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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2003年12月の日誌 ‥‥‥‥

2003/12/01/ (月)  万事、「敵」に対するしたたかな想像力が重要?
2003/12/02/ (火)  「テクノロジー」を選ぶか、ノー・サンキューと言うかの緊張感!
2003/12/03/ (水)  「テクノロジー」が果たしている現状の役割りを……
2003/12/04/ (木)  市場の「表層剥離」に耐えられるようでありたい……
2003/12/05/ (金)  物忘れで悩ましい老いたカラス……
2003/12/06/ (土)  身体と身体が果たす役割に熱い関心を向けたい!
2003/12/07/ (日)  「大義」という言葉が飛び交う時代の言葉の問題!
2003/12/08/ (月)  何のために書き、何を書くべきかということ
2003/12/09/ (火)  ビビッドな「人生」というものからは程遠い内実……
2003/12/10/ (水)  君行きたまうことなかれ ああ 若き隊員よ、君を泣く 君死にたまうことなかれ……
2003/12/11/ (木)  スケールに劣るファイターが勝つための視野!
2003/12/12/ (金)  分(ぶ)の悪さにめげず、「深慮遠謀」をめぐらすこと!
2003/12/13/ (土)  事務所移転を、新しい挑戦への転機としたい!
2003/12/14/ (日)  「考える」ことは、柔軟な「アナロジー(類推)」機能に負うところが大!
2003/12/15/ (月)  昨日は、情勢変化の「節目」の日?
2003/12/16/ (火)  人々の意識という人間世界の根っこ!
2003/12/17/ (水)  「身近」な関係でこそ立ち上がる愛と憎悪の二極構造……
2003/12/18/ (木)  現代人の心と身体の「病」には、職人作業、職人修行が秘薬!
2003/12/19/ (金)  プロジェクトの特質と、リーダの「気遣い」!
2003/12/20/ (土)  住宅地的な生活の雰囲気が目に入る方が感覚が狂わなくていい!
2003/12/21/ (日)  小さな女の子がくれた、すがすがしい小さな感動!
2003/12/22/ (月)  沈黙、孤立、自己清算の行動スタイルからの脱皮!
2003/12/23/ (火)  「気難し屋」の、「段取り」家の、「職人気質」の職人作業?
2003/12/24/ (水)  「突然の変化」に対応するに、お札(さつ)をばら撒くとは……
2003/12/25/ (木)  イルミネーションだけが華やかなクリスマス……
2003/12/26/ (金)  ズタズタにされた「共同性」と「関係力」の再構築!
2003/12/27/ (土)  風 風 吹くな しゃぼん玉 とばそ!
2003/12/28/ (日)  自分との違和感を禁じえない「皮」ははいでゆく?
2003/12/29/ (月)  好きになりそうな気がしている……、そんな街!
2003/12/30/ (火)  甲殻類が嫌いだと、じんましんまで引き起こすかどうか?
2003/12/31/ (水)  「情報(化)社会」が必然的に見過ごす「感動」というもの!






 昨今、「ピッキング」犯の横行が話題となっている。
 先日も、自宅近所の家々がこぞって「防犯用自動点灯装置」を取り付けていることを書いた。いろいろと工夫を凝らすことは必要だと思われるが、実のところどの程度の防犯策を講じれば安全なのかが今ひとつわからないところである。

 今、事務所移転で移転先のフロアーをあれこれと手直ししているところであるが、美観上の問題もさることながら、やはり防犯上の対策が重要だと思っていろいろと手を打っている。
 現在までの事務所はビル全体がセキュリティ対策を施した環境であったので、個別のテナントが気を使う余地はなかった。まあ、その安心の部分が安くはないテナント料に加算されていたわけではある。
 だが、移転先は、自衛的対策で臨まなければならない環境なのである。

 今日、鍵の専門店の業者を呼んでいろいろと現場を見てもらい、いろいろなアドバイスを受けた。
 結構、話し好きな業者であり、あれやこれやとその道の裏話なども聞くことができた。話を聞きながら思ったことは、やはり「敵を良く知る」ということであっただろうか。
 ショップ経営をしていた頃にも、近所に泥棒が入ったとのうわさを聞き、路地に面した窓に「鉄の桟」を取り付けてもらったことがあった。その際、業者から聞いた話では、「奴らは、シゴト時間が5分以上かかるとみたら手を出しませんな」ということだった。侵入するのにいかに多くの時間がかかるかと懸念させるということが必要なのであり、それが防犯対策のすべてだということなのだそうだ。
 今日の業者も同じようなことを指摘していた。
「彼らは、一つ、二つ程度の道具しか持ち歩かない。だって、泥棒でございと言わぬばかりの数の道具を所持していたら、不審尋問されたら終わりですからね。」
 確かにその通りなのだろう。そこで、ドライバー一本程度と「ピン」などを隠し持ち、それで勝負しようとするから、そうしたもので何ができ、何ができないか、また短時間で可能か、長時間を要するかなどを勘案して対策を講じることが大事だと言っていた。
 しかも、鍵を使用せずに「鍵穴」を攻略する「ピッキング」というのは、結構難しいもので、安定した足場で、
「正しい」姿勢で臨まなければそうそう成功するものではないということらしい。不安定な足場で、腕だけを突っ込んでピンを操作するという環境では長時間かかっても成功率が小さいという。だから、そうした条件があれば撃退策となるらしい。
 また、もちろん彼らは「安全なシゴト」を望むため、「人目に触れること」を極力恐れるということであった。通りから見通しの良い箇所からの侵入はまずあり得ないということなのである。むしろ、彼らにとっての「隠れ蓑」を提供するようなことをやってしまっている場合が意外と多いとも言っていた。例えば、窓にカーテンやブラインダーを取り付けるのは、プライバシーの点からいわば常識化しているわけだが、それらは、一瞬で侵入する泥棒たちにとっては、中に入ってしまえば逆に外から発見されないでシゴトができる好材料だというのである。言われてみれば確かにそうだと思われた。近所の人やその他の人目にさらす部分はさらして、泥棒たちの危険度を増すことも重要だということになるのだろう。

 マーケット・リサーチではないが、相手方のニーズやその固有な状況をじっくりと調べ、可能な限りの想像力も働かせるということが、セキュリティ問題でも欠かせないということなのだろう。
 唐突ではあるが、イラク問題に関しても、「テロに毅然として立ち向かう」という硬直した姿勢だけでなく、テロに加担する者たちがどんな歪んだ心境でいるのかを想像すること、そこから合理的な選択をすることも必要ではないのだろうか…… (2003.12.01)


 真っ青な空を背景に、まちまちの色合いで紅葉した銀杏並木の木々が目に映えた。行き交うクルマもほとんどなかったため、しばし小さな感動を抱きながら運転した。通勤途中のことである。確か、例年ならば、全体が一律に黄色に変わるところだったかと思ったが、今年はまるで山の雑木林の紅葉のように、残り少ない黄緑も含み色とりどりの美しさとなっていた。そこに、澄んだ朝日の光が降り注ぎ、久々にカメラ好きの心が刺激されたものだった。
 そんな、自然風景の鮮やかさに目を奪われながら、胸にふつふつと浮かんだことは、こんなに魅力的な自然を、便利さの名のもとに「テクノロジー」で置き換える必要はない、という唐突な思いであった。

 昨日、NHKは、TVのデジタル化の部分的実施開始ということで、デジタル化を初めとしたTVの「ユビタキス」環境づくりなど、近未来の発展的展望を報じていた。たまたま、遅い夕食をとりながら見ることになったが、見ていてどうも居心地が悪かった。「何か違うのじゃないか」という不満が消せないでいたのだった。
 その時、家内が気のきいたことをつぶやいた。
「見れる番組もないのに、よくやるもんよね」
 実にその通りなのである。たとえば、今、NHKの番組で待ち遠しく思わせるどんな番組があるというのか。好き嫌いだと言ってしまえばそれまでだが、一頃に較べると番組の内容がお粗末への一途をたどっているとしか思えない。日曜日の時代劇大河ドラマにしても、今年の『武蔵』は何と緊張感を生み出せない体たらくとなっているのだろう。どこが悪いといって、脚本からキャスティング、そしてカメラワークまですべてが薄っぺらな印象が拭い切れないでいる。何を訴えるかはさておき、作品の迫力というものが感じられない。
 一つだけ言っておけば、NHKの関心は、一つの番組を作品として完成させてそれで視聴者を感動させるという本命にあるのではない、と思われる。民放と同様に、視聴率を稼ぐことに目を奪われ、やたらに人気者とされるタレントをキャスティングする悪癖にとらわれているようだ。それがかえって、作品全体の統一感というか自然な流れをギクシャクとさせ、モザイクふうのばらばら感をうみ出してしまっている。

 いや、今ここで書きたかったことはそんなことではなかった。TVが、技術的メディア方式の「高度化」ばかりへとひた走るのに対して、本筋の課題とは、番組自体のコンテンツの質の向上ではないのか、という点なのである。
 そして、同様に、今、この現代に最も必要なことは、「テクノロジー」でできるさまざまな「目くらまし」的な「忍法」なのではなく、人間そのものの可能性を、高めるというより豊かにできるためのコンテンツであり、TVでいえば番組の濃い内容だということなのである。

 私の脳裏にふとわけのわからない言葉がよぎったものだった。
「テクノザル!」
 世界のITテクノロジーを駆使した小型製品に埋もれ、人間的にはますます華奢で貧弱な力量と、相貌を持ち、動物的な個体性(「超」個人主義!)を剥き出しにしながら、内側の空洞を外部の安直なIT製品で必死に埋めようとあえいでいる「テクノザル!」の群れ。
 もうそろそろ気づかなくてはならないのかもしれない。「テクノロジー」の生活環境化は、人間生活にとって「中立的」だと考えるのは楽観論であること、生活環境を「テクノロジー」で置き換えていくことは、「多くを失う可能性」も、またあるということを。

 人生の助っ人として「テクノロジー」とその具現化された諸々の製品群を、無造作に招き入れている国民は、日本人、米国人を除けばそんなに多くはないのではないかと、ふと思ったりした。少なくとも、「街並み」「街の景観」などをことさら重視するユーロでは、「テクノロジー」を選択すべきか、ノー・サンキュウーと言うべきかの緊張感を維持させているのではなかろうか…… (2003.12.02)


 生きて生活しているかぎり、頭の中には関心事から懸念事項までいろいろな事柄が並存し、ひしめき合っている。思いつくかぎりで順不同に列挙してみると……

・祖父が孫を散弾銃で撃ち殺し、自殺した事件。「もっと勉強しろ」との祖父の小言に対して、「うるさい、もういい加減に寝ろ」と孫が叫んだことに端を発したとか。

・米軍がイラク北部で市民を巻き添えにした激しい銃撃戦を行なったこと。

・小泉政権の現閣僚たちが、自衛隊のイラク派兵に積極的見解を示したこと。

・石原都知事が、自衛隊イラク派兵に賛成するどころか、イラクのテロ集団を「強い日本軍によって殲滅すべし!」と言ってご乱心ぶりを上塗りしたこと。

・大江健三郎氏が自衛隊イラク派兵に「怒った」こと。「小泉首相は兵士を派遣することがテロとの戦いだと思っているが、それは米国が取り組むべきこと。イラクへは純粋な人道的援助を提供するにとどめるべきだ」「派遣は開戦当初から決まっていた。小泉首相がブッシュ米大統領に無条件に従うと決めたからだ。だから私は怒っている。戦後半世紀あまりの中でも、日本がこれほど米国追従の姿勢を示したことはない」

・知人が、玉川温泉から、温泉の湯を10リッター贈ってくれたこと、癌と闘っている知人に差し上げたら喜んでいたこと、癌を身近に考えることのできることが貴重だと思えること。

・インターネットを通じて拳銃を10丁も購入して摘発された者がいたこと。

・マイカー通勤はラクではあるが、ふと、個人空間ばかりを増やすことがいいことかと懸念すること。今、多くの人にとって必要なことは他者とも接触(対話)することだろうと思うこと。クルマ、ケータイその他「テクノロジー」は、確実に楽観論に立つ「個人化」を推進している?

・相変わらず、自分たちのビジネスの今後に、意欲と思い煩いの双方が錯綜すること。「過激化」するビジネス環境にあって、自身のポリシー、フィロソフィーを失わずにやっていく方法はどのようにあるかという課題。

・当社の事務所移転に関する煩雑な作業に関する心理的負荷。

 ざっと思い当たるものだけを書き上げたが、次のようなことに思いが至った。
 その一つは、現代人(ここでは自分のこと)の思考の特徴に関しているが、@やはり、マス・メディア情報が大半となっていること、A関心を向ける事象の前提には、自分側に漠然としたフィロソフィーないしは思いがあるらしいということ、B考えてみれば、かなり危険な時代趨勢にあって、われわれはいつでもどこで「加担」できてしまうグレーゾーンに置かれて生きなければならないこと、など。

 もう一つは、現時点の世相の特徴についてである。やはり、現在は「一触即発」的な極めて危険な状況が広がっている、と見ざるを得ない。
 筆頭に書いた「祖父と孫」事件が何か暗示的な気がしてならないでいる。さまざまな原因によって、人々はフラストレーションを充満させ、そして孤立している。また、人と人との関係も安定した状態を失い、ギクシャクとしている。
 しかも、「祖父」の「散弾銃」が象徴するように、暴発的行動をエスカレートさせてしまうようなさまざまな「武器」が「普及」してしまっていもいる。
 最悪の地獄絵図を実現してしまう可能性が、全然封じ込められてはいない状況が、漫然と広がってしまっているのだと見える。これは、国内と同時に、イラク問題に象徴される国際問題もまったく同じだと言わなければならない。大国が垂れ流した過剰な武器・弾薬が、無造作にテロ集団の手に渡ってしまっている現実のことである。
 そして、人間関係を軽視してIT機器に専ら依存するのと同様に、人間と人間との折衝を放棄して専らハイテク武力に依存する米国の異常さが、中東に無数の数の「祖父」たちを生み出しているとたとえられそうだ。

 今、この国が決定的に「歪んでいる!」ということだけは確かな事実だと思う。それをカモフラージュする多くのモノ・装置が、「テクノロジー」の駆使によっていることもジックリと見つめたいと思っている。あらゆる武器が、「テクノロジー」の一つの必然的帰結であることとともに…… (2003.12.03)


 過去の書類を整理していると、懐かしさが滲むよりも、奇妙にも漠とした恥ずかしさが込み上げてきたりする。かつての自身の「仕業」が、時間の経過によって客体化され、自画自賛の思い入れなどが消し飛んで、容赦なく曝されるからだろうか。視点の定まらない安直な思惑などが透けて見え、そんな感情が込上げてきたりするのだろう。

