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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2006年08月の日誌 ‥‥‥‥

2006/08/01/ (火)  この「不完全燃焼」をなんとかすべし……
2006/08/02/ (水)  崩壊! 日本人のモラルと管理能力?
2006/08/03/ (木)  プロ・スポーツ界での「表紙」と「中身」のバランス……
2006/08/04/ (金)  「雨あられとばらまいてやる。」
2006/08/05/ (土)  何とこころがしっくりと落ち着くものか……
2006/08/06/ (日)  この「虚しさ」はどこから来るのか……
2006/08/07/ (月)  いま流行りの「誰でもよかった……」ケースなら残念過ぎる……
2006/08/08/ (火)  久々に言いたいセリフ、「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?」
2006/08/09/ (水)  「未来がある」とつぶやける社会でなければならない……
2006/08/10/ (木)  「明日」が奪われることを阻止する生き方……
2006/08/11/ (金)  お盆の帰省で思い出す事々……
2006/08/12/ (土)  お盆は、おふくろにとっての「鼻先の人参」イベントか?
2006/08/13/ (日)  現代は、やはりこの問題を回避することはできない……
2006/08/14/ (月)  久々の酒の場を、心して振り返る……
2006/08/15/ (火)  「やれないこと」ではなく「やらないこと」をやったからといって……
2006/08/16/ (水)  「梅干」を見て考える「感覚」と「知覚」の違い……
2006/08/17/ (木)  便利さとリスクとがピッタリと背中合わせとなっている……
2006/08/18/ (金)  金をかけずとも達成できる可能性もある技術というもの……
2006/08/19/ (土)  ますます、愛しく思える動物たち……
2006/08/20/ (日)  レンタル・ビデオ屋はなぜ儲かるのか?
2006/08/21/ (月)  <心の病、30代社員に急増>の現実をどうする?
2006/08/22/ (火)  言葉「影法師」をめぐって……
2006/08/23/ (水)  書くことに、より大きな意味を見出すためには……
2006/08/24/ (木)  5年前の小説もどき執筆に思いを寄せてみる……
2006/08/25/ (金)  自己を「動機づける力」こそが……
2006/08/26/ (土)  錆びつく心の手当てとは……
2006/08/27/ (日)  いろいろな存在の息遣いが伝わってくる夏の夜……
2006/08/28/ (月)  「伝統的」技術の継承問題と、その市場的価値復権への「切り口」づくり!
2006/08/29/ (火)  対話ロボットの登板! について考える……
2006/08/30/ (水)  「お目こぼし」文化、「しょうがない」文化にも見るべき点が……
2006/08/31/ (木)  再び、「ベンチャー」への熱いまなざしが……






 梅雨と夏のはざ間の、置き去りにされた気候とでもいうのだろうか。あるいは、あくの強い両巨頭の間の谷間に生まれた凡庸な天候とでもいうべきか。昨日、今日の空模様のことである。
 昨夜もかなり涼しいと感じた。今朝などは寝冷えをしたかと思うほどの気温であり、今日は一日中、この時期としては涼しく過ごしやすい状況であった。

 こんな日は本来、何かにつけて調子を上げてのめり込み、やはり過ごしやすい天候の際には計(はか)が行くもんだ、とか何とか言って満足できるのでなければならなかった。
 しかし、どういうものだが今日は一日中ぱっとしなかったようだ。
 起床の仕方に問題があったのやもしれない。そんなに神経質になることもないのだが、深い眠り(ノンレム睡眠)の最中に起きてしまうと、どうも意識の方がしっくりとこないようだ。今朝の起床がこれであった。

 大分以前のことだが、いろいろと体調をくずしていた頃、「半落ち」ならぬ、この「半起き」状態の不快感をいやというほど味わったことがあった。
 その際の自覚症状としては、一方で、メイン意識は眠りへと傾いているからであろうか、外界を遮断して受けつけない様子なのである。また、他方では、知覚そのものはアクティブとなってはいても、メイン意識がオーソライズしようとしないからなのか、きわめて環境に対する実感に欠けた気色悪さそのものなのである。ただ、この辺の感覚の事情はまさに個人感覚的なものであるため、ちょっと説明が難しい。単に寝ぼけているのだと言われればそれまでのことだが、ちょっと違うかもしれない。
 これに類似した感覚があるとすれば、あの「金縛り」が相当するかとも思える。あれもなかなか気色の悪いものである。寝返りなりの身体の動きをとろうとする意識が、まったく身体の感覚へと繋がらないからであり、一瞬パニック状態になりかけるものだ。ただ、この場合の意識というのは、どうも覚醒した状態ではなさそうであり、眠りの範疇にありそうな気がする。つまり、夢の延長と言えそうだ。

 それに対して、上記の「半起き」状態というのは、限りなく意識は覚醒していながら、その意識が「内向き」となって、外界を遮断し続けるようであり、この状態にはまるとちょっとやっかいな気分となってしまう。やや焦りがちともなってしまうが、この焦りの感覚が生じると事態はますます不快感を増し、挙句に奇妙な「孤独と恐怖の感覚」に落ち込んで行くのである。いわゆるパニック症候群と呼ばれるものに近いかもしれない。だから、高が「寝ぼけ」だと侮れない感覚を持ったものだった。
 たぶん、自律神経失調プラス睡眠障害と思しき、そんな体調不全に陥っていたのが原因であったのだろうと思い、その後気をつけてきたものであった。

 今朝の「症状」は、かつての気色悪さのそれとは区別できる心理的なもののようではあったが、それでも、気分は冴えない状態がずっと尾を引いていたようだった。
 この「不完全燃焼」をなんとかすべし、というところであろうか…… (2006.08.01)


 大きな疲れとならないうちにと、今日は、とりあえず所定の夏休みの一日を消化することとした。このところ不足気味であった睡眠をほどほどにとったら気分はいくらか改善してきたようだ。偉そうなことを言うわけではないが、時代環境を憂えるという病にかかり、思うように抜け出せないでいるというのが案外当たっているのかもしれない。
 時代環境を憂えたところで一銭になるわけでもなく、そんな暇と余力があればすべきことはいくらでもあろうに、と言う人が大方なのだと思う。そのとおりだとも思えるし、またそうではないとも言えそうな気がする。
 ただ、自分の漠然としたイメージと予感では、今、この社会とこの国は、多勢がそうした自分志向に埋没してしまうことで「見放されつつある」とも思えるし、もとより、ヘンに腹の据わった連中によってこの社会とこの国は「草刈場」(みんなが先をあらそって入り込む領域・対象)だと見据えられて喰い物にされているとの観がある。誰もまともに考えようとはしていないような、そんな「思い込み」染みた感覚が消えないでいる。

 気分転換のひとつでいつもの河川遊歩道をウォーキングした。その時にも、信じられないような光景を目にしてしまった。前方で、ボチャーンボチャーンという音がするので河川側のフェンスに寄ってその音の方を見ると、幼女二人が川岸に降りて川原の大きな石を川の中央に向けて投げ込んでいたのだ。一体何をしているのかと訝しく思ったが、すぐさまピーンときたものがあった。川を覗くと、4〜50センチほどの緋鯉何匹かがあたかも逃げ惑っていたのだ。自分は、思わず声を発していた。
「こらーっ、やめなさい。当たって死んだらどうする、かわいそうじゃないの」
 びっくりしたような、またきょとんとしたような顔つきで見上げた子たちに、自分は手のひらをダメダメというように左右に振りながら、
「ねっ、やめなさいね」
と駄目押しをした。すると、思いのほかあっさりと、
「はいっ」
と頷いて、その暴挙を中止したのであった。たぶん、自分でも何をしているのかわからない幼さなのだろう。緋鯉に対する悪意や「殺意」に結びつけるのは無理があると感じたものだった。
 しかし、自分は小さな衝撃を受けずにはいられなかった。男児の悪ガキならまだしも、小学校一年生あたりの女児とその妹と思しき子たちが、楽しむ遊びとしてはあまりにも壮絶であったからだ。考えてみれば、そもそもそんな子どもたちだけで、浅いとはいえ川原に降りて川の流れに接近しているというのもどうかと思えた。めちゃくちゃなのである、親による躾というものが。

 社会事象というものは、決して偶発的に発生するものではなさそうに思う。今はちょうど子どもたちが夏休みで、子どもたちは幸い日頃回避できている危険に接近する頻度が高まっている。昨今の社会がさらけ出しはじめているほころびというか、落とし穴というか、はたまた罠と言うべきか、いずれにしても子どもたちにとっての大きな危険に、彼らが容易に近づいてしまうのがこの時代の問題なのである。
 先日も、当然安全であるべき市営プールで、アンビリーバブルな水死事故が発生した。こんなことを、「偶発的」事故だと見なしては絶対にいけない。社会のあり方を洞察力をもって憂慮する良識ある者ならば、こうした「杜撰な管理」=「無神経!」が、極端に歪んだ社会状況とそこでの人々の時代病理からきていることをまっすぐに射抜いて指摘するべきなのである。
 ビルの回転ドアに頭を挟まれて死んだ子ども、エレベータの制御不全で高校生が事故死したこと、ここまでアラームのカードが出揃っていて何を手をこまねくものかと思うわけだ。もっと遡れば、過密な列車ダイヤ実施によって引き起こされたJRの大量事故死も視野に入るだろう。
 詳細な因果関係の吟味はおくとして、これらすべてが、本末転倒のかたちで「収益追及本位」となっていたこと以外に何が原因であろうか。そして、国民の生命の安全を最優先させるはずの政府が、経済をミスリードし、時代風潮をミスリードしてしまった。その悪政によって助長された結果が、悲惨な事故事件で表面化していると言うべきではなかろうか。

