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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2003年11月の日誌 ‥‥‥‥

2003/11/01/ (土)  <人材派遣>への評価は決して一様ではない……
2003/11/02/ (日)  思い込み激しき者は挫折する……
2003/11/03/ (月)  どんよりとした「文化の日」に思う……
2003/11/04/ (火)  アイデアマンとなるためには「連想ゲーム」の達人に!
2003/11/05/ (水)  言葉には「魔力」が潜伏している事実!
2003/11/06/ (木)  奇しくも「創造性」と「心」は危篤状態にある?
2003/11/07/ (金)  真摯に見守るべきは、知識に収まらない世界!
2003/11/08/ (土)  「知識万能」時代は逆に「創造性」をスポイルすることも……
2003/11/09/ (日)  「UFO」の写真を撮ったなどと言えば笑われるのがおちだろう……
2003/11/10/ (月)  戦後2番目の低投票率と「バカの海」?
2003/11/11/ (火)  コンピュータなみの正確さ、無謬(むびゅう)が要求される時代?!
2003/11/12/ (水)  「成るように成る」道理もまた健在に違いない?
2003/11/13/ (木)  衝撃を受けた『若者が<社会的弱者>に転落する』という本!
2003/11/14/ (金)  動物たちに「高貴」さを見るほどに……
2003/11/15/ (土)  秋の日の薄暮の「寂しさ」が深まる……
2003/11/16/ (日)  年配男性たちの間にも「ひきこもり」が広がっているのか?
2003/11/17/ (月)  心をめぐる二話……
2003/11/18/ (火)  背筋の中で鳴くこおろぎとは何なのだろうか?
2003/11/19/ (水)  多摩川中洲の瀬戸際「ベース・キャンプ」?!
2003/11/20/ (木)  仕事の主役はやはり人間!
2003/11/21/ (金)  バブル時の異常さを今なお引きずるものとそうでないもの!
2003/11/22/ (土)  人間は睡眠によって毎日新しく生まれかわる……
2003/11/23/ (日)  「充実した」町内の火災予防訓練!
2003/11/24/ (月)  またまた「バカの壁」、「情報(化)社会」の「死角」?
2003/11/25/ (火)  「変化」という言葉自体を再検討しなければならない!?
2003/11/26/ (水)  過激な変化の中で「歯槽膿漏」が進行する?
2003/11/27/ (木)  需要増大で逼迫するに違いない「マンパワー」!
2003/11/28/ (金)  老いも若きも同様に感じている未曾有(みぞう)の時代!
2003/11/29/ (土)  中高年たちの「甲斐甲斐しい」独り所作……
2003/11/30/ (日)  楽観的な「それはないでしょ〜」と詰問の「それはないでしょ!」






 昨日の「業界天気図」のところでも、<人材派遣>が、小雨から雲マークに移行していることを書いた。一頃、不況の波は「人材派遣業」にも押し寄せ、需要を減らしているとの情報を得ていたのだが、ややぶり返したようなのだ。
 推測するに、仕事量が幾分増えつつあるのだろうか、あるいは、リストラによる人材の「不良在庫」処理が終えたところで、低コストの派遣要員を迎え入れている、といった実情なのであろうか。
 いずれであっても、現経済の向かうところは、低コスト化の圧力がますます強まるだけに、最も固定コストの大きい人件費をどうにか削減しようとし、その結果、必要人材を「テンポラリー」に入手しようとする動きが加速するのであろう。
 もはや終身雇用慣行の是非が問われるどころではなく、アウトソーシング(【outsourcing】 業務の外注化)可能な分野はとことん推進し、必要な人材も必要な時点で受け容れすればよい、となったのであろうか。
 もともと、ソフト業界では「要員派遣」はめずらしいものではなかった。いやむしろ、この国でのソフト開発業の立ち上がりは、この「要員派遣」形態であったとさえ言える。そして、いまだにその名残として「安直な経営姿勢」が尾を引いているとも言われたりするのだ。

 「構造改革」の発祥地、米国では、人件費の低コスト化に向け、相変わらずテンポラリー・スタッフを駆使する動きが強いそうだ。(NHKTV番組)財務スペシャリストを副社長待遇でテンポラリーに抱えることもあるとかいう。要するに、まさに一時的な、単純作業の分野にとどまらず「定常的に」「より高度な作業」もまた派遣型契約でまかなうケースが広がってきているとのことである。もとより、人材の流動が著しい社会(一人平均、転職回数10回!)であるだけに、企業外部からの人材に何の抵抗感もないようだ。
 ところが、他方で「SAS(SAS INSTITUTE INC.)」のように、見た目には日本の一時期の終身雇用体制と見まがう体制によって高い収益を上げている企業も注目されるらしい。 それというのも、テンポラリー・スタッフに依存する企業は、当面の低コスト課題には応えられても、長期的な望ましい経営展開には問題が残されたり、人の流動化が激しいがゆえに生じる種々のアクシデントが発生したり、それはそれで「副作用」が避けられないからだそうである。
 むしろ、長期にわたる正社員の定着によって、生産性の向上と安定した仕事ぶりが確保されるならば収益も高まるというのが、上記の「SAS」なのだそうだ。
 もっとも、上下関係思想と仕組みが貫かれていた日本の終身雇用体制とは、はっきりとした差異があるらしい。それは、経営側と働く側とがしっかりと「対等」関係を取り結んでいることだという。それが、そうでしかあり得なかった日本の終身雇用体制と、選び抜かれた雇用システムとしての「SAS」のそれとが大きく異なる点だそうである。

 おそらく、日本の一般企業では、低コスト化への強い経済圧力の下で、人材の期限付き外部依存としての「要員派遣」依存がますます強まってゆくのではないかと推測される。社会変化のスピードが速まれば速まるほど、そうした対応の方がメリットが大きいと認識されていくからでもある。
 ただし、そうした選択に「副作用」が不可避であることもまた十分に自覚されなければならないだろう。一言で言ってしまえば、派遣スタッフに期待できるのは「ミニマム(最低限)」水準なのであって、決して「マキシマム(最大限)」ではないし、「プラスアルファ」などは筋違いだということになりはしないか。
 そして、社会変化が超スピード化するならば、「マキシマム」や「プラスアルファ」の能力によってでなければビジネス・チャンスが掴めないような環境が広がっていくのではないのだろうか。製品の改良や、新製品の企画などはもちろんのこと、ルーチン業務であってさえ、その過程に潜むバリューアップへの兆しを掴むには、「マキシマム」や「プラスアルファ」の能力が必須のように思われる。そうした能力が人の個性の問題だと言ってしまうのではなく、雇用関係が「一時的」なものか「永続的」なものかの決定的差異を見つめるのが深い洞察力だという気がしてならない。

 時流の乗って一見合理的と見える「目先」の方策を採るのか、来るべき先を見越して然るべき方策を選ぶのか、そしてこの選択に伴う必然的結果を引き受けていく。どちらにするのかというこんな判断も迫られているのが、今日なのであろう。時代は、「効率化」だけを推しつけていると早とちりしてはいけないようだ…… (2003.11.01)


 ちょっと違うなぁ…… 何が違うんだろ?

 以前、通勤途中の通りにできた「お好み焼き店」について、あくまで外から見た印象を書いた。クルマからいつも目に入りながら、あまり知らん振りをし続けるのもなんだからと試食に行ってみた。食事の仕度が一回減ることを喜ぶ家内を連れて訪れてみたのだ。
 エクステリア、インテリアを昭和三十年代風にあしらった店には、こちとらとしては、どうしても何某かの過剰期待をもって臨むことになってしまう。店に入る前から、何か期待で胸がふくらむ思いがしてしまった。

 店の中も、まるで小さなスタジオのセットのように、当時の軒下や路地裏の作りが再現してやや薄暗かったもので、いよいよバカな期待がこみ上げてきたのである。
 そう言えば、こんな路地裏がいたるところにあったっけかなぁ……、表通りが舗装されていなかったんだから、裏通りなんぞセメントであるわけがなかった。日当たりが悪いもんだから、年がら年中ジメジメしていて、慌てようもんならズックの足が取られツルリと滑ったりさえしたものだ。ぶさいくな顔した野良猫がウロチョロしてたっけかなぁ……、いやいや野良犬さえ、自主散歩をしてたもんだ。夜になり、そんな路地裏を通ると、電球で明るくなったよそのお宅の家の中が、窓ガラスから丸見えだったりしたっけかなぁ……、「星一徹」が引っくり返した丸い卓袱台(ちゃぶだい)囲んで、親子が質素な晩飯を食べてる光景が目に飛び込んできたこともあったかなぁ……、ぼっちゃん刈り、おかっぱ頭のさっぱりした子供たちが、畳に正座して、はしと茶碗を持ち、慎ましいおかずを突く絵が良かったなぁ……。「奥さーん、もう食べ終わっちゃったぁー?」なんて、突然近所のおかみさんが飛び込んで来て、もらい物で多く作ったからといって皿に盛り上げた煮物を持ってくる図も思い出されるなぁ……。
 と、すっかり、気分は昭和三十年代風にタイム・トラベルしていたのだ。そこへ、
「テーブルとお座敷とどちらにします?」
という店員の声があった。もちろん、気になって見ていたお座敷とやらを所望した。お座敷とやらの入り口には、どういうわけかあの「木製のゴミ箱」があった。蓋を上げると時たまごみ漁りの野良猫が飛んで出てくるあれである。それは、前面のサイドが開いていてシューズ・ボックスとして活かされていたのである。
 部屋に入ると、そこは縦長の十畳ないし十二畳の広さだとわかった。片側の壁には、「田中絹代」だか誰だかの女優たちの面影の写真が拡大コピーされて貼り付けられてあった。小部屋風に見せるべく、二方面には窓が設えられ、木製の桟は真中にダイヤの形を作ったりして当時っぽい雰囲気が感じられた。
 とまあ、大道具、小道具はまずまず雰囲気を作っていたわけである。
 が、
「ご注文が決まりましたら、お呼びください。お飲み物だけ先におうかがいいたします」
というやり手風のお姉ちゃんのセリフで、やや現実感に戻った。いや、レストランなどのウェイトレスの普通の対応なのであり、ことさら文句を言う筋合いはないはずである。が、私は現実に戻ってしまったのだ。ことによると、私が期待していたのは、透明度を欠いたコップにぬるい水を入れ、丸い盆にそれを乗せ、割烹着なんぞを引っ掛けてぶ愛想に現れるお婆さんか何かを期待していたのかもしれない。この際は、商売っけがないような対応というのが眼目なのである。が、そのお姉ちゃんはやたら商売上手な対応と雰囲気に満ちていた。私は、いつぞや見たTV番組での「収益を上げる」飲食店の華麗な店員たちのことを思い浮かべざるをえなかった。
 それはそれで結構ではある。今どき、商売っけが問題視されるような店は回ってゆかないはずだろう。だが、この後も私はなんとはない違和感を感じ続けていた。お品書きを見た時に感じたやや高めプライスにも、また、極めつきなのは目の前に鉄板つきのテーブルがあるのにもかかわらず、調理場で焼き上がったものを持ってきて、客には、ものが冷めないことを目的とした鉄板の使用しか許されていないことなどである。こうして、違和感がひとつひとつ増幅していったのだった。
 考えてみれば、商売、ビジネスという点から見るなら、ことごとくその店のシステムは合理的なのであった。客が焼けば、時間もかかるし、汚れも生まれる。客の回転に支障が生じることは当然の結果となる。
 むしろ、勝手に昭和三十年代への郷愁を持ち込み、あわよくば「はいっ、全部で百二十五円です」とでも言ってもらおうと、いやそこまでは考えていないが、とにかく勝手な期待を抱いたこちとらが間違っていたのである。
 が、昭和三十年代への郷愁の原点は、やはり「自分で焼く」ということであるに違いないのだ。それが、はずされたのではなんとも立つ瀬がなく、惨めな気分となってしまうのである……
 帰りのクルマの中では、もはやお好み焼きは自宅でやるっきゃないもんかなぁ…… などといじけて「引きこもり」的心境に落ち込んだりしていた…… (2003.11.02)


 朝から小雨などが降って、遠くの景色も乳白色に煙りどんよりとしている。こんな日は、頭も気分もすっきりとするわけがない。さえない祝日である。
 この日を利用して開かれている催し物の挨拶では、切り出す言葉が見つからなくて困っているのではなかろうか。別に「大安」の日でもないので「本日はお日柄も良く」とは言えない。全天雲が覆っているので「雲ひとつない秋晴れで」とも言えまい。「天候のほどはともかく、このように賑々(にぎにぎ)しくご来場いただけましたことは……」などとさりげなく冒頭を濁すしかないのだろう。「文化の日」としては、ふさわしくない天候なのかもしれない。

 ただ、思うに、こんな天候の日でさえ、「人の叡智」で秋晴れの日の行事にも勝るとも劣らない盛況な催しに「でっち上げる」(?)のが「文化」というものではないかとも思ったりする。が、ここでは、そもそも文化とはなどという、手間ひまがかかる書き方は避けたいと思っている。なんせ、この天気で頭も気分もすっきりとしていないから重いテーマへの突進は極力避けつつ、軽く書き流したい願望が居座っているのだ。

 小学校時代の国語の教科書にあったと記憶しているある話を思い出している。「ウインブルドン」のテニス大会の記憶も混線的に思い出すのだが、そうだとするとつじつまが合わないので別の場所であったのであろう。(終戦直後の映画館であったかもしれない……)なんでも、観衆が集まる場所での「事件」であった。停電だか何かで、しばし観衆が途方に暮れる状況に陥ってしまうのである。長い静寂が重苦しく続くのだった。もう、人々が我慢できないと思えたその時、突然、ブラスバンドか何かの生演奏が始まったのである。しかし決して、主催者側の配慮ではなかったのだ。たまたま観衆に混じっていた演奏メンバー(GHQ?)たちが、不安な観客たちに対して自主的な投げかけを行なったのだった。おそらくは、観客たちの不安といらだちを癒すようなそんな曲が選ばれたのであろう。そして、やがて、緊急事態は回避され、何ごともなかったかのように催し物は再開するのだ。

 なぜこんなことを突然思い出したのかといえば、文化とは「人の叡智」の集合体だと思うからなのであり、それは何も科学、学問、芸術などと大仰な分野だけのことではないと思えてならないからである。日常生活の中での、なんでもない人間生活がそのまま文化によって支えられているのだし、人が心を痛めるちょっとした事件にぶつかった際に、それを創意工夫と善意によって修復しようとする行為そのものがまさしく文化だと考えたいのである。上述のアドリブ演奏はその点できわめて高度な文化的アクションだと感じたからこそ、いつまでも忘れられないのだ。

 毎年、この日に向けて「叙勲」の受章者が発表される。どこが、どんな基準によって定めるのかといつも疑問を払拭せずにそのままとなってしまう。こうした受章者たちが文字通りの「文化人」ということになるのだろうか。
 ただ、私自身の定義では、人はすべて文化人となり得るし、逸脱もし得ると思っている。また、昨日文化人であっても、今日は野蛮人となりはてることも可能だし、その逆もあり得るとさえ思っている。そこが人間のおもしろいところであるはずなのだと…… (2003.11.03)


 最近はこの日誌を、だいたい午前中に書き終えるよう努めている。夕刻ないし夜の方が有利であることはわかっている。ひとつは、書くべき材料が増加している点であり、もうひとつは、テンションが這い上がって、頭の回転が滑らかになっている点からでもある。
 早起きをするようになったため、一頃よりはましにはなったというものの、やはり朝は頭や心が立ち上がり切っていない。だから書くべき題材を絞るのにも一苦労するありさまとなる。すると、逆にそうだからこそ、朝一番、頭脳活動のウォームアップも兼ねて文章を書いて、そのあとの仕事に勢いをつければいいじゃないか、という思いが生じ、あえて午前中の挑戦としているわけなのである。

