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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2004年07月の日誌 ‥‥‥‥

2004/07/01/ (木)  「よ〜く考えよ〜。キモチが大事だよ〜」
2004/07/02/ (金)  自分の自分らしい感情を適当な「巻貝」に押し込んではならない!
2004/07/03/ (土)  「前頭葉新皮質」は威張っていてもハンコひとつ押せない?
2004/07/04/ (日)  「気づく」という主体的な行為がますます重要となる!
2004/07/05/ (月)  知識人、メディアの「相対主義」と「いろいろ」発言の首相と符合!
2004/07/06/ (火)  ネズミたちから「希望」を奪っちゃ始まりませんぜ、笛吹きのダンナ!
2004/07/07/ (水)  人々の「希望」を脅かす「<持続>可能でない数字」群!
2004/07/08/ (木)  「希望」とは、絞り出すもの、紡ぎ出すものと、バカを承知で考えたい!
2004/07/09/ (金)  あえて言うならば、生命自体が「希望」である、と言うべきか!
2004/07/10/ (土)  自身の「希望」を支えるためにも "VOTE!"(投票!)したい!
2004/07/11/ (日)  投票を済ませた有権者には、「福引券」「宝くじ」を進呈!?
2004/07/12/ (月)  選挙結果、そして時代の大きな変化の潮流……
2004/07/13/ (火)  遠ざけられてしまった時にこそなおさら必要なのが「希望」!
2004/07/14/ (水)  「あなたは昔の私の想い出 ふるさとの夢はじめての恋……」
2004/07/15/ (木)  「あらゆる無常と相対性を乗り越えた永遠なる善」!
2004/07/16/ (金)  「凡て好く生きるものは美しい」 ―― 杢太郎
2004/07/17/ (土)  「カレンダー」がある人とない人!?
2004/07/18/ (日)  「今回のウチの主任たちで、先生が欲しいと思った者はいましたか?」
2004/07/19/ (月)  死の問題を遠ざけている「脳化社会」の悲劇……
2004/07/20/ (火)  新たな「文字離れ」世代と後戻りしないであろうマルチメディア環境!
2004/07/21/ (水)  この猛暑の中のシュプレヒコール!
2004/07/22/ (木)  「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(2)※
2004/07/23/ (金)  「量的」基準に翻弄されてまくっている「荒れた感性状況」!
2004/07/24/ (土)  小さなリサイクル処理から窺える世の中の大きな道理……
2004/07/25/ (日)  『iPod(アイポッド)ミニ』と音声デジタル情報の活用!
2004/07/26/ (月)  『朝日』と共鳴、シンクロする感性?!
2004/07/27/ (火)  無常感というものは必ずしも否定感、厭世感、ニヒリズムではない!
2004/07/28/ (水)  「岩波新書、岩波文庫っちゅーのは、もう、いいなあー」?!
2004/07/29/ (木)  変化を先取りしているのは「オーナー」か、一般大衆か?
2004/07/30/ (金)  いい年をして、ロレックスならずセイコーファイブ!?
2004/07/31/ (土)  古い記憶も蘇らせるウォーキング……






 ここで文章を書く際、いくつか留意していることがあるが、そのひとつに、できるだけ自分にも、他者にも「わかる」文章を書くべきだという点がある。自分にもというのは奇妙な言い草ではある。要するに、十分納得でき、読み返しても「ウン、そうなんだ」と溜飲が下がるというほどの意味である。

 文章化するということは、他人のことはいざ知らず、わたしに限って言えば結構難しいことである。さすがに、書く前に何を書きたいのかの見当はつけるものの、書いているうちに必ずといっていいほどに文章が一人歩きしがちだからである。
 それは、ひょっとしたら、子どもが粘土細工を始め、当初作ろうとしていたものがあったにもかかわらず、ことの成り行きで、それらしきものが出来上がってしまうと、
「まあ、いいか。ライオンだったんだけど、猫ということにしちゃお……」
というような推移に似ていなくもない。

 とくに、警戒すべきは、理詰めで書いていたりすると、そんなことが起きやすくなりそうだ。ロジックの展開で、当初の動機に修正、また修正が加わり、実感的に責任をとりかねない叙述(?)へと滑り込んでしまうこともままありうる。
 こうした推移を経験していると、はっきり言って、理詰めの文章は信用できないと、変な自覚をすることになるのだ。むしろ、「感情発、破天荒行き、特別快速!」の文章の方が信頼に値するとさえ思えたりする。胸なり、腹なりにどっかりと居座る感情を基点にして、それを一気に表現しようとするならば、文章化の事の成り行きでクロがシロになってしまうというようなことは先ず起こりようがないからである。
 そんなことから、できるだけ感情のこもった言葉遣いをするように心がけているのである。あえて、泥臭い言葉を選ぶことも少なくない。くれぐれも、NHKのニュース・アナウンサーの口調や官僚答弁的口調は避けようとしている。そんなものを使う日にゃ、読み返すのが恥ずかしい無内容な駄文になってしまうからだ。駄文はまぬがれないとしても、「そうか、あの時はそんな思いだったんだな……」が漂ってくる文章であるべきだと、そう思っているわけだ。

 最近、わたしは世の中の常識を疑い始めている。いや、疑う姿勢は最近に限ったことでもないといえばそうだが……。ただ、何もそのすべてというのではなく、理性や知性は感情よりも価値ありとする見方に対してなのである。
「まあまあ、そう感情的にならずに、冷静に、理性的に話しましょうよ。そうすれば、きっといい解決策が出てきますから……」
なんぞとは、まさに常識的な処世術であろう。しかし、これが曲者(くせもの)のように思えるのである。
 「冷静に、理性的に」なるということは、生の刺身は「非」衛生的だから、煮沸消毒して、できれば火をとおしたほうがいい、ということに似ているのかもしれないと感じるようになってしまったのである。つまり、生の感情というものは、確かに手に負えないアブナサを秘めるものだが、だからといって、それを「瞬間冷凍」させてどうなるものかと言いたいのである。要するに、「感情を押し殺せ!」と言うに等しいのではないか。
 こうして、現代では、「計算可能性」「制御可能性」を高めるために、人々の存在意義でもある感情というものを「消毒し、脱色し、骨抜き」にしてしまって腑抜けだらけにしてしまっているかに想像するのである。
 その模範生が、いわゆる「知識人」「学識経験者」「有識者」ということになるのかもしれない。おまけに、だれが決めたのか知らないが、「クール」であることがカッコイイという風潮が支配している。「社員はワルクアリマセン……」と涙ながらに感情をモロ出しする姿には、みんなして石がぶつけられるありさまである。「そんな場合だと思っているんですか!」と感情を込めて外務官僚に迫ったイラク人質の家族の発言はバッシングの的となってしまった。
 しかし、わたしはあえて言いたい。「よ〜く考えよ〜。キモチが大事だよ〜」と…… (2004.07.01)


 人間の感情(情動、情緒。emotion)は、脳の「大脳辺縁系」と呼ばれる部分の仕業であるそうだ。
 確か以前にこうした対象に関心を向けたことがあったが、その時には、これらのあり様と自律神経系や免疫系との連動関係に関心を向けたかに思う。そして、ストレスといったネガティブな感情の固定化、蓄積が、交感神経・副交感神経のバランスを損ない、鬱病や癌を誘発しやすいことに注意を向けた。
 感情のあり方に興味を持つのは、確かにその問題も大きいのだが、今回はいわゆる「頭の働き」の良し悪しと感情の豊かさとの関係に注意を払おうとしている。もう一歩踏み込んで言うならば、感情というものが環境の条件のうちでもより対人関係から起因したり、それらに向けられたりするものであるところから、「頭の働き」と対人関係のあり様との関係というテーマにも視線を向けたいと思っている。

 昨日、一昨日と、現代環境におかれた人々の感情について書いてきたのはこんな動機が潜伏していたからなのであった。社会における知識・情報の飛躍的増大と、またそれらを効率的に処理するシステム環境の普及の中で、人間の感情はさまざまなかたちでスポイルされ、押し殺される傾向をたどっていないとは言えないようである。
 ニュースを賑わす病理的現象が多発しているのは目につきやすいとして、それに限らず人間のまともな「頭の働き」さえ阻害するような傾向さえ生じているのではないかと危惧するのである。計算力は達者になりながら、実のところ、何のための計算かという自覚が欠落したりしているのが実情であるのかもしれない。少なくとも、金儲けなどの目先の事柄に関しては過剰な計算をしても、社会の将来や、自然環境の将来などについては計算どころか、微塵とも想像しない、できないあさましさだ。経済事象に関することを、しかも個人的視点で計算するだけが、人間の思考の課題であるはずがないと思える。仮にそれには目をつぶるとしても、果たしてそうした「頭の働き」は発展性のあるものなのかという疑問が消せない。
 かつて夏目漱石は、『草枕』冒頭で、「智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」と切り出したものだ。確かに感情に溺れれば流される。(いや流されるから溺れるのか??)しかし、世間に流されまいとして感情を圧殺して、「知」のみに働く時、一体何が起きるのだろうか。「おりこうさん」になって、システムに順応していくだけならば、逆に、システム化された時代の渦に身を任せる(絡め取られる!)ことになる、のではないかという気がするのだが……。

 もう一度言えば、知の論理といった軸にかたよりがちな知識・情報時代にあっては、人間の「頭の働き」において必要不可欠な感情の役割りが、場合によっては余りにも蔑視され、不当な扱いを受けていそうな気がしてならないということである。
 脳に左脳と右脳があり、それぞれが異なった役割を果たしていると目されているし、古くは人間とは、「ロゴス(論理)」と「パトス(情念、感情)」の二つの軸で能力発揮を行うとも言われてきた。それが、デジタル万能の現代では、どう贔屓目に見ても、前者の過剰優位性が否定できない。
 いや、それどころか、社会の制御のために、計算可能性、制御可能性がとことん追及され、その過程で不確かなもの、あやふやなものの排除が進み、そしてその結果人間の感情が暗黙のうちに蔑ろにされている、と見える。左利き足のために、右足を削ぎ落としているかのようだ。
 あるいは、有名無実の扱い、つまり人間の感情を表立って否定するならば支障が出てくるため、公式的には位置と場を設けるのだが、実質的には相手にしないという扱いをしているのかもしれない。マス・メディアが、「庶民感情」なぞといって、「安全かつ紋切り型の類型」的サンプル紹介をするのはその類だと見なしてよい。
 そうこうしているうちに、「庶民」自身でさえ、自分の感情のホンネがわからなくなり、マスコミが紹介する「安全かつ紋切り型の類型」に、まるでヤドカリが適当な「巻貝」に身を寄せるごとく、自身の不可解な感情をそれらに託してしまうのではなかろうか。
 日本人のイラク人質事件の際の被害者バッシングなぞは、「自己責任」というもっともらしい「巻貝」に、皆がこぞって自分の不可解な感情を入れ込み、注ぎ込んでしまった結果ではないかとさえ考える。
 自身の感情を可能な限り確かに掴もうとしなくなることの恐ろしさは、そんな例に見ることができるわけだが、これは、かつての煽動政治、ファシズムの構造そのものだと言っていいのではないか。

 ところで、こうしたアブナイ事態が生まれるのは、理性が押し流されてしまい感情が社会にあふれるからだと、感情そのものの責任であるかのように言われてきた経緯があったかもしれない。しかしそうした論法では、パーフェクトにシステム構築されてしまった現状の問題を解き明かすことは不可能なのかもしれない。
 むしろ、問題は、生活の中での「手堅い」感情が掴みにくい環境、それに拍車をかけるような感情を蔑視する風潮、そこから不安定で根無し草のように成り果てた感情が、容易にアジテーションの「巻貝」のようなものに流れ込むということではないかと推測するのである。
 しっかりと、自身の感情の姿を観察し、手堅く掌握することこそ重要なことであるように思えるのだ…… (2004.07.02)


 昨日は、「頭の働き」と感情の役割りを書くべきところを、「巻貝」問題(?)に突っ込んでしまった。今日は、その額面どおりのテーマについて書くつもりだ。

 ある本によると、感情を失うと正常な知的頭脳活動も行えなくなるそうなのである。
 脳腫瘍摘出のため、感情を司る部分とその周辺を切除した患者のことだ。(リタ・カーター著『脳と心の地形図』原書房 1999.12.20)
「彼はつねに制御が働いていて、感情をまじえず、遠巻きの観察者として場面を描写した。……心の内側で響きあう感情を表に出そうとしないわけでも、同様を抑えつけているわけでもない。抑えつけるべき動揺がないのだ。……喜びも愛もなければ、悲しみ、怒りを覚えることもない人生である。だが、捨てたものではないと思う人もいるだろう。そういう人は危難のまっただなかにあっても、合理的な決定が下せるはずだ。その能力は、まちがいなく成功への鍵である」
 ひょっとしたら、ある種の現代人はこれこそが理想だと思っているのかもしれない。いってみれば、ここに「クール」さの極致を見出そうするかもしれない。
 がしかし、そうではない。
「しかし実際はその反対である。そもそもエリオット(患者のこと)がダマジオ教授の診察を受けたのも、手術後の彼が何もできないに等しくなったからだ。といってもIQは手術前と変わらないし、記憶力や計算力、推理力も影響を受けていなかった。それなのにエリオットは、ごく簡単なことも自分で決められず、計画を実行して結果を出すことができなくなった。朝は自分ひとりで起きられないし、職場に出ても、何の作業から手をつければよいか迷ってしまう。急ぎの仕事はほったらかしで、重要ではない細かい作業にとらわれ、一日を費やすのである。失業したエリオットは……」
 ここも、そう言えばこんな人が周辺にいたりすると思わされないわけでもない。別に、脳手術を受けた人でもないにもかかわらず、こんな人はいそうである。そして、そんな人がどういうわけか喜怒哀楽に乏しい感情抑制タイプであったりすると、ドキリとするのではなかろうか。
 さらにこの本の続きを読むと、
「感情というものがなくなったために、ものごとを天秤にかけたり、評価できなくなったのだ。何らかの決断を迫られたとき、合理的な対応がいろいろと頭に浮かんでくる――でも、そのうちどれが『正しい』のかわからず、ひとつを選びだすことができない」
とある。

 感情がものごとの判断や、選択に大きく作用している事実が述べられているわけだが、それは理解しやすい。人間は感情の動物だと言われてもきたし、「情実にとらわれない公正な何々」と念を押されるくらいだから、判断という思考作用が感情の手を借りていることは否定できない事実なのだろう。
 だが、それでは感情そのものがどのようなメカニズムで生じるのかという問題となる。 昨日、脳の「大脳辺縁系」が感情を司っていると書いたが、「大脳辺縁系」の、その中でも「扁桃体」と呼ばれる部分が中心であるという。ここからの、意識となる前の無意識の信号(生物としての旧いサバイバル情報? 第六感的?)が、「前頭葉新皮質」と呼ばれる意識を司る部分に到達した時に、はじめて感情として自覚・意識化されるとのことである。
 ただし、ここが重要なところなのだと考えているが、「大脳辺縁系」・「扁桃体」と「前頭葉新皮質」という、<製造事業部>と<営業事務本部>のような関係は、それらだけが独立して活動しているのではなく、これらと綿密に相互リンクした身体各部分との連携で動いているという点なのである。「扁桃体」の<下請け>には「視床下部」という部分がありここからは、自律神経系(交感神経、副交感神経)や免疫系の<ハイウェイ>が走っているし、「前頭葉新皮質」の配下では、身体各部の知覚系神経という<ブロードバンド通信網>がリアルタイムの信号を送信し続けている。これらの機能があいまって、感情が確定される模様なのである。
 だいぶ複雑な話になってきたが、感情とは実は、身体の全身的な活動と相互関係を持つものなのである。そしてもちろんその身体は生活環境と密接な関係の中にある。
 こうして、思考活動を司り威張っている脳の代表格たる「前頭葉新皮質」は、感情のもとになる信号なくしては十全に機能し得ないのである。つまり、身体各部門は何でも自分の言う事を聞くと威張っている「前頭葉新皮質」は、実は、まさしく身体全体からの信号なくしては<ハンコひとつ押せない立場>にあるということなのである。
 これが、「頭の働き」における感情の役割りということなのである。

 しばしば、感情についての気の利いた本で目にすることだが、悲しいから泣くと限ったものではなく、泣くから悲しくなるのでもあるそうだ。(笑うことと楽しい気分も同じこと)つまり、「前頭葉新皮質」が悲しいと<政府>発表をしなくとも、<民間>レベルで泣き始めると、政府は悲しいという公式発表をせざるを得なくなるのだそうだ。試しに、無理やり涙を流すテストをやってみれば答えが出てきそうだ…… (2004.07.03)


 テレビのトーク番組などで、出演者の会話を一字一句「スーパーインポーズ(字幕)」で流すという手法が目立っている。通常の字幕の配慮でないことは一目瞭然だ。まるで、落語のオチを「だからね……」と説明するかのごとく、制作側の意図を無理やり気づくように仕向けているわけだ。余計なお世話にげんなりさせられる人も少なくないはずだ。
 昨今は、人が何かに「気づく」ことを無理やりに促進させようとする傾向が強くて困ったものだ。おそらく、そうした傾向の対極には、ものに「気づかない」おバカさんが増えているという残念な事実があるのだろうか。

 雑誌『PRESIDENT(ブレジデント)』(2004年7.19号)の広告記事で「特集/気づく力」というのが目に入った。わたしはいつもこれなのである。つまり、新聞広告や電車の吊り広告の雑誌記事タイトルを見て、「ハハーン、そういうことになっているのか……」と状況認識のヒントいろいろとをいただくのだ。
 その「特集」の中身を調べてみると、
「営業不振の原因は、業績が下がってからならば誰でもわかるものだ。反対に、業績が下がるまでは、なかなか、わからないものでもある。問題は、いかに早くその兆候に気づいて、問題の芽を摘むかにかかっている。」
というねらいであり、ますます企業の重点がかからざるを得ない営業戦線に焦点を絞った記事のようであった。

 もちろん、わたしも、この時期のビジネスにおいて営業活動がいかに重要であるかを実感するものであるし、さらに「足で稼ぐ」なぞと通り一遍のことを言わないで、ピントの合った活動をこそすべきだと思っている。そして、その際には、競合他社が「気づいていない」事実や、顧客側の隠れた事実に「気づいて」独壇場的な活動をしてこそ、成果と遣り甲斐が生じるものだと考えてもいる。
 で、翻って考えるならば、あることに「気づく」、できれば人々が「気づきにくい」ことをいち早く「気づく」ということの大切さは、企業の営業活動のみに限られたものではないはずである。ただ、現状、モノが溢れ、購買意欲がいまいちであるご時世であるため、このジャンル(営業活動)が衆目を集めるに過ぎない。

 わたしは、以前から「気づく」という主体的で積極的な行為に関心があった。
 ところで、「気づく」ということは、他者から「知らされる」という完璧に<受動的>な行為と、「発見する」という<超・積極的>な行為との中間に当たる<準・積極的な>行為なのだと言えようかと思う。つまり、仮にも自分サイドからの<積極的>な触手を働かさなければ達成できない行為だということなのである。
 よく似ている表現に、「気が利く」というのがある。これも、指示されてやるのではなしに、自分サイドからの<積極的>な触手を働かせて何かを行うことに向けられた賛辞である。
 共通しているのは、自分なりの<積極的>な触手が働いていることであり、それが可能となる前提として自分なりのあらかじめの判断材料(これを問題意識と難しく言ってもいいはずだ)を持ち合わせている、ということであろう。目に見える氷山の一角の下に、豊富な経験やそこでの教訓や、そして信念めいたものまで含む膨大な塊としての判断材料が控えているからこそ、「気づく」ことができたり、「気が利く」ことができたりする、というのが事実に即した構造というものなのではないかと思っている。

