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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2006年04月の日誌 ‥‥‥‥

2006/04/01/ (土)  活気とエネルギーの気配に満ちた江ノ島?
2006/04/02/ (日)  国民は、一体何に「加担」するのだろうか?
2006/04/03/ (月)  パタパタスリッパの幼女が独演?
2006/04/04/ (火)  国民自身が、聡明でしたたかな「メディアリテラシー」を!
2006/04/05/ (水)  『何を見ても何かを思い出す』&「何を見ても何も思い出さない」?
2006/04/06/ (木)  良い習慣とは、身体を上手く飼い慣らしてこそできる?
2006/04/07/ (金)  両手にナタを握り締めて、形相荒々しくも仁王立ち!
2006/04/08/ (土)  知らずにいる人の方が多かろうサクラの木の「沿革」話?
2006/04/09/ (日)  まさに春の陽気の日曜日に連なる平凡な出来事……
2006/04/10/ (月)  「寝た子は起こすな!」「寝ない子は叩き、泣き寝入りさせよ!」
2006/04/11/ (火)  計算力、記憶力なんてクソくらえ!?
2006/04/12/ (水)  先ずは、ものぐさ太郎から脱皮すべし!
2006/04/13/ (木)  「言ってることと、やってることとが正反対!」というイカサマ横行
2006/04/14/ (金)  なんでもない「平安な気分、平静な気分」と、現代的な無数の快楽……
2006/04/15/ (土)  「頭に来た」次には、「腰に来た」畑仕事?
2006/04/16/ (日)  「衝動買い」の正体をまざまざと見る思い……
2006/04/17/ (月)  「屋上」と「天窓」と、そして「落とし穴」……
2006/04/18/ (火)  <経済主義と私生活主義を掛け合わしたような価値観>!
2006/04/19/ (水)  「安全基地の確保」と「新しい可能性の探求」との両立が動物の生存条件!
2006/04/20/ (木)  「安全基地」にとどめを刺してはいけない!
2006/04/21/ (金)  晴れやかな天気の日は幸いなるかな……
2006/04/22/ (土)  「ゾルバ」のような男たちを包み込むような時代環境が……
2006/04/23/ (日)  「非!」現代人的活動にいそしむことでの疲労回復?
2006/04/24/ (月)  「格差社会」――「実力社会」――「悪平等社会」……
2006/04/25/ (火)  旧ドイツ軍の軍用車「キューベル・ワーゲン」がうちの近所に存在する!
2006/04/26/ (水)  「お若いの、お前さんの脳は、ほぼビョーキだよ」……
2006/04/27/ (木)  「視覚情報収集セクション」(=目)のオーバーワークを見直すべきか……
2006/04/28/ (金)  記憶という脳の機能に斬新な視点を!
2006/04/29/ (土)  いよいよ「大型連休」に突入!(どうということもないが……)
2006/04/30/ (日)  やってはいけないのかなあ…… 久々の「夢解釈」……






 明日は天候が崩れ、桜の花見をするならば今日しかない! と、天気予報が伝えていたその誘導にまんまと乗ったというかたちになるのかもしれない。今日は、花見ならぬ潮見(?)で、江ノ島を散策してきた。(「疑ふな 潮の花も 浦の春」という芭蕉の句碑が江ノ島にはある。それに添うならば、「潮の花」見といったところか……)

 日頃出不精な自分であったが、昨日から明日はどこかへ行きたいともらしていた家内に押された格好で、クルマを使わず小田急電車で江ノ島へ行くことにした。
 父親の看病、葬式、四十九日の法要と、家内は確かに心痛続きであったことは傍目からもわかっていた。何らかの気分転換を望んだとしても無理もないと思えた。だから、江ノ島へ行きたいと言い出した時、反対する理由がなかった。
 ただし、今日のような日に、当然込み合う道路にクルマを出すことは考えものであった。かと言って、電車を使う場合とて混雑は目に見えてはいたが、クルマの渋滞その他で余計な神経をすり減らすことから較べればましだとも思えたのだ。

 案の定、小田急線下りもかなりの混みようであったし、江ノ島界隈も大いに賑わっていた。考えてみれば、決して花見のターゲットポイントでもない江ノ島であるにもかかわらず、こんなに賑わう人出というのもおもしろいものだと思えた。
 そして、今日、みやげ物店に挟まれた通路を埋める老若男女の人出の中で、自分はふと、江ノ島の初詣の賑わいを想像したりしたものであった。今日の人出は、正月の初詣の人出に次ぐような賑わいではないかと思ったことに端を発する。
 江ノ島には弁財天を中心とした神社がいくつもあるし、また、「初日の出」詣でということもあろうから、おそらく、正月に訪れる初詣客の数はかなりのものではないかと想像したのだ。春や秋、そして夏場には何回か訪れたことはあったが、正月に来ることはなかったのだ。しかし、これだけの神社があり、人寄せパンダならぬ数々の観光環境があれば、初詣客が放っておかないだろうと思った。だからどうということでもないが。
 で、その正月にも、今日のように、イカの姿焼きやさざえのつぼ焼きなど、醤油が焦げる香ばしい匂いがみやげ物店が建ち並ぶ通路や階段に立ち込めるのであろうし、それらと潮の香と混じった江ノ島ならではの熱っぽい空気が島中を包むのであろう、と。
 江ノ島といえば、どうしても城ヶ島と比較したくなってしまうわけだが、城ヶ島はどうも昨今賑わいに乏しく、みやげ物店通りもさびれがちな雰囲気であるようだ。が、よくよく考えてみると、残念ながら初詣で賑わうという想像ができないわけだし、その理由としてはあそこには、由緒ある神社がないことに気づくのである。

 もうひとつつまらないことではあるが気にとめたことは、今日も江ノ島の地に踏み込んで気づいたわけだが、野良猫の扱いの違いである。どうも江ノ島では、野良猫たちに市民権が与えられているかのようである。歩いていても、しっかりと肥えた首輪のない猫に出会うし、段ボール箱の簡易猫小屋が目に入ったり、木戸の下に猫用の潜り穴が設えてあったり、どう見ても、やや「猫様」扱いの空気が感じられたのである。
 それに対して、いつぞやも書いたが、城ヶ島では、ある時期から急に野良猫たちの数が減り、その背後には、それらしき人為的な動きが見え隠れしたのである。何年か続けて城ヶ島のホテルで夏の休暇を過ごした時期に感じ取った事実なのであった。
 江ノ島がなぜ「猫様」空気なのかは定かではないが、みやげ物店でやたらに「招き猫」の置物が目についたこととひょっとしたら関係があるのかもしれないと思えた。江ノ島は、弁財天を祀り、芸能(歌舞伎役者たちもいまだに訪れているようだ)とともに確か、商いをも支援するという風潮がかねてからあったかと記憶している。で、その商いということになれば、「招き猫」の張本人たる生きた猫たちの株が上がるのも頷けるわけなのである。

 しばらく江ノ島に来なかった間に、あたらしい観光ターゲットができたのにもやや驚いたものだった。島の入口に温泉ができていたし、何よりも、平成15年に、いまや島のシンボルとなってしまった海抜100メートルを優に超える「江ノ島展望灯台」が完成していたのだ。今日は、その展望灯台に登ってみたが、実に見晴らしが良く、湘南海岸とその海岸沿いの活気ある光景を思う存分に被写体とすることができたのだった。
 とにかく、江ノ島には、活気というものを感じることができた。人出の象徴たる正月の初詣が十分に想像可能、芸能・商売の空気充満、釣り場としての賑わいあり、温泉あり、ウインド・サーフィンの若者あり、水族館あり……。おまけに、猫たちもいれば、少なくないトンビやカラスたちも元気。今日は、海岸で缶ビールを飲みながらつまみのスルメを袋から出そうとしていた時、危うく背後から急下降してきたトンビにその袋を持ち去られようとしたのにはたまげた。そんな光景がその前後にも何回か見受けられたのである。人間だけでなく、動物たちもエネルギッシュなのが江ノ島界隈ということのようである。

 最後に、ちょっとしたおもしろい事実を知ることができた点を書き添えておく。
 これまで、落語などで庚申信仰(こうしんしんこう)については聞いており、庚申の晩には皆が面白おかしい雑談をしながら徹夜をするということがあったらしいのだが、なぜそんなことをするのかが、いまひとつわからなかったのである。
 その謎が、今日、江ノ島のとある「碑」を目にすることで解けたのだった。
<人間の体内には、三尸(さんしん)という三匹の虫がいて、常に人間が犯す罪過を監視し、庚申の晩に体内から抜け天にあがり点帝に罪過を報告し、人間を早死にさせるという。だから庚申の晩は、常に徹夜をしていれば体内から抜け出し報告できないので、早死にを免れ長生きできるという、中国道教の教えからはじまっています。(江ノ島、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の碑より)>

 今日は、新しい年度のはじまる4月1日。そして、自分の誕生した月のはじまりでもある。そんな日に、活気とエネルギーというものの気配を、たまたま足を向けた江ノ島で知ることになったこと、それに何かしら意味を見出したいような心境でいる…… (2006.04.01)


 昨日は、計らずも元気のある「江ノ島」とそうではないかもしれない雰囲気の「城ヶ島」とを比較してしまった。
 ところで、この対比をアナロジー的にシリアスな問題に置き換えてみると、ひょっとしたら「城ヶ島」的凋落(?)とは、何を隠そうこの日本という国の現在ではなかろうかと、今日は思ったりしたのである。元気な「江ノ島」に値する国は中国だと言えないこともないが、それはともかく、構造的な凋落傾向の根拠を抱えているかに見える「城ヶ島」は、これまた、そうした構造的なそれを抱えて身動きがとれないかのようなこの国の現状と酷似しているかのようである。

 現在の日本が抱えた凋落傾向の原因の最たるものは、何といっても「少子高齢化、人口減少」であるに違いない。

<日本の中位数年齢(現在生きている人の年齢の中央値)は、戦後猛烈な勢いで上昇した。一九九〇年代に入ると他の先進国を抜き去り、世界でもっとも平均寿命の長い国となった。このままのペースでいけば、二〇二五年には日本の中位数年齢は五十歳を超えると予測されている。……日本以外には中位数年齢が五十歳を超える国はない。とりわけアメリカは四十歳にも満たない。
 過疎化の進んだ地方の町や村に行くと、若者の姿をほとんど見かけず、高齢者にしか出会わないような場所があるが、イメージとしては日本全体がそうした活気のない、どんよりとした国になってしまうということだ。
 会社に置き換えて考えてみるといい。五十歳以上の社員が半数以上を占める会社に、斬新なアイデアや、新しい技術を開発するチャレンジ精神がわき上がってくるだろうか。
 中位数年齢が五十歳を超えるとはそういうことで、当然、新しい産業を生み出す活力も失われ、経済はさらなる衰退の道をたどるしかなくなるのである。>(大前研一『ロウアーミドルの衝撃』、2006.01.25)

 もちろん、「少子高齢化」という人口的問題だけが、今の日本を脅かしている原因でないことは、「江ノ島」と「城ヶ島」との比較においてさえも、住民の年齢だけが現象に反映されているわけではないのと同様である。
 このまま行けば日本が長期の凋落傾向を歩むことを危惧する上記の大前氏も、「世界史上でも例のないほどの少子高齢化」という人口問題もさることながら、それ以上に重要な問題に着目しているのである。
 「誤った財政政策のために積みあがってきた1,000兆円もの公的債務」という借金財政の問題も、「衰退どころか国家破綻の危険性」さえあると指摘している。
 が、今、日本の長期衰退に関して最も注視すべき問題は、いわゆる「二極化社会」の到来だと見ているようである。

<この間に日本に起こった変化の本質は、長期衰退の中で所得階層が二極化し、M字型社会へと移行したことである。すなわち、人口分布が中低所得層と高所得層にピークを持つ階層社会の出現だ。その結果、九〇年代後半から始まった所得の現象にともない、日本の常識とされてきた"総駐留社会"が崩壊。年収六00万円以下のロウアーミドルクラス(中流の下層)以下の人たちが八割を占めるようになった。
 この構造変化は、日本人にとって極めて重大な意味を持つ。
 戦後、日本は高度経済をとげながら、一貫して総中流社会を築くことに邁進してきた。会社に入った当初は給料が安くても、定期的に昇給・昇進があり、最後にはアッパーミドルクラスで諦念を迎える…… その常識が崩壊し、「下手をすると、一生ロウアーミドルクラスで終わるかもしれない」と多くの人が感じ始めている。景気回復に明るさがないのは偶然ではない。>

 これらの大きな経済的変化に加えて、次のような「高負担時代」に突入するという状況は極めて憂慮すべき事態だとも述べる。

<二〇〇五年は、政府が高負担路線へと大きく舵を切った年であった。その前兆として二〇〇〇四年一〇月に厚生年金の保険料が上がり、十二月には配偶者特別控除(上乗せ部分)の原則廃止が決まった。そして二〇〇五年に入ると老齢者控除(所得控除額五〇万円)の廃止、公的年金等控除の六五歳以上の上乗せ廃止、住宅ローン減税の縮小と、立て続けに実質的な増税策が取られ、四月には定率減税の段階的廃止が始まり、国民年金の保険料アップが続いた。
 さらに二〇〇九年をめどとして介護保険料徴収年齢の引き下げが検討されており、二〇〇八年度にはいよいよ消費税率のアップがあると予測されている。>

 そして、こうした結果、
<国民の生活は成り立たなくなり、当然、日本の社会は大混乱に陥る。最悪のシナリオは「世代間闘争」になり、若い世代が年金の支払いや社会保障料の負担を拒否し、高齢者を完全に切り捨ててしまうことだ。巷には生活の糧を失ってホームレスと化した老人があふれ、将来への希望をなくし、働く意欲を喪失した若者が犯罪に走るといった、非常に荒廃した国家になってしまう可能性が極めて高い。>
と、かなりシビアな現状認識を示している。しかし、犯罪という社会の象徴現象を見るかぎりは、もはや「可能性」という段階ではなく事実と化しているような気配さえ感じてしまう。
 大前氏は、もちろん、こうした惨憺たる現状認識を踏まえて、これらの日本の凋落傾向を食い止める策を提示するわけである。

 ただ、「生活者主権」の概念に基づき「生活者自身が声を上げ、改革のアジェンダを突きつけろ!」という提案は、まさに完璧な正解ではあるのだが、この国のどんよりとした「城ヶ島」的空気と、さらにまた、まやかしと目くらましとで満ちた人でなしの空気は思いのほかしたたかであるようにも見える……
 こうした状況で、しばしば行き当たるのは、「加担」ということばである。まやかしと目くらましに、国民が「加担」しつつ、出口を塞いでしまうのが、悲しいかなリアル・ワールドなのであろうか。だとすれば、真の改革への流れにどうすれば多くの国民が「加担」することになるのか、そこがポイントであるに違いない…… (2006.04.02)


 小さな子どもの可愛さには恐れ入る。
 先日、とある皮膚科の診療所に出向いた。毎年、汗をかくようになると首筋にできるあせもが煩わしく、塗り薬をもらいに行ったのだった。
 待合室には順番を待っている大勢の患者たちがいた。うんざりして、もう、帰ろうかとも思った。が、せっかくここまで来たのだからと、座って待つことにした。ただ待っているのは退屈過ぎるので、腕組みをして眠ってしまうことに決めた。
 しばらく居眠りをしていたはずである。すると、何やら小さな子どもの声が聞こえてきた。
「にゃあー、ふにゃふにゃ……、ぶつぶつ、にゃあー……」
と、何だかわけのわからない呟きのようであった。
 声のする方を振り返ってみると、小さな女の子が、木製の幼児用の小さな椅子に腰掛けて、「読書」をしている様子であった。大人たち用のビニール張りの長椅子のすぐ隣に、小さな子ども用の可愛らしい椅子が設えてあり、その子は、これが自分専用の椅子だとばかりに行儀良く腰掛けて小さな絵本を読んでいたのである。読んでいるといっても、まだ文字が読めるのかどうかが定かではない歳頃のように見受けられた。
 いわゆるおかっぱ頭に、ツーピースの洋服を着て、なんだか顔も頭も、そして身体全体が小粒な感じであり、そんな子が小さな椅子に座っている格好は、人形の置物のようでさえあった。

 が、人形と異なるのは、絵本を「読んで」いる点である。猫が登場してくる絵本なのであろうか? 猫の鳴声を真似たり、別の登場人物の子どもの会話を勝手に作っているのであろうか、独りで「読書ごっこ」をしている様子なのである。
 一冊の絵本を見終わると、その本を小脇に抱え、この診療所に据えられたスリッパを慣れない様子でパタパタと運びながら、書棚の方へと歩いて行く。
 書棚は、絵本などが斜めになって詰められていて、思うように読み終わった絵本を戻すことができないようである。何度も突っ込もうとしては叶わず、また別な箇所に突っ込もうとしては失敗し、やっとの思いで返却する。
 で、また別な本を探しているようだが、ふと、書棚の右隅の方に縫い包みの人形がいくつか置いてあることに気づいた様子である。とりあえず、別の絵本を確保したその足で、その人形を取りに行くのだった。パタパタ足で。

 別の絵本を小脇に挟み、ピエロのようで、ドラエモンのポケットを持ったような何だかわけのわからない人形を抱いて、その子はうれしそうに「自分専用椅子」に戻ってくるのだった。どうも、この際は、絵本よりも人形の方に関心が移っているようである。小脇に挟んだ絵本がとりあえずは邪魔のようで、それをどこかに置きたい素振りをする。きょろきょろと周囲を見回し、やっと大人用の長椅子の一角にそれを置く。
 そして、そのへんてこな人形を大事そうに抱え、今まで自分が座っていた木製の小さな椅子の真ん中に、「はい、どうぞ!」というような呟きとともに座らせていた。で、再度その姿を見下ろしては、「そこならいいでしょ?」というようなことを話しかけている。 が、何を思ったのか、またまたパタパタ足で先ほどの人形コーナーへと小走りで戻って行く。よくわからないが、小指ほどの大きさのプラスチックのニンジンか何かを意図ありげに掴んで戻って来たのだった。それを、はじめは、椅子に座らせられたピエロのような人形の尖がった帽子に付けようとしている。が、うまくゆかない。そこで、ああそうかという感じで、「ドラエモンポケット」のような部分にそれを入れて、これでよし、と納得している。そんなものを取りに行ったのは、ピエロの人形をただ独りだけで座らせておくのは、退屈するとでも思ったのかもしれない。

