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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2005年10月の日誌 ‥‥‥‥

2005/10/01/ (土)  近所の家々の庭木の枝は、まるでトコヤに行きたてのようで…
2005/10/02/ (日)  目的にとらわれず、思いつくままに書くというのもひとつ……
2005/10/03/ (月)  「潜在意識」というものへの関心の動機、その一端……
2005/10/04/ (火)  「潜在意識」を、「潜在記憶」、「手続記憶」として考えてみる
2005/10/05/ (水)  「潜在意識」というものへの関心の動機、その第二弾「暗黙知」!
2005/10/06/ (木)  「見果てぬ夢」にも譬えられる「暗黙知」の概念?
2005/10/07/ (金)  人から不要とされたモノが「現役復帰」することの爽快さ!
2005/10/08/ (土)  モノの「要、不要」基準と、認識での「抽象、捨象」……
2005/10/09/ (日)  楽しい夢の気分で、一日をスタートさせた日曜日?!
2005/10/10/ (月)  感覚的な観察をないがしろにしては、ますます「バーチャル」化してしまう?
2005/10/11/ (火)  「成功は、カラオケ資本主義の模倣者から抜け出せるかどうかにかかっている」
2005/10/12/ (水)  「模倣」を拒否して、「創造」することのリアルな内実!
2005/10/13/ (木)  時代風潮とオーバーラップした「ネット株」という存在?!
2005/10/14/ (金)  「leverage(てこの作用)」を活用した者が勝ち残れる?!
2005/10/15/ (土)  「じっくり考える」だけでなく、環境変化を「じっくり観察する」!
2005/10/16/ (日)  デジカメ・スナップ写真で振り返るウォーキング・コース
2005/10/17/ (月)  PCのお定まり手順を自動化する興味深いソフト!
2005/10/18/ (火)  北原白秋、中 勘助、そして「幼な心にこそ言葉の発見がある」!
2005/10/19/ (水)  「ユネスコ」総会による「文化多様性条約」締結!
2005/10/20/ (木)  人間らしい思考の原点は「アナロジー」アプローチにある?!
2005/10/21/ (金)  「賞味期限」は過ぎて、「お釣り」で生きているようなものなんだから……
2005/10/22/ (土)  どうも「坐骨神経痛」に嵌ってしまったらしい?
2005/10/23/ (日)  「坐骨神経痛」をも忘れさせる秋晴れの日の風景
2005/10/24/ (月)  「お医者さま」も時代に沿って自己変革するのは難しい?
2005/10/25/ (火)  「敵」の速度に対して、当方側の速度を十分に意識すべきか?
2005/10/26/ (水)  「ゲーム」性に満たされた現代という時代環境……
2005/10/27/ (木)  「いい仕事」というものは、結局、独りで根を詰めることが必要か……
2005/10/28/ (金)  「実物」よりも、「間接的・技術的な情報」を信頼する人々?!
2005/10/29/ (土)  「暗喩」に富んだ「痛み」とその克服方法……
2005/10/30/ (日)  アキレスの「踵」や「トロイの木馬」への感度がもう少しあってもいい……
2005/10/31/ (月)  自分と世界とを、臆することなく天秤にかけることができる人!






 もう、今日から十月だ。やはり、めっきりと秋らしくなってきた。
 朝のウォーキングの際にも、陽射しは結構強いように感じたが、空気、風が実に爽やかに感じられた。夜明けにトイレのため目を覚ました時にも、夏の掛け布団一枚では寒く思え、毛布を追加したものだった。
 しかし、ウォーキングで汗を流し、朝食後、先週の日曜日から引き続く庭木の剪定に精を出し、大量の汗を流したためか、やたらに喉が渇く始末となった。スポーツ飲料は飲むは、コーヒーは飲むは、おまけに香ばしい麦茶も欲しくなりそれも飲む。確かに、真夏並みに汗をかいたには違いないけれど、飲み物は真夏以上に口にしたかもしれない。しかも美味くてしょうがなかった。

 庭木の剪定の方は、大雑把には先週の日曜にチェーンソウで済ましたつもりであったが、良く見るとまだまだ刈り込む必要がありそうな枝がぞろぞろと見出せたのだった。
 そこで再び梯子を掛けたり、チェーンソウを引っ張り出したりと、「第二次」剪定を行ったのである。先週は台風の影響や、初めてのチェーンソウ使用という幾分かの緊張があったが、今日は余裕に満ち溢れていた。
 一息ついた時、隣家の旦那が庭作業を覗きにきたりした。この人も日曜大工や庭いじりが好きな人で、わたしがそうしたことをしていると、垣根越しに声をかけてきたり、よく覗きに来るのだ。
 先週、チェーンソウを使って枝を「伐採」(?)したと話したら、「へぇー、そいつはどんなもんなんですか、今度使われる時には見せてくださいな」と興味津々の様子だったのだ。
 隣家の旦那は、チェーンソウの小型軽量さに驚いていた。
「お使いになる時は、いつでも声をかけてください。じゃあ、ちょっと試してみますか?」
と言って、わたしが切り落とした枝で「試し斬り」を勧めると、彼はすぐさま応じてきたのだった。で、その枝を難なく「試し斬る」と、
「いやぁー、これはいい。こんなに手軽に操作できれば言うことないですね」
と、にわかにそのチェーンソウに好感を抱いている様子であった。

 ところで、今週の後半は、おもしろいことに、この近所では庭木の剪定があちこちで一斉に行われたのである。昨日も、広い通りへ出る角の家が、周囲を覆っていた庭木の枝を思いっきり「伐採」していたのを目撃した。まるで、むさ苦しい長髪の髪型が、GIカットでもしたような伐採ぶりであったので、ちょっと驚いたくらいである。
 何ゆえかと推測するまでもなく、答えはひとつであった。市内のゴミ収集の制度が改定され、10月からはゴミ収集が「有料袋」を購入してそれに入れてださなければならなくなったから、駆け込み的に、昨日までに出してしまおうという庶民ならではの努力なのである。もちろん、わが家もそのための、先週の騒ぎであり、だからのチェーンソウだったわけだ。
 そんなことで、通りから入って来る際に、そんな目で各家々の庭木を見るるならば、いずれもまるでトコヤに行きたての子どもの頭のように、小ざっぱりとしているのがわかり、なんとなくニヤッとせざるを得なかった…… (2005.10.01)


 秋到来と喜んでいたら、今日の蒸し暑さは何ということだろう。今も、書斎ではクーラーをかけざるを得ず、外からは虫の音が聞こえるというのに、いかにもちぐはぐな感じである。
 さて、こうやって「日誌」を書こうとしているのだが、何を書くかのあてがない。休日というのは、何か特別なことをすればよし、今日のように蒸し暑さにかまけて無為に過ごすと、気分もしまりがないものだから、文章を書く段となってほとほと困ってしまう。
 しかし、何を書こうかなどと躊躇することはまずい。書き始めるに限る。そうしていると、いつの間にか「犬も歩けば棒に当たる」といった具合に、それらしき話題やテーマが浮かんでくるものである。が、まだ浮かんではこない……。

 浮かんでくる、こないと言えば、先日も書いたのだが、人間の行動を促すものには、言語的レベルの意識的なメッセージと、無意識からのメッセージとがありそうである。そして、頭に浮かぶ、浮かばないという場合、どちらかと言えば、後者の方が面白みがありそうだと思う。
 言語的レベルの意識上の想念ほど面白味に欠けるものはなさそうである。それらは、大なり小なり「紋切り型」の画一性で組み立てられているはずだからである。ちょうど、NHKのアナウンサーによるニュースを聞くような味気なさだと言えようか。
 言葉づかいの正確さ、誤解を招かないような配慮、極力、喜怒哀楽を抑制した表現、もちろん「無用な」波風を立てないような言葉の選択と、禁止用語に対する従順さ、などなどが折り重なって、事実というものが秘めているはずの味わいとでもいうものがすべて脱色され、除去されてしまうようだ。考えてみれば、標準語という話法の影響もあるのかもしれない。

 印象レベルでの言い方でしかないが、とかく日常生活での言語活動とそれらによって構成される脳の内部の意識的世界というものは、とにかく退屈極まりないものだと言うことができる。
 われわれが生きるということで欲しているものは、紋切り型や画一性というものとは正反対な性格を持つものではないかと思う。確かに、そうしたものは、いずれにせよ「取り扱い」が難しいであろうことは想像できる。そうしたものは、きっと新鮮である分、「唐突」感があるだろうし、刺激的である分、感情に「撹乱」をもたらすかもしれない。日常生活に馴染む配慮が抜け落ちてもいるだろうから、「困惑」に遭遇させられもするであろう。
 つまり、われわれは、意識上の世界は非常に便利で、過ごしやすいと認めていながら、その、ほとんどマンネリとも言える紋切り型世界の退屈さにウンザリしているようである。前近代のように、人々が生きる環境の中に「未知なるもの」、言語的に説明不能な事柄が満ち溢れていた場合や、同じ日本語を使っていてもイントネーションだけでなく、言葉の中味にもかなりの差異があった頃には、言語的レベルでの意識上の世界というものは、まだワクワクする要素を保っていたのかもしれない。それは、具体的には、知らぬ土地の、見知らぬ人と会話する際に実感されたのかもしれない。
 しかし、現在では、そうした部分も残されてはいるのだろうけれど、概して、世界はどこも同じ、人々もみな標準的な考え方をする紋切り型人間ではないのかという思いが先立ちそうだ。社会が標準化を旨とする近代化、現代化によって整備され、マス・メディアの働きとあいまって、人々の意識上の世界はいつしか画一化と、紋切り型秩序で塗りつぶされてしまった観がありそうだ。

 その上、本来、人間にとっては意識上の世界とともに大きな比重を持っていたはずの、無意識の世界、意識下の世界がおざなりにされ、あるいはないがしろにされ、誰もが関心すら持たなくなってしまったようでもある。
 画一性、紋切り型秩序で特徴づけられる意識上の世界に、もはやさしたる個性などは発生しようがないのではなかろうか。言語の個性的表出としての文学も、今や風前の灯と言ったら言い過ぎなのであろうか。
 もっと、意識下の世界やその働きに目を向けたいと思うのは、現代生活のように生きるのは、どこか「不十分」な気がしてならないからなのである。意識上の世界にしても、果たして現状のままでいいのか、という思いもどこかで打ち消せない。以前にも書いた「暗黙知」というような視点は、現代の「知識」のあり方の閉塞状態にそれとなく光を当てているようにも思える。

 どうにか、今日の文章化にも格好がついた気配だが、何を書こうと決めてかからない書き方というのも、ある意味では、無意識の世界に耳を傾ける訓練になりそうな気がしないでもない…… (2005.10.02)


 街路を歩くと、ようやく「キンモクセイ」の甘い香りに遭遇するようになった。
 毎年のことであるが、この香りをお初で「聞く」際には、ちょっとしたときめきが伴うのが不思議である。
 何か鮮明な光景を想起するわけでもない。これこそが、潜在意識の中の漠たるものが、香りに誘発され、すくっと立ち上がって来るという風情である。こうしたものをこそ、言語的意識を介して、心ゆくまで堪能したいものだと思う。だが、それらは、あまりにも臆病だというか、謙虚だというか、黙して語ろうとはしない。
 キンモクセイの香が、一陣の風に乗って速やかに去って行ったように、意識に上る漠たる感覚もまた瞬時に姿を消してしまう。後に残るものは、あたかも評論家たちの無意味な会話のような、尻馬に乗った顕在意識によるどうでもいいムダ話だけである。
 「そう言えば、この香りは、カー用品売り場の消臭剤でよく使われていたりする」であるとか「どこだかのトイレでもこの香りの消臭剤が使われていたかもしれない」とかなのである。顕在意識の次元というのは、何と無粋で、かつありきたりなのであろうか。
 顕在意識の世界のこの無感動さこそが、昨今の自分にとっては忌避したい最たるものだと言えそうだ。

 ところで、このところご執心である「顕在意識」と「潜在意識」とについて本格的に論じるとすれば、結構、やっかいなことであろう。用語にしても、今は統一性もなく、その時々でまちまちに使っているし、そのことによって曖昧さも生じていることは承知している。まあ、「日誌」という意味合いでラフに書いているのだからそれでいいかとも思っている。そのうち、「思いつくこと」が出尽くした際に、整合性を持たせた整理を行えばいいだけのことであろう。
 ついでといった調子で、ものの本にも目を通したりしているが、どうもあまり面白くなかったりする。ものごとへの関心というのは、仮に対象が同じであったとしてもその関心の動機が何であるのかによって大分、事情が異なってくるものである。
 概して、多くの著書というもの、特に学術的色彩のあるものはというと、著者自身のその対象への関心の「動機」の表明については極力差し控えられ、どの学説はどうだこうだとか、やれある研究者の見解はどうであるとか、回りくどくていけない。それが、科学の客観性重視の作法であるのかもしれないが、「要は何なんだ?」と言ってやりたくなったりもする。ただただ、ページ数を増やすために(執筆料を稼ぐために)旅行の「添乗員」まがいの現地紹介に明け暮れているのではないかと勘繰ったりもしたくなる。
 つまり、自分の関心を、自身の動機に沿ってストレートにぶつけて来なさいよ、と言いたいのである。そうすれば、それが共感を呼べば一気に読み込むだろうし、くだらなければすぐさま投げ捨てられるのである。意味ありげにダラダラと引き延ばすというのがもっともいけないと思っている。

 横道に逸れてしまったが、「顕在意識」と「潜在意識」というテーマにしても、なぜそれに関心を持つのかという動機がこれまた面白いのだと思っている。いや、そもそも「潜在意識」というものが、当人の「隠れた動機」なんぞを説明するために引き合いに出されたりする場合もあるため、なおのことなのかもしれない。
 わたし自身の動機はといえば、基本的には、現代人の「自己喪失、自己崩壊」について、さまざまな角度から実態に迫ってみたいという願望がある。実態を知ってどうする、絶望するのか、という皮肉な見方もあろうが、諸科学によって次第に明らかになってくる人間個人の「自己」というものの「不確かさ」を知らずして、現代環境の「不具合」現象を云々しても埒があかないとも思えるからなのである。

 たとえば、昨今の犯罪ではしばしば容疑者の「責任能力」が問われるケースが増えている。「心神衰弱(心神耗弱)」なのかどうかとか、「未成年であるが故に……」とかがしばしば問題にされるわけだ。近代法が、理念的な「自律的個人」を大前提とする以上、当然検討されなければならないだろう。しかし、言うならば「顕在意識」を基本とし、そこに個人の意志の原点を置くかのような人間像は、どの程度確固たるものなのであろうか。

 また、以前にイラクでの人質拉致問題で、「自己責任」という言葉が一世を風靡したものであった。あの時にも、非常に大きな違和感を禁じ得なかった。政府をはじめとする公式的世界の人々の口から、まさに象徴的な言葉として発せられた言葉であっただろう。何の象徴かといえば、「形骸化」や「欺瞞」というものに満ちた世界の象徴である。
 あの事件自体が、決して「自己責任」という言葉が飛び出す文脈を持ってはおらず、むしろ「政治責任」「国家責任」という言葉の方が出て来るにふさわしかったはずである。それを、あえて「自己責任」と言ったのは、現代的実態としてはますます「形骸化」し、「崩壊」し始めているかもしれない「自己」という存在に、「政治的・喝」を入れるという儀式めいた「欺瞞」を感じたものであった。
 政府のような、国民個々人を「束ねていく」立場としては、国民が「自己責任」をもって行動してくれることが望ましいことは推測できようとも、現代のような大衆社会で、しかも個人責任に帰することが困難であるようなさまざまな環境が支配的な状況で、「個人責任」「自己責任」という抽象概念に寄りすがらざるを得ないのは、どうかと思うわけだ。そんなことを言うのなら、むしろ官僚機構の各官僚の「個人責任」を明確にすることこそ率先すべきはずではなかろうか。

 要するに、近・現代において、金科玉条のごとく叫ばれてきた「個人の意志」「自己」「自己責任」といったものが、正直言って、形式はともかくその中身は一体どこにあるの? といわなければならないほどに危機に瀕しているのが現代状況なのかもしれないのだ。
 本来、人間個人の「自己」というものは、周囲のさまざまな集団や組織、そしてそれらの分化との密接な関係や一体化とともに存在したはずだし、そうでしかあり得ないと思われる。それが決定的に損なわれている点が現代の危機であり、「自己」というものの危機でもありそうな気がする。
 そして、「自己」というものが危機的状態にあるのは、外との関係だけではなく、個人の精神の内部の問題である「顕在意識」と「潜在意識」における分裂と錯乱という事態ともつながっていそうな気がしてならないのである。
 病んだ現代という時代では、「言ったが勝ち」とも言えるような声高な言葉がまかり通るような風潮がある。そんな中で、人体の神経構造に根ざし、感情要素とも密接につながっている寡黙な「潜在意識」とは、まるで「少数民族」が受ける不当な抑圧のような扱いを受けているのではないかと感じている。
 「潜在意識」の範疇への関心の動機の一端は以上のような思いの中にある…… (2005.10.03)


 昼食時に表に出た際、事務所近辺での「キンモクセイ」の香の「震源地」がわかった。 民家の垣根なのだが、その背丈は何と4メートル以上もあり、二間ほどの壁を作っていた。そして、その上層半分の枝々にレモン色のつぶつぶの花を咲かせていたのだった。道理で視界には入りにくかったはずである。とっさに、この家の住人もキンモクセイの香が好きなのだろうと推測させた。
 そのキンモクセイの香に、何か煙のような匂いが薄っすらと混じっている感じがした。と、にわかに、子どもの頃の秋の情景が彷彿として蘇ってくる思いがした。
 今日は、半袖シャツでは薄ら寒いほどに、気温は下がっている。薄雲が立ち込めた曇天の空、爽やかな風は、申し分なく秋の日としての雰囲気を構成している。そして、それに加えてのキンモクセイの香に、焚き火を連想させるような煙の淡い匂い。これらは、子どもの頃の秋の日の平凡な午後の情景、家の近所の平々凡々として何の変哲もないが、平穏さだけは満ち満ちた、そんな風景にわたしを誘ったものだった。

 こんな風景イメージが「潜在意識」のひとつと言えるのかもしれない。確かに、こうしたイメージは、夢と同様、言語を介して叙述しようとしてもなかなかうまくゆくものではない。あえて挑めば「創作」にもなりかねない。だから、まさしく意識下に「潜在」しているものなのであろう。
 ところで、こうした、香りや匂いなどの直接的刺激によって引き起こされるイメージというものは、「潜在意識」だとも言えるが、むしろ「潜在記憶」と言った方が適切であるような気にもなる。
 そこで、ものの本によって若干「記憶」というものについて交通整理をしておく。

