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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2005年04月の日誌 ‥‥‥‥

2005/04/01/ (金)  高速インターチェンジでの対応は、決してやさしくはない?
2005/04/02/ (土)  「コッペパン」に全身全霊で共鳴し、自己の「レーゾン・デートル」を見たり……?
2005/04/03/ (日)  「納豆」から考え起こす、人間と環境との不離不即の関係
2005/04/04/ (月)  唐突に、『鉄人28号』が「ワクワク感」を呼び覚ましてくれた……
2005/04/05/ (火)  「いのち」というものの壮絶さ……
2005/04/06/ (水)  物事の「始り」と「終り」が、万事「薄っすら」とした印象で流されている?
2005/04/07/ (木)  ひと(他人)や社会からの期待感というものの持つ意味!
2005/04/08/ (金)  満開の桜、目立つ、目立つスポット、目立つ=カネ設けの風潮……
2005/04/09/ (土)  いまだに「不況」だからモノが売れないと信じている経営者はいまい!
2005/04/10/ (日)  「いなす」ことができないのは、「真の敵」が見えていないから?
2005/04/11/ (月)  ソフトに出来ることはソフトに任せなければやってゆけなくなるのが現実!
2005/04/12/ (火)  大きな「うねり」と、消えることがない「漣(さざなみ)」との双方を!
2005/04/13/ (水)  「オーバーヘッド(overhead)」工数をめぐって考える……
2005/04/14/ (木)  今日は思いっきり「事務屋さん」に成り切ってみた!
2005/04/15/ (金)  厚生労働省の「電子政府」化への動きは進んでいそうな気配だ!
2005/04/16/ (土)  この季節は、自然が自身のキャンペーンを張っているようでもある……
2005/04/17/ (日)  工事現場から掘り起こされた「大金」に全国民が「恨めしや〜」……
2005/04/18/ (月)  30億のサイトの中から、検索結果がトップ表示されること!
2005/04/19/ (火)  「徒党」、「孤高」、「孤低」について
2005/04/20/ (水)  「歴史(認識)」がなければ、それは「幽霊」ではないですか?!
2005/04/21/ (木)  勝手な「無限」観の世界から、「有限」性の現実への着地?!
2005/04/22/ (金)  カラスの「まっしぐら」と、「創造性」の「みにくいアヒルの子」的側面?
2005/04/23/ (土)  クルマを走る物置だと心得ている人種がいるもんだ?!
2005/04/24/ (日)  「ウイルス・ワクチン」量も「警察関係者」数も際限なく増え続けるのか?
2005/04/25/ (月)  死者50人(午後5時半時点)に及んだ「都市環境の盲点」?!
2005/04/26/ (火)  事故原因の究明が、「対症療法」に雪崩れ込まないように!
2005/04/27/ (水)  何が問題であるのかが、見えていないわけがない!
2005/04/28/ (木)  <内在的な力>が、果たしている役割に注目したい!
2005/04/29/ (金)  連休のメインは、何はさておき体力調整ということか……
2005/04/30/ (土)  『エル・シド』の「チャールトン・へストン」への懐かしさ……






 高速道路のインターチェンジに入る際には、そこそこ緊張するものであろう。高速で通過中のクルマの速度に合わせ、なおかつクルマの流れの合い間を見計らい、助走路をスピードアップしなければならないからである。
 こんなことを言うのも、わたしが高速道路というものをあまり好まないからだろうし、そもそもドライブのためのドライブというものが好きだとは言えないからかもしれない。若い頃はともかく、今では、クルマに乗ってなんでこんなに気を遣ったり、疲れなければならないのかと感じてしまう。必要不可欠な時以外には、クルマを使用したくないというのが実感である。

 インターチェンジのことを書いたのは、「既存の流れ」への参入という事柄に関心を持ったからなのである。
 先日、TVのとあるトーク番組に、もう十年、二十年以上も前にコンピュータ、ソフトウェアのジャンルで名を馳せた人物が、久々に顔を出していたのである。K・N氏は、今でいうIT業界人のパイオニア的存在であったため、例の「フジTV、ニッポン放送 v.s ライブドア」騒動に関するコメンテーター役として駆り出された模様であった。
 そのK・N氏にいよいよマイクが振り向けられることとなったのだが、「それはね、……、……、……」とのんびり口調で語り始めたのを聞き、わたしは激しい違和感と不安感とを感じてしまったのである。別にそれがいいなぞとは毛頭思ってはいないことなのであるが、彼の周囲で騒ぐ出演者の連中の口調、そのテンポとまるっきり異なっていたからなのである。よく言えば、ジックリと考えながら話すスタイル、ありていに言えば、「TVに出るなら、話すことを事前によく考えてからおいでよね」と言いたいような感じなのである。わたしだけがそんな不安な印象を受けているのではないだろうな、と思っていたら、案の定、周囲の小姑のような出演者の中から、野次まがいの皮肉が聞こえてきた。
「Nさん、もうちょっとテンション上がりませんか!」と。さらに、「それじゃあ、まるで『ピロー-トーク [pillow talk]』やないの……」という揶揄まで飛び出していた。

 インターチェンジにおける「既存の流れ」への参入という件に触れたのはこのことがあったからなのである。確実に、K・N氏は、高速道路の「既存の流れ」にブレーキを掛けさせ、ひょっとしたらあわや追突事故を発生させていたやもしれなかったのである。
 K・N氏は、現在、とある大学の教授をされているとの表示が出ていたが、こんな話しっぷりで講義を受けている学生たちがいることを想像したら、なんだか切ない気分となったりもした。
 前述の「もうちょっとテンション上がりませんか!」というクレームについて言えば、確かに、当人の口調は、高速道路の「既存の流れ」をペース・ダウンさせるように、周囲の出演者たちの「テンション」を急速に引き下げる機能を誘発していたかと思えたものだ。例の「シラーッ」とした雰囲気が漂ってしまい、それは、状況はまったく逆ではあるが、一時期のTV番組で突然あの映画監督のO氏が「バカヤロー」と怒声を張り上げた際に発生していた取り付く島のない雰囲気と近似していたといえる。

 ここで考えてみたいことは、いくつかある。そのひとつが、「テンション」の問題であり、職場でも、集団作業でも、「あの人の、『横板に鳥もち』のような話し方をなんとかしてもらわないと、こっちのやる気まで失われてしまう」と不平が出る場面に関してである。やはり、高速道路というのは、その種の「せっかち」たちが慌てふためいて走っている場所なのだから、それに合わせる配慮というものがマナーとなるのだろうと、先ずは思うべきである。とりあえず、「せっかち」たちの振る舞いが正しいかどうかは別問題としてではあるが。
 つまり、もし、「のんびり」としたいのであれば、そうした「せっかち」たちの場に臨まないという選択肢だってありそうなものであるからだ。まして、アホな喧騒を売り物にしているトーク番組に出演するなぞということは、その種のセンスがあればいくらでも拒絶できるはずであろう。逆に、出演すると決めたなら、相応の対応をすればいい、と……。

 もうひとつ考えることは、まったく逆の視点なのであり、いつの間にか、マス・メディアというものは、「機関銃」話術を操る者たちの「ムラ」になってしまったのだということである。そして、わたしも含めた視聴者の感性自体も、それに迎合するようになっているという空恐ろしき時代についてである。
 マス・メディア、とくにTVは、秒単位がマネーに換算されることもあってか、そこでの話し手たちは、内容はともかく、「機関銃」話術スタイルだけは強制されるようである。イージーに時間単位の極限情報量が注目されている世界なのであろう。
 いうまでもなく、話し方の速度や、発信情報量の多さがそのまま意味と価値があると考えることは浅はかなはずである。本来は、それらの情報が、受け手側でどう適切に情報処理されるのかこそが眼目なのであるはずだろう。どうも、現在のマス・メディアは、バナナの叩き売りと同様に、見てくれの量さえあれば「上等」だと思っている気配が濃厚である。
 つまり、情報が、受け手側でどう受容されるのかとか、理解されるのかとか、という本来の情報発信の動機が摩滅しているとしか思えないのである。だからこそ、受け手側の情報咀嚼力、評価力もメキメキとおざなりになっているのかもしれない。トーク番組と言えども、オピニオンを聞いているのではなく、雰囲気を、音楽のように楽しんでいるというのがまぎれもない事態なのかもしれない。

 ただ、この点でシビァな問題といえば、日常、マス・メディアに接触し続けているわれわれが、コミュニケーションや対話のパーソナルな場面でも、マス・メディアと同様の「機関銃」話術スタイルを、なんの不思議もなく持ち込み、「撃てば勝ち!」「撃ち続ければ大勝利!」なのだと取り違えていることなのかもしれない…… (この点については、別な日に書くつもり) (2005.04.01)


 生活体験というものは、言葉にして言っても始まらないほどに「決定的」な痕跡を残すものであるのかもしれない。ただし、体験それ自体というよりも、それと密着した感覚や心境が、というべきなのかもしれない。唐突に、そんなことを思った。
 たとえば、貧しかったり、苦しかったりした体験が過去にあったとして、それが文字通り忌避すべき貧困と苦痛のみの記憶であったとしたら、そんな体験は誰も思い起こしたくもないであろう。いや、知らず知らずのうちに忘れようと努め、そして記憶のリストからも外されてしまっているに違いない。また、それが思い起こされようとした際に、意識的にそれを避けようとするのかもしれない。

 自分にもそんな経験がないこともないが、最近、不思議なことに気がついている。
 事務所での昼食は、大抵は、事務所の近辺の「ほか弁」ふうの弁当で済ましている。注文をして、店の前で出来上がるのを待つのがおっくうだから、若干前に電話で注文しておくという方法をとり始めたりした。最近は、電話応対する店の女性が、こちらから名乗らずとも「ヒロセさんですね」と言ってくれるようになった。なんだか、気恥ずかしいようなうれしいような気がして、「事前連絡」を続けている。
 そんなことはどうでもいいのだが、時々、パン食にもしている。ひょんなことから、事務所でビン入り牛乳の配達を頼んでいるため、その牛乳に合わせて時々はパン食にしようと勝手に決めているのかもしれない。そんなこともどうでもいいことである。
 パンを「仕入れる」際に、これもまた時々、「食パン」の塊や、何の味付けもないコッペパンふうのパンを買い置き、備蓄(?)のつもりで余計に買うことがある。仕事の都合で、表に出られなかったり、その他の事情で外出したくなかったりした時に備えようという段取りの良さなのである。

 何をくどくどと書いているのかといえば、時が訪れて、備蓄用のシンプルなパンを、ビン牛乳だけで食する時のことなのである。決して、「うまい!」とは言えない。うまいものは溢れている時代なのであるから、うまい、とまで言えばウソになる。
 が、しかし、味わい深いのである。妙に心が落ち着くのがわかるのである。カツがサンドされているわけでもなく、ジャムが塗られているわけでもないどころか、ほのかにバターかミルクの香りはするものの、基本的には無味無臭のコッペパンや食パンを、それだけをかじって食べては、ビン入り牛乳を飲んでいると、なぜだか不思議に安心感が漂ってきたりするのである。
 どういうわけか、自分は今、まぎれもなく「原点」に居るのだというような安心感とでも言えようか、自己の「レーゾン・デートル(存在理由)」を見つめているとでも言おうか、そんな気分であるのかもしれない。
 よく、身のほどにもない贅沢なことをしていると、なぜだか不安になるものだが、この場合は、まったくその逆なのかもしれない。これ以上、貧しいランチというものは、そうそうあるものではないだろう、しかも、当の自分はそれをさほど気にせずにまずまず満足(?)している、と想像すると、実にのどかで落ち着いた心境に至るのである。
 たぶん、意識には上らずとも、そうした「貧しい」食事の記憶というものが、決して忘却したい苦痛のものではなく、むしろ何か好ましいものと「同梱」されて蘇っているのではないかという気がする。
 それは、たとえ、口にする食材としては貧しいものではあっても、それを共に口にした家族との素朴で楽しい雰囲気が蘇っているのかもしれないし、三畳一間の狭いアパート暮しをしていた学生時代の、たとえ口にするものは貧しくともそれを埋めて余りあるほどに溢れていた若い時代の度し難い楽観性などが、「条件反射」的に突き上げてくるせいなのかもしれない。

 生活体験なぞとおおげさな表現をしておきながら、挙げている例は、食生活の一部に過ぎないのではあるが、こうしたことってありそうな気がしてならない。特に、食べ物、食生活というのは、味覚や嗅覚という生きものとしての記憶の深い層とリンクしているのであり、それは意識的にどうこうできるものではなさそうである。
 ローカルな話であるが、コッペパンや食パンについては前述したが、これに類似したものとしては、ほかほかなコロッケや、いわしの目刺し、厚揚げの煮物といった「低空飛行」メニューと言わざるを得ないものもラインアップできる。子ども時代に、埃まみれになって、腹ぺこぺこで家にとんで帰って「卓袱台(ちゃぶだい)」の上に見出した「ごちそう!」の感覚は、その時代の満足げな芳しい光景とともに、自分自身の記憶総体の底辺を形作っているような気がするのである。
 ひょっとして極端に言えば、その後の人生のさまざまな体験というのは、その底辺の体験を変容させながらもリフレインさせていたに過ぎないとさえ言えるのかもしれない。

 で、何が言いたかったのかというと、われわれ現代生活者たちは、今現在、何十年も経た後日に手堅く思い起こせるような、身体的・全人格的な生活をしているのだろうか、という疑問になるのかもしれない。まあ、現代は現代で、現代風に蓄積する記憶総体(総体とあえてつけ加えているのは記憶とは、単に意識上のものだけではなさそうに思うから)というものを蓄積させているのだろうけれど、それは、ひょっとしたら、無味無臭で、ただただけばけばしいビジュアルな、そう、ちょうど「デジタル情報」のようなもののような印象も否定できない。なおかつ、「デジタル」的な性格だとすれば、味や香りや触覚のような「アナログ」的個体性(特殊性)というものが、どうあり得るのだろうか。それらが、交換可能性(代替性)を拒否できる根拠のような気がしているが、それらはどのように確保できるのだろうか。なんだか、ちょっとわけのわからないことを書いてしまった…… (2005.04.02)


 今日は、ぐずついた天気であるとの天気予報であったが、朝から明るいいい天気である。それだけでなんだか得をしたような気分になれた。家内は、いつものように朝食を用意して教会に出かけた。今朝はパン食であった。昨日この日誌に、食パンのことを書いたばかりなので、若干おかしな感じがしたものだ。
 いつもは大抵、納豆に味噌汁というのが相場であった。納豆は身体にいいと言うので、毎日意識的に食べるようにしている。確か、毎朝納豆という運びになったのは、家内の父親が、結構な酒飲みであるにもかかわらず体が丈夫である理由が、納豆が好きで毎日のように食べているということを知ったからだったかもしれない。
 大豆のたんぱくが、いろいろな点で身体にいいことは知っていた。だが、いくら身体にいいからといって毎朝食べるのはためらわれもしたが、それで病気知らずになれるのなら結構なことだと思いそう決めたのだった。

 納豆はもともと嫌いではなかった。とはいうものの、大阪生まれの自分は幼いころはほとんど食べることがなかった。どちらかといえば納豆は関西のものではなく関東の食べ物なのであろう。東京生まれの母親が、珍しく食膳に出したことがあったことはあったが、父親はその匂いを嫌い、子供達も父親に同調したようであった。
 私の頭の中で朝食に納豆という献立に市民権が与えられたのは、小学校3年の夏に東京に移り住むようになってからのことである。その年の夏休み、北品川の祖父の家に転居したのだったが、夏休みであったからということなのであろうか、大森にあったおばの家に泊まりがけで遊びに行ったことがあった。その際に、朝食に納豆という献立の「洗礼」を受けたのだったかもしれない。
 今でも、朝食で納豆を食べるとき、ネギやからしの配合によっては、おばの家でのその時のその朝の納豆の「洗礼」をまざまざと思い起こすことがある。からしの効いた納豆ときゅうりのぬかみそ漬のすがすがしい香りに象徴された朝食が、大阪育ちの私に何やら大きなカルチャー・ショックめいたものを与えていたのかもしれない。
 昨日書いたことの続きになるようだが、おそらくこの経緯には、単に納豆という食べ物だけの印象ではなく、おばの家でのその時の朝食時の総合的な雰囲気が「同梱」されていたのだと思われる。すがすがしく、かつ膳を囲む活気を帯びた朝食の雰囲気に好感をいだいたのであろう。それというのも、おばの家には、私と同い年の従姉妹を含む3人の従姉妹たちがいたのである。そんな従姉妹たちと華やかな気分で食べる朝食というものが、珍しくもあったに違いないのだ。

 どういうものか、今日も食べ物と記憶というようなテーマに入り込んでいるようである。よほどこの点の周囲に気がかりなことがありそうだと思っているに違いない。
 ところで、昨日書いたことを「反芻」していたら、ふと突拍子もないことを考えたものであった。「団塊世代」が、時代から嘱望されながらなぜその期待に応えられなかったのか、という点に関し、ひょっとしたら食生活環境(をはじめとするベーシックな生活環境)の激変によって、「異邦人」まがいの、あるいは「浦島太郎」のような戸惑いに遭遇してしまったからなのかもしれない、というものなのである。
 「群生」のいなごのように、群れと競争の中で活性化させられた「団塊世代」は、基本的には環境変化にも適合的であったと言えるのであろう。そこそこのバイタリティをも発揮してきたはずである。にもかかわらず、社会変革、環境変革に対して詰めの甘さを露呈してきたことは、前後の世代から皮肉っぽく指摘され続けてきたところである。
 考えてみれば、とにかく人口が突出した世代なのであるから、もっと時代を変革的にリードしてもよかったし、いいはずではなかろうか。にもかかわらず、現時点にあっても、年金問題その他の差し迫った時代の課題に対しても優柔不断で取り留めのない姿勢であるかのように見える。まして、あの「ホリエモン」騒動にあっては、「団塊世代」が、まるで犬の遠吠えまがいに、無責任な拍手喝采を贈っていると聞く。「主体性」の無さもいいかげんにしてくれ、と言いたくもなる。もとより、この「主体性」という言葉にしても、何あろう「団塊世代」こそが頻繁に口にしてきた言葉ではなかったか。もっとも、当時からそれに自信がなかったから、口にしていたのかもしれないが……。

 まあ自虐的に非難するのはそれくらいにして、本命の問題に移ると、ひょっとしたら「団塊世代」は、時代環境の激変の過程で、自分たちの存在根拠を掴み損なってここまで来てしまった世代だと言えるのではないか、とそう感じたのである。
 ちょうど、「団塊世代」というのは、都市にあっても「自然(≒「アナログ」)」が残されていたいわば、最後の「自然」とともに育った世代である。それが、いざ自分たちが「生産人口」となっていくに至り、都市と都市生活は、急激に「人工空間(≒「デジタル」)」化されてゆき、ただただ「了解したフリ」をするだけが精一杯であったのかもしれない。いや、「自然(≒「アナログ」)」でさえも、それだけを人生のベースとして生きてきた前世代の気骨のある人々のようには会得せずに中途半端にやり過ごしてきたのかもしれない。言ってみれば、万事「さわり」だけを「了解したフリ」で過ごしてきてしまったのが、「団塊世代」だと言えはしないかと思うわけなのである。「主体性」を口にしながら、その「主体性」の根拠となるものを常に取り逃がしてきたのかもしれない。
 いや、個人の差異を抹殺して議論する世代論というのは、はなはだ荒っぽい議論であるので、このくらいにしておかなければならない。現に、このようではない「この世代」の個人も少なくはない。

 よく、高齢者は、長く生活した居住地から移転転居すると調子を崩すと言うが、それは、記憶やその他を含むその人の内部構造と、外部環境とが引き裂かれるからなのではないかと思える。「知らない土地はさみしい……」という思いは、不具合全体のほんの一部が自覚されたものでしか過ぎないはずではなかろうか。
 こう書くと、われながらいかにも時代「退行」的に傾き過ぎる気がしないでもないが、関心を向けたい点は、人間は他の動物ほどにではなくとも、感覚的対象としての環境との実感的関係が無くしては不安定となるのではないか、という点なのである。デジタルな記号としての環境が凌駕してゆく現代にあって、この点は考えてみるに値する問題だと思われる。まさしく、頭でわかっていることだけが人間を支えているのではないだろうということでもある…… (2005.04.03)


