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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2005年01月の日誌 ‥‥‥‥

2005/01/01/ (土)  残雪で始まった新年の雑感……
2005/01/02/ (日)  「供え餅」と「狛猫(こまねこ)」という撮り合わせ?
2005/01/03/ (月)  もはや過去の神話になりつつある「正月」気分?!
2005/01/04/ (火)  自分は何のために写真を撮るのか……
2005/01/05/ (水)  「年賀状」をキッカケとして……
2005/01/06/ (木)  自分が自分であろうとする正攻法を失ってしまうと……
2005/01/07/ (金)  言葉よりも「ドドンドンドン、ドドンドンドン……」の大きな説得力!?
2005/01/08/ (土)  ショッピングやモノの消費はどっかりと日常気分を占拠する?
2005/01/09/ (日)  なぜだか親しみが禁じえない「平清盛」?
2005/01/10/ (月)  「逆夢」が知らせた「幸せの青い鳥」?
2005/01/11/ (火)  ハイエンド・ツールで本当の価値を生み出すには……
2005/01/12/ (水)  どうなれればというような先の話ではなく、かけがえのない今を!
2005/01/13/ (木)  すでに死んでいるNHKに対する「経済制裁」とは、これいかに?
2005/01/14/ (金)  河川工事と野鳥たち、そして思いやり……
2005/01/15/ (土)  冷たい雨の休日はいやだ、いやだ……
2005/01/16/ (日)  「ロンリー・ボーイ」が蔓延する現代という時代?
2005/01/17/ (月)  「指針に溢れた」時代環境が退潮した後の「恒常的な自分」探し?
2005/01/18/ (火)  「吠えない『知識人』」ほど無用の長物はない!
2005/01/19/ (水)  「黒丹」チーム(?)のコラボレーション的成果?
2005/01/20/ (木)  「ケータイ」の「予約システム」作りでトレンド学習……
2005/01/21/ (金)  「ほかのすべてを捨てられる 激しいものが欲しかった」……
2005/01/22/ (土)  小山田の「マイ・フォト・コース」を行く
2005/01/23/ (日)  「よし来た」と回答した「境川水系に関するアンケート」
2005/01/24/ (月)  自然・アナログ存在への思い入れが募る……
2005/01/25/ (火)  「プディン(グ)の味は食べてみればわかる」?
2005/01/26/ (水)  もうすぐすれば「おしゃべり社会」へ大変貌?
2005/01/27/ (木)  「弱肉強食」社会を襲う「弱者据え置き津波!」
2005/01/28/ (金)  国民が<なめられない>ようにならなくちゃ……
2005/01/29/ (土)  薄気味の悪い「夢解釈、自己分析」……
2005/01/30/ (日)  なぜだか「職人気質」というものが気になる自分……
2005/01/31/ (月)  原油高騰、世界市場、ヘッジファンド、そしてグローバリズム経済






 日向に面した雪がようやく融けたようだ。窓から見える戸外の屋根も、大半が融けている。それにしても、昨日午後の降雪は集中的な降り方であった。三、四時間程度の間に10センチ位は積もる振り方であったようだ。
 実を言うと、昨日、朝起きた際、雪どころか、暖かそうな陽射しまであったことに内心がっかりしたものだった。前夜、天気予報の気圧配置図から、かなり降りそうな予想をして、急いでガソリン・スタンドへ行き、ジャッキ・アップの手助けをしてもらい、タイヤ・チェーンを装着していたからである。
 スタンドの兄ちゃんも、ホントに降りますかね、と半信半疑の面持ちであった。
「いや、一日中降るようだよ」
と言ったものだから、朝一の陽射しには、妙な失望感が漂ってしまったというわけだ。
 が、昼過ぎからは、猛烈な勢いで降りだした。ちょうど、ちょっとした買い物に出かけたが、出向く時には、チェーン装着が恥ずかしい雰囲気であった。しかし、帰りにはまるで吹雪のようなありさまであり、道路のあちこちで難渋しているクルマを見かけた。
 ラーメン屋に寄ったが、そこの店員が、
「あのクルマはお客さんのですよね。これから厚木まで帰るんだけど、チェーンがないと無理ですかね?」と訊ねてきた。わたしはおもむろに、
「無いと難しいかもしれないね」
と、言い放っていた。イヤなオヤジなのだった。

 チェーン装着のままなので、道路が残雪で凍っているのも気にならず、今朝は、新年の祝いのために例年訪れる母を迎えに行くことができた。晦日にチェーンを装着する際に念頭にあったのは、実はこの点だったのである。
 昔、雪が残った日に、予想外のスリップでガードレールにクルマを擦りつけたことがありヒヤッとしたことがあった。雪国のドライバーは、決してブレーキを使わず、大半をエンジン・ブレーキで対処すると聞いたことがあるが、確かに、雪知らずの都会のドライバーは、雪の怖さを知らな過ぎるのかもしれない。

 母を迎えに行く時間は少し早めにして、わたしが向かったのは、大型コンビニ店の屋上駐車場であった。目当ては、そこからは西方の丹沢の山々が見事に眺望できるからである。もちろん、カメラを持ってのことである。
 予想どおり、元日の大山の姿はくっきりとしたさわやかさであった。西方のみならず、北方にも、山々の連なりを明瞭に望むことができた。
 シャッターを切りながら、今年は風景写真と野鳥フォトに突っ込んでみるかな、と考えていた。自分の気分をコントロールすることが、こんな荒れた世相の時期ほど重要なことはないはずだ。冷静で、平常心でいるためには、そんな「自然」に密着していることが支えになるはずではないか、とそんな気がしていたのである。

 母を迎えて、正月の祝いをすることになった。母は相変わらずそれぞれの者にちょっとした衣類などを購入してきて、「お年賀」として振舞ってくれた。足に若干の痛い部分があるため、座る環境づくりを家内が工夫していた。
 八十歳を超えた(八十一歳)が、
「とりあえず、後十年はがんばるつもりだからね」
と、言うのが昨今の口癖となっている母なのである。母が元気であることは、わたしにとっても少なからず貴重なことなのである。元気を与えられるひとつの源泉であるに違いないと思っている。

 さあて、ろくなことがないような気がするこの今年一年を、どうやって突っ走って行ってやろうか。まあ、タイヤ・チェーン装着ではないが、クールな予想と用意周到な姿勢は歳相応に持つべきなのであろう…… (2005.01.01)


 冬の一日が過ぎ行くのは早い。5時前だというのに、もう日暮れというほかない。
 正月休みなのだから、今少し、のんびり感が味わえるような時の流れであってよさそうなものなのに……。

 朝食時に、猫たちの写真を撮ったことで、今日のメイン・イベントが決まってしまった流れであった。
 床の間なんてものがないため、TVの上のスペースに「供え餅」が飾られた。すると、一匹の猫、ルルがその「供え餅」の傍らに猫座りをして、うとうととし始めた。ブラウン管の熱と、TVの後ろ側、上部のエアコンから噴出す暖かい風が目当てなのだ。日頃、猫たちはしばしばそこに座ることを望んでいた。
 だから、猫たちにとっては、突然に「供え餅」が中央に陣取るという事態は、言ってみれば既得権の侵害にあたるはずであろう。しかし、日頃おもちゃにしているぬいぐるみの動物のように軽ければ、猫特有のフックで投げ落とすこともできるのだろうが、なんせ「供え餅」は「重い!」。TVの上の平面の中央に陣取り、はなはだ邪魔でしかたがないにしても、どうにも歯が立たない。しゃくだと見え、「水引」を咥えて引っ張ったりしていたが、やがてしょうがないのかと諦め、どっかと居座る「供え餅」の傍らで、まるで付添い人のような恰好で、みずから置物のように鎮座していた。
 それが面白い構図であったので、わたしは常に壁にぶら下げているデジカメにひと働きしてもらうことにしたのだ。すると、何かともう一匹の猫リンに思い入れをしている家内が、
「リンちゃんも撮ってもらいなさい」
と言って、「供え餅」を挟んで反対側の空きスペースにリンを座らせたのだった。
 すると、TVの上は、「供え餅」を中央にして、まるで「狛犬」一対ならぬ「狛猫」一対の絵が出来上がってしまったのである。
 わたしは、これを撮らずしてどうする、という思いで、急いでシャッターを切っていた。カメラの裏側のモニターで確認してみると、ピントに狂いはなく、しかも二匹の猫たちは、家内が赤ん坊をあやすようにした仕草の方をしっかりと見つめて活き活きとした目つきになっている。正月の「供え餅」を囲んだ「狛猫」一対は、なんとなくそこそこめでたい光景をかもし出していたのである。
 話はそれで終わるはずだったが、家内が、実家の両親に見せたいと言い出したのであった。それも明日実家へ行くことになっていたため、にわかに忙しくなってしまったのである。というのは、デジカメの画像データを写真ふうにプリントできるプリンターは事務所にしかなかったからなのだ。自宅の書斎に置いてあるプリンターは、通常のカラープリントでは使っていたが、高い解像度に対応したものではなかった。

 ここから、今日が、デジカメ・デーへと塗り替えられていったのである。
 朝食後、わたしはデジカメを持って家を出た。事務所へと向かったのだが、その前に天気もいいことだし残雪風景を物色するつもりにもなっていた。
 取り立てて、これは! というものが撮れたわけではなかったが、強いて挙げるならば、雪が残った野菜畑を前景にして背後にはわずかな残雪を背負った民家の屋根が写った一枚は、季節感溢れたまあまあのものであったかもしれない。手前に、青々とした葉もの野菜やネギ畑のネギの穂などが素材感たっぷりで大写しとなり、遠方に畑の近所の民家の影がのぞくというアングルは、最近ちょっと好んでいる構図なのである。その構図に、今日の場合は雪が加わっていたから、鮮やかな季節感が盛り込めたというわけである。

 事務所での、「初仕事」となった「『供え餅』と『狛猫』」のプリントは、思いのほか時間がかかってしまった。要するに、凝り始めると、トリミングに熱中してしまったり、印刷アプリケーション・ソフトをいろいろと操作してみたりと、やるべきことがどんどん増えていってしまうのである。そんなこんなで、帰宅した時には、短い冬の陽が傾き始めていた始末であった。
 まあ、ちょっとした面白いフォトができたささやかな満足感で、正月の二日目は過ぎようとしているといったところか…… (2005.01.02)


 今日で、正月の三箇日(さんがにち)も終わった。終わってみるといつも再確認することになるのだが、もはや子どもの頃に考えていた「特別な日々」という位置づけや感覚は、跡形もなく消え失せてしまっている。
 もうとっくに正月は特別な日々ではなくなっているにもかかわらず、年末には、ふと、もはや化石となってしまった子どもの頃に思い描いた正月「原像」を、心のどこかでまさぐっているのだから他愛無い。毎年毎年、その正月「原像」は、貧乏人の貯金のように小さく、頼りないものになっていくようなのだが、そうだからこそ、無邪気なほどに思い起こしたりする。
 そして、三箇日が終わると、いつもながらに肩透かしを食ったような妙に虚しい気分とさせられるわけだ。

 「お正月」とは、かつては、一体何だったのだろうか。
 長くなりそうなので、正面切って考えてみることは避けたいが、とりあえず、「特別な日々」であったことは確かだ。「非日常」と言っていいのかもしれない。
 とすると、正月「原像」が遠い過去のものとして失われてしまったということは、年にひと時の「非日常」の時間が、ダラーッとした「日常」に取り込まれてしまったということになる。いや、「日常」の時間帯がダラーッとしたものと表現するのは語弊があるかもしれない。
 今や、「日常」は、平平凡凡とした緩やかな時間帯ではなくなりつつあるのが誰にとっても実態であろう。不安と緊張の連続だと言って決して言い過ぎではなくなっているようだ。
 ただ、ダラーッという表現をしたのは、「日常」とは、「晴(ハレ)」に対する「褻(ケ)」であるという意味を強調したかったのである。象徴的には、子どもの頃には、正月に着る衣類が、「よそゆき」のものであった点がわかりやすい。つまり、普段着ではない特別な、新調されたものなどを「晴れ着」として着せられ、おのずから気分も「よそゆき」となり、「晴れやかしい」気分、「特別な気分」となったものである。
 こうした「ハレ」と「ケ」という区別は、どうも農村社会時代の大きな特徴であったようだ。農村社会での「日常」とは、辛くてきつい農作業に明け暮れ、ただただ耐えなければならない時間帯であったということになる。
 そして、わずかに、「正月」と「祭」(「盆」)の日々だけが、特別に享楽が許された「晴れやかな」時間帯で、それが「ハレ」と呼ばれていたようだ。
 こうした農村社会の「ハレ」と「ケ」の時間帯の厳しい峻別という風習は、皆が一生懸命に働かなければ成り立たないという低い生産性が背景にあったためであろう。また、「皆が」、という点からもわかるとおり、共同・協働という縛りが必要な時代でもあったからだと思われる。
 そう考えてみると、現代はまるで事情がことなってしまっていることに気づく。生産力は、モノ余りが生じるほどに高度となってしまったし、「皆が」という共同・協働の縛りも、生産と消費の両面で「個人が」という側面の突出で崩れているとしか言いようがない。「個人責任」という言葉が常用される時代になってしまったのである。
 こうなると、「ハレ」も「ケ」も、個々人が自分の状況に照らして「任意に」切り替えればいいことになり、みんなして「セーノ」という掛け声のもとに「ケ」の時間帯から解放されなくともいいことになってしまうわけだ。個人的に、大いに苦痛を味わった後には、その時に「ハレ」の時間帯としての「正月」ライクな過ごし方をすればいいことになるわけである。
 時代は、生産の領域である職業も千差万別の様相を呈しているし、また、それぞれの職業の人たちをの癒したり、楽しませたりする手段も、消費の領域に千差万別の形で用意されるようになっている。「セーノ」という掛け声は、まったくもって不必要になってしまったわけだ。
 こうして、「正月」は、土日の休日や、カレンダー上の連休としての性格以外の「特別な」意味を、年年歳歳、限りなく放棄してきたことになろうか。
 聞くところによれば、今回のNHK「紅白歌合戦」の視聴率は、40%をはじめて割り込んだそうであるが、あながち番組の魅力低下ばかりではなく、そもそも「正月」を迎えることの「特別な気分」という神話が、確実に通用しなくなっている現実を物語ってもいるような気がするのである。

 こうした「特別な気分」の喪失という事情は、「正月」という行事だけのことではなさそうだが、そう思うと、時代の進展は、なんだか楽しいことを次第につぶして突き進んでいるとも言えそうではないか…… (2005.01.03)


 思いがけず寒さの緩んだ一日となった。そんな陽気に誘われ、午後、カメラを持ち、「薬師池公園」に出かけた。「日常」が始まると、近場ではあってもなかなかその気にならなくなってしまうことを感じていたからだ。
 午後一番とはいっても、早、冬の陽射しはしっかりと物影を作り始めていた。
 写真を撮ろうとすれば、何はともあれ自然光のありようが決定的である。しかも、風景写真となれば、自然光によって雰囲気の基調がほぼ決定されてしまう。午前中、できれば朝の光が良かったが、そんなことを言ってももはや遅い。今朝は、不覚にも朝寝をしてしまった。

 クルマで公園に近づくと、公園の脇道をカメラ・バッグに三脚ケースを背負ったご同輩が、キョロキョロしながら歩いている。正月休みの最後の日を、久々の、かどうかはわからないが、愛用カメラで自然を撮りたいと出向いてきたのであろうか。「わかる、わかる」と、わたしはハンドルを手に頷いていた。
 すでに満杯状態の駐車場に空きスペースを探し、クルマを置いて自然公園に向かった。ハス田は、あの青々としたハスの葉なぞ想像もできないほどに枯れ葉に被われ、見るかげもなくわびしい。枯れたハスの茎が、まるで使い古されてグチャグチャとなったブラシのように、タテヨコ左右入り乱れて、どうにでも勝手にしてくれという光景を作っている。ハス田を貫くように渡された木製の橋に、人影と散歩させられている犬影があった。
 そう言えば、昨年の夏はハスの花を撮りには来なかった。自然写真なぞと言いながら、結構「不真面目な」自分だという思いがよぎる。
 ハスの花は早朝に咲くため、何年か前には、朝4時起きで撮りに来たこともあった。確かに、「大賀ハス」の末裔たちは見事な咲き方をしていたものだった。今年は、そんなハスのために、早起きするくらいの気持ちの余裕が持てればいいと思った。
 久しぶりに訪れた公園全体は、やはり、傾くのが早い冬の陽射しの中で、夕刻へと引き込まれるような雰囲気となっている。公園を取り囲む丘に行儀よく並ぶ高い木立の枝に冬の太陽は差しかかっていた。葉を落とし、箒を逆さにしたような枝々だけとなった木々のシルエットも、シャッターを切らせるほどに魅力はあったが、公園全体が夕方基調の光景となっていたのは否めなかった。

 管理所付近には、季節季節に合った花壇が設えられている。この時季は、葉牡丹が勢揃いさせられている。白色系統のもの、紫色系統のもの、赤色系統のものなどがそれぞれ寄せ植えされ、ボリューム感と華やかさが感じられた。そんな光景にコンパクト・カメラを向ける年配の男性もいた。
 年配の男性といえば、わたしが池のカルガモのペアにカメラを向けていたら、わたしの方を眺めていたかと思うと、やにわにカメラを取り出し、そのカルガモたちにカメラを向け始めたのである。しばしばこういうことがある。その度に可笑しさと妙な切なさが込み上げてくるのだ。
 常緑樹や、紅葉の木々を水面に映した静かな池が何と言ってもこの公園の撮り得であることに間違いはない。夏は清涼感を与えてくれ、冬は寒々とした感じの中にもカルガモやアヒルたちの遊ぶ姿とともに開放感のようなものを感じさせる。萎縮しがちな、冬場の人の気持ちを解き開くとでもいうのだろうか。

 池の周りの道を辿っていくと、この薬師池の名の由来となっている薬師が居住したという藁葺き屋根の古い民家に行き着く。煙や煤の入り混じった古い民家特有の匂いを残した建物である。もう何度も写真に収めたことのある光景だったが、藁葺き屋根にまだらに雪を残したところや、葉を落として寒々しい丘の林と並んだところなどに向けシャッターを切っていた。
 しばらくこの公園に来ていなかったので、この民家を通り過ぎて、なお奥にシャッター・スポットのあることを忘れていた。
 そこは、丘と丘に挟まれたなだらかな斜面に作られた段々畑ふうの菖蒲(しょうぶ)田である。もちろん、この季節に花や葉の緑はない。しかし、はるか上方に、屋根と四本柱の休憩所としての小さな建物があり、そこから段々畑の菖蒲田と、その脇にある木製の簡易階段が手前へと延びてくるありさまは、左右の林の壁と相まって立体感、遠近感に優れたちょっとした空間となっているのである。今日はその空間が、林に隠れ始めた太陽と陽射しの加減で絶妙な雰囲気を作り出していた。
 シャッターを切りながら、こうした「ある種の雰囲気が漂う光景」というものを撮り続けたいものだな、と実感していた。

