歯茎に「麻酔」処理をして虫歯治療をした。
あの「ドリル」のような器具を使った治療は、誰でも想像するだにゾッとするものだが、虫歯部分の「研削」前に「麻酔」処理がなされると、痛みは皆無となり、ただ「ドリル」の高回転音、低回転音だけが違和感を与え、恐怖感を刺激する。
「知覚過敏」と取り違えて治療を受けることが遅れてしまった歯の治療がまだ継続中であるというのに、左右反対側の箇所も同様の痛みが始り、その旨を医者に告げたところ、現在治療中の歯とほとんど同様の症状にまで進んでしまっていることが判明した。
手遅れになって前回のようなケースにならないようにと思ったにもかかわらず、すでに虫歯の進行は容赦がなかったのだった。歯医者だったら、虫歯の進行くらい「指摘」してくれればいいじゃないか、という勝手な思いが込み上げたが、黙って、予定していなかった治療を早速受けることにした。
進行度合いが神経に触れつつあるということで局部的な(当たり前だが!)「麻酔」処理を施すことになったわけだ。
「麻酔」というのは、治療中の痛みがまったくないために、患者にとっても、また手際良く事を進める医者にとっても合理的な対処だとは言える。痛がる患者の表情を見ないわけにはいかないかたちで、削る部分は削るという作業を進めなければならなかったら、どんなにか治療は難航することだろうかと想像する。患者にしたって、「ドリル」の異音さえ聞こえなければ、痛みどころか何をされているのかさえ感じ取れないのが「麻酔」であるから、合理的治療と言えばそういうことだと納得させられる。
ただ、治療中はほかに考えることもないので、「麻酔」というのは一体何なのだろうかと考えたりしていた。
当該の患部が、まったく感知できない状態となっているわけだが、それはほとんどそこには何も存在しない、と言って差し支えない現象が生じているのである。まあ、時間が経てば知覚が戻り、痛みなりなんなりの存在感が戻って来るのではあるが、「麻酔」が効いている最中は、その部分が「色即是空」の「空」のように何もないごとく感じられるのが不思議と言えば不思議だと思えた。
ヘンなことをいろいろと考えていた。
まず、身体の「部分」、たとえば手足などがなくなったとしたら、「麻酔」箇所の「空無」感と同様な感覚として自覚することになるのだろうか、とか、しかし、聞くところによれば、「失われた足」が痛むことがあるとも言うので、またちょっと違う可能性もあるのだろうかとか……。つまり、「失われた足」の痛みという事実は、人間の感覚というものが、単に抹消神経だけで機能しているのではなく、末梢神経の機能とともに、脳内部での末梢神経への「追認」感覚とでも言うようなプラスアルファの働きがありそうだからなのである。おそらく、そうした働きがあるために、「失われた足」が痛んだり、睡眠中のちょっとした刺激が夢の中で針小棒大的に感じられたりもするのかもしれない。
しかし、そうだとすると、末梢神経を麻痺させることになる「麻酔」というのは、脳の側での働きを「騙す」ものということになりそうである。脳は、末梢神経から突然に「ノー・レスポンス」となった状態に戸惑っているのかもしれない。都内の本社本部から、札幌支社への連絡に対して、支社側から突然なんのレスポンスもなくなってしまった騒動に似ているのかもしれない。
「佐藤君、札幌はあれだけ大変だ、大変だと騒いでいたのに、何の応答もないというのは一体どうしたというのかね……」
とでもいうような不思議さに包まれてしまっているのかもしれない。
さらにヘンなことへとわたしのイマジネーションは向かって行ったのである。
「麻酔」処理を受けた歯の箇所から唇の部分は、舌でまさぐっても、舌側の感覚はあるのだが、舌がふれている対象側は「何もない」ごとくなのである。突然、「麻酔」が効いている直系3センチ程度の球体ごとき空間が、まるで姿を消してしまったかのようなのである。
これまた、ヘンなたとえをするならば、もし日本列島が人の身体だとして、千葉県あたりが患部だとしよう。そして、千葉県を外科手術するために、千葉県全域に「麻酔」処理が施されたとする。すると、突然に、千葉県が「行方不明」となってしまうのである。その部分に別の存在としての海、海水が流れ込むのでもないから、その分、東京湾が大きくなるというわけでもなく、ただそこが「無」の状態となってしまうのだ。
こんなたとえをしながら、我ながらアホラシイ思いがしないわけでもないが、要するに唐突に行き着いた思いというのは、こうした「無」こそが、「死」ということなのかもしれないという思いなのであった。
そこまで、ヘンなイマジネーションを野放しにすることもないと言えばそうなのだが、日頃、「無」という事態をどう考え、どう感じればいいのか思いながら、結局は棚上げにしてきた。クルマのガソリンが無くなったり、財布のお札が無くなったりするのは、確かに情けない「無」ではあるけれど、人間の「死」を類推させる「無」ではない。それらに対して、「麻酔」箇所の「空無感」は、決してその箇所自体が「死」の状態に成り果てたわけではないにしても、何か慄然とさせられるような「無」という存在を予感させてくれたように思えたのだった。
肉体の一部に対して、「電気ドリル」をあてがうという「野蛮な」歯医者においては、人は唐突に「白昼夢」を見せられるのかもしれない…… (2005.06.01)