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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2005年11月の日誌 ‥‥‥‥

2005/11/01/ (火)  「枯葉」の一掃と「言の葉」の扱い……
2005/11/02/ (水)  睡眠時間帯の「強制的」変更と「三文の得」?
2005/11/03/ (木)  寒さの季節には、戸外で生き延びるものたちへの思い入れが……
2005/11/04/ (金)  根無し草の言葉だけが飛び交う時代?
2005/11/05/ (土)  「蚊」にでも刺されたような程度の「神経ブロック」療法!?
2005/11/06/ (日)  見知らぬ人とのカーテン越しの会話と、そして奇遇!
2005/11/07/ (月)  契約関係以前にあって然るべきな信頼関係と意志疎通!
2005/11/08/ (火)  時代が与える「上昇感」と「下降感」……
2005/11/09/ (水)  やっばり「餅屋は餅屋」で、坐骨神経痛はペインクリニックか!?
2005/11/10/ (木)  「本体」が無くて、複雑な「オプション」ばかりで構成されている?
2005/11/11/ (金)  「火事だあ〜!」の叫び以外に良策はないのだろうか?
2005/11/12/ (土)  「落し所」を言いつ、言われつというフツーの社会でありたい!
2005/11/13/ (日)  「交感神経」の高ぶり=「血行不良」が諸悪の根源か?
2005/11/14/ (火)  「神経ブロック」療法によって断ち切りたい「悪循環」はほかにも……
2005/11/15/ (水)  「慇懃無礼」や「羊頭狗肉」の欺瞞が多すぎやしませんか?
2005/11/16/ (水)  姑息ではない大自然のもとで生きる“生きる実感”!
2005/11/17/ (木)  「セレンディピティ」な体重減少……
2005/11/18/ (金)  忘れた頃にやって来た、うら若き署員による「税務調査」!
2005/11/19/ (土)  「煽情的」水域にまで「目立て目立て」競争が突き進んでいる現状?!
2005/11/20/ (日)  長い闇を駆け抜けて来た「高橋尚子」が与えた感動!
2005/11/21/ (月)  「恐れ」が消費動かすという不健全な時代?!
2005/11/22/ (火)  「コンセプト(concept)」無きこの国の現状!
2005/11/23/ (水)  「時価会計」、「株価経済」そして増大する「ネット株取引」!?
2005/11/24/ (木)  国民の「生命と財産」を守るべき役割はどこへ行ってしまったのか?
2005/11/25/ (金)  「時価会計」と「株価経済」、そして「帳尻合わせ」?
2005/11/26/ (土)  冷え込み始めた夜の猫たちは……
2005/11/27/ (日)  「マシーン」のように、クールに、淡白に判断すること!
2005/11/28/ (月)  情けないのは、自身がではなく、そうしたことに奔走する役所の姿勢だ!
2005/11/29/ (火)  「倫理観が無くなった資本主義社会をとても恐く感じる」!?
2005/11/30/ (水)  「大」が「小」を犠牲にして肥大化していく傾向こそが「二極分化」!






 久々の秋晴れはやはり気持ちがいい。ややひんやりとした空気と、明るい日差しに幾分長めの影は、いかにも秋の深まりを思わせる。
昼食時に表に出た際、秋ならではの光景が目に入った。通りの街路樹を剪定する作業である。市からの委託を受けた作業なのであろう。高所作業用のエレベーターが装備されたクルマを使用して、ポプラ並木の一本一本の枯葉を湛えた枝を切り落としていたのである。おそらく、ポプラや銀杏の枯葉は、質量的にも嵩み、放っておけば歩道や車道に積もるからなのであろう。そうした落ち葉の堆積が雨で濡れると、歩道を歩く人が滑ったり、またクルマがスリップしたりもしそうである。
 そんなことからなのであろうか、枯葉が舞い降りる前に、小枝ごと剪定してしまって片付けてしまおうという対処のようである。その合理性には頷けるものもあるにはある。しかし、ポプラ並木が黄色一色に染まる前に、寒々しい真冬の樹の姿のごとく「散髪」してしまおうというのは、いかにも味気ない都会の仕業だとしか思えない。

 こう書き始めると、またまた止め処なく世相批判、政治批判、そして文明批判へと流れ込みそうなのを自らが警戒している。結構、言いようのない虚しさに行き着いてしまうからである。とりわけ、現行の政治状況への批判に及ぶと、エンドレスになりかねないし、そうしたところで「ぬか釘」のような荒廃ぶりに気づくと、ただただ徒労感のみが残ってしまい、結局、勝手にするがいい、と思ってしまうのだ。昨日のフジ子女史の言葉である「この世界は自分のためにあるものではない」に寄せれば、「この国の政治は、国民のためにあるものではない」と断言できる。
 しかし、この言葉もまた虚しく響くのは、こうした現実に対して激しい憤りをぶつける国民がまた少ないように見えるからなのかもしれない。
 そして、その大きな原因のひとつとして、この情報化社会という「間接的情報」のみが飛び交う環境にあって、マス・メディアが本来果たすべき役割をかなぐり捨てて商業主義にうつつを抜かしていることがあるに違いないと感じている。

 「一人勝ち」という言葉がある。ひょっとしたらこの言葉には、二重の含みがありそうだと思っている。「一人勝ち」なぞしたことがないから定かにはわからないが、ひとつはもちろん、羨望の眼差しを受けるような優越であろう。太宰治に引きつけて「恍惚」と言ってもいいのかもしれない。
 知られているように、太宰治はヴェルレーヌの詩にある「選ばれてあることの恍惚と不安と、二つ我にあり」という言葉を好んでいた。下世話な言い方をするならば、「選ばれてあること」(エリート?)の分かりやすい現代的意味合いは、「一人勝ち」ということになるのかもしれない。
 とすれば、「一人勝ち」のもうひとつの含みとは、「不安」でなければならない。妬みによって襲われるかもしれないという物騒な予感もこの際含んでいいだろう。要するに、多くの他者を敗者に追い込んで「一人勝ち」した者や、多くの名もなき人々の間から「選ばれてあること」を得た者は、その「対他的」事実に何らかのかたちで報いなければならないと感じるのが、通常の人間心理だと思う。
 もっと、骨のある表現をするならば、「ノーブレスオブリージュ [(仏) noblesse oblige]」( 高い地位や身分に伴う義務。ヨーロッパ社会で、貴族など高い身分の者にはそれに相応した重い責任・義務があるとする考え方。)だと言うこともできる。

 わたしは、現代の「政治屋」さんに、こんな高度なことを要求するつもりはない。そうではなくて、「一人勝ち」の様相を呈する現代のマス・メディアにこそ、「選ばれてあることの恍惚と不安と、二つ我にあり」を思い知ってもらいたいのである。
 放送局が「一人勝ち」の様相であることは、政府認可を得ている排他的立場があることや、またM&Aの好材料として放送局が相次いで狙われていることを考えるだけで了解されるはずだろう。
 しかも、もっとシビァな現実を言うならば、現代の情報化時代にあって、孤立した現代人たちは、<無いに等しい批判力>という「丸腰」で、TVなどからの影響をもろに被ってしまっているからでもある。商業的にも、政治的にも、今やTVの影響力は「一人勝ち」と表現して余りある専横ぶりを発揮しているはずではなかろうか。
 だからこそ、「恍惚」だけではなく、「不安」や「ノーブレスオブリージュ」をしっかりと自覚すべきだと考えるわけだ。自身の影響力によって、時代の方向を歪める可能性が十分にあることを真摯に認識しなければならないわけだ。

 邪魔なポプラや銀杏の「枯葉」が災いしないために、事もなげに小枝ごと排除してしまうようなアクションが、「言の葉=言葉」の世界を操る放送メディアによっても行われるようにもなれば、味気ないどころの騒ぎではなくなるはずだろう。
 「言の葉=言葉」の目立った排除はしないまでも、目立たなければならない「言の葉=言葉」を喧騒の中に隠すような手法もまた、いかがなものかと案じている…… (2005.11.01)


 次第に「痛み」が緩和してきているのを実感する。
 「坐骨神経痛」の一種である「梨状筋症候群」であろうと思われる痛みを、明日で二週間に渡って耐えたことになる。自然治癒するものであれば、一、二週間の経過という目安を聞いていたが、確かにここニ、三日は「夜討ち朝駆け」に襲う痛みの強度が和らいできた感触がある。とは言っても、まだまだ予断を許さない雰囲気が残ってはいる。このまま、いつの間にか失せてくれればありがたい。

 人間というのは即物的なものであり、痛みという有無を言わせぬ脅しがあると、日頃は惰眠をむさぼる自分のような者でも、夜明けとともに起床してしまうことになる。お陰様で言うべきか、この二週間近く、模範的とさえいえる早起きに終始することとなった。
 そんなことで、ふと思い出したのが、もう二十年も前に経験した「十三日間地獄の特訓」というある合宿セミナーのことだ。
 というのも、そこでは、起床時間が午前四時半だったからである。自分が参加したのは二月という季節であったから、夜明けの二時間も前ということであったはずだ。この起床もまた、有無を言わせないものによってセッティングされていたのである。
 起床後、十数名の同室の班員たちと、寝具をきちんと所定の箇所に仕舞い、見回りの講師たちによって手厳しい点検を受けなければならなかったのだ。もし点検時刻に遅れたり、寝具の仕舞い方が雑であったりした場合は、班員全員が共同責任を負わされて厳罰に処せられたのである。これが有無を言わせぬセッティングだったわけだ。
 当時も、夜更かし朝寝坊という生活であった自分の場合、二、三日はこの「四時半起床」がまさに辛くてならなかった。緊張のために寝入ることが難しく、うとうととしたらもう起床時間だったため、徹夜が続く感触であった。

 しかし、そんな自分よりもはるかに気の毒な班員がいた。
 「四時半起床」のこの時刻の頃に仕事を終え、帰宅して就寝するといった仕事をしていた班員がいたのである。ナイトクラブか何かのマネージャー役を仕事としていた人である。長年そうした勤務スタイルをとってきたため、早々「体内時刻」を変化させられるものではなかったようだ。
 訓練がスタートして、ほぼ一週間ほどの彼の行動は、同室の班員の目からは、ほとんど「病人」のごとく映っていた。訓練課題のひとつひとつが、迅速さを欠き、口にする言葉も周囲を不安にさせるほどにたどたどしいものであった。
 だが、一週間ほどを経て、彼はまるで別人のような活気を取り戻したのである。講師も、それを驚き、褒め称えたが、彼曰く、
「漸く、昨晩は、グッスリと眠ることができました。生まれ変わったみたいな気がします……」
 確か、誰するとなく拍手をしてそんな彼の活き活きとした姿を見つめたものだった。

 今回、痛みの「夜討ち朝駆け」によって図らずも「早起き鳥!」となってしまったが、できることならこの習慣をしばし継続しようかと考えている。
 贅沢を言えば、今回のようなことは、夜明けの早い夏場に起こってほしかったところである。今は、とかく早朝は冷え冷えとして、決して気分爽快な環境だとは言えないからだ。
 が、まあ、一日を早い時間帯からスタートできるのは、仕事ははかどるし、何とはなしの気分の余裕も生まれるようで、「早起きは三文の得」と言われるこどく、万事好都合だと満足している…… (2005.11.02)


 回復の予想に反して、今朝は、またまた痛みの「朝駆け」を食らってしまった。おまけに、一日中右足の神経の違和感が続いた。このニ、三日痛みが緩和したため、すっかり自然治癒へと向かっているものと受けとめていた。それだけに、憂鬱な気分にさせられてしまった。まあ、今週一杯は様子をみることにするつもりだ。

 もう十一月となり、日暮れは早くなるし、日が暮れるといよいよ冷え込んでくる。
 人間様たちは、戸外の寒さを遮断することもできるし、いかように暖を取ることもできる。暖かい湯に浸かり、身体だけでなく心まで和ませることも可能だ。これが,ささやかながら「文化」の一端なのであろう。(今日は「文化の日」だそうだ)
 しかし、寒くなると、こんな「文化」からも締め出されている人々のいることに若干の関心が向いてしまう。ホームレスの人々のことだ。いろいろと不便はあろうけれど、キャンプ生活の延長と見なせないわけでもなかろう。ただ、しのぐにしのげないのが、冬場の夜間の冷え込みではないかと想像する。地面に密着しているであろう薄い敷物だけの床はさぞかし熱を奪うに違いなかろう。

 ホームレスの生活をつぶさに見ているわけではないが、身の回りにも、ホームレスもどきがいることはいる。野良猫たちのことである。
 この時期およびこれからは、戸外であれば、どこへ潜り込もうが夜間の寒さはさぞかし耐え難いものだろうと思える。一体、どこでどのようにしてやり過ごしているのか見当がつかない。
 空腹だと寒さが余計にこたえるとみえて、朝晩は、しっかりと「炊き出し」ならぬキャッツフードの「配給」に、「行列(?)」ができるのも当然のことだろう。
 朝晩、玄関の脇で、そうした野良猫たちには餌を出してやるのがいつしか慣わしとなってしまった。わたしなり、家内なりが、玄関から出てくるのを今か今かと待ちわびているようなのである。われわれが玄関に向かうと、鳴き声が聞こえるし、ドアのガラス越しにうろうろとして待ちわびている姿が見えたりもする。常連は、少ない時で二匹、多い時には数匹が押しかけてきているありさまだ。
 次第に寒くなってきたためか、一匹づつ白いプラスチックの皿にキャッツフードを出してやると、それぞれがその前に座り込み、皿の中のキャッツフードを端から順番と言わんばかりにシッカリと平らげる。

 そんな姿を、朝一のタバコをくわえながら見つめる自分であるが、なぜだか大いに気分が和むのを知る。ここには、実に「自然な道理」というものが何の虚飾もなく表現されている、と感じるからであろうか。生きるためや、寒さを堪えるためには、空腹を癒さなければならない、そのために、餌をくれるのであれば何を躊躇うことがあろうか、シッカリといただいちゃうことにしましょう、という逞しさが見ていて気持ちがいいのだ。
 今朝などは、一応「第二次」ウチの猫と見なしている野良猫たちのほかに、新参の野良猫まで片隅から覗いていて、いかにも「欲しいなあ」というような顔をしていたのだ。初めは癖になるといけないと思い無視していたが、幾分憐れとなり、別のさらにキャッツフードを盛ってやると、おずおずと歩を進めてきて食べ始めたものだ。
 その時、自分はヘンなことを想像していた。もし自分が、その猫のような立場であったとしたら、ということである。他のみんなはどういうわけか餌をもらっているのに、自分だけは餌にありつけないでいる。そして、他のやつが食うのを見ていると、ますます空腹感が増してくるじゃないか。どうやって頼べばもらえるんだろう……。これが憐れさを誘ったこころの推移であったのかも知れない。

 それにしても、野良猫たちに試練が訪れるのはこれからであろう。餌の「配給」を欠かさないのはもちろんのこと、庭の片隅に、寒さしのぎになるような場所でも拵えてやろうかと思ってはいる。
 なんせ、彼らに「自己責任」という言葉はなじまないし、そうしてあげなければ、「自然な道理」とでもいうものをまざまざと見せてくれ、共感できるそんな存在がまたまた減ってしまう。それは、この上なく寂しい気がするからである…… (2005.11.03)


 「言葉による体験以外に、実体験なんてものはないでしょ」
とは、昨晩のラジオ番組での天野祐吉氏(コラムニスト・編集者)の発言である。
 言葉の乱れや貧困をめぐっての番組であった。
 この指摘の持つ意味は意外と深いと思えたものだ。
 われわれは、通常、実生活(実体験)があって、それと並ぶように言葉による生活があると見なしているはずである。確かに、過去にはそんな時代があったのかもしれない。言葉以前の実体験が人々に充満していた時代環境が。

 しかし、現在では、言葉の力を借りない体験というものが圧倒的に少なくなったのではないかと考える。実体験があって、それを自身の言葉でたどたどしく解釈するというのではないのが実情だと思われる。
 先ず、言葉なり、(同じことだが)情報なりが事前にあり、そしてまるで、先に送られてくる「目録」と後から送られてくる実物との関係のように、あるいは、とりあえず手にすることになる「製品マニュアル」とそれに従って吟味する製品本体との関係のように、言葉によるシミュレーションが先行して、その後に行動なり体験なりがなされるのではなかろうか。そして、言うまでもなく、実体験のプロセスでのさまざまな出っ張りへっこみの内実もまた、事前に得ている言葉によって「丸められて」しまうはずである。平凡な表現をすればいっさいが「先入観」「憶測」によって裁断される事態だと言ってもいい。

 ここですぐに「脳化社会」( by 養老孟司)という表現を思い起こしてもいい。つまり、現代はすべからく人工的な都市社会だと言っていいわけだが、そこでは、都市が構成される建物や物的環境のすべてが人間の「脳」による産物であり、そればかりではなく、その器(物的環境)の中で展開するほとんど全てが「脳」の働きを経由して発露される。それが人工的環境である都市の本質であるから、「脳化社会」という表現となったのだろう。
 さらに付け加えれば、都市型社会は、言うまでもなく「情報化社会」であり、情報という言葉が人々の生活を律する空間である。厳密に言えばイメージと言葉とは異なるが、言葉とほぼ同類だと見なすならば、都市や現代には言葉的事実しか見当たらないというのが実情だと思われる。
 まして、マス・メディアが影響力を占有するかに見える今日では、人々の意識は、言葉という生ぬるい次元ではなく、マス・メディアが放つ「紋切型」的メッセージによって充満してしまうとさえ言えそうである。そして、体験や行動もまたそれらによって形作られるのだろう。
「ほら、ごらんなさい。いつかTVで紹介していた風景と同じだわ」
というような会話が象徴するように、われわれの実体験は、マス・メディアによって刷り込まれたとおりに方向づけられてしまうようだ。