 人は、自分が大事にしたいさまざまなイメージというものを抱き続けているように思う。たとえば、昨日のかつての『正月』気分というものもそれにあたるだろう。多分、そうしたイメージというものは、単なる画像や雰囲気に過ぎないものではなく、そこには人が生きる上での何か重要なものが託されているかのようである。
 だが、そうした光景の原像は、時代のご都合主義的な進展とともに、いとも簡単に廃棄されていく。そして、人々の掴みどころのない心の中のイメージだけが残される。
 しかし、「壊れもの」としての人間は、やがて歳とともにそんなイメージすら忘却へと手放すことになってしまう。それゆえに、そうしたイメージというものが、写真や絵などとしてつなぎ留められてもいいのかもしれない。
 自分が写真に少なからぬ関心を寄せる根拠が、そうした捨て難い過去のイメージの再把握だとしても一向に差し支えないことのように思われてくる。いや、過去のイメージというのは、あまりにも表面的な言い方なのかもしれない。仮に、人の心に過去のものとして自覚されるものは、単に「整理分類上」そうされているだけのことであって、実は意識に想起されることのすべては現時点で進行中のリアルタイムの出来事以外ではないのかもしれない、とそう思えたりした。特にイメージとはそうしたもののように思えたりする。人が心を振るわせるイメージというものは、実は、過去というラベルが貼られていたとしても現在の事実ではないかと……。

 たかが、素人フォト・マニアが偉そうなことを言うのは笑止千万であろう。しかし、ひと(他人)がカメラを向けた対象を自分も撮っておこうという人がいたりすると、そんなものじゃないんじゃないかという思いが刺激され、そしてさらに、じゃあ何のために写真というものを撮るのかと自問したりもするのである…… (2005.01.04)


 今朝も雲ひとつ無い冬晴れの天気である。気持ちの良いそんな今日から仕事始めだ。
 事務所に来た年賀状はすでに元日に取りに来ていたが、その後の賀状が届いていた。
 「虚礼廃止」「年賀状廃止」とささやかれた時期があった。頷ける部分がないではないが、今のこの時期は、「廃止」すべきではないと考える。確かに、さして意味のある慣例行事ではない。しかし、そんなものまで「廃止」したなら、こんなご時世にあって一体何が残るのであろう?
 実態に即して言うならば、年賀状という慣例行事は、他に多く実施されているコミュニケーションのもっとも些細な慣例なのではないだろう。他に何もない現代の貧弱なコミュニケーションの実態の、数少ない、藁にもすがるような希少なひとつだと言って良さそうな気がする。だから、それを外してしまったら、「(それを言ったら)お仕舞よ」ということになるような気がする。
 天邪鬼を自認する自分としては、こんな時期だからこそ、年賀状くらいは律儀に出し続けたいと思ってしまう根拠である。
 年賀状どころではない、というアクセクとした日常が蔓延していることは容易に想像がつく。そんな綺麗事をやっている場合じゃないの! と叫びたい気持ちも共有可能である。しかし、それじゃ、一体何から手をつけるつもりなの? とでも言いたい気持ちとなってしまう。

 昔、お世話になったある人へ出した年賀状が戻ってきていた。例年、こんなことはなかったのにおかしいといぶかしく思った。このままでは、来年も同じことになってしまう。そう思ったら、電話を手にしていた。
 三、四回の呼び出し音が鳴っている。と、その時、懐かしい声が聞こえてきた。まぎれもなく、あの声であった。当時、裸一貫で若いこの身を持て余していた自分を何かと支えてくれた、あの温情ある人の声であった。
「やすおです。年賀状が戻って来たので、ご住所を再確認させていただこうと思いまして……」
と、わたしは、年甲斐もなく、年賀の挨拶を飛ばして、突然の電話の理由を口走ってしまった。
 いろいろと話し込んでいるうちに、年末以来、腰痛で歩けなくなってしまったという気の毒な事情が伝わってもきた。病院へ行くと、わけのわからないクスリを十種類以上渡され、飲み始めたら、急に「通じ」が悪くなって腹痛になってしまった、というご多分にもれない現代医療の杜撰さも伝わってきた。
 再度、賀状を出しなおします、どうぞお身体を大事にしてください、と言って電話を切った。
 わたしは、何かと「唐突に」事を為すタイプかもしれない。いつまでも子どもや若者のように、自分側の気持ちの論理に筋が通っていると思えば、相手の思惑を度外視してしまう短兵急なところがある。突然の電話とて、どうということなく掛けてしまうのだ。
 しかし、そうは言っても、年賀状というようなキッカケがなければ話にならないはずであろう。人が人と接していくには、何か他愛のないキッカケというものがなければ始まらないということである。そんなキッカケが、慣例行事であり、礼儀作法などなのかもしれない。

 年賀状に関して言えば、もうひとつ思い当たることがある。年に一度の機会で消息を伝え合うこの器に、昨今は健康状態の情報が盛られることがしばしばだという点である。自分も、相手も、すでにそうした歳になったということなのであろう。
 何か大病をして長期に渡り療養していたという報が入ったり、前述のような現在身体が芳しくないという知らせ、また逆に、かつて生死を彷徨う病を克服した人から、現在人並み以上に元気に過ごしているという逞しいコメントも入った。
 歳のせいだけではなく、現在という時代環境が、人の身体を確実に蝕んでいるという思いが、昨今のわたしにはある。人の生活の経済的問題も予断を許さない深刻さがあるが、同時に、人の健康を損なわしめる環境が野放しにされている気配をひしひしと感じるのである。「病は気から」というたとえがあるが、現代という時代は、その「気」というものをとことんないがしろにしていると言わざるを得ない。そして、病に陥れば、なおのこと「気」という存在を脇に退けてしまい、ケミカルなクスリの魔術を押し付けるという作法が跋扈(ばっこ)する。そして、それを「科学」の力だとして盲信するのが一般となってしまっている。

 何だか、今年も世の「趨勢」というものに、異議を唱え続けて行きそうな予感がする。それも良かろう。ただ「犬の遠吠え」スタイルに落ち込まぬよう、毅然として立ち向かいたい。そのためには、確かな根拠というものを精力的に探索したり、自身が足元をすくわれないよう「精進、精進!」…… (2005.01.05)


 今朝は、冷え込んで寒いと感じたので、あえてウォーキングを敢行した。汗をかき、身体をほぐすなら今日一日の活動力が刺激されるだろうとの思いであった。寒さに逃げ腰となると、気持ちも萎縮しがちとなり、どうにも始末に終えなくなる。むしろ挑戦的となった方が、気分も身体もまともさを発揮するように思えた。
 午後も遅くなり、案の定、寒くてうっとうしい日は、やがて雨というおまけまで付け加え始めた。世のサラリーマンたちは、こんな悪天候をかいくぐって、今夕あたりは「新年会」で気合を入れるのだろうか。

 「閉塞」という言葉は、未だにこの時代を懸念する言葉として使われているのだろうか。それとも、小刻みに繰り出される表面的な「斬新さ」の数々が、そうした雰囲気を打ち消す材料を提供しているのだろうか。
 とかく、マス・メディアは「斬新さ」好みなので、たとえ時代が相変わらず根強い「閉塞」状況であったとしても、小さな変化を針小棒大に扱うだろうし、そうした変化をもって現在が「閉塞」時代でないことを印象づけようとするに違いない。
 しかし、さまざまな「斬新さ」もどきの現象に先ずは眼を向けたとしても、どう考えても、現代という時代が、新しい可能性の開花に向かった開放的な時代だとは言えない気がしている。やはり、八方塞がりの「閉塞」状況であるような印象が拭いきれない。

 漠然とした表現をしているため、どっちにも取れそうであるが、時代なぞという三人称複数で考えずに、自身のことを振り返って、そこで感じとれることを自覚するならばそれで回答になるのではないかと思っている。自分も「時代の子」、その自分が「閉塞」感に浸されているとするならば、それとは無関係に時代だけが開放的だというのは決して正しくないように直感する。
 ややもすれば、自分のような卑小な存在はいつでも「閉塞」状況に浸されているのだからしょうがないとして、それに反して、どうも時代は輝かしい新展開を繰り広げ、決して「閉塞」状況なぞではない、と思い込まされることもないではない。だが、それは、間違ったロジックに違いなかろう。もし、時代が本当にそうであるならば、取るに足らないどんな卑小な存在にも、その息吹が及んでいなければならない道理だからである。
 あるいは逆に、卑小な個々人が開放的に生きることが、時代という三人称複数形の存在を「閉塞」状況から離脱させるはずだからだとも言える。
 つまり、時代と諸個人とは相即の関係にあり、諸個人が「閉塞」感を感じている時代というものは、大なり小なり「閉塞」状況にあるとしか言えないわけである。

 愚にもつかないようなことをくだくだと書いているようだが、自分や諸個人の「閉塞」状況とは一体何であろうか。逆に、「閉塞」状況からの突破とは何であろうか。
 一言で短絡的に言ってしまえば、いっさいのお仕着せをかなぐり捨てて、自分が自分であること、それに向けて一歩、二歩と踏み出すこと、それができることなのかもしれない。そういうことができるようになれば、時代なんぞは一気に変わってしまうであろう。
 それができずに、どんなに「斬新さ」もどきの現象を塗りたくったとしても、ますます巧妙な「閉塞」状況が構築されるだけだと言っていいのかもしれない。とくに、官僚機構が揺るがない社会にあっては、本当に新しい環境なぞ生まれようがないのかもしれない。「斬新さ」もどきの現象も、いつも閉じた元の集合に還元されてしまう段取りにあり、まさしく「閉塞」した集合の強固さは半端ではないと思われる。

 自分が今関心を寄せているのは、偉そうに言えば、自分の言葉ではない言葉(遣い)に寄りかからず、自身に密着した言葉(遣い)を探ることであるのかもしれない。それが、自分が自分であることへの、ささやかな隘路(あいろ)のような気がするわけである。
 あまりにもこの点において現代のわれわれは杜撰過ぎると感じている。マス・メディアが垂れ流した言葉(遣い)に寄りかかるのが一般的な人々であるが、そればかりではない。「知識人」と呼ばれる人種とて、「知識」という「閉じた要素!」を後生大事にするだけでは足りないとみて、マス・メディアの一員となって、「閉じた集合」の屋上屋の補強に精を出している。
 要するに、真実はそうでしかあり得ない、「自分が自分自身であること」、そこに眼を向けずして、みんなと同じであること、みんなの一員であることにだけ汲々(きゅうきゅう)としているわけだ。勘違いしてはならないのは、皆が協調性があるからではない。それを選択することが、被害を受けないため、得をするからに過ぎないのである。現に、それを支える構造が、現在の経済システムにも、政治システムにも、そして日常生活慣行にも歴然として存在している。

 現在の経済状況を見ていると、本当に新しい大衆的ニーズが自覚され、画期的な飛躍が訪れるとは到底予想できない。特に、この国では、かつての歴史が示すように、あまりにも安直な、異国で自覚されたニーズを物真似して導入する形に過ぎなかったわけだから、なおのこと新しいニーズが自発的に自覚されるというようなことが想像できない。
 現在の経済の「閉塞」状況が突破される一因としては、こればかりではないが、新しい大衆的ニーズの自覚という問題を考えてみたいと思っている。しかし、この国では非常に難しい課題だと憂慮してしまう。「冬ソナ」にしたちょっとしたブーム(経済効果)にしたところが、日本発ではなく、お隣の韓国であったわけだ。
 こんなことを漠然と考えたとき、やはり人は自分が自分であろうとする正攻法を失ってしまうと、「ふぬけ」になり、時代まで「閉塞・空転」の様相になってしまうのかと…… (2005.01.06)


「ドドンドンドン、ドドンドンドン……」
 突然、ニ、三メートル付近の大太鼓が鳴リ出した。いつもながら、度肝を抜かされるようなダイナミックな音である。
 今日は、今までになくその太鼓の間近に座っていたため、突然の「爆音」に一瞬ドキッとしてしまった。合掌しながら眼を閉じ黙想していた最中のことであった。

 今年も、恒例となった川崎大師に来ていたのだ。参拝および護摩焚きのために、本堂の所定の一画に座っていた。お札を購入する人たちは、ご本尊の前で護摩焚きをする僧侶たちの場を、囲むようにして座ることになっている。ただし、お札には「ランク」があり、購入するお札の額に応じて、座れる場所が仕分けられている。
 自分は例年どおり、「事業繁栄」祈願の事務所用と、「家内安全」祈願の自宅用とを頼み、一応、「一般席」よりも護摩焚きの場に近い席に座ることにしている。近い方がご利益があると思っているわけでもなく、慣わし的に頼み続けてきたお札の「ランク」がそういう位置づけにあったということでしかない。わざわざ「ランク・ダウン」をして後で妙なこだわりを持つのも……、と思い成り行きに任せているというところか。
 ただ、現在の「ランク」では、本堂の裏手にある座敷の「待合室」に案内され、お茶を出してくれたりするので、寒い境内で待つよりかはありがたいことはありがたい。
 いつも思ってしまうのが、こうした区別は、別に、「偉い」「偉くない」という基準に基づくのでは毛頭なく、ただ単にお布施額の大小に由来しているという仕組である。きわめて、現世的というか、商売上手というか、市場経済的というかであるが、仮に「偉い」「偉くない」という基準を採用するにもそれをどうやって決めるのかという難問にぶつかるであろうし、勢い皆平等という扱いをするならば大混雑の交通整理が難しくなるであろう。とすれば、やはりお布施額の大小しかないのかと、いつも余計なことを考えたりするのである。

 身体じゅうに共鳴してくる逞しい大太鼓の音と、僧侶たちの読経を聴き、黙想していると、確かに霊験あらたかな心境とさせられる。年の初めに味わう心持ちとしては悪くはない。
 今日は、あることを考えていた。本気で考えていたのかどうかは自身でも定かではない。それは、この世に生を受けて生きながらえている間の事柄のすべては、皆「借り物」(「仮り物」と言ってもよさそうだが、あえて「借り物」とする)ではないのか、というようなことを考えていた。
 たとえば、土地つきの持ち家と言っても、高々人生数十年プラスアルファの期間だけの「所有」というのは、ほとんど「借り物」と言うにふさわしいような気がする。またマクロなレベルで言っても、偉そうな顔をしている人類がこの地球の表面を占拠しているつもりでも、その期間は、地球の自然史46億年中の700万年、0.15%に過ぎない。瞬きするほどの微少な時間でしか過ぎず、ちょいと「拝借」しているとしか言いようがなかろう。
 猫にしても犬にしても、人間以外の動物たちは自分が生きるための環境は、「ほんのわずかな期間ですから、『借りさせてください』ね」と言って「借りて」生きているように見える。「自分の所有物だ!」と叫ぶ傲慢さも愚かさもないごとくであり、実に謙虚であり、その分当を得ているかのようである。
 だが、人間は違う。モノを所有した気になり、おまけに、本当に「借り物」でしかない自然環境まで所有した気になり、「借り物」だから大切にしようという当たり前のことを忘れてしまっている。
 そういった「借り物」意識というものにもっと着眼すべきなのだろうな、と考えていたのだ。人生というのは、「命」という「入場券」をもらい、この現世のいろいろな環境を「借り物」として活用させてもらっている、というようなイメージなのかもしれないと……。

 実は、もうひとつ別なことも考えていた。まさに、新年の黙想「大会」ふうであったというべきか。
 それは、言葉の虚しさというか、「不立文字(ふりゅうもんじ)」というか、川崎大師に即して言えば「真言」とでも言うか、そんなことなのである。
 つまり、言葉は大事ではあるが、また虚しくもあるということである。現代のような、表面的な言辞だけが飛び交う軽佻浮薄な「情報(化)社会」では、言葉というものはとかく食傷気味になりがちである。誰もが、言葉を額面どおりに信じたりはしなくなっていよう。また、誰もが、信じてもらえないとわかっていながら、みずからも多くの言葉を発している。言葉の超インフレ時代だと言えそうである。
 実は、本堂に入る前、待合室で時間をつぶしていた際、近くに中年の男と若い女性の二人連れが話しをしていたのが気になったのだ。直感的には、片方が叔父で、若い女性は地方から東京に出てきた姪といったところか(?)。不快感を感じたのは、その中年男が、ほとんど黙って聞いている(ふり)の女性に、何やら訳知り顔の、ほとんど説教臭い話をとうとうとまくしたてているのだ。その口調がいけない。フレンドリーではないのがいけない。ものを知っているのは自分だけだというその傲慢さ溢れる口調がわたしを逆撫でし続けていた。「おっさん、そんな話は彼女の脳や心に染み込んじゃいないって」とわたしはつぶやきそうになったくらいだ。
 加えて、案内されて本堂に向かうと、例年のことなのであるが、護摩焚きの「前座」よろしく、長老ふうの僧侶が、一般の参拝者に向かってまさしく「説教」をしている最中であった。例年聞かされるわけだが、たまには「なるほど」と感じさせる話もなくはないが、概ね、「お坊さん、そんな話誰も聞いちゃいないぜ」と言いたくなるものなのだ。何分にも、またまたその口調がよろしくない。「私は修行を積み、その甲斐あって悟りっちゅうものの境地にあるが、迷える皆の衆は……」という含みを丸出しにしている口調がいただけない。

 そんなことで、わたしは、一方で「借り物」云々を考え、他方で「言葉の虚しさ」や「真言とはなんぞや」を考えるという忙しい瞑想(迷走)にふけっていたのだった。
 そこに、冒頭の「ドドンドンドン、ドドンドンドン……」というこれぞ説得力のある大太鼓の音が鳴り響いたので、びっくり仰天した、というわけなのだった…… (2005.01.07)


 庶民にとって、ちょいとクルマに乗って近くのショッピング・センターを覗くというのは、手頃な行動に違いない。何もしないでいるという、一応避けて通りたい選択からはのがれられるようであるし、何かをしたというささやかな充足感を得ることもできる。今日は、二度も同じショッピング・センターに足を運んでしまった。

