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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2004年05月の日誌 ‥‥‥‥

2004/05/01/ (土)  「さざえ」の蓋の哀しさよ……
2004/05/02/ (日)  「仕組と仕事の一対の関係性」という面白い指摘!
2004/05/03/ (月)  今、「コラボレーション」のあり方が問われている!
2004/05/04/ (火)  茫漠たる天空が人に知らしめること……
2004/05/05/ (水)  夜店の裸電球に照らされた「般若」の面の木肌……
2004/05/06/ (木)  今のような時代にこそ、優れた「ゼネラリスト」たちが必要!
2004/05/07/ (金)  「神々の闘い」調整から「虫たちのいざこざ」仲介へ?!
2004/05/08/ (土)  食い意地は、可愛くもあり迷惑でもあり……
2004/05/09/ (日)  人間に潜む「エイリアン」を自覚するところから……
2004/05/10/ (月)  「君子(くんし)は危うきに近寄らず」と「虎穴に入らずんば虎子を得ず」!
2004/05/11/ (火)  「君子は危うきに近寄らず」・パートU
2004/05/12/ (水)  「君子は危うきに近寄らず」・パートV どちらかと言えば自分は……
2004/05/13/ (木)  「気象通報」と亡父と、茫漠とした自然の光景……
2004/05/14/ (金)  「君子は危うきに近寄らず」・パートW 「制御不能の世界への<入口>」
2004/05/15/ (土)  彫刻は、何といっても「奥行」が決め手!
2004/05/16/ (日)  旅行で出会った、リアリティ色濃い昔の記憶……
2004/05/17/ (月)  もっと「自由」に関してきっちりと考えてみていい?!
2004/05/18/ (火)  「巧遅拙速(こうちせっそく)」の慣行が超えられるか?
2004/05/19/ (水)  もう、「効率」の時代を早く卒業しなければ……
2004/05/20/ (木)  ダーティーな仕業とも平気で手を組んでしまう「効率」?!
2004/05/21/ (金)  「効率」化路線は、トータル資源のムダを考慮していない!
2004/05/22/ (土)  「折衝」「交渉」とは、それ以前の種まきの刈り入れ?!
2004/05/23/ (日)  今回の首相訪朝は<25万トンの米>で胃にもたれてしまう出来事か?!
2004/05/24/ (月)  『ラスト サムライ』と『鬼平犯科帳』の二本立て!
2004/05/25/ (火)  自分をうまく使いこなすための段取り上手!
2004/05/26/ (水)  この国の民の<メジャー>は「いよいよ、ばかである。」
2004/05/27/ (木)  「世間の皮膚感覚的なノリ」は十分に気になる……
2004/05/28/ (金)  野鳥たちは、人の世の変化をどう見ているのだろう?
2004/05/29/ (土)  「皮膚感覚的」なもので満ち溢れたこの時代!
2004/05/30/ (日)  「ジューシー」なんぞという「もどき感覚」は拒絶する!
2004/05/31/ (月)  組織の歯車ならぬ、目の中の「歯車」?!






 廊下の棚に、一瞬、何だろう? と思うものが置いてあった。良く見ると、それらは先日食した「さざえ」の貝の蓋であった。大島に縁のある者がいるという近所の親しくしている人から、三個の大きなさざえを貰ったのだった。江ノ島のみやげ物店で食べさせる大きさとは比較にならない大型の「さざえ」であり、さっそく醤油をたらして焼き、熱々の磯の香りを堪能したものだった。

 「さざえ」の貝の蓋、三個が棚に無造作に置いてあるのを見た時、なぜか心が動かされた。何と言うこともないのだが、ちょっと薄ら哀しい気分となったのである。「さざえ」たちは、身の安全を守るために、本体の巻貝の口をこの蓋で閉めて、安心していたのだと想像したからであった。まさか、本体ごと運ばれてしまい、おまけに一枚下は火の地獄という網の上であぶられるとは、微塵も考えがおよばなかったはずである。ただただ、この硬い楯のような蓋を玄関扉にしておけば、どんな凶暴な敵も防げると信じ切っていたのであろう。
 そんな、「さざえ」の素朴な生きざまを想像したらちょっと心を動かされてしまったのである。もちろん、ちょっとだけである。香ばしいとか、磯の風味だとか言ってムシャムシャ食ってしまったのだから、本来は何をかいわんやなのである。

 だが、そんなことを想像してみると、待てよ、という思いが込み上げてもきたのである。三、四センチのまるで大きなボタンのような粗末な蓋を、自らの命を守る唯一の防御策としていたのが「さざえ」であったわけだが、人間とて、大した変わりはないのかもしれない、と思ってみたりしたのである。
 巧妙な「ピッキング」泥棒に対する防犯体制云々のことを言おうとしているのではない。もっと人間の本源的な問題に関するものなのである。人間存在の「不条理」なのだと気取って言ってもいい。
 確かに、昨今のわれわれは、「身の安全」という関心を持たざるを得ないほどに、無用心なご時世に遭遇している。身の回りから、国際環境までが不穏な雰囲気であり、自分たちの身をどう守るのかを、時折、意識にのぼらせなければならない時代であろう。
 それはそうなのだが、しかし、「身の安全」を云々する前提には、揺ぎ無い人生というようなものがあって然るべきである。永遠に続くかのごとく信じてやまない人間の生命への信頼感があってこそ、それを維持するためにということで「身の安全」という思いも込み上げてくるのであろう。

 しかし、いささか虚無的な響きがないわけではないが、人間は死を避けられない有限の存在である。どんなに「身の安全」を心がけようが死ぬ時は死ぬ存在なのである。そうした不可避である「人間の条件」(小説、映画、仲代達也?)をこそ見据えて、それで何が重要であり必要であるのかにこそ思いを巡らせてみたい。やや思い切った言い方をしていそうだと意識しているが、要するに、そんなことを度外視して、ただただ「生物学的」(?)な「身の安全」に拘泥するのは、限りなく「さざえ」の蓋のような哀しさ、可笑しさ、憐れさに、通じてしまうような気がするのである…… (2004.05.01)


 「いい仕事をしてますねぇ」とは、TVに出ているある骨董品鑑定家が流行らせた言葉であるが、最近は、スポーツ選手やタレントたちも、なぜだか「仕事」という言葉を使いたがる。「仕事」と割り切る、というほどの意味で、自身のプロ性を強調しようとしているのだろうか。
 また、「仕事」と趣味とが良い意味でも悪い意味でもボーダレスとなり始めているような気配から、「仕事」とは一体何なのか、という素朴な疑問も生まれたりする。
 こうした背景には次のような事情があるからかもしれない。つまり、趣味と思えるほどに入れ込むことができなければ仕事師として成り立たないであろうという「仕事」の高度化が一方にあり、また他方では、従来、玄人(くろうと)でなければできないとされていた「仕事」内容が、情報やツール類の大衆化によって素人でも趣味の範疇で「仕事」もどきでこなすことができるようになったという事情である。また、アイディア次第では、新しい「仕事」、つまり「ニュー・ビジネス」も企てられているが、そこでの「仕事」の水準に関しては、まさしく先行の利として、パイオニアたち自身が基準なのだとされていそうだ。

 こうなってくると、古い世代が思い描く「仕事」というイメージが、かなり様変わりしてしまったように思われてならない。もちろん、「対価」が得られればそれが「仕事」だというのも貧弱過ぎるし、とりわけ「辛い」ことが「仕事」なのだと言い放つのも賛同が得にくくなっているはずである。
 現代ではやはり、「仕事」(または職業。厳密にいえば両者は異なるのだろう)のキー・ポイントと目されているのは、「自分の好きなこと、自分を生かすこと」ということになるのかもしれない。(今、村上龍著『13歳のハローワーク』がベストセラーになっているそうだが、「仕事」周辺に関する観念の混乱と、「好きなこと」を原点にして「仕事」探しをする傾向の定着が底流にあるからだと思われる)
 おそらく、このポイントを基点とするほかに手はないのだろうと思う。ただ、そうであればこそ、ではどうすればこのポイントが生かされるのだろうか、というテーマがもうひとつ重要になってくるように思うわけだ。
 「好きなこと」=「仕事」=「報酬」という等式が成立するためには、暗黙の前提が隠されているように思われてならない。後半の「仕事」=「報酬」はわかりやすい。だから関心事を「就職」ではなく「就社」にすり替えたり、漫然と「サラリーマン」や「公務員」に雪崩れ込む傾向も強いわけだろう。
 今、ようやく「好きなこと」=「仕事」という等式を一般化できる時代となったと言うべきなのであろうが、ここにはやはり重要な前提があると見なければならない。

 昔の人は、「仕事」とは「働く」ことであり、「働く」とは「傍(はた)を楽(ラク)にさせること」と言い含めたりした。確かに、「看護士」なぞは文字通りの働きなのであろう。また、何と言っても「協調性」である! と言って憚らない方もいらっしゃる。いずれもその通りではあるが、これらの強調は、「好きなこと」を動機とする「仕事」とはなじみにくいような気がする。現に、こうした集団主義的環境の中で「離職」に及ぶ若い世代が少なくないのも現状であろう。
 「傍(はた)」のことを考えたり、「仕事」集団との協調を心得ることは言うまでもなく不可欠ではあるが、なぜそうなのかを「好きなこと」自体を通して理解するようにしなければ合理的ではないのかもしれない。

 こんなことを考えてきたのだが、つい最近、「仕組と仕事の一対の関係性」という面白い指摘(松岡正剛『日本流』朝日新聞社、2000.3.5)に出会ったのである。つまり、日本語の「仕事」とは、「仕組」と一対となった言葉だというのである。そして、松岡氏によれば、日本の文物(建築、着物などなど)は皆そうした関係で構成されており、また、「仕事」をする者たち自身のあり方も同じだというのである。
 先日も、限りなく「専門分化」して収拾不能にさえ見える現代の傾向について書いたが、そこで必然的に問題となるのが「コラボレーション(協働)」のあり方であり、この点に関しては、詰められているようで放置されているような気がしてならない。
 「職人集団」のあり方を再度吟味してみる価値がありそうだと感じているのだが、それにつけても「仕組と仕事の一対の関係性」という着眼点は、「システム」という「非」日本的概念にもはや慣れてきているわれわれにとっては、興味深くかつ新鮮に受けとめたものだった。
 以下、松岡氏の同著より関連すると思われる部分を抜き出しておくことにする。

「日本文化を支えている文物の多くは、構造と部品の機能的な大小関係で成り立っているのではないのです。それぞれの部品が自立していながら全体をシンセサイズしているというふうになっている。また全体にも部分にもかかわって、それらを覆っている複数のパラメーターが動いている。全体と部分のあいだに所属関係や従属関係があるようで、ないのです」(松岡正剛『日本流』朝日新聞社、2000.3.5)

「仕組という言葉は、なかなかいいものです。大約すればシステムという意味ですが、システムというよりずっと柔らかい。システムは体系ですが、仕組は体系ではありません。 歌舞伎や日本の建築の例で見たように、日本の仕組は全体と部分を切り分けない。全体と部分とはどこかでつながっている。さらには全体を構成している要素と部分を構成している要素がたがいに寄り添いあい、あるいは連れ立って、しだいに中間的なモジュールをつくっていくという特徴があります。
 また、そういうふうに部分を工夫し、道具をつくっていく。これは仕組と仕事が分かちがたく結びついているからで、日本においては仕組と仕事が、この二つで一対なのです。この仕組と仕事の一対の関係性が、日本における全体と部分の関係を動かしている。そこでは部分は全体の構成要素というよりも、いわば『全体を変えようとしている部分』というようなものなのです」(同上)

「仕組と仕事という話をしました。『仕』というのは『仕える』という言葉から出た文字で、『組に仕える』『事に仕える』ということです。しかし、もう少し正確にいうと『あたる』という意味に近いと考えたほうがいい。
『あたる』は『当たる』ですが、この言葉の感覚にはとても重要なものが隠されている。……この『当』には『ちょうどそちらのほうに向く』という意味がある。『見当』というすばらしい熟語の意味から類推して、『当』のだいたいのイメージがつかめると思います」(同上)  (2004.05.02)


 昨日、「仕組と仕事の一対の関係性」ということを書いた。
 わたしの、そこでの目下の関心事は、今風の言葉で言えば「コラボレーション(協働)」ということになろうかと思っている。自分が好きで傾注すること、これはもはや現代にあっては当然の事実、当然の出発点だと見なしていい。ただ、これが同時に他者たちや集団・組織、社会と生産的に連動していく、つまり「コラボレーション」関係になっていくにはどうすればいいのか、という問題もまた気になって当然ではないかと考えているのである。
 しかも、ここで、従来の「集団主義」偏重の観点を持ち出しても有効ではないのではないかとも考えている。たとえば、人一倍ある種のことにのめり込んだ者に対して、
「君の個人的な力量は十分に評価できるが、プロジェクト全体での役割りというか、『協調性』というか、そんなものに目を向けてもらえないかなあ」
と言ったところでいかほどの利き目があるだろうか? とかく、「やり手な優れ者」というものは、依存癖の強い大方の並みの者たちと自身とを峻別して、自らに重荷を課し邁進してきたがゆえに一定の水準に到達したのだと言えよう。ヒトはヒト、オレはオレという姿勢が暗黙の前提になっていたのだと見なしていい。そこへ持ってきて、その姿勢の中にある「壁」を取っ払うべきだと突然にせがむことはどれだけの効果があるかということなのである。
 これは下手をすれば、「やり手な優れ者」に、凡庸な者たちと「足並み」を揃えなさいというバカな結果になってしまいかねない。考えてみれば、従来の日本の教育は、経済界の「護送船団方式」とパラレルなかたちで、「末尾」の者の歩調にみんなが「足並み」を揃えるべきだとされてきたのかもしれない。それが生み出したものは、「みんなで渡れば恐くない」という度し難い「没個人」的風潮だったのであろう。
 こんなかたちでは、「やり手な優れ者」が育つわけがないし、「コラボレーション」の生産性にしてからが低水準で終わってしまうことは目に見えている。

 まさしく、従来のソフトウェア開発業界の現実がこれであったと思われる。
 つまり、ソフトウェアの開発というものは、「やり手な優れ者」は、並みの者の十倍、百倍の生産性を発揮してしまう世界なのである。そして、まだ小さな規模の開発が一般的であった時代には、「やり手な優れ者」の個人技で済んでいて矛盾は表面化していなかったが、システム規模が「個人演技」から「集団演技」へと移らざるを得なくなる程に拡大すると、奇妙な現実が生じることになるのである。
 考えてみれば決してこれはソフトウェアの開発に限ったものでもないのかもしれないが、一方では「仕事」が「やり手な優れ者」に集中して、他方では他の「並みの者」たちは「仕事」をしている「ポーズ(pose、フリ)」をとりながら、「ポーズ(pause、休止)」に入ってしまっているのである。
 それでいて、必ずしも公式的な「評価」にあっては、「やり手な優れ者」と「並みの者」とが事実通りに遇されなかったりすることが多かった。結果、「やり手な優れ者」たちが「社外流出」すること、ないしはこんな押しなべての日本自体から「海外流出」することになったりもした。

 ところで、昨今は、「能力主義」「成果主義」の名の「評価方式」が過半数の企業で採用され始めてきたと聞く。一見これは、上記のような「やり手な優れ者」を救済するような「方式」にも見える。
 しかし、多くの企業がこの「方式」を採用したのは、専らデフレ時代の人件費コストの削減が有体の理由であったとも聞く。多分そうなのであろう。本当に、企業が生産性のことを真剣に考えるのであれば、「やり手な優れ者」個人による生産性とともに、集団・組織全体の生産性というものをもじっくりと視野に入れなければならないはずだ。
 今取り沙汰されている「能力主義」「成果主義」という「方式」は、正確に表現するならば、「<個人的>能力主義」「<個人的>成果主義」なのであって、では「コラボレーション」の成果、集団・組織全体の生産性はどう視野に入れられているのかが消失してしまっているということになるのだ。

 現在の企業内では、「リーダー問題」も小さくない課題となっているはずである。もちろん、組織の権威が与える「ヘッド・シップ」の問題ではない。そんなものはと言っては何だが、組織の権威自体が危機に瀕している際にそれが背景となった地位なぞは、先日書いた川柳「『課長いる?』返ったこたえは『いりません!』」で決着済みだと言える。
 見るべきは「リーダー・シップ」なのであり、とにかく組織内のメンバーたちが、「能力」や「成果」の観点で「個人主義」に邁進する時、これはとてつもなく困難な課題となっていると観測できる。
 かつて、わたしはリーダーにおける「リーダー・シップ」の発揮は、リーダーの資質に依拠しているとともに、メンバーたちのいわゆる「フォロアー・シップ」にも大きく依存していると考えたことがあった。それはあたかも、「オブジェクト指向」のシステムにあって、「イベント」を起動することが実現されるのは、各「オブジェクト」の「プロパティ」なりにその原資(リソース)があってこそのことであるのと類似しているかもしれない。
 この「フォロアー・シップ」というものこそは、暗黙裡に放置され続けてきたように思われる。これは、きちっと「セットアップ」するなり「インストール」するなりしなければ効を奏さない類のものだと考えている。
「オイオイ、そんなに勝手なことばかり言っていたんじゃリーダーがかわいそうじゃないか。何とか協力してやろうぜ!」
という「人情」ももはや期待できなくなっているのではなかろうか。これが悪いとは言えないと思うが、むしろ、リーダーをリーダーとして機能させることが、メンバーとして当然だと感じ、考えられるようでなければならないはずである。このための「セットアップ」(学習教育!)が必須だと考えている。自然に放置しておき、「とうが立つ」ようになってしまってから、「べき」論を展開しても手遅れのような気がするのである。