 そして、もはや、言葉や、特にマス・メディアが垂れ流す言葉的情報なくしては不安でならなくなってしまっている状況なのかもしれない。それが、言葉だけによって生活を律しようとする、そんな原理が蔓延した現代の「落とし穴」なのかもしれない。
 現代の子どもたちは、こんなことが当たり前となった都市的現代環境から、一歩離れて自然(もはや、文字通りそんなものは見当たらなくなったようだが)の世界に入り込むと、不安となるそうである。ここで言っておけば、自然は何も郊外にだけあるのではなく、都市のただ中にも、「命」というかたちをとった動植物が存在し、そして当然人間も存在するわけだ。ひょっとしたら、そうした自然に対しても、不安や違和感を抱いているのかもしれない。
 いや、もっと深刻なのは、人間であっても「多くの自然を曝け出している幼児」に対して異常な不安を抱き、さらには都市的合理性がないという理由によって虐待まで加える大人たちなのかもしれない。これは、従来の「継母(ままはは)」だとか「薄情」とかといったレベルの問題ではなく、「自然の存在」というものに対して対処することができないという深刻な社会問題、時代問題だと考えた方がいいのかもしれない。

 昔は、社会経験がなく勉強だけに邁進する学生に対して、「頭でっかち」なぞと言ったものだ。しかし、現代では、安直なマス・メディア情報のみを頭に詰め込んで、「頭でっかち」ふうに生きている人々が大半なのかもしれない。「人情が薄れた」という風潮も、言葉的情報が、決して言葉では表現し尽せない(少なくとも現在使われている言葉と脳では解釈できないであろう)「人情」というものを駆逐したということなのだろうか…… (2005.11.04)


 明日の明け方が待ち遠しいようでもある。
 と言うのは、ついに「自力救済」にこだわることを放棄して、尾てい骨あたりに注射をする「神経ブロック」療法を採用したからである。もし、医者の診断どおりであったなら、それが「朝駆け」の痛みを抑止してくれる可能性があるからだ。
 ただ、その治療後にも、クルマでのペダル操作などに伴う痛みが相変わらず残存しており、ややがっかりもしているところなのである。

 今朝も、もう慣れっこに近くなり始めた痛みのために目覚めさせられた。その痛みを緩和させるべく、正座をしてみたり、温めてみたりと対症療法をあれこれとやる。そんなことをやりながら、今日は特段急いでやらなければならない事もなさそうなことを思い浮かべ、ならば、前回の整形外科へでも出向いて、あの「神経ブロック」療法とやらを試しにやってもらおうかと考えていた。そう思うが早いか、朝食を早々に済ませ病院へとクルマを走らせていた。

 自分の番は、「長く待った」末(すえ)にやってきた。
 いや、実を言えば、ほとんど待ちはしなかった。というのは、10時頃に到着してみると、整形外科の待合室は満杯状態だったのだ。しかも、私の直前と思しきご婦人は、痛みを堪えた顔つきで看護婦に待ち時間を尋ねていたのだが、12、3名だと後一時間はお待ちいただくことになりそうだと伝えていた。それを聞いた自分は、こんな「湿った重っ苦しい空気」の場所で一時間も過ごすのは不可能と悟り、ディスカウント・ショップにでも行って時間を潰してこようという気になってしまった。
 大体自分にはこんな勝手なところがあり、高校時代の就学旅行では、旅館での自由時間が鬱陶しいと感じ、京都の旅館から抜け出し長らくご無沙汰していた大阪の叔母のところまで「大脱走」したものだった。その間、点呼の際には、班員が代返をしてごまかしてくれ続けたそうだが、とうとう見つかってしまい、旅館へ「自主投降」した時には情状酌量ではあったが「脱走罪」を問われる身となったものだった。まあ、余計な話ではある。

 待合室に戻るやいなや、タイミングよく名前が呼ばれた。
「先ほどお呼びしたのですがいらっしゃらなかったもので」
と看護婦が言う。
「ええ、ちょっと外に用があったものですから」
と、いいころ加減なことを平気で言う自分。
 診断室へ入ると、例の「日本人は」論者の担当医が、
「どうですか、痛みは?」
と訊ねてくる。
「ええ、まるっきり痛みが消えません。クスリも効きません」
と、わたしは、軽く憮然とした口調を模して言った。
 というのも、前回、担当医はレントゲン写真の結果への軽いコメントと、「日本人は」論しか展開せず、あとはクスリを出しただけ。結局、自分は、はっきりしない病名をめぐり、この二週間近く、自分でウェブ・サイトで調べた「梨状筋症候群」という名の幻と、それに反して現実的で逃れられない痛みで七転八倒したんだぞ〜、という「恨み」にも似た感情があったからである。もう、こうなったら四の五の言わずに、ちょいと痛いらしいと聞く荒療治の「神経ブロック」でも何でもかまして貰おうじゃないか……、という半分ヤケな気分も手伝っていたのかもしれない。
 担当医は、言った。
「じゃあ、神経ブロックをやりましょう。看護婦さん、用意して!」
 しかし、そうあっけらかんと言われると、「えっ、ホントにするの? 今すぐするの?」という、幾分不十分な心の準備が気になったりする。注射を恐がる歳でもないし、たとえ、尾てい骨であろうがどこであろうが(眼球への注射という空恐ろしいものがあるそうだが、それだけは御免被りたいものだ)平気だとしても、なんせ初めてのことだけに、ややうろたえるものがないではなかった。

 ところで、担当医は、今日初めて、その痛みの原因は、「椎間板ヘルニア」でも、「梨状筋症候群」でもなく、「前回にも言ったように」、『腰部脊柱管狭窄症』というものだと平気で言ってのけるのだった。前二者は三十代くらいの人に多く、五十代以降はこれ以外に考えられないと言うのだ。わたしは、クスリも「効いてない」上に、そんな病名なんか「聞いてないよ〜!」と思い唖然とした。
 どっちにしても、「腰椎(ようつい)や椎間関節の変形・肥厚(ひこう)ならびに軟部組織(なんぶそしき)である椎間板(ついかんばん)の変性や膨隆、また靭帯(じんたい)の肥厚が発生し、これらが脊柱管内(せきちゅうかんない)を狭くして馬尾神経(ばびしんけい)、神経根(しんけいこん)および血管を圧迫あるいは締め付ける」(これは、後で自分でサイトで調べた内容)ことであり、坐骨神経を刺激するという点では大きな変わりはなさそうである。
 まあ、そんならそれで、そいつにきっと効くはずの「神経ブロック」とやらをやってくれや、という気分であった。

 看護婦でも、婦長直前で足踏みするほどの古強者、病院の裏名主とでも言うような存在は「人を小ばかに」していけない。
 「神経ブロック」の処置をする「点滴室」へ向かった自分は、その部屋の担当看護婦から、いろいろとこれからの推移についての説明を受けた。それが、概して「人を小ばかに」するというか、子ども扱いをするというか、若干、「小」腹が立った。患者というのは、痛みや不安でとかくナーバスになっているもんなんだぜ。自尊心を育むような丁寧さが欲しいんだよなあ、と。
 それなのに、
「初めてですか、初体験ですか」
と、先ずはきた。この言い方がまずは気に障った。「初めてですか」は、まあ職務柄やむを得ないだろう。が、「初体験」とは、ヘンに「性交渉」でも匂わせるようでふざけていないかい? かつても、人間ドックを受診した際、これまた病院の裏名主のようなベテラン看護婦が、「直腸検査」を受ける時に同じ表現を、冗談混じりで言って不愉快さを覚えたものだった。
 まあ、それは考え過ぎだといえばそれまでだが、言葉のひとつひとつがひっかかるのだった。
 「初めてだ」と答えたあと、ちなみにそんなこと言うのは、痛いのかい? と聞くと、
「いや、わたしは体験がありませんから知りません。そう言う人もいますし、そうでない人も……」と言った。よほど、今後の患者対応の向上ために一度模擬体験でもしておくといいね、と言ってやりたかった。
 次に、「どこに打つの、注射は?」
と聞けば、やにわに、立っていたわたしの尻に手を回し、指で突っつくではないか。突然のことだったので、「おいおい、そこまで直接的接触で教えてくれなくてもいいんだよ」という思いであった。わたしの受けとめ方がヘンなのだろうか?
 で、トドメのひとつは、血圧を測る際に、
「随分、汗をかいてるようね。『冷や汗』なんかかかなくても大丈夫よ」
とほざいた。
「冷や汗なんかじゃないよ。ついさっきまで表を急いで歩いていたからさ」
と、しなくてもいい事情説明をしなければならないなんて何とバカバカしいことかと思えたのだ。まるっきり、小さな子どもがお尻に打たれる注射を恐れて冷や汗をかいているとでも決めつけているのだ。
 そして、次のトドメは、先生が来る前にベッドでどのような格好をしておくかを説明している時に、次のように言ったのだった。
「いいですか、うつ伏せになって、お腹をベッドにつけて……、聞いてますぅ? 何かボーッとしてません? 」
 こっちは、ズホンのベルトを緩めたり、なんだかんだ指図をされ、おまけに「小バカにしやがって」というシコリがあるもんだから緩慢な動作になっていたのだ。すると、「ボーッとしてないか」とハッパをかける始末なのだ。
 まあ、そう言っても、その看護婦は決して陰湿な雰囲気ではなく、「ネアカ馬鹿」とでもいう悪意のないタイプだったので、もちろんこちらも本気で腹を立てているわけではない。ただウットーシイやつだなあ、と思っただけのことなのである。

 そして、ホンバンが始まった。注射は、尻の割れ目の始りのあたりにチクリと刺され、そしてその後クスリが注ぎ込まれる数秒間、尻の内部に熱い波動が広がるような鈍い痛みが走るのだった。ウグッと思ったら、
「ハイ、終わりました」
と担当医が告げた。実際、予想していた水準に較べると、他愛無い痛みでしかなかった。 直後にさっきの看護婦がニコニコしながらやってきて、
「どうだった? 痛みは? 」
と、まるで、「ガキ大将」をからかうように聞いてくる。そこで自分は、よーしという気分で、フーテンの寅のようなセリフをかましてやった。
「痛みって何? えっ、もう終わったの? また、尻出して寝てたから『蚊』にでもさされたかと思ったねぇ」と。
「それはそれは、ようございましたね」
と、看護婦は噴出しながら応えてきた。

 この後、様子を見ながら小一時間ベッドに横にならされていたが、この間にまたまたヘンなことが始まるのだった(この続きは明日のココロだ)…… (2005.11.05)


 今朝、明け方にトイレのために目覚めた際、いつもの痛みがウソのように消えていたのを自覚できた。おっ、効いたんだ! というちょっとした感動が訪れた。多少、ふくらはぎなどに痺れ感は残っていたものの、あの臀部の不愉快な痛みは綺麗サッパリなくなっていた。なるほど、昨日の「神経ブロック」療法がこうやって効いたわけだ、と一人納得したものだった。まあ、これがもってくれるのかどうかが残された問題ではあるが……。

 さて、昨日の続きを書くことにする。
 映画『ダイハード』の第一作目であったか、クリスマスの日、武装テロリストに占拠された日本企業のハイテク高層ビルを舞台に、ブルース・ウィリス扮するマクレーン刑事が、閉じ込められたビルでたった一人でテロリストたちと闘うというのがあった。その時、唯一、外部でパトロール中に事件に気づいた黒人のパウエル巡査と、無線だけで連絡を取り合い、会話をするのである。
 お互いを知らない同士なのだが、「危機的」状況が二人を何年来かの友人同士のような会話へと引き込んでいく。極めつけは、瀕死のダメージを受けたマクレーン刑事が、パウエル巡査に対して遺言めいた伝言を託す場面だ。別居中の妻に、愛していると、伝えてくれないか、と言うのである。その時、これを聞いたパウエル巡査は、
「いやだね。そんなことは、無事にそこから脱出して自分の口で言うべきだろ」
というのだ。
 そして、ストーリーはそのとおりになってゆく。マクレーン刑事は、テロリストたちとの闘いに勝ち、地上に降りてはじめて黒人パウエル巡査と顔を合わし、また無事再会した妻に言うべきことを言うのだった。無線で緊迫した会話を交わしながら、相手の顔を知らなかった二人が相互に認識し合う場面がとても印象的であった。まさに、アメリカ映画ならではの妙味と言うべきか。

 のっけから能天気なことを書いている。が、昨日、このセッティングと部分的に似た「珍事」を経験したのである。
 話は、「ネアカ馬鹿」の看護婦と戯言会話をしていた直後から始まる。
 その看護婦が、点滴室に新たに入ってきた患者に向かって、
「じゃあ、そこへ横になっててください」と言う。
 その後、その患者は、
「『透析』の先生たちは随分替わりましたよね。看護婦さんたちはどうなんですか」
などと、いかにもその看護婦とは馴染みのような口をきいている。患者も、「透析」というから、長年腎臓を患ってこの病院に世話になっている者のようだった。で、今回は、加えてこの整形外科に関する病で訪れたようだ。

 ところで、彼らの会話は、ベッドに横たわる自分の耳には入ってくるものの、ベッドは白いカーテンで区切られているために、隣にどんな患者が訪れたのかは見えなかったのである。ただ、会話のみが聞こえてくるのである。
「今日は、『神経ブロック』のお注射ですよね。坐骨神経痛にもなっちゃったの?」
と、例の看護婦がその患者に向かって言う。
「初めは腰にきて、次に股関節、で、左足にまで痛みと痺れがきて、杖がなくては歩けなくなっちゃったんですよ」
「まあまあ、それは大変ね。それで、『神経ブロック』ということね」
「それって、結構痛いんでしょ?」
「わたしは体験がないのでわからないけど、そう言う人もいれば、大して痛くなかったと言う人もいるし……。あっ、そうそう、お隣の人は今終わったばかりで、ちっとも痛くなかったとおっしゃってたわよ。聞いてみれば?」
 と、ここまで聞くつもりではなくても聞こえてきたら、何か言ってやらずばなるまい、と言う心境になってしまった自分であった。
「ちっとも痛くなんかないよ! それに、数秒ほどで終わるから気にすることないよ」
 最近は、自分が老人に近づいて歳をとっているためか、年下への口調で話すことが多くなってしまった自分である。しかも、その患者の声は、比較的若い人のように聞こえてもいたからだ。
「そうですか? それならいいんですけどね」
「だって、坐骨神経痛は痛みの継続だよね。注射はほとんど瞬間なんだし、坐骨神経痛の辛さに較べれば大したことないさ。わたしなんぞは軽症の方だけど、そちらはかなり深刻なようだね。腎臓病の上に、杖つかなきゃならないほど痛いっていうのは大変だよね」
「そうなんですよ。『透析』は、もう15年にもなります。ただ、職場には、そんな人が多くいるので何かと理解があって、その点では助かってますけどね。」
「そうなんだ。そういう理解がある会社で良かったよね」
「それに、今回、坐骨神経痛になって杖をついて歩くことになりましたが、職場までは比較的近くて、『古淵』から『淵野辺』まで一駅だけなんで助かってます。ただ、電車の中で揺られて立っているのが結構きついですけどね」
「わたしの場合、クルマで通勤しているんだけど、ペダル操作がきつくてね」
「そうですよね。わたしは、今の職場の前はトラックの運転手をやってたんですが、そん時に今回ほどではない坐骨神経痛が出ていて、クラッチの操作が痛くてたまんなかったです」
「そうだよねぇ。ペダルを踏むくらいでどうしてああ痛いかねぇ」

 このほかにも、同類相憐れむ話やら、担当医を巡る評価やらといろいろと話込んだ。声が大きく、言いたいことを言い放つ担当医に関しては、笑ってしまう話も聞くことになった。あるお婆さんが、担当医に面と向かって「ここはあまり良くないようなので、別な病院へ行った」と告げたら、担当医は、大声出して怒ったというのだ。担当医に対する自分の感想を思い出しながら、笑ってしまった。
「しかし、そのお婆さんも、面と向かって言うとは、よほどのことだったのかな」
などと、自分はそのお婆さんの肩を持つ言い方をしたりもした。
 そしてしばらく沈黙が続いた。その時自分は、直前の会話から「あるひとつのこと」にひっかかることになっていた。というのは、職場が「淵野辺」で、その会社は、身体が不自由な人に理解がある……。実は、自分はそうした会社を身近に知っていたのである。

