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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2004年10月の日誌 ‥‥‥‥

2004/10/01/ (金)  現代の自転車操業的な「無限(無間)」競争地獄?!
2004/10/02/ (土)  「吾、唯足るを知る」ところのイチローに羨望の念!
2004/10/03/ (日)  風邪をひいてみて、医療問題の一角がほの見えてくる……
2004/10/04/ (月)  秋到来のメッセージ「金木犀(きんもくせい)」の香り
2004/10/05/ (火)  動物の身体に託された何千万年のヒストリー!
2004/10/06/ (水)  霊長類の進化のプロセスは、とにかく頷けることばかり!
2004/10/07/ (木)  「二極分化」経済の中で新たに生じている貧困にしっかりと目を!
2004/10/08/ (金)  クマ出没もまた、人間社会の異常を照らすもの!
2004/10/09/ (土)  「最強台風22号 首都を直撃」したけど、K1の曙に似たり?
2004/10/10/ (日)  久しぶりの床屋での居眠りとコーヒー……
2004/10/11/ (月)  連休最後の日、ささやかな遠回りのウォーキング
2004/10/12/ (火)  自然災害の背景にやっぱり「顔のない」人為が潜むのでは?
2004/10/13/ (水)  「脱工業化社会」の推進を「工業化社会」的姿勢のままで推進している?
2004/10/14/ (木)  つくづく、自分なりに生きることの重要さを思う!
2004/10/15/ (金)  「あっ、『百貨店』の匂いだ! 『百貨店』だ! 『百貨店』だ!」
2004/10/16/ (土)  脳の働きの根強いマンネリ傾向と、めったに生まれない創造的契機?!
2004/10/17/ (日)  久々の「親戚関係ご一行様」での旅行!
2004/10/18/ (月)  「上手なお酒を 飲みながら」に感じ入る年頃?
2004/10/19/ (火)  「スケール・メリット」と「タイム・リミット」(賞味期限)の極限化!
2004/10/20/ (水)  ニューメディアの「ラッシュ」と、コンテンツの「流用」!
2004/10/21/ (木)  今日のソフトウェアについてシニカルに考えてみる……
2004/10/22/ (金)  垂直、スリット状の<狭隘な視界>!
2004/10/23/ (土)  何か、事実と人々の意識のあり様との間にズレがあるような……
2004/10/24/ (日)  結局、「備えあれば憂えなし」に落ち着くのか……
2004/10/25/ (月)  お年寄りたちの災害死亡の痛ましさ!
2004/10/26/ (火)  昼休みの気散じショッピング
2004/10/27/ (水)  夢のある国家なんぞと贅沢は言わない。少なくとも……
2004/10/28/ (木)  「ノーブレスオブリージュ」と「お陰様で……」という表現!
2004/10/29/ (金)  自分と同様に、愛車にもいろいろと支障が……
2004/10/30/ (土)  「テロに屈しない」という空疎な言葉に屈しない!
2004/10/31/ (日)  「アナログ・データ」と「デジタル・データ」との相互変換!






 わたしは現在、PCはOSを " Windows 2000 " にして使っている。 " Windows 98(SE) " でかなり長期に渡って間に合わせ、OSとしての安定度がより高いかと思い直してやっと " Windows 2000 " としたのであった。
 もとより、何でもかんでも「ニュー・バージョン」がいいはずだという思い込みは警戒してきたのである。よほど新たな追加機能が魅力的でない限り、ベンダーのお勧めだけを真に受けて追随してゆくのが何かと気に入らなかったとも言える。
 ベンダーにしてみれば、既存製品の販売を裾野を広げて進めるだけでは経営が拡大してゆけないので、既存顧客に「アップ・バージョン」版製品を買い換えさせることも営業戦略としなければならないのであろう。

 しかし、PC(OSを含む)のようなユーザーが活用のために一定の習熟を必要とする製品の場合、バージョン・アップというものは痛し痒しとして受けとめられることがある。さほど使いこなすことがなく、新製品「追っかけ」的なマニアは飛びついたとしても、使いこなすことにじっくりと構えたユーザーの場合、既存のOSでも多々疑問が残っているのに、さらに新しいOSをというのは勘弁してよ、と言いたくなるのではなかろうか。実務上で特殊なアプリケーション・ソフトを使っている場合なぞも、OSの変更によって思わぬ不具合が発生するかもしれない可能性をやすやすとリスク・テイキングしたくはないであろう。
 しかし、「より豊富な機能追加」「従来製品の不具合解消」などの謳い文句とともに、バージョン・アップは頻繁になされる。そして、「ニュー・バージョン」を使うことが当然であるかのようなキャンペーンも張られる。
 ユーザーにしても、古いバージョンを気に入って使う自由はあるのだけれど、「サポート体制」の点もあるため、ほどほどのところで「ニュー・バージョン」に合流したりするのだろう。

 こうした傾向は、どうも相変らずの「ベンダー(生産者)主導型」だと思えてならない。「より良いものを提供」という大義名分はわかる。その「より良きもの、機能」によって、ユーザー企業活動の競争優位が得られる場合もあるにはあるのだろう。それにしても、ベンダー(生産者)側の経営戦略重視の姿勢が見え見えだと言えるのではなかろうか。
 つまり、社会的ニーズなどの必然的結果によって製品のバージョン・アップが行われているというのではなく、企業の経営的動機が先導した動きなのだと了解すべきだと思うわけである。
 ユーザーとしては、この辺の「ウラ事情」をしっかりと見込んだ上で世にある製品を活用すべきなのだろうと思う。とりわけ、自分にとってどう意味があるのかにもっとこだわっていいのではないかという気がしている。
 政治もそうだと考えているが、一般の製品市場とて結局は一般ユーザーが自分なりの意思表示を明確にしてゆくことで、自分たちのより快適な消費生活環境が踏み固められていくはずであろう。ベンダー(生産者)の言いなりになって、追加のコスト負担で不慣れな使用環境をまで手に入れてしまうなぞは愚の骨頂以外ではない。

 PC(OS)という製品が最もわかりやすい対象だと思い例示してきたのだが、こうした矢継ぎ早に行われる製品の更新、モデルチェンジは決してPCやその周辺に限られるわけではない。あらゆる製品がその法則にしたがっているはずである。そして、こうした傾向は、新しいモノは良いもので、魅力的であるという妙な通念によって寛大に受け容れられていると思われる。
 ところで、今日こうした「時代逆行的」とさえ言えるようなことを書いている動機というのは、こうした傾向をもって時代の発展、文明の発展だとすました顔で言い切っていていいのだろうかと思ったからなのである。
 PCの例をおさらい的に振り返れば、ひとつの製品がユーザーによってじっくりと吟味される安定環境がなければいけないと思うのである。そうであってこそ、画期的な次世代製品への飛躍も用意されるはずだろう。
 それが、既存製品をベースにしたマイナー・チェンジ的騒ぎを繰り返し、ユーザーの安定した吟味の目と評価意識を撹乱しているとしか思えないのが現状だ。こうした視点で、いまさらのようにこの時代を見渡せば、どうも、もったいぶってはいるがその実どうでもよい類の事柄によって、人々の聡明さを無用に撹乱する傾向が多すぎるように思える。
 「競争、競争」といって人々をとにかく走らせ、疲れさせる風潮がその代表的イメージであるが、「馬の鼻先にんじんレース」は果たして現代の現時点でも本当に有効なレースなのであろうか。落ち着いて考える暇を確実に撹乱し、奪っているだけに違いないこの方式のレースを、もっと訝しく感じなくてもいいのだろうか。
 誰が誰を支配しているのかという問題はおくとして、支配者というものは、支配される者たちが支配者に目を向ける暇もないほどに、被支配者同士での闘争や競争で忙殺されることを望むということを耳にしたことがある。ついでに、支配者の位置に「目的」という言葉を置き直してみても意味は通じる。
 「何のため?」という根源的疑問を考える暇もなく、「とにかく急ごう」という掛け声だけであくせくさせられているわれわれは一体どうなるのだろうか…… (2004.10.01)


 イチローが、年間安打数259本で大リーグ記録を更新したニュースは、日本人の誰もが歓迎したことだろう。現地の米国でも、日本人選手という見方を超えて米国人たちにも賞賛されていることは伝わってくる。野球そのものに一途に打ち込んでいるイチローの姿勢が、誰の目にも爽快な姿勢として映るのだろう。

 昨夜も就寝時に読んでいた中野孝次著『足るを知る』の中に、たまたまイチローについて著者が賞賛している個所があった。

「野球のイチロー選手がメジャーリーグで大活躍をして、久しぶりにわれわれに本当の野球のおもしろさを見せてくれた。彼の、打、走、守、投、どれをとっても超一流で、わたしはその技に酔ったが、これとて彼が十代の幼い頃からこの道が好きで深入りしたればこそのものだろう。天賦の才能がある上に、訓練に訓練を積んで磨いたから二十代にして超一流に達したのである。彼の言葉や感想には、真にその道に生きる者の悟りが感じられる。数字にあらわれる成績は気にせず、プロセスが大事だとか、過去は過去、今に全力をつくすことしか自分の自由になるものはないとか、わたしは彼の言葉を聞いて、禅僧の言葉でも聞くように思った」

 「足るを知る」というテーマに沿って叙述を進めている著者が、イチローを称える意図は、次のくだりでだんだんと見えてくる。

「しかし、彼とてそこへ行くまでには、ずいぶんとたくさんの誘惑や、興味や、欲望を棄てなければならなかったはずである。若いうちはしたいことがいくらもあり、あれもしたい、これもしたい、と気が動く。が、それを抑え、棄て、断念して、ベースボールというその一筋にはげんだから、今日のイチローが出来たのだ。彼があれにもこれにも手を出していたら今日の彼は出来なかったろう」

 イチローが野球一筋の生き方において「足るを知る」状態に達しているだろうことは容易に想像できる。子どもたちが憧れるのはともかくとして、一般の大人たちも、そのように野球に「自足」するイチローを羨望の目で見ているのではなかろうか。あそこまで、野球が好きになり、そうであるがゆえに技も磨けたイチローのように生きたいものだと……。
 しかし、その羨望には大事なことが黙殺されている。好きなことのためならばどんな苦労も、苦痛も厭わない、とは言葉では聞くところではあるが、この世に、そんなに強烈に好きなことなぞというものは存在しがたいはずである。少なくとも、そんなものが既製品やつるしのようには存在しない。好きなことも、何度かの苦労や苦痛が伴うにつれて、興ざめとなっていくのが常だと思われる。
 つまり、「本当に」好きなことというのは、初っ端(しょっぱな)の好きであるらしいという予感を骨組みとして、当人がその骨組みに血肉を盛っていくものではないか、と思われる。そして、その盛り方は、当該の対象が好きである理由を深めるということもさることながら、その対象のために「他を犠牲にする」という壮絶な行為が否定できないのだと思われる。
 ある思想家(ドイツのジンメル)が、価値感の大小とは犠牲にされたものの質量に比例する、というようなことを書いていたことを思い起こすが、好きなもの、好きなことというのも、そのことのために他を断念し、他を犠牲にすることが多くなればなるほど、おのずから吸引力を増すように思われる。
 そして、自分を含めた多くの者は、他を断念したり、犠牲にしたりすることをためらい、また拒絶しがちなのだろうと思う。その結果、好きのようだ、とは言えても、何が何でも好きだとは言い切れないエリアに踏み止まってしまうのであろうか。

 中野氏は、イチローを優れた野球選手だと評価するとともに、「足るを知る」ところの「禅僧」だと見ているわけであるが、その理由は、イチローは幼い頃から野球が好きであったのだという通り一遍の解釈をせずに、イチローは、野球が好きであり続けるための絶えざる「(野球の)選択」と「(他のもろもろの誘惑の)断念」とを積み重ねて来たに違いないと洞察しているからであるように思う。
 ということは、中野氏が考えている「足るを知る」ということも、「足る」=「満足している」という通り一遍の意味ではなさそうなのである。まして、「〜を知る」といういわば再自覚的な部分もつけられていることでもある。

 「吾、唯足るを知る」とは、まさに禅問答水準の難問であることは間違いない…… (2004.10.02)


 昨日は朝一番で、近所のクリニックに出向くことになった。そこは、風邪という自覚が明確な時にだけ風邪薬のお世話になろうと決めている医者なのである。身勝手なようにも聞こえようが、当人にも説明不能であるような病状の際にお任せするのはなぜか心配なのである。まあ、そんな場合はほとんどないのが幸いで、先ず風邪と間違いないと自覚した場合に、さほど効かない市販の風邪薬を飲むよりはいいはずだと思ってのことなのである。
 それというのも、現在の医者はみなそうなのではあろうが、そこの先生もご多分に漏れず、「では、お薬三日分を出しましょう」としか言わないからである。おまけに、いつも「どうしました? ああ、風邪ですか」と言い、患者の自己申告の言葉をもって半ば診断は終わったかに見えるのである。
 患者による自覚症状の申告を尊重してもらえるのはありがたいが、「風邪のようなんです」という素人の予備診断をそう簡単に鵜呑みされても、逆に若干の不安が残らないわけでもない。
「いや、風邪は万病の元と言うでな。馬鹿にしてはいけませんぞ。ちと、周辺も診ておきましょうぞ」とか、(時代劇風ではあるが)もったいをつけて、患者の素人判断を戒める風情も時には欲しいものではなかろうか。それが、わたしの方から、
「今回の風邪の症状は、いきなり喉の奥、気管支に来まして……」
と「冒頭陳述」を行うと、型通りの喉の点検や聴診器による診察はしてくれるものの、薬の処方となると「冒頭陳述」がほぼ全面的に支持されるのである。ありがたい面もあるのだが、これではもし「被告側」が具合が悪すぎて言葉を発することもできずに「冒頭陳述」が行えない場合には一体どうなるのだろうかと危惧してしまうのである。

 ところで、街医者に出向くと、大抵は思考力が損なわれるほどのことはないためもあってか、いつも街医者側のビジネス面に思いを寄せてしまう。要するに、「いい商売なんだなあ」と羨んでしまうのである。
 今回も、待たずに済ませようと早く出向いたつもりが、すでに待合室は満員の状態となっていた。そこで、受け付けの署名をしてクルマの中で待つことにした。が、朝食を抜いてきたため急に空腹感に襲われた。ふと、すぐ隣に「マクドナルド・ハンバーガー」のショップがあることに気づき、よし、ちょいとこの間に空腹を充たそうと思い立った。
 ショップに入ると、いろいろと顧客の好みに苦慮したような商品案内板が一面に掲げてある。ハンバーガー・ショップにはめったに入らないので、あまり要領を得ない。面倒くさいので、「フィッシュ……セット」を注文した。よく覚えてはいないが、534円とかであったか。昨今は税込み価格の表示とかで、端数の一円単位が表示されている。
 手際よく食べながら、これで客寄せや経営利益の確保など結構大変なのだろうなあ、一商品につき何円かの利益を上げるのに、何回もミーティングが開かれ、口角泡を飛ばすことになっているのだろうな、なんぞと余計なことを考えていた。

 そして、おもむろにクリニックの待合室に戻ったが、まだ具合の悪い人たちの数はさほど減っていない。が、順番から外されてもいけないと思い、空いた椅子に座って待つことにした。街医者の狭い待合室で「無防備」に待つことくらい危険なことはないと常々感じているだけに、できるだけ「深い呼吸」をしないように心掛けた。「身元不明」の感染菌などを吸い込んでしまっては何をしに来たのかわからないからだ。
 時々、受け付けの方から、治療費・薬代精算のやりとりの声が聞こえてくる。
「はい、今日はお薬三日分を入れて、えーっと、1780円ですね」
「家内のを入れて二人分ですか?」
「ご一緒でよろしいんですか? そうすると、3250円となります」
「……」
 とまあ、隣のハンバーガー・ショップとは桁の違う額が言い交わされていた。ハンバーガー・ショップの方では、4円だ、7円だと下一桁がさも大事そうにやりとりされていたはずである。なのに、ここでは一切下一桁が触れられていない。それらはサービスで切り捨てられているのであろうか? そんなはずはなかろう。むしろ、ありがたい治療なのだからと、切り上げられていると考えた方が妥当のような気がしないわけではない。思わず、いい商売だよなあ、と心の中に独り言がもれた。

 耳にする金額は、保険から支払われる額を差し引いた額であることを考慮するならば、そこそこ「客扱い」がうまい街医者はやはり「いい商売」だということになるんだろうな、という思いが禁じえなかった。そんな時、事務所の近くにあった女医さんの「皮膚科」が、ビルを新しくしたことも思い浮かんできた。一度世話になったことがあったが、待ち時間が長いのに対して、診察が30秒ほどで終わり、あっけにとられたことがあった。あの流れ作業ならば、富の蓄積は思い切りはかが行くだろうと感心したものであった。
 また、最近のペット・ブームで大儲けをしている獣医のことも思い出した。近所の人の話だと、ちょっとした治療と入院で何十万円も請求されたという。実は、その獣医とは、商工会の懇親会でテーブルを一緒にしたことがあったが、その際の会話には驚いたものだった。
「ペット・ブームだから、おたくは行けてるんでしょ?」
と、うだつが上がらず不満めいている外食産業のだんなが聞くと、ニヤニヤと笑いながら、
「まあ、健康保険も利かないこともあり、治療費の水準はあってないようなものですからね……」
とほざいていたのである。
 ちなみに、わが家の動物たちは、同様に「治療費の水準はあってないようなもの」だからと言いつつ、往診までして破格に安い額を提示する獣医さんに診てもらっている。結局はどっちの獣医が動物愛好家たちから支持されていくことになるのか、見ものといえば見ものであろう。

 これからの社会状況を踏まえてみるならば、医療費が払えないがゆえに、病気が治せない人々、子どもたちが、かわいそうなことになることも決して否定できないように思われてならない。
 「文明」の盲点は、人類全体の営為による価値あるサイエンスやテクノロジーからの恩恵を、支払い能力という過酷な仕切りによって出し渋ることなのであろう。それを一人一人の医者の善意にぶつけたところで何も始まらないはずだ。国や政府の「文化」水準こそが厳しく問われている問題のひとつだと思われる…… (2004.10.03)


 先んじて対応し、症状を封じ込めるつもりであったが、そうもいかない気配となった。昨日は外出を控え、医者からの薬を飲み、養生をして過ごしもした。だから、今朝はケロッとしているはずだと予想していたのに、気管支の方はおさまったようだが、その分、喉や鼻に痛みがシフトしてきた模様なり。おまけに、昨日まではなかった頭痛が加わって、文字通りの風邪症状に突っ込んでしまったようだ。こりゃ、自宅療養しかないかと判断し、朝一番事務所に休む旨の連絡を入れることにした。
 暑い暑いとうんざりしていた今年の異常な夏が、彼岸を越え秋雨前線が云々という冷えた天候に変わった途端に、いち早く風邪をひくというのは、ちょっと出来すぎた話である。多分、あの暑さやそれに加えての不自然なクーラーの冷気などで体調が狂わされていたに違いない。

 風邪のため臭覚の感度が落ちているにもかかわらず、書斎でこうしていると金木犀の香りがほのかに忍び込んでくる。部屋のタバコの煙を排出するためにファンを回していると、反対側のまどの隙間から外の空気が流入してくるからである。
 やはり、毎年この香りを嗅ぐと秋になったという実感が深まる。この清涼な香りが、幾分ひんやりとする秋の空気と実に良く合う。

 以前に、『声を出して味わう 日本の名短歌100選』の中から気に入った句を書き出したことがあった。その中に、次の句を入れたはずだ。

 街をゆき子供の傍を通る時
       蜜柑の香せり冬がまた来る        木下利玄(きのしたりげん)

