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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2004年11月の日誌 ‥‥‥‥

2004/11/01/ (月)  人の心にしっかりと届く言葉を射る男!
2004/11/02/ (火)  ゲームもいいけど、川の水や畑の土も楽しいネ……
2004/11/03/ (水)  「文化の日」だから思うネガティブな文化としての人間の「恐怖心」!
2004/11/04/ (木)  米大統領選勝敗地図と人間の大脳分布図?!
2004/11/05/ (金)  どこから手をつけていいのか、という困惑……
2004/11/06/ (土)  ゼイタク言わずにありがたく……
2004/11/07/ (日)  マス・メディアは悲惨な現実をリアルに報じてほしい!
2004/11/08/ (月)  「持ちつ持たれつ」の関係! 「社会保障」もまた然り!
2004/11/09/ (火)  「兼好の唱導する生き方の極意は『ただいまの一念』これである」
2004/11/10/ (水)  人間の「計り知れる」知性を超えたムダとも神秘とも見える存在!
2004/11/11/ (木)  バックアップが効くものと効かないもの……
2004/11/12/ (金)  疑問を持つことだけが人間的行為?!
2004/11/13/ (土)  夢、記憶、それは現時点での「再解釈」の所産?
2004/11/14/ (日)  「良い勉強になるなあ!」と感心させられている囲碁ソフト!
2004/11/15/ (月)  人を「迷わせ、惑わす言葉もある」!
2004/11/16/ (火)  「ヤマアラシのジレンマ」をもう一歩踏み込んで考えてみる……
2004/11/17/ (水)  「死」と向かい合う老夫婦を勇気づける自然!
2004/11/18/ (木)  「別に天地在り、人間(じんかん)に非ず」
2004/11/19/ (金)  人間関係の希薄化を誘うIT化環境……
2004/11/20/ (土)  「で、何ですか、『囲碁ソフト』でご満足ですか……」
2004/11/21/ (日)  「うさん臭いこと甚だしい」「おおかたは世間の戯言(ざれごと)である」
2004/11/22/ (月)  「意味」を問えない人間たちを生み出す現代の病理!
2004/11/23/ (火)  自転車に乗ってアスファルト道路のありがたさを知る!?
2004/11/24/ (水)  わたしの出生地は、大阪は「長居公園」の入口?
2004/11/25/ (木)  何を「デフォルト」と見なすかという問題が小さくない……
2004/11/26/ (金)  「ニート( NEET : Not in Employment, Education or Training )」!
2004/11/27/ (土)  「うなぎの寝床」状の大阪の生家……
2004/11/28/ (日)  こんな季節の大工仕事が思い出させること……
2004/11/29/ (月)  睡眠と夢は人間を"recreate"「復活再生!」させる!?
2004/11/30/ (火)  蘇る松本清張ワールドと「希望格差社会」!






 わたしは落語つう(?)であるので、「話術」に関してはちょいとうるさい。
 ただ、「話術」というと、ともすれば口先を弄するテクニックという響きが伴いがちである。だがわたしが「話術」という場合、表面的なテクニックを越えた、本質が滲み出る妙味とでも言う水準を問題としているつもりである。
 たとえば、また落語の話に戻るなら、志ん生の「話術」は真似て真似られないものがありそうである。小骨と肉とが入り混じったいわしのように、面倒だから丸ごと食べちゃうに限るような、本質とテクニックとの相即不離の関係がある。
 もし、若手落語家が志ん生を真似てその「話術」を得とくしたいのであれば、芸に命懸けとなるのはもちろんのこと、飲む、打つ、買うの三拍子三昧の人生をさえ突き進みながら、家族の愛憎にまみれるといった志ん生人生そのものを真似て、あとは天賦の才の有無に結果をゆだねなければならないだろう。つまり、「話術」とはそれほどにテクニックでありながら、テクニックに留まらないという「有機的」な所作であるのかもしれない。

 落語という最高水準(?)の「話術」を念頭に置く自分であるから、わたしは、たとえ著名人であってもいわゆる「講演」というものをあまり聴きたいとは思わないのである。聴けば、大体が、それ以前に思い描いていた良きイメージを壊されそうな気がするからである。
 また、自分も講師という立場となったことがあるだけに、内容は何であれ、聴衆を惹きつけながら、聴衆に感動をも伴った理解を得ていただくことがいかに難しいことであるかを重々認識している。いや、マルチメディアの情報チャンネルが溢れ、逆に丸腰の人間力とでもいうものがジリ貧の一途をたどっている現代という時代にあっては、もはやオーソドックスな「話術」を駆使した「講演」なぞはほとんど不可能ではなかろうか、と悲観視さえしていたものである。

 久々に、感動的な「講演」を聴いた。文字通りの、本質を伴った「話術」に魅了された。不覚にも、涙腺さえ刺激されてしまった。今、話題の「夜回り先生」こと水谷 修先生の「講演」のことなのである。
 昨晩、NHK、ETV特集『いいもんだよ、生きるって 〜夜回り先生・水谷修のメッセージ〜』( 2004.09.04 放送分の再放送。紹介記事:http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2004/0904.html )の再放送を、深夜二時半までお付きあいして見たのだった。
 水谷先生の献身的な行動については、この間何度か報道されていたし、先日は、俳優:寺尾 聰が同先生を演じるテレビ・ドラマも放映された。熱心な友人がこの放映のことを知らせてくれていたので、わたしはそのドラマも見ることができた。
 同先生の活動内容は、上記のサイトに紹介もあるのでおくとする。もちろん、青少年に急速に広がっているシンナー、覚醒剤などの薬物汚染の問題はとてつもなく重要な問題であり、片手間に書く問題ではないと思うので、今日は据え置く。

 今日、わたしが関心を向けたいのは、水谷先生による「インストラクション」の素晴らしさである。「話術」という言葉で書こうとしてきたのだが、やはりどうしても「話術」という言葉には、K首相などの「口先だけ」というニュアンスがつきまとい誤解を与えかねない。そこで、わたしのお気に入りの言葉である「インストラクション」に置き換えることとした。
 「インストラクション」とは、「インストラクター」のそれであり、話し手が聞き手に対して行動を促すかたちでコミュニケートすることだと言っておきたい。しばしば使われる「コミュニケーション」ではちょっと弱すぎるし、また曖昧さも拭われない。「教育」とか、「命令」というのも、あまりにも強制的で、忌まわしいイメージの手垢が付きすぎている嫌いがある。同先生のような、斬新で明瞭なメッセージ伝達スタイルは、まさに「インストラクション」と言うのがふさわしいと思っている。
 おそらく、同先生の素晴らしい「インストラクション」スタイルは、命の稜線を彷徨う青少年たちとの、緊急性と切実さとが充満するやりとりの過程で培われたものだと推測できる。ごまかしはもちろんのこと、冗漫さも削ぎ落とされた、まっしぐらに的へと向かう一本の矢のごとき強さと鮮やかさが光っている。崇高な雄弁だと言うほかない。

 わたしがこれほどに感銘を受けたのは、この混迷した時代を救う有力なパワーといったものを同先生の「インストラクション」に見た思いがしたからなのである。「言葉」の力や「個人」の力というものが、蹴散らされ、かつ陵辱(りょうじょく)を受けさえしているこの時代にあって、孤立を恐れず果敢に切り込む姿はもちろん素晴らしい。しかし、もっと見事なのは、その行動にふさわしい絶妙なパワーを身につけているという点なのである。そのパワーは、比較しうる敵方が備えたパワーもどきに、決して優るとも劣らない水準だと言える。
 選び抜かれ、吟味され尽くした言葉群、また、現在の超スピード時代に慣らされてしまった青少年たちのスピード感をも足踏みさせないスピーディな話法、そして、何よりも、いっさいの怯みが生じないかたちに踏み固められた信念と希望。
 こうしたものこそは、不幸なこの時代を何とかしたいと望む者たちに今一番必要なパワーなのだと思わざるを得ない。逆に言えば、もっとも欠落している部分ではないかと……。ひょっとすれば、善意でこの世界を憂える人々は、想いの正しさを信じるあまり、事を進めるプロセスに関して楽観的となりがちなのかもしれない。詰めが甘くなりがちなのかもしれない。
 しかし、悪にも必然性らしきものが後押しして、押し捲って来るこの世界にあっては、善意は、パーフェクトに仕上げられた言葉によるパワーと、信念に根ざした行動の連鎖によってエネルギッシュに押していく以外はない、ということを強く印象づけられたのだった。

 それにしても、焼け跡から不死鳥が舞い上がるごとく、荒んだ人の心を射抜くような、そんな言葉の遣い手たちに今、緊急にお呼びが掛かっている時代である…… (2004.11.01)


 子どもたちが自然に親しむ光景を見るとホッとするものだ。今朝、ウォーキングの際にそんな場面を続けて二度も眺めることとなった。
 このところ悪い習慣がついてしまい、起床が遅れている。今朝も遅くなってしまったが、あまりに良い秋晴れなのでひと歩きすることにした。もう人々の一日が始まっている時間帯であった。

 境川まで来て、橋の下を覗くと一羽のマガモが流れに身をゆだねて水面を滑るように流されていた。羽毛でくるまれた、茶色の丸い身体がラクそうに水面を行く恰好は、ほほえましいかぎりである。そんなことができる自身の立場にご満悦であるかのように見えた。 しばらくゆくと、川べりの小学校の校庭から子どもたちのはしゃぐ声が響いてきた。明るく、さわやかに晴れた空の下で、これまた、子どもたちもご満悦の気分なのであろう。 遊歩道の前方に羽をばたつかせる昆虫らしきものが飛び降りたりした。良く見ると、身体に緑色の部分を含むバッタであった。わたしが近づいて来たため、逃げるように再び前方へとニ、三メートル飛んで行く。別に追いかけているわけではなかったが、すぐに追いついてしまった。すると、また飛び上がり、今度は川っぷちのフェンスの網の目をくぐって川の方へと飛んだ。
 あれあれ、水面に着水したらどうするんだ? なんぞと思っていたら、遥か前方の方から、騒がしい声が聞こえてきた。
 その場所は、川の流れがすぐ足元に眺められるように、川面とほぼ同じ高さのテラスが設えられた場所である。
 これまでのウォーキングでも、しばしば人影を見ることとなった箇所である。夏場は、近所の子どもたちがそこから川に入り込み、膝までを川の流れに浸して喜んでいたものだ。近所の高校へ通う生徒ニ、三人が座り込んでさぼっていたこともあった。また、冬場の寒風吹き荒ぶ中で、ホームレスかと思わせる男が何やら食べ物を独り静かにほおばっていたのを見たこともあった。

 その場に近づいて目に入ったのは何とも華やかな光景であった。小学生と思しき、ざっと三、四十人ほどの子どもたちが、手に虫取り網を持ちキヤッキャと騒いでいたのであった。
 時々、「センセイ……」という声が聞こえてきた。子どもたちは、男女ともに、体育の授業の際の半パンツ姿で、膝あたりまでを川面に沈め、川岸の流れに手に持った虫取り網を差し込んだりしている。どうも、小学校の一学級が、「境川の生きものたち」とでもいうような特別学習でもしているようである。
 で、「センセイ」はどこにいるのだろうかと見回すと、若い女のセンセイが、渓流釣で使う腰までの長靴ズボンを履いて川の中央で、背丈が同じくらいの生徒たちの中にまぎれていた。
「あんまり遠くまで行っちゃあダメよ〜」
と叫んでいる。その方向を見ると、唯我独尊ふうの男の子が一人、川岸繁みの下を黙々と網で探っているのが見えた。
 またそうかと思うと、川に入らずに勝手に遊んでいる子たちも四、五人ほどいたようだ。ルアー用の竿でチャンバラごっこをしていたりする。
 わたしはウォーキングを続けながら、こういう課外授業というのは教師にとっては気遣いが大であるけれど本当は効果的に違いないものだ、というようなことを考えていた。しかも、地元の自然に潜む生きものたちに目を向けるというのは悪くない、なんぞとほくそえんだりしていたものだ。

 しかし、偶然というのはおかしい。その帰路で、またまた自然に親しむ子どもたちと遭遇したのだったから。
 畑地を多く残した道を歩いていた時、前方からまたまたガヤガヤとした気配を感じたのである。近づくと、今度は、保育園児たちの「芋掘り大会」とでもいう課外学習のようであった。数十名の児童が、十メートル四方程度の芋畑の何本かの畝(うね)を挟んで蠢いていた。児童たちは、ピンク、ブルー、グリーン、白といった帽子を被り、小さな長靴を履いて立ったり、座ったりしている。残念ながら、作業というような意味ある動きはできないようで、精々砂遊びの延長の、ただボーッと立っている子がいるかと思えば、しゃがんでごそこぞと土をほじっている子がいたりである。要するに、状況がよく飲み込めないということなのであろう。臨場感を味わうのが精一杯なのだ。
 その代わり、保母さんたちが躍起となって動き回っている。良く見ると、すでに、複雑に這い回る芋の蔓(つる)や、葉などのいっさいは各畝から取り払われ、畑の中央に片付けられているではないか。ひょっとして、芋の部分だけが、埋め残されているという演出がなされていたりして……。どうもそのようであり、活発な子は、それらを掘り出しては、プラスチックの箱に運び込んでいるようである。
 それでも、これもまたよし、とほくそえむ自分であった。芋というものの出産場所が、スーパーの棚ではなくて、畑の土の中だということが記憶に残るだけでも大成果だと言えるに違いないからだ。

 子どもたちを自然というものに親しませようという大人たちの努力を、間近に知ることができたのは今日のウォーキングの大きな収穫であった。境川の川の流れに浸かった小学生たちは、あの後、小さな水中生物についてのレポートを書き、芋掘りの児童たちの場合は、ひょっとしたら「焼き芋」でもこしらえて、「フッフッ、アツアツ……」なんぞと言いながらほお張っているのかもしれない…… (2004.11.01)


 「文化の日」は、「米国文化」の日となったかのように、今日は朝から米大統領選挙に関する報道一色で塗りつぶされている。
 ブッシュ対ケリーの選挙戦は、文字通りの大接戦で、日本時間の午後四時現在でもオハイオ州の開票の行方によっては勝敗が決しなかったり、遅れるという最悪のケースにもつれこむ可能性も残されていそうだ。
 自分としては、もちろんブッシュ続投が阻止されて、米国による力による覇権主義路線がいくらかでも緩和されることを期待したい。決して、ケリーが大統領となったとしても米国の路線が大きく変化するものとも考えられないが、「よりまし」的な観点でそう判断するわけである。

 今回の米大統領選挙が、イラク戦争の是非とテロ問題をめぐって民意が問われていたことは周知の事実である。他国干渉とさえ見えかねないほどに、世界各国が両氏をめぐる意思表示を行ったのも、世界中を震撼させた戦争とテロとの深刻な状況を黙って見ているわけにはいかなかったからであろう。一国の国内問題におさまり切らないほどに米国が破天荒な独走をしていることが、この大統領選に世界中の関心が集中した理由に違いない。
 理性的に観測するならば、米国の民意が「二分」するということ自体がおかしいと言うべきである。米国がお気に入りの尊厳を取り戻すためには、マイケル・ムーアとともにブッシュ降板にこそ米国民意が集中してこそ自然な成り行きだと考えるからだ。
 ではなぜ、ブッシュは再選への可能性を拡大したのかということになるが、一言で言えば、人々の「恐怖心」を最大限に利用した、しているのだと断罪したい。

 もとより、ブッシュが国民の支持率をバブルっぽく増幅させたのは、あの「9.11」以外ではなかった。あの「寝耳に水」の事件で当然生じた人々の「恐怖心」を、政治的に存分に活用したはずである。しかも、「寝耳に水」であったのは国民側だけであり、政権担当側に事前の関連情報がなかったわけではない後日談をも踏まえると、国民の「恐怖心」を政治的に操ったという疑惑が消せない。この点は、ブッシュ自身もさることながら、彼を押し出している「背後勢力」(「ネオ・コン」=新保守主義)の政治思想を考慮するならば決して埒外な推測ではないだろう。
 そして、「大義なき」イラク侵攻の一連の暴挙が続いたわけであった。「大量破壊兵器」の存在を理由にするという、これこそ人々の「恐怖心」を逆手に取った策略によって、大量の人命を犠牲にしたのだった。が、それで終わったのではなく、「憎悪の連鎖」をより強固なものとさせることにより、テロを過剰に誘発することに踏み切ったと言うべきではなかろうか。

 こうした、ブッシュが選択した路線は、「恐怖心」を梃子にした「マッチ・ポンプ」手法によるものだと見えてしかたがないのである。
 これは、醜い事態を上品に表現した場合のことであり、もっと下世話に言えばいわゆる暴力団がしのぐ手口と変わらないと言っていい。つまり、自身の存在意義を、無くて済むはずの「抗争」自体に求め、「抗争」によって生み出される内外の人間の「恐怖心」で肥え太っていくというロジックそのものだということなのである。
 本来、これまで悲惨な戦争を、ろくな大義もなく引き起こしたブッシュに、これを糾そうとする勢力と互角に競り合う余命を与えたのは、何あろう人々の「恐怖心」以外ではなかったと見えてならない。「恐怖心」が出発点となっているのだから、そこに理性的な論理やポジティブな理念が積み上げられるはずもなく、テロが力だけに頼っては抑止し得ないことなどを洞察することなぞできないことになる。ブッシュ支持派が、子どもっぽく再度「強いアメリカ」だけに目を向ける姿を見ていると、そんなことを思うのである。

