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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2003年10月の日誌 ‥‥‥‥

2003/10/01/ (水)  「重箱老人」ではない「年寄り」となってゆく方法?
2003/10/02/ (木)  フォーマルなものより隠れた実感をこそ……
2003/10/03/ (金)  「オンリーワン」と「ロンリーワン」とはコインの裏表……
2003/10/04/ (土)  バカが舞い上がったような始末になりゃしませんかね……
2003/10/05/ (日)  斬新な結果は、斬新なプロセス(道具・手法)から!
2003/10/06/ (月)  「あっ、という間」の時間感覚に慣らされた現代人!
2003/10/07/ (火)  不死身薬のスプレーを「喉」にだけは忘れた自分?!
2003/10/08/ (水)  「なぜか情報社会には情報が希薄になる……」?
2003/10/09/ (木)  現在の不気味さは、90年代の世界の激変に由来する!?
2003/10/10/ (金)  <フェイク>なものが溢れるビミョーな時代としての現代!
2003/10/11/ (土)  『たそがれ清兵衛』での気になっていた俳優の正体!
2003/10/12/ (日)  品川駅東口変貌への憤り再論――「品川イースト」?
2003/10/13/ (月)  何もなくたってうれしい「小さな旅」はできそうだ……
2003/10/14/ (火)  結局、マスメディアを糾すことが先決か!
2003/10/15/ (水)  どう感じたのかという主観的印象に忠実となること!
2003/10/16/ (木)  「官僚主義」打破のためにも、「政権選択」環境を!
2003/10/17/ (金)  「このタコ!」という罵り合いさえ消えてしまうのか?
2003/10/18/ (土)  「勢いに乗る」ことについて考える
2003/10/19/ (日)  人の身体も、不要な部分を取り出してスッキリとさせられたら……
2003/10/20/ (月)  政治的稚拙さが禍根を増幅させる!「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」
2003/10/21/ (火)  盲点となりがちな「直接的」「接触的」な関係!
2003/10/22/ (水)  「人はみないつかは この世を去るだろう 誰でも自由な心で暮らそう」
2003/10/23/ (木)  縁あってめぐり合った生きもの同士!
2003/10/24/ (金)  来るべき社会の姿が見えるまでは景気回復はありえない?
2003/10/25/ (土)  「目先志向」ではなく「目先症候群」とでも言うべきなのか?
2003/10/26/ (日)  日当たりのいい遊歩道は、単に「気持ちがいい道」程度の「王道」だが……
2003/10/27/ (月)  ブレア首相曰く「課題は三つ、第1に教育! 第2に教育! 第3に教育! 」
2003/10/28/ (火)  「ポピュリズム(大衆迎合主義)」の自己矛盾?
2003/10/29/ (水)  かつては、「心の街医者」のような役割りだった街中の書店!
2003/10/30/ (木)  ♪ よ〜く考えよ〜、いのちは大事だよ〜、平和が大事だよ〜 ♪
2003/10/31/ (金)  現在の経済状況は、「使い捨て」を助長する傾向が高い?






 いつまでたっても泰然自若(たいぜんじじゃく)とした風情にはなれないことを、ふと情けなく思うことがある。いい歳をして瑣末な事柄一々にこだわってしまう自身の了見の狭さとでも言おうか。
 そう思うと、歳を重ねるのが単に重箱のようでしかないのは一体どうしたことだろうかとの疑問に行き当たる。子供の頃に見上げたお年寄りたちはみな、なんとも言えぬ平穏さの内にそこはかとなき重みを湛えていたではないか。仮に、重ねたその歳が重箱のようであったとしても、その内側にはいぶし銀のつぶがぎっしりと詰まっていたようでもあった。空の重箱を、ただただ積み木のごとく上乗せしている自分とは断然異なる、という実感が消えない。

 かねてから、現代にあって失われたもののひとつにお年寄りたちへの敬意があると懸念してきた。また、その原因はまさしく「情報(化)社会」における知識・情報の外在化と自由な伝播(でんぱ)の環境にあると考えてきた。つまり、古い時代のムラのような閉鎖社会では、価値ある知識・情報を古老たちが生き字引のように保有してきたがために、必然的に生き字引としての存在は敬意をもって仰がれたはずではなかったのか。
 しかし、現代では価値ある知識・情報は、生き字引に求めるまでもなく、TVを代表とするマスメディアが、あるいはインターネットのサイトが、あるいはものの本が微に入り細にわたり伝え尽くしている。古老よりもTVの方が重宝がられる時代となってしまった。老人たちへの敬意は、過去への感謝といった気持ち上の水準だけに依拠することとなってしまった観がある。

 では老人たちは、価値ある知識・情報の保有をやめてしまったのか? そうとも言えるが、そうとは言えない。
 ポイントは、どんな知識・情報に価値を認めるのかという時代側のあり方だと思われる。言うまでもなく現代は、「新しさ」そのものに文句のない価値を見いだそうとしている。「新バージョン」、「新」何とかが売れるのであり、関心が持たれるのは「新聞」なのであって「旧聞」ではなく、「ニュース」であって「オールズ(olds)」ではない。老人たちは、こうした現代的価値のある分野には構造的に疎いと言わなければならない。
 しかし、サムシング・ニューに価値ありと目星をつけ追っかけ回す現代人たちは幸せそのものなのであろうか? 実態は、幸せであると思いたいだけのことであり、幸せの「し」の字も真面目に問うたことがないような気がしている。

 お年寄りたちが強いジャンルは、まさに「旧聞」である。当然のことである。
 しかし、それだけではない。いや、もしそれだけだとしたならば、現代という偏った時代における老人たちは、無用の長物そのものとなってしまう。
 かつてのお年寄りたちが、継承された知識・情報以外に保有していた「サムシング・オールド」の中には、現代科学なんぞが及びもつかぬ貴重なものが含まれていたはずである。それを「経験」という一語で言うのはややためらいが残る。そんな薄っぺらなもの、「知識 vs 体験」という文脈で軽んじられる次元の言葉では表現し切れないように感じている。「経験知」「暗黙知」といえばいくらか正解に近づくが、それでもこぼれ落ちるものが多すぎる。やはり唐突にもお年寄りたちの「人生」と言っておくべきか。
 たぶん、そんな重みがお年寄りたちへの敬意を支えていたのではなかったか。

 が、そんな話もすでに過去のものとなりつつある。老人への敬意が過去の話となったということではなく、現代のわれわれ「非」老人たちが、老人になっていく事情はかつてとは様変わりしていると思われるのである。
 サムシング・ニューの知識ばかりを、時代の子たちと同じになって追っかけまわし、いやそれはそれでいいが、そうして得られた知識・情報だけをストックする習性まで身につけてしまっているならば、あまりにも手抜かりに過ぎるような気がするのだ。「サムシング・オールド」も「人生」のかけらも持たない、ただの重箱と成り果てていくだけではないか、と懸念するのだ。
 ビジネス界では「年功序列」制度慣習は完璧に廃棄されつつある。年金制度も軽視されつつある。すでに老人候補生たちには王手が掛かっていそうだ。別に「上」に就いたり、敬意を受けたりすることは問題ではないとしても、自身に誇りをもって生きる、生き続けるためには「サムシング」が必須だと思われてならない。しかし、時代に抗して「重箱老人」候補生たちが「年寄り」になっていくための、そんなマニフェストは書かれていそうもなく、自身でしたためる以外にない…… (2003.10.01)


 元来、キャラクター(グッズのキャラクター)なんぞには関心はないのだが、駅前留学・NOVAのCMに出てくる「うさぎ」は、なぜだかおもしろがっている。
 一番最初に見たバージョンは、スタジオあたりでディスク・ジョッキーまがいのことを悦に入ってやっていた「うさぎ」が、同僚から「ヘッドフォーンをかける位置が違うだろ」と言われてオロッとするものだった。長い耳にではなく人の耳の位置にかけていたのである。
 最新のものは、駅のホームで美少女ふうの女の子がボーイフレンドあたりと気取って話込んでいるところへ、無神経にも鼻歌なんぞを口ずさみながらやってくる。で、その彼女から、それまでの気取った話しかたとは豹変した脅すような声で「何か用?」と言われてしまう。「うさぎ」は立場も取りつく島もなくなってしまう。ホームの柱に左手を当ててかっこをつけるものの、その後姿はワナワナと振るえる心境を表している、というもの。 「どうするーア○○○〜」に出てくる真面目くさったオヤジやチワワの硬直性に較べると何と軽やかでくすぐりに富んでいることかと……

 ところで唐突ではあるが、日頃私がPC上で使う「フォント」は「MS P ゴシック」である。「MS ゴシック」でも良さそうなものだが、なんとなく間延びがしているようで「P」の方を常用している。
 だが、対外的なビジネス文書などになると「MS P 明朝」を使ったりする。「明朝」の「格式」的な雰囲気を、あたかもスーツを着るように使ってごまかす(?)のである。
 ところで、この「日誌」はエディターのソフトを使用して打ち込んでいるが、設定しているフォントは「明朝」なのである。当初は「ゴシック」であったが、「気を入れて書こう!」と思い始めてからのことだ。何を思ってか「明朝」に替えたのだった。その動機をよくは覚えていないが、どうも「日本語をもっと大事に扱わなくてはイカン!」とでも考えたようで、そうならば「やっぱ、『明朝』でしょ」と、意味不明な脈絡で「明朝」に替えたようだった。

 確かに「明朝」体のフォントを見つめながら文章を吐き出していると、活字の持つニュアンスが伴い、「徒(あだ)や疎(おろそか)かにキーを叩くではないぞ!」との声が百m先から聞こえてくるようでもあるのだ。抑制がきくとでもいうのであろうか。
 ただ、ふと思うことは、「それでいいのかあ?」という懸念なのである。要するに、スーツを羽織って書いていたのでは、フォーマルさに引きずられてホンネが書けないのとチャウか、という心配なのだ。
 ホンネではなくフォーマルな綺麗事を書いていてはなぜいけないのか。愚問ではあるがあえて答えるなら、そんな綺麗事の文章ならわざわざ書かなくたって巷に溢れているからだと言える。いや現在の巷の最大の問題は、旧態以前とした綺麗事の一翼と、実態(実体)を湛えながらも表現に到達できないでいる一翼とが、絶望的な距離を空けて睨みあっているからなのだと言うべきか。

 とんでもない時代でみんながオロオロしているにもかかわらず、人々は思いのほか静かである。たぶん人々みんなが「どうしてなんだろー」と古いギャグを噛みしめているに違いない。これもたぶんなのであるが、おそらくはこの時代の支配的空気に乗るかたちでの表現スタイルを掴み損ねているのではないかと思っている。苦痛だの、不安だの、イライラだの、憤りだのを、他人から後ろ指さされないスマートなスタイルで表現できるそんな方法を探しあぐねてしまっているようだ。あるいは、さらにそれ以前の段階であり、激変する世界自体を掴み損ねているのかもしれない。
 カウンター・サブカルチャーの不在などと取ってつけたようなことを書いてもしょうがないかと思うが、日常的実感としてはとりあえずそう思っている。で、「どうする〜?」となるが、とりあえずパロディー(parody)というスタイルはどうかと…… (2003.10.02)


 「我不媚人、不望富貴」(我人に媚びず、富貴を望まず。)(訳)私は人に媚びを売らず、富や権力を求めない。
 これは、黒田官兵衛の言葉であり、その墓碑にも刻まれているという。実を言えば、人気TV番組「その時歴史は動いた『秀吉に天下を取らせた男』 − 黒田官兵衛・史上最強のナンバー2 −」を見せてもらったのである。
「うーむ、いいなあ。諸葛孔明もいいが黒田官兵衛はいい」と、<サビシイお父さん>ならではの頷きを、ひとり繰り返していたのだった。
「誰もがナンバー1を目指して悪戦苦闘した時代に、『自分は自分』とオンリーワンの生き方を目指した、史上最強のナンバー2・黒田官兵衛のさっそうとした生き方」がいい。パフォーマンスに明け暮れる時の首相や今時の政治家たちに、墓石のかけらを砕かずに飲ませたい、とも思った。
 また、知の結果としての智謀に長けていたことはもちろんのこと、無類の碁好きでもあり、とことん知の魅力に通じたご同輩だと、我田引水で悦に入った。
 如水という法号を持つ仏教者であり、またドン・シメオンというクリスチャンネームを持つキリシタンでもあり、要するに戦国の世にあって文化人でもあったわけだ。ただただ夢の中(「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」)を突っ走った秀吉とは次元を異にして生きた男だったのだ。

 しかし、やっぱり<サビシイお父さん>たちのココロでしかないんだろうなあ、とタバコを吹かせながら現実に戻ったのだった。「我人に媚びず」なんていうやつは今時いないし、まして「富貴を望まず」なんていうのはたとえ寝言でも言う者はいないだろう。人に媚びながら富貴の影を追い求め、富貴をまさぐりながら媚びなんぞは必要経費と悟り切っているのが大方の現代人だと言って過言ではないだろう。
 だが、ここで注目すべきは、かの戦国時代は現代という時代に優るとも劣らない動物的世界であっただろうという点である。構造改革どころではなく下克上だったのであり、本能寺の変だったのであり、何でもありの仁義なし、だったはずである。そんな環境でのマイペースであったのだからこれは大したものである。NHKが「誰もがナンバー1を目指して悪戦苦闘した時代に、『自分は自分』とオンリーワンの生き方」だと絶賛するのは、NHKには言われたくはないとは思っているが、まあ間違ってはいない。

 ところで、今時に熱いまなざしを向けて語られる「オンリーワン」とは、過激な競争社会の中で戦略的に目指す手法なのだと見なされているはずである。確かに、弱小な立場にある者たちにとってはそれ以外に戦略戦術はないと思われる。
 が、事の真実を見るには、結果として称賛される「オンリーワン」だけに目を奪われていてはならないのかもしれない。「オンリーワン」としての結果に至る経過には、「ロンリーワン」としての孤独な寂寥感が敷き詰められていたと推測されるからである。
 黒田官兵衛の人生にも、それをそれとして決定していった背景があったのであろう。とりわけ、秀吉は官兵衛の才を認めるとともに「油断ならぬ知謀の策士」と警戒していたことが知られている。その事実を知らなかった官兵衛では決してなかったはずだ。現に、言掛りをつけられ自刃した千利休の例があったのである。官兵衛はその才を発揮すればするほどに「ロンリーワン」としての孤独に打ち沈んでいったのではなかっただろうか。

 現代人は、結果としての孤独は受容せざるを得ないものとしても、それを前向きにとらえてどうこうしようという覚悟した発想は持たないようだ。それでいて、「オンリーワン」という言葉だけは好む、というわけのわからない姿勢をとる。「オンリーワン」と「ロンリーワン」とはコインの裏表なのだということを、<サビシイお父さん>なら知っているはずだと思う…… (2003.10.03)


 この一日にJR東海の東海道新幹線「品川駅」が開業した。なぜわざわざという疑問が消えない。基本的には民間企業なのでとやかくいうこともないかもしれない。だが、北品川を第二の故郷とする自分にとっては、何となく他人事ではない気になり方がするのである。