 事務所移転のために、廃棄するものと残すものという荒っぽい仕分けをやらざるを得なくなってのことである。整理・整頓がめっぽう上手な社員のプレッシャーをかけるような目つきに促されて否応なくやっている。

 書籍の整理も大変ではある。その都度の問題意識に沿って購入したものや定期講読の雑誌類で壁が見えなくなっている。それでも、インターネットを常用するようになり、関心事の資料がデジタル・テータ化されたため、幾分は嵩張らなくて済むようになった方なのである。
 しかし、より煩雑なのは、日常業務の過程でその都度処理せずに「積んで」しまったドキュメント類や、研究・企画関連の書類などである。数字や、個人情報や、その他機密情報的なものがバラついて入っているため、目視チェックが必要となるからだ。まさか、ダンボール箱何個もの量をすべてシュレッダーにかけるのも大変である。こうして、棚の下などに保留状態で格納していた書類の束をチェックしていくことになったのだ。

 目を通していて感じることは、自身の行動様式である。行動様式などと恰好をつけた言い方をするのは、自身を贔屓目に見ようとするあさましさのせいかもしれない。贔屓目の視点によるなら、その都度その都度、「次のステップ」に時間も労力もすべてをかけようとして、後日のことは後回しにする姿勢がありありと表れていると言える。
 確かに、考え、アイディアというものは、短時間に処理していかなければならない面があることは実感している。勢いがそがれるような間接的ステップを踏んでいると考えの流れが中断し、そして霧消してしまう気がしないではない。だから、後日のために、多少の時間をかけて整理するというようなことは、最小限に留めてしまうことになってしまう。 本来を言えば、後日の思考活動を支援するような、そんな切り口にまではきちんと総括して整理しておくべきなのであろう。たとえそれが当人の思考成果ではあっても、時間の経過は容赦なく忘却をもたらし、細かい部分を風化させてしまうものであるからだ。要するに、「なぜ、こんなことを判断したのだろう」「なぜ、こんなことを考えたのだろう」という疑問のみが、後日喚起される場合は決して少なくないのである。

 贔屓目の視点をはずした、こうしたいい加減さが先ずは恥ずかしい部分のひとつなのである。そして、このだらしなさが、次の恥ずかしさへと繋がっていくことになる。つまり、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」のつもりであったのだろう、いろいろなことに手を染めながら、いずれも根っこが貧弱に終わっている印象を拭い切れないということである。愚鈍ささながらに継続しつつ、深く、太い根を培うというありうべき経過の形跡が見てとれないのである。
 一般的に、ビジネス活動とは、主体側のアクションと環境側の状況との「タイムリー」な「マッチング」が重要な要素なのだと思われる。前者に傾き過ぎても、後者に拘泥し過ぎてもまずいはずである。
 が、この構図の形骸化こそは、「目先主義」を助長して、「場当たり的」な根無し草のようなビジネス活動を粗製濫造するのかもしれない。自分自身も、この轍にしっかりと嵌ってきてしまったという恥ずかしさが、しみじみと滲みあがってくるのである。

 現在、多くの企業は遠い将来のことよりも、今日明日の売上と生存に関心を注がざるをえない状況にあろうかと思う。米国流の短期決算方式が主流になりつつあることを思えば、なおのことそういうことになろうか。
 しかし、地下深く、太い根を培わなければ、表面の土砂、地層が、滑り剥がれていくような事態が起こらないともかぎらないような気もしている…… (2003.12.04)


 小学校の校舎のてっぺんで一羽のカラスが下を見下ろしていました。晴れた冬の朝です。校庭にはまだ子供たちは誰も来ていません。季節が夏なら、サッカー好きのわんぱく坊主たちが走り回っていたのに、もう師走ともなったこの時期には、誰も遊んでいません。
 校庭の脇には川が流れていて、その両サイドには遊歩道が走っています。元気なおじさんも走っています。ウォーキングをしている人もちらほらいるのが、カラスからは見えました。自分と同じ黒尽くめのスポーツウェアを着込んだ人が、手に重そうなモノ(鉄アレー)を握って、せかせかと歩いているのも見えました。
 カラスは、ふと、若い頃の自分を思い出したりしました。

「若いときにゃなあ〜、いろんなことをしたもんだ。なんせ、オイラたちはどういうもんか好奇心が旺盛なんだよな〜。ゴルフ場で黄色い蛍光色に塗ったゴルフボールが打ちあがった時、キラキラ光るそいつがたまらなく欲しくなったもんだった。で、そいつが転がり落ちた時、すかさず羽ばたいてかっさらってやった。ところがだ、ありゃ結構重かったのさ。
 あれっ、何でオイラ、こんなこと思い出してるんだ? あっそうかそうか、あの黒尽くめの奴が何だか重そうなものを持って歩いていたのを見たからだったんだよな。どうも、いかんな、歳とったせいか、物忘れがひどくなってしもうたわ……

 あれっ、川で何やら蠢いてるぞ? なになに? なんだ、いつものヤツらか。この寒い中、冷たい水に浮いて身体を冷やして平気なヤツの気がしれねぇよな。信じられねぇよ。ホントにヤツらは…… あれっ、ヤツら何と言ったっけかな。確か、オイラと同じ『カ』がついたかと思ったが、何だったっけかなあ〜。まてまて、慌てちゃいかん。カ、カ…… 『カキ』じゃない、あれは甘くてうまいものだったし、『カメ』、いやあれは脅かすと首引っ込める変なヤツだった…… ええーっと、カ、カ、『カモ』かもしれないか? いや、カモカモじゃなくて、カモだ。いやはや、モノの名前を度忘れする情けない歳になっちゃったもんだよなあ〜。
 特に朝はいかん。老いと寝ぼけがミックスしちまって、言葉がうまく出てこんわ。すっきりと出てこんから、どうも昨今は首かしげる頻度が多くなっちまったか。

 しかし、それにしても、ヤツらはぶざまな声で鳴くもんだよな。『グェ、グェ、グェ』だとさ。ありゃ、日本語じゃねぇやな。ドイツ語か? よかぁ知らねぇけどさ……
 そこいくとなぁ、オイラたちゃあ、明るく明朗な声を出すのが自慢だわな。こうした冬の澄み切った空の朝に、実にお似合いの声だってことよ。ちょいとここから、ヤツらに、見本を見せてやるかな……
 ウーム……? ウーム……? おいおい、ちょっと待ってくれよ? どう鳴くんだったけか? そいつを忘れるほどじゃあねぇはずだよな…… きっと変に構えたからいけないんだ、落ち着け、落ち着け…… あっ、そうだそうだ思い出した、思い出したよぉ。こう鳴くんだったよな。
『マァー、マァー』
…………? ちょっと違うような気もしないではねぇな。何か変みたいだな? そうだよ、そう言えば、人間どもが喧嘩してる時に、こんなこと言って両手のひらを下向けて間に入る者がいたっけかな…… だから違う…… あっ、そうか、そうだ、
『ハァー、ハァー』
…………? どうも、これも違うか? 何か気のせいか息苦しくなってきたしな、じゃあこれか?
『サァー、サァー』
…………? 何だか来客を迎えいれてるみたいに聞こえないか? お茶すすめてるようでこんな感じじゃなかったようだな…… とすると、
『ナァー、ナァー』
…………? これじぁ、何かをせがんでるっつうようでおかしいよ、おかしい! とすれば、
『ヤァー、ヤァー、ヤァー』
…………? 違う! 違う! これじゃビートルズだってぇの。
 えっ? 待てよ〜、何でオイラこんなことで悩んでるんだったけかあ? え〜と、え〜と、そうだそうだ、ヤツらに鳴き声っつうもんの手本を示そうとしてたんだ、うむ。で、あれっ? ヤツラの名前は何っていったんだっけか? やだやだ、もう忘れてるよ。確か、『カ』がつくはずだったのはいつも思い出すんだよな、そこまではよかったはずだ。
 『カ』、『カ』、『カ』…… 何だったっけかなあ?…… 『カ』、『カ』、『カー』、『カー』、『カァー』……? そうだ、思い出した! あー、良かった。
『カァー、カァー、カァー、カァー』」

 カラスは、何がうれしいのか、校舎のてっぺんから大きな声で鳴きながら嬉々として飛び立って行きました…… (2003.12.05)


 事務所移転のため、書籍の整理と段ボール詰めの作業にいよいよ傾注することとなった。書籍の整理は他人に任せると後が大変だからである。昨晩も遅くまで、分類と箱詰めに、神経と体力を消耗させた。
 そんな中、奇妙なことに気づいた。自宅へ戻って、書斎に入った時、いつもなら事務所以上に散らかっている書籍を眺めると思わず生理的な嫌気を催すところが、思わず手を差し伸べてかたづけようとしていたのである。はっ、と感じたものだった。
 根(こん)をつめてやる作業を続けると、頭も身体もその「モード」の体勢と耐性とを作り出すんだなあ、と実感を深めたものだった。

 「食わず嫌い」という言い得て妙な言葉がある。やや異なるが、そいつを再認識したような印象を持ったのだった。こんなささいなことで大げさではあるが、物事、頭の怠惰な感触だけで事を進めてはいけない、同時に身体をも使って、対象や環境に溶け込むかたちで対処すべきだと、ふと思ったのである。
 こうした背景には、現代はとかく頭の働きと、それに引き回された感覚だけが大手を振っており、身体の所作や身体で体感されたものが極めて軽視されている風潮が強いと考えるからだ。まさしく、養老孟司氏の「脳化社会」が提起する重要な問題点である。

 「身体で」という視点が、脳を使った「情報操作」の作業と較べられ、あるいは暗黙のうちに、低い作業、忌むべき作業と見なされているのが現代であるようだ。
 しかし、その弊害がいたるところで生じているのもまた現代の歪んだ一面のように思われる。そもそも、人間関係の実体とは、単に文字化された情報の交換のみで成り立ってきたわけではなく、身体全身を使った所作をも含む、広い意味での情報、文化によって維持されてきたはずであろう。
 たとえば、無意識に行う会釈や微笑、何気なく差し伸べる支援の手、その他もろもろの所作が日常生活を大なり小なり支えてきたはずなのである。そして、それらは、礼儀というにはおこがましいほどに、ごく自然な身体の動きであったりしただろう。
 さらに、ちょっとした危険回避の動作にしても、生活の過程で自然に身につき、それらがいざという場合に効果を発揮してきたと考えられる。また、喧嘩にしても、日常的なささいな取っ組み合いの兄弟喧嘩や、近所のガキ同士の小さなゴタゴタなどで身体を使って覚えたはずである。どう殴ればどうなって、どう蹴飛ばせばどうなるか、どうやられればどんなに痛いかも体感したはずである。相手を泣かせば一応の勝ちとなる暗黙のルールも学んだことだろう。サル山のサルとまったく同様になのである。

 こうした「身体で」という情報収集行動がめっきり弱体化させられてしまったのが、現代「脳化社会」なのであり、身体と身体が行うべき役割りがまさに蔑視されてしまっているようだ。
 「心」とは、脳の働きの一部であると考えるのが一般的であるが、私は、「心」が「内臓」に起因すると主張する著作に関心を持ったりしている。さらに言うならば、身体全体が「心」のボディなのではないかとさえ信じようとしている。それはまあともかくとしても、「心」が現代にあっては、はなはだ心もとない位置付けに追いやられており、その結果とも思われる「人でなし」現象が頻発しているのは、身体と身体が果たす役割というものに、正当な目を向けない現代の大きなミス、なのではないかと感じているのである…… (2003.12.06)


 「ヤスオ」という名であることを恥じるような、ある会社の会長がいて(盗聴事件!)不愉快に思っていたが、田中ヤスオ長野県知事が相変わらず張り切っているので、まあいいかと……
 今朝も、TV番組、テレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」(「……自衛隊派遣の『大義』……」)で、田中知事の透明感ある立論は他の出演者に比して輝いていた。もっとも、石原都知事や石破防衛庁長官などの出番時には忙しさにまかせて他のことをしていた。石原氏については、もはや公職の任に堪えられないほどの荒ぶれようだと常々マイナス評価をしているし、石破氏はどこか防衛オタクのようでアブナイとの印象をが拭い切れないでいたため、日曜日のすがすがしさを汚したくなかったとも言える。

 ただ、石原氏が小説家であることを自負してか、勘違いしてのことか、混迷のこの時期には政治家の「言葉」が重要なのだと、わけのわからないことを言っていたのには驚いた。要するに、彼特有の大時代な「英雄史観(?)」に根ざした英雄個人の「言葉」「判断」が欲しいというのであろう。もちろん、自衛隊派遣推進であり、テロ集団「殲滅!」という論調に変わりはない。見ていて私は、つぶやいていた。
「あなたは、とっくに小説家などではなくなった。あなたが言う『言葉』とは、そうした筋のものであり、そんなものならばとっくに死滅しているさ。だからあなたは、常にイライラしてワケのわからないことを言うんだね。自衛隊に関して言えば、まだあの三島由紀夫の方がはるかに(愚かな)人間らしさがあったと言うべきだ。とにかくあなたの言動からは、時代の新しい息吹なんぞ微塵とも感じられない!」

 年齢、世代の違いもあるのだろうが、田中知事の見解は生き生きとしていた。もちろん、自衛隊派遣には反対なのであるが、わかりやすいアナロジーを示していた。
 現在のイラク問題をめぐる混迷は、ちょうど登山で七合目、八合目に来てルートに迷っているようなもの。山で道に迷ったら、とにかく元の地点まで戻るのが常識。ここまで来てしまったのだから敢行すべきだという気持ちに流されるのはリスクが大きすぎる。イラク問題に関する日本の選択に関しても、ここでの選択に迷うのならば、米英両国によるイラク進撃を支持してしまったことにまで戻って再選択すべきではないか、と。

 ところで、なにごとにせよ『大義』を問う風潮が生まれるということは、そもそもその当該対象に「意義」が見出しにくい雰囲気が支配し始めているからだと考えられる。暗黙の認識、承認が健在であれば、あえて『大義』など問題にならないはずであろう。いや、むしろ、それが見い出し難くなってきた時にこそ、「その『大義』はなんぞや?」と叫ばれるのである。
 田中知事は、そうした文脈を指摘するかのごとく、今、自衛隊派遣をめぐって展開されている論調に感情論、情念論が入り込み過ぎていて危険であり、聡明な言葉と冷静な思考・思索こそが必要だと、まさしく額面どおりの小説家にふさわしい発言を展開していたのである。
 福田官房長官が、「危険と言うなら、国内でも交通事故死もあるし……」と言った例などを挙げ、政治家たちが、彼の言うような言葉を失ってしまっていることを指摘していた。確かに、高校のディベート大会での詭弁のように聞こえた小泉首相の発言を何度も聞いた覚えがあるし、まして、ブッシュに向けた顔はあっても、国民に向けた顔を持たないからなのであろうか、自衛隊派遣に関する国民への説明責任の言葉が皆無である。政治家たちは「行動」が本命だと聞いたこともあるが、それじゃ体育会系ではないか。まして、その「行動」が選挙違反の買収工作だったりすれば開いた口がふさがらない。
 田中知事の語りの中に「政治家が市民・国民の意識を覚醒する」というくだりがあったが、今どきそんなことは望むべくもない実情であろう。