 松岡氏の「仕組と仕事の一対の関係性」に端を発し、現代の「コラボレーション」のあり方について能書きを書いてきたが、
「そこでは部分は全体の構成要素というよりも、いわば『全体を変えようとしている部分』というようなものなのです」という点が示唆的であると思っている。
 わたしが理想とする「コラボレーション」とは、唐突であるがジャズ演奏における各プレイヤーの「アドリブ」演奏時の「コラボレイト」である。強烈な複数の個性が、何らそれらを押し殺すことなく高水準の調和を生み出していると見るからである。
 いい「仕事」とはそんなことを言うのではなかろうか…… (2004.05.03)


 GW向けの天候とは言いがたいのかもしれないが、今日のような波乱含みの気象は嫌いではない。関東地方も夕刻もしくは夜ともなれば「大雨」になるとの予報もある。
 ウォーキングに出かける際にも、帽子が飛ばされそうな強い風が吹き、わずかな小雨が蠢く煙のような雲から落ちてきた。
 しかし、そんな流動的な雲の存在で、天空は思いがけずにダイナミックな様相を呈している。それが何とも素晴らしい。遠景には、青空を隠す白い雲が浮かび、その手前の近景には、何を急いでいるのか雨雲がちぎれちぎれとなって流れている。それら遠近の光景が、見事に動的な立体風景をかもし出しているのだ。

 真っ青に澄み切った空もいいことはいい。まして、地上の新緑の鮮やかさが映えるこの時期には、あるいは風に揺らぐ鯉のぼりの背景としては、コバルト色の空に白い雲というのも悪くはない。いや、そんな天候がGWにはふさわしいのだろう。
 だが、そんなありふれたスタティックな気象には、何となく存在感が感じられない。天空の存在感、自然の存在感は、むしろ今日のような荒れ模様くらいであるほうが引き立つ。

 自然の光景は引き立ってもらいたいのである。姑息で、うっとうしい人為の光景なんぞを、涼しくせせら嗤(わら)うように自然の凌駕する姿が引き立ってほしいのである。
 土台、憎悪で荒れ狂うイラクや中東の悲劇が続く中で、この「バカの国」日本だけが、絵に描いたような五月(さつき)晴れの空を享受するなんてことは許されなくていいのではないかと思ってしまう。人為の世界では想像できない、万物への公平さは、自然によってこそもたらされていい。いや、何も「天罰」が下るべきだと言っているわけではない。(多少は望んでいるが……)薄っぺらな作り事としての日常を、多少ともダイナミックな視点で見つめなおすきっかけがあってもいいと……。そんな思いがあったればこそ、天空でダイナミックな雲の姿が織り成す光景を、歓迎し、心地よく思えたのであろうか。

 天空といえば、見上げる夜の天空全体がまるでスクリーンにでもなったかのように、色鮮やかな映像や飛行物体が次々に出現する、という感動的な夢を何回か見たことがあったのを思い出した。ちなみに、夢はモノクロかカラーかとしばしばささやかれるが、言うまでもなく「総天然色カラー」である。
 どうしてこんな夢を見るのだろうと考えてみたことがあったが、夏の夜空の「花火」かとも類推したが、ひょっとしたら、幻想的かつ躍動的である「オーロラ」への憧れがあるのかもしれない。もちろん、「オーロラ」は、写真や映像でしか見たことはなく、実際に仰ぐことができればどんなにか感動的だろうと想像しているに過ぎない。世界観が変わるのではないかという気さえしている。「オーロラ」と比較できるものといえば、宇宙から見る「青い星、地球」の姿かもしれないが、実際にそれを見た宇宙飛行士の中には世界観を覆してしまった者もいるとのことであるから。
 夢の中での「天空ショー」は、ありふれた夕景、夜景から徐々に幻想化していくところがまた面白い。始まりは、何ということもなくどこかで見覚えのある遠くの小高い建物や、山の風景なのである。そんなものに見とれていたりするうちに、「未確認飛行物体(UFO)」なぞが夜空を光りながら舞い始め、そのうち山で見るくっきりとした星空、しかも色とりどりの星の瞬きで賑わう星空が現れたり、おまけに夜空の天空に輝く文字群まで浮遊する事態へと発展していくのである。もちろん、見ている当事者の自分はワクワクドキドキした心境となっているのが自覚できるのである。

 巨大な茫漠たる空間というものが、人間のちっぽけな人間としての視座を正してくれるというのが、天空を眺めて得られる感慨のすべてなのかもしれない。だから、別に夢の中でのような賑やかさがなくても、静かな夜空、星空であっても一向に差し支えないのだと思われる。
 そういえば、小中学校の国語の教科書にあった随筆であったか、日常生活を「遠く距離を置いて見る」ことについて書いたものがあったかに覚えている。あくせくと日常生活に埋没する筆者が、夜、小高い丘に登ってわが家の方向を見た際、あたかも「逆さ望遠鏡」を覗くように自身等の生活の姿が、実に小さく頼りなく見えたかのようだったというのである。実はそれが、正しい人間の視座だと言えそうな気がしている…… (2004.05.04)


 自宅のすぐ近くに、陶芸教室を開いている陶芸家がいる。習ってみようかと考えたこともなかったわけではないが、未だに訪れていない。陶芸に関心がないこともないが、誰でもがやっていそうで、いまひとつその気になれないでいる。
 変わった趣味といえば、もう何年も前に「面打ち」をやり始めた。「面打ち」といっても剣道ではなく、能面の木彫りなのである。「翁」の面の三、四分がたの彫りかけと、「般若」の面の木材下拵え済みを、ほこりが被るほど長らく放置してきた。どうも、木材の材質を選ばずに、あり合わせの硬いものを使ってしまったため、骨が折れ過ぎていやになるまま放置してきたというのが実情であった。
 が、ここ最近、急にまた始めたくなってしまったのである。やりたくなることに対していちいち能書きを施す必要はないようなものであるが、どうしてかを振り返ると次のようになるかもしれない。

 まず、とかく現代のようなスピード時代にあっては、「こつこつ」と何かに没頭するという手間の掛かることは避けがちとなる嫌いがある。何でも、「いきなり」が好まれ、「あっという間に」が望まれる。仕事でのそれらは結構なことであろう。しかし、そうしたものはそうしたものとしての宿命がつきまとい、「じわーっ」とした満足感は得られようもない。それが寂しい。手塩をかけ、時間をかけ、命をかける、ことまではしなくともよいが、思いっきり手間をかけて、その分思いっきり「じわーっ」「じわーっ」とした充足感を味わいたいと思わずにはいられないのである。また、そうした楽しいやりかけのちょっとした手仕事があり続けるというシチュエーションは、日常生活に潤滑油を注すような効果があると思える。手持ち無沙汰というもったいない時間を確実に埋めてくれるはずでもある。

 ほかのことではなく、なぜ「面打ち」なのかということになる。
 絵画も好きではあるが、もともと、造形というか彫塑には惹かれていた。三次元の空間を造り出すことにはなぜだか興味がそそられてきた。その裏には、それが結構難しいという事情が隠れているのかもしれない。生半可に挑むと、平板となり、薄っぺらとなってしまい、一向に奥行きのあるリアルな立体となり切らないのが彫塑なのである。
 人間の視覚は、二次元平面には強いものの、奥行きを持つ三次元空間にはもろいのではないかと感じている。それは、眼の構造から考えても当然のような気がするのだ。要するに、経験的なカンで奥行きを推定しているに過ぎないと思われるからである。
 つまり、「脳作業」(農作業ではない)なのであろう。だから、造形、彫塑に挑むことは、脳の活性化にいいのである。しかも、両手とその指をこまめに駆使せざるを得ない作業は、確実に脳を活性化させずにはおかないはずである。中高年の「社会復帰」にはこれほどいい趣味はないというべきなのであろう。

 「面打ち」への関心にほのかに火が付けられたのは、実は、もう四十年以上前のある事実にあったと言える。北品川での小学校時代のことである。
 当時は、よくあちこちの駄菓子屋を友だちと連立って巡ったり、駅前商店街で催された七のつく日の縁日にも繰り出したものだった。そうした経緯で、ある見事な木彫の「般若」の面に遭遇したのであった。しかも、その店のオジサンは、傷痍軍人であったのか片腕が失われていたのである。にもかかわらず、上半身をかがめるようにして「般若」の木彫りを進めるその姿は、子ども心にも強烈なインパクトを受けたものであった。
 縁日の夜店でも、駄菓子類とともに、裸電球にその自作の「般若」の面が見事な陰影を作りながら飾られていたし、そのオジサンの駄菓子店に行っても、薄暗い店の上方に白い木肌の「般若」の面がぶら下がっていたのを覚えている。当時の自分のお小遣いからは手が届かない値段であったのだろうと思う。当然のことである。だから、欲しいと思っても買おうとは思えなかったのだろう。
 その「般若」の面のことは、もちろん口さがない悪がき連中の間では知らぬ者はいなかった。しかし、いろんなものを作ることを自負していたわたしも、さすがにその面を作ろうとするほどの大胆さはなかった。見るからに複雑で難しいという印象が、子どもの野望をも躓かせるからであった。

 何年か前に「面打ち」を始めたいと思った時にも、もちろん、夜店の裸電球に照らされて輝いていたあの「般若」の面が彷彿として浮かんでいたのは言うまでもなかった。
 ひょっとしたら、また、今は息づいている「面打ち」への衝動がいつの間にか薄らいでしまうことになるのかもしれない。しかし、子どもの頃の眼に焼きついたあの「般若」の面の白い木肌が記憶に残っている限り、「面打ち」への衝動は懲りずに何度でも蘇るような気がしている…… (2004.05.05)


 以前、同じビルに事務所を構えていた知り合いのベンチャー会社の社長が次のようなことを言っていた。
「仕事は一向に苦にならないし、技術的な悩みならニ、三日徹夜したって苦しいとは思わない。だけど、資金繰りだの銀行対策だのという社長業はほとほといやになった。代わりにやってくれる人がいたら頼みたいよ……」
 何を大人げないことを言っているのかと、その時は思ったものだ。
 しかし、実感的には道理なのである。誰だって、自分に見える範囲の対象を相手に、全力投入で「没頭」できるかたちの時間が使いたいものに決まっている。それが充実感というものだし、遣り甲斐というものかもしれない。気分が分散してしまう多方面の事柄、しかもそれらのそれぞれが未知数と言わざるを得ない、まるで「お化け」のような代物を相手とするのは、避けられれば避けたいと思うのが当然である。
 多少とも技術に心得のある者ならば、技術というものが、対象限定的で計算可能性を何よりも基本条件とするジャンルであるだけに、なおのこといわゆる気苦労で責められることになるのだろう。

 どちらかといえば、時代の傾向は、技術的仕事のように対象限定的となり専門分化しているわけだから、こうした「マネージメント」的な仕事は、逆に特殊な仕事とさえなり始めているのかもしれない。
 少なくとも、こうした仕事を苦手とする者が増えていると言っていいのだろう。確かに、ソフト業界でも、技術畑の人材たちの中から、リーダーやマネージャーを発掘することは至難の技であり続けてきたものだ。もともと、ソフト技術職志向者の動機には、「人間関係がわずらわしい」「手に職つけてこつこつ」という感触が強かった。そして一日中、キーボードとディスプレーにかじりつき、たとえ会話らしい会話が皆無であったとしてもことさら気が滅入るということもないタイプが少なくない。
 むしろ彼らを困惑させるのは、一定の経験を積み、いよいよ技術の醍醐味が見えても来た頃に、リーダーやマネージャーの役どころを仰せつかることなのであろう。中には、そうしたキャスティングがきっかけで職場を辞するものさえいるほどである。

 ところで、こうしたソフト業界で以前から見受けられてきた傾向は、ひょっとしたら現在では、何もこの業界に限られないある意味で普遍的な事象となっているのではないかと観測するのである。
 対象限定的となり専門分化しているのが、何もソフト技術、ITに限らないからである。そうした職選びを支援、教育するいわゆる「専門学校」も目白押しである。大学の「教養課程」なぞという道理のあった仕組みも、今はもはやどこ吹く風のようでもある。
 また、これらの傾向と歩調を合わすかのような、若い世代の「個人主義的姿勢」の強まりや、視野の狭隘化も気になるところである。若い世代が、人間の集団・組織が渦巻く社会的平面への視野を貧弱にさせ、より身近な小集団に埋没しているとの指摘は久しく聞くところである。
 こうした環境が気になるがゆえに、先日も「コラボレーション」について書くことになったのであるが、リーダーやマネージャーというどんな「コラボレーション」にも不可欠な役割りの問題も、当然気にしないではいられない。

 おそらくこの問題が、何かをきっかけにブレイクして注目を浴びることになるのだろうとは思っているが、どうも現在は、「スペシャリスト」さえいれば事が済むような錯覚に囚われているように思われる。本当は、今のような時代にこそ、優れた「ゼネラリスト」たちが必要なのだと思っている。
 かといって、かつての「中間管理職」に代表されるような「限りなく透明に近い」かもしれない「ゼネラリスト」が待望されるわけではないはずである。スペシャルなジャンルでの知識経験と、洞察力、判断力を兼ね備えたゼネラルな人材こそが時代の要求に応えていくに違いない。
 この点は、国会における閣僚大臣、総理大臣とて同じことである。能力的に「限りなく透明に近い」資質にもかかわらず、ただ当選回数というキャリアだけでお茶を濁す現行状態は、あまりに時代錯誤だと思えてならない…… (2004.05.06)


 「蓼(たで)食う虫も好き好き」(辛い蓼を食う虫もあるように、人の好みはさまざま)という慣用句がある。だがこれは「好み」の問題として高をくくってはならないのではないかと思っている。ものや人に対する「評価」にあっても、同様であると見なしたほうが実情に沿っていると思われる。
 もとより、比較的自覚的に行う「価値判断」といえども、その人の「好き嫌い」の感覚が大いに左右していることは容易に想像できるところだ。むしろ、「良い」=「好き」、「悪い」=「嫌い」という関係を暗黙のうちに成り立たせてしまっているのが大方だと言ってもよさそうだ。「好感度」という言葉が意味ありげに叫ばれる状況である。ここには、人の「価値観」を裏付ける何か超越的な規範のようなものがとっくに風化してしまっている実情が長々と横たわっているとも思われる。また、そもそもが「価値観」なぞという込み入った「脳作業」を要する基準は、もはや即物的な欲求レベルの感覚(「好感度」)に併合されてしまったと考えるべきなのかもしれない。
 もし仮に寄り添うべき規範に代わるようなものがあるとすれば、それは神とか絶対観念とかといった超越的な存在ではなく、「より多くの人々が……」というわかったようなわからないような事実だと言っていいのかもしれない。錯覚されて受け入れられた「民主主義」観が主流となり、顧客数こそ決め手だと見なされた商業主義、市場主義の世の中では、それが自然な結果であると言うべきか。多くの人々が「好感」を持つことを「正しい」ものだと決め込んでいるのが実態であり、その事実の危なさなぞあまり気にならないとんでもない異常さが広がっているわけである。

 書こうとしていることは、「人事考課」のような「評価」のあり方の問題なのである。変な表現をすれば、まるで「持病」のように、この問題については一進一退の小康状態で関心を抱き続けてきたのである。そして、この国の経済が飛躍的に拡大しようもない下り坂に差し掛かっている今だからこそ、この問題は切迫しているとも考えている。
 つまり、より良い人材をオーソライズすることで企業経済を活性化しなければならないという本来的な意義があるとともに、次第に小さくなる「パイ」を効果的に分配しなければならない低成長時代には、分配方法の基準としての「考課」「評価」問題は熾烈を極めるはずであろうと目しているのである。大雑把にいえば、今マス・メディアを賑わしている「年金問題」にしても、目減りし続ける「ファンド」(「パイ」)と公平性をめぐってのこの種の問題以外ではないと思われてならない。
 経済の右肩上がりの時期には、誰もが寛容なのである。自身の懐が漸増する間は、他人の懐具合、取り分に目くじらを立てないのが人情というものであろう。だが、歴史は、いつも「パイ」が頭打ちとなった時点で「評価」問題が紛糾する事実を物語ってきたはずである。旧い話では、恩賞の「ファンド」に困った秀吉が「朝鮮出兵」という暴挙に出たことも一例であるし、家康が、経済の長期低迷時代(固定した「パイ」の大きさ!)をにらんで編み出した「士農工商」制度や、「公家、御家人」たちの位置づけもこれに当たる。
 しかし、現在のこの国の実情はかなりシビァである。というのも、各企業におけるこれまでの「人事考課」制度というものが、あってないような「年功序列」慣行に依存してきたからである。そして、ここへ来て「成果主義」制度という、これまたわかったようなわからないような「かたち優先」の制度へ雪崩れ込んでいるからである。何をもって「成果」とするのかということひとつを取り上げても、論点のすり替えに近いことは推論できるからである。
 また、この時代が、冒頭で書いたように、「評価」というものを尋常ならざるものにしている状況を持っていることなぞいかほど考慮されているかもはなはだ疑わしい。ありていに言えば、「良い悪い」という基準が、「好き嫌い」という尺度に飲み込まれているかのような「動物化」した環境にあって、果たして「評価」という人間的な営為が成り立つのであろうか、ということなのである。
 「神々の闘い」という「価値観」の調整作業から、「虫たちのいざこざ」(?)という「好き嫌い」の仲介作業への堕落、移行を背負わされた観のある「評価」制度は、一体どのような地点に着地点を見出していくのであろうか…… (2004.05.07)