 ここでは、蜜柑の香りが冬の到来と重ねられているが、わたしの感覚では、蜜柑の香りは、金木犀と同様に秋のイメージに属する。同句の方は、熟して黄色くなった蜜柑なのかもしれないが、わたしの秋の記憶に属する蜜柑は、まだ多分に緑がかった酸っぱさを漂わせる蜜柑である。
 その蜜柑は、必ず秋晴れの大空のもと、清涼な風がそよぐ戸外にあった。まだ幾分堅い皮に親指の先をあてがうと、酸っぱい香りが漂い黄色い雫が霧状に吹き出すのだった。
 その光景が記憶に刻み込まれたのは、小学校の頃の運動会の昼休みの時間であったり、遠足での昼食時であった秋の特別な日の、特別な出来事とともにであったはずだ。
 だから、もし自分が、上の句のような場面に接した時には、炬燵の上に積み上げられた黄色い蜜柑の光景を思い浮かべるよりは、秋空の下、いくらか肌寒く感じられる秋風がそよぐ小学校での運動場、その一角で家族と一緒であった昼食のことや、遠足のバスの車内に他の菓子類の匂いとともに充満していたはずの酸っぱい蜜柑の香りのことを思い起こすことになるのだと思われる。

 それにしても、季節感というものが乏しくなった昨今だと思う。メリハリがなくなった環境だとも言える。そうしたメリハリというものは果たして不要なのだろうか。
 好きな時に好きなものが食べられ、好きな時に好きなことができるのはありがたいと言えばそうであろう。これが、いろいろな制約や縛りが取っ払われた自由な現代のメリットであろう。
 だが、盆や正月に見られるように、伝統的な年中行事も、昔日のごとくの特別さというものが失せてしまっている嫌いがあるのも事実であろう。いや、その特別さというものをどう受けとめるか自体が変わったと言うべきなのかもしれないが。みんなで一様に縛られる特別さなぞは御免こうむるという個人主義こそがこの時代の一般なのかもしれない。
 ただ、人為的な年中行事はともかくとしても、それらを脇役として支えてきた季節の特徴や植物などの自然物が、その季節との関係の意味を薄めていくような風潮はやはりさみしい気がする。
 おそらく、そうした意味が少なからずわれわれにメリハリめいたものを与えてくれていたのだと感じている。いや人間の自然的側面は、意識で推測する以上に、そうした周囲の自然たちとの交響的な関係を持っているのかもしれないとさえ思う。
 また、意識の世界に関しても、言葉や発想というものが伝統的なものである以上、それらには過去の人々の自然との交響的な関係が色濃く残留しているはずだ(季語!)と想像できる。そうであるにもかかわらず、現代人が季節とは無関係であるかのような生活スタイルを推し進める時、何か予期せぬ齟齬が積み重ねられていくような気がしないでもない…… (2004.10.04)


 まだ気分が優れないため、今日も自宅で過ごすこととした。
 医者から貰った抗生物質の風邪薬を飲んでいたが、気管支の不具合は回復したようなので、半分ほどは残すことにした。
 よくよく考えてみると、体内の風邪の菌を一掃する抗生物質は、おそらく風邪の菌のみならず他の「善玉」菌(ビフィズス菌?)までを、「産湯を捨てて赤子を流す」の譬えのように駆逐してしまうのではないかと思い至ったからだ。
 確かに、抗生物質は、素手同士の喧嘩に刃物や飛び道具を持ち込むように、効き目は目を見張るものがあると言えよう。しかし、有機的なバランスで成り立っているヒトの身体を撹乱しがちなのだろうと推測する。またまた変なアナロジーを言えば、大学などのような「自治空間」に、「官憲」や「機動隊」が雪崩れ込むような物々しさがあり、必ず予期しない副作用が生じるものだと推測せざるを得ない。だから、本来であれば、「機動隊」=抗生物質なんぞを導入せずに、時間がかかろうと「話し合い」=「生薬」で事を治めるに越したことはないと言うべきなのであろう。

 ヒトの身体といえば、昨日のニュースでちょっと関心を向けたサイエンス・ニュースがあった。
 「ノーベル医学生理学賞、米の2氏に 嗅覚に関する研究」というものである。
 「スウェーデンのカロリンスカ医科大学は4日、今年のノーベル医学生理学賞を、米コロンビア大のリチャード・アクセル教授(58)と、米フレッド・ハッチンソンがん研究センターのリンダ・バック博士(57)に贈ると発表した。においのセンサーである受容体の遺伝子を突き止め、動物の嗅覚(きゅうかく)システムを解明したことが評価された」とある。(asahi.com 2004.10.04)

 かねがね、動物の嗅覚というものには関心があったわたしである。身近な動物である犬や猫を見ていても、彼らがいかに嗅覚を頼りにして生きているかがよくわかる。
 もう裏庭に埋まってしまったあの飼い犬であったレオにしても、夜、わたしが帰宅した際には門扉の内側に差込み鍵をはずす私の右手に、冷たい鼻をくっつけてにおいを嗅ぎ、「ああ確かにご主人だ」と確認していたものだ。散歩をさせれば、もちろん道端や電柱に残された仲間たちの「マーキング(動物が尿などで自分のなわばりを示すこと)」の確認に無我夢中となる。また、すれ違う見知らぬ人に対しても、鼻を突き上げその人の匂いのチェックによって見知った者がどうかの正体確認をしていた。
 飼い猫にしても、彼らがいかに嗅覚を頼みの綱にしているかがよくわかる。
 わたしや家内が外で買い物をして帰り、居間にその買い物袋を持ち込み部屋の片隅に置いておこうものなら、彼ら(現在二匹いる)は、半ば警戒心と、そして興味津々の格好でそれらに近づき、匂いを嗅ぐ。鼻先を突き出して、ひくひくと匂いを嗅いでいるその姿は、見方によっては、まるで何かをチェックする道具のような感じでもある。自分が識別できる匂いリストの中にある匂いであるのか、あるいは未知なるものであるのか、そんなことを検査しているのであろう。で、やがて、納得したのかどうか、『ウン、ようはわからんけどまあ心配するものではなさそうか……』というような素振りでその場を離れたりする。
 また、匂いに関する猫たちの奇妙な行動としては、ちょいと臭気のあるモノを嗅ぐと、あの「猫糞(ねこばば。猫が脱糞後、脚で土砂をかけて糞を隠すこと)」の格好をすることであろう。「ツナ」を与えた時に、ちょいと食(は)んだ後、室内なので土砂などあるわけもないのに、キッチンの床を脚で掘るようなそうした格好をするのは、見ていて可笑しいというか哀しいというか不思議な心境になったりする。
 これらの嗅覚に関する動作を見て考えることは、彼らの嗅覚は、個体としての経験的な事柄に依存しているというよりも、本能というか、何か生得的(遺伝子的)な背景がありそうだということであった。「臭いモノ」は「身体に毒」という不文律を、永い進化の過程で本能に刻み込んだのだと想像させるものである。

 冒頭のノーベル賞受賞者たちは、要するに嗅覚が本能に属するものだということを立証したのだと思える。
「花や料理のにおいは、においの分子が鼻の細胞の表面にある受容体に結びつき、神経を通して信号が脳に伝えられる。両氏は様々なにおいの分子に応じた受容体をつくるために、多数の受容体遺伝子が存在していることを突き止め」とある。確かニュースでは、人間の場合この「受容体」の数が一万位だと報じていたようであった。そして、これが犬の場合には、忘れてしまったが何千倍だか何万倍だかであったか。

 わたしが、こうしたことに関心を寄せるのは、人間や動物の身体というものが、何千万年もの気の遠くなるようなヒストリーによって形成されてきた存在であり、あだやおろそかに見過ごしてはならないと感じるからなのである。
 ここ二、三十年の浅い歴史でしかないエレクトロニクスのサイエンスやテクノロジーが、過大に注目を浴びて、また社会的にも大きな影響を及ぼしているような現代である。そして、それらが駆使されることによってこそ生物の仕組みの尋常ではない深遠さが究明されたりもする。
 しかし、しっかりと思い知るべきは、サイエンスやテクノロジーが発展すればするほどに解明される生物の奇跡的だとしか言うほかない素晴らしい出来栄えなのではなかろうか。それは、弟子が師の技に対して高を括っていたものの、自身が技を高めるにつれて知ることが、その足元にも及ばない師の偉大さだというありがちな話と似ているような気がするのだ…… (2004.10.05)


 久しぶりの秋晴れだ。この後にはまた秋雨が続くとの予報であるが、とにかく今日は気持ちよく晴れている。
 まだ、鼻や喉がおかしく、風邪声も続いているが、そういつまでも「自宅謹慎」とはいかないので、出社に及んだ。土日を入れれば四連休したことになる。何となく、事務所が正月明けのように新鮮に感ぜられるのがおもしろい。

 久々に事務所の窓から秋空を見上げているが、前線をかぶっているせいなのか、比較的低い位置での雲が、まるで大地の地殻変動によって世界地図が変わるようなイメージの動き方をしていて一瞬目を奪われた。
 それで思い起こしたのは、上空の雲のような輪郭がはっきりとしない対象についてもそれらの遠近が了解できる人間の視力の凄さである。何をいまさら、と言われかねないが、これは結構凄いことのはずである。というのも、オート・フォーカスのカメラでも、上空の雲の形などの場合には、測定不能という拒絶反応を示すことがありがちだからである。それが人間の視力にあっては、さほどの苦労もなく複雑な雲の重層構造が了解できてしまうのだから、大したものだと言うほかない。

 今、NHKの科学番組で『地球大進化 46億年・人類の旅』という実に面白い番組が放送されている。番組の進行役(ナビケーター)が、あの不可思議なキャラクターを持つ山崎努であることによっても、妙にそこはかとなく知的好奇心が刺激されたりするのである。彼のしかめっ面は、下手をすれば単に下品な苦痛顔でしかないが、その一歩手前のぎりぎりのところで、考える人間の、品のある苦悩の顔に踏みとどまるという妙技を発揮している。実に「アブナイ」表情である。それが、この番組で縷々紹介される「アブナイ」紆余曲折を繰り返してきた人類の歴史と妙にマッチングしているかのようである。
 それはともかくとして、今、視力の問題で思い起こしたことをちょっと振り返ってみる。
 先日の9月25日分の番組では、気温上昇の温暖化の時期の広葉樹林の発生が、ひ弱な霊長類が安全な樹上で生活することを助けたという点も興味を抱かされたが、何といっても人間の視力に関するいきさつが、まさに目からうろこを落とされる驚きであった。
 着目すべき点は、「立体視」、「高い視力」、そしてこれらによってもたらされた「社会の形成」ということになろうか。
 まず、「立体視」という点であるが、これは要するに目が顔の左右両側についていて、別々の視界を持つ構造から、視界は狭まるにしても顔の前面に並んで配置し、両目の視界に重なる部分が生まれる構造となったということである。このことによって、両目の重なる視界によって見る対象までの遠近の感覚と距離が認識できるようになったというのである。「立体視」とはそういうことを言うらしい。これは、食肉獣の巨大鳥という敵がうろつく地上に降りることなく、広葉樹の実を食べ、枝から枝へと移動する行動能力を高めさせることになったというのだ。

 また、「高い視力」を獲得したという点にもいきさつがあるようだ。
 それは「フォベアによる高い視力」の獲得だという。フォベアというのは、網膜のなかで視細胞が集中しているところだそうで、フォベアがあると、視界の中心付近は格段によく見えるようになるらしい。研究者によると、やがて訪れた寒冷化でのエサ不足の中、このフォビアを獲得した霊長類は高い視力によってエサを効率的に見つけることができ、厳しい生存競争を生き抜いたのではないかと考えているという。
 「高い視力」を叶えたのは、フォベアの獲得のみならず、眼球が頭蓋骨において安定する構造となり、いうならばデジカメの「手ぶれ」のような状態がなくなったことも原因だという。
 従来の動物は、頭蓋骨を見ればわかるのだそうだが、眼球が収まる前面の穴は当然あるとして、背後には何もなく、脳が納まった空間とワンボックスであったという。だから、眼球が「手ぶれ」のように揺れて視覚が不安定になるそうなのである。
 これに対して、霊長類は、眼球の背後に骨の壁が生じて、眼球が安定することになった。そしてこの安定によって、「手ぶれ」がなくなったのだから網膜上の画像をより安定した状態で認識することになったというのである。これもまた、「高い視力」を獲得することの大きな要因であったらしい。

 もうひとつ面白いのが、霊長類が「高い視力」を獲得したことと、霊長類が「顔の表情」を進化させたこととが密接に関係しているということになろうか。
 確かに、犬や猫を見ていて不満なのは、彼らには「顔の表情」というものがない点である。牙をむく顔つきにはなったとしてもそれだけである。それ以外に、うれしそうに笑ったり、悲しそうにしたりということはない。表情筋というものがほとんどないかのようである。
 いや、その前に、「顔の表情」というものが無意味だということになりそうなのである。つまり、「顔の表情」は、それが同類同士で認識されなければならないわけだが、そのためにはそれを認識する「高い視力」が必要となるというのだ。理に叶った話である。
 逆に言えば、「高い視力」を持つ霊長類だけが、「顔の表情」をそれとして認識し、意味をもたせることが可能だというのである。ここに、霊長類における表情筋の進化があったということになる。
 その上、「顔の表情」とそれを読み解く「高い視力」という関係は、個体間の表情を介したコミュニケーションや連携を強めることにつながったともいう。今日でも、猿山の猿たちが、ボディ・アクションとともに、豊かな「顔の表情」でコミュニケーションを行っていることはすぐに思い起こせる。そして、単なる群れの域を脱して然るべき秩序を盛り込んだ「社会」を作っていることも推測できるというものである。
 こうして、「視力」という身体的なものが、類の進化の上では思いのほかの機能を果たしていたというのだから、おもしろいというほかない。

 さらに、この興味津々のとどめは、「瞳(ひとみ)」という黒目の部分と、その周辺の「白目」との関係、いや「白目」の拡大といういきさつにあった。ここに至っては、まさに目が点となってしまったものである。
 その解説とは、他の動物から「白目」がありありとわかるということは、逆に言えば「瞳」がどこを見ているか、つまり視線のゆくえがわかってしまうということになるらしい。そんなことは、食うか食われるかの生存をかけた闘いの最中であれば、敵に自身の次の攻撃先なり逃走先なりを知らせることとなり、はなはだ不利なことであったはずだという。そう言えば、霊長類以外の動物たちの目はほとんどが黒目がちである。横目で何かを睨んでいる姿をあまり見かけない。
 にもかかわらず、霊長類が「白目」を拡大したのは、冷ややかに白い目で世の中を見始めた、というのはうそで、要するに外界に対して「胸襟を開く」ことになったらしいのである。敵との闘争よりも、仲間との意思疎通の重要性を選んだということらしい。つまり、視線というのは、次の攻撃の的に注がれるだけではなく、親和と愛情の的にも注がれるのであり、そのことによってより親密な個体間関係が成立することでもあるというのである。

 TVで、ニュース解説者やアナウンサーの顔を見ていると、慣れない人の場合には、その目の中の黒目が左右にリピートしているのを知ることがある。読むべき文章を記した「プロンプター」の文字を追っかけているのである。ひと昔前のTV放送ではそんな部分は気取られなかったかもしれないが、TVカメラが「高い視力」を発揮するようになった現代では、思わぬかたちで舞台裏を見せてしまうわけだ。かと言って、どこだかの国のポリスやアーミーのようにサングラスで視線のゆくえを隠すのもまたおかしいはずだ。
 いや、もはや現代は、こうした霊長類が積み重ねてきた身体の構造や、それに基づくアクションに拘泥することをはるかに超えてしまったのであろうか。確かに、個体間の関係が大きく取り上げられるのは「ブッシュ vs ケリー」のディベートくらいであり、大半は巨大な組織と組織の関係であるかのようだ。そう言えば、組織の発展・進化やその歴史が重苦しい問題なのかもしれない。特に、相変らず自己温存能力だけが長けた恐竜(官僚機構)がサバイバルしているこの国にあっては、いつになったら聡明な霊長類が闊歩する時代になるのであろうか…… (2004.10.06)


 わたしは自分の「直感」をいたって大事に考える、いわば独り善がりの人間である。そんなわたしが、風呂に入るべく脱衣している際(別にこんな時でなくてもよさそうなものだが……)にふと思いを巡らせたことがある。
 果たして、現在マスメディアによって運ばれている様々なカルチャーは、人々の実際の生活とマッチングしているのであろうか、と。
 人々の生活に寄り添っているマスメディアといえば、何よりもTV番組を挙げざるを得ない。そこでは、ますますコマーシャリズムが横柄となり(最近では、人々の将来不安をターゲットにした「保険」の類のCMが耳障りでならない)、また相も変わらず空々しい高笑い的雰囲気や、殺人だ爆発だという刺激だけが過剰となった番組が、いかがわしい店舗が場末の軒並みを埋めるように、一日の大半の時間帯を占拠している。
 人々の生活不安や苦悩を、一緒になって考えようとするような番組はほとんどないのが残念な限りだ。むしろ、「いやぁー、そんなことは忘れてとにかくバカ騒ぎしましょ」とでも叫んでいるようである。あるいは、恐怖心や怒りや妬みといった人間の低い次元の感覚に訴えながら、時間をつぶさせようとするような番組。仮に、時代環境のアクティブな問題を取り上げたとしても、庶民の生活感覚とはどこかすれ違ったそらぞらしい会話へと雪崩れこむ。苦しい時にこそ、それを癒す楽しいものを、ということはわからないではないが、それにしても楽しいものを取り違えているのではなかろうか。

 どうしてそういうことになるのだろうか? マスメディアの制作者、出演者、その他関係者たちというのは、庶民の現実の生活感覚からどこか浮き上がって錯覚の仮想空間にでも浮遊しているのではないかと思ってしまう。永田町という特殊な仮想空間に住んで、リアルな人間感覚が麻痺してしまっている政治屋さんたちと同様に、マスメディア関係者たちもどこか感覚を麻痺させてしまっているとしか思えない。
 昨今、マスメディア関係者の中から相次いで不祥事を仕出かす者や犯罪に走る者も出ているようだが、わたしの直感からすれば、あながち不思議なことではない。要するに、マスメディア関係者は決して特別な人間でもなければ、特別に聡明でもなく、また特別な能力を試されたわけでもない。かつては、一種のエリートとしてそうあろうとする自負心を持った者たちもいたのかもしれない。が、現在は不明である。にもかかわらず、自分たちが、庶民に対してある種のカルチャーを発信しているのだというつもりになっている傲慢さがある分、腐敗し易くなっていると考えた方がいいのかもしれない。

 こうしたことを感じ、考えるのは、マスメディアが撒き散らかしているバカ騒ぎムードとは裏腹に、現実の庶民の生活は今後とてつもなく惨憺たるものになりかねないと危惧しているからである。
 社会保険料が引き上げられた上に、配偶者特別控除や老年者控除が廃止という個人の税負担増が実施されつつある。来年度からの定率減税の縮小・廃止も目論まれているし、消費税引き上げも然りである。
 景気が回復したと吹聴する動きがあったりするが、それを実感している庶民はいない。「今般の景気回復は、全般に水位が上昇するような回復ではなく、一部の勝ち組が大きく業績を伸ばして『合計』としてのGDPを伸ばす形の回復だ。一部の企業が大幅な増収増益を実現する一方で、景気回復とは思えないような『ベアなし』、『ボーナスカット』が横行し、労働分配率は大きく低下している。つまり、家計の犠牲のもとに企業が業績を伸ばしている。回復から取り残された地域も少なくない」(朝日新聞、「経済気象台」2004.10.06)

 時代は確実に、少数の富裕層と多数の貧困層との二極分化を強めるかたちで進行しているのである。厚生労働省がまとめた生活保護世帯数は過去最多を更新している歴然たる事実もある。生活保護の審査が決して甘いものではないことを考慮に入れるならば、社会は確実に貧困化していると言ってもいい。
 一体、こんな実相が、多くの庶民、国民の共通認識になっているのであろうか。決してそうだとは見えない。少なくとも、TVなどのマスメディアが撒き散らかす社会のイメージは、そらぞらしいほどに「バカ明るい」(トイレの百ワット?)。
 逆にそんな「明るさ」は、孤立して苦境にあえぐ庶民をなおのこと不安にさせているはずではないかとさえ思う。「ウチだけがどうしてこんなに苦しいの?」と……。
 つい先日も、ある中年夫婦家族の身につまされる話を聞くことがあった。子どもを含めた家族五人は、しばらく前に地方から、親戚筋を頼って東京に出てきたという。とりあえず住居はその親戚宅を間借りするとして、何はさておいても仕事探しが優先事となった。やっとの思いで就職して一息つくことができたが、そんな時、その親戚側にある事情が生じてそこから出なければならなくなったという。居住費なしだからこそやってこれた五人家族にとって、新たに住居を借りるとなれば、家計も苦しくなるし複数の子どもがいる家族にアパートや住居を貸す家主も多くはない。
 住居で頭を痛めなかったことがない自分としては、他人事ながら気が重くなったものである。しかし、こうした苦境がいつ何時発生するかも知れないのが、現在のわれわれ庶民が置かれた環境なのではないかと推定した。