 しかし、言葉は、小説家や政治家にとってだけの問題ではないと思われる。現在、言葉の空洞化、自分自身のものではない言葉の浸透によって、現代人たちの日々の思考が台無しになってしまっている現実に目をむけないではいられない。自分自身にふさわしい言葉を回復しながら、おかしくなってゆく世界と向き合う以外に道はないのかもしれない…… (2003.12.07)


 日誌として綴るとなると、毎日という義務感めいた気分が支配的となってしまう。そうすると、とにかく書き上げるのだという作用が働き、書きやすいものを書くというワナに陥りがちなのかもしれない。むしろ、漠として気になっているのだが、実のところ表現しにくい書きにくいといったものをこそ、腰を据えて書き出す、そんな挑戦姿勢が欲しいわけだ。
 しかし、当然のことながら、日常生活の常態では、どうしても時間や労力を勘案してしまい、「巧緻拙速(こうちせっそく)」(「巧緻は拙速に如かず」できがよくても遅いのは、できがまずくても早いのに及ばない、の意)に流れがちとなる。今の世の中の基本原理であり、典型的にはビジネス原理である「効率性」が、どうしても日常行動でもリーディング・ポリシーとなってしまいがちだということなのである。

 ところで、最近ますます何のために書くのかが明確になりつつあるような気がしている。抽象的に言うならば、自分が自分であるためだとも言えるし、あるいは、マスメディアが垂れ流す紋切り型の言葉や発想に拘束されずに、自分に馴染む言葉で、自身からにじみ出る発想を見出したいからだと言える。
 自身で考えるとは、意外と大変なことなのだと思い始めている。通常、自分で考えているように思っている行為は、思い込んでいるほど「自身の行為」ではないように感じ始めている。ちょうど、型どおりの部品一切が商品となっているプラモデル組み立てに似ている。部品一式を購入し、所定の組立図にしたがって組み立て、あたかも何かを「創って」いるかのような臨場感を味わう、それと同様なことをしているのではないかと思うのである。
 考えるための部品一式とは、社会通念であり、マスメディアが日毎「恣意的に」垂れ流す情報群だと言える。それらを批判的に再加工するならばまだしも、「電子レンジでチン!」程度で済まして自分の脳をスルーさせて、自分で考えたつもりとなっているのが多くの人の実情ではないかと思っている。
 自身で考えるとは、社会通念やマスメディアの情報に自ずから「違和感」を感じるほどに、自分側のやむにやまれぬ固有な何かを持ち、それを基点としながらすべてを自分なりに「再構築」しようとするところに生まれる試行錯誤のことではないかと思うようになった。確かに、「偏屈者」だと思われてもしかたがない行為であろう。しかし、自身で考えるということは、まさにそうしたことなのだと思えてならないのである。

 そして、日誌を書くということとは、「自分側のやむにやまれぬ固有な何か」を日々の体験、行動を素材にして紡(つむ)ぎ出していくことなのかもしれない、と感じているのである。
 「千日修行」ではないが、あと数十日で日誌継続が「千日」となる。情けないが、ここまで続けてきて、漸く何のために書くのか、何を書くべきなのかがぼんやりとわかりかけてきた、という晩生(おくて)ではあった…… (2003.12.08)


 文章を綴っていて不思議だと思うことは、「立板に水」のごとく「自然」な筆運び(キー・タッチ?)となる時と、横板にとりもち、サイド・ブレーキをかけたままの走行といった重苦しい牛歩となる場合とがある。
 前者の場合に気がつくことは、意図的に何をどうしようという小細工が不必要で、極端に言えば天然水が湧き出るように思いの丈(たけ)が生じ、自分は「代筆」しているだけとさえ思える状況となるのだ。
 以前、このサイトにも掲載した小説もどきに挑戦した際にも同様なことを経験した。調子の良い時には、ことさら試行錯誤することなく、まさに「自然」にアウトプットされたりもした。もしかして、自分にはそんな才があるのやも知れぬ、という錯覚にさえ陥ったりもした。

 文章作成だけではなく、口述の場合も同じことが言える。
 ひと昔前には、しばしばセミナーの講師を仰せつかったことがあったが、私は臆病なためか、講義内容を事細かく準備するタイプであった。ところが、その準備した書き物に沿って、列車が軌道(レール)を走るように話している場合はつつがなく進行するのではあるが、今ひとつ盛り上がりに欠けたりした覚えがある。むしろ、ある箇所から、その書き物から離れてアドリブの話のステップを踏み始めるようになり、後段をはしょったりしなければならなくなった時の方が、受講者の反応は良かったりしたのである。
 準備した書き物に沿って列車を走らせるのではなく、何に遭遇するか不明のまま、あたかもクルマが草原の道らしきところを走り込むほうが、ビビッド(vivid)な口述となるのであろうか。その方が、人の思いの丈というものが伝わりやすいということなのであろうか。

 確かに、自然に思いつくままの文章作成や口述というものがすべて価値あるものとは思わない。「口を滑らす」といった不祥事に至りがちなことは、政治家たちの街頭演説などを思い返せば了解できるところである。
 また、「自然」に飛び出す思いというものは、脳裏にしっかりと刻まれた固定観念であったりすることもあるかもしれない。だから、「自然」な流れというものもあながち尊重すべきものだとは言い切れないかもしれない。
 しかし、それにしても、まるでレールを敷くように事前準備をして、その上を計画的に走るといったスタイルはどんなものかと思ってしまう。そのために駆使される、意図性、意識性、目的合理性というものが、確かさとの引き換えで何とも味気なく、また凡庸さにまみれてしまいそうな思いがするからなのである。

 思えば、われわれの生活は、あらゆる局面がレールを敷くごとく計画・準備されたプロテクトで満ち満ちている。それらをすべて取っ払えと無謀なことを言うつもりはない。しかし、そうした生活は、ビビッドな「人生」というものからは程遠い内実のものであることだけは肝に銘じておきたいと感じている…… (2003.12.09)


 もう、里山(さとやま)の熊や猪そしてサルなどは冬眠に入ったのだろうか。
 つい先だってまでは、冬眠に備えるためもあるのだろうか、人家のある人里にまで餌を求めて徘徊していたとも聞く。
 なぜ、彼らは人家のある田畑にまで危険を冒して出没するのであろうか? そうしては「猟友会」のオッサンたちの散弾銃で撃ち殺されたりするのは気の毒と言えば気の毒ではなかろうか。
 確かに、彼らには、人を襲う意図や悪意が当初からあるわけではなかろう。しかし、一度人間と出くわし、人間側が不測の反応を示すならば、彼らは自身が襲われると受けとめ、動物的な反撃に出ることは必定であろう。双方が望まぬ被害が発生することになる。

 もともと、「事態の遠因」をたどるならば、人間側が生物の「棲み分け」の原理を、傲慢な人間の論理で破壊したことに端を発するのではなかろうか。ディベロップメントという名の自然破壊である。それは、人間側にとってやむにやまれぬ死活の問題であるならばまだしも、自然を売りにした観光的な開発であったり、無計画な樹木伐採であったりという身勝手さに起因するものではなかったか。そのために、自然環境のみを拠りどころとする野生動物たちが、生命維持のための最低限の食餌にも困り、人家のあるところにまで危険な遠出をすることになったのだと考えられる。
 ここで、人間側があくまでも人間側のご都合主義の論理で対処していこうとするならば、悲劇は繰り返され、最終的には、「無くなって初めて知ることになる生態系」が消滅することになるのであろう。

 人里に近づいた動物たちに対しては、脅かさないようにすれば無事だということを聞いたことがある。さし当たっての「対処法」という話ということになる。動物たちも、最初から命懸けの闘いに挑もうとして人里に近づくわけではないから、そうだとも言えそうだ。そんな場合、彼らが脅威だと感じるような「武装」をしていたらどうであろうか。棒切れの類だとしておこう。「猟友会」のオッサンたちが持つような「殺意」はなかったとしても、「彼らの目」にはどう映るのかがポイントとなる。多分、野生の動物たちは、ただただ闘争本能を大いに刺激されてしまうはずではなかろうか。わが身を守るために、人間たちをかみ殺すことにも及ぶ可能性が高いだろう。

 人里に近づく野生動物たちのことを書いてきたが、言うまでもなく、論点は「自衛隊イラク派兵」をめぐる閣議決定の問題なのである。
 自爆を含むテロを行う者たちを是認するつもりは毛頭ない。ただ、野生動物たちの行動ロジックを振り返るだけで、今回の「自衛隊イラク派兵」が「狂気の沙汰」だとしか思えないのである。

 それは、「対処法」問題のレベルにおいても、間違っている。いくら、日本側が「復興支援」なのであって「戦争をするつもりじゃない」と言い張っても、そんな寝言が通用する状況なのかどうかを推測するだけでわかるはずだ。その論理の甘さは、頭が悪いから出てきたのではなく、「テロに屈するな」という綺麗事を言いながら「他人の命」を平気で軽視する非人間性に由来するものであることは明らかではなかろうか。

 また、事が、テロ集団であっても感情と考える能力を持った人間なのであり動物ではない点に目を向けるならば、「事態の遠因」の重さは前段の話以上に深刻である。つまり、米英両国主導のイラク攻撃、他国への侵略的攻撃という誤りの問題である。
 フセインが、核兵器を含む「大量破壊兵器」を持っているからとか、国民の人権を侵害しているとかの理由が声高に叫ばれたが、それで他国の侵略と一般国民、子供を含む大量殺戮が許されるのなら、ナチズムとの違いを論じることが難しくなろう。しかも、そうした理由ならば、既に北朝鮮がかねてから該当することは周知の事実であったが、その点はどうなのかということになる。要するに、米英両国の国益という動機が引き金を引いたのであり、「大義」などは付け足されただけのことである。

 「戦後復興」という言葉だけが一人歩きしているご時世であるが、イラクの現状は誰の目からみても「終戦の日」が訪れてはいない。米国自体、防衛の「新戦略」作成において、「戦争」の古典的概念は今や変質した、テロの時代にあっては、これらを含む広義の「戦争」概念を採用すべきだと考えたのではなかったか。「戦争」はイラクにおいては決して終わってはおらず、「戦後復興」の段階では決してないのであろう。
 だから、日本の自衛隊がイラクに行くのは、「復興支援」のつもりではあったとしても「派兵」されるのであり、米国が望んでいるのもそれに違いないのである。これが、客観情勢を踏まえた事態の事実だと思われる。

 今は、自衛隊の若い隊員たちに「正気の沙汰」を期待したいと思う。
「君行きたまうことなかれ
 ああ 若き隊員よ、君を泣く
 君死にたまうことなかれ……」
 (2003.12.10)


 事務所移転に伴う必要品を購入するために、とあるビッグなホームセンターに行ってみた。多摩センターに近い場所であり、まだ畑地も残っている広大な敷地にまるで工場のような建物と駐車場とがあった。中に入ってみると、その店内の広さに戸惑ってしまうほどである。街中にある通常のホームセンターに較べると、さながらドームで催される「何とか展示会」のような雰囲気なのだ。
 開店に伴い多くの従業員が雇い入れられたと見え、元気のいい多くの女性従業員が商品展示のためにカートを走り回らせていた。まさしく熱気が満ち満ちている。従業員たちの姿勢もきわめて親切かつ前向きである。購入したい商品の場所を尋ねると、
「表(おもて)に展示されているのです。いや、わたしが取ってきますからお待ちください」
ときた。そうした、積極的な人材をセレクトしたのではあろうが、想像するに、セレクトされた側の従業員たちも「勝ち馬」に乗れそうな期待感で思いっきり前向きな心境となっているに違いない。こんな時期ゆえにどこの量販店だって売上を渋らせているだろうし、リストラも継続しているはずである。そんな職場は自ずから、不安な雰囲気が充満し、機敏な接客行動も、忍び寄る不安感でブレーキがかけられてしまっているかもしれない。現に、売上の伸びの目論見がはずれて店舗の統廃合を繰り返している量販店に行くと、従業員たちの接客行動の「かったるさ」にこちらまで気分が消沈しかねないほどである。低迷している店舗の環境と拡大基調にある店舗のそれとはやはり大きな違いが見てとれるのだ。
 開店セールということもあるのだろうが、商品価格帯も概して低く抑えているようだった。なんせ、全国展開店舗であれば、大量の仕入れが可能であり、仕入れ価格は推測する以上にたたかれているに違いなかろう。普通の店舗が、競争上、痛みを背負って値引きするのとわけが違うだろう。

 こうした、やや郊外にできる大量仕入れ大量販売の「超」大型店舗は、価格が安く、加えて二度足を踏まなくて済むようにとりあえず何でも揃っているゆえに、多くの消費者たちが歓迎するところとなるだろう。このデフレ不況経済でますます所得が心細くなっている消費者たちは、生活防衛のためにも、より割安の消費に向かわざるを得なくなっているはずである。かく言う自分とて、そんな動機でその店に向かったのであるから……。
 ただ、こうした環境に足を踏み入れてみると、「巨大な仕掛け」を駆使するメジャーな「勝ち組」と、そして小規模ながら必死でサバイバルしようとするものの、「負け組」のエリアへとにじり寄らされてしまう弱小勢力、という「あの構図」を実感として突きつけられる気がしてならない。
 しかし、だからといって、うろたえたり、たじろいだりしてはいけないのがビジネスなのである。「スケール・メリット」をねらうビジネスだけがビジネスでは決してない。ビッグ・スケールはビッグ・スケールの立場としてその課題を抱えるものであり、また、スモール・スケールはスモール・スケールでなければ叶わない課題と可能性もあるからである。対照的な対岸の相手の姿を見て、愚にもつかないことを感じるよりも、自分らが置かれた環境の中で手付かずとなっている可能性としての「秘境」をこそ探り当てるべきだと考えている。

 ある人に言わせれば、ビジネスの原点は、「この国に無いものをあの国から持ち込み、人の役に立ち、あの国にないものをこの国から持ち込み、ありがたがられる」というらしい。この場合、地理的な相違だけが注目されているかのようであり、その限りでは、スケールに優る者が勝つかのようである。
 ただ、「もの」が「ある」「ない」というのが、地理的広がり、隔たりに関する「偏在」の視点だけで考えてよい時代はとっくに終わっているはずであろう。今や、「どこにも」「ない」ものがどうやって調達されるかが問われている時代のはずである。つまり、地球上のどこかから仕入れてくるのではなく、どこにも無いものを新たに生み出すという、発明、新企画などこそが、ビジネスの「価値ある種」だということである。この課題に関しては、スケールの優劣は無縁ではないとしても、決定的要素ではないはずなのであろう。
 やはり、せっかくの時代なのであるから、ここにしっかりと目を向けない手はないだろう…… (2003.12.11)