 元来、自身でも自覚があるのだが、文章を綴る際、よほど疲れている場合は除いて目覚めてから時間が経つほど言葉や発想の「滑り」がよくなるものだ。とりわけ夕刻から夜にかけてともなれば、それらに「弾み」がつくことは歴然としている。なんと言うのだろうか、脳活動や感情に枝葉があるとするならば、その隅々までもが活性化されて、そこからアウトプットされるものもきめ細かくなるとでも言えそうなのである。この「メカニズム」を自覚したことが、以前の夜更かしの最大の原因であったのだと思っている。

 ところで、頭の回転の「滑り」であるとか「弾み」であるとかの「メカニズム」とは一体何なのかということになる。ごつい歯車が組み合わさって、油汚れした工場内の機械などを思い浮かべてみると、大体は想像でき、納得できそうなものではある。だが、こうしたアナロジーで理解可能ではありそうだが、厳密に言うならば頭の中には歯車があるわけでもないし、それらの摩擦熱で滑りがよくなるような油が注入されているわけでもない。慣らし運転をすれば調子が出てくるとする説明はやはり荒っぽ過ぎるかもしれない。

 そんなことを考えていて、ふと気がついたのが「連想力」というものなのである。これまでにも経験してきたのだが、あることに頭も心も傾注し続けて深夜に至った時など、もう眠らなければと思った頃に発生する頭と心の活動状況の特徴とは、まさに「スパーク」のような過剰「連想」なのである。それはあたかも、高電圧を加えられた配線間に、回路を超越した「スパーク」が発生するように、次から次へとわずかな関係性をたどって「連想」ゲーム(?)がバトルロワイヤルのように展開するのである。
 とりあえずではあるのだが、私の実感としては、その状態が頭と心の絶好調(?)なのではないかと思い込んでいる。現に、そこそこの「アイデア」のかけらを掴んだ覚えもある。ただ、その状態というものが決してパーフェクトなものではないこと、どちらかといえば「右脳」のハイ・ボルテージ化なのかもしれないと判断したりしている。というのも、そんな時に書き留めたメモなどを、翌朝、クールダウンして冷め切った脳で反芻するならば、破り捨てたくなるほどに無理だらけのロジックであったりすることを、何度も気づいているからである。

 だが、「アイデア」というものはこの「連想力」と密接に関係しているものではないかといまだにとらわれている。
 どうも最近は、自称アイデアマンも寄る年波には勝てず(?)精彩が衰えたような自覚に襲われ、著者の名が漫才師でであるようなある本を読んでみた。『アイデアのつくり方』(ジェームス・W・ヤング、TBSブリタニカ刊、1988年)である。小冊子ではあるが、「アイデア」に関するエッセンスが凝縮されている印象を受けた。
 とりあえずコアな部分を引用するならば、
「アイデア作成の基礎となる一般原理については大切なことが二つあるように思われる。そのうちの一つ……アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもないということである。……第二の大切な原理というのは、既存の新しい一つの組み合わせに導く才能は、事物の関連性をみつけ出す才能に依存するところが大きいということである」
 この「事物の関連性をみつけ出す才能」が、私は「連想力」と密接に関係しているものだと考えているのだ。いわば、いわゆる知識とは、輪郭が明瞭にされた情報内容であるが、知識として固定されない経験情報や感情などは、どこが輪郭なのかわからないような「裾野」(?)を引きずっているように思われる。そして、「連想力」とは、この「裾野」をあたかも「糊しろ」(?)とするかのように複数の要素をリンクさせる、というイメージを私は持っている。さらに、クリア・カットされた知識といえども、その切り口には、「裾野」とは言えなくても「バリ(金属やプラスチックを加工する際に、その縁[へり]などにはみ出た余分な部分)」などが残っていたりするようだが、これを見抜いて複数の知識間にリンク関係を生み出すのが「連想力」だと考えたいと思っている。

 なお、上述の「漫才師」は思わず「ほぉー!」と頷いてしまうような暗示的なことを見抜いていた。
「だから事実と事実の間の関連性を探ろうとする心の習性がアイデア作成には最も大切なものとなるのである。ところで、……この習性を修練する最も良い方法の一つは社会科学の勉強をやることだと私は言いたい」
 その理由は書かれてなかったが、思うに、社会科学者たちは不鮮明な切り口の数々の社会事象をめぐって、それらの間に何らかの関連性を見いだそうとして誰よりも触覚を働かせている人種だからかもしれない…… (2003.11.04)


 毎度、「争点」がぼやかされる選挙の中で、今回は、決定打とはなり得てはいない感じはするが、「マニフェスト」の比較選挙であるのかもしれない。
 ところで、この言葉を今回の選挙向けに持ち込んだのは、政権奪取をねらう民主党側であった。果たしてどういう結果となるのかが注目されるところではある。

 ただ、もしこの言葉が、大衆の現在の「感情生活の琴線に触れるような響き」があるとすれば、かげろうのような小泉人気を蹴散らかし、圧倒的な民主党大勝利となると言って間違いないはずだ。加えて、こうした選択の<ものさし>を提示することは間違いではないどころか、まさしく正攻法だと言うべきである。

 だが、いまひとつ懸念することは、この言葉とその響きがどこまで大衆の感性に受け容れられるものかという点なのである。茶々を入れているつもりはなく、こうした問題は結構重要な要素だと見なしているからである。
 まして、相手はすべてを「ワン・フレーズ」でいなしてきたしたたか者である。また「構造改革」という言葉は、昔ならば硬くて敬遠された言葉であっただろうが、今日のように大衆の生活にも表面的な手直しではままならない複雑な問題が頻発するご時世にあっては、何かありがたい言葉として受け容れられる素地があったかのようである。
 つまり、何だかわけのわからない事件が身の回りでも繰り広げられるし、会社も家庭も今までの通念が通用しないようなゴタゴタも抱え込んでしまっている。また、太り過ぎた自分の身体ももてあまし、腹を見るならばしっかりと「構造」化された贅肉も付着しているではないか。「そうなんだ! 表面的な改善何ぞでは済まないぞ、『構造』を変えることが必要な時代てぇことなんだ!」とまあ、「構造改革」なる呪文への耳慣らし、あるいは受け容れ素地はあらゆる場面でそこそこ出来上がっていたに違いない。

 それに対して、「マニフェスト」なる言葉はどうであろうか。
 まず、大衆的生活のどこを見てもその言葉と結びつくような響きの代物はありはしない。「フェミニスト」という響きは近いには近いが、そんな上品な言葉を使う大衆はごくまれなはずである。小中学校で教えてもらった「マニュファクチャ」なんてもうとっくに忘れてしまっているだろう。
 すると、何ら手掛かりとなるようなものがないことになる。となれば、そうした言葉は疎遠となり、ややもすれば、わずらわしいものを入れるカテゴリーに放り込まれることとなり、それを持ち出した張本人もわずらわしいイメージで塗りつぶされたりする危険さえ出てきたりするのではなかろうか。
 私個人としては、もはや「マニフェスト」で争う選挙の時代だとは思っているのだが、今度の選挙でそうした「マニフェスト」効果が発生するのかしないのかという点では、幾分か疑問視せざるを得ないでいる。
 「ワン・フレーズ」宣伝マンに対抗するには、もっともっとシンプルで、生活感があってインパクトを伴ったフレーズを駆使してのキャンペーンを張ってはどうかと思ったりしてきたのだ。(昨日、民主党側は「新」政権での「予定」閣僚を発表したが、この種のインパクトは期待し得るような気がする)

 もう古い話であるが7,80年代のコピー、「おいしい生活」(糸井重里)なる言葉は、何と大衆を高度消費社会へと強力に誘ったことであろうか。言葉というものは、まるで生き物のごとく人の心に忍び込むやいなやさまざまな生活感情と結びついて自己増殖さえ始めかねない存在なのだという気がするのである。
 昨日書いた「漫才師」W・ヤングの『アイデアのつくり方』の中でも、言葉の「魔力」を次のように指摘している。
「さらにもう一つ私がもう少し詳細に説明すべきだったことは言葉である。私たちは言葉がそれ自身アイデアであるということを忘れがちである。言葉は人事不省に陥っているアイデアだといってもいいと思う。言葉をマスターするとアイデアはよく息を吹きかえしてくるものである」
 アイデアを生み出そうとする者にとって言葉のマスターは重要であると同時に、そうでない者にとっても、受け取った言葉から何倍ものイメージが生み出されてしまうのが言葉の不思議なのだと思う。
 そう考えると、現在のこの国での言葉のあり方は絶望的とさえ言えるほどに粗雑化している。そして言葉の貧困状態は、アイデア、創造性などという上等な話ではなく、人間的な能力を麻痺させ、無効とさせ機能を果たしているとしか言いようがない。動物以下とさえ思われるおぞましい事件が多発するのも、人間的思考を司る言葉の瓦礫(がれき)化状態と無関係ではないような気がしている。
 ともかく、言葉をどう使うかはその人の良識に任せるしかないが、言葉には思わぬ「魔力」が潜伏している事実にもしっかりと注目してかかるべきなのであろう…… (2003.11.05)


 アイデアを生み出す(創造性)という魅惑的な問題に引き続き関心を向けている。
 この問題が魅力に富んでいるのは、実に人間的な、人間独自な「知的」行動であるからかもしれない。今、「知的」という言い方をしたが、「知的」作業をするのは人間だけではなく、むしろコンピュータの方がその処理の正確さと迅速さで上回っている。
 にもかかわらず、コンピュータはおそらく永遠にアイデアを生み出す(創造性)ことはできないはずだと考えている。
 『マトリックス』という、おもしろい洋画が人気を呼んでいる。確かに、好意的に見れば、よくもここまで「空想力」を働かせたものだと感心してしまう。また、その「空想力」をよくぞ映像化したものだとその努力にも敬服する。しかし、この話の前提は、極めて乱暴であろう。SFだから目くじらを立てることもないのだが、コンピュータが自立(自律)し、創造的判断が可能となった、とさり気なく言い放っているからである。もう、それくらいの環境設定をしなければ誰も驚かなくなっている何でもアリの時代となってしまったと言うべきか。

 しばしば、コンピュータや、それによって制御されるロボットが、不可能だと目されている事実として二つのことが指摘される。一つは、自律的判断、もっとわかりやすく言えばアイデアを生み出す(創造性)ことであり、もう一つは、感情を持つこと、ないしは心を持つこと、ということになろう。確かに、それらへの挑戦がなされ、あたかも成立したかのようなアウトプットが紹介されたりはしている。たとえば、チェスを進めるコンピュータであり、また感情を持ったかに見える犬型ロボットであったり……
 しかし、それらは事実上まやかしであることに間違いはない。なぜならば、人間自身の創造性行為と心のメカニズムというものが、いまだ解析され切っていないことを見ればわかる。多分、この領域は諸科学の発展の中で、最も緩やかな進展しか見せていないのではなかろうか。

 ところで、今ここで関心を向けたいことは、それらをめぐるコンピュータの可能性の問題などではない。そうではなく、人間におけるこれら二つの事象が、ひょっとして別々のことがらではなく、実は表裏一体の一つの出来事なのではないかという点なのである。
 先ず、確からしいことを並べ立てれば、発明・発見という創造的行為のコアな(核となる)部分は、意識され、醒めた頭脳活動ではなさそうだと言われたり、だから「インスピレーション」とか「閃き」とか、あるいは知識・言語操作を代表する左脳活動ではない右脳活動だとか言われたり、要するに、はなはだ頼りなくも現代科学がタッチできない分野のごとく表現されている。
 この間、話題にしている『アイデアのつくり方』(おとといの日誌参照)においても、アイデアを作りだすためには、頭脳ではなくて「心を訓練すること」と表現されている。もちろん、知識操作の息詰まるようなプロセスを前提にしての話であって、いきなり宗教的なジャンルに紛れ込もうとしているのではないのは言うまでもない。

 実際、私自身の経験でも、アイデアの「スパーク」は、まさに「スパーク」なのであって、知識操作の連続線上の出来事ではないと確信している。何かある種の「断層」を飛び越えた、そんな「非連続」的なイメージが拭い切れないのである。
 そうしてみると、アイデアの「スパーク」などは、怜悧な脳の働きというより(実際は脳内での働きであることは間違いないのだろうが)「心の働き」と表現した方が妥当であるような印象を受けるのである。と言うのも、それらは、いわゆる脳活動の特徴が「意識」活動であるのに対して、心の特徴でもある「無意識」の領域に確実にまたがっている、いやそこでこそ展開していると推測されるからでもある。
 つまり、結果としてアイデアであるとか、創造であるとかを成し遂げた時には、必ずといっていいほどに「無意識」の時間帯を経験するのであり、そのプロセスは「心の働き」なのだと表現しても差し支えないと思われてならないのである。

 最近、『バカの壁』のベストセラーをきっかけにして、養老孟司氏の「脳化社会」への批判が共感を呼んでいるような気配を感じている。要するに、左脳が生み出すお定まりの知識が過剰に溢れる生活環境の中で、人々はそうした脳万能主義の環境は何か間違っているのではないか、と根源的な疑問を抱き始めているのではないかと推測するのである。
 またすでに、行過ぎた近代合理化の過程で、「日本人は心を見失った」という批判も耳にしてきた。決して、守旧派のようにアナクロニズムの復古を毛頭願っているわけではない。ここで目を向けたいのは、こうした左脳的な知識過剰な環境の中で、同時に、日本人は「創造性に欠ける」とも言われてきた事実なのである。どうも、この両者には何らかの密接な関係があるのではないかと感じるのである。

 「創造性」と「心」との相互関係を問うことは、これら両者が曖昧模糊としているだけに扱いにくいテーマのはずである。まして、現在のこの国では、これら両者が危篤状態にあるかのようなのでなおのこと接近しにくいのかもしれない…… (2003.11.06)


 根を詰めてものを考えている際、ある瞬間、今これ以上どう考えてもまとまる見込みがなさそうだと感じる時があるものだ。頭の中のそれぞれの要素が意地を張り合って、いわば膠着状態となり身動きがとれなくなってしまう構図なのである。
 こんな時、この膠着状態を何とかしようともがいても堂々めぐりに終わってしまうものだ。むしろ、その状態から離れて、知らん振りをする時間こそが必要なのである。フラリと散歩に出かけてしまうのもいい。先ほどの膠着状態が気になって、心ここにあらずといった歩き方などしてはいけない。何を考えていたんだっけ、と思うくらいに散歩なら散歩に埋没した方がいい。
 しかし、散歩などというようなそんな短時間でどうにかなるものでもない場合が多い。とすれば、あせってはいけない。締め切りが近いとどうしても早く恰好を整えたくて慌ててしまう。
 だが、知的労作というものは、コアな部分の斬新さこそがすべてなのである。「画竜点睛を欠く」のように、その部分が生み出されないならば、いくら周辺的事実が形として整えられていてもほとんど価値がないと言うべきなのである。

 今、ふと、以前研究生活をしていた頃のことを思い起こした。ある先輩が、愚痴っていたものである。
「とにかく書かなきゃと急かれる気分のままに書き始めたのはいいが、原稿用紙数十枚を埋め、結論に差し掛かったら、どうしても結論が出てこないんだ。結局、次のように書いて逃げちゃったよ。『いろいろと議論を積んできたが、このような重要な問題に私ごとき若輩者が軽々な主張をすることは憚られてならない。今後の議論の行方を真摯に見守りたいと思う』とね」
 こんなことは、傷を舐めあう学者たちの世界では許されても、実世界では磔獄門の刑であろう。
 つまり、知的作業にあって見るべきは、個性的で斬新な結論の一箇所であって、それがすべてだと思える。そこさえ生み出せれば、あとの形は力仕事だと言っていいくらいではないか。たとえ締め切り一時間前であっても、周辺的な形ならばあっという間に仕上がってしまうものであり、PCやITなどはそのためにこそあると言っていいだろう。コアな部分にたっぷりと時間をかけることこそ眼目のはずなのである。