 一度目は、まさしく庶民の手頃行動として、二度目は必要に迫られてである。
 最初は、母に「届け物」をする帰りにぶらりと寄ったのだった。
 ところで、昨日書いた川崎大師参拝では、例年、小倉屋の元祖「久寿餅(くずもち)」を土産に買ってくることとしている。自分も「わらび餅」同様に大好物であるし、周囲には近所のお宅も含めこれが好物の人が少なくないのだ。だから、重い思いをしても川崎から運んで来るのである。母もそのうちの一人であり、毎年楽しみにしている。例年は、7日の当日に届けるのだが、都合で昨日は叶わなかった。持って行くと喜んでいたが、昨日届かなかったものだから「今年はどうしたんだろう?」と思っていたところだと話していた。
 その帰り道に、ひょっとして新春セールとかで何かおもしろいものが出ているかもしれない、なぞと勝手な想像をして寄ってみたのだった。
 そのショッピング・センターは、そこそこ広い食品スーパーと、「Do it yourself!」関連のフロアー、そしてPC関連および家電製品売り場などで構成され、広い駐車場スペースも持っているため、まずまずの集客力があるようだ。いつも駐車場は満杯で、クルマ誘導係の者が忙しく働いている。
 わたしが関心を持って覗くのはもちろん「Do it yourself!」のフロアーなのである。そして今日のお目当ては、入口付近の特別セールのコーナーである。
 そこへと通じる正面入口を入ると、そこは食品売り場が広がっているのだが、何やら中年のおばさん連中がとあるワゴンを囲んで熱狂している。まさか、「ヨンさま」グッズでも大奉仕しているのかと覗き込んでみると、違った。透明小袋に入った小さな菓子類を、中程度の透明プラの袋に詰めたいだけ詰めて「198円」也! という「新春企画」が展開されていたのだった。おばさん方々は、やたらに小袋の山を引っくり返して何かを探す仕草をしている。何か価値ある小袋を物色しているのであろうか、自分や家族が好物の菓子が入った小袋を集めているのだろうか、とにかくちょっとした運動会の宝探し競争のようでもあった。
 この種の「企画」でよくあったのが、拳大の穴から手を差し入れ、中にある飴を必死に掴んで、「ひと掴み」いくらというものであるが、おばさん方々は、透明プラの袋がパンパンにはち切れんばかりに詰め込んでいたが、果たして思うように稼げたのであろうか。 わたしはといえば、新春特価のコーナーで、怪しげなものに目を向けていた。さして安くていいモノがあったわけではない。おそらくは、そんなモノは今日までの営業日ですでに売れ尽くしてしまったのであろう。結局、メーカー希望小売価格16,000円也(冗談にもほどがある価格票也!)の怪しげな双眼鏡を税込み1,000円で、京都西川の「低反発チップ入りまくら」を1,280円で買い、あとは手に取っていろいろと迷ったが見送った。

 家に戻って茶をすすって一服していたら、家内が、もう十年以上も使って「機能不全」となった電子レンジを買い換えたいと言い出した。一緒に、今行ってきたばかりのショッピング・センターへ付き合ってくれと。家内は昨日既に下見をして、手頃なものを見つけてあるので一緒に行って、それを運んでほしいというのであった。
 内心、『今行ってきたばかりなのに……』と思ったが、考えてみれば、わたしはいつもどこへ行く、いつ帰るということを口にしない習性のため、愚痴ってもしょうがないかとしぶしぶ応じた。
 しかし、電子レンジといった家電製品は、実に高機能化した上に、いつの間にか驚くほどに低価格となっている。しかも、昨今はショップ間の安売り競争が激化して、ダンピングまがいの状況だ。家内が目をつけていた商品も通常価格32,000円でも高くはないと思えるのに、それが24,800円となっていたのである。坂を転がるように低価格化傾向を強めているのは、何もPC関連だけではないようだ。不当に高値感ばかりが募るのは税金や年金負担、そしてNHK受信料など「独占団体」への負担だけだ。低コストで優れた結果を出す民間と、高コストでマヌケな結果しか出せない役人仕事の差なのであろう。

 一日に二度も、庶民の駆け込み寺へと足を運ぶこととはなったが、家内は新しい電子レンジの到来を、頼もしいキッチン・スタッフが助っ人に来たとばかりにご満悦のようで、わたしも何かしたかのような充足感に浸されていたのだから他愛ない。
 それにしても、モノとともに生活し、モノを購入し消費することが気持ちのありようの大半を占めるかのような日常の生き方は、現代人の定番となってしまったのだとつくづく思った…… (2005.01.08)


 この三連休のお陰で、せっかく抜けかかった正月気分が見事に引き戻されるかのようだ。もっとも、7日まで通して正月休暇であったうらやましい会社もあったと聞くが、そんな人はすっかり正月ボケしてしまい、社会復帰が困難になることであろう。
 ニ、三日出社して、「そうそう、会社勤めはこんなふうだったんだ」と正気に返ったり、会社と自分との関係を再確認して安心し、そして改めて連休をいただくという一般的スタイルの方が、無難なのかもしれない。

 何かと顰蹙(ひんしゅく)を買っているNHKであるが、つい先ほど、今年の大河ドラマ『義経』の第一回を見た。贅沢三昧に役者を配し、「源平合戦」とはこれ如何に? そのこころは、紅白歌「合戦」のやり直しなり。
 皮肉はさておき、第一回目の、源氏の義朝が平家の清盛に破れる「源平合戦」を見ていて、わたしはもう記憶も薄れる「当時」のことを思い起こしていた。
 わたしが、かつて「平清盛」だった頃、兄はアオモリ(青森)で、弟はオオモリ(大森)だった。姉がテンコモリ(天こ盛り)で、妹はコモリ(子守り)だった。イェー、わっかるかなあ〜。祖父はサキモリ(防人)で、叔父はサカモリ(酒盛)だった。いとこは……(もういいか、言わぬことではない、どうも正月気分に引き戻されてしまった)。
 実は、何を隠そう、この自分は、今から半世紀以上前、「平清盛」であったのだ。もっとも、保育園の学芸会での話ではあるが。今でも、その写真が幼少時代のアルバムを彩っている。

 今日の『義経』第一回では、史実どおり、落延びる「常盤」御前と幼児牛若丸ら子どもたちを迎える清盛は武士の姿であったが、わたしが演じた清盛は、早くも入道姿なのであった。袴姿で袈裟をかぶった入道清盛が、怯える常盤御前と子どもたちに「おいでおいで」の仕草をしているところが写真に残っているのである。常盤御前を演じた子の顔は覚えていないが、牛若丸ふうの衣装をつけた小柄な子のおどおどした顔や雰囲気は、なぜだか瞼の母さながらに覚えている。
 「太陽保育園」という保育園は、まるで劇団のようであり、園長が脚本家兼プロデューサーとなり、年がら年中、大道具・小道具をふんだんに駆使した学芸会を催していた。今考えれば、何という「英才教育」なのだと感心するし、またあきれもする。
 その写真を見るたびに、セリフや振り付けを覚えさせられる日々が辛かったことを思い出したりする。子豚のように太った女の先生が、
「ひろせくん、そうやないやないの。ハイッ、もう一回! ホラホラ、またちゃう。そうや、そうや、それでええんや……」
とか言って、熱くなっていたことを薄っすらと覚えている。
 それにしても、源氏が敗れた当時の清盛は、まだ出家しておらず、今日のNHK渡哲也のように颯爽とした武士の恰好が史実であるのに、園長の脚本ではすでに入道清盛となっていたのだ。時代考証に錯乱があったようにも思えるが、ひょっとしたら園長は、配役のわたしの丸ポチャの顔に引き摺られて、
「ええーい、この際早めに出家させて小憎らしき入道としよう。その方が、常盤御前や子ども達の心細さが映えるはずだ。観客父兄たちの涙をさそうことにもなろう……」
とでも文字通り脚色したのかもしれない。

 自分の「役」を覚えることで精一杯であったためか、その時のストーリーがどんなものであったかは皆目覚えていないというのがおもしろい。ただ、京都五条の橋の上……という太鼓橋が大道具であったような気もするし、弁慶役がいたような気もする。
 そうして幼少時代にあるイメージを刷り込まれると、今でも「平清盛」「牛若丸」などが他人ではない感触を持つから大したものである。(ちなみに、現在住んでいる「木曽町」とは、あの「木曽義仲」ゆかりの土地なのである。まあ、どうということもないが。)
 ただどういうものか、高校の頃の古文で『保元物語』『平治物語』を学習した時には、本来親戚関係の感覚のはずの当時の人々の模様を、赤の他人のごとく空々しく感じていたようでもあった…… (2005.01.09)


 今朝のウォーキングは「幸せの青い鳥」に遭遇したような気分であった。いや、まさにその「青い鳥」に遭遇したのである。めったにはお目にかかれない「かわせみ」である。おまけに、枝に留まる華麗な姿をデジタル望遠カメラにてシッカリと撮影することさえできたのだ。複数回のシャッターを切ったあと、しばらくは胸がときめいていたものだ。

 汚い話になるが、実は、今朝はいやな夢で目が覚めた。どこであるのか場所は定かではない。トイレで用を足した後、水洗の水を流すのだが、何と、詰まっている様子なのである。世に言う「あってはならないこと」が起こったのだ。便器の水が見る見るうちに競り上がってくる。それはまるでスマトラ沖地震の津波さながらであり、恐怖と戦慄に襲われていた。足元には、「逆流」してきた夥しい×××が漂っているではないか。自分は、もはやこれまでと無理やり目を覚ました……
 どうしてそんな、まるで「つげ義春」の漫画のような奇妙な夢を見たのかと、自分はストーブの前で暖を取りコーヒーを啜りながら考えたものだった。「ウン」が押し寄せて来ると解釈するしかないか……、で一応の決着をつけ、ウォーキングに出かけたのである。ただ、唐突に、今日はデジカメ持参のフォト・ウォークとするか、という気になっていた。連休最後の日でもあるし、冬晴れでもあるし、と理屈をつけていたのだ。

 すっかり雪を被った西方、北方の山々が先ずは気になり、何枚かをいくつかのアングルで撮る。昔、誰かが、都会に住んでいて山々が望めるのはいい、と言っていたが、確かに夏は夏山、冬は冬景色の山岳が、たとえ遥か遠方ではあっても望めるのは幸せなことだと思ったりした。
 境川に隣接する遊歩道をいつものように歩き、マガモ、カルガモなどの常連さんたちや、尾っぽを上下に忙しく動かすハクセキレイ、セグロセキレイなどを次々にカメラに収めた。
 カモたちはのんびりとしているのでシャッター・チャンスはいくらでもあるのだが、セキレイたちときたら、チョコチョコと落ち着きなく動き回る。望遠レンズでファインダーを覗きながらの撮影は結構骨が折れる。しかし、野鳥たちをうまく撮るにはこの辺の作業に習熟するしかないなと納得していた。
 カモたちにしても、川面に浮かんでいる姿ではなく、羽ばたいて飛翔したり、逆に着水する際の姿はそれなりにシャッター・チャンスではあるのだが、望遠レンズでその瞬間をとらえることはまだできていない。結構ダイナミックな印象の絵になるはずだからいつかはとらえたいと思っている。

 今日、後から振り返って不思議だと思えることは、二つ目の橋まで来た時、ハクセキレイを追ってその橋を渡り、無意識にいつもとは反対側の遊歩道を歩くことになったことなのである。もし、いつものとおりの側を歩いていたなら、その「かわせみ」を見過ごしていたかもしれないし、まして、画面フルサイズに近い大きさでの姿をショットすることなぞはできなかったはずだからだ。
 「かわせみ」は、見ることが希少な野鳥であるが、いざ見つけたなら目立つ鳥でもある。羽や背中がコバルト・ブルーの鮮やかさで、腹がオレンジ色という、人間のファッションなら目を背けたくなるようなカラー・コーディネイトである。つまり、この上なく派手なのであり、だからその分、地味な自然界にあり得ない存在に出会ったかのような、そんなワクワクとした印象を与えるのである。それが、「幸せの青い鳥」と言っても決して大げさではない気がするゆえんなのである。
 以前にも、この境川でこの「幸せの青い鳥」を撮影したことがあった。三年前の5月であり、その時も「胸がドキドキとした」とこの日誌に綴っている。だが、その時の写真は、確かに「かわせみ」がいましたという証拠写真大の大きさでしか過ぎず、今回のように姿の全容が明らかとなるようなものではなかった。
 「幸せの青い鳥」を目撃し、しかも十分なサイズの写真が撮れたことで果たして幸運が舞い込むのであろうか。いや、そんなことを期待せずとも、鮮やかで敏捷な「かわせみ」に会うことができ、「おみやげ」までもらった自分は、それが何よりの幸せ、幸運であったと感じている。

 つい先ほど、町内会が近所の広場で行っている「どんど焼き」(門松・竹・注連縄[しめなわ]などを集めて焚くこと)に、正月飾りを持って行った。今朝のウォーキングの際にも、あちこちの広場で準備をしていた。町内会役員の面々が広場の脇の集会所前で、茶を飲んで談笑している図に自分はカメラを向けてもいた。
 燃やし始めてからすでに一時間弱が過ぎていたためか、集められた正月飾りの大半は燃え尽きており、皆は残り火で繭玉のような団子を枝に付けてあぶっていた。
 昨今は、焚き火もできないご時世となっているので、久々の自然の火が懐かしささえ与えてくれた。広場の出口付近で甘酒を振舞ってもらい、何となく身体も心も温まる思いで帰ってきた。いよいよこれで正真正銘、正月気分ともおさらばということになる…… (2005.01.10)


 窓から見える事務所近辺の冬の光景に眼が止まった。二階建ての民家の白っぽい壁に、すっかり葉を落としたポプラ並木の木々が、幾分グロテスクでもある黒々とした枝々の影をくっきりと映している。雲のために陽射しはくるくると変化しているが、照りつける際には強烈な照明のように明るい。
 建物の遥か上空は、虚空を誇示するような真っ青な空があり、綿のように存在感のある雲が浮かぶ。カラー・コンビネーションやコントラストの強い光景などが、悪くない。
 思わず、事務所に備え付けたカメラを取り出し、とりあえずシャッターを切っていた。 正月休みのほぼ毎日、カメラを離さなかったためか、風景を見る眼が「カメラ・アイ」となってしまい、気に入ったそれらはとにかくカメラに収めるというクセがついてしまったかのようだ。正月気分は払拭できたようだが、カメラ習性は抜けようがない。

 今朝は出勤の際、近くの高校生たちが登校する姿を見た。今日が始業式なのかもしれない。そう言えば、先週の週末であったか、小学生くらいの男の子が、真新しいマウンテン・バイクをたどたどしい感じで乗っているのを見かけた。とっさに思ったのは、「もらったお年玉で買ったんだろうな」ということであった。
 昔は、お年玉で自転車を買うということは難しかったかもしれない。まして、やや高額のマウンテン・バイクなぞちょっと無理であったはずだ。ところが、現在は、お年玉の相場も上がっているのかもしれないが、とにかく、モノの価格が下がった。デフレのせいのあるだろうが、製造技術全体の飛躍や、中国・東南アジアでのモノ作りの動向もあって、モノの値段が下がっている。
 また、販売店どうしの競争も激化して、元日の新聞の折込広告には各店舗が破格に安い目玉商品ラインアップさせていた。ところで、この時の折込広告はまるで小包ほどの質量であった。配達員たちはさぞかし大変なことであっただろうと同情したものだ。

 いやいや、正月のことを書くつもりではなかった。下手に正月のことを口にしているとせっかく抜け始めた正月気分が舞い戻って来ぬともかぎらない。
 書こうとしていることは、ますます実感している「モノ溢れ」現象についてなのである。その溢れ方も、小遣いで買えるようなモノの次元から、かつてなら半ば「耐久消費財」とでも言ったに違いないレベルのモノ、たとえば家電製品、PC、電動工具、そして自転車 etc.。つまり、単なる一時消費的なモノだけでなく、何かを作ったり、加工したりする道具に値するモノまでが、比較的容易に入手可能となっているわけだ。
 むしろ、高価な感じがするのは、モノはモノでも無形のモノである「ソフト」なのかもしれない。たとえば、映画やドラマのDVDメディアなどは、一本4〜5千円であり、古い人間ならちょっと購入をためらうかもしれない。ただ、子どもや若い世代は、同程度の価格のゲーム・ソフト購入で慣らされているためか抵抗感がないのかもしれない。いや、むしろ、ソフトで楽しむ価値を体得しているのだろう。十分に楽しむことができ、元を取ることができると感じているのであろう。
 ここに確実に、価値観(価値感)の変化が見てとれると思うのだが、今ひとつ懸念することは、せっかく入手し易くなった「何かを作ったり、加工したりする道具に値するモノ」を使いこなしていく力のようなものが心もとなくなっていないかという点なのである。 この点は、何も子どもや若い世代だけの問題ではなく、年配の者も、ここまでそうしたモノが溢れてしまうと、その勢いに押されてそれらを使い切るパワー不足を感じ始めていはしないかと思うのである。

 かと思うと、出回った安い道具的なモノをとんでもない使い方をしている例もある。
 正月、初詣で人がにぎわう全国各地の神社周辺にて繰り広げられた「一万円札偽造・行使」のことである。昔のニセ札作りは、高度な印刷技術を駆使したプロ集団の仕業であったが、今は安価なスキャナー、プリンターとそれらを駆動させるPC、そしてこれまた安価になった汎用画像ソフトがあれば、とりあえず人を欺く段取りができてしまうわけだ。
 ここには、ハイエンドのツールを駆使して、香り高い創造的価値あるものを生み出すという動機なぞどこ吹く風で、手っ取り早く「経済的」価値あるモノを、たとえ危なくとも作っちゃえ、というお粗末で乱暴な短絡だけが見てとれる。
 この乱暴さが、常軌を逸していることは誰もが思うところだが、それじゃあ、多くのハイエンド・ツールのユーザは、「香り高い創造的価値あるものを生み出す」挑戦をしているのか、という疑問に行き当たるのだ。インターネット・サイトには、下品な「ゴミ」が溢れているし、「迷惑」メールや「ウイルス」メールが飛び交ってもいるし、デジカメやビデオ・カメラを「盗撮」のために使っているヘンな者もいるし、決して大半がそうだと言うつもりはないが、逆に、ハイエンド・ツールが「有意義」に活用されているに違いないと想像することは結構難しいことなのかもしれないと思う。

 また正月の話に戻ってしまうのだが、年賀状をもらうとその何枚かは、手書きのイラストや自作の絵をもとにしてそれをハイエンド・ツールで処理していることに気づく。そして、そういう人は、毎年必ずその手法で年賀状を出しているようである。これが「正攻法」なのだといつも感心する。
 多分、そういう方々は、意識するしないにかかわらず、自分の「内側の価値」を知っているのではないかと思っている。本来、人はすべてそうでなくてはいけない。価値というものは、自分の外の不特定他者たちの間に浮遊しているのではなく、自身が関与することで生まれる、自身が生み出すものだと考える。
 もっとも、自身が生み出しても、ニセ札はいけない。どうしてもその種のことがしたいのであれば、パーフェクトな手書きで挑戦してみるとか、出回っている福沢諭吉札なんぞではなく、オリジナルで自身のポートレイトを挿入してみてはどうなのだろう。「地域通貨」ならぬ「自分通貨」として…… (2005.01.11)


 昨夜、眠る直前であったが、なぜだか唐突に「畳」のことを思い浮かべた。と、すぐさまその「目」が磨り減り、元の色も定かではなくなった古い畳のイメージが現れた。そしてそれは幼少時に住んだ大阪での間借りの部屋の光景へと連なった。
 文字通りの貧乏暮らしであった。5、6歳の頃だったかと思う。しかし、貧乏であったことの辛さは、不思議なほどに記憶には染みついていない。むしろ、すぐさまに思い起こすのは、母親のひょうきんな笑顔であり、それにつられて笑い転げている自分である。