 たぶん、現在およびこれからの時代環境で、人々に要請される大きな要素とはこれなんだろうという予感がする。「情報(化)社会」の問題のひとつは、過剰な情報が人々の意識の表層を<上滑り>することだろうと観測している。情報そのものが、額面どおりの意味を持たなくなることと言い換えてもいい。
 これを食い止めるのは、人々の意識側から<積極的>な触手を働かせて、情報を<再吟味、再把握>することが重要だと考える。「気づく」とはそういう行為のひとつなのである。いずれにしても、ありきたりの情報<処理>だけをしていたのでは済まないのだろうという気がしてならない…… (2004.07.04)


「参院選が後半戦に入っても、自民党の支持率はなかなか好転しない。世論と政治の媒介者であるメディアの伝える首相像が大きくマイナスに転じたからだ。メディアを利用し、メディアに逆襲された首相の手法は、よい意味でも悪い意味でも、現代のメディア政治を象徴している」(朝日新聞 2004.07.04)

 このところ、朝日新聞の論調が首相小泉氏に対してようやく「正常」になってきたと「気づいて」いた。国民の将来にかかわる年金問題での杜撰な姿勢(「人生いろいろ」発言)や、とりわけ自衛隊の多国籍軍参加を議会政治を踏みにじって単独で進めたことなどが、国内紙では唯一まともな新聞社、朝日新聞をようやく覚醒させたのだろうと合点していた。そして、冒頭のような歯に衣を着せない表現が出てくるようになったと言える。
 同日二面の特集記事は、「首相像 メディアで浮沈 期待一転、失望広がる」と題し、少なくないメディアや有識者が、就任当初の期待をかなぐり捨て、批判的論調に転じていることを縷々紹介している。「『週刊文春』も『女が落選させたい政治家ワースト50』(5月13日号)で小泉首相が断トツ1位」という点まで報じているのは、これまで小泉氏に甘かった反省を込めているかのようにさえ感じられた。

 わたしのように、当初から<「プリテンダー(Pretender ! 振りをする人!)」小泉>と言い切り、分類してきたものにとっては、今日までの彼の傲慢さの原因は、ひとえにマスメディアの読みの浅さと、無責任さによるものと見えていた。
 いや、もう少し正確に言えば、今日のこの国のマスメディアには最初から自立性などはなく、あるのは大衆の反応への迎合だけだと思われるのだが、そうだとすれば、分別もなく小泉氏に期待を寄せ、おもしろがった大衆自身にも十分に責任があったと言うべきなのだろう。
 ただ、メディアを駆使する新しいタイプの保守政治家であったから、大衆が乗せられてしまうのは無理もなかったかもしれない面もある。とすれば、その点への冷静な報道と、独自な主張があってもよかったのだ。また、メディアの論調を左右する有識者たちは一体何をしていたのだろうか。

 ここで、メディア自体のあり方とともに、有識者たちのあり方も直視されていいのだろうと思う。はっきり言って、学識経験者などの有識者たちは、この間、冷静な役割りを果たすどころか、メディアと一緒になって根拠のない「小泉人気」を助長していたように思われる。そこには、有識者自身たちの、自信のない現状の立場が見事に反映されているように見えてならなかった。
 先の記事に次のような主張が掲載されていた。
「最近の小泉政権には怒る市民がたくさんいるのに、そういう声をすくい上げられず、国民の政治への無気力を増幅させている。背景には、相対主義が蔓延し、メディアが理念や自信を失ったこと、組織の巨大化で保守化したことが挙げられる」(メディア批評の月刊誌『創』の篠田博之編集長の話)
 ここに「相対主義が蔓延し」とある。これがメディアをより大衆迎合的(要するに売れればいい!傾向)にさせているとのことだが、わたしは、有識者たちこそ、「相対主義」の中で右往左往しているのが大きな問題だと考えている。有識者と書いてきたが、要するに、いわゆる「知識人」たちのことなのである。

 昨今の知識人たちは、一部の人たちを除きその退廃ぶりは目に余るものがある。ただただTVに出たがるという点にそれは最もよく表れている。よくそんなヒマがあるものだと不思議に思う。要するに、研究での自信のなさを売名で補おうとするあさましさ以外ではない。
 確かに、現代という状況は、目まぐるしくもある新たな事象の出現によって、さまざまな学問的、精神的支柱を未曾有な勢いで揺るがしている。何が正しくて、何が間違っているのかを言明しにくい「相対主義」の風潮が支配しやすい環境である。しかし、そんな場合だからこそ、研究に身を捧げたものたちは、真理の探究とその伝播に腐心すべきはずなのだ。にもかかわらず、TVに出たがり、TVにふさわしい「相対主義」の論調に身を持ち崩している。

 先日、ある無名の高校教師が、深夜の繁華街で迷いドラッグに溺れる青少年たちを、何とか救いたいと、毎晩一人でパトロールをして彼らに話しかけたり、おまけにSOSを求める電話やメールに応じたりしている事実を知った。わたしは、なかなかできることではないと感心したものだった。
 緊急で、切実な問題は、その気になればわれわれの周りに山ほど転がっている現代である。何がよくて何が悪いかということに迷うという意味の「相対主義」というものは、ひょっとしたら、本当に切実な問題、課題に関与せず身を持て余している立場に巣食うものではないかとも思えた。
 緊張感を欠いた理論や学説は、何とでも言うことができるのだ。そしてその分、「相対主義」という<学者地獄>に足をからめ取られていくことになる。

 しかし、知識人たち、そしてマスメディアが「相対主義」のワナにはまってしまっている実情と、小泉氏が「会社もいろいろ、人生いろいろ」と価値判断の「相対主義」を国会で述べることとが何と悲しい符合であるかと思わざるを得ない…… (2004.07.05)


 ふと、とても簡単なこと、当たり前のことに感慨深く思い当たる場合がある。
 人間は「希望」なくしては生きられない、または生き辛い存在だということに、いまさらながら思い当たったのだ。
 経済が不安定であることと、先行きの不透明さが拭い切れないこと。それだけならばまだしも、国の社会福祉制度の貧困さ、老後を支える年金制度のひどさなどが中高年たちの将来に暗雲を垂れ込めさせている。若さだけが救いの若者たちの、その将来とて、そうした中高年たちに勝るとも劣らないほどにお先真っ暗だと言えるのかもしれない。将来もさることながら、現状の失職状態やフリーターなぞという不安定な立場が、明るくあるべき未来から目を背けさせているのかもしれない。出生率の低迷や、それ以前に控えている結婚の先送りという傾向は、若者たちの将来に対するいぶかしげな姿勢を暗黙裡に物語っているに違いない。

 ラジオのニュースで脳に関する面白いニュースを耳にした。ラジオ・ニュースで科学ジャンルの話題が取り上げられるのはめずらしい方なので、へぇーと思い聴いていた。
 ある大学での研究結果によると、どうも人間が「先のこと」(将来?)を考える脳の部位が見つかったということである。脳の活動を血流や興奮(温度)のあり方に見立て、それらをリアルタイムで追跡することはかねてより実施されていた。たぶん、その延長なのだろうと推測するが、実験によると、人間が「先のこと」を考える時には、「大脳基底核」の「線条体」と呼ばれる部位が反応を示しているということのようだ。つまり、その部位が、「先のこと」を考えるにあたって重要な役割を果たしているらしいのである。
 と同時に、確かそう報じていたかと思うが、いわゆる鬱(うつ)病患者はその「線条体」の機能が低下しているとのことである。よくはわからないが、そうだとすれば、現在その蔓延が懸念されている鬱病は、「先のこと」について考えることに難航する症状を持つものと裏書しているのかもしれない。

 将来に対して「希望」が抱きにくい時代、そのことと関連してなのか、鬱病が決してめずらしい病気ではなくなってしまった時代、それが現代なのだと言ってもおそらく間違いではなかろう。そして、上記の実験結果はその事実を脳科学の側面から実証したようだったので強く興味を覚えたのだった。
 ここですぐに注意を向けたいのは、鬱病の治療法がしばしば投薬によってまかなわれる現状についてである。確かに、重度の症状に至ってしまえばそれもやむを得ないということになろう。しかし、軽度の場合ならば、その原因かもしれない「先のこと」を考え辛くなるほどの現実の問題をこそ取り上げるべきなのではなかろうか。その問題が居座ったままで、生理的な機能改善だけを投薬で図ったところで、再発の可能性は消えるわけではないからである。

 「先のこと」を考えるのが誰にとっても辛い時代の原因のすべてが、政治にあるとは言わない。限りある命が人間の宿命なのだから、地上の何によってもあがなう事ができない「先のこと」が人間にはあるはずだ。
 ただ、年金制度などを例に出すまでもなく、計算をして、高度な技術を駆使すれば容易に制御できるはずの人の世の社会制度を、まるで計算不能の対象であるかのごとく「先送り」にし続けてきた政治関与者たちの罪は許しがたいと思う。昨日今日突発的に発生した問題なんぞでないにもかかわらず、打つ手なしのような状況にまで放置してきたことがひどく情けなく思われる。
 つまり、多くの人々から将来への「希望」を奪い、将来について考えることさえ拒絶したくなるような世の中を作り出したことが、今、政治が問われている最大の問題だと思われてならないのである。
 まだ事態の深刻さが表面化する前には、「希望」が持てる時代や社会というものは、あればあったに越したことはない程度の問題だったかもしれない。いや、現状のほどほどの満足が、楽観的な「希望」をかもし出していたのかもしれない。なんとかなる、という雰囲気に押されてである。

 しかし、残念ながら現状は、何ら人々に政治が「希望」を与えないどころか、個人努力で支える「希望」にすら限度を超えた否定材料をねじ込み(年金額削減、消費税アップ、軍国主義への脅威……)始めようとしている。単なる「笛吹き男」のセリフを信じて「痛み」を甘受した人々は、今どんなに寄る辺ない地獄に追い込まれているのだろうか。倒産に追い込まれた零細企業、零細商店の悲惨さは、ただ単にわれわれの視野からはずされているだけのことであり、歴然として存在する。また「二極分化」して進む「景気回復」もどきは、まだまだ社会の下層に分厚い敗残者たちの山を作り出さざるを得ないはずだと推測させる。しかも、社会福祉制度の「やせ細り」を強要しながらという非情なかたちでである。
 おそらくは「構造改革」路線にも、別様があり得たのかもしれないが、残念ながら「笛吹き男」が一向に語らず仕舞いでここまで引っ張ってきた「構造改革」の結果は、端的に言えば日本に残った最善のものをぶっ壊すことでしかなかったようだ。
 かつて庶民たちは、さしたる「希望」らしきものがなくても、相互扶助的な姿勢と寛容さで不安定な明日にも立ち向かったのではなかろうか。だが現状では、多発する犯罪に覗き見られるように、追い詰められた者たちは、見境なく同胞からむしり取る風潮をさえ生み出している。また悲惨な境遇にある人々に手を差し伸べた者たちを、「自己責任」なぞと言ってバッシングする乱心ぶりで追い討ちをかけもした。庶民たちに健在していた共感と同情の心が醒めたかに見え始めたのはほんのこのニ、三年前からではないか。

 だが、現状の「痛み」に耐えることならまだしも、将来の「希望」という人間の生に深くかかわる宝をまで奪われつつある者たちは、きっと「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」判断に及ぶに違いない。それは「笛吹き男」について行ったネズミたちが、一斉に「覚醒」して反乱を起こす図なのかもしれない…… (2004.07.06)


 「継続は力なり」という誰でも納得できる言葉がある。
 わたし自身、若い時分は瞬発力を過信した「一発屋」であった嫌いがあるが、歳のせいか否応なく「継続」の重要さを悟り、これが結局は無理なくパワーアップできる唯一のアプローチだと信じるようになった。

 新聞の論壇時評にこの「継続」の意味を、裏側から、大きなスケールで捉えた気になる表現があった。
「……今の日本社会は<持続>可能でない数字で埋め尽くされている。国の借金残高は約703兆円、地方の長期債務は約200兆円。フリーターは400万人を超えた。出生率は1.29に落ち、まもなく人口が急激に減少する。……」(金子勝『事後承認繰り返す政治 歴史を見る眼を取り戻せ』朝日新聞・論壇時評 2004.6.29)
 要するに、いずれ破局を迎えるに違いない、その意味で「<持続>可能でない数字」が賑わっているという指摘なのだ。

 昨日、「希望」について書いた。ありふれた言葉でありながら、それが人間が生きる上でかけがえのないものであることを今さらのように再確認したわけだ。
 わたしには、その「希望」を脅かしているもののひとつが、この「<持続>可能でない数字」群だと思える。
 学生だった昔、世界史で第一次世界大戦の引き金を引いたドイツ帝国が、敗戦後、再びヒットラーという怪物を生み出したいきさつに関心を持ったものである。さまざまな歴史的文脈があったのだが、第一次大戦の敗戦後、ドイツは講和条約(ヴェルサイユ条約)を結びワイマール体制という国家再建の道を歩んだ。ところが、この条約はドイツにとって過酷なものであり、場合によっては屈辱的でさえあった。旧連合軍側は、賠償金として「天文学的数字」の額を設定したのだった。
 他の文脈もあってのことだが、この「天文学的数字」がドイツから「希望」を遠のけ、非凡な策士ヒットラーを呼び寄せてしまったのではないかと考えたものだった。
 また、話は飛躍するが、米国の懲役刑には、懲役何百年という加算刑があるようだ。そんな刑を申し受けるヤツもひどければ、裁く側も徹底的だと変な感心をしたものである。恩赦なんていうものでは微塵とも揺るがない刑期は、きっと受刑者からいっさいの「希望」を剥奪してしまうことだろう。

 妙な話にそれてしまったが、それほどに巨大な数字というものは、有限な人間のその感覚や意識に重圧をかけるものだろうと思うのだ。まして、ささやかな将来への「希望」で、こじんまりした幸せを掴もうとする庶民のその感覚にとっては、生きる意欲を剥奪するに等しいのではないかとさえ想像するのである。
 また、誰しもが感じるそうした「重圧感」を、逆手に取って踊り出ようとするヒットラーのような策士や、危ない空気が充満することも警戒しなければならないはずである。
 現に、この先十年以内に「ハイパー・インフレ」が引き起こされるのではないかとの予想もささやかれている。「<持続>可能でない数字」のうちの、債務部分を<チャラ>にしてしまうような貨幣価値の超低下を目論む輩がいたとしても不思議ではないだろう。しかし、そうした輩たちは、出生率の方の「<持続>可能でない数字」は一体どうやって解消するつもりなのか、ジックリと聞いてみたいものである…… (2004.07.07)


 人は、<確かさ>と<不確かさ>という二つの色合いの中で喜怒哀楽を感じ取っているものなのだろう。もちろん、<不確かさ>一色の世界は身が持たない。かと言って、<確かさ>だけの世界というのも願い下げだ。生きる意味が失われてしまうからだ。
 「希望」というのは、これら二つの色合いの壁にはさまれてその中で、飛び交う「ゴムまり」のようなものであろうか。<不確かさ>の壁があるからこそ、人はあることを主観的に願い、「希望」として描き出す。しかし、その背後には何らかの客観的根拠としての<確かさ>が確認されている。そうだからこそ、虚しさに打ちひしがれることなく「希望」が描けるというわけだ。
 もし、世界が、良い内容であるにせよ、悪い内容であるにせよ、すべてが<確かさ>の壁だけで囲まれていたとしたら、人は「希望」なぞという主観的で、中途半端な意識を抱く必要がなくなってしまうのだろう。揺らぐことのない客観的事実を正確に認識しさえすればよいからである。それは願い下げにしたいというのである。

 だが、世界を高い「制御可能性」で満たしてしまおうとしている現代という時代は、手に入りにくかったモノを供給するなどして、人々の「希望」を一方では叶えつつ、他方では、構造的に「希望」という中途半端な意識のありようそのものを廃絶しようとしているのだとも言えそうだ。すでに、万能感を漂わせる現代科学の前で、宗教と宗教心は「倒産」寸前にまで追い込まれている。いや、本来の宗教とは無関係な社交的要素を取り入れた「多角経営」を促したと言うべきなのだろうか。
 とにかく主観的で、客観的裏付けのないものは視野の外に追い出すべしという風潮が濃厚だとは言えそうである。だが、それで幸せになれたと思うそばから、充足感とは程遠い得体の知れない欠如感が自身を苛(さいな)み始めたりする。これでいいはずだと自分に言い聞かせるそばから、消し去ることができない<人間本来の荒々しい自由感>が鎌首をもたげてくるのかもしれない。

 かつてアルビン・トフラーが『未来の衝撃』において、未来社会では風変わりなニュービジネスが必然的に発生するであろうと予測したように、先端科学やITの駆使によって、「制御可能性」が立錐の余地なく社会を埋め尽くす時、社会のフレームから追いやられた<不確かさ>をこよなく愛する人間の衝動は、さまざまなギャンブルを始めとする、<不確かさ>を楽しむゲーム的ジャンルに雪崩込んでゆくのであろうか。
 それはまるで、かつての都会には自然の涼風があったのに、都市化の放熱により灼熱が充満したために、人工的な冷風としてのクーラーが各戸必需品となってしまったいきさつとあまりにもよく似ているのかもしれない。
 つまり、かつての社会生活がこれほどにうるさく「制御可能性」を問題にしなかった頃、人々の日常生活の周辺には、多くの<不確かさ>が転がっていた。時として、それらは見過ごせない不幸を運の悪い人々にもたらしてしまったかもしれない。
 が、同時に人々は、<不確かさ>の環境の「不備」を何よりも「希望」という主観力で補い、<人間本来の荒々しい自由感>の一端を日常的に晴らしていたのではなかろうか。ゲームセンターや、競技場や、イベント・パークなどに足を向けなくとも、<不確かさ>が零れ落ちていた日常生活で、六割がたの充足を得ていたとも想像される。

 ここ二、三日に書いたことは、未来を閉ざしてしまったかのような閉塞した政治状況が、人々の「希望」を損なっているという点であった。確かに現状は最悪だ。が、もう一方で現代文明自体が、「希望」の根っこを蝕んでいるのではなかろうかという点も気になる。今日書いたのはその点である。
 ところで、物事は決して一面的にのみ進むはずはない、という「希望」めいたことをわたしはいつも念頭においている。その観点からすれば、まるで袋小路のように絶望的に見えるこの現代にも、そして個々人の生活環境にも、おそらく「希望」が宿る明るい<不確かさ>がきっと潜んでいるのであろう。とすれば、今必要なのは絞り出すように、あるいは紡ぎ出すように「希望」を主観力で形成していくことだということになる…… (2004.07.08)


 この季節、汗が吹き出す戸外から戻り、冷房のきいた事務所に入るとホッとする。そして、やがて何食わぬ顔となってしまうわけだが、実はそうではなく、ありがたいことだと思うべきなのかもしれない。
 この炎天下で、熱射病になりはしないかと心配するような作業に従事している人々も少なくないはずだ。工事現場付近のアスファルトの上で一日中交通整理作業をしている者もそうだろうし、工事そのものに携わっている者たちもそうだ。また、サウナのような厨房で料理に携わる者たちもいる。
 そんなケースがある中で、クーラーを効かせた部屋で涼しい顔をして作業にあたれる立場は、ありがたいと感じても不思議ではないはずなのだ。
 ところが、人間というものは欲を掻(か)いた動物であり、慣れてしまった条件を当然視するものだ。そしてさらに豪華な条件が叶うことを平気で望んでしまう。たとえば、事務所の涼しさよりも、リゾートの別荘で、木漏れ日の陽射しとともにあるそよ風の方がいいなあ、とか、窓外のうだるような暑さなら、グァムやハワイの洋上での暑さの方がいいなあ、とか……。その方がいいに決まっているだろう。そうしては、現実と引き比べて「アーア、自分は何と不幸せなのだろう……」と嘆くありさまだ。
 他人のことを言っているつもりでもない。正直言って、自身の他愛ない欲深さをも視野に入れながら書いている。

