つ働きであるのに対して、「心(マインド)」となると、そもそもそれはどこにあるのかというクールなチェックを受けそうである。「魂」に対するほどではないにせよ、非科学的であるとの非難まで飛び出しそうな、どこか「原始的」なニュアンスを漂わせてもいそうである。

 この生き死ににも関わる「サバイバル競争」の激化した時期に、「心」がどうしたこうしたと言ってる場合ではなさそうな気もしないではない。
 しかし、今、われわれの生活基盤たる経済を揺るがしている根本問題は、「日本的なもの」(とりあえずここには、良いものも、悪いものも、旧来のわが国のすべてを含めている)と「(アメリカン)グローバリズム」とのせめぎ合いがもたらしているはずなのである。
 そして、「公式的な」動向としては、「構造改革」なる呪文を唱えながら「(アメリカン)グローバリズム」を徹底的に推進させようとしていると言える。国も企業も働く人々も、経済的にサバイバルするためには、この路線に沿うしかないと言わんばかりである。

 だが、言うまでもなく、これを推進してゆくことは、少なからず「日本的なもの」との決別がいやおうなく同時選択されるのだということを、認識しなければならないはずだ。
 政治家たちによる悪しき集団主義悪用のさまざまな不祥事などを発生させた「悪しき日本的なもの」は、この際粉砕されて然るべきであろう。
 だが、日本人の文化的精神構造は、これからは個人は「自立的、自律的」であるべきだと言っただけで、あるいは欧米で行き詰まっている個人主義を押しつけるだけで、あるいは経済的・職業的制裁(経済的競争!)を強要することだけで、果たして変わってゆけるものであるのだろうか。あまりにも、安直に図式的に軽視されている気がしてならないのだ。

 個人のあり方の根源が異なっているはずだからである。「心」という問題に拘泥するのは、良いも悪いも、これが欧米人とは異なる日本人(東洋人)としての個人の立脚点であり続けてきたからなのだ。
 河合隼雄氏(深層心理学者、中公新書『無意識の構造』)によれば、人間の意識の世界は、大きく「意識」と「無意識」の層があり、欧米人は、この「意識」層の中心に個人の「自我」なるものを確立することをもって、これを個人の原点としてきたという。そして近代科学を導いた合理主義はこの考え方とともに歩んできた。
 これに対して、日本人(東洋人)は、「意識」と「無意識」の総合を「自己」と見なし、欧米人の言う「自我」の確立にはさほど執着してこなかった。それだけではなく、「無意識」層をも含む漠然とした全体を「自己」としてこれを個人のあり方と見なしてきたのではないか、という。また、この「無意識」層をも包み込む漠然とした全体を、「心」と称して理解してきたと言うわけなのである。

 確かに、現代にあっては、欧米人顔負けの「自我」を具現する個人が、とりわけ若い世代に多く見られるようになってきたかもしれない。
 だが、欧米人の「自我」は長いキリスト教の神を中心とした文化によってこそ支えられてきたものである。だからこそ、「行き詰まり」がささやかれてもいる欧米個人主義ではあっても、持続する底力を持っているのだろう。が、日本における欧米人顔負けの「自我」を具現する個人たちは、一体どのような精神構造にあるのだろうか。

 それはともかく、「(アメリカン)グローバリズム」によって整地されてゆくのであろうこれからのわが国は、旧来の日本人個人を支えてきた「心」という概念が益々形骸化して、新しい個人のあり方が暗中模索される時代に突入してゆくのだろうと予感するのだ。
 マナー無き無頼漢を「心無き」人々というのでは済まない、本当に「心」なるものを思い描けない人々、だから個人という概念がつかみ切れない人々が一般的になってゆくのかもしれない。新たなファシズムが、こうした人々にねらいを定めていなければいいのだが。
 しかし、こうした大きなうねりの中に放り込まれているのだから、苦しくないわけがないのだと、妙に開き直って悟ったりもしている…… (2002.07.12)

2002/07/13/ (土)  「心的エネルギー」操作不全症候群の行方?

 研究生活からこのソフト業界に転身したころ、手始めの仕事として、ソフト・アプリケーションの企画という業務に携わった。海外旅行ブームということもあり、中小規模金融での「外為業務」を、出始めたパソコン(といっても今から見れば単なる端末に過ぎない非力な機器であったが)にやらせるといった企画を調査、プラニングなどをした。
 その折り、プログラマーたちと打ち合わせをした時、彼らが真顔で言っていたことが記憶に残っている。
「広っさん、金儲けだけ考えるんじゃなくて、世のため人のためになるもの企画してくださいね。その方がオレたちもやりがいがあるから」と。

 多くの技術者たちと接してきた中にはいろいろなタイプがある。とにかく面白ければ、とにかく金になれば戦車や戦闘機に搭載する制御システムといったきな臭いものであろうがそんなこと知ったことかというタイプがいたかと思えば、上記のごとくヒューマンな大義名分を欲する技術者も少なくなかった。ソフトウェア技術とは、どんなアプリケーションをも実現する手段であるだけに、何を実現するのかという選択が伴うものである。
 仕事を、口に糊するための手段、カネを得るためだけの手段と割り切ることも可能だろうし、現にそうした人々や政治屋はごまんといる。そして、不況も深まれば、なりふり構わずにそうした手段をかきあさる光景も広がるのかもしれない。中には、家族を養ってゆくには止むを得ないのだろうな、と同情を誘う場合もあるには違いなかろう。

 仕事は特にその度合いが強いと思われるが、全身全霊を込めてやらなければならないにもかかわらず、「心」のどこか、もう片方でそれを是認できないと感じるものがある、といった拮抗状態が、人にはままあるのではないだろうか。
 確かに、それを世間知らずのわがままだと切り捨てる立場もあるに違いない。そうだとすれば、逆に切り捨てられずに、悩む立場があっても不思議ではないのである。
 片方でブレーキをかけるものが何であるかは、人さまざまかもしれない。職種に向けられた疑念である場合、自分とともにあり続けてきた理想や憧れの観念である場合、あるいは不条理と観ぜられた巨大な既存の経済システムへの憤りである場合、はたまたローカルな環境での不遇な人間関係などなど。
 それらによってもたらされた拮抗状態が、何らかの具体的な関係調整、具体的な調和統合へと踏み切られるのであれば、それに越したことはなかろう。思い切った転職であったり、思い切った転身などのようにである。しかし、それが不可能であって、その緊張が持続されてゆく時、「心的エネルギー」が最も浪費されることになるようだ。

 ところで、昨日も参照した河合隼雄氏の『無意識の構造』によれば、「気を使う」「気が張る」のように、「心」が働く時にはそれなりのエネルギーが消費されているとのことである。そして「自我は心の内部にある心的エネルギーを適当に消化し、それは睡眠中や休息中に補給される」という。また、「心的エネルギーが無意識から意識へと向かうときをエネルギーの進行、逆に意識より無意識へ向かうときを退行」と呼ぶそうなのである。「心的エネルギー」が意識の領域で働ける時=「進行」状態が健全なのであり、それが叶わず無意識の領域へと潜り込む時=「退行」状態が、いわゆるストレス、ノイローゼなどの神経症的症状なのだそうだ。

 したがって、片方でブレーキがかけられた状態とは、まさしく「心的エネルギー」の「退行」状態に入っていると考えられよう。危ない状態なのである。
 今週初めの方で「自分の内の『リソース』を大事にコントロールする」と書いた。「心」の『リソース』とでも言えるものは、「心」の働きを促す「心的エネルギー」だとたとえられるのだが、この「心的エネルギー」をうまくコントロールできなくなった人々が、現在の社会環境、時代環境の中で増えているのではないかと、そんな懸念をしているわけなのである。
 やたらに増え続ける異常犯罪を頂点として、「心的エネルギー」操作不全症候群が激動の時代に生きるわれわれにしのび寄っているのであろうか。

 河合氏によれば、「退行」状態は、必ずしも病的な神経症的症状にのみ至るわけではないらしい。創造性へと発展してゆく創造的発露というコースもあるのだそうだ。確かに、芸術家たちの相貌と行動が、ほとんど「ビョーキ」のようにも見えたりするのを思い起こせば、なるほどと頷けるのではある。そうしてみると、今のわが国の状況は、神経症的症状と創造性による発展という双方への可能性を秘めた危ない塀の上に立っているとでも表現できるかもしれない。さて塀のどちら側に落ち着いてゆくのだろうか…… (2002.07.13)

2002/07/14/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (48)

「なんという奇妙な格好なのじゃ。知らぬ者の目にとまらぬうちに、先ずはわたしの着替えをまとうがよかろう」
 創円の後について寺に入った海念は、誰にも会うことなく創円の部屋に通されることとなった。そして、創円が用意して差し出した僧侶の衣など一式を、ありがたく頂戴してすばやく着替えた。身を整え、挨拶のために座りなおそうとする海念だったが、堅苦しいことは無用とばかりに、創円はあわただしくも言葉を継ぐのだった。海念は、無言で頭を下げるにとどめた。

