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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2002年05月の日誌 ‥‥‥‥

2002/05/01/ (水)  デジ・アナ再論:世界はデジタル原理の操作可能環境へとひた走っている!?
2002/05/02/ (木)  デジ・アナ再論:デジタル・ツールとモノや他者の操作の可能性!
2002/05/03/ (金)  デジ・アナ再論:個人的生活情報より幅をきかすマスコミ情報!
2002/05/04/ (土)  デジ・アナ再論:デジタル時代をサイバー時代と呼び替えても懸念は消えず!
2002/05/05/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (38)
2002/05/06/ (月)  思わず至福の感情がこみあげてくるファインダー内の新緑風景!
2002/05/07/ (火)  フランス大統領選で見えた右傾化とその阻止、そして日本の場合は?
2002/05/08/ (水)  実態にそぐわない幸、不幸のイメージ流布を取り締まれ!?
2002/05/09/ (木)  「達磨さんが転んだ」のような悪事へのなだらかなスロープ!
2002/05/10/ (金)  言葉の耐えがたき軽さ! & 本日で当日誌一年間継続!!!
2002/05/11/ (土)  数少ない年間継続させた行動、若い時代の新聞配達!
2002/05/12/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (39)
2002/05/13/ (月)  変化、変革というが手放しで賞賛してよいのか?
2002/05/14/ (火)  深まりゆくのか<孤立化と不信>の時代?!
2002/05/15/ (水)  アメリカ陸軍でさえ、従来のピラミッド型組織構造の抜本的見直しに着手!
2002/05/16/ (木)  現代の急激な変化はどこからきていると考えられるか?
2002/05/17/ (金)  全国のまともな勤労意欲を持つ人々は思索し、模索していること!
2002/05/18/ (土)  作り出された「変化」にまで過剰反応することもないか?!
2002/05/19/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (40)
2002/05/20/ (月)  「賢者」は子どもの存在の貴重さをしっかりと見つめるものだ!
2002/05/21/ (火)  この閉塞状況からの突破口は、時間、体験を積み上げる覚悟にかかっている!?
2002/05/22/ (水)  主題に迫る手立て、文章を書くことと写真を撮ること!
2002/05/23/ (木)  遠い日の思い出の、一から出直そうとする男!
2002/05/24/ (金)  今の日本の現状なら、海外がいくらでも手本となり得る!
2002/05/25/ (土)  人間の知的生産物への対処方法、その目まぐるしい変遷!
2002/05/26/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (41)
2002/05/27/ (月)  これぞコバルトブルーの羽、幸せの鳥かわせみ!
2002/05/28/ (火)  歳を重ねても、とことん頭脳を鍛えて勝負、勝負!
2002/05/29/ (水)  学習・教育とは、コミュニケーションにほかならない!
2002/05/30/ (木)  カタツムリのように家を移動させてしまう人々の愛と勇気とコミュニティ!
2002/05/31/ (金)  「とかげの尻尾切り!」の手品が通用しなくなった現代!





2002/05/01/ (水)  デジ・アナ再論:世界はデジタル原理の操作可能環境へとひた走っている!?

 ゴールデン・ウイークで子ども達も自然に接することが多くなっているのではないだろうか。親やその親たち年配者は、癒しと安らぎを求めて自然の風景や自然そのものに接するつもりであるのに対して、どうも、子ども達が自然から感じるものは親たちとは別物であるらしい。滞在が長期に渡ると苛立つ子もあらわれるとかいう。
 子ども達は、都市生活のデシタル環境にこそ慣れ親しんでしまっているので、自然環境の何もかもがアナログという状況に対しては違和感を抱くのであろうか。もっとも、大人たちとて、デジタルとコンピュータに基づく自動化環境にもはやたっぷり依存し尽くしているはずである。

 世界は、デジタル原理の操作可能環境へとひた走っていると言える。文字通りのコンピュータ処理の領域だけでなく、文明や文化のかたちまでが輪郭をシャープにさせ、0と1の原理であるデジタル的傾向にフィットするように染めあげられている気配さえ感じる。
 ところで、あのアフガン空爆開始時に、米大統領ブッシュの世界に向けた演説もデジタル的であった。「今日、我々はアフガニスタンに照準を合わせているが、……どの国も選択をしなくてはならない。この紛争に中立の立場はない。(2001.10.09)」と、世界をテロ国陣営とそうでない米国支持陣営とに、無理なデジタル分化をして見せたものだ。
 すでに米国社会は、持てる者と持たざる者との貧富二極化社会が成立しているとも言われているが、グローバルな世界もまた、南北の二分化、富める国々と貧しい国々とに際立って二極化していると言えそうだ。テロ国家と非テロ国家といった恣意的な二分ではなく、所有と支配の原理によって歴然として生じている両極分化こそが注目に値する。
 日本国内におけるはやり言葉「構造改革」もまた、日本社会を米国のように貧富二極化社会へと変えることがその本質であることを、どれだけの人たちが知っているのであろうか。

 世界や社会、そして人々の発想が二極分化的傾向を深めつつあることと、技術上のデジタル化が関係しているのかどうか、また関係しているとすればどう関係しているのかは、興味深いテーマではある。だがここでは深入りせず、両者をひっくるめた傾向について扱う。
 そもそも、二極分化にせよデジタル分化にせよ、着目すべきは、連続している状態に何らかの境界を設定し、非連続な姿に変えてゆくことではないかと思う。仮に6時34分と6時35分の間は、限りなく連続して推移しているはずだ。にもかかわらず、秒を刻まないデジタル時計では、何も無いかのような扱いをする。秒を刻む時計であっても、秒と秒の間は同様である。境界など無い事実に、それをあえて持ち込んでいるのである。
 この点は、合格、不合格の区分けや、課税所得額の仕分けなどの例をあげるまでもなく、社会事象についてもあまねく見られる事態であるはずだ。

 考えてみると、自然の営みや自然現象には、上記のような境界や、分化というものはどのように存在しているのだろうか?固定的で、絶対的な意味でのそれらは存在しないのではないんだろうか。そこまで言い切ってしまう自信はないが、自然の営みや自然現象の特質は、境界や分化ではなく、連続であり、相互浸透であり、融合だと認識している。
 ただ、生物の進化とは、機能分化であり、種の多様化であると言われてきたかと思うが、それらでさえも食物連鎖や相互依存(植物の花と昆虫の関係などは、個体分化とは言えないほどに絶妙なコンビネーションだと見える)によって、広い視野から見れば巧みな融合関係におさまっていると見える。
 人間による認識とか、ものの定義づけとかは、当該対象とそれ以外のものとの区別をこそ基準にしているようなので、この世界に様々な区別と境界を持ち込んだ張本人は人間自体だと言ってよいのであろう。そして、科学を筆頭にして、差異と区別に着眼して推進してきた長い近代化の過程があり、その成果の上に現代におけるデジタル化という総仕上げの段階が到来していると考えられそうだ。

 先日、ただ券をもらったので、たまにはいいかと思い『ロード・オブ・ザリング』を見てきた。少なくともわたしには、SFXの特撮以外に何のコメントも口にできない映画であった。それじゃデジタル技術としてのSFXはどうなのかと言えば、空々しさの感情ばかりが刺激されて無用に疲れたものだった。耳年増ならぬ、目年増を増やすだけの過剰デジタル化のサンプルを見た思いがしたものだ…… (2002.05.01)

2002/05/02/ (木)  デジ・アナ再論:デジタル・ツールとモノや他者の操作の可能性!

 生活の身の回りで「便利なもの=操作可能なもの」が普及しているということは、何千キロ離れた場所から何十センチの誤差しかない命中率の高精度ミサイルや、いとも簡単に空爆できてしまう無人空爆機の存在と、どこかで繋がっていると想像してみたい。
 個人が、知人・友人そしてわずかばかりの顧客情報を、PCを初めとするデジタル機器で操作できる便利さを享受しているならば、巨大な力を保持する組織勢力がいとも簡単に膨大な個人情報群を操作できているに違いないと想像してみたい。

 インターネットは、学術的意図とともに、軍事的領域での話である前面戦争時における、メイン・コンピュータ破壊の被害のリスク分散という動機によって初期開発がなされたと聞いている。確かに分散したサーバーのネットはリスク分散そのものでありそうだ。
 また、もともと心理学や文化系学問をも含んだ現代の科学技術は、戦争との密接な関係の中で発展してきたという経緯もある。
 さらに、カー・ナビで使われているGPS(global positioning system 全地球測位システム)にしても、その他の制御技術にしても、いわば多くが軍事用途からの払い下げであると思われる。言ってみれば、現代の科学技術の成果は、いち早く軍事的関門を通過してきているのである。だから楽観的に個人ユースの観点だけで現代科学技術を謳歌するのは無知に過ぎるだろうし、これまたイージーに、シビリアン・コントロール、文民統制で云々と言うのもリアリティに欠けそうな気がする。

 そんなことを脇においたとしても、そもそもデジタル機器が持つ基本的性格に目を向ける必要があろう。モノであれ人であれ対象となったものを「操作する」意図を色濃く内在させたツールが、デジタル・ツールだとは言えないだろうか。あるいは、モノや人を「操作する」意図を誘発する魔力を秘めたツールだと言えるのかもしれない。
 すべからく道具とはそうしたものだと言うことも可能だが、デジタル・ツールが秘めた効率性と効果性は、従来の道具と比較にならない水準であろう。だからこそ、商品価値と魅力を持つのだとも考えられるのである。そして、その破格の効率性と効果性は、人間に、モノや人を対象にした「操作能力」発揮への誘惑さえ抱かせるのかもしれない。ハッカーはもとより、匿名という「みの」に隠れてインターネットで傍若無人の勝手を仕出かすものが絶えないのは、結構根が深い問題だと思える。
 今、ふと昨日書いた『ロード・オブ・ザリング』のことを思い起こした。物語のメイン・テーマである指輪は、それを保持すると巨大な悪のパワーを発揮できてしまうため、主人公たちがこれを廃棄しに出かけるのであった。この指輪に託された暗喩を、核兵器だと考えることも可能だろう。だがここでは、この映画の荒唐無稽さと張り合って、思い切り悲観ぶりながら、それはデジタル原理とその応用だ!と言ってしまうこともできようか。デジタル成果の巨大な集積は、巨大な「操作能力」へと繋がるのであるから、あながち笑ってはいられないかもしれない。

 「デジタル・ディバイド」(インターネットやコンピュータ等の情報通信機器の普及に伴う、情報通信手段に対するアクセス機会及び情報通信技術を習得する機会を持つ者と持たざる者との格差)の拡大が懸念されている。すでに、先進国と発展途上国及び先進国内のデジタル・ディバイドが、経済格差を更に大きくしてしまうおそれがあると警戒する声も上がっている。
 この問題を考える際にも、デジタル・ツールというものが「操作」ツール(ここでは他者を操作できる可能性があることに十分注意を向けたい)であるという点に最大限配慮する必要があると思われる。
 いわゆる情報でさえ、それを持つ者と持たない者との間で生じる利害ギャップは無視できない。株のインサイダー取引禁止はこの点を物語っていよう。であるのに、デジタル・ツールは、情報検索、加工、隠蔽、誘導、流布などを効率的、効果的に容易にさせながら他者を操作する可能性を秘めているのだから、このパワーの有無によって生じる格差はさらに大きいと推定すべきではないだろうか。

 リアルな問題に目を向ければ、日本の政府は『個人情報保護法』などというその内実を額面どおり表さない法律の立法化を急ごうとしている。現状に時代逆行した動きとしか言いようがない。
 むしろ今最も急ぐ必要がある法律は何かといえば、米国ですら成立している『内部告発保護法』であるはずだ。デジタル・ツールの集積で、国民が知るべき情報を組織内部に隠蔽し続けてきたからこそ、この間わずかに露呈されたに過ぎない醜態の実態が温存され続けてきたのではないのか。もはや、政府が庶民のために大所高所から慈しみの配慮をしているなどと誰も信じてはいないのだから、庶民、国民に情報は公開してゆくのが時代要請であろう。政府と国民の間のデジタル・デバイドが問題になってしまうのは情けない話である…… (2002.05.02)

2002/05/03/ (金)  デジ・アナ再論:個人的生活情報より幅をきかすマスコミ情報!

「芸能人のゴシップや、政治家のスキャンダルなどが報じられなくなったら、庶民同士は話題がなくなって困るんじゃないの……」
 あるテレビのトーク番組で、こう唐突に切り出していたギョーカイ人がいた。これを聞き、そんな馬鹿なと、一瞬、わたしの「おりこう回路」が作動し始めたが、あえてこれを遮断して「実感・柔軟回路」に入ってみた。
 なるほど、平凡な現代生活をしている庶民が、ふと知り合いと遭遇した際には一体どんな話題で間を持たせることができるのだろうか。ないことはないはずだ。「今お帰りですか?」とか、あるいは「いい陽気になってきました」といった天気の話。これらで済む間であれば問題ないが、幾分長くなると相手が外国人でなくともちょっと困る。
 プライベートな話題はふさわしくないし、事情が込み入っていて相互にわかりづらいから敬遠される。そうそう共通の話題が見出せもしない。勿論、主義主張の色濃いテーマに突入するわけにもゆかない。こんな時、不自然ではないきっかけや導入部さえ見つかったら、「小泉さんにもがっかりですよねえ」の無難基調テーマから始まって「政治屋たちには庶民の痛みは想像できんでしょうな」の同意テーマへ進み、各論テーマとして「まきこの実態は如何?」「ムネオの逮捕はカウントダウンか?」「ツジモトのその後は?」「シンタローは新党をぶち上げるのか?」…… これで小一時間は持つはずだが、もし足りなければ、「恐ろしい時代ですね。ほらあの小倉の四人組看護婦保険金殺人事件ですよ」という手も残っている。とにかく、マスコミ(週刊誌)が飛びついて報じているAAA(いやCCCか)の話題に準じていれば、どうにか格好がつきそうである。

 もちろん、いつでも誰とでも自由自在に世間話ができる人もいるだろうし、いちがいに言えることではない。しかし、冒頭の御仁の発言は妙に説得力を感じたのだった。
 また、こんな話もある。若い人、とくに若い女の子と話していたりすると、「その人って、タレントで言えば誰に似てるんですか?」といった発言である。同様な事態は、買い物に行ってとある商品の所在を尋ねると「誰がCMに出てるモノですか?」とくる。
 どうも、言葉での説明などよりも、マスコミの提供するものによる解釈の方がわかりやすいといった状況が見てとれるのである。まるで、個々人の生活周辺のものや出来事は、マスコミに置かれている百科事典たる『現代何でも有名辞典』によってオーソライズされないとまずいような雰囲気でさえあるのだ。

 かねてより、現代人の個人生活はもの凄い濃度によってマスコミとその情報に浸されていると感じてきた。もちろんうるさくてわずらわしいとの印象を伴ってである。だがマスコミを遮断した生活は、なぜか不安を伴うほどに浸されてしまっているようだ。
 まったくローカルに、個人的にやるべきこと、やりたいことがあっても、それで自足し切れない気がかりをもたらしているのが、現代人にとってのマスコミ、マス・メディアなのであろうか。確かに最近は、突然の衝撃的ニュースが度重なっているため、その気がかりは鎮まらないとも言える。

 デジタル原理という視点でこうしたマスコミの存在を見つめた時、ある種の懸念を感じることがある。
 PCを初め、通信に活用されているデジタル原理とは、要は、自然のアナログ・データをその種の装置で「エンコード(符号化する)」してデジタル化する。これでノイズの混入が防げるデジタル・データに替わるのである。そして、これを「デコード(復号する)」して再度アナログ・データに戻すわけである。
 もともとがデジタル・データを扱うPCの場合の通信では、アナログ回線の場合はアナログ・データ化されて送信され、相手方で再度デジタル化され活用されたりする。
 いずれにしても、「符号化」と「復号化」といういわば「暗号化と暗号解読」のプロセスが介在してデジタル原理は活用されるのである。そしてこの「暗号を司るシステム」がなければ、なんともならないとも言える。
 比喩的な話なのではあるが、現代人にとって、マスコミの存在は、この「暗号を司るシステム」のように見えたりするのである。個々人は、社会的事件ばかりではなく、個人的生活周辺での出来事でさえ、マスコミやマス・メディアを通じて解読(報道と解説)してもらわなければ理解できないような現実になってしまっているのではないか、とそう懸念しているのである。主体的に判断するなどという外堀レベルは、とっくに埋めつくされてしまっているように思える…… (2002.05.03)

2002/05/04/ (土)  デジ・アナ再論:デジタル時代をサイバー時代と呼び替えても懸念は消えず!

 デジタルだ、アナログだ、とうだうだ言って、おまけにアナログ時代を望郷するなんぞは、アナログならずアナクロニズム(時代錯誤)だと言われかねないご時世である。
 当世は、デジタル何々という表現すら更新されてしまって、「サイバー」(cyber、コンピューター-ネットワークに関する意。〔電脳とも訳される。第二次世界大戦後に提唱された学問分野であるサイバネティックスを源とし,W=ギブスンが合成語として造語したサイバースペースなど,1980 年代中頃から広く用いられるようになった〕goo便利ツール「辞典」http://dictionary.goo.ne.jp/ より)と表現した方がいいのかもしれない。
 しかし、気をつけなければならないのは、新語に飛びついたとたんに問題点が吹っ飛んでしまい、バラ色の解釈の一人歩きと批判的姿勢のなし崩しとなってしまいがちな点であろう。なんせ、ことの推進者たちはビジネスチャンスのために大変な先行投資も惜しまないのだから、バラ色と言いたいに決まっている。

 とりあえず、仲間はずれにされないために「サイバー」時代と称しておく。そして、デジタル原理に対して付けてきた「いちゃもん」は、すべてこのサイバーにも当てはまる。 批判だけに終始するつもりはないのだが、世の趨勢があまりにもバラ色優勢のようなので、老婆心が刺激されてしまうのだ。サイバー領域の風下で商売をして、自分もそこそこPCをいじりまわしているのに、批判だけということはありえない。ただ、楽観的でありたくないのである。
 さすがに100%のバラ色論の立場に立つ能天気な人はいなくなったはずである。「サイバーテロ」(国家や社会基盤の混乱を目的に,それを維持するために必要な情報システムへの侵入・破壊工作を行うこと。上記サイトより)の話や、「サイバー犯罪」(コンピューターやそのネットワークを利用して行われる犯罪。違法アクセス,違法傍受,データ妨害,システム妨害,コンピューター-ウイルスの製造・配布,コンピュータ関連偽造・詐欺,著作権侵害,児童ポルノの頒布・所持など。証拠となる電子データは消去や改変が容易なため犯人の特定が困難で,被害は瞬時に世界規模に及ぶ特徴がある。上記サイトより)の実態に接することが多くなってきたからである。
 実のところ、問題含みだらけと言えるような気さえする。と言うのも、技術が超スピードで先行し、人間側の感性を含む対応能力や、教育や、社会規範などがざっと十年、二十年遅れていそうな状況が現代だからである。
 必死で随伴しているのは、サイバービジネスとサイバー商品群、そしてサイバー野次馬と、時代を強迫観念で追っかける企業や人々だけであろう。これらのどこに、サイバー時代に対するトータルな評価基盤があると言えようか。下世話な言葉で表現するなら、お試しとやり逃げの勢力だと言っても、当たらずとも遠からずではないかと思える。

 「サイバースペース」(cyberspace、コンピューター-ネットワークなどの電子メディアの中に成立する仮想空間,情報宇宙。特に人間の身体知覚と電子メディアが接合して生まれるメディア環境。W=ギブスンが小説の中で描いた。上記サイトより)は、これはこれで、人類が生み出した実に魅力的な空間である。アナログ的実体世界の良さとは別の観点で魅惑的だとも感じてもいる。
 しかし、こうした空間が日常生活に急接近してきた速度は、いかにも唐突であったような気がしてならないのである。いや、そう感じているのは、アナログ世代、鉱石ラジオ世代以前の年寄りであり、そんな時代を知らない若い世代にとっては何の違和感もない状況として受けとめているのだろうとは思う。
 しかし、違和感なき世代は、慣れという感覚的レベルで違和感がないというだけなのであって、決してサイバー時代の行く末を見通してなどいるわけでは毛頭ない。いや、多くの時代変化、環境変化がそうであったように、新事象はバラ色の表紙が最初に到着して、胡散臭い問題群は後からおもむろに届くことも大いにあり得る。アナログ世界と、サイバー世界の表紙の両方に「股裂き刑」を食らっている世代の戸惑いも貴重な判断材料だと思う次第である。

 これからサイバー世界は、ブロードバンドやIPv6(IPプロトコルのバージョン6)などによって、「ユビキタス」(ユビキタスの語源はラテン語で、いたるところに存在する(遍在)という意味。インターネットなどの情報ネットワークに、いつでも、どこからでもアクセスできる環境を指し、ユビキタスが普及すると、場所にとらわれない働き方や娯楽が実現出来るようになる。と)時代となるらしい。
 こうした時代となっても、どうも大変な問題が潜伏するようだと思わされる見解を、以下に引用しておく。「ノイズ」や「関係性」そして「カオス」までおっしゃるということは、デジタルやサイバーを、ゼロベースで見直すってことになっちゃうんじゃないの?(わずらわしい人は読まなくていいですよ!)