 わけもなくワクワクさせるものを持つというのは、子どもだけに与えられた特権なのだろうか。最近、『鉄人28号』という昭和30年代の子どもたちの漫画ヒーローが、映画で戻って来ているようだが、先日、その『鉄人28号』の相貌を目にした時、当時に味わったワクワク気分の片鱗が自分にもカンバックしてきたから不思議なものだった。いかにも金属金属した感じの濃紺の色で鈍く光るボディが目に飛び込んだ時、確実に、子どもの頃の自分の胸の内で湧き上がっていたワクワクが、「ワクワ」くらいの形で再現したのであった。
 たぶん、何であってもいいのだが、そんなワクワクするものをいつになっても持ち続けることのできる人が幸せな人だということになるのではなかろうかと、ふと思った。

 実にたわいないことなのであるが、自分が小学生の「少年」であった頃、密かにワクワクとした気分にさせてくれるものがあった。それは、月刊少年誌『少年』・『少年画報』という雑誌であった。まさしく、当時の自分の夢や想像力を自由奔放に掻き立ててくれるメディアであっただろう。しかも、文部省推薦なんぞの範疇でもなく、いわば、学校関係者、PTAなどの視界の外に放置されていた類の雑誌であっただけに、子ども心のホンネで惹かれた雑誌であったに違いない。
 今でもあるに違いない、小学館の月刊誌『〜年生』とか、世界画報社(?)とかの月刊誌は、「ためになる」という触れ込みのもとに、大人たちは買い与えてもくれたりした。確かに学校の教科に関連した「参考書」や「ドリル」が付録で付いていたりして、「ためになる」雰囲気は充満していた。しかし、思い返せば、本誌を含めてそれらのいっさいは、さらっと流し読みしたあとに本棚に挟み込まれて、やがてはまとめて屑やさんに出されたような気がする。若干ワクワクさせてもらったのは、あの手この手で案出された、「山折り」「谷折り」の破線が入り乱れて表記された組み立ての付録類だけであったかもしれない。
 今思い起こせば、『少年』のような「ホンネ」の雑誌に馴染むか、『〜年生』といった「タテマエ」の雑誌に慣れていくかによって、子どもたちは、「自由人」に育っていくか、「公務員」志向で育っていくかが分かれるのではないかと、バカなことを考えたりしている。

 ところで、要領が悪くない自分は、いわば「両刀使い」でやり過ごしてきたような気がする。『〜年生』を買ってもらって、「ためになるね」とお世辞を言いながら、ちゃっかりと『少年』や『少年画報』を「読むところ」で読んでいた覚えがあるのだ。
 『少年』については、同じ建物内に住んでいた5歳年上の叔父にあたる子が、毎月毎月欠かさずとっていたのであった。子ども時代の子どもの行動は、まるで猫かなんぞのように、他人の部屋にのこのこと入っていって、日向ぼっこしながら、せんべをかじりながらゴロリと横になって漫画を読もうが、誰も何とも言わなかったものだ。もっとも、その建物には、すべて血の繋がった親類同士が住んでいたということもある。
 そんなふうで、自分は、毎月欠かさずその子がとっていた『少年』を、発行日の二、三日後ではあるが、しっかりとチェックさせてもらっていたのである。さすがに、その子がワクワクして読んでいる最中に急かせるような真似まではしなかった。

 では、『鉄人28号』という漫画の何が子ども心をときめかせたのであろうか。それを思い出すにあたって、ほかにも当時『少年』や『少年画報』に連載されたものを思い起こすと、『鉄人28号』と同等格の楽しさがあったものとして『矢車剣之助』、『まぼろし探偵』、『赤胴鈴之助』などが挙げられる。
 『赤胴鈴之助』は、当時すでに老舗的な位置付けにあり、その何年か前にラジオ・ドラマで印象を深くしていた。
 夕刻の食事前後、「おのれ、こしゃくな! 名を名乗れ!」「赤胴鈴之助だぁ!」となり、この後、「♪まさかり担いだ金太郎……♪」にも似た「♪けーんをとってはにーっぽんいちの……」というテーマソングが流れたものだった。あー、実に麗しきラジオ時代である。
 いや、『赤胴鈴之助』はともかく、『鉄人28号』であるが、その漫画がわたしを魅了していたのは、その「もっともらしさ」ということになるのかもしれない。闘うロボットには違いなく、SFではあるわけだが、小学生の「正太郎」が、リモコン装置によって操る『鉄人28号』というのは、リモコン・カーやリモコン模型飛行機の延長線上にあるようで、「ありそうだ」という実にリアルな印象を与えていたように思う。

 時代が時代であり、都会といえども今でいう田舎の風景が半分の時代であったから、子ども達のSF的空想力も高が知れていたはずである。そして、そんな子どもたちにとってちょうどいい荒唐無稽さであったのかもしれない。
 この点では、『矢車剣之助』の場合は、もっとそんな印象を強く醸し出していた。一言で言って、この漫画の面白さは、「カラクリ」仕掛けがふんだんに登場してくることであった。時代の建物にそんな仕掛けがしてあったり、なんの変哲もない野っ原に大規模な「カラクリ」仕掛けがしてあったり、さらにダイナマイトふうの爆弾であるとか、戦車のような兵器などの数々の近代兵器や、近代科学的なものが登場するのである。
 しかし、それらが、舞台環境から「浮き上がって」いないのである。いや、「浮き上がって」はいるんだけれど、いかにも時代風の建物が急に戦車のように動き出したりすると、現実的な時代風の建物とフィクショナルな戦車というイメージが妙に親和性を持ち、時代風の建物であったのだから、まあいい、と納得させられたりしていたのかもしれない。
 つまり、「地に足をつけた!」ような空想的世界の演出が実に心地良かったといえるのかもしれない。この点は、『鉄人28号』も同じことではなかったかと思っている。

 いまだに消えないで残っている、『鉄人28号』や『矢車剣之助』的世界へのワクワク感というものは、こうして構成されたものであったからなのかもしれないと勝手に解釈している。泥臭い現実感が満ちた日常世界と、空想的、SF的世界とが調合されてワクワク世界が構成されるのであるが、両者の関係は、距離感において巨大な落差で圧倒されるものではなく、いろいろなゴマカシを駆使しながら「スロープ」のように繋げられるという形式なのである。そのことによって、荒唐無稽なイメージが、子どもの記憶の中に手堅く定着する、のかもしれない。
 子どもというのは、夢想家ではあっても、どこかで安心できる現実的な日常感覚というものを大事にしているのだと思える。
 昔、息子が幼稚園児くらいの頃、当時、TV番組で夢中になっていた「秘密戦隊ゴレンジャー」の劇場版映画を一緒に見に行ったことがある。たまたま、座席が一番前しか空いていなかったため、そこに座ったのだが、息子は「のめり込み」過ぎてしまい、悪人どもが大暴れする際、
「お父さん、あれってウソなんだよね。映画だからあんなことしてるんだよね」
と何度も同意を求めてきたものだった。そして、その晩、息子は熱を出してしまった。

 人にとってちょうどいいワクワク感というものは、現実と架空や空想の世界とが接近して、どこかでスパークする時の感覚なのかもしれない。そんなことを考えると、現代という時代は、何が現実であり、何がフィクションであるのかが端的にはわかり辛く、その分ワクワク感というようなものはとらえがたくなっているのだろうか…… (2005.04.04)


 今朝、クルマでの通勤時に、一瞬、冷や汗をかいてしまった。
 事務所までのいつものルートを走っていたが、その半ばほどで白い一匹の猫が、走っているクルマのまさに直前を走って横切ったのだ。それはまるで、「飛び込み自殺」でもするかのような恰好であった。わたしはもちろん、「あっ、轢いてしまった!」と思い、バックミラーで後方を見ながらブレーキを踏んだ。と、そのバックミラーには、その白い猫の姿が見える。道路を渡り切ろうとする動きをにわかにやめて、もとの歩道の方へと一目散に走り戻って行ったのだった。
 どうも、「奇跡」めいたことが起きたようだった。その猫を、わたしのクルマは両輪で完全に「跨いで」いたようなのだ。その猫の立場から言えば、手前側のホイールを通過した時点で仰天して、車体の下で立ち竦(すく)んでしまったのであろう。その間に、その向こう側のホイールが行過ぎた、ということになったとしか考えられない。
 しばしば、車道で惨たらしく圧殺されてしまっている猫の死骸を見るものである。そして、わたしも、そうした加害者になった、と一瞬、衝撃を受けたのだった。が、なんという「奇跡」的なラッキーさであったことか。確かに、モノを轢いたような車体感覚も一切なかったし、その白い猫は、まったく怪我をした様子でもなく俊敏に逃げ去って行った。考えにくいことではあるが、上述のような「奇跡」的な事態が起こっていたのである。

 飼い猫どころか、よんどころなく野良猫数匹にまで餌をやり猫たちの「味方」となっているこのわたしが、たとえ向こう見ずのバカな猫であってもクルマで轢き殺したとあっては、寝覚めが悪いことこの上ないに違いない。思わず胸をなでおろすそんな心境で事務所に向かったのだった。
 事務所に辿り着いても、妙に興奮した気分が醒めやらなかった。そうこう考えていたら、偶然のことではあるが、飼い犬のレオが亡くなったのが去年の一昨日であったことに思い至った。なんの関係もないことではある。が、こうした「奇跡」的なことを、一周忌を迎えたレオからのメッセージではないかと想像してみるのは、あながち滑稽ではないのかもしれない。「いのち」というものの壮絶さに改めて意を向けたい心境である。

 そう言えば、先週の日曜日に、再び、お気に入りの動物映画『小熊物語(The Bare)』をDVD版で鑑賞し、感動したものであった。この映画の存在は、あの「ローマ」で名高い塩野七生(しおのななみ)の随筆か何かで知ったはずだ。「毅然と生きる」という点に鋭い関心を持ち続けているかのような塩野七生が、絶賛していた映画であるため、では一度ビデオでも借りてきて鑑賞してみるか、と思ったのが三、四年前であった。当初は、題名の似た『小鹿物語』なんぞを思い浮かべ、塩野七生もかわいいところがあるのかな、なんぞと馬鹿げた想像をなしとはしなかった。確かに、親を亡くした「小熊」が、哀しくもかわいい動作を繰り広げており、子どもたちが「体育館」かどこかで課外に鑑賞させてもらっても十分意味のある映画でもある。
 しかし、じっくりと塩野七生ライクの厳しい視線で鑑賞すると、かなり凄い映画だという思いとなる。

 よく、やくざ映画などで、素人の若造が、若気のいたりでやくざとなることを望んだりする時、その道を苦節何十年と歩み、酸いも甘いもわきまえたベテランが、自嘲気味にこうほざく場面があったりするものだ。
「やくざなんぞはクズのクズだ。おめぇのような者がなるもんじゃねぇ!」と。
 確か、「荒野の七人」の最後にも、これに近い場面があったかと覚えているし、そもそも「シェーン! カンバック、シェーン!」の決め手場面も、要するに、「真っ当な道」を踏み外したものは、いたいけな子どもに近寄ってはならない、という自嘲と禁欲の「美意識」であったはずだ。
 やくざや、人殺しに手を染めた者がこうした挙動をとるのはよく知るところなのであるが、『小熊物語』では、どうも「(文明)人」そのものが、野生の動物たちに対して、「やくざ」な存在として対比されている気配を感じたのである。
 象徴的には、猟師たちに捕まえられてしまった「小熊」が、キャンプを去る猟師たちの後を追う際に、ひとりの猟師が、カウボーイが牛たちを脅して追うような恰好をして原野に追い返す場面がそれである。まあ、穏やかな解釈をすれば、野生の「小熊」が文明の人間生活に馴染むはずはないから、という行儀正しい解釈も当然可能である。しかし、監督の意図は、「(文明)人」なんてものは、野生の動物たちの荘厳さに較べれば、「やくざ」のように恥ずかしい存在なのだ、という隠喩が込められていたようにも思われる。
 そのひとつは、「小熊」が捕らえられてはじめてキャンプに連れてこられた時、目にする何もかもがめずらしくてキョロキョロとしている場面である。「このデッカイのは、馬、これは……」と、猟師のひとりはおどけて「小熊」にいろいろと紹介するのだが、自分を紹介する時に、「オレは人間、愚かな人間」というくだりがあった。一瞬、うーん、と考えさせられたものであった。

 それよりも、決定的な場面は、野生動物たちの荘厳さを、前述の猟師が命懸けで再認識したことだと言えそうだ。ストーリーを全部説明するわけにはいかないが、簡単に言えば次のようになる。
 主人公の「小熊」は、事故で母熊を亡くし、呆然としている時に、巨大で勇壮なオス熊と出会う。寂しさから、「小熊」はそのオス熊の後をついて回るのだが、やがて、オス熊は、猟師たちの標的となる。そして、急所は外れるものの手負いとなってしまい、猟師たちとの闘いが始まることとなる。猟師たちは、銃弾の鉛に十文字の刻みを加えて、散弾銃的な威力を出そうと企てるほどに憎悪を剥き出しにする。またこうした過程で、手負いとなったオス熊の傷を嘗めてやることから、「小熊」とオス熊は仲良くなるという推移もある。
 猟師たちは、オス熊からの反撃もあり、次第にオス熊退治への執念が高まってゆく。街から、応援部隊も引き連れて来て、山狩りふうの体制に踏み出す。
 ある日、前述のひとりの猟師が、山頂で見張りをしていた時、飲み水がなくなり猟銃を持たずに近くの滝へと水の補給に向かう。と、その時、背後から「ウォーッ、ウォーッ」とそのオス熊が現れる。猟師は、もちろん驚愕して怯え、頭を抱え「プリーズ、プリーズ」とつぶやき観念する。オス熊は、さんざん威嚇の叫びと「熊手」の振るいとを繰り返していたが、やがてクルリと背を向けて立ち去って行く。
 その猟師は、しばらく腰を抜かしたようになっていたが気を取り直して元の見張りの場に戻り、猟銃を手にしてオス熊を追いかける。そして、オス熊の後ろ姿に照準を合わせ、引き金に指を乗せる。が、撃てない。つい先ほど、命乞いをするかのように「プリーズ、プリーズ」とつぶやいたことで、既に勝負はついていたのだと思い返したのかもしれない。懇願する者を赦した存在の偉大さに、背中から撃つ卑怯な真似ができなかったのかもしれない。
 その猟師は、あらぬ彼方の岩肌に発砲して、「ゲッタウェイ!」と叫び、もう終わりにしたいと思ったようだ。その後、再度、猟師たちとオス熊とが遭遇し、べつの猟師がそのオス熊を射止めるチャンスが出来るのだが、別の猟師が猟銃の照準にオス熊の姿を収めたその時、先ほどの猟師がそっと銃身に手を乗せて、それを押し下げ、
『もう、よそう。もう終わりだ』
という表情をして見せる。

 こうした文脈を押さえると、最後の場面で、ついて来る小熊を追い返すことの意味は、「文明の人間たちのような愚かな者たちについて来るな。この森と山岳の自然とともに生きるおまえたちの方が、はるかに荘厳なのだから!」となるのが妥当だと思えたのである。
 映画のフィルムの最後に、字幕のメッセージが流れていた。野生の熊たちが、人間たちによる森林破壊によって生存を脅かされている! というような内容であった…… (2005.04.05)


 いよいよ春らしい陽気となってきた。通勤時のクルマからも、街のあちこちの桜がここぞ晴れ舞台とばかりに咲き誇り始めた。すっきりとして澄み切った青空というのではなく、薄く曇っていて、まさにこれが「花曇り」というものなのだろうと思えた。
 そういえば、桜が咲く頃の気象というのは毎年こんなふうであったとひとり納得する。空気がぬるく感じられるようになり、霞みが充満したような空を背景にして、淡いピンク色の桜が咲き乱れる……。この、万事「薄ぼんやり」とした光景というものが、春のこの時期の何とも言えない特徴なのだと、そんなことを思った。

 この陽気に合わせるかのように出現した、ふたつの集団が目についた。ひとつが、高齢者たちによるハイキングか、ウォーキングの集団。二十人くらいの人たちが、黄色のシャツを着込んだ引率者二、三人の指示に従って、横断歩道をいそいそと渡っていた。いそいそと渡ってはいるのだが、失礼ながら、その歩き姿にはどこかぎこちなさが感じられる。流れる春風のように、柔らかくスピィーディだとは……。
 もうひとつの集団は、黄色い帽子を被り、黄色のカバーを被せたランドセルを背負った小学生たちである。今日から学校が始まったのであろうか、ちょこちょこと歩き、友だちどうしでふざけ合っている。まるで、軟式テニスのボールが、弾みながら転がって行くような調子である。付き添う大人の目配り、気配りがさぞかし撹乱されているのだろうと同情した。
 こうしたふたつの光景を目にしてみると、何だか、人生そのものの「使用後」、「使用前」のあり様を見せつけられた思いとでも言うべきか。そして、この両端の間では、一体どんな悲喜こもごもの時間が流れたのであろうか……。

 この三月、四月という季節には、学校の卒業式があり、また入学式や入社式がある。つまり、物事の「終り」と「始り」、「始り」と「終り」というものを経験させられる季節、それがこの三月、四月という季節でもある。米国などでは、秋の季節がこれに当たるらしいが、この国の場合、輝かしい春というよりも、「薄ぼんやり」とした春にこうした人生の「機微」がビルトインされているわけだ。
 そのことによって、物事の「終り」と「始り」、「始り」と「終り」というものが、万事「薄っすら」とした印象で流されているのかもしれない。このバリアフリー的な「なだらかさ」は、これはこれでいいのかもしれない。まさに、「植物の輪廻」のようでもあり、仏教の「輪廻転生(りんねてんしょう)」のようでもあり、日本の伝統的文化の基盤であるかのようだ。

 しかし、今現在、われわれが遭遇している大半の現実というものは、まさに、この日本の伝統的文化の基盤とは裏腹な特質を持つものばかりではないかと、ふと気がつく。
 早い話が、今月の1日から実施された「ペイオフ」にしたところが、二、三年前に唐突に切り出された話であったはずだ。実は、その唐突さというものが、グローバリゼーション時代の最大の特徴であり、結局、その「ハードランディング」はあまりに「酷」ではないかということで、「事前通知的・ソフトランディング」という妥協策に落ち着いたという経緯ではなかったか。
 今、「郵政民営化」という「国民的」課題というか「小泉的」課題というかにしても、結局は、換骨奪胎的に「事前通知的・ソフトランディング」形式に雪崩れ込む気配が濃厚である。もっと、実質的な議論を徹底的に重ね、次期ローマ法王を決める会議、「コンクラーベ」(根競べ?)のように継続的審議がなされればまだしも、「先送り的妥協」で決着を図ろうとしている。
 つまり、唐突に遭遇した「ハードランディング」文化(米国的グローバリゼーション、米国的思考スタイル)に対応するに、本来的なこの国の文化的エッセンスは投げ捨てて、表面的な形式と雰囲気だけを引きずって処理しているのが現実であるかのように見える。はっきり言って、何ら「真面目に」立ち向かってはおらず、「お茶を濁す」ふうの対処があちこちで見受けられるというのが、現在の日本の最大特徴なのかもしれない。

 物事の「終り」と「始り」、「始り」と「終り」というもの、と前述したのだが、やはりこの事から視線を背けてはいけないのだと思う。人間とその社会が、気品を保つためには、人間個々人とその社会にも、確実に「始り」と「終り」とが厳然と存在することをいつも肝に銘じていなくてはならないはずである。
 偉そうなことを言っているが、人生の峠を越えてしまい、下降斜面をとぼとぼと歩く(?)この歳で考える最重要課題のひとつは、実のところこれであろうと密かに感じている…… (2005.04.06)


 以前に、われわれと一緒に仕事をしているフリー技術者の一人が実感を込めて話していたことを思い起こした。
「仕事がメチャクチャ忙しくて寝るヒマもないのは耐えられるけど、当面の仕事がなくて手持ち無沙汰になるのが辛いですね。先に向けて新しいことにチャレンジすべきなんだろうけど、今ひとつ気分が乗らないんですよね……」
 それを聞いた時にも納得したものであったが、確かにそうしたものだろうと共感できる。もちろん、日々の生活のための収入に対する不安という重い現実があろう。

