[ 元のページに戻る ]

【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2002年11月の日誌 ‥‥‥‥

2002/11/01/ (金)  「はやくち」時代にあっての優れもの、救世主!
2002/11/02/ (土)  みんな、この時期、必死の思いで年を越す算段をしているに違いない!
2002/11/03/ (日)  生きることの鮮やかさと死ぬことの辛さという厳粛さを教えるものたち!
2002/11/04/ (月)  「蛇(じゃ)の道は蛇」のなんとはなしのかっこよさ!
2002/11/05/ (火)  「昭和三十年代」の風物や、時代劇へのレトロ的関心が?
2002/11/06/ (水)  『菜根譚(さいこんたん)』に何かを探り出したい……
2002/11/07/ (木)  カブトムシの「電池を交換すればいいよ」!?
2002/11/08/ (金)  脳機能の健全な発達と維持に関する環境にもっとシビアな関心を!
2002/11/09/ (土)  「男の文化大革命」前夜という大変な事態ともなっている?
2002/11/10/ (日)  やはり「幸福でありたい症候群」を見つめなおすべきか?
2002/11/11/ (月)  「幸せ感」を生み出す熱中できる対象をどう見いだすかが課題?
2002/11/12/ (火)  持って行きようのない「負のエネルギー」を作ってはいけない!
2002/11/13/ (水)  人にとっての「盲点となった領域」に真の原因は潜みがちなのかも……
2002/11/14/ (木)  「盲点」を自覚して、それらをつぶせば「創造力」に至るか!?
2002/11/15/ (金)  「盲点」を生み出す「固定観念」は、文明の必然なのか?
2002/11/16/ (土)  思考の「盲点」は、外部に起因するだけでなく……
2002/11/17/ (日)  もの想う晩秋に、枯葉をながめてもの想う……
2002/11/18/ (月)  今後の苦境に有効なトレランス(tolerance、「耐性」)はどう培われるのか?
2002/11/19/ (火)  生きる「原型」と、その「原型」に拮抗する逞しいトレランス!
2002/11/20/ (水)  最も大事なことにのみ視線を向ければそれでいい……
2002/11/21/ (木)  「死」という問題への心の対応に、まるで「丸腰」な現代?
2002/11/22/ (金)  「潜在的」疲労に、ホンネを言わせるのも芸のうちか?
2002/11/23/ (土)  春夏に遊びほうけたキリギリスは、冬の底冷えに耐えるべし!
2002/11/24/ (日)  「明日があるもんで」とかで断られるおつきあい!
2002/11/25/ (月)  人生における「実力」という看板と、「運」という実体!
2002/11/26/ (火)  「ひきこもり」は、やはり現代的な重要な問題なのだろう……
2002/11/27/ (水)  人間は、自分の "InitialPosition" を持つことが宿命!
2002/11/28/ (木)  「君の意志の格律が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」
2002/11/29/ (金)  先ずよ、『因果は回る糸車』ってぇやつだなあ……
2002/11/30/ (土)  苦労なさったんだから、でいじに使うがいいぜ! <昨日のつづき>





2002/11/01/ (金)  「はやくち」時代にあっての優れもの、救世主!

 新製品として感心させられる商品は、そう多くはない。そんな中で生活感覚に密着して工夫されたと思えるような堅実な商品には目が向く。
 もうだいぶ以前の話となってしまうが、別居する年老いた父母の消息(?)を、しっかりと気になる子たちに伝えてくれるという「電気ポット」には、ほおー、という納得感が伴ったものだった。年寄りが茶を飲むことで常時しようする電気ポットと、電話回線とを連結させて、年寄りが元気で過ごしている状況がモニターできるという仕組みである。
 監視というような視点ではなく、「人知れず倒れる」という老人にありがちな不幸をできるだけ早くキャッチしようという主旨のようなのである。これに似たものとしては、水洗トイレの水の使用をトリガーとしたものもあったようだ。

 昨夜、NHKの深夜のニュースで、ラジオ放送に関係した興味深い新製品が紹介されていた。ニュースその他の人の話し振りを、特殊なメカニズムで聴き取りやすいゆっくりとした話し振りにリアルタイムで変換(「話速変換」)する、しかも音質の高低などを維持したままで変換するラジオが、音響メーカーの日本ビクターで開発されたという内容であった。ニュースの中で、実際どのように変換されて聴き取りやすくなるのかが紹介されたものだから、へぇーと思わされた。
 NHKが、民間企業の新製品の動向を実演サンプル入りで紹介すること自体がめずらしいのだが、決して違和感はなかった。その背景には、ラジオ聴取者には結構な数のお年寄りがいること、また意外にもお年寄りのラジオ深夜族も多いという実情が横たわっているからなのかもしれない。

 わたしが、ラジオを聴くのはクルマの中と風呂場の中である。とりわけ長風呂のわたしは、いつしかラジオの音声がないと物寂しいような習慣がついてしまった。しかも、深夜であることが多い。NHKの深夜番組であることが多い。
 湯舟につかって、懐かしい昔の歌謡曲やニール・セダカなんぞが聞えてくると、身体も心も温まるといった按配である。まして、時として落語特集で、志ん生なんぞが飛び出して来るってーと、のぼせる直前まで聴き入ったりしてしまう。
 そんな状況で、最近違和感を持っていたひとつの事態は、風呂場の中の反響性ということもあるのだろうが、トーク番組などで言葉を聞き漏らすことだった。
 最近の風潮として、会話速度が速ければスマートなのだという変な思い込み風潮がありそうだ。だからということもあるのかないのか、テレビのトーク番組で会話中に字幕を流しているものさえある。
 ラジオのアナウンサーでも、さすがにニュースの際には明瞭に聴き取れる話し振りではあるのだが、ラフな番組の司会などになると、肝心の出演者の名前を口にする時など、「それでもアナウンサーかい?」と言いたくなる無配慮な流し方で口にする者もいたりする。こちとら、この歳になると、この人は声で誰だとわかっていながら、名前が出てこないといったなんとも奥ゆかしい症状が少なくなかったりするのだ。そんな時、早く司会者が「名前」を呼ばないかな〜、と思ったりする。にもかかわらず、「フニャフニャさんは、デビューしてから何年になりますか?」と、聴き取りにくい口調でやられると、「このー!」という感じで、非常にストレスが高まってしまうのである。のぼせてるところへもってきて、血圧を上げればどんな危険なことになるかぐらいは、天下のNHKアナウンサーなら十分に配慮すべきなのだ(?)……

 インターネットというニュー・メディアも大いに尊重する一方で、どんな動作をしていても情報を入手できるラジオの価値は捨てがたいと常々思っている。だから、ばらつきのある音声メディアの聴き取りにくさを、「話速変換」して補完するという営為は、年寄りではなくとも、いや年寄りだからか、やっぱり優れものに違いないと感じたりしている…… (2002.11.01)

2002/11/02/ (土)  みんな、この時期、必死の思いで年を越す算段をしているに違いない!

 歩き出せば汗となることはわかっていても、この薄ら寒さではもう厚手のトレーナーが必要だと思えた。外に出ると、澄んだ秋の青空を背景にしてそこかしこに羊雲(ひつじぐも)が散らばり、いかにも自然風景を感じさせる光景が目につく。おまけに頭上にはさほど濃い色ではない雨雲が覆っていた。地上の見慣れた街並みとは対照的な、不思議な雰囲気の空が新鮮な感触で目に映った。
 しばらくすると、ぱらぱらとにわか雨が降り出してきた。降られ続けることへの心配にはとらわれなかった。むしろ、一面に漂ってくる香り、夏の日の夕立がもたらすような大気中のほこりのにおいを意識させるような香りが、すがすがしく思えたりした。
 ふいに、「ランドスケープ(landscape、風景)」という言葉が浮かんできた。こんな街中で、そんな言葉は不似合いには違いないのだが、種々の雲で彩られた秋の空やにわか雨がもたらした雰囲気は、くすんだ色調で描かれた油絵の中の「ランドスケープ」に通じるニュアンスがあると思えたのだ。

 小雨が降る遊歩道のアスファルトにパンくずでも見つけたのか、小柄のカラスが降りていた。人影を知ってか、急いで舞い上がり、近くの街路灯の笠にとまった。浅い三角帽のような笠は雨で濡れて、傍目(はため)からはいかにも滑りそうに思えたが、カラスは巧みにおさまって、咥えたものをしっかりもぐもぐと食っていた。歩きながら横目で見るとはなく見ていると、何でもない自然の光景が、乾いているのであろうか、そんな心を潤してくれているのかなあ、という思いに浸された。

 道路沿いには、宅地化されずに残され続けた田畑があったりする。そうした一角で、農家の老夫婦が、畑からさつま芋を掘り起こしていた。突然掘り起こされた赤紫色のさつま芋たちは、黒い泥のついたまま寄せ集められ、畑の各所でいくつもの小山を作っていた。いかにも栄養価があり、うまそうな容貌をしたさつま芋たちであった。
 道路わきに停められた軽トラックが、さつま芋たちを積載するのを今か今かとまっているようであった。しかし、これで農家の老夫婦たちは、どれだけの現金収入を手にするのだろうか、とさもしいことも考えたりしていた。

 自宅近くまで戻った時、近所の寺の境内に人影のあるのが見えた。ふだんは閉じられている扉が開け放たれていたのだ。数人の男たちが境内の真中で打ち合わせていた。
 あっ、そうか秋祭なのかなと思い、境内を覗くと、出店の場所を仕切るかのようにビニール・テープのようなものが、「分譲地」を示すようなかたちで境内の各所の地面に貼り付けられてあった。してみると、談合中の男たちは、寺の責任者、町内会役員、テキヤ代表といったトップ会談であったのだろう。
 この不景気な時代、そして薄ら寒い風が吹き始め今年も終盤戦に入ったこの時期、さぞかしテキヤ稼業の方々も「とにかく稼ぎたい!」という思いがはちきれんばかりなのであろうと、重々想像できた。
 事務所の近くで、「大学開校」工事が大詰めに入っているが、昨今昼食時前になると、工事関係者向けの安上がりランチを売る軽ワンボックス・カーが増え始めているみたいだ。通りがかりにはじめてそれを見た時、クルマに積み込んだ箱類や、ポットなどを降ろしているのを、一体何だろうかと首をかしげた。いろいろと推測してみるに、工事関係の職人さん向けのランチだったのだ。確かに、工事が大きいだけに、彼らは大勢いる。しかも、駅前商店街からはやや距離があるため、チョンガーの職人たちは昼食に苦労しないわけではなさそうだ。その窮状=市場ニーズに対して、気が利く者が軽ワンボックス・カーで駆けつけたということなのだろう。商売のこうした文脈については、「わかるなあ〜」とじわーっと思ったものだった。みんな、この時期、必死の思いで年を越す算段をしているに違いないのであろう。

 いつも同じコースの小一時間のウォーキングではあるが、飽きる気分が半分と、不思議なくらいに新鮮な気分となれるのが半分の、おかしい日課となりつつある…… (2002.11.02)

2002/11/03/ (日)  生きることの鮮やかさと死ぬことの辛さという厳粛さを教えるものたち!

 今日の空は、秋晴れでまぶしいほどに明るい。
 昨晩深夜に、十四年生き続けた飼い猫、「ぐり」が死んだ。家人とともに今朝、庭の片隅に埋葬してやった。

 最近はやたらに食べたものを戻す状態が続き、身体も見る影もないほどに小さくなっていた。この一、二週間前からは、やっとのことで歩ける程度の衰弱ぶりであった。
 可愛がり、その分よくなついていた家人の落胆ぶりと悲しみようはあまりあった。わたしにはさほどなつかず、どちらかといえばわたしを避けてさえいた「ぐり」であったが、最期の姿を見た時には、やはり哀れさがこみあげてきた。
 可愛がってもらったとはいえ、この人間世界の片隅で居候として過ごし、小さく、小さくなってあの世へ戻って行った生きものが、生きることの鮮やかさと死ぬことの辛さという厳粛さを静かに訴えているように思えたからだった。

 「ぐりが、今、死んだ……」と涙声で書斎に知らせに来た家人は、無条件に動物をいたわるものだけに、その死を予期はしていたものの悲痛さを隠そうとはしていなかった。
 彼女にとって、「ぐり」は特別にかわいかったのかもしれない。そもそも、「ぐり」とは、ねずみの童話の「ぐりとぐら」に由来しており、太ったオス猫の「ぐら」と兄妹であった。
 「ぐら」は、生まれて間もない頃に、「ぐり」や「ぐら」の母親猫(「ホルスタイン」)の恋敵のよその猫に襲われ、腰の一部を食いちぎられた。ハンディを背負ったまま育ったが、それゆえに短命で終わってしまった。
 が、「ぐり」は、幼い時のショックもあってか、人一倍(猫一倍?)臆病で、万事慎重に振る舞うこととなったようだ。そんな「ぐり」に、わたしはどちらかといえば多少の違和感を感じ続けていたので、その分彼女はまさに「猫っ可愛がり」していたのかもしれない。さらに、正式には飼ってやれなかったその母親猫「ホルスタイン」への捨てがたい思いもあるのかもしれないと想像している。何とも情の厚い猫であったからだ。
 黒と白のまだら模様ゆえに名づけられた「ホルスタイン」は、彼女がすぐ近所の店に買い物にゆく時にも、いつも慕ってついてゆくありさまであった。わたしが庭で日曜大工をしている時にも、わたしのそばに座って、じっと作業を見ているくらいであった。玄関の戸を開けると、飛び込んで入ってきて、階段を駆け上り、二階の部屋に上がり込むのがくせであり、よほど正式に飼ってもらいたかったのかもしれないと思い出す。
 「ぐり」や「ぐら」の父親猫は、わたしの記憶の中でもいまなお伝説的に生きている「とら」である。町田の隠れた名物と言われた、とあるおせんべ屋からもらってきた、トラ模様で風格のある猫であった。喧嘩も強く、自由奔放な猫であった。

 「ぐり」が亡くなったことで、「とら」に始まった一族との、二十年ほどに渡る「旅は道連れ」の生活に、小さな終止符が打たれたことになる。振り返れば、彼らは、東京の町田で仕切り直しをはかって始めたわが家の生活に、間違いなく、ほっとする心の癒しとなぐさめを与え続けてくれたと感謝している。
 一緒に生活する動物たちには、手間もかかることは確かだが、彼らは、高度な文明のただ中でまるで迷子となってしまったような人間たちに、生きることと死ぬことという、命あるものの光と影という事実をしっかりと教え続けてくれる貴重な存在なのである。
 もちろん、無邪気な彼らの振る舞いは、日々の生活の疲れやささくれ立ちがちな気分を不思議なほどに拭い去ってくれる。何の役にも立たないと見られている彼らが、人が生きる上で無視できない元気と勇気の根元(ねもと)に、静かに水を差してくれているのかもしれない。
 自分のウォーキングを優先させ、しばらく遠出をさせていなかった飼い犬の「レオ」を、明るい秋空のもとの散歩に、久々に連れ出すことにした…… (2002.11.03)

2002/11/04/ (月)  「蛇(じゃ)の道は蛇」のなんとはなしのかっこよさ!

