早いもので、あれよあれよというまに「師走(しわす)」となってしまった。
毎年のことだが、事務担当者が会社で出すお年玉年賀状の絵柄を選んでくれと言ってきた。来年は戌(いぬ)年だそうで、印刷屋が提供している見本絵柄パンフにはかわいい犬たちがいろいろな姿で気を惹こうとしている。猫も可愛くないとは言わないが、やはり犬には情が移るものだな、なんぞと思った。そして、そうか戌年だったか、と他愛もないことに気づきながら、できるだけスッキリとした絵柄を選ぶことにした。
犬と言えば、犬自体には悪い気がするが、先ず思い浮かべてしまったのは、どこだかの首相が、どこだかの国の大統領に媚びへつらう姿を「ポチ」と称されたことだ。今年一年も、大義名分に欠けたイラク戦争に加担して、十分に「ポチ」役を務めたと言って差し支えないだろう。加えて、諸国が撤兵方針を出しているにもかかわらず、自衛隊の派遣継続を臆面もなく掲げ、訳のわからないリスク・テイキングを続けようとしている。
同じ「ポチ」であるのなら、国民の生命と財産を必死で守る、そんな番犬的な役割り、国民とともに苦楽をともにする国民の真の友人としての役割りを果たしてもらいたいものである。
ウチの番犬として飼っていた犬、レオが死んでから一年半過ぎる。散歩させられている犬、とくに「レトリバー」犬を見ると、その種類の雑種であったレオのことが無性に思い出されたりする。
感心するほどに食いしん坊な犬であった。見事な食い意地だと言うべきかもしれなかった。その食い意地の張った姿を見ると、妙に元気づけられたことを覚えている。散歩も大好きで、「サンポ、サンポ」と声をかけると、庭で放し飼いにしていたレオは、うれしいためなのか、あるいはウォーム・アップのつもりなのか、庭中を駆け回り、裏庭の方にまで走って行き姿が見えなくなったりした。
また、考えられないほどに臆病でもあった。特に、帽子を被っている男性を見るととても怯えた。散歩の最中でも、車道を挟んで向こう側の歩道を野球帽を被った人影などが見えたりすると、それをいつまでもキョロキョロと見つめて尻尾を丸めていたものだ。
こんなことを書いていると、また、犬を飼ってみたい衝動が突き上げてくるようだ。ただ、現在は庭に野良猫たちが転がり込んでいるので、彼らを追い出すことにもなりかねないから無理ということになりそうではある……。
ヘンなことを言うようだが、これまでに嫌味な犬にお目にかかったことがない。こいつは、何てイヤなやつなんだろう、どうもズル賢いところがあって気に障る、というような犬にお目にかかったことがないのである。人間ならば、そんな者はごまんといる。子どもでさえ、シッカリと嫌味な子はいるものだ。
しかし、犬はどの犬も素直であり、一本気であり、陰日なたがない。可愛がってやれば、その気持ちにどこまでも応じてくれる。そんな存在だから、この不気味な環境の時代にあって、ペットとして愛され続けているのであろう。いや、ペットというよりも良き友人としての位置にまで格上げされているのかもしれない。
来年は、その戌年だという。人々が、「素直で、一本気で、陰日なたがない」ことの良さを再認識、再訓練して、少しでも人が人を信じたり、愛せたりできる世の中になればいいと、単純に願う。
犬はいつまでも進歩しないでいて欲しいものである。五、六歳くらいのIQだというが、IQの上昇は、人間を見ているかぎり「諸刃の剣」としか言いようがないからだ。高齢者が増大する時代にあって、寂しい老人たちのかけがえのない友人であり続けてもらいたい…… (2005.12.01)