 何を基準にして自身の幸不幸を感じたり、満足感を得たりするのが妥当なのだろうかという話なのである。とは言っても、この種の問題は、頭の中だけで収まりがつくものでもなさそうだ。それまでの長い生活体験に根ざした慣れの感覚が暗黙の基準を用意しているような気もする。何の不自由もなく暮らしてきたならば、何でもないちょっとした不便さや苦痛が不幸感の種となり、抗議の対象となってしまう。
 また逆に、人に言えないような苦労をしてきた者にとっては、ちょっとした不都合などはものともせず、何でもありがたい事態として寛容に受容できる。ちなみに、うちのおふくろを見ていると、そういうタイプなんだな、と思わざるを得ない。戦争体験をまたいで、モノ不足を筆頭にしたさまざまな苦労が、つぎはぎだらけの、だが「手堅く」もある、そんな生活基準を構成しているようなのである。
 今、モノ不足の苦労と書いたが、その苦労には、「物事は思いどおりにはゆかないことが多いと受け容れるタフな感覚、忍耐力」と言ってもいいのかもしれないが、そんなものを培う機会が多々含まれていたのではないかと想像する。そのお陰で、多少のことでは動じない根性めいたものが形作られたのではないかと……。

 何が言いたいのかというと、「希望」の持ち方というテーマなのである。
 残念ながら、現代のわれわれは、時代の制約の側面もあってか、「希望」の持ち方が下手であるような気がするのである。それに比べて、なぜだかわれわれの親世代たちの方が、多少のしたたかさを伴って上手に「希望」というものを操っていたのではないかと思ってしまうのだ。あくまでも直感レベルの話ではある。
 そこには、どんな違いがあるのか。われわれにあって彼らにはなかったもの、あるいは逆に、彼らにあってわれわれにはないものとは何であるのか。そしてそれらの差異は一体どんな役割りを果たしているのか。そんなことが気になったのである。
 そして気づかされるのが、「手堅い」生活基準であったり、「タフな感覚、忍耐力」だったりするのである。この<謙虚さに満ちた目線の低さ>から世界を見るならば、「希望」がない! などという言い草は傲慢以外の何ものでもなくなってしまうのかもしれない。「吾唯足知(吾れ唯足るを知る)」という禅の精神に近いとまでは言わないにせよ、欲求の上限のようなものを無意識に設けることで、うまく「希望」というものを枯渇させないようにしていたかのような知恵を感じるのである。
 そうこう考えていると、ただ、生きていること、生かされていることだけでも幸せなのかもしれない、という感覚にやや近づけるような気にもなる。現に、差し迫る死期に絶望感を余儀なくされた人々も決して少なくない。そう思うと、にわかに、漠然とした「希望」らしきものが見えそうな気もしてくるようだ……。

 「希望」を持って生きる、というが、実のところ、生きることと「希望」とは同一のものの別名ではないのかと思うことさえある。「希望」が人を生かすとはよく聞くところだが、生きることとは「希望」を実証していることでもあるのかもしれない。赤ん坊の晴れやかな顔や姿は、誰が何と言おうと「希望」それ以外ではないと思われる。言葉にすれば何を表現した「希望」なのかと杓子定規なことを問うてはいけないのだ。あえて、あえて言うならば、生命自体が「希望」である、と言うべきなのだろう。
 「希望」を持つことが下手になり始めている現代人は、換言するならば生きること自体が苦手になり始めているのかもしれない。生命や「希望」と隔てられ、なおかつ生きるという、そんな逆説を強いられているからなのだろうか。
 この際、いい歳して「青臭く」まだまだ「希望」についてこだわってみたいと思っている…… (2004.07.09)


 「そう高望みをするもんじゃない」というような説教をする人が少なくなったような気がする。誰も彼もが、大言壮語ふうに、「望みは高く持ちなさい! そして挑戦すること、チャレンジすること、それが現代というもの」といった無責任なことを言いがちではなかろうか。
 この言い草は、ヘンなたとえで言えば、まるで<パチンコ屋商法>そのものである。ほんのわずかな「大当たり」台しか用意できずにいるのに、その「大当たり」台に山のように積み上げられたドル箱が、あっちこっちに出現するかのように感じさせる商法のことなのである。
 いま少し、ハイブローな表現をしてみるならば、現代の高度資本主義経済の「活性化原理」であるとも言えようか。ほんの一握りの「勝ち組」成功者と、大半の「負け組」敗残者とを生み出すためには、チャレンジしさえすれば、あなたも「シンデレラ・ボーイ」に成れる可能性があると大騒ぎする、そうした手口のことである。
 当然、「競争」が過剰なまでに是認される。それもいいだろう。人間は、誰であれその半身くらいは怠け者であるのだから、時として競い合う刺激も悪くはない。

 しかし、しっかりと気づきたいのは、「競争」が「競争」として成立するためには、比較すべき基準が一元化されていなければならないということ、そして、時としてその基準はわかりやすさのために限りなく単純化してゆき、平板化、形骸化されてゆく。数値化、得点化され、そんなものになじまないものでさえ数字に変換されていく。
 教育が、未だに「受験教育」の悪夢から目覚められないのは、社会がますます単一価値観、一元的な基準で浸された「競争社会」にのめり込んでいるからにほかならない。「構造改革」路線とは、この傾向を意図的に、政策的に推進していこうという立場なのだろう。

 荒っぽく、単刀直入に言って、現在人々が「希望」という言葉にコンプレックスを抱き、シニカルになるのは、「シンデレラ・ボーイ」神話がスローガンとして掲げられている割(わり)には、「割を食う」ことばかりを経験しているからであろう。本来、ささやかでも、どんなものに向けられようと一向に差し支えない「希望」というものが、巨大な社会の潮流に流れ込まなければ無意味であるかのような心境にさせられてしまっているからなのではなかろうか。しかも、その潮流が、小さな支流、小川、せせらぎに対して相応の意味と返礼を与えるのならばまだしも、ただただ、ダシとして扱っているかのようにしか見えない。
 400万人を超える多くの若者たちがフリーターという、この国の経済社会の「正規軍」に属さず、「準構成員」(「や」の世界みたいか?)にとどまったのは、穿った表現をすれば、「割を食う」ことにしかならない「希望」をこの経済社会に託したくはないと表明しているのではないだろうか。もちろん、政治領域における「無党派」や「棄権」派なぞも同じ意向なのかもしれない。

 結論から先に書いてしまうと、本来、その人その人で限りなく独自な内容で満たされていいのが「希望」というもののはずである。ところが、現代社会とその風潮における「希望」とは、その皿に盛るべきごちそうは、妙に品数が少ないのだ。とりわけての「売れ筋」は「有名人」「成功者」「億万長者」であるのかもしれない。「安定収入の公務員」というませた子どももいるとは聞くが。
 おそらく、こう反論する人がいるだろうと思う。「全体主義社会ではないのだから価値の一元化はない。各人が何を『希望』として持とうと、そのためにどう挑戦しようと自由なはずだ。社会が、どう『希望』を持ちなさいと強要なぞしていない」と。

 確かにそうだ。じわじわと憲法を変えようとはしているものの、国民に軍事国家観を押しつけてもいないし(まあ、国旗・国歌の強制はあるが)、言論の自由を抑圧してもいない(まあ、『個人情報保護法』というイエロー・カードふうのものは出てきたが)。
 しかし、全体主義社会ほどには露骨さで臨まないにせよ、今の社会が「一元的」でないと言い切れるのだろうか。「価値の多様化」を口にする人も少なくないが、そういう面が消費の領域にあることはあるが、それを実態と見るのはあまりにも表面的過ぎる。メディアを見たって、どこに独自な報道や、独自な番組があるというのだろうか。枝葉末節部分の差異があるだけで、完璧に横並びかつ画一的な内容を垂れ流しているだけであろう。
 しかも、直観力の鋭い子どもたちが感じ取っているような、「自分らしさ」と「生存=サバイバル」とが両立しそうもない社会! という端的なイメージを抜本的に改革しようとする動きなぞどんなジャンルにも皆無である。

 「改革なくして成長なし」と「択一試験」の無内容な解答そのものでしかないフレーズをほざいた「笛吹き男」がいたが、経済の本当の成長傾向の根底には、必ず成長しなければならないものがあったはずなのだ。それは、多元的な価値観や「希望」を持つ人々の成長や、多元的な価値観を持ち、それらが切磋琢磨する社会の成長だと思われる。これまでの未曾有の長期に渡った経済停滞は、従来の日本経済が原理的レベルで問題を抱えていることを示唆していはずである。
 ここで込み入った分析をするつもりはないから、手みじかに言えば、雨後の竹の子のように新しい価値観を持った起業家たちが登場するそんな環境が成長していくことであったはずだ。しかも、起業家たちといっても、今までのような「売れ筋」(「億万長者」「成功者」「有名人」etc.)ばかりをねらう一元的な人々だけではなく、NPOやボランタリー半分といったあたらしい経済活動人たちも含むということである。一元的であるがゆえに閉塞してしまったこの国の経済には、そうした多元性とそこから必然的に生まれる創造性こそが必要なのだろう。
 おそらく、そんなことは着手していると言うに違いないだろうが、そうした多元化を生み出すための大前提は官僚機構の再編成ということだと考えているが、それをやっているとはまさか言えないはずであろう。

 人々が、素直な姿勢で心から溢れる「希望」を語れなくなってしまってから、もうかなりの時間が経過するのかもしれない。この底流には、時代と社会がぶち当たっている小さくない問題が滞留していると感じている。だが、これを取り除くために先ず必要なのは、それが可能だという希望を持つことなのだろう。その希望を支えるためにも、明日は "VOTE!"(投票!)したいと思う…… (2004.07.10)


 朝早く出向いたからといってどうなるものでもない。ディスカウント・ショップでの限定数の売り出しでもないのだから。でも、事務所に行く前に済ませておこうと思った。済ませておくというのもヘンな表現だ。朝のお茶漬けでも、先祖の墓参りでもないのだから。
 とにかく、何とも「シラケ」ていそうだ。家内と二人して、早くも夏の強い陽射しに照りつけられながら投票所の小学校へ向かう途中、ふと考えたものだ。これで、どんなものだろうか、投票を済ませた人には、「福引券」か「宝くじ」を進呈するというのは…… と思ったのだ。もはや、「不謹慎」だの、それは筋が違うんじゃないかなぞとまとも振ることはやめにして、「毒を以って毒を制す」というハードボイルド方式を採用すべしか。
 で、賞金はというと、当該選挙の議員全員の年俸分ということにする。今回の参議院議員各位がいくら貰っているのか知らないが、ざっと年俸二千万とすれば、121議席で、いや、二千万円が121人に当たることとしよう。それじゃあ、ちょっと今どきの人たちには魅力薄だとすれば、別の121人には、議員年金同等資格を進呈しよう。それでも、まだちょっと迫力が足りない感じなので、121人なんぞとケチなことを言わず、思い切って121万人に、一万円の図書券が当たることにしよう。決してビール券ではない。本くらい読めよなあ、という意味での図書券にしよう。
 この財政難の折り、財源はどうなるのかというシビァな疑問が当然出てこよう。一番ラディカルな方法は、この際、議員報酬は全面撤廃し、議員となりたい者はすべて「手弁当」のボランティアということになってもらおう。それを回すのだ。どうせ議員は能書きこいて威張りたがる人種なのだから、無報酬で威張ってもらえば、それはそれで庶民感覚からもすっきりするというものである。
 次の財源案は、現在飛び交っている「政治資金」に重税をかけることはどうか。法人税よりもちょっと高く、50%の税をかけ、これを「有権者還元税」として、先の賞金に充ててしまう。また、買収などの選挙違反が横行することが予想されるので、「クリーン選挙」なんぞと綺麗事を言わずに、しっかりと「ネズミ捕り」をすればいい。そして、破格の罰金を取り捲るのである。で、これも「有権者還元財源」に回してしまう。
 「……してしまう」という投げやり的な口調がやや気にならないでもないが、ここは、前述したように「ハードボイルド」タッチの改革なのだからやむを得ない。「……しちゃえ」という思い切りの良さこそが、革命の原点なのだと、「思っちゃえ!」
 ところで、こんな、「いい加減なこと」をいうのにはわけがある。大したわけでもないのだが、前述した「不謹慎」という発想にまつわる点なのである。
 世の中は、もはや「聖域なき……」という登りつめるところまで登りつめてしまった時代である。財政難克服のためには、これまで手をつけるのが憚られてきた「聖域」にまで大胆なメスを入れるべし、というのが世の趨勢となっている。そこまで言うならば、そこまでやるならば、徹底させてみてもいいのかもしれないのだ。この際、何から何までも「市場原理」で押し通してみるのも一興なのである。下手に、「不謹慎」だとか言って、「べき論」「精神論」に寄りすがるのはもはややめよう。
 有権者は投票すべし、と叫んだところでうっとうしい仮設投票所へそうそう出向くものでもありはしない。また、争点が明確となり政治が面白くなれば投票率も上がると考えるのも、本末転倒だと言ってのけたい。要するに、選挙や投票というものが、市場原理で華やかな他のもろもろに対してあまりにも「牧歌的自然」過ぎて魅力なんていうものがなくなってしまったのである。「神聖な選挙」とか、「厳正な選挙」とか、それはそうに違いないのだが、それは、「選挙管理側」の公正さの問題なのであって、投票行動全般にまでおっかぶせる雰囲気の問題ではないように思う。
 まるで、大枚はたいて高価なパソコンを購入したオヤジが、自分がそれを大事に扱いたいのはいいとして、子どもがそれに触れようものなら、
「ダメダメ、これは大事なものなんだからね。触る時には手を洗って、できたらうがいをして……」とトンチンカンなことを言ってる図もどきかもしれない。
 要するに、妙な「不謹慎」論を払拭して、市場原理と消費者感覚がストレートに活きるような、さりげない選挙と投票が展開するようにしていい。さしあたって、現時点においては、難しいことを言ったって始まらず、機能しているのは「消費者感覚的民主主義」だとすれば、一般商品の販売と同様に「販売促進」的効果をねらった、「福引券」「宝くじ券」付き投票という「心臓マッサージ」とでも言うべき抜本策もあっていいのではないかと思うわけなのだ。
 そうすれば、有権者は、いつの間にか「選挙」というものから胡散臭さを洗い流すのではなかろうか。そして、「もういくつ寝たら選挙かな」と選挙を待ち遠しく思うようになり、政治家たちのいい加減な政治行動があれば、「解散! 解散! 選挙! 選挙!」とせっつくようにもなりはしないか。そうすれば、これ以上民意が反映された政治はないというものであろう。
 何だか、ベルが鳴ると唾液を分泌するパブロフの条件反射の犬のようであり、情けないものを感じないわけでもないが、そこまで事態は深刻になっていると言いたいのだ。そして、抽象的観念論に基づく非力な改善案から、多少リスキーでも流れを作り出す具体策が欲しいところである。何だか、これは政治の流れ全体にも当て嵌まりそうだ…… (2004.07.11)


 昨夜は結局、いつもより就寝時間を一時間ほど遅らせてしまった。参院選挙結果が気になっていたからである。事前調査や出口調査の結果から民主党が圧倒的に優勢とは伝えられてはいたももの、微妙な票数幅で自民候補の当選が追い上げを図るような形勢が見えていたため、ついついTV各局の当確速報に引きずられてしまった。
 率直な感想としては、民主、自民の差がもっと開くかと思いきや、自民党はダメージをそこそこに食い止めた印象である。とはいっても、取り返しのつかないボディブローを浴びたというところなのであろう。
 自民党の悪政に対する国民の反発はもっと大きく数字に表れてよさそうなものだが、ここがやはり「投票率」の低さという根深い問題が影響しているわけだ。多くの棄権者たちは、現状の政治に不満や批判的な意識こそ持っていても、現政権を支持しているとは考えにくい。もし、投票するとすれば現政権への批判票を投ずるであろうことは容易に想像できる。その彼らが、この間充満していたであろう国民側の憤りの手をゆるめさせたと言えるのかもしれない。時の流れる速度にブレーキをかけたのだと言ってもいい。
 保守自民党の崩落という歴史の必然に「マジック」でブレーキをかけたのが小泉氏であったとすれば、少なからぬ国民がこの「マジック」に引っかかってきたと見える。ようやく大きな痛手によって覚醒する人々が増えたことは喜ぶべきことではあるが、相変わらず人の世の歴史を、まるで自然現象を眺めるかのように静観、傍観する人々の少なくないことが、やはり気になる。

 ただ、何をどう考えたらいいのかがわからない「時代の空気」というものが、ますます広がっていることも否めない。決してそれだけが棄権をすることの理由にはならないだろうが、そんな「時代の空気」をそれとして知っておくこともまた不可欠であると思われる。その上で、「有効」な思索、思考を進めるのがいいかと思える。
 この間、「希望」とか、考え方の「相対主義」とか、さらには「ポストモダン」といった言葉などを手探りしてきたかと思い返すが、いずれも現在の「時代の空気」というものが掴み切れずに苛立ち、もがいてのことであったかもしれない。
 感覚的には、どうも従来とは様子が異なっているぞ、と感じながらも何がどうなっているのかが今ひとつ掴めないできた。おまけに、個体史レベル(要するに一身上の加齢のこと)でも、変化また変化のライフ・ステージを迎えてしまっているから、なおのことわけがわからなくなってしまう。
 今日は、こうした問題のさわりに止めておこうとは思うが、やはりこの辺の問題をしっかりと通過することなしには、この「苛立たしい時代」と付き合ってはいけないと思ったりしている。

 ところで、選挙後の感想のもうひとつは、「二大政党時代」の浮き彫り化と、共産・社民両党の気の毒なほどの凋落という現象であろうか。果たして、「二大政党時代」がいいのか悪いのかはよくわからない。少なくとも、全体の社会が向かっている小集団の林立傾向には反している。現に、自民党にしても、民主党にしても、その内部はとても一枚岩なぞではなく、千々に乱れている模様だ。ただ、現行の「小選挙区」の制度下で、長期保守政権の腐敗を打破する構造としては当面これしかあり得ないのかもしれない。それにしても、国民の弱者が抱える問題のどこまできめ細かくフォローしていけるのかがまるで見えないのが不安なはずである。
 そして、従来そうした弱者層の問題に焦点を合わせていた共産・社民両党がどうして支持されなくなってしまったのかと思うのである。わたしが判断するに、両党の主張は、「正論」以外の何ものでもない。にもかかわらず、一頃に比べると社会的に憲法尊重自体が揺らいでいるようであり、「相対化」させられている空気があり、そんな空気と同様の空気に曝され、今ひとつ頼りにされなくなってしまっているような気配を感じるのである。なぜなのだろうか。

 小さな勢力を「無効」としてしまう「小選挙区」制度の理不尽さがいまさらのように気になる。マイナーを切り捨て、メジャーをよしとしてしまう現代特有の荒っぽさである。こうした点、つまりゲームで言えばルールそのものが偏っている事態が先ずは気づかれていいのだろう。少なくとも、事実としての民意が、事実としての議員数に反映されるルールでなければならない。
 あとひとつ、大きく気になるのが、時代の変化とあいまって後戻りしようもなく変化してしまった人々の意識のあり様である。もはや、働く者(労働者)という立場に立脚した考え方、感じ方の共通項として「まとまった価値観」(イデオロギーと言ってもいい)が、誤解を恐れずに言えば「溶解」してしまったかにさえ思われるのだ。それは、いわゆる「無党派」層と呼ばれる人々が知らず知らずのうちに多勢となっている現状に反映されているのだろう。働く者たちの理想とかといったものをリアルに思い描く素地が希薄となってしまっているのだ。
 しかし、「まとまった価値観」が「溶解」したのは、働く者たちというグループだけの問題ではない。あらゆるかつてのグループが支えとしていた「まとまったもの」が、気がついてみると頼りなく、あてにできないものへと変質してしまっているのではなかろうか。ここに、「相対主義」と言えば聞こえはいいが、要するに混沌とした「何でもあり」状況が競り上がっているのだと思える。人の身体にたとえれば、「ツボ」が不明となった状態のようにも見えるのだ。
 この間、「希望」というものにこだわってみたが、出てくるものは砂を噛むような寂しいものでしかなかったかと振り返る。たぶん、その足元にも、失われた「まとまった価値観」という同様の事態が横たわっているような気がしてならない…… (2004.07.12)