 ところが、斬新な独創的な発想というものは、知識や情報の下準備をしっかりと終えても、またそれなりの吟味を終えても早々右から左へ登場してくれるものではない。冒頭のように、自分の愚鈍さが思い知らされるような混乱状態に遭遇することが多かったりするものである。
 こんなことを振り返っていると、どうも、知的作業というものは「意識的」な作業だけでは完結しないという点に思い至らざるをえない。また、「意識的」な頭脳活動と密着している「効率」とか「スピード」などの観念とは異なった世界に接触することなしに、知的作業というものは成立しえないのではないか、とさえ感じたりする。

 連日、材料としているW・ヤングはその点を見事に把握している。
 同氏は、アイデアのつくり方の段階を以下のようにまとめている。
「第一 資料集め――諸君の当面の課題のための資料と一般的知識の貯蔵をたえず豊富にすることから生まれる資料と。
第二 諸君の心の中でこれらの資料に手を加えること。
第三 孵化段階。そこでは諸君は意識の外で何かが自分で組み合わせの仕事をやるのにまかせる。
第四 アイデアの実際上の誕生。<ユーレカ! 分かった! みつけた!>という段階。そして
第五 現実の有用性に合致させるために最終的にアイデアを具体化し、展開させる段階。」
 また、私が縷々述べてきたことに見合う「第三」の段階を次のように表現しているのである。
「この第三の段階にくれば諸君はもはや直接的にはなんの努力もしないことになる。諸君は問題を全く放棄する。そしてできるだけ完全にこの問題を心の外に放り出してしまうことである。……ここですべきことは、問題を無意識の心に移し諸君が眠っている間にそれが勝手にはたらくのにまかせておくということのようである。……諸君はシャーロック・ホームズがいつも一つの事件の最中に捜査を中止し、ワトソンを音楽会にひっぱりだしたやり方を記憶されているにちがいない。……コナン・ドイルはすぐれた創作家で創造過程というものがどんなものかをよく知っていたのである」

 私は、あえて「創造性」を神秘化したいと思っているわけではないのだ。そうではなくて、「創造」的思考には、避けて通れない「必要経費」的な段階があること、それは、まるで生物の「孵化」のようであり、「発酵」のようでもあり、葡萄酒やウイスキーのようでもあり(?)、いわばコンピュータに通じる人為的時間操作、スピード操作の世界とは異質の世界の出来事なのだ、ということを、「真摯に見守りたいと思う」のである…… (2003.11.07)


 高校時代、半分以上本気で芸術(絵画、彫刻)への進路を考えたことがあった。その頃、同じ美術部の個性的な女性が、「芸大」の入試の関門は「デッサン」だということで、その種のスクールへ通い始めたのを知った。ちょっと魅力的な彼女であったため、何かと話をしたのだが、こんなことを言っていたのを覚えている。
「デッサン・スクールへ通うと確かに基本はマスターできるようになるけれど、往々にして個性が潰されてしまう危険があるらしいの……」
 君の段階は個性以前だから大丈夫! と言ってあげたか言わなかったかは覚えていない。しかし、まさに「往々にして」発生することは事実なのであろう。いや、どんなジャンルであるかを問わず、個性を目指す無防備な双葉たちが、その才能の可能性をトレーニングの名の下に何の魅力もない凡庸な才へと置換えられていることかと、ふと想像してしまうことがある。

 ここしばらく、「創造性」(と「心」または「無意識」)について意を傾けているが、「個性」というテーマも同じ鍋で煮てみたら(?)どうかと考えるのである。
 両者は、前者が「新奇」を眼目とし、後者は「差異」を眼目とするようだが、結局のところ同じだと言ってもいいのではないかと思うのだ。
 確かに、「創造性」には「意図と努力」の側面がありそうで、「個性」には、そうした側面がないと思しき「生得的」な内容にも適用されそうである。例を挙げるなら、持って生まれた身体的特徴を「個性的」な何々、たとえば「個性的」な声という場合などである。
 しかし、この周辺をじっくりと吟味してみたい気がする。
 もう、何十年も前の話(1966年)となるが、私が初めて歌手の森進一が歌う場面をTVで見た時のことは妙に忘れられないでいる。なぜ自宅に居たのかは忘れたが、昼下がりの番組で、確かデビュー曲の「おふくろさん」を熱唱する場面なのである。あの不思議な響きのある「かすれた声」で、それを逆手にとったようなバイブレーションで切々と歌う姿に、私は、身震いを伴う衝撃を受けたものだった。感動などという綺麗事ではなく、正直に言えば異様さを感じたという覚えがある。が、その後、歌手森進一は、大スターへの道を驀進していくこととなった。
 彼のあの「かすれた声」は、デビュー前から彼の身体的特徴に類する「個性」であり続けたのであろう。生まれた時からというのは言い過ぎだとしてもである。当人もそれが自分の「個性」であると意識していたはずである。そして、歌手デビューに至り、スターと称されるに至り「創造的」な「個性」と見なされ、文字通り「個性」=「創造性」となったとものと考えられる。
 それでは、デビュー以前の彼の「かすれた声」は、「個性」ではあっても、「創造性」ではなかったのか、という点である。個性は大衆的支持を得れば「創造性」となり、そうでなければ「創造性」とは呼ばれないのであろうか。
 彼は、自分の声が、周囲から「変な声」と評されたかもしれない環境の中で過ごしたと想像される。思春期であれば、落ち込みと前向きな姿勢とが交錯したかもしれない。そして、彼なりに抵抗(?)し、「変」ではなく「魅力的」となるべく「意図と努力」をしたに違いないと思うのだ。ネガティブな「個性」と見られがちなものを、「魅力的」というポジティブな「個性」へと変換しようとしたはずの行為が、とりもなおさず「創造性」であったはずだと、私は推測するわけである。

 ここで注目したいのは、「個性」と「創造性」は共通の「敵」を持った双生児だということなのである。その「敵」とは、いずれも根拠なき圧力を秘めたところの「メジャー」であり、「凡庸さ」であり、「通俗さ」だと言える。「個性」と「創造性」とは、こうした「良貨」を駆逐するような「悪貨」どもと闘わなければならない宿命を背負っているようだ。
 さらに勢いあまって言うならば、「知識」さえもが、この「悪貨」どもとつるんでいるのかもしれない。なぜならば、「知識」とは固有なもの、特殊なものを捨象して漂う「普遍性」の血統(?)を名乗っている代物(しろもの)だからである。

 個性を目指さざるをえず目指す無防備な双葉たちが、教育とかトレーニングとかの美名のもとに、「悪貨」どもの仲間に引き込まれ、「個性」と「創造性」とを放棄していく事実にもっとシビァな目を向けていいのではなかろうか。いわゆる大事なものの「スポイル【spoil】」の問題であり、「知識万能」時代(「情報(化)社会」)にあっては、飛び交う「知識(情報)」が、逆に「創造性」「心」「無意識」そして「個性」をスポイルしていく危険が満ち溢れているように感じる…… (2003.11.08)


 旅の写真に、不可解なものが写っていたなどということがままあるようだ。ゾゾッとするような心霊写真というのはいただけないが、「UFO(未確認飛行物体)」なら話のタネに一度くらいはもっともらしいものに遭遇したいものだと思い続けてきた。
 ところが、先週の箱根への旅行でそんなものが訪れたのである。場所は、すすきヶ原で名の知れた仙石原(せんごくはら)である。紅葉を求めたのだったが、それはまだ時期が早かったようで、替わりのつもりですすきヶ原を見物しようとしたのである。確かに、山麓の一面がすすきで被われ、幻想的な気分が味わえた。デジカメで何枚ものショットを繰り返した。
 帰宅して、いつものようにPCでそれらを再現して鑑賞していたら、「あれっ、これは何だ?」という一枚のスチールが目にとまったのだった。場所が場所だけに、富士山麓の自衛隊演習場からの飛行なのかとも想像したものである。だが、撮影時に飛行機やヘリコプターなどが飛んでいた記憶はなかった。また、野鳥が舞っていたことも特に覚えているわけでもなかったのである。
 面白半分に、フォト・レタッチ・ソフトで拡大してみた。すると、どうもその恰好がハンバーグのようであり、いわゆる「UFO」を想起させてくれたのである。どう見ても、飛行機の形状、鳥の形状とはかけ離れていた。

(ちなみに、当サイトにページを作りました! アドホクラットのWELCOMEページの、左側メニューの一番上のオレンジ色の「ADHOCRAT homepage MENU」アイコンをクリックすれば開きます。)

 家内を呼んで見せると、半信半疑でただただうなっているだけだった。まあ、知らぬ間にゴミが入ったことも考えられるし、現に、そのデジカメには、先に「水が浸入」してその修理をめぐって一騒動あったばかりなのである。で、「UFO」であってほしい(?)気持ちも残ったのではあるが、騒がない(?)でおくこととした。
 が、しばらくして、背筋がゾクゾクとする事態に遭遇することになったのである。同じ場所でほぼ同じ時刻に撮った他のスチールを点検していたところ、別のものにも同じ対象らしきものの姿が写っていたのだ。状況から言って、当該物が移動したとの想像ができたものだった。この発見で、これは、「笑われる」ことも承知で、「騒いで」もいいのかもしれないと、たわいなく思い至ることとなったのである。
 その現場のことを思い出してみると、まず、北の「金時山」方面を背景にして、家内を撮ったのが午後一時十二分三十四秒時(カメラが自動的に残す履歴)であった。その北の空に、最初の「UFO」かもしれないものがひとつ写っていたことになる。そして、その後、私自身を家内に撮ってもらうことになったが、アングルが低く空自体が写し出されてはいなかった。
 その直後、何気なく東に向かってのびる道のようなものが面白いと感じ、東の空を背景に風景を撮ったのだった。そこに、もうひとつの「UFO」ごときが写し出されていたのである。私は、雲が浮かぶ空が好きなので、雲が漂っている時は大体空を広めに撮りたがる。その時刻が、午後一時十四分四十四秒時であり、北向きに撮った時から二分十秒が経過していたことになる。この時間での「飛行物体」の移動が速いか遅いかの基準は持っていないが、とにかく北の空から東の空へと移動していたとの想像が成り立つわけなのである。なお、延長線上には、「強羅」があることになる。

 さてさて、どう判断すればよいのかということになろう。
 常識的に推察するならば、得体の知れない「UFO」と見なすよりも、通常の飛行機などがたまたまこのスチールのような形状に撮れてしまったと考える方が穏やかなことになるはずである。雲が低く垂れこめていた環境なので、光の屈折などがそうしたいたずらをしなかったとも限らないからである。
 ただ、私の心の奥底では、やはり「UFO」だったのではないかとの思いが残り続けていることは否定できない。そして、なぜあんなにくっきりと写っているのに観光客が気づかなかったかについても、カメラは瞬間を捕らえたけれど、そいつが高速で蛇行飛行していたため肉眼では発見できなかったのではないかなどとも推測したりしている……
 が、「UFO」の乗組員たちは、何に興味があってすすきヶ原の上などを飛行したのであろう? 天空から見ると、薄茶色に揺れて光るそれらが、故郷の砂漠とでも見えたのであろうか…… (2003.11.09)


 毎度毎度、選挙の日の翌日は虚しさと白けた気分で支配されてしまう。今回も、そうだ。昨日の「UFO」の話ではないが、素面(しらふ)ではその可能性はほとんどないと考えながらも、あり得ない万が一が起こることを心の奥底のどこかで願っていたのだろう。全面的に立ち腐れとなった状況を変える「きっかけ」は、政権交代しかないはずだと思っていた。そして、細かい事情はともかく、国民的規模におよぶ惨憺たる状況からいって、少なくとも「投票率」は這い上がるかもしれない、そうしたら予想外の結果が浮上するかもしれない、と淡い期待を抱きもした。

 何ということであろう。59.86%という戦後2番目の低投票率であったそうだ。私は、咄嗟に養老孟司氏の「バカの壁」を文字って、この国は「バカの海」だとつぶやいてしまったものだ。
 低投票率現象を、政治や政党に魅力がないからなどと言ってはいけないのだ。子供が給食を残すのは、給食の味付けが下手だからだなどというのに似た「屁理屈」を言うのはよそうじゃないか。もともと政治に魅力などはない。政治とは結局利害関係をめぐる争いなのであり、争いに美しさや魅力のフィルターを被せようとするカン違いがおかしい。給食にしたって、美味でそのために肥満児が増えても困るじゃないか。どうも、何でも口当たりが良いことを良しとして、おまけにそれを他人や環境に要求することがいけない。お客様は神様の気分の延長のせいか、何でも自分以外の者に責任転嫁するクセ、「商業主義」ボケの日常姿勢が物事を腐らせているのではないかと感じてならない。

 投票を含めた政治的な参加とは、自分というわけのわからないほどに込み入った感性の塊(かたまり)の微妙な感覚などをひとまず置いといて、「相対的」に、「暫定的」に、「とりあえず託す(たくす)」というそんな判断なのではなかろうか。
 たとえて言えば、戦争が是か、非か、というような大状況に直面している時に、「クリーミー」だ「ジューシー」といったレベルの好き嫌い感覚を臆面もなく口にするごとき赤ちゃん感覚の輩たちこそ「バカの海」の浮遊物だと言いたい。そんな感覚に寄りかかって「人気」を掠め取ってきたのが小泉氏ではなかったのかと実感している。
 あと、「棄権」派のもうひとつの大きなブロックは、「どうせ……」を口癖とする小利口ぶった投げ遣り派であることは知られている。ところが、そんな輩にかぎって、正真正銘どうせ大したことにはなりっこない自分の趣味だの、自分のせこせことした関心事には人一倍ご執心になったりしているのが滑稽である。

 「バカの海」と書いた理由は、40%以上に上る心得違いのその物量は「海」にこそたとえるべきかと思ったのが一点であった。そして、もう一点加えておきたいのが、「バカ」たちが浮遊物として漂う、そんな「海」というイメージでもある。
 自分たちが漂い生きるみんなの「海」ならば、もう少し別な思いや考えがあってもよさそうだと思う。汚物を垂れ流して「海」を汚す者がいれば、それをとがめることがあってもいい。潮の流れを勝手に我が物とする者がいれば、非難すべきだろう。「海」を血の海にする危険が見えたなら、それを阻止する努力もしたいものだ。
 ところが、多少波立っても自分の小さな小舟さえ浮かんでいられるのならば、「海」はどうなろうと知ったことか、また、「海」は自己浄化するに決まっていると高を括る者たちが、カン違いのまま浮かんでいる。そんな「海」がこの国の「バカの海」だと言いたいわけだ。

 「バカの海」などというそれこそバカげたイメージを思い浮かべる時、何だか逆に政治の限界のようなものも感じるから不思議である。政治が社会変化の大きな駆動力となりうることは確かである。だが、その政治を変えるにはさらに大きな駆動力が必要にもなる。
 考えてみれば、この十年、世界や社会は激変してきた。しかし、それを為したのは政治の激変であったのだろうか。いや、この国に関して言えば、政治的環境は旧態依然でありむしろそれが問題視されている。つまり、この間の社会変化は、経済や文化という政治領域以外の駆動力によってもたらされたと言えないこともない。
 「バカの海」に漂う者たちは、ひょっとしたらそんな広い視野をもって行動しているのであろうか…… (2003.11.10)