 これで終りではなく、そのあともまた「見もの?」だったのである。その子は、これで一応ピエロのお人形さんに関しては一件落着したと感じたのであろうか、脇に置いた別の絵本へと関心を戻していくのであった。それを、落ち着いて「読もう」と思ったのだろう。ところが、落ち着ける場所、「自分専用椅子」には、だれが置いたかピエロ人形がニンジンをポケットに入れて座り、落ち着いているのである。どうしよう、困った。で、その子は、その「自分専用椅子」の隅っこに腰掛けようとして、まるで、満員電車の中の席取りゲームのように、ジリジリとピエロ人形をお尻で押して座ろうとしているのであった。満足そうに居座ってしまったピエロさんを怒らせてはいけないし、かといって自分も落ち着いて座らなければ「読書」ができない。ピエロさんと自分との妥協点を何とかとて見出さんと苦肉の策を進めるところなのであろう。
 さてさて、どうなるか……、と興味津々となったその時、
「ヒロセさん、診察室へどうぞ」
と呼ばれたのであった。

 とにかく、人間の脳へと必死に接近しようとしている段階の幼子の行動は、見ていて飽きないものである。たぶん、今は、憎憎しくも偉そうな素振りでいる自分自身とて、当時は、大人たちを微笑ませたアクションの連続だったに違いないわけだ…… (2006.04.03)


「言葉は 感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも 私たちは信じている、言葉のチカラを。」

 これは、朝日新聞の「ジャーナリスト宣言」である。時々、TVでもこのメッセージが流されており、その都度、賛意を感じている。
 わたしに言わせれば、現在のマス・メディア状況は、アホでバカな政府におもねるアホの二乗、バカの三乗の値と成り果てている。そして、これらに無抵抗、無批判な一般大衆は、アホとバカを含有物とする情報の海で、もがくならばまだしも、溺れることを楽しんでいるかのようである。一昨日、「加担」ということばを使った理由の一端はまさにここにあるということだ。

 今朝の朝日新聞の朝刊に、「メディアリテラシー先進国カナダでは」という見出しの記事があった。ハイスクールにおける、テレビや映画、新聞などを取り上げての「メディアの授業」というものを紹介している。(ちなみに、日本の高校では、生徒に関心を持ってもらうために、教科書に漫画というメディアを取り入れたとかである。それに目くじらを立てるつもりはないけれど、問題は別なところにあり、歴史の教科書などに、事実とは異なるかったるい綺麗事を並べるから興味がそがれるという点ではなかろうか……)
 こうした授業は、カナダに限らず、米国その他の先進国ではめずらしくないかたちで行われていると聞いている。以前に、<米国の教育では、まるで外から帰ったら手を洗いうがいをするのが当然のごとく、マスメディアやインターネットなどからの情報への批判力を高めることが常識化しているようだ。悪意に満ちた「ヘイト・サイト」などが無視できないからなのであろう。>(当日誌 2004.02.16より)と書いたことがある。
 それに較べて、この国ではあまりにもメディアに対する姿勢が甘い。だから、TVをはじめとするさまざまなメディアに、驚き、モモの木以外ではない不快で稚拙な情報が野放しにされているのであろう。
 インターネットのメールにも、「おまえはビョーキだよ!」と言わざるを得ないような低俗極まりない迷惑メールが頻繁に飛び込んでくる。もっとも、それらはすべて、一次ゲートとしてのメールソフトで食い止めて即座に破棄しているのであるが、そうした悪臭甚だしいゴミを撒き散らかしている「ビョーキ」に違いないメール発信人自身を糾すべきであろうと常々思ったりする。

 上述の新聞記事に「メディアリテラシー」ということばが説明されていた。
<メディアによる情報を読み解く力。英国が発祥の地とされる。「メディアは現実を伝える」ものではなく、「メディアは現実を構成する」という立場で情報を分析、判断するという「メディア時代の読み書き」能力。学校での取り組みの中心はテレビだが、新聞、雑誌、インターネットなども取り上げられる>

 さすがに、ろくな教育機会がなくとも、「メディアは現実を伝える」ものと信じている者は少ないに違いなかろう。オールド世代ならいざ知らず、現在の若い世代は、メディアが伝えるものがフィクション性の高いことを動物的な感覚で察知しているようである。いわゆる、「距離」を置いてクールに接しているということである。しかし、「距離」を置くとか、半信半疑でいるとかという姿勢で足りるのかという点が気になるのである。
 たとえば、TVコマーシャルで耳タコふうに聞かされている商品には、やはり何らかの反応を示してしまうというのが現実ではないかと思う。そのTVコマーシャルに「サブリミナル」操作が施されていなくともである。これが日常メディア、とくにTVの恐いチカラなのだと思う。だからこそ、スポンサーは、桁外れに高額な宣伝広告費を投入するのであろう。そして、相変わらず「テレビでお馴染みの……」とやるわけだ。
 「距離」を置くというような曖昧なクールさではなく、「良く言うよ、ウソ八百を。そうではない事実を自分は確認しているし、そうしたウソをつく根拠と、ウソだからこそそうした表現しかできないことも重々承知している!」というほどの、毅然とした拒絶と批判力こそが、現代のこの国にあっては必要なのではないかと思っている。

 いずれにしても、現在のように、国民がいい加減な政府の最悪な政策方向に「加担」させられているのは、その大半の原因が、この辺にあるのだと確信して疑わない。つまり、国民自身が、聡明でしたたかな「メディアリテラシー」を培えないでいる、という点にこそこの国の最大の不幸が横たわっているわけだ…… (2006.04.04)


 ヘミングウェイの著作に『何を見ても何かを思い出す』[ "I Guess Everything Reminds You of Something" (1987)]という短編があったことを、思い出す。と言っても、とりわけ何か意味のあることを書こうとしているわけではないのだ。
 自分はこの短編を読んでいないので、なんとも言えないはずであるが、察するところ、「何を見ても『あなたのこと』を思い出す」ということなのであろうか……。そうだとすれば、これは結構、辛い心境のはずだろうと想像する。きっと、親しくしていた者や最愛の誰かを失った場合、あるいは、ペットでもこころを許して可愛がってきた場合には、ひょっとしたらそんな心境となるのではなかろうか。
 これは、記憶というものがその役割りを忠実に果たし過ぎることによって、当人をこの上なく切ない想いにさせるという、苦しい「逆説」であるかのような気もする。
 「逆説」ではなく、いわば「正説」(?)である記憶の役割りというのは、きっとポジティブなものを指すはずだろう。どこへ片付けたか忘れてしまいかけたモノを思い出したりするのがそれである。
 また、懐かしさの対象に収まってしまうほどの昔の記憶というものは、当時の苦しさ、辛さがほどよく緩和されてしまう。そして、楽しく、麗しく美化された想念に変形され、そうした記憶は、ご当人を幸せな心境にさせることになる。
 これらが、記憶の「正説」的役割りなのだと思う。それに対して、「何を見ても『あなたのこと』を思い出す」といった記憶は、やはり残酷過ぎるわけで、それは「逆説」的役割りだと言うほかないような気がするのである。

 それはそうと、ひょっとしたら、現代という時代は、「何を見ても何も思い出さない」ような、そんな環境を「でっち上げてしまっている」のではなかろうか。まあ、ちょっと言い過ぎではあるかもしれない。しかし、これは何も自分が記憶力減退の歳頃になったからとばかりは言えないような、そんな気がしてならないのである。
 冒頭のことばのように、記憶というものは、見たり、聞いたり、あるいは匂いを自覚したり、要するに何らかの感覚的対象に触発されて活性化するもののはずである。つまり、自然環境や住環境など、フィジカルな環境が人の記憶というものを支えているような気がするわけである。

 ちょうど今頃は、畑には菜の花が咲いており、そんな畑の近くを散歩したりしていると、時折、菜の花の特有な香りに気づかされたりするのである。と、その香りから、自分は今でも小学校に入学した当時の記憶が喚起されたりする。
 新しいランドセルの革の匂いを思い起こしたり、セルロイドの筆箱の手触りを思い出したり、何よりも、まさにピカピカの一年生! といったような新鮮さと緊張感とが入り混じった何とも言えない心境が蘇ってくるのである。
 これらは、菜の花の香りというトリガーがなければ、脳における地下何十階かの物置でフリーズしていたはずだと思われる。
 要するに、都会の環境変化の激しさと、個性が失われた住環境、そしてもちろん畑や野原といった自然環境の消滅などが、人の記憶が「育つ」ための足掛かりをどんどん奪っているかのような気がするのである。
 いや、確かに、記憶の足掛かりとなるものは、決して自然環境に限られるわけではなく、人工物の対象であっても十分に足場とはなるはずであろう。たとえば、東京タワーなどがそれであり、今でもそれを見ると「何かを思い出す」わけだから……。
 だから、都会の問題は、住居にしても街並みにしても「没個性的」な景観にあると言うべきなのかもしれない。が、まあそれが現代のデジタル主義がなせる業なのだと思われる。

 デジタルと言えば、現代のメディア環境は、まさに、人の記憶というものが、手掛かり、足掛かりとするはずであるきっかけ(ロッククライマーが探す、手掛かり、足掛かりとする岩場の凹凸や、クラックなどのアナログ的存在!?)が希薄なように思える。ただでさえ記号環境なのであるから、実感性に乏しい。実感が伴わない想念は、記憶とはなりにくいし、また既存の記憶を喚起する誘因にもなりにくいような気がするのである。
 これはまた、ちょっと異なる視点になるが、ニュースを伝えるTVの報道番組などを観ていて感じることは、「スピーディな羅列」という進行によって、記憶に残りにくい構造ができ上がってしまっているのではないかと危惧するのだ。
 それまで、イラクの自爆テロの惨劇が伝えられていたかと思えば、「さて、次はスポーツ! 今場所は、モンゴル勢が上位を占め……」というようなデジタル的場面展開がなされると、とりあえず、イラク情勢は、脳のワークエリアからデリートし、併せて目に残る惨劇の残像も素早くクリアしなければならないような段取りなのではなかろうか。とともに、記憶にとどまる可能性も限りなく縮小してしまうのかもしれない。
 
 こうして、生活のさまざまな局面において、かつての人間の生活が含んでいた「実感」というものが、サラリサラリと落ちこぼれてしまったかのような毎日が続くと、これはもう、「何を見ても何も思い出さない」無感動とアパシーとがぬらぬらと広がってゆくのかもしれない。
 人の命に手をかけることすら安易に行われてしまう事態は、倫理観が無くなったことが原因なのではないかもしれない。倫理観とかまともな思考とかを支えたり盛ったりする器である感覚や脳機能自体が、知らず知らず危険水域に踏み込んでいるのではないかと推定するわけなのである。
 現代人たちは、もはや「ドラッグ」なんぞに頼らなくとも、気軽に「幻覚状態」へのトリップを敢行しているのかもしれない…… (2006.04.05)


 今朝は、雲ひとつない青空で春らしい明るい天候であった。が、その分風が冷えていたように感じた。自転車での通勤途中、皮手袋をしているのに手が冷たくなる思いをしたものだ。「雲ひとつない青空」というような朝は、いわゆる「放射冷却」という現象が起きて空気は極度に冷えるかのようである。
 しかし、自転車通勤だからこそと思える良いことがある。昨日の雨にもかかわらず、あちこちの桜の木がたっぷりと花を湛えていて、こぼれる花びらを浴びたり、路面に敷きつめられた花びらを愛でながら気分良く自転車を走らせることができるわけだ。
 今朝はやや寒い思いをしたものだったが、これからは自転車通勤がまさに快適な時候となるのであろう。

 通勤で自転車を使うようになってから、朝の起床はさらに早くなった。以前は6時半起床としていたが、この間、6時20分、6時10分と10分単位で早めることにして、昨日今日は6時起床と相成った。
 なぜ早めることにしたかというと、時間によって自転車での走行ルートにいろいろな障害物が現れるからなのである。
 そのひとつは、長い急勾配の坂の途中で出会う「ランドセルご一行様」である。ある時間帯になると決まって彼らは歩いている、しかも歩道一杯に広がってタラタラと歩いているため、電動支援の自転車とはいうものの、ブレーキをかけかけ走るのが煩わしく思えてならないのである。
 今ひとつは、駅の近くの道路が、これもまた時間帯によっては「自転車ラッシュ」の様相を呈するからである。それも、通勤通学での遅刻をすまいと、みな必死の思いでスピードを上げているので危なっかしくてしょうがないのだ。
 つまり、こうした時間的タイミングによって生じる「ハザード」に、わざわざ巻き込まれる必要はなかろうと思い、やや早目に家を出ることにしたわけなのである。

 また、これからの時候は次第に夜明けが早くなるし、初夏の朝は気持ちの良いものだということも想定して、早起き早出勤をすることにしたのである。
 しかし、こんなことは若い頃や、一年前までの自分には考えられないことである。夜更かし朝寝坊がてっきり自分の揺らぎ難い特徴だと心得てしまっていたからだ。が、こんなことも、習慣化してしまえば何ということもないことであり、そんなことに今頃気づいたりしているのである。要は、きっかけを上手く得ることと、バカ正直さとガンコさで身体を慣らしてしまうことなのであろう。意志のチカラ云々というよりも、身体自体の傾向性とでもいうものや、や惰性を生かすことなのだろうと思える。
 人の身体というものが、小うるさい意識とは別に、意外と自律性を保持していることに気づいた以上、まあこの調子で、したたかな身体のチカラを借りるべく、身体を上手く飼い慣らしていくべきか、と思っている…… (2006.04.06)


 今日、民主党の代表に小沢氏が当選したようだ。選挙結果は、小沢氏119票、菅氏72票であったという。辣腕だとの評判が高い小沢氏が、どこまで羊頭狗肉の自民党を底割れに追い込むことができるのか。まあ、どうせ「ストップ安」に陥ったような民主党であれば、不謹慎であるかもしれないが、自爆的な姿勢で腹を括り、思い切ったことをやりまくればいい。「猫騙し」ばかりの政治寸劇で国民を愚弄し続けてきた自民党を額面どおりに空中分解させてこそ、小沢氏の辣腕評判と強面(こわおもて)に真価があったのだということになろう。

 それが実現されることになるのかどうかは別として、言ってみれば、小沢氏は、自民党の「天敵」、民主党の「点滴」のような気がしてきた。
 もとはと言えば、田中自民党の秘蔵っ子として立ち上がったわけで、だから、たぶん自民党の「寝技」のほとんどは体感的に知っているものだと思われる。だから、自民党諸君はその政治的荒業実績と併せて不気味さと恐さを抱くのかもしれない。まさに、コブラに対するマングースのような天敵としてのイメージが持たれ、歯牙に猛毒を持つコブラたちをもムシャムシャと捕食してしまう印象が抱かれているのかもしれない。

 かなり「遊んだ姿勢」で書いていることを自覚しているが、この際遊ばせてもらおう。政治の芝居見物が好きな観客的国民からすれば、そろそろ、コイズミ劇場に飽きもきているはずである。クサイ大見得ばかり切って、筋書きが一向に先に進まない舞台はやはりもどかしく、そして苛立たしく、やがて不安な心境ともなるのであろうか。
 そこで、根が薄情な観客は、ここいらで、眠気の覚める光景を見たがり始めるのかもしれない。大見得ばかり切って強がってきたコブラが本当に強いのかどうか、強敵の登場、しかも、コブラにとっての天敵であるマングースにでも登場してもらいたいと、心ひそかに期待するという按配なのである。こうなるともう、政治の舞台と「K1」リングとがクロス・オーバーする図柄なのかもしれない。また、コブラが「えーかっこしい」であっただけに、マングースの荒々しさへの肩入れ気分は絶好調に達し、会場はわけのわからぬ熱気に包まれる可能性があるのやもしれない。

 いや、もちろん、小沢氏選出は党員選挙によってなされたわけであり、国民の意向が直接反映されたものではない。が、どうも、以上のような空気が一般国民にもなかったとは言えないような気がしている。
 菅氏のスタンスが決して悪いわけではないことを知る国民も多かろうとは思う。
 とりわけ、理路整然とした政治感覚や政治理念は当を得ている。代表選挙前の政治的抱負を語った際には、官僚機構に起因するムダ使いや、ますます深まる格差社会への鋭い批判、および、今や社会現象が圧倒的速度で社会変化を生み出している以上、従来の政治概念はいわばパラダイム変換しなければやって行けないはずだとする直観も正論だと思われた。
 しかし、この国のこの政治状況は、堪え性なくこじれ過ぎてしまっているというのが、残念ながらの実感であり、これを糾すだけでなく、正す(変えてしまう!)のは、「メス」ではなく「ナタ」が必要だと感じさせられてしまう。現に、いかさまコブラが観客の受けねらいで演じたハッタリは、「自民党をぶっ壊す!」という「ナタ」でここ! だったはずだ。国民は、自民党=<党>×<官僚機構>の、そのすべてをぶっ壊す「ナタ」でここ! 変革を望んだからこそ、間違った期待を託すことにもなったのだろう。国民はいつも、わかりやすい荒療治を望むものなのである。
 こう考えると、菅氏の存在は、「メス」を握らせてこそ絵になるが、「ナタ」を担ぐ姿は想像しにくいのではなかろうか。ここはやはり、地下足袋とヘルメット姿の小沢氏が、二刀流武蔵のごとく両手にナタを握り締めて、形相荒々しくも仁王立ちしてもらいたい、と人々が望んでも、それはムリがない願望なのかもしれない。
 と、勝手なことをほざく自分なのである…… (2006.04.07)