「なんともおぞましいことが起きてしまった。この境内にて、とんでもないことが起こったのじゃ。そちも知っているであろう、あの知恵伊豆が、この境内にて暗殺を仕掛けられた。いや、その企ては未遂に終わった。仕掛けた浪人、諏訪十三郎なるものが、護衛の従者が操る鉄砲によって仕留められてしまった。たかが一人の浪人に対して、飛び道具を使っての護衛とは、いかにも知恵伊豆たちの情けなく卑怯な手口じゃ」
 それを聞くと海念は、十三郎の無念さと口惜しさが想像され、悲痛な思いが込み上げてくるのだった。太刀で切り結ぶならば、鍛え上げた抜刀居合術で十三郎の思いの丈の幾分かは晴らせたものを、鉄砲が使われてしまったとは、さぞかし無念極まりない思いであったに違いないと思えたのだ。膝の上で握る拳に思わず力がこもる海念だった。
 また、相変わらず創円が知恵伊豆たちのことを好ましくは思っていないことを、言葉の端々から改めて感じ取った。だが、十三郎殿の名がどんな脈絡で知られてしまっているのかがにわかに気になり始めたのだった。
「今、その浪人を諏訪十三郎とおっしゃられましたが、創円さまはそれをどうしてご存知なので……」
 海念は、悲痛な思いを抑えながら、冷静さを装ってそう訊ねた。
「いや、なんと彼の者が、懐深く遺書を抱えておったのじゃ。」
 ああっ、そういうことであったか、十三郎殿はやはりしっかりと死を覚悟した上で事に臨んだのだ…… 改めて十三郎の意の固さを思い知らされた海念であった。
 『それをお見せください』と思わず口走りそうになったが、ぐっとその思いを飲み込んだ。今は、気になる事実を確かめることが先だと思えたのだ。再び訊ねるのだった。
「で、伊豆守殿の身はいかがなされたのでしょう」
「悪知恵の働く御仁は運も強いと見える。駕籠を襲われ、その中で浪人が突き刺した刃で右腕をかすったらしい。しばらくは大騒ぎをしておった。しかし、この寺で手当てをするでもなく、すぐさま屋敷へ取って返したところをみると大事ではなかったはずじゃ」
 海念は、知恵伊豆が無傷で逃げ切ったわけではなかったことを知り、悲痛さで充満させた心に、ほんの一滴でしかなかったにせよ潤いめいたものを得たのかもしれない。
「もとより、わたしは知恵伊豆のような者はいずれどこかでこのような仕打ちを受けるのではないかと懸念し続けておった。恨みを買わずにはおかない類の御仁であったからな。
 で、この度が、どのような恨みによるものなのかと関心を寄せていたところ、先に言うた懐内の遺書を見つけることになったのじゃ。本来、知恵伊豆らは浪人のむくろを詮議してでも事の背景を探るものと思っておったのじゃが、一行は何を恐れてかあわただしい勢いで立ち去って行きおった。『寺にて詮議せい!』と言い残してな。まだ、残党が徘徊しているとでも警戒したのであろう。とにかく、よほど慌てたものと見える」
 海念は、「残党」という言葉に一瞬、色めき立った。話さなければならない自分の事情をどう話すべきかと思い煩っていた海念だったが、ようやく話し始めるきっかけを得たと思えたのだった。が、むしろ創円の方が話さずにはいられない思いに急かされているようであり、その話の流れは止まる様子を見せなかったのだ。
「わたしは、その浪人の遺書を密かに読ませてもらった。が、なんとしたことだ、諏訪十三郎なる浪人は、単なる個人的遺恨で事を企てたのではなかったようじゃ。幕府御政道の浪人対策への異議申し立てとでも言う主旨を言い残しておったのだ。しかもだ……」
 と、そこまで創円が話した時、部屋の外の廊下に使いの僧らしき者の影が近づいて来て、部屋の前で止まった。知恵伊豆の家臣が、刺客の身元が分かったかどうかを確かめに戻って来たということだった。
 創円は、やや緊張した面持ちとなり立ち上がった。そして、自らをさとすように「うむ」と頷いたかと思うと、海念をその場に残して玄関へと向かって行ったのだった。
 海念は、いやがおうでも警戒心と緊張感を高めていた。その遺書のことが発覚して、それが伊豆守の手に渡れば、この東海寺が巻き添えになるのではと懸念していたのだった。
 しばらくの間玄関付近で、伊豆守家臣らしき者と創円との激しく言い争う声が響いていた。「然らば、なぜその場にてお改めなさらなかったのか」「信心篤き伊豆守さまのご裁量とは到底思われませぬ」といった創円の声が響き渡っていた。やがて、創円が苦々しい顔をして部屋に戻って来た。
「とんでもない輩達だ。わたしの意向はもはや迷いなく固まった。」
「いかがなされたので……」
「身元を詮議する故、衣類と所持品のすべてを出せとぬかしおった。そこで、寺でお預かりした仏を、今さら追い剥ぎするとは仏道に反する不埒じゃと言い返してやった。押し問答の末、太刀だけを持ってゆかせた。さほどの名刀でもないようなので、何も判明せぬはずじゃ」
「その遺書のことは……」
「もちろん口にするはずはなかろう。身元を明かす物は何も所持してはおらぬと言ってやったわ。わしは、諏訪十三郎なる浪人を、この寺の片隅で手厚く葬ってやるべしと心を決めたのじゃ」
 海念は、権力を笠に着る伊豆守たちとの間に明瞭な一線を画す創円の毅然とした姿勢とそのしぐさを、淀みと迷いのない、まるであの沢庵和尚を目の前に仰いでいるかのようだと一瞬感じていた。
「手間を取らせてしまったな。で、諏訪十三郎なる浪人の遺書のことじゃが。その遺書に込められた憤りの相手は、どうも幕府それ自体というよりも、浪人対策で奇策と悪知恵を弄する伊豆守自身であるようなのだ。いや、むしろ知恵伊豆自身に向けて書かれた形跡もある。だから、あながち幕府への謀反とは言い難いように受けとめられる節がある。
 これは、よくは飲み込めない事柄なのじゃが、知恵伊豆は、あの、今江戸で人気を博している由井正雪なる軍学者を、浪人たちの倒幕の謀反人としてでっち上げるという謀略を画策しているとのことなのじゃ。そして、正雪とその浪人一味とを大々的な見せしめの処刑に遇することで、全国に潜伏する浪人たちを威嚇する腹なのだと書いておった。
 多分、諏訪十三郎なる浪人は、自分の企てが失敗した時には、この遺書が知恵伊豆に渡り、お前たちの謀略は既に露見しているのだから悪あがきをするなとばかりに、そうだ、まるで警告せんとでもするつもりで書いたようにも読めるのじゃ。ただ、たとえ警告されたとしても、何ほどの恐れを感じる者たちであるかは分からぬがのう……」
 海念は、創円の話を静かに聞いていた。そして、予感しないわけではなかった事柄が、創円の口から次々と事実として伝えられるのが辛かった。虚しさと自責の念が急速に募ってゆくのを抑えることができなかったのだ。
 自分は、一体何をしてきたというのか。この寺で、知恵伊豆たちによる謀議の事実をつかみ、中村小平太殿や諏訪十三郎殿にそれを告げたのは、この人たちが由井正雪から離れることを促さんがためであった。幸い、中村殿は自分の意を察してくれた。
 だが、十三郎殿には、すべてが裏目となって出てしまったではないか…… 知恵伊豆への怨みを無用に増幅させるだけに終わってしまった。十三郎殿のような一本気な人に対して謀議の事実を知らせたことは、ただただ死を急がせ、死に場所を与えることにしかならなかった。そして、それを自分は読めなかったというのか……
「どうしたのじゃ、海念。とんだ修羅場に飛び込んできて面食らっておるのか」
「は、はい」
「で、そなたの方の事情とは、いかなるものなのじゃ」
「はい、創円さまの今のお話からすれば、いかにもたわいのない話でありまして……」
「そうか。諸国行脚の修行の旅では思いがけない事態にも遭遇するものだ。わたしも、若い頃の修行中にはいろいろな災難にも出っくわしたぞ。多分、その類かと思うが、今日のそなたのように、盗賊に身ぐるみを剥がされたこともあったと記憶しておる。まあ、丸裸にされるのなら、逆らわずされたがよい。それも喜捨のひとつじゃてな。その時は、遠慮なく、またここへ戻ってくるがよかろう」
「はい、ありがたきお言葉でございます」
 海念は、もはや何も言うべきではないと心に決め始めていた。この東海寺が、そして創円さまたちが、自分のために窮地に立つことを何よりも懸念していたのだったが、話を聞かせていただくうちに、心配は無用のように思えたからだった。
 むしろ、事情の詳細を話すことの方が、創円さまに心配の材料だけを投げかけるように思われてならなかった。すべてを押し殺す選択をこそすべきだと決心したのだった。
「創円さま、これも何かの縁かと思われます。再び旅立つ前に、仏に線香を手向けたいと存じますが、よろしゅうございますか」
「おうおう、そうするがよかろう。手段を誤りなさった仏さんだが、志はといえば我らとさほど遠くはない仏さんじゃからな。冥福を祈ってやるがよろしかろうぞ」

 創円に丁寧な別れの挨拶をした海念は、寺の敷地内の片隅の十三郎の亡がらが安置された場所へとひとり向かって行った。
 筵に被われた仏に、海念は心を込めた合掌をするのだった。
 海念は、先ず、ひとりだけ逝かせることになってしまった自分の不首尾を詫びるのだった。自分が蒔いた種を刈り取れなかった悔いを吐露せざるを得なかった。また、遺書に託した十三郎の遺志は、悔しいことではあろうが所詮叶わぬ道理であることを、鎮痛な思いで告げるしかなかった。知恵伊豆のような阿修羅を、まともに敵としても始まらなかったことを、自戒の念をも込めて語りかけたのだった。
 合掌を終えた海念は、仏の傍らにしゃがみ、被われた筵をはずして十三郎と再会する。その時海念を襲ったものは驚愕だった。十三郎の死に顔が、以外にも実に安らかな相貌に見えたからだったのである。しばし見つめていた海念には、とめどない涙と、十三郎との思い出の日々の情景が矢継ぎ早に訪れてくる。
 『竹光を腰にする浪人は見ればわかるものじゃぞ』と自慢げに言い、自分も太刀を質草に置いて竹光を腰にしたことがあったと白状した十三郎殿。『では腰が妙にさみしくなりましたのう』と冗談を言った海念がいた。しかし、今の十三郎殿は、余儀なく太刀を奪われ、正真正銘に「腰がさみしく」なってしまっている。
 とその時突如として、海念は何かに打たれるように深い思いに引き込まれるのだった。武士の誇りや立場という背負いきれないほどの重荷を背負ってきた十三郎が、心の奥底で願い続けてきたに違いない身軽さと自由を、今おくればせながら、ようやく手にしたのではないかと。そうしたことを、十三郎の安らかな面持ちが、紛いもなく伝えているように感じられたのだった。
『十三郎殿、あなたは、結局、あなたらしいやり方で、不自由な武士に潔く見切りをつけたのかもしれませんね。わたしはといえば、今しばらく己の狷介な心と悪戦苦闘し続けなければならないようだが……』
 海念は、十三郎の遺髪を目立たぬように丁寧に切り取った。そしてそれをゆっくりと懐紙に包みながら、ひとり呟いていた。
「拙僧が、故郷の諏訪までお供いたしましょうぞ」 (2002.07.14)

2002/07/15/ (月)  時代の変化は、全身をセンサーとする体験でしかつかめない!

 環境が大きな変化を迎える時、環境内の人であれ、ものであれ、それぞれがその変化に呼応して一様に変化してゆくわけではなさそうだ。妙なたとえをするなら、鍋で煮物をする際にも、鍋の中のスープの熱の上昇に対して、同じ野菜でも各種反応の速度が異なるし、調味料でさえ持ち味の発揮の仕方というか影響力の表れ方が違うと言われているのに似ている。

 デフレ・スパイラルという不況の深化、経済構造の激変の過程で、人も企業も何らかの変化を余儀なくされているはずである。この日誌に書いてきたことは、総じて言えばそれがすべてだったし、今後もそうだとさえ言える。
 一部のどはずれた人々、たとえばバブル時代の濡れ手で粟(あわ)のぶったくり事情を、肉じゃがのじゃがいもが汁をからだ中にまんべんなく染み渡らせているように(肉じゃがは好物なので悪く言うべき遺恨はないのだが……)、骨の髄まで染み込ませた人々を除けば、概ね、身を引き締めて変化に対応しようとしているに違いないだろう。しかし、変化させることは大事なのだが、一体「どう」変化させようとしているのかがさらに重要であるように思える。

 話の都合、独断で以下のように大別しておこう。
 <1>環境の変化の核心を捉え、それに対してしっかりと呼応して、その要請に見合った革新に挑もうとするケース。これを暫時<核心・革新型>と呼んでおく。
 <2>環境の変化をさし当たって形の変化としてとらえ、あくまでさし当たっての応急的な形だけの変化で対応しようとするケース。これを、「お飲み物は何になさいますか?」と問われた者が、おてふきで顔を拭いながら言うセリフ「とりあえずビール!」を模して暫時<とりあえずビール型>と呼んでおく。
<3>環境の変化をどこか対岸の火事としてしか受けとめない、受けとめられなくて、結果的に傍観視しているケース。これを、いつも傍観者を気取っている者が、突然当事者となった際に吐くセリフ「エッ、オレも?」を模して暫時<エオレモ型>と呼んでおこう。

 これらのケースは、純粋にこうした人々がいる(かもしれないが)と言うより、同じ人の中にもいろいろな割合で混在していると考えた方がリアルかもしれないと見ている。
 <1.核心・革新型>は、なかなかねらって達成できるものではなく、マイペースで事を黙々と進めていた人、企業が一躍、時代の寵児となるといった図なのである。
 <2.とりあえずビール型>は、その名も示すとおり最も多く、わが国の企業、人々の86.8%(特に根拠はない。ただそんな気がする!)が該当するケースであり、パターンであろう。とにかく、環境に対する順応を重んじ、変化=ファッションと早とちりしてはばからない。だから、本質的には変わりにくいわが国なのだと言える。
 くせものなのがなんと言っても<3.エオレモ型>なのである。自覚症状が薄いのが罪つくりなのであり、大多数の企業なり人々なりが潜伏させているパターンだからである。上記の<2>は間違いなく<3>を合併症状として抱きかかえているとも言えるのではなかろうか。

 <3.エオレモ型>は、底辺層に多いとは限らないのである。衆目を集めるエリート諸氏にもいかんなく感染してゆくところが恐い。むしろ、オレは別!と考えているだけではなく盲信さえしているお偉いさんこそが、成功体験も、既得権もあるがゆえにズブズブとはまっているのかも知れない。
 そして、この型が恐いもうひとつの理由は、変化の実態を、視野にも入れず、体験としてももちろんつかんでいないだけに、変化の渦中に引きずり込まれた際に、尋常ではないうろたえぶりを示すところにあるのだと言えよう。

 時代の変化には、さまざまな層と相がありそうだ。右往左往することもないものと、何かの拍子に地表に剥き出しとなって現れた地下マグマのようなモロ大変化の予兆のようなものとがあるのだろう。
 それを見極めるのは結構、至難の業なのだろうが、そうした際に必要なのは、全身をセンサーとできる具体的な体験を馬鹿にしないことなのかも知れないと感じている…… (2002.07.15)

2002/07/16/ (火)  「保身」的生き方が常識となった時代に訪れた激動の変化!