 「蛇(じゃ)の道は蛇」ということわざがある。蛇が通る道は仲間の蛇にはよくわかるというほどの意味である。英語では次のように言うらしい。
 "Set a thief to catch a thief."(泥棒は泥棒に捕まえさせよ)

 どういうわけだか、この発想がなんとなく気に入っている。かっこいいと言うか、合理的というか、はたまた「いき」だと言うか、とにかく頷き、気にいっているのである。
 先日も、『フーテンの寅次郎 男はつらいよ』の中で、「そう、これだこれだ!」といった場面があった。またまた岡惚れした婦人に接近する寅次郎は、通っているうちに、そのご婦人宅で、英会話教室のため庭に教室用の部屋を増築中であることを知らされる。だが、その建築作業は一向に進まないため、ご婦人は嘆いている。請負の棟梁は、寅次郎の幼なじみということもあり、寅次郎は一肌脱ごうとする。
「あっしに任せておくんなさい。英語がどうこうということでは何のお助けもできやしませんですが、こういったことに関してはあっしが……」
 男の世界の周旋については、自分のホームグラウンドなのだと心得ているような寅次郎が、まさに「蛇(じゃ)の道は蛇」の意をそのままに、事態をてきぱきと処理してしまうのである。

 「蛇(じゃ)の道は蛇」の第一の要点は、その道の「仲間」関係という点であろうか。その道に奉じてきたもの同士であるがゆえに、仲間のことは、表はもちろん裏も、弱点も知り尽くしてしまっている濃密な関係である。気が置けないだけでなく、ごまかしが効かず油断もできない関係なのである。
 そこには、その道の玄人(くろうと)たちが玄人となるために培ってきたもの、耐えてきた苦労、抱えてきた一抹の不安や懸念などがのっぴきならないリアルさで横たわっているものと想像されるのである。玄人といった上等な部類ではなく、その道での長逗留者というような場合でも、概ね同じようなことが言えるのであろう。
 この「仲間」関係があるからこそ、つーかー的に端折ったやりとりで事が進むのが、なんとも「いき」な感じがするわけなのである。

 次に、「蛇(じゃ)の道は蛇」的な場面には、「〜についてはわたしにまかせてもらえませんでしょうか」と言って、突如として登場する変人などがつきもののような気がする。人気番組『プロジェクトX』にも、よくこんな場面があったかのように覚えている。
「……その失敗で、事態は白紙に戻された。みなが首をうなだれて、黙った。一人だけ、壁を見据えて、燃える者がいた。△△だった。△△は、静かに、部長の前に歩み出た。『部長! あの猫のノミ取りについてはわたしに任せてください!』 その日から、△△の不眠不休の取組みが始まった……」(このくだりは、フィクションであり当番組とはいっさい関係はありません、念のため)
 この際、猫のノミ取りであろうが、ごきぶり退治であろうが何でも差し支えない。この分野に関しては、威張れたものではないとしても、人知れず苦節十年、二十年の無駄飯も食ってきたのだという、その姿勢が、なんとも心の琴線を震えさせずにはおかないのである。つまり、「蛇(じゃ)の道は蛇」のかっこよさの第二の要点は、「専門性」(オタクも含めてあげよう)と言ってよいに違いない。

 「誰か『蛇』はいないものだろうか?」との、難儀を抱えてしまった人のつぶやきに向けて、「ふつつかながら、あっしに、任せておくれでないか」(別に時代劇調である必要はないが)と颯爽と登場したいものじゃありませんか…… (2002.11.04)

2002/11/05/ (火)  「昭和三十年代」の風物や、時代劇へのレトロ的関心が?

 昨今、レトロ・ブーム的に「昭和三十年代」の風物や、おまけに時代劇が若い世代の一部にも関心を持たれているとのことだ。
 「昭和三十年代」のなつかしい街の一角を、駄菓子屋や裏通りを含めてリアルに再現した屋内空間が、横浜だか川崎方面にあると以前聞いたことがあった。が、最近は、お台場のビル内にも、その他各所に人気スポットとしてオープンしているらしい。
 デフレ不況で消費動向の渋さに業を煮やし、消費ネタを模索した挙句にたどりついたのが、「昭和三十年代」の風物ということなのであろうか。

 その筋のものに言わせると、このテーマだと、文字通り「昭和三十年代」の子ども時代をなつかしむ団塊世代と、そしてその子どもたちの世代という両世代をダブル・ターゲットとして狙い撃ちできるのだそうだ。
 われわれの世代なら、確かに、哀愁を感じるほどの懐かしさがあることは言うまでもない。アスファルト以前のほこりっぽい道路や、木造がほとんどであった建物の町並み、どの裏道路にもやってきた紙芝居の自転車、そしてなんといっても真打である、地域の子どもたちの社交場でもあった駄菓子屋など、話し出せば思い出が尽きない風物である。
 若い世代は、当然のことながらわれわれが脳裏に秘めたような生活体験など何もない。でも、興味を感じるそうなのである。知らないがゆえに、「新鮮な印象」を抱くのだという。

 しかし、ひょっとしたら、それは単なる「新鮮な印象」にとどまるものではなく、もう少し根の深いものを感じ取っているのかもしれないような気もしないではない。つまり、「昭和三十年代」頃までは残っていたであろう、「生活空間の中の人間味」を、そんなものが見事に脱色されてしまった時代に登場した若い世代が、人為的に再現された空間の中でさえ何となく「残り香」を嗅ぎ取ったりしてはいないか、と思ったりするのである。
 当時にくらべると、現代の生活環境は明らかに清潔であり、合理的であり、スマートである。だが、そうであるために犠牲にしたり、失ってしまった貴重なものも少なくないのではなかろうか。

 わたし自身は、「昭和三十年代」に対してアンビバレンツな印象を抱き続けている。懐かしい対象であり、貧しい庶民たちの中に「人間味」が生き続けていた時代としての「昭和三十年代」がひとつと、もうひとつは、「経済成長」の流れの中で、まさしくイージーにそうした「人間味」を手放して行くことになった自分たちへの羞恥であるとでも言えようか。この思いに関しては、すでに『かもめたちの行方』という小説もどきの中で十分に書いたつもりでいる。
 この現代が、人間にとって住みよい時代であるかどうかは人さまざまだというほかないだろう。また、将来をも展望するなら、まさしくなんとも言えない。しかし、今現在についてのわたし自身の感想としては、「昭和三十年代」以前よりも、現代という時代は「すさんでいる」という思いしかない。

 時代は、常に向上しているに違いない、という思い込みに、人はとかく浸りがちである。しかし、そんな保証はどこにあるわけでもない。あるのは、そうであってほしいと願う人の心だけだと冷徹に現実を直視すべきなのであろう。
 とかく、ブームというものは商業主義的に火蓋が切られ、移ろいやすく過ぎ去ってゆくものだ。今かりそめに人々が目を向けている「昭和三十年代」の風物も、やがてまた忘れ去られてゆくのだろうか。しかし、過去を振り返った際に、その時代よりも現代という時代が、人間的に豊かであるのかどうかを問う、そんなへそ曲がりな視点もあってよいと思っているのだが…… (2002.11.05)

2002/11/06/ (水)  『菜根譚(さいこんたん)』に何かを探り出したい……

 どちらかと言えば、わたしは政治的な問題でも口角泡をとばし自己主張するタイプである。宗教関連の微妙な問題でも平気に口にしてしまう。要するに、いい歳をしていて青いといえば青い。
 先日、何かを読んでいてふと目にとまった文章があった。
「政治と宗教の話はパーティでは禁物!」というような意味の文章であった。うーん、なるほどなと思った。また、こういうことに目がとまるほどの歳になったのだな、とも思ったものだった。
 以前から関心を持ち続けながら、いまひとつ真剣になれなかった書籍、『菜根譚(さいこんたん)』(洪自誠の著。十七世紀の中国古典)には、「節義、道徳を標榜しない」として、同じ趣旨の言葉が次のように表現されているのである。

「節義を標するものは、必ず節義を以って謗りを受け、道学を榜する者は、常に道学に因りて尤(とがめ)を招く。故に君子は、悪事に近づかず、亦善名も立てず、只渾然たる和気あるのみ。纔か(わずか)に是れ身を居くの珍なり。」

……節操のあることをほこりとする人は、必ずその節操のために非難を受け、道徳の学を看板にし自慢にする人は、いつもその道徳ということが原因してとがめを招くものである。だから、君子の心がけは、悪いことには近寄らず、またよい評判もことさら立てないようにして、ただ円満で温和な気持ちを守っているだけである。それではじめて、最高の道に身をおくことができる。(講談社学術文庫『同』)

 たぶん、自分は、周囲の人から見れば歴然とした「主義主張」者なのであり、何かの際には、「いや、彼はいささか考え方が穏当ではないので、如何なものでしょうか……」などと、必ずやチェックを入れられている類の輩のはずである。
 また、別の表現をするなら、わざわざ敵を作るような言動を平気でしてきたタイプだとも言える。それで一向に構わない、とやや開き直る姿勢がなきにしもあらず、のこれまでの人生であっただろう。
 それを今更という思いがないわけでもないし、ここで変われるものかどうかも怪しい。だが、避け続けてきた『菜根譚』を昨今つらつら目をとおしているうちに、「なるほど」感がやたらこみ上げてくるのが不思議といえば不思議なのである。
 最も重要なものは何かを自問する時、思わず「カネ!」と叫ぼうとする下品な自分がいないわけではないが、よくよくたずねてみると、「心の平静」という平凡な答がでてくるような最近であるかもしれない。

 もうだいぶ前になるが、ある年配の方が当社に出入りされていたことがあった。七十歳を超えていたが元気で、アグレッシィブな方であった。どちらかと言えば、わたしはその元気さ、前向きさに好感を持っていた。
 が、ある時当社の若い世代のある者から、「歳とってあんなふうにアクセクした感じでいるのはどうも……」という感想を耳にして、意表をつかれたものだった。今、ふとそんなことを思い出したりしている。

 「心の平静」というような言葉に魅了されている自分の心境を見つめる時、昨今いろいろと考えている「西欧文化(どちらかといえば米国の文化かもしれない)」と、「東洋文化」との関係の問題や、現代における「熟年文化(?)」の問題をまともに考えてみなければならないなあ、と思ったりしている。
 結論めいた言い方をするなら、いよいよ団塊の世代が熟年世代へと大突入してゆこうとしてるにもかかわらず、社会的に準備ができていないのは年金問題などの財政的側面の問題だけではなく、高齢者にとっての文化が荒れ放題に荒れたままではないのか、というちょっとした危惧なのである。
 高度成長の日本経済は、米国風の若年文化によって伴奏され、ピークへと登りつめた。団塊世代はまさに、その伴奏曲で身体も感性も踊り続けてきたのではないか、という気がしている。未だに、もはや賞味期限の過ぎた当時のアメリカン・ポップスを聞けば、若いつもりとなってしまう自分たちのようだ。それで悪くはないと言えばそうも言えるのかもしれない。青春は「フォーエバー」といって空しく笑うこともできよう。
 しかし、違うような気もしてならないのである。身体と心の変化とともに、それらにふさわしい自分たちの文化を見出してゆくことも必要ではないかと感じたりしている…… (2002.11.06)

2002/11/07/ (木)  カブトムシの「電池を交換すればいいよ」!?

 先日、ペット・ショップに出かけた時、親と一緒に猫のえさでも買いに来た子であろうか、店内に放された犬たちに興味深々の小さな男の子がかわいかった。寒い日だったからか、二本レールの水っぱなを垂らしながらであったが、なんとしても大小の犬たちとコミュニケーションがとりたくてしょうがないといった様子なのであった。怖さ半分なのであろうか、
「そんなとこじゃなくて、こうして頭をいい子いい子ってなでてあげてごらん」
と言うと、頭の後ろあたりを、ぎこちなく、それでも自己満足するためか、しばらくそうして犬の後髪をなでていた。
「おうちに犬は飼ってないの?」
と聞けば、とんちんかんに、
「おっきい犬どこ行ったの?」
と聞き返してくるありさま。先ほどまで近くで寝そべっていた大型犬が気になってしょうがないようなのだ。今自分がさわっている小型犬のように触ってみたくてしょうがないのかもしれない。
 わたしが、広い店内の奥の方へ移動して展示商品を見ていると、その子が一人で興奮して、
「おっきい犬いるよ。あそこにいるよ」
と、わたしを呼びにきたのだ。どうも、このおじさんと一緒だったら、「おっきい犬」をなでてあげられると思い込んでいたのかもしれない。

 小さな子どもが、動物に示す関心は並大抵のものではないようだ。この間も、隣に住む幼稚園に通っている女の子が、親にねだって買ってもらったのであろうモルモットだか、ハムスターだかを二匹、陽当たりのいい玄関で、膝にのせご満悦の表情をしていたものだ。
 小さな動物を育てさせ、動物たちも自分と同じ生きものであること、うれしがる感情もあれば、痛がることもあることなどを大人たちが教えられれば、子どもたちの世界ももっと広がり、想像力ややさしさで浸された感性を培ってゆくのであろう。

 子どもが飼っていたカブトムシが死んでしまい、親が悲しんでいる様子を見たその子どもが、
「電池を交換すればいいよ」
と真顔で言ったという、うそのような話があるそうだ。
 サイバーなモノづくめの日常生活の中で、生きものの死という意味が、幼い子だけでなくそれなりの年齢の者にもわかりにくくなっている異常な環境が広がっていることを思い起こさせる話である。
 「キレる」子どもや「むかつく」子どもが、食べ物の問題もないとは言えないけれど、テレビゲームによる脳への悪影響、人間らしさを促す脳の「前頭前野」の機能低下によるものが無視できない、と注目され始めている。(森昭雄著『ゲーム脳の恐怖』 NHK出版)
 ゲーム中の子どもたちの脳波はやはり異常な状態となっており、あたかも「痴呆」と同様の状態だと指摘されている。この詳細については別の機会に譲るが、現代の生活環境のすべてが、決してまともなチェックや検討を経てわれわれの前に広がっているわけなどでは決してなく、見込み発車の商業主義で牽引されていることが杞憂ではなく恐ろしいことだと思えるのだ。結果的には問題の多くがただただ先送りされている事実を、いったいどのように警戒すればよいのだろうか…… (2002.11.07)

2002/11/08/ (金)  脳機能の健全な発達と維持に関する環境にもっとシビアな関心を!

 脳波の研究によると、脳の活動状態によって、δ(デルタ)波、θ(シータ)波、α(アルファ)波、β(ベータ)波という脳波成分の波の現れ方が異なるそうだ。
 考えごとをしたり、頭を使うようにするとβ波がよく出るそうで、睡眠状態ではアルファ波が出現するとも言われている。
 また、身体の動きとの関係で言えば、歩いたり、ダンスをしたり(実験結果では、「つま先立ち反復運動」!)すると、β波が高くなるのだそうだ。

 最近のわたしは、「ジョニー・ウォーカー」ならず、「徐々にウォーカー」となり始めているのだが、そのせいか、頭脳明晰になってきたとは言えないまでも、若い時代のように鮮明な夢を見る変化だけはほぼ確実に表われてきたようだ。
 もっとも、鮮明な夢が、β波の高まりと因果関係があるのかどうかは不明なので、ただ、鮮明な夢を見た当時の若い頃には結構頭を使った覚えがあることを材料にして判断しているに過ぎない。
 だが、二百年前に日本地図(『大日本沿海輿地全図』)を作成した、あの伊能忠敬(いのうただたか)が、五十歳を過ぎてから、測量技術を学び、七十一まで全国各地を歩き回り測量したことを思えば、お釣りがたっぷり返ってくるほどに、歩くことと頭脳明晰との相関関係が頷けそうな気がするのである。

 別段、自分がウォーキングをしているから自慢気に書くつもりがあるわけではない。歩くことにかぎらず、たとえば集中力を発揮しての両手の作業なども、大脳皮質には少なからずよい影響を及ぼすそうなのである。
 「健全な身体には、健全な精神が宿る」と宣言し、体育会系のお兄ちゃんたちまでひっくるめて頭脳明晰だと言う、そこまでの勇気はないが、要するに、身体をまめに動かすことと、頭脳活動との相関関係は高そうだと言いたいまでである。
 体育会系のお兄ちゃんたちをやや蔑視したかの印象があるので、つくろっておけば、彼らが頭脳明晰かどうかは議論の余地があったとしても、行動力を引き起こす意思の力の可能性は十分に評価できるのかもしれない。企業が、そうした彼らのパワーを買おうとしてきたのは事実であるからだ。

 ここで今、頭脳活動一般と身体の各所を精一杯動かすことに着目している理由は、しいて言えばふたつある。ひとつが、自分も含め高齢化して頭脳活動が否応なく停滞するであろうこと、悲しいかな「ぼけ」もまた接近してくるであろうことなどへの警戒である。
 そして、もうひとつが、やはり現代人の生活が、決して頭脳活動によい影響を及ぼしていないのではないか、という決して小さくない危惧の念なのである。とくに、昨日も書いたテレビ・ゲームのように、幼児期から超高度な現代文明を享受してしまった若い世代の「身体を動かさない」生活への傾斜に対する懸念なのである。

 ところで、高齢化に伴う心と身体の病の社会問題化についても、政府は随分とのん気だという気がしているのはわたしだけだろうか。破綻している財政問題の視点だけに泥縄的に着目して、介護制度の中途半端なシステム化を行った。むしろ、介護がなくても元気にやってゆける事前管理や措置にこそ、もし徹底的な尽力をするならば、将来の必要コストは大幅に抑制できるのではないかと推測する。高齢者予備軍のための健康増進や健康管理に向けた対策、そして文化活動などが安上がりで案外と効果的なのではないかと考えるのだ。
 やはり、深刻に考えるべきは、若い世代に広がっていそうな「脳活動」をめぐるさまざまな問題なのかもしれないと考える。若い世代の心の病が問題視されて久しいが、いわゆる社会環境に起因する可能性も十分に追及されるべきであろうが、テレビ・ゲームやIT環境や、そして食生活などの生活環境といった「フィジカルな面に潜む現代特有の危険要素」にも、もっと鋭いメスを入れるべきではないかという気がしてならない。
 試行錯誤的な現代文明にあって、未来を担う若い世代の健全な環境をめぐっては、先進諸外国ではもっとナーバスに関心を持っているような気がするのだが、どうなのだろうか…… (2002.11.08)

2002/11/09/ (土)  「男の文化大革命」前夜という大変な事態ともなっている?

