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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2004年06月の日誌 ‥‥‥‥

2004/06/01/ (火)  喫煙車両でご満悦のタナアゲ中高年四人組!
2004/06/02/ (水)  弁当屋の<蟻んこ>が教えること?!
2004/06/03/ (木)  誰にとっても「可哀想」な事件がまた……
2004/06/04/ (金)  今どき「ベストセラー小説」事情を改めて知る!
2004/06/05/ (土)  「情報」には、<読み違え>の可能性がつきもの!
2004/06/06/ (日)  一足先に夏のイメージを想う……
2004/06/07/ (月)  人間が八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍をする「屋台」!
2004/06/08/ (火)  虎の威をかる狐たちの群れ?
2004/06/09/ (水)  人間ならではの「お仕事」で目に物言わせる時期?!
2004/06/10/ (木)  「シャツの着流し」に相変わらず戸惑う……
2004/06/11/ (金)  冷やし中華、ならぬマスメディア「不買運動」を始めました!
2004/06/12/ (土)  事務所が一番気がラクというビョーキ……
2004/06/13/ (日)  四十年間にもわたる「長もち」ツール!
2004/06/14/ (月)  生きものたちを操る「運命」「宿命」……
2004/06/15/ (火)  首尾よく仕上げたモバイルPCの「改造」!
2004/06/16/ (水)  IT技術者の教育・人事向けサイトのオープン間近!
2004/06/17/ (木)  ストローを吸ふときしんと寄り目となりぬ?
2004/06/18/ (金)  「可能」であることと、それを「選択」することは別問題!
2004/06/19/ (土)  「紫陽花さん、綺麗だね。実に綺麗だよ……」
2004/06/20/ (日)  建物の中を風が通り過ぎて行く……
2004/06/21/ (月)  「性根」を入れて生きんとぞ思ふ……
2004/06/22/ (火)  「低金利」融資へ、「ミッキー・マウス」がご案内?
2004/06/23/ (水)  日本の「お家芸」を支える人材は健在なのか?
2004/06/24/ (木)  「……いろいろ」と、それを言っちゃぁーおしまいよ!
2004/06/25/ (金)  今、「人命尊重」の人柱たらんとする者がいるのか?
2004/06/26/ (土)  人生、開き直りがちょっとは必要!
2004/06/27/ (日)  ビジネス教育の今後はどうなるのであろうか?
2004/06/28/ (月)  「いや、この茶碗なあ、漏りますのや」
2004/06/29/ (火)  この国を新たな戦争国家へと導く水先案内人!
2004/06/30/ (水)  「冗談じゃねぇぞー、このくそ暑さめぇ!」






 禁煙指定の特急車両に座っていたが、どうにもタバコが吸いたくなり、喫煙指定車両へ出向くことにした。その車両は、思ったとおり不愉快なタバコの匂いで充満していた。
 旅行にでも出向くのだろうか、中高年四人が、座席を向かい合わせて歓談しながら座っている。わたしは、その斜め後ろの席が空いていたのでそこに腰掛け、やにわに座席に装着された灰皿ボックスを引き出し、タバコに火をつけた。一、ニ本吸いおさめたら元の席に戻る算段であった。顔を上げると、中高年たちの姿の向こうの窓外には、郊外の気持ちのいい山並みの風景が流れていた。
 その中高年の男たちは、まだ「飲んで」いる様子ではなかったものの、開放的な雰囲気で談笑している。こちら向きに座り、何となく話しの流れを「仕切って」いる者が他の者たちの上司といった風で、どう見ても「職場」の延長といった感じであった。
 なんだかんだの末、その「上司」が面白くも何ともないことを言い出すのだった。
「これでどんなもんだろうね、もう一度若い時代に戻れるとしたらいつ位に戻りたいもんかね?」
 わたしのせっかくのタバコは急にまずくなってしまった。『バカ言ってんじゃないぜ、いい年こいて。今時のアホな若い連中でもそんな愚問はよしにしてるぜ。そんなことだから、若い連中にタナアゲされちまって、ご同輩同士で箱根かなんかに出かけることになるんだよ』と、わたしは呆然としながら煙を吸った。
 すると、向かいっ側に座っているらしきトンチキがこんなことを言っていた。
「いやぁ、そんなに若くなりたくはないですね。若い頃の苦労をもう一度するなんて考えられませんやね。そうね、せいぜい十歳くらい若返って身体の調子が良くなりたいっていうところですかね」
「ほおーっ、随分控え目なんだね。それでいいのかい?」(いいも悪いもナイーっちゅうーの!)
「どう言うんでしょうね、そこそこ『小金(こがね)』を手にすると、冒険なんてことを考えなくなるのかもね」
「うーん、まあ正直なところかもしれないな……」

 わたしは、二本目のタバコを吹かしていたが、聞いてはいけないものを聞いたような気恥ずかしい気分となっていた。「小金」ってどのくらい貯めたんだい? どうせ「小」金なんだろうけど、そんなちまちましたストックを守りに回るかなぁ……。フローを稼ぐ気になってなかったら、生き残れないぜ! そんなものをあてにしてるから、年金制度問題もまともな議論がされないんだよなぁ。
 翻って、今のご時世からすれば、そんな小金はどうせくすねたようなもんじゃないの。上がらないところの利益を上げて、その貢献で手にしたものなんかじゃないんだよね? 問題据え置きのバブル路線で、タナからボタモチ、いわば「不労所得」的に得たものに違いないじゃないの! みずからやったことといえば、上役におべっかつかったり、金銭感覚が甘かった顧客をのせただけじゃない? それを「若い頃の苦労」なんぞと恰好をつけちゃいけませんよ。
 もう一度、この地獄の一丁目のような過酷な時代に生まれかわって、一から出直してみよう、と言うべきなんですよ! それが「男の子」というもんじゃないの? とか、他人事だからとばかりに、わたしはメチャクチャ批判的な受け止め方をしていたものだ。

 まあ、中高年のサラリーマンに目くじら立てたってしょうがないと言えばしょうがない。もっと、ケタ違いの「小金」を横取りした「多重退職金泥棒!」なんぞといった大物連中に、鵜飼の鵜のように飲み込んだお宝を吐き出させてこそ、現在の社会矛盾は緩和されるというものではなかろうか。そうでもしなけりゃ、今の若い連中、これからの「前途ある」若い世代の「前途」が真っ暗になっちゃうじゃないか……
 そんなことを思いながら、わたしはもとの禁煙車両に「ゆーらゆーらと帰ってきーた」…… (2004.06.01)


 もう一ヶ月にもなろうか、何がといって、事務所での昼食を、いわゆる「ホカ弁」にしてからのことである。近辺の外食店をあちこちと試してみたがどうもどの店も気に入ることがなかった。また、店で手持ち無沙汰に待つ時間が惜しいという感覚もある。そんなことで、結局、「ホカ弁」の類に今は落ち着いている。

 大体、「ホカ弁」とは「美味さと安さ」が売り物であろう。だが、今通っているその店は破格と言えそうだ。定番弁当が、税込み472円、それで、七、八品ほどのおかずが一パックにギュウギュウ詰めになっていて、もちろんご飯が別パックでついている。自身の健康管理からすればやや量は多いかと懸念はしている。
 「ホカ弁」と書いたが、そこはチェーン店ではなく個人経営でがんばっている店で別名を持っている。カウンターから厨房の熱が漂ってくるからというだけでなく、パートの従業員さんたちが張り切っているためいつも熱っぽい雰囲気が満ちている。張り出されているパート募集のポスターには、自給700円と記してあった。近所の主婦の方たちが、このご時世での不安を、自分にできることでわずかでも解消すればありがたいと勇んで来られるのであろう。

 そんな、個人経営で「がんばってる!」という雰囲気が悪くないところへもってきて、何から何までもが普段着ふうであるところが、何となく気分をほっとさせるのかもしれない。「熱気」印の<日常>を商っている店とでも言おうか。
 オヤジさんは、どこか大学時代の気のいい友人に似ていて、その彼を年とらせればこうなるのかな、という相貌なのである。白い調理服を引っ掛けるわけでもなく、くすんだわけのわからない色をしたシャツを着て、店内の采配と、ミニカーでの配達をしている。
 狭い店内に、TBSラジオの番組がガンガン鳴っているのも、今時めずらしいかもしれない。BGMなんてもんじゃなく、よく、手作業をする自営業者が<サイレント>は「さみしい」もんだから、仕事場に入る途端にスイッチを入れるといったあの類のようだ。
 わたしも、大学生の頃、鉄工所を経営していた叔父のところでアルバイトをしたが、狭い作業場にはいつもTBSラジオの番組が流れていたものだった。それが結構、単調な作業を「励まして」くれていたことも覚えてもいる。ちょうど、そんな感じがその店にもあり、それが親しみを倍加しているのかもしれない。

 店の前には、普通の民家と同様に植木鉢が数個並べられてある。今日は、決して上等ともいえない紫陽花の鉢に目がとまった。注文したものが出来上がる間、見るとはなく眺め、「そうなんだよなぁ、梅雨に入ったんだ」なぞと頷いたりしていた。
 目を惹くような鮮やかさがあるわけでもない小粒の紫陽花の花を見ていたら、葉の上を忙しそうに歩いている一匹の<蟻んこ>を見つけた。どうということもないのだが、見ていると、唐突に「コイツは一体何をしているのだろう?」という他愛無い疑問が生まれてきた。
 一枚の葉をつけ根から葉先へとこちょこちょと歩き、葉先まで行くと行き止まりのためまたつけ根に戻る。そして茎を上り、また別の葉へと歩みを進める。が、また行き止まりとなり……。同じ事を何度も、何度もくり返しているのだ。
 ふと、自分が、勝手のわからないショッピング・センターなぞへ行って目当てのフロアーを探すのに悪戦苦闘しているイメージを想ったりした。それにしても、やはり疑問となったのは、「コイツは一体何をしているのだろう?」であった。
 いや、明確な目的なんてものがあるわけもないよな……、とそんな想いがよぎったりもした。そして、それは決して<蟻んこ>だけのことではなくて、この店のオヤジだって、外食業という葉の上をこちょこちょと歩き、行き止まりに至れば戻るという試行錯誤を繰り返しているに違いないし、この自分とて同じといえば同じことかもしれない。この<蟻んこ>の場合、当面の葉っぱの広がり以外の遠方にことさら然るべき目的があるとは思えない。自分とて一体何があると言うべきか……。しかし、<蟻んこ>も自分もここのオヤジも、とにかく飽きずに毎日歩く……。

「肉野菜のお客さーん」
というパート店員の声でわたしは我に返った。そして、事務所に帰った…… (2004.06.02)


 池の水が「酸欠状態」となると、池の鯉がバシャッと飛び跳ねることを先日書いた。
 池の水だけではなく、もはや<臨界状態>だと言うべきかもしれないこの「息苦しい」現代で、人間はバシャッと飛び跳ねるかわりに一体何をするのか? 一体何が可能なのか? この点に明快な答えを用意しなければ、現代という時代は生ものとしての人間とともに立ち腐れていくのかと、ふと戦慄が走る。

 たぶん、最も息苦しく感じているのは子どもたちのはずである。貯めた「小金」で自らをなだめることができる立ち腐れの大人たちとは違って、遺伝子のイニシアライズ(=生誕!)後、日が浅く、大人たちほどの精神の劣化をまぬがれている子どもたちこそ、この時代のバグだらけでかつスパゲッティ状態となったプログラムから、言い知れないダメージを被り続けているに違いない。
 おまけに、「皮膚感覚的」な表面的テンダー(tender)を強要する社会は、「必要経費」的とさえいえる「ガス抜き」を拒絶し、彼らの生のエネルギーを「暗い池の底」に沈殿させるままに放置しているかのようだ。その冷たい暗闇こそは、地獄と通じている現代の盲点なのかもしれない。そここそは、非合理的な衝動たち、言語を絶する残忍な衝動たちの棲家(すみか)なのである。
 人間の歴史は、そうした暗闇に光を注ぐことであり続けたはずだ。しかし、どう間違ったものか、現代の「輝かしい光源」は、明るい部分の照度を無用に上げながら、ただただ影を濃くする結果をもたらしている。その結果、暗闇に棲む得体の知れない衝動たちをいきづかせてしまっているのか……。

 またまた、誰にとっても「可哀想」な事件が起きてしまった。
 ところで、事件の「真相」なぞ伝えられなくても、真相は明らかであろう。事件は、直接関係者のみに限定された特殊な事情の出来事なぞであるわけがない。まして、時代や社会の「酸欠状態」を特殊なフィルターでかわしたり、いなすことができない子どもに対しては、特殊な事情なんぞを詮索し、でっち上げて、特殊ケースとして封じ込めてはいけない。 ちなみに、もし子どもたちに「君も、あのようなことをするかもしれませんか」と問えば、ひょっとして予想以上に「しないとは言えない」という回答が返ってくるのかもしれない。これまでの少年犯罪での子どもたちの反応がそうであったことを思い出す。
 では原因は何か? そんなものはない。「ウチの子」とは区別できるような、そんな都合のよい原因なぞはないのだ。いや、そんなものを探しているから「可哀想」な事件があとを絶たないのだろう。
 もし原因を探るとすれば、決して原因ではないと盲信して見過ごしている日常平面にこそ、素知らぬ顔をした数多くの原因、下手人が潜んでいると言うべきなのではなかろうか。
 「痛々しい事件だ」「二度とこんなことが起きないように」とか、またまたイージーに他人事であるかのような発言があの人の口から出たというが、社会の行く末に最も責任を感じなければならない立場の者が、距離を置いた発言をすることもいかがなものかと思う。
 なぜなら、現代の大人たちにも、子どもたちにも危なく蓄積し続けている「暗闇の中の衝動」は、「不条理」で「見通しなき」状況によってこそ増幅されていると観測できるからである。そして、その状況を過敏に感じさせるのは人の「無責任さ」であるに違いないからだ。
 あの「自己責任」という言葉で火のついたイラク人質バッシングにしても、矛先は完全に間違っていたと思えるが、「無責任さ」への無意識な嫌悪であり、憤りではなかったかと思う。
 ただし、ここが込み入った点であるが、「責任関係」の認識というものは、一目瞭然のスッキリさを持つものとはなっていない。直感的な感性と、「公式的」な表明との間での食い違いが往々にして伴う。しかも、「公式的」な表明への信頼性が揺らぎ、「社会正義」が形骸化し続ける結果、庶民の直感的な感性が取り残される時、行き場を奪われた感性・感覚は沈潜し、鬱積して「衝動化」するのかもしれない。シンボリックな現象としては、昨今の犯罪者たちが口にしがちな、あの「相手は、誰でもよかった」という表現が例示になりそうだ。
 そんなことでどうして殺人事件といった大それたことが、まして子どもという立場で引き起こされるのかと当然疑問視する向きもあろうかと思う。しかし、疑問視してもしょうがないのは、現に、「DV」(ドメスティック・バイオレンス)にしても数限りなく引き起こされている現実があるからだ。「鬱積した衝動」が「殺人行為」に直結してしまうという信じがたい「轍」が、現代という時代には用意されてしまった、と推定せざるを得ない。死という観念がまともに意識に座を占めていないという奇妙な風潮があるのかもしれないし、人の行為の間違ったものを実質的に禁じる、抑止させるという規範とでもいうものが、現代にあっては頓挫してしまっているという実情があるのかもしれない。
 それに加えて、「衝動を鬱積させる環境」が制度や文化の中に、大規模にビルト・インされているのが気になるのである。

 わたしは、そのひとつとして、過激な「情報社会」が「責任」「無責任」感覚をはじめとしたヒューマンな感覚を常にフラストレーション状態に追い込む傾向があるのではないかと推測している。
 「情報社会」のシステムにあっては、誰にというような人格的「責任性」が薄らぎがちである。人格の見えない、だから「責任」を追求しえない「情報」が人々を苦しめることも日常茶飯の出来事となる。
 また、現実の「情報社会」は、理想的でなぞありようがないから、いつも商業主義や政治権力などによって「操作」されざるを得ないでいる。そして「情報」の日常的な「操作」の結果、人々は慢性的な「疑心暗鬼」と「情報アパシー(無関心)」にも陥りがちとなる。そうした影響で、元来が理性とは次元の異なる「衝動」は、ますます不安定となり、まさに予測不能なかたちで日の目を見てしまうことにもなりかねないのではなかろうか。