 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という太っ腹なことわざがある。「困難なことにあったとき、命を捨てるぐらいの気持ちでやらなければうまくいかない」と辞書は説明している。それもひとつの解釈であろう。
 だが、これを、変化対応の極意だと解釈するならば、かなりいけそうだと感じている。人がなぜ環境変化に遅れをとるかをつらつら慮って(おもんぱかって)みるに、一言で表現するならば、「保身」以外の何ものでもないはずだと気づく。
 「保身」の達人は、政治家、いや政治屋であり、自他ともに権力者を任じる者たちであろう。彼らは、貪欲でありながら実に臆病である。既に得たもの(既得権益)を失いたくないがゆえに、屁理屈をこね回し、リスクをも伴う一切の挑戦を避けるのである。時の流れと環境の変化の過程で、いつまでも保持していられるものではないことを百も承知していながら、既得権益を長引かそうと執着するのである。変化のただ中で、新鮮な価値をゼロ・ベースのスタンスで追跡してゆくことがものの道理であることを薄々知っていながら、自信がないがために、既に得たものを後生大事に守ろうとするのである。

 もし、流れゆく川に大きな桃にあらず、宝が流れていたとするならば、これをすくい上げるのに、安全な岸辺に立ち止まっていて何ができるであろうか。せいぜい、あれは宝でもなんでもなかったのだと負け惜しみを口にするだけに違いない。
 わずかに慣れ親しんで安全だと思い込んでいるその岸辺から離れ、流れを追うつもりとなってこそ宝への接近も生まれてくる。川の流れは時代の流れ、宝とは変化そのものだと思える。

 もとより、日々、体内の大量の細胞を臆することもなく入れ替えている生物にとって、時の流れは避けることの決してできない盟友以外の何ものでもないはずである。時の流れとともに、危険と喜びの表裏一体をこそ享受するのが生き物であり、人間の定めであると思い返してみたい気がする。言ってみれば、変化は生きることの基本的条件なのだと青っぽく叫びたい気がする。

 ところが、政治屋だけでなく、われわれのような自信のない臆病な人間たちは、ほどほどの宝のかけらを手にするや、まっしぐらに「保身」へと向かう。それは、ちょうど、わずかに値が上がると即座に「利食い」の売りに打って出る手堅い株式投資家そのもののようだ。
 「人生」という危なさをも漂わせた言葉が、「生活」という「今日も元気で安全第一!」というお守り袋のような言葉に置き換えられてこの方、われわれの心の奥底でのポリシーが「保身」主義となってしまったのではないだろうか。
 そして、そんな半世紀が崩れようとしていてもなお、変化に飛び込む間際となっても、「元本安全な高利回り!」を期待したりしていると言えるのかもしれない。

 「既得権益」という化石にしがみつく年寄りたちのこわばった死に顔のような醜さを心のそこから軽蔑したい。何の既得権益も知らず、未来にゲタを預け切る子どもたちの無防備な美しさに思い切り寄り添ってみたい。そこまでしなければ、変化を変化として読み抜くことも、まして変化に沿って変わってゆくこともできないはずでは…… (2002.07.16)

2002/07/17/ (水)  新しい変化を実現できなくとも、しがらみから離脱する変化だけでも!

 自然界の変化は、必然的にせよ偶発的と見えるにせよ、物理的パワーが引き起こしていることは良くわかる。しかし人間の社会は、それほどすっきりしたものではない。
 「類は類を呼ぶ」とか、「朱に交われば赤くなる」と言われるが、人は人に影響を及ぼし、人を変える。そこには、教育現場で見られるようにプラスの影響でプラスの方向へと人を変える場合と、マイナスの影響で悪の道へと引きずり込み、その上で自由意志さえ阻む影響力磁場を張り巡らすというとんでもない場合もある。この場合には、たとえば悪の道からの離脱といった更生、社会復帰をも妨げるケースを、現にわれわれは見聞しているはずである。

 時代の変化の中で人が新時代に向けて変わってゆくという問題を考える際、人が変化してゆく難しさは、教育現場でのプラス方向への変化だけを見ていたのでは事態の半分に目を向けたことにしかならないと思えるのだ。
 人が変われない理由はいろいろと想定されるわけだが、しっかりと目を向けるべき対象のひとつには、変わらせないように働いている、影響をあたえ続けている人々なり勢力が現存するということを知ることも重要だろうと思うのだ。リーダーにも、プラス方向へのリーダーと、マイナス方向へのリーダーがいると言われてきた。時代の変革期には、良いリーダーが捜し求められるとともに、悪しきリーダーとの決別が課題となっているはずである。

 悪しきリーダーとは、単一の人格とは限らず、集団や組織、またべったりとまつわりついた慣習であったりもするだろうと思える。そして、それらは見るからにヤクザというレッテルが貼られているというよりも、むしろ「ええ、それはやさしいいい人でしたよ」と、まるで近所で発生した事件のあとに、近辺の主婦がインタビューに答えるような場合も少なくないとさえ言えそうである。露骨な暴力と強面(こわもて)で、牛耳ろうとするほど乱暴な存在はもはや少ないだろう。
 ここに、古い影響力、悪しきリーダーシップの磁場圏から離脱して自己を変えてゆこうとすることの障害が見てとれるのである。人が変わる、自分自身を変革するということは、「〜へ向かって」という問題以上に、「〜から離脱して」という問題の方がよりリアルだと思えるのである。

 今、不況の苦しさとともに、百年に一度と言えるような大変革に遭遇しているわが国だ。社会全体であるとともに、身近な企業や、地域社会や、家族や私的な人間関係まですべてが変化を余儀なくされていると思われる。
 そんなプロセスで、どう変わってゆくかが不鮮明であるところから、残念ながら人々を誘導するプラスの影響はやや薄弱だと見える。だが、これに対して、昨日も書いた「既得権益」にしがみつこうとするマイナス影響を発揮する勢力の動きは、実にリアルに存在感を発揮しているし、ますます発揮するのであろう。これを、政治学的に表現をするならば、「保守反動」となる。「抵抗勢力」などという遠慮と焦点ボケした形容は、百害あって一利なしだと思われる。

 長野県田中元知事の件を見ていると、わが国の変革への方向とブレーキ役という構図の縮図が、ありありと見えてきていると思う。革新の旗手の最大の課題は、人々の将来を、完膚なきまでに覆い隠してしまっている瓦礫を、ひたすら除去することなのである。その後に何を構築すべきかまで、現在の腐敗と混乱状況は判断材料を与えていないと言うべきではないだろうか。それほどに、「既得権益」の論理で積み上げた瓦礫の山は膨大だということだろう。
 そして、瓦礫の山は、政治屋たちの汚れた手だけによって積み重ねられたのではなく、まさに政・官・財の癒着と、そしてこの磁場の影響下で、離脱をあきらめてきた庶民とによって積み上げられてきたものだと言わざるを得ない。

 今、変化の問題を考える時、時代や社会が個人を変えるというそんな順序は無い!と言い切りたいと思う。個人が、新しく変わってゆけなくとも、少なくともわけのわからない古いしがらみからだけは抜け出すという変化を先ずは、実践しなければならないと思う。
それがなくて、ヒーローを待望する傍観者であり続けるなら、先代に代わって中味の変わらぬ二代目が座を占めるだけのこととなるに違いないからだ…… (2002.07.17)

2002/07/18/ (木)  デフレで鍛え上げられた者たちが明日に辿り着くのだろうか!?

 変化と言えばやはり物価の下落傾向、デフレ環境について考えざるを得ない。
 生活者にとって、諸物価が値上がりして「何でも高くなったなあ」とためいきをつくよりも、「ええっ、こんなに安くなったんだ」と驚く方が良いに決まっているだろうか。
 男の買い物は偏っているので、生活必需品や食品関係類がどの程度まで下がっているのかはよくはわからない。だが、家電関係やPC関係、自転車などもそうかもしれないが、見事なほどに下がっているのは気づく。また、外食関係も気の毒なほどに価格破壊が進んでいるようだ。サラリーマン向けのワンコイン・ランチがすっかり定着したためなのだろうか。(書き終わって新聞を覗くと、「脱デフレ路線、早くも息切れ」とあり、ハンバーガーのマックが、再び値下げ路線を始めたそうだ。また、PC業界も、値上げした価格水準を再び値下げ路線へと転換したそうだ。)

 気の毒だという感想をもらすのは、販売側・生産者側の立場をどうしても想像してしまうからである。スケールの大きい商売をしていれば、コスト圧縮に向けた工夫と努力の余地はそこそこあるに違いない。しかし、小規模、少人数で営む経営の実態には、削るべき余分な身はそうそうあるものではないだろうと思える。
 見直す暇もあったものではない中で、客離れを防ぐために、まずは他店と競える価格水準に並ばなくてはならないのが不条理と感じるほどに辛いであろうと思う。

 デフレ傾向とは、「すべての」商品の価格が低下傾向をたどることのはずである。そう考えれば、レートが変わると同じなのだからどうということもないじゃないかと早とちりをしてしまいそうである。
 デフレとデノミ(デノミネーション:たとえば100円を、1円とするような貨幣単位名の切り替え措置)とはまったく異なるのだが、実感的な大きな違いは、デフレではその展開が一斉ではなく、需給関係、力関係の実勢に沿って弱い立場から値崩れを強いられるということがあろうか。
 たとえば、最終製品価格の引き下げの前に、下請外注会社への発注単価が、便乗的な数字も加味されてまずは引き下げられる、というのが常ではないだろうか。すると、そこに発生するのは、デフレによる「恩恵」を受ける前に、入りだけが目減りする下請会社の苦しさが生まれることとなる、というわけだ。
 企業と従業員との関係でも、同じことが言えるのかもしれない。零細企業では、企業が苦しくなったから、給与の引き下げを検討するという順序になるのだろうが、予測的経営管理に徹する大企業では、給与の引き下げ(またはリストラ)をまずは先行させるという圧力が大きいのではないかと思われる。

 デフレを単なる諸物価下落傾向と見る前に、タイム・ラグによる弱者へのしわ寄せと洞察するのが正しいように思えるのである。
 そして、現在のデフレと表裏一体となっている「構造改革」なるものは、合理化・効率化によるコスト圧縮を推進しようとするものでもある。それはそれで間違いではないのだが、ここでも「巨悪による浪費!」はお目こぼしされ、合理化・効率化など済ましてスリムでやっている弱者(零細規模経営、働く庶民)に、さらなるスリム化を強いるのが現実ではないかと観察するのだ。

 本来を言えば、こうしたデフレ傾向を阻止する力は、経済の底辺をかたちづくる庶民の購買力以外の何ものでもないはずなのである。この部分が活性化されるならば、次第に好循環へと回帰してゆく。
 ところが、今、政治が闇雲に選択しようとしていることは、底辺での購買意欲のさらなる冷却以外ではない。どんな組織にも、現場のやる気を損なうことばかりしている上役がいたりするものだが、現在の政府はまさに、いない方がましの上役だとは言えないであろうか。
 こんな中でも良質な庶民は、変化の波間に垣間見える来るべき過激な競争社会に備え、スリムな身をさらに削ぎ落として(わたしのことではないなあ……)切磋琢磨に励んでいる。この苦境の過程でパワーアップしているもの達だけに、来るべき時代は微笑むものと信じたい…… (2002.07.18)

2002/07/19/ (金)  綿綿と蛇のように続く過去をバッサリと断ち切る!