 得体の知れない病に取りつかれることほど「希望」を遠ざけてしまうことはなかろう。 しかし、そんな場合にこそ必要不可欠なのが「希望」なのであろう。病は気から、と言うまでもなく、病んだ身体を改善に向かわせるものは自律神経系や免疫系の底力以外にはない。

 昨夜、自宅に電話があったとの連絡が入ったため、事務所からその方に電話をした。
 その方は、もう二年も「腰痛」が治らず、わたしも何かと心配していた。が、ここへ来てかなりの程度改善し、これまではほとんど無理であった最寄りの駅までを歩き切ることができるようになった、との知らせだったのだ。
 その方は、七〇代半ばのご高齢で独り住いをしておられた。お世話になった方だという点もあるが、高齢でかつ独り住いという二点が、歩くことにも不自由すると聞いた腰痛に対して、ことさらわたしが心配した理由であった。
 もともとは元気な方で、独りでスイスイと海外旅行をするほどで、中国、インド、南米へと出向いた話を楽しげに話されていた。そんな気丈夫な方であったが、原因もはっきりせず、しつこく居座るその腰痛には、さすがに閉口し、そして不安がってもおられた。それが、言葉の端々から窺い知れるのだった。普通、元気でやってます、と流すはずの年賀状の添え書きに、その腰痛のことが触れられていたので、ウームこれは尋常ではないな、と思ったりもしたのである。今回の電話で、はからずも白状しておられたが、ひょっとしたらこの先、もう歩けなくなるんじゃないか、との想像も何度か心をよぎったとのことであった。

 わたしは、自分だったらどうするだろうかとの発想で、まずはその腰痛の原因究明が必要だと考えたのだった。そして、書店の医学関連書やサイト検索などをざっとあたり、推測の域を出ないのは当然であったが参考になると思われる文書を郵送して差し上げた。
 いろいろと調べているうちに、原因不明の腰痛は、ひとつが精神的ストレスや自律神経系に関係していること、もうひとつが腎臓疾患に関係していることも知った。
 折りから、自分自身も自律神経系や副交感神経の機能の重要さに関心を寄せていたため、副交感神経のケアに効果がありそうだと言われていた高周波を特徴とする「モーツァルト」のCDを同封したり、副交感神経に効くとされる指先のツボへの指圧のこともお知らせさせてもらったりした。

 要するに、「知ったかぶり」のにわか医者がやれることはといえば、「きっと治ります!」と激励することと、万病の足元に居座る「気」の澱みの解消に向けたアドバイス以外にはなかったのである。
 あともうひとつ、わたしは以前、ちょっとした緊張感を込めてその方に次のようなことを書き送ってもいた。
「必ず治りますから、時間をかけてそのことを実証してください」
と。何とも煽動的な言い草である。一歩間違えたらハッタリ屋、不遜者め、と責められかねない。が、わたしはその方の律儀さにはこうした表現がふさわしいと考えたのだった。ついでの事ではない扱いをして、仕事を成就させるように治してくださいという意を伝えたかったのである。
 今回の電話では、冒頭でしっかりとその言葉、「実証」が返ってきたのだった。実証しなさいと言われたけど、どうやらそれが叶いそうだとおっしゃられていたのである…… (2004.07.13)


 「希望」についてこだわっているが、そう言えば「希望という名のあなたを訪ねて……♪」と始まるヒット曲のあったことを、ふと思い出すに至った。いつ頃だったっけかなあ、と振り返ってみると、そうだ、あの「大学紛争」の頃ではなかったかと思い起こしたのだった。
 当時、その曲をどのように受けとめていたかは定かには思い出せない。たぶん、落ち着いた心境で「希望」を抱くというようなふうでもなかったような気がする。その証拠に、それが大学進学の動機でもあったかねてから法曹になろうとする志望を、みずからの意志で破棄したことを覚えている。そんな時代ではない、という思い上がった気分に浸されていたようだ。かといって、絶望感に接近していたわけでもなかった。

 むしろ、それまで抱いたどんな「希望」とも比較できない大きく激しい思いが突き上げていたことを記憶している。従来の権威と安定したもの、固定したものなどが、眼前で瓦解していく現実に触れ、日常性の壁に走るクラック(亀裂)を通して質的に異なった世界の姿が垣間見えていたのかも知れない。その興奮の感情は、ひょっとしたら「希望」という大人しく、礼儀正しい思い、それだけに気体のように茫漠としたそんな思いを圧倒的に凌駕するものであったと覚えている。
 いささか誇張して表現するならば、「革命」という、これまでは歴史や詩の中の出来事でしかないと了解してきた言葉が、旧い地層から飛び出し、瞬時に<解凍>されて荒々しく息づくかのような、そんな印象さえ抱いたものだった。つまり、目の前で輝かしい突破口が開かれようとしている現実がある以上、もはや「希望」というようなつかみどころのない代替物はとりあえずなくていい、という感覚であったのかもしれない。
 大学紛争について書こうとしているのではないのでその詳細はおくとするが、状況の推移としては、やはり「虚しい」ものを残すようなかたちで過ぎ去ることとなってしまった。従来の、学費値上げ阻止といった個別の大学紛争とは異なり、グローバルに同時多発したムーブメントにはそれなりの背景があってのことだったはずが、それを抉(えぐ)り出すには至らずもどかしく鎮静化してゆくこととなったのだ……

 ところで、ヒット曲『希望』が登場したのは、昭和44年/1969年であった。そして、この曲は言うまでもなく、溢れる希望を高らかに歌い上げるという色調ではない。「黙ってどこかへ立ち去った」ものとして、その「うわさも時折り聞く」ものとして、すでに見失ってしまったのが「希望」であり、だから「希望という名のあなたを訪ねて」旅を続ける、という哀感に満ちた歌なのである。そのクライマックスは、次の部分であろうか。
「なぜ今私は生きているのか
そのとき歌が低く聞こえる
なつかしい歌があなたのあの歌
希望という名のマーチがひびく」
 「生きる」意味を問わずにはいられないほどに追い詰められた者と「希望」との優しい関係への着目である。
 とりあえず、全歌詞を引用しておく。

『希望』(昭和44年/1969年)作詞:藤田敏雄 作曲:いずみたく 歌:岸洋子(シャンソン歌手)

希望という名のあなたを訪ねて
遠い国へとまた汽車に乗る
あなたは昔の私の想い出
ふるさとの夢はじめての恋
けれど私がおとなになった日に
黙ってどこかへ立ち去ったあなた
いつかあなたにまた逢うまでは
私の旅は終わりのない旅

希望という名のあなたを訪ねて
今日もあてなくまた汽車に乗る
あれから私はただ一人きり
明日はどんな町につくやら
あなたのうわさも時折り聞くけれど
見知らぬ誰かにすれちがうだけ
いつもあなたの名を呼びながら
私の旅は返事のない旅

(次は岸洋子の3番)
希望という名の あなたを訪ねて
寒い夜更けに また汽車に乗る
悲しみだけが わたしのみちづれ
となりの席に あなたがいれば
涙ぐむとき そのとき聞こえる
希望という名の あなたのあの歌
そうよあなたに また逢うために
わたしの旅は いままた始まる

(次はフォー・セインツの3番)
希望という名のあなたを訪ねて
涙ぐみつつまた汽車に乗る
なぜ今私は生きているのか
そのとき歌が低く聞こえる
なつかしい歌があなたのあの歌
希望という名のマーチがひびく
そうさあなたに逢うために
私の旅は今また始まる

(メロディ参照:http://www.owasechojuen.or.jp/karaoke/midi/02m-ka/02ki03-kibou.mid )

 「黙ってどこかへ立ち去った」ものとして描かれる「希望」は、「あなたは昔の私の想い出 ふるさとの夢はじめての恋」というように、個人のヒストリーの過程で失われたものとして考えることもできるはずだ。若さゆえの明朗快活な楽観性によって描き得た「希望」が、幾多の挫折によってシニカルな現実主義者へと変貌してゆく中で手が届かないものとなってしまう経緯は、誰しもが経験することではなかろうか。
 ただ、わたしが気になるのは、大きな視点での時代の推移というものも、「希望」というものを考えるにあたって無視できない要素ではないかという点なのである。
 はからずも、日本の歴史が大きなうねりでの変化を遂げようとしている<1970年代>のその直前に、一方では、知的感性に優れる学生たちによって未曾有の大学紛争が展開され、他方では、大衆的心情をすくい上げるヒット曲が失われゆく「希望」というテーマで人々の共感を得ていたという事実があった。これらは、決して無関係なことではないように思えてならない。そして、「希望」が抱きにくくなり始めた時代というものが、<1970年代>以降急速に進み出したのではないかという憶測を持つのである…… (2004.07.14)


 「希望」を抱くということの上限は、「理想」を抱くということとほとんど重なるような気がする。二度と戦争を起こさないという「希望」を抱くことは、現実には侵食されつつある事実なのであるが、それに抗してそうした「理想」を持ち続けることと同義だと言えるのであろう。
 「希望」→「理想」という連想に及んだら、引き続きいくつかの連想が生じた。「理想」→「イデア」→「イデア論」→「プラトン」→「饗宴」、そして高校時代の倫理社会でプラトンの『饗宴』がテキストであったことにまで思い至ることとなった。
 加えて、その倫理社会の担当教師のことにまで連想は突き進んだ。
 「希望」をめぐって思いを綴ろうとしているわけだが、 別にあてがあって急ぐ「旅」ということでもない。連想の為せるままに思い出話の寄り道をしようかと思う。

 当時、「その社会科教師」が倫理社会の教材にプラトンの『饗宴』を選定したことにはちょっとした「サプライズ」があった。今ひとつ、そのねらいが読みきれなかったからである。口さがない周囲の友人たちも、
「あの<木下先生>が、どうしてソクラテスやプラトンということになっちゃうんだ?」
「しかし、『倫・社』の教科書の出だしには大抵ソクラテス、プラトンが登場するから、型どおりと言えばそうなるぜ」
「だけどさ、オレなんか、あの<木下先生>のことだから、きっと現代的なテーマを打ち出すのかと推察していたよ……」

 その<木下先生>とは、『原爆を許すまじ』という曲を作曲した知る人ぞ知る「木下航二氏」のことなのである。
 若い世代どころか、年配の人たちでさえ覚えている人は多くないご時世かもしれない。<昭和30年代>以降、働く若者たちの間で「歌声運動」という全国的な動きがあった。あの映画『男はつらいよ』の中にも何度かそんな光景が登場していたかと思う。「ロードーシャ諸君!」と言って寅次郎がバカにすると、「兄さん、それはちょっとひどいと思いますよ!」と博さんが反論するあの場面の流れ付近である。
 それはともかく昭和29年に、「第五福竜丸事件」という日本人にとって驚きの事件があった。静岡県の遠洋まぐろ漁船が、ビキニ岩礁の東で漁をしていたところ、米国の水爆実験(広島の原爆の千倍以上の規模!)により、乗組員29名が死の灰を浴び、全員がその直後から急性放射線症状になり、内一名が亡くなったのだった。
 そしてこの時、『原爆を許すまじ』という曲が生み出され、反核運動の歌声が全国の「歌声運動」に波及していった。何とこの『原爆を許すまじ』という歌は、その<木下先生>こと木下 航二氏が、当時の運動仲間の一人であった大井の町工場の工員・浅田石二さんの詞に曲をつけたものなのであった。第1回原水禁世界大会では、木下氏が自らタクトを振ったとある。

『原爆を許すまじ』 作詞:浅田石二 作曲:木下航二

1 ふるさとの街焼かれ
  身よりの骨埋めし焼土(やけつち)に
  今は白い花咲く
  ああ許すまじ原爆を
  三度(みたび)許すまじ原爆を
  われらの街に

2 ふるさとの海荒れて
  黒き雨喜びの日はなく
  今は舟に人もなし
  ああ許すまじ原爆を
  三度許すまじ原爆を
  われらの海に
3 ふるさとの空重く
  黒き雲今日も大地おおい
  今は空に陽もささず
  ああ許すまじ原爆を
  三度許すまじ原爆を
  われらの空に

4 はらからの絶え間なき
  労働に築きあぐ富と幸
  今はすべてついえ去らん
  ああ許すまじ原爆を
  三度許すまじ原爆を
  世界の上に

 木下 航二氏はその翌年にも、次のような、多くの年配の方たちの耳にはなじみのある曲を作曲されたのである。

『しあわせの歌』作詞:石原 健治 作曲:木下 航二

1 しあわせはおいらの願い 仕事はとっても苦しいが
  流れる汗に未来を込めて 明るい社会を作ること
  ■みんなと歌おう しあわせの歌を
  ■ひびくこだまを 追って行こう

2 しあわせはわたしの願い あまい思いや夢でなく
  今の今をより美しく つらぬき通して生きること
  ■みんなと歌おう しあわせの歌を ・・・・・・・・・・

3 しあわせはみんなの願い 朝やけの山河を守り
  働くものの平和の心を 世界の人にしめすこと
  ■みんなと歌おう しあわせの歌を ・・・・・・・・・・

 このように、<木下先生>は、教育の場でこそ物静かな社会科教員であったが、「働くものの平和の心を 世界の人にしめす」運動に長年身を呈してこられた方であった。
 ところで、その<木下先生>が生意気盛りの高校生であるわれわれに課した教材が、観念論として一蹴しがちでもあるプラトンの『饗宴』であったのだから訝(いぶか)しげにならざるを得なかったわけだ。
 もとより、この高校での授業は、講義形式のものと合わせて生徒たちによる自主学習に基づく発表形式が多かった。「さあ、哲学の祖ソクラテスやプラトンを思う存分に料理してごらん」と言われたようなわれわれは、やはり面食らった観があったものだった。
 が、今から思えば、今日のデレデレ気味の「相対主義」的風潮とは真っ向から対置する「フィロソフィア(=知を愛すること=哲学)」の真髄がそこにはあったようだとわたしには思えた。与えられた時間をたっぷりと使って、ソクラテスへの「共感」(?)をとうとうと述べていた自分がいたことをなつかしく思い起こすのである。

 ソクラテス、プラトンの言う「イデア」とは、「あらゆる無常と相対性を乗り越えた永遠なる善」であり、哲学とは、「自らに欠けた善を永久に我が物にせんとする強烈な渇望」だとされた。現代は、「相対主義」の風潮が渦巻き、感情を押し殺したシニカルさだけが充満しているようにも見えるが、しかしもう片方で、「自らに欠けた」ものを知りたいと願ったり、獲得したいと渇望する自身がいることもまた事実ではないか……。「イデア」への渇望のようなものは、どんなにクールとなろうが、否定しようが消失し切らずに蘇り続けるものではないかと……。それが「希望」とか「理想」とか呼ばれるものの正体であるのかもしれない。
 <木下先生>は、二十一世紀を迎えることなく99年の晩秋に、七十三年の生涯を閉じられたという。(高校同窓会「如蘭会」HPから知る)今、わたしは、人間にとって変わらぬものに静かに目を向けることを示唆された、あの木下先生に感謝したいという心境でいる…… (2004.07.15)


 昨日は、木下航二氏について書き、今日は「木下杢太郎(もくたろう)」について書こうとしている。別に、連想ゲームやしりとりゲームをしているわけではない。偶然に「木下」という姓が重なってしまうこととなった。
 なぜ「木下杢太郎」なのか。特に深い理由はない。いや、意外とそうした偶然の文脈こそが、訳知り顔的な接近よりも深みに嵌ることになりやすいのかもしれない。
 実は、先週再び伊豆の伊東に骨休めに行った。前回は、「東海館」という旧い旅館が保存されていたことに感動したのだったが、今回は、伊東市内で市が運営している「木下杢太郎記念館」を訪れ、ちょっとした興味を惹かれてしまったのである。
 その記念館は、「木下杢太郎」こと本名:太田正雄氏の生家であり、土蔵造りになまこ壁を配した明治末期の民家が、現存する最古のものとして保存されているのである。その佇まいを観光気分そのままで眺めるのもそれはそれで悪くない。特に、土蔵造りの母屋の奥に繋がった天保6年(1835年)建造という生家の部屋は、何とも「みすぼらしい」光景で、それが妙な感動を与えた。畳一畳もこじんまりとしており、全体として造りが小さめだと感じざるを得ないその四畳半の部屋は、如何にも当時の日本人たちがつつましく謙虚であったかということを納得させられるにあまりあるものであった。
 小さく華奢な窓に面して置かれた小型の和机は、畳に吸い込まれるようなかたちで鎮座しており、こんな机上で子ども時代の杢太郎が文学への想いを深めていったのか…… と想像させた。
 明治生まれ(明治18年)の医学者(東京帝国大学医学部教授)にして、北原白秋と並び称される詩人、文学者であり、また優れた画才をも発揮した当時の超知識人(6ヶ国語にも通じていたと言われる)の生誕の環境が、時代ということもあってではあるが、いかに堅実なものであったかということに気づかされるのである。また、モノの華やかさで満ち溢れていながらそれに比して味気なさ過ぎる文化というわれわれの時代の環境が、何やら面映くい(おもはゆく)思われてならなかった。

 わたしが、杢太郎記念館で感じ入ったことは二つあった。
 今回、伊東へ行く列車の中でわたしは、ある新書版を読むともなく読んでいた。日本の近代、明治・大正・昭和の思想史めいたものであり、久々に近代思想史になんとなく視線が向いていたのだった。その底流には、傲慢な言い方をすれば、昨今の文化の環境がどうも上滑りをしているような直感が拭い切れないという印象があるのかもしれない。新しいもの、サイエンスやテクノロジーにおける斬新なものにばかり視線を向け、それらを咀嚼するはずの人間の精神文化の方があまりにも蔑ろにされているという印象である。
 そんなことから、明治、大正、昭和の時期を、医学に携わり近代的聡明さを発揮するとともに、合わせて耽美主義の文芸に突き進んだ杢太郎という存在が、とても気になり出したのだった。
 実を言って、似たような知識人としての森鴎外には関心を持ってきたが、杢太郎はこれまでさほど凝視しようとしたことがなかった。