 子ども心に、貧乏という概念は明瞭ではなかったのであろう。だが、思い返せば、それが事実であったことは疑う余地がない。日常、家族が身につけていた衣類は、くすんだ色の粗末なものであった。もっとも、昭和30年直前であったから、今のようなファッション事情なぞありようがない。部屋は6畳一間であったかもしれない。「土間」があり、「竃(へっつい=かまど)」があったという記憶がある。ガスの設備がなかったようだ。夕食の仕度を手伝うために、土間の引き戸の外へ「七輪(しちりん)」を持ち出し、火を起こしたことを覚えている。新聞紙を丸めて「七輪」の底に詰め、マッチで火をつける。そして、木切れを放り込み、それが燃え始めたら薪(まき)をくべた。雨の日には、薪が濡れていて、白紫の煙が立ち上がった。団扇(うちわ)で、七輪の下方にある口から必死で空気を送り込んだ。

 そんなことはともかく、昨夜、わたしが考えていたことは、貧乏生活が押し並べて不幸で辛いことばかりではないという点であった。特に、視野の狭い子どもにとっては、貧乏生活の諸条件は、大人が身にしみるほどに決定的なものではなさそうだ。妙な表現ではあるが、十分に、はぐらかし、騙すことが可能であるかに思える。そんなことをする必要があるのか? いや、必要、不必要という問題ではない。人は、経済的環境に問題があったとしても、その時その時を精一杯楽しく過ごすことこそを望むのであり、またそうすることが必要なのである。母はそれを自然に実践したかに思う。ささやかな、取るに足らないものをもってして、幼い子どもに「貧乏の顔」を見つめないように仕向けた。
 その通りなのだという気がしている。「貧乏の顔」をまじまじと見つめたってろくなことはないはずだ。そこから希望や勇気が湧いてくるわけではない。辛い、いじけた気分で、本来、貧乏条件とは無関係な他の条件までを黙殺してしまうことなぞはあってはならないはずなのである。
 貧乏の手中にありながらも、どこ吹く風の調子で、淡々とかつ好奇心旺盛に時を過ごすことが正解なのであろう。そうすれば運が開けるなぞと手垢のついたことを言うつもりはない。どうなれればというような先の話ではなく、かけがえのない今をどう充実させるかという視点以外に重要なことはないように思うのだ。今の充実に最大限の集中力を振り向ければ、おのずから先の時間は開花するに決まっていると考えたい。

 現在という時代の「閉塞」状況については先日も書いた。物事の不具合はいろいろな構造で生じる。不可欠なものの欠落であったり、ミス・マッチであったり、それこそ「人生いろいろ」である。そんな中で、悲劇的だと感じるケースは、良きものを生み出すはずの原因や方向性が、とりもなおさず崩壊のための根拠となっていくという不具合ではないかと思う。
 たとえばすぐに思いつくのは、「膠原病(こうげんびょう)」という気の毒な病気であろう。「自己免疫疾患とも言われています。これは自分の体を自分で攻撃するためにおこる病気と考えて良いと思います。通常 自分の体の中に異物が入ってくると免疫機構が働いてその異物を排除するように体の仕組みがなっています。(例えば肺炎の細菌が体の中に入ってきたときに、その細菌を攻撃して排除してくれる仕組み、あるいは臓器移植で他人の臓器が体の中に入ってきたときに拒絶反応が起きてしまうような仕組みです。)このような免疫反応が本来の機能より強くでてしまい、自分の体自身を攻撃し始めると膠原病になるわけです」( http://www.ueda.com/collagen/collagen.htm )
 つまり、本来はプラスの役割りを果たす機能が、マイナスとしか言いようがない悲劇をもたらすという現象なのである。

 現代という時代の現在は、どうもこの種の不具合に突入しているのではないかと「勘繰って」いるのである。今日は印象論に留めざるを得ないが、現在の「閉塞」状況の原因は、かつて、歴史の「閉塞」をブレイクスルーしようとして立ち上がった近代合理主義自体にその遠因が存在するのであって、近代の延長であることに変わりがない現代は、その原理によって突き進めば突き進むほど、「膠原病」の苦痛にも似た痛みを深めていく、と想像したりするのだ。
 近代合理主義の特性を一言で表現するのは難しいが、わたしの印象では、「目的合理性」(目的達成のための手段の合理性)ではないかと目星をつけている。その原理によって構築されている典型的なものが官僚機構であることは言うまでもない。
 「将来」と等値していいであろう「目的」のために、「現在」が「手段」と化し続けていく構造は、日常生活でもますますま顕著となっているかのようである。常に未だ来ない未来に「目的」という名の既知の投網を仕掛けるライフスタイルは、当然「閉じて」「閉塞」するものではなかろうか。
 こうした類の「たわごと」を昼日中から書いている者は、一部の偏屈な哲学者(世捨て人?)か自分くらいのものではないかと感じないわけではない。しかし、時代の病はもはや対処療法ではとても治癒できない時点まで来ているという危機感が拭いきれないのである…… (2005.01.12)


 作家の柳田邦男氏が、NHKに関する特別寄稿を『週間文春』(1005.1.13)に行なっていた。題して「NHK海老沢会長が辞めるべき10の理由」である。この週刊誌をあまり評価しない自分であったが、この記事が読みたいために購読した。(なお、最新号1005.1.20では、第二弾として「海老沢会長辞任では済まない NHKはすでに死んでいる 役員人事一新で出直せ」を寄稿している)
 すでに、度重なるNHKの不祥事は国民からの反感を買い、受信料不払いのうねりが拡大していると聞く。個人の権利意識、感覚としても、そのうねりに参画したい思いであるが、事態はもっと由々しきものがありそうな気配がする。
 わたしはかねてから、「情報(化)社会」にあってマス・メディアの果たす役割は大きいことや、現状においてきわめて「操作的」であることを危惧してきたが、「公共的な経営」であり、かつ「有料」であるNHKが、カネに関して杜撰で腐敗した動きを野放しにしてきた上に、今回は、公共放送局では絶対にあってはならない表現の自由(政治権力からの自由!)の露骨な侵害を行なったのだ。しかも、今日の新聞報道では、その大不祥事に海老沢会長が全面的に関与していたという。
 わたしは一瞬、激しい怒りの心境に襲われ、NHKに電話をしてこう尋ねようかと思ったほどである。
「受信料を不払いにしたいのですが、手続きはどうすればいいですか?」と。

 今回の場合のNHKの大不祥事とは、ある番組に関して政府自民党の幹部(安倍晋三・現自民党幹事長代理、中川昭一・現経産相両氏)が放送中止に向けた政治的圧力をかけ、それによって急遽番組内容がNHKの手によって改変されたというものなのである。
 問題の番組は、旧日本軍慰安婦問題の責任者を裁く市民団体開催の民衆法廷を取り上げたもので、戦争へと引火しそうなきな臭い現在の国内状況や、対外関係を念頭においた時、国民が知っておかなければならない重要な事実情報のはずである。それなのに、「元慰安婦の証言部分など3分間のカット」を、政治的圧力のもとで、NHK自身が恥ずかしげもなく行なったというのだ。
 ただ、この事実が明るみに出たのが、NHK幹部職員からの内部告発によるものであったことが、唯一の救いであったかと思う。「番組制作局教育番組センターのチーフ・プロデューサー長井暁さん(42)」の良識と勇気を先ずは評価したいと思う。この幹部は「放送現場への政治介入を許した海老沢勝二会長らの責任は重大。退陣すべきだ」と訴えたという。また、
「『私もサラリーマン。家族を路頭に迷わすわけにはいかない。告発するかどうか、この4年間悩んできた。しかし、やはり真実を述べる義務があると決断するに至りました』。そう言って長井さんは涙声になり、言葉を詰まらせ、ハンカチで目をぬぐった。『告発による不利益はないか』と尋ねられ、『不利益はあるでしょう』と答えてからだった。」と新聞は報じている。(asahi.com 2005.01.13)

 わたしが、怒り心頭に発する思いでいるのは、国民視聴者からお預かりした大事な受信料に「ダーティー」であるばかりか、提供する内容に問題まであるとするならば、市場論理から言うならば限りなく<詐欺に近い犯罪>だという点である。
 ちなみに法的に「詐欺」とは、「他人をだまして錯誤におとしいれ、財物などをだましとったり、瑕疵(かし)ある意思表示をさせたりする行為」とある。
 まず、視聴者は、「公正な報道」と謳われたNHKであるがゆえに民放とは異なって受信料という財物を支払っていると考えられる。決して、寄付やカンパをしているのとはわけが違う。ところが、その謳い文句(サービス・スペック!)が「故意に」歪められたとするならば、受信料支払者である視聴者に「故意に」契約時の商品(サービス)説明とは異なった商品(サービス)を押しつけたこととなり、「詐欺」としての犯意が濃厚なのではないかと分析できるのである。
 ただ、ここで「公正な報道」という基準が「逃げ口上」となりがちなことはすぐさま気づくところだろう。放送中止を時の政治権力から迫られ、それに屈して番組の「目玉」部分を殺ぎ落としても「公正な報道」の範囲であると強弁することは、可能は可能なのかもしれない。
 「NHKはすでに死んでいる」(柳田邦男氏)とするならば、幽霊である限りなんでもするのかもしれない。ただし、「死んでいるNHK」「幽霊であるNHK」を、辛いこのご時世を必死で生き抜いている一般視聴者たちは、正当な契約主体と認めるであろうか? もちろん、受信料支払契約の話のことである。

 わたしは、日毎に「くだらない番組で埋め尽くしている民放」は正直言って見る気がしない。それに対して、ネイチャー、サイエンス番組領域でのNHKの出来栄えは感心している。それ以外は民放との差はないどころか、有料だと思いかえせば情けない思いがしている。それもしょうがないかと見なしてはきた。
 しかし、報道統制的なことを「露骨に」やるNHKだとするならば、どこだかの国への「経済制裁」ではないが、受信料を遠慮させてもらって自滅してもらうしかないのかと、ふと思ったりするのである…… (2005.01.13)


「エサをやっても食べないし元気がないから……」
と言いながら、明るいグリーン色の揃いのウインド・ブレーカーを着込んだ年配の夫婦らしき人たちが、川の護岸ブロックから遊歩道へと上がってきた。近所の知り合いらしき女性が笑顔で迎えている。年配夫婦は、何やらボリュームのある布袋を二つ携えている。
 今朝のウォーキングの際の出来事であった。

 ここ三、四日前から、境川は河川工事を始めていた。ショベル・ローダーやフォーク・ローダーなどの重機が河床(かしょう)に降ろされ、護岸ブロックを崩したり、土砂が積もった河床を掘り起こしたりと、ダイナミックな処理をし始めていた。
 まだ護岸壁に破損が見受けられるほどの古さではないところを見ると、川幅を広げるとか、災害時に強い仕様に替えるとかという意図の工事なのだろうかと思った。各地で自然災害が大きな被害を出している際でもあり、そんなことが想像されたのだ。
 それはそうと、いつもその近辺にはカモたちがエサ場として滞留していたので、わたしは咄嗟に、あいつらはどうしただろうか、もっと上流の方にでも場所替えをしているんだろうか、と懸念したりしていた。
 そんな折の「年配夫婦」の行動だったので、わたしは、ひょっとしたらいつもエサをやっている馴染み(?)のカモが、この工事のために元気を失ってしまい、それに手を差し伸べてでもいるのだろうかと、そんなことを想像しながらその場を離れた。

 マガモ、カルガモといったカモたちは、近辺の愛鳥家からパンのくずなどのエサをもらったりもしていたが、もっぱら川底の藻を主食としているようである。だから、そんな彼らにとって、まるで恐竜のように巨大で、その唸り声のような操作音を立てるショベル・ローダーなどが、突然河に降りてきたのにはびっくり仰天のはずである。いつものエサ場には近寄れないぞ、と見切っているのであろう。しかも、河床を掘り起こしてもいるため、当分は主食のエサを見つけることもできないであろう。まあ、工事が及ばない上流へ移動するしかないのだろうと思えた。

 わたしは、いつも、その工事現場からすれば河の上流に向かって歩くことになっている。程なく進むと、対岸に、先ほどの「明るいグリーン色の揃いのウインド・ブレーカー」の二人連れの姿があった。その片方の男性が、河の護岸に取り付けられた鉄梯子を降りていた。どうも、クルマで移動したらしく、わたしを先回りしていたのだ。
 何をしていたかというと、先ほどの二つの布袋に入れたものを川原で開放(開放)しようとしていたのだった。ひとつ目の布袋からは、真っ白な身体で黄色のくちばしをした野生のアヒルが現れた。そのアヒルは、やれやれといったしぐさで川原の小石を踏みしめて、静かな河の流れに向かって歩いている。その近辺は、わずかに下流に下ったところに、河の段差を調整する設備があるためか、流れはきわめて緩やかとなり河川工事現場の喧騒とはまるで異なる。
 このあと、もうひとつの布袋が、片方の人の手から川原に下りていたもう片方の人に手渡され、その布袋もおもむろに川原で開放されたのである。もちろん、そこからも野鳥が出てくるであろうことは十分に予想された。まさしく先のアヒルのつがいであろう、茶系統の羽毛のアヒル(?)が、「グワァ、グワァ、グワァ……」と大声で鳴きながら出てきたのである。
「ずいぶん怒ってるみたいじゃない?」
と、川岸の上で見ていた片方のウインド・ブレーカーの女性が言った。
 茶色のアヒルも、小石で広がった川原をチョコチョコと急ぎ足で歩き、河の流れに身を浮かべた。そして、真っ白なアヒルが浮かぶ方へと一目散に近寄って行くのだった。
 その二羽のつがいたちは、まるで自分たちの身に起こった突然の顛末について何やら語り合ってでもいるような、そんな雰囲気を感じさせたものだ。

 よく考えてみれば、彼らは飛べないわけではないはずなのである。河に沿って飛び、大きく場所移動をしているところを何度も見ている。茶色の方が、不満がましく鳴いていたのは、「なあーんだ、場所を移動させようということだったのか。そんなことなら、小さな親切、大きなお世話だっちゅーの!」とでも言いたかったのかもしれない。
 まあ、ウインド・ブレーカーの年配夫婦による優しい思いやりのなせる業ということであり、一部始終の目撃者となってしまったわたしには、柔らかい牧歌的な気分が残り続けていた…… (2005.01.14)


 年末の雪予報の際と同様に、昨夜は急遽クルマにタイヤチェーンを取り付けた。今日が、朝から雪の天候となるとの予報に従ったのだった。夜遅く帰宅してからの寒い戸外での作業であった。
 土日に向けた雪の予報だったので、外出の予定がことさらなければあえてそんな準備をする必要もない。だが、家内が今日、月例の「味噌作り講習会」に行かなければならないとかで、荷物もあるため雪ならば乗せて行ってもらいたいとのことだったための「敢行」だったのだ。
 年末の積雪予報の際に、「備えあれば憂えなし」を図星で体験したものだから、今回もまた、という思いがあったのかもしれない。
 タイヤチェーンの取り付けほど、寒くて足場が悪くなった状況で、文字通りの泥縄作業というのはいただけないものである。
 ただ、積雪予想が外れると、徒労感が否めない上に、しばらくはそのまま走ったりするものだから間抜けぶりをさらすこととなってしまう。

 朝、ふと目を覚ますと、家内が障子をわずかに開けて外を覗いていた。
「どうだ? 雪降ってるか?」
と、わたしは寝床から訊ねた。小雨のようで、雪は降っていないとの答えが返ってきた。何となく落胆する気分が満ちた。が、まあ、それならそれでいい、ともすぐに思った。
 今朝はあえてウォーキングに出かけることはよそうと決めていたため、もうひと寝入りすることにした。冷たい雨の休日は、朝早くから起きてもしょうがないという打算が働いていた。

 家内は朝食の仕度をして、「味噌作り」とやらに出かけていた。
 用意されたハヤシ・ライスを食べようとガス台に向かったら、鍋にメモが貼り付けてある。
『焦げると不味くなるので、暖める時はそばにいてよくかき混ぜること』
とあった。そんな面倒なことやってられないよな、と思い、皿にご飯を盛り、その上に煮凝りとなったハヤシの塊を乗せ、電子レンジに放り込む。多分、作った者(家内)はこんな食べ方では美味しさが引き出せないと言うに違いなかろうが……。
 電子レンジの時間が経つまで、タバコを吹かし、コーヒーを啜っていた。猫たちがそばでひとの顔を見ている。タバコを吸っていると、妙な顔をしてじっと見つめるのだ。
「およしなさいよ、タバコなんて。百害あって一利なしざんすよ……」
とでも言いた気のようである。
 半透明のビニール袋でパックされた朝刊を引き寄せる。最近は、新聞もこんなふうに「過保護」にされるようになっちまったんだ、とふと思う。昔は、新聞紙が弁当だの、大根だのほかのモノを包んでいたのに、新聞紙が、濡れないためだとはいえ、保護されるんだからなあ……。そう言えば、新聞配達の学生アルバイトの頃、雨の日は結構気遣ったものであった。木下藤吉郎ではないが、バイクの荷台から顧客のポストまでは、カッパの懐に収めて運んだりもした。それでも、ちょいと濡れてしまい、そんなことにクレームを言ってくる客もいないではなかった。

 熱々になったハヤシ・ライスをスプーンで口に運びながら、それにしても家内は、よくいろいろな事に顔を突っ込むものだと考えたりしていた。
 近所の人たち、元の職場の友人、教会関係の人たち、学生時代の友人…… などとの交流を律儀にこなしている。「味噌作り講習会」にしても、近所の親しくしている人から誘われて通い始めた。「着付け勉強会」とかもそうだ。そのほかいろいろと聞いてはいるが、生返事をしながら聞いている。どうも、わたしの感覚には、ふたつのことがありそうだ。
 ひとつは、そうやっていろいろとよくお付きあいができるものだと感心するのである。わたしは、小難しい上に、出不精ときて、とかく単独自由行動が、この上なく気ままでいいと考えるタイプだ。行動を共にできる友人がいないわけではないにせよ、つるんで何かをするというのは気が向かない。それに対して、家内は、何と、付き合いのいい人間なのだろうと思うわけだ。付き合わないのはわたしとぐらいのもの、とは言っても、わたしの方が付き合おうとしないのかもしれないが……。
 もうひとつは、一般論的事実なのであるが、どうも中・熟年男性は「ロンリー・ボーイ」のようだ。中・熟年女性がとかく顔が広いのに対して、われわれは職場関係を離れると実に「孤立」しているみたいである。だからかどうかは知らないが、犬を散歩させている人物におじさんたちが多いのは、あながち根拠がないことではないのかもしれない。その「心頼み」のワンちゃんにも、
「そっちじゃないってばあー」
なんぞと引っ張られて歩いているおじさんを見かけると、
「『生ゴミ』、生米、生タマゴ……」
と、思わず目をうるませながら呟いてしまうほどの哀れさである。
 が、ハヤシ・ライスを独りで食っていると、ああ、孤独の人よどこへ行く、とうな垂れたり……。とにかく、カメラ持って走り回れない冷たい雨の休日はいやだ、いやだ…… (2005.01.15)


 この日誌にしても、朝のウォーキングにしても先ずは継続させている自分ではある。こうした面をもって、自分が「努力家」であるつもりになっていてはまずいと感じている。それ以外のことに目を向けるならば、結構、自堕落な生活をしているし、昨今は何かとテンションも低いようであるし、集中力も長続きさせられないようでもある。じわじわとポテンシャリティを落とし始めていることに気づかなければならないと感じる。

