明日は天候が崩れ、桜の花見をするならば今日しかない! と、天気予報が伝えていたその誘導にまんまと乗ったというかたちになるのかもしれない。今日は、花見ならぬ潮見(?)で、江ノ島を散策してきた。(「疑ふな 潮の花も 浦の春」という芭蕉の句碑が江ノ島にはある。それに添うならば、「潮の花」見といったところか……)
日頃出不精な自分であったが、昨日から明日はどこかへ行きたいともらしていた家内に押された格好で、クルマを使わず小田急電車で江ノ島へ行くことにした。
父親の看病、葬式、四十九日の法要と、家内は確かに心痛続きであったことは傍目からもわかっていた。何らかの気分転換を望んだとしても無理もないと思えた。だから、江ノ島へ行きたいと言い出した時、反対する理由がなかった。
ただし、今日のような日に、当然込み合う道路にクルマを出すことは考えものであった。かと言って、電車を使う場合とて混雑は目に見えてはいたが、クルマの渋滞その他で余計な神経をすり減らすことから較べればましだとも思えたのだ。
案の定、小田急線下りもかなりの混みようであったし、江ノ島界隈も大いに賑わっていた。考えてみれば、決して花見のターゲットポイントでもない江ノ島であるにもかかわらず、こんなに賑わう人出というのもおもしろいものだと思えた。
そして、今日、みやげ物店に挟まれた通路を埋める老若男女の人出の中で、自分はふと、江ノ島の初詣の賑わいを想像したりしたものであった。今日の人出は、正月の初詣の人出に次ぐような賑わいではないかと思ったことに端を発する。
江ノ島には弁財天を中心とした神社がいくつもあるし、また、「初日の出」詣でということもあろうから、おそらく、正月に訪れる初詣客の数はかなりのものではないかと想像したのだ。春や秋、そして夏場には何回か訪れたことはあったが、正月に来ることはなかったのだ。しかし、これだけの神社があり、人寄せパンダならぬ数々の観光環境があれば、初詣客が放っておかないだろうと思った。だからどうということでもないが。
で、その正月にも、今日のように、イカの姿焼きやさざえのつぼ焼きなど、醤油が焦げる香ばしい匂いがみやげ物店が建ち並ぶ通路や階段に立ち込めるのであろうし、それらと潮の香と混じった江ノ島ならではの熱っぽい空気が島中を包むのであろう、と。
江ノ島といえば、どうしても城ヶ島と比較したくなってしまうわけだが、城ヶ島はどうも昨今賑わいに乏しく、みやげ物店通りもさびれがちな雰囲気であるようだ。が、よくよく考えてみると、残念ながら初詣で賑わうという想像ができないわけだし、その理由としてはあそこには、由緒ある神社がないことに気づくのである。
もうひとつつまらないことではあるが気にとめたことは、今日も江ノ島の地に踏み込んで気づいたわけだが、野良猫の扱いの違いである。どうも江ノ島では、野良猫たちに市民権が与えられているかのようである。歩いていても、しっかりと肥えた首輪のない猫に出会うし、段ボール箱の簡易猫小屋が目に入ったり、木戸の下に猫用の潜り穴が設えてあったり、どう見ても、やや「猫様」扱いの空気が感じられたのである。
それに対して、いつぞやも書いたが、城ヶ島では、ある時期から急に野良猫たちの数が減り、その背後には、それらしき人為的な動きが見え隠れしたのである。何年か続けて城ヶ島のホテルで夏の休暇を過ごした時期に感じ取った事実なのであった。
江ノ島がなぜ「猫様」空気なのかは定かではないが、みやげ物店でやたらに「招き猫」の置物が目についたこととひょっとしたら関係があるのかもしれないと思えた。江ノ島は、弁財天を祀り、芸能(歌舞伎役者たちもいまだに訪れているようだ)とともに確か、商いをも支援するという風潮がかねてからあったかと記憶している。で、その商いということになれば、「招き猫」の張本人たる生きた猫たちの株が上がるのも頷けるわけなのである。
しばらく江ノ島に来なかった間に、あたらしい観光ターゲットができたのにもやや驚いたものだった。島の入口に温泉ができていたし、何よりも、平成15年に、いまや島のシンボルとなってしまった海抜100メートルを優に超える「江ノ島展望灯台」が完成していたのだ。今日は、その展望灯台に登ってみたが、実に見晴らしが良く、湘南海岸とその海岸沿いの活気ある光景を思う存分に被写体とすることができたのだった。
とにかく、江ノ島には、活気というものを感じることができた。人出の象徴たる正月の初詣が十分に想像可能、芸能・商売の空気充満、釣り場としての賑わいあり、温泉あり、ウインド・サーフィンの若者あり、水族館あり……。おまけに、猫たちもいれば、少なくないトンビやカラスたちも元気。今日は、海岸で缶ビールを飲みながらつまみのスルメを袋から出そうとしていた時、危うく背後から急下降してきたトンビにその袋を持ち去られようとしたのにはたまげた。そんな光景がその前後にも何回か見受けられたのである。人間だけでなく、動物たちもエネルギッシュなのが江ノ島界隈ということのようである。
最後に、ちょっとしたおもしろい事実を知ることができた点を書き添えておく。
これまで、落語などで庚申信仰(こうしんしんこう)については聞いており、庚申の晩には皆が面白おかしい雑談をしながら徹夜をするということがあったらしいのだが、なぜそんなことをするのかが、いまひとつわからなかったのである。
その謎が、今日、江ノ島のとある「碑」を目にすることで解けたのだった。
<人間の体内には、三尸(さんしん)という三匹の虫がいて、常に人間が犯す罪過を監視し、庚申の晩に体内から抜け天にあがり点帝に罪過を報告し、人間を早死にさせるという。だから庚申の晩は、常に徹夜をしていれば体内から抜け出し報告できないので、早死にを免れ長生きできるという、中国道教の教えからはじまっています。(江ノ島、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の碑より)>
今日は、新しい年度のはじまる4月1日。そして、自分の誕生した月のはじまりでもある。そんな日に、活気とエネルギーというものの気配を、たまたま足を向けた江ノ島で知ることになったこと、それに何かしら意味を見出したいような心境でいる…… (2006.04.01)