 まず、このなぜ? という疑問の答えを探すと、
<東海道新幹線では、片道1時間当たり最大15本の列車を走らせることが可能です。
 東京駅と、その約7キロ南西の品川駅との間には、大井車両基地(東京都品川区)に向かう分岐点があります。東京駅―分岐点間は15本を走らせることができますが、うち3〜4本は整備などのため車両基地に行く回送列車です。このため、分岐点−新大阪駅間では、営業列車を11〜12本しか設定できませんでした。
 そこで、新幹線品川駅を建設し、品川駅で折り返す営業列車を設けて、品川―新大阪間の列車本数を15本にする、というのが当初の計画でした。
 ところが、JR東海は開業後も当面、現行のまま、1時間当たり最大11〜12本のダイヤを続ける方針です。というのは、乗客が増え続けるという見込みが外れて、90年以降ほぼ横ばいだからです。このため、新駅の建設目的は「輸送力増強」から「航空機との競争」に比重が移っています。>(asahi.com 「みんなのニュースランド」より)
 そして、「ひかり」より約30分早い「のぞみ」を、現在の1時間当たり最大2〜3本から7本に増やし、全車指定席で料金の高かった「のぞみ」に新たに自由席を設け、「ひかり」「こだま」の自由席と同一料金にするそうだ。
 要するに、いわば数の限られた客をめぐって<航空機に対抗>という意向のようだ。実際、東京―大阪間の新幹線と航空機の利用割合は、93年度は「85」対「15」が、00年度は「72」対「28」と、差が縮まっているそうなのである。もっとも、資料を見ると旅客数は陸も空も90年あたりから横ばい傾向をたどっているのが目にとまる。

 答えを探しても、へぇーそうなんですか、とつれない顔しかできません!
 それよりも、あの懐かしい「品川駅」の東口が大幅に変わってしまうことに「不快感」を感じている。
 すでに、われらが子供時代の秘境の探検地であった「四号地」が、「天王州アイル」だの「お台場」だのと、勝手なネーミングをされて引っ掻き回されてしまい、文句も言えない情けなさを引き受けていただけに、「また、コノ〜!」という憤懣やる方ない気分が充満してしまったわけである。
 しかし、よその国はどうなんだろう? ユーロではもっと大人しいんじゃないかな。街の景観をドラスティックには変化させない、そんな大人しさというか、落ち着きがあるんじゃないんだろうか。それが、歴史を優しく見つめ文化を大事にする上品な人間たちの節度というものなんじゃないんだろうか。それに対してこの国は軽薄でかつ下品でいけませんわね。おまけに御旗引っさげた官軍の掛け声のごとき構造改革とくりゃ、バカが舞い上がったような始末になりゃしませんかね…… (2003.10.04)


 キンモクセイの香り、朝露に濡れる木々の葉の吐息、うっすらとした焚き火の煙、そんなものの入り混じった空気が、秋の朝を存分に味わわせてくれた。ウォーキング途中でいつも深呼吸をするスポットでのことである。何よりのご馳走かな、と素直に思えたものだった。

 朝食時、伝統工芸展に関するTV番組を見た。
 最近は、荒んだ世相を荒んだ手法で報じる民放はほとんど見る気がしないでいる。というよりも、避ける気持ちが強い。そんな時はFMラジオをかけたり、TVでもNHKの3チャンネルに落ち着いたりする。朝だと「おかあさんといっしょ」の幼児番組だったりもするが、北朝鮮がどうだこうだとか、いかさま八卦見のような首相の顔を見せられるくらいなら、あどけない子供たちの素振りを見ていた方が食が進むように思えるからだ。
 消去法で選んだチャンネルであったが、家内は喜んでいた。ちょうど第50回伝統工芸展の、新聞での紹介をスクラップしていたようだったからだ。どんな点にどう関心を持っているのかを聞こうかとも思ったが、面倒なので止め、黙って見て黙って食べることにしていた。人が何かに惹かれるというのは、意外と込み入った事情があるものだと理解している。簡単に言ってしまえば言えないこともないのだろうが、実はそうではなく、そのことをめぐってだけで一本の小説が出来上がってしまうほどではないかと。

 それぞれの受賞作品が、その作家の工房を訪ね、その独特な制作手法をおりまぜて紹介された。工房風景というのが何とも興味深い。正直に言ってそういうのが好きである。事務所や工場というのは今ひとつしっくりこないのだが、工房とかアトリエというのは性分に合っている。木屑の匂いに満ちた木工作業場、油絵の具の匂いが立ち込めたアトリエ、ドリルの熱でオイルが焦げた匂いのする鉄工作業場……。張り詰めた気力、充実した忘我状態が支配する空間、まさにモノ作りと創造の空間。そんな空間で時が過ごせたらどんなにか幸せであろうかと思ってしまう。憧れのすみかだと言える。とともに見果てぬ夢の生業(なりわい)だとも。

 その番組を見ていて気づかされたことは、優れた作品の背景には独特な手法と、その手法を成立させるための道具立てがあるということであった。いや、もっと強烈な言い回しをして、工芸とは道具と手法の発見、発明だと言ってもあながち外れではないのではないかと思った。小手先の器用さを自認する自分としては、その辺の事情をそこそこ推察できるつもりでいる驕りがそんなことを感じさせた。そこには人間の意志と知恵とがモノと緊張の中で格闘するさまが展開し、過程として使われる道具と、結果として出来上がる作品とは不可分の関係にあると言えそうだ。「パートドベール」とかいうガラス工芸作品などは、一般的なガラス加工法とはまったく異なった特殊な手法抜きにしては考えられないと思われたのである。細工飴を作るのに、水飴の入った壷から飴を取り出すのではなく、飴の粉を型に入れて熱を加えて加工する、というような発想の大転換に基づく手法なのである。

 斬新な結果を生み出すには、その結果にばかり執着せず、その結果に至らせるためのプロセスとしての道具立てに目を向けざるを得ないというその道理が、とても新鮮で暗示的なことのように思われたのだった…… (2003.10.05)


 十年以上前に腐心した仕事の見直しを進めている都合で、古いドキュメントの整理も行なっている。いろいろと厄介なことに遭遇しているのだが、資料が棚の奥に紛れ込んでしまっていることに加えて、当時のドキュメント・データの保存形式と現在のそれとの互換性の問題にも手を焼いている
 当時は、ワープロ・ソフトとしてジャストシステム社の「一太郎」を使っていたものだ。それ以前にもバージョン2から使い始め、Windows版以前のバージョン3,4で大量のドキュメント作成を行なっていた。
 Windowsを常用するようになってからは、「一太郎」には若干の未練を残しながらも、マイクロソフト社のWordに切り替えたのだった。
 文字部分だけであれば、Word側で「一太郎」のデータを読み込み、安易に自動変換するので問題はないが、図表の罫線や、外字、その他レイアウト上の込み入った部分などは変換になじまない。

 そんなことに遭遇してみると、この十年余がまさに足早で過ぎ去ったかのような印象にとらわれた。90年代のことは「失われた十年」と呼ばれることがあるが、自分にとっても、どういうものか日常些事に追われながら滑るがごとく時を食いつぶしてしまった気がしないでもない。もちろん、個々の事柄に目を移すならそんなことはなかったことに気づくが、心理的にはそう感じてしまうのが不思議だ。それが、記憶をめぐる心理的トリックというものなのだろうか。
 よく、「こうしてあの日のことを思い起こすとまるで昨日のことのようです……」という人がいる。たとえば、卒業式の演壇での祝辞でもそうである。ここには当然の錯覚が潜んでいる。つまり、入学式で同じ演壇に立ったことと、その同じ演壇での卒業式という現在とを、いわば直線で結んでしまうならば「最短」感覚が訪れるのは当たり前といえば当たり前なのではないだろうか。
 夜の睡眠でも同じような経験がある。夢を見ていた直後に目を覚ますと、かなりの時間が経過したような気がする。もう明け方だろうかと時計を見るとまだ一時間半しか経過していなかったことに気づく。逆に、夢を見てもいたのだろうが全て忘れてしまって目覚めた時には、えっ、もう明け方だ! と、眠っていたのが瞬時であったかのような気がするものである。
 要するに、プロセスに関心が置かれると時間感覚の流れが緩やかとなり、それがなくなるとにわかに時間感覚が超スピード化するというのが時間感覚のようである。書くまでもない当然のことといえば当然だということになる。

 だが、振り返ってみれば「当然」ではない生き方をわれわれはしているのかもしれない。つまり、プロセスよりもはるかに大きな比重で結果を注視する生き方のことだ。何かにつけてそれが現代のスタイルなのであろう。現代の経済はその典型だと言えそうな気がする。
 「スロー・ライフ」というコンセプトが注目されてもいるが、時の流れを止めてしまうかのような生き方を、現代人はどうしたら取り戻せるのだろうか…… (2003.10.06)


 このニ、三日薄ら寒い日が続いていると思ったら、早くも喉をこわしてしまった。
 昨日の朝、起き抜けのコーヒーを飲もうとしたら、なぜだか急に喉が痛む。飲み込むと痛みがやってくる。別に風邪っぽい自覚は何もない。だのに喉だけがおかしい。夕刻になると、声がかすれて、出し辛いほどになってしまった。外側から喉元を押すと痛みが感じられるほどになってしまった。
 ちょっと前から奥歯に炎症があったためその原因で扁桃腺がはれたかと勝手な推測をしていた。が、どうも独自に喉の炎症が発生してしまったようだ。日曜日に、普段よりもタバコを吸い過ぎた覚えもあった。帰宅する途中で、ドラッグ・ストアに寄り「のどスプレー」と「のどの痛み止め薬」を買った。

 昨夜の「早期治療(?)」の甲斐あってか、今朝は大分容態がよくなっていた。
 とにかく、自分は喉が弱い。やたらに扁桃腺炎となりがちだ。幼児の頃、「アデノイド」(増殖性扁桃肥大症)の治療だか手術だかを受けたという記憶もある。
「大人しく我慢していたら、あとでおもちゃを買ってあげるからね」
と、だましだましの母の言葉で治療台に座らされていたイメージが残っていたりする。

 喉が強くもないくせに、やたらにタバコを吸うから故障が発生しやすいのだろう。これまでにも喉がらみの異変に何回か遭遇している。
 いつだったか、リクルート関連のビデオ制作会社から、SE教育向けビデオ教材の「キャスター」役を仰せつかったことがあった。もちろん、顔で選ばれたわけではなかった。当時、SE教育関連ではそこそこの評判をいただいていたために、蛇の道は蛇のごとく、キャスティングで悩むディレクターが嗅ぎつけたのだった。
 制作期間は十日ほどであった。慣れないことで当初はぎこちなかったが、何とかこなしその四巻のビデオが今でも本棚に収まっている。それはそうとして、この経験の中で忘れられないのが、「喉事件」なのである。
 時期はやはり秋、いや厚着をしていた記憶があるから寒空の季節であっただろう。おまけに特殊事情が加わっていたのだ。強烈なライトである。当時も驚いたのだが、スタジオのライトの照明度というものは異様に高いものだ。テーブルの上に置かれたフリップが「反り返る」ほどなのである。
 ようやく環境に慣れ始めた頃のことだった。
「はいカット!廣瀬さん、風邪引いてる?」
と、ディレクターがガラス部屋の中からマイクで問いかけてきたのだ。
「いいえ、でもちょっと喉がかれてますけどね」
「うーむ、声が割れちゃってるんですよ。ちょっと休みましょ。コーヒーでも飲んで喉を湿らせてみて」
 ディレクターの言葉で、最初はそんな軽いコーヒー・ブレイクで済んだ。が、この後、私の喉の調子は改善するどころか、やり直す度に悪化していったのだった。そして、結局スケジュールがニ、三日ずらされることになってしまったのである。
 恐縮した私は、翌日早速、耳鼻咽喉科を尋ね即効薬を所望したが、確かトローチくらいしかもらえなかったような覚えがある。あとは、
「そうゆう体質なんでしょうね。とにかく水分を大目に採っておくことがいいかな」
程度であったので、不安は残り続けたのだった。
 で、撮影再開の日、私はコーヒーと、コーラをしこたま摂取して臨んだ。まずまずの滑らかな声で終始することができた。が、である。当然のごとく困ったことが起きてしまったのだ。今度は、やたらにトイレが近くなってしまったのである。
 古いそんなビデオを見返すと、二巻目あたりでは何となく声が割れ始めており、その表情にも不安さが滲んでいるのが人知れずわかる。そして、三巻目以降には、トイレへ行くことを堪えているようななんとはなしの表情が推察されないでもない。

 今年の冬は、再び「SARS」の流行が心配されてもいるが、アキレスではないが喉にウイークポイントのある自分としてははなはだ不安がよぎるのである…… (2003.10.07)


 Fax上の文字は、正確に言えば文字データではなく画像データである。だからどんなに歪んだ肉筆文字もスポイルされることなくそのまま伝送される。それに対して、ネットのメールは文字データとして取り扱われている。だからいろいろな文書エディターソフト間でのコピーとペーストがラクラク可能となる。
 文書作成やその編集を主業務とする者にとって、文字データは「コピー&ペースト」が可能であるだけにありがたいデータだといえよう。しかしその分、別の問題が潜むことにも注意しなければならない。
 自分にとって便利な仕掛けとは、他人にとっても便利であり、さらに悪意を持った他人にとっても便利であることにかわりはないのだ。便利なインターネットという環境のジレンマも実のところこうした文脈にあるといえるのだろう。

 以前、ある会社が「官報」を随時確認したいという動機でインターネットを始めようとしたことがあった。が、多分現在でもその点は変わらないのではないかと思うが、ブラウザ上での閲覧はできても、印刷することができないようになっているのだ。プリントアウトして上司に提出したかったらしく、ひどく残念がっていたようだった。
 Adobe社の「Acrobat」で加工されているからである。これは、単独で使用できると同時に、ブラウザにプラグインされてネット上のデータを閲覧することもできるソフトなのである。文字や画像データなども特殊なデータに変換するとともに、データを取り出すことや印刷することに関する制限もセキュリティ条件設定ができるようになっている。PC上での閲覧はかまわないけれど、データの改変につながるソースデータの取り出しや、印刷を許可したくない場合などには結構有効な手立てとなるものだ。上述の「官報」もそうだが、企業サイトの財務資料公開などにも活用されている。

 実は今、私は、この「Acrobat」を使ってある資料を整備している。古いバージョンのワープロ・ソフトで作成した文字データ文書なのだが、結局最新のソフトでもうまく変換し切れないため、思い切って画像データとして扱うことにしたのだ。
 スキャナーを駆使したり、見やすくするための画像修正などの余計な作業が必要となってしまったが、そこそこコンパクトなかたちでPC上で読むに耐える文書ができるのである。思い通りのセキュリティ条件の設定が可能な点も頼もしい。さらに、ホームページのように文書内、文書外のオブジェクトとの「リンク」関係を設定できるのもプレゼンテーション機能を高めることに役立ちそうだと見ている。
 要するに、古いドキュメントを扱いやすいデジタル・データに変換しておきたい動機に見事に応えてくれるツールだと言えよう。

 こんな作業をしていて考えたことが二つあった。一つは、データのセキュリティの問題であり、もうひとつは情報技術と情報の関係の問題である。
 データのセキュリティの問題に関していえば、インターネット環境自体の防御とともに、アプリケーション・ソフト単位でのデータ・セキュリティがもっと注目されていいだろうと思ったわけだ。仮に、住居に忍び込み金庫を持ち去ったとしても爆破でもしない限りは中のモノを自由にできない、というような意味合いである。
 もうひとつの情報技術と情報の関係の問題での焦点は、前者の飛躍的で超スピードな発展に対して、情報=コンテンツ作成については遅れている、いや遅れていること自体にさほど関心が払われていないかもしれない事実なのである。われわれが、その斬新さに驚き慣れしているのは、実は決して情報のコンテンツ自体なのではなくて運び屋さんとしての技術の飛躍のはずである。
 いつもニューメディアが登場した際には、やがて驚くべきニューコンテンツが登場することになるとの根拠なき期待が抱かれ、やむを得ないかのように驚くべき俗悪なコンテンツが垂れ流されたものだった。そして、コンテンツはいつの間にか二の次、三の次とされていったかのようである。ニューメディアに、映画などでは相変わらず古典ものが活用されるのはその例の一端なのだろう。