 アスファルト舗装の環境にさえある「危険な段差や亀裂」のように、よもやありそうもないかたちで、それでいて歴然と存在すると思われる「貧困苦」! DV(家庭内暴力)にしても、青少年の非行にしても、現代的な新たな原因と結びつけて検討することも重要ではあろうが、「もはやあるはずもない」と軽視されがちな「貧困」が、再度暗い影を投げかけ始めていることに気づくべきではないのだろうか。これは、かつては心ややさしい文化が貧困苦を癒したかもしれないのに対して、今では、心の貧困や文化の貧困こそが強く指摘されている状況であるだけに、「新型ウイルス」のように警戒されるべきなのかもしれない…… (2004.10.07)


 容易に「冤罪(えんざい)」は発生し得るのではなかろうか。
 別に、警察による憶測捜査を責めようとしているのではない。全国に出没して、人々を脅かしているクマたちに関する話なのである。実際に被害にあった人たちについてはお気の毒というほかない。
 ただ、それらをもって、出没するクマたちを一方的に「有罪」だと決め込むこと、まして直ちに「猟友会」の出陣に及ぶという場当たり的な人間側のアプローチについては、考えさせられないではない。

 「現行犯逮捕」なのだからクマたちは人間サイドの法的観点からは「有罪」となるのであろう。しかし、法的秩序というものが、「二度とこのようなことがおこらないよう……」という未然防止、歯止め機能と無関係でないとするならば、出没するクマたちを「有罪」だと見なすごときの人間側の対応はいかにも脆(もろ)い。
 彼らクマたちの行動には、どうも人間側が仕掛けたいきさつというものがありそうではないか。(朝日新聞、2004.10.07「社説・クマ出没――ヒトの社会を映している」が当を得た解説をしていた)もし、それらを不問に付すならば、再発防止は期待できないであろうし、この世の道理というものがあまりにもご都合主義に染まり、誰もが道理そのものに信頼感を抱かなくなる不信が渦巻く世界と成り果てそうだ。
 また、彼らには人間が解する善悪にそった「犯意」があるとは到底考えられない。自然の摂理に沿った盲目的な動きを採っているだけのことであろう。むしろ、自然の摂理を認識することができ、それを支配下に治めているのは人間である。人間側の自然統治の失敗こそが問われるべきであるのかもしれない。

 こうしたことを考える時、出没クマたちを「有罪」的に扱い対処し、それで済まそうとするだけであるならば、どうしても「冤罪」だという言葉が打ち消せないのだ。もともと、「冤罪」とは、真実の究明よりも事件の目先での終決が優先されてしまう人間の愚かさが生み出すものであろう。そして、小さな民事事件でも跡を絶たないどころか、国際政治でも同様の事態が起き続けているのが実情であろう。
 「大量破壊兵器」の存在ゆえに始められたイラク戦争開戦は、その存在は無いと当局が発表した現在、まさにイラクを「冤罪」で一方的に裁いた暴挙にならないのであろうか。「大量破壊兵器」の有無にかかわらず、イラクのフセインは種々の点で危ない人物だったのだというロジックは、法的に言うならば、「状況証拠」のみで結論づけるという「冤罪」のお定まりコース以外ではなかったことになる。
 ここで念のために、断わりを入れておけば、現に人間たちに被害を与えた出没クマたちや、旧フセイン政権がイラク国民を弾圧していた事実に寛容であろうとするわけでは毛頭ない。それらは、「後戻り」しないかたちで正しく対処されるべき筋合いの対象である。その「後戻り」しない方法を尊重したいがために、どさくさ紛れの「アン・フェア」な方法を非難したいだけなのである。「アン・フェア」な方法は、結局真実のいきさつを隠し、人々を苦痛から解放せずに、踏み誤った路線から生じるさらに大きな苦痛の坩堝に人々を誘い込むことになる。現に、憎悪と混迷の度をますます深めているイラク情勢は、そうした「アン・フェア」な方法が「発酵した」結果としか見えない。

 出没クマの話に戻ると、今年この事態が目立つ原因は、猛暑や多発する台風などによってクマたちの主食とされるドングリの実が不作だからと言われてきた。しかし、それは表面的な理由だと看破している上記の朝日社説は注目すべきだと思えた。
「野生動物の生態に詳しい岩手大教授の青井俊樹さんは、里山の荒廃に加えて、人々が果実やゴミを野放図に捨てるのが問題だ、と言う。
 広葉樹のブナやナラといった雑木林からなる里山は、長い間、薪や炭焼きの木々を供給する貴重な自然として大事にされてきた。それは同時に、クマなどの動物が生息する奥山と集落とを分かつ『緩衝帯』の役割も果たしてきた。
 だが、農村は過疎化や高齢化が進み、里山の手入れが行き届かなくなった。伐採されない木々は実をつけ、クマにとっては餌場にも、隠れ家にもなった。
 奥山はスギやヒノキの人工林が増えて、暮らしにくくなった。追い立てられるように里山に下りてきて、普段から人の姿を見て育つ。人に慣れ、恐れなくなったそんなクマを、研究者らは『新世代熊』と呼んでいる。」(朝日、同)
 「里山」の荒廃と再生に関する話題は、最近心ある人々の間で関心が高まっている。ただ、わたしがもっと強い関心を寄せたいのは、「奥山はスギやヒノキの人工林が増えて」という部分である。つまり、これは、自然林を商品価値の高い「針葉樹林」へと政策的に導いた国の政策の問題以外ではないのだ。この辺の問題は、森林生態系の破壊、スギ花粉問題、水害に絡む水系の問題などかなり深刻な問題だと言われてきた。
 教育は「百年の計」だと言われるが、森林もまた同様のはずである。自然環境を適切に維持することが、結果的には、逆に最もエコノミカルであることを洞察すべきなのだと強調したい…… (2004.10.08)


 西日本に度々上陸してきた今年の台風、東京在住のわれわれはどこか他人事と見なしていた向きもあった。だが、とうとう関東地方にも直撃する運びとなる。
 日中、買い物のためバスを利用して外出した。念のためウォーキング用の防水コートを着用したのはよかったが、ズボンとシューズがビショビショとなって帰ってきた。アスファルト道路は、激しい雨のため3、40ミリの冠水状態となり、シューズも水溜まりに沈むのが避けられなかったし、雨は強い風と混じり、容赦なく下半身に降りかかった。
 はじめはシューズの中に水がしみ込むことや足元が濡れることを警戒していた。しかし、防ぎ切れずに足の指先が冷たくなり、次いでふくらはぎも濡れたズボンで冷たさを感じるようになると、ほどなく警戒する気持ちの腰が折れ、まあいい、という半ば破れかぶれの気分ともなってしまった。
 気温はさほど低くはないため、深刻な気分になるというよりも、久々の風雨を肌で感じ、湿った空気を吸うことで、一瞬、捕らえどころのないむかしの記憶が蘇ってきたりした。
 その記憶は、子どもの頃過ごした北品川時代のものであったかもしれない。子どもは風の子というくらいで、何といっても、雨や風といった自然現象を素直に肌で感じ取っていたのは子ども時代だというべきなのだろう。また、どういうわけか、台風の印象は北品川に住んでいた当時のものが一番記憶に残っている。
 すぐ近くを流れる目黒川の下流の水位が、茶色い濁流で恐ろしいほど膨れ上がっていたのを覚えている。普段から得体の知れないごみで汚れていた川であったが、台風時の濁流の際には、ごみどころではなく、大きな丸太や木箱などまで流れていた。たぶん、川岸に置かれて何かに使われていたものということなのであろう。
 そんな光景を、危険だから川岸には近づかないようにと言われていたものの、怖いもの見たさで近づいては、地面から4、50センチ程までに近づいた流れを覗き込んだり、下流の橋の橋げたがほとんど水没しているのを見ては、ウヒャーという驚嘆の声を上げて興奮したりした。
 もともと、北品川というのは埋め立て地であり、江東区などとともに標高(?)は低い地域のはずだ。どういう意味であったのかは定かではないが、確か、大きな水害時の際の増水水位が電信柱に記録されてあったのを覚えている。何と1.5メートル位の高さであったようで、みんなでこれまた度肝を抜かした覚えがある。
 そんなこんなの思い出が、強い風雨で一瞬プレイバックしたようだった。

 これを書き始めた時には、窓の外が凄まじい風雨であったのだが、ふと気づくと今は、静寂の気配である。秋の虫が涼しく鳴いているのが聞こえるばかりである。今回の台風の進行速度はクルマの速度並みと報じていたので、既に北上して行ったのであろうか。早速、TVをつけて気象情報を確認してみると、もはや峠を越えたようである。
 ニュースでは「最強台風22号 首都を直撃」と題して、へらへらと頼りなく風雨に弄ばれている傘をさした都会人たちの姿を映している。一見すると、今回は大事には至らなかったようにも見える。
 今日は、連休の初日でもあるため、いろいろな行事も予定されていたことなのであろう。現に、親戚関係で結婚式があったということも聞いている。おそらく、そんな場に出席した来賓の挨拶では、「あいにくの天候ですが……、雨降って地固まるとも申します……」といった紋切り型言辞が飛び交ったことなのであろう…… (2004.10.09)


 かれこれ二ヶ月ぶりになるかもしれないが、床屋へ出向いた。ついつい面倒で延ばし延ばし(髪も伸ばし伸ばし)にしてしまった。
 ただでさえ客数が少なくなってしまったとぼやいている床屋の旦那にしては、平気でこんなに間をあける客はいまいましい限りに違いない。が、
「いらっしゃーい!」
と、屈託ない笑顔で迎えてくれた。
 休日の昼日中だというのに、客は誰もいなかった。
 椅子へと案内されて、眼鏡を預けてどっかと座る。
「忙しかったもんで、ついつい先延ばしになっちゃってね」
と、別にそうする必要もないのに、わたしは言い訳なんぞをしていた。
「忙しいっていうのはいいじゃないですか。忙しくなくちゃねぇ」
と、旦那は、自分のヒマな床屋業を省みるような口調でお愛想を言う。
「いつものようでよかったんですよね」
「うん。台風一過で晴れるかと思ったら、ぐずついたヘンな天気になっちゃったね」
「そうですね。」
「まあ、昨日の台風はテレビが騒いだほどじゃなくてよかったけどね。風雨が強かったのは、ほんの2、30分くらいのもんだったですかね」
「うちなんか、(台風が)ひどくなるようだから、今日は早仕舞いしようと片付けているうちに、表が静かになり、そうこうしているとお客さんがいらしたりしましてね。何だか呆気に取られましたよ……」

 わたしは、床屋では必ずといっていいほどいつの間にか寝てしまう習慣がある。それも、実にいい気持ちなので、その居眠りを好んでさえいる。だから、店の人とはできるだけ話しをしない方が良かった。だのに、しばらくこなかったらそんなことをすっかり忘れてしまったようで、不用意に話しを切り出してしまったのだった。あっ、こりゃまずいことをしたと思っていると、案の定、旦那は話しをする体勢に入り始めたようであった。
「それでも、けがしたり死んだりした人も出たようですよね。だけど、台風が来たら、表なんかに出ちゃいけませんよね。増水した川の様子を見にいくなんてもってのほかですよ。あたしは、山の育ちですが、濁流になった川っていうのは、覗くと、なんかこう、引っ張り込まれるような気分になるもんなんですよ。だから、危ないんでねぇ」
「へぇー、そんなもんですかね」
「それにねぇ、もし落ちたら、下手にもがいたって駄目なんですよ。流れはとんでもなく強いもんだから。流されるままになって、少しづつ岸に近づくようにするんですよ。あたしは、子どもん時から、川で遊んで、さんざん川の水も飲んだ上で泳ぎも覚えたんですけどね。川ってぇのは、特別な流れというものがあるんですね」
 こうして、台風の話しから、川の話しへ、そして川の話しから、泳ぎの話しへ、泳ぎの話しから海の話へと、話し好きな旦那の話しは止めどなく流れていった。
 が、どこかで、行き詰まり沈黙が続いたのであろうか、わたしはいつものように正体をなくして居眠ってしまっていたようだ。
「お客さん、コーヒーどうぞ」
という、別な店員の声ではっと目が覚めたものだった。すべていつもどおりの運びになっていた。そういえば、これまでほかの客がコーヒーを出してもらっているのを見た覚えがないところをみると、椅子の上でぐっすりと寝込んでしまうわたしへの特別サービスなのかもしれない。いや、あまり寝込んでいると、剃刀の段取り時などに寝ぼけて不測の事態があっては困るとの、店側の自己防衛的サービスだとも考えられないでもない。
 インスタントのコーヒーではあるが、そうしてぐっすりと寝込んでしまった後のコーヒーはいつもながらうまいと感じるのだった。

 旦那は別の常連の客の対応へと移っていたが、そこでも再び台風の話しに余念がなかった。
「昔は、この近くの境川もよく氾濫したそうですね……」
「いやぁー、大変なもんだったんですよー……」
 旦那は六十を過ぎたという歳であろうか。孫と娘夫婦といった家族構成でこの店を切り盛りしているようだ。サラリーマンのように外でいろいろな他人と接する機会があるわけではない自営業だと、客と話しをするというのが唯一気晴らしや息抜きとなるのかもしれない。まして、歳を重ねると家族には聞いてもらえない昔の話がしたくなる心境は何となく理解できるような気がしたものだ…… (2004.10.10)


 この間降った雨をたっぷりと吸い込んだ草木は、実にすがすがしい匂いを放っていた。 街中には違いないが、薬師池公園と隣接する七国山付近は、こじんまりとはしているが峠ふうの道もあったりして、ちょっとした自然風景が楽しめる箇所である。

 台風や秋雨、そして風邪などでここしばらくウォーキングを中止にしていたこともあり、今日のウォーキングは、いつものコースではなく、距離にしてその倍の8キロ程度はあるロング・コースを歩くことにしたのだ。
 あいにく天候はばっとしない曇天であり、身体の方もいまだ風邪の症状が抜け切らず、万事すっきりしない状況ではあった。
 だがこの三連休、特に身体を使うことが何もなかったというのが引っかかり、とにかく歩こうと思った。足取りは決して重くはなかった。むしろ休んでいたためか軽快なくらいである。しかし、こういう調子が意外と後で応えるものだとの自覚もあった。筋肉というのは、前の疲労が多少残っていてだるいくらいの場合に使うのがあまり応えないようであり、何の疲れも残っていない「さら」の状態のような時に使うと後で感じる疲労度が大きいようなのだ。だから継続することが必要なのだ、なんぞと能書きを思い起こしながら歩いた。

 曇天の日の散歩風景は何とも味気ない。まして、連休最後の日ということもあってか、街の光景は気だるく沈んでいるようだった。それにしても、行楽やスポーツに絶好の秋のこの連休が「最大級の台風」で台無しにされてしまったのだから、人々の気持ちのどこかに不満めいたものが渦巻いていたとしても納得できそうである。景気や社会情勢がくすんでいるだけに、望みをかけるのが万人に平等の天候であったとしても、それはわかり過ぎるくらいよくわかる。なのに、子どもたちが期待した秋晴れの運動会はけ散らされてしまったのだろう。今日の「体育の日」の行事も、湿った花火のようになってしまったのではなかろうか。

 途中まで歩き、アスファルトの舗道ばかり歩くのも、と思い、七国山に通じる道を選ぶことにした。書いていて今、そう言えば、台風の集中豪雨があったのだから、そんな場所へのこのこと入りこんだのはまずかったはずだな、と今ごろ後の祭りふうに気づいたりした。
 七国山とは、「十国峠」ではないが、町田市内にありながら、武蔵、秩父、相模など七つの国が見渡せたというそこそこ眺望のいい小山(標高128m)なのである。また、確か府中へと通じる鎌倉街道のひとつが、この七国山を通っていて、この山中には「鎌倉井戸」の遺跡がある。かつて新田義貞が鎌倉攻めの際に軍馬に水を与えたのだと言い伝えられている。
 この山中の雑木林は、うっそうと茂っており、なんとなく「鎌倉古道」という雰囲気が漂っている。笹や樹木がこの間の雨でたっぷりと水を得たようで、清々しい湿気が気持ちよい。こうした「古道」を歩いていると、箱根山中にでも来たかのような気分ともなれる。
 また、わざわざであろうと思うが、この地域に家を建てる人たちはこの自然が目当てなのであろう。自然を意識したちょっとした感じのいい雰囲気の建物が目についたりする。そんな建物を傍らに見ながら歩くのもまたいい。そのひとつの家の庭で、お年よりが庭の手入れをし、放し飼いにされた若い犬が庭土をほじって遊んでいた。人の顔を見ると、遊んでほしそうにフェンス間近に寄って来て尾っぽを振って注意を惹こうとしていたのがおかしかった。

 この七国山を背景にするように薬師池公園は作られており、だから山を下りながら公園へと降りることができる。
 以前はよくカメラをぶら下げてここへ来たものだ。山の雑木林を背景にしたり、結構広いひょうたん型の池があることなどで全体として潤いのある風景が見出せるからである。また、池の小魚を目当てとする「カワセミ」が飛来することも、カメラ好きの者には魅力なのかもしれない。
 公園の中を通り過ぎると、後は帰り道ということになる。長い上りの坂道が控えておりあまり楽しい帰路とは言えない。ただ、ひとつ発見したことは、これまで「鶴見川」という川を目には入れていても、あまりきれいだとは言えないため黙殺してきたのだが、どうやら「美しい川へと生まれ変わらせよう」運動が始められたようである。今日も、その一環で作られたのであろう部分的に仕上げられた遊歩道を歩いてきた。
 これからは高齢化社会ともなるし、経済もこれまでのような派手さがなくなる時代ともなる。高速道路よりも、市民が、気持ちよく散歩できたり、手ぶらで健康増進ができるそうした遊歩道などの拡張にこそ自治体は力を注いでもらいたいものだ、と思いながら帰ってきた…… (2004.10.11)


 相変わらずクマが人里に出没する現象が絶えないようだ。冬眠前のこの時期、クマたちは一冬を越すに足る栄養分の貯蓄に急かれているのかもしれない。
 クマの出没については、前回、現在の山奥の森林が、雑木林という自然林から商品価値は高いが野生動物にとっては好ましくない環境である「針葉樹林」に植え替えてきた推移が根本的な原因だということを書いた。
 今ひとつ、こうした現在の森林のあり方で、やっぱり問題含みなのではないかと考えさせられることに気づいた。
 台風22号は、都会人の体験ではさほどのことはなかったというのが実感であったが、その後の報道によると、結構残酷な爪あとを残していたようでもある。
 そのひとつとして、伊豆修善寺の老舗旅館が大被害を受けたとのニュースが気になった。その旅館は、過去、芥川龍之介などの文豪たちが滞在したこともあるという、桂川の渓谷にある温泉旅館だそうだ。当然古い歴史を持つ旅館である。度々、川の氾濫はあったようではあるが、今回は大量の泥水が床上浸水となって建物に流れ込み、由緒ある建物や温泉に壊滅的な被害を及ぼしたとある。旅館の女将(おかみ)をはじめとして従業員たちが茫然自失の状態である様子が伝えられたりしている。
 このほか、各地で崖崩れによる土砂のために民家が押し潰された被害も出ているようでもある。都会の環境にあって事なきを得た立場で大したことがなかったと早とちりをしたことに幾分恐縮してもいる。

