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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2004年04月の日誌 ‥‥‥‥

2004/04/01/ (木)  物悲しい「安普請の木造一戸建て平屋住宅」の取り壊し……
2004/04/02/ (金)  「個人情報」の流出、漏洩、悪用に対して誰が本気で心配しているのか?
2004/04/03/ (土)  考えたくはないが、忍び寄る「別れ」を思うと……
2004/04/04/ (日)  この悲しさが消えるにはかなりの時間がかかりそうだ……
2004/04/05/ (月)  やはり、「能力主義」「業績主義」の「瑕疵(かし)」部分に目が向く!
2004/04/06/ (火)  「シンプル イズ ベスト!」の時代か?!
2004/04/07/ (水)  この国は「法治国家」なのか、「放置国家」なのか?
2004/04/08/ (木)  マス・メディアは、ユーザーたちの安全と幸せを指向してこそ……
2004/04/09/ (金)  いつまでたっても半端だからカモにされるパチンコ……
2004/04/10/ (土)  今こそ、平和を希求する者たちの覚醒が!
2004/04/11/ (日)  泣き崩れて哀願するご家族の姿への想像力と共感を!
2004/04/12/ (月)  なぜだか、芥川龍之介の『トロッコ』のイメージが浮かぶ……
2004/04/13/ (火)  理解されにくくなっている「矛盾」「生命」「人命尊重」……
2004/04/14/ (水)  分断され、断片化しつつ形成される「島宇宙」……
2004/04/15/ (木)  「人は空ばかり見てる つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を」
2004/04/16/ (金)  ネットワーク環境でも、「責任者」の顔が見えなくてはならない!
2004/04/17/ (土)  ブッシュ、小泉の両氏が落ち目の三度笠かざして舞台の袖へと……
2004/04/18/ (日)  自然界が避けている「過剰さ」や「衒い」で満載された時代?!
2004/04/19/ (月)  美しくないこの国で問うべきは「自己責任」にあらず「政治責任」だ!
2004/04/20/ (火)  「劇場型」政治における「キャラ」<コイズミ>に関するささやかな考察?
2004/04/21/ (水)  爆発的「多様化」の海に向かってはどう漕ぎ出せばいいのか?
2004/04/22/ (木)  自然界の「多様性」と、文明界での「多様性」との相違!
2004/04/23/ (金)  「繋がり幻想」だけを生み出すネットワーク・インフラ?
2004/04/24/ (土)  記憶力の鍛錬ばかりではなく、「忘却力」の練磨も必要か?
2004/04/25/ (日)  とんだ「瓢箪から駒」のお笑い話!
2004/04/26/ (月)  「四十代」ソフトウェア技術者へのエール!
2004/04/27/ (火)  「自信喪失」した痛々しい心は、月夜の海に浮かべるのが上策……
2004/04/28/ (水)  パロディ川柳:「『首相いる?』返ったこたえは『いりません!』」
2004/04/29/ (木)  もはや「過去」を卑しめないつもりだ……
2004/04/30/ (金)  リアリティを彷彿とさせる言葉遣いを目指したい!






 ウォーキングをしたり、犬の散歩をさせていたりすると、次第に見かけなくなってきた「安普請の木造一戸建て平屋住宅」が取り壊されている現場に遭遇することがある。かつて地元の農家が家賃収入を得るべく安いコストで建てた賃貸住宅である。そんな住宅の取り壊しを見るのは、あまりいい気持ちのものではない。
 ここの住人は、どんな新住居へと引っ越したのだろう? 飼っていた犬はちゃんと連れて行ってもらえたのだろうか? という余計な想像や心配をさせられてしまう。自分もそんな住宅で暮らしたことがあっただけに、妙に他人事ではない感情移入が起こってしまうのであろう。

 経済的に楽ではなくて住居をまかなうとすれば、アパート住いとなるのが通例であろう。そう言えば、昔ながらのアパートというのも最近は少なくなったのかもしれない。いや、名称だけがマンションと換えられただけで、両隣や階上・階下の物音が筒抜けとなる環境状態に変化はないのかもしれない。
 この他人の物音というのが気にする人には堪らなくいやなもののはずである。そんな人にとって、目が向くのが「安普請の木造一戸建て平屋住宅」ということになるのであろう。たとえ安普請であろうが、また、地理的には繁華街からは離れていようが、他人さまとのいざこざがあるとすれば、唯一家主との間だけに限られるという、気の休まる住居だと目されるのであろう。
 ただ、その気の休まり以外は、現代人にとってはいろいろと辛いものが伴ってしまうのがこの種の住居の宿命である。そこが「安普請」ということになるのだろうが、先ず、外気の熱を遮断するような配慮は棚上げにされて建てられただけに、冬の寒さは言うに及ばず、夏の暑さも堪えがたいものがある。どこから吹き込むのか、冬場の隙間っ風のその寒さ、屋根にホースで水を浴びせたくなるほどに蒸し風呂となる夏場の暑さときたら、冷暖房器具があってもそれらの無力さを知らしめられたりする。
 また、元は畑であったりしたことや、近くに畑があったりすることが多いためか、夜ともなれば、蚊をはじめとして、いろんな虫が訪れもする。居ながらにして昆虫採集といったところだ。虫に限らず、かえるやへびの出没も否定できない。ある住居に住んだ時なぞは、毎年梅雨時になると床下の所定の場所からがまがえるの鳴き声がグェグェグェと聞こえてきて、「そう言えば梅雨に入ったんだなあ〜」と思わされたものだった。

 イメージ的に言えば、あの「大草原の小さな家」なのだと恰好をつけて言ってみることもできるであろうか。となると、大体、小さくはあっても庭が付随していたりするから、犬が同居仲間となったりするし、植木を植えたり、まめな人なら野菜を作ったりして、俄然、自然と親しむ風情となったりする。万事がコンクリートの共有スペースとならざるをえないアパート、マンションの生活に較べてこれが概してありがたいことになるのだと思う。

 小さな子どもがいれば、土いじり、砂遊び、花壇などに親しませることもできて悪くない。狭かろうが、安全な庭で、ござやシートを敷いて気分を変えて遊ばせたり、三輪車遊びをさせてやることもできよう。日の当たる手近な戸外という環境は子どもにとって必須だという気がしている。
 都市での「共同生活」に慣れ、他人と一緒に暮らす知恵を身につけていくことも重要であろう。しかし、拘束感だらけのアパート住いに対して、庶民が持ち家もどきの生活感を味わうことができるのがこの「安普請の木造一戸建て平屋住宅」なのである。高いローンを支払いながら、高々何十年だかしか使えない持ち家でなくとも、気ままな生活ができればそれはそれでいいような気もする……

 ところで、犬を飼うことができるのはこの種の住居の最大の喜びなのかもしれないと思っている。いや、犬なぞがいてくれると、単に防犯上の懸念からだけではなく、寂しさ全般をいなすことができたりするのである。主人がどんなにか人生の惨めさ(?)に取り付かれていたとしても、ワンちゃんはそんなことお構いなしだからだ。大威張り、かつ明朗に吼えるものだ。そんな同居犬(?)のエールは、何となく頼もしかったりするものだ。

 レオを散歩させていて、そんな住宅の飼い犬とレオはしばしばお馴染みさんとなったものであった。が、ここ立て続けに、レオにとってのそんなお馴染みさんが急にいなくなってしまったわけだ。レオは、その更地になってしまった地面の匂いを嗅いだり、取り壊し中の建物をキョロキョロと見つめたりしていたが、わたしとて、その空間で、地味ではあれ健気に継続されていたに違いない人の生活というものに、何がしかの思いを寄せずにはいられなかったのである…… (2004.04.01)


「しゃちょー、ナカオカさんとかいう人から電話で〜す」
「そんな人、知らないなあ〜」
「日比谷高校の同窓のナカオカさんだと言っていますが……」

 もう定時過ぎの六時のことである。よくこの時刻には、社長宛ての売り込みセールスのいい加減な電話が入ったりする。いつぞやは、社員みんなが早仕舞いして、わたしが電話に出たことがあった。その時は、
「ヒロセ社長さんはいますか?」
 がさつな声であり、雰囲気的には先物取引とかの金融商品のセールスらしいことが想像できた。わたしは、込み入った作業をしていただけに、中断されるのは御免被りたいと思い、撃退策を弄することにした。
「ああ、社長にですか。いやー、社長はいつも帰りは早いですよ。こんな時刻まで在社しているわけないじゃないですか」
と、可能な限り若々しい声と、軽率さを誇張する話し方で応対したのだった。
「そうですか、じゃあまた後日に掛けなおします」
と言ってそのセールスマンは電話を切った。
 わたしには、悪いことをしたという意識はなかった。土台、唐突に電話をして、用向きも言わずに、あわよくば社長にダイレクトに売り込みを図ろうというイージーさが腹立たしかったからである。
 もはや荒っぽいセールスの常套手段となっている、あたかも社長とは懇意の中だという触れ込みでガードを突破しようとする者も増えているご時世だ。

 今回の電話には出てみることにした。誰か、というあてなどがあったわけではない。どうせ、同窓会名簿を入手して悪用していることくらいは十分に想像がついていた。逆に、ちょっとからかってやろうと思ったのだ。
「はい、ヒロセです」
と、わたしは意図的に低い声を出した。頭の中には、いかにも偏屈な社長というイメージが思い浮かんでいた。まあ、事実もそうなのだが、セールス・マンが取り付く島もないと挫折してしまうような雰囲気を、あえて作り出そうとしていたのである。
「はい、わたくしはヒロセさんと同じ『如蘭会』のモノでナカオカと申します。」
「覚えがないなあ……」
「はい、それはともかくですね、ヒロセさんは、今、イラクで石油パイプ・ラインがテロによって爆破され、その結果石油市場が大混乱に陥っているニュースをご存知でしょうか? 今日は、その件に関しまして、是非お聞きいただきたい話がございまして、唐突ではございますがお電話させていただいた次第なのです。で、現在、ニューヨーク市場では、原油価格が急騰するといった大変なことが起きておりまして、この際早めに優良オイル株をご購入いただければ大きな利益が……」
 ナカオカという男は、ほぼ何かを読んでいることが容易に想像できる口調で、なおかつこちらに何も言わせずあるところまでは一気に流し込んでしまおうという早口の調子で話すのだった。
「ちょっと待った。ナカオカさんとか言ったっけ? 知らないんだよね。どうせ、『如蘭会』名簿をどっかで仕入てきたんでしょ? 随分元気な明るい声を出されてるけど、第一、日比谷高校出身者は、あなたのような明るい声は出さないと思うけどね。いろいろと悩む連中が多いから、声はくすんでるはずだよ」
「はい……、フフッ(ここで、ナカオカ氏は照れ笑いをしていた。「語って」いることが見抜かれたとでも感じたような気配あり)大きなニュースをお伝えしているため多少興奮しておりまして早口となっております。それで、イラクではこの先も……」
 またまた形式的なアジテーションに入ろうとしたので、わたしは次のような捨てぜりふを吐くことにした。
「あのね、わたしはそういう儲け話にはいっさい関心がないの〜! 熱弁ふるっても時間のムダだから、名簿の次の人当たった方がいいよ。じゃあね……」
 そう言って、わたしはおもむろに受話器を置いた。受話器が収まるまで、「しかし、ニューヨーク株を今……」と必死に取りすがる声が聞こえていたが、わたしは、そんなこと知るもんか、という非情さで受話器を戻したのだった。

 それにしても、わたしの脳裏をよぎったのは、この間頻発している「個人情報流出漏洩」問題であった。すでに、学校などの名簿の類も高値で売買されている話は聞いていたが、決して漏洩されることはないはずと信じられてきた顧客個人情報が、杜撰(ずさん)な管理でザルとなつてしまっている現実が空恐ろしく思い出されたのだ。
 飛び込みセールスを有利に展開しようとする今日の電話のようなケースは、まだからかうという余裕もあったものだが、悪意と悪知恵の働く輩が本気で悪用するとなると、シャレにならない被害を引き起こすこともありえると考える。

 しかし、一連の大規模な「個人情報流出漏洩」問題が表面化したのは、皮肉にもあの悪名高い「個人情報の保護に関する法」が施行されてからのことだ。そこで考えるのは、次の二つである。
 一つは、この法律ができたからこそこの間の不祥事が明らかになったとするならば、それ以前には公開されない不祥事が山のようにあったのではないか、という不安である。
 そしてふたつ目は、そもそもこの法律が定められる際に、指摘されていたことである。この法律は、「言論統制」にこそ重点があるのであって、法律名称が額面どおりに想像させる「個人情報の保護」については名目に過ぎない、という批判がひょっとして当たっているのではないかという思いなのである。一方で、「週間文春」事件(「変更」の判断が出たが……)があり、他方で法律の効き目をあざ笑うかのように重なる事件発覚があるとなると、政府は、本気で国民の権利を擁護するつもりがあるのか〜! と叫びたくもなる…… (2004.04.02)


「レオ、さあオシッコ、オシッコ!」
 もうだいぶ前から玄関の土間に寝床を作ってもらって横たわるレオは、やはり首をもたげるが立ち上がろうとはしない。そこで、玄関の扉を開きわたしはつっかけを履いて表に出た。先導することにしたわけだ。そして、表から再び声をかける。
 すると、前足で身体を起し、危な気ながらも後足を突っ張り、ようやく腰を上げる。
「よしよし、さあおいで、おいで!」
 レオはヨロヨロとした足取りで辛そうについて来た。その日は、裏庭の方まで連れていくことにした。すると、思いがけずわたしを追い越してヒョコヒョコと裏庭の隅まで歩いて行ったのだ。そして、そこで腰をかがめて用を足していた。
「よーし、偉い、偉い。さあ、おウチへ入ろう、おウチ、おウチ!」
 レオは、見向きもしない様子で、スタスタと玄関へと向かって行った。家内も、ガラス戸の内側からその光景を見ていて、安堵している様子であった。

 実は、今週の木曜、金曜と二泊の旅行を予定していた。健康保険組合の保養所が抽籤で当たり、家内とおふくろとの三人で出かける予定であったのだ。
 しかし、金曜の朝になって、レオの様子を気遣った家内が、自分はウチに残ると言い出したのだった。わたしも気遣わないわけではなかったが、すでに獣医に見てもらったりもしていたので、先ずは大丈夫だろうと見なしていた。しかも、昨晩は家内もそそくさと旅行準備をしていたので、今朝の家内の心変わりには驚いてしまった。
 そんなに、レオが一夜のうちに悪化したのかと思い、玄関へ見に行ってみた。確かに、四肢を横に伸ばし、頭も横たえ、見るからに「危篤」状態のように見えないこともなかった。この当日の朝となって、こうした状況に遭遇してしまい、わたしも幾分混乱した。
 そんなわたしを見て家内は言う。
「じゃあ、獣医さんのところで預かって(入院)もらえるかどうか頼んでみるわ」
 しかし、それはそれでまたかなり難しいことだとわたしは推測しないわけにはいかなかった。それというのも、レオはその獣医さんが来るといつも吼えまくり、ひどく嫌っていたからである。いつも、注射一本を打つのにも大騒ぎしなければならなかったのだ。その獣医さんの方も、まるで手を焼いていたのである。
 案の定、家内がかけた電話の向こうでは、その獣医さんが困りきって渋っている様子であり、それが手に取るように伝わってきた。そこで、わたしは万事休すとばかりに結論を出さざるを得なくなった。
「よし、旅行はキャンセルにしよう。保養所へ連絡するよ」
 当日の宿泊キャンセルは全額支払となるため、ちょっと痛いとは思った。しかしやむを得ないと思えた。もっと重要なことの前ではいたし方ないと腹を括ったのである。楽しみにしていたおふくろにも伝えたら、「そりゃあ、しょうがないね、しょうがないよ」と言ってくれた。
 わたしがキャンセルを決めた大きな理由は、レオがわれわれの不在中に亡くなってしまうという、最悪のシナリオの拒否であっただろう。それはあまりと言えばあまりにもさみしいことである。思い出すたびに胸が痛むに違いないと思えた。
 もうひとつは、家内が泣きべそをかくほどに本気で心配していたこともわたしを揺さぶったに違いなかった。家内には動物への憐憫が人一倍強いところがある。むきになってかばおうとするところさえあった。動物の強さを考えようとしないようでもあるいわゆる「猫かわいがり」するところには閉口してきたが、憐憫の情の深さには説得力が伴っていたのである。

 その日、獣医さんに来てもらって抗生物質の注射などを打つことで、レオの生命力はやや持ち直すこととなった。翌朝、わたしがウォーキングから戻った際に、レオを庭で用便させようと誘い出してみたら、自身の足で立ち上がり、事をなしたわけなのである。
 しかし、それを回復だと言うにはあまりにも悪材料が揃い過ぎているのが事実であった。レオは、十三歳の老犬で、しかも腹部に癌のしこりをいくつも抱えてしまっていたのである。レオと姉妹であった近所のある家の犬は、去年の夏であったか癌の壮絶な苦痛の中で安楽死を余儀なくされた。同じ遺伝子の生体であるだけに、レオも避けられない定めであるに違いないと思われてならない。
 以前に癌の手術ということも考えないわけではなかった。が、ためらうものがあり続けた。その姉妹犬はどうも、身体にメスを入れたがゆえに転移を促進させ、急激な悪化に至った様子であったためなのである。残酷にもそうしたことが起こり得るらしい。だから、あとはレオの生命力にまかせるほかはないと思えた。
 この間の体調は、老犬にありがちな低迷状態であることはやむを得ないとして、かなりばらつきが見られたものだ。わたしがウォーキングに出かける朝にはドッグフードをやるのだが、昔のレオのようにガツガツとしてペロリと平らげる時があるかと思えば、申し訳程度を口にして残す日もあった。ここ一週間ほどは残す日が多く、なおかつ横になりっぱなしの日が続いていた。
 レオも歳をとるにつれて、寒い冬場に限らず玄関の内で過ごすことを好み始めていた。勝手な推測ではあるが、門の外の気配がじかにわかる庭の小屋にいると、犬ながらと言うべきか、犬だからと言うべきか、何かと気を遣い、疲れるのかもしれない。
 しかし、わたしは、それがまずいと考えていた。気を遣うことも少なくなり、おまけに横になってばかりいて歩くことを厭うようになったら本当に歩けなくなってしまう予感がしていたのだ。いろいろなケースはあろうけれど、寝たきり老人の躓きは初期の対応にあると聞いたこともあったからだ。
 だから、わたしは自分が表に出かける際には、いつもレオを「表に追い出す」役を買って出ていた。
「さあ、表、表! 表へ行こう!」
と、そう言って、不承不承の様子のレオを玄関の寝床から連れ出すようにして来たのだ。ここしばらくは、散歩に連れ出すことができなかったが、以前はウォーキングの後でさらにレオの散歩コースを一緒に歩いたものだった。結構、わたし自身もうれしかったのだ。

 昨日は、晴れた春の一日であったが、昼食のために事務所を出た際、急にレオのことを思い出し、柄にもなく感傷的になってしまったものだ。もう、あいつと近所の裏山を散歩することができなくなるだろうかと思ったら、無性に切なくなってしまったのである。
 レオの姉妹犬が亡くなったあと、そこの奥さんがその犬の骨箱を抱いて涙ながらに往時の散歩コースを歩いたという話しを、再び思い出してしまった。
 生きているものと生きているものとの避けられない切ない別れという、そんな厳粛な事実に、今さらながらに目を向けざるを得なかった。人は、こうして、耐える以外には術(すべ)のない別れを、幾度も幾度も繰り返していかなければならないのだという事実に。
 だからこそ、精一杯生きて、人と人、人と生きものとの関係にごまかしを持ち込んではならない、なぞとまるで坊主の言い草のようなことを思い浮かべたりしていた…… (2004.04.03)


