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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2002年09月の日誌 ‥‥‥‥

2002/09/01/ (日)  その時自分史が動いた! (5)「使い捨てカイロ」が見え見えの会社では……
2002/09/02/ (月)  さて、プリテンダーの中の本家は誰でしょう? ピンポーン!
2002/09/03/ (火)  メディア時代と「プリテンダー(Pretender ! 振りをする人!)」!
2002/09/04/ (水)  「セレンディピティ」=「思いがけず大きな発見をする能力」!
2002/09/05/ (木)  古いカードの総取替え!が必要なほどに惨憺たる現状!
2002/09/06/ (金)  玉虫色の「構造改革」と、われわれの内に潜む「抵抗要素」!
2002/09/07/ (土)  「構造改革」という課題は、全国民にとっての試金石!
2002/09/08/ (日)  デジタル地図で訪れてみた、いとしい生まれ故郷!
2002/09/09/ (月)  マイスター制度(徒弟制度)復権の兆しか?!
2002/09/10/ (火)  火花散るトコの中で成長してゆくベーゴマたち!
2002/09/11/ (水)  いろいろな "9.11" について思うこと!
2002/09/12/ (木)  「職人」や「徒弟制度」の問題と「暗黙知」と「形式知」!
2002/09/13/ (金)  幸せですら感じるものではなく傍観者的に鑑賞するものだと?
2002/09/14/ (土)  ついてしまった「贅肉」は、落とすのに同じ時間がかかるとか!
2002/09/15/ (日)  人は新鮮な変化の中でこそ息づける!
2002/09/16/ (月)  「いちいち何したらいいでしょうか、なんて聞くんじゃねぇ!」
2002/09/17/ (火)  「冷徹な事実」の認識と、「冷徹な事実」の構築こそ!
2002/09/18/ (水)  過去の清算、総括なしでは、未来が保証されないのでは?
2002/09/19/ (木)  フワフワっとした日本人は、もっとしっかりしなくちゃ!
2002/09/20/ (金)  『流浪の民』を歌う天使の声に捧げるべきものは聡明な力!
2002/09/21/ (土)  時代が産み落とした「鬼っ子(?)」を丁寧に育てたい!
2002/09/22/ (日)  何十年ぶりかで「お兄さん」と呼ばれた戸惑いとホクホク!
2002/09/23/ (月)  段取り=想像力=深読み姿勢が希薄な時代?
2002/09/24/ (火)  『占い』くらい知ってるわよ。裏が無いって言うことなんでしょ!
2002/09/25/ (水)  時代や価値観の変化に伴ういろいろなものの「仕分け」の変化!
2002/09/26/ (木)  初秋の日と金木犀、そして取り残された人間の嗅覚!
2002/09/27/ (金)  没頭至上主義(?)が宿命と感じる人!
2002/09/28/ (土)  留まることなく変化するインターネット環境と「デジタル・ディバイド」!
2002/09/29/ (日)  ヒトの記憶の『在庫状況』を管理しているメタメモリー?
2002/09/30/ (月)  カネカネカネとカネにとらわれ過ぎた存在状態?





2002/09/01/ (日)  その時自分史が動いた! (5)「使い捨てカイロ」が見え見えの会社では……

 『その時歴史が動いた!』にあやかって、自分史もどきを振り返るはめになってしまった。「自分史」をまともにまとめるとしたら、三十年も早いと確信している(?)のだが、要するに人の歴史とは、人との出会いとその別れが大半なのであろうと思わざるを得ない。
 もちろん、仕事の節目、変わり目という要素も大きい。しかし、それとて人との出会いと別れを契機とすることが多いはずである。結局、人生での重要な選択とは、人との出会いと別れを選択することに尽きそうな気がしている。
 そして、この問題は、人任せにはできない一身上の課題だと思われる。別れを選ばずに、継続してゆくことが正解のこともあろうし、そうでないこともあろう。どのような理由や根拠をもって意を決するのかが当人に託された重要な試練であるに違いない。
 人間世界には、さまざまな人種がいる。人が良く、それが今だけではなく長い将来にわたってもそうである人がいるかと思えば、一見頼り甲斐がありそうで、何の問題も感じさせないような人でありながら、離れるべし!と心が告げる人もいないわけではない。相性の問題もあるので、なおさら峻別しがたい課題なのであろう。

 わたしの自分史「ハーフ」(カロリー半分ビールのようだが)も、人との遭遇と別離で紡(つむ)ぎ出された観がある。
 わたしの場合、「自分に甘く、他人に厳しい!」というとんでもなく悪い性格が災いして、波風は決して小さくはなかったかもしれない。特に、指導者として仰ぐ人に対しては、期待を込めて50%増量の辛口評価をするものだからまずい。大学院時代の教授方々たちも、そうした被害をお受けになっているのかもしれない。
 だが、そんなわたしから被害を強くこうむったのは、おそらくわたしを雇った会社の社長たちであったかもしれないと思っている。とは言っても、さしあたって三人、その一人は自分自身であるから、およそ二人の被害者がいたこととなる。

 ※※教授に紹介されて向かった独立系中堅ソフトウェア開発会社を、わたしは一年半で見切りをつけた。教授との義理もあったのだから、さしずめ三、四年くらい居たって良かったのであろう。が、早かった。偉そうにも、早々に社長の特質を見抜き、この人の下では自分は開花できない、下手をすれば使い捨てカイロとされかねないと確信したからであった。
 「自分に甘く、他人に厳しい!」という自分の欠点を書いたばかりだが、そこまで書くのは、上には上がいることを、この社長と出会って知っているからなのかもしれない。ホンモノはこんなものじゃないぞという経験があったればこそなのかもしれない。
 誰が見たって、社長自身が反省すべきゴタゴタが起きた時にさえも、決して人前で反省なんぞすることをなさらなかった不思議な社長なのであった。
「いやー、やっぱり△△部長がおかしいんですね。わたしもずっと前から懸念してはいたんですよネ」
と、開いた口が塞がらない矛先転換をやってのけるからたまらない。振られた人も相手が社長だからどうにもならないのだ。大学院出の社員ということで、何かと社長のそばに置かれただけに、その醜態がしっかりと丸見えに見えたのだった。何人もの有能だと思しき人材が、その悪癖によって潰され、辞めてもいった。わずか一年半の間にも人の流れは繁華街並であった。社長自身の東大時代の友人部長ですら、哀れその犠牲とされたのであった。まあ、人間関係とは所詮(しょせん)関係である以上、破綻の原因が片方にだけあるとは言えないのだろうが、そこまでさり気ない矛先転換、責任転嫁がパーフェクトにできる人は、ある種の天才だと思ったものだった。

 アプリケーションパッケージ・ソフトの企画という担当は遣り甲斐はあった。精一杯、研究生活で培った力を発揮できそうな予感もしていた。が、もうひとつの予感がじりじりと増大していったのだった。※※教授の後輩と言いながら、先輩も後輩もまったく相互の人格認識なんぞしておらず、何と表面的な相互評価でしかなかったか、それにも驚いたものだった。双方ともに偉そうなことを、ハイ・ブローで口にされる割には、人の認識が実に粗雑過ぎていた。自身が見えないのだから、他人もレッテル貼り水準でしか見えないのであろう。さらに、その時々の状況でコロコロと人物評価を変えて怪しまない典型的な機会主義(オポチュニズム)でもあった。

 いろいろと込み入った事情もあったにはあったが、社長の、絵に描いたような<「自分に甘く、他人に厳しい!」性格>×<機会主義(オポチュニズム)>を実感的に確認してしまったわたしは、この方は長く御つき合いする人ではないなあ、と直観していたわけである。そこそこビジネス舞台はこなす方だからご本人と会社はまずまずであろうが、そばに居るとケガをさせられる危険な人だと、身を案じたのかもしれない。
 その時自分史が動いた! の今回のクライマックスは、社長の次の言葉であった。
「そうですか、やはり○○部長にヒロセくんを生かすのは難しかったのかなあ。わたしの直下ということも検討してみましょう」
と、まったく当方側の社長自身へのクレームを、ここでも見事に矛先転換でかわす天才ぶりを示された時なのであった。わたしは、心の中で「ダメだ、こりゃ」と、いかりや長介のせりふをつぶやいていたのだ。

 実は、わたしは企画中の案件を、多少荒っぽいがカンと行動力は決して悪くない企画部部長の下で推進していた。わたしの熱の入れようは、デスクの上に新聞紙をひいて連日徹夜をするほどであった。部長も精一杯応援してくれた。
 問題であったのは、社長自身だったのである。度々企画部の部屋に訪れては、部長を頭越しに感想や支持をお構いなく発することなのであった。製造工数に大きな差異を生み出すポリシー決定や指示系統が、完全に二股となってしまったのである。そしてその乖離は大きくなる一方なのであった。
 そこでわたしは、その実情を社長に訴え、もし社長が指示を出すのであれば、部長会で正式ルートに乗せて出していただきたいと申し出たつもりだった。が、返ってきた言葉が前述のごときだったのである。

 わたしは、初発の案件を、会社が利益を上げられる案件としたかった。また、ソフト開発とは言っても、結局メーカー主導の人工(にんく)作業に明け暮れていた会社体質に、企画で稼げるという橋頭堡を実証してもみたかったのだ。それが、会社のためにも、そして自分を生かすためでもあると、気負い込んでいたのである。が、本気になればなるほどに、この環境で失敗すれば目も当てられない修羅場となると推定せざるを得なかった。
 そもそも企画業務とは、研究開発業務であり、言ってみれば困難さのかたまりなのである。多くの企業がこれを目指しながらも思うようにならないのは、顧客の指図が頼りで動いてきた仕事水準=大気圏を突破できないからなのであろう。案件の技術云々よりも、そうした道理を知らないことが敗因となるのだと思われる。その会社も、社長自身もまさにこの理屈を心得ていなかったのである。
 まして、わたしのような新参者がそれなりの企画を成就してゆくには、他の環境や条件はともかく、意思統一が必須であった。それが乱れていた。そのことの深刻さが、どこ吹く風といった無自覚さであった。言うまでもなく、その体質の源は社長自身であったに違いないだろう。わたしは、調査・分析、基本設計の段階を完了させることで、不本意ながら去ることを決意せざるを得なかった。

 もちろん、とにかくサラリーマンとして指示されたことだけをやりながら、保身術に徹してゆく道があったことも確かだ。まして、経営トップのお膝元にいたのであるから。しかし、それは自分の力を切り拓きたいという願望の乏しい者でしか採用し得ない道ではなかったかと思っている。
 ところで現在の経済は、すべてのサラリーマンが保身のためにも絶えざる自己啓発を余儀なくされた、そんな厳しい環境へと突き進んでいるはずだ。まあ、自分がした選択はまんざら外れてもいなかったのだろうと思っている…… (2002.09.01)

2002/09/02/ (月)  さて、プリテンダーの中の本家は誰でしょう? ピンポーン!

 久々に溜飲が下がる思いである。何がといって、田中康夫氏の圧倒的大差での再選である。長野県民ならずとも、同じ思いの国民が多いことだと思う。
 脱ダム宣言については、田中氏の選挙演説にオッカケでつきまとっていた女子大生がおもしろいことを言っていた。
「(脱ダム宣言は)田中さんが本家本元で、他の候補者はみんなパクリじゃないの!」と言い得て妙な感想をもらしていたのである。簡単に言ってしまうと、この辺に潜む問題が現代日本政治のひとつの病巣であったように見える。たとえ仮の(借りの)姿であっても、有権者(マスコミ風潮)に媚びて票さえいただければ、あとは官僚機構とつるんでどうにでもなるという高のくくり方である。
 しかし、今回の有権者はしっかりと正しい「表示」と「不当表示」とを見抜いたようだ。これも、牛肉問題や、その他の商品疑惑等々で、疑ってみることを身近に学習できた成果だと言ってよいのかもしれない。

 もともと、わが国の選挙時における「公約」ほどいいかげんなものがないことは、候補者、選挙民の関係者すべてが訳知り顔で了解してきたのかもしれない。候補者は当選してしまえば、公約を忘れてしまうか、それが果たせなくとも言い分けに終始して知らん顔をしてきた。有権者も、いろいろと庶民にはわからない事情があるのだろうと、深く詮索せずにきた。さらにひどい場合には、当選後に平気で政党所属の変更したりする慣行も許されてしまった。とんでもない契約違反が白昼堂々と敢行されてきたのである。

 一般社会の商品市場の分野では、公正取引委員会が「不当表示の禁止」という規則を定めている。ちなみに、次のような規則である。

<優良誤認>
品質、規格、その他の内容についての不当表示
 (1)商品又は役務の品質、規格その他の内容について実際のものより著しく優良であると一般消費者に誤認される表示
 (2)競争事業者の供給する商品又は役務の内容よりも自己の供給するものが著しく優良であると誤認される表示

<有利誤認>
価格その他の取引条件についての不当表示
 (1)商品又は役務の価格その他の取引条件について、実際のものより取引の相手方に著しく有利であると一般消費者に誤認される表示
 (2)競争事業者の供給する商品又は役務の取引条件よりも自己の供給する取引条件の方が、取引の相手方にとって著しく有利であると誤認される表示

<その他の不当表示>
商品又は役務の取引に関する事項について一般消費者に誤認されるとして公正取引委員会が指定する表示。現在指定されているもの
 (1)無果汁の清涼飲料水等についての表示
 (2)商品の原産国に関する不当な表示
 (3)消費者信用の融資費用に関する不当な表示
 (4)不動産のおとり広告に関する表示
 (5)おとり広告に関する表示

 ところが、政治の分野ではこうしたルールが後回し後回しにされてきたようだ。政治家先生たちは、庶民と違って「偉い!」のだから、こんな杓子定規なルールがなくとも、いわゆる「倫理」によって対処なさるはずだ、と。
 しかし、政治家の「倫理」を、笑わずに一体誰が口にできるのだろうか。評論家の佐高信はある時つぎのように言ったことがある。
「政治家に倫理を期待するのは、ゴキブリに倫理を期待するのと同じである」と。わたしは、ちょっとひど過ぎる言い方だと思った。ゴキブリがかわいそうなのである。ゴキブリは、脅せば逃げるが、政治家は脅しこそすれ、脅されれば居直り、すごむからである。

 要するに政治家とは、元来が「プリテンダー(Pretender ! 振りをする人!)」なのではないだろうか。プラターズの「The Great Pretender グレイト・プリテンダー」は大好きな曲だが、限りなく詐欺に近い政治家のプリテンドはいけない。命がけでやるつもりもないことを、公約に掲げたり、自分でもそのポリシーの本質や、論理的脈絡がわかりもしないくせに「当然!」のことだなどと賛同の振りをしてはいけない。
 また、バカで無責任なマスコミは、プリテンダーをネタにさえなると思えば、無視すればよいのに、やたらかまうものだから、あんまり考えない人たちは何だか偉いなどと錯覚したりもする。犯罪をやったって、有名になりたいとほざくワルガキも多くなった世の中であることを忘れないでほしいんだよね。

 が、長野県有権者は、「プリテンダー(Pretender !)」たちを見破り、本家をしっかりと見抜いた。たぶん、多少「プリテンド」の趣きがなしとはしない田中のやっちゃんだけど、そこは、ほれ、とことん本気にさせてやらせちゃうのが賢い有権者というもんなんでしょうね…… (2002.09.02)

2002/09/03/ (火)  メディア時代と「プリテンダー(Pretender ! 振りをする人!)」!

 昨日書いた「プリテンダー(Pretender ! 振りをする人!)」という視点へのこだわりは、何も長野県知事選挙に限る限定的な問題意識ではなかった。
 「劇場国家」だの「劇場政治」だのと表現されるように、メディアと政治とが相互浸透し合う時代においては、短絡的、視覚的なパフォーマンスが想像以上の影響力を発揮するようになる。そして、受け手側がじっくりと考える時間が与えられないほどに、そうした派手な情報提供が矢継ぎ早となると、手堅い思考力・判断力が損なわれ、主に視覚上の雰囲気的選択に流される可能性が高くなるようだ。
 ここに、現代的「プリテンダー(Pretender ! 振りをする人!)」が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し得る舞台ができあがってしまう可能性があるのだろう。

 賞味期限が過ぎたともっぱら揶揄される小泉内閣が、やや支持率を上げたという。朝日新聞の世論調査では、43%から51%に回復したというのだ。その理由は、どうも調査前日に首相の訪朝が電撃的に発表されたかららしい。首相は、さもじっくりと準備してきたような「プリテンド」で、「一年ほど前から密かに準備していた」などと記者たちに答えていた。
 誰が見たって、もう破局寸前にまで到達した北朝鮮が、資金援助を目指して各国に「微笑外交」を始めたからだとわかりそうなものだが、自分の手柄のようにパクる人がいるかと思えば、そんなことで現内閣を支持し直す人たちもいるのだから、ウーンとうなってしまう。
 今日あたり、日経平均株価は、バブル後最低の9200円台に突入してしまった。不良債権問題処理とて遅れが出そうな気配が濃厚。経済は抜本的改革が全然手つかず。郵政問題、道路公団問題も「プリテンド」改革に終始。敢行した住基ネットはあちこちで底の浅さが暴露されている。それで、なぜ内閣支持率が回復するんだろうかと、不思議に思えてならない。
 経済の修復をそっちのけにして、9.11以来西部の保安官よろしくタカ派的アジテーションばかりやってきて、ここへきて好戦的人物でさえ危惧するイラク攻撃に傾く米国ブッシュ大統領は、さすがに米国では問題視され始めているとかだが、わが国は、フワフワとした人たちも結構多いようだ。

 以前に、三日間完徹をした時の強烈な睡魔について書いたことがあったが、その睡魔とは、執筆なり思考なりをほんの二、三秒でも途切れさせると、もう机にうっ伏して寝てしまうといった恐ろしさであった。
 今思えば、現代のメディア情報環境は、この睡魔とかなり似ていないでもないと思える。自分の感覚と自分の思考力で日々を組み立てようと意志せずに、なに気なくつけっ放しにしている能天気なTV番組、公正さを「プリテンド」しながら実のところ生身の人間の感情や聡明さに届かないような表現に徹する報道番組、わかりやすさのローリング・ストーンズとなり切った情報群などに身をまかせていると、しっかりと安らかな眠りに引きずり込まれてしまうようである。「寝ている人はそのまま寝ていてほしい」という意味のホンネをさらけ出した首相が、ちょっと前にいたようだったが、その水準で現実が進行し、進行させられていると見るべきなのだろう。

 とにかく、現代はメディア環境が作り出す「虚構」にあふれた時代環境なのだという点を常識とすべきなのである。そして、この「虚構」には上手下手の差こそあれ、さまざまな「プリテンダー」がひしめき合っているのである。
 ゲーム・ソフトのキャラクターたちは、ドジでマジなキャラクターも含めてすべて「プリテンダー」であることを子どもたちや、若い世代は先刻承知なのだろうと思う。むしろ、「金本位制」=「実質」(?)というものへのこだわりを残している団塊世代以前の世代こそが、この時代にあって最も注意力を喚起しなければならない人間なのだろうと痛感する。すでに、世界は古き良き時代をドンデン返しにしてしまっているようなのだから…… (2002.09.03)

2002/09/04/ (水)  「セレンディピティ」=「思いがけず大きな発見をする能力」!