 迷い込んで来て飼うことにした三毛猫のルルは、どういうものか食い意地が張っている。まるでルルと入れ替わりのようにして死んでいった飼い犬レオも食い意地が気持ちよく張っていたものだ。多少身体の調子が悪くとも、おせんべなどを玄関に持ち出すと、思いっきり尻尾を振って喜んだ。
 動物にせよ、子どもにせよ、食べ物に目がないという食欲旺盛なものは好きである。とかく、食べ物も溢れ、グルメなぞという贅沢な時代だから、食べ物が有るだけでは喜ばないものたちが多くなった。
 そんな中で、食べ物ならば何でも喜ぶという存在はそれだけで可愛く思えるのだ。
 ルルは、ちょうどそんな猫なのである。迷い込んできたころは、ひもじい体験をしていたがゆえに食い意地が張った一時的「状態」であったのかと思っていた。が、それが常日頃の「常態」であったことが最近わかってきた。
 何でもムシャムシャと食べる。常食はキャッツ・フードであるが、人間さまの食事の時にはお膳の傍らに座しておこぼれを貰おうとしている。先日は、戴きもののさざえのわたを与えたらペロリと平らげてしまった。まあこれは不思議ではなかろう。煮魚の皮の部分も問題なく食べる。魚介類は当然といえば当然かも知れぬが、もう一匹いるリンは、何か貰おうとして食事時のわたしの傍に座ることは座るのだが、そうしたものを匂いをかぐだけで一向に食べない。やる甲斐がないというだけでなく、苛立ちさえ覚えてしまうのだ。 そこへ行くとルルは、「ハイハイ、ありがとうございます」という調子で何でも食べてしまう。先日も、おかずをすべて食べてしまった頃にやって来たので、しかたなく、ひとつまみのご飯粒をやったものだ。食べはしないだろうと思っていたら、何とやや躊躇ってはいたものの、やがてモグモグと食べてしまった。思わず頭をなでてやったものだ。

 ところが、ルルの食い意地の張り方は、度が過ぎている。床に落ちている輪ゴムまで食べていたのである。吐き戻したものを見てわかったのだ。また、行儀もすこぶる悪い。リンは、決してお膳の上のものに手を出すことはないのだが、ルルは油断も隙もあったものではないのだ。あの、猫特有の「手招き型フック」で、お膳の上の皿の焼き魚をかっぱらうのである。そういえば、こちらから箸でつまんで与える際にも、紙の上に落ちるのを待てばいいものを、途中の段階で手を出してくるのである。箸を汚されてしまうほどである。これには家内も腹を立ててピシリッとお灸をすえていた。
 面白いのは、呼んでも来ない場合に、何かを食べているマネをして、そのおこぼれをやる仕草をすると飛んで来るのである。よほど食い意地で貫徹された猫だと見える。

 食い意地といえば、今でこそめずらしくなってしまったのだが、昔は子どもの食い意地が張っていたのは当たり前のようであった。思い出すことがいくつかある。
 小学校一年生くらいの頃であっただろう。大阪で親戚の家に住んでいたころのことだ。叔父の子どもで、わたしよりニ、三歳年下の女の子がいた。その子がまた常軌を逸して食い意地が張っていたのである。上述のルルではないが、人が何かを食べているとおやつであろうが何であろうが、目敏く見つけるやタタタタッと近寄ってきて、「おくれ、おくれ!」とせがみ、やがて泣き出すのである。だから、おやつなぞを外で食べる時には、先ずはその子が辺りにいないかどうかをキョロキョロと確かめてからにしたものだったのを覚えている。見つけられたら、確実に半分はなくなってしまうからである。まさに、「たかり型食い意地」であったのだ。

 もうひとつ、これは名古屋のボロアパートに住んでいた頃の語り草である。直接わたしが経験したのではなく、家内が経験した話なのだが、同じ階に住んでいた家庭の小さな女の子の話なのである。わたしがいない日中に時々、
「おばちゃん、何してるの?」
と言って寄ってきていたそうだ。適当にかまってやっていると、そのうち、
「おばちゃん、のどがかわいた。お茶々飲みたい」
と言い出したのだそうだ。お茶くらいならばと思い、小さな湯のみに入れてやると飲んだそうである。そんなことが続くうちに、
「おばちゃん、お菓子食べたい」
と、要求をエスカレートしてきたというのである。が、その時家内は、何かあげることはできたものの、あえてクセをつけさせてはいけないと思い、
「おうち帰って、お母さんに言いなさいね」
と断わったという。きっとその子は、『やっぱし、おかしはダメか……』と舌を出して観念していたに違いない…… (2004.05.08)


 自身を振り返ってみると、何と感性優先の人間なのだろうと痛感する。ありていに言えば感情的な人間だということである。身近なものとの人間関係から、社会情勢に対してもとかく感情が吹き上げてしまい、自身で自身を波乱含みにしてしまっている嫌いがある。これは、どうも性分というものでどうなるものでもないかと見放している。せめてそのことを自覚しておこうと思っているのが防御策かもしれない。
 ああだ、こうだと結構、知性もどきを振り回しはするのだが、いわばそれは、自分でも御し難い内実に、縄を打ち、六尺棒で抑え込もうとしている大捕り物のイメージに似ているかもしれない。
 そう言えば、大学院への進学を相談した時、大学の教授と交わした「禅問答」を思い起こしたりする。
「何を研究したいのかはわかった。で、どうしてなんだね?」
「はいっ、自分は没頭してゆかないと何をしでかすか自分が不安でもあるのです」
「うーむ……。わかった、よーくわかった……」
 何を「よーくわかって」くれたのかはその時も今も定かではない。が、ともかく、研究の道への主観的動機としては、別に「人類の平和への貢献」でなくても、「何をしでかすか自分が不安」という不良少年の独白のようなものでも一応承認されたのではあった。
 たぶん、当時の自分には、一方で知的な構成物へのそこはかとない思い入れが肥大化していたとともに、もう一方で、自分の内部にまるで他人のような未知数の塊として居座っている、得体の知れない感情、ちょうど体内に「エイリアン」が侵入されてしまったような感覚とでも言おうか、そんなものへの漠然とした不安が予感されていたのかもしれない。まさに「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」と言うべきか。

 そんな自分としては、日毎に繰り広げられる奇異な社会事象は、「帯状疱疹」で患う皮膚に無造作にサンドペーパーを擦りつけられるような感覚が引き起こされる。ただ、思春期の少年少女の過敏さでというほどではないが。
 先週、その「エイリアン」をひどく刺激したのは、米兵による「イラク人虐待」問題であった。「エイリアン」は、義憤というよりも、「気味悪さ」さえ感じていた。もともと気味の悪い「エイリアン」が自分を棚上げしてそんな感覚を持つのだから尋常ではなかろう。
 その「気味悪さ」は、アウシュビッツでのナチスの「ハード」な所業とはやや異なる印象を与えるが、それでもいわば「ソフト」な仕業であり、今、最も世界が必須としている人道性という視点に真っ向から反した悪行であることは共通している。
 報道された虐待の映像を見た時、わたしの「エイリアン」は荒れ狂ったものだった。すかさず、「エイリアン」は、「ギィャ〜。この『鬼畜米兵(鬼畜米英)』め!」とかん高い叫び声を立てていたものだ。米兵、米国人たちは、「動物以下だ!」という思いも衝動的に感じていた。「コンバット」や「ギャラントメン」の「紳士」としての、「解放軍」としての米兵の恰好よさはどこへ行ってしまったのか? あれもウソだったのか……。
 と、一通り「エイリアン」が悶え狂ったあと、ようやくわたしの中の「御用提灯」たちが、投げ縄だの六尺棒だの梯子だので「エイリアン」を取り押さえ、静寂が訪れた。知性的な思考が大捕り物の後始末を始めていたのである。

 いや、米兵たちがどうのこうのではないはずだ。彼らだって、「大義無き」戦闘、絶え間なく続く自爆テロで生命の危機に曝され、恐怖と緊張で人間的神経がボロボロにさせられている。それでもなお、テレビを見、せんべをかじりながら彼らに人道性を要求することはできるだろうが、ただ、その矛先は違うところにあるはずではないか。責めるべきは「おどけた」女性米兵なんぞではない。要するに、一般米兵なぞではないのだ。
 責められるべきは、この戦争を仕掛けたブッシュ大統領であり、ラムズフェルド米国防長官であり、机上とマイクの前のみで涼しく戦争をしている連中に違いないのである。石油利権の強奪をホンネとしながら、「解放軍」を装って、杜撰で非人道的なシナリオを下ろした米権力こそが批判されるべきであろう。イラク人虐待に関しても、そのシナリオの行間に書かれてあったと言うべきなのである。異常事態の人間集団に人間の動物性に歯止めを掛けることは、「大義無き」戦争では所詮無理であり、行間に浮かび上がる誘惑を抹消することは不可能なのだと思えてならない。
 われわれ人類が、惨たらしい戦争の世紀、二十世紀で学んだことは、人間には非人道的なことも敢行してしまう可能性が十分に備わっているという否定的事実であったはずだ。ヒューマニズムというものがあるとするならば、それは二重、三重にも人間に内在する動物性を見越した上で構築されるものでなければならない、ということであろう。
 一度「異常な事態」が引き起こされてしまうならば、常態で組み立てられた観念としてのヒューマニズムが脆いということを自覚するべきなのである。そして、最も賢い選択とは、そもそもが「異常な事態」をこそ全力で回避することなのだ、という理屈ではないのかと…… (2004.05.09)


 「君子(くんし、gentleman)は危うきに近寄らず」という慣用句があったのを思い起こす。イージーさが基調となってしまったこの時代には、いささか消極的で、禁欲的かとも感じられるこの言葉の姿勢が見直されてよい。
 昨日書いた米兵による「イラク人虐待」についても、結局は、人間は異常な環境に置かれれば常軌を逸したアクションをも拒絶できない存在なのであるがゆえに、そもそもそうした異常事態(=戦争)を生み出さないことこそしか最善の策はない、と理解したい。戦争という「危うき」に近寄らないことこそが、人間が「君子」(人格が立派な人。徳が高くて品位のそなわった人)でいられる条件だということになる。これは、実にシビァでシニカルな発想ではあるが、当を得ている。
 人間を取り囲み、人間を支える時代環境は、飛躍的な発展を遂げたテクニカル環境に見られるように隔世の感の変化がもたらされた。しかし、当の人間が過去に較べてどれだけ聡明となり、いかほどに立派となったかはまったく別の話なのであろう。高度なテクニカル環境の支援を受ける現代人のほうが、裸の人間としては過去の人間よりも脆弱だとさえ言えるのかもしれない。だから、人間について述べられた過去のことわざや、教訓などは決して時代遅れだと決めつけたくはない。

 ことによったら、現代という時代は、無責任に「危うきに近寄る」ことを称賛しているかのようでもある。「ハイリスク、ハイリターン」然り、「チャレンジ精神」然り、「ベンチャー・ビジネス」然りである。確かに、「然るべき」冒険は必要なことであり、その積極性が歴史を発展させてきたのだと言ってもいい。
 しかし、冒険を成功させた人々は、綿密で慎重な計画を立て、またそうしたものを必須だと受けとめる人一倍の謙虚さが備わっていたはずである。むしろ、その業がもはや冒険とは言えないほどに練り上げられていたのではないかと思う。
 それに対して、現代の「冒険者たち」は超高度なハイテク環境に幻想的な期待感を抱き、そのことによって自身の操作能力を過大視する錯覚に陥っているかのように見える。
 ネオ・コンを背景としたブッシュ米大統領のイラク戦略も、開戦時には過剰に超ハイテク新兵器に依存していた事実と、占領統治という人間業(わざ)段階に入ってからの惨憺たる状況とは、見事にこの現代の陥りがちな事情を表現しているかと思われる。ここに、イージーで無責任な冒険という印象が拭いきれない感触が生まれる。

 「君子は危うきに近寄らず」の言葉にことさら引っかかる理由のもうひとつは、年金問題に関係した民主党菅代表の立場の問題であった。代表辞任という観測が濃厚であるが、彼はこの間、不用意に三つもの「危うき」にやすやすと接近してしまっていた。
 一つは、本質的問題というよりも個人攻撃になりかねない「未納問題」に急進し過ぎた点。確かに、政府を追い詰めるという政争の具という方法もわかるが、であれば自身が無縁であることの確認くらいは当然浮かび上がる手順であっただろう。
 ふたつ目は、弁明という誘惑の「危うき」に突っ込んでしまった点。口惜しさは重々理解できる。党内の結束の脆さを省みれば、代表辞任が採るべき方策でないことも了解できる。しかし、政治家とは、やくざと同じような側面を持ち、「潔さ」をも売り物にしなければならない稼業のはずである。まして、野党の代表は、どこまでも国民の声援を追い風としなければならないはずだ。「菅さんは、不運でかわいそうだったよね」と国民に言わせなければならなかったのだろう。
 三つ目が、年金問題の最終段階で、いわゆる「三党合意」という「危うき」政治判断に至ってしまった点。これも確かに、政府案がほぼ一人歩きしつつある段階で、全面拒否をするよりも三年後の「見直し」案をビルト・インしたほうが合理的だと見えないこともない。しかし、わがままな国民(反対運動をするでもなく、ベスト・チョイスだけを口走る国民!)にとっては、「わけのわからない妥協!」としか映らないのが厳粛な事実であっただろう。
 菅氏は、「君子は危うきに近寄らず」ではなく、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」を三度も重ねて、自民政府という虎に食われつつある気がしてならない。
 評論家的な表現をしていることはわかっているが、「反自民」勢力がアグレッシィーブにならなければこの国の不幸は終わらないと考える自分としては、もう少し民主党も政治のプロ集団に変貌してもらいたいのである。そのために、「危うき」仕掛けが張り巡らされた環境に対して、二枚も三枚も上手で行く深みのある慎重さがほしいと…… (2004.05.10)


 相変わらず「迷惑メール」が跡を絶たない。ホームページ上でメール・アドレスを公開しているということも原因なのだろうと思う。ひどい場合には、三十通近い迷惑なメールが舞い込む。警戒すべきは、「ウイルス仕込み」が混じっていることである。
 そこで、最近は常用しているネットスケープのメール・ソフト以外に、簡易型のメール・ソフトを「防波堤」のように使い、「迷惑メール」の一切はローカルPCにダウンロードせずに、サーバ・サイドで削除してしまうという水際作戦を実施している。これもまた、「君子は危うきに近寄らず」のアクションだと言えそうだ。

 「危うき」は、それかどうかを吟味してというのが「正しい対処法」なのであろうが、これがまた「危うい」のだ。悪質なウイルス仕込みのメールなどは、サーバからの緊急連絡の体裁や、マイクロソフトからの連絡の偽装をしていることがあったりする。生半可に吟味をする姿勢を持とうとしたり、その過程で興味を刺激されてしまったりすると、うかうかと悪意の罠に嵌り込んでしまうことになる。ここは、疑わしきものの一切を切り捨て御免とするという、まさに「君子は危うきに近寄らず」という極端こそがふさわしいのである。
 「ノー・レスポンス」「歯牙にもかけない」という完璧無視の姿勢、これが「君子は危うきに近寄らず」ということなのだが、こうした姿勢が、ある意味では必要な時代となっているような気がしている。

 昨日は、戦争や政治というマクロな問題に言及したが、ビョーキに近い妙な輩が蠢く昨今は、個人生活でもこの種のシャットアウト策が必要となっていそうだ。要するに下手に絡むと「引き込まれがち」になるという構造が見え隠れしているからなのである。
 一連の「詐欺」にもこの種のものがある。突然、請求書を送りつけてくる手合である。こうした手合には腹が立つのだが、決して抗議のために連絡してみるなぞという余計なことをしてはならない。「ノー・レスポンス」の黙殺、すなわち「君子は危うきに近寄らず」に限るのだ。
 彼らは、自分の意を叶えていくために、先ずは「関係構築」をこそねらっていると考えていい。否定的であれ、関与してレスポンスを返してくる者を一次顧客と考えているはずである。クレームを重要な顧客情報と受けとめる一般ビジネスと似ている。
 別表現すれば、いわゆる「付け入るスキ」を与えない、ということになりそうである。あるいは、下世話な表現をすれば、「助兵衛根性」(いろいろなものごとに手を出したがる気持ち)をきっぱりと抑制する、ということにもなる。

 最近はほとんど釣りには行かなくなったものだが、以前はいろいろな釣りをしたものだった。その中に「ルアー」や「フライ・フィッシィング」という釣り方がある。もともと釣りというのは、魚たちに対する「詐欺」行為であるに違いない。単なる餌と見せかけて、食いつくなり仕込んだ針で上あごを引っ掛けて捕縛しようというのであるから。
 しかし、生餌であったり、実際の餌を使うのは、まだ「良心的」なのであろう。ところが、「フライ・フィシィング」のように水面に飛び込む虫を装ったり、「ルアー」なぞという魚たちのまさに「助兵衛根性」を刺激したりする仕掛けとなると、もはや人間のそこはかとない悪意が結実しているとしか思えない。
 そんな「ルアー」に引っかかるというか、追っかけるのは、小魚を襲うような獰猛なブラックバスなどであるが、どう見たって小魚なんぞには見えないスプーン状の仕掛けや、クルクル回る羽つきの仕掛けにも飛びついてくるところを見ると、食性だけではない心理的な衝動、まさに「助兵衛根性」のようなものが確実に起動しているようである。
 泰然自若としたコイなぞは、それこそおもちゃのルアーなんかには「歯牙にもかけない」のであり、さすが「泥水飲んでも鯉は鯉」といった「君子」風のところがあるのだ。