 休日の土曜日を日がな一日書斎で過ごすことはめずらしい。しかも晴れた秋の日に、外出への衝動もなく書斎に落ち着いてしまうのは、ちょっと変だ。とは言っても、日課のウォーキングを欠かしたわけでもなく、むしろ午前中早くに済ませた。いや、午前中早くに済ませたというのが変かもしれない。いつもの土曜日なら、遅くまでたっぷりと眠り、遅い立ち上がりが常であるからだ。
 何があったというのでもないのだが、「気が滅入る」という心境なのかもしれない。そこまでの「鬱」ではないとしても、「晴れ晴れとしない」心境に浸されていることは実感する。

 昨夜のテレビのニュース・ショー番組で、「男はつらいよ! と言ってみよう!」という特集を見た。初老の元マスコミ関係者が、妻を亡くした後、自殺願望に引き込まれる「鬱病」となり、入院してこれを克服したという話が報じられていた。
 「内」のことは妻に任せっきりで頼り、「外」での仕事に精を出す典型的なオールド・スタイル日本男児として生きてきた、と語っていた。いろいろな事情もあったようだが、要するに、その番組のテーマとも重なり、男の生き方もまた時代変化の中で激しく揺さぶられている、という印象を受けた。
 これを見て調子が狂ったというほど単純ではないつもりだが、こういう文脈の問題も、自分の中に色濃くあるはずだなあ、と再認識させられたと言えばそう言えなくもない。

 現在の日本の解きほぐしがたいほどに込み入った混迷を眺める時、「権威主義」関連という名の分類箱をひとつ用意してみると、やや迷うことはあったとしても大半がその箱に放り込まれるのではないだろうか。と同時に、大半のオールド・スタイル日本男児もまた、鰯の缶詰よろしくその箱に仕分けられてしまうのではないか。
「待ってくれ、わたしは確かに権威主義かもしれないが、わたしのは『良い意味』でのそれなのだ!」と叫びながら、首を猫のようにつままれ「権威主義」関連箱へと放り込まれる日本男児もまた少なくないのかもしれない。 

 今、世の中で進行している変化とは、実体が伴わない「権威主義」的権威のみじめなほどの瓦解と、権威自体のめまぐるしいスクラップ&ビルドだと言っても差し支えないのではなかろうか。
 化け物のような不良債権で呪縛された元祖「権威主義」である銀行などの金融機関、動けば動くほどにボロを曝け出す官僚機構の省庁、「権威主義」だけが唯一のアイデンティティであるとしか言いようがない政治家、政治屋たち、ネームバリューという「権威主義」を振り回すことでビジネスをやったつもりとなってきた大手企業など、希薄な実体を「権威」という隠れ蓑で覆ってきた部類が、次々と不具合を指摘されたり、みずから露呈させているのが、現代の変化と見なされている内実なのかもしれない。
 そして、こうした「権威主義」社会遂行のために、消耗品たる鉄砲玉としてあらしめられてきたのが、オールド・スタイル日本男児をはじめとした男たちなのですよ、と指摘されれば二の句がつげないわけだ。

 弱音を吐くことで何がどう変わるのかを想像できないのが、哀しいオールド・スタイル日本男児なのだろうと思う。ほかに、これといった男のスタイルを知らないのだとも言えようか。まさに今、経済不況だけが大変なのではなく、「男の文化大革命」前夜という大変な事態ともなっていることを知るべきなのか。
 メロディ優先で意味不明な歌詞のサウンドもいただけないが、男や女の感性の実態や、男の心境で、もはや完璧に現実遊離してしまった演歌や歌謡曲も、この際、もういいなあ〜 右翼街宣車の軍歌と同程度に「古い!」はずだから。
 しかし、「古い!」ものが埋まっていたその空洞を、存在感のあるもので埋められず、グワーンという虚無の響きとして感じるところに、現在の男たちのやるせなさがあるのだろうか…… (2002.11.09)

2002/11/10/ (日)  やはり「幸福でありたい症候群」を見つめなおすべきか?

 ウォーキングの途中で、書店に寄ってみた。目当てにしていた、あるソフトを付録とした雑誌が見つからなかったので、複数冊の新書版を購入することになってしまった。
 その中の一冊、『不幸論』(中島義道著、PHP新書)を手にした時、思わずつぶやいていた。<こういう"へそまがり"な視点の本がおもしろいんだよな……>
 同氏の著作では、以前に『<対話>のない社会』に共感を覚えていたのでためらいなく購入することにした。

 本の帯に記された内容紹介文には、「ハードボイルド」ともいえる響きの文章が、次のように記されている。
「真実を知ると不幸になるから、われわれは幸福になるために、正確に言いなおせば、幸福であると思い込むようになるために、必死の思いで真実を隠して生き、そして死んでいくことを決心した。
 私はどうにかしてこれを裏返してみたいのだ。人生はどうころんでも不幸なのだから、ごまかすのはやめて、真実をトコトン見すえて不幸に留まってはどうか、『気を紛らす』ことをやめて、徹底的にこの恐ろしく理不尽な人生を直視してはどうか、と提案してみたいのである」と。
 「幸せになろうね」「私はほんとうに幸せ者です」といった世に蔓延する「幸福でありたい症候群」は、他人の不幸や「死」の存在を「知らないこと」「見ないこと」で支えられているのであり、どんな人生も不幸なのである。そして、この「真実」を自覚し自分固有の不幸と向き合うほうが、「よく生きる」ことになる、と。

 あらゆる価値観が足元をすくわれるごとき激動の現代にあって、昨今再び世に「幸福論」が溢れ出し、またその信者たちも増えているかに見える。そんな風潮の中で、それらの自己欺瞞こそが問題なのだと指摘した上で、哲学の古典的な姿勢である「真実」との直面というテーマを打ち出す姿は、爽快ですらある。前著の『<対話>のない社会』でも、あの古典ソクラテスが見え隠れしていたが、今回も現代のソクラテスといったニュアンスが色濃い。
 もっとも、何百年、何千年を経ようが、人間の基本的条件は何も変わっていないのだから、ソクラテスのような透徹した哲人の洞察やその継承が、現代人にとって無効となるはずはないのだと考えてよいのだと思う。

 この著者のような発想は決してマジョリティにはならないであろう。著者自身もそんなことは百も承知の上で書いている。むしろ、マイナーでありながら、メジャーな「幸福論」なんぞに承服できない"へそまがり"たちへの援護射撃だと言った方がいいかもしれない。
 "へそまがり"たちは、「幸福」になりたくないわけではないにしても、あまりにも「目隠し」(真実への目隠し)が多すぎる条件つきの「幸福」になるくらいなら、そうでなくともいい、と感じているのであろう。いや、もうひとつ、真の幸福とは自分自身を貫徹してこそのそれであるはずだという捨てがたいこだわりがあるのかもしれない。だから、マジョリティ向けの既製服としての「幸福」に決して満足できるわけがないのだ。

 シビアさを否が応でも増幅させていくグローバリズムの市場経済は、常にマジョリティを求めながら、不可能であるに違いない一人一人の人生すら、その原理の網の目の中に取り込もうとしているかのようである。パーソナルな何々、個々人の趣味嗜好、そして「個性」などという言辞が機関銃のように打ち出されているのがそれであると言える。まるで、海に向けて機関銃を打ち込んでいるようなものであろうか。それに当たってしまう魚などいないと心ある人たちは思う。
 しかし、現代ではマジョリティの魚たちがその鉄砲玉にみずから進んで当たっているのだ。自分自身の人生を、自分自身で探すことより、「幸福」という名の、メジャーな人々が追い求めるものを得ることだけが人生の目的だと信じているからなのだろう。

 著者は、自身の胸にも共鳴するような低周波のトーンで、次のような宗教的響きのある言葉を口にして文章を閉じている。
「だから、あなたは自分自身を手にいれようとするなら、幸福を追求してはならない。あなた固有の不幸を生きつづけなければならないのである」と。
 現代という時代は、人間であり続けようとすれば、宗教とは無縁ではいられないほどに脱・宗教的な一面化が突き進んでしまったようだ…… (2002.11.10)

2002/11/11/ (月)  「幸せ感」を生み出す熱中できる対象をどう見いだすかが課題?

 ある駐車場の入り口で、小学校一、二年生くらいの男の子が、ひとりでおもしろそうに、かつ忙しそうに遊んでいた。入場チケット発行機とでもいうものだろうか、ちょうどその子の背丈と同じくらいのボックスの後に隠れてみたり、また前に出てきてみたりしていたのだ。近づいてみると、何をしていたかがわかった。後に隠れては、
「チケットをお取りください!」
とチケット発行機が出す人口音声を真似た声を出し、前に回ってきてはスロットから飛び出すチケットをドライバーが受け取る動作をしていたのだった。わたしは、ふむふむと了解し、その子が後へ回って声を出すのを待ち受け、
「声が小さくて聞こえないんですけど!」
と言ってやった。するとその子は、何のてらいもなく、声のボリュームを上げて、
「チケットをお取りください!」
と繰り返すのだった。さらに、わたしはからかう気分となり、笑いを堪えながら、
「えっ? なんて言ったんですか?」
と言ったら、その子はさらに大声を張り上げて言い直してきたのだった。しばし、屈託のない楽しさを味わわせてもらってしまった。

 子どもが、よけいな気をまわさずに熱中して遊ぶということは実にいいものだ。
 大人は、あまりにも余計なことに気をまわして、それを雑念と呼ぶのだろうが、熱中することによってのみ生じる「幸せ感」とでもいうべきものを放棄していそうな気がする。
 確かに、いろいろなことに責任を背負った大人が、何にでもすぐ熱中して、夢中となるならばどんな社会的不具合が発生するかは想像できないわけではない。だが、楽しさを多くの比率で含有成分とするに違いない「幸せ感」の可能性を、周囲の人さまへの気配り、世間への配慮といった、まるで備え付けの「防火用水」のような冷たい水で、常時さましていたのでは、「幸せ感」は遠のくばかりだと思われる。

 ところで、わが国の大人たちは、熱中しても、フィーバーしても良いのだよ! と大義名分を与えられた時だけは、マゾヒズム転じたサディズムのごとく熱狂的に騒ぎまわり、舞い上がる。「無礼講」の声がかかった場合などが典型的な例であろう。
 思うに、「行け行けどんどん」のバブル時代までの仕事人間たちは、まさに「無礼講」さながらに、家庭も、個人としての人生への気配りも、はたまた社会正義をもかなぐり捨てて、仕事に熱中、熱狂したのであろう。「モーレツ」に熱中してよし! とする風潮が席巻していたからである。
 そして、この時代の仕事人間たちは、たとえ身体が辛くても、熱中に伴う漠然とした「幸せ感」を堪能していたのかもしれない。熱中できていることで、あたかも生きることの自分の目的、目標が、揺るぎなく存在しているかのような充足感を生み出してもいたからであろう。
 ところが、バブル崩壊とともに、仕事への無条件的な熱中に水を差すいろいろな材料が、おもちゃ箱をひっくり返したように散らばり飛び出してきた。そして、生きる目的や目標の存在を十分に満たしていたかに見えたあの熱中が、潮が引くごとく消えた今、哀しくも手元には何も残っていないことに気づいてしまったのかもしれない。生きる目的や目標が存在したから熱中できたのではなく、熱中できていたからそれらが存在していると錯覚していたことに、はたと気づき始めたのかもしれない。

 今なお、熱中することで「幸せ感」が生じるという因果律に変わりはないはずである。 しかし、無条件に仕事に熱中すべしといううねりのような風潮は去った。また、近い将来に夢よ再び! が訪れる可能性も時の経過とともに希薄となってきた。となれば、他律的に熱中できる見込みは限りなく薄まってしまったと言えようか。
 加えて、自律的な熱中を立ち上げる生きる目的や目標の内実を構築することは、まるで人生を白紙に戻すことにも似た途方もない重荷と思えて、気が遠くなっているのかもしれない。まして、周囲の環境は、激変の末、取りつく島もないほどに冷え冷えとし、また閉塞的となっている。
 これが、おおかたの仕事人間たちの心境の基調であるように思える。まさに、「死んだふり」「死に体」状態となっているのではなかろうか。また、熱中してきた者たちが、さめた心境となれば、そこへ襲いかかってくるのは、二日酔いのような自虐的な不快感しかないのではないか。ささいなことにもとげとげしく感情をあらわにしてしまう困惑なのであろう。「幸せ感」どころではないと思われる。

 しかし、自分自身の、自律的な熱中を作り出す以外に道はない。そのためにも、長らく放置してきた自分自身の生きる目的や目標について、今更といった投げ遣り気分とならずに、地味に取り組むしかないように思えるのだが…… (2002.11.11)

2002/11/12/ (火)  持って行きようのない「負のエネルギー」を作ってはいけない!

 猫の側では迷惑この上ないのはわかっていても、ついつい猫をからかってしまう。尻尾を軽く握るいたずらだ。猫は、わたしの手を睨みつけて、ジャブをいれてくる。しつこくやりすぎると、軽く噛んでくる。わたしの顔を睨むのでもなく、わたしに飛びかかってくるのでもなく、もっぱらわたしの手を攻めてくる。膝の下などに手を隠すと、覗き込んで手を探すのがおかしくてならない。そうしては、家人に、「いいかげんにしたら」とたしなめられたりする。

 これを思い起こすに、単に笑ってはいられない深刻な(?)事柄に気づかされたりする。人間の、われわれの日常生活において、どうもわれわれは、事態の「真の原因」「真の敵」をつかみあぐねて、上記の猫のように、目に映る「それらしきもの」に拘泥してしまっているのではないか、という点なのである。
 あいかわらず、悲惨なドメスティック・バイオレンスがあとを絶たないようだ。また、悲惨で「不条理」な犯罪も増加する一方のようだ。もともと犯罪は「不条理」に決まっているのだが、昨今気になるのは、「誰でもよかった」というセリフが犯罪者の口から飛び出しがちであるからだ。怨恨のすえになどといった因果性がはっきりした犯罪ではなく、要するに、「やつ当たり」なのである。やつ当たりで殺されたり、怪我を負わされたりするから「不条理」なのである。

 誰もが、ドメスティック・バイオレンスを悲惨だと感じ、目を覆いたくなるのは、本来愛し合うはずの家族が、なぜ暴力の対象に転じてしまうのかがのみこめないからではないかと思う。
 確かに、人間の愛憎心理は一筋縄ではいかない複雑な構造がある。しかし、思うに、簡単に言ってしまえば、上記の猫の行動と似たようなところがあると言えるのではなかろうか。
 つまり、こうである。現代は過剰な不安とストレスの原因が、誰からという「人格」がはっきりしないかたちで振りまかれている状況のようである。誰もが、誰に噛みついてよいのかわからないままに、堪忍袋に「負のエネルギー」を背負い込まされていると仮定できる。言ってみれば、この構造自体が大変な問題だと思うのだが、とりあえずおいておく。
 そして、この堪忍袋にため込まれた「負のエネルギー」は、最も身近で起きる目に見える感情的ないざこざを導火線として、一気に爆発してしまうのではないか。まさに導火線としてのきっかけは、あくまでもきっかけに過ぎない。「負のエネルギー」が振り向けられるほどの憎しみや怨恨の対象などではないのである。単に、ちょっとした不快感であるにもかかわらず、身近であり、実感的であり、手軽(?)であるということのみによって、累積された「負のエネルギー」の「仮想敵」とされてしまうのではないかと思える。
 これは、「いじめ」の構造と同じだとも言える。わけのわからないかたちで、あるいは反発しようもないかたちで蓄積させられた「負のエネルギー」が、最も破裂し易い箇所で暴発していくのが「いじめ」であるからだ。
 昨今、名古屋刑務所内での刑務員たちによる刑務所内暴力が問題視されているが、原因は明らかであろう。刑務員たち自身が、持って行きようのない「負のエネルギー」を貯めさせられてしまっている刑務所内の密室的階級構造それ自体である。しばしば指摘されてきた警察内の問題とも共通面を持っていると推定できる。