 ニ、三時間苦しそうにがんばるレオの傍で過ごした。ちょうど九時頃であった。苦痛で一瞬、思いっきり顔を歪め、四肢を突っ張った。そして息が途絶えた。下半身にかけていた布をとって、呼吸のあかしでもあった下腹部の動きを確認したが、静かに止まっていた。
「レオ! レオ!」と呼んでみる。家内も「レオちゃん! レオちゃん!」と呼びかけていた。顔は静かな表情に戻っていた。
 生き続けようとする意志が、より大きな厳粛な意志によって拒絶されたかのようであった。「よし、よし、お前は良く生きた。もう、戻っておいで!」と囁かれたかのようだ。
 昨晩のことであった。

 黒い瞳の目が開いたままであったため、まぶたをおろしてやる。涙がひと筋流れていたのがわかった。苦しさのゆえなのだろうが、何かの感情でなかったとは言い切れない。
 最期に苦しがった時、こちらを向いて横たわるレオの左前足をしっかり握ってやっていた。40度ほどの熱を出していたため熱く感じた。その左前足は、わたしがレオの前にしゃがみ、話しかけると、決まって差し出してきたものだった。
「お手、じゃないの! いいから、いいから!」
 そう言っても、まるで『わたしにできるのはこれだけなんですから……』と言わぬばかりに気を遣い、マジな顔でわたしを直視していたものだ。

 昨日は、午後遅く獣医さんに来て診てもらったばかりであった。いろいろな薬を混ぜた注射をニ、三本打ってもらった。獣医さんは、例の姉妹犬の最期の時の話とか、安楽死の話などを饒舌に喋っていた。
「いわゆる筋弛緩剤とかいうやつなんですか?」
「いいや、わたしはそんなものは使わない。一番古い麻酔薬を使います…… こんなことはいやだけど、苦しむだけになってしまったら、ということなんですよね。依頼されればやりますよ」
「……。誰かが言い出さなければならないので、この世にいるのがただ苦痛だけという状態になったらお願いすることになるかもしれません。その時はよろしくお願いします」
 しかし、わたしは、もしレオが死ぬとするならば、あくまで人為的ではなく自然な死を迎えてほしいと願っていた。天寿をまっとうするようであってほしかったのだ。
「たぶんこれで、しばらくはだいじょうぶだとは思うよ。様子をみてください」
 獣医さんはそう言って帰って行った。家内も、息子も、そして私も、その言葉でやや安堵して、それぞれの行動予定に動き出したのだった。

 わたしが、一安心して外出した先で、携帯に家内からの連絡を受けたのは、そのニ、三時間後であった。レオの容態は落ち着くどころではなかったのである。
 夕飯の仕度を始めた家内に代わって、玄関の寝床に横たわり、頻繁に発作を起こすレオにわたしが付き添うことになった。小さな腰掛と、ガス・ストーブ、そして読みかけの本を持ち込んで、わたしはレオに付き添った。吐くものがなくなったにもかかわらず、苦しそうに、戻したり、排便を繰り返したりした。それらを家内が用意していた猫用の排尿マット紙で拭き取り、寝床を清掃する作業が発生していた。
 しかし、不思議なことに気が付いたのは、目は開けていたものの、意識があるようには思えなかったのだ。しかも、いびきをかくような呼吸をしていた。人が脳溢血に見舞われた際、そんなふうになることを耳にしたことがあったので、ひょっとしたら同種の状態に陥ってしまったのかとも想像した。悪い予感が急速に訪れるのだった。今晩が…… という思いが込み上げてきた。
 薄茶色のレオの身体を眺めていたら、腹や足の部分の毛が「春用」に生えかわってきているのがわかった。死期に向かいつつある身体にもかかわらず、また訪れた春に向けて、「一張羅の毛皮」を準備しつつあったその健気さが愛しく思えてならなくなった。目が熱くなり、涙が噴出してしまった。
 桜咲く季節とはいえ、夜になると風も吹くようになり、玄関の窓の外の竹の枝がサラサラと悲しげな音を立てていた。もはやどうすることもできない定めの流れが刻一刻と過ぎていくように感じられたのだ。
 夕食後、付き添いを家内と替わる際にわたしは言った。
「レオは、庭に埋めてやるつもりだからね」
「うん。でも明日は雨のようよ」
 もう、二人とも訪れつつあるレオの死に関しては、心のどこかでおり込み済みとなっていたようだった。覚悟を決めつつあったのだ。

 来るべき時が、そう言えば、あっけなく瞬時に訪れてしまった。これまでに見たことのなかった苦痛の表情と、身体中を歪めて緊張させる発作が一度、二度、レオを襲ったかと思ったら、息が絶えてしまったのである。絶対的な苦痛と思しきものが、長くは続かなかったのがせめてもの救いであっただろう。「善人」そのものであったレオが、不相応に長引く臨終の苦痛を与えられるわけがない、と思った。
 家内は、姉妹犬の元の飼い主の近所の奥さんのところと、仕事に出かけた息子に連絡すると言って立ち上がった。息子もレオの容態を心配せずにはいられなかったようなのだが、獣医さんの言葉で、今日は大丈夫だと思ったのだった。
 やがて、近所の奥さんが線香を持って訪ねてくれた。息子もとんで帰ってきた。
 わたしはと言えば、乱れる気持ちを鎮めるためにも、これを書かざるをえなかった。それでも、収まらない気分に駆られて、暗い庭の一角にレオのための墓穴を掘りに出たりした。レオが、十三年間を慣れ親しんだこの庭の一角から、無限の自然へと「元気よく」還って行ってくれることを切に願わざるを得ない……

 今朝は朝一番で、自然へと還ってゆくレオのために、掘りかけの墓穴を無性に掘り始めた。今年も咲き誇っている背の高い梨の樹のふもとに、必死になって1メーター半ほどを掘り進めた。土が出し切れなくなり、しかたなく自身が中に入り土を掻き出すことにした。愚かしい思いではあったが、臆病なレオが入る穴がどんな感じであるのかを知っておくのも悪くないと……。 しゃがむと、完全に土中であるという不気味さが感じられた。頭上に、白い花を満開にさせた梨の枝が、小雨混じりの鉛色した空を背景にして目に入った。
 息子といっしょに、タオルケットでレオの亡き骸を包んでやった。昨晩から、レオは線香の香が漂う玄関先で横たわっていた。元気な時にすやすやと寝息をかいていたそんな顔をしていたものだ。
「こんなふうでいいかなあ」
「いや、穴の大きさがあるからもう少し身をかがめさせたほうがいい」
 タオルケットの端から、レオの鼻先が覗いていたので隠してやる。息子も、飛び出していた耳にタオルケットをかけ直したりした。
「ぼくが運ぶよ」
 息子がそう言ったので、わたしは先に庭の片隅に向かった。
 ひもで吊るしたタオルケットの塊を、静かに暗い穴の下へと降ろしたら、暗い空間の中央に、白っぽいタオルケットの塊が小さくなって収まっていた。最後の最後まで、謙虚でいじらしいその姿が、思わず涙を誘うこととなった。いつもそうだったことを思い起こしたのである。買い物に連れて行き、物陰の手すりにロープを結わいて待たせた時も、幾分心細そうに、そして謙虚に座っていたものだった。わたしの目には、いつもレオは、「隅っこでいいから居させてください」と言っているように見え続けたのだ。

 シャベルで土を投げ入れる第一投をするように、息子がわたしを促した。それから、周囲に掻き出されていた土が次々と投げ入れられ、レオの身体より一回り大きな小山が出来上がったのだった。
 十年以上いっしょに生活をすれば、何と言っても家族以外の何ものでもなくなる。いつまでたってもガキ大将のわたしにとっては、唯一の「家来」であっただろう。いや、こんなにもわたしを悲しい気持ちにさせるレオは、わたしにとってのかけがえのない「友だち」であったのだということが、遅ればせながらわかったようだ。少なくとも今は、この悲しさが永続するかのような気がしてならない…… (2004.04.04)


 「リクルート、完全能力主義の人事制度を導入」という記事があった。(NIKKEI NET 日経新聞 2004.04.02)
 今年の10月からの実施だそうだが、「年功の要素をすべてなくした完全能力主義の人事制度」だそうで、「定期昇給(定昇)と職務資格制度を全廃、半年ごとに社員の職務と実績を評価し直して賃金を決める。同期入社でも最大6倍の差を付ける。また、社歴に関係なく能力だけで社員を登用し、中途採用社員や入社1、2年目の社員をいきなり管理職に据える大胆な人事も可能にする。実力主義の徹底で中途採用や新卒で優秀な社員を確保し、組織の活性化を図る」とある。
 もはや「能力主義」の人事制度導入なぞめずらしくもないご時世かもしれない。
 この4月からは、国立大・短大も「法人化」して「業績を意識した大学運営」が目指されることにもなっている。教育界にも「能力主義」「業績主義」が文字通り導入される時代なのである。

 こうした趨勢が「主流」となっていく背景は理解できる。決して賛同するという意味ではないにしても、この流れの道理がわからないわけではない。
 実業界にしても、教育・研究領域にしても、確かに生体の「鬱血(うっけつ)」した部分のごとく、競争関係にさらされないことを良いことにして、自立的な努力をせずに組織にぶら下がるような人々も多々いると思われる。これは何も、能力の乏しい人材だけをイメージすることはなく、そこそこの能力を持った人々が特権的な地位について安住を図っている場合だってあり得る。特に教育・研究領域にあって、古くからの「タコツボ」的環境が災いしている事実も知らないわけではない。「法人化」という抜本対策が、そうした悪習を打破するのであれば幸いだとは思うが……。

 しかし、人間の能力の発揮と向上の問題を、大きな「外科手術」に期待しようとする動向はあまりにも「末期的」判断であるという気がしてならない。長く悪い環境を放置して手がつけられなくなった末期癌の患者に、これしかないと言い聞かせて執刀する大規模な外科手術の印象が拭い切れない。これは、ビジネス界における急転直下の「リストラ」と「能力主義」人事への転換のセットに当てはまる印象でもある。

 わたしは今、生体の異常、癌などへの医療対策のことをアナロジカルに思い浮かべながら当該の問題を考えようとしている。人間や、その集団・組織の能力の問題は、あながち生きものの生体構造の問題と無縁ではないと観る思いが根底にあるからかもしれない。少なくとも、無機的なコンピュータなぞのシステムと同一レベルで考える短絡思考だけは避けるべきだと思っている。
 要するに、そうした「大外科手術」が、たとえ患部を取り除くことになったとしても、生体本体に与える甚大なマイナス影響の問題を潜り抜け、その後の健康増進へと繋がっていく確率はどんなものなのか、という懸念なのである。もし、やむを得ないという議論をするならば、そんな議論をしなければならない状態にまで長く放置してきたこと自体が緊急動議によって議論されるべきなのかもしれない。
 しかも、「外科手術」しかないという言い方は、決して「外科手術」が最良の策であることを保証するものではないということであり、さらに言えば、「外科手術」は、それ以外のあらゆる方法、可能性と厳密に比較されたアプローチであるのかどうかも疑問だと思われるのだ。乱暴者を気取って言い放つならば、それは「狭い医学界」の業界常識でしかなく、それが権威的に押し広められているだけなのかもしれないではないか。

 ビジネス界の「能力主義」「業績主義」期待論も、冷静に見る限り、一体いつ、どこでこれらの「主義」の正しさは立証されたのであろうか? これもまた乱暴者に言わせれば、「よかろう話」であり、ひょっとしたら「与太郎話」に限りなく近いのかも知れないではないか。
 生体への大規模な執刀は、生体に尋常ではない危機体制、恐怖体制を喚起させるらしいが、ビジネス界の「能力主義」「業績主義」にしたって、然るべき支援体制がなく機械的に実施されるならば、それはメンバーへの恐怖心煽動に繋がろう。そして、恐怖心を基盤とした脳作業、能力発揮のみが水路づけられ、目先のハードル突破だけを手堅くねらう人々を生み出すのではないのか。これは、すでに大手パソコン・メーカーが実証したはずである。

 ここで、ちょっと別な社会事象に目を向けたいのだが、それは、懸念される以上の方向性が、すでに引き起こしていると観測できる問題なのである。このところ頻発している医療ミス問題のことである。すべてが、「能力主義」「業績主義」に起因しているとは言い切れないが、それらの動向と商業主義、利益至上主義とが、現場の空気を「医は算術」へと囲い込み、チェック体制を杜撰(ずさん)にしたり、とりわけひどい例では「抜け駆けの功名」を立てようとする医師さえ生み出しているらしい現状である。

 こんな苦しい時代に、幻想ではあれ、「能力主義」「業績主義」期待論が蔓延(はびこ)るには、それなりの原因があると言うべきなのかもしれない。端的に言って、言葉の魔術以外ではないと思う。
 先ず言っておくべきは、これらは短縮型なのであって、正式には「個人能力主義」「個人業績主義」であるという点である。つまり、個人間競争が大前提となっており、その分集団的ポテンシャリティが損なわれる可能性が高い、という事実であろう。ただ、「自分だけは……」という度し難く根強い本性が余すところなく刺激されるものである。
 また、「能力主義」にしても「業績主義」にしても、ポジティブな響き満載の言葉が主義という接尾の上にのっかっている。各人は、思い思いにそのポジティブな言葉にありったけの期待を寄せるわけだ。はっきり言ってそれらはすべて幻想だとしてもである。そんな多数の幻想的期待を含み込むほどに組織なりの主体側に余裕があるならば、そもそもこうした主義の選択はなされないはずではなかろうか。余裕がないから問答無用のリストラが実施され、それでも余裕がないから上澄みを残す趣旨の制度が選択されるのだと見なされてよい。
 最後に、プラス評価があるならば、仮に制度の字句上にマイナス評価の定めがなくとも、必然的にマイナス評価というものが実在化する。つまり、この制度は、生殺与奪(せいさつよだつ)の原理を鮮明にさせたものであり、それだからこそ、恐怖心に支えられた制度だと言うのである。しかし、その恐怖心は先ずは外部からは見えないのが通例のはずである。外部からはあくまでも、オリンピック競技のように見えるに違いないのだ。

 個々人の恐怖心から何が生まれるだろうかと想像する内容は、そんなに違わないのではないかと思える。恐らく、それが「能力主義」「業績主義」の不可避的な「瑕疵(かし)」だと思われる。人間集団にとっての最後の鍵は、やはり共同性(コミュニティ)以外ではないと信じたい。わたしの目の前には、未読ではあるが『コミュニティ・オブ・プラクティス ナレッジ社会の新たな知識形態の実践』(翔泳社刊、2002.12.17)という興味深い本がある…… (2004.04.05)


 「シンプル イズ ベスト!」「シンプル・ライフ!」というフレーズは時々耳にする。ひょっとしたら、今の自分に最も必要な言葉なのかもしれないと、ふと思ったものだ。
 でもそう言いながら、またくどくどしいことに思いを巡らせようとしている自分だから度し難い。そんな自分だからこそ、しばらくは「これ」でイッた方がよさそうなのだ。

 もちろん、こうしたことを考えるだけの背景というか文脈がないではない。
 その一つは、とあるビジネス本を読んでいて、次の言葉が目に飛び込んだこと。
「資本主義とは、要するに"かっぱらい"」
 「かっぱらい」とは「人の油断・すきをねらって、物品を盗むこと。またその盗人」のこと以外ではない。その本の著者も、だからと言って、決して「盗人」になることを勧めているわけではなかった。当然である。むしろ、「かっぱらわれる人」に軸足を置き、中小零細規模の経営者がのほほんとしていてはならぬ、と主張しておられるのだ。
 80年代までならいざ知らず、経済成長ゼロの今日にあっては、うかうかと「かっぱらわれる」ような無頓着な無知であってはならない、とそう申しておられるのだ。そうした観点から、支出を再吟味するとともに、「"かっぱらい"の帝王」である税や社会保険をも凝視すべきだとの正論を述べておられる。またまた誤解を避けておくならば、決して脱税の勧めの片棒を担ごうとしているのではないのはアタボウ(当たりめぇだい、べらぼうめの略)である。
 誰だって、ホンネが小気味よく代弁されれば心地良いものだ。とかく生真面目な庶民は自縄自縛(じじょうじばく)でホンネを抑え、ホンネに潜む危険な小骨の骨抜きに梃子摺ってしまっている。そこを、「そんな小骨なんぞを気にしてるバヤイじゃねぇぞー」と一喝するシンプルさこそが「シンプル イズ ベスト!」だと言うべきなのである。

 文脈の二つ目は、ある知人が、自作したホームページを紹介してきたことにあった。
 それがまた、実にシンプルなデザインなのであった。しかし、元々センスの良い知人であったから、さしあたって閲覧者には好感を抱いてもらえるに足る出来栄えだと評価できた。良い第一印象を与えるサイトだと言えた。
 ホームページというものは、どうしても内容を欲張ってしまうこととなる。それが良いのだと思い込む錯覚にもとらわれてしまう。弊社のものもその例外ではない。そして、その結果は、ゴチャついた感じが焦点をぼやけさせ、印象を薄くさせてしまうことになりそうだ。料理と同じで、もうちょっと食べてみたいのになあ、という残念さを刺激するくらいが良いと言えるのかもしれない。「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」(度を過ぎたことは、足りないというのと同じようなもの、という意)の観点もあろう。

 わたしは、常々思うのだが、もしビジネスというジャンルに他の領域が見習うべきものがあるとするならば、この「シンプル イズ ベスト!」ではないかと。あるいは、「剥き出しのエッセンス」「エッセンスのバルク(bulk、ばら荷。PCパーツなどで、化粧箱に入っていないばら売り商品)」と表現してもいい。
 とかく、他のジャンルでは、たとえばアカデミズムの領域では、恥ずかしくなるほどに背ひれ、尾ひれ、腹びれなどが、貧弱なエッセンスの見栄え向上のために動員される。つい先だっても昔の学タレ知人の様子をネットで覗いてみたら、あいかわらず『……をめぐるささやかな一考察』とかいった正体不明の論文を書いていた。「……をめぐる」というのも、「ささやかな」というのも、「一」というのも、また、何か命題(「……は〜である/でない」といったもの)を掲げるのではなく「考察」と表現するのも、みな「逃げ」であり、「虚飾」でしかないのだ。そんな、カッタルイ業績でお茶を濁しているから、「業績主義」導入、「法人化」なぞで足元をすくわれるのかもしれない。

 シンプルなものを好む階層は二つあるかもしれない。悟りの域に到達した、いわば目の肥えた大向うの御仁たちと、とかく生活で追われて忙しい庶民たちである。彼らこそが上客だと言っていいのかもしれない。逆に、何かと暇を持て余す中間層こそは、退屈まぎれになる複雑さを尊ぶ傾向がありはしないか。その挙句に難しい議論、「小田原評定」に突っ込み、行動が疎かになったりする。もっとも、そうした彼らが喜びそうなネタを振り撒いて商売をするマス・メディアにとっては、彼らはありがたい顧客なのかもしれない。

 物事をシンプルに凝縮することは、結構力量が必要となるし、またそれなりのリスクも伴うものだろう。しかし、現実をクールに眺めれば、シンプルなもののエネルギーが闊歩している時代だと言わざるを得ない。
 いかに自身の思うところをよりシンプルな表現にまとめ上げるか、という課題が重く横たわる時代なのだろう…… (2004.04.06)


 (改憲への)「空気」があれば、現行法を踏みにじってもいいのか? それはないだろう。法を執行する最高責任者である首相ならば、「悪法も又法なり」(ソクラテス)の手本を示すべきではないのかと、わたしはいたいけな子どもたちと一緒になってシンプルに事の誤りを非難したい。
 「首相の靖国参拝は違憲と判断、賠償請求は棄却 福岡地裁」(朝日新聞 asahi.com 04/07 10:38)という報道に関する話である。