 ところで、上の旅館の被害をTVで目にした時、考えたことは、やはり現在の森林のあり方についてであった。今回の台風は確かに規模が大きいとは言われていた。しかし、何十年ぶりといったほどであったのだろうか。関東地方を襲った台風は、ここしばらくは外れていたかもしれないが、過去決して少なくはなかったように思う。
 なのに、その旅館の受けた被害というのがどうも旅館始まって以来の大惨事のようであるとすれば、それを単に今回の台風がもたらした集中豪雨のあり方の特殊性だけで説明していいのだろうか、と思ったのである。
 箱根や伊豆を秋に旅行すると、目が和む紅葉の林が楽しめたりする。しかし、何と言っても杉林という新しい針葉樹が意外と多いことに気づかされる。また、次々に新しい道路も建設されているようだ。この辺の推移が気になるのである。
 森林が自然環境の維持の上で果たす役割は、クマなどの野生動物を養うだけではない。さまざまな面での水資源の秩序を維持する上で重要な機能を果たしているらしい。
 たとえば、ばらつきが当然ある降雨に対して、それらの水を吸収して、保水し、穏やかに川へと排水する役割があると聞いたこともある。それは、アスファルト張りの道路が水をはじき返すのに対して、従来の土の道路が保水の機能を果たすことが知られているが、そんな程度とは比較にならないほどにに大きな役割を果たすらしい。
 もし、伊豆の森林も、従来からの歴史のある広葉樹を含む雑木林が、広範囲にわたって針葉樹林に植え替えられて来たとするならば、また、道路開発が急ピッチで進められてきたとするならば、自然環境は、見た目のスマートさとは裏腹に結構危ない事態になっているのかもしれない。予想される通常の天候時にはもちろん問題はないのであろう。しかし、自然の条件は常に通常範囲にあるわけでは決してない。今回のような、足早に風雨をもたらしてゆく台風が今後も少ないとは誰も言えないだけに、こんなふうでいいのかなあ、と危惧の念が消えないのである。

 ところで、従来の森林が、降雨を保水したり、排出したりする機能とは、自然が持つ不思議な調整機能だと言えそうである。何も自然は「国土総合計画」なぞという仰々しいグランド・デザインに沿って行動を起こしているわけでも何でもない。部分と全体とがまさしく、自然なバランス均衡で安定しているだけのことなのだろうと思う。上記の旅館に土砂混じりの水流が流れ込んだ事態にしても、人間側にとっては不自然で迷惑なことであっても、きわどい言い方であるが自然にとっては、現時点でのバランスをとろうとした自然な動き以外ではなかったと言うほかない。
 そこで浮かび上がってくるのは、概して盲目的である自然の動きの中で、人間側の解釈では調整機能だと思える部分を決してかく乱したりすべきではない、ということではなかろうか。
 全面的に制御可能なほどに自然の総体が掌握仕切れていて、その認識に従って施工管理が可能であればまだしも、現実的には、科学的な領域での限界があるとともに、行政対処に世俗的で、部分的な思惑が忍び込む可能性もなしとはしない。人間側による自然への働きかけは、新たなしわ寄せ的な問題を発生させるだけに終わる場合も避けられないのではないかと推測せざるを得ない。各地での「河口堰(かこうぜき)」建設をめぐる賛否両論を見ると、そうした思惑も見えてくるからだ。
 いわゆる「エコロジー」というのは、そうした状況で、できるだけ自然の全体系を視野に入れて考えていこうとする視点に立つものだと思う。しかし問題は、総合的な視野、視点というものを一体誰が担えるのかという点なのであろう。

 上記旅館の女将は、今回の災害を「人災」だと見る見方を否定しない口ぶりであった。難しい問題ではあるが、わたしは、やはり国土の管理責任というものをそろそろ法的にも問題にしていくべき時期に来ているのではないかと考えたい。
 もし、行政当局がいわゆる「顔のない」官僚機構によってその時その時の「便宜主義」「刹那主義」で自然変容を推進して、誰も責任を取らないという従来の慣習がまかり通っていくならば、人為そのものである政治が現状のように惨憺たるものであるだけでなく、自然環境さえ破壊と汚染が後世へのツケとして残ってしまうからである。
 「行政訴訟」というものが、現在どのような水準で市民の権利行使で役立っているかの詳細は知らない。さまざまな困難な事情が潜伏していることが容易に想像できるが、他人事の顔を取り続けるかに見える官僚たちにはこんなクスリしかないようにも思うのである…… (2004.10.12)


 今日は小雨混じりの薄ら寒い日だなあ、と思っていたら、途端に事務所の外から、
「やーきいもー、いーしやーきいもー、やーきいもー……」
という拡声器の声が聞こえてきた。「石焼き芋」屋さんも、ちゃんと季節の頃合いというものを考えているんだ、という納得めいたものを感じた。
 が、同時に、ほかに何かないもんですかねぇ、という引っ掛かる思いにも至る。ちょうど、「脱工業化社会」のビジネスの行方、とでもいうようなことを取り留めもなく考えていたのだ。相変らず「旧きもの」で押し捲っていくんですかねぇ。そりゃ、思いつくのに骨が折れ、下準備で疲労困憊し、開業資金で悩み、挙句にリスクを引き受けるような「ニュー・ビジネス」に着手することと較べれば、「今どきねぇ……」と飽きれ顔をされようが、「既存ビジネス・スタイル」として定着し化石化(?)した商売に身をゆだねる方が現実的なのかもしれない。
 いや、決して「石焼き芋」屋さんを貶(けな)しているのではない。貶すとすれば、実質的には何の新規性がないにもかかわらず、宣伝広告スタイルの目新しさや、ITなどのこけおどしの道具立てだけで現代ビジネスの先端を行っているような錯覚をしている大方の大手企業のマンネリぶりや、停滞ぶりをこそ槍玉に挙げたいくらいである。
 おそらく、「石焼き芋」屋さんにしてみれば、リアルに言って、「じゃあ、オレたちに一体何ができると言うの?」ということになってしまうに違いない。彼らは、置かれた立場のギリギリのところで、精一杯自力救済に挑んでいるに違いなかろう。

 それにしても、この国のこの時代は、とんでもなく「こんがらがって」しまったものだ。同じ「こんがらがる」にしても、熱っぽくそうなるのならまだしも、今日の天候のようにどんよりと沈んで混迷しているのだから始末に負えない。
 自由に経営してきて行き詰まったら、国民の税金にもかかわる公的機関をも引き込んで大騒ぎしている「大手スーパー」のことを言っているのではない。(多少はあるが)また、時代と社会に異議申し立てをしたり、怒るのでもなく、「練炭」に自分の命を処分させてしまうやり切れない集団自殺のことを言っているのでもない。さらに、もの言わぬものならば野生動物からさえ奪い尽くすといった考え方に、今、反乱めいたものが起きている(クマ出没)ということでもない。もちろん、時の総理が、国民が関心のない郵政民営化問題に、おのが立場を省みることもなく拘っているという優先順位づけ能力(=政治的見識)のないことでもない。これらは皆、「こんがらがって」しまった上での結果に過ぎないのだと思う。

 冒頭に「脱工業化社会」のビジネスの行方と書いたが、もっと広く「脱工業化社会」での経済、さらに広くそこでの人々の生き方と言ってもいい。そうした課題が一向に煮詰まっていないという点が、現況の「こんがらがり=混迷」の最大要素ではないのかと推測している。
 「脱工業化社会」というと、「情報化社会」ならばまだしも、すぐに「IT」社会と曲解されてきた。もとより、「IT(情報通信技術)」という技術が、なぜ社会となるのかという疑問が生じる。仮に百歩譲って、「IT」が特徴づける社会だと解釈した場合、ではその特徴とは何? ということになる。変化のスピード化なのだと言ったとしても、それは、何か特別重要なことを言ったことになるのだろうか。

 確かに、ビジネスの領域では、新製品などの開発期間が短縮できることは重要な競争力であるかに見える。だが、ビジネス界全体が同じスピード化を歩む場合、自社のアドバンスは他社のアドバンスの可能性でもあり、次の機会には先を越される事態が十分に想定される。つまり、全体の時間尺度の単位が切り下げられるということに限りなく近づくということではないか。決して何か内発的な質的変化・向上を生み出すものなんぞではなく、どこまで行ってもスピード化はスピード化でしかないのではなかろうか。
 つまり、「IT」の導入は、その様相の凄さによって、あたかも人間の行くべき方向を示唆してくれるようにさえ期待してしまったりするが、それは錯覚でしかないのであって、人間が進むべき方向はあくまでも人間が選ぶものとして残され続けるものと思われる。 だから、わたしは、もし「IT」社会なんぞという言葉があるとするならば、「スピード化」社会とその周辺現象のことだと見ていいと考えている。

 ここですでに、こうした時代傾向に真っ向から反する「スロー・ライフ」といったコンセプトさえ生まれていることに気づく。そのコンセプトはある意味で当然のことなのかもしれない。なぜなら、どうしても生産側主導で推進される「IT」は、生活者の生活速度(頭脳の処理速度、能力や心の安定など)なぞ眼中にないか、あるいは第二義的にしか関心が払われないからと言えそうだ。
 「スロー・ライフ」といったコンセプトが生まれてくる足元には、スピード(IT)なんて「ウンザリ」という生活感覚がありそうであるが、その「ウンザリ」感は、好き嫌いといったレベルの問題に留まっているのならば幸いであるが、現実は職場や生活をジワジワと追い詰め、「脅迫的」な雰囲気さえ作り出しているはずだろう。その雰囲気は、人が生きていく上で必須の、内面の落ち着きと潤いをすら駆逐していないとは言い切れない状況となっているのかもしれない。現在、毎日のように報じられているTV、新聞からの惨たらしい社会面の事件は、こうした環境と無縁ではないのではないかとうすうす感じたりする。

 どうやら、込み入った問題にやすやすと入り込んでしまった。とりあえず締めくくりをしたいが、わたしは次のような漠然とした感想を持っている。
 現在のこの国の「こんがらがり」の重要な原因のひとつは、物凄い勢いで推進されている政府主導の「IT」化(これは、「グローバリゼーション」と両輪をなしている)は、その正体が決して吟味されることなく推進されているのではないか、という疑問がひとつ。
 また、また、「IT」導入推進は、社会や国の目指すべき目的像とはひとまず別問題であるにもかかわらず、その別問題は何ら問われていないような気がすること。つまり、「IT」という手段が目的化しているかのようで、人々は、急速な「IT(=グローバリゼーション)」で撹乱され激変した環境の苦痛の中で、よるべなく放置されている、と感じていることがひとつである。

 ところで、現在、こんなに目に余る時代環境となっているにもかかわらず、何ひとつ「心細さ」を感じていない人がいるとするならば、おそらくはそうしたことを感じないように努めている人なのだろうという気がしてならない。モノへの執着にしても、刹那的な生き方にしても、あるいはサイレンスを拒絶した喧騒でしかないマス・メディアにしても、みんな「心細さ」を引き受けた上で何かを探ろうとするしたたかさを、巧みに拒絶しているかのようだ…… (2004.10.13)


 正直言ってこの日誌には、あまり通り一遍の事柄は書きたくないと考えている。マス・メディアが粗製濫造している情報に振り回されたくない。と言うよりも、それらが得てしてそうである、とらえどころがなく、抽象的な、そんな情報で頭の中を充満させてもろくなことはないと考えるからだ。
 時代の変化の相貌をつかむために、マス・メディアが報じる多くの情報は必要だという点はそうなのかもしれない。ただし、この一般論は、そうした情報を十分に活用できる個人を大前提にしていることに着目すべきだろう。
 活用のあり方の中には、当然それらの情報を批判的に受けとめたり、場合によってはいなしたり、黙殺したりすることも含まれ、とにかく「距離」を置くことができるかどうかが決め手だと思われる。もしそれができなければ、結果的には振り回されるのがオチだということになるのであろう。
 振り回される、とは、頭の中の大半が、マス・メディアの報じる情報で埋まってしまうこと、自身の体験に根ざした個人的情報がみじめなほどに隅っこへと追いやられてしまうことを意味する。こうなってしまうと、オセロ・ゲームやドミノ倒しではないが、あっという間に勝負がついてしまうはずである。つまり、情報に対する自分なりの評価や批判が成り立たなくなってしまい、マス・メディアの報じる情報の言うがままにならざるを得なくなるわけである。
 自身も含めて多くの現代人は、TV、ラジオ、新聞、雑誌そしてインターネットなどから得る情報によって、いかに頭の中が埋め尽くされているかと思う。そして、そうした頭を持った者同士が、日常の職場や家庭で会話をするのだから、たとえ、個人による体験世界があるじゃないかと言われても、事態はあまり変わったように思えないのだ。

 わたし自身も、ここに何かを書こうとする際、常にマス・メディアの報じる情報を素材としがちになってしまう。よくないと思っており、社会に関心が向いていていいことじゃないですか、なぞという紋切り型のなぐさめは自分には通用しなくなっている。
 たとえ些細なことであっても、また他者の目にはいぶかしく映ったとしても、自身の体験に根ざした「確かな情報」を記録し、発信したいと望んでいるわけである。今、「確かな」と書いたのは、多くの人に行き渡っている情報、マス・メディアはここに自身の存在意義を置こうとしているわけだが、それだけでその情報が「確か」だとは到底言えるわけではあるまい、と考えているからなのである。また、科学的事実という情報・知識についても鵜呑みにはしたくない心境を抱いている。少なくとも、なるほどと実感できる何がしかの体験(実験)が欲しい気がしている。要するに、個人としては、情報の「確かさ」とは、自身の体験で確認するほかはないだろうということなのである。
 まして、現代はややもすれば全身全霊を駆使した体験(ちょっと大げさな表現だが)、そこで発生するに違いない苦労、苦痛などは消極的にしか評価されず、むしろそれらは無い方が良くて、それを便利なことだと見なしているのかもしれない。
 つまり、現代では、自身の体験に根ざして情報を扱う機会が、日に日に貧しくなっているかに見えるのである。既製品や吊るしとしての情報ばかりが溢れ、手作りの情報というものがパージ(一掃)されつつあると言っても、まんざら杞憂(きゆう。取り越し苦労)ではないのではなかろうか。

 ところで、マス・メディアの報じる情報について「噛みついて」いるわたしであるが、もっと遡るならば、「知識」というもの自体に「噛みつく」必要があるのかもしれない。 笑い話を超えて驚きに至るほど「知識」に乏しい若い人たちも困りものではあるが、「知識」がすべてと信じて疑わない人もげんなりさせられるものだ。
 よく、「……だそうよ」と口にする人がいる。へそ曲がりな自分は、『よけいなお世話だ。ほっといてくれ!』と言いたくなったりもする。
 最近は、TV番組でクイズ形式をとりながら、日常生活のあれやこれやの「知識」を「啓蒙」しているつもりの番組が人気を得ているようだ。(『ためしてガッテン』とか、みのもんたが司会する番組など。こうやって良く知っているのが問題なのかも……)
 そして、ここから得た知識を「広めたがる」人(まるで宣教師のよう?)もいたりする。うちの家内もそのひとりかもしれない。いや、揺りかごの中からTVを見せられて育ち、親以上にTVを信頼してしまった現代人は、大なり小なりこの傾向があるのかもしれない。
 こうした「知識」の「啓蒙」と、またそれに基づいて行動する人たちを、悪いとは思わない。が、感覚的には好きにはなれない。どっちかと言えば、
「いろいろと悪戦苦闘してみた結果、これ以外にいい方法はないみたい……」
と、自分なりの知識めいたものを獲得した人に好感を持ってしまう。その体験談を聞いていておもしろいだけでなく、そうした人はきっと一般論を凌駕(りょうが)する知識に到達するだろうと想像するからでもある。

 きっとわたしだけではないと確信めいたものを抱いているのだが、最近つくづく思うことは、この国のこの時代は、とことん立ち腐れているという感触なのである。そんな中で、生きていくには、ある種の信念が必要となると思われるけれど、それはなかなか難しいことだろう。
 とすれば、立ち腐れた世の中を流通している「情報」や「知識」とて「汚染」されているに違いないと類推されるわけで、それらとどう距離を置いていけるかが大きな課題だと感じるわけである。
 自身が「汚染」されてないなぞと言うつもりはないが、背骨までもが「汚染」されないためには、自分流でやるしかない、と思いはじめている。だから、少なくとも自分の小さな体験的世界や感性だけは凝視しなければと考えるわけだ。 (2004.10.14)


 あれは確か5歳の時、大阪の郊外に住んでいたころのことだ。昭和30年代直前であったから、まだ時代は貧しさを引きずっていたはずである。そして、わが家も父が親戚関係のトラブルで立場を悪くして貧しさを地で行く環境にあった。
 親戚の家に間借りしていたのだが、そんな狭い部屋の一角に小型の食器棚、いや当時の言い方をすれば「水屋」ということになるが、そんな新しい家具が到来した。
 それは、現在のように様々な家電製品が出回っていたわけでもなかったから、箪笥類を除けば数少ない家具のひとつであった。
 当然、幼いわたしはその水屋に興味津々となったものだ。それは、ちょうど飼い猫が室内に到来した見知らぬモノに対して警戒心と興味をもって近づく様子に似ていたかもしれない。鼻先をくんくんさせて、嗅覚で新参者の正体を探ろうとする、あれである。
 まさに、わたしも扉のひとつひとつを順番に開け閉めしたり、引き出しを意味もなく出し入れしていた。と、その時、どういうわけだか扉の中からある興味深い香りが漂ってくるのを実感したのだった。
「あっ、『百貨店』の匂いだ! 『百貨店』だ! 『百貨店』だ!」
とわたしは嬉々として騒ぎ出した。
「何ゆってんの?」
と母や、姉が寄ってきはしたものの、彼らはその匂いに接してもただ首をかしげ、
「ヘンな子だね!」
と言うだけであった。
 しかし、今でもその匂いは識別できるが、それは、今風に言えばいわゆる「デパ地下」に漂う特有の匂いだったのである。なぜそうした匂いが、新しい食器棚の内部からただよってきたのかは今でもよくはわからない。
 別にうれしそうに騒ぐ必要もなかったはずである。なのに、ことさらわたしが騒いだのは、何があるわけでもない退屈な自分たちの部屋に、たとえその「匂い」だけではあっても、突然、あの憧れの「百貨店」がやってきたからだったのであろう。きっと、わたしは、猫のように、目を細めていつまでも鼻先をくんくんとさせていたに違いなかっただろう。

 百貨店=デパートが、当時、質素で貧しい庶民の日常生活において、飛びぬけて憧れのパラダイスであったことは誰でも想像がつくだろう。何を買う、買ってもらうわけではないにしても、見てるだけで、あるいは匂いをかいでいるだけでもわくわくとしてくるようなそんな空間であった。今でいえば、わたしはあまり興味がないのだが、あの「ディズニーランド」に匹敵するのかもしれない。
 そして、食いしん坊であった幼いわたしは、地下食品売り場の、美味しいものだらけの匂いが入り混じったあの芳しい(?)匂いこそが、百貨店だと思い込んでいたようなのである。
 しかし、子どもでなくとも百貨店=デパートという存在は、多くの人にとって何か手が届きそうで届かない、涼しく「拒絶」されるがゆえに惹きつけられるそんな神秘感(?)を秘めた対象であり続けたのではなかろうか。
「かどは一流デパートは赤木屋、黒木屋、白木屋さんで紅おしろいつけたお姉ちゃんから、下さい、ちょうだいでいただきますと、五、六百は下らない品物ですが、今日はそれだけ下さいとは言いません。……」とは、あのフーテンの寅の名ゼリフである。ここにも、庶民からは距離感のあった百貨店=デパートという存在がうかがい知れる。