 問題は、「負のエネルギー」が人々の胸の内に蓄積しない社会環境が望ましいに決まっているのだが、それが短兵急には無理だとすれば、少なくとも何によって、誰によってそれらが振りまかれているのかがわかりやすい環境というものを目指すべきだと思われる。 現在のわが国の閉塞状況は、未来へとブレイクスルーしていくことができない閉塞性に目が向きがちだが、もうひとつ問題視すべき閉塞性は、「悪の根拠」を見えづらくしている「閉鎖性、密室性」があると思われてならないのである。
 かつての日本の「お上」は、「由らしむべし知らしむべからず」を大原則としてきた。現在も、肝心な部分ではこの原則を残していると見える。加えて、この情報化時代に見合った新しい「情報閉鎖性」(=マスコミ操作など)が、当然ながら駆使されていると実感する。

 愛すべき者同士が傷つけ合わずに生きられる社会を望みたい。親のほかに誰にも助けを求めることのできない、そんな幼児を虐待する不幸の原因を、当事者の異常性だけに持っていこうとするのはやや無理であろう。決して、そうしたDV犯罪者を擁護しようというのではない。個人責任は個人責任として厳しく問われるべきである。しかし、個人の異常を問うとともに、時代と社会の異常も問うべきだと思うのだ。もし、そうした個人の異常性を追及する視点のみで対処するならば、やがて刑務所は、半年待ち、一年待ちといった収監待ち行列ができてしまうかもしれない、と想像させられたりするのである…… (2002.11.12)

2002/11/13/ (水)  人にとっての「盲点となった領域」に真の原因は潜みがちなのかも……

 パソコンを年がら年中操作していると、新規な戸惑いと、新たな知識獲得とのくり返しが避けられないようだ。今日も、HP作成関連でそうした、虚を突かれたような経験をした。
 現在、HP作成用マルチメディア教材を制作しながら、並行して、少人数ではあるがHP作成希望者に個人指導をしたりもしている。ビギナーに教えることは、結構やっかいなのであるが、その分自身が見過ごしてきた基礎的な知識を反芻する機会となり、まさに教えることは学ぶこと、という経験ができてありがたい面もあると言える。

 今日、ある基礎的な事項をおさらいしていて、突然、従来つまづくこともなかったし、そういうものだと思い込んでいたことがらに関して異変が起きてしまった。従来疑ったことがなかった平凡な表示結果が、何としても出てこないのである。
 結論から言えば、自身で設定した教材の中に、極めてイレギュラーな要素を無意識に放り込んでいたこと、そして、それがどうもブラウザ自体の盲点とかみ合ったようで、とてつもなくイレギュラーな表示結果となって表れてしまっていたのだった。

 プログラム・システムの開発においては、できあがったプログラムが、仕様どおりに稼動するかどうかをチェックするために、最終段階では、「テスト・データ」というものをシミュレーション的に作り、それらでプログラムの稼動状況を検査するのが常識である。
 この際、「テスト・データ」作りでは、起こり得るあらゆるケースを想定して、あらゆるケースの模擬データを用意することが肝要なのである。表面的なケースだけを想定して「テスト・データ」作りを完了としてしまうと、現実に運用された時に、思わぬ偶然が重なってイレギュラーなケースが発生した時にボロを出す事態となってしまうのである。「事実は小説より奇なり」のことわざどおり、現実では「うっそー」というケースも十分に発生し得るのだ。

 今日のつまづきでは、ムダともいえる多大な時間を費やし、ようやく原因を特定できたのだったが、途中では、「こんな基礎的なことでつまづくとは、自分も焼きが回ったのかな」とか、「随時チューン・アップしているPC自体が異常をきたしたか?」とかで、不愉快な気分をさんざん味わってしまった。
 いわば「凝り性」的なPCの使い方もする自分なので、時々、通常のPC関連教書には書かれていない奇妙な事態に遭遇することがある。今回もその一例と言えるのだが、今回のケースから学ぶものがあるとするなら、それは何であろうか。

 「つまづき」となるほどの不具合というものは、人にとっての「盲点となった領域」に原因が潜みがちだ、ということであろうか。なぜなら、一般的な不具合というものは、発見と同時に原因も即座に推定されるものだが、「つまづき」と感じられる不具合は、これまでに遭遇したことがないゆえに「つまづく」のであるから、いわば「通常の意識の外」に原因が潜んでいるということになる。そして、「通常の意識の外」にあるものは、論理的な推定ではほとんど歯が立たないといってよいはずだからだ。
 こうした類の不具合への対処は、ほとんど「創造的」発想と同様に、しぶとい試行錯誤と、一種のひらめきのようなものが必須になると思われる。机上の空論を振り回す秀才には向かない作業だと言えるかもしれない。

 「えっ!?」と驚き、つまづくような現象の背後にあるものは、決して常識的な決まりきった原因ではなくて、意表をつくような、だから「盲点」だと表現するしかないような原因が潜んでいる場合が多いのかもしれない、という仮説を立てておきたいと思う。
 現在、われわれが遭遇している度し難い時代状況もきっと、われわれが日常的には深く考えてはいないことがらや領域に、原因の根が深く伸びているのかもしれない、と類推させられるのであるが…… (2002.11.13)

2002/11/14/ (木)  「盲点」を自覚して、それらをつぶせば「創造力」に至るか!?

 「頭の体操」という紋切型のニュアンスはあまり好きではない。むしろ、「なぞなぞ」という響きが秘めている子供っぽくも、セピア色に霞んだ雰囲気を漂わす語調がいい。

 辛い時代環境にあっては、なすべき努力も「やみくも」ではなく、より頭脳的でなければならないと考えられる。「創造的」思考が必要だといえば通りがいいのだろうが、これがまたつかみどころがなくて、手に余る。
 そこで翻って、「裏側から」覗いてみようかと考え始めているわけである。
 「創造的」思考などと言って大上段に構えると、「まともな平常的」思考の、その上にまぶしいくらいの「立派な」思考を築き上げるように聞こえてしまうものだ。確かにそんな場合もあるにはあるのだろうが、そんな大それたものではないような気もしている。

 「創造的」思考の結果とは、地上何十メートルもの高台に位置づけられるものではなくて、地上一、二メートル程度の高さに位置するものだと考えていいのではないかと思うのだ。つまり、むしろ、「まともな平常的」思考だと見なされているレベルが、場合によっては、地下何十メートル下の地中で低迷しているのだと考えた方が妥当性が高いようだと思うのである。
 そして、地下深くにおいてモグラのように低迷している思考は、なぜそうなっているかと言えば、さまざまな重っ苦しく、閉ざされた発想で雁字搦め(がんじがらめ)にさせられているからだと、推測してみることができる。
 不安や、恐怖といった感情が、思考力にベットリとからみついているのかもしれない。小賢しい(こざかしい)計算が、自由な思考力の動きに対して絶え間なくちょっかいを出しているのかもしれない。あるいは、思考力が育つ、身体を駆使した行動そのものが極度に節約されているからなのかもしれない。
 そんな、思考力にとってのさまざまな否定的ことがらの中で、「くせもの」なのがいわゆる思考の「盲点」を作り出す仕掛けだと思っている。この「盲点」が、思考を、平凡で、退屈で、凡庸なレベルへと押し下げてしまっているのではないかと推測できる。
 たぶん、思考の「盲点」は決して一様ではない、錯綜した原因群によって生み出されているはずである。それらは、個々人によっても異なる個体性の問題も十分にありそうだ。変な表現をするなら、さまざまなかたちをとった、漫画『巨人の星』の「大リーグ・ギブス」のようなものだと表現できるかもしれない。あるいは、背中に負ぶさっている「背後霊」の仕業ごときだとふざけてみることができるかもしれない。

 先日、書店をぶらついていた際、ある本に下記の「なぞなぞ」のようなものが出ており、即座には答えられなかったという理由だけで、その本を購入してしまった。確かに、思考の「盲点」を突いていることは事実であった。

@ 「○○公立小学校に、二人の可愛らしい女の子が入学してきた。顔つきがそっくりなばかりか、生年月日も両親の名前もいっしょである。
 ところが、担任の先生が『キミたちは双子なんだね?』と尋ねてみると、『ちがうよ!私たちは双子じゃないよ』という返事がかえってきた。いったい、この二人の女の子は、どのような関係にあるのだろうか」

A 「時速250kmで走る列車の屋根の上で、数人の男たちが楽しく談笑していた。彼らはどこにもつかまっていないし、身体を固定しているわけでもない。立っている男もいれば、座っている男もいる。なぜ、こんなことが可能なのか、理由を簡潔に述べよ」

B 「次の六つの単語には、ある共通点があるという。それは何か。
◆シルエット ◆包丁 ◆デビス・カップ ◆サンドイッチ ◆マッハ ◆ニコチン」
(いずれも、内藤諠人著『「創造力戦」で絶対に負けない本』というすごい名前の角川書店の新書より) (2002.11.14)

2002/11/15/ (金)  「盲点」を生み出す「固定観念」は、文明の必然なのか?

 思考の「盲点」を作りがちな原因で、まず注目すべきは、「固定観念」・「先入観」だと言ってよさそうだ。昨日の「なぞなぞ」@で、柔軟な思考展開を妨げたものは、「顔つきがそっくりなばかりか、生年月日も両親の名前もいっしょ」という事象=「双子」という「固定観念」が、あまりにも強烈であるからではないだろうか。

 集合論で考えた場合、集合Aが集合Bを含む場合、BならばAは必ず成立しても、AならばBとは言えない。「そっくりで、同じ生年月日、両親同じ」という集合Aは、「双子」という集合Bを含むが、それ以外にも「三つ子」という集合Cや、「五つ子」といった集合Fをも含むが、とかく集合Aと集合Bとは同値であると「固定」して考えてしまうのが、通常の思考なのであろう。これが、「固定観念」だと言われるゆえんなのだろう。
 冬になるとウィンター・スポーツができるので楽しい!と言った人に向かって、「スキー歴はどれくらい?」と早合点すると、「スキーじゃなくて、スノー・ボードですよ」という応えがかえってくることも往往にしてありそうだ。
 激動する時代には、集合Aの中に、無数の新しい集合が誕生しており、こまめな情報収集としっかりとした観察眼が伴わないと、「固定観念」が災いして状況認識が成立しなくなる恐れが生まれてしまいそうである。時代からの「取り残され感?」が生じるのは、これらの積み重ねにおいてと言えそうだ。

 「固定観念」がなぜ生じてしまうのかを推測してみると、やはり「思考エネルギーの節約、思考怠惰」という理由が大きいのではないかと思える。身の回りの状況を、毎度毎度ゼロ・ベースから、観察と思考を目まぐるしく繰り返すというのは、やはり膨大なエネルギーを必要とする。そこで、「更新」をかけずに、旧来の古いバージョンである「およそこんなものだった」というファイルをとりあえず援用してしまうのであろう。
 ただし、「固定観念」の発生は個人側の「思考怠惰」だけが原因だとは言えない。いや、むしろ社会は「固定観念」が満ち溢れることで成立しているとも言えるのかもしれない。
 たとえば、道徳律や法律とは、なぜそうなのか、という思考過程が個々人によって吟味される以前に結果だけが提示されるものだと言える。「他人のモノを盗む」ことがなぜよくないことなのかは、個人が熟慮した上で同意されるのではなく、よくないからよくないといった、まさしく「固定観念」として受け入れられているはずである。これらは、「思考エネルギーの節約、エコノミー」以外ではないと思える。

 また、昨今はやりの「How to 〜」もこの「思考エネルギーの節約、エコノミー」に類するかと思える。なぜこういうやり方、こういう手順で進めるべきなのかは、とりあえず脇に置かれ、首尾よく進めることができる方法だけが一人歩きするからである。これによって、当時者は思考や試行錯誤をしなくて(=節約して)、当面の目的を達成できるのだ。
 結果を出すことが何よりも優先される現実社会では、とかく個々人の「思考の節約」が進み、「固定観念」的な「ブラック・ボックス型(?)」の知識が増加するようだ。

 ところで、「固定観念」と同様な機能を果たし、必然的な「盲点」を作り出す思考パターンとしては、「レッテル貼り」や「公式主義」も警戒すべきなのかもしれない。
 「レッテル貼り」とは、自分の思考上の混乱を回避するために、新事象であっても既成の古いレッテルなどを貼り付けて、自分の思考上、波風の立たない判断処理をしてしまうこと。「公式主義」とは、明らかに「思考の怠惰」なのであり、「公式」という思考の結果だけを援用して、「公式」自体の形成過程という内実を無視する思考パターンである。これらの思考パターンが、役所や官公庁の中で渦巻いていることは言わずもがなである。だから、とんでもない「盲点」を平気で作り出し、不祥事も絶えないと言えよう。

 「固定観念」などが、個人の性格だけに由来せず、所属集団、準拠集団(意識の上で準拠し、信頼する集団)との関係において強化されることは注目してよい事実であろう。その意味では、古い体質を残した企業組織では、「創造的」思考は育まれないどころか、役員がカメラの前で謝罪するにいたる場面が繰り返され続けるものと想像される。
 「永田町」という腐りきった特殊な集団が残存し続けるかぎり、「政治に金はかかるもの!」「政治家がいないと世の中は悪くなる!」といった根拠のない「固定観念」も消滅しないのではなかろうか。

 思考の「盲点」、「固定観念」などについての観点が、われわれに教えることは、要するに、自身の頭で考えるという重要なことが必ずしも重視されていない傾向が、現代社会では見受けられるということかもしれない。
 現代人が「知的」であると思い込むのはどうも錯覚なのかもしれない。
 奈良の鹿は、紙を食べる。辞書などもムシャムシャと食べてしまうが、一向に「知的」にはならないようだ。現代人も、ムシャムシャと食べる「知識」の量は少なくない。だが、自身の脳で考えるという咀嚼が不足しているとするならば、果たして「聡明」になれているのかどうか、が問題かもしれない……


<昨日の「なぞなぞ」の答え>
@【 正解 】「三つ子(またはそれ以上)」

A【 正解 】「時速250kmで"走っている列車"」とは、書かれていない。ふだん時速250kmで走ることのできる列車が停車していたのである。

B【 正解 】「すべて人名、または人名に由来してできた言葉」

 A、Bについては、明日の日誌で触れたいと思っている。 (2002.11.15)

2002/11/16/ (土)  思考の「盲点」は、外部に起因するだけでなく……

「"おおいたち"だよ!"おおいたち"だよ! 山からやって来た"おおいたち"だよ。近寄ると危ないよ」との客寄せの声に誘われてぞろぞろと小屋に入ってみると、壁に幅一、二尺、高さ二、三間の大きな板が立て掛けてあり、中ほどに「血」のような赤いものが染みている。
「なんだよ〜、板があるだけじゃないか。山から来たといったじゃないか」
「そうともさ、木材は海では採れないねえ」
「近寄ると危ないと言ったろう」
「倒れてくると危ないから近寄らんほうがええな」
とは、昔の見世物小屋についての落語話だ。

 ここまでに至ると思考の「盲点」云々と言うより、ほとんどというか、完全なというか「詐欺」と言わなければならないだろう。
 昨日の「なぞなぞ」Aの「時速250kmで"走る列車"」とは、「時速250kmで"走っている列車"」と言ってはいないというのも、どちらかといえば限りなく「詐欺」に近い表現だと思える。遊びだからいいようなものの、これが「入試」であったり、「契約」関係の場で再現されたなら、確実に訴訟問題となりそうだ。

 日常会話で使われる日本語の持つ曖昧さを問題にすることもできよう。「時速250kmで"走ることができる列車"(性能)」とか、「時速250kmで"走っている列車"(現在進行形)」とかが文法上区別できる言語と、そうではない日本語というようにである。
 ただ、いくら厳密な言語であっても誤解を与えたり、「盲点」を生み出すことは避けられないのではなかろうか。また、言語上の曖昧さに加え、まぎらわしい状況が重なれば、くっきりとした「盲点」さえも形成されてしまうだろう。ここに、言葉の違いを超えて万国共通で犯される「詐欺」という犯罪が存在し得るのかもしれない。