「小泉首相が01年8月に靖国神社に参拝したのは政教分離を定めた憲法に反するとして、九州・山口の市民ら211人が首相と国に1人当たり10万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が7日、福岡地裁であった。亀川清長裁判長は、参拝は内閣総理大臣の職務として行われた公的な性格のものだったと認め、『その行為者の意図や目的、一般人に与える影響などを考慮すると、憲法20条3項で禁止されている宗教的活動に当たり、同条項に反する』と述べ、小泉首相の靖国参拝について初めて違憲との判断を示した。そのうえで不法行為の成立は認めず、慰謝料請求は棄却した。」(同上)
 亀川清長裁判長が、「トバサレル」ことがないことを祈りたい。そして、全国の宗教者たちは、それぞれの信仰の深さを証明するためにも相次いで訴訟を起すべきだと思う。

 すでに現政府は、平和憲法の本質に抵触するかたちで、紛争地域への自衛隊派兵を強行している。全土がいまだに紛争、戦闘の渦中にあるにもかかわらず、イラクのサマワのみは非戦闘地域であるとの屁理屈と暴論によって、憲法遵守の「フリ」「ポーズ」だけはとってのことである。
 そして、首相小泉氏は、どんな立派な政治を行っているのかは別にしても、誰の目から見てもおかしいことが明らかな靖国参拝を平然と繰り返してきた。
 二つの点が問題とされ、非難されるのが通例なのであろう。

 そのひとつは、悲惨な戦争を引き起こし、多くの無垢な人々を死に追いやったがゆえに、国際社会から「戦犯」(戦争犯罪人の略)として裁かれた者達をも祀った靖国神社、戦争中には戦争へと駆り出された者たちの精神的拠りどころの役を担わされた、いわば戦争敢行と表裏一体となっていた神社を、政治的意図をもって参拝する愚かしさである。
 誰が好意的に考えたって、その行為は、「二度と戦争を起さない」ためなんてものではなく、「英霊たちのように、いざという場合には再び立ち上がる」=「戦争もやむを得ない」ということになるのではないのか。かつての日本が起した戦争で踏みにじられた中国や韓国という近隣諸国が、首相の靖国参拝を理解しないのは当然だと思われる。

 もうひとつが、「政教分離」を謳った憲法に違反する、という問題点なのである。
 「政教分離」という大原則は、近代国家にとって重大なテーマであるはずだ。「思想信条の自由」と分かち難く結びついた、近代社会、現代社会が健全であるための根幹をなすものだと言ってもいい。
 したがって、国民が税金まで払って政治を委託した政府が、勝手にある種の宗教に加担するということは、委託者である国民各位の思想信条の自由を踏みにじる契約違反となるのが道理である。そんな近代政治のイロハをなぜ知らないのか。何かわけのわからぬ政治的意図があってのことだと想像はつくが、近代政治の基本大原則が了解されていない政治家なぞは、政治家である資格がない! と一喝したい。それはちょうど、「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」(森村誠一『野生の証明』)と同様の本質的問題なのである。

 今、アブナイこの国の実態は、こうした点にも垣間見ることができるのだが、すでに、いくつかの「点」が布石として打たれている。(国旗国歌の強制! 言論統制への動き……)「点」はやがて「線」へとつなげられ、「面」へと広げられて行くのがこの国の歴史の示すところである。
 子どもと一緒になって不思議だと思うべきは、「どうして、それを最初に止めなかったの?」という疑問のはずである。先日も書いた『茶色の朝』のテーマもそれであっただろう。
 この国は今、「法治国家」から、国民が事態の初期症状を見過ごす「放置国家」へと成り果てようとしているのか…… (2004.04.07)


 やはり「<放置>国家」の御先棒をかついでいるのはマス・メディア以外ではない、という思いがした。
 昨日の、福岡地裁での首相の靖国参拝違憲判断に関して新聞各紙の社説を覗いた感想である。やっぱりだ、と思えたのは、『読売』の社説が、冒頭で「首をかしげざるを得ない『違憲判断』である」と言い放ち、末尾で「小泉首相の靖国神社参拝を『政治的意図』とする今回の判決自体が、政治的性格を帯びた内容だ」と、小泉首相と同様に、別段これといった論拠もなく、捨てゼリフを吐いていたことだ。

 言ってみれば、これまで<放置>されてきたのに、今さらおかしいではないか、という論理になるはずもない切り口で「大新聞」が読者を言い含めようとしているのだから、開いた口がふさがらない。
「首相の靖国神社参拝は戦後も、伊勢神宮参拝などと同様、日本の伝統や慣習に基づいて歴代首相が行ってきた、ごく自然の儀礼的行事だった」と書いている。「伊勢神宮」と、戦争が刻印された「靖国神社」を一緒にしているのだからあきれてしまう。また「日本の伝統や慣習」という曖昧なものを引き合いに出しているところも頷けない。まさか、無謀な戦争へと突っ走ったり、それを制御し切れないのが「日本の伝統や慣習」だとでも言いたいわけではなかろうが、「日本の伝統や慣習」という日本人の宝を勝手にご都合主義でゆがめて引き合いに出すのは良くない。言っておけば、「伝統や慣習」というものは、権力が強制して作るものではなかろう。「公的」な立場にあるものが、「公用車」まで使い、「内閣総理大臣」と署名をしていながら、
「いやいや、これはあくまでもお忍びじゃ、苦しゅうない、苦しゅうない。なあ、助さん格さん」とでもいった印象で受け止めてもらいたいのだろうか。それこそ、
「民をたぶらかすのもいいかげんにしなさい!」なのである。

 さてさて、『産経』はどう書いているかも興味があった。事は<参詣>問題であるとともに、いつも「立派な論<塵>」を張っている同紙だからである。案の定、期待に応えて楽しませてくれた。
 先ず、のっけから「福岡靖国訴訟 判例を曲解した違憲判決」と来た。過去の数限られた「合憲判断」に寄りすがろうという戦法なのである。
「首相の靖国参拝を違憲とする考え方は、これまでの判決で繰り返し否定されてきた。政教分離を定めた憲法二〇条について、最高裁が昭和五十二年の津地鎮祭訴訟で、『目的』が宗教的な意義をもち、その『効果』が特定の宗教を援助または他の宗教を圧迫する場合でない限り、憲法に違反しないという判断を示し、これが判例として定着しているからだ」という。
 しかし、これこそは事実を「曲解」している。詳細は省くが「首相の靖国参拝をめぐる司法の判断は分かれてはいるものの、『違憲の疑いが強い』『違憲だ』という判断がすでに何度も出ている」(『朝日』社説)というのが常識的事実である。
そして、同紙の「主張」は次のように結ぶ。
「一部で違憲判決が出されようが、靖国神社が戦没者追悼の中心施設であることに変わりはない。小泉首相は堂々と靖国参拝を続けてほしい」と。

 もし、憲法論争をすべきなのであれば、一時は司法試験も視野に入れたことのある者として受けて立ってもいいが、わたしが問題としたいのは、この国の現在の危機的状態であり、悲惨な過去を平気で忘れる無責任な輩の多いことなのである。
 忘れっぽさだけではない。目の前にある同時代のバカげた戦争さえまともに認識できないものわかりの悪い連中が多過ぎることなのである。今日だって、自衛隊が出向いたイラクサマワに迫撃砲によると見られる砲弾が着弾していたというではないか。宿営地から300メートルの距離であったそうだ。りっぱに戦争に巻き込まれている状態ではないのか。

 マス・メディアの中には、『朝日』のように、概してまともな部類もある。その『朝日』の社説は、「靖国参拝――小泉首相への重い判決」と題して、歴史的事実にしっかりと依拠しようとしている姿勢が見受けられる。
「首相がこだわる靖国神社とはどんなところなのか。半世紀以上前にさかのぼってみよう。
 戦前の日本では、国家神道に事実上の国教的な地位が与えられ、神社への参拝が強制された。その国家神道の要が靖国神社だった。靖国神社は軍の宗教施設としての性格を持ち、軍国主義の精神的な支柱という役割を果たした」と。
 歴史的事実こそが、混迷する時代を照らす重要な指標となるのである。
 そして、末尾は、わたしも共感を覚える当該裁判官の鋭い洞察と判断の姿勢で結ばれていた。
「違憲性についての判断を回避すれば、参拝が繰り返される可能性が高い。違憲性を判断することを自らの責務と考えた」と。

 言論は自由である。しかし、市場競争は過酷である。マス・メディアと言えども、消費者たちが、自身らの安全と幸福に寄与しないと判断するに及べば、そんな論評はおのずから淘汰されていくに違いないだろう…… (2004.04.08)


 今日は、本来ならば書くべきことがあるはずである。「放置国家」「放置政府」ならではの目も当てられない「事件」のことである。だが、日頃から憂慮し続けていることと、無責任で無能な政府を持ったがゆえに<最も悲惨な結末を予想せざるを得ない>ため、今日はあえてパスすることにしたい。そして、もっとも関係のないことでこの日誌をうめるしかない……

 先日、経営コンサルタントをしている知人から、パチンコ業界の話を聞いた。
 彼は、長年、とあるパチンコ大手会社のコンサルティングをしてきた。もう十年も前のことであっただろうか、客が獲得した玉、「ドル箱」は、客の射幸心を煽るため通路を塞ぐばかりに客から良く見えるように並べる、という手法を聞いたことがあった。今でこそ、どの店でも基本方針として取り入れているが、昔は、当該顧客のイスの周辺に邪魔にならないように置くのが一般的であったように思う。
 また、同じ時期に、これからのパチンコ店は「従業員教育」が決め手になると言っていた。確かに、十年ほど前のパチンコ店の店員は結構ひどいものだったかに思い出す。ひどい店では、ほおに傷のある方々と思しき店員たちが、
「お客さん、機械をドンドン叩いて貰っちゃこまるねぇ」
なぞという口調で脅す素振りを見せたものだ。そんなふうに脅されなければならないほどに機械を腹立たしく叩く方も問題ではあるが……(反省!)
 つまり、パチンコ店とは、賭博場であり、ヘンなヤツの出入りも当然のごとくあると見なされた上での人材配置だったのであろう。ヘンな客に対しては、よりヘンなヤツを常備しておこうという意図だったのであろう。

 そう言えば、大昔の話であるが、畑を挟んで遠くにパチンコ屋の裏手が見えるところに住んだことがあった。あるまっ昼間に、その方面から何やら騒がしい気配がしたので窓から覗いてみたら驚いた。腕から血を流した男が逃げ去る姿が眼に飛び込んだのである。しかしさらに驚いたのは、その追っ手の姿である。白っぽい背広姿の男が、右手に鉛色に鈍く輝く「だんびら」引っ提げて逃げる男を追っかけているのである。右手に「だんびら」と言えば、確か、東映の高倉健主演のヤクザ映画が華やかなりし頃であったはずだ。わたしは、一瞬、映画を見ているかの錯覚に陥った覚えがある。

 要するに、かつてはパチンコ屋とはヤクザや不良が出入りする特別空間であったということなのだ。それに較べて、現在は、「パーラー」と名づけられ、品がいいとまでは言わないが、一般のサラリーマン、OL、オバサン、オジサンなど、子どもを除くあらゆる面々が実に気軽に出入りし、かつ「巻き上げられる」スポットになっている。
 従業員もまた、ヤクザまがいの面々は姿を消し、小奇麗なユニフォームで身を固めた若い女性店員が主流となりつつある。まさに隔世の感ありといったところだ。ひょっとしたら、彼女たちへの従業員教育の場では、
「皆さん、この店の売りはハイセンスです。皆さんは、いわばパーラーにおける<スチュワーデス>です」
なんぞとおだて上げている図も、まんざら想像できないわけではないほどである。
 上記の知人(ヤクザではなく、コンサルタントの知人)が予見していたことは、「ドル箱」配置といい、従業員教育といい、はからずもご明察だったわけである。

 コンサルタントの知人は、仕事以外ではパーラーには出入りしないようであるが、わたしは、仕事に全然関係なくしばしば出入りする。時々、無性に出入りしたくなるのである。大体が損をしている。にもかかわらず出入りして取られてくる。
 亡くなったおやじが、めっぽうパチンコ・ファンであった。そして、限度をしっかりわきまえていたが、めっぽう損ばかりしていた。わたしのパチンコへの関心は、そんなおやじから来ているのと、パチンコの本場、名古屋で十年以上生活したことから来ているのかもしれない。いや、元来がゲームや賭け事が嫌いではない性分だったと言える。
 だから、コンサルタントの知人とパチンコ業界の話をした時も、公私混同気味に話題が入り乱れたものだった。

「最近は、店の経営も随分とシステム化されましたよね。出玉のコントロールなんかは先ずは百パーセント掌握されてるんでしょ? あ、そう、やっぱりねぇ。そうじゃなきゃ経営成り立たないもんね……(で、店側はどんな位置の台に『連チャン』台を仕掛けるもんなんですかね、なんて究極の個人的動機で聞いてみたくなったりするのだが、とりあえず押し殺す……) 最近のデジタル機は当たりの出方で勝敗が決まっちゃうから、釘調整の比重は落ちてるんでしょ? えっ、そうでもないの? 釘調整で結局デジタルの目が回らないと当たり確率が低くなるっていうことね。台ごとの玉の流れを早く読み込むことが大事だっていうことだあ。うん? 最近は、まめに釘調整をやらない? どうして? 釘師の人手不足? (また、ググーッと個人的動機の疑問が頭をもたげてくる) 最近は台ごとに当日、昨日、一昨日の出玉状況の履歴をデジタルで表示しているよね。あれって、経営的に意味あるんですかね?(実のところは、ここから何か勝つヒントを得ようと企んだのだった) うん、やっぱり客にデータを提供することで熱くさせることになるんだね。(いまひとつ参考にはならないので、踏み込む) 一日おきに出すとか、一週間の波があるとかっていうことはないのかなあ? え? 店によってマチマチだってことかあ…… (何の参考にもならないので、がっくりくる……)」

 この不況時にあっても、パチンコ産業は年商30兆円弱の大規模な業界であり、年間延べ二千万人のファンが詰め掛けている。業界が一丸となって「健全化」をスローガンとしてきたことや、矢継ぎ早のパチンコ台の刷新(最近のデジタル機の液晶画面は、ハイエンドのゲーム機に引けを取らない高度さなのである! ゲーム機なんかには疎いオッサン、オバサン層にも妙なかたちで文明の成果を還元しているのだ)などが、古くからの同業界を不死鳥のように羽ばたかせているのだろう。しかし、各店舗の生存競争も激烈なはずである。大量のコンサルタントも動員されている模様であり、その分経営努力の跡がいろいろな角度から垣間見えたりする。そんな余計なことに目を向けたりして半端だから、いつまでたってもカモにされてしまうのかもしれない…… (2004.04.09)


 イラクで人質となってしまった高遠菜穂子さんのホームページの「掲示板」に事件報道後、非難や中傷の「書き込み」が急増したそうである。(「高遠さんのHPにアクセス殺到、掲示板閉鎖 人質事件」 asahi.com 04/10 15:41)
 「こんな時期に民間人がイラクに行ったらいかんよ」「自業自得。リスクは承知の上で行ったんでしょ」などだそうで、まるで政府関係者寄りの人々の弁であるかのような印象さえ受ける。「同内容が繰り返し書き込まれている例も多かった」ともある。
 また、反対に次のような主張も報道されている。
「高遠さんはストリートチルドレンたちを体を張って助けようとしていた。民間人がイラクに入ったから悪いのではなく、自衛隊がイラクに入ったのが悪い。本当に平和と復興を望むなら、今すぐ撤退すべきだ」(「『人質を見殺しにするな』 NGOなど国会周辺でデモ」asahi.com 04/09 20:36)

 言うまでもなく、後者の主張が正しい。間違った戦争、大義なき戦争を支持し、自衛隊という軍隊が「人道支援をするのだ!」という無理があり過ぎる政策を推進していることが、次々と悲惨さを招き寄せているからである。
 テロ勢力が悪いことは誰だって承知している。あたかも「野獣」であると言うべきだろう。何かが、人間を「野獣」にしてしまったのだ。しかし、そんな「野獣」に向かって、看板だけの「人道支援」を打ち出して理解が得られると強弁するのは、何と愚かしく、手前勝手な姿勢であったことか。
 米国のような銃社会のど真ん中で、ポリスから「フリーズ(ホールドアップ)!」と警告されたのに、身分を証明したいがために胸の内ポケットから「名刺入れ」を取り出そうとする愚にも似ている。
 あるいはこうも言えるであろう。意図的にひと(他人)の足を踏みながら、
「不快そうなご様子ですが、何かお役に立つことはありませんか?」
と言っているようなものだと。

 片や、ひと(他人)の足を踏みにじり続けている米英、そして同支援国があるがゆえに、生命の危機にさらされ続けているイラク国民、子どもたちのことが気掛かりでならない想像力が正常な人々もいるのだ。今回、人質となった三人が、決して気まぐれで現地入りしたのでないことは周知の事実である。自衛隊などには決してできない本当の人道支援を志した人たちであったはずだ。
 そうした人たちが不運にも、「野獣」たちに拘束されることになっても、なおかつ、「危ないから立ち入らないようにと言っていた」とか、主たる原因であったとしか言いようがない自説に固執しながら、「救出のために全力を尽くす」という矛盾した声明を出す政府は一体どういうことであろう?
 人道支援に出向いたはずの自衛隊の派兵自体が、先ず挙げた実績が、心ある日本人三名の生命を犠牲にしたとなれば、自衛隊駐留の大義もさらに霞んでしまうことになりはしないか。それとも、…… そうなることを<放置>しておいて、そこに生まれる「野獣」たちへの憎悪や国民感情をその後の軍活動エスカレートへの梃子としようとでも画策しているのであろうか? そこまでは考えたくはないものだ。しかし、過去の中国への侵略戦争が、軍部によって恰好の「口実」作りから始まったことを思い起こすことがあってもいいと思っている。返す返すも、紛争地への自衛隊派兵という、何と悲惨で、空しい連鎖への口火を切ってしまったことか、と恨むことしきりである。

 それにつけても、今、気になってしょうがないことは、人質三人の安否とともに、この国の人々が、聡明に事態を見つめられる人々とそうでない人々とに二分されているようだという、シビァな現実なのである。冒頭の「掲示板」への書き込み云々は、その一端を示したものだと見たわけなのである。
 聡明な人々の目にはシャープに映る事柄も、さまざまな邪念のある人々にとっては不鮮明に見え、我田引水の自説展開への材料ともなってしまうものだ。まして、現在われわれが生活しているこの国の情報空間は、物事を単純化しようとする人たちに対して有利に働く状況になっているような気がしてならない。今こそ、平和を希求する者たちがしっかりと覚醒しなければならないと思う…… (2004.04.10)


 イラクで誘拐、拘束されていた三人の日本人が、誘拐した側の「判断の転換」によって解放される方向にあるという。絶望的なイラク情勢にあって、一抹の光明を見る思いがした。そして、その光明によっていくつかの事柄が照らし出されたと言っていい。
 先ず挙げるべきは、危険をかえりみず現地の人々の救済を願う真のヒューマニズムが、「野獣」化した者たちの人間としての心に届いたという点である。関係部族の長老たちからの説得があったとか伝えられているが、要するに三人の当事者たちの裸の善意が、すべてを奪われ、客観的情報さえ奪われて「野獣」化していた者たちに「柔軟な姿勢」を作り出した、ということだと理解したい。