 身の回りでもそうなのであるが、何とも「ぎくしゃく」とした環境になってしまったと感じている。
 先月末の報道で、インターネットの買い物サイト「○△ダイレクト」が掲載したPCをめぐる事件のことなのである。値段が198,000円のPCを、担当者が打ち損じて19,800円という表示価格としてしまい、注文メールが入るまで気づかなかったという。ネットの掲示板に「激安パソコンが売られている」との書き込みがあったのがきっかけとなり、注文が殺到し、訂正も間に合わなかったようだ。
 当然、注文者に訂正と注文契約の取り消しを依頼したらしいが、客からは抗議が押し寄せることになったという。誰が見ても間違いだと分かる契約の場合、民法では「錯誤に基づく契約無効」に該当するとのことだが、商社○△は結局その契約を履行して約2億7000万円の損を出したというのである。

 われわれもかつて、PCショップを運営したことがあり、折込み広告上のミスプリなどには神経を尖らせたことがあった。大きなミスはなかったが、パブリックに公表した数字は容易に修正できないという実感を持ったものである。
 ただ、この事件の結果を知らされた時、最初に感じた印象は、「何とぎくしゃくした環境となってしまったものだ!」であった。確かに、「激安商品」がめずらしくはなくなったご時世にあって、ネット販売での本命である価格表示を打ち間違えるという凡ミスはとがめられてしかるべきだろう。複数回にわたるチェックがあって当然な対象だからである。事情を斟酌するならば、御多分に洩れず、リストラの波によって担当者への負荷が大きくなり過ぎていたのかもしれない。こうした文脈での事故・事件の発生は、やはりこのところ頻度高く見聞するところであろう。

 私が、「ぎくしゃく」した環境と感じた際に思い浮かべたのは、遅ればせではあったのだろうが業者が「訂正」をしたにもかかわらず、契約無効に「抗議」した注文者たちのことであった。業者側の約2億7000万円の損という額の問題もさることながら、「ごめんなさい!間違いでした!」と詫びている業者に、どんな理由をつけたかは知らないが、要するに破格に安い買い物を押し通そうとした消費者たちに拭い切れない不快を感じたのだ。「そこまで安い買い物がしたいですか? そこまで『異常な』買い物がしたいですか?」という言葉が飛び出してくるのだ。これはもう、正常な取引関係(人間関係)を逸脱しているように見える。

 こんなことを書いていると、「甘い!」という言葉が飛んできそうな気もする。であればなおのこと、こんな「ぎくしゃく」した環境は正常ではない、と釘をさしたいのである。確かに「錯誤」をなくす努力はしなければならない。今回は金銭の問題であったからまだしも、医療ミスのように人命にかかわることであったとすれば、「訂正」では済まなかったであろう。
 しかし、ビジネスも人間関係である。被害が小さく、間違いが訂正され、お詫びも入ったならば、それを許容する常識感覚があってしかるべきではないか。「間違いはどこにでもある!」と業者側が居直ったわけでもないだろう。であれば、「ン、モー」とでも言って流すのが妥当なように思うのだ。

 人間に対して、コンピュータ・システムのレベルの正確さ、無謬(むびゅう)を要求しがちになっているのが現代なのかもしれない。そして、自身を振り返っても、そんな気配が否定できない。もし本気になってそんな傾向を助長するならば、あらゆる小さなミスの予防のためにコストが嵩み、確実に「高コスト社会」となってしまうであろうし、また何よりも「人間のいない社会」に近づいていくことになりはしないか。恐ろしい時代だし、恐ろしく味気ない時代になったものだと思ってしまう…… (2003.11.11)


 企図していたことが実らなかった場合、当然残念な気持ちとなる。そして、不幸な気分に支配されもする。しかし、冷静に考えると、それが実った場合には、それはそれで懸念されていた悪い予感の部分に思い煩うことになるのであり、少なくともそれから自由になれたというメリットだけは確実に入手されたことになるはずであろう。
 現実の選択というのは、ますます、良いと思われる事柄と悪いと思われる事柄とが入り混じり、選択肢のどれにも懸念材料がつきまとう、そんな複雑な時代環境であるように思われる。白黒はっきりした選択、百パーセントの善か、百パーセントの悪かというような選択があると見なすことこそ、問題設定にどこか非現実さがあると言えるのかもしれない。
 自身のことを振り返ると、若い時代は、自分が浅はかに目論んだことは百パーセントの善であるに違いないと思い込んでいたようだ。そうであったからこそ、尋常ではない底力も振り絞れたのかもしれない。しかし、逆に目論んだことが挫折すれば、すべてを失ったような虚無に落ち込んだものだった。上述したような、目論んだこと自体の間違い部分や、目論見が成功した時に引き受けなければならない懸念事項などを静かに思い起こして、心を平静にさせる、そんな余裕もなかったかもしれない。

 歳のせいだと言うべきなのか、時代がそう考えさせるほどにシビァとなってきたからだと言うべきか、物事の裏側に潜むものにも目を向けるようになってきたような気がする。 とりわけ、目論見が、あるいはあることの選択が、表面的には失敗した場合でも、悔やまないと言えばうそだが、失意の虜(とりこ)となり果ててしまうような騒ぎはしないで済むようになったかもしれない。
 言っておけば、決して悟ったなどという高度な次元に入ったわけでは毛頭ない。相変わらず口汚くも「くそっー」とつぶやく自分は確実にいる。ただ、冒頭で書いたような、「裏読み」を幾分はするようになったのかもしれない。

 よくよく考えてみると、物事にはすべて裏表があり、良いと思しきものにも当面は見えない悪い部分が潜んでおり、また悪いと見えるものにも裏腹の関係での好ましきものが控えていたりもするものだ。
 「どっちを選んだって同じことさ」とまで翻るつもりはないのだが、「これでなきゃ、ダメ!」と固執するような人間的選択はさほど多くはないのかもしれないと、「クールダウン」しているのである。別に「シニカル」な男になりたいと望んでいるわけではなく、現実の事実の推移は小賢しい人間の読みなどを超えて、「成るように成る」道理もまた健在に違いないという気がしてならないのである。それを神の仕業と言っても一向にかまわないが、漠然と「存在の道理」なのだとしておいていいだろう。

 何が言いたかったのかといえば、ろくなことが起こらず、「暗闇」に近い世相ではあるが、そんな時にこそ、物事の推移は一面的には決して進んではいかない、という道理を忘れたくないと思ったのだ…… (2003.11.12)


 いま、『若者が<社会的弱者>に転落する』(宮本みち子著、洋泉社新書、2002.11.21)を読みかけて、唖然とする心境になっている。
 デフレ不況に加えて、少子高齢化問題や年金問題が注目を集めている現状である。社会的に自分の考えを主張するのは、評論家をはじめとしてどうしても中高年層が多いためか、そちらの問題ばかりがクローズアップされてしまうようだ。
 そんな風潮にあって、若者たちの問題は意外と顕在的に論じられたり、本格的に検討されたりすることが少なかったような印象を受ける。この間に注目されたのは、殺傷事件、集団自殺などの奇異な事柄、継続するフリーターの増加、大学・高校卒業者の就職難・失業の問題などであっただろうか。「ひきこもり」や「パラサイト・シングル」の問題も注目はされたものの、一時的社会現象のような感触で取り扱われた観がある。

 私は、自身が団塊の世代であり、同時に団塊ジュニア世代の子を持つ点からと、仕事がら若い世代との接触が多い点などから、「若者」たちの存在を視野の外に置いて第三者的な涼しい顔をするわけにはいかない立場であり続けてきた。
 しかし、端的に言って、「若者」たちへの視線の基調は、いわゆる「今どきの若い者は……」という紋切型以外ではなかったかもしれない。要するに、現在の若者たちが被っている過激な社会変化をつぶさに見つめることなく、自分たちが若かった時代の環境を無意識に延長して「断罪」する姿勢に陥っていたような気がする。
 ただ、周囲の自分と同世代の者たちが、過去を基点とした古い視点で臆面もなく乱暴な発言をすると、たとえば、
「今の若い連中は、自己主張がないし、第一、暗いのがいかん!」
などと言ったら、結構不快感を感じたりもした。自分の中にも潜む短絡的な姿勢を見せつけられると、いたたまれなくなるのであろうか。また、団塊の世代特有の集団主義的な「臭さ」を自覚している点があるのかもしれない。
 かと言って、自分たちの若い時とはかなり異なる彼らの姿勢、たとえば、人間関係においてあくまでも「さりげなく」振舞うことを常とするような姿を見ると、正直言って彼らを弁護する気などにはなれなくなってしまったりもするのだ。
 要するに、何だか複雑な心境、屈折した心境で眺め続けてきたような気がしているのである。気になりながらも、視点に決め手を欠く、中途半端な姿勢であり続けてきたようである。

 冒頭の著作に触れて、先ず衝撃的に受けた印象は、「そうなんだ! 不可解に感じる事象の背景には、必ずそれなりの『構造的』な問題がある。仮にも社会科学を学んだ者が、そんな点を流してしまっていたのは愚かだった!」という点であったかもしれぬ。
 一気に書き流すには大き過ぎる問題であるので、追い追いに書いてゆきたいと思う。著者も述べているが、若者たちの世代の未来をまともに考えなければ、まさにこの国の未来はないはずだろう。そして、どうも、現時点では、とてつもなく巨大な問題であるにもかかわらず盲点のように見過ごされているのが、この若者世代たちの問題であるのかもしれないと感じている…… (2003.11.13)


 久しぶりの秋晴れである。雲ひとつなく澄み切った秋空からは、それだけで何か勇気づけられるような気がした。ただ、この朝は、秋のまろやかさはもはやなく、するどい冷え込みさえ感じさせる。これからの朝は、いよいよ日ごとに冷え込む空気の中をウォーキングすることになるのだ、とふと決意めいたものがよぎる。
 すでにひと冬の経験があり、その経験が幾分全身の筋肉を呼び覚ましている自覚もあるため、思いのほか淡々と過ぎていくような予感もないわけではなかった。

 この冷たい空気の中、さぞかし川面の水も冷たかろうにと思いつつ、いつものように川に浮かぶマガモたちに目をやる。その時突然、心に「高貴」という言葉が生じた。客観性を欠いたかなり強引な脈絡であったかもしれない。
 決してそんなに美しい川でもなく、マガモたちとて、タンチョウヅルの優美さからはほど遠い姿ではある。にもかかわらず、自然の摂理を頑固に秘めるかれらの凡庸さが、気高いという感触の「高貴」という言葉を思い起こさせたのだ。

 最近、身の回りの動物たちを見つめてみると、なんとなく「気品」のようなものを感じたりしてしまう。決して「上品」とは言えない飼い猫や飼い犬に対してもそうなのである。確かに、硬い排便にうろたえて所定の場所以外に石ころのような糞を放ったらかしにする飼い猫は、「高貴」と言うには苦しい部分が多々ある。
 また、二、三週間の投薬で元気になったかと思えば、いつものように人一倍の食い意地を張る飼い犬も、「高貴」などと言えば笑われそうでもある。
 それでもなお、そんな印象が否定できないでいるのはなぜなのだろうか。
 当然、私自身の心のありように起因することは間違いない。そう思う私自身の主観の問題なのである。

 「もの言わぬ存在」という点がひとつあるのかもしれない。
 食傷気味にさえなっているかもしれない人間の言葉! 言い訳、弁解、ごまかし、言い逃れ、ごり押し、無意味、恨み妬み、混乱のたね、形骸化…… そんな風にしか耳にしなくなったかもしれない人間の言葉が虚しすぎると感ぜざるをえない時、そんな言葉からすれば「無言」に徹する動物たちは、すでにそれだけで十分に「高貴」だと思えてしまうのかもしれない。人間の薄汚い思惑などがないその分、ノーブルな空白がありそうに思えるのかもしれない。
 小賢しい人智のようなものに拘泥することなく、自然の摂理、あるいは「宿命」を寛容に引き受けていくように見える面影もまた、「高貴」さをしのばせる点であるのかもしれないと思っている。
 人間たちのように、自身で運命を切り拓くことのできないかれらを、本能に縛られた低次元の存在だと蔑視することはたやすい。しかし、単純にそれ、人間たちの自信に溢れた優位性が口にできた時代環境から、遥かに離れてしまった観もある現況を考えるなら、あながち動物たちへの錯覚、「高貴」と見るそんな感情はばかばかしいものでもないのかもしれない。少なくとも、「高貴」な人生をまっとうする人間物語がどこにもなくなったかのようなご時世では、動物たちや自然の「高貴」さをたたえるしかなくなったと言えるのかもしれない

 「高貴」という言葉に託す私の思いの中には、いわゆる特権的「貴族階層」に由来するような属性は一切ふくんでいない。むしろ、「ぼろは着てても心の錦」という精神性が強いと言える。また、「武士は食わねど高楊枝」に押され、ぎりぎり踏みとどまり「打っちゃり」をかます位置にあるものと言えるかもしれない。
 とにかく、美意識などかなぐり捨ててとめどなく「人間失格」次元を下っていくような世相から汚染されない心の仕組みに関心が向くのである。そう言っている自身がその汚染を巻き散らかしていないとも限らないのではあるが…… (2003.11.14)


 「秋の日は釣瓶(つるべ)落し」と言うが、なるほど今日などは天候も悪いせいか、五時にもなると心もとない暗さとなる。気温も低いためか、これで木枯らしふうの風でも吹いていたら歳末の頃と勘違いしそうでもある。
 「心もとない」とか「薄ら寂しい」とかというニュアンスが、昨今の薄暮にはぴったりしてしまうようだ。

 思えば以前は、薄暮にこんな心境となることはまずなかったと言っていい。生きることの本質とはさほど密着しているとは思えないことで忙しく、目まぐるしく、そして夕刻ともなればテンションはウナギのぼりとなってしまっていたからである。まあ今でも、週中の日々は基本的には変わらないと言っていいのだろう。
 しかし、日暮れが早くなり、薄ら寒くなってきた今日この頃は、週中の日でもなぜだか柄に似合わず「寂しさ」というような感情に気づくことがあったりする。暗い世相、将来が全般的に不安と感じさせられるご時世、失われてしまったかに思われてならない人々の人情……。時代変化に対する、そんな漠然とした印象が、心の底辺に沈殿しているからなのかもしれない。もう何十年も何回となく遭遇してきた、何でもない秋の日の夕暮れ、薄暮が、「寂しさ」という感覚をしみじみと呼び覚ますように思える。あるいは、こうした心境が、「壮年期」からの下り坂を歩む男の伴奏曲なのであろうか。いやいや、今日は所在なく一日を過ごしてしまったせいか、意識がロー・テンションの域でまどろんでいる気配だ。

 それにしても、「寂しさ」という感情を助長するほどに、今のこの国は、かつて保持していた「暖かきもの」を放棄あるいは放逐したように思われてならない。
 象徴的に言えば、以前にも書いたことだが、街中の一角でもはや「焚き火」をすることができなくなってしまった。そんなことができる「土肌」の道路がなくなってしまったし、「空き地」もなくなってしまった。また、もっともっと有害なものなど山とあるくせに、「ダイオキシン」云々という「お触れ」まで出てしまった。
 まさに、こんな薄ら寂しい秋の薄暮には、あちこちで「焚き火」こそ行われなければならないのに(?)である。核化した家族だけではない、近所の人々や子供たちや、見知らぬ人たちまで含み、何気なく手をかざし、みんなが顔と言わず衣服と言わず全身が揺れる炎で赤く照らし出される、そんな「焚き火」の場、コミューンが必要であるはずなのに違いないのだ。
 そんな「焚き火」の場が成立するような環境があるならば、「何々線は、『人身事故』のため不通となっておりましたが……」というような、このところ毎日耳にするようなニュースなど無くて済むに違いない。人は決して食えなくなってしまったから、命を捨てるわけではなく、食っても意味がないほどに人との関係を絶望視するからなのだろう。
 また、たぶん人を殺めてしまう事件などの多発は、ヒト自身が急に悪質となったわけではなく、人間と人間との日常的な関係自体が「悪質」と言えるほどに変質してしまったからに違いない。孤絶させられ、共感のための機会が奪われ尽くせば、ヒトは人間であり得なくなるはずだ。
 「焚き火」が象徴する人間の生きる環境、人間と人間がつるみ合うことができる関係が、奇麗事の言葉を組み合わせた時代のパワーによって一掃されてしまったのが「寂しい時代」としての現代だと言うほかないように感じる。
 無くたっていいもの、ケータイ然り、テレビ然り、クルマ然り、パソコンだって然りと言うべきかもしれない。もちろん、年がら年中掘り返しての工事をしているアスファルトの道路なんて必要なわけがない。それは、「焚き火」放逐の元凶なのであったから……
 そんな無くていいものばかりに囲まれて、本当は必要な、無くてはならない人間が生きるための環境を、こざっぱりと破壊してしまったがゆえに、底冷えするような「寂しさ」がじわじわと涌いてくるのだろう……