 それにしても、人類はさまざまな「恐怖」の対象から自由になる歴史、それこそ「文化」と文明の進化の歴史を歩んできたのにもかかわらず、核兵器やテロや、そして貧困、さらに自然環境破壊に伴う危機といったあらたな「恐怖」の対象を次々と生み出している。しかもそれらをアン・フェアに利用する政治が生まれているとするなら、人間にとっての「文化」というものを虚心坦懐に見つめ直す必要がありそうな気もする…… (2004.11.03)


「人間の大脳は、その成り立ちから大きく二つの部分に分けられる。ひとつは動物の時代からあった部分、もうひとつは人間に進化する過程で急激に増大した部分である。前者はつぎに述べる大脳基底核・大脳辺縁系であり、後者は大脳新皮質とよばれる。
 これらの脳(前者)は同じ大脳でも大脳新皮質とはそのはたらきが異なり、人間の本能的な運動・行動を統括する部分であり、まとめて『動物の脳』といわれている。
 大脳基底核は、……人間の運動と運動系の感情といえる表情、態度を調節している。……
 いっぽう大脳辺縁系は、食欲や性欲を視床下部とともに支配し、快感、怒り、恐怖といった情動(喜怒哀楽)をコントロールする脳である。
 大脳辺縁系のなかには、攻撃力を出す脳(扁桃核)、記憶の宝庫といわれる脳(海馬)、行動力を出す脳(側坐核)など、多数の重要な脳があって、それぞれに重要な活動をしている。……
 以上のように、大脳基底核、大脳辺縁系は『動物の脳』といっても、人間の本能的な行動を統括する大脳で、人間の心の一部を担う重要な大脳である」(大木幸介『脳がここまでわかってきた』光文社)

「人間だけに巨大に発達し、大脳の外側表面のほとんどを占める部分は大脳新皮質といわれ、人間精神を醸成する『人間の脳』である。大脳新皮質は……前頭葉、頭頂葉、後頭葉、側頭葉から成り立ち……、前頭葉の前半三分の二と側頭葉は、精神活動を統括する大脳新皮質で、『連合野』といわれる。……人間精神はこの連合野のなかでも、『前頭連合野』とよばれるところから創出される……」(同上)

 何をダラダラと引用しているのかと言うと、昨日の米国大統領選に関連しているのである。選挙区の州別に赤、青で塗り分けられたブッシュ、ケリー両候補の勝敗地図を見ていたら、何となく「人間の大脳」の分布図を連想してしまったのである。
 ブッシュが勝利した地域は、見事なほどに米国の中南部の諸州である。また、ケリーが勝利したのは、東部海岸諸州と、中央北部諸州、そして西海岸諸州であった。
 まあ一般的な表現をすれば、田園中心の州と、大都市を含む州ということになるのだろうが、米国全体を「人間の大脳」に見立てると、ブッシュが勝利した諸州は「大脳基底核・大脳辺縁系」に相当し、ケリーが勝利した諸州が「大脳新皮質」に相当する諸州というふうに見えてしまったのである。

 ほとんどダジャレに近いアナロジーなのであるが、そう見立ててみると、ブッシュ支持諸州が、概してではあるがテロの恐怖心から反転して攻撃性へと短絡する情動主義、同性愛結婚などを真っ向から否定する保守主義、宗教色の前面に出る傾向などにおいて、古い脳の役割りと奇妙に一致するから不思議なのである。
 また、それに対して、ケリー支持諸州が、知性を司る大脳新皮質的な、相対的に冷静で、寛容な性格を表しているのも興味深いと思えた。さしずめ、ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州あたりは知能の中核的役割りを果たす「前頭葉」で、ニューヨーク州あたりは、「感覚野」と呼ばれる「後頭葉」とたとえるべきか。

 他国の政治地図を面白半分に眺めるのは不謹慎かもしれないが、正直に言って、「二分」された米国について今さらながら驚いているのである。しかも、危険なブッシュ政権が、「古いアメリカ」と言わざるを得ない地域の「出生!」であることに「なるほど感」を抱かざるを得なかったのである。
 中でも、米国中南部の諸州の人々が、自分たちの国、米国が国際的にどのように行動しているのかをつぶさに知っているのだろうかという点に関心が向いたものだった。
 ところが、ある事実を知って若干驚いたものである。グローバリズムのこの時代に、米国国民でパスポートを所持している割合は、日本でさえ20数%あるのに対して、何と16%にしか過ぎないのだそうだ。(TVでの寺島 実郎氏の発言より)つまり、米国民は、意外に「内向き」だということなのだそうだ。
 日本でもマス・メディアが事実を正確に伝えているのかという疑問が常に抱かれているが、おそらく米国でも同じなのであろう。すると、その環境とそうした「内向き」の土壌とがあいまって、イラク戦争の悲惨さと危険さが十分に認識されないということもあながち不思議ではないのかもしれないと思えた。
 キリスト教原理主義信者たちが、聖書でも「正義の戦争」が認められているということを平然と述べる意識の根底には、明らかに現実に対する認識不足が潜んでいるように思われてならなかったのだ。

 人間の大脳は、どの部分とて不要な部分はないようだ。「旧皮質」部分とて不可欠である。だが、何ゆえに「新皮質」部分が出現したのかを思えば、先祖返りのごとく古い脳とその能力にしがみついていくことは、問題を棚上げにするだけのように見えるのだが…… (2004.11.04)


 「流す」姿勢の「こなし書き」をしたくないと力むと、躊躇(ためら)いが空転してか何もかけない状態に嵌まり込んでしまう。頭の中で渦巻くこの時代や社会、世界の袋小路のような局面が、思考をストップさせ、自分のあらゆる感覚を嫌悪感と倦怠感でマヒさせようとでもしているようである。
 頭脳の活性化には、一定の負荷が必要であるとは言われているが、どこから手をつけたらいいのかと躊躇わせるほどのネガティーブな負荷は決して良い条件だとは言えないだろう。ストレスを拡大し、疲労度を高めさせるだけとなる可能性の方が大きいように思われるからだ。

 馬鹿げた犯罪的な戦争があったかと思えば、その首謀者を再び大統領として支持する多数派が存在し、またそれを追い風と受けとめ、無知(無恥)厚顔にも人間らしい思考を放棄する首相もいたりする。こうしたゾンビのような手合いに対しては、一体どこからどう手をつけたらいいのかと、正直、困惑の極みとなる。
 そんな天下国家、世界の話は関係ないじゃないの、と言っていられた時代はまだ幸いであっただろう。いや、むしろ現在の最大の不幸とは、プライベートな空間までを、ゾンビのような連中が牛耳ってしまう可能性が高まっていることなのかもしれない。
 ゾンビ・コンビ(!?)が推進したグローバリズム = 構造改革路線の激流が、庶民の経済生活を濁流に飲み込んだこともしっかりと理解すべきであろう。誰がこんなことを頼んだであろうか。

 日本経済の闇に巣食う不透明な部分や、官僚機構とその周辺の腐敗ならば、何もグローバリズムだ、構造改革だと新スローガンを掲げなくともやり方はいくらでもあったはずであろう。これらを旗印にした路線が目指したところは、二極分化の経済再編以外ではなかったのであり、またそれは経済自体の「持続」というよりも、末期的な(世界)経済の中での弱肉強食推進でしかなかった。
 その実例は、グローバリズムとともに推進された「ヘッジファンド」などに見られるなりふり構わぬマネー経済の実態や、構造改革と言いながらただただ見通しのない長期デフレ経済と大量の失業者群を生み出し、一部のトップ企業の大増収をもたらしていることなどを見れば了解できる。
 ところで、この国が長期保守政権の下で、問題先送り政治によって政治・経済・財政が惨憺たるものとなっている現在にあって、何はさておき重要な課題といえば、社会や経済が将来に向かって「持続」していけるのかどうか、ということ以外ではないように思われる。そこまで危機に瀕しているわけである。
 しかし、その「持続」のために必須の諸悪根絶(それこそが構造改革のターゲットとなるべき、行政に巣食う税金ドロボウたちの征伐!)は棚上げにされ、ただただ福祉の切り捨てや国民への負担増(年金問題、消費税30%説!)という「落第」政治なのだから、暗澹たる思いとならざるを得ないのである。

 米国やその「属州」が藪を突き回して「テロ」を煽っているために、内外の「テロ」問題の脅威が人々の心を痛めているのは言うまでもない。
 が、これに加えて、希望、指針なき時代だからこそと言ってもいいように、国内で急増する犯罪発生が、とりわけ弱い人々を不安にさせてもいる。
「03年は窃盗が減ったものの、その他の刑法犯(交通関係を除く)の認知件数が55万4600件(前年比16.4%増)と戦後初めて50万件を超えたことが今年版の政府の犯罪白書で分かった。おれおれ詐欺の認知件数は6504件で被害額は約43億円に及んだ。白書は現状を『犯罪多発社会』と位置づけている。」( asahi.com 11/05 )
 政治家たちの言動が、世間の規範意識向上に貢献するなぞとは誰も考えてはいない。いや、むしろ度重なる汚職事件が示すカネまみれのダーティな姿が、犯罪者たちに度胸をつけさせているのではないかとさえ思わせる。
 少なくとも、政治家たちは、国民の希望を閉ざしてしまっている政治が、社会への計り知れない悪影響を及ぼしているのではないかと想像するくらいの「自信」(?)=責任感は持つべきであろう。青少年の非行に対して、それは家庭教育の問題だと仕切って匙を投げる多くの教師と同じであっては困るのである。

 能天気で、かつ権力に甘い構造を持つマス・メディアは、現状追認にばかり走らずに、「持続」していける社会というようなシビァな問題を真剣に考えてほしいものだと思っている。しかし、この点もあまり楽観的には考えられない。
 そんなことが、どこから手をつけていいのか、と困惑させられる現状なのかもしれない…… (2004.11.05)


 わたしの家の庭および隣の家の庭を拠点として、数匹のノラ猫が徘徊している。隣の家も動物好きで、両方でキャッツフードの餌を与えているので、完全なノラ猫というわけでもない。
 先日も、すでに親猫には施した避妊手術を、メスの子猫三匹にも受けてもらった。家内と隣の奥さんとが、三匹を、お世話になっている獣医さんのところへ持ち込み、二日の入院で施したのである。医療費は、市からの補助が半分ほどは出るものの、あくまで動物愛好家の負担となる。自宅で拾った猫を飼っていて、外の猫は保健所へ、というのはあまりにも理不尽だと感じ、できるだけ近所迷惑にならないようにとの思惑なのだ。

 飼い犬のレオが存命の頃は、放し飼いのレオが庭を牛耳っていたため、ノラ猫たちはうちの庭に近寄ろうとはしなかった。レオが目の敵にして、吠えて追い掛け回していたからだ。が、彼らはやがてレオがいないことをさとった。そして、犬小屋にも平気で近づくようになり、今では、その中で寝たりする始末である。
 また、わたしが朝、玄関の扉を開けたり、帰宅して戻った際には、餌を貰って味をしめた何匹かが、餌をねだるように鳴き、寄り添ってくる。餌ねだり担当役のような茶色の毛の猫は、ことさら大きな声で鳴き、ねだり方がうまい。直立させた尻尾の先をピリピリと震わせ、いかにもおなか減ってます、何かください、と訴えかけてくるのだ。
 うちの中の飼い猫たちが、何だ、また同じ餌か、と憎たらしくも、そっぽを向いたりするのと違って、切実な様子で餌を欲しがる姿には、いやとは言えなくなるものがあるのだ。
 餌ねだり担当役の茶色猫は、最初はわたしを警戒して、いつでも逃げられるような斜に構えた動きをとっていたものだったが、今ではその警戒心を解き、首根っこをつかませたりもするようになった。
 兄弟のほかの猫たちは、遠巻きに見ていて、わたしがいなくなってから餌の皿に近づきその茶色猫と頭を並べて餌にありついている。玄関の扉を閉めて、魚眼の覗き穴から覗いているとその様子がよくわかるのである。
 餌ねだり担当役猫は、決して他の猫を追い払うことはなく、むしろ、「なっ、ボクの頼み方はうまいだろ。だからボクに任せとけっちゅーの」とでも言いながら自慢しているようでもある。
 それにしても、これからは外は冷え込む季節となるので、ノラ猫たちも心細くなっていくのであろうか。レオの犬小屋のボロ布の中に「使い捨てカイロ」を入れてやることになるはずだ。

 今日、暗くなって帰宅した時、クルマのライトに、彼らのうちの一匹の姿が浮かんだ。近所の道路わきをぽつねんと歩いていた。そうして道路わきを「正しく」歩く分には問題ないのだが、猫はしばしば唐突に道路を駆け横切ったりするため犬死ならぬ猫死することになるのだ。
 そう言えば、名古屋に住んでいた頃、縁の下でノラ猫が数匹の子を産んだことがあった。彼らにも餌を与えたりしていたのだが、かわいそうに、親猫は別としてその子猫のほとんどが裏の青空駐車場で事故死をしてしまったのだった。
 人が起き出す前の明け方などに、親猫のそばで子猫たちが楽しそうにはしゃぎまわっていたのはほんの束の間のことであった。子猫たちのあまりにも短かかった命と、とり残された親猫が何とも憐れでならなかった記憶がある。
 それにしても、貰い受けてしまった命があるがゆえに、世間の片隅で逃げ隠れしながら生きているノラ猫たちを見ていると、今度また人間に生まれたかったら、人間様たちはゼイタク言わずにありがたく生きていかねばいけないぞ、と思ったりするのである…… (2004.11.06)


 今年に入ってからのこの国の自然現象の異変は凄まじいものがあった。猛暑、大型台風の頻繁な上陸、火山の噴火、そして大地震であり、被害を受けた人々の苦悩は並大抵のことではなかったようだ。この「〜ようだ」こそが、今日の関心事なのである。

 昨晩、書斎で遅くまでPCのチューニングをしていた。何気なくTVをつけたら、ちょうど、NHKが24時間のキャンペーン番組(「被災者の声 いまわたしたちにできること」)を放送していた。この間の痛ましい自然災害の実情を詳しく伝えるとともに、被災者の方々の声やボランティアの活動などを報じていた。ボランティア活動など、われわれにできることに何があるかをテーマにしていたのだ。
 水害、地震災害についての壮絶な被災の実態がリアルな映像で流されていたのを見て、また、高齢の被害者たちが長年住み慣れた故郷の地から避難場所へと移動する哀れな姿なども見せられ、万感胸に迫る思いとなった。
 曲がった腰で歩く老婆が、リュックを背負い、両手にも荷物を持ち、避難所へと向かうヘリコプターに乗り込もうとする姿や、避難所から壊れた自宅に一事帰宅し、また再びその場を離れなければならない悲しさに慟哭(どうこく)する高齢者の姿などを見るに至っては、目頭が熱くなる思いでもあった。
 各地の災害状況の程度も想像をはるかに越えて過激なものであったし、それらに対して手をこまねき呆然とする人々の悲惨さも尋常ではなかった。また、青少年を含むボランティアの人たちの感動的な姿もこの上なく印象的であった。ボランティアの中には、かつて阪神大震災の際に助けてもらったために、今回は自分たちが恩返しだと手を差し伸べに来た人たちもいる。こんな時代にあっては、何とも心温まる話だと思えた。

 そうした番組を見て、まずわたしは自分を恥じたものだった。自分とその周辺のことだけで汲々(きゅうきゅう)として、そんな悲惨な実態を知ることがなかったことに対してである。
 確かに、TVの日頃のニュース番組では瞬間的な映像だけしか流されなかったりして、現実の一端しか知らされないという問題点も小さくはない。マス・メディアは、視聴者が現地での実情を想像しやすいような報道に意を払うべきなのであろう。
 しかし、もう一方で、われわれは、他人事ではないという姿勢での関心の持ち方、そして同情、共感の気持ちを働かせるくらいのことがあって当然なのだと思えた。
 言ってみれば、両者があいまってまずい状況が広がってしまっているような気がしたのである。何かが起こっている「ようだ」としかわからないような漠然とした報道と、そんな情報環境に慣れてしまい、とかく何でも他人事のように受け止める習性が身についているようなわれわれ。
 そして、この構造は、当事者たちが不幸になりがちなだけでなく、われわれ自身も起こり得る現実を部分的、抽象的にしか知ることができないという点において不幸なのかもしれない。いても立ってもいられず現地に飛び込むという若いボランティアたちの自分に正直な心境は、そうした点を考えるとよくわかる気がする。

 人の行動とは、何かを知ることで始まるものに違いない。知らずして、あるいは、限りなく無知であることにおいては、人間であれば生じるはずの共感や善意の気持ちも眠り続けることになってしまうのだろう。行動が、物事の認識をさらに深めさせるのが道理であるから、その行動を誘発する知るということが挫折するならば、一切何も起こらないというべきなのであろう。
 そして、生きるという荘厳な事実の輪郭さえもぼやけさせ始めると、カネだけがすべてと言ってはばからない現行社会の歯車になり切る人生や、あるいは逆に自暴自棄の刹那主義につっこむことなどはほぼ必然と言うべきなのかもしれない。