 今回の子どもが遭遇した事件も、もはや「善処」などという小手先レベルの対処で済む問題水準でないことは、誰もがうすうす感づいているのではなかろうか。医療現場でのクスリづけという「対症療法」は、残念ながら逆に「根本治療」を遠ざける結果になっていることは多くの人が知っている。その意味で、くれぐれも、当該少女の「特殊事情」探しに明け暮れるといった見当はずれの「対症療法」的対策に舞い込まないでもらいたいと思っている。(たぶんそうすることになるのは目に見えているが……)

 こうした事件が、次の大きな社会的事態(?)を引き起こす潜在的な負のエネルギーを予兆するアラームではないと、一体誰が言い切れるのであろうか…… (2004.06.03)


 先日の新聞(朝日 2004.05.30)で「出版救うかヒット旋風」という記事があった。
 養老孟司 著『バカの壁』が新書としては過去最大の353万部のヒットだそうだが、わたしが驚いたのは、日本の作家の小説として過去最大の306万部を売り上げたのが、片山 恭一 著『世界の中心で、愛をさけぶ』という、わたしの視界には入っていなかったものであったことだ。
 急いで「amazon.co.jp」で調べてみると、エディターレビュー(出版側書評)には次のような文面があった。
「十数年前・高校時代・恋人の死。好きな人を亡くすことは、なぜ辛いのだろうか。落葉の匂いのするファーストキスではじまり、死を予感させる無菌状態の中でのキスで終わる、「喪失感」から始まる魂の彷徨の物語」
 また、カスタマー・レビューには以下のとおりの文面が。
「恋人が死ぬのは悲しいです。そりゃ泣きますよ。人の死。それに頼りすぎてませんか?
"主人公の恋人が死にました。
主人公はまだその彼女が忘れられません。"
この本の紹介はそのたった2行で終わってしまいそう。大した心理描写もないので、主人公に感情移入できない。故に泣けない。私的には読んでいらいらするほどでした。
むしろ、人の死を軽視しすぎじゃないですか? みたいな。そこに残されていく人の想いなどエピソードが素敵だったら泣けると思いますが、"死"だけで泣かそうとするのはどうかと……」

 冒頭の新聞記事では、評論家・井狩春男氏が次のように述べている。
「(売れているものはみな)短く、すぐに読めて、ユニークというベストセラーの法則を満たしている。ただ、これほど売れるのは、売れているから。売れているものを手に入れることで、自分は時代に遅れていないと確認している」と。ありそうなことである。首相小泉氏の人気も<同じ穴のむじな>に違いない。
 ところで、読んでもいない本なので批評をしてはいけないが、『世界の中心で、愛をさけぶ』という小説は、「マコー(ハマコーでは断じてない!)甘えてばかりでゴメンネェー♪」の『愛と死を見つめて』とか、ライアン・オニールの『ある愛の詩』、これらは映画であったが、そんなものなのだろうか? それに何で300万人ものバカが「涙」目当てで群がるんだろう? わからない……。
 で、考えてみた結果は、意外と現代の深い問題が絡んでいるのかもしれないという感想である。かねてより、今の若い世代が、「超・身近」な空間(自分の部屋やそこにあるグッズ、そこで展開する人間関係など)と、「超・遠方」の空間(宇宙、オカルト、地球や世界の終わり、観念的な死のイメージ……)にしか関心が持てず、それらの中間にある社会、文化、政治の空間が霞んでしまっている、とは指摘されていた。
 そこから類推するに、愛(=「超・身近」)と死(=「超・遠方」)との軸で構成された読み物が、若い世代に持てはやされるのは当然なのかと思えたのである。
 ちなみに、最近読んだ本の中にこの辺の事情に関する説得的な叙述があったので、長いが引用しておく。

「彼の話によると、最近の若い子は、すごく近いこととすごく遠いことしか分からない。それは小室哲哉の歌詞からも分かることで、恋愛か世界の終わりか、いまの一〇代はそのどちらかにしか興味がない。言い換えれば、恋愛問題や家族問題のようなきわめて身近な問題と、世界の破滅のようなきわめて抽象的な話とかが、彼らの感覚ではベタッとくっついてしまっていると言うんです。
 これは、そのとおりだと思うんです。……ひとは誰でも、無意識的には、世界全体が消滅する可能性(自分が死ぬ可能性)に怯えています。けれどいまの若い子は、その可能性をとりわけ強く、しかも意識的に感じている。逆に非常に近いこと、肉親や恋人との人間関係、つまりほとんど肉体的関係に還元されるような世界は、ラカンの言葉で言えば『想像界』の出来事です。つまりいまの若い子には、リアルなものとイマジナリーなものしかないんですね。
 ではこれは何を意味するかというと、……シンボリックな次元、つまり象徴界が抜けているということです。……そしてこの場合の『象徴界』とは、言語的コミュニケーションを成立させる場のことであり、具体的には社会制度や国家のことです。それゆえ象徴界の力が衰えているというのは、言語=コミュニケーションが弱体化しているということ、そして、そのコミュニケーションをかつて保証していた『社会』というまとまりが解体してきていることを意味します。実際よく言われることですが、いまの若い人たちの会話は、言葉に重きを置かなくなっていますね。あれ、いいよね、これ、いいよね、それ、だめだねって符牒だけで会話しあっている。もしくはイメージですね。パッと写真を見せる、ものを指す、それでなんとなく分かった気になって、それで終わりなんです。でも僕はこれは、彼らに考える力がなくなったということじゃないと思うんですね。この変化はおそらく、もっと深い社会的変化を映している。社会がポストモダン化した結果、いまの人々は、世界を近いところと遠いところに分裂したものとして感じている。つまり家族と宇宙の話にしか現実性がなく、そのあいだのレヴェル、例えば『日本』や『国家』といった存在への感覚がごそっと抜けてしまっているのです」(東 浩紀『郵便的不安たち#』朝日文庫)

 この辺の事情を踏まえると、往年の世代が「従来の延長」的な批判意識だけで<当世のヘンな現象>を逆なでしていても始まらない、という気もしている。もっとガツーンと切り込める有効な視点を緊急に用意する必要がありそうである…… (2004.06.04)


「われわれは情報時代に生きているが、トンネルの中を誰かに運転してもらって移動しているような感覚になることがある。こうした不幸な目隠し状態では周りの視界が遮断され、進んでいる方向はわかるがそれ以外のものはほとんど見えなくなってしまう。
 ……われわれを新しいテクノロジーにまたがらせて未来に突き進ませようとしている人たちの中には、関心を情報に集中させていれば、無駄なく真っ直ぐに望みの目的地に到達するはずだと信じ込んでいる人もいるようだ。この情報への一点集中によってその周辺に無数に存在する漠然としたもの、つまり、おかれた状況、背景、歴史、共通の認識、社会的資源などをひとつ残らず置き去りにしてしまう。しかし周辺にあるものは、無視してよいと思えるようなものではない。大切にしなければならないバランスのとれた見方、考え方をわれわれに教えてくれるものだ。代わりの手段を用意し、広い視野、取るべき選択肢を示してくれる。目的を明確にしそれに対する考え方を理解させてくれる。実際の視野の外側にあるものの助けがあってはじめて、関心が集まっている情報にどんな意味があるのかが理解できる」(ジョン・シーリー・ブラウン、ポール・ドゥグッド著 宮本喜一訳『なぜITは社会を変えないのか』日本経済新聞社 2002.03.25)

 長崎佐世保での少女による殺害事件では、当該少女の「特殊事情」が見出せないところから、インターネットの「チャット」が問題視されはじめているようだ。
 そして、文部科学省は、省内に「児童生徒の問題行動に関するプロジェクトチーム」を設置し「命を大切にする教育」や「情報社会の中でのモラルやマナーの指導」を検討するそうだ。小手先の「泥縄」対策もいい加減にしなさいと言いたいところである。
 さんざん「IT革命」だ、「e-Japan重点計画」だと「新しいテクノロジーにまたがらせる」ことばかりを煽動し、ITの本質議論に無縁な政府のやりそうなことだと「感心」している。
 「命を大切にする教育」を言うならば、武力でイラク石油に横恋慕してその挙句、イラク人、米兵ほかの命を湯水のように粗末に扱っているブッシュ政権を、軍隊である自衛隊まで出して支持し続けることは矛盾しないのか。
 「情報社会の中でのモラルやマナーの指導」を言うならば、くだらないワン・フレーズのためにマス・メディアを使う厚かましさをこそ何とかすべきかもしれない。いたいけな少年少女たちに対してさえこの上なく恥ずかしく、かつ暴力肯定のような「参院強行採決」なんぞはすべきではない。

 そもそも、「情報(化)社会」の決して小さくない問題というのは、「情報」というものが、事実・真実を伝え切れずに存在する、というかなり思い問題なのである。冒頭で、引用した叙述はそのことへの警告なのである。この点には再度戻るとして、これに加えて現在のこの国では、「情報(化)社会」の<危なさ>が、人為的・詐欺的な政治行為によって増幅されてさえいるのが実情である。「年金制度」法案の可決までは、国民が知って当然の「未納閣僚」「未納首相」の実態をひたすら<隠す>という姑息極まりないことを平気でやる政府である。
 また、「情報(化)社会」の<危なさ>があるからこそ、十分な「説明責任」という観点が要請されているにもかかわらず、まともに議論をするつもりがない稚拙な答弁と自画自賛に終始する首相でもある。国民に応えるために、情報時代の環境を駆使するのではなく、自身の人気、保身のために最大限に情報環境を使う身勝手さは、「鈍感」な国民の目にも次第に色濃く映り始めている。
 こうした「情報(化)社会」の「二重」の<危なさ>が、日本の情報時代をとてつもなく不幸にしていると言える。

 新しい情報環境の中で、インターネット詐欺、ケータイ関連事件、そしてコンピュータ・ウイルスなど、新種の犯罪が多発していることは周知の事実となっている。そしてこれらすべては、要するに「情報」とその「情報」が伝えるべき事実・真実との乖離(かいり。そむき離れること)に由来していることは明らかである。
 われわれは、新しい情報環境の中で、確かめようがない「不幸な目隠し状態」に置かれながら、貧弱な「解読装置」(=狭い個人体験での知識と頭脳)で唯我独尊の「読み込み、読み替え」を行い、その結果<読み違え>というケースにまま落ち込んでしまっているのではなかろうか。
 思うに、その可能性はその人の能力の違いにあまり関係がないのではないかとさえ想像している。というのも、能力の高くない人は最初からあまり考えないからというリスク面がある。が、能力の高い人は高い人で、より多くの知識でより複雑に考えようとするために、みずから多くの<わな>や<バイアス>をも作り出してしまいがちである。その結果、大した違いがなかったりするのである。
 「情報」の<読み違え>、すなわち<誤解>というものは、ほとんど不可避的に発生するに違いない。これまでもそうであったわけだが、「(情報の)その周辺に無数に存在する漠然としたもの」が、その「情報」の内容を補足していたはずなのである。
 例えば「大したもんだね」という会話の言葉の意味は、発言者の感心した顔つきが伴えば誉め言葉だと確定されるし、不満顔があれば、皮肉だと悟らされるのである。だが、情報時代のリモート環境では、そうした「顔つき、顔いろ」は添えられてはいない。
 映像と音声を提供するTVであっても、意味解釈にとって重要な「文脈」から外されるならば、<読み違え><誤解>は十分に生じることとなる。北朝鮮拉致家族たちへのバッシングは、彼らが首相を攻める姿だけが文脈から外して取り上げられたことにひとつの理由があったとも言われている。

 情報時代にあっては、コミュニケーションの達人であっても、受け手に<読み違え>を喚起することは防ぎ切れないと言うべきである。そこへ持ってきて、昨日も書いた若い人たちの「言語的コミュニケーション」下手の問題がある。要するに、仲間同士の感情の行き違いの問題に始まり、悪意に満ちた詐欺、そして国民をバカにした政治的情報操作に至るまで、心配の種は尽きないと言える。
 便利さの陰に潜む<落とし穴>に警戒するとともに、フェイス・トゥ・フェイスというあり方などもじっくりと見直してみることの必要があるかもしれない…… (2004.06.05)


 朝から雨だとは予想していなかった。目覚めると、戸外からザーという雨音が聞こえてくる。やれやれという思いが押し寄せてきた。
 梅雨は、先週から始まると予報されていた。だのに、先週はめっぽう晴れの日が続いたものだ。昨日なんかは日差しは強く、光の濃淡の強烈さはまさに夏のものであったが、どこか爽やかさを伴っていた。さらっとした空気で一瞬、晩夏をさえ思わせた。子どもの頃、次第に夏休みが終わってゆくころに感じたあのどこか薄ら寂しい夏の日とでも言おうか。プール・サイドの日陰で感じたやさしい風、ゆく夏を惜しむ蝉の声だけが響く人影のない裏通りのもの静けさ……。そんな具合で、まだ、夏はおろか梅雨入り前だというのに、晩夏の感触を先取りしてしまった昨日までであった。

 そう言えば、夏の思い出として何があるだろう。本格的な夏ともなれば、その不快感で思い出どころじゃないはずだ。季節感や、その記憶などを大事にしたいと思うことが最近は少なくないので、今日あたり、書いておいてもいいのかもしれない。

 記憶をたどってみて、とくに「夏の日の……」というような特筆すべきエピソードが思い当たるわけでもない。いや、「夏」というキーワードで自分の記憶に唐突に検索をかけてみても早々ヒットするわけでもない。
 そもそも記憶というのは、些細ではあっても何かきっかけ、たとえば香りなぞといった感覚的な何か些細なきっかけがあってこそ蘇るものなのであろう。そして、今どきそうした「感覚的なきっかけ」というものは得がたくなっていると言えそうだ。文化というと大げさかもしれないが、身の回りのすべてはスクラップ&ビルドの傾向によって塗り替えられているからだ。「季節感や、その記憶などを大事にしたい」と思う気持ちは、この辺に由来している。そうでもなければ、自分自身が実体的な記憶を持たない「根無し草」のように成り果てないともかぎらないと危惧する思いがある。成れようもない「現代人気取り」の熟年者を目指すより、自分が辿った時代と密着した記憶を失わない相応の熟年者でありたいと考えているのかもしれない……。

  さてと振り返り、脈絡なく思い起こすのは、千葉の千倉で過ごした夏休みの記憶がひとつといえる。千倉には、祖父が持つ一軒の家があった。決して別荘なぞといえるものではなく、地元の人が住む何の変哲もない民家である。祖父は、夏場になるとその家に出向き、家の手入れを兼ねて、二、三ヶ月をそこで過ごした。
 ところで、二、三日前、どういう脈絡かわからないが、もうとっくの前に亡くなったその祖父の夢を見た。わたしを含む孫たちが、祖父を囲んで談笑していた。よく、死者は夢の中ではしゃべらない、と言うが確かに何かを話したという印象はなかった。が、どういうわけか、わたしに「ある菓子」を勧めていたのが鮮明であった。「ほら、お前も食え」とでも言うように笑いながらそれを差し出していた。どうでもいいのだが、その菓子というのは、片面だけが白い砂糖で塗り固められたウエハース状のおせんべのようであった。 たぶんその菓子には何の意味もないだろう。しかし、そんなふうに祖父は、われわれ孫連中が海水浴目当てで千倉に訪れた際に上機嫌で出迎えてくれたものだった。
 わたしも何回かお世話になったものだった。襖をはずすと何十畳という広さの大部屋が出来、そこでまるで合宿のような何日かが展開した。といっても、学校行事ではないため自由気ままで、徹頭徹尾開放的なひと時なのであった。それが、記憶に残る第一要因であったのかもしれない。
 日中、海岸へ泳ぎに行きたければ行き、帰って来たら風呂場でシャワーを浴び、ごろっと縁側で横になっては漫画本を見ながら何時の間にか昼寝をしてしまったりした。近所の家の古木から聞こえる蝉の声を聞きながら、一緒になった孫仲間でトランプに興じたり、みんなでスイカを切ってほおばったりもした。もちろん、夜にみんなで花火なども楽しんだ。
 当時の漁村の何とものんびりとした雰囲気、しかも夏の日の午後はといえば、海水浴場だけはかろうじて騒がしいけれど、ここの住人である漁師たちの仕事は、早朝から午前中で片付いてしまい、通りは商店街といえども閑散としていた記憶が残っている。
 真っ青な空、焼け付くほどに陽を浴びる瓦屋根、それらに対して濃い影でいろどられ静まり返った漁村の裏通り。そんな時間が止まってしまったかのような夏の日の午後の静寂のイメージが、どういうわけだか忘れがたい。デ・キリコの絵画であったか、建物の影がくっきりと道に刻まれた街を、独り少女が自転車のホイールを転がして遊ぶというもの(『通りの神秘と憂鬱』)があったかと思う。そこまでの神秘さと不安とはやや異質ではあるが、夏の光と影との激しいコントラストには、なぜか不思議な印象を持ってしまうのだ…… (2004.06.06)