 桜吹雪舞う、遠山金四郎が仕切るところのお白洲(しらす)に座らせられたような一日であった。ふと、毎年今頃はこんなに風が強かったかなあ、といぶかしく思ったりもした。
 近所にある観音堂境内の桜も、境内の地面に、あたかも絨毯のように花びらを積もらせ、それらが風で揺らいでいた。買い物に向かったコンビニエンスストアの駐車場も、それを囲んで植えられている桜の木が惜しげもなく花吹雪を舞わせ、さながら北国のちょっとした本物の吹雪景色のような雰囲気が満ちていた。
 しかし、考えてみると、桜の木というのは、隅に置けないクセモノなのかなあ、と感じさせられる。隅に置けないから、人目に立つ場所に植えられているのであり、今さら感心したりすることもなさそうではあるが。
 それというのも、とにかく目立つ。目立ち過ぎるといってもいい。昼でも夜でも、満開の桜の木は、ボケーッとして歩いている通行人の目をも、中途半端な気分で運転しているドライバーの目をも、否応なく惹きつける。
「ここで見事に、申し分なく、立派に咲いてんだかんな!」
と言わぬばかりの気迫でその姿を見せつけるのだ。
 もっとも、桜の木自体がそんな「演出」のすべてをしたわけではなく、桜の木の「資質」を見込んで、植えるべき場所から、スタイリングから、「契約条件」(?)までを抜け目なく段取りしたはずのマネージャーたる人間の仕業もあってのことではあろう。
 それにしても、桜という木の「資質」には感嘆すべきものがあると思う。

 その昔、現在ではサクラと呼ばれ、人々にこよなく愛され尊ばれている名士にも、隠された辛い日々と、不名誉な名を授かるそんな成り行きもあったのだと聞く。
 どうにもパッとせず、地味で、いや地味過ぎるとさえいえる素振りで、一年一年を耐え忍び生きていたのがサクラの過去だったという。まるで人目をはばかるがごとく、目立たぬように、はしゃがぬように、とにかくつつがなく一年毎を過ごすことだけを念じていたのが、知る人ぞ知る当時の実態であったという。
 だから、誰呼ぶともなく、蔑称がこびりついてしまったのである。なんと、サクラにあらずネクラと呼ばれていたのだそうだ。
 そんなネクラに、ある時、転機が訪れたのだそうだ。
 ネクラ族の中の、血気盛んな若い衆たちが堪えきれずに騒ぎ出したのである。
「われわれはこれでいいのかぁ! 人目につかない、まるで暗黒の土の中に潜むようなネクラなライフスタイルはもうごめんだ! これではそのうち、ネクラどころか、モグラと呼ばれて社会の底辺どころか、社会の足場の中に追われ踏みにじられる行く末は見えている。ここは、何としてもこの過酷な格差社会、弱肉強食社会に抗して、目に物を言わせなければならない! そうではないか、諸君、わが同志!」
 この若い衆の思い詰めたアジテーションは、薄暗い社会の底辺で、身をかがめるように、うずくまるように、這うように身を処してきたネクラ族面々に、闘う勇気を喚起し、貧すれば鈍すの悪循環から抜け出す知恵の結集を誘ったのだった。

 ではどうする? 起死回生、一発逆転火の用心、いわば、掃き溜めから鶴といったそんな画期的な妙案はないものか、ネクラ族にもいた有識者面々が全国の小学校の校庭を借りて結集した。そして連日、白熱した議論に議論を展開したのであった。
 いろいろな案が出されたという。
 中にはラジカルに、即刻反乱を起こすべし、という跳ね上がりかつ自暴自棄な自爆案もあったらしい。しかしそれは知恵深き長老たちに諌められ、平和第一主義、頭脳勝負こそが肝要だとの流れが形成されて行ったとか。
「『桃栗三年、柿八年』ということわざがあるように、ともあれ市場商品価値のある果実を産出する経営方針に転換すべしー!」
「いや、それではいささか平凡過ぎるのではないか。その程度の路線変更では結局世知辛い『価格競争』に巻き込まれ、身を細らせる思いをすることに終わるだけだ!」
「と言うことは、奇抜な路線、あっと言わせるような華やかでセンセーショナルなインパクトが欲しいということか? しかし、そんな都合の良い企画なんかはあり得るのか?」
 と、高揚する議論は、総論レベルでは的を絞り込みつつあったが、ここ一番決め手に欠けるまま、ただただ時間が流れて行く。
 とその時、とある不届き者が、夜食の時刻を待ち切れずに用意されていた割子弁当を唐突に食い始めたのであった。何はばかる様子もなく、いきなり弁当を食い始めたのである。当然、周囲の年配ネクラ族ネイティーブは、そやつをなじり倒しねじ伏せようとする。
 がその時、さすが亀の甲より歳の劫(こう)を地で行く最長老が、まるで黄門様よろしくそのゴタツキを制したのだった。
「はっはっはっは、もうその辺でいいでしょう。いやいや、その者のおかげで、大した妙案が浮かびましたぞ……」
 この妙案がきっかけで、蔑称ネクラの木は、画期的経営路線を展開することで、全国展開、国際展開をする今日のサクラの木になったのだと言い伝えられている(?)。

 要するにそのキー・コンセプトは、ひとつがパーフェクトな「奇襲作戦」なのであった。今風に言うならば、「いきなり主義」と言ってもいい。
 つまり、競合他社(他の樹木)が、若葉マークの生産に拘泥している最中に、一気に開花させてしまう、しかも、葉っぱなんぞ必要なもんかというハッタリをかまし、体じゅうを薄紅色の花々で覆い尽くしてしまうという手なのであった。ちなみに、奇抜さを主旨とするならば、真紅の花にしてはどうかという案も有力視されたそうだが、それでは消防車が駆けつけるという世間騒がせになると懸念され却下されたとの議事録が残っている。
 また、事のきっかけともなった不届き者の「いきなり弁当」は、今日でもなおその名残が、「花見の弁当」というかたちで受け継がれているのだとする珍説もささやかれているとかである。
 さて、キー・コンセプトのもう一つは、「苦肉の策」から生まれたのだと言い伝えられているのも愉快である。
 葉をつける前に開花させるという路線の最大の問題点は、それはあまりにも生命体にとってリスキーではないかという点であることは誰もが承知していた。奇襲的に開花に持ち込むのはよしとしても、一刻も早く葉をつけ、光合成を行わなければエネルギー枯渇状態から、経営体の衰弱が激し過ぎる、というムリもない見解なのであった。
 が、ここでも、知恵者が現れ、
「ではどうだろうか、開花は、ダラダラと実施せずに、パッと咲き、パッと散るがよろしかろう。季節的にも春一番が吹き荒れる時候でもあるからこれ幸いであろう。むしろ、その短期決着の方が、市場を熱狂化させ、株価を高めることになりはすまいか」
と申し出たのであった。これには、他の参加者も異口同音に「異議ナーシ!」と叫んだとのことである、議事録によれば。
 おまけに、この「パッと咲き、パッと散る」段取りには、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」や「無常観」にも通じるそこはかとない東洋的美意識に通じるものがあり、これは当社の経営路線の奥深さをかもし出して好都合ではないか……、との指摘もあったと言われている、議事録によれば。

 こうして、ネクラの木を改称してサクラの木へと大繁栄を遂げた会社沿革の話は延々と続くのであるが、それにしてもこの市場主義の世の中というものは、一発、知名度を高めれば、何もかもがバリュー・アップに連なるようであり、その果実も、小作りではあっても「桜ん坊」として珍重がられるは、後付けの葉っぱにしても欠点視されるどころか「桜餅」に不可欠なパーツとして持てはやされるようになったりもしたとかである。
 こんな「伝説」を知ってか知らずか(知らない人の方が多いのは、こんなデタラメ話であるから至極当然ではあろう……)、今日この頃、全国津々浦々のこの国の民は、桜の開花と開花前線とやらに狂喜乱舞しているとか聞く、TV報道によれば…… (2006.04.08)


 遅く就寝しても、所定の時間に起きられるようになったのには驚きである。
 昨夜は、12時近くまで寝床で読書をしていて眠るのがいつもよりも遅れた。それにもかかわらず、今朝はまずまずの早起きであった。
 しかし、最近は夕刻になると一時的に睡魔が襲ってくる。そんな時には、椅子に座ったまま、腕組みをして居眠ることにしている。事務所であろうと自宅であろうと、そうしていると、5分、10分の居眠りができてしまう。大抵、覚醒すると、一瞬ではあるが、どこに居るのかがわからなくなり狼狽する。ついさっきも、机の前にぶら下げたボンボン時計のイミテーションを見て、あっ、そうか、自宅で居眠っていたのだと納得した。
 どこでも居眠りができるというのは、自分としては悪くない体調と心境の証しだと心得ている。一頃は、睡眠不足であっても、妙に神経が高ぶって居眠ろうとしても不可能だったことがあった。

 さてさて、お天気のよい休日の今日は、取り留めのない切れ切れのアクションで一日が過ぎようとしている。
 いつもどおりのウォーキングを済ませたあと、庭でタバコをふかしながら植木の開花を眺めたりしていた。風もなく、昨日ほどには肌寒くなかったせいもある。
 カイドウをはじめとして、何種類かの木が花を咲かせており、狭い庭ではあるがなんとなく華やかな雰囲気となっていた。
 荒療治の剪定をした背丈のある梨の木にも、上層部の枝々に、透きとおるような白い花が咲いていた。中層部の枝は花芽ごと剪定してしまったためか、スカスカな状態で殺風景な感じとなっている。痛々しさが拭い切れない。
 と、その時、とあることを思い起こした。先日、TVで、梨園の農家の人たちが受粉作業をしている様子を見たことである。やはり、いつ飛んでくるかわからない昆虫に託すのではなく、人為的なそんな受粉作業をしてやった方がいいのかなあ、と思ったのだ。
 そこでさっそく、この庭で採れた、二、三メートルはあろうかと思われる細い竹を取り出し、その先にティッシュを輪ゴムでとり付けたのである。そして、それを梨の木の上層部でこじんまりと咲いている花々に、チョンチョンチョンとあてがってやったのだ。そうしたことで間に合うものかどうかは不明であったが、受粉作業の真似事をしてみたのである。もしこれで、結実するならば、ナールホドということになるわけだ。

 庭の木々には結構野鳥が飛んできて目と耳を楽しませてくれるものである。ミカンを半分に切って枝に刺しておくと、その実を突くメジロの姿もかわいいものだ。
 スズメも、用意してやったひえ、粟などの餌を、一頃は、大勢でやって来てはついばんでいたりしたものだ。そうした野鳥用の餌を入れておく筒を以前に買って来て枝にぶら下げていた頃の話である。
 その筒も去年は、空のままただただ雨ざらしにしていたことに気がついた。そこで、急遽、野鳥用の餌を買いに行き、二、三年のように設えてやることにしたのである。早く、それを察知してスズメ仲間の評判となることを密かに期待した。

 昼過ぎには、おふくろの家に向かった。先日、事務所からの帰りに寄った際、とある「異変」を知らされたからである。
 去年、おふくろの家の襖に、「イタズラ」猫に備えて合板を貼ったが、今度は合板自体の「イタズラ」か、合板がそっくり返り四隅の釘が浮くという珍事が起きてしまったのである。
 そんなことで「アラーム」を上げるのも……と、おふくろは思ったものか、わたしには告げて来ないでいた。が、それはちょっとした緊急を要する事態だと自分は判断したのである。襖の開閉に支障を来たしているし、釘の頭があちこちで飛び出しているし、何とも施工者としては面目ない事態となっていたのだ。
 そこで、さっそくそうしたメーカー側「バグ」の補修は無償ですべきだと判断し、細い木ねじでの取りつけ仕様に変更することでユーザーへのご迷惑を償ったわけである。
 ちょうど、出向いた時、姉がおふくろを、天気がいいので散歩に誘いに来ていた。わたしは作業はやっておくので行ってくればいいと促し、作業を終えた。
 その時に、おふくろは、近々白内障の手術をすることに決めたと、唐突に話していた。以前から医者に勧められてはいたものの決心がつかないでいたようなのだ。日取りはまだ決めていないようだったが、ちょいと一時は痛く、気持ちも良いものではなくとも、少しでも明るい視力が取り戻せた方が、この先のことを考えるとベターだと思えた。なんせ、百歳まで頑張るつもりだと公言しているおふくろだからである。自分としても、是非そうあってもらいたいものだと念じている…… (2006.04.09)


 朝からどんよりとした雲が垂れこめて、そして午後遅くには雨まで降り出してきた。ただでさえ月曜日という、一般的には気分が沈みがちな曜日である。冴えない窓外の光景に目をやっていると、陰々滅々とした気分にさせられそうである。まあ、そこまでは行かないにしても、この時代と社会への恨み言のひとつも、二つも自然に湧き出てきそうだ。
 が、そんなことをタラタラと書きたくはないものである。余計に不快感が増幅させられるだけのようだからだ。

 それにしても、いわゆる「社会悪」を感じ取ったり、認識するということは、性分だから致し方ないとしても、それらが涼しい顔をしてまかり通っているような時代には、結構辛いものがある。それらを感じなかったり、それをそれとして認識できなかったりしていた方が、呑気でラクな気分でいられようかと思ったりもするからである。
 いや、何も自分が正義感あふれる人物だなぞと気張っているつもりはない。もっとクールに考えており、「社会悪」を「社会悪」として受けとめるのは、受け手側に何があるからなのか、あるいは逆に、それらを漫然として見逃したり、何の疑問も引き起こさないためには、やはり受け手側に何があるためなのか。そんなことを考えるのである。

 このことは、ビジネス平面で置き換えるならば、職場や現場での問題点をそれをそれとして感じたり、認識したりするには何が必要か、というテーマと重なる。
 ビジネスにあっては、ビジネス上のさまざまな問題点が鋭く摘出され、それらをひとつひとつ解決、解消することで、より生産的な職場や現場が形成されていく、と考えられて来たわけである。
 問題点を見ぬふりをして放置しているならば、一切の改善、改革は始まらず、悪しき惰性が日毎に生産性を低下させるであろうし、問題点どころか取り返しのつかないほどの決定的な問題が発生してしまうことだってあり得る。

 わたしも以前、こんなテーマを考えたことがあったが、その時の暫定的な結論は、各人がいかに「問題意識」を煮詰めておくか、ということであった。つまり、職場や現場には、誰が見ても問題点だとわかるような形で、問題点が転がっているわけではないのである。もしそうであれば助かるのかもしれないが、「ここが問題点!」と書いたラベルが当該箇所に貼ってあるようなマンガ的状況なんぞはありようがない。
 問題点とは、発見されるものであり、そのためには発見する者の脳やこころの内側に、問題を問題として位置づけるセンスがなければならないはずである。もちろん、言葉で表現できればそれに越したことはないと思われるが、「いやぁー、これは誰が何と言ったっておかしいーよ」という感覚的なレベルでの反応という場合もあるだろう。いずれにしても、ヘンなこと(異常なこと)をヘン(異常!)だと察知する受け手側の感覚・意識があったればこそ、問題点というものは白日のもとにさらされることになり得るわけだ。
 この受け手側の感覚・意識こそが、かねてから「問題意識」と呼ばれ、これを日頃からOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)などにおいて培っておくことが、職場や現場の改善・改革の大前提だとされてきたはずである。

 こう考えると、「社会悪」を「社会悪」として認知することに関しても、職場での問題点発見と同様に、時代や社会のあり方に関する「問題意識」というものが不可欠ではなかろうかと推測するのである。
 わたしに言わせれば、常に権力者たちというものは、庶民、国民が培うこうした「問題意識」というものを、いつもはぐらかすことに躍起となってきたと見受ける。庶民、国民の「問題意識」の成長は、必ず権力者たちの足元を揺るがすことに発展していくからである。「寝た子は起こすな!」「寝ない子は叩き、泣き寝入りさせよ!」というのが、彼らの合言葉であることは、聡明な人たちが何度も指摘してきたとおりである。
 今日のTV番組が、果たしてどれだけ、庶民、国民が自らの幸せを形成していくための「問題意識」というものを支援しているのか、その辺のところを凝視してみたいものである。
 健康問題という分野に関する知識、知恵、「問題意識」に関しては、天下のNHKもやたらと支援ぶってはいる。しかし、それと同様に、この国の政治や社会のビョーキに関しても同程度、いやそれ以上の熱を入れるべきではなかろうか。これらの不行き届きや問題点によって、国民が健康を害する結果となっていることだって大いにあるのだから…… (2006.04.10)


 歳をとってますます身につけるべき能力とは一体何だろうかと考えてみた。
 最近は、ボケ防止、認知症とならないための「頭の体操」とかが持てはやされているようだ。計算ドリルや、書籍では儲からないと見てか、液晶表示のゲーム器のようなものまで販売されているようだ。
 昨日、帰宅した際、家内が、
「こんなものを買ってもらった」
と言って、息子から買ってもらったというそうしたゲーム器のようなものを見せてくれた。
「心配されてるっていうわけか……」
と、わたしが言うと、
「そんな感じね」
と答えていた。ひょっとしたら、自分自身のことではなく、80代半ばの母親のことを視野に入れているのかもしれないが……。

 まあ、正直言って50代の半ば過ぎともなると、脳も身体もなんの変調もなしというわけにはいかないようだ。
 まして、昨今のご時世では、老化という自然現象のほかに、年配の者たちをますます自信喪失にさせるかのような環境がのさばり始めた。
 ひょっとしたら、老化現象自体が問題である以上に、それを否応なく気にかけさせる現代的環境こそが問題なのかもしれないと思ったりする。
 端的な話をすれば、自然環境に囲まれた農村地帯の環境、そして住み慣れた昔ながらの住環境に暮らしているお年寄りたちは、緩やかな環境変化の中にいるため、さほど環境とのギャップ感を感じさせられることがないのではなかろうか。そこから、脳や身体の老化という事実も緩やかに、まさに自然に受けとめ、ことさら気にすることなく往(い)なしているのではなかろうか。そうでなくてはいけないと思うのだ。
 それに対して、都会生活にあるお年寄りたちは、もともとが都会というのが若者たちの空間であるため、何かにつけて「若者スタンダード」で我が身を振り返らざるを得ず、そのたびに「欠如していくもの」を否応なく自覚させられてしまうのかもしれない。
 これは、エバー・グリーンであることを促すというポジティブな面もあるやに思うが、ひょっとしたらちょっと違うのではないかと疑義を呈したい気がするのだ。