 昨日、中・高年男性は「ロンリー・ボーイ」であるなぞと気取って書いた。しかし、よくよく考えるならば、最もまずい生き方、生活習慣を身につけ、実践しているだけのことなのかもしれない。
 男がいい年になり始めると、先ずは恰好をつけるようになる。ひげをはやしたりするのはその好例だと言わなければならない。何だかわけのわからない自尊心やらプライドやらに雁字搦め(がんじがらめ)となっていくようだ。で、あまり心境に波風を立てないようにと、他人との接触を手控えるようにもなる。
 また、周囲の人間も、とやかく言わなくなる。よく、男も30を過ぎると小言を言われなくなるというが、それは何も当人が立派になったがゆえのことではない。周りが、もはや30過ぎの男に何を言ってもムダだと考えるようになるからだと聞いたことがある。
 確かに、身に染み付いてしまった悪癖を30過ぎてから是正するのは並大抵のことではないだろう。しかも当人には必要以上の自尊心とやらが出来上がっている。硬い殻を破って、内部の度し難い悪癖を是正することがどんなに骨の折れることかを、周囲の人々は先刻承知なのであろう。わが身に被害が及ばないかぎり、放っておくしかないと「見放す」ことになるわけだ。

 30過ぎの男に対してこんなふうなのだから、40、50、60ともなる男に対しては何をかいわんや、であるに違いない。十分に納得のいく結果だと思える。
 そして、ご当人は、そうした周囲の「見放し」を寂しいと感じるならば、まだ情状酌量の余地もあるが、大抵は、むしろ「これ幸い!」と受け止めたりするはずである。まあ、若干の物寂しさを覚えたりはするのであろうが、それを癒すために、わずらわしさや自尊心の痛みと引き換えようとまではしない。
 心の事情もさることながら、周囲の活発な動き、それが生活なのではあるが、そうした動きと逐一歩調を合わせて活動することは、低下し続ける体力からいえば、はなはだ「おっくう」と感じるようになっているのであろう。だから、周囲が、理由はともかく「見放して」くれていた方が、結果的にはラクだと実感したりし始めているのかもしれない。
 こうした事情が既成事実へと固まっていくにしたがい、中・高年男性は限りなく「ロンリー・ボーイ」へと仕上がって行くことになるのだろう。

 とりあえず、他人事のように表現してきたが、決してわが身が妥当しないとは思っていない。こうしたことではいけない、と自戒を込めて書いているのである。
 なぜこうした成り行きがいけないかといって、この傾向は、「老化」の「加速」以外ではないと危惧し、懸念するからなのである。
 思えば、人類の歴史における男たちの一生においては、いや、奇しくも猿山のオス猿の一生も同じようなものであるが、まさしくこの「ロンリー・ボーイ」期間が、取りも直さず人生の「エンディング」への序章として位置づけられてきたように思える。
 輝かしい過激な闘争の時期を踏み越えると、男たちは、群れがそれを強いるという事情もなくはないにせよ、もっぱらみずから群れとの距離を置くようになっていく。そうなる事情は、前述のくだりと大差ないと言っていいだろう。そうして、「ロンリー・ボーイ」を自任・自認し始めるや否や、青菜に塩のごとく急速に「老い」を深め、人知れず墓場へと転げ落ちるように、パーフェクトな「ロンリー・ボーイ」と成り果てて行く。

 こうした切ないイメージをあえて書いたのは、「滅びゆくものの美」に酔いしれ、埋没したいがためではなかった。そうではなくて、「ロンリー・ボーイ」という生き方は、やはり自然ではないと再実感したかったのである。
 感覚、意識をはじめとして人間のすべては、他者との濃密なやり取りの関係において活性化され続けるもののようである。その関係は、当然、不快感を与え合ったり、怒らせるような興奮をさせ合ったり、そして自尊心を傷つけ合ったりという避けられれば避けたい付随物が伴うことになる。そこまで行かなくとも、テンションを高め合わざるを得ないはずであろう。もし、これらが好ましくないからといって、まるで果物のすっぱさを取り除くように排斥するならば、結局、これらと表裏一体でしかあり得ない人間関係そのものを避けることになってしまい、挙句の果てに、人間特有のいろいろな能力が低迷することにならざるを得ないような気がするのである。

 老化へとひた走る中・高年男性の情けなさについて書いてきたわけだが、今一歩踏み込んでみると、現代という時代は、個人主義の進展と技術力の飛躍に依拠して、人間関係の中から「すっぱさ」を取り除くことに汲々となっていること、もっと言えば人間関係そのものをスポイルさえすることにひた走っていることに気づくわけだ。そして、その結果、「ロンリー・ボーイ」は何も中・高年男性にかぎらず、社会のあちこちにあまねく見出される、そんな状況ではないかと思うのである。
 昨今は、「清潔」主義者が増えたのであろうか、やたらに「消毒、消毒」と叫ぶ風潮が強い。確かに、怖いウイルスが蔓延する時代でもあるので納得する面もある。しかし、すべての「細菌(バクテリア)」が危険視されるような行き過ぎまで起きているのが現状であるようにも見える。しかし、「細菌」の中には、生態系の中で物質循環に重要な役割を果たすものも少なくないのである。
 こんな状況を見ていると、ある意味で不快感を伴うことも避け難い人間関係が、不快感にだけ焦点が合わせられて排斥されようとしている現代と何か似ているような気がしてならない。「産湯を捨てて、赤子を流す」ことを知らず知らず進めてしまっているのだろうか…… (2005.01.16)


 外に出ると風は冷たいが、明るくカラッと晴れた見事な天気だ。青空にゆっくりと流れる白く切れ切れの雲が心地よい。風があるせいだろうか、日頃目にする遠方の山々の、雪交じりの山襞(ひだ)がくっきりと確認できる。いつもならどうしても山上に発生する霧さえ風で流されているに違いない。

 心地よい天候は、気分をも快適にしてくれる。昨日、一昨日のようなぐずついた天気は気を滅入らせていけない。そう考えると、自分なぞは、東北や北陸などには到底住めない気質なのかもしれないと思った。
 自分は、「お天気屋」というほどではないにしても、結構気分に左右されてしまうところがある。そして、気分自体はといえば、天候に影響を受けやすくなっている。偉そうなことを言っている割りにはかなり単純な構造で動いているのだろう。
 そういうことでは、コロコロと変わる天候によって気分が転がり、自分というものがないではないかと心配になる。どこに「恒常的な自分」があるのか、「お天気屋」だと認めていないのは当の本人だけであって、実のところ周囲の他人はわたしのことを「お天気屋」なりとのレッテルを貼っているのではないか、と心配したりもする……。

 おそらく、そんな心配なんぞを蹴散らしていた頃もあったように思う。現在ほどに、時代環境が、さまざまな指針を揺るがせていなかった頃のことだ。何かにつけて、ある指針らしきものを信じるというよりも、「何々は、何々である」と誰もが当然視していたような時代であり、社会環境であった頃のことである。
 個人的に若かった頃だからという言い方も可能ではあるが、決してそればかりではなく、時代環境そのものが、暗黙のうちに指針めいたものを是認し支持していた時代があったはずである。
 たとえば、社会正義にしたところが、「悪さ」をする連中はいつの時代もかわらずコンスタントにやらかしているわけだが、これに対して、その「悪さ」を非難する一翼なり、世間というものが見紛う(みまがう)ことなく確かに存在していた。戦争への危険な政治動向にしても然り、政治家の傲慢な発言にしても然り、あるいは凶悪な犯罪にしても然りである。まあ、現在でも、まったくそれらが消し飛んだというのではなく、のろしは上がることはあがっても、ほとんどの場合不発弾よろしく尻切れとんぼとなってしまうのが実情のようである。
 そうした政治・社会問題だけのことではない。卑近な日常生活にあっても、そう、いわゆる「常識」というようなものが人々の感覚、判断、行動に指針を与えていたように思われる。「自分勝手」とか、「みっともない」とか、「危ないから」というような、注意を喚起したり非難したりする言葉遣いが歴然として存在していた。また、そうした言葉がある種の抑止力を発揮していたとも考えられる。

 だが、そうした「指針に溢れた」時代環境は、いつの間にか退潮してしまったかのようである。政治状況から常識感覚に至るまで、多くの「指針」めいたものが結果的に骨抜き状態と成り果ててしまったかのようだ。もちろん経済の領域、企業のあり方をめぐる「指針」も大変化に見舞われてきた。そして、いずれのジャンルでも「新たな見通し」を得るところにまでは至らず、混迷状態で足踏みしているというのが実情のようだ。
 こうした現在の状況をめぐって、ある雑誌(『論座』2005.02 朝日新聞社)は「溶解する日本」と題して特集を組んでいた。混乱に混乱を重ねる現状に対しては「メルト・ダウン」というビジュアルめいた言葉で表現されたこともあったが、「溶解」という言葉も不気味なニュアンスを漂わせて現状を言い当てている。
 つまり、冒頭の話題に戻れば、こんな時代環境にあって「恒常的な自分」というものを探し当てることは至難の業だということなのである。
 「恒常的な自分」を立ち上げるもっとも簡便な方法は、揺るぎない組織なり、思想なり、宗教的教えなりに寄りすがり、自身のうちに信念めいたものを作り出すことかと思われる。しかし、「溶解」したと目される対象は、まさしくそうした、かつては揺るぎないと思われていたものなどそれ自体であるわけだ。
 現在の状況にあっては、「恒常的な自分」というイメージは、たとえ熱い願望の対象ではあっても、それを実現することはとてつもなく難しくなっているように思われる。いわば、「自前で編み出す」ほかないとも言えそうである。

 それにしても、時代が(個々人が)直面している事態は、かなり複雑でかつ深刻のようである。だからこそ、従来の「指針」群が退潮したのだとも言えようが、政治、経済、社会、文化の全領域で難問が山積している状況だ。
 また、ちょうどこうした「溶解」が始まった頃と重なる時期に発生した「阪神淡路大震災」が、今、発生後十年を迎え、人々の注目を集めている。自然現象がもたらす大災害さえ折り重なって「王手」をかけてきていることになる。事実、今やこの国ではいつ大地震を迎えても不自然ではない自然環境を迎えている。
 正直言って、不安が尽きないのだが、もっとも大きな不安は、こうした最悪の歴史的局面にあるにもかかわらず、その舵取り役を担う政府がはなはだ心もとない限りであること、および誤った舵取りを敢行する危険が十分にあることである。そして、そうした「きな臭さ」を、国民はどの程度凝視しているのかという点でもあろうか…… (2005.01.17)


 暴力団関係者、元ベテラン印刷工、いたずらまがいなどなどがこぞって「偽札偽造と行使」に関係していたことが次々と明らかになっている。海外での偽札事件は決してめずらしくはないとのことであるが、これまでのこの国では大規模に頻発する事件ではなかったはずだ。やはり、おかしい。この国はどこか「キレてしまった」との印象を誘う。

 以前、『うそつき病がはびこるアメリカ』(デビッド・カラハン著、小林由香利訳、NHK出版、2004.08.25 「いまやアメリカでは、あらゆる人がうそをつき、ズルをしている。罪悪感はほとんどない。理由はただ『みんながやっているから』。そうしないと生き残れない、極端な競争社会になってしまったのだ。この国のいたるところに蔓延する不正は、どんな将来を指し示しているのか。現代人の不安を的確にとらえ、アメリカ精神の喪失を浮き彫りにした問題作」)という本について着目したことがある。
 しかし、この「うそつき病」の現象は、残念ながら、確実にこの国、日本においても蔓延していると認識せざるを得ない。さまざまな「うそ」がはびこっている現状であるが、国家の威信をかけた通貨を偽造して使う犯罪が多発するに至っては、頭のどこかで「うそ」を「罪悪」と見なさない風潮が頂点に達しているようにも思える。「うそ」を許してしまう「病原体」が、この国を駆け巡り、被い尽くしつつあるのかもしれない。

 そんな「うそつき病」の中で、人間にとって最悪の愚かさである戦争に関する「うそ」は悲しすぎる。もっとも、戦争とは、「うそで塗り固められた犯罪」以外ではない。正気と真実の認識で、大量の殺戮が許容されるはずがないからだ。「うそ」を塗り固め、悪事に痛みを感じる正気を麻痺させていくことで戦争への道が敷き詰められていく。そんなことはこの数十年、口を酸っぱくして言い、聞いてきたはずなのに、愚かな現代人はコロッと忘れてしまったかのようだ。
 聞き続けてきたのならまだしも、言い続けてきた「知識人」とやらさえ、ダンマリを決め込んでいるこの現状は一体どうしたことだろう。歴史よりもわが身の日常生活の方がそんなに大事にしたいのか? そんな感覚、ロジックを後生大事にしているからこそ「知識人」でございと保身していられるというわけか。
 事実や状況の正確な認識があるところでは、人間は最悪の選択はしないものととりあえず信じる。問題は、「うそ」をつくこと、人々に知らせなければならない事実を歪めること、そうした報道をすること、なおかつ受信料を得て公共放送を行なう立場をまっとうしないこと、あるいは、公共放送を党派的な政治活動の道具として使おうとする卑しい行為があったりなかったりすることである。
 こうしたことがあれば、糾弾していくのが、日頃、能書きを垂れて大きな顔をしている「知識人」の罪滅ぼしではないのか。昨今は、吠えない犬が好まれているご時世のようだが、「吠えない『知識人』」ほど無用の長物はないと言うべきだ。

 今日の"asahi.com"(http://www.asahi.com/national/update/0118/004.html)は、例の「NHK番組改変問題、政治圧力有無問題」について、手持ちのカードを明らかにしている。
 「NHK番組改変問題、本社の取材・報道の詳細」では、「NHK幹部の一人は、番組放送前日の01年1月29日にNHK側が中川昭一、安倍晋三両衆院議員と相次いで会ったことを認めていた」という事実を詳細に公表している。
 また、「中川昭一氏との一問一答 NHK番組改変問題」では、「酔っ払って」かどうかは知らないが、面会日をコロコロと変えて言い繕っている同氏が、
「それで放送直前の1月29日に、NHKの野島、松尾両氏に会われたわけですね?」というインタビュアの問いに、
「会った、会った。議員会館でね」
と述べていることが記されている。
 「安倍晋三氏の主な発言 NHK番組改変問題」においては、同氏から朝日新聞側に出されたコメントを次のように紹介している。
「《1月10日、朝日新聞の取材に対するコメント》『偏っている報道と知るに至り、NHKから話を聞いた。中立的な立場で報道されなければならないのであり、反対側の立場の意見も当然、紹介しなければいけない。時間的な配分も中立性が保たれなければいけないと考えている、ということを申し上げた。NHK側も、中立な立場での報道を心がけていると考えている、ということだった。国会議員として当然、言うべき意見を言ったと思っている。政治的圧力をかけたこととは違う』」
 どうも阿部氏は、「政治的圧力」というものを、「古典的に」イメージしているかのようだ。何も、時代劇の悪代官が、娘をさらって廻船問屋に言う事を聞かさせるだけが「政治的圧力」ではないだろう。NHK予算が国会で承認されようとする時期に、「何々しなければいけない」という発言をすること自体が、大きく「政治的圧力」効果を持つ事情に想像力は働かないのであろうか。信じられないほどの「カマトト」ぶりを演じている。
 また、同氏は、NHK幹部と話をしたのは、呼びつけたものではないし、放送前でもないことを盛んに強調している。だが、コメント冒頭の「偏っている報道と知るに至り、NHKから話を聞いた」というくだりは、自然に解釈すれば、理解に苦しむ。

 政治家の発言は、いつも歴然とした証拠となるような言質を与えないのが定石であろうから、「ワトソン君……」といったホームズ流の推理を働かせる以外に手がないのは残念である。
 先ず、安部氏は、当該番組が「偏っている報道」と、どのようにして「知るに至った」のであろうか? 番組の編集権と責任はNHKにあるわけで、それを事前に見るとすれば、政治的中枢にいる者が事前に見ることは、「検閲」といかほどの差があるかということになる。
 もっとも、一般視聴者と同様に、オン・エアー時に見たとするならば、
@「知るに至り」という表現ではなく、「拝見してそういう感想を持つに至った」とでもなるのではなかろうか。
Aまた、「事後」のことであれば、『NHKから話を聞いた』とあるわけだが、『NHKに遺憾の意を伝えた』とでもなるはずではなかろうか。
 TVコマーシャルに、ITシステムのCMで、顧客側の社長が「詳しい話を聞こうじゃないか」というセリフを吐く場面があるが、一般に、「話を聞く」のは、「懸案(ペンディング)」状態にある最中(放送前の段階!)に行なうことではなかろうか。ITシステムが自社に導入されてしまってから、社長がベンダーの担当者に「詳しい話を聞こうじゃないか」と、マヌケなことを言うだろうか? 
 安部氏は、「濡れ衣」だとの構えをして、NHKの内部告発プロデューサに証明責任があるかのような発言をしている。そうではなくて、ご自身が、公の立場にいるものの「説明責任(アカウンタビリティ、accountability)」をこそしっかりと果たさなければならないのが当世の道理なのではなかろうか。

 この問題は、NHK上層部の腐敗問題と重なり、尾を引きそうな問題であるが、政権政党の政治家たちの不透明なアクションは今に始まったことではないから、野党勢力の追求力を待ちたい。
 ここで、強調したいのは、知識や情報の操作に関して、いわゆる「知識人」たちが、なぜダンマリ的状態であるのかという点なのである。稼ぎで忙しい(?)はずだから、まあ、こんな小さなサイトを覗く暇のある「知識人」はいないであろうが、
「あなたたちは、無用の長物だ!」
と、挑発しておきたい…… (2005.01.18)


 このところ、一時は鬱陶しくてしかたがなかった(偏)頭痛がまるで消えてしまった。一ヶ月ほど前には、意を決して専門の病院を訪れるほどの難儀であった。ただ、処方されたクスリを服用して治ったというのではない。というのも、その病院で処方されたクスリは、二、三日分しか飲んでいないからだ。
 ただし、「緊張性頭痛」、つまり首筋や脳の血行不良を原因とする頭痛だとの診断をもらったことがためになったようだ。その原因に焦点を合わせて、いくつかのことを実践してきたことが奏効しているのかもしれない。
 そのひとつは、「黒酢」の常用である。「血液中のヘモグロビンが大きくなり、酸素運搬量が増加する」という点に着目したのだったが、同時に「血液がサラサラになる」という効果にも期待したのだった。すでに、二ヶ月間飲み続けていることがじわじわと効いてきたのかもしれない。また、枕の高さにも気を配ってみたが、それも効果を高める作用をしているのかもしれない。
 自分の頭痛という症状が、何か外発的な原因があるわけではないので、「ケミカル」なクスリには依存しない方がいいだろうと判断してきたのだった。いわゆる「生活習慣病」的なもののようなので、自然な療法こそがふさわしいと思えた。どうやら、当たらずとも遠からずの結果が出つつある。

