昨日の「業界天気図」のところでも、<人材派遣>が、小雨から雲マークに移行していることを書いた。一頃、不況の波は「人材派遣業」にも押し寄せ、需要を減らしているとの情報を得ていたのだが、ややぶり返したようなのだ。
推測するに、仕事量が幾分増えつつあるのだろうか、あるいは、リストラによる人材の「不良在庫」処理が終えたところで、低コストの派遣要員を迎え入れている、といった実情なのであろうか。
いずれであっても、現経済の向かうところは、低コスト化の圧力がますます強まるだけに、最も固定コストの大きい人件費をどうにか削減しようとし、その結果、必要人材を「テンポラリー」に入手しようとする動きが加速するのであろう。
もはや終身雇用慣行の是非が問われるどころではなく、アウトソーシング(【outsourcing】 業務の外注化)可能な分野はとことん推進し、必要な人材も必要な時点で受け容れすればよい、となったのであろうか。
もともと、ソフト業界では「要員派遣」はめずらしいものではなかった。いやむしろ、この国でのソフト開発業の立ち上がりは、この「要員派遣」形態であったとさえ言える。そして、いまだにその名残として「安直な経営姿勢」が尾を引いているとも言われたりするのだ。
「構造改革」の発祥地、米国では、人件費の低コスト化に向け、相変わらずテンポラリー・スタッフを駆使する動きが強いそうだ。(NHKTV番組)財務スペシャリストを副社長待遇でテンポラリーに抱えることもあるとかいう。要するに、まさに一時的な、単純作業の分野にとどまらず「定常的に」「より高度な作業」もまた派遣型契約でまかなうケースが広がってきているとのことである。もとより、人材の流動が著しい社会(一人平均、転職回数10回!)であるだけに、企業外部からの人材に何の抵抗感もないようだ。
ところが、他方で「SAS(SAS INSTITUTE INC.)」のように、見た目には日本の一時期の終身雇用体制と見まがう体制によって高い収益を上げている企業も注目されるらしい。 それというのも、テンポラリー・スタッフに依存する企業は、当面の低コスト課題には応えられても、長期的な望ましい経営展開には問題が残されたり、人の流動化が激しいがゆえに生じる種々のアクシデントが発生したり、それはそれで「副作用」が避けられないからだそうである。
むしろ、長期にわたる正社員の定着によって、生産性の向上と安定した仕事ぶりが確保されるならば収益も高まるというのが、上記の「SAS」なのだそうだ。
もっとも、上下関係思想と仕組みが貫かれていた日本の終身雇用体制とは、はっきりとした差異があるらしい。それは、経営側と働く側とがしっかりと「対等」関係を取り結んでいることだという。それが、そうでしかあり得なかった日本の終身雇用体制と、選び抜かれた雇用システムとしての「SAS」のそれとが大きく異なる点だそうである。
おそらく、日本の一般企業では、低コスト化への強い経済圧力の下で、人材の期限付き外部依存としての「要員派遣」依存がますます強まってゆくのではないかと推測される。社会変化のスピードが速まれば速まるほど、そうした対応の方がメリットが大きいと認識されていくからでもある。
ただし、そうした選択に「副作用」が不可避であることもまた十分に自覚されなければならないだろう。一言で言ってしまえば、派遣スタッフに期待できるのは「ミニマム(最低限)」水準なのであって、決して「マキシマム(最大限)」ではないし、「プラスアルファ」などは筋違いだということになりはしないか。
そして、社会変化が超スピード化するならば、「マキシマム」や「プラスアルファ」の能力によってでなければビジネス・チャンスが掴めないような環境が広がっていくのではないのだろうか。製品の改良や、新製品の企画などはもちろんのこと、ルーチン業務であってさえ、その過程に潜むバリューアップへの兆しを掴むには、「マキシマム」や「プラスアルファ」の能力が必須のように思われる。そうした能力が人の個性の問題だと言ってしまうのではなく、雇用関係が「一時的」なものか「永続的」なものかの決定的差異を見つめるのが深い洞察力だという気がしてならない。
時流の乗って一見合理的と見える「目先」の方策を採るのか、来るべき先を見越して然るべき方策を選ぶのか、そしてこの選択に伴う必然的結果を引き受けていく。どちらにするのかというこんな判断も迫られているのが、今日なのであろう。時代は、「効率化」だけを推しつけていると早とちりしてはいけないようだ…… (2003.11.01)