< ●記憶は一つのシステムではなく多元的で複数の脳内システムから成っている可能性があること、しかもそのうちの一部が潜在的・無自覚的であり得るということ。

●潜在記憶とは、
「覚えている」という本人の自覚なしの記憶。
「被験者はある課題を遂行することによって、特定の知識をもっていることを示せます。がしかし、その知識をもっていることに自ら(意識的に)気づくことはなく、またその知識に意図的・自覚的にアクセスすることもできません。」

●記憶には、宣言記憶と手続記憶とがあり、
 宣言記憶というのがいってみれば事柄の知識で、意識的な想起が可能な記憶であり、内容について述べることができます。これはおもに学習によって獲得された事実やデータに関する記憶で、健忘症では強い障害を示します。
 これに対して手続記憶は、やり方の知識のようなもので、特定の事実やデータ、特定の時間に特定の場所で生じた出来事とは関係がなく、学習された技能や認知的操作の変容に関わる記憶で、健忘症でも障害されずに残ります。先の例でいうと、自転車乗りの事実や、……などがこれです。

●宣言記憶と手続記憶の発生的順序
 宣言的記憶は系統発生的には比較的新しく、また個体発生的にみても手続的記憶は先に発達するのだろうと言われています。その証拠に生後1、2年目までのことは、誰も覚えていないでしょう。…… これを乳児性健忘とか乳幼児期健忘などといいます。自覚できない潜在的記憶だけが先にあり、自覚でき報告できる顕在記憶が未熟ですから、あとで意識的には思い出せないのだと考えられているのです。けれども思い出せない乳児期の記憶が後の人格形成に決定的な影響を与えることは、フロイトらの精神分析学派だけではなく、多くの論者よって指摘されています。>(以上、下條信輔『サブリミナル・マインド 潜在的人間観のゆくえ』中公新書より)

 こうして整理をしてみると、「潜在意識」なり「潜在記憶」というものには、「手続記憶」(自転車乗りのような学習された技能。いわゆる「暗黙知」。)が含まれることがわかる。
 この「手続記憶」で興味深いのは、何といっても個体での発達において、それが、「宣言記憶」=「顕在記憶」に先立って生じ、「潜在的記憶」となり記憶の空白部分(「乳幼児期健忘」)を作るということだろうと思う。
 しかも、この「潜在記憶」「潜在意識」が、「人格形成に決定的な影響を与える」というのだから、当然この部分というものが無視してよいものではないということになろう…… (2005.10.04)


 このところ、「潜在意識」に関心を集中させて書いている。
 そして、その関心の動機を反芻したりもしている。一昨日は、言語的「顕在意識」だけに依拠しようとする「自己」概念が危うくなっている(自己崩壊!?)ことから来る関心にも言及した。
 しかし、振り返ってみれば、「潜在意識」への関心で最も大きな動機は、「創造性」「創発性」をめぐる「暗黙知」(⇔「形式知」)であったことを再確認せざるを得ない。
 ちなみに、この「暗黙知」については、この「日誌」上で過去13回にも及ぶ回数で云々している。検索ツールを使ってピックアップをして見直してみると次のようになる。

【 「暗黙知」について書いた過去13回と要点など 】
@ 「2002.09.12の日誌」……「職人」集団、「徒弟制度」のような、言語による伝達を超えた生活集団、共同体が培ってきたこと。(技能、集団と「暗黙知」との関係)

A 「2001/09/28の日誌」……禅におけるキーワードに、「不立文字(ふりゅうもんじ)」(悟りの道は、文字・言語によっては伝えられるものではないという意。)ということばがある。(宗教体験と「暗黙知」との関係)

B 「2002.12.20の日誌」……「暗黙知」または「経験知」こそが、より大きな「創造性」に開花する可能性が注目されているのだと思う。そして、それらは、当該の場における「共同体験」に根ざしているような気がしてならない。(「共同体験」と「暗黙知」との関係)

C 「2003.05.13の日誌」……「感情」が「全人的」傾向を持つのに対して、「感覚」は一人の人格に担われながらも人格の「部分」としてまるで「オブジェクト」のように「自立」し、外部環境とリンケージを持ってしまうのではないか、と。(「感覚」ではなく「感情」と「暗黙知」)

D 「2003.06.06の日誌」……「知識」はとかくそれを担い操作する主体側の側面が度外視されやすい点がアブナイ。(「暗黙知」ではなく「形式知」を万能と考える危うさ)

E 「2003.08.25の日誌」……養老氏も主張されているように、空虚な「知識」を盲信するのではなく、その根底にある人と人との共同体験や、「知識」を操作する脳だけではなく、経験をしっかりと捉える身体などをじっくりと再注視しなければならない。(「知識」の母胎である共同体験を忘れるところに「バカの壁」が聳え立つ)

F 「2003.10.01の日誌」……かつてのお年寄りたちが、継承された知識・情報以外に保有していた「サムシング・オールド」の中には、現代科学なんぞが及びもつかぬ貴重なものが含まれていたはずである。(「加齢」は「暗黙知」の宝庫?)

G 「2004.02.19の日誌」……大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞した際、記念講演をしたそのテーマは「あいまいな日本の私」……要するに「言葉による真理表現の不可能性を主張」するものであったという。(日本文化のあいまいさと「暗黙知」)

H 「2004.03.21の日誌」……この「クオリア」はもちろん文字通り主観的なものであり、「そのようなクオリアのすべてを感じ取っている<私>という存在がいる」ということになる。(脳内の「クオリア」=<私>と「暗黙知」)

I 「2004.04.30の日誌」……つまり、言葉というのは、人それぞれの生きる空間を構成するものではないかということである。決して詩人ではなくとも、人は、自分の経験などを、自身の感性に最もフィットしたかたちで表現しておきたいと望むものではないだろうか。それを記憶して、自身の避けられない空虚を埋めたいと思う存在ではなかろうか。また、それを他者と共有したいと切望するものではなかろうか。(「暗黙知」に接近する言葉)

J 「2004.09.09の日誌」……身体の記憶 もしかしたら、この『「わからない」という方法』なる本は、『知性する身体』というタイトルで書かれるべきだったかもしれない。(橋本 治『「わからない」という方法』)(「身体がわかる」ということと「暗黙知」)

K 「2004.10.31の日誌」……大雑把に言えば、言葉を遣う人間は、四六時中、「アナログ・データ」と「デジタル・データ」との相互変換を無意識のうちに行っているような気もするわけである。 ざっくりと言ってみれば、言葉というものは「デジタル」なのであろう。そして、感覚や感性とは「アナログ」としか言いようのない身体に依拠した意識状態であろう。(「アナログ」存在と「暗黙知」)

L 「2005.05.06の日誌」……要するに「部分に全体が含まれる」という途方もない原理が「ホログラフィック・モデル」の興味深い点なのである。(全体志向の「ホログラフィック・モデル」と部分的「形式知」を補う「暗黙知」)

 いずれも核心を突き切れずに「ためらい傷」のような不様な刺し傷をさらしているのが情けない。まるで、説得力のある「証拠」を提示できずに、やたら「状況証拠」ばかりを並べ立てている三流の検察側のようでもある。
 それはそれとして、まるで他人事のようであるが、「潜在意識」への関心の大きな部分が、「暗黙知」への関心として継続してきたことは否定できないようだ…… (2005.10.05)


 今日はさすがに、Yシャツ一枚では肌寒いと思えたので、愛用のベストを引っ張り出して着込むことにした。秋めいてきたと思いきや、秋雨前線の影響とかで天気がぐずついている。秋晴れの到来を望みたい。

 昨日、「暗黙知」について過去に書いたものを整理している際、松岡正剛氏がマイケル・ポランニー『暗黙知の次元』の書評を書いていたのを見つけた。(サイト「松岡正剛の千夜千冊」マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』)
 さすがに、松岡氏らしく、シャープな切れ味でさばいている。松岡氏のポランニー解釈によって「暗黙知」を考えるとは、実にまどろっこしいわけだが、一応、これを確認しておくこととする。

 「暗黙知」は、ポランニーの『暗黙知の次元』によって広まった言葉、概念であるが、その後、経営学者たちによって、「創造性の開発」という観点などからさまざまに解釈されてきたものだ。
 松岡氏は、発案者ポランニー自身のもともとの意味を汲み取ろうとしており、いわゆる「技能」といったもの自体をポランニーの「暗黙知」と見なすことに異を唱えている。

<最初に誤解を解いておいたほうがいいと思うので言っておくが、暗黙知とは、意識の下のほうにあるために取り出せなくなっている知識のことをいうのではない。下意識に隠れ住んでいる知のことではない。どうも一部の経営学者たちがそういう見方を広めたようで、誤解が広まった。
 たとえばパン屋の職人がパン地をこね、それを独特の焼きかげんでパンにしているようなばあい、その職人的な「おいしさの知」のようなものを暗黙知と名付けたがるようだが、これはおかしい。料理人の味付けの技能が暗黙知なのではない。その「知」をコンピュータに入れてシステム化しようと思っても、なかなかそのアルゴリズムやプログラムにならない知が暗黙知というわけでは、ないのである。>(同上)

 ポランニーの「暗黙知」とは、「科学的な発見や創造的な仕事に作用した知のこと」「思索や仕事や制作のある時点で創発されてきた知」のことだと限定してかかり、「方法」がキーワードではないかと……。

<そうではなく、暗黙知とは科学的な発見や創造的な仕事に作用した知のことなのである。もっとわかりやすくいえば、思索や仕事や制作のある時点で創発されてきた知が暗黙知なのだ。言いかえるなら創発知とか潜在知とか、さらにわかりやすくしたいのなら、暗黙能とか潜在能と見たほうがいいだろう。
 しかし、ポランニーは暗黙知を安易には語らなかった。あとでわかると思うが(ぼくの説明によって)、ポランニーにとっての暗黙知は「方法」そのものなのである。方法が知識であるような、そのような脈絡が知識にひそんでいることを提言したのである。>(同上)

 言語以前の潜在性が、言語をも成り立たせているような、「この潜在的な知のようなものが『暗黙知』なのである」とは、わかったようなわからないような……。

<このなかでポランニーが強調していることは、われわれの知識のほとんどすべては言語的な作用によって編集構成されているということ、その言語的な作用の大半がアーティキュレーション(分節性)によって構成されていること、しかしながらこの言語的分節をもってしても解明できない知識がわれわれのどこかに潜在していて、その潜在性の出入りによってこそ言語的分節も成り立っているのではないかということである。
 この潜在的な知のようなものが「暗黙知」なのである。>(同上)

 ポランニーの業績とは、「発見とは何か」を研究したこと。そして「発見」とは、「知ること」と「在ること」とのあいだのスパーク!

<マイケル・ポランニーが何をしたかといえば、発見とは何かということを研究した。誰しも発見に敬意を払い、発見の結果に驚異をもつものではあるが、発見とは何かということをなかなか研究しようとはしてこなかった。
 発見についての問題は「知ること」と「在ること」とのあいだに、どんなつながりが作用しているのかということだ。このあいだが何らかの方法でスパークするようにつながったときが、発見がおこったときなのである。>(同上)

 ポランニーは、「知ること」(知識)と「在ること」(存在)のあいだには共通して「見えない連携」のようなものがはたらいていることに気がついた……

<ポランニーは発見のプロセスを研究するにつれ、しだいに「知ること」(知識)と「在ること」(存在)のあいだには共通して「見えない連携」のようなものがはたらいていることに気がついた。最初にヒントを与えたのはレヴィ・ブリュールの研究である。レヴィ・ブリュールは未開部族の原始的精神機能を先行的に研究していて、そこに個人の感情ないしは動機が外界の出来事としばしば同一視されていることを指摘していた。レヴィ・ブリュールはこれをとりあえず「参加」(participation)と呼んだ。……
 ここでは例示を省略するが、ポランニーはこのことをヒントに現代社会においてもこのような「同一視」「参加」あるいは「連想」が生きているだろうことを確信し、これを「ダイナモ・オブジェクティブ・カップリング」(dynamo-objective coupling)と名付ける。うまい訳語はないが、「動的客観的結合」といったところだ。>(同上)

 科学的発見に必要なものは、「推測するためのアート(技芸)感覚、未知のものを見るスキル(技能)、それが妥当である(レリバント)と判断する標準性、この3つ」であるらしい。
 中でも、「技能の中にこそ、のちの創発を喚起する方法が芽生えていると見通した」と。そして、技能の中に隠された「方法知(knowing how)」[≠対象知(knowing what)]こそが、「発見」のためのトリガーであり、ポランニーはそれを「暗黙知」と呼んだのではないかと……。

<それは発見に必要なこと、とりわけ科学的発見に必要だろうと思えたことで、推測するためのアート(技芸)感覚、未知のものを見るスキル(技能)、それが妥当である(レリバント)と判断する標準性、この3つである。アート、スキル、レリバンスだが、いいかえれば推理を進める方法、未詳に分け入る方法、妥当性に気がつく方法ということになる。ポランニーはこの3つが交差して発見の歯車になっていると考えた。
 これで少しは見当がついただろうが、ポランニーは技能の中にこそ、のちの創発を喚起する方法が芽生えていると見通したのである。すなわち、発見は対象知(knowing what)によっておこるのではなく、方法知(knowing how)によっておこるにちがいないと踏んだのだ。もっというのなら、ある個人の知識の総体のなかでその知を新たな更新に導くものは、その知識にひそむ方法知ではないかということなのである。その方法知がアート、スキル、レリバンスで組み立てられていると見たのだ。>(同上)

 こう言ってしまえば身も蓋もなくなるが、誤解を恐れずに言い放てば、「暗黙知」とは、非言語的活動だとされるいわゆる「右脳」的な働きなのであろうか。
 ほかにも、「ゲシュタルト(Gestalt)」(部分の寄せ集めではなく、それらの総和以上の体制化された全体的構造を指す概念。形態。)について思い起こしたり、唐突に三木清や戸坂潤の哲学を連想したりもする。
 どうもこの「暗黙知」なるテーマは、あたかも「見果てぬ夢」でありそうか…… (2005.10.06)


 先日、ラジオ番組で、「消火器」のリサイクルに関して思いもよらぬものがあることを知った。
 「消火器」といえば、何となく胡散臭い響きが伴っているものだ。
 ひとつは、言うまでもなくあの悪徳詐欺商法である。有名なもの(?)が今でも横行しているのかどうかはわからない。
「消防署の『方』から来たものですが、消火器の点検をします……」
というやつである。ここでのみそは、「消防署の『方』から」という点であるのはよく知られている。あたかも「消防署の者ですが」という印象を与えるわけだ。咎められれば、「消防署の『方向』からやって来たと言ったんですよ」と言い逃れるつもりなのであろうか。
 それでなくとも、消防法だか建築法だかの関係で、消火器の「賞味期限」(?)についてはそこそこうるさい定めがありそうだ。わが事務所にも消防署だか市の関係者だか得体の知れない者が訪れて点検をして行ったことがあった。
 新しい「消火器」を購入して取り替えるのは良いとして、古いモノはゴミ収集に出すことができないので困る。所定の業者なりに有料廃棄物として回収してもらわなければならない。
 昨今は、PCにしても、白物家電製品にしても、その廃棄回収は有料の扱いとなり、何かと気も使えばカネも使わざるを得なくなっている。

 で、冒頭のラジオ番組であるが、実は、粉末系消火器の中身は、「燐酸アンモニウム」とか「炭酸水素ナトリウム」、「炭酸水素カリウム」なのである。そして、良くは知らないが、これらはちょっとした手を加えるだけで農業用の化学肥料として十分に使用できるのだそうなのである。
 そして、まだ始まったばかりだそうだが、その実用化で効果を上げているという紹介話だったのだ。
 何しろ、全国で一年間で廃棄される消火器の推定本数は、何百万本だとかいう。現に、身近なところでも期限切れとなった消火器を持て余したりしているものだから、こうしたリサイクルというのは悪くない、と感じ入ったのである。
 番組からは定かには聴き取れなかったが、こうしたリサイクル上での廃棄回収であれば、無料ということにもなるのではなかろうか。何でもかんでも「有料」となりがちなご時世にあって、もし、無料回収ということであれば、まさしく知恵の所産だと思える。しかも、資源の有効利用というのが頼もしい。

 こうした類の展開が何としてもほしい時代だと思えるのである。
 限りなく増え続ける廃品、廃棄物と、そのための廃棄処理費用の増加。そして、結局は消費者個人の負担も嵩(かさ)んでゆくというシビァな現実。それでも、廃棄物が然るべき処理がなされて再び「現役」に復帰して来るならばまだ受けとめ方もあるというものだろう。しかし、従来は処理過程にコストが嵩むということが主たる原因であったのか、捨てられたモノは捨てられっ放しということが多かったように思われる。これが実に「もったいない」と思わざるを得ないわけだ。
 それで、ようやく「リサイクル」というコンセプトが行き渡るようになった。それは非常に良いことだと歓迎できる。各家庭がゴミを出す際に「分別」することも非常に良いことだと思う。ドリンクを飲み干したあと、キャップをつけたまま放り出しては家内から小言を言われる自分であるが、そうしたことから留意すべきだと反省する次第である。

 ただ、いまひとつ何とかならないものかと考えていたのは、個人がゴミを廃棄する際にゴミ処理コストを負担するという点であった。「受益者負担」の原則からすれば、基本的には反対できないとは思っている。が、もし、一般家庭から出されるゴミ、廃棄物などが、何か収益を上げる素材になるそんな仕組みが案出されるならば、「受益者負担」費用は「相殺」される可能性が出てくるはずだと考えるわけなのである。冒頭の「消火器」リサイクルに意を寄せたのは、まさしくそうした例になるのかと想像したからなのである。
 これと似た面白い事実としては、町田市のゴミ収集システムにおいて、家庭の「剪定廃材」は、幅60センチ未満、束の直径が30センチ未満だかで纏めてあれば、二束までは「無料」というのがあったりする。家内と冗談で話しをしているのだが、この無料扱いの背景には、それらを「炭焼き」や陶芸用の「窯焼き」の材料として転用するという事実が潜んでいたりするのではなかろうか。いや、糾弾しているのではなく、自治体もそうした経営努力をしていいし、すべきなのかもしれない。そうして、住民の負担が軽減されるのならばこれに越したことはないと思うのである。

 いずれにしても、人から不用とされたモノが、何らかの仕掛けによって「現役復帰」していくという光景ほど涙ぐましくも爽快なことはないと思うのだ…… (2005.10.07)