 今回の事件で、最も危惧されるべきことは、NGOなどの非政府民間ボランティアの活動などが、不幸ないきさつで封じ込められてしまうことではないかと考えていた。
 客観情勢から考えても、戦争というものがもはや国家と国家との関係として仕切れなくなってしまっている以上、国際紛争とそこで生じる悲惨さの解決や救済においては、NGOなどの役割りが欠かせなくなっているはずなのである。言うまでもなく、テロ集団の存在は、国家という「公式」水準とは次元を異にした集団組織である。このこと自体が、国家という枠組みでコントロールできる枠組みが後退させられた時代というものを物語っているのかもしれない。国家という枠組みでは救い切れない悲惨な人々が発生し得るという状況だと言ってもいい。これが、NGOなどが活動せざるを得ない客観的な根拠だと考える。

 こんな状況や、その中でのNGOなどの活動を、国家を自任する政府が快く思わないことは周知の事実ではあろう。しかし、しかしである。今回の事件の推移でも、一体、政府には何ができたのであろう? 誘拐側との交渉はおろか、その正体さえ突き止められないお手上げ状態ではなかったのか。相手国家機関の窓口がまともにあってさえ右往左往の外務省なぞが、一体何ができたというのか。頼みの綱である米国、米軍と協調すればするほど、今回の事件などはこじれて逆効果となったはずである。
 つまり、今回のケースは、幸いにも相手側が「柔軟な姿勢」を示したことによって事なきを得る形となりそうではあるが、どんなに「政府主導」型解決の粉飾をしようが、良識ある国民の目に焼きついた国家や政府の当事者能力欠落の姿は、否定されようがないのではなかろうか。

 相手側の「柔軟な姿勢」と書いたが、小泉政権は、「信念」などという見当外れの言葉はよしにしてもらいたいのだが、要するに「硬直して姿勢を保つ」醜態以外の何ものでもなかった。当初から「テロに屈せず」とばかりに自衛隊撤退の拒絶を公言するその「柔軟性の無さ」は、いろいろな意味での「アブナサ」を強調しただけであったかと思う。
 その一は、流動化している国際環境にあって、状況に見合った最善の策を求めて政策転換もやむなしとする、そうした柔軟な思考力、判断力がないという点である。日頃、ソフトで柔軟な語り口をポーズとしてきた小泉氏の、その正体は以外と古い「硬直性」であったのかと思わされたものだった。
 そのニは、「テロに屈しない日本」というキャッチフレーズが定評となることは、一体何を意味するのかという点なのである。テロリストたちに、だから、日本には手を出すな! という行動選択を促す、そうした見返りがあると推定するのは、極めて乱暴な議論ではないだろうか。ただただ相手側テロリストたちを刺激し、事のエスカレートを促進させるだけのことだと推定させよう。
 もともと、テロの根絶という命題は、「憎悪の連鎖」と表現されるように、一見正しいとも思わせる外見を持ちながらも、命題として成立するものなのかが疑われるもののように思う。結局、「そして、すべてが死に絶えた」という究極の誤算に行き着く「自殺的」結論に至る論理を人間的命題と言ってよいのかと思うのだ。
 その三は、「テロに屈するな!」と国民に向かって煽動することは、「テロに国民を巻き込む!」という意思表示であるということである。
 もし、政府関係者だけがテロ被害を被るとの「特約条項」があるのならば、つまり国民には被害が絶対に及ばないという「免責条項」があるのならば、「信念」に生きる人々の選択を拒絶はしない。しかし、事態はまったくその逆ではないか。そんな間尺に合わない「契約」というものがあろうか。

 午後五時のニュースでも、まだ事態の進展がなく、泣き崩れて哀願する、拘束された三人のご家族の姿が報じられた。ご家族のたとえようのない悲痛な思いを痛々しく察する。
 ここで政府は、声明を出してはどうなのか。すでに、米国による占領統治策は破綻していることでもある。
「事態を総合的に鑑み、日本政府は『華麗なる政策転換』を実施する。その一、自衛隊の即時撤退。そのニ、米国による占領政策の見直しへの働きかけ実施。その三、国連主導による混乱収束と緊急人道支援および戦後復興推進。以上」と…… (2004.04.11)


 イラクでの人質三人の解放がなされないまま、残酷な時間が過ぎている。
 今朝は、五時半に目覚め、再度床に就く前に続報をテレビで確認してみた。残念な結果が気になってしまい、寝つかれず結局そのまま起床することにしたのだった。
 拉致拘束事件の当該現地だと目されるファルージャの状況が同時に報じられていた。一時停戦とはなったものの、米軍による同市包囲と市民を巻き込み、何百人ものイラク人が殺傷された激戦であったとのことだ。そうした事実が、今回の事件の発端、そして推移と密接に関係しているのだろうと推測させた。

 米民間人が殺され遺体を損傷された事件が起こり、そのための掃討作戦と称された報復攻撃とも見られる無差別攻撃が展開された都市ファルージャ。
 詳細な状況はもちろんわからないが、そうした両勢力による憎悪の坩堝に密着しつつ展開していたのが今回の日本人三人の誘拐事件であったことがより鮮明に浮かび上がってきたようだ。
 何が言いたいかと言えば、日本政府がほとんどすべてを託し依存している米国、米軍は日本人三人の誘拐事件への協力どころの話ではなかったし、ないはずだということなのである。日本側や日本人が安易に希望的観測をする「頼みの綱」米国の実情は、ほぼ完全に余裕を無くしつつある状態なのだと考えざるを得ない。
 確かに、米国は、ますます破綻して行くイラク占領統治策遂行にあたって、同盟国側の足並みがこれ以上乱れることを警戒し、有力な「安全弁」の役を果たしてきた日本が、自衛隊の撤退を選択することを極力避けたいと考えているのは事実だ。
 しかし、だからといって、自らが抱えている苦境を防戦することが手一杯な状況である時、あるいは自国民間人たちにも少なくない被害が発生している状況の折り、日本側が期待するほどに当てにならなくなっていることは、濃厚な事実だと思われるのである。

 小泉日本政府が、イラク戦争を真っ先に支持し、現行憲法をかなぐり捨てる犠牲を払ってまで自衛隊派兵策を選択したのは、好意的に解釈するならば、米国・米軍の庇護の傘の下に入れて貰える、貰いたいという国益をにらんだと考えられるだろう。
 しかし、米国によるイラク戦略はその杜撰さによって破綻を来たし、米国は窮地の中で自身を救うことで悪戦苦闘するという最悪の事態を迎えてしまっているようである。米民間人の殺傷、遺体損傷に対する米国の国民感情の問題に限らず、イラク戦争自体をめぐる支持率の問題、さらに9.11についての大統領の事前認識をめぐる問題など、米国政府は、問題山積、出口なしの様相を呈して来ている。
 今回の日本人誘拐事件の推移は、奇しくも、そうした米国を従来の日米同盟関係の延長線上で「絶対的に米国を信頼し、依存し続ける」小泉政権の破綻をも浮かび上がらせているように見えるのである。
 少なくとも、国民にとっては、国民の安全という観点からは、米国の庇護の傘に全面依存した現状の政策が、期待されたものではなかった、ということになるのではなかろうか。期待した協力が得られないという幻滅もさることながら、庇護だと思えた傘が、むしろ反米憎悪の一蓮托生の傘に転じ始めている事実をこそ見つめなければならないのかもしれない。

 対米追随政権と批判されてきたことの現実的な内実が、こんな形で国民の目にさらされることになっているのだと思う。「構造改革」をスローガンとし、「自立」であるとか、「費用対効果」を目指すのならば、政府自身がこれを率先垂範するべきである。対米追随路線の「費用対効果」を冷静に吟味すべきである。そして、国民の安全という基本中の基本の課題に、実質的に応えて行くべきなのであろう。

 わたしは、こんなことを考えながら、どういうわけか、芥川龍之介の『トロッコ』のことを思い起こしたりした。「土工たち」に無邪気な期待を寄せて、結局突き放された主人公は、独り暗闇の帰路を泣きながら疾走するのだった…… (2004.04.12)


 改めて「矛盾」という言葉の原義に当たってみた。
「楚(そ)の国に矛(ほこ)と盾(たて)とを売る者がいて、自分の矛はどんな盾をも破ることができ、自分の盾はどんな矛をも防ぐことができると誇っていたが、人に『お前の矛でお前の盾を突いたらどうか』といわれ、答えられなかったという故事に基づく。事の前後のととのわないこと。つじつまの合わないこと。自家撞着」(『広辞苑』より)

 どうして「矛盾」という言葉が気になったかというと、どうもこの時代は、「つじつまの合わないこと」に対して極めて鈍感になってしまったかのような印象を受けるからなのである。
 ひょっとしたら、この時代は、ものごとに対する「矛盾」感度(?)を病的に陥没させる環境構造を抱えているのだろうか? 価値観の多様化の渦の中で、ものごとの関係や差異に対するアパシーが醸成されてしまったのであろうか? あるいは、環境の中に多数埋め込まれた「(サイバネティクス)システム」、それらは大なり小なり「統合」を擬似的に果たす役割りが担わされているが、そうしたものへの過信が、人間の人格内の「統合化」能力を引き下げる結果を招いているのだろうか?
 「統合失調症(精神分裂病)」「解離性同一性障害(多重人格)」などという精神分析分野の言葉も、さほどめずらしくもなく聞く昨今であれば、人の言動で目につく論理矛盾をただ指摘するだけではなく、病気という症状をも視野に入れて考慮する必要があるのかもしれない、なぞと考えたりした。

 気になったことの一つは、イラクでの日本人人質事件に対する政府の基本姿勢の問題である。かなり多くの人々がまさに「矛盾」を感じているに違いないと思う。だが、一方で自衛隊の派兵を「人道支援」と強弁しながら、他方で「自国民の人命」を結果的には蔑(ないがし)ろにしていることの「矛盾」なのである。
 もしこれを、論理矛盾のない合理的な関係と見るならば、「人道支援」という言葉の中身から「人命尊重」という、誰もが理解する基本部分を抜き去らなければならない。いわば「骨抜き」にしなければならない。さもなければ、「矛盾」そのものであるからだ。
 ただ、この誰もがおかしいと感じる両者の関係を「矛盾」とは感じないケースをも想像しなければならないかもしれない。それはどんな場合かと言えば、「矛盾」に軽重の差をつけて、自分が尊重する対象の論理での「矛盾」と、自分が軽視する対象の論理での「矛盾」とを比較し、前者の論理整合性での満足をもって、後者の「矛盾」を黙殺するということになるのであろう。
 「テロに屈するな」という米国政府の論理を重視し、「人道支援」ならば「人命尊重」という、いわば普遍的な論理をかなぐり捨てる立場からは、「矛盾」という語感が消滅するのであろう。しかし、その立場に対しては、自国民からの「信頼感」も消滅するはずである。
 やり方に大問題があるわけだが、そもそも、米国によるファルージャ掃討作戦は、米国が民間自国民が悲惨な目にあわされたがゆえの、自国民感情をなだめる意図が大きかったのではないか。米国でさえ、自国民の「人命尊重」というテーマは蔑ろにはできなかったのである。しかし、小泉政権は、それもできなかったと言うほかない……

 もう一つ気になったことは、事の重要度から言えばゴシップレベルの事件なので取り上げることもなさそうなのだが、早稲田大学教授の都条例違反逮捕事件のことだ。
 経済評論家も玉石混交であり、政府の御用提灯持ちから、庶民の生活重視の姿勢を持つ者までいろいろである。そんな中で、同容疑者先生は、わたしは比較的買っていた部類であった。その「真面目」そうな容貌や丁寧な口調に好感さえ持っていた。
 だからこそ驚き、とっさにわたしは、時代環境の見えない部分の「深遠さ(?)」に目を向けざるを得なかったのである。立派な、パブリックな表舞台での活動と、街中での匿名の男としての<さみしい行為>との間の「矛盾」に眩暈(?)がしたのであった。
 もとより、こうした事件に拘泥すること自体がバカバカしいことのようにも思われる。しかし、あながちローカルで、個人趣味的な問題だと切り捨てられないのかもしれないと推量したのである。
 ヘンな話になるが、かつての成功者たちのゴシップといえば、<小指を立てて>「わたしはコレで辞めました……」といったイメージであっただろう。玄人との関係なり、不倫なり、いずれにしても<リアルな肉弾戦>の発覚といった感じであろう。それが決して良いなぞと持ち上げるつもりではないが、そこにはどんな腐った関係であろうが「人間関係」が存在し、当事者の「実感的苦労」もあったに違いない(念のため言っておけば、想像であって覚えはないが……)。だから、「お盛んなことで、ゴクロウサンなことだ」という冷笑も生まれたりした。
 それに対して、<さみしい行為>の場合は、何をか言わんやである。被害者の人格が無視された<虚構の関係>しかない。ワセダの杜には、これを「暴力的に遂行」したバカ者たちもいたようだが、今回の場合は、まあ、被害者側は「迷惑」(迷惑防止条例)という範疇の被害だとされている。しかし、ここには「性のバーチャル化」という結構、無視できない問題が垣間見えたりする。
 つい先日、都営住宅の隣の幼女をいとも簡単に殺害した「ロリコン」青年が引き起こした事件は、この延長線上の悲劇だったかと思う。
 「矛盾」が額面どおり受けとめられない心境の人間の意識の根底には、一方で「バーチャルな世界」の肥大化という現代環境からの影響があり、他方で、苦痛に溢れたリアルな現実(人間関係)から浮いた「世間知らず」の生活からの感覚というワナがあったのではないかと推量している。

 現在の世界は、「矛盾」が「矛盾」として見える実直な地平からあまりにも飛翔し、解離し過ぎて、「バーチャル化」の度合いを深めているようだ。その上で、「バーチャル世界」に効を奏するテクノロジーが尊重され、法をはじめとして、旧来の観念が、色褪せて有効性がないかのように窮地に追い込まれてもいるようでもある。
 そして、「バーチャル世界」には破壊と消滅はあっても、死の観念は存在しない。生命と「非」生命の峻別をしない発想こそが、「バーチャル」の母胎である「サイバネティクス」の本領であるからだ。
 「バーチャル世界」が押し広げられる中で、生命や「人命尊重」の意味が理解されにくい時代へと驀進しているのであろうか…… (2004.04.13)


 目の前で繰り広げられる、心にチクチクと刺さる現実の事件、事態に対して、なかなか思考の有効な切り口や、思考の道具(概念など)が見当たらない、という「もどかしさ」がある。強く自覚しているかどうかを別にすれば、現代に生きる多くの人に共通する辛い現象ではないかと感じている。
 そして、「有効な」切り口という場合、即座に思い当たることは、ここで通用してもあそこでは通用しない、これに当てはまってもあれには当てはまらない、といった空間的な広がりが、妙にちまちまと細分化・断片化されていて、さらにそのそれぞれが異質なものとして「島宇宙化」しているかのようでもある事実なのである。
 わたしのような出不精でものぐさな人間でさえそんな直感を払拭できないでいるのだから、老若男女にかかわりなく、あらゆる属性の集団組織を横断的に行き来している人なぞにとっては、目が眩むような差異の海として実感されているのではなかろうか。

 しばしば、TVのニュースショーなどで、街の人々の声を聴くという場面がある。たとえば、イラクでの日本人人質事件に対する政府の方針についてどう思うか、といった類のインタビューのことである。
 こんな場面を見ていると、こうしたインタビュー手法というのは、果たして今日の環境で妥当性があるものなのだろうか、と疑問に思ってしまうのである。実施側は、庶民・市民・国民などの意見の「傾向性」を探り、それらを紹介しようとしたり、あるいは個々の意見にバラエティがあることを紹介しようとしたりしているのかと想像する。
 しかし、街行く人々に、今や、一括り(ひとくくり)にされるような共通性は乏しいのではなかろうか。もし、今から三、四十年前のように、人々が「ダッコちゃん」とか「フラフープ」とかの流行対象に雪崩れ現象で突っ込み、均一な団子状態になりがちな時代であれば、そんな中でのサンプリングは、大衆の「傾向性」を表すかもしれない。
 だが、現代の街行く人々は、千差万別の人々だと言っていいのだろう。何十、何百、あるいは何千種類という色合いに染まった人々だとたとえてもいい。だから、そんな中からわずかなサンプリングを実施しても何ら「傾向性」なぞ探れるものではないように思われるのである。もし、その意向を果たそうとすれば、少なくとも「アンケート」というものが必要となるはずである。
 また、単にバラエティのある意見を紹介することがねらいだとするならば、一桁足らずのサンプルでそれが可能なのか、と疑問を持つのである。アトランダムに取り上げたサンプルが、あたかも代表的な意見であると受けとめられる誤解をどう防げるのかと訝しく思うのだ。

 何が言いたいのかというと、このインタビュー手法のように、環境変化が著しい状況にあって、かつては意味がありそうだと思われた手法が、現在では首をかしげざるを得なくなっているにもかかわらず、無意識のうちに流用され続けているものが意外と多いのではないかという点なのである。もはや無効となってしまった「道具」を使って、変化を遂げてしまった新しい環境を認識しようとしているミスマッチングが、冒頭の「もどかしさ」に通じているのではないかと……
 問題は、「現状認識のズレ」と、それと密着した思考の「道具」についてであり、加えてそれらの結果、現実とうまく切り結ぶことができずに結局は無力感に陥るという二重遭難的な「不具合」についての話なのである。
 どうもこの近辺に潜む問題を丹念に洗い出さなければ、眼前の、ナマズかうなぎのように捉えどころのない現実は、いつまでたってもノラリクラリと身をかわし、片や「もどかしさ」はその度に増幅されていくような気がしてならない。

 こんな現在を生きるわれわれは、しばしば「将来に対する『見通し』がつかない」と嘆く。その通りなのであるが、その前に気づくべきは、「見通し」が悪いのは何も将来という時間軸上の話だけではないということである。同時代の<横断的な「見通し」>も、どんどん悪くなっている。むしろ、そうだからこそ将来の「見通し」も立ちにくくなっているのだと思われる。
 <横断的な「見通し」>がどのように立ちにくくなり、どのように全体への見晴らしが悪くなっているかは別な日に書きたいと思うが、今や「各論」的問題のその部分に詳しい人はいても、何かにつけて「総論」を語りたがらない風潮というものが、何よりも全体が見えにくくなった現状をよく表しているのではないかと思っている。単にスペシャリストの時代だからということだけでもないように思う。
 もうだいぶ以前から、いわゆる「宴会」などが、全参加者を常に巻き込みながら盛り上がっていくというイメージではなくなって、隣近辺に座った周辺同士の参加者が小さな「島宇宙」を作って小さく盛り上がっていく、という実態に移行したと言われてきた。結婚式の「披露宴」型宴会(?)だと言えそうである。良い悪いはともかく、そんな変化の姿が、現代の実情の一面をくっきりと象徴しているのかと感じたりしている…… (2004.04.14)


 今朝、朝刊を見ていて週刊誌の広告記事に目が止まった。例のイラク人質事件に関するもので、「(人質たちは)自己責任があるのだから救出費用は自己負担!」といった意味の見出しなのであった。世も末だ、世は終末なんだと感じさせられたものだ。
 バカな週刊誌が何をほざこうと勝手にしろ、ではある。しかし、すでにこうした風潮が、拉致被害家族への逆撫でメール、いたずら電話、ねじれた手紙などで大衆の一角を形成しているから注目せざるを得なかった。
 当初わたしは、こうした現象は政府側関係者の仕業ではないかと邪推したものだ。首相小泉氏のメーリングリストシステムを公費で作るという念の入れようをする政府なら、政治生命を左右しかねない今回の事件に関する世論形成に躍起となっても不思議ではないと推測したからである。
 だが、総合的に推察してみると、大衆の内部にこうしたアンビリーバブルな動向がありそうだと思い直すに至ったのである。庶民は本能的に正解を嗅ぎつけるなぞと、勝手に、楽観的に思い込んではならない。監視カメラ社会への流れでは、率先して地域商店街関係者たちが動いているのであるし、自衛隊派兵に関しても盲目的に良いことだと信じ切る賛同派も少なくない。間違った進路を推進する政府の基盤には、多数の支持者が歴然と存在することを見ないわけにはいかないのである。