 こうしたことに気を良くして、現在、いまひとつ新しいことを試そうとしている。自然な療法の代表格とも言われる漢方薬なのである。
 きっかけは、新聞の書籍広告欄に目をとめたことにある。そこには次のような文面があった。
「血液をきれいにし、老化を防ぐ驚きの漢方薬・丹参(たんじん) 『血管力』をつければ病気は治る 狭心症、心筋梗塞、脳梗塞、高血圧、糖尿病、痴呆症からリウマチ、肩こり、頭痛、冷え性まで 活血効果ですべて改善!」と。
 まるで、同じく新聞広告欄に定期的に掲載される、「驚きの……」「驚異的な……」という見出しに溢れた、とある雑誌広告のようであり、幾分身を引く姿勢となったのは事実だった。
 とにかく昨今の新刊本は、「激しいキャッチコピー」が定石となってしまっている。おまけに、「〜力」という造語を濫発するのも流行のようだ。人々は心のどこかで、投げ出したくなるような手に負えない現実を、グイグイと解決解消してくれる「パワー」というものを待ち望んでいるからなのであろうか。
 著者は、薬科大学の助教授(富山医科薬科大学和漢薬研究所 横澤隆子)であった。それがどうしたということもないといえばないが、このへんが世間一般の評価感といものなんだろうか。うむ、怪しげな素性ではなさそうだ、と第一関門をスルーさせてしまったのである。
 しかも、わたしは前述のように、血行・血流というものが意外と健康に重要な役割を果たすものだと実感を深めていた矢先である。
 「まあ、目を通してみっか」という心境に至り、やがて、「では、試してみっか」となり、挙句の果てに、服用して三日となったのである。
 何だか、悪くはない感触なのである。と言っても、この快適感が、苦節二ヶ月の「黒酢」がお膳立てしてくれたものなのか、「丹参」がニュー・フェイスとしてがんばったものなのかは判然としない。「丹参」のお陰だと言えば「黒酢」の面目が潰れるであろうし、「黒酢」の成果だと言えば、「丹参」がへそを曲げるであろう。だから、「黒丹」チームのコラボレーション的成果なのだと考えることにしている。

 それにしても、気がついてみると、いつの頃からか健康に関してかなり意を傾けるようになってしまった。それも、医者という存在に距離を置きながらである。
 言うまでもなく、若い時と違って自分の身体というものを意識せざるを得ない歳になってきたことが先ずあるのだろう。ただ、それだけでもないようにも感じている。
 現在は、自分の身体、意識の外の時代環境はすこぶる悪い。人々の身体や心を健やかに支援する環境ではなく、隙あらば、心や身体を蝕むことさえはばからない環境だと言えそうである。
 だから、優しくないどころか攻撃性に満ちている時代環境に毅然として立つためには、試合に挑むスポーツ選手のように、自身のコンディションに細心の注意を向けていかざるを得ない、とそう感じているのかもしれない。少なくとも、これだけ暗い時代なのに、自身の一身上の内部原因で暗さを増幅したのでは話にならないと…… (2005.01.19)


 インターネット環境にあっては、「モバイル[mobile]」(屋外や取引先など、普段パソコンを利用している環境とは違う場所で、主にインターネットを使って情報のやり取りをしたり、データ入力をしたりすること)の活用のされ方がやはり注目に値する。
 この「公開日誌」の日次更新にしてからが、「ケータイ」を通じたモバイル・ノートPCの存在がなければ、継続させることは不可能である。わたしとて、出張や旅行で遠方に出かけることがないわけではない。そんな際、現地からデータをサーバーへ送信して、あたかも常日頃のオンライン更新と同じような体裁が整うのはこの上なくありがたいと思っている。

 「公開日誌」といえば、「航海日誌」を遥か洋上から日次更新してサイトに載せている方もおられる。「単独無寄港世界一周」に現在挑んでおられる冒険家・堀江謙一氏である。洋上の「SUNTORYマーメイド号」から、通信衛星に電波を飛ばしてのアップロードということになるわけで、何とも現代ならではのスマートなアクションだ。時々、覗かせてもらうのだが、ちなみに「阪神淡路大震災」が起きた1月17日の日誌は、次のとおりであった。
「気温が13度まであがりました。動きやすく、助かります。
阪神大震災から10年がたちました。芦屋の地上85mの集合住宅で震災にあいました。今まで経験したことの無い揺れ方でした。
亡くなられた多くの人々のご冥福を祈るとともに、いろんな教訓を、生かしていきたいと思っています。」( http://www.suntory-mermaid.com/index.html )

 「モバイル」の話に戻れば、小型軽量のノートPCも悪くはないが、「ユビキタス(ubiqutous)コンピューティング」(あらゆる機器にコンピューター、もしくはその操作が可能な装置が組み込まれ、相互にデータを交換し合い、情報を利用できるネットワーク環境への動向)だとされる現在、そうした動向にあって最も着目されているのは、やはり「ケータイ」ということになるのだろうか。
 正直言って、わたしのような、インプット/アウトプットともに「データの大喰らい」(?)なものにとっては、「ケータイ」という機器は物足らなさがつきまとう。サイトにしても、メールにしても、デスクトップPCで思う存分にやりたいものだと考えてしまう。
 しかし、それはそれとしても、当たり前のことだが、その環境を持って歩くわけにはいかない。また、どんなデータにおいても、ただただ膨大であれば価値があるというものでもなさそうだ。スリムで切れ味の良いデータ、何につけても行動を喚起させるデータこそが、一般に価値あるデータだと言えるのかもしれない。
 そう考えると、ポケットに入れても決して邪魔になるほどではない「ケータイ」、小規模のデータであれば、インターネットを活用して、結構、利用価値がありそうな「ケータイ」は、捨てたものではないような気がしてくるわけである。

 そんなこんなで、かつてはゴリゴリのデスクトップPC推奨派であったわたしは、昨今次第に「ケータイ」の可能性に、好意的な目を向けるようになっている。と言っても、「着メロ」だ、「ストラップ」だ、「付属デジカメ機能」だ、「コンビニでの支払機能」だという、どちらかといえば<副次的機能>であるはずの部分に、一緒になって騒ごうというのではない。
 あくまでも、インターネット通信端末としての「ケータイ」の活用用途をオーソドックスに追求したい思いなのである。
 そんな思いもあり、何かビジネスの取っ掛かりになるものを探しあぐねていたのだが、ささやかなきっかけとして、「ケータイ」を活用したいろいろな場面の「予約管理」というシステム作りを手掛け始めたのである。言っておけば、決して最新のテーマというわけではない。デスクトップPCによってエントリーするシステムは掃いて捨てるほどあるし、「ケータイ」活用のものとて、レンタル形式で存在する。まあ、仲間と一緒に知恵を出し合って、少しでも気の効いた独自性のあるものに仕上げていきたいとは願っている。
 むしろ、このきっかけを活かして、「ケータイ」という機器が持つ可能性をリアルに探ってゆきたいというのがホンネであるのかもしれない。
 現在のビジネス探求にあたっては、ただ傍から見ているのではまずく、少なくとも「足湯」に浸かること、できれば腰まで浸かる構えさえ必要であるのかもしれない。もっとも、風呂で溺れてしまっては洒落にもならないが…… (2005.01.20)


 「恋でもいい何でもいい ほかのすべてを捨てられる 激しいものが欲しかった」(『しおさいの詩』小椋 佳 作詞/作曲)というフレーズが、ふと心をよぎることがある。
 「恋でもいい」とはあまり思えないのが実情ではあるが、何か一心不乱と成り切れる没入対象が欲しい、と誰もが願望しているのかもしれない。とくに、青少年や若い人の場合には、それがどれほど強烈なものであろうかと推測してしまう。
 ちなみに、この歌の全歌詞を引用させてもらうと次のようになる。

 しおさいの浜の岩陰に立って
 しおさいの砂に涙を捨てて
 おもいきり呼んでみたい
 果てしない海へ
 消えた僕の若い力
 呼んでみたい

 青春の夢に憧れもせずに
 青春の光を追いかけもせずに
 流れて行った時よ
 果てしない海へ
 消えた僕の若い力
 呼んでみたい

 恋でもいい何でもいい
 ほかのすべてを捨てられる
 激しいものが欲しかった

 二十歳代の自分は、小椋 佳の歌に感じ入りながらも、その「脱政治」的傾向に反発を感じてもいた。言ってみれば、同じ「呼んで」みたり「叫んで」みたりするなら、国会に向かって「叫んで」みたり、人々に向かって「呼んで」みたりすべきなのであって、「果てしない海」へ向かってみても始まらないじゃないか……と。
 そうした部分は未だ変わらずに残ってはいるが、そうした次元とは別の、文字通り「果てしない海」へ向かってしか叫びようのないような思いも、十分に実感するようになっている。それを「老化」だとか、「青春への望郷」だとか簡単に吐き捨てることもできようが、押しなべて言えば、人間の生の不可思議さということにでもなるのであろうか。
 何ひとつとして、大事なものの正体は明確ではなく、ただそれらに慣れてしまうことで生きている人間。気になり始めると切りがなく、手のつけようもない曖昧模糊とした現実。
 現代という時代は、そうした曖昧模糊とした人間とその環境の現実を、いとも簡単に「わかりやすい」かのような「システム」に脚色している。それらは、実に手が込んでいるために、ややもすれば、それがすべてであるかのような感覚を生み出し、増幅する。
 それがすべてだと思い切ることができる人々にとっては、ひょっとしたら何も問題はないのかもしれない。
 しかし、人生の意味を求めようとしたりする人間や「知りたがり屋」の人間にとっては、そんなものがまことしやかに目をふさいでいることがかえって悩みと困惑を大きくさせる。そして、ふと、冒頭のフレーズ「恋でもいい何でもいい ほかのすべてを捨てられる 激しいものが欲しかった」という心境に至る。

 「一心不乱」「無我夢中」の忘我状態こそが、真実の時であり、至福の時間であるに違いないと感じる。おそらく、そうした時間帯においてだけ、人間は人間に成れるのかもしれない。
 ただ、そんな時間帯や機会を、現代という時代はそうそう簡単には許していない。それというのも、人間自体が目的ではなく、それ以外の目的によって動き始めているのがこの現代であろうからだろう。
 そして、人々に許されるその種の時間帯や機会とは、ドラマからゲームに至る「バーチャル世界」での疑似体験のみだと言っていいのかもしれない。「冬ソナ」現象にしても、なぜこの時期にという理由のひとつはこんな文脈の中に潜んでいるのかもわからない。忘我状態になぞ、青春以来ついぞ遭遇しない中年主婦たち、という推察をするならば、思わず黙らざるを得ないような気になる。
 それでは、あまりにも虚しいではないか、と横槍をいれようものならば、
「現実の方がもっと虚しい……」
という白々とした正解が返ってくるのだろうか…… (2005.01.21)


 クルマで15分ほど市街地から離れたところ(小山田)に、林などの自然を残し、見晴らしのいい小高い丘も楽しめる「緑地公園」がある。冬場は、林の中の道を歩く人もいないし、丘の上も風が吹きすさぶため訪れる人も少ない。しかし、その丘からは、丹沢の山々越しに、富士の頭もよく見える。頂上付近だけなので味気ないと言えば味気ないが、何度か写真も撮っている。
 いつも通勤途中で、雪混じりの丹沢の山肌がくっきりと見えたりすると、週末には「緑地公園」へ行ってみよう、と思わされたりする。ただ、皮肉なもので山々がシャープに望める日というのは、いうまでもなく風が強い日である。そんな日に、あの「緑地公園」の丘に上がればかなり寒いだろうと、二の足を踏む思いもするのだった。
 今日は、冬の陽射しは明るく、風の方も無難な吹き方であったため、思い切って出向いてみようと思った。確かに、風が穏やかである分、空気の透明度がいまひとつであり、途中で見えた山々の姿も幾分白んでいる。あまりリアルな写真にはなりそうもないかな、との懸念まじりではあった。

 途中の道路でちょっと奇妙な出来事に遭遇。やや下り坂で、見通しも悪くない道路である。が、途中から渋滞状況となった。自分も、前の車にならえというかっこうで停車していた。しかし、いやにその停車が長く、一向にすぐ前のクルマもその前のクルマも動き出さない。直進車線がそうなっていたわけだが、右折用も兼ねた中央よりの車線は滞ってはいない。何か事故であったのかと、次第にいぶかしく思うようになる。左折する必要があったため、左側車線にいたのだが、5分ほど待たされて、それじゃ、次の次の交差点で左折することにしようと考え直した。そして、右側の中央車線に車線変更をして進んだ。すると、しばらく走ってみると、とんでもないことが判明したのだ。
 先ほどのクルマの列の十台ほど前方のクルマは、一時停車をしていたのではなく、完全な「駐車」をしていたのである。しかも、数台が縦列駐車を決め込んでいたのだ。道路脇のショップか何かがイベントでもやっていたのだろうか、皆で違法駐車をしていたふうであった。その後ろに、渋滞のためかと思ったクルマが次々に動くのを待って停車していたというのだから、笑うに笑えない事態であった。
 わたしは、別の判断をしてそこから抜け出した自分を誉めたとともに、前方の事情が見えずに待ちぼうけを食らっているあのクルマたちは、どんなきっかけを得たら動きだすのだろうかと、やや心配にもなった。こんな「悲劇」は、現在の社会現象にもありそうな気がするようでもあった。時代の先が見えずに、多くの人が徒労を背負い込むという図のことである。

 「緑地公園」に着き、カメラの交換レンズを入れた10キロ以上はあるリュックを背負い、丘へのスロープを歩んだ。子ども連れで先に来ていた二組の家族とであった。こんな時季でも来るんだ、と頷かされた。
 丘の上が視野に入ってくると、そこに父親と男の子が凧揚げをしている様子が見えてきた。凧糸を10メートルほどに張り、片方で男の子が凧を掲げ、他方で父親が糸巻きを持ち子どもに指示を出している。
 とっさに、わたしは、何十年も前、息子が目の前の男の子と同じ位小さかった頃のことを思い起こしていた。名古屋で暮らしていた頃のことである。確か、正月明けの休日であっただろうか。誰もいない競技場のグランドに入り、強い風の中で、目の前の親子のように凧揚げをしていた。その時の事を思い起こすと、子どもに凧揚げを教えるというよりも、結構、自分自身が熱くなっていたかもしれないことが蘇ってきた。自分が幼かった頃にした凧揚げの爽快感を再び取り戻してみたいような衝動とでもいうのだろうか。
 目の前の親子の父親が、やたらに大声を出している。
「ほらほらほら、もっと強く引き続けなきゃあー」
「落ちたら、木に引っかかっておしまいだぞー」
 やれやれ、あの父親も、今現在、凧揚げをしているのじゃなく、すっかり過去へとタイム・トラベルしちゃってるんだな……。

 丘の上では、小さな子ども一人、二人を連れた家族が、三組ほど、お弁当を食べていた。ビニール・シートを引いてそれぞれが寄り添って座っている。その父親の背中、小さな子どもの背中、そして若い母親の背中を見ていると、何だか無性に感じ入ってしまった。何がどうというのではない。今、幸せですかというのじゃない。ご主人、会社の方は厳しいでしょうね、というのじゃない。奥さん、家計の方は大変ですか、というのじゃない。ボク、お父さん、お母さんが大好きでよかったね、というのじゃない。みなさん、もう十年もしたら、この時のことが涙が出るほど懐かしくなるんですよね、というのじゃない……。

 わたしはさっそく、「一脚」の高さを調節して、望遠レンズで富士の頭をカメラに収めていた。頭だけ撮ったってまるで証拠写真みたいでいただけないんだよな、と思いながらである。が、とにかく気になっていたから撮った。
 そして、ズーム・レンズを使いながら、丹沢の山々を背景にして行儀正しく建ち並ぶ新しい住宅街の様子を撮っては、この一軒一軒にそれぞれの生活と人生が閉じ込められているんだとバカみたいに考えていた。
 すっかりと葉を落として聳える木々が、晴れた青空を背景にする姿が美しいと思えた。夏は夏で、さわさわと揺れる緑の葉の群れが美しいと思いシャッターを切っていたはずであるが、黒い針金細工のようなこの時季の木々にもシャッターを切った。注意を向けると枝先には新芽が膨らみ始めているようだったので、望遠レンズを通して眺めるとやはりそうである。人間の生活にとっての寒さはこれからであるのに、自然たちはもう春の到来を睨んでいるようだ。

 実は、その「公園」へ行く前には、いつも必ずその近くにある寺(大泉寺)へと足を向ける。その寺の山門が気に入っているからである。今日も、同じ行動をとった。いつ来ても誰も人に会わないこの寺で、山門の姿をどのアングルから撮れば納得できるものになるかだけを独りで試行錯誤する。だが、境内の高い樹木で陰になりがちなその山門と、樹木の間から差し込む陽射しとの強烈なコントラストが大抵はレンズの絞りを狂わせてしまうのだ。今回も、山門の存在感を再確認できたことはよかったが、絞りについてはいつものように悔いが残ってしまった。

 この小山田の「マイ・フォト・コース」は、とにかく物静かなので思い入れが深くなる。町田駅周辺の人込みに群がる人々がいてもいいんだろうし、何を好んでか、逆に未だに農村の古い光景も発見できるこんな場所を好む者もいていいはずだ…… (2005.01.22)


 つい先ほどまで、神奈川県サイドから送りつけられた「境川水系に関するアンケート」の記述にたっぷり一時間ほど費やしていた。流域住民何万人もの中から、無作為で1500人が抽出されたとのことで、まるでちょっとした宝くじに当たった気分も手伝って、かなり真面目に回答した。
 正直言って、事務所には、公共団体から何やかやとアンケート依頼があったりするのだが、よほどの思いが生じないかぎり御免こうむらせてもらっている。今回も、またそんな類のものかと開封してみると、なんと自分が毎朝ウォーキングの際に「お世話」になっている「境川」に関することだというので、「よし来た」となったわけなのである。

 多分、自治体では、昨今の多発する自然災害もあって、河川管理を総合的に見直そうとしているのかもしれない。
 わたしも、水を浸透させないアスファルトのために、ちょっとした降雨でも水害を発生させてしまう現状には関心を寄せてはいる。確かに、そんなことに関した質問項目も用意されていた。
 しかし、「境川」を通じて河川というものに寄せているわたしの大きな関心は、地域住民にとっての自然環境であり、それらから地域住民が精神的な癒しや潤い感を与えられるという事情であった。現に、わたしは、「境川」の遊歩道を身体の健康のための運動として歩いているが、歩きながら川に生息する野鳥たちの様子を眺めることで、どんなにか精神衛生上の貴重なものを得させてもらっているかということなのである。そんなことは、この日誌にも頻繁に書いてきたはずである。

 思い返せば、わたしは、海の近くに住んだことはないので、もっぱら「川」というもので自然を代理体験してきたのかもしれない。
 大阪で過ごした当時も、「大和川」という川に愛着を持ち、親に内緒で近所の子どもたちと遊びに出かけたものだった。
 東京の品川に移り住んでからは、ドブ川同然の汚れようではあったが「目黒川」に慣れ親しんだ。いかだを作って冒険に興じた思い出が強い。「目黒川」はどちらかといえば自然とは縁のない川と言わざるを得ないが、その分、冒険という要素が、自然が人間に与えてくれる充足感を肩代わりしてくれていたのかもしれない。
 名古屋での川との縁と言えば、住いの近くを流れていた「庄内川」と、渓流釣りで出向いた岐阜の川である。どちらも、川原の草木と魚たち、そして野鳥という自然が溢れており、十分に心を癒してもらった覚えがある。
 そして、町田に住むようになってからは、釣りで「相模川」へ数多く通ったものだったし、ウォーキングを始めるようになってからは、狭い川ではあるが俄然「境川」に愛着を感じるようになった。

