ここに何を書くべきかを迷うことがしばしばである。そんな時、書くに値することがあるはずだなぞと思い上がらず、とにかく気のついたことで書き始めるようにしている。すると、なにがしか手ごたえが感じられるようになり、うまくすれば書き進められるようになる。いたっていい加減なアプローチではある。
一番まずいのは、書くに値することがあるはずだ、とばかりに大上段に構えて「青い鳥」探しのように、空を掴むようなことを始めるとほとんどエンドレスのようなかたちでムダな時間を費やしてしまうこととなる。
書こうとする素材に恵まれない時には、「下手な考え休むに似たり」の愚に陥らず、書くこと、書き始めること自体に飛び込むこともまた必要なようだ。
物事は、まず動機、目的ありき、とは限らないのだろう。事の成り行きで物事が始まり、そこそこ回転していくといった事例が決して少なくないのかもしれない。むしろ、回転していく、運用されていくその過程でこそ実のある動機や、目的というものが自覚され、確立されていくという成り行きの方が現実的でさえあるように思われる。
最初から、動機や目的がガチガチに固まっている場合こそ、途中で華々しく挫折する度合いが強かったりするのかもしれない。
現在、「NEET【ニート】( Not in Employment, Education or Training )」という言葉がジワジワと耳にされるようになった。ものの説明によれば、「職に就いていず、学校機関に所属もしていず、そして就労に向けた具体的な動きをしていない」若者を指すとのことである。1990年代末のイギリスで生まれた言葉だそうだが、一年ほど前から日本でも使われるようになったようだ。そうした若者たちの数は、すでに52万人とも、68万人とも言われている。四百数十万人もいるとされるフリーターと併せても、あるいは比較しても無視しがたい数字だと思われる。
ある識者は、ニートを以下の四つに類型化しているそうだ。(労働政策研究・研修機構副統括研究員の小杉礼子先生)
Tヤンキー型
反社会的で享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ
Uひきこもり型
社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ
V立ちすくみ型
就職を前に考え込んでしまい、行き詰ってしまうタイプ
Wつまずき型
いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ
仮設的な類型を見ると、何となくイメージが掴めたかのような気になる。
原因らしきものを探ると、大きく二つあるかのようである。
その一は、企業が即戦力を求める一方、新卒採用の数を絞った結果、就職が難しくなったこと。
もうひとつは、働く以前の問題として、コミュニケーションがうまく取れない若者が増えたこと。昔なら、そういう若者も歯を食いしばってでも社会に出る必要に迫られたが、今は親がかり(パラサイト!)で何とか生きていける環境があること、ということになろうか。
もうひとつ加えるならば、これはいつの時代でも変わらないとも言えそうだが、何をやったらいいのかがわからない、ということ。環境や価値観などの激変によって、状況認識が結構むずかしくなっている現状が挙げられるのかもしれない。大人たちでさえ、次の一手が思いつかないご時世である。
ただ思うに、やってみなければわからない、やってみなければ始まらない、という道理がありそうだと思う。おそらく、この道理がうまく機能しない構造が「でっち上がって」しまっているのが現在の不幸なのだろう。
ひとつは、就職難であり、「やってみなければわからない」という道理に沿った現実を認めたがらない受け入れ側、また、「やってみなければ始まらない」という当たり前かつ不安な道理というものに踏み込めない若者たち。そして、昔ならあったはずのそうした若者たちの背中を押すような空気というものが今はない。あえて不安に飛び込む切迫性というものが差し当たってはないわけだ。
こうした現状を、国の将来をまともに考える国であるならば、緊急かつ精力的な対策が打たれて然るべきであろう。社会の活力、税源などなどに密接に関係し決して見過ごせない問題であるからだ。
しかし、まともな政治家がいない国にあっては、問題の焦点は、若者側にあると言うべきだろう。わたしなら、そんな若者たちには余計なことは言わず、一言だけ言いたい。
何もしなければ何も始まらない。事を始めるのに重要なことは、動機や目的というよりも、身を投げ出す姿勢で、とにかくきっかけを掴むことしかない、と…… (2004.11.26)