「 技術文明論的観点
 ITの爆発的な普及など、まだ遠い未来のことと考えられていた技術が実現されてきたことにより、20世紀までの工業牽引型社会からの脱皮がなされようとしている。硬直化した工業化社会の下に新しい皮膚が見え隠れしてきている。それは硬から軟へのメタモルフォーゼであり、現代を未来学者アルビン・トフラーの言葉を借りて表現すれば『バイオ・インフォメーション・エイジ』の実現と言える。
 従来のフレームワークを整理してみると、慣性の法則や等速直線運動といったニュートン力学をベースにしたものは、事象を抽象化し、単純化した上に成り立つ理論であった。その過程にあるはずのノイズや摩擦を副次的要素とみなして排除し、影響力を無視できるように隔離することで生産性を高め、工業化社会の発展に絶大な貢献をしてきた。だが、今後はその存在を無視することは成長を止めることと同義となる。影響、つまり関係性、依存性を認知した上で物事を捉え、考えることは、従来の思考との間に決定的な差異を生む。複雑な関係が関係性を原理として相互に離れられなくなり、カオスと秩序の境目のところでは新しい秩序が生じて、自己組織化が起こるという思考を身に付ける必要がある。また、複雑さを積極的に取り入れ、関係性の中で存在を考えるという場合は、セキュリティが重要な概念となる。例えば、人体にはウィルスと免疫が存在し、拮抗することで秩序の安定性を作り出している。両者とも人体との相互作用があって初めて生命体の維持や進化、生存を可能としており、ノイズとも言えるウィルスに対し、セキュリティ能力と言える免疫がなくなれば、バランスを崩し、死滅してしまう。
 この関係性をネットワークに置き換えてみると、インターネットは、従来の専用線を使ったニュートン的世界とは違う複雑系の状況であり、それを人々の日常生活の中に作り出したとみなすことができる。こういった状況では、やはりセキュリティ対策が必要となるが、完全を望めばコストは莫大となる。ノイズを認めながら、どのようにバランスをとるか。このような根本的な変化、考え方の変化は、産業面や学術面でも見られるようになってきている。」(東京大学 名誉教授 石井 威望「ブロードバンドとユビキタス時代を迎えて」JEDIC 「e-Businessフォーラム2001」基調講演) (2002.05.04)

2002/05/05/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (38)

 保兵衛は、いつものように御茶ノ水駅へは向かわず、神田駅で降りた。
 あいかわらずロックアウトされたままの大学へ向かっていたのである。今日は何としても現場を見届けなければならない衝動に駆られていた。それというのも、全国の学園紛争のシンボル的意味が託されていた東大安田講堂に、今朝早く機動隊が導入され、封鎖解除にかかったからだった。
 また、御茶ノ水駅周辺が、去年の国際反戦デーのデモ以来、カルチェラタン(パリ・ラテン区の大学街で、学生運動の中心地となってきた)ふうとなり、機動隊とぶつかり合う可能性が高いと見て神田駅で下車したのだった。一月半ば過ぎの神田駅構内はまだ初詣のポスターなどが目につき正月気分を漂わせていた。

 安田講堂への機動隊導入のニュースを、保兵衛はアルバイトの溶接工場で知った。
「いよいよ、機動隊も本気になって介入し始めたな」
 経営者でもあるおじが、作業中にかけているラジオを聞きながら保兵衛に向かってそう言ったのだった。どうしてあっちこっちの大学、おまけに日本だけじゃなくヨーロッパでも同じ動きがあるのかを、事あるごとに保兵衛に訊ねていたおじであった。当初は、「大学まで行って、あんなことしてていいのかね」とただただ不信感をむき出しにしていたのだが、作業休憩で一服する際に聞く保兵衛の説明から「そんなもんかなあ……」という程には実情に関心を示すようになってきていたのだ。
「行かないでいいのかい?何だったら今日は上がってもいいんだよ」
 おじのそんな言葉に甘えるようにして保兵衛は大森から電車に乗ったのだった。

 靖国通りの須田町交差点まで来た時、冬の寒空に輪をかけるようなグレーの野暮な光景が目に飛び込んできた。道路ぎわに機動隊を乗せた灰色の大型バスが至るところに留めてあったのだ。御茶ノ水カルチェラタンを遠巻きに包囲するかのような意図が、保兵衛ならずとも感ぜられたであろう。保兵衛は、足早に大学へと向かおうとした。
 と、その時、万世橋方面から交差点に向かって歩んでくる一人の黒衣の托鉢僧に目が奪われた。まさかとは思う保兵衛ではあったが、交差点の横断歩道をわたり切った地点でしばし佇んでしまうのだった。
 僧侶は、深い笠で顔が隠されている。が、その歩む動作には確かに見覚えがある。錫杖のかたちと数珠の色も、赤坂見附のあの時と同じように思えた。今日の異常事態を知って、すでに興奮気味の気分となっていた保兵衛は、その余勢ともいうべき強気で一瞬唐突過ぎる予感を感じるのだった。あの僧侶が海念さんだったとしても決して不思議なんかじゃない、と。そして衝動的に歩みより、思わず声をかけた。
「人違いでしたら許してください。もしや海念さんでは……」
 と言いかけた保兵衛に向かって、僧侶は、笠を左手であげて微笑んでいた。まぎれもなく海念その人であったのだ。

「こちらへ超越(時空超越)して、こんなにすぐさまに会えるとは思ってもいませんでした」
 海念は、ありがたそうに熱い茶の湯飲みを両手で包みながらそう言った。二人は、寒くとげとげしい外気を避け、神田小川町付近の喫茶店『ルノアール』に潜りこんでいた。
「海念さん、実はどんなに会って話したかったことか……」
 保兵衛は、開いた腕をテーブルで支え海念を覗き込むように言った。
「保兵衛さんのその意志を夢でも受け取っていたのですが、もはや躊躇できないと思いやってきたのです」
 が、保兵衛は、溶接時の鉄の飛沫が付着した腕時計を覗き、辛そうな表情で言うのだった。
「海念さん、聞いてもらいたい話が山とあるし、また聞きたい話もたくさんあるのだけれど、わたしは一、二時間ほど行くべきところがあるんです…… この喫茶店は何時間でも居ることのできることを売り物にした店なので、申し訳ないけど動かずに待っていてくれませんか?」
 保兵衛は、店内でくつろぐ人たちや、読書をする人たちの姿を目で示しながらそう言った。
「いや、そんなことがあって当然だと思います。こちらへ来たのは保兵衛さんと話すことが目的なのですからおっしゃるとおりにさせてもらいます」
「必ず、一、二時間ほどで戻ってきます。ここで動かずに待っていてください。それから、今日は表は危険かもしれないのでくれぐれも外へは出ないようにね」
 保兵衛はそう言いながら、もしよかったら暇つぶしにといって愛読している週刊誌『朝日ジャーナル』を手渡すのだった。なぜこの付近が今日あわただしく、とげとげしいのかの一端が、その週刊誌からは読み取れるであろうと保兵衛は思ったのかもしれない。
 保兵衛が、喫茶店の出口で振り返った時、海念はもうその週刊誌を興味深げに手にしているのが見えた。

 封鎖された正門付近には、紛争に距離を置きながらも好奇心が押さえきれないような学生たちが大勢取り囲んでいた。中庭からは全共闘メンバーが、いつもになく鋭くアジテーションするマイクの声が鳴り響いている。許しがたき暴挙、最終的総括、これを敗北とはせず、などといったいつにない激しい非難と悲壮感に溢れた言葉が聞き取れた。
 保兵衛は、裏門へ回った。そこからは、全共闘メンバーの検問を経て封鎖された構内や中庭に入ることができたのだ。
 保兵衛は、中庭でクラスメイト何人かのよく知った顔を見つける。
「おう、来たんだ」
 どこからかもって来たヘルメットが保兵衛に手渡された。それを保兵衛は黙って受け取った。
「こんな時に来ないでかあ。で学内状況は?」
「もう個別学内問題でもなければ、運動の個別性も追及しがたい状況だね」
「と言うことは、安田講堂攻防戦に呼応した動きを繰り広げるという方向なんだな」
「そう、去年の10.21以上のカルチェラタン解放区闘争へ持ってゆくようだぜ。」
 確かに、その日の運動は、安田講堂攻防戦を支援するかたちの、挑発的で過激なものとなっていったのだった。御茶ノ水駅を中心として北は本郷通り、南は駿河台下に至る一体が、小さな戦争もどきの空間に化した。
 学生側のデモは最初から荒れ狂い、角材を持つ学生とジュラルミンの盾を縦横無尽に使いこなす機動隊との激しい小競り合いに雪崩込んでいった。やがて機動隊はなぜか陣を引き、道路いっぱいにジュラルミン盾の壁を作る。そしてその後方から、最初は放物線を描く単発花火のように催涙ガス弾を打ち込んでくる。学生たちからは、敷石を砕いた投石が始まり、にらみ合ってできた真空地帯に火炎瓶が投ぜられる。その真空地帯に飛び出し、転がった火炎瓶をジュラルミンの壁にぶつける学生も現れる。
 しかし、壁の向こうの動きは不気味に途絶える。と、やがて学生たちに向かった催涙ガス弾の水平打ちが始まった。やがて、ジュラルミン壁が、濁流で開く堰のように崩れ、紺色の機動隊の濁流が学生たちに向かってなだれ込んでくる。逃げ遅れた学生が、頭上から盾を振り下ろされ痛打される。ヘルメット、手拭マスク、角材の三点セットで身を固めた学生は、複数の機動隊員に囲まれ激しい実力行使を被る。多くの学生たちが、蹴散らされ、逃げ惑った。野次馬のギャラリーに紛れ込む者、商店に逃げ込む者、路地裏をすり抜ける者、そして運悪く検挙される者……
 こうして蹴散らされた学生たちが各大学構内に結集して、安田講堂攻防戦を支援するかのようなさらに激しい抵抗戦が、各校で同時並行で展開され続けたのだった。
 だが、大学当局側から要請された大学への機動隊導入を皮切りとした、まさしく剥き出しとなった権力の猛威は、とても学生たちが立ち向かえる相手ではなかった。保兵衛はいまさらのように国家権力発動の、聞きしに勝る脅威を知るのだった。学生たちは散り散りにされ逃げ惑う以外になかったのだ。保兵衛もそんな中の一人としてようやく、海念の待つ喫茶店にかろうじてたどり着くことができた。すでに、一、二時間のはずが、はるかに四、五時間の遅延とまでなっていた。

 だが、そんな修羅場を知らない海念は、別に不安になる様子もなく何食わぬ涼しい顔で待っていたのだった。何度も週刊誌を読み返したり、静かに瞑想にふけったりすることで、海念にとっての時間は滑るように過ぎていたのだ。
「いやーすみません、とんでもなく遅くなってしまって。」
 保兵衛は息を整えてそう言った。そして、暖房されている店内の暖かさに促されコートを脱いだ。
「どおってことはありません。……うっ、何だか急に目がしみる……」
 海念は右手でしょぼつく目を押さえた。
「ごめんなさい。催涙弾の名残がコートに付いていたんでしょう。涙が出るだけで心配はいりませんから。このレモンの飛沫で中和させると効くようです」
「えっ、その『催涙弾』とは何のことですか」
「えーと、忍者が使う目くらましとでも言えばわかりますか」
 保兵衛は、すでに真っ赤になり涙目となった目元をハンカチで拭いながらそう言った。
「まさか忍者たちとの闘いではなかったのでしょうけど、大変なことがあったようですね」
「とうとう、国家権力が正体を現したというわけです。海念さんにわかるように言うなら、これまで国は学問の府である大学の自治を認める格好をとってきたのです。それは、ちょうど、中世寺院がもっていた特権とも喩えられるでしょうか。ところが、『紫衣事件』などに見受けられたように、やがて幕府権力は寺院を統制し始めたわけでしたよね。それと同じように、現代国家は今日漸くあからさまに大学の自治を踏みにじり始めたというわけです。
 ただ、常に権力というものは表向きの正しさを訴え続けなければならない立場にあるので、『あからさま』という姿は幾重にも覆い隠さなければならないようです。今日の機動隊導入も、大学当局からの要請という事実を強調しています。また、その要請にしても、国民の目から見て当然だと感じられるような空気が熟すのを待った気配が濃厚にありそうです。大学自治に名を借りた学生側の乱暴がひど過ぎるじゃないかという国民感情が熟すのを待つというか、そうした文脈をこしらえていった上での発動と見えるんですね。」
「そこまで老獪に画策するものなんでしょうか。しかし、何となく想像はできますが……」
 海念は、興奮気味で話し続ける保兵衛の顔をじっと見つめながら呟くのだった。
「ところで、ほかにやり方があったかと言えば苦しい話になっちゃうのだけど、われわれ学生側が採ってきた戦術が最終的に今日の結果を招いたという気がしてならないんだ。
 かねてから、ささやかれてきたことなんだけど、警察当局は民主勢力の弾圧の口実を得るために、『過激分子の泳がせ策』なるものを活用してきたという話がある。過激行動をある時期は黙認して、取り締まる時期が熟すのを待つというんだ。猛獣が身を伏せて、小動物たちが油断して限りなく接近するのを待つようにね。小動物たちは、猛獣の本当の怖さを軽視してはいけないはずなんだけどね……」
 そこまで話しつづけた保兵衛は、時の経過に気がついたように、ふと店内を見回した。店内は人影がまばらになっていた。手持ち無沙汰で佇む女子店員が、ちらちらとこちらに視線を向けている。
「海念さん、今日は遅くなったのでわたしのねぐらである大森まで付き合ってくれませんか。狭いアパートですが、そこなら存分に話ができますから」
 海念は、微笑みを浮かべて黙って頷いた。その表情には『願ってもないことです』と語るものがあった。
「ところで、海念さんはなぜ神田万世橋方面からやって来たんでしょう?」
「それなんですが、もはや保兵衛さんがどこにいるかも見当がつかないので、年数だけを念頭において、手身近な場所から超越してみただけなのです」
「神田万世橋が手身近な場所だったというわけ?」
「ええ、とある塾に時々顔を出しているのですが、今日もそこへ向かう途中だったのです」
「ひょっとして、神田連雀町は由井正雪の軍学塾では?」
「お察しのとおりです」
「ああ、やっぱり今日会えてよかった……」 (2002.05.05)

2002/05/06/ (月)  思わず至福の感情がこみあげてくるファインダー内の新緑風景!

 五月晴れのこの連休、観光地へ行かずとも、明るい空と新緑の緑が十分に満喫できた。
 連日、午前中は思いを託したレンズ装着のカメラを持っておもてに飛び出したものだ。明るい陽射しの天候にそわそわした気分で誘い出されるのは、仮にも風景写真に思いを寄せているからである。頭の隅のどこかに、絞りをF22ほどに絞り込んで、パンフォーカスでとびっきりシャープな風景画をものにしたいというたわいない願望があるようだ。
 かといって、昨今はどうも行動範囲が固定化してしまっている。まるで、小さな金魚鉢の金魚が広い池に放たれたようなもので、どこへでも行けばよいものを、馴染んだ範囲をうろつくことで終わってしまうのが情けないといえば情けない。
 よく言えば、馴染み切った光景の中に何がしかの感動を見出そうとしているかのようでもある。自分とは無縁であるに違いない場所が、たとえ偶然にいい写真となったとしても、さほど喜べないような先入観があったりするのだろうか。

 こうして、やはりいつもの散歩コースへと踏み出す。だが、歩きながらふと考えたものである。もし、連日風景写真が撮りまくれるような場所に住むとしたら、さてどんな場所がよいだろうかと。まず浮かんだのは、季節の折々に波がその表情を変える海岸であった。できれば、窓からも海岸が一望できたりすると素晴らしい。信州は八ヶ岳の麓で、季節で変わる山岳風景を望遠で撮り続けるというのも悪くないなあ…… と、夢想に耽りながら、干からびた犬のふんが転がる何の変哲もないアスファルト歩道をやり過ごしたりする。
 やがて、町田駅へと通じる広い道路を渡ると、そこに人知れない路地がある。おそらく、近所に住む人でも知らない人はずっと知らないで済ましてしまうような路地。そしてこの路地に紛れ込むと、突然ちょっとした田園風景が視界に広がる。その中心には、小高い台地に、百年ものといった古木数本を携えた庄屋ふうと言ってよい農家の佇まいが鎮座している。この光景を目にすると、どういうものかシャッターが切りたくなってしまうのだ。
 加えて、もはや慣れてしまってはいるのだが、ここにはもう一つ変わったものがある。幅二間ほどのコンクリートの階段である。左右の往来を仕切る鉄製の手すりが中央にあり、まるで高架の駅の階段のようだ。それに近い段数も十分にある。これほどのものがここにある必要はないと不思議がらせる存在なのである。この階段を降り切った周辺は、現在は広い青空駐車場となっている。ひょっとしたら、以前には多くの人たちがこの階段を利用することとなった工場とかの建物があったのかもしれない。
 都営住宅の前を行き過ぎると、ほどなく境川に沿った遊歩道に出る。ここまでくると、撮影対象は、この川を舞台にするマガモ、カルガモや、カワウ、カモメ、コサギなどの野鳥となる。500ミリくらいの望遠レンズを持ち合わせた時には愛らしい姿をしっかりと撮影することが可能だ。しかし、用意した時には野鳥たちを見出せなかったり、用意しない時にこそ翼を広げた自然美を見せつけられたりといったアンラッキーなケースが多いのが実情である。

 通常の散歩コース以外でしばしば訪れる小山田緑地公園周辺にも出かけてみた。
 先ず、本格的な造りでありながら、慎ましやかな規模の山門、大泉寺山門が被写体となる。広角レンズでなくとも全景がおさまってしまう親しみやすい規模と、たいていひと足がなく自由にアングルが選べる気ままさも手伝って、何度も撮影の勉強をさせてもらっている。静かな境内で、三脚とレリーズを使いスローシャッター音を独り占めで聞いていると、何とも心が癒される。
 城跡のため石垣がある緑地公園は、とにかく陽光に映える新緑の美しさが絶句ものであった。自然以外に何があるというわけでもないので、連休と言えども人影が多いというふうでもないのがまたいい。高台から眺望できる丹沢連峰の山影と、地味な屋根の色で統一された新興住宅の街並みを入れたアングルは、そこそこ絵になる風景であった。行ったこともないヨーロッパの国の風景の落ち着きを感じたりしていた。

 鮮やかで謙虚な自然風景は、何の道具立てがなくとも心に染み入るものがあるだろう。さらに、そんな自然美を、カメラのファインダーを覗きながら、そのひとかけらなりとも掬い取ろうとするなら、思わず至福の感情がこみあげてくる…… (2002.05.06)

2002/05/07/ (火)  フランス大統領選で見えた右傾化とその阻止、そして日本の場合は?