 昨夜も、NHKの番組「クローズアップ現代」が、現在の世相の大きな問題のひとつである「崩壊!日本人のモラル」を遅きに失したかたちで取り上げていた。リアルな現実以外ではないだけに、何とも見苦しく暗澹たる思いにさせられるものがあった。
 こうした傾向の根底には、いわゆる「公共性」に関する観念の同時崩壊が横たわっているはずだし、同次元には教育の荒廃が根深くはびこってもいる。
 確かにさまざまな複合的悪条件が絡み切ってはいる。しかし、そうであればこそ、社会と時代環境を方向づける責務を担う政治は、その舵取りにおいて最大限の神経をめぐらして当然のはずであっただろう、神経があればの話だが……。
 ところが、ひょっとして社会や国のあり方にとって最も大事なことであろう人々の行動様式と観念を、ここまで見事に粉砕し切ったかのようなのがこの間の政治であったと見えてならない。

 社会的弱者の一ブロックである子どもたちの、この夏休み、8月が、さらなる事故事件で埋まることのないように祈りたいものである。二代目バカ殿選挙なんぞで現を抜かしている場合なんですかねぇ…… (2006.008.02)


 昨夜のボクシング中継(世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級王座決定戦「亀田興毅×ファン・ランダエタ」)は、いかにもこの時代環境とマッチしているような気がした。けばけばしく前宣伝されていた割りには、闘いの実が乏しく、おまけにジャッジメントに不信感を抱く観客、視聴者まで生まれる始末であったからだ。中身が頓挫して、表紙やパッケージばかりが浮き上がる時代風潮にマッチしていると言いたいわけである。
 いや、自分はボクシング観戦は好む方ではあるが、実は昨夜の一戦は観る気がしなかった。正直言えば亀田興毅ボクサーがいまひとつ好きになれないでいたからでもある。
 ボクサーもポーズなしでは売り出せないことはわからないわけではない。だが、その一連のけばけばしく、かつ垢抜けしない「パッケージ」が距離を置かせるのだ。
 自分の中の勝手なボクサーイメージとしては、イージーであるが言うまでもなくくすんだムードの「明日のジョー」であり、あえてこれにつけ加えれば、素朴な火の玉の「ロッキー」だということになろうか。
 同じ「なにわのボクサー」であれば、辰吉丈一郎、赤井英和あたりまでなら「ほんなら、やってみなはれ!」と背中を押してやれたが、亀田興毅あたりになるとどうも……。きっと彼だけの問題ではなく、周囲による「キャラクター作り」が奏効していないようにも思われるし、ファンの方にも責任があるはずだ。

 話は変わるが、一頃騒がれた「琴欧州」関はどうしたもんだろうか? いや、そこそこやっているのは知っているが、もてはやされた当時の期待度からすると、鳴りを潜めるといった低迷ぶりではないのだろうか。
「コマーシャルなんぞに出まくっているから気合が入らないんじゃないの」
と、取ってつけた感想をもらすと、家内は首を傾げたりしていた。
 しかし、マス・メディアをはじめとするギャラリーが騒ぎ過ぎたり、うかうかとそうした無責任、付和雷同環境に身を任せてしまうことには問題がありそうな気がしてならない。もっとも、そうした「取り巻き」やCMのような別の「ビジネスチャンス」を、逆に手玉に取れるのであれば、本業の成績に影響はないだろうし、場合によっては増幅された結果をものにするのかもしれない。
 決して、現代のプロ・スポーツを買いかぶった目で見るつもりはない。北海道日本ハムファイターズ新庄剛志を観ていれば、プロのひとつのあり方もわかろうというものである。観客を楽しませてナンボ、という面は小さくないだろうし、そうしたものを期待する観客やファンも増えているに違いないだろう。

 ただし、プロ・スポーツ界はやはりシビァなはずである。実成績が伴わないと、確実に足元を掬われる羽目に陥る。だから、プロたちは、「表紙」と「中身」のバランスをしっかりと計量しながら、決して観客を不安がらせずに堪能させるべきなのである。
 ただでさえ、この間庶民は、政治の世界での「表紙」と「中身」のアンバランスによって、とんでもない「痛み」を背負い込まされるに至っているのだから…… (2006.08.03)


 来る8月6日(日)、9日(水)は、言うまでもなく「原爆の日」(6日:広島、9日:長崎)である。自分は、とにかくこの事実と、これらの人類最悪の悲劇を運び込んだ「人でなし」たちのことを決して忘れたくはない。一概に過去のことだとは言い切れないからでもある。
 「放射線降下物や残留放射線による被曝、放射性物質を吸い込んだことによる内部被曝の影響」が次第に証明されつつもあり( ex. 先日のNHK「クローズアップ現代」での特集番組 )、現にこの条件下での被爆患者の発生が後を絶たない状況であるらしい。
 また、今日も、<41人全員を原爆症と認定 広島地裁、国の処分取り消す>( asahi.com 2006.08.04 )というニュース報道があった。

 核兵器が決して過去の問題ではないことは、現時点での危機に満ち溢れた国際情勢を思い浮かべれば、簡単に頷けることではなかろうか。
 戦争を生み出し続けなければ継続しない構造を持つ大国の経済が押しつけられている現状、これをベースとしながら「憎悪の連鎖」を拡大し続ける「人でなし」の意志が歴然として存在する以上、核兵器は無くなりようがないようにも見える。
 恐ろしいのは「人でなし」たちの振る舞いだけではない。「知らない」ことをいいことにして、時の動きを許したり、加担したりし続けている「お人好し」たちにも重大な責任があろうというものかもしれない。
 戦争やその事実の「風化」を憂えることは当を得ている。特に、核兵器の拒絶にとって理屈なんぞは必要がない。身体じゅうで嫌悪して、吐き出すごとく反応すればいいと思える。
 たまたま、山本夏彦氏を慕い、偲んで読んでいたコラムに以下のような単刀直入な文章に出会った。コラムとしての一体性をくずさないため全文を引用しておく。

<頻(シキリ)ニ無辜(ムコ)ヲ殺傷シ(「終戦ノ詔書」より)
 八月六日の原爆を私は見た。広島で見たのではない、写真で見た。写真は当時の「科学朝日」が広島にかけつけて写したものである。
 アメリカ人は原爆の被害をかくそうと、草の根わけて写真を没収した。カメラマンは七年間ネガをかくして、没収をまぬかれた。
 ようやくわが国が独立した昭和二十七年夏、「アサヒグラフ」は全紙面をあげてその写真の特集をした。当時の編集長は飯沢匡(いいざわただす)である。
 私が見たのはその特集号である。それはまざまざと実物を写した。酸鼻をきわめるという、筆舌を絶するという。それは写真でなければ到底伝えられないものである。私は妻子に見られるのを恐れて、押入れ深くかくして、あたりをうかがった。今三十半ばの友のひとりは小学生のとき偶然これを見て、覚えず嘔吐(おうと)したという。
 原爆許すまじという。何という空虚な題目だろう。「原水禁」「原水協」以下は、アメリカの原爆はいけないが中国のならいい、いやソ連のならいいと争ってニ十年になる。
 原爆記念日を期して私はこの写真を千万枚億万枚複写して、世界中にばらまきたい。無数の航空機に満載して、いっせいに飛びたって同日同時刻、アメリカでヨーロッパでソ連で中国で、高く低く空からばらまきたい。
 アメリカ人は争って拾うだろう、顔色をかえるだろう、子供たちは吐くだろう。ソ連と中国では拾ったものを罰しようとするだろう。罰しきれないほど、雨あられとばらまいてやる。
 今わが国は黒字国だとアメリカ人に非難されている。これに要する費用は黒字べらしの一助にすると言えば、アメリカ人に否(いな)やはないだろう。このことを私は書くことこれで三度目だが、ほとんど反響がない。これでも彼らがなお原爆の製造競争をやめないなら、それは承知でやめないのだから、それならそれで仕方がない。(「週刊新潮」 昭和54年8月9日号)>(山本夏彦著 藤原正彦編『「夏彦の写真コラム」傑作選@』より)…… (2006.08.04)