 もうひとつ、今回、杢太郎への関心が深まったのは、展示されていた『百花譜』の原画の何点かをまじまじと見ることができたことだった。
 『百花譜』とは、豊かな画才にもめぐまれていた杢太郎が、昭和18年、58歳の時から、死の直前の昭和20年、60歳までの短期間に画稿872枚を描き続けた植物画集である。それらは、戦時中の紙不足という事態もあって、横ケイの医学箋に描かれてある。驚くべきは、一枚一枚の植物画が実に詳細かつ繊細に描かれていることである。虫眼鏡を通しての鑑賞でも十分にたえる丹念さなのである。もちろん、日本画絵具で施された彩色も見事な鮮やかさである。展示用に壁に掛けられた何点かのそれらを見つめていたら、鳥肌が立つようなじわっとした感動が訪れたものであった。
 描かれた素材の植物たちがまた良かった。ちょうど最近のわたしが、ウォーキングの際に関心を持ち始めた路傍に生える素朴な草木であったからだ。
「ここに写された草木はいずれも著者の生活圏内で触目されたもので、温室育ちの華麗な花はもとより花屋の店頭を飾るようなものはほとんどない。路傍にあれば埃にまみれ、人目にもつかない可憐な雑草の類にも著者の暖かい眼は注がれている」(澤柳大五郎氏/パンフレット)
 杢太郎自身もこの辺のことを次のように書いている。
「朝早く大学の池の畔に行つて、濁つた水の上に張り出した椎の太幹と其葉とを写したことがあつた。この頃は見たままの写生を自らなる図案にするといふのが目あてであつた。顕微鏡でのぞく黴の類(たぐひ)にも其器官に美しい装ひをするものがある。何の必要であらう。何物の為めの装飾であらう。考へたつて分りやうはない。蝨といふいやしい虫でも、其棲む環境に対する聯想を離れて、生きた姿其者を窺ふと、甲冑いかめしい美しいつくりである。然しそれとて、我々が考へるやうに『美』の為めに出来上つたものではない。食ふか食はれるかの必然がそこに到らしめた結果である。凡て好く生きるものは美しい」(随筆「本の装釘」昭和17年)

 亡くなった親しき人々は決してこの世に存在しなくなるわけではなく、思い起こす人とともに生きていると聞く。歴史上の人物や文化にあっても、何がしかの関心を抱いて接近していくならば、彼らは十分にその問いかけに応じてくれそうだ。今の環境に失望する時、無いものねだりに明け暮れるよりも、衆目の及ばない過去を静かに旅するのも一興だと感じていた…… (2004.07.16)


 いかな夏の暑さとて、日が暮れれば多少なりとも涼しくなりそうなものだが、今日の蒸し暑さは尋常ではなかった。風がなく湿度が高いためであろう。こんな場合、毛皮をまとった猫たちは憐れなもので、少しでも体温を放出しようとして、ダイニングの床に身体を伸ばして横たわっている。もはやまともな判断力も失せたとみえ、通り道もなにもおかまいなしでデレーっと伸びきっている始末だ。踏んづけてしまったらえらいことになると思い、こちらが注意して歩かなければならない。
 また昨日だったか、炎天下を散歩させられている犬がいた。毛の長い犬であり、いかにも過剰に体温を貯め込んでいるとみえ、朦朧としたような足取りであった。何もそんな時間に散歩させなくてもよさそうにと思い、ロープを持つ飼い主の顔を見た。若い兄ちゃんのようだったが、ボォーっとした顔をしていた。どうも暑さによるもの以前の問題のようで、やれやれワンちゃんも大変なことだと同情する始末であった。

 ボォーっとしているのは他人ごとではないかもしれない。ついさっき、カレンダーを見て、「あっ、そうか、明後日の月曜日は祭日なんだ!」ととんでもない気づき方をしたのである。ボォーっとしていたことになる。だが、これもまた、暑さ以前の問題のようだった。今週は何かと忙殺されていたからという言い訳が成り立つものの、正直言って昨今「カレンダー」にさほど関心を持っていないようだ。社長とはいえ、無闇に休むことはしないが、休日でもおかまいなしに事務所に向かうし、万事「マイペース」で過ごしているからかもしれない。まして、歳時記にも登録されていないであろう「海の日」という祭日なぞ、眼中になかったのだ。
 サラリーマンなら、拘束の解かれる祭日はこの上もなくありがたいものなのだろうが、「天涯孤独」ふうの零細企業の責任者にとっては、祭日の意味もまたはなはだ異なるのである。叶うことなら、休日は会社の体力増強のため、競争上の「抜け駆け」のために最大限活用したいというのがホンネである。従業員たちはもちろん別であるが、わたしと同様の小規模経営者たちの心境はほぼ同じではなかろうか。
 本来を言えば、身体のためにも、精神衛生上のためにも、等間隔の「ポウズ(休息)」を適切にとることが肝要なのだとは思う。それら両面での疲労の蓄積は、害あって一理なしといえよう。しかし、先行きが不透明過ぎるこのご時世で、それはあたかも「戦(いくさ)」のようだとも表現できるが、その最中に、「さあ、今日明日は休日で、明後日は『海の日』の祭日です。しっかりと休息しましょう」と言われて仕事のことや、先行きのことからパラリと離れられる経営者はそう多くないのではなかろうか。

 景気が良くなったとの指標があちこちで示されるようになってきた。確かに、自社の動きを見ても当面、短期の動向は暗くない。しかし、わたしが贅沢なことを望んでいるのであろうか、景気回復の確たるものが今ひとつ見えないのである。「よし、これなら山や谷はあろうけれども、皆が向かう方向は見えた!」というような中長期的展望が見えてきたと言いたいわけだが、それが言える状況とは思えないのである。むしろ、否定的材料ばかりに気づかざるを得ない。
 財務指標や景況感の改善を目に見えるかたちで示しているのは大手企業であろう。現に、抑制されていた設備投資がにわかに動き始めている模様である。また、これをトリガーにした製造業領域の中小企業層への波及もうかがえそうだ。しかし、これらをもって景気回復と言い切るのはあまりにも軽薄過ぎるように思える。
 何度も書いてきたが、大手企業の財務修復のほとんどは、リストラにあったと言っていいのではなかろうか。とすれば、リストラされたり報酬が縮小したりしたそのツケは、市場の購買力低減に跳ね返っていくものではないのだろうか。景気回復に必須の内需拡大の実情と今後が心配なのである。また、破格のリストラによって、どうも大手企業の職場はかなり無理が生じているような気配も垣間見える。果たして、良い数字を計上したとされる現状はいつまで耐えられるのであろうか……。

 ところで、多分現状の経済の牽引力は、内需改善ではなく、対米、対中国という外需なのだろうと推測する。だとすれば、本来的に期待されたものは何も変わっていないというべきなのではなかろうか。米国や中国の景気動向も、決して磐石(ばんじゃく)なものとは見えない。まして、大統領選挙対策でカンフル剤を打ち込まれている米国は、事が済んだら一体どうなるのであろうか。また、中国のバブル体質がいつはじけるかはその筋の専門化さえ懸念しているという。
 長期に渡ったこの国のデフレ不況が回復するとは、内需の質が大きく変革されることではなかったのか、とそう思っている。人々が期待したのはそのことではなかったのか。その点が言及されずに、ただ表面的な係数上の上向き変化だけを云々するのは、気持ちはわかるが納得できない。
 今、本当に必要なことは、中小零細企業でさえも、「希望」を持って前向きに踏ん張ろうとするような、日本経済の将来をビジュアルに示すことであろう。まやかしの「小泉・構造改革」は馬脚を現し始めているが、まやかしなのは小泉氏だけではないのかもしれない。「グローバリズム」路線と「構造改革」というものは、一体どんな理念であるのか、さしずめ一体誰を幸せにして、誰を切り捨てるのか。どさくさにまぎれて導入された観のあるこれらの方向性をもう一度吟味せずして、この国の経済の健全化、真の景気回復は語れないと思っている。
 それでも、自社は何とか歩んで行かざるを得ない。そんなジレンマを四六時中抱えていなければならないがゆえに、「タコ社長」の辞書には、「不可能」ではなく「カレンダー」はない…… (2004.07.17)


 脳は一体何をどう整理しようとしているのかわからないが、もう十年も前になる、セミナーの講師で出張を重ねていたころの夢を時々見る。昨日は、長年継続していた、ある大手家電メーカーのソフト子会社相手のセミナーのようであった。その会社のプロジェクト・リーダークラス(主任層)に関しては、毎年二回ほどの二泊三日の合宿セミナーを実施して、数年以上勤めたことになる。したがって、当時のその会社の社内管理職層は部長未満の大半が受講したことになり、穿った言い方をすれば、経営層よりもわたしの方が管理職やリーダークラスのつわものたちを良く知ることになったほどであった。

 定年退職で社長が交代した後も、後任の社長は前任者と同様に、セミナー最終日にはセミナー会場に訪れ、参加者たちを慰労するとともに、わたしと面談することを望んだ。それというのも、前任の社長の時から、そういう慣わしができてしまっていたのだ。
 前任の社長は、営業畑を登りつめてきた方だけに実に気さくな社長であった。いやそれだけではなく、社長という立場であれば当然のことだとは言えるが、人への関心が強く、とりわけ部下たちを十分に掌握しようとする姿勢がありありと窺えた。
 その会社向けのセミナーの初回の際、最終日のスケジュールもいよいよ受講者たちに今後の執務に向けた「決意表明」を執筆させている時であった。その時間は、わたしはわたしで、セミナーの締め括りのあり方などを思索する時間にあてていたのだが、その社長が話しかけてきたのである。
「先生、ちょっとお時間をいただけませんか。よろしかったら、別室でコーヒーでもご一緒できればと……」
 なにやら思惑がありそうな気配であったが、断わる理由もなくわたしは同意した。
 別室に行くと、
「いやあー、お疲れ様でした。みんな、今までの講習会とは別で顔色が違ってましたな。それだけで、先生の影響力の尋常でないことがわかりますわ」
と、その社長は、確かに疲れ果てたわたしを気遣ってくれた。
「時に、先生は主任たち全員と面談もされたようで、それじゃ先生なりに各人の実態を掌握されたわけですね」

 確かに、二泊三日の短い時間ではあったが、わたしの狙いは個人指導であったため、十数人もの受講者ではあったが、一人ひとりをまずまずわたしなりに理解できていた。そのために、事前学習をさせその結果を提出させてもいたし、グループ学習をさせている七、八時間の間に一人当たり三十分ほどの個人面談も行ったわけである。この面談は、タフなわたしもさすがに疲れるものであった。それというのも、初対面の者と単に雑談をするだけでも気を遣うはずのものであるのに、この面談は「つばぜり合い」以外ではなかったからである。
 受講者たちにしても、いくら外部の講師とはいえ、上司や社長と「通じて」いる会社側の「回し者」だと受けとめているはずである。うかつなことを言ってはならないと先ずは考えているに違いない。しかし、講師からは、事前学習や受講中の様子などから、遠慮会釈もない実態指摘の言葉がぶつけられる。まあ、そうはいっても、わたしの方も相手の自尊心を傷つけない配慮をしはする。が、三十分という短時間で受講者が自己認識を深めてくれるよう、わたしとて駆け足の対話をしなければならない。だから、必然的に、「つばぜり合い」的な空気が漂うことになるのだ。ただ、わたしも人の扱いでは「プロ」を自任するものなので、相手の「顔が立つ」かたちでの切り込み方をしてきた。その結果、概して次のごとき感想をしばしば聞くこととなった。
「何々さんは、先生との面談の前は、疲れたの何のと愚痴っていたのに、面談から帰ってくると人が変わったみたいにやる気を出してましたよ」

 で、社長との話に戻るが、彼はわたしへの慰労の言葉を終えると唐突に切り出したのであった。
「先生、先生もソフト会社の社長さんですよね。だから、率直にこういう聞き方をさせてください。今回のウチの主任たちで、先生が欲しいと思った者はいましたか? いたとしたら、誰がそれにあたります?」
 何とも、単刀直入でリアリティのある発言をする方だとわたしは呆気にとられたものだった。が、実に当を得た発言であったと思う。とかく、誰が能力があり、誰が可能性があるかという「小田原評定」に走りがちなのが、綺麗事の現実である。切実なインタレストを離れると、とかく人は無責任な発言をするものだからである。
 が、「社員として、部下として誰が欲しいか」という質問は、極めて実践的な土俵での、実のある評価というものを指し示している。彼の要求水準を了解したわたしは、苦笑いをしながら、
「いただけるんですか? じゃあ、率直におねだりさせてもらいましょう。 なんと言っても、○○クンですね。 まだ、リーダーシップに磨きはかかっていませんが、あの技術的な洞察力と、周囲への観察力の鋭さ、そして、物怖じしない判断力は、稀有な存在だと感じています」
「やっぱりね……。 △△もいけるでしょ?」
「社長は評価されているようですね? 確かにいい面を持っておられるとは思いますが……」
「いけませんか?」
「あくまで、外部の人間の感想としてお聞きいただきたいのですが、ひょっとしたら彼には『表裏』があるやもしれません。グループ単位で個室に分かれての作業をわたしはそれぞれ訪問していますが、その時の彼の作業態度は受講時のそれとかなりの落差があった印象を受けています。深夜に及ぶ作業なので、体裁を繕いかねる状況ですから『落差』が表れる者も当然いるわけなのでして……」
「ウーム、そうですか。そいつは以外だったなあ……」

 夢の中では、目覚めて今思いおこしているような筋らしい筋があったようには思えない。ただただ、セミナー会場へ向かう際の襟を正した気分であるとか、会場での脈絡のない光景が挿絵のように登場してくる感じである。
 しかし、よほど自分自身も熱を入れていたという雰囲気が、いまだに消えないようではある…… (2004.07.18)


「いかにもトーダイ生っていう感じね。何だかあぶなそうな雰囲気がありそう……」
と家内がつぶやいていた。NHKのTV番組、ロボット・コンテストに登場していた東大生たちへのインタビューが映った時のことである。
 一般的には、「やっぱり、何だかあたまが良さそうな顔してる」という感想がもらされるところなのであろう。しかし、家内はまあ健全な感覚を持っているのであろう。受験勉強に明け暮れて、世の中の現実の一面でしかないズレた知識を後生大事に詰め込んでいるかのごとき者は、逆に崩れやすかったり、非現実的な判断をするとでも考えているようだ。
 まあ、わたしも概ね同様の意見を持っている。いや、わたしはむしろもっとラディカルであり、現代という時代では、そうしたタイプは何もトーダイ生に限られたものではなく、大半の人々が知識とおカネがすべてだと信じ、ある意味で現実を部分的に切り取って生きている、と思っている。養老孟司氏のいう「脳化社会」の普遍化ということである。
 脳がデザインした人間環境である「脳化社会」が悪いというのではない。人間は大なり小なり環境を「脳化」しないでは生きてゆけないであろう。問題は、それが現実のすべてだと思ってしまったり、信じることになってしまう点なのであろう。
 しかも、人間の脳はというべきなのか、「脳化社会」への趨勢は、脳が理解できないこと、制御できないことを「排斥」しようとでもするようだから手に負えない。「排斥」とまではいかないにしても、自分流の解釈で置換えようと、置き換えた範囲で再び制御しようとする。そして、その営為から外れたものは度外視するに至るようだ。

 別に「トーダイ生」がどうのということではないのだが、前述のインタビューでもわたしが先ずもって感じたことは、「知識獲得」に明け暮れている人種というものが、どういうわけか「話し方、口調」に独特な臭味が漂っている点なのである。中にはそうした臭味を「インテリジェンス」の香りとして錯覚している人もいるようではあるが、わたしはどうも好かない。
 歌唱でいえば、複式呼吸によって十分に声帯を震わせているのではなく、鼻にかかった鼻歌というか、口をすぼめての口先歌唱というか、そんな印象を受ける。脳と口とが直結したかたちで連発される言葉のようにも思える。いわく言い難いボディの存在を感じさせないのである。ふと想起するのは、現閣僚のひとりである竹中経済財政・金融相の語り口であるかもしれない。彼らの言動は、確かに「脳化社会」の目に見える環境を形成したり、改変したりはしていく。しかし、それはあくまで問題を据え置き、棚上げにしたり、「ゴミ」を見えないところに片付けたりする手法によってである印象が否めない。

 今日は、自宅で過ごすこととなっているが、そのきっかけはTVのロボ・コン番組の後でやっていた、日本の「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されようとしていることに関係した特別番組に惹きつけられたからかもしれない。高野山の金剛峯寺、吉野の金峯山寺、熊野の那智大滝などが中継を交えて、ほぼ一日を費やして紹介されようとしているのである。
 もともと、若い空海が修行をした高野山や、修験たちがこもる神秘の紀伊山地には興味が絶えない。加えて、前述したような「脳化社会」というものが、「下界」の一事であると暗喩するような「大きな文化」への期待のようなものが、わたしにはあるのかもしれない。今、「仮設」(?)されている「脳化社会」なぞは、長い歴史の中の一場面でしかないというような鳥瞰を与えるようなものへの憧れというべきなのかもしれない。
 偉そうなことを言っているようでもあるが、決してそうではなく、「脳化社会」的な「仮設」現実の方がよほど脆弱であるように思えてならないのである。脆弱といえば、ここ何日かの集中豪雨で信じられないような災害を被った新潟や福井の洪水などは、現代「脳化社会」の脆さをはからずも見せつけたと感じている。もとより、自然災害のみならず、人為災害ともいえる悪政が、この国の将来に大きな不安を引き起こしてもいる。

 たぶん、人々に絶望感さえ呼び覚ましている現代のこじれた社会問題の解決は、より大きなパースペクティブで視野を広げない限り収拾されないのではないかという予感がしてならない。空海や修験たちのように紀伊の山野を駆け巡ったからといってどうなるものでもないだろうが、そうではなくて、生身の人間、死するべき個人という人間のもう片方の否定できない側面の事実を凝視した上で、社会や時代づくりが見直されていいと思っているのである。ロボットのように、部品を取り替えさえすれば永遠に迫れるかのような乾いた視点で発想することがどうも間違っていると思われる。
 脳は自身の死、活動の停止を自覚することはできない。と同様に、「脳化社会」では死がタブー視されている。解不能の問題として度外視されているのであろう。しかし、そうした基本スタンスが、実のところ人間を必要以上に苦しめているのかもしれない。少なくとも、未曾有の高齢化時代が訪れようとしているこの国にとって、これまでのように死する人間の問題を黙殺するかのような渇いた文明だけでは決して済まないと思われる。日本には歴然としてあった生と死をまたぐ文化が急遽見直されなければならないように感じている。年金問題、介護問題も重要であるには違いないが…… (2004.07.19)


 ある情報によると、昨今の小中学生は漫画本さえ読まなくなっているそうだ。『週刊少年ジャンプ』などの漫画週刊誌の発行部数もジリ貧で、かつ購読者年齢層は高校生以上の層に上がっているとか聞いた。要するに、子どもたちは、文字を読まなくなった上に、ルビつきの漫画の吹きだしを読むことさえわずらわしいと受けとめ始めているようなのである。たぶん、TV番組やアニメーション、そして画像中心のゲームなどが溢れている環境と無関係ではないのだろう。まさしく、マルチメディアでなければ頭がついてゆかなくなってしまったのであろうか?