 まさに「詐欺」とは、人の思考の「盲点」を逆撫でする犯罪だと言えるだろう。ただ、「詐欺師」の肩を持つつもりは毛頭ないのだが、わたしは、詐欺事件の話を見聞する度に、どうも被害者に百パーセントの同情を寄せることができないでいる。冷酷な人間だからなのであろうか? ニュース報道でも、「不況で家計も厳しいこんな時期に、仕事を斡旋すると言って何十万もする機材を売りつける……」とか、「破格に高利な利回!を謳い文句にして、人のよい老人たちから老後の資金をまきあげる……」とか、何の非の打ち所もない善意の人々が被害者となったという基本スタンスをとっている。悪意のないことは事実に違いない。しかし、何かが足りなかったというか、あるいは何かが過剰であったという気がしてならない。

 昔、『座頭市』(言うまでもなく主演、勝新太郎)という、スーパーマン的按摩の人気映画があった。旅の道中で、賭場にも顔を出して路銀を調達したりする。
「あっしにも、壷を振らせてもらえませんですか?」と座頭市が言うと、やくざたちはみな、目が見えない按摩にやらせればきっとそそうをするに違いないと思い、おもしろがってやらせることにする。案の定、サイコロは伏せた壷の外に転がり出ている。やくざたちは、丸見えになったそのサイコロの目に大挙して賭ける。声が揃った時、座頭市はおもむろにこう言う。
「ありゃありゃ、余計なサイコロが転がり出てしまったようですね。これは邪魔ですから仕舞っておきましょ。えっ? まさか、めくらを馬鹿になすって、こいつに賭けたんじゃございませんよね」
 そんな技ができるくらいだから、壷の中のサイコロの目の操作も座頭市には容易にできたのであろう。まんまと、やくざたちのカネを巻き上げてしまうというストーリーだったかと覚えている。
 このシチュエーションでは、どちらが「詐欺師」であったかの判別は難しいが、まあ、座頭市が「詐欺師」で、やくざたちが被害者だと言っておこう。そうした時、悪知恵も働くやくざたちがどうして詐欺にかかってしまったかである。端的に言えば、やくざたちが目先の欲に目が眩んだからだと言ってよいのではないだろうか。

 奇妙な例示をしてしまったが、「詐欺」に引っかかるということは、「詐欺師」側のパワーだけによるものではなく、被害者側の何らかの積極性との合力の結果だと思えてならないのである。
 思考の「盲点」も、自分の外側に原因があるだけでなく、自分自身の内部に、「盲点」が必然的な結果として生み出されるような、しわ寄せとでもいうような構造ができあがっているのかもしれない、と推定できる。それは、欲であったり、見栄であったり、自尊心であったり、または、何か関心事への継続したとらわれ(「なぞなぞ」Bでは、とかくわれわれが「機能」というものにとらわれて生活しているため、個々のものの機能にばかり目が向き、名称の由来といった部分に「盲点」ができあがっていた、とも考えられる)であったり、はたまた「愛」という名の盲目であったり…… (2002.11.16)

2002/11/17/ (日)  もの想う晩秋に、枯葉をながめてもの想う……

 散歩で寺の脇を通りすがる際、境内の方からシャワシャワという小気味のよい音が聞こえてきた。何だろうと垣根越しに覗くと、子どもたち数人が、まるで積もった雪を踏みしめるように十センチ厚ほどの枯葉の絨毯(じゅうたん)の上をおもしろがって走り回っていたのだった。春には、淡いテントのように境内を覆い咲き乱れた桜の木々が、いつの間にか紅葉し、そして境内一面に黄褐色の枯葉を敷き詰めさせていた。

 昨日、今日のウォーキングで目についたのは、やはり街路樹の色づきと路上にふり積もった枯葉である。中でも、薬師池公園へと向かうバス道路の銀杏並木は、ちょっとした壮観な光景を作っていた。秋のやわらかい日差しを受けて、残り葉を金色に輝かせる銀杏の木々たちと、道路両側の歩道に降り積もり、敷き詰められた黄色の枯葉の帯は、絵にも写真にもなるシーンを構成していた。
 やや気遣ったのは、傾斜のあるスロープでは、銀杏の枯葉で埋まった足元が、いくぶん滑る感じがしたことであったか。

 ところで、雪に例えてしまったほどに、この時期の枯葉の質量は膨大なものであろう。歩いていると、玄関まわりの枯葉を竹箒などで掃いてかたづけている人の姿も見かけた。そして、集められた枯葉は、条例に従った半透明のポリ袋に整理されていた。
 こうして、銀杏の樹にせよ、ほかの街路樹にせよ、歩道に落ちた枯葉は掃き集められ、ポリ袋に詰められ、清掃車によってゴミとして処理されていくのであろう。それが、アスファルトで敷き詰められた都会の街路樹の枯葉の都会的な処理のはずである。

 考えてみると、都会における自然への対処というものは、何と「人工的」なのだろうか、と思った。わたしのような貧乏性は、枯葉を見ると、枯葉によって作られる価値ある「培養土」のことを考えてしまう。ガーデン・ショップで袋詰で売っている「培養土」のことだ。植物たちは、枯葉を落としつつも、それを将来の肥料として足元に蓄えようとしている。決して、樹木にとっては、ゴミではないはずである。が、都会の人為処理は、それらをゴミ以外の何ものでもないものとして持ち去ってしまう。
 確かに、アスファルトに積もる枯葉は、それを落とした樹木には還元されることはないはずなので、ゴミ以外のなにものでもないかもしれない。が、やはり、何と「人工的」な処理であることか、と感ぜざるをえない。

 アスファルトで敷き詰められた都会の環境が、集中豪雨に対抗できずに、瞬く間に洪水をもたらす道理はしばしば指摘されてきたところだ。そこにも、自然現象の循環に逆らって「人工的」に処理することのひとつの弊害が見てとれるのだが、都会の街路樹の枯葉の処理には、何だか街路樹たちに対する痛々しさを呼びさまされてしかたがない。
 実は、憂えているのは、街路樹の枯葉の処理に対してではないのかもしれない。
 平然と街路樹の枯葉を「人工的」に処理する都会人、現代人が、そんな作法で生きる都会の世知辛い環境の中で、いつしか優しい自然の道理から遮断され、自然から孤立して、脱出口のない袋小路に迷い込んでいることへの憂いだ、と言えばキザに過ぎるか…… ただ、枯葉を都会的合理性で処理してゆくそんな「スマート」さが、人間に対しては及んでいないという気がしないだけに、杞憂ではない憂えが染みあがってくるのだ。そして、限りある命の人間のさみしさと苦しさに、心底、慰めを与えてくれるのは黙々と時間の流れに身をゆだねている動植物や、風景などの、まさに自然そのものではないのかと、ふと感じさせられるのだ。

 それにしても、枯葉を集めて、そこいらの人たちを集めて、焚き火をし、焼き芋なんぞも焼いた暖かい晩秋はどこへ行ってしまったのであろう…… (2002.11.17)

2002/11/18/ (月)  今後の苦境に有効なトレランス(tolerance、「耐性」)はどう培われるのか?

 トレランス(tolerance、「耐性」)という言葉に、多くの人々が否応なく目を向けざるを得ない心境なのであろう。現在は、この言葉以外に、実感としてのリアリティを伴った言葉はないように感じるからである。
 時の首相は、もう一年以上前に「痛みに耐える」ことを国民に呼びかけた。ほかのいっさいは、何もまともに実現されていないが、国民の「痛み」だけは、時とともに鋭く実現されている。

 こんな暗い話から書き始めるのは野暮だという気がしないでもない。しかし、もう一方で、「もう、いいかげん『真実』をはぐらかすのはやめようじゃないか!」というドスのきいた声も聞こえてきたりする。
 みなが不安でいる時、ことさらに不安を煽るような深刻さを振りまくのはいただけないはずだ。しかし、逆に、万事を、根拠もなく平穏無事かのごとく描くこと、誰もがそうであって欲しいと盲信するイメージに照準を合わせるがごとき現状認識を振りまくことは、いかにも安直に過ぎる。だが、わが国はこれまで、いつもそうやって現実の問題を「先送り、先送り」にしてきた伝統を持つ民族だとも言えそうだ。

 この緊急事態にもかかわらず、もう一年以上効果的な手が打てずじまいの現政権に期待を託せないことは、うすうす多くの人が実感的認識を深めつつあるのかもしれない。そんな分かり切った議論はさておき、ここに至って関心を向けたい点は、自分自身をも含め、この国に生きてきた日本人一般の意識構造の特徴だといってもいい。
 もとより、今回の国民的苦痛の大元は、これまでの日本人たちの「先送り」体質が積み重ねてきた負の遺産以外のなにものでもない。その遺産目録を一々目を通すひまはないが、それらがこれまでのように、さらに「先送り」できずに、負の遺産として明るみに出てしまった契機が、グローバリズムのうねりだと言えるのだろう。
 これまで、一部門担当責任者として、他部署や上位職制からの介入が回避できてきたことをいいことに、不明朗な部門会計処理を、「先送り、先送り」で切り抜けてきたのが、ここへ来て、突如として「一斉監査!」が入ったようなものだと皮肉れようか。

 こうなれば、善後策としては、正規の会計処理に従って事態を正すとともに、なぜ担当責任者が「先送り」というような幼稚な判断を繰り返してきたかが問われなければならないはずだ。しかし、現実の事態は、この期に及んでも従来からの「先送り」体質的な対応がとられようとしている。こうなると、その「先送り」体質の根深さこそが凝視されなければならないと思える。
 そして、もとより経済のグローバリズム化とは単に経済領域に限定されるはずはなく、あらゆるジャンルに波及するものだと想定され、企業家などの経営者たちだけの意識にかぎらず、一般市民のさまざまな生活にも甚大な影響を及ぼすものだと見なさなければならない。というよりも、これまでの権力者たちの「先送り」体質とそこから発生した数々の不祥事を糾すためにも、一般市民がグローバリズムのもつ良い点である公明性などの点では先行的な担い手にさえならなくてはならないと思いたい。

 しかし、われわれ国民は急変する環境変化の洪水の中で、ただただ右往左往しているに過ぎないように思えてならない。いや、むしろ確実に後手に回っていて、変わるのは経済をはじめとする世の中であって、差し迫るならば変えても差し支えないが、まあ、自分はぼちぼちついてゆけばよいという程度の受けとめ方なのではないかと思う。
 もちろん、グローバリズムが否応なく持ち込む競争原理に備えて、他人を押しのけるような鉄面皮の行動様式をいち早く身につけるべきだなどと言いたいのではない。
 これまでの日本が、とかく問題「先送り」の結果、膨大な負の遺産を積み重ねてしまったのは、確かに無責任なリーダーたちの仕業ではあったが、彼らは彼らだけでそれらを為し続けてきたわけではなく、「結果的に許されて」きたがゆえだと思う。彼らを許してきたわれわれがいたから、彼らはのうのうと幼稚な意識でことを処してきた、というのが実情なのだろうと思う。

 「構造改革」に端を発するこの日本の全体的苦境の中で、目前の「痛み」を、台風のようなただ単に時間が過ぎれば「痛み」が遠のく、そんな「痛み」として受けとめるのは、あまりにみじめだと思える。事実、「痛み」が和らぐ見通しは誰も語ってはいない。むしろ、今後に較べてこの現在が一番穏やかな「痛み」だという人もいる。
 冒頭で、トレランス(tolerance、「耐性」)という言葉を出したのは、今後は、本当の意味でのそれらが必要となってゆく気配を感じているからなのである。
 痛みに対して、われわれ現代人はすぐに「麻酔」に依存するのが常だ。気分が滅入ったりする類のものに対しても、原因や根本的な治療よりも、感覚の麻痺を誘う「麻酔」の力に頼ってしまう。無意味に近い笑いや、けばけばしい明るさもどきを売り物にするテレビ番組などは、「麻酔」中毒となった人々への「麻酔」薬のような気がしてならない。
 眼前の苦しい事実から目をそらせてくれるものに依存するかぎり、たぶん有効なトレランス(tolerance、「耐性」)は培われないのだろう…… (2002.11.18)

2002/11/19/ (火)  生きる「原型」と、その「原型」に拮抗する逞しいトレランス!

 乾いた歩道に、薄水色の作業着を着た男たちが列をなして群がっていた。手拭いで頭を覆った者もいる。列の先頭の者たちは、数個並べられた発泡スチロールの箱から一人分づつ仕分けられたようなビニール袋を選んでいるような仕草だ。
 ワンボックスカーでしつらえた「仮設食料店」の「店主」は、跳ね上げたリア・ウィンドウから、まだ依然として発泡スチロールの箱を路上に降ろし続けている。
 一瞬、クルマの窓から見えた巨大な工事現場の出入り口付近の、昼休みが始まった風景である。何度も見る光景ではある。が、今日はどういうわけか、胸に込み上げるものがあり、目がうるんできた。

「とおちゃん、サッカー・シューズ買ってくれよ」
「……」
「なあ、買ってくれよ〜。おれたちのチームで自分のを持ってないのはおれだけなんだよ〜」
「ねえ、あんた。今日はバチンコなんかやんないで早く帰ってきてよ。ついてない時はいくらつっこんだってダメなんだからさ」
「……」
「あっ、そうそう。一階の隅の田中さん、また再発したそうで、年内に再入院なんだって。顔でも出した方がいいんじゃない?」
「……」
「なあ、とおちゃん。いいだろ〜?」
「うるせえなあ。そいつは、おまえのウデを見てからだ……」
「じゃ、今度の日曜の午後、学校の運動場へ見に来てよ」
「うむ」
「あんた、ホントにお弁当は持って行かないでいいの? がさばるからっていったって、出店(でみせ)のお弁当なんかで、力なんか出るの?」
「いいんだ。じゃ、出かけるからな」

 仮設の出店に列をなしてならぶ男たちの中には、朝食時にこんな会話をしてきた者もいるのかもしれない。
 たまたま継続した仕事が年明けまであるだけで、あとはなんの保証とてあるわけではないだろう。無いのは保証なんていう上等なものはもちろんのこと、貯金も、将来への計画も、そして他人をうらやんだり、自分たちの不運を嘆いたりするぜいたくなゆとりすらないのかもしれない。毎日毎日、自分たちの健康な身体と、いくらなんでももうこれ以上は自分たちから奪わないであろう世の中の道理だけを信じ、投げやりになりそうな気分を封じ込めてゆく。
 そこには、さげすむような悲惨があるのでは決してない。むしろ、何の虚飾もない裸一貫の「原型」があると思えた。生き続けることの心細さと、苦しさと、そして気まぐれのような微かな頻度で訪れる生きていることの喜びといった、剥き出しの人生があると思えた。生きる「原型」と、その「原型」に拮抗する逞しいトレランスが、がっぷり四つに組んで身じろぎしない、ある種の崇高さがあると思えたのだった。

 市場での商品価値すら危ぶまれてきたのかもしれぬ「幸せ」観(「幸せ」観をセールス・ポイントにした商品群が、需要低迷の波にさらされている!)に、いつまでも翻弄されていてはいけない。それらの「幸せ」観とはほど遠くとも、身を震撼させ感動できることにこそ接近すべきだと思えた。もし、「幸せ」という言葉を口にするなら、そういう感動こそをターゲットにすべきだと…… (2002.11.19)

2002/11/20/ (水)  最も大事なことにのみ視線を向ければそれでいい……

 Aさんは、実に人当たりの良いひとである。大手企業に勤めていたせいもあってか、自分を押し殺してでも、波風を立てないことを旨として過ごしてきたようだった。
 敷地をめぐる隣家からの横柄な物言いにも、波風が立たないようにと、自らが折れるかたちでことをいなしてきた人だ。ところが、そんな彼が、手のひらを返したように、隣家からのいつものようなぶしつけな言い草、それは庭に置く物置の位置がどうだこうだということのようだったが、その不平を、一蹴したというのだった。
「いいんだ!」
と叫んだため、横柄なわりには気が小さいとも見受けられる隣家の住人は、取りつく島のない様子で引っ込んでしまったとかなのである。
 それを聞いたわたしは、「うむ、それでいいんだ!」と納得した。彼から知らされていた彼の最近の事情を思い起こせば、そう感じるほかなかった。そうであってやむをえないというより、むしろ「うむ、それでいいんだ!」と意を強めるほかなかった。
 Aさん、もう余計なことに気をまわすことはないさ、ありのままの気持ちを通せばいいよ、と思いながら、わたしは、これまでのAさんの闘病生活などに思いを寄せていた。