 現代は、人間誰にでも潜む「助兵衛根性」が、すべからく狙い撃ちにされている時代だと考えてよさそうである。だからこそ、狙われている側としては、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」なんぞと傲慢なことをほざかずに、「君子は危うきに近寄らず」と言いながら、楊枝でもくわえながら体面を保つのが上策なのである…… (2004.05.11)


 実を言えば、「君子は危うきに近寄らず」なぞとこのわたしが言えた立場ではない。むしろ、その逆であり続けてきたというのが実情かもしれぬ。つい先日、イラクで人質となってしまった彼ら三人ほどには、「危うき」密着派ではないにせよ、「危うき」場所や対象に気づくや、どちらかと言えばじっとしていられなくなり、ついつい接近したがるタイプかもしれぬ。その結果、九死に一生を得るほどではないにせよ、大なり小なり七転八倒してきたような気もしないではない。
 誉められたことであるはずがないので、縷々、個々の不始末を振り返ることはおくとするが、やはりそれらはより若い時期に目立ったと言える。さらに遡れば無鉄砲な子ども時代だということにもなる。
 「危うき」らしきものに出会うと、当然のごとく好奇心と冒険心をそそられ、それらがキラキラと輝いて見えてくるのであろう。ちょうど、ルアーの動きに興味津々となり思わず追っかけてしまうブラックバスさながらであったかと思われる。
 また、自分には、元来がへそ曲がりで天邪鬼(あまのじゃく)のところがある。多くの人が凡庸にやっていることとは違う何か別なことがしたいという衝動が打ち消せない。もちろん、それらに身を任せると当然リスクが伴うことになるが、「案ずるより産むが易し」を地で行く楽観的行動派に近い自分は、お構いなしに走りがちであったようだ。だから、「君子は危うきに近寄らず」なぞという慎重さよりも、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の乱暴さのほうがはるかに馴染み深い言葉であったはずなのだ。

 いくら歳をとり身体をはじめとしてそこここに関して自信喪失気味になったとはいえ、体質的なものは変わらない。相変わらず「危うき」ものに惹かれる衝動は絶えず、凡庸なものから離れた未知の世界との境界付近に転がる「危うき」ものたちに限りなく興味を感じてしまう。探究心なぞという構えたものではなく、まさに性分なのだからしょうがない。
 にもかかわらず、ここへ来て「君子は危うきに近寄らず」というかつての自分には考えられない言葉を口にしている新たな自分がいる。弱音を吐く歳となったせいなのであろうか。過激な時代変化に揺さぶられ、半端な自信も砕けかかっているということなのであろうか。おそらくは、そうしたことも大いに関係しているはずである。歳に伴う身体の変化は、内面に対して無言の圧力をかけていることは否めないし、急速なテクノ環境の変化がもたらした可能性が高い人心の変化の落差感はまさに想像を絶するものであった。
 そう、この急速なテクノ環境の変化、今少し突っ込んだ言い方をするならば、それをもたらすことで人間自身が偉大となったかのような錯覚にとらわれ、その分、「脇が甘くなってしまった」現代人、もちろん自分自身をも含むのであるが、そんな現代人たちが織り成す現代にあっては、「危うき」事態とは、致命的にリスク・フルな事態となりかねないと思い始めたのである。

 オウム真理教事件が注目を浴びていた時、いくつかの驚愕の中に、薬物を使った洗脳という点があったかと思う。これは、かなり気味悪い事象であった。それというのも、人間の純粋な人間的営為である宗教活動と、テクノ環境の「操作主義」とが境目なくシームレスにつながり得ると見えたからである。つまり、人間的な精神活動は、薬物というテクノ環境の産物によって置き換えられ得るということ、別様に表現するならば、人間ならではの精神活動と思われてきた領域が、必ずしも不可侵ではないと示唆されたからである。
 こうした点への危惧についてある思想家は、「プロザック」という有名な抗鬱剤を例にして語っている。(フランシス・フクヤマ『人間の終わり』ダイヤモンド社)著者によれば、「プロザック」は「他者から承認される喜びを脳化学的に代替する薬」であり、「未来社会では、奴隷はもはや主にならなくても、プロザックを飲んでいるだけで満足してしまう」ことになるという。結局、著者は、バイオテクノロジーの脅威を主張しているのだが、わたしはといえば、結局次のように受けとめるのである。
 これまでの歴史での「危うき」事態とは、人間性の外側で人間性に対峙するものとして出現していたが、現代とは、人間性自体にテクノ環境が浸透して、人間性自体が「危うき」ものそのものになり得てしまう、そんな時代だということである。人間は、「危うき」事態のラスト・バージョン(終極版)を入手してしまったということになるわけだ…… (2004.05.12)


「気象庁予報部発表2月22日18時の気象通報です。まずはじめに各地の天気をお伝えします。石垣島では東南東の風、風力3、天気は曇、気圧1013hPa、気温24℃。那覇では……
 日本のはるか東の北緯42度、東経162度には988hPaの発達中の低気圧があって北東へ毎時55キロで進んでいます。中心から閉塞前線が北緯39度、東経162度に達し、ここから温暖前線が北緯35度、東経165度にのび、寒冷前線が北緯33度、東経156度を通って北緯30度、東経147度に達しています。中心の南側……」
 これは、NHK第2放送で毎日報じられる「気象通報」である。わたしは、なぜだかこの放送が好きである。アナウンサーの静かな口調で、幾分、機械的な雰囲気に浸されたこの放送を聞いていると、気分がとても落ち着くのだ。静かな夜明けの大海原や、水平線、地平線が丸みを帯びるほどに茫漠とした自然の光景が想像され、ちまちました都会の一角から、突然広大な自然風景に誘い出された気分なのである。

 今は、9:10〜9:30、16:00〜16:20、22:00〜22:20という時間帯で放送されているようだが、どういうものかわたしの記憶をたどると、午前4時、5時という早朝という思い込みがある。
 子どもの頃に、何かの都合でそんな時間に起床しなければならなかった折、当時早起きをしていた父親がすでに起きており、小さい音量でかけられていたラジオから、この淡々とした放送が聞こえていた記憶があるのだ。何回かそんなことを経験したことで、自然風景をイメージさせる「気象通報」、すがすがしい早朝、そして早起きで、物静かだった父親という連想が成り立ったのではないかと思っている。

 今日は、亡父の命日に当たる日で、はや二十三年も過ぎ去った。様々なことがあるにはあったが、早いものである。思えば、この期間というのは、おやじが逝ってからの時間の流れであるとともに、自分自身がつべこべ言わずに実業の世界で仕切り直しをして生きてきたその時間経過でもあった。もちろん、死んだおやじはそんなわたしの姿を知りようもないのではあるが。
 大体、毎月月末には、やや相模川寄りの郊外にある菩提寺へと、いまだ健在な母親と一緒に墓参りをしている。お彼岸やお盆の行事も欠かさず行ってきた。
 あまり深刻に考えないようにはしているのだが、墓の前に立つとふとよぎる思いがある。人は死ぬとどこへ行くのか? という他愛のない疑問である。いろいろなことが言われているし、どこへなどというのが愚問であることもわからないわけではない。が、それはそれとして、やはりその愚問を発したくもあるのが人情である。先日、この世の生を終えた飼い犬のレオの死後にもそんな思いにとらわれたものだった。

 以前にも触れたことがあったが、詠み人知らずの詩で最近注目されているものに『千の風になって』というものがある。日本では作家の新井満氏が紹介した。

「私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

あの大きな空を
吹きわたっています」

 この詩は素晴らしいと思っているのだが、わたしが、ラジオ放送の「気象通報」と亡父と、茫漠とした自然の光景とをひとつのイメージで結び合わせているのは、この詩のエッセンスとどこか通じているのかもしれないと思ったりする…… (2004.05.13)


 先日、家内に質問をしてみた。
「『主の祈り』にある『我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ』の『試みにあわせず』とはどういう意味なのだろう?」と。
 わたしは若い頃からチョロチョロとキリスト教に関心を持ったり、教会を訪れたりはしてきたものの、性根が据わらずいまだ埒外の人間である。が、家内は、もう何年も教会に通い続けている信者なのである。
 「主の祈り」とは、キリスト教信者たちの常日頃の祈りのいわば範例のようなものだと言える。以下のとおりである。
「天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名を崇めさせたまえ。
御国を来らせたまえ。
御意の天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を、我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦し給え。
我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。
アーメン。」(マタイによる福音書6章5-15節)

 なぜ、「我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ」が急に気になり始めたのかと言えば、この間、関心を持ってきた「君子は危うきに近寄らず」の延長なのである。
 わたしがこの慣用句に関心を寄せてきたのは、結論から言えば、決して強くはない人間が、自己を傲慢に過信し、高を括って「危うき」環境に踏み込むことは回避すべきだと考えているからなのである。まして、現代という時代は、テクノ環境その他によって「危うき」事態は過去とは比較にならないほどに増幅されてしまっていると見えるからだ。何とかなる、と言いつつ何ともならない事態に嵌まり込む可能性が高いと危惧するのだ。

 最も警戒するのが、異常さの極限であるに違いない「戦争」である。冷静に制御できる「戦争」なんぞという矛盾と欺瞞の表現はない。どうして、冷静に人殺しができるものであるか、という疑問に行き着く。だから、そうした、非日常的な、異常な環境に備えるなぞということも、「発狂した際にはどう行動するのか?」という愚にもつかない設問を立てていることと等しいと思える。実情に即せば、発狂を未然防止すること、制御不能な異常事態、戦争を絶対的に回避していくこと、それ以外に冷静な判断はありえないと考えるのだ。
 起こる蓋然性の高い「戦争」なのだと叫び、それに備えて、「危機管理」だ「有事体制」だと騒ぐ輩が信じられないのであり、彼らのお粗末な洞察力で「危機管理」などという言葉の遊びをしてもらいたくはないと思っている。
 だが、ひょっとしたら、そういう輩たちは、異常事態に突入した際に、「冷静さ」を発揮したりするのかもしれない。しかし、それは人間の知性に依拠する冷静さにあらず、人殺しを何とも思わなくなってしまった冷血漢としての「冷ややかさ」以外ではないはずではないか。人殺しのための訓練に、人間的感覚を麻痺させ続けてきた成果、それ以外ではないと言うべきである。

 「戦争」以外にも、あちこちに、まるで「一方通行」のような、「あり地獄」のような異常事態がパックリと口を開けているのが、残念ながら現代という時代だと言うべきなのではなかろうか。
 ますます蔓延する覚せい剤常用者の「あり地獄」、綺麗事のCMが黙認されて広がる消費者金融利用者の「あり地獄」、決して減っているようではない死に至る悪性ウイルス患者たちの「一方通行」……。安易に推進される「クスリ付け医療」とて、「一方通行」の異常事態だと見なしていい。
 今少し範囲を広げるなら、過剰な商業主義・市場主義的日常環境の中で、引き返しようもないほどに身にこびりついてしまったマネー優先と競争的個人主義の弊害も視野に入ってくる。
 一度「危うき」に嵌まり込むならば、もはや身動きどころか、コントロール不能となり、その「あり地獄」システムにただただ「貢献」してしまうという情けない状況が、現代の「危うき」罠の実情のように見えるのである。

 もう、二千年以上も前に、人間は、とりわけ人間の肉体は、試み=誘惑に対して極めて脆いこと、またこの世には避けられないほどのそれらが渦巻いていることが重大視されていたのである。
 荒野での、四十日にもわたる悪魔たちからの誘惑に耐え続けることができたイエスとは比べものにならないわれわれ人間は、まさに身の程をわきまえ、「我らを試みにあわせず」と祈るほかない。そして「制御不能の世界への<入口>」をこそ警戒すべきだと思う。現代における「君子は危うきに近寄らず」解釈の意はここにありそうな気がしている…… (2004.05.14)


 歩道に面してそこそこの「間口」の広さを持つビルであり、クルマを走らせながら眺めれば大手企業の持ちビルのように見える。が、横から見ると、何と「奥行」が一間(いっけん)余りという奇妙なビルである。ある情報筋から、「その種の人たち」がオーナーだと聞いたが、なるほど…… と思った。
 とかく、現代は広い「間口」と情けない「奥行」というのが相場である。企業にしても、いわば「間口」のようでもある知名度を高めようとTVコマーシャルにご執心となり、「奥行」ともいえる経営ポリシーなどの内実が貧弱な組織が少なくない。こうした傾向は、企業のみならず、政治家たちもそうだし、タレントも然り、一般人も然りであり、むしろ然りでないものを探すのが難しいほどである。

 そんな中で、文字通りの「奥行」を意識させるものがある。今、のろのろと踏み込み始めている「能面」なのである。
 趣味として「面打ち」作業をいよいよ始めている。先週の休みの日に日がなのめり込んでみた。その日、能面彫り用に入手しておいた楠(くすのき)に着手する前に、自主トレ的に(趣味でやっているのだから、自主トレも正規トレのへったくれもなく、全部が全部自主トレ以外の何ものでもないのだが……)始めていたのが、粘土を使っての塑像作りであった。
 それというのが、「奥行」問題を考慮してのことなのであった。先日も書いたとおり、彫刻というものの眼目は、三次元である立体を立体として引き立たせる「奥行」にこそある、とわたしは見なしている。これがレリーフのように平板となったり、箇所による「奥行」感のバラツキが生じたりするならば、それは失敗作ということになる。しかも木彫りの場合には、下手にノミが乱舞してしまうと取り返しのつかない事態となってしまうこともある。昔、アーク溶接で細工をしたことがあったが、鉄材は切断や削り込みにミスがあっても接着や盛り上げが可能である点が救われると意識した覚えがあった。しかし、木彫の場合はこの修正がきかない点が辛いところなのである。
 そんなことから、あらかじめ般若の面の木彫りに着手する前に、粘土による般若の面を拵えようという寸法であったわけだ。見本となる般若の面の写真を身ながら、まずまずのものを作り上げた。そのプロセスで、顔の凹凸という「奥行」問題もじっくりと体得したりした。だが、当初望んでいた「土粘土」が入手できずに、クセのある「石粉粘土」なんぞを使ったためエライ苦労をしてしまった。
 ただ、何十年ぶりかで粘土細工をした心地は決して悪くはなかった。出来上がったものを乾かしておいたわけだが、次第に硬さを増して石の彫刻作品のようになっていく般若の面は、確かに、じわーっとした充足感を喚起させてくれたものであった。

 正直言って、その粘土の面は木彫りの手本、基準とするにはやや難ありと思えた。が、まあいいかと思い直し、次にいよいよ楠材に挑み始めたのであった。各側面に鉛筆でアウトラインを描き、先ずは鋸を挽く。
 ところで、本来であれば、鋸なぞは使わずに、ノミを木槌で打ちながらの荒彫りから始めたいところではある。それが正攻法であり、なおのこと「奥行」感が生かされることになるはずなのである。昔、彫刻に思い入れをしていた学生時代、ロダンは大理石の中に自分が彫り上げる像の最終像がいつもしっかりと「見えていた」という話に大変感動したものだった。円空もまた、ノミやナタだけで何千という仏像を彫り上げた。
 しかし、残念ながらそれは今の自分にとっては、まさに「君子は危うきに近寄らず」が諭す危険でしかない。自尊心を踏みにじりながら、鋸をギコギコと挽いて下拵えをしたのである。それから、幅広の平ノミ、丸ノミと木槌を駆使して、荒彫りを進めた。居間で座しながら、新聞紙と作業板を敷いて彫り進めたが、一段落する頃には居間のあちこちに香り高い楠の木屑が飛び散っていた。
 久々の「面打ち」、木彫は、確かにわたしの胸の内、脳裏から雑念を追い払って束の間の忘我状態を拵えてくれたようである。ただ、般若の面相に思いを集中させていたため、人の顔を見ると、何となく般若の相貌が思い浮かんでしまうから不思議だ。
 まだまだ先は長いと予想されるが、その間、日ごと就寝前のちょっとした楽しみが続くわけだと独りほくそえんでいる…… (2004.05.15)


 温泉の街、伊豆の伊東に文化財として指定された古い旅館がある。昭和初期に創業し、昭和24年に改築された『東海館』という温泉旅館だ。といっても現在は旅館としての役割りを終え、伊東市の文化施設として観光客の見物のために解放されている。
 旅館の入口は、四国松山の『坊ちゃん』にも登場するあの道後温泉の佇まいにも似て、なべ蓋の断面のごとき形状の、神社仏閣のような威勢のいい屋根が施してある。当時の温泉旅館はみなこうした恰好であったのだろうか。

 二泊の骨休めで近くのホテルに泊まった旅行であった。とくにあてがある旅行ではなかったので、伊東港や海岸、そして川沿いに散歩をすることにした。伊豆のどこの温泉地も、観光客誘致のためなのであろうが、道路や橋、海岸など公共施設は都心と変わらない充実ぶりである。もはや鄙びた風情などは望むべくもない。
 ただ、こじんまりとしたこの温泉地伊東は、のんびりとした空気が漂っていた。ウィークデイということもあってか、もとよりこの景気で観光客も少なくなってのことか、街の通りは閑散としている。漁師さん、もしくはその関係職と思しき地元のおじさんたちが、無造作に野球帽をかぶり自転車で行き来していた。コンクリート尽くめのモダンな環境にいかにも不釣合いとして目に入ったものだ。あとは、就学前の小さな子どもを連れた若いお母さんたちといったところか。夏には、海水浴客も押し寄せるようだが、今はそんな季節でもないため、週中の街の通りはとにかくヒマそうな人たちでのんびりとしている。