 時代の流れというのは予断を許さないものだと思った。
 パソコンがそうであったように標準「モジュール」の生産とその効率的組み立てによる低コスト追求路線が「モジュール型」生産としてもてはやされたかと思えば、日本のお家芸であった「特殊仕様」を積み重ね、擦り合わせて差別製品を作り出す「インテグラル型」生産が再び脚光を浴びたりもする。(この辺の事情は、(2004.02.13)日誌を参照)
 さらに、その「インテグラル型」生産においても、「ベルト・コンベアー」的な流れ作業とは一味異なる「熟練工」のスピーディな作業を駆使した生産が注目されているらしい。その方が、コスト・パフォーマンスにおいても、フレキシビリティにおいても圧倒的に有効だとされるのである。
 こうなってくると、単に、ハイテクやITによって機械化、自動化を推し進めるという短絡的なイメージは拭い去らなければならないようだ。つまり、「熟練工」というヒューマンなパワーを押しのけて「ハイテク・ライン」がその座を占めるという構図が、必ずしも唯一の回答ではないということなのである

 NHKの番組で、現在の回復傾向の景気動向が本物であるのかどうかを検証するシリーズものがあった。その一部に、現在の上向き景気の一端を支える家電業界の企業努力の紹介がなされた。家電の中でも、携帯電話や液晶テレビと並んで「デジカメ」が相変わらず有力視されている。ただ、モデル変更やハイスペック化と低価格化とを同時に達成してゆかなければ勝てないという厳しい競争時代になっているようである。
 こうした中では、たとえば迅速なモデル変更を叶えるためには、何かと重装備な機械ラインを莫大なコストと時間をかけて変更するようなことはしていられないそうなのだ。むしろ、高度な組み立てノウハウを持ち、創意工夫で作業を推進する「熟練工」たちによる柔軟な作業集団を組んだ方が現実的だというのである。
 ある頃から、ある家電メーカーの製品組み立て作業で、おもしろい作業方式が採用されて注目を浴びたことがある。「ベルト・コンベアー」を使った流れ作業方式ではなく、一人の組み立て「熟練工」が、手を伸ばせば届く四方八方の空間に道具類を備え、一人で大半の組み立て作業をこなす、という方式である。そのこじんまりした空間が、まるで夜店の「屋台」を思わせるところから「屋台」方式とか呼ばれたようだった。
 これも、「ハイテク・ライン」の効率よりも、意外と「ヒューマン・パワー」の習熟性や柔軟性の方が効果的な成果を上げると評価されたものであった。
 今回、番組で紹介された方式は、その「屋台」方式のグループ版といった印象である。ただ、いずれも零コンマ何秒の動作時間を計測して、生じるムダな時間を削ぎ落とす工夫が検討されるという「プロスポーツ」並みの厳しさではある。

 番組では、こうした方式によって生み出された低コストかつ高性能な製品の競争力は高いとともに、中国をはじめとする低い人件費エリアでの生産地域からの追随を許さないと指摘されていた。確かに、「プロスポーツ」メンバーのような「熟練工」とそのコラボレーションは一朝一夕には育成し難いものと想像する。
 こうした「ヒューマン・パワー」の高次元での活用は、言ってみれば製造業ではなく、ソフトウェアの領域で追求されてきたものだという気がする。確かに、「モノ」を扱うか「情報」を扱うかの差はある。しかし、より高度なツールを駆使して、複雑な作業を柔軟かつ効果的にこなすという「人間業」においては同じだと思われる。それが、製造業においても見直されたということなのであろう。ただ、かつての「熟練工」時代とまったく同じだというわけではない。新たな「熟練工」時代にあっては、まるで「サイボーグ・ロボット」のように、駆使すべきさまざまなハイテク・ツールが装備されている。それらのツールを、頭脳と勘で駆使するということになるのだが、その点でもソフトウェア技術者との共通点をみないわけにはいかないのである。

 生産工程のすべてを「機械化」することをひょっとしたら理想的なことのように、われわれは考えてきたのかもしれない。「一体、人間は何をすればいいの?」と、手持ち無沙汰になってしまう人間の未来を想像したかもしれない。
 だから、「ヒューマン・パワー」が、相変わらず時代の要請に応えている側面を見ると、ホッとしたりもするし、逆に「機械万能」というイメージの底の浅さにも気づかされたりするのである…… (2004.06.07)


 蒸し暑くなったため、事務所では車道に面した窓を開け放っている。クーラーを入れるほどでもないし、どちらかといえば外の風のほうが心地よい。
 ただ、車道をゆくクルマの騒音が不愉快ではある。右翼の街宣車も通るし、うるさい整備不良車も走る。中でも、神経を逆撫でされるのは、意図的に騒音を発しているごときクルマ類だ。マシン・ガンのような排気音を立てて疾走するバイク、歴然とした改造車が放つレーシング・カーのような排気音、車内スピーカーを目いっぱいにして重低音の「ラップ」なんぞを撒き散らかしている若者のクルマ……。
 ふと思うことは、了見の悪い連中は「ハイテク威力」を助っ人に頼み、それで気晴らしをしているんじゃないか、ということ。つまり、大昔ならば、不平不満の塊となった輩は、可愛くも「ワーッ」なり「バカー」なり、あらん限りの「自前の声」を出して鬱積したものを晴らしたかもしれないところを、現代人たちは、「威力のある」クルマのエンジン、マフラー、そしてスピーカーという「ハイテク装置」たちに、不満解消の「代行」をさせているということだ。考えてみれば、ストレス解消さえ自分の身体を離れた、「ハイテク装置」たちの働きに「肩代わり」してもらうとは、何とも情けない話ではないか。そして、こんな類の話は枚挙にいとまがなさそうである。

 なにも、原始人のように、何をするにも自分の身体を使うべきだとしらふで考えているわけではない。そんなことは現代の環境にあっては土台無理な話である。むしろ、現代ならではの「ハイテク装置」の道具環境は、より人間ならではの能力、たとえば総合的な判断力、繊細な美意識などをより高次元で開花させるべく活用すべきなのである。そうであってこそ、道具環境は道具冥利に尽きるというべきである。
 したがって、注目したいのは、「ハイテク装置」といった道具環境を、もっと自覚的に、自立的(自律的)に使いこなしたいものだと思うのである。

 昨日は、生産ラインを機械化・自動化することは唯一の解答ではなさそうだという点を書いた。同様のことなのだが、生活の場においても、「ハイテク装置」たちをノー・チェックで賛美し、挙句の果てにその「装置」たちの働きを自身の能力と取り違えてしまうような愚が見ていられないわけだ。
 インターネットにしてからが、本来的メリットの漸次の実現がある一方、他方では不都合な事件や犯罪にも多用されている。クルマ社会の事情とて同様であろう。ここには、「売らんかな」のゆき過ぎた商業主義の弊害が見てとれるが、同時にたわいもなく「乗せられて」しまう側の問題も決して小さくないと思われてならない。
 最もよくないのが、「ハイテク装置」の性能を、何をカン違いしてか自身の性能、能力だと錯覚する点であろう。よく、TVのコマーシャルで、ある種の新製品を導入した家の主が、「どうです!」と自慢している場面があったりする。ありがちなことだ。
 確かに、そんな高価で豪勢なものを購入するとはよほど稼ぎのいいオッサンなのだと思いはするが、あんたがそこまで自慢することはないでしょ、その製品の技術水準とあなたの能力とはほとんど無関係なのだから…… と言ってやりたくもなる。そんなオッサンに限って、満たされた所有欲から、当の製品をほとんど活用らしい活用をしなかったりする。
 若い世代にもこんなカン違いが共通していたりする。ハイエンドのITツールや豪勢なクルマを所有し、それらと自身とを同一化する錯覚に陥り、何やらわけのわからない「万能感」を背負ってしまうというアレである。
 昔、三百年もの昔の話であるが、体制から庇護されていた弱虫サムライが、何がしかの「名刀」を入手するとウズウズとして、夜な夜な「試し切り」に赴いたとは、落語でもご案内のとおりである。とかく了見の悪い人間は、道具に頼る「フェティシズム(物神崇拝)」に陥りやすい傾向にあるようだ。

 ところで、「ハイテク装置」を自己能力と錯覚するというロジックは、振り返ってみれば、昔からのことわざにもあったわけだ。つまり、「虎の威をかる狐」である。ちなみに、これは次のような故事に由来しているという。
「『私は百獣の長になるように神様に命ぜられた。嘘だと思うのなら私のあとについてくればわかる』とうそぶくので、虎が狐について行ったところ、狐の後ろの虎を見てみんな逃げ出した。ところが、虎は獣たちが狐を恐れて逃げ出したのだと思い込んだ……」
 さてさて、虎に見立てるものは、「ハイテク機器」、「官僚機構」、「国民好感度」といろいろと異なってはいても、錯覚にまでいたる姑息な了見は、いつまでも持たないのが同時にこの現代の成り行きでもあろう。威を借りずにすっぴんで通すか、さり気なく道具環境を使いこなす実力を養うか、それらが王道なのではあるが…… (2004.06.08)


 クルマでの通勤時、一時停止していると視角の右上方に「くわがた」虫が動くような影が目に入った。良く見ると、それは虫なんぞではなく、曇天ながら明るく白けた空を背景にした、ビル工事で働く「とび職人」のシルエットなのであった。
 建築中の三、四階部分を組み立てるつもりなのであろうか、柱や梁の鋼材を組む前の周囲の足場作りを進めているようだった。垂直に突き上げた何本かの鉄パイプに、水平の鉄パイプを渡し、接合部を留めている。
 「とび職人」の足場は、まだ水平の鉄パイプ一本であり、遠くから見るとまさに綱渡りをしているかのように見えた。パイプの上を両足を広げながら移動し、両手を広げてパイプを握っているその姿は、濃紺の作業着ということもあって、一瞬「くわがた」が細い枝を渡っているようにも見えたのだった。目を凝らすと、年季が入った職人というよりも、まだ若い今どきの作業者のようであった。

 これもまた、人間でなければできない作業なんだな、とわたしは思っていた。
 アームの長い大型のクレーン車が現場には据え付けられてはいた。しかし、その「文明の利器」とて、足場の鉄パイプを当該の場所に運び込むことはできても、それらを組み上げる作業まではできない。
 いや、ひょっとしたら高層ビル建築などではもっと大掛かりな「自動化装置」があるのかもしれない。しかし、それはそれで莫大なコストがかかってしまうはずである。そんなものを下町の街中現場で使っていたのでは採算が合うわけがなかろう。それに、高層ビル建築であっても、すべてを「自動化装置」に任せられるものではなく、やはりある部分ではベテランの「とび職人」を起用せざるをえないはずなのだろう。

 わたしの関心は、ここしばらく気にしている、人間と「自動化装置」の関係の問題に流れ込んでいた。人間的作業と「自動化」との分岐はどうなっているのか、と。
 おそらく、もし「金に糸目をつけない」ということであれば、つまりコスト・パフォーマンスを無視できるのならば、人間がこなしてきたことを機械やサイボーグに肩代わりさせるケースは少なくないであろう。いや、すべてが可能であると言い切る者もいるかもしれない。
 確かにそんな分野があってもいいのかもしれない。すぐに思い浮かぶのは、「地雷」撤去作業の「自動化」である。あるいは、「エコロジー」分野での環境修復課題である。
 反対に、現に実施されているが止めるべきなのは、「超・自動化」された最新兵器である。戦争が「ペイする」と計算するあさましい発想とともにそれらは廃棄されるべきなのである。

 「金の切れ目が縁の切れ目」という世知辛い市場主義の現実では、人間と「自動化装置」とのどちらを採用するかは、コスト・パフォーマンスの計量にかかっているということになるのだろう。ある意味で健全と言えば健全な方式だと思える。
 だが、これがバブルの時期には狂ってしまっていたのではないかと推定する。いや、もっと正確に言えば「ITバブル」の時期である。いやいや、もっと的を絞れば、「コンピュータ神話」の時期だと言ったほうがいいのかもしれない。「ITバブル」にしても、「コンピュータ神話」の一つのバリエーションである「コンピュータ通信神話」が陰の立役者であったに違いないからである。
 つまり、実際に計量されることもなく、「コンピュータ通信」は巨大な付加価値を産む、コスト・パフォーマンスは絶大なものだと宣伝されたことが、「ITバブル」をヒートさせたのであった。

 そして、「熱がさめた」現在、相変わらずコスト・パフォーマンス追及路線では、PCなどのITツールの低価格化などによって夢の再来が期されてもいる。それはそれで、悪くはないが、真の問題の所在は、別なところにあるのかもしれない。
 コスト・パフォーマンスの原理を逸脱すべし、という大胆なことを考えるつもりはない。それはそれでいいとして、コスト・パフォーマンスの原理の適用範囲を、もっと視野を広げて再検討すべきではないかと思うのである。
 たとえば、一方で「自動化装置」をふんだんに投入してコスト・パフォーマンスを上げ、その結果企業としての利潤を最大限上げている局面があるとともに、他方では人的資源が失業というムダな形態で滞留しているというアンバランスがある。これは、社会という大きな枠で、資源全体に着目したより視野の広いコスト・パフォーマンスの観点からすれば、とてつもないコスト・パフォーマンスのデタラメだということになりはしないかと見るのである。

 今、時代が最も求めているものは、さらなる科学技術の発展というよりも、すでに十分に高度なそれらを、既存のそして今後の人間たちのためにどう活用するのかという「文化的視点」ではないかと思う。「文明」の発展が自動的に人類を幸福に導くと盲信する能天気さを見直すことだと言ってもいい。
 と、まあ、「くわがた」の「とび職」の姿からとんでもなく飛躍してしまったものだが、ここは一発、人間ならではの「お仕事」で目に物言わせる時期なのだと思っているワケだ…… (2004.06.09)


 今朝もまた、クルマでの通勤時に「考えさせられる」光景を見た。まあ朝一、ボケーッとしているよりは、何かに気づき、頭のラジオ体操をするのも悪くはないかと思ったりしている。実にたわいもないことなのである。日誌に書くほどのことでもないのである。でもほかに書くこともないので書こう。

 道路わきの歩道を、二人連れが歩いていた。二人とも日除けの帽子をかぶり、こざっぱりとした軽装の熟年夫婦といった風情である。
「あなたぁ、今日は雨も降らないようよ。朝食が済んだらそこらをちょっと散歩してみない? 歳をとったらとにかく歩くことよ、健康維持には。病気にでもなったら、貯金なんてアッというまに無くなっちゃうんだから……」
 なんていう会話があって、二人して梅雨の晴れ間の戸外に出たんじゃないかと、勝手に想像する。
 後ろ姿からでも、大体の歳は推定できる。旦那の方は六十前半、奥さんの方も五十後半といったところか。だが、何となく「気分は若そう」だな、とこれまた勝手に推量した。と言うのも、奥さんの方が、スラックスに長袖シャツを引っ掛けていて、シャツの「モーニング」のような裾を、今どき風にスラックスに被るように「着流して」いたからである。そして、オットットットである。決してお世辞にも若いとは言えない旦那の方も、淡い色の長袖シャツ、それはほとんどYシャツと区別がつかなかったが、それを奥さん同様に、「着流して」いるのである。で、二人は「気分は若そう」だな、と思った次第なのである。
 『ふふーん、そうなんですか』といった感じを抱きながら、わたしはその二人の姿をクルマで追い越したものだった。
 ほどなく行くと、オイオイ、今日は何なんだい? といった気分となってしまった。というのも脇道から、またまたさっきとまるっきし同じ風情の別の熟年夫婦がそぞろ歩いて出て来たからだった。二人とも日除け帽をかぶり、奥さんはいいとして、こちらも旦那までが長袖シャツの裾を出して着流しているのだ。わたしは、これは由々しきことだと思った。膨大な数の熟年夫婦の一組くらいが「シャツの着流し」をしていても、「まあ、そんな人もいるんだ」で済むが、同じ道路で、しかも同時刻に二組ものケースを見てしまうと、にわかに不安になってきたのである。