 先ず、技術者だけでもないんだろうけれど、生活が脅かされたただ中で、実るかどうかわからない新分野のノウハウ習得のために頭を使ったり、働かせたりするというのは、結構シンドイことであるに違いない。挑戦的に頭脳活動をするためには、前途への希望や、少なくとも妙なプレッシャーのないことが必要条件でありそうだ。
 「必要は発明の母」だとも言われ、挑戦的・創造的な営為の動機に、「切迫感」が不可欠だという面もないではない。しかし、その「切迫感」は、具体的で限定的な事柄にまつわる、たとえば「このカタチがこれこれこうであることはできないものか」といった類の必要感なのであり、漠然と生活費が底を打つ! 何とかしなければならない! というような「切迫感」ではないはずである。
 まして、技術的分野や、その他特殊なジャンルに関心を抱いてきた者にとっては、カネを稼ぐ、儲けるといった「複雑なこと」をしなければならないという「切迫感」は、何の動機にもならないようである。むしろ、手のつけようのない、取り付く島のない漠然とした課題が、まるで背後霊のごとく首筋や肩に重っ苦しくまつわりつくだけのことではないか、と想像できる。
 目をつぶってでもできる、今まで習熟してきたことの難易度がちょいと高まる分には、意地と誇りも掻き立てられ、寝る間も食う間も惜しむものかと挑戦できるのだろうが、漠然とした新境地を切り拓くというのは先ずもって不得意だということなのであろう。

 新境地への挑戦ということが、今ひとつ難しい理由に、元来、技術者たちは、技術的探究心が旺盛であるとともに、実にナイーブでヒューマンな性分を持ち合わせている点がある。つまり、ひと(他人)や社会のためになりたい、身を粉にしたいという願望なのである。ひとに喜ばれたいという素朴な願望を持ち、その遂行によって充足感を人一倍感じるという傾向なのである。まあ、人は誰しもこうだと言えないこともないが、技術者たちはとくにこの傾向が強いと思われる。人が喜んだり、驚いたりする場面のために、黙々と知的作業に埋没するのである。
 だから、仕事が無いということは、一方で生活が脅かされるという、厳しい匕首(あいくち)をドテッパラにあてがわれる事態であるとともに、ひと(他人)や社会から何も期待されていないという薄ら寒い事態に直面させられるのであろう。この点こそは、実に辛いことなのだろうと痛感せざるを得ない。
 「何々殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい」という言い回しがあるが、実のところ、仕事がないということに関する哀しいことは、カネでもなければ、天候でもなく、要するに仕事というカタチに託されたひと(他人)や社会からの期待感が無い! ということなのではないかと思う。なぜならば、ひと(他人)や社会からの期待感こそが、人が生きる意味をそこはかとなく醸成するものだからだろう。

 相変わらず高い失業率が推移するとともに、いろいろな意味で生業(なりわい)というものが従来どおりには立ち行かない面も顕著となった。また、不可解ながら、きっと根の深い根拠を抱えているに違いない「ニート」現象も見過ごせない。
 そして、人が人を信頼し、期待するという当たり前のことが難しいこととして受けとめられている風潮もないとは言えない。あらゆるカネの流れが、人間間の潤滑油であり、「毛細血管」を流れる血液でもあった「期待感」、「信頼感」を取りこぼして行く時代であるのだろうか……。カネの流れの巨大化と超スピード化が、決していいことだとは思えないのも、実はそのためなのである…… (2005.04.07)


 桜が満開である。通勤でのクルマの窓からもよく見えた。あちこちで満開となった桜の姿が、いやでも目に飛び込んでくる。
 ところで、「いやでも目に飛び込んでくる」満開の桜は、どうしてそうなのかを振り返ってみた。その華やかないでたちが人目を引くというのは当然のことだ。たとえ、塀や建物に隠れていようが、その隠しようがない華やかさはいやでも人に桜の存在を気づかせる。
 が、いまひとつ別の理由もありそうな気がしてきた。
 今朝、通勤時のクルマから見えた桜の晴れ舞台を重い起こしてみると、車道に面した道祖神(どうそじん)の背後、市バス折り返し地点の用地の一角、神社の境内に通じる入り口、橋のすぐ脇、公民館の庭、そして大型スーパーに至る道路の並木……。つまり、桜自体が華やかで目立つ存在であるとともに、もともとが「目立つ場所」(控えめに言ったとして「意味ありげ」な場所)に植えられてきたのではないか、という点なのである。
 たぶん、地味な田畑の光景しかなかった昔は、何がしかの有意味な「スポット」は、より「目立たせたい!」と考えたのかもしれない。
「おめぇ、知らねぇってことはねぇべさ。ほーら、あのきれいな桜の木を背負った道祖神さまのことだべさ」
 とでもいう調子で、何か有意味な場所をより強調する意を込めて桜の華やかさが「標識」的に珍重されたとも想像される。そうした場所というのは、現在に至る過程でも決して粗末にはされなかったはずであるから、おのずから「目立たないわけがない」場所となっている、とまあそんな類推なのである。

 華やかで「目立つ」属性を持った存在が、そもそもが「目立つ」ポジショニングをすることで、両者相俟って、めくるめくがごとき輝きを得る、というそんな点に着目したわけなのである。
 こうしたことに着目するのは、現代という時代が、言わずと知れた過激な「コマーシャリズム」万能時代であるからだ。「目立ってなんぼ」「知られてなんぼ」というえげつない原理に、引きずりまわされているのがこの時代だと言えるに違いない。
 昨今の、「ホリエモン」騒動にしても、なぜ将来を嘱望されたインターネット業界が、TVといういわば「賞味期限」切れのメディアを取り込もうとしたのかという疑問を持たせるのであるが、要するに、TVがひたすら果たしている「目立つ」ポジショニング(=「コマーシャリズム」機能!)がバカにならなかったということなのであろう。
 確かに、予想を「裏切り」、TVは「コマーシャリズム」機能においては、その「老体」に鞭打って「善戦」していると認めざるをえないのではないかと思う。視聴者の顰蹙を買いながらも、バカなTVCMを流し続けてそこそこのし上って行く企業も少なくないようである。
 その背景には、「インタラクティブ」性や、「自分の時間」優先性や、「多様な選択肢」といった個人主義的現代人にベスト・フィットしているインターネットより、「おざなりな一方通行」ではあっても、バカバカしいコンテンツではあっても、「どうにもしょうがねぇヤツだ」と言いながら蔑めるほどの余裕をを与えてくれる安心感が、TVを生き長らえさせているのであろうか。もちろん、それと裏腹な関係で、一方通行で情報が垂れ流される環境を是認して安住する受動的な視聴者が少なくないこと、常に「マジョリティ」の動向が気になったり、「目立つ」ことが気になったりする人々が一般的であることも頭に入れておくべきなのだろう。
 とにかく、「目立つ」ことがカネにつながったり、何となく「生き甲斐」につながるような感覚が、TVに寿命を与えているのだろうし、それが、現在の「情報(化)社会」が紛れ込んでいる現実なのだろうと思う。

 冒頭の桜の木の話に戻る。桜の木は、決して「目立つ」ことだけで評価されることを望んではいないのだろう。かと言って、「パッと咲き、パッと散る」潔さでもなかろう。そう言えば、人間界の「目立ち」効果も、何と「パッと咲き、パッと散る」短命であろうか。
 桜の木が何を望んでいるかは誰にもわからない。ただ、桜の木のように珍重されずに、何十年も威厳を持って生き続けてきた「古木」が、必要性の疑わしい道路建設のために、無残に切り倒された光景(つい最近、再び目撃した)は、桜の木々にも深い悲しみを与えているのではないかと、勝手に想像している…… (2005.04.08)


 「『目立つ』ことがカネにつながったり……」と昨日書いたことの背景には、現在の経済状況についてのわたしなりの問題意識が横たわっている。
 ビジネスに携わってきた者ならば、何はさておいても、モノが売れなくなった「異変」に気づいているはずである。いまだに「不況」だから売れないと信じている経営者がいたら、即刻退陣すべきであろう。また、カンのいい者であれば次のことにも気づいているかもしれない。
 売れているモノ(企業)も存在するという点がひとつであり、もうひとつが、それらは何らかの点で「目立つ」(=ブランドもの、ネーム・バリュー、破格な低価格、話題性……)ものであることという点である。
 さらにつけ加えるならば、どうも当該商品が過剰に出回っているようだという点もあるだろうし、その分、かなり過激な「過当競争」が生じていそうだという点。しかも、こうした点を感じさせる環境空間というのが、従来、体感してきた商圏エリアではなく、ちょっと体感をしにくい不気味で広大なエリアに広がっていそうだという点など。

 つまり、確実に、従来のビジネスや商売が前提としていた環境やその内部の構成要素が変わってしまったようだ、とする実感であろう。他人事ではなく、わたし自身も強くそう感じている。
 端的に言えば、これが「グローバリズム」、「規制緩和」、「デジタル化(インターネット)」がもたらした「ボーダレス時代」のビジネス環境であり、生活環境だということなのであろう。
 かつて、大前研一氏が「ボーダレス」という言葉をキーワードにして時代を解き明かそうとし始めた時、われわれは、まだまだ先のことだと高を括っていた向きがあった。そう何もかもが急に変わるはずがない、たとえそうした傾向が強まろうとも、この国ののんびりさは、それらにブレーキを掛けるだろう、と……。
 しかし、政治動向や制度変化などについては「抵抗勢力」の「お陰」(?)もあって遅々とした雰囲気もあるわけだが、すでに誰にでもわかりやすい事実が浮上して来ているのであり、それが、「モノが売れない=従来型ビジネスが立ち行かない」という事実であり、もうひとつが、「詐欺(振り込め詐欺など)」の横行であろう。後者に関しては補足説明が必要なので後に回そう。

 現在の経済状況を了解するのに役立つ言葉は、「過当競争」ではないかと思っている。しかも、過去に指摘されてきたどんな「過当競争」よりも巨大でドラスティックな規模のそれが現在生まれつつあるのだと予感する。
 ところで、経済の原点は「商い」であり、その「商い」のプロトタイプとは、「ここにないモノをあそこから運んで来て売り、あそこにないモノをここから運んで行って売る」という、「地理的なバラツキ」に着眼することであったはずだ。また、「需要の絶対量の不足」という事態をトリガーにして、売るという行為に拍車を掛けたものであろう。
 ところが、よくよく考えてみるならば、現時点の状況は、このふたつの事実を「消去」してしまったかのようなのである。
 現在、地域の商店街が寂れている事実は誰でも知っている。いろいろな原因が考えられようが、わかりやすく言えば、地元で買わなくてもほかで買えるし、ほかで買った方がいいモノを安く買えるという誘因が強まったからだと言えよう。こうした事態が生まれたのは、クルマという消費者にとっての強い味方が一般化したこと、そしてそれよりも強い誘因は、新聞の「折込広告」などによる「消費者向け情報」の一般化であろう。いいものを安く買えると知らされた消費者が、地元商店に義理立てしなければならない理由は何もないのである。
 そして、この新聞の「折込広告」的存在は、今では、インターネットによってさらに強化されているし、クルマという部分に関しても、宅配便という方式がまずまず現実的な代替方法となりつつあるわけだ。
 つまり、現在にあっては、地元商店は、原理的に言うならば、その商店街や隣町の商店街の同業他店と競争していればいいだけではなく、また、多少離れた郊外の巨大スーパーの安売りと競争するだけでも足らず、全国の、あるいは全世界の競合他店と競争しなければならない、ということになるのである。これをドラスティックな「過当競争」と言わずに何というか、ということなのだ。

 しかも、なのである。それでも、商う商品が「品薄状況」であれば、販売価格が多少高くとも、あるいは、品質が多少悪くとも、消費者は購入することにやぶさかではないかもしれない。ところが、現代という時代は、「品薄状況」なんぞは完璧に偶発的にしか起こらないほどに、製品は「超過剰」に供給される構造になっているのである。これもまた、「デジタル化(インターネット)」時代(=生産性の飛躍的向上!)ならではのことであり、製造業者も自由に新規参入できる(=多くの業者によって製品が過剰に造られてしまう!)「規制緩和」時代ならではの事態だと言えるわけだ。
 こうして、モノであれ、サービスであれ、「限られた需要」に向けて、「供給側」は、「過剰なモノ、サービス」と「過剰なコンペチター(同業競争者)」という二重に過酷な条件で闘わなければならなくなったのである。
 未曾有の「過当競争」が、あらゆる業種にジワジワと浸透し拡大しつつあるのが、現在の経済状況の最大の特徴だと言っていいのだと思う。ただ、たぶん、現時点はまだまだ序の口だと言った方がいいような気がする。
 まだまだ既存の「規制」で保護された業種も残存するし、消費者への情報公開と消費者による情報入手の現実がまだ熟し切っていないという点も考えられるからだ。

 こうした状況であるから、これに付随する「奇異」な現象が目についたとしてもムリもないことなのかもしれない。
 「目立つ」ということにしてもそのひとつである。企業や人々がそうしたことへの欲求をこれまでになく強めたのも、厳しい「過当競争」でモノを売ったり、「能力や労働力」を売ったりするには、必然的にそのことに関心を持たざるを得ないからだと。ここから、過剰とも言いたくなるコマーシャリズムやセールス行為が生まれるのであろう。個人も企業も、今まで以上に、アピール行為や営業戦略に腐心しているに違いない。
 場合によっては、実体づくりや、モノの開発以上にウエイトを置いている場合さえあるかもしれないと言えば言いすぎであろうか。それというのも、「過当競争」の空間の広がりの巨大化は、人自体、モノ自体を、それらに即して精緻に評価することをはなはだしく困難にするからである。コマーシャルの真偽を、一般消費者以外に、一体誰が、どんな根拠によって判断できるのかという問題は結構曇ったままであろう。加えて、一般消費者の吟味・評価能力が優れている、と言い切れる人は少ないのではなかろうか。ここに、冒頭で、唐突に「詐欺の横行」と書いた点が関係することになる。

 過激なコマーシャリズムが、「詐欺」を横行させているというような単純なことが言いたいのではない。実体の評価を超えてコマーシャリズムが過激化する「環境の危うさ!」が、悪意と抜け目なさとを兼ね備えた連中を「詐欺」行為に走らせるし、また、「環境の危うさ!」(=情報吟味能力[情報リテラシー]が成熟していない現状)の底辺にいる人々との組み合わせが「振り込め詐欺」犯罪件数をうなぎ上りにしているのだろう。
 供給過剰な経済の生産性状況と、グローバルレベルでの膨大なコンペチターの登場とによって急激に発生させられた未曾有の「過当競争」世界は、とりあえず「奇妙で、物騒な」世界を出現させている。現在のグローバリゼーションを、原理主義的に、「バラ色の自由競争世界」化だと口にするのは、やはり相当の厚顔さを必要とするのではなかろうか…… (2005.04.09)


 先日、奇妙な光景を目撃した。制服姿でヘルメットを被った警官が、何かを追いかけて懸命の様子で走っていたのだ。やや、腹の出た中年の警官が、決して軽やかだとは言えない、ドタバタとした走りっぷりは、見ようによってはふざけ半分とも感じられたものだった。が、制服を着た勤務中の警官が冗談でそんなことをするわけがない。
 信号停車したクルマの窓から見えていた光景だったのだが、何を追っかけているのか見たさにクルマをやや前進させて、行く手の方向を覗き込んでみた。すると、なんとそれは、つい先ほど、わたしの視界にもチラリと入っていた自転車の二人乗りであることがわかった。どうやら、警官が一度注意したことで後ろの者が降りたようだったが、警官の前を通り過ぎたあと再び「犯行」におよんだ、ということのようであった。
 刃物でも持った殺人犯でなくてほっとした反面、中年の警官が何をそうドタバタと走って追いかけるほどのことかと、不謹慎ながら、正直に言って、やや興ざめした気分となった。自転車の二人乗りくらいでムキになることはないじゃないか、放っておくなり、適当に「いなす」ということでもいいじゃないか、とそう感じたのである。
 公僕の警官に、「いいかげんであれ」と望んでいるわけではない。
 現在の国民が「肌で感ずる『体感治安』」が悪化の一途をたどっている( 最新の「社会意識に関する世論調査」では、「悪い方向に向かっている分野」(複数回答)を聞いたところ「治安」が47.9%で最多であったそうだ。<asahi.com 2005.04.09> )というのは、決して自転車の二人乗りが増えているということなんぞじゃなかろ〜が、と情けなく思えたのだ。

 あまり推測でものを言ってはいけないが、官憲の方々は国民の「体感治安」が悪化している現実をどう認識されておられるのだろうか。わたしが願うのは、老人が後生大事にしている虎の子を無慈悲にも巻き上げるような悪人をこそ、その悪の巣窟にドタバタと踏み込み、
「火盗改めである。観念して大人しく縛(ばく)に就け!」
とでも言って対処してもらいたいのである。
 それが、自転車の二人乗りに血相を変えてドタバタじゃあ、ドタバタ喜劇じゃないかと……。
 問題山積のこの時代にあっては、「大悪」を根絶し、「小悪」を「いなす」という頼もしいスタンスが欠かせないのではなかろうか。もちろん、「小」といえども悪を見逃さないのであればもちろんそれに越したことはない。
 しかし、世の常としては、小さなことに目くじらを立てて「いなせない」者こそ、実のところ「大きな」敵、根源的問題から目を逸らしていることが多いのではなかろうか。それは、ほとんど、特有な「視力」を備えているからだと想像させられもする。

 それはそうと、「いなす」という点に関心を向けるのは、自分自身が、どうでもいい小さなことを「いなして」、本質的で根源的な問題にこそグイグイと迫っているのかと、反省するからなのである。
 この「日誌」にしてからが、どうも、やたら「躊躇い傷」ばかりをこしらえていて、物事の「とどめ」に迫り切っていないような気がしてならない。「流して」みたり、「上滑って」みたりと、何をしているのかと感じ続けることしきりである。
 もうすぐ、5月になれば継続5年目に突入することにもなるのだが、できの悪い大学生のごとく、特に変わり映えもなく無駄飯を4年間食らって卒業するような感じでさえある。「日誌」だと名乗っているのだから、兼好法師さながら「徒然なるままに」したためればいいとも見なせるが、何とも不満な気分が打ち消せない。
 やはり、表現能力以前に、思考能力を鍛え直す必要がありそうな気配だ。何が「真(芯・深・新)の問題」であるのかを、ジワジワと追い詰めてゆくそれこそ「骨太」の思考力と、他方での寛大な度量を切に欲する。

 冒頭で、現行の「お巡りさん」の行動を例にしたのは、それなりの意味があってのことだ。われわれは、治安の悪化を漠然と感じているだけではなく、新しい「正邪」の姿というものを睨む眼力を持たなければならないような気がするのだ。
 現代という時代は、「発展」へと向かった変化も激しいが、同時に「堕落」へと向かう変化も半端ではなく、それは、ちょうど生命力の著しい身体は、成長が芳しいだけでなく、癌という病巣の悪化も急速であることと同様だと言える。「時間が速められた環境」では、事実の正確な認識と判断が、瞬時に死活を決してしまうことになるわけだ。
 加えて、さまざまな事柄の仕切りがボーダレスのように、あるいは紛らわしく、曖昧模糊となっていそうな感触もある。客観的な事実認識と、結果的に騙されるという誤算とが、まさに紙一重の差になっている気配もないではない。これで大丈夫、ということが、従来ほど簡単には言えなくなった、まるで霧の中に立たされているような雰囲気なのだ。

 よほど本気になって、考えるということにも意識的とならなければ、枝葉末節な部分にこだわることに陥り、物事の「本丸」や「急所」に到達することは到底不可能ではないかと感じている。だから、「いなすべきは、いなす」作法を身につけなければとつくづく感じるのである…… (2005.04.10)


 わたしは、以前から、フリーソフトの「付箋」という便利なソフトを使わせてもらっている。(「シン覚え書 for Windows 95/98/NT 4.0/2000/XP Version 2.30」T.Chiba/Sayoka )これは、ちょうど事務作業で使う「付箋」のようなものを、ディスプレイの「デスクトップ」上に表示させて使うものだ。メモ書きのような内容の単語や文は、ワープロ風に打ち込むことができ、その大きさや背景色、文字色も随意なのである。また、デスクトップの画面のどこに表示させることもでき、移動させることも可能である。
 自分は、ほとんど一日中PCに向かって勤務をしているため、いつの間にか、手書きの「ノート」というものが鬱陶しくなり、思考活動や行動計画は、すべてディスプレイ上に表示されるものを使って済ますようになっている。その分、やたらにいろいろなファイルやら、アイコンやら、フォルダを作り、それらをもとにして実質的な作業をしている。