 こちらも、もとよりヒマそうにのんびりと川沿いを散歩していたら、突然、その川に面して建つ古風な木造建築が目に入った。三階建ての本体の上には、緑青の屋根を青空に突き出した望楼を持ち、全体からいって誰が見ても旅館だとわかった。自分としてはそんな佇まいの和風旅館は嫌いではなかったが、ひとつの懸念が走った。今時、こんな旅館に観光客が泊まるのだろうか? プライバシーにうるさく、こまごまとした設備充実を期待する現代の観光客は、一度は候補に挙げたとしても、結局、現代的なホテルを選択するのではなかろうか、とそんな余計な心配をしたのであった。
 ところが、その日宿にしたホテルの人に聞いてみたら、その建物は『東海館』といって、観光名物として市が運営する文化財となっているとのことだったのだ。が、翌日実際に訪れてみるまでは、どうせどうということもない代物であろうと高を括っていたものであった。しかし、いざその廊下を歩き、サンプルとして解放されていた客部屋の幾部屋を覗いて見たら、何とも言い知れない郷愁が呼び覚まされ、自分は、ひっきりなしにカメラのシャッターを切っていたのである。
 植木越しに川面が覗ける窓側には懐かしい籐椅子が設えてあった。母や家内は試し座りをしてはしゃぐ気分でいた。自分はそんな光景を写真に収めたりもした。意味ありげだが判然としない古い掛け軸が床の間に掛かり、古い照明具が趣きを出していたりもした。畳は幾分小さな京畳であっただろうか、十畳の部屋でも何となく小振りの感じがしたが、それがまたかつての日本の謙虚な風情をかもし出しているように思われもした。

 建物の中央には灯篭や松の樹で箱庭のように工夫された小さな中庭が設えてあり、各階の廊下から覗くことができた。それぞれの客部屋の入り口は、浅い屋根が庇のように作られ、飾り格子の窓もありいかにも当時の和風旅館の風情を生み出していた。
 わたしが人一倍に郷愁をそそられたのは、何もこうした旅館に足しげく通ったということなぞではない。そうではなくて、子どもの頃、北品川の旧街道沿いで育った頃に、やたらとこうした旅館風の家屋に目が馴染んでいたからなのだということにふと気がつくのだった。
 昭和三十年代の北品川の街には、品川宿の名残が尾を引いていたのである。かつて江戸時代には「南」と呼ばれた岡場所があり、その辺のことは再三落語にも題材として取り上げられていて有名である。そして、そうした遊郭の建物の多くが残存し、あるものは安宿として、またあるものは共同住宅として残り続けたのだった。そんな風変わりな建物に住む友だちもいたりして、いつしかそうした雰囲気の家屋には外形だけでなく、内部のつくりに関しても馴染み深いものとなったのである。
 今回の旅行で、やや薄暗いそんな懐かしい内部のつくりに遭遇したことが、思いがけなく郷愁を呼び覚まされた理由であったのかと思い返している。
 それにしても、現在、思いがけずうれしいことというのが、現在や将来のことではなく、遠い過去に眠る記憶、とはいってもほかとは比べものにならないほどに濃密で、リアリティが色濃い、そんな昔の記憶であるという事実は一体どういうことなのであろうか…… (2004.05.16)


 旅行から戻ると、大抵、若干の期待外れ感が生じてしまう。何を贅沢なことを言うかと思われそうだが、事実そうなる。ひょっとしたら多くの人がそうなのではないかと想像したりもする。
 旅行といえば、要するに、お定まりの日常生活から離れるため、何か日常にはない未知なるものと出会いたいとする期待が伴うはずである。もっとも、覆面をした者たちに拉致されてしまうというような埒外な未知なる経験は願い下げとしたい。だが、少なくとも日常では使わない筋肉、脳の異なった部分などを軽くストレッチするくらいの「異変」があってほしいとは思う。
 幸い今回は、昨日も書いたように、思いがけない小さな「異変」に遭遇できたからまだしも、いま時の旅行では、新しいものを見聞したり、日頃食さないものを口にしたりはできたにもかかわらず、どこか何かが物足らない気分に終り、不承不承、旅行カバンのあと片付けをしたりしがちなのかもしれない。要するに、いま時の旅行とは、安全と計画遂行が最優先されており、その分それらをポリシーとして構成された日常生活と何ら違わないところにその原因があるような気もする。小骨まですべて除去された魚料理のようなものなのだ。
 とくに、もっぱら最近は家族同伴での旅行というスタイルを採ることになってしまったわたしの場合なぞは、どうもいけない。旅行というものに相変わらず期待してしまう「日常離脱」という願望が、結局のところ反故とされてしまうからに違いない。下手をすれば、安全と計画遂行に汲々(きゅうきゅう)とする女性軍と反目することになり気まずい思いさえすることになる。なぜ気ままな一人旅にしなかったのかと後悔することもままある。

 書こうとしていることは、旅行の話というよりも、自由についてだというべきだ。つまり、現代人は、前述の安全と計画遂行のため、いやさらに付け加えるならば環境や将来の快適な操作性のために、自由の貴重なある部分を封じ込めてしまっている、という話なのである。
 もちろんわたしは自由を何よりも優先させるタイプである。安全だが退屈極まりない道と、何が飛び出すかも知れない未知なる道とのどちらを選ぶかといえば、考える余地なく後者の道を歩き出すはずのタイプなのである。冒険をしてみたいという気分もないわけではない。だが、それよりも保証された安全の内側で何もすることがなくなってしまう退屈さが死ぬよりも辛いと感じてしまうのである。
 もとより退屈さとは、人間にとってろくなものではない。余計なこと、しかも大体が堕落への傾斜以外ではない余計なことしかしないのが人間であろう。緊張感がなければいけないのだ。ある程度の緊張感こそが、人間に品位を維持させてくれるものであろう。
 世のお偉いさんたちが無意識のうちに堕落するのは、そのポジションが安全さと、当事者の能力からすれば必然的に生まれる退屈さで取り囲まれ、加えて過剰な操作権限が与えられているからなのに違いない。そして、多くのお偉いさんたちの行き着く先が、言わずと知れた自滅であることは誰もが知るところである。ちなみに、わたしは「刑事コロンボ」ではないが、世のお偉いさんたちが自滅する姿を見るのが事のほか好きなのである。酒の肴としてはこれ以上美味なるものはないと思い込んでいる。

 いや、雲上の人のことはどうでもいい、「自身の自由」をどう見つめ、どう運用するかである。「自身の自由」とは、安直な快適さだとは限らないし、また孤立した自分だけのものとも限らない。深さと広がりを持つ相貌のはずである。そうした「自身の自由」という観点できっちりと自由について考えるべきなのだと思っている。
 もし、この点を外すならば、愚にもつかない「自由もどき」論議や「自由もどき」看板に引き回されるだけに終わりそうだ。
 お節介さと、たぶらかしで「イラクに自由を」と甲高く叫びながら、その実やりたい放題をやっている者たちもいたりするのが現実なのである。「自由経済」「自由競争」と言いながら、弱者からはしっかりとそのチャンスの芽をむしり取っている環境もある。「自由民主党」という、民主よりも議員たちの勝手気ままな「自由」や、汚い手を使ってまで年金法案を通してしまう、そんな国会運営の「自由」勝手を優先させる政党も存在している。さらに、保身のためには、他国による自国民の拉致という暴挙を、こともあろうに資金・物資提供でカタをつけようとするとんでもない「自由主義」交換経済手法が採られようともしている。国家権力によって拉致され拘束された人間の自由が抹殺されているアナクロニズム(時代錯誤!)を、きっぱりとこの地上から人間の英知で除去しようとする、そんな正攻法が頓挫してしまっているのが情けない。拉致家族の悲しみを癒せるのは、家族の帰国である以上に、その正攻法による解決ではないかと思う。彼らは、悲しみに耐えながらそこまで人間的に成長したとお見受けしている。

 ちょうど「民主主義」というものが、「多数決」と短絡的に受け止められている実情と同様に、自由というものを「快適さ」と「個人の」という超・みすぼらしいつっかえ棒で支えようとしているところに、種々の埒外な「自由」論議がまかり通るのだと思えてならない。
 「快適さ」のみを目指す操作された環境と人間の自由という問題がひとつであろう。また個人の自由という問題を追及すれば、これを阻むところの政治権力の問題に行き着き、「個人たちの」自由という問題にならざるを得ない点がもうひとつのポイントであるはずだ。
 さらに加えて、あのエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』が提起した、自由という重荷に耐え切れない人間の弱さの克服の問題もあるかもしれない。

 偉そうな「自由論議」を展開してしまったが、さしあたって、「自身の自由」観がややもすれば眠り込まされるような「快適な」日常生活に、どうチェックを加えていくかが意外と大事なことではないかと感じたりしている…… (2004.05.17)


 「効率」の良さばかりが追求される現在に疑問を感じたり、そうした現在の風潮というか、もはや常識だと言ってさえいいそんな傾向を、思いっきり拒絶してみたくなる時がないだろうか。「効率」という観点が馴染めないのであれば、多少極端に言って、常識的には意味のないことをしようとする衝動と言ってもいい。
 ただ、そうした衝動を、何から何まで無差別にぶつけようとするのは無謀だということになるのかもしれない。それにしても、「効率」や「常識的意味」を、何の疑いもなく信じ切ってしまっているわれわれは、それを正解だと信じているのだろうか? 時流がそうであるという点からいえば、間違いとは言えないだろう。しかし、人が生きるということに対して深く問いを発する者からすれば、正解だとは言えまい。「効率」や「常識的意味」を手軽に手にすることによって失ってしまう、いわば犠牲とされるものが決して小さくないと思われるからである。
 こうした「反文明(?)」的ともいえる疑問を抱く人々がいないわけではないのは、「エコロジー」問題を憂慮する潮流があったり、もっとわかりやすい例では「スロー・ライフ」を提唱し、実践する人々の存在を思えばわかることであろう。しかし、何と言ってもそれらはマイナーな存在であり、メジャーな勢力は、ビジネス・ジャンルはもとより生活のあらゆる領域で小気味良い「効率」を追求する人々なのであり、彼らにとっての「意味」とは、事が「効率」的に運ぶ、その度合いの大小だということになるのであろう。

 自身を振り返れば、今後のことはおくとしても、少なくともこれまでの自分は、世間の多くの人々と同様にこの「効率」という指標にまみれてきたと言うほかない。「効率」的に処することを、さまざまな競争に勝つための原理として採用してきたはずである。
 特に、遅ればせながらビジネス・ジャンルに参入し、さらに会社を始めるという成り行きを引き受けてからというもの、何かにつけてこの「効率」化という観点を重視してきたはずである。そして、当面のビジネスにおける成果においては、効を奏してきた。だからこそ、その観点にまみれてきたということになるのであろう。
 わたしが「効率」というものに対してジワジワと距離を置きたくなったのは、ひょっとしたら、インターネットが普及し、グローバリズムが実体化し始め、そしてこの国の政府が「構造改革」というスローガンを口にし始めてからということになるかもしれない。さらに決め手となったのが、「効率」的生産というターゲットに向けたあの大規模な「リストラ」旋風だということになるのだろうか。それまでは見ることができなかった、まるで牙を剥いた「効率」という指標の別の顔とその表情を見る思いがしたのである。
 ささやかな個人的努力という範疇での「効率」や「効率」化という現象に着目している時には、これは不可欠な指標だと信じて止まなかった。自分の身に照らせば、その指標は、自身に潜む度し難い怠惰を追い出してくれる正義の味方というわけであったのだろう。 しかし、かつての「効率」という概念がその幼い顔を払拭して、厳つい相貌を露わにしてからというもの、わたしはそいつを警戒するようにさえなったかもしれない。そいつは、人間の幸福を増やすと言いながら、実のところ幸福の本質を食い荒らし、破壊するものかもしれない、とさえ疑念を抱くようにまでなったのかもしれない。

 このような途方もなく巨大な規模の問題を一気に詰めようとは思っていない。とりあえず今日書きとどめておきたいことは次の点のみである。
 人が一度「効率」まみれとなり、その感覚が常態化するならば容易にその指標から自由になれるものではないはずだ。クルマで五分の距離を、何倍もの時間と労力をかけて歩こうとはしない現実がそれを雄弁に語っているであろう。
 では、われわれはもはや「効率」概念の奴隷でしかありえないのであろうか。その是非は次のことに掛かっているような気がしている。
 「巧遅拙速」(下手でも速いほうがよいということ)を、実感をもってどう否定できるか、ということである。つまり、「効率」を追うことが、事を台無しにしてしまうという半面の事実をどう体感的に掴めるかということである。
 ひょっとしたら、時代の次の大きなニーズはここに収斂(しゅうれん)していくのかも知れないし、ネクスト・ビジネスのターゲットはそんな周辺に立ち現れるのかも知れない…… (2004.05.18)


 「効率」追求の視点では太刀打ちできない対象にどんなものがあるだろうか?
 バカな質問ではあると思う。本来ならば、「効率」追求とはその他数多くある動機や視点の中のとある一つの視点に過ぎないのだから、逆に、この視点が有効な対象にはどんなものがあるか、と設問すべきなのであろう。しかし、奇妙なことに、この国の現実では多くの事柄がこのシンプルな視点で裁断されようとしているようだ。長引くデフレ不況と「構造改革」スローガンの登場によって、経営「効率」をはじめとしてあらゆるものの「効率」が問われる、そんな風潮が社会を覆っているかのようである。

 いや、もともと明治の「文明開化」以降、とりわけ戦後のこの国の「エコノミック・アニマル」的傾向の中には、西欧水準へとがむしゃらに「キャッチアップ」しようとしたかたちでの「効率」優先姿勢が色濃く内在していたと言うべきなのであろう。それが、本格化したグローバリズムの中での不況で、「構造改革」するしか道はない! 大規模な「効率」アップを見直すしか将来はない! と叫ばれれば、そんなものかと思い、「効率」化視点が「錦の御旗」のように見なされるようになったようだ。
 しかも、もともと個人の生活にとっては、「効率」という言葉には「後ろめたい」響きが伴うものであっただろう。誰だって、自分の怠惰を後ろめたく思わないものはいないからである。「ムダ」「効率」という言葉が飛び出すと、何はさておき「ハハー、仰せごもっとも!」と口走り、鵜呑みにしがちとなるものだ。
 これを良いことにして、支配者側はご都合主義の「切り捨て」方策を一気に推し進めようとしてきたのが現状だと見える。大企業は、組織の生き残りのためには、「リストラ」はやむを得ないとして従業員に迫った。人の良い従業員たちは、会社存続(お家存続?!)のためには致し方ないと……。政府もまた、財源逼迫を理由にしながら「効率」的な社会福祉制度運用と称して「弱者切り捨て」策を強行し始めた。「年金制度」改悪の動向もその一環の出来事である点は明白である。
 こうして、直接に「効率」という言葉が使われるかどうかは別としても、ねらいはそれそのものである社会事象がまさにこの国を覆ってしまった観がありそうだ。

 ところで、冒頭の質問に戻るならば、こうした風潮が強まる過程で、本来が「効率」という観点の馴染みにくい領域でこそ、問題が深刻化していると言えそうだ。ざっと挙げれば、教育分野であり、医療分野であり、治安関連分野であり、そして極めつけは政治領域である。
 現在の教育分野での惨憺たる状況の原因はほかにも見出せようが、とにかく「効率」的な教育というおぞましい視点が跋扈(ばっこ)してきたことが決して無視できない。ここへ来て、国立大学の法人化など「効率」化と関連する経営的側面の強化が打ち出された。国立であることがいいとは思わないし、教育分野に経営的視点が導入されることが必ずしも悪いとも思わない。しかし、経営的視点がいつの間にか「効率」最優先の視点として履き違えられ、教育の実質がモノの生産と同列に並べられてしまうお粗末さが、この国では起きやすい点はどれほど警戒されているのかである。
 すでに一時議論されていた「ゆとり教育」という着眼も、どうも揺り戻されてしまった気配である。受験学習という「効率」的学習を目指す親たちが相変わらず多い上に、これをビジネス的に掴もうとする学習塾の存在はますます隆盛をきわめているようでもある。 教育とは、完璧に「対個人」という最も「非」効率的で、かつまた「効率」の視点なぞ持ち込めない試行錯誤の世界のはずである。「効果的」教育という言葉はあっても、「効率的」教育という言葉は埒外なのである。

 また、昨今「医療ミス」による悲惨な事件が跡を立たないが、これなぞは言うまでもなく「効率」的医療経営の結果以外の何ものでもない。いかに医療行為を通じて「効率」的に利益を上げてゆくかという姿勢が、十分な個々のケースの吟味を必要とする医療を、生産現場の粗悪なベルト・コンベアーシステムに置換えさせてしまっているのだと見える。 治安関連分野での国民の不安は、これまでになく増幅させられているが、わたしが推測することは、犯人「検挙」といういわば「効率」の視点ではもはや追いつかないのではないかという点である。確かに、「検挙率」を上げることが犯罪発生を抑止することは事実であろう。しかし、警察だけが頑張って犯罪発生を抑止する事態を通り越してしまっているのが現状であるような気がする。社会的規範の総崩れが始まってしまっているからだ。そうしたことに責任を感じなければならない政治家たち自身が、悪行を極め、口先で言い逃れる手法を国民に教えている時代なのである。
 つまり、「効率」とは、目的やシステム自体が安定した状態での手段、方法の良し悪しを評価する視点なのである。犯罪にしても、政治にしても、現在の状況とは、そうした前提自体が揺らぎ、新たな柱が模索されなければならない危機を迎えているのではないだろうか。そんな時に、「効率」という、安定状況でこそ奏効する視点に相変わらずしがみついているから、抜本的な改革が進まないものと思う。
 そう言えば、現代の怪物、官僚組織、官僚機構こそは、「効率」という名目で生み出されたものでありながら、逆にあらゆる社会問題の最大の足枷に転じてしまっているのは皮肉である。何が「非」効率的だといって、お役所仕事に優るものはないと感じているのは決してわたしだけではないはずである。