 そう翻った時、そうした人々や風潮を醸成している現在の社会の構造というものに、やはり目を向けざるを得ない。なぜ、「自業自得」だの、「自己責任」だのという薄らさみしい発想が出てきてしまうものなのか。わたしは、そうしたバカは個人属性の問題であって、それこそ個人責任の範疇の問題だ、とは決めつけたくはない。多分、該当者たちは、日常生活にあっては、自身に割り当てられていると思い込んでいる義務、町内会での掃除当番、PTAでの役割りなどを粛々と担っていたりするのかもしれない。家庭にあっても、人一倍自分の果たすべき役割などに律儀なタイプであるかもしれない。
 ただ、イラついている人たちであることは重々想像できる。

 ふと、わたしはもう何十年も前のある映画のことを思い起こしたりした。ヘンリー・フォンダ主演の『十二人の怒れる男(Angry Men)』(1957年)という、ニューヨークでの陪審員制度の話である。父親殺しの嫌疑をかけられた非行少年をめぐり、十二人の陪審員が審議を進めるのだが、執拗に有罪を唱えるある陪審員にやがて焦点が移行するのである。そして、その原因は、その陪審員自身の親子関係がこじれていたことだとわかる。彼は、自身の息子への不可解さの感情を当裁判の容疑者に投影していたのだった……

 「自業自得」を口にする者たちに、立派な根拠があるとは想像できないのである。その主張を徹底するならば、現時点での国民の、自衛隊派兵への反対意向の高まりに抗して米国の意向に沿っている政府をこそ「自業自得」だとしてリコールする論理につながるのかもしれない。
 つまり、こうした感想・意見の根っこは、そんなに責任が持てるほどに吟味された思考に根ざしているはずはないと判断する。しっかりとした論拠があってのことではないと見る。では、何があるのかということになるが、そこには、イラク情勢とはまったく関係のない個人生活での鬱積した感情がありそうだと見当をつけたい。
 所詮、国内政治にも、まして国際情勢にも自分の頭で考える力も余裕もないというのが一般大衆の実態のはずである。色濃く関心が向けられているのは、家庭内、職場の人間関係であろう。そして、そこでは、律儀な人ほど、近辺の自己本位で動く人に対して激しい苛立ちを感じ続けているに違いない。何か事が起きたら、それはオマエの「自業自得だ!」と突き放してやりたいという執念を抱いていたのかもしれない。年配者の場合には、そんな推定が成り立つ。
 若い世代の場合には、やはり政治状況を額面どおりに手堅く考える力がないことは同様であるが、生活や職場の中で、何かにつけて「自己責任、自己責任」と、この時代の「念仏」がぶつけられている実情が控えているのではなかろうか。そして、その「念仏」の前で萎縮して、ただただストレスが蓄積してしまっている自分がある。
 唯一の慰めは、自分が萎縮してできないことを、同年輩の他者が敢行し、その挙句に失敗してしまうことなのかもしれない。それは、学校で、一人二人の生徒が授業で前向きとなり、挙手したりする場面に冷ややかな視線を送ることと酷似していよう。あるいは、年がら年中繋がれた飼い犬が、優雅に散歩させられているよその犬や、鎖を引きずりながら遊びほうける犬に激しく吼えまくる姿とも酷似していると言えようか。

 たとえ遠い他国のことであれ、子どもたちや人々が不当に苦しめられ、苛まれている現実に、いても立ってもいられない、という共感や同情の感覚を持つという、人間としてごく自然の感情が、この国では卑しめられているのだ。
 そして、もうひとつが、理性や知性と同義である言葉や社会正義、あるいは社会環境について考えることが、パーフェクトに拒絶され始めているということでもある。それらの意義が見えなくなっていて、それらは「それらが好きな人、関心のある人」が、あたかも「好きな趣味」に携わるがごとく対応すればいい、というふうに受けとめられているに違いないのである。これが世も末だ、世は終末なんだと感じさせる現実だったわけだ。
 どうしてこんなことになってしまったのか? かつて六十年代に若者たちの多くが口にした社会正義なぞは、いったい今何処にあるのだろう? いや、なぜ言葉や社会正義というものなどが通用しづらくなってしまっているのかと問うべきなのかもしれない……

「みんな何処へ行った 見守られることもなく
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう」(作詞、作曲:中島みゆき 『地上の星』から) (2004.04.15)

<PS> 本日の午後九時前に、イラクでの誘拐人質三人の日本人が解放された。
「アルジャジーラは15日午後3時42分(日本時間同8時42分)、イラクで武装グループに人質にとられていた日本人3人がバグダッド市内で解放されたと伝えた」(asahi.com 04/15 20:56)
 先ずは、喜ばしい事実である。同じケースであるイタリアの人質一名が残念な結果とされてしまっただけに、この日本人三名の解放の意味は大きいと思う。
 ただ、くれぐれも慎重であってほしいと思うのは、この事実を「誤解」してはならないということだ。本筋的な問題は何ひとつとして解決されていないからである。とりわけ、この国の政府は、一体この結果に導くためのどんな実質的な責務を果たしたというのだろうか? 人質三人の救出を願った国民に対して一体何を与えたであろうか?
 今こそ、イラクの根深い拗れの解決に、自立的な判断で貢献する一歩を踏み出すべきではないか。自衛隊自体にこそ「退避勧告!」を出すべきであろう……


 相変わらず組織のトップが、責任をとるかたちで辞任する出来事が目につく。つい先頃も、西武鉄道の堤義明会長が、総会屋に利益を提供したとされる事件の責任を取って辞任した。「すべてを掌握」すべき立場にある者が、組織内部の不祥事に関して身をもって決着をつけるという慣行なのであろう。そうしたことで実質的に不祥事の根が絶たれるのかどうかはわからない。

 ところで最近気になることは、組織が組織として体(てい)をなしているのだろうかという点である。全体社会が、その内部での相互認識を混乱させているのは誰だって感じていることだろう。そもそもを言えば、意図的に結成されたものとは言い難い全体社会が、その内部の関係において機能不全に陥ったとしても、ある意味では不思議ではない。
 しかしこれに反して、言うまでもなく企業などは、意図や意思をもって作り出された、いわゆる「結社」であり、形式的に言えば内部の連絡、指示など、要するにコミュニケーションが最低限、機能的でなければならないと言える。いや、そうなければ企業などは成立しないであろう。
 ところが、これはあくまでも自分の直感でしか過ぎないが、わたしに見聞できる限りでの現状の企業組織は、この辺がかなり<柔(やわ)>になり始めているように見えるのだ。情報をめぐってなされる「コラボレーション」(協働作業)が、かなりの低水準で、ぎこちなく行われているかに見える。
 「ネットワーク」インフラによる効率的な「コラボレーション」というのは、システム・ベンダーがセールス・トークするところではある。しかし、実態は一体どうなのであろうか。実際的に、LANなどの「ネットワーク」インフラに置換えられて来た社内コミュニケーションは、実務に耐え得る水準で機能しているのであろうか。事実、そうしたIT化などによって効率化や効果向上を実証したデータなどはほとんど見たことがない。もちろん、基幹システム部分での情報・データの流れの話は別である。そこまでが機能不全を起こせばただでは済まないだろう。

 果たして、これまで「大部屋」方式ですり合わせコミュニケーションを行うことが通常スタイルであった日本企業が、社内メールシステムをはじめとするITツール環境を媒介とする連絡、意思疎通を図るスタイルで置換えられ得るのか、という問題もある。
 まして、現在の若い世代の言語能力の貧困化は否定し得ない。だからということなのかもしれないが、ITツール環境が備わっていても、相変わらずフェイス・トゥ・フェイスの会議やミーティングに割かれる時間が減らないという実態もあると聞く。
 そもそも、「いつ、どこで、誰が……」といった単純な5W1Hの情報なぞはどんな方法を採っても伝わりあって当然の話である。そんなものが連絡し得ることをITツール環境の存在意義だと見なすならば、こんなコスト高な環境はないと言うべきであろう。旧来の方法でもお釣りが来るくらいである。問題は、相互の判断の相違なども含む多少込み入った事情をすり合わせて「コラボレーション」することであるはずだ。

 そう理解すると、問題の焦点は、コミュニケーション・ツールやメディアがどうのこうのということではなく、対人関係対応能力や組織の質の問題こそが注目されなければいけないということになりそうではないか。
 組織の質の問題の中には、組織の形の問題も含まれよう。従来の「上意下達」型ピラミッド組織は、この間、迅速な変化に対応不能という批判によって退け始められた傾向が見受けられる。これはこれで現実的だと思える。水平的なネットワーク構造型組織への移行である。だが、情報は、ネットワークをめぐりめぐれば煮詰められ、バリューアップして当該案件の結論に自動生成されていくという便利なものなんかではない。結節部分での集約と選択が、「責任者」の人格的行為として行われなければ、何にせよ「結論」めいたものは生まれようがないはずではなかろうか。
 ところが、現状は、この「責任者」という結節部分の位置づけが柔であるように見受けられるのだ。情報がめぐって行くインフラはある。フラットなネットワークのスタイルもある。しかし、一体誰が責任を持ってさまざまな案件に決着をつけていくのかという肝心な部分が<柔>だと見えるのである。その根底には、誰も一身で「責任」を負うことのなかったあの「稟議制度」という日本固有の「持ち回り無責任制度」の亡霊が潜んでいるのかもしれない。

 現状における企業組織の問題側面が、選択の余地がなく為される外科手術のような「リストラ」、人員削減に関係していることは誰でもが想像するところである。確かに、組織が被った、大「リストラ」による痛手が、有形無形の後遺症となって表れているのが現状の企業組織の実情ではないかと推測している。人間の身体でも、大手術は、抱えてはおけない患部の切除が叶ったとしても、神経系や免疫ホルモン系で甚大な後遺症が残るやに聞いている。
 「リストラ」によって、そのお陰とも言えそうな「景気回復」もどきの光景が持てはやされる昨今であるが、表側の帳尻の合った数字的側面の陰に潜んで見えにくい、いわゆるビジネス現場の実態には、何やら危なっかしい実情が控えていそうな気がしてならない。いつの時代でも人間社会である以上「責任者」の顔が見えなくてはならない…… (2004.04.16)


 「坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い」ということわざがある。「その人を憎むあまりに、その人に関係のある事物すべてが憎くなる」(広辞苑より)の意である。
 「米国憎けりゃ自衛隊まで憎い」「自衛隊憎けりゃ日本人まで憎い」という迷惑なお膳立てを一刻も早く解除してほしいものだと思う。
 従来、日本人は海外の人々から憎悪の視線で射られることはなかったはずだ。まして、このグローバリズムの時代に、海外へ出向くことが生命の危険に曝されるがゆえに憚(はばか)られるなどということがあっていいのだろうか? 「新型インフルエンザ・ウイルス」といった防疫上の観点ならやむを得ないとも言えるだろう。ところが、人為的も人為的、賛否両論が入り乱れる中での政府による政治的選択で、全国民の海外渡航を危険に曝すというのはいかがなものか。

 ところで、今回のイラク人質三人の解放(今日解放された二人も同様)を、わたしは極めてレア・ケースだと観察している。まさしく当事者三人の善意と、絶望的な状況の中でも人の道を模索し続けたイラクの穏健な「聖職者協会」のお陰だと思われてならないのである。(ついでに言っておけば、日本政府や米国が尽力したという表現の一切は、ことの道理と推移を見守る国民の目には空しく映るだけである。小泉氏が「いろんな方面に働き掛けた。各方面のいろんな働き掛けが功を奏した」などと、「手柄横取り」的に言うのはただただ不快感を刺激する!)
 レア・ケースだと言うのは、どうも今回のケースは、粗暴ではあっても「ファルージャ市民の」対米レジスタンスという素人集団の所業であったようであるからだ。本当に恐れるべきは、「アルカイダ」などの本格的な戦闘集団(テロ集団)ではないかと思う。しかし彼ら、アルカイダが、今回の推移の中で、日本政府とその「袈裟」の存在をとにかく目に焼き付けたことは疑う余地がなかろう。日本イコール米国という等式に強い確信を抱いたのではないかと想像する。とにかく、なぜそこまで刺激する必要があったかと情けなく思われてならない。
 また、当該の市民レジスタンスたちであっても、今回の穏健な「聖職者協会」のイニシアチブをいつまで尊重し続けることであろうか。現に、米国による無差別なファルージャ掃討作戦は再開され、市民レジスタンスは、生死の境で粗暴な戦士への変貌を余儀なくされているのかもしれない。
 こう考えると、今回のケースは、時間が経過してイラクが「泥沼ベトナム化!」の度合いを強めていくことで、妙な表現だが「ビギナーズ・ラック」と呼ばれることになりそうな気がする。つまり、予想を禁じえない今後の悲惨な事態の連続が、今回のケースは例外中の例外だったと言わしめることになりはしないか、と思うのだ。
 決して希望的観測で、イラクの事態を評価してはならないはずである。何と言っても、兵器を携えつつ、米軍の輸送をも行うかたちで米軍を軍事的に支援している自衛隊を送り込んでいるからである。騙されやすい日本国民には通用するかもしれない「人道支援」という言葉の遊びは、生命の危機に曝されているイラクの人々に通じ続けるはずがないと考えるべきである。

 話を戻せば、当然理由があって行われる日本人の海外渡航が、「一」政府の「一」政策によって危険に曝されていいのか、という問題である。イラクの現地の人々でさえ、自衛隊派兵イコール米軍支援と見る可能性が高い中、自衛隊による「人道支援」といった理解されにくい強弁をしてはいけないのだ。「復興支援」という、これまた「終戦」してもいないがために理解不能である看板を掲げることも相当無理な話ではないか。そんな「ダブルスタンダーズ」の自衛隊派兵政策こそが、テロ脅威を増幅しているのはわかり切ったことではないか。
 首相小泉氏のごり押し、強弁にも、当然彼なりの根拠はあるのだろう。ただ、イラクに泥靴で踏み込んだブッシュ政権とて、米国国内で現在、思いっきり旗色が悪くなっている情勢も斟酌すべきであろう。イラク侵攻の根拠以前に、「9.11」事件勃発の防止、阻止可能性がブッシュ大統領にはあったのではないかという問題にまで、批判的な目が向き始めているとも報道されているわけだ。大統領選挙の動向は、ブッシュ退陣に近い未知数で驀進しているようだ。
 また、核兵器や拉致問題といった北朝鮮脅威にしても、小泉氏のやっている米国依存のワンパターン外交は奏効しているとは決して思えない。北朝鮮の背後に、中国、ロシアが控えていることは常識だが、中国に対しては「靖国参拝」問題でなぜ無用な不快感を与える必要があるのかわからない。米国の呪縛から離れて、中国との友好関係増進なくして北朝鮮との外交正常化は困難であるように思われてならない。

 要するに、「時の」政府の「一」判断が、そうであるにもかかわらず、国民の基本的な権利である安全な生活を脅かしているとしか見えないのが実情なのである。もっとまともな「別な」政府が、「別な」判断をすることの可能性を、いよいよ視野に入れるべき時が来ていると言っていいのではないかと思っている。
 どんな政府であろうとも、さほど事態は変わらないとシニカルになる向きもあろうが、知らないうちに自分たち国民が「テロの標的」にさせられてしまっているとんでもない現状については、そんなことは微塵も頼んだ覚えはないと主張すべきではなかろうか。
 「テロに屈するな!」と言うならば、「テロを惹起させない国際社会」づくりに頭を使い、汗を流すのが現代の政治家ではないのか! と反論したいものである。「国際貢献を!」と言うのなら、「民間レベルの人道支援をしにくくしているのは誰なのか?」と問うべきであろう。
(政府自民党、公明党の閣僚たちは、今回の三人は、「退避勧告」に背く「自己責任」の行為であり、その救出で政府がてこずったのだから、その「救出費用」を公表したり、賠償請求したりすべきだ、と口を揃えて<吼えている>と聞く。もしそこまでするのならば、そのカウンターアクションとして、無用なテロ恐怖を結果的に国民に押し付けている現政府の行為に対して、心理賠償という理由で「国家賠償」を考えてもいいのかもしれない……)

 とにかくわたしには、いよいよ、ブッシュ、小泉の両氏が落ち目の三度笠かざして舞台の袖へと駆け込む場面が彷彿として想像しえる…… (2004.04.17)


 昨日も今日も、春、真っ盛りと表現したい天候だ。まぶしい光、くっきりと落とされた黒い影、植物たちの吐息も匂う空気などからは、春を通り過ぎ、むしろ初夏と呼びたくなる気配である。
 朝のウォーキングも、こんな天候のもとだと快適そのものである。加えて、このところ凝っている、弦楽澄みわたるモーツァルト曲集をMDで耳にしながら、まぶしい光が満ち溢れた戸外を歩いていると、何はさておき「至福」という感覚に見舞われてしまった。
 交響曲第25番ト短調、K.183の第1楽章(映画『アマデウス』の主題曲ともなった)の荒々しく、また「悲壮」(悲しさと崇高さ!)な旋律には、限りない共感を禁じえない。この曲から受ける「哀しさ」はどこからくるのだろうかなぞと他愛もないことに関心が向いたりもした。「短調」の旋律だから当然か……。ところが、この旋律には決して寂しさが微塵とも埋め込まれてはいない。むしろ、強烈なリズムとアグレッシーブなダイナミズムが満ちている。そこに感じ入ってしまう自分は何を感じとっているのだろう。
 そこまで思い進めてみて、これは「生命」そのもののような感じなのだと、唐突に納得してしまった。所詮、「生命」とは限りある定めの存在であり、エンドレスであるかのような「長調」の響きに共鳴し続けることには無理がある。常に随伴する「終り」への予感と歩調を合わせるかのような「短調」こそがふさわしい。
 さらに、単にそれだけではなく、「終り」への宿命を避けることができない「生命」が、その宿命と拮抗するように「生命」の高揚を図り続ける「崇高」なイメージ、これがモーツァルトのこの楽章のテーマであるかのように想像したりした。
 決して音楽通ではない自分の勝手な解釈に過ぎないのだが、春と初夏の間の輝かしい戸外の光景を見ながら、この曲を耳にしてそんなことを考えていた。

 それにしても、「生命」を与えられた自然の光景、植物たちの姿は、率直でかつ「過不足」がなく、まことにリーズナブルである。桜の樹は、もはや華麗な花を落とし、透過性の軽やかな新緑の葉を満載し始めている。次世代への「生命」継承の営みを終えたならば、すぐさま訪れた春、初夏の太陽の恵みを享受する体勢に速やかに移行する律儀さには敬服してしまう。
 様々な樹木に色鮮やかな花が一斉に咲き、それらに溢れる陽射しが照り映えている。それが、今という時期のまぶしさであるわけだが、素直に感じさせられることは、その色とりどりの華やかさには、一向に「過剰さ」や「衒い(てらい)」がないことである。その鮮やかさと香りは、受粉作業を行う蜂たちを招くための「過不足」なき段取り以外ではない。確かに、アスファルトの亀裂に根ざしたたんぽぽの花にも、小さな毛むくじゃらな蜂たちが花弁に顔を埋めていたものだ。