 やがて、担当医が来て、その患者への神経ブロックの注射が始まったようだった。
「うっ、痛い」
という声が聞こえてきたりした。で、室内はやがてまた静まり返った。

「これって、効くんですかねぇ」
と隣の患者は、再び話し掛けてきた。
「人によって異なるらしいけど、効くようだとは聞いてるけどね」
 わたしは、そんな返答をしながら、先ほど来気になっていたことを、思い切って聞いてみることにした。
「つかぬことを聞くようだけど、ひょっとして職場というのは、『※※※ビル』にあるんじゃない? 」
「はい、そうですけど、どうしてそれが? 」
「あっ、やっぱりそうなんだ。実はね、おと年まで、うちの会社の事務所がそこにあったんだよ。じゃあ、会社というのは、『○×△』のことだよね。あそこは、身障者を積極的に採用しているもんね。よく知ってるよ。しかし、こんなところでこんな話をするなんて奇遇だよなあ……」
「へぇ、そうだったんですかぁ」
「じゃぁ、フロアーは四階と五階だよね。うちは、四階だったんだよ」
「エレベータを出て左側ということですか? 」
「そのとおり」

 そこへ、例の看護婦が入って来た。
「まあまあ、カーテン越しに話がはずんでいること。そろそろヒロセさんは、お時間になりますよ。立ち上がってみて、足腰に異常がなく、気分も悪くなければお帰りになって結構ですから」
 わたしは、特に異常もなさそうなので身支度をしていた。すると、
「これで、効かなかったらまたおいでください」
と、最後まで気に障ることを言う看護婦であった。
「きっと、効くんだよ。だから、もうここへはこない。看護婦さんとも会うことはないと思うよ。元気でやんなよ」
「そんなこと言って、また来ちゃったりしてね」
「いや、もう来る必要はないね」
 こうしたやりとりを聞いて、隣の患者が笑っているようだった
 わたしの関心は、あとは、そのカーテン越しに話を続けていた患者が、どんな顔をした人なのかに集中していた。声の調子からいって比較的若い人のようでもあり、自分なりに勝手に思い描いたりもしていたが、それが当たっているのかどうか……。
 身支度を終えたわたしは、部屋の出口の方に向かいながら、
「じゃあ、お大事に!」
と声をかけ、隣の患者のベッドを覗き込んだ。
 痛いと言っていた左半身を下にして横たわっていた彼が、こちらに顔を向け、
「どうも……」
と一言つぶやいていた。
 声から想像していたタイプとは異なっていた。何よりも顔色が良くない印象を受けた。まあ、透析を15年も続けてきた上に、かなり深刻そうな坐骨神経痛を患えば、顔色が悪くてしょうがないか、とそんなことを考え、ちょっと気の毒だと思わざるを得なかった…… (2005.11.06)


 今日は、「二十四節季(にじゅうしせっき)」で言うところの「立冬」だそうだ。ものの説明によれば、立とはピークを表し、立冬とは「秋」のピーク。これを境に、一日一日冬めいて行くと言う意味で、晩秋に入ったと言うことらしい。
 だからといって別にどうということでもないが、いよいよ冬へと滑り込んでいくんだなあ、というちょっとした気構えに関係しているとは言えようか。
 冬場となる前に、坐骨神経の方の痛みが何らかのかたちで決着がついてくれればいい、なんぞと何とも年寄りめいたことを思ったりしているわけだ。
 今朝は、痛みで目が覚まされるほどではないにしても、ややぶりっ返した感触があった。通勤時でのクルマのペダル操作の際にも、臀部とふくらはぎの痛さが目立つ。また、日中の事務所でも、違和感が残り続けたりした。やはり、「お注射一本」でスッキリとというわけにはいかないもののようである。

 今日は、仕事面でちょっとしたガッカリさせられるようなことがあった。
 土台、仕事というのは思うようにならないものに決まってはいる。それを関係者がお互いに了解し合い、よりスムーズにならしめるために配慮し合ってどうにかこうにかまとまってゆくもののはずであろう。
 こうしたことをよく心得た相手様と仕事をご一緒するのは実に気持ちがいいのに対して、当方側だけがやきもきしたり、取り越し苦労をさせられたり、挙句の果てには、「それはないでしょ!」と言いたくなるような振る舞いをされると、まさにガッカリするのである。仕事の有無がどうこうではなく、仕事というものを成り立たせている「コラボレーション(協働性)」に対して、何か考え違いをされているのではないかと訝(いぶか)ることが、不愉快なのである。まあ、そんな相手との仕事が、のっぴきならないことになる前に頓挫したことを喜ぶべきであるのかもしれないが……

 ところで、良い仕事とは、仕事の中身にももちろん関係するが、良い相手先、よい担当者と巡り合えるのかどうかに、大いにかかっていると思ってきた。特に、ソフト開発というような詰めて詰めきれない部分を残してしまうような業種に携わってきてみると、相手側の担当者との意思疎通というものがいかに重要なものかを痛感せざるを得ない。
 つまり、仕事そのものに含まれる不透明な部分を、どうやって相互に補い合うかという点なのであり、その点に対して、フレンドリーにかつ合理的に対処し合う、そんな度量と姿勢が欲しいということなのである。
 そりゃあ、すべてがビジネス・ライクな契約方式に結晶化できるならばそれに越したことはなかろう。しかし、現実の仕事は、時間的な余裕の無さ、逼迫した予算の問題、そしてこれまた贅沢なことが言えない人材の問題など、どこを取ってもクリアなビジネス契約方式にフィットするものにはなりにくいわけだ。
 そこで、お互いの信頼関係をベースにした、人格的な調整関係というものが、仕事の不明確で不透明な部分を「担保する」ことになるのだろう。こう言うと、随分とアバウトな仕事の進め方だと受けとめる人もいるだろうが、むしろ逆に、仕事に関する契約内容はすべて明示可能だと過信する方が非現実的ではないかと思える。信頼関係なぞといった曖昧なものは頼るべきものではなく、厳密な契約条項だけが仕事の前提だと見なすならば、先ずは、仕事の幅を思いのほか狭めてしまい、何をしているのかわからない始末となりかねないかもしれない。

 わたしが考えるのは、仕事をする時には人を選ぶべきだという一事なのである。そして、杓子定規なことを言わずして相互に意思疎通し合える関係でコラボレートしていける状況をこそ追求すべきかと考えている。
 律儀な契約関係がありさえすれば、という考え方こそがむしろアバウトなのかもしれないとさえ思っている。契約条項を楯に取って揉み合うことになってしまえば、その時には仕事はすでに失敗しているはずであろう。
 人様のことを言える立場ではないが、細かい第二義的な技術的情報に関してはこだわるくせに、仕事のトータリティへの視野、視角のない仕事担当者が、自己満足的に大威張りしているのが巷の現実のようではないかと見えなくもない…… (2005.11.07)


 「ローハイド」や「コンバット」という1960年前後のTV番組が、NHK/BSで再放映されている。番組そのものへの郷愁もないわけではないが、何と言っても、それらを見ていた当時の自分や、その自分を取り囲む時代環境への懐かしさがふつふつと込み上げてきた。一言で言って、今とは比べものにならないほど「平和」「安心」「地道(じみち)」「のほほーん感」が充満していたと痛感したりした。

 当時のニュース映像も同時に披露されていた。時は、「岩戸景気」を経て経済の「高度成長」へと差し掛かる時期だ。マイカー・ブームも始まろうとしている。郊外での宅地販売も始まっていたのであろうか。
 そんなニュース映像があり、千葉郊外の宅地を購入したと見える子ども連れの夫婦が、マイカーでその宅地を訪れたといった光景である。何と、草ぼうぼうのその場所にシートを敷き、三人でおにぎりをほおばり、昼食をとっているのであった。小さな男の子は無表情であるが、ご主人はご機嫌な顔つきで海苔巻きのおにぎりにかぶりついている。
 見ていて何だかこちらが恥ずかしくなるような気もしたが、当時の時代の空気というのはそんな感じだったんだよな、という思いでいた。
 つまり、それまでは「高嶺の花」であったようなマイカーや宅地が、場合によっては手が届くような状況となるわけだが、その推移にあっては、手作りのおにぎりをほおばるというような泥臭い生活感覚が随伴していたのである。この「ミスマッチ」の中にこそ、当事者たちの表現しがたい喜びの仕掛けが隠されていたはずではなかったかと思われる。くどく言えば、手作りのおにぎりをほおばるというような、貧しいとは言わずとも地道な生活感覚が残存していて、それでいて「高嶺の花」であったモノを入手する、ということによって生まれる、そのリアルな「上昇感」が人々を嬉々とさせたということである。

 当時の時代の空気と人々の意識の大勢を支配していたのは、その「上昇感」ではなかったのかな、と思い返してみるわけなのである。「上昇感」というのは、地獄と天国というほどではなくとも、言わずともわかるほどに慣れ親しんだより貧しい状況が片方にあり、そしてもう片方にそれを超えた水準らしきモノがあり、そこに手が届いたか、という関係性のプロセスで際立つものなのであろう。
 自分は、「昭和30年代」という時代状況に心が惹かれるのであるが、ひょっとしたら、その時代というのは、多くの古いものと、わずかに先行きを照らすかのように出現した新しいものとの対比の中で、人々が「上昇感」を自覚したり、あるいはそれを予感したりすることで、奇妙に活性化されていた時代だと言えるのかもしれない。
 貧しいもの vs 豊かなもの、古いもの vs 新しいもの、という対比が自覚されたのは、言うまでもなく「消費生活」においてであった。だが、もうひとつ忘れてならないのが、故郷(農漁村)vs 東京(都市)という関係性だったはずであろう。
 つまり、この時期のもうひとつの大きな特徴は、急速な都市化の進展であり、地方からの都市への人口の移動だったからである。そして、「上京」する人々は、故郷への断ち切れない郷愁を抱きながらも、いや、だからと言うべきか、都市で生きることにきっと「上昇感」を感じたに違いないと思われる。

 お互いに「上昇」していると自覚している者同士というのは、概して許しあう心境になるものなのかもしれない。やや意味は異なるが、「金持ち喧嘩せず」という謂れもあることだ。要するに、漠然とした「上昇感」は、人々に余裕のようなものを振舞っていたのかもしれない。
 もちろん、この「上昇感」を心理的にではなく客観的事実で裏づけたのは、まさに経済成長であったことは間違いない。
 こう考えると、現在という時代環境は、「昭和30年代」の<裏返し>だと言えそうな気がする。先ずは、経済成長の低迷がその代表的事実であり、そして将来に向けたマイナスの人口推移も対照的であろう。
 こうした「下降」的事実が、人々から「上昇感」を奪い去っていることは容易に想像されるが、「新しいもの、豊かなもの」が支援してきたかもしれない部分の「上昇感」はどうなっているのかという点も気になるところである。
 「新しいもの、豊かなもの」を象徴してきた家電製品やクルマなどがもはや、「神通力」を失ってしまったことは周知の事実であり、今、この時代の人々の「上昇感」を刺激するようなものは極めて少なくなってしまったのではなかろうか。モノが売れにくい理由はこんなところにもありそうな気がする。もっとも、「上昇感」にこだわるカネ余り人種は、ブランドモノや贅沢品に凝っているそうではあるし、地上への想像力を失ってしまったかのようなホリエモンなぞは、宇宙関連商品に目を向けているのかもしれない。

 いずれにしても、現在を、「昭和30年代」の<裏返し>だと見なすならば、「上昇感」どころではなく、「下降感」こそが注目されなければならない。そして、その「下降感」によって、「平和」「安心」「地道」「のほほーん感」といった愛しき空気が、ことごとく<裏返し>にされつつあるということになるのだろうか。
 そう言えば、雄大な雰囲気の「ローハイド」が、「牛肉輸入問題」と結びついてしまうし、ノルマンディーにおける解放戦線の「コンバット」は、泥沼化している「イラク問題」を意識せずに楽しむわけにもいかなくなっている…… (2005.11.08)


 病院(町医者)というのは、その先生の人柄が反映されていて十人十色のバラエティがありそうだ。今日、初めて訪れた「ペインクリニック」も、まさにその先生のざっくばらんな人柄で彩られた病院であった。看護婦曰く、「ここはガヤガヤとうるさくて、病院らしくない、と言われるんです」

 今朝も、相変わらず「朝駆け」の痛みで起こされてしまった。
 居間で、正座をしてコーヒーを啜りながら考えたものだった。
 『そこそこ我慢強い自分ではあるが、ホントに効くのかどうかがわからない治療の結果をおとなしく待ち続けるべきなのかどうか……。まして、すべての「状況証拠」が信頼できるものばかりならばともかく、まるで、小言をいいたくなってしまう部下のような雰囲気がないでもない担当医であり、その医者の治療である。
 小耳にはさんだあるお婆さんの患者の発言、「他の病院の方がよかった」という言葉も蘇ってくる。
 ここは、ひとつ、比較材料を得るためにも、他の病院に行ってみるのも一案に違いない。よし、接骨医が話していた「※※ペインクリニック」を試してみよう。そこは、「神経ブロック」療法(麻酔科)の専門だから、整形外科とは異なった情報を得ることができるかもしれない。そう言えば、あの「ネアカ馬鹿」看護婦にあることを聞いた際、何か解せない感触を得たことがあった。
 いよいよ神経ブロック療法をすることになった時、
「この病院には麻酔科はあるんですか」
と自分が聞くと、
「いや、整形外科の○×先生は優秀なお医者様だから大丈夫です」
と、明らかに質問をはぐらかしていたのだ。何がどうなのかは判然としなかったが、第六感に引っかかるものが残ったことは事実だ……』

 こうして、今日は、午前中は仕事の都合があったため、午後の診療時間をねらって訪ねてみることに決めていたのである。
 病院の建物の構えはそこそこであったため、もっと経営規模が大きなものかと先入観を持っていた。が、中に入ると、さほど広くない待合室は、人で一杯であった。壁のポスターなどから、どうも子ども連れの親子がインフルエンザの予防注射に殺到しているらしかった。「ペインクリニック」だけではやっていけないらしい、という事情が伝わってくる。
 その子どもたちがワイワイやっているからなのかと最初は思ったのだが、どうもこの病院の騒々しさ=活気は、自前のもののようだということが次第にわかってきた。
 あってもなくてもいいような口ひげを生やした、おそらくは自分などと同年輩と思しき先生が、そうした空気を作っていそうだということが徐々にわかってきたのだ。
 「あっ、いいよいいよ、それはオレがやるから。あんたは、何々さんの方を診てやって……」とか、「はーい、今日は。」とか、そして、予防注射を受けにきた子どもたちとの会話にもそれが表れていた。「痛くない、痛くない、ほーらもう終わった……」やら、「お母さんたち向けの注射は、補助がないから、一番安い注射器使うことで採算とらしてもらってんのよ。いや、冗談だけどね」とか、聞きようによっては、大丈夫かな、とも思わせるオープン・スタイルなのであった。

 いよいよ、自分の診断が始まった。自分は、痛みの発生から、他の病院での治療経過を含めて話し、要するにこれまでの治療では効かない状態であることを告げた。
「あっそう、神経ブロックもやったのね。お尻の上の骨にね。それじゃ効かないのよ。クスリの注入量が少ないし、もっと上のほうにある痛みを生み出している腰骨の部分にまで届かないというわけ。その部分に、1.5倍くらいの量を注射しないとダメなのよ。整形外科での神経ブロックは、麻酔処理には限界があるんですよね。」
「診断された病名は、……」と自分がいいかけると、
「『腰部脊柱管狭窄症』でしょ」
と、事もなげにその先生は言った。そこには、「病名」なんて関係ないの、治ればいいんでしょ、要するに! とでも言いたいような「速戦性」が感じられ、それはわたしにジワーッとした信頼感を呼び覚ますのであった。
「それじゃ、早速、始めましょ。○○さん、処置室へご案内して」
という指示で、事が淡々と進んで行った。と言っても、看護婦による準備が整うまでの間、先生は、待ち行列の予防注射に精を出していた。簡易ベッドに横たわる自分の耳に、
「はい、今日は。痛くなんかないよ。ほらほら、泣いてたら、弟さんが恐がるよ」
なんぞと聞こえてくるありさまで、経営者は本業以外の稼ぎでバタバタとしていた。

 しかし、これがモノホンの「ペインクリニック」の神経ブロックというやつかと感心したものである。注射自体の痛みは、つい先頃に経験していることもあり、まさに蚊に刺される程度のものであったが、尾てい骨よりもはるか上の腰椎に施された麻酔注射の効き目は、これぞ麻酔という確かさがあった。
 直後から、脚全体がポカポカとしてくる。先生の話によれば、麻酔によって「交感神経」を抑制させ、その神経が血行を阻害している状態を取り除くのだそうだ。ポカポカ感は、まさに血行が良くなった証しだという。この種の坐骨神経痛は、要するに当該部分の血行不良が神経を圧迫することで生み出されるものだという。
 ポカポカ感に浸りながら、運動神経への麻酔が解けるまで、一時間ほど横にさせられていた自分であった。よほど感触が良かったのか、この間の寝不足の結果であったのだろうか、自分は、いつもトコヤでそうなってしまうように熟睡してしまったものだ。
 看護婦の声で、目が覚め、看護婦の言うとおり、起き上がって麻酔解消のほどを確かめることとなった。その時、「膝が笑った」のである。登山で疲れて下山する際に、膝がガクッガクッと崩れることがあるアレである。いやー、大した効き目なんだと驚いてしまった。先日の整形外科でのその効き目とはまるで雲泥の差であったのだ。こいつなら、かなりの事をやってくれそうだ、という頼もしさが込み上げてくるのを自覚した。
 まるで酔っ払いが足元に気をつけながら歩くように、自分は処方された飲み薬を、パチンコ屋の景品交換所のようなクスリ屋さんへと買いに行くのだった。妙なもので、その途中での足腰のフラフラ感が、逆にありがたく感じられた次第である…… (2005.11.09)