 昨日は「不要」とされたモノが、リサイクルされ「現役復帰」することの爽快さというアホらしいことを書いた。しかし、現在、痛切に思うことは、「要、不要」という観点が実に根拠薄弱な時代だという点である。
 いや、実に明瞭だという人もいるかもしれない。そうした人はこう言うだろう。現在ほど、「金儲け」という一点ですべてが裁断できる時代はないがゆえに、「要、不要」という基準も、完璧に明確である、と。

 なるほどその通りなのかもしれない。象徴的な事実を挙げるならば、確か今年のことではなかったかと思うが、キャベツが過剰豊作であった際、何千トンであったか何万トンであったか忘れたが、市場での値崩れを計算して、大量のキャベツを「不要」と見なし、廃棄したそうである。理屈はよくわかる。しかし、平凡な感覚では、何ともったいないことをするものだと違和感を禁じえなかった。近くは、北朝鮮の飢餓問題もあるし、地球上にはそうした問題を抱えた地域はいくらでもある。理屈でいえば、輸送費その他のコストを考慮するならば、廃棄することが最も「理(利)」に叶っているというのであろう。
 しかし、その「理(利)」は、状況的な判断からくるものであって、決して永遠の真理というようなものからくるのではないような気がする。市場経済至上主義でグローバリズムの構造を持つ現代という時代環境が命ずる「時代的な」ものだということである。
 「時代的な」ものでしかないとまでは言わない。所詮、人間の生活は、特殊な「時代的な」諸条件によって拘束されざるを得ないわけだから、「時代的な」諸条件を軽視するつもりはない。

 しかし、それにしても、「時代的な」ものがあまりにも過剰な度合いでモノの「要、不要」という判断に影響を与え過ぎていることに、なおかつ違和感を残してしまう。「流行」現象という一事を見ても、「流行」遅れとなったモノが一気に「不要」扱いとなるのは自分などから言わせれば、「もったいない」の一言である。
 昨今では、デザイン的な「新奇性」による、購買力喚起とモノの「要、不要」の基準の塗り替えに加えて、技術的なイノベーションによってそれらを加速させる動きも顕著だ。パソコンをはじめとして、ケータイ、デジカメ、液晶TV、プリンターなどなどのエレクトロニクス製品が、「性能向上」という点によって購買力を喚起するとともに、モノの「要、不要」の基準を塗り替えてゆくということだ。
 ここで、そうした経済のメカニズムを論じるつもりはない。そうではなくて、モノの「要、不要」という基準は、時代がもたらす極めて恣意(しい)的な判断をまぬがれないということだけを強調したい。この点は、現代の全世界がそうだというよりも、アメリカ経済とその影響下にある国々がそうなのであり、ヨーロッパの国々は、古いモノをそれなりに評価して、比較的、モノの「要、不要」という基準に保守的であるとも聞く。
 ものの考え方の違いだと言えそうだが、まさに、このものの考え方に自分は関心を向けようとしている。

 つまり、モノの「要、不要」という基準をコロコロと変えていく発想というものは、ものごとに「レッテルを貼る」ような考え方、別な表現をすれば「紋切型」思考、「ステロ・タイプ」型思考、「デジタル型」思考ではないかと思うわけだ。「もう、そんなモノは時代遅れだからステロ!」と言われれば、「ナルホド」と言い、不要扱いにしてしまい捨ててしまうという考え方である。
 言っておくが、モノを大事にすべきだというような「紋切型」の小言を言おうとしているのではない。そうではなくて、こうしたものごとに「レッテルを貼る」ような考え方というものは、すべてに渡って、極端な「要、不要」判断をしているに違いないのではなかろうかと感じているのであり、こうした考え方の方が問題だと感じているのだ。
 そもそも、人間が何らかの対象を認識するには、「定義」という方法と無縁ではあり得ず、そして「定義」というのは、「〜は……である」と進められるわけだが、これは同時に「〜は……ではない」という否定と切り捨てを行うことになる。つまり、人間が言語機能によってものを考えるということは、対象を「抽象」しているわけであり、そのことは同時に、対象のある部分を「捨象」しているということにほかならない。
 人間は、生きるために、他の動物の生命を奪わざるを得ないのと同様の不可避性で、人間はものを考える際に、対象のすべてを汲み尽くす替わりに、「抽象」といえば聞こえはいいが、「レッテルを貼る」ことでしのいでいるわけなのである。「便宜性」を優先させざるを得ない、ということなのだろう。
 しかし、こうした「原理」は事実として自覚しておくべきなのだろうと思っている。「便宜上」対象の存在のある部分、あるいは多くの部分を「やむをえず」「捨象」している、切り捨てているという事実をである。

 こんなことにこだわるのは、ほかでもない「暗黙知」という概念、あるいは「潜在意識」というものが、この「捨象」された部分をこそ<照らし出す>という関係にあるのではないかと推測するからなのである…… (2005.10.08)


 今朝は、雨の中、傘を差してのウォーキングを敢行。しかも、いつもより早い起床の上のことだった。雨がキンモクセイのオレンジ色の花の粒を地面に落とし、何だかもったいない気がしたものだ。この分、秋の日に漂う芳しい香りが早く終わってしまうように思えた。
 今朝、境川で目にしたものは、川辺に佇む「コサギ」と一群のスズメたちであった。
 暗い川辺に、餌の小魚でも探していたのだろうか、じっと佇んでいるコサギを目にした時、ふいに、
「白鳥はかなしからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ」(若山牧水)
という歌を思い起こした。真っ白なコサギ一羽が、蕭然(しょうぜん)たる川辺に凛として佇む姿は、美しさ以上に孤独感が滲んでいるように見えた。
 それに対して、雨の遊歩道の上を二十羽ほどのスズメたちが群れて行動している光景は、いかにもほほえましさを感じさせる。スズメというのは、ハトのように片足づつ動かして歩くことができなくて、両足で跳ねて移動するのだということを改めて知る。また、あのようにみんなと一緒につるんでいると心強いものなのだろうかと思ったりした。

 今朝はいつもより早く起床したのにはわけがあった。
 トイレのために目が覚めた直前、実に楽しい雰囲気の夢を見ていたからだ。再び寝入ってしまうと、この楽しい気分をきっと忘れてしまうだろう。それはちょっと惜しいと思ったからであった。どうやら、その夢は小学校のクラス会か何かのようであった。大半のクラス・メートが集っていたようで、自分は、微かに残る面影だけを頼りにして、一人ひとりに挨拶をしていた。
「何々さんですよね。お久しぶりです」
とかなんとか言いながら、おまけに深々とお辞儀をしているのが可笑しい。
 女性群は、何やら手料理を作ったりしていて、自分はそれを楽しげに覗き込んだり、話しかけたりしていた。
 こうして覚めて夢のストーリーといったものを思い起こすと、中味は大したことがないのであり、それはいつもと同じなのである。おそらく、夢を支配しているのは、感情とか、イメージといったものであり、それが通底伴奏か、基調カラーのごとく機能していて、これが楽しい感じのものであれば、中味はともかく「楽しい!」ということなのであろうか。それはあたかも、酔っ払いがよく言うセリフ、「いやー、愉快だ。今日はとにかく愉快だ……」という類いと、生理的構造としては近似しているのかもしれない。
 で、楽しい気分の中、夢は次第に支離滅裂となって行ったようだ。彫りの深い顔立ちの、見覚えのない大きな男がニコニコとしており、自分は挨拶をしようにも困っている。どうも、今思えば、昨日、日中にTVで相撲番組を見ていて印象を深めた「琴欧州」関であったかもしれない。自分の夢にはよく有名人が訪問してくれるのである。
 そのうち、何がキッカケだか、自分の足元を見るのだが、何とボロボロの靴をはいているのを知ることになる。で、これはいかんとクラス会会場の近所の下駄屋に飛び込んで、とりあえずはもっともらしいサンダルを買おうとしているのだ。これも、今思えば、布団から飛び出していた足が冷えてしまっていたのかもしれないと推測する……。

 こんな夢でも、「楽しい!」という気分に彩られていたために、いっその事、起きてしまおうと思ったのだった。いつも、朝一番の気分は彩りのない味気ないものであるので、夢が与えてくれたとしても「楽しい気分」ならそれに便乗して一日をスタートしようと思ったわけなのである………… (2005.10.09)


 もう昔の話であるが、旅行に行った時に風景画の「スケッチ」をしていた際に感づいたことがあった。湖畔の岩肌や樹木の微妙な感触を捉えようと、その対象を凝視し、しばし観察していたのである。
 そうした観察というものは、自ずから意識を集中させることになるため、雑念が打ち払われるためか、結構気分が落ち着き実にいいものである。そんな時、ふと気づかざるをえなかったのは、日常生活の毎日、多くの風景を見るともなく見ていながら、こんなふうに存在のあり様をまじまじと観察したことは皆無である、という事実であった。われながら、ちょっとした驚愕でもあったことを今でも覚えている。

 われわれの日常生活では、何かイレギュラーなことが発生しない限り、対象のモノをじっくりと観察するなぞということはほとんどあり得ない。そんな「面倒なこと」を迂回して、「簡略スタイル」を採用しているような気がする。
 バカなことを考えるのだが、仮に洗面所に置いてある練り歯磨きのチューブが、同等の大きさの接着剤の「ボンド」のチューブに取り替えられていたとしたらどうだろう。先ずは、確実にそれを取り上げてはしまうだろう。手に取って、そこでも気づかないかもしれない。というのも、大体、洗面所の鏡の前に立てば、見たってしょうがない鏡の中の自分の顔なんぞに目を向けるからである。ここでも、「ウィー」とでも言いながら歯を見せ、意味のない顔つきをしたりしながら自身の顔をチェックしたりすようであるが、実のところ観察なんぞはしていない。鼻でももげていれば別だが……。
 そして、そんなことをしながら、ひょっとしたら「ボンド・チューブ」を歯ブラシに絞り出すまでは、その異常事態に気づかず容易にバカをし続けてしまいそうである。まさか、口にまで入れてヘンな味がすると騒ぎ出すところまでは行かないとしてもである。
 実際、ろくに対象を見ていないということなのであろう。極端に言えば、目をつぶって生活しているに等しいのかもしれない。一瞥して、当該の「それ」が「それ」だと漠然と照合されれば、その後は、既に「脳内」に構成されている認識上のバーチャルな世界が基準となってしまい、現実の外の対象的世界なんぞは度外視されているふうでもある。

 以上のようなことは、明らかに病気だと言わざるを得ない夢遊病であったり認知障害であったり、あるいは正常の範囲でも疲れの中での注意不足の姿勢であったりすれば、起こったとしてもしょうがないことかもしれない。
 しかし、程度の差こそあれ、健常者でも同じことをしていそうな気がする。時々刻々と変化し、同じ環境状況ではないにもかかわらず、同じはずだと決め込む脳の働きがありそうだからである。脳としては、変化する外界を逐次観察して、「スケッチ」に随時修正を加えていく労力を割くよりも、掛け軸の絵のように静止して変化なきものと決め込んだ方がエネルギー消費が少なくて済むからとも考えられる。
 ただ、脳というのは、気にかかったことをいつまでも抱え込むという習性もありそうだから、ただ単にエネルギー消費を惜しむ怠け者というわけでもなさそうである。
 やはり、問題は、「言語的観念」の扱い方にあるのかもしれない。昨日も書いた「レッテルを貼る」という考え方について繰り返そうとしているわけだ。

 われわれの現実の生活では、ことによったら「歯磨きチューブ」が「ボンド・チューブ」に置き換わってしまう、あるいは考えにくいことではあるがすり替えられてしまうかもしれない変化が絶えない。
 しかし、認識と伝達という機能が必要なために、人間はあらゆる対象に「レッテル」のような固定的な名称をつけ、それらを組み合わせて人間個々人は、現実の対象世界を模して自身の脳内にバーチャルな環境世界の世界像を作りあげてきたはずだ。そして、こちらのバーチャル世界の方は、「言語的観念」を素材にしているだけに、どうしても「固定化」しやすい上に、なおかつ我田引水的に自身の方が本家本元だと受けとめがちにもなるはずであろう。いわゆる、「観念的」だとか、「思い込み」だとかという非難の言葉は、こうした事態を指しているのだとも言える。
 今、「バーチャル」という言葉を使った。昨今、「デジタルなバーチャル世界」という観点でこの言葉が使われているわけだが、考えてみれば、人間が言語的に認識できる世界は、「バーチャル」な世界でしかあり得ないと言うべきなのかもしれない。つまり、「これこれこういう世界がリアルな世界である」と言ったそばから、そうして言語を使って表出されたものは、やはり観念であり、そして「バーチャル」なものなんでしょ、と言われてしまうからである。

 今日の締め括りとしては、次のように書いておく。どうもわれわれは、暫定的な認識と伝達の方法であった「言語的観念」に、過度に依存し過ぎて、そして「情報化社会」といった過度に一面的な社会に到達してしまったのかもしれない。この社会では、必然的に更なるイノベーションが求められているが、そのためにも「暗黙知」という観点が重要だと思われる。
 また、それ以前に、この社会には何かと問題が多く、その原因は少なからず「言語的観念」(コンピュータリゼーションとはまさにこの延長の出来事であろう!)の<偏重!>だと見当をつけることも可能だ。これに、反省的視点をもたらすためにも、「暗黙知」のアプローチが必要であるように思える…… (2005.10.10)


 ビジネスに身を置いていなくともそうであろうが、時代環境がとっくに変化してしまっていることを認識はしている。しかし、それらに立ち向かうに足る「自身の変化」をどれだけ成し遂げているかは、大いに疑問だと思われる。
 自身の場合を振り返れば、何だかんだと「逃げ口上」を口にしながら、「前向きに」変化を受け容れ、自分側の変化を引き起こし、巻き起こすことには躊躇しているというのが実情なのかもしれない。

 以前から、「カラ元気」を無責任にウリモノとする本は出回っていた。実際、元気になれるのは、読者というよりも、不相応に得るその印税によって著者だけが元気になるような、そんなイカサマ本のことである。
 先頃も、末期ガンに効くというクスリ(「アガリクス」)を売るために、架空の体験談をでっち上げた本が、関係当局から槍玉に上がった。これなどは「薬事法」というものがあり、これに違反しているという客観的基準があるから摘発がなされたものの、世の中には法的なものも無いがゆえに、イカサマ本が放置されている例は枚挙にいとまがないはずである。

 そんな類の「匂い」もしないではなかったが、「大前研一氏絶賛!」という触込みもあったため読み始めた本があった。ヨーナス・リッデルストラレほか著『成功ルールが変わる! 「カラオケ資本主義」を超えて』というビジネス関係本である。サブタイトルにもあるとおり、現在の「資本主義」経済を「模倣」が原理の「カラオケボックス」だと喝破している。つまり、「カラオケボックスとは、そもそも誰かになるための場、つまり、模倣するための場である。これが問題なのだ。」として、ここからの離脱にしか時代の中での成功はない、と述べる。これ以外にも、ITほかの技術革新時代における能力をめぐる興味深い叙述がいたるところに散りばめられている。
 詳細はおくとして、末尾に結語的な意味合いで<幸運な人の七つの習慣>というようなメッセージが書かれてあった。
 ちなみに、要点を抜粋すると以下のようになる。

<1.幸運な人は、人生に対してポジティブな展望、「なせばなる」という態度をもっている。大望や野心がなければ、成功を経験することは決してない。
2.幸運な人は、幸運に出会える場所に身をおいている。創造性のある集団に近づくことを恐れない。
3.幸運な人は、言葉とは異なるやり方で現実を認識している。彼らは開かれた心を持つが、常に自分自身との接触を心がけている。
4.幸運な人はまた、前もって行動する。成功している企業と同様、彼らは変化しなければならない前に変化する。
5.幸運な人は、練習し、練習し、練習する。行動を変えるには、成功と幸運を掴めるように脳の配線を変える必要がある。
6.成功するには、他人を見ることを止めなければならない。我々は自分自身と競争しているのだ。模倣は我々をどこへも連れていってくれない。
7.成功は、カラオケ資本主義の模倣者から抜け出せるかどうかにかかっている。>
(ヨーナス・リッデルストラレ『成功ルールが変わる! 「カラオケ資本主義」を超えて』PHP研究所)

 取り立てて驚くほどの新奇性があるわけではないものの、自身の日頃の課題と関係づけてみると、やや手ごたえのあるメッセージだと思えてきた。
 <1>、<5>についても、決して「精神主義」という古色を感じることはなく、事実的だと思えた。
 <2>については、まさしく真理であり、巷の「カラオケ資本主義」企業群の中で、どのようにしてこうした機会を作り出していくかが重要な課題だと考える。
 <3>の「言葉とは異なるやり方で現実を認識している」については、言われなくとも重々感じ取っている課題であり、まさに「暗黙知」アプローチの課題であろう。
 <4>の「前もって行動する」「変化しなければならない前に変化する」については、頭での認識が行動に結びついていない点、行動力の欠如に痛いほど眼が向く。
 <6>、<7>こそは、筆者にとっての眼目であろう。とかく、経済環境が厳しくなると、「模倣」してでも、もっとひどい場合は「パクって」でも当面の危機を乗り越え、サバイバルしようとするのが「カラオケ資本主義」のシリアスな現実であることが思い返される。この針の上の筵に座るがごとき悲痛さを超克するためにこそ、他の接近し易い課題があるのだと感じた…… (2005.10.11)


 自分は天の邪鬼ということもあってか、他人の「模倣」をあまり好まない。といっても、「模倣」を悪いことだと決めつけるつもりがあるわけでもない。元来、何かを学ぶということは「まねる」ことでもあり、「まねる」ことを拒否するならば学ぶことが不可能ともなりかねないからだ。しかし、「まねて」学んだものをいつまでもそのままにしておくことは、居心地が悪いと思うのも事実だ。
 「模倣」について書こうとしているのは、昨日、
<成功するには、他人を見ることを止めなければならない。我々は自分自身と競争しているのだ。模倣は我々をどこへも連れていってくれない。>
という「ビジネス課題」について書いたことが頭に残っているからだ。
<成功は、カラオケ資本主義の模倣者から抜け出せるかどうかにかかっている。>
という指摘はこの上なく厳しいが、これほど的を見抜いているものはないと思う。それは、「オンリーワン」を目指すということであり、また「創造性」を発揮するということでもあるだろう。
 こうしたことは盛んに言われてきながらも、結局は、他者の成功を「模倣」することに明け暮れ、こぞって「カラオケ資本主義」を祭り上げてきたのが大方の現実であろう。