 日銀短観は、大企業製造業では三期連続の改善が見られ、1997年6月以来の高い水準であり、輸出の拡大による企業の業績回復や設備投資の増大から景気の底離れが確認された、と伝えている。ただ、輸出に依存する傾向が変わらないため、円高などを背景に先行きには不透明感も漂っているとのことだ。
 中小零細企業層での「景況感」は相変わらず低迷しているようで、まさに先行きは予断を許さない。

 仮に当面の利益水準が数字的には回復したとして、果たして現状の状態で継続的な景気回復へと這い上がってゆけるのか。楽観的に考えている人は以外と少ないのではなかろうか。かねてから指摘されている、少子高齢化傾向に伴う日本経済の構造的弱点は変えようもない。また、輸出依存から国内需要増大への転換は至難の業であろう。そして、現状のデフレ経済に加えた、年金制度、税制度などの改変は需要を萎縮させるに違いない。

 景気回復が始まりつつあるとするならば、今ひとつ、気になることがあるのは、産業界の人的問題である。これまで、企業は法人のサバイバルに躍起となり、リストラその他のあらん限りのラディカルで、ドラスティックな手法を闇雲に推し進めてきた。人事対策としては、「戒厳令」的な荒っぽさだったと言うべきだろう。従業員側も、サバイバルという「生死に関わる」レベルが当面の問題だと受けとめ、やる気や精神的問題、心の問題などの「負傷」レベルに関しては目をつぶってこざるを得なかったかもしれない。
 しかし、企業が安定した継続的成長・発展を目指す時、これらの人的側面の「損傷」を早期に回復するためにも、新しい環境にふさわしい制度づくりやルールづくり、そして組織づくりに着手しなければならないものと思われる。

 事務所移転に伴う書籍や書類の整理を行いながら気づいたことのひとつに、もう十年以上前のバブル時には、景気が良かったり十分過ぎる人手があったためか、全体的風潮として人事・教育問題はいろいろな角度で関心を持たれ、場合によっては余裕ゆえの冗漫な議論までされていたかもしれない。まあ、それはともかく、現在の「荒っぽさ」から見るとかなり「高度」で、行き届いた議論水準があったような気がしている。
 一体それらが、どの程度維持されているのかに関心が向くのである。
 長期的観点で、企業の発展を考えることがこれまでのこの国の企業の経営基本方針であったことは良く知られている。多分、そうした地道な路線で人材問題に腐心してきた多くの人事マンたちは、この間の「戒厳令」下でリストラその他の処遇によって蹴散らされていったのではなかろうかと推測される。
 新しい経済環境では、新しい人事制度なり、環境なりが必要なことは当然の話である。しかし、私の視野に入る限りでは、どう見てもこの現在の状況は「とりあえず体制」でしかないように思われる。中小企業レベルもそうだが、大企業といえども「リストラ恐怖」に寄りかかって従業員たちのモラール・アップをキープしているに過ぎないようにさえ見える。

 現在、売上に直結していく「営業」的活動に最重点が置かれている気配を強く感じる。そして、収益には直結しないと見なされているのか、あるいは経費をかける余裕がないという表れか、人事・教育的ジャンルは過小評価されている風潮が強い。まさに、「目先主義」の横行だと言える。
 翻って視野を広げると、この国の政治状況、外交関係自体が「目先主義」で貫かれているようにも見えそうだ。
 こんな時期だからこそ、企業でも政治領域でも「深慮遠謀」をめぐらす者たちが、分(ぶ)の悪さにめげずに声を張り上げる必要があるのだろう…… (2003.12.12)


 いよいよ事務所移転作業の山場を迎えることとなった。明日が運送屋に依頼した本番の日である。
 だが既に、この一週間は、久々に肉体労働に明け暮れてきた。社長だからといって「良きに計らえ」と言って涼しい顔をしていられないのが、零細規模会社のボスである。まして、人一倍本を抱えている立場でもある。
「社長、この際思い切って半分くらい捨てたらどうです?」
と小憎らしいことを言われたりしているので、本を守るべくせっせと箱詰めをし、移転先は近場でもあるため自分のクルマで運んだりもしてきた。
 加えてである、根が大工仕事がきらいではない性質(たち)であるため、移転先のビルのフロアーの気に入らない個所を修復したり、造作を一部改造したりと、とにかく動き回ってきた。
 ただ、この一年、毎朝の「パワー・ウォーキング」(鉄アレーを携えてのウォーキングをこう呼称する)を継続してきたためか、足腰の粘りと重いモノを運ぶ自信は十分についていた。また、疲労回復の早さも我ながら驚くほどである。一年前ならば、ちょいと激しい運動をしたりすると、翌日はまだしも翌々日あたりにどっと痛みが走ったりしたものであった。ところが、この移転作業の期間中、さほどの苦痛を感じなかったのである。歳のせいで、右肩が「五十肩」で痛むくらいだが、それもやがて自力救済するつもりでいる。
 今までに、仕事関係での、気を使うとともに文字通りの体力を使う山場には何度か遭遇してきたものだ。もちろん、システム開発関係での徹夜を含む集中作業や、合宿形式でのセミナーで徹夜学習に付き合うことなどは除いてである。
 事務所の移転も何度かはあったし、店舗開店の際も気力・体力の双方をかなり必要とするイベントであった。台湾のPCベンチャー・メーカーと晴海で展示会を行った際にもそれなりのエネルギー消費をしたかもしれない。
 ガランとした移転先のフロアーに一足先におもむき、一人調整作業をしていた時、ふとかつてのいろいろな節目の出来事を思い起こしたりした。肉体的には多少疲れてはいても、新しい節目に対する大きな期待とよぎる不安とが、何となく身を引き締めるようで、妙に緊張感が込み上げてきたりした。いつもそうであったように思う。また、思い返せばその節目というのが大体冬場であったりしたので、ガランとして冷え冷えとする空間がなおのこと実感を深めさせるのかもしれない。いや、そういえば沖縄にサテライト・オフィスを設けた時だけがダラダラと汗を流していたのを思い出した。

 国内、国外と、時代はとんでもない状況となっており、来年もその傾向は変わらない、そんなご時世だと思われる。こうした中での新しい節目なので、是非来年は気合を入れて挑戦と飛躍の年にしてゆきたいと考えている。体力に自信もよみがえってきたようだし、経営状態も底を打ったようで上向きの兆しが見えつつあり、いよいよ長い低迷から抜け出し何かを掴むことのできる転機の年であるのかもしれない…… (2003.12.13)


 環境変化には当然、日常慣れ親しんでいること以外の未知、不可知の事柄に遭遇する。大きな例で言えば、現在われわれが直面している時代情勢全体がそれにあたる。
 小さなことでは、事務所移転に付随するもろもろの作業でもそんなことが起こり得る。経費削減の観点から、できるだけ業者を頼まず「自前主義」でこなすことを目指すことに挑むと、「はて?」ということたびたび遭遇する。しかし、何でも業者任せ、他人任せにすることに較べると、「謎解き」「創意工夫」などをせざるを得ず、それがわれわれに知恵をつけさせて良い勉強になるとつくづく思う。

 パーテーションの接合部の分解にしても、本棚型金庫の運搬向け解体ににしても、専門業者にとってはどうということのない作業だろうが、素人にはちょいと頭を使わせる、そんな構造をしている。「はてはて?」と当該個所を、まるでシャーロック・ホームズか、お宝鑑定団よろしく、虫眼鏡があるならばそれを覗きこむごとく、撫で回すように観察しながら、集中力を発揮して「組木細工」のような構造を推理していくのである。
 そんなことをしていると、つくづく思うことは、これが「考える」ということの原点ではないかということである。「あっ、そうか」ということになるまで、目の前のどうにでも解釈できる対象を凝視しながら、「こうなっているのではなかろうか、いや、ここにこういうものがあるということは、こうさせないための手立てなのであり……」などと推理を深めていくのである。

 対象と直面して集中力を働かせている際にはそんなことは考えないのであるが、あとで振り返ってみると、「謎解き」作業の仕掛けは、対象側と自分側との密着した「協働」作業だということに気づくのである。確かに、具体的な仕掛けとヒントが対象側に存在することは疑う余地がない。しかし、対象側の仕掛けは誰にでもその構造を開けっ広げに「開示」するものではない。いやむしろ、「隠蔽」し通そうとさえする気配がある。
 では、それを解きほぐしていく手掛かりはどこにあるのかということになる。それは自分側の脳の働きだと言ってしまえばそれまでだが、その働きを構築したのは、自分自身のこれまでの類似経験による記憶や、それらの材料に基づく起こり得る可能性への触手の働きなど脳内の摩訶不思議な機能だと思われるのである。

 思うに、この人間側の「考える力」こそが何にもまして貴重なものだと、私は信じている。これこそが、ますます「未知なる領域」が拡大するに違いない激変の時代にとって必須の「能力」だと思うのである。
 しかし、この「能力」は、受験勉強をしたり机上での計算を詰めたからといって獲得されるものではないように受け止めている。むしろ全身的な生活の最中で、悪戦苦闘しながら試行錯誤する過程で培われるものではないかと推測している。
 一般的な生活の過程でどうして専門領域の「考える力」が身につくのか、むしろ専門領域の専門知識を覚えた方が効果的なのではないか、との疑問が出てきそうではある。しかし、それはまったくの錯覚なのであり、この国の教育はその大きな錯覚の上に築かれてきたのだと判断している。

 脳の不思議は、いや、「考える」ことの不思議というものは、柔軟な「アナロジー(類推)」機能に負うところが大であるのではなかろうか。つまり、Aのジャンルで学んだことは、Aのジャンルだけで役立てようとするのではなく、BのジャンルにもCのジャンルにも適用しようとする意図で記憶するのが人間の脳なのではないかと思うのである。常に、個別の対象や状況に拘泥してそれらと密着してしまう脳の働きが人間未満の動物たちの宿命だとすれば、人間たちは「一を聞き十を知る」ごとく、「一」で得た体験的知を「十」の範囲へと拡大してゆける点が優れたところだと思われるのである。
 そんなことで、極端に言えば、「考える力」をつけるためには対象を選ばず! と言ってもいいくらいではなかろうか。何をしてもその「力」を培うことは可能だと思われるのである。思えば、かつての大学における「教養課程」とはその真理を踏まえてのことではなかったのかと振り返る。

 そして、現在、相変わらずこうした「考える力」への注視を怠り、コンテンツだけはきらびやかに目に映える「専門知識」を旧態依然として「詰め込む」教育学習が主流をなしているかに見えてならない。
 この国の現在の大きな問題のひとつが、官僚機構の肥大化とその弊害があると言われるが、ほかにもいろいろと原因はあるとしても、「考える力」を軽視した教育制度、体制の持続が意外と大きな原因であるのかもしれない。
 引越しの最中でも、口幅ったいことを考えたりしているのである…… (2003.12.14)


 今朝はさすがに足腰が痛く、昨日までの重労働が思い起こされた。昨日が運送屋を頼んでの引越し本番であった。事故もなく、想定外のこともなく無事に終了できたのでホッとしている。
 しかし、登山で言えば登頂に成功したのはめでたいが、そのままヘリコプターで降ろしてもらえるわけではないのが通常である。引越し作業も、結局半分弱はこれからということになる。現に、今日は運送屋が積み残したダンボール箱やその他を、ワゴンタイプのマイカーで四往復のピストン輸送を行った。そして、幾分かの楽しみ半分ではあるものの、新フロアーの設置や、荷造りした荷の「解凍」作業など、残作業は山ほどある。

 ところで、昨日はまさに「節目」の日にふさわしい日であった。もちろん、当社の「矢部遷都」という節目となる日であったが、思い返せば江戸幕府ご政道への異議申し立ての意を含んだ赤穂浪士「討ち入り」の当日だったのである。現代的には、もはや何の意味もないかのような古い話ではあるが……。しかし、文化的には、死滅したかに思われた「武士道」に息吹が吹き込まれたことは確かだったのではなかろうか。決してそのことが、幕府体制の延命につながったかどうかは別としてもである。

 「節目」と考えた昨日に、偶然にも世界が一瞬目を見張るような事件が報じられたのも奇妙であった。イラクの元大統領サダム・フセインが米軍の手によって身柄拘束されたという出来事である。まるで、ジャンバルジャンのような相貌、この国の人々にわかりやすく言うならば泣く子も黙る麻原ショウコウのごとくむさ苦しい姿で、発見された場所やその仕掛けも何と酷似していたことか。
 ただ、この出来事がどのような「節目」になるのか、ならないのかは今のところ「サダム」っているとは思えない。イラクにおける反米テロの現状が、決してフセイン自身の生存や彼個人一身に起因していたとは思えないからである。続発していた反米テロ勢力の事態は、言ってみればアフガンのアルカイダ勢などと合流してしまっていて、根深いものと仕上がってしまっているように見える。
 多分、米英両国は、フセインという「悪玉本舗」を米国流のやり方で抹消することによって、泥沼化しているイラク問題にフィニッシュを決めたいところなのであろう。フセイン捕縛劇を世界に向けてアピールした昨日の報道を見れば、そんなことが推測される。
 ちょうど赤穂浪士「討ち入り」の日であったこともあり、幕府が最終的にはこの事件をご都合主義的に利用したことと何か似ているような気がしたものであった。つまり、事件の発端で、幕府は喧嘩両成敗の大原則を歪めてしまう汚点を残したのだが、結局、吉良を赤穂浪士たちによって討ち取らせることを許容し、美談を演出することによって、庶民からの反幕府感情をそらすというシナリオのことなのである。
 しかし、米英両国は、フセイン捕縛と「悪玉フセイン印」の生贄によって、ここまで熟してしまった反・米英の国際世論を反転させることができるのであろうか。また、米ブッシュ大統領の飼い犬ポチの不人気も改善されるのであろうか。
 何とも、この事件が国際情勢の急転する「節目」となると考えるには、米国的ご都合主義が前提とならなければならないようだ…… (2003.12.15)


 冬晴れの気持ちがいい朝だ。やや冷たい風が、路上の枯葉をかさかさと音を立てさせて運んでいる。ふと、小学生の頃の情景を思い出していた。お習字だかの習いもののために、日頃馴染みのない場所をその教室へと向かっている時のようであった。日差しは明るいが、疎遠な場所と冷たい冬の風などが、妙に内向きな気分にさせていたのだろう。孤独感というほどではないが、周囲の環境に溶け込んでしまう春の日や夏の日とは異なった感触を抱いていた。