 グローバル化がますます突き進む経済にあって、文字離れに伴う学力低下を懸念する大人たちも少なくないようである。考える力というのは、やはり言葉や文字に依存する比率が高いと思われるので、子どもたちの文字離れ傾向はやはり注目しておく必要がありそうだ。
 ただ、おいそれと読書好きの子どもたちを増やすというわけにもそう簡単にはいかないのではなかろうか。文字メディアよりも、イージーに取り扱えるマルチメディアがさしあたってのニーズを相応に充たしてくれるからである。そうした市場環境が、まさに溢れかえっている。視聴覚といっても、音楽のジャンルを除けばやはり視覚メディアが中心となっているのであろう。ラジオの音声や朗読などの聴覚メディアは、中高年ファンが増えている(NHK『ラジオ深夜便』! 関連月刊誌まで発売されているようだ)模様だが、朗読を含む音声は、基本的には文字情報と考えていいはずである。

 となると、教育現場ではどのような対応が迫られているといえるのだろうか。現在でも、次第に這い上がってくる文字離れ世代のせいであろうか、大学の講義は惨憺たる状態だそうだ。私語に現をぬかしたり、ケータイで遊んでいる学生が多く、まあ成人式の散漫な会場を思い浮かべればわかりそうだ。そこで、大学側も現状に追随するかのように、出席確認や質問時にはケータイを活用させるという方法を採用し始めたところもあるという。 おそらく、現在の大学でのこの傾向は、強まりこそすれ、容易に改善されることはないのかもしれない。とすれば、どう対応し得るのか。
 わたしも、大学院生のころには非常勤講師として、大学、高校で講義をした経験がある。まだ当時は、ケータイなぞ出現していなかったし、私語は慎むものという常識の一端も生きていたのであろう、まずまずの穏やかな教室風景であった。ただ、私学の男子高校ではてこずったものだった。とにかく、今で言う注意散漫症(AAADD)のように騒ぐ悪童が多くて、注意しても、怒鳴りつけても繰り返し「同時多発」するありさまでまるでモグラ叩きのようであった。
 その時、わたしは思ったものだった。要するに、彼らは、一部の自分なりの受験目的を持った者以外は、授業に興味が見出せないのだろう、従来どおりの授業形式に飽き飽きしているのだろう、とそう思ったものだった。
 そこで、一計を案じ、マルチメディアを、いや当時はまだPCも出回らなかったため、視聴覚教材ということになるのだが、それを導入することにした。校内にある利用可能な視聴覚教材と設備を確認し、授業に関連したスライドを見つけると、これに自前のナレーションやサウンドを録音テープで演出してちょっとした視聴覚授業を企画したのであった。
 まあ、どこにでもバカはいるもので、視聴覚室の電気を消した途端に騒ぎ出す者もいるにはいた。鑑賞後に、「小テスト実施」という「水路」を設けたりしたこともあり、概ね、生徒たちには新鮮さが受けとめられた様子であった。
「先生、またスライドにしてよ」
という声も出てくるほどであった。
 われわれも、毎日TV番組を見ていて、マンネリだなあ、と感じることが多いはずである。何か新鮮さが欲しいと感じるはずである。子どもたちの授業とて、形式と内容において斬新さが不可欠なことに変わりはないのだ。

 ところで、現在でもわたしは「SE」や「リーダー」向けの効果的な教材づくりには関心を向けている。また、一般の人向けの講演を依頼された時にも、できるだけマルチメディアを駆使したプレゼンテーションで臨もうとしている。そこそこの話をする話術は苦手ではないにしても、あえてそれは避けようとしている。また、現在大学で教鞭をとっている知人友人にも、PCと液晶プロジェクターを使ったマルチメディア講義への転換を勧めている。
 それというのも、現代のわれわれの「基本」環境は、TVその他の刺激に溢れたマルチメディア環境となってしまい、それが現代人の五感にとっての「基本」チャンネルとなっているはずだと認識しているからなのである。だから、口頭による講義といった、この水準を下回る情報伝達方式は、「近代戦争」に臨むに、「やーやー我こそは……」と叫びながら、馬上で刀や槍を振り回す作法で挑むのと酷似していると感じている。
 もし、あくまでも古い作法で臨みたいのであれば、その可能性はなしとはしないが、その代わりエンターテイナーとしての抜群の話術が必要となるだろうと考えている。なんせ、大人であれ子どもであれ、現代人は学習の中にもエンターテイメントを求めてしまう「基本」構造を持ってしまっているはずだからである。

 ネットを検索していたら、もう十四、五年前に参画した、「SE」教育のビデオ複数巻がサンプルをプラグインの「MS Media Player」で閲覧できることを知った。『できるSEのコミュニケーション技法シリーズ』と称して、リクルート関連会社がプロデュースしたものが「潟激rック」で取り扱いを始めていたようだ。
 そのシリーズには、わたしは「キャスター」として出演しているのである。先頃、そのサイトでサンプル・ビデオをクリックして、久々に、十四、五年前の自分の姿と語り口にご対面したものであった。( http://www.revic.biz/samplewmt/gyo/315/index.htm )その種の教育ビデオが希少であるということと、基本的にはコンテンツが現在でも生きていると見なされているものと思われる。気恥ずかしい感じがしないではなかったが、もうとっくに、お蔵入りしたものと思っていただけに、何となく気をよくしている。

 それにしても、PCが、Windows の普及によって「テキスト・ライン」のインターフェイスから、「GUI(グーイ)/Graphical User Interfaceの頭文字をとったもの」(コンピュータとその使用者とのコミュニケーションを容易にするため、コンピュータの機能を画面上に分かりやすく絵[アイコン]や文字で表わし、使用者はマウスと呼ばれる簡単な入力機器を操作するだけで利用できるようにしたもの)が一般化したのと同様に、人々の認識方法も、マルチメディアが主流となったことは後戻りしないような気がするのである…… (2004.07.20)


 窓の下方向から、何やら人の声が聞こえてきた。この猛暑の中、元気な若いヤツが騒いでいるのかと思って、ブラインダーの羽を押し広げて外を見た。「原水禁」を訴えるデモ行進であることがわかった。
「プルトニウムの再利用はするな〜! 核のない二十一世紀を作ろ〜! われわれはあらゆる戦争に協力しないぞ〜!」
 久々に聞くシュプレヒコール( Sprechchor )であった。
 二、三列の縦隊で、この猛暑の中を車道の左端を行進している。女性たちは日傘をさす人たちが多く、男性は帽子もしくは手ぬぐいを被りこの強い陽射しをしのごうとしていた。夏休みとなった子どもも交じっていた。ふと、昨日もこの暑さで「熱中症」にかかった人が多かったのを思い起こす。
 集団の歩調に合わせて歩くデモ行進はただでさえ疲れるものである。なのに、今日は、昨日に引き続く軽く三十度を超える異常猛暑だ。照りつける陽射しも強ければ、アスファルトから照り返す熱気も半端ではない。シュプレヒコールを聞きながら、わたしは思わず手を合わせたくなるような気分で「ごくろうさま」とつぶやく。
 クーラーの効いた部屋で何もしていない自分と、人類の過ちに対して身をもって意思表示をしている人々との落差がチクチクと心を刺した。せめてこのデモ行進のことを日誌に書くべきだと……。

 世界は、相変わらず獰猛な連中が野放しにされているような事態がある。自由と平和、安全を口にしながら、やっていることは火に油を注ぐ愚であり、狭量な仕業以外ではない。心あるものは、毅然としてNOと言うべきであるし、多少とも脳のあるものは、連中の欺瞞を容赦なく暴き立てるべきだと考えている。黙って見ていたり、おまけに連中の底意地を隠した詭弁に耳を傾けるなぞは愚の骨頂なのである。
 こんな発想に立つのはいささか躊躇う向きがないわけでもないのだが、底意地の悪い連中というものは、並みの人間による想像を絶した地獄を何ら心を痛めることもなく、いやもともと心なぞという上品なものは「ハサミで乾いた音を立てて切り刻み、生ゴミと一緒に廃棄」(何とかクリニック!)してしまっているようだが、口笛軽やかにカネ亡者(もうじゃ)の道を驀進しているのであろう。
 軍事力や核兵器にしても、最もいち早く凝視すべきは、自身の心を犬に食わせてしまった「死の商人」たちの暗躍だというべきだろう。何かと言うと「市場経済」を賛美するこのご時世なのだから、戦争と平和の問題だけを「聖域」的な観念論に迷い込ませて考えてはいけないのだろう。戦争でしっかりと儲ける連中がいるし、平和へのプロセスで金権を手にする輩たちが必ずいる、とまずは踏んでかからなければならない。現に、イラク戦争がその好例であったのだし、北朝鮮が核兵器に執着するのも経済的動機というには綺麗事過ぎるなりふり構わぬ資金欲以外ではない。

 ところが、現代の「知」というものは、マイケル・ムーアのそれを除き、あまりに上品ぶった骨抜き状態となっている。もはや不逞の輩たちに吠えつき噛みつくことを放棄してしまった愛玩ペットそのもののようだ。
 自身の磨き上げた手法を総結集して大作「ゲルニカ」を描き上げたピカソ、隘路をたどって自身のはまり役を掴み、それをもってヒトラーを完膚無きまでに笑い者として皮肉ったチャップリンの率直さこそが、危機の時代現代に颯爽と蘇るべきだと思えてならない。 「悪貨は良貨を駆逐する」(名目上同じ質の異なる貨幣がある場合、良貨は仕舞い込まれたりして市場から姿を消し、悪貨だけが流通するという「グレシャムの法則」のこと。また比喩的に、悪が栄えれば善が滅びるという意)という残念な状況の蔓延が、現代の際立った特徴であるかもしれない。金儲けだけに水路づけられようとしているのが現代の「知」であり、「情報」であるのか。それらの傾向は眼にあまるものがありそうだ。それを叩く「知」がもっと元気になっていくべきだと祈念したい…… (2004.07.21)


   (注 ※)二年前にも(2002.08.14)この表題で違ったことを書いていました。

 わたしは食べ物に関しては無頓着な方だろう。
 極端にいえば、空腹や、空腹に伴う思考力の低下などを速やかに修復したいという荒っぽい欲求を充足させることのほか、こだわりはあまりない。貧しい食生活指向を引きずっていることになるのだろう。
 だから、いわゆる「グルメ」派の人たちに対してはさほどの共感を覚えない。かといって、「グルメ」指向を享楽派だとか、贅沢だとか決めつける思いがあるわけでは毛頭ない。人はそれぞれ独自にこだわるものがあるものだ。そのこだわりが食べ物の場合もあるだろうし、それ以外のものに対しての場合もある。ここでこそ「人生いろいろ」と言っていいはずなのだろう。

 それでは自分は「何に対するこだわり」には無頓着ではあり得ないのだろうか。そんなことをふと考える。
 「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(『論語』)という名ぜりふがある。朝、正しい真理を聞いてその道理の真意を理解できたなら、たとえその日の夕方に死んだとしても構わない、という意味である。
 このように、真理の認識にこだわっているのだと言うと、「じゃ、気の済むようにこだわってればあ〜」なぞと半分バカにされそうではある。が、あながち恰好をつけているつもりでもなく、「そういうこだわりがあるかもなあ〜」と頷く部分が多々あるのだ。
 もちろん、おいそれと「夕べに死す」つもりなんぞはない。ひょっとしたら、孔子さまとて、「朝に道を聞かば」という条件の部分がいかに大変なことであるか、まれなことであるか、ほとんど不可能なことであるかを重々承知していたがゆえに、いわば反語的な表現をしたものと思われる。しかも、孔子さまのねらいは単なる個人的修行の道を説くことではなく、「治国」という国を治める、いわば政治思想であったのだろうから、「出来上がった」君子が、夕べに死んでしまったのでは元も子もないだろう。
 要するに、孔子さまは、それほどに「道」(道理、真理)を知ること、理解することに「こだわって」いた方だというふうに思うわけだ。

 そこへ行くと現代は、いろいろなことへの「こだわり」は百花繚乱ではあるが、こと真理の探究という点では淡白過ぎるのではなかろうか。もちろん、公式的には「真理探究」、実質的には「利益追求」以外ではない大学や宗教法人などなどは間違っても視野にいれてはならない。マスメディアも、最近では、やたら「検証」なんぞというもっともらしい言い草で、あたかも真実に迫っているかのようなポーズをとっている。これも十分に警戒に値する。世の中、似て非なるものほどはた迷惑なものはないと言うべきか。
 元来、真理の探究とはそれ以外に目的を持たない営為であり、だから何ものの手段にもなろうとしない「自己目的」的な人間行為だと信じている。だから、もともと学者と貧乏とは表裏一体の関係にあったのだろう。
 だが現代では、元来が相反する水と油との関係であった学者とカネとは、実に相性が良くなってしまったかのようだ。学者はカネ儲けの一里塚となってしまった観さえある。売らんかなの動機で駄文を執筆することはもとより、本業との関係が支離滅裂なかたちでTVタレントふうになったり、節操もあったものではなく政治家への道に紛れ込んだりしている。その言説が、実質、啓蒙的であるのならまだ「芸」の多彩さを称賛することもできようが、「芸」が死んでいるがために「間口を広げて」紛らわしているという醜態は、見苦しくてならない。
 学者たちがこうであるのだから、もともと「真理探究」、「真実探求」もどきをビジネスとしていたマスメディア、出版、教育などのジャンルが真理、真実、事実を弄び、カネ儲けの手段と見くびったとしても不思議ではないのかもしれない。

 小泉政権は、最新の世論調査によれば、国民からの支持率の底を打てないようである。まさに「いろいろ」な病巣があると見なされ始めているようだが、わたしは、次の二点ではないかと診断したい。
 ひとつが「羊頭苦肉」的手法であり、もうひとつが「目先症候群」である。くどくどと例示するひまはないが、強調したいのは、これらが前述の真理探究をめぐる現代の悪い風潮と奇しくも重なっているという点である。
 いや、現代がそういう「行儀の悪い」性癖を持っているから、小泉氏のような政治家がもてはやされてしまったと表現することもできる。
 今、書店に行けば、わかる人にはわかるはずだが、かつてのような落ち着いた静けさというものがなくなった。「表紙」一枚で「勝負」しようとする新刊本たちが、競い合ってひしめき合っているからだ。まさに「ワンフレーズ」の表題やキャッチ・コピーと、一人歩きしたビジュアルな表紙イメージがワイワイと騒いでいるのである。中には、『さらば小泉』なぞという、「小泉降ろし」ふうの叫びまでが登場している。
 それらの新刊本の中身は、まさに小泉政治が国民を失望させたように、さて、ジックリと読んでみようか、と腰を据えた購読者たちの多くを失望させているのである。そして、彼らは、その表紙と中身の落差に「羊頭苦肉」の苦さを思い知っている。ただ、もう片方には能天気に満足してしまっている人たちもいるにはいるのだが……。

 なぜこんなことが起きるのかと振り返れば、やはり「目先症候群」という点に気づかざるを得ない。つまり、ジックリとロング・レンジ(なが〜い眼)で書いたり、読んだりする人々が少なくなってしまったのである。その背景には、環境変化の超スピード化、当該情報の膨大化、とりあえず対症療法をせざるを得ない事態の切迫性などなどがひしめいているのであろう。要するに、悪循環が「ループ」し始めているわけだ。そして、当然ここには「出口」はない。にもかかわらず嵌まり込むからこそ「ループ」だということになる。
 ちなみに、コンピュータ領域での「ループ」現象は、「ハングアップ(暴走)」(一切の入力を受け容れず、電源オフのリセットしか対処法がなくなる現象)の原因となりがちなのである。
 ゆとりのない庶民個々人が、ロング・レンジ(なが〜い眼)で歴史を見通し、行動選択をすることはきわめて困難な時代である。だからこそ、分業体制において、学者たちは、「なが〜い眼」の歴史サイズで研究をすべきだし、政治家たちも政策吟味と国民へのフィード・バックが必須なのである。

 時代に「希望」がないのではなく、「希望」が生まれる最低限の処方がなされていないことが、まずは問題だと言うべきなのだろう…… (2004.07.22)


 時々、釣りの夢を見る。見覚えのあるようなないような川であったり、港であったりする光景に向かっていそいそとした気分でいるのだ。それで大概は、川面なり海面なりを覗き込むと得体の知れない大物が悠然としていたりして、いそいそ気分が次第に焦りに似た興奮へと変わっていく……。が、めったに釣り上げた試しがないのが夢の哀しさである。

 名古屋にいた若い頃、友人とよく岐阜の河川に日帰りで釣り旅行に出た。ニジマスなどの養殖魚を放流する管理河川にもよく出かけた。
 釣り経験の長い友人は、それだけのことはあって常にわたしの釣果(ちょうか)を上回ったものだった。その秘訣は、まさにニジマスの身になって、こんなところに潜めば餌も流れてくるし、身の安全も保てるというような川の一角を探し当てることにあったようだ。と、もうひとつは、餌そのものの考慮である。
 ニジマスの釣り餌は、「イクラ」をニ、三つぶというのが定石である。大抵の場所ではそれでオーケーである。が、人気のある川では、それでは一向にあたりが出ない場合もある。要するに、ニジマスたちはそんなものを食い飽きてしまっている場合である。
 ただでさえ、ルアーやフライを追っかけて飛びつくほどに好奇心旺盛な魚であるニジマスは、大勢詰めかけて来る釣り人たちが餌といえばイクラを使うことにマンネリ気味になっていたりするのだろう。
 また、放流をする側にしても、ちょっとした「さじ加減」ができるのがこうした人工の管理河川である。定期的な放流の前に、ちょいと大目のイクラの餌を与えておけば、まるでパチンコ屋がデジタルの当たり目の「設定」をちょいと下げておけば大当りがめっきり減ってしまうのと同様に、釣り人の竿を持つ手にはピクリともこないありさまに化してしまうのだ。
 そんな時には、趣向を凝らすというほどでもないが、ありきたりのイクラをやめて釣餌用に瓶詰めで売っている「サナギ」なぞを使うと、どこに隠れていたんだと言わぬばかりの突然の食いつきを得ることになったりする。

 現代という時代に身を置いていると、こうしたニジマスの習性と同じようなことが展開しているような気がするのである。われわれは、諸般の事情で「飽食」気味とさせられた養殖ニジマスに似ている。食い物はもちろんのこと、快適さをもたらす身の回り品には何の不自由も感じていない。しかも、デフレ傾向のお陰といっていいのだろう低価格水準もさまざまな商品に行き渡っている。
 モノだけではない。メンタルやマインドに対する満足感もさまざまなエンターテイメントが過剰なほどに提供されている。また、昨今では、恐怖や不安を刺激する社会的事件も、あたかも記録を更新するようにエスカレートしている。それらは逐一、茶の間のTV画面に垂れ流される。否が応でも、感覚的に共有させられてしまうことになる。
 つまり、現代人の感覚は、「実体験なき見聞」によって、下世話な表現をすれば「耳年増(みみどしま)」ふうになっているのではないかと思ってしまうのだ。
 何に対しても目を白黒させる世間知らずも困りものであろうが、逆に何に対しても動じないはいいとして、何に対しても不感症のごとく醒めた風情でいるのはいかがなものかと思うわけだ。

 いまさらなぜこんなことに関心を向けるのかといえば、こうした「荒れた感性状況」は感性だけではなく人の判断を狂わせるとともに、人を幸せにはさせない構造を持つ、と感じるからである。
 「荒れた感性状況」の原理は、巨大さ、強烈さ、奇異さといった要するに「量的」差別因子以外ではない。「質」を問う繊細な人間的感性が蹴散らされかねない原始的基準のはずである。
 小泉マジック、手法が、「サプライズ」という「量的」差別因子に依拠する視点で構成されていたことは多くの人が指摘している。中身という質、方向性という質が常に不問に付され、「ぱっと見」の鮮やかさを演出する政治は、とにかく人々の心を荒廃させないではおかない。
 しかし、そうした小泉氏への同調が少なくなかったのは、彼が本家本元なのではなく、こうした風潮が、高度資本主義の市場経済とマスメディアによってしっかりと「整地」済みとなっていたからなのだろうと思っている。
 彼はその風潮に沿って、巧みなサーファーよろしく、相応の波に乗っただけのことだと言うべきなのだろう。

 いまひとつ、こうした「荒れた感性状況」を懸念する理由は、時代が必然的に向かう「<地道な>経済社会」にとって、この「感性状況」は<飛んでいる>(遊離・離反している!)としか思えないからである。本格的な少子高齢化で生活や福祉といった<地道な>ジャンルの手堅さが求められる一方、逼迫する国家財政、地方財政という追い討ちがかかっている。かつての倹約主義に復古しない(できない)までも、<地道な>経済、<地道な>社会を指向せざるを得ないはずである。
 そのためには、「量的」差別因子に振り回されず、「質的」な因子に敏感となっていくべきではないのかと思っている。
 たとえば、時代に合った経済の新展開を想定する場合、もはや「量的」拡大をねらうことは突破口にはならないのではないか。人自体の数が目減りする中で、一体どうやって内需拡大が図れるというのだろう。極端な言い方をすると、「質」が勝負である芸術作品のような性格のジャンルが創造されていかなければ、この問題は解消されないような気もしている。芸術作品が極端であれば、サービス(業)の「質」といってもいい。
 言い古されてしまった「ソフト経済」「経済のソフト化」が思い起こされるが、その現代版たる「IT経済」というのも、情報流通の効率化という言ってみれば「量的」観点において足踏みしているようにしか見えず、画期的創造性だとは思えないでいる。