 いつまでも若くあることは結構なことに違いない。しかし、極端に言えば、大人が「若い」ことにかけて張り合うとするならば、これぞ「若さ」の権化、赤ちゃんや幼児たちに勝てる者はいないはずである。
 ということは、「若い」ということは、つまるところ「未熟」に通じざるを得ないわけで、「若さ」を誇示するということは、「未熟」であることを裏側で表明していると言ってもいいはずなのである。
 いや、こうした極論を出してしまうと話が混乱するので、常識的な話に戻すならば、たとえば計算力についてである。確かに、こうした能力は、若い世代の脳がベストを発揮するに違いない。
 われわれの業界の話でも、計算力にほど遠くないプログラミング能力というものは、30代前半までが絶好調なのだとまことしやかに言い伝えられてきた。
 しかし、ソフトウェア開発の仕事というものは、プログラミングがすべてではないのである。概念設計もあれば、構造設計もあり、むしろそうした基本設計を前提としてプログラミングは効率的に達成されるものだ。
 つまり、人間の生活も、計算能力だけで効果的に進められるものではないはずなのだと言いたいのである。たとえば、「計算高い」タイプの者たちだけが集まったならば、おそらく、「船頭多くして、舟、山を登る」というまとまりのつかない結果に終わるのではなかろうか。
 また、記憶力抜群の者だけが集まったらどうであろうか。不思議とも言えることは、クリエイティブな発想はことごとくスポイルされてしまう結果が起こることだと思われる。クリエイティブな発想とは、過去にあり得なかった事象に迫ることであり、過去の事象に拘泥する記憶力とは次元が異なる能力だと言われているからである。

 さてさて、あまり枝葉を広げるとわけがわからなくなりそうなので冒頭の案件に戻ることとする。「歳をとってますます身につけるべき能力とは一体何か」という点である。
 先ず、若い世代が得意とする能力に決してこだわることはないと考える。計算力にしても、物忘れで気づかされる記憶力にしても、要は自身が不都合でない程度にキープできればそれでいい。
 と言うのも、どんな能力でも衰えるということは、使わないからなのであり、自分の通常の生活でさほど使う必要がないのならば、あえてそれをどうこうしようとする、そんな必要こそないのではないかと思うからだ。
 こう言うと、投げ遣りのように聞こえがちかもしれないが、そうではなく、プラス思考で考えるべきだと言いたいのである。
 つまり、何十年も生きてくれば、何か「取り得」となる能力が、決して衰えることなく累積しているはずである。たとえば、「勘」である。これこそは、あらゆる能力が絡んだ「統合的な能力」であり、これは、少なくとも時間や場数経験に負うところ大であるに違いない。若造たちが何と言ったって、年配者たちに分があるに決まっているわけだ。

 計算力を象徴としていいはずの近代科学がまだ揺籃時代にあった頃までは、人間の社会生活は、長老たち、もしくは年配者たちが、人間の統合的パワーたる「勘」を駆使して物事を進めて来たのだと推定される。まあ、危なっかしいことも多々あったには違いないが、それらすべてを「非科学的」だと言って退けてしまっていいものかどうかは、結構、微妙な問題だと思っている。
 その証拠は、何あろう、この現代の科学主義的人間生活が、必ずしも人々を幸せにはしていない事実にありそうだ。いや、それは、科学主義的方法の程度がまだまだ不十分だからだという輩もいそうではある。しかし、そうではないのではなかろうか。つまるところ、デジタル的計算によってすべてが解明できると「信仰している」方法的姿勢それ自体が、どうも危なっかしい気がしてならないのである。
 まあこうした文明論はさておいても、今日考えたことは、「歳をとってますます身につけるべき能力」とは、若者たちが得意とする能力と張り合うのではなく、年配者ならではの「統合的な能力」ではないか、もちろんそこには「勘」というようなものも含まれ、そうした年配者の独壇場のパワーをこそじっくりと見つめてゆきたいということなのであった。どうもこの辺の当たり前の事実が、知らん振りされているような気配がありそうだ…… (2006.04.11)


 突然にPCが不調に陥るとがっかりしてしまう。
 その上、今日は仕事が先ず先ず順調であったので早仕舞いにでもするかと楽勝気分でいるところへ持ってきてそんなことに遭遇するとげんなりである。
 新たなアプリケーション・ソフトをインストールしようとしたら、CD/DVDドライブが読み込み不能となっているではないか。まあ、システムを担うHDドライブのトラブルではないので、決定的に困るということではない。
 LANで繋がった他のPCのCDドライブも使えることだし、その不調の原因を調べたりすることや、仮にハードが壊れていることがわかったとしても取り替えれば済むことだから、そんなに大変なことではない。とりあえず、これらはすべて自前で対処できることだからだ。ただ、何だかんだと手間がかかるのがわずらわしいということなのである。
 特に新たなデバイスを取り付けたということもないため、どうもハード的な不具合に陥った可能性がありそうだ。だが、今日のところは深入りせずに、最低限のこと、つまり、そのCD/DVDドライブはともかくとして、いろいろとPC内をいじるに際に、最悪、不測の事態が生じて当該PCのHDドライブ内の貴重なデータなどが失われることがないように、バックアップだけは取っておくことにした。

 しかし、ちょいと奇妙な因縁を感じたのである。そもそも、PCのこの不具合に気づいたのは、新たなアプリケーション・ソフトをインストールしようしたからであった。それは、いつか挑戦しようとしていて、入手したままお蔵入りになっていたアプリケーションであった。
 このところ、技術的な分野に関してはややものぐさとなっていたようなのだが、どういうわけか、そろそろこいつを始めてみようかとものぐさぶりと縁を切ろうとした矢先に、ちょいと手のかかるPCの不具合にぶつかってしまったのだ。
 こんな場合、自分としては、これも何かのメッセージなのだと受けとめがちなのである。つまり、ものぐさとなり始めているかもしれない昨今の自分が、「もっとこまめに立ち振る舞うべし!」と言われたかのごとく受けとめたりするのである。

 ただ、些細なことではあるが、こんなふうに前向きな気分となりつつあるのはいいことだと感じている。きっと、体調も悪くはないからか、新たなことへの意欲めいたものも自然に芽生えてきたということなのだろう。
 そして、いわば自分の土俵でもあるPC環境を久々に整備するきっかけまで与えられたと、そう解釈しようとしている。
 時は春、ものごとを新鮮な気分で見直していくのにふさわしい季節である。先ずは、ものぐさ太郎から脱皮すべし! か…… (2006.04.12)


 最近は、就寝前にニュース番組は見ないようにしていた。精神衛生上好ましくないからである。が、うかつにも昨夜は気を許して覗いてしまった。「決して、この戸を開けて覗いてはいけません!」という「"つう"の警告」を破り覗いた結果、しっかりと寝つきが悪くなったものである。
この日本の国としての体裁をも壊し、腐らせている連中に対して怒り心頭に発したからである。まあ、夢でうなされずに済んだのがせめてもの幸いであったということか。とにかく、「言ってることと、やってることとが正反対!」というイカサマの横行に気分を害するのである。

 1.少子化を憂えるなんていうポーズはやめよ。産婦人科医のなし崩し的減少を放置する杜撰な医療制度体制!

 今、全国各地の病院で、産婦人科医師不足が深刻化しているという。少子化対策がどうのこうのと奇麗事を言っていることが信じられない。いわゆる「3K(キケン、キツイ、キタナイ?)」的医療だから成り手が減少しているのだとかいう。医者になろうという連中の不純な動機(ラクして金儲け?)も疑いたくなるが、そうした起こりがちな傾向をいち早く察知して問題の構造化を防ぐのが監督官庁の最低限の役割であろう。市場主義の成り行き任せをやってのけるなら厚生労働省なんて無くていい!

 2.裁判で「怠慢捜査」の判決が出された警察!

 栃木県の上三川町の会社員須藤正和さん(当時19)が99年12月、監禁され、リンチを受けながら金を巻き上げられた末に絞殺された事件で、遺族が県などを相手取った損害賠償訴訟で、警察の「怠慢捜査」が、殺人を見逃すことになったとの判決を言い渡したそうだ。一億円を超える損害賠償額の支払いを命じたそうである。
 「市民の生命、財産と安全とを守る」はずの警察が、殺人未遂状況を放置するとするならば、市民、国民はどうやってわが身を守ればいいのか?
 しばしば言い訳として語られる「警察は、事件にならなければ動けない」という口実があるが、そんなことを素面(しらふ)で考えているとするならば、やがて警察官不足が深刻な問題となってしまうだろう。
 つまり、犯罪「予防」に徹することができないならば、「予防」医療を前提としない医療制度がパンクしてしまうのと同様に、発生して事が深刻化してからモグラ叩きをやるように、いくら事後処理対応要員を増員したところで間に合わないということだ。
 コンピュータリゼーションのうねりが立ち現れた時期に言われた、世界の人口の大半がプログラマーとなっても需要に追いつかないといった言い草が、治安問題に関しても言われるようになってしまうぞ〜! 

 3.米軍普天間飛行場の辺野古移設は、米軍にとってのまさに「V」の字だった?

 この間、計画されていた同基地の滑走路をめぐり米軍、政府と地元辺野古との間で協議が続けられてきた。そして、市街地住民の被害の少ない形の「V」字型の滑走路を建設することで一応の合意がなされたかのようである。
 ところが、この辺野古基地については、どうも、普天間飛行場の代替地として成り行きで決まったのではなさそうなのである。(テレビ朝日・報道ステーション)
 歴史的事実によれば、米軍は、1960年代に、対ベトナム戦争の総合的基地としてこの計画を練り、綿密な調査も済ませていたという。「特殊な」軍事用物資(核兵器が推定されるらしい)の格納庫まで準備する予定であったそうだが、議会での予算がつかずに据え置きとされ続けてきたらしい。
 そして今、さまざまな「自然の成り行き」のようなカモフラージュをしつつ、そのかつてのプランが再現されるのではないかと懸念されているのだそうである。
 そんなことはあるはずないじゃないの、と決めつけるには、米軍の秘密主義は恐すぎると言うべきかもしれない。戦後日本の統治を、米軍およびGHQがかなりの「グレーゾーンの仕掛け」(この辺の問題は、まさに松本清張が詳しい)で暗躍したらしいことは、忘れていない人は自覚するに違いない。
 この問題に関しても、コイズミ氏の反国民的判断は恐れ入るものがあるわけだ。

 4.NHKには懲りない面々が、NHKを潰そうとでもしている?

 またまた、性懲りもなくNHK職員(報道局スポーツ報道センターの大下哲史チーフプロデューサー)が、公金横領をしたというのである。今年4月までに総額1762万円の架空の出張旅費を受け取っていたらしいのだ。
 NHKは、改善し切れずに発覚が続く不祥事に対して、度重なり、パフォーマンスにしか過ぎなかったと言われてもいたし方がないお詫び会見などを行ってきた。まさに「言ってることと、やってることとが正反対!」であることに、国民は当惑しているのだ。
 しかも、増加する視聴料不払いに対して、政府が、支払いの義務化を制度化しようと検討しているという矢先である。もっとも、この義務化案自体がおかしいと言うべきであろう。報道を中心としてそのコンテンツに問題がありすぎると思われるからだ。これもコイズミ氏の鶴の一声であったと聞く。あの男は一体何を考えているのか、と首を傾げる。
 しかし、この事件は、見事に現在の財政問題の縮図を国民に示してくれたような気がしてならない。つまり、財政難を唱える前に、自身の組織内の「不正!」をはじめとしたムダ使いを徹底的に洗い出せ! という当然の対策のことである。
 まあ、たちの悪い官僚や、親方日の丸連中にどっぷりと依存して自分はオペラ鑑賞に興じるような体質の方には、問題の本質を正せないのは当然ということか。

 5.なんでそんなかわいそうなことをするのか、スズメ、ハトのなぞの大量死!

 このところ、北海道でのスズメ大量死、知床に海鳥5000羽の死骸、そして都内の公園でハトが大量死と、不気味な現象があいついでいるらしい。どうも自然死ではなさそうで、何か食したものを原因とするのではないかと推定されているようだ。
 野鳥をアーチェリーで撃ったり、吹き矢で狙ったり、はたまた人間の子を高層ビルから投げ落として死に至らしめるくらいの、そんな鬼畜にも劣る社会であるのだから、究明しにくい薬物などを野鳥の餌に混ぜて残虐なことを仕出かしたと想像しても、当たらずとも遠からずなのではなかろうか。

 悪で汚染され切った時代と社会だと見なすことは簡単であろう。常に思うことだが、本当の課題は、その次の、だからどうする? ということになるに違いないのだが…… (2006.04.13)


 「平安な気分、平静な気分」というものがどんなに貴重であるかに感づいたりする。それは、一銭のカネにもならないものであり、また、カネを得ることが基準となりがちな昨今のご時世からすれば、役に立つと目されたり、価値があると見なされたりするものではない。
 だから、ややもすれば、無視したり排除したりする内的状態であるのかもしれない。それを得ることは意味のないこととして蔑(ないがし)ろにされたり、仮にそれを追求するとしても、あればあったに越したことはないという程度にしか考えられないのかもしれない。

 現代にあって遮二無二(しゃにむに)なって追求される気分とは、いや、気分というような総合的な心境というよりも、感覚というダイレクトなものであるのかもしれない。それは一体何なのだろうか。
 こうしたことは、現代人を惹きつけるさまざまなエンターテイメント(娯楽)を振り返ってみるとわかりそうな気がしてくる。
 現代人にとって何が幸せ感かといって、端的に言ってしまえば、エンターテイメントをエンジョイしている時(これを"E"としておく)であったり、グルメを楽しんでいる時(これを"G"としておく)、そして旅行をしている時(これを"T"としておく)だというのが一般相場なのかもしれない。

 確かに、これらの時間にあっては、日常のさまざまな不快感、ストレスなどをすっかり忘れさせてくれて、心地良さに酔いしれさせてもらえ、要するに幸せ感に満たされるという心境となるだろう。
 つまり、日常の不幸な感覚の記憶を「塗りつぶしてくれる」ものが、幸せ感の対象だということなのであろうか。今、「塗りつぶす」と書いたが、決して元にあった不愉快な感覚の記憶を消去してしまうわけではない。とりあえず、「不透明」水彩絵の具で覆い隠す、という意味で「塗りつぶす」ということなのであろう。
 したがって、"E"なり、"G"、"T"が終了すれば、ほとんど元の地点に逆戻りするような印象を持たされることになる。せいぜい、再度"E"、"G"、"T"などを繰り返すべく「がんばろう!」という気分が残されるということであろうか。

 "E"、"G"、"T"などは、言うまでもなく、現代にあっては商品として提供されており、市場経済の中では、当然激しい競争過程に置かれている。提供側が目指すところは、よりコスト・パフォーマンスの高い内容ということになるはずである。
 だから、"E"は、スリルとサスペンス志向で受け手側の感覚を効率的、効果的に刺激する内容を目論むことになる。"G"にしても、本来、味覚というものは人間の総合的な感覚、気分であると思われるが、ベンダーがねらうのは、より直接的な訴求力のある感覚的側面の味覚ということになりそうだ。"T"の場合は、本来、旅行というものが秘めていた背骨とも言うべき「旅」(不測の事態が避けられないブロセス! 不安な気分と表裏一体の経験!)的側面は、見事に小骨まで抜き取られることになり、パーフェクトなスケジュール管理が達成されるというわけだ。
 こうして、現代人にとっての幸せは、総合的な気分というレベルから、一時的、部分的な快感を充足させるというレベルへとずれ込んでいるように思われるのである。もとより画一的な商品というもので達成される幸せとなれば、そうでしかあり得ないのであろう。

 こんなことを書き出した動機は次のことにあった。
 今週は、またまた、国民的映画『男はつらいよ』をTV番組で観ることになったのである。細かいことはさておき、その映画の画面に、一頃はどこでも見慣れた、街のありふれた「夕焼け」の光景が映されていたのである。
 カラスの鳴声や、お寺の鐘の音、そして街の夕刻特有の音などが、何とも言えない雰囲気をかもし出していたのである。たったそれだけの画面が、ニ、三秒間続いていたであろうか。
 自分はそれを見つめていたら、ついぞ忘れ去っていた「平安な気分、平静な気分」とでも言うべき心境に滑り込んでいたのだ。そして、理屈ではなく、これが「幸せ感」の原点だったのではなかろうか、という新鮮な思いがこころに充満してくるのを感じたのである。
 映画『男はつらいよ』が多くの国民各位に愛されるのには、多くの理由があるはずである。が、それらの理由の根底には、「平安な気分、平静な気分」こそが人間にとっての幸せの核(コア)であるとする、制作者たちの確信が横たわっているのではなかろうか。
 たぶん、この「幸せの核(コア)」は、他のどんな種類の感覚的刺激を増幅させたり、組み合わせたり、そして、「癒し系」作品だとか称したとしても、達成されるものではないのではなかろうかと予感している。
 先に、「不透明」水彩絵の具で覆い隠すごときが、現代の幸せ向け商品だと書いたが、この「幸せの核(コア)」に基づくアプローチとは、あたかも「透明」水彩絵の具で重なる色彩の妙味が追求された日本画や、水墨画のような、そんなイメージのように思える。
 幸せをめぐる現代の風潮は、「幸せの核(コア)」を踏み躙っておいて、他の方法で無いものねだりの悪あがきをしていると言ったら、評論家的言い草となってしまうであろうか。が、そこにこそ致命的な誤算があるのかもしれないとそう感じたのだった…… (2006.04.14)


 いやぁ、畑仕事というのは想像以上に「腰に来る」。
 つい先ほどまで、抽籤で当たった市の菜園を鍬で耕していたのだ。広さは10坪程度であろうか。全面を鍬で掘り起こし、畝を8列作った。大した作業でないといえばそうだが、久しぶりの力仕事はたっぷりと汗をかかせてくれた。
 作業の最中、お百姓さんのことをふと考えたりした。自分は、気まぐれな一時的なことに過ぎないから気ままであるが、これが本来の仕事のお百姓さんたちなら、やらねばならぬという掟があるため、さぞかし辛いものがあるだろうな、と思ったのである。
 それで、さほど疲れたというふうではないのだが、妙に腰の筋肉に痕跡が残っている。明日の朝あたりにじんわりと痛みが現れるのではないかと多少の懸念がよぎる。