 フランス大統領選の決選投票で、保守の共和党シラク氏が、極右「国民戦線」のルペン氏を大差で破った。極右ルペン氏は、「大量の移民でフランスのアイデンティティーが失われた。日本のように移民を制限するべきだ」と主張し、ユーロへと向かうフランスの大きな動きにブレーキをかけようとしていた。
 しかし、反ルペンデモが全国で100万人以上の規模にふくらんだ。敗れた社会党も「ヒトラーが躍進した総選挙でも棄権が多かった。歴史を繰り返してはならない。シラク氏に投票しよう」と訴えた。ほとんどのメディアも中立報道の建前をかなぐり捨てて、ルペンにノンと言うべきだと訴えた、という。

 さすがはフランス人たちだと、幾分感激したものだ。同じような状況に立った時、わが国ならどうなるであろうか。そもそもルペン氏は「日本のように移民を制限するべきだ」と主張したというのだから、何となく寒々しい思いがしてならない。
 現在、日本の政治状況は確実に右傾化しつつあると懸念せざるを得ない。
 同時多発テロ事件にかこつけて有事法制化がカウントダウンし、個人情報保護法という羊頭狗肉で言論弾圧への露払いをしようともしている。
 首相は東アジアの憂慮を黙殺するかたちでの靖国参拝を敢行している。
 そして、自衛隊制服組は、自分側から米軍への協調路線を申し出るといったシビリアン・コントロールを逸脱する馬鹿げたことをやり始めているともいう。海上自衛隊のイージス艦やP3C哨戒機のインド洋派遣を米側から要請するよう働きかけていたというのだ。(朝日新聞報道 2002.5.06)
 市民生活の地域の場で繰り広げられる右翼街宣車の頻度数も、ここへきて増えているような印象を感じているのは気のせいであろうか。

 ボーダレスなグローバリズムの進展に伴い、歴史変化への冷静な認識を持たない、持てない勢力は、機会さえあれば一発逆転的に対外排斥とナショナリズムへと先祖返りしようと目論むものなのであろう。そして、そのグローバリズムが経済の混迷を深めさせると目に映る時には、不平不満分子を仲間に加え一触即発の高濃度ガスを充満させてゆくのであろう。多分、シラク夫人がフランス国内の極右勢力が大統領選に台頭してくることを予測、予言したというのも、特別な霊感などではなく、冷静な理性による洞察であったに違いない。
 上記の反ルペンデモに参加したあるフランス人職人は次のように言ったと紹介されている。
「本当はルペン支持者たちを論理で説得すべきだけど、極右の思想は単純すぎて議論にもならない」と。
 確かに、どの国の極右も、もともと滅茶苦茶に感情的で観念的な思い込みをする勢力であり、そもそも議論などするつもりはないと言えるのではないのか。つい最近に時効を迎えてしまった朝日新聞支局を散弾銃で襲い、若い記者を絶命させた事件がまさにそれを物語っていると言えよう。

 ヒットラーという極右の怪物に対する徹底的なマイナス評価と、民衆としての反省をもしっかり進めてきた先進ヨーロッパ諸国でさえ、再び右傾化を警戒しようとしている情勢である。
 だのにわが国ときたら、あまりにも不感症過ぎるような気がしてならない。うだうだと戦争責任を曖昧化し、教科書で戦争をめぐる歴史的事実を歪め、再び国旗・国歌を教育の場に平然として持ち出す。そして、冷戦構造時に起案された法案をそのままのかたちで提起したり、平和憲法の九条改悪をテーブルに上げたりと。
 三島由紀夫が挑発した時でさえ、その非現実性をへらへらと笑ってやり過ごした自衛隊が、今その軍備の実稼動を勇み足で追及しようとしているような状況のどこが平和だと言えるのだろうか。経済危機もさることながら、言葉によるまやかしだけで実質的右傾化が想像以上に進んでいると思える。また、ちなみに、米国が日本の右傾化を警戒していると推測するのはとんでもない勘違いではないだろうか。米国学識者が指摘したとされる米国による日本の「新しい」植民地政策が指摘どおりだとすれば、米国が何よりも期待しているはずのものは、日本が軍事的パートナーとなれるための環境整備であるに違いない。有事法制化への第一弾となった「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」における、「自衛権」の「集団自衛権」への拡大解釈、「有事」の範囲を「極東」から「日本の周辺域」というあいまいな範囲として中東さえまで含む余韻を残す拡大解釈の合意は、確実に米国の軍事戦略に日本をパートナー化する意志を示しているとしか言いようがない。さらに言えば、米国軍部はこう言いたいのかもしれない。「これまで、安保条約で軍事的安全にただ乗りしてきた日本は、そろそろ親分の代貸(だいがし)役を果たしてもいいんじゃねぇですかい。カネさえ出せば最新の武器の調達は何とでもさせてもらいますよ」と。

 小泉首相は、ブッシュ司令官の良き軍曹だと揶揄されるが、これまでの首相でそうでなかった首相が果たしていたのだろうか。そうした政府の好意的、好戦的姿勢が、海上自衛隊幕僚に「出前持ち!」のようなイージーな働きかけをさせたのではないのか。いずれにしても、米国によるお墨付きの右傾化、軍事化が国民の楽観的想像以上に進展していることはほぼ間違いないと思われる…… (2002.05.07)

2002/05/08/ (水)  実態にそぐわない幸、不幸のイメージ流布を取り締まれ!?

 不況によるとばっちりで悩む人が多い。しかし、不況は結局のところ不幸な原像を増幅しているだけなのかもしれない。もともと不幸な時代であったにもかかわらず、金持ち喧嘩せずのたとえのように、まずまずの経済成長のお陰で見過ごしてきただけなのかもしれないのだ。不幸に蓋(ふた)をしてきたところが、この十年でパックリと取り外されてしまったと思い直すこともまたできそうな気がする。
 特に若い世代を傍観するとそう感じたりする。確かに、就職先がないとか、不況で父親の会社が倒産して悲劇に直面したとかという不況原因型の不幸も見過ごせないものではある。
 しかし、無責任に馬鹿騒ぎをしている世相そのものに、不幸感の種を生み出している原因がありそうな気もしている。「こういう人が幸せなのです!」と、幸せなんかに一度も触れたこともない連中たちの騒ぐ風潮が、抜け出しがたい不幸のイメージをつくり出しているようなことってないだろうか。また逆に、「こういう人が不幸なのです!」と、形式的にしかものが見えない臆病者たちが騒ぐ風潮で、不幸な影を背負わされたりするっていうことがありはしないだろうか。
 幸せの原点は、他人が介入できない主体的な、主観的なもののはずである。これを、最大公約数でくくり始め、やがて計量化できるものだと盲信し始め、さらに他者にもそうあれと言わぬばかりのあつかましさで、固定観念や先入観づくりに精を出しているのが現代だ。誰がどうだというのではない。常識を援護している現代日本の大半がそうだと言えよう。そうでなかった人がいたとするなら、すぐに思いつくのは漂泊の俳人、種田山頭火(たねださんとうか)くらいである。

 さすがに、最近のホームドラマでは家庭の矛盾、崩壊の色調を淡々と描くようになってきたが、当然のことであろう。サザエさんのような明朗快活ふうな幸せな家庭は、現代にあっては、どんな立派な人たちが集まっても(家族なのに集まるというのはおかしいが)、どんな馬鹿たちが構成員(これもヤクザみたいでおかしいか)となろうとも不可能だと宣言すべきなのである。今国会で、有事立法などより緊急特別決議してもいいくらいである。あの便所の百ワットのような「明るい」イメージを振りまけば、大半の家庭は居間の二十ワットの暗さになってしまうに違いないのだ。
 また、若者は「明るい!」といった誤解と偏見に満ちた文化の残渣一切を、もういないはずだけど「紅衛兵」にご尽力願って一掃すべきである。若い時代、青春が明るいワケがないじゃないか。高校生が、年寄りが求めるハツラツ甲子園球児のようであるワケがないじゃないか。そんな根も葉もないイメージを押しつけるから、せめて黒髪を明るく染めたりし始めるのではないのか。若者たちは悩ましさの絶頂なのだから、思う存分暗くてよいのだ。暗くなくてはいけない。山本圭たちのテレビドラマ『若者たち』ほどに暗くてそれでいいのだ。

 で、暗い難問と言われる「引きこもり」の問題である。大いに結構!若い人も、年寄りもみんな引きこもって、悩んで悩み抜いて、根の無い明るさを暴露しようじゃないですか。所詮人間は矛盾だらけで、悩みばかりで、そうそう簡単には百ワットなんぞになれないものだと知ればきっと何かが開かれるのかも……

 下記は、吉本隆明『吉本隆明のメディアを疑え』の中からの抜粋、参考資料なり。

「……しかし情報科学の専門家や、情報技術の応用開拓者は、先頭になって誤解を広めている。情報伝達の手段は発達すればするほど、有効さや便利さを増加させる。しかしその本質は『意味量』の増加を第一義とし『価値量』の増加は、それに付帯するに過ぎない。『価値量』を第一義に増加させるためには、ディスコミュニケーション、引きこもり、気も狂わんばかりの忍耐力がどうしても、必要になる。これは科学者から染物職人まで一向に変わらない。女性の憧れの職業である女優や女子アナや演歌の歌手といえども、舞台に出ているときより、暮夜ひそかに演技や話術や発声の修練のため引きこもっている時間が多くなければ、持続的な職業とはなしえないにちがいない。」
「わたしだったら逆に、大いに引きこもれ、と言いたい。この世に引きこもらないで専門的になり得るような職業は何一つ存在しないからだ。」
「わたしは『引きこもり』症候群に一括される異常や病気よりも『引き出し』症候群とでもいうべき技術文明と文化の方に精神医学者は注目すべきだし、その対処療法を準備しておくべきだとおもう。その方がますます重大な問題となることは目にみえているからだ。『引き出し』症候群は感染性も強く、また絶えず足元を侵す力をもっている。この症候群の人士で健常な家族を営み、健常な常識をもった人や内省力をもった人に出会うことは少ない。」 (2002.05.08)

2002/05/09/ (木)  「達磨さんが転んだ」のような悪事へのなだらかなスロープ!

 子ども時代に「達磨さんが転んだ」という鬼ごっこで遊んだ人は少なくないだろう。鬼になった子が、板塀などに向かって目を閉じ、「だるまさんがころんだ!」と叫び十までの数を数えたこととする。その数えている間に、鬼でない子どもたちは、板塀から十メートルほど離れた場所から鬼の子の背中に近づく。そして鬼の子の背中に触れることができれば鬼以外の子の勝ち、もし鬼の子が目をあいて振り向いた時に静止していなくて、移動中で足が動いていたら、その子は負け。というような遊びだったかと思う。「だるまさんがころんだ!」というカウントの仕方が早い子の場合は思うように進めず、身体がぎくしゃくしたものだった。小さな子まで交えてハラハラした楽しい遊びだった記憶がある。

 そんな楽しい思い出のある「達磨さんが転んだ」なのだが、最近の社会世相を見つめていると、奇妙な感じ方かもしれないが、この遊びの妙味がグロテスクなかたちで盗用されているように思ったりするのだ。悪人たちは、人の目を盗み素早く動き、静かに忍び寄る。目を見開いて凝視した時には、まるで静止してでもいたかのような醜いとぼけ顔をする。それが、遊びの中の幼い子であれば小憎らしくも笑っちゃうほどかわいいのだが、大の大人の悪人たちが演じればグロテスクとしか言いようがない。

 もともと悪とは、人の目に明瞭にわかる過激な逸脱であり、自分でもそれを承知して敢行する壮絶さがあったか。発覚時には、すべてを背負い込んで清算せんとする潔さもあったか。その心と行動の推移に、善悪は別とした決意、決断が見え隠れしていたかもしれない。何がしかの人目を引く輝きがあり、だからこの間違った鋭利な直線に魅力をさえ見つけてしまう日陰者も現れたのかもしれない。

 だが現代は完璧に違う。そんな悪人はTV時代劇『鬼平犯科帳』の中か、BS洋画『俺たちに明日はない』のような画面の中だけに押し込められてしまった。時代に野放しにされている似非悪人たちは、決意決断といった意を込める落差を避け、まるでなだらかなスロープを滑るように悪事を為す!死にもの狂いの抵抗、血しぶきやうっ血した形相といった過激な場面を伴わない、薬物などによる緩やかなスロープをゆくように運ぶ殺人。当の犯人でさえ、まるで病死か、安楽死か、自然死であったと思い込めるような殺人、保険金目当ての殺人事件のことである。
 また、当の政治家ですらうそにうそを重ねて往生際悪く回答しているうちに、自分の悪行がなかったかのような錯覚にさえ落ちているのではないかと思える信じられない乱脈。ムネオ議員の一連の漸次エスカレート所業のことである。
 とっておきは、政権政党が中心となってよってたかって打ってきた憲法九条の「なし崩し!」の大芝居であろう。国民が、地味な板塀に向かって目を伏せている間に、政権政党はジリジリ、ジリジリとこずるく動いてきた。自衛隊の規制事実化、靖国参拝敢行によるタブーの脱色……。国民が振り向くと、その脂ぎった厚顔は、何とも空々しく憎憎しく涼しい顔をしてきたことか。
 そして今、有事法制化によって憲法九条「なし崩し!」のスロープの最後を踏み固めようとしている。板塀に向かって目をふせるだけではなく、不況による辛さで気もそぞろとなっている国民の背に、軍国主義者たちの手がまさに届こうとしている。だいぶ痛んで色あせてもきたがそのニヤニヤ首相を表紙として最大限に活用し、軍国雑誌を粗製濫造でも一気に編纂してしまおうとする野望の完成が迫っている。

 思えば、「なし崩し!」スタイルは、あの「達磨さんが転んだ」の遊びに貫かれていた原理だった。そしてまた、青少年がイージーに悪にそまってゆくプロセスのスタイルであり、人が身を持ち崩してゆく経過のお定まりであり、平凡な人であっても悪癖を習慣化させてゆく道筋なのである。人間は、思い切った判断を必要としないゆるやかで、なだらかな変化のスロープを下って堕落してゆくに違いないのだ。
 高額商品のオプション的な漸次追加販売、消費者金融の割賦分割返済に無人化店舗、深層心理に忍び込ませるようなTVCMなどなど、現代は、人々に決断を保留にしたままでなだらかなスロープを辿らせる罠が至るところに張り巡らされているようだ。詐欺犯罪として摘発されるケースなどは、こうした風潮のほんの氷山の一角の出来事に過ぎない。
 小さな変化の中に隠れている「なし崩し!」路線の兆しを読み取る集中力と観察力がどうしても必要な時代である…… (2002.05.09)

2002/05/10/ (金)  言葉の耐えがたき軽さ! & 本日で当日誌一年間継続!!!

 「存在の耐えがたき軽さ」という映画(ミラン・クンデラ原作、1988年、米国)がだいぶ以前にあった。内容はともかく、この題名が極めて暗喩に富んでいたため記憶が残り続けた。今、思い出すと、思わず「<言葉>の耐えがたき軽さ」と言い間違ってしまう。それほどに現在は言葉が軽くあしらわれているように感じる。見る見るうちに軽くなってしまったものは多いが、その中で言葉もまたいろいろな意味で軽くなり、「耐えがたき軽さ」とさえ実感する人も多くなったのではなかろうか。
 言葉に関するこんな印象を、破格に振りまいているのが政治の領域であり、国会だと挙げなくてはならないのだが、これは実に情けないことだと思う。掲げた公約を平気で反故にする大多数の政治家、思わせぶりのセリフだけをハッタリとしか言いようのないかたちで繰り返す首相、国会や委員会で軽軽しく虚偽答弁をする議員や官僚、偽証罪さえ高を括って証人喚問などをなめてかかる政治家たち。言葉による「説明責任」の意義をいまひとつ認識できていない輩たち!法的拘束よりも道義的(=言葉への責任!)意義の重みを認め合う人種であるからこそ特権もあたえられている政治家たちが、街のチンピラ同然に法の執行がなければ恥も外聞もなく居直るざまは何たることかとあきれる。政治不信の亢進とは、取りも直さず言葉への不信以外の何ものでもないはずである。

 昨今の政治スキャンダルが国会で問われる際、週刊誌や新聞でのマスコミ報道記事が参照されることが目につく。マスコミなどの言論勢力が、自浄能力を失ってしまっている政治家たちの悪事を暴いている格好である。大衆の興味だけに迎合し、商業主義に埋没しないならば、大いに社会正義のために厳しい見張り役を果たしてもらいたいと思う。言葉を事実に繋ぎとめ、言葉の重みを回復させてゆくために言論界の果たす責務は大きいと言わざるを得ない。
 しかし、言論界、マスコミもまた、「<言葉>の耐えがたき軽さ」症候群を呈している現状に対して無垢な存在だなどとは信じられてはいない。不祥事を暴露された政治家などが、名誉毀損その他の損害賠償訴訟を起こすという事実が、ある側面を物語っていることになる。もし、マスコミが真実のみを違法性なく報道することに徹してきて、それが国民的周知の事実となっているなら、いかにあざとい政治家たちであっても、恥の上塗りにしかならない訴訟に及ぶことはないはずではないか。彼らを訴訟という反撃に至らせるのは、国民の中にもマスコミ報道の興味本位なやり過ぎや不信感がないとは言えない実情をしっかりとにらんでのことであるに違いないはずである。

 ところで、言葉の重みに影響を及ぼしているのは政治家たちやマスコミだけではない。言葉の比重が少ないマルチメディアにも注目すべきだろう。だが、いかにマルチ・メディアが人々の興味と関心を集めても、人間にとって言葉は不可欠であり、また最も精緻なコミュニケーション媒体であることにはいささかの変化もないはずだと考えてはいる。何千年の試行錯誤の実績と、何十年かの浅い歴史を単純に比較するだけでもそのことは妥当性を持つであろう。
 しかし、いかに長期の実績があっても、それがそのまま額面どおりに現代人に受け止められるかといえば、それは別の話となりうる。オオカミに育てられ言語から遠ざかったオオカミ少年を待つまでもなく、人間は育つ環境によっていくらでも変化しうる柔軟な存在でもあるからだ。言葉が軽視され、言葉がただただうっとうしい現実を増幅するだけの道具であり続けるならば、よりイージーで主観的な感性にフィットした感覚的メディアにその座を奪われてゆく可能性だって否定はできないはずである。
 どんなに言葉や言語の重要性を信じても、現代環境にマルチ・メディアが広がり、その活用範囲が増大してゆくことは自然ななりゆきであるのだろう。むしろ、そうしたメディアが、言葉だけでは認識できない現実を豊かに認識し、伝える役割を果たすものであってほしいと思う。

 ただ、言葉によって追求されることを恐れる欺瞞に満ちた勢力が、マルチ・メディアなどの現代環境を、言葉によるコミュニケーションを補うものとしてではなく、言葉に反するもの、言葉の敵として位置づけ活用してゆくことがあるとすれば、それはとんでもない間違いであるに違いない。すでに何万回となく報じられてきたように、あのナチズム、ヒットラーこそは言葉を単純化し、マルチ・メディアを最大限に利用して人類最大の悲劇を演出したことを、何度でも思い出してよいと思うのだ…… (2002.05.10)

 本日で、この日誌はまる1年間継続されたことになる。四百字詰め原稿用紙ならおよそ2,400枚の物量となる。もっとも、質は量に比例するはずがないので、自己満足の成果でしかない。どうということはないのである。
 ただ、この先どんな時代となり、また自分がどんな境遇を迎えるかもしれないが、この時期の世相と自分の思索や内面の一端が記録できたことは間違いないと思っている。
 この1年間は一日も欠かさずにこだわってきたが、今後は差し当たって三年間の継続を目標にしたいと願っている。何のために?そのくらいの量を重ねれば、少しは質的な変化が生じてくるのではないかという淡い期待である。歯抜けになることよりも、質が度外視され形式的なマンネリに陥ることがないよう心がけたいと考えている。

2002/05/11/ (土)  数少ない年間継続させた行動、若い時代の新聞配達!