 偶然のラッキーといえば、当人が予想だにしなかったような「棚からぼた餅」というかたちのラッキーがある。うれしいには違いないが、受け入れ体勢のないところに唐突に幸運が飛び込むのだから、前後関係を理解したりして喜びを落ち着いて実感するまでに、多少の時間がかかったりするのだろう。まあ、そんな経験は過去を振り返ってもめったにないものだが。
 そこへゆくと、何かを探していたりして、探していたねらいの対象ではないのだが、勝るとも劣らない別種のお宝などを発見してしまう場合の喜びはどうだろうか。探す姿勢、求める意気込みがあるのだから、喜びの反応は早いようにも思える。
 が、これはこれで、「鑑定眼!」がないと見過ごしてしまったりするおそれがあるため結構難しいのかもしれない。とかく探しているものに熱心であればあるほど、そのイメージだけが頭と心を占領して、別の価値あるものをそれとして見出せない了見の狭さが発生するかもしれないからである。
 この例として、東海林さだおの漫画を思い出したりした。主人公が蚊に悩まされ、蚊を叩き殺そうとして竹の物差しをこわしてしまい、苛立ちながら新しい物差しを飛び出して買いに出かける話である。主人公は、商店街のクスリ屋、そこでは蚊取り線香!が山積みしてあるにもかかわらず、これをあっというまに通り越して、とある文房具屋に飛び込んで叫んでいるのである。「一番長い物差しくれ〜!」と。

 最近、どういう訳か、「セレンディピティ」という外来語をよく耳にする。知らなかったので調べてみると、「セレンディピティ "serendipity = the natural ability to make interesting or valuable discoveries by accident"」とは、「あてにしなかった物を偶然に見出す才能」、「思いがけず大きな発見をする能力」、「偶然により面白かったり価値ある発見を行う自然に備わった能力」、「掘り出し物」などという意味を持ち、科学分野でケアレスミスなどから思わぬ大発見が生み出された時などに使われるのだそうだ。
 「江崎ダイオード」の発見の時、江崎玲於奈さんの助手の学生が、やってはいけないことをしてしまった結果、これが大変な成果へと発展したという。白川英樹さんの「導電性ポリアセチレン」の発見の時にも、馬鹿馬鹿しいくらいに不純物をまぜてしまった学生がいたことで、この発見のきっかけがつくられたのだそうだ。
 このほか、歴史的大発見の中にも、こうした偶然のきっかけが効を奏したケースが少なくないのだそうだ。たとえば、有名なファラデー、大発明家エジソン、抗生物質ペニシリンの発見などなどである。
 また、現代の大ヒット商品はすべて「セレンディピティ」によってもたらされたと言う人もいる。「ウォークマン」、「ポカリスエット」、「鉄骨飲料」などがその例だとされるのだ。

 だから、「一発当てる!」ことを、喉から手が出るほどに焦がれる現代企業にとって、正攻法の研究方法とともに、この「セレンディピティ」型発見に関心を抱かないわけがないのだ。
 大学の研究室分野でも、もちろん関心がもたれている。「セレンディピティの認知科学的モデル構築」(京都大学大学院 情報学研究科システム科学専攻 片井研究室)が進められてもいるようだ。

 もともと、いわゆる「創造性」やその能力のメカニズムは、多くの関心が寄せられてはきたのであるが、いまだ謎に包まれているようである。よく言われるエジソンの言葉「発明とは、99%のパースピレーション(汗をかくこと)と、1%のインスピレーション(ひらめき!)である」は、努力なしでは創造性発揮はままならないという点に目を向けさせるとともに、肝心な「インスピレーション」の発生構造については何も語っていないとも言える。
 そもそも「創造性」とは、あまねく万人に理解され難い営為であるがゆえに、その言葉が市民権を得ているはずである。それを「創造性」の解明と称して構造解析をしようとすることが矛盾しているのかもしれない。それこそ「不立文字(ふりゅうもんじ)」であるような気がしてならない。
 ソフト・システムの研究領域で著名なG・W・ワインバーグ博士は、「愚者のあと知恵!」というたとえ話でこれに関して述べている。凡人や「愚者」は、素晴らしいアイディアや創造的発想を、それが形となったあとで説明されると、「なーんだ、そういうことなんだ」と納得することはできる。知らない人に説明することの喜びまで享受する。が、自らが未来に向かってそれを実践することは、まったく次元の異なる問題である、と言うのである。

 「セレンディピティ」への関心は、一方で、「偶然に」という、誰にでも開かれた印象をかもし出す点によって広く関心が持たれているのかもしれない。しかし、その重みは、上記エジソンの「1%のインスピレーション」とまったく同様に、登りつめた者のみが発揮する神業だと感じてしまう。
 われわれは、せいぜい「セレンディピティ」なショッピング(=衝動買い!)をしたり、「セレンディピティ」な人生(=出たとこ勝負!)で、偶然を心ゆくまで楽しめばいいじゃない…… (2002.09.04)

2002/09/05/ (木)  古いカードの総取替え!が必要なほどに惨憺たる現状!

 もうストーリーもよく思い出せないのだが、若いころ、水上勉原作の大映モノクロ映画『越前竹人形』(1963。主演・若尾文子)を見た際に、二律背反的な奇妙な感情に襲われたことだけが忘れられない。説明的にではなく、出し抜けに表現するならば、逃げ出したいほどの陰陰滅滅とした暗さを一方に感じながら、なぜか永遠の安らぎに打ち沈んでも行きたいような衝動も感じたというアンビバレント(ambivalent)なのであった。
 「エロス」に対する「タナトス Thanatos」(ギリシャ神話で、「死」を擬人化した神。フロイトの用語。攻撃、自己破壊に向かう死の本能。)のイメージだと勝手に解釈したりもした。また、自由と開放へと向かう「遠心性」に対する、閉塞と維持を志向する「求心性」のイメージだとこじつけたりもした覚えがある。

 ところで、今、関心を向けているテーマは、そのような高踏的な問題などではない。差し迫っている卑近な問題である。一言で言えば、経済や社会の「構造改革」をめぐる問題なのである。
 言うまでもなく、「構造改革」路線は、自由と開放へと向かう「遠心性」の側に位置づけるべきものだと思われる。限りなく開かれた市場、そこでの自由競争と切磋琢磨は、厳しさを伴うものだが、ルール環境が整備されるならば透明な明るさを想像させる動きだと言えよう。
 これに対して、この動きをなんだかんだと言って現状維持の思惑で封じ込めようとする者たちは、とりあえず「内向き」の保守勢力である。「抵抗派」と呼ばれる「〜族議員」たちが典型である。彼らの言う理屈や能書きに深い根拠などがあるわけはなく、あるのはカネの流れだけだと言っても外れていないだろう。
 先日も、高速道路の必要性の根拠として、「災害時には、救援部隊が現場へと直行するためにも……」と述べている者がいた。思わず「バ〜カ〜」と確信したものだった。神戸の大震災の際に、高速道路が横倒しとなりその脆弱さと危険さがテレビ画面いっぱいに報じられたのをあなたは見ていなかったのか、と言いたかった。要するに、口からでまかせのごり押しでしかないのである。
 かといって、現政府の「構造改革」プリテンドに好感を持っているのでは決してない。やっている「ふり」をしているのが、なおさら良くないとも言える。

 なまぬるい湯につかっていると、じわじわと温度が下がっていてもそれと気づかない道理が働いているのかもしれない。たぶん、今のわが国は環境と国民の感覚との間で、そのような関係があるように思える。
 むしろ海外からの立場で客観的に観察している人たちの受けとめ方が意外と頼りになりそうなのである。たとえば、英国のピーター・タスカ氏の現状日本評価などには、きわめて重いリアリティが感じられたりするのだ。

 タスカ氏の著作(『日本の大チャンス』原題:"JAPAN IN PLAY")を読んでいて、なるほどなあ、と思ったものだ。五十代以上の世代は、とにかく右上がりの成長とそれにまつわる一連の日本的な手法(政府による援助であったり、徹底的コストダウンといった我慢の手法……)を記憶している分それに依存してしまうこととなり、もはや破格に惨憺たる状態となっている現状をどうしても見誤ってしまうのだそうだ。その結果、もはや決してあり得ない景気回復を、どこかで待つという愚を犯しているという。本来的な再出発を促すはずの「絶望」を受け入れようとせずに、あい変わらず接ぎ木をしてゆこうとしている、と。
 もはや、右上がり成長を記憶している世代間でのバトンタッチなんぞでお茶を濁している場合ではなく、「右下がり時代に育成された人たちのなかから起こる、経済版クーデターによる世代交代が必要なのだ」と喝破しているのである。

 これは、経済領域だけではなく、もちろん政治領域にあっても言えることだと思われるのである。タスカ氏の分析は、いわゆる「成功体験」云々と指摘されてきた批判的視点と同一のものであるが、「イギリス病」を克服した英国経済の地元の人から指摘されるとなぜだか説得力が感じられるのである。

 ところで、冒頭に書いた「アンビバレント」の問題に戻りたい。と言うのも、まともな「構造改革」のためには、カードの総取替え!が必要だという問題提起は、古いカードたちが古い経済的手法や政治的手法を記憶してしまっているだけではないように思えたからだ。もう一歩踏み込めば、古い文化にどっぷりと浸かっている面倒な問題にも連なってゆくように感じられたからなのである。が、この点は明日に回したい…… (2002.09.05)

2002/09/06/ (金)  玉虫色の「構造改革」と、われわれの内に潜む「抵抗要素」!

 何のためにこれを書いているのかと自問することがたまにある。答えが見つからない場合もある。が、時として、「自分たち」(自分と、そして酔狂な?読者)への応援歌!でありたいと望んでいることに気づいたりする。そうしたものが今、どうしても必要なのだと感じているわけである。
 「何も変わっちゃいないさ」と高を括る人もいないわけではなかろう。だが、空元気やさまざまなごまかしをしばし脇に置いて、足元と周囲をじっくり見回してみると、さらに、今だけではなく、今に引き続く将来をクールに見据えてみると、やっぱり尋常ではない時代に突入してしまっていることを悟らざるをえない。いや、もう病状の列記はやめよう。病におかされているのが、経済的範疇だけではなく、政治、文化そして人間生活の基本部分にまで及んでいることは、多くの人々によってもはやうすうす感づかれているであろうから。

 明確な処方箋が打ち出されにくい状況にあっては、「気をしっかりと持つ!」ことが先ず優先されなければならない。しかも、移ろいやすい目先の材料によってではなく、人間としての原点の条件にさかのぼるかたちで、元気を呼び覚まし、「気をしっかりと持つ!」こと、が何よりも重要なことになるはずだ。
 突然ではあるが、「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛さん)という俳句が心に響く。人間はどうせ無に帰するのだから…… と言いたいのではない。無に帰することが定めであるのだから、「残る桜」として人生がある間には、目先のことでくよくよとせずに人間としての王道を闊歩すべしと願うのである。

 さても「構造改革」についてである。
 現在のわが国の経済、社会、文化の全体が危機に瀕していることは周知となっている。その危機が、経済の危機によって引き起こされたものか、あるいは社会や文化の衰弱によって触発されたものかは別の議論を必要とするだろう。(わたしは、後者のような気がしているが)そして、現時点では、差し当たって経済の立て直しが最優先されるべきだと思っている。これがなければ、社会や文化の再生は著しく困難となりそうだからである。
 たとえば、昨今の増加する凶悪犯罪は社会崩壊の予兆だとしか言いようがないわけだが、低迷する経済がこれらの原因ではないとしても、拍車をかけていることは否定できないはずだ。壊れてゆく社会の傾向を食い止めるためにも、経済の安定化(景気回復とは言わない)が必要なはずである。
 で、経済の立て直し策としては、鎖国日本ならいざ知らず、もはや経済がグローバル展開の中にある以上、グローバル・スタンダーズに接近する道程としての経済全般にわたる「構造改革」が避けて通れないだろうと判断する。経済活動の健全機能発揮を妨げているわが国独自のローカルな贅肉を残したまま、グローバル経済関係の中で競争することは不可能だからである。
 そこで、民間企業にあってはわが国固有の「高コスト体質」などを改革しなければならないだろうし、財政関係分野でも非合理な組織の排除や合理化が徹底されなければならないはずだ。政・官・財癒着によるダーティな仕業などは真っ先に排除されなければならない。

 ただ、「構造改革」について考える時、二、三の点について熟慮したいと思っている。(1) 言葉の一人歩きに対する警戒と、(2) われわれの内に潜む「抵抗要素」についてなのである。
 しかし、あらかじめ言っておけば、これらの付帯事項は、金脈論理で動く永田町の「抵抗勢力(族議員たち)」の問題とはしっかりと仕分けられなければならない。
 最近、「構造改革」を促す現代資本主義にも二つの流れがあるとささやかれている。「米国型」と「欧州型」資本主義である。前者は、不正会計問題に象徴されるようなきわどさや、過激な貧富の二極化が特徴だとされる。もし、こうした行過ぎた性格までが「構造改革」の名のもとに持ち込まれるとするなら、それは間違いだと言いたい。
 排除され、改革されるべき経済体質とは、市場原理の及ばない空間で怠惰と不正が行われてきた現実であろう。昨今のニュースにもある、人知れず餓死したり、病死したりする悲惨さが社会の底辺に広がってゆくといった無常な過酷さではないはずなのだ。多分、言葉の一人歩きを許すならば、「産湯を捨てて赤子を流す」愚を犯しかねないと危惧するのである。

 そして、こうした危惧を先取りするかのように、われわれの心の内側には、開かれた自由と競争の方向をいぶかしげにながめ、その路線について躊躇する趣きがないわけではないと思えるのである。これを、昨日は出し抜けに「求心性」と言い、今日は、われわれの内に潜む「抵抗要素」と表現しているのである。これらが、金脈論理に基づく抵抗とはまったく無縁であることは、十分に理解されてよいと思う。
 この問題は、昔からある微妙な問題である日本文化やナショナリズムの問題と同様に、「取り扱い注意!」を要する問題なので、どうもテキパキとは文章が進まない。また明日へと引きずることになるが、ひとつだけ言い加えておきたい。
 誤解を恐れずイメージ的に言えば、藤沢周平的な世界(山本周五郎と言っても間違いではない)が、「構造改革」のスローガンとともに、まるで紅衛兵たちの荒っぽさによるように蹴散らされてゆくとしたら、とんでもない間違いだと思っているのである。もし、こうしたわが国の大事な庶民文化までが「産湯」とともに流されてしまうのなら、形だけの「構造改革」を果たしても、決してわれわれは幸せにはならないだろうと予感するのであるが…… (2002.09.06)

2002/09/07/ (土)  「構造改革」という課題は、全国民にとっての試金石!