 人間は、貧困でも生きてはいけるが、人間と人間との関係の遮断や、(都市)環境に残された自由な空隙までをも奪うならば、話は別となる。そして今そんな環境が支配的となっているはずだ。ホームレスの人たちは、そんな環境への抵抗であるように見える。が、やがて季節は、彼らに「寂しさ」に上乗せした過酷な試練を加えようとしている…… (2003.11.15)


 書斎の窓のブラインダーから、明るい表の景色が見える。近所の家の屋根や壁に照りつける光がまぶしい。昨日の鬱陶しい天候とは打って変わった小春日和である。
 今日は、家内が友人二、三人と「着付け」とやらの学習会を下の居間でやるというので、自分はこの狭い書斎から出るわけにはいかない「境遇」となってしまった。

 それにしても、年配の女性たちはいろいろと「連んで」やることがあるものだと関心する。私自身があまり家内と連れ立って行動するタイプではないためもあってか、家内は結構何やかやと友人関係を構築しているようだ。その関係での外出も少なくない。出不精な私と比べて、旅行や映画などにもそこそこ出かけているようだ。
 旅行先でしばしば年配の女性がグループで行動している姿を見たりするが、彼女たちにはそうした一般的な傾向があるのだろうか。いや、むしろ年配の男性たち、つまり私を含めた者たちの行動様式に起因しているのかもしれないとも思う。
 年配男性の多くは、まずは、会社人間としての習性を持って長らく暮らしてきたであろうという特徴が無視できまい。旅行にしたって、出張はもちろんのこと、社員旅行をはじめとして会社の仲間との括りがほとんどであったかもしれない。
 加えて、自分自身はさほどの経験はないのだが、顧客の接待と称してのゴルフの小旅行や宴会に飲み会など、会社仲間との行動だけでは飽き足らず、その外側に広がる仕事関係仲間との行動で人間関係をにぎわしてきた嫌いがあろうか。
 そうした時間と労力の「浪費」の陰で、家族と一緒に行動することを犠牲にしてきたがゆえに、家内たちは「自立的」な交友関係樹立とそれに伴う行動敢行を進める習癖が身についたのかもしれない。
 いつだったかも、ある仕事関係の知人宅に訪れた際、奥さんが友人たちを集めて何か趣味の集いを行っていたことがあった。知人曰く、
「何をやっているんだか知りませんが、午後の予定がずれ込むことがあるようですな……」と。その口ぶりは、奥さんを非難するほどではないにしても、心地悪いがゆえに距離を置くといった感情が読みとれたものであった。

 自分にはまだ早い話ではあるが、そうした年配男性が、人間関係の拠点として見なしてきた会社から定年退職にせよ、リストラにせよ、そんなきっかけにより放逐されたなら、どんなにか途方に暮れてしまうのではないかと推測してしまう。問題は、具体的関係が失われるという点にとどまらず、関係形成能力というものが貧しい点にあると言うべきなのだろう。
 つまり、世の年配男性たちは、仕事関係という暗黙の土俵と、それを再確認し合う名刺交換という仕切り、そして何よりも社用という名目の官費公費支出がなければ、新たな人間関係の関係構築ができない動物になってしまったかのように見えるのである。これは、親離れできない子供や孤離れできない親と同様に、由々しき悪癖だと言えるかもしれない。

 今、このデフレ不況の経済は、年配男性たちに、生計の道における試練の場に立たせる課題とともに、一個の人間として、どう無条件な土俵での人間関係を培っていくのかという「初等」課題をも突きつけているのかもしれない。青少年たちだけではなく、年配男性たちの間にも「ひきこもり」がじわじわと広がっているのかもしれない…… (2003.11.16)


 癌を患っている知人に関する朗報が舞い込んできた。家内から聞いた話である。私に伝えておいてください、とのことだったそうだ。
 先日、もらい物であった、秋田は「玉川温泉」から採れたという「ラジウムの石」(北投石)をその知人に差し上げたのだった。「おまじない程度に受けとめて試してみてください」と言って渡したのだったが、それを患部に当てていたところ、効き目らしきものが表れたというのである。患部のしこりが小さくなってきたり、痛い部分が和らいできたという。
 おまけに、病院の提起検診でMRI検診の際に、患部につけていたことを忘れて検査室に入ったら、「何か反応するものをお持ちですか?」と担当者から聞かれたらしい。少なくともその「石」がMRIなどに反応する何かを発していることは事実だったようだ。
 そうしたことはともかく、私が感じ入ったのは次の話であった。

 人の良い方だというのが、その知人に対する私の印象であり続けてきた。その印象がさらに上塗りされるような話だったのである。
 病院での癌治療のフロアーでは、患者同士が何かと会話を交わすことがあるらしい。その知人もまた、妻を腎臓癌だかで付き添っているある方と話しをすることとなり、その会話の中で、その「石」のことを口にしたという。そうしたら、妻の病状を気遣うその方が、「是非、貸して欲しい!」と懇願したというのである。相手の方も知人がなお闘病中であることは知っていたはずだ。確かに、知人も決して完治したわけではなく、幾分良好になりつつあるという段階であるだけなのだ。
 普通なら、「いやいや、勘弁してください。私とて今これに望みを託しているもので……」となりそうなものだが、その知人は、その方の懇願に負けたようである。「わかりました。じゃあ、一ヶ月だけお貸ししましょう」と、まるでおとぎ話の心やさしい「良いお爺さん」の役を選んだのだそうだ。

 私は、それらを聞いて、何か「架空」のドラマの話を聞いているような錯覚にとらわれたものだった。まず、「ラジウムの石」が真実、癌に効いているようだという点が一つであった。
 私がそれをその知人に差し上げようと思った動機は、具体的に効くかどうかという観点からではなく、癌治療に必要なことは治癒力としての「免疫」機能であり、その機能は精神的なあり様が重要な影響を及ぼすという点を考慮してのことなのであった。
 とかく、何度も抗癌治療を受け、その度に再発までの期間が短くなることを重ねると、身体が参るだけでなく、心が沈みがちとなりそうに思えたのだ。そんな場合、何かその心を上向きにできる、ささいなことでもきっかけが欲しいと思うのではなかろうかと、勝手な斟酌をしたのである。で、「玉川温泉」から採れたという「ラジウムの石」のことをにわかに思い起こしたというわけであった。
 医者ではないから、実際の治癒力のほどはわからない。が、その知人は効いていると自覚しているようだし、その「宝」を善意で他人に貸すというほどに、心のエネルギーを高めているのは、何よりの効き目なのではないかと、そう推測できた。

 「架空」の話だと思えたもうひとつの点は、このところ私が拘泥している、人間の心というものの存在感に関わる部分である。簡単に言ってしまえば、自分は近代・現代の知識によって過剰に構成された世界に違和感を抱き始めている。それらの隙間にあって重要な役割を果たしているに違いない存在に近づこうともしている。
 しかし、知識を信じる以外がなく過ごしてきた何十年もの重みがそう簡単に相対化できるわけもなく、その隙間を、実に臆病な姿勢で覗き込んでいたに違いないのだ。
 そんな姿勢があるからこそ、心のあり様によって、身体の生理に影響を及ぼす実例を「架空」の話のように聞いてしまったのではないかと反芻しているのである。

 昨日、この知人のこんな話を聞く前に、私は「東京国際女子マラソン」をテレビで見ていた。オリンピックアテネ大会選考がかかった高橋尚子選手の動向が気になっていたからだ。デビュー以来快進撃を続けてきた高橋選手がまたどんな高記録を見せてくれるのかという期待があった。どこか、彼女からは「宇宙人」のようなハイパーなものを感じ続けてきたものだった。(ちなみに、私もあのアミノ酸飲料「ヴァーム」の愛飲者である)
 ところが、今日、前半のアレム(エチオピア)との競り合いを見ていた時、何となく不吉な予感がよぎったのだ。どういうものか、良いことの予感にはめぐり合わない最近の自分であるが、悪いことの予感は、ある種、脳の「別回路」からフワッと生じてくるような経験があったりするのだ。
 今日も、最悪の事態が起きそうな予感が走っていた。それは35キロくらいからのラップタイムがじわじわと悪くなり、高橋選手の表情が険しくなることで実現してしまうこととなってしまった。
 ところで、このことを書いたのは、そんな予感がどうこうということではないのであって、むしろ不測の事態を引き起こした高橋選手の、人間としての面を見ることができたという一種の感動からなのである。これまで、他の選手が苦痛で顔をゆがめているのに、「ニコニコ宇宙人」のように超記録を作る彼女に、私は好感とともに違和感もまた禁じえなかった。しかし、追撃者を恐れてしばしば振り返っていた今日の高橋選手は、まさに人間の心を持ったひとりのマラソン選手であった。どんなに突然の身体の故障があったとしてもリタイアなど選べるはずもない人気選手の姿に、苦痛を背負ってでもゴールまで苦しみ抜こうとする決意が心に充満している、と見えたのだ。

 心なんて…… という風潮が、現代の最大の特徴であるに違いない。海外はいざ知らず、この国だけはと盲信してきたこの国が、今、とてつもなく人間の心に無頓着な風潮に支配されてしまっている。自身の心の叫びとしては、心なき知性、知識の愚かさを完膚無きまで暴き出してやりたいと、唐突なことを感じたものだった…… (2003.11.17)


 ラジオの文芸朗読番組で、太宰治の『きりぎりす』という小説を聴いた。女性主人公が、結婚した画家である夫の変貌ぶりを独白スタイルで嘆くという物語である。
 売れないだけでなく、まるで社会から落ちこぼれたような画家からの求愛に、彼女は、こんな清貧を絵に描いたような人には自分が絶対に必要だと信じ込むのだった。そして、家族の反対をも押し切って結婚することになる。
 展覧会に出品するでもなく、好きな絵を黙々と描く画家には、もちろん貧困以外にやってくるものはない。しかし、彼女は、決してそんな生活を恨むどころか、有り合わせの材料を精一杯生かして食事をまかない、むしろ生き甲斐さえ感じていた。
 ところが、画家の絵は次第に売れるようになり、注目をあびるようにさえなっていく。すると、彼女の目には、清貧に甘んじて絵を愛していた夫が、次第に金銭の虜になってゆくように思われるのだった。また、画壇の中でわが身をうまく運ぶために、空疎な見得を張る姿さえ認めるようになっていく。とどめと思われたのは、友人が金に困って借金を申し込んできた際に、あたかもその友人と同様に貧しいような演技をする夫の、その非情な変貌ぶりであった。
 やがて、画家は著名人ともなり、その講演がラジオから聞こえてくるようにさえなる。それを主人公は聴いていたが、そのくだりで夫が「わたしが今日(こんにち)あるは……」という言葉を耳にするのだった。彼女は、その「今日ある」という言葉に、夫の限りない傲慢さへの変貌を読み取ってしまうのである。あの人は今日何になってしまったと思っているのかという視点なのだ。もはや、彼女は、夫が大きな躓きをしでかして挫折することをさえ密かに願うほどになっていくのだった。
 さみしい気持ちで床に就く彼女は、縁の下からこおろぎがか細く鳴いているのを聴く。まるで、あお向けに寝ている自分の背筋の中でこおろぎが鳴いている錯覚にとらわれながら……

 言ってみれば、「画家」のような人物はこの現代にあっては掃いて捨てるほどいることになろう。そして、その陰で失望と落胆に泣く人たちも後を絶たないはずだ。
 私は、これを聴きながらちょっと奇妙な私なりの構図を思い浮かべたりしていた。
 無垢な「個=孤」と手垢に汚れた「社会化」という構図とでも言っておきたい。世間知らずで、自身の中に潜む無垢な「個=孤」しか持ち合わせないそんな「画家」がいて、そうした今日めずらしいともいえる人物を、ある女性は一緒に暮らし尽くしたいとも思った。
 しかし、無垢な「個=孤」と思えた「画家」は、そうした生き方を選び抜いた結果ではなく、単に他の世界を知らなかっただけだったのである。だから、機会が与えられると、まるで渇いたスポンジが水を急速に吸い込むように、世間のありったけの汚濁を吸い込んで俗物中の俗物へと豹変していったのだろう。
 世間で通用するものを子供なり、世間知らずなりが吸収していく過程を、心理学や社会科学では個人の「社会化」と称している。本来は、既存環境に教育されて、粗野な個人が常識を持った人間に形成されていく、といった意味なのである。
 しかし、私には、現代における「社会化」というのは、まさに太宰がその「画家」の変貌に託したような「俗物化」していくことのように思えてならない。あたかも、「つう」(木下順二『夕鶴』)が、「与ひょう」の変貌ぶりに落胆したようにである。「与ひょう」は、「つう」が「与ひょう」のためだけに身を細らせて作り出す織物を、商品交換を経て貨幣に替えることに慣れてゆき、「つう」を悲しませたことはよく知られている。

 確かに、ヒトとしての「個=孤」が、躾や教育を授かることによって常識人としての人間に育ってゆく「社会化」の過程は、いつの時代であっても不可欠なプロセスであるはずである。もし、それが割愛されるならば、人間社会は成立しないし、ヒトはヒトに対して狼のような存在となる。
 そして、現代の社会病理的なある側面が、この「社会化」(教育)の「失敗」ともいえそうな実態によって生み出されていることも想像できる。「公共性」感覚・意識に欠ける(若い)人々という指摘などがそれに当たるかもしれない。没「社会化」問題とでも言っておきたい。

 だが、片や、「社会化」と名づけられた人間と人間の関係が、上記の「画家」や「与ひょう」が歩んだ過程、超「社会化」とでも言っておきたいが、それ以外ではないかのような実態もまた現実である点が見逃せないでいる。「個性」云々というような問題である以上に、人間の根源的な生き甲斐そのものにかかわる本質的問題だと思われるからだ…… (2003.11.18)


 多摩川の中洲には、スカイブルーのテントがベースキャンプのように点在していた。こんな季節に、もちろん青少年たちのキャンプなどであろうはずがない。都市空間を追い出されたホームレス諸氏の瀬戸際ホームである。
 京浜東北線で仕事の打ち合わせに出向く途中であった。川崎から蒲田へ向かう多摩川の鉄橋から、それらは見えたのである。
 一頃は、キャンプ用テントはそれなりに高額であっただろう。しかし、この夏のシーズン中も、街の量販店ではキャンプ用品も「半額」以下の投売り状態の価格で見かけたものだ。彼らにとっても、手が届くし、サバイバルの上では必須のグッズだとすれば、眼下に広がった「テント村」は、とりあえず「合理的」に見えた。台風の季節も過ぎたとなれば、中州を覆うほどの増水となる心配も、まあ少ないと言えるのだろうか。
 いつだったか、テレビのドキュメンタリーで、相模川上流の中州にいまではめずらしい渡り鳥が生息している話題を見たことがあった。周辺の川の流れが、外敵を寄せつけず、その渡り鳥たちに安全をもたらしているということだった。
 ホームレス諸氏にとっても、都会における、自身にも無慈悲な若者たちの暴力を懸念すればこその立地選択にあいなったのかもしれない。