 前述の特別番組を見てわたしが感じたことは、現代のわれわれは、「情報(化)社会」に生きていると言われながら、本当に必要な情報を入手しているのだろうかという疑問であったのかもしれない。
 自然災害の被災状況をつぶさに知ること、そして現地で苦しみ立ち上がろうとする人々の現実を知るということは、決して他人事ではないはずだと考える。新潟中越地震の災害にしても、東京近郊に住み、直下型地震の可能性を否定できない者たちにとっては、最も身近な問題であろうし、極端に言えば有力な「被災者候補生」なのかもしれない。そこまで言わないとしても、そうした条件下でわれわれの生命と人生は構成されているのだということだけは考えなければいけないような気がしている。
 番組の中で被災者たちが再三口にしていた言葉として「命からがら」逃げ出したというフレーズが耳に残った。恐らくそれほどに惨憺たる事態であったのであろう。そして、わたしが思ったのは、そうした「命からがら」の事態の中では何が重要で、必要なのだろうかという素朴な思いであった。
 もちろん、絶対に生き抜くという強い意志、それを支える気力、体力に違いない。だが、それらがくじけないためには、共に助け合うという平凡実直な一事が必須なのだと痛感した。そして「共に助け合う」という場合、先ず意を傾けたいのは、余力ある者の役割りであり、そのためにも援助を必要とする悲惨な現実を知らしめることだと思わざるを得ない。その意味では、今回のNHKのキャンペーンは当を得ていたと思うし、今後も自然災害の被災者の現実とともに、深まり行く社会問題の現実とその弱者たちの悲惨さを如実に報道していってもらいたいものだと思っている。永田町の住人動向なぞの映像はしばらく自粛してみてはどうだろうか…… (2004.11.07)


 最近のTVコマーシャルでは、生命保険、個人年金、医療補助等々、保険会社のCMが目にうるさい。庶民が将来に対して不安を抱かざるを得ない環境にまさしく照準を合わせた売り込みである。特に「入院保障」が一日いくら支払われるという点の強調などが、はっきり言って不快感を募る。
 確かに、将来の不測の事態に備えることは悪いわけがない。やりたい人はやればいい。いや、自分も何がしか加入してはいるが、そうしたことには能天気な自分はほとんど意識していない。

 なぜ不快感を覚えるかと言えば、大きく分けて二点あるかと思う。
 そのひとつは、本来、最低限の生活というものは、自身が苦慮しなければならないことなのであろうか。日本の憲法ではそれを保障しているのではないのか。まず、わたしは、そうした原理的な側面から現実のイカサマぶりを槍玉に挙げたい。
 国が公的年金でさえお粗末な対応しかできないからこそ、庶民の不安も募るし、そこをターゲットにして民間の保険会社が商業主義で迫るのであろう。しかし、人類の歴史の歩みの中でひとつの重要な指標となるのは「社会保障」制度の充実ではないのか。国民の生活のある一定の水準を、国がいかに保障していくかという点が、近代・現代国家のミニマムな責任ではないのか。
 現在、人々は「希望」を持ちにくくなっていると感じているが、わたしが思うに、その最大の原因は、「自由」や「自己責任」という空虚な言葉を言い訳にして国民の将来への高まる不安を一向に解消していない点だと確信している。

 元来、人間は単独で生きることができない「社会的存在」である以上、「自己責任」という言葉も、適用範囲は自ずから限定されざるを得ないはずである。「依存」や「甘え」とは全く別次元の構造があることを当然知らなければならない。
 つまり、国民諸個人は、自身で行使できるさまざまな可能性を放棄して、国という機関にさまざまな事柄を委託しているはずである。ここですでに、個人責任の多くが、国家責任へと転換していると言えるはずではないのだろうか。
 また、個人の「自由」を言い訳にして「社会保障」から手を抜くとするならば、そこで言っていることは「市場活動」の「自由」であろう。市場における弱肉強食の「自由」を言っているに過ぎない。

 そもそも、「社会保障」という観念が登場したのは、「市場の自由」を要点とする資本主義制度というものは、自由という名の放任を行うならば、巨大な歪みを発生させ、それはやがて困窮層の拡大から市場や社会それ自体を機能不全に陥らせるという怜悧な認識があってのことだったはずである。「社会保障」制度は、国によるヒューマニズムの実践なぞではなく、国というシステム自体が「持続」するための「安全弁」だと言ってもいいのだろう。その大事な「安全弁」を、今、平気で極小化し、あるいは無くそうとでもしているかのような愚策が進められようとしているわけだ。
 そんなことが起きるのは、たったひとつしか理由はないと思われる。つまり、社会や国の「持続」に関して、ロング・レンジの視野と責任感を持つ政治家がいなくなったからであろう。みんな、民間企業の雇われ役員のように、短期レンジの職務意識しか持てないからに違いない。
 もとより、官僚機構の役人たちは、将来についてはもちろんのこと現在についても、まともな責任が問われない仕組みとなっている。明々白々な横領罪など以外に、行政執行に関して罪が問われたケースは果たしてあったのだろうか。
 たとえば、今回の新潟中越地震災害にしても、その中心地が「活断層」が存在する地域であり、その事実に基づいた「国土計画」が為されていたのかどうかという点は、いっさい問われないでいい問題なのだろうか。自然災害だからしょうがないのだと不問に付されるのであれば、そんな役立たずな関係機関は大幅に予算を削減されてもよいことになろう。

 ところで、円生の落語に『百年目』という話がある。
 ある店(たな)の番頭が、主(あるじ)に隠れて花見を楽しんだところ、偶然にその主と出っくわしてしまい、「ここで会うたが百年目」という心境になってしまうのである。急いで店に帰り、翌日の主からの呼び出しを生きた心地もせず一夜を過ごす。
 翌日、その時となったが、主は、不思議な話を始める。
 昔、南天竺(なんてんじく。南インド)に、「栴檀(せんだん。ビャクダンのこと)」という大きな樹があった。その根元には、「なんえん草」というきたない草が生えていた。ある人が、そのきたない草が見苦しいと、すべてむしってしまったのだが、そうしたら「栴檀」の樹も枯れてしまったというのだ。
 それもそのはずで、その「なんえん草」というきたない草は「栴檀」の樹の肥しとなっていたし、また「なんえん草」にとって「栴檀」の樹は、そこから露が落ちてくるといういわば「持ちつ持たれつ」の関係があったというのである。
 そして、店(たな)の「檀那(だんな)」と言う言葉は、この謂れが込められているのであり、「檀那」と「番頭」の関係は、「栴檀」と「なんえん草」との関係であり、また、「番頭」と「丁稚」たちとの関係も同じであると。そして、檀那はこう言うのである。
 「最近、わたし(檀那)にとっての『なんえん草』は元気だが、店の『なんえん草』たちはいまひとつ元気がない。番頭さん、どうか『栴檀』の樹から『なんえん草』たちに露をたっぷり降ろしてやってくださいよ……」と。
 「持ちつ持たれつ」の関係をしっかりと掌握しているのが、ダンナというものなのである。「社会保障」もまた然りだと思うのだが…… (2004.11.08)
 ※ もう「一点」については明日に回すこととした。


 昨今うるさく感じてしまう保険会社のTVコマーシャルについて書いている。なぜ不快感を覚えるかについて昨日は、その一点を書いた。
 現代の先進国にあっては本来、普通に生活する程度であるならば社会なり国なりの公的機関がそれらを「保障」して然るべきだとわたしは考えている。
 財政難だからという理由はまったく言い訳にはならない。別次元の問題だからである。財政難に至った原因・理由のすべての責任が国民にあるとするのは、土台無茶な論理でしかない。怠慢、愚策、おまけに不明朗な行為(年金基金の流用!)までしておいて財政が逼迫したから……というロジックが承認されるなら、株主に対する企業責任なんぞは問題にならなくなってしまう。
 要するに、本来公的サイドが責任を果たさなければならない対象に、民間の保険会社がビジネスの動機で勢いづいているというのが、昨今の状況なのであろう。この推移はいわゆる「民営化」問題なんぞではなく、公的機関の「責任回避」問題だと言うべきであろう。税金を徴収するだけのことはきちんとやらなければいけない、という至極当たり前の話なのである。もしそれが無理だと言うのなら、政府自体の「民営化」問題をこそテーブルに載せて検討してみてはどうだろう。

 今日書こうとしていることは、そんなバカバカしい議論ではなく、もっと「本源的な問題」である。昨今、歌謡曲の歌詞でさえついぞ聞かなくなってしまった「人生」についてだと言ってもいい。
 保険会社のTVコマーシャルに接していると、不快感が刺激されるふたつ目の理由は、<「人生」なき数字問題>に無理矢理目を向けさせられるという点である。確かに、この世知辛いご時世にあっては、<数字なき「人生」>に思いを馳せてばかりはいられないのはわかっている。
 しかし、世の中には数字に基づく単純な安心で生きている人ばかりがいるとは限らない。数字といえばいつも「分が悪い」立場にばかり追い込まれてうんざりしている人の方が多いとさえ言える。それも自分の生命や、病気という誰もが不安なしとはしない事柄と密着した数字を、よくも白々と茶の間に持ち込めるものだと、気分が逆撫でされるのだ。「TPO」というものに神経を使ってくれよ、と言いたくもなる。
 それに、そんな将来の話ではなく、今現在病床に伏している視聴者だって決して少なくはないはずであろう。そんな人が、「一日一万円の入院費」がどうのこうのと見聞きして元気になれるものかどうか考えろ、とも言ってやりたい。消費者金融のCMが取ってつけたフレーズ、「ご利用は計画的に」と流しているのと変わらない慇懃無礼さを感じてしまうのだ。「計画的に」消費する人間が高い金利のカネに手を出す道理がないじゃないか、カネに苦労をせずにはいられない人こそが不慮の病に倒れるのが常ではないかと……。
 もはや、メジャーな世界は、人の「人生」という姿とは対極に位置する無残な光景に化してしまったようだ。

 「人生」という時、わたしは何もドラマチックなことを考えたりしているわけではない。いや、ひとりひとりの「人生」が、そのままドラマチックなのだとも言える。ただし、その「フラジャイル(fragile)」な事実を、掬い上げ、感じ取ることができればの話ではあるが。
 ところで、最近、関心を深めざるを得ないでいる『徒然草』について検索していたら、次のような文面を見つけた。
 「『徒然草』の読み方にはいろいろある。それがこの類を絶した随筆の幅であり、懐の深さである。『徒然草』はただ一つのことを切言していると私は思う。『先途(せんど)なき生』と。人生は有限であり、しかも明日知れぬいのちではないか。ここから兼好の唱導する生き方の極意は、『ただいまの一念』、これである。死までの切迫したこの世の生の時間を、時間そのものとなることによって生き切ろうと、兼好は訴えたのである。」(上田 三四二 (著)『徒然草を読む』 著者「まえがき」より)
 ひょっとしたら多くの人は、こうした静かな吐露(とろ)を、暗いと一蹴するのかもしれない。それはちょうど、すでに小説というものが棚上げにされてしまった時代風潮と同じ意味合いではないかと思っている。
 そこからの視点でしか「生の意味」を感じたり、認識したりすることができない、「人生は有限」という事実を、どうしてわれわれははぐらかし続けるのかと……。決して宗教家ではなくとも、生きる個々人にとって、このテーマほど引力を持ったテーマはないし、難問はほかにはないと考えざるを得ない。来るべき「入院費」の問題に心煩わすよりも、今の一瞬一瞬をどうしたら輝かすことができるのかを、朴とつかつ元気にに思い悩みたいと…… (2004.11.09)


 ようやく寒さを覚える季節となった。そして樹木の葉が色づき、今日のような秋晴れの陽射しには紅葉や銀杏の葉の黄色が鮮やかに映える。
 今朝のウォーキング時にも、黄一色の光で溢れた銀杏の樹の姿と、早くも咲き始めた山茶花の紅色の対照が人目を惹いていた。一瞬通り過ぎてしまったが、再び戻り、デジカメのシャッターを切らせたほどの絵になる光景であった。
 近所の観音堂の境内も、一面が桜の落葉で敷き詰められている。境内には人影もなく、時々そよぐ風に落ち葉がカサカサという小さな音を立てている。「山寺」(?)の深まりゆく秋の光景をも想像させた。

 落葉といえば、最近の街路樹では、落葉の季節の前に枝々の大掛かりな剪定作業が行われ、紅葉も見られなければ落葉もないという味気なさだけというケースも少なくない。事務所への通勤路の通りがそうしたことになっている。多分、落葉の後始末で近隣の人たちが悩まされた挙句の対処法なのであろう。舗道に落ち葉が積もる風情は悪くないのだが、雨に打たれたりすると滑りやすくなったりするという弊害はありそうだ。風情がどうのこうのとこだわるよりも、生活のスムーズさこそが優先されるということなのだろう。それにしても、落ち葉が落ちる前に剪定してしまうとは、いかにも都会ならではの機能主義、合理主義だと思えた。

 しかし、生活の場に自然という、合理主義の視点からすればムダなものを残すという配慮は、まんざらムダに尽きるわけでもないように思うのである。
 最近では、しばしば「癒し(系)」であるとか「スローライフ」という言葉を耳にする。あるいは、停年退職後に「田舎生活」に踏み出す人々さえいるようだ。こうした風潮は、やはり都市生活が一面的過ぎることを意味しているとも言えそうである。
 都市生活には、相応のメリットがあるはずだ。その第一に、日常生活のさまざまな面での便利さが挙げられる。主に、職業生活と消費生活での便利さだと言ってもいい。
 ほかにも互いに干渉し合わないという点もメリットとして挙げられるかもしれない。
 しかし、メリットだけということはあり得ず、裏腹な関係でのデメリットにも注目すべきだろう。
 職業生活では、過激な通勤ラッシュの問題があろうし、消費生活では「過剰」消費と消費者金融に至るほどの便利さの問題もある。また、都市生活での特徴である「他者への非干渉」傾向の強さは、悲惨な事件(孤立死! その他の犯罪)の温床ともなっている。

 今ここで、別に都市問題について議論するつもりはなく、要するにここまで発展し切ってしまった都市と都市生活というものは、従来どおり、人間が生きる上で特に問題ナシと見なしていていいのだろうか、という懸念を感じるということなのである。そのひとつが、あまりにも自然を排斥し過ぎてはいないかという点である。
 ところで、先日の新聞報道で、日本の現在の大都市は、二酸化炭素放出をはじめとしてゴミの放出など、その面積に不似合いな規模での環境汚染に荷担しているとあった。世界各国の大都市に較べても例を見ないほどであるらしい。おそらくは、都市の緑にしても貧弱な状況となり切っているのではないだろうか。
 都市が、環境汚染や破壊に加速度を加えていることは深刻な事態だと思うのだが、もうひとつ関心を向けたいのは、都市生活者たちの意識のありようの問題なのである。

 都市化という自然環境の人工化に問題があるとするならば、都市空間という物理的次元だけが問題とされるのは当然おかしいと思われる。都市化による自然環境の人工化は、都市空間とともに、そこに住む人間という自然の人工化も同時に進行させると見なせるからである。
 簡単な話が、四季折々の自然現象の変化を肌身で感じて生活してきた者と、生活の便利さ追及のために自然からの影響を極小化する都市で生活する者との間に、感じ方や考え方の差が生じないなぞということは、ほとんどあり得ないのではなかろうか。
 前述した「癒し」について言うならば、都市空間が時として人々に息詰まる感覚を及ぼすのは、都市空間の路地の隅々に至るまで、人工的な目的と管理の網の目が張り巡らされて合目的的に設えられているからであろう。人工的な目的を意識させないムダと思われるようなものが存在しないがゆえに、息詰まる感じがするのではないかと思う。
 まして、現在の職場では、激しいリストラの末に「ムダ」と見なされた人材はことごとく追放されてしまった。本当かどうかは定かではないが、必要人材のみで現在の職場は構成され、その分かつてないほどに息詰まり感が強化されているとも聞く。

 人間にとっては、人間の「計り知れる」知性を超えたムダとも神秘とも見える存在、つまり自然そのものが、身近にあって当然なのではないかと思う。ペット・ブームの本質も、何を考えているのかわからないという自然の存在である動物が、ぎすぎすした人間生活の脇にいるということが計り知れない安堵感をもたらすからではないかと推定する。ペットまでICで組み立てようとする発想は、わたしに言わせればほとんどビョーキ、都市文明のビョーキだということになる。
 今、イラクのファルージャでは、都市空間から雑草や人里出没熊を排斥するかのように「掃討」作戦が展開されている。相応(?)の「掃討」理由が掲げられていることは知っている。しかし、「選挙」のために、空恐ろしい戦争によって癌局部を「占拠」してしまおうというスタンスの向こうに、どんな世界が現れるのかは、わたしには知る由(よし)もない…… (2004.11.10)


 久々に使っているPCにトラブルを発生させてしまった。しかも、システムのバックアップをとっている最中に、バックアップ元と先の双方のハードディスク上のシステムを稼動不能状態とさせてしまったのだから目も当てられない。いろいろと所定の修復方法を試みてはみたものの、いずれも効を奏さない。
 じっくりと腰を据えて分析すれば原因究明も可能であろうが、それほどの暇もないため、苦肉の策として、古いバックアップ・ディスクを活かしてそれに更新作業を上乗せすることで復旧させることにした。
 自作PCを改造に改造を加えていたり、アプリケーション・ソフトにしてもかなりの量をインストールしているため、一からOSをインストールするような復旧はしたくなかった。こんなことがあるとは予想しなかったものの、念のために、バックアップを二重にとっていたことが役に立ったということになる。
 もちろん、データ類についてはシステム・ダウンから影響をうけないような別立て設定にしているためその点の後悔はいっさいない。かつては、このデータ類でさえシステム・トラブルに巻き込まれて回収することができずに泣いたこともあった。そんな経験から、文書にしても、作品にしても精魂を傾けて生み出したデータだけは、どんなシステム・トラブルからも自由であるようにと心がけてきたのだった。

