新しいビジネスのあり方についての関心が頭から離れない昨今だ。それほどに、従来型のビジネスが精彩をうしない始めているということでもある。効率化によってコストダウンを図らざるを得ない一方、新規テーマやジャンルを模索しなければ先がない、というのが大方の現況に違いない。
ところで一見、現代という時代は、他分野、他業種への「新規参入」がたやすいかのような雰囲気がある。これまでその種の関係者でしか入手できなかった「専門的」情報などが、垣根の外の一般人にも入手できるような情報の公開がそれなりに進展してしまったからである。
マスメディアなどが、従来、一般人の視野には入らなかった領域の情報を、興味本位も含めて流布させるようにもなった。あるいは、「一日体験」とかいって、興味を抱く門外漢を受け容れてさわりを体験させるような商売さえ登場しているようである。
これらのような従来の専門領域に関する情報が、門外漢の手に届くような環境はいたるところで見出せそうだ。これも、現代の特徴のひとつと言われる「ボーダレス」傾向だと言えるのかもしれない。
「ボーダレス」環境によって特殊情報、専門情報が一般化すること自体は悪いことではないはずだ。現に、ビジネスでは新しい可能性を秘めたニューフェイスが「新規参入」しやすい状況を作り出したと言えるからである。ビジネス領域によっては、伝統と言えば聞こえはいいが、蛸壺化した環境で、従来からの悪癖が発展を阻害している場合だってありそうだからである。そんな領域へ、新たな挑戦心と構想を持った企業が参入することは決して悪いことだとは思われない。
ただ、くれぐれも注意を要する点がありそうだとも思われる。
大体、広く一般化される情報というものは、それだけの浅さの内容のものなのではなかろうか。たとえば、「知識」というものを、容易に伝えることが可能な「形式知」と、経験や特殊な文脈と絡んだ「暗黙知」とに分ける考え方があるが、活字情報などのように広く一般化される情報というものは、いわば「形式情報」だと言えるのかもしれない。
そして、波風に富み、山あり谷ありの問題が多いビジネスにおいては、到底「形式情報」レベルの情報だけで事足りるはずはないだろう。苦節何十年とは言わないまでも、じっくり腰を据えて試行錯誤してきた経験と、そこから芽生えた「暗黙知」のような「暗黙情報」こそが強い味方となるのではないだろうか。
が、そうした「暗黙情報」こそは、当該の特殊専門領域関与者から離れて一般人や門外漢に伝わることはまずないと思われる。この点をこそ軽視してはならないと思うのである。つまり、「形式情報」が得られたからといって、それで他分野、他業種への「新規参入」が可能だと考えるのはあまりにも早とちりに過ぎるということなのである。
まさか、そうしたことをイージーに敢行している経営者はいないとは思われるが、これと似たようなことは頻発していそうだ。
今、書店に行けば、PC関係の書籍は山のように見受けられる。そして、「いきなりやれる……」とか、「あなたも今すぐに……」とか、門外漢を当該対象にイージーにチャレンジさせようとする触込みの本も多い。また、素人ほど、知らないがゆえに怖いもの知らずであったりする。そして、この組み合わせの中から「予想外の悲劇」が発生したりする場合もある。以前、PCの組み立て教室などをやっていた時にも、無謀なお客さんはいたものだったし、そこで引き起こされたハプニングにも警戒しなければならなかった。
さまざまな情報が、それぞれ垣根を持っていた特殊な領域から、日常生活の一般的なフィールドに見境なく流れ込むのが「ボーダレス」社会の情報環境である。それは「情報公開」とも表現され拒むことではないのだが、問題は、それらをしっかりと吟味して、ふさわしい活用をすることが重要なのだろう。
しかし、現状は、ビジネスやPCなどの技術に関した領域のみならず、さまざまな領域で、表面的な情報が一人歩きするがゆえのハプニングが発生しているかのようである。かつては、玄人筋が多くの経験を踏まえて、その危険も熟知した上で、つまりそれなりの付帯事項を付けて、あたかも隠語を使うようにして口にしていたような情報が、何の経験も前提知識もない一般的門外漢にイージーに流れ出し、わかったような気分とさせた上に、そしてアブナイ行動を誘う、という構図が気になってしょうがないのである。
昨今多発しているかに見える「青少年の犯罪」「素人(?)っぽい犯罪」も、どうもこの文脈で考えてみる必要が大いにありそうだと感じているのだが…… (2003.08.01)