 ビジネスの世界でも、もはや「効率」が問題であるというよりも、「効果」の問題がターゲットだとされている。ここに、IT業界の大きな課題もあるわけだ。コンピュータを駆使した「効率」アップだけを考えていればよかった従来のIT業界が頭を痛めているのはこの点のはずである。
 いずれにしても、「効率」以上に重要な視点や課題がしっかりと見据えられなければ、個人にしても社会にしても、次の時代を呼び寄せることは難しい…… (2004.05.19)


 イラクでは、誤爆だと言い訳されてはいるが、イラク住民たちの結婚式の場がヘリコプターで空爆され、子供や女性を含む一般人が四十人以上も「虐殺」されたという。
 パレスチナ自治区ガザでも、「女性や子どもを含む平和的なデモ」にイスラエル軍がミサイルを打ち込み、二十名以上のパレスチナ人があっという間に殺された。
 やや不謹慎なニュアンスもあろうが、殺人が、文明国発の先端兵器によって、実に「効率」的に成し遂げられているのが世界の現実のように見える。米国によるイラク開戦初日のあの空爆自体が、「効率」重視の国、米国の面目躍如たる晴れ舞台であったことは世界中が覚えてもいる。
 その結婚式に出席して、顔なじみの住民を祝福しようとしたイラク人たちは、おそらく「効率」なんてものを微塵とも知らない人たちであったことだろう。たとえ、効率らしきものを心得たとしても、それは羊の毛を刈る作業の習熟度であったり、水を運ぶ子どもたちの運び方の慣れた姿勢といった、生活の中での些細な工夫レベルだと言うべきかもしれない。もちろん、他人の生命を奪うための「効率」なぞには無縁であっただろう。
 そんな彼らが、フセインがよくやったように、ライフルを空に向けて祝砲を放ったところ、米軍ヘリコプターが、超「効率」的な兵器、ミサイルによって瞬時の攻撃を加えたのだと推測される。没「効率」的な人々と、超「効率」的な者たちとの悲劇的な遭遇と言うべきであろうか。
 恐ろしい事は、一方で自爆テロ攻撃に怯える米軍兵士たちがいて、その彼らの手の指は、「効率」的殺人兵器の引き金に添えられているということである。それは、イスラエル軍兵士たちにも同様に当て嵌まる。
 ちなみに、昨日は国内でも、「効率」的殺人兵器所持事件が起こっていた。覚醒剤で正気をうしなったかの暴力団員が、拳銃のみならず「マシンガン(機関銃)」を振り回してもいたという事件である。

 先頃のカンヌ映画祭で話題となった『華氏9・11』のマイケル・ムーア監督が、昨年の前作『ボーリング・フォー・コロンバイン』でフォーカスしたのが、米国「銃社会」の狂気であったことを覚えている人は少なくない。アカデミー賞授賞式での過激なスピーチが、イラク侵攻を開始したブッシュ大統領に向けられていたことも思い起こすが、同監督の苛立ちの一つは、「銃社会」という米国最大の矛盾の根深さにあったのではないかと推測している。
 いろいろな分析があろうかとは思うが、その矛盾の根深さは、「銃」という「効率」的殺人ツールが、米国を米国足らしめている合理的な「効率」志向とまさに<同根>だという点にありそうな気がするのである。
 あえて極論するならば、「効率」のマキシマム(極値)とは、万事が中途半端で非合理的な人間という存在自体の否定ではないか、と言いたくなるのである。否定ということばに語弊があるならば、改造と言い換えることもできよう。現に、バイオテクノロジーが口には出さずに推進していることは、これ以外ではなかろう。いろいろな意味でまどろっこしい(?)、そうであるがゆえの人間行為でもある性行為を省略して、「効率」的に、一気に生殖を叶えてしまおうとする動向は、まともな医療的適用が例示されたとしても人間存在の否定や改造への可能性を別様に塗り替えるものではないはずである。
 つまり、「効率」という観念は、一歩踏み外せば人間を台無しにもする際どい辺縁を抱えて生み出されてきたのではないかと思うのだ。そして、その辺縁部分に、「銃」があり、「ミサイル」があり、最も象徴的な「反」人間的存在としての「核兵器」が存在しているのだと……。

 最近、不快なTVコマーシャルが多くなったが、その一つにゴキブリ退治だかの殺虫剤のCMがあった。西部劇でよく見かける決闘シーンである。腰にガンベルトを携え背中合わせとなった二人が映る。いや、一人は人間、もう一人というのもヘンだがもう片方は人間と等身大のゴキブリである。そして、人間が
「十数え終わったらその時が勝負だ!」
とか言って、それぞれが歩き出す。が、人間の方がズルをして早口で十を数え終えて、クルリと振り返りゴキブリ・ガンマンの背中を撃ち抜くのである。それで、「騙しの『効率』的殺虫剤△△!」とかいうナレーションが入ったかと記憶している。
 バカバカしい訴求ではあるが、思わず「なるほどねぇ」と頷いてしまった。コイズミ政権下ならではということもできようが、さしあたって、「効率」というものはダーティーな仕業とも平気で手を組んでしまえるものなんだなぁ、と…… (2004.05.20)


 台風一過の今朝は、空気の澄みわたり方が素晴らしい。通常の五月晴れには、幾分かの霞が漂うものだが、今朝の空気の透明度は、湖の透明度で言えば北海道の摩周湖クラスである。
 事務所へ向かうクルマから西方の山岳の姿がくっきりと見えた。緑の樹木の塊や、それらを区切る赤い土色をした山道のうねり方までが見事に見えるのである。ここまで山肌の姿が詳細に確認できることはこれまでにもなかった。一瞬、望遠が利くデジカメをクルマに持ち込んでいなかったことが悔やまれたものだった。

 目からうろこが落ちたように鮮やかな今朝の光景は、ひとえに昨晩から今朝にかけて関東南岸を通過して行った台風による風雨によるもの、それらが大気中の塵やガスを払拭した結果である。そんなことに思いを寄せていたら、ある種の物事の道理に気づくことになった。
 ある対象に関心を寄せ、それを見つめたり認識したりしようとする場合、われわれはとかく、それを見る側の、たとえば視覚のような感覚器官の性能や識別機能を持つ脳活動の性能といった部分に関心を向けがちである。カメラでいえば、レンズの望遠機能であったり、その解像力などへの関心ということになろうか。
 しかし、仮にいくら感覚機能が優れていても、あるいは高性能なレンズを用意しても、たとえば夏の富士の姿をシャープに捉えるということは難しい。なぜなら、観測、撮影以前の問題として、夏の富士は四六時中湧き上がる雲によって覆われ、隠されがちであるからである。
 つまり、観測や認識における主体側の能力の問題とともに、対象の姿を捉えにくくしている雲や塵や空気の濁りなどといった「遮蔽物」の問題もまた見逃すことができない、ということなのである。

 この問題についてはさらに注目されていい理由があるのかもしれない。というのも、この問題は結構込み入ってもいるからである。自然の光景のように、対象の「遮蔽物」が自然に生じる雲のようなものばかりとは限らないからなのである。
 「欲に目が眩む」という表現があり、「心でものを観る」という言い方もある。これらは、人がものを見たり、認識したりする場合に、自身が対象の真の姿をゆがめてしまったり、自身が作り出した「遮蔽物」で対象の姿を覆い隠してしまったりしていることを物語っているように思えるのである。
 こうなると、いくら感覚器官としての見る能力を高めてみてもほとんど効を奏さないということになりかねない。むしろ、自身で見えにくくしているその原因を除去して、対象を覆ってしまっている「遮蔽物」をとり除くことが先決だと言わなければならないはずである。

 何が言いたいのかというと、能力などの部分的ものの性能などを一方的に強化することにわれわれはつい関心を向けがちとなるが、それ以前にやるべきことがあるはずだということなのである。言い直せば、われわれが何か不具合に遭遇した際、何か部分的なパワーを強化することに目を向けがちである。「足し算」「引き算」でいうならば、「足し算」で急場を凌ごうとしがちである。人を増やせばいい、とか、電圧を上げればいい、とか、対抗化学物質を投与すればいい、とかという「足し算」で目先の帳尻を合わせたくなるものだ。
 しかし、実際は、その「足し算」が問題の先送りにしかならなかったり、悪い事態をエスカレートさせないとも限らない。むしろ、「足し算」が必要であるかのような状況を作り出している事実には、「引き算」こそが必要である場合が多いのかもしれないのである。たとえば、「遮蔽物」を取り除くという「引き算」があれば、何も「足し算」をしなくとも済むからである。
 ということは、部分の関係だけに目を向けて場つなぎ的な対処をするのではなく、全体の調和を視野に入れて、システマティックに手を打つならば、物事の不具合はもっとスムーズに、かつ低コストに達成できるのではないか、ということなのである。

 今週は、図らずも「効率」について考えることになってしまったが、以上の考え方に立つならば、「効率」「効率」と言ってコンピュータをはじめ、高額な新たな機器を導入し、それでも足りないと見えて最新軍事兵器までふんだんに投入して、「効率」化路線、戦略を推進させている現代が、とてもおかしく見えてくるのだ。ちっとも「効率」的ではないではないか、膨大な地球資源をムダにして何が「効率」なのか! と…… (2004.05.21)


 今日、小泉首相は北朝鮮との<多目的>「交渉」のため平壌(ピョンヤン)へと向かった。どういう結果が出るのかは別として、小泉氏らしい行動だと思った。とりあえず「折衝」「交渉」というものを過小評価しているようだとの印象が拭いきれない。
 まして、われわれは国内での彼の「折衝」実績に感嘆した記憶がない。政敵との対応ではまともに切り結ぶことなく、言い逃れに終始してきた。困難な内部問題に関しては相手と膝を突き合わせての折衝を避けてきた嫌いが窺えた。重要な課題に関して、何度も「丸投げ」的に他人任せとしてきた経緯も記憶にある。そんな行動癖を持つ彼だから、政界内部での信頼関係も薄く、「一匹狼」という存在にならざるを得なかったのであろう。頼みの綱としてきたのは、詳細を知ることなく雰囲気で好感を抱いた国民からの人気でしかない。
 そうした小泉首相が、事態の難易度と勝算をどの程度読み込んでのことか再訪問を選択した。まるで、多少こじれた親戚関係の修復のために、飲んだ勢いで出向くようにである。多分、小泉氏の胸中でも、「瓢箪から駒」という軽さがなかったわけではないように思われる。それというのも、「強運」だと称されてきた彼のこれまでが、不可解な偶然によってピンチが事無きを得るかたちに終わってきたからである。今度も! と願ってしまう心境は、誰もが陥り易い「成功体験」に引きずられるありがちなケースとして類推されてしかるべきであろう。
 「結果オーライ」という言い方があるが、たとえどんな一見「おみやげ」的な良い結果と見えるものが出ようとも、十分に吟味してかからなければならないだろうと思われる。すでに、初回の訪朝時の<無内容>でかつ<禍根を残す>「平壌宣言」という「成果」がそれを実証していたからである。またぞろ、そうした玉虫色で空疎なパフォーマンスレベルでの決着まがいを着地点とするならば、この国への、世界の玄人筋からの国際的評価は惨憺たるものとなってしまうに違いない。

 わたしは、「折衝」「交渉」というものの重みというか、シビァさに関心を向けざるを得ないでいる。「話せばわかる」が信じられていた時代においてさえこれらは至難の業であったはずだ。ところが、「話せばわかる」とはウソだというのが、あの養老孟司著『バカの壁』の主旨であったはずである。養老氏はそこで、「共同」体験の必要性を主張されていたかと思うが、「折衝」「交渉」にあってもその点の重要さは変わらないと思える。いざ「詰める」ことのその以前に、接触しつつ共通認識やできれば「共同」体験のあることが、当該の問題を「折衝」することの大前提となるはずなのである。「国交」がなければそれもできないと屁理屈を言うかもしれないが、必ずしもそうではないはずだ。
 しばしば、何かの紛争の解決に、唐突に「お偉いさん」が仲介役で入って、事を修復したかに見せるようなことがあったりする。が、それが本当にその後もうまく行っているかといえば、問題が先送りにされたに過ぎない場合が少なくない。たとえ時間がかかろうとも、実態に通じた当事者間での実質的なすり合わせを重ねたほうが結局うまく事が運ばれるものであろう。実質的な共通認識が成立するためだと思われる。

 こんなことを考えると、今回の首相訪問のようなカードの切り方、しかもその動機が、自身の「年金未納発覚」の目くらましであり、そのため事前のネゴシエーションも不足気味だという唐突さは、それだけで「小次郎、敗れたり!」の類だと類推してしまうのである。
 どんな結果が今夕もたらされるのかは今の時点では何とも言えない。にもかかわらず、この時点でこれを書いているのは、その結果にかかわらず問題点を確認しておきたいがためなのである。人生の苦悩を生きてきた横田さん夫妻は、「幕引き」につながりかねない選択を避けると言う点で、やっぱりりっぱな判断をなさったと感心している。その一方で、昨今政界で流行る「自滅」路線に、小泉氏もそろそろ足を踏み入れるようになったのかと感じたりしている…… (2004.05.22)

<P.S.> 今日は、プロバイダー側がサーバー工事のため、アップロードが遅れてしまった。午前中に書いた上記の思いは変更の必要なしと考え転送処理をすることにした。


 小泉再訪朝の成果判断をめぐって、マスメディアがさまざまなことを報じている。概して厳しい論調のようである。そんな中、「期待値が高かっただけに……」というフレーズが気になった。
 つまり、一定の成果があったではないかという政府側の評価と、拉致被害家族をはじめとする人権というものを真摯に考えようとする人々による評価の違いの間には、「期待値」の差異があったということになるのかと思う。

 個々の拉致被害家族の人々にとっては、自身の肉親が戻って来るなり客観的な消息が掴めるということでもまだ足りず、拉致という人権剥奪の行為への根本的なメスが入らない限り事件の前進や終息はあり得ない。当然のことだと思う。自身の身に照らして、それ位の常識的想像力は誰もが持って当たり前だと思う。表面的・部分的な善処がなされたとしても、それを成果と呼ぶのはあまりにも本位ではないはずである。

 一方、政府側は、姑息な話で言えば、参議院選挙前の国民へのアピールという点がどうしても主眼となり成果への評価の確定が欲しいという無理やりの大前提があろう。
 また、国交正常化という<抽象的な>政治課題もあろう。国交断絶のこれまでに比べれば前進ではないかとする発想である。ところで、<抽象的な>と書くのは、本質的な問題から目を逸らしての形式的な国交は決して「正常」ではないと信じるからである。お茶を濁した国交再開は、限りなく禍根を残し続けるのではなかろうか。

 こんなふうに、成果への評価の違いの根底には、大前提の相違が横たわっていると考えざるを得ない。この大前提の相違を埋めることこそが、先ずはなされなければ首相訪朝は空中分解せざるを得ない道理にあるはずなのであった。が、小泉氏は、事前に拉致被害家族の人々と直接面談することを避けた。つい先だってのイラク拉致事件の場合とまったく同様に、である。一体この姿勢は何なのだろうか。日頃、にこやかなソフトな雰囲気を売りものにしていながら、本来言えば相手方が最も優しさを必要としている際に鉄面皮で突き放すという姿勢はまったく解せないのである。

 政府側の立場、大前提と、拉致被害者側の立場、大前提とは、確かに大きく相違するものであろう。しかし、複雑な社会としての現代にあっては、それぞれの前提自体が異なるという厳しい状況が現実のすべてのはずである。そこで対話とは苦しいものとならざるを得なくなる。それがまともに行えてこそプロの政治家というものであろう。それを避けておきながら、立場も前提も雲泥の相違がある北朝鮮・金正日総書記と対話ならぬ、さらに困難な折衝をしようとしたのだからあきれる。

 ところで、拉致問題や国交正常化問題を本格的に推進する交渉の際には、やはり小泉氏はミスキャスト以外の何ものでもないような気がしてならない。ひとつだけ言及するならば、拉致問題という場合、決して北朝鮮のこの行為への糾弾を緩めるつもりなぞ毛頭ないのだが、北朝鮮にとっては日本軍による戦時中の大量の拉致問題が忘れ去られていないと言うべきなのかもしれない。これを、今なお「靖国参拝」に固執する小泉氏が思い出させるという背景もあながち否定できないのではなかろうか。
 こんなことをも考えると、ますます今回の首相訪朝は<25万トンの米>で胃にもたれてしまう出来事以外ではない…… (2004.05.23)