 最近、どういうわけか飲み物が美味く感じてしょうがない。といっても、ビールや酒のことではない。いわゆる、「ソフトドリンク」という部類の単なる「水」なのである。
 中でも最も愛飲しているのがサントリーの「燃焼系アミノ式」という「アミノ酸8000mg」配合というペットボトルである。朝一番に飲み、昼も事務所の前の自販機で購入して飲み、夕食の前に飲み、風呂から上がって飲み、夜中に目が醒めると二口、三口飲みと、まるで赤ん坊がミルクを飲むように頻繁に飲んでいるようだ。
 確かに、以前は、「アミノ酸」配合のドリンクは体脂肪を燃焼させる(「燃焼系」?)との売り込みの言葉に乗せられていた部分があったかもしれない。夏場のウォーキングの際には、出かける前にコップ一杯、戻ってからまたコップ一杯と飲んで体内水分の補給を図ったものである。それがもとで、結局愛飲するようになったのかもしれない。
 食べ物をはじめとして、美味い、まずいをさほど意識する自分ではないのだが、このドリンクばかりは、最近、美味いと実感し、自覚するようになってしまった。
 要するに、喉が渇くということなのかもしれないし、このところの飲み薬の重なりで多少胃がやられているのかもしれない。とにかく、何でもない「水」のような飲み物が美味いと感じるのである。

 今朝も、小分けしてアルミボトルに入れたその「水」を飲んだ際、何とはなしの幸せ感を感じてしまったりした。まあ、昨日の治療で、いつまで続くのかはわからないにしても、とりあえず足腰の痛みも引いたということも手伝っていたのかもしれない。
 しかし、「水」を飲んで美味いと思い、その上、幸せ感まで感じたりするのは、この上なく単純極まりないことに違いなかろう。
 けれども、こういうことがあってもいいのではないかと力んだりしている。幸せ感の原点は、何はなくとも、自身の身体がまともな感覚を発揮することなのかもしれない、なぞと、かなり引きに引き切った謙虚で地道な水準でものを受けとめようとする自分がここにいたのであった。
 日中も、昼休みに秋の陽射しの中を外出した際、能天気なことを思い巡らせていたものだった。かつての「のり平」のCMのセリフ「何はなくとも江戸紫」ではないけれど、こうした暖かい陽射しや、その下で輝く樹木や草々といった自然があり、それらを愛でる自身の感覚があり、その感覚はまた何でもない「水」をも美味いと感じさせ、つまり、自然の中での単純な調和の中に浸れれば、とりあえず人間は幸せと感じられるのではなかろうか、と思ったりしたのであった。

 何が言いたいのか自分でもよくわからないのだが、人間が生きるということの下支えとなっているに違いない平凡な事実にこそ、もっと目を向けて良さそうだということなのかもしれない。現代人の頭の中や心の中には、あまりにも複雑過ぎるものが充満していて、自身を迷子状態にさせているのかもしれない。それらは実に高次元な内容であるのかもしれないが、人間を幸せにするために本当に有効に機能しているのであろうか。いや、そうラディカルに疑っては身も蓋もなくなるというものだが、要するに余計なもので煩わされて、シンプルで大事なものがぞんざいにされてはいないか、ということなのである。
 健康的な身体と、健康的な感覚といったものが幸せの原点なのかもしれないのであって、これらが、他を優先させがちな現代生活の過程で意外とないがしろにされていそうな気がするのである。まるで、「本体」というようなものがなく、複雑な「オプション」ばかりで構成されているのが、ひょっとしたらわれわれの現代生活なのかもしれないと、唐突に思えたのかもしれない。

 二、三日前に報じられた哀しいニュースで、80歳を超える老夫婦の自殺事件があった。地方の、現在は使われていない焼き場の焼却炉に生きながら入って、自分たちを「荼毘に付す」自殺をしたそうなのである。ご婦人は、認知症となっていて看病疲れの末のことだとも言われていた。
 この事実からは、高度だと言われる現代社会を一瞬にして疑わせる衝撃を受けたものである。この国の政治の貧しさへの諦めもあろうが、結局、文明というものに諦めの判断をせざるを得なかった老夫婦の切なさが、他人事とは思えなかった。
 そんなこともあって、荼毘に付されて骨になる自分、というシビァだがリアルな地点を見据えて、今、生きている自分というものを捉え直すべきなのだろうか、と。だから、「水」を美味いと感じる、そんな単純なことの中に、生きていることの「本体」が潜んでいるのだとも言えそうな気がしたのかもしれない…… (2005.11.10)


 やはり同市内の殺人事件となれば気にしないわけにはゆかない。
 「町田木曽住宅」とは、バス停で言えばわが家から町田駅にひとつ近いところにある大きな集合住宅である。バスで町田に出ようとする際には、いつも多くの乗降客が目立つところだ。
 確か大分以前のことだが、アーチェリーを使った殺人事件があったのもこの住宅ではなかったかと思い出す。
 言われ尽くされたことだが、人の往来が激しいからといって、不審人物の目撃があるとは限らないのが、昨今の状況のようだ。つまり、他人の動向に関して意を払うということが極めて希薄になってしまったようなのだ。そんな互いに無関心な状況というものが、悪事を働くものたちに格好の場を提供しているということになるのであろう。
 たとえ「見慣れぬ者」が近所をうろついていたとしても、気にとめるということは先ずありえないのだろう。近所のお宅に縁のあるそうした人が訪問したのだと思える可能性も十分にあることでもある。あえて気にとめることの方が特殊だと言えるのかもしれない。まさに、「匿名」的な人物の往来することが、これまでになく当然なこととなっていそうだと思える。

 今回の殺人事件は、
「11日午前5時25分ごろ、東京都町田市本町田の団地の4階にある運送会社員古山君子さん(39)方で、長女で都立町田工業高校1年の優亜さん(15)が首から血を流して倒れているのを、仕事から帰宅した君子さんが見つけ110番通報した」(asahi.com 2005.11.11)とある。
 また、
「発見された時には、死後数時間経過していたとみられ、背中や手なども含め計十数カ所の切り傷があった」
とあるから、深夜に殺害されたようである。
 当然、悲鳴やら騒がしい雰囲気が近所に伝わっていたはずだと思われる。たとえ深夜であっても、そうした騒がしさが、隣近辺の住人に何らかのリアクションを起こさせて当然という気もするわけだが、ここでも、限りなくノー・レスポンスとなってしまったのが、現在の住宅地の現実であるようだ。
 隣近所の「内部事情」に介入することはない、あるいは介入してはいけない、とでもいう姿勢が当たり前のようになっているに違いない。

 こうして振り返ってみると、現在の住宅地は、「隣であって隣ではない」というか、「隣があるようで離れ小島の孤立」とでもいうような、奇妙な状況となっているのかもしれない。「互いに干渉し合わない」ことを特徴とする都市生活の原理は、もはや行き着くところまで行ってしまった観がありそうである。住宅地域での人々の関係性の希薄さが、地域社会での卑劣な犯罪を助長していることは間違いない事実であろう。
 昔、犯罪に巻き込まれそうになって助けを求める場合には、決して「誰か助けて〜!」とか、「人殺し〜!」とかと叫ぶべきではなく、必ず「火事だあ〜!」と叫ぶべきだと聞いたことがあった。そうでなければ、ひと(他人)は出ては来ない、ということであったかと思う。「火事」という利害関係的事実でしか、人間関係の常識が呼び覚まされなくなってしまっている現状は、嘆かわしいとともに、こうした穴だらけの無法地帯を虎視眈々と歓迎している悪人がいるというわけでもある…… (2005.11.11)


 「落し所」をさぐるのが下手になった時代、というようなことをふと考えたりした。「落し所」とは、「決着を付けるのに最適な場所」というほどの意味であり、傍目で見ていてハラハラするような緊張関係が、一気に解消される解決出口のことである。その、死角となって隠れていたような解決出口、すべての緊張がそこから下水へと吸い込まれていくような箇所、解決策の発見が「落し所」を得たということになるのであろう。
 一昔前までは、こうした「落し所」をさぐったり、見事な「落し所」を提供したりする人がどこにでもいて、世の中の軋轢の交通整理がなされていたかに思う。
 「まあまあ、ここはアッシの顔に免じて双方とも矛を納めておくんなさいまし」なんぞと「落し所」さながらしゃしゃり出て、喧嘩仲裁をする御仁も少なくなかった。
 考えてみれば、公の裁きというものも、揉め事に対してある意味での「落し所」を与える役割を果たしていたのかもしれない。
 大岡政談の「三方一両損」という話なぞもいい例であろう。大工が落とした3両入りの財布を、左官が拾い、両人が受け取らないので、大岡越前守が1両を足して、両人に2両ずつを与えるというものである。
 これらからは、人の世で避けられない揉め事、軋轢、緊張関係を、知恵なり度胸、度量なりで何とか解決しようとする熱い人間たちの姿が垣間見える。というか、ちょっとした行き違いによってこじれてしまっている事態の事情というものを巧みに見抜いて一役買うというほどの火消し役がいたということであろうか。

 そもそも人の世の衝突は、当事者とてもやっかいなことにならないうちに収まればそれに越したことはないと思っているに違いない。泥沼のようなエスカレートを望む性格破綻者はごく限られているはずである。だから、事態解決の「落し所」も差し向けられやすかったと言えるのであろう。
 ところが、現代の環境はというと、どうも喧嘩仲裁役を買って出る者も少なくなったようでもあるし、こじれた事態への「落し所」提供についてもパッとしたものが見受けられない気配である。暗雲垂れ込める国際情勢を見ていると、何よりもそのことが実感される。「落し所」どころか、「火に油を注ぎ所」ばかりが追加投入されていそうでもある。イラクや中東情勢を見る限り、「窮鼠猫を噛む」の事態をも省みない米国側の一方的行動が、「落し所」云々の地平(国連?)を壊してしまっているような観測も可能だ。
 「落し所」といったものが奏効するためには、国際情勢にあっては国連のような「第三者」機関や、かつての冷戦時代のような拮抗し合う関係などが大前提として必要なのかと思えたりする。

 ところで、今日この「落し所」という視点に関心を寄せた直接的きっかけは、昨日書いた町田市内での女子高生殺害の犯人が同学年の男子であったそうだということから来ている。その男子生徒にどんな恋愛感情の起伏があったかは知らないが、あまりにも短絡、貧困で一方的な「落し所」さがしでしかなかったのではないかと思えたのだ。いや、こうした選択は、「落し所」なんぞではなく、むしろ「落し所」をさぐる人間的な手順を完璧に割愛してしまった異常行動でしかないと言うべきなのであろう。
 ここには、単一視点でのみ照らされた異様な個室的発想しか見当たらないような気がする。友人なりの「第三者」の鏡を持たないことで、自身の恋愛感情の行き詰まりの苦悩が異様に増幅するままだったのではなかろうか。本来言えば、こんな時にこそ、身近な「第三者」からの感情の「落し所」が必須のはずだったと思われる。そんなものがあれば、無くてすむはずの事件だったと悔やまれるのだ。
 友人との会話で、
「そんなことって、よくあることじゃん」
「そうかなあ……」
「そうさ、オレなんか失恋ばっかだ。失恋しなかったら、好かれる男になれないって言うぜ」
なんぞと、ガス抜きできるひと時が持てれば、自身でちょっとした「落し所」を設定することも可能ではなかったのかと……。

 みんなが、マイ・サイド(自分サイド)だけの空間に浸り切って孤立してしまい、あたかも「ナビゲーター」のように「第三者」が照らし出してくれる自身の位置、実相を見失ってしまうと、人間は人間ではなくヒトとなってしまい、ヒトの内部で荒れ狂う壊れた感情が暴走し始めてしまうのかもしれない。
 「落し所」がさり気なく振舞われる社会、「落し所」を「あっ、そうか」と気楽に受け入れられる対人関係が、何とか復活しないものかと楽観視するのだが…… (2005.11.12)


 先週の水曜日に、「神経ブロック」療法を受けたのだが、どうも改善が思わしくない。今朝は、一頃ほどの強烈な痛みではないにしても、「朝駆け」の痛みで一時は目を覚ますことになった。
 ところで、「神経ブロック」の機能とは、
「痛みの原因となる知覚神経繊維や運動神経線維、交感神経線維の異常な緊張や興奮を取り除き、その神経が支配している領域の痛みを断ち切る治療法です。知覚神経がブロックされると患部の疼痛が緩和され、運動神経繊維がブロックされると筋弛緩作用がもたらされ、交感神経がブロックされると抹消の血管が拡張し血行が改善されます」
とある。
 このうち、明確な根拠があるわけではないのだが、「交感神経」というのがちょっと気になっている。ちなみに、その説明は次のようになる。
「高等脊椎動物の神経系の一で、自律機能を調節する。中枢は脊髄の胸腰部側角にあり、神経線維は前根を経て脊柱の両側を走る交感神経幹に入る。神経幹には多くの交感神経節があり、そこから出た神経抹消が血管・皮膚・汗腺。内臓平滑筋・分泌腺などに広く分布する。神経の興奮を支配器官に伝達する物質はアドレナリン・ノルアドレナリンで、一般に生体を活動的にする。副交感神経と拮抗(きっこう)的に作用し、両者で自律神経系を形成。高次中枢は視床下部にある」(広辞苑より)

 交感神経の高ぶりは、血管の収縮をもたらすらしい。とすると、この点に関して想起することがいくつかあるのだ。
 先ず、先日の「神経ブロック」注射のあとの、下半身のポカポカ感は、実に明瞭であった。ということは、注射以前との間に大きな開きがあったということであり、如何に交感神経の作用によって血行不良が生じていたかということになりそうだ。
 また、自分の体質を振り返った際、例の「偏頭痛」を思い起こさざるを得ない。そして、これもまた、血管の収縮と拡張のアンバランスに起因するものであった。交感神経が不自然に高ぶってそれらをもたらすのではないかと推測できる。
 おそらくは、このメカニズムと根が同じだと思えるのだが、視覚に関して時々現れる「閃輝暗点(せんきあんてん)」という症状も、血管収縮に伴う血行不良から来ているのではないかと思ったりもする。
 ところで、二、三日前に、「ソフトドリンク」を愛飲していることを書いたが、これは裏返して考えてみれば、「喉が渇く」症状の表れだとも言える。「糖尿病境界型」の体質から来るものとも推定できるが、交感神経―アドレナリン分泌が原因だとすることも十分に考えられそうだ。しかも、就寝時にも「喉が渇く」状態があることは、就寝時における交感神経の高ぶりを示唆しているような気配でもある。

 今ひとつ、気になるというよりも気にすべきことは、「喫煙」であろう。喫煙が、毛細血管を収縮させることは知られた事実である。自分のような体質にとっては何も良いことがないのはわかり切っているのに、惰性と意志薄弱で継続してしまっているわけだ。そろそろ、まともに考えるべき課題なのかもしれない…… (2005.11.13)


 二回目の「神経ブロック」を済ませてきた。
 最初の時点で、先生は言われていたものだった。
「痛みを自覚してから間もないので、まあ、5〜6回で収まりますよ」
と。
 あわよくば、一回で収拾できないかとも期待したものであったが、先生の言われる経験則に沿うサンプルとなりそうな気配である。しかし、それでも痛みが気にならなくなればめっけものかと大いに下手(したて)に出はじめている自分である。

 待合室で待つ間、備えつけてあった「神経ブロック」療法に関するパンフレットを読んでいた。ここの先生が、読売新聞の医療コラムでインタビューを受けている記事であった。ここで開業する前は、とある大学病院で勤務していたことがわかった。
 それはともかく、「神経ブロック」療法というものが、単に麻酔で痛みを除去するだけのものではなく、疼痛部の「悪循環」(交感神経の高ぶりによって「痛み物質」が滞るとともに血管収縮により血行不良が発生してしまうこと)を断ち切り、血行を良好にしながら「痛み物質」を流し去るものだと、そう説明されてあった。
 この効能は、すでに了解していたからこそ、複数回の治療を受けることにしているわけである。先生も治療中に話しておられたが、「温泉に十時間ほど継続して入っているような効果」だというから、あとは、自身の身体の方がこれに協力するというか、このきっかけを活用できるかどうかなのだと思えた。

「今日は、クスリの量をちょっと多くしておきましたよ」
と、まるで、リピーターにはラーメンのメンマを二、三本サービスするラーメン屋のオヤジが言うセリフのようなことを、先生は言っていた。
 一時間の休憩をとっても、どうも、前回より痺れが残っているな、と怪訝な顔をして帰り支度をしていた時のことである。
 確かに、臀部の痺れ感も強烈なら、立ち上がった際のアン・コントローラブルな感覚、つまりふらつきを制御できない気味悪い感覚は、注入されたクスリの量の多さを推測させていた。運動神経に対する麻酔の醒め方は比較的早いのは、前回にも経験しているため、廊下の壁に手をやり警戒しながら待合室まで行き、そこで回復を待つことにした。