 この菜園を申し込んだのは家内だったのであり、どちらかと言えば自分は「付和雷同」組であった。
 若い頃の自分であれば、率先してやった可能性はあるが、現在はやはりやや億劫感が先立つ。庭の植木類の手入れとて、昨今では必要に迫られなければ手をださないものぐさとなっているのが現状だからだ。
 動物と同様、植物も嫌いではないのが事実だ。ただ、何かと手がかかることについて行けない気が先に立つのである。
 それでいながら、老後は八ヶ岳の麓にでも移り住んで晴耕雨読の生活を、なんて途方もないことを考えないわけではないのだからどうなっているのだろうか。

 今回のこの菜園「経営」についても、自分は気軽に決め込んでいた。しかし、家内は例によって杓子定規に受けとめていたようだ。今日もそんなギャップゆえに口喧嘩とあいなってしまった。わたしが、菜園関連の本を買って来るのはよしとして、ちっとも身を入れて勉強しないということを家内はなじるのであった。
 それで、売り言葉に買い言葉となり、「じゃあ、自分は手を出さないことに決めた」と宣言したのである。自分としては、何をマスターするにせよ、「実地訓練」こそが要であって机に向かってものの本を読んでその気になるというのは埒外だと考えるタイプである。いつもその通りであることを実感しているからである。まして、素人菜園なぞは、大いに気を抜いて構え、失敗したら欲の出るのを待って勉強意欲を燃やせばいい、というくらいにしか考えていない。それを家内は目くじらを立てるものだから、なら、手を引こうということにしたわけだ。今後続けたとしても、他愛なく楽しめばいいところを、細かいことでウダウダと言い合うようなやりとりになるのならと推測した部分もないではなかった。
 が、ここまで来て何もしないのは「男らしくない」と思い、畑の耕しと畝の立ち上げだけはやってしかるべし、というつもりになったというわけなのである。

 菜園に向かうと、うちのスペースの隣のスペースでは、年配の男性が独りで黙々と畑作業をしていた。どうも、直感では定年退職組であるような雰囲気である。挨拶をして、もう何年もやっておられるのですかと訊くと、今年初めてだとの答が返ってきた。
 そのあとも、われわれは作業をしながらなんだかんだと言葉を交わした。わたしの方は、気分に引っ掛かっていた夫婦喧嘩の成り行きに関して口を滑らせ、こういう作業はラクな気分でやるべしですよね、と言った。
「そうですよ、これでお百姓になるわけじゃないんだからね」
とその年配者は加勢してくれるような言葉をくれた。しかし、当のご本人は、肥料入りのいくつものビニール袋を並べて、それらをせっせと土に混ぜたりしていた。まるで、ついさっきまでしっかりと『菜園経営の実務』とでもいった参考書を熟読していたかのような空気を感じないわけでもなかったのである。
 ふと、多数のスペースに区切られた菜園の遠方に目をやると、明らかに夫婦だと思しき中年の二人連れの、和気あいあいとして畑作業をしている光景が目に飛び込んできた。わが身に較べれば、やや羨ましい気もしないではなかった。が、まあ自分は自分だと思うことにした。
 若干くねくねと曲がったかのような畝の列を修正して、やっとのことで8列の畝らしきものをでっち上げた。
 その時、隣の年配者がゆったりとして覗きに来たのである。
「いやぁ、完成しましたね。立派なもんじゃないですか。これなら、きっと奥さんも誉めてくれますよ!」
と、お気遣いのお世辞を言ってくれたのである。先ほどの「加勢」といい、何と年配の方というものは心温かき存在なのであろうか。自分は思わず、畑じゅうに鳴り響くような大笑いをしてしまったのだった…… (2006.04.15)


 「安物買いの銭失い」とはよく言ったものだ。
 先日、690円だったかの安値で、巨匠ビスコンティ監督、原作トーマス・マンの『ベニスに死す』のDVDを買った。これまでにも何度か見ていたが、休日の暇な時にでも再度鑑賞しようとしたわけだ。ところが、居間のTVに接続しているDVDプレイヤーがあいにくと故障していたのだ。以前から調子が悪かったため再び直す気にもなれなかった。
 が、そうなると妙に、せっかく安値で買ったDVDが気になってしかたがなくなってくる。自宅のPC付属のDVDドライブはCPUとメモリが適さず、コマ飛び再生しかできないことがわかってもいたため、それも興醒め以外ではない。
 そうなってくると、一度は購入の検討をしたことがあるポータブルDVDプレイヤーのことが頭をもたげてきたりする。TV大の画面でDVDを再生するのもいいが、画面は小さくともどこでも手軽に扱えるポータブルも悪くはないと惹かれていたのである。場所にとらわれることなく読書をするように、気掛かりな映画などをテーブルの上において鑑賞するのも一興だと……。
 こうした衝動が浮かび上がってくると、特に大きな支障が生じないかぎり、いてもたってもいられなくなるというのが自分の大人げないところである。

 まあ、ほかのことに気を向けて「衝動」をいなすべしと思ってか、カメラを持って散歩に出ることとした。必ずしも良い陽気というわけでもなかったが、それでも一斉に芽吹き始めた新緑にカメラを向けるのも気持ちがいいだろうと思えたからだ。
 想像どおり、あちこちの木々には柔らかそうな繊細な若葉が、吹き出すという表現そのままに、風にそよいでいる。こういう時期の空気には、生気が飛び散ってでもいるのではないかと思わされたほどである。
 特にあてもない散歩であった。ただ、いつものウォーキング・コースというのも味気ないと思い、別な方向へと向かって歩いていた。が、いつの間にか、駅前へと通じる大通りに近づいていたのだった。と、その時、どうせあてがあるわけじゃないから、駅前近辺の中古ショップでも覗いてみるか、という気になってしまった。ひょっとしたら、この散歩でいなしたはずのポータブルDVDプレイヤーのことが再度脳裏をかすめていたのかもしれない。
 一時期、例の「PSE法」騒ぎで、どういうことになるのだろうかと多少心配もした中古ショップではあったが、店内に入ると特に何の変化もないようであった。
 やはり、自分のお目当ては決まっていたようであり、足は、デジタル製品のコーナーへと向いて行く。ポータブルDVDプレイヤーの掘り出し物でもないものかと、視線はそれらしき形状のものをサーチしていたようだ。
 すると、幸か不幸か、その中古が三台ほど展示してあるのがわかった。が、どう考えてもお手頃価格を上回る水準であった。この価格ならば、秋葉系のサイトの通信販売でも新品が買えそうだとも思えた。ただ、通信販売だと手に入れるまでにかれこれ一週間はかかってしまうのに対して、展示された中古品は多少ハイ・プライスではあっても持ち帰りができる、という点が取り得だということになる。
 幾分、決めかねる中途半端な心境で店内の他のコーナーをそぞろ歩きする自分であった。100円ショップ同様に、子ども連れの家族がわいわいと騒ぎながら店内を埋めていた。
「なんでも欲しがるんじゃないの! もう連れてこないからね!」
というような声も耳元をかすめた。

 で、結局、自分はやや高めではあった中古のポータブルDVDプレイヤーを携えて帰路についていたのだ。まるで、「なんでも欲しがる」子どものようではないかという自嘲じみた心境も携えてである。
 帰宅してすぐさまビスコンティ作品を再生しご満悦ではあったが、念のため、サイトで同製品の新品の通販価格をチェックしてみると、やはり、さほどの差がないことが判明したのである。
 「安い」DVDコンテンツを入手して、それが元で、「高目」のプレイヤーを買うことになるというのは、「安物買いの銭失い」の元の意味ではないにしても、広義の意味では添っていそうな気がしてならなかった。
 しかし、欲しいと思うピーク時にそれを入手するというスタイルは、度し難い現代病ではあるのだろうけれど、その充実した手応えは十分にアリということになりそうだ…… (2006.04.16)


 事務所のビルの屋上に出てみた。晴れ上がって天気の良い今日のような日は、気分のいいものである。晴れているとはいうものの、風がさほどないためか、霞みがかかって遠方の景色はぼやけていた。とくに、西方の丹沢山系は墨絵のような雰囲気である。
 ちょっと気分転換にと思って出てみたのだ。バカは高いところが好きというが、自分もそのとおり見晴らしの良い場所は好きである。

 このビルに事務所を移してからもう二年半近くとなるが、最初の頃に楽しんだきりもう二年ほどは屋上に出ていなかった。というのも、ちょっとしたわけがあった。弊社の事務所は二階であり、屋上との間には三階のフロアーがある。そのフロアーには、つい先だってまで別なテナントがいたのである。別に、そのテナントが屋上まで借り切っていたわけではないのだが、用もないのに屋上に出ることがなんとなくはばかられたのであった。ひょっとしたら、屋上を歩く気配がそのテナントに伝わるのではないか、いや、別に悪いことをしているのではないから、それはそれでいいようなものだが、やはりややはばかる心境が先立ってしまったのである。
 が、そのテナントも、先日、三階のフロアーを明け渡した。そんなことで、何はばかることもなく、今日は久々に屋上へ出てみたというわけだ。

 そう言えば、子どもの頃にも時々屋根の上に這い上がっては、ちょっとした別世界の雰囲気を楽しんだことがあった。
 最も早い時期は、幼稚園児の頃であったはずだ。その時は、別世界の気分を楽しむというよりも、必要に迫られて上ったはずだ。模型飛行機だか、別の玩具だかが屋根に上がってしまい、それを取りに行ったと記憶している。自宅の平屋増築部分であり、そこは亡父の仕事場となっており、屋根はトタン屋根であった。で、その時は大失敗をしてしまったのだ。その屋根から落下したのである。
 記憶では、トタン屋根の中央に、明り取りとして数十センチ四方のガラス窓が設えてあったのだ。しかし、バス通りに面していたためか、そのガラスの天窓は砂ぼこりで曇っており、周囲のトタン屋根と区別がつきにくかったようである。
 はじめて上った屋根ということもあり、まさに気分も「上がって」いたのであろう。うかうかと、そのガラスの天窓を踏み込んでしまったのである。当然、落とし穴に嵌るように自分は父の仕事場のコンクリートの床に落下して、尻餅をついたのであった。
 大人であれば足腰を痛めたはずであるが、まだ身の軽い幼稚園児であったためか、ほとんどかすり傷ひとつせずに済んだのである。ただただびっくり仰天して大声で泣きわめいていたとかである。
 これには、当時ならではの後日談のおまけがついた。この話が近所に伝わると、とある近所のおばさんが妙な事を言い出したのだそうだ。
「へぇー、そんなことがあったんや。て言うんはね、わてんとこの『成田はんのお守り』が、真っ二つに割れてたんよ。これは周囲でなんかあったんとちゃうかと気にしてたとこやねん……」
と、まあ、「信心」の押し売りまがいの反応をしたのだそうだ。
 それがきっかけで、自分は、『成田はんのお守り』をかなり長い間身につけるという習慣づけをさせられたのだった。確か、小学生の間は、まるでGIの認識番号チップのように、首にぶら下げるスタイルを「強要」されていたはずである。取りたいと言ったら、必ず、天安門事件ならず、あの「天窓落下事件」の話が蒸し返されたのだった。

 どうしてこんなことを書いたかというと、実は、このビルの屋上にも、三階のフロアー向けに「天窓」というか「明り取り」があったのである。もちろん、かつて自分が嵌ったまぎらわしい形状、外形のものではなく頑丈そうで小奇麗な姿のものではある。しかし、それを見ていたら、何となく不安な心境が蘇り、前述のようなことがふつふつと浮かんできたのである。
 幼稚園児の時に「落とし穴」に嵌ったような経験は、さすがにその後はした覚えはないが、しかし、よくよく考えてみると、そうした物理的な「落とし穴」ではなくて、人がひとを騙すというような「落とし穴」には幾度となく嵌り込んだ記憶がある。とくに最近は、大掛かりな「落とし穴」があちこちにありそうな気配を感じている…… (2006.04.17)


 明日で、還暦といういわばストップ高まであと " tow tics " (二目盛)という、いよいよ押し迫った時の流れを迎える。まだまだこれからだと居直ってもみたいし、ろくなこともやらずによくもまあ生き延びてきたものだとも思う。
 いや、お陰さまで、と言ってまずは感謝すべきなのであろう。歳相応に、ボディのパーツ類は傷み(痛み)始めてはいるものの、まだまだ使えそうなのは、親から丈夫に産んでもらったお陰と、何だかんだと言っても世間の方々のお世話になってきたからであろう。医者についてはあまりいいことを書かない自分であるが、仮に一切医者のお世話にならなかったら、いつかどこかであたら若い命を落としていたかもしれないのだ。そんな大病を患った覚えはないものの、何でもない病をこじらせてというケースだって考えられないわけではない。要するに、今日、中古品ではあれまずまず「完動品」(中古電気製品などで完全動作チェック済みのものを言う)で店頭に並ぶことができるのは、世間のいろいろな方々の善意の賜物だと了解すべき事態なのである。

 ところで、自分は言うまでもなく「団塊世代」であり、個人としての特性を持つとともに、時代の子としては「団塊世代」の一般的特徴を内在させている生きものだ。
 同じ団塊世代の一年先輩である寺島実郎氏は、自分が一目置くところの学者であるが、その彼が、「団塊世代」について次のように書いている。

<この世代が身につけた価値観を凝縮するならば、一つは経済主義といえる。もちろん個人差はあるが、団塊の世代が育ち、生きた時代は、日本経済が復興から高度成長に向かう時代であった。政治的にはイデオロギーの対立の時代でもあったが、敗戦を「物量の敗戦」と総括した国民の唯一のコンセンサスは「経済的豊かさの実現」であった。松下幸之助が提唱したPHP(繁栄を通じた平和と幸福)は、この時代の日本人の心に響いた。それ故に、この世代が身につけたものは、程度の差こそあれ、「経済」への思い入れであり、「拝金主義」ともいえるほど経済的価値を重視する傾向を内在させた。
 二つは私生活主義である。私生活主義は個人主義とは異なる。個人主義とは全体が個を押しつぶそうとしても自らの思想・信条を貫く意思に満ちたものであるが、私生活主義とは「他人に干渉したくもされたくもない」というライフスタイルにすぎない。強制や抑圧のない社会と戦後民主主義という環境に育ち、個としての自己主張を身に付けているが、国家や社会の不条理を味わい尽くす体験をすることなく生きてきたことによる虚弱さを内在させている。山崎正和は「柔らかい個人主義」と呼んでいたが、現実は田中康夫の「なんとなくクリスタル」に近い自分の身辺事象へのこだわりというべき心象風景を内在させた世代といえるであろう。
 厳しく自画像を描くならば、戦後日本人の先頭世代として、経済主義と私生活主義を掛け合わしたような価値観の下に行動を選択し、戦後日本なる状況を形成してきた。確かに、音楽や文化などの領域で新しいものを創造した面もあるが、団塊の世代が何かを創造したのかを自問するならば、何かをやり残しているとの思いが強い。>(「団塊の世代の正念場」世界 2005年12月号 連載「脳力のレッスン」より)

 そして、同氏は、こうした価値観で動いてきた「団塊世代」が、当然のことながら「団塊ジュニア」をはじめとする後続の若い世代に大きな影響を与えてきたと指摘している。
残念ながら、望ましい影響ではなく、<「社会」とか「時代」という言葉に繋がる問題意識が存在しない>若者たちを輩出したというわけである。
 確かに、この指摘は当を得ているように思われる。今朝も、ラジオ番組で「若者たちのナショナリズム的傾向の強まり」とかいうものを耳にした。そこで懸念されていたのは、まさに<「社会」とか「時代」>という大枠が意識から消去されていると、抽象的な日本文化に、そしてナショナリズムに接近してしまうというような点であった。
 そればかりではなく、例の<ホリエモン>的動きにやすやすと取り込まれていく若者たちの心性というものは、上記の「団塊世代」における<経済主義と私生活主義を掛け合わしたような価値観>の流れに位置するとも見える。
 そうした点では、「団塊世代」が残してしまったあまり望ましくはない足跡は、決して見過ごされてよいものではないようである。

 なお、これからの「団塊世代」たちが歩むべき方途について同氏は次のように述べている。「団塊世代」にとってはかなりシビァな課題だと思えるが、自分としてはまさにその通りだと共感せざるを得ない。

<我々の周りには、定年を前にして、蕎麦打ちや陶芸に打ち込んだり、急に家庭的な生き方に回帰する人間が増えた。悪いこととは思わないし、内省から生まれるものへの期待もある。だが、私生活主義から一歩も出ない老成ならば問題である。団塊の世代が「傘の雪」となって後代世代にのしかかるのか、社会を支える側に回るのかによって高齢化社会の様相が変わるといっても過言ではない。
 それを「新しい公共」と呼ぶべきが、国家とか権力による強制ではなく、主体的参画によって公的分野を支える行動を志向することが鍵となろう。官対民という構図だけで議論することが多いが、実はいかなる社会においても、官と民の間の「公共」という分野を誰かが支えないと人間社会は成り立たない。団塊の世代が、地域社会の文化・教育・福祉から地球環境まで、もう一度眼を向け直して、自らの関心と適性を判断して、何らかの形で公共という分野で汗を流す方向に向かうならば、高齢化社会は暗い展望に引き込まれる必要はない。カセギ(経済的安定)とツトメ(貢献)は大人が大人である要件であり、そのことを担う団塊の世代の最期の転機における覚悟が問われている。私は「一人一つのNPO」という志を持って、自分の能力、性格、趣味にあった形での参画が鍵だと思っている。>

 この辺の問題に関しては、何がどうということではなく、「団塊世代」当事者たちの「生き甲斐」そのものの質にかかわっているのかもしれない…… (2006.04.18)