 昨日は、久しぶりに近所のレンタル・ビデオ屋へ行って二本借りて来た。
 最近は、休日の暇つぶしと言えども、劣化し切った現在のテレビ番組を見るのは耐えられない。そんな時は、さほど変わり映えはしないが、その時の気分に合ったビデオが見たくなったりする。
 借りたものは、『ラスト サムライ』と『鬼平犯科帳』であった。何ともありふれたオジサン趣味以外の何ものでもない。
 まず、『ラスト サムライ』から鑑賞する。渡辺謙がアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたりしていたので、どんな演技をしていたのかちょっとした関心はあった。ただ、外国の監督がサムライものを主題にするのは、大体、時代劇通(?)の自分の感性が逆撫でされることが多かっただけに、「要注意」の意識を持ちながら見始めた。
 案の定、「オイオイ、いいかげんにしろよ」というような日本風景が飛び出してきてげんなりさせられたりした。ちょん髷の恰好がチガウじゃないか……、天皇の服装はそれじゃあ神社の巫女さんじゃないか……、皇居にはそんな山岳の神社のような階段はないじゃないか……、京都の舞妓姿を東京のあっちこっちに持って来るなよなぁ……、サムライたちの居住する村に神社の鳥居をシンボリックに飾るのもヘンだよねぇ……。
 渡辺謙がいろいろと進言したと言うわりには、過去の日本風景のデタラメぶりがチクチクと感性を刺激することになった。
 が、あるところから「風俗考証はまあいい」と取り直したのは、先ずは、トム・クルーズ扮する南北戦争の英雄、オールグレンが、アメリカの「少数民族」討伐戦での虐殺に心を痛め、酒に溺れるという状況設定が出てきたこと。過去のベトナム戦争や現在のイラク戦争での「良心的」米兵の苦悩に多少通じるものを連想しないわけでもなかった。
 踏みにじられていった「少数民族」と、明治の近代国家構築の過程で切り捨てられていくサムライたちや、時代遅れとされて廃棄されていく武士道や日本の精神的文化などがやんわりと重ねられている意図が、ねらいはわかる、と見る気にさせていったのである。
 また、とんちんかんな風俗風景はともかく、日本人俳優たちのサムライとしての演技の引き出し方は、黒澤作品に優るとも劣らない水準であったかと感じた。
 外国人監督が、西郷隆盛の西南戦争をエンターテイメントとして演出すると、こんな風にわかりやすく、ゲーム風になってしまうんだ、とヘンな感心をしてしまったものである。
 ふと考えたことは、どの程度本気かは別にして、米国人が「武士道」に託した東洋的生き方に神秘的な関心を持つことの背景に、彼らのどんな思いがあるのかという点がひとつであった。そして、もうひとつは、現代のわれわれ日本人たちは、わけがわからなくなった現代文化の中にあって、何を精神的縁(よすが)としようとしているのか、という点であった。かつての日本人たちの心を支えてきた様々な伝統的なものが頓挫してしまっている現在、一体何にそれを見出そうとしているのか、それともそんなものはいらない! といって荒涼とした原野に足を踏み入れようとしているのか……

 官軍との激戦の末、戦場でオールグレンから介錯を受け最期を迎えた勝元(渡辺謙)が、咲き乱れる桜を見ながら、「パーフェクト!」とつぶやくクライマックスで、オジサンの涙腺は思わず緩んでしまったのだった。そして、仮設映画館の一本目が終わり、トイレ休憩のあと、引き続き二本目の『鬼平犯科帳 スペシャル版』が始まることになったというか、始めることとしたのである。
 まるで外国のようにわけがわからない環境になってしまったこの国にあって、感情をズタズタにされた自分をなだめるのは、それにしても結構大変なことなのである…… (2004.05.24)


 大したことではないのだが、手をつけかねていたことがようやく動き始めるに至ると、ほっとする以上の<ウキウキ感>があるものだ。
 仕事にせよ、家事にせよ、趣味のことがらにせよ、一時棚上げにしたくなったり、そうせざるを得ない躊躇にからまれ身動きがとれない場合というものがある。まさに事情はケース・バイ・ケースであるが、差し当たって期限がなかったりすると、ひょんなキッカケがないといつまでも懸案事項が据え置きとなってしまうことになる。下手をすればスランプめいた低迷に陥ってしまうことにもなりかねない。
 大体、自分が着手している仕事は企画的なものが多いため、外発的な期限があるわけではなく、自発的な期限設定となる場合がほとんどである。そうすると、何がしか行き詰まったりすると、一方でその壁を打開しようとするとともに、他方でしばらく寝かせておこうという心境にもなる。バリバリと突破してゆけば良さそうなものでもあるが、そうばかりとは言えず、進捗ばかりを優先させると、妙なつじつま合わせに走ってしまい、出来栄えの満足を第二義的なものにしがちとなることを警戒するのである。形にできずとも、自分なりに漠然と思い描くイメージがあり、それが逆に着手を抑制させてしまうのである。
 そんな場合には、思いっきり棚上げにしておく手もあれば、つかず離れずの関係で周辺的な作業をし続けておくという手もある。今回は、後者の方かもしれない。非本質的なことをしながら、それでいて間接的に考え続けるという手口(?)を採ってきた。そしてようやく再着手する気になり始めたわけである。
 何でもないことのようにも見えるが、こうした場合のキッカケづくりというのは意外と貴重なもののようにも思われる。人の頭脳活動や営為というものは、機械仕掛けではないのだから、動機づけや盛り上がってゆく流れのようなものが無視できないはずなのである。それらが首尾よく整えば、場合によっては神わざにも迫るわざでさえ仕出かすことにもなり得るからだ。

 これは一日の仕事においても言えることだ。朝一の頭脳活動や感性がパーフェクトであるわけがない。冬の寒い季節のポンコツ車のように、なかなかエンジンが掛からず、たとえ掛かったとしても出力満開なぞではありえない。アイドリングによるウォーム・アップ時間が外せないはずである。
 ある職人さんが次のようなことを言っていたような気がする。
 独りでの作業の多い職人にとって、自分の仕事への意欲の面倒をみることは重要なことであり、それは炭火の火を欠かさないように面倒をみることと似ている。特に、朝一番からウダウダせずに仕事を始めることは必須であり、そのための工夫も大事だ。その職人さんは、その日の仕事から上がる際には必ず次の日の段取りにおいて手抜かりのないように心がけているとのことであった。おまけに、まるで子どもが一番おいしそうなおやつを最後にとっておくように、朝一番で着手する作業が最も興味深いものとなるように今日の作業の切れ目を拵えておくそうであった。なるほどなぁ、と思わず感じ入ったものだ。
 確かに、一番「おいしい」作業が待っていたら、朝飯後の茶をすする時間を切り詰めても、作業場へと勇んで向かうに違いないであろう。そうした、自身の身のこなしをも段取りに入れておくのが本格的な職人なのだと納得させられたものだった。

 どうも、正面突破を図ろうと遮二無二力(りき)むだけが正攻法とは言えないようだ。しかも、悲壮感を漂わせたごり押しは最低かもしれない。自身の胸の内に潜む懸念という重しは行動力をどこかで半減させてしまうからである。そうしたマイナス情念を抱えていることを何とかしなければ事は成らない。
 そこで、そんなマイナス情念を相殺するプラス情念をあてがうのもひとつの手かもしれない。副次的なものにあえて面白がってみるのである。興味深い道具(ツール)なぞを使ってその威力を面白がってみたりすることもまんざらではない。掃除をおっくうがる人が、「汚れが何でも落ちる△△剤」のおかげでマメになったという類である。おっくうな気分をうまく払拭してしまうキッカケをどう掴むかということなのである…… (2004.05.25)


 昔から、為政者はもとより、民の<メジャー>(多勢)が賢かったためしはあまりない。それがこの世の不幸の理(ことわり)なのだと見極めておきたい。
 小泉首相再訪朝評価をめぐる世論の数字については、聡明な<マイナー>諸氏からは「意外だ」という見解が上がっていた。わたしも一度はそう思った。が、やがて「いや待て!」と思うようになったものだ。つい先頃の、「イラク人質問題」に対しての民の<メジャー>が示したアンビリーバブルなリアクションもあったことである。勝手に良識ある国民という虚像を作り上げてはいけない、とそうシニカルに思い始めたのであった。
 すると、今回の小泉首相再訪朝を評価するとした民の<メジャー>のその大奥には、またまたアンビリーバブルなリアクションが潜んでいるとのことらしいから、わたしは思わず口に出してしまった。
「この国の民の<メジャー>は『いよいよ、ばかである。』」と。<反俗精神>旺盛な太宰治の口癖(?)たる言葉「いよいよ、ばかである。」がこの際最もふさわしいと感じたのであった。
 繰り返すのも恥ずかしい内容だが、<メジャー>さんたちは、拉致被害者を「救う会」に対して500件のメール、100件の電話で、同情・共感を示すどころか、批判を浴びせているそうな。やれ「首相に感謝の言葉がない」「拉致被害者の家族の帰国を喜ばないのか」などだというそうな。( asahi.com 05/25 15:22 )

 先ず言っておけば、「拉致被害者家族」の発言には何の問題もない。もしあるとすればまだ「首相に遠慮をした手ぬるさがある」という点に問題があるくらいだ。なぜそこまで言うかといえば、わたしは、不相応な税金まで支払わされているこの国の国民として、首相に対して期待しているからである。と言っても小泉首相にではない。政治的にはこの国のトップとしての首相という地位と権限に対してである。これを汚してはいけないのだ。たとえ現在その座にすわっている小泉氏ではあっても、これを汚してはいけないのである。
 それなのに、国民の拉致(それこそ国家規模のテロ!)という国の主権にかかわる根源的に重要な問題を扱うに、用意周到な準備もなく、保身の動機(年金未納発覚、選挙対策……)と絡めて計画し、おまけに政治折衝を「安直な商談!」(膨大な規模の支援)にすりかえてしまったのだから、どんな屁理屈をつけようが評価のしようがないはずなのである。
 ところで、ちなみに言っておけば、核は持つ、売る、拉致を戦略とする、覚醒剤を商うといった、そんな破天荒な国に対してはどのような外交が必要かという問題についてである。韓国が、同一民族として「太陽路線」を採ることは理解できる。しかし、厳しい情報規制が敷かれたままの「密室国家」そのものである北朝鮮に、物資支援なぞを行い自律的な国際社会復帰を促すことは極めて困難だと思われてならない。かつての共産国崩壊の前提は、国外情報の浸透であり、民衆の蜂起ではなかったかと考える。それが封じ込められている北朝鮮に対して物資などを支援することは、「癌細胞」である支配層を活性化させるだけではないか。
 もちろん、核を保持する破天荒な国に武力で圧力をかけるのは火に油を注ぐことと同じであろう。しかし、理想的な方法ではないにしても、それこそ医学的な「抗癌」治療のような「兵糧攻め」という現実策が決して無視されていいわけではなかろう。
 それにもかかわらず、今回の首相の対応では、イージーな「商談」的カードを事もなげに切ってしまった。もとより「テロには屈せず」という念仏さえ、「そんなこと言ったかい?」という調子で正反対の妥協をした。これらのどこに見るべき点があったというのであろう。<メジャー>さんたちにはそんなことを考える頭脳活動はないのであろうか。

 わたしの現在の率直な心境としては、とかく、<メジャー>さんたちというものは迷う存在だということ、唯一真実に近づくことができる立場にあるのは、何がしかの悲運を引き受けざるを得なくなってしまった<マイナー>さんたちだけだ、ということである。社会の正確な姿を見抜けるのは、社会の矛盾を押しつけられた<マイナー>な立場からでしかないのである。しかし、人間というのは、いつ自分が安住していた<メジャー>さんの立場から滑り落ちてしまい、<マイナー>な立場とならざるを得ない、そんな偶然性を背負っているということではないか。<マイナー>な立場への共感を失うことは、自身をこの上なくリスキーにさせていることだと知りたいものだ…… (2004.05.26)


 わたしが常々不安なことのひとつに、次のようなことがある。われわれは、見るべきものを見ていないがゆえに、その結果極めて偏った考え方、感じ方に居座ってしまっているのではないか、ということだ。
 たとえば、人間の身体と精神は本来もっと頑強なものではないかという思いがないではない。だが、その「証拠」を見せられていないがゆえに、「過保護」とも見える日常生活の神経質な実態から、それ頭痛だ、病気ではないか、とビクついている。
 また、ヘンな話だが「死体」を見慣れていないがゆえに、死というものを冷静に受けとめがたくさせられている。さらにヘンな話をすれば、有機体としての人間の身体というものは、文明の中で洗練(sophisticate)された姿であるばかりではなく、もっと「おどろおどろしい」側面、「はかない」側面を併せ持ったものなのであろう。
 いつぞやも書いたとおり、日本の中世に描かれた絵巻物で、腐乱して崩れゆき、やがて白骨化してゆく人体の絵がある。が、それは決して偏執者の悪趣味なぞではなく、人間の身体のひとつの動かし難い事実のはずである。むしろそうした動かしようがない事実を極力避けるかたちでのみ構築されてきた文明というものが、それゆえに文明自身に虚像としての性格を醸成せざるを得ないのだと思えてならない。
 現代は、避けることができないはずの客観的事実を、無理やりに「無いもの」としているように見える。「科学」というものを、魔術のように勝手気ままに弄して、それでも足りない部分は「幻想」で埋め、「みんなで渡ればこわくない」風の虚構でしかない「共同幻想」を作り上げているのか?
 ちなみに、身体の「痛み」というのは、本来、身体の異常を知らせ、治癒に向けて機能する「アラーム」だと言われている。いわば踏み切りでカンカンと鳴り続ける警報機なのだ。それをうるさいから撤去しようとしているのが、現代医学の「現実主義」のようである。
 また、現代の市場では、「便利」というコンセプトは「快適、快感」というコンセプトに置換えられようとしており、生活の中のちょっとした不快感が、小魚の小骨を抜いて料理するごとく、撲滅されようとしている。商品化されている「消臭剤」は何と多いことか。「消毒剤」関連商品も溢れている。
 つまり、こんな現状において一方で自然のロジックから離れ過ぎた環境が繰り広げられているとともに、それらと対応した人間側の感覚の大きな変質が目も当てられないほどに突き進んでしまったわけである。それは、「過保護」環境と呼んでもいいし、「腑抜け」環境と呼ぶもいい。要するに、その「脆弱さ」は極限に達していると思える。それは、人間が人間であることをサポートする文明の域を踏み外し、極端に言えば、人間が「自滅する自由」をも準備し始めているかのようにさえ感じられる……

 今日、このようなプッツン的「文明批判」を書き出したのは、ほかでもない次のような新聞記事があってのことなのである。

『「家族会苦悩 批判メール・電話殺到」(抜粋)
ねじれた判官びいき 精神科医・斎藤環さん
 日本人の「判官びいき」の感情が、ねじれて表れるとこうなる。哀しみに暮れていれば同情論が圧倒するのに、ひとたび彼らが主張し出すと、愛情は憎しみに転じる。「主張する弱者」に受け入れがたい感情を持っており、バッシングが始まる。イラクで人質になった人たちに対する批判の構図とそっくりだ。情けないのは、そういう世間の皮膚感覚的なノリに乗じる一部のメディアや知識人たち。冷静に全体状況を見極めたうえで論陣を張るべきだ。』(朝日 2004.05.27)

 昨日、わたしは、口汚くも「この国の民の<メジャー>は『いよいよ、ばかである。』」と言い切った。そうは言ったものの、今ひとつ言い尽くせないものが残り、わだかまっていた。
 上記の精神科医・斎藤環さんは若いが、わたしが関心を向けていた識者だけに、なるほどと思わされたのである。「『判官びいき』の感情が、ねじれて表れるとこうなる」という言い回しは、さすが気鋭の精神科医だと感心させられた。
 文脈からすれば、そもそも「世間」というものにコメンテイターがどういう評価を下しているかは明瞭である。ズレていて当然! というつぶやきさえ聞こえてくるようだ。
 で、そのズレ方なのだが、それを同氏は「世間の皮膚感覚的なノリ」と指摘し、「皮膚感覚的」という暗示的な言葉を使っている。
 つまり、「世間」、わたしの言い方では「民の<メジャー>」というものは、頭なんぞで考えるという高等なことはとっくに放棄してしまったようだ。「皮膚感覚的」に感じ取るということになる。そう考えれば「世間」の出来事はスッキリとわかりやすくもなるのである。大企業が、女子高生たちを、マーケティングのターゲットと見なすのもこの視点以外ではないのだろう。もちろん、小泉「ポピュリズム」政権が、この事実を恥も外聞もなくしゃぶっていることは知る人ぞ知る。
 そして、わたしが冒頭からリキんだのは、こうした「皮膚感覚的」なものが今や、「迷路」に踏み込んでいそうだと感じているからなのである。それは、練炭を囲んで集団自殺をする若い世代の一部の行動のイメージが、「カンカン」と警鐘を鳴らしていると読み込んでもいいのかもしれない…… (2004.05.27)


 事務所のわたしの部屋からは、窓越しに、明るい空を背景にした複数の電線が目に入る。それだけであれば、単にうっとうしいに過ぎない。が、最近、一羽のムクドリがその電線の決まった場所に止まるようになった。まるでわたしの勤務ぶりを調査しているようでもある。そんなこともないのだろうが、決まった場所に止まるというのが可笑しくて、わたしの方も「備え付け」のバードウォッチング用の双眼鏡を取り出しそいつの様子をチェックしてやったりする。特徴ある声でさんざん鳴きまくり、黄色のくちばしを電線に擦りつけたりするのをチェックしていると、猫の仕草と変わらないな、と思ったりした。
 その時、ふと、<先日の>「かわせみ」のことを思い起こした。「かわせみ」は、小魚などを捕食するために一日の巡回コースが決まっているらしいからだ。