 生まれてこの方、一年間継続してやり続けたことにどんな事があったかと考えてみるとそうあったものではないことに気づく。生きているのだから呼吸を初めとして食事や睡眠といった生理的活動を絶やさなかったことは間違いないところではあるが。
 あとはと言えば、大学受験浪人の前後であったか、アルバイトで新聞配達を継続させた。おおむね達成できたのだが、確か風邪をひいて一日、よんどころのない旅行で一日休ませてもらい年間パーフェクトではなかったはずだ。
 だが、思えば若い時代の年間にわたる長期継続という出来事は、よほど身体に刻み込まれるものと言うべきか、いまだにその新聞配達ルートを夢にみることがあったりする。

 私鉄沿線の、かなり都心から離れた新興住宅地であったため、購読者の家々は田畑をはさみ点在していた。そんな家々に三百紙近くを配達した。当然自転車では間に合わないのでバイクを使った。
 どうでもよいことだが、当初は、早朝であり、まして小さな町なのでなめてかかり無免許で疾走した。そして、全国交通安全習慣か何かの時だったのであろう、忘れもしない川越警察の早朝パトロールのパトカーと出っくわしてしまい捕まった。キップを切られ、川越警察に一ヶ月分のアルバイト料をそっくり罰金で納めたものだった。ツジモト元議員ではないが「なんでやねん!」と地団駄を踏んだものだった。しっかりと刻み込まれ忘れられないでいる。

 夢にみるのはそうした怨念的出来事ではなく、ありふれた場面である。安普請のマイホームがごみごみとひしめき合った一角、路地のような細い道にバイクを止め、二、三十部の新聞を抱え走りながら配っている光景。
 ところで、多分現在もそうではないかと推測するのだが、配達は『朝日』ならその一紙を配るわけではない。だいたい新聞店はスポーツ紙も含め数紙を販売・配達しているので、配達する者は出かける前に「順路帳」を見ながら配る家の順に応じて各紙を並べ重ねておくのである。
 いつも窓のカーテン越しにつけっぱなしのテレビの明かりが映り、その音がザーザーとなっている家があったものだ。『東京スポーツ』を一紙だけとっていた。野球好きのサラリーマンが、酔ってスポーツ・ニュースでも見ながら眠ってしまう毎晩をおくっているのだろうかと想像したりした。
 と言うより、こうした印象的な購読者がいると、配る順番に狂いがないかどうかのチェックになるのだ。テレビつけっ放しの家と『東京スポーツ』が合致していれば、そこまでの配達にミスはなかったということになるわけである。
 ところが、意外とミスが発生する。何と言ったって慣れても四時、五時の早朝であり頭はまだまだおねんねしている。急遽購読中止となった家に次の家に配る新聞を突っ込んでしまい、ボタンの掛け違いが続いてしまうこともままあるのだ。そんな場合は後戻りしてこれを正さなければならず、結構苦労をしたものだ。だから、テレビつけっ放しの家と『東京スポーツ』の合致や否やがひやひやものだったのかもしれない。しばしばこの光景が夢に出てくるのが、過去のこととはいえ何とも哀しい……

 この日誌でも、誰が文句を言うわけでもないのに、予定外の仕事で時間が押された日や、体調その他で一向に文章を書く集中力が整わない時、さらに何かの拍子で文章化することに嫌悪感さえ感じた場合など、小さなパニックを迎えることが時々あった。いつかまた、そんなことを夢にみる日があるのだろうか…… (2002.05.11)

2002/05/12/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (39)

 十一時を過ぎていた国電山手線は、ようやく乗客数が減り始めていた。初めて乗る電車に、海念は多少の戸惑いが隠せなかった。特に会話をも妨げる車両の放つ轟音がなじめないようである。海念の生きる江戸時代に、こんな音を放つものがなかったせいであろう。
「はい、品川に着きました。ここで乗り換えます」
「えっ、もうあの品川に? 歩けば一時(いっとき。およそ二時間)以上もかかる距離だというのに恐ろしく速い乗り物なんですね」
 神田、品川間をほんの十分少々の時間で移動できたことに海念は驚いた。
 二人は品川で降り、高架橋を渡り京浜急行のホームに向かった。保兵衛のアパートのある大森町まで行くには、途中、特急を利用することができた。しかし、保兵衛はあえて各駅停車を選んだ。
「この駅を出るとすぐにあの東海道の品川宿に沿って進行してゆきます。窓の外を目を凝らして見ていてください。夜景だからわかりづらいでしょうけどね」
「ほおー、そんなふうに走っているんですか。それは楽しみだ」
 各駅停車の車両にはわずかな乗客しか乗っておらず、座席は十分に空いていた。だが二人は、外をながめる目的で左側のドアのそばに立っている。
 やがて電車は、半円型をした重厚なつくりの八ツ山鉄橋に差し掛かっていた。
「海念さん、もうすぐ東海道品川宿にさしかかります。ほら、左側一帯の家並がここよりも低くなってるでしょ。江戸時代には海だったからです。あの赤い光が見えるでしょうか。火力発電所の煙突なんですが、あの方向にわたしは子どものころ住んでいたんです」
「信じられない光景だ……」
「さあ、今度は右側に移りましょう。当時は東海寺の境内であったあたりの変化がうかがえますから」
 電車は、品川宿の始まりとなる旧東海道と斜めに交差して進み、やがて静かでつつましい北品川駅に止まった。ホームには人影もなかった。
「前回海念さんがこちらに超越してきた時、ほらあの赤坂見附であった時ですよ。あのころのわたしは、この駅から高校に通っていたのです。もう随分昔のことのように思えますが」
 動き始めた電車は線路際まで迫るように密集した人家を通過しながら、やがて次の駅、北馬場駅に近づいていた。
「海念さん、この家並の切れ目の踏み切りで小高い山が見えるからよく見ていてください。今は品川神社となっていますが、その山の向こう側が東海寺だったわけです」
 電車は北馬場駅直前で、遮断機が閉まり警報音が鳴る踏み切りを通過した。その踏み切り通過の一瞬、この時刻でもクルマの往来が激しい京浜第一国道がのぞけ、その向こう側に、国道に面した小高い山が仰げた。ほどほどの樹木で覆われた山であり、富士を模した地肌の頂上が目に飛び込んできた。正面には大きな鳥居の構えがあり、神社へと通じるやや広い階段が上方へと消えていた。一瞬の間ではあったがそれらの光景が二人の目に映るのだった。
「ここがあの場所なんですね……」
 ホームに停車している間、二人はドアのガラス越しに品川神社方向に黙って向いていた。駅の建物で陰となりその光景が見えなくなっていたにもかかわらず、見つめ続けているのだった。恐らく、二人はあの沢庵和尚が健在だったころ、自分たちがまだ十歳ほどの子どもであったころの輝く鮮明な光景に向かって、はるか視線を投じていたに違いない。
『叶うものなら、もう一度あの時に戻ってみたい……』というそんな言葉を二人がともに押し殺していたのかもしれない。
 人影がなく閑散としたホームを出た電車は、ほどなく目黒川の鉄橋を渡っていた。
「海念さんの実家はこのあたりのはずでしたよね」
「そうかもしれません。親不孝なわたしは、出家以来うちには戻っていないのです。母上も妹も健在であることを祈るだけです……」
 静かな口調でそう言った海念だったが、やや沈み込む気配が保兵衛を心配させた。
「海念さん、どうかしたんですか?」
「いや、超越酔いとでも言うんでしょうか。禅僧がいまさら口にするのもとんだ御笑いですが、人間の生のはかなさや無常が込み上げて来たようなんです。出家当時のこと、それ以前の父上とのこと、そして沢庵和尚のこと、みんなあっという間に過ぎ去ってしまった。そして今、時空を超越しているこのわたし自身も、尋常ならば三百年も以前にとっくに露と消えているのですからね……」
「海念さん、超越酔いには下腹に手をあてて、深呼吸しましょう。いいですか、ひとーつ、ふたーつ…… ふっふっふっ」
「何と、それはあの時のわたしのせりふじゃないですか。はっはっはっはっ」

 零時近くなった大森町の駅前商店街は、すでに多くの店がシャッターを閉めていた。
 保兵衛と海念は、かろうじて開いていたラーメン屋で熱いラーメンをすすってからアパートへ向かった。管理人部屋を改造したような入り口に面した小さな部屋が保兵衛の部屋だった。
「こんなところに住んでるなんて驚いたでしょ。前に住んでいた住人も貧乏学生で、四年間ずっと住んでいたと聞いた時、何て辛抱強い人なんだと思ったりしたもんだ。だけど、どうもわたしもそうなるような気がしている」
「それでいいんですよ。雨露がしのげて、睡眠がとれればそれで十分じゃないですか」
「そうだよね。さてと、コーヒーでも入れましょうか」
 保兵衛は玄関の外にしかない水道まで水差しの水を入れ替えに行った。ついでに、催涙ガスのなごりでまだ異物感のある目を十分に洗った。顔を拭きながら戻った時、海念は天井付近に掲げた大きな帆船の写真をしげしげと見つめていた。
「白くてきれいな船ですね。何か下に記してあるようだけど何と書いてあるんです?」
「英語といって外国の言葉なんだけど、意味は、『人生をたった一つの希望(hope)に託してはいけない。あたかも、船舶をたったひとつの錨(anchor)に託してはならないように!』ということでしょうか。何だかちょっと気に入り始めている言葉なんですよ」
「ほおー、意味深い感じの言葉ですね……」
「いろんなことを暗示しているようです。真面目な人ほど一途に思い込みがちですよね。わたしが真面目だというのじゃありませんよ、一般論としてね。力を集中して事に当たることは重要であり、それでこそ十二分に持つ力を発揮できるとする考え方もわかります。日本人はどちらかといえばこうした傾向が強いのかもしれない。
 これに対して西欧という海外では、人生を実際的な行動を軽視しないで考えているのでしょうか、あるいは現実的に対処しようとしているのでしょうか、常に代替案という、本命の案や願いなりが崩れ去った時に備えた別の案や希望を持つことを勧めているようです。とっかえひっかえ思い込みの対象を替えていってしまう移ろいやすい人にはお勧めできない言葉ですが、たぶん海念さんには適した言葉なのかも……」
「……保兵衛さんのおっしゃりたいことがわかります。由井正雪先生に関することですよね。」
 保兵衛は余りにも的のど真ん中を射抜いてくる海念の洞察にドキッとするのだった。ポットで沸いた湯をコーヒーカップに注いでいたその手が一瞬止まるほどであった。
「さすがに海念さんは鋭敏だなあ…… ここでなら何を話しても大丈夫なので、早速わたしがこの一、二年の間心配し続けてきたことを聞いてください。」
 コーヒーカップを海念に差し出しながら、保兵衛がそう口火を切った。
「保兵衛さんがわたしを心配してくれている理由がそこにありそうだということは薄々気がついていました。夢が知らせてくれていたようです。」
「夢って?」
 海念は、自分が内藤新宿で見た夢を、思い起こせる限り詳細に保兵衛に説明するのだった。
「そんな奇妙なことが実際にあるんだ。ほぼそのとおりなんですよ。単刀直入に話します。ところで海念さん、海念さんの時代では今年は何年なのですか?」
「なぜでしょう?慶安三年の年が明けたところですが」
「やはり。もう一刻の猶予もないということなんだ。由井正雪は、慶安四年(一六五一年)の七月、幕府転覆の謀反企ての咎(とが)で役人の追手を受け、郷里駿河へ向かう途中、追手に囲まれた宿で切腹自害に追い込まれています。そして、丸橋忠也ら主だった門下生が鈴ヶ森でただちに処刑され、さらに連累者二千名以上が咎めを受けたとあります。後世には、慶安の変、由井正雪の乱として初期幕府時代の一大事として伝えられているのです。それが来年の夏のことなんですから。」
「…………」
 この目前に迫っている冷徹な歴史的事実を宣告のように耳にして、海念は堅く目を閉じ、やや青ざめた表情となるのだった。
「わたしが心配しているのは、もちろん海念さんのことです。かねてから幕府に対して言い知れない思いを抱いているに違いない海念さんの人生以外ではありません。もはや、そのこと以外の事実はすべて動かしがたい歴史的事実となって凍りついているのですから…… 海念さんは、由井正雪に近づいてはいけません。幕府の御政道批判を行い、浪人たちの信望を集めている由井正雪に魅了され、つまらない犬死への道を絶対に選んではならないということなんだ」
 海念は、保兵衛をまねるように砂糖もミルクも入れないコーヒーを淡々と口にしていた。鋭い視線は壁にむけられていたが、もはや心ここにあらずといった茫漠とした気配を漂わせている。やがて、ぽつりと呟いた。
「やはりそうだったのですね……」
 保兵衛はコーヒーカップを持ったまま黙って、心配そうに海念の顔を覗き込んだ。
「保兵衛さん、ご心配かけて申し訳ありません。今のわたしは、あの絵の言葉のようには別の錨を見出すには至っていません。しかし、由井正雪先生に託しかけた思いが、わたしの心の中で既に終わっていることだけは自覚しています。たぶん、後世の方々も検証されているのでしょうが、正雪先生にわたしは人格の破綻を見て取っています。幕府にそこまでつけこまれ、利用されることになるとは想像外でしたが、事を成就する者としての人格のあり様が沢庵和尚とは比較にならないと感じていたのです。」
 これを聞き保兵衛はほっとした表情で醒め始めたコーヒーを飲み干した。
「それで、海念さんは今、軍学塾とはどのように関わっているのですか?」
「ええ、そこなのですが…… 実はいまだに関わっています。今日も出向く途中でした。それというのは、親しくしております正直なご浪人二人のためなのです。そのお二方は、正雪先生へのわたしの懸念を申し述べてもなかなか同意してもらえないものですから……」
 海念は、気の置けない中村小平太と諏訪十三郎への気掛かりと、知り合うこととなった一連の事情を、保兵衛に順を追ってすべてを話した。
「そうかもしれませんね。浪人たちにとって、由井正雪の存在は、溺れる者は藁をも掴むの心境であるに違いありません。それこそ、ほかに何の錨も見出せない実情なのでしょうね。そんな現実こそがこんな老獪な幕府による罠を着々と進行させてもいるのでしょう。長い目で見れば、浪人という立場よりも、武士というあり方自体が不自然さを深めてゆくのですけどね。その錨が見えてくるのはずっと先の話ですが……
 この事件については後世でもいろいろと推理されています。わたしはどうも知恵伊豆こと松平伊豆守信綱が後で糸を引いていたという説に強い関心を向けています。事実関係としても、この事件の後、由井正雪らの謀議を密告した褒賞として知恵伊豆の家来三人が御家人に取り立てられているのが目を引きます。
 おそらくは、幕府にとって危険な四十万人ともいわれる浪人たちと、これまた幕府にとっては煙たい存在である紀州公と抱き合わせにして牽制するといった、知恵伊豆ならではの謀略だと思えてならない。しかし、とびっきりの謀略だけに当然のごとく証拠が残されていない。せめて老中松平伊豆守信綱の具体的な言動の一端が掴めれば、そのお二方に目を覚ましてもらう説得材料になるんでしょうけどね……」
「…………」
 一月半ば過ぎの深夜はやはり冷えた。保兵衛は、安物のウィスキーを押し入れから取り出し、お湯割りを二つ作った。琥珀色の湯から湯気が立ち上り、甘いアルコールの香りが部屋に立ち込めた。
 と、その時海念がまたまたぽつりと呟くのだった。
「明日、あの品川神社あたりを見物してそこから江戸時代に戻ることにします。その際、幕府膝元の東海寺に寄ればひょっとしたら何か情報が掴めるやもしれません……」 (2002.05.12)

2002/05/13/ (月)  変化、変革というが手放しで賞賛してよいのか?

 パソコン・スクールか何かのTVCMである。元プロボクサーのガッツ石松がパソコンの前でいらついて「昔は汗と体力で十分にやってゆけたんだあー」とか言って癇癪(かんしゃく)を起こすと、その脇にいる娘であろうか、醒めた口調で「時代が変わったのよ」と対応するものがある。

 誰もが耳にして口にする事実である「時代が変わった」なのであるが、何がどう変わったのかについては、たぶん人さまざまに異なって受けとめているのであろう。また、「冗談じゃねぇや。入れものや外見は変わろうと、人間さまちゅーもんは何ひとつ変わってたまるもんかい!」と威勢よく啖呵を切るお年寄りだっていらっしゃるに違いない。
 さらにまた、変化した現代を、言ってもせん無きことと知りながら昔がよかったと語る人もいれば、その逆もまたあるに違いない。

 しかし、いずれにしても誰もが知らないのは、どこへ向かってどこまで突き進んでゆくのかという肝心なことがらと、その速度はどこまで速まってゆくのかという点ではないかと思える。さらに、時代が進む中での変化の結果としての現代的なものは、暗黙のうちに良いものと受けとられがちである。変化を推進すべき変革と言い換えている場合はまさにそれであるが、果たしてそう簡単なことなのだろうか。その根拠は何なのだろうか。
 保守的になろうとするつもりや、まして過去を望郷する反動的姿勢をとるつもりは毛頭ない。だが、変化を盲目的に是認するかのようにさえ見える場合、走りながら考えるよりも、留まってじっくりと考えることを選びたい時があったりもする。

 この不況の中で、弱肉強食のスクラップ&ビルドがいたるところで展開し、状況の変化がさらに増幅されているような気がしている。たぶん、この弱肉強食の傾向は、市場の論理の破綻が現実化するまで暴走してゆくのであろう。この暴走が、日本社会に残った弊害でしかない古い悪癖を同時に除去することも期待はできよう。しかし概ね、今後の時代の変化とは、市場主義の暴走によって撒き散らかされる変化だと予想しておいた方が間違いなさそうだ。

 ひょっとしたら多くの人は、現代における激動の変化の原因が技術環境の発展によるものと感じているのかもしれない。確かにそうした側面があることは事実であろう。ケータイ電話の普及が、社会の人間関係に及ぼした影響は計り知れないものがあると考えられる。それは、家庭や学校や会社という集団組織からの個人化を際立って推し進めたと観測できる。
 しかし、技術やその成果の普及は白紙の環境の上で野放しに展開されるわけではない。既存の社会のさまざまな条件の上で展開するのである。技術環境は、そうした既存の環境の良い点や矛盾を拡大・増幅するだけだと考えた方が自然だと思えるのだ。それは、パソコンやインターネット環境の活用が、すぐさまその人をハイテク・エリートに変貌させないのと同じである。悪事への関心を持ってきた者にはより大きな悪を為す道具を与えるのであるし、善意の志を持ってきた者たちにはそれを効果的に達成するパワーを与えるのが技術環境というものであろう。現に、ハイテクやITは、平和と戦争の両面で利用されている現実を見てもわかることだ。技術環境以前の、人間とその社会関係の現実のありさまが、少なからず問題だと言わざるを得ないのである。

 技術の発展が著しい現代の日本の過激な変化が、手放しで賞賛できない理由は、まずは現存政権を初めとして、変化を推進しようとする勢力に対する国民的信頼が乏しいことにありそうな気配である…… (2002.05.13)

2002/05/14/ (火)  深まりゆくのか<孤立化と不信>の時代?!