 では、カラオケ資本主義の模倣者から抜け出せば、必ず成功するかといえば、必ずしもそうとも言えない現実があるのも事実であるかもしれない。
 しばしば言われることに、売れるものを世に出すためには、「半歩先を見る」ことだなどというものがある。なぜ「半歩先」なのかというと、「1歩、2歩先」であると、消費者がついて来ないというのである。消費者の視野の外になり過ぎてはまずく、かろうじて目に入るギリギリの、その先でなければならないということなのであろう。
 要するに、ビジネスとは消費者あってのものだねであり、どんなに素晴らしいものであっても消費者が目を向けなければ意味がないということになる。こんな例は、過去にも耳にした覚えがある。あるサーボモーターか何かで素晴らしい性能のものが発表されたが、今でこそ商品製造に貴重な存在であるが、当時はそれを活かす当てがなくみすみす埋もれてしまったというのであった。
 この辺がビジネス特有の難しさであり、製品の独自性とともに、その市場的なニーズがしっかりと掌握されなければならないということであろう。

 何か言い訳めいた響きがないわけでもない。ただ、相手(消費者)があってこそのビジネスだというのも事実だし、市場主義がことさら強調される現在にあっては、無視すべからざるポイントであることも事実だろう。「マーケティング」にことさら意を払う理由がここにあるのだろう。
 「カラオケ資本主義」経済社会にあっては、この点が何よりも重い呪縛となり、結局リスクテイキングを避けた無難な方法として「模倣」へと雪崩れ込んでしまうのかもしれない。
 ところで、この惰性的な趨勢の背後には、事業家たちの「小心さ」があるだけではなく、消費者たちの動向や姿勢の問題も小さくないと思われる。安さと無難さだけが取得だといった商品を追い求める消費者しかいないところだとしたならば、事業家たちは、そうした製品の提供だけを「小心に」追うことになるのではなかろうか。
 製品という範疇を広げて、マス・メディアが提供するカルチャーなどを例にしてみると、受け手側の水準の問題も決してバカにできないように思える。ジャーナリズムとは「大衆が求めるものを与えることだ」というシニカルな表現もあるようだが、まさに、受け手側の動向が小さくない意義を持つ例だと言えそうだ。
 しかし、だからと言って、事業家たちの「小心さ」が免罪されるわけではないのが現実であろう。神様とも駄々っ児(だだっこ)とも言われる消費者や受け手を上手に説得して、リードしていくこと、それこそが「模倣」を拒否して、「創造」することのリアルな内実なのであろう…… (2005.10.12)


 最近、株取引の盛況ぶりが話題を賑わしている。
「個人投資家が大きくマーケットを引っ張っている状況です。口座開設状況の動向をみても、初めてという人が多い。過去は富裕層が中心でしたが、最近は若い人など、多彩になっていますね」
とは、『週間朝日 10/14号』の巻頭記事「『村上ファンド』銘柄で儲ける方法」、「今日から始めるネット株取引 この証券会社を選べ」の中の一節である。
 以前にも書いた。つまり、この「構造改革」路線経済で、政府が、株価の上昇を景気対策の重要な柱にしようとしていること、そのために株取引の優遇措置対策なども積極的に施そうとしていること、そうして「一億総トレーダー」状況ができれば、かつての米国の高景気の再現がねらえると考えているかのようである、と。
 それらが奏効しているのかどうかは別にして、いわゆる「個人投資家」が膨らんできている状況はそれとなくわかる。かつての「店舗型証券会社」に較べて、「ネット株」での取引は、取引手数料が安いだけではなく、現在のインターネット環境に立脚したさまざまな意味での簡便さが追い風状況を作っているようである。
 そして、庶民、特に若い世代のネット株取引への参加者たちの心境もわからないわけではない。一気に変わってしまったような現在の経済状況、すなわち、「ホリエモン」から「村上ファンド」にいたる、「マネーゲーム」でのし上がった連中が、現場に張りついて働いている者たちをコケにするかのようなことまでもできてしまう時代が、現代の経済社会だと見せつけられるならば、その時流にタッチしないでいることの方が間違いではないかと受けとめたとしても特に不思議ではないのかもしれない。
 そして、またまた、この動きを助長するかのように、マス・メディアや出版は、「ネット株」の手軽さと「成功例」を吹聴しているようでもある。先週の週刊誌では、前述のほかにもニ、三の週間誌が「ネット株」勧誘めいた記事で巻頭を飾っていたようだ。

 考えてみると、インターネット世代である若い世代には、「ネット株」という対象は実に自然なものなのかもしれない。片や、ネットもわからず、株取引とてバブル崩壊時の後遺症を引きずっていがちな中高年層は、「ネット株」とて疎遠なニュアンスで受けとめているのかもしれない。しかも、迫り来る老後のことを考えれば、投資よりも貯蓄だと信じることが先立つ気配も想像できる。
 だから、「ネット株」の主人公たちというのは、概して若い世代だと見てもいいのかもしれない。インターネット・リテラシー、ゲーム志向、「濡れ手で粟」志向、個人志向、カネ志向、一攫千金志向という点などにおいて、若い世代の一般的傾向と「ネット株」の性格との親和性はかなりありそうに見えたりする。あの「ホリエモン」への共感度が高いのは何よりもその事実を表現していると言えよう。

 で、考えることというのは、よくはわからないが「株取引」というのは、自身の「読み」がどうこうという以上に、大勢がどう動きそうかを素早く掴むことがエッセンシャルなアクションではないかと思うのである。言うなれば、それが「読み」ということになるのであろうか。
 確かに、産業動向のトレンドを掌握したり、四季報を片手に企業業績の実体を調べたりしながら、取引に関する自身の哲学を構築することも重要な基礎ではあろうかと思うが、そうした能書派が実際に儲けているのかどうかははなはだ疑問なのかもしれない。
 まして、「ネット株」で、短期に「利ざや」を稼ごうとして一日に何回も売買を繰り返す「デイトレーダー」と呼ばれる投資家たちは、まさにスピィーディなゲーム感覚で事を処しているとか聞く。判断というかアクションというか、そうしたものが準拠する事実というのは、哲学などという大それたものなんかではなく、偏(ひとえ)に、「同じ穴のむじな」たる他のトレーダーたちの動きの大勢を掴むことであるに違いないはずだと思えるわけだ。そして、この点は、結構今の若い世代は長けているように見える。
 決して、自分がどうこうということではないどころか、そうした観点は極力抑制した方が、サラッとした予想が効を奏するものなのかもしれない。
 こうした自身がどうこうではなく、周囲がどう判断するかを予想するという特性は、良い悪いをとりあえず別にして、いかにも現代的であるように思える。まさに、それが「劇場社会・時代」の現代日本なのだろうという気がしてならない。
 これは、言うまでもなく政治状況を見る際にも有効な視点でありそうだ。自分がこの国や社会をどうしたいというよりも、どうなって行くという観点に立とうとするわけである。もちろん、「主体性」などという言葉は死語であり、他者任せが暗黙の前提となっていそうだ。また、他者の「主体性」や「主体的」な意向についても、それ自体を内部吟味して反応するというよりも、専らそれらをその周囲の人々がどう受けとめるのかの予想でリアクションを起こしていくと言ってもよさそうである。まあ、簡単に言えばパーフェクトな「日和見」であり、「風見鶏」だということになるのであろうか。
 こういう観点で見るならば、今回の解散、総選挙とは、「仕手株屋」のコイズミ氏によって、大きな「仕手株」が仕掛けられ、株価はうなぎ上りとなり、まんまと「売り抜け」されてしまった図だと言えるわけだ。「仕手株屋」のコイズミ氏は、対象企業の業績なんぞに不信を抱く投資家よりも、「利食い」の便乗投資家の多いことを先刻承知だったはずである。

 それにしても、時代風潮とオーバーラップした「ネット株」というもの、意外と目が離せない存在なのかもしれない…… (2005.10.13)


 先の休日に、思いがけない人から電話をもらった。名古屋での大学院当時の先輩からで、用件とは、インターネットに関する技術的なことで疑問が生じたので教えてもらいたいということであった。これまでにも何度か同じように質問されたことがあったので、何ということもなく回答した。彼は、現在大学で、停年退職を目前にしながら教鞭をとり、研究生活を続けているが、大学の環境はいろいろな意味で大変だとのことで、愚痴めいた話も聞かされた。
 こちらとて大変さには変わりはないと話し、電話で話していてお互いにやはり並大抵ではない時代となったものだと了解し合ったものだった。

 振り返ってみると、自分は、彼と同様に、大学で教鞭をとりながらの研究生活への入り口まで歩を進め、突然の父の訃報をきっかけとして急遽実業界へと転身したわけだ。所詮、人生というものは「成り行き」であると感じている。いや別に投げ遣りになって言っているのではなく、文字通りそう思っているのだ。つまり、事情があって選んだ道のつながりが人生というものなのであろう。だから、遭遇した事情は、躊躇せずに掴み切ってしまってそれでいいのだと思っている。
 むしろ、どんな進路であっても、遭遇した環境を熟知して、前向きで事に当たることこそが自分の道を開く王道なのだろうと考えている。

 自分の選んだ道の大きな特徴はと言えば、コンピュータ関係だという表現もできなくはない。確かに、同世代の年配者たちと較べれば、PCやIT領域に関しては明るい方だろうし、実践的にもまずまず活用しているだろう。批判的な意識も片方にはあるのだが、もはやこうしたPC環境なくして自分の仕事や生活が成り立たないと思えるほどに密着してしまった。よく、働き盛りの頃に海外で仕事や生活をした場合、その経験が何かと自身のキャリアに付加価値めいたものをつけるようだが、自分の場合には、狭い範囲ではあるがコンピュータ環境とその経験というものがそれに当たるのかもしれない。
 しかし、それもさることながら別の特徴らしき点を自覚せざるを得ない。結局は、良い意味でも悪い意味でも巨大な組織の「部分品」となることを避け、独立独歩でやり続けてきたという選択の持つ意味が決して小さくはないと、昨今痛感しているのだ。

 もうすぐ、団塊世代の停年退職の時期がくるようだが、自分にはそんなものもやってこないし、もちろん退職金だってやってこない。逆に退職後のいろいろな不安といったものもやってこない。もっとも、もう十分に不安というものも先取りしてきたということになろう。どんな人にとっても、昨今ではいわゆる「後ろ盾」というような「守護神」めいたものはいなくなったようだが、自分なんぞは、自慢することでもないが端からそんなものとは無縁でやってきた。「独立心」が旺盛だったからという言い方もできようが、実情は「旺盛であらねば」やってゆけない、ということになる。
 こんな状況下で、頼りにしなければならないのは、自身であり、自身の「身体、気力、脳」でしかない。凡庸な「脳」力だとしか言えないため、「身体、気力」の持つ意味の大きさを重々認識しているつもりではある。

 これといった「後ろ盾」なく自立的に踏ん張るためにいまひとつ配慮することは、状況を目敏く観察し、「強い味方にできるモノ」を見逃さないということではないかと考えている。その最たるモノは、技術や知識・情報に違いないだろう。これらは、特別な条件がなくとも、ただ、こちらがその気になりさえすればいくらでも手にすることが可能な時代なのである。この点こそは現代に生きる者の幸運であるに違いない。
 ところで、技術や知識・情報というものは、妙な表現をすれば「leverage(てこの作用)」を持つものだと思っている。「道具」と言ってもいいのだが、小さな力を大きく増幅するのは、「てこの作用」というイメージが強い。
 経済用語でも「レバレッジ」というものがあり、
<企業が外部から資金を借り入れる場合、借入金を運用して利益をあげて、利息を支払った後、手元に残れば儲けになるわけで、利益率を高める効果をもたらす。この利益率が借入金の利子率よりも高ければ、資本増殖のために借入金を"てこ"として利用していたことを意味する。このような効果をレバレッジまたはレバレッジ効果と呼んでいる>
とある。

 現代という時代は、あちこちに「てこ」となり得る素材が転がっている環境なのかもしれない。あと必要なのは、そうした素材を上手に活用する目のつけ方と構想だということになりそうである。これが結構難しいといえば難しいわけではあるが…… (2005.10.14)


 「TBS」に対する「楽天」による株取得(=M&A)が話題となっている。シビァな見方によれば、「TBS」は、一時期「フジテレビ」が「ホリエモン」によって「すでに(将棋は)詰んでいる」と言われたと同様のステイタスに追い込まれてしまっているらしい。
 「ホリエモン」騒動の後、国内各企業はいわゆる「敵対的買収」に備えた経営見直しを図ったと言われたものであった。それなのに、また今、「TBS」だ、「阪神電鉄」だと取り沙汰されている。詳しいいきさつは知らない。そして、どちらかと言えば、相変わらず好感の持てる話題だとは思っていない。つまり、マネーの「てこの作用(leverage)」を駆使して意を通そうとするアプローチにやはり好感を持つことができないということだ。
 が、もう一方で、まるでかつてと同じことを仕掛けられてしまった当該企業についても、一体何なんだという疑問が禁じえない。おそらく、これが現状の旧い経営陣の実態なのだろうと考えざるを得ない。たぶん、旧い経営者たちには、「現在到来している現実」というものが、きちんと掌握されていないのだと思う。どうしても「過去」の記憶、イメージにどっぷりと浸かってしまっているのかもしれない。軽重にかかわらず、物事の判断をしようとする際に、判断基準として「過去」の経験、記憶を知らず知らずまさぐってしまうのではなかろうか。

 ことは、M&Aに限ったことではなく、物事がうまくいくかいかないかといった一般的なレベルにおいても、当事者の意識の「タイムラグ」が原因となっている事態が結構ありそうだと思えるのである。
 いや、決してひと(他人)事あつかいで考えているわけではない。自身に照らしてもほぼ同様のことが言えるに違いないと思われる。ただ、自分はこのことを可能な限り注目するようにしている。自分と、時代環境との間にかなりの開きがあることも重々認識しているし、自分の思い描く世界像というものが、どれだけのリアリティを持っているか持っていないかという点についても随時吟味しているつもりである。

 さして根拠のあることでもないが、こんなことを考える。結論から言うならば、「ひとりよがり」がもたらす悲劇、とでも言えることなのかもしれない。
 かつては、良い判断や決断を導き出す鉄則は当事者自身が「じっくり考える」ことであった、と先ずは言えよう。「じっくり考える」ことは、内容はさておいても、考えずしてエイッヤッと選択をするよりも、ベターな判断に近づける有力な方法であったはずである。
 いや、「考える」こと自体は、現在でも有力な方法であることには変わりはない。ただひとつ留意すべきかと思われることは、人はものを考える時、どうしても自身の経験や、過去の記憶に大きな比重を置きがちとなるという点なのである。しかも、いわゆる「成功体験」というような、「これこれこうしたことで、うまくいった」という経験則に大きく左右されるのが現実だと思われる。

 時代環境が概ね変化に乏しい時代は、これで十分に「正しい判断、決断」に近づけたのだと思われる。だが、いつしか、人々の意識状況を取り残して、時代環境の方だけがグングンと変化していったのが現代という時代なのであろう。
 ところで、森の「小さな」動物たちは、火災や天災の事前シグナルに敏感に反応して逃走なり避難なりの行動をとるらしい。それは、特別の防御方法とて持たない小動物にとっては、自身の身を守るためには「先んじて環境変化を知る」こと以外に何もないからだと推測できる。
 しかし、人間、それも社会的に優位な立場にある人間となると、多少の環境変化なぞは痛くも痒くもないに違いない。環境の変化をおろそかにしても差し支えない「耐震耐火」的立場に守られているからだと皮肉めいて言うこともできよう。
 さらに、こうした人たちは、変化自体のないことが自身の立場を盤石にするというロジックも心密かに心得ているわけだ。
 つまり、企業、その他の組織の上層にポジショニングする人たちというものは、「在野」の人たちからは比べものにならないほど「時代感覚」に乏しいと、そう言いたいわけなのである。つけ加えておけば、こうした傾向はなにも「お偉いさん」ばかりでもなさそうで、「出会い系サイト」で騙される若い女性たちや、さまざまな「詐欺」の被害者となる人々も多少どこかに共通項があると言わなければならないかもしれない。

 現在のように、ガラガラと音を立ててすべての環境が変化していく時代にあっては、考えるという最も重要な行為においてさえも、過去に依拠した「ひとりよがり」というスタイルであっては逆効果だと、そう思うわけである。「じっくり考える」だけでなく、環境変化を「じっくり観察する」という前提行動が必要かと思うわけだ…… (2005.10.15)


 昨日は久々にデジカメ携帯でウォーキングをした。理由は、新しく入手したカメラを試してみることにあったが、体調もあまり芳しくなかったこともある。相変わらず「五十肩」の痛みが残っていることと、どうもここしばらく左下腹部に違和感がありちょっと懸念していたこともある。
 ウォーキング・コースの特徴的な光景を記録してみようと思った。いざ始めてみると、何が特徴的な光景なのかに迷い、かなり「歯抜け」的に撮ることになったようだ。
 今、PCのデスクトップ上にフォトアルバムのソフトを開き、撮った順番に見ながらコメントでも書こうかと思っている。

 先ずは、自宅前の通りである。
 回収ゴミを出す共同置場が映っている。「資源ゴミ」は相変わらずこの共同置場に出すことになっているらしい。昨日の土曜日は段ボールなどの「資源ゴミ」を出す日のようで、それらが十字のビニール紐をかけられ礼儀正しく並べられている。昨今、ゴミには関心を向けられているため自然に目に入った次第である。
 広い道路に出ると、そこは銀杏並木の歩道が続いている。何気なく撮った写真には、一台のクルマが、ありありとナンバープレイトの数字とともに映っている。何か犯罪があったなら(?)有力な証拠写真となる……。
 最近は、この近辺でも「古木・大木」が次々に処分されているため、未だ健在なそれらは希少価値がある。横丁の路地の奥の古木が縦長のアングルで映っている。