 私はいつも、物事を天邪鬼(あまのじゃく)に見るくせがある。一般の人たちが、ホームレス諸氏を「落ちこぼれ」だと蔑視するならば、それを歴然とした形にできる彼らの方が「自由人」であるかもしれない、と言うだろう。ハウスがありながら、心の揺らぎはホームレスそのものであるような人々も決して少なくないはずだからだ。
 逆に、ホームレス諸氏に同情が注がれる場面では、それほどのこともあるまい、と言いたくなってくるのだ。
 確かに、ホームなりハウスなりを、さらにそれらを中心にした一連の人間関係のいっさいを放棄せざるを得なかったかもしれない何事かの不幸、そんなものに遭遇したことに対しては同情する。
 しかし、一歩踏み込んで考えるならば、諸般の事情で「絶望」的な境遇に陥った人がすべてホームレスの環境を選ぶわけではないのが、世間だと思う。つまり、すべてを放棄したいぎりぎりのところで、従来の人間関係を維持しながら再起をはかろうとねばる人々もいるに違いないと思うのだ。そして、その二つの選択肢を分けるのはいったい何なのかという点にこそ関心が向くのである。

 私は、人には二種類あって、どんな苦境に立っても人間関係を維持していこうとするタイプと、あるところでまるで「キレタ」ように人間関係を捨ててしまうタイプとがあるように思っている。ホームレスとなる人々は、もちろん後者である。そして、今日では、若い世代にも後者のタイプが増えてきていると見ざるをえない。いわゆる「キレル」ということは、尋常な思考過程が「キレル」ということなのだろうが、それと表裏一体となって日常的人間関係が「キラレル」ということでもあるのだと考えている。

 昨日は「社会化」という奇妙な言葉を使って、個人が人間関係や社会関係を内面化していく過程のことを書いた。現代の環境は、商品交換関係・貨幣経済・市場中心主義の社会関係が、グローバルな広がりで「社会化」に過剰な影を落としていることを強調した。「カネがすべて」といった人間関係が支配的になっていることを、おそらく誰も否定できないだろうと思う。
 そんな現状だから、教育関係をはじめとして、通常の人間関係を拒絶する青少年やそして大人も増えていると考えられる。「登校拒否」や「ひきこもり」などがそれだと思われる。しかし、これらの人間関係は、ゆがんでいたとしても個人が「社会性」を身につけていく「社会化」の通路であることはかわりない。それを、ただ拒絶するだけならば、「どんな苦境に立っても人間関係を維持していこうとするタイプ」とはなれず、もう片方のタイプへと限りなく近づくことにならざるをえないと感じているのだ。

 私が自問したいと思うのは、仮に自身がホームレスの立場を選んだとしたら、一体どのように人間関係、社会関係へと復帰していく道を探るであろうかという点である。それをも拒絶するならば、まさに人間であることを拒絶することと同値になってしまうと考えるからなのである…… (2003.11.19)


 メール・ボックスに「未承諾広告」という、要するにダイレクト・メールが頻繁に投げ込まれる。いわゆる迷惑メールに類するものになるが、当社のホームページにメール・アドレスを掲載しているため、避けられないことかと思い、目くじらを立てずに読むことなくひたすら削除することにしている。朝一番のウォームアップ作業だと見なしている。
 手当たり次第にビジネス・メールを送り込むという手法は、それだけで潜在顧客の信頼を損(そこ)ねるということになりはしないかと考えている。つまり、そんな安直な方法で営業しようとすること自体が、その会社の信頼に値しない軽薄さをアピールしているからである。
 以前、われわれも、FAXで、事前にこしらえた潜在顧客リストに基づき夜間に自動送信をするという荒業を行ったことがあった。だが、翌朝、苦情の電話が複数本舞い込み対応に苦慮した覚えがある。商談に結びつくものはなかった。で、それ以後そうした手法を自粛することに至った。こうした相手の迷惑を顧みない手前勝手な手法は言うならば「禁じ手」なのだと考えてよさそうだ。

 ところで、インターネット環境をビジネスに活用しようとする発想はごく一般化している。それで成功している事例も少なくはないのだろう。しかし、逆に失敗事例も山積しているに違いないと見ている。それらは、とかく黙殺されがちとなるだけに、陽の目を見ないに過ぎないのではなかろうか。
 メールにせよ、ホームページにせよあくまでもビジネスにおいては「補助ツール」だと見なすべきなのだろうと考える。だから、「補助ツール」を眼目だと見なして過大評価をすれば、すべてが狂ってくるに違いない。
 ビジネスの主要課題は、やはり人と人との関係の重視以外にはないように思われてならない。「情報(化)社会」時代に古臭い視点を蒸し返しているようだが、あえて、この基点に立ち戻るべきだと考えたいと思っている。

 最近のビジネスがらみの人的関係で、ふと思うことは、大道具、小道具といったビジネス環境(IT環境)には目を見張らされても、「役者」さん(スタッフ)たちがいかにも貧弱ではないかという印象である。
 特に若手の方で、「うーん、これは優れものだ」と感心させられる方にお目にかかることは皆無に近い。もっとも、われわれのようなビジネス底辺に位置する者たちだから、そういうことになるのかもしれないが……
 リストラの波を掻い潜って残った人たちであるに違いないからいま少しエリートであっても良さそうだが、少なくとも私の目には「よくそれでやっていられるものだ」と見えてしまったりする。ただ、単にふんぞり返っていて、不快感だけを与える一時期の年配管理職の方たちより、杜撰さはあっても燃えている若い仕事師さんの方がましではあるが。

 そこへ行くと、相変わらず関心させられるのが、零細規模の業者さんたちの内実である。親の代から引き継いでやっている自営業的な業者さんたちの立ち振る舞いや気配りは、何とも好感が持てる。いつもお世話になっているクルマの整備工場や、内装・看板などで協力していただいている業者さん、またソフト関係での協力を仰いでいる技術者など、何人かの顔をすぐに思い浮かべることができる。
 彼らには、奢りがない。依存し切れる大道具、小道具があるわけではないその分、自身の業と誠意で報いようとする、まさに人肌が見えるのである。
 仕事というものは、いつも不測の事態がつきまとい、それらを臨機応変に処理していかなければならない。そして、その時にこそ、人の能力と取り組み姿勢が試されるものだ。こうしたことに耐えられる人材は、めっきり少なくなったように思われるのである。
 「補助ツール」群が主役顔をし始め、仕事の核である人間が脇役に甘んじるかのような現代にあって、仕事の主役は人間であることに変わらない、という自信と信念を失ってはならないのだと思う…… (2003.11.20)


 事務所が手狭(てぜま)になったことと、賃貸料などのコストパフォーマンスの点などから、思い切って移転を図ることとした。といっても、慣れ親しんだ「淵野辺」であったので、同じ通りで、4〜500メートルの距離にあるビルのフロアーを選定した。
 当社は、社員数の増加はなくとも、開発環境としてのPCの数が少なくない状況である。納品済みのシステムに関する顧客のドキュメント・ファイルも膨大なものとなっている。相変わらず情報収集としての書籍の量も増え続けている。外注さんなどの協力スタッフの方たちの出入りも少なくない。そんなこんなの手狭感から、広くて割安な環境があればと思っていたところ、高望みをすればきりがないわけで、まずまずの物件に辿り着けたかと考えている。
 賃貸料についていえば、こんな不景気で先行き不透明な時期には、固定費圧縮の防御策は当然の処置だと思ってきた。広くなった上に、およそこれまでの半額にすることができたようでホッとしている。
 来月の上旬の引越しという段取りを計画しており、年末にさしかかりあわただしいことになりそうだ。ただ、ダラダラと続いた不況の中で、閉塞感や鬱積する気分に引き回されたかのようであったので、「遷都」ではないが、事務所移転を良い流れへの好機としたいと願ったりしている。

 上記のような事情からこの間、何回か不動産屋と接触する機会を持つこととなった。
 はっきり言って、私は不動産屋に良い印象を持っていない。偏見であるのかもしれないが、どうも好感が持てずにきた。「彼は、どう考えたって不動産屋のオッサンのようだ」というように、荒っぽくて横柄な人格の代表のごときイメージを暗黙のうちにかぶせていたかもしれない。
 もちろん全部が全部そんなタイプではない。現に、最終的に選定したところは、会社組織であり、その担当者はまずまずの律儀さを感じさせるタイプであった。
 しかし、「これこれ、これがあの『不動産屋のオッサン』を絵に描いたタイプだ!」と、当該イメージを色濃く再確認させられた人とも何人かお目にかかった。
 その筆頭は、賃貸事務所を探していると申し出ているにもかかわらず、いきなり三千五百万円のビルが掘り出し物だと勧めてきた「オッサン」であった。とりあえずカウンターの椅子に腰をおろしてしまったものだから、まあ後学のために聞いてみるか、とは思ったが、片方では「いやはや、典型的な『不動産屋のオッサン』だ! 元祖と言ってもいい!」という思いが否定できなかった。
 しかし、なるほどと気づいたのは、彼の言動が首尾一貫しているという点であった。つまり、横柄さという点では、統一がとれていたのである。携帯に知人から電話が入ると、客を目の前にしながら、「失礼します」でもなく通話を始めるし、やがて通話しながらふらふら店の外へ出てしまう有り様だ。もどってもまた「失礼」でもない。それを三回も繰り返したから、あきれてものが言えなかった。
 「どの位の広さ考えてるの?」と聞かれたため、「そうね、この店はどの位の平米になるの?」と聞き返すと、なんと、「良かったら、ここを空けてもいいよ。九十平米ちょっとあるから」ときたのだ。「店舗向きじゃないの。しかも一階は好まないよ」と言うと、「そうね……」と言い、そしてにわかに掘り出し物ビルの話へと強引に向かい始めたのだ。
 彼は、パンフレットの裏の白地に、ボールペンで近辺の地図を書き始め、「ここ、ここのビル知ってる? これが売りに出されてるのよ。いわゆる不良債権がらみの競売で底値にまで落ちてるんだよね。今なら買い得だよ。三千五百万だけど、私に任せれば三千という線に持ってゆける。どう? いい物件だよね」
 確かに、事務所を考える際、賃貸事務所だけが選択肢ではなく、購入という選択もあるにはあろう。それというのも、すでにわれわれは現在のビルのテナント代を十年以上払い続けてきたが、その合計額数千万円があればそれこそビルを所有することだって可能であろう。しかし、このデフレ不況の最中に、借り入れを起こして不動産を購入するバカがどこにいるものか。ふざけた話を聞き流して店を出たが、こんな「オッサン」たちを相手に物件を探していたら、どこかで喧嘩をしてしまうんじゃなかろうかと不安にさえ思ったものだった。

 不動産関係者は、バブル時にはケタ違いのカネを扱い動かし、おいしい目にも出会ったはずである。ところが、現時点では「嫌気がさす」ほどのシビァな実情となっているのだろう。そんな中で、展望を失いますます横柄で投げ遣りになっている業者も少なくないのかもしれない。
 ただ、バブル時の異常さを今なお引きずっているかもしれないのは、必ずしも不動産業だけではないはずではないかと感じている。そしてようやく、未来は現状のシビァさの延長でしかないことが常識化しつつあると見える。そんな中で、正確な現状認識をしつつシビァな現実に立ち向かう者たちと、どこかに「今一度……」と妄想し続ける者たちとに分かれていくのであろうか…… (2003.11.21)


 先ほど、たばこを買いに表に出た。午後六時ともなるともう真っ暗である。しかも、木枯しめいたわずかな風もあり、薄ら寒い。近所の街路樹の銀杏は、今年は色づくのが遅れたようで、ようやく今ごろ枯葉を落としている。歩道の上をそれらが風で蠢いていた。
 通りに面したたばこ自販機設置場所が、その明かりで遠くからも見えた。寒々しい白けた明かりが人気(ひとけ)のない通りに広がっている。その場所の向かい側は、観音堂であるが、境内を覆う桜の木々がその一角を暗闇で包んでいた。春や夏ならばともかく、晩秋の夜では近づく気にはなれない。
 付近にある消防団の建物に取り付けられた真っ赤な外灯が、ことさら存在を誇示しているように目に映えた。しかし、それがなければ、晩秋の夜は、あまりにも寒々しく、寂し過ぎたかもしれない。
 帰り道、自宅の前の通りに入った際、近所の家の玄関先で防犯用の自動照明ランプがつくのに気づかされた。それも、同じ仕掛けが二軒も続いてである。
 そう言えば、近所にどろぼうが入ったといううわさがあったことを思い起こしたりした。また、しばらく前までは、「犬吼(いぬぼえ)横丁」とでも呼んでもいいほどに、この一角に見知らぬ人やクルマが入り込むと、各家々の犬が一斉に吼えまくり、「騒乱」状態となったものであった。しかし、この半年あまりにニ、三匹、いや三、四匹の飼い犬たちが亡くなったのである。そんなことも、その防犯ランプの設置の背景にあるのかと、ぼんやり思ったりしながら戻ってきた。

 やはり、先週と同様に、所在なく過ごした休日の気分はどこか平板で、低迷しているのであろうか。ぼんやりとした心境なのである。
 ただ休日の朝は、いたって元気となる。今朝も、このところ軽目にしていた鉄アレーを、久々にワンランク上の重さのものにして出かける気力もあったほどだ。おかげで、足腰よりも、今日は上半身が気だるい感じとなってしまったが。
 もう今頃は、朝の六時台でも薄明といった感じで薄暗い。日によって異なるものの、起きたばかりの身体には、肌寒さを感じることも多くなった。が、ウォーキングを始める七時には朝日がさし始めることもあり、身ごしらえをして表に出るとまぶしさこそ意識すれ、寒いという感触ではなくなる。やはり、気構えが違うからかもしれない。そして、二十分も歩いたころには、汗ばんできたりする。身体がすっかり目覚めたといったところなのだろう。そして、気分も一応「アップ・バージョン」されているように思われる。
 ウイークデイならば、その後の食事後、すぐに事務所に向かい昨日の仕事の続きを始め、昨日の懸念事項を急速に想起し、昨日の心配事をもれなくバトンタッチすることになる。せっかく、「アップ・バージョン」された気分もほとんどすぐさま萎れさせられてしまうことにもなりかねないのだ。何のための睡眠であったのか、何のためのウォーキングであったのか、昨日を忘れて新しい一日を始めるためのそれらではなかったのかと唇を噛む思いがしたりもする。

 そこへいくと、休日は、とにかく昨日までのことをとりあえず棚上げにして、忘れたふりをすることができる。そして、どうしても波風立つ気分を平板にさせることができるわけである。そうであっていい。いや、そうでなければならないのかもしれない。
 人間というか、生物は、常に変化して、昨日の自己と今日の自己とは同じではないと言われたりする。しかし、人間ばかりは、「自己同一性」というか、社会的役割、責任と密着したかたちで、昨日の自分を、今日も寸分違わず担ってゆかなければならない。そのために、いやなことも、つらいことも忘れてはいけないかのような宿命にあるようだ。
 ただ、一体睡眠とは何のためにあるのかをもっと人間的に見直していいような気もするのである。つまり、人間は睡眠によって毎日新しく生まれかわるのであり、昨日の自分は忘れてもいい、と。とんでもなく「反社会的」な発想に違いないが、脳生理学的には一考に値する、いやしないか…… (2003.11.22)


 昨晩は、やや早めに床に就いたため、たっぷりの睡眠をとることができた。久しぶりに志ん生の落語CDを聴きながらの就寝だった。いつの間にか眠りに落ちていた。
 おかげで今朝は、明るい秋晴れの天候とあいまって、実にすがすがしい気分だ。