 こうして、今回はバックアップのバックアップをとっておくという二重の慎重さが、奏効したことになる。このありがたさ(?) は経験する当事者でなければわからないものであるに違いないかろう。
 通常は、バックアップのありがたさを感じることで一件落着となる。しかし、トラブルやアクシデントというのは、その構造がシンプルではない場合もないとはいえない。われわれがよく聞く言葉に「二重遭難」というのがあるが、それは天候なり環境なりが変化しない状況であれば度重なることが起こり得るということを示唆している。
 PCトラブルとて同じことであり、ソフト上の問題ならばともかく、もしそれらを稼動させるハード側に問題が潜んでいた際には、正常なソフトを次々と台無しにしかねない可能性も潜むことになる。
 ただ、PCのトラブルなどの場合、正常なソフトのバックアップや正常な部品の控えがあるとないとでは対処のあり方が大きく異なってくる。それらがあれば、試行錯誤の幅が広がるというものなのである。ソフトの場合には、残されたバックアップを使いさらにバックアップをとって、次々に予備を備えながら事に当たることができる。また、部品の場合には、最悪「二重遭難」の可能性をなしとはしないのであるが、それをチェンジしてみれば一目瞭然の結果がでるというものである。

 ところで、バックアップということに思いを向けた時、悲惨な事実が思い浮かぶ。
 あの新潟中越地震の被災者たちの中で、家族が亡くなった人たちや家屋が全壊した人たちが少なくなかったわけだが、そんな人々にとってバックアップという言葉はいかにも虚ろに響くのではなかろうか。ふと、そんなことを思い起こしたりした。
 もちろん、人の命に代替なぞあろうはずがない。亡くなったご本人にとっては、あの一瞬の出来事から身を守るためのバックアップ手段などもあり得なかったわけだ。また、遺されたご家族にとっても、亡くなった方の存在と存在感をバックアップするような存在はない。
 全壊した家屋の現場に立ち、泥水で見えなくなった家族のアルバムを呆然と手にする被災者の姿からは、人間の生活にとってバックアップという観念は、実に程遠いもの、ひょっとしたらあり得ないものではないかとさえ感じさせたものだ。
 多くの被災者が口にしていた「命からがら」という言葉は、まさにそんな極限状態を一言で表現していたのだと思い返す。
 しかし、システムやモノにはバックアップという観念が意味を持っても、そもそも人間という存在にはどんな場合であってもそれは意味をなさないのかもしれない。過去は決して現在をバックアップしてくれるものではないし、現在が未来をバックアップするものでもないだろう。バックアップの観念の正反対の位置に、命というものがあり、人間の生きるという意味があるのかもしれない。それこそ、『徒然草』兼好の「ただいまの一念」ということなのか…… (2004.11.11)


 人はどうでもいいや、という気分となった時、「モラル・ハザード(moral hazard)」(道徳的危険)に一挙に近づくのかと思う。そして、どうでもいいやという気分とさせるのは、不思議なことが不思議なまま放置されることであるのかもしれない。
 たとえば、身近な環境、職場でもいいが、当然非難されて然るべき不正が黙殺され、誰もが見て見ぬふりをしていたとすれば、おそらくいっさいの不正が黙認される精神的土壌が瞬く間に広がってゆくことになるのだろう。こうなれば、もはや「モラル・ハザード」なぞと言ってもいられなくなる。歴然とした無秩序、アナーキーだとしか言えないからだ。

 最近、疑問を持つことの重要さを指摘する人が目につくが、逆に言えば何につけ疑問を抱かない人が多くなったからではないかと危惧する。
 本の題名に、「今さら恥ずかしくて聞けない……」と称するものも少なくないところをみると、自由に素朴な疑問を持つことを妨げるような奇妙な空気が広がっているのかもしれない。良くない空気だと思える。そんな空気の中では、自身が納得していないにもかかわらず、納得したふりをしたり、やがてはどんなことをも是認していく癖がついていくからである。童話『裸の王様』の街の民のようなものであろう。

 自分はできるだけ、発生する疑問を押し殺さないようでありたいと思っている。いやむしろ、疑問を持つことからでないと、現代のような一筋縄ではいかない化け物世界の謎は解けないのだとさえ思っている。
 ちなみに、今日もニュースの報道に接していくつもの疑問が生まれている。
 その一、これは大きな疑問であるが、米軍主導のイラクのファルージャ「掃討作戦」(この言葉自体が疑問の対象でもある)についてである。
 戦場の一光景を写し取った写真、爆撃で破壊された壁に向かって捕縛されたイラク人二人がひれ伏し、その向こう側に自動小銃で威嚇する米兵の姿がある。米兵の完全装備に対して、ひれ伏すイラク人たちは粗末な衣服の上に、二人ともが裸足である。その汚れた裸足を見ていたら、彼らは民間人ではないかと思えたし、これはインフルエンザ菌を撲滅するような「掃討作戦」なんぞではない、侵略戦争ではないのか、だからそこに「レジスタンス」が生まれる余地はあるのではないのか、といった疑問が生じたのだった。
 米国が吹聴する「テロ撲滅」という視点に何の疑問も感じることなく、「掃討作戦」などという奢り高ぶった表現で、ファルージャの民間人も巻き添えにするなんていうことは是認されていいわけがない。
 この論理は、フセインと大量破壊兵器の除去を目的にして、他人の国であるイラクとその国民たちに大量破壊兵器を注ぎ込んだ間違いと同じことだと思える。つまり、民主主義体制という美名を掲げながら、殺戮を繰り返している絶対的な矛盾に対して、大きな疑問が禁じえないということなのである。

 これに対して、この国の首相は、鉄面皮でファルージャ「掃討作戦」を全面的に支持し、多くの国民が憂慮している自衛隊の派遣延長を主張していることにも、「なぜ?」という当然の疑問が生じる。ブッシュでさえ、自衛隊を「軍隊」と呼んでいるにもかかわらず、わけのわからない言い訳はするし、砲弾が何発も打ち込まれているサマワであるにもかかわらず、「非戦闘地域」だなぞと言い張る始末だ。民主党岡田代表との国会でのやりとりでも、何と「一国の首相らしからぬ」ムチャクチャな答弁に終始していたことか。何でこんな人が首相なのか、こんな人の代替ならば五万人以上もより優秀で誠実な人がいるのではないかと思える。
 それに、まだ疑問があるのは、このアホラシイ国会答弁にしても、なぜマス・メディアは見て見ぬふりをするような報道しかしないのか。プロ野球界再編の話題の方がそんなに大事なのであろうか。あきれるほどの疑問を感じてしまうのである。

 ところで、人間界の出来事だけにハテナ・マークが点るわけではないのは先刻承知の話である。つまり、自然界の出来事への疑問もこのところ続出だからだ。
 驚きの疑問であったのは、別に台風でもない大雨で、静岡県ではクルマに乗った人が水没して亡くなられたという災害である。もうこうなってくると、人間界の「盲点」を一時に突かれている、といった感じがしてしまう。
 そうした思いは、ひょっとしたら、対自然の防災対策は、その大前提に何か決定的な不備や欠陥が隠されているのではないかとさえ疑問を抱くことにつながっていく。地球温暖化というもとをただせば人間界発の事象が、防災の大前提を狂わせ始めているような気がしないでもない。
 人間界も自然界も、今、土台から揺さぶられる局面に遭遇しているという点だけは確かなようである。こんな時代、疑問を持つことだけが人間的な行為なのかもしれない…… (2004.11.12)


 昨日は随分と多くの夢を見た。ひょっとしたら仕事用PCのダウン修復で、ここ一日、二日ヒヤヒヤとした思いをしたことがきっかけなのかもしれないと思っている。
 言葉の思考力で詳しいことを思い出そうとするとどうにも脈絡がつかめないのだが、内容は、さほど非現実的色彩を帯びたものではなく、日常的水準のリアリティがあったようだ。無理やりに思い出してみると次のようになりそうだ。
 ひとつが、小学校の頃だか中学校の頃だかのプールの場面が出てきていた。やたらに暑い日であった。大人の自分であり、子どもの頃の息子を連れていたようでもあった。脱いだ衣服を仕舞っておく場所がなく、プールのコンクリーの陰に置くものの、財布を衣服で包んでいるのだが盗られないかなどとちょっと心配したりする。そして、プールに入ると、何と立錐の余地もないほど混んでいてほとんど身動きがとれないありさまであった。
 ふたつ目が、バイクの夢であり、この夢はしばしば見る。いつも、どうしてか、気に入ったバイクを持っているという思いがあるようだ。ところが、それをどこに格納していたかがはっきりせず、探し回るといった文脈なのだ。ある時は、子どもの頃に住んでいた品川の家の物置を探したり、またある時はどこだかの駐車場を探したりする。首尾よく探し当てて軽快に乗り回すこともあれば、探しあぐねることもある。昨夜はどっちであったかはさだかではない。
 みっつ目が、何でもある会合に呼ばれていて、そこにはいろいろな人が来ることになっている。中でも、漢方関係の医者も来るので是非おいでくださいというようなことであった。と、突然、もう腹部をその医者もどきに撫でられていて、そいつが、
「うーむ、腎臓に気をつけた方がよろしいですな……」
とか、勿体をつけて言うのである。何か、ほかにもいろいろな場面があったようであるがもはや雲散霧消してしまった。

 だが、当然なのかもしれないが、夢の内容を思い出そうとすることほど取り留めのないことはない。現実の経験や出来事であれば、度忘れしたとしても何か思い出す手掛かりというか、それ相応のアプローチというものがありそうである。しかし、夢となると、自分の頭脳で自分の頭脳のどこをどう探っていけばいいかまるで見当がつかない。
 しかも、通常、われわれは言語能力を駆使して思考したり記憶したりしているはずであろうが、どうも夢というのはその言語能力の外で生じているかのようだ。言語以前というか、以下というか言葉にならない潜在意識的階層で展開しているのであろう。いわゆるイメージによる構成の展開だということになるのだろう。
 そして、夢の内容を思い起こそうとするのは、アナログ・データのデジタル変換ではないが、イメージを言葉に置き換えようとすることになりそうである。が、その変換、「再解釈」は決して滑らかなものであろうはずがなく、ムリのあるものとなる。つまり、言葉の思考力によってオリジナルを作り変えてしまう可能性が大なのであろう。

 ところで、この辺のいきさつは、どうも記憶というものも同様であるように思える。記憶というものは、何か貯蔵庫のような場所にモノが保存されているように存在するのではなく、現在の思考が再現構成するものであるように思える。つまり、現在の思考あっての記憶だという関係になりそうだ。
 そういえば、学生時代にE・H・カーの『歴史とは何か』を読んで感銘を受けたことがあるが、そこでは、歴史とは過去のことではなく、現在の視点が重要な要素となることが主張されていたかと思う。その発想に従うならば、記憶も、思い出そうとする夢も、今現在の自身の頭脳活動に依存しているということになりそうだ。だからどうした、と言われればそれまでのことではあるが。
 ただ、かっこよく言えば、われわれは過去に縛られることはなく、常に今とこれからにどう立ち向かおうとしているかに依存するところが大だということに着目したいのである。
 軽々しく言うべきことではないかもしれないが、昨今しばしば話題にされる「トラウマ」や「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」 (自然災害や戦争、交通事故、誘拐、監禁、性的虐待などで被害を受けたり、身近な人の死をまのあたりにするという体験をすると、人間は耐えがたい強烈なショックを受ける。これを心的外傷[トラウマ]といい、それによるストレスが心身に引き起こす障害をいう/百科事典マイペディアより) と呼ばれる現代人の心の障害も、きっと目の前の現実にこれからどう立ち向かって生きるかという、その一点にかかっていそうな気がするのである…… (2004.11.13)


 「良い勉強になるなあ!」と思わされるもので気分転換をはかっている。就寝前にほんのしばらくと思って始めたりすると、ついついもう一回、もう一回とのめり込み、夜更かしまでしてしまうこともある。学習用であるのだけれど、「対戦」用も付属していて、それが何とも吸引力を持つのである。
 何かというと、実は、パソコン囲碁なのである。再び始めてかれこれ一ヶ月ほどになるであろうか。もう七、八年前にも別のソフトで始めたことがあったがいつの間にか断ち切れていた。そこそこ楽しめることがわかっていたため、今回再度新しい自習ソフトを入手したのだった。

 知人友人に囲碁をやる者もいたにはいたが、今ひとつ手を染めてみようという気にはならず仕舞いであった。囲碁に夢中になる自分といものがどうも想像できないでいた。前回、しばらく続けていたのはどういった動機であったのかは思い出せないが、大したことではなかったがゆえに、断ち切れとなったのであろう。
 今回はどうかといえば、動機ははっきりしている。
 中野孝次著『足るを知る』を読み、その中で同氏が囲碁を嗜(たしな)む充実感を実に魅力的に書いていたからであった。最近はすっかり同氏の生き方に感銘を覚えていたこともあり、その同氏が囲碁にこよなく親しんでいるということが、自分が囲碁にのめり込むということに最適なイメージを与えてくれたような気がしたのだ。
 同氏が、足るを知る、というテーマに沿って自身が囲碁に夢中となった経緯を書いていたのはいろいろと理由があったように思う。だがその中で、年配の男が仕事以外で人と密着した付き合いをすることが少ないこと、そんな風潮を囲碁は救ってくれたようだと書いておられたことは心に残った。もとより、同氏は、付和雷同的な付き合いを拒絶するタイプだと思われる。TVも電話も自宅に据えつけないで通した人である。だが、かといっていっさいの交流を拒絶して孤高をきどる人でもない。そんな人が、年配の男の他者との接点として囲碁を薦めていたのには、なるほどと思わせる説得力があったわけだ。
 また、囲碁は、時間と知力は大いに必要とするが、カネがかからないという点にも注意を向けさせておられたように思う。昨今の趣味のジャンルにはさまざまなバラエティがあるが、その共通点としては、そこそこの経費がかかるという点であるかもしれない。いや、むしろカネがかかるという条件を、ステイタス・シンボルを得たとばかりにこれ見よがしとする馬鹿げた現象さえあるだろう。休日、祭日にハーレーにまたがりパレードしている年配の男たちを見るとげんなりさせられるのがその例だ。

 もとより、囲碁というのはその魅力に惹き込まれた者同士を結びつける力には定評があると言えよう。落語通(つう)の自分としては、そんな演目はすぐに思い浮かぶ。
 碁を介した友だち同士が喧嘩をするが双方ともに碁が打ちたくてうずうずするといった『傘碁』、碁の好きなどろぼうが押し入り先でピシッピシッと碁を打つ音を聞き、その光景をみたくてたまらなくなり、大風呂敷の荷を背負いながらその場にのこのことか、静々にかは別にして出てしまうという『碁どろ』、碁会所で知り合う浪人と大店(おおだな)の主とが碁の付き合いを深め、そのうち悲劇が発生してしまうという人情噺の『柳田格之進』などなどである。
 わたしなんかは、いつも囲碁の玄関付近でうろうろしているにしか過ぎないが、そんなわたしでも囲碁の深遠な魅力というものの想像はつく。おそらく、そのひとつに、下手は下手なりに上手は上手なりにそうした感覚が与えられる点がまた囲碁の深遠な魅力でもあるのだろうと思う。

 まだしばらくは、「対人」囲碁に挑むまでもなく、PCソフトプログラムの頭脳もどきを対戦相手として学習と修行に邁進しなければならない身であるが、それでも現在は十分に惹き込まれつつある事態のようだ。
 それにしても、「良い勉強になるなあ!」と感じるのは、自分の性格というか、生き様の弱点が如実に表れてくる点なのである。勝っても負けても、どうしてかと振り返ってみたりすると思わず頷いてしまう勝因、敗因に気づかされるからである。
 もっと若い頃から囲碁を嗜み、自分の性格の実体に厳しく対処していれば避けられたトラブルも少なくなかったなあ、と妙な点で思いにふけったりもしている…… (2004.11.14)


 言葉遣いに関して考えさせられた。先日の朝日《天声人語》11月13日付に昨今の世相で気になるそんな問題が指摘されていたのだ。4点ほど挙げられていた。

一、「『天然ダム』の『天然』には美しく貴重といった意味合いがあって、悲惨な災害現場の表現としてふさわしくない」
二、「東京の都立高校では3年後から『奉仕体験活動』が必修科目になる。『奉仕』は、奉り、仕える。古来、上下関係を前提に主君や師に尽くすことを意味してきた。美しい言葉と思う人もいるかもしれないが、おしつけがましいと感じる人もいるだろう。歴史の澱(おり)を感じさせない言葉がないものか」
三、「米軍再編をめぐり『極東条項』が再浮上してきた。『極東』の範囲は日米安保条約の根幹にかかわる議論だが、議論とは別に『極東』という言葉に違和感を抱く人もいるだろう。西洋から眺めた方角でしかないのに、と。歴史のひずみを引きずる言葉だ」
四、「非戦闘地域の定義について首相が『自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ』と答え、あとで『良い答弁だった』と自賛した。詭弁(きべん)と強弁である。言葉をもてあそぶ詭弁学派を『魂の糧食』を切り売りしていると批判したソクラテスを引きたくなる。自賛も彼らの特徴で、その危険さも語った」

 そして、「人を導く言葉もあれば、迷わせ、惑わす言葉もある」と結んでいた。

 上記4点には、「一」のような不注意という次元の言葉遣いの間違いもあるが、他の三つはいずれも「底意」や「下心」が隠された「言葉の操作!」を感じるものばかりである。小泉答弁に至っては、「言葉の操作!」どころか、述べられているようにまさしく「詭弁」としか言いようがない。そして、「言葉の操作!」の行き着く先が「詭弁」=「嘘つき」なのだと理解させられたものだ。
 現代の、とりわけ現在のおかしさというのは、一般的感覚、認識から明らかにズレた言葉によって、信じがたい事態がまかり通っている事態である。この日の《天声人語》は、個々の事柄の指摘以上に、そうしたきわめて危険な状況へのアラームだとわたしは受けとめたのである。