 町田市内は起伏に富んだ地域であり、やたらに坂道がある。自分が、自転車通勤をしようとして何回か挫折したのは、その坂道のせいでもあるのだ。次の写真は、その起伏をコンクリートの「階段」で対処するというめずらしい箇所の入口付近の光景である。遠くによく見かける「シー・ズー」という種類の犬が小さく映っている。脇に植木を手入れする人影があるので、ご主人に付き添っているのだろう。
 近づくと、見覚え(嗅ぎ覚え)のある人だな、と自分を見上げていた。そこで、上からそいつを撮ってやった。ただでさえ短足なのに、上から撮ったものだから、TVコマーシャルの「まじりっ気のないものしか信じない!」という犬の像のようだ。そいつはどうもかなりの歳のようで、先日もご主人がゴミを出しに行くのを傍らについて行き、その歩き振りののろさが目立っていたものだ。画面一杯に映ったその顔は、神経質そうな顔つきである。毛むくじゃらの頭部はどうも散髪でもしてもらっている形跡がある。どこかの草むらにでも潜り込んだようで、額の辺りに小さな草の実をいくつかくっつけている。
 階段を降りると左手には、青空駐車場がある。その駐車場の奥の片隅には、野草が生えていて、毎年ススキが目を惹く。今年も、その一角の光景が何となく目を惹き、そしてデジカメを向けることになった。ススキは天に聳えるふうに映り、それに追いつこうとするかのように、真黄色の花の房をつけた「背高粟立ち草」が控え、さらに所々に慎ましやかに、白とピンク色の野菊が顔をのぞかせている。平凡な野草の光景であるが、心和む。
 しばらく進み、振り返ると、さきほどの階段を犬のご主人が植木手入れの道具を手にして降りてくるところであった。その場面も撮ったところ、その犬が階段を降りることができずに、一番上でご主人の方を見下ろしている姿が映っている。短足の体型ということもあるのだろうが、やっぱり歳なのであろう。

 その道を、集合住宅にぶつかり、右手に折れて行くのがコースである。ここでは、右手側の高台に、自分がいつも目をやるお気に入りスポットがある。
 ニ、三十メートルの高さがあろうかと思われる古木複数本に囲まれた農家の光景である。それらの手前には、桑畑と今は何も植えられていない広い畑が広がっている。季節を問わずいつ見ても、「なるほど感」を誘う風景なのである。古木の一部の葉が色づき始めていた。ここで、数枚の写真を撮ったが、やはり思い入れをしている証拠であろう。
 境川に着くと、相変わらず橋の近辺では護岸および水害対策用の工事が続いていた。工事現場の写真を橋の上から一枚撮る。川の中央が、帯状に暫定的に土砂が盛られ、工事車両が往来できる道が作られている。土砂の上に厚い鉄板が引かれて車両の通路とされている。しかし、この工事が始まってもう半年にはなるのではなかろうか。ずいぶんと長い工期の工事である。

 このほかに特記すべき写真といえば、遊歩道の近くの道路に「石焼きいも」の小型トラックが停車していたものがある。よく見かけて特に珍しいものでもないが、写真に撮った覚えがないためカメラに収めた。後方から望遠で撮ったが、トラックの荷台には左半分には窯があり、半分ほど開けられた窯の中の火が映っている。荷台の残り半分には、薪となる建築廃材がビッシリと積んである。窯からは上部に煙突が突き出し、白煙が立ち上っている。
 年配の「店主」=「運転手」は、運転席で本でも読んでいる様子だ。勝手に想像してみると、何となく根っからの商売人という様子ではない彼は、元は会社でも経営していたような、あるいは文筆業でもしていたような、奇妙な雰囲気を漂わせている。
 しかし、それにしても、後ろから見るその小型トラックの構造は、いかにも危なっかしさを感じさせずにはおかない。窯の熱がガソリンに引火して……、というような不測の事態は起きないとは限らないのではと……。

 あとは、秋特有の光景の写真が続いている。遊歩道の脇に植樹された山茶花が、多くのつぼみをつけ、早いものは花を咲かせている。あちこちの家の庭先にさまざまな種類の菊が綺麗に咲いている。歩いているすぐ脇をトンボが飛び、そして垣根代りのロープに留まったところを望遠にて撮った。写真を見ると、トンボは、羽を随分と前方に伏せる格好で留まるものだと知った。
 そして、帰路の最後は、近所の観音堂であり、久々にその境内にカメラを向けた。最近は、以前のように自由に境内には入れなくなっている。入口に鍵つきの門扉が取り付けられたからであり、不審者の出入りを禁じたいという町内管理側の意向なのであろう。迷える者を救うはずの宗教施設は、不審者からわが身を救うことに気を遣いはじめたということか……。
 どうしても、一定の速度をキープしようとするウォーキングの最中は、わき目を振らないことが多く、風景をジックリと観察することが損なわれがちである。今日のように、デジカメ・スナップ写真でコース周辺を振り返ってみるのもたまにはおもしろいものだ…… (2005.10.16)


 PCを頻繁に使って仕事をしていると、同じ手順の作業を毎日繰り返して行わなければならないことが気になる場合がある。まあ、慣れてしまうのでことさら煩わしいとも感じないのだが、ふと、ワンクリックで自動化できないものかと思ったりもする。
 これまでにも「Windows Script Host(WSH)」を使って、頻繁に行うファイルのバックアップ・コピーなどのファイル管理を自動処理させたり、アプリケーションのちょっとした動作をワンクリックで自動的に進行するようにしたりしてきた。もっとも、手数が大いに省けて助かるというよりも、ちょっとした快感という意味合いでしかないのが実情ではあった。

 先日、ある本を読んでいて、Windows 上の作業のシーケンシャルを自動化して手間を省いているという紹介記事を読み、ちょっと興味を抱いたものが目についた。
 それは、Windows 上で、インターネットを使ったりして一連の入力作業をする際、まるで「ティーチング・ロボット」に教え込むように、マウスやキーボードの一連の動作を記憶させれば、その後、そっくりそのまま再現させることができるというソフトなのである。
 そのソフトのダウンロード先が示してあったので、さっそく入手して試してみたところ、多少の調整が必要ではあったものの、実に驚きの実感を味わうことができたのだった。 たとえば、自分は、サイトを運営しているので、通信ソフトを使って毎日サーバーにファイルをアップロードしたり、ダウンロードしたりしなければならない。つまり、通信ソフトを立ち上げ、ログインするためのパスワードを入力し、ログインし終わったら、ディレクトリーの移動のための操作をして、ファイルを選択してダウンロードしたり、逆にファイルをアップロードしたりという手作業をするのである。
 決して大変な作業ではないにしても、軽度の煩わしさを感じることがないではない。
 ところが、このソフトを使うと、こうした一連の手作業が、ワンクリックでほぼ自動化されて実行されてしまうのである。いわゆる「マクロ」の機能に匹敵すると言える。

 このお膳立てとて至極簡単なものである。その当該ソフトをインストールして、そのソフトのアイコンをデスクトップ上に置いて置く。そして、そのアイコンの中の「記録開始」に相当する部分をクリックして、自分が行いたい作業を始める。たとえば、「Internet Explorer」のアイコンなり、あるサイトのアイコンなりをクリックして、それが開いたら、サイトの中のパスワード入力欄に所定のパスワードを入力したりする。で、さらに開いたページのある箇所のアイコンをクリックして別なページへと移動する。でまた、そこで何か入力することがあったりすればマウス、キーボードによって入力する。
 これら必要な操作が終えたところで、前述の「記録開始」のアイコンが反転して「ストップ」となっているアイコンをクリックするわけだ。そして、この記憶された内容を、名前をつけて保存しておく。で、このファイルをデスクトップなりにアイコンとして表示させておくことになる。
 こうしておいて、デスクトップ上のアイコンをいざクリックしてみると、マウスのポインターが自動的に動き、「Internet Explorer」のアイコンを勝手にクリックして、サイトが開いたら、パスワード入力欄にマウスのポインターが移動し、キーボード入力が再現され、……という動作が自動進行していくのである。
 確かに、サイトの開かれ方はインターネットの接続状況に依存しているため、記憶された時間経過とズレてタイムアウトとなってしまうこともないではない。その際は再度やり直せば済むことだ。

 わたしが、このソフトは使えるな、と感じたのは、自身の作業の省力化というよりも、ビギナーの支援ツールで有力だと思えたからである。各種のアプリケーションソフトは一頃に較べるとユーザーに対して親切に作られるようにはなっている。しかし、それでもなお、その操作に煩雑さを感じてPCを使うことから遠ざかる初心者は決して少なくないのが現状のようである。そうしたビギナーに、こうしたソフトでお定まりの手順作業の仕掛けを添えてあげればPC離れを防ぐことになろうかと思えたのだった…… (2005.10.17)


 今日書こうとしたことは、めずらしくも複数ある。ひとつは、「アナロジー」というものについてであり、もうひとつは「文化多様性条約」という聞き慣れない条約が、米国とイスラエルだけが反対する中で締結(10.17)されたということ、これらはいずれも「暗黙知」・「潜在意識」に関心を寄せる自分にとって興味深いテーマであるからだ。
 が、突然、別のことが書きたくなってしまったのだ。サイトの<松岡正剛の千夜千冊 北原白秋『北原白秋集』>をそれとなく読んでいたら、最近、ちょっと関心を寄せている北原白秋のことを書こうかと……。(冒頭の二点は、順送りとする)

 今日も鬱陶しい秋雨の日となっている。
 白秋は「雨」をテーマにしたものをいくつも書いている。もちろん有名なものは、次の二つだろう。

<雨        北原白秋
  雨がふります、雨がふる。
  遊びに行きたし、傘はなし。
  紅緒のお下駄も緒が切れた。
 
  雨がふります、雨がふる。
  いやでもお家で遊びませう。
  千代紙折りませう、疊みませう。
 
  雨がふります、雨がふる。
  けんけん小雉子が今啼いた。
  小雉子も寒かろ、寂しかろ。
 
  雨がふります、雨がふる。
  お人形寢かせどまだ止まぬ。
  お線香花火もみな焚いた。
 
  雨がふります、雨がふる。
  晝もふるふる、夜もふる。
  雨がふります、雨がふる。>

 これは、何気なく口ずさむ分にはどうということもないが、マジにその中身に意識を向けるならば、かなり陰鬱であり、場合によっては過度に寂しいものであろう。先の松岡正剛氏は、これを<空漠たる不条理>と言ったり、白秋は、<子供に対しても、決して哀傷を辞さない詩人なのである。>と述べている。

 もうひとつの「雨」は、言うまでもなく、以下の通りだ。

<城ヶ島の雨          北原白秋
  雨はふるふる、城ヶ島の磯に、
   利休鼠の雨がふる。
  雨は真珠か、夜明の霧か、
   それともわたしの忍び泣き。
  舟はゆくゆく通り矢のはなを、
   濡れて帆あげた主の舟。
  ええ、舟は櫓でやる、櫓は唄でやる、
   唄は船頭さんの心意気。
  雨はふるふる、日はうす曇る。
  舟はゆくゆく、帆はかすむ。>

 これも、かなりの「わびしさ」を湛えた詩である。が、子どもの頃から何度も城ヶ島には行ってもいるし、そのうちまさしく雨となったケースもしばしばあったが、実際、城ヶ島の磯に降る雨が誘うわびしさはこの詩に凝縮されているような気もする。
 もっとも、この詩を一気に作った時の白秋は、ある事件によって失意の底にあったとも言うから、その内面が投影された「わびしさ」なのであろう。

 ところで、最近自分は、入浴する際に、防滴仕様のCDラジカセを浴室に持ち込み、近代詩の「朗読」CDを聴いたりしている。しかも、浴室の照明を落し、これまた防滴仕様の小さなランプをつけ雰囲気に浸りきろうという寸法なのである。家内は、そんな自分を笑い飛ばしてくれる。
 「啄木」、「朔太郎」も悪くはないが、しばしば聴くのが、この「白秋」であり、「光太郎」であったりする。とりわけ、白秋には惹かれる。

<ここ過ぎて曲節(メロデア)の悩みのむれに、
ここ過ぎて官能の愉楽のそのに、
ここ過ぎて神経のにがき魔睡に。>

と、「邪宗門扉銘」が浴室内に響くと、ゾクゾクとして湯船に飛び込むわけである。

 生意気なことを言えば、近代詩の全体は、やはり現代人の感覚からすればどうしても「暗過ぎる」という印象が否めない。いや、それはそれでいいし、むしろ現代人の「明るさ」とは「トイレの100ワット」と同様に根拠なく、意味なく、中身のない明るさでしかないと感じざるを得ないのだから。そして、言葉というものが風化してしまった現代にあって、近代詩を味わえ、とは無理な話なのかもしれないとも思っている。
 ただ、白秋の詩からは、ドキッとさせられ、感性を揺るがされるシャープな切り口のあることを痛感させられる。
 たとえば、前述の「朗読」CD中にも収められている「青いとんぼ」という詩がある。
<青いとんぼ
青いとんぼの眼を見れば
緑の、銀の、エメロウド、
青いとんぼの薄き翅(はね)
燈心草(とうしんさう)の穗に光る。

青いとんぼの飛びゆくは
魔法つかひの手練(てだれ)かな。
青いとんぼを捕ふれば
女役者の肌ざはり。

青いとんぼの奇麗さは
手に觸(さは)るすら恐ろしく、
青いとんぼの落(おち)つきは
眼にねたきまで憎々し。

青いとんぼをきりきりと
夏の雪駄で蹈みつぶす。>

 このラスト二行のクライマックスに向けて突き上がってくるイメージのシャープさは、湯船の中でさえ鳥肌が立つ思いである。
 この点を、先のサイトの松岡氏は次のように触れていた。(実は、この点が、今日、白秋について書いてみようと思わせた動機だったのである)

<もっと驚いたのが「青いとんぼ」である。「青いとんぼの眼を見れば 緑の、銀の、エメロウド、青いとんぼの薄い翅、燈心草の穂に光る」の出だしはともかく、「青いとんぼの奇麗さは 手に触るすら恐ろしく、青いとんぼの落つきは 眼にねたきまで憎々し」とあって、こういうふうに蜻蛉にでも赤裸々な感情移入ができるものかと思った瞬間、次の2行の結末に、わが17歳の精神幾何学の全身にビリビリッと電気が走っていた。 こういう結末の2行だ、「青いとんぼをきりきりと夏の雪駄(せった)で踏みつぶす」。嗚呼!
 それからは、白秋を読み耽ったというより、その精神の電撃を眼で拾うために、白秋の詩集や歌集のページの中をうろつきまわったというに近い。 これはいま憶えば、白秋が「幼年期の記憶の再生」をもって、新たな感覚のフラジリティの表現を獲得したことを追走したかったのだろうとおもう。この、「幼年に戻る」ということ、「幼な心にこそ言葉の発見がある」ということが、ぼくが白秋から最初に学んだことだったのである。>(同サイト)

 ここの「幼年期の記憶の再生」、「新たな感覚のフラジリティの表現を獲得」「幼な心にこそ言葉の発見がある」という視点に、強烈な共感を覚えるのである。ちなみに、中 勘助の『銀の匙』に強い関心を持つのも、幼少期の感性のみずみずしさがあまりにも鮮やかに描かれ、自身の朽ち果てつつある感性に多少なりとも潤いを取り戻させてくれるような気がするからなのだ………… (2005.10.18)


 情報や経済の「グローバル化」に伴い、各国「固有の」文化、「多様な」文化がいろいろな意味で危機に瀕することが当然予想される。いや、予想しなければいけない。
 「グローバル化」=「標準化」(?)は結構なことじゃないの、と呑気なことを言う人は、ひょっとしたら、世界の動植物の「絶滅種」についての深刻な話題を耳にしても、「環境に合わないのだから、しょうがないんじゃないの」と言う人かもしれない。自分自身が、「絶滅種」側に追い込まれた際にも、同様に「しょうがないんじゃないの」と言ってあきらめられるのであれば、あるいはそうした覚悟までできているのであれば、それこそそれはそれでしょうがないのかもしれない。
 ただ、それでもなお、わたしなら、次のように考える。「固有」で「多様」な存在が、永い歴史から言えば偶発的としか言いようがない一時代の勢力によって、「なぎ倒され」「均一化」させられていくことは、世界の将来の豊富な可能性が「なぎ倒され」、開かれた豊饒への可能性が「閉ざされて」しまうがゆえに、勝手なことをすべきではない、と。

 ところで、わたしは、昭和三十年代に対してそこはかとない郷愁を捨て切れない人間である。確かに、当時の社会は貧しく、汚く、まどろっこしく、そして何よりも生活の不便さが当たり前の状況であった。今、それが再現されたとしたら、正直言って果たして自分には耐えられるかどうか疑問である。
 しかし、それでもなお、心躍らされるものを確実に味わえるのではないかと思う。それは、全国各地に、固有の伝統と文化が息づいており、日本の文化の多彩さを享受できるということである。少なくとも、今のように、国内旅行をする際に感じる、ああ、どこへ行っても大差がなくて味気ない……、という落胆はしないで済むはずではないかと思う。
 昭和三十年代を過ぎて、この国は国内各地の差異が、文化の中央集権的構造強化の過程で、いわば「JIS規格」ふうに単一色で塗りつぶされてしまったと言えるような気がする。ラジオ、TVの全国放送の浸透と徹底、経済の発展にともなう再開発とその際の画一的な土木・建築技術の適用など、あれよあれよという間に、全国各地の文化がのっぺりとしたものへと誘われてしまった観が否めない。その背景には、地方を中央に従属させて当然とする「粗野でまぬけ」な発想がまかり通っていたことがあろうかと思う。
 「多様な文化」について考える時に、わたしが先ず思い起こすのは、この国は平然と文化の「多様さ」というものを踏み躙る傾向があるのではないかという感触なのである。

 さて、昨日触れた「文化多様性条約」についてである。
 これについては、10月17日にラジオのNHKのニュースで小耳に挟んだのである。そして、いずれ後で新聞記事で確認すればいいと思いきや、何と、その日及びその後の新聞記事では扱われなかったのだ。いや、小さな記事でしかなかったために見逃したのかもしれない。
 それにしても、わたしは、このテーマ、要するに「グローバリゼーションと文化多様性」ということになるが、現在の国際情勢にとって決してどうでもいい話題だとは思わない。民族、宗教の問題が、紛争の大きな原因とされている現状にあって、さらには、人類の文化の将来にとってかなり重要な、いわばベーシックな課題だと思っている。
 この内容を、ちょっと調べてみると、次のようになる。

<情報や経済のグローバル化に伴い,民族的,宗教的な対立が激化する一方,従来の国民国家の枠組みにとらわれない,地域的,文化的な運動が世界各地で広がっている。 ユネスコでは,異なる文化間の相互理解を深め,寛容,対話,協力を重んじる異文化間交流を発展させ,世界の平和と安全に結びつけるため,平成13年に「文化多様性に関する世界宣言」が採択された。さらに,平成15年10月の第32回ユネスコ総会では,平成17年秋の次回ユネスコ総会に向けて,文化多様性に関する国際規範の策定作業を開始することが決議され,具体的な検討作業が開始されている。>(政府・文化庁作業部会報告書より)