 出掛けに見た殺伐としたニュースを思い起こしていた。
 意味不明の殺人への衝動が引き起こした事件二つである。ドストエフスキーの作品に登場した特異な人物が、今や、この国では「大衆化」してしまっていることになる。
「変な人が増えたからね……」
と人々は口にする。現実に発生する残虐な事件と、「変な人」という言葉でしか表現できないでいる人々の時代認識の水準との決定的ズレが、事態をなおさら哀しいものと感じさせる。たとえどんな感情や精神的混乱があったにせよ、その表出が「殺意」や「殺人」へと暴走してしまう意識状況というものは、人間世界の「アウト・オブ・オーダー」以外の何ものでもなかろう。

 師走もこの時期となると、子供の頃には、もうすぐ冬休みになり、そしてお正月が来るのだと思い、わくわく、そわそわした心持ちで過ごしていたように思う。その頃とて、限られた視野しか持たない楽観的であった子供たちとは違って、大人たちは、仕事のこと、家計のこと、人間関係のことなど悩ましい事柄で心を痛めてはいたのだろう。
 しかし、社会全体はさまざまなレベルの「共同体」が個々人を包み込み、個々人は概して草食動物の家畜のごとく温和でおとなしかった、という印象がある。それが、この国の良さの代表的な性格であったのかもしれない。

 三十年、四十年も経てば、世の中が変わっても不思議ではないだろう。しかし、日常生活の継続上で、あたかもなだらかなスロープを行くように変化し続けると、「変化」感というものが自覚されないのかもしれない。そして、社会変化にさほど影響を受けない人々の意識と行動は、何十年経ても旧態依然としたものに留まるのであろうか。物的環境の話ではない。人々の人間関係のあり方と感覚や意識のレベルの問題である。
 確実にこの国は変わってしまったに違いない。そして、もっとも大きな変化とは、人と人とのつながりが寸断されてしまっていることであり、その結果、いろいろなレベルで「共同性」に担保されなければならない個人の意識が日陰の植物のように萎れて脆弱なもの、正常さを欠くものとなってしまったのではなかろうか。

 誰もが、「体面」があるため、他者に対しては「大丈夫!」を振舞うものである。だから、身体の異常は第三者からもわかりやすいが、意識のあり様はなかなか外部からはわかりにくいし、場合によっては当人でさえ自覚しにくいのかもしれない。
 人間という存在に対する洞察に基づき、豊かな想像力を駆使する分析なくしては、多分現状の「異常さ!」は白日のもとにはさらされにくいものなのかもしれない。さまざまな現代的条件によって「孤立」を強いられてしまっている環境、意識を支えるモノとの身体的関係が希薄となり他方で過激で大量の情報が「幻想」を「幻想」として自覚させにくくしている環境などなど、思いつく原因だけでも自覚されるべきなのだと思う。
 しかし、ここへ来て加速することになった過激な市場経済、金権万能主義傾向は、人々の意識という人間世界の根っこを、根腐れ状態へと矢継ぎ早に追い込もうとしているかのようだ…… (2003.12.16)


 朝の出掛けの際に、しばしば家内と些細な口論をしてしまうことがある。あとで振り返ると実につまらないことが多い。私としては、今日一日の行動予定を再確認したり、今日一日の心積もりなどでビジィな状態となっている。言ってみれば、「総論的」思考状態となっているところへもってきて、唐突な感じで「各論的」話題をクレーム口調で突きつけられると、苛立ってしまうのだ。しかも、それが相も変わらずとなれば……
 自身について言えば、何事も寛大に聞き容れる度量というか、心の安定を持たなければならないと常々痛感してはいる。いい歳をして感情に振り回されていては情けないとも思っている。

 それにしても、社会が混乱し、当然、第三者的他者たちとの関係がぎくしゃくする時であれば、身近な人間関係、内輪の関係なりとも「ツーカー」といったスムーズさでありたいと誰もが望むのだろうと思う。
 ただ、よくよく考えれば、「身近」な人間関係こそが"難物"だというのが定評なのかもしれない、とは思う。
 犬や猫は、見知らぬ者、知らなかった匂いの存在に遭遇すると大騒ぎをする。たとえ好感を持ってはいない存在ではあっても、日常的に慣れ親しんだ存在には警戒心を解き、寛容さで臨む。やはり、極めて単純素朴だと見える。つまり、彼らにとっては、「身近」と「疎遠」の区分けで大体ことは済むようである。
 しかし、人間の複雑さは、むしろ逆の関係を持つところにあるのかもしれない。思えば、「近親憎悪」という壮絶な言葉がある。かつて、六十年、七十年代の極左勢力が話題を呼んでいた頃、「赤軍派」内外で類似セクト同士の「ゲバルト」や「リンチ」事件が横行したものであった。彼らにとっての多勢の敵からすれば、なぜ「身近」なセクト同士が合い争うのかが多くの人からの疑問であったはずである。確か、思想的類似性を持つがゆえに、自セクトの結集が弱まることを恐れての自己防衛的な対処だと説明されていたことを思い出す。

 ところで、身近な人間関係でこそ深度の深いもつれが生じる可能性があることは、決して不思議なことではないのだろう。人間関係における深い深度の関係とは、愛と憎悪であり、無関心が最も浅い人間関係に向けられるもののはずである。前者が「身近」な人間関係であり、後者が「疎遠」な不特定多数との関係だと言える。
 「疎遠」な関係にあっては、なにがしかの感情さえ生まれる余地がなく、もちろん憎しみさえ生まれることがない無関心状態なのである。(昨今、殺傷事件を起こした容疑者が「相手は、誰でもよかった……」と言うのは、まさしく人間の基本的な内的構造が壊れてしまっている証拠だと言わなければならない!)
 そして、生活を共にして多くの共同関係を持つ「身近」な人間関係においてこそ、愛や信頼と、鬱陶しさや憎悪という二極構造の感情が確実に立ち上がってくるものなのであろう。これまた、最近の報道をにぎわしている悲惨な「ドメスティック・バイオレンス」にはじまるさまざまな近親者同士の殺傷事件は、「身近」であるからこそ勃発してしまう哀しすぎる出来事だと思われる。

 確率二分の一の二極構造を前にして、人間たちはどうすれば、ハッピィな側の極で輝く愛や信頼に満たされて生活することができるのだろうか。家族という近親者同士には原因のない膨大な問題が、埒外に流れ込む家族空間は、言うまでもなく分の悪い位置付けに追い込まれている…… (2003.12.17)


 一年以上の「パワー・ウォーキング」の成果で、疲労度は軽いなどと偉そうなことを書いた。が、一週間以上も「重労働」を続けると、さすがに身体中が痛い。手の指はむくんだ感じで太さを増し、上腕や肩の筋肉もパンパンに張って鈍痛が走っている。腰や足は、鍛えた甲斐があってか痛みはないものの、起き上がり時には辛いものがある。事務所移転という「節目」は、身体の「節々」にくるようである。

 こんなことをしていていいのだろうか、という思いもないではないのだが、いわゆる引越し作業のほかに、「内装」職人のようなことにまで手を出してしまっているのである。移転元フロアーの方の「現況復帰」を目指す作業である。「飛ぶ鳥あとを濁さず」という言葉があり、そうした礼儀の視点もあることはある。
 しかし、世知辛いことをいうならば、金銭問題に直結することに少なからず目を向けているのだ。つまり、「敷金」として預けている額が少しでも多く戻ってくることを目論んで、業者による修復作業以外の部分に関しては自前で対処しようという算段なのである。 昨日今日の天候の冷え込みに勝るとも劣らないこんな景気であるため、本業で稼ぐことはもちろんながら、「出」を制する努力も欠かせない、というのがホンネなのである。

 最近、つくづく感じることがある。ほんのわずかな売上を上げるにも、ひと頃に較べれば並々ならぬ苦労が伴うものである。それだけ、ユーザ側の財布の紐が固く結ばれているということなのであろう。
 しかし、そうだからと言うべきであろうか、いざ、業者にものを依頼するとなるとたちまち何万、何十万という出費に至ってしまう。確かに、彼らの仕事は、われわれの仕事のようなソフトに比較すると、モノを加工したりする仕事のためか額の水準は小さく思える。こんなことで、月商がどれだけ上がるのだろうかと余計な心配をしたりしてしまう。だが、こちとらとて、デフレ不況の荒波の中で、しょっぱい海水をしこたま飲まされているわけだ。資金繰りに頭を痛める立場にあるものとしては、「入り」と同時に「出」をシビァににらんでゆかなければならない。

 そこで、「芸は身を助く」のたとえよろしく、業者への発注分の作業で自前が可能な分に関しては自分で賄ってしまおうとの魂胆だったのである。
 おかげで、両手のひらは清掃用薬品などで荒れるは、ペンキのあとが残るはと、すっかり職人モードになってしまった。「あれをやってから、これをやって、いや、あれをやる前にこれを済ましておいた方が、はかがいくか……」などと細かい作業の段取りで頭を働かせ、どうやら気分まで職人モードとなってしまったようである。
 だが、どういうものか、「見た目」の成果がすべてであるモノに関する作業というものは、充実感が伴うことは否めない。「よし、何時までにこの修復を終えるぞ!」と意気込み、それが達成された際には、タバコを一服しながらジワジワーッと満足感が込み上げてくるから不思議なものである。PCのディスプレィをにらみながらの「情報処理」作業にももちろん類似した満足感というものもあるにはあるが、モノを操る職人作業はその比ではないと思われる。

 思わず、現代人の心と身体の「病」には、職人作業、職人修行というものが秘薬なのではないかなあ、などと一人ペンキの刷毛を持ちながら考えていた…… (2003.12.18)


 この一、二週間の移転作業では身体も使ったが、何よりも気を使ったという印象が強い。仕事に支障をきたさないため限られた時間で、限られたヒト、モノ、カネを効率的に制御するという点では、まさしく、小さくはあるが「プロジェクト」であったことになる。 NHKの番組に「プロジェクトX」という人気番組があり、一般の人たちにもプロジェクトという言葉は良く知られるようになっていそうだ。ただ、そこでのプロジェクトという言葉が一体どのようにうけとめられているのかが気になるところである。

 一つの目的の達成に向けて、複数のメンバーたちが知恵と努力を発揮しながら協働する、というのが大方の理解であるのかもしれない。間違ってはいないが、それでは従来の協働作業やチームワークとどう違うのかという疑問が生じる。だいたい、人間の営為というものは、いつも何らかの目的を持っており、また個人単独で行われるものよりも、複数の者が協働するかたちである場合が圧倒的に多い。となれば、そのすべてがプロジェクトということになってしまう。だから、プロジェクトならではの特殊な性格がありそうだと考えるのが妥当だと思われる。

 細かい議論をするつもりはないが、現在においてプロジェクトという言葉が特別に使われるより大きなポイントは、「一過性」という点であろうかと考えている。つまり、通常の組織ならば、ある仕事が終わったとしても、継続する別な日常的作業が存在し、関係メンバーは解散することはなく、その作業に従事し続けることになる。
 プロジェクトの最大の特殊性とは、ある目的達成のためだけに、メンバーが構成され、目的達成が叶ったならば、そのメンバーの結集自体も解散するという、まさしく「一過性」のメンバー編成という点なのである。
 このことのメリットは、何と言ってもそのかたちが「低コスト」で済むというところにある。定常的にメンバーが編成され続ければ、その維持費としての人件費が膨大なものとなってしまうのは、なぜリストラ?、という一事を考えるだけで明らかかと思える。
 そして、プロジェクトの持つ「難しさ」というものは、一重(ひとえ)に、組織のあり方がこの「一過性」を原理とする点に収斂(しゅうれん)しているからなのだと言うことができそうである。
 またまた事の詳細をはしょるならば、そうしたプロジェクトの「難しさ」の大半は、リーダの采配とそのための気遣い(気揉み)によって解消されなければならない、そんな構造があるのだと考えている。
 かつての西部劇映画「荒野の七人」を思い出せば、あの盗賊退治のプロジェクトは、ユルブリンナー扮するリーダの肩に、その大半がかかっていたということになるわけなのである。

 いわゆるプロジェクト・リーダがどんな資質や要件を備える必要があるかという興味深い話題に、ここでは深入りしないが、少なくとも言えることは、気を十分に遣うこと、あるいは遣えることではないかと思っている。
 心配りという繊細な神経の遣い方を指す言葉もあるが、そうしたメンバーの気持ちに対する配慮もあって越したことはないけれど、それ以前の基本として、事の推移に関する予測や洞察に対して、ありったけの想像力を働かせる、そんな気の遣い方が必須だと思われるのである。
 特に、随時進展していく事態の一歩、二歩あるいは五歩先を自分なりに見通して、そのための方策を用意してゆかなければならないと思っている。
 とかく、人は「起きてしまったこと」に対しては関心も持たざるを得ないし、重要視もするものだ。しかし、「これから起きるかもしれないこと」に対しては無頓着なものであろう。しかし、物事を進め、責任を持つ者にとっては、前者は修復しにくく、修復できたとしてもコストが嵩むことを重々知るべきなのである。それに対して、後者は、コストも嵩まず、対処法も比較的選択幅が広い。ただ、関係者の関心が比較的低いという点がボトルネックだと言える。だから、リーダは、いかに気を遣いながら、メンバーたちに一歩、二歩の未来を説得的に言い伝えるか、が大きな課題となるわけなのである。
 しかし、リーダにせよ、何らかの責任者にせよ、こういした基本課題を認知していない者が多すぎるように見えてならない。事が発生してから、これは大変なことです、すぐに調査して対処しましょう、というのが、残念ながらの現実であることは、多くの人が感づいているところであろう。
 警察にしても、被害が発生しなければ動けないというのは、どんな理由があったにせよ、間違っている。そして、現在、もっとも危惧されるのは、自衛隊派遣(派兵)に伴って生じうる事態に対して、無責任な政府はまともな想像力を働かせず、だから有効な方策が講じられないという事実ではないだろうか。
 今朝の朝刊の週間誌の広告文の中に、今の政府を揶揄して「ままごと政治」という言葉がぶつけられていた。ウーム、うまいことを言うものだと思ってしまった…… (2003.12.19)


 真っ青な空に、冷たい風が流れる。そんな風の流れの厚い層を、冬の明るい陽射しがかいくぐって地表に届く。今日の上空は、典型的な冬型気圧配置で、真冬並みだという。各地で初雪も降っているという。確かに、寒い。所在無い心であれば、ことさらに身にしみる寒さであるに違いない。