 もう久しく泳ぐ機会がないが、呼吸法のポイントは吸気ではなく呼気であったことを、ふと思い出す。同じことは、水上だけでなく日常の呼吸もその理屈を証明している。浅い呼吸、つまり浅い呼気は、体内に二酸化炭素など疲労物質を滞留させ、新鮮な酸素の吸収を妨げる。この習慣を続けると、毛細血管の機能不全を引き起こし思わぬ病状を誘うことがあるようだ。

 書斎の空気の入れ替えに、吸・排気用ファンを取り付けているが、部屋を密閉したままで外気を吸い込んでも効率が極めて悪いことに気づく。わずかでも窓を開けておくと急に空気の流れがスムーズとなる。
 捨てなければ新たなものの入ってくる余地がないということであろう。新たなものの導入で肝心なことは、古いものをどう捨てるかにありそうだ。

 変化の時代、しばしば指摘されてきたことは「成功体験」に毒された話である。要するに、「過去」の心地良き体験が捨てられないことで、新規獲得ができないという事情なのであろう。
 こう考えると、変化を阻むものは新しい要素というよりも、古い要素を捨てられないことにあることが、鮮明に浮かび上がってくるように思える。さらに、新しい要素を必死で取り入れたような気がしていても、上滑りしていて、それらが何ら吸収されていないことの道理も了解できるようになる。古いもの、過去が、きちんと清算されなければ、新しきものが座する場はないということなのであろう。

 従来から、日本の文化の変遷は、革新ではなく(思うに、今や「昇り竜!」の中国は、どうも「革新」が選べる国であるかもしれない)、接ぎ木であると言われてきたことを思い起こす。だが、それは別の機会にゆずるとして、今、強い関心を向けるべきは、自己変革や組織変革についてのより具体的な論理だと思われる。
 留意すべき第一に、過去との潔い決別という点を挙げてみたい。誰の詩であっただろうか、ふと思い出す詩がある。綿綿と蛇のように続く過去をバッサリと断ち切らねばならぬ、というニュアンスの詩である。決別の最終段階には必ず意を決しなければならない場面が訪れるものだと思う。
 腐れ縁という言葉が示すごとく、とかく過去は、現在と未来に長い影を落とし続け、未練や執着を誘うもののようである。この呪縛から離脱するために、決意は必須だと思われる。自動的な推移はあり得ないのではないだろうか。ソフトランディングやバリアフリーは期待するイメージではあっても、リアリティは乏しいと見なすべきなのであろう。

 第二に、過去との潔い決別を熟させるために、決別すべき過去を精査すること、過去と直面することがやはり避けて通れないはずである。この手順を欠いた決意は必ず将来に禍根を残すこととなるからである。半世紀以上も経た後に亡霊のように現れたきな臭い動き(「有事立法」!)の立ち上がりは、戦争を許した体制を清算しなかったこと以外にその理由は考えられないからだ。
 なぜ、過去とかかわる必要があるかと言えば、新しい環境というものは容器としては選べても、中身まで準備されているはずはないからである。容器を満たす中身は、過去を排斥した当事者たちのアクティーブなあり方自体であり、そのパワーは過去を立ち退かせる行動によって充電されたものだとしか考えられないからである。

 現在の時代環境で、人や組織が変化を受け容れなければならないことは確かなようである。しかし、古いものを清算できずにいて、さらにモノとかたちだけの変化に目を奪われている現状を見るにつけ、また生活の身の回りの状態を新旧雑然と放置している現状を振り返る時、これではまずいとひたすら感じるのだ…… (2002.07.19)

2002/07/20/ (土)  激動の時代の副産物たる「廃棄物」の重み!

 変化するにせよ、させるにせよ、または変化に対応するにせよ、注目すべき対象は二つとなろう。そのひとつは、外部の新しい対象であり、もうひとつは主体側内部の古い考え方、感じ方、姿勢などといった対象である。そして、一般的には前者のみが脚光を浴びがちである。後者の問題は、軽視されるか無視される場合が多い。あたかも、前者の新しきものが、ほとんど自動的に主体側の古き残存物を処分してくれるとでも見なされているかのようである。

 新しい道具や、新しい器としての環境が登場した際、本来、まずは注目しなければならないのは、それらを使いこなし、それらを活用する主体たる人間側の変化であるはずであろう。
 パソコンであれ、インターネットであれその輝かしい用途の可能性をもって評価するならば、文句なく素晴らしいツールであり、環境ではある。
 しかし、そのことがそのまま誰にとっても同じ事情になるとは限らないわけで、ユーザー側の活用能力のアップというか、考え方の革新というか、上記の後者の課題が煮詰められなければ予想外の悲惨さが到来することになるのだ。まして、道具や環境の新しさとその威力が誇張されるのが常であるから、その揺れ戻しは逆に大きいと言えよう。これは、社会制度の革新においても、その直後に揺れ戻しが起きがちな点に同じことが言える。

 主体側内部の変化、革新の課題が意外と重要なテーマなのであるが、その中でも古い体質の根強い残存が思いのほかやっかいな問題だと感じてきた。
 たとえば、パソコンというツールは、馬と同じかもしれない。乗り手が良ければ何馬力ものパワーを発揮するツールに違いない。進取の気象(気性)と自律の姿勢が伴えば/伴ってこそそのツールの可能性が開花するものだと思う。自分で考えることを放棄して、他者依存の姿勢を続けるならば、決して驚くほどの成果は上がってこないに違いない。
 「新しい酒は新しい皮袋に!」と言われるように、新しい道具、環境は、それに見合った受けとめ側の姿勢変革、能力革新によって迎えられるべきなのではないだろうか。

 昨日は、自分側に潜む古い体質を吐き出す、廃棄処理がなければ、新しいものの吸収が、思いがけず困難となるのではないかという点について注目してみた。今日は、幾分奇妙な問題に関心を向けている。
 時代が激動の度合いを深めていく時、いろいろな意味での「廃棄物」処理がクローズ・アップしてくる、という話である。すでに、産業廃棄物から、CO2、核燃料廃棄物、大衆化した電子機器類廃棄後の処理(残存データの処理を含む)など、文明が吐き出したモノをどう処理するかが問題視されている。またその処理がビジネスのテーブルに上げられ始めた。
 推測するに、新しいものの登場と裏腹の関係で生じる「廃棄物」は、その範囲と物量において今後ますます膨大なものとなってゆくに違いない。そして、これらが首尾よく進まないならば、クリエイティブな局面での進展にもブレーキがかかるのではないかと懸念させられる。輩出された「廃棄物」自体の問題と、人間の内部に停滞する古い考え方、姿勢などの残存物をも視野に入れての話である。

 先日、リストラ・早期退職を推進する企業が、離職者に対して退職金とともに、退職後のカウンセリングをセットしている例を知った。カウンセリング会社に、終身で再就職の斡旋をめんどう見させて、一人当たり百万円の費用を出しているそうなのである。
 退職者を「廃棄物」と同列視したくはないが、どうもその種の業者に産業廃棄物処理を依頼するメカニズムと酷似していることにやや目を白黒させたのだった。
 しかし、冷徹に推察するならば、廃棄・再生されるのは、モノに限らず、人間の能力なども視野に入ってきた時代なのだと改めて察知させられたのであった。

 デフレとは、消費(=需要)が、生産(=供給)を制する事態だと言える。目覚しい生産能力の発展に王手がかけられているとでも言えようか。
 これと対になるのかどうかはわからないが、創造性創造性とかまびすしく叫ばれる時代は、その陰に廃棄物(スクラップ)の山を積み上げ、変化に取り残された人々をも生み出してゆく。こうした課題をどう処理してゆくのかという難題が突きつけられた時代でもあるのかもしれない。うまく回してゆく(「リサイクル」化)社会システムの考案が欠かせないのだろう…… (2002.07.20)

2002/07/21/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (49)

「おーい、保兵衛。電話だってさー」
 アーク溶接が放つ火花と煙が立ち込め、鉄材の切断や研磨の道具ががなり立てる騒音で満ちた作業場、その入口で同僚のケンさんが叫んでいた。作業中の保兵衛は、溶接ホルダーと閃光よけの面をその場に置くと、入り口へと向かった。
「誰から?」
「よくわかんねぇけどさぁ、品川の東海寺からだってよ」
「ええーっ、東海寺?」

 大学三年の秋九月、来月にはゼミの合宿がありその費用などで物入りが見込まれてのことか、アルバイトの溶接作業にここしばらく入れ込んでいる保兵衛だった。いつもは、叔父の営む小さな鉄工所に、大学へ通わない日は出勤していたが、このところ仕事が立て込んでいるとのこともあり、連日アルバイトづくめとなっていた。
 電話は東海寺の事務の人からだという。最初はなんのことか要領を得なかった。いなかから出て来て人を訪ねている「中村 静」という若い女性が、ここに連絡して欲しいとメモを持って寺に頼み込んできたというのだった。
「わたしもどういうことかよく飲み込めないので、娘さんが持ってきたメモ用紙をちょっと読んでみましょうか。えーと、海念さんへ。保兵衛。アパートの大家さん、03-***-****、アルバイト先、03-***-****、と書いてありますな。
 それで、アパートの方にかけてみたらいらっしゃらないようだというので、今こちらへかけたわけでして……」
「はい、その人が探しているのは確かにこのわたしです。わたしの知り合いなんです。いろいろとお手数をおかけしました。これから、すぐそちらに伺いますので、その人をそこで待たせてやっていただけますか。一時間ほどで伺えると思いますので」
 保兵衛は、受話器を持ちながら全身に鳥肌の立つ思いがしていた。娘さんの持っていたメモ用紙とは、以前、自分が書いて海念に渡したものだったからである。海念さんがどうかしたのだろうか、でその娘さんとは、一体誰なのだろうか……
 保兵衛は、急用ができてしまったと叔父に断り、急いでシャワーを浴び着替えるのだった。

 京浜急行で大森町から北馬場までは二十分少々である。電話がかかってから、およそ一時間ほどで保兵衛は東海寺の表門にたどり着いた。心配で待ちわびていたのだろう。その娘らしき女性が門の外に出ていた。時代劇の舞台から降りてきたままという格好である。質素なかすりの和服に、脚半でわらじ、日本髪を結って、手には笠を持つといった旅姿なのであった。奇抜な姿としか言いようがなかった。
 小走りで駆け寄る保兵衛をそれと気づいたのか、娘は軽い会釈をした。
「中村 静さんですね。海念さんとお知りあいの……」
「はい、保兵衛さん?」
 保兵衛は娘の顔に、ほっとした表情を見いだしていた。
「ちょっと寺の方に挨拶をしてきます。ここで待っていてください」
 保兵衛は、門を入り、寺の人にお礼を言って再び駆け戻って来た。
「もうお気づきだとは思いますが、わたしは江戸から時空超越してきたのです……」
「やはり…… では、あの中村小平太さんの娘さん、ということでしょうか?」
「ご存知なので?」
「海念さんから少しだけですが、聞いておりました」
 保兵衛は、込み入っていそうな話を立ち話ですることもできないと思った。人目をひく静の身なりは気にはなったが、北馬場駅近くに戻り喫茶店を探すこととした。

 まず、静は突然の来訪の事情を、次のように話すのだった。
 海念は、静の想いに応えるかのように、静に、万が一の時のためにと江戸での自分の住まいを知らせていたが、そればかりではなかったのだ。時代を超えた保兵衛とのことも打ち明けていたのである。自分の消息が絶えた時、これが自分のよすがだと言いながら海念は「けんだま」と保兵衛からの覚え書きを静に預けていたともいう。
 東海寺の門前で「けんだま」を携えて無心となれば、保兵衛の時代に超越できる。そして、その覚え書きをその時代の東海寺の誰かに見せれば、保兵衛と連絡がとれるはずだとも聞いていた、というのだった。到底、静には信じられない話ではあった。
 しかし、あの十三郎の件があって以来、ぷっつりと海念の消息は途絶えてしまい、静は居ても立っても居られなくなってしまったのだという。
 話の都合で、静は、自分の知る範囲での、十三郎の顛末と、その後を追った海念の動きについても話すのだった。また、気になってしょうがなく、東海寺を訪れてみたものの消息はつかめなかったことも話した。そして、途方に暮れ果てた最後の手立てとして、こうして時空超越で保兵衛を訪ねたのだ、と話終えるのだった。