 こうした自然たちの営みと対照的だと思えるのが、人間社会であり、現代の商品社会、消費社会だと見える。そこに溢れるものは、自然界が避けている「過剰さ」や「衒い」そのものだと言ってもいいのかもしれない。そして、人々は「過剰さ」と「衒い」にうんざりしてもいようが、すでにその前に、それらに撹乱されて人間としての貴重な資質を放棄し始めてしまったのだろう。そんな直感的な危惧の念が、ふと生じる。
 面倒なので、今は事細かく説明するつもりはないが、現代の高度消費社会、「ポストモダン」(やはり、この辺の問題を煮詰める必要がありそうだと思っている)の時代とは、要するに「過剰さ」と「衒い」の渦が人間の思考を大胆に撹乱させている時代だと思えてならない。その中で最も甚大な問題は、「活字離れ」などという一過的な現象のように軽々しく指摘されている現象、それは要するに「活字離れ」ではなく「言葉離れ」であり、「思考離れ」だということが次第に色濃くなって来ているのではないのだろうか。
 もしそうだと診断するならば、われわれの日常生活や世界で頻発している不可解かつ不快な事実が、とりあえずは納得できるのが、残念といえば残念な点なのである。

 「ポストモダン」というヘンな言葉を使ったが、要するにこれまで現代とは、「近代」と言う時代、近代社会であり、近代的個人であり、その思考の枠組みであり、近代世界を構成してきた人間的営為の大半を整合的に引き継ぐものと見なされてきたわけである。しかし、主として、現代の資本主義経済の爛熟が引き金となって、現代文化の構造を大きく変貌させてしまった。その過程で、インターネット環境のような「IT」が事態を増幅させたという事情も関係していたのだと思われる。
 こんな七面倒くさいことを考えなくとも、たとえば団塊世代以上の世代であれば、自分たちが感じてきた、考えてきた内面の大半の資産(?)が今や無効となりつつある危機感と寂しさ、そして不安が否定できないのではなかろうか。
 これまで、年配の「先行者」が、同時代の若い世代との軋轢は、「隔世の感」ありとか、「世代断絶」だとかという言葉でいなしてきたのだろう。確かにそれで説明がつく場合もないではない。だが、事態は、もっとドラスティックに生じている気がする。
 もちろん、そんなことが最も鮮烈に浮かび上がって来るのは、経済事象であり、日常生活での不可解な事件ではあるが、政治領域での変貌も紛れもない関連事だと思われる。新しい政治勢力が云々というよりも、「ポストモダン」の混乱の極みに乗じて、時の権力が状況の推移を有利に展開しているという意味においてである。「言葉」「思考力」などの陥没現象、そして個々人の事実上の「孤立化」が進行すれば、六十年代以前の観念や概念では計り知れない事態が生じても不思議ではなくなっているということなのであろう。

 現在、トピカルな問題は、イラクにおける暫定政府樹立の問題かもしれない。米国がご都合主義で国連に匙を投げようとし、かつイラク内部では宗教対立が著しい。この後者の問題を、われわれ日本人は単一無宗教民族として他人事のように考えているのかもしれないが、最近思うことは、民族や宗教の対立は凄まじいとは思うが、人間集団の対立は何もその限りではないということである。大きな共通文化が風化して、様々なサブ・カルチャーが林立してしまった社会のアナーキー状態は、結構、重苦しい事態を生み出すのだろうと推測している。この国の現在、今後のことを言っているのである…… (2004.04.18)


 「自己責任」という言葉が流行っている。口にしている連中は、「無責任」な「人でなし」と言うべきか。イラク人質事件をはじめとして、現在この国が混乱している元凶は、「自己責任」問題なんぞではなく、「政治責任」問題なのである。ちなみに「人でなし」と言ったのは、言葉の勢いからだけではない。
 「共感」に基づく「共同」「協働」こそが、人間としての人の根拠であろう。本当に苦しい立場にある人たちは、「藁をもすがる」心細さの中で彷徨するものであろう。イラクの子どもたちはまさにそうした境遇に置かれているのではないのか。藁でさえ必要と感じているに違いない。そんな一本の藁にでもなればと思う人間の<足を引っぱり>、「共感」のできない動物のことを「人でなし」と言って間違いなのであろうか。
 また、政府の「人でなし」戦術は込み入った姿をとっている。自衛隊派兵は、「人道支援」を旗印にしてのことではないのか? 今回の人質三人のしていることが「自己責任」として「退けられるべき行為」だとするのなら、自衛隊が行う「人道支援」というのは一体何なのだ? おまけに、当のイラク人とて望まない駐留で、人質三人たちの実践的人道支援とも違う「人道支援」とは一体何を意味しようというのか? ひょっとして、「自己責任」ならず完璧な「自己満足」としか思えない。あるいは、小泉氏が得意とする「羊頭狗肉」策だと言うべきであろうか。言うまでもなく、「羊頭」とは、<人道>支援のことであり、「狗肉」とは、<米軍>支援のことである。この矛盾に図らずも光を当ててしまった今回の事件を、政府がこころよく思わず、「自己責任」だ、救出費用の「自己負担」だと騒ぐのは、立場を斟酌すればロジックだけはわからないわけではない。「人でなし」のロジックではあるが……。

 「自己責任」を吹聴する時の政府の背後関係をちょっと振り返ってもみたい。
 北朝鮮に拉致された人々に対しては、さすがに突き放しを得意技とし始めた政府と言えども「自己責任」という言葉は使えない。しかし、その事実すら認定せずに長年放置してきたのは、国民の安全を保障する歴代政府の「政治責任」という点は共通しているように見える。だが、「政治責任」とはあくまでも結果責任なのであり、努力しているのだからお目こぼししてくださいで済むものでないことはまともな政治家なら知っているはずだ。要するに結果が出ていないというのは、拉致被害者たちが「自己責任」を負ったと同様に計り知れない苦痛を負い続けさせられているということなのであろう。
 こんな批判をかわしたい政府であれば、片時も責務遂行を忘れずに手を打ち続けるべきであるが、北朝鮮の脅威を日米同盟の根拠とする政府が、どこまで本気で事の解決を望んでいるのかは、国民からは見えないではないか。

 ほかにも奇妙な「自己責任」の吹聴がある。現在、責任の所在を問うこともなく、年金財政の破綻を所与の事実であるかのように言い立て、「掛け金」未納者だとか、「受給資格」だとか、もっぱら「自己責任」問題がすべてであるかのように叫ぶのはおかし過ぎるのではなかろうか。少子高齢化現象にしても、この期に及んで慌てふためくのは場当たり政治の無責任さもいいところだ。加えて、国民から徴収した年金資金を「勝手に」「箱モノ」建設の大盤振る舞いで浪費したり、イージィな投資に流用して大幅に損失を生み出した「責任」は一体誰がどう引き受けたのか。
 つまり、さまざまな不祥事に一切蓋をして、「このような惨憺たる結果が目の前にある以上、各人が『自己責任』でやるほかない!」というのが、「自己責任」という言葉の出生(しゅっしょう)ではないかと思う。「無責任」を大前提とした上で飛び出す言葉が「自己責任」なのである。ここでは、不祥事を糾す視点、「無責任」を処断する姿勢といった本来「政治」というものが担うべき役割、責任を、恥ずかしげもなく放棄している事実をこそ凝視しなければならないだろう。だから、問われるべきは「政治責任」だと言うのである。

 国民に優しい政治は、完璧に過去のものとなってしまった。財政上の逼迫を理由として、「大きな政府」から「小さな政府」への移行が唱えられ、「構造改革」という米国の受け売り政策が響きわたっている。そうした趨勢にも一理はあるが、それがフェアに推進されているようには見えないのが問題なのである。本来、壊滅されなければならない政官癒着の薄汚い利権構造は温存(ex.道路公団問題 etc.)されつつ、「国民の痛み」が先ずは強調され、そしてここへ来て「自己責任」という言葉での「責任転嫁」のキャンペーンが張られているわけだ。この国の政治的、文化的「貧困化」はいよいよ本格化している。人情と礼節の国であった日本を突き崩しているのは一体誰なのかということだ…… (2004.04.19)


 ビジネス関連の知り合いと話をしていて、たまたま「本物」とは何かといういささか唐突な議論となった。そもそも、「本物」とはなぞというテーマそのものが不用意な設定であったと反省はしている。思い切り価値観に密着した、検証しようもないテーマであったかという反省である。
 ただ、幾分驚いたのは、その相手のサバサバとした言い草であった。
「よく売れるものがホンモノなんですよね。それ以外にないんですよね」
とおっしゃったからである。別の表現が返ってくることを期待していたのであるが、何とも味気ない、当世メジャーなお応えであった。「市場至上主義」とでもいう「カシコイ」スタンスに、「なるほど」と思いながら、かつまた「バカヤロウ!」と憤慨したものだった。

 話は飛ぶが、先日、ある地域産業新聞の記者が来て、広告の依頼をしてきた。要するに「カンパ」依頼なのである。結論から言って、お断りした。以前には協力させてもらったことが何度もあったが、経済情勢を鑑みシビァに見直しをかけさせてもらったということなのである。
 そうしたら、若い記者であったが、中々やり手であり、こう攻め込んできたものだ。
「社長の明快なスタンスは理解できました。では、『企業の地域社会への貢献』という観点でご再考いただけませんでしょうか?」
 わたしは、彼の突然の論理展開に虚を衝かれた。立論としては悪くはなかったからである。しかし、わたしはひるまなかった。
「ちょっと待ってよ。おたくの新聞が地域社会に貢献していないとは言わないけど、主に企業経営者層向けに発刊している現状を、地域社会と言ってしまうのは無理があるんじゃないの?」
 あくまで、雰囲気ベースの話に流されないで、事実関係を楯に取った論拠で反論したのであった。わたしの脳裏には、地域社会への貢献を真正面から謳っている「商工会」云々への無意識な会費支払のバカバカしいケースなども浮かんでいたのだ。名目はそれとしながら、わけのわからない機能を果たしている場合があまりにも多い実情である。そんな中では、まだ当該新聞なぞはましな方であったが、ヘンな慣習を断ち切るためにも言い分を通すことにしてしまったのだ。

 今関心を向けている話題は、ビジネスの目的とでも言えるテーマなのである。地域社会への貢献も重要な目的だとは認識しているわけである。ただ、その実質、具体的内容に関しては自分なりのイメージを持っている。当然のことである。
 意を傾けて考えてみたいのは、冒頭のような「市場至上主義」という「売れればOK」という無前提なビジネススタンスなのである。「よく売れる」という事実が証明する「本物」さとは、「本物」の「ベストセラー」であるということ以上でも以下でもないということのはずである。
 確かに、フェイクであっても売れればホンモノに優るという表現もできよう。まして、現代はオリジナルとコピィの境界が厳密ではなくなった実情もある。
 しかし、わたしが「本物」という言葉を不用意ながら口にしたのは、ベンダーとしてのポリシーを、市場動向とは別個に持つべきではないのか、という関心からなのであった。市場とは無関係にベンダーとしてのポリシーを傲慢に持つべきだとまで考えているわけでは決してない。まして、つい先頃までは、「生産者主導」型という一方的な企業側論理優先があったのだから、その非合理さはわかっている。
 しかし、現状はその反動とでも言うように、すべての判断基準は消費者にありとでもいうような「市場至上主義」には、どこか違和感を感じるのである。「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざがあるが、企業と市場との関係をそうしたかつての完全な裏返しとするのは行き過ぎだと考えざるを得ない。
 あくまでも、企業と消費者とは「共同作業」なのだと言うべきであろう。消費者の意向を尊重するのと同様に、企業自身がその専門性とポリシーをもって、消費者に問いかけていく姿勢、呼びかけていく姿勢があってよいし、なければならないのではないかと考えているのだ。
 仮に、企業の範疇に医療機関を想定した場合、患者という消費者が一方的に対症療法たる投薬を求めれば、ビジネス上の得から唯々諾々と迎合して行っていいかということでもある。医療機関は、その専門性を発揮して、患者が当初は思い描かない治療法をも開示する必要があるのではないか、ということだ。

 この視点は、TVにおける「視聴率万能主義」にも当てはまるところだ。わたしには、高視聴率番組とされるものが「本物」の番組だとは到底思えない。番組制作側にしても、多分そうなのではないか。気の利いたディレクターならば、
「ああ、一度でいいから、『本物』のドラマを、『本物』の役者を使って、『本物』の原作で作ってみたい……」
と願っているのではないかと想像する。確か、『鬼平犯科帳』は、それが無理だと悟り継続可能性がありながらも終結させられたと聞いたことがある。

 「ウチの『本物』のラーメンの味がわからねぇやつには食いに来てもらわなくてもいいんだ!」と言って、店を潰してしまう悲劇は考え物ではあるが、「市場至上主義」というわかったようなわからない原理に振り回されるのもほどほどにすべきかと思っている。
 こんなことに関心を向けるのは、実を言えば、ビジネスと市場との関係という点もさることながら、もっと根深い問題が推測されるからなのである。率直に言えば、現代人の価値観、意識のありようは、ほぼ全面的にこの「市場至上主義」に浸されてしまっていると見えるからである。
 個人的な「快」の感覚を満たすがゆえに商品として支持するという行動原理、システム原理が、商品交換システムとしての市場の外にまで溢れ出し、風化してしまったさまざまな価値観、理念、観念のあとを「おためごかし」(表面は相手のためになるように見せかけて、実は自分の利益をはかること)的に浸透しているからである。
 なぜ、「口だけ達者な首相」(今朝の朝刊の、週刊誌広告記事の謳い文句に見受けられた)に「人気」が集まり続けるのかは、それが従来の政治的領域での出来事だと考えてしまうから不可解なのであって、「キャラクター商品」への感度なのだと見なせば納得できるはずである。同様の「キャラ」である<マキコ>が「キャラ」<コイズミ>を追い詰めた例があったように、ネクストの好感度「キャラクター商品」が登場すれば一気に色褪せて見放されるはずなのである。しかし、如何せん「マーケット・政界」には、ニュー「キャラ」が払底しているがために、「キャラ」消費者は、不承不承<コイズミ>でガマンしているのではないか…… (2004.04.20)


 「ウェブ」を活用しようとした時、「検索エンジン、検索サイト」や「ポータル・サイト」に目を向けざるを得ない。無数にあるサイトの中から、当該関心事項に応えてくれるサイトを道具立てなしにまさぐることはほとんど不可能であるからだ。また、不案内なジャンルに関するショッピングの際には、「セレクトショップ」(一定の嗜好をもった顧客に合わせて,一つのメーカーやブランドに固定せず,衣類,家具,小物,雑貨などの商品をそろえる店舗)を覗いたりもするのだろう。
 これらの事実が物語るのは、現代という時代が、あらゆる分野において選択肢の数が爆発的に増大してしまったという点であろう。個人の視野、観察力、思考力だけの丸腰スタイルで臨むには、あまりにも対象は膨張し過ぎてしまったというわけだ。

 この対象の膨張がなぜ生じたのかについての原因はやっかいであるが、1.時間の経過(歴史経過)、2.分化(機能分化、専門分化)の進展、そして、3.ボーダレス化(グローバリズム)の進展などをとりあえずの原因と見なすことができようか。
 こうした推移と同速度で個人側の対象情報の処理能力が高まるのであれば何の問題も生じなかったはずである。しかし、そんな理想は思い描けようもない。所詮、個人は部分的な環境の中で特殊な影響を受け、その環境に支配されがちである。要は、個人とは部分的、偶発的な存在でしかあり得ないと言っていい。
 すると、際限なく膨大化する対象やその情報と個人との関係は、軋轢が深まるだけだと言えそうである。卑近な例で言えば、ちょうど、何でも無差別にとっておく者の家や部屋が、身動きのとれない空間と化してしまうイメージと似ていなくもない。
 その家の家人が利口であれば、当該者に次のようなアドバイスするかもしれない。
「全部が全部とっておく必要があるとは限らないじゃないの」
「結局同じ種類の重複したものも結構あるんじゃないの」
「わたしが持っているものと重複しているものもあるんじゃないの」
「必要になったら借りて済むものも意外とあるんじゃないの」
などなどと。

 つまり、事態は結構深刻な問題であることは事実であるが、絶望視することもないのかもしれないのである。個人側の能力を支援するような仕掛けが模索されるならば、「砂漠で一本の針を探す」ようなことだって不可能とは言い切れない。現に、ウェブ上には冒頭のような自動化された「検索」機構が考案されてもいるし、個人能力の限界は、組織という社会的レベルで補われてもいる、いやその可能性があるだろう。狭い個人の視野は、集団組織としての幾分広い視野で補われ得るということだ。ただし、個人が孤立していたのでは無理であろうが。

 また、個人側にも手立ての余地がないわけではないだろう。情報処理能力云々と言うよりも、複雑多岐にわたる多様化した対象に迫るためには、シンプルな対象に実感的な姿勢でぶつかるのとは異なったより抽象的思考力が必要となってくるのではなかろうか。「類推」と「確認」「判断」、「ブリーフィング(要約)」「暫定的分類」や「暫定構造の設定」などなど、まさに知的格闘能力が必要なはずであり、これらが一見頭数だけは多く見える対象の込み入った状態を、かなりの程度「交通整理」することだってあり得ると思われるのだ。
 少なくとも、目に映る対象を、何の抵抗もなく自分なりの批判的フィルターもなく漫然と受け容れてしまう者にとっては、複雑化して見える現代の対象はそれ以外ではないのかもしれない。

 今日、こうした問題に関心を寄せたのは、実は、IT技術者の今後という課題を考えようとしてのことであった。よく言われるように、現代のプロフェッショナルは「専門分化」の傾向に歯止めがかからない状況である。そして、次々に新たな技術要素が生まれ、「多様化」する一方、ユーザ・ニーズも「多様化」する傾向の過程で、IT技術者たちのアイデンティティも揺らぎに揺らいでいる。
 IT領域指導と目される政府関係筋(経済産業省)にあっても、事態は同様であり、IT技術者の定義や、分類、そして育成に関する文書は、頻繁に塗り替えられている実情である。
 その最新の「ITSS(Skill Standards for IT Professionalsの略)」(「ITスキル標準は、各種IT関連サービスの提供に必要とされる能力を明確化・体系化した指標であり、産学におけるITサービス・プロフェッショナルの教育・訓練等に有用な『辞書』を提供しようとするものです。(ITスキル標準センターより)」)を見ると、その「職種」は11種類に分類されている。
 「マーケティング」「セールス」「コンサルタント」「ITアーキテクト」「プロジェクトマネジメント」「ITスペシャリスト」「アプリケーションスペシャリスト」「ソフトウェアデベロップメント」「カスタマーサービス」「オペレーション」「エデュケーション」の11種類である。こうした「多様化定義」は今に始まったことではないが、それにしても、「分類好き」だと思われる。
 関心のある問題でもあるので、じっくり腰を据えて考察してゆこうかと考えているところなのだ…… (2004.04.21)


 この季節、目に映える新緑の葉の緑は実に美しい。さやさやと風に揺らぐ柔らかそうな葉のさざなみを見ていると、確実に心が和む。
 ところで、こんなことは他人(ひと)に言われてみないとなかなか気づかないことでもあるのだが、目に映る木々のその葉というものは、一枚一枚がすべて、その形と、空間に占めているその位置は異なっている。別に個々の葉が「個性」的であることを目指しているわけではなく、太陽光の享受やその他の生存「好」条件を追求する結果である。明確な根拠があってのことなのである。確か、養老孟司氏が何かの著作でそんなことを書いていたはずだ。
 わたしも以前、PCの三次元ソフトで遊んだ時、ありきたりの建物などを作っても面白くなくなり、樹木を作ろうとしたことがあった。で、その時、よりリアルに作るにはもちろん一枚一枚の葉をその都度数値化して設定しなければならないことに気づかされ、気が遠くなりそうになったものだった。結局は、一枚の葉を表現する数字群をひとつのブロックとしてそれを丸ごと位相変換して異なった葉のように見せるという手抜きをせざるを得なかったことを覚えている。
 つまり、自然界の自然で細やかな「多様性」と、人間界の人工的所産の擬似「多様性」とは別世界のものだ、ということになろうか。まして、デジタル世界での所産の「多様性」なぞは、アナログの自然界の「多様性」と較べるべくもない、と思われるのである
 デジタル世界と言えば、それ以前に人間の言葉が、自然界の自然な「多様性」を「黙殺」することで成り立っていることを知る必要がある。たとえば、仮に「新緑の葉」という言葉での表現する対象は、現物は千差万別であるはずだが、それらの間の個々の「差異」を不問に付すかたちで「新緑の葉」という抽象的イメージを相手にしているのが、言葉としての「新緑の葉」なのであろう。自然の圧倒的「多様性」を前にして、人間は、抽象化の上でより限定された観念世界とその対応物とを構築してきたのだと言える。上記の養老氏が、そうした世界を都市をはじめとする「脳化社会」だと言ったのは当を得ている。