 毛皮を背負った猫たちは、家中の涼しそうな場所を物色している。ここがましかと思えたところで、ゴロリというよりノタリ、ベロリと寝そべっては体温を放出している。犬ならばハァーハァーともやれようものの、悲しいかな猫はその不快と苦痛を無表情に堪えている。それだけに、ああ気の毒なやつらだと思える。
 休日なのでひがな一日自宅で過ごす今日は、夏の暑さをもろに喰らわざるを得ない。が、「無情な仕打ち」というものに対しては臆することが禁物である。何のこれしきという構えを返礼としてやらねばならないのだ。
 そこで、朝一番には逸してしまったウォーキングを、「真昼の決闘」よろしく、真昼の11時過ぎに敢行する。「臆病な」家内は、これを阻止しようとしたが、「行かねばならぬ、行かねばならぬ、止めてくれるなミョウシン殿(これって誰?)」とばかりに、あるいは「さくら、おれっち渡世人たちにゃぁ、盆も正月も、寒いも暑いもねぇもんさ。おいちゃん、おばちゃんにもよろしく言ってくれ」とばかりに、いやまあ、そんなに大仰に言うこともないが、とにかく飛び出した。
 気合が入っているから、足取りが違う。帽子のつばが鬱陶しいので後ろに回して、でかい顔にもろ夏の陽射しを受けつつ突き進む。あまりの気合の入りよう、それが傍目にもわかるのか、見知らぬご婦人が会釈(?)までしてくれる。「よくいるんだわね、こうした手合いが。よせばいいのに、朝寝坊を反省するかのようにギラギラお天道様にかみつく輩がね……」と内心ではお感じになられていたかもしれないが……。
 確かに暑いは暑かったが、何ということもなくいつものコースを歩き通す。さすがに、自分のような自暴自棄なウォーカーは見当たらなかった。が、そのかわり自殺志願のジョギンガーがお二人ほどいらした。「よくいるんだよなぁ、こういうバカが。よせばいいのに、ジョギングとサウナとを合わせればきっと痩せられるとでも考えてるんだろう……」と内心感じさせられたものであった。

 シャワーを浴びて冷たいウーロン茶なんぞでのどを潤していたら、ななんと、夏空の上空から宣伝カーならぬ、宣伝飛行機の飛び交う気配がするではないか。めずらしい。50年ぶりくらいかもしれない。子どもの頃にはよくこうした宣伝方式に「お耳にかかった」ものであった。商店街とかデパートの大売出しとかの宣伝であったようだが、大気に拡声音がこもり、何だかよくわからないのが特徴であったか。眠い午後の授業中なんぞにそれが聞こえてくると、なおさら眠くなってしまったのを、ふと、思い起こしたりした。
 今日の場合も、例にもれず何を報じているのかよくわからない。終戦の詔勅でないことだけは確かだ。じゃあ、開戦か? 
 冗談はともかく、耳を凝らし想像力を高めて聴くと、どうも市内で昨深夜、轢き逃げ死亡事件が発生し、目撃者がいないかとその旨を広報しているようなのであった。
 深夜の一時、しかも金曜日の深夜となれば羽目をはずして飲んだ者の酔払い運転の仕業であろうことはすぐさま想像できた。とんでもない犯人である。
 が、犯人も、こうして空から「目撃者探し」の「拡声爆弾」が落とされたのでは生きた心地はしないだろう、ザマーァ見ナサイと思えないでもなかった。
 でも、今回の轢き逃げ事件に対するケーサツの対応にはやや気合が入っているみたいである。ケーサツもまた、「無情な仕打ち」というものに対しては臆すること禁物なり、何のこれしきという構えを返礼としてやらねばならない、とお考えなのだろうか……。いろいろとケーサツ絡みの不祥事もあり、「がんばってんだかんね」とアピールする場合でもあるのだろうか……。

 空からの「拡声爆弾」投下が止んだ頃である、家のすぐ間近の公園から本日開催盆踊り大会の「チャチャラカチャン、チャチャラカチャン、チャチャラカチャンチャン、チャチャラカチャン(この辺で後は省略)」という「短距離騒音ミサイル」が飛んできたのは。今なお、その降る雨のごとき「砲撃」は止むことがない。当家の被害は、死者のように倒れてのびている猫二匹……。
 ただ、かつてに比べるとその「音量」が抑制されたかの印象がないでもない。これもまた「構造改革」路線による「改革」成果なのであろうか。そう言えば、あの耐震偽装事件に絡んで疑惑が持たれた自民党議員はまたまた「ご挨拶」とやらで来場されているのだろうか……。

 とまあ、どうでもいいことをタラタラ書いてしまった。本当は書きたかった明日の午前8時15分に広島を襲った100年続く悲劇のことを差し置いて。
 実は、ついさっきまで、DVD録画をしたTV再番組「被爆者 命の記録 〜放射線と闘う人々の60年〜」を観ていた。観なければならない、見つめなければならない。事実を事実として知らないかぎり、逞しくしたたかな強さは生まれない、と考えていた。
 しかし、思わぬことを自覚した。虚偽、虚飾で塗りたくられた日常の「居心地悪さ」に比べて、事実に接することは、たとえ悲しく惨いものであっても何とこころがしっくりと落ち着くものかということを…… (2006.08.05)


 何を書くべきかと、久々に悩み切っている。夕食も済んで、もう9時半となる。
 書くことがないならば書かなくてもよさそうなものだが、どうもそうした潔い思いにもなれない。毎日書くということを崩したくないのであろう。いや、崩してしまうと自堕落になることが目に見えているために踏ん張ろうとしているのかもしれない。それはそれでいいのだろうと考えている。

 今日は、朝に「広島平和記念式典」のTV中継を観たあと、概ね読書に時間を費やした。このところ、気になる書籍の購入は旺盛であるにもかかわらず、どうもそれらの消化が捗らないでいた。いろいろとやるべきこと、やりたいことが多すぎる観ありなのだ。
 相変わらずのDVDの編集作業にも時間を要するのだ。ツール・ソフトのバグというかクセをも呑みこみ、ほぼ自在に使いこなせるほどに慣れてきたようで、ようやくストレスを感じることもなく進めることができている。
 気散じと、身体の調整のためウォーキングで汗を流しもした。今日は朝夕二度回るほどに気力は充実していた。何の変哲もないコースが、すっかり身体と気分に馴染んでしまい、まるで三度三度の食事にさえ似てきたような気がする。

 やはり「式典」については、正直言って年々ある種の虚しさを感ぜずにはいられない思いだ。被災者やその遺族の方々にとっては年に一度の式典にとどまらず、一年中、そしてこの六十一年間が苦痛と苦悩の日々であり、虚しさなぞという評論的な言葉が入り込む余地さえないことは想像できる。
 ただ、そのような人間的事実とはかけ離れて展開しているかのような、現在の傲慢な世界の趨勢が、あまりにも空々しいからなのである。核兵器の存在とその戦略構想とが、まるで正論に属するかのように振舞う国々のあることが虚しい。核搭載空母が、この国に日常的に寄港する破天荒な現実が虚しい。自国は特別とばかりに核兵器の使用可能性を勝手に保持している米国と、軍事同盟関係をますます深めていくこの国の政府の不甲斐なさが虚しい。核戦争のみならず、すべての戦争が拒絶されなければならないにもかかわらず、やむを得ないとの口実を拡大しつつ遂行され続ける戦争、イラク戦争、中東のイスラエル/レバノン戦争などがまかり進んでいることが虚しい。
 そして、そうした歴然とした事実環境がありながら、核兵器の廃絶などと来賓あいさつをする首相の厚顔無恥が虚しい……。

 今、こぞって関心が向けられるべきは、この国が着々と危機の崖っ淵へと突き進められているという現実であろかと思う。つまり、すでに路線化されてしまった経済危機(財政危機)のみならず、軍事的危機とを合わせた文字通りの両輪が険しい崖っ淵へと動きはじめている現状のことである。
 さまざまな形での「格差拡大」という色濃い現象を踏まえて考えるならば、「景気回復」という言葉が一般国民にとっては意味を持たないことは明確になりつつある。つまり、巨大企業の興隆(最終的には米国大資本)と一般国民経済の極貧化という構図だ。ストレートに言うならば、米国による日本経済と財政との完全支配ということになりそうだ。
 こんなことは信じ難い事実ではあるが、グローバリズムとともに何ゆえにこの国の経済社会環境変化が急激に訪れ、しかもマス・メディアその他が謳いあげた美辞麗句とは裏腹に、現在多くの人々が実感として噛みしめている苦い現実となってしまったのかを反芻するならば、あまりにもその種の既成事実が多過ぎる。もちろん、「米国による」という事実に関するマス・メディアの報道はほとんど抑制され続けてきたようだ。この辺がまた恐ろしい点でもある。
 小泉政権がどうのこうのと言われてもきたわけだが、より聡明な視点に立って観察するならば、小泉政権なんぞは使い勝手の良い傀儡でしか過ぎなかったわけで、その黒子の意思こそに関心が払われるべきだったようである。