 わたしは、「シャツの着流し」世代ではない。おまけに、ソレを見ると、「急いでトイレから出て来た人」「寝坊して、駅まで行く間に直す人」という、いずれにしてもあくまで「暫定版の恰好!」という印象が拭いきれない感性の人間なのである。
 「みっともない」とい言葉が反射的に口に出る。さらに、ヒラヒラ裾は、モーターの回転部分、エスカレータの溝にでも巻き込まれたらタイヘンなことになるよ、と心配してしまう。いつであったか、冬場に、流行りのアノ長いマフラーをしてバイクに乗っていた女性だかが、タイヤの回転部分にそれが絡まり首を締められてしまった事故があったが、「ほれほれ、言わんこっちゃない」と思ったものだ。
 どうも、「着流し」がフツウのような空気となってきたため、自分も、一度はどんなもんかと試してはみた。散歩に出る際、「裾を出したまま」の恰好を玄関の姿見に映して様子を覗いてみたのだ。どうも、この顔とこの体つきは、そうした「暫定版の恰好!」をきっぱりと拒絶したのだ。「アンタには似合いまへん!」とでも言われたようであった。

 そう言えば、わたしは<インナー>裾世代なのであった。小学校低学年の頃の自分の写真を思い出したりもする。ランニング・シャツに短パン姿。そのランニング・シャツの裾は短パンの中に押し込まれ、短パンはヘビのような中途半端なベルトでしっかりと絞り込まれていた。ランニング・シャツは下着なのだから<インナー>で当然と言うかもしれないが、当時のランニング・シャツは下着ではなかったのだ。正装ではないにしても、断じて下着扱いではなかった。とにかく、シャツの類は、すべからくズボンに押し込み、はみ出さないように、へびであれなんであれベルトでしっかりと結び締めるもの、と信じ込まされてきたわけだ。
 ところが、先日、TVのバカなコマーシャルで、背広の上着まで<インナー>にして、ズボンのベルトでキメテいる場面があった。が、その時、ぞっとしたのは、それは紛れもなく「軍隊カラーのイメージ」そのものであったからだ。「そーか」と思ったりしたものだった。みんなが「反戦!」を掲げてのファッションであるわけがないとは思うが、<インナー>ファッションには、開放感や自由な空気が感じられないのかもしれない、と思いはしたのである。

 熟年世代でさえも、シャツを<アウター>で「着流す」ご時世となったようだ。わたしも、思い切って江戸町人が愛用の「刺子(さしっこ)」を羽織るといった気分で、「シャツの着流し」をやってみるか。いやいや、よそう…… (2004.06.10)


 旅行に出て気分が変わることのひとつに、日常生活に染みわたっているマスメディアの「毒」から離脱するという点がありはしないかと思った。時代の流れに取り残されてはいけないというような殊勝な心がけなぞ持ってはいないにせよ、どうしても惰性でTVをかけてしまい、新聞に目を通してしまう。
 振り返れば、自分自身の静かな精神生活、いやそんな上等なものではなくても、自分自身で感じたり考えたりする時間をまるで消去したいがためにマスメディアと付き合っているようなものだ。
 まして、昨今のマスメディアが提供するコンテンツは、特にTVであるが、「がさつ」過ぎてお付きあいするには耐え難いと感じる。やり放題のCMに顕著であるように、品のない商業主義が横行している。ドラマその他の番組も稚拙を極め、視聴者に不快感と、心理的悪影響を撒き散らしている。何を勘違いしてか、やたらに「殺人」場面を強調するのも解せない。わたしは推理小説は嫌いではないが、推理小説にとって「殺人」は必ずしも必須条件ではないはずなのだ。そこにも、低次元な了見が見てとれる。
 また、報道番組もひどい。何のための報道なのかという肝心な部分が頓挫して、権力への迎合、横並び、サプライズ指向、週刊誌的興味本位などに明け暮れ、元気をなくしている庶民に、「まずくて苦い残飯」ばかりを食べさせている。時代社会の現実がひどいのだからしょうがないでしょ! と言わぬばかりであるが、果たしてそうだろうか? 悲惨な事件であっても、伝えようがあるし、もとより事実を公平になんぞ伝えていないのが問題なのである。

 以前、作家、五木寛之氏がある随筆の中で、こうしたご時世で自分はTVや新聞などを覗くのが恐くなり拒絶さえするようになったという意味のことを書いていた。共感を覚えたものだった。
 そして、わたしはしばらく、「旅行に出かけた時のような生活」をしようと意を固めたのである。できるだけ、マスメディア的情報をシャットアウトしようと考えた。いわば、視聴者・読者サイドからマスメディアを願い下げにするのであり、「不買運動」を開始するのである。
 まず、TVはできるだけつけない。食事の際などについつい「さみしい感じ」を逃れるかのようになってしまった悪習慣を是正する。ホントにさみしい場合は、音楽を聴こう。新聞も、論説や文芸などのまとまった主張だけに目を通し、場当たり的な記事はあえて見過ごす。どこまでやれるかわからないが、もはや、精神健康上の大問題でしかないマスメディアに唯々諾々と付き合うのは、悪いと知りながら悪友との腐れ縁が絶てない優柔不断さと同じだと感じるようになった。

 「時代遅れ」といった妙な強迫観念にとらわれる生活スタイルから、「時代に翻弄されない」「時代を見捨てる」といった<高踏>(世俗をぬけ出て気高く身を処する)主義に接近できたらいい、とでも考え始めているようだ。
 何が貴重だといって、心、精神、マインドといったものの「安らぎ」以外ではないと、本気で感じ始めているようである。しかも、人間の脳の働き(いや身体全体と言ってもいい)は、この「安らぎ」をもって最高となり、喧騒にあって最低となるそうだ。さもありなんとぞ思ふ…… (2004.06.11)


 手持ちのモバイルPCは余りに速度が遅く、画面も小さい。その割りには持ち運びにも不便であり、要するに営業のプレゼンなどでは活用できない状態であった。さりとて、二十万円も奮発するつもりはなかった。
 PCショップの中古コーナーで気になっていたモノがあった。一週間ほどそれとなく検討したものだった。そして、昨日店頭で一通り起動の上でのチェックをし、店員に三千円を勉強して貰い、ようやく購入することにした。
 もちろん、そのままで使うつもりではなく、OSも入れ替えて、自分好みのセッティングをして使う予定なのである。ただ、モバイルPCのためCD-ROMドライブやFDドライブが外付けの上、購入物には付属していないので、若干の不安はあった。が、ノートPCの「改造」は、そこそこ経験してもいたため、「何とかなるだろう」という自信があった。
 むしろ、久しぶりに手ごろな「おもちゃ」を手にして気分に張りが出たのがおかしかった。まるっきり不可能に近いことに挑戦するのは気が重くなるものだが、「何とかなるだろう」と感じられること、しかもちょいと頭をつかい気転を利かす必要のあることを手がけるのは、気分がワクワクしてくる。

 ところが、そんな今朝一番、出鼻を挫かれてしまった。息子のことで、家内とちょっとしたいざこざを起こしたのだ。そして、わたしは朝食も採らずにプイッと事務所に出かけて来た。
 何十年もいっしょにいながら、起き抜けの朝一番の自分は自分であって自分でないほどに気分が悪く、立ち上がりが悪いことを、家内は何故頭に置いていないんだろう? 人にものを頼むのなら何故素直に切り出せないのか……、もってまわった「策を弄したり」して……。息子のことになると、どうしてああまでむきになるものか……。大体、家内は息子に甘過ぎる。わたしが辛過ぎるという事情を考慮しても甘過ぎる。息子が自身でものを頼むのならば、おそらくは拒否なぞはしないであろう。それが、いつも間に入って事をややこしくする。そうしたことが逆に事態をこじらせていることを一向に気づこうとしない……。いやはや、はっきり言ってわからない……。

 ふと、「家庭を顧みないモーレツ社員」という、かつてよく口にされたフレーズが思い浮かんだ。そりゃ確かに、会社一丸となった「組織ぐるみ」主義を露骨に推進していた企業も悪い。そこまで要求するのはまずかろう。
 しかし、誰だってそうだろうが、人は「生き甲斐」というものを切望する。自分がいなければ事が成り立たない、そんな事情を渇望する。男たちは、そんな状況を仕事の場で掴みたかったに違いない。場合によっては、家庭での事情がそうであるような存在感希薄な状況とならぬように必死であったに違いない。会社にいて、気心の知れた同僚たちに囲まれたり、そこそこ精通した仕事環境と一体となっていた方が、自分らしくあり得たのかもしれない。「ワーカー・ホリック」と言うのも事実の一面ではあろうが、「ワーカー・ホリック」のように仕事環境に馴染んでしまっていた、というのも紛れない事実なのかもしれない。

 心筋梗塞で急死した亡父が、朦朧とした意識の中で仕事がらみの他愛無い言葉を口にしていたというが、自分に任せられた環境の中で采配を振る自分自身が、やはり一番実体感を持ったに違いなかったはずである。その仕事の中身の軽重の問題ではない。やるべきだとされ、自分もやるべきだと信じたことをわだかまりなくやる、それが仕事の基本的な魅力なのだと思う。稼ぎでは誉められたものではなかったかもしれないが、亡父とはそういう律儀な感覚を重視する人であったようだ。
 亡父と言えば、家内が息子にそうであるように、おふくろもわたしには「甘かった」と言わざるを得ないであろう。そして、きっと今のわたしと同じ気分を、亡父も抱いたに相違ないと想像したりする。

 と、そんな愚痴っぽい気分とわたしとを、クルマが事務所まで運んだ。
 そして今、ところどころヒヤヒヤしながらも、楽しみでなかったわけではないモバイルPCの「改造」作業をやっている。窓の外を走るクルマからは、
「土曜日にも働いている『ワーカー・ホリック』は、やだね!」
と見る向きもあるかもしれない。今日の仕事の内容はそう言われるに値しないと思うが、わたしは正直言って「ワーカー・ホリック」であれれば幸いだと思っている。今の世の中では、そうありたくともその対象もなく、最も惨めな状態にある者たちが溢れているのだから…… (2004.06.12)


 モノを「長もち」させる人でも、四十年間にもわたり愛用し続けた人は少ないのではなかろうか。置物、飾り物であってさえ長期の間には壊してしまったり、引越しの際に紛失させたりするかもしれない。我ながら驚くのは、それが日常的に使用するモノであり、決して飾り物なのではないからである。
 よくも「長もち」したと感心するのだが、もっともそれは壊れようがないといえばそういうモノなのである。頑丈な鉄パイプと、その内部の丈夫なスプリング、そして外部にはワイヤーを特殊樹脂で覆ったロープが二本、といった至極単純な道具なのである。今、道具と書いたが、スポーツ用の道具であり、筋肉トレーニング用の、まあ「エキスパンダー」のようなものだと思えばいい。
 名称は「Bullworker 2」とされ、ちょうど野球のバットほどの大きさで、その両端を両腕で「押したり」、脇のロープ2本を両腕で「引っ張ったり」して筋肉を鍛えるというものなのである。狭い場所でも活用できるため、「宇宙飛行士」たちの運動不足解消だとか、スポーツ選手の旅先でのトレーニングに最適だと、当時は雑誌広告記事などで宣伝されていたものだ。
 確か、中学の後半の頃、まがりなりにも高校受験体勢に入りとかく運動不足となりがちなことを配慮して、奮発して購入した。通信販売で購入したはずだが、当時で¥12,000 也ではなかったかと記憶している。随分と高かったが、五年、十年と使えば安いものだと考えたようだ。結局、三十数年間も使ったというか、持ち続けてきたのだから、安いどころの騒ぎではないことになる。もっとも、この間ビッシリと使ったという覚えはなく、ゴルフ歴三十年だと言う人を相当割り引いて見なすのが当たり前だということと似ていなくもない。

 ふと思い出したが、何かのきっかけで学校へ持ち込んだことがあった。すると、友人はもとより、ある変わり者の先生までが関心を持ち、その先生ときたら「しばらく貸せ!」と言い出した。わたしのクラスの担任にもなったことがあり、おまけに美術クラブの顧問でもあったことから日頃慣れ親しんでいたのだった。
 どういうわけか、その先生は、当時、ボディービルに感心を寄せていたようで、美術室では鉄製のイーゼルを暇をみてはグイグイと持ち上げていたのである。そんな時であったので、その「筋トレ」ツールは、「これはいい……」と思ったのだろう。一週間が二週間に延び、なかなか返してくれず、催促すると、「まあいいではないか……」と取り合わなかったことを覚えている。
 ある別な先生は、そうしたその先生のボディービル狂いを称して冗談を言っていたものだった。
「Mちゃんは、『君は、明日の日本を背負って立つ人材だ』と言われて、何を勘違いしてか、『背負う』ためには筋肉が必要なんだと考えたようだね」
と。

 最近の自分が再びこの「古き友」を手元に置き始めているのは、決して「日本を背負って立つ」先生のようなボディービル指向ではない。少しでも贅肉を減らし、筋肉化することで「基礎代謝」量を上げようとしている。ウォーキングによって、足腰、肩あたりは贅肉が落ちた模様だが、腹部のそれはしぶとくてなかなか落ちない。先日も、腹筋を試してみるや、赤子のごとく脆弱で情けなくなってしまったのだ。
 この身体、この「古き友」のごとく、まだまだ丈夫であり続けなければならない。人の身体には耐用年数というものもあるので、無理をするつもりはないけれど、日々に分散しながら適度な負荷を加えていかなければと考えている…… (2004.06.13)


 今朝、朝食時に、網戸のそばで飼い猫のルルが小声でムニャムニャと鳴いていた。甘える時の声のようなので、何かと思い身を乗り出して見てみると、白い毛の若い猫が縁側でこちらを向いて座っていた。この辺りで餌をもらっている野良たちの一匹であった。網戸の中のルルに関心を持っている様子である。
 庭の主であった飼い犬のレオが存命であった頃は、ほとんど庭に近づかなかった野良たちであったが、レオがいなくなってからというもの、安心して接近するようになった。
 先日の夜も、窓の網戸の外にチラリと動くものがあったので目を凝らしていたところ、子猫が部屋の中を覗いていたのだ。まるで、新美南吉の『手袋を買いに』や『ごんぎつね』に出てくる小ぎつねが明かりの中を覗いているような雰囲気とでも言おうか。しかも、そこはかつてのレオの小屋の真上であり、いまさらながらレオがいなくなったことを思い起こさざるをえなかったものだ。

 網戸で仕切られた両側に、片や内猫として飼われているルルがいて、外からは野良猫がそんなルルを見つめている。両方とも若いということもあり、互いに興味を抱き何やら囁き合っている様子だ。
 そんな光景を見ていてふと考えたことは、ちょっと大げさではあるが、「立場」というか「境遇」というか、自分の意志とはかけ離れたレベルで展開する「運命」のようなものであった。
 ルルは、すったもんだはあったものの永久就職としての「内猫」となり、網戸の外の野良猫は、ウチを含めた近所の家から餌は貰い続けてはいるものの野良猫の境遇にある。これからの季節はむしろ戸外の方がすごしやすいはずだが、冬場の寒さは命懸けものであるに違いない。同じこの世に生を受けたものでありながら、その生き様に余りにも大きな差が生じてしまうのがこの世の不思議な仕組みである。

 猫たちのことを通り越して、当然人間世界の「縁(えにし)」や「運命」について関心が向かってしまう。その場合、やはり人間にとってのそれらが際立つのは、幼少時代ということになるのだろう。成人した大人たちには、とりあえず「自由意志」というものが想定され得る。しかし、子どもたちには与えられた環境以外に選択の余地がない。ドメスティック・バイオレンスで虐待を受け続ける子どもたちが多いし、イラクや中東で戦禍を被り続ける子どもたちは、その環境を拒絶したり乗り越えたりすることはほぼ不可能であろう。そんな子どもたちは、現時点が不幸であるだけではなく、「トラウマ」というかたちで生涯その傷を背負っていかなければならない。こう考えると、よく言われることだが、人の運命は多くの場合その幼少期に方向づけられてしまうのかもしれない。松本清張『砂の器』(映画)は何度見ても涙を流してしまうが、その箇所はといえば、主人公の不遇な子ども時代と自らが宿命に翻弄されながらも我が子を哀れむ父の姿以外ではない。

 小さな子どもが、運命の渦に翻弄されて独り佇む姿は何がしかの感情を揺さぶられないわけにいかない。ただ、それがなぜなのかを振り返ってみるならば、その姿は、決して個別の子どもたちだけのものではなく、大人たちとて結局は同じではないかという気がしないでもない。
 誰しも大人たちは、運命や宿命に左右されているとは考えたくないものだ。また、ある程度は、自身の手で自身の人生を選び取っているという自負もあるだろう。しかし、それは大威張りできるほどのことであるのかどうかは不明だ。所詮、昼食をカレーにするのかざるにするかといった程度と、果たしてどれだけの差異があるのかはわからない。
 そんな、心の奥の奥で感じてはいるが認めたくはない人間自身の心細さ、自分の意志なぞというハッタリめいた表現への後ろめたさ、そんな潜在的な思いが、独り佇む子どもの姿からは誘い出されてしまうがゆえのことではないかと推量している。