 気分に「ゆとり」がないという声は、もうだいぶ以前から耳にしている。そして、最近では、気分だけではなく、財布の方も「ゆとり」がないというのが大方の声となってしまったのかもしれない。
 経済の成長期、バブルの際には、会社や組織の場へとやみ雲にかり出され自分のための時間が削られるのを余儀なくされてきた。当時、何が欲しかったかといって、自分の外からの指図ではなく、自分自身の発起によって時間を消費すること、たとえそれがどんなに些細な目的であろうが、他人の目から見れば取るに足らないことであろうが、自己決定で自分の時間を使いたいという願望ではなかったかと思う。
 だが、現時点では、そうした時間の方は、財布の「ゆとり」と引き換えに手にし始めているように見える。リストラなどで仕事の負荷が集中してしまったやり手(三十代の社員など!)を除いて、どの会社も、定時となるとあっという間に従業員がいなくなっているのかもしれない。会社が挑戦的な新規案件着手も手控えて、ただひたすら模様眺めをせざるを得ないような経済現況では、残業ではなく、労働力再生産過程に多くの時間が解放されているのであろうか。

 しかし、財布の方の「ゆとり」との引き換え条件つきの自由時間の増大は、気分の「ゆとり」につながっているのであろうか。もちろん、そうした達観した幸せな人々もいることはいるのだろう。
 が、多くの場合、財布の方の「ゆとり」取り上げ状態が思いのほかシビアで、アルバイトに奔走したり、将来への経済的不安に備え何がしかの職業的自己啓発に邁進したりで、結局気分の「ゆとり」を棚上げにしているのかもしれない。ただ、それらを自分で選択している分、いくらかはましだと言えるのだろうか。
 いずれにしても、「ゆとり」教育志向で休日も増えた子どもたちが、それにもかかわらずその時間を民間補習機関へ通ったりして相変わらず忙殺されているのと似たようなことになってはいないかと推測するのである。

 多分、「構造改革」路線や、これを要請している現代環境は、上記の気分の「ゆとり」とは背反する傾向なのだと直観している。
 当然のことながら、気分の「ゆとり」とは、「諸個人」が感じ、享受するもののはずである。そして、現代とは際限なくボーダレスの状態でシステム化と管理化が進展し、諸個人は、見渡せないほど広大なシステムの一要素の役割へと追い込まれているように思われる。かつて、等身大で、簡単に見渡せる範囲の人間関係内で見出せたような「ゆとり」気分というものは、もはや望むべくもない状況なのではないかと思える。

 小さな子どもは、慣れ親しむ母親との、実感的で、等身大の母子関係の中で、やがて安心感や「ゆとり」気分を獲得していくのだろうと思う。さらに、甘えの行動をすら発揮するのであろう。それらの大前提には、実感的な環境認識が横たわっているに違いない。子どもは子どもなりに、自分と母親との関係を熟知し、その関係の中で自分の余裕や「ゆとり」の気分を見いだしてゆくのではないだろうか。
 そして、子どもたちは獲得した余裕や「ゆとり」の気分をたずさえながら、狭い母子関係から、家族関係へ、地域社会関係へ、職業関係へとより広い人間関係へと羽ばたいてゆくことになる。その過程で、自分が関与する人間関係の質と広がりを模索しながら自分なりに認識し、納得してゆくのだろう。これらが順調に進展するならば、そこそこの「ゆとり」の気分も自分なりに構築してゆけることになる。
 人の成長とは、外へ外へと活動の範囲を安定して広げてゆくことだとたとえることができそうだ。しかし、その進展はいつも順調とは限らない。増え続ける「自閉症」、「登校拒否」の子どもたち、そして就業拒否の青年、さらに自閉気味となる大人たちの存在は、いろいろな問題のあることを物語っているはずである。

 物体が周回して回転している時、「遠心力」と「求心力」とは拮抗して周回する物体の位置を定めている。前者が優勢となれば、外へと広がり、後者が優勢となれば内へと萎むという具合に。
 人間関係においても、アナロジカルなことが言えそうに思える。気分の「ゆとり」とは、自己アイデンティティが維持されている感覚だと言えそうだが、それは自分を見つめ、確認するとでも言うべき「求心力」が正常に機能している状態にたとえることができる。しかし、一方的な「遠心力」に振り回され、やがて「求心力」が働かない状態となれば、
流れ星のような軌跡を描き行方知れずとなってしまうだろう。

 諸個人にとって現代という環境は、凄まじい「遠心力」が働いている環境のように思えるのである。ボーダレス時代というのは、小さくてローカルな「遠心力」を持った地域空間の暫定的な境界線が取り払われ、地球規模の「遠心力」が直接作用する広がりにまで人々、諸個人の生活空間が拡大してしまう時代のことだと解釈できる。経済活動の広がりや、インターネットによるコミュニケーションはまさにこの動きを示しているはずである。
 そして、このような時代環境への適合策として経済の「構造改革」という方向が打ち出されていると考えてよいのだろう。確かに、経済がグローバル・レベルでシステム化されてゆく中で、ローカルな田舎社会に固執していたのでは問題なのは十分わかる。
 しかし、このグローバル・レベルのシステムが、よく指摘されるように米国中心の「アメリカン・スタンダーズ」だとするなら、「構造改革」を手放しで賛美することには問題もありそうだと推測されるのである。
 いろいろな問題点が予想されるのだが、さしあたって、強烈な「遠心力」の作用によって、これまでどちらかと言えば「求心力」(=閉ざされた共同体)によってこそ支えられていたと思しきわが国の人間関係や文化が、崩壊の可能性を含め決定的に変容するのでは
ないかと思うのだ。これらには、「いいもの」がたくさんある。もちろん、崩壊して「いいもの」もある。

 とにかく、「構造改革」という課題は、単に経済人たちだけの問題ではなく、今後のわれわれ日本の国民ひとりひとりの生存にとっての試金石だと思えてならないのである…… (2002.09.07)

2002/09/08/ (日)  デジタル地図で訪れてみた、いとしい生まれ故郷!

 できれば秋風がそよぐ頃、時間の制約も設けずに独りぶらぶらと思い出の故郷を散策してみたい。だが、自分の故郷が遠い場合、なかなか意を決することもままならないはずだ。そんな時、せめて地図上で手軽に散歩してみるのが一興かもしれない。
 最近は、インターネットのサイトで全国各地の詳細な地図が最新バージョンで閲覧できてしまう。それらの画像を多少加工するならば、自分だけの思い出の空間を「マイ・メモリアル・マップ」とでもいうデジタル・オブジェクトに仕上げることもできる。

 わたしは生まれてこのかた数回の住居移転をしている。大阪で生まれ幼少期は八歳まで大阪で暮らした。その後、東京は北品川に転居して八年ほど過ごし、その後埼玉で数年、大森で数年、名古屋で七、八年、そして現在の町田で十年以上となる。いずれも住んでみると故郷とはなるものだが、誰でもそうであるように多感な思春期までの在住地こそが、夢にまで現れるなつかしい故郷として心に留まる。

 北品川が最も記憶が鮮明で、かつ彩りのある故郷だと自認している。訪れることが容易な距離であり、情報入手も比較的容易なので身近になってしまった故郷だと言える。
 これに対して、大阪は遠く、もはや訪れるべき親戚の人々の家も、皆無ではなくとも無いに等しい。父が亡くなって、大阪の話題も途絶えて以降、生まれ故郷大阪の実在感は急速に薄らいでもいった。友人とて、当時、余りに幼少時であったため、連絡は途絶えてそのままとなってしまった。その当時の記憶は、まさに断片化して限りなく輪郭がぼやけたものと成り果てている。

 ふと、そうした、輪郭を失い透明感の中に溶け込んでゆくような記憶を辿る時、なぜか無性にそれらをいとおしく思うことがあるのだ。なぜなら、もし自分がそれらを忘れ、見放すなら、それらは誰にも見つめられずに完全に無に帰すると思われるからなのかもしれない。
 自分の記憶の中に存在し続けていてもどうということもないものなのだから、それらが消滅したとしても何ほどのこともないのはわかり切っている。だが、センチメンタルに沈むつもりはないとしても、そうした即物的な感覚に粗雑に身を任せてゆくなら、人の人生自体が何ほどのこともないのだと、結局は言い切れてしまうようなワナにはまるような気がしている。
 枯れ枝につく枯葉のように、かろうじて留まっている記憶には、その時点では消化され切らなかったそれなりの意味が残されているのかもしれない。再度探索されても悪くはないはずなのだ。

 四千分の一ほどのデジタル地図を、画像処理ソフトで繋ぎ合わせてみた。
 まず、大阪の生まれ故郷の街、その街路を探ってみたが、悲しいかな区画整理され直され新しい町名、番地と変わった地図からは生家があったと思しき場所を確定することは難しかった。
 比較的リアルなかたちで記憶に残っている家の前にあった「原っぱ」や、小銭を握って走りこんだ駄菓子屋なんぞが地図にあろうはずはないからだ。母と姉の三人で連れ立って行った銭湯、眠くなって歩くのがいやで母に寄りかかってうとうとしながら帰り道を歩いたあの銭湯なども記載されているわけがないのだ。もちろん、よく家出をして飼い主を心配がらせた近所の白いむく犬が街路に寝そべっているわけでもない。
 やはり、通い慣れその通学路の記憶が刻み込まれた区立小学校が、何と言っても心強かった。しっかりとその小学校は存在した。敷地に記された校舎の図からは、当時でさえ古びた木造校舎だと思えたその一角だけは消えていた。団塊世代の自分たちが活用した後に取り壊されたものと容易に想像できた。
 小学校の位置が、記憶の再構築のための原点となったのである。
 しかし、小学校三年生前期までの記憶は、放課後にさほど遠出するわけでもない年齢のためか、周囲の地図から触発され思い起こすものは少なかった。おまけに、いやなものは忘れていることもわかった。小学校正門の前の道路に沿って流れているどぶ川は、地図を見てやっと思い出したのだ。きっと、汚れているだけのどぶ川は視野の外にあったのだろう。

 当時、小学校への通学は生家から通ったのではなかった。入学時には、すでに父が仕事をしていた親戚の家の一角に転居していた。そこは、学校区にあった私鉄の駅の隣駅付近で、小学校までは子どもの足で二、三十分はかかった。地図上で計ってみるとおよそ一キロ半の距離であったことがわかった。
 当時、登校時は姉と近所の上級生の男の子の三人で通った。変な記憶だが、その上級生の子は、自宅が内職で「するめ」を焼いていたようで、いつも「するめ」臭かったことを覚えている。ほがらかで、やさしい兄のような印象が残っている。
 下校時は、独りでぶらぶらと気ままに帰っていた。帰路の途中の家々を眺めながら、何か遊びの足しになるものが落っこっていないかと思ってもいたようだった。ある日、水道の「鍵」を拾ったことがあった。
 当時、道路に面した外に水道を設置した家は、勝手に通行人が水道を使えないように、蛇口の取っ手が取り外しのできる「鍵」としていたことが多かった。夏の暑い下校時に、のどが渇いて水を飲みたいと思った時、そんなことを確認し、けち!と感じたものだった。ところが、その「鍵」を拾ったのだ。しめたっ、と思ったものだった。その「鍵」は単純なものだったので、どこの蛇口にも合った。悪いことをしているという気分は全然なく、いざのどが渇いた時には助けてもらおうと、しばらくはカバンの中に携帯して通学していたように覚えている。

 母親は、住居からすれば隣の駅となる学校区内にある駅の近くのとある場所に、出来上がった内職のアップリケをしばしば届けていた。姉とわたしは時々いっしょについて行った。そんな時、母は、
「電車に乗ってゆく?それとも歩いて向こうに着いたらアイス・キャンデーを買うことにする?」
と、子どもたちに訊ねたものだった。子どもたちは決まってアイス・キャンデーを選んだものだ。しかし、線路沿いの二キロ以上ある道のりは結構大変で、目的地に着く前に途中の店のアイス・キャンデーの旗の前でせがむことが多かったようだ。

 今回、デジタル地図でおぼろげな記憶に実証材料を与えたことは、ほかにもいくつかあった。小学校一、二年生の頃、近所の友だちだけ四、五人で多摩川のような川、大和川に遊びに行ったことがあった。両親に内緒で、内心ドキドキしながら一緒に行って、パンツ一枚となって川に浸かり遊んだ。今思えば、ひやりとする。流されたりしても大人の誰にも気づかれず、そのまま川の藻屑となっていただろう。その川が、住まいから真南へ一キロほどの真直ぐな道路の先にあったことがわかった。
 また、これも近所の友だちとつれだって時々出かけた一面の田畑、現在はすべて住宅地と変容しているようだったが、そこへ出向いたある時、東のはるか遠くに山々が望めた。そして、そのある山に「大文字(だいもんじ)」が見えたと記憶に残っていた。が、定かではなく、どこかでの別な記憶が紛れ込んでいるのかもしれないと自信がなかった。
 しかし、地図によれば、その方向にはしっかりと「生駒山地」が存在しており、その山で大阪の市街地に向けた「大文字」焼きがあったとしても何の不思議もないことがわかったのである。
 さほど遠くないところに、植物園や、競技場もある長居公園があった。しかし、まったく記憶にはなかった。両親に気分のゆとりがあったなら、当然連れて行ってもらえた場所なんだろうと推測できたが…… たぶん、父親の仕事と親戚関係がもつれたゴタゴタが、当時の暮らしにどんよりとした影を投げかけていたのだろうと想像せざるをえなかった。それでも、当時を恨む気持ちにはまったくならず、いとしい思い出たちが柔らかく微笑んでいる…… (2002.09.08)

2002/09/09/ (月)  マイスター制度(徒弟制度)復権の兆しか?!

 恐らく、このようなデフレ不況時において低迷しているのは、売上額、株価や、生産計画そして人々のモラール(やる気)の水準だけではないだろう。懸念しているのは、近い将来に直接かかわる「教育」である。社内教育であり、OJT(On the Job Training)などである。
 将来のことよりも、今日、明日の「くいぶち」稼ぎに引き回されていたり、ビジョンも打ち出せない状況で、重要だとはわかっていても後回しとされているのが人材教育なのかもしれない。
 弊社は、ソフトウェア技術者向けの人事考課や、同技術者のための教材などの提供に関与してきたこともあり、しばしばサイトを通じて相談の問い合わせが入ったりする。しかし、最近の問い合わせは、決まっていわゆる大手優良企業出資のソフト会社に限定されていることを知る。通常規模のソフト会社は、IT不況の最中でかなり苦しい状況に追い込まれているからであろう。そういう弊社もまれに見る苦境に立たされてはいるが。

 今ひとつ、職業「教育」について関心を向けるべきは、社内「教育」のアウトソーシング化であったり、本来理想的には「マン・ツー・マン」という人間集約的なかたちで行われるべき「教育」が、PCなどを使ったマルチ・メディア教材で置き換えられている傾向が強まっている状態であろう。
 確かに、そうした方法が有効な場合もあるには違いない。社内教育の環境が余りにも劣悪な場合、外部や、外部のツールを代用することはやむをえない選択なのかもしれない。

 あわせてもうひとつ懸念されることがある。たとえばソフト開発会社の場合、わたしはずっと以前からそう認識してきたのだが、「技術者」教育という表現はあっても、「技術」教育という表現は間違っているのではないかという点なのである。しばしば、
「うちの会社の『技術』は業界全体から高い評価を受けていましてね」
という言葉を聞いたりする。さすがに「問題視されていましてね」とは余り聞かないが、それはさておき、正しくは次のように言うべきではないだろうか。
「うちの会社の『技術者たち』は業界全体から高い評価を受けていましてね」と。

 また、ある時あるソフト会社社長の次のような発言を耳にしたこともあった。
「その『技術』については、うちの誰々が持っているので、わたしはそれを速やかに若い社員たちに『トランスファー transfer(移送、転送)』しなさい、と言っているんだよ」と。
 その社長は、あえて「教育」という言葉を避けて、「トランスファー」というスマートな表現をしつつ、それが容易なことであると思いたかったのかもしれない。あたかも、宅急便でダンボール箱ひとつを客先に送り込むように、あるいはメールを関係者にカーボン・コピーで「トランスファー」することのように何でもないことだと言うように……

 技術に関する「教育」、そして「学習」が、このように人(教える人)と人(教えられる人)との関係が捨象され、知識というモノのやりとりというふうに短絡的に受け入れられる風潮が、もうだいぶ以前から一般化している気がする。そうであるからこそ、ますます増大しているかのような書店にに並ぶ無数の「技術関連書籍」、そして「技術関連セミナー」に「自習用」の学習マルチ・メディア!
 果たして、どんな成果が上がっているのか、この風潮の将来がどんなふうに帰結していくのか、今のところ誰も知らない!

 こんな状況の中で、『ソフトウェア職人気質』(ピート・マクブリーン著 /村上雅章 訳)という本が目を惹いた。まだ読了していないが、ソフトウェア技術者における「ソフトウェア職人気質」を見直し、「職人気質」をキーワードに人を育て、システム開発を成功に導く方法を解説している。もちろん、通説となってきた「ソフトウェア工学」に対する疑問と批判が底流にある。
 そして、人材育成についても,「アプレンティス(弟子)」,「ジャーニーマン(一般職人)」,「熟練職人」といった徒弟制度の枠を提示し、ソフトウエア工学が長年見捨てようとしてきた熟練の「技」を再発見できるとの展望を語っている。

 わたし自身、従来、ソフト技術者における「職人気質」なるものは否定的に見なしてきた。わたしが見た多くの古い技術者は、鍛え上げられずに副次的なポーズだけによって頑固で、自堕落な要素を「職人」という美名で隠していた者が多かったからである。また、「ソフトウェア工学」への期待感も大きかったからであろうか。
 しかし、ソフトウェア開発ツールの矢継ぎ早の改変や、視覚的構成(GUI グーイ)の道具立てによって直感的にプログラム作成に走る現況を見てくるにつけ、最も大事な考える力、自分自身でとことん考え抜いて不具合を解消、突破してゆく力がどうなってゆくのかという懸念を抱かないわけではなかった。そして、上記の知識トランスファー/ゲット(?)の風潮で煽られた底の浅い技術者もどきが、「使い捨て」にされてゆく不幸も見ないわけにはいかなかった。

 自身で考える力こそをどう身につけてゆくのか、その教育環境とはどうあるべきなのかが、今後のソフトウェア開発にあってはますます重要な課題のはずである。そして、言うまでもなく、考える力と「人」とは不可分の関係にある。と、推論してゆく時、余りにも「人」の介在を排除しようとしているかのようにに見える現在の教育環境が、問題先送り!のアリバイ工作をしているかのように見えてしまうのである…… (2002.09.09)

2002/09/10/ (火)  火花散るトコの中で成長してゆくベーゴマたち!