 Aさんが隣家の不平を買うことになった原因は、ある事情から、庭の物置を移動させて庭に一部屋を作る必要があったからだった。もう十何年と別居していた奥さんが戻ってくるにあたって、二人で住むには多過ぎる家具や荷物を仕舞う場所が必要だったという。
 そんなに「差し迫った」事情を聞いていたからこそ、Aさんが隣家の不平を蹴ったという話にわたしは、Aさんの強い思い入れを感じこそすれ、隣家の住人の言い分には、毛頭共感なんぞできなかったのだ。
 これまでのAさんの人当たりの良さに対しては、わたしはやや小さないらだちさえ感じ続けてきていた。日頃の馬鹿丁寧な挨拶はおくとしても、三、四年前に彼が癌を発病させた際のある出来事に対しては、「ホントにそれでいいんですか?」と問い直すほどに、彼の身についた「事なかれ主義」が気になり、気をもんだものだった。
 それというのは、不幸にも癌を発病させ数ヶ月の入院、長期休暇、で社に戻ってみると、退職を勧められたという話なのであった。Aさんは、もうすぐ定年退職に至るその直前での依願退職が不利な退職であることを嘆いてはいた。がしかし、
「景気がこんなだから、会社も大変で、オレみたいなお荷物は早く出したいんだろうね」と、会社の意向に沿う方向へと急速に傾いて行ったのだった。
 何十年と勤めたため、多くの同僚や部下たちの手前や、その後の穏便な関係への配慮もあったのであろう。「うちの会社、うちの会社」と口にしていたAさんにとって、「うちの会社」に弓を引くような荒立ったことはできなかったのであろう。
 しかし、わたしはと言えば、名の知れ渡ったAさんの会社の温情のなさへの憤りと、同時にAさんのように身を処す世代の度が過ぎる「人の良さ」に対するいらだちとを禁じえなかったのだ。

 その後、Aさんは入退院を繰り返した。傍目から見ても、癌を患って再入院を繰り返す事態への心配は膨らむばかりだったが、当人は、平静さを押し通していた。抗癌治療を受けると、脱毛が激しくて困ると言っては、「かつら」などをかぶったりもしていた。
 そんな体裁なんてどうでもいいじゃないか、とわたしは他人事だからかそう思ったりしたが、当人にとっては重要なことであったようだ。
 そうこうしているうちに、Aさんが長い別居中の奥さんを訪ねて家を空けているという話を、人づてに聞くようになった。もともと、Aさんは奥さんのことについては何も話さなかった。そんなことどうだっていいじゃないかといういろいろな噂を聞かないわけではなかったが、もう十何年と継続させてしまった別居という事実に、ある変化が訪れたことだけは確かだったのだ。
 そして、ここにきて近々再度一緒に暮らすことになったというのである。

 知人であっても、夫婦間のことをとやかく言う筋合いのものではない。が、良かったという思いがふつふつと湧いてくる。
 Aさんは今、過去にあったいろいろなことに対して、そんなことはもう「いいんだ!」と叫びたい気持ちであるに違いない。世間体や、穏便さや、見てくれなど、これまで自分が身の処し方の拠り所にしてきたものの、その頼りがいのなさを噛みしめ、今、生きることを単刀直入に見つめているに違いない、と思えた…… (2002.11.20)

2002/11/21/ (木)  「死」という問題への心の対応に、まるで「丸腰」な現代?

 今週はシリアスな話題に終始している。それというのも、身近なある人の母親が亡くなられたことに由来しているのかもしれない。わたしを含む団塊世代も、高齢の親たちを抱えて、決して他人事では済まされなくなった。さらに言うならば、親たちとの死別の問題もさることながら、自分たち自身がいい年をして、自身をも含めての死という厳粛な問題に対して、果たしてどんな思いを持ちえているのか、という点もあった。

 「死ぬ気でがんばります!」とは、しばしば耳にする日常的なフレーズである。しかし、これほどに嘘っぱちな言葉もないのではないか。もとより、死を知っている人、死を体験した人などいるわけがない。また、現代という時代は、戦争や事故、犯罪によって他者の死の事実は知らされるものの、死という観念は生活や日常の意識からは完全に抹殺された文化環境だという気がしている。
 身近なものの死さえもが、自宅ではなく病院という、日常感覚からは隔絶された場所で、非日常的に対処されてしまい、生き残ったものたちにまじまじと死というものを考えさせる機会を奪い去っているのかもしれない。こうして、人の死についての思いが、日常生活から封印されているかのようであるだけに、突然のごとく訪れる近親者の死は、遺された者を絶望的な心境に陥れてしまうのであろう。

 日本の神話の中には、死に去った愛しい者との再開を願ってか、黄泉(よみ)の国を訪れるという万人に共通した思いのくだりがあったかと思う。詳しいことはどうでもよいのだが、そんな心境は大いにあり得ることだと確信する。
 生きているわれわれは、日々、何と中途半端な人間関係を展開していることか。いつも、自分の心、他者の心を通い合わせることについて、問題先送りをしている。いつかは、いつかはと言って、ありもしない将来へと事を先送りしてしまっている。
 かと言って、シビアに思い返してみると、互いに生きているという条件のもとでの意思疎通自体さえもが並大抵のものではないことに気づかされる。だが、互いに生きていれば、いつかはという抽象的な可能性が、いくらかは気を楽にさせるものだ。
 だが、この世を去る者にとっても、遺されたものにとっても、死別は、いっさいの猶予を絶対的に剥奪するものだと言える。もう二度と、何事も起こらなくなってしまうのだ。この絶対的な宣告が、辛い。耐えがたく辛い。正直なところ、生きている者にとっては、時間がもたらす忘却しか手立てがなくなってしまう。何でも可能なような現代でありながら、誰にでも、どこにでも訪れる最大の悲しみに対して、何の方法も用意できていないのが、この現代という時代なのだ、と思う。そして、そこまで思うと、この偉そうな顔をして人々を駆り立てている現代という時代の「薄っぺらさ」が、一挙に見えてくるような気がしてならない。死の問題を隠しているからこそ成立している、そんな現代という時代の「いかがわしさ」に突き当たるのである。

 人間の死の問題に対して、人類の先行者たちの知見、卓見に何をもつけ加えていないのが現代という時代ではないのかと考えるようになった。「最新、最新」と新しいものを無条件に追っかけて、死の問題に対する「最新」解説書があるかのような錯覚を与えているだけなのが現代なのだと、ひとまず腹に据えておきたいとそう思う。「死」という問題への心の対応に、まるで「丸腰」なのが現代という時代なのであろうか…… (2002.11.21)

2002/11/22/ (金)  「潜在的」疲労に、ホンネを言わせるのも芸のうちか?

 今朝は、起床するのがえらく辛い感じであった。どうということはないのであって、昨晩久しぶりに、自宅近所の「トロン」温泉というものに寄ったところ、いつものように「潜在的」な疲れがドッと表面化したというわけだ。
 「トロン」温泉とは、イオン化作用(生体の活性作用)の強いエネルギーの一つと言われる「トロン」、トリウム元素が放出するエネルギーを謳い文句とした、入浴料がやや高い銭湯なのである。近所だという点、十一時まで開いている点、いやもちろん身体に手ごたえを感じる効き目があるので、時々訪れることにしている。

 今朝、明確な「疲れ」を自覚してみてふと気づいたことがあった。どうも「疲れ」というものは、通常、「潜伏」してしまうもののようだという事実である。このところ毎日小一時間のウォーキングを継続しており、多少なりとも「気合い」を入れている。そうした精神的な意気込みは、ひょっとしたら身体の生理的な機能に暗黙のプレッシャーを掛けて、事実上の「疲れ」に蓋をしてしまっていたのかもしれない、とそう思ったのだ。
 それは、まるで「うるさ型」の上司が上座に座った部門の部屋では、部下たち一同が、暗黙の緊張を強いられてしまうのと、幾分似ているのかもしれない。
 「疲れ」感に関して言えば、三十代くらいからであっただろうか、ややきついスポーツなどをした時、若い時代と違って、筋肉疲労や痛みなどが、直後にはさほど現れずに、二、三日経た後で自覚されるという、いわば「シフト」現象に気づいたことがあった。
 「疲れ」も、若くないと、まるで発酵するのに手間がかかるようになったものなのかなあ、と思ったりしたものだった。

 「疲れ」の「潜伏」という事実に改めて注目したいのは、この辺のメカニズムを上手に管理しないと、「強がってる人」はとんでもない事態を招きかねないと感じたからであった。
 若いうちは、マインドなものによってフィジカルな身体を牛耳っても、身体は支障なくついてきたものだった。「よーし、今日から二、三日は徹夜だぞー」と心に決めれば、身体は、しかめっ面をしながらでも、「やるんですか〜?」と言いながらも腕まくりをしてくれたものだった。そして、事後にたっぷりと寝かしてやれば、ケロッとした顔に戻ったものだった。
 しかし、弱音は吐くまい、がんばるのが男だ! と、強がって生きてきた者にとって、心と身体の関係は、あたかも長い軍事政権が続いた国のように、軍部の掛け声によって市民生活は制圧されがちとなっているのであろうか。身体や市民生活は、自分に正直になれなくなっているのかもしれない。不用意に、「やや疲れたようなのですが……」などとホンネを口にしようものなら、「ばっかやろー、この非国民めー!」と恫喝されると感じ取っているからなのだろうか。

 しかし、この軍事政権下での言論弾圧が危ないのである。もの言えぬ市民生活は、国の自己回復・再生力をそいでしまい、玉砕! へと直進してしまう危険があるからである。
 奇妙なたとえをしてしまったが、自然さを失って硬直した「強がり」のマインドは、身体に不自然な我慢を強いることになり、取り返しのつかない破局を呼ぶことにもなりかねない、とそう思えたのである。
 心も身体もいっしょになって、羽織はかまを脱いで肩肘はらずに、「トロン」の湯に入ったりすると、今日は無礼講! とばかりに、身体の各所はホンネを語り始めるのであろう。
「いやー、『足』さんたちは、自分の調子で動けるからまだええわ。わてらみたいな『背中』は、あんさんたちにいつも調子あわせんとならないさかいに、きついでー。おまけに、こん人は、一日中座って仕事やる人やもんで、わてらは緊張しっ放しなんや。こうやって、トロンの湯に浸からしてもらってると、ようやっと生きた心地がしてきますわあ」
「そいつは大変だったねぇ。こちとらだって、いまでこそふくらはぎの痛みや、腿のつっぱった感じとはおさらばしたものの、当初はえれぇ大変な始末だったってことよ。だがよー、こん人は、意地っ張りだからよー、おれっちもダルさなんぞ訴えられねぇのさ。こうやって、無礼講だってことになりゃ、まあな、デレーッとしてやるつもりだがね」

 そんなこんなで、今日は身体各所が泣き言を言って、当人も、まあいっか気分で流れようとしている…… (2002.11.22)

2002/11/23/ (土)  春夏に遊びほうけたキリギリスは、冬の底冷えに耐えるべし!

 何とも、どんよりとした空模様の上に、手足の先が冷たくなり底冷えのする冬の日である。五時前だというのに、もう外は暗くなってしまった。
 二時間コースのウォーキングを済ませ、買い物にも出かけたが、いずれの場合にも戸外の光景は実に寒々しく目に映った。心地のよくない天候というものは、否応なく人の気分を押し下げるかのようであった。

 クルマで裏道に回った折りに、薄暗いイメージのビルとそのビルの看板とが目に入った。渋滞のため停止したクルマの中で、ハンドルを手にしてフロントガラス越しに何となくそんなビルを眺めていた。ずっと昔に見たことがあるような、ないような気がした。
 見つめていると、遠い昔の若い頃に、今と同じようなさえない気分で、こんなビルとそんな看板を目にしていた自分がいたような気分となってきたものだ。
 別段急ぎの用とてあるようでもなく、何かを探したり求めたりしているようでもなく、所在がないようなふうにこんなビルの脇を歩いている自分のイメージであった。

 自分は、未だ「裏日本」、いやこういう表現はまずいとかどこかで聞いたような覚えがあるが、日本海側の地域へ行ったことがない。これらの地域の冬は、今日のこの天候のように、さぞかし「どんよりとして、底冷え」がするのであろう、とかねがね想像してきたのである。正直言って、余程のハイな気分、テンションの上がった内的状態でないと、確実に落ち込んでしまうのではないかと、懸念しつつ想像してきたのだった。
 おおかたの人がそうなのだろうとは思うが、天候というのは、実に気分に対して作用を与えるもののように思う。明るく澄みきった大空と、燦々(さんさん)と降り注ぐ陽光があるところでは、人々は行動的となり、行動的な思考や感性を培うのではないか。
 その逆に、天空に立ち込める鉛色の空と日差しもなく、冷気が立ち込める天候の中では、どうしても行動的にはなりにくいような気がする。当たって砕けろのような積極的行動や、それを促す合理的判断、カラッとした感性が芽生えにくいような気がしてならない。
 しかし、考えてみると、陽光と透明さと温暖だけが、人生の条件ではないはずである。薄ら暗さや、薄ら寒さや、重っ苦しさといった冬の季節の属性そのものもまた、人生を織り成す不可避の条件なのであろう。そこで、培われる忍耐力、意味の有無を問わず襲いかかってくる苦痛に黙々と耐え、そこで培われるであろう気長さや粘り腰もまた、人生の不可欠な要素なのかもしれない。
 今週は初っ端から「トレランス」というキーワードに着目してきたが、遅ればせながらこの歳になってようやく「忍耐」という言葉が身近に感じられるようになった気がしているのである。時代環境もそうしたものを要求しているようであるし、年齢的にもまた同じであるような気がしている。

 春と夏を、まあまあたらふく享受してきた、と言ってよいのだろう。秋のもの悲しさを見つめ、冬の辛さとともにその厳粛さを甘受していかなければならないのだと、気持ちの上では覚悟し始めている。
 そう言えば、遥か昔の幼稚園児であった頃、運動会の仮装行列で、「アリとキリギリス」という童話の仮装をしたことがあった。自分はどういうわけか、背中に羽をつけ、触角つきの冠をかぶり、バイオリンを弾くキリギリスとなっていた。そんな記念写真があったのを思い出す…… (2002.11.23)

2002/11/24/ (日)  「明日があるもんで」とかで断られるおつきあい!

 雑談などをしていると、しばしば第三者の「品評会」になったりすることがある。いい悪いはともかく、避けがたい人情なのであろう。そんな中で、またしばしば口にされがちなのが、「つきあいが悪い」ということであるかもしれない。
「よく、あんな席でさっさと帰れるものだ……」に始まり、「『明日があるもんで』とか、『仕事があるもんで』とかは誰だって同じだよね……」といったセリフが飛び交ったりするのだ。

 従来型の日本人は、いろいろな背景から「つきあい」というものを重視してきたはずである。生活に関する多くの事がとかく共同作業に依存していた時には、集団義務と個人意思との境は、曖昧となり、前者によって後者が飲み込まれがちであっただろう。
 今でも、町内会などの集まりなどでは、「ハイッ、ここからは自由参加ですから……」などという責任者からの宣言があっても、なかなか立ち去りづらい雰囲気、空気が支配的となりがちである。
 その点、今の若い世代の感覚と行動はさばさばとしているようだ。同年輩同士ではあいかわらず「つきあい」の論理が機能している向きもあるのだろうが、会社関係の上司と部下だの、冠婚葬祭で出会った世代の違う関係などではきわめてさばさばしている。
 もっとも、昨今では、久しぶりの冠婚葬祭でであった年輩者同士の親戚関係でも、その場が優先されるよりも、日々の各家庭(核家庭?)の生活の方が確実に優先される時代となっているようだ。

 「おつきあい」における最後の砦(?)として維持されている冠婚葬祭での親戚関係者が、こんな現代という時代においてどのような濃淡関係を維持しているかにも関心はある。が、今、目を向けようとしているのは、とにかく優先されがちとなっている核家族主義であり、個人生活主義についてなのである。
 昔、学生時代に、ある者が友人について語っていた言葉を思い出す。「オレがアイツのこと気に入っているわけは、アイツがいつもひまでいるからさ。電話して呼び出せば必ず出てくるもんね……」とは、奇妙な表現ではあるが、友人関係の重要な部分を射抜いているような気がするのだ。いつ連絡しても、「うん、申し訳ない。あいにくスケジュールが入っちゃってるんだ」とか「行きたいけど仕事の都合がつかなくてねぇ」とかという返事を返す者を、友人と呼び続けるにはいささか抵抗があるというのがホンネかもしれないと思うからだ。

 あまり忙しそうにするな、という言葉は、仕事の場でも、家庭生活でも聞くところだ。上司が、かっかとして忙しい素振りを続けていると、部下たちが邪魔をしては申しわけないと斟酌して、「報・連・相(報告・連絡・相談)」という大事なアクションを避けがちになってゆくからである。
 また、家庭で親が忙しそうにばかりしていると、心配事で悩む子どもが親に相談することを避けるようになるからだともいう。
 友人関係でも、いや人間関係というものは、すべからく「ヒマそうな相手」をこそ望むものなのかもしれない。なぜといって、人が誰かを、相談相手なり、聞き手を求める場合というのは、唐突にやってくる気弱(?)となる時であろうからだ。気分が落ち込む際には、とかく卑下した心境となってしまい、自分の悩みなど取るに足らない類の問題であり、それを聞いてもらうのに「アポイント」をとって、場を設定してという大仰なことは決してなじまないと思ってしまうに違いないからである。

 みんなが、個人生活をきちんと進めることに「きりきり舞い」をし始めている現代、それをゆとりのない時代というのだろうが、こんな時代には、とかく人生の大事な「報・連・相」の種が、小さな個人の胸の内に閉じ込められがちとなってしまうのかもしれない。警察ではないが、「事件にならなければ手が出せないんですよ」といった本末転倒の「事後処理主義」が蔓延しつつあるのを感じている。
 それにしても、個人生活で「忙しい気がしてしまっている惰性!」をなんとか改善しなければいけないなあ、とふと考えたりしている…… (2002.11.24)

2002/11/25/ (月)  人生における「実力」という看板と、「運」という実体!