 人にとっての自然といえば、観光地の自然がすぐに名指しされたりするものだが、わたし自身は、生活の近辺での自然というものに大いに関心が向く。そうすると、自然を残した公園であったり、街中を流れる河川ということになる。
 こうした日常生活に密着したかたちでの自然というものが、現代人の生活にとっては必須であるように思われてならないのである。
 都会では、人工物と、所有という意味、そして管理という人為などが、人々の人間らしい柔らかい感覚を逆撫でし続けているように思われる。息苦しささえ与え続けているかもしれない。少なくともわたし自身は、現代の都市や都会というものを、もはやそんな空間だと実感している。自然特有の「アナログ」性に対する、都市・都会の急速な「デジタル」化にうんざりしている。人の人格・人生までもを、「勝ち組」だ、「負け組」だとデジタル的に峻別するところまで行かなければ気がすまない風潮に対して、バカもいい加減にせい、と言いたくなるわけである。
 だから、こんなふうに荒む感性を、寛大に癒す存在、自然というものが、生活の場の近辺にはしっかりとなければいけないのだと痛感するわけなのである。
 多分、現在のペット・ブームの足元には、人々のこんな精神状況がどかっと居座っているような気がしている。しかし、ペットを飼うことは誰にでも許されたことではない事実を思うと、都会に自然を! 豊かな公共的な自然を! と願わざるを得ない。
 都会の河川周辺に、自然を育もうとする人々の願いの結晶があちこちに誕生すれば、どんなにか都会の人々の心はやすらぐことだろう…… (2005.01.23)


 晴れた朝のウォーキングは、冬の今、多少寒くとも実に気持ちがよい。
 空気は冷えていてもたっぷりと汗をかく運動量になるように努め、ダラダラと歩くことはしない。鉄アレーを手にしたり、歩く速度のアップなどで可能な限りの負荷をかけるようにしている。
 しかし、周囲の景色が楽しめないというほどではなく、いやむしろ注意深く季節の変化を知らせる風景に視線を向けるようにしている。
 今朝も、昨夜の雪が家々の屋根や畑には数センチほど積もる今頃ならではの季節の景色をしっかりと味わっても来た。しかも、この時季の景色には、季節の微妙な移り行きが反映されていて、注意を注げば、それなりに知らされることがある。
 コース途中の民家の庭に、白い梅の木が小さな花々を咲かせていた。そこを通りかかった際、にぎやかで楽しげな野鳥の鳴く声が聞こえたものだった。多分、メジロであろうと注視してみると、スズメ大の大きさで、体がうぐいす色、浅緑色のかわいいメジロが、梅の花の蜜をいかにもうれしそうに楽しんでいる姿が見えた。メジロは、自宅の庭にも、よく訪れる。蜜柑を半分に切って、枝に刺しておくと、何も不思議がらずにそれをついばみにやってくるのだ。写真を撮ったりもする。
 梅には鶯が相場ということになるが、鶯とメジロとは、鳴き声はまるで異なっても、体型はよく似ている。しばらく見とれていたが、そうだそうだカメラだと思い起こし、腰につけたポシェットの中のカメラをまさぐる。すると、「写真撮るならヤダもんねー」とばかりに警戒されて、敏捷に飛び去られてしまった。朝日が降り注ぐ梅の木に、かわいいメジロという光景は、いい絵になったはずなのに……、と若干悔やんだりした。
 これから先、まだまだ雪が舞う天候が予想されようが、動植物の気が早いものたちは、もう春がそこまで来ていることをしっかりとさとっているようである。

 一日のうちの束の間、「アナログ」世界と心を通わせても、事務所に来ればリアルな「デジタル」世界と格闘しなければならないのが世の常である。
 ところで、振り返ってみれば「アナログ」世界に心を寄せ、それが貴重だと感じ始めたのは、長い間、といっても十年弱ほどであろうか、ビジネス生活で走り続け、その疲れと大きな環境変化の到来とが同時にやってきた頃からであるかもしれない。90年代半ばの頃からかもしれない。
 もともとの自分は、自然にもどっぷりと足を浸した「アナログ」志向傾向を持つ人間であったかと思っている。それが、ひょんなことからビジネス世界に全生活を傾けることとなり、時代の荒っぽさ(バブル期とその延長期間)とともに突き進むうちに、「デジタル」生活、不健康な生活、常に追い立てられるような余裕のない生活、一言で言って自然という「アナログ」を蔑ろにする生活を続けることとなったのかもしれない。最近時々耳にする例の「スロー・ライフ」と正反対の生活をしてきたということだろう。
 が、やがて、日本経済の環境が大きく行き詰まるとともに、その背後では文化的環境もこれまでの変化とは比較にならない速度で激変して行った。しばらくの間は、激動の行く末がまるで見えない困惑の中に放り出されたような気がしていた。
 しかし、気がついてみると、その激動の変化が、「グローバリゼーション」という大きな<うねり>に沿って展開していること、そしてその展開原理が<超>「デジタル」システム化(デジタル・ネットワーキング)であることが、否が応でも明らかになってきたわけだ。
 果たしてそうした<うねり>に沿って、<超>「デジタル」システム化の原理を推進していくことでこの国の経済が軌道に乗るのかどうかは判然としない。だが、「構造改革」という未だに玉虫色をしたキャッチフレーズとともに、<超>「デジタル」システム化は推進されている。
 また、文化的環境は、生活環境に「デジタル」製品が溢れる速度とともに、確実に「デジタル」環境へと激変して行ったことは疑う余地がない。人々の感覚や意識そのものが、「デジタル」的な性格へと変質したことも否定できない。
 要するに、良いことも悪いことも、すべての現状が「デジタル」的となっている、といっても決して過言ではなさそうである。

 今さら「デジタル」原理を退けることなぞは不可能であるし、利口なことでもない。しかし、時代や多くの人々が「デジタル」文化に依存すればするほどに、わたしの「アナログ」への思い、自然という存在への思いは募るばかりとなっていくようだ。それらが、「不当に」過小評価されていることに違和感を禁じえないとでも言おうか。
 「アナログ」パワーの復権とまでの大仰な言い方はすべきではない。「アナログ」的存在にパワーが秘められていることは自明だからであり、むしろそれが見えなくなってしまった現代人の方がはるかに問題なのであるから…… (2005.01.24)


 今日は、朝一から久々にプログラムをいじってあっという間の時間を過ごしてしまった。
 現在、決して大したものではないのだが、「ケータイ」のインター・ネット機能を活用したある業種向け「顧客予約システム」なるものを試作しようとしている。
 顧客側が、「ケータイ」にて、「ID」と「パスワード」の「認証」を得た上で、とある業種のサービスを「予約」したり、「予約の確認」「予約の取消」などが行なえるといったものである。
 また、業者側は、そうした「ケータイ」からの予約状況を、手元のPCでリアル・タイムに確認できるとともに、通常の電話などでのその他の予約をPCに簡単に手入力することができ、要するに顧客の予約状況が一元管理できる、というものなのである。
 高額なコストを掛けた大掛かりなITシステムのレベルでは決してめずらしいものでもないのかもしれない。決して「オンリー・ワン」システムを作ろうなぞと考えているわけではないのだ。
 先日も書いた通り、デスクトップPCばかりに目を向けてきたこれまでを「反省」し、「ケータイ」の可能性を早急にまさぐるためには、やはり小さくとも何らかのシステムを手掛けることが手っ取り早いと考えているわけなのである。

 「プディン(グ)の味は食べてみればわかる」というような言い回しがあったかと思う。あれやこれやと頭の中で思いを巡らせても到達しにくいことで、実際体験してみると意外に頷けるといったことを意味していたかと思う。「案ずるより産むが易し」という似たようなことわざもあったはずだ。
 体験よりも理論が重要というのが従来の常識であったかもしれない。その理屈にも説得力はある。だが、新しい事物が乱舞する現代にあっては、理論だ、概念的推測だでは済まない事情もありそうに思える。新しい事物の登場から日が浅ければ、理論や概念が機能する判断材料さえ乏しいわけであり、それを無理矢理に従来の枠組みで憶測するならば、「誤」認識という事態が往々にして生まれてしまう。まあ、だからといって、先ず体験ありき、が正解だと言い切ってしまうのも多少危なっかしいことは避けられない。
 IT環境だとか、システム領域での技術環境の変化はまさしくラジカルであり、こうした事情が最もよく当て嵌るはずである。従来の枠組みに依拠して慎重に構え過ぎては、機を逃してしまうであろうし、わずかな経験をもってして過大評価をして飛び出すならば、とんでもないやけどをする、といったジャンルなのであろう。

 しかし、変化の激しい技術環境ほど、体感的経験がウエイトを占めるものもなさそうである。最も簡単な話を例にとれば、「GUI(グーイ。Graphical User Interface)」という、要するに「Windows」上での「アイコン」であるが、これがこんなにも普及して当たり前の操作ツールになるなぞと一体誰が予知したであろうか。おそらく、この操作方法がなければ、PCやインターネットの普及はあり得なかったかもしれない。
 そして、「アイコン」をクリックする操作というものは、理屈ではない。まさにやってみなければわからない、やってみればわかる、といった「プディン(グ)の味は食べてみればわかる」という事実そのものである。
 このことは、PCビギナーで上達の早い人というのが、理屈をこね回す人ではなく、とにかく使おうとする意欲と実践のある人であることが傍証してもいるようだ。

 それで、わたしの場合も、システム関係の領域にあっては、先ず作りたいと思うシステムの対象を定めて、それを作り始めるというアプローチ、つまりアプリケーション・ターゲット優先の接近法を採用している。
 くれぐれもしてはならないことは、新しいツールなどのマニュアルを一頁、ニ頁と読み重ねて「一般的な」知識を得ようとするようなアプローチである。その方法では挫折すること間違いなしだと保証できる。やはり、「自分にとっての」意味というものをワガママに追求することが、結局、早道になりそうだと実感している。
 そして、技術というものは、実感・体感を離れて云々できるものではないように受け止めている。で、今、久々にウェブ環境での「ケータイ」の可能性を模索するために、「予約システム」というスモール・システム作りを試行錯誤しているというわけなのである…… (2005.01.25)


 「音声認識」システム(音声→文字、文字→音声の変換システム)には以前から関心を向けていた。この「日誌」にしても、記述後の見直しにあたっては、とある「読み上げソフト」を活用している。また、ネット上のまとまった文章を読む際には、同じくそのソフトに読み上げさせて集中度、理解度を高めようとしている。
 また、いよいよ「音声→文字」変換ソフトを使おうかと思って準備をしているところでもある。そんな矢先、「携帯電話向けの音声認識技術」をNECが開発しているとの新聞記事が目についた。
「『しゃべってメール』 ボタンをおさなくても、声を出せば、その文章をそのまま電子メールにしてくれる携帯電話向けの音声認識技術を、NECが開発した。従来の認識ソフトは高度な処理能力が必要なため、パソコンやサーバーに限られていたが、消費電力などを減らして携帯電話に組み込めるようにした。
 言葉の解析は、大きさ約1センチ角の中央演算処理装置(CPU)3個などが担う。1万〜2万語の辞書機能も搭載し、ごく自然な会話なら9割以上の単語を認識でき、数年内の製品化が可能という。
 電話機に話しかけて操作方法を画面に表示させたり、留守番電話の話し声を文章にして一覧表示したりもできる」(朝日新聞、2005.01.26)

 わざわざ引用したのは、関心のあるテーマだというだけではなく、実は、つい先日、わたしは、ある技術コンサルティング会社の人に向かって、まさにこのテーマについて話していたばかりだからである。
 インターネット・メールが便利なのは、通常の電話と異なって、受信側の現在の都合にかかわらず、発信側がとりあえず用件などを伝えておけるという点なのであろう。確かに、メールでなくとも「留守録」という機能を使うことでもそのニーズは達成されるわけではある。だが、「留守録」は「お電話ください」などの繋ぎ連絡にもっぱら活用されているような気配だ。
 ところが、「ケータイ・メール」の難点は、その入力処理にある。キーボードを使い慣れた者にとって、あの小さく、かつわずらわしい「ケータイ」の「ボタン」をチョコチョコとした指操作で入力するのは消耗する。そんなことをしているくらいなら、直接相手に電話して話してしまった方が何とラクなことかと思ってしまう。ところが、いざ、かけてみると「ただいま、電波の届かない……」というメッセージが返ってきたりすると、やはりメールしかないか、と振り出しに戻されるわけだ。
 そんなことから、「ケータイ・メール」での比較的ラクな入力方法はないものかと思い、「ケータイ」に「音声→文字」変換ソフトを組み込む案が、やがて実用化に向かうはずではないか、と話していたのである。
 何と言っても、現在の技術動向の最大の特徴は、半導体自体の高性能化と微細化である。従来ならば質量の大きなコンピュータで処理していた処理過程を、手のひらサイズの機器でまかなうことは決して技術的にも、実用製品的にも不可能なことではなくなっているからなのである。

 おそらく、この「ケータイ」での「音声→文字」変換ソフト組み込みは、単に「ケータイ・メール」で文字入力のわずらわしさを除去するだけで終わることはなく、「ユビキタス」時代での、電子機器操作全体が「ボタン操作から声による操作へ」という動きに拍車をかけそうな気がしている。
 例えば、自家用「オート・カー」に乗ると、クルマが、
「どちらへ行きますか?」
と訊ねてきて、もはや運転手ではなくなった本人が、
「事務所!」
と発声(音声入力)すると、オート・ドライビングが始まるという、例のイメージに限りなく近づくという具合なのであろう。
 するってえーと、現在では、みんながIT機器や、エレクトロニクス機器を前にして黙々と操作する、いわば「無口社会」が、もうしばらくすると、あちこちで人の声が入り乱れる「おしゃべり社会」へと大変貌していくのであろうか…… (2005.01.26)


 クルマでガソリン・スタンドの前を通りかかった際、灯油を買いに来ていた人の姿が目に入った。18リッター入りの赤い灯油ポリ・タンクを、自転車の荷台に紐で括り付けているのだった。それは、かなりの重みがありそうであり、縦長でもあるので、ふらつかないだろうかと余計な老婆心が生じた。
 60歳前後のおじさんふうの男性である。よれっとしたベージュ色のセーターに同系色のズボン(あえて、スラックスとは言わない)という身なりで、動作は全体的にゆったりとしている。そうした恰好からも、また昼前のこんな時間帯(11時頃)ということもあり、明らかに自宅での生活者かと推測させた。黒ぶちの眼鏡をかけており、文筆業に携わる人と見えないこともなかったが、おそらく無職か自営業といった雰囲気だ。
 やがて、ポリ・タンクを荷台に括り終えて、そのおじさんは自転車にまたがり帰路についた。やはり、なんとなくふらつく体勢を必死に堪えているようにも見える。
 わたしは、何がどうということなく、その姿を目で追っていた。横断歩道を渡る際、左折するクルマが停止していると、自転車をこぎながらそのクルマに向かって礼儀正しく会釈なんぞをしていた。そして、赤いポリ・タンクを背負った自転車は、次第に小さくなり、まもなくわたしの視野から消えた。

 なぜこんな光景に目が止まったのであろうか。
 一言で言えば、ありふれて地味ではあるが、揺るがし難い生活の重みというようなものを、このシーンから感じたのかもしれない。そのおじさんにとって、自転車の荷台のポリ・タンクはさぞ重かったに違いないが、この地味なシーンは、ズッシリとした生活の重みというようなものをわたしに与えたようであった。つまり、「自転車」「灯油ポリ・タンク」「ベージュ色のおじさん」という「三位一体」が、わたしに、生活の重みとでもいうものを強く実感させたのであった。
 家に辿り着くと、そのおじさんは、玄関にポリ・タンクを持ち込み、寒々とした部屋から灯油が空となったストーブを運んで来たりするのだろう。
 その時、この家の奥さんらしき人の声がしたりする。
「お父さん、こぼさないように入れてくださいよ。玄関のセメントに染みるとなかなか匂いが消えませんから……」
「大丈夫だよ」
とでも、「ベージュ色のおじさん」は応えるのだろう。そして、乾電池入りのポンプを操作しながら、部屋が暖まったら早速やらなければならない「仕事」のことを考えていたりする。
 「仕事」といっても、もう何年も前に会社は定年退職している。年金だけでは心もとないので、会社に勤めていた当時の知人が持ってくる、家でこなせる事務作業なんぞをアルバイト程度に手伝っているのだ。そんなものでも、自分が必要とされているという実感が味わえるので手放したくないし、月に一度ほど顔を出す息子の子ども、つまり孫にゲーム代なんぞをせがまれた時にも困らないだろうとか思ったりするのだった……。

 こうした地味で堅実な生活があり、生活者がいる一方で、生活臭がまるでない時代風潮が未だに乱舞しているのが現在であるような気がしている。いや、未だにというよりも、経済活動を測る物差しの目が、縮小して細かくなってしまっている現状および今後を、想像したり、承認したりできない者たちが、なりふり構わず悪あがきをしている気配だと言うべきか。
 その悪あがきの共通した点は、穏やかに言って「弱肉強食」、率直に言い放てば「弱者を食い物にする」ことではないかと直感する。前述の「ベージュ色のおじさん」宅はまだ夫婦二人の生活だが、もっと高齢化した独居世帯は数知れずあるはずだろう。
 そんな「弱者」が、どんなに「食い物」にされているかは、新聞報道の「振り込め詐欺団摘発、14人逮捕 被害、年数十億円か」という記事ひとつ見てもわかる。この記事を読むと、この犯罪が、まさに「ピラミッド型」組織による「定常業務」を行なう「会社」のような犯罪組織によって手荒くなされていたことがわかろうというものだ。

 この点は、決してこの組織だけが特殊に悪辣なのだと考えて済ましていいことではないような気がしている。こうした組織犯罪を成り立たせてしまっている経済社会の諸制度や社会風土そのものに「歪」があると考えるべきではないかと思う。端的に言えば、「弱肉強食」社会文化が基盤にあってこその犯罪であろう。
 現在、「偽造カード」被害もただならぬものがあることは周知の事実だが、そこでは、被害補償を初めとする金融機関の姿勢が問題視されたりしている。あらゆる不正を許さない社会を望むのであれば、金融機関とてもう少し現実を直視すべきではないかと感じる。 インターネット環境についても、不正を蔓延させないためにプロバイダーに義務づけられた措置があったはずだが、同じことが金融機関にもなされているのだろうか。「振り込め詐欺」の温床が、不正に使用される「口座」であることは誰もが睨んでいるはずである。プリペイド携帯に規制が加えられようとして、なぜ無責任な「口座」が放置されているのだろうか。
 不正なアクションに対して、あまりにもそれを取り締まる体制が「遅拙過ぎる!」のが現在の大きな特徴である。そんな状況の中で、弱者や、頼るすべのない生活者たちが先んじて被害を被っているのが厳然とした事実なのだと言える。
 「スマトラ沖地震・津波」で災害を受けた者たちの中で、低所得層や弱者の占める比率が高かったという報道に接したことがあるが、今現在、この国で起きている不正や凶悪犯罪での被害者たちも同じだと見なしてもよい。とすれば、この事態は、「弱者据え置き津波!」だと命名されても問題ないのではなかろうか…… (2005.01.27)