「そうだったのですか。思い切ったことをされたのですね……」
「無謀だと……」
「いいや、海念さんは幸せな人だと思ったのです。ここまで、心配してくれる人がいらっしゃるのですから」
「……」
「ただ、せっかく冒険をして訪ねていただいたのですが、このわたしのところにも何も連絡がなくて心配していたのです」
 静の満面に落胆の影がさしていくのを保兵衛は見つめていた。
「静さんは、十三郎さんの件の後、東海寺に訪れたとおっしゃいましたね。」
「はい、海念さんの兄弟子に当たる創円さまとお会いできたのですが、十三郎さまの一件があったちょうどその日にお寺を訪問され、再び諸国行脚の修行に向かわれたとおっしゃっておられました」
「すると、十三郎さんとは結局別行動となったということですね」
「はい。……それで、その時創円さまが、海念さんは追い剥ぎにでもあった格好で寺に来たとおっしゃっておられたのです。しかし、それはそうではないことが偶然わかったのです。その日、海念さんは十三郎さまを追う途中で、人助けのためにご自分の衣装のすべてをある娘さんに差し上げたのでした」
「えっ?僧侶の衣装を娘さんに? それはどういうことなんでしょう?」
 静は、海念がおやえを助けようとしていたことを話し、さらにおやえは偶然十三郎が事を起こす前に一緒であり逃亡を助けたこと、またおやえは十三郎が確かに『果し合い』に向かうと聞いていたこと、さらに神田近辺に借りていた裏長屋が既に空けられていたことなどをも保兵衛に告げるのだった。
「とすれば、まず、十三郎さんは独りで討ち死にしたのではないかと思われますね。また海念さんは、人助けで時をつぶしてしまったためにその場に間に合わなかったというようにも推測できそうです。そして、海念さんは、事に間に合わなかったために言い知れない心境となり、身を責めて流浪の行脚に向かった、ということになるのでしょうか」
「……」
 静はうつむいて押し黙ってしまった。
「ところで、静さんたちの時代では、今は確か慶安四年の秋長月のはずでしたよね」
「そのとおりです」
「では、すべての事の発端となった由井正雪が、謀反計画の咎ですでに処刑されてしまったわけですね」
「父の話によりますと、春四月に家光将軍が病没されてから幕府内の動きはやたらにあわただしくなったと言います。そして七月には密告が相次いだとのことで、由井正雪さまご一行が、旅先の宿で役人たちによって包囲され、そのあげく全員が自害されたそうです。そのあと丸橋忠弥さまほか大勢の浪人たちが捕縛されることとなり、無残にも翌月鈴ヶ森にて多くの方々が処刑されたとのことです。
 わたくしども親子は、海念さんの勧めで江戸を離れ、縁あって先ほどお話しましたおやえさんの親御さんが住む下総の佐倉に身を寄せることとなったのです。そのこともあってか、嫌疑をかけられることはございませんでした。ただし、海念さんが何かの間違いで連座させられたのではないかと心配でならないのです……」
 やはり、歴史は何ひとつ狂うことなく展開したのだと、保兵衛は頷きながら聞いていたのだった。
「その心配はいりません。中村小平太さんよりも早く軍学塾から離れていた海念さんに嫌疑が及ぶとは考えられないことですから。また、知恵伊豆たちの謀略である由井正雪の乱については、鈴ヶ森にての処刑で終了のはずなのです。密告者たちへの褒賞も八月には終えており、彼らの目論んだことは達成されたはずなのですから。この後来月に、幕府が末期養子制度の緩和を認めることですべてが完結したとされるようです」
「何が完結なものでしょうか……」
 静は、いらだたしく言葉尻をとらえた。不服そうな、やり切れない表情をあらわにするのだった。
「いや、確かにそうです。権力者たちの横暴によって、罪もない多くの人たちが命を奪われ、その余波で運命を狂わされた人々も多いのですから……」
「そうなんです。あの強くてやさしい海念さんも、そのために苦しさを背負い込むことになってしまったに違いありません……」
 静は、押しとどめていた感情の堰が切られたように、うつむいてにわかに泣き始めてしまった。保兵衛は、店内の他の客の視線を感じたが、それはどうでもいいと開き直れた。権力の非情さと、それによってしわ寄せを喰らってしまう庶民の哀しさという構図を、いまさらのように眼前に見る思いがしたのだった。
 ただその片方で、ふと何故だか、海念さんはきっとこの静さんのところへ戻ってくるに違いないと、保兵衛は強く予感するのだった。
 海念さんは、これで二度までも、親しき人の修羅場を共有したことになる。保兵衛はそんなことを思い起こしていた。最初は、父親の「犬死」。しかし、その時の幼い海念さんはその修羅場に食い下がる術は持たなかったに違いない。だから、ただ足元に打ち寄せる血潮の波に、大声で泣き叫ぶ夢を見ることしかできなかったのだ。
 が、二度目の友人の「犬死」では、たとえ悔恨を背負うことになったのだとしても、自ら動いたことによって、きっと何か得難いものを掴んだに違いない。それは、たぶん復讐などという短絡的なものを超えていたに違いない。ひょっとしたら、彼が、奇しくも心の中に住まわせ続けてしまった何ものかを追い出すまでは、修羅場は何度でも繰り返されるのだということを……
 だから、今度こそ、海念さんの修行は、躊躇うことなく上り詰めてゆくに違いない、と保兵衛は強く予感するのだった。
「静さん、東海寺の門口まで送りましょう。わたしは、海念さんがきっと静さんのもとへ戻られると確信しています。静さんもそのことを信じることです。どうか、気長に待ってあげてくださいね。それから、保兵衛がまた会いたがっていたと伝えてくださいな」

 残暑とは言え、九月の薄暮にやや涼しげな風がそよいでいた。人影もなくなった東海寺表門の前にふたりは佇んでいた。
「向こうに着いたら、今夜は品川宿に泊まるとよいでしょう。さあ、では海念さんのことでも想って無心の気持ちになることです。わざわざ来ていただいてありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました。それでは……」
 保兵衛が軽い会釈の頭を上げた時、すでに静の姿は見事に消えていた。
 北馬場駅に向かう保兵衛の視界に、ライトアップされた城南中学の高台の校舎がのぞいていた…… (2002.07.21)

2002/07/22/ (月)  時代環境とインターネット小サイトの連携!

 ビジネス情報のディスクロージャー(Disclosure:公表)がどんどん進展すべきなのであろう。これだけデフレが進行して価格水準が下落してくると、中間(流通)マージンの仕組みの残存は、極めて無理が大きいという実感が強まってきているからである。
 需要と供給の結びつきが、インターネットによる情報交換などを通じて、ダイレクトになされることが、時代と環境に見合った仕組みだと思われるのである。
 また、もとより不透明な「中間」業者が排除されてゆくことで、業種、職種の専門化も進み整理が進むのではないかと思う。

 流通などの割愛(いわゆる「中抜き」!)が注目された際、いやいや中間機構はそれなりの存在意義があるのだと指摘されたことがあった。調整機能、管理機能、信用(?)などなどがそれらでであっただろうか。
 確かに、末端の消費者、ユーザーが商品やサービスの知識に疎い時代には、それをカバーする必要性も大であったかもしれない。しかし、現在はそうした時代なのであろうか?しかも、「間」に入るということは、マージンを取ることに見合った付加価値をつけるということであるはずだが、多くの「間」業者は、単なる連絡業務のみに専念してきた、しているというのが実態であったかもしれない。中には、何の機能も果たさない「丸投げ」と呼ばれる「口利き」業者さえ頂点には存在したりする。むしろ弊害は、末端の消費者、ユーザーと生産者やベンダーとの間で、双方に開示されるべきはずの情報が隠匿されてきたことだと言うべきなのかもしれない。
 要するに、さまざまな存在に対して、ビラミッド構造のフラット化が要請されている時代に、何階層もの流通機構や、元請・下請機構などは速やかに排除されることが、価格の健全化と末端業者の活性化を促進するものだと思えるのである。
 職場における「中間管理層」はずしはどこでも進んでいるようである。それでさしたる支障をきたすことがなくて、やはりいらなかったのだと再確認する企業があるかと思えば、現場も上層部もてんやわんやしている企業もあるという。後者の場合にしても、上層部なら上層部が、現場なら現場がもとよりやるべきことを、「中間管理層」に押しつけて怠慢を決め込んできたことが明らかになったに過ぎないのではないだろうか。両者が、本来の姿、自律的な機能を発揮しさえすれば、時間とコストを膨らます必要はないのである。

 ここしばらく、もはや生産中止となったノートPCを入手して、気分転換のおもちゃとして遊んでいる。マニア間で改造が目当てとされるPCだったので、そこそこ楽しんでいる。ネットで関連情報を探したり、改造用のパーツの入手先をやはりネットで検索したりするのである。
 こんなことをしていると、なんだかビジネスのありうべき原点に直面しているような感じがしてきたのだった。このような検索では、ほとんど大手メーカーのサイトなどは役に立たないのである。「生産中止・販売中止」というつれない表示をにらむことにしかならないからである。専ら、マニアたちの無償のノウハウ・ディスクローズと、小さなPCショップの中古パーツ販売が頼もしいのだ。

 確かに、頼もしい相手は頼もしい場合があると同時に、他方で「いい加減」でもある。マニアにしてもショップにしてもサイト情報を書きっ放しのまま、更新せずにニ、三年ないし、三、四年放置していたりすることがやたらにある。ウーム、庶民はもっと努力しないといけないぞ!と思わされたりすることしきりでもある。
 大きな企業、組織がカネとヒマにまかせてするサポートのまねごとを認めれば、商品の末端価格が上がってしまうし、それを拒否すれば「いい加減」に遭遇するのが残念ながらの現状なのであろう。しかし、今後は、庶民同士でことを進めてゆく時代となってゆくに違いない。インターネットは、再び、痒いところに手が届きようがない大手企業のサイトに群がるのではなく、手の行届いた無数の小サイトによって互いの便宜がはかられるようになってゆかないものかと、密かに願っている…… (2002.07.22)

2002/07/23/ (火)  すいてる場合は、椅子ひとつ空けたっていいじゃない!

 人にも動物にも、他の個体との間にもうける距離というテーマがあるようだ。身を防御するための距離ということらしい。たまたま遭遇して見かける深夜の、路上での集会の猫たちも、妙に距離を置きながら、すましていたり毛づくろいしていたりするからおもしろい。

 大抵そこで昼食を済ましてしまう中華飯店が駅前にある。正規の昼食時は、込むためにあえて避けている。オフ・タイムは結構すいていて、テーブルもカウンターも、がらがらであることが多い。どこへ座ろうが良さそうなものだが、店員はカウンターを勧めるのでそこへ座る。
 他の客がぽつりぽつりと入ってくる。すると、大抵は、椅子をひとつ置いた隣に座り、結局カウンター席は椅子の数の半分で一応満席状態といった模様となるのだ。間の椅子に、先ず入り込んで来る若手の客は見かけたことがない。最近の若い人たちは、他人との距離を結構気にするような感じがする。わたしとて、若くはないが隣の人の身動きが空気の揺れで伝わってくるような距離は心地よいとは思わない。

 ところがである。観察していたわけでもないが、そんな空間を、何のためらいもなく選べる人々がこの世に生存していたのである。むさくるしいオヤジたちなのである。
 ほかに、カウンター席がたくさん空いている時にさえ、すぐ隣にべったりと座られた経験も少なくなく、ハハーンこれはオヤジたちの習性なんだな、と悟ったものである。
 オヤジ世代が、オヤジたちのことをどうこう言うのも変な話だが、上にも書いたとおり、わたしはどちらかといえば、「べったり派」にあらず「隔たり派」なのである。相手がたとえうら若き女性であったとしても「隔たり派」であることを選ぶ首尾一貫性を持つはずである。たぶん……

 このオヤジたちの習性とは一体何なんだ? 戦時中の体験か? 宿舎でぎゅうぎゅう詰めの生活を強いられてきた者たちの、復員船の船底にいわし詰めにされた人々の忘れられない生活体験か? いや、そこまでの古い年代のオヤジは少ない。むしろ、やはり自分と同年代、もしくはちょっと上あたりが大半であろう。
 何なのだろうか? あのべたべた習性は! それでいて、平気でタバコに火をつけるわ、テーブルの上の物、品書きやら、お知らせパンフレットやら何やらをがさがさといじり回して落ち着きがない。バカモノー、静かにせんか!と怒鳴りたくさえなってしまう。
 それでいてオーダーする際には、ガキのように「これと、これ!」と言って、品書きポスターを指でさす始末だ。

 たぶん、であるので大声で言うべきではないのかもしれないが、こうしたオヤジたちは、職場でも、家庭でも、地域社会でも、最近の若い世代から疎んじられているのではないだろうか。
 若い人が、どうしようもないと感じているような憂鬱な心境でいる時に、何の根拠とてあるはずもないバカ楽観性を携えて、ヅカヅカと他人の心に踏み込んで引っ掻き回したり、とにかくみんな一緒が一番いいに決まってると勝手に押しつけてみたり、いつも答えはひとつと決め込んでみたりと、とかく暑苦しくてしょうがない習性なのである。
 「隔たり派」の若い世代の涼しげ過ぎる超個人主義にも一抹の不安を禁じえないが、同世代に見受けられる「べったり派」の超集団主義は、近親憎悪の感情がやたらに掻きむしられてかなわない…… (2002.07.23)

2002/07/24/ (水)  個人と社会との関係。社会(=政治)に関心を向けなければ……!