 つまり、わたしがラジオニュースで小耳に挟んだのは、「ユネスコ(United Nations Educational,Scientific and Cultural Organization、国際連合教育科学文化機関)」の「平成17年秋の総会」において策定された「国際規範」のことであったわけだ。そして、ユネスコ加盟国のうち、「米国とイスラエル」だけが反対して可決されたということらしい。
 両国ともにに、異文化の衝突が原因とも見える紛争の当事国であり、また、米国は自国文化の「布教」を主旨とする「グローバリゼーション」戦略を展開しているのだから、同条約に反対する意図はわからないではない。
 しかし、それにしても、米国政府は、地球の将来に関して何と冷淡なのであろうか。地球温暖化現象への国際的対応としての「京都議定書」にも反対していたのが米国であった。とても、明日を生きるお子様たちにお薦めしたい国ではなさそうだ。

 「文化多様性」というのは、さまざまなレベルに波及する、いわば人間生活における普遍的なテーマであろうと思う。もちろん、「人権」にもかかわるわけだし、「創造性」の問題にも直結する。「創造性」とは、「多様性」を基盤とする「組み合せ」の問題の一種であるからである。
 日本は、ユネスコの条約には賛同したらしいが、今、国内で展開していることは、どうも「文化多様性」に逆行するような気配である。多くを付言するつもりはないが、首相による「靖国参拝」とて、多様な宗教の自由を保障した憲法に反することはもちろんのこと、要するに、思い上がったコイズミ氏が、自身の文化を国民に強制しているということにはならないのだろうか。このアクションは、当然、永い歴史によって「誤字脱字」として修正されるはずのゴミでしかないとは思われるが…… (2005.10.19)


 「目から鼻へ抜ける」とは、頭の回転が抜群に早いことを言う。頭の回転といってもいろいろあろうかもしれないが、理解や呑込みが早いことを言うとするならば、その回転の機動力として「類推」つまり「アナロジー」の活用というものが潜んでいるのではなかろうか。
 人が何か未知なるものに遭遇した際、頭の方はといえば、盛んにその得体の知れない対象を取り込むために、その対象に良く似たものを、自身の過去の記憶群の中から探そうとし、もし類似したものがあれば、それを手掛かりにして目の前の未知なる対象の正体を了解しようとするのではないかと思う。

 わたしも、コンピュータ・システムの変化の理解の際に、比較的自分が慣れ親しんだ人間の組織のあり様とその変化を理解のベースとして利用したことがあったものだ。
 つまり、コンピュータの通信システムにおいて、巨大な汎用機に情報を受けるだけの端末装置が「垂直的」にぶら下がっていたオンライン・システムの時代が大きく変化して、いわゆるLANに代表されるような形、すなわち比較的インテリジェントで能力のある複数のPCが「水平」展開的に連携し合って通信システムを作る形に変化して行った頃のことなのである。
 この変化は、人の組織の変化ときわめて良く似ていると感じたのである。ピラミッド型の「垂直的」な人間組織が、「水平」方向で手を携え合って連携プレーをするいわゆる「ネットワーキング」組織へとガラガラと変わって行った様子に酷似していると思えたのである。だから、この、人の組織の変化の事実やプロセスが、コンピュータ・ネットワーキングの変化を理解する上で多くの示唆を与えてくれたように振り返るのだ。
 要するに、自分にとっては比較的理解しやすい人の組織の知識・経験をもとにして、新しいコンピュータ通信システムの仕組みを推し量るという「アナロジー」を進めたというわけなのである。

 こうした「アナロジー」は、誰もが日常生活の中で大なり小なり実践しているはずであろう。たとえば、ゴチャゴチャとした複雑な仕組みの何かに遭遇した時、その説明を聞いて、「詳しいことは別にして、早い話が『○×△』を思い浮かべればいいわけね!」というようなアプローチは、まさに「アナロジー」的な思考方法を採ろうとしていることになるわけだ。
 昔、近所の三歳くらいのガールフレンドに、トランプを使って「占い」をしてあげよう、「占い」って知ってる? と言ったら、その子回答がふるっていたのだった。
「ウン、『裏』が無い、っていうことでしょ」
と来たのだ。その子の頭の中では、紙っぺらには表と裏があり、表は綺麗、裏はなんだか汚い、「裏が無い」というのは何か綺麗な手品じゃないか、とアナロジカルに推測したのかもしれない。子どもたちは、当たるも八卦当たらぬも八卦、といった旺盛さで、日々「アナロジー」的アプローチを駆使して見知らぬ事柄に挑んでいるのであろう。
 言ってみれば、子ども向けの童話や寓話で、動物やモノが人間のように振舞うものは、すべて子どもたちが知る人の生活を元にした「アナロジー」的思考を刺激しているものだと言えそうである。
 また、ちょいとこみ入った「アナロジー」として次のような話をすることもできる。
 今はやりのIT産業の雄、「ポータルサイト」って一体なに? という疑問を解くために、「アナロジー」として、今は昔の、時代劇ドラマにしばしば登場する「博打場」の「ショバ代」とい名の「寺銭」(ばくちや花札などで、その場所の借賃として、出来高の幾分を貸し元または席主に支払うもの)を稼ぐものだと理解するのは必ずしも間違っていないどころか、当を得ていそうだと思われる。だからこそ、「ポータルサイト」のある大手は、ごく自然な形で「証券会社」へと業務拡大をしたりもするのであろう。「証券会社」ともなれば、まさしく「寺銭」稼ぎ業に匹敵するわけだ。

 こうして、「アナロジー」とは、常に未知な対象と向き合って生きる人間にとって、固有でかつ有力な知能活動だと言えるわけである。あくまでも「アナロジー」は、対象そのものの正体を解き明かしてくれるものではなく、その入口を用意してくれるものではあっても、どんなにか人間の日常行動をサポートする重要な思考過程であるかということなのである。
 そして、「アナロジー」の効力如何は、先ずは過去の記憶、しかもよく咀嚼できた知識という点において、体験的知識の豊富さということが重要なのではないかと思える。これがあれば、見知らぬ新奇な対象が目の前に現れた時に、頭の中で、豊富なデータ・ベース検索活動が瞬時に行われ、効き目のありそうな「アナロジー」が浮かんでくることになるからである。
 こう考えると、現代という時代は、人間の知能活動にとって中心的な役割りを果たしているかもしれない「アナロジー」機能が弱体化させられる時代だと警戒する必要があるのかもしれない。体験的知識の習得よりも、デジタル知識としての知識が偏重される時代、さらに、情報化テクノロジーが社会の隅々まで過剰に浸透して、知識が「積み木細工」のように扱われているからである。

 「アナロジー」については、まだまだ考えることが多いが、とりあえず以下の文を引用して今日のところは閉じたい……

< 脳がアナロジーを担当すべきところを機械がテクノロジーで代替してしまったのだ。一言でいえば今日のIT社会の問題のすべてが、この「アナロジーからテクノロジーへ」ということに集約される。
 こんなことは世の中を見ていれば至極当然な推移だと思っていたのだが、意外にも誰も指摘してこなかった。もっとも世の中の推移を見抜くには少しは鍛練がいる。縮めていえば「人間の生物的な本来」と「文化の社会的な将来」の両方についてちょっとばかり思索を深めていなくてはいけない。もっと短く縮めていえば「脳と言葉」「経済と機械」の両方の問題を解くスコープが同レベルで重なって見えていなければならない。世の中の推移を見るには、大脳主義者ふうの唯脳論や言語主義者ふうの素朴意味論者やMBAふうの予測に走る経済主義理論では、まったく役に立たないのだ。「脳と言葉」「経済と機械」をいつも連動させて見る必要がある。
 しかしその程度のことをふだんからしていれば、「アナロジー」こそが本来なのに、「テクノロジー」の将来がそちらに向かわないで、逆にアナロジーの解体や腐食を促しているだろうことは一目瞭然なのである。
 IT社会とは「何事もデジタル情報にする社会」なのではない。……ユビキタスだとか電子経済だとかウェブ社会というのはそうではなくて、「何事も高速大量に情報にして、判断を情報化に即して了解してしまう社会」なのである。要するに自分のアナロジーが奪われていく社会なのだ。>(サイト:松岡正剛の千夜千冊 ポール・ヴィリリオ『情報化爆弾』)
 (2005.10.20)


 ギックリ腰というのは、ほとんど経験したことがなかった。だが、今朝起床してみると、右側の腰が痛み、おまけにその下の右足が何となく痺れる感じで痛んだ。ひょっとしたら、寝返りをうった拍子に「偏頭痛」ならぬ「偏・ぎっくり腰」をやってしまったのかと懸念した。
 まあ、よくある「筋違い」のようなものだろうと思い、できるだけ知らぬ顔をしてやり過ごすつもりでいた。

 ところが、腰の痛みはともかく、右足の痺れるような痛みは結構効いてくるのだった。クルマの運転中も、信号待ち一時停止でブレーキを踏んでいる姿勢が、かなり辛いのだった。事務所でデスクに向かって座っていても、一向に痛みが緩和しなかった。
 そこで止むを得ず、話に聞いていたある接骨医に向かうことにしてみた。そこは、家内や知人が診てもらっていて評判が良さそうであったからだ。「五十肩」の痛みが気になった際、何度か訪れようともしていたのである。
 民家の一階部分で開業していたその医院に着いた時、幸い他の患者は一人だけであり、待たされることなく診てもらうこととなった。

 結論から言って、片側に生じたギックリ腰のようなもので、それに伴って坐骨神経が刺激されているために右足の痺れ感も生じているのだろう、ということであった。
 とは言うものの、こうした接骨、マッサージ医だからというのだろうか、一般の内科医のように「痛みの原因は病名何々からくるものです」というような、診断めいたプロセスはなかったように思う。まあ、診断されたからといって痛みが消えるわけでもなし、また、診断を売りとする一般の医者は何をするのかといえば、単にその病名向けの飲みグスリなりをだすだけなのだから、診断にこだわる必要はなく、要するに痛みを和らげてくれればいいわけだ。

 こちらからは、聴かれずとも、ここしばらくの間の気になった経過を「自己申告」的に伝えた。
 ギックリ腰というのは、一般的に「重いモノ」を中腰などで持ち上げようとした際に起こるようだが、自分の場合、そうではなかった。寝相の悪さによって、一夜明けたらこうなっていたというものだったのである。が、前兆がなかったわけではない。この一、二週間、何となく腰に不快感を感じ続けていたのである。自分はそれを、「腎臓」あたりに異常があってのことかもしれないと危惧していたのだが、どうも原因は、腰骨周辺部分の変調であったようだ。
 昨日の「アナロジー」ではないが、ちょうど何らかの圧力を貯めこんだ地層が軋み始めるように、デスクワークが中心の自分の腰には不自然な軋みが始まっていたのかもしれない。そこへ持ってきて、ちょっとした寝相の悪さによって無理な姿勢となり、腰骨周辺の「インターフェイス」部分が微妙にズレてしまったのかもしれない。

 今日の治療としては、マッサージと、「柔軟体操」のような足腰のストレッチをしてもらった。そんな動作をしてもらいながら、昨今は、身体の各「インターフェイス」=関節部分をほぐすような体操をまるっきりしていないことを思い起こしていた。いわゆる身体が「しなやかさ」をなくして、まるっきり「かたい」という形容に当てはまってしまうようである。
 今日はついでに、「五十肩」へのマッサージもしてもらったのだが、「油の切れた接合部分」は、適当な「慣らし運転」的動作が効果的ですよ、と言われたりした。
 また、過去に、右肩へのダメージがあったかどうかを質問されたのに対して、幼少時に、近所の悪童に柔道の一本背負いの真似をされて関節脱臼をしたことがあると、ちなみに、という程度に話したら、思わぬ回答が返ってきた。歳をとるとそうした傷跡(?)がぶり返すこともなくはない、のだと。それにしても半世紀以上も前の出来事が尾を引くかなあ、と訝しく思えたが、とにかく歳をとると、種々の故障が現れたって当然ということになるのだろう。「賞味期限」は過ぎて、「お釣り」で生きているようなものなんだから、贅沢を言う前に「為すべき事」に全力を傾注すべし、と考えたり…… (2005.10.21)


 昨日発症した腰周辺の痛みに関する輪郭めいたものが漸く見えてきたようだ。どうも、あまり聞こえの良くない「坐骨神経痛」らしいのだ。いかにも老人病のように聞こえてしまうからだ。と言っても、必ずしもそうとばかりとも言えず、若い人でも腰椎椎間板ヘルニアにともなって発症することもあるし、あるいはストレスによって起こる場合も多いとのことである。
 自分の場合、次のケースに当たりそうかと自己診断している。
<梨状筋症候群は比較的緩徐に発生し、通常はラセーグ徴候が陰性となります。梨状筋間で坐骨神経が絞扼され、仕事や運動でストレスが加わり発症することが多いようです。>(サイト/整形外科外来で多く見られる“坐骨神経痛より”)
 臀部(お尻の部分)にある「梨状筋(りじょうきん)」が、坐骨神経の大元を絞扼(こうやく?)して、坐骨神経の大元部分を刺激するとともに、足先の神経に不快感をもたらすというもののようである。
 ではなぜ、「梨状筋」がそんな迷惑沙汰を始めたのか、定かなことはわからない。まさしく複合的な原因があってのことのようだ。振り返れば、過去にほんの瞬間的に、臀部の筋肉が「つる」ような痛みに襲われたことがあったような記憶がないわけではない。そして、この一、ニ週間、何とはなしに腰に不快感を覚え続けていたこともある種の前兆だったのかもしれない。しかも、ストレスは日常的に存在するし、ストレッチ体操などは全然していないし、筋肉に必要なビタミンCは喫煙で壊しているし……と、状況証拠は山積しているように考えられるのだ。

 しかし、それにしても、昨夜の痛みには七転八倒(しってんばっとう)したものだった。横になる姿勢においては、痛みが軽減される姿勢というものが見つからず、どんな格好で寝ようとしても鈍い痛みが走り続けるのである。ようやくウトウトとしたと思えば、二時間程度で痛みのために目が覚める。湿布を貼り直したり、患部を温めてみたり、挙句は風呂に入ってみたりと、こんな手順を深夜と早朝の二度に渡って繰り返すありさまであった。こんなことが長引いたら、とんでもないことになると情けなくなったものである。

 で、今朝は、とにかく昨日の接骨医に朝一で出向くことにしたのである。ただ心配はその途中での痛みのことであった。と言うのも、クルマで出向くとすると右足でのペダル操作時にかなりの痛みが生じたからである。実際、今日も、信号待ちでブレーキ・ペダルを踏み続ける動作は、顔を歪めて耐えなければならなかった。
 治療ベッドに横になり、症状の経過を接骨医に告げると、接骨医は、
「ウーン、これはギックリ腰じゃなくて、“坐骨神経痛”だね。痛む箇所からすればそう見える」
と口にしたのであった。それを聞いて、なぜだか気分が押し下げられたようだった。長引くのではないかという懸念が走ったのだ。それを察してか、接骨医は、即効性をお望みならば「ペイン・クリニック」へ行くという手があることを教えてくれた。
 ただ、よくは知らないが、それは症状の改善というよりも、ともかく麻酔で痛みを抑えるという対症療法であったので積極的に選択する気持ちにはなれず、最終選択肢として受けとめた。

 椅子に座っての作業には差し支えがないため、現在これを打ち込んでいる。この前に、いつもながらネットで「坐骨神経痛」について検索して、ますます自分の痛みがこれによるものと確信したわけなのである。軽度なものであれば、一、ニ週間で自然治癒すると書かれてあったので、これに大いに期待をかけたいところである。
 また、就寝時の痛みに関しては、市販の頭痛薬でそこそこ鎮痛できると接骨医からも聞いたため、一応この状態で面倒見い見いやり過ごすしかないかと腹を括っている。まあ、今日、明日が休日であることが不幸中の幸いであった…… (2005.10.22)


 今朝のウォーキングの際に撮ったデジカメ・ショットを、先週同様にまたPCで見ながら、これを書こうとしている。
 「坐骨神経痛」の方は、まだあぐらをかいたりした時や、クルマの運転時には痛みを感じるが、かなり緩和されてきたようでホッとしている。一昨日は就寝時にも痛むありさまで、その得体の知れない痛みに昨日は振り回されてしまった格好だった。
 何よりも、もし歩くことにも不自由を感じることになったら……、という心配が先立ったようだ。そこで昨日は、ありとあらゆる治療法を一日中試みたりしていた。マッサージ・チェアで腰を揉ませたり、遠赤外線ランプで患部を温めたり、ニ、三回も入浴してみたりと、忙しいほどに治療作業に専念した。
 その甲斐あってか、就寝時に痛みを覚えることはなかったし、起床時にも、「そうだ、『坐骨神経痛』があったんだ」と思い起こす程度まで痛みは和らぎ始めていたのである。
 そこで、久々の秋晴れ日和ということもあり、用心しながらのウォーキングをしようという気分になった。もとより、『坐骨神経』から来る痛みは、立って歩く分にはほとんど生じない。神経を圧迫するような姿勢をとった時に痛むのだ。しかも、自分の場合は、腰椎の椎間板に異常が発生したとは考えられないので、むしろ歩く動作は筋肉をほぐすことになりプラス効果ではないかとも思ったのである。
 いや、無難に歩けるということを確認したかったのかもしれない。それほどに、ウォーキングは習慣になってしまったし、気分も晴れるため、今や自分にとって欠かせない行動となっているわけだ。

 幸い、何の支障もなくいつものコースを歩き通すことができた。当たり前と言えば当たり前ではある。ただ、鉄アレーを手にすることは控えた。家を出ようとした際、家内は心配して言ったのだった。
「『重石(おもし)』は持っていかない方がいいわよ」
と。自分でも、もちろん今日は、あるいはしばらくは鉄アレー携帯での負荷をかけることは自粛しようと考えていたところであった。
 今考えれば、「この辺(=鉄アレー)」が意外と原因であったと言えなくもない。起き抜けに、準備運動もなく「パワー・ウォーキング」とは、若干勇み足であったのかもしれない。

 で、今朝は、先週の日曜と同様、デジカメ持参でブラブラふうのウォーキングに徹することにした。まして、今日は、秋晴れで空も青く澄んでいてさぞかし良い光景が撮れるものと期待できた。
 確かに、歩き始めると、真っ青な空を仰ぐ一連の風景はいつになく鮮やかで気持ちが良かった。
 撮った写真のサムネールを、アルバムふうのソフトで見渡してみると、空の青と植物の透明感のある緑が目につく。そうしたショットを撮ったといえばそれまでのことだが、今日の秋晴れはまさにそうしたすがすがしさに満ちていたと言える。