 ウォーキングの帰りに観音堂の前を通ると、町内会の人たちが火災予防訓練をしていた。その境内は町内会が管理していることもあり、夏の盆踊りなど町内会の行事が時々行なわれるようである。
「火事だあ、と叫びながら消火器に駆け寄り取り扱うことにしてください。はい!」
「火事だあ!」タッタッタッタッ、とニ、三人の年配の男性が実習していた。と、別のコーナーでは、火災通報の予行練習もしていた。
「はい、こちらは○×センターです。どうしましたか?」
「火事です!」
「ではお名前からどうぞ」
「△○※夫、57歳」
「まあ、年齢はいいでしょう。のど自慢大会じゃありませんから……」(ここは、実際はなかった。まあ、そんなのどかな感じだったということを表現したかった)
「ご住所は?」
「はい、町田市○×△一丁目****です」
「お宅が火事なのですか?」
「いいえ、隣の山田さんの家が燃えているんです」
「了解いたしました」
と、長机二台をやや距離を置いて向かい合わせに並べ、両者がマイクに向かってしゃべっていたのである。
 私は、観音堂の垣根越しにそれらの光景を眺めていたが、汗で濡れたシャツが冷えてくるのを我慢して見ているほどのことはない、とやがて気づいてその場を立ち去った。

 今日は三連休の中日であり、時間帯も早い。だからとも言えるが、どうも集まっていた人たちは町内会役員や消防団の人たちなどの関係者たちが、一般の町内住民を上回っていたように見えた。店員の方が客よりも多くうろついている売れない量販店の店内のようでもあった。
 ふと、以前家内が当番制の町内の役を引き受けることになった時のことを思い出していた。
「今晩七時から、また集会所なんだって。ダラーッとした打合せで、参っちゃうのよね……」
と言いながら仕度をしていた家内であった。出席者は、多くが何代も地元に住み続けた家のお年寄りたちであり、一代目として住み着くこととなった家の人たちはほとんどいないそうなのだ。地元の人たちに対して、ここへ「移入」してきた人たちが結構増えているはずなのに、住民組織は旧来からの勢力と形式が温存されている現実が、すべての形骸化とどことなしの滑稽さを醸成しているのかもしれない。

 今朝、境内で訓練に参加していた一般住民、確か子供連れの若い奥さんふうの人もいたかに覚えている。おそらくは、当番制に基づく参加であったのだろうが、一体どんな思いで参加していたか、ましておまけで付いてくることになった子供たちなんぞはいかばかりの心境であったか。察してあまりあると思えた…… (2003.11.23)


 誰にとっても「死角」というものがあるのだろう。それは、頭の良し悪しや、度量の大小にかかわらず、誰にとってもと言うべきかと思われる。私に限ってそんなことはない、と言う人については、そう信じること自体がすでに「死角」の厳存を物語っていることになるのかもしれない。

 養老孟司著の『バカの壁』に関してはベストセラーとなる以前から随時話題にしてきたが、「バカの壁」とは要するに誰にとっても存在する「死角」だと言ってもいいのだろう。「バカ」な人にのみ存在する理解を妨げる「壁」なのではなく、人が知らず知らず陥る盲点の集合のごとき「死角」なのだと思えばわかりやすい。
 おまけに、そこが「死角」となっていることを知らずに、「わかったつもり」で言動を敢行するところに「バカ」と称される不始末が生じる、そうした印象なのかもしれない。
 元来、前向きについた目しかもたない人間に「死角」なるものが存在することは、決して新しいテーマではなかろう。むしろ、それを覆い隠してしまう「わかったつもり」という部分こそが、「情報(化)社会」とその時代の新しいテーマであり、陥穽(かんせい。落とし穴!)なのではないかと思っている。 
 昔から、「机上の空論」という鋭い言葉があり、実学、実体験で検証されていない考えなどが一人歩きすることが戒められてきた。「無理が通れば道理引っ込む」ほどの実体験第一主義、実体験盲信も困ったものである。だが、「耳年増(みみどしま)」ふうに安直に得た知識、情報を振り回してはばからないスタンスは、もっと罪が重いように思われてならない。しかしながら、知識・情報がわがもの顔で飛び交い、それなりに重視される「情報(化)社会」では、往々にしてそれらが最終ターゲットと目されやすい。知識・情報は、いわば「現地」に対する「地図、略図」であるにもかかわらず、あたかも「現地」を経験したかのような錯覚にはまり込んでしまうのかもしれない。

 以前にも関心を向けた覚えがあるが、「素人(しろうと)と玄人(くろうと)とのボーダレス」という現象も、こうした状況と関連しているかと思われる。つまり、従来は何にせよ玄人となることを目指す者はその玄人集団に所属してその技を「体得」するほかなかったはずである。悪事を働く泥棒であってもそうだったのだろう。
 しかし、現代「情報(化)社会」では、TV番組、書籍、インターネット、そして情報ビジネスと、欲しい知識・情報を提供してくれるチャンネルは腐るほどある。妙に拘束感が伴う玄人集団への所属を選ばずとも、ある程度「わかった」気になることは不可能ではないかもしれない。
 だが当然落とし穴が存在している。「わかった」気になれることと、あることをまともに実践できることとの間には大きな開きがあるということ、それが一つである。そして、二つ目は、頭でわかることを実践するためには、身体の制御の訓練が必要であり、これこそが従来の「玄人集団への所属」ということの意義ではなかったかと思う。この部分が、「情報(化)社会」の情報偏重の風潮の中で、驚くほど軽視され蔑ろにされているのが実情のように見えるのである。

 自転車は一度乗り方を覚えると忘れることがないと言われるが、「体得」されたものはまさに身体が覚えてしまうのだろう。身体とその五感を使って体験的に得たものには、いざという時に「死角」が生じることは少ないのではないかと推測しているのである。
 しかも、「体得」という経験は、知識・情報のみの「わかったつもり」の気分を相対化する(=疑ってかかる)正常な感覚を養うことにもなりそうである。

 いたるところで「ぎくしゃくした会話」が勃発する昨今であり、養老氏著作がベストセラーになっているのはその何よりの証拠なのであろう。こうした環境への特効薬は思い浮かばないが、言葉尻を捕らえるような会話、言葉の平面のみでやりとりすることなどを、相対化する姿勢や思いを合わせて持つ必要が大いにあると感じたりしている…… (2003.11.24)


 とにかく現代の特徴を十分に理解することがすべての前提となる。とは言っても、それが何であるのかもまた難問ではある。
 その特徴の一つに、「変化の常態化」を挙げることにさほどの異論はなさそうに思う。しばしば、「過渡期」という言葉が口にされてきたものだが、「過渡期」とは安定して落ち着いた状況から、同様な落ち着いた状況へと移行する間の変化に富んだ時期を指すものであっただろう。安定して落ち着いた状況というものが一般的で、いわば「常態」と表現できた時代であったならば、変化で揺れ動く時期を「過渡期」と称して間違いではなかったはずである。
 しかし、現代のこの時期を「過渡期」と呼ぶには、あまりにも変化の末に現れる状況というものが不鮮明過ぎるのではなかろうか。いや、大方の観測では、変化の末、あるいは安定して落ち着く状況、というものが推定さえできないというのが実情なのではないのかと思えるくらいだ。ここに、「変化の常態化」という特徴づけをしなければならない理由が出てくるのだ。エンドレスの変化の時期、終わりなき「過渡期」という形容が、この現代にふさわしく思われるのである。
 この状況認識に立つ時、変化という言葉の捉え方自体を再検討しなければならないのではないかと気がつくのである。

 今朝の朝刊のある雑誌広告の見出し(ある大手IT企業社長の弁)が、わたしの意を強めさせたものであった。
「変化に即応できない企業は生き残れない」というのはともかく、
「何が起こるのかを予測するのではなく、起こりつつあることに機敏に対応せよ」
とは、まさに私の現時点での問題意識そのものであったからだ。
 今、私は、変化とその対応には「似て非なる」二種類があると考えている。
 一つは、従来から一般的に見つめられてきた比較的短期間に収束していく変化なのであり、安定した状態から安定した状態へのはざ間に出現する変化である。上述のように、「過渡期」の変化だと言ってもいいだろう。
 この変化に対しては、まさに「何が起こるのかを予測する」ことが重要かつ効果的な対応であったはずである。「備えあれば憂えなし」に説得力があった状況なのであり、「備え」が有効策とされた。また、何を「備える」のかという点で、知識による「予測」が重視されもした。コンピュータ・シミュレーションに熱い眼差しが向けられたのもこうした文脈においてであった。
 この状況での変化とは、現在時の状態との類似性が強く、また変化の時間速度も比較的緩やかであり、さらに強調されていいのは、到着状況があらかじめイメージ把握されていた点ではないかと考える。つまり、極端に言えば二点間の軌跡をたどるかのように想定された変化だったと言ってもいいのかもしれない。言ってみれば、扱い易い変化であっただろうし、その分、いわゆる「変化対応能力」といっても、「臨機応変」などという高度な感性や判断能力を必要としない事務能力レベルで間に合ったのであろう。
 ところが、現代の変化はまさしく変化そのものだという感触を抱かざるを得ない。特に留意すべきは、「行方(ゆくえ)」、「落下地点」が把握し切れないかのように推定される点ではなかろうか。加えて、変化の速度も尋常ではなくなっている。
 この状況をイメージ的に了解しようとするならば、遺伝子技術やナノ技術を例とする科学技術の超飛躍現象や、イラク、アフガンその他の地域で勃発しているゲリラ的テロの惨状などを思い浮かべるだけで十分のような気がする。どこへ収束していくのかを誰も語ることができないからである。
 また、生活環境(自然的、社会的)の変化にしても、人生経路の紆余曲折にしても、少なくとも従来のような「雛型(ひながた)」などが通用しない霧の中に置かれている印象をぬぐい切れないと言える。
 人々は相変わらず、「これからどうなっていくの?」「どこへ向かっていくの?」と、問う衝動に駆られている。また、知識を担う者たちは、なおのこと「予測」の精度を高める努力をしようとしている。当然のことだし、それらを否定する必要はない。
 しかし、最も今必要なことは、「起こりつつあることに機敏に対応する」ことなのかもしれない。「全天候型七変化(しちへんげ)」、即興、アドリブ、要するに文字通りの「臨機応変」なアクションがとれる体質になっておくことだと思われる。
 そんな体質に、個人や組織がなっていくためにはどうするのかについては機会を改めて考えてみようと思っている。ただ、現状分析をする際に、そんなラジカルな構図がいつの間にか浮上してきていることを下敷きにすることは必須だと痛感するのである。そんな目で、時代に生じている現象を眺めるならば頷けることも多々ありそうだ…… (2003.11.25)


 言うことがコロコロと変わる者の言う事は信じなくなって当然であろう。また、何が主たる主張なのかがわからなくなるほどに多くのことを並べ立てる者の言う事も、「また始まった」といった感じで受け流すようになるのであろう。
 後者については、現代、「情報(化)社会」における「情報アパシー」と呼ばれる現象に近い。つまり、機関銃で打ち出された銃弾のように矢継ぎ早に情報が撒き散らかされ、それらを消化する暇がなくなると、「もー、勝手にしなよ」といった無関心傾向に陥ってしまうという現象のことである。
 何でも多ければいいというものではない。個人の処理能力を超えて提供されたものに対しては、ノーサンキューの心境になりがちなものなのだ。

 「変化」についても同様のことが言えそうである。「日替わりランチ」なら毎日変化しても一向に構わないし、喜ばしいことでもある。
 しかし、度々変わらないで欲しいと思う対象も少なくない。例えば、PCの「OS」や、アプリケーション・ソフトのバージョン・アップなどである。よく聞く話では、「せっかく慣れたと思ったら、また勉強しなけりゃならないのは腹立たしい!」という類の感想である。もっともだと感じる。新たな追加機能に小躍りするユーザは逆に少数派だろうと確信するからだ。

 今、「いい加減にしてくれよな……」とさえ感じる「変化」の対象が多すぎるようだ。まず、IT技術関連ジャンルである。「ドッグズ・イヤー」という言葉があったのはこのジャンルであるが、その言葉さえもがもはや風化してしまった観がある。「なに言ってるの、そんなこと当たり前じゃん」とでも言われているような気がする。
 事務所移転に向けて、不承不承ながら書籍の整理なども合間をみてやっているのだが、そんな場でもIT技術展開の「ドッグズ・イヤー」速度を噛みしめている。役に立つはずだと考え、後生大事に保存していた技術関連の雑誌が、現時点で眺めるといかにも古く思えて、まとめて捨てる選択をせざるを得なくなっているからである。
 あらかじめ、ここでひとつ言っておくならば、こうした激しい変化の推移を実感すると、変化進行中の現在をどうしても「流す気分、姿勢」となっていくに違いない、という点なのである。激しい変化から、はたと「諸行無常」に目覚め、その理屈から「一期一会(いちごいちえ)」の悟りに至る御仁はまずいないだろう。激しい変化だからこそ、ひとつひとつが重要なのだと言ってはばからないのは、やがて値が上がるとの胸算用をする時代ものコレクターくらいなのではなかろうか。要するに、多勢は、激しい変化の流れから、現に目の前にあるものをも、やがて束の間のうちに価値なきものになるはずだとの予断をすることになるのではないか。

 「いい加減にしろよー……」の第二は、相も変わらず「変化」する(妙な表現か?)犯罪絵巻である。山林の土中や、河口などのあっちこっちから、「右腕」だ、「足」だ……とあったり、親が子を、子が親を殺害したりなにしたりというような、凄まじさの記録を塗り替えるような事件の連続は、ひょっとして健全な人々の規範意識、感覚を蝕むことにつながっていきはしないか。フランスの社会哲学者デュルケム(1858〜1917)の「アノミー」概念(人々の行動を秩序づける共通の価値・道徳が失われて無規範と混乱が支配的になった社会の状態)を彷彿とさせもする。
 ただ、デュルケムでさえ「アノミー」はやがて収束(終息)するものとの前提で論じていたはずである。が、プログラムの無限ループによる「暴走」のように、エンドレスかつ急速化する変化の「暴走」が始まってしまったとするならば、「アノミー」は収束(終息)しないことになってしまうのだろうか?
 昔ならば、その話題で半年、いやニ、三ヶ月は持ち切りとなったかもしれない異様な事件が、ほぼ毎日どこかで起こる現在、「慣れっこ」になってしまうから規範意識、感覚が蝕まれたりマヒし始めるということもないではないかもしれない。
 また、犯罪の過程を再現フィルムとかで詳細に報じるワイドショーは、潜在的犯罪者にその「手口」を示唆するのではないかとの懸念もあるにはある。
 しかし、むしろ、一般の人々の規範意識、感覚を揺るがしているのは、現時点での現状が安心できる安定した秩序を失いかけているような、そんな変化、悪い方向への変化が連続している印象を振りまいていることではないかと思うのだ。事実発生している事件なのだから、印象でもないのかもしれない。が、「有害図書」追放もさることながら、異様な犯罪発生とその報道自体が、人々の揺らぐ秩序観の堰を切る機能を果たしていないとは言い切れないような気がする。

 とりあえず言うならば、社会の衝撃的な「変化」の連続は、社会の秩序もそうであるが、人々の秩序観、規範意識、感覚をあたかも「歯槽膿漏」のように蝕む可能性があるのではないか、という心配に関心を向けているのである。
 この問題は、増え続けていると言われる「鬱病」などの精神病理的現象から、「変化先取り」課題に挑むビジネスに至る広範な領域に、大きな影を投げかけているのだろう。
 まあ、「暴走」するかのような「変化」の速度に、どういうつもりかは別としてブレーキ制御をかけている存在もあることはある。官僚機構だという皮肉ではあるが…… (2003.11.26)