 先日、近所を散歩していた折にちょっと考えさせられる場面に遭遇した。
 歩道を歩いていると、前方で若い二人連れが立ち止まってすぐ脇のビルを見上げたり、自分の肩を見つめたりして会話していたのだ。片方の女性が、ビルの上から降ってきた水滴を身体にうけたようで、連れの者に訴えているのだった。「そんなに気にすることないじゃないか」「そうじゃなくて、降って来たものが何なのかが心配なのよ」といった会話であった。確かに、歩道のアスファルトに何かの液体が降ったかのような濡れた跡が見受けられた。わたしが通り過ぎたあとも、振り返ると二人してしばらく上を見上げたりして不審そうな動作を続けていた。
 今、若い人たちの間には、他人に対する神経質なほどの不信感が醸成されていると感じさせられた光景だったのである。彼女の不信感の中では、サリンとまではゆかないにしても、物騒な薬物に始まって、悪意に満ちた液体のいろいろが想像されていたのかもしれない。年配の人なら、洗濯ものや植木に関する水とでもすぐに想像するであろう事態に、おどろおどろしい想像の背びれ尾びれが付いてしまう時代なんだなあ、と思えた。

 つい先日も、ラッシュアワーの電車内で護身用スプレーが噴射され、無関係な周辺の乗客十何名かが気分が悪くなるなどの被害を被ったニュース沙汰があったようだ。加害者は、車内暴力にあったため反撃したそうだ。
 新聞報道によると、最近は物騒な社会に怯えて、こうした護身用スプレーを携帯する若者が増えているそうだ。ナイフを持つというのは所持品検査時に具合が悪いのに対して、かわいいサイズのスプレーならというのだろうか。コミュニケーションが苦手で、孤立した若者たちが物騒な時代に怯え密かに常備しているそうである。
 車内暴力で死亡者も出ているご時世なので、まんざらわからないわけではない。だが、使う場所の適不適も判断できないほどにパニックになっていたのかとか、公衆の面前なら別な対処法がなかったものかとかの思いに至り、やややりきれない心境になったものだ。
 見て見ぬ振りをする公衆が問題視されているが、年配の世代は、そうして眠る公衆にまだ望みは捨てていないような気がする。悲観的な公衆に対しても、それでも働きかけようとする何かが残っているかと思う。しかし、そうではなかったようだ。
 ここに浮かび上がってくるのは、予想をはるかに越えて孤立し、現代の外界に怯えているそんな若者の姿であるのか。
 何が襲いかかってくるかしれない不気味な社会であることは誰もが承知している。しかし、それにしても「青年は都市に集まる」と言われてきた若者たちが今、誰の想像をも超えて変化しているようだ。確かに、怯えはともかく、駅などの公共的な場での、若い人たちの他人に対するかたくなでとげとげしい様子と行動は注目に値する。どうも、公共の場という、見ず知らずの他者と向かい合うことに圧倒的に不慣れでありそうだ。車内で、何食わぬ顔で化粧直しをする女子高校生なども、この不慣れによると考えてみれば一応の納得もできる。

 事実を事実として受け止めてゆくなら、他人を信頼しなさいなどとは言えないほどに無法状態のような連日が続いているようだ。誰彼かまわず、騙せる他人は騙して得をするといった悪い連中も目につく。まさに急激に物騒な時代に突入した観がある。
 イギリスの社会哲学者の言葉に「万人の万人に対する闘い」(T.ホッブス、16〜17c.)という有名なものがある。文明社会のスタート時に、人間社会の原初の姿として表現された言葉なのである。
 現在のわが国を見ていると、こんな言葉を脳裏に浮かべてもみたくなるほどに荒れ放題な気がするのである。上記のような若い世代は、孤立の中で偏った心境に追い込まれていると思えるのだが、彼らが過剰に心配性となっている不気味な社会の一端は確実に現実の中に芽生えていることは否定できないだろう。
 おそまつな政治のせいにばかりするつもりはないが、今さらのように、社会哲学なんてものにさらさら縁のない政治屋たちに社会を任せておくことが、どんなに人々を苦しめる結果となるかに思いが向かってしまう…… (2002.05.14)

2002/05/15/ (水)  アメリカ陸軍でさえ、従来のピラミッド型組織構造の抜本的見直しに着手!

 現代の変化のその著しさを感じさせられるものはいろいろあるだろう。
 ほんのしばらく前まで存在し自分も利用したことのある店などの建物が壊され更地(さらち)と化したり、想像もできなかった新たな業種の斬新な建物が建ったりするような昨今しばしば目にする地域事情にも、経済の著しい変化が感じさせられる。どっぷりと従来の地域経済に根ざしてきた名門企業が、わたしの住む町田でも次々に倒産している状況のようだ。
 また、現代の変化の著しさは、人間関係の中にも色濃く反映されているようだ。ついこの前まで、豊富な人脈と経験で羽振りをきかせていた自営業のご主人が、パソコンとインターネットを駆使する息子さんと、ガラリ指示関係の立場が取って代られたような場面である。一般企業でも、製品知識と得意先情報を自慢にしてきたのにパソコン音痴である部長たちが、部下たちに肩身を狭くしていた実情はついこの間まで続いてきたはずである。たぶんこのリストラでその居心地悪さも清算されてしまったようだが。
 こうした変化は、何も仕事の業務に限らず、家庭内でもその種の権威転倒劇があったに違いない。まして、自営業とは異なって、仕事の場で発揮されたであろう父親の権威などは、家族には見えるはずがないのだから、父親株はゼネコン株同様にいわゆる額面割れの長期「続落」傾向をたどってきたのであろう。

 時代変化とともに激変するのが、人間関係、とりわけ企業などの組織のあり方なのであろう。ただし、これが諸悪の根源だとは誰もが気づいているはずの「聖域(?!)」、旧態依然とした官公庁の官僚主義組織だけは、相変わらずの例外となり続けているようではあるが。
 今、これまで近代・現代の大組織が右に習えしてきた組織原理、「ピラミッド型」組織の原理が大きく見直しをかけられているようである。
 これまでもビジネス界の先端では、いわゆる組織のフラット化、中間管理職はずし、組織内のネットワーク化などと呼ばれた大胆な組織改革が敢行されてはきた。「上意下達」や「稟議」制度などが、いかに激動とスピードの現代社会にあって「鈍行」に過ぎるか、コスト高に過ぎるかの反省に立って変革されてきたのであった。

 現代的生産組織(ビラミッド型組織)の創始企業とも言える米国フォード社が、今、「逆ピラミッド型」組織への変革を始めたこと、また、「ピラミッド型」組織の典型であった軍事組織を、アメリカ陸軍は抜本的に見直し、最前線の兵士に情報端末を配備し、戦場の状況に応じて兵士が自らの判断で動く部隊を編成するといった大変革に着手していることを、「NHKスペシャル・変革の世紀」(5/12)は報じていた。
 民間の生産現場では顧客の動向が、また軍事の現場では敵の動向が、従来とは比較にならないほどに激変と急変の対象と化していることが大きな動機となっているように思われた。そして、それらの存在にタイムリーかつスピーディーに対応してゆくには、はるか離れた上層の指令部門からの指示・命令を待つのではなく、最前線の現場担当者が適切な判断を下すべきだというのが基本的な方向のようである。
 そのために、現場担当者にタイムリーかつスピーディーな情報が提供され、彼らの判断と行動が支援される組織構造が模索されているのである。
 現場担当者が情報を与えられても機敏な判断がどこまで可能なのかといった疑問も生じはするが、すべては現場から始まる!といった原点に返ろうとしているのが何よりも興味深い。

 これらの激変する時代への先端的対応を見聞すると、中国・瀋陽の日本総領事館で発生した難民駆け込み事件は、いかにも旧態依然とした日本のピラミッド型官僚機構の時代遅れをまざまざと見せつけられる思いがしてならない。
 片方では、「有事」だとかの言葉を持ち出しているにもかかわらず、東アジアの現時点での状況認識が消し飛んでいる実態が透けて見える。治外法権問題やら、難民保護条約やらの問題以前に、目の前で起きている事実の意味がわからなかったという領事館現場を生み出している点にこそ厳しい関心を向けるべきだろう。
 現在の政権担当者および官僚機構にあぐらをかく者たちは、自分たちの認識能力やセンスが、猛スピードで進行してゆく世界の現実をとてもフォローできないことを、どの程度察知しているのだろうか…… (2002.05.15)

2002/05/16/ (木)  現代の急激な変化はどこからきていると考えられるか?

 現在、誰もが関心を向けざるをえないテーマのひとつが、「変化」についてであることにそう異論はないはずだ。今週は、この「変化」という問題に焦点を合わせている。
 ふと、いまさらのように現代における変化の異常な激しさに思い当たったのである。
 子ども時代から、青春時代にかけて、いつも心に漂っていた不満があった。毎日毎日が代わり映えせず変化に乏しい緩慢さそのものに対してであったことを思い起こす。だから、何か世間が騒ぐような変化があったりするとわくわく、いきいきとしたものだった。自分は、激動の時代でこそ水を得た魚のように生きられるんだと、気負ったりしたものだった。

 ところがどうだ、今は正直言って、このドッグ・イヤーの過激な時代変化に目を白黒させている。何を隠そう、ありふれたといえばありふれているこの問題に目を向けたのは、ふと、この変化はもはや常人には追いつけないそんなスピードのものかもしれないと何気なく感じたからだった。
 前述のような気負いがあったから、まず、『どんな変化だって咀嚼してやるさ』という所信表明はあり続けたのである。が、思いのほか長い不況でボディーブローを食らい続け、おまけに歳も、若さが誇れない四十をやっと越えてしまった(うそ!)。体力を気遣う歳となると、いきがっている姿勢と姿勢の繋ぎ目で、不用意に暗黒の隙間に落っこちることがあったりするのが怖いところだ。そんな場合には、こんなことを考える……

『現代の変化は、現在と過去に慣れ親しんできた人間には、決して尻尾を掴ませないそんな速度と加速に仕上がってしまっているのかもしれない。スピード<パートU>となってしまったのかもしれない。
 空間と時間は無限に分割できるため、亀を追いかけるアキレスは、亀までの距離の二分の一を必ず通過するのだから、永遠に亀に追いつけない!としたアルキメデスの説のように、現代人は、現代の変化に絶対追いつけないのではないか。
 少なくとも、いやー参った、初心に返って一から出直そうなんてのん気なことを言うのはダメだ。昔は良かったのになあ、なんて振り返るのはもってのほかだ。ひょっとしたら後ろ髪を引かれる原因となる<記憶を持つ>こと自体を廃棄しなければならないところまできているのかもしれない。少なくとも、過去の失敗や恐縮の至りをうだうだと思い出すようでは<日暮れて道遠し>なんだろうな。
 ウム、記憶はともかく、知識詰め込み型ではとうてい歯が立たないのは事実だ。知識を積み重ねても、出来上がるものは整合性のとれた<過去>なのであり、変化によって持ち込まれる未来ではないだろう。マーケット・リサーチや統計が人気を失っているのを見ればわかる。
 積み上げ教育、積み上げ思考から、問題解決型思考へと百八十度転換しなければならない、と考えてみよう。その際、何を問題と定めるか、問題設定するかこそが問題なのだ。 問題設定とは、仮説設定と言ってよい場合もあろう。つまり、変化の跡を、地息(じいき)をかぎまわる犬のように追いかけるから挫折するのであって、変化を先回りして待つようにすればよいのだ。その地点まで、問題設定=仮説設定で一気に跳ぶべしなのだ。
 が、どんな方法によって跳ぶのか? それが簡単にわかれば、こんな妄想にとりつかれることはないよなあ……』

 では現代における高速の変化がどこからくるのかという問題になる。
 市場における顧客ニーズの変化への迅速な対応が必要となったからとも言える。ではその顧客ニーズの変化とはどこからくるのか。
 ソフトウェア技術の激変する動向を鳥瞰してきて気づくことは、現代ではそれらの技術開発が巨大な組織やプロジェクトによって効率的に推進されているという事実である。ウィンドウズにしてからが、マイクロソフト社における何千人という技術者たちによる巨大プロジェクトで分業開発されたものである。そして、同社はこのウィンドウズ上で可能となるさまざまなソフトを、グローバルな規格づくりを促進するような動機を伴い、極めて短時間で矢継ぎ早にリリースしてきた。
 ソフトウェアは、いや現代のさまざまな新技術、新製品はもはや個人的天才の営為によって生み出されるのではなく、巨大組織が開発工程を水平分散的に分業させて時間を圧縮することで生み出しているものだと見てとれる。個人の営為では十年、二十年かかるところを一、二年に圧縮してリリースしている理由であろう。

 こう考えると、現代の個人が現代の変化の激しさ、時間経過の高速化を、太刀打ちできないように感じる疎外感は当然の結果なのである。現代のさまざまな急激な変化の陰には、個人の能力では到底立ち向かうことのできない巨大な組織のパワーが潜んでいたからだと考えられる。(いまひとつ、インターネットなどに象徴される世界同時性という新要因が変化を加速している点も考慮できるであろう)
 こうした事情は、技術や製品の変化に限らず、株価変動の陰での機関投資家の動き、政治的変化での大政党の意向、世論の変化におけるマスコミ(⇔ミニコミ)の動きなどなど枚挙にいとまがないはずであろう。
 過激な変化を眼前にした個人のうろたえとは、実は個人と巨大組織との際立った対照から生じたものだったと言えるのである。さて、どうしたものであろうか…… (2002.05.16)

2002/05/17/ (金)  全国のまともな勤労意欲を持つ人々は思索し、模索していること!

 最近の若い女性は、彼氏を選ぶ際に、兄のように頼りになるけれど操縦しにくい男性よりも、弟のように何でも自分がイニシアチブがとれるこを望む傾向があると聞いたことがある。なるほどなあ、と感じた。自意識が強くなった時代では、男女の区別なく誰だって自分のイニシアチブを重要視するはずである。世の中の「変化」という現象についても、このイニシアチブという視点で考えてみることができそうだ。

 変化には、自分の側の変化あるいは自分側から外界にもたらす変化と、外界の変化あるいは外界がもたらした変化とを想定することができる。そして、変化について考えるとは、思いがけない変化、「そんなこと聞いてないよー」と言いたくなるような、自分が蚊帳の外に置かれたようなかたちで被る変化について考えるということのはずである。自分が気づいている自分側の変化や、自分が関与して生じた外界の変化にいぶかしげな目を向ける者はいないであろう。
 ところで、この思いがけない変化に対しての対応としては二通りあるかもしれない。ファッションの流行に対するように、速やかに迎合してゆく場合がそのひとつである。これはさっぱりとした対応であって特別思いをめぐらす余地も必要もない。いや、あまりにも急激な変化だと迎合したり、慣れたりすること自体に骨が折れ大変だという問題は残るかもしれない。パソコン時代という変化に対してついてゆけないという場合はこれかもしれない。
 もうひとつの対応に注目してみたい。たとえば、中小零細企業は、大手企業が出荷製品などの変化のトレンドを牛耳っている現状に対して、やるせなさと悔しさを噛みしめていると思われる。自分たちが蚊帳の外に置かれているようなトレンドの急変に、さてどう一矢報いて対処できるのかと思いわずらわされているのではないか。
 変化の激しさから受ける疎外感の根っこには、個人が対抗しがたい巨大組織の存在、さらに言えば巨大組織から受ける疎外感がありそうだと、昨日述べた。この点をより強烈に受けとめているのが、こうした中小零細企業だと言えるだろう。急激な変化に翻弄されることとは、とりもなおさず大手大企業のイニシアチブに翻弄されることにほかならないからだ。そして、この図式に変化をもたらしたいと中小零細企業家たちは願っているはずなのだ。
 外界の変化に迎合してゆくのもひとつの手ではあろうが、中小零細企業の手によってトレンド変化のイニシアチブをとってみたいと望むのは、あながち荒唐無稽な夢ではないと信じたいし、その可能性を探ることがこのような不況の中で今非常に重要な問題のように思われるのである。

 小が大に先んじて変化のイニシアチブを握る可能性が、現代にどう残されているのだろうか。それというのも、つい先ごろまでは、小さなベンチャー企業がもてはやされたり、小回りがきかない巨大組織が問題視されていた。一見、逆転劇が可能な時代であるかのようなムードさえあった。
 にもかかわらず、このグローバリゼーションの過程で、世界ランキングを争うような銀行合併が推進されたりして再びビッグスケールが目指されているようでもある。また片方ではベンチャーの不振や、中小零細規模の企業の苦境が伝えられたりもしている。どうなっているのであろうか。

 まるで床上浸水のように、背丈の低い企業から水没させてゆくことしかできない現行政治の貧困を嘆いてみても始まらないだろう。企業献金など、大企業との癒着構造を持つ政権と、産業構造の変化に後追いしかできない行政機構に望みを託すことほど虚しいことはなかろう。この点は、無能な存在に過剰期待をしない道を選んだNGOや、NPOに集う人々の賢明さを見習いたいと思っている。
 とすれば、親はなくとも子は育つ可能性を身をもって証明してゆかなければならない。 考え直してみれば、高額納税者の上位に、消費者金融とパチンコ業が名を連ねる代わり映えのしない経済状況であるのだから、逆に健全なターゲットが手つかずに掘り起こされてはいない、と読むことも不可能ではないのかもしれない。
 大手企業が決して参入できない市場ターゲットであり、くめども尽きぬニーズの宝庫でもあるそんな対象と生業を、全国のまともな勤労意欲を持つ人々は思索し、模索しているはずである…… (2002.05.17)

2002/05/18/ (土)  作り出された「変化」にまで過剰反応することもないか?!

 今週は、変化に翻弄されているかのようなあせりにも似た漠然とした感覚を基点にして、ああだこうだと考えてきた。変化に乏しい退屈さにも耐えられないものがありそうだが、現代のような目まぐるしい速度の変化は、正直言って居心地が悪いというのがホンネであった。だから、手放しで賞賛してよいのか?と斜に構えてもみたのである。
 いろいろと思いを巡らせてみると、現代の変化は、その速度に異常さがあるだけではなく、変化の内容や、変化を推進する仕方と推進主体に問題が潜んでいるような気配を感じている。
 後戻りしない、時代の本当の変化とは個々人の間を水がしみわたるように広がってゆくといったイメージを持つものであるように思う。個々人が自然なかたちの欲求や必然性を感じながら、納得しながらじわじわと伝播してゆく変化こそが変化の名に値するものだと言えそうである。
 どうも現代の、わが国の変化は、<やらせ>のような押し付けがましさや、また個人側での乗り遅れまいとでもするような<強迫観念>とによって増幅されているような気がするのである。
 流行音楽などでは、プロモーション側が過激な宣伝のみならず、大量のCDを自前で購入するといった裏わざまで発揮すると聞く。こうした過剰な<バンドワゴン>効果の追求は、米国でのインターネット普及、IT技術推進でも同様の根回しの動きがあったと耳にしている。
 つまり、現代の変化は、演出された変化、変化推進を望む巨大勢力による作り出された変化という色調が濃厚だと言えるのではなかろうか。決して、自然な伝播などではないのである。だからこそ、その変化に馴染めない者、いらだちと不快感を抱く者、さらに拒絶しようとする者も生まれがちなのであろう。
 そして、こうした意図的に持ち込まれた「変化」というものは、影響が低減したり消滅することも早く、時間の後戻りさえ起こすように見える。米国でのITに関する過剰な宣伝、IT革命などと空々しく持ち上げた日本政府、そしてITバブルとその崩壊。これらは、人々の興ざめをもたらし、IT不況の結果に行き着いた。リアクションは確実に生じたのである。

 以前、パソコン・ショップのお客さんに、町田駅前の英会話の講師を務めていた英国人がいたが、彼らのPCへの関心は実に実際的で質素なレベルであった。安い中古パーツ購入に長時間の吟味を加えていたのを思い出す。しかも、自分のPC活用実態にしっかりと根ざしていた。派手にハイエンドのパーツ構成に高額をはたくガキくんたちと較べようがなかった。ショップのお客さんとしては、<ガキくん様様>ではあったが。ヨーロッパ、しかも英国は変化に対して保守的というか、実際的なのだなあと思わされたものである。

 ビジネスとしては、変化の先端、ハイエンドを追っかけなければならないはずであろう。しかし、生活者としては、実感を大事にしてマイペースを堅持することが重要ではないのかと思えてならないのである。最新製品であっても、気に入らなければ拒絶すべきなのである。最新だから最良だなどという先入観や強迫観念を持ってはいけないのだ。また、<今、売れてます>といった売れ筋に誘惑される必要もない。
 時代の変化を、しっとりとして自分たちに馴染むものへと誘ってゆくには、個々人が、本当に自分らしい選択を繰り返してゆく以外に差し当たっての方法はないかもしれない…… (2002.05.18)

2002/05/19/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (40)

 慶安三年一月十九日の東海寺境内一帯はすっかり白銀で被われていた。雪は止み、午前の陽がまぶしく辺りを輝かせている。徹夜をした海念にとっては、辺り一帯が白く輝く光景は目がくらむ思いだった。
 前日、江戸は神田から時空超越をした際に、江戸の街には小雪が舞っていたことを海念はふと思い出した。
『一晩で随分と積もったものだ……』とひとり言を呟き、冷えた空気を感じてか襟元を閉じるのだった。
 寺へ通じる道には、早くも足跡が踏み込まれてあった。寺を訪れた者ではなく、寺の者が早朝から修行に出たものであろうと、海念はそう思った。その足跡に沿いながら海念は寺へと向かうのだった。