 「一」については不注意のレベルだと書いたが、厳しく言えば、政府なりメジャーな体制なりのホンネが思わず曝け出たと言えるのかもしれない。つまり、他人の痛みが共感できない「他人事」姿勢という現在の政府や官僚機構を特徴づける最悪のスタンスが、見事に象徴されたように見えるからだ。
 事実を照らすための最適かどうかの言葉選び以前に、ひとつの国や社会の同朋の痛みさえ共感できないのでは、言葉の選択もあったものではないだろう。もっとも、官僚たちにとっては、はなっから事実と言葉との関係が問題である以上に、自分たちが以前に書き下した言葉らしからぬ言葉との形式的な整合性だけが問題なのであろう。歌を忘れたカナリアよりも、言葉らしい言葉を放棄した官僚たちが哀れである。
 なおも哀れなのは、自分を支持し続けてくれた国民感情にはわからない「詭弁」の言葉を平気で遣う小泉首相なのかもしれない。まるで、木下順二『夕鶴』の中で「つう」にはわからない言葉をしゃべり始めた「与ひょう」のようなものであろうか。

 「情報(化)社会」としての現代にあって、言葉を操作したり詭弁を弄する者は特に警戒されなければならないと考えている。もちろん「オレオレ詐欺」と根っこが同じであるからだ。
 つまり、「情報(化)社会」においては、言葉(情報)と、その対象である事実なりとを照合したり検証したりすることが、結果的には「留保」されがちになっているからである。多くは信頼するシステムを追認することで賄われる。自分の目や、自分の耳で体感して照合することが代理によって済まされるわけだ。イラクの情勢にしても、体感して事実を掌握するのは、マス・メディアである。それを信用するしか手がないわけである。
 それだけに、事実の掌握に責任を持つ立場は重要な位置にあるということになる。もちろん、マス・メディアとは立場を異にして事実を洞察する政府や政治関係者たちは、なおさら責任があると言うべきだろう。にもかかわらず、先日のイラク人質事件では情けないほどの凡ミスを仕出かしたりもした。

 もともと政治家は言葉に責任を持つというのが相場であったが、情報が時代を決しかねないこの時代にあっては、なおのこと責任感とともに慎重さの能力を発揮しなければならないと思う。そうした能力がなく高を括っている者が、時代から見放されるのはそう遠くないように推定する。
 ただ、一方で国民側も日々の生活の中で言葉というものに敏感となっていかなければならないと思う…… (2004.11.15)


 寒くなってくると自宅の猫二匹の行動が興味深い。
 先ず、二匹ともにどこが暖かいスポットであるかを彼らなりに探す。一匹は、テレビの上に跳びあがってテレビの余熱を頂戴する。もう一匹は、わたしが立ち上がった座布団の上に、まるで椅子取りゲームよろしく勇んで駆け込む。
 だが、彼らの特等席は、チェアー型の按摩機の上である。仲良くするのなら二匹が十分に横たわれるスペースがある。が、どちらも先にその場を占めると、後から来たものとの間でしばしばもめごとを起こす。ハァーと脅したり、頭を抑え込んだり、挙句はとっつかみ合いと噛み合いの喧嘩ともなる。特に、よせばいいものを顔が向き合う姿勢で陣取りをする時には必ずそうなる。
 しかし、おとなしく落ち着いている関係の時もある。それは、お互いが相手の尻尾あたりに顔を埋め合って寄り添っている場合である。お互いが暖め合うかっこうになっているし、顔が見えないために相手を意識しないためなのであろうか。

 これを見ていて思い出すのは、あの「ヤマアラシのジレンマ」という逸話である。ある冬の寒い日に一組のヤマアラシがお互いに身体を暖め合っていた、ところがお互いの棘が刺さり合って痛い、でも離れると寒い。こうしたことを繰り返しているうちに痛くもなく、寒くもない距離を見つけていく…… という暗示に満ちた話のことだ。
 家族、夫婦、恋人同士など親しい人間関係にあっては、この逸話のような事情は、さまざまなバリエーションでしばしば発生しているように思われる。まさしく、そもそも関係というものは「両義的」であるところから、必然的にジレンマもまた生じると言えるのだろう。いや、現実はそんな涼しい表現では済まず、猫たちと同様に、はたから見れば見苦しいほどのすったもんだを繰り広げることにもなりがちだ。
 そこで、提唱されるのが、程よい、適切な距離を置くこと、そしてその距離感というものを忘れないでおくということなのであろう。
 日本のことわざで言えば、「親しき中にも礼儀あり」というのが近いのかもしれない。これと同主旨の英語表現は次のようになるらしい。
 < A Hedge between keeps friendship green. ( 間に垣根があると友情は生き生きと保たれる )>
 こう解するとにわかに「適切な距離」というものの大事さが納得されることになる。

 最近の若い世代の友人関係を見ていると、そらぞらし過ぎるという印象を持ちがちである。特に、団塊世代以前の日本旧人類は、ベタベタ&ズカズカ世代であったから、現在の世代の人間関係を歯がゆく感じるのも無理はないと思われる。
 しかし、よくよく考えてみれば、というか上記の人間関係における「適切な距離」という視点で考えてみれば、われわれ団塊世代およびそれ以前の日本旧人類の方が特殊事情の中で特殊な人間関係を構築してきたのかもしれないと思ったりする。
 確かに、現在の社会環境(スピード、細分化、過剰な商業主義……)を暗黙のうちに前提にしてしまっているからそんな感覚が生まれるのかもしれない。今の世代の子どもや若い人たちに、われわれと同様の感覚を押し付けるならば、彼らに心をズタズタにさせよと強いることになりかねない。
 この両者間の溝には、今述べた社会環境の変化があると同時に、もうひとつは個人という存在の成熟度とでも言うものがかかわってもいそうである。旧来の日本人は、ベタベタ&ズカズカ行為を何とも感じないどころか、それらをもって一体感(ぬくもり!)を感じることを喜びとした傾向がある。それはある意味では、個人だとは言えても、個人主義だとは言えない類の特殊形式であったのかもしれない。
 それに対して、現代では社会環境の変化とともに、個人感性が急激に個人主義らしきものへと変貌したようである。しかも、大人たちばかりではなく、子どもたちにもそうした変貌を強いている気配もありそうだ。

 ただ、危惧する点は、個人主義を標榜し、ベタベタ&ズカズカ行為がともすれば伴うゴタゴタのもめごとを避けるべく「距離」を置く生き方を選択した場合、「距離感」のなかった人たちが享受していたであろう人間関係での「ぬくもり!」といったものは、さてどうなっているのだろうかという点なのである。そうしたものはなくていいのだと言い切ってしまえるのだろうか。
 ところで、「ヤマアラシ」は確かに大人となれば、他者を棘さす姿になるのだろうが、よくはわからないが子ども時代には棘もなく他の兄弟たちとの「距離感」に悩む必要もなく、互いに「ぬくもり!」を享受し合ったのではないかと想像する。
 ところが、人間社会の現代という時代は、早い時期から子どもたちにも棘を生やすことを強いていそうな気がしないでもない。そして、「ぬくもり!」の得にくい状況へと追いやっているのか。
 家族も含めて、いわゆるコミュニティというものが形成されにくくなっているのかもしれない現代は、「適切な距離」という暫定方法に目を向けるとともに、子ども時代にはあったはずの「ぬくもり!」というものをどう考えるのかについても考慮すべきはずである…… (2004.11.16)


 先週土曜日のテレビ・ドラマ『輝く湖にて』は途中から見たのだったが、見ていてどこかで見た覚えのあるストーリーのような気がしていた。
 そして、最後のキャスト紹介字幕で「原作: アーネスト・トンプソン」と出たことで、ああそうか、あのヘンリー・フォンダ、キャサリン・ヘプバーンの『黄昏(たそがれ)』(1981)のリメイクなのだ、と気づいたわけだ。
 実はオリジナル映画は見たようではあるが、もはやよくは覚えていない。ただ、老夫婦、ヘンリーフォンダ、フライ・フィッシング、黄昏の湖……といった記憶だけは鮮明に残っていた。
 で、今回のNHKリメイク・ドラマは、まあまあのできであったというところか。ヘンリー・フォンダの役が杉浦直樹、キャサリン・ヘプバーンの役が八千草薫と、まあイメージ的にも妥当性のある対応であったかもしれない。
 ただ、一瞬脳裏をよぎったのは、「平成16年度文化庁芸術祭参加」と称されたドラマでありながら、「リメイク」仕様というのはいかがなものか、オリジナルで「勝負」ができなかったものか、という常識的な思いであった。NHKの「事なかれ主義」姿勢が垣間見えた気もしたのである。まあ、それはおくとしよう。

 ストーリーは、番組紹介によれば以下のとおりである。
「 7月の初旬、健蔵(72歳・杉浦直樹)と静江(70歳・八千草薫)夫婦は奥日光の湖畔の別荘に1年ぶりにやってきた。毎年、夏を過ごすために静江の実家があったこの地にふたりはやって来るのだ。健蔵は最近心臓が悪く、『ここに来るのは今年が最後だ』と憎まれ口をきく。
 そこへ、4年も会っていない娘の恵(真矢みき)から連絡があり、『紹介したい人』を連れてくるという。恵は10年前、結婚を直前になって踏み切れずドタキャンした過去があった。恵が別荘に来ると二人は驚く。相手の敏行(西村雅彦)には13歳になる息子・翔太(村田将平)がいた。恵は敏行の仕事についていって本当に結婚するか決めたいので2週間翔太を預かって欲しいと頼む。静江は結婚を反対するが、敏行を気に入った健蔵が引き受ける。
 礼儀を知らずに育った翔太を静江は厳しくしつけようとする。ある日、健蔵は翔太を釣りに連れ出すと、翔太は初めて接する豊かな自然を楽しむ。健蔵も翔太との生活で生き生きとし始め、静江は少年が健蔵の閉じた心を開いていったことを実感する。夫婦ふたりでこのまま『死』に向かうだけだと思っていたが、人間何かを背負い込むことでこんなにも力がわいてくるのかと感じるのだった。再び結婚に踏み切れずに帰ってきた恵に、静江は『もっと自信をもちなさい』と励まし、恵は結婚を決意。
 別荘から翔太が去り、夫婦ふたりだけの時間が戻ってくる。夏も終わり、片づけをしている途中、突然、健蔵が心臓を押さえて倒れる―。」

 平凡といえば平凡な筋ではある。わたしが、感じ入っていたのは、「死」と向かい合う老夫婦の前向きなあり方、それらを支える自然の営みという点であった。
 健蔵が、湖上のボートの上で翔太に対して自然が持つ命の息吹について諭す場面や、静江が同じく翔太に対して言う「命の移し替え」、つまり動植物が人によって食されるということはその命が人間に移し替えられるということなどは、何でもないことなのだけれど実に新鮮に受け止めざるをえなかった。
 「死」と向き合う老夫婦が、それでいて子どもたちを励ます力を得ている源は、自然の逞しい摂理を知ることであったような印象を受けたのである。
 クスリによって回復するのではあるが、健蔵が心臓を押さえて倒れた時、そばに寄り添う静江によって「恐怖がなかった」という場面があったが、愛と信頼の妻に抱かれていたということのほかに、悠久の自然に抱かれているという思いもあったのではなかったかと想像したのだった。

 ストーリーの舞台が、自然の宝庫である湖畔だということは、この物語にとって決定的に重要な条件であるように思えた。人の「死」に慰めを与えるもののひとつは、まさに永遠の自然だと言えるのかもしれない…… (2004.11.17)


 晴れていればさほどでもないが、今日のような曇天であると一段と冷え込みが激しくなったように感じる。昼休みに戸外に出たところ、思わず上着の襟元を閉めたくなる寒さであった。そう言えば、ここからもその頭だけが見える富士の山も雪を被りもう真っ白となっていたことを思い起こす。冬がもうそこまで到来しているということになる。先ほどから雨も降り出して、何とも鬱陶(うっとう)しい限りである。

 先日、今「売れっ子」の養老孟司氏についての番組を見た。『バカの壁』がベストセラーとなったことで、全国各地から講演依頼が舞い込み、講演旅行に明け暮れる忙しさだという。そんな行き先で「一筆」残してもらいたいとの依頼があるそうだがその時に書く言葉が決まっているようなのである。漢文風に、
「別に天地在り、人間(じんかん)に非ず」
と書くのだそうだ。
 つまり、われわれが世界だと認識しているこの天地は、脳が情報として生み出し、脳が情報として了解している天地以外ではなく、それとは別に、人間たちの脳が及ばないかたちによって「別に天地在り」というのである。要するに「自然」がそれだというわけなのだ。「バカの壁」という「ディス・コミュニケーション」自体が、そうした脳だけの営為を絶対だと信じてしまうところから生まれるのだとする、同氏の面目躍如たる視点が託された言葉ということになろう。

 しかし、「バカの壁」というのは、その本が売れたのは周知の事実であろうが、その前にその本が指摘する「ディス・コミュニケーション」現象の蔓延の方が、よっぽど注目に値すると思われる。いや、そうした現象で煩わされる現実が、その本を売れさせたのだと言った方がいいのかもしれない。
 このニ、三日、休暇をとって旅行をしたのだが、その時、「バカの壁」に関する現象をふたつほど意識した。
 そのひとつは不愉快な現象である。
 「バカの壁」現象の好例は、自分の頭の中にある事実をもってそれが唯一の世界だと思い込んでしまうというのがあろうかと思う。頭だけで理解したことを、あたかもそれがすべてであるかのごとく思い込むというやつである。
 ウイークデイの観光地には、オバサン連中がめっぽう多い。ダンナたちは仕事という場合もあろうし、ダンナたちは出不精ということもあろうか。それはどうでもいいのだが、そのオバサンたちの行儀の良くないこと! それは驚きであり、不愉快であった。
 列車の中で、椅子を向かい合わせて騒いでいるオバサンたち。中の一人は、すでに多少のアルコールが入っているからなのか、大声で自分のダンナをコケにした話で夢中になっている。ああ、イヤダ、イヤダと耳をふさぎたくなったものである。
 また、別な列車で、席を譲った時のことである。わたしが窓側の席で、当のオバサンたち二人が通路をはさんで分れ分れになっているのを知り、二人を一緒にしてやろうという親切心を持ったのだったが、大して喜ぶふうでもなく、感謝をするでもない。おまけに、一緒にしたばかりに、大声でのうるさい話となってしまい、あーあ、隔離しておくべきだった、と後悔したものである。

 ひと昔前、全国あちこちで、いや今でも夜の飲み屋街ではそうなのかもしれないが、いわゆる「社用族」たちが世界はウチの会社の社員だけ! というような閉鎖的横暴でのた打ち回っていたことが一般人から顰蹙(ひんしゅく)を買ったりしていた。そうした「族」が残存しているのかどうかは知らないが、今では、オバサンたちがその「名誉ある地位」を奪い取ったのであろうか。
 中・熟年主婦たちが、閉鎖的な家族の中で苦労をして、ストレスを蓄積させているであろうことはわかる。たまに、機会があって大いにストレス解消をしようという意気込みもわからないわけではない。しかし、もう少し上手に楽しんでくださいよ、と言いたくなるのだ。
 愚痴はおくとして、「社用族」の傍若無人さや、オバサンたちの「お茶の間延長」主義(?)とでも言うべき傾向などは、要するに頭の中にある私的空間(社内、家庭のお茶の間……)情報のみで、公共空間を突っ走るということなのだろうと想像する。そう考えると、公道を走りながら、クルマという私的空間に意識のベースを置くドライバーの場合も思い起こされる。窓から、罵声を上げて吠えるありがちなドライバーのことである。
 これらは、結局、私的空間でのさまざまが頭の中の大半を占めるところから、公共空間との間に「バカの壁」が出来上がってしまい、要するに公共の場という別次元が見えなくなってしまうのではなかろうか。
 オバサンたちの茶の間には、私的空間の住人しか登場しないし、本来は、公共的な光景も伝えるはずのTV番組は、概して私的雰囲気一色で塗りつぶされてしまっていそうだ。「社用族」たちの場合は、「職場ぐるみ」的な求心的社内関係で頭の中からつま先までが染められるそんな環境に由来しているのかもしれない。勘違いドライバーの場合には、クルマ内部をプライベート・ルームへと豹変させられるいろいろなグッズが一役も二役も買っているのであろう。
 こうして、現在の人々の頭の中は、圧倒的な比重を占めるプライベート空間の重みによって、他者のこと、公共的な空間のことが霞んで見えなくさせられてしまっているようである。これは、まさに「バカの壁」がプライベート空間以外を見えなくさせていると言わずして何と言おうか。

