自宅の近所に、たぶん地元に張りついてきたのだと思われる家電製品店がある。一時期には「電化」の波に乗り切ったある家電メーカー専門の店である。近所であるため、その店の前は、クルマで通り過ぎたり、バス停へ向かう際に通ったりして、いやでも営業の様子が見えてくる。
今日も、その電気屋さんに、安い傘を買いに行った。電気屋さんに傘とは妙なものだが、その店では「うなぎの蒲焼」や「まぐろの刺身」、採りたて野菜まで売っていることもある。中国や台湾から安く仕入れたと思われるちょっとした家電関連小物や日用品なども客寄せのためにいろいろと展示しているわけだ。今日買いに行った傘は、以前にその店で380円で購入したものが、取っ手のすぐ上でポキリと折れてしまったため、まだ置いてあるかと見に行ったのだ。見事に折れてしまうようなものを再度買いに行く自分も変だとはうすうす感じながら向かったのだった。
家電製品販売では、「ヤマダ」だ、「コジマ」だとチェーン・ショップがまるで地域消費者に投網をかけるようにすさまじい販売攻勢をかけている。そんなショップがあちこちに開店し、テレビCMに、毎週の新聞折込広告といった宣伝活動が始まる前には、おそらく地元の消費者から信頼の眼差しで迎えられていたものと思われる。それというのも、家電製品はいつ何時に故障を起こすかも知れず、冷蔵庫にしてもクーラーにしても嵩(かさ)張る「白物」の場合は買う時の割安感だけでは済まないからだ。
その店も、チェーン・ショップが出始めた頃には、そのセールス・ポイントを最大限にアピールしていたような覚えがある。メインの店舗のほかに修理専門の店舗を設け、その店特有の彩色を施した小型車を走り回らせていた。まだ、チェーン・ショップの経営姿勢も安く「売り切る」方針が前面に出され、アフター・サービスが行き届かない頃には、地元店のそうした修理お任せ! 強調はそれなりに消費者への訴求力を持っていたのだろう。
しかし、他店の価格より百円でも安く! を競い始めたチェーン・ショップは、やがて修理などのアフター・サービス体制も万全だと主張し始めた。と言っても、家電製品の修理は基本的にメーカー預けなのだから、デリバリーの合理化さえ推進すればできないことではなかったのだろう。しかし、チェーン・ショップ側のこの改善策は、地元店にはこたえたようだ。セールス・ポイントが横取りされてしまった格好だからである。
その頃からである、その電気屋さんの店頭に「うなぎの蒲焼」や「まぐろの刺身」まで並び始めたのは……。もとより、その店の固定客は馴染みの地元年配層であったのだろう。そうした、固定客を「農協祭」か「地神祭」にも似たイベントでお出でいただこうという意図が分からないわけではなかった。
しかし、どうなのだろうか、新興住民や若い世代には、やはり奇妙な電気屋さんという印象の方が強かったのではなかろうか。彼らにしてみれば、買う時に安いことの方が何よりの魅力なのではなかったかと思われる。故障修理については、メーカーのサービス・ステーションを当てにしているかもしれないし、安い購入価格であったのなら故障すれば捨てても構わないと考えているのかもしれない。それなのに、オマケ的な事がらばかりで客寄せをねらう電気屋さんとくれば、どうしても敬遠してしまうのかもしれない。
だが、こうした事例は決して特殊なことではないようだ。スケール・メリットを享受できる大手の量販店が販売価格を信じられない水準で示すのに対して、わずかな地元顧客を相手にした地元小売店は、どのようにして価格競争力を発揮すればよいと言うのだろうか。それ以外での地元顧客への訴求力を、何としても形成したいと思う気持ちはわかり過ぎるほどよくわかる。
こうした問題と構図は、地元小売店に限らず、スケール・メリットねらいで仕掛けてくるあらゆるビジネスと小規模ビジネスとの対比というかたちでどこにでも見出せるもののようである。判官(ほうがん)びいきなどではなく、多彩な小規模ビジネスが栄える環境であって欲しいと願うのだが…… (2003.06.01)