 こんな状況で、いまひとつ不便さを感じてきたのは、朝一番、「さて、何から取り掛かるんだったっけ」と思案することがあり、そしてその先に進もうとするには、何らかのファイルをオープンしなければならないということであったかもしれない。
 つまり、よほどわかり切った忙しさがあれば、何から着手するのかをいちいち思案するまでもないわけだが、必ずしもそんな日ばかりとは限らない。また、度を越して忙しい時には、頭の中でさまざまな「What to do」が駆け回り、それはそれで混乱の上、いらつくことにもなる。
 そんな場合、前日に、「What to do」の項目や着手順序などを手書きで走り書きにしたメモなどを残しておけばいいわけではある。が、すでに自分は、手書きのメモというものに好意的ではなくなってしまっているのだ。
 そんなものだから、朝一番、ややもすれば多数のアイコンが並ぶデスクトップを見つめて、ムダな時間を過ごしてしまうこともある。アイコンをクリックして、何らかのファイルを開くならば、「そうだそうだ、今日はコイツを先ずは片付けなければいけないんだ」というように、具体的な切迫感が喚起されようものである。しかし、デスクトップに立ち並ぶファイル類への「ショートカット」のアイコンたちは、まるでポーカーフェイスである。開かれたファイルの中身がどんなに緊急性を帯びたものであっても、開かれるまでは何食わぬ顔で涼しい様子をしていたりする。

 そんな時に、冒頭の「付箋」のようなソフトは効き目絶大なのである。
 自分は、その「付箋」の背景色を「イエロー」とし、文字色は「ブラック」でなおかつ「太字」にしている。どうでもいいが、ちなみに「フォント」サイズは「11」として、とにかく「目立つ」ようにしている。
 仕事を始める前の朝一番のどんな「気分低迷期!」であっても、「イエロー・カード」が目に飛び込み、その緊急性の認識と問題解決への着手の意欲とが、無理矢理にでも奮い立たされるように仕掛けているのである。こうすれば、否応なく、「気分低迷期!」となりがちな仕事着手時から、先ず先ずのスタートが切れようというものなのである。
 そして、課題が一段落したところで、その「付箋」に書いておいた「What to do」の項目を「消去」したり、「完了!」と付け加えたりするのだ。今のところ、自分は後者のスタイルを採っている。情けない話となるが、項目ごと「消去」してしまうと、「実績感」とやらが今ひとつになってしまうので、「やったぞ!」と自己を激励する意味も込めて、「完了!」とマークしてやるのである。すると、バリバリと仕事をこなしている「錯覚」がこよなく生まれて、疲労度が低下するというものなのである。
 この「付箋」ソフトは、作者がさらにアイディアを盛り込んでくれて、メモ書きを入力する際に、あらかじめ「日時指定」をしておくと、その指定した「日時」に、突然、デスクトップのど真ん中に、ブリンク(色が反転しながら点滅する!)しながら表示されるのである。こいつは、自分のような「忘れん坊」にはありがたい警告方式なのである。「日時指定」の仕方にも、いろいろな選択肢が備えられていたりするので、今後強いアシスタントになってもらえそうだと密かにほくそえんでいる。

 こうしたちょっとしたソフトのありがたさを今さらのように感じ入るのは、今現在、新年度始りや何やかやで、事務処理的な「What to do」が目白押しになっているからでもある。また、そんな事務処理的なことで、忙殺されていてビジネスの「コア・コンピタンス」に腐心する時間が潰されてなるか、と思うからでもある。
 じゃあ、そんなことは、ひと(他人)に任せてペイメントを負担すれば済むことではないかと言われそうであるが、それも選択したくないのである。先日も「パーキンソンの法則」について書いたが、この点は痛感しているのである。現代という時代は、事務作業に関しては限りなく合理化を図り、コスト・ダウンを達成させなくてはやってゆけない経済の時代だというのがわたしの直観なのである。
 しかも、仮にもソフトウェア業の会社でござい、と言っているのなら、ソフトによってどこまで事務作業の効率化、省力化が図れるのかを日毎チャレンジしなければならないと考える。こうしたことをお座なりににしておいて、「コア・コンピタンス」もないだろうと思うのである。
 わたしの日毎つのり行く実感からすれば、これからの企業活動というのは、まさに「少数精鋭」部隊が、IT技術を徹底的に駆使することで時間とコストを賄い、本来的な「コア・コンピタンス」をアピールして行くのでなければ、早晩行き詰まるに違いない、と考えざるを得ないのである。「コア・コンピタンス」の培養と、IT技術による徹底的な事務作業省力化が両輪となってはじめてサバイバルの可能性が出てくるのだろう。そして、どちらのホイールも、空気圧を「2.5」気圧以上にパンパンの高圧にしなければ高速走行には耐えられなくなるのかもしれない…… (2005.04.11)


 先日、現代ビジネスが遭遇している「構造的な条件」として激烈な「過当競争」というものがあると書いた。確かにこの点は、十分に前提条件としておくべきだろう。
 だが、この趨勢が現状のすべてだと考えるのは気が早過ぎるかもしれない。まして、この方向性をもって「絶望視」することもないし、かといって、「過当競争」をもたらしているインフラのインターネットだけをビジネス・チャンネルだと見なすのも、現実的ではないと思われる。
 と言うのも、インターネット環境自体が現時点では不完全であるし、パーフェクトな機能を果たし切っていない。さらに、インターネットでの商品・サービス情報がどれだけのビジネス領域をカバーし切れるのかという問題もあろう。デジタル情報化になじみにくいビジネス領域もあるだろうし、端的に言って価格情報だけを知ったからといって、それが購入や契約の決定打となるとは限らないからでもある。
 今日は、先日書いた激烈な「過当競争」時代という基本的趨勢は趨勢として、必ずしもそのトレンドに沿わない現実に目を向けてみたいと思う。つまり、「時代的例外」とでも言えるケースについてということになる。これらに、安住していて良いわけはないと思われるが、逆に、こうした「ケース」の中に、インターネット環境には包摂され切らないビジネスというものの多面性を見ておくことも必要だと思えるのである。

 奇妙な言い方をすれば、われわれの会社のうちで、大きな比重を持つ部分は、正直に言ってこの「時代的例外」のケースにあたるのかもしれないと思う。つまり、インターネットなどを通じた営業活動によって、随時、仕事の引き合いを得ながら事業を継続しているというスタイルではないのである。むしろ、そうした部分は、まだまだ小さい比率だと言うほかない。
 大半は、これまでの仕事の実績を評価され、買われて、取引が継続しているというケースが多いのである。そのビジネス的内実としては、仕事の発注側も認識されていることだと思うのであるが、ひとつのジャンルに対するわれわれのノウハウの精通と、そのことによる仕事技術の習熟度の高さという点があろうかと思う。別な表現をするならば、もし、われわれと同じ結果を他の業者によって賄うとするならば、先ず、何倍かの時間を必要とするであろうし、その分コスト高となる上に、慣れないことをさせるわけであるから成果自体に不安定さが残るというリスクが発生することにもなろう。要するに、聡明な発注側は、「オープン・マーケット」で妥当な業者を探しても奏効しないことを良くご存知なのである。
 こうして、十数年以上にわたって、われわれは、固定顧客のビジネス・パートナーとして迎えてもらってきたことになるわけだ。こうした関係を、「発注元」と「外注」との関係だととらえ、被依存的関係だと見なすことも不可能ではない。現に、こうした関係から、中小零細企業は離脱すべきだとの声も多く聞く。
 確かに、もし、われわれがその技術の習熟によって顧客側に多大なメリットを提供できておらず、顧客側が容易に「スペアー」業者を見出せるのであれば、この関係は「発注元」と「外注」ということ以外ではないはずである。つまり、常に「外注」としての不安定な位置付けを与えられ、それが梃子となってジリ貧ばかりの条件を飲まされるという関係である。
 しかし、もともとソフトウェア開発というものは、習熟技術に大きく依存する種類の仕事なのである。そして、ソフト発注側は、その種の習熟技術(習熟企業)を上手に入手し、キープし続けることで開発コストの抑制を図ることができるのである。「オープン・マーケット」から、目先、「安い」開発料に収まる業者をその都度見つけたからといって、果たして本当に得策であったかどうかという問題は、馬鹿にならないはずなのである。

 要するに、「オープン・マーケット」という「過当競争」環境を、一概に真に受けて良いものでもなさそうなのである。いや、そういうケースというものも存在するということなのである。商品やサービスの内容の隅から隅までが見渡せて、吟味でき、評価できるのであれば、「オープン・マーケット」スタイルは発注側にとって最良の方法となるのかもしれない。しかし、現行の環境では、「安かろう悪かろう」に陥らないとも限らないリスクが潜伏していると考えるべきではなかろうか。
 話をわかりやすくすれば、「馴染みの関係」で、費用条件が妥協の範囲内であることが商取引の「ベター」な選択肢だということが、現実にはままある、ということなのである。したがって、その「馴染みの関係」という中身が、古くて新しいテーマとして注目されていいのだと思うわけだ。
 これを、ヒューマンな人間関係だと牧歌的口調で言ってもいいし、ビジネス・ライクに言えば、実績重視の関係構築だとも言えよう。

 ここ最近のわれわれの会社でも、従来のパートナー以外に、こうしたケースによる仕事の話が展開している。過去の実績を評価してもらってのことであったり、実績を作った先のユーザーが、新たなユーザーを紹介してくれたというケースなどである。
 こうした地味な実績が、リピーターを作ったり、インターネットにあらず口コミ的な伝播方式によって新顧客が生み出されていくというビジネス・ジャンルも、ひょっとしたら少なくないのかもしれない気がするのだ。
 超「過当競争」の「オープン・マーケット」的な経済のうねりと、決して消えることのない、まるで漣(さざなみ)のような現象との両者が、ビジネス空間を作り出しており、この両者をともに適宜見つめていかなければならないのだろうと思っている…… (2005.04.12)


 パソコンやITツールは、便利ではあるが便利さだけを享受するというわけにはいかない。いろいろと「お膳立ての作業」をしなければならないからである。
 今日もそうした作業で結構な時間をとられてしまった。
 その一つが、現在ではもはや当たり前となってしまったセキュリティ対策関連である。相変わらず「Windows」のセキュリティ・ホールが狙われ、マイクロソフトはそれに向けた対策ソフトを用意するとともに、そのソフトのダウンロードとインストールをユーザに呼び掛けている。ユーザ側でも、何が発生するかわからないためとりあえずその呼びかけに応じざるを得ない。大した作業ではないのだが、それでも多少の手間と時間がかかり、その間パソコン作業は停止することになってしまう。
 これよりももっと頻度が激しいのが、ウイルス対策用のソフトの更新だ。ウイルス撃退のための「パターン・ソフト」のインストールは、ほぼ毎日のルーチンワークとなっている。事務所で使うPCは、インターネットもADSL接続であり、CPU速度も速いため実質的な時間はかからないが、わずらわしい。事務所のような環境条件がそろわない場所では、相応の処理時間がかかってしまいイライラすることもある。
 こうしたセキュリティに向けたメンテナンス作業も、PCを使う上での不可欠な「お膳立ての作業」であるが、これだけではない。今日は、しばらく放置していたメール・データの整理作業を行わざるを得なかった。するとその作業に派生して、使用している複数台のPCに同じことをしてやらなければならなくなった。要するに、LANを使ってそれぞれのPCに更新データをコピーしたのである。

 このようなPC活用の前提である「お膳立ての作業」は、もはや慣れているとはいえ、振り返ると結構な工数がかかっていることに気づく。こうした工数が、いわゆる「オーバーヘッド(overhead)」工数と呼ばれるものなのだろうと思った。
 「オーバーヘッド」とは、辞書によれば「間接費。生産・販売に共通して必要な経費のこと。総経費。コンピューターのオペレーティングシステムで、ユーザのプログラム実行に直接関係しない時間や処理をいう。」とある。つまり、直接的アウトプットにつながらない、間接的・基礎的な投入工数だと理解できる。
 昔から、「装置産業」という言葉が使われてきた。つまり生産工程などで大型の装置を用いる産業のことであり、石油化学工業などが代表的なものだ。これらの産業にあっては、いうまでもなく「オーバーヘッド」工数は馬鹿にならないわけだ。
 しかし、程度の差こそあれ、現在ではあらゆる産業が、「装置産業」的となっており、その分、「装置」の維持や保守のための工数が発生しているのではないかと思ったのである。つまり「オーバーヘッド」工数が、あまねく発生していると思われたわけだ。
 巨大な装置などを使わず、もっぱら人力や人海戦術で賄っていた時代は、あえて「オーバーヘッド」工数といえば、労働力の「再生産過程」のうちの、直接的な職能にかかわらない、例えば教養を身につけたり、礼儀などの基本的行動様式を見につけたりする工数がそれに当たったのかもしれない。「オーバーヘッド」領域そのものが、生活であったとさえ言うこともできるのかもしれない。それが、「非」装置産業時代の強みであったのかもしれない。

 ところが現在では、様々な業種が決して小さくはないIT関連装置を抱え込み、直接的アウトプットの生産性を高めてはいる。と同時に、売上高に結びつかない期間であっても、装置の保守コストは欠かせないし、わずかな受注ではあっても小さくない装置を稼働させなければならないという事態を迎えている。つまり、「オーバーヘッド」工数に振り回されているといった格好ではなかろうか。
 ひところ、自社の営業活動の一環としてカラーポスターをよく作ったことがあった。その際、原紙となるものを社内で作り、これを「コピー屋」にもって行って「カラー拡大コピー」を頼んでいたのだ。その時、「コピー屋」が嘆いていたのを覚えている。「カラー拡大コピー」機も性能が良いものになるとかなりの高額な買い物となり、ローンの返済額だけはなんとか売り上げで賄いたいと言っていた。こうした例は、「オーバーヘッド」工数の問題だと言えるのかどうかは分からないが、思い起こしたりしたのである。
 中小零細企業では、人手がままならないこともあり、わずかでも多くの受注を見込むために高額な最新装置を導入するということはありそうなことなのである。しかし、受注が思うようにならなければ、そうした投資を含めた「オーバーヘッド」工数が、苦境を深めるだけに直結してしまうこともありそうだ。
 この点は、何も中小零細企業だけの話ではなさそうである。大手企業ともなれば、まさに「装置産業」的な装置の導入もあるだろうし、正真正銘の「オーバーヘッド」工数も巨大であるはずだ。

 ところで、この、「オーバーヘッド」工数について考える時、企業活動の問題にとどまらないことを予感する。つまり、行財政機構や社会的インフラ整備の領域で、巨大な、「オーバーヘッド」工数が負担されているのではないか、と推測するのである。極端に言えば、現在の政府および地方の財政逼迫現象は、景気低迷によって奇しくも浮き上がった膨大な「オーバーヘッド」工数の結果であるようにも見えるのである。景気高揚という大きなアウトプットがあれば、「オーバーヘッド」工数自体もおのずから解消されるものであろう。しかしここまで景気低迷が長引くと、一切の「お膳立ての作業」のコストの重みばかりが目立ってしまうという道理なのだ。ましてコスト感覚の希薄なお役人たちが判断したのだと考えれば、なおのこと頷けるというものである。
 行財政機構の組織面を考えてみても、現状でも、あまりにもムダ=多大な「オーバーヘッド」工数が残されているのではなかろうか。思うに、「オーバーヘッド」工数が極小化された組織というのは、いわゆる「プロジェクト」方式ということになるはずだが、官僚組織というものはこの「プロジェクト」方式の対極にある組織形態だと言われている。(かつて、米国の未来学者アルビン・トフラーは、官僚組織=ビューロクラシーに対して、「プロジェクト」方式の組織形態が広がる時代を「アドホクラシー」と呼んだ!)

 果たして、「オーバーヘッド」工数がどうのこうのという幾分性急な視点が、妥当なのかどうかは価値観によって異なるものだとも言える。自分も、人の人生を考える時、何が有効な成果であり、何が「オーバーヘッド」工数であるのか、というような人生観は持ちたいとは思っていない。
 しかし、現代の「成果至上主義」的な時流は、確実に、「オーバーヘッド」工数極小化路線をひた走る、いや暴走しているはずである…… (2005.04.13)


 事務作業を可能な限りデジタル化しなければという動機についてはすでに書いてきた。「パーキンソンの法則」を待つまでもなく、デジタル領域を商売の種とするソフト会社が、デジタル化の可能性が山積する事務の領域でモタモタしていたのでは話にならないはずである。
 そのデジタル化とて、大袈裟に考えることもないわけで、単純な繰り返し作業をどう圧縮するかという点だけをとらえても、いくらでも改善可能性が眠っているような気がしてならない。たとえば、「手書き」で同じことを何度も記入する作業というのは、今どき拷問のような感じさえする。確かに、そうした「手書き」運動が頭脳に刺激を与えて「老化防止」に役立つという考えもあろうが、それは「非戦闘」領域での話であり、過激な戦闘の場であるビジネスの領域ではこのような非生産性こそは排除されなければならないはずだ。そんなこともあり、また必要に迫られてという点もあり、いろいろと事務作業改善を身をもって試みてみることにしたのである。

 新年度が始まったこの時期は、幸いと言うかやらなければならない事務作業がやたらと目立つのである。なかでも、べったりと煩わしさが付着した「届け出書類」というのが曲者である。いわゆる官公庁に定期的に届を出さなければならない書類のことである。
 今日も、銀行に用足しに行き戻ってきた社員が、
「こんなものをもらうのに、とんでもなく待たされてしまいました」
と言っていたが、この銀行と、そして役所とが、人の時間を食って知らぬ顔している大敵なのであろう。とにかく、自分たちの確認事務作業のペースで人を待たせてはばからないのだから困ってしまう。はっきり言って、スピーディな時代風潮に歯止めを設けているのが銀行であり役所であると言えそうだ。スピーディな流れという時代風潮の隘路であり、ボトルネックであるような気がしないでもない。

 ビジネス関係で煩わしいとか厄介であることの代名詞的位置にあるのが、いわゆる「登記」関連事務なのかもしれない。昔から、この煩わしさと厄介さとがなぜ存在するのかと皮肉っぽく考えてきたものだ。そしていつも、「司法書士」などという職業が成立するために違いない、という思いに落ち着くのである。どこかで聞いたことがあるが、こうした作業がもし誰にでもできる簡単なものであれば、逆に「法務局」などの役所側が困るのだそうだ。やたらに素人っぽい書類が窓口に投げこまれて、職員によるチェック作業が大変になるのだそうだ。「司法書士」などのその道のプロが作成する「卒のない書類」が窓口を埋めてくれれば、当局側は非常に安心できるのだそうだ。真偽のほどは定かではないが、なるほどそういうものかと納得する部分もある。そうすると、煩わしさと厄介さという「仕組み」というものは、プロとプロとが手をとって仕事を進めていくための防波堤みたいなものなんだろうか……。

 これまで、その「登記」関連書類は実のところ「手書き」で処理してきた。ワープロで一度きちんとしたフォーマットを作り、それに基づいて作業を簡略化することができればと思っていたが、延ばし延ばしにここまで来てしまった。ナントカ「法令」という民間会社が、まるでナントカ「公的法人」かのように商っている「手書き」向けの「様式集」を使わないと、当局も受け付けてくれないのではないか、というような疑心暗鬼があったからなのかもしれない。臆病な自主規制であったということになりそうだ。
 だがここへ来て、いよいよなんとかしようと思い立ち、「登記」関連書類のデジタル化に踏み切った(?)。が、はなはだ恰好がよくないのは、そのためのツールを先ずは「ナントカ法令」が販売している「テンプレート集」が収まったCDを購入することで始めたことである。何とも「敵」の思うつぼにはまってしまっているからである。
 時間的なゆとりがあれば、一からオリジナル作業で賄っていくことも十分可能であるのだが、先ずは既存のものを手本にさせてもらおうと思い、投資的意味合いを込めて購入したというのが言い訳である。そう言えば、販売店の人が、お宅はどんな種類の会社ですかと尋ねてきて、ソフト開発会社です、と答えたら、それじゃあこんなものは簡単に作れるじゃありませんか、と言い、実のところ返答に困ってしまった。