 言葉というものは、社会に依拠する部分が半分と、個人に依拠する部分が半分とで成り立っていると言える。発語する個人にしか了解できない言葉は言葉ではなかろう。また、社会で通用するだけで個人にとって意味づけできない言葉は虚し過ぎる。詩人たちは、この緊張関係の中で挑戦と冒険を試みてきたのだろう。

 言葉について書こうとしているわけではなく、人間の営為というものが、個人的であると同時に社会的であること、いやそうでしかあり得ないことをちょっと再確認したかったのだ。この避けられない関係があらゆる場面でうまく調和がとれているならば、個人も幸せであるとともに、社会も発展的に安定することになるのであろう。
 諸個人は、全体社会で生じている環境破壊問題についても、社会不正についても十分に注意を払い対処するとともに、社会の側も、個人努力だけではどうにもならない問題、たとえば失業や、福祉などに、社会が継続してゆくために関与する、といったイメージになろうか。

 しかし、わが国と米国の現状(米国型資本主義。これに対しては、ヨーロッパ型資本主義という関心を寄せたい動きもあるようだ)を見ていると、個人と社会との関係にますます不毛な緊張関係が高まっている気配がしてならない。米国では、一部の民間企業会計の不正事件が株価の低迷とドル安を招き、国家的に深刻な事態を生み出している。個人側(私的企業)の行き過ぎた行為が、社会全体を撹乱させていると言える。
 後日書こうと思うが、現代の米国は、「著作権」期間の度重なる延長問題などにも見られるように、個人=私的企業の保護と社会の発展との間に大きな摩擦が生み出されているように見える。
 またわが国では、そうした米国とは逆の現象が問題となっているのかもしれない。あまりにも個人側が非力に過ぎると見えるのである。
 社会を代表していると標榜する政治がことのほか貧困であり、もう片方では社会や政治を視野の外に置きがちな個人主義的生活の個人たち、との関係が不幸をただただ延長し、増幅しているように思われるのだ。少なくとも、社会(政治)と個人(庶民)との関係がうまくかみ合っていないとは言えよう。

 「住民基本台帳ネットワークシステム」(住基ネット)と「個人情報保護法」の問題がクローズアップされているが、後者の問題についてあまりにも一般国民の関心が乏しいことをある論客は新聞で嘆いていたことがあった。同感であった。もっと個人側は関心を持って然るべきである。個人の個人たる源泉でもある個人情報が保護されないとするなら、健全な社会の発展は拘束され、萎縮することになるからである。
 自衛隊に、情報公開を求める人々の個人情報が勝手に使い回しされるような環境が野放しにされるなら、社会の発展を望む人たちの行動を鈍らせ、ますます「官」主導の古い行政がまかり通ることになる理屈がどうしてわからないのだろうか。
 いまどき「お上」はきっと良き計らいをするに違いないと信じる人がいるのだろうか。とんでもない話である。われわれの見聞している事実では、国民が監視しなければ想像を絶する低次元なことを平気でするのが、現行の「お上」だ、と言っても言い過ぎではないはずであろう。強い個人(私的企業)を保護する米国に対して、わが国は、「官」のために弱い個人たちをないがしろにし続ける点に特徴があると言わなければならない。

 要するに、今、個人たちは、自己の生活に拘泥するだけではなく、自己の生活に根底的に影響と拘束を与えてくる社会、政治の動きをきっちりとマークしなければならない、ということなのである。
 にもかかわらず、個人が自由を花開かせているのは、プライベート空間に限定されているのではあまりにも情けない。それが、わが国の奇妙な現象だと感じさせられるのだ。
 もちろん、プライベート空間での自由は謳歌されなければならない。だが、同時に、パブリック空間でも、暴走族たちのような考え違いの行動ではなくて、正当な自由と権利を主張しなければならないと思うのだ。そうであってこそ、社会悪が是正されるし、パプリック空間に粗大ゴミを投げ捨ててはいけないというような当然の義務なども自然に自覚されることになるはずなのである。
 われわれは、賃貸アパートやマンションのように、国から生きる権利を賃貸しているのではない!むしろ、血税を支払い「専門職」たちに行政という業務委託をしているのではないのか。問題は、私的な業務委託では事細かいリクワイアメント(要望)を出しているのに、事、政治に対してはそれが極めてあいまいで希薄なところにボタンの掛け違いが始まっているのだろう…… (2002.07.24)

2002/07/25/ (木)  米国の「知的著作権」保護期間延長論争が投げかけるもの!

 チンパンジーが胡桃(くるみ)の実を、石を台にして石で打ち砕くことを発見すると、その方法は周辺の仲間たちが真似をしてみるみるうちに伝播してゆくという。一匹によって発見された方法=「知識」が共有され、仲間たちの利便性を向上させるのである。
 だが、このことを発見した最初のチンパンジーは、単独ですべてを考え出したわけではない。高い枝の上から、岩に胡桃の実を打ちつけていた他のチンパンジーの行動を見てヒントを得ていたかもしれない。また、石という素材ではない別の素材で、すでに同じ破砕を試みていた仲間の動きを見ていたのかもしれない。
 要するに、新しい「知識」はたとえ個体(個人)によって生み出されたとしても、実のところ過去の仲間たちを通じて鎖のようにつながってきた、または積み上げられてきた「知識」群を前提としてこそ開花したものだと言えそうだ。

 知識の共有に関心を示す作曲家の坂本龍一氏は、作曲における自分自身の純粋なオリジナリティは、ほんの数パーセントしかないのではないかと発言している。大半は、過去の優れた音楽遺産に触発された結果なのだと、洞察しているのである。「知的」営為というものが、決して個人完結的に進められるものではないことが思い知らされる。
 また、学問でも学派というものがあり、伝統芸術でも家制度というものがあるという点は、発展と奥義を究めることが目的とされる分野では、その推進はとても個人一人では不可能であること、継承されてこそ可能性が高まることなどを暗黙のうちに物語っているようにも思われる。
 妙なたとえをすれば、植物にせよ動物にせよ「品種改良」は、気の遠くなるような世代交代と時間をかけてなされるようだが、「個体」という範疇をはるかに超えている点が注目に値すると思われるのである。

 現在、米国では「知的所有権」をめぐる論争が話題になっているという。
 発明や、新しい著作物(デザインも含む)を生み出すことへのインセンティブ(刺激・誘因)としての「著作権」保護は、憲法でも一定期間(14年?)認められてきたのであるが、その期間が満了に近づくと、このところその延長が立法化される運びとなってしまっているという。「著作権」は、私的企業によって保持され、巨大な収益を生み出しているため、既得権保持の企業による働きかけが、こうした結果を導いているようなのだ。
 そして、まもなく法的に更新された期間満了も間近に迫っているらしく、「著作権」保持の企業側は再々度の期間延長を主張しているそうなのである。
 これに対して反対派は、そもそも「知識」というものは多くの者に自由に活用されてこそ、社会の発展が加速するのだと主張して、度重なる保護期間延長は憲法違反だと主張しているのだそうである。

 現代は、インターネット環境の普及によって、音楽、映像、文章などの「知的」価値物がより容易に公表され、享受、活用されるようになってきている。個人によって創造されたものが瞬時に社会へと還元されてゆく仕組みが広がっているのだと言える。現に、フリーソフトもますます増加してきている。
 だが、違法コピーなどの「著作権侵害」もまた、このインターネット環境の普及によって助長されているのも事実であろう。そして、「著作権」保護期間延長の問題も、新たな販売チャンネルとしてのインターネットを通じた収益可能性をあてにする文脈において、しっかりと見据えられているとも見える。
 いずれにしても、本質的には「知の共有」の方向を内在させた「革命的」ツールとしてのインターネット環境は、現存の私的所有制度との間で当然のごとく軋轢を生じさせ、人々にその解決を迫っているように見えるのだ。

 インターネットにしても、地球環境の問題にしてもこれらにまつわる問題は、ボーダレス環境やグローバリズムの視点を踏まえた発想でしか解けない問題なのであろう。それらが、閉じられた私的所有の制度で構成された現存社会に、試金石のように投げ込まれているようである。リナックスのような頼もしい動向も片方では登場している。ますます、現代の個人たちは個の範疇だけに閉じこもる習慣から離脱してゆかなければならないと思われる…… (2002.07.25)

2002/07/26/ (金)  なんだ、不況は「底打ち」したんじゃなかったの?!

 米国景気の先行き不安が表面化している。半年やそこらでの回復は見込めないとの声も上がっている。わが国はと言えば、誰も信じないとはいえ政府による「底打ち」宣言がなされたばかりで、日経平均が一万円を割り込み、先ほどの数字では九千円台半ばにまで続落してきている。悲観的な経済評論家の中には、来年、世界同時不況に突入するのではないかという声さえ出始めている。

 こうした不安定な社会経済を前にして、ふたつのことに思いを向けてみたくなる。
 ひとつが、「操作」についてであり、もうひとつが、「システム化」社会についてである。
 米国90年代のIT株高騰(ITバブル)が、真の生産性向上によってもたらされたものではなく、ITの威力の誇大宣伝とITへの期待感が先行し、実態とかけ離れた株価上昇がもたらされたことは、今となっては多くの人々が知っている。株価バブルの崩壊という事実に加え、ようやく昨今明るみに出された企業会計の不正というとんでもない事実を並べてみるならば、好景気風潮が、もっぱら世論「操作」や、企業会計の数字「操作」によって作り出された虚構だったのだとさえ言えなくもないかもしれない。
 確かに、人々の期待感がこれらを支えた事実もバブル成立の基本的条件ではあった。もとより株価とは、必ず企業の実勢に沿うものとは限らず、社会心理などの人間的要素が大きく作用するもののようである。しかし、だからといってこの人間的要素を過剰に「操作」しての虚構作りは、副作用が大き過ぎる。今、米国が迎えているのは、激しい二日酔い以外の何ものでもないような気がする。

 日本政府が景気「底打ち」を宣言した背景のひとつに、いくつかの統計的数字があったことは聞いている。しかし、それらがここしばらくの度重なる大リストラや、下請企業群へのしわ寄せなどによる帳尻合わせであり、いわば消極的な意味合いにおける経営数字の改善ではなかったのか。現に、失業者数の増大、中小零細企業の倒産など不況の悲劇はおさまるどころか深刻さを増している。
 したがって、政府の宣言が、国民の不況感を払拭して消費者購買意欲を刺激しようとする意図を持った世論「操作」であったとしか見えないのである。とかく、実態にそぐわない意図でなされる「操作」は一時のものでしか過ぎないようだ。

 これだけ世界中があらゆるものを「システム化」しているにもかかわらず、なぜ誰もが望まない事態へと現実は突き進んでしまうのであろうか? もはや、現代資本主義経済は、不況や恐慌を回避できるようになったと、何度も耳にしてきたはずである。理論、新制度、そして現実を限りなく制御するさまざまな「システム」が、それを可能としたのではなかったのか?
 「システム」とは、「部分が最適化された構造」であると仮に考えるならば、制御対象が、未だ「部分」に留まっているがゆえに、効を奏さないのであろうか。グローバリズムのさらなる進展によって、世界中がパーフェクトな「システム」に組み込まれれば、不況などという不具合は除去されることになるのだろうか。
 国民を「システム」上で徹頭徹尾掌握しようとする「住民基本台帳ネットワークシステム」(住基ネット)も、トータル・システム化の一環なのであろうか。

 いや、そうではないと思える。元来、「部分の最適化」を本命とする「システム」によって、人間世界のすべてが制御可能となるような「パーフェクト・ワールド」を創造できると信じることがまゆつばだと一蹴したいのだ。科学(コンピュータ科学)の世界では、予測と制御を超えた世界のあることが、「カオス理論」などによって提起されてもいる。
それを俟つ(まつ)までもなく、「システム」が現実のすべてを包含するなどということは考えられようがないだろう。
 むしろ、「トータル・システム」を形成する意図によって、多彩な現実が切り捨てられてゆく本末転倒のほうが恐いと思われるのである。
「当システムには、そのようなオプションは設計されておりません」
というかたちで、トキやイリオモテヤマネコのごとく絶滅へと追い込まれて行くかのように人間的選択肢が拒絶されていってよいのだろうか。これは笑いごとではなく、現代の「システム化」の風潮の過程で確実に進行している事態だと思えるのだ。

 余りにも人間的な意図で染まった「操作」と、余りにも人間世界を中途半端にしか含有しない「システム」とが、手を携えて人間世界を撹乱しているようだ…… (2002.07.26)

2002/07/27/ (土)  部分の小片が全体の情報を含む「ホログラム」の不思議!