 先日、ある大手消費者金融会社が強引な違法取り立てを理由に全店業務停止処分を受けた。当然の措置であるばかりか、監督官庁である金融庁はもっと早い時期から対応すべきであっただろう。
 記者会見に臨んだ社長は、「(社員に)成果主義を求めすぎた結果ではないかと思っている」と発言したという。わたしに言わせれば、これは「未必(みひつ)の故意」(行為者が、犯罪事実の実現を明確に意図したわけではないが、実現することになるかもしれないことをわかっており、かつ実現してもかまわないとおもうこと。故意として認められる)に当たるものである。かつての、JR事故の背景にあった、過密ダイヤとその厳守主義と同様に、経営構造が不祥事を生み落としたと言って差し支えないように思える。

 過剰な市場主義・競争主義を煽る現経済体制が、表面的な「好景気」と水面下での「悲惨な現実」との双方を起動させていることは周知の事実である。
 上記のような犯罪行為や、社会階層の二極化など注視しなければならない現象が多いが、今日はもうひとつの事実に注目したい。
 それは、こんな厳しい時代であるからこそ、これを抜本的に打開していく人間の「クリエイティブな力」が望まれるわけで、そんな力の発揮は、果たして今ベスト環境にあるのかどうかという点なのである。
 現状の経済的「成果」というものは、人間のこうしたポジティブな力によって「余裕のよっちゃん」的に獲得されているとは考えにくい。むしろ、この国の江戸時代の農民統治のように、生かさず殺さず、絞れるだけ絞る! という知恵のない方法によって掻き集められているのではなかろうか。これは、将来を犠牲にして現時点の帳尻を合わせている閉塞状況での選択以外ではないように見える。

 よく、「創造性の発揮」が求められるビジネス現場において、その環境は「自由」がいいのか、「強制的」がいいのかといういささか両極端な選択をめぐる議論がなされたりする。
 この議論の正解がどこにあるのかはしばし置くとして、おそらく、今現在のこの国では、あきらかに「強制的」な仕組みが選択されているに違いなかろう。何も、消費者金融業の取り立てに限らず、大学の研究施設などにおいても「成果主義」の空気が充満していることは否定できないはずである。産学連携の風潮を思い浮かべれば、産業界の厳しい「成果主義」の現実が研究分野に過激に浸透していると考えざるを得ない。そう言えば、「データ偽造」であるとか、「剽窃」であるとかが新聞種になってもいる。
 研究分野での「創造性の発揮」に関して言えば、極度な「成果主義」は、ただただ心理的なプレッシャーだけを増幅させてあまり良い条件ではなさそうだと考える。「甘やかす」とか「締めつける」とかといった類の問題ではなく、脳生理の視点から言って「創造性の発揮」にはそれにふさわしい条件・環境がありそうだと思える。

<子供の中にあるチャレンジ精神が十分に発揮されるには、一定の条件がある。そのことを明らかにしたのが、イギリスの心理学者、ジョン・ボールビーだった。
 ボールビーは、第二次世界大戦後、恵まれない児童のための施設でボランティア活動をした。その中で、幼児の発達にとって、父母などの保護者が与える心理的な「安全基地」の存在が必要不可欠であることを見いだした。子供は、保護者が見守ってくれるという安心感があって、はじめてその探究心を十分に発揮できるのである。(中略)
 自分が安心できる安全基地は、過保護に守られるためにあるのではなく、自由に新しい可能性を探求するためにこそある。ボールビーが見いだした「探求のための安全基地」の概念は、子供だけでなく、大人における探究心のよりどころをも説明する一般原理として注目されているのである。
 安心と探索のバランスをとることは、脳の大脳皮質の下にある大脳辺縁系を中心とする感情のシステムの大切なはたらきである。人間に限らず、動物は、「安全基地を確保する」という命題と、「新しい可能性を探求する」という命題を両立させることで生きのびてきた。
 感情のシステムが、安全基地が失われてしまったと判断すると、探求する動機付けも低下してしまう。歩き回っているうちに繰り返して電気ショックを与えられたネズミは、ついにはその場でじっとして動かなくなってしまう。>(茂木健一郎『脳の中の人生』中央公論新社)

 わたしは、ふと戦国時代のことを思い起こしてしまった。信長を討った明智光秀の動機についてである。信長は、光秀を発奮させようとの意図で、領主にとっての「安全基地」である領地を召し上げ、毛利攻めにて新たな領地を自前で確保せよ、と命じた。が、追い詰められた光秀は、本能寺攻めに至ったという歴史的事実のことである。
 「窮鼠猫を噛む」とか、「衣食足りて礼節を知る」とかのことわざも浮かんでくるが、生きものたちの脳がベストに、あるいは真っ当に機能するには、とにかく「安全基地」を奪っては始まらないわけである…… (2006.04.19)


 昨日書いた「安全基地」というテーマは、よくよく考えてみると結構重い問題であるように思えてきた。
 自分にとっての「安全基地」とは何か、というようなことに目を向けても、さてさて、と戸惑ったりもする。ひょっとしたら、現代の大人たちは、無意識には「安全基地」の幻影を抱き、なんとなく平静さを装ってはいるが、意外と「非」安全地域を丸腰でふらついて歩いているのかもしれない、と……。

 これまで、多くの者は、家庭や職場を、生活必需という観点からだけではなく、こころの支えという意味も含めて「安全基地」と見定めてきたようだ。家庭については言うまでもないが、職場についても、そこは生計の糧を得るという場に限られることなく、いろいろな意味で生きる勇気や力を与えてくれる場であったはずだ。とくに、「ワーカホリック(仕事中毒)」とさえささやかれた日本人にとっては、この側面は想像以上に実体的であったかもしれない。言われているように、仕事そのものだけではない、職場の人間関係をはじめとした様々な要素が絡んで一体となり、「ワーカホリック」的な仕事への執着を作り出していたのだろう。
 「ウチの会社は……」という表現が何気なく言葉になるように、愛着、忠誠心が自然に芽生え、そして、そこが自分にとっての「安全基地」だと思い込んで来たかのようである。もちろん、こうした意識を支えた根底には、「終身雇用」制度という、擬似的な家庭的環境があったものと思われる。

 片や、子どもたちにとっては、家庭(親)や学校が「安全基地」となってきたのではなかろうか。少なくとも、われわれの世代にとっては、「いじめ」という問題現象もさほどではなかったため学校という場所は、概ね、子どもにとっての「安全基地」と言えたのではなかったかと思う。貧しさやその他といった、家庭生活での問題を抱えた子どもたちも、逆にその分、学校を自分の「安全基地」だと見なしていたかもしれない。「安全基地」と見なされるだけの、安全かつプラスαとでも言うべき暖かい諸要素が事実存在したような気がしている。

 しかし、現在は、大人にとっても子どもにとっても、かつて「安全基地」と目された場所は、危険に満ち満ちた場所に変わり果てているのかもしれない。
 好んで「ワーカホリック」にのめり込んでいたのかもしれない多くの大人たちは、リストラという便利な言葉によって、「安全基地」から放逐されてしまう運命を歩まされることとなった。
 子どもたちにとっても、どうももはや学校という場所は、「安全基地」とは言えなくなっていそうだ。狂気の殺人者が紛れ込むという意味で危険が混入し始めたというだけではなく、学力競争主義が露骨となり始めたことや、弱者いじめの風潮が子ども世界にも確実に広がってしまったことなどから、学校はこころの「安全基地」なんぞとは言い難く受けとめられているのかもしれない。それは、「登校拒否」という現象が裏書しているのかもしれない。

 「安全基地」の最後の砦は、当然、家庭という場に求められることとなる。しかし、これは家庭という場にとって荷が重過ぎる課題であるに違いないはずだろう。かつての家庭には、実体的な共同生活があらゆる形で充満していたわけだが、現代では、家族各人は時間をはじめとして生活の大部分を家庭外の社会でまかなっていて、共同生活と言われる中身はきわめて薄弱なものとなりつつあるからだと言うほかない。その上、家族各人は、家庭外社会で背負った内的な傷の治癒を過剰なばかりに家庭に求めたりもする。いわば、家庭は、戦場の前線での野戦病院さながらの過重オーバーとなっているに違いないのだ。
 文字どおりの「安全基地」であることを家族各人が家庭というものに求めながらも、現代の家庭には、その社会的・制度的・文化的な支援要素も希薄であれば、またその結果と言えるのかもしれないが、各人の能力も圧倒的に不十分となり始めているようだ。

 かなり、現実のシビァな側面を見つめてしまったが、こんなふうに考えると、われわれ現代人にとっての、物理的な意味・心理的な意味双方での「安全基地」とは一体どこにあるのか、どのように確保していけばいいのか、それはかなりシリアスな問題だと思わざるを得ないわけである。
 そこへ持ってきて、まるで「マンガのインチキ武芸者」ふうの政治家が、「自助努力」だ「自己責任」だとはやし立てているから問題はこじれにこじれることになる。
 ここに、「マンガのインチキ武芸者」の最大の罪があるというものだが、彼が壊したものは、自民党という放っておいてもぶっ壊れる政治家組合ではなく、満身創痍であえぎながらも生き続けて来た人々にとっての「安全基地」そのものではなかったのかと、そんなふうに思える…… (2006.04.20)


 深夜の地震には驚かされたが、今日の天気は晴れやかで申し分ない。もとより天気模様にもの申すのもヘンであるが、今日のこのような天気についてはお褒めの言葉を進ぜよう。
 とりわけ、くっきりとした雲の姿が美しい。吸い込まれそうな真っ青な天空がそれらを際立たせているからだ。陽光の明るさも、一途に明るく何の屈託もなきがごとくである。
 事務所近辺の街路樹のポプラは、子どもの手のひら程度の若葉を吹きだし、それらがやや強い風を受け小刻みに波打ち、きらきらと陽光を照り返して来る。まるで、チア・ガールたちが、手にした飾り物を音楽に合わせて振っているかのような印象だ。

 こんな申し分のない天気の日には、自然と気分も和む。また、和むようなことにも遭遇したりする。
 朝、通勤途中でクルマを止め、自販機でタバコを買っていたところ、自宅のすぐ近所の奥さんが通りかかった。近くのスーパーでのパートに出向く途中だったはずである。
 その奥さんと気づいて挨拶をしたところ、突拍子もない言葉が返ってきた。
「随分と『細く』なりましたねぇ。」
と、わたしのダイエット効果をお褒めいただいたのである。しかし、「細く」なったという表現は可笑しかった。まるで、ダイコンかニンジン、あるいは鉛筆の芯でもいいが、そんな物体が連想されたからである。
「どうしたらそんなふうになれるのか教えてくださいな。」
とも言っていた。
 その奥さんは、確か同い年だったかと聞いているが、大層、貫禄のある体つきで、いわゆる肝っ玉母さんふうの相貌である。今現在は、苦心のダイエットの効果を得てか、かつてほどではなくなったものの、それでもご本人は気にしているのであろう。
 はじめはダイエットのためかとも思ったのだが、職場のスーパーまで毎朝徒歩で通っているようなのだ。わたしは、通勤時の自転車やクルマからよく見かけるのである。わたしが怪訝に思ったのは自転車を使わないことであった。
 家内が話すところによれば、何でも自転車には乗れないとかである。
 確か、江戸は亀戸だかの生まれ育ちだと聞いている。夏でも冬でも、自宅の前の道路に「打ち水」をすることが、その名残とも言えそうだ。で、話しっぷりや素振りもどことなく下町育ちをにおわせる人なのである。
 にもかかわらずと言うか、自転車には乗れないというのだが、それが妙に不思議さを誘うのである。一途なところもありそうな気配なので、乗れないというよりも、乗らないという隠れた主張があったりするのでは……、とも想像したりするわけだ。

 今朝、もうひとつ出会ったこころ和むような光景は、「ランドセルご一行様」に関することである。このところ、自分の通勤時刻と合致するためか、列を連ねて通学する小学生たちにあちこちで出会う。いかにも高学年の生徒と思しき背の高い子を先頭にして、その後ろをコマイ子たちがごちゃごちゃとつきまとうようにして歩いているのである。どうみても、整然とした行進なんぞではない。雨の中、神宮球場に向かった出陣学徒たちの気合の入った行進なんぞと比べものにはならない。いや、もちろん比べものになった方が恐いのであるが。
 時々、ひとりひとりはどんな顔つきで学校へ向かおうとしているのか興味が湧いたりする。まず、先頭を歩く「リーダー」の子であるが、これは一言で言って、「迷惑顔」がありありとしている。こんな金魚のフンみたいな子たちを引き連れて先頭を歩くなんて、あー、イヤだイヤだ、早く中学生になりたいよ〜、と、顔じゅうでそれを表している。
 それで、ごちゃごちゃとしたコマイ子たちはというと、結構、楽しそうな顔つきをしている。みんなで歩けば恐くない、そのものであるかのようだ。
 そして、中には、年長の子に手をつないでもらっている女の子がぱらぱらといたりするのもいとおかし。いかにも、これで安心と言っているような雰囲気である。それが何とも微笑ましく見えるのであった。
 さすがに、コマイ子であっても、男の子のそんな姿は見受けない。男の子で見受けるのは、友達同士で首に手を回して肩を組んでいる姿である。そう言えば、自分も、小学校の低学年の頃、仲良しの友達とそんな格好をしたことがあったっけかなあ、相手の子のセーターについたナフタリンの匂いなんぞを意識したことがあったっけかなあ、と思い起こしたりした。
 よその子たちではあっても、そうしたあどけない子どもたちの顔や姿を見かけることができるというのは、しょぼくれた大人たちにとっては、まずは幸せなことなのだとそんな気がしたのである…… (2006.04.21)


 「ゾルバ」のような男って居るに違いないし、ある種の男たちにとっては羨望の的なのかもしれない。『その男ゾルバ』をDVDで鑑賞してそんなことを思った。
 なぜ、今、『その男ゾルバ』なのか? とくに別段の根拠があるわけではない。
 今日は、久しぶりにゆっくりと朝寝坊をし、そしてトコヤに行った。しかし、たっぷりと睡眠をとったにもかかわらず、いやそれがいけなかったのかもしれないが、トコヤから戻ると妙に頭が重い。
 そこで、書斎にこもり、先週入手したポータブルDVDプレイヤーで、たまたまバーゲンで見つけて安く手に入れた『その男ゾルバ』を観たというに過ぎないのだ。
 この映画は、1964年度アカデミー賞受賞、アンソニー・クイン主演のギリシャ映画である。あらすじは、DVDの背面にある解説では以下のとおりだ。

<父の遺産である炭鉱を再開するためギリシャ寒村に来た英国人作家パジル。エネルギッシュで楽天家のギリシャ人ゾルバ。生き方も性格も異なる2人の男が偶然出会い、やがて友情が生まれ、強い信頼関係で結ばれてゆく……。この2人を軸に愛、友情、生きることの喜びと悲しみ、そして死といった人間の営みを真摯に描き……>

 まさに生命力の塊とも言えるゾルバを見事に演じ切っていたアンソニー・クインと、全編に流れるあの有名なテーマ音楽が、何度見ても聴いても印象的である。
 英国人作家パジルとギリシャ人ゾルバはまさに対照的な人物像である。知的で冷静だが非行動的な面が拭い切れないパジルに対して、ゾルバは、書物などというものを軽蔑さえしている行動的で生活力に溢れた情熱的な男である。この対比は、しばしば小説やドラマで取り上げられる、知的な近現代人タイプと、野性的な前近代人タイプというありふれたテーマだとも言える。そして、前者が後者を見くびりながらも、後者が秘めている生きることへのしたたかなパワーを認めざるを得なくなるという点もいわば常識に属する事実かもしれない。この映画の場合には、事業に失敗して結局英国に戻ることとなるパジルが、最後に、ゾルバの生き方の象徴でもある「ダンス」をゾルバから教えてもらうというシーンがエンディングとなっているわけだ。
 今日の鑑賞で新たに気づいたことがひとつあった。物語は、クレタ島の寒村で、パジルとゾルバたちよそ者(ここには、除け者にされている「未亡人」も含まれる)と地元村民たちとの二陣営が関係し合うかたちで進むのだが、その中間地帯に特殊な人物が登場させられていることである。知恵遅れの小男なのである。この彼が、ドラマの流れに絶妙な味を添えていたのである。
 この部分はどこかで知った覚えがあると振り返ってみると、あの秀作映画『ライアンの娘』でもまったく同じと言ってもいいそんな小男が登場していたのだ。これもやはり、閉鎖的な村民たちと、除け者扱いをされる主人公たちとの間を掛け橋する黒子的な役割りを果たしていたはずである。これが何を意味するのかをじっくりと考えてみるのもおもしろいかもしれないと思ったものである。

 わたしが、この映画『ゾルバ』を観て思ったことはいろいろとあったが、今ここで書こうとしているのは、「ゾルバ」のような男というのは、われわれの周囲のどこかに確かにいる(いた)し、わたしなんぞもそんな男に惹かれるという点である。
 わたしが自身の過去で思い起こした人物とは、Yさんという人である。二十年以上も前の話になる。そう言えば、ゾルバの相貌や声にも似ていなくはなかったかもしれないと思ったりするから不思議だ。
 酒が好き、人間が好き、歌が好き、そして女が好きというネアカで行動的な男であった。酒席で歌う十八番のカラオケは、村田英雄の「無法松の一生」(小倉生まれで玄海育ち 口も荒いが気も荒い……)であったから、そのタイプが想像もつこうというものではなかろうか。
 その彼は、わたしが遅ればせではじめてサラリーマンとなった会社の上司であった。人間関係能力に長けていたが、その根拠としては、陽気で話上手であり、直観力にも優れていた点が挙げられる。そしてとりわけ行動がスピーディで、部下からの頼み事もあっというまに片付けたものだった。だから、部下たちからの人望も篤かったし、同業種の経営層たちからもかわいがられていたようであった。
 ただ、アバウトさを嫌うような仕事においては躓きがちであった点、また酒、私生活、時間にルーズな面が彼の良い部分を相殺する嫌いがなくもなかった。出社時刻はその典型であり、定刻に出社したためしがなかったかもしれない。
 結局、これらのマイナス面がじわじわと彼を追い詰めることとなったのであろうか。後日聞いた話では、役員でもありながらその会社も辞めることとなったり、やや耳障りな類いの不祥事も引き起こしたとかである。
 どうということもないが、彼の血液型はわたしと同じB型であり、酒席においては、彼の口から「同類」扱いをされたことがしばしばあった。その時は光栄でさえあったものだったが、彼のその後の残念な噂を聞くたびに、切ない思いと、他人事ではない思いとが浮かぶのだった。
 しかし、昨今のご時世では、誰もが何をなすにも世知辛い計算に計算を重ねて味気ない振る舞いをするのが一般化しており、Yさんのような、あるいはゾルバのような陽気でエネルギッシュな行動力の男がめっきり少なくなってしまったのが寂しい。
 Yさんやゾルバのような男たちを追い詰めずに、寛容に生かすような時代環境でなければ、本当の意味での人間の生命力を萎縮させてしまうことになるのではないか、と杞憂するのである…… (2006.04.22)