 そんなこんなで今日は、「Word」で活用するこの「テンプレート集」を使い、ほぼ1日中、まとめて申請書類作成作業に埋没してきた。この「テンプレート集」の単なるお客さんであることから一歩でも出なければ立つ瀬がないと思い、いまだに「手書き」用に残されていた書類へのワープロ入力を工夫してみたりした。大したことではないが、事務処理作業の「完全デジタル化」というスローガンを胸の中に打ち立てた自分としては、そうでもしなければ気持ちがおさまらない。
 ただ、こうしたことを体験的にやってみると、はたで見ているよりもずっとデジタル化へのイマジネーションがかき立てられることは確かである。
 それはそうと、現在、行政機関の窓口でもじわじわとデジタル申請書類の受付が始まりつつあるようだ。これが一般化すれば、利用者の負担がかなり解消されることになると思われるが、「司法書士」諸君はどんな思いでいるのだろうか。どこかで聞いたことがあるが「士」のつく「サムライ」業の大半は、デジタル化の浸透によって職を失うそうでもある。「テンプレート集」などが収納された、光るCDが、まるで手裏剣のようにビュンビュンと音を立てて「サムライ」目掛けて飛んでいる、というのが現在の光景なのであろうか…… (2005.04.14)


 昨日に引き続き、事務処理作業の「完全デジタル化」(?)を旗印に、期日が迫った官公庁への提出書類づくりに腐心した。
 そのひとつに、昨年度の「労働者派遣事業報告書」に関する書類の作成がある。これも、毎年、「ナントカ法令様式集」の用紙を購入して「手書き」で作成、提出してきた経緯があった。これも何とか「デジタル化」(=ワープロ入力化)したいと思ったわけなのである。
 ところが、先ず躓きの気配を感じてしまった。打ち込みのフォーマットを考慮する以前の問題として、その「申請書」の「ナントカ法令様式集」の用紙が、3枚綴りの複写式の用紙であったのだ。昨今のプリンターは大半が「インク・ジェット方式」であり、複写式の用紙を活用できる「ドット・インパクト方式」のプリンターなぞ姿を消した格好だからである。
 そこで、考え至ったのは、複写式用紙の「正」、「副」、「控」という3枚を、別々にプリンターで打ち出して提出するスタイルでもいいのではないか、という発想であった。こういう場合、「自主規制」的に「お役所なんだから、ダメに決まってる」とは考えてはいけないのだ。もともと、「ナントカ法令様式集」の用紙が、官公庁から売り出されているわけではないのであり、便宜上通用しているのに過ぎない、という点への着眼が必要なのだろう。

 そこで、「Google」でのキーワード検索で、この「労働者派遣事業報告書」のデジタル化された記入様式がどこかのサイトで入手できないかと探し回った。もちろん、「ナントカ法令」のサイトには、その製品版が一万円を超える販売価格で紹介されていたが、当然パスすることにした。
 いろいろと探し回ってみたら、厚生労働省の公式サイトに「PDFファイル」版が掲載されていたことを突き止めた。その掲載に関する問い合わせ先の電話番号もご丁寧に記載してあったので、ヨシッ、ここでいくつかの質問をするべし、と考えた。
 サイトで紹介されている「PDFファイル」版の様式が最新のものであるのか、とか、これに基づいてワープロ入力したものを提出してもいいのか、さらに、その場合、複写式用紙の「正」、「副」、「控」の綴りに替えて、3セットの書類を提出することでOKなのかどうか、などを尋ねたのである。
 すると、厚生労働省の担当職員は、親切にわたしの質問に応えてくれた。わたしが望んでいたスタイルはすべてOKであり、おまけに、入力処理しやすい「Word」や「一太郎」の様式ファイルのダウンロードを、同サイト内で用意していることまで教えてくれたのであった。わたしは思わず「感激」した思いとなった。日ごろ貶(けな)しまくっていた官公庁で、こんなに気が利いたことをやっていたことに対してである。素直に、「ありがとうございました!」というお礼の言葉が出たものであった。
 さっそく、「無償」のダウンロード・ファイルを入手して開いてみると、もともと「手書き」用に拵えられたフォーマットであった、入り組んで複雑な様式が、実にうまく「Word」用に再現されていた。何箇所かにバグを残していたが、自分で修正可能な範囲内であったため、ありがたく使わせていただくこととした。

 こうした、「手書き」から「ワープロ入力」への「デジタル化」にこだわるのは、先ず、「手数が省ける」ということであろう。次年度には、変更した個所だけを更新すれば済むのであるし、「手書き」による書き損じも防げる。また、保存・管理という点でも「省スペース」というメリットがあるし、入力内容をコピーして他の用途に活用できるのも「デジタル情報」のメリットであろう。
 ところで、この厚生労働省の公式サイトを閲覧していたら、いわゆる「電子政府」への動きが着々と進んでいるような気配を感じたものだった。
 さきほどの、当該「報告書」提出に関しても、「電子申請システムによる手続」というケースが紹介されていた。とりあえず、今回は見送ったものの、いちいち役所に出向く手間まで省いてくれるのであれば、これこそインターネットのありがたい活用だと言わざるを得ないだろう。ただ、どうも、省庁によってその進展には大きなバラツキがありそうな気もする。
 いずれにしても、総論的な「構造改革」の時代はとっくに過ぎているのであり、IT環境を駆使した活動スタイルで、「官」も「民」も問わず、「パーキンソンの法則」がやたらに適用されるおかしな現状をスリムにしなければならないはずだろう…… (2005.04.15)


 いよいよ新緑の美しい季節となり始めた。
 昨日も、通勤途中でのクルマの窓から見える春の光景に目を見張った。なかでも、街路樹が新芽を吹き出す姿が印象的であった。木々の枝がまだ黒々としていながら、その先端に明るく柔らかい緑の葉を出現させている光景は、まるでやせこけた魔術師が黒く骨ばった指の先端に、もっともらしく呪文をかけて緑の葉を吹き出させているような、そんな印象でさえあった。街路樹なのであるから当然同じような木が立ち並んでいるわけであり、そうすると何人もの魔術師たちが競い合うような格好でそのスキルを披露しているということにもなる。そんなことを想像すると、幾分滑稽な気分となり、ハンドルを握りながら思わず顔をほころばせてしまった。

 朝食時に家内から指摘された、庭の梨の木の満開状態に目をやると、今年は例年にない華やかさで咲きほこり、枝という枝に吹き出した真っ白い花々が視界を埋め尽くすかのようであった。以前にもこんなことがあった。その時には、欲張りにも、数え切れない花の数をそのまま梨の実の数だと取り違え興奮したものであった。今回はそんなことは想像せず、ただ無心に華やかだと感じた。
 その梨の木のすぐ近くで、バラ科の木で「かいどう」という木もいまや満開である。薄紅色の五弁の花なのであるが、咲きそろった状態は実にあでやかである。いやむしろあでやかさを通り越して、やや挑発的でさえある。中国産の木なのである。
 「海棠(かいどう)の雨に濡れたる風情」という慣用句があるそうで、美人のうちしおれた姿がなまめかしいことの形容だとされている。しかし、私の目には、よく商店街で見る街灯の柱に飾られたピンク色のプラスチックの造花だ、というのが第一印象であった。
 また、別なことも考えたことがある。枝の形なのである。やたらに直角の角度で折れ曲がっている姿が目につき、その時、「かいどう」という名の漢字は「街道」ではないのかと勝手に想像したものだった。城下町に至って複雑化した「街道」のことを、まさに勝手に空想したのである。
 それはともかく、梨の木の白色とこの「かいどう」の紅色とが、めでたくも「紅白」の対比を構成していたのである。実はこのことも家内が朝食時に何気なく言っていたのである。家内はよほど「紅白」のようなめでたいことを望んでもいるのだろうかと、別にどうということもなく感じたりしたものだった。

 それにしても、自然界のめでたくもある「紅白」はあっても、人間界にはとんとめでたいことがないようだ。彩色を失ったダークグレーの事件がニュース報道を埋め、グレートーンのイメージばかりが人の将来に影を落とすというのが昨今のご時世のようだと思える。
 確かに自然は、地震災害なども引き起こし人間を苦しめることもあるにせよ、思えば、傷ついた人間の心をどれだけ癒しているかと感服せざるを得ない。
 感服するその一つが、自然というものが持つ「律義さ」だということになる。多少の天候不順があろうとも、人々の目を楽しませる開花を見送ったというようなことを聞いたことがない。ただ、あまりにもひどい異常気象で、結実の成果を台なしにするということはある。だがそれも、自然が責められるべきことだというよりも、むしろ、自然現象をも狂わすに至った人間側の身勝手さが責められるべきなのではなかろうか。いやいや、こんな愚痴は、幾度となく書いて来た覚えがあり、再び書くことではなかったかもしれない。

 次に自然に感服する別な理由はといえば、愚鈍なほどの「不変さ」であろうか。「変化」することが美徳とされる現代にあって、その「不変さ」に感服するのはいかがなものかと思われそうでもある。しかし、五十歩百歩の程度の差異をもって「変化」だと騒ぐ浅薄な人間をあざ笑うというか、黙殺の意で微笑むかのような自然の、その泰然自若とした「不変さ」に感服するわけなのである。
 自然界にも、人間界の尺度とは比較にならないマクロな時間の流れで変化というものが起きているはずであろう。けっして「不変」というわけではないのだろうが、人間界の小さな尺度が「不変さ」を感じさせるわけだ。そしてまた、その「不変さ」こそが、人間界の「変化」というものの、とるに足らないちっぽけさと、いい加減さとを示唆してくれているようにも思うのである。歴史を見ても、何と行きつ戻りつという節操のなさが目につくことであろう。人間界の「変化」とは、ほとんど気まぐれ的な性格を持ったものだとさえ言えそうな気がしてしまう。
 自然環境の破壊と防止という観点で自然を眺めることも重要だが、人間という存在を振り返る時(そんなことが忘れ去られていることがそもそも問題なのだろうけれど……)にこそ、自然という存在を見つめるべきなのかもしれない…… (2005.04.16)


 ニ、三日前に、工事現場から、持ち主不明の札束二千数百万円が発見されたとのニュースがあった。その後の報道では、その土地の元の持ち主が埋めたのではないかとか聞いた。その持ち主は既に亡くなられているそうだが、生前は、株で大儲けをしていたとか……。
 そのおカネが一体誰のものになるのかなぞは余計な心配だが、それにしても、タンス貯金ならぬ、「庭先貯金」の末に、この世とあの世の境によって「貯金」が宙に浮いてしまったとは、どう受けとめればいいのだろう。

 そう言えば、落語に「竃(へっつい)幽霊」という似たような話があった。わたしは「小さん」が演じるものを何度も聴いたことがあり、比較的好きな部類の演題である。
 ばくち好きの男が、ツキのないいつもになく丁半ばくちで大儲けをするところから話が始まる。喜び勇んで長屋に戻るのだが、儲けたカネをどうしようかと思案した挙句、いつの間にか遣いこんでしまうのも惜しいと思い、台所に「竃(へっつい。かまどのこと)」を設えようと思い立つ。
 そこで古道具屋へ行くことになるが、気に入ったものが見つかり、「こいつはいいなぁ、これは出来じゃねぇな、あつらえだな」と言うと、オヤジは怪訝な顔をして、「よかったらお持ちなさいな。その代わり、気に入らないからといって戻すのは困るんです」と、不思議なことを言う。
「ははーん、さては『出る』な?」
「お察しのとおりで、これを買っていった人は必ず翌日に引き取ってくれと返しにくるんです。多分、ナニがナニするんじゃあるまいかと……」
「これかぁ?(おそらく幽霊の格好をしているのであろう) おもしれぇじゃねぇか。そんなもんに驚く俺じゃねぇやな。じゃあ、いいんだな、貰ってくぜ。運び賃出すから届けてもらおうか」
 と、話はとんとんと進み、
「やっぱり、いいものがすわるといいもんだなぁ……」
なんぞと独り言を言っているうちに夜となる。すると、どこからともなく生暖かい風が吹き込み、
「おっ、妙な気分になってきたぜ。出やがるかな?」
 案の定、青い火をポッと出して当の幽霊が出てくる。
「恨めしや〜」と、幽霊がお定まりのせりふを言うと、
「なーに言ってやんでい。おめぇに『恨めしい』なんぞと言われるような筋合いなんかねぇよ」と、ばくち打ちらしい大見得を切る。すると、幽霊は、
「まあ、そうですな……。しかし、ダンナは肝がすわっていて頼もしい」なんぞとお世辞めいたことを言い始める。話を聴くと、幽霊は、生前は大のばくち好きのしゃかん屋で、ばくちに明け暮れて野垂れ死にしたという。だが、死ぬ直前に大儲けをして、そのうちの三百両を作り掛けの竃の角に塗り込んで隠したが、そのままになってしまった。そこで、そのカネに未練が残り、夜な夜な幽霊となって現れるものの、常人は皆怖がって話もできずじまいになってきたのだという。
「じゃあ、折半ということで、俺が出してやろうじゃねぇか。どの隅なんでぇ、暗いなあ。あ、そうだ、おめぇは出てくる時に、青い火をポッと出してたよな。あれをも一度出して、ここんとこを照らしねぇな」なんぞと、話を進め、しかもお互いにばくち好きなんだから、丁半ばくちで互いのカネを賭けようじゃねぇか、ということにまでなる。結局、幽霊の方が負け、「おっちぬ(死ぬ)」くらいだからツキがねぇんだよなぁと独りごつ。が、気を取り直したように、ダンナ、もう一度やらせてくれないか、と幽霊が言う。しかし、
「『口張り』はよそうじゃねぇか」と、幽霊の頼みははねのけられる。すると幽霊は、こう勿体をつけて切り返し、話は落ちに至るのである。
「銭はなくったって、あっしも幽霊、決して足は出しませんぜ」と。

 長々と話を繰り返してタメになるようなものでもないのだが、「幽霊」とか、「おっちぬ(死ぬ)」とかといった縁起でもないことを、「好きなこと」という、人にとってムキになれることで覆い隠してしまうという落語の運びが好きで、しばしば聴いてきたのである。
 どこだかの工事現場で見つかったカネの元の持ち主も、株で儲けたそうだが、結果としてのカネもさることながら、きっと、そのカネを儲ける過程で心を熱くしたことで十分に元を取って旅立って言ったのではないかと、そう考えたりするのである…… (2005.04.17)


 最近で、ちょっとしたうれしいことの一つは、大したことではないのだが、自社の小さな製品がぽつぽつと売れていくことだ。これが業務売上のメインであれば、とっくに店を畳んでいなければならないところではある。メイン売上は別のところにあるわけで、当該の話は、理解をいただける方(企業)にと用意している人事・教育関係のコンテンツのことなのである。
 ほぼ完全に、「インターネットのお陰」で買っていただいている商品なのである。ホームページ以外での営業活動はいっさいやっておらず、サイトだけで紹介させていただいている。
 かつて、ちょうどバブル景気の時代でもあったこともあり、「日経新聞」関係で「新商品」として紹介され、それが起爆剤となって飛ぶように売れたこともあった。だが、生意気で奢った言い方をさせてもらえば、「風評」だけで飛びつくお客さんを相手とさせていただく場合、どこも居心地が悪い。本当に商品のエッセンスを理解していただいているのかという点への不安だと言っていいのかもしれない。
 そんなこともあり、また、当方側としても、今ひとつ時代の流れというものが見極められなかったという点もあり、その商品からは一時手を引き、かっこよく言えば「温めて」きたものだった。
 そして、現在、内容へのご理解をいただける方面だけに対応して行きたいと考え、インターネットでの商品紹介だけで対応させていただこうとしているわけなのである。それが、前述した「インターネットのお陰」ということの意味となる。
 当然、鳴かず飛ばずの期間が続いた。いつか関心を持った方がアプローチしてくれるであろうと、ただただサイト紹介での内容の詳細化に埋没してもきた。そんな経緯であったから、「ぽつぽつ」とでもご注文をいただくと、何やらうれしいわけなのである。

 ところで、インターネットで商品紹介をする場合、誰しもが「インターネット検索」というものがうまく活用できないものかと考えるはずであろう。ちなみに、自社商品・製品を「Google」サイトなどで検索してみるといい。現在では、検索された多数の候補の中にでもあればいい方だが、それでも、検索順位はほとんど期待できないのではなかろうか。こんなにも低い順位では、せっかちなお客さんは、きっと見逃すに違いないという心配の種とするのではないかと思う。
 どうも、検索サイトの「Google」などでは、ある「キーワード」で検索がかけられた場合の表示順位は、かなり「厳重」に吟味しているらしい。単に「検索ロボット」による定期的なサイト・サーチの結果を垂れ流しているわけではないらしい。もっとも、そんな垂れ流し方式の検索結果表示であったなら、現在では30億というサイト数を相手にしているのだから、検索側が満足するはずがないと思われる。

 聞くところによれば、定期的な「検索ロボット」によるサーチによって全世界のホームページから集められたデータは、特殊な「計算式(スコアリング・アルゴリズム)」にしたがって、データ・ベースに、「順位つきで」インデックス化されるのだそうである。ちなみに、その「計算式」は、<百以上のファクター>によって構成され、それらは完璧に<機密事項>とされているとのことだ。
 と言うのも、これだけ全世界がインターネットを使った経営戦略を練っている時に、検索結果表示の順位が、裏事情を知るものによってどうにでもなるのであれば、問題であるに違いないからであろう。だから、固有名詞ではない、どんなジャンルの「キーワード」で検索された結果あっても、順位がトップで表示されることは、名誉以外の何ものでもないと言える。
 ところが、冒頭の自社の小商品については、とあるジャンルをキーワードにすると数百件の検索結果のトップ表示されることを、わたしは先日気づいたのだった。これは、ちょっとした驚きであり、励みともなるものであった。
 「そうか! 決してわれわれの労作は、インターネットという『洞窟』の中の人知れない『コケ』に成り果ててはいなかったんだな……」と溜飲を下げる思いであった。
 そして、まったく未知の会社からの注文書が「ぽつぽつ」と届くに至り、あまり気持ちばかりを急かせてもいけないのだ、この超スピードのインターネット時代にあっても、苦節十年とまでは行かなくとも、じっくり構えたコンテンツ作りが必要なのだなあ、とジンワリと感じさせられたというわけなのである…… (2005.04.18)


 今日は、暦がなければとっくに忘れているに違いないほど前に、わたしがこの世に誕生した日だということになる。いい陽気の頃に生まれて、さぞかし機嫌がよかったんだろうな、と外出時の、陽だまりの中で思った。
 昭和23年ということで思い起こすのは、と言ってももちろんその時に記憶したことを思い出すわけではなく、連想すると言ったほうがいいのかもしれないが、太宰治である。その年の梅雨、六月に「グッド・バイ」してしまったわけだ。小説本の末尾には、大抵その作家の年譜というものが所収されているが、太宰のものは、昭和23年(1948年)で寂しく終わっている。
 何の関係も因縁もないわけだが、その年にわたしや団塊の中央世代の多くの者が「徒党」を組んで産声を上げ、その年から、何かにつけて「徒党」を組んで事に当たり始めた(?)ことになる。

 その年の太宰は、『人間失格』、『グッド・バイ』を書き上げ、以前にも触れたことがある『如是我聞(にょぜがもん)』を書き遺している。『如是我聞』は、「内的自己の解放を小説に求め、文学の世界に安住の地を見出すためにも、文壇で認められなければならなかった」(柳美里)太宰が、当時の文壇を象徴していた川端康成、志賀直哉などから侮蔑的な批判を受けたと思い込み、やや「逆上」気味で、「徒党」を組んでいるかに見定めた文壇に対して「謀反」の意を込めて書いたラスト・メッセージであったのであろう。
 『如是我聞』を書く直前に書かれたと思しきものに、何と「徒党について」という一文がある。裏読みというか、まともに読めばというか、ここでは、太宰によって「徒党」を組んでいると見なされた文壇が切り捨てられ、では「孤高」であるべしとでも言うのかと思いきや、返す刀で、「徒党」の対極言辞たる「孤高」についてもバッサリと袈裟切りにしているのだ。つまり、文壇という「徒党」を率いながら、「孤高」の作家との賛辞を得ていた志賀直哉に毒づかざるを得ない心境だったと推測されるわけである。