 釣の話に戻ると、そこへ行くと、魚を釣るのに餌も擬似餌も使わないという方法、アユの「友釣」という方法は、何と画期的な発想なのであろう。この辺を「起業」のヒントにすべきかとも思うが、所詮この国ではそうしたヒントも不正な「無尽講」「ネズミ講」創設に至ってしまうのがオチであろうか…… (2004.07.23)


 事務所に向かうクルマから、また、めずらしい光景に出会った。
 四、五階はあろうと思われるビルの解体現場である。通常、そうした現場は、安全上の配慮からすべてが仮設の外壁で覆われて、その中で行われるものなのであろう。だから、どのようにビル解体が行われているのか見る人はすくない。わたしも、中層鉄筋コンクリートビルの解体現場をまじまじと見たのはこれが初めてである。
 その解体現場は、車道に面しており、車道には長いアームとその先に巨大な洗濯ばさみの爪をつけたようなビル解体専用機が設置されて、解体作業を進めていた。
 ビルの両側と向こう側には、上から見て「コ」の字型となる足場が組まれ、解体中のビルを取り囲んでいる。そして、すでにビルの手前側の壁は、きれいに破壊されて、まるでビルの各フロアーを見せるための縦断面の模型のような状態となっていた。
 すでに屋上の床は撤去されており、その下のフロアーの床が、「巨大な洗濯ばさみの爪付き」の長いアーム型解体機でバリバリ、ベリベリと壊されていた。見かたによれば、蚕(かいこ)が、身を起こしながら水平の桑の葉を、端から食んでいるようにも見える。
 もし、徒歩での散歩の途中ででもあったなら、しばらくはジックリと観察していたはずであるが、クルマの運転中ということもあり、名残を惜しみつつその光景を見放した。

 昨今、効率的な空間利用のため老朽化したビルを解体するケースが増えているという。ただ、咄嗟に考えたことは、解体工事というのは結構大変な作業なんだなあ、ということと、その分かなりの費用もかかるはずではないか、という憶測であった。二階建て程度の建物の解体ならまだしも、鉄筋コンクリートの中高層ビルともなると安全性の問題やら、手順の問題、さらに解体後の廃棄物処理など、素人目には気の遠くなるような難問が想像されるからである。

 実を言うと、この光景を見る直前に、わたしは「廃棄物処理」作業をしてきたのだった。壊れた洗濯機を、クルマのリア・スペースに積んで、市が指定した業者の倉庫まで運んだのである。通常、家電ショップから新製品を購入した際には、古い製品は引き取ってもらうことになる。が、たまたま、別な入手先があったため、廃棄処分を自前でやることになったのである。
 これまでは、家電製品を含む粗大ゴミは、市の「リサイクル・センター」へ持ち込んだり、市のサービスとして取りに来てもらったりしていた。だが今は、新しい法令によって、PCにしても、冷蔵庫・洗濯機、エアコン、テレビなどにしても、ユーザーが有償で廃棄処分をしなければならなくなったのである。今回の洗濯機にしても、指定業者の倉庫まで持ち込んで、五千百二十五円なりを支払って来た。取りに来てもらうと、さらに千円以上が嵩むという。端的に言って、不要なモノを捨てるにも相応のコストがかかるという仕組みが成立する時代となっているのである。これを理不尽だと感じる向きもあるだろうが、現実は現実である。

 確かに、たとえ自分にとっては不要なものであっても、その存在は放っておけば他人の迷惑や実害となって、いわばマイナス価値となるのが社会生活というものであろう。
 現に、前述のビル解体のように、老朽化したビルは空間の効率利用という点のみならず、安全性という点で見過ごせないものがあるだろう。そして、解体現場をまじまじと見るならば、確かに建築作業にも迫る「充実した作業=相応のコスト」がかかる。
 つまり、ポジティブな<生産>だけに「コスト」というものが掛かるのではなく、<消費>の後の局面である<廃棄>にも十分に「コスト」が発生するということなのだ。
 考えてみれば、この道理は何も今に始まったことではない。昔からそうであったわけだが、結果的に曖昧にされていたのであり、そうされてしまうような背景もあったのだろう。
 たとえば、生活上のゴミにしても、その大半が自然作用の恵みによって自然へと回帰していく種類の物質であったはずだ。人為的な作業を要する「コスト」を発生させるまでもなく、「放っておいて」解消される範囲を出なかったのだろう。
 が現在の不要物、ゴミは、そのほとんどが「放っておいて」は自然へと回帰できない、あるいは自然要素へと分解するのに膨大な時間を要するそんな物資の組み合わせで成り立っている。当然、「後片付け」を要する実態となってしまっているのだ。
 おそらく、今後この傾向はますます先鋭化していきこそすれ、穏やかになることは楽観できないのではなかろうか。

 「結局、高いものについちゃった」とは、時々われわれが経験する苦い思いであるが、この点についてシビァに考えていくことが今緊急課題であるのかもしれない。そんなことを、ふと思ったのであった。
 目先の効率や、低コストを無意識に受け容れ、時間が経ってからそのツケを請求されるというロジックが、意外といたるところに転がっていそうな気がしないでもないのである。マクロな次元の話では、近代経済、生産は人々の生活を破格に改善したが、自然環境破壊とそのシビァな結果というかたちで、われわれは重篤なツケの前に立たされることになっている。近代的な人工環境は、人々に多くの恩恵をもたらしたとともに、自然な局面にはなかった、生きる上でのさまざまな制限をわれわれに課している。
 そう考えると、何事によらず、物事を短期的にその一面だけを見て見せかけの良さを鵜呑みにしてしまうことは、結構罪深いことになるのかなあ、と思わざるをえない。
 また、世の中には、下心があって、短期的、一面的な良さを誇張する人間もあとを絶たないように見える。環境問題にしても、平和の問題にしても、また教育の問題にしても、長期的な観点に立って広い視野で構想してゆける主体(集団的)が何としても必須だと思われてならない。それが、個人を超えたコミュニティの緊急な役割りなのであろう…… (2004.07.24)


 『iPodミニ』(米アップルコンピュータのデジタル携帯音楽プレーヤー)が日本でも発売され、好評を博しているという。
「iPodミニ(2万8140円)は名刺とほぼ同じ大きさで重さも103グラム。同種の携帯型プレーヤーとしては『世界最小』という。内蔵する小型ハードディスク駆動装置(HDD)に、パソコンを使って約1000曲を録音でき、簡単に持ち歩いて音楽を楽しめる。すっきりとしたデザインや親指だけで扱える操作のしやすさも人気だ。」( asahi.com 2004/07/24)

 わたしは、以前(2004.02.10)に、この『iPod』に関心を持ったことがあった。その時の関心の動機は、次のようであった。
「このところ米国では、『iPod』(アイポッド)を活用するために、音楽CDをデジタル・データの『MP3』へと変換することを、個人に代わって行う業者が繁盛しているともいう。情報によれば、これは『お金はあるが時間がない』という人たちが利用しているらしい」
 「音楽CDをデジタル・データの『MP3』へと変換すること」がビジネスになるのだという部分をヘェーと思ったわけだが、こうした誰にでもできる作業を商売とすることは結構苦しいビジネスであろう。
 わたしの関心はもっと個人的であった。
 わたしは、TV注目世代であるとともに、ラジオフレンドリー世代である。耳からの情報収集に結構馴染んでいる。ただ、『ウォークマン』愛用の若者たちとちょっと違う点があるとすれば、「ラジオ機能付き」のそれを購入する点であろう。
 つまり、ミュージックだけがお目当てということではなく、<音声情報>の価値を結構重視している点であろうか。と言っても、典型的には趣味の落語鑑賞であるから、そう威張れたものでもない。

 ただ、最近は、小説の朗読の良さにも気がつき始めたし、もうひとつ<文字情報の音声化>ということに関心を向けている。
 活字を目で追うという作業は、飛ばし読みで「稼げる」という利点があるのはわかっているのだが、なんせ寄る年波での老眼性から目に対する負荷が馬鹿にならなくなってきている。また、活字からの理解という作業は、<音声情報>からの理解よりも集中力の立ち上がりが遅いような気がしている。あくまでも自分の場合は、ということだが。
 そこで、ある時、PCのアプリケーション・ソフトで、文字情報を音声化するいわゆる「読み上げソフト」というものを試してみた。するとこれが意外と使えるのであった。文字を目で追いながら、「読み上げソフト」で擬似音声を聞くと、たとえ自身の声ではなくとも理解度も高まったような感じであるし、何よりも意識の集中度がより早くやってくるのである。
 それからというもの、ネットサイトの文字情報も、ポインターで選択してクリップボードへとコピーして、それらを音声化しながら文字を目で追うという、まさに「マルチ・チャンネル方式」で情報に対処する習慣がついてしまったのである。
 サイトによっては、文字が小さい上に、読みやすい行間も設定していない場合も少なくない。だが、わたしの「マルチ・チャンネル方式」ではほとんど問題にはならない。
 実を言うと、この日誌の記述においても、書き終えた部分の見直しにはこの方法を採用している。すると、意味の文脈の流れなどがねじれていたり、言い回しに不自然な部分があったりすれば、目で読む以上に自覚しやすいのである。

 話はこれで終わりではない。根が凝り性である自分は、「そうか、この『方式』は自分に合った情報処理方式として活用できるかもしれない」と自覚するようになった。
 問題は、いくつかあるにはある。先ずは、サイト情報のように、デジタルの文字情報として出来上がっているものはとりあえず音声化できるからよしとして、書籍などの活字情報は何ともし難い。まあ、本気になればスキャニングの上で文字変換をするという手もないではないが、そこまでするのならば、目で読む方が手っ取り早いということになる。
 もうひとつの問題は、何度も接したい情報の場合、音声化したものを記録しておけないかという点である。さらに、それを携帯のプレーヤーで簡単に聴くことができれば、ウォーキングの際にも、また交通機関利用の際にも関心のある情報に接し続けることができると考えるからである。
 そこで工夫したのが、前述の「読み上げソフト」に付随していたツールを使って、読み上げた音声化された情報を、サウンドの一般ファイル形式である「.wav」ファイルに出力することであった。だが、これは知るひとぞ知るバカでかいファイルになってしまうのが難点である。しかし、そんなことでひるんではいない。よし、それではこのファイルを、「圧縮ファイル」形式である「MP3」や、「.wma」に変換しよう、と企てたのだった。 そして、これらのデジタル・データをCDに焼き付けて、さらに小型のMDに変換したりしてみた。まあまあ、使えるのであった。

 が、ここへ来て、冒頭のような「小型HDD」や「ファーム・メモリ」使用の大容量サウンド・デジタル・データ格納の携帯装置が登場してきたのである。しかも手軽に入手可能となりつつある。大半のユーザはミュージックの本数がねらいであるのだろうが、わたしは密かに、いや別に密かにである必要はないが、自分で作成した音声情報を格納してみようかと楽しみにしているのである…… (2004.07.25)


 当然といえば当然のことかもしれないが、最近、新聞情報サイト " asahi.com " の報道・編集内容と自分のセンスとが「共鳴して」いる(シンクロしている)と思うことがある。
 もっとも、わたしは以前から " asahi.com " を、手軽に、頻繁に閲覧しているので、「洗脳」されていて当然なのかもしれないが……。

 今日も、『天声人語』では、例の「宝くじ弐億円当たりくじ」の寄付(先頃、集中豪雨のあった福井県への匿名による寄付!)ことが取り上げられていた。
 確かこの報道は、夕刊の発行締め切りが終わった土曜日の夜に、 " asahi.com " で流されていたのを読んだ覚えがある。同『朝日』はこの記事を翌日の朝刊一面で紹介していたが、サイト情報は、新聞報道よりも早いし、TV、ラジオで報道されない新聞社独自の情報を報じるので、随時チェックすることにしている。
 それはともかく、この「寄付」について知った時、驚きとちょっとした感動が生まれたものだった。カネは他人から奪うもの(?)と底意地悪く錯覚された時代に、「今どき、こんな方がおられるのだ!」というすがすがしい思いが胸に満ちた。
 ちょうど、災害地にボランティアたちが向かっているとの話が伝えられており、「捨てたもんでもないんだなあ」と感心していた矢先であった。
 正直言って、もし自分が「宝くじ弐億円当たりくじ」を得たとして、こんなに気前良く寄付することができるかといえば、間違いなくできない。日頃、「カネ儲け」はどうのと、偉そうな能書きを書いていても、いざ、宝くじに当たったら(いや、だいたいこんな欲深な自分だから当たらないのだと観念しているが……)落語(『宿屋の富』)ではないが、あまりのうれしさに狂乱して、靴(草履)をはいたまま寝床に転がり込み、そのまま布団をかぶって寝込んでしまうはずである。
 だから、「偉い!」と、思い、感激したのであった。そして、この「偉業」に関しては、一週間くらいたっぷりとマスメディアがこぞって騒ぐべきだと、そう思ったのである。国民から集めたヒトの税金や、支部から集めた会費をわけのわからない政治活動に平気で流用するとんでもない輩たちに対する絶好の「面(つら)当て」(当たりくじだけにふさわしい!)になるだろうし、「カネだけが、幸せの条件じゃないんだ!」という思いの大きな布石が打たれたと思えたからである。
 それで、『天声人語』の記述が、オブ・コース! と思えたのだった。

 もうひとつ、経済ジャンルでの「『情報弱者』にやさしいHPを 経産省が新基準」という記事も、自身の関心事との重なりに、思わず目を向けた。
「経済産業省は、『情報弱者』とされる高齢者や障害者にも使いやすい情報機器や、わかりやすい表記のインターネットのホームページを普及させるための基準を日本工業規格(JIS)に採用し始めた」(07/26 10:36)というものであるが、中でも、「音声読み上げ機能つき閲覧ソフトの誤作動を避けるため、単語の途中に不要なスペースや改行を入れないようにすることも求めた」という点に注目したのである。
 昨日、わたしは「読み上げソフト」を活用していることなどを書いたわけだが、考えてみれば、「読み上げソフト」を必要とするのは何もわたしばかりではなかったのである。視覚障害のある人はまさにこれに頼らざるを得ない。

 ところで、そうであれば、「読み上げソフト」の「改良」は、もっと熱が入れられてもいい、とも思えた。上記引用文中には、「誤作動を避けるため、単語の途中に不要なスペースや改行を入れないようにすること」とあった。これは、HP作成側への注文となっていたが、むしろ、「読み上げソフト」自体の「改良」も目指されてよかろう。
 ちなみに、「単語の途中の不要なスペースや改行」は、イントネーションの乱れをもたらしはするものの、一応読み下されるはずである。だがほかに、現行の「読み上げソフト」の機能で気になる点と言えば、次のようなものがある。
 @ まず、ワープロと同じ問題でもあるが、読み言葉の登録辞書の充実が必要である。「ユーザ辞書」といってユーザ自身が登録するツールのあるものが多いが、それは健常者向けのツールなのである。
 A 読みづらい漢字の「ルビ」の音声化は、HPでは、当該漢字を読んだ後で直後に再度読み仮名部分を読む場合が多い。だが、これは聴く者にとって非常にわずらわしいのだ。
 たとえば、あの『青空文庫』には豊富なデジタル化小説が掲載されていて興味深いのであるが、これらを音声化すると、当該漢字部分が「二度読み」されることとなり、小説を味わおうとする聞き手をげんなりさせることになる。
 そこで「ルビ」表示を特殊な括弧記号に収め、その内部のかな部分は読み飛ばすという工夫をしてはどうか、と考えている。

 こんなことを考えていたら、視覚障害者向けに、「環境文字読み取りスコープ」というようなものが考案できないだろうか、という思いに駆られもした。これは、ケータイ・デジカメくらいの大きさで、障害者の周辺環境の光景をレンズで読み込み、その中に文字があった場合にはそれを解析して音声化するというありがたい機器なのである。障害者が、街に出る際には、街中に表示された標識や看板などを読み込み、音声で知らせるという具合である。もちろん、新聞や書籍に近づけると、自動朗読を始めることになる。
 おそらく、ロボットの開発のサブ・テーマとして、遠くない将来にそんなものが実現されるのではないかと予想している。

 しかし、それにしても、『朝日』との付き合いは、学生時代の週刊誌『朝日ジャーナル』を含めて長いものとなっている…… (2004.07.26)


 昨日は、朝から雨が降り、日中も雲が強いはずの陽射しをさえぎり、久々に過ごしやすい一日であった。
 それだからに違いないのだが、午後から夕刻にかけては、セミ(クマゼミ?)の鳴き声が事務所周辺にも響き渡っていた。この間、梅雨が明け、夏になったにもかかわらずいやにセミたちが静かだと、多少気にしていたのであった。
 どうも、セミたちも、あまりの猛暑だと「鳴けない」らしい。昆虫たちは、体温調節がめっぽう苦手らしくて、40度近くにもなってしまうと涼しい場所を探して潜りこんでいるとかいう。これは、夏休み向けに実施されているラジオの「電話子ども科学相談室」の昆虫対応の先生の説明である。
 とにかく、昨日の夕刻のセミたちのうれしそうな鳴き声は、「そうしたもんだろうなあ。よくわかるよ」と言ってやりたいほどに嬉々としていたようだった。午後七時を過ぎても、まだまだ鳴き足りない様子で街路樹の葉の繁みからジィジィジィジィと鳴き続けており、もう止んだかと思えば、また「やり直し」を始めるありさまだった。
 なんせ、サナギの期間が何年もあり、日の目を見る「世界の中心で」コミュニケーションできるのはたった一夏という寿命だそうだから無理もない、と言えよう。しかも、自己主張をして自己存在を明かせば、空腹でバテ気味の野鳥たちの絶好の餌食にもされかねない。現に、うちの飼い猫は、ベランダに飛び込んだセミを捕獲して、なんとムシャムシャと食べてしまう。セミたちにとっては、短く、そして極めてリスキーでもある一夏なのだ。
 そう思うと、健気(けなげ)な命というものに対して、いじらしさ、いとおしさといった感情がこみ上げてくる。よく、動物たちを指して「もの言わぬ……の哀しさよ」なぞと言う。セミの場合には当てはまらない気もするが、それでもやはり「哀しい」という一点だけは共通している。かわいそうとかいう湿った心境ではなく、この世に登場した生命という存在は、何ひとつとして永遠であることはできずに、「うつろう」宿命にある、と再認識させられたまでなのだ。にもかかわらず、だからといってもいいが、日の目を見ている間は、躊躇することなく精一杯に今を生きる、それが命あるものの「晴れ姿」なのだと……

 「うつろい」といえば「はかなさ」となり、そして「無常感」に至る。
 「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり……」(『平家物語』)や「色は匂へど散りぬるを……」(「いろは歌」)などの定番を引くまでもなく、古来日本の文化の一大特徴はこの「無常感」であったはずだろう。
 今ここで、日本人の「無常感」について能書きを書きたいわけではなく、昨今の自身の実感を振り返りたい、とそんな気がしているのだ。
 五十代半ばを超えると、さすがに「生の光」よりも「生の影」に視線が奪われがちとなる。そんな「影」を思い浮かべたり、想像だにできなかったに違いない十代、二十代の「光だけの時代」(ではなかったかと思い返しているのだが)が、あるいはその気分の彩色が、もはや実感をもっては思い出せないでいるようだ。
 ちょうど、時代も経済をはじめとした世相自体が「くすんだ時代」となり始めたことも、年齢ゆえに「くすむ」そんな心境に輪をかけているのかもしれない。いや、きっと環境の産物である人間という点を踏まえるならば、この点の影響は決して小さくないのだと思える。