 疲労回復のため久々に十分な睡眠をとった。今日は一日、ダラリと過ごし体力充実を図ろうかとも思った。が、明るい陽射しを眺めていたら、気持ちが上向きとなり、新事務所内で荷姿のまま待ちわびているに違いない「段ボール箱」たちのことを思い起こした。そのほかにもまだまだ年内にやらなければならないことが山積していることも脳裏をよぎる。
「よし、とにかく事務所に行こう」
と思い、気持ちを立ち上げた。

 以前の事務所でも、私の作業エリアは外が覗ける窓際にしてもらっていたが、新事務所でも北向きながら表通りが臨める窓際である。ブラインダー越しに、真っ青な空と、通りの向かい側の建物が目に入る。目に入らなくてもいい、無骨な電柱、トランスやら何やらを弁慶のようにしょった電柱が突っ立っているのも目に入る。
 この地域は、駅に近い以前の場所に較べるとやや住宅地域っぽい雰囲気である。広さと割安さとを目指したのであったが、そうなるとやや駅からの距離が増すことになるのはいたしかたないところなのであろう。
 それに、私の好みから言えば、余りにもビジネス街でござい、といった雰囲気は居心地が悪いのだ。多少、住宅地的な生活の雰囲気が目に入る方が感覚が狂わなくていいと感じているのである。

 以前にも書いた覚えがあるが、人の感覚モードというものは目に入る環境に大いに左右されるものだと思っている。仮に大きく分けて、「生活モード」と「仕事モード」とを設定するならば、人は後者のモードの環境では、本来の自分を失いながら与えられ、押し付けられた組織の歯車の役割りを黙々と果たす。それは、あたかも、故郷を後にして都会に就職した者たちが、どうしても「看過ぎ世過ぎ」の仮住いの姿勢となってしまうことと似ているかもしれない。まだそういうレベルにとどまるならばいいのだが、
「仕事なのだからやむを得ない」「食うためにはいたしかたない」といった追い詰められた心境、「悪事を働くことをものともしない」心境に至る可能性というものが、「仕事モード」とそれのみを支援する環境、風景には内在していると、勝手に思っているのである。合理性のみを支援する官庁街やビジネス街の佇まいや光景は、ただただ非合理の塊であるような生活を忘れさせることをポリシーとして構成されている、と勝手に思っているのである。だから、一方で仕事のこなしは順調ではあるのだろうが、ややもすれば、一面的となり、場合によっては非常識な行動や選択に嵌まり込むことも起こり得る。

 それに対して、前者の「生活モード」とその環境は、人間に、「地に足がついた」感覚を呼び起こすような気がしている。仮に、ビジネス街での「仕事モード」で、日中は「あこぎな仕業」をしていた管理職も、最終電車でベッドタウンの駅で降り、ひんやりとした夜風に当たると、にわかに「生活モード」に戻るのではなかろうか。仕事とはいえ、今日一日の自分の非情さをふと省みるひと時が訪れたりするのではなかろうか。要するに、「生活モード」とその環境は、人に正気を取り戻させるのである。
 であれば、もともと、正気を座右に置いたかたちで仕事をすればどうなるのであろうか、と思うのである。仕事の効率低下が懸念されるのは当然としても、自分を失って誤った道をひた走ることにはならないのではなかろうか。散歩させられている犬や、下校する小学生の姿を目にしていれば悪事を企んでまで儲けようとする衝動は抑止できるに違いない…… (2003.12.20)


 書店で所在なく書棚を眺めていると、
「もーもたろさん、ももたろさん。おこしにつけたきびだんごー、ひとつわたしにくださいなー♪」
と、小さな子供の声が耳に入った。振り返ると、四、五歳位の小さな女の子が子供用雑誌のコーナーで、雑誌の付録をうきうきと楽しそうに広げていた。ニ、三歳年長と見える兄らしき男の子もそばにいて、書棚をを覗き込んでいた。

「ほら、お兄ちゃん、シールまでついてるよ。ママー、ほらシールがこんなにいっぱい」
「だめだめ、いじらないの。いじっちゃだめ」

 二人の兄妹は黒人のハーフであることが、ちぢれた髪の毛とコーヒー色の肌からわかった。それにしても、何と明瞭でかわいい日本語であったことか。しかも、日本の懐かしい「桃太郎」の童謡を、そんな彼女から聞いたことで私は、唐突ながら小さな感動を覚えたのだった。
 リュックを背負った、小柄ながらテキパキとした母親らしき女性が離れたコーナーで、何かを探すように書棚に眼をやっていた。普通の日本人女性である。小さな女の子がママと呼んでいたので、その通りなのであろう。父親が黒人であり、その小さな女の子の達者な日本語からすれば、彼ら兄妹はこの国で生まれ育ったのかもしれない。
 女の子は、まだ童謡、桃太郎を口ずさみ続けていた。書棚と書棚の間の通路をスキップしたり、走り回りながら、それでも、
「もーもたろさん、ももたろさん」
と繰り返すことは止めないでいた。大人でも子供でも、ちょっと気に入った歌があると、まるでガムを噛むように、いつまでも口ずさみ続けることがある。その子の場合、幼稚園で習いたてであったのかもしれない。

 その子は、ピンクの長袖上着をかぶり、赤いパンツをはいていた。ちぢれた髪の毛は、後ろの左右両側で小さなお下げに結ばれている。本や付録に見入る顔つきは、実に、子供らしくあどけない。自分の関心事のみで頭と心がいっぱいで、周囲の人たちに気遣う道理もないようだ。もちろん、下衆(げす)な大人が真っ先に思い浮かべるような「人種」の違いの問題など、今のその子には眼中にないはずだ。下衆な大人が思い浮かべる、その子や兄たちが、黒人ハーフであることを認識し、思い悩むのではないか、などという想像は、今のその子にはまったく無縁であると確信された。兄の方は、すでに小学校で、ませて口さがない子供たちからとやかく言われているのであろうか、無頓着でいる妹よりはやや何かを意識している物静かさが漂っている。

 下衆な私が心で懸念するいろいろな差別の心配が、取り越し苦労であることを願うのではあるが、そんなことを思いながら、その子とその子が歌う童謡、桃太郎を聞いていたら、なぜだか目が潤みそうな心境になってしまった。
 余計な心配をしちゃあいけない、そんな心配がなおのこと既成の差別感を助長することになる、いや自身の中にある差別感を裏書きしているのではないか……。などと、とめどなく、心境はヤバイものとなってしまったものだ。
 しかし、学ばなくてよいものをも学び、それらを水垢のように身につけてしまった大人たちに較べ、あどけない子供たちは、何とすがすがしい存在なのであろう。昨今、報道され続ける家庭内で非人間化した大人たちによって虐待された子供たちのことをまで思い起こしてしまった。虐待を受けたそんな子供たちでさえ、自分の両親を愛しく思い続けていた事実などが知らされると、大人とは、穢れて歪み終えた存在だと言ってみたくもなる。
 せめて、その小さな女の子がくれた小さな感動を、今日は書き留めておきたい…… (2003.12.21)


 歩道に面した畑地にぎっしりと「霜柱」ができていた。今朝の寒さは本格的な冬の到来を告げていた。
 朝のウォーキングでは、身体はほどなく温まってくるので苦にはならないのだが、手にしている鉄アレーの冷たさには閉口する。皮手袋をしていても、寒風で空冷される鉄は、手の温みで温度を上げる余地がないようなのだ。まるで氷を掴んでいるようで、しびれるような冷たさを感じることとなる。薄型の「ホカロン」でも撒くべしかと考えたりしたものだ。

 カレンダーを見ると、今週はもう仕事納めの週である。事務所移転で忙殺された期間があっただけに、師走の月の過ぎ方の速さに唖然としているところだ。まだ移転に伴う作業の積み残しがあることを思えば、今年も、バタバタとした落ち着きのない心持ちであっという間に過ぎ去っていきそうな気配だ。
 振り返ってみると、今年は、日本中、世界中が良くない年であった上に、自身の置かれた環境も一言で言って最悪であったかもしれない。何とかこうして年の瀬を迎えられているのが、不幸中の幸いであるとさえ感じているありさまだ。
 国の経済がどうの、社会情勢がどうのと言う前に、端的に言って自分の不徳を省みるべきだと思っている。正直言って、今年はどうも「自閉的」なスタンスに明け暮れた一年であったかもしれない。これほどまでにすべての環境が悪化するとは予想できず、やはり事態の推移に振り回され、うろたえるあまりに自己防衛的に「内向き」となってしまった嫌いがありそうだ。
 国際情勢にしても、経済情勢にしても、また国内の政治状況にしても、状況の推移をトレースしていれば、良い方向に向かってはいないことは重々推測できた。しかし、これほどまでに急速かつ、なし崩し的に悪化するとは思いもよらず、ただただ憤り、そして「ふて腐れた」というのが事実であったかもしれない。

 それにしても、もうひとつ不可解であり続けた事柄は、自分自身が「内向き」であったのだから偉そうなことは言えないのではあるが、「人々の声」というものがなかなか聞こえなかった点であった。聞く耳を持たなかったと言えないこともないが、そうだとしても、あまりにも物静かであったような気がしてならない。
 米英による理不尽なイラク侵攻に関しても、またこれを無責任にも支持した小泉氏に対しても、そして憲法違反が明瞭な自衛隊派兵にしても、なぜもっともっと糾弾するような声が耳に届かなかったのかと……。
 また、経済不況についても、自己清算的な、鉄道での「人身事故」は毎日のように伝えられたものの、中小零細企業の苦しい実態や、政府の経済政策への批判の声などがもっともっと状況に見合ったかたちで耳に届いてもよかった、いや、そうであればこそ当該者たちも孤立しないでいられたのではないか、と……。今年、何度もマス・メディアの堕落について言及したのも、そんな思いがふつふつとわいていたからなのだと思う。

 先ほど、自身の「自閉的」なスタンスを反省する気持ちを書いたが、この問題は、決して私だけの問題ではなく、現在のこの国の国民、知識人全体が陥っている大問題ではないかと懸念している。そして、その常態と堕落したマス・メディアとが背中合わせとなっている印象を持つのである。
 先日、あるTV番組で、平和憲法を掲げる日本がイラクに自衛隊を派遣する選択に関する海外の人々へのインタビューが報じられていた。その中で、
「しょうがない」
という、日本人が度々くちにする言葉が不可解だと伝えられていた。
 まさしく、今のこの国の、そして、今の自分自身の決して心地よくない環境の最大の原因は、日本人の悪癖であるこの「しょうがない」と諦める、環境への度し難い消極性にあると確信したものだった。
 黙り続け、孤立を深め、そして一人自己清算への道を歩んでしまいがちな行動スタイルから、なんとかして脱皮しなければ、われわれは幸せにはなれないようだ…… (2003.12.22)


 職人作業の一日を、百二十パーセント徹底する運びとなった。朝は十時から、ついさっきの午後八時まで、家庭内の年末恒例作業をことごとく片づけてしまったのである。
 メイン作業は、障子の貼り替えであり、長い丈のものと窓用のものをあわせて八枚。これは、表に運び出し、洗車用のホースを使って水をかけ、古い障子紙の糊の部分を剥がす作業から始めなければならない。そして、こびりついた糊をたわしでこすり落とし、天日干しで乾かすことも欠かせない。
 これらの準備作業も大変なら、この後の新しい障子紙を貼る作業もまたまた手間がかかる。障子の桟に、刷毛でこまめに糊を施す準備作業が待っているからである。さらに、障子紙をあてがう際にも、ロール状の紙を固く巻き込んでおく準備も必要だ。とにかく、職人作業というものは、一に準備、ニに準備、三四がなくて五に準備と、準備尽くしだと言って間違いではないのだ。この準備のことを「段取り」という場合もあるが、職人作業の上手下手は、この段取りが適切にかつスムーズに行なえるかどうかにかかっていると言える。得てして、上手な職人たちは、段取り上手であるため、非の打ち所がない仕事をするとともに、実にスピィーディであり、所定の仕事ならば、朝八時から始めたならば四時過ぎには完了し、道具類を片づけ始めるものである。五時まで詰める必要がないのだ。冒頭で、百二十パーセントと書いたのは、自分の場合、そんな風に終えるはずの進展に加えて、マルチ作業をこなしたからなのである。

 今日は、さほどの寒さでもなく、朝は陽が陰ってはいたものの、日差しもありそうに思える陽気だったのが、障子貼り替えの動機であったかもしれない。冷たい水作業が伴うため、日差しの有無が決め手となるからだ。
 もっとも、今日の祭日を除けば、もう二十七、八日となり、それでは如何にも切羽詰った追い込まれようとなってしまう。いっそのこと、今年は、事務所移転で忙しかったことを口実に、貼り替えなし! というのも現実的ではなかった。と言うのも、障子紙は、飼い猫のリンが、障子の桟が柔らかい木として「爪研ぎ」に適していると思い込み、バリバリと破られ、無残な姿となっているからなのである。

 「段取り」家としては、先ずは障子紙の買出しに、近くのホームセンターまでクルマを飛ばした。障子の桟を洗って、干している間に買いに出かけようかとも考えたが、「段取り」家としては、不測の事態があってはならないと警戒したのである。つまり、障子はきれいに骨だけとなったはいいが、目指した障子紙が売り切れとなって本日は作業不可ということにでもなったら、目もあてられないからである。そういうことが、ひょっとしたらあるかもしれないと懸念するのが「段取り」家の「段取り」家たるゆえんなのである。
 ホームセンターでは、按配よくねらいの「強さ三倍、明るさ四倍」の障子紙が入手できた。これでないと、うちには「乱暴モノ!」がいるから間に合わないのだ。
 ホームセンターでは、今日「施工」する予定の作業を思い浮かべながら、壁の補修用セメント、浴室のタイル剥がれを修復するためのジェームズ・ボンドならぬ「水中ボンド!」、壁クロスの「強力汚れ落とし」などなどを買い込んだ。ほかにもと、店内散策の衝動に駆られたが、スケジュール第一の「段取り」家としては、とにかく早く帰って作業開始だ! と思い帰宅した。

 こうして、「段取り」家は、目まぐるしい「急ぎ働き」? に突入していった。
 洗った障子を干している間には、かねてから言われていた温風ヒーターを物置から出し、未だに居間に居座っていた扇風機を片付けたり、放っておけばボロボロと悪化するに違いない壁の破損部分を補修したり、いつも湯船からにらんでは「そのうち直さなきゃなあ……」と思っていたタイルの剥がれをボンド君に助っ人を仰いだりと、マルチ・プレーに徹する「段取り」家なのであった。
 おかげで、これをしたためているのも不思議なほどにクタクタとなってしまった。先ほど、茶を取りに階下に降りたら、
「いつまで、逆さにした帽子かぶってるの?」
と家内に指摘された。それほどに、職人作業にのめり込んでいた一日だったのである。
 しかし、こんなに「一気」にやろうとせず、日頃こまめにやればいいものを、と自身でも思いはした。しかし、気が向かないと何もやらない! というのもまた職人の、職人気質からくる独特の現象なのではないかと思っている…… (2003.12.23)