 7場所連続休場していた横綱の貴乃花が、2日目旭天鵬にわたしこみで敗れた。九重部屋親方(元千代の富士)であったか、「まだ、カンが戻っていない」と観察していたという。このあとどうなるか何とも言えないが、かなり難しそうな予感がしている。
 一年半以上も実戦から遠のいていたこと、また、あえてなのであろうが、稽古においてもそれを埋めるような肉弾戦の取り組みが乏しかったとも聞く。
 勝負における技の発揮は、場の統括を為しえてこそだと思える。気合と不安が錯綜し、激しい緊張感がみなぎる場を自分なりに呑み込んでこそ、勝利への誘因としての技を仕掛けることができるのではないか。
 そして、場を呑み込むという神業は、偏に(ひとえに)「現場(勝負の場)感覚」に基づくという以外に方法がないと思える。「現場感覚」と身体と気が一体となってこそ、縦横無尽の技の発揮が期待できるのではないかと、相撲素人は能書きをこくのである。

 先日、隣に住む小学生の男の子が、友だちと二人で、道路のアスファルトに座り込み何やらおもちゃ遊びに熱を入れていた。プラスチックの浅いバケツのような物に向けて、二人してコマのようなものをぶつけあっていたのだ。
「それって、ベーゴマだよなあ」
と言うと、「ベー何とか」という奇妙な商品名を返してきた。要するに、現代版ベーゴマなのである。「ベー何とか」と名づけられた「省力型」ベーゴマ回転発射機器(?)は、ガンダムのようなロボットふうでもあり、ピストル型のようでもあるホルダーであった。その先端のくぼみに、これまたプラスチックでできたやや大きいベーゴマ型のコマをセットして、かつてのヒモ代わりに、糸のこのような「ワインダー」というものを装着し、素早く引っ張るとコマが飛び出すという仕掛けなのであった。
 なるほどねぇ、こんな商品企画が日の目を見たんだと、しばし観察したものだった。座り込んで興じている二人だったが、わたしは今ひとつ、何かが不足しているような、間抜けた印象がぬぐい切れずに当惑していた。要は、記憶に鮮明に残っているわれらがあのベーゴマの現場と一体となっていた熱と気迫の渦がすっぽ抜けていたのであった。

 ビュンビュンと唸りをたてて回り、キキーンとぶつかり合い文字通り火花を散らす鉄の魂!他の子たちの勝負をチラッチラッと見ながら、固くギンギンにヒモをコマに巻きつけていたあの緊張感!自分の愛ゴマが、トコから無残にもはじき飛ばされ、まるでうなだれるような格好で地面に横たわる。ついさっきまで自分の指先で、頼もしいクールさと重量感を与えてくれていたそいつは、悲しいかな、もはや敵陣に下り、敵の鉄砲玉になりはててしまったのだ。何としても、そいつの味方復帰を叶えてやらねばならぬと、手勢のコマのチューンアップに熱を入れることとなる。敵のコマのわき腹に切り込み、跳ね上げるには身を低くさせなければならないと目論み、鉄のベーゴマの底をコンクリートに擦りつけて削る。グラインダーがあるという友だちの父さんの工場に行ったりもする。
 もちろん、コマの形状に頼るだけではない。トコに投げ込む角度と、強さ、そして気合や間合いにも格段の工夫が惜しみなく注ぎ込まれた。こうして、薄暗い路地の一角は、夕暮れても子どもたちの勝負根性のぶつかり合いでほの明るかったのである。

 おもちゃから、家庭のいろいろな道具、そしてさまざまな仕事の道具にいたるまで、「省力化」、「自動化」に向けた個人ユースのツール類によって埋め尽くされた現代である。それらは、誰が使おうと大きな失敗を招かないとともに、その分工夫の余地もほとんどありえない。だから、自分の身体や、アクションを制御したり、それに必要な気構え、段取りの工夫に心を砕く必要性も薄らぐ結果となった。
 ところで、個人ユースの道具立てこそが頼りとなってしまうのなら、わずらわしさがつきまとうに決まっている人間関係の場は限りなく回避されていったとしても、それはむしろ当然だと言えてしまうのではないだろうか。
 今、個人の欲求の大半を充たしてしまうかもしれない個人ユースの「道具環境(や知識万能環境)」の中で、人間関係はわずらわしさ以外の何を与えるポジティブなものとして意識されているのだろうか。かなりきわどい疑問定立であるが、ある種の若い世代にとっては結構リアルな問いであるような気がしないでもない。
 夜遊びを禁じられて祖父母にナイフを突き立てた孫、多分いろいろと小言めいたことを言われ続けたからなのか祖母を絞め殺した孫のような悲惨な事件は、わずらわしく、うっとうしいとの感情一色で塗りつぶされてしまった人間関係があることを暗示してはいないだろうか。
 かつて祖父母たちは、第一線を退きつつも家の中では、生きた知恵の宝庫として自他ともに任じていた。その実体を支える長幼の序という文化もあった。
 が、時代は、すべてを解体して、個人が生きる上で必要な対象と道具と知識を、すべて外部の市場に据え付け直していったと思われる。現在、家族という人間関係が危機に瀕しているのは根拠のないことではないのだろうと思う。いや、そうした環境認識の覚悟だけは必須なのだろうと思っている。

 わずらわしさが前面に立つのだが、人間にとっての最大の宝庫は、人間関係でしかないはずである。人間関係の外部に、どんな魅惑的なモノが登場し展開しようとも、そうだと認識するし、そうだと信じる。だが、現代は、それをどう再発見し、やっぱりそうなのだと立証しなければならない時代であるように思える。
 いや、人間関係への評価とはいつの時代でも、そうした実証的に証明してゆくものであったとも言える。ハッピーだと決まったものでもなかったはずだし、アンハッピーと定まったものでもなかったはずだろう。もし、現代がアンハッピーな予感を植えつける要素があるとするなら、それらを決するのが、またはそれらを証明するのが、ほかの誰でもなく自分自身なのだという当たり前の事実を、ぼやかせがちとなっていることなのかもしれない。とりわけ、個人ユースの道具立てや知識群は、最も重要な対象から目をそらさせる毒をも秘めた諸刃の剣なのであろう…… (2002.09.12)

2002/09/11/ (水)  いろいろな "9.11" について思うこと!

 今日はやっぱり "9.11" について触れるのが礼儀というものだろうか。
 くどくどとしたことを書きたくはない。二つの点とプラスαを書こうと思う。ひとつは、人の命(いのち)について。もうひとつは、復讐の連鎖を断ち切る聡明さについて。そして、プラスαとして聡明な市民、庶民や動物たちについて。

 一瞬のうちに、たった一回だけの人生にピリオドを打たれてしまったニューヨークの何千人もの人々のことを思うと、数十年前に広島・長崎の原爆で一瞬にして地獄の苦しみと、同様の死を迎えた人々のことをも思い起こさざるをえない。戦争も、生の意味も、まして死の意味もわからないあどけない子どもたちをも無差別に「化け物」の姿に化した暴挙を。また、漆黒の夜空から、人の命を奪うことだけを目的として降り注がれたミサイルで同様の死と、狂乱に値する恐怖をこうむったアフガンの子どもたちのことをも想像しないわけにはいかない。すべて同じ無残な死に違いないからだ。
 正直言って、大人たちの頭の中で凝り固まった観念、正義だの、誇りだの、自由だの…… はもううんざりだ! 隔離された場所で、好事家たちの自己満足としてなら、心ゆくまで口角沫(あわ)を飛ばして論じるがよかろう。また、議論が過熱して「命がけ」だと力むところまでいくのならそれもよかろう。昔の任侠映画よろしく、差し障りのない場所で、ギャラリーなしでの「真昼の決闘」なり、「果し合い」なり、なんなりを好きにやってくれ! しかし、あれこれと能書きをつけなければ生きられない衰弱した生命力の大人たちのために、たとえて言えば、おかずがなくとも白い飯の握りをガツガツ食える元気な子どもたちの、その命を決して巻き添えにしないでほしい。また、ついでに言えば、辛い人生とはいってもまだまだ生きることに興味尽きないこのわたしを巻き添えにしないでほしいと言いたい。
 地球上には、確かに何十億という膨大な数の人の命がある。しかし、他者の命を軽んじる輩には、よく考えてみてほしいのだ。横に並べた命の数は膨大な数であろうと、個々の命のモードは、たった一対のオン、オフしか無く、オンであればこそ正義だ、誇りだ、自由だとの能書きも言ってられるのだから、くれぐれもいきがるのはやめましょうや。
 まして地球上を満遍なく破壊し尽くす核兵器の時代であれば、地球の維持と人類の生存という一点こそが他の何よりも最優先されるべきなのでしょう。

 だからこその「イラク攻撃」なのだと、いきり立ってはいけません。核査察を受け入れないイラクが悪いといった、ヤクザがイイガカリをつけるようなことを言ってはいけない。そうでしょ、西部劇映画のフェアな主人公なら、自分のガン・ベルトをパラリとはずしてから、相手にもそうしろと促すでしょ。
 自分はしっかりと二挺拳銃を構えながら、相手の装備をはずせというのは、保安官だけに許された特権のはず。しかも、無法な現行犯に限られているはず。
 それで、いかに大国であっても、「自称」保安官を気取るのはいかがなものなんですかね。昨今では、喧嘩好きの保安官に閉口し始めているかたぎの方々が増えているんじゃないんでしょうか。隣街のシラク牧場の旦那でさえ、ヤブ(藪)保安官の荒っぽさにはしかめっ面しているみたいだし……
 そもそも、ヤブ保安官はカウボーイ・ハットが似合う分、ハッとさせられるような「体育会系」キャラクターだから、上品で穏やかで平和な街にはなりにくいのかなあ。もう少し牧師さんとよく相談して、「目には目を、歯には歯を」という論理では、復讐の連鎖が拡大してゆくだけだということを、ちゃんとお勉強してもらわないといけない。
 現に、アフガン砂漠をめった打ちにしたけれど、この街の何がどう変わったというのだろう。ヤブ保安官の先代の親父さんも、やたらに打ちまくる人だったから、砂漠に追いやられた一家は恨みだけを膨らませてきたのじゃないかと、隣街の人々はうわさしている。ついでに言えば、隣街の人たちは、この街の住人たちが妙に熱っぽく一致団結している、そんな風潮も気がかりだとつぶやいているそうだ。

 西部のとある街の争いの話はおくとして、争いと言えば、先日黒沢監督の『七人の侍』の再放送をまたまた鑑賞した。いろいろと示唆的な場面がある映画であるが、なんと言ってもラスト・シーンで、生き残った三人の侍たちのうちのひとり、頭(かしら)が、
「われわれは今回も負けた。勝ったのは農民たちだ……」
という意味のつぶやきをする場面である。これは、米国版の『荒野の七人』でもしっかりと踏襲されている場面だ。
 殺し合う戦いしかできない侍たち(軍事力!)に、人間にとっての本当の意味での勝利などありえようはずがなく、大地を耕し、実りを刈り取る農民たちにこそその勝利があるのだと、当然アピールされているのである。
 今日の日の問題に引きつけてみるなら、とかく戦争を拡大こそすれ食い止められない各国ガバメントに対して、民間の非政府組織NGOを始めとする市民、庶民が勝者となりうるのだと予想したいものだ。また、傲慢な人間たちの無法な仕業に対して、もの言わず耐える姿でアラーム・メッセージを送りつづけている動物たちにも、憐憫の目を向けてゆければ、少しはまともな地球へと戻れるのだろうか…… (2002.09.11)

2002/09/12/ (木)  「職人」や「徒弟制度」の問題と「暗黙知」と「形式知」!

 今週の継続的思索の基調は「職人」や「徒弟制度」のようである。自分で書いていながら、人ごとのように言うのも変であるが……
 ところで、「職人」や「徒弟制度」に関心を寄せたり、個人ユースの「道具環境(や知識万能環境)」に多少の危惧の念を抱いたりすることは、時代風潮を逆撫でして、一般的には伝統回帰、復古主義だと思われがちであろう。少なくとも、「反主流派」の謗り(そしり)をまぬがれないだろう。
 現代は、あらゆるものが「標準化」、「形式化」され、それらが個人によって担われたり、活用されたりする時代だと言える。このことによって、過去に例を見ない便利さや、際限のない広がりにおけるネットワーキングも可能となっている。だから、これを謳歌するとしても、決して否定すべきことなどであろうはずはないだろう。

 が、「これでいいのか?」という釈然としない疑問や思いを持つ者がいないわけではないのである。そう言っているわたしもその一人に違いない。
 身の回りのちょっとした出来事、たとえばそれは「ベー何とか」と名づけられた「省力型」ベーゴマ回転発射機器(?)という玩具に直面し、そこまでやるかと思った時や、社会的な種々の事件、たとえばそれは前代未聞の惨劇が瞬時に結果としての映像として全家庭のブラウン管に報じられたなら、何がどう伝わってしまうのかに一抹の危惧を感じた時、そして職場や生産現場で起こっているさまざまな問題、たとえば「個々人の責任」が強調されながらも結果的には組織による隠蔽へと流れ、カメラの前でのトップの謝罪にまで流れてゆくといった、そんな日常に身を置いていると、ある種の疑問が深まってゆくのである。
「ひょっとして、現代を動かしている発想のあり方の根源に、何か由々しい死角があるのではないか?」と……
 しかし、飛ぶ鳥を落とすがごとく「大成功」しているかに見える大立者を、指差し、嫌疑をかけるには、慎重さと膨大なエネルギーが必要となることを十分意識しなければならない。そんな気がする!であっては誰も相手にしないだろうからだ。

 今回、直接的なきっかけとなったのは、『ソフトウェア職人気質』という著作であった。自分の意を強めてくれたからであった。ソフトウェア開発やその教育に長年関与してきて、ソフトの開発や技術者育成というものが、「技術」という人の顔が隠れてしまった概念では言い尽くされず、「技術者」という人の問題を伴った概念によってこそ云々されるべきだとの思いに響くものがあったからである。それが、「徒弟制度」という言われてみれば納得できる視点で展開されているのにはやや驚嘆したのである。
 この点については、今後じっくりと検討するとして、この現代にあって「徒弟制度」や「職人」という、なかば化石化しつつある存在にスポット・ライトを当ててみることに、ワクワクした興味を感じたのである。

 これらのテーマを、雰囲気的な話題にとどまらせず、生産的な議論に持ち込むにはそれなりの「きちんとした」問題枠組みが必要なはずである。
 それで、気づいたのが、かねてから関心を向けつつもその取り扱いに二の足を踏んでいた「暗黙知」と「形式知」(一橋大学産業経営学・野中郁次郎教授)という視点なのである。
 同教授によれば、知識は「暗黙知」と「形式知」に分けられる。
 「暗黙知」とは言語化が難しいもの。たとえば生産の熟練ノウハウや営業の交渉力、直感的な経営判断などであり、極めて個人的な要素が強く、組織で共有化するのが難しい。
これに対して「形式知」は言語化された知識であり、概ねわれわれが通常に知識と呼んでいるものであり、第三者にも容易に伝わる情報である。設計図や仕様、データベースなども例となるが、デジタル情報は典型的な「形式知」といえる。
 したがって、現代は「形式知」という知識が、社会や産業の中で凌駕し、それらを発展させた時代だと言ってよいわけだ。だが、産業経営専攻の同教授が「暗黙知」に関心を向けるのは、「形式知」だけでは対処され切らないテーマが歴然と存在するからなのである。一言で言えば、知識創造という課題だということになる。創造的知識活動と言い換えてもよいのだろう。
 「人間の暗黙知を極度に排して、形式知に頼ると知識創造のスパイラルが回らなくなる。」のだという。IT(情報技術)は活用次第では、「形式知」を「知識創造のスパイラル」へと持ち込む重要な役割を担う可能性を秘めているが、道具頼みのスタンスではなくて、「人間系の暗黙知と融合する」部分こそが重要だとされているようだ。
 コンピュータ自体は何も創造しないという表現を思い起こすなら十分納得できる発想だと思える。

 で、個人や共同体によって担われる「暗黙知」という知識形式が興味深くなるのである。これは、人知れぬ樹海の森が、未発見の多くの遺伝子DNAを抱えているであろうことと何かイメージ的には酷似しているようだ。また、これまでの「暗黙知」というものは、「職人」集団、「徒弟制度」のような、言語による伝達を超えた生活集団、共同体が培ってきたことに目を向けるなら、結構いろいろな現代問題を解き明かす重要な視点となりそうな気がしている。孤立した個人の群れとしての一般的現代社会、「暗黙知」としての宗教が、ウエイトを増すとともに、悲劇の火種でもある現代、はたまた「暗黙知」の表現がデジタル・ツールによって可能性を広げられた現代、そして「形式知」たる言語を駆使ししながら、「暗黙知」を伝えきろうとする小説…… (2002.09.12)

2002/09/13/ (金)  幸せですら感じるものではなく傍観者的に鑑賞するものだと?

 駅の向こうに、時々昼食をとりに向かう洋食店がある。好きなイカ・フライ・ランチを出すのだが、最近は足が向かない。すきっ腹でマスターのおしゃべりを聞くのは、えらく腹をこわしそうに思うからだ。
 そのマスターは、とにかくよく喋る。注文したものが出てくるのは決して遅くはないので、口と手はマルチ・タスクで制御されているらしい。
 一般客向けのテーブルの奥に、厨房と一体となったカウンターがある。たいていそのカウンターにへばりついて、マスターの知り合いらしい、年寄りがテレビを見ながら、マスターと与太話をしているのである。
 年寄りは、このマスターから誰にでも了解できるはずのワイドショーの話題を、さらに咀嚼してもらって、「そーだよなあ」なんぞと相づちを打ちながら聞いている。「そーだよなあ」なんぞと言うものだから、マスターの口調には力が入っちゃって、「ムネオもここまで嫌われちゃあ、どうしようもないさ」だの、「慎太郎も、そりゃ手の届きそうなところに首相の座がありゃ色めきだちもするわさ」と、大気圏の外まで飛んでゆきそうな軽口を大奮発しているのだ。
 悪いとは言わない。一日中家ん中に閉じこもったままの自営業者なら、こうでもしてガス抜きしなけりゃ、スリリングなとんでもない浮気へと発露の道が開かれかねないだろう。飛躍的想像ではあるが……

 「浮気防止」の与太話を聞かされて腹をこわすかどうかはおくとして、こんな会話が日本全国で、水商売のカウンター越しに、あるいは話題に欠けた茶の間のちゃぶ台越しになされているに違いないとイメージするのである。悪くはないのだ。しつこいようだが。
 しかし、これじゃみんなが腹の底の底では不安がっている当面の問題は何ひとつ解決してゆかないなあ、と悲観気分に襲われてしまうのだ。
 カウンター談義といった、その場の自己満足で終始する床屋談義について考えようとしているのである。劇場政治だの、劇場国家だのと学者が難しいことを言っているのは、マスコミも、一般庶民も、はたまた当事者でさえ当事者意識を欠いて他人ごと、舞台の上の役者ごとを鑑賞するかのように眺め、会話するような昨今の傍観者的風潮を指していると言えるのだろう。
 昔も変わらなかったことは容易に想像できる。ちょんまげの職人が、屋台にへばりつき、店のオヤジに向かってこのところめっきり多くなった辻切りのことでサムライ社会への愚痴をぶちまけたりしている姿は目に浮かぶようである。
 しかし、決定的に異なるのは、何と言っても与えられる情報量の差であり、とりわけTVからの情報と「TV環境」なのであろう。簡単に言ってしまえば、TVのブラウン管で、いや液晶でもプラズマでもよいが、手に汗握るドラマを「より多く!」見ている視聴者は、TV画像とはフィクションなのであると、深層心理に刷り込まれてしまってはいないか? たとえ画面上で残忍な殺人が起ころうとしていようが、「かっぱえびせん」ポリポリの、香り高い紅茶ゴクリの、クーラーの涼風ヒンヤリといった鑑賞気分、極楽気分が「板について」しまったのではないか? これが、ニュース番組、報道番組となっても早々切り替わらないというのが、確かに荒っぽくて、非実証的ではあるが意外と真相なのかもしれないではないか。「9.11」ニューヨークでのテロ事件の「メイキング・フィルム」を見ることを、心のどこかで期待してしまうほどに、現代人のリアリティ感覚はフィクショナルなものに汚染され切っているのかもしれない。

 こんなドデカイ問題を今仕切ろうとは思っていない。ひとつ書き留めておきたいと思っているのは、いわゆる「知識」というものも、自分自身のリアリティある実感的な経験などに食い込んだり、リンクしていないならば、つまり、単なる記号的な仕分けだけで頭脳に留まっているのであるなら、何の生産的役割も果たさないだろうという推測なのである。その証拠に、「知識」が充満した百科事典や、データベースは、どんなに時間が経っても何もアウトプットしない。データベースをインストールしておいたら、次の朝PCを立ち上げてみると、頭の痛い経営改善策が見事に出来上がっていた…… なんてことがありはしない。まあ、ジョークではあるが。

 今必要なのは、リアルで実感的な経験と、「知識」をはじめとする情報とを、しっかりと添え遂げさせることだと思えてならないのである。限りなく前者が見過ごされ、途方もなく後者が肥大化している現代は、幸せですら自身が感じるものではなく傍観者的に鑑賞しなければならないものと受けとめられ始めているのかもしれない…… (2002.09.13)

2002/09/14/ (土)  ついてしまった「贅肉」は、落とすのに同じ時間がかかるとか!