「孤高。それは、昔から下手なお世辞の言葉として使い古され、そのお世辞を奉られている人にお目にかかってみると、ただいやな人間で、誰でもその人と付き合うのはご免、そのような質(たち)の人が多いようである。そうして、そのいわゆる『孤高』の人は、やたらと口をゆがめて『群』をののしる。なぜ、どうしてののしるのかわけがわからぬ。ただ『群』をののしり、己れのいわゆる『孤高』を誇るのが、外国にも、日本にも昔はみな偉い人たちが、『孤高』であったという伝説に便乗して、以って吾が身の侘しさをごまかしている様子のようにも思われる。
 『孤高』と自ら号しているものには注意をしなければならぬ。…… どだい、この世の中に、『孤高』ということは、ないのである。孤独ということは、あり得るかもしれない。いや、むしろ『孤低』の人こそ多いように思われる。
 …… 私は私なりに『徒党』の苦しさが予感され、むしろ『孤低』を選んだほうが、それだって決して結構なものではないが、むしろそのほうに住んでいたほうが、気楽だと思われるから、あえて親友交歓を行わないだけのことなのである」(太宰治『徒党について』)

 こうした文面を追ってみると、やはり、太宰の置かれていた立場から来る屈折した心境が、実によくわかるような気がする。もとより「徒党」を組むことのいやらしさがあるとともに、かと言って「孤高」の見え透いた虚偽にも抵抗がある。そこで、消去法によって「孤低」という暫定的ステイタスを作り出しているかのようだと見える。
 もとより「徒党」を拒み、「孤高」の額面で「孤低」の実質に甘んじるという奇妙な生き方の「方式」が照らし出されているのを知った時、なるほどなあ、と妙に関心の目がとまったものであった。
 いまだに「徒党」を組んで露骨に集団的エゴイズムを追及している輩たちもいるにはいる。政界をはじめとして、頭数でごり押しをする連中のことである。ののしりたくなるようなその醜態は、太宰もしっかりと見抜いている。
「『徒党』というものは、はたから見ると、いわゆる『友情』によってつながり、十把一からげ、と言っては悪いが、応援団の拍手のごとく、まことに小気味よく歩調だか口調だかそろっているようだが、じつは、最も憎悪しているものは、その同じ『徒党』の中にいる人間なのである」と。

 「徒党」を組んであつかましい行動をしてはばからない者たちは当然ながら嫌悪感の的となるのであり、それは国内の政界だけでなく、昨今の中国での暴力的な「反日デモ」も同じことだろうと思う。ある人が、言っていたが「二流、三流の愛国心(教育)」を煽ったりしていると、火の手が風向きで自身(政府)に向かうこととてないとは限らないのであろう。それが「徒党」の怖さでもあるはずだ。いや、これは、中国における「反日デモ」の話だけではなく、現在確実に「右傾化」しているこの国自体の教育風潮にも同じ事が言えようかと思う。
 必要なのは、個々人が、「徒党」などを組んで感情に流されずに、個人としての理性的な立場で対処することだろうと思う。その場合、二重の意味において「孤高」である必要はないと思われる。先ず、「孤」である必要はなく、「個」としての自覚があればいいだろうし、また、「高」である必要は毛頭ないだろう。言ってみれば、ひと(他人)の言うことが理解できる程度の理解力と、うそっぽいデマが見抜ける合理性があればそれでいいということだろうと思っている…… (2005.04.19)


 つげ義春の漫画で、
「もし<因縁>というものがなければ、それは<幽霊>ではないですか!」
というようなセリフを、形相を変えた年寄りに言わせる場面があったように思う。『ねじ式』であったか、『ゲンセンカン主人』であったかは定かに覚えてはいない。つげ義春の漫画には、やたらに隠喩めいたものばかりが出てくるので、その<因縁>とやらが何を意味するのかは受け止め側に託されている。(『ゲンセンカン主人』で、<因縁>ではなく<前世>であったことを再確認。2005.04.21)

 仮に、この<因縁>を「歴史(認識)」だとしてみた場合、現在のこの国は、政府も国民も皆<幽霊>だということになりそうだ。もとより、この国にあっては、戦前戦後から現在に至るいわゆる「現代史」というものは、極めて曖昧にされてきたことが否めない。
 中学高校の歴史の授業でも、時間の都合とやらで「現代史」についてはほとんど割愛された観があったことは誰もが経験している。本来言えば、日本古代の神話めいた話などこそ、年度末の浮き足立った気分で語られればよくて、より現在に近い「現代史」こそが、歴史的事実として考える材料とされて良いと思われる。つまり、歴史の授業は、「逆引き」辞書ではないが、現在から過去へと遡る形式で展開されても何らおかしくはないと思っている。
 そうした「遡及的」形式の学習の方が、本来の歴史の課題である因果関係という視点に緊張感が生まれ、歴史的事実が明瞭に意識されるようになるのではなかろうか。
 例えば、「郵政民営化」問題でもいい。こうした課題がなぜ生じたのかという視点で過去へと遡っていくわけである。「公社」という形式がなぜ生まれたのか、さらに遡り「官営」という形式はどうであったのか、さらに明治の前の封建時代にあっては、郵便というようなものがどのような形で展開されていたのか……、といった感じである。また、「民主主義」という考え方の成立がどのように過去へと遡ってゆけるのかという例をあげることもできよう。
 つまり、ほとんど知るということに関する動機づけが皆無であるような古代から、「無」動機の連鎖で時代認識を積み上げていくという方式が、土台とてつもなくムリのある学習スタイルだと思われるのである。

 これまた例え話で言うならば、推理小説やサスペンスドラマを思い起こせばいい。それらの大半は、「まず事件ありき」で物語がスタートするのではなかろうか。読者は、その事件に目を見張り、何てことが起きたのかと驚き、そんなことで十分に物語に引き込まれ始めるのではなかろうか。なぜそんなことが起きたのか、いったい誰がそんなことをしたのか、はたまたどのような方法によってそんなことが展開されたのか……、というような疑問の渦が、読むことへの十分な動機づけとなるのではなかろうか。
 これがもし、平凡な日常光景が淡々と、かつ延々と続く描写が前半の6割、7割を占めていたとするなら、たとえその描写の中に事件の貴重な要因が伏線的に盛り込まれていたとしても、そもそも読者はおつき合いをしないのではなかろうか。ものの1割程度のページを繰ったところで、その本を放り投げる人が少なくないのではなかろうか。
 これまでの「歴史教育」の進め方も大方は、こうした本を放り投げたくなるような推理小説の退屈さを地で行くスタイルで進められてきたのではなかったかと思ったりする。知的動機づけなんてものは微塵も配慮されていなかったのかもしれない。動機づけは、定期テストや受験というまさに外圧的な仕掛けで補完されていたにすぎないのかもしれない。
 こうして、歴史ドラマを好む人々は多くとも、まともな歴史観や「歴史(認識)」を持つ人が少ない国民性が出来上がってしまったのだろうか。
 加えて、時代潮流は、現時点での空間的な(国際的な)広がりへの関心をいや応なく強化し、また、「過去」ではなく「未来」こそがが主要な問題なのだと強調する。それがすべて間違いだとは言わない。そうではなくて、そうした考え方は、極めて「危うい!」と感じざるを得ないのである。冒頭の<因縁>の話ではないが、「どこから来たのか」というテーマを不問に付す形で、「どこへ向かうのか」というテーマだけを強調することが、いかにも空疎過ぎるのではないかと心配するのである。
 こんな馬鹿げた発想が通用しているのは、時代は科学が切り拓くのであり、そして現代科学こそは過去のどんな時期のそれよりも優れているため、科学を信頼していれば、過去なんぞを振り返る必要はなく、未来の姿は自動的に刻まれるとでも盲信しているからではなかろうか。
 そんなはずはないに違いない。科学は人間の未来を切り拓く可能性や前提を用意したとしても、人間の未来の選択の判断までを「越権行為」的に自動処理するというようなことは決してあり得ないのである。それらこそは、人間の総合的な知性・理性に依拠した価値判断が担うべきことなのである。そして、その総合的な知性・理性を培うためにこそ、歴史を考察することが必須なのであり、その意味で「歴史(認識)」というものが重要だと考えるわけである。

 現在、中国や韓国側から、日本の「歴史(認識)」への批判が相次いでいる。だからといって、中国での「反日デモ」の暴挙をやむを得ないものと言うつもりは毛頭ない。あの破壊活動は、決して冷静な国際社会から理解されるものではないはずであろう。
 ただし、そうした「デモ参加者」たちに口実を与えている日本側の「歴史(認識)」の甘さ、曖昧さについては、もうこの辺できちんと正すべきではないかと考える。
 ひょっとしたら柔な「歴史(認識)」のために、まるで<幽霊>であるかのようだと感じているからこそ、教育の右傾化過程で、再び古代の神話の数々を引っ張り出そうとしているのではないかと思えないでもない…… (2005.04.20)


 われわれは、「あれも、これも」の時代から、確実に「あれか、これか」の時代に移行したのだと思う。マクロに言えば、地球環境のレベルでもそれらの資源や条件が「有限」であることが深刻に認識され始めているし、国家財政にしても、膨大な財政赤字が、行政のあり方や姿勢に「選択すること」の重要性を照らし出しているはずである。
 また、経済は、構造変化と低迷状態との両方の観点から、より「選択的」なアクションをとらなければ、国家であれ、企業であれ、個人であれサバイバルできない環境に遭遇している。さらに、全体の富が膨張している時期には、さほど意識されなかったはずである「富の分配・再分配」という、これまた「選択的」な問題が、にわかにクローズアップされてきたとも言える。「年金問題」にしても、その重要な問題のひとつのはずである。

 多分、国の経済にせよ、国際経済にせよ、需要が供給を上回り、生産力の向上だけが礼賛された時代、つまり、「大量生産・大量消費」の原理が当てはまった時代は、「あれも、これも」作りまくり、「あれも、これも」消費しまくるという原理が、経済領域の事柄だけでなく、人々の考え方、生き方全体に浸透していたのかもしれない。人々の目の前にあったのは、すべからく「無限」というイメージではなかったかと振り返る。
 ところが、現在われわれが迎えている現実は、何を取り上げても「限定」「境界」という観念がつきまとう。経済発展自体が、安普請の家のような低い天井によって圧迫感を受けている。「無限」に広がる青天井のような経済発展を想定する者は少なく、むしろ「持続可能」な経済を基本イメージとする者が増えているようだ。

 ところで、人生においても、子ども時代、青春時代は、時間の観念だけではなく、将来に託す夢や希望といったものについても、通説的には「無限」といった性格が与えられている。そして、中高年となってはじめて、残された時間を意識するにおよび、人生の時間とそこに盛られるさまざまなものが「有限」であることが痛感されるのであろう。
 確かに、「有限」であることを想うことは、切なくかつわびしいことである。「無限」という観念を単純に、勝手に解釈して安んじてきた者にとって、「有限」であるという動かし難い事実に直面することは、たとえて言えば、腰を抜かすほどの冷ややかな感触であるのかもしれない。
 しかし、よくよく考えてみれば、「無限」であることの方が、恐ろしくて、人間にとっては耐え難いことなのかもしれない。
 仏教用語に、「無間地獄」(「阿鼻地獄」とも言う)という言葉があり、「大悪を犯した者が、ここに生まれ、間断なく剣樹・刀山……などの苦しみを受ける、諸地獄中で最も苦しい地獄」とある。何が苦しいといって、「間断なく」だからであり、際限なく永遠に、つまり「無限」であるからではないかと思う。
 別に、そうした人生の外のことを考えずとも、人生といものが永遠に続くものだと考えただけで、何と生きることが「ダレてしまう」かということでもありそうだ。はたまた、そんな荒唐無稽なことを例に挙げずとも、休暇というものがありがたいのは、そこそこ短くもあるからなのであって、三十年の休暇をあげましょう(これこそ荒唐無稽か!)と言われれば、「刑罰」を受ける心境となるのかもしれない。
 要するに、「無限」であることは、地獄に匹敵する恐怖であり、そうでなくとも、緊張感を奪い、品位を奪い、思考力をも奪うことにつながるのであろう。そして、「有限」性を意識するからこそ、緊張感が醸成されるし、「選択すること」に想いを寄せることになるのだろう。
 そもそも、思考力というのは、何かを「限定的」に選ぶことなのだろうと思っている。思考の第一前提は、物事の「定義」だろうと思うが、「定義」とは、「〜である」と同時に、「〜ではない」という「限定」行為以外の何ものでもないからである。考えるということは、自然に何かを「選択」し、「限定」しているはずなのである。

 「あれも、これも」と多くの対象を選択できると感じつつ、勝手な「無限」観を身につけてしまった、そんな過去が、自分にもあるように感じている。しかし、時代環境も、そして自身の年頃(?)も、ほぼ確実に「あれか、これか」の「選択」と「限定」の視点で対処してゆかなければならないようである。
 ただ、そうした「選択」と「限定」の視点というものは、外的環境の「有限」性に直面させられただけで自然に生じるものではないという点が、重要かつやっかいなところなのであろう。それは、歳をとり、残された時間が少なくなる老人となれば、皆が皆、落ち着いた老人らしい老人になるわけではない事実ひとつを見ればわかることである。
 どうも、現在、自分を含めてわれわれや社会全体が右往左往している観があるのは、勝手な「無限」観を膨らませてしまった後処理がまずい「丸腰」のまま、「有限」性の現実に直面し、何から手をつけていいのか不明となっているからなのかもしれないと思っている。首相が、山積する政治課題に埋もれながら、「郵政民営化」のプライオリティ付けに固執している姿も、そのひとつだということまでは言わないでおきたい…… (2005.04.21)


 夕刻5時過ぎである。デスクトップの「付箋」ソフトに入力して記載しておいた予定作業はとりあえず進んでいる。
 ふと、窓の外に目をやると、カラスが右側から左方向へと流れるように飛んで行くのが見えた。翼を機械的に上下させ、くちばしと顔はまっすぐ前をにらみ、明らかに目的地を自覚しているように見える。最後の巡回場所を目指し、そして、日の暮れないうちに林だか森だか、あるいは山だかのねぐらに戻る算段をしているのであろうか。
 それにしても、かなりのスピードで飛ぶカラスの姿からは、ひとかけらの逡巡(しゅんじゅん)めいたものも窺えない。いわゆる「まっしぐら」に飛ぶという格好であり、そのちぃっちゃな頭の中には明確な目的が刻み込まれていて、何の迷いもない、といったことなのだろうと思わされた。なぜだか、羨ましい気がしないでもなかった。

 もっとも、人が所在無く歩くのとは違って、空を飛ぶカラスが、所在無くあるいは躊躇いながら飛ぶでもなく落ちるでもなく……、というわけにはいかない。たとえ、鳥が飛ぶ翼の動きが、小脳の働きだそうで、ほとんど無意識の働きだとはしても、鳥とて宙に浮くことができるわけではないのだから、ある種の人のようにあてもなくブラブラと、歩くでもなく止まるでもなくというわけにはいかないのだろう。
 それにしても、きっと、カラスに逡巡などはないのだろう。飛び上がったその時から、どこへ飛んで行くかが「自覚」されているに違いない。そもそも、カラスの頭脳活動には「ムダ」というものがないに違いないのだと思う。本能的な色濃い行動様式に関するメインプログラムが頭脳内部で稼動しており、「余計なこと」に目をくれたり、まして頭脳を撹乱させたりはしないに違いないのだ。良くは知らないが、きっと、夜が明けてねぐらから飛び出したら、餌が得られる場所をめがけて巡回を始め、若干の試行錯誤の末にそれが「定常業務」のサブ・プログラムとして固定化されていく。そして、夕暮れとなれば、サブ・プログラムは終了して、メイン・プログラムの帰巣行動が起動されるのかもしれない。土台、逡巡や迷いなぞという「高度」な要素なんぞ無縁であるわけだろう。人間だけが、こんな愚にもつかない文章を書いたりするような「ムダ」なことを仕出かしているのであろう。

 しかし、思うに、現代という世知辛い時代は、あるいは、何もかもが「結果」を急ぐプログラムによって構成されたシステムが「制覇」した時代は、ことによったら、人間の「カラス」化、と言うか「動物」化が始まっている時代であるのだろうか。どうも、「カネ儲け」の最短距離のみが追求され、それに適合した行動と知識が最重要視され、「弱肉強食」路線が当然視され始めている。そして、それ以外の本来言えば人間の豊かさでもあるところの「逡巡めいた思いや活動」が、軽視されたり、脇に追いやられているかのように感じるのである。
 皆が、「カラス」が餌場を目指して「まっしぐら」に飛ぶごとく、既存の、あるいはその延長線上の「カネ儲け」口を目指して「まっしぐら」となって頭を使い(?)、熱い行動(ワンパターン行動)を繰り広げているということになるのであろうか。
 それはそれでいいとしても、「逡巡めいた思いや活動」というものが、かなぐり捨てられていいのだろうか、という思いが消せないのである。それは、「カネ儲け」口以外に、高尚なことを考えるべきだとだけを言おうとしているのではない。もちろん、「逡巡めいた思いや活動」が、構造的弱者の生活や人生、国際平和、地球環境といった人間社会の本来的なテーマについての営為に向かう契機となれば、それに越したことはない。

 ただ、わたしが当面配慮したいことは、「カネ設け」だけに向けられた「動物的なまっしぐら」スタンスというものは、一体どこまで効を奏するのだろうかという疑問なのである。
 確かに、「逡巡めいた思いや活動」というものは、スマートでもスピィーディでもない。また、必ず何らかの目に見える成果に結びつくという保証もない。そのプロセスは、あたかもアンデルセン童話の「みにくいアヒルの子」のようでもあるだろう。(今日は、いやに鳥尽くめとなっている?)そして、必ずというわけではないにしても、「みにくいアヒルの子」は、時が満ちれば優雅な白鳥となって飛翔する。わたしが言いたいのは、現代の企業が最も望んでいるはずの、豊かな「創造性(クリエーティビティ)」というものが、「逡巡めいた思いや活動」という「みにくいアヒルの子」的環境を是認することなしにはあり得ないのではないかということなのである…… (2005.04.22)


 今日のように陽気が良くなると、家の外の片付け作業が苦ではなくなる。
 塩ビの屋根があり直射日光が遮られる駐車場で、アウトドア用の携帯の椅子に座りながら、小一日片付け作業をしていた。
 というのも、クルマに無造作に積み込んだモノをいよいよ整理しようとしたのである。ワゴン型のクルマの後部スペースには、何やかやとガラクタが押し込みっ放しなのである。カメラの三脚があるやら、道路地図の本がドサッとビニール袋に入っているやら、防寒ジャケットも何着か放り込んである。もとより、クルマの修理道具やら、カー用品も「常備」してある。冬場の積雪時に役に立つだろうと積み込んだ雪よけ用のスコップまでそのまま載っている。

 昔、釣りに凝っていた頃には、各種釣りざおをはじめとして、釣り道具一式、練り餌の粉末袋までドカッと積載していたこともあった。当時は、クルマを走らせていて、池や川を見つけると、とにかく近辺に駐車できる場所を探して、魚がいるかどうかを見極めるでもなく、いそいそと釣り糸を垂れるというあり様であった。だから、釣り道具などは常にクルマのトランクになければならなかったわけだ。
 おまけに、足場の悪い水際に降りる際にロープを使って重宝したことがあったりしたものだから、ロープ類などもいつしか格納されることになったりした。釣りの合い間に熱いコーヒーを飲んでうまかったことが忘れられずに、その種の道具類が収まっていたこともある。

 今でこそ、「川」と言ったら「釣り」という合言葉のような習性はなくなったため、釣り道具類は最小限に限られているが、ことほど左様に、いざと言う時のために何でも積んで走るというバカな習性だけは引き継いでいるようだ。
 そのほかに、運転席の近辺も、決して整理整頓されているという状態ではない。コンソールの収納用ボックスにもカセット・テープやらCDやら、シガレット電源から100ボルトを作る変圧器やら、デジカメやら、使い古しの乾電池やら、給油時のレシートやらが突っ込まれたまま身動きできない状態となっている。
 綺麗好きとは言えないまでも、きたな好きではないはずの自分であるつもりなのだが、横着を決め込む日々が続くと、はたと気がついてみると結果は惨憺たる状態となっていたのだ。そんな遅きに失する自覚のもと、やっと、クルマ内部の整理整頓に重い腰を上げたというわけなのであった。