 ところで、自然は確かに無限大的に多様な世界ではあるが、すべてが連鎖というかたちでつながり、いわば統合されている。まさしく自然調和しているわけだ。それを、膨大な時間経過の仕業だと説明しようが、神の意志による予定調和だと言おうが、調和している事実に変わりはない。
 人間自身の身体からして、驚くほどに多様な部分で多様な機能が展開されながら、これまた驚くほどに自然な状態での調和が図られ、統合されている。自然はまさしく、「多様性」でありながら、「統合」でもあるという超不思議な存在なのだ。
 しかし、ここで問題となるのは、人間が自然を模しながら作り始めた人工的な「多様性」というものは、果たして予定調和であり得るのか、という点なのである。
 それと言うのも、現在われわれが「多様性」に幻惑されているのは、どちらかと言えば自然界の「多様性」によってではなく、あらゆるものが「専門分化」してしまった人間世界の諸相であり、商品文化社会における目もくらむ商品アイテムの「多様化」であり、そんな社会で発生する事件の「多様化」であったりするからである。
 これらによって生み出された混乱と、自然界に何か「新種」が発見されたことによる混乱とを較べてみれば、前者がほとんどすべてであるとさえ言えるのではなかろうか。確かに、「新型ウイルス」の発見なぞは、後者の範疇に見えもするが、厳密に考えれば、人間社会が自然界に大きく介入した結果だと分析されそうでもある。

 単刀直入に言えば、人間が人為的に生み出した部分での「多様性」というものは、決して予定調和なぞを安易に想定することはできないのではないか、ということである。それは、すでに製造と使用とが禁止された「PCB」という人工合成物質が、生体をはじめとする自然界では分解されないということ、つまり自然や人間との調和が約束されていないということに良く表現されていると思われるのだ。
 かなり抽象度の高いアナロジーを展開していることはわかっているのだが、模索している事柄は、現代文明のような人為的に生み出された「多様性の海!」にあって、それらが自動的に意味のある関係へと関連づけられていく(とりあえずこれを「調和」と考えている……)のであろうか、と疑問を抱いているのである。そんな保証はどこにもないはずなのであり、もとを正せば、それを暗黙のうちに信じたのが「近代(モダン)」なのであり、現在のわれわれは、思考の上では半ばその延長線上にあり楽観視しているにもかかわらず、リアルな事態は収束なき拡散を続けているのではないかと……。「ポストモダン」というわかりにくいスローガンのひとつの重要な論点はここにあるのかもしれないと感じている…… (2004.04.22)


 昼下がりに、遅い昼食をとりがてら近所の量販店の家電売り場を覗いた。ある家電製品がちょっと気になったのだ。価格が手ごろであれば購入しようとも考えていた。
 昼休み時間も終わった時間帯でもあるので、量販店内は閑散としていた。お目当ての製品を見つけたのだが、値札もついていなければ、近くにカタログも置いていない。しばらく探したあと、やっと店員に聞くしかないと思った。「やっと」というのは、ちらりと目に入っていた店員の姿がいかにも頼りなかったので、聞く気になれなかったのである。
 その店員は、多分このエリアが担当だと見えたのだが、店内のこのエリアの様子をそっちのけでうつむいて何やら埒外のことをやっているようだったのだ。わたしは、内心、「やる気ないんだなあ……」と思っていた。もっとも、この量販店の店員教育に問題がありそうだと思ったのは、これがはじめてなぞではなく、毎度のことである。寄せ集めの管理職を、リフレッシュ(再研修)させないでそのまま使っている気配も感じていたし、経営層に近い管理職が店内を見回っている姿なぞ見たこともなかった。安売りの「システム」設定さえすれば、職員も顧客も「自動的に」役割りを果たすとでも思っているのであろうか、経営者は!
 わたしは、店員に尋ねることとした。
「すみません、あそこに展示している△△のカタログはありませんか?」
 すると店員は、うつむいて何かをしていたことをやっとやめて、ゆっくり対応した。
「えっ、どれですか? 近くに置いてなければないはずですが……」
「じゃあ、値段はどうなってるんですか?」
「ちょっと待ってください」
 店員は、腰のベルトにつけていた「店内ワイヤレス装置」を取り上げ、
「△△のカタログはどこにありますか?」
と、センターだかどこだかに問合せをし始めていた。だが、結局カタログはないとのことであった。値段はわかったものの、その店員は、値札のなかった展示品にそれをつけるという気転を利かすわけでもなく、また、再びうつむき姿勢に戻るのだった。

 わたしは心の中で思ったものだ。こんな事態を経営者なり、管理者なりは知っておくべきなんだろうな、結局、総売上というのは、商品がひとつひとつ手堅く出ていくということでしかないのだから、こんな何でもない杜撰さが重なって予想外の結果を生み出すのだろう…… と。
 それはともかく、彼が扱っていた「店内ワイヤレス装置」のことである。最近、客商売での店員たちがよく使っている。常時イヤホーンを片耳に挿し、腰や胸にぶら下げたマイクやハンドフリーのマイクで通話するような装置だ。昔、よく警官とか刑事が本部との連絡で使っていたものと同類なのであろう。
 いつだったか、どこだかの家電ショップで、多分この「装置」のことなのだろうと推測されたが、これが欲しいのだと店員に説明していた中学生くらいの女の子がいたのを覚えている。学校のクラブか何かで皆で活用しようとでもしているような雰囲気であった。ケータイが一般的になっている時代ではあっても、子どもたちの目から見ると、どこか興味をひく点があったのかもしれない。
 あえて想像するならば、メンバー間のみで「常時繋がっている!」、あるいは「いつでも繋がり得る!」という点が、何か感情を刺激するのかもしれない。

 わたしがこの「装置」で感じたこと、考えたことは、「繋がり幻想」とでも言っていいものである。すでに、ケータイの利用のされ方が、実質的なコミュニケーションというよりも、「今、何してる?」といった他愛ない「繋がり確認」であることは指摘されてきたところだ。
 この「装置」は、業務レベルでの連絡用途で、音声LANのような意味合いで使われているのだろうが、わたしには結局「繋がり幻想」以外ではないように感じられたのである。確かに、ちょっとした連絡において便利な場合があることはあるはずだろう。在庫商品の確認とか、商品の移動とか、離れた距離で通話者たちが協働することを助け合うことは十分想定できる。
 そんなところから、「繋がり合って」協働しているといった空気が生まれているのかもしれない。常に指示を出すことができるという点で本部側が、あるいは、いつでも迷うことがあったら質問できると言う点で初心者従業員などが、この「装置」を評価しているのではないかと想像することもできる。
 しかし、それでもやはりわたしは、協働における「繋がり幻想」以外ではないように思われてならない。それと言うのも、この「装置」を導入することで、「必要なこと」はいつでも連絡し合えるという思いに陥っているはずだからである。場合によっては、その思いによって、われわれの協働作業はパーフェクトだという錯覚まで生まれているかもしれない。とんでもない話ではなかろうか。
 協働作業において「必要なこと」とは、各従事者が当面の作業で不足した情報を問い合せることだけであるのだろうか。それはもちろん「必要条件」的意味で「必要なこと」になるのだろうが、問題は「十分条件」的部分が黙殺される点だと思われる。
 何らかの協働作業をした経験がある者ならば、次のようなことを感じたことはないであろうか。つまり、メンバー間の込み入ったやり取りにおいては、相手側の言外の表情や素振りなどが重要な推測情報となっていることや、やる気(モラール)の程度は態度全体からにじみ出るというケース、要するに、言外の「暗黙(知)」的な相互了解が、協働作業では無視できない要素となっていることである。

 作業の効率化という点が基点となって、遠隔コミュニケーション・インフラやツール(ケータイ、LAN、メール、テレビ会議、そして同上の「装置」など)が持てはやされている現在である。そして、楽観的にはそれによって十分なコミュニケーションが成り立っているとする「幻想」や、あるいはそれで自身を欺いている「繋がり幻想」で、思いのほか貧しいコミュニケーション現実が覆い隠されている場合も少なくない。
 協働(共同)の眼目は、かたちにあるのではなくて、その深さにこそあるのではないかと考える。だからこそ、「知的創造性」というものが再度「コミュニティ」と関係づけて追及されようとしてもいるのだと思える。
 他方で、「(個人主義的)成果主義」を導入し、形だけのコミュニケーション・ネットワークで事足れりとしている現在の大方の企業の風潮は、かなり問題含みだとしか言いようがない…… (2004.04.23)


 四月も半ば過ぎだというのに、今日は冷え冷えとした天候だ。もはや、毛布を片付け、掛け布団一枚としているが、今朝は床の中で寒さを感じた。これで、夜ともなると春らしからぬ冷え込みとなってしまうのだろうか。
 ただ、確実に日は長くなった。午後六時過ぎになったものの、まだ窓の外は明るい。遠くの建物の屋根なども問題なく望めるし、空にはこの寒さをつくっているはずの雲間から白けた青空ものぞいているのが見える。
 この不順な天候は束の間のものなのだろうが、一刻も早く明るい暖かい春に戻り、人の気分を高揚させる、そんな初夏を呼び寄せてもらいたいと思っている。世の中が不安定で、ギクシャクとしていて、どうも気が滅入りがちである。日頃の気分がカラッとした試しがない。せめて、天候だけでも「健全なもの」とはこうしたものなのだよとでもいった指標であり続けてほしいものだ。

 「健全なもの」と言えば、現在、心からそう呼べるようなものとしてどんなものがあるだろう。そうするとすぐに「健全なもの」とは何かなぞと反問してみたくもなったりするのだが、そのこと自体がもはや「健全」ではない証拠なのかもしれない。
 少なくとも、人為的度合いの低い自然に対しては「健全」という言葉を与えてみたい。と言っても、われわれが見聞する自然で、人為の手が及ばないものが果たしてあるのかと考えれば心もとない気がしてくる。勝手にというか、観念的にそんな都合のいい自然というものを思い描いているだけなのかもしれないと気づかされたりもする。

 「健全なもの」と言えば、最近は、ふと、昔のこと、自分の子ども時代のさまざまなことを郷愁で思い起こすことが少なくない。それほどに、様変わりしてしまった、悪く変わってしまったと感じている現状に、ほとほと愛想尽かしの気分となっているからなのかもしれない。現状への不満と不快感が募れば募るほど、過去のほのぼのとした時代と光景が引き立ってくるのだ。
 だが、そんな心理的対比をクールに自覚する時、待てよ、と感じないわけでもないのである。ひょっとして、自分は、ありがちな心理的トリックに嵌まり込んでいるのではないか、という自覚なのである。
 つまり、往々にして過去の記憶というものは美化されがちなのが常であろう。怜悧に、場合によっては分析的に記憶をたどらなければ、好ましいイメージだけが抽出されてしまうのが過去であるとも言われる。
 そして、一度そんな美化された過去の記憶が蘇るや、今度は現時点の現状の光景が実に色褪せて見えてしまう、脱色されてしまう、というのが人の心理というものなのかもしれない。まるで、水の電気分解の実験のように、過去というプラス極と、現在というマイナス極に、水素と酸素が分解分離されていくようにである。

 こんな奇妙なことを考えるのは、過去の記憶であるとか、何らかの指標や基準というものを持つことが、必ずしもポジティブなことだとばかりは言えないかもしれないと感じているからなのかもしれない。
 変化の激しい時代にあっては、過去を引きずっている者こそ哀れだと言うべきなのかもしれない。過去と比較をして、無用な軋轢を生み出し、その分、変化に対する速やかな対応を阻むことになりかねないからである。
 そう言えば、人間の意識構造においても、一見ネガティブなとらえられ方をする「忘却」という機能も、以外と、人が前向きで生きていくためには重要な機能なのであり、積極的な意味合いを保持しているのかもしれない。
 サラサラとした砂のように、忘れるべきことは綺麗サッパリと忘れてしまうに越したことはないのかもしれない。それができればのことではあるが…… (2004.04.24)


 昨日に引き続き、「記憶」について書くことになる。
 昨夜から気になっていたことがあった。昨夜、あるTVドラマの番組を見たのだが、渥美清がよく演じたような、ストーリーとは直接関係のない役、いわゆるチョイ役で出ていた俳優の名前が思い出せず、その後床に就いても気になり続け、今朝となってもなお心に引っかかっていた。
 どうにも中途半端な気分なので、ウォーキングに出かける前に家内に訊ねてみることにした。
「桃井かおりといっしょに秀吉役をしてTVコマーシャルに出ている役者は何と言ったっけ?」
 家内は当該俳優については了解したが、「えーっと、えーっと誰だったっけ……」と言い、わたしと同様に思い出せずにいる始末であった。

 思い切って聞いた家内が、同様の状態であったので気が抜けてしまった。というのも、わたしは、度忘れを大えばりで家内に知らせることを好まなかった。妙に負け惜しむ気が先立ち、とことん自力で思い出そうとする方なのである。それを、思い切って訊ねてみたのに、家内の方も同じ按配であったため、拍子抜けしてしまったのである。
 しかし、昨晩は寝床でも悶々として思い出そうとしてしまっていた。ただでさえ昨今は寝付きがいい方ではなく、何かを考え出すといつまでも引きずってしまうのに、人の名前が思い出せないという事態は、やっかいであった。悪くすると「えーっと、えーっと」と夜明けまでしつこくかかずらってしまうのではないかと不安になったりもした。
 何か気になることがあったり、そこそこの回答が得られないままであると、脳というものは、当人の意志とは無関係に作動し続けると聞いている。それが睡眠を妨げることにもなるらしいのである。
 だからわたしは、昨晩は、途中で自分に言い聞かせたものだった。
『たかがどうでもいい俳優の名前を思い出せないからといって、こだわることはない! 第一、記憶が薄れてしまった事柄は、そんなことに限らないじゃないか。他にも思い出せなくなってしまったことはたくさんあるんじゃないのか? 』
 そう自分に言い聞かせながら、試しに、忘れてしまったようなことを例として挙げようとしたものだ。すると、結構思い出せない名前が多々あった。度忘れとは言えないほどの量の「記憶喪失」である。それがわかると、何だか、こだわっていた当該の俳優の名前の度忘れが相対化されたのか、ようやくうとうとと寝入ったのだった。

 しかし、執念深いわたしは、目が覚めてしばらくすると、やっぱり気になる気分を蘇えらせてしまった。そして家内に思い切って尋ねて、早々に決着を付けてしまおうと思うに至ったのである。が、それが叶わなかったため、ウォーキングの最中にもあれやこれやと思い煩うはめになってしまったのだ。
 ウォーキングの途中からは、何かきっかけを探ろうとして、目に入る看板の文字にヒントはないかと覗き込む始末である。薄れた記憶の想起には、何がヒントになるかわからないからだ。しかし、何の手掛かりもなく家に辿り着いてしまったのだった。
 玄関に入ると、家内が、
「お帰りなさい」
と、わたしを出迎えた。わたしは、玄関からすぐに汗だらけの身体を洗い流すため浴室に向かおうとしていた。と、それを見た家内が、
「今、直也(ナオヤ)がシャワーを浴びてて、もうすぐ出るはずよ……」
と言うのだった。と、一度は台所へと向かった家内が、なにやら笑いながら戻って来る。
「あっ、思い出した。直人(ナオト)、そう竹中直人よね。今、自分が『ナオヤが』って言って思い出しちゃった!」
と。言った本人も笑い転げていたが、わたしも「年寄り夫婦」の「年寄り」加減が情けなくも可笑しくてしょうがなかったものだ。とんだ「瓢箪から駒」のお笑い話なのであった。しかし、そんなこんなでようやく、わたしの一晩がかりの小さな悩みは氷解したというわけなのであった…… (2004.04.25)


 当社への派遣応募者のある人と電話で話していたら、次のような言葉が返ってきた。
「都心のごみごみした現場で働くのがもういやになりました。せめて、現場の場所くらいは、街中から少し離れていて辺りがのんびりした場所も悪くないですよね」

 彼は、もう四十代半ばのベテラン技術者であった。もちろん、奥さんもお子さんもいる所帯持ちである。ニ、三のソフト会社に勤めたあと、いわゆるフリーで派遣契約を重ねてきたソフト技術者であった。こうした経緯で四十代の後半に差し掛かっているソフト関連技術者は決して少なくないと思われる。
 しかし、いくらベテランと呼ばれる技術者であっても、派遣という就業スタイルをとろうとすれば、四十代という年齢は難航しがちな材料となる。受け容れユーザによる「希望年齢」の制限に引っかかってしまうからである。ユーザとしては、できるだけ若い派遣スタッフを望みがちだ。技術スタッフである以上、当該技術キャリアの豊かさを指名するのは当然であるが、ひとつには契約単金を抑えたいことと、現場のリーダが使いやすいスタッフということからなのであろうが、より若いスタッフを期待する。できれば二十代、上限は三十代半ばまでというのが一般的であるようだ。現場のリーダが大体三十代後半というケースが多いからなのかもしれない。

 どんな業種でもさほど変わらないのかもしれないが、ソフト技術者としての三十代は、アッという間に過ぎ去ってしまう。私生活のことなぞ記憶に残す暇もあらばこそであり、リーダ役や実質的力仕事の柱となり、昼も夜もなくデスクやコンピュータにしがみつくままに十年が過ぎ去ってしまうのだ。その間に体力もスロープを下るように消失してしまうし、忙殺される時間の継続によって、視野の広がりもチャンスの模索可能性の芽も失われてしまうようだ。「失われた十年」とは、日本の九十年代に向けて言われる言葉だが、ソフト技術者とて三十代はそう呼ばれて当たらずとも遠からずなのかも知れぬ。

 そして迎える四十代。身体をはった三十代が正当に評価され、束の間のポジショニングで遇された者とて、技術環境の過激な変化の中でおちおちできないこのご時世であれば、その間をフリー派遣者という「助っ人」役を任じてきた者にとっては、戦後に満州から復員した日本兵のような、そんな心もとなさがつきまとう立場なのかもしれない。
 ただ、四十代技術者でも前向きな人たちはまだまだ十分に健闘する余地があるというものだ。技術者経歴の前半に、しっかりとシステム的思考を磨いていた者であれば、たとえ開発環境がオブジェクト指向型になろうとも、若干の試行錯誤は伴っても「横滑り」的体勢建て直しは不可能ではないからである。もちろん、若い時代を斜に構えていた者は、ますます苦しいことになっているはずである。

 最近は、五十代のソフト技術者とはあまりお目にかからなくなったものである。概して、現役からは退かれて他領域への転職を果たされたのかもしれない。確かに、従来のシーケンシャルな手続きを中心とした開発方式がオブジェクト指向へと変化を遂げた現時点の環境は、彼らにとっては「浦島太郎」的な戸惑いであったはずなのかも知れぬ。身近にそんな技術者もいたが、気負って遭遇してしまった小さくないトラブルを契機に、比較的緩やかな別分野へとシフトして行かれた。