 ますます個人へとのしかかって来る全体社会の重みを痛感して、今週は、「個人と社会」という古くて新しい問題に関心を寄せてきた。全体社会が継続した経済発展を遂げられなくなった時代には、富やさまざまな負担などの配分問題が深刻となり、個人と社会との関係に緊張感が増すようだ。
 また、現代は力あるものにはさらに大きな力が与えられるという科学技術の時代でもある。どうしても、社会を代表するものたちによる圧力が、名もない個人たちに及ぼされる時代なのかもしれない。

 今日も、これらに関してふたつのことを書こうかと思う。ひとつが、人は誰でも生きたいと願う気持ちや、自分でありたいと願う心は同じであるという当然の話。もうひとつは、「ホログラム」という科学原理になぞらえてみて、「個は全体を内包する」という話。

 他人が自分とまったく同様の、一回限りの生を受けた人間であることを認識するのは人間としての想像力の問題なのであろう。動物たちは、こうした意識をすることなく、種の本能によって互いを傷つけ合うことを極力避けようとしているようだ。
 厳しい社会的環境の中で追いつめられたものたちが、他人を犠牲にしての惨い犯罪へと衝動的に踏み込む事件が後を絶たないご時世である。今週も、完全に善意の第三者の立場のものが二人も被害にあって命を奪われた。奇しくも、犯人の所持金は二百円だったという、追いつめられたものたちだからこそ、想像力などもあったものではないのだろうが、その根底には、他人に対して投影する元になるはずの、自分自身の生に関する尊重感が喪失されてしまっているように感じるのだ。
 自分が自嘲と軽蔑の鋭い対象となっているものにとって、他人への想像力を働かせることを想像することは困難であるかもしれない。
 社会問題が深刻化するこんな時代だからこそ、それでも生を受けたことにどこかでありがたさを感じられる、そうしたものが与えられる社会であるべきことを、今こそ願わずにはいられない思いなのだ。

 ものの全体は、その部分を含んでいると、誰もが疑わない。社会は、個人たちを含んでいると。だが、その逆を考えようとする論理もある。部分は全体を含んでいるというように。
 「ところでホログラムとは何なのか?それは光の干渉、回折という現象を利用して、物体のもつ全ての情報を干渉縞という形で写真フィルムに記録したものである。そしてその情報を再ぴ取り出す技術、それがホログラフィである。そのどこに魅力があるのかといえば、外見はただの一枚の薄いフィルムであるが、これに光を当てると元の物体があたかもそこにあるかのように、完全な3次元像が現れるところにある。まさに、レーザーを使った”光の魔術”である。」(久保田敏弘)
 ホログラムを活用したホログラフィは、もっぱら3D写真で興味を持たれているのだが、ホログラムという科学原理は、二次元のモノが三次元のモノの情報を保持しているという点、さらにすべての小片がホログラム全体のイメージを包含していて、どの小片をとっても全体像をそっくりそのまま再構成するという点において、部分が全体を含んでいると見なされることなのである。
 このようなホログラム的な事象は、宇宙物理学や脳の研究において、また心理学者ユングの「集合無意識」でも指摘されているようである。さらに言えば、身体中に散在している細胞に存在するDNAが、組織全体の遺伝情報を含んでいることにも注目できる。

 人間個々人が、さまざまな層において、人間という類的存在のすべてを内包していると考えることは、きわめてエキサイティングでありスリリングなことだ。そして、現実において個人と社会との関係を見直す際にも、示唆的な視点となりそうな気がしてならないのである…… (2002.07.27)

2002/07/28/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (50 最終回)

 正月の戸外の夜は、十時ともなると静まりかえっていた。まだ松の内とあって、家々やビルの門口には松飾りや門松が見受けられた。毎年、この辺りの佇まいの変化に驚かされる保兵衛であったが、こうして独り、人影のない夜道を歩いているとちょっとした浦島太郎のような心境に陥るのだった。ついさっき祖父の家への年始挨拶の際によばれた酒の、その酔いも手伝ってか、いつもになく北品川の夜景は保兵衛をしんみりとさせていた。

 保兵衛は、毎年、正月の七日までには川崎大師に参詣することを習慣としていた。川を流れる板切れのように、あちこちにぶつかりながら、どうにか都下で小さな会社を経営する立場となり、事業繁栄の祈願も心の支えのひとつと見なしていたのであろうか。
 そして、その帰りには、大師のくず餅を手土産に、北品川の祖父の家に立寄ることも習慣となっていた。九十歳を超えた高齢の身を案じるとともに、年に一度だけでも、子ども時代に慣れ親しんだ懐かしい北品川界隈を目にしたいという願望もあり続けたのだろう。

 旧街道方面に向かい北品川駅を目指していた保兵衛は、古い木造二階建ての佇まいが続く一角を通り過ぎたところで、ふと、今夜は遠回りしてみよう、という心境にかられた。子どもの頃に救急病院のあった角を左手に折れ、品海橋を渡るという、小学校当時の登下校の路を辿ってみたい衝動に、突然突き動かされたのであった。
 意を決して歩を進めると、光景に応じたさまざまな思い出が蘇ってくるのだった。
 この病院の脇に、茶色の壷がいくつか並べてあり、冬の登校時、何気なく覗くと割れた蓋の下に氷が張っていたものだった。いたずら気分から棒切れで突いて薄氷を割ったら驚かされた。もう黒ずんだ人の手首がにょっきりと顔をのぞかせたからである。子ども心に救急病院の気味悪さを思い知らされたりしたものだ。
 四つ角をはさんだ病院の前には、東屋という和菓子屋があった。祖父が麦粉菓子が好物で、しばしば使いに出されたことを覚えている。
 品海橋近くに来ると、必ず思い出す光景があった。目黒川の川岸でのり養殖業の人たちが、畳一畳ほどの枠に三十枚ほどののりを貼ったすのこを収め、天日干しをしている光景である。冬の朝の登校時には、一仕事を終えた養殖業の人たちが焚き火で暖をとっていた。かばんを手にしてあたらせてもらったことをありありと覚えていた。
 品海橋の上からは、南へとのびた目黒川上流の両岸にぎっしりと漁師舟が並べられた様子が見渡せたものだった。のり養殖ときす釣りなどの乗合い漁が盛んだったころの、今思えば懐かし過ぎる光景である。
 バス通りのT字路を右手に折れると小学校へとつき当たる一本路が続いている。寒々しくともる街灯、蛍光灯の白い光が人影のない寂しいアスファルト舗道を照らしていた。

 この路には小学校当時のすべてが染み込んでいると感じる保兵衛であった。いや、当時の小学生の半分はこの路を通ったはずなのだと思い返した。
 みんなどうしているのだろう…… こうやって訪れるものもいるのだろうか。
 あたかも、自分や多くの小学生たちが残した足跡が、塗り込められたアスファルトの下から、ざわざわと立ち上がってくるような気配がするようだった。次から次へと断片的な思い出たちが蘇ってくるのだった。それらをなすがままにしながら保兵衛は歩いていた。

 いつしかすでに四十代半ばとなった保兵衛だが、このところ感じ始めていたことは、時代が自分たちを追い越してゆき、呆然として取り残されている団塊世代という印象だったかもしれない。まるで、何十万人もの浦島太郎が彷徨っているかのような……
 保兵衛の会社はコンピュータ・ソフトウェアの開発に携わっていた。先端のシステムに、斬新な開発環境や新しいツールといった時代が生み出した技術の前衛に日々直面していた。が、決してそれらの変化にかき乱されているとは思わなかった。
 振り返れば自分たちの世代は、テレビを初めとして、常にこけおどしの新しいモノの登場と歩調をともにしてきたのであった。新しいモノの出現でうろたえないで済む免疫のようなものが埋め込まれてきた、というそんな自負のようなものがあったからであろうか。
 むしろ違和感は、若い従業員や若い人たちとの交流、そして若い世代向けのカルチャーとの間で生じていたのかもしれなかった。世代の断絶なのだから、やむを得ないと言えばそうだと思うのではあった。また、自分たちの世代の、どちらかと言えば暑苦しいふるまいを振り返るなら、むべなるかなとも思えるのだった。
 加えて、保兵衛の心境を曇らせていたのは、自分たちの成長の脇に当然のごとくあった経済の成長が、バブル崩壊を機にして、もはやあり得ないだろうと推測されることだった。どこまでも、前方にあり続ける頂上を目指して進む、そうした姿勢を暗黙のうちに自分のものとしていた世代にとって、下山してゆかなければならない時代というものが、いかにしても受けいれがたかったのかもしれない。

 ガンバレー、ガンバレーとあどけなく掛け声をかけ合い、がんばることの意味をけなげに信じ合っていたあの小学生の頃のさまざまなイメージが、いつしか保兵衛の目頭を熱くさせていた。人影のないことを良いことに、流れ落ちる涙を拭くこともなく保兵衛は歩き続けていた。が、小学校の正門が滲んで浮かび上がった時、静かに込み上げていた切なさが突然堰を切るように言いしれない哀しさに変わるのだった。保兵衛ははじめてスーツのポケットからハンカチを取り出した。
 どのくらい、唐突な感情の波立ちに身をまかせ、呆然としていたのであろうか。
 やがて、保兵衛は、正門に向かう自分の背後方向に利田神社、あの弁天社があったことを思い起こすのだった。そして、当然のごとくあの海念のことを思い出さずにはいられなかったのである。

 保兵衛が酔った勢いで結局不首尾に終わってしまったタイム・トラベルを試みたのは、この時なのであった。海念との再会への衝動と、高まりに高まった浦島太郎の心境がなさしめたきわめて乱暴な冒険なのであった。
 あの事件の後、静の訪問があって以来もう二十年以上の時が流れていた。が、その間、海念の訪れはまったく途絶えていた。さぞかし諸国行脚の修行の後、落ち着くべきところに落ち着いているに違いないと、保兵衛はそう信じ続けてきたのだった。
 しかし、この夜保兵衛は、無性に、唯一無二の友人とも言える海念と飲み明かし、語り明かしたいと思ったに違いなかった。
 だが、もはや子ども時代のように無心などにはなり切れない保兵衛、中年の酔っ払いは、念じ損なって海念が身を寄せる以前の東海寺へとランディングしてしまったという不始末ではあった。幸いにも、沢庵和尚とめぐり合うこととなり、保兵衛は得難い講話を聴くことができたのだった。沢庵和尚は、川崎大師のくず餅を、これは珍味だと言ってもぐもぐとほおばり、茶をすすりながらとくと話してくれたのである。
 その講話の中で、和尚は現代でも十分に通じる多くの真理を保兵衛に与えたようだ。
 そのひとつが、まさしく「四十不惑」(四十にして惑わず!)からほど遠いがゆえに思い悩む保兵衛に向かってぶつけた歌なのであった。

「心こそ心まどわす心なれ心に心心許すな」

 これは、遠き時代からの訪問者に隠すこともなかろうと言って沢庵和尚が明かしたところによれば、和尚が、武と禅の極意を伝えようとしていた柳生宗矩のために書いた『不動智神妙録』の最後に記した歌だったという。
 子息の柳生十兵衛の行状に悩み、自らの思い上がりや、軽率きわまりない所業など虚妄や夢幻に心とらわれる柳生宗矩に対して、己が心に勝ち得る自由こそが極意である、これが禅の日常心だと諭したというのであった。
 煩悩と言うほかない我執や、言ってみれば妄念としか言いようのない感情が振りほどけずに悶々としていた保兵衛にとって、この歌は何ものにも優る妙薬だと思えたに違いなかったであろう。

 いまだに保兵衛は、パソコンに向かって一仕事を終え、ぼんやりとコーヒーをすする時などに、ふとこの歌を思い起こすことがある。これにまつわる記憶の多くが、時とともに次第に変容していったとしてもである。
 現に、タイム・トラベルが真実あったのかどうかにしてもその現実感が薄れ始めていた。妙にその部分の記憶は希薄となり、夢が記憶に混入した結果のようにも感じられることがあるからだった。さらに言えば、海念の実在感さえもが夢と薄れゆく記憶のはざまで錯綜することもあった。実は自分の前身、分身であったのかもしれないという危うい思いに紛れ込むことすらあったのだ。
 ただ、この歌だけが鮮やかな存在感を放ち続けていることに気がつくのだった。
 時代や社会は心まどわされたごとくますます迷走を続けているように、保兵衛には感じられた。大きな破局がじわじわと迫っている気配も濃厚だと思えてならなかった。また、そんな環境の中で、不安が不安を呼ぶかたちの大小の渦が社会のあちこちで絶えないように見えた。心を許すなら、いくらでも心とらわれてしまう罠が、自分の、人々の、その内部に張り巡らされた時代だと痛感するのだった。強い心でありえないなら、せめてバランスを失わないやわらかき心でありたいと、保兵衛はそう感じていたのだった。 (2002.07.28)

※ 次回は、素人小説家の「脱稿」裏話で興じてみたいと考えています…… さっさと止めればいいところを、いつまでも引っぱるところが素人の素人たるところなんですかね。

2002/07/29/ (月)  何億年前、何億年先の「まあいっか」危機と、目の前の「ウーム」危機!