 ところで、何によらず「悪循環」を断ち切り、ノーマルな「循環」運動にお役に立ってもらうということは、この上なく大切なことのようだ。
 このロジックの最も大掛かりなものは言うまでもなく、地球規模の自然現象における循環的運動であろう。あらゆる自然現象が、決して単独で発生するのではなく、すべてが連鎖の「チェーン」で結ばれており、それが安定した秩序を創り出しているようだ。何が初発の原因で、何が終末の結果だと問うことが愚かしいほどに、すべてが始りであり即終りであるような円系循環で動いているのが自然界なのであろう。
 しかし、時として「ミッシング・リンク(失われた環)」のごとく、あるべきはずの循環のリンケージの、とある部分が損傷を受けたり、欠落するならば、まさしく安定した循環は「悪循環」へと陥り、目も当てられない悲劇が繰り返されるのであろう。
 地球の温暖化現象は、残念ながらこのケースに嵌ってしまった「悪循環」であるようだし、直接的な人間界の問題としての「憎悪の連鎖」もまた、恐ろしい「悪循環」のはずである。
 未遂に終わって姿を曝すこととなったイラクのご婦人の自爆テロ装束を目にすると、やはりこんな哀しい姿が訴える異常な「悪循環」は一刻も早く断ち切るのがヒューマニズムだと思わざるを得ない。不謹慎に冗談を言うつもりではないのだが、そのイラクにおける痛々しい「悪循環」を、「神経ブロック」療法のように治癒していく方法はないものなのであろうか…… (2005.11.14)


 腹の立つことは多い。中でも、人をして実に気分悪く腹を立たせるものとして「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」であるとか、「羊頭狗肉(ようとうくにく)」と言う類いの欺瞞がある。要するに、表面上は、問題ないように、あるいは称賛に値するかのような体裁をほどこしながら、実態では平気で辛酸を嘗めさせるような手法のことである。わかりやすく言えば「大ウソつき」と言ってもいい。ただ、ウソがバレない仕掛けを張り巡らせたり、周到に弁解のための煙幕を張ることで、ウソの痕跡を消そうとするために、大いに警戒を要する。
 こうした手法は、巷によくあるイカサマや詐欺から、上は権力の「正当性」確保のジャンルに至るあらゆるレベルで駆使されており、特にめずらしいものでもないと言えばそうでもある。しかし、これらに関して二つの点を強調してみたい。

 ひとつは、まさしく一連の「コイズミ・ポリティックス」がそうであったように、マス・メディアをはじめとする現代の社会構造は、結局、世論操作としか言いようのないこの種の欺瞞を、ある時は野放しにし、またはある時は手助けしているという点である。
 今さらのように悔やまれるのは、「改革を止めるな!」といった「羊頭狗肉」のスローガンに、おっちょこちょいな国民が支持を与えたことであろう。増税改悪、医療費負担増改悪、消費税実施画策、自衛隊イラク駐留延長、憲法改悪といった一連の改悪路線が、厚顔で姑息にも着手されるであろうことは十分に予想されていたはずである。
 政府筋からの公式事実を垂れ流すだけがマス・メディアの役割りではないはずであろう。事実をより大きな角度から捉え、政府批判的となれとまで贅沢はいわないにしても、蓋然性の高い傾向を警戒的に報道するクールさがあっても良かったはずである。
 そうではなくて、事実を、政府垂れ流し事実を、一方的に報じ、自然を装った「御用報道」を恥ずかしくもなく行うのは、まさしく国民に対する「慇懃無礼」だとしか言いようがない。
 事実というものを、字句上の言った言わないのレベルでこだわり続けて矮小化して捉えて済ましている怠慢怠惰が許し難い。状況証拠を含めた幅広い取材から、埋もれさせられてはいても、その姿が良識からは透いて見える、そんな事実をこそ報道して、マス・メディアは信頼を得るものだと思う。
 繰り返して書くように、大量の「二次」情報を編集して、とにかく一般大衆に多大な影響を及ぼす立場にあるマス・メディアは、そうした「選ばれた立場」にあることをしっかりと自覚しなければならない。結果的に庶民を欺くようなことをしていれば、やがて庶民からそっぽを向かれて経営そのものが行き詰まることを警戒してもいいはずではなかろうか。

 もうひとつは、「慇懃無礼」や「羊頭狗肉」の欺瞞というものが、庶民の間から発生するというよりも、政府や官僚機構、そしてマス・メディアなどの「上方」から蔓延してくる時代というのは、はなはだ「社会的空気を毒する」ということである。
 まして「民営化」をキー・コンセプトとする時代である。「官」の独占より「民」の競争の方が、風通しもよく公正が保たれると信じる向きもあろうが、競争原理が欺瞞や悪事を排除するとの判断は何の根拠もない、いわば「健全な精神は健全な肉体に宿る(宿れかし)」と同じものに過ぎないだろう。
 むしろ、政府や官僚機構、そしてマス・メディアなど、「公的」ブロックでの公正・公平な空気こそが、「民営化」組織における望ましい方向性を生み出すはずである。
 平たく言って、手本になるべきブロックが、その場限りの欺瞞を振り撒いては、市民道徳を汚す以外ではないということである。そして、こうした空気は、「無性に腹が立つ」という不穏な空気を醸成しないとも限らないのではなかろうか。
 現在発生しているフランスの暴動は、状況も脈絡もまったくこの国の事情とは異なるものであるが、必ずしも対岸の火事とばかりは言えないのかもしれない。市民社会の理屈上の話と、惨めな実態とがますます乖離していくならば、行き場のない「フラストレーション・ガス」は「ルサンチマン」へと急変してゆかないとも限らない。激烈な「二極分化社会」への社会改造は急速に驀進しているはずである。まあ、「嘗められ切った」この国の国民が何をしようでもないとは思われるが…… (2005.11.15)


 知り合いで、定年退職をした人が、ニュージーランドに半年間だかのホームステイに出かけたという話を家内から聞いた。家内の友人のご主人である。とにかく、へぇーと思ってしまった。が、瞬間、まとまった感想を持ちようがない自分に気づいた。
 何年か前に短期のホームステイに行った場所であり、その時の印象が忘れられないからというのが直接的な動機であるらしい。そう言えば、彼とは一度お目にかかったことがあったが、旅行業関係の会社に勤めてきたようである。ひょっとしたら帰国後のビジネスに何かを考えているのかもしれない。また、男性だから、サラリーマン時代にも単身赴任という経験もあって、ことさらどうということもないのかもしれない。それにしても、奥さんを一人わが家に置いて、これを敢行するご主人を、へぇーと思ったわけである。

 良くは知らないが、ニュージーランドは農業・牧畜が盛んだそうで、この日本よりは自然に恵まれていて過ごしやすいのではないかと想像する。そんな自然への思い入れが高じたということなら、自分にも十分共感できるところである。
 ますます鬱陶しくなる社会・政治情勢と、もはや取り返しがつかないほどに人の手が自然を侵食してしまったこの国に、しがみつく理由はさほどあるわけではないと思ったりもしている。
 できれば、この国ではあっても、人里離れた自然の地で暮らしてみたいと漠然と思ったりしている矢先、これまた、へぇーと感嘆する事実に気づかされた。
 79歳のおばあさんが、水道も電気も電話もない人里離れた知床の海岸で、毎年、春から秋までの間たった一人で暮らしているという話である。(TV・NHKスペシャル 2005.11.12 9:00 「ユリばあちゃんの岬」)

 番組解説は以下のとおりであった。
<今年7月、ユネスコの世界自然遺産に登録された北海道知床半島。道もなく、険しい断崖が続く半島の先端部には、“番屋”と呼ばれる漁師たちの作業小屋がある。その数、およそ20軒。毎年、春から秋までの間、漁師たちは、番屋に移り住み、豊かな海の恵みを授かって生活している。
 藤本ユリさん(79歳)は、30年以上前から毎年、知床岬の番屋に移り住み、たった一人で寝泊まりしながらコンブ漁を行っている。強い波が来ると海岸には、ちぎれたコンブが打ち上げられる。ユリさんは、毎日、黙々とコンブを拾い、玉砂利の上で乾かす。番屋には、水道も電気も電話もない。沢の清水を引き、海鳥が追い立て浜に打ち上がったイワシで食事を作る。そして、流木を燃やして五右衛門風呂を沸かし、ランプの灯りで夜を過ごす。嵐や凶暴なヒグマの脅威と戦いながらの生活が続く。しかし、ユリさんは、どんなに便利な都会の生活よりも知床の番屋暮らしが一番だという。「ここに一人で暮らしていると、自分は生きているんだと思う」。知床の大自然は、79歳の年老いた女性に、みずみずしい“生きる実感”を与えている。
 番組では、“地の果て”知床岬の番屋に、たった一人で過ごす、藤本ユリさんの春から秋までの4ヶ月を通して、知床の大自然の魅力を伝える。>

 都会の生活は、何重にもなって人を苦しめる「ヤマアラシのジレンマ」と、人間たちを支えるのではなく奪うことに終始するかのような社会や政治が、人間の“生きる実感”をことごとく略奪しているかのようでもある。
 それに対して、荒々しくもある自然は、崇高な無邪気さで、生きるものたちに生きる術を縦横に与え続けているかに見えた。そこには、不信を抱きようもない厳格かつ寛大な父なる自然、母なる自然が雄大に広がり、「ユリばあちゃん」はそれらに対してまるで幼児のように身を託してのんびりと余生を楽しんでいた。ヒグマからおばあちゃんを守る二匹の番犬たちも、のんびりとしたおばあちゃんに寄り添いながら、いかにも幸せそうな様子をしていた。
 確かに、番組では披露されていなかった危険、たとえば不意に訪れる病や、怪我なども軽視されるべきではないだろう。だが、それでもなお、「ユリばあちゃん」の“生きる実感”がひしひしと伝わってきたものである…… (2005.11.16)


 意図的にダイエットをしても70`の大台を割ることは久しく無理であったのに、この一ヶ月で4〜5`減で、現在70`台となっていた。
 体重減となると、頬の肉が落ち、手を当てるとすぐにわかる。どうも頬肉が落ちたようだと訝しく思い、体重計に乗ってみると、70.3`となっているのがわかった。おそらく、坐骨神経痛で、食欲どころではなかったし、朝方の睡眠がカットされ続けてきたことや、痛みどめのクスリを服用し続けたためなのではないかとすぐさま想像した。
 
 さすがに、一ヶ月足らずで4〜5`減ともなると、腰ベルトも妙にラクになるし、指のリングもブカブカ。また、腕時計のベルトもユルユルとなり、何かヘンだと感じていたら、文字盤側が手首の内側に回転している始末であった。
 思わず、何と哀れなことになってしまったかと嘆くに至ったほどである。まあ、嘆くこともなさそうであって、70`前後がちょうどよかろうと願い続けてきたので、この「拾い物」をむしろ大事にすべきなのだろうと考えたりしている。転んでもただでは起きないとはこのことかと……。

 しかし皮肉なものである。ウォーキングの動機のひとつは体重の適正化でもあった。しかし、いくら汗をかいてもほとんど「焼け石に水」のごとき結果でしかなかった。
 それが、ちょっと力んで、「鉄アレー」なんぞを携えて運動量を大きくしようとしたりしたものだから、腰に来てしまったのかもしれない。この点は確証があるわけではないが、可能性は濃厚だと反省している。
 その結果、坐骨神経痛なんぞになってしまい、その副産物ということであろうか、体重の適正化が思いのほか達成されてしまった、ということになる。まるで、「瓢箪から駒」というべきか、お笑い種の「セレンディピティ」(2002.09.04)というべきか、ヘンな成り行きとなったものである。

 こうした事というのは、どういうものか自分にはまつわりついていそうなのである。
 いつぞや、ここでも書いたおぼえがあるが、「夜間行進40キロ」という、一晩中歩け歩けのオリエンテーリングをやらされる、あの「地獄の特訓」セミナーでも、これに似た経験をしてしまったのである。
 たまたま、自分は班長に推薦されて、班員とともに、頼りにならないオリエンテーリング用の地図を持ち出発することとなった。夕刻から出かけたパーティは、日のあるうちは先ず先ずの成果を納めて前進できた。ところが、日がとっぷりと暮れた午後七、八時頃、どうも地図とは照合できない場所へと突き進んでしまったのだった。途方に暮れて、とにかく全員を休ませることにした。
 と、その時、われわれのパーティを先行していた班員らしき姿がちらほら見えたのであった。ということは、われわれは、どこかで道を間違えて「ショート・カット」してしまったということになる。そのことに気づいたということは、同時に、一つの「チェック・ポイント」で獲得するはずの「チェック・カード」を取り損ねているということなのであった。
 そこで、班員全員で協議することとなった。ここから、その「チェック・ポイント」まで正当に全員で引き返すべきか、それとも、これは明らかにイカサマであったのだが、体力のある「斥候」だけが取りに引き返し、疲れた全員はその間ここで休む、という選択肢のどちらを選ぶか、というものなのであった。意見は分かれた。そして、最終的には、わたしが、決断をせざるを得なかった。もし発覚した場合には、自分が退学処分でも何でも個人責任で引き受ける。ここは、体力温存路線を採らせてほしい、と。
 結局、この密事は発覚することなく済んだ。だからといって、この「ショート・カット」が大幅に班員をラクにさせたとまではいかなかったが、「間違って、近道してしまう」という事実であったことは、一種の「セレンディピティ」には違いなかった。

 この世の事象は、願ったとおり、企画したとおりに実現されるということはきわめてまれなことではないかと思う。他人のラッキーを見ていても、当人は、「こうやって、計画し、試行錯誤してゲットしました」というものの、「計画し」という部分はとかく飾りごとのようであり、「試行錯誤して」というのがまさしく実情であったのだろうと思えてならない。
 思うようには行かないのである。だが、その哲理は、計画が思うようにいかないだけでなく、思ってもいなかったことが起きてしまうという意味でも、思うようには行かないのだと考えれば、それなりのの妥当性がありそうではある。だから人生はまんざらでもないのかもしれない…… (2005.11.17)


 17年目の会社で、やっと二度目の「税務調査」が入った。既に、今日と、来週の一日との二日間、税務署員が来社されることは決まっていた。税務処理のあれこれが調査され、申告漏れなどがあれば指摘されることになるわけだ。
 特に、「アブナイ」税務処理をしてきた覚えがないため、特にうろたえる必要もないわけだが、あまりいい気分のものでないのは確かだ。もっとも、ウチの会社は、以前から厳密な会計事務所に処理をお任せしているため、税務署員との対応もその先生方に頼ればよいわけで、特に気にかけることもない。

 9時過ぎに会計事務所の先生方がお見えになり、10時に税務署員の方が来社された。事前の電話でわかっていたことであるが、税務署員といっても、30前後のうら若い女性であり、軽装の身なりで、まるでリクルートのための会社訪問か、姪っ子が事務所に顔を出したといった感じであった。
 当人も、調査は一年目であり慣れていません、と率直に話していた。まあ、ベテランが虎視眈々と申告漏れなどをほじくるといったイメージではなさそうだと、何となくホッとしたものであった。いや、もちろん、ほじくられるべき何かがあるということなんかではないが、税務署の調査意図に「特別なもの」があるわけではなさそうだと了解できたようでホッとしたというわけである。調査の頻度があまりにも少なかったという点と、前年度の売上額が比較的多かったという点が調査理由であるようだった。

 自分は、挨拶程度で済ませて仕事に戻ることにして、あとは会計事務所の先生方にお任せすることにした。まるで、道場に他流試合を申し出てきた侍に対して、用心棒か指南役の先生方に対処をお任せする雰囲気である。
 これは確かに当たっており、現在の会計事務所にお世話になる動機の一つが、税務調査対応に引けを取らない先生という点にあったことは事実なのである。地域の税務署員の方も、何々先生が面倒を見ている会社であれば問題は少ないとの風評を立てていたそうなのである。
 当該の先生は女性の税理士先生であるが、万事卒がない上に、独特のスタイルでの押しも強く、凄腕の税務調査マン達も一目置く存在だとの評判であった。
 したがって、その先生にご足労いただいたので、自分は何の心配もなく、通常作業が行えるというものなのである。

 その税理士先生とは、会うたびに世間話に花を咲かせることになりがちである。そして、その内容は、結局、「人の関係」の難しさに落ち着く。先生の仕事がら、中小零細規模企業の経営者と話したり、相談を受けたりすることが多いらしいが、そこで聞かされる話の大半が、従業員の扱い方であったり、家族問題であったりということになり、そんな材料をめぐってあれこれと共感し合うことが少なくない。ご自分も、事務所内でのそんな問題でいろいろと考えたり、感じたりすることも少なくないようで、その点は、自分も同様であるので、ついつい熱が入るという道理なのである。
 今日は、日毎に厳しくなっていく中小零細規模企業の後継者問題がクローズアップした。まんざら無関係な問題でもないし、親子関係といった世代問題も絡んでいたため、税務調査の中間報告の話題よりも、むしろこちらの方について話し込んでしまった。
 小規模経営は、いずれにせよ見通しが立てにくく、経営に問題が山積しているのに加えて、そうだからこそとも言えるが、後継者としての子世代との関係にも複雑な問題が潜んでいるのが一般的実情のようである。我が身に照らしても、想像するに余りある、というところかと思う。家族労働力を合わせて一丸となって……、という牧歌的イメージがそうそう通用しなくなっているところが厳しい実情なのであろう。
 そもそも家族というもの自体が、楽観的には考えられなくなっているのが現代の特殊事情だと思える。これに加えて、さらにイージーには取り扱えない小規模経営と経営者の高齢化が絡むならば、その「合算」に対して、ほくそえむことができるケースは極めて限られるはずではなかろうか。それぞれのケースが個別に抱えた深刻な問題を支援するような時代的環境が皆無に近い実情であることに対して、恨めしさと腹立たしさを禁じえないというところであろうか…… (2005.11.18)