 確かに「知力」が決め手のはずだが、それでも、何はともあれ「体力!気力!」のインフラ整備が必要と、まるで日本の土建国家的発想ではや二週間が経った。何と、体重が三キロ減ったではないか。
 毎朝、小一時間の早足ウォーキングと、食生活の自主改善、さらにアルコール摂取の抑制。これで、目に見える結果が出てきたので、やっばりホンキでやればそこそこいくもんだとご満悦の気分だ。

 成人病を懸念する医者からの強い御達しで、「そろそろ、ホンキでやってみっか」と観念した。先月月末、やや涼しくなってから始めた。やる!と決めたら、もとより頑固なやつのやることは尋常ではない。と言うほどでもないが、ある本で、「土日だけ一気に汗をかくのは、単なる気分転換であり、体重減への効果としては皆無に近い!」と書いてあるのを見て、やっぱりそうかと諭されたのである。
 できれば毎日がよろしいが、少なくとも二日以上空けないことが、真面目一方の身体を納得させてゆく原則だというのである。なるほど、二週間も早足ウォーキングを続けていると、足腰はもはや何ひとつ愚痴を言わなくなったものだ。
「今まではろくな仕事も与えられず、これで一生が終わってゆくのかと心滅入っていました。しかし、これからは、このような遣り甲斐のある日々が訪れるのですね。わかりました。精一杯がんばらせていただきます!」と、足腰が再奮起している声が聞こえてくるようなのである。

 朝食は、まともにと言うか、心してしっかりととる。日中の仕事活動に支障をきたしてまでスリムになろうとするOLのようなことはしない。とくに、ただでさえ低迷し始めている頭脳活動が、ガス欠状態で足を引っ張られるというのでは話にならないからだ。
 ところで、夕飯というか、これまでは夜食に近いずれ込みであった第三食を軽く済ますようにすると、朝食を快適に迎えられるようになるから不思議だ。いや、不思議だというところに、奇しくもこれまでの問題先送り的体質が見え隠れしていると言えるのだ。
 だいたいこれまでは、これから活動休止の睡眠に入ろうというのに、必要でもないエネルギーを補給していたのだから馬鹿げていた。
 それは現地住民の必要性の基準によってではなく、国内ゼネコン圧力によって行われてきたODA事業のようだと言ってもよいかもしれない。あるいは、自分のセクションだけ良ければいいとする胃袋省庁と、その言いなりになった頭脳という首相官邸が、自己満足的にエネルギー過剰摂取を慣例的に許可してきたようなものだと言ってもよいかもしれない。他の省庁なり、国民国家全体、各国の当事者への常識的配慮さえ欠落していたと言わねばならないだろう。

 が事態は、現実政治社会では起こりようもない迅速な対策によって、抜本的に変革されたのだ。完膚なきまでに悪癖は撤廃され、体内の全国民は安堵の声、賞賛の声を惜しまないでいる。広場という広場、道路という道路は、日の丸の小旗とちょうちんで埋め尽くされていたりもする。というほどに、身体事情は快適な状態へと向かいつつあるのだ。
 こうなってくると、睡眠も実にスムーズとなる。これまで、アルコールによって思考活動をクール・ダウンさせなければ得られないと勝手に思い込んでいた睡眠が、ごくごく自然に訪れてくるのである。夕食時のカロリー・ハーフの缶ビール一本だけで、体内住民たちは大いに充足し、落語CDのイヤホーンまでを耳に当てずとも、静かな夜が忍び寄ってくるのである。

 とまあ、今年中には7〜8キロの減量とリストラを達成しようとしている個人的な、きわめて個人的な小さな闘いを始めているのである。
 こうして実体験してみると、つくづく思い至ることがある。長年の不摂生で、何の存在意義もなく腹部に蓄積されてしまった贅肉を落とすのにこれだけの時間と労力を割かなければならないのだから、官僚機構やその周辺に構造的に構築されてしまった「贅肉」を落とすのは、「構造改革」なんていう単なるスローガンだけで簡単に推進されると考えてはいけないんだろうなと…… (2002.09.14)

2002/09/15/ (日)  人は新鮮な変化の中でこそ息づける!

 散歩の途中、ほぼ目線の高さであったので目にとまった。よその駐車場なのだが、その垣根の植木から、おかしくなるほど多くの新芽がヒョロヒョロと出ていたのだ。本体の植木が「角刈り」(?)ふうに仕立てられていただけに、淡い黄緑いろの新芽たちの姿がなんだかとても滑稽に見えたのだった。
 だが、それらの印象はただ滑稽だというにとどまらず、何か暗示的でさえあった。
 緑とは見えない低い彩色の葉の繁みは、平板に刈り取られた格好と相まって、生きた柔らかい植物を感じさせないでいた。そんな壁から、それらの新芽たちは、高速度カメラの映像を思わせつつ、見つめているそばからじわじわと伸びているような印象と、生々しい生きもの感を発散させていたのであった。

 最近、ふと思いを至らせる事実がある。歳も歳なんだし、しょうがないよ、と言ってしまえばそれまでなのだが、自分自身の感覚や思考が、やはり思いのほか狭く硬直しているようだという再認識なのである。また、その原因として、まるで目には見えない固い甲殻のバリアが自身の周囲を覆っているかのような、そんな奇妙なイメージをさえ思い描くのである。
 こうして表現してみると、やや大袈裟となってしまうのだが、上記垣根の様相で言うなら、現在の自分は生々しい新芽が出にくくなった硬直した垣根といった印象であろうか。
 この日誌を書き続けていると、むしろそんな事実を自覚することになってしまうのである。その時その時の気分に流されて無自覚に過ごしている時は、そんな自覚はでてきようがない。余程のことにでも遭遇しないかぎり、人というものは自分本位に、自己満足的に自身をかばうものだからだ。
 たとえ生活がマンネリ化しつつあっても、「いやー、最近は万事に精通し始めて、慣れと安定の生活を手にすることができた。結構、結構」とでも感じるに違いないのである。

 だが、こうして毎日文章を綴っていると、確かに、文章運びは宅配便のお兄ちゃんの足運び、荷運びのように、いくらかは軽快さが伴ってくる。が、そんなことはさして価値あることではない。誰だって一年も継続すればなるに決まっている。
 内容がないよう!からどうしたら抜けられるのかが勝負どころだと願っているのである。内容という表現が漠然としていると言うなら、「新しい意識」の発見と言ってもよい。奇をてらうがためではなく、常識化して、もはや閉塞感しかあたえなくなった時代の意識に、どう付加価値としての斬新さを与えることができるか、そういうものを領域を問わず生み出してみたい、とまあ大袈裟に振りかぶればそういうことになる。植物の新芽を見れば何がしかの感動が与えられるように、生きものとしての人間は、新鮮な変化の中でしか息づけない存在なのだろうと確信しているからでもある。それが、自由の正体なのだろうと思っている。

 人間を幸せにしない環境というものは、新鮮な変化の中でこそ息づける人間の宿命に目をつぶって、環境の固定化と閉塞を押しつける性格のものだと言えそうだ。そんな化石のようなものはありもしないにもかかわらず、そうしたものであるかのように維持しようとしたり、構築しようとしたりする意図と行動は、とにかく人を不幸にするに決まっていると言い切りたい…… (2002.09.15)

2002/09/16/ (月)  「いちいち何したらいいでしょうか、なんて聞くんじゃねぇ!」

 今月は二回も三連休が用意されている。カレンダーでこれを見て思ったのは、「そんなに休んでばかりいられないよなあ……」であった。仕事の方が順風満帆であったなら、「さあて、秋の気配をジックリとカメラにおさめるとするか」とでもなりそうなものだが、何と、事務所に出てみようという選択に落ち着いてしまった。
 まあ、大した結果が見込めないことはうすうす分かっている。このパターンは、学生時代に休暇の過ごし方でいやというほどしくじっているのだ。「よーし!」と力んで旅先などに過剰な冊数の書籍を持ち込んだはいいが、それで安心してしまって帰る時には、大体がトホホなのであった。遊ぶなら遊ぶ、ツメルならツメルを押し通せない了見の狭さがよくないのだ。

 こんな自分にピッタリのことわざを思い出し、ひとり苦笑いをしている。「怠け者の節供(節句)働き」(いつも怠けているような者にかぎって、他人が休む節供の日になるとわざと忙しそうに働いてみせる)のことだ。
 しかし、貧乏性とでも言うべきなのだろうか。大げさでもなく、事業を始めて以来、気が休まったためしがない。問題含みの子を持つ親のごとく、いつも気掛かりでならなかったのが実情である。そうしては、「怠け者の節供働き」以外ではない愚挙におよぶのである。

 ただ、自分のことはともかく、休日に出社して仕事なり、その周辺のことをひとり黙々と行うという者がいたら、わたしはその人を一応仕事師(技術者)として尊重したいと考えている。現に、マイペースでそんな仕事の進め方をしていた優秀な仕事師を何人も見てきたし、逆に、「いやー、今日は帰りますが、休出するつもりです」と言いながら一向に顔を見たことがないサラリーマン役員もいなかったわけではない。
 こういう表現をすると、家族との生活を無視してのワーカーホリックを持ち上げてはいけない、と言われそうな気もするし、本人だって疲れているのだから休むのは当然という声も聞こえる。ごもっともである。
 だが、自分の仕事が人をうならせるホンモノになるかどうかは、そんなところと関係しているという気がしているのである。また、時代はホンモノの成果以外には受け取らないシビアな環境に取って代わられつつありそうではないか。
 「裁量性」という言葉がいろいろな職場で頻繁に聞かれるようになっている。良いことだと思うのだが、元来が働くということは自己裁量で仕事を進めることではなかったのだろうか。
 職人の現場では次のようなもっともな会話があるらしい。
「いちいち何したらいいでしょうか、なんて聞くんじゃねぇ!自分で見回して仕事探して、黙って働けぇ!」
 厳しく聞こえないでもないが、そうあってこそ本人にも遣り甲斐がある仕事ができるというものなんじゃないのかと思う。いちいち指示を仰ぎ、いちいち手取り足取り教えてもらっていたのでは、今はやりの「自立」的に働く力なんぞつくわけがないし、教えてもらったことも昨今のCPUのスピードさながらに素早く忘れ去るというものだろう。

 端的に言えば、かたちだけに拘泥してきた経営者や管理職が「バカ〜」だったのであろう。他に言うこと、やることがないものだから、アリバイづくりのように、遅刻するな、礼儀正しくしろ、規則を破るな、と紋切り型のセリフで一年を暮らしていたんじゃ、仕事師なんて育たないワケだ。
 が、そうしたかたちだけにとらわれる人々は、官公庁にはしこたま生存していたとしても、民間企業からは次第にいなくなったようだ。いや、いなくさせられたようだ。とは言っても、仕事のホンモノの成果を見分ける鑑定をする者はそんなに多くはなく、再びかたちに頼ろうとするのが世の常なんだろう。
 しかし、玉石混交の環境の中で、うまく立ち回るよりも、とにかくうまく自分を育て上げることにしっかりと目を向けるべきがかしこい姿なのだろうと思う…… (2002.09.16)

2002/09/17/ (火)  「冷徹な事実」の認識と、「冷徹な事実」の構築こそ!

 確かに日朝の国交正常化がなればそれに越したことはない。しかし、勝海舟だか坂本竜馬だかという仲介斡旋人のプリテンドが見えないでもない小泉首相の言動、さらに金大中(キムデジュン)大統領のノーベル平和賞受賞の事実をも意識しているのじゃないかと見えないわけでもない今回の首相の動きは、どう考えたらよいのだろうか。
 拉致問題の当事者たちの生死の状況がぼつぼつ伝えられ、それはそれで大変な問題含みだと推測される。今は、感情的にも聞こえがちな拉致死亡被害者家族の悲痛な声にこそ真実が宿っていると感じている。また、そうこうしているうちに予想どおりの漠然とした「共同声明」の骨子も伝えられ始めたが、何がどう変わり始めるというのだろうか?

 折りしも、「イラク政府は16日、アナン国連事務総長に書簡を送り、国連の大量破壊兵器査察団の復帰を無条件で受け入れると伝えた。」(朝日新聞)とある。しかし、米国は「米国の武力行使の圧力が高まる度に、査察の受け入れを表明し、国連安保理常任理事国を分断、アラブ諸国の世論を味方につける、という手法で時間稼ぎをしてきた。」と見ており、フセイン政権と交渉するつもりはない、と強調しているらしい。
 もともと北朝鮮の今回の動きは、同国の厳しい経済状況と、米国による対イラク攻撃が間近だという状況に起因していると専ら推測されているのだ。今回の日朝首脳会談は、イラクの動向と無関係ではないということなのだ。
 また、もうひとつ、気になることがある。二年前の北朝鮮への韓国大統領金大中(キムデジュン)氏訪問のその後の事実である。共同発表された南北統一問題に関するそれなりの合意事項が、どのように果たされているのだろうか。ほとんど手つかずのままだとも聞く。北朝鮮による外交姿勢の「実績」(?)はどう見つめられているのだろうか?

 現代の国際関係は、いや、国内問題だって同じだと言えるが、「紙っぺら」一枚なんぞで騒いじゃいけないっていうことなのだ。奇しくも米国は、そんな実情と無縁ではない上に甘くなんぞないから、イラクの動向を猜疑心溢れる目で凝視している。報復の連鎖を平気で選択できる米国ならではのスタンスである。
 誤解されないように言うなら、決して米国のスタンスを見上げているのではない。猜疑心だけを旺盛にして対処すべきだと言っているのでもない。かと言って、「誠実」や「真心」という言葉を信じろと子ども騙しを言っているのではもちろんない。プリテンダー時代にあって、そんな言葉は死語!なのではないか。
 「冷徹な事実」をしっかりと押さえること、そしてさらに重要だと思えることは、わが国が内外に対して「冷徹な事実」を構築してゆくことだと言いたいのである。今回の問題に関して「冷徹な事実」とは、わが国が自立的に「大東亜戦争」の総括を内外に対して実施してこなかったこと以外にない。それが、すべての問題をゴタつかせている元凶であるに違いないのだ。
 拉致問題にしても、金正日(キムジョンイル)氏はそうは言わなかったらしいが、もし彼が、「十一名の拉致なんぞで騒いじゃイケマセンゼ、こちとらアンサンたちに十数万人も拉致連行されてトンデモナイ被害こうむり、いまだにオトシマエつけてもらってないんだからネ」と言ったら、小泉首相はどう有効に切り返すつもりだったんだろうか。

 北朝鮮を仮想敵国と見なす「有事法制化」を推進し、靖国参拝に足をとられ、米国の「軍曹」役を務めるといった点では「冷徹」に近い事実を作っている張本人が、一体どんな実質的目的を思い描いて向かったのかが、いまだによくわからない首相訪朝であったと言うほかない…… (2002.09.17)

2002/09/18/ (水)  過去の清算、総括なしでは、未来が保証されないのでは?

 難しく、複雑そうに見える問題を考える時には、抽象的な理念や一般論に足元をすくわれない注意が必要だ。もちろん、「公式的」見解、「権威主義」的圧力に引きずられない節操が必要なことは言うまでもない。
 では、どんな視点に立てばこれらから自由となって事の真相を見つめることが可能となるのだろうか。
 昨日の日朝首脳会談は、「国交正常化」の第一歩などと騒がれている向きもあるが、両者に実体的な内実の変化が乏しいと思しき現状では、何とも薄ら寒い思いが消せない。

 昨日は、とにかく「冷徹な事実」に目を向け、後戻りしない「冷徹な事実」を構築してゆく視点を強調したかった。非行少年の更正という問題を対処しようとしているのではないのだから、「冷徹な事実」に蓋をし合って「明日があるさ、明日がある〜♪」と流し合うのは聡明な政治がすることではない、と言いたかったのだ。
 赦し合うことは一見、王道であるようにも見える。寛大であることが正しい結果を生むこともありうる。しかし、非行少年の更正という問題と異なるのは、現在の国際関係は矛盾だらけであり、「バツイチ国家」(?)でなくとも右往左往している修羅場であるという点だ。それは非行少年たちが隔離され更生のための教育を受けるそれなりの秩序など期待されようもないのである。
 更正を期待された非行少年たちですら、荒ぶれたシャバの空気に接して再犯を犯すケースが少なくないという。過去に犯した犯罪という「冷徹な事実」を問題にするのは、決して報復的観点からではなく、自身では抑制し切れない再犯への潜在的可能性を、当人がしっかりと対象化して自覚して意識的に抑制するという教育的支援なのだと考えたい。
 拉致問題について言えば、
「ウチのわけぇもんが、アッシの目の届かないところでとんだご迷惑をおかけいたしやした。ヤツらにはたっぷりとお仕置きしておきやしたんで、ここはアッシの顔に免じて赦してやっておくんなさい。二度とそんなマネはさせやせんので! で、ウチらの窮状をどうか察して、一家の建て直しを支援しておくんなさい」
と言うセリフを、堅気(かたぎ)の人ならまともに受け入れられるだろうか? 手足が、頭で考えていることと関係なくテンデンバラバラに動くような存在を、まともだと考えないのが常識人の判断ではないだろうか。ましてそんなリーダーとまともな交渉が成立するという幻想を抱いてよいのだろうか?
 また、抜け目のないこの親分のことだから、「腹に一物背に荷物」を背負っていないともかぎらないだろう。
『オタクだって、先の出入りの際には、随分と人で無しなことを仕出かして、そのことについちゃいまだにカタがついておりやせんぜ。そこんとこ、じゅーぶんに思い起こしておくんなさいナ……』と。
 とにかく、ドタバタ劇としか言いようのない推移で始まった「国交正常化」が、予想外の手戻り後戻りをしないために、両国が両国の「冷徹な事実」を見失わないでいてほしいものだ。

 そして、もうひとつこだわりたい視点なのであるが、それは「被害当事者」とその周辺から目をそらさないということではないかと思う。何の必然性もなく、拉致され多くが死亡(? 殺害?)した事実や、その家族が二十年以上も安否を気遣いつつ生きた心地がしなかったであろう事実を、十分に想像し共有してこそ「国交正常化」の進路も見えてくるに違いないと思う。また、戦争中、日本が植民地支配で何十万人とも言われる朝鮮人を強制労働や「慰安婦」にかりだした事実をも再認識すべきである。
 とかく、大国主義を振舞う国々の思惑に乗せられたり、現在ありがちな傍観者的受け入れ、聞き流しという風潮からは、事の真相はなかなか見えてこないように感じているのである。当事者の立場に近づこうとしなければ、あらぬ方向へと流されてゆかぬとも限らぬ現代情報社会の危うさを警戒したいと思う。
 被害当事者家族の方々は、米国のような報復云々という愚かしい方向を望まれていないようだが、少なくとも「親分的謝罪」で事が済む問題なんかではないことを日本側は追求すべきであろう。そのことによって、当然日本側の過去の責任問題もクローズアップされるだろうが、これらをうやむやにせずに対処した上での「国交正常化」が多くの国民の望むところではないかと考えている…… (2002.09.18)

2002/09/19/ (木)  フワフワっとした日本人は、もっとしっかりしなくちゃ!