 「実力主義」という言葉に対して、大半の人は複雑な反応をするはずだ。「いいですね!大賛成ですよ!」と力めば、さも自分のような「実力」のあるものが、こうしたステイタスに甘んじているのは、「実力主義」の受け皿がないからなのだ、と叫んでいるように聞こえてしまう。かといって、「『実力主義』というのはほんとにあり得るものでしょうかねぇ」などと距離をおいて水を注そうものなら、距離をおかねばならぬ自覚があるのだと思われそうでもある。どっちにしても、痛くない腹を探られる不愉快さがつきまとうかもしれないからである。

 わたしが「実力主義」という言葉を、「心穏やかにして」拒絶することができる理由は実に簡単なことである。話を見えやすくするために、例を出すと、たとえば、ゴッホ(Vincent Van Gogh)である。好き嫌いはあろうが、後期印象派と呼ばれる画風の画家で、彼を実力の上で天才的だと言っても誰も否定はしないはずだ。しかし、彼は生前如何ほどの評価を受けたのであろうか。その貧しさと自殺に至る苦悩は、多くの人が知っている事実である。枚挙にいとまがない数多くの天才たちが、その天才ゆえの奇行も災いしてのことなのだろうが、生前には認められず、実力に不釣合いな処遇を甘んじ、不幸と見える一生を送っていたといわれる。
 こんなことに目を向ける時、一方では、大した苦労もせず、もちろん才能もなく、そのくせ人からの評価だけには敏感で貪欲な自分なんぞは許されがたいと思えるのである。そしてまた、他方では、実力と評価とはそう簡単に一致するものではない、と開き直ったような視界も開けるのである。

 「運と実力」という言い回しがある。その方が語呂がいいからか、「実力と運」ではなく「運と実力」という順が耳に残っている。そうすると、二つのことに気がつくのだ。ひとつは、「運」というものが「実力」と肩を並べ、いや、より重視されている世間の受けとめ方である。もうひとつは、「実力」というものの意外と見下された世間的評価なのである。「運も実力の内」という表現もあるにはあるが、それとて、「運」をも切り開く「実力」という「実力至上主義」なんぞを誰も信じてこなかったからこその「反語」的な表現のように聞こえるのである。
 世間とはとかく、「運」というものに肩入れしたい、そんな存在のように見える。

 確かに、ビジネスにしたところが、この「運」の良さによって押し上げられた企業が無数にあるように見える。そんなことを口にすると顰蹙(ひんしゅく)を買うのでめったには言えないが、実のところそんな気がしてならない。恐らくは、その当事者でさえ何ゆえに自社がここまで「ビッグ!」になってしまったのか納得できないこともままあるのではなかろうか。仮に、さまざまな苦労談やら、何やらを後日参謀といっしょになって編み出したとしてもである。
 何もなくてビッグ・カンパニーへの道を駆け上がることはないはずだが、実力があってという表現は後日談なのであり、やはり「運」が牽引力となったと言った方が事実に近いと思われてならない。決してそうだとしても、その会社なり創業者なりを見下したことにはならないのだと思う。実力が「運」を呼び寄せたとまで言えばしらけがちとなるが、良い「運」の作用を受けやすいポジショニングをしていたことは否定できない事実なのではないかと推測するのだ。「勘」の良さといってもいいかもしれないと思う。

 世間的評価を得ることが幸せなのか、また幸せというものが人にとってよいことなのかどうか、そんなことを一概には言いたくないと考えている。しかし、もしそうしたものを得たいと考えるならば、どうも「実力」という物差しだけに目を向けていたのでは叶わないのかもしれないなあ、と、もう半分以上人生レースを降りようとしている男が感じていたりする…… (2002.11.25)

2002/11/26/ (火)  「ひきこもり」は、やはり現代的な重要な問題なのだろう……

 新聞の新刊本広告欄で、『ひきこもって、インターネットで世界に挑戦!』(?)とかという表題を目にした。昨今、若い世代がフリーター志向となったり、企業に就職しても企業組織などになじまず、結果的に「ひきこもり」がちとなっている実情をターゲットとしたものだろうと、想像した。現在の出版は、潜在的読者というか、濃厚な読者=購買者が計算されてなされるというから、あながち見当はずれの想像ではないはずだ。

 「ひきこもる」「インターネットを武器とする」「世界に挑戦する」とは、まことにその種の人々の心の琴線に触れるアイ・キャッチ・ワードである。これらのワードで「ひきこもっている」人々の心のもやもやのいっさいが一気に晴れそうである。うまいもんだなあと感心させられてしまった。が、二階の自分の部屋から、釣り糸を垂れ大物ねらいをする横着者のように、やはりかなり無理のある「戦略」だと思わざるをえなかった。

 昨日「運と実力」という事柄の周辺について書いたが、そのひとつの動機として、「実力さえあれば……」という、時として若い世代が陥りがちな錯覚の問題も気になっていた。確かに、「正真正銘の実力!」があるならば何の問題もないはずである。ただ、「正真正銘の実力!」とは、事前に想定することがほとんど不可能であるような、全天候型対応が可能で、臨機応変な、そんな能力なのではないかと思っている。
 こうした能力を、個人の「貧し過ぎる」小さな環境の中で切磋琢磨することはほとんど不可能だと思うわけである。「机上の空論」という言葉があるが、個人生活に「ひきこもる」際に待ち受けているワナは、この「机上の空論」的な色合いにかぎりなく染まってしまうことだと思える。「実力さえあれば……」と口にする者には、その「実力」の実相というものが描けないのだ。いやむしろ、限りなく「実力」の要件を矮小化しがちなのであろう。「ひきこもっている」自分の孤立した心境をなだめるためには、目標を引き下げるしかないからである。

 以前、「ひきこもる」ことは必ずしも悪いことではない、と確か吉本隆明氏のご意見を引いて書いたことがある。(2002.05.08)

「……しかし情報科学の専門家や、情報技術の応用開拓者は、先頭になって誤解を広めている。情報伝達の手段は発達すればするほど、有効さや便利さを増加させる。しかしその本質は『意味量』の増加を第一義とし『価値量』の増加は、それに付帯するに過ぎない。『価値量』を第一義に増加させるためには、ディスコミュニケーション、引きこもり、気も狂わんばかりの忍耐力がどうしても、必要になる。これは科学者から染物職人まで一向に変わらない。女性の憧れの職業である女優や女子アナや演歌の歌手といえども、舞台に出ているときより、暮夜ひそかに演技や話術や発声の修練のため引きこもっている時間が多くなければ、持続的な職業とはなしえないにちがいない。」(吉本隆明『吉本隆明のメディアを疑え』)

 確かにこのとおりだと今でも考える。しかし、吉本氏のいう「ひきこもり」とは、スポーツ・ゲームのプレーヤーにとっての「休息タイム」のような気がする。あるいは「メンバー・チェンジ」といってもいい。「忙中閑あり」という言葉に似た、非「ひきこもり」的常態があった上での「自主トレ」的意味合いでの「ひきこもり」なのであろう。
 が、しかし、世に言う社会現象としての「ひきこもり」とは、若年層が社会への門出でそのまま早合点して「超」個人生活に舞い戻ってしまうことのはずである。何か、とてつもなく辛いことに遭遇したに違いないが、こうした病理的な現象は、やはり正攻法で対応してゆくべきだと思っている。正攻法とは、要するに、人間は集団の中でしか生きられない、集団の中でしか得るべきものを得ることができないと言い切ることだと思うのだ。

 現代文明は、インターネットをはじめとして、個人が個室から他者と接したり、他者との接触を省略して生活のできる環境を旺盛に提供している。それらは拒否すべき対象ではないとは思われるが、これらを隠れ蓑のようにして、人間にとって最も重要な「人間関係」というものに蓋をしてゆくとするならば、そうした人間たちの将来は、光のない縁の下で群生するモヤシの世界のようになってしまいそうな気がしている…… (2002.11.26)

2002/11/27/ (水)  人間は、自分の "InitialPosition" を持つことが宿命!

 先日、思考の「盲点」に関して書いたが、今日、Windows2000 であるアプリケーション・ソフトを使っていて面白いイレギュラーなケースに出会った。
 もちろん、Windows のありがたい点は、複数のアプリケーション・ソフトを同時並行で立ち上げて、相互に連携させて仕事を進めることができることである。その際、個々のアプリケーション・ソフトは、「フル画面」の表示ではなく、手ごろな「ユーザ指定サイズ」で表示して待機させておくことが常識である。
 ところが、突然その「ユーザ指定サイズ」のアプリケーション・ソフトが消失してしまったのである。「フル画面」にすれば、正常に表示される。が、「ユーザ指定サイズ」と変えると表示されなくなるのだ。時々、使用中のアプリケーション・ソフトを無造作に移動させてしまったため、画面の隅ぎりぎりのところで「死んだふり」してさぼってる奴がいたりすることがある。それかと思い、隅々を探したが、いない!
 「ユーザ指定サイズ」が使えないのは、きわめて辛いと思い、小一時間も調査したり、チェックしたりの作業が必要となった。で、その結果、Windows の「レジストリ エディタ」における、そのアプリケーション・ソフトの登録記述をのぞいてみようと思い立った。すると、その該当個所の "InitialPosition" のパラメータ数値に、何万というどでかい桁数の数字が大きな顔して居座っているではないか。これだ!と悟ったのだった。要するに、何かの拍子に、画面の外のとんでもない位置に「たかとび」してしまったのだ。まず、通常では発生しないイレギュラー・ケースだと思われる。
 通常、ポインタで画面操作をしていて、画面の外はるか遠方にアプリケーション・ソフトをポジショニングすることはできない。ポインタは、あくまでウィンドウの「引率者、牽引者」なのであって、アプリケーション・ソフトを画面の外はるか遠方へ、まるで「「場外ホームラン」をかっ飛ばすように「左遷」させることはできない。なのに、そうしたことがアクシデントで起きてしまったのである。こうなると、もはや、ポインタは、その「失踪者」に対して何もできないのだ。画面の縁で、はるか遠方を睨み地団駄を踏むしかないのである。
 「レジストリ エディタ」のパラメータ数値を、画面内のポジションのピクセル数値に書き換えてやったら、そのアプリケーション・ソフトは素直に、何食わぬ顔をして帰還したのであった。

 何だか、おもしろいアクシデントだなあ、とつくづく思ったものだ。
 ある日突然に、姿を消してしまうことで、おもしろがってなどいられないのは、昨今われわれが気をもんでいる北朝鮮による拉致問題だ。ただ、これは何のために警察があり、国民を守るための国があるのかという大原則を考えるならば、原因と対策は見えてくるものだと考えたい。
 このアクシデントでおもしろいと感じた点は、ものが消失するということは、無くなるということばかりではなく、通常の視野から消えるということでもあるという事実に気づかされた点なのである。つまり、存在の有無は自分の(認識)視野にかぎりなく依存している、という事実である。(ex.「猫に小判!」猫の視野に小判は存在しない!)
 われわれは、自分の視野の範囲内において「ものの存在の有無」を言明している。もっと言えば、自分の視力、眼力に基づいてそれらを云々していると言ってもいい。
 「絶望的な日本に明日はあるのか?」「自分のようなどうしようもない人間に生きる価値はあるのか?」「問われた問いに解答はあるのか?」などの疑問に対してまず問うべきは、自分の視野、視力、眼力はまともであるのかどうかであるに違いない。その点を度外視して、「ある」だの「ない」だのと口角沫を飛ばしてもしょうがないのだと思えてならない。

 「150万円の出資が、翌年には倍になって返ってくる」などという昨今摘発された業者のような儲け話があるのかないのか、判断するのは自分の視野、視力、眼力であろう。仕掛けた奴は「ドロボウ」で、(確かに被害者はお気の毒ではあるが)引っかかった者は「ベラボウ」だというのが、落語の世界のセリフである。二度とこんなことが起きないようになどと、うそっぱちを考えてはならない。そんな社会を作るとすれば、金輪際、ノーベル賞受賞者タナカさんなどは二度と日本に現れないはずだと信じる。むしろ、個々人が二度とそんなことに引っかからない眼力をこそどう養うかに関心を向けるべきなのであろう。
 現在の日本がおかしくなっているのは、官僚主義だと言われたり、役所主導型だと言われたりしているが、つまるところ「皆が一様に納得できるものがある(=皆が同じ視野、視力、眼力を持つ!)」と決めつけ、それを大義名分として押しつける「社会主義的」体質にこそに起因していると感じている。そんなことを維持しているから、人間はそんなものではないとの認識から出発した欧米やグローバリズムに歯が立たないのじゃないか。
 確かに「自由主義」の弱肉強食の横暴さは決して美しくはない。が、皆が同一の視野と視力と眼力を持たなければなりません、という立場も勘弁してもらいたいものだ。
 自分自身の視野と、視力と眼力を持つこと以外にあり様はなく、それが現代人の宿命であるのだから、苦悩も喜びもここに棹差すしかしかたがない…… (2002.11.27)

2002/11/28/ (木)  「君の意志の格律が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」

 かつて、ドイツ哲学の大御所カント(Immanuel Kant,1724〜1804)は、何が善で何が悪であるか、という倫理の根本問題に対して、次のように結論づけた。
「君の意志の格律が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」(「君の行為が、君以外の誰が行なっても世界の調和や万人の幸せを阻害せずむしろそれを促進するような行為であると言えるときには、その行為はいつでも正しい」という意味。) 「神」などの超越的絶対者を想定せずに、自由でしかありえない近代以降の個々人が、個人の自由を大前提にしながら、いかにすれば「善」を為しえるかを、考え抜いたすえにたどり着いた判断がこれであったという。
 確か、サルトル(Jean-Paul Sartre,フランスの実存主義哲学者、1905〜1980)も、『弁証法的理性批判』か何かの中で同様の指摘をしていたかと思う。サルトルの場合、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツ軍がヨーロッパを牛耳った時、知識人として「レジスタンス」運動に命をかける際、自由な人間として(神からも、伝統的権威のいっさいからも自由!)、どうしても自身たちの実践行動を支える必要からこの点に言及したものだと推測している。よくはわからないが……

 のっけから、カントだ、サルトルだと口走り、「バカじゃねぇか」と思われそうである。「そうやって、勝手に哲学ってろ〜!」と言われそうである。
 ただ、あまりにも「右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」の世相となってしまったので、カメラに向かって平身低頭して詫びる会社代表が口に(だけ)する、初心にかえって一から出直してもいいんじゃないかと、ふと思ったのである。
 どうせ初心にかえるなら、しばしば非行少年の悔い改めがそうであるようなかたちだけの中途半端に終始せず、思いっきり原点に立ちかえった方がいいんじゃないかと、まあそう思ったワケである。

 どこだかの市長さん! もしあんたと同じような収賄を全国各地の市長さんたちがやったら、ただでさえ地方自治体の財政破綻が叫ばれている折り、一体わが国の住民生活はどうなるのかシミュレーションしてみたかい?
 詐欺罪で逮捕された会社代表さん! もし、あんたと同じ手法で全国各地、世界各国の企業が口先だけで大見得を切るといった禁じ手をやったら、ただでさえ壊れかけてる日本経済、世界経済が、二度と立ち行かない荒野となることを、儲け額計算の傍らで想像してみたかい? 
 名古屋の刑務所の刑務官さん! もしあんたらみたいに、塀で隠された場所でなら革手錠などによる暴行もいいんだと、全国の刑務所の刑務官が皆そう判断したら、確実に自分たちもそういう扱いをされるという当たり前の事実までは想像しなかったのかい? もうすぐそういう立場になるんだもんね……
 不良債権を公的資金で穴埋めすることに慣れ切った銀行さん、グローバリズムのスタンダーズを適用されそうになったら、貸しはがしに奔走する銀行さん! あんたらのように、信用を売り物、買い物にしている業種が、信用なるものをズタズタに切り裂いていたんじゃ、お客さんの意識水準も皆そうなってしまい、商売がやりにくくなってゆくことを計算しなかったのかい?
 核兵器使用をちらつかせて外交交渉を進めようとするお国の方々! あんまりそれでいい「実績」を作っちゃうと、世界中の国々皆が地球を粉砕するスイッチを持つことになっちゃって、結局は世界中が身動きのとれない始末になることを推論しなかったのかい?