 河島英五の『時代遅れ』という歌に、
「目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける
時代遅れの男になりたい」
というフレーズがある。
 この中の「目立たぬように はしゃがぬように」という部分が、何故か心に共鳴するのである。正直言って、「時代遅れの男になりたい」とまで開き直ることはできないでいる。いや、すでに「時代遅れの男」それ自体なのかもしれないが……。

 実は昨日、会計事務所の税理士女史と世間話をしていた際、何がきっかけだったか、昨今の若い女性たちが無残に刺殺された事件が話題に上った。そして、税理士女史は、物騒な時代だという一般論に加えて、やや奥歯に物が挟まるような口調で、被害女性たちに何の落ち度もないのかしら……、もう少し「地味」に振舞っていたら災難に合わなかったんじゃないかしら……、というようなことを言われていたのである。
 わたしは、その発言を自分なりに解釈して、否定し切れなかった。つまり、有り体に言えば、この物騒な時代にあって若い女性の多くがひょっとしたらいろいろな危険に対して警戒心というものが足りないのかもしれない、ということなのでもある。
 深夜に暗い道を一人で歩いている女性を見かけることも決して稀ではないし、それに類したような危惧を抱かされることもめずらしくはない。一連の出会いサイト絡みの事件などについても、一方で残忍なことをする犯人を咎める心境とともに、もう一方で被害女性がどうして巻き込まれてしまったのかに関する疑問が残らないわけではなかった。

 だが、わたしの主たる関心は、犯罪に巻き込まれることへの警戒心云々という、言ってみれば不幸なレア・ケースについてというよりも、もっと一般的で日常的な状況での「身の処し方」の次元の問題ということになるのかもしれない。
 昔のことわざに、「出る杭(くい)は打たれる」「出る釘は打たれる」というものがあり、差し出て振舞う者は他から制裁されるから警戒せよ、と昔の人々は戒め合ったようだ。古い発想と言えば確かにそうだが、そこには自身の行動を、他者の厳しく、かつ喧(かまびす)しい視線を十分に配慮して律することの常識が語られていたかに思える。その点は、現代も人の世である以上変わらないと見ていいのではなかろうか。
 いやむしろ、現代という時代は、自身のことはさておき他者を冷ややかに凝視する視線で満ち満ちた状況だとも言えそうである。いわば、「恨み・辛み・妬み」の「三位一体」が過剰に増幅させられた状況であり、週刊誌やトーク番組レベルのマス・メディアはこの感情原理を最大限駆使してビジネスを進めているとさえ言えよう。庶民感覚も同質だと見てよいのかもしれない。
 要するに、「出る杭(くい)は打たれる」の環境は、決して変わってはいないどころか、根が深くなってさえいるのかもしれないのだ。

 そこへ持って来て、現代という時代は、一言で言えば「目立って何ぼ」という「アピール至上主義」の時代である。市場での一般商品はまさにこの原理によって操られ、マス・メディアがこれを担い、ビジネスとしている。そして今や、人を含めてあらゆる存在が商品となっているわけだから、「目立て目立て」競争こそが競争の中心となってしまった観がある。
 もちろん、「目立つ」ということに、落ち着いた実質的な基準がありようもない。まさに物事の表層の見た目が主戦場とならざるを得ない。悪いことをしてでも「目立ちたかった」とほざく青少年が出てくるのを勘違いも甚だしいと言う大人たちは、現到達点の読み違いをしているのかもしれないのだ。時代が推進させてしまった「目立つ」ことの原理の前で、善悪の道理を説いてもほとんど効き目はないはずである。現代の青少年の方が、事実を事実として受けとめているのかもしれない。これが、市場主義万能時代のなし崩し的現状なのだと言えそうである。「コイズミ・ポリティックス」にしても、「目立つ」原理を駆使した政治的パフォーマンスの効用を抜きにしては、おそらく解説不能であろう。

 しかし、この「目立つ」原理によって引き回される時代というものは、「目立つ」立場の者も苦しければ、「目立つ」対象を見せつけられ、あたかも過度な「煽情的」対象を見せつけられているかのように無用な感情を刺激され続ける側もまた苦しい、と言うべきなのではなかろうか。苦しいことの原因は、言うまでもないが、内実はほとんど「空」でありながら、「色」を追いかけるだけのこととなるからであろう。「色即是空」の苦痛以外ではないのだろう。
 「目立たぬように はしゃがぬように」というフレーズが、心の中で共鳴して聞こえるのは、「煽情的」水域にまで「目立て目立て」競争が突き進んでいる現状を、手を焼くほどに嘆かわしく感じるからなのだろうか…… (2005.11.19)


 「失意」に追いやることは多くても、「勇気」を与えるということがめっきりと減ってしまったご時世である。しかも、これらに関する本職とも言える政治家たちは、「失意」や「勇気」という言葉が収められた辞書を使ってはいないらしい。
 だが、自身の身体を張って挑戦するプロフェッショナルの中には、まるで「救世主」とでも言えるような活躍ぶりを見せてくれる者もいる。そして、その役割りをしっかりと自覚した者もいる。
 今日の「東京国際女子マラソン」の「高橋尚子」は、まさに、闇の中で彷徨する数限りない人々にとっての「救(Q)世主」のQちゃんだという印象があった。

 二年前の同マラソンでは、35キロ付近での突然の不調によって思わぬ結果をもたらし、それ以降「高橋尚子」の名はアテネ・オリンピック関連から遠ざかるだけでなく、女子マラソン界の表舞台から消えてしまったような雰囲気であった。
 体調不良が続いたり、従来からの小出監督から離れたりで、多くのファンも、あるいは再起し得ないのかもしれないと危ぶんでいたのではなかろうか。
 そんな中で、「高橋尚子」は自身を信じ続けるとともに、自分を信じてくれるフレンドリーな仲間とともに「チームQ」という斬新な闘う集団を創り上げた。そして、独自なチーム活動を続けて、今日、輝かしい勝利を掴んだ。長島監督ふうに表現するならば、「メイク・ドラマ」と言わざるを得ない。

 しかも、自身の復活は、かつて自分を地獄へと追い込んだ「東京国際女子マラソン」での35キロ付近での辛い記憶を克服すること以外にはない、というその真っ当な認識が素晴らしいと思えた。真の課題を臆することなくしっかりと見据え、それに向かって果敢にチャレンジしようとした点がもとより見事だったのだ。
 それだけでも「合格」であったところに加えて、トレーニング中で発生した「肉離れ」というアクシデントをものともせず、「リターンマッチ」ふうのレースを圧倒的な勝利という形でモノにしたのは、まるでさながら映画「ロッキー」のようであっただろう。
 わたしも感動以外ではなかったが、沿道を埋めていた無数のファンも、幾分かの不安が払拭されたことで多分目頭を熱くさせたのではないかと思う。

 プロ・スポーツというものは、ファンたちが、自身の人生での悲哀を存分に感情移入しがちな部分を併せ持つものであろう。長年、「弱い阪神」の背後には、うだつが上がらずに人生を悶々とする庶民が蠢いていたとも言われるのがそれである。
 「高橋尚子」の場合も、二年前の「事故」以来、不遇、失意の中で行く先を見失って、あたかも闇の中を彷徨うかのような人々が、多大な感情移入をしてその復活に期待をかけていたに違いなかっただろう。まあ、シニカルに言うならば、両者の間に直接的な関係があるとは言えない。「高橋尚子」の復活が、苦悩する庶民ファンたちを即座に救済するということにはならないのは、もちろんのことである。
 しかし、「コイズミ」にまったく的外れな期待を託すよりかは、はるかに「有意味」な呼応関係のはずである。自分が躓き、その光景が時間の経過とともに陰惨さと恐怖を伴って肥大化していく経緯は容易に想像できよう。多くの不幸な人間たちが、こうした心理構造の中で益々下り坂を転がっていくことも了解できる。
 必要なのは「勇気」であるに違いない。自分が落ち込んだ「落とし穴」に再度舞い戻って、ヒラリとその陥穽の箇所を跳び越えてやる「勇気」こそが、誰にとっても必要なことであるに違いないわけだ。それは誰でもが知っている道理であろう。その当然了解し得る点こそを、「高橋尚子」も熟知していたであっただろうし、数限りないファンたちも惜しみない応援をした理由ではなかったかと思う。
 立ち腐れた時代環境をあざ笑うかのように、人間が生きる正攻法を押し進めて、カネでは取り扱うことができない「勇気」の価値とでもいうものを共感し合いたいものだと痛感したのだった…… (2005.11.20)


 現在では露骨過ぎるためか、「そのCM」は見かけないが、一時期によく見かけたものに、
「歯茎から血が出ませんか?」
というチューブ歯磨きのCMがあった。今でも覚えているところをみると、「深層心理」にでも食い込む効果があったのであろう。

 先日の新聞記事に、<「恐れ」が消費動かす 生存や安心への欲求が動機>( asahi.com 2005年11月07日)というものが目にとまった。
 特に意表をつくものでもないが、至るところで「恐れ」ないしは度を越えた「不安」というものが醸成されている昨今を振り返ると、さもありなんと思えてくる。

< 「恐れ」の意識が消費を動かしている――。東急エージェンシーは、7日に発表した消費者の意識調査で、恐れを解消したり、生存や安心への欲求を満たしたりすることが消費の動機として重要になっていると指摘した。
 同社が9月上旬の4日間、東京都内の4カ所で20代から50代の男女計800人にアンケートを実施したところ、身近な関心事のなかで「自然災害への備え」(72.8%)、「自然災害への備え」(43.6%)、「生活の安全を守るためのセキュリティー対策」(41.3%)が上位3位を占めた。
 こうした関心を反映して、実際の消費生活でも「食品の原料や生産地に気をつけて買う」という人の割合が37.6%に上り、「ゴミを出さない生活を心がける」(39.9%)に次ぐ2位になった。また「ネットや新聞、雑誌を通じて商品情報を収集」が32.4%(3位)、「防災セットを購入」も31%(4位)と続いた。
 利用したい商品やサービスでは「玄関の2重ロック」(67.6%)、「地震保険」(55.4%)、「ホームセキュリティーサービス」(51%)、「防災セット」(45.8%)などが上位を占めた。
 同社は「天災への不安や食の安全に対する不信、新しいタイプの犯罪への脅威など、『恐れ』の意識が消費に大きく作用するようになっている」と分析している。>(同上)

 確かに、「自然災害への備え」、「自然災害への備え」、「生活の安全を守るためのセキュリティー対策」などは意識に上りやすいと言える。
 だが、このほかに「恐れ」や「不安」の対象として引けを取らないものとして、「健康問題」というものがあるはずであろう。健康を害するならば、この厳しく、薄情な時代でサバイバルできない、という思いはすべての人にとって無縁ではないはずだからである。 昨今、TVCMで群を抜いて喧しいのが、「入院保障」つきの生命保険であったりするのは、まさに、現代人の「恐れ」や「不安」を射抜いた迫り方であるように見える。
 これがひとつであり、もうひとつは、さまざまな健康不安に向けられたクスリ類や、補助食品などのラインナップであろうか。
 「ドラッグ・ストア」というものが出始めた頃は、そんなショップをあちこちに作っても客入りは見込めるものなのかと類推したものであった。だが、自分も何かと足を向けてしまうのだが、結構、ショップ内には人が入っている。
 しかも最近では、クスリ類のジャンルに加えてコンビニで扱う食品類や小物類を動員することで、客層を広げていそうだ。

 健康に対して自信を持っている者というのは以外と少ないのかもしれないと思う。みんなが、いつの間にか臆病でナーバスになったというよりも、やはり、健康問題に関する「不安」や「恐れ」を、人為的に「気づかせる」商品が氾濫したという気がしないでもないのである。また、一種の啓蒙とも言えようが、TV番組でもやたらと健康問題をテーマとしたものが多くなったようにも思う。
 つまり、従来、無自覚で過ごしてきたかもしれない健康や病に関する情報が、これまた氾濫し始めたという時代環境があるだろうということだ。確かに「予防的」効果や、セルフ・コントロールという効果があるだろうことは容易に頷ける。
 しかし、何か解せないと感じる点は、これらが商品経済の真っ只中で展開していることなのである。
 商品というものは、市場に確たる「欲求」があって供給されるものと考えられがちだが、必ずしもいつもそうとは限らない。新製品によって、人々の欲求が喚起されることがあるように、商品供給が市場の欲求・需要に先行することもあるわけだ。
 こうした点を考えるならば、誰もが「すねに傷を持つ」ごとく健康に「不安」を感じないではない状況で、クスリ類や健康食品関連の商品が氾濫することは、人々の意識に過剰な波紋を広げることにつながっているのではないかと思えるわけである。

 ともあれ、現在の消費動向は、意識における「ポジティブ」なターゲットによって牽引されている部分よりも、「恐れ」や「不安」などなどの「ネガティブ」なイメージによって引き回されているという可能性が否定できないかもしれない…… (2005.11.21)


 新聞のコラム欄に、意を強めさせられるようなものがあった。
 表題は、<「和魂和才」のすすめ>(朝日新聞 2005.11.15 /「 経済気象台」)というものであった。
 筆者の米国での友人たちによると、<怒涛(どとう)のような日本からの輸出に恐怖すら感じ、日本バッシングが盛り上がった時代>と較べて、現在、米国は日本に安心し切っているのだという。
 その理由は、<「日本はものづくりは巧みであるが、その基本となるコンセプトをつくることのできない国であるとわかった。国際政治をリードすることは無理だろうと承知していたが、ビジネスにおいてもそうであるというのでは、これはもう日本の国民性といっていい」「例えば、カメラというコンセプトを与えられると、日本人は芸術品ともいうべきものをつくる。自動車もしかり。しかし、肝心のコンセプトを生み出せない。コンセプトを与えなければ、何もできない。だから安心している」>ということであるらしい。脅威を与えるような敵に非ず、と認識されるに至ったというわけだ。

 そして、筆者は、次のように書いている。
< 言われてみれば、残念ながら日本発の思想や発明が世界を動かしたことはなきに等しい。ビジネスの分野にしても、昨今の時価会計の導入など多くの基準やルールが、アメリカ発のグローバルスタンダードなのである。
 千数百年の昔、菅原道真の言った「和魂漢才」は、今に至るも我々を呪縛し続けているのだ。我々の長き文化の中でコンセプトに対する評価は低かった。それどころか、「和をもって尊し」とする社会では、新しい発想は多かれ少なかれ異端を意味する。
 だが、そろそろ、この呪縛から解き放たなければならない。
 これまでの工業化社会では製品を改良することで利益を得られたが、これからのポスト工業化社会では創造が決定的に重要になる。外国から導入したコンセプトを日本人がうまく加工して満足する「和魂洋才」では乗り切れまい。
 歩むべき道は、日本人がコンセプトそのものを造り出して磨き上げることである。つまり「和魂和才」の精神なのである。>

 こうした指摘は、特別斬新な視点によるものでもないと思われるが、いろいろな側面での日本の危うさというものが、この指摘にある「コンセプト」創造に関する低迷に由来しているようだと痛感させられたのである。
 手近なもので調べると、「コンセプト(concept)」とは、「概念、観念」「企画・広告などで、全体を貫く統一的な視点や考え方」とあり、要は、真に「考える」ことによって生み出される創造物だと言えそうだ。これによって、引き続く「二次的な考え」などが誘発される、言ってみればさまざまな思考の土台になるべきものだと思われる。ざっくりと「創造力」の結果だと言っても間違いないだろうし、人間の思考過程でも最もエネルギーと集中力を要する部分だと思われる。もちろん、楽しいという内面状態になる以前に、かなりの精神的ストレスを甘受しなければならないシンドイ脳活動でもありそうである。
 また、こうした「コンセプト」創造という営為は、突然思い立って可能なものではなく、日常的な生活過程での思考様式が刺激するものではないかとも思う。

 先日、この日誌に、『「本体」が無くて、複雑な「オプション」ばかりで構成されている?』と題して書いたことがあった。まさに、その「本体」とは、この「コンセプト」だと言ってもいいものだと気づいている。
 今、この国にある現状は、「コンセプト」という「本体」を蔑ろにして、皮相的な虚飾だけでやりくりしているまやかしと悪循環以外ではないかのようだ。豪華に見える高層建築の柱からは、こっそりと鉄筋が抜き去られて覆い隠されている。そんなことも、この世相を象徴しているかのように受けとめられる…… (2005.11.22)


 昨日、日本からは独自な「コンセプト」というものが生まれにくい、ということについて書いた。そして、次のような引用もした。
<残念ながら日本発の思想や発明が世界を動かしたことはなきに等しい。ビジネスの分野にしても、昨今の時価会計の導入など多くの基準やルールが、アメリカ発のグローバルスタンダードなのである。>
 現在のビジネス・経済情勢が、すべからく<アメリカ発のグローバルスタンダード>によって牛耳られているのは誰もが知るところである。
 そして、この中の<昨今の時価会計の導入>という部分が、じわじわと鎌首をもたげ初めていることに改めて気づかされた気がしている。