 交渉相手国の「手の内が見える」ような会談だったとしたら…… ということを示唆する内容のTVニュース報道(フジテレビ)を昨晩見た。そういうこともあったのかもしれないと想像させられたものだった。
 他のことを書きたい意図もあるにもかかわらず、今週は、釈然としない思いに引きずられ「日朝首脳会談」関連の話題にとらわれている。

 その報道が伝えていたのは、午後から再開された会談の冒頭で、金正日(キムジョンイル)氏が、語り始めた内容とタイミングに関してであった。午前の会談直前に伝えられた拉致問題に関する悲惨な結果から、昼食休憩時に日本勢は別室で、共同声明調印の是非をめぐってその留保をも含めたシピアな打ち合わせをしたのだという。そして、拉致問題に関して金正日氏が直接謝罪することなくして調印は不可能であると議論したのだそうだ。
 と、午後の会談の冒頭で、まるで日本勢の議論を「透視」したかのように、金正日氏は日本側が望む言葉をくっきりと口にしたという。番組では、「透視」ではなく「盗聴」という表現まで踏み込んでいた。何の証拠もなく誹謗することは避けなければならないが、想像することができる状況だとは言える。口汚く言えば、人を拉致してはばからなかった人たちが、交渉相手勢の会話を「拉致」したとしても不思議だとは言えないだろう。
 いやむしろ、日本側が能天気であったと言うべきかもしれない。ビジネスでは常識とさえなっている相手方管理下の施設内で不用意に会話することは厳禁というリスク・マネージメントの基本は、一体どうなっていたのであろうか。われわれでさえ、取引相手の会社に一歩踏み込むなら、すべてが監視されていたとしても差し支えない振る舞いをしているのである。
 いや、そこまでのマヌケではなかったとしよう。もし当方側の意向が筒抜けとなることを戦術的に行い、何としても共同声明にこぎ着けたかったと解釈するならば、しかし言うべきことが二つある。ひとつは、世間ではこうしたことを「やらせ」と表現しているということ。もうひとつは、なぜそこまでして「国交正常化」の形式的表現である「共同声明」に執着するのかという思惑についてである。

 この間の報道で、しばしば目にした言葉は「人間」と「政治」の対置であったかもしれない。要するに、拉致問題当事者の立場に立って事態を見つめるあり方と、東アジアの国交正常化、平和を前面に打ち出す立場で事を進めようとするあり方が対置される議論である。で、ニュアンス的には、前者は大局的な後者のために一歩も二歩も譲るべきだとのお仕着せが鼻についたのであった。
 確かに、政治という怪物を日常感覚で処せると決めつけてはならないだろう。政治的問題ならではの予備知識や予備手順といった小道具が必要なことはわかる。
 しかし、政治はプロの政治家に任せろといった発想がもはや破綻していることも事実ではないだろうか。自称プロたちは、アマチュアを遠ざけた環境で「小人閑居して、不善をなす」しかやれなかったことが今や常識となっているではないか。
 前者の視点に立ちながら、歪んでゆく後者のあり方を正してゆかなければならないと、言い切ってしまいたい。不透明な歪みが、各国政治家たちの思惑の中に見え隠れしていることはほぼ事実だと思われるのである。

 政治家たちが、「人道主義的」立場だの、「国際平和」の観点だのと大義名分を振りかざしながら、私腹を肥やすと明け透けに言わないまでも、密かに個別のインタレストを追求していることは、もっと常識的に知られてよいはずである。
 ここで、今回の会談をめぐる関係各国の「政治的」思惑をざっと並べ立ててみる。
 まず北朝鮮は、一言で言って経済破綻! そして権力体制の変更なしでの経済建て直しを切望していることは周知の事実だ。
 その金正日氏が、つい先ごろシベリア鉄道をたどってロシアを訪問しプーチン大統領と会談したこと、またつい先ごろ、朝鮮半島で南北で分断されていた鉄道が連結されようとしている動きは、まさに「連結」しているようなのだ。つまり、朝鮮半島の鉄道とシベリア鉄道が連結して、この鉄道幹線によってロシア、北朝鮮が大きな経済的メリットを生み出すつもりなのだそうだ。
 が、ロシアにも、北朝鮮にもこれらの工事を進めるための資金がない!
 プーチン大統領は、金正日氏に対日関係の中からその資金を編み出すことを提案したと言われている。だから、プーチン大統領は、今回の首脳会談に大きな関心を持ち、小泉首相にも事前に電話で「ヨロシク!」と言ったそうなのだ。
 米国の思惑は、核問題に関してイラクが焦点の際に、北朝鮮の核ミサイルまで同時ににらむのは骨が折れるため、同盟国日本の「番頭」に様子を見に行かせたかったわけであろう。上記のようなロシアの動きもある以上、日本に北朝鮮問題を任せっ切りにするつもりなどあるわけがない。が、しかし、今は対イラク攻撃を完遂するための準備でてんやわんやである以上、お茶を濁しておきたいはずだ。小泉番頭は、忙しそうにする旦那から指示だけを受け、とにかく形だけの結果を作り、「ゴクロウサン!」とさり気ないねぎらいの言葉をもらったことになる。
 中国は、とりあえず北朝鮮からの難民問題が増大しない程度に、北朝鮮が経済的自立を図ってほしいと望んでいるのであろう。そのために、やはり日朝国交正常化=日本による経済援助だけが鮮やかに視界に入っているに違いない。
 どの国とて、国の思惑は、各国の庶民が思い描くようなむつまじい平和像というより、自国の経済的、軍事的インタレスト以外ではないのである。もちろん、そんなことを公式的に「身も蓋もなく」表明するわけにはいかないので奇麗事となっているにすぎない。

 こうした薄汚い思惑を、耳年増(みみどしま)のように書いている自分がかわいそうになってくるので、もうやめる。が、われわれフワフワっとした日本人は、あどけなく将来を見つめる子どもたちのためにも、もっともっと聡明にならなくてはいけない。日銀が、ダメ銀行の保有する株を買い上げるといった「禁じ手」におよぶほど台所は火の車だっていうのにネ…… (2002.09.19)

2002/09/20/ (金)  『流浪の民』を歌う天使の声に捧げるべきものは聡明な力!

ブナの森の葉隠れに 宴ほがい賑わしや
たいまつ 赤く照らしつつ 木の葉敷きて うついする

これぞ流浪の人の群れ まなこひかり 髪きよら
ニイルの水に浸されて きららきらら 輝けり

焚き火囲みつ 
赤きほのお めぐりめぐり
焚き火囲みて おのこ やすろう
燃ゆる火を囲みつつ 強く猛き おのこ やすろう

おみな立ちて忙しく 酒をくみて さしめぐる
唄い騒ぐそがなかに 南の国恋うるあり
なやみはらうねぎごとを 語り告ぐる おうなあり

めぐし乙女舞い出でつ 
たいまつあかく照りわたる
管弦のひびき賑わしく 
つれたちて舞い遊ぶ
既に唄い疲れてや 
眠りを誘う夜の風

なれし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり

東空の白みては 夜の姿かきうせぬ

ねぐら離れ鳥鳴けば
いずこ往くか流浪の民
いずこ往くか流浪の民
流浪の民

 ご存知、シューマンの合唱曲『流浪の民』である。
 若きころを想い再度聴きたい方は、"Sawana"さんのサイトでダウンロードできるので訪ねてみるのもいいでしょう。
http://sk.redbit.ne.jp/~rurou/rurounotami.htm

 なぜ、『流浪の民』なんでしょうか? 実は、「横田めぐみさん」が、かつて中学生のころに歌ったテープが親御さんによって公開されたのを聴いたのである。「横田めぐみさん」といえば13歳で北朝鮮に拉致され、そして子どもを遺して二十代で死亡したとされている。悲劇の生涯を辿らされた少女がとても哀れに思えてならなかった。それに対して、テープに遺された歌声は、月並みな表現であるが、天使の声そのものだと聴こえ、涙を誘った。
 わたしも、高校の合唱祭ではこの歌を練習したことがあった。当時は、今のように穢れずくめとはなっておらず、多分、ただひたすら美しく生きることに憧れていたはずだった。そんな青春のころが、突如としてフラッシュバックして、「横田めぐみさん」が被った不条理と重なったのであった。

 これを書いていると、窓の外から右翼の街宣車が流すいやしい騒音が聞こえてきた。感傷的気分から引き戻されるには十分な騒音である。おそらく彼らは、北朝鮮との国交回復にいらだち、拉致問題での国民の憤りに誘い水をしたいと意図しているのであろう。同じ方向での暴挙であるが、在日朝鮮人たちがいわれなき暴力を被ってもいるという。ここで、米国のような「目には目を」の短絡した雪崩を決して起こしてはならないだろう。
 美しく生きたいと思う人々の前には、難問ばかりではなく、陥りやすい罠まで仕掛けられているのが哀しいかなリアルな世界なのだと再認識させられる。
 「流浪の民」である庶民に宿る人間的な希求を何よりも大事にしたい。が、そのためには、これを惑わすさまざまな勢力を、しかと見透かせるそんな聡明さを培ってゆかなければならない…… (2002.09.20)

2002/09/21/ (土)  時代が産み落とした「鬼っ子(?)」を丁寧に育てたい!

 ホームページの作成と運用についての質問や、本格的に教えてもらいたいという人たちがそれなりに後を絶たない。巷(ちまた)の書店では、関係書籍、雑誌が溢れるように並んではいる。しかし、ビギナーにとっては、読んで理解できる気がしない不安が先立つのであろう。わかる気がする。
 また、ホームページ・エディターという、ホームページ作成支援ソフトというものも、こうしたビギナーのニーズに応えているようだ。だが、どの方法も一長一短がある。

 そこで、われわれのところへ相談に来られる人たちが効果的に学習を進められる教材として、オリジナルのソフトを作ってみることにした。
 以前から依頼を受けた講演などを進めるにあたって、Microsoftの「パワー・ポイント(PowerPoint)」というプレゼンテーション向けソフトを活用していた。PC画面上に文字はもちろんのこと、文字などのアニメーションから、図表や画像も思いのまま、効果音もさることながら音声ソフトと連動させればサイバー・ナレーションさえも駆使することができる。まさに、マルチメディアでのインストラクション・メディア作成ツールなのである。使い方に慣れることと、想像力=創造力を厭わないユーザーなら、PC上で世界のクロサワ監督気分にもなれそうである。また、出来上がったソフトが、無償配布されているビューアーで鑑賞できるのもありがたい。
 そんなことで、気に入っている PowerPoint を駆使して、ウィンドウズのビギナーが簡単な道具立てで、自分なりのホームページを作成し、プロバイダーへの送信や更新までを指導できる教材作りに着手したわけなのである。作っていて楽しいのが何よりの救いである。

 ところで、いわゆるマルチメディア教材は、自分の過去を振り返ってもそこそこ学習効果が期待できるものだと実感している。
 そもそも何かの仕組みを「理解できる」ということ、「わかる」ということは、言語的なレベルでの了解を超えて、身体的体験をも必要とすることだと思われる。
 合点がいく、いかないという意味の「腑に落ちる、落ちない」の「腑」とは、「はらわた=五臓六腑」という内臓のことなのであり、決して頭脳のことではないのだ。頭脳活動だけでは「わかった」ことにはならないのではないかという直感が、昔の人々によって抱かれていたのであろう。
 そして、くどく言うなら、各臓器が手足の神経のツボとつながっていることは、鍼灸・指圧療法業界では常識(?)のようである。要するに、「理解できる」、「わかる」ということは、身体中が総動員して可能となる、そんな事象なのだとわたしは考えている。
 「百聞は一見に如かず」ということわざまで添えるなら、「わかる」ためには身体全体が参画して総動員体制で臨むことが最良だとも言えるのであろう。
 そして、この総力戦にたえられるメディアこそが、いわゆるマルチメディアなのだろうと思う。だから、マルチメディアを教育に使わない手はないはずなのだ。教育以外の場、消費生活、広告宣伝、娯楽などではうるさいほどにこれらが活用されていながら、教育領域では遅ればせの観が否めないこれまでの実態が、信じられないおかしさだったのだろう。

 幸いインターネットが普及する時代となり、マルチメディア・コンテンツへの感心が高まる環境が広がっている。しかし、コンテンツ自体に問題(商業主義偏重!)が残るとともに、受け手側にまわるだけでなく作り手側、発信側となろうとすることが大いに大事なことだと思っている。
 マルチメディアという言葉に埋め込まれている「インタラクティブ=相互性」という隠れた願いは、受け手側における能動性の重要さを表している。ということは、もう一歩踏み込んで言うなら、従来の受け手側が、環境を活用しながらコンテンツを自主制作することに、さしたるボーダーが引かれていない時代環境だということになるはずなのではないだろうか。
 一昔前なら、マルチメディア・コンテンツを制作することなど、経費その他の面で到底考えられないことであったに違いない。しかし、現状の環境では安価なツール類が出揃っており、学習を厭わない根気と、何かを発信したいという生命力の、その有無だけが問われている時代だと言えるのかもしれない。
 とんでもない問題含みの時代になっていると悲観的にさえなりがちなのだが、もし時代の良いところを探すなら、こうした新しいコミュニケーション・メディアと、その作成ツール類が大衆化した点を見つめたいと思っている…… (2002.09.21)

2002/09/22/ (日)  何十年ぶりかで「お兄さん」と呼ばれた戸惑いとホクホク!

 今日は、事務所のあるビル全体が定期的な害虫駆除剤散布ということで立入禁止のため、やむなく自宅で作業するほかなかった。先週もそうであったように、気持ちとしては連休に現(うつつ)を抜かす気分ではないのだが、さりとて害虫駆除剤にまみれてまで壮絶であることもないので、まあいっか! と自宅で過ごすことにした。

 先ずは、いつもよりやや遅めではあったが、もう継続三週間となるウォーキングにでかけた。ウォーキングといっても、ジョギングに近い速さの小一時間なので、次第に疲労が蓄積しているようでもあった。若い時のように、スポーツもやればやるだけ身体にイイというわけにはいかないのだろう。やればやるだけ身体にダメージがおよぶという可能性だってあるのが、中年以降のスポーツだな、などと何とも中年〜熟年=半熟年(ゆで卵か?)の悲哀を噛みしめながら歩いた。

 と、よーし! と奮起させられるような出来事に遭遇したのだった。
 歩道の前方から、母親に手をつながれた、二歳くらいであろうか小さな男の子が、天真爛漫な素振りで歩いてきた。つながれた手を振り回したり、空いた方の腕を振り回したり、身体じゅうが弾んでいる印象をあたえていた。かわいいもんだなあ、と顔がほころんだものだった。
 と、その子が、突然うれしそうな顔をしながら、空いた方の手で人差し指をグルグルいそがしく回しながら、わたしに向かって、
「あっ、お兄さんだ、お兄さんだ」
ときゃっきゃと言いながら叫ぶではないか。わたしは面喰らってしまった。当たり前だがついぞ「お兄さん」なんぞと呼ばれなくなってしまった上に、またそんな呼ばれ方を聞く華やかなネオン街からも遠ざかっていたからだ。
 さすがに、おじいさんと呼ばれたことはないが、まあ、おじさんが相場であるに違いない。それが、水商売の空間ではないそんな場で、お兄さんと呼ばれたのである。面喰らったが、何だか内心ホクホクとした気分となってしまったから変なものだ。
 その場で、母親からの「お詫びと訂正」は入らなかったものの、すれ違って距離が空いたころ、母親はきっと子どもを諭していたに違いない。
「ボク、ああいう人はたとえ野球帽をかぶって、ズックを履いていても『おじさん』と言うのよ。『お兄さん』というのは、誰々さんみたいな若い人のことを言うのだからね」と。
 しかし、ひょっとしてその子も負けてはいないかもしれない。
「ママ、『若い』って何のことさ? あの『お兄さん』若くないの? どうしてそんなことわかる?」
 すると、ママは返答に困る。もともと、よく観察したわけではないし、「半熟卵」の特徴たる白髪頭を思い出そうとしたが、しっかりと野球帽をかぶっていたのでそれは無理である。「半熟卵」の別の属性たる出っ腹を思い浮かべてみたが、朝食前のわたしはさほど出っ腹を印象づけることはない。ママはとまどいつつも、自分の印象に固執して、第三の「半熟卵」の属性に思いを至らせようとする。
「ママ、どうしてさ?」
と、男の子からの追い打ちがかかる。
「だからね……」
と、ママは、歩き方の緩慢さという属性を口にしようとしたが、結構早足であったことを思い起こさざるをえなかった。おまけに背筋までピーンと伸びていたことを思い出す。苦し紛れにママはこういうしかないだろう。
「ボク、あの人の顔をよく見なかったの? おじさんの顔してたでしょ?」
と。
 そうであっても、まあいいではないか。「王様は裸だ!」と叫ぶのが、子どもの正直さなのである。子どもの目には、使命感に燃えて(使命感なんてあったかな?)ウォーキングに向かうその若々しい気概が、とにかく「お兄さん」と映ったに違いないと信じたい。
 あれこれ詮索して、「うちの子は、野球帽かぶってる人はみんな『お兄さん』だと思ってるの!」と聞かされたって、おもしろくも何ともないもんね…… (2002.09.22)

2002/09/23/ (月)  段取り=想像力=深読み姿勢が希薄な時代?