 今、ひとつ、これは気分の良い「バカの壁」に関する話だと言えそうである。
 日常の生活では、人間以外の動物に目を向ける機会があまりない。おそらく、そのことが現代人をして度し難い「バカの壁」を作らせるひとつの原因であるのかもしれない。
 旅行中、ホテルの窓からは、野鳥たちの姿がいやでも目に入った。防波堤に蟻のように群がったり、海面でたわむれるカモメたち。何をねらっているのか空中で円を描き舞っているトンビ。何か餌となるものを咥えて屋根の上をピョコピョコとはねている黒尽くめのカラス。そうした野鳥たちの行動に目と意識とを向けてみると、「何をしてるんだろう?」「どうしてあんなことをするのだろう」「何だといって鳴いているのだろう?」などと、理解不能なことばかりに直面することとなるのだ。
 要するに、われわれが眼前の社会環境を当たり前のように見て、了解している一連の事柄などが、何の意味も持たなくなる光景というものがありそうだと知らされるのである。たとえば将来のため! というただ一点において現在を流してしまっているかもしれない人間に較べて、過去もなければ将来もなく、ただ現在の一点しかないように生きている鳥たちがいたりする。そんなことを、ふと思うと、人間の頭の中の「バカの壁」が、自然をはじめとする多くの存在を無きものとして覆ってしまっているのだと気づかされたりする。
 まさに、「別に天地在り、人間(じんかん)に非ず」の境地には至れない人間…… (2004.11.18)


 ある伝統的な人間通(つう)が、「日頃、影響を作用しておかなければ、いざという時だけ力んでも影響力は発揮できるものではない」というような意味のことを言っていたのを思い出す。
 たとえば、日頃、親戚関係の付き合いをおざなりにしておいて、いざ親戚関係に依存しなければならない場合や、あるいは遺産相続問題などがこじれた場合に、急遽、合理的見解を持ち込んで事を裁こうとしてもなかなかうまく行くものではない、といったそんな事情を指しているようであった。
 また、地域に根を張って商売をしているある実業家が、「事を進めるには『清濁併せ呑む』姿勢が必要」というようなことをもらしていたことも思い起こす。つまり、「清」のみを「濁」を排して選び抜くような合理性では、人間関係に基づかざるを得ない物事はまとまって行かないというのである。
 こうした世渡り術がうまいというか、世間に長けた生き方は、好き嫌いがあるものかも知れぬ。自身を振り返っても、その種の振る舞いにはあまり前向きではないことに気づく。いや、今の人々は、どちらかと言えば、そうした「非合理的」な人間関係を毛嫌いし、軽視する傾向が強いのかもしれない。

 合理性と機能性によって露払いされた現在の日常の人間関係に慣れてしまえば、人間関係といえば、勢い「で、おいくらですか?」という売買契約的な関係を想定してしまうのが相場なのかもしれない。
 それはちょうど、身体に対するケアの場合と同じようでもある。日頃から、風邪を引かないような用心した生活をするのではなく、引いてしまうような節制のない生活をしておきながら、いざその時には即効性の高い抗生物質で対処して急場をしのぐという健康管理法のことである。
 市場万能主義的な風潮が強まる昨今であるため、概して人間関係は、「オン・デマンド(on demand、『欲しい時、欲しいモノ』を得るような、利用者の要求に応じて、情報などを提供するインターネットのシステム)」的なもの、つまり即時的・一時的な関係の色合いが強まっていそうである。もちろん、親愛なプライベートな関係にあってはそんなことはないのであろうが、「汚染」されていないとは言い切れないかもしれない。

 こんなことを書くのは、IT化の進展によって、こうした傾向に拍車が掛かっていると見えるからなのである。そして、どちらかと言えば、こうした合理的・機能的なシステムや、そしてそれを踏まえた人間関係は、良いこと尽くめであるかのように受けとめられているかのようであるが、果たしてそうだろうかと疑問を持つがためである。そして、次のような見解をも目にするのである。

「イノベーションは心地のよくない社会的なつながりを解き放ちながら、一方で必要なつながりはそのまま残せるのだろうか。不利益をもたらすつながりを解き、利益をもたらすつながりを維持できるのか。このふたつの目標は同じものだろうか」( ジョン・シーリー・プラウン、ポール・ドゥグッド著『なぜITは社会を変えないのか』日本経済新聞社、2002.3.25 )

 結論から言えば、過剰な期待が持ち込まれてIT化が推進され、万事が便利だと受けとめられている一面があるとともに、静かに蓄積している「負の遺産」(?)の存在にも注意を向けた方がいいように思われるのである。
 一言で言ってしまうと、IT環境は、期待されてきたように新たな豊饒な人間関係を創り出すどころか、人間関係をますます希薄なものへと追い込んでいるようにさえ感じるのである。もとより、IT環境を推進する側は、その構築にビジネスの竿をさしているのだから「バラ色」の世界を描き、吹聴することしかするわけがない。もし、期待せぬものが生じたとしても、それは技術環境の問題ではないと主張するか、あるいは、さらなるイノベーションによって克服されるはずであると言い張るに決まっているわけだ。
 また、IT環境に不信を抱く一翼の者たちは、その環境を拒否するがあまり十分な批判をし切れない位置にとどまっている。環境を利用することがないがゆえに、具体的な批判に及べないということである。

 わたしは、どうも不信感に満ち満ちているわけだが、やはり、この辺の問題に関して実態的な言及をしていかなければならないと思っている…… (2004.11.19)


 昨日、「人間関係の希薄化を誘うIT化環境……」と書いたのだが、PCに向かって「囲碁ソフト」をする自分はまさに「人間関係の希薄化」に陥っているではないか、と思わず苦笑してしまった。
 もっとも、囲碁を嗜む者は必ずしも対戦相手を必要とするとばかり決まったものでもなく、昔から、「詰め碁」といういわばシャドウボクシング、つまり一人相撲という場合もめずらしくはなかったとは言える。
 しかし、普通は、自身の腕前と相応の対戦相手がなんとしても欲しいところだったのだろう。落語の話ではないが、たとえ喧嘩ばかりすることになったとしても、生身の対戦相手が欲しかったはずである。
 そんなふうに、コンピュータが生身の人間の代わりをすることなぞ考えられなかった時代には、囲碁に限らず、何かの動機が人間関係形成へと向かわせることになったわけだ。 ところが、現代ではあらゆる動機が、直接的な人間関係を介さずとも達成できてしまう環境が広がっていることになる。
 わたしとしてからが、いまだ修行の身ということもあるが、碁会所へ足を向けるでもなく、PC上の碁盤を見つめて、プログラムで構成された人格なき対戦相手と戦っている。無人格の碁仇であるため、時々、「ざまあ見ろ」なぞとはしたない言葉を浴びせたりもしている。

 生身の碁仇であれば、打つ手の合い間にいろいろと雑談も弾むのかもしれない。
「で、お仕事の方は最近いかがですか……」
とか、
「へぇー、そうですか。やっぱり世知辛くなったわけですなぁ……」
とか、他愛もない世間話なんぞをしながらということになるのだろう。
 そうした「じゃれ合い」というのが、無意味のようでありながら文字通り無意味であったり、そうでなかったりするように思える。

 今、ふと考えたのだが、「囲碁ソフト」にもところどころで、「語り」といったものを挟んでみるというのはどうなんだろうか。まあ、囲碁の上達のみでいいというユーザには、「じゃれ合い」ナシというアイコンをクリックさせればいい。
 何となく人恋しかったり、リアルな碁会所の雰囲気が欲しかったりする者には、そうしたオプションを付けてやるわけだ。
「で、何ですか、最近はお身体の調子はいかがですか……」
とか、
「朝青龍は強いのはいいけど、日本人勢もがんばらにゃいけませんやね。ねぇそうでしょ。なんせ相撲は国技なんスからね……」
とかの薄ら他愛もないセリフを挿入するのである。ただ、そのタイミングは工夫すべきであり、ユーザの形勢が順調な場合がよさそうである。PC側の形勢が有利な時に、
「で、何ですか、最近はお身体の調子はいかがですか……」
なぞと流そうものなら、音声アイコン抹殺の憂き目に合うことになろう。

 つまり、こうしてIT活用の「人間いらず環境」が巧妙になっていくわけなのであろう。それはそれでありがたい面もあるにはあるが、何か大事なものを踏んづけているような座りの悪い気分が拭い切れないようでもある。
 その大事なものとは何なのかという部分を、真剣に考えてみなければならない時期が思いのほか早く訪れているのかもしれない…… (2004.11.20)


「高村薫の『レディ・ジョーカー』はまだ文庫本にならないんですかね」
と、わたしは店員に尋ねた。
 店員は、
「いやぁー、まだだと思いますが……」
と言いながら、レジ・カウンターの内側に備え付けた書籍検索用のパソコンを操作し始めた。
 平積みにしてある分厚い単行本2冊を持ち帰るのが、そしてそれを寝床で手で支えながら読むことが、何としても抵抗感を伴ったがゆえのことである。読みたいことは読みたかった。が、できれば文庫版であってほしかったのだ。

 その本を読みたくなったのは、今朝の新聞の読書欄というか読書ページに、高村薫自身が自作を語るという内容のものがあったためである。
 休日の朝の惰眠をむさぼった頭にも、ジャブを放ってくる切れ味のいい文章であった。高村薫の小説はあまり読んだことがなかったが、彼女の(社会)評論は熟読させてもらっていた。いつも、歯に衣を着せぬ体制批判、社会批判の毅然とした姿勢が貫かれていて、思わず「異議ナーシ!」(古い言い草で、みずからも涙が出そうなほどである)と叫ばせるシャープさなのであった。と言っても、ロジックが一人歩きしているふうでは決してなく、自身の全身的な感性がそれらを紡ぎ出していることが了解できるだけに、「異議ナーシ!」なのである。つまり、しっかりと人間と社会との不即不離の関係に棹差す当然さに気が許せるということか。

 朝刊の自作紹介でも、読者に媚びるような言辞はいっさいなく、といって高飛車に出るわけでもなく、プロの「物書き」としての律儀さで徹していたようだ。必要なことは外さず、不必要な冗漫さは殺ぎ落とし、おのずと浮かび上がる稜線のような本旨の文脈をくっきりと表現し尽くすところは、さすがだと感心させるものだった。
 執筆当時(95年〜)とその直前の社会環境については次のようにさり気なく触れる。
「当時日本は経済不況のまっただなかにあり、住専の巨額な不良債権が始めて明るみに出て、社会には生活の先行き不安が広がっていたが……」
 また、サスペンスでありながら携えられた重い問題でもある「老いへの失意や無念」というテーマの解説の導入に、自身の亡母について触れる。
「いまから十一年前、何不自由ない余生を送っていたわたくしの亡母はある日何を思ったか、これからは暗い時代になると言い出した。……これはおそらくある種の無念が本人も気づかぬうちに噴き出した末の一言だろうと思い、母もついに老いたのだという事実を始めてこの身に沁みさせたが、何ともべたりとして薄暗い心地だった。……」
 なるほど、作家というものは水面下で人一倍情念を貯め込んでいるものなのだなあ、と知らされるや、追い討ちをかけるように裏話を聞かされることとなる。
「しかしながら物書きは、こうした自らのうちなる経験をこそ糧にする生きものなのだろう。うちひしがれるより先に、ともかく表現することによって衝撃を消化し、排泄しようと試みるのだろう。」
 何だか、自作紹介をする高村薫の文章を紹介するという屋上屋をやってどうなるの、というきがするが、まあ続けてしまおう。
「九十五年に『レディ・ジョーカー』の執筆に取りかかったとき、直前にあった阪神淡路大震災の経験とあわせて、わたくしの身心(しんしん)は消化排泄しなければならない不安の感情に満ち満ちていたが、……」
 と、こうして、「老いへの失意や無念」こそが犯罪動機となる主人公の造型に、何あろう亡母の姿が埋め込まれてあったこと、そしてそうした作家内部でのプロセスは決してご都合主義によるものではなく、作家が生きる上での必然でもあることなどが、読む者に了解されてしまうわけなのである。
 やはり、ベストセラー作家とは、短文を書かせても卒がないもんだとひたすら感心させられたわけである。
 しかし、わたしが高村薫に関心を寄せるのは、文章運びのうまさなんぞではなく、「絵空事」だらけで塗り固めたこの国のこの時代を怜悧に見抜き、喝破するその洞察力と言葉とを持っている作家だと見ているからなのである。

「思えば、この国が高齢者を有望な消費市場として礼賛し始めたのは八十年代だったが、わが世の春を楽しむシルバー世代というのが絵空事である一方、ひたすら沈思熟考する老境というのもまたうさん臭いこと甚だしい。さらには、しっかりと確立した個人としての老境というのも、おおかたは世間の戯言(ざれごと)である」

 ウーム、厚化粧に厚化粧を重ね切っている現在の日本であるだけに、リアリストたらんとするものは当然、シニカルかつシビィアな言葉選びとならざるを得ないのであろう…… 最後に、どうでもいいことではあるが、その語り口から関西の人であろうと察していたのだが、何とわたしの出生地と同じ「大阪市東住吉区」生まれだそうだ。だからどうだということでは毛頭ないが…… (2004.11.21)


 こうして「日誌」もどきを「公開」のかたちで書くということの意味は何であろうか。ある意味では、これこそが文章を書くことの原点なのかもしれないと思う。
 もし、自身のためだけに「日誌」を書くとするならば、とてつもなく「寝間着姿」(?)の文章に埋没してしまい自家中毒症状に陥ることになろう。
 また、「公開」の部分に体重がかかり、私的な感情、特殊な事情など他者には了解困難な部分を殺ぎ落とすことに配慮し過ぎるならば、誰にでもわかる代わりに誰にとっても意味のない文章となりがちであろう。
 この一見あい矛盾する構造が同居する土俵で、あえて何ごとかを書こうとすることがなぜだか本来的でありそうな気がしているのである。常に、両者の構造が足を引っ張り、どちらかへと雪崩れ込む安直さに足を踏ん張り耐えることこそが、文章を書くということなのかもしれないと、思う。

 もとより、自分の汗が滲まない言葉、すなわち情報と言っていいのだろうが、それを駆使して、一般受けしやすい、極端に言えば紋切り型ないしは慣用形の発想表現に終始することは何としても避けたいと望んでいる。そんなことを書くくらいであれば、昼寝の方がましだと考えてしまう。
 自分自身が、誰もが同じように受けとめるとされる情報を介して、マクロな情報システムの網の目の一結節点たる端末システムとなり下がっても何もおもしろいことはないはずだろうと思う。マクロな情報システムはそれはそれなのであり、個人が生身(なまみ)として生きる過程で、体験から言葉を紡ぎ出す営為は避けられない行為であるし、それはそれで重要な局面であるはずだろう。もし、ここを外すならば、世界からはクリエイティブな可能性を秘めた人間システムが消去され、発展性のない閉じた情報システムで塗りつぶされてしまうことになるだけであろう。

 どうせ実のある特殊性なんぞを持つわけもないのはわかっていても、自分という存在の特殊性と、世間一般の一般性とを絡み合わせるという、そんな作業こそが書くということではないのかと推定している。
 できるだけ、自身でも言葉にしかねるような曖昧模糊とした自身の内面や記憶その他を、そのままにしておくのではなく、言葉という他者との媒体を駆使して表現してみること、他者にわかってもらえるべく試行錯誤すること、こうしたことが現代のような、情報が言葉に取って代わったかのような環境にあっては必須だと思えてならない。
 唐突な言い方をするならば、情報によって広く世界のことが知れることと、たとえ狭く限られた世界の一部ではあっても、その「意味」、自分にとっての「意味」が味わえることとのどっちを人は選ぶものであろうか。もちろんわたしなら、迷うことなく後者を選びたい。ところが、現代では、情報とその「意味」とは「バンドル(同梱)」となっている気配が濃厚であり、すべて「個人の外」からしかそれらは訪れることがないかのように見なされているかのようだ。それを許しているのは、個人における意味付け主体としての側面の見る影もない衰弱と、現代社会の情報機構の圧倒的凌駕という不健全な関係なのだろうと思っている。

 今、日本でも世界でも、道義性という面が押し流されているような気配が濃厚なように思う。なぜそんなことがまかり通るのかと不思議にさえ感じるほどだ。しかし、善悪という道義性の問題以前に、善悪の判断を基礎づけるはずである「意味」づけに関する社会的な構造が危機に瀕しているとするならば、許し難いことも容易に起こってしまうのかもしれない。ファルージャ掃討作戦と称して無差別に民間人を殺戮することも、「むすめはもらった」なぞと狂気の沙汰としか思えない奈良県での幼児誘拐殺人事件にしても、単に次元を区別するだけではなく、それほどに「良心の呵責」を失ってしまった人間たちを生み出してしまっている現代の異常さを問題にすべきだと感じる。たぶん、そうした「人間」たちに内蔵されている装置は、「意味」を扱う装置ではなく、「快感」「恐怖」という生き物としての原始的な感覚装置なのであろう。歴史は人間的進化へと進んでいるとは希望的観測や妄想にすぎないのかもしれない…… (2004.11.22)


 久々に自転車に乗った。凹凸が皆無のアスファルトの上を滑るように走らせていると、自転車こそがアスファルト道路にはふさわしいと、妙な納得をしたものだった。
 市街地の道路はどこもかしこもアスファルト舗装で仕上げられている。さすがに[土建国家・日本」である。しかし、そんな必要があるのかと思わないわけでもない。
 確かに砂ぼこりが立つ。だが、アスファルト舗装のお陰で、雨が地中に染み込み集中した降雨の緩衝材となることがなくなった。市街地が洪水となりやすい構造になってしまったことを思うと、砂ぼこりという弊害を迷惑がってもいられないのではないかとも思ってしまう。
 しかも、鏡面のように滑らかなアスファルト舗装にしたことで、どうしてもクルマがスピードを出しがちとなっているようだ。クルマには路面の凹凸から来る衝撃を吸収する立派な装置があるのだから、多少の凹凸があっても差し支えないはずである。レーシング場のコースのような平面でなくともいいのだ。滑らかであればこそ、無用な加速を誘ってしまうような気がする。