 ちなみに「時価会計」という概念を用語集で確認してみると次のように説明されている。
< 企業が保有する株式や不動産などの資産を、これまで認めていた取得時の簿価による評価を廃し、市場価格や実勢価格の評価で統一して情報開示を義務付ける。「会計ビッグバン」の一環として導入し、売買目的の株式や販売用不動産は2001年3月期決算から、持ち合い株式については2002年3月期決算から対象となる。
  時価会計になると、土地や株価の下落が含み損として表面化させなければならず、決算の透明度が増す反面、地価や株価の低迷が続いている中では財務悪化を招く企業が増えている。>

 何が言いたいのかと言えば、「株価」の問題なのである。確かに、日本の企業にとっては、不動産を有力な担保とする慣行から「地価」の比重が小さくはなかろう。しかし、これはバブル崩壊後「回復」基調にあるとはいえ、まだまだ塩漬けにされている観がある。
 それに対して、「株価」の方はかなりの「回復」が見受けられる。ひとつの指標である日経平均は1万4千円台をキープしつつ、1万5千円に届きそうな勢いを見せている。
 こうした状況を見るにつけ、いくつかのことを考える。
 ひとつは、前述の「時価会計」方式の実施ということもあり、いよいよ経済が「株価経済」とでもいう様相を呈してきたという点である。そして企業は、従来以上に自社の「株価」というものを考慮した経営をせざるを得なくなっているという点である。
 ふたつ目は、こうした「株価経済」的な状況の中で、「ネット株取引」などの環境とあいまってか、「個人投資家」の比重が急速に増大しているらしいという点である。
 ちなみに、<株の個人取引、8割以上がネットで 口座800万に迫る>(朝日新聞 2005.11.23)とあり、
<株式投資をする個人投資家の8割以上は、パソコンか携帯電話経由で取引をしている――。日本証券業協会が22日まとめたインターネット取引に関する調査で、こんな実態が浮かび上がった。ネット取引の口座数は9月末時点で790万に達し、半年で96万増えるなど、株式投資の姿が急速に変わりつつある。>
と報じられている。

 わたしも、かねてからこうした現象がクローズアップされることになるであろうと思い「ネット株取引」の実際について事情が許す限りマークしてきた。偉そうなことが言えるほどではなく、その実態がほのかに見えてきたという程度でしかない。
 それでも、「株価」というものがどのような実態の中で定まっていくのかの感触を得た思いでいる。これが、三つ目の点であり、現在興味を寄せている点でもある。
 結論からいえば、何でもそうであるが、表があれば裏があるものであり、「株価」というものも、当該企業の実力である実勢を表現するとともに、株売買取引過程の実情によっていろいろと変容するものだということなのである。
 現在のご時世、本体よりもオプションが、実質よりも目立つということが、とかく偏重され、何が実勢であるのかわかりにくくなっているということは再三気にしてきたところだ。同じ事が、「株価」の動向においても十分に生じることのようだと実感しているのである。
 端的に言えば、「仕手株」という動きが十分にあり得るということなのである。つまり、投資家たちにおける当該企業の実勢や将来性を評価した「買い」というノーマルな動きによって「株価」が決まると考えるのは早計であり、まさしくマネー・ゲームとトリックとを駆使した「仕手株集団(仕手筋)」が、証券業界のグレーゾーンで暗躍しているということである。企業の実勢などにはおかまいなく、ただただ「株価」をつり上げる段取り(情報操作と制御された売買)をして、高値で売り抜けることで莫大な利益を上げるという仕業なのである。
 「仕手株集団」の実態はさまざまらしいが、資産家集団とプロのトレーダーであったり、投資顧問業者がらみであったり、機関投資家がらみであったりというとにかく海千山千だということである。そして、彼らが利益を得ることで「割りを食う」のが、「個人投資家」だという点は歴然としている。

 かつては証券会社の営業マンによって結局は不透明な取引で損をさせられていた個人投資家たちは、今、明確な自己責任を納得させられた上で、「ネット株取引」の前に誘い出されている、と考えておいても良さそうである。決して、すべてが分の悪いリスクばかりで満たされていると言うつもりはないが、「安易に儲けられる」という思い違いがあれば、確実に「損をする」ことだけは確かなようだ…… (2005.11.23)


 「耐震強度偽装問題」に接していると、憤りとともに、まさにこの国の現状の浅ましさと哀れさとを感じざるを得ない。庶民が「騙される」という構造はここでもか、という思いである。そして、この構造の中で、「騙す」行為に直接手を下すことになるのもまた、庶民の一角だというのが、やり切れない。
 これらから読み取るべきは、法治国家であるにもかかわらず、庶民が「騙される」構造と、「騙す」側に手を貸すような何がしかの構造とを「放置」している「放置国家」という体たらくではないかと思ったりする。

 庶民が「騙される」構造というものを問題にしたいのは、今回のケースでは、「騙された」ことに「自己責任」は問えないだろうと思えるからだ。巨大建築の「構造計算」なぞ専門外の庶民にわかろうはずはない。だからこそ、「建築基準法」というものがあり、国が責任を持って庶民、国民を守る仕組みになっているのではないのか。
 この仕組みは、何も建築の分野に限られるものではないだろう。国民の生活その他に甚大な影響を及ぼす事柄で、今や、専門的知識を必要としない分野は逆に少ないのではないかとさえ思う。加工食品にしてもそうであるし、牛肉もそうである。また、医療分野にしても頻発する医療ミスを見るならば当然、行政による監視が必須となろう。
 「自己責任」という言葉を好む国や政府ではあるが、そしてまた軽々しく「小さな政府」というスローガンをバカの一つ覚えのごとく吹聴する現政府であるが、忘れてほしくないのは、複雑で巨大な現代社会にあっては、「丸腰」に近い庶民、国民が「自己責任」で対処可能な領域はごく限られているという点である。大半の問題が、自治体や政府に委ねられているというのが実情ではなかろうか。
 そして、この事実は、庶民、国民の生活に関して自治体や政府が引き受けなければならない責任範囲が広がっているということなのである。
 今回の「耐震強度偽装問題」にしたところが、データを「偽装」した民間の容疑者、関係者が先ずは悪いのは当然として、それらを責任を持ってチェックし得なかった政府の関係当局の責任は甚大だと思われる。しかし、多分、こうした責任問題は民間の不祥事としてまともに取り上げられないのではなかろうかと危惧する。
 こうした、政府と官僚機構による無責任体質と構造こそが、庶民が「騙される」構造と表裏一体となっており、これこそが緊急に「構造改革」されなければならないはずだと思われる。

 もうひとつ、「騙す」行為に直接手を下すことになるのもまた、庶民の一角、という点である。もちろん、どんな理由があったにせよ、今回のような「生命と財産」に甚大なリスクを与えるような行為を、職業上で行うというのは弁解の余地はなかろう。まさしく、「自己責任」が問われて当然の行為だと思える。
 ただ、建築業界の並外れた悪しき業界慣行(いろいろあるが、「談合」ひとつ取り上げても万事が推し量れる)は知らないわけではないこともあり、容疑者の罪は罪とした上で目を向けたい事実がある。
 たまたま、今日の新聞記事に以下のようなものがあった。

<下請けいじめの取り締まり件数が急増・公取委
 公正取引委員会による「下請けいじめ」の取り締まり件数が急増している。昨年4月の改正下請法施行で業務委託などのサービス分野まで取り締まり対象が広がったのを受け、今年4―9月に公取委が行政指導した件数は2339件と、前年度の年間実績に迫る件数となった。製造業だけでなく、サービス分野でも下請けいじめが根強く残っている。
 下請法では企業が下請け事業者に対して代金の支払いを遅らせることや、不当な返品、買いたたきなどの行為をすることを禁じている。違反行為がわかれば公取委は企業名を公表する「勧告」や、公表しない「警告」などの行政指導をして、違反をやめるよう企業に求める。>( 11月24日/日本経済新聞 )

 「構造改革」路線という美名のもとに推進されている過激な市場競争社会は、自動的にメリットだけが発揮されるなどということは能天気な見通しであり、「放置」しておくならば過激な「弱肉強食」傾向に雪崩れ込むことは、仮にも人の世を多少なりとも知る者ならば容易に想像できることであろう。
 上記の、行政指導が行われた件数なんぞは、誰が考えたって氷山の一角に過ぎず、膨大な数の潜在ケースがあると思われる。そして、これらの現実は、「下請け」の立場にある業者たちの苦境が深まっているだけでなく、結局は、末端消費者が受け取る製品やサービスの質が何らかの形で劣化することを助長しているということなのだと考えるべきではなかろうか。
 グローバリズム経済が席巻する以前のこの国の産業界にあっては、文字通り、最終顧客は神さまというような健全な発想の、誇り高き実業家たちが支配的だったのではなかろうか。人の世の道理に関しての素人っぽい政治家たちが、無責任とバカ騒ぎだけを仕出かすご時世では、まさにこの国は立ち腐れていく…… (2005.11.24)


 体調は芳しくないが、仕事その他への意欲は健全だと感じている。
 一昨日、「時価会計」と「株価経済」を話題にした。その時、書こうとしていたことがややズレてしまったような気がするので補足することにする。

 「帳尻合わせ」という表現がある。「終始決算の結果。転じて、話のつじつま」というほどの意味である。この「帳尻合わせ」というものが、これまた現代という時代の小さからぬ特徴と言えるのではないかと思ったのだ。
 「時価会計」が義務づけられると、企業は、自社の「株価」の実勢から目が離せないはずである。と言うのも、「時価会計」は、いわゆる「簿価」ではなく、市場価格や実勢価格の評価、すなわち株式市場での「株価」によって財務上大きな影響を蒙るからである。
 最近の好例で言えば、「楽天」が「TBS」に攻勢をかけたことで、世の顰蹙を買ったのか「楽天」株の「株価」が大幅に下落し、「楽天」の財務状態が懸念されたという話題があった。まさに、株の「時価」が企業の命運を左右するほどに影響力を持つ時代となったということなのであろう。

 ところで、「ネット株」で、リアルな「株価」の売買状況を観察していると、一昨日にも書いたとおり、いわゆる「仕手筋」が介入しているのではなかろうかという「動き」が見受けられることがある。まだまだ詳しく説明できる状態にはないのだが、とにかく「不自然」さを感じて立ち止まらざるを得ない光景なのである。ハハーン、これが仕手筋の動きなのか、と推定するのである。
 この「仕手筋」の介入は、どちらかと言えば、「ニュース性に乏しく」「規模も小さめ」な企業が、当該企業の意向に関係なく選定され、「仕手筋」らが巨利をむさぼるための単なる「材料」として利用されるのである。言ってみれば、よくSF映画で見受けられる「エイリアン」が適当な人間の内部に侵入して勝手なことをするイメージと似ている。
 当該企業が弄ばれているように見えるが、「株式上場」をしている以上、売買が公開されている「株」を誰がどう売買しようがそれを拒否できないということなのであろう。

 ところで、の、ところでなのだが、上述のような「仕手筋」の介入ではなさそうで、それでいて「株価」をとにかく「上昇」させようとするかのような動きが見受けられる場合が時としてある。いわゆる、「株価」の下落を阻止しようとする「買い支え」の範疇に入るのかもしれないが、しかし素人目で見ても、えっ、そんな買い方ってアリかい? と言いたくなるような「買い」を繰り出すのである。
 そんな動きを観察していると、これは、この企業の「株価」が上昇することを切に願っている者たちによるアクションではなかろうか、と想像せざるを得ないのである。売買件数と額という「出来高」が多かろうが、少なかろうが、とにかく一定の「株価」水準をキープしたいという下心が丸見えなのである。最小額の「買い」のアクションによって、「時価」を吊り上げているかのようであり、とてもそうして上がった「株価」を「実勢」水準とは言い難いように見えるのである。
 ともかくこれが、「時価会計」が各企業に強いているひとつの実態なのかなあ、と推測するのである。

 こうした実態を観察していると、「株価経済」の実態の中には、「帳尻合わせ」と言ってもいいようなトリック、また別様に言えば「お化粧」「粉飾」的な要素がそこそこ混入しているのではなかろうかと思ってしまうのである。
 もともと「株価」とは、「風評」などの心理的要素によって左右される浮動的なものだと言われているが、だからと言ってもいいのかも知れないが、有象無象が寄ってたかって構成しているのが「株価」であり、「株価経済」だということなのかと思えてしまうのだ。
 そして、かつては仮にも専門化筋の機関投資家たちが、企業の実勢を専門化的視点で吟味したかもしれないのに対して、周知のごとく大衆の「個人投資家」たちが多勢で参入し始めた現状は、さらにさらに「風評」に基づく企業評価が助長され、実勢よりも「目立つ」企業が勝ちというメカニズムが働きやすくなっているのではないかとも思えるのである。
 「ポピュリズム」の趨勢は、何も政治の世界だけではなさそうだ。経済においてもそうであり、また今後の「陪審員」的制度のことを想定すると、司法のジャンルにまで及ぶのかもしれない。これを「民主主義」の一層の進展とみるのか、「ポピュリズム」の弊害の拡大と見るのかは判断が分かれるところなのであろう…… (2005.11.25)


 書くネタが見つからない時は、猫のことでも書こう。
 ひとつは、ウチ猫二匹の深夜のドタバタについてである。
 最近どういうものか、深夜になると階下の居間やキッチンで二匹のウチ猫たちが駆けずり回っている。はじめは、だれぞ不審な者が侵入でもしたのかと心配したが、寝始めた身体を起こして覗きに行くと、暗闇の中で猫たちの眼が爛々と光っていて、何やらはしゃいでいる様子なのである。次第に冷え込んできたためウォームアップでもしているのか、あるいは日中は死んだように寝ているため、夜になると力が余ってしまうためか、とにかく人が寝静まった頃に駆け回る。
 そして翌朝、階下に降りると、居間のお膳の上に置いておいた眼鏡や腕時計が散乱している始末である。これが何日も続いたのである。どうも、眼鏡の形状が興味をそそるのか、日頃うるさいオヤジの顔についている眼鏡を腹いせでおもちゃにしているのかは知らないが、あきらかにじゃれ回した形跡がうかがえる。
 ウチ猫たちは、自由に外をのし歩く猫たちに較べて、明らかに退屈なのはよくわかる。だからと思って、適当な「退屈しのぎ」も与えている。
 片方の猫、リンには、人間の赤ちゃんに与えるような、中はスポンジ、外はタオル生地でできた小さな動物のぬいぐるみを与えている。小さい時から愛用しているのですこぶる気に入っているようで、ある時は、母猫が子ども猫を咥えて運ぶような仕草をしてみたり、両手(両前足)でじゃれ回してみたりして遊んでいる。朝になると、そのぬいぐるみがとんでもない場所に転がっていたりするところをみると、深夜にドタバタしながらそれで遊んでいるのかもしれない。
 もう一匹の猫、ルルは、何と言っても「ヒモ類」が好きなようである。ヒモを見つけると目がない。包装用のヒモであったり、ケータイのストラップであったり、コードであったり何でもヒモ形状のものには目を輝かせてじゃれつく。
 わたしが使っている「孫の手」の取っ手部分にリボンふうのヒモを何本か束ねて括りつけ、それで相手をしてやるといつまでもシャドウボクシングをするのである。その孫の手はお膳の下に置いておくのだが、時々、孫の手本来の使用目的で取り出そうとすると、その音で「当該孫の手」だとわかるらしく、居間のどこにいても、キッとした顔つきでこちらを見るのだから面白い。おやっ、ご主人は遊んでくれるのかな? とでも考えているような気配なのである。
 もちろん、深夜のドタバタの際には、そうした孫の手が引っ張り出されたり、その他のヒモ類が見つけ出されるわけである。
 まあ、眼鏡や腕時計などはいじれないように置いておけばいいことなので、彼らの深夜の憂さ晴らしは放置することにしている。

 夜の冷え込みでかわいそうなのは、ソト猫たちである。朝になると、相変わらず、玄関の外で彼らはエサにありつくのを待ち受けている。家内が玄関の外に、ウチ猫用に購入してあったケージに布類を入れて寒さしのぎの空間を作ってやっているが、複数の猫が徘徊しているのでそれらを活用しているのかどうかはわからない。
 とにかく、寒さでエネルギー消費も激しいのであろう、エサを得ることにせっつく様子が気の毒でさえある。ソト猫たちは、何匹もいるのだが、母猫である黒猫と、その子であるグチャと名づけている黒と茶がグチャグチャに混ざったやせ猫とが毎朝必ずいっしょに登場する。そして、最初にエサを盛った皿を置くと、必ずといっていいほどにグチャがそれに顔を埋める。母猫の黒猫は、さあ、先にもらいなさい、とでも言うかのように、身を引いているのである。だから急いで次の皿を用意してやるのである。
 そうした親子の姿を見ていると、まるで、母猫が何やら子ども猫に「詫びている」ような気配さえして、しんみりとさせられる。ひょっとしたら、母猫は、こんなふうに詫びているのかもしれない。
『申し訳ないね。アタシがドジを踏まなければ、ご主人に逃げられることもなく、そうだったら暖かいおうちの中でひもじい思いもしなくて済んだのに……』と。
 以前にも書いたが、彼らのご主人は、近所に住んでいたのだが、うわさによればある日突然に夜逃げをして、彼らは置き去りにされたということらしいのである。
 今、これをキーボードで打つ手も寒さがしみる感じだが、ソト猫の彼らはさぞかし辛い思いをしていることだと思われる。