 つい今しがた、今日二度目のウォーキングから戻った。夕方の足取りはえらく早足であった。いつもよりも10分近くも所要時間を詰めていた。日が暮れないうちに戻ろうとする意図もあったが、それよりも起きたての早朝とは身体のコンディションが全然異なっている。早朝の身体がいかに低水準であるかを改めて知る思いであった。
 この日誌を書こうかとデスクに向かって、しばしクラシック(最近は、Mozartばかりを聴いている)に耳を傾けぼんやりと考え事をしていた。
 大したことではなく、ある脳生理学者がどこかで書いていた、現代人は脳を酷使し過ぎている、というようなこと、しかも、知識・情報といった偏った内容ばかりを消化不良気味に扱い、異様な疲れ方に陥っている、というような内容である。
 だから、脳の尋常ではない疲労を逐次癒す必要があり、「何も考えずにボーッとする時間」をもうけることが望ましいとかであった。まるで、禅における「無の境地」のようなことなのであろう。

 最近は、根を詰めるといった仕事をしているわけでもないのに、結構、メンタル面での疲労感が拭い切れない印象にとらわれてきた。四六時中、中途半端な思考もどきの状態にあるようで、言ってみれば、中途半端な重さの荷物を間断なく持ち続けていることで腕の筋肉が疲れるような、そんなアホくさい脳やこころの疲れとでも言えそうなのである。
 こんな状態であったために、上述の脳生理学者のことばがふと浮かんだのだったかもしれない。
 学者先生が言わんとするところは、現代人の脳はとかく知識・情報といった抽象的な観念ばかりを取り扱いがちなために、土壌で言えばやせた土になりがちだということなのかもしれない。過去の体験的な記憶を呼び起こすために、逐次、鍬を入れて畑地を耕すようなことをすべし、とでも言っているようであった。そして、その「耕す」という作業にあたるのが、「何も考えずにボーッとする時間」だと言っているかのようであった。
 これは、かなり理に叶っているように思えたのである。
 休暇で旅行をするにしても、ボーッとして過ごすのではなく、名所旧跡や名立たるスポットを目まぐるしく情報収集して回る現代人、休みの日とて、デジタル情報の加工物を吸収しないではいられない現代人、ボーッとさせてくれるような穏やかな自然環境などはかえって居心地が悪いといって避けがちな現代人……。これでは、どう考えても、電源を入れっ放しのPCのように、限りなく加熱し、疲労度を深めているに違いないわけだ。
 人間の「睡眠」は、身体の疲労とともに脳の疲労を「リセット」する役割を持つものだが、現代人の覚醒時での脳の偏った酷使は、多分に「睡眠」に過剰な負荷をかけているかのようでもある。現に、現代人の少なからぬ人々が何らかの「睡眠」障害に陥っていると言われている。自分自身も、快適な「睡眠」を得ることは少ないかもしれない。「睡眠」に大きな負荷をかける前に、目覚めている時に脳やこころをクールダウンさせるような習慣をとらなければいけないとさえ感じるようになっている。

 休日の日にやるべきことは、メンタル・ヘルスの意を込めて、「非!」現代人的活動をこそすること、要するにまあ、思いっきりボーッとしてみたり、思考する暇がないような身体使用一辺倒に徹してみたりをしなければいけない! と思ったのであった。
 これは、別に何の変哲もない従来からある休日の過ごし方の常識と同じなのである。だが自分は、改めて、こんな凡庸な事実の切実さを感じ、そんなものだから、日暮れ前に再度ウォーキングに出向き、しっかりと汗を流してきたのだった。
 今週の週末からは、いわゆる「大型連休」ということでもある。身体の健康はもとより、メンタル・ヘルスという点にも十分に意を傾けた「非!」現代人的活動にいそしむことで、健全な疲労回復をはかるべきなのであろう…… (2006.04.23)


 ようやく「イカサマ政治」がまな板の上に乗せられるようになったかと、多少なりとも、溜飲の下がる思いである。「衆院千葉7区補選」で、小泉首相がまたぞろ口からでまかせの応援演説をした自民党候補者が結局有権者の意に添わなかったという、昨日の選挙結果のことである。
 正直言って、民主党や小沢代表を絶賛するほどの気持ちはない。ただ、「ストップ・ザ・コイズミ!」をどこかで行使しなければ、この時代と人々の精神衛生が歪み切ってしまうのではないかと思ってきたその点の懸念の一部が晴れそうな感触を得た。もちろん、これがきっかけとなって、「イカサマ改革」の動きがあちこちで白けることを願うばかりである。

 今回の「補選」では、民主側は、「コイズミ改革」=「格差社会推進」というわかりやすい争点を提示したかと思う。まさに「イカサマ改革」に対して妥当な楔(くさび)を打ち込んだことになろう。
 しかし、「格差社会推進」がなぜ悪いのか、政治目標としてはなぜ間違っているのか、あるいは「格差社会」はなぜ人間の描く社会像としてはお粗末で最低なのかについては、もっともっと議論され白日のもとに曝されなければならないかと思っている。
 ひとつだけ言っておけば、「格差社会」を「実力社会」だ、「能力主義社会」だ、「努力するものが正当に報われる社会」だと勝手に決め込んで賛意を示す単純バカが多いのが気になるのである。こうした誤解の裏側に、過去の、いわゆる「悪平等社会」のイメージが控えていることは容易に想像できるところである。
 確かに、「悪平等社会」の再来を願うつもりはない。しかし、わたしが考えるのは、過去がもし「悪平等社会」だったと言うのなら、なぜそうだったのか、という点にこそ目を向けるべきではないかという点がひとつである。
 またもうひとつは、「実力社会」を望む者たちが安易に「実力」という言葉を口にする時、実力とは一体何であるのか、その基準は一体誰が公平に裁定するのかという議論なしでは済まない難問についてなのである。

 結論から急げば、現実の「実力社会」というものについては、限りなく仁義なき「弱肉強食」社会へと墜落していくというリアルな成り行きがあまりにも無視されているのではないかと思う。経済市場というものが、神の手だか人の善意だか知らないが、何か都合の良い「調和」や「秩序」へと導かれて行くとでも考えているのであろうか。
 昨今、あまりにも世知辛いご時世となったものだから、人間の「性善説」、「性悪説」という問題が再度考え直されていいのではないかと議論されたりしている。こうした議論をする者たちの眼下には、おそらく、人間というものは放っておけば「調和」や「秩序」なんぞとは無縁の混乱もしくは地獄絵図しか作らないというような現実が広がっているに違いない。
 つまり、われわれの社会の現実経済である市場主義経済とは、自然に「調和」や「秩序」を生み落としていくものなんぞではなく、あらゆる悪事が紛れ込み、盛り込まれ、バレなければいいじゃないか、という荒っぽい類のものでしかあり得ないのではなかろうか。要するに「弱肉強食」社会そのものなのである。
 「実力」という言葉は、世間知らずのお坊ちゃまたちが思い描くような綺麗事ではなく、何でもアリの悪臭漂う現実を覆い隠すための「便利な言葉」でしかない、と言っても過言ではないのかもしれないのだ。
 もちろん、「実力」を厳正に「査定」するような人格を勝手に想定してはいけない。そんな人格はどこにもいないのだ。だから、「実力主義」という言葉に、何か正当なものを託す人々を、わたしは何と「お人好し」なのだろう、何と「観念的」なのだろうと思わざるを得ないわけである。

 あと、「実力主義」を口にする者は、本当に実力がある者というよりも、自分自身の実力というものに無知な者が多いように思われる。まあ、それが言い過ぎであるならば、少なくとも「自己中心」的傾向の強い者だとは言えよう。他人の努力や実力というものなんぞは皆目見えず、自身のそれらにしか関心がないのだ。挙句の果てに、自分にだけ努力の苦痛があったり、実力らしきものがあるのだと思い込んでいるから手に負えない。
 そうであるがゆえに、自分のそれらが報われなければならないとして、観念的な「実力主義」の社会が「到来する」ことを期待するものと思われる。
 が、そんな社会は「到来する、しない」ではなく、当の本人が気に入っていないかもしれないこの今現在が「実力社会」以外ではないのだ。こう考えると、ご本人が考えている「実力社会」とは、自分自身を評価してもらえる社会が「実力社会」だというとんでもないご都合主義であることが何となく見てとれるのである。こんな人々は、どんなに社会が変わろうとも、いつになっても、「実力社会」の到来を待ちわびること必定であろう。

 ところで、もう一つの関心事、<過去がもし「悪平等社会」だったと言うのなら、なぜそうだったのか、という点>についてである。
 いろいろと考えるべき点はあるが、独断的に言ってしまえば、そうでしかあり得なかったからということになる。つまり、経済のパワーが、個人のパワーよりも共同体や集団としてのパワーに依存せざるを得ない時代的段階にあっては、「無策」と言われようが、できる者が不満を持とうが、共同体や集団の結束のためには、たとえ「悪」平等の謗りを受けようが、波風を立てない方が便宜上良かったのであろう。
 その上、上述の話ではないが、個人の実力判定基準というものが、早々簡便に評価できるものではないという老練な勘が働いていたのかもしれない。
 だから、「悪平等社会」だと称される社会は、無策無能な社会であったかもしれないが、存外、貶すばかりの社会ではなく、そういう選択の中にも見るべきものはないでもないと思うのだ。

 今、時代風潮からすれば「逆説的」とも言えるような考え方を披露する人々もいるようだ。たとえば、職場における「終身雇用」や「年功序列」の慣行は、こんな時期だからこそ再度見直されていい、と主張する人々である。これらこそ、言う人に言わせれば、「悪平等」な制度以外の何ものでもないということになるのだろう。
 しかし、率直に言って、「見掛け倒し」の「実力主義」、場合によっては悪しきもののベールともなりがちな「実力主義」よりも、「悪平等」の汚名を着せられた制度たちの方が「合理的!」であったりするのかもしれないと思えたりもするのである。
 まして、今、始まりつつある「格差社会」の現実は、この国この社会のパワーをズタズタにしかねない異物であるような気がしてならないのである…… (2006.04.24)


 男というのはいくつになってもガキっぽいところが残る。
 今日、仕事の合間にネット通販でミニカーなんぞを注文してしまった。以下のとおりの玩具である。
<シュコー ジュニアライン 1/43スケール キューベルワーゲンTyp82
色:フィールドグレー ドイツ親衛隊
ディテールの良さが魅力です。
ダイキャストメタル/フリーホイール
箱サイズ:横13センチ×高さ6.8センチ×奥6.2センチ
(箱はぺーパータイプのソフトBOXです。(写真参考)
価格 \1575(税込み)>
 誰か知り合いの子どもにあげるわけではなく、デスクの上なんぞに置いてちょいと楽しんでみようかと思っているのだから、えー加減にせい、ということになろうか……。

 もともと、金属製のミニカーは、まるでクラシック・カメラのようにずっしりと手ごたえがあり、心地良いものだと感じてきた。ひところは、そんなカメラのほかに、やはり金属性のモデルガンや装飾ナイフなどをニ、三、手元に置いていじっていたことがあったが、さすがに、この物騒な時代に、おもちゃであってもそんなモノは憚られるべきかと自粛することにした。まあ、クラシック・カメラやミニカーあたりが差し障りなくてよかろうと思ったわけである。
 どうして、今回、「キューベル・ワーゲン」となったのかということである。
 「キューベル・ワーゲン」とは、とある解説によれば以下のようになる。
<KUBELWAGEN とはフォルクスワーゲンの軍用バージョンでキューベル・ワーゲンという。実車は、第二次世界大戦中、ドイツ軍のいるところ、アフリカの砂漠、ロシアの雪原、占領下のパリの街中といたるところに登場している。フォルクスワーゲン・ビートルと同じレイアウト、コンポーネントを使用、リアの空冷四気筒エンジンで後輪駆動、抜群の信頼性で大活躍した>

 本来、堅苦しいことを言えば、「平和主義者」の自分としては、軍用ジープなんぞにうつつを抜かしてはまずい。しかも、ナチドイツのものなんぞは論外のはずである。
 が、そう思えば思うほどに、「しかし、カッコイイかな……」という理性で抑圧されたホンネのような感覚が頭をもたげてきたりする。
 実を言えば、この実物の中古車、1942年製につい最近お目にかかったのである。それも、自宅の近所、いや自宅の真ん前で、なのである。
 自宅の真ん前には、地元の地主が保有するアパートがあり、その脇に、同地主が設けたガレージがある。以前は、何やらピカピカの高級車を格納していたようだが、さほど注意をしてこなかった。が、最近は、カーキ色のジープらしきものを大事そうに格納し始めたのだ。
 で、先日なぞは、そのジープを道路に出して、異音めいたエンジン音をがならせているではないか。何気ないふりを装っていた自分も、そこまでやられると、ナニナニ? という心境に変貌させられてしまう。
「おもしろそうなクルマですね」
と、わたしは、30代か40代といったところの地主の若旦那に声をかけてみたのだ。
「いやあ、古いばっかりで困ったジープです……」
と、彼は照れ笑いをして、わたしにほどほどの距離を置こうとでもしているようであった。
 わたしはというと、夕刻でもあったためそのジープが何であるかが認識できずに、クルマ好きな人というのはいるもんだな、と思いながら家に引っ込んだものだった。

 ところが、昨夕、わたしがクルマで帰宅した際、その若旦那は、ガレージの中を明々と点灯して、そのジープに向かっていたのだった。
「調子はどうですか?」
と、自分は、自宅に入らずにそのガレージに向かって歩いていたのである。
「業者に面倒見てもらっているので、まずまずですね。今日はですね、このクルマと同じものが藤沢の方にあるっていうもんで、行って見てきたところなんですよ。」
と、彼は、聞いてもいないことを喋り始めたのだ。多分、わたしが、そのクルマに関心を示しているようなのでそんなことを披露したものと思えた。
 それから堰を切ったように、そのジープを巡る談義が始まってしまったのである。
 先ずは、そのジープの正体が、1942年製のフォルクスワーゲンの軍用ジープ「キューベル・ワーゲン」であることが判明したのであった。映画では結構目にしてきたドイツ軍のジープであるが、何でも日本で現役で走れるキューベルは3台しかないとかである。ということで、その若旦那は、鼻高々なのである。

 正直言って、こうした謂れのある中古車のオーナーとなったり、ラクではないメンテナンスを続けたりするほどの「根性」は自分にはない。でも、その若旦那の思い入れや、結構楽しそうな表情を見ていると、次第にその「キューベル・ワーゲン」が不思議な輝きを感じさせるようになってきたからおかしなものである。
 われわれの世代は、少年時代に映画でもTVでも、米軍の軍用装備とともにドイツ軍のそれらを見せつけられ、しかも、ちょっとクセのあるスタイルのドイツ軍のものに目を奪われた経緯がある。TV番組の「コンバット」や「ギャラントメン」を見ていたガキたちは、そう言えば米軍役となって遊ぶよりもドイツ軍側の役になりたがっていたような記憶も残っていたりする。
 ミニカーのおもちゃを買うという心境は、近所の若旦那に張り合うつもりであろうはずもなく、ただただ、少年時代への懐かしさということに尽きるような気がする…… (2006.04.25)


 同情心、共感、そして想像力といったことを考える時、自分は恥ずかしい気分となる思い出がある。
 幼かった頃、自分は、「やんちゃ」をしては叱られ、時にはこっぴどく叩かれたこともあった。そうした時は、ありったけの大声を出して泣き喚き、その上、やがて泣き声が出ないサイレント状態へと突入したりしたそうだ。いわゆる「ひきつけ」を起こすのだそうだ。そんな時には、水はぶっかけられるは、舌を噛まないようにと手拭いなんぞを口に押し込まれたりする。いや、3歳未満のことであったようだから当人はほとんど記憶にない。
 激しく泣き出せばそんな手のかかることになるのが見え見えだったからだろうか、あるいは同情心の賜物だろうか、わたしの姉は、わたしが親からひどく叱られている際には、かばってくれたそうである。
「もう堪忍してや! 堪忍してや!」
と親に取りすがってくれたりしたそうなのである。
 ところがである。自分にはそんな記憶はまるでないのだが、逆に、姉が叱られていた時には、わたしは、
「もっとやれ、もっとやれ!」
なんぞとまるで薄情なことを叫んで囃(はや)し立てたそうなのである。
 後日の親からの話によればということであり、これもまったく身に覚えがない。まあ、やりかねないガキだったかもしれないとは思うが……。贔屓目に推測するならば、姉弟喧嘩か何かをしていて、姉への敵対心の感情の流れがあったのではないかとも思うが、しかし、そんな薄情者のガキであったのかと思うと恥ずかしい気分が押し寄せてくる。

 脳科学者の言うところによれば、同情心とか共感とは、「前頭葉の前部帯状回」あたりで生み出されるらしい。同情心とか共感とかの研究は、「痛みの共感」という視点でアプローチされるようだが、以下のように説明される。