 こう考えると、この十年で急速に進められてしまった経済環境の「米国スタンダード化」(=米国経済への従属化)と同様に、今、急速に進められつつあるのが、米国との軍事同盟強化であるに違いない。それも、戦争という「浮力」がなければ飛べない航空機型の経済を推進させる米国との軍事一体化は、どんなにかこの国にとって危機的様相を帯びるものであるが懸念されなければならないようだ。
 こうした、従来は想像だにできなかった軍事的リスクが増大している現状であるからこそ、従来どおりの平和式典には一面での虚しさを感じさせられてしまうのだろうか。
 しかし、「満れば欠くる」のたとえのごとく、米国の経済面、軍事面での強硬路線にも陰りが出てきたとも言われている。米国の動向に冷ややかな目を向ける国際的な動きが現れはじめているようでもあるからだ。
 それにしても、なぜこの国の権力主流派は親米(従米)一辺倒なのであろうか。米国とて、そんな媚び諂う者たちをいつまで友人と考え続けるであろうか。虚しさの本当の震源地は案外、そんなところにあるのかもしれない…… (2006.08.06)


 どう考えたって「当て馬候補」としか思えなかった元国家公安委員長歴任者が勝利してしまった長野県知事選。一体どういう切り口で考えるべきなのか、躊躇する。
 現職の田中康夫氏自身も予想外だったとする報道もあったようだ。ひょっとしたら拒絶されるやもしれないという空気を感じないわけでもなかったが、まるで、いま流行りの事件パターン、「誰でもよかった……」のごとくに決着がついてしまうとは意表をつかれた観ありだ。
 しかし、地方自治体がますます混迷しているこの時期に、せっかく新たな可能性を秘めたアプローチであったのに、まことに残念至極だと思えてならない。死んだ子の歳を数えるごとく繰言を言ってもしかたがないが、いま時、「怪しげなバック」もなく個人としての身体を張って未来のための人柱になろうとする者なんぞいるもんじゃないはずだ。
 「怪しげなバック」にはかない夢を託すくらいならば、多少「やっちゃん」の「素行」が気に入らずともやらせるべし、であったのではなかったか。
 いま時の「怪しげなバック」が、ますます慇懃無礼に「やらずぶったくり」路線をひた走っていることくらい、一日テレビをつけていれば感づくはずではなかろうか。いや、この辺にも問題があるかなぁ。マス・メディア自体が「怪しげなバック」を背負って権力に向かってヨイショばかりしているご時世だから、うかうかと目を曇らされてしまう可能性大だと言うべきなのかもしれない。

 とりあえず、「誰でもよかった……」決着を想定して考えるべき点は以下の二点だ。
 その一。どうして、こんな「投げ遣り」的な構えに、大事な県民をさせてしまったのか、「やっちゃん」は。この辺が腑に落ちない。いろいろと報道されてはいる。また、TV出演などでの様子でも目にすることはできた。
 自分なんぞは、概ね、ヨシッ、ヨシッと頷いてきたつもりではある。「脱ダム宣言」にしたって、いまさら巨大ダムでもないでしょ、と思った。土木建築業者のみを喜ばす高速道路建設とほとんど同じである。それとも、それを今最も欲しがっている中国にでも輸出するのだろうか。
 また、さまざまな組織スタイルに関しても、古い形式と体質に対してかけられるだけの揺さぶりをかけることこそが必須のはずだろう。土台、「県庁」という国の出先機関の役人たちは、勘違いすることが多すぎる嫌いがある。市町村役所のように直接市民と接する割合が低く、そのくせ中央の官僚お偉いさんに直結していることに起因しているのだろう。
 自分も、今まで遭遇した県庁レベルの役人たちでスマートな感性を持った人物にお目にかかったためしがない。全国各地には、さまざまな魅力的な「県産物」があるようだが、どう加工してもお天道様の下に出せそうにないのが「県役人」であるに違いなかろう。
 今回、県職員たちの一部が、枝葉末節なことを言っていたとの報道もあった。

<県職員らは安どの表情 長野知事選から一夜明け>( asahi.com 2006.08.07 )
<「村井さんが当選して大変よかった。人事でぎくしゃくした部分は解消して欲しい」。52歳の男性職員は晴れ晴れとした表情だった。>

<熱気冷めて「田中離れ」進む 長野知事選>( asahi.com 2006.08.07 )
< 県職員との関係の悪さも常に、反田中派からの攻撃材料にされてきた。県職員労働組合が昨年実施した組合員の意識調査で、田中知事の支持率は3.6%にとどまった。
 「県民の目線に立って仕事をするという意識が、組織に浸透した」。ある県職員はこう評価しつつも、「ストライクゾーンが狭すぎて、やり方がちょっとでも違うと、その人材を遠ざけてしまうので、ウイングが広がらない。6年間は、その繰り返しだった」と振り返る。>

 自分が思うには、「県職員」の方々は、本当に県民各位の将来と、県の未来をお考えになっていらっしゃるのか、と訝しく思える。人事問題がまるですべてであるかのような新入女子職員みたいなことを言ってくれるなと言いたい。
 <ストライクゾーンが狭すぎて>というのも勘違いが甚だしい。何でもかんでも<ストライク>でやり過ごしてきたから、放漫経営と無責任を体質とする組織になっちゃったんじゃないの? 公的分野での職務というものは、私企業以上に「当を得たもの」「的を射ぬいたもの」でなければならないはずだろう。
 こんなご時世では、優秀な人材でありながら不遇な立場にある者も多いわけだから、「甘えた感覚」を持ち続けたい職員には、一身上の決断を迫っていいとさえ思うのである。
 とまあ、自分は、「やっちゃん」の「素行」よりも、関係者の「素行」の方が気になるくらいである。
 ただ、他の「誰でもよかった……」決着に走らせてしまったのは事実であり、その点が返す返すも残念でならない。小沢民主党代表にはこうしたエラーをしてもらいたくはないものだとも思えた。

 そのニは、上記の事情と絡みを持つのではあるが、政治界の「保守本流」というものは、いつでも「イノベーター」の躓きを梃子にして失地回復を図る、そんな手しかないものだという点なのである。つまり、太陽ではなく、「イノベーター」の灼熱や輝きを無断借用するしかないということでもある。そして、この辺のところが実に巧妙になってきたのが現在の状況だと思われる。加えて、いやらしい商業原理主義のマス・メディアは、「漁夫の利」を得るかのごとく「イノベーター」の躓きを喰い物にするものだ。
 したがって、「イノベーター」は、前ばかり見ているわけにもいかないところが忙しい点となるわけだ。今回の「やっちゃん」のような「イノベーター」には、参謀とは言わないまでも、周囲とのつなぎを万全に処理する女房役が何人かいて然るべきであっただろう。それもなしの丸腰をご本人が望んだとするならば、ちょっと時代環境を舐めてかかったことになるのかもしれない…… (2006.08.07)


「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?」
 このセリフは言わずと知れた森村誠一の小説『人間の証明』(1976)で用いられたものだ。が、本当は、森村誠一が感銘を受けた西条八十の詩、「ぼくの帽子」が出典であることを知っている人も少なくないはずだ。

 今日の主旨からはずれそうであるが、ちなみにオリジナルを引用しておく。

<作:西条八十 ぼくの帽子
母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏碓井から霧積へ行くみちで、
渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向うから若い薬売が来ましたっけね。
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。
だけどとうとう駄目だった。
なにしろ深い渓谷で、それに草が
背丈ぐらい伸びていたんてすもの。
母さん、本当にあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍に咲いていた車百合の花は、
もうとうに枯れちゃつたでせうね。そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが鳴いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの渓間に、静かに雪が降りつもっているでせう。
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y・Sという頭叉字を
埋めるように、静かに、寂しく。
ーー『コドモノクニ』>

 こうして「原典」に当たってしまうと、これから書こうとすることが実に色あせてしまい、今日はこの「母子愛」に感銘を受けたのだとして、幕を閉じたくもなる。

 人間は、忘れられない事実、忘れたくない事実を、何度も何度も思い起こしつつ記憶として深く刻印していくものであろう。それが自然な人間の姿のはずである。
 しかし、現代という時代環境にあっては、やや事情が異なるのかもしれないと感じる。「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?」といわば意識的に、あるいは「母さん」が困るほどに執拗に問いかけ続けなければいけないように思える。多くの人々にとっての由々しき事実、失われた帽子以上に重要な事実さえ、視野の外にはずされがちだと思えるからなのである。
 確かに、現代人は忙しく、そして情報は溢れて乱れて、塗り替えられてゆく。だから、すべてが上滑りしつつ記憶の皿からは滑り落ちて行くようでもある。これを、現代人の「情報アパシー」だと言う人もいる。
 また、いつの間にかわれわれは「洗脳」されてしまい、新規性の視点で設えられた「ニュース」にしか関心が持てなくなっているやもしれぬ。重要かどうかであるよりも、新規性に富んでいるかどうかの尺度を流用することに慣れてしまったようだ。まさに、商業主義に染まったジャーナリズムと一体化してしまっているわけである。