「情報技術が一方ではやかましいほど情報を氾濫させ、他方では情報技術に情報の方が追いつかないのではないかという危惧をもっている…… なぜか情報社会には情報が希薄になるようにおもわれてならないわけなのだ。情報技術が農耕技術や工業技術につぐ社会技術となるにちがいないなどといわれればいわれるほど、それほどの情報がわれわれの手許にあるのかと考えているのだ。…… ニューメディア型の情報技術が、これまでにない斬新な情報メッセージを生産するという保証はまったくないといってよいだろう。…… 新しい情報技術そのものにダメ技術としての問題があるのではない。その開発と生産と販売に速度が加わりすぎている。そのため情報が情報技術の用意したパッケージにおいつかなくなっているという危惧をもつのである」(『情報と文化 多様性・同時性・選択性』情報文化研究フォーラム編 松岡正剛+戸田ツトム構成) (2003.10.08)


 ここしばらく頻発している仕事現場での「凡ミス」的な事故(大手タイヤ工場火災、北海道製油所火災、JR中央線の配線ミスなど。医療ミス問題も加えていい)に関して、何か共通する構造的な問題が潜んでいるのではないか、という論評をラジオで聞いた。
 実は、私もそんなことを考えていた。長期化するデフレ不況、止むことのないリストラ、リストラ以外に前向きな経営改善策が見出しにくい環境、そんな雰囲気の中で人の行動を蝕む何か……。どうも得体の知れない新種の何かが、人の行動や組織を機能不全にしているのではないか、というイメージが浮かびあがってくる。
 ただでさえ印象論なのに、あまりいろいろなことをごった煮にするとさらに焦点がぼやける危険があるが、最近多発している犯罪も無縁ではないような気もする。イージーとも見える殺人事件のことであり、幼女、少女などの誘拐・監禁事件などである。人間の生命を奪うことへの歯止めがパラリと外れてしまったかのような危惧の念を抱いてしまう。また、性をモノ扱いにすることや「拝金」主義をはばからない風潮が、急速に登りつめてしまったようにも見える。

 経済不況だけを原因だと見なすにはちょっと無理がありそうな気がしている。確かに不況のせいで、この間誰もがバックボーンとしてきたに違いない経済的支柱が揺らぎ、あるいは腐食してしまったことによる虚脱状態となっていそうなことは容易に想像できる。企業であれ、個人であれ同じことなのだろう。
 ところで、現在表面化していることは、一方で現代が「カネがすべて!」といえるほどの「超」商品社会の構造を備えてしまったことであり、同時に他方で人々が「カネ」以外の価値観を見事に衰弱させてしまった、ということではないだろうか。
 誰もが「拝金」主義者となってしまったような言い方は言い過ぎであろう。ただ、現代の日本社会にあっては、「カネ」なしで生きられる空間が皆無に近くなっている構造がありはしないだろうか。
 先日のニュースでは、三日間何も食べられなかった六十過ぎの男が、コンビニ強盗をはたらきパンを奪ったという。そのひとつを店の前でむさぼっているところを御用となったらしい。当人曰く、「ムショに入れば食べることで苦しむことはなくなる……」とのことだったらしい。『レ・ミゼラブル』が脳裏をよぎったりした。
 いくら市場経済主義の徹底という構造改革時代だとはいっても、社会自体が必然的に生み出す弱者を救済する社会保障制度、福祉制度が切り捨てられていいわけがない。そもそも、もしここを省みなくなる社会になれば、「反乱」が起こるとかということではなしに、市場経済そのものを揺るがす生産人口の劣悪化が始まるというのが基本論理ではなかったか。
 社会の大局、近未来をにらんだ政治の不在がもっと問われていいと思うが。

 現在の不気味な世相を考察するにあたり、経済不況とともに、ちょうど不況が深化していった同時期の90年代に進行していたはずの社会変化が、無視できないのではないかと推測している。
 冷戦構造の終焉(90年東西のベルリン統一、91年12月ソビエト連邦解体)による政治・経済の激変が始まったとともに、折からのインターネット、PCの普及=「情報(化)社会」への急上昇と、米国一国体制によるグローバリゼーションの浸透などが、この期間を強く着色したはずである。
 詳細については後日に回すとして、こうした激変の90年代が及ぼしたさまざまな影響を着実に分析することなしには、現在の不気味さはうまく読み解けないような気がしているのである…… (2003.10.09)


 <fake (フェイク)>というピリッとしたまるで小型ナイフの鋭さに似た言葉がある。その意味は、「<話など>をもっともらしく見せかける、でっちあげる、捏造する。<芸術作品など>を偽造[模造]する。<物・事>の見てくれをよくする、(事実に反して)<筋書きなど>に手を加える。……のふりをする、……を装う(pretend)。<相手>にフェイントをかける」とある。(ジーニアス英和辞典より)
 こうしてキーを叩いていても、その例示としての、現代という時代のさまざまなイメージが彷彿としてわいてくる。現代とは、あえて穿った表現をするならば<フェイク>な時代! だと言えないこともない。

 時の政治家たちは最も<フェイク>に振る舞い、免疫性の薄いことをいいことに庶民をあらぬ彼方へ連れてゆこうとする。<フェイク>の実践に必要なものは、ワンフレーズのキャッチワードで十分だということを、プレイボーイさながらによく知っていたりする。多くを語り、言質を残さないことにも留意しているはずだ。奇天烈(きてれつ)なヘヤースタイルによってビジュアルな差別化をすることを忘れないのも共通しているかもしれない。また、猫が自身の匂いを擦りつけるように、ノーベル賞受賞者、スポーツでの勝利者その他人気有名人たちとのショットを欠かさないのも<フェイク>の達人としてはお定まりのアクションなのであろう。

 <フェイク>な現代の代表選手はほかにもいくらでもある。
 贋ブランド商品に、贋一万円札、大手企業のロゴをかたった贋消費者金融、いや消費者金融自体が市中銀行の<フェイク>なのかもしれない。
 まだまだほかにもある。世間を騒がせた食肉や牛乳、そして加工食品。「内部告発」でなければ<フェイク>であることが一般庶民にはわかりにくい製造・流通機構の複雑さが災いしているとも言える。外部からは真偽のほどが掴みにくい事情というのが、問題なのであり、そうした環境が広がっているのが現代だと言える。

 「やらせ」番組という<フェイク>もある。これも、一般視聴者にとっては検証しにくいという事情が逆手に取られていると言えよう。ただ、「やらせ」であることを知りながら、むしろそれを楽しむという現代人の心理のあり方が注目されるべきだと思う。
 実は、もともと<フェイク>な時代の問題は、その下手人(?) だけが問われて済むものではないと思えるのだ。受け手側のあり方、たとえば警戒心のなさや主観的な思い込みなどもひとつであり、現在の国民の政治意識などはこうした点で先ず省みられていいかと感じている。
 受け手側のあり方の次の問題が、上の「やらせ」番組のように、<フェイク>を<フェイク>と知りながら、それを倫理感を発動させて拒否するのではない心理である。「そんなもんでしょ」という受け流し姿勢に始まり、退屈なリアリティ以上のフィクションの面白さとして興味を抱くあり方まで、結構増えているケースではないかと推測している。
 ひょっとしたら、日常の中のリアリティとフィクション=<フェイク>なものとの関係にこだわっているのは年配者だけなのであって、若い世代から子供たちまでの多くの者はその相対的関係を涼しく見つめているのかもしれない。生まれた時から、人工物やサイバーなものにしか接することができなかった者たちにとっては、フィクション=<フェイク>なものは、自然のような得体の知れないリアリティよりも親近感があるのだろうか。

 <フェイク>なものが充満する現代という時代は、単に人々の心理のあやでそうなったわけではないと考えるのが自然だと思っている。<フェイク>なものが寛大に、あるいは時として「好感をもって」受け容れられたりする根底には、現代特有の構造が潜んでいると推測したい。
 そのひとつは、やはり「情報(化)社会」的な社会装置以外にないと思われる。基本的に、モノとモノとの関係の鑑別に較べ、情報とモノとの関係や情報同士の関係の真偽性は簡単なことではないと思える。二つのモノが同じかどうかは容易に識別できても、ある情報があるモノなり、光景なりの事実を正確に表現しているかどうかの判別は簡単ではない、ということである。加えて、情報の対象である事実が地球の裏側の世界に存在したり、役所や企業の「機密保持」的環境に隠蔽されていたりする場合には、とりあえずお手上げ状態となるに違いない。そうでありながら、情報自体は一人歩きもする。
 さらに、もともとが<フェイク>などという視点が成立しないパーフェクトなフィクションの世界(ex.スクリーン、ゲーム、キャラクターetc.)もその影響する空間をどんどん拡大している。それらへの空間にのめり込む者(ex.オタク)の心理においては、逆に現実こそが<フェイク>であったりするのかもしれない。

 それにしても、<フェイク>なものが溢れる現代とは、実にビミョーな時代である…… (2003.10.10)


 人の存在感というものは確かにある。
 以前に見た映画、『たそがれ清兵衛』で気になる俳優がいた。清兵衛は藩命を受け、不承不承刺客の役を引き受けることになるのだが、その相手となる侍役がそれである。確かに劇中の役柄も不気味ではあった。だが、その不気味さをあり余る実在感を伴って表現し切っていた俳優がいたのだ。低く、しっかりとして確かな話し様。明らかにものを考えることと表現に鍛えぬかれた声もあった。ムダがなく、それでいて充満する意味を伴った身のこなしなどが、ただ者ではない存在感を強烈に印象づけたものだった。
 映画鑑賞後にも奇妙に印象が残り続けたが、映画の場面は暗い屋内であり、顔が映し出されることもなかったのでそれが誰であったかは判然としないままになっていた。

 今朝、TVを見ていて、その俳優が田中泯(みん)という著名な舞踏家であることを知るに至った。脚本家・倉本総が北海道で志望者たちと演劇塾を行っているように、田中泯は廃村の民家を借り受け舞踏塾を実践していた。その日常を紹介する番組であったのだ。
 三十年も独自の舞踏を探求しているとのことであり、フランスからは文化勲章に匹敵する貴重な芸術賞も受けているらしい。それはともかく、一筋の道に人生をかけてきた五十八歳の重厚な男の姿がまぶしく思えた。
 若手を指導する面持ちと言葉の厳しさは、まさしく剣の道場における師とまな弟子との切り結びそのもののように見えた。決して、後続者であるから手をゆるめるという姿勢はそこにはない。相手が理解できるかどうか以上に、伝えなければならない真理をとにかく優先させるという率直さにすがすがしさを感じた。

 彼の師は、五十七歳で他界したという。師と仰ぐ先達者がいたことが、彼が三十年も独自なスタイルを追求してきたことにつながっているようだ。と同時に、現在五十八となった彼は、すでに師の享年を上回っていることになにがしかの意識を向けているという。つまり、残された時間というものを意識せざるをえなくなっているということらしい。
 廃村の民家での塾は、若手への自分の資産の継承を真剣に考えていることの証なのであろう。とりわけ、舞踏という無形の文化、しかも創作も創作、完璧に独自なスタイルの舞踏であるだけに、その継承はことさら大きな意味を持つのだろう。
 舞踏のかたわら、自給自足のための農作業を彼らは行っている。そして、その一環で田中泯は、井戸掘りに挑戦する。十メートルの井戸を、岩盤とも闘いながら、自分の手で掘り進める。なぜ、という問いに、「踊りはその時その時に消えてしまいます。消えない何かを、確かなものを何か残したい。」とつぶやく。また、「土を掘り進め、独り穴の中にいると、先立った何人もの友人たちと会うことになる……」と言って、彼は嗚咽をこらえるためしばしうつむいたままとなった。

 彼は、自分の舞踏を、一般的な舞踏が「脳で考えたこと」を動機として、そこから「動き」に入るというあり方の、その対極に置いているようである。身体は「脳で考えたこと」を動機としなくても自然に動くし、舞踏とはすなわち「動き」なのではなく、それは半分であり、それ以外のものの表現の比重も重要なのだと。
 舞踏のことはよく承知しないが、「脳で考えたこと」に雪崩れ込まずに、身体の独自性に依拠しようとする点に少なからず共感を覚えた。
 そんな彼だからこそ、歳毎に柔軟性を失っていく身体を正確に見つめもするのだろうし、そして当然のごとくやがてやってくる死というものをも、決してはぐらかすことなく静かに観念しようとしているのだろう。
 変なたとえになるが、野獣たちが自然の摂理にしたがって全盛を極めるとともに、同じ摂理にしたがって己が身体の死を静かに受け容れていく、そんな雄雄しさというものを思い浮かべたりした。そして、人の生の元像もまた、ここにあるような気がしてならない…… (2003.10.11)


 先日、JR東海の東海道新幹線「品川駅」が開業したことをきっかけに、あの懐かしい「品川駅」の東口付近が大幅に変わってしまうことに「不快感」を感じる、と書いた。
 昨日のあるTV番組で、ご丁寧にもその一帯を紹介するものにお目にかかった。題して「品川イースト」なのだと。
 私の「不快感」はもう堪えようもなく増幅されてしまった。なんということだ、人に何の断りもなく(もちろんしょうがないのだけど)、まるでニューヨークか香港かと見間違える国籍不明の摩天楼に変えてしまって、やたらモダンアートだか何だか知らないけどそんなふうなデザイン過剰のわけのわからない雰囲気に仕立てあげてしまって……う〜ん、も〜…… もう二度と品川なんぞには行かないぞ〜、と歯軋りしたものだった。
 ふるさとが昔のままでいてくれなどということほどにわがままな言い分はないことは百も承知している。だが、そんなことは承知していても、腹の虫がおさまらないものはおさまらない。しかも、その変わり方が、趣きがあって上品な景観となったのであればまだしも、なんだアレは! 「高層ビル展示場」ではないか! 「ディズニーランド品川」ではないか! 医者たちが人体実験をはばからないように、大手建設会社が「実験建設」をやり放題にやったとしか思えないじゃないか! ん〜ん、も〜……

 以前に一度だけ、天王洲アイルの高層ビルのホテルに泊まり、変貌を遂げた地域の夜景を眺めたことがあった。F大手電気メーカからセミナーの講師を依頼された折、一度は天王洲アイルのホテルに泊まってみたいものだと思っていたので、前日泊が必要と言い張りそうさせてもらったのだった。
 その時、水割りのコップを手にして、変わり果てた夜景を見つめていたら目頭が熱くなってしまった。もちろん感動などではない。むしょうに哀しくなってしまったのだ。それは、幼なじみの天衣無縫で、素朴な少女が、あやしい化粧の水商売ふうの女の姿に変わってしまったことを、静かに嘆く心境とでも言おうか。