<他人の痛みをあたかも自分の痛みのように感じ、思いやる。そのような心のはたらきは、どのような脳の機能によって支えられているのであろうか。……
 一般に、痛みが人間に及ぼす作用には、大きく分けて、「痛みの感覚」と、「痛みの結果生じる感情的な反応」がある。「痛みの感覚」自体は、頭頂葉の体性感覚野を中心に生み出される。ふつう同時に起こる「痛みの結果生じる感情的な反応」は、前頭葉の前部帯状回を中心に生み出される。……
 前部帯状回は、痛みをはじめとして、自分自身のコンディションや周囲の状況に関するシグナルを前頭葉の前部(前頭前野)に送っていると考えられている。それを受けて、前頭前野が脳のさまざまな領域の活動を調整することで、適切な反応が引き起こされる。>(茂木健一郎『脳の中の人生』中央公論新社)

 もちろん、他人の痛み自体を知覚することはできないのだが、その代わりに人間の脳は、「痛みの結果生じる感情的な反応」という脳の機能を介して、他人の痛みを想像することができるという高度な構造を持っているというのである。これは、「痛みの共感」という実験(恋人同士の男性側の手の甲に弱電流を流して痛みを発生させ、もうひとりの女性の脳の活動を観察する実験)によって科学的に確認されているという。

 現在、われわれは毎日のように残酷な事件の報道に接しているわけだが、正直言ってわたしが感じるのは、道徳やモラルの欠如というような生易しいことではなく、人間が人間であるための脳の機能のどこかが、かなりの程度の不具合に陥ってしまっているのではないかという懸念なのである。とくに、急激な時代の環境変化を丸腰で被った若年世代の脳には、われわれオールド世代が感づけない何か尋常ではない出来事が起こっているやもしれない、とそう思ったりするのである。
 つい先頃も、和歌山県の高齢の写真店経営者が高校生によって無残にも殺害された事件があった。高校生には、ほとんど従前の犯罪のような動機はなく、それにあたるものとしては「うっぷんを晴らそう」「誰でもよかった」というような心境が報じられている。この間何度もわれわれ大人たちの心を痛めさせたホームレスの人たちの殺人も同類であろう。
 これらには、道徳的水準での同情心や憐憫の情なぞの有無を問う以前に、そうした感情が認識できなくなった脳の機能不全とでもいうことが問題となりそうな気がしてならない。

 ただ、脳のこれらの機能不全は、純・医学的問題ではなかろう。言ってみれば、人間学的、まあ平易に言うならば社会学的な問題だと言えるのかもしれない。
 というのも、上記の「痛みの結果生じる感情的な反応」という脳機能は、生活体験の質と量に依存し、とくに対人関係の質と量に大きく依存して育まれるものではないかと思えるからである。これらが、過度に貧困であった場合(個室環境的日常!)、さらに、デジタル情報で満ちた環境が四六時中感覚を刺激し続ける時、環境適合的性格を持つ脳は、当然変化していくのではなかろうか。
 突拍子もない残虐な殺人事件を犯す子たちが、ややもすれば日頃から他人に害を及ぼすタイプにあらず、むしろ大人しい子のタイプであったりすることに目を向けると、対人関係の質と量という観点こそが盲点となっていそうな気がしてならない。前者のタイプの方が、他者とぶつかることが多く、要するに枯れ木も山の賑わいだったとしてもより多くの対人関係を取り結び、他者に対する現実的な体勢を学んでいるのかもしれないわけだ。
 「格差社会」を、その歪みの壮絶さを想像することもなく、「『実力社会』なのだから良いと思う」と言い放つ若者たちを見ると、思わず、「お若いの、お前さんの脳は、ほぼビョーキだよ」と呟いてもみたくなるのだ…… (2006.04.26)


 今週はまたまたあのやっかいな頭痛が見え隠れしていた。しぱらく、例の漢方薬「丹参(たんじん)」の服用を休んでいたためか、久々に「偏頭痛」がやって来た。
 どうもきっかけは、休日に朝寝をしたことにあるのかとも疑っている。確か「偏頭痛」というのは、気分の変化時に現れると何かで読んだことがあった。繁忙モードから休暇モードに変わった時や、その逆の時などに現れるのだという。要するに、気分の急変(緊張と緊張緩和)で、血流や血管に微妙な変化が生じ、脳内血管に作用するとかであった。

 そうしたことがあったのかもしれないが、ちょいと休日に朝寝をしたくらいで休暇モードだと感知するほどに、自分の身体は早合点するのかとややいぶかしく思う。
 それよりも、今若干気になるのは、「目の酷使」という点である。
 事務所に居る時は、ほぼ、常時ディスプレイを凝視している日常である。しかも最近は、目が乾いた感じとなったり、目の疲れ感をしばしば自覚するようになった。
 また、頭痛が現れるのも、昼過ぎからであったりすることを思い起こせば、いわゆる「眼精疲労」というケースなのではないかと自己診断したりするのだ。

 こうして文章入力をする際はもちろんのこと、仕事関連のアプリケーション活用からネット情報の閲覧にいたるまで、すべてディスプレイ上のドット文字を睨み続け、それが一日中、間断なく続くのだから疲れるはずだとも思う。
 また、自宅に帰ると、これまたTV映像に目を向けたり、本の活字を追いかけたりしている。とにかく、起きている間じゅう、目の働きは休息するヒマがない状態である。
 こうした目の酷使に加えて、最近では、加齢による老眼によっていろいろと煩わしい思いもしている。たとえば、ディスプレイを注視することと、手元の書類や本の活字を追うこととを、滑らかに移行させることができないというわけだ。困ったものである。遠近両用の眼鏡も持ち合わせてはいるが、どうもしっくりとはこない。
 そんなこんなの、老化が進んでいる目に対して、若い時と同じような負荷をかけ続けていたのでは、やはり目がかわいそうなのかもしれないと自覚せざるを得ない。

 いやはやこんなことを書いていたら、目の痛みと頭の痛みとが共鳴し合い、まるで口裏を合わせるかのように、「もう、今日はこの辺で上がったらいかがです?」と言ってきたような、そんな心境となってきた。
 まあ、今日はこんなことでお茶を濁して、お開きということにしておこう…… (2006.04.27)


 誰であったか、ある短編小説に次のようなものがあった。
 その高校生の少女は、わずかなお小遣いを貯めてある文学書を購入したという。そして、大事に読みふけったあと、それを神田の古本書店で売ることになる。
 後年、彼女が、インドであったかパキスタンであったか海外旅行をした際、暇にまかせて現地のとある古本書店を訪れてみると、書棚に、何か見覚えがありとても懐かしく見えた背表紙が目に入る。よくよく思い起こしてみると、かつて自分が惜しみながら手放した本と同じものだったからだ。こんなものを海外旅行先で目にするなぞとはとんでもない偶然だと思い、その古本を手に取ってみる。そして、パラパラとページを開き懐かしい心境に浸りつつ、最後のページに目を移した時、ハッと身が凍る思いとなった。そこに、自分の高校生の頃のサインを見つけたからだ。つまり、その中古本は、どんな経緯があったのかは別として、あの神田の古本屋からはるばるこの地まで旅をしてきたということだったのだ。
 懐かしさのあまり、その本を再び購入することにした彼女は、ホテルに戻りその小説を読みふけった。
 海外旅行の多い彼女だったが、不思議なことに、行く先行く先でこの時と同様のことを繰り返すことになったという。そんなバカな、という点はおくとして、重要な点は、そうして何度も同じ小説を読み返す彼女であったが、読むたびに、その小説は新たな事実を告げてきたという点であろう。

 何でもないことのようだが、人間は、過去の記憶というものを常に塗り替えている存在なのだと思うわけだ。同じ本に接しても、過去に読んだ時の思い、つまりその時の記憶は現在の思いや視点によって更新をかけられていく、それが人間なのだとそう思う。
 言い換えれば、記憶とは、過去の固定したものではなく、いつも現在の思いとの関係で輝きを増すものであるのかもしれない。「温故知新」という言葉も、真実は記憶というもののこんな部分をこそ指しているのかもしれないと思ったりもする。
 ちなみに、脳科学の専門家はこの辺のところを以下のように語っている。

<新しいことを保持しておくという意味での記憶力とは別に、最近の脳科学で注目されているのは、記憶の「編集力」である。
 CDやDVDのようなデジタル記憶媒体では、一度記録された情報はずっとそのまま静止している。……
 一方、人間の脳の中では、記憶は一度定着されても、そのままずっと静止しているということは、どうやらないらしい。長い時間をかけて、編集され続けるようなのだ。その編集過程で、人間は世界について、新しい意味、新しい見方を獲得していくらしい。
 ずいぶん前に体験したことの記憶が、突然よみがえって、「ああ、そうだったのか」と、その意味が腑に落ちる、という経験はないだろうか?……
 生きていく中で、私たちはさまざまなことを体験し、脳の中に記憶を積み重ねていく。その中で、記憶を互いに照合し、関係づけ、整理していく。このような「記憶の編集プロセス」を通して、私たちは、自分の行き方について、世界のあり方について、さまざまな新しい見方を獲得していく。
 記憶の「編集力」は、何かを覚えて正確に再現できるという通常の意味の記憶力と同じくらい、あるいはそれ以上に生きる上で大切なことである。>(茂木健一郎『脳の中の人生』中央公論新社)

<記憶は、過去を振り返るだけではなく、未来に何が起こるかを予想することや、新しいものを生み出す「創造性」のはたらきとも関係している。実際、未来を予想するときに活動する脳の領域は、過去を思い出す際にはたらく脳の領域に近いことが知られているし、創造する際には、思い出すときと同じように、「何かを知っている」という感覚が先導役になると言われている。「創造することは思い出すことに似ている」と断言する世界的な数学者もいるくらいである。
 インターネット上にさまざまな情報が飛び交う現代において、自らが過去に体験したことを思い出すことは、ますます大切になってきているのではないか。情報は、単に外からやってくるだけではない。自らの中から掘り起こすものでもある。無意識の深層に眠っていて、長い間思い出すことのなかった記憶を想起し、揺り動かし、溶かしているうちに、次第に何かが立ち上がってくる。昔の時間がよみがえってくる。>(同上)

 思い出話(記憶)といえば、年寄りの愚痴というような否定的な受けとめられ方となるがどうしても一般的となりがちである。しかし、記憶というものをもっと前向きにとらえ直すことが是非とも必要であるような思いにとらわれはじめている…… (2006.04.28)


 出鼻を挫く、とは、今日の天気のようなことを言うのだろうか。
 せっかくの「大型連休」の初日なのに、今日の空模様は何と情けないことか。が、自分は、さっさと今日の天気はあきらめた。そして雨の降らぬ早朝のうちにとりあえずウォーキングを済ませ、あとは事務所に出向くことにした。ひとりで自宅に居るのも鬱陶しいし、日頃やり残している雑事がないこともなかったからだ。

 家内は実家の母親の介護(多分、そう表現してよさそうだ)で出かけている。最近は、週にニ、三日の泊まりで出向くことが多い。お父さんが亡くなり、お母さんもめっぽう気弱になった。また、視力が極度に落ちてきたことも災いしているようだ。そんな母親を気遣う家内の気持ちは重々了解できるので、家内が望むようにさせている。おそらく家内にとっては、今が精神的にも身体の上でも一番負荷がかかる時なのかもしれない。

 食事などに関してまったく不自由しないわけでもないのだが、こちとらはまだまだ若いので、何とでもなる。そう言えば、現代の食事環境とは何と恵まれていることであろうか。コンビニを覗けば何でも手軽に買えるし、またわが家の近所には外食関連店舗がひしめいている。その気になりさえすれば食事に関して頭を使う必要は何もない。
 ただ、自分はさほど食通ではない。結局は、冷蔵庫の中のあまりモノをつついて済ますことが多い。さりとて、苦にはしていない。
 ヘンな話だが、自分は子どもの頃から若い時分も、決して美食環境にあった覚えがない。むしろ、貧乏生活や貧しい独り住まいで、如何にして食欲を満たすかという自問自答をしてきた。そして、「粗食」でもどうということはない受けとめ方ができている。
 もし仮に、ホリエモンではないが、長い拘置所生活となったとしても、食事に限っていえば能天気でいられるはずだ。むしろ、毎度毎度「据え膳上げ膳」で用意してもらえるならラクでいいというところか。

 「大型連休」は何をしようかと考えることもなく突入してしまった。とは言っても、月、火曜日はカレンダー通りである。年末年始以上に長い連休というのも身がもたないからそれでいいわけだ。
 ただ、こうした長期の連休をホッとした心境で迎えようとしている人も少なくないのだろうと想像する。とにかく、今、職場空間はラクではなくなっている。場合によっては逃げ腰にさせられるような厳しい雰囲気があるのかもしれない。
 そうした人たちにとっては、この休暇は、何の解決にも繋がらないとしても、とりあえずの「休戦」であり、「ドクター・ストップ」となるのだから、まずはホッとするのではなかろうか。まあ、そんな気分の和らぎから何か芽が出るかもしれないのだから、これもまたいいのかもしれない。
 何をしよう彼(か)にをしようと思わない方がいいのかもしれぬ。そんなふうに思うのは、結局、「効率」一本槍の通常ビジネス・モードを引き摺ることであるに違いないから、そうしたモードからこそ自身を解放すべきなのかもしれない。連休明けの際に、「再起不能」とならない程度に頭と心の「ストレッチ」をすべきなのだろう…… (2006.04.29)


 午後6時の約束であったのに、まだ品川駅あたりでウロウロする始末だった。
 相続問題とかの打ち合せで親戚の家へと向かっていた。品川駅で電車を乗り換える必要があり、とりあえず「東口」に移動しなければならなかった。が、その「東口」への通路がなかなか見つからずに右往左往するはめとなった。
 駅員に聞くと、この辺からだととりあえず一度改札を出た方がよかろうということになる。キップはどうすると聞くと、このステッカーの小片をキップに貼っておくようにと言う。検札でのゴム印とかは了解していたが、ステッカーをキップに貼り付けるという方式には面食らった。
 改札を出る際に、この後どう進めばいいのかを確認すると、突き当たりを左折すればわかる、というアバウトな返答が返ってくる。まあ進むしかないかと歩きはじめる。
 と、左折の箇所までくると、踏み切りのようなものが前方に見えたが、まともな通路とは言えない状態である。しかたなく進み、踏み切りに着いたものの、それは、まともな踏み切りにあらず、半間ほどの幅の通路のようになっているに過ぎない。しかも、前方の方はそれも途絶えてしまっている。前方に駅の建物の明かりが見えるが、そこに辿り着くには、何本もの線路を横切り、100メートル以上進む必要がありそうだった。
 左右両方面からはいつ列車がやって来るかわからず、これはとんでもなく危ないことだと感じていた。が、線路に敷き詰められた砂利を踏みしめながら暗い線路を渡るしかなかった。
 何か大きな音がしたので見上げてみると、線路とクロスする陸橋の前方から、蒸気機関車が白い煙を吐きながら驀進してくる。いつこんなところをSLが通過するようになったのか不思議に思いながら見つめる一瞬であった。
 暗い進路は、ますますわけがわからない状態となっていった。
 やがて、それは駅の構内というよりも、暗い田畑のようであった。ぬかるんでいることがわかり、あぜ道を行かなければ足が取られてしまうと警戒した。しかし、どうもあぜ道らしきものは見当たらず、しかたなく進む。いつの間にか、飼い犬であったレオを散歩させていることに気づき、レオがぬかるみに嵌らないよう注意した。
 しかし、いよいよ危ない地形となってくる。あぜ道は見出したものの、その両側は水田のようになっていてとても深そうである。落ちたら大変だと緊張していると、あぜ道だと思って歩いていたのは、そうではなく、暗い露天風呂の脇を歩いていたのだった。いつの間にか、どこかの旅館かホテルの庭に迷い込んでいたようだ。と、その時レオが湯の中に落ち込んでしまった。が、湯の中で泳いで這い上がってきたので安心する。
 このホテルの従業員に迷い込んだ事情を説明し納得してもらうことができた。玄関に回り、出ようとした際、掃いて来た靴が先のぬかるみで脱げてしまいなくなっていることに気づく。ホテルの人に、何でもいいから靴はないかと頼むと、ああいいですよ、と言ってニ、三足の古びた革靴を出してくれた。最初の紐つきの黒い革靴は、28センチとかでブカブカである。ほかにはと目をやると、他のものはヒールがついていて履く気にはなれない。そこで、靴紐を思い切り絞り込んで、ブカブカ靴を履くことにした。
 腕時計を見ると、既に6時25分となっていた。約束をした先方は、この遅れを怒っているに違いない、電話で連絡をしておくべきだ……

 と思ったところで、目が覚めたのだった。久々に、中味をほぼ明瞭に覚えている夢を見ていたのである。しかし、こうして振り返ってみても、なんとも理解しがたい唐突かつ支離滅裂なコンテンツだと感じる。が、思い当たる事がないとも言えない。
 「6時」というのは、午後ではないのだが、昨今自分が午前6時に起床しているための「登場」なのかもしれない。
 「キップにステッカー」というのは皆目見当がつかない。いや、ひょっとしたら、バックアップCDに、プリントアウトした小さなステッカーのようなものを貼ろうかと思い、その際は、小さなものでないと回転でブレるはずだと考えた、ニ、三日前の出来事の反映かもしれない。
 「暗い線路を横切る」というイメージは、常に緊張と集中力を要する株の「デイトレ」操作の名残であるのだろうか。
 白煙を吐く「SL」の驀進については思い当たるものが特にはない。
 亡くなった「レオ」の散歩というのは、つい先頃、庭のレオの墓に目をやったことがきっかけだろうか。
 「露天風呂」に行き当たったというのは、ここしばらく訪れていないための、願望としての深層心理であるのかもしれない。
 「ブカブカの革靴」は思い当たる節がないでもない。ウォーキングの際に履いているシューズが昨今「ブカブカ」気味だと感じているからである。冬場は厚い靴下を履いていたのが、最近は通常の薄手の靴下にしているためだ。シューズの紐を強く結び直す必要がありそうだと意識した覚えがある。

 こう振り返ってみると、夢の中の出来事とは、覚醒時にどうということなく脳裏をよぎらせたことを含めて、顕在意識と潜在意識の中のゴミのようなものを整理しているのかもしれない。これらはデリートしてもいいですか? と自問しているのかもしれない。しかし、こうやって、しっかりと再認識してしまうと、さてさて、一体どういうことになるのだろうか…… (2006.04.30)