 これが非常に危険な状況だと思うのである。ただ、「情報アパシー」の危険を今さらのように取り上げて、「さて困ったものですね、ではまた来週」を決め込もうとしているのではない。
 この、危険な状況を結果的には悪用している事実はないか、そういう悪用を意図的に仕出かしている悪者が存在しないか、といういわば批判的な牙を剥こうとしているのである。
 それというのも、この間、一般国民にとって熾烈な社会問題、事件が目白押しであったと思うのだが、どうもいずれもが、「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?」と言わざるを得ないほどに、静まり返ってしまった観があるからなのだ。
 あの危険な「帽子」、「耐震偽装問題」はどうしたのでしょうね? 個人投資家たちをさらに誘い込んでいる現況であるのに、あのいかがわしい「帽子」、「ライブドア事件」「村上ファンド事件」はどうしたのでしょうね? かぶりたくないほどに恐い「帽子」である「北朝鮮拉致事件」はどうしたのでしょうね? 穴が空いて投げ込まれたお金がこぼれ落ちてしまうようなイカサマ「帽子」である「社保庁問題、年金問題」のその後はどうしたのでしょうね? みっともないほど汚れていた帽子「NHK不祥事」は? 不祥事と言えば、これもまたデロデロに腐ったようになった帽子「警察などによる裏金作り疑惑」は? 極めつきは、羞恥心を捨てずしてはかぶれないほどに奇妙な形をした帽子、「郵政民営化」のその後はどうしたのでしょう? みんな、みんな「静かに雪が降りつもっているでせう」ということになりそうだ。

 これが、危険な状況だと思う内容なのである。昔から、日本人は「熱し易く冷め易い」と言われもしてきたし、「人の噂も七十五日」とか言われてもきた。しかし、もはや現代人にとっての環境情報の一切が、マス・メディアに依存せざるを得ない現状にあっては、こうした「尻切れトンボ」状況のすべてはマス・メディアの所産だと考えざるを得ないわけなのである。
 おそらく、「環境世界の情報=マス・メディアが報じる情報」という「等式」を信じ込んでしまっている現代人にとっては、マス・メディアが「黙ること」(報道自主規制!)、それは事件そのものが無くなったと解釈することにつながってしまうのではなかろうか。この辺の必然的とさえいえるメカニズムに対して、マス・メディアは本来配慮しなければならないはずなのである。
 ここには、マス・メディアによる「不作為の作為」的な情報操作現象あり、と批判したいのである。
 この問題がこれから大きく作用していくであろうと懸念される問題は、言うまでもなく「戦争」への危険な接近であり、「景気」が良い、悪いというフレーズが無意味となるほどに「格差」社会が深まって行く問題、そしてこれらの背後で「米国(資本と権力)」による日本支配の既成事実化なのであろう。

 「僕のあの帽子、どうしたでしょうね?」と問われる「母さん」の筆頭は、何といってもマス・メディアなのだと思われてならない…… (2006.08.08)


 政治を担う者たちのクオリティー(質)によってこうも違ってくるものかと改めて知る思いがした。
 一方で、この国の現実は以下の最新事情によって表現し尽くされているかと見える。

<34歳以下の男性の場合、正規雇用者で結婚している人は39.9%だったのに対し、非正規雇用者では13.5%にすぎない。収入の低さと不安定な雇用が結婚をためらわせ、少子化の一因となっていることをうかがわせた。>

 これは、<若者の非正規雇用が急増・06年版労働経済白書>と題された新聞記事( asahi.com 2006.08.08 )である。そのくだりの前には次の解説がある。

 <厚生労働省は8日、2006年版労働経済の分析(労働経済白書)を公表した。景気回復で雇用情勢は改善しているが、パート、アルバイトや派遣など非正規雇用の比率が20歳代で高まり、「将来の所得格差が広がる可能性がある」などと懸念を表明。婚姻率の低下や少子化にも影響があるとみており、正社員への移行や職業能力訓練の機会を増やし、「格差の固定化を招かない」ことが重要と指摘した。
 企業などに勤める雇用者のうち、非正規雇用の割合は20―24歳で最も高く、最新調査(2002年)では31.8%と前回(1997年)よりほぼ倍増した。白書は「収入の低い労働者の割合が増え、若年層で収入格差の拡大の動きが見られる」と分析した。>

 とてつもなく、暗く悲しい思いとなったものである。こんな実情では、この国に未来などは存在しない、としか思えないからだ。しかし、今すぐに手を打っても遅いかもしれないにもかかわらず、現政府は小手先のゴマカシばかりに汲々として「靖国」がどうした、「税金」がどうした、「総裁」(こんな時期にこんな問題で目くらましをする国は、国の「葬祭」に通じると誰かが言っていたっけ……)がどうしたと、的外れこの上ないことに終始している。
 彼らには、良識・学識以前に、常識がない! 視野狭隘だ! と言わずばなるまい。

 そんなことを強く感じさせたのは、『格差からの脱出 〜ブラジル・チリから』(NHK番組、21世紀の潮流「ラテンアメリカの挑戦」)というTV番組であった。ほとんど感動に値する逞しい人間的聡明さが輝いていたものである。
 今、日本という国は、アメリカが進める軍事・経済のグローバリズム化の波に呑み込まれつつ、冒頭のような「格差」の悲劇をいたるところで生み出している。
 この構造、事情は、決して日本にかぎられることはなく、すでにラテンアメリカでも生じていたのである。
 南米は、過酷な独裁政治と激しい経済格差という二重の困難に苦しんできたと言われるが、ブラジルの場合、破綻国家とさえ表現された80年代の経済大混乱があり、その回復に向けた90年代の経緯があったわけだが、経済復興のためにIMFから受けた融資には条件がつけられていたという。「民営化・規制緩和・新自由主義(徹底した自由競争で強い経済樹立を目指す)」を受け容れることだったそうだ。
 まさに、「構造改革」路線をとった現在の日本と同じである。しかし、その後のブラジルは、大規模なリストラによって失業者が急増し、また国の補助金も打ち切られる農村部は極貧状態に陥ることとなる。優雅な高級住宅街と都市スラム街、そして農村の荒廃という深刻な格差社会が出現したというのだ。強盗事件のような悲惨な犯罪も多発することになったと。こうした事実を知る時、そうした下敷きの図柄が今の日本にも十分に透けて見えていると思えるのである。

 ところが、ブラジルをはじめとするラテンアメリカは、今、パワーを急速に競り上げてきているというのである。
 アメリカが進める経済の自由化が却って貧富の差を広げ、平等な分配をもたらさない現実を生み出し、結果的に人々を目覚めさせ、そして左派政権誕生の原動力になっていったからだという。
 番組では、ブラジルの労働者党ルーラ大統領、チリの社会党バチェレ女性大統領のヒューマニスティックな活動が紹介されていた。
 ところで、この動向を、観る者に十分に説得して余りある経緯が存在していたのである。それが、ブラジルの場合、「アグリエネルギー国家計画」と呼ばれるもの、すなわち、サトウキビからガソリンに代わる燃料としてのエタノール(ガソリンに混ぜたり、単独でも燃料として使える)を生産するという画期的な政策だったのである。

 現在も、原油価格は高騰し続け、世界経済を揺るがしているが、ブラジルは、73年のオイルショックの際から、ガソリンの代替燃料として、サトウキビからエタノールを作る研究を重ね、注力してきたらしい。それというのも、ブラジルは、サトウキビ生産量で世界の三分の一を占めており、また、エタノールの原料としてのサトウキビは、中国や北米が進めるトウモロコシや、ヨーロッパが進めるテンサイなどに較べると生産コストを半分から三分の一にまで引き下がるのだそうだ。
 ブッシュ大統領も、原油の中東依存から脱却すべくエタノール生産強化を宣言したそうだが、ブラジル発のエタノール価格に対抗することは結構難しい課題のようだ。
 さらに、サトウキビ生産(農業)とエタノール生産(工業)という一体型の産業は、大量の労働人口を吸収することができ、すでに100万人の雇用創出を達成しているという。しかも、この一体型の産業は、農業にあっては市場の動向によって価格が左右されるという点、工業にあっては効率を追求するあまり、環境破壊や労働条件の悪化を招くという点などの、両者のマイナス面を補い合うことが可能であり、さらにサトウキビは地球温暖化の原因となる二酸化炭素を消費する点において地球に優しいということにもなるという。
 貧富の差が激しいという格差社会を「より公平な分配」社会へと是正する方策が、様々な面できわめて理に叶った「アグリエネルギー国家計画」という政策によって実施されているのが、今のブラジルだということになる。
 どうして、この国、日本の場合、政治家たちがアメリカ方式にだけに目を向けるという狭隘さを続けているのであろうか。それが世界の手本となり得る合理性で輝いていた時代は、残念ながら過ぎているように思われる。「自由競争万歳!」を望むのならば、世界各地の聡明な発想を学ぶことでこそ競争してもらいたいものである。

 極貧のブラジル北東部から、南東部に散在するサトウキビ生産コミュニティに集いはじめた働く者人々は、「ここには未来がある」という言葉をつぶやくのだそうである。
 今のこの国、日本の若者たちに、どうしたらこのありふれた言葉をつぶやいてもらえるのだろうか、と考えずにはいられなかった…… (2006.08.09)