 「品川イースト」は、現在の、そして今後のこの国の変貌の象徴だという予感がする。科学とデザインと資本とそして米国をはじめとする外資の影だけが充満し、人々の生活者としての意思の香りが一向に匂ってこない空間! こころのない、まるで製品のような人影だけがそんな空間に溶け込んでうごめいている。むろんそうした人影たちは、歴史などに関心を示すわけがない。「……だったようですね」という伝聞型のあいづちが打てればそれでよく、過去のことなどうっとうしいだけのことだと思うはずなのだろう。
 「台場」がダイバ、DAIBAと称されても何のことはないのだ。幕末なんて関係ないし、まして米国の一つの州と成り果てたかに見えるご時世にあっては、過去に米船に向けて砲座を設けた話など洒落にもならなくなってしまったというわけか。
 いや、そんなローカルな話など問題にならなくなるのかもしれない。歴史の風化は当然のごとく驀進し、やがて個性的内容を持つ地理も平板化して次第に消滅してしまうのだろうか。由緒ある地名が次々と記号的名称に置き換えられているように、地理は、単なる空間内の位置を識別する「アドレス」に収斂(しゅうれん)していくのだろう。コンピュータのメモリ上の「アドレス」と同様に。

 当然のごとく、またこれが現代のハイエンドなのですという傲慢な顔つきで示される景観を眺めていると、なぜだか自分が間違っていて、まるで落ちこぼれ者のような錯覚にとらわれてしまうから不思議なのだ。冗談じゃない。変化の一時点が永遠のように見えるのは、微分係数=傾きが不変であると認識されるのと全く同様なのである。
 変化の激しい時代こそ、人類の歴史! というほどのロングスパンの尺度で、価値観やセンスを洗い出し直すことが必要だと、自分に言い聞かせ憤りをクールダウンさせている…… (2003.10.12)


 今朝のウォーキングは、久々に薬師池公園を含む二時間コースにしてみた。
 雨上がりの心地よい湿気を含んだ空気と、しっとりとした樹木や草花の光景が、文字どおり、心を洗ってくれるような気がした。
 歩きながら、幾度も思い出そうとしていた。この湿気を含んだ柔らかい空気、何がどうという表現を超えて優しい過去のイメージで包み込むようなこの絶妙な空気は、どんな思い出と密着しているか、と。
 風化して、味気なく干からびた地表に鋭い鍬を打ち込み、どさっと掘り返した地中から顔を現した馥郁(ふくいく)たる香りを漂わせるしっとりとした黒い土。まるでそんな感触の空気だと思えた。心や気分、感覚も、土と同様にざくざくと鍬を入れ、耕すようなことをしてあげなければ無機化してしまうのだろうか、などと思いもした。

 今日はいっさいのウェイトを外し、その代わりに小型デジカメを首にぶら下げ、散策モードで飛び出した。歩き始めてしばらくすると、銀杏(いちょう)並木となった。そろそろ実が落ちる頃なんだな、と思ったが早いかあの銀杏(ぎんなん)特有の匂いが漂ってきた。と同時に、ビニール袋を手にして落ちた銀杏の実を拾い集めている夫婦の姿が目に入る。反対側の歩道にも、まるで散歩中の犬のふんを始末するような格好で、香り高き銀杏を拾う中年男性もいた。その匂いとの闘いのように見えた。
 小学生のころ、校舎の裏庭に大きな銀杏の木があったことを思い出した。銀杏の実は炒ると香ばしくて美味いものだが、その匂いと、かぶれをもたらすその実をどう処理するかが問題だ。土中に埋めておくのが最も安易な方法だと誰かから聞き試したが、結局そのまま忘れてしまったような気がする。そう言えば、あの裏庭では小さな銀杏の苗があちこちで顔を出していたことがなつかしく思いだされた。

 薬師池に至るには、知る人ぞ知る裏道がある。町田に転居してきた当時は休みの日ともなれば、手軽にハイキング気分となれる薬師池に度々あしを運んだものであり、その際にはその道を選んだものだった。が、最近はほとんど踏み込んでいない。もちろん獣道などというほどではないのだが、それでも林に囲まれたうっそうとした細い道を行くことになるため、歩く人は限られる。
 雨上がりだけに、林の木々がその葉とともに潤い、また色とりどりの落ち葉が濡れてその色合いを濃くしている。だが、今朝はひんやりとした感じではない。暖かい空気がたっぷりと水分をたたえ、生きものたちのふるさとを思わせるようなその感触が味わい深かった。
 案の定、一、ニ度、道を取り違えてしまったが、昔からのお気に入りスポットに出た。そこは、小さな丘や林に囲まれたまるですり鉢のような形状をした畑なのである。広さは野球場をちょっと大きくしたくらいであろうか。朝は朝で、また静かな昼下がりはそれなりに、さらに物寂しげな夕刻は夕刻で、そのこじんまりとしていながら、何か物語りを彷彿とさせるような光景がとにかく気に入っているのだ。今朝は、一面に小さな白い花を咲かせた野菜畑が目に映えた。また、その畑の脇道を、緑を背景にして白い帽子をかぶり白っぽい姿をした人の歩く姿が小さく見えたのが印象的だった。

 薬師池に着くと、樹木の枝越しからポツリポツリとにわか雨が降り始めた。やがて本降りになってしまった。ぱらぱらと訪れていた人たちが、折り畳み傘をバッグから取り出したりしている。日中には雨との予報を聞いていたが、こう早々と降るとは予想していなかった。
 池の水面を降り殴る雨を見ながら、なぜだか急に修学旅行での京都などを思い出したりした。
 空を仰ぐと、頭上はグレーの雨雲で被われていたが、その雲も流れていて下方の青空は確実に広がっているのがわかった。にわか雨だという予想と、どうせ濡れても差し支えない恰好であったので、そのまま大胆に歩き続けた。
 が、じゃあこれではどうです? と言わぬばかりに雨は勢いを増してきてしまった。そこで、公園の出口の向かい側にある店の軒下でしばし雨宿りをすることにした。切らしていたタバコと、ドリンクも欲しかった。
 タバコに火をつけ、缶ドリンクを手にして、ぼんやりと降り続く雨と流れる雲を眺めていた。何だか、見知らぬ土地を旅しているようなうれしい錯覚にとらわれた。「小さな旅」というTV番組があったっけかな、などとたわいもないことを思ったりしたが、なるほどこれはそれに当たると頷いたものだ。

 にわか雨が上がり、やがて強い日が差し始め、空気はなおのこと湿気を含む暖かいものとなった。おおげさだが南国風と言えないこともないと思えた。
 途中、デジタル・ショットを二十枚以上撮ることもできたし、気まぐれな天候がその潤いのある空気を運んでくれたおかげで、固着する感覚の層を耕すこともできた。たった二時間あまりのことであったが、まさしく「小さな旅」を、一銭もかけずに体験することができたのだ。ささやか過ぎると言えばそのとおりではあるが、何もない庶民も健康でありさえすればそこそこうれしく生きられるものかとひとり合点したりしていた…… (2003.10.13)


 「米兵自殺増加で調査団派遣 イラク戦争で派兵」(13日 共同通信社)という記事があった。
「13日付の米紙USAトゥデーは、イラク戦争で派兵された米兵の自殺者数が増加しているとして、米陸軍が精神科医やソーシャルワーカーなどの専門家調査団を現地に派遣したと報じた。過去7カ月間のイラクでの自殺者は少なくとも陸軍11人、海兵隊3人。大半が5月1日の『大規模戦闘終結宣言』の後で、陸軍はほかにも10件前後のケースが自殺に当たる可能性があるとして調べている。」とある。

 イラクが相変わらず不穏な情勢にあり、イラク国民が米国への信頼感を失うどころか、批判的な姿勢を強めていることはNHKでさえも報じている。旧フセイン政権残党やアルカイダなどの「悪党」が悪いのだと言って済ませられるものだろうか。こんな事態となることが予想されなかったとしたら、やはり事前情報分析があまりにも杜撰(ずさん)であったと言うほかない。アフガニスタンの先例もあったわけで、そうしたことを斟酌せずに国民の激情を煽り、イラク戦争へと世界を巻き込んだブッシュ政権、および英国ブレア政権の責任は厳しく問われるべきであろう。

 すでに、米国でもブッシュ政権への支持率は下がり、英国のブレア政権も国民からの批判の眼差しを受けることになっているようだ。未だにイラクにおいて「大量破壊兵器」が見つからないことが公式的にも発表されている点、そして何よりも、開戦前に両大統領が示したイラクの「大量破壊兵器」への疑惑情報が過剰もしくは捏造されたものではないかとの疑いが濃くなってきた点などが、両国民の良識を喚起し始めたということなのであろう。

 両「先進国」国民の冷静さ、聡明さを聞き及ぶにつけ、この国のバカバカしさが恥ずかしくなる。綺麗事を取り払えば、血に飢えた野獣のごとく、好戦的姿勢に燃えたブッシュ、ブレアに諸手をあげて「支持」をしたのは誰であったのか。<フェイク>首相小泉氏ではなかったか。「今見つからないからといって、無かったことにはならない」などと、彼は国会答弁で相変わらずガキの屁理屈のようなことを言っている。そこには、見苦しい言葉遊びと、言い逃れれば勝ちだと思い込む荒廃さしか見いだせない。
 米軍の爆撃で、少女が頭蓋骨から脳をはみ出させ、その傍らで父親が泣き叫ぶ光景に対し、彼なら何と言うのだろうか。運が悪かった、とでも言うのだろうか。そりゃ、彼ほど一生の運を現在まとめて使ってあたかも強運者のように見えるものはそういないが……

 が、そんな首相への人気が衰えないところにこの国の最大の不幸があると思われる。先ずは、この国には「政治的」国民が少ないと言うべきなのか。事実と論理を大事にして、自分のではなく、自分たちの幸せを一歩づつ実現してゆこうとするのが「政治」だとすれば、この国の国民はそれが苦手なのだと言うべきなのか。雰囲気に流され、自分たちのことよりも自分自身のことでてんやわんやしているからだろうか。間違ったことを教えられたり、誤った情報を与えられているからなのだろうか。

 もちろん自分を含むこの国の国民を自虐的に考えたくはない。とすれば、答えはひとつ、間違った判断材料、情報しか与えられていない環境が最大の問題だと言うべきなのであろう。
 『戦争をしなくてすむ世界をつくる30の方法』(平和をつくる17人編者:田中優+小林一朗+川崎哲出版:合同出版社)という興味深い著作に、先ずは「新聞やテレビをうたがってみよう」とあった。
 確かにそのとおりだと思う。あらゆるものに対する「神話」が崩壊したこの現在で、唯一無傷でいると見えるのは、新聞やテレビというマスメディアしかないのではなかろうか。無責任な<フェイク>な環境を仕立て上げていると同時に、<フェイク>そのものでもあるのがマスメディアなのだと見なして間違いはなかろう。

 歯に衣を着せぬ言葉の使い方を捨て去ったマスメディア業界こそ、熾烈な構造改革の波で洗い直すべきなのだ。そして庶民は、「番記者」「記者クラブ」などの悪習が波間に消えてゆかないまでは、情報の不買運動を続けるくらいの毅然とした姿勢が必要だろう。
 私も「まだまし」感覚で自宅ではA新聞をとっているが、サイトで間に合うのでやめてもいいと思っている。家内は「折込」がないとさみしいと言っているのだが、折込だけを配布する業者が登場してもよさそうなものだが…… (2003.10.14)


 昨夜は、就寝前の小一時間、デジカメのショットをパソコンで編集した。先日、「小さな旅」で撮った二十枚程度の「作品」(?)である。
 そう言えば、カメラに入れ込むことからとんと遠ざかっていたことに気がついたりした。気分が荒れていると、「癒し」になることがわかってはいてもそれを始める気になれなくなるようだ。

 サムネイル(【thumbnail】、コンピュータで画像や文書ファイルのデータのイメージを小さく表示したもの)を表示させるソフトで、記録された全体の様子を確認する。その中から、印象深い記憶が残っているものから順に、別のフォトレタッチ・ソフトで実サイズに拡大してみる。せっかくの大容量画素で撮ったものなので、無闇に小さく変更せずにディスプレイの全画面表示(1280 * 1024 ピクセル)が可能となるサイズまでの縮小としておく。そしてシャープネスを際立たせてみる。
 17インチの液晶ディスプレイの全画面表示で映し出すと、撮った現場の印象がリアルに蘇ってくる。が、こだわりの強い自分としては、その現場での印象と表示されたフォトの色調が異なると、やはり違和感が拭い切れない。そこで、いよいよフォトレタッチ・ソフトのツール類が出番となる。

 もう少し明暗の対照が強かったような覚えがある、と思えば「コントラスト」調整をしてみる。明るい雲のハイライトが明る過ぎでとんでいたら、全体の「明度」を若干下げてみる。暗い対象のため、全体の彩度が落ち過ぎている場合は、「彩度」調整をする。
 こうして、「ウン、こんな感じだったかな」というところまでいろいろと手を加えてみるのだ。こうした調整、修正のできることが、まさにデジタル・フォトの取得(とりえ)だからである。自分としては、写真撮影というのは、対象の客観性がどうであるかよりも、自身がそれをどう感じたのかという主観的印象に忠実となることだと考えている。絵画とまったく同じなのだと見なしている。

 いつだったか、東北へ旅行に行った際、大型の300ミリ望遠を引っ提げて走り回って撮影している御仁がいた。プロとは見えなかったものの、そうとう入れ込んでいるな、という印象が強かった。どういうわけかその晩、その御仁と同じホテルの大浴場で遭遇したのだった。
「カメラはプロですか」
 浴槽に浸かるその御仁に私は唐突に話しかけた。
「いやー、プロというほどでもないがね。買ってくれる人がいたりするからプロというのかなー」
「りっぱなプロ・カメラマンですね。あの望遠レンズは……」
「ありゃ、いわゆる『ニッパチ』さ。重いけど、明るくて背景をきれいにぼかせるからね」(ニッパチとは、F2.8と明るい大型レンズ使用の300ミリ望遠レンズのこと)
「どんな対象をとるんですか」
 そこそこ写真にはこだわりを持つ自分は、旅の恥はかき捨てとばかりに、湯に浸かりながら尋ねたものだった。
「そうだねぇ、あらかじめ頭の中にある写真のイメージと同じとなるように撮りたいねぇ」
「撮る前からイメージがあるんですか」
「そう、それを実現してくれる対象を探すんだよ」
「……」
 こちらから話かけた以上、途中で退座するわけにもいかず、あわやのぼせてしまうほどの長風呂となってしまった。しかし、主観性をそこまで大胆に追求しようとするその御仁の言葉は、我が意を確実に強めてくれたものだった。

 そんな旅で出会った御仁のことを思い起こしながら、今回のショットは結構雰囲気のある絵がものにできたかな、などとひとり溜飲が下がる思いとなり、ストレスも一割くらいは消し去ったか…… (2003.10.15)


「戦後ほぼ一貫して一つの政党が政権を握っています。その結果、日本の政治は安定し、経済発展を遂げることが出来ました。一方、同じ政党が半世紀以上も国家権力の座にとどまった結果、国政は弛緩し、不祥事があとをたたなくなりました。政官財が癒着し、国民のための政治は、出来なくなってしまいました。そして、現在、将来への希望は失われ、日本社会は閉塞感に覆われています」
 これは、今朝の『朝日新聞』(2003.10.16)半ページにわたる「意見広告」として掲載された「真の政権選択を考える国民会議」からの記事の一部だ。
 この「会議」賛同者には次のようなそうそうたる方々が名を連ねている。名だたるところを挙げれば、
「堀場雅夫(竃x場製作所会長)、梅原猛(哲学者)、中坊公平、広中平祐(京都大学名誉教授)、稲盛和夫(京セラ竃シ誉会長)、堀田力(弁護士)、大前研一 ……」
となる。別に、名だたる方々が賛同しているからどうだということもないのだが、小泉ドリームの水準で現を抜かすこの国の体たらくに『うんざり』していた折だけに、良識のある人たちの言動に目がとまったのである。