 ところで、技術というものは、本質的には厳しいものであり、技術者は年齢とともに対応力が低下していくのは避けられない。新しい技術環境について行き難くなることもあり得る。これらの額面どおりの技術的力量が、第一線のIT現場であれば、もちろん重要視されることは言うまでもなかろう。
 しかし、世の中は広いもので、ソフトウェア関連技術の派遣スタッフを要望する現場というものは、必ずしも「絵に描いたような技術」だけを求めているわけではない。いや、そんな現場というものは意外と少ないのが現状なのかも知れぬ。そんな現場なら、派遣スタッフではなく正スタッフを雇いいれていたり、育て上げてもいたりするからである。
 実際の現場というものは、技術周辺のさまざまな問題で混乱しているというのが実情であると言っていい。中でも大きな問題は、ヒューマン・リレーション問題、要するに職場の人間関係問題であり、また技術的問題以前の低水準の事務処理であったり、拙い問題解決業務であったりすることが少なくないのが実情であろう。
 当たり前の話であるのだが、ビジネスとは、広い意味での問題解決行動の集積であるに違いなく、たとえ技術の場であってもそれに変わりはないと思われる。しかも、ソフトウェア技術といえども、その技術の中身は、論理思考を含む一般の事務処理能力や問題解決能力と特別離れた特殊な能力で構成、展開されているわけではないのである。つまり、実際の現場が求めている力は、「絵に描いたような技術」なぞではなく、習熟した「仕事ができる力」であり、「協働することができるスタンス」なのだと言ってもいいくらいなのである。

 世の中には、わかっているようで実際何もわからない人たちが口を差し挟む例が少なくなかったりする。派遣スタッフとして誰が適切かについての問題とて同じなのである。
 その結果、こんな手の掛かる若手なら来てもらわなかった方が良かったと、内心嘆いている現場リーダが決して少なくないことを想像する昨今である。
 四十代技術者の方々は、一方で現時点のIT現場を見渡す勉強をしてほしいが、他方で若手が想像だにできない「仕事ができる力」という、いぶし銀のようなものを益々磨いて今後に備えてもらいたいと、心から願っている…… (2004.04.26)


 多くの日本人が、「自信喪失」に陥っているような気がするのだ。そして、こうした表現は、これまでにもいろいろなところで聞いてきたような気もする。それはあたかも、「歌を忘れたカナリヤ」のようかと思ったら、現にそう表現している人も結構多いことを知らされた。
 ちなみに、「歌を忘れたカナリヤ」をキーワードにしてウェブ検索をしてみると、約500件のヒットがあった。すべてが、「自信喪失」と関係づけられたものであろうはずはないが、この言葉のニュアンスから言って、大なり小なり同種類の「哀しい」内容ではないかと想像されないでもない。何を「喪失」して「哀しい」と嘆いているのかを調べてみることも興味津々であるが、それはさておこう。

  カナリヤ♪
 歌を忘れたカナリヤは うしろの山にすてましょか♪
 いえいえそれはなりませぬ♪
 歌を忘れたカナリヤは 背戸のこやぶにうめましょか♪
 いえいえそれはなりませぬ♪
 歌を忘れたカナリヤは 象牙の船に 銀のかい♪
 月夜の海に浮かべれば♪
 忘れた歌を思い出す♪  ( 西条八十作詞、成田為三作曲 )

 「自信喪失」は、必ずしもすぐさまに克服しなければならない心的病理現象だとばかりは言えないのではないかと思っている。
 むしろ、根拠のない「カラ元気」「カラ出張」のごとく、無責任な「カラ自信」の方がかえって周囲を振り回し迷惑に及ぶこともあり得るであろう。80年代半ばからのバブル時期の「カラ自信」を抱いた経済人だちほど鼻持ちならないものはなかった。
 また、最近の例では、何をどう血迷ってか、みんなが自信たっぷりの態度でしでかした「自己責任」コール? も嫌味なものだ。まるで、「魔女狩り」か「レッドパージ」の再来かとわたしは「怯えた」ものだが、コールする人たちは妙に自信満々で、「どう? わたしの判断に間違いある?!」と言わぬばかりのすざまじい剣幕には「恐れ入谷の鬼子母神」であった。本当に自信のある人というものは物静かなものと相場が決まっているが、「自己責任」派の人々はやたらにうるさかったところを見ると、どうも「カラ自信」だとしか思えない。
 「カラ自信」満々ほど、手がつけられないものもないと言うべきなのであろう。

 「自信喪失」に関して書こうとしたのは、実は以下の文面に触れてのことであった。「自信喪失」に陥ったならば、右往左往して帳尻合わせをせずに、執拗にその原点からこそ立ち上がるべきなのだという気がしている。(「明日のジョー」がダウンしたマットから這い上がるように!)ちょっと長いが引用してみる。

「互いに信頼関係で結ばれた組織内コミュニティや、働くことを大切にするスピリチュアリティとよばれる精神を見失った、日本企業の迷走が続いている。成果主義のスローガンのもと、日本企業が置き去りにしたものはいったい何だったのだろうか。
 コミュニティ・オブ・プラクティス(実践コミュニティ)はこのわれわれが失おうとしている概念に新たな息吹を与えるものである。本書は、企業の方針・価値との一体化や単なる情報の共有化という、古くからある『場』の概念を超え、価値創造のダイナミックなメカニズムを提供している。
 組織の中のネットワークの質を高め、その活動をサポートするコーディネータの役割りを説き、コミュニティの活動を評価するメカニズムの提案など、行き場を失った組織内のコミュニティ、<自信を失った>(括弧は引用者)中間管理者、価値創造の評価の基準づくりに迷う経営者に本書が与える影響は大であり、日本企業のトランスフォーメーションに大きな参考となるものであると信ずる」(『コミュニティ・オブ・プラクティス』翔泳社 2002.12)

 ここには、新しい概念への期待もさることながら、「迷走」する日本企業の現状の情け無さも手短に表現されていると思われるのだ。グローバリズムがもたらしたIT環境をはじめとする「天下り」的な道具立てや風潮を、鵜呑みにして引き込み、それ以前の企業内のプラス、マイナスの資産をろくに吟味することもなくかなぐり捨てた日本企業の姿が見える。そして、その傍らに<自信を失い>呆然として立ち尽くす関係者たちが。なぜか、日本企業の典型を見る思いがしてしまう。
 すぐさま帳尻合わせに走る、この極端な<振れ>こそがこの国のガンなのかもしれない。この<振れ>こそが、変化から決してものを学ばず、歴史を希薄にさせている張本人なのだという気がしてならない。
 そして、<自信を失った>者たちも、決して足元を見つめ直し再起しようとするのではないのだ。単に当世の日当たりの良い方へと移動して遅ればせのラッキー(タナボタ!)をモノにしようとするのであり、意気地無しだと言うべきなのである。

 歌を忘れたカナリヤは 象牙の船に 銀のかい♪
 月夜の海に浮かべれば♪
 忘れた歌を思い出す♪

とは、「自信喪失」を忌むべきものとはせずに、それをむしろ静かに受けとめ、「貯め」としたり「梃子」としたりすることこそが妥当なのだと、西条八十先生はおっしゃりたかったのではなかろうか…… (2004.04.27)


 「歌を忘れたカナリヤ」(=自信を失った者たち)のうちで、一際目を引くのは、やはり「亭主、父親」と「中間管理職」だということになろうか。中には、この二役を一身で背負って、喪失感の2乗の、あたかもブラックホールさながらの方もおられようか。

 「父見捨て子供プレステ母エステ」という川柳があったりする。極めつけで「『課長いる?』返ったこたえは『いりません!』」という可笑しくもまたムゴイ川柳が詠われたりもしている。(第一生命保険主催「サラリーマン川柳コンクール」より)
 概して、「両陣営」の権威は失墜どころか、価値暴落、もはやとどめようがなく、修復の余地なし、医者も見離す、いわば「猫跨ぎ」なりとでも言うべきか。そこまで悲観しなくても良さそうなものだが、そうした観、無きにしもあらずなのが実情に近い。

 <自信を失った>「両陣営」はそれはそれで「由々しき」問題ではある。が、ここで、ちょっと「ふて腐れて」みるならば、現在の日本政府というのは、何だかこの「二役を背負った」存在であるように思われてならないのである。
 政府の「権威失墜」、これに異論のある人はいまい。
 あの「自己責任」問題で、海外からの論評の中に、「日本人は、いまだにお上(おかみ)に楯突くことができない国民だ」というものがあった。タテマエでそうすることが無いとは言えないが、今や、政府に対してホンネで「権威」を感じている者は、「永田町」住民だけだと言っていい。
 そう言えば、もともと「権威」というものは、タテマエ上で成立する霞のようなものであったのかもしれない。江戸時代の武士の「権威」だって、その構造であっただろう。しかも江戸っ子なぞはそのタテマエにさえ唾する者もいたくらいだ。町人として江戸に住み、武士たちの何の変哲もない実態、いや間抜けな部分も曝け出す実態を見据えると、武士の「権威」なぞは胡散霧消してしまったに違いない。ただ、「無礼うち」に及ぶ「腰の二本差し」だけが警戒すべき「権威もどき」であったに違いない。
 現在だって同様であろう。かわら版ならぬマス・メディアが暴く政府役人たちのこすっからくも次元の低さといった実態は、どんなお上贔屓(ひいき)の者にさえ、「権威」というものを感じせしめないはずである。
 毎度、米国大統領の演説台もどきの小道具を使って記者会見する官房長官なぞは、誰が見たって「権威」あるものとは見えない。記者から、閣僚たちの年金支払状況公表を問われ、「それはネ、個人情報なんですよネ」とズレたことを口走る姿を見ていると、意固地な爺さんが倒れそうになる身体を必死で踏ん張っているにしか見えないじゃないか。
 「権威」なんぞはすっ飛んでいる。ただ、「個人責任」なぞと言って、「費用請求」なんぞをオフィシャルなタテマエを使ってヤル、その手口が「腰の二本差し」なのである。こうした仕業を「いじめ」だと評した海外勢があったようだが、言い得て妙である。

 これは、何かに良く似ているのである。そう、よくあるダメな「中間管理職」が、部下から正当な苦情が持ち上げられた場合にする、タテマエ乱用による部下いじめである。
「きみねぇ、会社はそんなこと頼んでないんだから、それは『自己負担』ということになるよ!」
といった調子である。
 ところで、今の政府を「中間管理職」にたとえると、「中間管理職」の方々には申し訳ないのだが、実によく実情が飲み込めるのである。
 ブッシュ部長の言いなりになってこぎつねの笑顔で媚び尽くすコイズミ課長、それでいて、実務能力は疑問のまま、口先チャラチャラで部下任せ。先代社長の墓参り(靖国参拝!)を社用として憚らないのも困ったもの。片や、契約条件が悪化の一途をたどっていることを知る顧客(国民)は腹が煮え繰り返っているが、顧客に対してさえも見え透いたセールス・トークでご機嫌を伺う。それに乗る顧客も能天気といえばそうだが、じわじわと確実にある種の空気が高まっているんじゃないのかなあ……
「『課長いる?』返ったこたえは『いりません!』」 (2004.04.28)


 今朝は、「重装備」のPW(パワー・ウォーキング)ではなしに、デジカメを首にぶら下げての散策に出かけた。あまりにも春らしい陽射しであり、さぞかし新緑が美しいに違いないと思えたからだ。
 昨日の朝も実にすがすがしいものであった。ひと時、激しく雷が鳴りにわか雨が降りしきり、それらがおさまったあとの瑞々(みずみず)しい光景は感動ものであった。出勤前に見た玄関前の雰囲気、ヤツデの若い葉やそのほかの植木の葉に透明感で輝く水滴が湛えられ、打ち水されたように黒く濡れた地面が、遠い昔の感性の記憶を掘り起こしてくれた。

 その時ふと思ったものだ。ちょうど土を耕すかのように、感性と結びついた古い記憶を「耕す」ことが必要だ、「化石」としてはいけない、と。たぶん、自分自身のすべての構造、身体や精神のそれは、幼い頃から思春期にかけての経験に根ざす感性の層を基盤としているに違いない。
 たとえ、言語的自覚としての思考がその時々の空中芸、アクロバットを展開しようとも、静かで実直な存在である心や感性は、愚鈍なほどに「過去」を志向しているような気がする。いや、「実体的」なものを志向し、その行き着く先が「過去」だと言うべきなのかも知れない。現在の環境が心や感性に与えるものは、あまりにも説得力がなさ過ぎると感じている。拒絶が先立っていることが否めない。古い言葉を使うならば、どうしても「疎外感」を禁じえない。
 一時期は、謙虚にも自分自身が「時代遅れ」なのだと思い定めたこともあった。が、今は違う。現代という時代自体がおかしくなっている、いや少なくともそんな傾斜を転がり始めているようだと感じとっている。

 そもそもこの国は、個人の自由が言われながら、実質はそんなものとは無縁の社会でありそうだ。欧米のことはよくは知らないが、人間が共同体の中で個人として生きることに関して、スマートな配慮がもう少しあってよいのではなかろうか。たとえば、英国であっただろうか、共同住宅であってもペットと暮らす権利が保障されているとかである。人が孤独を癒すことの重要さが、当たり前の事実として見なされているとのことだ。
 この国では、こうした人間の精神的な不可避の特徴にどれほどの配慮というか、洞察がなされているのだろうか。そんなセンシブルな趣きは、過去の日本文化や庶民文化にはあったと思われるが、この国の現代文化にそれを見出すことは難しい。まして、不況とともに迷走を始めた劣悪な政治主導の昨今の状況は目に余る。

 ひとつだけ言うならば、人間が生きるために物的条件は必須である。だが、もうひとつ文化的条件というか、内的に充実して生きられる環境もまた必須のはずなのである。
 そして、今気づいていることは、人にはジェネレーション、世代という側面があり、これはこれで重要な側面のはずだという点だ。単なる統計学的問題ではなく、冒頭の「感性の記憶」のように、その世代にはその世代の時代環境と密着した特有の感性があり、それはその世代の人の現在にあっても重要な基盤となっているはずなのである。古い世代の問題は忘れ去られていい「過去」の問題というわけではない。
 新しい世代の文化が、進んだ科学の成果を搭載しているから正しくて、重要だというようなバカなニュアンスが今の時代にはあるのではなかろうか。とんでもない話であり、むしろ、現在は文化的には「無」だと言えそうな感じでさえある。
 要するに、文化とは縦型のヒエラルヒーなぞではなく、平面上に繰り広がる棲み分け的なものだと思われる。それが正当に展開されてこそ、個人の内的自由というものも実質的に花開くのであろう。

 とりあえずわたしは、自分の中に潜む感性を、それが現代的でないからという理由だけで反故にするのではなく、丹念に掘り起こし、「耕し」、より実感を取り戻しながら、迷走でしかなくなってしまった現代に対峙したいと、そんな気がしている。
 今朝のデジカメにおさまった光景の中には、現代特有の薄っぺらな光景は一枚もない。大げさに言えば、すべて、過去の記憶をまさぐっての、より「実体的」な光景ばかりであったような気がしている…… (2004.04.29)


 今朝、通勤途中のクルマの中で、エッセイの朗読のようなものを聞いた。どうということもない内容であったが、その中に、台所の湿った床板から「蔓(かずら)」のつるが伸び出し、みるみる天井まで這い上がったという、まるで童話『ジャックと豆の木』のような話があった。それはどうでもいいのだが、そのうちにそのエッセイストは、台所に繁茂する蔓に手を焼いて、それらを「成敗」しなければならぬ、と思うのであった。そんなこともまたどうでもいいのだが、わたしが関心を寄せたのは、若いと思しきそのエッセイストが、「成敗」という言葉を使ったことにあった。
 日陰で健気に、しかし迷惑でもある蔓の生長に、幾分複雑な心境となっていたことはわかり、だから「処分」とか「整理」とかという中立な言葉を避けたかったのかもしれない。とは言っても、「成敗」するという言葉が何やら時代がかっており、どこからその言葉を引っ張り出してきたのだろうと、やや訝しく思ったわけである。

 われわれのような年代であれば、子どもの頃には『笛吹童子』やら『赤胴鈴乃助』やらと、悪者を「成敗」したり「退治」したりする活劇に心躍らせたものだ。またその余韻でか、大人となっても時代劇を面白がってきたりもした。だから、「こやつ、『成敗』してくれる〜!」なぞというセリフは、記憶の引き出しのあっちこっちに入っていたりする。 しかし、その若いエッセイストはどうだろう。まあ、ことによったらマンガやアニメーションものから入手していたことも考えられないではないが……。まず普通の市民生活で、この「成敗」という言葉は死語となっているはずである。少なくとも、政府刊行物の文面に出てくることはあるまい。NHKニュース報道で使われることもあるまい。
「さて、相変わらず駅前に放置された自転車の数は一向に減る気配を見せないため、都庁は、これらを『成敗』するために『報知新聞』に協力を仰ぐことに……」
とか、
「昨日、米国のブッシュ大統領は臨時の記者会見で、イラクのテロリストを『成敗』するために、米駐留軍の大幅増員を……」
とは聞いた覚えがない(いや、ブッシュ氏なら『ならず者国家』なんていう破天荒な表現をする人だから、言いそうな気がしないでもないが)。

 何に関心を寄せているのかといえば、言葉づかいとは、その人の生活範囲や、その人の思考力、想像力の広がりを彷彿とさせて実に面白いものだということなのである。ちなみに言っておけば、それに対して、政府や役所の人間が言ったり書いたりするものは、無味無臭で何と味気ないものであるかということでもある。
 「言葉は国の手形」(言葉の訛[なまり]で、その人の出身地がすぐわかるということ)と言われてきたが、「King of お国(地方)」のステイタスを任じてきた政府などは、NHKとつるみ標準語とやらの砂を噛むような代物を振り撒いてきた。しかも問題は、発音のレベルだけではなく、言葉というものが当然持つダイナミックなエネルギーとでも言えそうな部分をどんどん削ぎ落としてきたのではなかろうか。ノッペリとした綺麗事の世界とタイアップする言葉だけが撒き散らかされてきたと言ってもいい。
 人に疑問を抱かせたり、内心を揺さぶったり、もちろん劣情、欲情を刺激するようなもの、そんないっさいはすべて公式的言葉の辞書からは追放されてしまったかのようである。そう言えば差別用語というのもある。
 白々と思うことは、言葉というものは、大なり小なり現実を反映するものであり、存在した言葉というものは常に何らかの存在理由を持っていたのではないか。たとえば「下心(したごころ)」なぞという実にわかりやすい言葉にしても、公式的な場面でははずされているようである。だが、それでは、現代人には「下心」というものはなくなったのであろうか。無縁となったのであろうか。そんなわけはない。特に政治家たちなぞは、大有り名古屋のコンコンチキだ。「下心」の塊のような存在であり。「下心」が、スーツを着て、ズボンをはいて、靴履いて歩いているようなものではないのか。
 いくら言葉を追放したって、人や社会の醜い一面が消去されるわけでは毛頭ないわけである。

 いや、そんなことが言いたかったのではなかった。もっと、まともな話なのである。
 つまり、言葉というのは、人それぞれの生きる空間を構成するものではないかということである。決して詩人ではなくとも、人は、自分の経験などを、自身の感性に最もフィットしたかたちで表現しておきたいと望むものではないだろうか。それを記憶して、自身の避けられない空虚を埋めたいと思う存在ではなかろうか。また、それを他者と共有したいと切望するものではなかろうか。
 確かに、今までにも何度も書いたように、言葉以前の「暗黙知」も人にとっては重要な資産である。言葉にならない感動や、身体が覚えた技などは貴重なものである。しかし、それらも、できれば言葉として析出して、他者と分かち合えれば言うことはないはずだ。しかも、その他者の中には、時間経過によって別人のようにさえなっていく後日の自分自身もまた含まれているはずなのだから……。
 現実の辛さとともに、その豊かさを可能な限り幅広く認識するためにも、リアリティを包み込む言葉という道具を重視したい…… (2004.04.30)