 歩みながら海念は、一晩中ともに話し込んでいた保兵衛のことを思い出していた。
 北馬場駅で別れる際の、耳に残り続ける言葉をよみがえらせた。
『海念さん、自分の心に振り回されないように!目先の歴史の肥やしになってしまわず、もっと先を眺望して動くんだ!』
 保兵衛は語気を強めてそう言い、今日も御茶ノ水にある紛争中の大学へと向かって行った。昨晩の話からすれば、その言葉は、保兵衛自身が遭遇している大学問題に対して、保兵衛が自分自身に言い聞かせようとしていた言葉でもあったのだろう、と海念は思い返す。
 『自分の心に振り回されない』という点については、二人は昨晩、執拗なほどに議論を続けたのだった。
 煮詰まっていった議論で二人が行き当たった問題は、いわば「私憤」と「公憤」との関係をめぐるいかにも悩ましいことがらであった。

『海念さんが浪人たちの苦境に思い入れをし、幕府権力の横暴を糾したいと願うことは間違ってはいないと思う。由井正雪もその点では正しい。だけど、同じ立場同士の喧嘩とは違って、相手が権力の権化であれば対応する方法こそが大事な問題に違いないと思う。この点で苦悩されたのが沢庵和尚だったと思うんだ。そして、きっと和尚が事を成す方法で細心な注意を向けられたのが、ご自身に潜む<私憤>の有無ではなかったかと思う。これに引きずられてゆくなら、事を成就するための方法に破綻が訪れることを十分に警戒されておられたからだと思う』
『確かに、そのとおりだとわたしも見ています。和尚の家光将軍への処し方がそうであったと同時に、武道に託して柳生宗矩様のために書かれた<不動智神妙録>で和尚は、何につけ心をとめてこだわることが無明や煩悩のよってきたるところだとおっしゃられていますからね。ただ、このわたしに<私憤>があると?』
『修行を続けた海念さんにはもはやないとは信じますが、幕府の浪人政策に対する憤りの根底に、もしやお父上のことが……』
『…………』
『気に障ることを口にしてすみません。由井正雪先生には人格の破綻が見受けられると海念さんは言われましたよね。わたしが思うに、由井正雪は、染物職人の子として生まれ脚光をあびるまでには苦難の道を歩んだそうだけど、ここから<私憤>を跳躍台として生き続けた人と推測させられるんだ。それ自体は悪いことでは決してないのだけれど……』
『そうかもしれません。正雪先生の語り口には、御浪人たちの鬱積する思いに呼びかける不思議な響きがあります。おそらくは自らが同じ体験した人だからなのでしょうね。しかし正雪先生には、そうした部分とまったく歩幅の異なった虚飾としか思えない姿が並存しているのです。それをわたしは人格の破綻と表現したのです』
『権力との闘争にあっては、<公憤>であってさえも十分ではないでしょうに、<私憤>をまじえるなら必ずどこかで挫折すると思うんだ』
『たぶん、最初、正雪先生に関心を向けたわたしには、保兵衛さんが懸念される<私憤>が淀んでいたのかもしれません…… でも安心してください。できるだけ早くあの塾からは離れるようにするつもりです。そのためにも、あの二人を説得できる材料を入手したいのです。蛇に睨まれた蛙自体を助けることは無理でしょうけど、蛙に寄り添っている善良な方たちだけは救わなければなりません……』

 寺の正面玄関前の一帯、そして庭へ通じる敷石などはしっかりと除雪されてあった。寺の懐かしい佇まい全体が、海念の感情をじわっと揺さぶる。思わず目元が熱くなる海念であった。これで和尚が健在であったなら……と一瞬とりとめない思いもよぎるのだった。
「お頼み申します」と張りあげた海念の声で、まもなく見知らぬ若い僧が現れた。海念は、手短に自分について説明し、世話になっていた兄弟子創円(そうえん)に取り次いでもらいたい旨を告げるのだった。
 玄関の前に立ち尽くす海念の前に、やがて創円が現れた。
「いやー、海念。たくましゅうなられたものだ。そろそろ戻ってもよい頃かと案じておったが、まあまあ話はあとで聞くとして、まずは古巣にお上がりなされ」
 海念は客間に通され、茶まで出してもらった。かつて自分が仰せつかっていた知客(しか:客の応接係)である同い年くらいの若い僧によってであった。
「で、各地での修行はいかがであったかな」
 創円はおとうと弟子の手柄話を早速にでも聞きたそうに、微笑した顔を海念に向けるのだった。海念は、丁寧に挨拶をし直したあと、思いつくままに修行歴を話すのだった。創円は、そのひとつひとつを「そうか、そうか」とうれしそうに頷いて聴いていた。
「なるほどのう。禅の道とはそもそも人の生きる道、世俗での人の生きざまが前提でもある。やはり、幼くして出家してしまった海念にとっては、世俗もまた良き修行の場となっているようだな」
 創円の話は、和尚遷化後の海念の虚脱状態だった頃の話題に転じ、そして和尚が健在であった頃の回顧話へと向かってゆくのだった。
「当時、この寺は和尚の張りつめた気合で満たされていた。また、家光将軍を初めとして訪れる方々もその気合で魅了されていたものだったはずだ。今がそうではないと言いたくないが、やはり変わった。家光将軍もとんとお出でにならなくなった。もっとも今はお身体がご不調だとも聞き及んでおるが……」
「それは心配なことでございます。ところで、今でもなお幕府ご重臣の方々が訪れることはおありなのですか。当時は頻繁にお見えになっておられたと記憶しておりますが、どのような方がお出でなのでしょうか」
「いやはや、ここだけの話だが、沢庵和尚不在となってからはろくでもない御仁しか顔を見せなくなったものだ。権力面(づら)を忌み嫌った和尚の前には顔も出せなかった連中ということだな」
「たとえば、どんな方々なのでしょう」
「名を申しても始まらんが、世間では知恵伊豆とか称されている松平伊豆守信綱殿が……」
 海念は一瞬息詰まる思いがした。あまりにも図星な自分の推理に驚き入ることもあった。が、他意があるわけではなかったが冷静さを装うのだった。
「松平伊豆守信綱殿が、また何か『知恵』を発揮せんとしてか、しばしば家臣の方々と密談すべくここをご利用されたりしておる始末だ。知客(しか)の僧が密かに伝えるところでは、今、江戸市中でも人気を博しておる由井正雪とか申す学者の動向について語っておったとのことだ。まあ、どうでもよいと言えばどうでもよいのだが、わしはどうもあの身体中からはかりごとの気を発しているごとき知恵伊豆には気が許せんのだ。いやいや、つまらぬ話をしてしまった。さて、海念、このあとどうしたいかは別として、しばらくは当寺にて修行してゆくがよかろう、よいな」
「はい、ありがたきお言葉でございます。人手の不足する作務(さむ:修行としての労働)などをお手伝いさせていただきご恩に報いたいと思っております」

 海念は、即日他の修行僧とともに古巣の東海寺での修行生活を開始した。各地の寺での修行で培った成果が他の僧侶たちの目を引くこととなった。また、掃除、薪割り、風呂焚きなど八面六臂(はちめんろっぴ)の身を惜しまぬ作務での意気込みが、次第に他の僧侶たちからの信頼を勝ち得てもいったのだった。
 海念の行動は決して偽りであったはずはない。ただ、海念に密かな思惑が隠されていたのは事実である。知恵伊豆は必ずやってくる。加えて、この寺では油断のあまりぬけぬけとその知恵袋のほころびをも見せてはばからないだろう。
 そして、ついにその日が訪れたのだった…… (2002.05.19)

2002/05/20/ (月)  「賢者」は子どもの存在の貴重さをしっかりと見つめるものだ!

 中国瀋陽の日本総領事館の事件が話題になり続けている。その状況を映したビデオも何度となく流されてきた。ニューヨークの同時テロの映像といい、今回のものといい、その場を物語る映像の力は強烈だと思えた。
 今回の映像では、ピンクの洋服を着せられた小さな女の子のあどけない様子が、国と国、大人と大人の見苦しい敵対的な光景に人間としての冷静さの視点を添えてくれていたように思えたのだ。母親に背負われていたピンクの洋服の子、中国の警官とのもみ合いの中で父親が離さずその結果もみくちゃにされていたピンクの子、そして圧巻は、もみ合う大人たちからやや離れ警備小屋に寄りかかっている姿。門の前に距離を置いて集まった現地中国人の見物者たちともみ合う大人たちとを、涼しく(?)そしてやや照れくさそうに見回していた様子は、感動的でさえあった。大人たちが深刻そうにいがみ合う事態を、寛大な「天使の立場!」から限りなく相対化しているように感じられたのだ。ちなみに、その後のわが国のニュースでは、警官たちの突入場面だけで、大事なこの場面はカットされてしまった。

 今、世知辛くとげとげしい世相にあって、誰ということなく幼い子どもたちのあどけない姿だけが大人たちの気持ちを救っているように感じる。上記の亡命家族の親たちも語っていたようだった。北朝鮮と、逃げ込んだ中国での亡命生活の中で打ちひしがれそうになる気持ちを、無邪気なその子が淡々と勇気づけてくれたと。
 輝やかしく感じられる子どもが放つパワーを、地に引き摺り下ろすことはたやすい。文字通り赤子の手をひねるようにして、俗物たる大人たちはあらゆる聖なる存在を地に引き摺り下ろし、そうすることだけでは足りずに土足で踏みつけてもきたのが愚かしい俗物たちの歴史であったのかもしれないのだ。
 賢者という古めかしい言葉が、言葉だけでリバイバルしている(『ハリー・ポッターと賢者の石』!)が、賢者の賢者たるゆえんは、破壊してはならないものを決して破壊しないことではないかと思ったりしている。そして、病んだ大人たちが最後に勇気づけられる存在たる子どもたちを、賢者はしっかりと認識し、手厚く保護するのだろうと。

 大学院に在籍当時、保育園を卒業した子が学童保育でお世話になったことがあった。親が働いている小学生を放課後に預かる学童保育である。名古屋在住当時、幸いにもお世話になることができた。保育園でさえ、迎えにゆくと待ってましたという顔つきをしていて、嫌がっていた子であったから、小学生になっても学童保育へゆくことをこころよくは思っていなかったであろう。が、放課後の心配を、子ども好きで若々しい先生に見てもらえて親は大変助かったものだ。集団生活での気苦労があったはずではあるが、子どももよく協力してくれた。
 現在、全国で学童保育を希望しながら叶えられない「待機児童」が少なくとも計1645人おり、保育希望者の1・4%に上る(『朝日新聞』2002.05.20)という。特に都市部に集中しているらしい。この数字は、一般論で考えるのではなく、もし自分がそのあぶれ組だったらという思いで見つめるべきであろう。
 小学校低学年児を、放課後独りにして働く親の心配は並大抵のものではない。行方不明などの事故、事件などで後追いの探索隊が動員されるコストなどを考慮しただけでも、必要な学童保育体制を整備する方策が賢者の策だと確信する。少子化に伴う種々の問題が指摘されているわが国であれば、このくらいの小さなことをやったからといってどうだというのだ!
 「有事」、「有事」と騒いでいるが、平和時の生活の中にも国の将来を見通した際に手を打たなければならない「事」がいくらでも「有」るのではなかろうか…… (2002.05.20)

2002/05/21/ (火)  この閉塞状況からの突破口は、時間、体験を積み上げる覚悟にかかっている!?

 PCショップで店頭に立っていた当時のさまざまなお客さんのことを、何気なく思い出すことがしばしばある。アンテナ・ショップとしての位置付けどおり、こちらが出力を高めていればいろいろな情報が受信できたものだった。
 今日もあるお客さんのことを思い出していた。師走も押し迫っていた頃だっただろうか。一、二度来店されたお客さんが、組み立てPCセットをお買い上げになった。いざ、包装を始めると、奇妙なことをおっしゃった。
「丁寧じゃなくていい。乱雑でいいよ。パーツの箱類はできるだけ捨てといて。」
 そう言ってみずから、かさばるパーツ類は箱から出して、PCケースに押し込んだりし始めたのだった。どういう訳ですかとたずねると、
「こんなもの買ってると女房がうるさいんでね。実は、今身重でいらついてもいるんだ。だから、修理に出したパソコンを引き取ってきたということにしたいんだよ」
 そう、おっしゃった。あきれたものだったが、そこまでして購入していただいたことが非常にうれしかった。パーツをひとつおまけしてあげたものだ。

 なぜ思い出したのかなのであるが、こんな時期、どうしても考えずにはいられない問題として、不況時にもやってゆける商売、ビジネスは何かというテーマがある。多分多くの人が頭を痛めているテーマであるに違いないだろう。
 採算度外視で安く売るというのは選択肢ではないと考え続けてきた。買いたいもの、いや何が何でも買いたいと思うようなものを売る、奥さんと喧嘩させても買いたいと思えるようなものを商うに限ると再認識したのだった。当たり前といえば当たり前の話である。 この場合、「何が何でも」という部分が重要なのである。「まあ、いいか、がまんするか」に決して流れず、仮に一時はそう思っても、夕食を終え、湯のみで茶をすすりながらどうでもいいテレビ番組に目を向けたりしてタバコをふかしていると、ムクムクと衝動が込み上げ、再び「何が何でも」という思いにへばりつかれてしまうような、そんな魅惑的なものを想定しなければならないのである。そんなものはあるのか?

 もしあるとすれば、それは決して必需品売り場には置いてないものであるに違いない。だいたい、人は生活必需品が並ぶスーパーなどへ「何が何でも」という思いを抱いては入店しないものだろう。奥さん方はいざ知らず、少なくともわたしなんぞはそうだ。どうでもよい姿勢で、どうでもよい目つきで、どうでもよく掴んで、どうでもよく支払って、どうでもよく出てきたりする。
 目が爛々と輝き、こんなご時世にこんなもの買ってよいのだろうか、しかし欲しい、「何が何でも」欲しい。今買わなければ、また夕食後、茶すすりの、どうでもテレの、タバコぷかり時に苛まれるのだろう、と煩悶する店もあるといえばある。現在はカメラ店の交換レンズ売り場である。以前は釣り道具売り場であったこともある。書店はしばしばである。要するに、いわゆる趣味の品を扱った店なのである。

 おそらく、趣味の品を扱った店とはいえこの不況で停滞していることは間違いないところであろう。女房のお産を控えながらまとまった規模の衝動買いをする一途(?)な消費者がそうあっちこっちにいるはずもないし、またその種の店とはいえ、そういう御仁を引き寄せられる魅力を発揮している店は実のところ少ないからである。
 が、あなどってはいけないのは、現代人の欲求は、必ずしも必需品に向かうとは限らない点であり、幅広い意味での趣味のジャンルにことのほか大金を注ぎ込んでしまうという事実なのである。こんな時期にも、ブランド品の売上が堅調だという事実もそれを物語っていよう。
 それじゃ趣味の店をやるべし!と短絡的なことを考えているのかといえばそうではない。いや、もしその条件が完了していたのならそれもよい。少なくとも「でもしか」サラリーマンになる時代でないことは確かなのだ。

 今、関心を向けるべきは、趣味というか何でもよいのだが、そのためなら命さえ惜しくないといった対象を持ち、それに全身全霊を傾ける、いやささげることではないかと思っている。若い人はもちろんのこと、いくつになったってこれで突き進むことが現代における幸せと成功への道に違いないのだ。
 書店には、溢れるばかりに How to 本が並べられている。こんなものをつまみ食いしていては明日はないはずだ。現代人にとっての最大の敵は、安直に目先を変える、変えられることにあるからだ。これと決めた対象にズボリとはまり込み、五年、十年という頑固一徹が必須なのであろう。同じ自意識人間であっても、サイド・ブレーキをかけっぱなしで走るハムレットではなく、ブレーキの所在を忘れてしまったドンキホーテとなるべきなのかもしれない。能書きではなく、「体得」してしまうことがことのほか大事なような気がするのだ。今はやりの「達人」というワードは、そう言われている人が実際そうかどうかは別として、現代の多くの人々の価値観がそこにあることだけは照らし出しているものと思われる。

 企業の成功例としてしばしば「オンリーワン」という専門特化の方策がささやかれるのだが、成功状態の姿はきっと氷山の一角なのであって、水面下には上記のような苦楽を交えてはまり込んだ五年、十年いやそれ以上かもしれない歳月が人知れず鎮座しているに違いない…… (2002.05.21)

2002/05/22/ (水)  主題に迫る手立て、文章を書くことと写真を撮ること!

 低迷と酩酊の図が錯綜する現代を、「へっこまず」(若者たちが落ち込むことをこう言うらしい)に「毅然として」(政府関係者が負け惜しみで使うらしい)生きるためには、事実をしっかりと見据える力、それを表現する力を養っておく必要があると常々感じている。事実とは、バラ色一色に塗りつぶされたキャンバスに滲み出ている陰りを含み、漆黒の闇に射す一筋の淡い光明を含む、まさしくそんな全体を指すものでしょう。

 いずれも試行錯誤中のビギナーズ・トークの段階でしかないのだが、文章を書いたり、写真を撮ったりすることにそこそこ夢中になっている。そうしてみると、この両者には思いのほか類似点が多いことに気づいたりするのである。
 ある知人は口癖で「だから要するにナンナンダ!」とよく言う。その短兵急な姿勢に閉口する場合もあるにはある。
 しかし、こと、まとまった文章というものに目を向けるならば、それらはすべからくフォーカスされた主題・テーマのようなものを持ち、それが精彩を放つべしと願い続けている。いや、むしろ書き手にそれが自覚できるまでは、それを熟成させる作業に専念すべきかとも考えている。そうして意識を集中するならば、逆に外界の光景から触発されて何事かの主題が凝縮することもままあったりするようだ。
 また、文章の書き手は、とかくあれもこれもと多彩であることをよしとする誘惑に駆られるものである。あるいは、筆の流れや勢いのようなかたちでとかく「自走」しがちでもある。
 ところが、これらが曲者であって、全体として「だから要するにナンナンダ!」と詰問されてしまうことになりかねないのである。主題へ向けた意を傾注した制御の姿勢が必須だと納得させられる理由である。書きたい衝動に駆られる部分をバッサリと反故(ほご)にする潔さが要求される場合もあって当然なのであろう。

 こうして振り返ると、これらはそのまま写真を撮ることに当てはまってしまうのがおもしろいのだ。
 目を見張る写真からは、だいたいカメラマンの意図が無理なく伝わってくるものである。主題明確化のために、不要な空間を極力省いたり、撹乱材料となる背景を焦点深度の浅いレンズを使ってボケの処理をしたりと、優れたカメラマンはさまざまな努力をするものである。
 こうした写真を見つめていると、その光景はカメラマンの造型であるはずはないのに、よくもここまでうまく出来上がったものだと被写体側の存在に関心してしまうほどである。また、見れば見るほど主題の深さが各所から読み取れたりもするのである。
 これらが、「不要なものを省け!」の原則に対する忠実さの賜物であることは言うまでもない。

 だが、文章にしても写真にしても、その主題を煮詰め、かたちどることは容易ではないと思える。写真でも、そのシャープさや露出の適確さに感心させられても、すぐさま次の写真に目を移行してしまうものも少なくない。
 文章でも、気の利いたフレーズや、共感を誘う言い回しが多々あったとしても、今ひとつじわーっと押してくるものがない文章がやたらと多いように感じている。「主題なき戦い!」に挑んでいる人が結構いるものだと……
 そんなことに思いを巡らせていたら、主題づくめである俳句、芭蕉、『奥の細道』を思い起こし、「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯を浮べ……」が無性に読み直したくなったりしてきた…… (2002.05.22)

※ 『芭蕉』推奨サイト! http://apricot.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/basho.htm

2002/05/23/ (木)  遠い日の思い出の、一から出直そうとする男!