 地球の歴史40億年の過程で、8回ほどの氷河期が訪れていたそうだ。そのうち、9億年前の氷河期では、「アイス・ボール・アース」と呼ばれる、地球全体が厚い氷で覆われた状態になったと言われる。
 では、生物が全滅したはずだから、それは間違った推論ではないのかとも言われたらしい。ところが、卓抜な仮説と、念入りな科学調査の結果、どうやら「アイス・ボール・アース」は事実であったらしい。
 最大の謎、生物の存続問題に関しては、何十メートル、何百メートルの厚い氷の下、海中で生物たちはサバイバルしたらしいとの説明が有力となっているようである。長時間をかけた氷結は、氷の透明度を高め、厚い氷であっても太陽光を通していたというのだ。
 そして、「アイス・ボール・アース」が緑の地球へと向かって回復し始めた原因は、地下のマグマの噴出と、それがもたらした空気中の二酸化炭素量の増大、つまり現在問題となっている温暖化現象によってであったと推定されている。
 深夜のNHKテレビ番組(制作はBBC)から入手した情報である。テレビ番組は、日中は見ていられないほどにくだらないものが多いのに、深夜となると、これは寝てはいられないな、と思わされるハイエンドの番組が目につく。もっとも、民放は24時間中、馬鹿げたものばかりだと諦めているが。

 「アイス・ボール・アース」をめぐる調査・研究の過程は、実に知的ミステリアスさに富んでいた。だいたい、歴史がおもしろいのは、非常に限られた証拠から、大胆な推理、仮説を進め、その結果意表をついた新しい視点の証拠を見出してゆく、そんな知的ダイナミズムが窺えるからであろうか。
 それにしても、地球考古学(?)のような領域では、時間の最小単位が何百年という感じなので、まともに受けとめると目を回す気絶ものだと思えた。マグマの噴出により、氷が溶けて大気に水分が蒸発し、「何百年も激しい雨が降り続いた」とあった。が、これはもう、蟻が新宿の高層ビル街をちょろちょろ這うイメージで、人間の微小さがいやでも痛感させられる尺度である。

 番組は、「もう、風呂に入って寝なきゃ」と懸念する日常心を振り切るほどにおもしろかったのだが、さらに気掛かりな言葉を投げかけ、風呂に入ってからも安穏な気分とはさせなかったのが憎い。
 「過去に遭遇したということは、未来にもあるということでもあります」とは、おっちょこちょいが仕出かす失敗のことではなく、この「アイス・ボール・アース」のことなのである。そして、その際に、再び厚い氷の層の下で生物がサバイバルできるとは限らないのだ。これは大変なことだ。科学をもっと急速に発展させなければならぬ、とも懸念したが、考えてみればいずれも何億年も先の話であり、何億年とはどのくらいの先なのかを想像しようとしたら、まあ、いっか、の気分に落ち着いたのである。

 だが、もうひとつの言葉はリアルであった。
 この「アイス・ボール・アース」の時期は、完璧にそれ以前の生物と、それ以後の生物とのつながりに楔を打ち込んだのだという。この厳しい環境をサバイバルした生物は、この後、それ以前と比較してより複雑な構造を形成し、また種の数も多彩となっていったというのである。
 この推移は、暗喩に富んでいると感じたのだ。バカでない限りわれわれの時代の厳しさや、淘汰環境や、サバイバルの問題状況などを、即座に連想するからである。
 そして、これは何億年先の話ではない。もろ、リアルタイム、オンタイムの話であり、逃げように逃げられないシチュエーションなのである。ああ、このまま風呂で溺れてしまいたいと、情けないことを思ったりしたものだった…… (2002.07.29)

2002/07/30/ (火)  根強い「ローテク」の輝きと、穴だらけの脆い「ハイテク」!

 通常のバスのリア・ウィンドウに、プラスティック加工の、テレビ画面大のレンズが貼ってあるのを目にした。昔、小さなテレビの画面に取り付けて、画面を大きく見せようとしたあのせこい発想のシート・レンズである。一瞬何のため? という疑問がわいた。追っかけてくる暴走族のナンバー・プレートを確認するため。と言ってもバイクのプレートは後にしかついていないのでこれは違う。追っかけてくるパトカーのナンバーの確認。バスがパトカーに追っかけられてどうしようというの?そのナンバーを確認してどうしようというの?だからこれも違う…… 意識朦朧とするような暑さの中、駅前に食事に出た帰り路、朦朧とした気分の中でちょっと気になったことである。

 後方から眺めていたので疑問が解けなかったが、斜め横、そして運転席方向から見てみると、謎が解けた。リア・ウィンドウの中央に貼り付けられたそのレンズの部分には、バスの後方の光景が、後方真下を含んで広角的に見えていたのだ。してみると、凹レンズ仕様であったのか。要するに、大型ワンボックス・カーなどが、車体後方下の死角を映し出すために取り付けている凸面鏡の、あの役割を果たしていたのである。
 なるほど! と合点するとともに、これを考案して、バス会社に勧めた「五十歳半ば過ぎの零細企業経営者」に大いに感心したのであった。「五十歳半ば過ぎ〜」とは、あくまで勝手な想像に過ぎない。このせこいレンズに慣れ親しみ、バスにも慣れ親しみ、そしてこんなトリックを思いつく人とは、そうした人に決まっている、と咄嗟に思っただけである。
 資金繰り問題で途方に暮れ、もはや倒産かと思い悩む日々の中で、このアイディアで勝負に打って出た「零細企業経営者」(これもあくまで想像ではある!)が、これでようやく夕飯の膳にビールを一本立てることができた(もちろん、これも想像に決まってる)という安堵感に、なんとも他人事とは思えない共感を覚えたのである。

 最近は、内部がブラック・ボックスとしか言いようがない大掛かりで、かわいげのない新製品が一般的である。やたらに電子回路やLSIが組み込まれ、それでいて電池が切れるとうんともすーとも言わなくなるという決定的制約条件付きの製品が多い。
 何が起こるか分からない時代なのである。だから、いつも近くのコンビニの入って二列目、レジ寄りの棚にアルカリ電池がぶら下っていると思い込む行動様式は、一度は考え直されて然るべきではなかろうか。
 その点、上記のレンズといい、全天候型で、エネルギー非依存型の昔の道具、製品は頼もしいことこの上ない。しかも、使い手の使い方能力と手を携え合うといったその協調姿勢に好感が持てる。現今製品のように、スイッチひとつであとはお任せあれという傲慢な製品は逆に不信感を募らせるのである。
 わたしは、若い当時はアウトドアー派とは言えないまでも、人里離れた、文明が行き届かない場所が嫌いではなかった。キャンプ用品はどれをとってもとても大事なもののように思えてならなかった。「十徳ナイフ」をはじめとしたサバイバル・ツール類は興味津々であった覚えがある。そこまで言うことはないかもしれないが、どこか文明を信じ切れず、その脆弱さへの危惧の念があったのかもしれない。

 「ワンぎり」という通話の仕方で技術のエア・ポケットを狙われただけで、広範囲の通話障害が発生してしまう文明の機器は、どうも文明の危機に通じているのかもしれないと思える。このような事態は、決してこれに限られるわけではなく、潜在していると見なすべきなのであろう。人間の間での信頼関係と同様に、信じていても垣根くらいは作っておくというのが、文明に対する正しい対処法なのかもしれない…… (2002.07.30)

2002/07/31/ (水)  夏休み中の子どもたちが教えてくれたこと……

 夏休みの子どもたちは、ほっとしているような、時間を持て余しているような様子で、やはりいつもとは異なった感じだ。
 あいかわらずポケット・ゲームを離さずに、両手でしがみついて操作している子がいるかと思えば、文明の機器に頼らず昔のわれわれのように想像力を駆使して遊ぶ子もいる。
 先日、駐車場の脇に実にかわいいものを見つけた。隣の幼稚園に通っている女の子の創作物だったと思われる。敷石の段差を利用して、何やらままごと遊びのお店屋さんごっこでもしたのであろうか、ゴミとも見えるちょっとした小物群が丁寧に並べられてあった。
 おはじき、ビーだま、安全ピン、小さな葉っぱ、錆びた小さなワッシャ、ガラス瓶のかけら、ちょっと目を引く小粒の石、木の実、針金の切れっぱし…… そんなひとつひとつが、想像力を込めて商品と見立てていたのだろうと思う。

 身の回りのありふれた何でもないものを素材として、あとは空想力、想像力によってあり余るほどに埋めて「ごっこ」遊びをしたのがわれわれの子ども時代であった。男の子は、「肥後ナイフ」が一本あれば、ちゃんばらごっこの剣から、船、そして竹細工までたいていの遊び道具はこしらえてしまったはずだ。
 昔はおもしろかったなあ、と懐古趣味に陥ってもよいのだけれど、ひとつ気にしてみたいことがあるのだ。

 今日、古いノートPCに、USB(ユニバーサル・シリアル・バス)接続の周辺機器を取り付けたいと思い、開店したばかりの大型PCショップを覗いてみた。ウィークデイの午後だということもあるのだろうが、広くて新しいフロアーが、まるで早朝出勤時か残業時のように、気味が悪いほどにガラガラなのである。そして、最新のPC、PC関連商品は何でも揃っており、また安くなっている。一頃の価格に、それなりの距離で拘泥していたものにとっては、驚くような水準なのである。
 下取りのPCや周辺機器も実に安く、思わず衝動買いの手を出したい気さえしたものだった。「これは、この部品を取り替えて、ここをこうすれば、そうだ、あれに使うことができそうだな……」といった、思惑が下地となって、示されている価格が、それなら安い!と感じるのである。

 いま現在、経済統計指標によると、PCの出荷台数は下降している。この春に、各メーカーは、それまで売れ行きが低迷して値崩れしていた製品を、そろそろ上向きになると予想してか、価格水準を高めた。が、それが裏目に出たこともあり軌道修正でまたまた安い水準に戻したそうだ。しかしながら、それでも売れ行きは鈍っているようなのである。
 IT不況なのだからと、売れない原因をばっさり大なたで切るように推測することもできないわけではない。しかし、個人ユースにしても、ビジネス・ユースにしても、今パソコンは魅力あるモノではないというのが実感ではないだろうか。
 その理由は、PC自体にあるのではなく、ユーザーの側にあると思えるのである。
 誰にでもできるという触れこみで多くの人々が飛びついた、あの「ウィンドウズ95」がリリースされた直後が最もPCの売れた時期であっただろう。だがその後、その揺れ返しとして、思ったほどに楽じゃないとか、期待したほどおもしろくないといった理由からか、PC売れ行きは期待に添うほどではなかったようだ。インターネット時代となっても、もうひとつの状況だったと言える。

 問題は、何回も同じことを書くのだが、PCという製品は、単一の使用目的が決まった家電製品と異なって、汎用目的の製品であるのだから、ユーザー側の活用能力があわせて要請されるはずの製品なのである。使い勝手もさることながら、マニアほどではないにしても、いろいろと創意工夫を持ち込んで、使い込んでやろうという意欲が必須なモノだと思われてならない。
 ひと頃から較べると、随分と手が掛からない自動化が進みはした。それでもパッとしない人気という事実は、どうも原因はPCにあるのではなくて、ユーザー側にあることを照らし出しているような気がするのである。要するに、考えることがめんどうなユーザーにとっては、わずらわしいのは操作だけではなく、どう活用するのかということを考えることがわずらわしいのではないのだろうか。
 パーソナル・コンピュータ(パソコン)とはよく言ったもので、「パーソナル」という個人であることの充実をこそ切望するのでないのなら、考えるあらゆることがわずらわしさに染まってゆくような気もするのだ。

 別に、PCに肩を持つつもりはないのである。しかし、ゴミのような小さなガラクタにさえ、空想力で思い入れをして楽しさを追求した子どもの頃と較べて、余りにも受身本位の生活、パック形式でセットされた生活に慣れ切ってしまったわれわれはこれでよいのかと疑問を感じるのである。
 今、消費不況と呼ばれる事態が進行中である。が、買いたくても買えないという事情が幾重にも存在するのは事実だが、もうひとつ、買いたくてしょうがないほど欲しいモノがなくなったという点にも目を向けてみるべきかと感じている。欲しいという感情の背景には、その人ならではの能動的な何かがありそうな気がするのだが、果たしてそうした何かがわれわれの心根のどこにあるのだろうかと、ふと思うのだ…… (2002.07.31)