 で、人力を頼りとする自転車にとってこそ、滑らかな道路がふさわしいのである。
 もはや、昨今では砂や小石が混ざったでこぼこ道を自転車で走るという経験はほとんどなくなってしまった。記憶にあるその経験を思い起こすと、それはそれは気苦労と労力が要求されたものであった。夜道であったなら、窪みにハンドルを取られて危なく転びそうになったりもした。だが、そうした乗り物が自転車なのだと理解していたものだ。
 それに較べると、アスファルト道路を行く自転車ほど軽快なものはない。こぐ足の力も少なくて済みこの上なくラクである。抵抗が少ないため、惰性でどこまでも走行が延びてゆく。「自転車操業」というウチの会社を言ったような言葉があったが、こがずとも、結構先まで進んでゆくことを思うと、その言葉は明らかにアスファルト道路以前の経験に根ざすものだと考えたりした。環境が妥当であれば、自力走行者(業者)の苦労も少なくて済むということでもあるのだ。

 何でまたこんな他愛もないことを書いているのかと思う。たぶん、日頃、考えていることとつながっているのであろう。
 わたしは、昨今の文明に対して極めて懐疑的となっていそうだ。文明は人間を堕落させ、かつ多大な苦痛をもたらしているとばかりに批判的となったりしている。が、時々、そう拗ねてばかりいないで文明の良さも認めてやろうじゃないか、文明をありがたいものだと受けとめてやろうじゃないか、と考えることもある。
 それというのも、どっぷりと浸かって当然のこととして受けとめているからこそ、そのありがたさなぞは感知できないでいるのが人間というものだからだ。自分もそうして、まるで文明に背負われていながら不平を言っているようなところがあると感じている。素直に評価すべきところは評価すべし、なのである。
 どうも問題は、現状を当然視するところにありそうだという気がしている。現在の「便利さ」が、過去のどんな不便さや苦痛と置き換えられたのかという事情に精通しないことが現状認識を狂わせているように思われるのだ。過去からの経緯、ヒストリーを知らなければ、現状の良さも問題点も了解しようがないということなのだ。

 日頃、クルマを利用して、運転中は道路のことなどに考えは及ばない。万事が当たり前のことだと思い込んでいるわけだ。ところが、たまに自転車に乗ると、アスファルト道路というものが実に新鮮な存在として浮上してきたのだった。
 何もこの実感をもって、日頃の文明批判(?)の矛先を変えようということでは毛頭ないはずである。そうではなくて、日頃当然視してしまっている文明の現実を、実感的、体感的に捉えなおしてみることが重要だと思えたわけである。
 IT環境にしても、当然の現実だと見なしてしまっているかぎりは、何が便利であり、またその代わりに何を犠牲にしてしまっているのかなどは見えにくいという可能性がありそうな気がする…… (2004.11.23)


 高村 薫の出生地がわたしの出生地(大阪市東住吉区)と同じであることから、わたしが6歳まで住んだ幼少時の頃の「原風景」をまさぐることになってしまった。
 ところが、デジタル地図や、インターネット地図検索で調べてみるとひとつの驚きに遭遇することになった。えっ、そんなことになってしまったんだ! という奇想天外さだったのである。
 その点はあとで書くとして、高村 薫は、自身の「原風景」をあるエッセイの中で書いていたのである。高村 薫も近鉄線のたぶん「針中野」駅付近にお住まいだったようである。しかも、わたしと同様に6歳までをそこで過ごし、その期間に目にして体感した風景が高村 薫の「原風景」となっているようなのだ。長くなるが引用しておく。

「わたしにとって何よりも大事なのは、わずか六歳まで過ごした大阪市内の風景です。『マークスの山』の次の『照柿』という小説で、会田[主人公の刑事]の生まれた家を描写しましたが、わたしが生まれた場所はあれとまったく同じです。
 小さい借家が軒を連ねる路地でした。歩いて五十メートルくらいのところに、近鉄電車が走っている。その土手下のガードをくぐると、小さい商店街がある。商店街の入口に銭湯、その向かいにホルモン焼きの屋台がある。小さいころ、祖母に連れられて銭湯に行くと、帰りに祖母が、母親に内緒でホルモン焼きを買ってくれました。……
 その当時、電車に乗って出かけていくのは阿倍野のターミナルでした。いまの阿倍野付近は大変きれいになっていますが、昭和三十年代の初めは、引揚者などが天王寺公園で野宿をしていました。バラックもあり、靴磨きの子供もたくさんいました。
 そういう街に出て、阿倍野の百貨店の屋上で遊ばせてもらうか、天王寺公園の大温室へ行くか、隣の天王寺動物園へ行くかでした。動物園の入口から、道路一つ隔てると新世界です。ジャンジャン横丁の先は国鉄のガード下になっていて、その向こう側は西成です。
 小さい子供の目には、こういった世界が鮮明に残りました。わたくしの両親は、そのほかにも日曜日ごとに子供を六甲山とか須磨海岸に連れていってくれましたが、そうした行楽地の明るい風景との対比のなかで、子供の目にはいっそう阿倍野界隈の風景が焼きついたわけです」(高村 薫『半眼訥訥』文春文庫)

 高村 薫の出生地を記憶のなかの素材で特定することはできない。だが、散りばめられた言葉、固有名詞などはわたしの記憶のレイヤー(層)に揺さぶりをかける。
 「土手下のガード」にしても、同じものを指しているかどうかは別として、いくつかの思い出がある。先ず、通行に高さ制限のあった低いガードのことを良く思い出す。父の仕事関係の事情で、すぐ隣の区に転居してからは、小学校への通学でそこをいつも通っていたからである。また、「針中野」駅のすぐ近くにあったガードは、線路際の理髪店であったか何かの店舗と一緒になって、奇妙なトンネルを作っていたような覚えがある。親戚の家に連れて行ってもらう際にはそこを通ることとなった。その近辺は、商店街になっていたはずである。
 その商店街にあった比較的大きな市場は、今思えば「進んだ」経営をしていたと思うのだが、近隣の地域から客を集めるために無料バスを走らせていたのである。隣の区へと転居してからも、母や姉とそのバスに乗って市場前まで来た記憶がある。
 バス通りを挟んでその市場の向かい側には、「針中野温泉」という大きな銭湯もあった。通常はより近い銭湯に行っていたようだが、たまにこの「温泉」にも連れられて行ったようだ。ここには、脱衣場に麦茶だか何だか妙な味のするお茶のタンクが据え付けてあった。風呂から上がっては湯のみ茶碗でその温かい茶を飲ませてもらった。銭湯から自宅へ戻るには、舗装なぞされていない広いバス道路を歩き、橋を渡ったが、暗くなった通りには人気(ひとけ)がなく、遠くまで真っ暗であったのを覚えている。

 ところで、自身の生誕の家があった場所に関する驚きについてである。
 間違いはないと思うのだが(いや事によったら間違いかもしれないが……)、大阪を代表する広さ(総面積65.7ha)を誇る公園『長居公園』(サッカーの試合でもしばしば使われる「長居陸上競技場」などが含まれている)に吸収されてしまったのである。しかも、公園の東南の角地がちょうどかつてのわたしの家があった場所なのである。どうも、わたしらが東京は品川に転居した後の昭和34年(1959年)から本格的な造成が始まったそうで、次第に拡大されていった末に、バス通りに面した角地にあったわたしの家にまで手が届いた模様なのである。
 地図で見るならば、そこは公園の東北部の角にある出入り口となっている。まあ、考えてみれば、見知らぬ他人の家となっているよりも、変化が少ないであろう公共施設の一角となっている方がいいと言えばいいのかもしれない。
 たぶん、もはや何の面影もなくなってしまったには違いない風景であろうが、大阪に行く機会があったなら、一度はその「公園東北部入口」に立ってみたいと思っている……
 (2004.11.24)


 パソコンの不具合に遭遇した際、修復のための鉄則は、可能なかぎり「デフォルト(初期設定)」に戻してやることだろう。新たにアプリケーション・ソフトやデバイスのドライバーなどを追加してトラブルに陥ることが多いわけだが、そんな場合、生半可な知識と手動でいじり回すよりも、とにかく追加前の「デフォルト」に戻して落ち着いてみることが重要であろう。

 先日、「アスファルト舗装」について舌足らずなことを書いた。要するに、現状を「当然視」しがちな日常のわれわれはどこか間違っているのではないか、という思いがあったわけである。
 これだけ変化が激しい環境にあって、「〜であること」が当然と思い込んでしまうのははなはだ危険だという直感が沸き起こってきたのである。
 とかく、現状は後戻りしない確固たる到達点であるかのような錯覚にとらわれてしまうわれわれである。だが、われわれが現代という時代に漠然とではあるが感じているのは、確固たるものなんてあり得ない、という醒めた感覚ではないのだろうか。経済をはじめとしてあらゆるものが、既存のものを新たなもので置き換えたり、塗り替えたりしているのが日常的現実だからだ。
 そして、目につくのは、「〜であること」に既得権的に執着する者たちが、波風を立て、物議を醸(かも)している現状であろう。「エスタブリッシュメント(既成勢力)」が見苦しい悪あがきをしている姿があちこちで見かけられるわけだ。

 いや、今書こうとしていることは、「エスタブリッシュメント」がどうだこうだという水準の話ではなかった。もっとミクロな話なのであり、今自分の置かれている環境や条件を、無造作に「デフォルト」だと思わない方がいいのではないかということなのである。今ある現状は、言ってみれば偶発的なものも折り重なった条件群の結果として、あたかも落ち着いたかのような形で浮遊しているに過ぎない。それを、「デフォルト」だと思ってしまうのはあまりにも浅薄であるような気がする。
 もし、われわれの生きざまの「デフォルト」を問題にするならば、終戦直後の焼け野原に放り出された生活くらいのイメージを初期状態と考えてもいいのではないかとさえ思っている。現に、必ずしもわが身には降りかからないとは言い切れない新潟中越地震での被災を想定するならば、「裸一貫的なイメージ」はどこかに持っておく必要もあるように思うのである。それがあればこそ、万が一不測の事態が生じた際にもまともな対応が可能となるのであろうし、何よりも、現状が一時的な性格を持つ不安定さと、また幸運でさえあることなどがリアルに受けとめられるようになるように思うのだ。

 「デフォルト」という言葉を引き合いにしているのは、人の意識というものは、何を基準にするかによって大きく異なってしまうような存在だと考えているからである。また、われわれは、長らくの経済的成長や安定という現象が続いたために、それに基づいた一連の生活を勝手に「デフォルト」だと思い込んでしまっているように感じる。
 おそらく、そうした成長や安定は、長いスパンで観測するならば、地表が水平だと見なすのは間違いであり実のところは球の表面の曲面であるように、一時期の現象でしかなかったはずのものなのであろう。つまり、何を「デフォルト」として自覚しておくのかという点は、決して小さくない問題だと思われるのだ。
 そして、「デフォルト」という時、それは何も高い低いの水準の観点だけが問題ではない。どういう状態、どういう関係なのかという観点もまた十分に問題とされるべきかと思われる。
 たとえば、生活に密着している問題として、家族関係のさまざまがあろうかと思うが、家族関係の「デフォルト」というようなものはあるのだろうか。どうも、この「デフォルト」は今、とてつもなく混乱した状態にあるかのように見えてならない。しかも、家族間にあって、その個々人が相互に異なった「デフォルト」を意識している場合には、必然的に問題なしとはしないであろう。

 ここニ、三日、家族関係に絡む惨たらしい殺人事件が複数発生した。まるで、宮部みゆきの小説『理由』を地でいくような印象を受けたものだ。また、事件の原因などを垣間見るとすれば、絶望的とさえ言えるのかもしれない家族関係のズレのようなものも仄見えてきたりする。小説『理由』がまさぐっていた家族関係に潜む残酷な「理由」とでもいうべきものが、静かに浸透しているのだろうか。
 よくはわからない領域であるが、ふと思うことがひとつある。
 先日書いた「ヤマアラシのジレンマ」ではないが、もし寄り添い合うことが傷つけあい過ぎるとするならば、距離をこそ置くべきではなかろうか。「寄り添い合うこと」を「デフォルト」と思い込むこと自体が問題であるのかもしれない。寄り添わないで孤立することの自由感とともに、底知れない不安と、寂しさを自分の骨身に染み込ませる必要があるような気がするのである。そうして人間としての「デフォルト」感覚が染み出てくるならば、現状の家族関係も異なって見えてくるのかもしれない。
 ここでも、無造作な「デフォルト」誤認が、無用な感情、ストレスを野放しにしているような気がしている…… (2004.11.25)


 ここに何を書くべきかを迷うことがしばしばである。そんな時、書くに値することがあるはずだなぞと思い上がらず、とにかく気のついたことで書き始めるようにしている。すると、なにがしか手ごたえが感じられるようになり、うまくすれば書き進められるようになる。いたっていい加減なアプローチではある。
 一番まずいのは、書くに値することがあるはずだ、とばかりに大上段に構えて「青い鳥」探しのように、空を掴むようなことを始めるとほとんどエンドレスのようなかたちでムダな時間を費やしてしまうこととなる。
 書こうとする素材に恵まれない時には、「下手な考え休むに似たり」の愚に陥らず、書くこと、書き始めること自体に飛び込むこともまた必要なようだ。
 物事は、まず動機、目的ありき、とは限らないのだろう。事の成り行きで物事が始まり、そこそこ回転していくといった事例が決して少なくないのかもしれない。むしろ、回転していく、運用されていくその過程でこそ実のある動機や、目的というものが自覚され、確立されていくという成り行きの方が現実的でさえあるように思われる。
 最初から、動機や目的がガチガチに固まっている場合こそ、途中で華々しく挫折する度合いが強かったりするのかもしれない。

 現在、「NEET【ニート】( Not in Employment, Education or Training )」という言葉がジワジワと耳にされるようになった。ものの説明によれば、「職に就いていず、学校機関に所属もしていず、そして就労に向けた具体的な動きをしていない」若者を指すとのことである。1990年代末のイギリスで生まれた言葉だそうだが、一年ほど前から日本でも使われるようになったようだ。そうした若者たちの数は、すでに52万人とも、68万人とも言われている。四百数十万人もいるとされるフリーターと併せても、あるいは比較しても無視しがたい数字だと思われる。
 ある識者は、ニートを以下の四つに類型化しているそうだ。(労働政策研究・研修機構副統括研究員の小杉礼子先生)

  Tヤンキー型
   反社会的で享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ
  Uひきこもり型
   社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ
  V立ちすくみ型
   就職を前に考え込んでしまい、行き詰ってしまうタイプ
  Wつまずき型
   いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ

 仮設的な類型を見ると、何となくイメージが掴めたかのような気になる。

 原因らしきものを探ると、大きく二つあるかのようである。
 その一は、企業が即戦力を求める一方、新卒採用の数を絞った結果、就職が難しくなったこと。
 もうひとつは、働く以前の問題として、コミュニケーションがうまく取れない若者が増えたこと。昔なら、そういう若者も歯を食いしばってでも社会に出る必要に迫られたが、今は親がかり(パラサイト!)で何とか生きていける環境があること、ということになろうか。
 もうひとつ加えるならば、これはいつの時代でも変わらないとも言えそうだが、何をやったらいいのかがわからない、ということ。環境や価値観などの激変によって、状況認識が結構むずかしくなっている現状が挙げられるのかもしれない。大人たちでさえ、次の一手が思いつかないご時世である。

 ただ思うに、やってみなければわからない、やってみなければ始まらない、という道理がありそうだと思う。おそらく、この道理がうまく機能しない構造が「でっち上がって」しまっているのが現在の不幸なのだろう。
 ひとつは、就職難であり、「やってみなければわからない」という道理に沿った現実を認めたがらない受け入れ側、また、「やってみなければ始まらない」という当たり前かつ不安な道理というものに踏み込めない若者たち。そして、昔ならあったはずのそうした若者たちの背中を押すような空気というものが今はない。あえて不安に飛び込む切迫性というものが差し当たってはないわけだ。
 こうした現状を、国の将来をまともに考える国であるならば、緊急かつ精力的な対策が打たれて然るべきであろう。社会の活力、税源などなどに密接に関係し決して見過ごせない問題であるからだ。
 しかし、まともな政治家がいない国にあっては、問題の焦点は、若者側にあると言うべきだろう。わたしなら、そんな若者たちには余計なことは言わず、一言だけ言いたい。
 何もしなければ何も始まらない。事を始めるのに重要なことは、動機や目的というよりも、身を投げ出す姿勢で、とにかくきっかけを掴むことしかない、と…… (2004.11.26)


 自分の出生地(大阪市東住吉区)の現在に関心を持ち、インターネットの地図サイトで調べてみたりした。住宅の形状まで記された縮尺のものを見ていると、当然であろうが、子ども当時にはあった空き地や、田畑というものが完璧に住宅へと置き換えられてしまっていることがわかる。記憶の中ではそれらが重要な役割を果たしてもいるため、仮に現在当地を訪れたとしても味気なく感じるに違いないと思えた。
 それから先日、出生時の家が長居公園に吸収されたようだと書いたが、住宅地図で精査したところ、どうもそれは間違いではないかと思われた。そう思わせたのは、一本隣のバス通りの角に、見覚えのある形状の住宅が見つかったからである。いわゆる「うなぎの寝床」ふうに道路に沿って細長く延びた形状の住宅なのである。