 TVの国会中継を見ると、相変わらず資格と品位を疑わせるような首相答弁や、自民党議員たちの政治資金取り扱いに関するダーティさなどうんざりすることばかりである。それにつけても痛感することは、主権者である国民が「良識」を持たなければいつになってもこの国は腐ったままだということであろう。
 昨日は、いよいよ本格化した「弱肉強食」社会にあって、悪辣な輩たちが「弱者」をターゲットにした、まさに「弱者据え置き津波!」とでも表現すべき凶悪犯罪を仕出かしていることを書いた。そして、そうした悪辣な輩たちが蠢くことができる基盤というものがありはしないかとも書いた。
 いつの時代にも、どんなところにも悪い輩はうじ虫のようにわいて生まれてくるものだ。しかし、不潔な環境こそがうじ虫の棲息条件であることは言うまでもない。

 現在、この国が急速に犯罪多発国へと変貌しているのは、確かに、急激なグローバリゼーションや、不慣れなIT環境が急速に推進されていることにも原因の一端はあろうかと思う。だが、そうした問題ではない部分をこそ注視すべきだろうと見ている。
 つまり、社会規範が堅持されるために必要なものがメルト・ダウン(溶解)しているかに見える点である。ひとつは、社会情勢を少なからずリードするはずの政界の実態があまりにもアナーキー(無政府的)であることだ。
 今回の国会でも、旧橋本派の政治献金疑惑をはじめとする政治資金規制法について論議されなければならない状況にあると考えられるが、予算審議での首相の誠実さを欠く振る舞いや自民党議員たちの傲慢な言動を見せられてみると、「ルール」感覚が踏み躙られている実態を知らされる。「ルール」を制定する国会の、「ルール」なき現状を見せつけられるならば、社会の規範意識は立つ瀬がないではないかということになる。
 昔のまともな政治家たちならば、率先垂範(そっせんすいはん)の言葉を地で行っていたと思われるが、現行の政治家、自民党の議員たちときたら、「弱肉強食」社会で稼ぐことについての率先垂範は貪欲であっても、危機に瀕する社会にとって必須の社会の規範意識再生についてはまったく視野に入れていないようだ。
 まあ、そんなことは端からわかっていることと言えばそう言えるので、さらに言葉を足すことはしたくない。むしろ、国民側の「良識」に目を向けたい思いなのである。

 そこで、社会規範がメルト・ダウンしつつあるかに見える現在の、ふたつ目のチェック・ポイントは、主権者たる国民の「良識」は健在なのか、という点である。残念ながらわたしは、イエスとは言い難いと思っている。少なくとも、社会の動向を、国民としての責任感覚をもってチェックする姿勢は極めて希薄だと断言したい。率直に言えば、これまでの自民党政治のデタラメさを許容し、加担さえしてきた部分なぞに関しては、「チェッカー」どころではなく、無責任な「烏合の衆」でしかなかっただろう。
 そう言い切る例は、多くを挙げる必要もなく、ただ一点、現首相小泉氏の空虚な政治姿勢が見抜けず、虚しい内閣高支持率を作ってきたことだけで足りるかと思っている。
 そうした「なめられる」ようなことをしているから、戦争への一歩を踏み切ることになるし、「強者」が食い潰して赤字となった国家財政のつけを、すべて国民に振り向けるような愚策がどんどん既成事実化されてしまうわけなのではなかろうか。さらに、この国が世界に誇っていい「平和憲法」の改悪をテーブルの上にドカッと上げられてさえいるのが現状である。「なめ切れる」ほどに低迷している国民のチェック感覚・意識を、時の権力層はしっかりと見越しているわけであろう。
 極端に言えば、相も変らぬ政界の腐敗ぶりと国民の主権者意識(チェック意識)とは、まさに「破鍋に綴蓋(われなべにとじぶた)」の関係にあり、後者が前者の原因にさえなっていると言ってもいいのかもしれない。

 多分、「国民の主権者意識」という表現自体が、「それって、なに?」と言われかねないような気もしている。ひょっとしたら、現在の若い世代は、税金という「対価」を支払って、国という「団体」に政治をやらせているのだから、「万事よきに計らう」はずだとでも思い込んでいるのだろうか。そこまでも若い世代の政治意識の幼さを疑ってしまう昨今の自分である。いわば、権力というものの「狡猾さ」や「猛威」というものに驚くほどに無頓着であるとの印象が否めないわけだ。もっとも、現在の若い世代が、そうした歴史教育を受けていないとなれば、時の政府を「良い王様」が司るありがたき機関だと思ってしまってもやむを得ないことなのか。
 今日も、「偽札使った容疑、大学生を逮捕 千葉県警」という新聞記事(asahi.com 2005.01.28)があったが、大学生ともあろう者が、「刑法 第16章 通貨偽造の罪」に、「偽造行使」が「無期又は3年以上の懲役」の重罪だという事実も知りえない立場にあるのだろうか、と情けなく思えた。
 イージーに殺人事件を引き起こす若者もいたりする昨今であるが、生命の尊重という感覚の希薄化だけでなく、ひょっとしたら、「情報(化)社会」だと言われながら、政治領域に限らず、社会的・常識的な知識・情報すら乏しい実態がひたひたと蔓延しているのではなかろうか…… (2005.01.28)


 「虫も殺さぬ……」という慣用句がある。その意味は、きわめて温和なさまの形容(広辞苑)とある。
 先日、平気で虫を殺した夢をみた。いや、平気ではなかったようでもある。殺してから、何というかわいそうなことをしたのかと後悔している自分もいたようだった。
 どんな光景であったのかというと、晴れた日に、舗装されていないような道の上か、空き地のような場所で、どうも「かげろう(カゲロウ目の昆虫の総称。体も翅[はね]も弱々しく、2本または3本の長い尾毛がある。夏、水辺を飛び、交尾・産卵を終えれば、数時間で死ぬ。はかないもののたとえに用いる)」のような虫、数匹に、特に感慨もなく<殺虫剤!>のようなスプレーをかけて殺しているのだった。そして、その後、地上に落ちて横たわる「かげろう」を見つめてから、かわいそうだという思いを自覚したり、奇妙な罪意識のようなものに苛まれている、といった場面のようなのである。
 おそらく、夢の中の自分は子どもの頃の自分であったのだろう。もちろん、夢の中では、ビデオや映画のように、自分の姿が映し出されて確認できるようなものではないため、判然とはしない。
 それにしても、殺虫剤のスプレーを何匹かの「かげろう」に向けて噴射している際には、まったくといっていいほど、生きものを殺すというような感覚はなかったように思い出す。何も考えず、感じずに、あるいは場合によってはおもしろがってさえいたのかもしれない。
 事後になって、夢の中でも後悔していたし、覚めてから後味の悪い思いを引き摺ったりしていたものであった。

 時々こんなかわいそうなことをする自分の夢をみることがあるのだ。覚めて素面(しらふ)の時には、とてもそんなかわいそうなことはできないはずのことを、夢の中では平然とこなしているのである。こんなことを書くと、「二重人格」者だと思われかねないであろうが、どうも事実のようなのである。ほかの人の場合は一体どうなのかはあずかり知らないわけだが、ひょっとしたら誰しも夢の中というか、深層心理においては、生きものを殺すとか、凶暴な振る舞いをするとかに関しては、日常の意識とは別なのではないかという気がしないでもない。
 たぶん、夢の中では、日常的な理性よりも感情が支配的になっているように感じる。歓び、悲しみ、怒り、恐怖などが飾りなく表出され、しかもそれぞれがしっかりとした脈絡(論理)を持たないかのようである。なぜ悲しいのか、なぜ怒っているのかではなく、悲しいから悲しい、腹が立つから怒っている、怖いから恐怖におののいているといった同語反復的な感じさえするわけだ。
 冒頭の「かげろう」殺しについてはあまり当てはまらないのだが、夢の中で凶暴なことをしたと、覚めてから後悔する場合というのは、どうも、その直前に恐怖や怒りの感情がありそれが引き金になっていたのではないかと、夢解釈をしたりする。
 つまり、人間の深層心理にあっては、ある感情が別な感情を誘発し、その感情がまた別の感情を刺激するといった、感情間の因果関係が連鎖しているような気がするのである。 そして、そんな原始的な感情の中には、凶暴な振る舞いに連結する、危険な感情も存在しているのかもしれない。

 なんだってこんな薄気味の悪いことを書いているのかというと、現在、連日のように凶悪な犯罪が報道されていることに関係している。人間の凶暴さというものは、誰かに存在し、誰かには存在しないというようなものではなく、誰にでも存在するのだけれど、それを抑制したりコントロールしたりすることができるかどうかで、大きな差が生じるものではないかと考えるわけなのだ。
 まして、昨今の品位のないTVドラマや、刺激的であることを望む大衆に迎合して作られるこけおどしの映画などは、日常的な理性や意識を掻い潜って深層心理を無用に揺さぶっているかのようである。
 いや、そうしたフィクションだけではなく、現実世界にあってもイラク情勢や北朝鮮状況などなど、人の恐怖心や怒りを増幅させてしまう現状が溢れかえっている。
 文化や文明によって、長い時間をかけて「なだめてきた」人間の原始的な感情が、現代という時代にあっては、無用に刺激され続けているような気配を感じるのである。

 昨日であったか、しばらく前に、幼いわが子二人を包丁で刺し殺してしまった若い母親がいたそうだが、その母親に対して、懲役9年の判決が言い渡されたと聞いた。その殺人事件には、子どもたちが騒いだというほかに、ことさら深刻な理由があったわけでもなく、また責任能力が問えない「心神耗弱」でもなかったということらしいのである。それで、懲役9年という判決になったという。子どもたちのひとりは死の直前に、「おかあさん、ごめんなさい……」と言ったとかである。
 では、一体何なのか? 何が母親にそんな残酷なことをさせることになったのか? とわたしは不可解な気分にとらわれ続けてしまったのだった。上記のような薄気味の悪い「夢解釈、自己分析」をしたりしたのは、そのことがひっかかっているためなのかもしれない…… (2005.01.29)


 飲酒運転の取り締まりがようやく厳しくなってきたそうだ。
 酒気帯び運転だと罰金が20万円だとからしい。また、同乗者も酒気帯び運転を黙認したかどで同様に罰せられ、それぞれ20万円を支払わなければならないという。
 実際は大事故に結びつく可能性が多々ある罪なので、懐の痛手を実感することになる金額の罰金が課されるというわけか。
「一人20万も出すんなら、タクシーで大阪へ行って飲んで帰って来られるべさ」
とは、大工の頭(かしら)の弁であった。
 実は、いよいよ自宅の屋根と外壁塗装を業者に依頼することとなり、今朝は、屋根大工やペンキ屋の職人さんたちが見積もりのためにやってきたのだった。
 屋根大工の職人さんが、屋根に上がり、その広さや現状の具合を調べている間、わたしは大工の頭やペンキ屋さんたちと世間話をしていたのだ。
 そんな話の中に、職人仲間の誰々たちが、現場帰りに酒を飲み捕まってしまい20万円の借金を自分に申し入れてきたとかいう話だったのである。やれやれ、ありそうな話だと思った。と同時に、交通取締りの現状に疎くなっていた自分は、飲酒運転の罰則がそんなにも厳しくなっていることを知らされたのである。

 いや、飲酒運転の罰金のことはどうでもいい。現在は、クルマ運転時どころか、徒歩の際にも、自宅でももはやほとんど酒を飲まない自分にとっては関係のない話なのである。昔、よく酒を飲んだ当時も、飲酒運転で人身事故を起こしたら事業ばかりか、人生が破綻することになるとの認識から、くれぐれも気をつけていた。その代わりではないが、過去スピード違反や駐車違反では複数回キップを切られた覚えがある。自慢になることではないが……。
 飲酒運転のことではなく、職人さんたちの会話というのは楽しいなあ、ということなのである。とにかく飾りっ気がなく、額面どおりの話がさばさばとしているのがいい。またジメジメとした陰気なところがなく、辛い話さえも笑えるからいい。体育会系的だといえばそうも言えるが、若造たちと違うのは、生活者であることから地に足が着いている点だと言えようか。
 また、今日、見積もりに来た職人さんたちは、いずれも私の世代もしくはそれに近い人たちであり、かつての職人気質を引き摺っている人たちであった。いま時の若い世代のように、自分が自分がと自分を前面に出すことを何とも思わない世代とは違う。いつも相手側の気持ちがどうかが頭や心から離れないようだ。
 スケジュールを相談する際に面白い会話があった。
「何だか俺の都合ばっか言ってるようで悪いんだけど……」
と屋根大工さんが言うと、大工の頭が、
「ええんじゃないの。日取りの都合を調整するのに、自分のこと言わんかったら実情がわからんもんね。後でムリしてもしょうがないやね」
 もっともな話であり、さすがに頭(かしら)だとか「ハチのあたま」だとか言われている人は要領を得ているものだと思わされた。

 そう言えば、親戚筋にも工務店の社長を務めていた元大工さんがいた。酒を飲みすぎて、肝臓をこわして亡くなったが、羽振りの良かった頃のことを覚えている。大工の腕はともかく、とにかく職人受けがいい言動が得意な人であったかと覚えている。細かいことや、複雑なことを言わないのだ。もしそうしたことに触れざるを得ない場合にも、物事をうまく単純化して、おまけに笑えるような口調でさり気なく表現するのである。
 さばさばした気質、まどろっこしい論理なんぞはくそくらえの職人たちにとっては、そうした表現こそが「ナルホド感」が促され、「いいんじゃないのー、それで」ということになるわけだ。
 ただ、仕事現場に即して言えば概して妥当な振る舞いも、人生全体では必ずしもそれが万能ではなかったことは、その社長のいろいろを知るわたしからは見えたものである。

 わたしは、職人気質というものは好きである。落語愛好家としては当然のことかもしれない。が、だからと言って、その職人気質全般に何の不安も抱かないほど能天気でもないのかもしれないと自認している。
 極端なことを言えば、どうしても物事を単純化して丸呑みしがちな気質というものは、「束ねられ易い」という嫌いをも持つわけで、心根の悪い「ハチのあたま」がいたりすると、まんまと一杯食わされるという憂き目を見ることにもなりかねないのである。義侠心あついやくざ(いま時そんな者たちはいないのかもしれないが)の群れが、政治権力者にうまく利用される例などがそれだと言えるかと思う。
 印象レベルで言うならば、概してこの国の保守的な勢力は、この国の庶民の意識の多くの部分を構成するであろう職人気質というものを実にうまく操ってきたような気がしている。まあ、こんなことを職人方々に言ってどうなるものでもないとは思っているが。

 ともあれ、二月中は、そこそこの期間、文字通りの職人気質と接することになりそうで、何となくわくわくする気分なのである…… (2005.01.30)


 クルマのセルフサービス給油を行なったら、三千円で25リッターにしかならなかった。リッター当たり120円という水準で一頃に較べると高い。原油に関わる中東情勢の悪化が原因かと短絡しがちだが、どうも実態は「ヘッジファンド」の仕掛けによるものらしい。

(「ヘッジファンド」:主に米国を拠点とする私募形式の投資信託。世界の資産家や金融機関、企業のほか、ファンドの運用者自らも資金を出しているのが一般的。規制を受けず、先物・オプションなどデリバティブを駆使したり、為替投機や商品投機をしたりするなど大胆な運用をして極めて高い運用成果を追求するのが特徴)

 ちょうど昨晩TVで、「原油高騰 世界市場で何が起きているのか」(NHK総合)を見たばかりであった。
 これまで、世界の原油価格は、産油国が国際石油資本に対抗して石油の生産と価格を調整することを目的として結成したOPEC(石油輸出国機構)がイニシアティブを握っていた。ところが、原油の先物取引市場が活況を帯びるに至り、市場原理が優勢となって原油価格が決まる傾向が強まったのだそうだ。
 そして、この市場原理を操るものとして「ヘッジファンド」の存在がクローズ・アップされてきたのである。従来、OPECが産油の調整により需要と供給のバランスを取ってきたのは、産油国の資源問題や石油の高騰は世界経済を減速させるという点などを配慮してのことであった。いわば、世界全体を視野に入れた調整であったと言えようか。
 だが、「ヘッジファンド」の動機は、端的に言って投資資金が生み出す利益以外ではない。原油という先物商品を、機に応じて売買することによって如何に巨額の富を得るかがすべてであり、それ以外には何の関心もないということになろう。
 原油価格が高騰して、世界の産業界が困るであろうことや、そこから生じるかもしれない世界経済の混乱と原油需要低迷と価格大暴落などの、実体的問題には関心をしめさないし、責任なぞもいっさい感じないのだと言える。機に乗じて金儲けをすることに徹しているわけである。

 この原油絡みの「ヘッジファンド」には、ハイ・リターンの資産運用向け商品だということで世界の資産家たちが、飽くなき投資をしているのだという。日本の投資信託会社もこれに加わっていることは容易に想像できる。現に、何を勘違いしてか、貧乏人のわたしにも、昨年の春頃であったか、「原油株は儲かりますよ」と、とある証券会社のセールスがやって来たものだった。
 確かに、イラク問題や中東の不安定な情勢から原油・石油は値を上げるのではないかという推測は誰にでもできただろう。しかし、もともと株を購入することに積極的となれない自分であったし、おまけに石油高騰を煽るような動きに加担することなぞはしたくなかったため、にべもなく断わった。
 モノの価格が、実体的に消費される需要の増大と、それに生産が追いつかないといった実体的な需給バランスによって上がったり、下がったりすることはやむを得ないことであろう。しかし、あたかも実態的な需要があるかのようにその商品の「買い」を取引的に作り出すという、いわば価格操作的な経済活動はどうしても納得し難いのである。
 しかも、その商品というのが、地球環境の温暖化現象にも影響を及ぼす石油だとあれば、なおの事複雑な心境にならざるを得ない。すでに、この原油価格の高騰化によって、従来の価格水準ではペイしないと見送られていた油田の発掘が、ゾロゾロと始められたりしているとも聞く。現在の金銭的利益のためには、将来の地球環境がどうなろうと視野の外の問題であるかのような動向だと見えたりする。

 こうした「ヘッジファンド」のアクションが、どんな舞台で演じられているのかと言えば、とりもなおさずグローバリズム、グローバリゼーションが強まった世界だということになるのであろう。経済と金融(それだけではないが)において、国という従来の障壁が相対化させられ、自由化という名のもとに巨額のマネーが世界を駆け巡るようになって「ヘッジファンド」という怪物が蠢くことができるようになったはずなのである。
 ますます、不安と疑念が募らされるのは、現在の世界は本当にこの路線を突き進んでいいものかどうかという、そんな根源的な問題なのである…… (2005.01.31)