 昨日のネット情報では、日比谷のカルガモ親子に「悲劇」が訪れたそうだ。数羽の幼い子を残して母ガモが交通事故で亡くなったという。写真を見ると、子どもたちは、意気消沈し途方にくれて身を寄せ合ってうずくまってしまっている。交通事故という人災を責めることも可能ではあるが、運命というものは、何という哀れなことをしでかすのかと…… (2004.06.14)


 昨今はなかなか爽快な気分になることは難しいものだが、そんな中でささいな「小手先」作業が思いどおりに進むと、まずまずの心境となる。
 休日から暇をみて手がけていたモバイルPCの「改造」作戦のことである。どうにか予定どおりに仕上げることができた。だが、この種の「非」ビジネス作業には、毎回そうであるが、ちょっとした難問にぶつかると「やめておこうか」と思う瞬間に見舞われる。今回もそうした衝動が頭をもたげた。
 自分の場合、OSは「Windows_2000」を愛用している。最新の「Windows_XP」は、システム環境が重い点とインターフェイスがどうも好きになれない点から敬遠している。これまで、モバイルPCとして使ってきたPCには、軽さのゆえに「Windows98_SE」を搭載してきたが、なんと言ってもOSとしての不安定さが気になるところであった。
 今回の中古PCには、プリインストールで「Windows_Me」が入ってきた。が、OSは日ごろ使い慣れている「Windows_2000」にしたかったのだ。

 さっそく、PCメーカーのサイトを覗き、当該モバイルPCのアップグレイド事情を調べてみた。
 すると、いくつもの難題が発見された。先ず、「Windows_2000」へとOSをアップグレイドすることは可能ではあったが、「BIOS(バイオス)」というPCの基本の基本であるファームを書き換える必要があるとのことだった。まあ、これまでにも経験はしたが、そこそこ神経を使う作業なのである。わたしの部下なんぞは以前、この作業をとちって、PCをウンともスーともいわなくさせてしまったことがあった。そうなってしまうと、もはやそのPCにはアクセス不能となり、残された方法はBIOSチップを取り出して、特殊な道具であるファーム書き換えツールを使わなければならないが、これはまさしく専門技術者でないとできない。
 このほかの難問とは、当該PCはモバイル型であるため、FDドライブやCD-ROMドライブはオプションとなっており、メーカー純正のものはもちろん自分は入手していなかったのである。
 ただ、こうしたことには楽観的かつ大胆に対応するタイプの自分は、他メーカー製のものは手元に持っていたのと、これらでなんとかつじつまを合わせてやろうという見込みを持っていた。厳密に考えるなら、「ドライバー」の違いから不能であることは十分想像されるのだが、片や、BIOSレベルでの周辺機器認識に関してはやや事情が異なるのではないかという推定があった。

 そこで、上記サイトから一連のソフトをダウンロードすることだけは済まし、第一関門たる他メーカーの当該周辺機器が使えるかどうかのチェックに入った。すると、何ともラッキーなことに、PCカード型インターフェイスのCD-ROMも、USBタイプのFDドライブも、何事もないかのごとく認識したではないか。思わず、「やった!」と思った。
 こんな調子で、作業を進め、何度か「あっダメか」という局面がなかったわけではないが、そんな場合にはあきらめずにリトライすることで、結局は、見事「Windows_2000」へのOSアップグレイドと、必要な各種ドライバーの更新を完了させることができたのだ。
 今、テストランのつもりでそのモバイルPCでこれを打っている。

 PCマニアたちは、こうした作業は適度に自分を熱くさせてくれるため惹かれて、かつはまり込むようである。わたしはマニアを自任してはいないが、時々こうした作業をしてみると、PC関連知識のおさらいをするようで楽しいわけだ。
 それに、物事にトライするということのプロトタイプ(原型)を学ぶようでもあり、気持ちも活性化させられる。この点で言えば、「知識順応型」姿勢の<脆弱さ>ということをいつも痛感するのである。
 たとえば、上記のようにメーカー指定の周辺機器でなければいけないという情報をかたくなに信じるかどうかの点でもそうなのである。電子機器というものは、各メーカーが、サードパーティの売れ筋マイコン・チップを使い自社固有の製品であるかのような顔をする場合が少なくない。そんな点をにらんでおくと、物事を柔軟に対処する可能性も否定できないのである。
 また、ソフトのインストールなどでは、明瞭な理由もないにもかかわらず「引っかかる」こともなしとはしない。そんな場合には、デジタルというものは厳密なのだ、なんぞと思い込まずにリトライしてみる必要がある。ソフトとて「バグ」もあれば、ハードとて「個体性」のバラツキがないとはいえない。要するに、たまたま「機嫌が悪い」という場合がないことはないのである。

 こんな現実の状況の中で、「不可」であることに喜ばしく論拠を与えるかのごとく知識や情報を信じ切ってしまうことを、わたしは嫌う。むしろ、それらや、それらの前提を疑ってかかり、試行錯誤の可能性に迫ることが好きである。「無理がとおれば道理引っ込む」「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」というのは言い過ぎであるとしても、その気持ちはよくわかる。
 現在のご時世や、そこでの世人たちの往々にしてありがちなのが、手間を惜しむとともに、知識に寄りかかり知恵の発揮を忘れ去ってしまっていることである。知識や情報は、多勢の結果であり個人の主体にさほどかかわらないといっていい。それに対し、知恵とはまさに主体的なアクションそのものである。要するに、そういうことだから、「情報(化)社会」とは無責任社会ともなり、期待にそぐわぬ一面を引き摺り続けることにもなるのだろう…… (2004.06.15)


 今、IT技術者の教育・人事を突っ込んで扱うサイト内サイトを立ち上げるべく腐心している。これまでの弊社実績が散逸してしまわないうちに関係筋に公開できるものは公開しておきたいという意向と、未曾有のリストラ旋風で地に足の付いた教育・人事が吹き飛んでいそうな気配も感じているがゆえのことである。
 半年も前に、このサイトのオープン予告をしておきながら、延ばし延ばしとなってきた。期待されている向きも無くはないことを思えば、誠に恐縮の至りである。しかし、いまひとつ、<荒っぽい>時流のことを想定すると、足元の差し迫った些事(さじ)を措いてまで優先させる気にはなれず、なすがままの日程となってしまったわけだ。
 ようやく、一連の下準備が終了し、サイト内の各ページの構成も目処が立ち、近々オープンする運びとなりそうだ。

 「金儲けがすべてでいいのか グローバリズムの正体」(ノーム・チョムスキー著)と心で叫ぶ人たちがいないわけではない。それにしても、「金儲けがすべて」であるかのような時流が一気に暴発してしまった観がある。しかも、その「金儲け」はあまりにも「目先主義」に偏している点が<えげつない>。事の道理を踏まえて、然るべき段取りや時間を設定することを省き、結果だけを刈り取るという<べらぼうな手口>が横行している。「鬼平犯科帳」ふうに言ってみるなら、盗人の風上にもおけないまさに「急ぎ働き!」の横行だということになる。それが当世ふうのビジネスだということにでもなるのであろうか。

 ひと昔前も、相変わらずソフト業界は<荒っぽい>という評価を免れなかった。業界の創生期はといえば、ユーザー現場常駐の「派遣」会社以外ではなかったはずだ。当時、揶揄されたのは、そんなソフト会社は元手なしで始められる<イージー>な存在だという点であっただろう。採用した社員は、教育もあったものではなくすぐさまユーザーの現場へ派遣で出されるのだから、事務所とて、デスクと電話が一セットあれば十分だとされたからである。ケータイが普及した現在なら、電話とて、事務所とて不要だということになりかねない。
 こうした体質を、ズルズルと引きずってきたのが、ソフト業界の各社であった。そうした派遣業務の<イージー>さを謳歌していた経営者たちは、年度はじめに社員の派遣先が決まるや、あとはやることがなくてゴルフ三昧であったとかの話も聞く。
 それはともかく、技術を売り物にするソフト会社が、技術者の教育や人事問題に驚くほどに無関心であり続けてきたこと、それがこの業界の最大の特徴であったのかもしれない。

 その実質的内容の是非をしばらくおくとすれば、この国の大手企業は、新人集合教育をはじめとして、いわゆる社内教育には力を入れてきたはずである。もっとも、景気後退や終身雇用慣行の崩壊以降、だいぶ様変わりしているとも聞くが……。つまり、大学までの教育を信じたりせずに、自社で必要な人材は社内で染め上げるという自負を持っていたようだ。
 もっとも、力を入れたのは「精神」教育であったのかもしれない。それにしても、事務系、営業系、そして製造関係の技術系に至るまで、各社が人材を「人財」として育て上げようとしていたことは疑いない。
 しかし、事務・営業とも製造系とも異なった観のある「情報系」の人材への対応には、さすがの大手企業も手を焼くところがあったかもしれない。事実、一時期はやりのように生み出された大手系列ソフト会社では、親会社の人事制度を、たとえば銀行系ソフト会社ならば親会社銀行の由緒ある人事制度をそのまま援用したりしていたのだ。もちろん、教育とて同様の場違いさがあり続けた。

 つまり、大手企業でさえ、「情報系」の人材の教育や人事問題には戸惑ういきさつがあったわけなのであり、片や、派遣業務を契機にスタートした独立系ソフト会社は、上記のごとく<イージー>にこの課題をすり抜けていたのだ。
 しかし、「ソフトウェア・クライシス(ソフト開発需要の増大に比して、必要技術者が圧倒的に不足するという事態)」が叫ばれていたこと、それがゆえに各社の経営はとにかく回っていたことなどが、本来であれば大問題であった課題を先送りし続けてきたのだと言うことができようか。
 確かに、ソフトウェア技術者の教育には、教育全体に共通する点とともに、特殊な部分が否定できないと思われる。「できる」ものとそうでないものとが「百、千 v.s. 一」の関係にまで及ぶ能力というものは、さすがに特殊性があるというべきであろう。まさに、「知的労働」として見なし、新しい教育方法や評価方法が検討されていい範疇に違いない。ソフトウェア技術者は、「職人徒弟制度」によってこそ育成できるとする視点(『ソフトウェア職人気質』[ピート・マクブリーン著])もあるほどなのである。

 しかし、本質的で長期的な観点からの構想は、とかく「目先主義」の「構造改革」・「グローバリズム」の喧騒にかき消されがちとなる。「金儲けがすべて」だと開き直る時流に乗って、当面のテクニカル・スキル教育や資格偏重と、問題含みの「成果主義」人事制度導入へと雪崩れ込む企業が少なくないわけである。<荒っぽい>時流とは、このことを言ったのであり、それはそれで成るように成っていけばよろしい、と思っている。「目先主義」企業が結局淘汰されていくのも、世の中のためだといえばいえよう…… (2004.06.16)


寂しさはその色としもなかりけり
       槙(まき)立つ山の秋の夕暮れ
                               寂蓮(じゃくれん)
かなしみは明るさゆゑにきたりけり
       一本の樹の翳(かげ)らひにけり
                            前 登志夫(まえとしお)
大海の磯もとどろに寄する波
       割れて砕けて裂けて散るかも
                           源実朝(みなもとさねとも)
われらかつて魚なりし頃かたらひし
       藻の蔭に似るゆふぐれ来る
                           水原紫苑(みずはらしおん)
其子等(そのこら)に捕(とら)へられむと母が魂(たま)
       蛍と成りて夜を来たるらし
                            窪田空穂(くぼたうつぼ)
逝きし子は蒼空(あおぞら)に咲くばらにして
       死の誘惑の甘きことあり
                           五島美代子(ごとうみよこ)
たわむれに懐中電灯呑まむとぞ
       する父おやを子がみて泣きぬ
                            小池 光(こいけひかる)
子供とは球体(きゅうたい)ならんストローを
       吸ふときしんと寄り目となりぬ
                           小島ゆかり(こじまゆかり)
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
       身捨つるほどの祖国はありや
                          寺山修司(てらやましゅうじ)
またひとり顔なき男あらはれて
       暗き踊りの輪をひろげゆく
                           岡野弘彦(おかのひろひこ)
生きがたき青春過ぎて死にがたき
       壮年にあふ月光痛し
                           伊藤一彦(いとうかずひこ)
こんなにも湯呑茶碗(ゆのみぢゃわん)はあたたかく
       しどろもどろに吾はおるなり
                          山崎方代(やまざきほうだい)
街をゆき子供の傍を通る時
       蜜柑の香せり冬がまた来る
                           木下利玄(きのしたりげん)
売りにゆく柱時計がふいに鳴る
       横抱きにして枯野ゆくとき
                          寺山修司(てらやましゅうじ)

 「声を出して……」というふれこみが流行っている。何かにつけて元気を喪失した「自閉」時代(?)ならではのことであろうか。先日、ちなみに『声を出して味わう 日本の名短歌100選』なる本を買ってしまった。<朗読CD付>という「グリコのおまけ」まがいに乗っかってしまったのだ。檀 ふみ女史の朗読という点、一首一首に快適感のある切り絵が添えられてあった点などが購入の決め手となった。
 朝のウォーキングの際に、このニ、三日イヤフォーンで聴きながら歩いている。短歌は興味を感じてはいたものの、今ひとつ敬遠する嫌いがあった。要するに古語をまともに学ぼうとする意欲が乏しかったのだ。それが災いしてか、これほどに人の情感が緊張感を伴って表現されたものはほかにないにもかかわらず、おざなりにしてきたというわけだ。
 冒頭に並べたものは、とりあえず「わかるなあ……」と思えたものを「100選」からさらに選んだものである。短歌として良い、という基準なんかを意識するはずもない。ただ、「わかるなあ……」「いいなあ……」なのである。だから、高校時代にいやというほど厭な気分にさせられたオーソドックスな、「百人一首」風の歌は全部はずしてある。良くないというわけではなく、今ひとつ生活実感が伴わないのだ。どう想像していいかわからない。それに対して、上記のものは「わかる」。
 「分かり過ぎる」のもあった。それはそれで、なにがなにである……。

「この味がいいね」と君が言ったから
       七月六日はサラダ記念日
                             俵 万智(たわらまち)

 自然風景の律儀さ、優しさや、人間のかわいらしさや、わびしさに対する思いが高まる昨今であるからこそ、短歌なぞに親しみを覚えるのであろうか…… (2004.06.17)


 「およそ考えられる最悪の理由でやってしまった。それは、ただ単に『可能だったから』だ」とは、クリントン前米大統領が、自らの弾劾訴追にまで発展した元ホワイトハウス実習生、モニカ・ルインスキーさんとの不倫に踏み込んでしまった理由だったそうだ。(asahi.com 06/17 20:08)
 屁理屈と強弁で急場凌ぎをするこの国の首相と較べて、何ともあっけらかんとした釈明だと感じたものだ。と、もうひとつ思ったことは、さすが前大統領だけあって、「時代の病理」を的確に察知している(あるいは感染している?)という点なのである。別に誉めているつもりはない。自身を含めて、事実認識に関してはそれなりの精度があるのだなあ、と思ったまでである。

 つまり、現代という時代は、あらゆることを可能にしてしまったわけだということである。もっとも、大統領の不倫ということならば、別に現代が用意する条件がなくとも、いつの時代にもあった権力によって「可能」だとは考えられる。だが問題は、あることを人間に「可能」とさせる条件群と、それを選ぶ、選ばないという人間側の判断能力(「倫理」といってもいい)とのバランスではないかと思うのだ。
 「オーマイ・ゴッド!」とでもいうべき最悪事態では、人類をこの宇宙から抹消してしまうほどの核兵器とそのスイッチが、事を「可能」にする条件として備わってしまっているのが、現代である。また、「ウォーターゲート事件」のように通信機器に小細工して反対勢力の情報の動きを入手することも「可能」なのだ。もちろん、諸科学とカネを総動員しての世論操作であっても「可能」であろう。他国の政権を、もっともらしい屁理屈をつけて、リモート・コントロールで爆弾の雨嵐を降らすことも「可能」なわけだ。

 サイエンスや技術があり余り、溢れる「可能性」を作り出してしまったという状況は、何もビッグ・スケールな話に限られない。自由主義の「野放し市場」は、サイエンスや技術の恩恵と称して、これまで考えられなかったことにも寛容に「可能性」を与え続けている。それはそれでいい。
 しかし、「野放し市場」が金儲け目当てで、だれ彼となく提供される「可能性」は、その行使の是非が吟味される判断能力を人々が保持しているかどうかなどに関してはまったく無頓着なままで、安易にリリースされている。「自己責任」という言い逃れ名目によって、そんな能力が期待できない子どもたちにまで垂れ流されているのが現状のように思われてならない。例えば、昨今引き起こされた痛ましい事件をきっかけに「子どもたちのネット使用の問題」が注目を浴びているが、「泥縄」対応もいいところではないか。何が起こりうるか、何が「可能」となるかへのアセスメント、いやそんな上等なものは要求すまい。フツーの想像力でいい。そうしたものを働かせて現代環境を云々しているのかと、薄ら寒い思いがするのである。