 同「会議」の主張は、べつに自由民主党がダメだというところまでは言っていない。
「私たち『真の政権選択を考える国民会議』は、自由民主党と民主党が、具体的な日本の将来像を示し、それをベースに政権を目指した競争が正々堂々と行われることを、そして、全ての国民が主権者としての自覚を持ち、自らの意思で政権の選択を行うことを、また、その結果として、日本に本当に『国民の、国民による、国民のための政治』が行われることを心より期待しています」と表明されている。
 誰かの口調ではないが、「それでいいのだ!」と言いたい。政治に多くを望むことはない。透明性のあるミニマムの環境こそが望まれる。ましてこの国の政治的水準は論外的な低さなのだから、難しく複雑な課題よりも、わかりやすい大味な課題が先ずは実現されるべきなのであろう。

 現在のこの国の由々しい問題の一つは、「官僚主義」的な悪癖が頂点に達していることだと思っている。ありきたりの政治的責任からさえも逃れた官僚たちが、結果的には無責任な行政を行っている点である。それは一重に、特別の見識もなく選挙にだけ長けた政治家たちが、官僚たちに依存し、癒着してきたからである。「構造改革」というならば、そうした体質こそが断ち切られなければならない。首相も、それがポーズでないならば、先ずは「官僚作文!」なんぞを読み上げず、自身の政治家たる見識と言葉で答弁書なりを書いて範を示すべきなのだ。土台、政官癒着の大本山である自民党に依拠しながら、改革ポーズをとる姿勢こそが、自己欺瞞か、論理的誤りに気づかない能天気さかのどちらかであるはずだろう。
 ともかく、官僚主義的罪悪に楔(くさび)を打ち込むためにも、「政権選択」環境が用意される必要がある。そして、先ずはその可能性を国民的規模で確認するためにも、実際に「政権交代」を実現してしまうことが望ましいと考える。自民党の変種でしかない小泉氏がどうだこうだなどという自民党党員的問題などではなく、自分たちの切実な明日の問題が、次回の総選挙にはかかっているはずであろう…… (2003.10.16)


「なにやってんだあ、このタコ!」
 開け放ったクルマの窓から、その声が聞こえた方に目をやると、自転車に乗った中年の男が、やや「抑制気味」(?)な表情でぼやいていたのだ。
 通勤途中でのことである。違法駐車で狭くなってしまった道路で対向車とぎりぎりのすれ違いを進めていた際のことだ。彼氏は、そのために自転車が通れなくて腹を立てていたのである。
 彼氏は、違法駐車に対してぼやいたのか、われわれに対してなのかは判然としない視線の向け方をしていた。言ってみれば、その全てに対してなのだろうか、そこにはいなかった会社の上司、あるいはわが家の女房、そして行くたびに巻き上げるパチンコ屋、勝手なことし放題の政治家たち…… そんなすべての世の中に対して、「このタコ!」と叫びたかったのかもしれない。それが起動するキッカケはなんでもよかったのだろう。
 とにかく、一億総イライラ状態が、巷には蔓延している気配がする。そして、そのイライラのガスに着火するキッカケはなんでもいいのかもしれない。いわゆる「一触即発」「危機一髪」「マッチ一本火事のもと」だと言えようか。
 ただ、その爆発がどんなかたちとなるかはそれこそ千差万別である。
 「このタコ!」という、自身では最大侮辱言語だと信ずる「タコ!」を口にしてみることで、一応、感情収支のバランスがとれる人もいれば、そんなことでは済まない人もいる。

 しかし、クルマを運転しながらその後一人吹き出すほどに滑稽さを感じたのだが、「このタコ!」と、言い放つことで、一体、彼の頭の中では何がどうなったのだろうか? 「タコ」という侮蔑用語を周囲に適用することによって、脳内に「αエンドロフィン」というような快楽物質が放出されるのだろうか? だが、それにしても、人間の感情処理のために、何の縁もゆかりもない「蛸」が突然に引き合いに出されるのは、「蛸」としてもいい迷惑なはずである。まあ、しかし、「蛸」は全然意に介さないのだから、人間の一人相撲だということになるのだろう。
 で、一人相撲といえば、もし相手が外人であったなら、発言者はますますもって一人相撲となるだろう。外人さんは「このタコ!」と「ブラボー!」との識別ができないからである。それでも、発言者は脳内に「αエンドロフィン」を分泌することができるのだろうか?
 くだらないことを書いているようだが、いや事実くだらないと言えばくだらないのだが、相手を侮蔑する目的の言葉でさえ、言語の共通認識、広く言えば文化の共同性がなければ滑稽な事態となってしまう、ということなのである。
 相手を侮蔑する言葉は、自己満足的に脳内快楽物質を分泌することにもつながってはいくのだろうけれど、相手がその言葉によって辱めを受け、激怒することが想像されてこそ、あるいはそうなってこそ、脳内快楽物質は「溜飲が下がる」ごとく十分に放出されるに違いない。結構、高度な文化的行動なのである。

 この国の現在が、共同性の文化で満たされているなどとは誰も考えてはいないはずだ。ジェネレーションの差を初めとして、さまざまな垣根が文化を寸断し、また価値観も同様だと思われる。当然言葉遣いは千々(ちぢ)に乱れていると言わざるをえない。とすると、言葉はますます無力になってゆき、ネガティーブなコミュニケーションとしての口喧嘩さえ成立し難くなるんじゃなかろうか。もちろん、胸のすくような啖呵(たんか)の花火は打ち上げられようもない。
 で、言葉を失った喧嘩は、勢い「実力行使」としての暴力へと雪崩れ込むのだろう。昨今の世情を賑わす陰惨な殺人事件は、言葉と想像力という共同性の瓦解を裏側から示しているのかもしれない。何が人間の「動物化」への後退を食い止められるのだろうか…… (2003.10.17)


 今日から「日本シリーズ」が始まるというので、野球ファンたちはそわそわしていることだろう。阪神は、この間、「勢い」というものはこういうことを言うのだと言わぬばかりの範を示してきたが、星野監督の健康問題ゆえの辞任が伝えられたことが熱さまし効果をもたらしているようにも見える。現に、阪神の株は下落しているとのことだ。
 それに対して、ダイエーは手堅いかに見える。その王監督は、シリーズに臨むにあたり、「一週間という短期決戦なので、『勢いに乗る』ことが大事だ」と話す。さすが勝負師だと思わされたものだ。

 事が短期間の場合はなおさらのことであるが、何かにつけ、とかく「勢いに乗る」こと、そのためのきっかけをタイムリーに上手に掴むことは非常に重要なことだと思われる。
 「勢いに乗る」とは、実のところ何がどうだという観点から言えば漠然としたとらえどころがない面もある。しかし、確かに存在しそうだ。当人たちが、流れは自分たちにある、環境は自分たちを押している、といったツキとでもいうものを確信するような瞬間である。
 事が人間界だけのことであればなおのこと有効であるかに思う。つまり、人間間や集団の心理的動態は、ちょっとしたキッカケでダイナミックに変動するからである。
 歴史上の勝負師たちはその辺のダイナミズムを巧みに操ってきたと言えよう。宮本武蔵の巌流島での決闘での演出もそうなら、戦国武将たちにはそんな逸話が掃いて捨てるほどありそうだ。

 「私は派閥をぶっ壊す。自民党もぶっ壊す。そして日本をぶっ壊す?」で知られた政治家も、「勢いに乗る」ことをことさらに計算し尽くした御仁であろう。
 時の首相は、マスメディアを、とりわけTVを、その計算道具として珍重してきた。「TVは、TVカメラはどこだ」と叫んだ佐藤栄作、今太閤物語を完璧に演出した田中角栄、記者会見にてペンで記者を名指した細川首相などが思い起こされる。
 そして、その風貌が志村ケンの「バカ殿」にも似た(?)小泉氏の場合は、「勢いに乗る」ための隘路を巧みに追求してきたはずである。それというのも、自民党の伝統である派閥勢力という数を持ち合わせていない以上、国民的「人気」に棹差す以外に方法がなかったからだ。そこで、当然のごとくTVが最大限に活用され、日毎に色褪せつつある「人気」を補強することに細心の注意を払うことになる。

 同じ「勢いに乗る」ことが決め手であるにしても、スポーツと政治とではやはり異なるのである。スポーツにはルールがある。「八百長」もあると言われるが、基本的には金銭の授受で勝敗を譲ることはない。が、政治の世界は破天荒だ。法律もあると言われるが、基本的には金銭(賄賂、献金、金権……)や「毒まんじゅう」(派閥割り当てポスト?)の授受で大方が決着する。さらに、マスメディアの意図的操作は常套手段でもある。
 つまり、現代の政治の世界では「勢いに乗る」こととは、王監督が言うほどの爽やかさとは無縁だと思われるのである。作為的かつ権力的ハンドリングである。
 現代の多くの政治家や官僚たちは、自らのパワーによって「勢いに乗る」冒険をしてきたというよりも、カネや権力を動力とする「勢い号」という列車のグリーン席に座っているだけなのだと見える。だから、いざ列車から降りると、とたんに「勢い」印が剥がれてしまうかのようである。「建設号」や「道路公団号」から降ろされた御仁の抵抗ぶりは、なんと往生際の悪い醜態にしか見えなかったことか。いっそのこと、今頻発する「自爆」ふうに、「列車」内での出来事を包み隠さず公表してしまうことが、「勢いに乗る」とは言わないまでも面目躍如のラストチャンスであったように思えたのだが…… (2003.10.18)


 ついさっきまで物置小屋の整理をしていた。ウォーキングから戻ってそのまま引き続いての作業であったため、若干の疲れを感じている。
 秋晴れの天気だからということもあった。が、主たる理由は、もう何週間も前から、家内が物置行きの荷を作り、時間のある際に片づけてほしいと言っていたからである。古い折りたたみテーブル、コタツの天板、ペット用の大型ケージなどが、狭い今の片隅に居座り続けているのを撤去せざるをえなかったのだ。

 しかし、スチール製の畳一枚分ほどの広さの物置を片づけ始めると、出るわ出るわ不要品が! 自分で放り込んだものには違いないが、何のために格納したのかが判然としないゴミもどきが多数あった。
 いまでこそ、不精になってしまったのと、買う方が安い環境到来でそうでもなくなったのだが、元来は、廃品活用主義者(?)であったため、人が捨てるものを後生大事にとっておいたりする。

 名古屋にいた頃、当時は収入も少なかったため盛んに廃品活用の「才」を発揮したものだった。おまけに、住宅のすぐ近くに定期的な粗大ゴミ置き場があったことが、その「才」をなおのこと刺激し、磨きをかけさせることとなってしまったのだ。
 もうその作品(?)目録は忘れてしまったが、子供の三輪車まで「廃車」されたものを再生した覚えがある。ボディのペンキを塗り替え、自転車部品のベルをつけたり、といろいろ手を加えた。仕上げは、もらい物の高級ブランデー、ナポレホンのボトルに貼り付けられた「N」のマークを剥がして、三輪車の前面にホンダの「H」マークのように貼り付けてやったりした。子供の頭文字であったからだ。まずまず子供は喜んだのだが、そのうち家内と子供は、口裏を合わせたようにことあるごとに「新しいものが欲しい……」と言い出すようになった。まあ当然と言えば当然の話ではある。
 自分は、貧乏性なので、人の使った中古品を使うことをさほど苦にしない方である。むしろ、新品だと変に気を使ったりして、挙句にキズでもつけたりすると情けない気分になったりするので、カメラでさえ中古品を好んで愛用している。

 中のガラクタを引っ張り出し、半分途方に暮れていたら、頼んだコーヒーを家内が持って出て来た。もちろん、念願の片づけが始まったのでホクホク顔だ。
 その時、
「そうそう、忘れないうちに話しておかなくちゃ……」
と言って、あることを伝えた。
 先日、ある知り合いに、癌治療で名高い「玉川温泉」産のラジウムを多く含むというライターほどの大きさの「石」をあげたのだった。自分ももらい物であったのだが、癌治療でがんばっているその人こそが持つべきだと考え、差し上げたのだ。
 そうしたら、その人はことのほか喜ばれていたというのだ。まじない程度に思ってくださいと言ってあげたのだが、その人はそれを患部に当てて寝てみたら、しこりが心持ち小さくなったかのようだ、といって喜ばれているらしい。
「心の支えが必要なことは確かだもんな……」
と自分はつぶやく。抗癌治療がだんだん効かなくなっているその人の病状のことを、家内と顔を見合わせて想像していた。

 物置の整理は、思いのほかの上出来栄えに仕上がった。今後のための空きスペースまで出来る按配であった。
 タバコを吹かしながら、ふと、知人の身体のことを思い浮かべていた。人の身体も、こんな物置のように、不要な部分を取り出してスッキリとさせられたらどんなにか素晴らしいことかと。頭上には、澄んだ青く深い秋空が、静かに広がっていた…… (2003.10.19)


 日本道路公団、藤井総裁の解任問題が話題を呼んでいる。公開「聴聞」が終了次第に同氏への解任手続きが始まるとされていたようだが、同氏からの今後に関する意向表明(行政訴訟、名誉毀損訴訟、爆弾発言もあり得る……)が伝わるや、事態は膠着状態へともつれ込みそうな気配である。
 もちろん、公団でありながら財務諸表を不透明な状況に置き、「構造改革」の目玉のひとつであった公団民営化の審議に停滞をもたらし続けた同総裁の責任は重く、その不適任性を問われてもやむを得ないはずである。ただ、この問題こそは、「羊頭狗肉」的小泉政権の恥部なのだと思われる。
 藤井総裁の肩を持つつもりは毛頭ないが、同氏から聞こえてきそうな屁理屈は、「今までツルんでいたくせに、自分一人だけ悪者にして臭いものに蓋はないでしょ!」なのであろう。現に、前内閣での扇国交相は同総裁を是認する立場を示していたのに、石原国交相にバトンタッチされるや、辞任要求から解任へと手のひらを返すような処遇変換を始めたのである。同じ「丸投げ」小泉政権においてである。小泉自民政権の解かれようのない必然的矛盾を、「トカゲの尻尾切り」の扱いを受けた者が内部から反旗を翻して指摘する、あるいはゴネ回っている図だと見える。どうも、党内改革者を気取る「ミイラとりミイラ」という不可能な稜線を歩もうとする首相の限界が垣間見えたような印象を受ける。

 私は、どうもこの図はどこかで見た覚えがあると記憶をたどろうとしていた。と、最新のニュースが飛び込んできたことで、そうだそうだと合点したものだった。
 そのニュースとは、「国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン氏とされる人物の声明を放送した。声明のなかで「米国内とイラクのアメリカ人に対する殉教作戦(自爆攻撃)」を警告し、日本についても攻撃を示唆した。」(『朝日』2003.10.19)というものだ。
 つまり、このオサマ・ビンラディン氏もまた、米国との関係において「トカゲの尻尾切り」の扱いを受けた人物であったはずだ。ついでにいうならば、今なお生存していると言われるフセイン氏もほぼ同類であるのだろう。
 米国の中東戦略において両氏とも、当初は米国からその活動が是認されて支援まで受けていたはずだ。それが、戦略上不都合と認識されるにおよぶや否や、嵐のような空爆攻撃の対象とされてしまったわけである。
 イスラム文明 vs. 西欧文明との対立問題という以前に、ご都合主義的に利用された者たちの、持って行き場のないルサンチマン(怨恨)が引き金となっているかのごとく見える。
 そして、時あたかもそのルサンチマンを埋め込んだ二人、ブッシュ大統領と小泉首相が、報道陣にツー・ショットを撮らせていたわけだ。