 なぜ、こんなことを急に書き出したかといえば、そうした百貨店=デパートの「神話」を巧みに突き崩していったあの『ダイエー』もまた、ついに時代の流れから取り残されて産業再生機構に経営再建を委ねるという局面に立ち至ったからである。
 わたしも、百貨店=デパートなんぞに縁がありようがなかった、名古屋で生活した貧乏院生時代は、衣料品、家庭用品、電化製品のほとんどは名古屋は「今池」にあった『ダイエー』で調達したものである。普段着という恰好の家族三人が、同じ店内で安いラーメンをすすって、安いがゆえに大きくもなった買い物袋を下げて帰ってきたものだ。
 決して、百貨店=デパートの本質である「タブー的高級感」なんぞはないが、その代わり「実質的充足感」だけはあったと記憶している。『ダイエー』とは、つんとすました女性も魅力的かもしれないけど、甲斐甲斐しくて親しみやすいのも悪くないでしょ、と言っている女性のような気がしたものだった。
 しかし、今、消費者たちは、すましたタイプにも、親しみやすいタイプにも、ノンと言いはじめたということなのであろうか。あの『ユニクロ』は、昨今、安さのイメージを払拭して高級品イメージへと旋回する経営にギア・チェンジしたらしい。人々の消費動向と、その背後にある生活感覚や願望などは一体どこへ向かおうとしているのだろうか…… (2004.10.15)


 常々、創造的でありたいと願っているにもかかわらず、自分の感じ方や、考え方、そして日常的にすることのすべてが完璧なマンネリ(mannerism)以外の何ものでもない、とふと感じる。クルマでの通勤時にも、そのルートが多少選択肢を持っていても、さほど異なったルートを選択しようとはしない。いつもながらのルートを選び、つつがなく事務所に辿り着くことを無意識に選んでいたりする。休日の過ごし方にしても、毎週変化のある過ごし方をするなんていうことはついぞなくなってしまった。まさにマンネリに陥っているようだ。
 もっとも、身体の調子や気分などについては正常という安定したかたちでマンネリであってくれた方がいいに決まっている。異変なぞによって「非」マンネリとなったのでは困る。
 歳を取るとマンネリ気味になりがちなのは、エネルギー自体が乏しくなり変化を嫌うからということもあるのだろう。だが、身体的な安定というものにことさらこだわってしまうからという点もありそうだ。持病を背負わされた虚弱児がどうしても変化ある行動を避けてしまうのと同じである。

 うっとうしいことを書きはじめているようだが、マンネリ気味なのではないかと感じたのは、何あろうこの日誌を書こうとする時なのである。もう三年越しにもなると、本来そんなことはあり得ないとは思うのだが、いよいよ書くことがなくなったのではないかというような枯渇感に襲われることがある。何を書こうかと堂々巡りをすることが否応なく自覚されるのである。
 原因はやはり、この間、ほとんど新規な行動には打って出ていないということが挙げられそうである。確かに、こうした日々文章を綴るという以前にはなかった継続事を始めたりはした。また、朝のウォーキングという身体に対する刺激の継続も進めてきた。だが、これらは始めた時には大きな変化ではあったに違いないが、継続してくると、まさしくマンネリと見境がつかない意味合いを持ってくる。
 ちなみに、継続してことを為すというアプローチについては決して悪いことだとは思ってはいない。いやむしろ、そこそこの目的を攻略するためには、一時的にへんな力み方をするよりも、そのことを習慣化するほどに繰り返して、継続させてしまう方法がもっとも効果的ではないかとさえ考えている。

 しかし、若干懸念しているのは、日誌やウォーキングの習慣のことだけではなく、生活のワン・パターン化は、エネルギー消費に関してはエコノミカルであるかもしれないけれど、それでは新規で、クリエイティブなものへの契機を取り逃し続けるのではないか、という心配なのである。まるで、同じルートのクルマの往来で、ひとつの轍(わだち)が次第に深く刻まれ、やがてレールのようになってほかへの進路を阻んでしまうように、人の考えも行動も、完全にマンネリ化、ステロタイプ化されてしまうのではないかと懸念するのである。
 多少とも、人の脳の働き方に関心を持つ者ならば、脳とて轍を刻むような機械的な働き方をするようだということは容易に推測できるのではなかろうか。ムダに試行錯誤しようとはしないのが、脳のエコノミカルな働きのようである。
 先日も書いた「知識」というものからして、数学の「公式」のような性格があり、これは個人的に証明するというような試行錯誤抜きで周知の前提として使っていい、という面がありそうである。われわれが、詳細に事を掌握せずとも、わかったような気分で考えたり、行動したりして、それでも難なきを得たりするのは、脳のこのエコノミカルな働きによるものだと言えるのだろう。
 このように脳はある意味で便利な働きをする。ところが、その便利さは、試行錯誤を省略している分、本来、試行錯誤の過程が発生させるはずであろう新たな発想やクリエイティブな発想が生じる可能性を、間違いなくスポイルしていることになると思われる。
 たとえて言えば、職場などでスピーディに進められるルーチン・ワークが、実にスマートではあるが、ややもすればやり方の変更などの変化を嫌い、そしていつの間にか創造性なるものまで排斥しかねないことと同様だと言える。

 この時代に生きる以上、何となく「閉塞」し切ってしまったかのような現状、しかも人々の生活を支配する経済領域においても同じようなことが感じ取れる現状に、関心を寄せざるを得ない。何がどうだと詳細は省くとして、こうした「閉塞」状況の原因に目を向けた時、よく言われてきたように、思考や発想のマンネリ化という問題がどうしても気にならざるを得ない。
 そして、やっぱりそこが問題なのかなあ、と思うのは、自分も含めた大半の人々が、無意識のうちに日々進めている日常的な思考や行動を、脳のエコノミカルな働きだと言えば聞こえはいいが、要するに「轍を刻む」ように進めているという事実なのである。
 今、ふと思い起こしたが、PCには、同じ内容のデータや処理プロセスについては、何度も繰り返し計算せず、事前の同じ計算結果をまさにエコノミカルに流用するといった機能(キャッシュ機能)がある。速度が要求されるPC処理においてはさすがに利口な対応だとは感心する。
 しかし、不具合が生じないわけではない。たとえば、ホームページのスクリプトを手直しして更新をかけたりした時に、まま、キャッシュの中の以前のデータがそのまま居直って変化を見過ごす場合があったりするのである。そんな場合、人間世界のことを思い浮かべてしまう。よくあることであるが、処理を急がされるがゆえにちょっとした変更手続きを変化なしとして見誤る窓口業務などの担当者の凡ミスのことであり、だとすれば人間と大して変わらないじゃないかと、おかしくなったりするのだ。

 現代という時代は、見た目には変化また変化の激変が続いている時代だと思われているのが相場である。だがいろいろと考えてみると、それらは「外見上」のちょっとしたバリエーションに過ぎないのであって、この世の中を牛耳っている脳をはじめとした、コンピュータにしても、制度にしても組織にしても、実のところホンネでは変化を嫌い、変化を変化として受け容れようとはしていないのかもしれない。往々にして、マンネリズムというものを怠け者の癖くらいの軽さでしか見ないことが多いようでもあるが、やや逆説的に過ぎることを言い切ってしまえば、脳の働きと意識を持つ人間のマンネリズムというのは、意外としぶとい側面を持つものなのかもしれない。
 要するに、よほどのことがない限り、あるいはよほど強くその気にならなければ、マンネリは打破されないし、クリエイティブな契機が見出されたり、環境が変革されたりすることはまず起こらないのかもしれないと…… (2004.10.16)


 (北品川の)祖父が生きていた当時は、何かといえば親戚一同が集まったりしていた。そうしたことを、亡くなった祖父は好きだったのである。だから、祖父の古希(七十歳)の祝い、喜寿(七十七歳)の祝い、八十歳の祝い、そして米寿(八十八歳)の祝いなども誰が主催するかはともかく、自然に一同が旅館などに宴席を設けて集まったものだった。
 しかし、その祖父も亡くなって十年ともなると、集まりごとに慣れていた母方の親族も、ご多分にもれず核家族化の一途を辿ることになった。まして、その祖父の遺産相続で世知辛い争いの期間が続けばなおのことである。
 が、ようやく去年から今年にかけて相続問題も終結した。そして、母にも、当初から比べれば大分目減りしたとはいうものの何がしかの遺産が相続されることになった。
 ところで母は、周辺のみんな(自分の子どもたち)にも随分と気苦労をかけたからといって、相続完了時にはみんなで旅行する資金を自分が出したいと言い続けてきていたのだった。そこで、わたしがそのための旅館の手配などを進めてもきた。その旅行が、昨日、今日と湯河原で行われたのである。
 わが家は三名、姉夫婦には、七ヶ月になった孫、母からすれば曾孫(ひまご)が登場し、その赤ちゃんを含めると六名、母を入れ総勢十名という「ご一行様」となっていた。秋のこの行楽シーズンの土日に、十名の一行を予約することはそこそこ大変ではあったが幸いまずまずの環境で、つつがなくとりおこなうことができたのだった。

 母が自腹を切ってまでみんなを招待したいと考えたのは、確かに遺産相続の成就というきっかけがあったからではあろう。母自身も、年取った身を霞ヶ関や横浜の家裁まで頻繁に通わされ、遅々として進まない相続争議のために心身ともに疲労困憊とさせられてきたはずである。また、わたしや姉は直接的には関与できなかったにせよ、サポーターとしてやるべきことはやることとなった。それだけに、母はホッとしたという気持ちをみんなで分かち合いたいと思ったはずなのであろう。
 それに、この十二月に母は八十歳とあいなる。前述のように祖父が一族を集めて節目節目の祝い事をやり続けてきた経緯からすれば、母としても条件が許せば同じことをしてもいいと考えてきたのかもしれない。現に、祖父は、自身の祝い事でありながら資金を自分が出すこともしばしばであった。また、母は、自分の父を批判めいていろいろと口にはしても、実のところ似たもの親子と言っていいほどに似ている部分が多分にあるのだった。
 どちらかと言えば、昨今では親戚関係がこぞって旅行するというのは、結構めずらしい話ではないかと思う。時代は、まさに個人主義の時代となった。親戚関係もそうだが、会社関係でも、社員旅行というのも少なくなったはずである。
 実をいえば、自社にしても設立当初からしばらくは、参加者何十名という社員旅行といった行事をきめ細かく実施してきたりしたものである。社員もそれを不自然と思うどころか、楽しみにさえしていた。それは、まさにバブル景気の時代と重なっていた。
 が、いつしかそうした雰囲気ではなくなってきたし、わたしもいつまでもそうした半強制の集団主義でもないなあ、と思い始めるようになった。会社という職場組織には、何らかのかたちでの全員の場というものがあってもいいし、それはそれでそれなりのモラール・アップに貢献する部分もある。特に、一頃のソフト会社は、派遣業務に携わる社員も少なくなく、日頃自社以外の場で就業する社員のことを思うと、そうした自社社員同士の慰安行事というものの存在意義は薄くはなかったかもしれない。
 しかし、時代は、親戚関係というものに核家族傾向が強まり始めたと同様に、職場組織にも、個人主義というものが抗しがたいかたちで浸透してきたはずである。旅行にいくのならば、本当に気の合った少数の友達同士で行きたいと考えるのが、ごく当たり前のようになってきたわけである。そんな時流もあって、わたしもあえて集団主義的(?)社員旅行という行事にはこだわらなくなっていったのだった。

 ところで、ふと思い返すならば、この国の色濃い人間関係とは、職場での人間関係、もう少し広げて仕事関係の人間関係であったと言えそうな気がする。いや、今でも特に男社会では、職場や仕事の縁での関係が人間関係の主力となっていることに変わりはないのだろう。が、確実に、さまざまな環境変化の過程でそれも衰弱の一途を辿っているように感じられる。
 そして、もう片方で、親戚関係も、ますます核家族単位の行動様式へと突き進むようになったことが否めない。さしずめ、祝儀不祝儀の行事がかろうじて親戚関係一同が会する場であるということなのではなかろうか。
 さらに、核家族単位といえども、個人主義的生活スタイルの一般化によって、家族一丸という形容は馴染みにくくなり始めてもいそうだ。

 かつて、堺屋太一氏は、人々の集団の凝集性は、「血縁」から「職縁」へ、そしてさらに「好縁(趣味や志などを縁とする関係)」関係が次第に有力となっていくと述べた。確かに、この推移が徐々に色濃くなっているような気がしないでもない。
 親戚関係にしても、職場関係にしても、関係の基本的な、通り一遍の条件だけでは何も意味しない時代、基本的条件に加えて「好縁」をどう作り上げていくのかという部分が重要視される時代になってきたのかもしれない…… (2004.10.17)


 「 不器用だけれど しらけずに 純粋だけど 野暮じゃなく 上手なお酒を 飲みながら一年一度 酔っ払う 」とは、惜しがられて亡くなった河島英五の『 時代遅れ 』(作詞:阿久悠 作曲:森田公一)の一節である。
 「上手なお酒を 飲みながら」というところが、あらためていいなあと思っている。
 最近は、もうほとんど酒もビールも、ウイスキーも、要するにアルコール類はほとんど口にしなくなった。「学タレ」の頃も、ビジネスをかじるようになってからも、そこそこ飲んできた。
 飲めば、しらふでは「横板に鳥もち」ふうにたどたどしくしか働かない頭が、「立板に水」のごとくに回転したり(当人だけがそう感じていた)、飲み相手との話しも弾まないはずがなかった。
 大方が朗らかになるタイプであったが、中には腹の虫がおさまらないような気分となり、喧嘩腰となることもままあった。しかし概ね飲んだら楽しく騒ぐ方であっただろう。
 が、寝酒に頼るという悪い癖がついてしまい、こいつはいけないと自覚した時からピタッとやめてしまった。だから、今では旅行に行って食事時に軽く飲むだけでも実に経済的に酔えるほどになってしまったわけだ。

 自分が飲まなくなると、飲み続けている知人、友人の姿が「醜く」見えるようになるから勝手なものである。まあ、酒飲みというのは大体が次第に自分が酒に呑まれてしまうという愚に踏み込んでしまうものである。適度に切り上げて、決して乱れないというような酒飲みをあまり見かけない。それで、「上手なお酒を 飲みながら」という歌詞を引いたのである。
 おそらく、ストレスもたまり、不安や不満やそして怒りまで助長されるこんなご時世であるから、酒飲みにとっては、飲み始めればテッテー的に飲み、思いっきり憂さを晴らしたいと思うはずであろう。アルコール類の売上が、他の商品が低迷しても「メートルを上げて」いるのは、クスリのように酒を飲む人たちもいるからのはずである。

 わたしが今でもいたたまれず酒が飲みたいと思う時があるとすれば、それはひとつの場面を思い描く時、あるいはそれに類似する心境となった時だといえる。
 あのフーテンの寅が、旅先の場末の食堂で、独り背中を丸めて手酌酒をちょこに注いでいる光景なのである。外は木枯らしとまではいかなくとも、薄ら寒い秋風がそよぎ、薄ら汚れたのれんがぱたぱたとあおられたりしている。店の中にも隙間っ風が吹き込んだりして、誰が居るというわけでもなく、万事、薄ら寂しい空気が充ちている。
 しかし、寅次郎は決して陰々滅々とした素振りでなんぞではいない。あくまでも、何気ないほどにクールなのである。また、正体をなくすような醜い潰れ方もしていない。もっとも、潰れるほど飲む銭がないという推測も成り立つわけではある。
 このへんの姿が、フーテンの寅次郎の「隠し味」たるダンディズムなのであるが、酒を嗜んだことがあるものからすれば、酒とはそんな景色、形式で飲みたいと思わずにはいられないのである。美空ひばりの「悲しき酒」も悪くはないが、まあそこまで深刻にならないのがまたいいわけである。
 現に、わたしもクルマを使わないちょいとした行き先では、独り静かに銚子の酒を傾けて悦に入ったりもする。そうして飲み、見知らぬ場所であってもほろ酔い加減で何となくほっとした気分にさせられる時、酒というのは旨いし、ありがたいものだとしみじみ思ったりするのである。これが、「上手なお酒」その一ということになるのではなかろうか。

 わたしは、基本的には酒というものは、この「その一」の「独り静かに」方式でこそ評価できると考えている。だが、その対極には、大勢で騒ぎながら飲むスタイルもあるにはある。中には「イッキ、イッキ!」と飲み屋の回し者ふうに罵声を上げる不届き者もいたりする。
 そんな類は論外だとしても、口角沫を飛ばす議論をしたりとか、話にならない話をして「よーし、わかった! じゃオレに任せとけ」とか無責任なことを言い放題で飲むというのもある。わたしにもまんざら覚えがないわけではなかったりする。
 しかし、やっぱり、「静かに、しんみりと語らう」というのが上の上ということではないかと感じている。それが「そのニ」ということになりそうだ。そして、そんなふうに飲める相手とならば酒を拒む必要は全然ないと思っている。
 だが、飲むといえば、ただただ騒然としてしている縄のれんであったり、未だにカラオケ付きであったり、またわけのわからない女の子付きであったり、とかくコミュニケーションは名ばかりのノミニケーションと騒ぎでしかないことが多過ぎる。さらに、このご時世になっても、酒は「バカになるための」道具だなんぞと見なしている古風な方もいらしたりする。「バカはバカになる必要はないじゃないの」と野暮なセリフを吐きたくもなってしまうのだ。ダイコン掲げて踊るそんなバンカラ時代は、遥か遠くになりにけりだとは思えないのかとただただ唖然なのである。そんな酒であるならば、いや、酒は止めたんです、と言っておいた方がまずまず無難なのかもしれない。
 それにしても、いい歳になり始めたのでもあるから、自分なりの「上手なお酒」の飲み方というものを考えなくてはいけないと思った。この土日に久々に飲んだためこんなことを書いている…… (2004.10.18)


 先ほど来社した取引先の営業の、挨拶の後の話の切り出しが台風接近についてであった。
「台風がまた上陸するようですね。今年は上陸の数で新記録だそうですね」
「イチロー並みということだね」
とまあ、ろくでもない繋ぎ話なのである。天気の話題が、差し障りなくていいにはいいと言われているが、もう少しポジティブな話題であってほしい気もする。
 その業者は、PCや周辺機器などのハードを商っているが、ご多分にもれず一頃のような盛況ぶりは期待すべくもなく、来社するたびに、内部の苦しい事情の打開策を顧客側に肩代わりしてもらおうとするのである。要するに、相変らず取引き相手側での「焦げ付き」があるようで、それへの防御策をいろいろと依頼してくるのだ。
 うちは、そことはさして大きな取引きをしていないし、これまでもまた現状も、支払いで心配させるような状況ではない。にもかかわらず、他で被害を受けているのかどうかやたらに守りの姿勢ばかりが営業前線にまで行き渡っているのである。
 のっけから台風上陸の話をするのは、日頃の心配性がなせるところなのかと類推したほどである。
 要するに、こうした状況が巷(ちまた)のリアルな景気情勢だというわけだ。決して、明るい何かが動き出したとかという景気回復傾向なんぞではないと思われる。

「財務とかの、そう後方対策ばかりに力を入れていていいの? 何か新しい動きに打って出るようなことがないと立ち行かないんじゃないのかなあ……」
と、わたしは他人事めいた言い方をした。自身の課題でもあるのに。
「ええ、社長が財務畑の出身なものですから……」
と、営業マンは弁解した。
「この時代、ハードだけでは難しいものでして、弊社もソフトに力を入れてはおります」と、何度も聞いたことのあるようなセリフも付け足していた。
「ソフトといってもねぇ。今やソフトだけでは立ち行かないという人もいるくらいですからね。何か斬新な視点がね……。しかし、どうも新しい動きになると全体が行き詰まっている感じが否めないよね。これで、ことしの年末商戦とか言ったって、なにが目玉になり得るのかっていうところだよね」

 そんな会話をしながら、わたしはあることを考えていたのだ。
 今、一見華々しく見えている企業といえば、新球団創設で話題となっているIT関連の「楽天」や「ライブドア」であり、これに、球団ダイエイホークスを買い取ると名乗り出た孫 正義氏が率いる、これまたIT関連の企業「ソフトバンク」であろう。
 もちろん、かれらの動きは、企業経営の仕事師、孫 正義氏が登場することで明瞭なように、決して道楽事なんぞであるわけがない。リスクを背負っても余りある経営上の大メリットが目されるからに違いない。
 それは何かと言えば、現代の企業経営の戦略ポイントは「スケール・メリット」以外ではないと言える。IT関連企業にしたところが、技術云々なんぞではなく膨大な数のネット会員を手中におさめたところが「勝ち組」となったわけである。「マイクロソフト」社にしても、世界中の膨大な数のOSユーザーを囲い込んだからこそ今日がある。もっとも、同社の場合は、「スケール・メリット」でいう「薄利多売」にあらず、しっかりと「厚利多売」であったからスケール違いの出来栄えとなれた。
 そこで、「スケール・メリット」を支えるのは何かといえば、なんと言っても「知名度」であり「ネームバリュー」であることは想像に難くない。そして、それらを成長させるのには、大衆的熱狂と結びついたベースボール球団を持つことが効果的であることもまた想像に難くない、と言うべきなのであろう。