 先日、旅行で伊豆のホテルに泊まった際、和風の庭で一瞬、「かわせみ」を見た。庭に設えられた中程度の池あたりから飛び立つコバルト色の素早い姿である。
 町田の薬師池公園にやってくる「かわせみ」一羽には、早朝から望遠レンズ・カメラの砲列が敷かれるほどである。関心のある人たちにとっては、「幸せの青い鳥」とでもいった意味をさえ持つようだ。
 かくいう自分も、その一人であるのかもしれない。なぜだか、おばけでも見たように興奮してそわそわとしてしまうのだ。
 庭に出てみると、ちょうどホテルお抱えの庭師さんが植木の手入れをしていたのが目に入った。
「かわせみが来るんですね」
と、話しかけてみた。すると偏屈そうな彼は、即答するわけでもなく、仕掛かりの作業であるホースの束ねを続けていた。そして、それが終わると、やっとわたしの方へ向かって近づいて来た。
「着ましたかぁ」
「最前、池から飛び出したように思えたんですが……」
「そぉですか、着ましたか。いや、このところ見かけなくなったもんです。以前は、毎日決まった時間にやってきたもんです。」
「どうかしたのですか?」
「見てください、この池。ずいぶんと濁ってるでしょ。この濁りで鯉まで死んでしまったんです。こんな風じゃなかったんですよ」
 改めて池を覗くと、確かに深くもなさそうな池の、その底が濁りで見えない。行き交う鯉たちの姿も明瞭には確認できない。そう言えば、泊まっている部屋からも、時々バシャッと鯉が跳ね上がるのを聞いていた。池の水中酸素が不足していたということであったのだろう。
 庭師のおじさんの「かわせみ」消失事件の講釈はまだ続くのだった。
「かわせみは澄んだ水にいる小魚を狙うんですね。あの松の枝あたりに止まって、狙いを定めて、水中に突進して小魚を咥える。それが、この濁りで鯉が死ぬくらいですから、小魚たちは皆いなくなってしまった。」
 彼は、まるでわたしに訴えるように話すのであり、ポケットからタバコを取り出すわけでもなく、その姿勢は直立であった。
「で、どうして池の水は濁ってしまったのですか?」
 何だか、わたしもまるで<自然破壊>の被害者インタビューをしている気分となってきた。ホテルの庭の池に、工場汚水や水銀が流れ込んで来るものでもあるまい、とは考えていたが、それでもどんな「犯罪的」行為を糾弾する言葉が返ってくるかと内心ドキドキとして待ち構える自分であった。
「ポンプの故障なんですよ」
 いやにあっさりとした返答にわたしの膝はがくついたものだった。
「この池の水は、ホラ、あの今は止まってしまっている流れから注ぎ込まれるのだけど、あの先にあるポンプがひと月以上前に故障してしまったんです。あれを直したら、川で子どもたちが採っている小魚を持ってきて増やそうと思ってますがね……」
 わたしはそれ以上の「インタビュー」を差し控えた。どうしてポンプを修理しないのですか? と言って、客足が少なくなったかに見えるホテルの懐具合を突いてもしょうがないかと思えたからだ。
 庭師さんは、きっと自分が手入れしている庭にあの秘鳥「かわせみ」が訪れていたことを誇りに思っていたに違いない。そういえば、そのあとホテルのロビーの壁に「かわせみ」の写真が飾ってあったのを思い出す。
 たぶん、経営者に対するポンプ修理の催促もしていたことだろう。にもかかわらず、はや一ヶ月も経ってしまった。「かわせみ」がこの池のことをあきらめてもう二度と来なくなってしまったらどうしよう……。ひょっとしたら、彼はそんなことを心配していたのかもしれない…… (2004.05.28)


 先日書いた「ねじれた判官びいき」云々の際の「皮膚感覚的」という観点が気になり続けている。最近いろいろなシチュエーションで耳にする「好感度が高い……」という言葉も、この「皮膚感覚的」な基準のひとつなのだろうとも感じている。
 また、この「皮膚感覚的」なものを増幅していると思われるTVに着目してみると、コマーシャルはまさに「皮膚感覚的」な言葉尽くしで茶の間の潜在的顧客に擦り寄ろうとしていることに気づく。
 製品やサービスのきちっとした「概念的」な説明などあったものではなく、もっぱら「皮膚感覚」になじむような映像と言葉を乱発しているかのようだ。「消費者金融」業のそれにしても、金利がどうであるかなどは見えない遠くへ放り投げて、隣の娘さんのような女性の笑顔や日常会話を前面に打ち出している。「保険会社」も「住宅販売会社」もみな同じ手法を使い、消費者の「皮膚感覚」に「好感度」であろうと努めている。
 たぶん、CM制作側が当たり前のようにアドバイスをしているのだと思われる。
「いいえ、そうしたまともな『説明的』なものはウケないんです。とにかく、ベビィ・スキンになじむようなソフトな感触の出来が求められているのです」
とでも主張しているのであろう。

 TVといえば、最近のTVドラマも一様にこの手の雰囲気で塗り固められているような気がする。もっとも、自分としては「気持ち悪い」ので全面的に拒絶しているから詳しいコメントはさけなければならないが、一頃のホーム・ドラマどころではなく、考える素材に乏しく、もっぱら感じる素材に終始しているようにも思われてならない。
 ちなみに、わたしはホーム・ドラマを蔑視するつもりは毛頭ない。むしろ、現代の矛盾に満ち溢れた日常生活をリアルに志向するようなホーム・ドラマであれば歓迎したい。昔、『若者たち』というシリアスなドラマがあったが、そんなものであればたぶん欠かさず見るかもしれない。もっとも、そうした傾向のドラマは「社会派ドラマ」とでも称され、ホーム・ドラマとは言わないのかもしれないが。

 いずれにしても、コマーシャルといい、ドラマといい、私に言わせれば、ブラウン管は「皮膚感覚的」コンテンツで溢れかえっている。そして、赤ん坊や女性の皮膚を思わせるような限りなくソフトで「華奢な感性」、あるいは他愛無くとりとめもない雰囲気が人々の日常的空気を構成しているかのようだ。
 そこでは、意味もなくニコニコ、ヘラヘラ微笑んでいることが大前提であり、決して「コワイーー」なぞと言われるような顔をしたり、まして急に不愉快、不満な顔をして声を荒げたりしてはいけないことになっている。その場を丸くおさめられるような気の利いた面子などいるわけもないのだから、「プッツン」になったとか、「キレタ」とか言われ、この世の存在でないかのような扱いをされたりすることになるのだ。自身に対しても、他者に対しても処理方法が皆目見当がつかないから、「ニコニコ、ヘラヘラ微笑」以外の状況が生まれることに皆が神経を尖らせている。

 そんなところへもってきて、ニュースなどの映像で、目くじらを立て相手を指差し、さらに激しい感情のこもった発言などに遭遇すると、ほとんどパニック状態に陥れられ、その主張がどうのこうのという以前に「好感度」の著しく低い「敵!」だと思ってしまうのかもしれない。
 もちろん、首相小泉氏はそのへんにというか、そのことだけにというか、とりわけ「精通」しており、「ニコニコ、ヘラヘラ微笑」を絶やさないことが自分の生命線だと熟知している。そこまで「精通」していない民主党の菅氏は、国会質問などで思わずホンネの顔で政敵を攻めるため、茶の間からはパスされがちとなる。さらにもちろん、「コワイーー」顔を持ち前とする小沢氏なぞは、「皮膚感覚主義者」たちからすれば、毛頭、眼中にない存在とされてしまう。

 そう言えば、現在のNHKの時代劇大河ドラマ「新撰組」は、まさにこの「皮膚感覚的」時代を象徴しているようだ。ソフトさを売りものにする演出家もそうなら、「皮膚感覚的」茶の間受けする主人公のキャスティングも判で押したような出来上がりだ。
 もっとも、この時期に「新撰組」なんぞを誰がプロデュースしたか知らないが、幕末の「人斬り隊」を素材として、あの「コワイーー」顔した近藤勇をリアルに描いたのでは、「迷惑メール」やら「抗議メール」やら、はたまた「ダイナマイト」やらがNHKに届くことになったかもしれない。
 いやはや、どうしてこんな「行き過ぎた」感性の時代になってしまったものやら……。 が、今一歩踏み込んで考えてみると、「皮膚感覚的」という表現、「感覚的」という言葉で表現するのはちょっと違うのかもしれないという気もしている…… (2004.05.29)


 いやぁー、今朝の蒸し暑さは尋常ではなかった。ウォーキング中は、シャワーでも浴びたような大汗をかいてしまった。
 昨夜もムシムシして寝つけそうもなかったため、今シーズン初にクーラーのスイッチを入れたものだ。来週からは天候も崩れ始め、うっとうしい梅雨に入るそうだが、蒸し暑さというのは勘弁してもらいたいと思っている。またウォーキングのことを思うとやはり梅雨は歓迎すべき季節ではない。
 そう言えば、今朝の遊歩道の片側コースは、リュックを背負ったウォーカーで溢れていた。境川を下り江ノ島方面へ向かう側である。まさか江ノ島まで向かうわけではないだろう。わたしもいつかは一度踏破してみようとは思っているが、数十キロ以上の距離があるはずである。
 皆、どちらかといえば中高年の人たちであり、地域の「歩く会」とでもいう団体のメンバーでもあろうか。しかし、よりによってこんなに蒸し暑い日のイベントとは何とも気の毒なことだと、反対側コースを歩きながら思った。

 歩くことだけを目的として無心に歩くと、妙な表現であるが「身体が主役」となる。息遣いに気をとめてみたり、足首、もも、肩などの調子に意を払ったりするからだ。時々考え事をして歩くこともないことはないが、できるだけ無心であるよう努めている。
 相変わらず足首には「重し」をつけて(家内は、「あんな『重し』なんかつけて歩かなくてもいいんじゃない」と言う。知らない人がそれだけを聞けば、まるで「奴隷」を想像してしまうか?)手には鉄アレーといった「重装備」のためか、もとよりあまり込み入ったことは考えられない状態にはある。
 ただ、無目的で戸外を歩いていると、「感覚」が解放されるという副次的なメリットが生じるかもしれない。野鳥の鳴き声がよく耳に届くし、樹木やその他自然の風景がいつも以上に目にとまる。また、季節毎の花々の香りが一瞬わたしの臭覚を捉え、その香りと一緒に束ねられていたわたしの記憶が呼び覚まされたりもする。ここ最近では、「スイカズラ」の垣根が、いつもそのそばを通るわたしに香り高い芳香をもたらす。わたしはといえば、その強いれんげ草の花の芳香のような香りから、れんげ草の花が咲く田畑で遊んだ子ども時代のことを思い返したりするわけだ。

 昨日、「皮膚感覚的」という表現は、実は本当の「感覚」とは異なるのではないかという疑問を投げかけた。結論から言えば、とりわけTVからの情報群で構成された現代人の「皮膚感覚的」なものというのは、決して本来の「感覚的」なものとは別物なのであって、ステロタイプ(紋切り型)となった「観念」ではないのかと思ったりする。
 うまく説明し切れないのだが、唐突な例を出すと、味覚に関して最近ヘンな言葉が流行っている。「ジューシー」というやつだ。わたしはそれを安易に使うタレントなどを見ると、「バーカ!」とつぶやいてやる。自分の言葉を自分の感覚を駆使して使いなさい! という意図なのである。ビフテキなどの焼き具合のレアーである柔らかさと、新鮮な生魚の刺身の口当たりの良さは異なった感覚であるはずなのだから、異なった表現をしてみるべきだと思うのだ。それをバカの一つ覚えのごとく一様に「ジューシー」だと丸めてしまう。きっと、果物の果肉を口にしても、「これってとてもジューシーですね」なんぞとマヌケなことを口にするのだろう。

 つまり、「感覚」というのは、それぞれの個々人が、それぞれ違った体験と全人格をかけて異なったものを獲得した結果だと思うわけである。それこそ、いつぞや脳の話の際に「クオリア」という難しい用語を出したアレである。
 だから、本来「感覚」というものは自己主張的なものであり、簡単に多勢に与(くみ)しない個性的なもののはずだとわたしは考えている。それが、人々の「皮膚感覚的」な言動にあっては、異口同音的な様相を呈することになるというのは、おかしいといえばおかしいことになる。となると、それらは本来の「感覚」的なものではなく、「もどき」の観念、脳が構成した情報、実態が不明で浮遊する言葉だということになる。「ジューシー」という皆があるシチュエーションで使う言葉を、それらしきシチュエーションでは使うというに過ぎず、「ジューシー」に当たる感覚を自身で十分に吟味しているなぞとは考えられないのだ。もし、吟味しているならば、口に出かかるその言葉に躊躇しなければならないはずだと思うのだ。

 今、ある種の人々は、世の中が「感覚的」になったと評論することもあるが、決してそうではない。むしろ、日々の生活の中で、シッカリと自分の「感覚」機能を発揮していないこと、自身の「感覚」機能を眠らせておいて、世間(マスメディア)で通用している「もどき感覚」の言葉を代用しているところこそが問題なのだと、そう仮説的に考えてみたいと思っている…… (2004.05.30)


 芥川龍之介の遺稿となった作品に『歯車』という作品がある。これが著わされた昭和2年に同氏が不可解な自殺を遂げたことはよく知られている。自殺の原因はいろいろな解釈がなされている。ただ、遺稿となったこの作品を読むと、精神的な病だとされるひとつの解釈にいくらかのリアリティのあることが窺い知れる。
 同氏の実母が精神分裂病であったことが、芥川自身に自分も発病するという不安や恐怖を生み出していたのではないかという推測もある。その真偽のほどは不明であるが、不安というものが、些細なことをも素材としながら制御し難い増幅をもたらしていくものだろうとは想像し得る。

 その『歯車』の中には、題名となっている奇妙な現象が意味ありげに叙述されている。
 先に<種明かし>をしておけば、その現象とは「閃輝暗点(せんきあんてん)」という脳内血流の一時的不良に伴う視覚異常のことなのである。ちなみに、家庭医学書の説明を借りると以下のようになる。
「視野の一部にちらちらとした光が現れ、ものが見えにくくなって、そのあとに頭痛がおこる状態をいいます。その状態は、数分から数十分くらい続いたあと、自然に治りますが、何回も再発をくり返すのがふつうです。
 一見健康そうにみえる人に突然おこります。脳の血管の一時的なけいれんによって血流がとどこおるためにおこると考えられていますが、まれに、脳血管の形態異常が原因でおこることもあります。
 ……前兆が現れた場合は、血管拡張剤を内服しますが、おこってしまったら、血管収縮剤を内服するようにします。頭痛の治療には、血管収縮剤の内服が効果があります」

 こうした持病を持つ芥川氏は、小説『歯車』の中で次のように自身を襲う発作を叙述しているのだ。
「……僕はそこを歩いてゐるうちにふと松林を思ひ出した。のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖(ふ)やし、半ば僕の視野を塞(ふさ)いでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失(う)せる代りに今度は頭痛を感じはじめる、――それはいつも同じことだつた。眼科の医者はこの錯覚(?)の為に度々僕に節煙を命じた。しかしかう云ふ歯車は僕の煙草に親まない二十(はたち)前にも見えないことはなかつた。僕は又はじまつたなと思ひ、左の目の視力をためす為に片手に右の目を塞いで見た。左の目は果して何ともなかつた。しかし右の目の瞼(まぶた)の裏には歯車が幾つもまはつてゐた。僕は右側のビルデイングの次第に消えてしまふのを見ながら、せつせと往来を歩いて行つた。
 ホテルの玄関へはひつた時には歯車ももう消え失せてゐた。が、頭痛はまだ残つてゐた。」(芥川龍之介集『歯車』[昭和二年、遺稿])」

 わたしがこの「閃輝暗点」にこだわるのは、何を隠そう「偏頭痛」の持病との<抱き合わせ>でしばしば経験するからなのである。今日これを書いているのは、実は、昨夜就寝前に枕もとの明かりで本を読もうとした折り、<そいつ>が突然訪れたのである。
 時と場所を選ばずにやってくるわがままな<そいつ>であり、わたしは芥川氏とは異なり、その原因をほぼ了解しているため余計な心配はしない。ただ、今回の出現は何をトリガーとしているのだろうかという関心と、さてさてどのくらいの継続時間があるだろうかという興味が意識を占める。
 今回は、小さな「歯車」のかけらが視覚の異常を知らせてから、左視野のの外側へと拡大して、「ただ今は、番組中にお見苦しい点がありましたことをお詫びいたします」とでもいうスーパーが出て(?)回復するまでに20分かかったことを確認した。わたしの場合、そのあとに頭痛が始まるということはない。偏頭痛は、それはそれで別個にやってくるようだ。
 言うまでもなくこんなことは、自慢にできることなぞであるわけがない。ただ、今から半世紀以上も前の医学事情のもとでの芥川氏にとっては、さぞかしナーバスにならざるを得ない現象ではなかったかと想像するのだ。まして、母親の病気という遺伝子に関する不安もなかったわけではないのだから……。

 「哲学的動機」にもとづく自殺というものはあり得るのだろうか? わたしは哲学をかじりはするが、どうも信じられないでいる。むしろ、身体的、生理的、そして精神的な不幸な症状が、意識を蝕むという結果を生み出すものが大半ではないかと推定している。ヘンな話だが、抗鬱剤「プロザック」の類の化学物質で、意識を蝕む症状の大半はほぼ現状復帰させられててしまう、というのが実情なのかもしれない。むしろ、こうした機械的で「平板な事実」の方が、深遠だと信じたい人間にとって「悲劇的」なのだと思わないわけでもない…… (2004.05.31)