 「トカゲの尻尾切り」のゴタゴタとは、所詮、権力闘争における「コップの中の嵐」でしか過ぎない。国民的課題は別の地平にあると言うべきだろう。ただ、あまりにも多くの民間人をを巻き添えにするのが残酷だし、腹立たしい限りなのである。その点では、暴力団問題と共通した点がある。
 道路公団問題にしても、さしあたってはこの国の公的組織抜本的改革の試金石である。またイラク問題は、グローバリズム路線と他文明との衝突に燃え広がりかねない一大国際問題である。聡明かつ公明正大に対処されるべき問題であろう。
 ナーバスな問題を粘り越しで、建設的にネゴシエイトするのが「政治的」手法と呼ばれるものではなかったのかと思う。もっとも、理念乏しいご都合主義は論外だと思われる。「力」を背景にして、あるいは空疎な「人気」に寄りすがって、荒っぽく、不手際な運びを軽々しく行う姿は、それだけで信頼感を損なうものではなかろうか。そして「窮鼠猫を噛む」のたとえを再現させるに至っては、入場料が払える代物(しろもの)ではないだろう。

 目も当てられない世情の荒廃の頂点には、ミス・キャスティングな政治家たちの稚拙な政治もまたしっかりと居座っているように見える…… (2003.10.20)


 昨日、小泉政権の「政治的稚拙」について書いた。粘り腰のネゴシエイトが欠けているのではないかということであった。それは、とかく指摘されてきた「丸投げ」手法にも通じるものでもある。
 今朝の朝刊(『朝日』2003.10.21)のコラム(早野透「ポリティカ日本」)で、藤井総裁問題や、高齢政治家(中曽根、宮沢両元首相)引退問題が題材とされ、私の趣旨と同様な見解が述べられていたのを知った。政治学の泰斗丸山真男の言葉を引いて、「政治学は人間学」だとの視点から、小泉政治は膝を詰めた対話不在、あえて言えば人間不在という点の目立つことが指摘されていたかのように受けとめた。

 私の関心は、人間不在の政治が不測の事態をもたらすことへの危惧の念が一つである。説得と納得という人間業(わざ)を割愛し、マスコミ上の人気や組織的機能のみに依存する手法は、今ひとつ腰の弱さを露呈することになりはしないか、とでも言っておきたいのである。
 確かに、従来の自民党は、「永田町の人間学」(派閥!)ばかりが優先され、国民不在が大きな特徴であったかと思う。それに対して、小泉氏のスタイルは一匹狼的な孤立を、マスメディア、ネット(メルマガ)、官僚組織機構の活用によって補おうとするものだと見える。しかし、これらの道具は一面では華々しい効果も上げようが、はかなく空しい側面もあることが熟知されていないかのように見える。
 それと言うのも、長野県の田中知事は、同じスタイルでありながら、二期目は確実に庁内においても県民との関係においても、説得と納得という人間業を粘り腰で獲得しようとしているかに見える例もあるからなのだ。
 「政治学は人間学」だとすれば、政治はいかに生身の人間を丸抱えで味方にできるかが、結局、勝負どころであるに違いないと思われる。

 私のもう一つの関心は、ビジネスのジャンルや、通常の人間生活の領域に関わるものである。上記のような小泉政治が危なっかしくも持てはやされるご時世というものは、ビジネスや日常生活領域でも同じ「人間関係原理」が色濃くなっているはずだと思うのである。いや、そういう現実があるからこそ、小泉政治が成立するのだと言ったほうが正しいのかもしれない。
 つまり、身近な「接触的」な人間関係が軽視されているかのようであり、「非接触的」なマスメディア情報が判断材料として優位を占めるかのような風潮のことである。マスメディア情報だけではなく、「非接触的」で「間接的」なメール(メル友!)への関心の強さも例示することができるかもしれない。
 この背景には、もちろん「非接触的」「間接的」人間関係を支援するさまざまな道具立てがITなどによって生み出された環境があろう。だが、それと裏腹に、「直接的」「接触的」な人間関係をうっとうしく思う感性の広がり、さらに言えばこうした関係を苦手とする現代人たちの増加が、きっと存在するのだと思われるのである。

 「遠くの親戚より近くの他人」ということわざがある。たぶん人間は、「直接的」「接触的」な人間関係に棹差さざるをえないものなのであろう。それは、「介護」という象徴的な事柄を例示するまでもない普遍的な事実なのだろう。また、人間個人や組織の強さもまた、そうした「直接的」「接触的」な人間関係に依拠するかのように推察する。
 「非接触的」で「間接的」な関係は、「増幅された関係」だと言うことができるかもしれない。一方で、ポジティブな機能を増幅して人々の関係を増幅するとともに、他方でネガティブな誤解なども増幅してその関係のもろさもあわせて形成してしまうのだろう。
 今、ビジネスの世界でも、マスメディアやネットが活用され、短期間に「勝ち組」企業にのし上がる例も少なくなくなった。が、アッというまに消えてしまう例もまた少なくないのが現実であろう。ここにもまた、「直接的」「接触的」な取引関係と、「非接触的」で「間接的」な取引関係という問題が横たわっているようだ。
 穏当な表現をするならば、現代にあってもその両者が両輪となってこそ先へ進むことができるのだと言える。とかく「非接触的」で「間接的」な「情報空間」へのてこ入れにばかり目を向けがちな時代風潮の中では、むしろ「直接的」「接触的」なビジネス関係をどう構築するかが、意外と盲点なのかもしれない…… (2003.10.21)


(台詞)今日日(きょうび)「寄らば大樹の陰」とか言う言葉が 巾をきかせているようでございます。 楽をしようとする心が、人間を駄目にするのじゃないでしょうか。
♪北の風吹きゃ 北をむき 西の風吹きゃ 西をむく 男の意地は どこにある 浮いた世間に 媚をうる めだかみたいな 奴ばかり♪

(台詞)時の流れとでも言うのでしょうか。 自分さえよければという手合いが多すぎます。 まっとうに生きようとすればするほど 住みにくい世の中に なったものでございます。
♪声の大きい 奴だけが 勝って得する 世の中さ 男の道は 暗すぎる どちらを向いても 闇ばかり どこに実のなる 花がある♪

(台詞)どこもかしこも すっかり狂ってしまったようでございます。 と申しましても、夜毎 酒に溺れる私も、決してまともな人間じゃございません。
♪すねに傷もつ このおれにゃ まぶしすぎます お日様が 男の酒の ほろ苦さ 明日はどの色 咲こうとも おれは生きたい おれの道♪

 先日、偶然にクルマの中で聴いた美空ひばりの『残侠子守歌』の歌詞と台詞である。
 ひばりのマジで魅力的なその声に、バカな話だが思わず眼が潤んだものだった。こうして、歌詞と台詞を白日のもとにさらしてみると、その大意は伝わるのだが、感動というものがいまひとつ再現しない。やはり、天才ひばりの表現力なのだろう。

 この曲の発売は20年前の83年11月だそうだが、今聴いてもさほど色褪せた印象を受けない。むしろ、現在の狂気じみた世相への思いっきり醒めた視線として有効であるような感じがする。
 何が心を揺さぶるのかと反芻してみたのだが、現代という時代が奉ずる病的なばかりの「メジャー志向」に対する拒絶のクールさかと辿り着いた。
 確かに、現代のこの国の「メジャー志向」症は度し難い。てっぺんの政治、そして経済は、「大国」アメリカに向きっきりとなり、ありったけの「媚をうる」ありさまだ。ビジネス界も、自社独自な路線、コンピタンスの追求よりも、「メジャーな市場」追随に奔走する。カルチャーも、「メジャー」志向そのものであるマスメディアを媒介にして、「メジャー至上主義」へと雪崩れ込んでいる。
 人々の意識も、自分の頭で考えなければならないような事の繊細さや、深さは退けられ、浅くて誰にでもわかるといった最大公約数的な「わかりやすさ」、つまり単純さに張りつく様相を呈し始めた。「サルでもわかる」ようなレベルにしか反応できなくなってしまったと言っていい。
 そして、こうした単純さへと雪崩れ込む「メジャー」志向の傾向は、まともに生きようとするだけで「マイナー」であるかのような錯覚を抱かされるような、そんな「圧力」まで生み出しているのかもしれない。気弱な善人たちに、「落ちこぼれ」感や、孤立感、絶望感、そして最悪は「鬱」的症状をまで押しつける可能性がありそうだと感じている。

 「任侠道」(現在の暴力団とは無関係!)に身を定めた、それはそれで気丈夫なニイサンたちならば、「おれは生きたい おれの道」と「進路選択!」で迷いを捨てることも可能であろう。しかし、娑婆の素人さん庶民が、「めだか」じゃない生き方を目指すことは結構大変なことなのかもしれない。何かが必要だと思われる……
 最近ふと思うことは、はなはだ唐突ではあるが、「現世」だけを絶対視するな、という思いなのである。「来世」の存在を信じられるほど「うぶ」ではないけれど、「現世」だけを絶対視することは、ほぼ確実に「現世」の「主流派」に絡め取られてしまうからである。自分自身の「現世」にはいつか確実に終わる時が来る、つまりピリオドが打たれる時がやって来る。その厳粛な事実を引き寄せるならば、たとえ「マイナー」ではあっても、わけのわからない「メジャー」なものに身をゆだねたくはない、という実感が湧き上がってくるように思えるのである……

 「残侠子守歌」には、反・メジャー志向はあっても、どうしても「後ろめたさ」のようなものがつきまとっている。ならば、これはどうだと思えるのが、言わずと知れた『マイ・ウェイ』である。(作詞:G.ティボー THIBAUT GILLES,作曲:J.ルヴォーREVAUX JACQUES & C.フランソワ FRANCOIS CLAUDE,訳詞:岩谷時子)

1.やがて私もこの世を去るだろう
  長い歳月 私はしあわせに
  この旅路を今日まで生きてきた
  いつも私のやり方で

2.心残りも少しはあるけれど
  人がしなけりゃならないことならば
  できる限りの力を出してきた
  いつも私のやり方で
  あなたは見てきた 私がしたことを
  嵐もおそれずひたすら歩いた
  いつも私のやり方で

3.人を愛して悩んだこともある
  若い心ははげしい恋もした
  だけど私は一度もしていない
  ただひきょうなまねだけは

  人はみないつかは この世を去るだろう
  誰でも自由な心で暮らそう
  私は私の道を行く               (2003.10.22)


 動物たちの世界にも、境遇の「二極分化」が進行しているのか。これも、人間界での「構造改革」のうねりの余波であるのか。

 最近はいたるところでペットの小型犬を見かける。いずれも舐めるように(犬が人間をではなく、人間が犬を!)大事に扱われているように見える。
 家族と同様にかわいがりたい心境は十分にわかる。人間界は隅々にいたるまで、抜け目のない計算ずくで埋め尽くされているかのようで、気の休まる暇がない、というのが大方の実情なのであろう。そんな空間に、痛む人の心を寛容に受け容れるかのような「自然」な表情や仕草が、どんなに人の心を慰めるかは計り知れないものがあるはずだ。

 しかし、そうしたペットたちの傍らに、人間たちの不始末によって運命づけられてしまった「ノラ」たちも存在する。さすがに「ノラ」犬は見かけないが、「ノラ」猫たちは決して少なくない。
 自宅にも飼い猫がいるが、正直言って、街で出会う「ノラ」猫たちの姿の方が何か感じ入るものが大きいような気がしている。まさに、天涯孤独を宿命として負わされた彼らの仕草は、何ごとかを考えさせずにはおかない。
 ろくに食ってもいないのであろうが、日当たりのいい場所を探して足を広げて毛づくろいをする姿は、「この身、天に任せてます」といった楽観性と潔さをアピールしてくるようだ。
 小雨降る薄ら寒い日には、わが身が収まる小さな空間を見つけ出し、小さくうずくまりながら毛を膨らませ、うとうとしている姿が目に入る。もうちょっと暖かい棲家があればありがたかろうが、贅沢言ったってしょうがないし、贅沢言えばキリがないもんな……

 自宅の周辺にも「ノラ」猫たちがいる。聞くところによれば、後先の計算なしに家を買い、その挙句に行き詰まって夜逃げしてしまった若夫婦が飼っていた猫と、その後その猫が増やした子猫たちだという。
 朝、ウォーキングから戻ってシャワーを浴びるのだが、その際に、ガスの室外機が暖かいため彼らが集まっているのが判明した。窓から、餌を投げてやると嬉々として咥えて逃げてゆく姿があった。
 ところが、近所の住人には猫嫌いもいる。路上に糞をするとかで「保健所」という言葉まで口にしそうになる人々だ。が、捨てる神あれば拾う神もまた現れるのが世の中というもの。彼らに、餌を与える人もいないわけではなく、おまけに母猫と娘猫の「避妊手術」をしようという話をまとめる者も出てくる。

「隣の奥さんと一匹づつの手術費用を出し合い、市からの補助ももらって手術することにしたの」
と、家内から聞かされたのがニ、三日前のことだった。
 「ノラ」猫たちに手を焼く理由のひとつは、「鼠算」、いや「猫算」で血縁関係が増殖していくことであろう。その点が解消されれば、まずは一件落着と思えただけに、私は家内の話をおもしろがって聞いていた。
 彼らは、家内のクルマで獣医のところまで運ばれたそうなのだが、母猫は何を考えてか「観念」した様子だったものの、娘子猫はジタバタと暴れ、挙句にシートの上に失禁までしでかしたそうだ。術後の彼らは、別々のケージに入れられて隣の家で抜糸を待つことにさせられているようなのだが、母猫は、近づくと「ハァー」と牽制してくるそうだ。「よくもまあこんなひどい目にあわせてくれた!」と恨みを持っているようだというのだ。子猫の方は、ただただ、痛さのためか鳴き続けているという。
「カゴから出されたら、親子してこんな痛い場所はイヤと思ってどこかへ行ってしまうかもしれないな」
「でも、家に入れてもらってるからそれはうれしいんじゃないの……」

 縁あってめぐり合った生きもの同士が、何か思い合うことは生きてることの証しのひとつだと言っていいのだろう…… (2003.10.23)


 日本経済の不況は、本当に底を打ち活性化へと向かっているのだろうか。もしそうだとするならば、何がどう変わってきたことにより、そうなろうとしているのか。底が見えるということは、同時に長いトンネルの先に明かりが、将来像が垣間見えるということでなければならないはずだと思われるが、一体、どんな明かりや将来像が見えてきたというのか。「構造改革」後の社会が何であるのかは依然として不明のままであることも変わってはいないようだ。

 このところ海外投資家による買い越しによって上昇していた株価も、ニューヨーク株の下落や、国内小泉政権の前に立ちはだかるニ、三の難問が話題にのぼると、一気に数百円の値崩れを起こす不安定ぶりである。米国依存の体質と構造は何も変わっていないし、国内の政局はここしばらくは文字通りの不安定、疾風怒濤の様相からはのがれられないと推測される。また、景気の指標のひとつとされる株価が、ヘッジファンドなどの大規模投資家たちの手によって牛耳られている実情の不健全さはむしろ深まっているようだ。
 したがって、現在強調される「小康」状態がいつまた「危篤」状態へと急変するかはまったく余談を許さない、そんな状況だと言えるのではなかろうか。
 とりたてて悲観視しようとする意図があるわけでは毛頭ない。むしろ、「長すぎるトンネル」の暗さに辟易としている。ただ、やぶ医者の無責任で場当たり的な見立てや処置のような政治に対して閉口しているのだ。