 先ずは、抱えていたモノをすべてクルマの外に出して広げてみることにした。捨てるべきものは捨て、物置に仕舞うべきものは仕舞うという判断をするためにも、そうして広げてみることが必要なように思われたからだ。
 自分でも驚くほどの「物品類」というかガラクタというかが、駐車場のクルマ以外のスペースを埋め尽くしたものだった。それらを目にした時、こんなことを始めたことに後悔をするほどに、嫌気に襲われてしまったものだ。春の明るい戸外の光景がなかったら、やりきれなかったかもしれない。
 気を取り直し、別に急ぐことでもなし、今日は休日でもあるし、のんびりとやればいいと思い始めるとにわかに気がラクになってきた。広がった「物品類」の真中に、アウトドア用の携帯椅子を据え付け、キッチンからコーヒーを入れて来て、おもむろに吟味と整理の作業に取り掛かることになった。
 ウチで「半」飼いの「半」野良猫のクロちゃんが、いかにもヒマそうに、何をしているのかと興味津々で寄り添って来ていた。クルマのドアを開けっ放しにしていたら、ノコノコと内部を探検したりする始末である。

 そんなこんなで、自分の中のもう一人の監督役が、「まあ、そんなもんだろうね」とOKを出したのは、午後5時前というとんだ長丁場とあいなった。
 クルマを走らせていると、出会うワンボックス・カーなどで、その内部に、仕事関係だか、趣味関係だか知らないが、やたらにモノを押し込んで平気で走っているのを目にすることがあった。そんな時、無精者はああいやだ、いやだと感じつつも、わが身を振り返る途端に、ひと(他人)のことがなじれる立場じゃないなと思ってきたものだった。だが、今日の思い切った作業で、これからはそんなクルマに出会った際、「オマエな、ちーとは掃除でもしろよな」というような、額面どおり冷ややかな視線を向けてやることができそうだ…… (2005.04.23)


 昨日、今日のニュースで、コンピュータ・ウイルス防止・駆除の『ウイルスバスター』が、ユーザのPCに不具合をもたらしてしまっているという話題が報じられている。まだ詳細な情報を入手していないから、コメントは差し控えたいが、こうした話題を耳にすると、やはり現代環境における「オーバーヘッド(overhead)」工数というものがなおさら気になるところだ。もう何度もこのテーマについては書いており、つい先日の 2005.04.13 にも<「オーバーヘッド(overhead)」工数をめぐって考える……>という見出しで書いたばかりである。そこでは、次のように述べた。

< パソコンやITツールは、便利ではあるが便利さだけを享受するというわけにはいかない。いろいろと「お膳立ての作業」をしなければならないからである。
 今日もそうした作業で結構な時間をとられてしまった。
 その一つが、現在ではもはや当たり前となってしまったセキュリティ対策関連である。相変わらず「Windows」のセキュリティ・ホールが狙われ、マイクロソフトはそれに向けた対策ソフトを用意するとともに、そのソフトのダウンロードとインストールをユーザに呼び掛けている。ユーザ側でも、何が発生するかわからないためとりあえずその呼びかけに応じざるを得ない。大した作業ではないのだが、それでも多少の手間と時間がかかり、その間パソコン作業は停止することになってしまう。
 これよりももっと頻度が激しいのが、ウイルス対策用のソフトの更新だ。ウイルス撃退のための「パターン・ソフト」のインストールは、ほぼ毎日のルーチンワークとなっている。事務所で使うPCは、インターネットもADSL接続であり、CPU速度も速いため実質的な時間はかからないが、わずらわしい。事務所のような環境条件がそろわない場所では、相応の処理時間がかかってしまいイライラすることもある。……
 このようなPC活用の前提である「お膳立ての作業」は、もはや慣れているとはいえ、振り返ると結構な工数がかかっていることに気づく。こうした工数が、いわゆる「オーバーヘッド(overhead)」工数と呼ばれるものなのだろうと思った。……
 「オーバーヘッド」とは、辞書によれば「間接費。生産・販売に共通して必要な経費のこと。総経費。コンピューターのオペレーティングシステムで、ユーザのプログラム実行に直接関係しない時間や処理をいう。」とある。つまり、直接的アウトプットにつながらない、間接的・基礎的な投入工数だと理解できる。>

 物事の展開というのは、まさしく「樹形図」的だと思われる。たとえば、「知識」についても同様であろう。それまで知らなかったあることを知れば、満足感で満たされるのはほんの一部であり、むしろその知識を得たことがきっかけとなって生まれる疑問の方が多くなるのではなかろうか。まさに、「樹形図」的に「未知」の枝葉が拡大されていく展開をたどる。もっとも、この知識の場合は、厄介なことだと嘆く人もいるだろうが、逆に「学び始めると自己啓発心が刺激される」と前向きで受けとめる人もいて、一概に良し悪しは言えない。
 こんな話もある。現代は「創造性」への期待が高まっている時代であるが、ある人が、「いままでに数限りない『発明・発見』がなされてきたのだから、もうその種は尽きてしまっているんじゃないか」と。すると、その筋の御仁が、「いやいや、むしろ逆なのだよ。『発明・発見』というものは、既存のそれらが前提となるものなのだから、既存のものが多ければ多いほど、可能性は大きいということになる」と言ったそうだ。
 人の「欲望」も同様だと言えそうだ。何かについての「欲望」は、それが充足されると一件落着だということにはならないはずだ。その充足がトリガーとなって、次の新たな「欲望」が生み出されるというのが通常のことなのであろう。人の欲望は、「海水を飲むがごとくであり、飲めば飲むほどにのどが渇き飲みたくなる」という表現も、この種の発想から来ているはずなのであろう。

 やや横道に入り込んでしまったが、言いたいことは次のことである。
 膨大な過去の遺産を背負って、それでも足りずとばかりに、ここへ来てさらに爆発的に膨大な付加物が積み重なった現代という時代は、何でもないことをするにも、その「お膳立て」に要するコストが嵩(かさ)むというそんな環境だということなのである。
 インターネットをエンジョイするには、PCの習熟からはじまり、回線を設え、プロバイダー契約をして、それでもまだ足りないわけだ。コンピュータ・ウイルスの浸入が当然視されるにおよび、その防止・駆除のワクチンソフトで防備するコストを費やさなければならない。しかも、ほとんど毎日、新型ウイルスに備えた更新作業が必要だということになっている。あまりにも、「お膳立て」に手数がかかりすぎるということになっていないであろうか。今回の「ウイルスバスター」による不具合という事象にしても、いたちごっこの果てに、ウイルス対策という「オーバーヘッド」が極限に近づいているということにはならないのだろうか。毎日ダウンロードしている「パターン・ファイル」とやらが、通常使用するアプリケーション・ファイルの質量に近づく日のことを想像するとゾッとするのである。
 それは、あたかも、犯罪が多発し警備の必要性が増大してしまい、やがて、ひとつの社会の人口構成比率において、大多数が警察関係者になってしまう馬鹿げたイメージと共通していると言える。

 思い返せば、こんな「お膳立て」コストで埋め尽くされているのが現代の環境なのではないかと括ってみたくなるのである。
 クーラーなどが無かった時代は、自然の涼風が人々を癒し、それは至極簡単なことで満喫できた。どこにでもあった木陰に入ればよかったし、夏の夕方でも、単に家の外へ一歩出ればそれで夕涼みができたはずだった。なのに、現在では、クーラーという高価な機材のために高コストを費やし、また停電に陥るほどの電力を高コストで消費し、挙句の果てには、排気熱で都市空間全体を高温化させることにも一役買っているわけだ。それがさらに、クーラーの使用を促進させている。直接的にかつ簡単に得られたものを、わざわざコストのかかる、手のこんだ間接的な「お膳立て」を媒介にして入手するスタイルを選び続けていることになる。
 個人としての「快適さ」をこぞって追求し始めたところが、そのためにやがてそれを叶えるための人工的な仕組みを維持するコストが日に日に増大して、逆に個々人を圧迫し始めるという逆説的なイメージこそが、「オーバーヘッド」というものの注意すべき点なのである。
 こうした単純なイメージだけでは済まない議論が必要なことはよくわかっているが、「市場経済」の困難化や、国や自治体の「財政難」そして「小さな政府」といった現在の問題の陰には、どうもこうした「オーバーヘッド」の問題が潜んでいるような気配を感じとるのである。これらは、「文明」というものの不可避な問題なのであろうか。だとすれば、「文明」というものは、「オーバーヘッド」工数を不可逆的に増大させつつ、そのうちに、その重みで人々は押し潰されてしまうのではなかろうか…… (2005.04.24)


 確か、電車・列車の指定席などの販売は、進行方向の後部車両から埋めていたように思う。ぎりぎりで購入したりすると、先頭車両の最前列となり小田急の場合は、進行方向の光景が飛んで来るように見える、まるで運転席のような座席となることもある。
 やはり、万が一の安全性という点からすれば、後部車両の方が安全だとする暗黙の大前提があるのだろうか。と言うか、もし万が一の事故が起きても、後部車両の方が安全だと考えがちな一般心理におもねての販売順序なのであろうか。はたまた、会社側は、事故が起きる可能性をリアルに「想定範囲内」に置いているのであろうか。そんなバカなと言われそうだが、しかし、今日は、現に起こりえないような事故が起こってしまった。事故が起こる最悪の可能性はやはりリアルに想定されるべきなのだろう。だから、乗客に向かって「決死の覚悟で乗ってください」というのではもちろんなく、残ってしまう小さな可能性を潰すための入念な基盤整備に励むべきだということである。
 何はさて置き、国民から信頼を受けているはずのJRが大量の死傷者を出すことになった責任、また運輸行政を担う国の責任は厳重に問われるべきだ。

 しかし、物理的な安全性を疑わせるような事故が頻発しているような印象が拭い切れない。やや以前のニュースで伝えられた「回転式ドア」で小さな子どもが頭を挟まれて死亡した事故、つい先だってのお台場のアミューズメント設備から顧客が落下して死亡した事故……。
 ひょっとしたら、サービスを受ける側の問題点をほじくる人もいるかもしれない。不測の動きに走りがちな子どもの事故では、親の管理責任を突付く言い方もあるかもしれないし、アミューズメント設備であれば、そんな危ないものには乗らなければいい、というような見解であったり……。
 しかし、それはまったく別の問題であり、安全の管理責任を負っている側の「全面的責任」だと先ずは言っておきたい。まさか、こうした問題にまで、「自己責任」という「無責任」発言を仕出かす者はいないとは思うが、念のために口にしておかなければこんなご時世では何を暴論的に言い出すものがいないとはかぎらない。

 環境の安全性に対する懸念について考えることは、決して杞憂(きゆう)ではない。しっかりとした危険な背景があると推定できるからだ。つまり、「過剰な市場主義」とそこに起因する「(安全性に対する)コスト削減」の傾向である。
 昨日は「オーバーヘッド」工数について気がかりなことを縷々書いたが、ある意味では、環境の「安全性」を維持するという事柄も「オーバーヘッド」工数に属するのかもしれない。もちろん、必然的な因果関係で結びついた安全に関する事柄は、「オーバーヘッド」の範疇どころか、直接的・一体的な事柄、コストとなることは言うまでもない。例えば、ガス・コンロで、ガスを開く栓があれば、閉じる栓もなければならず、閉じる栓は別途配慮されればいいというものでいいわけがない。一体的に用意されなければならない。
 しかし、換気設備がどうであるか、とか、万が一のボヤのために消火設備を整えるといったような、安全に関するやや間接的なことがらについては、これこそが「オーバーヘッド」の領域の問題になりそうである。絶対になければならないというものではないけれど、また当該案件にのみ使用されるものでもないけれど、高い安全性確保のためにはあった方がいいというような条件群のことである。いわば、「蓋然性(がいぜんせい)」に対する備えといった性格の範疇であり、コストのことなのである。

 こうした安全性をめぐる「オーバーヘッド」工数というものは、実に「削減されやすい」類なのだと思われる。しばしば言われることだが、不況となると、各社の「教育費」は削減の格好の対象となる。そして、「安全教育」とて同じ扱いとなりがちなのであろう。「利益率向上、経費削減」の論理は、関係者の知恵を刺激するとともに、「手が抜ける」個所を残してはおかないはずである。間接的なものは、どうしても軽視されがちとなり、将来に禍根を残すことになるのだろう……。
 こうした問題領域こそが「市場主義」論理の盲点となりがちなのだから、「監督官庁」が適切な判断をするべき対象なのだと思われる。
 とにかく、物理的環境に関する事故の責任は、先ずは「監督官庁」が負わなければ、「監督官庁」の存在意義はないはずだと言うべきだろう。

 現在、「民営化」という「市場主義」論理への「盲従」傾向が目につきがちだ。「官」による運営が決して理想的に実施されているわけではなく、問題山積でもあるから、「民営化」という選択方向にアレルギーはないのだが、どうしても懸念されるのは、「市場主義」の論理になじまない可能性が高い課題が、「机上」の構想だけでうまく保証されるのかという点であろう。目先、騒がれている「郵政民営化」問題にしても、明らかに「利益」を生み出さないはずであろう山間僻地での配達は切り捨てられていいのか。そうなれば、ますますその地域の過疎化は深まり、この国の林業は壊滅するだろうし、そうすれば水資源環境も行き詰まり、自然災害が急増することにもなりかねない。「市場主義」論理だけでは、社会の全体がうまく回らないというのが厳しい現実なのではないかと考えている。
 そんな中でも、当面、生活環境の「安全性」をめぐる「危うい」現状が、今日は強烈な警告の一撃で振り下ろされたという実感なのである。すでに、「犯罪」をめぐる「危険水域」の現状は、間断なく発生しているジャブのような連打でいやというほど痛感させられてはいる。この国が、「安全性」を「放棄」し始めた歴史的経緯をじっくりとたどり、結局何がそこにあったのかを検証する必要がありそうだ…… (2005.04.25)


 永遠に続くかのごとき平凡な日常生活が、何の前触れもなく突然に断ち切られて、受け容れられようのない悲惨な地獄に直面させられる。まさに、カミュ(仏の実存哲学者)なみの「不条理」だと感じられる。
 しかし、これは、被害者の方々にとっては、遭遇しないで済んだかも知れない不幸な最悪の偶然であったとしても、発生した事故それ自体には、歴然とした必然の因果関係があったわけだ。その因果関係がどう解明されていくのかが注目される。
 ただし、そのことに関しても、わたしは決して楽観してはいない。昨日も、この時代に対する「不信感」を露わにしたわたしであった。
<まさか、こうした問題にまで、「自己責任」という「無責任」発言を仕出かす者はいないとは思うが、念のために口にしておかなければこんなご時世では何を暴論的に言い出すものがいないとはかぎらない。>と。

 すでに、「暴論」めいたコメントが出始めているように見える。そのひとつは、当該列車の運転手の「個人的問題」への矮小化という傾向がひとつであり、また、「悪意の第三者」を想定した列車妨害の「置石」原因説がひとつである。(つい先ほど、「オーバーラン」は実は8メートルではなく、40メートルであったとの報道が、さも「原因」を照らし出す事実であるかのように報じられた……)
 これらが、事故原因に無縁な事柄だとまでは思わないが、こうした「取って付けたような」事柄に物事の原因を求めがちな風潮こそが「危うい!」のである。当然のことであるが、物事の因果関係は、構造的に考察されるべきであろう。なぜならば、その局面にこそ「何度でも繰り返す必然」が潜むからである。直接的で、目に見える現象というのは、ある意味ではひとつの「サンプル」だと言ってもいいのであり、その「サンプル」をいくら除去したところで、「サンプル」を生成する構造的原因が残っているならば、際限なく繰り返されてしまうことになるからだ。

 わたしが、この時代に対して抱く「不信感」の理由は、まさにこの問題、つまり、真の構造的問題にメスを入れることを回避して、目に見える部分のみをあげつらう「対症療法」の手法になじみ過ぎている点なのだと思う。そして、新たな可能性を内在させた、一段高いステージへと飛躍することができずに、閉ざされた同一平面上でお茶を濁しつつ、だからこその閉塞感の虜(とりこ)となり続けているのが、現在のこの国のプロフィールだと感じているからだという気がする。これが、度し難い「保守姿勢」ということなのであろうか。
 ところで、こうした「度し難い」問題に目を向ける時、当然、表面的な現象だけに着目することは自己矛盾することになる。つまり、こうした「度し難さ」の原因は、一部の反動勢力、政治家たちが画策しているからだ、と考えることはあまりにも表面的に過ぎるということである。それもあるには違いないが、実は、そうした勢力が幅を利かせるのは、彼らを支える民衆がいるからにほかならないからだと考えるべきだろう。
 そこで、関心を向けてみたいのが、われわれ民衆自体の「愚かさ」なのである。現在のわれわれは、やはりおかしなことを平気でやり過ごす習性に陥っているのかもしれない。本当に自身で考えなければならないことを放棄して、他人に考えてもらって済まそうとしたりしていそうだ。
 また、考えるということは問題を探り当て、その問題を解決するためにすることであるにもかかわらず、実際にやっていることはそうではなくて、自分が考えられる範囲内で自足(自己満足)し過ぎている嫌いがある。言い換えれば、自分が「わかる」範囲で考えれば「いいじゃん!」であり、さらに言えば、「わかる」ために自分が努力するということを棚上げにして、「わからない」対象側だけを責めて、「もっとわかりやすくしろ/言え」という傲慢さに居直りはじめているのかもしれない。だから政治家たちも、バカなことを口にする。「これでは国民に『わかりにくい』! もっと『わかりやすい』議論をするべきだ……」と。冗談ではないのだ。課題自体が内在した複雑さを、「わかる」ためには、受け手(この場合国民)側も最低限の知識を備えて、必死で考えることが当然だと思うわけだ。それを、課題自体を勝手に「単純化」するという編集をしてしまえば、「別な」課題へと変貌してしまう恐れがあろうというものである。今、迫っている憲法改悪問題にしても、この付近の怖さがベッタリと付着している。

 今、これを書いていて、チラチラと脳裏をよぎるのは、「衆愚政治」「ポピュリズム(大衆迎合主義)」という言葉だ。民衆は、どうしても「わかりやすさ」だけを期待しがちなのであろう。「端的に言えば、こういうことね……」と言ってわかりたがるものかもしれない。ただ、「わかる」ことのきっかけとして簡単なアナロジーを用いることはいいとしても、それでストップするとなると、物事がどんどん単純化され、そこに悪意のある政治家が介在すれば、煽動政治がたやすく成立してしまう危険が大いに生まれる。
 われわれは、自身の身体にまつわる苦痛にしても、いわゆる「対症療法」へと走りがちである。当面の痛みが緩和されたり、除去されたりするならば、その療法が病を根治させるものでなくても、さらには多少悪化させるものであっても、その「対症療法」を受け容れてしまう習癖をなしとはしないのが、われわれの現実なのかもしれない。
 「わかりやすさ」や「対症療法」を求めることを責めてみても始まらないかもしれない。まして、それらの求めに応じて商品が提供され続けているのが、この過剰な「市場主義」社会である。深いことを考えずとも『いきなりわかる』との触込みや、『痛みを我慢することはありません』という触込みなどが、この社会と時代の基本メッセージだということは誰でも知っている。
 ただ、その結果、問題先送りによって事態が複雑化、悪化して行く傾向が強い、ということを知る人は多くはないのかも知れない……

 まあ、少なくとも、今回の悲惨な鉄道事故の再発可能性が、本筋の原因究明と抜本的な対策とによって文字通り極小化されることを望みたい。時あたかも、人々の気分が浮き足立つゴールデン・ウイークを迎えようとしており、忘れっぽい空気も助長されようとしているだけに、今回の被害者が自分の身内の者だったらというくらいの共感と想像力を持ち続けたいものだ…… (2005.04.26)


 「歯に衣(きぬ)着せぬ」とは、「思っていること、言いたいことを、遠慮会釈なしに、ずばりと言うこと」である。しかし、今時、こうした人は少なく、どちらかと言えば、「歯」を「着膨れ」状態にしている輩が多過ぎるのではなかろうか。「御用」学者、評論家という言い古された揶揄(やゆ)があるけれど、現在は、TV視聴者も、何でもない偽りでも「真に受ける」人が多くなっていそうなので、そこそこ気になるわけだ。