 猫たちの世界を見ても、同じ生を受けことさら何も変わらない素性であっても、その生きざまとその宿命に多大な差が出来上がっている。そのことを知るならば、せめて知っているかぎりは何かできることをしてやりたいと思う。もちろん、人の世においてもそうありたいのではあるが…… (2005.11.26)


 「思い入れ」という姿勢は決して悪いものではない、と考え続けてきた。いや今でも、七割方は「思い入れ」という主観を持ち込む考え方、感じ方に加担しているはずである。「思い入れ」にこそ、自分という存在の証しすらあるような気がしているからなのであろう。
 何でも、数字や客観性を頼り、それでいてそれらの出所の真偽を確かめもしない「エセ客観主義」よりは、自分の体験に根ざした「思い入れ」の方が、はるかに当てになると思ってきたのだろう。

 ただ、昨今つらつら思うことは、「信念」という確かなものに至らない「思い入れ」水準の気分には十分警戒する必要がありそうだということなのである。もっとも、「信念」と「思い入れ」とは、どう異なり、どこに境界線があるのか、と言われれば結構答えに窮することになる。とりあえずは、程度の差であるということと、「信念」の方には信じるに足る重い体験や何がしかの客観的根拠が伴っていると言うこともできようか。

 この時代にあっては、やたらに「不確実」な出来事や、対象が多すぎるはずである。何らかの確固たる基準があり、その基準に則って切り捌けば済むような現象は、逆に少なくなっていそうである。大抵が、どうなのだろうか、と首を傾げながらようやく判断したり、選択しなければならないような事態が一般的なように思えるのである。
 そうした時、「思い入れ」に基づいて押し切ることも可能は可能であろう。どっちみち自分で責任をとるともなれば、思うようにやるのも手ではあろう。自分と同程度の不確実さなのだとしたら、他人の持つ不確実さにあえて乗るまでもないことになる。

 やはり、「思い入れ」に肩入れしている気配であるが、今日は、「思い入れ」というものに批判的なメスを入れようとしているのである。
 「思い入れ」というものは、やはり「感情的」であり過ぎる素性がくせものなのだと思われる。感情というものに棹差しているかぎり、やはり盲目的とならざるを得ないようだ。対象やその変化に対して、我田引水の解釈をしてしまうことを禁じえなくなるはずである。よく、ばくち打ちが熱くなってしまい、とんでもない坂道を転がり落ちていくのは、すべてこの轍を踏んでしまうからなのであろう。何の根拠もあろうはずがない事に対して、「今度こそは……」と力む状態はまさに感情だけの坩堝にどっぷりと嵌り込むがゆえの所作だと言わざるを得ない。
 決して、この愚行は、ばくち打ちだけにかぎられることではなく、われわれは日常生活で大なり小なり同じようなことをしているような気がしないわけではない。結果に些細な差異しか出てこない事柄であるために、まあ、いいか、と流しているだけのことなのかもしれない。

 それでは、「思い入れ」や「思い込み」のような、かなり感情要素の強い指針ではなく、どうしたら「状況適合的な判断」をすることができるのだろうか。自分は今、このことに強い関心を向けているようである。
 結論的には、「感情を排した冷静な観察とそれらに基づいた判断」ということになるのであろう。しかし、これほど頭では了解していても、現実の行動が追いつかない命題もないのではなかろうかと思う。
 仙人になりたいと願った『杜子春』(芥川龍之介)が、自身の父母への虐待の光景を見せつけられ、感情を露わにして仙人になり損ねる話は、感情を制御することが如何に困難なことであるか、を告げているとともに、感情を持つことが人間であるのだから、仙人とは人間であることを放棄することだとさえ告げているような感じでもある。現代ふうに言えば、さしずめ「マシーン」となってしまうことを選ぶかのようでもある。

 ただ、自分は今、自分を含めて現在の人々は、もっと「マシーン」となるように努めるべきではないかと思っている。根拠のない期待感や、希望的観測なんぞを払拭して、目の前の歴然とした事実を十分に尊重して、「マシーン」のように、クールに、淡白に判断することに慣らしていく必要がありそうな気がするのだ…… (2005.11.27)


 昨夜、伊丹監督の『マルサの女』の再々放送をBS放送で観た。もう何回も観たような気がするが、ストーリーの面白さと宮本信子の卓抜な演技力、そして自分自身の頼りない記憶力によって、結局最後まで観ることとなった。
 国税局査察部(マルサ)に勤める女性が、ラブホテル経営者を脱税で摘発するまでを描いた痛快娯楽の傑作である。ただ、つい先頃、こちらは国税局査察部(マルサ)ではなくて、地域税務署であるが、お定まりの税務調査をわが事務所が受けたものであるから、妙にリアルに感じた次第である。

 わが事務所に対する税務調査は、結局、事務手続き上の言ってみれば些細な追徴課税のみで済みそうである。もっとも、小さな会社であるにもかかわらず、力のある会計事務所で処理してもらっているため、大きな漏れがなくて当然だとも言える。
 元来、新企画だとか営業だとか、今後の経営という前ばかりを見つめている自分にとって、言ってみれば過去の後処理である経理・税理に積極的な関心を持てと言われてもただただ鬱陶しいと感じるのが正直なところである。
 まして、納税した後の税金が、行政の段階で十分に国民還元的に活用されていると信じられるのであればまだしも、諸官庁における不正流用その他の無駄遣いもある現状を振り返ると、人情として熱くはなれない。
 まして、ウチのような零細規模の会社にあっては、あらゆる事務を簡略化して、本来業務指向的に経営しなければ、とても採算がとれるものではないからだ。

 今回、税務署から受けた指摘は、給与支払においてある手当の額の変更実績が、給与規定の変更という形で記載されていなかったという点であった。もう5年も前のことであり、うっかりしていて社内規定の変更記載が漏れていたことをそのままにしていたのであった。
 調査時に対応してもらったウチの会計事務所の先生も、こんな点が指摘され追徴される経験は過去になかったようで、小さくない違和感を表明されていたものだ。だが、自分としては、どっちみち出費となる額は2〜3万円のことであり、これで税務調査という煩わしいものが終わるのであれば、それはそれでいいとも考えた。
 ところが、事が終わったかに思えた今日、ウチの事務担当者が、当該の事柄に関する社内文書を、とあるファイルから見つけたのである。
 この間、経理の女性が退職したりして、経理関係の書類についてはきちんと掌握され切れていなかったようなのである。担当者の話によると、退職したその女性に、ちなみにと思い電話をしてみたところ、
「そう言えば、給与明細と一緒に、その件に関する文書を同封した覚えがあるわ」
と聞いたそうなのである。それで、埋もれていたその関連のファイルを調べたところ、変更した当時の日付の文書が見つかったということなのであった。
 実は、その書面は、わたしが5年前にワープロしたものだったが、調査を受けていた際には完全に記憶から消えていたのだ。
 要するに、社内規定という明確な会社の意思表示ではなかったのだが、社員には、文書配布という形で通知していたのであった。
 たまたま、今日は会計事務所の先生が定期的に訪れた日でもあり、その先生曰く、その日付入りの文書を税務署に連絡して、FAXしてみてはどうか、ということになった。つまり、社内規定という形ではないけれども、その文書は十分に会社としての意思表示をしたことになるので、検討してもらってはどうか、ということなのであった。

 わたしが、税務署の担当官に電話をして打診し、とりあえずその文書をFAXすることとなった。担当官は、既に一連の調査とその処理は「終了している」ので……、と否定的な応対に終始していた。そして、上司と相談するので、その文書をFAXしてくれということになったのである。
 わたしとしても、調査時にはそうした文書の存在を失念していたわけだし、また、見つかった文書に疑惑を持たれて、新たに作成されたものではないかと糾弾されたならば、当時の実際のものであることを証明する手立てはないことでもあるし、はなはだ不利な位置にあるとは考えていた。
 しかし、事実は事実として伝えてみるべきだと判断し、その後は税務署側に下駄を預ければよいと考えたのである。

 それにしても、零細企業は、この先のサバイバルに向けてあらん限りのパワーを発揮しようと構えている。大きな問題であればともかく、どちらかと言えば些細な社内問題に関する数年前の文書の有無を問われるのは、はっきり言って情けなくなる。自身がではない。そうしたことに奔走する役所の姿勢がである…… (2005.11.28)


 TVのある報道番組のキャスターが、昨今の事件、「耐震強度偽装問題」であったり、国会議員が弁護士の名義貸しで稼ぐといった想像しにくい事件が起こることに関して、「倫理観が無くなった資本主義社会をとても恐く感じる」と述べていた。
 資本主義社会という言葉を遣うくらいだからもちろん年配のキャスターである。
 自分もこの感想には同感であるのだが、同様に年配である自分がすぐさま想起したことは、M・ウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』という社会科学の古典であった。年配の知識人であれば、おそらくは学生時代に読んだ覚えがあろうかと思われる。
 この古典の主旨は、西欧社会において資本主義経済が立ち上がった背景には、「稼ぐ」というどちらかと言えば罪悪感をも伴いがちな経済行為を、精神的に正当化してくれる文化が不可欠だったはずであり、それがキリスト教の中の「プロテスタンティズム(ピューリタニズム)」であったとウェーバーは分析したのだった。
 詳細はおくとして、そもそも資本主義経済というものが、宗教的倫理を支えにして成立していったという視点が注目されたのであった。
 上述のキャスターの発言、「倫理観が無くなった資本主義社会をとても恐く感じる」という意味合いこそは、そのウェーバーの視点を踏まえてみるならば、なおさら納得しやすいかと思われたわけなのである。

 この科学万能時代にあって、宗教だの倫理だのと何を寝ぼけたことを言っているのかという向きもあろうかとは思う。さらに、資本主義経済というシステムや経済行為は、数理や科学で制御されこそすれ、宗教や倫理なぞとは無関係に決まっているじゃないか、と息巻く人もいそうな気もする。
 数理や科学をあたかも神のように信じてやまない人々、それこそが宗教だと言ってやりたいが、そんな人々にとっては、資本主義の経済システムには何の問題もないし、まして倫理観などの精神的支えなど不必要だと盲信しているはずであろう。
 しかし、常識感覚で考えてみれば、マルクスなんぞにご登場願わずとも、搾取なんぞという黴の生えた言葉を引っ張り出さずとも、この資本主義の経済構造というものが、他人から「差益」を得るということが承認されて成立していること、それが「稼ぐ」という原点であること、この点に、感じる人は「罪意識」のようなものを感じるはずであることを了解できるのではなかろうか。
 たとえば、子ども時分に、何でもいいのだが何かを作ったとして、それを他人が欲しがって買ってくれたとする。子どもにとっての生まれてはじめての「売買」行為は、一方で破格の喜びを与えてくれるものであるとともに、何か後ろめたさを感じさせるのではなかろうか。あんなものでお金を貰うなんて悪いことではないのか、どうしてタダであげなかったのか……、と。

 これがナイーブ過ぎる発想だというならば、世の中には、金持ちがいるとともに貧乏人もいる現実を、何ら感情を動かされることなく見つめることができるものであろうか。能力と努力が無い連中が貧乏をするのだ、と言い切って平気でいられるのだろうか。いや、実を言えば、こんな問いこそが愚問だと言われるご時世だろうと百も了解している。
 しかし、そうした他人の不遇に関心を持ち、共感し、同情するのが自然だと思えるし、そうあってもおかしくない客観的根拠があるはずなのである。
 資本主義のこの社会にあっては、「競争という仕組み」がすべての面で承認されている。もちろん、それは、すべてが悪いわけではない。しかし、一体誰が「競争という仕組み」のパーフェクトな形を思い描いたり、実践したりできるのだろう。現実に存在する「競争」は、みな不完全なものに違いなく、場合によっては露骨な不公正であることも少なくない。
 何も、「競争」という原理を否定しようとしているわけではないのであり、そうではなくて、この原理を押し進める場合には、ほぼ「不可避的に問題も生じる」という点にこそ配慮すべきだということなのである。「敗者復活」戦というようなものは、「競争」に伴う不合理を洞察した者が生み出したひとつの手当だったのではないかと推測する。

 こうした道理は、資本主義経済全体にあってもパラレルに言えることであり、資本主義経済を押し進めるかぎり「不可避的に発生し続ける」問題があるということなのである。事細く説明するゆとりはないが、資本主義経済はどうしても人々の「貧富の差」を拡大させることになり、社会の底辺に、生活にさえ困窮する人々を増大させる結果にならざるを得ない。どうしてそんなことが言えるのかという点については、裏返しの根拠だけを言っておきたい。
 多くの資本主義経済の国家は、程度の差こそあれ「社会保障制度」というものを、まるでセットのように備えている。これは、国家が博愛主義でやっているものではない。これを推進しなければ、やがては国家経済自体が危機に瀕するがためなのである。大量の貧困とその環境が広がるならば、まともな経済自体が機能しなくなるおそれがあるからだ。
 つまり、「社会保障制度」の存在というものは、資本主義経済が持つ治癒しない「持病」に向けられた「常備薬」なのだと言っていいはずなのである。

 現代という時代は、まさに「倫理観が無くなった資本主義社会」のバージョン・アップを平気で続けているようである。人々は、カネを「稼ぐ」ことだけに没頭し、また経済社会は、カネがありさえすれば何でも可能であるようなお膳立てをし、国は、自身の足元を揺るがすことに繋がりかねない「社会保障制度」の改悪に精を出している。
 今、無くなり始めているのは、倫理観だけではないように思われてならない。現代人が得意だとされてきたロジカルな力、まともな洞察力さえメルト・ダウンし始めているような気配がする。いろいろな事、問題が発生して報道番組は大忙しのようであるが、その多様さの根源には、いつも同じ顔をした原因が見え隠れしているようにも思える…… (2005.11.29)


 今日は、「日経平均の株価」が一時、1万5013円24銭まで上昇し、1万5000円を一時的にも上回るのは、ITバブルが崩壊し、市場が下落傾向にあった頃以来5年ぶりだという。
 8月の政府・日銀の「踊り場脱却宣言」や、デフレ脱却への期待感から株価は上げ足を速めているようだ。
 しかも、円安基調に加え、米国経済の先行きに楽観的な見方が広がっていること、特に原油価格が落ち着き始めて米消費者心理が好転し、住宅販売や耐久財の受注実績が再び上向き傾向になってきたことが下支えになっているらしい。つまり日本経済の最大のリスクといわれてきた米国経済が堅調さを取り戻したことの持つ意味が大きいという。
 現在の経済状況は、株価に依存する傾向が小さくないため、こうした状況は、景気全体の悪くない傾向を表していることになるのであろうか。

 しかし、実際、体感的な「景気回復」を感じ取ることは、われわれのような零細規模企業ではほとんどないと言っていい。また、近辺を見回しても、景気のいい話はほとんど聞かない。 つい先日、地銀の担当者が来社した際にも、
「世間では、景気は回復しつつあると吹聴されていますが、わたしが歩き回っている会社を見るかぎりは、全然そうじゃありませんよ」
とリアルな話をしていたものである。
 要するにいよいよ「二極分化」が現実のものとなってきたのだと思われる。
 ビッグ・スケールの企業層は、モノ、カネ(金融)、情報(知名度)におけるスケール・メリットを掌握しつつ、「景気回復」からいかんなくその果実を受け取っているのであろう。すでに、「リストラと合理化」によって、ヒトにしても設備にしても過剰であった部分を殺ぎ落としているのだから、景気の回復傾向からは十分に恩恵が受け取れるというもののはずである。

 ところで、つい先頃の総務省の発表によれば、<10月の完全失業率、4.5% 3カ月ぶり悪化>( asahi.com 2005年11月29日 )とある。
 要するに、かつての「景気回復」とは相当に事情が異なっていると思われるのだ。「景気回復」が、経済社会全体にくまなく浸透していく、というものではなさそうだということなのである。
 政府側は、
<厚労省は、失業率の悪化について、女性を中心に条件のいい仕事を求めたり新たに求職を始めたりした人が増えたための一時的なものと分析したうえで「雇用情勢は引き続き回復基調にある」と判断している>
と、述べているらしいが、むしろ次の点にこそ注目すべきではないかと思えた。
<雇用の回復は非正規社員が中心の傾向は続いている。同時に発表された7〜9月期の雇用状況をみると、正社員は月平均3372万人で前年同期比32万人減と3期連続で減ったのに対し、非正規社員は同87万人増の1650万人で、11期連続で増えた>
 つまり、失業率もさることながら、雇用の中身も悪化しているという事実である。<非正規社員>の労働条件が、<正社員>に較べて悪い(=コスト安!)ことは言うまでもないことである。
 リストラ後の景気回復で、雇用を増やすことになった(大手)企業が、この「コスト安!」な人材を得ることで、さらなる恩恵を被っていることは疑いない事実であろう。
 そして、こうした状況を、「派遣法」の改定(派遣職種の拡大!)によって準備したのが、誰あろう「厚労省」であったわけだ。

 「大」と「小」とへと単に分かれていくことが「二極分化」なのではなく、「大」が、「小」を犠牲にして肥大化していくという傾向こそが、「二極分化」というものの実態なのだということが次第にはっきりとしてくるようだ…… (2005.11.30)