 事務所に出てみると、女子事務員がひとり出社していた。いつも行う、害虫駆除剤散布後に必要となる食器類の洗浄のためだとわかった。わざわざ出社していたことに驚いた。明日早く出社する者への配慮、同フロアーの他社が一斉に給湯室を使う混雑を避けようとする配慮などのため、休日中にもかかわらず出社してくれた模様であった。なかなかできそうでできない段取りだと小さな感動を覚えた。

 わたしは、この段取りという言葉や、段取り上手な人というのが好きである。段取り上手な人と仕事を一緒にしたり、遊んだりするととにかく気持ちがよい。いわゆる「つーかー」の意思疎通が楽しめたり、「なるほど!」とうならされたりするからである。
 人間関係は、とかく疎まれがちなものが相場であるが、段取り上手な人、すなわち状況への豊かな想像力と思考力を駆使できる人たちとの人間関係というものは、知恵と勇気を与えてくれる楽しいものだと思う。
 それは、望んでもなかなか得がたい人間関係であるが、もし職場全体がそうした関係に満ち溢れていたなら、メンバーと集団、組織はメキメキとパワーアップするに違いないと思える。

 この段取り(事の順序・方法を定めること。心がまえをすること。工夫をすること)という能力は、知識量の問題も無関係ではないにせよ、そうしたものとはちょっと異なるように思う。経験、実践、場数といったものと相関し、それらによって培われたイマジネーション(想像力!)に棹(さお)さす、そんな力であると思われる。
 たぶん、職人たちの間ではこの力が仕事師としての力量のメルクマール(指標)となっているのではないだろうか。いや、頼りになる人間であるかどうかの看板だとさえ言えるのではないだろうか。これが拙い者は、「どじ」なやつとして軽蔑されてもいるようである。

 ところでソフトウェアというものは、この段取りの「塊(かたまり)」のようであると言ってよいのではないだろうか。確かに知識をベースに置かない当て推量は問題である。だがさらに問題なのは、知識に現状を押し込もうとしたり、知識で現実を切り捨ててしまうような知識万能型の発想であろう。そこには、豊かな現実を想像するという段取り姿勢のかけらもないのだ。
 ソフトに部外者な人に聞かせたくない実話であるが、ソフト開発に必須のテストに関する話である。テスト・データという、開発されたシステムの誤謬を見つけるために設定するデータというものがある。これらは、システムが遭遇するあらゆるケースを想定して考えうるかぎりの多彩な視点で設定されなければ意味がないはずである。
 ところが、こともあろうに、システムが受け入れないデータを不正常なデータとして外して知らぬ顔をする技術者がいたりするのである。そんな馬鹿な、と思うかもしれない。しかし、わたしは決して稀有なことだとは思わない。いや、開発現場でそのようなことが頻発しているというのではない。そんな「逆立ち」したアクションが巷ではやたらと引き起こされていることに注目したいのである。

 昨今話題となっている原発現場でのヒビ割れ未報告問題だって、都合の悪いデータは無かったこととする点で同種の問題だと思える。また、道路公団問題その他の、民間有識者による審議会方式も、そのメンバーは、現実の幅広い意見が取り入れらることを最重視して選ばれているのかという点に、はなはだ疑問を持つのはわたしだけではないはずであろう。
 さらに言えば、世論調査と称して電話などでの回答者をサンプリングする方法も、疑問を持つことがある。極端に言えば、この不況の中で「負け組」となり、電話さえ外されてしまった人々もいるだろう。そんな悲劇の人たちの声ははなからサンプリング対象とされていないとするなら、内閣支持率はアップする誤差がありそうなものである。もちろん質問事項に、誘導的ニュアンスがあったりしたら問題外となってしまうが。
 こうしたおかしなことも、一方で段取り無縁族(いや、偏った段取り上手族と言うべきか)がいるとともに、段取り下手であるがゆえに物事の裏が想像できない人たちが多いことでまかり通っているのではないだろうか。

 要するに、どうもわれわれの国の現代という時代は、段取り能力=想像力=深読み姿勢が希薄なまま、上滑りしているような気がしてならない…… (2002.09.23)

2002/09/24/ (火)  『占い』くらい知ってるわよ。裏が無いって言うことなんでしょ!

 Microsoftの「パワー・ポイント(PowerPoint)」というプレゼンテーション向けソフトで、初級者向けの学習ソフトを作っていることは書いた。進めていると副次的に考えさせられることが多いことに気づかされている。初級者とは一体どんな正体の人を指すのかという点もそのひとつなのである。
 ホームページ作成初心者を対象とした場合、その初心者という内実は一様ではないはずなのである。すでに、PCをバリバリと使いこなしているけれどホームページはまだ作ったことがないという人もいるだろう。もちろん、PC操作でさえ初心者だという人もいて当然である。

 さらに、わたしなどがかねてから関心を持ってきたファクターは、同じ事柄に関して自他ともに同等な初心者だと任ずる人たちであっても、その理解度や学習進捗の度合いに大きな差が出る可能性があるという点なのである。
 一概に、その原因は何かと、決めつけることはできない。乱暴な言い方をすれば、その学習者のこれまでのヒストリーすべてが理由だということになろうか。だがそれでは話にならないので、的を絞るなら、「勘がいい!」かどうかの問題が大きなファクターであるような気がしているのだ。

 では、「勘がいい!」とはどういうことなのであろうか。
 あくまで私見ではある。今、目の前のひとつの物なり、事象なりを人が見つめたとする。仮に、机の上に電卓があったとする。その時、淡々とその存在のみを認識して終わる人もいれば、その電卓をきっかけに様々な連想をしてしまう人もいるに違いない。
「そうだ、ノートPC用にテンキーパッドを買わなくちゃ……」
「電卓も最近では太陽電池がついて、電池の補給がいらなくなったんだなあ……」
「ちょっとまて、電卓なんぞ使った覚えがないのに何でオレの机の上に置いてあるんだ……」
 とまあくだらない例だが、見ている対象から瞬時にさまざまなイメージを想起する人がいたとするなら、その人は「勘がいい!」ことの「基礎的」状態にあると言えそうだ。
 ところで、「勘がいい、悪い」は素質の問題であってこれはどうにもならないとする見方もあるようだが、一理あるとは言え、生得的原因を持ち出すことは教育議論を封じることになるので賛成しない。

 さて、次に、活発な「連想」が可能なことは、確かに「勘がいい!」ことの必要条件ではあるが、十分条件だとは言えないと思っている。しばしば、ある話題を持ち出すと、唐突に勝手なことを「連想」して、
「そうそう、オレの友だちがさ、馬鹿なヤツでさ……」
と、人の話の腰を折る人がいたりする。そんな人は、とても「勘がいい!」とは言えないのだ。
 「連想」された事象群から、最も現在の対象と密接な関係があると思しきものを「セレクト」する思考処理が必要なはずなのである。状況の文脈に最適と思われる事象をさり気無くセレクトできることが次に必要なのである。

 こうして、「連想」ブラス「セレクト」という一連の思考処理が、実は「勘がいい!」ことの実体だと言えそうである。「勘がいい!」人は、さまざまなアナロジー(類推)を駆使して、目の前の新しいモノの仕組みへとグイグイと接近してゆくようだ。
 こうした「勘がいい、悪い」の歴然とした差を秘めている種々雑多な現実の初心者を、決して初心者という一言で簡単に片づけてはいけないと、かねてから思い続けてきたのである。だから、即、教材作りではどうこうするというわけでもないのだが、少なくとも当該のテーマ以前に心得ておくべき事柄などにも言及しなければならないなあ、などと考えたりしている……

 こんなことを考えていたら、むかし、近所に頭の良い、かわいい女の子がいたことを思い出した。一回り以上歳が離れていたが、利発で元気がよい子だったので、よくその子と話をしたものだった。
 ある時、わたしがトランプを持ち出して、
「トランプ『占い』って知ってる? どーれ占ってあげよう」
と言ったら、その子が言い返したのだった。
「『占い』くらい知ってるわよ。裏が無いって言うことなんでしょ!」
 意表をつかれて、「なんじゃ? バカにするのか」というような顔をしたその子の前で笑い転げてしまったものだった…… (2002.09.24)

2002/09/25/ (水)  時代や価値観の変化に伴ういろいろなものの「仕分け」の変化!

 確かに、ホームページを作ることが果たして「技術的」なことなのかどうかという問題もあるにはある。だが、「技術的」なことに向き、不向きという判断やその捉え方自体が時代環境の変化の過程で結構変遷しているように感じている。
 たとえば、コンピュータへの対応能力にしてからが、かつての大型汎用コンピュータ時代と、現代のパーソナル・コンピュータ(PC)時代とでは、隔世の感があると言わなければならない。
 簡単に言えば、前者にあって優秀なプログラマーとは、"COBOL"という言語でも、"FORTRAN"という言語でもよいのだが、プログラマーは言語およびそれと直結する周辺知識のみを心得ればよかった。プログラムが稼動するコンピュータ本体の環境設定や整備は他の技術者のテリトリーであったからだ。
 だが、PCが主流となった現代にあっては、プログラマーといえども"C言語"、"VB"、"JAVA"などの、プログラミング側の知識だけの精通では仕事にならなくなっているようだ。PCへの言語ツールのインストール、PC環境の設定、整備や、さらにインターネットがデフォルト(定常)環境となっている昨今では、インターネット環境への精通なども必須となりつつある。
 つまり、時代環境の変化の中で、プログラマーという技術者の必須能力も大いに変化したということなのである。そもそも、「技術者」という範疇でさえ、かつては「モノ作り」の技術者がイメージの中心であった。それに対して、現代では「情報技術者」が取って代ったとは言わないまでも、「情報」関連分野に対する「技術的」操作が大きなウェイトを占めるようになってきているのではないだろうか。
 であるから、「技術的」なことに向き、不向きという問題も、十年一日の如く、「機械いじりが好きなので技術者向きである」とか、「口下手なのでどちらかと言えば技術者向きである」といったステレオタイプな(紋切型的な)理屈は通用しないのではないかと疑念を持つのである。
 昨日書いた「勘がいい!」というようなファクターこそが、現代の「技術的」ジャンルの作業なり、仕事なりに必須なものだとすれば、現代の「技術者」適性は以前のものと大きく塗り替えられなければならないということになろう。

 思うに、こうした大幅な「基準変化」という事態が、時代やそこでの価値観の変化の過程でドラスティックに(過激に)生じていると思われるのだ。
 たとえば「政治的」ジャンルにおいても、かつては「イデオロギー(階級的観念形態?まとまった政治思想)」色で仕分けされていた。簡単に言えば、労働者階級の立場に立つ政治家とか、資本家・経営者の立場に立つ政治家とかという仕分けだったと言えよう。そして、そうした立場の共通項が政党を結成させたのであろう。
 しかし、わが国の現在では、確かに政党は存在し続けてはいるが、多くの選挙民はどの政党をも支持したがらず、いわゆる「無党派」という立場を望んでいる状況がある。
 「イデオロギー」は通用しなくなったし、現実の階級構成も、自称「中間層」が大半におよぶに至りきわめて不鮮明になったと見える。いい悪いはともかく、「無党派、浮動層」が増え続けるのは当然のことなのかもしれない。
 かつては、世界の東西対立ブロックまで仕切っていた「イデオロギー」が「無効化」してしまった理由はいろいろとあろうと思うが、旧ソ連や東欧諸国に見られたような、「イデオロギー」では説明のつかない野蛮な官僚独裁国家の出現のインパクトが大きいように思える。
 こうした点を見つめてみると、時代の変化は「新しい物差し」を次から次へと投げ込み、従来の価値観を崩し、その価値観の共通性で仕分けられ、寄り添っていた組織、政党を離合集散、再編成させるもののようである。
 どんな基準によって政党が結集してゆくのかが、ある意味では一筋縄ではいかなくなっているのが混迷する現代ということになるのであろう。

 昨今のスーパーは、隆盛を極めるコンビニに対抗していろいろと工夫をしているようだ。閉店後の展示商品並べ替えも趣向を凝らしている。先日、ちょっとした道具を買いたくて大工道具コーナー周辺をうろうろしていて、通りかかった店員にたずねたら、「ああ、それは、アイデア・グッズのコーナーにあります」ときた。
 新しい基準(「新しい物差し」)によって、グルーピング(仕分け)が再編されたのであった。
 わが国の政界も、いろいろと再編が取り沙汰されているが、誰にでも分かる新しい基準で離合集散してくれないものであろうか。たとえば、「問題先送り」党と、「すぐやる迅速」党とかというふうに。そして「すぐやる迅速」党の「党スペック表」には、「議論から決議までの所要時間」とかを記載してもらって、「もし、スペック違反があった場合には、税金をいただきません」といった「ピザパイ」屋と同様のペナルティまで記すがいいのだ…… (2002.09.25)

2002/09/26/ (木)  初秋の日と金木犀、そして取り残された人間の嗅覚!

 相変わらず朝の速足ウォーキングは継続している。体重も、メキメキとはいかないものの、ジワジワと下がり始め、取らぬ狸の皮算用では月次3〜4キロ減のペースとなりそうだ。ウエスト周辺が大分スッキリしてきた模様で、「にせ・お兄さん?」への変貌がますます期待されるところだ。

 先週あたりからであったか、歩いているとあちこちで「金木犀(きんもくせい)」の甘い香りに気づかされる。
 特になじみの遊歩道沿いには、金木犀と山茶花(さざんか)が交互に植えられており、米粒のように小さな橙色の無数の花から、強い芳香が漂っていた。聞くところによれば、金木犀は中国原産なのだそうだが、日本のものは雄株ばかりで結実はしないそうなのだ。
 そう聞いて眺めてみると、オーデコロンをたっぷり振りかけていながら一向にガールフレンドに縁がない青年たちのようで、なんとなくかわいそうな気がしないでもない。

 金木犀の香りは落ち着いた秋の季節を意識させるので好きである。だから自宅の猫の額のように狭い庭の生垣として、もう何年も前に植えたりもした。ところが、ここニ、三年はわが家の金木犀の香りを楽しめないできた。
 それというのは、夏場に葉が生い茂るものだから、家人が見るに見かねてわたしの居ない間に剪定(せんてい)してしまうからである。今年も、そうなってしまった。
 以前には、植木類は自分で手入れしたりして、どこの家でもそうであるように、植木は旦那が担当という図式になっていた。が、仕事にかまけて担当職務怠慢となるにおよび、日当たりが悪くなるとか、毛虫が出るからとかの理由で、無粋な家人の手で枝葉は落とされ放題となってしまったのだ。今年も気がついてみると、金木犀の花芽はいっさい落とされていた。一瞬「このー!」と腹が立ったが、口にするのを控えた。金木犀の香りはいくらでも外で味わえるのだし、家事怠慢の謗りを誘発するというやぶへびになりかねないため、「まあ、いっか!」で黙殺することにしたのだ。

 金木犀の香りは、過去の秋の日の思い出を誘う。そんな思い出の中でも、品川に住んでいた中学時代のほのぼのとした思い出がいつまでも消えないでいる。
 どうということもないイメージなのである。遅くまで学校にいて下校する道すがらである。薄暮となった夕靄の道のところどころには、街路灯が灯り始めている。裏道に入ると笠をかぶった裸電球の街路灯もあった。白いズックの肩掛けかばんを左肩にぶら下げ、心地よい疲労感を携えて家路をゆく時、火照った身体にひんやりとした初秋の風がそよいでくる。そして、どこの家の生垣からであろうか、金木犀のほのかに甘い香りが漂い恍惚とした気分にさせられたのだった。
 決して、当時が何の不安や心配事もないわけではなかったであろう。が、思い出すこのイメージには、ゆったりとした揺るぎない秩序の中で、何の差し迫った役割もなく、落ち着いた秋の夕べの光景に静かに溶け込んでいる自分がいるのだった。

 ほかの人はどうなのかは知らないが、香りや匂いという嗅覚情報は、視覚・聴覚情報以上に記憶のイメージと強く結びついているような気がしてならない。
 帰宅した時、背の低い門扉越しに内側の鍵に手をやるのだが、その時飼い犬は、わたしだとは認識しているにもかかわらず、必ずわたしの手に鼻っ面を近寄せて匂いを嗅ぐ仕草をする。で、納得したように玄関の方へと戻ってゆくのである。どうも動物は、嗅覚にもっとも信頼をおいているように見える。
 視覚・聴覚情報は、複製・反復の大量生産が可能であることによって、現代では重宝がられているのに対して、嗅覚情報はアナログ的であり過ぎ、一過性的であることからか、価値が低いものと見なされているようでもある。
 しかし、動物でもある人間には、嗅覚情報によって個体としての実体を納得ゆくかたちで感じ取りたいという欲求が、脈々と生き続けているようにも思える…… (2002.09.26)

2002/09/27/ (金)  没頭至上主義(?)が宿命と感じる人!