 農家が栽培している畑の野菜が活き活きとしていた。芋類のハート型の大きな葉は見ごたえのある印象を与えた。スクッと伸びて、緑にパステルふうのやや白っぽい色調を交えたネギ畑も感じが良い。ダイコンだかカブだかの葉は、幾分硬そうな感触ではあるが、明るい陽射しの中で、グリーンの透明シートのように光をよく透している。
 よほどおいしそうに見えたからか、あるいは真っ青な空に朱色が映えたからか、柿木のショットが複数枚撮られている。柿の葉は、もはやみずみずしさを失い、中には枯れかけたり、虫に食われたりしているが、柿の実の方ははちきれんばかりに艶々と輝き、熟れた存在感を誇示している。

 いかにも秋らしいショットは、背景に青く澄んだ空と何軒かの民家が覗ける状態で写った白色と桃色のコスモスだろう。空が背景になった白色のコスモスの花は、まるでチョウチョがひらひらと舞っている優美な軽快さを感じさせる。「現場」ではときおり本物のチョウチョやアブなどが花粉や密を求めて出没していたが、ショットには写っていない。また、青空を映した川のショットからは、川原の土手のいたるところにススキが柔らかい風情で風にそよいでいるのがわかる。
 自分の季節感とはあまり縁がなさそうであるが、川べりの植樹に紛れるように咲いていた、夕顔の仲間なのであろう、ランプ型で五弁の紫の花が実に神秘的に写っている。

 こうした、なんでもない秋の日の風景も、写真にしてつくづく眺めたりすると、「現場」で自覚するさりげない感触とはまた異なったリアルな感じがしてくる。むしろ、リアルであるはずなのは「現場」なのだろうけれど、不思議だ…… (2005.10.23)


 自分のことというのは、どうしても「我田引水」となりがちで、「思い込み」が先行することになりやすい。またまた「坐骨神経痛」の話となる。
 昨日は一日中症状を忘れるほどに良好であった。だから、若干の懸念なしとはしなかったが、ウォーキングまで敢行してしまった。そして就寝時にも問題がなかった。
 ところが、今朝は、明け方早く、五時前であったか腰から右脚全体に鈍い痛みが蠢き、じっとしていることができず、結局入浴療法を試み、ようやく痛みを沈静化させることができた。そんな痛みが再び就寝中に発症したため、がっかりとした気分となる。
 とともに、よせばいいものを調子に乗ってウォーキングなんぞをしてしまったため、腰に負荷がかかり、しっかりとつけが回ってきたことをジワーッと悟ったりもした。
 さて、今日はどうしようかと思った。すると、ここはやはり整形外科にでも行って、レントゲン写真でも撮ってもらい、患部の客観的な実態を確認しなければいけない、という思いが込み上げてくるのだった。
 これまでは、自分の身体のことは自分が一番よくわかるとばかりの「思い込み」による「素人療法」以外の何ものでもなかったはずだ。まあ、接骨医の見立てはあったものの、それとてかなりアバウトな判断でしかない。レントゲンで詳細なすべてのことがわかるわけでもなかろう。しかし、「骨、関節」のことなのだから、まさに「骨子」を認識しておくことも悪くはなかろうと思えた。

 クルマに乗り込むと、ペダル操作に伴う痛みがすぐさま自覚された。以前に何度か通ったことがあるクルマで五分程度のこじんまりした総合病院へと向かうことにした。しばらく利用しなかったので曲がり角を間違えてしまったら、比較的大きな「整形外科」専門の病院が見えてきた。ここでもいいか、という思いが一瞬よぎったものの、いや、評判も聞いていないところへ飛び込んでもろくなことはなかろうという常識がその思いを否定した。
 やがて当該病院の入口にあるカウンターで初診の手続きをしたが、運良くさほど待つこともなく自分の番となる。待っている間、カーテンの向こう側から、担当医の声が聞こえていたが、やや大きめなガラガラ声と、まあ、言いたい放題と言った口調は、その担当医のキャラクターを匂わせていた。インテリゲンちゃんの静かなドクターというふうではないな、という予感がしたものだった。
 診療の手順としては、やはり患部の「腰」と「右肩」のレントゲン撮影から始まった。「右肩」というのは、この際だから長く継続している「五十肩」も診てもらうことにしたからである。
 院内の別箇所にある部屋でレントゲンを撮り、できたものを自身で「整形外科」に持ち帰り、再び診療を受けることになる。
 腰も、肩も「骨」のレベルでは、一見して判断できるほどの異常はないと言われた。むしろ、歳にしては「きれい」な状態だと褒め言葉(?)を貰う。
 が、やはり、詳細に見ると各々の痛みに相当する懸念箇所がないわけではないと、診断が続く。
 先ず、「坐骨神経痛」をもたらしている原因として、坐骨神経に繋がる脊椎と脊椎の間隔がやや斜めに狭まっている箇所があり、その結果椎間板がやや圧迫を受けてはみ出し、それが坐骨神経に触れる際に痛みを感じさせるのではないかと診断された。
 じゃあ、その原因は何かとたずねてみた。特に重労働をしているわけではなく、デスク・ワークが中心だと伝えた。と、その椅子に座りっ放しの仕事スタイルで十分に負荷がかかり、脊椎が歪むことは大いにあり得ると指摘された。
 また、鉄アレーを持ってのウォーキングをしていると伝えると、「そいつも良くない」という予想された言葉が返ってきた。
 ここから、話のネタを、担当医のキャラクターについてへと変えていきたいのだが、その前に、「五十肩」について書いておく。これも、軟骨部分が著しく損傷をうけているわけではなさそうで、要するに、右肩周囲の関節、筋肉などが固着している模様であり、この柔軟化が先決であるらしい。いわば「柔軟体操」が必要ということらしいのだ。

 そこで、担当医のキャラクター問題である。医者として特別に異様なキャラクターだというわけではないのである。概ね、こうしたタイプが一般的であろうと思うから書くといってもいい。
 医者というのは、「唯我独尊」「我田引水」、ひょっとしたら「井(医)の中の蛙」かなあ、と思うわけなのである。どうしてそうなのかという理由はさしてむずかしい問題ではないだろう。端的に言えば、「密室的」空間において、「立場的に劣位にある」と見なす患者に対して対応することが、医者の基本環境だからだと言えようか。
 「インフォームド・コンセント」という言葉を多くの人が耳にし始めたのはつい最近のことであり、それまでというか、いまでもなおと言うべきか、やはり医者は、街医者も含めて「密室的」環境の中の王様なのではなかろうか。中には、医療は客商売だと見抜き、実に愛想のいい医者もいることはいる。しかし、やはり多いのは「殿さま商売」的姿勢だろう。
 今日の担当医は、それほどにその傾向が強いというわけではなかったのだが、一方では盛んに患者との対話云々ふうのことを口にしていただけに、そういう人であっても内実に変わりはないのかな、と感じたのである。
 話のきっかけは、「五十肩」治療のためにわたしが、「栄養補助食品(サプリメント)」の「グルコサミン」を服用していると話したことにあった。
 これに対して、担当医は、
「『日本人は』すぐにこうしたものに飛びつきたがる。米国人ならば、フンと言ってバカにするシロモノだ。自分は、十年も前にこれを処方したことがあり、まったくと言っていいほど効き目がないことを確認している。土台、関節の軟骨部には血管がないのだから、いくら栄養素を吸収して血液中に入ったところで意味がないわけだ」
という、まことに理路整然とした持論を展開したのである。これには、自分も納得したものであった。
 ここでも、『日本人は』という部分がやや気になったが、そのあとも『日本人は』論が延々と続いたのである。
 ウォーキングをしていると言えば、「『日本人は』、何かがいいといえば、極端に一生懸命になるからよくない」という「紋切型」口調が出てくるし、接骨医の話を出すと、
「『日本人は』、『接骨医』といったいわば正式な医者ではないところにも行きたがる。結構、危ない処置をしていたりすることは、試しに手当を受けてみて知っている。どうして、『日本人は』こうしたとこへ行きたがるんだろうね」
云々とくる。
 さすがにわたしも、やや不愉快となり、多少嫌味もこめて、
「先生のように、気さくに話せる医者が少ないんじゃないですか。老人やご婦人たちは、話を聞いてもらう先生を探しているという面もありそうですよね」
と。すると、こう言い出したものである。
「そうなんだよね。わたしが米国に留学してた時に米国人からいわれたのもそのことですよ。『お前たちに問題があるから、患者たちは怪しげなところに集まってしまうのではないか』と、そう言われたもんですよ」

 わたしは、それを聞いて、頭や理屈ではわかっていても、具体的な対応というのはズレる、ブレるのが人間というものなんだろうか、いま時、『日本人は』論や、「米国では」というような「ではの守(かみ)」もめずらしいと言えばめずらしいが、医者にとっての「対話」というものがどういうものであるべきかを実感的には掴んでいないようかな、と感じたのであった。そして、医者にとっての「密室的」環境という職場では、この辺の課題はかなり大きいのかなあ、と、ひとりの情けない患者でありながら、唐突に考え込んでいたのだった…… (2005.10.24)


 「坐骨神経痛」についてだが、まだ相変わらず朝方の痛みで右往左往させられるのが辛いところだ。今朝も、一度目はやり過ごしたものの、二度目にはどうにもならないようであったため、いつもより一時間早い起床となった。昨夜、就寝前に痛み止めのクスリを服用したものの、「夜討ち朝駆け」的に襲ってくる痛みに変化はなかった。
 おそらく、寝ている間の姿勢が坐骨神経を刺激することになるのであろう。そう言えば、昨日の整形外科の担当医が言っていたものだった。ご自分も「椎間板ヘルニア」を患っているとかで、そのため、現在は「板の上」で寝ているとのことだった。一瞬、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の言葉を思い起こしたりもしたが、要するに、柔らかい「布団」の上で寝ているかぎり、脊椎間に変化が生じて痛みの原因を作ることになるというのだろうか。
 しかし、夏場ならともかく、次第に冷え込んでくるこの季節に「板の上」とは、鯉ではあるまいし勘弁してもらいたいものだと思った。ただ、このまま、「夜討ち朝駆け」の痛みが消えないとなれば、ひとつの選択肢として考慮しなければならなくなるのかもしれない。いや、もし自然治癒しないとなれば、話に聞く「神経ブロック」とやらの「ペイン・クリニック」方式の治療を検討しなければならないだろう。

 自分がこうした「痛み」を引き受けるようになってしまうと、ひと(他人)様の「痛み」というものに無関心でいられなくなるもののようだ。
 先日の深夜に、入浴療法をせざるを得なかった時、いつものようにラジオを聞きながら入浴していたら、NHKの深夜放送で、原爆被爆者の「語り部」の方のインタビュー番組に出会った。先ず感じたことは、被爆の苦痛に較べれば、坐骨神経がどうのこうのと言っているのは何と生ぬるいことかということだった。そりゃあ、こんな痛みはない方がいいに決まっているが、あまり騒ぐのはみっともないことのように思えたのだった。
 それからまた別な日に、同じラジオ番組で、沖縄戦末期の「ひめゆり部隊」の「語り部」に関するものがあり、これも坐骨神経の痛みとともに痛々しく拝聴することになった。そんな個人的な痛みでくよくよするもんじゃないというハッパをかけられた思いであった。
 そして、今朝は今朝で、こちらはTV番組であったが、ある女性作家が、骨盤にガンが転移するといった症状の中で、生と死を見つめつつ、あわせて医療のあり方をも視野に入れて闘病生活を送るというものなのであった。これも、自身の軽度な痛みくらいでガタガタするもんじゃないと警告を受けたような気がしたものだった。
 この世の中には、生と死のはざ間で、人知れず苦悩に耐えている人々が多数いるはずであろう。そんな人々に較べれば、「夜討ち朝駆け」であろうが何であろうが、耐えられる痛みくらいはビジネスライクにいなさないでどうする、と……。

 幸い、日中はほとんど痛みがひいてしまうので助かるというものだ。どうなるものかはわからないが、その時はその時である。むしろ、こうして何だかんだと身体に変化が忍び寄ってくる速度のこともあるので、仕事をはじめとした前向きでやるべきことの速度を十分に意識していかなければいけないゾと感じたりしている…… (2005.10.25)


 自分は、今まであまり「株」には関心がなかった。これまでにも、よく証券会社の営業マンが訪れて「株」を勧められたものだったが、大抵は断わってきた。
 バブル当時に、一回だけ断わり切れずに応じて、若干の儲けを戴いたが、その後すぐに取り返されてしまった。それ以降、着手していない。
 そもそも「財形」というものに関心が向かなかったのと、証券会社という存在があまり信用できなかったこともある。というのも、そもそも証券会社が儲けられるのはそれなりの理由があるからであって、その理由の一つには、個人投資家に「割りを食って」もらうことも入っているはずだと考えたのである。高い手数料もその一つではあるが、それよりも、個人投資家たちには見えないプロセスがあり、そこを「お任せします」としてしまうのがいかにも「グレー・ゾーン」なのである。
 先日もある知人と話をしていて、この話が出た。彼は、証券会社の営業マンにお任せするスタイルでは、「結局、損をする!」以外はない、と言い切っていたものだ。

 そこへ行くと、インターネットによる「オンライン・トレード」は、手数料も安いし、取引のプロセスは、「公明正大」と褒め上げる必要はないにしても「あからさま」だとは言えそうである。投資家側に「仕手株」を仕掛けたりするワナがあったりはするものの、取引のプロセスは、「チャート」やその他の情報でオープンにされているので、仲介者への不信感といったようなものを懸念しなくて済む。
 前述したように、自分自身はあまり「株」取引といったものに興味はなかったが、おそらくは今後この国でも個人投資家による「株」取引がバカにならない勢いとなりそうな気配を感じている。しかも、それらの多くは、インターネットを使った「オンライン・トレード」ということになるのであろう。
 そんな矢先、ある知り合いから、「『オンライン・トレード』っていうのはどんなものなんでしょう?」という質問まで受けてしまった。コンピュータ関係の仕事をしているのなら熟知していると見られたのである。
 確かに、以前パソコン・ショップも経営していた当時、株取引に熱中したお客さんが、インターネットで情報収集をしたいと相談を持ちかけられたことがあった。ただ、当時は、PCとネット環境そのものが現在ほどにハイレベルではなかったため、「オンライン・トレード」なんていうものからはほど遠い話ではあった。

 つまり、株取引の好き嫌いはともかく、PCやインターネットについては他人事ではない自分としては、今流行りの「オンライン・トレード」を知らないわけにはいかないな、と思えたのである。いや、その場合の「知る、知らない」とは理屈ではなく、実態のことである。
 特に、以前から自分の判断の中には、PCなどの技術的ジャンルに関しては、「知る」ということは理論や能書きで知ることを指すのではなく、体験的に、アクティーブに慣れることだと考えてきた。もちろん、理論などの知的認識が不必要だというのではなく、むしろそれだけでは足らないのがこのジャンルの特徴だと見なしてきたのである。パソコン世代とパソコン拒否世代との「差」は、この実践性の有無なのだと見なしてきたと言ってもいい。
 それで、じゃあ、「オンライン・トレード」というものは、一体どういうものなのか、実体験してやろうじゃないか、と思ったわけなのである。そう思うと、何事にも研究心旺盛な自分のことだから、もちろんモノの本も買いあさるは、実際の「トレード」ができる環境を整備したり、矢継ぎ早で事を進めてみた。

 ところで、自分が関心を寄せたのは、「オンライン・トレード」と言っても、単に証券会社の窓口にデリバリーに行く替わりにネットPCで売買の処理をするというようなものではない。いわゆる「デイトレード」と呼ばれる、一日以内のリアルタイムな売買なのである。
 おそらく、「オンライン・トレード」の妙味というのは「デイトレード」にあるのだろうと判断したのである。有望「株」だと思われるものを買って、それが長期でどう変化して行くのかを待つというのは、いかにも「クイックレスポンス」が当たり前な若い世代とはミスマッチであるだろう。彼らの「クイックレスポンス」志向は、まさに「デイトレード」という「オンライン・トレード」に好感を抱いているに違いないと思われる。
 そんなこともあり、不安も伴いながら、「デイトレード」というものにジワジワと接近してみている昨今である。ようやく、シミュレーション(仮想売買)を済まして、パチンコ代に匹敵する程度の実に少額ながらの元手で二、三回の「トレード」をしてみたところなのである。まあ、今のところ「勝ち負け」の損得よりも、なるほどなあ、という新体験による揺さぶられの方が大きいと言える。
 要するに、ちょっとした「頭脳ゲーム」だと言えようか。「集中力」「判断力」が要求され、スピーディーなPC操作が必要となる、まさしく「PCゲーム」だと言えば当たらずとも遠からずであろう。

 まだ、「損」の経験しかしていないので能書きをこくのはこの辺までにしておかなければならないが、こういうものを経験してみると、なおさらのこと現代という時代状況が、「ゲーム」性に満たされた時代だと思えてくる。この中身についてはまた後日書くことにするが、今言えることは、高が「ゲーム」性! されど「ゲーム」性! ということであろうか。確かに、この「ゲーム」性という視点を無視するならば、現代という時代に生じている多くの事象が謎となってしまいそうな気がしている…… (2005.10.26)


 今朝は、例の「夜討ち朝駆け」(坐骨神経痛)によって夜明け前に起こされてしまった。どうしようかとやや躊躇したものだが、そのまま起きてしまうことにした。こうしたことがいつまで続くのかとやや不安を感じもしたが、逆に惰眠をむさぼる習慣が打破されて結構なことじゃないかと言い聞かせたりする。
 せっかく起床した以上、自宅でダラダラしていてももったいない気がして、いっその事事務所に出かけて仕事を始めてしまおうと考えた。
 居間で寝ていた飼い猫が、こんなに早くから何事かと面食らっていた。わたしの坐骨神経痛の場合、正座を5分ほどしていると痛みが和らぐ。そうしていると、猫が何気なく膝の上に這い上がってきたりした。わたしに対してはめったにそんなことはしない猫なのに、よほど寒かったせいなのであろう。外は、シトシトと雨も降り、寒々しい朝である。
 家内を起こすのはやめ、朝食は、最も手軽なものとして「切り餅」を焼いて済ますことにした。さほど食欲とてない時の朝食には、腹持ちが良い餅は便利だ。

 事務所に着いても、もちろんまだ誰も出社していない。当然のことだ。いつものようにコーヒーを飲もうとして電気ポットがある場所へ向かうが、ああそうか、沸くまで待つしかないんだと思いスイッチを入れる。
 椅子に腰をおろすと、右脚全体に再びジーンとするような痛みが走った。
 眠気が残ってはいたものの、気分が悪いといった種類の身体ではないので、何かとたまりがちな事務作業はスタスタと進めた。事務所で、独りで作業をするのは、決してめずらしくないどころか、今でもほぼ毎日行っている。ただし、社員たちがひけた夜のことである。落ち着いて仕事ができるからというのが理由だ。
 それに対して、早朝の独り作業というのは、久々のことであった。だから、どこか新鮮でありながら、奇妙な感じもした。