 正直言って、そうした動向はわたしにとってはどうでもいいことではある。しかし、否応なく目が向くのは、現代という時代環境が、プラス面とマイナス面の両面で「スケール・メリット」を作りやすくしているという事実である。そして、それを可能にしたのが、世界を跨(また)いで、瞬時に情報を流通させるインターネット環境であったわけだ。
 インター・ネットは、とりあえずの事実の「認知」という点では、TV、ラジオ、新聞といったマス・メディアとともに、大きな威力を発揮した。マス・メディアには「同時配信」という時間の制約や、「一方通行」という制約があったり、地域の制約があったわけだが、それが取っ払われてパーソナルに情報に接近できる点がきめ細かい。
 ビジネスに関していえば、当該商品の価格が最も安いところはどこかというような情報は瞬時に入手することができるわけで、これが買い手側に便宜を与えるとともに、売り手側には「スケール・メリット」(「薄利多売」)を手に入れさせることになる。
 こうしたロジックの「通販」の事情を見つめれば、販売数が限られるがゆえに、価格が落とせないでいる地元商店街が対抗措置を取りづらく、「負け組」に近づくことは歴然としている。
 ただ、そうであるがゆえに、このシステムでは、エンドレスにも見えかねないあのポーカーでの掛け金拡大の勝負のように、エンドレスの価格引き下げ、コスト割れという地獄光景も生じないわけではなく、「勝ち組」もまたセレクトされざるを得ないことになる。

 「スケール・メリット」にこだわったが、本来、インター・ネット時代は、価格などのような比較可能な情報の認知に限られるはずはないと思われる。こうした表面的な情報の認知が今は「スケール・メリット」を産み落としているようにも見えるが、それはインター・ネット時代の、まだ入口でしか過ぎないからであるような気がしている。
 まだコンテンツが深く問われる時代になっているとは思えないし、アクセス側も十分に「検索」機能を活用しているわけでもなさそうだ。その意味では、現在のインター・ネットは、まだまだ従来のマス・メディアによる広告・宣伝レベルの域からさほど出ていないと言うべきなのかもしれない。
 わたしがインター・ネット環境に期待するのは、「コア・コンピテンス(core competence)」のような正真正銘の企業個性が認知され合って、そこから膝を交えた「非」インター・ネット商談が生じたり、より深い情報交換が進められたりして、新しいビジネス関係が生み出されていく関係である。この時、「スケール・メリット」なぞというビジネスの初歩の初歩は、春の雪解けのごとくクリアされるはずではないかと考えている。
 現に、こうした形でインター・ネットを活用しているビジネス関係者も(もちろん一般の人たちも)いると聞いているし、まだこの時代は十年と経過していないわけだから、これからどうなって行くかは誰にもわからない。

 別に、「犬の遠吠え」と聞こえてもいいのだが、今「スケール・メリット」を追いかけ、そこそこの規模に達している企業群を、わたしはひと昔、ふた昔前の経済状況の頃の企業の寿命と同じだという視点では決して見ていない。底の浅い「スケール・メリット」が効く時代は、同時に「タイム・リミット」(賞味期限?)が極限化する時代でもあろう。小泉首相を見ているとそんな道理が思い浮かんだりする…… (2004.10.19)


 久々に自作PCのメンテナンス作業をすることとなった。と言っても大したことではなく、ちょっとした不具合の修正と、周辺機器の取り替えという簡単な作業である。
 ひとつは、"PCMCIA"のカード・デバイスが急に認識不能となった件である。
 昨今は、ちょっとしたファイルのストレージ(記憶媒体)や、デジカメのメモリについては、ほとんど"USB"仕様のものを使って重宝している。だが、以前は名刺サイズの"PCMCIA"のカード・デバイスを使っていた。コンパクト・フラッシュ(CF)メモリにしても、それを使って活用していた。
 ここまで"USB"仕様が支持されるとは想像しなかったものだ。特に、同仕様がバージョン 2.0 となり転送速度が改善されてからというもの、取扱いの簡便さからPCとの接続は"USB"仕様が標準方式となった観がある。
 そんな実情だから、CFにしても"USB"ポートを介して利用することも多くなり、"PCMCIA"のカード・デバイスそのものが宙に浮いてしまっていた。
 久々にそれを使う必要が生じたので使おうとしたら、不具合が発覚したのだった。さほど使うこともないので、黙殺しておけば良いものを、次第に気になりはじめてドライバーを入れ直してみたり、挙句の果てにメーカーのサイトを訪れて最新情報を探ったりした。すると、Windows 2000 では種々の不具合が発生しているとの情報もあり、またメーカーもそれに向けた対応ソフトのダウンロードを許していた。
 そこで、それじゃあということでそれらを試みることにしたのだが、そうしていながら、そこまで手をかける必要があるかなあ、との疑問が片方では芽生えていた。しかし、着手し始めると途中で降りるのが悔しい気にもなり、とにかく対応し続けたのである。
 だが、懸念していたとおり、事態は次第に厄介なことへと発展してしまい、夜な夜なブツブツといいながら当初見積りをはるかに越える作業となって行ったのだった。結局、そのデバイス自体が破損してしまっていることが、同型の別なものを使うことで判明したのではあった。
 つまらないことで長時間を潰してしまったことに後悔していたが、ただ、その製品のサイトへ行った時、PCの新OS向けのドライバーやら、発生する不具合向け対応ソフトが公開されているなど、メーカーも、自社の古い製品へのサポートに結構尽力せざるを得ないのだということを気づかされた。まるで、出来の悪い子どもが仕出かす不始末に、親が泣かされ続ける光景にも似ているのである。まあ、良心的なメーカーでは、どこでも背負っている「負債」ではある。

 いまひとつ行った周辺機器の取り替えというのは、ようやく古いCD-ROMドライブを、"DVD-R"のドライブに取り替えたということである。"CD-R"はすでに外付けで活用していたのだが、内蔵のCD-ROMドライブは12倍速のものを使い続けていた。ところが、音楽CDから「リッピング」(WAVE ファイルをデータとして取り出すこと)する際に、アプリケーションソフトとの間で12倍速CDでは齟齬を来たすことがわかったのだった。
 そこで、そんな齟齬を解消することと、あわせて"DVD-R"ドライブへの期待感も手伝って、「新旧交代」のリプレースを敢行しようとしたのである。
 "DVD-R"ドライブの魅力は、何と言っても、「4.7GB」という大容量が可能なことであろう。さし当たって、アミューズメントDVDを楽しもうという動機はなくて、700 MBという"CD-ROM"の記憶容量では間に合わないデータ保存に役立てようと考えているわけだ。マルチ・メディア時代の昨今では、どうしてもデータ量が膨らみがちである。それらをHDDに保存していたのでは、もったいないとともに、持ち運びや郵送などに困ることとなる。それで、大容量のデータ保存媒体としてDVDに期待したいわけなのである。

 しかし、PC関連のメディア(記録媒体)の変遷は、何と目まぐるしいものであるかと痛感する。しかも、関連デバイスとメディア自体の価格もどんどん低下しているありさまだ。前述の"DVD-R"ドライブにしても一万数千円であったのだから、敬遠するほどの対象ではなくなっている。
 これが、現在の「情報(化)社会」の、ひとつの大きな特徴なのだとも考えられる。つまり、マルチメディア、ニューメディアというふうに、情報自体を載せる「器」が猛スピードで革新されていく点である。ただ、現実の特徴をもっと正確に言うならば、そうした「器」が次々に革新されるのに対して、その中身の情報(コンテンツ)が期待されるほどには創造的に飛躍せず、「器」と「中身」のバランスが崩れていることだと言えそうだ。
 たとえば、DVDへの注目にしても、どうもTV番組の録画という使用法などに妙に関心が持たれたりしている。あとは、子どもの成長記録のビデオを焼き付けるといった程度であろう。また、市販されているアミューズメントDVDにしても、レンタルビデオの内容と寸分違わない過去の映画の載せ替えでしかない。要するに、中身は変わらぬ「リハウス」以外ではないようだ。
 こうした点は、「情報(化)社会」が話題に上り始めた当初から予想されたり、指摘されたりして来たようだが、その辺の課題が相変らず尾を引いているようだ。多分、この課題こそが本当の意味での「情報(化)社会」の本丸的課題であり、途方もなく長い先まで積み残され続けるのかもしれない…… (2004.10.20)


 相変わらず固有名詞などの「度忘れ」に遭遇し、そのたびにイライラしたり、当該の言葉に辿り着きホッとしたりで、若干のストレスを感じたりしている。当面、かの「アイウエオ方式」で対処はしているが、それこそこうした類の困り事に照準を合わせた「度忘れ助っ人システム」なんぞというものが考案されないものであろうか。これからの高齢化社会で、きっと重宝がられるし、ヒット商品にもなり得るであろう。

 多くのソフトウェア技術関係者が、当初漠然とした形で期待を寄せていたのは、ソフトを創るならば人間の思考を本当に助けるような、そんな神秘的なジャンルに入り込んでみたいということではなかっただろうか。
 単なる反復作業の肩代わりや、正確さのチェックやら、大した内容でもない計算を高速で処理するといった、現行レベルのソフト開発をターゲットとしていたはずではなかったのではなかろうか。まして、アプリケーションの内容は二の次にしたテクニカルなジャンルのみに拘泥する路線にはまり込むとは想像もしていなかったのではなかろうか。いや、アプリケーションなんぞには関心はない、テクニカルな面でのロジックと、ロジックでは割り切れずに残された不可解な技術的空隙(大半のトラブルはこの隙間に潜む!)などに興味があるという技術者もいるかもしれない。
 しかし、そうした場合であっても、ロジックというものは人間の頭脳や思考過程と無縁に存在するものではなく、要するに人間の思考とモノの世界との関係ということなのであって、思考の神秘への関心という点では同値ではないかと思うわけである。

 つまり、ソフトウェア志望者たちの多くは、いや多くとは言えないかもしれないので、ある部分の者たちは、人間の思考の神秘をソフトウェアの記号世界に置き直して追求してみたいというナイーブな動機を持っていたのかもしれない。少なくともわたし自身はそうであっただろう。
 だからと言って、すぐさまに「人工知能」云々というターゲットに急ぎ馳せ参じるばかりがアプローチだとは思わなかった。FA(ファクトリー・オートメーション)領域のテーマにだって、人間の思考、判断、行動と密接に関係した興味深い事柄は散在していたからだ。ヒューマン・エラーをどう防ぐのかというテーマにしてもりっぱな人間の思考関係問題であっただろう。また、人間が人間ならでは望む段取りなぞを、脳も心もないラインにどうやらせてそれを刈り取るのかということにしたって、6割、7割は人間の思考過程自体の再吟味であったはずだから、アプリケーションといえば結構、人間自身の思考そのものがテーブルの上に乗せられていたはずなのである。
 いわゆる事務系のアプリケーションなぞは、まさに人間による事務作業という人間の思考と行動の領域の問題が直接ターゲットとなっていたに違いなかろう。

 今でもソフト開発を志した者たちが、人間やその思考と行動の神秘に多大な関心を抱きつつわくわくしながら仕事をしているのだろうとは思う。ただ、ちょっと気になっているのは、不況色の経済状況が投げかけている問題がひとつであり、あとは漠然とした不安がひとつである。
 ソフト開発に限ったことではないが、時代はますますその研究なり開発なりがビジネス的に成立するのかどうかという観点が重視されている。
 最近ふと思い返していたのだが、バブル時および好況時には、いろいろと問題もあったが、研究開発などについてはいろいろと試行錯誤もしようとする余裕の動きがあったように思う。「AI(人工知能)」研究もその当時であっただろう。しかし、不況色を深める時期となって、採算性という観点が度外れて浮上してきたようである。おそらく、研究開発部門に籍を置いている人ならばその変化をひしひしと感じているに違いない。
 この国の場合、国立大学の経営的位置付けさえ変更されるくらいだから、いわゆる基礎研究などが肩身の狭い思いをさせられているであろうことは容易に想像がつく。
 本来、基礎研究および開発こそが、画期的な「知の革新」を生み、それがやがてはビジネスや経済のリフレッシュにも波及するのが道理である。にもかかわらず、そのジャンルへの予算づけが停滞するのでは、先細り状況の打開は期待薄となってしまう。
 まして、未知数の多い人間の思考や行動に関する領域に力が投入されにくいとするならば、「情報(化)社会」はただただ硬直化しがちとなり、経済の新局面も現れにくくなるのではないかと、そんな懸念をするのである。
 勝手な類推でしかないのではあるが、現在の経済情勢を観ていると、どうしても「閉塞」的なイメージが拭い切れないわけだが、その大元の原因はそんなところにありはしないかと思ったりするわけなのである。

 それから、もうひとつの不安とは、現在、言うまでもなくPCとネットの環境は、大胆に言い切ってしまえばマイクロソフトのプロダクツで世界中が塗りつぶされている観がある。マイクロソフト仕様が世界のデファクトスタンダード(事実上の業界標準)的意味合いを帯びている。それはそれで、共通環境に基づくメリットも提供されたことにもなるわけだからいい面があろう。だが、果たしてこれが未来に開かれた発展的な技術環境だと言っていいのかどうか、が杞憂的に気になったりするのだ。
 まして、ビジネス領域では、シェアの大きい既存の技術環境に依拠することがリスクを避けることになるため、それを追認する傾向が増幅されるのではないかと思う。
 要するに、いろいろな技術的発想が選択肢を残しつつしのぎを削り合う状況こそが、豊かな発展的環境だと思えるのである。

 こんな超マクロな事柄に目を向けてもせん無きこととも思える。だが一方で、派遣技術者を奪い合うように集め、扱い、それでソフト開発業だと思い込んでいるソフト会社が決して減ってはいない現状もある。またそうした人材を集めてあぶなっかしいシステム作りを進めている企業も少なくない。技術者たちの単価水準はジワジワと切り詰められているわけだから、システムの劣化もジワジワと進行しているはずであろう。そうして稼動し始めるシステムが現在と今後の経営に本当に役に立つのかどうか、一体誰が責任をもってアセスメントしているのであろうか。現実は、とにかく良くも悪くも確実に場当たり的に進行している…… (2004.10.21)


 朝のウォーキングのコースで、ちょっとかわいそうだと思ってしまう犬にいつも出会う。
 よその飼い犬なのであるが、飼われている場所が気の毒というほかないのだ。狭い路地の奥の奥に、その犬の小屋はある。路地の幅は50センチ位であろうか。長さは7〜8メートルといったところか。狭い路地を形作っているのは、ご主人の家の壁と、隣の家の壁であり、もちろん陽が差すことはない。
 一番最初にその犬を知ったのは、わたしが歩道を建物寄りに歩いていたら、急に路地の奥の暗がりから、唸り声を上げて一匹の犬が突進してきた時だった。路地の入口は、腰までの高さの鉄格子の扉が設えてあったので襲われることはなかった。しかし、長いトンネルのような空間から、何かが突然突進してくる状況というのは人を驚かせるものだ。
 濃い茶色の毛で、鼻先が黒いそいつは、わたしの姿を見ながら猛烈に吼えまくっていた。初回は、ただただビックリ仰天するだけのわたしであったが、次の日、その路地に近づく時、その犬が奥の小屋かその付近でどんなふうにくつろいでいるのかが気になったものだ。そこで、路地に近づくと気づかれないように、そっと覗いてみた。
 そいつは、路地の幅が幅であるため、路地の方向なりにこちらを向いて寝そべるしかないので、スフインクスの恰好でこちらをぼんやり見ていたのだ。が、やがてわたしを見つけて、昨日と同じようにスクッと立ち上がり、猛スピードで入口の扉の方へ突進して来た。当然、威嚇の吼え声を上げてである。
 わたしは、犬をいたずらに吼えさせていたのでは、まるでからかっていると思われてもいけないと思い、そこを立ち去った。立ち去るといっても、ニ、三歩歩めばもう犬の視界から見えなくなるのである。

 ウォーキングを続けながら、わたしはその犬が一日どんなふうにして過ごすのであろうかを想像することになった。長さ7〜8メートル、幅50センチ位の暗い路地の奥からは、道路側の明るい戸外は、垂直のスリット(隙間)状の光の帯に見えるはずである。その隙間を車道には高速のクルマがあっという間に通り過ぎる。競馬のゴールでのスリット・カメラを思い起こさせるが、瞬時のことなので何が飛び去ったか判別し難いということになろう。
 その犬からすれば手前側の歩道を人が行過ぎるのも見えるであろう。だが、それとて、一歩で見えなくなってしまう幅であるから、よほど凝視してでもいない限りチラリと何かが……というかわいそうな感じであるはずだ。
 そんなことを想像していたら、にわかにその犬の置かれた環境が憐れに思えてきたのだ。クルマも人も通らない時もあろうが、スリット状に見える遠くの光景は、光景なんていうものではない退屈極まりないものに違いない。見るに耐えないはずである。視線を泳がせ、気分を遊ばせるなんてことは無縁の世界なのである。確かに、番犬としては、「職務分掌範囲」が狭いだけに、注意力が散漫となる心配はなかろう。しかし、生き物であるのだから、飽きる、という大敵をどう撃退するかという課題が発生してこよう。
 もっとも、その犬は、そうした「刑務所」生活だけを強いられているわけではなかった。
 夕刻にウォーキングをした際、その家の中学生くらいの娘さんがその犬を散歩させているところを見たことがあったのである。いくら何でも、あの居住環境で散歩もなければあの犬は発狂するか、鬱病にでもなっちまうよな、と思いながらなぜだかほっとしたものであった。そいつは、ほとんど義務めいた感じで綱を持つその子を尻目に、グイグイと引っ張る勢いで歩き、まるで日常の憂さを晴らしているようであった。

 その後わたしは、その路地を通る際には、必ず覗き込むようになってしまった。すると、必ず突進して来る。だが、最近はどういうものだか吼え方が和らぎ、場合によっては吼えなかったりもするのだ。わたしが単にからかっているだけではないという心境が、そいつに伝わった結果なのかと思ったりしている。
 わたしがその犬に興味を持つ思いの中には、そうした<狭隘な視界>の環境に置かれた犬が、決してその犬だけのことではなくて、どこかわれわれ現代人にも相通じているのではないかという、穿(うが)った感触が潜んでいないとは言えない…… (2004.10.22)


 今日は、二十四節気(陰暦の季節の区分)の「霜降(そうこう)」にあたるらしい。昨日は、富士山で初冠雪が確認されたともいう。いよいよ秋深まる頃となったわけだ。
 日中はうす雲で日差しも途絶えていたが、朝のウォーキング時には気持ちの良い秋晴れであった。草むらにはススキの穂が秋風にそよぎ、秋らしい風情が漂っていた。
 境川の流れは、台風の名残か幾分水量が多いようであったが、それはともかくいかにも流れる水は冷たそうに感じられた。平気な顔で浮かんでいるマガモたちがさすがに野生だなあ、と思えたりした。