 昨日の【天声人語】(朝日新聞)には感じ入るものがあった。

<「1945年8月8日 長崎」。今年の春に急逝した黒木和雄監督の「TOMORROW 明日」(88年)の冒頭近くに、この字幕が現れる。9日という「明日」に起きることを知るべくもない市井の人たちの営みが描かれてゆく。
 夜が明けて、新しい命が生まれる。朝顔が開き、鳥がさえずる。出かける夫があり、笑顔で見送る妻がある。運転手は電車を動かし、主婦は洗濯物を青空に架ける。坂道で遊ぶお下げ髪の子たちの影が、くっきりと黒い。
 そして、午前11時2分、原爆が炸裂(さくれつ)する。残酷きわまりない「明日」までの時を、切々と描いた秀作だ。
 この映画の狙いは、長崎の惨禍を伝えるだけではないだろう。原爆に限らず、戦争に絡んだ世界のさまざまな場所に、予想もしない残酷な「明日」はあったし、これからもないとは限らない。だからこそ、それを繰り返してはならないという強い思いが伝わってくる。……>(朝日、2006年08月09日(水曜日)付)

 ちょうど自分は、ニ三日前にある民放で再放映された黒木和雄監督の「TOMORROW 明日」を、例によってDVD録画をして観ていた。
 この映画の素晴らしい点は、一切悲惨な映像を使うことなく、それでいて原爆による悲劇の最も恐い部分を強烈に打ち出していること、さらに、生きとし生けるものという根源的な視点からの、抑えようのない憤りを自然に解き放ってしまうことにあると思えた。
 「非/反人間的な」核兵器を拒否するのに、それによって突然に無と化せられてしまった生きとし生けるものの健気で愛おしい日常生活をのみ描き上げたのだ。「明日」へと続くに違いないと信じられた日常生活を、実にぬくもりのある視点で描いた。
 そして、それらのすべてが、何の予告もなしに一瞬にして失われてしまう不条理のその一点を静かに指し示したのである。これこそ、観る者の心の中にあたかも時限爆弾を仕掛けるごときインパクトを秘めた説得性である。

 しかし、こう書くとそれは単なる映画手法の問題であるように聞こえそうでもある。だが決してそうではない。「壊すこと」の非人間的な間違いを強調することも、それはそれで正しい。ただ、それよりも「壊されるもの」の筆舌し難い豊かな価値と愛おしさこそが、いわゆる本命なのだと了解したい。いや、むしろこの部分が空虚となってしまっては、非人間性への糾弾にも、一抹の虚ろさが滲んでしまうのかもしれないからだ。
 言ってみれば、光と影の世界にあって、漆黒の影を責めるよりも光源をこそ充実させるのが理に叶った所作であり、それを知るのが聡明さだということにつながる。
 明らかに、現代という時代環境はそうした聡明さをほとんど持ち合わせてはいないようである。本命を充実させることよりも、場違いだと見なされたものを暴力的に撤去、除去することに奔走しているようだからだ。その作法は、医学、医療とて同じ原理を採っている。すべからく、病巣の発見とその強制的除去こそが、近代の延長線にある現代の得意技だということになる。

 このロジックは、あの「北風と太陽」という逸話に似ていなくもない。そして、「太陽」の方はやや寛大過ぎるのではないか、甘いのではないかという誤解を生じさせがちでもある。
 しかし、何が本命なのかを確信して、その本命をこそ充実させ、豊饒にさせること以外に、理に叶った方法はないように思えるのである。そのことは、気を含めた身体の総体の健全化を謳う東洋医学なり漢方医学なりが説得力をもって実証していそうでもある。いや、東洋的な優れた発想には、こうした本命重視という自然主義的な視点が濃厚であるようだ。
 まあ、込み入ったことはおくとして、本命重視の視点というものは、とかく迷いの多い現代において貴重な羅針盤の役を果たしてくれそうな気がするのである。
 つまり、何が大事なのかの答えは、生きて生活するという本命以外ではないということである。生きとし生けるものとして、日々を淡々として生きること、できれば自足しながら生きること、さらに、できれば喜びを伴って生き抜くこと。憎悪の感情に足元を奪われ、これらの本命のことがらを決しておろそかにすることなしに、である。
 現代という時代環境が、人々にネガティブな感情や心理をかき立てていることは言わずもがなの事実ではある。環境のこれらを「責めまくる」のも時には必要でもある。しかし、そのことによって(そのことを言い訳にして)本命重視の姿勢を崩すとするならば大いに考えものとなるし、またその「責めまくり」にしても意外と奏効しないかもしれない。国際紛争の「憎悪の連鎖」という悲しむべき事実が如実にそれを示してもいそうだ……。

 どんな事態ではあっても、それはそれとしつつ、生きるという本命に淡々として向き合うこと、それを外さなければ、概ね、正解が見えてくるのだと、そう楽観すべきなのかもしれない。
 黒木和雄監督の「TOMORROW 明日」は、もちろん「非核」と「反戦」の意思表示ではある。が、単なる政治行動のシュプレヒコールではなく、生きとし生けるものの静かな生命の叫びとして、それが打ち出されていると思えたのである…… (2006.08.10)


 お盆の帰省ラッシュが始まっているようだ。高速道路や新幹線ホーム、空港が早朝から混雑している模様で、高速道路は、今日の正午近辺で、東名高速道路下りの綾瀬バス停付近が20キロ、中央自動車道下りの元八王子バス停付近が21キロの渋滞を作っているという。

 現在は、親も自分の家庭も東京を定住地としているため、「帰省」という言葉にも縁が無くなったが、大学院生で名古屋に住んでいた当時は、親元である東京へとしばしば「帰省」したものであった。
 そのうちには、中古のオンボロ車を走らせて東名高速のみならず、ある時には中央自動車道をも往復したこともあった。若さゆえの、向こう見ずな暴挙であったと振り返る。その上、いつであったか忘れたが、後輪をパンクさせてしまったことがあり、まさに危機一髪の「帰省」騒動だったこともある。

 最近は、いくらかまともなクルマに乗ってはいるものの、高速に出ても100キロのスピードを出すことはめったになくなった。歳の分別もあってか、あるいはやはり高速走行の危険を肌で感じるからか、後続車に抜かれるままにマイペースで走行している。
 が、中古オンボロ車、カローラ1200CCで「帰省」を重ねた頃は、余程、運動神経に自信を持っていたものか、いや、要するに向こう見ずであったに違いないが、100キロを越すスピードを平気で出していた。エンジン音と空気を切るビュービューという風音とで車内での家族との会話がまともにできないほどであった。小さな子どもはともかく、もちろん、家内はかなりの程度びくついていた模様であった。

 なぜそんな「危険を冒して」クルマでの「帰省」を敢行していたのかというと、やはり家族3人の新幹線料金よりも安く上がるという経済的メリットが大きかった。
 また、「帰省」というイベントには、大したものではないにせよ「みやげ」の往来も伴うものだ。まして、名古屋のみやげというと、「ういろう」にしても、「きしめん」にしても、いずれにしてもその「重量」が馬鹿にならないわけである。そんなこともクルマでの「帰省」に拍車をかけたのかもしれない。
 静岡の農家を実家に持つ、同じ研究室の先輩などは、自分と同じように「帰省」はクルマ、しかも「軽」自動車で敢行していたが、往路はまだしも帰路には、断わり切れずに「貰った農産物!」を後部座席と、トランクに満載して来るのが常であったそうだ。
 そんなものだから、「軽」自動車はまるで「離陸」のために滑走路を突っ走るセスナさながら、前頭部を上方に向け、空を仰ぐようにして走ることになったのだそうである。
 ちなみに、そんなことにもめげなかった根性のある彼の赴任した就職先の大学は、何と極寒の「網走」であった。やることが何もかも半端じゃない彼なのだった。

 そう言えば、ある夏に「帰省」した時、乗って帰ったわたしのクルマを見て亡父が呟いていたものである。確か、名古屋に帰ろうとする朝、自分が薄汚れたクルマを洗車していた時に、とりとめもなく寄って来て言ったように思う。
「もう少しウチがラクであれば、新しいクルマにしてあげられるのにな……」
 言葉だけでも嬉しかったが、それほどに自分の中古車は「憐憫を誘う」類のシロモノであったということである。

 「帰省」「お盆」などに関心を寄せてこれを書いていたら、ついさっき家内から電話があった。「お盆」でみんなが集まるため、おふくろの住まいの掃除に出向いていたのだそうだが、いろいろな片付けの過程で、自分がおふくろのところに預けっ放しにしていた大学院当時の書籍一山を引き取ることになったというのだった。とにかく自宅の空間も書籍で埋まる有り様だったので、ずうずうしくも長らく知らん顔をしてきてしまっていたのだ。結局、クルマで運んでもらうことにして、事務所の空きスペースに一時保管することにした。
 前述のように、名古屋からの「帰省」の際には荷物がどうのこうのと書いていたその矢先に、その名古屋の名残ある当時の書籍が「一山」到着することになってしまったのだ。何だか、奇妙な、ちょっとした因縁を感じてしまったものである…… (2006.08.11)