 サイエンスや技術が、時代の壁ともいうべきものを取っ払って、「不可能」を「可能」にさせるのは、「とりあえず」は喜ばしいことであろう。しかし、それはサイエンティストや、技術者や、そして企業群が、その応用に関してヒューマンな想像力と、真っ当な倫理観を働かせている限りにおいてではなかろうか。だが、そんな事情を一体だれが信じていようか。「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」とか「ご利用は計画的に」という言い訳を添えさえすれば、ベンダーとしては免責されると見なしているのが、荒々しい現実なのではなかろうか。

 こんな現実にあって、何をどうすればいいのか? 残念ながら、考えはまとまり切らない。しかし、サイエンスや技術の発展を単純に手放しで歓迎する能天気さからは一歩踏み出る必要はありそうだ。誤解無く言っておけば、規制の問題ではなく、「ユースウェア」教育、さらに言えば「判断能力」教育といった問題かもしれない。要するに、貧弱となり切った生活文化の比重回復問題である。
 現在、世界で最も権威があるとされる「ノーベル賞」は、「ダイナマイト」という両刃(もろは)の剣を発明したノーベルが、サイエンスや技術の発展への「懸念」をも込めて賞の資金提供を判断したとも聞いている。
 いずれにしても、われわれは、物事が「可能」となることだけが課題の時代に生きているのではなく、何を為し、何を為さざるべきかを再度問い直さなければならない、そんなアブナイ時代に生きているような気がしてならない…… (2004.06.18)


 クルマを走らせている時は、何を考えるでもなく考えないわけでもなく中途半端でいるものだ。そんな時、窓外に見かける人に、ふと昔の知人の面影を見出し、そう言えばあの人はどうしているだろうかと思ったりすることがある。
 その人は、私が最初に勤めた会社の上司であった。Yさんは、快活明朗で、勘が良く、当たって砕けろ式の行動力を持った部長であった。最終的には、社長との折りが悪くなり、会社を辞め、そしてあまりいい噂を聞かないその後を歩んだようであった。
 Yさんは多くの社員から慕われていた。わたしも親しみを感じ、「おい、ヒロセ飲みに行こ!」の声にしたがい、お供したものだった。同じ、B型同士ということもあり、十歳ほどの歳の差はあっても、気兼ねなくものを言い合ったものだった。
 カラオケも歌った。Yさんは玄人はだしのベテランであり、当然才能もあったと思われるが酒の場が少なくなかったことも裏書きしていた。Yさんの十八番はたくさんあったけれど、わたしがよく彼にリクエストしたのは、村田英雄の「無法松の一生」であった。実に聴かせる熱唱であったからだ。

 彼は単刀直入にものを言った。わたしも、Yさんからは何を言われても気を害することはなかった。ある時、こんなことを言っていたのを覚えている。
「ヒロセ、お前の言うことは正論なんだけど、お前は『批判意識』ちゅうもんが強過ぎやしないかい? お前から『批判』を食らわないようなリッパなヤツはそうそういたもんじゃないと思うぜ」
 そう言いながら、ビール瓶をわたしのコップにかざしていたかもしれない。
 そんなことを未だに覚えているということは、たぶんわたし自身がそのことを気にし続けていたということなのであろう。

 「正論を吐けば」、こんなに支離滅裂なこの国の現状を見聞する時、「批判意識」を棚上げにしていたのではたまったものではない、と考えている。メチャクチャな輩たちを「批判」して「批判」して「批判」し倒さなければ道理ある社会は近づかないと感じてもいる。
 ただ、「批判」疲れということもあるし、第一、「果たしてこれでいいのだろうか?」と疑問を抱くこともある。決して「不逞の輩」たちへの手を緩めたいとは思わないにしても、そう気分を荒々しくさせているのは身体に毒なんじゃなかろうかと思ったりする。ガンコな隠居が、はげ頭から湯気を出して小言を言い、同時に自身の身体を蝕ませるという図は、あながちマンガだけでもなさそうだからだ。

 他人の長所に目を向け、称賛するということ。これかな? と、最近幾たびか感じ入るようになっている。短所をあげつらって、挙句のはてに「批判」に及んでも、大したことは起こらない。相手も痛むし、自分も痛む。
 「自己批判しろー!」と叫んだ世代の自分としては、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡(芭蕉)」の心境に似たものがあるが、これ以上多くの敵を作ってしまっても始まらないか…… と思う昨今でもある。
 いっそ、「誉め上手」か「誉め殺し」の術でも会得すべきなのかなあ……。そんなことを思いながら歩いていた時、道端の紫陽花が、実に生き生きとしていたのに出っくわした。
「紫陽花さん、綺麗だね。実に綺麗だよ……」
実に素直に、さりげなく口から出たものだった…… (2004.06.19)


 風通しのいい事務所なので、これまで暑い日であってもクーラーなしで過ごしてきた。南側と、北側の窓を開け放っておくと、冷たい風というわけにはいかないが、気持ちのいい風が通り過ぎて行く。民間の古いビルならではのメリットかもしれない。昨今の新築ビルは、セキュリティその他の関係で、窓が締めっ切りという場合が多いようだ。
 だが、日曜出勤の今日は、クーラーをかけることにした。朝のウォーキングで、滝のように汗をかいた。その後も汗が止まらず、身体が火照ってしかたがない。ちょっと急ぎの仕事もあるため、蒸し暑さを拭い去りたかった。
 ただ、湿度がそこそこであり、風があるならば自然の涼しさに越したことはない。おまけに、愛煙家がいる事務所ならば、風が通り抜ける環境がいい。

 建物の中を風が通り過ぎて行くということで、どういうわけか思い出す場面がある。
 中学の頃であったかと思う。何か欲しいものがあったに違いなかったのだろう。ひょっとしたら、先日書いた「四十年間にもわたる『長もち』ツール!」がそれであったのかもしれない。夏休みに、祖父の友人が経営する電話工事業者の会社で一ヶ月ほどアルバイトをしたのである。本来、中学生でそんなことは許されていなかったのだろうが、祖父の友人が社長ということや、先方もよほど人手が欲しかったということもあり成り立ってしまった。
 祖父は、神田駅前に古ビルを持っていて、二階だかをその会社に貸していたようだった。会社といっても、社長以下、ニ、三名という個人事業ふうである。社長は、祖父の長年の友人ということであったが、何と祖父とよく似たタイプだろうと感じたことを覚えている。
 仕事はといえば、あっちこっちの企業などからの電話敷設工事を、わけの分からない下請け、孫請けレベルで請けて、バタバタとやっつけ仕事(?)をするというものである。しかもというか、だからというか、工事現場は、都内であることは少なく、千葉であったり、埼玉であったり、とにかく現場まで向かうのにトラックで一時間はかかった記憶がある。したがって、夏休みだというのに、神田の事務所に朝八時には出勤しなければならなかった。
 ある朝、新しい現場が千葉のある大学だということで、いつもより三十分早く来るように言われたことがあった。事務所へ行くと、そう言ったはずの社員はまだ来ておらず、しかたなく近くに独り住いしていた社長の家へ行って待つことにした。
「おう、ヤスオくんか、まだあいつらは来てないか。困ったヤツらだな。じゃ、そこで座って待ってな」
 社長は、奥さんに先立たれ、六十歳過ぎて独りで生活していた。仕事の身支度をして、お茶漬けの茶碗を持って、せかせかと朝食を採っていた姿が記憶に焼きついている。
 やがて、いかにも寝坊したといった調子で社員の二人が飛び込んで来た。
「バッカヤロー、何やってんだぁ。アルバイトが先に来ていて、お前らがモタモタしていちゃ話にならねぇぞ」
「すんません……。クルマはすぐそこに止めてあります」
 わたしが、その社員について行くと彼はボソッと言ったもんだった。
「かぁちゃんがいなくなって、独りになったもんだから、仕事ばっかりにのめり込んで困ったもんだよねぇ」
 中学生のわたしは、笑って応えるしかなかったが、心の中では、『あんたの方が困ったヤツなんだよ』と感じていたと思う。
 そんな光景が、なぜだか記憶に残っているのがおかしい。

 で、「建物の中を風が通り過ぎて行く」という話に戻るのだが、その日出向いた現場というのが、千葉のある大学であった。次第に暑くなる千葉方面向けの混み合う国道を、幌をかぶったトラックの荷台で一時間以上も揺られて運ばれたが、これがその後二週間も続いた。今、思い出しても、よくも耐えたもんだと思う。
 ところで、現場の大学ももちろん夏休みでガラーンとしていた。そんな時だからこその電話工事であったのだ。わたしは、指示されたとおり束ねた電話線をかついで、廊下といわず、天井裏といわずあちこちを走り回った。医学系の大学のようだったか、やたらに薬品臭い匂いが漂っていたのを覚えている。夏場であったから、作業着は汗まみれとなったものだ。
 そして、昼休み、誰もいないキャンパスが見える表廊下に座り、携えていった弁当を食べた。その時なのである、外はギラギラとした夏の陽射しが強かったにもかかわらず、いつも涼しい風が癒してくれたのだった。多少、薬品の香がしたものの、誰もいない静かな建物内を夏の風が、まるで巡回でもしているように優しく通り過ぎて行くのだった。
 初めて、長期にわたるアルバイトをして、気疲れもあったからかもしれない。晴れた夏の日に、屋内を通り過ぎる一陣の風に接すると、どういうわけかその時の光景が蘇ってくるのだ…… (2004.06.20)


 二週続けて土日を返上するとさすがに若干の疲労感を覚える。しかし、調子は悪くない。むしろ、大した内容の仕事ではないにもかかわらず、張り詰めてのめり込んでいると、水を得た魚とでもいうのだろうか、餌を前にした豚とでもいうべきか、いずれにしても気が張ることにかわりはない。まして、今日は自然が自己主張をする台風がその存在感を誇示し、躍動感が伝わってきたりする。

 「性根」が入っている、入っていないという表現がある。どちらかといえば「体育会系」の用語であろうか、あるいは「オールド世代」専用用語であろうか。あまり、自身でこの言葉を使った記憶はないが、浴びせられた経験はなきにしもあらずである。もっとも自分は、「性根」が入っているかのような「見てくれ」を作りがちなタイプなので、といっても、他人の目に映るポーズをわざととるというよりも自身でそんな恍惚とした気分になりがちだということなのである。だからそんなに頻繁に「性根が入ってないぞ!」と罵倒されることはなかったように振り返る。
 しかし、最近チラチラと思うのだが、「性根」が入った状態というのは、ほかでもなく自分の「エンディング=死」を自覚できた時に限られるのではないかと……。

 若い時代にはそう簡単に「性根」が入った心境とはなれないはずなのかもしれない。「まだ若い」というエンドレスであるかのような気分は、すべての物事が準拠する「一期一会」という道理なぞを、微塵とも感受させないのではなかろうか。加えて、現代は「死」の具体性を日常生活からパージ(追放)してしまったご時世である。「死」の具体性について考えることなんぞは、自民党政治手法以上に先送りにし、棚上げにしている。その直前まで考えることがなく、場合によっては、結局一度もまともに考えることなく人生を済ませてしまうことだってあるに違いない。そんな時代が現代なのだろう。

 偏屈者というラベルを免れない自分は、結構若い時から「死」について考え、恐れはしてきた。子どもの頃は、就寝時に枕にのせた頭の中で、「死んでしまうということはどういうことだろう? こんなことを思っている自分自身がいなくなるということは……」と考えはじめると、ちょっとしたパニックに陥ったりしたものだった。だが、それで眠れなくなるというほどに繊細ではなかった。そして、「死」とさほど変わらない一夜の「死」といえる眠りに、まっしぐらに転がり込んでは行くのだった。
 多分、「死」とは、夢を見ることのない眠りに入ることなのだろうと了解し、それ以上のことは考えても無駄だと思いはじめている。死後の世界はあればあったでいいし、なければないでよし、である。
 それよりも、「永眠」する前の生の時間をこそ愛惜すべきだと痛感するのだ。決してエンドレスではなく、「ハイ、それまでよ〜!」と区切られた生を、区切られているからこそ見事に消費したいと、そう思う。
 決して今、余命を宣告されるといった事態を迎えているわけではない。が、すべての「生存者」は、それが単に「猶予」されたり、明かされていないだけのことであって、言ってみれば生まれたその時から期限付きの余命と裏腹の関係で生きているわけである。

 余命のよすがであるこの身体を、まだまだ大事に消費してやろうと望んではいるのだが、もう片方で、「いずれ『永眠』する」という動かしがたい事実を、素直に受け容れるしかないわけなのである。
 先日、生き仏となるべく、五穀を絶って旅立ちの準備をした空海の話を聞く機会があったが、空海に比べれば(比べものになんかしてはいけない!?)何とラクで自堕落な生き方が許されているものかと思ったりした。
 ただ、生が区切られていることを意識し、だからこそ…… と受けとめる時に、ポーズではない「性根」というものが入るのかと思えたのだ…… (2004.06.21)


 今日の暑さには参った。台風一過で空が澄みわたっているのはいいとして、真夏日のような強い陽射しだ。おまけに外出する用を作ったため、その暑さをもろに引き受けることとなってしまった。市役所に用足しに行かなければならなかったのだ。
 昨夜も深夜まで事務所に詰めての仕事だったので、この暑さにはうんざりした気分となっていた。しかし、事務所を出ようと階段を下りる際、ビルの隣にある広場に、エエッ? と思い、そして思わず笑ってしまうものを見つけた。そこは、クリーニング屋さんの物干しの空間なのである。いつもは、シーツなどいろいろな洗濯物が干されてあったが、今日は何もなく、そのかわりに、奇妙なものが干してあったのだ。
 それは、背丈一メートルほどはあるディズニーのミッキー・マウスのぬいぐるみなのだ。しかも、物干し竿から逆さ吊りになっていて、まるでミッキー・マウスが空中曲芸でもしているように見えたのだった。
 ひょっとしたら、
「こんなものはクリーニングしてもらえるんでしょうか? いや、お代のほうは多少高くてもかまいません。猫がオシッコひっかけてしまって匂いがとれないもんですから……」とかなんとか言うお客が来て、クリーニング屋さんが引き受けたものなのだろうか。
 大きなミッキー・マウスがブラブラと揺れて、大きな目でこちらを見ている。そんな恰好を見ていると、わたしの疲れた気分は消えていくようであった。

 市役所へ向かったのは、「景気対策特別融資」の認定を受けるという手続きのためである。この間、取引銀行が足繁くやってきて、「カネを借りてほしい」とうるさく迫って来ていたのだ。今、銀行としては、リストラその他で合理化をする一方、本業である融資を、元気な企業を相手に積極展開しなければならない環境にあるのだろう。とりわけ、安定した中小零細規模の会社との取引が重点課題だと見える。そんな流れの中で、うちにも攻勢をかけてきていたのだ。
 実のところ、現時点での弊社の資金繰りは全然問題なく、それどころか折からの半導体業界の景気上昇で売上は上々の状態なのである。ちなみに、苦しかったのは昨年、一昨年であった。その時はボロ「傘」でも借りたかったのがホンネであった。が、自力で何とか堪えたものだ。
 よく、「晴れの日に『傘』を貸したがり、雨になると回収し始める」とは、銀行の「いやらしさ」を揶揄して言われることばである。まさにそのとおりなのであり、現在、うちはカンカン照りの暑さの中で、「いやいや、どうぞ『傘』をお持ちくださいな」と押し付けられている按配なのである。
 しかし、幸いにも、とっくに融資残額はゼロとなる状況でもあり、「低利」の公的融資制度があるのならば、お勧めを断わることもあるまいと考え、応じることにしたのである。

 先ずは、当該制度に該当し、その資格アリを証明してもらう必要があった。その手続きで向かったのである。書類を詰めたカバンを携え、ハンカチで汗をふきふき役所の窓口へ向かっていると、何とも「フーテンの寅次郎」の「タコ社長」のイメージが肩あたりに背後霊のごとく浮かび上がってくるようだから不思議だ。
 窓口へ向かうと、すでに別の「タコ社長」が来て話し込んでいた。
「いやー、ボクにはこういったことはよく分からないんだよね。仕事のことなら目をつぶっていても分かるんだけどね。『ケッサンショ』がどうのとか、『トウキボ』がどうだとかは、苦手だなあ……」
と、その「タコ社長」は、苦労によってなのか、酒やタバコのせいかは知らないが随分とかすれてしまった声でつぶやいていた。
「ご利用の制度はどうなさいます?」
「一般の方が1500万、小口の方が500万! と、取り扱い銀行の人が言ってました」