 あてもなくぶらぶらと買い物に出て、日暮れて帰って来たが、秋の日の宵は人恋しく、明かり恋しくさせるような雰囲気でいいものだと感じた。
 久しぶりに書店を覗いたら、もう来年の暦が平積みにしてあったので、ちょいと気が早すぎるんじゃないかと思った。確かに来週は十月も最終週で、来月は寒さを気にし始める十一月ということになる。猛暑に愚痴をこぼし、そして台風だ、台風だと騒いでいたらもうこんな季節になってしまったわけだ。やはり、時の過ぎ行くのが速いと思ってしまう。
 つい先ほど結構大きな地震があった。震源地は新潟で、現地では震度6を記録し、死者も出る被害があったそうだ。それにしても、猛暑といい、度重なる大型台風の上陸と相応の被害といい、さらに地震とくれば、今年はまさに天変地異の年として特長づけられそうな雰囲気である。地球温暖化の影響を、何十年後の事と高を括っているわれわれに、自然は厳しく「手付金」を打っているのであろうか。
 イラク問題、北朝鮮による拉致問題、秋の深まりと比べものにならない政治と経済の腐敗ぶりの深まりなどなど人間界の混乱も度を越しているが、ひょっとしたら秒読みの段階まで来ているかも知れぬ自然の異変を、今もっと凝視すべきなのであろう。

 それとともに、自然環境に対する認識や姿勢の甘さに反省が必要であるような気もしている。たとえば、今回や前回の列島縦断台風による被害を見ても、ちょっとこの時代での「天災」としては破格なのではないのかと思えるからだ。
 この時代での、というのは、生活や社会の隅々にいたるまで、ハイテクやITが駆使されてコントロールされている時代ということであり、少なくとも人々の意識においては自然は克服したというような錯覚が野放し(?)にされている現状のことである。
 自然災害の原因についてはさまざまな角度から分析されるべきであろう。が、わたしは特に人々の意識について関心を向けたいと思っている。
 下世話な表現をすれば、われわれは自然をナメテいるのではないかと思うのである。それも、大した根拠もなく、である。思い上がっている、という表現をさえ使ってみてもいいのかもしれない。

 たとえばこの間の台風の被害をつぶさに調べてみたわけではないが、要するに、人間界の弱点が小憎らしいほどに衝きまくられているように思う。低い土地、古い堤防、脆弱な崖などなどである。
 われわれは、天に聳えるごときの高層ビルや、自然界を縦横無尽に走る高速道路や、あるいは宇宙をも支配せんとするような宇宙ロケットや、それに「安全と信頼」のイメージを奇麗事でまとめたTVのCMや、「政府が責任をもって……」なぞと放言する政治家たちの能天気さを添えてもいいかもしれないが、そんなもので漠然とした対自然の安全の虚構イメージを作り上げてしまっていそうである。意識の上で勝手にである。
 それら皆が虚構だと言うつもりはないのだが、そうした安全イメージが通用しているのは、言ってみればそういう恵まれたケースもあるということに過ぎないのではないかと思うのである。
 行政側にしても、自然災害である、という隠れ蓑としての言い訳が成り立つことがらに対して、危険な災害可能性のあるケースをことさら明るみに出すだろうかと推定するのである。行政の論理は、好意的に想像してもメジャーのための論理であり、マイナーの不幸まで救うことではないだろう。
 またマスメディアが一般的に報じるのは、都会という自然災害に対しては恵まれた空間(ただ、地震災害は別!)についてであろう。全国の人々の意識が、マイナーな地元の危険を懸念するよりも、何となく都会と同じように安全だと錯覚していったとしても無理のない話ではないかとも思う。
 ところが、猛威だとか脅威だとか言われる自然は、悪意の有無に関係なしに水は低い所に流れ込むという、それこそ自然の論理で、不幸なマイナーな対象を容赦なく直撃することになる。
 わたしが思うのは、多くの人が漠然と抱いている「大丈夫」感、それは多くはマスメディアが一般的に報じる情報空間によって出来上がってしまっているのだと思うが、それと、特殊な地元の状況とのズレこそが結構危ないということになるのではないかということなのである。

 とかく、人というものは自分にだけはワーストな事態は訪れないと盲信していると言われている。それに加えて、マスメディアが日頃流している楽観的で、波風が立たない報道内容が加われば、たとえ危険な箇所に住まざるを得ない人々の意識にも、根拠のない「大丈夫」感が生まれてしまうのではなかろうか。これがわたしの大胆な推測なのである。
 あとひとつ、これもまた大胆な視点なのであるが、お年寄りたち(政治屋は除外したいなぁ……)の発言力の低下が、自然災害を大きくさせるのではないかという点である。言うまでもなく、お年寄りたちは、その土地ならではの自然環境を長く体験してきている。いわば生き字引であるはずだ。
「おじいちゃんの言うことより、TVの言うことの方が確かだよ」
という風潮が一般的になっているはずだろう。これはとんでもない間違いなのだと考えている。
 お年寄りたちの発言力の低下とは、偶然の出来事ではなく、体験に根ざさぬ知識・情報が飛び交い、優位性を占める「情報(化)社会」時代の顕著な特徴のはずである。

 自然災害について、人々の意識のあり方に問題含みな点のあることを書いてきたが、問題の広がりは自然災害だけではなく、同種の問題はかなり広い範囲にわたっていそうな気がしているのである。
 戦争の被災についても、またそうした同じ過ちへと近づいていくプロセスの問題についても、あるいはまた、不況経済の行方や政治の動向に関しても、これだけ危機感の欠落した状態でいられるのは、われわれが、マスメディアの垂れ流している根拠のない平和ムードと一緒になって「だいじょーぶダァー」と錯覚し続けていることに由来してような気もするのだが…… (2004.10.23)


 新潟県中越地震は、事態が明らかになるにつれてその被害の大きさが人々を驚かせている。21人の死亡が確認され、千数百人が手当てを必要とする状況のようだ。通信網や道路も寸断され、被害状況が不明の箇所もあるところをみると、まだまだ被害規模は更新されてしまうのではなかろうか。
 TVで報道されている光景だけを見ていても、その被害状態は信じられないような規模と形だ。上越新幹線の列車が乗客を乗せたまま脱線したのも衝撃であった。幸い転覆事故にはならず、怪我人が出なかったことがまさに不幸中の幸いであったと言える。
 まだ、余震が二百数十回という頻度で起きているようなので、何を「怒って」か知るよしもない地下の得体の知れないエネルギーの興奮は、まだ冷めやらぬようだ。

 今回の地震を二週間ほど前に予知していたある大学教授がいたそうである。その説によれば、以前に起きた紀伊半島地震と原因はつながっているとのことである。
 大きな地震は、大陸を形成している「プレート」間の圧力の均衡関係が微妙に崩れる時に起こされるという。「プレート」とは、地球の表面に浮かぶ巨大な地殻のことである。そして、日本列島の大半は「北米プレート」上に位置しているとされ、その「北米プレート」は、西側からは「ユーラシアプレート」、東側からは「太平洋プレート」、南側からは「フィリピンプレート」によって押されているのだそうだ。
 今回の地震は、紀伊半島地震と同様に、「北米プレート」と「ユーラシアプレート」との境で生じた軋轢の結果だそうなのである。両プレートの軋轢関係で形成されている「活断層」付近に震源地があることから濃厚に推測されるらしい。
 同教授は、この二、三週間の間にこの付近の活断層近辺で微弱な地震があったことを観測していてこの予知に至ったそうなのである。

 地震予知というのは、科学的に分析、判断するのも難しいことであろうと思うし、また、その予知事実をどう公表し、行政指導などをどう進めるのかということも簡単なことではなさそうである。
 まず、科学的な予知といっても、危険地域についてはまだしも、時期、時刻などを、日常生活感覚レベルの幅で特定するということなぞは至難の業と言うべきなのであろう。
 「プレート」という二つの存在間にどの程度の軋轢が生じていて、どこまで現状が持ち堪えられるのか、というようなアプローチで検討されるのかもしれない。としても、「現場」の「活断層」は巨大なライン状で走っているようだから、その種のセンサーを設置するとしても途方もないことになるはずだ。また、今回の震源も地下10キロと報じられていたのだから、観測する深さも半端ではない。しかも、仮にデータが揃ったとして、それらによって軋轢が解消されるズレの動きを起こす日時を特定するなんていうことは、ほとんど無理に近いように思える。
 そして、たとえ地震発生の日時らしきものが確率論的にはじき出されたとして、それで日々の社会生活側がどう対応するのか、できるのかという点もまたやっかいなことのようだ。
 台風のように、その動向や推移が誰の目にも明らかであれば、説得力もあるのだろうけれど、何月何日の地震発生の確率は、49%と発表されました、ということになったとしても、で、どうする? ということにしかならないのではなかろうか。
 こんなことを考えていると、その「確度」が圧倒的に高まれば話しは別なのかもしれないが、現状の地震予知という研究のとらえどころのなさが改めて知らされてしまうようである。

 結局、「備えあれば憂えなし」という消極的には見えるが手堅いはずの対応しかないような気がしてくる。いわゆる「耐震設計」の建物と地域環境建設ということになるのだろうか。
 そう考えると、現在の都心の状況がにわかに注目されることになってしまう。大事が起きる前に、大掛かりで詳細な「都市地震アセスメント」とでもいうべき調査研究を着実にやるべきなのであろう。事実上、そうしたことに蓋をしてしまっているように見えるのはわたしの思い過ごしなのであろうか…… (2004.10.24)


 新潟の地震被災者の方々は、不便さと不安とそして朝晩の寒さで心身ともに痛手をこうむっておられるのだと思う。特にお年寄りたちの心細さがいかばかりのものかと気になるところだ。もし自分が当事者であったらと想像すると、こうして何食わぬ顔で日常生活が過ごせていることにもっと感謝していいはずと、正直思えた。
 ところで、今回の地震被害でも、また先ごろの台風災害でも、死に至るほどの被害を受けたのはどうも高齢者の方々であったかと思われる。とかく孤立したかたちで取り残されがちな高齢者たちが、行動力が低下していて逃げ遅れたりして自然災害の犠牲者となっていくのは、何とも哀れである。かといって、現状では、都市部に住むであろう子どもたちの世代と共に暮らすことも簡単ではないし、その逆も難しいことであろう。
 ただ、これからこの国が迎えようとしているのが、高齢化社会の時代であることを大前提にして考えるべきではなかろうか。都市部とて、高度経済成長の時期のように若者たちが溢れていた時代とは状況が一変しているはずである。平常時の「バリア・フリー」思想は、災害時にも問題なく適用されているのだろうか。

 つまらない話だが、以前こんな話を聞いたことがある。ある清涼飲料水の自動販売機の前で、とあるお年寄りが操作方法がわからずにしばらくフリーズ状態となっていたというのである。
 一般的には、お年寄りが「機械類に弱い」という不思議でもない話として笑い飛ばされる可能性のある話である。しかし、現在の都市の環境は、多かれ少なかれ「自販機」的構造(?)で張り巡らされているのではなかろうか。「省力化、自動化、無人化」であり、そのために必要な操作のメッセージ化であり、またメッセージのシンボル化などである。
 わたしは、こうした環境が、必ずしも人間への「インストラクション(指示説明)」に万全だとは思っていない。
 たとえば、わたしは日頃PCを扱う機会が多いので、PC環境で乱舞する記号やシンボル、操作手順などに関しては大体カンに頼ってでも無難に処理できる。しかし、これはまさしく慣れのなせる業なのであって、部外の一般の人たちがすべてそうだとは到底言えない事情だと考えている。
 つまり、「省力化、自動化、無人化」と「記号化、シンボル化」といった、フェイス・トゥ・フェイスの人間関係(お年寄りたちはこの関係の中でより多く過ごしてきたわけで、戸惑ったら「すみません、ちょいとおうかがいします……」で切り抜けてきた! だが、切り抜けられないのが「オレオレ詐欺」という間接的環境?)を極力省いている現代環境(PC関連であり、都市空間 etc. )は、慣れれば便利でスピィーディであるが、決して誰にでも親切でフレンドリーだとは言えないのだ。

 うちの事務所にも、廊下の角には、あの「非常口」の案内灯が設置されてある。よく見ると、「大きな矢印」と「出口と想像させるところに駆け込む人らしき姿」、そして「小さな文字での非常口」とで構成されている。これが、都市的環境での災害時に避難する人たちへのメッセージの象徴的な案内板と言っていいのだろう。
 別にケチをつけてもしょうがないのだが、「小さな文字での非常口」と付してあるのはどういうことなのだろう? つまり、これらのマークが「非常口」の案内だとはわからない人がいてはいけないと推測してのことではないかと思う。要するに、シンボル・マークの意味が万人に通じるとは限らないことを暗黙に認めているわけである。当然のことだと思う。こんな類が、ちょっとした躓きの石なのであり、そしてお年寄りたちは、こうしたちょっとした石にでも躓いてしまう可能性があるのだと思われる。
 上記でついでに、お年寄りたちに向けて仕掛けられた「オレオレ詐欺」について触れたが、余談ではあるが、これは、明らかにこの「情報(化)社会」時代ならではの犯罪だと見なしている。昔のフェイス・トゥ・フェイスの人間関係時代に、突然見知らぬものが尋ねて来て、息子さんの友人だと言い張っても成立しようがないのであって、「現代の舞台環境・心理環境」が前提となってこそこの詐欺は成立してしまうのであろう。

 現代の「情報(化)社会」時代は、決してお年寄りたちに親切な時代なんぞでは決してないことが言いたいのである。お年寄りたちとは無縁のところ(先端産業?)で進められたさまざまな仕組みが社会に垂れ流され、若い世代ならいざ知らず、お年寄り世代にまで、それらを学べと言い切る。置いてけ堀をくいたくなければ学べという。そうした言い草はないはずなのではなかろうか。しかし、この国では政府主導でそれを進めてきた。
 生産者主導から、消費者・生活者主導へなぞと聞いたふうなことが言われるが、決してそんな実体はないと思う。それが、IT社会のいまひとつ足を引っ張っている原因だと見える。
 もっと、地に足のついた生活者の事実から社会をいじるべきだと思えてならない。そして、その際にこそお年寄りたちの生活というものがウェートを占めるのではなかろうか。偉そうなことを言えば、文化というものは、過去の文化の最高水準と揉み合ってこそ高まるのであって、切り捨てて単に新たなものを継いだところで、それはいつまでたっても地べたを這っているにしか過ぎない。
 お年寄りたちの災害での死が痛ましいのは、それを許容するような文化でしかないことが痛ましいのとほぼ同じことのように思える…… (2004.10.25)


 以前、神田や新宿に勤務先があった頃は、昼食時に外食をした帰りは気分転換にショップを覗いたりしたものだった。繁華街の取得(とりえ)はぶらぶらと店を覗いて楽しめるところにある。どんな新刊本もいち早く並んでいる大型書店、「王様のアイディア」ふうの気を惹く商品がごった返したショップ、安売り家電店などが、中途半端に余った昼休み時間をつぶすには持って来いの場所だった。

 その点、職住近接本位で事務所を設定するとそんなおまけ的な環境は望めない。が、まるっきり望めないかと言えばそうでもない。
 現在の事務所の近くには、安売りを競い合う比較的大きな家電チェーンストアがある。日用雑貨スーパーと抱き合わせになったショップである。
 わたしは、昼食時に外食や弁当を調達しに表にでると、このところほぼ連日そのショップに足を向けている。ちょっとしたサプライ品を買う場合もあることはあるが、もっぱら気散じのために覗くのだ。ぶらぶら見て回るコーナーは、PCパーツ関連が多い。一頃の自作PCブームには、このチェーン店も力を入れていた名残があってか、今でもその類の商品はそこそこ品揃えしている。
 そのほか、マルチメディア関連の家電製品売り場にも目を通す。また、フロアーが異なるが、Do it yourself. のコーナーも一応チェックしたりする。何を買うわけでもなく、そうして見て回っていると、なんとなく気分がおさまる(?)わけだ。
 幸い、いや店側には幸いではないのであろうが、週中のしかも昼時というと、訪れている客はほとんどいない。見渡す限りのフロアーで目に入る人影は店員と思しきものだけの時もある。だから、決して雑踏に邪魔されることなく、気ままに見て回れるわけなのである。ただ、逆に店員がやたらに声をかけてくるという煩わしさがないこともない。

 つい先ごろ、この店舗は改装を行った。何をするのかと思ったら、売り場のアロケーションを変えたのだった。店内放送によれば、「生活シーンに合わせた店内配置」ということだそうだ。その「苦心」のあとが如実に感じられるほどではないが、ちょっと見通しがよくなったかという気がしないでもない。
 おそらく、「店内配置」というテーマは隅には置けない重要な工夫なのだろうとは思える。「生活シーンに合わせた」というフレーズに沿うならば、見て回っている客に、自宅の生活場面をリアルに思い描かせて、あわよくば、日頃不便している事態を思い出させ、それを改善する商品が目の前にあるのですよ! と誘導したいのであろう。
 買おうと意図して来たものだけではなく、客にその場で買う必要性を自覚させるという売り手側の段取りは、確かに重要な販売促進策に違いないと思われる。
 とすれば、この時機、「災害対策」コーナーを急遽設けて関連商品を展示するのも一手だと思われたが、そこまでの機動性、企画性はないようである。

 自分も、ショップ経営に腐心したことがあるが、どうもルーチン・ワークだけで忙殺されてしまい、タイムリーに機動性を発揮して売り場を演出するというところにまでは気が回らないというのが実情のようだ。しかし、客はそんなことに頓着はない。「どうしてそういうものを置かないの?」という漠然とした不満を抱くだけである。
 思うに、顧客側に「店の評論」をさせるようではいけないような気がする。それはやがて店をネガティブに見つめる姿勢へと発展し、さらに店から遠ざかるきっかけへとつながりかねないからだ。要するに、店側は、客側のいろいろな感想を一歩上回った構想を持たなければいけないのであって、そうした先行性が顧客の信頼を勝ち取ることを用意しそうだ。
 このチェーン店のことをわたしはしばしば「評論」しているようだが、やはり今ひとつ活性化された雰囲気が乏しいように感じてしまうのである。「安さ」もいいのだけれど、その点だけであれば、ネット通販の方がはるかに安いのが実情である。現に、わたしは一万円以上のPC関連製品のほとんどは現在ネット通販で購入している。初期不良問題や、修理に関しても、結局はショップ対応というよりもメーカー対応となる昨今の事情を思えば、どこで買っても同じだということなるからである。
 もしわたしが手近なショップでそうしたものを買うとしたら、通販の弱点たる納期問題の点で、多少高くともすぐに入手できるという点であるだろう。つまり、最売れ筋商品の在庫が豊富だという点が重要だと思われるのである。
 だが、そのショップではこの点に対する備えもやや甘い。どの分野ではどの製品が売れ筋なのかをしっかりとサーチしているようには思えない。そんなことは然るべきサイトを一目見ればすぐにわかることであるはずなのにである。
 いろいろと考えると、「チェーン店」の「チェーン」こそが桎梏(しっこく)となっているのやも知れぬ。地元の安い賃金のアルバイターを雇いたいのはわかるが、現在の商売の最前線では人並み以上に気が利き、勘の鋭い人材が求められているはずである。また、そうした好人材が経営の流れ作りに貢献してゆけるような柔軟な体質も必要なのかもしれない。
 大した買い物もせずに、文字通りに「物見遊山」でしかないわたしのような顧客に、こんな屁理屈を言わせないショップになってもらいたいものだと思う。昼休みの充実した楽しみのためにも…… (2004.10.26)


 こんなに不安だらけで物騒なご時世だからか、最近はろくな夢を見ない。
 昨晩の夢も、我ながらどう解釈していいものやら困惑してしまう内容であった。
 場面は、どうやら教育現場である。体験から言えば、ビジネス・セミナーでの講師の立場であったとも言えるし、あるいは学生(院生)時代の私立男子高校の授業での教師の立場であったか、その辺は判然としない。
 採点後のテスト用紙を受講者たちに返し、解答の解説か何かをしているところであったようだ。その際に、解答例を記した用紙も配布して、それぞれ各自に間違った箇所をチェックさせていた。そんな経緯のしばらく後に、ひとりの受講者が自分のところへやってきた。解答例の用紙を無くしたのでもう一枚くれ、と言ってきたのだった。
 それはそれでいいのだが、わたしはちょっと注意をしたようだった。やややり取りをした際に、「あんまり自分本位で突き進まない方がいいよ」とでも言ったようだった。
 すると、その受講者は、その用紙に目を落とし、薄ら笑いをしながら呟いたのだ。「大丈夫なんっすよ」と。そこでわたしが尋ねた。
「何が大丈夫なんだい?」
 すると、彼は気味の悪い笑みを浮かべてとんでもないことを口走ったのである。
「オレは、人を黙らせるモノを持ってるのさ。……『チャカ』をね」と。
 どうして唐突に『チャカ』なんぞという言葉が出てきたのか、目覚めてからも首を傾げたものだった。『チャカ』とは「茶菓」ではなく、確かウラの人間たちの隠語で「はじき」つまり拳銃のことである。何とも、おどろおどろしきことなり。
 たぶん、就寝前に見たニュースで「覚醒剤」常用者が起こした事件を見て、家内と、最近は物騒な人が身近にいるから下手に注意もできない、なぞと話していたことが遠因だったのかもしれない。