 昨日、名古屋のテレビ塔か多数のお札がばら撒かれたというニュースがあった。どういう人物かと思いきや、株で予想外の儲けを得た二十代の青年であったらしい。ある識者が述べていたが、人は「突然の変化」に見舞われると、思いもよらない行動をしがちなものだ、と。なるほど、と思ったものだ。
 うらやましい限りではあるのだが、突然に大金が舞い込むと、それをどのように活用するかは結構難しい課題となりそうだ。

 わが身に照らして言えば、もうそんなことは起こりようもないが、以前には、経営上の利益が突然に発生してしまうことがあった。日頃、経費を切り詰めて運営しているところへもってきて、年度末近くに番外的な売上利益が発生してしまうと、喜ばしい反面、困惑してしまうことになるのだ。
 そのまま税支払に直結させれば何の苦労もないが、それでは芸が無さ過ぎると思ってしまう。別に、脱税に及ぼうとする意図があるわけではなく、節税的レベルで、近い将来の経営に資する活用方法を急遽考案しようとするのだ。しかし、短期間で回答を出すのが結構やっかいなのである。研究開発費に回すといっても、計画が熟していない研究開発案に投資するのも躊躇したりする。もとより贅沢品を購入するつもりもない。すると、結局、年末一時金というような使途に落ち着いたりしてしまうのである。こんな時に、感じたのが、身分不相応に、唐突に小金を手にすると、これもまたやっかいだということであった。遠い昔の話ではあるが……。

 よく、もし宝くじが当たったらどう使いますか? の問いに対する応えで結構な比率で返ってくるのが、貯金、旅行、そしてアパート・マンション経営だったりすると聞く。要するに、大金使用あての想像力はきわめて乏しいのだと言える。
 思うに、マネーを稼いだり、活用したりする能力というのは、食欲と似たところがありそうだ。日頃、質素倹約的に食生活を送っている者が、突然グルメ風に質、量ともに豊かな食生活に転換しようとしても、簡単なことではない、ということなのである。人間以外の動物などにとっては、ほとんど不可能な課題となってしまうはずである。

 しかし、こう書いていて、書いていることがはなはだ「非現実的」な話題だということに気づかざるを得ない。話題を「現実的」なものに戻すとするならば、同じ「突然の変化」ではあっても、「イージー・カム」の方ではなく、むしろ「イージー・ゴウ」の方であるはずだろう。
 「よーく、考えよー、お金は大事だよー」のCMが耳に残るように、今、人々は、お金が"ざる"から洩れていくような流出感に苛まれていそうだ。このエンドレスなデフレ不況の過程で、所得は縮小し、加えて税や年金その他の固定支出は増え続ける傾向にあるからだ。別に贅沢をしていた者でなくとも、急に経済状況が悪化するという変化に見舞われているのかもしれない。言ってみれば、状況にあわせて「胃袋を小さくする」ことを慣らさざるを得ないはずである。もちろん、バブル時の経営感覚、生活感覚などは「つわものどもが夢のあと」と見なし、忘れ去るべしなのだ。

 来年もまた、目まぐるしい変化が待ち受けていそうな情勢である。変化に対して縦横無尽に即応してゆける柔軟さこそが、何よりも望まれる時代となっていそうだ…… (2003.12.24)


 クリスマスの日をさほど意識しなくなってから久しい。
 子供の頃は、もちろん、お正月に次ぐ二番手の楽しみであった。何はさておき、いやクリスマスとは何なのかという意味すらそっちのけで、ただただサンタクロースからのプレゼントをいただく日だと一途に思い込み、待ち焦がれた。
 そう言えば、サンタクロースの存在を漠然と信じ切っていた頃もあったようだし、その正体が両親であることを薄々気づき始めた頃のことも思い出したりする。
「何でサンタクロースはボクの欲しいもの知ってんやろ?」
とか言った際に、母親が、見え見えのうそを裏書きするような、あの特有の笑いを堪えながら、
「そりゃ、サンタさんは何でもお見通しなのよ」
などと言っていたのを、微かな記憶として残している。

 ふと今気づくのだが、サンタクロースという存在の意義とは、「自らの善行を隠す」という洋の東西を問わず普遍的な徳を人々に促すということにもあるのではなかろうか。つまり、両親が心をこめて用意したプレゼントであるにもかかわらず、自分たちがしたことを隠し、サンタクロースからのプレゼントだと「詐称」するからである。
 もちろん、この虚構によって子供たちは、家庭という閉じた世界から、サンタクロースもいる家庭の外に広がる茫漠とした世界へ目を向け、それらが善意と夢に満ちたものであることを想像し始めることになる。そのことの教育的意義は確かに大きいと思う。
 これに加えて、子供の親たちが、プレゼントをするという善意を発揮しつつ、架空の存在サンタクロースの陰に潜み正体を隠すというマナーに注目しているのである。これが、「善を施すに、人の目を避ける」であったかの、東洋の発想(仏教、『菜根譚(さいこんたん)』など)とあい通じるものがありそうだと思えたのである。

 言うまでもなく、今のご時世は、自己アピールが過剰とも思われる状況である。自分の為した善行もどきは、「記者団」を呼んで会見し、花火を打ち上げて世に知らしめるほどのおかしさである。あるいは、政治家たちなら、やれない、やらない「善行」(良い政策)まで「詐欺」まがいにハッタリで言いまくるありさまだ。おまけに、そんな見え見えのパフォーマンスに乗っかるバカも多い。
 また、密かに正体を隠して為すことは、手の混んだ悪事、犯罪に相場が決まっていたりする。インターネットでは、「匿名」などという、悪意に満ちた者には打ってつけの手段まであったりするため、「ネガティブ・サンタクロース」が横行することにもなる。

 善行にせよ、悪事にせよ、「人の目から隠れて」為すことが考えるに値するためには、ある壮大な人間的事実が前提となっていたのではないかと推測する。つまり、「人間個人は、他人の目に依存することなく自身の心を培うことができる」という事実である。これがあればこそ、「人の目から隠れて」善行を為し徳を磨こうともするのであるし、「人の目から隠れて」為した悪事も、良心の呵責に耐えられず「白状」することにもなると見なされたのであろう。
 今、この時代が危ないのは、その前提としての人間的事実が崩壊しつつありそうな点だと言えるのかもしれない。「人の目」=「他者の目」こそがすべてであり、それ以外に人の心を律するものが見失われてしまったのである。(「監視カメラ」社会!)
 これを別様に表現するならば、「人間個人は、他人の目に依存することなく自身の心を培うことができる」という事実を支えたに違いない、超越的な存在への畏敬の念である「宗教心」が根扱ぎとなったということなのであろうか。

 イルミネーションだけが華やかなクリスマスが、今年も話題とされている…… (2003.12.25)


 やはり、あっという間に仕事納めの日を迎えてしまった。
 とは言っても、社員にとってはの話である。小うるさい社長のもとで、精一杯勤務に励んできてくれた社員には、年に一度の長期休暇で思う存分羽を伸ばしてもらうべしだ。
 自分はと言えば、未だに事務所移転後の後作業を残しているし、この事務所で迎える来るべき新しい年に向けた「戦略」がまとめ切れていない。この年末年始の静かであろう一週間をそんなことにあてようかと思っている。幸い、明るいこの事務所環境は気に入っているので、心地よく思索できるだろうと期待している。

 今週の週初めにも書いたことになるが、現在、自分およびこの時代の自分たちにとって衰弱しているものは、「関係力」ではないかと痛感している。結局、人間にとっての有意味な事柄は、ビジネスにせよ生活にせよあらゆるジャンルにおいて、人と人との「関係」の充実に起因することを思い返すならば、その衰弱は、あらゆることに暗雲を垂れこめさせるに違いないと思えるのである。来年は、この点に重々留意したいと考える。

 一見、人と人との関係を支援するコミュニケーション手段の技術的インフラは、従来になく充実する時代とはなった。ブロードバンド水準が一般化するほどのインターネット環境であり、動画送信までラクラクとなった携帯電話の普及でもある。また、相変わらず人の移動を支えるクルマ社会も過密さを増幅させている。
 しかし、これら通信交通手段の充実が、そのまま人と人との関係を濃密にすると見なすのはあまりにも能天気過ぎると言えそうだ。

 今人々が謳歌しているコミュニケーション手段の技術的インフラとその端末は、どうも「特殊な性格」を内在させているのではないかと、以前から憶測してきた。それは何かというと、「個人専用」、「排他的利用」という側面である。
 かつては、家族であれ、仲間であれ、要するに皆で「共用」していたツール類が、技術文明の恩恵で「個人化」「パーソナル化」されたのが今日なのである。これは、とりあえず、決して悪いことではないはずである。
 しかし、この変化が手放しで賛美できることかといえば、よくよく観察しなければならない部分があるように懸念される。

 人は、人と接するに気を遣うものである。現代人にとってはわずらわしいとさえ感じるかもしれない。これが、さまざまな道具類がパーソナル化して歓迎される理由なのであろう。たとえば、TVや電話にしても、かつては一家に一台であり、家族間でチャンネル争いがあったかもしれないし、プライベートな電話での会話が家族の耳にもれる懸念があったかもしれない。その点、これらのパーソナル化は、その心配がなくなり一人占めの使用が叶えられた。
 が、失われたものは何もないのだろうか。家族の場合、こんなことに限らず他にも遠心力が作用して「拡散」する要因は多々あると考えられるが、とにかく家族間での会話がさらに乏しくなってしまったかもしれない。それとともに、共に感じたり、考えたりする機会も減少してしまったと言えるだろう。
 つまり、わずらわしく、無駄なマイナス条件だとしか見なされていなかった「共用」という機会がなくなることで、「個人化」の方向は前進したものの、「共同性」という側面は痩せ細るばかりとなっていったように思われるのだ。
 それでいい、と考える人もいることだとは思う。しかし、現代における「日陰」の問題の多くが、「個人化」が「自律した個人」の達成に向かわず、「無力な孤立化」に至ってしまっていることだと気づいてもいいのではなかろうか。とりわけ、「個」が熟さず、またいろいろな面で知識・経験が不足しがちな青少年にとっては、「共同性」の条件下でこそが学習と訓練の好機なのであって、これを避けさせることは将来を痩せ細らせることにしかつながらないと推測するのである。

 過激に変化する時代にあっては、大人とて、新環境の知識・経験が不足し、状況認識に苦しむことになりやすい。簡単に、情報さえあれば何とかなると思いがちだが、マス・メディアなどによって垂れ流されている情報こそ何のあてにもならないことが多いだろう。まして孤立した状態で受容してしまう情報ほど危険なものはない。批判的に受けとめる構えが成立し得ないからである。

 先日、ペットたちの生活をテーマとしたTV番組を見た際、猫たちが同類との無用な喧嘩回避や共存共栄のために、本能的な「関係力」を発揮していることを知らされた。「マーキング」と縄張りについても、また見知らぬものと遭遇しない注意をしていること、万が一出会った場合でも決して視線を合わさないこと……。
 動物たちは、本能によって迷いのない行動が導かれているが、人間は、知性を形成しつつ本能から自由となってしまった。その知性による前進の一環として「共同体」から距離を置きながら「個人化」することを考案した。それが、行き過ぎてしまい「孤立化」に至ってしまったとするならば、いまさら本能などに頼って修復されることはなさそうだ。

 あまりにも大きすぎる問題であるに違いないが、そんな問題が、ちっぽけな個人の人生にまで浸透しているのが現在の特徴だろうと思う。ズタズタにされた「共同性」と「関係力」を、身の回りの微小体験の過程で再構築していくこと、そんなことを来年の課題のひとつとして思い描いている…… (2003.12.26)


 初雪が降っていたのには驚いた。
 半ば開いたブラインダーから見えるガラス窓が妙に曇っていた。朝、起きて階下へ向かう途中である。階段を下りながら、ブラインダーの羽を押し広げ、指で曇りを拭うとすぐ近くに見えるカーポートの屋根に、そして家々の屋根に数センチの雪が積もっているではないか。出し抜けだと思った。昨晩はさほど冷えた覚えもなければ、天気予報でも雪だとは報じていなかった。
 何かと気ぜわしい予定があるこの時期に、雪かきなんぞは御免こうむりたいと咄嗟に思った。が、アスファルト道路は濡れて黒っぽい色であったので、道路には積もっていないことがわかった。なら、いいよ、といった感じで、ほっと胸をなでおろした。

 事務所に向かうべく表に出た頃には、陽射しが強まっていた。その陽射しでスカスカに積もっていた雪が急速に解け始めたようだった。ベランダの屋根からの雪解け水が、その柱を伝わって小さな滝のように流れ落ちている。雪に触れた湿った空気がひんやりとして気持ち良い。
 事務所に向かう途中の、JR線をまたぐ「矢淵陸橋」はまるで太鼓橋のように中央が高くなっているのだが、その中央に至ると西方の彼方にあの「大山」や「丹沢」の峰々がかなりの存在感で眺望できるのである。今朝は、朝日を受けたその峰々が、早朝の初雪のおかげで「薄化粧」をほどこした姿で目に映えたものだった。全面に雪を覆って白く輝く山岳風景も荘厳な印象でそれはそれでいい。だが、今朝のように、薄っすらと白い粉をまぶしたような光景も悪くはないと思えた。クルマを運転しながら、事務所に着いたら屋上からカメラを向けようかと考えていた。

 今朝の雪をきっかけにして、久々に例の「フラジャイル」という言葉を思い起こしてしまった。「フラジャイル」とは、航空便で「こわれもの」や「精密機器」を航空便で送る際などに、割れたワイングラスの絵とともに「Fragile!」と表示されたステッカーが貼られるあの「Fragile!」である。「こわれやすい弱きもの」という意味であるが、松岡正剛氏に触発されて、この日誌でも一年ほど前に言及した覚えがある。
 私のようなゴツイ感じの男が、「フラジャイル」に興味を抱くのははなはだ似つかわしくないだろうと自分でも思っている。東海林さだお氏の漫画ではないが、「ボクって、案外繊細でしょ」と自己アピールするために装っているのではないかと、いや、そう思われたりしないかと懸念しないわけではない。

 しかし、今朝の初雪のように早朝にサアーッと降り、わずかな時間で痕跡を消してしまうものを思うと、なぜか美的感慨を覚えてしまうのが事実である。
 今日、買い物途中のクルマの中で、偶然この「フラジャイル」モードの童謡を、あるシンガーが思いを込めて歌っていたのも、今日このテーマを取り上げようとした動機でもある。
 その童謡とは「しゃぼん玉」(作詞・野口雨情 作曲・中山晋平)なのである。
「しゃぼん玉 とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんで こわれて消えた …… 風 風 吹くな しゃぼん玉 とばそ」
 私は、なぜ今「しゃぼん玉」なのだろうと、しばし考えたりしたものだったが、いや、時代や環境に関係なく、人はいつでも「フラジャイル」な「しゃぼん玉」を本質としているに違いない、と納得するのだった…… (2003.12.27)