 はっきりと社会の将来像を示すべきだと思う。安定した経済は、将来を見通した安定した社会をはずして描くことはできないからだ。まあ、それは難しいのかもしれないが、ならばそれをターゲットにしたような的を射る矢のごとき手立てに専念すべきなのである。どうも、小泉政権は、本質的問題を回避してウケねらいのような表面をなで回すパフォーマンスに終始しているように見えてならない。
 昨今の例で言えば、道路公団総裁解任問題でもそうである。「泥まみれ」となった風評のある現総裁をクビにしてリニューアル・イメージをアピールしたい意図はわかるが、ここへきて、政官癒着というまさに本命的な問題が、「イニシャル」云々で顔をもたげてきたわけだ。この問題に対峙することが「的を射る矢」のはずなのである。「司法取引」でも何でもして、これ幸いとウミを出してしまうことが将来を近づけることになるはずではなかろうか。総裁選で「A」議員とつるむK首相にそれはできないことではあろう。
 「N」議員、いやイニシャルはもういいか、中曽根議員引退拒否問題にしても、薄っぺらなドタバタ劇を見せられる思いだ。なぜ、実質であるネゴシエーションを先に済ませておかないのか。その難易度を掌握せずに、軽いパフォーマンスだけで成果をアピールしようとする今風処世術には空いた口が塞がらない。
 また、このことでは、あることを想起させずにはおかない。現在最大にこじれている日朝関係の最新の節目が、あの「日朝トップ会談」であったということである。端的に言って、根回し的作業を欠いたがゆえの、根もなく、花も咲かない根無し草だという評価になってしまうのではなかろうか。拉致家族たちの心痛はいかばかりのことか。

 つい、思いが入り過ぎてしまったが、その理由は次の点にある。
 今、心ある人々は、真剣に来るべき社会の姿のその前触れを注視しているに違いないのだ。これまでの価値観や行動様式が通用しない未知なる時代と社会のイメージを!
 そんな時に、国のリーダーは、言葉でそのイメージを伝えられないのならば、判断や行動で暗示すべきなのである。おそらく、小泉氏を支持したいとする国民を仮にも弁護するならば、これまでの自民党政治家たちが「永田町ギョーカイ」色にまみれて正体が見えなかったのに対して、まあまあ姿が見えるその安心感なのではなかろうか。
 しかし、それをいいことにして、中身のないこと(煮詰められていないこと)までパフォーマンスの材料としたのでは悪影響が大きいと言わなければならない。つまり、来るべき社会は、あんな風に「声の大きい 奴だけが 勝って得する 世の中さ」となるんじゃないかと、がっかりさせるじゃないですか……

 私は昨今、ますますこの「日誌」を書くことに根拠を見出しつつある。書かなければ、書き続けなければ、怒涛のような変化の末に訪れる将来の社会像は見えてこない、ということかもしれない。それが「醜い相貌」をしていそうな予感はあるが、それがどんな仮装を身にまとってのことかをも見据えるためには、相当冷静な集中力を持たなければならないだろうと感じている…… (2003.10.24)


 「目先にとらわれる」とか「目先志向」とかで使われる「目先」という言葉が気になっている。かたわらには、「スピード」優先という、現代人にとっては無視できない現実もある。また、「我慢」だとか「抑制」という自己制御の機能が低下したかに見える現代人の一般的傾向をもある。「先手必勝」という推奨される行動基準さえある。
 いろいろと目配りしてみると、現代にあって現代人の特徴と思しき「目先志向」を反省しようとするならば、それはかなりの難問でありそうな気がするのである。「これは良くないことなので控えましょう」との掛け声で済むような種類の問題ではなさそうだ。

 こんなことに関心を向けるのは、現代の経済、国際経済が米国型資本主義のグローバリゼーションによって席巻されていることに関係している。その米国型資本主義は、ヘッジファンドに象徴されるような過剰な投資型資本主義となり、その「貪欲」な投資主義は「目先」の利益を徹底的に追求するあまり、さまざまなかたちで経済や社会の発展に歪をもたらしている、と憂慮される事実があるからなのである。
 その事実を列挙する余裕はないが、米国のイラク進撃に垣間見えたように、戦争を材料にしてまで自国に有利な米国型グローバリズムを押しつけてゆく強硬さを頂点とし、また戦争や憂慮すべき社会的事件の推移をまで投資対象とする米国の投資家たちを知るならば、現代の資本主義経済が「目先」の利益に奔走し、節度を逸してしまっていることは否定しがたいと見える。

 こうした国際経済のうねりをベースにして、どうも「目先志向」の風潮に拍車がかかっていることが、現代の大きな病のように思えてならない。
 広い視野に立てば、「地球温暖化現象」という環境問題も、地球や人類の持続と生存という本来的課題から目がそらされ、当面の経済活動を優先するという「目先志向」以外の何ものでもないだろう。また、北朝鮮、いやインド、パキスタンもそうだし米国はもちろんなのだが、他にも枚挙にいとまがない「核」保有ないし依存国が、自国の優位や戦争抑止という名目によって、核のリスクと汚染を長期的には確実に高めている。これも、きわめて危険な「目先志向」の表れだと言える。超大国のスタンスが確実に源となって、「ドミノ倒し」的な連鎖現象を引き起こしているわけだ。

 身近な問題に目を向けても、「目先志向」現象ばかりが目につく。
 一体どうしてしまったのだろうと感じるほどの、殺人事件と性犯罪! あまりにも多発するために、いちいち注目していられないほどであるが、思うになぜ「目先」のそうした苦痛や快楽に引き回され、取り返しのつかない妄動に出てしまうのか、という疑問なのである。将来のことを想像せよなどという贅沢なことは言わない。せめて事件を発生させた後のこと、明日のことがなぜ頭に思いうかばないのかという、泥棒猫に言いたいようなセリフが脳裏をよぎるありさまではないか。こうなると「目先志向」などというきれい事の言葉よりも「目先症候群」とでも言ってもはや病気だと見なした方がわかりやすいような気もする。

 残念ながら自身の頭の中にも、「目先志向」が促される葛藤が確実にあることを認めざるをえないでいる。だから、ということでもあるのだが、この難問に対してどのようにこれを乗り越える手立てがあるのか、決しておざなりにせずじっくりと考えてゆきたいと思っている…… (2003.10.25)


 秋晴れの空は久しぶりのような気がする。先週で晴れていた日もあったかもしれないが、気分が曇っていたりしたのか記憶に残っていない。とかく天候というものは、人の気分と呼応して存在するものかもしれない。
 晴れた日曜日の朝は好きである。ウォーキングをしていても、行き交うクルマの数も少なく、人通りも閑散としている。街の朝のひっそりとした光景が独り占めできるのがうれしい。いっそのこと、田舎か山のふもとにでも住めば、毎日がひっそりとした自然の風景に溶け込めてうれしい日ばかりとなるのだろうか。

 こんな晴れた日は、遊歩道も日当たりの良い方を歩きたくなるものだ。川を挟んだ両側に歩道があるが、いつもの手前側は建物や樹木で日陰となる部分が多い。朝から暑い夏場だと、その日陰はありがたいものとなるが、これからの季節は明るい反対側が「王道」だということになろうか。
 「王道」などと気取った言葉を使ってしまったが、辞書によれば、
@「儒家の理想とした政治思想で、古代の王者が履行した人徳を本とする政道をいう。(反)覇道(はどう。儒教で、武力・権謀を用いて国を治めること。)」
A「(royal roadの訳語)楽な方法。近道」
とある。日当たりのいい遊歩道は、もちろん@であるわけがないし、Aだということにもならない。辞書にはないが、単に、B「気持ちがいい道」程度のものとしたい。

 しかし、辞書を「眼光紙背に徹す」(書物を読んで、ただ字句の解釈にとどまらず、その真意を読み取る)ごとくにらむならば(そんなににらむこともないのだが)、「成る程、現代とはこういうものなのか!」とひとり納得してしまったのである。
 「王道」の本義は失われてしまい、反対物たる「覇道」にとって代わられてしまい、かろうじて残された言葉の痕跡には、「楽な方法。近道」という意味が盛り込まれてしまっている按配なのである。
 ところで、「道」というものは二つの側面を持つものだろう。ひとつは「どこに至るのか、どこに通じるのか」という「目的」の側面であり、もうひとつは「どのように通じているか」、上り坂であるのか下り坂であるのか、長いのか短いのか、という通過点の特徴にかかわる「手段・方法」としての側面である。
 おそらく、「儒家」たちが「覇道」ではなく「王道」を唱えた時、十分に考慮されていたことは、「目的のためには手段を選ばす」という方法が、目的自体の成就を妨げる、あるいは損なうという点ではなかったかと思う。端的に言えば、「復讐の連鎖」を生み出すことの愚かさを凝視していたのではなかろうか。
 「すべての道はローマに通ず」ということわざがあるが、「儒家」たちからすれば、目的に到達するための手段・方法はいろいろある、とするこのことわざは、やはり楽観的に過ぎると見なしたのではなかろうか。

 下世話に言えば「結果オーライ!」(結果が良ければ、プロセスは不問に付す!)が、現代の大きな特徴だと言えるのかもしれない。それが、「王道」=「楽な方法。近道」と定着してしまった現代なのだと思われる。
 昨日、「目先志向」について能書きを書いたが、ここでもそれが浮かび上がっているように思う。極度の「目的」志向風潮が、「目先志向」のひとつの現象とリンクしているという事情である。現代は、「目的が見失われた時代」とも言われるが、プロセス(=「道」)はとっくに見失われてしまっているのかもしれない。

 もうひとつつけ加えておきたいことがある。「民主主義とは手続きである」と言われることがあるが、「手続き」という「手段・方法」(=「道」)が取り払われたり、軽視されたりする時、一体だれが「目的」の正しさを保証しえるのだろうか、という疑問である…… (2003.10.26)


 今、総選挙を前にして「マニフェスト」という言葉を頻繁に聞く。
 「マニフェスト」とは、「政策綱領。イギリスの選挙で政党から公表されるもので,具体性を欠く選挙スローガンや公約と異なり,政策の数値目標,実施期限,財源などを明示する」とある。政治家、政党と有権者との関係が、そこまでシビァに問われるようになって来ている時代なのだという緊迫感を持たざるをえない。
 しかし、曖昧模糊としているだけでなく、目玉とされる「郵政民営化」にしてからが、党内一致を見ていないと専らの評判である自民党のそれが、果たして「マニフェスト」と呼べるのかという問題が一方にある。また他方では、そうしたルーズさに対して厳しい目を光らせることができない国民の横着さが情けない限りだと思われる。

 ところで、イラク戦争への積極的加担で現在苦境に立たされているとされる英国のブレア首相は、政権樹立前には、「マニフェスト」の目玉を「教育」に定めたと聞いている。「課題は三つ、第1に教育! 第2に教育! 第3に教育! 」と大見得を切ったそうだ。イラク戦争に関する事前資料の疑惑などについては、英国国民とともに首を傾げざるをえないし、また、ブレア政権の教育ポリシーの詳細は不案内なのだが、現代のこの時期に、政治家が教育問題に強い関心を向けようとしていることについては、少なからぬ共感を覚えるのである。
 国の将来のことを真摯に考えるならば、現代にあっては、教育問題と環境問題を最優先させること以外に重要課題はないと思っている。経済問題への対応にしても付け焼刃でない抜本策を望むならば、経済構造の大きな変化に見合った生涯教育という課題や、今後の人材育成という点で、当然教育に関心が向けられなければならないはずだろう。この国の年金問題にしても、当面の財源問題もさることながら、年金資金の直接的提供者である若い世代をしっかりと生産人口にしていくための教育こそが重要でないわけがなかろう。
 現在のこの国での失業状況では、学卒者を含む多くの比率で青年たちを就業させられないでいる実態が大問題のはずである。これを不況だからしょうがないと見てはいけないと思っている。田舎のおばあちゃんが、就職の決まらない孫を慰めるようなセリフを、政治が言っていてはいけないのだ。

 大学教育に問題があることを、経営者の多くが先取りしている点もなしとはしないはずである。バブル時のように、税金対策も含めた集合社内教育が何の疑いもなくできた時には、新規採用にも拍車がかかったであろう。
 しかし、リストラが常套手段となっている現代の企業にあっては、新人の採用と教育は、よほどの将来展望を持つ企業でない限り、「外部経済」(ある経済主体<企業・消費者>の行動が、その対価を受けとることなく、他の経済主体に便益や利益を与えること。例えば、鉄道開通による地価上昇)と見なされているのかもしれない。
 なぜならば、「即戦力」はそうそう簡単には立ち上がらないし、終身雇用慣行が崩壊しつつあり、転職も一般化した現状では、教育コストの回収は容易には目算が立ちにくくなったと思われるからである。

 かつて国の殖産興業策は、公共投資というかたちで産業基盤整備としての道路や港湾整備を推進してきたと言える。が、今もっとも必要なのは、新しい時代の要請に向けた人材育成への投資のはずである。人材育成のための膨大な海外援助資金も、余裕があれば問題はない。しかし、今国内でもこの問題が逼迫していることは十分に認識されているのであろうか。就職「浪人」が多数いる現実は、軽視され過ぎているのではなかろうか。
 で、もう一言つけ足しておくならば、必要な人材は、いわゆる「技術」系だけではないのではなかろうかという点である。「世界のファクトリー日本」という地位をもはや中国に譲った現在、かつてと同様な何がなんでも「理数」系という神話も過去のものとなったのではなかろうか。新たな対象にチャレンジしていく能力が、どんな仕切り方によってなら掌握できるのかも再考されていいと思うのだ…… (2003.10.27)


 現代の「目先志向」問題に関係して、小泉首相による「人気取り主義」、「ポピュリズム(大衆迎合主義)」の危険さが気になる。
 市場主義原理が支配するこの現代にあっては、消費者の意向、人気があたかも万能化したかのような風潮が生じてくる。またこの風潮と渾然一体となったマスメディアが事態を増幅する機能を果たしている。
 ものの本の説明によると、「ポピュリズム 【 populism 】」とは「民衆の利益の増進を目標とする政治思想。既存の体制を批判し,知性に重きを置く立場を否定する。民衆主義。人民主義」とある。「民衆」に力点が置かれている点に、大きな錯覚を誘う危険があるわけだ。要するに「知性に重きを置く立場を否定する」点の危険さがしっかりと見据えられていいと思う。

 昨日、ちょっとおもしろいと思ったニュースがふたつあった。
 ひとつは、高齢政治家中曽根議員の引退問題に決着がついたことであり、もうひとつは、自民党に離党届を出していたあの田中真紀子議員の無所属出馬と支援団体の「越山会」の復活というニュースである。
 私としては、基本的には、両者ともに強い関心を向けるべき政治家だとは考えていない。「タカ派」であり続けた中曽根議員、何ともよくわからない田中議員であるからだ。
 ただ、小泉自民党路線において、しかも小泉流「ポピュリズム」から両者ははじき出されて、国民の前に一定の波紋を投げかけたことは確かだ。(もうひとつ、道路公団総裁解任劇の顛末も忘れられない)