 盆の「迎え火」は明日の晩に焚くことになっている。今日は、おふくろ主導での墓参りに行ってきた。毎月末に墓参りをしてきた習慣も、いつの間にか何らかの節目のある月以外は流れてしまいがちになっている。
 が、盆の月には「迎え火」「送り火」の勤め以外にも、やはり墓参りをすべしということなのであった。家内と三人で菩提寺の金泉寺(考えてみれば何と縁起のいい名前なのか! あやかりたいものである)へいつものようにクルマで出向いた。

 寺は、先日来、改築をしていた本堂正面の屋根が完成しており、ますます立派な構えとなっていた。ふと、寺よりお布施を促すものであろう封筒が届いていたことを思い起こし、なるほどこうした出来栄えならば笑納するか、と思ったりしていた。他の寺の所作仕草に比べると、この寺は良心的な部類であろうと以前から感じていたものである。
 お参りする人はほとんどなく、寺は閑散としていた。おそらく、明日ないし明夕刻に混み合うのではないかと想像した。
 この寺では確かめたことはないが、以前、埼玉の「片田舎」に住んだ頃であったか、地元の人たちが盆が始まる日の夕刻に、提灯をぶら下げてぞろぞろと墓に先祖の御霊を迎えに行く光景を見た覚えがある。それと同様に、明日あたりに墓参りをする人が多いのではないかと思えた。この寺は高尾山の末寺であるが、檀家は地元の農家が比較的多いように思われる。もっとも最近では、農家の人たちとは見えない方たちの参詣姿を見かけることが多くなった。いや、といっても最近は農家の人をそれと見分けられる特徴があるものかどうかははなはだ疑わしいと言うべきなのかもしれないが……。

 天気予報では午後から「雷雨」となると聞いていた。先ごろから雷に撃たれるという事故が起きていただけに心配しないでもなかったが、寺では難をのがれた。帰路に買い物をしていた頃に予想された激しい稲光と一時的な強い雨に遭遇することになった。なるほど、事前に予想されるだけの雷雲だったからか、稲光の光景はちょっとした仰天ものであった。天空に一部分の光が、という生易しいものではなく、天空から地表までの空間を眩しい光の糸が貫通していく有り様が確認できたのである。建物が密集した住宅地域でではなく、草原や山などの自然地域でそれに遭遇したならばさぞかし肝を潰すことだろうと思えた。
 そんな稲光くらいで驚いているわけだから、これが「東京空襲」であったり、あるいはイラクなどの中東地域のようなミサイル攻撃であったなら、どんなにか生きた心地がしないものか、恐怖におののくものかとついでに思い描いたりすることになった。

 帰りには、おふくろの住まいに寄った。明日の来客の「人出」数に頭を痛めるおふくろのために、狭い空間のどうにかなる部分はどうにかしなければならなかったからでもあった。とにかく、おふくろは大勢人が集まることが嫌いではない性分である。そして、そのための段取りで、夜横になっても悶々と気苦労してはばからないわけだ。
 たぶん、こうしたイベントとそのための気苦労が、鼻先の人参の役割を果たして、歳を重ねても弱音を吐かないことにつながっているのかもしれないと思える。
 何であれ、鼻先の人参の役割を果たすものを、人は探し出し、作り出すべきなのかもしれない…… (2006.08.12)


 往年の歌手、タレントなどがTVの歌謡番組に駆り出されることはしばしばある。年末番組には多いようだが、このお盆休み番組でもそんなものがありそうだ。
 かなりの年配出演者たちが結構、若い(若作り?)ことに目を見張らされたりするのではなかろうか。それはそれでいい。ずいぶんと老けたもんだなぁ、と感じさせたところであまり意味があるとも思えないので、そのこと(見た目が若かったり、若作りをしていたりすること)を、責めるでも羨むでもない。だが、ちょっと考えさせられるものをなしとはしない。
 そう言えば、トーマス・マンの『ベネチア(ベニス)に死す』という小説に、主人公の老作曲家が、静養先で美少年に心を奪われ、心ならずも「若作り」をすることとなり、そうした自身に嫌悪感をいだくという場面があった。

 TVに出演する往年のタレントたちは、やはり稼がなければならないという必要から、また小説の老作曲家は、心を寄せる美少年に好感を持持たれたいということから「若作り」に傾いたことはすぐにわかる。
 一般的に言っても、若さを美とし、老いを醜と見なすものであろう。それはわかる。
 だが、わからないのは、若さ=美、老い=醜という等式だけで事のすべてが言い尽くされているのかどうかという点なのである。
 自分が若さを誇る時期にはこんなことは考えてもみなかった。上記等式を当然視していたかもしれない。しかし、この等式を無理やりにでも疑ってみたくなる歳になったということなのだろう、有り体に言えば。
 いや、老い=美、若さ=醜とまで、世の通念に逆らうつもりはないのである。一般通念は事の代表的側面を言い当てているのであり、まずは、決してそれが事のすべてであろうはずはない、と言っておきたいのだ。

 それにしても、若さ=美、老い=醜という等式の「勝利」は、まるで「小選挙区制」での当選のように、事実、実態を公平に扱っていないかのごとくではないかとさえ思う。ぱっと見の優劣関係を一方的に増幅させているかのようである。
 ここには、文明イデオロギーとでも言うべき、歴史上のとある段階の恣意的な意向が色濃く反映していると思われてならない。当該の等式を誇張することで得をしたり有利となったりする者たちがいた、あるいはいるに違いないと見なしても間違いではないのかもしれない。
 時代状況というのであれば、歴史上、例を見ない速度で高齢化が進行している現代にあっては、すぐさまに、上記等式の偏りや欠損部分を是正し、補足しなければ社会がうまく回っていかないのではないかと危惧するわけである。

 とまあ、とてつもなく大きなテーマでありながら、単刀直入な感覚で斬り込んでしまった。自分自身がこの問題の当事者へと急接近しているという切迫した事情のなせるわざなのかもしれない。が、そればかりではない。
 もうこの辺で、上記等式で代表されるかのような文明の偏った価値観を冷静に見直さなければ、結構、厄介なことになりかねない、と思う気持ちもある。現在のような「ぱっと見」文化(物質の偏重と快楽原理の優先……)と、老いを否定的なものと決めつける文化には、隠された落とし穴が少なくないと思われてならないのだ。
 たぶんこのテーマをめぐって考えるに当たっては、かなり多方面の事柄を検討していかなければならないかと予想している。追々に考えて行くことにするが、老いというものの「汚名返上、名誉挽回」の方向でいろいろと見つめてみたいと考えている。

<若い頃に持っていたものを失うことによってだけ生み出される老いの果実、老いの静かな力を人は身につけられるようになる……>( 黒井千次『老いるということ』NHK出版 )…… (2006.08.13)


 昨晩は、盆の迎え火を焚くということで、いつものようにおふくろの住まいに親戚の者十名ほどが集まった。アルコールが入るにしたがい、ワイワイと四方山話に花が咲いたものだ。
 自分も、久しぶりにそこそこ飲んで、大声を張り上げての会話を楽しむこととなった。中でも姪っ子の旦那との会話には興味を覚えたものであった。
 彼は、大手電気メーカーの技術研究部門に勤めており、何か研究熱心なところに好感が持てるのであった。就職前には大学院まで進んでいたというから、それなりにものを考えるという生活をしてきたと思われる。
 別に、学歴がどうこうということでは毛頭ない。ただ、所定の期間、同方向を目指す者たちとともに思考と議論に関する訓練を続けてくると、会話における立ち振る舞いにそれなりのスムーズさが伴ってくることはあり得る。
 彼はいわゆる技術系であることから、文系ほどにはスムーズな会話、議論というわけには行かないが、それでも、会話によって互いの考えを提示し合い、話題を進めていくという段取りにはそれなりの慣れが見受けられた。

 難しいことを言うわけではないが、会話の面白さというのは、やはり、お互いの思いや考えを極力相手にわかるように披露し合い、それらを寸評し合いながら、お互いが気づいていなかった新規なポイントの指摘に及ぶということであろうかと思う。
 こう書けば何でもないことのようにも見えるが、これは結構難しいことなのかもしれない。当事者同士がこうした状況を了解し合い、望まなければ、あるいはそのためにお互いにちょっとしたコントロールを受け持つことがなければ叶わないのかもしれない。
 たとえば、抽象度の高い言葉が会話に登場した際には、それがどういう内容を持って使われているのかを相互に気にし合う必要があるだろう。もし、そうしたちょっとした手続きを怠るならば、会話は次第に相互性を失ってゆき、やがて話題はどちらかともなく興味が失われてしまったり、あるいは誤解に誤解が絡まって感情的な齟齬に至ったりしかねないわけである。
 だから昨夜も、とある話題では、登場した言葉にお互いがどのような意味を盛り込んでいるのかを確認し合うような手続きをとったりもした。
 とかく、若い人の場合には、ある言葉が会話に投ぜられると、相手がそれにどのような意味を盛っているのかを確認する前に、自分にとっての意味で独走させてしまうという早とちりをしがちかと思える。こうしたことを会話で重ねて行くと、妙な水掛け論的な議論になりかねないからである。