 わたしの方も特に支障なく事が進み、
「じゃ、明日の午後に『認定書』が発行されますので取りに来てください」
ということになった。
 まあこれで、金利が一パーセント以上も公的に補助されるのであれば、ありがたいことだと思い、
「いろいろとお世話になりました。よろしくお願いいたします」
と深々と「低金利さま」にお辞儀をして帰ってきたのである…… (2004.06.22)


 現在の景気回復の真偽のほどははっきり言ってわからない。確かに、多くの企業が表明する「景況感」は悪くない。ただ、何度も書くように先行き不安の状況に曝された一般消費者の需要、購買意欲が果たして回復するのかという点に懸念がある。日本の場合、いよいよ消費税アップの声にも強さが増しており、不安定な回復傾向なんぞはそれだけで萎縮する可能性も無きにしもあらずなのかもしれない。

 それはそうとして、これもしばらく前から書いてきた点であるが、家電をはじめとする一部製造業が活況を帯びはじめていることが興味深い。
 例の「モジュール型」生産と「インテグラル型」生産の対比[c.f.(2004.02.13,2004.06.07)]において、ここしばらく米国経済がひとり勝ちしてきた観のある前者に対して、日本の「お家芸」たる後者が、ここへ来て顕著にその姿を誇示し始めているようである。この点に着目し続けてきただけに、景気回復に直結するのかどうかは別として、関心を向けている。

 ある雑誌(『Forbes フォーブス』8月号)には、次のような記事広告があった。
「トータル・コストでアジアに勝てる?! ものづくりの日本回帰が始まった」と題し、「国内が優るスピードを含めた競争力 唐津 一」「アジアに勝つ生産方式 ▼多能工による生産性向上/ケンウッド ▼商機を逃さない迅速な多品種PC生産/NEC ▼歩留まりを上げる小改善の積み重ね/シャープ ▼需要即応の自動生産方式で在庫圧縮/オンワード樫山」。そして「新たな国内投資に踏み切る大手電機メーカーの自信 富士通、松下電器、NECエレクトロニクス……」、「日本のものづくり復活を支えるプロ社員の育成 山田日登志」である。広告記事だけで云々してもいけないが、概略は十分に伝わってくる。
 先日の、NHKの番組(「屋台方式」……)といい、この記事が指すはずの動向といい、日本のお家芸が時流に乗り始めたことを推定させる点に注目したいわけなのだ。

 しかし考えてみれば、この動向は道理に叶っていると思えてならない。「モジュール型」生産によって、コストを圧縮することは、その当初においては市場を制覇することになるが、それがすべてだというほどに市場やニーズは単純ではないと思えるからだ。とくに現代と言う時代は、消費者における「差別化」ニーズは著しい。デザインの「差別化」、ちょっとした付加機能による「差別化」を期待するとともに、そのスピード(飽き?)も速い。まさに、従来指摘されていた「多品種少量生産」のスピード化がつきまとうわけである。そして、この課題は、ある意味では「モジュール型」生産方式が最も苦手とする側面だとも言えるのだ。日本の「お家芸」こそがこの課題に迫れる位置にあるものと見える。

 しかし、懸念されることは、今、この日本の「お家芸」は十分に復活し得るのか、という点である。上述の記事にも「日本のものづくり復活を支えるプロ社員の育成」という指摘も添えられている。問題はまさにこの点であるような気がするのだ。
 この間の景気低迷とリストラに明け暮れた実業界の各社は、果たして時代が要請する「プロ社員」を育成してゆける社内教育体制をキープしているのだろうか。とりわけ、日本のかつての「お家芸」に値する種々のノウハウというものは、技術的には熟練工的な習熟性や、組織的には緻密な意思疎通関係、指導関係など、現時点の職場ではなかなか困難となっている環境に大きく依存していたと思われるのだ。
 ところが、全部が全部そうでもなかろうが、当世風の職場は、リストラという名の「構造改革」で、「産湯を捨てて赤子を流す」かのような<シュリンク>が図られたと見えるのである。不況であえぐ時期には、人材は「固定費」である負荷としか見なされなかったかもしれないにしても、回復へと向かおうとする現在、今後においては、不況時には見えなかった「人材の質」への要請が急速に高まらざるを得ないだろう。
 それも、「人材の質」こそが、他国や他社に対する競争力の差別化の決定的要素となりかねない前述の「動向」を想定するならば、何だか<人材ボトルネック>になりはしないかとの懸念が拭いきれないのである。
 わたし自身が見聞している各社の実情を思い返しても、不況時での人事体制を引きずって、うまく回っていない状況が気になってしょうがない。先ずは、企業内の人事・教育ジャンルへの問題意識を高める必要が早急にありそうだ…… (2004.06.23)


 今日は、夏日の天候の中を、近隣の役所巡りに奔走してしまった。会社の実印を必要とする書類を整えるべく、三、四箇所をクルマを飛ばして回ったのだ。たまにはこんな行動も悪くはなさそうにも思えたが、回っている間に、釈然としない気分が頭をもたげてきたりした。
 日頃、ネットを通じてファイルでもドキュメントでも、あっという間にダウンロードして、居ながらにして契約を含む種々の処理をしている者としては、役所窓口に出向いて「ハハァー」とでも言いながら証明書類などを押し戴くような仕組みに、どうしても違和感を禁じ得なかったのである。
 まあ、ひところに較べればマシにはなってきたのではあろう。担当職員の若い世代は随分と「サーバント」ふうにはなってきている。要するに民間の顧客対応に近づいてきた。ただ、「上」の方は相変わらずのバカをやっている気配だ。カウンターの一番奥の窓を背景にしたデスクでふんぞり返っている課長らしき人物のアナクロニズム体質は変わっていない。そいつらや、さらにその上が重石(おもし)となって事態の抜本的改善が滞ってしまうのかなぁ、と思わされたりしたものだ。

 「電子政府」へ向けて、なぞと言われ、自治体業務のIT化(電算化レベルというべきか)も進められてはいるようだ。今日も、登記や税務関係の証明書発行を依頼したのだが、もちろんネットワーキングのPCを活用して検索、印刷を行っていた。
 その処理を見ていて、二、三考えることがあった。まず、PCの前に座ってオペレーションを進めていたのは、どうもプロパーな職員ではなく「派遣外注」の感じであったこと。今、各所で「個人データの漏洩」事件が相次いでいる。確かにそれも問題ではあるが、わたしがそこで考えたことは、PCによる処理が、全体業務処理と<シームレスに連結>していないのではないか、という点なのであった。
 本来は、当該業務の担当者が実務内容を掌握しながら、チャラチャラとそろばんを弾くように、キーボード操作をしてPC処理をすべきなのではないか。汎用機ではないんだから、そんなに難しいわけがない。PCオペレーションのためだけに、外部の民間会社からわけのわからないテンプ・スタッフなぞ導入する必要はないし、するべきではないと思うのだ。
 つまり、PCを何でもないように使いこなしてゆくべきだと思ったのである。それができてこそ「電子政府」とかいうものに近づいてもいけるのだろう。

 わたしが、そう思うのは、PC操作くらい職員ができて当たり前ではないかということが言いたいのではない。もっと重要なことがあるからである。
 それは、旧態以前とした役所体質に、部分的なPC導入、しかもオペレーションは「派遣外注」なぞという「接木」方式なんぞをしているから中途半端なのであって、上がるべき効果も上がらないのではないか、と思うがゆえである。ネットワークを含めたPCなどを、プロパー職員がガンガンと我が身で駆使していくようになれば、ネットワーキングの時代感覚、そこでのものの考え方、さらにセキュリティ問題への感覚なども養われていくのではないかと思うのだ。
 そして、わたしが一番期待したいのは、そうした感覚や考え方が培われていくならば、そうした時代の空気と、上層部に色濃く残っている役所構造の旧態以前とした残渣との対比がはっきりしてくるだろうと思うのである。「課長、それはちょっと現実的ではありませんよ」という進言なぞがもっと出てくるはずだと思うのだ。さらに、そもそも現行の自治体法制度が時代に合わなくなっているのではないか、という変革的な圧力にさえなってゆかないともかぎらない。そうなってこそ、民間同様の「構造改革」への道が開かれようというものではないのだろうか。

 今日は、参院選の公示日で、マスメディアは盛んに「小泉『構造改革』の成果の是非が問われる」なぞと言っている。そんなもの何もなかったと一蹴すべきだろうが、それはあたかも、明治初期の名ばかりの「文明開化」のスローガンと同様だと言えるだろう。
 実質が進むためには、大局的見地に立った制度規制の撤廃などこそが行われ、IT技術が自然なかたちで活用されていく必要があるのだろう。
 しかし、現実はどうもしっくりとしないIT技術導入の入口で、もたついているようにしか見えない。
 要するに、IT技術といういわば「入れ物」の新しさと、政治なり行政なりの理念という「中身」の古さとが、完全に齟齬を来たしているというのが、残念ながらの実情なのだろう。そもそも、最も古臭く、歴史逆行的な考え方を持った政党の筆頭が、ITと深く連動する「構造改革」をスローガンとして口にしていることに笑っちゃうのである。
 もっとも、「人生いろいろ」、政治家いろいろ、首相もいろいろ、と言われれば何も言うすべはなくなるが…… (2004.06.24)


 あいも変わらず殺伐とした事件が頻発しているようだ。
 国内では、幼児突き落とし事件に拳銃使用の強盗、不可解な殺人、真昼間の街中での刃物三昧……。中東では、イラクでの新閣僚暗殺、爆弾テロに韓国人の拉致殺害……。ここしばらく、マスメディアを遠ざけているにもかかわらず、無理やり食わされるがごとく、地獄絵図のニュースが飛び込んでくる。
 単刀直入に言って、これらは自然がもたらした悲劇ではない。すべてが人為的な事件なのであり、人間がくい止める聡明さと意思があったなら、あるならば、すべて起きなくて済んだものだと考えられる。
 しかし、実際には、止まることなくエスカレートさえしている。「定かな原因や責任が人々によって自覚されないようなかたち!」で、事態は悪化の一途をたどっているかのようだ。押し殺されたパニックが発生していると診断していい状態だろう。

 はっきりさせるべきである。世界平和にせよ、国内治安にせよ、その責任主体や実質的リーダーがいるのであり、彼らの不始末が現状の危機的事態を許しているに違いないということを! 手ぬるく言えばそうなるが、もっとリアルに言えば、責任を担うべき立場にあるものたちが、率先して事態の混乱を増幅させている。加えて、その血に染まった手と、ダーティな事実関係を隠しながら、最悪の道へと雪崩れこむことをやむを得ないとして放り投げ出しつつあるのだ。ブッシュやポチ・小泉は、武力以外の人間的選択を模索しないばかりか、武力による解決に伴うリスク・テイキングをまったくしていない。イラクで起きている地獄絵図とは、テイキングされないリスクの結晶化以外ではなかろう。

 仮にも、政治のあり方とは国民の意識の根底に少なからぬ影響を及ぼすものであろう。
現在の政府は、「人命尊重」という姿勢を疑いのないかたちで表明しているか? 大義が疑わしい戦争を支持したり、軍隊を戦地に送り込みながらバカな屁理屈をこねまわしている。「人命尊重」に対して無条件な信仰を誓えない政府が、国民の意識に同じものを育めないのは事の道理だと言ったら何と答えるつもりか? ナイーブ過ぎる表現をしているのはわかっているが、国内治安に対して最高責任を持つ政府が、わけのわからない外交政策を、しかもブッシュ・小泉の「兄弟仁義」だか、「主従関係」だかわからない思いつきイージーさでやってもらったのではたまらないのである。

 今どき、誰も政治家たちを尊敬なぞしていないが、それでも彼らのためには税金という高い「投資」もしている。彼らに「人生いろいろ」を教えてもらおうなんぞと誰も考えてはいない。人生の意味、その根底にある人命の尊さなどは、あんたたちに教えられる必要もなく、お蔭さまで苦しい自分たちの生活からしっかりと掴もうとしているっていうわけだ。ただ、政治家たちは目立つ舞台に立っているのだし、国民もみんながみんな物分かりのいいものとはかぎっていない。中には、錯覚したりするもの、容易にだまされたりするものもいないわけではない。とくに、無防備な子どもたちのことも考えてみなさいよ。

 わたしが言いたいのは、「結局は人殺し!」でしかない軍隊の海外派兵を進めようとしている政府は、国内で横行している、「人命尊重」のなし崩しとも見える凶悪犯罪頻発の傾向に歯止めをかけることができるのか、という素朴な疑問なのである。きっと、そんなことは無関係だというに決まっているが、それが情けない。
 かつて、戦後の食糧難の頃、「渇すれども盗泉の水を飲まず」として「ヤミゴメ」を拒絶して死を選んだ「公僕」がいたと聞いた覚えがある。そうした人柱たらんとする責任感ある「公僕」がいてこそ人々の意識の秩序は成り立つのかもしれない。
 庶民感情が逆撫でされるような軽口ばかり叩いているコイズミくん(知り合いの不動産屋のコイズミくんのこと)、ちーとは深みのあることを考えなさいよ…… (2004.06.25)


 せっかく休日出勤しているにもかかわらず、つまらない作業で時間をつぶしてしまった。昨夜、PCの通信部分のある個所にちょっとした不具合が生じ、今日の午前中にもピャッピャッピャッと片付けてしまう予定であった。だのに、もう夕刻六時過ぎになったというのに、原因が特定できないでいる。代替策は見出せたのだが、原因が取り除けない。無力感というか、無能感にさいなまれて非常に愉快でない気分に陥っている。

 大したことではないので気にしなければそれまでのことではある。だが、何とかならないかと思う自分の動かし難い気性が片方にある。これまでにも、とくにPCのハード、ソフトの不可解な動きを見つけてしまい気になり始めると、時間の経つのを忘れてのめり込んだことが何度もあった。不可解なことをそのままにしておいて、さりげなく帰宅し、のんびり風呂に浸かり、平気で夕食を食べ、何事もなかったかのように就寝する、といったことができないのだ。どこかで必ず、強烈に不可解感に火がつき始め、またその時には良さそうだと思える推理、着眼が降って湧き、もういたたまれなくなってしまうのである。そんなもどかしい経験をしてしまうと、現場で粘る方がラクということになってしまうのだ。

 こんなことは、決してわたしだけのことではなさそうだ。
 以前、あるベンチャー企業の知人のところを訪問したことがあった。ある装置の製造にかけてはベテランの技術者である。事務所のテナント代がもったいないといって、中心街からやや離れた場所に、手頃な家屋を見つけてそこを事務所兼工場としていた。
 何回か訪問して気づいたことは、その家屋の一角に自分が寝泊りできるスペースを作っていたことだった。訪問した時は、もう一週間も自宅に戻らずそこに詰めているとのことであった。
 普通の人であれば、大変なことだとばかりに尻込みする思いにとらわれるのだろうが、わたしはむしろ、『それじゃあ、いい仕事ができるなぁ』と思ったものであった。自宅に戻ったり、日常生活のルーチン作業に費やす時間や、思考をストップしなければならないもどかしさなどが省略できて、「ばたんきゅう」で眠り込む直前まで事に当たれたら、どんなにか計が行く(はかがいく)ことだろうと思ったわけである。
 よく、『プロジェクトX』のメンバーたちがそんな詰め方をしたとの紹介話が繰り返されるが、知力と体力をぎりぎりまで燃焼させるにはそんなスタイルも必然化するのだろうと思う。

 確かに、そんな詰め方はあまり身体にいいとは言えないだろう。比較的若いうちは、気力の張り方で、身体が受けるダメージを抑止させることも可能だろうが、高齢化してくるとそうもいかなくなるかもしれない。
 ただ、逆のことも考えなければならないかもしれない。つまり、いくら身体がラクであり、ムリのない規則正しい生活であっても、何の挑戦意欲も気の張り方もない日常は、きっと精神力を弱めて、人生の老いを早めるに違いないと想像する。

 今、景気と環境の大きな変動の中で、まだまだ一花も二花も咲かすことができる男たちが、無為の日常に投げ込まれているケースも少なくないという。どんなことにでも、何度てもチャレンジして、「熱き心」を掴むべきだと、そう考える。カネを掴めるかどうかは、その人の運によるものだろう。そこを期待し過ぎると身動きがとれなくなろう。むしろ、考え方、生き方としてのベストを選ぶんだという開き直りがちょっとは必要なのだろうと思っている…… (2004.06.26)