 通常は行き交うクルマで賑わしい事務所前の通りも、今日は閑散としている。もう正月にでもなったかのような静けさだ。年末最後の日曜日ということで、人々は新年に備えての家事にでも忙殺されているのだろうか。
 私はと言えば、できの悪い生徒が居残りで補習を課されているごとく、未だ未開封の段ボール箱に囲まれて、独り事務所でこれを入力している。正直言って、こんな日課をさっさと済まして、段ボール箱を次から次へと開けて処理していきたいところではある。
 ところが、今日は、デスクのPCに向かってもう一時間以上も所在なく腕組みのまま過ごしてしまった。疲れが頭に訪れたのか、何を文章化しようという衝動も生まれてこないのである。で、時間切れとばかりに、こうしてとりあえず見切りスタートを切っている。
 最近、こんなことが増えつつある。つまり、これ、という書くべきテーマが思いつかない場合のことである。と同時に、とりあえず書き始めると、縺れた糸のどこかを引っ張ると、いつのまにかほぐれていくことがあるように、書くべきことがいつの間にか自覚されてくる、といった場合についても多くなったような気がする。
 以前には、書くべきことは書く前に半ばできあがっていないといけない、と信じ切っていた。論文めいたものを書く習慣が多かったからかもしれない。
 しかし、最近は、これでいいのだと判断するようになっている。むしろ、書くべきことがあらかじめ意識の中でできあがっているのなら、あえて書く必要もなかろう、と思い始めさえしているのである。
 そこには、理詰めで考えていくことが必ずしも今の自分にとって望ましいものとは思えなくなった、そんな心境が反映しているのかもしれない。理詰めで考えることとは、結局、この「情報(化)社会」で安直に仕入れて、何の加工もなくそのまま型どおりに転売するという、まるで中間卸売り業のようなことをしていないともかぎらないと感じ始めているのである。

 今の私は、できるだけ「生の自分、無意識の自分」と向き合いたいと望んでいる。自身の血肉からは遊離しているような味気ない一般論や、誰のものでもあり誰のものでもない知識加工物にはうんざりしているのである。
 だから、先ずは、自然の流れで書くに任せる、という「筆の成り行き」を尊重すべきか、「こっくりさん」風でいいのではないか、などと感じたりするのである。「こっくりさん」とはたとえではある。もしそんなふうに無意識層にほぼ完全に身をゆだねたら、一体何を書き始めるか知れたものではないだろう。目処、目安としてはそんなところだという意味なのである。

 だが、「生の自分、無意識の自分」に多くの期待をかけているわけではない。それでさえ、時代と社会の一産物でしかないことはわかり切った話だからである。ただ、この軽薄な「情報(化)社会」の中で、あまりにも個々人に食い込んだ「紋切り型の情報」が、個々人を「操り人形」とさせているように思えてならないのである。
 玉葱ではないが、すべての皮をはいでゆけば何も残らないことが重々想像されても、自分との違和感を禁じえない「皮」ははいでゆくしかないのだろう…… (2003.12.28)


 新事務所の最寄駅はJR横浜線の「矢部」駅である。以前の事務所があった「淵野辺」駅からは一キロ程度の距離であり、こんな近距離で駅が作られるのもめずらしいのではないかと思う。事務所のある南側ではなく、駅の北側には、「米陸軍相模補給廠(しょう)」と「麻布大学」とがある。多分「米陸軍」の都合でできた駅なのではないかと推測している。

 この何日間か、めずらしさも手伝って昼食は「矢部」駅近辺に足を運んでいる。以前の「淵野辺」でも昼食のために駅前へ向かったこともあったが、そこには安さを売りにする中華の店しか選択肢がなかったのだ。それに較べて、ここにはいくつかの選択肢があることがわかった。
 先ずは、日本蕎麦屋である。早速、初日に訪れてみた。野菜天婦羅つきの蕎麦定食というものを頼んだ。好みであるかき揚げほかの天婦羅がついていてほぼ満足できた。蕎麦も悪くはなかった。仕事納めの先日には、みんなしてここから「年越し」蕎麦を出前でとったりした。

 次の選択肢は、カレー専門店である。味も店構えもちょっとしたツッパリようで、「ウム、ひとつのチョイスに加えておこう」と思わせた。ただ、このご時世当然といえば当然なのであろうが、店内は一切禁煙というのが難点であった。しかし、この如何にも「地方都市」風の「矢部」駅前通りにこうしたツッパリ店があるのはおもしろいと感じた。

 「地方都市」風といえば、駅の建物自体がそのものなのである。よく、鉄道模型で、プラットホーム上でさびしく立つ駅名を記した看板に「田舎駅」とあったりするが、その駅の建物と大なり小なり似ているといって過言ではないのだ。自分たちの事務所のある駅はもうちょっと恰好よくあってほしい、などと全然思わないのであって、かわいくていいなあ〜、と思っているのである。クルマで通勤しているため、実のところまだこの駅で乗り降りしたことはないのだが、都心へ出張に出向き夜に戻って来た際など、さぞかし郷里に帰ったという安堵感を与えてくれるのだろうと期待している。

 昼食の選択肢はまだまだあるのだ。さほど空腹感を感じない場合には、選んだものを店内のカウンターで食せる自家製パン屋さんという手もある。味は、コメントするほどではないが……。
 今日は、今ひとつ有力なチョイスを発見した。線路沿いにある廉価版レストランなのである。その存在は前から知っていていつかは試食してみようととっておいたのだが、たまたま今日がその日となってしまった。
 町田で会社を創業した当時、やはり昼食のチョイスを探し回っていた折、味も見た目も、如何にも元はメジャーなレストランのシェフではなかったかと思わせる、レストランと自称する店があったものだ。店内には「プライド」がムンムンしていたものであった。しかし、そのムンムンさにふさわしい美味しさであり、かつ安かったので「ヨーシ」と頷いたのではある。
 今日のレストランには、それほどのムンムンさはなかった。むしろ皆無だといってもよかろう。レストランと名乗らず、「なんとか食堂」と言った方が実情にふさわしいような感じだった。一応、洋風もののメニューが上位を飾ってはいるのだが、「さば煮定食」あり、「うなぎ丼」あり、おまけに「単品百円」の「なっとう」まであるのだ。私が久しく待ち望んでいた、なつかしい「駅前食堂」そのものだったのである。

 「田舎駅」と「駅前通り」、そして「駅前食堂」といった按配のこの街、かまびすしい世相とはどこかズレたような街、場合によったら置いてきぼりをくらって、猫じゃらしの穂を振り振り所在なく後をついていく少年のようなこの街が、好きになりそうな気がしている…… (2003.12.29)


 この年末に事務所に入り浸りというのも「何」だと思った。そこで、午前中は家のことに専念した。玄関の簡易門松やお飾りの取り付けである。大晦日の取り付けは良くないというので毎年30日に行ってきた。しかし、大体が夕暮れ時の寒い中で、冷たい針金やペンチを握っていた覚えがある。
 だが今日は、これまた恒例の年末墓参りに日中出向くため、その前に済まそうという段取りとなった。そして、午後には、もう一息となった事務所の片付けに向かう算段だったのである。

 やむを得ないといえばそうも言えるのだが、ここへきて身体がようやく疲れを見せ始めているようなのだ。だるさを自覚するとともに、奇妙な症状に遭遇している。
 引越し作業で何十キロもの重い荷を動かしたりしていたためか、五十肩かと懸念していた右肩が、気になる程に痛み出したのだった。以前に四十肩を経験したことがあり、その際には、肩を上げるのも辛い痛みだったことを思えば、本格的な五十肩ではない、と自己診断をしてはいる。
 奇妙なこととは、そのことではなく、これの治療にいいかと思いとある栄養補給剤を飲み続けたのである。そもそも、四十肩・五十肩とは肩の骨と骨の間の軟骨部分が磨り減って(?)生じるもののようなので、軟骨を修繕するような栄養素が効くのではないかと考えたのである。

 「グルコサミン」と呼ばれるへんな要素がある。カニやエビなどの甲殻類の外殻を形成するキチン質のほか、ムコ多糖などにも含まれているそうなのだ。で、これをドラッグストアで購入してきて、ここしばらく毎日十粒ブラスαを食後に飲み続けてみたわけである。クスリというよりも、栄養補給剤であるため即効性があるわけではない。
 だが、即効的な効き目が現れてしまったのである。肩ではない。手の甲や腕、腿に一時的な「じんましん」症状が現れてしまったのだ。因果関連の決め手はないが、多分、「グルコサミン」の結果ではないかと推測しているのである。
 ひどい話だが、今ごろになって、その栄養補給剤の効能書きを読んだりしたら、「甲殻類にアレルギーを持つ方は服用を控えてください」と記してあったのだ。振り返ってみて、カニやエビなどの甲殻類を食して「じんましん」などができた覚えなどはなかった。大体、アレルギーという現象に心配した経験は皆無だったはずである。

 だが、よくよく考えてみると、自分は甲殻類は食することも、意識することも好きではなかった。いや、どちらかと言えば、嫌いだ、と言った方がいいかもしれない。関係ないが、軟体動物のタコやイカの方がまだ好きである。
 しばしば、エビフライ(エビ天でもいい)を好む人がいたり、でっかい蟹の看板の店でカニの食べ放題などによだれを垂らす人がいるが、自分はまったく気が知れないと思ってきた。うまいと思ったことは一度もないし、また、皆が黙ってもくもくと甲羅から肉をほじり出して食べる姿が心地よく思えなかったりしてきた。はっきり言って、甲殻類は嫌いな部類に入るのだろう。

 そこで推測するのだが、嫌いな食べ物というのは、ひょっとして好みが合わないという嗜好上の問題だけで終わってはいないのかもしれない、と思うのである。生理的体質との見えない因果関係があるのかもしれない、とさえ思い始めたのである。
 だいぶ以前に、まだうちの息子が幼かった頃、刺身を好んで食べた。が、ある時、食い意地にまかせてたらふく食べたのはいいが、そのあと苦しみだして一気に戻してしまい、腹痛を起こしたという覚えがある。で、その後、息子は長い間、刺身は嫌いな食べ物となり、いっさい手をつけなくなってしまった。
 そんなことを思い起こすと、ひょっとして、自分も幼い頃にエビやカニを食べてとんでもない災難に出会っていたのかもしれない、と思った。例えば、その甲羅のかけらが喉に引っかかってしまってとか……。

 しかし、一切は推測の域を出ない話ではある。このじんましんにしても、甲殻類からの抽出物である「グルコサミン」のせいではないかもしれないし、まして、甲殻類が嫌いだということが、生理的にも拒絶反応としての「じんましん」を引き起こすかどうかについても何ら確証はないのだ。
 しかし、人というものは、案外、「何ら確証がない」にもかかわらず、確証や、信念さえあるがごとく振舞ってみたりしていそうな気が、ふっとしたものだった…… (2003.12.30)


 冬季休暇の中日、はや大晦日になってしまった。ようやく事務所の片付けも、残すところ自分の机の上の事務用品のみとはなった。事務所内の使い勝手や体裁の上で気になる部分に手を加えていたら、思わぬ時間を費やしていた。休暇の半分が片付けであっという間に終わってしまうとは、情けなくもある。

 これまで床屋に行く暇もなく、やっと午前中に行きつけの店に出向いた。いつもはオヤジが暇そうにテレビを見上げているのだが、今日ばかりは三台の椅子が埋まっていた。客はいずれも年配の男たちで、年の瀬まで仕事で振り回されたかのような疲れを顔に滲ませているようだった。
 オヤジや店員たちは、「毎日がこんな具合に混んだら、旅行のひとつも行けるものなのに……」とでも思っているのか、稼ぎ時だとばかりに、はさみの動きが軽やかであるようだ。

 今日にかぎらないのだが、私は、またまた眠り込んでしまい、
「コーヒー、どうぞ!」
という女性店員の声でわれに返った。夕べの就寝が遅かったため今朝は十分眠ったつもりであったが、疲れ気味の身体は寸暇を惜しんで眠りをむさぼっていたのだ。
 鏡からは覗けず、ただ背後から聞こえるテレビでは、収録済みが見え見えの視聴者参加のクイズ番組をやっている。
 ふと、今朝朝食時に見るとはなく見ていた番組のことを思い起こしていた。好きだったシャンソン歌手、エディット・ピアフの『愛の賛歌』をめぐる、プロ・ボクシングの世界チャンピオンだったマルセル・セルダンとの恋の逸話に関するものだった。
 妻、子供を大事にしていたというマルセルとの恋は、言うならば不倫の恋ではある。しかし、今風の「不倫」とは異なり、何と気高く、上等なドラマだと思わされた。恋とはそういうものだとは思うが、その恋がピアフに生きる勇気を与え、マルセルには自らを高める力を与えていたことが感動的だと思えた。
 特に、出生を初めとして、辛い半生を強いられて人生の裏側を見せられてきたピアフが、実直なセルダンに触発されてゆく過程は、まさにドラマチックである。その結果、妻子あるマルセルとの愛に自ら幕をおろすために作ったとされる『愛の賛歌』、そしてそれへの返答のように不慮の航空事故で世を去るマルセル。ピアフは、まるで人生をドラマとして生きた女性のようにしか思えないのである。

 越路吹雪の熱唱、岩谷時子訳詞で馴染まれた『愛の賛歌』が一般的であるが、今日の番組で紹介されていた詞の方が、私は感じ入ったものである。
「世の中のことなんて、どうでもいいの
ただあなたが愛してさえくれれば……
あなたが死んでも私は平気、あなたが愛してくれれば
私も死ぬのだから……」
 この、最後の「私も死ぬのだから……」という部分を、越路吹雪の『愛の賛歌』から感じ取ることはほとんど無理であり、その辺に日本人が受け容れられる歌と、人生を凝視するシャンソンとの開きがあると言えるかもしれない、と思えたのである。
 口幅ったく言うならば、「死」があるからこそ、あるいは「死」の必然を自覚するからこそ、「永遠」へと向かって羽ばたく愛があり、永遠を憧憬する気高さが人間に生まれるのだと……

 どんなに精緻な情報も、またどんな膨大な情報も、それだけでは決して人間に与えないものがある! それが「感動」であり、それは生きる力に直結している。
 「情報(化)社会」についてあれこれと能書きを書いてきた今年、最後の最後となって、こんな凡庸な事実に気付くとは、情けなくもある…… (2003.12.31)