 さあて、何を書こうかと思案している。書き始めれば何とか格好がつくに違いない。
 ようやく、例の教材制作の歯車が勢いよく回り始めて、ついつい熱中したため、一日の大半があっという間に過ぎてしまったのだ。この日誌を書く時間帯となっても、一向に気づかなかったくらいなのである。ただ、作業に没頭して時間の過ぎるのを忘れてしまうという働き方は、決して悪くないはずだと思っている。
 そんな時こそ、高が知れた能力ではあっても持てる力量が遺憾なく発揮されているのだろうと勝手に思い込んでいる。

 思えば、わたしはこの「没頭できる」ことを探しまくって過ごしてきたように思う。
 大学を終了する間際になって、就職を考えた際にも、これは勝手な決め込みであったのであろうが、自分が没頭できそうな職種やまして没頭させられるかもしれないような企業などが想像できなくて、結局パスする判断をしていた。
 ちょうど、ゼミでの研究に熱を入れ、こうして思索し続けることなら没頭してやってゆけるのかもしれないという思い込みもあって、大学院への進学を選んだのだった。
 高校卒業時にも、同じようなことがあったのを思い出す。大学受験という事態に対してどうにも素直になれず、斜に構えた気分も手伝って、事もあろうに"芸大"受験を目論んだ時期もあった。青春期の、疾風怒涛のように荒れ狂う心を持て余す中で、絵画を描いている時だけが無の境地の至福気分でいられたのが背景にあったのかもしれない。
 が、高校の美術担当の教師に相談したところ、
「いいことですね。ただ、芸術の道は大変ですよ。何よりも金が掛かります。あなたのうちはお金持ちですか?」
と、芸術を教える教師からとは思えない世知辛い言葉をいただいたのだった。しかし、その世知辛い言葉が、どうもわたしを甘ったれた夢から醒ましてくれたようだったので、後には感謝している。

 よく人から、典型的なB型タイプだと言われて久しいが、とにかく没頭至上主義(?)とでも言える傾向が強い。
 大学院時代であったが、ポンコツのカローラを入手して、最初はおとなしく乗っていたのだが、やがてあることに業を煮やし始めたのだった。排気量が1200CCでありながら、燃費が悪く、リッター数キロしか果たさないのだった。友人にたずねたら、「外車並みだね!」と笑われ、一気に火がついたのだ。ガソリンにではなく、わたしの没頭至上主義行動にである。
 もとより、そんなクルマを業者に持って行っても、「もっとましなのが安くてありますよ!」と言われるのが落ちだとわかっていたので、ならば自力救済の整備しかない!と思い定め(こんなこと定めなくてもいいんだけどね!)、ポンコツ車燃費向上計画にのめりこんで行ったのだった。
 先ずは、関係書籍を読み漁った。当時出版されていたクルマ・オタク雑誌『メカトロ何とか』も寝床で読み眠れなくなったりした。
 そして、いよいよボンネットを開け、リスキーな「オペ」に取り掛かったのだった。プロでもいじりたがらない「キャブレター」を分解並びに整備しようというのである。分解は問題なしとしても、整備と言うためには再組み立てが必要なのであるが、その点が不安であった。
 「オペ」は、冬場の、まだ陽が残っていた夕食前から始まった。極小の部品が多い箇所であるので、一応、頭の中では、
「無くしてはいけないぞ!たとえ小さなワッシャであっても無くすと再起不能だぞ!」
と言い聞かせていた。言い聞かせるということは、それが現実となることを予感していたということと同じなのだ。
 やがて、夕飯なんてとってる場合じゃない悲惨な空気が漂うことになっていったのだ。案の定、部品類を載せていたシャーレがちょっとしたはずみにひっくり返り部品類は、ボンネット下の暗闇へと威勢よく散逸していったのだった。
 もう長期戦とならざるを得ないと腹を決めた。飯を食べることにした。縁日のように、コードを伸ばし裸電球をつけてやるしかないと思った。燃費向上という初期目的は霞み、何とか元通りにしなければ、明日の行動が妨げられてしまう、という不安ばかりに駆られていた。だが、冬場の深夜にまで及ぶ執念の格闘が、効を奏して近所迷惑ながら何とかエンジン点火テストまでこぎつけることができたのだった。おまけに、雑誌『メカトロ何とか』の知恵を採用した「オペ」の結果、リッター数キロの燃費が、リッター7キロ以上に向上するといった初期目的達成にまで至った。大したことはなかったのだが、これがきっかけとなって、ますます強くクルマ整備への没頭至上主義に延焼していくはめになった。
 家内が、職業訓練校の洋裁だったかのコースへ通っていたこともあり、そこでクルマ整備のコースがあると知り、かなりまともに入学を画策した覚えがある。大学院在学中では許可されないとかの制約があったため、あきらめたようだった。のめり込むと、後先の考えが消し飛びがちな"たち"には、われながら恐れ入るし、はたまた警戒もしている。

 猫や子どもたちが、何か面白いいたずらはないものかとキョロつく姿を、わたしは共感を持って見定めることができる。ああ同類さんなんだなと感じるからだ。彼らも、きっと没頭することで、何よりも辛い退屈さから一時も早く脱出したいに違いないのだろう…… (2002.09.27)

2002/09/28/ (土)  留まることなく変化するインターネット環境と「デジタル・ディバイド」!

 マイクロソフト製品に関する最近のアップデートは、インターネット接続によるオンライン処理が当たり前のようになってきたようだ。
 いつであったか、XMLスクリプト処理の必要性から、IE(インターネット・エクスプローラ)のバージョン6を、これまでのように雑誌の付録CDで入手しようと書店で探し回ってみた。が、どの雑誌にも付いていなかった。そんなことってあるのかと、むきになって追跡したところ、ある雑誌の付録に関する片隅の記事によると、IE Ver.6に関してはマイクロソフトが付録CDのような配布方法を許可しなくなったそうなのである。
 しかたなく、マイクロソフトのサイトから、長時間をかけてダウンロードすることにした。幸い、事務所はADSLとしているため何時間もかかるということはなかったが、通常回線ならば一時間はかかってしまうボリュームであろう。

 そうこうしているうちに再確認したのが、「マイクロソフト製品に関する最近のアップデートは、インターネット接続によるオンライン処理が当たり前」という事実なのであった。かつては、いわゆる「サービス・パック Ver.〜」というかたちでの、雑誌の付録CDが専ら入手先だと思い込まされていたものだ。
 ところが、ADSLなどのブロードバンド方式が普及し始めるに至り、大容量のソフトもオンラインによるダウンロードという方式が定着し始めた模様なのである。便利と言えば便利ではある。ただし、ブロードバンド方式に切り替えている場合には、である。
 わたしの場合、事務所の方は早くからADSLに切り替えたのだが、自宅では通常回線を使ってインターネットに接続している。使用頻度の点もあってのことだが、ホームページを運営していると、通常回線のような通信速度の遅い環境では自社のホームページがどう表示されるのかを知る必要もあったりして、そのままにしているのだ。こうなると、自宅のPC環境はよほどの必要性を痛感しなければ、一時間以上をかけたダウンロードは敬遠してしまうというものである。

 何でもインターネットを通じた方式に切り替えられてゆくのだなあ、とふと思ったものだ。しかも最新のブロードバンド方式を採用したネット環境がスタンダーズとされているような気配なのである。
 そう言えば、アプリケーション・ソフトについても、「箱入り」でPCショップによってCD販売されるもののほかに、ダウンロード方式(デマンド方式)によるネット・ショッピングの対象となり始めているようだ。従来からの「シェアウェア」とは異なり結構大きなボリュームのものを、代金振込みの上ダウンロードして使う方式なのである。

 こうした傾向に関してふと感じることは、例の「デジタル・ディバイド」(インターネットやコンピュータ等の情報通信機器の普及に伴う、情報通信手段に対するアクセス機会及び情報通信技術を習得する機会を持つ者と持たざる者との格差。参照:2002.05.02) についてなのである。

 このところ、インターネット環境はまさしく猛スピードで激しい変化を繰り返している。利用のされ方についても同じことが言える。初期のインターネット環境では、どうでも良い情報がラインナップしていたと言えないこともなかった。だから、インターネットの使用は「趣味」のジャンルの出来事と言えないこともなかっただろう。
 だが、わたしの感触ではあるが、じわじわと活用することが当然! となり始め、生活にとって重要だと言える情報も組み込まれるようになってきたのかもしれない。しかも、上記のようにハイエンドの(最新の)環境でインターネットを活用することが当然視されているようにも見えるのである。

 こうなると、この環境が駆使できる人とそうでない人との何らかの格差は、やはり広がってゆくのではないかと懸念するのである。
 多くの人たちに対して懸念を抱くのだが、特に貧困家庭の子どもたちにはひとしおの関心が向いてしまう。よくはわからないながらも、おもしろそうだと興味を抱きながらも手元にインターネット環境がない家庭の子どもたちは、その将来をも含め大いに気の毒だと感じている。
 オールド世代も気にならないこともないのではあるが、バッサリと切り捨てましょう。それというのも、大人はその必要性を痛感したならば、たとえ頭や身体が柔軟ではなくとも行動への可能性はそれなりにあると推定されるからである。多くの団塊世代以上の熟年世代にも接してみて思うことは、要するにやる気がないだけのことだと、現時点でのわたしは判断している。この間に、これだけインターネット、インターネットと騒がれてきたのだから、まともにやる気のある人は着手していて当然ではないのだろうか。

 PC操作やインターネット操作というものは、理屈でわかる部分と実際に使い慣れてみてなるほどと思える部分がありそうである。で、意外と後者のインパクトが軽視できないとも言える。いや、その点はマルチメディアにも同様のことが言えそうだと考えているのだが、接触して吸収しているかどうかによって差がついてしまうようなものがありそうなのである。また、現代とは、よい悪いはともかくとして、現代ならではのセンスやスタイルと一体となった文化で動いている部分が、決して無視できない時代だと感じている。そして、インターネットはそうした現代のセンスやスタイルを、少なからず運んでいると言えないだろうか…… (2002.09.28)

2002/09/29/ (日)  ヒトの記憶の『在庫状況』を管理しているメタメモリー?

 中年以上の人々にとっては、「知っているのに、思い出せない」というもどかしい事態を、年毎に多く経験するようになるはずだ。しばらく話題にしなかったジャンルの人の名前などが、スッキリと出てこなくて、例の「アイウエオ方式」にお世話になりながら、遅ればせながら思い出すという人も少なくないはずである。
 また、これは別の原因も加わってのことなのだろうが、既に購入した書籍を再度購入してしまったり(中には三冊目を購入した人もいるようだ)、かつて見たビデオをレンタルビデオ屋で再び借りてきてしまい、「どうも見た覚えがあるんだけどなあ……」と疑いをもって見ていると、ある場面でドサッとダンボール箱をひっくり返したように記憶が蘇り、「そうそう、これがきっかけで主人公が脱出できるんだった……」と、情けなくももはや精神科における記憶喪失のリハビリー患者のようなケースもありそうだ。(一応他人事のように書いているが、自分のことである、情けなくも)

 こうした事態を迎えた時は、さすがにもどかしさの坩堝で七転八倒しながら記憶をまさぐることで精一杯となる。そして、思い出せた際には、なぜだか「どんなもんだい!」と言わぬばかりの自己満足に陥り、それ以上の詮索はしない。しかし、考えてみると、「覚えているはず!」だと決め込む頭脳活動とは一体なんなのだろうか? 別の言い方をすれば、「ここまで出かかっているのだけど……」という、記憶が存在することの認識とは一体なんなのだろうか? 
 試しに、忘れていそうな、むかし見たテレビ番組の主役の名を思い出そうとしてみた。もう四十年も前の『カメラマン・コバック』という番組。主役は誰だったか? すると、ジャンパー姿で、ごつい上半身に、やや暗めのごつい顔……というイメージが先行してくる。メルトダウンしかかったイメージが、チラチラッと脳裏をかすめてそれから言葉としての記憶再構築が始まるようだ。(ちなみに、このテストはチャールズ・ブロンソンだとすぐに思い出せてしまった)

 このような頭脳活動のプロセスを、「真面目くさって」(?)研究している人たちがいる。
「ヒトは何かを思い出すことができなくても、その答えが自分の記憶の中にあるかどうかは分かる。これは記憶の『在庫状況』を管理しているメタメモリーと呼ばれる脳の働きがあるためだと考えられていた。東大チームはメタメモリーを担う脳の場所が前頭葉下部にあることを見つけた。」(朝日新聞 2002.09.25)とあり、東大の桔梗英幸研究員、宮下保司教授らが26日発行の米専門誌ニューロンで発表するのだそうだ。
「チームは、東大の学生ら15人を対象に『エベレストに最初に登った人は誰?』など知ってそうな質問を用意。思い出せない人に、ヒントや時間があれば『絶対思い出せる』『たぶん思い出す』『絶対知らない』の3段階で自己評価してもらった。
 この間の脳の働きを機能的核磁気共鳴断層撮影(fMRI)で調べたところ、『絶対思い出せる』と自己評価した場合ほど強く活動する場所が、前頭葉下部にあった。答えがわかってすぐに解答できる場合は、この場所はほとんど働かなかった。」とある。
 高性能なMRIが開発されたおかげで、脳の活動も、どのようにして、の問いはわからずとも、それがどこで行われているのかはわかるようになったようだ。まあ、コンピュータのプログラムでも、不具合が生じた場合、最悪、なぜがわからない場合でもその不具合がどこで生じているかがわかれば次善策は講じられるというものである。先の研究が実れば、記憶喪失関係の治療には効を奏するのかもしれない。

 『在庫状況』という言葉が出てきたが、人の脳活動というものは、単に「在庫量」が多ければよいものでもないはずだろう。変化の激しい現代にあってはなおのこと、かびの生えたような古い記憶が変革の足を引っ張っていることも、「民主党」だけではないかもしれない。忘れた方がいいことを引きずっていて不幸に生きている人も少なくないかもしれない。
 ところで、忘れてしまった方がよいことと、忘れてはいけないことを仕分けている活動は、脳のどこでどのように行われているのだろうか…… (2002.09.29)

2002/09/30/ (月)  カネカネカネとカネにとらわれ過ぎた存在状態?

 昨夜、事務所のビルの、真っ暗な駐車場からクルマを出して帰宅しようとしていた時だった。シャッターの前でクルマを止め、シャッターを半ば上げたところで止めていたクルマのラジオから突然、「臨死体験をした多くの人たちに共通する証言は……」というような気味悪い声が聞こえてきた。
 ビル内も閑散とした日曜日の午後十一時半過ぎである。こうした時刻に帰宅することは決してめずらしいことではない。だが、漆黒の地下駐車場に降りて、そこから出る際にはやはり若干の緊張が伴う。オバケや幽霊がどうこうという歳ではない。むしろ、昨今のご時世からすれば、生きた強暴な不埒者(ふらちもの)の出現をこそ警戒しなければならないからだ。
 が、そんな暗がりで、突然「臨死体験」がどうのこうのと聞こえてくると、やはりいい気分ではなくなってくる。もっとも、クルマのラジオのスイッチが入りっぱなしとなっていて、それまで電波が遮蔽されていたものが、シャッターを開けたために聞こえ始めたという理屈ではあった。
 それでも、なぜNHKが「臨死体験」なんだ? と不可解に思ったが、気づいてみれば英語ニュースなんぞを聞こうと思ってNHK第二放送に設定していたのだった。よくよく聴いてみると、「生き甲斐」をテーマとした心理学関連の教養番組なのであった。

 興味がない話題ではなかったので、そのままかけっぱなしにして帰路についた。
 要するに、死とは何か、についていろいろと昨今の議論を紹介していたのだった。臨死体験という言葉やら、幽体離脱やら、霊など、その種の恐々しい言葉が飛び交ってはいたが、よくある心霊写真で脅かすテレビ番組の類ではなかった。
 唯物論的立場に立つなら何ともたわいない話ということになってしまうのだが、ひょっとしたら、肉体の死で人間は終了ということにはならないのではないかと感じる者にとっては、フムフムと一応聴ける話であったかもしれない。
 中でも、確かそういう表現をしていたように受けとめたが、「存在状態」の変化によって意識?認識?も変化するというような言い方が、妙に説得力を伴っているように思えた。

 われわれ人間は、いわゆる物質とその存在様式に最も慣れ親しんでいるところから、すべてを物質に還元させる認識方法を当然のことと見なしている。しかし、別に超常現象が云々ということでなくとも、物質とその存在様式への疑義はないことはないのだ。別に、アインシュタインの「相対性理論」を引き合いに出すまでもなく、物理原理の意表をつくような不可解な部分に対しては、まともな科学者なら留保姿勢を示したりしているはずである。宇宙物理学の領域でも、ビッグ・バンや、ブラック・ホールとの関係で、エネルギーの未知なる存在様式がまともに研究されていたりするそうである。

 人間にとって、死の問題をどう受けとめてゆくかは重要な課題である。少なくとも、現代のわが国にあっては、この問題は確実に死角に入っていると見受けられる。仏教的な死生観が背後に追いやられるとともに、物質万能的な近代文明と、まさしく一億総エコノミック・アニマル化によって、人間の死をまともに見つめられなくなったかのようである。命の大切さという時にも、死を見つめる姿勢の欠如によって、何とも迫力を欠いた結果となっているような気がしてならない。

 だが、死という問題こそはそうそう簡単に洞察できるものではないだろうからおくとして、存在状態というものが変わるということについては、より身近な問題で想像されてもいいのではないかと感じている。
 多くの日本人が今、経済以外の事象を見据えようとし始めているように思う。言い換えれば、それほどにこの間のわれわれは、まるで競馬馬が「遮眼帯」を付けられたように経済事象にばかり目を向けて来過ぎたのかもしれない。ひとりいい子ぶるつもりはないが、やはり経済的地位の向上こそがわれわれを動機付けてきたことが否定できないように思える。
 最近、米国の対テロ姿勢に潜む矛盾と問題を批判し続けて注目を浴びているノーム・チョムスキーという米国の言語学者がいる。『9.11 アメリカに報復する資格はない』(文春文庫)という本も危険な米国の現状を照らし出して凄みがあるのだが、近刊として予定されている『金儲けがすべてでいいのか グローバリズムの正体』という本も大いに期待ができそうだと予感している。
 このテーマだけでも、われわれの横っ面を張り倒してくれているような気がする。(アントニオ猪木に張り倒されたって何の意味もない……)要するに、今のわれわれに大いに必要なのは、カネカネカネとカネにとらわれ過ぎた存在状態から少しでも距離を置くことではないかとうっすら予感している…… (2002.09.30)