 死者が、たぶん百名を超える恐れがあるであろう今回の鉄道事故に関して、その筋の専門家、評論家たちが多数TVに動員されている。原因推定に関して何がしかの権威づけをしたいがためなのであろう。
 イラク戦争の時には、軍事評論家の類が借り出されていたはずだ。また、年少者による奇異な犯罪が起こった時には、カウンセラーや精神医学関係者が呼ばれたりもする。
 そうした「客員」コメンテーターが勝手な推測をしているのを見聞していると、大体不愉快になることが多いもの。土台、そうした連中の素性をあまり信用していないからなのかもしれないが……。

 不愉快な原因は、大きくわけて二つある。
 先ず、そのひとつは、「余計なことを言い過ぎる」という点である。番組側がそうした「スペシャリスト」を招いているのは、当該事故、事件を一般視聴者が受け容れるに当たって、多少とも参考になるような周辺知識を、「スペシャリスト」としての観点から提供してほしいということなのであろう。
 まあ、そもそも、この「配慮」自体が有意義でありそうに見えて、結構「危うい」ものだと言えそうでもある。「スペシャリスト」、「専門家」といえば、一般視聴者は信用しがちではないか、何はともあれ。だからこそ、「危うい」のである。「スペシャリスト」、「専門家」といったって「歯に衣着せぬ」言い方をすれば「玉石混交」なのであり、その筋の「専門性」の習得と切磋琢磨において一目置かれていると一体だれが判定したのであろうか。しかも、唐突なTV出演の依頼にホイホイと応じられるような方は、果たして研究その他でお忙しくはないのだろうか、という疑問が生じてしまう。
 それはおくとして、「専門家」の中には、キャスターなどの求めに応じて、「専門分野」を逸脱した事柄に関してもぬけぬけと発言してはばからない人もいたりする。そもそも、「専門分野」の事柄にしたところが、一般大衆という「非」専門人に話しをすることは、誤解を招かずに真意を伝えることが難しいにもかかわらず、それにも無頓着だし、かつ「私見」をも平気で口にしたりもする。
 つまり、何がしかの「専門家」という立場でものを言う場合には、かなりの禁欲的スタンスが要求されるにもかかわらず、それを心得ていない「危うい」方が多過ぎると思われるのである。
 ただ、現在のTV番組には、何らかの「専門分野」で名を馳せて、それがきっかけでTV出演を重ねているワケのわからない者が多過ぎるようだ。ひょっとしたら、「一芸は道に通ず」(ある一つの芸をきわめた人は、他のどんな分野でも人にぬきんでることができる)という「大きな誤解!」が、当人や周辺を巻き込んでいるのかもしれない。

 「スペシャリスト」がコメンテーターとなることでの不愉快さのもうひとつの理由は、概して「歯に衣着せぬ」言い方ができないはずである、という点になる。
 それは、現在の「専門家」というものが、「独立独歩」の立場で活動しにくい状況にあることに由来している。つまり、研究資金にしてもそうだが、情報収集、入手において、「独立独歩」であることが許されない環境に置かれているということである。
 「御用」的なスタンスをとらなければ資金面で苦労をするということもさることながら、情報の収集において不自由な思いをするという点が、かなり重篤な問題であろうかと思える。
 たとえば、今回のJRの事故に関しても、TVにコメンテーターとして登場した者たちは、いわゆる「鉄道研究家」ということのようだが、彼らの「研究」を支える情報収集は、現JRとの緊密な(親密な)関係を前提としなければ成り立ちようがないだろう。研究は、強制捜査ではなくあくまで任意であるのだから、相応の情報収集チャンネルを確保しなければ成り立ちようがない。
 これは、現在のさまざまないわゆる「テクニカル・ライター」と呼ばれる生業の者たちも同様に抱えた課題なのであろう。たとえば、「専門家」的、「第三者」的立場で、技術的新製品の評価をするとして、メーカー側は、当然、新製品には命運を賭けているに違いないから、もし、「ライター」がその新製品を「客観的に」「酷評」して販売活動に水を差したとしたら、メーカー側は、その「テクニカル・ライター」への情報提供をその後も好意的に続けるであろうか。
 ここには、政治記者たちの活動を縛る「記者クラブ」の事情と同様の力学が働くことは、誰でも想像できることではなかろうか。

 今回の件に関するコメンテーターたちのTV出演でも、わたしは、その発言を見聞しながら、彼らの日頃の研究活動のあり様とJRとの距離というものがおのずから気になったものであった。
 たとえば、線路への「置石」の有無や、それが事故原因に占める比重などに関するコメントでは、コメンテーター達の間に微妙な開きが感じられたものである。そうか、このコメンテーターは、JRとの緊密関係に依存している研究者なのかな? こいつは、JRにあまり可愛がられていないな? とか、なのである。
 しかし、端的に言って、今回の事故に関するコメンテーターとしては、総じて「鉄道研究家」=技術屋さん、たちは、みなミス・キャストであったと感じている。技術的洞察力不足というのではなく、問題は明瞭に「人的管理」の脈絡に潜伏していたと予感しているからなのである。今、JRが最も批判されたくない「経営効率」のための「労務管理」に早急の見直しが必要なことは歴然としているはずである。
 技術環境の複雑化に伴い、避け難い「ヒューマン・エラー」によって引き起こされるトラブルは、その結果が予想外に増幅されてしまう、というのが「危うい」現代の特徴のはずである。多くの人々の生命を預かる業務を担うものは、「ヒューマン・エラー」に関して慎重になり過ぎることは決してない。ATSなどの技術的側面での「フェール・セーフ」を何重にも施すとともに、「ヒューマン・エラー」を「誘発」しかねない「労務管理」状況を真摯に見つめ直すべきである。

 しかし、それにしても、この国の国民は「大人し過ぎる」というか、「権利意識が希薄過ぎる」ような気がする。死亡した人々を所詮他人だと括っているからなのか。いやそれとも、もうJRにはお世話にならないと静かに腹に決め始めているのだろうか…… (2005.04.27)


 鉄道事故の原因究明に限らず、日常的事柄にも不可解な現象があり、その原因・根拠に迫らなければならないということはままあるものだ。
 しかも、われわれの仕事の場面では、そんなことが日常茶飯である。コンピュータという人為的構成物に依拠したさまざまなシステムは、パーフェクトというようなことがあり得ず、いつも問題を積み残し続けているように見える。
 こう言えば、かなり荒っぽい表現のようにも聞こえがちだが、現に、膨大な技術力で構築されている「最強」のOSのWindowsが、頻繁にアップデイトをしなければならない現実は、コンピュータ・システムというものが、パーフェクトではあり得ないことを雄弁に物語っていそうな気がするわけである。

 しかし、だからと言って、わたし自身も技術者たちも「技術とは所詮そんなもの」と開き直ろうとしているわけでは毛頭ないはずだ。技術に携わる大多数の者たちが、おそらくは、その時点その時点においてパーフェクトなシステムを目指しているに違いないと思われる。それでもなお、未知の部分が残り続け、それらが時間の経過に伴って重なる複合的な条件によって浮上してくる、というのが現実なのであろう。
 ならば、パーフェクトな状態を目指して、テストの時間を延長し、生じ得る未知な条件を炙(あぶ)り出せばいい、という論理的な推察が成り立つ。だが、これも概ね踏まえられている対策なのではないかと思う。確かに、その場合の程度の問題はありそうな気がしないでもないし、テストというものは、量ではなく質の問題でもありそうな気がしたりする。何らかの「ねらい」や「洞察」に裏付けられたテストこそが有効なテストなのだと思えるのであり、単に時間や回数という量的な積み上げは、結局、自然な状態での時間経過に伴う結果を先取りしようとしているに過ぎないからだ。

 ところで、コンピュータ・システムでは、しばしば「テスト・データ」を作成するという作業が行なわれる。これなぞは、勘所を押さえていない者と、優れた洞察力、想像力を持った者との差というものは歴然としてくる。
 システムのウイーク・ポイントをチェックするには、ただただあれもこれもと手を広げたデータを並べればいいというものではなさそうだ。どのようなデータが、そのシステムは苦手としていそうなのかについての「読み」がなければ、それはいたずらにデータの数量を膨らませるか、ウイーク・ポイントに触れることもなく見過ごしてしまうかのどちらかに陥るはずである。
 システム開発の種々の工程は、その工程の難易度にふさわしい習熟度を持った技術者が参画しなければならないのだが、その点では、開発工程の最初の山場である「基本設計」工程と、最終の山場である「総合テスト」とは同等の比重があると言われている。いわゆる中・上級のSEが担当しなければならないのもそのためなのであろう。

 だが、現実の、スケジュールどおりには進み難いシステム開発にあっては、とかく押せ押せの進捗状況から、ややもすれば、その比重の高いはずの「総合テスト」が、種々の制約を被ってしまうことが多いのかもしれない。力量のある技術者たちは、中間プロセスでの力仕事で疲弊してしまい、落ち着いた「洞察」力を駆使できる状態ではなくなり「総合テスト」に臨むケースも少なくない。言ってみれば、望んでのことではないにせよ、要するに「尻切れトンボ」となりがちな状況に遭遇しがちなのだと言える。
 まあ、こんなケースばかりでもないのではあろうが、現状のひとつの特徴であることは否定できないようだ。
 加えて、最終テストというものは、現実的ないろいろな環境条件から、誰にとっても「甘く」なることはあっても、ことさら「厳しく」なることは想像しにくいとも言える。それは、開発に関与する者たち誰もが、エンドレスのテスト継続を是認しにくい立場に置かれているからかもしれない。

 ふと、思い起こすのは、映画監督が撮影シーンにOKを出すか、NGとするかについての話である。あの黒澤監督なぞは、ロケで人海戦術的なシーンであっても、自身の評価基準にそぐわない場合には「執拗」にNGを出しまくったという。
 システム開発というジャンルと、芸術の世界を同一に扱うことは無謀かもしれないが、言いたいことは、芸術家は自身の<内在的なイメージ>に固執するのだろうが、システム・エンジニアも、技術的「洞察」に基づく<内在的な構想>が、すべての技術的現象に先立って存在するはずではないか、という点なのである。そして、「基本設計」がもちろんこの<構想>によって作り出されるとともに、「総合テスト」もまた、その<構想>によって厳しく吟味されるに違いない。おそらく、その<構想>は、とことん固執されるべきものとして扱われているのではないかと思う、優れた技術者にあっては……。
 こうしたことを考えてみると、ひょっとしたら、仕事というものにあっては、ジャンルを問わず、良い結果を生み出す最終的な決め手は、単なる技量、スキルという外面的レベルの問題ではなく、<内在的な力>の有無にありそうな気がしてならない。
 こうした<力>を尊重できない環境が、現代という時代に広がっているのだとしたら、「モグラ叩き」のような怖い現象はなくならないのであろうか…… (2005.04.28)


 ゴールデン・ウィークの初日である今日は、こんなふうに一日を過ごしてはいけないという悪い見本のような一日を過ごしてしまった。
 昨夜が、仕事の関係で遅くまで事務所に詰めていたことと、今朝は今朝で、野暮用で早目に起きなければならなかったことが重なり、睡眠不足であったからだろうか。それとも、この先の連休を身体が感じ取ってのことであろうか、一日中集中力が伴わず、ダラダラとした時間を過ごしてしまった。
 こんな日には、この日誌を書くことで、どうにか一日の締め括りめいた気分を作っていたのがこれまでであったが、今日は、いざ書こうとして書斎の机の前で一時間以上も無為な時間をつぶしてしまうありさまであった。
 ダラけた理由のひとつには、気温の高さがあったかもしれない。現に今こうして書斎にいても、ムシムシとする不快感に包まれている。つい先だってまでは、足元の電気ストーブが消せないでいたのに、もう、こんな陽気になってしまったのかと、過ぎ行く時間の速さにやや驚いている始末だ。

 こんなことを書きながら、何か「湧き上がってくる思い」とか、今日特に関心を寄せたことに気がつくのを待っていたりするのだが、これといって何も浮かばない。どうも頭の回転が「連休モード」に突入してしまっているようである。
 よく、何かのミーティングなどで、一人づつ感想や意見などがあったら述べてください、それでは順番に始めましょうか、というようなことがあったりする。そんな時、通常の気分で、頭の回転が「ノーマル・モード」であると、何か咄嗟に思いつくことなどがあり、それを核にしてその場に合わせた話のアレンジもまずまずできたりするものである。
 しかし、時として、今日のような睡眠不足などが原因で気分が塞いでいる場合には、そうしたことにも戸惑ってしまい、話す順番が近づくことを妙にプレッシャーと感じてしまうことがある。今の心境と気分とは、そんな場合を思い起こさせるものがありそうなのである。どうも、自分の場合、睡眠不足はかなりその日の気分を左右してしまいそうである。

 先日、何を考えたからなのかは思い出せないが、三十代の頃に、三日間計72時間不眠で文章を書き続けたというか、そうしなければならない羽目に陥ったことを、ふと思い起こしたことがあった。もうそんなことは不可能だろうな、と年寄りめいた自覚をしていたのだった。
 それは、大学院生の頃に、学会発表の準備をしていた時のことなのである。発表のための原稿を仕上げるのに、手間取ってしまい、結局、発表当日まで三日間の完全徹夜を続けるというバカなことになってしまったのであった。
 その際に、自覚したことは、もう三日目ともなると、とにかく考え続け、手を動かして書き続けなければ、一瞬のスキであっても突如として睡魔に襲われるという事実であった。目覚めていることと、眠りに落ちることとが、まさに境目なしのボーダレス状態になっていたように覚えている。考えることを止めると、目をつぶるつぶらないではなく、一瞬意識が消失しているという危ない状態だったように思う。

 ほかにも、睡眠を削らなければならないちょっとした修羅場は何度も経験してきたが、そうした時は、自分の不眠記録が72時間だという自負めいたものが、苦痛のつっかえ棒のような役割りを果たしてくれたような気がしている。ただ、そうした気力というものは、体力に裏づけられてこそ意味を持つのであり、歳とともに体力が減退してくると、下手に力むならば、後遺症まがいのリアクションが待ち受けていることを思い知らされたりするわけだ。
 思考の集中力、持続力を頼みにする人種は、何よりも先ず体力の維持増強に意を払うべきだと思わざるを得ない。明日からの、連休の残りは、何はさておき体力調整ということがメイン課題になりそうだ…… (2005.04.29)


 昨日の再確認どおりに、今日は体力調整に意を払い朝夕計二回のウォーキングをしてみた。一日に二回も、ただただ単純で幾分辛い同じ事をするのは、よほど気分が乗らなければやれないことのはず。それができたのは、単に陽気が良いというだけではなく、気分に「弾みが付く」ようなことが介在していたからかもしれない。
 といっても大したことではない。連休で所在無いわたしみたいなオジサンを慮ってスケジューリングされたのか、TVのBS放送で懐かしの洋画劇場が、ちょうど退屈時の午後一時半にあったので、それを観たのである。新聞のTV欄で偶然に、「チャールトン・へストン」なる、わが青春のヒーローの名前を見出したのだった。題名は、『エル・シド』で、確か『ベン・ハー』のニ、三年後の作品である。「チャールトン・へストン」の映画は、そこそこ見てきたつもりであったが、この『エル・シド』は題名は何度も目にしていながら、実のところ観ていなかったのだ。多分、190分という本格的作品であるため、先送りにしてきたのかもしれない。
 そこで、今日は、せっかくBS放送が、わたしのように連休は行楽地には行かないゾと固く心に決めているオジサンを慮ってくれたのだから、「詳しい話を聞こうじゃないか」ではなくて「ヨシッ、万難を排して鑑賞しようじゃないか!」と思い定めて昼食を済ませていたのだった。そして、3時間をじっくりと楽しみ、何やら無性に元気な気分にさせられたのであった。

 「チャールトン・へストン」のスペクタクル映画は、これぞ映画の「王道」だという雰囲気で始まる。『十戒』にしても『ベン・ハー』にしても、はたまた『北京の55日』にしても、映画館で観れば、視界に目一杯広がるフル・スクリーンに、古典的というか「本格的」というかのビジュアル・イメージが広がり、なおかつ決して軽々しくはないこれまた「本格的」というかの重厚なサウンドが響くという「本格的」尽くめが何とも言えなくいいのである。今風の、ただただスリリングであるだけだったり、コケ脅しであったり、要するに「非・本格的」の映画とは異なる。観る者に、「ひざまずかなくても良いけれど、一応襟を正してもらいましょうか」とでも言いたげな、そんな感触があったりする。
 『ベン・ハー』を劇場で鑑賞したのは、確か「封切り」後三年落ちくらいで三流館に来た時であったかと思い出すが、そんな三流館でのご対面ではあっても、何やら厳かさにまみえるような印象を受けたものであった。
 また、「チャールトン・へストン」という映画スターの位置づけにも特別なものがあったし、その後もあり続けたような気もする。宗教もの、歴史ものでの登場ということもあるのかもしれないが、あの顔つきと身体つきとによって、とても人間とは思えない神懸かった、神秘的な印象を与えられてしまったように思う。
 ちょうどわれわれが思春期を迎えていた時期であり、斬新さや物凄さのイメージなどの「刷り込み」が激しい時期であったから、「チャールトン・へストン」のような存在は、ことさら物凄く「刷り込まれて」しまったのかもしれない。

 ただ、今日、『エル・シド』を「文句なく感動しながら」観て考えたことは、当時と現代とではやはり何かが根底的に異なるのだな、ということであった。
 もちろん、スペインの伝説的英雄「エル・シド」の活躍した時代は10世紀、11世紀という中世であり、神によって社会秩序が守られていた時代であるから、神への信仰よりも他の事柄が優先されてしまう時代とは異なるに決まっている。
 物語の舞台となっている時代と現代との差異ということだけではなく、映画が制作された1961年頃と現在との差異というようなものにも関心が向いたのである。それは、大衆に説得力を持った「本格的」とも言える存在が成立した時代と、残念ながらそうしたものがまともには成立せず、それを却って力んで強調しようものなら「笑いもの」にされかねないシニカルさに満ち満ちた時代との差であるという気もする。
 当時のアメリカ映画は、「苦渋」や「挫折」というものにさほどの比重が置かれずに、言ってみれば「理想主義」的な楽観性に満ちていたかのように思う。いや、対共産圏との違いを強調するためにも、そうした「理想主義」的な要素を謳歌する必要があったのかもしれない。
 考えてみれば、われわれ団塊世代は、そうした時期のアメリカ文化を一身に「刷り込む」ことを成し遂げてきたのかもしれない。そう言えば、当時のさまざまなTV番組も、「理想主義」的な人間関係で溢れていたような気がしないでもない。自由主義社会のポジティブな面がいかんなく強調され描かれていたようだ。
 その点では、まさに、物語『エル・シド』の時代だけではなく、1960年代初頭のアメリカにも神は権威を持っていたのであり、「チャールトン・へストン」は、そんなアメリカを象徴していたのだと思える。だが、その後のベトナム戦争泥沼化などによりアメリカは「苦渋」や「挫折」に遭遇し、「理想主義」的な楽観性はいつしか色褪せていくかのようではなかったか……
 われわれが思春期に「刷り込まれた」あの「チャールトン・へストン」の神秘的な魅力もまた、アメリカ「銃社会」の賛否をめぐる高齢となった彼の対応など(c.f.『ボウリング・フォー・コロンバイン』)から、色褪せ感が無きにしも非ずという変化に見舞われているのかもしれない。

 ちょうど、物語でも歴史的事実をなぞって、キリスト教王国スペインと、イスラム教のムーア人たちとの対立関係が描かれていたのだが、おそらく1960年代には、東西関係の問題こそがリアルな構図であったはずで、対イスラム文化問題なぞは遠い過去の問題だと受けとめていたのではなかったかと思う。
 しかし、現在では、その問題への対応こそが愁眉の問題となっていることをひとつ取り上げてみても、歴史の変化の大きさには目を見張るものがある。
 「チャールトン・へストン」は、「本格的」な、言ってみれば「大きな物語」が精彩を帯びていた時代の象徴的存在であり、ひょっとしたら現在の人々の感性からすれば、どこかリアリティに欠けた大味(おおあじ)的なニュアンスとして受けとめられるのだろうか。 ただ、団塊世代の自分などからすれば、感性の古い層が掘り起こされるような懐かしさが蘇ってきたのであった…… (2005.04.30)