 そう言えば、以前、システム関係職の課長たちに参加してもらったセミナーで、懇親会の際にとんでもない話が飛び出したものであった。
 それは、ある中堅建築会社のシステム部門の課長の話であった。その会社では、システム部門ということであっても、建築現場の現場監督も務めるようであった。ある日、とある作業員に呼び止められ、人目のない場所に誘われたのだという。
 すると突然、隠し持っていた日本刀を抜いて、
「オマエの現場指図はうるさすぎる!」
と言って脅したのだそうだ。話し手たるその課長は、もう失禁しそうになるほど恐ろしかったそうだ。だが、それを堪えて、
「やるのか! ここでもしやったら、お前とこのオレがここに入って来たことを見ていたものがいたことだし、長いムショ暮らしになるゾ!」
とかろうじて反撃し、九死に一生を得たというのであった。
 しかし、それも今思い返せば、相手がものの理屈がわかる人間であっただけ幸いということだったはずである。薬物常用者の場合には、理屈も何もあったものではないだけに話は別ということになってしまうのだろう。

 昔からのことわざに、理屈がわからない者は恐いという意味のものがある。「泣く子と地頭には勝てぬ」というのがそれである。
 現在、「泣く子」と比べものにならないほどに恐いものが、地震や台風などの自然災害であり、そして、覚醒剤常習者や拳銃不法所持者の蔓延ではなかろうか。しかし、後ニ者に関しては当局に強い意志があれば防げる問題だと考えたい。ただでさえ経済的不安などで脅かされている庶民が、危険に曝されることは、文明国として恥じるべきことであろう。 「テロには屈しない」との常套句を口にするならば、プライベート・テロの可能性こそ根絶して然るべきではないのか。
 また、庶民が恐がっているもうひとつが、「地頭」(中世、荘園時代を管理した権力のある役人。しばしば横暴なことをして庶民を脅かした)であったことにも注意を払いたいものである。どんな「大義名分」があるのかどうかがわからない方向へ、無理矢理国民を引っ張って行って、無用な危険を増幅させている現在の外交・防衛政策は、国民にとってそれこそ「恐い」もの以外ではない。しかも、明確なビジョンがあるのならまだしも、丸ごと対米追随でフィロソフィーなんてものがかけらもないときては、恐くて恐くてたまらないのである。
 夢のある国家の前に、少なくとも枕を高くして楽しい夢が見られる国にしてくれないもんですかねぇ〜 …… (2004.10.27)


 「ノーブレスオブリージュ [(仏) noblesse oblige]」( 高い地位や身分に伴う義務。ヨーロッパ社会で、貴族など高い身分の者にはそれに相応した重い責任・義務があるとする考え方。)に、何となく関心が向かう昨今である。

 わたしは決して「高い地位や身分」であるわけではなく、しがないソフト会社の「タコ社長」でしかない。せめて、「世のため、人(他人様)のため」になるよう、この会社を潰さずに役立てていくべきだと肝に銘じている。
 間違っても、軍需産業に貢献するようなソフト開発には決して近づきたくないと考えているし、業務の柱としている半導体製造装置制御の領域以外にも、われわれが注力可能なジャンルがあれば大いに貢献したいとも思っている。
 確かに、ビジネスのフィールドで動いている以上、関係者に迷惑がかからないよう、自身の存在を賄っていける採算性をにらんでゆかなければならない。これは「儲ける」こととは別問題の、自転車操業でも何でも「回転」させていくことだと言えよう。

 この「回転」させていくことだけでも、この時代では至難の業となっているところが「過剰競争」時代の厳しさであり、「ふて腐れて」言えば時代環境の間違った部分なのだと思う。
 おそらく、一般的には時代環境が「過剰競争」的だなぞと非難しないのが、良きビジネス・プレイヤーなのであろう。そんなことは、百も承知している。与えられた環境設定で、黙々と切磋琢磨してその環境なりにサバイバルして、勝ち抜くのが良きビジネス・プレイヤーなのであろう。
 しかし、もしそれが正しいとするならば、現在の日本野球界の一連の「騒動」についても、「ストなぞはやらずに、選手は選手らしく励めばいい!」という論理に与(くみ)することになりそうだ。つまり、「大枠の環境」がおかしいと思われる場合でさえも、立場に黙々と殉ずる、ということである。
 だが、野球選手たちのストについては、どうもファンたちも共感を覚えていたようである。つまり、現状の野球界の状況は「何かがおかしい」という雰囲気を多くの者が察知しているのであろう。現に、その後「ウラ金」が動くというような不正も明るみに出されたりしている。言ってみれば、過剰な商業主義と競争主義が状況を狂わせているわけだ。
 ビジネス界でも、自社株の取引きに関する不正が大手企業で発覚している昨今の実情があり、またクルマのリコールに関する大規模な不正も周知の事実となっている。「一億円」政治献金疑惑にしても、医療ビジネスのルール違反ということになろう。なぜか今、ビジネス界でも「大枠の環境」が歪み始めているのではないかという気もする。もっとも、ビジネス界でのルール違反は、過去にも数えあげれば切りがないほどあり、今に始まったことではないとも言えるが。

 ところで、今、関心を向けたいと思っていることは、企業倫理は企業倫理でも、ルール違反なぞという低次元の倫理ではなく、社会への積極的貢献という言ってみれば高度な企業倫理についてなのである。
 ここで、「ノーブレスオブリージュ」という視点が関係するのだが、やはり企業というものは、どんな小さな規模であれ、社会によって生かされている存在のはずであろう。確かに、法人税という「重税!」を課されていて、何が優待であるかと言いたい気持ちもないわけではないが、それでも失業者が少なくないこの時代に営業活動ができ、「稼げる」立場にあることは、国とは言わなくても社会のお陰だとは言うべきである。業種によっては、地域社会から水資源その他で優遇されている場合もありそうだ。
 つまり、括弧つきではあっても「恵まれた立場」にあるのが企業だということなのである。そして、そうである以上、その立場に沿った「恩返し」「還元」があって然るべきなのであろう。それが企業にとっての「ノーブレスオブリージュ」ではないかと思うわけである。
 そう言えば、昔、名古屋に住んでいた当時、たまたま大手ビール工場の近くに住んでいたのだが、年に一度、地域の人たちを招待してくれてビールその他を振舞ってくれたものであった。口の悪い人は、「年がら年中、イモ臭い臭いや煙を撒き散らかしているんだから当然だ」と言ってもいた。工場側にしてみれば、なんだかんだの意味での義務履行という視点を持っていたのかもしれない。

 古くからの日本の慣用語には、「お陰様で……」という意味深い言葉があるが、その通りではないかと昨今は感じている。おそらく、ヨーロッパでの「ノーブレスオブリージュ」という観点は、この日本の発想とどこかで共通しているのかもしれない…… (2004.10.28)


 最近、「愛車」にあちこちと不具合が発生し始めた。
 夏は夏で、クーラーがきかなくなった。去年であったか、母と家内を連れて真夏に旅行をした際、その復路で故障となってしまった。窓を全開してしのごうとしたものの、そんな風ではおさまりのつく暑さではなかったためほうほうのていで帰宅したものだった。 修理に出したところ、このクルマのこの年式あたりのクーラーは故障しやすく、もし完全な修理をするとすれば大掛かりなことになると言われた。ガス漏れが発生するらしく、とりあえずはガスの追加注入で様子を見ようということとなった。
 また、つい先頃は、内蔵ラジオがプッツンとなってしまった。日頃、問題なく聴いていた際にはラジオのありがたさなぞはさほど感じていなかったが、いざダンマリとなってしまうと急に寂しく感じたりするから変なものだ。これも、修理に出したところ、
「この手のオーディオが収まったフロント・パネルは、取り外しがやっかいなんですよね。おまけに、純正の機器の修理となるとバカ高く取られますよ」
と診断されたのだった。さらに、
「問題は、この後このクルマにどれだけ乗り続けるかじゃないですか?」
と意味ありげに示唆されたのだった。

 わたしは、もとよりさほどクルマに凝るタイプではない。近所の知人には、
「ウチの人は、クルマだけが楽しみなもんだから仕事も少なくなったのに新車をあつらえちゃったの」
という人もいる。それはそれでいいと思うが、わたしはそこまで入れ込むつもりはない。現に、もう少しいけるだろう、もう少しガマンしようと乗り続け、はや十年以上、正確には十三年目の車検をとってしまった始末である。
 エンジンなど走行関連の調子は決して悪くなく、ステーション・ワゴン形式で居住性も悪くないため、ついついここまで来てしまったというわけなのである。
 ところが、ラジオがダンマリとなった上に、テープ・カセットまでおかしくなり始めた。実は、内蔵ラジオがダメならそれに代わる方法はあるからと、カセット式の機器を使ってチューナーを繋ぎ、間に合わせていたのである。
 ところが、そのテープ・カセットのステレオの片側サウンドがほぼ聞こえなくなり始めたのだ。何だか、少しづつ「兵糧詰め」を食らっているような、あるいは「そろそろ買い換えたらどうです?」と催促されているような、やや追い詰められた心境とさせられているのだ。
 しかし、それにしても、クルマ本来の走行関連機能は極めて順調であり、走行距離とて人一倍少ないのに、オプション的機能が先にコケて行くとは腹立たしい限りである。メーカーの買い替え促進戦術がこんなところに仕掛けられていたのかと邪推したりしてしまう。

 ところで、今のわたしは、何百万円も出して新車を買おうとは毛頭考えていない。
 と言うのも、もうクルマは放棄しようかとさえ考えているくらいだからである。身体に良くないし、維持費もムダのように思える昨今だからである。ケチろうとしているというよりも、どうもフィロソフィーが合わないのではないかとの思いが芽生え始めている。
 そんなことから、どうしても当座しのぎ的な発想でしかクルマのことは考えないのであろう。
 まあとりあえず、現行の車検が続く来年の春までは現状で押すべしであり、その後は、手頃な中古車でも見つかればといったところか。クルマなんかよりも、もっとほかに考えたり対策を打たなければならないことは山積しているはずだと…… (2004.10.29)


 イラクでの人質事件でついに犠牲者が出てしまった。
 またぞろ、論理破綻でしかない「自己責任」論というおばけが出没している。もし、「自己責任」が万能であれば、政府だ国だは不必要となろう。万民が「自己責任」で事を為すことを理想とするならば、政府や国の存在意義とは何なのだろう? ご都合主義の言い逃れをするのならばそこまで原理的に問い詰めたいと思う。
 今回の犠牲者がどのような動機でイラクに入国したかということが問題なのではないのだ。と言うのも、こうした国際的武装集団の犯行が、イラク内部だけに限定できると言明できないからである。周辺諸国はもちろんのこと、国際的な広がりを示しているのが現状ではないのだろうか。日本国内でさえ安全だとは言えない状況となっているのかもしれない。いわゆる国境で防ぎ切れないと言う点が、現代のテロの本当の恐さであったはずである。
 つまり、現時点で想定しなければならないテロ対応とは、「ボーダレス」時代におけるテロということになる。その意味では、国境はもちろんのこと、政府、自衛隊関係者か民間人という境もなく泥沼化し始めてしまったということになる。したがって、今回の犠牲者の意味は、そうした危険にこの国の国民が確実に「巻き添え」にされているというふうに認識すべきなのだと思える。

 この「巻き添え」という事実にこそ注目を払うべきだと思われる。
 「巻き添え」とは、広辞苑によれば「他人の罪に関係して罪をこうむること」とある。今、日本の国民は、日本政府の「罪」に関係して事実上「罪をこうむる」ステイタスに追い込まれているということになりそうだ。
 この国の政府は、もちろん自衛隊派遣を「罪」だなぞと考えてはいない。「イラク復興支援」なのだというわかりにくい立論をしている。そのわかりにくさは、相手側の武装集団にわかりにくいだけではなく、国民にとってもそうであろう。だから、最新の世論調査でも「自衛隊イラク派遣延長、63%が反対」となっている。
 もとより、イラク戦争開戦の理由自体が、すでに周知の事実となっているように、「大量破壊兵器」なんぞは、米国にはありこそすれイラクには見つからなかったわけで、大前提が間違っていたことになる。

 また、そもそも国際外交では、相手、この場合は米英軍事勢力への反対勢力や武装集団が、何を考え状況をどう認識しているかという相手側の手の内を知らずして何が始まるのかという疑念を持たざるを得ない。武器を携えた自衛隊をもって「イラク復興支援」が動機なのだと、はなはだわかりにくい姿を当方側の意向だけを百回主張して何がどうなるというのか。深夜に他人の家に上がり込み、その発覚時に、「いや、何かお困りのことはないかと心配しまして……」というのとどこがどう違うのか。落語の「碁どろ」のように、「ああー、どろぼうさん良く来たね」と言われようはなかろう。
 反米英日などの勢力にとって、日本の自衛隊派遣政策が「罪」であることは推定できるとして、日本国民にとってはどうかと言えば、過半数の反対があり、また事実としてもますますイラクが混迷状態となってしまっている以上、「罪」だと断言すべき時期に来ているはずである。
 ここで、これを見過ごすことは、少なくとも今回の犠牲者のような「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という悲惨な「巻き添え」可能性を是認することになる。しかも、「イラク復興支援」という美名とは裏腹に、勝手な開戦と勝手な占領政策という力による政策が、恒久平和をもたらさないことは容易に想像できるのではなかろうか。

 こう言うと、必ず出てくる反論が、あの「テロには屈しない」という言葉である。
 しかし、もう冷静に認めるべきなのではなかろうか。多くの良識ある人々が感じている「憎しみの連鎖」という事実を! 
 ところで、「〜には屈しない」という言葉遣いは、たとえば、「暴力には屈しない」とは、インドのガンディーによる「非暴力主義」の思想である。ここにおいての眼目は、自らは決してその種の力に頼らないという点なのではなかろうか。
 だから、「テロには屈しない」と言うならば、テロと見境がつかない軍事力を棚上げにしてものを言うべきなのである。軍事力を背景にして、「テロには屈しない」と叫ぶ姿は、「ボクは弱虫なんかじゃないやい!」と見栄をはりながら、その実、お母ちゃんのスカートを掴んで離さない姿とはなはだ近似していると言うべきなのである…… (2004.10.30)


 趣味のジャンルの話である。この間、落語のアナログ音源のデジタル化を、暇をみながら進めてきたが漸く手持ちの音源をくまなく" wave file "へと変換することが終わった。この後、利用しやすいように"圧縮 file( wma file )"に変換する作業を残しているが、これは手間のかからない機械的な作業なのでほぼ一段落したことになる。
 こうしてアナログ音源を「半永久的」耐久性を持つデジタル情報に変換すると、何となくホッとした気分となる。これまで、アナログのテープなどのままだと、劣化したり紛失したりで、そんなことに懸念し始めると何となく落ち着かない心境になったりもしていた。そんな余計な心配が取り除かれたことになる。
 皮肉にも、こんな作業が終わった頃にアナログ音源のデジタル化での「優れものツール」の存在を知ったりした。
 PCを使ってのこの作業では、音源そのものや再生機器側の状況とともに、PC自体から生じてしまうノイズなどの混入が問題となる。後者に関しては、ほとんどやむを得ないものとあきらめてもいた。が、これの解消に向けたちょっとした機器のあることを知ったのである。

 アナログ音源のデジタル化というテーマは、例の『iPod』(アイポッド)の人気とともに、レコードやテープでの音楽愛好家の憂いもあってのことか、巷でも関心が向けられている気配のようだ。しばしば、関連雑誌の特集テーマに選定されていたりするのを見かける。そして、そんな類を読んでいたところ、USBポート接続の" USB DIGITAL AUDIO PROCESSOR "という新仕様の製品のあることを知ったというわけなのである。
 そうしたものには目がない自分なので、実際、すぐに入手して試してみたが、確かにPCからのノイズはカットされている様子であり、なかなかスッキリとした音質でデジタル化が行われるようであった。
 まあ、落語の場合には、話し運び(すじ)や話し手の間合いぐらいが聴きどころであるので、さほど音質にこだわる必要がないものである。ただ、この間の作業で、この際、気に入っている音楽関連のアナログ音源もデジタル処理をしようかと思っていたため、その場合はこれを活用しようと思っている。

 「うつろいやすい」アナログ(音源)を、明瞭でかつ安定し、そして汎用的な活用可能性もあるデジタルに変換するという話題は、この間も何度か書いてきたような覚えがある。サウンドやイメージのデジタル化という事柄自体に興味をそそられていることは確かなのだが、実はその奥にもう少しぼんやりとした関心事がありそうな気もしている。
 これも何回も書いていそうだが、「暗黙知」や「潜在意識」という人間の脳、意識、身体などの関係に絡む興味津々の対象のことなのである。
 大雑把に言えば、言葉を遣う人間は、四六時中、「アナログ・データ」と「デジタル・データ」との相互変換を無意識のうちに行っているような気もするわけである。
 ざっくりと言ってみれば、言葉というものは「デジタル」なのであろう。そして、感覚や感性とは「アナログ」としか言いようのない身体に依拠した意識状態であろう。自分が何かを明確に意識しようとしたら、当然、言葉として表現しようとするものであり、このプロセスとは、「アナログ・データ」の「デジタル・データ」化のプロセスということになるのではなかろうか。
 また、読書をしたり、文字や言葉を媒介にして何かを理解しようとすることは、「デジタル・データ」の「アナログ・データ」化( ex. 腑に落ちる! 血肉化!)だと言えそうな気がする。
 養老孟司氏の『バカの壁』が言わんとすることは、本来人間とその社会というものは、人間個々人によるこの「デジ」・「アナ」変換が暗黙の前提であったにもかかわらず、現代「脳化社会」(都市社会)では、「デジタル」一辺倒の環境、つまり脳の所産である言葉によって人工的に構成された状況、環境が支配的となり、人々も「デジタル」という言葉だけで「ものがわかったような気になっている」という、そんな不自然さの指摘であったはずではなかったかと思う。その実、「わかってはいない!」ために、人と人、人と集団組織、集団組織と集団組織との間に埋めようのない溝が「壁」のようにできてしまう、ということだったかと了解している。

 さらに、そうした不都合は、何も他者と接した際だけに生じているのではないと思われる。つまり、自身を振り返った時に、言葉として上滑りしている「デジタル・データ」と、自分の内部に潜んでいる「身体発」のさまざまな「アナログ・データ」とがうまく擦り合わせられない、という不都合が生じているのではなかろうかと思うのである。
 簡単に言えば、自分が実のところ一体何を欲しているのかということ自体がなかなか掴めなくなっていたりすることがその例であろう。
 また、「身体発」の「アナログ・データ」という存在となじめず、不可解にさえ感じ始め、ドラッグでいたぶったり、要するに「不仲」となったりしているのかもしれない。
 本来、人間の意識とは、「身体」に根ざし、また言葉を媒介にして「社会」に根ざすという両面的存在であったはずだ。ところが、現代では、「身体」に根ざすという部分があまりにも軽んじられ、貧弱となり切ってしまっているのかもしれない。
 言葉=「デジタル」の重要性はいうまでもないとしても、それらが依拠せざるを得ない「身体」、「感覚」、「経験」といった「アナログ・データ」をもっと直視すべきだし、それらを掬い上げるためにこそ「デジタル・データ」を活用するという「変換」作業のプロセスを大事にしたいものである。
 ちなみに、こんな駄文を毎日連ねている理由があるとすれば、そのこと以外ではないのかもしれない…… (2004.10.31)