 つい先日も、母とその話をしていたばかりだった。母いわく、
「敷地を目いっぱい使って家を建ててしまうのは縁起が悪いのよね。表の庭を潰して増築したから結局良くないことが起きたし、ウチの後を買った人も良くなかったみたいよ……」
「裏庭もあったというけど、仕事場になってしまってからのことしか覚えていないなあ」「だって、おまえがうまれる前のことだからね」
 わたしは、唐突に、最近興味を持っている「囲碁」のことを思い起こしていた。囲碁では自分の陣地に「眼」という空隙の場所が二箇所なければ「生きた陣地」とは見なされず、敵に取られる「死んだ」陣地となってしまう。どんなに多くの味方の碁石を並べても、一気に取られてしまうか、ないしは後で敵の陣地としてカウントされてしまうわけである。
 あたかも、わたしの出生の家は、便所のあった裏側の小さな庭と、玄関の脇にあった表側の庭とが、ちょうど二箇所の「眼」であったとたとえることができたが、暫時それを自ら石を打ち込んで潰してしまったということになりそうだ。
 結果的には、父の兄である叔父が仕事関係でその家を抵当にしたことがあだとなり、人手に渡ってしまうという「死んだ」陣地の扱いとなったのだった。
 また、それ以前にも、当時東京から親戚関係の者が転がり込むといういきさつがあり、その夫婦に降ってわいたような不幸が発生したこともあった。ちょうど、ふたつ目の「眼」を潰して一部屋を増築し、そこに彼らが住むことになったのだったが……。

 それらはともかくとして、最新のデジタル地図にも、バス道路に面した「うなぎの寝床」は存在していたのである。そして、そこが、かつての自宅であったとした場合に、五、六歳当時の切れ切れの記憶が、まるでジグゾーパズルの断片のように、まずまず無難におさまっていくようなのである。
 向かい側に広がっていた原っぱは、もちろん住宅となってしまったが、その原っぱの隣に、古い病院であったか、何か公共的な建物であったかわからないが記憶に残っている。そう思って見ると、その個所に、一般の住宅とは考えにくい「くの字型」の建物が描かれてあるのだ。何となく記憶の内容を支えるような気がしたものだった。
 また、一年間通ったはずの小学校までの通学路も理屈に合う確認ができた。そして、さらに、その前の保育園はと注意を保育園に向けた時、ひょっとしたらすでになくなっていそうな気がしたものだったが、何と、しぶとく50年の歳月を経て存続していたのである。ちなみに、姉が通っていた別の幼稚園はすでになくなっていた。
 わたしが通っていた保育園は、とにかく「教育熱心」というか一風変わった方針を貫いていて、年がら年中いわゆる学芸会をやっていた。それも、本格的な大道具、小道具を添えて、出演する園児たちもセリフや振り付けを覚えさせられたりする忙しさが年中であったように覚えている。わたしも、白雪姫の王子様役やら、義経劇での平清盛などを仰せつかったものだ。思えば、その保育園の園長先生は男性で、子ども心にもエネルギッシュだった印象を持っており、当時区会議員だか区長だかに立候補して選挙運動をしていた記憶もある。それだからこそ、半世紀を経ても残る保育園を運営したのだろう。

 地図を見ていると、かすれかけた当時の記憶の断片たちが、何とか掬い上げてもらおうとか細い声を上げているようにも思える。
 綱を切っては遊びほうけ、挙句は決まって寺のお堂の縁の下に潜り込む近所の大きな白犬がいたが、その犬が逃げ込んだ寺もどこかに残っているに違いない…… (2004.11.27)


 今朝は、休日としてはいつになく早い朝となった。朝一番で事務所に職人さんを迎えるためであった。事務所の間仕切りでのちょっとした大工工事を依頼していたのである。
 大した工事ではないため、知り合いの大工さんに内職仕事としてやってもらうこととしていた。そんな理由で、休日の工事となった次第なのだ。
 昔の自分であれば、大工仕事ともなれば経費の問題というよりも趣味の観点から「自給自足」の対処をしたはずである。しかし、今年は「経費処理」に余裕がありそうな気配でもあるし、応接室近辺でもあるため玄人(くろうと)仕事にすべしと考えた。
 依頼内容は事前に伝え、寸法取りも終わっていたため、職人さんは半分仕上げた素材を持ち込み、早速手早い作業が始められた。

 薄ら寒くなってきたこの時期の大工仕事といえば、わたしには子どもの頃に祖父の「大工作業」を手伝ったことを思い起こすのである。
 祖父は、大工ではなく、日曜大工の愛好家であった。
 ただ、祖父の周辺には、親戚筋や知人・友人関係での大工さんが多かったようだ。その筆頭は祖父の兄にあたる大工さんであり、当時はなかなかの腕であったとかいう。聞くところによれば、その大工さんと、何と家内の祖父が同じ品川で大工職人仲間であったそうなのである。品川では知らぬ人がいないあの品川神社を、祖父の兄にあたる大工さんが図面を引き、家内の祖父である大工さんが施工したとも聞いている。
 ところで、祖父たちが現役であった頃の品川は、言わずと知れた遊郭が華やかなりし頃であり、特に羽振りのよい職人さんたちはそんな場所で水を得た魚のごとく過ごしたらしい。その陰で泣く家族もあったとかなかったとか、そんな余談も耳にしたりしている。

 祖父の周辺の大工職人さんたちの影響を受けたのかどうか、祖父は日曜大工仕事にいつも没頭していた。当時携わっていた本職の仕事は、神田に所有していたビルの貸しビル業とでもいうのだろうか、そんなに根を詰める仕事でもなかったためか、古くなった自宅の隅から隅までを日曜大工の作業対象として思い定めていたようである。
 内装はもちろんのこと、壁に亀裂が入ったりしていた外装までことごとく手をつけていた。そのうち、部屋の間仕切りまでをいじり始め、素人考えで邪魔となった柱を外したりしたので、家族の中には大いに心配顔をするものまで出てくる始末であった。
 また、温泉が好きであったことが動機となり、風呂場を拡大改造して「岩風呂」を「でっち上げる」に至っては唖然としてしまったものだった。

 他人事のような書き方をしてしまったが、何を隠そうその「似非(えせ)大工」「大工もどき」祖父の有力な助手を務めたのがこのわたしなのであった。
 小学生であったころのわたしは、もちろん下校して帰宅すればフリーであり、あり余る時間を持て余していた。そして、もとより工作作業は得意中の得意でもあった。最初は、退屈まぎれに祖父の作業をただ眺めていたのだったと思う。そのうち、
「おい、ちょっとこの板の向こうを持っててくれるか」
なぞと祖父が声をかけてきたはずだ。
「これでいいの?」
と言って気を許すと、
「やすお、おまえ今ひまか? じゃあ、金物屋までひとっ走りしてこういう釘を買って来てくれるか」
となったりしたわけだ。で、作業が一段落したりすると、
「おい婆さん、やすおにもお茶と菓子を出してやらなきゃあ」
となり、ではいただきます、となり、
「明日は、おまえ何時頃、学校から帰ってくるんだ?」
と話が進んでしまい、
「じゃあ、ここの仕事はおまえが帰ってきてから手をつけることにしよう」
となったりしたいきさつがあったように覚えている。
 「似非(えせ)大工」の手伝いをして学んだことはいろいろあるが、そのひとつに、人は「おだて」によって上機嫌で仕事をするものだ、という道理についても大いに肝に銘じることとなったものだ。
 プロフェッショナルの仕事師は、信念と自負で事を進めるのであろうが、なんせ「似非」の場合には報酬というものがあるわけではないということもあってか、出来栄えへの賛辞、さらに言えば驚嘆というものまでが必要となった。
「どうだ? これで爺ちゃんは素人だよ。本職じゃねぇよ。いや、本職だってここまで芸の細かいことはやらねぇだよ」
「うん、すごいね。たいしたもんだ爺ちゃんは」
と相づちを打たざるを得なくなったし、そのうち相づちの打ち方に念を入れると実に祖父が機嫌よくなることも知ったのだった。
 その祖父も九十六歳で十年以上前に亡くなり、祖父が精魂込めて手入れした品川の家も、祖父が亡くなる直前に息子向けに建て替えることでなくなってしまった。

 今日の職人さんの仕事は順調に進んでいるようである…… (2004.11.28)


 睡眠の質が翌日の気分を決定づけるという自分なりの経験律があるが、昨夜は粗悪な睡眠であったためか、今日は一日中しまりのない気分で終始した。
 睡眠劣化の原因については書くのもバカバカしいため措(お)くとするが、人にとって眠りとは、 "recreate" の最たるものだと思うが、その意味は単に休養、気晴らしというよりも、「復活再生!」とでも言っていいのかもしれない。
 PCでいえば "reset" に値するのだろうが、 "reset" の場合は単に初期化されるに留まるが、睡眠= "recreate" の場合には、新たな活力とでも言うべきものがチャージ(充電)されるようにも思える。

 その秘密は、レム睡眠による脳活動の体勢立て直し(=夢)と、ノンレム睡眠による身体活動休止による疲労回復とにあるのだろう。とりわけ、夢によって、記憶その他の意識産物が、リストラクチャリング(再構築)されるらしいことは非常にありがたいことのように思われる。
 思うに、人間の覚醒時の脳活動は、意識的・無意識的という観点でいうなら、意識的分野においてかなりいい加減な辻褄あわせを強いられているかのように思う。さらに現代という時代にあっては、意識的な脳活動は、システムという考え方に収斂して、システムという旗印のもとに、無機的な帳尻合わせが当然視されるに至っているようだ。曰く「頭ではわかっているんですがね……」という事態が蔓延しているということである。

 人々は、ストレスを蓄積させ、覚醒時の頭脳活動では対処し切れない怨念ともいうべき負の情念をも溜めこんでいるのではないかと想像させられる。それと言うのも、覚醒時の頭脳活動では、もっぱら言語というどちらかといえば現社会環境からの「回し者!」が、本人自身の全体意思とはかけ離れてまるで代理行為的に考えを進めてしまうかのようであるからだ。仮に、本人の脳の奥深いところで、心の奥底で、身体の真底で「ノン!」と叫ぶ意向があったとしても、それらの言葉以前の情念は、「回し者!」たる言葉とうまく折り合いがつけられないかのようである。そして、覚醒時にあっては、結局は「回し者!」たる言葉たちの羽振りの良さによって、そうした情念は封殺され、暗い地底に追い込まれていくのかもしれない。
 もし、そのままの状態が固定化するならば、おそらくは、人間の意識とその活動は、人間の有機的全体から剥げ落ちて、結局は崩壊することになるのではないかと思える。

 が、ここで何万年もの進化を遂げてきたしたたかな人間の脳が、絶妙な裏技を披露することになる。それが、「半覚醒」状態のレム睡眠=夢だということになりそうだ。
 この「半覚醒」という状態で、一方で轍にはまって自由さを失ってしまった覚醒状態から解放されるとともに、かといって電源が落とされたOFF状態でもないため、中二階的な「独自な脳活動」を繰り広げる、この一部が垣間見えるのが夢だということになりそうである。いや、わたしはそう考えている。自民党の中二階メンバーは非活動的だが、脳の中二階的活動は、ひょっとしたら人間を耐え切れないストレスや負の情念の蓄積から脳のオーバー・ヒートを防いでいるのではないかと思ったりする。つまり、脳にとって不可欠なメンテナンス業務を、夢という活動で推し進めているかのようなのである。
 こんなことを考える理由のひとつは、どうも現状の時代環境が人々の意識と身体に及ぼしている悪影響(ストレスほか)は尋常だとは思えないからなのである。「世紀末」現象だ、「構造不況」だといろいろと言われてきた苦境の事態に、全世界をシステムが覆うこと、またそれを暴力的に利用する勢力が加わったことなどが未曾有の息苦しさを作り出しているからなのである。人々がやり切れない気分となっているのは、直接的には無数の原因に分かれそうであるが、その原因の個々が何の脈絡もない無関係で偶発的な集まりだとはどうも思えないでいる……。
 鬱陶しいことを書いてしまったが、それでも人間には、睡眠と夢という生物何万年もの進化の遺産が託され、それが何度でも人間を人間たらしめる夢を与えているとも考えられる…… (2004.11.29)

「ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉(かな)。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。
 ふと耳に、潺々(せんせん)、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々(こんこん)と、何か小さく囁(ささや)きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬(すく)って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復(かいふく)と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。」(太宰治『走れメロス』より)


「清張作品は50年代半ばの、いかに上昇するかという高度成長期に、そこから取り残された人々の怨念を描いた。いまの言い方では『勝ち組』『負け組』ですね。逆に現在は、いかに下降しないか、という焦燥感があって、その構造は同じなのでは。象徴的に言えば、六本木ヒルズに小さな規模の会社のオフィスがたくさんありますが、その『勝ち組』がすぐに『負け組』に入れ替わる時代です。日常生活もその不安感、危機感にあふれている。そう考えれば、50年代と同じような時代の変わり目、社会の変わり目がいまあるとも考えられます(日本女子大歴史学教授/成田龍一氏)」(『週刊朝日』2004.12.10 「松本清張ワールドが面白い理由」)
 これは、いままた新しく読み直されているという松本清張の作品と、現在の状況との関係に言及されたものである。
 「長い下積み生活で培った、ねたみのエネルギーとシビアな人間洞察」を根底に置く清張作品が、大量の『負け組』が抱く怨念が漂うかのような現代という時代と共鳴するのではないかということらしい。
 わたしも、清張の作品は、毎度引き込まれて大部分を読み終えている読者であるが、その清張に関しては同じ推理小説愛好家であっても、ひょっとしたら好感度は二手に分かれるのではないかという気がしている。
 つまり、ニコチン含有量 0.1mg というもっとライトな煙がいいなあ、という人と、いやいや、喉にドスンときて一瞬クラクラとするような、このリアルでシニカルな清張の煙が堪えられない、という人とに塗り分けられるのではないかと。そして、その分化の根拠には、作品に染み渡る「うらみ」「ねたみ」の情念への、共感とは言わないまでも想像力を立ち上げるに足る苦い人生経験の有無がありはしないかと思っている。つまり、清張作品という暗号群をデコード(解読)するためには、読者の胸のうちに経験に根ざす何がしかの失望感、屈辱感、うらみ、ねたみなどにも似た負の感情の痕跡が必要であるように思われるのである。「デコーダー」にこうした要素が皆無である場合には、清張の作品は、ただただ煙ったくて暗くて鬱陶しい……ということになってしまうのかもしれない。
 で、そんな清張作品に関心が寄せられているということは、やはり、現在のこの日本は尋常ではなくなり始めているということになるのであろうか。もう一歩踏み込んで言い切ってしまうならば、怨念とでもいう負の感情に感染した人たちが人知れず増えてきているのかもしれない。

 同じ週刊誌の書評ページに、上記の内容と水脈を一とするようなものがあり注意を引いた。「格差は経済だけの問題か」と題され、山田昌弘著『希望格差社会 「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』という単刀直入な表題の著作を紹介していた。
「経済格差は他のあらゆる面での格差と連動する。生活が不安定だと結婚もできないし、努力しても報われる保証がなければ学校に行って勉強する気力だって失われる。それが山田さんのいう『希望の二極化』である。<現代社会においては、希望は、誰でも簡単に持てるものではなくなっている。希望をもてる人ともてない人、その格差が歴然とひらいているのである>と」
 同書は、「パラサイト・シングル」の問題に眼を向けさせた山田氏がその延長で、フリーターなどに追い込まれた若年世代が抱える深刻な問題を照らしたものである。つまり、経済格差のあおりを最もストレートにくらっているのは若年層だというわけである。そして、その構造的な経済格差の結果は、若者たちの特権だとさえ言われてきた希望をさえも蝕み、鎖と鉛の重石で拘束してしまっている、と指摘しているとのことだ。
 この状況認識については、わたしの日頃の認識、感覚と一致しているといえる。絵空事で固めた経済回復傾向をどうのこうのというよりも、次世代経済の担い手たる若年層たちの悲惨な状況をこそみんなして凝視していかなければ、まさにこの国この社会は立ち腐れて行くことが必定だと思われてならない。
 ところで、著者山田氏もきっと同様の危惧を抱いておられるのだと思うが、若年層たちの希望に足枷が付けられた時代というものは、社会の破滅への一里塚と言っていいのだろう。若年層にしわ寄せされた経済格差、希望格差だから、中高年齢層はまぬがれるというような算数ではあり得ない。若者たちに希望が見出せない時代環境にあって、どうして老人たちだけが希望を見出せるという薄ら気持ち悪いイメージが描けるだろうか。遠い未来にまで触手を伸ばす若者たちに希望が描けない環境とは、誰にとっても希望とは無縁の環境のはずである。現に、足音をたてて迫り来る高齢化時代を前にして、熟年世代たちの暮し向きも全面的に不安にさらされているようだ。

 松本清張は決してシニカルな作家なぞではなかったと思う。リアリストであったのだ。しかも、矛盾と絵空事ばかりの社会を、虚飾を剥いで低い目線から人間社会を凝視した現実主義者であったはずだ。そして社会の虚飾を肌で読み取った同氏は、同時に庶民を英雄視するようなバランスを欠いた洞察もしなかった。むしろ、庶民にも、うらみ、ねたみといった負の感情が累々と蓄積していく事実を淡々と掴んでいたように思われる。
 確かに、勢いに乗って推進される「二極化」傾向にあって冷静に見つめるべきは、負のエネルギーの累積結果だとも考えられないことはない。
 絵空事の社会が社会の反対側に向かってて排泄することになるのだろう負のエネルギーが、活断層を生むエネルギーのように不気味に蓄積していかないと一体誰が言えるのだろう…… (2004.11.30)