 ちょっと昔のサラリーマン時代の事を思い起こしていた。
 会社という組織の中にいると、日中は会議やら、打ち合わせやら、電話応対やらという間接業務が大半を占めることとなる。そうしたものはそれはそれで無視できない比重を持つものではあっても、ややもするとそれで一日が食われてしまうこともある。
 要するに、じっくりと考えて企画を練ったり、インプットもするような時間をどこかで作らなければ、ルーチン・ワークで流されてしまうだけといった危惧の念を抱いたわけなのである。かといって、就業時間の後で根を詰めるというのは難しい。
 そこで、始業時間より早出して、時間を作り出すということに挑戦したことがあった。 確かに、二、三日は、これは良い試みだと実感したこともあった。が、結局は10日ともたなかったようだ。土台が夜更かし朝寝坊の自分にとっては、無理な発想だったのである。

 一人となって集中して作業なりをするというスタイルは、会社を始めるようになってから、社員が皆帰ったあとで、事務所で心置きなく根を詰める、というのが固定化したようだった。
 もともと、研究生活をしていたこともあり、独りで考え込む作業をすることは何ら苦にならない自分であった。だから、そうしたスタイルで何かビジネス成果が発揮できれば良いと思い続けてもきたのである。
 よく、言われたものであった。
「事務所で独り、深夜まで仕事をするのはつまらなくありませんか」
と。一向にそんなことは感じない自分であった。ただ、世間でいろいろな凶悪犯罪が取り沙汰されるようになって、防犯上の警戒だけはするようになった。それは、事務所「内」に関してというよりも、深夜に事務所から出て真っ暗な駐車場へと向かう際に気をつけたものだった。ある時には、護身用のちょっとした道具を携帯したこともある。

 独りでの根を詰める作業といえば、やはりコンピュータ・ソフトというものはそうした作業スタイルによって作られるものであろう。だから自分の場合は、落ち着くべきジャンルに落ち着いたということになるのかもしれない。
 ただ、どんな仕事でも、多勢に頼る時代は過ぎているようにも思う。「いい仕事」というのは、やはり各個人が、精一杯、個人として根を詰めること、それが大前提となっているのではないかと、そう思ったりする…… (2005.10.27)


 今朝も、眠さよりも目先の痛みに支配され、早起きを余儀なくされた。就寝時には、明朝が痛みで起こされることはないようにと、いろいろと作戦を立ててみるのだが、これまではほぼ完敗となっている。病院から出された鎮痛薬もさして効き目がないのが現状だ。 おかげで、今朝も一番乗りの出社をして、仕事の方は前倒し的にはかどる始末だ。

 こうして痛みをじっくりと、度重ねて自覚してみると、どこがどう痛むのかが次第に自覚的になってもくる。そうすると、サイト検索などから得た当該痛み情報と照らしてみると、「坐骨神経痛」といっても、「椎間板ヘルニア」ではなさそうな感触がしてくる。主たる原因は、「梨(りん)状筋症候群」と呼ばれるものでありそうだ。
 同症候群とは、信頼できそうな極めて詳細な説明をしているサイトの情報によれば、「坐骨神経が骨盤から足先へ下降する際に、骨盤の出口に存在する梨状筋と言う筋肉や腱によって坐骨神経が圧迫されて起こる疾患」だという。
 痛む部位を思い起こしてみると、ハハーンという納得感があるのだ。

 「整形外科」の診療では、レントゲン写真に終始した観があったわけだが、筋肉や神経は不問に付されたのである。つまり、それらはレントゲンでは写し出されないからである。確かに、坐骨神経に関係する腰椎と腰椎との間がやや狭く見えるように写ってはいた。しかも、担当医自身がヘルニア患者であったことも、「椎間板ヘルニア」説へと傾く作用をしたのかもしれない。いや、担当医はその説を断言したのではなく、基本的には様子を見ましょうと言っていたのだ。
 だが、今思い起こせば、腑に落ちないことがある。それというのも、担当医が診断したのはわたし、いやわたしの身体ではなく、レントゲン写真だけだったのである。いっさい、「実物」を診ようとはせず、もちろん手を当てるなぞということもしなかった。
 医者は、一般的には患者の痛む箇所や患部を目で確かめたり、触れて確認したりするものではなかろうか。あまり信頼感を託せない近所の町医者でさえ、こちらは「風邪薬」を貰いたいがために行く場合でも、胸に聴診器を当てることと喉を覗くこと、そして体温を測ることは欠かさず行う。こちらがそれらを望んでいなくとも、「職務ですから」と言わぬばかりに実施する。それが、当然の処置なのだろうと思う。

 ところが、先日の担当医は、レントゲン写真を見るならば、「実物」を見なくともお見通しなのか、それとも「実物」を見たってわからないからなのか、「実物拝見!」のいっさいがなかったのである。それが「腑に落ちない」と感じた理由なのである。
 それでいて、こちらが聞いてもいない「日本人は」論をかましてばかりいたわけだ。その時にも、あまりにムカッときたので抑制した反論を遠慮しながら出した自分であったが、今思えば、こう言ってやるべきだと思える。
「あのねぇ、昨今の医者は、医療機器にばかり頼っているようだけど、医者というのは、自身の全神経を働かせて洞察力を発揮し、それで適切な診断をするもんなんじゃないの。まして、レントゲン写真は、整形外科にとって必要な情報の半分しか提供してくれないんでしょ。つまり、骨格の情報だけで、筋肉や神経などは医者の判断にお任せしているということじゃない。それなのに、患者がわざわざ痛い身体をおして訪問して来ているのに、何も見ないというのは、必要な情報の残り半分を黙殺することになるんじゃないの。そんな、殿様商売を気取っているから、「日本人」は、親切な接骨医やマッサージ師のところへ流れるっていうもんですよ」と。まあ、余計なことを書いてしまった。

 自分としては、そうした担当医の「紋切型」診断が、痛みを積み重ねて実感していくうちに、どうも、むしろ「骨」の問題ではなく、「筋肉」つまり「梨状筋」による圧迫がもたらす症候群ではないかと意を強めつつある。
 それにしても、「実物」よりも、間接的で、技術的なツールである「レントゲン」の方を重視する、いや前者をないがしろにする傾向というものは、医者に限らず、現代人に共通した逆立ちした思考方法のような気がしたものである…… (2005.10.28)


 痛み止め薬や、筋肉弛緩剤を服用していることや、睡眠不足のためなのであろうか、何とも気分がさえない。
 今朝もまた、早朝に発生した坐骨神経の痛みで、朝方の眠りが省略処分となってしまった。こう毎日続くと、睡眠不足となる一方で、妙な慣れのようなものも生まれてくる。
 そして、痛みを緩和させるために、しばし正座の姿勢を続ける。まるで、禅寺にでも修行に行き、早朝から叩き起こされて朝のお勤めでもしているといったふうでもある。
 多分、この痛みを早期に解消させるには、いわゆる「神経ブロック」という麻酔の注射療法がよさそうではある。しかし、痛みに耐えながらも、いましばらく様子をみようとしている自分である。

 「神経ブロック」療法に懸念を抱いているわけでもない。だが、自然治癒、自力救済の可能性が本当にないのかどうかと逡巡しているようだ。「梨状筋」が炎症を起こしているのか、硬直化しているのかわからないにしても、災いしていることは確からしい、と自己診断している。
 だが、こうした症状が起こるような直前の特別な出来事、たとえば妙な姿勢で重いものを持ち上げたとかという覚えがない。「自然に」起きてしまったようなのだ。とすれば、「自然に」治ることに先ずは期待をかけたいわけである。

 確かに、「梨状筋」の周辺に麻酔剤を打ち込むと、痛みが消えるとともに、筋肉および周辺の生理的状況が良い方向へと変化するとのことである。奇妙な「悪循環」を断ち切ることにもつながるというのだ。
 つまり、痛みというのは、交感神経を刺激して、ホルモン物質の分泌や毛細血管による血行などの状況を特殊な状態にしてしまうらしい。いわば、実力阻止を目指す「非常事態体制」をとるということに似ている。しかし、ややもすればその「非常事態体制」は、治癒をもたらすどころか、痛みを増大させてしまうこともあるのだという。これが「悪循環」ということらしい。
 で、「神経ブロック」療法というのは、痛みでパニック状態となった患部と「非常事態体制」とが睨みあっているエリアに、いわば、「静かな説得」を旨とする「ネゴシエーター」(麻酔剤)を送り込み、「まあまあ、どちらも落ち着きましょう。冷静に話し合えばきっと解決策が見えてきますから……」と言わしめる発想なのかもしれない。確かに理に叶った方法のように思われる。

 ただ、自分が懸念するのは、そもそも「梨状筋」になぜ「暴動」が起きてしまったのか、という点なのである。きっと何か耐え難い「不平不満」が蓄積していたからに違いないと思われる。この点にフォーカスを合わせないとするならば、「鎮静化」は一時的なもので終わってしまい、ほどなくまた「暴動」が起きはしないかと懸念するのである。
 くどくどしいことを書いたが、要するに、可能であれば、硬直化しやすくなってしまったかもしれない「梨状筋」に、ストレッチ体操とか、血行をよくするといった日常的努力、自力救済措置を施し、また、交感神経の鎮静化をも図り、いわゆる自然治癒に今しばらくの時間を費やしたいと考えているというわけなのである。
 しかし、それにしても、就寝時に痛みが発生するということは、寝相の問題もさることながら、就寝時に交感神経が発動されるということにもなり、この辺が解せない点でもある。要するに、自律神経が乱れているということなのだろうか。

 まあ、いつまで自力救済の姿勢が続くかはわからない。どこまで痛みが我慢できるかということでもある。こう書いていると、何だか、坐骨神経の痛みについて書いているのか、悪化していく社会情勢での庶民の痛みについて書いているのか混同しそうになってくるから不思議だ…… (2005.10.29)


 足腰の調子が相変わらずなので、今日は自宅で一日を過ごす。
 午後、TVの"WowWow"で、2時間50分の長編映画「トロイ」(2004)を観ていた。
 日本の時代劇も好きであるが、西洋の思いっきりの「時代劇」スペクタクルもなぜだかおもしろがって観てしまう。先日もリメイク版の「スパルタクス」で長時間惹きこまれたし、その前には、「グラディエーター(GLADIATOR)」の複数回目を観たりした。
 映画「トロイ」は、あの「トロイ戦争」、「トロイの木馬」、そして英雄「アキレス」を扱ったスペクタクルで、世界最大最古の歴史叙事詩、ホメロスの「イリアス」(ギリシア神話)を映画化したものだそうだ。

 アキレスは、言うまでもなく「アキレス腱」の語源となったギリシア最強の戦士であり、子どもの頃からなぜか憧れる向きがあった。おそらく、戦士として最強、不死身とされながら、不死身のクスリを塗り損ねた(?)踵だけが弱点となり、そこを射抜かれて死ぬという悲劇のいきさつに興味を覚えたのであろう。一体、映画ではそこのところがどんなふうに描かれるのかに興味があった。
 これは、最後のクライマックスで、ブラッド・ピット演じるアキレスが、まさに踵を矢で射抜かれ、動きを封じられたところを文字通りの矢継ぎ早の矢を放たれ殺されてしまうのだ。
 ふーん、そんなふうな感じだったのかと思い、子ども時代に読んだギリシア神話の本の挿絵を思い出そうともしていた。

 なぜ、アキレスのそんないきさつに関心を持ったかということであるが、それは結局、不死身の強さというものへの、打ち消し難い不信感なり、抵抗感なりがあったからなのかもしれない。
 子どもごころにとっては、「パーフェクト」に強い存在への憧れと同一化の心理が、先ずは当然ながら生まれるはずである。しかし、「パーフェクト」に強いということと、ほぼ「パーフェクト」にだらしない自分との対比はどこかで折り合いをつけなければ居心地が悪くなるとでも言うのであろうか。「パーフェクト」なヒーローにも弱点があることを、こころのどこかで望んだりしているのかもしれない。
 今風に言えば、マンガ「ドラエモン」が、何でも願望を叶えるパワーを持ち、子どもたちから羨望の眼差しで仰がれながら、多くの子どもたちと同様に犬を恐がるという一事において、一挙に「友だち」ドラエモンに落ち着くことと同じなのであろう。

 映画「トロイ」の見せ場はいくつもあるが、やはり、あの「トロイの木馬」がどのように効を奏するのかという場面も、興味津々であるに違いない。
 インターネット時代の昨今にあっては、「トロイの木馬」と言えば、コンピュータ・セキュリティ問題として、ハッカーが仕掛けるウイルスの一種ということになろうか。
 要するに、敵を欺きまんまと敵陣に侵入して、敵が寝静まった頃に策謀のアクションを繰り広げる、という手口である。
 この映画を観ていても、視点のひとつは、城門の前に置かれた巨大な木馬が、一体どのような経緯で場内に引き入れられるのか、というトロイ側の動機以外ではなかった。確か、神殿に供えてもらいたいという敵の甘言に乗ってしまうということであったかと思う。中に、「焼き払いましょう」という警戒心を抱く者もいたのに対して、王が広場へ入れよと判断ミスをしてしまったようであった。
 トロイ市民も王の判断を歓迎し、また一種の「サプライズ」に違いない巨大な贈り物に大はしゃぎしてしまうのである。そして、街中が寝静まってしまった深夜に、まるでヘリコプターから黒尽くめの特殊部隊の隊員たちがロープで地上に潜入するように、アキレスを含むギリシャ戦士たちが次々に暗い広場に降下する。ここから、トロイの陥落が始まってゆくのであった。

 「蟻の這い出る隙間もない」という「パーフェクト」さを形容することばがあるが、トロイ戦争という出来事が物語るものは、アキレスの踵といい、強固な城壁による防備を策略で攻略する木馬といい、「パーフェクト」ということは、実のところあり得ない、という逆説であるように思われた。
 どうも、こうした逆説的な側面への感度というものが、現代のわれわれには思いの外必要なのかもしれない、とそんなことを考えていた。
 「コイズミ木馬」がやすやすと国民広場に迎え入れられ、今、「大増税」路線や、「憲法改悪」路線などの勝手放題な反国民的な政策が粛々と進められようとしている経緯を観せつけられと、やっばりか、という苦い思いが打ち消せないわけだ…… (2005.10.30)


 「この世界は自分のためにあるものではない」という漠然とした思いを抱く人はいても、その怜悧な自覚の前で打ちひしがれることなく世界に対峙する人はそんなにはいないのではなかろうか。
 この時代では、世界は自分のためにあるととんでもない誤解をする絵に描いたバカが多いのは周知である。だが、世界が自分を拒絶するような、そんな失意を経験しても、世界との関係を唾棄しようとはしない人は稀有だと思われる。
 そもそも、自分と世界とを天秤にかけられるほどに、自分と、世界との双方の重みを額面どおりに掌握する人も少ないはずなのかもしれない。多くの人は、この世界はみんなのものであるという実におざなりな捉え方をするや否や、「自分のための世界でもある」という極めて当然な事実と主張をも放棄していると見えないでもない。
 かと言って、聞きようによっては、傲慢とも聞こえてしまう、そんな意味での「自分のための世界」ということを言っているのではない。生命を受けていながら「自分なんか……」と斜に構えるような卑屈な誤解から解き放ってくれる最後の一線での踏ん張りの想いとしての「自分のための世界」だと言えばいいのだろうか。誰にでもなくてはいけない「自分のための世界」という観点のことなのである。
 しかし、時として、そんな想いをも打ち砕かれる境遇に追い込まれるのも、また人生なのかもしれない。そんな時に、あたかも、「われを見捨て給うや」との響きにも似た透明な言葉として突き上げてくるのが冒頭の言葉であるような気がしたのだ。

 初っ端からスパートをかけてしまったが、その言葉は、昨日、就寝前に何気なく見たTV番組での、ピアニスト・フジ子・ヘミング女史が番組中で語っていた言葉なのである。(NHKアーカイブス/ETV特集「フジコ 〜あるピアニストの軌跡〜」 1999年[平成11年]2月11日放送の再放送)
 番組の内容は、次のように紹介されていた。
<フジ子・ヘミングは自らを年齢不詳、国籍不明と語るピアニストです。幼い頃からその才能を発揮し、リストとショパンを弾くために生まれたと高く評価されていました。しかし、風邪が原因で耳がほとんど聞こえなくなってしまい、フジ子の名前は音楽界から忘れ去られていました。番組では、もう一度、聴衆の前で演奏がしたいと願うフジ子が、日本での復帰コンサートに挑むまでの日常を描きます。>(http://www.nhk.or.jp/archives/fr_back.htm)

 フジ子の幼い頃の記憶は、喧嘩の絶えない両親の姿が基調となっているようだ。しかも、やがて父とわかれることとなり、欧州で、厳しい母との貧しい生活を送ったという。
 その後、5歳の時に帰国し、母の手ほどきでピアノを始める。10〜20代には、多数の賞を受け、ピアニストとして脚光を浴びる。だが、28歳でドイツへ留学し、レナード・バーンスタインからの支持をも受けるという矢先に、リサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失うというアクシデントに見舞われたそうだ。
 ここから、苦悩の日々が始り、耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得、以後はピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続けることとなったそうである。
 そして1995年に帰国後、1999年2月11日には、フジ子のピアニストとしての軌跡を描いたNHKのドキュメント番組、自分はこれを見たわけだが、これが放映され、大反響を巻き起こすに至ったというのがいきさつのようだ。

 番組では、フジ子女史によるピアノ演奏も放映されたが、リスト作曲の「ラ・カンパネラ」などは、彼女の起伏ある人生が下敷きとなって聞こえてくるからであろうか、筆舌し難い感銘を与えるものであった。
 ピアニストとしての技量に加えた、彼女自身の半生の数奇な「ドラマ」性は、確かに人々を惹きつけてやまないものであろう。
 しかし、わたしがそうした「ドラマ」性を素直に受け容れたのは、冒頭の言葉をはじめとするフジ子女史の凛とした生きる姿勢を感じ取ったからかもしれない。
「誰が弾いても同じなら、私が弾く意味なんかないじゃない」、大事にしたいのは「私だけの“音”よ」と言い切る人だからこそ、自分と世界とを、決して臆することなく天秤にかけることができるのだと思えた…… (2005.10.31)