 久々に、ある社員研修会社からのダイレクトメールが届いた。一頃は国内各社だけではなく、韓国の企業も研修生を送り込むほどに注目を浴びていたセミナー業者だ。自分もその最も厳しいとされたコースに参加したことがあっただけに、不況時でどこの企業も社員研修どころではない時期には、一体あの業者はどうしているだろうかと余計な心配をしたりもした。
 大体、率直に言うならば、各企業は好況時には節税対策の意図をも含め、教育関係経費を寛容に支出する。しかし、固定費削減に躍起となりリストラを公言してはばからない不況時には、教育関係経費なぞはいち早く削減対象とされてしまうようだ。研究開発経費も同様であろう。「不要不急」の分野は、タコが自分の足を食うごとく(ホントに食うのだろうか?)本体サバイバルのための犠牲とされてしまうのである。

 が、上述のセミナー業者がDMを撒き始めたということは、「脈あり」の景気動向を読み取ってのことなのであろうか? 確かに、わたしも、長い不況のあとの景気回復となれば、何はさておいても「人材不足」に火がつくだろうとにらんではいる。しかも、デフレ不況であったため、諸物価は低落し、コスト感覚は鋭敏となった時代環境である。何にせよカネを出す側は、過大ともいえる期待を商品なり、サービスなりに抱くこと必定だ。そうした、顧客に不平を言わせない「従業員の質」がやはり問われるはずとなるであろう。

 おおよそ、流れていた水が留まったようになった不況時の商売は、携わる者たちに良い影響を及ぼしてきたはずがない。より積極的に挑めば挑んだで、より深刻な挫折感や無力感を呼び覚ましたかもしれない。もちろん、消極的な者たちは、ヒマをいいことにボルテージを下げるままに下げていたかもしれない。また、リストラなどの不穏な空気は、ただただ不安感や恐怖心を煽り、面従腹背の姿勢を助長しただけで、実パワー発揮に結びつくことはなかったに違いない。

 しかし、ここへ来て、大手企業に偏重した傾向のようであるが景気回復感が浮上し始めていそうだ。おそらく、大手では、やれるだけやってしまった人員削減のために、仕事量に比して人材パワーが枯渇状態となっているに違いないだろう。加えて、人員削減に伴う組織の統廃合やジョブ・フローの変革などの結果は、少ない人員にジョブの拡大や気苦労などの大きな負荷をかけてもいることも想像される。人材のパワーアップとクウォリティ・アップがまさに緊急課題となっているに違いないのである。
 そして、こうした状況は単に一過性の問題ではなく、今後は不断の人材研磨がなければ生き残りし続けられない厳しい経済環境が立ち現れるに相違ない。

 ここに、社員教育という課題がクローズアップしてくる基盤があると言えそうなのだが、もうひとつ注目すべき事実があろうかと思える。つまり、企業各社の「社内」教育はかなり難しい環境に変質しつつあるということである。ありていに言えば、「そんなことしているヒマがない!」ということである。ヒマで教育がなされたわけではないだろうが、それでも、暗黙の教育「工数」が盛り込まれたコスト体系がこれまでは存在し得た、ということだろうと思う。が、熾烈な価格競争とそれに伴うコスト削減強化の風潮は、かつての「OJT」を限りなく侵食しているのではなかろうか。グローバリズムの震源地である米国では、もとより、企業による新人の集合教育というような慣行はなかったと聞く。入社するものは、当初からその必要能力を保持していることが前提だということなのだろう。

 こうなると、ビジネス教育の問題はかなり事情がことなってくるように思われる。
 まず、「社内」教育は衰退の一途をたどることになるであろう。そして、外部で「Off-JT」の役割りを果たすセミナー業者の存在が再発見されるのだろう。社員教育業務のアウト・ソーシングである。しかし、言っておけば、これまでのようなイージーなあり様は淘汰されるに違いない。確実に、カスタマーのニーズに応え、かつ低価格で責任を持つという業者のみが生き残れるのであろう。
 また、教育業者・機関の費用負担についても、これまでのように「会社負担」が当然という慣行はひょっとしたら徐々に崩れていくのかもしれない。それこそ、職を得るための「個人責任」「個人負担」となるのではなかろうか。

 セミナー業者からのDMを開いて目を通しながら、こんな現状と今後を思い浮かべたのであった…… (2004.06.27)


 落語に『茶金』(または『はてなの茶碗』)という面白い話がある。落語だから面白いのが当たり前である。わたしは志ん生や志ん朝のものを聴いているのだが、関西落語界の重鎮、米朝も演じている。
 話の概略は、京都に「茶金」という名高い茶道具屋がいて、彼の目利きは大層な影響力を持っていたという。茶金が茶道具を手に取り、ふーんと感心して首をかしげるとそれだけで百両の値がつく。一回首をかしげれば百両、二回ならば二百両……。
 ある日、清水寺の音羽の滝の前の茶店で一服している茶金が、店から出された茶を飲みながら、それを手に取り不思議そうに眺めていた。そして、何回も何回も、計六回も首を傾げ、茶碗を置いてその場を立ち去った。
 これを、江戸で食いつぶして京で油売りをしてしのいでいた八五郎という輩が見ていた。当然、「シメタ!」と思い、これを茶店のおやじから騙し取ろうとするのだが、おやじも茶金のこと、今しがた彼が首をかしげていたことを見て知っていたのだ。ここですったもんだがあったのだが八五郎はこの茶碗を手に入れる。
 そして、後日、茶金の店にこれを持ち込み、何百両かをせしめようとした。ところが、押し問答をしているうちに、なぜ過日茶金がこの茶碗を見て六回も首をかしげたのかが解き明かされる。
「じゃあ、値打ちのないもんだったら、なぜ首かしげたん?」
と八五郎が問うと、
「いや、この茶碗なあ、漏りますのや」
 と茶金は答えて、何のきずもないにもかかわらず、ポタポタと漏るのが不思議で何度も首をかしげたというのだった。
 が、茶金はここまで自分の名を買ってくれたことをありがたく思い、八五郎の身の立つ額でこれを購入するのだが、やがてこの不思議な茶碗が「殿下」や「帝」の知るところとなり、「はてなの茶碗」としてぐんぐん値が上がっていったという話なのである。

 どうして、こんなことを月曜日の朝っぱらから書いているのかと、自身でもいぶかしげに思いつつ書いてきた。何ということもないのだ。
 実は、さっき長年使い慣れてきたコーヒーカップにコーヒーを入れた。すると、カップとテーブルの上の表面との間が、コーヒーで濡れていたのである。最初わたしは、運んで来る途中でこぼしたものがカップから垂れてそうなったのだと思った。ティッシュで両方を拭って、やれやれと思っていたら、再びカップを手にしようとした時にもまた濡れているではないか。当然、「はてな?」と思って首をかしげてしまった。
 と、その時、落語好きとしては反射的に落語『茶金』のことを思い起こしたのである。そして、カップを詳細に眺め回してみることとなった。と、どうしたことか、事務所でもう十年以上もわたしにコーヒーを提供し続けてくれたカップに、薄っすらとヒビが入っているではないか。
 そういえば、昨夜だかにカップを洗ってしまう際、水切りをしようと小さく振った時に、流し台に軽くぶつけていたのを思い出すことになった。そうか、あの時に! 十何年も「勤続疲労」に耐えてきたにもかかわらず、堪えきれずに……。
 改めて、わたしは、そのカップを取り上げて、すっかり馴染んだその形状とその柄を感慨を込めて眺め回すこととなった…… (2004.06.28)


 正直言ってもううんざり気味でもあるが、やはり書いておくべきだと思う。歯止めのない、米英両国の無責任体制と、危険をかえりみず追随する日本政府の立ち腐れ体制がまた一歩泥沼に足を踏み込んだからである。
 今月30日に実施されるはずのイラクの「主権委譲」が、昨日28日に「前倒し」で敢行されたのである。そしてこれに伴って日本政府は、まるで脱兎(だっと)のごとく慌てふためき自衛隊を多国籍軍に参加させてしまったのだ。

 もはや手のつけられないほどに腐り果てた米国ブッシュ政権は、恥も外聞もない選択を行ったと言うべきだ。自らが火種を持ち込み散々荒らしまくったイラクが思うようにならなくなると、治安が悪化の一途をたどるにもかかわらず、「暫定政府」なんぞという取って付けた機関をでっち上げる。治安に関しても「息のかかった子分たち」に肩代わりさせながら自国兵の犠牲を抑え、自国の国民感情に取り入ろうとする。大統領選挙のためには、「一件落着」を決め込まなくてはならない、という見え見えの貧しい策が情けないではないか。
 いや、もっと情けないのは、自衛隊と国民の生命をダシにしても「子分」であることを大事にしようとしている首相小泉氏だと思われる。
「きょうイラクにイラク人のためのイラク人の政府が誕生した。イラク人が自らの力で自らの国をつくり上げる意欲、態勢を整えた。日本も日本にふさわしい復興支援活動を続けていく」
と、参院選の街頭演説で叫んだという( asahi.com 06/28 20:35 )から、いよいよ破廉恥である。「イラク人のためのイラク人の政府」とリンカーンの名言をもじりながらも、「イラク人による」と言えなかったのはホンネが邪魔をしたのか。まったくデタラメな政治的文脈をこしらえておきながら、どこに「イラク人たちによる政府」という形容ができるのか。
 相変わらず、綺麗事で国民をたぶらかそうとし続けている。多国籍軍という対テロ戦闘軍に参加しながら、「日本も日本にふさわしい復興支援活動」をすると言いのけるのはほとんど詐欺的口調だとしか言いようがなかろう。ハンティング・ツアーにみずから参加しながら、「ボクちゃんは、森の動物たちの環境改善に努めます!」とほざくに似ていよう。で、片や、「集団自衛権行使」(要するに米国と実戦を共闘するというもの!)のためには「憲法改正(改悪)」が必要だと同日に語ってもいるのだから二枚舌だ。
 どうも、見てくれの髪型ばかりを気にしている彼の頭の中は、空恐ろしいことになっているのではなかろうか。そう言えば最近は、人相も悪くなり、わたしには平和愛好の国民を奈落の底へと引きずり込む「死神」の雰囲気がジワジワと色濃くなっているように感じてしまう。

 歴史を知るこの国の国民ならば、こうした「政治理念」の存在すら疑わしい軽挙妄動そのものでしかない選択が、かつての悲惨な戦争への道そのものでしかないことを、強く嗅ぎ取っているはずだ。
 きっとかつても、国民は大半が、そんなバカなことにはならないと高を括っていたに違いない。もし政府が、危なくて大変なことに踏み出すのであれば、誰かがアラームを発し、騒ぐに違いない。そんなにみんなは騒いでいないじゃないか、と思っていたに違いない。本当に危なくなったら、その時こそみんなで反対すればいい、と思いながら、そして完璧に手遅れとなってしまったに違いなかろう。
 もはや、十分に危険水域に泳ぎ出てしまっているはずである。
 わたしは、小泉氏という男が、この国を新たな戦争国家へと導く水先案内人だという予感が消せないでいる…… (2004.06.29)


 風通しを良くするため事務所の窓を開け放っていると、クルマの騒音だけではなく、通りをゆく人の声も聞こえてくる。ひどい暑さの昨日のことだった。
 何やら興奮して力んだしゃべり方をしている者の声が耳に入ってきた。喧嘩でもしているのかと見下ろして見た。別にそんな気配はなかったが、向こう側の歩道で、長々と黄色いホースを延ばして水を撒いている年配の男が見えた。半そで、半パンツに長靴の身ごしらえである。どうも、この暑さにむかっ腹を立てている様子だ。何を言っているのか聴き取れない。が、たぶん、
「冗談じゃねぇぞー、このくそ暑さめぇ! オレがテッテー的に水ぶっかけて頭冷やしてやらぁ」
とでも言って、特別消防団のつもりでいるのかもしれない。自分の頭を冷やしたほうが良さそうな気もするが、とりあえず焼け石に水に逆らうように、焼けるアスファルトに散水している。
 良く見ると、目立つ黄色いホースは、数軒並んだ商店の真中の路地辺りから延びており、すでに水が撒かれて濡れている歩道は、一番向こうの商店の前部分から、一番手前の商店の前部分までまさにことごとくなのであった。

 あのオヤジ、よっぽどこの暑さと、そして何かに腹立ててるんだなぁ、何だかよくわかるなぁ、オヤジがんばれよ、テッテー的にぶっかけてやんな、と思ったものだった。
 確かに、良く考えてみれば、無駄な抵抗の上に水道代もかさんだことだろう。そして、一時の涼しさらしさが去ればニ、三十分もすれば水はすっかり乾いてしまう。まさに、傍(はた)からは、徒労だと見える。しかし、そのオヤジにそんなことは見えない。盛り上がって鬱積していた感情が、たまたまこの暑さで堰(せき)を切ってしまったのだ。
 鬱積していた感情の実体は、はっきり言って何に向けたらいいのかわからない。その、わからないことは実によくわかる。そして、はっきりしているのは、この「くそ暑さ」であり、怒りが乗り移ったのは、表に出ると目に入った焼けついて陽炎を立ち昇らせているアスファルト歩道であったのだろう。まさしく、その高熱から、オヤジの腹の中の鬱積に「スパーク、引火」してしまったに違いない。「ンニャロメー」と火のついた怒りの対象は、さしあたってアスファルト歩道にピシャッと定まってしまったのだ。
 よくわかりますねぇ、そうやって憂さを晴らすしかやりようがないんですよねぇ。「世界の中心で、怒り叫ぶ」わけにもいかないし、誰かに向かってといって誰が下手人なのかもよくはわからないし、まさか、地下鉄通路で発砲したり、イラクまで飛んでって自爆テロやるなんてことはとんでもないし、かといってカネ使って打つ、買うのも何だし、まあ焼けたアスファルトに黄色い長ホース繰り出して、存分に水をぶっかけてやるのが正解に違いないというわけなんですよね。

 ところで、わたしを含めて年配の者たちは、ふつふつと湧き起こる感情というものを自然に発露させてきた世代かもしれない。逆に言えば、感情と対象との関係が、比較的「一対一」の関係でスッキリしていたからなのかもしれない。たいていのものを人格が担っていて、悪いのはそいつだと決めつけやすかったからだ。時代劇の「悪代官」のようにである。
 ところが、昨今のご時世は、いろいろな意味で人格が前面に立たなくなり、機械や制度や、要するにシステムという「非」人格的な対象や環境が林立するようになってきたわけだ。早い話が、
「いや、システムがそういうことになっているものですから……」
ということだ。そしてそれらが弱者をいたぶる時代だといっていいのかもしれない。まるで、お化け屋敷の暗闇をいいことにして、通るものをボコボコと殴るようなそんな状況に似ていなくもない。

 だから、とかく感情とともにあった年配世代たちは、今のこの環境に苛立たしくてしょうがないのだと考えられる。しかし、そうした年配世代とは異なる若い世代は何と「感情押し殺し」世代なのかと思ってしまう。そうした背景にはいろいろなことがあると思われるが、何といっても感情というものが人間(人格)を相手としてこそ掻き立てられるものであり、その所在が後退するような環境では、いわゆる「クール」な対応となってしまうのではないかと思われる。

 こうした点に関心を向けるのは、二つの理由があるからのことだ。一つは、「環境管理型権力、社会」(東浩紀・大澤真幸『自由を考える』NHKブックス 2003.04.30)という、人格が背後に引っ込んでしまうシステム環境が人々の行動を操作・規制する時代がますます強まるという点である。もはや、駅員が改札に立っていた頃のような「キセル」行為は、システム化された自動改札では事実上不可能となったのである。もちろん、改札駅員との喧嘩ごしのやりとりなんぞは遠い昔の話となってしまったのだ。
 もう一点は、そんなことから、現代人は感情の発露のあり方が、小説、ドラマや、スポーツ観戦などとなり、フィクションなどの対象を相手に、観客的立場でというスタイルに追い込まれつつありそうだ、という点である。自身が関与する人間関係でのリアルなあり方もないではないが、かなり限定され、かつ抑制されていると見える。また、逆にひとたび感情に火がつけられると慣れていないこともあってか異常なパニックに陥ることにもなりがちなのではなかろうか。
 ただ、オールド・ジェネレーションのみがこれまでの経験から、しっくりいかない「環境」の中で、「水撒き爆発」といった、かわいく滑稽とさえ見える感情発露なぞを仕出かしているのであろう…… (2004.06.30)