 てなワケで、同時代の困った人たちは皆、「こんなことをするのは自分だけなんだから」という勝手な前提を設けて、「皆が揃って同じことをするワケがない」と高を括っているに違いないのかもしれない。
 しかし、とくにわが国は気をつけなければならないのだ。「ケータイ」と言えば、皆がそれに向かって突っ走り、普及率7割? となってしまう民族なのだから、皆が揃って同じ悪事を働き、一気に国を滅ぼすことだって、決して杞憂ではなさそうだからだ。

 で、今日、力みたかった点というのは、上記のような悪事を働く甘ったれではなく、孟子曰くの「千万人といえども吾往かん(千万人の反対者があっても恐れることなくわが道を進もう)」に近いスタンスなのである。(そんなこと言っちゃっていいの? と自問する声も聞こえてくるが……)
 身の回りの生活環境は、日ごとに「信念なんぞくそ食らえ」的な色彩を強めているかに見える。だが、皆が皆、そうなっちゃったら、ウマウマ言って紅葉のような手をしゃぶっているいたいけな幼児たちにとってのこれからの社会や世界は、あまりにもかわいそう過ぎるじゃないか、惨めじゃないか、とまあそう思うのである…… (2002.11.28)

2002/11/29/ (金)  先ずよ、『因果は回る糸車』ってぇやつだなあ……

 でもやす親分は、日当たりの良い縁側で、飼い猫リンの爪なんぞを切ってやっていた。襖や障子の桟で、平気で爪とぎをする飼い猫を見るに見かねてのことのようだ。そこへ庭の木戸から、疲れた様子の初老の女が駆け込んできた。
「親分さん、聴いておくんなさいな。ほら、いつぞやお話したこともある死んだ父の遺産相続の話なんですけどね。もつれにもつれて、とんでもない長期戦になってることはお話しましたよね。
 もとはと言えば、亡父が遺言を書き遺さなかったのがよくなかったんですが、父も父なら、子ども連中も子ども連中で、もう、うんざりという気分なんですよ。」
「まあ、そこへお掛けよ。茶でも入れるよ。ほら、リン終わったよ。ボロい家ん中をこれ以上傷つけるんじゃねえぞ」

「でね、ついこないだ、二つ目の不動産もあの後妻の次男のものという判決がでちゃったんですよ。何てことなんですかねぇ。
 あ、そうそう、一つ目の不動産が、後妻の長男のものに決まったことはお話しましたですかね。いやね、定職にもつかない長男は、必死で家ん中家捜しして、生前に父が書いたメモ用紙を見つけ出し、鬼の首取った調子で裁判起こしたわけですよ。
 わたしらが知る実情からすれば、あれは遺言にかわるものなんかじゃなくて、わたしらの姉弟、つまり先妻の長男が父からお金出してもらって家を構えた時に、後妻の長男がうるさく騒いだもので、父が、後妻の長男をなだめる意図で『まあ、こうゆうふうに考えられるじゃないか』とメモに走り書きをしたまでなんですよ。しかも、あの家は建て替えてしまったんで、そのメモ当時とは事情が変わっているはずなんですよ。それを、裁判に持ち出して、まんまと自分のものにしちゃったんですからね」

 親分は、言葉を差し挟む機会がなく、黙って、うんうんと頷き、湯飲みを両手で覆っている。
「ねっ、親分、そんなものが遺言がわりの重みを持っちゃうっていうのはおかしくありません? で、そうこうしているうちに、それじゃという調子で後妻の次男も二つ目の不動産は自分が相続すべきものだと主張し始めたんですよ。特に何の証拠もないのにです。新しく父が立て直したビルに同居していただけなんですよ。わたしらは、そんな馬鹿な主張は通るものかと、まあ、高を括っていたんですよ。そうしたら、それがそうじゃなくて、同居していただけの次男のものになると言うんですから、裁判官もどこを見ているんですかね。あきれてものが言えませんよ。
 被相続人、つまり亡父ですわね、被相続人は『明治の人間』であり、男兄弟に資産を継がせたいという意向が強いのはやむを得ず、十分推測し得ると、裁判所はおっしゃるわけなんですよ。そんなこと言うのは、男女平等の憲法の下で許されることなんでしょうかね。わたしは、裁判所っていうのは、もっと物事の道理をきちんと見るものと思ってきましたが、あきれちゃってるんですよ。
 ただね、ここへきて、あたしら先妻の姉妹三人もみんな年とってるから、異論を唱えてもうこれ以上裁判づくめってのも、辛いんですよね。不動産を持っていかれるのは癪だけど、現金の方の分配相続を急いだ方がいいのかな、って大きく傾いているのも事実なんですよ。
 確かに、父が生きている時には、というか、父の財産が作られた時には、先妻の子であるわたしたち兄弟が並々ならない苦労をしてきたんです。後妻の子たちの面倒さえ見させられたし、あの子たちなんか何の苦労もなく、ただ父やあたしたちにぶら下がっていただけなのに…… そんな子たちが結局、おいしい部分をしっかり持ってゆくなんて、世の中道理も情けもありませんよ……
 だけどね、骨肉分けたものたちがこんなにらみ合うという異常なことを、いつまでも続けていていいのか、ってふと思うんですよ。先妻の子たちは、まだ若いから欲でぎらぎらして生きることもできるでしょうけど、あたしらみたいな年になると、平穏な毎日ほど貴重なものはないように思うのよね…… 親分さん、親分さんのお考えをお聞かせくださいな」

「おれっち、切った張ったの揉め事にはなれちゃいるんだが、どうもいけねぇよな、血がつながった『内輪』の話のこじれってぇのはな。だが、あんたも心ん中整理しきれていないようだから、おれっちのかんげぇを、ざっくばらんに言わせてもらおうかね。
 先ずよ、『因果は回る糸車』ってぇやつだなあ…… あんたも、口にしてたようにさ、事の発端は仏さんだってことよ。言っても始まるわけじゃねぇけどさ、生き仏さんたちの欲を刺激して右往左往させるくれぇの財産遺すやり手のお人だったらよ、自分が逝ったあとで関係者が揉めねぇようにさ、はっきりした遺言くれぇ遺さなくちゃいけねぇさ。それがホントの明治男ってぇもんじゃねぇのかい。
 たぶんなあ、仏さんも心中は迷いの連続だったんじゃねぇのかなあ。びしっと腹が決まっていた方でもなかったのかもしれねぇなあ。『でも』よお、そうだとしたら、そんなお方が、どうしてどえれぇ遺産を遺すことになったんだか、そこが解せねぇじゃねぇか」
「やっぱり、親分さんは鋭いねぇ。なあに、たまたまちっぽけに持ってた土地、建物が公共用地としての区画に引っ掛かって、それなりの立退き料をもらうことになったんですよ」
「なるほどなあ。そう言うのってのは、日本語で言えば『棚からぼた餅』、英語で言やあ、よくわかんねぇが『イージーカム、イージーゴー』ってぇんじゃねぇか。当のご本人も関係者もパニクるぜいりょうになるのさ。
 それでな、さっきよ、おれっちが言った『因果は回る糸車』というのはな、仏さんが優柔不断なら、子どもたちもそうだってっことなのさ、悪いがな。しかもよ、おれっちには、あんたら先妻のお子の中で、その長男だっていう人の姿が見えてこねぇのよ。多分、あんたらの弟さんってことなんじゃねぇのかい」
「どうしてそれが……」
「だってよお、先妻の子であろうが、後妻の子であろうが、長男が仕切れているなら、こんなダラダラにはならなかったんじゃねぇのかい。たぶん、『仕切れない』傷みてえなものを背負い込んでいなさったんじゃねぇのかい? 」
「親分さんは、何でもお見通しなんだね。その通りなんだよ。後妻の男兄弟たちが血相変えて欲ボケになっていった理由は、素質があるにはあったんだろうけど、先妻の長男への強い不信感があったんだろうね。偉そうなことを口にするわりには、小ずるいことに走るっていうのか……」
「だからさ、そん人は、亡くなった親父さんの『スモール・コピー』だってことなのよ。まあ、後妻さん男兄弟もおそらく同じにちげぇねぇんだろうが。それが『因果は回る糸車』って言わしてもらったわけなのさ」<明日につづく> (2002.11.29)

2002/11/30/ (土)  苦労なさったんだから、でいじに使うがいいぜ! <昨日のつづき>

 でもやす親分は、素性も知れず、えたいが知れない年寄りであった。が、不思議に訪れる者たちが絶えなかった。また、未だに、なぜ「でもやす」親分と呼ばれるのかに対してまともな説明のできる者がいなかった。
 ある者は、かつての任侠道で名を馳せた「どもやす」より一枚上手だからという者もいる。またある者は、「デモクラシー」の「デモ」なのであり、庶民派を謳っているのだという。だが、定かなことはわからない。
 ただ、会話の中で「でもなあ……」とつぶやくことが多い。したり顔で自慢する者に対してや、訳知り顔で吹聴する者に対しては頻度が増す。また、逆に落ち込む者に対して使われることも少なくなかった。

「でもなあ、誰が悪いと言ったってしょうがねぇのさ。あんたは裁判所の判断さえ恨みに思っているようだが、裁判所なんてものはそうしたもんじゃねぇのかい。土台、内輪もめ、てめぇっちの喧嘩を、皆の税金で動いてるお上に裁いてもらおうっていう了見が見当外れだってことなのさ。
 ガキたちだって、ちいとましな連中なら大人たちに介入されずに、てめぇっちで解決したりするじゃねぇか。奴らは、わけのわからない面子(めんつ)が入り込むと、話が余計に面倒になることを本能的に知ってやがるのさ。
 でぇてぇな、国であろうが、不動産屋であろうが、第三者づらして仲介役に入ろうって者を額面どおり信じちゃいけねぇんだ。おれっちには、どうも衣の下からのぞく下心ってぇものが見えてならねぇんだよ。昔っから、『漁夫の利』っていう言葉もあるくれぇじゃねぇか。えっ? 意味が違うんじゃないかってか? なあに、同じことの裏返しなのよぉ。
 第三者に事を預けるってぇことは、当事者たちには能力がありませんと宣言してるわけだな。そんなばやい、ホントに当事者たちのためになるかたちで周旋する奴なんて、めったにいやしねぇのさ。下心はカネと決まったもんでもねぇさ、何か頂くものを頂いちゃおう、何かいいように吹き込んじゃおうと思っちゃうのが、そこが並の人間のきたねぇところなのよ。国だって、裁判所だって同じことだと、おれっちは推察してるぜ。国が欲しいのは、正義がどうのこうのじゃねぇはずだよ。波風が立ちにくい秩序、それなのさ。
 だからよ、最初は『調停』というかたちで、当事者同士が穏便に手打ちすることを薦めたわけだよな。だってよぉ、裁判所にしたって困るじゃねぇか。確かに、学識とやらがあるお偉いさんが務めていなさったって、血縁関係のある者たちのくどくどしい内輪の話が見えるわけはないと思うぜ。
 回りくどく言って勘弁しておくれよな。おれっちの言いてぇことは、わけのわかんねぇ第三者に助っ人を求めた時が、こじれの雪だるまの始まりだってぇことなのさ。
 もひとつ妙なかんげぇをすればだな、裁判所だって、あんまり見事な『大岡裁き』なんぞやったら、ただでさえ頼られてしまって行列ができてる民事裁判が、当事者努力をしようとしない者が増えてパンクしちゃうんじゃねぇか。そんなことまで裁判所はしっかりと見据えているのかもしれねぇぜ。裁判所に頼るくらいなら当事者同士でまとめようじゃねぇか、という道理を諭そうとしているのかもしれねぇじゃねぇか。はっはっはっはっ」
「まあ、確かにね、言われてみりゃ、内輪の馬鹿を世間にさらすことほど馬鹿なことはなかったと思うわよね。それに、自分たちが当事者で仕出かしてきたことは、自分たちが一番よく知っているわけで、それを第三者に『公正に』裁いてもらおうなんて、虫が良すぎる話だったかもしれない」
「いや、虫が良い悪いじゃなくってだな、そんなこと不可能だっていうことよ。どこまでも当事者間で『すり合わせていく』しか道がねえってことだったのさ。
 でもなあ、あんたが、こんな事に振り回されているくらいなら、人生に残された自分の時間をていせつにしたいとおっしゃったのは、いいところに目を向けなさったと思うぜ。だてにこの間苦労されてきなさったわけじゃねぇんだよな、なあ。
 おれっちも確かにそうだと思うぜ。おれっちも、わけぇ時分はずいぶんと阿修羅をやったもんだが、人ってもんはそんなもんじゃねぇんだと、つくづく思う年になっちまったぜ。阿修羅をやるというのは、どんなに気取ったって結局は、欲を掻くこと以外の何ものでもねぇんだね。ところでよ、神や仏の怒りってぇのも、言葉としてはあるにはちげぇねぇが、おれっちはよ、神とか仏とかという全能者は、欲を解脱しているはずだし、それによ、そんなやべぇことはしねぇと踏んでるんだ。
 と言うのはな、阿修羅やったり、怒るってぇことは、たとえ瞬時ではあっても人の心と身体のバランスってぇのか、調和ってぇのかを撹乱せずにはおかねぇもんだ。それらが崩れるってぇことにちげぇねぇんだ。隙だらけになるってぇことよ。『魔が差す』ってぇ言葉があるが、魔にとっちゃ、狙っているのはほんの一瞬で事足りるってぇことだよな。だから、全能者ならそんなあぶねぇことはしねぇと思うわけよ。
 まして、風下のちっぽけなおれっちがよ、隙だらけになったり、身体こわしてよ、残り少ねぇ寿命を縮めてどうなるっていうんだ。平静な心境こそを何よりとかんげぇるわけなのさ」
「親分さんのおっしゃるとおりだね。阿修羅になってでも貰うものを貰おうと思ってしまった自分のさもしさが今は悲しいよ…… 隙を作ったせいか、心当たりのある不幸なことも起きてしまったしね……」
「でもなあ、そうやって今は穏やかな心境を掴んだんだからいいじゃねぇか。相手さんたちはな、これからが苦しいんじゃねぇのか。『棚からぼた餅』を得た者はそのうまみが忘れられなくなって、でいじなものはみんな天から降ってくると思い込んで一生上を見て暮らすことになるのさ。足元に井戸や、つまずくものでもなきゃいいがな……
 それにな、阿修羅やって得たものは、阿修羅やられて奪われちまうのが世の常なんだろうぜ。おれっちも、わけぇ時分に縄張りの件でつくづくそう知らされたもんよ。それは世の道理なんで避けようがないのさ。だからよ、ホントに手にしてぇ、守り続けてぇっていうものが見つかったら、人さまから奪うんじゃなくて、手塩をかけて自分で創るしかねえのさ……」
「親分さん、ありがとうね。現金の分配の方が決まったら、何かごちそうさせてもらうよ」
「なあに、そんな気をつかうんじゃねぇよ。苦労なさったんだから、でいじに使うがいいぜ!」 (2002.11.30)