 もう霞んで見えなくなるほど昔の話である。駅の周辺といえども田畑を多く残した、私鉄沿線の近郊市。地元農家の人たちのもんぺに手拭いでの姉さんかぶりといった姿がまだまだめずらしくなかった。
 駅から歩いて五分ほど離れた自宅への道すがらにも、田んぼに挟まれた細い私道があった。その道は、夜となれば小さく頼りない街灯だけで、ほぼ真っ暗となってしまった。初夏には、帰途につきながら蛙の大合唱を聞いたものだった。
 ある雨の日の晩、帰りが遅くなってその道を通っていた。私道右側前方の田んぼから、蝦蟇蛙の鳴き声とも聞こえる音(!)が聞こえた。が、耳を凝らすと人のうめき声であった。目も凝らして見つめてみると、なんと私道のすぐ脇の、田植えが終わったばかりの田んぼに鈍く蠢く人影がみとめられたのだった。その人物がうめいていたのだった。

 一瞬脳裏をよぎった光景があった。それは、その何週間か前に偶然見たとんでもない光景である。自宅の窓から、遠く畑越しに駅前通りのパチンコ屋の建物の裏側が眺望できたのだが、その時、何やら怒声が聞こえたので窓際に寄ると、そこに二人の男たちが見えた。一人はしゃにむに逃げ、もう一人が怒声を張り上げ追っていた。驚いて身が凍ったのは、追う男の姿だった。まるで網走番外地高倉健扮するやくざのように、何と右手にギラリと鈍く光る長ドスを引っさげていたからである。確かに、逃げる男のシャツの一部が血で染まっていたようだった。

 パチンコ屋の裏手から程近い田んぼにうずくまるこの人物は、またまたやくざの争いのなれの果てなのか?とそう思った。ここは、見ぬ振りして通り過ぎるべきか、やくざの抗争に巻き込まれてはまずい……、いやもしやくざでなかったらかわいそうな気もする…… が、声をかけてしまった。
「もしもし、どうしました?」
「うーむ……」
「どうしたんですか?」
「起き上がれないんだ……」
 ムッと酒くささが伝わってきた。ほっとした。やくざではなく真っ当な人だった。いや真っ当な人というのは語弊がある。破天荒な酔っ払いであり、泥酔して夜道を踏み誤った結果のようだった。手を貸してやった。引き摺り上げるようにして救出(?)すると、そやつはその泥だらけの身体で寄りかかってきやがった。
 さてどうすると思い、とにかく聞いた。
「住まいはどこ?」
「あっち!」
 男は、わが自宅を通り過ぎた先の方をどろどろの腕を伸ばして指した。
「じゃ、連れてってやるよ」
 もう、どうにでもなれという思いで、泥だらけのその男に右肩を貸してやり、男の家を確かめながら運んだ。
「ここですか?」
「そう!」
「電気がついてるけど誰かいるの?」
「かあちゃんがいる」
「ごめんください!」
 がらがらとガラス戸を開けると、所帯やつれしたとしか言いようのない奥さんがだるそうに出てきた。
「毎晩毎晩うちのを誘い出すのはやめてよねぇー!」
「いや…… 駅前の田んぼに落ちて困っていたようなので……」
 完全に飲み仲間だと誤解されてしまった。弁解は無用と思い、だんなを置いてその場を去ったのだった。ガラス戸の中からの奥さんの怒鳴り声、そして泣き声が背中に突き刺さるのを感じた。疲れがドッと湧き上がった。

 二、三週間ほど経った日の午後だったか、わたしは駅前の商店街の向こう側にある踏み切りで奇妙な光景を見て唖然としたのだった。何と田んぼに落ちていたあの酔っ払いが、近くの小学校の学童たちが踏み切りを渡るのを誘導するボランティアをしていたのである。目を疑ったが、その男の自宅の明かりで確認できた確かにあの顔だった。
 男は、こざっぱりしたブレザー姿で緑の腕章をつけ、ハンチング帽をかぶっていた。黄色の旗を持った腕を手をいっぱい広げ、ピッピッピッと笛まで吹いて学童に指示していたのである。その動作と表情は、在りし日のヒットラーのように不自然なほどに硬直して、ことのほか真面目さを自他ともにアピールしている様子だった。ひしひしとそれが伝わってきた。とってつけたような行動!という皮肉めいた思いがよぎったが、そうか、一から出直そうとしている一生懸命さなのだと思い直した。その男はわたしに気づかなかった。わたしは、その踏み切りをさり気なく通り過ごしていた。

 真っ当な道を踏み外し自分でもどうしようもないどろどろの日々の連鎖にはまり込んでしまった男。その連鎖を断ち切るきっかけをいろいろと模索した時、子どもたちのあどけない顔を思い浮かべ、そうだこれだ!と思い立ったのであろうか…… (2002.05.23)

2002/05/24/ (金)  今の日本の現状なら、海外がいくらでも手本となり得る!

 日本と比べてイタリアの経済は現在極めて順調なようだ。経済成長も4%であったかの伸びを続伸させていて、国家財政も赤字を脱却しているとのことだ。イタリアは日本と同様に資源輸入国で、いわゆる加工貿易国である。もうひとつ、中小企業の割合が高いことでも日本とよく似ていると言われる。
 その似たもの同士の国でありながら、一方は90年代半ばから健全な経済成長路線を切り開き、他方の日本はバブル崩壊後、惨憺たる経済破綻の道を突き進んでいる。この明暗の根拠には、両国の中小企業の明暗が潜んでいるらしい。

 イタリア経済は今、いわゆる「イタリア・モデル」と称される中小企業関連の生産方式で活況を帯びているというのである。アパレル関連の工業都市に林立する中小企業は、それぞれが極めて狭い分野に関する独自の専門性を追求してアイデンティティを持っているという。そして、これまた中小企業レベルの「企画会社」という、いわばプロデューサー的役割を果たす企業があり、この企業がひとつひとつの企画に応じて、生産過程の個々の工程に見合った専門中小企業を、個々に選別して生産を開始するのだという。
 これは、言ってみれば、中小企業をメンバーとする「プロジェクト」だと言ってよい。そして映画『荒野の七人』でのユル・ブリンナー扮する「プロジェクト・リーダー」が、ガンマンとしての専門的な必殺技を持つスティーブ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ロバート・ボーン等を次々にスカウトしてゆくことと変わらないと言えよう。

 もとよりプロジェクト方式とは、達成目的を最小の資源(コスト、時間)で最大の効果(品質、性能)をあげつつ成就しようとするものである。専門技術者などの個人をメンバーとすることを専門的な中小企業に置き換えたのが、上記の「イタリア・モデル」なのだと思われる。これが定着しているとするならば確かに競争力のある製品が生み出されるはずである。
 日本にもこうしたケースがないわけではないのだろうが、大半は、大手企業と上下関係のもとに固定化して従属する中小企業群という図式が一般的である。経済の「ニ重構造」と呼ばれてきたものである。こうした関係ゆえにこの不況の中で、一方的なしわ寄せを受け、多くの中小企業が苦境に立たされているのだろう。

 時代は、垂直的上下関係から水平的ネットワークの時代へ、恒常的関係からテーマ発生時限定のアドホック関係へ、そして超スピード化へと確実に移行している。そして、この移行を成功させるために、組織構造の大変革と、組織外リンケージ(関係・関連)の塗り換えが課題となっている。
 こうした経済活動の関係構造を変革してゆくことが、経済の「構造改革」の有意味な中味であると痛感する。人員を闇雲に減らし、規模の縮小だけに明け暮れるリストラでは、当面の数字で帳尻が合っても国際的競争力という点では何の展望もないと見える。
 また、われわれ中小零細企業にしても、水平的ネットワークのインテリジェント・ターミナル足りえる専門性と自律性を、ますます研ぎ澄ましてゆかなければならない。
 それにしても、こんな時期は、海外の健全な実践ケースをいろいろと学んで啓発されてゆくべきだと痛感している…… (2002.05.24)

2002/05/25/ (土)  人間の知的生産物への対処方法、その目まぐるしい変遷!

 今週は、これまでちょっと続けていた習慣テーマ、シリーズのような書き方を止めて、アトランダムに思いつくままにテーマを決めて書いた。思いつくままと言いながら、わたしがこだわる日誌ポリシーは、とにかく何らかの主題を設定してまとめることだ。毎日の文章に表題を付しているのがその表れなのである。先に表題を掲げる場合と、ぼんやりと思い浮かべながらまとまり具合で最後に文章化する場合とがある。何の拘束もないのだから、結構いい加減に対処しているわけだ。
 できれば、最初に主題を決め、その主題が納得のゆく水準でまとめられれば幸いだとは願っている。そして、何か考え事をしなければならない際に、まるで百科事典を繰るように関連主題の日誌を読み返し、あるいは組み合わせて自分の総合的な考えをまとめられれば合理的なんだがなあ、と夢想しているのである。

 学生時代や研究を生業としたいと願っていた頃、見果てぬ夢(?)があったものだ。何度も挑戦するのだが、必ず挫折してしまった。今日のようなパソコンがあったら、ひょっとして成功していたかもしれない。
 一件一葉で事柄を整理してゆく『カード方式』の整理法が憧れの対象であったのだ。ノートにシーケンシャル(順序よく)に記入してゆく方法は、後のことを考えると如何にも非合理的だと思えたのだ。後の思索や研究にとって活用しやすい方法は何かを考えていたのである。そのベストだと思えた方法が、一枚のカードに事柄を一件に限って記録ないしメモする『カード方式』整理法だったのである。
 大学の生協や、ディスカウント・ショップなどで幾たびか懲りずに、使い勝手の良さそうなカード・セットを奮発して購入したものだった。

 必ず途中で挫折した原因はいろいろとある。そもそも、自分の思考パターンが、蟻さんたちのような、あるいは働き蜂さんたちのような地道な積み上げ型ではなく、能力もないくせして一気呵成でこなそうとする山師的スタイルが色濃かったことがわざわいした。
 後日のために、縁の下の地道な日常的研究成果を記録してゆくといった習慣が本格化できなかったのである。それを怠惰とばかりは言えなかった。その時その時の読書なり、思考を、メモなどとっている余裕なく行き着くところまで行かせていたのである。放縦に流すことを優先させていたのだった。

 加えて、この『カード方式』には、無理と言えば無理なアーキテクチャ(論理的構造)が潜んでいたようにも思う。図書館の図書カードのように、最初から記入項目を限定すれば、そこそこカード財産を増やすことができたかもしれない。しかし、本人は漠然にというか、欲張りにというか無限大を望んだようだった。だから、いつも一件をどの水準どの範囲でおさめるかにばらつきが生じ、あるものは一件が何十枚に及んだりもしてしまったり、あるものは寂しくも一、ニ行で終わったとの記憶もある。
 考えてみれば、思索対象一件が均一な一定のボリュームになると見なすことが非現実的なのであった。たとえば「人生観」という茫漠としたテーマと、「睡眠時間」という淡白な事実とが同量の行数で済むはずがないのである。そうした、バラツキを確認するにつけやりきれなくなり、もったいないからカードをまとめてノートに整理して張るという馬鹿げたことまでやったりした。

 こんなことを思い出したのは、冒頭で書いたこの日誌のこともあるが、実は、現代のソフトウェア環境を見つめてのことなのである。「データベース」の構築にせよ、モジュール活用の救世主的アーキテクチャーとも言える「オブジェクト指向」型のシステムやプログラミングにせよ、さらにはデータ再利用とインターネットとの組み合わせで大きな期待が込められている「XML」活用のシステムにせよ、そのポイントは人間の知的生産物を如何に効果的に活用するのかという問題だからなのである。迅速で、トラブルがない情報交換が、ビジネスでは優先されるから、情報通信の面がクローズアップされるのだが、要は知的生産の効率化と効果性の問題なのである。

 今、情報生産と情報流通のシステム化が、未曾有の技術的大道具の環境の中で推進されている。そして、それらの環境は、ビジネスを初めとする人間の行動を一定の方向へと誘っている。あるいは半強制している。個人的理由で個人的にパソコンを使うことは拒否できても、現代を生きてゆく上で時代の動いてゆく方向に、個人として抵触してゆくことはますます難しくなっていると思われる。もっとも、悲観的になる明白な根拠があるわけではないのだから、注意深く関与してゆくという辛いスタンスとなるわけである…… (2002.05.25)

2002/05/26/ (日)  <連載小説>「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」 (41)

「左様でございましたか。当寺で沢庵和尚がご存命の折りに出家されたのですね。でその時、海念さんは何歳でございましたか」
「まだ十歳の子どもでした…… 沢庵和尚にはご迷惑ばかりおかけしておりました」
 日陰にはまだ雪が残る境内であった。その一角で、海念と、この東海寺には新参の同い年の修行僧清信(せいしん)は、作務として薪割りの作業に精出していた。清信は、海念が東海寺から出て、各地の寺へと修行に出たその後に入山した修行僧であった。まだ一年とは経っていない模様である。
「では、海念さんが当寺で修行される間は是非沢庵和尚のお教えをいろいろとお聞かせください。あっそうでした、本日はお客様がお出でになられる日なので、わたくしはそろそろ用意をしなければなりません」
 薪割り作業でかいた汗を拭く海念の手が一瞬止まった。
「ほお、お客様というと……」
「もう何度もお見えになっている幕府重臣の方々です」
「ひょっとして松平伊豆守殿のことですか」
「はい、海念さんはご存知だったのですか。伊豆守殿とご家来衆の合わせて四人の方々が月に一度、ご親睦の名目でお見えになり何やらご相談のような会合を持たれています。」
「ほお、そうなんですか。いや、和尚ご存命中には将軍が、諸侯や重臣の方々を引き連れてしばしばお出でになられたものです。当時、幼かったわたしは、それも修行のひとつだと言われ知客(しか)を務めさせていただいたものです」
「はい、わたくしも現在新参僧として知客(しか)の務めを仰せつかっております。が、どうもあの方たちの醸し出す空気は好きになれないので困っております……」
「清信さん、懐かしいこの寺に戻ってきたことでもありますし、本日はこの海念が久しぶりに知客(しか)の役を務めましょうぞ」
「さようですか。それはありがたきことでございます。そうしましたら、残りの薪割りはわたくしが一人で済ましておきます。もう半時ほどでお見えになるはずです」

 海念は、知恵伊豆の尻尾を必ず掴んでやるという思いでじわじわと身体を熱くさせていた。胸が高鳴るのを心して抑えるのだった。そして早速準備を始めた。
 井戸端で身体の汗を拭って、衣を着替えた海念は、創円に知客の役の交代を話しに向かった。
「来客の方々の人品を見定めれば、この寺のこの間の推移もわかろうというものだな」
 創円は、「好きにするがよかろう」と微笑んでくれた。ついでに創円は、粗相のないようにと言って、『来客覚え書き書』なるものまで海念に渡すのだった。
 これを別室へ持ち帰った海念はすぐさま確かめてみた。そこには、月例の親睦を目的とする精進会食という主旨が記されてあり、出席者四名の姓名までが記載されてあった。念のために海念は素早くそれらの名を懐紙に転記する。
 まがいもなく、筆頭に松平伊豆守信綱の名があった。そしてその家臣である佐川角兵衛、同じく奥村権之丞(ごんのじょう)、そして浪人者なのであろうか、これといった但し書きのない林理左衛門、という計四名の名が列記されてあったのだ。また、この会合が既にほぼ一年近くにもわたって続けられていたこともわかった。謀略を進めるにふさわしく用意周到な手はずだ、さすが知恵伊豆のすることは思いつきではないようだ、と決して見くびれない人物の姿を密かに想像する海念なのであった。
 とその時、唐突に言い知れない不安が海念を襲ってきた。それは、一瞬、正雪の軍学塾講堂で見かけたどこかの家臣らしき武士の姿が脳裏をよぎったからである。もし、その彼らがここに名を連ねる客の誰かと同一人物であったら……という不吉な予感、しかし大いにあり得る直観が、海念をこの時点で不安な心境へと陥れたのである。
 まて、自分は常に講堂の最後尾の列に席を取ってきた。そして、講釈終了時にはいち早く外に出てかぶり笠を身につけてきたはずだった。顔を知られたり覚えられたりしたことはなかったはずである。そうだ、決してそんなことはなかったに違いない…… おまけに、あの講堂で聴講していた僧侶はわたし一人ではない。そう思い返し、必死に不安を鎮める海念であった。
 うかつであったこと、どこかで功を焦っている浅はかな自分を嘆く海念でもあった。だが一方で、直前ではあっても、極めて肝要なことに思いが至ったことに安堵感も得るのだった。

 やがて幕府の客たちが寺の玄関に到着した。他の僧侶たちとともに出迎えた海念は、思わず冷や汗をかくことになってしまった。四人の客の中の最後尾に、衣装こそ羽織袴の正装をしているが、確かに軍学塾講堂で何度か見覚えのある武士がいたのである。講堂では後から、横顔しか見ていなかったが確かに見覚えがあった。『来客覚え書き書』の林理左衛門なのだな、と海念は推し量った。幸い、玄関でその武士と視線を交えることはなかった。最悪の事態が訪れたら、慇懃に突き放すまでだと腹を決めるしかない海念であった。
 それにしても、知恵伊豆と思しき高齢な人物は、笑みを含まず表情を崩さない面持ちといい、鈍い所作ではあっても隙と無駄のない身体運びといい、まさしくその姿は老獪としか言いようがないと、海念は思った。あわせて、これまでに誰からも受けたことのない言い知れない寂寞(せきばく)としたものをも、海念は感じ取るのだった。
 四人の客は、海念の案内によって客間へと向かった。海念は、各々の席に着くのを見定め、廊下に座してお辞儀をして障子を閉めた。先ずは、茶を運ばなければならないからであった。
 海念が盆に茶を載せ客間に戻った時、既に四人の会話は始まっていた。

「ますます講釈に込める正雪の幕府批判の度は強まっているかに思われます。伊豆守さまのお耳には入れられないような言葉までが飛び交い、聴講者も煽られている模様でございます」
「林、もう一般談義はよい。そちとそちの仲間の者は正雪直下の門弟たちからの信頼を勝ち得るところまで食い込めたのであるか?」
「はい、そのー……」
「いや、伊豆守さま、その点につきましては奥村殿の弟御八左衛門殿の役割かと存じます。八左衛門殿は、われらのことを知らず、今では正雪からの信頼厚い槍の丸橋忠弥の押しも押されもせぬ門弟と成りきっておりまする」
「しかし、佐川、当の八左衛門が真に正雪に魅了されてゆく心配はないのか」
「その点は心配ご無用かと存じますが、のう、奥村殿。ああ、坊主、茶を置いたらこちらで呼ぶまでは来るには及ばぬぞ。」

 ちょうど茶を配り終えたところで佐川角兵衛が、海念に向かってそう言った。一瞬、他の者たちの視線が海念に注がれた。が、伊豆守の張り巡らす緊張した会話にそれぞれが気を取られているらしく、視線はすぐに解かれるのだった。まして、浪人林理左衛門は、伊豆守の顰蹙(ひんしゅく)を買ったと見え、うろたえ気味でさえあったので知客(しか)どころではなかったようだ。

 海念はほっとして客間から下がることとなった。がそれよりも、この会合は、確かに知恵伊豆による由井正雪を使う謀略の密談、しかもその謀略の進捗会議であったのだと確信することになったのである。その、予想を越え、周到に張り巡らした知恵伊豆の正雪包囲網対策に愕然とするのであった。
 知恵伊豆は、密偵のように浪人者を忍び込ませるだけでなく、家臣の奥村権之丞の弟八左衛門を自らの意志で正雪に近づかせ、それを後に刈り取る算段までしているということなのだろう。これでは、正雪はまるで釈迦の掌(たなごころ)の上で走り回り、飛び回っている孫悟空にしか過ぎないではないか。知恵伊豆と正雪とでは、まったく役者の大きさが異なっているではないか。海念はそう感じるのだった。すでに醒めた評価を下してしまっていた正雪に加担するわけではないにしても、知恵伊豆の目論見を破綻に追い込みたい衝動に駆られるそんな海念でもあった。
 客たちから指示を待つべく、海念は客間の隣の部屋で待機することにしたが、それは彼らの会話を盗み聞きできる絶好のお膳立てでもあったのだ。座禅の姿勢となり、海念は聴力に全身全霊を傾注した。謀略を形づくるさまざまな言葉のかけらが海念の耳に飛び込んだ。
 それらを繋ぎ合わせると、保兵衛が話していたように、知恵伊豆が目論んでいるのは、幕府にとって目障りであり危険でもある大量の浪人たちを処分し、二度と反乱を起こさせない仕掛け作りであるに違いなかった。そしてさらに、二兎を追う欲張った筋道まで考えている模様であったのだ。つまり、幕府内権力の二番手落としとでも言うような、紀州家の追い落とし策である。これは、紀州公との関係を虚実判別し難く語る正雪の山師的な言動を、いわば逆手に取るという謀略なのである。謀略のそんな大枠が、海念の頭の中に次第に整理されていくのだった。
 しかし、本当に海念が欲しかった情報は、そうした大枠の話ではなかった。たとえどんな小さなことでもよかったが、近々彼らが手を下す実際的で明白な行動計画であったに違いないのだ。それを、あの浪人二人、気の置けない中村小平太と諏訪十三郎に伝えるならば、如何に正雪に魅了されている二人といえども、背後に潜む大きな罠の存在に気づかざるをえないような、そんな情報こそが何としても欲しかったのである。

 とその時、浪人林理左衛門の上ずった声が海念の耳に届いた。
「正雪の人気のひとつは、『蝦夷地大開拓案』だと思われます。浪人たちの多くもこれに期待をかけており申す。これが取りざたされる限り、正雪と幕府転覆計画というわれらが本命の関係の信憑性が濃くならないのではありますまいか、伊豆守どの!そこで、拙者たちがこの『蝦夷地大開拓案』なるものを処分いたす。先ずは、正雪の講釈への質疑において、この案の非現実性を徹底的に攻撃いたしましょうぞ。」
 海念は、これだ!と思った。この浪人林理左衛門による挑発の行動を事前にあの二人に伝えれば、こうした背後の動きを信じてもらえるに違いないと。
 新たな謀略に関する会話は続いていた。
「林、そなたもわれわれが見込んだだけあって、悪知恵が働くではないか。如何でございましょうか、伊豆守さま!」
「わかった。浪人たちの頭から『蝦夷地大開拓案』なるものを速やかに消し去るがよかろうぞ」 (2002.05.26)

2002/05/27/ (月)  これぞコバルトブルーの羽、幸せの鳥かわせみ!