 だが言っておけば、わたしが今考えていることは、「無常感」に浸ろうとか、ましてそれに引き摺られようとかということではない。そもそも、誰しも、「無常」に似たものを感じないものはいないであろう。つい先ほど、十代、二十代の若い時代を「光だけの時代」だと誇張したが、多分そんなはずはなかろう。光の照度が強い分だけ、くっきりとした漆黒の影のような不安が若い時代の気分にも色濃く支配していたのではなかったか。
 つまり、「無常」を感じ取ったり、認識すること自体がターゲットではないような気がしている。問題は、その感覚や認識をどう「処理する」のかであるに違いない。
 大雑把に解釈するならば、それらをどう「処理する」のかに関して思い煩うところで、これまでのさまざまな日本文化というものが培われてきたものだと考えている。少なくとも仏教文化については、こうした解釈が可能だと思える。また、江戸文化の「いき」にしても、生への「無常感」との緊張関係におけるひとつのバリエーションと言えなくもない。
 こう考えた時、現代という時代は、まともに生や万物の無常という事実に向かい合っていないのではないか、という思いに突き当たってしまう。いや、かつての日本人がマインドの根底に置いていた「無常感」のような落ち着いた心境を失ってしまっているのが現代人なのかもしれないと思ったりする。
 松岡正剛氏は、NHK人間講座『おもかげの国 うつろいの国』で、次のような重要な点を指摘していた。
「これまで、無常感というものはおうおうにして否定感や厭世感やニヒリズムにつながるように思われてきましたが、必ずしもそうではないのです。……無常観を感じることによってそこから何かが移り出てくるような、また何かが写し出されてくるような感覚が新たに生じていくこと、無常感にはそういう見方も含まれているはずなのです」

 かつての日本人たちは、無自覚のうちにも、生や世の無常を受け容れるための観念装置(宗教・諸々の固有な文化など)を「装着」していたのかもしれない。要するに、「無常感」を社会的に「制御」して、上手に「無常」な現実と付き合っていたともいえる。
 だが、奇妙な言い方ではあるが、現代人は、その点ではいわば「丸腰」とさせられてしまい、そんな理屈が通用するはずもない「個人責任!」というかたちで個々人が処理するよう放置されているのかもしれない。「無常感」を切り返して生の躍動を導く文化というものが……
 ここにもひとつ、「希望のない時代」の片鱗が窺えるのかもしれない…… (2004.07.27)


 午後十時も過ぎてしまったクルマでの帰宅途中、岩波新書の新刊で気になったものがあり入手したいと考えてしまった。当然、そんな時間だから一般の本屋は閉店している。
 とその時、自宅の近所にある新しくできた本屋のことを思いだした。そこは、レンタルビデオ、CDを扱うと同時に結構広いスペースを書籍販売に割いている店舗であった。一、ニ度雑誌を買うために出向いたことがあった。その際には、まあまあの取り揃えなのかと「見なして」いた。
 ところがである。岩波新書の棚が見当たらない。きっと、見落とした一角があり、「なんだあ、こんなところにあるじゃないか」ということになるのだろうと思い、店内を一度、二度巡回してみた。さすがに、三度目は不愉快になり始めていた。しかし、見当たらない。

 わたしの経験では、今までに利用したどんな小さな本屋にも、岩波新書はあったものだ。その店の主婦が店番をしているような、店の半分を文房具用品でうめていた「半本半文(?)」の小さな本屋にもまずまず置いてあった。この本屋は、こんないかがわしいエロ本の売上がないとやってゆけないのかなあ、それとも店主の好みなのかなあ、なんぞと思わされた場末の本屋にも、奥の一角の棚が岩波新書向けに設えてあったりした。
 つまり、岩波新書という存在は、フラフラと入ってきた客に、「ここは本屋さんなんだかんね!」と警告を与える、そんな本屋の標識のような意味を持っていたはずなのである。イトーと言えばハトヤ、本屋と言えば岩波新書といった、そんな揺るがぬ位置づけがあったように思い込んでいたものだった。

 ところが、その揺るがぬはずの位置づけが、根こそぎ頓挫してしまっている現実に遭遇したのである。
 わたしは、自力で探すことをあきらめ、何やら伝票を整理しているアルバイトふうの若い女子店員に声をかけてみた。
「岩波新書ですね。ハイハイ」
と言ったが早いか、彼女は小走りに棚が林立するフロアーへと向かった。
 時々、「ここにはない、ここにはない」といった調子で、右手の人差し指を各所の棚に振って、彼女は忙しそうに走り回っていた。
 そんな動きを見ながら、わたしはいやな予感に襲われていた。この店のオーナーは、商売上の理由から岩波新書は取り揃えないことにしているのではなかろうか。それは、今どきあまり売れないということも考えられるし、返本などの仕組みにリスクが伴うのかもしれない。また、あの女子店員は、イトーと言えばハトヤ、本屋と言えば岩波新書という事実を踏まえた常識派であり、だから店内のどこかにあるに違いないと踏んでいるのだろう。ところが、まだまだ、新参の彼女は、この店のオーナーが極めてドライな経営感覚を持っていることを察知していないのかもしれない……。
「見当たりませんね」
と、彼女はばつが悪そうな、自分でもアンビリーバブルである現実を私に伝えてきた。
「取り寄せることもできますが……」
と女子店員は取り繕ったが、わたしは「予感」が当たってしまったことに呆然としていたのだった。

 来るんじゃなかったなあ、こんな「別世界」に、とわたしは悔いていた。そう思わせたのは、岩波新書という標識さえない本屋だからという点だけではなかった。店内を行き来する客たちが、どちらかと言えば本が目当てというよりも、レンタル・ビデオ、CD、DVDなどの安直な(?)エンターテイメントがお目当てと見えたからだった。夏休みになったこともあってか、子どもを連れたショートパンツにサンダルという若いオトーチャンがいたりした。
 もちろんそれはそれでいい。しかし、訪れる客筋がそうなっていくと、経営者は当然そうした事実を踏まえながらの書籍の取り揃えと撤去を始めるのだろう。当然かもしれない。その結果、「岩波新書、岩波文庫っちゅーのは、もう、いいなあー」ということになってしまうのであろう。
 そうした、商業主義の現実、そして結果的にはそれを「支配」している一般大衆の消費傾向、その結果ジワジワと「溶けてはならないもの」も溶けて、メルト・ダウンしていく時代の風潮。そんなことを感じ、ここは「別世界」なのだと思ったりしたのだった。
 しかし、ふと気がついたのは、そこが「別世界」なのではなくて、そこは地続きで繋がるこの国の一般的な世界なのであり、わたし自身こそが「別世界」に住むエトランゼ(異邦人)なのかもしれないという、ちょっとした戦慄が走ったことであった…… (2004.07.28)


 異変続きの天候である。朝、ウォーキングに出かけようとしたら、大粒の雨が降りなぐっていた。しかたなく、レインウェアを着込んだ。この季節だと濡れて歩いても、シャワーを浴びているようで気持ちも良さそうな気もしたが、まあ無難な恰好を選んだ。
 日照り続き(こんな言葉はなんとなく時代がかっているか?)だと、雨に打たれながら歩くというのも気分が変わって悪くない。境川のマガモたちも、濁った流れから飛び出した石に乗っかって雨に打たれていた。まんざら悪い気分ではなさそうだった。
 それにしても、この雨は、奇妙な進路をとる台風10号の仕業だといい、猛暑に洪水に雷と来た上に台風となれば、「半期に一度の夏物在庫一掃セール!」とでもいうところであろうか。確実に、二酸化炭素量増加に伴う「温暖化」現象と、付随する気象異変が始まっているのだろう。人間でいえば血糖値の上昇によるジワジワとして始まる体調異変というところなのかもしれない。

 いろいろなジャンルであまり歓迎できない変化が波立っているようだ。そのひとつに、プロ野球における「1リーグ制」への移行や球団の合併という問題も取り沙汰されているようだ。わたしは、プロ野球も大相撲も、「いわゆるその〜、季節の風物詩、メイク・シーズンとでも言うんでしょうか……」といった程度にしか関心は持ってこなかった。どこが勝とうが負けようがさり気なく過ごしてきた。
 しかし中には、まるでわが事のように、あるいは親類縁者であるかのように熱くなっている人たちがいることは良く知られている。東京在住の巨人ファン、難波っ子中心の阪神ファンが好例であろう。
 いつだったか、近所のスーパー銭湯ふうの浴場に出かけた時、脱衣場へ入るやいなや、知らないオッサンから唐突に声をかけられたことがあった。
「どうした? 勝ってる?」
という禅問答なのである。いかな修行僧であっても、即答は難しかった。
 要するに、その日はナイターで巨人戦があった日であり、そのオッサンの頭の中では、東京に住む者はすべからく巨人ファンたるべし、いやそうでなくてたまるか、というおそろしい事実誤認がまかり通っていたらしい。

 あることに自分が熱中すると、自分も他人も見境がつかなくなり、周辺の他人たちも自分と一心同体と錯覚しがちなのはわからないわけではない。そもそも、そういう人たちは、何故に球場へ出向くかといえば、同一球団のファンとして熱狂したひとつの群集に溶け込んでしまうことがお目当てなのではないかと思う。それもまたわからないわけではない。確かに、細かいことはさておいたかたちで、ご贔屓とする球団の勝利に向けてスタンドの観客が一枚岩であるかのようになることは、ほかでは味わうことのできない稀有な感動、エクスタシーであろうかと思う。死んでもいいとさえ思ってしまうのかもしれない。だから、阪神ファンなら道頓堀川に飛び込んだりもするのだろう。

 で、話は、「1リーグ制」移行・球団合併問題というこの時期の節目的な現象についてである。これらは言うまでもなくプロ野球界の「構造改革」に違いない。メジャー・リーグの動きが、イチローや松井といった日本選手の参画を機にして国内情報と区別なく報じられる「グローバリズム」時代ならではの必然的事態だと見える。世界を覆う変化のうねりが、プロ野球界にも訪れただけの話であろう。
 そして、ここでも「構造改革」という時代のうねりは、ファンたちや一般大衆を置き去りにするかたちで進められようとしている。UFJ銀行と東京三菱銀行の合併にしてもそうだが、結局、経営「構造」の問題は、そうでしかないのかもしれないが、しかし、「器」とそれに盛られる「料理」とは別問題であることも事実だろう。銀行の合併にしても、表の姿と水面下での「禍根」の凄まじさは別だと聞く。まして、熱狂ファンあってのプロ野球ビジネスとなれば、アメリカン・ビジネスふうに事を合理化すれば元も子もなくなる可能性も大きいのではなかろうか。

 企業のリストラに現れた「構造改革」、二大政党化傾向に示される政界の「構造改革」、そして「1リーグ制」移行・球団合併という現象のプロ野球界の「構造改革」と、いよいよ打ち寄せる波は無差別になりつつある。
 しかし、わたしが気になるのは、「どうした? 勝ってる?」と言って十年一日のごときのん気さでいたファンたちはどうしているのだろうかという点なのである。時の流れには逆らえないと自身に言い聞かせていそうなことは想像できるが、それだけなのであろうか。あるいは、とっくに視線はちゃっかりとメジャー・リーグに向いてしまっていて、その事実を球団オーナーたちもしっかりと感じ取ってのことというのが、現状のステイタスなのであろうか…… (2004.07.29)


 今、安くなっているモノはいろいろある。腕時計なんかもそのひとつだろう。ブランドにこだわらなければ、ディスカウント・ショップで4、5千円位から買える。
 わたしなぞは、ロレックスだ、ロンジンだなどというブランドにはとんと関心がないので、機能的で安いモノで十分だと思っている。
 先日、新聞の折込み広告で、あるディスカウント・ショップが『自動巻きウォッチ セイコーファイブ逆輸入版 \.4,980.-』という商品を「日替わり目玉商品」として出しているのを見つけた。わたしは早速その広告を取り出して、その日に買いに行くつもりとなっていた。

 それというのも、「セイコーファイブ」とは、わたしが青春時の十年間以上愛用した腕時計であったからだ。確か、高校入学時に買ってもらったかと思うが、その後長らくわたしの青春時代をともに生きた相棒であったのだ。
 それは、今でも記念にとってある。もちろん無傷ではなくなったその姿からは、いろいろなことが偲ばれたりする。文字盤を覆うガラスも擦り傷が著しい。いろいろな肉体労働のアルバイトをした際にいつも身につけていたから当然であろう。
 ステンレスのベルトには、何と小さな「鉄の飛沫」まで付着している。大学時代当時に溶接のアルバイトをした名残である。作業着と皮手袋の狭間から、作業中に飛び散る溶接時の溶けた鉄の飛沫が飛び込み付着したのだ。そういえば、当時、小さなやけどは絶えなかった。始めた当初は、アーク溶接の火の部分を肉眼で直接見てしまい、その夜就寝する頃に涙がボロボロと出て痛み出したことを思い出す。デモに出た際、機動隊が打ち込んだ催涙ガスで涙ボロボロとなったことと合わせて、青春時代の苦い「涙の物語」である。

 涙といえば、この腕時計は「金欠」続きであった青春時代に「質草(しちぐさ)」として、役立ってくれたこともあった。今どきの若者たちなら、消費者金融ということなのだろうが、当時の「特別な人」は「質屋」さんをご利用だったのである。もちろん「ご利用は計画的に!」を遵守しなければ、借りるおカネと引き換えに預けたモノは自分のモノではなくなり、「質流れ市場」へと流されて行ってしまうのだ。
 今思えば、質屋の人も良くぞ踏ん張ってくれたと思うが、確か3千円を貸してくれたと記憶している。
「流しちゃいやですよ!」
と念を押されたことも覚えていたりする。定価1万2千円程度の腕時計で3千円を貸してくれたとは、よほど学生思いの質屋さんであったか、わたしがそれほどにまで信用されていた(?)かのどちらかだったのだ。

 ところで、わたしがこの「セイコーファイブ」を愛用していた理由のひとつは、「自動巻き」だという点であった。文字盤には、気恥ずかしくも「AUTOMATIC」という表示がある。(ほかに、まるでスーパーマンのロゴ・マークのような縁取りの「5」のマークが輝かしい?!)つまり、竜頭(リューズ)を手回ししてぜんまいを巻くのではなく、腕の振りによって内部の錘(おもり)が回転して「自動巻き」となるのである。したがって、長時間腕に装着していれば、竜頭を巻く必要がない「AUTOMATIC」だということになる。その代わり、休みの日や病気で寝込んだりしてニ、三日腕からはずして転がしておくと、いつの間にか主といっしょになってお休みをしてしまうのだ。
 もちろん、今では、小さな電池内蔵のものが主流となっており、今どき「AUTOMATIC」という方式や表現は古風さもいいところであろう。しかし、これがまた何だかわたしにはうれしかったりする。今どき、電池が入手できないシチュエーションを想定することは、並外れた想像力を要するはずだが、いつもわたしの頭の片隅にはそんなシチュエーションが潜んでいたりするから不思議である。

 昨今、何か待ち遠しいということが少なくなったものだが、このウォッチが「日替わり目玉」で売り出される日がなぜか待ち遠しかったものだ。そして、その日であった昨日、出社前にそのショップに寄ったわけである。
 時計売り場へ行くと、ショーケースの一角に「広告の商品」としてそいつが3個並んでいた。店員さんに頼んだら、その3個すべてをショーケースの上に取り出してくれた。店員さんはきっと、中学生くらいの子どもへのプレゼントなのであり、いい年をしたわたし自身が使うとは思ってもいないだろうと、わたしは想像していた。
 良く見ると、その3個はすべて文字盤のデザインが異なっているのだった。何となくそわそわした気分になってくるからおもしろい。まるで、ペット・ショップへ行って3匹の子犬を見せられているような心境にも似ていたかもしれない。選ばずに3個すべてを引き受けてもいい気持ちとなっていた。が、それはいかにも物好きに過ぎると冷静になり、それでも結局2個を購入することにした。なぜ1個ではなくて2個か、その理由は判然としない。とにかく、わたしの「青春時代復刻版」を2個取り戻したのであった…… (2004.07.30)


 パラついてはいたが青空も見えたため、高を括って出かけたウォーキングだった。
 しかし、今日は出し抜かれてしまった。ほんの数分歩いたところで、パラパラパラパラと来て、その後はまるでスコールのような、とは言うものの実のところ熱帯地のスコールを経験しているわけではないが、たぶんこんなものだろうと思わせるようなそんな激しい降りが襲ってきた。
 濡れて困るような恰好ではないが、一瞬どこか雨宿りができそうな一角はないかと見回すもののそれらしき場所は見当たらない。軒下というような場所がないばかりか、降り殴る雨の勢いをそぐような木陰さえなかった。背丈の低い樹の木陰はあるにはあったが、そこに座り込んでの雨宿りというのも、まるで怪しい人物が物陰に隠れて悪事をたくらんでいるようでもあり、思い留まった。
 そこで、「さあ殺せ! 肩からやるかい、けつからやるかい。赤い血がでなきゃ赤いのととっかえてやらあ!」とばかりに開き直ることとした。そうして腹を決めると、シャワーのような雨が結構おつなものだと思えてもくるからおもしろい。
 だが、半そでシャツが完璧に濡れて身体にまつわりつく感触がいただけない。胸元を見ると、薄手のシャツが中身を透けて見せていた。

 先日、レインウェアを着込んででかけた際、今日のわたしのように開き直ってジョギングをしていた若者と出会ったが、その時の彼の姿は正直言って目をそむけたくなる風情であった。「濡れ鼠」という言葉があるが、言葉の感触は耐えられても、実態は「惨め」以外の何ものでもない。彼もそれを自覚してのことか、走りながら「ボディコン」ふうとなり身体にへばりついたトレーニングウェアを、きまり悪そうに外側へと引っ張っていたものだった。
 そんなことを思い出したものだから、わたしも時々シャツのボタン部分を親指で引っ張り、シャツと肉体との間に空隙を作るという無駄な抵抗をしたりした。が、数分もしたら「スコール」はすっかり上がり、雲も切れて青空が再び顔を出し始めたのだった。
 気温も高く、またいつものように汗をかくほどに運動量があるからだろうが、冷たいとか寒いという感覚は一切ない。むしろ、雨で適度にクーリングされたため心地よい気分でさえあった。

 未舗装の歩道は、歩きづらいほどにあちこちに水溜りができていた。雑草がその水溜りに半ば水没しているのが目に入った。
 その時、一瞬、四、五歳くらいの頃に見たはずの家の前の原っぱの光景が脳裏をよぎった。ちょうど、今ごろの季節であったかもしれない。激しいにわか雨の後、原っぱのあちこちにできた水溜りにそそられて、長靴をはいて見に行ったものだった。
 青々とした雑草がまるで水草のように水没し、葉の表面の空気がきらきらとした小さなあぶくを湛え、見るからにすがすがしい様子だった。もちろん、にわか雨でほこり臭さを洗い落とされた空気は、草の香りと混じりさわやかそのものだった、と記憶している。そんな水中を、「げんごろう」虫が水面と水底とを行ったり来たりして泳いでいるのが見つかり、確か捕まえてビンに入れて窓際で飼うことにした記憶も残っている。

 身体にとっては決して楽というわけではないウォーキングではあるが、自然とその季節を確実に実感する習慣は、その時その時に古い記憶の層を掘り起こしてくれるようなので思わぬご利益ありと言えそうである。
 そう言えば、わたしはすっかりこのウォーキングに馴染んでしまったようだ。しかも、実に好意的に受けとめているようだ。と言うのも、気分が沈んだ時などにふとウォーキングのあの明るい光景を思い描くことがしばしばあるからだ。きっと気に入っているだけでなく、その時にさぞかし心が癒されているものと思われる…… (2004.07.31)