「自動化・省力化の努力で登りつめた踊り場が、人手でなければならないマンパワーの不足というのは皮肉なもんですね」
 ある人と話していてこんな会話が飛び出した。相手は、同業のソフト開発関係者であったが、その人は最近、「老人介護」領域にビジネス・チャンスを見いだそうとしているのであった。
 一見、ソフト開発と「介護」問題とは無縁のように見えるが、現に私の知るあるソフト会社では、ソフト技術者と同数の「ケアワーカー」を抱えて、しっかりと「介護」サービスをビジネスとしている。勿論、今後の必然的な需要増を睨んでのことだそうだが、当初はソフト技術を生かして「介護」ロボットの開発を志向していたとのことである。
 
 ところで、相変わらずソフト開発技術者が不足している状況に、大きな変化は生じていない。この間の不況で、各企業の情報化投資が抑制されたことで、確かに一時期は技術者不足も沈静化したかに見えた。しかし、リストラで企業の財務体質を持ち直したかのような各企業は、ようやくIT技術を導入したさらなる効率化や、新ビジネス、新製品を生み出すためのソフト開発に着手し始めた観がある。そんな感触は、われわれが仕事の主要な柱としてきた半導体製造業界の前向きな「さざなみ」からも垣間見ることができる。
 ただ、これはまだ感触の域をでないのではあるが、ソフト開発という場合、圧倒的に「テンプ・スタッフ(派遣技術者)」に依存する形態が膨らんでいるかのように思われる。
 ソフト開発などは、従来から外部企業に依頼する「アウトソーシング」形態が多かったと言える。請負型での一括発注や、派遣技術者を迎え入れての内作である。このうちの後者がどうも増大していそうな気配がするのである。
 理由はいろいろと想像されよう。
 まず、一頃は主流であったかもしれない形式の、ソフト技術者を正社員として丸抱えするかたちがいかにもコスト増につながることが、重々認識されたのかもしれない。一般企業でも、一時は、システムがわかる人材を抱えたいという意向もあったようだ。しかし、何といっても極力余剰な人員を殺ぎ落とすことが重要視される時代である。
 また、ソフト内蔵の新製品のリリースを不可欠とする企業であっても、今、最大の課題はいかに低コストの競争力を発揮するかであるに違いない。しかも、タイムリーに市場へ投入することがまた必須の条件となる。
 かといって、請負型での一括発注形式は、新製品であれば「機密保持」の問題もあろうから、うかつに外部に任せることもできない。しかも、もっと現実的な問題としては、請負型での一括発注形式をとるならば、「仕様=スペック」がスッキリと凍結されなければならないはずだが、現状の新製品開発では、最後の最後まで試行錯誤の状態が続きかねない。その、仕様未凍結状態にお付きあいしてくれる技術パワーがご所望なのである。つまり、派遣技術者への期待ということになるのだ。
 現に、ソフト開発関連の派遣技術者募集の案件情報はかなりの量に上っている。不況でやや下火になっていた傾向はほぼ払拭され、ニーズだけは百花繚乱の相である。ただ、ソフト業界の実情をそれなりに知るものからすれば、問題含みの案件が多過ぎるかもしれない。例えば、二十代(要するに低賃金が望まれている!)で「アセンブラー」での開発経験がある人とか、これもかなり難しいと思っているのだが、三十代前半で「技術力に加えて、明朗かつリーダーシップや折衝力のある方」などである。
 おそらく、ニーズを持つ側の状況、環境はそうそう大きな変化はないと見なければならないので、派遣技術者を必要だとする数は膨大なものになっていくだろうと予想している。とともに、不穏な表現をするならば、トラブルも比例して増大していくのであろうか。
 要するに、時代のニーズに見合うようなかたちの派遣技術者は「払底している!」というのが現実なのであり、少子化をはじめとする現代の新現象は、確実にニーズとは逆方向に動いているからである。外国人労働力を拒み続けてきたこの国にとって、「介護」にせよ、「技術派遣」にせよ、ほかにもあろうが、「マンパワー」への依存が必然的に高まっていく傾向は、結構重苦しい問題であるに違いない。失業率が低くならない現状にあって、正反対の問題も軽視できないとは皮肉なものである…… (2003.11.27)


 あるTV番組を見ていて、「不快感」を禁じえない話口の出演者がいた。
 若手ではなく、年配であり、元映画監督であったはずだ。バカなことを平気で口にする若手は少なくない。こちらとしても端(はな)から、フィルター付きの目で見るからむしろどうという印象も受けないことになる。
 が、年配のそれもいわゆる有識者ふうだとやや無防備な姿勢で眺めるため、勢い「不快感」を感じてしまうことも起こってしまう。

 瞬間、「不快感」を誘発された原因は何だろうかと振り返ったものだ。実に、正論なのではある。また、落ち着き払った語り口でもあった。わかりやすいと言えばそうも言えた。だが、聞いていて、無性にいらだってくるのは間違いないところだった。
 うまくどう表現すればよいかが難しいのだが、一言で言えば、時代認識、時代感覚のズレということになるのだろうか。自分の側がズレていることもありそうなので、大きなことが言えないといえばそうでもある。だが、同席していた出演者たちの表情も曇っていた点を考えるとあながち的外れでもないかもしれないと思ったりした。

 その方の口調には、「人間というものはね」とか「そういうものなのよね」といったフレーズが目立ち、現在悪戦苦闘している者ならば誰もがそんな一般論、しかもこの現代では検証できないような内容を聞きたくないと思うようなことを、まるで教壇から話すような調子、あるいは孫をやさしく説教するような雰囲気で語るのだった。
 元映画監督ということもあるのかもしれないが、「人間とは」とか「人生とは」とか、あるいは「愛とは」とかの言葉を取っ掛かりにして考えたり、話したりするのが好きなのであろう。それはそれでいいが、現実はもっともっと各論的レベルに入り込み、綺麗に一般化することなどできない状態にあることを、いかほどご存知になっておられるのか、と思えたのだ。

 それがなぜ「不快感」につながっていくのかと言えば、自分自身が、そんな「無力」な思索や話し方にややもすれば陥る危険のあることを意識しているからなのである。
 この間も、いわゆる「知識」の無力さについてさんざん書き綴ってきた覚えがあるのは、一般化され、紋切型とさえなった「知識」のようなものは、いくら組み合わせ方を替えたとしても、目の前の錯綜した現実を解きほぐす力にはなり得ないのではないか、言葉の新たな「コンポーネント」から作り直していかなければ、それは叶わないのではないか、とふつふつと感じ続けてきたからである。
 それに、自分自身も気をつける必要があると思っていることと関係している。つまり、現代という過激な時代は、ある意味で、老いも若きも関係なく横並び的に苦労を背負い込まされた時代ではないかと感じているのだが、そこから、年配者が「では、教えて進ぜよう……」などと恰好がつけにくい時代だと認識しているのである。上述の「元監督」は、どんなに自信があるのかは知らないが、そうした雰囲気がまるでないように見えたのが異様と言えば異様であったのだ。

 先日、悲惨な事件のニュースを耳にしたものだった。六十半ばの祖父が、中学生の孫と口論となり猟銃で孫を撃ち殺してしまい、自身も直後に自殺したというものであった。
 いろいろと根深い事情も潜伏していたのだろうが、この両者間の世代差には埋め難い様々な開きが横たわっていることは容易に想像できる。まともな会話がほとんど成立し得ないのではないかとさえ悲観視してしまう。そんな関係で、もし年配者側が、「人間とは」といった高飛車な説教を始めたとしたら、売り言葉に買い言葉の弾みがとんでもなく事態を悪化させるであろうことも想像したものだった。

 時代は、あくまでも表面的には「日常」を装ってはいる。だが、一皮剥けば内実は未曾有な混乱状態であり、その未曾有とは「若き」にとっても「老い」にとっても、ほぼ同じ比重であるのかもしれないと感じないわけにはいかない…… (2003.11.28)


 今日は休日だというのに、朝から冷たい雨が降っている。
 やや気は重かったものの、もちろんウォーキングを欠かすことはない。先日、量販店で見つけた防水防寒フード付きのジャケットを着込み、淡々と汗をかいてきた。
 さすがにこんな朝は、散歩に出ている人はいない。せがむ愛犬のお供ををしぶしぶしているペット愛好家くらいを見かけるだけである。

 ペット愛好家といえば、おもしろい現象が生まれていることを知った。
 今密かに、中高年層に爆発的人気の「縫いぐるみ人形」があるらしい。あどけない顔をしたペットくらいの大きさの人形で、触れると子供のしゃべり声がアトランダムに飛び出す仕掛けのようだ。
 若い女性向けに売り出したところ、予想外に中高年の男女に人気が広がることになったという。そして今や、同好の人たちの集いまで催される熱狂ぶりなのだそうだ。
 私は、「ウーム」と考えてしまった。つまり、考えてみるだけの背景がありそうな直感を持ったのである。

 今、中高年層はいたたまれぬ所在無さと寂しさを抱え込んでいるのだろうか。わけがわからなくなったご時世にあって、ただただお客様のステイタスで受け身の位置だけに追いやられている虚しさが堪らないのであろうか。手頃な能動的所作を与えることができる「サムシング」が欲しくてならないのであろうか。
 早朝のウォーキング途中で見かける愛犬の後見人は、そのほとんどが中高年層の方々である。たまに若い女性や子供も見かけるが、愛犬への素振りの違いは歴然としている。中高年層の後見人たちは、実に「甲斐甲斐しく」愛犬たちに接しているのである。
 若い女性や子供たちは、どうしても自分の関心や意向が先立つように見えるのだが、中高年たちは、己(おのれ)を虚しゅうして、愛犬たちの意向を120%尊重してやっているようである。120%の愛情を注ぎ、80%くらいの遣り甲斐、生き甲斐を回収しているような気配である。

 何度もお目にかかる、小型のフレンチ・ブルドッグのお供をしている御仁がおられる。そのブルちゃんはいささか肥満気味なのだった。そして足も短い。だから、人間たちの遊歩道を散歩することは身にこたえるらしい。
 夏場であったと思い出すが、遊歩道の木陰でそのブルちゃんがへばっていたのを見かけた。またその恰好が何とも哀れであった。赤ん坊がはいはいしながら、そのままウッ伏せてしまったような姿勢、スーパーマンが空を飛んでいる時のような姿で、ひんやりする路上に腹をくっつけてバテていたのだ。ハアハアと息をしていた。あれあれ、と思った。
 が、それ以上に気の毒な気がしてならなかったのは、そのブルちゃんの後見人の方であった。年配のおじさんが、束ねた細いロープを手にして、屈み込む姿勢で実に心配そうな顔をして、若殿の方を見入っている。
『もうちょっと休むか? いやいや、わたしはいいんだよ、どうせ暇なんだから。だが、今ががんばり時だね。こうやって少しづつでも戸外を散歩すればきっとスリムになれるからね。もとをただせば、わたしが悪かったんだ。せがむおまえにもうちょっと気をつかって、えさを少な目にしてあげとけばよかったんだよね。許しておくれね……』
 そんな、独り言が聞こえてきそうな光景であったのだ。

 子育てや、どんな仕事であれ、自身のできる範囲内でさまざまな思いを巡らせ、時には気になって何度も寝返りを打ちながら眠れない夜を送ったこともあったに違いないだろう、中高年の方々は。心を煩わすそうしたこまごまとしたことが、実は所在無さを解消し、孤独を癒し、そして遣り甲斐を生み出していたのかもしれない。
 そう言えば、亡くなる前の父が、寝言で「いや、そんないいかげんな方法は採れませんよ」とか、仕事関連らしいことをつぶやいていた、と母から聞いたことがあった。どんな仕事でも中高年の男にとってはかけがえのないものなのだ。そして、中高年の女たちにとっては、手のかかる子育ての時期がそうであったのかもしれない。

 チワワに思いを寄せる中年男のCMが受けていたり、愛犬の後見人を任じて甲斐甲斐しく世話をしたり、そして、物言わぬ人形ではなくとりあえず物を言う「縫いぐるみ人形」に多弁となる中高年層たちの姿は、確実に現在のこの国の大きなある断面を物語っているはずなのだろう…… (2003.11.29)


「それはないでしょ〜」
という言い方を時々耳にする。具体的な根拠があるわけでもなく、かといって確固たる信念を持ち合わせているわけでもないにもかかわらず、そういう可能性は考えられないと言い切ろうとする表現なのである。
 好ましくないと思えるのは、そうした論理性の誤りばかりではなく、あたかも大勢のものがそう考えているはずだというようなニュアンスをかもし出す部分がまたいやなのである。詐欺に近いとさえ言っていいのかもしれない。ただでさえ、内実がはっきりしないにもかかわらず、風潮がそうだからそうに違いないと決めつける自分の無さが流行るだけに、こだわってみたい。しっかりと、「私は、そうは思わない」と言うべきなのである。そして、その論理的根拠をわかりやすく示すべきなのだ。

 何をのっけからエキサイトしているかと言えば、とうとうイラクで日本人外交官二人が殺害された。また、足利銀行という「地銀」が破綻した。加えて、偵察衛星向け国産ロケットが失敗した。昨日、こうした三つの考えにくい不祥事が発生、もしくは明るみに出されたのだ。
 それぞれは、ジャンルも異なるし、事情も違うので一緒くたに論じることには無理がある。が、いずれもそれらへの懸念が表明された時に、
「それはないでしょ〜」
と言ってそうした不祥事の可能性が黙殺されたと、十分に想像されるのである。

 最初の、イラクで日本人犠牲者が出た件では、すでに自衛隊派遣問題で政府側が口にしていたセリフではなかったか。「イラクの全土が危険というわけではないので『それはないでしょ〜』」といった調子ではなかったか。いかにも、現状認識がズレており、その原因は、ただただ米国への「義理立て」以外の何ものでもない。イラク侵攻を積極的に支持したボタンの掛け違いをこの期(ご)におよんでは正せないという硬直ぶりである。小型「核」兵器まで開発するに至った米国は、もはや狂気の次元にまで突入しているのだから、冷静な判断、合理的な選択こそが必要なのではなかろうか。

 「地銀」足利銀行の破綻は、盛んに景気回復の進行していることがアピールされている現状の陰の部分が明るみに出された観がある。株価はそこそこ上昇し、大手企業の良好な経営指数もあって、あたかも景気は確実に持ち直しているかに見えた。
 ただ現実の日向部分はそうであるかもしれないが、地方や中小零細規模企業、そして一般消費などは寒々しい日陰部分として放置されている。そして、整理され切らない不良債権の傷跡も今なお生々しいことが今回明らかになったと言うべきなのだろう。
 ここでも、景気の足を引っ張るネガティブな議論をしようとすれば、多分「それはないでしょ〜」という無責任な封じ込めの言辞が使われたと思われてならないのだ。

 巨額の費用を投じての国産ロケット、衛星打ち上げの失敗。失敗原因の細かい検証をすれば、数々の原因が発覚することになるのだろうが、そんなことは国民の税金が大気圏外で燃え尽きる前にやるべきなのだ。これは憶測に過ぎないが、スケジュール優先の開発工程の過程で、弱点部分のテストが要請された時、きっと根拠のない楽観的姿勢で、
「それはないでしょ〜」
と言った監督クラスがいたはずである。開発現場のスタッフの危惧の念を、「上ばかり見て」蹴散らした責任者がいたはずだと思われる。中国のロケット技術を笑ったり、今回のことで北朝鮮から嘲り笑われたりしないようにマジメにやったらどうだ、と思う。

 とにかく、危機管理に携わるものにとっては、「それはないでしょ〜」は禁句なのである。それも認識できずに危機管理の責任者顔をするならば、それこそ国民は言うべきである。
「それはないでしょ!」
と…… (2003.11.30)