 週初めはさわやかな話題でスタートを切りたいもの。先週週末に出会った偶然の幸運について書こう。ささやかなことではあるが、『うん、ついてる!こんなことってあるもんなんだ』と思わずひとりほくそえんだ話である。

 梅雨の間近でぐずつく天候が多い中、土曜日は初夏のような晴れだった。陽射しは強く、空はスカイブルー、湿度は低めで、せこい表現をすれば、入場料が五百円でオーダーできるのなら払っても全然惜しくないそんな天候だった。
 休日の前夜はいつにも増しての夜更かしで、床から離れたのは昼近くだった。早朝に一度目が覚めた時、思い切ってこのまま起床してしまおうかと迷ったほどの晴天である。
 時間が時間なので、カメラをぶら下げていつもの散歩コースに向かうことにした。PLフィルター付きの広角標準レンズと決めた。が、これだけ明るい天候なので、望遠でも手ブレはないだろう、ひょっとしたら野鳥に出っくわすかもしれないと想像し、超望遠レンズレフレックス(反射望遠)の500ミリを携帯することにした。

 百年ものの古木(こぼく)を誇るお馴染みの庄屋(?)の家の情景がいつもにも増して気持ちよい光景を作り出していた。たいてい背後の空は、空だか雲だか判別しがたい「白抜け」となっているものだ。この日は、淡いブルーに白い雲という雛形の空が広がり、シャッター意欲がそそられた。もう、何十回と撮るアングルであったが、やはり行き掛けの駄賃とばかりに二度ほどのシャッターを切った。
 いつもの境川の遊歩道に出た。いつものとおりの上流方向へ行こうとした時、橋の下流の川岸に群生する黄色のコスモスのような華やかな光景が眼に入った。まるで、蜂かなにかの昆虫のように、惹きつけられそちらに向かってしまった。
 キク科のオオハンゴンソウ(大反魂草)が、強い陽射し、透明な空気の中で輝いていた。ちなみに反魂とは死んだ人の魂を呼びかえすこと、蘇生させることであるが、まさしくそんなパワーを秘めていると確信させる鮮やかなイエローであった。

 いろいろとアングルをかえ、納得ゆくまで「反魂」を撮った。一服吹かしながら、そろそろ望遠レンズに取り替えてみるかなあと何気なく促された。ファインダーを覗くと固定の絞りF8でありながら、シャッター速度は3000と表示されていた。なるほど今日は凄い強い陽射しなんだ、などと感心していた。
 と、川面から川のほとりに素早く飛ぶ鮮やかなコバルトブルーの鳥が視界に入った。そいつは、川のほとりの草陰の石にとまった。近辺の小魚を狙って水面に跳び込み小魚を咥えたようだった。見ているこちらは胸がドキドキとした。野鳥の「かわせみ」だったのである。
 ちょうど今取り替えたばかりの望遠レンズでとにかくシャッターを切リ続けた。ちょうど、初老の男性が通りかかっていて、その人もかわせみを見つめていた。つば付き帽をまじめな様子でかぶった、宇野重吉の雰囲気を持った人だった。
「かわせみですね」と言ったら、「そうですね」と宇野重吉の親戚は応えてくれた。

 どう撮れたかはまだ判明していない。しかしとにかく珍しいかわせみを、望遠レンズでシャッターを切ることができた幸運にひとり満足感に浸ったのだった。
 町田近辺では、薬師池公園にかわせみがやってくる。かわせみは巡回して飛ぶようで、薬師池にも、いつという点は不明だがほぼ確実に羽を休めるポイントがある。池のほとりに近い倒木のとある枝一本がそれである。かわせみの姿を追う「亀吉(カメラ狂)」たちは、早朝から三脚を立て、三、四十センチもあろう望遠レンズを大砲のように並べて待っているのである。多い時には、その数が十名を超える。そんなにも高待遇で迎えられる野鳥がかわせみなのである。
 それが、ふらふらと歩いて、たまたま望遠レンズ付きカメラをぶら下げていて、ばったりと遭遇できたのだから、きっと「反魂草」で呼び返された人たちの魂の、好意かいたずらであったのではないかと密かに思ったりしている…… (2002.05.27)

2002/05/28/ (火)  歳を重ねても、とことん頭脳を鍛えて勝負、勝負!


 以前、ある損保会社のシステム部員たちに対する二泊三日の合宿セミナーの講師を仰せつかっていたことがあった。その会社は社員の大半に一年がかりで実施するという熱の入れ込みようであった。その時、やや驚いたのが、新任の社長、優に五十歳は上回っていたはずであるが若手に交じって受講されたことであった。保険業務ではその道何十年のキャリアがあったのだろうが、システム関係は素人に近い状態であったためということであった。また、その社長は、当時システム技術者の登竜門とされていた初級の資格試験も受験するつもりで勉強をされていたとかでもあった。
 会社トップが、ラインの仕事の詳細をどの程度認識する必要があるかは、意見の分かれるところではある。しかし、ことコンピュータ・システムに関する業務の会社のトップであれば、多少なりともシステム領域に明るいことが望まれるであろう。システム関連技術者の仕事は、他の多くの業種の仕事と確かに少なくない共通点を持ちはする。だが、また異なる点も数多くあるのだ。特殊とも言える仕事上の悩みもある。そんなことへの妥当な推測ができなければ、人事上で采配を振ることは難しいかもしれない。

 中小零細企業のトップであれば、この点はさらに大きいと思われる。まして、ソフトウェア関連領域では、技術上がりの独り社長が会社を運営しているケースも少なくないのである。会社運営の諸々の条件の中で、技術力それ自体が重要なウェイトを持つのであるから、トップといえども業務内容に精通していることの方がふさわしいに決まっているだろう。
 だが、若手技術者といえども手をこまねくほどに技術革新が早く、また領域も多岐にわたる。よほどの自己啓発心と気力がなければやってゆけない課題である。

 わたしも今、これまで関心をもって遊び心半分で携わってきたある技術ジャンルに関する自学自習に熱を入れようとしている。おまけに、そのジャンルの試験を受けるつもりの勉強を始めてもいる。
 小さな会社が少しでも将来のことを考えるなら、一番手空きのトップが「斥候」の役割を果たすのはあながち唐突な話でもなく、むしろ妥当なことだと思っている。まして、具体的にこのジャンルのトップ営業をしたり、若い後進の教育を想定したりする際には、それなりの実践性があると考えられるからである。
 問題は、その安直ではない役割がどこまで可能かという点である。記憶力がメキメキ衰えているのを自覚している昨今だ。集中力も一頃の自分を思い出すなら、心もとない。体力なんぞは、見る影もない。だが、やれそうな直感だけが挑戦心を支えている。

 受験を自己目的になどにしないぞ、といきがっていたが、いざ、模擬問題を覗いてみると思惑が狂ったものだった。模擬問題は、自習時におけるその領域の対象に対する主観的で甘い認識度を容赦なく突いてきたのだった。若いこではないが、「〜っていう感じーかなあー」なんて流している部分に、詳細なレベルの詰問がビュンビュン飛んでくるのである。
 よし、わかった、その水準を要求しているんだなと再考させられ、むしろ自習のための良き指南役を得た思いでありがたく感じたりしているのである。
 とかくアバウト(=要するにボケ!)になり始めるこの年代、昔鍛えたこの頭脳、そうそう楽にはさせるものかと力んでいる昨今なのである…… (2002.05.28)

2002/05/29/ (水)  学習・教育とは、コミュニケーションにほかならない!

 昨日書いたように、今、自分にとっては不慣れなジャンルについて学習しているところだ。そこで、学習するとはどういうことなのかについて気になったので書いてみようと思う。これは多分、他人を指導したり、指導書やテキストを書く際にも重要なことであるに違いないと思われる。

 優れたテキストなり、参考書というものは、指定された該当者ならば、まるでなだらかなスロープを歩んで行くように何の抵抗もなく先へ先へと進んでゆけるものであろう。
 歩みながら、「なるほど、なるほど」と合点してゆけるに違いない。しかし、大抵はどこかでつっかえたり躓いたりしがちである。この時、普通は学習者側が、自分はどうしてこう物分かりが悪いのだろう、自分はとんでもないバカではないのかと「自虐主義」となるのも相場である。それが真実の場合もないわけではないのだろうが、それを言ってはいけない。それを言っては、教育の「放棄」が始まる蟻の這い出る隙間を作ることになる。そして早晩教育は「破綻」に行き着くことになる。大袈裟な表現ではあるが。
 どちらかと言えば、指導書側の問題であることが多いのではないかと考えたいのである。いわゆる十分な理解を促すための歩幅が、急に広くなっていたりしていると、そこが躓きの石となってしまうケースがまま見受けられるのだ。

 ところで、「なるほど、なるほど」と合点することが理解と認識を助け、これを重ねることこそが学習の本義だと思っている。
「こうなってるんですから、とやかく言わずに、そういうものだと思ってください!」とほざく、まるで外務省の役人みたいな教師やトレーナーが時々、いや頻繁にいたりする。これは、悪しき丸暗記主義に毒された似非(えせ)教育者以外の何者でもない。こうした人々に遭遇した時は、決して授業料を惜しいと思ってはならない。速やかに退去すべきなのである。参考書なら捨てるべきである。コンピュータ・ウィルスのような妙な先入観を与えられ将来が毒されるくらいなら、潔く授業料を捨てなければならない。またまた大袈裟な表現となった。

 学習・教育とは、コミュニケーションにほかならないのである。学習者側のこれまでの体験とそれに基づくものの考え方に、新しい対象なりジャンルにおける独自の考え方がいかに馴染んでゆくかというコミュニケーションのはずなのである。
 これまでの日本の教育の多くの失敗は、後者を、前者の無視またはないがしろの上で一気に注ぎ込んでしまおうとする無謀さに原因があったはずなのである。しかも、考え方とかといった高度なものではなく、切れ切れとなって脈絡を失った知識という断片を「グイ飲み!」させてきたのではないだろうか。だから、いつか学習者がすべてを吐き出すこともあったはずなのである。
 最良の教育というコミュニケーションは、学習者側がどのような考え方、つまりどのような論理的処理方法に馴染んでいるかを知った上で、新しいジャンルの独自な論理的処理方法を紹介し、学習者の既存の論理的処理方法の側からの接近を助けることだと思われる。これが叶えられれば、学習者は「なるほど、なるほど」と合点するに違いないのである。そして、新しいジャンルの考え方が、学習者側にしっかりと根をおろし、その学習者による新たな展開も図られるのである。

 これからますます生涯学習へのニーズが高まってくるはずである。中高年の人々が学習をする際、長い人生で頭の中にはその人なりの考え方、論理的処理方法が詰まっているはずである。子どものように真っ白ではないはずだ。(頭の外の頭髪は真っ白ではあるが……)
 学習者たちの既存の考え方とどこがどう異なり、それはどんな実利性からそう定められているのかといったアドバイスがきっと良い教育効果を上げるに違いないのである。

 久々に学習者らしい学習者となってみて、参考書に対して悪口雑言の文句を言いながら学習しているかわいげのない小生なのである…… (2002.05.29)

2002/05/30/ (木)  カタツムリのように家を移動させてしまう人々の愛と勇気とコミュニティ!

 もうすぐ梅雨の時期となる。梅雨といえば紫陽花、そして大きな葉をホームグラウンドとするカタツムリ。
 いうまでもなくカタツムリは家を背負って移動する。家とともに移動するのはカタツムリだけかと思っていたら、そうでもないことがわかった。いずれもNHKのドキュメンタリー番組がニュース・ソースである。

 そのひとつは、何と引越しの際に家ごと移動するまさにカタツムリさながらの風習なのである。といっても、テント生活などではなく、まともな屋根付きの木造住宅である。
 チリ・チロエ島の現代の話である。愛着のある木造住宅を補強作業の後に、巨大な二本の「そり」に載せる。この「そり」を力持ちの牛数頭に引かせ、道路や、牧場など障害物のないルートたどり、目的地に移動させるというなんとも途方もない発想なのである。
 この大騒動の理由は、先ず住宅の新築費用は値がかさみこうした家ごとを移動させた方が安くつくといった事情だそうである。また、妻とともに何十年も住み慣れ、妻に先立たれた老人が家への愛着を捨て切れないような場合、娘が住む家の近くに老人の家ごと引き摺ってゆくというような理由である。
 別のケースでは、対岸の島まで、牛たちとバトンタッチしたタグボートが引っ張ってゆくという、ほとんど幼い子どもの発想のような場面もあった。部屋じゅうに発泡スチロールを固定して、浮力をつけ、まるで品川神社の海に突っ込む神輿のようでもあり、伊勢湾台風の洪水で流される民家のようでもある木造家屋を引っ張っていくのだ。その奇想天外な光景に、わたしはビールの入ったコップを口元で止めたまま見入ってしまったのだった。
 興味を持ったのは、そうした破天荒な発想とともに、こうした大騒動が「カーサミンガ」と呼ばれる伝統的な住民たちの相互協力によって行われる事実であった。
 日本でも、飛騨高山の合掌造りの屋根の葺き替えなどは、村の住民たちの無償の協力によって行われるようだが、それと同様と思われる。伝統的な共同体(コミュニティ)が力強く生きている姿を垣間見ることができた。

 もうひとつは、米国で次第に増加しているという「RV(Recreational Vehicle)」=キャンピング・カーで常時旅をして生活する人々の話題である。
 都会での生活を捨て、余生を夫婦ふたりだけで過ごしたいと望む熟年夫婦や、大企業の務めが人間の家族としての生活をおかしていると見切った家族たち、そしてその中には三十代のコンピュータ技術者の家族たちもいた。
 将来を嘱望されたその技術者は、現在の仕事中心、マネー中心の生活は確実に自分たちの生活を破壊していると認識し、果敢な決断をしたのだった。
 こうしたRV生活者たちが米国では確実に増えてきているそうだが、それらを支えているのが、ひとつはインターネットの普及であり、もうひとつはRV生活者たちの相互協力のようだ。インターネットは、こうした人々に仕事の機会と、空間を越えたコミュニケーションの手段を与えている。また、彼らの相互協力という点では、各地に様々な施設がボランタリー主導で作られ、医療その他の不安が解消されているらしい。
 こうした相互協力の実績を見ていると、彼らがこうしたRV生活こそを、人間らしい生活を取り戻すための生きる重要なスタイルであると確信している様子が、ひしひしと伝わってきたのだった。人間らしさを回復するという課題を、行動的なレベルで認識している人々の素晴らしさに好感が持てたのである。

 われわれ日本人も、刻一刻と残酷に過ぎて行く人生の時間をいとおしみ、人間らしい生活を念頭に置きたいと願う。家を背負う替わりにマイホーム・ローンを背負って雁字搦めとなっているわれわれは、「カーサミンガ」よりスマートなのだろうかと振り返ってしまった…… (2002.05.30)

2002/05/31/ (金)  「とかげの尻尾切り!」の手品が通用しなくなった現代!

 防衛庁に対して情報公開を求めた人たちの信条をも含む個人情報をリストにしていた問題が注目を集めている。折からの「個人情報保護法案」審議で、最も警戒すべきが誰であるのかに関する材料をタイムリーに提供したようで興味深く思えた。
 それはともかく、防衛庁は、不祥事に対する行政機関のお定まり答弁よろしく「個人の仕業!」だと言い抜けようとしているようだ。国民は「そんなワケがない、組織的暴挙に違いない!」と見ているにもかかわらずである。これは、以前の外務省の機密調査費の杜撰(ずさん)な管理で一課長の責任とされてしまった事件にも通じる。

 思うに、良きことにせよ悪しきことにせよ、個人の名誉や責任が取りざたされるような組織は、個人尊重が徹底している素晴らしい組織だと言えるだろう。そんな組織では、個人尊重の内部議論の結果、情報公開が外部から要請されずともなされているであろう。不正が行われれば、自浄作用が働くであろう。もしなされない場合にも、その処置に対する組織内部の個人による内部告発なり異議申し立てなどがあったりすることが現代的な趨勢ではないだろうか。
 だから、摘発された不祥事だけが個人の仕業であり、個人の責任であるというような組織はまず実在しえないはずだと推定されるのではないか。これが常識的で論理的な推定だと思われる。

 にもかかわらず、不祥事を個人の責任としてしまえる組織は、自己撞着、自己矛盾に陥る組織だと言えそうだ。いわゆる「とかげの尻尾切り!」として表現されてきた事態であるが、この「手品」が次第に成立しえなくなっているのが現代だと言えるのではないのだろうか。
 この手品を成立させていた基盤は、組織の一枚岩的な凝集力であろう。組織のために動く個人と、その個人たちをどこまでも庇護(ないし追跡)してゆく組織という図式なのである。「とかげの尻尾切り!」とは、要は引責者のその後を補償(ないし抹殺)するということなのである。この両面に致命的なほころびが生まれているのが現代だと言わなければならない。組織のために死をも辞さないという個人はいなくなった。(自爆テロを選ぶ者たちを支える文化、宗教を現代のわれわれは持ちえない!)また、引責と不遇を強いることとなった個人をどこまでも庇護(ないし追跡)し続けるパワーが失われているのが現代組織なのではなかろうか。
 ここから、「とかげの尻尾」たる個人の暴露と反逆(?)の可能性が増幅されているのが現代だとも言えよう。ムネオ議員の議員辞職勧告決議に賛同しえない政党は、その可能性を読み込んでいると言っても間違いではないのであろう。

 したがって「とかげの尻尾切り!」をいまなお敢行する組織は、きわめて大きなリスク・テイキングをしていることになろう。さらに、その敢行は、不可避に組織内部の要員に対するモラール(士気)低下に帰着することとなるに違いない。組織による指示で行動しても不遇に遭遇するのならば、組織に対して良かれと思って個人的判断で動く行動などはもってのほかだと考えるのが通常人ではないだろうか。組織内の要員たちは、「構造改革」が指し示す個人の自律性を反故にして、組織同調的な「枯れ木も山の賑わい」的存在になってゆく(もはやそうであるのかもしれないが)ことは想像に難くない。
 以前に、兵士が自らの判断で動く部隊を編成するアメリカ陸軍の話に触れたが、もし日本が米国の動向を何よりも気にする国であるとするなら、この米国の動向に真っ向から反するような組織の扱いに対して慎重となるべきではないのか…… (2002.05.31)