 なぜおもしろいのかと言えば、小泉流「ポピュリズム」が、民衆の感情、情念の掌握にバラツキが出てきたと見えるからなのである。「ポピュリスト」は、民衆の気持ちを掌握できてこそその延命をはかることができる存在であろう。
 善悪二元論をでっち上げ、悪を懲らしめ、民衆の味方であるポーズをとる際に、相手が悪であることが一目瞭然に際立っていてこそ、自身への支持を集めることができる、といったメカニズムのはずである。
 国民からの自民党への不信感が高まっていた前提事実、その「自民党をぶっ壊す」と叫び、抽象的な「改革」の旗を掲げた小泉氏。歴然として党内に改革「抵抗派」が頭をもたげていたことが、プロレスのような善悪二元論構図をかもし出していただろう。
 そう言えば、小泉氏の「グッド・フレンド」だとかいうブッシュ大統領も、もっと大掛かりで危険な善悪二元論を展開してきた。世界の「ポピュリスト」をごり押ししてきたのだったが、結果は、再選はムリだろうとまでささやかれるような経済財政破綻や、イラクの泥沼化に直面しているようである。

 中曽根、田中両議員には冷ややかな関心しか持っていない自分だが、昨日のニュースを見ていると、中曽根氏をはずすとは何とももったいないことをしたものだ、という印象が拭いきれなかった。小泉氏などとは比べものにならない奥行きのある政治家であることは否定できないからだ。また、85歳とはいえ、選び抜いた言葉を語り、政治における約束の重さ、信義を切々と述べる姿は、高齢層の国民のみならず多くの国民に、小泉「若番頭」の稚拙さを再認識させてしまったのではなかろうか。
 政党への定年制導入という、一面では大衆も支持しやすい選挙向けアピールをごり押しにした結果が、自民党既存支持者のある部分を離反させることにつながったと見えてならない。
 また、自民党離党後もなお田中議員を支援すべく再結成された「越山会」の動きを見ていると、なるほどなあ、とあることを感じたのである。つまり、故元田中首相の当時からそうだったのであろうが、「越山会」という政治団体は自民党という政党と直結していたというよりも、田中氏という個人に直結していたのかもしれない。だからこそ、離党後の真紀子さんであっても文句なく支援することになったのであろう。
 要するに、自民党という政党は、詳細に見ていくならば、政治理念よりも政治家個人のわけのわからない吸引力の集積と、そして言うまでもなく長期政権担当の利によって長らえてくることができた政党なのだと言えるだろう。

 要するに、こう言えるのではなかろうか。
 「ポピュリズム」は、民衆の感情的支援を得ようと事を単純化して「いいとこ取り」をしようとする。しかし、現実は複雑であり、一見単純化が可能に見える対象にも深い固有の根が潜んでいたりする。そして、その根は時期と所を選ばずに後日、吹き上げることもありそうだ。現状のイラクの惨劇を見せつけられてみると、善悪二元論という粗野な視点で政治を操ることがどんなに危険なことかを痛感させられたりするのだ。

 今度の総選挙、よほどのことがない限り、現状政権が維持されてしまう結果となりそうな気がしている。そして、稚拙な政治による犠牲者が増やされるのだろう。しかし、確実に稚拙な者たちによる筋書きは狂っていくに違いない。勇気ある知性、粘り強い知性だけが、「定年退職」と無縁に生き続けるはずであるに違いないと…… (2003.10.28)


 若い頃からの習性のひとつに、「テンションが落ちている」かと感じた時には書店を覗くという行動があった。今でも変わらないといえば変わらない。
 自身の関心のありか、小難しくいえば問題意識を自覚する材料を探そうとしているようである。もちろん、それが目的であれば、生身の人間に遭遇することに越したことはないはずだ。が、人付き合いの悪い人間の手軽さという点では、書籍に優るものはないと思ってきた。
 一方、店の書棚に並ぶさまざまな書籍たちは、誰か客が手に取ってくれることを、てぐすねひいて待っているようにも思えた。あたかも、暇な八卦見が、涼しい顔はしていようものの内心は「誰かカモになるようなお人好しがこないものか……」と首を長くしている姿に似ていようか。
 こちらとて、明確な探しものがある場合には、厳しく選び抜く眼光(?)をもってのぞむが、いかんせん「テンションが落ちて」自分がいなくなってしまっている際には、にわかに寛容なしぐさとなってしまう。
「なになに? ほー、そうなの? で、どういうことなのよ?」
といった調子で、目に入ったものを片っ端から手に取ったりして「立ち読み」するに至るわけだ。そうこうしているうちに、
「こんなものが本になるのかなぁ?」
といわぬばかりの批判ごころが頭をもたげてくると、シメタものである。「テンション」が次第に高まり、問題意識錯乱状態からのテイク・オフが始まったということになるからなのだ。
 やがて、高まる「テンション」が、目につく何冊かの刺激的な書籍などによって奮い立たされるに至るや、その何冊かを買うことになったり、もしくは手許不如意の場合には後日のために書名をメモしたりして書店を出ることになる。
 いずれにしても、夢遊病者のように気のない恰好で書店にやってきた者が、見違えるような熱血漢となって書店から出て行くのである。まるで、書店は、心の街医者のような役割をあてがわれていたかのようである。

 だが、最近の書店というか、書店と自身との関係がというか、妙に醒めたものとなってきたかもしれない。相変わらず、「テンション」が低迷している際に覗こうとする姿勢に変化はないのだが、「思わぬ本に出会う」ということがめっぽう減ってしまったという印象が強いのだ。並ぶ本たちも、かつてのように手にとった者に議論をふっかけようとするような気骨がなく、ただただレジーへ運んでもらいたいという見え見えの表情だからいやになる。
 また、新聞広告などをたよりに新刊本を訪ねていくと、大抵「配本」されていないのが街中の通常の書店である。先日も、新書版新刊の切り抜いた広告記事を持って、多分無いであろうと思いつつも出向いたが、やはり店員曰く次のようであった。
「新書版については、ベストセラーなどはどんどん配本されますけど、広告に出されたものがまともに配本されたことはないですね。『取り寄せ』ということになります」
 しかし、この「取り寄せ」というのがまたくせもので、ニ、三週間の待ち時間が伴ってしまうのである。昨今の書店は、何とも魅力の乏しい空間に成り果ててしまったものである。
 そこで、現在の私は、もっぱらオンライン・ショップの「amazon.co.jp」を愛用することになっている。手に取っての「立ち読み」はできないのはもちろんだが、出版側の「レビュー」や、読者側の「カスタマー・レビュー」も参照できるし、何よりも確実に、短時間で手にすることができるので馴染んでしまった。
 買う意図がない場合にも、情報として十分活用できるのも楽しい。こうなると、にわかに街中の書店の役割は、以前の書店とは異なったものになって行きそうな気がしてならない。何を生命線として想定していくつもりであろうか…… (2003.10.29)


「♪ よ〜く考えよ〜、おかねは大事だよ〜 ♪」と幼稚園児たちがフリをつけて歌うTVコマーシャルがある。かわいいものだから思わず表情が緩んでしまったりする。ただ、子供たちのあどけなさを「だし」にしてのそれがつけ目の商業主義かと気づくとにわかに、興ざめとはなる。
 ところで、無理やり「おかね」と言わせるよりも、上記表題の歌詞の方が、おそらくは今後の彼らにとって確実に切実なものとなるだけに、妥当なのではなかろうか。ただ、戯言を言えば、表情は現行のままでいいとしよう。北朝鮮のエリート子供衆のようなまるで製品のように画一的で、作り事の笑みの表情は、逆に説得力を弱め、ただただ白けさせる結果となってしまうからである。

 昨日の『朝日』夕刊は、ショッキングな内容を報じていた。
「ブッシュ米大統領は28日午前(日本時間29日未明)、ホワイトハウスで記者会見し、26日から爆弾テロ事件が相次いでいるイラク情勢について『イラクは危険な場所である』との認識を示した。また、事件の動機については、イラクを混乱状態にすることで、同国への部隊派遣を予定している日本など各国に派遣の見直しを迫る『警告』との見方を示したうえで、こうした狙いには動じない姿勢を強調した。派遣を予定している各国に対しても『派遣に慎重にならないことを望む』と語った」とある。

 なんという驚くべき鉄面皮なスタンスであることか。現在のイラクの惨劇は、世界中の誰もが予想していたことかと思われる。米国自体も、三十数年前のベトナム戦争で苦い教訓を得て認識したことではなかったか。破格の重装備での攻撃に対して、抵抗側が、ゲリラ戦術で反撃を続けることは、森林の中か、砂漠の中か、はたまた瓦礫に埋まる破壊された都市であるかは別として、予想の範囲内のことであるように思われる。
 それを、いまさら予想外であるかのような物言いをするのは、あまりにも単純で一方的な戦略戦術しかなかったことを裏書きするようなものだろう。
 決して、現行のイラクの惨劇を肯定するわけではない。むしろ、結局イラク人同士が殺戮し合うことになっている悲劇は、即時なくなるべきである。しかし、何の文脈もなく喧嘩する野犬同士ではない。いや、野犬であっても理由のない争いはしないだろう。
 泥沼化しつつある事態は、その原因や文脈にそのマイナス・エネルギーが埋蔵されているに違いない。そこへ合理的な視線を向けることなしに、「復興」という名による米・英主導の「占領統治」は、かなり無理があるように見えてならない。
 こうした思いが、決して唐突でないことは、次のような報道によっても明らかだ。
「イラク戦争終結後で最大規模の反戦デモが25日ワシントンで行われ、約3万人の参加者らがイラクからの米軍撤退を訴えた。……デモ参加者らはこの後、『うそつきブッシュ』、『帝国のための戦いはいらない』などのプラカードを掲げ、ホワイトハウス周辺を行進。デモ参加者と、約千人の戦争支持者らが論争する場面も見られた」 (『朝日』10/26)

 こうした重要な事実が、一部の新聞でしか取り上げられず、NHKのTVニュースなどでは黙殺される点が、残念ながら今のこの国の実情をよく表している。
 決して、国民が知らなくてもいい事実などではなく、「政府は年内に、陸上自衛隊の先遣隊をイラク南部のナーシリヤかサマワ周辺に派遣。航空自衛隊の輸送部隊も派遣し、その後陸自の部隊の増派をめざしている」のである。また、「無償、円借款の双方で総額50億ドル(約5500億円)の支援」もいつの間にか決められてしまっているのである。
 小泉政権は、戦争問題も、復興問題も、国連主導で、というリーズナブルな方策があったにもかかわらずそれを無視して、米英主導の強硬策を支援してきたわけだが、今、こんな危ないこと、間尺に合わない事になっている現況を、まともに国民に説明しようとしていない。小泉氏は、ブッシュ大統領と同様の鉄面皮の屁理屈強弁をやめ、自分の判断が国民を危ないリンケージに引き込んでいることを、冷静に認識すべきだと考える。

 とにかく、♪ よ〜く考えよ〜、いのちは大事だよ〜、平和が大事だよ〜 ♪…… (2003.10.30)


 以前から、サイトの「業界天気図」("NIKKEI NET")なるものを参考にと思いながめるてきた。産業界各業界の三ヶ月間の業況をお天気マークで示したものである。この間は、やたらにグレイの雲マークや雨、傘マークが全面を占めてきたが、「10-12月」情報では、ちらほらとお日様マークが顔をのぞかせる図になり始めている。
 <精密機械>は、お日様マークからお日様マークとなり「デジカメは国内外とも好調で増産基調続く」とある。<家電>も「地上波デジタル放送を控え薄型テレビ販売好調」とあり、雲マークから薄日マークへ、<産業・工作機械>は、「自動車向けが堅調。国内外で需要が回復基調に」とされ、薄日マークから薄日マークへ。<自動車>は、「主力の新型車が相次ぎ発売、国内需要増も」で、雲から薄日のマークに移行している。相変わらず、<アミューズメント>は薄日マークだが、「ゲーム機器の一巡で国内向けソフトが伸び悩む」とある。好転しているものの中に、<人材派遣>が、小雨から雲マークに移行し、「営業職などを中心に需要増の兆し」とされるものがある。
 これらに関して、<精密機械>の「デジカメ」と、<人材派遣>に関してちょっと書いてみようかと思う。

 先日、私は久々に大人げもなくカッカとするそんな事件があった。あるデジカメ・メーカの顧客窓口担当者と電話で大口論をしたのだ。
 事件の発端は、もとよりカメラ好きの自分は、アナログ・カメラと併用してデジカメも複数台活用している。そのうちの一台が、わずか半年足らずで電源さえ入らない致命的な故障に至ったのだ。まだ「無償保証期間」であったため、購入した量販店を通じて修理してもらうことにした。
 と、一週間ほど経って量販店の担当者から突然次のような電話連絡が飛び込んだのである。
「修理見積りが連絡されましたが、二万九千円かかるとのことです。いかがいたしましょうか?」
 私は、何かの間違いだろうと思った。なんせ、購入時価格が二万数千円であったし、まだ使用して半年足らずしか経過していなかったからだ。当然、
「一体、どういうこと?」
と尋ねた。
「内部に水が侵入して、基板の大半が腐食したため、保証外での交換が必要!」
ということであった。
 しかし、もとよりアナログも含めて長い期間カメラを扱い続けてきた自分は、人一倍カメラの取り扱いには慎重さをもって臨んできた。水中に落とすなどは論外で、雨の日には、直ちにケースなどに入れ衣服内にしまうなど雨のかからない注意を怠らない処理をしてきたつもりだった。したがって、いままでに「カメラ内への水の浸入」などによって故障を発生させたことなど一度もなかったのは言うまでもない。それが、今回の事態では驚くべき顛末となってしまっていたのだ。

 私は、デジカメ・メーカの顧客窓口担当者に、次の二点を主張した。
 第一点、カメラを水没させるといった、ユーザ側の明らかな過失の覚えは一切ない。雨天に使用する際も十分注意した使用を心がけてきたので、使用法は「通常使用」の範囲であったことに間違いない。それで、「水の浸入」があったとすれば、ユーザの責任というのではなく、メーカの設計などに問題があったと考えられるため、メーカ側の「免責」を主張するのはおかしい。まして、「無料保証期間」でもある。「この製品は、『イン・ドア』使用限定なのですか?」との皮肉をぶつけてもみた。
 第二点、「通常使用」の使用範囲での故障で、甚大な費用(購入時価格を上回る!)のかかる故障が発生するという設計思想は迷惑至極である。もしその思想に固執するならば、「使用上の注意」の記載などにおいて十分にユーザの注意を喚起させるべきである。「もし、雨を侵入させたりした場合には、『購入価格を超える修理が必要となる場合があります!』」とか、の明記である。

 私は、修理費の問題もさることながら、ユーザに「過剰な負担」、つまり通常使用時での「過剰な注意」、そして故障時での「過剰な部品代」などを負わせるメーカの対応がどうしても許せなかったため、大人げもなく抵抗し続けたのだった。それは、もし子供たちがわずかなお小遣いを貯めて購入したとして、こんな対応がなされたとしたらどんなにかかわいそうなことか、という想いもどこかに伴っていたかもしれない。
 また、人目を引く「新機能」を搭載することに躍起となるくせに、基本的な「耐久性」を軽視しているかに見える昨今のメーカに対する憤りもあった。
 電話による折衝で、不快なニ、三日を大人げもなく過ごしてしまった。が、いわば「全面勝訴」を得ることになったのだ。無償修理と、あわせて、水による基板の腐食状況を確認するため、破損した基板を送り返して欲しい、との要望との両方が承諾されたのであった。

 この不況で、企業は、破格のコスト削減と、人気商品のプロデュースで加熱しているはずであろう。それはそれで良いことだが、その「副作用」発生には十分配慮してもらいたいと思っている。「使い捨て」を助長してはばからない耐久性の軽視は絶対に注意すべきだと考える……
(明日は、同じ発想で、「人の使い捨て」を助長する副作用の可能性が高い<人材派遣>について書く予定) (2003.10.31)