 酒を飲んで会話をするのに、そこまで気を遣うことはないじゃないかと言われそうでもある。しかし、こうした、言ってみれば会話における基本的マナーとでも言うべきものは必須ではないかと思っている。まして、昨今のようにそれぞれの個人が特有の感じ方、考え方を持っていると思しき環境にあっては、絶対に必要であろう。
 さもなくば、「酒の席での口論から、包丁を持ち出して……」というような危なっかしい事件に転がっていかないとも限らない(?)のである。
 他人のことを言えた柄ではないのだが、こうしたマナーをさりげなく身につけている人というのは意外と少ないのかもしれない。酒を飲むと、酒乱に近いほどに、自分の独演会に終始してしまったり、まあそれだけならともかく、会話というキャッチボールをいつの間にか放棄して、唯我独尊のモノローグ的発言にはまりこんでしまう酔っ払いもいないではない。いや、そうしたことを繰り返して、いつの間にか飲み相手を失ってしまっている酒好きも世間では少なくないのかもしれない。

 この辺のところで結構大事なことは、酒の量だということになるのかもしれない。人と会話を楽しむのに、思考が妨げられるほどに酒を浴びる必要はないはずであろう。
 昔の若い者たちの中には、正体をなくすほどに一緒に飲むことが友情の証しであるかのように考えていた向きもあったかもしれない。それも、あって悪いとは言い切れないが、完全に互いを許し合えるような者同士で、たまに、ということに限られるべきだろう。
 しかし、いわゆる飲兵衛になってしまうと、いつの間にか、年がら年中、誰とでもこうしたパターンを展開してしまうことになりがちだ。と言うのも、酩酊の度を越すと、当人は思考も感性もマヒしてしまうのだから、その時の自身と周囲の状況把握が速やかにストップしてしまう。しかも酔いという快感の中でそうなってしまうものだから、確実に習慣性を帯びることになりそうだからである。

 昨日から、「老い」の問題についていろいろと考えはじめようとしているが、つまらない話しでしかないが、「老い」にふさわしい酒の飲み方というものも考えるに値するかもしれない。
 まず、いい歳をした御仁が、酩酊の上正体をなくし、おまけに周囲の者たちを不快にさせたとなれば、若い酔っ払いに対する非難どころではない厳しいマイナス評価を喰らってしまうに違いなかろう。
 できれば、自分が酔うことよりも、周囲の者たちが、機嫌よくほろ酔いとなれるような空気作りを心がけられたら言うことなしであるに違いない。
 おそらく、上手に酒を飲むためにも必要なことは、日頃の自身の内面管理だということに落ち着くのかもしれない。「老い」に接近した人に、周囲の者たちが暗黙のうちに期待することは、何あろう、その心の内側が波静かで、穏やかだと窺えることなのかもしれない。そんな気がする。
 さてさて、口で言うのは簡単なれど、そうであろうとすることは至難のわざということになろうか…… (2006.08.14)


 お盆の最中でもある、この終戦記念日、連合い、息子の遺影に手を合わせる戦争遺族の老婦人たちが何百万人といるのであろうか。その方たちが望むことは、もう二度と自分と同じ悲しみが生み出されないように、ということであるに違いなかろう。軍役で男たちを亡くしたばかりか、空襲などで家族を亡くした場合も少なくないのだから、「英霊」だ「靖国」だと騒ぐことは、そもそもが間違っていそうだ。
 310万人(日本軍人・軍属の死者230万人[靖国に祭られる対象者]、外地での一般邦人30万人[靖国の対象外]、空襲などでの内地で民間人50万人[靖国の対象外]計310万人)以上のすべての戦死者たちの無念さに応えるためには、朝一の「靖国参拝」以外にほかにやることはいくらでもありそうじゃないですか。

 しかも、「信念」がどうこうというわりには、「七五三」や花嫁の「お色直し」じゃあるまいに、モーニング姿だ、羽織袴だ、スーツだとコロコロ衣装替えをしてこられた。「信念」といった内面の問題よりも、外っ面にこだわる様子が手に取るように伝わってくるじゃないですか。
 また、外っ面といえば、ちょいと修行が足りないのではとも言ってみたい。今日の参拝前のあの「硬直し切ったお顔つき」は一体何でございましょうか。あそこまで、「英霊」たちに気を遣わせるような顔つきをしちゃあいけません。永眠(ねむ)る方たちを揺さぶって起こすようなガチガチの顔つきはまずいでしょ、と言いたいわけです。ホントに「信念」がお有りならば、泰然自若、唯我独尊、傍若無人の表情をなさったらいいじゃないですか。そこが修行不足だと言うのです。

 あれを見ていて、ふと思ったことは、ひょっとしてこの人は、人が「やれないこと」をやった、やりのけたとでもお考えなのではないか。そうじゃないでしょ。有り体に考えれば、人は良識を持つがゆえに「やらないこと」ってあるわけで、それをやったに過ぎないんじゃないですか、と、そう言いたいわけである。
 どうもこの方は、コミックレベルの「信長幻想」にでも取りつかれてしまったかのようである。もっとも信長自身、あの肖像画をみれば一目瞭然であるが、やはり心の病の範疇に足を踏み入れていたはずである。それを、側近で、「殿、お身体をご自愛くださいませ」と御注進に及ぶ者がいなかったものだから、あんなふうになっちまったんでしょう。さらに、後世のバカ殿ならぬバカ学者たちが「中世を終わらせた英雄」なんぞと持ち上げたものだから話がこじれてしまったのであろう。頭の悪い歴史学者ほど、変化を英雄個人に帰着させるという手抜き分析をするものである。

 「郵政・靖国」印の御仁にしても、御注進に及ぶ者を退ける一匹狼であり続けたことと、バカ学者ならぬバカ・マス・メディアが稼ぎのネタとして持ち上げたものだから、ご自分でご自分の幻想作りを始めちゃったんですね。
 マス・メディアも困ったものだと思う。今日のこの大事な終戦記念日の扱い方にしても、どうしてあんなパフォーマンスおやじの大見得切りに寄ってたかって騒ぐかとバカバカしくてしかたがない。ジョンレノンの「イマジン」を流してもいいし、二葉百合子に「岸壁の母」を歌わせるのもよし、24時間反戦映画特集だっていいんじゃないですか。
 要は、危ないこの時期だからこそ、その空気に呼応したキャンペーンくらいやれって言いたいわけだ。少なくとも、戦争中には、軍国主義を煽りに煽った自分たちだったということだけはしっかりと思い出してもらいたいものである…… (2006.08.15)


 先日、梅割り焼酎でも飲もうかと梅干の容器を取り上げた。そして、蓋を開け、あまり大粒じゃないのがいいかな、と目で探っていると、至極当然の反応であるがジワジワと口の中が酸っぱくなってきた。
 別に、話をここから特別な展開へと持って行こうとしているつもりはない。ごくありふれた「条件反射」を再確認しただけのことなのである。しかし、その時、なんだか非常に不思議だと思えてしまった。
「梅干は、見てるだけでどうして酸っぱく感じるのかねぇ。匂いがするわけでもなし、もちろん舐めてもいないのにね……」
 自分が、そうくだらないことを言うと、家内が利口そうに言うのだった。
「脳にたっぷりと情報があるからでしょ」と。
 まさにそのとおりなのであるが、自分は、今さらのように人間の脳と身体というのは大したものだと思えたのである。梅割り焼酎でも飲もうかと思うくらいだから、頭や気分も疲れ気味だったのかもしれないが。

 自分がちょいと不思議がったのは、脳で知覚したことが、脳が十分に関係しているはずである感情や気分に作用を与えるというのはよくわかる。しかし、脳による知覚、ここでは視覚に基づく情報ということになるが、それが「酸っぱい」という感覚を生み出してしまうという逆ベクトルの現象が、ウームと思えたのであった。
 いや、まさかこの現象に生まれてはじめて気づいたというはずはない。だから、不思議なのは、そんなありふれたことをなぜ不思議そうに思えたのかというそっちの方なのかもしれない。
 よくはわからないが、感覚というものは直接的刺激と一対のものであると思い込む日常生活に慣れ過ぎたのであろうか。痛いだの、暑いだの、冷たいだのという感覚には、必ずその等価対応物たる具体的な刺激が存在するという、まあ当たり前と言えば当たり前の事実にどっぷりと浸かっているからなのだろうか。
 いや、しかしこれはこうして文章化してみても、何の疑いを差し挟むこともない事実以外ではなさそうである。

 自分は一体何に注目しようとしているのであろうか? まあ要するに、人間にあっては脳の働きというものが思いのほか「万能」だということ、そんなことなのだろうと思っている。つまり、単純な「感覚」と呼ばれるものも、実はそう単純ではなく、脳の働きを介して構成(再構成)され、意味付けられており、自覚されるものはそう単純なものではないのかもしれない、ということなのだろうと思うのだ。
 そんなことに気づいたからといって一体何がどうだというのであろうか。まあ、どうということもないのは確かだ。
 ただ、ひょっとしたら、現代という時代環境は、外部刺激に依存する感覚ばかりを優先させているのではなかろうか、ということ、そして、それに慣れ過ぎていくと、果たして脳の働き、機能は単純化、退化していくのではないか、いやそこまで極端なことは考えないにしても、問題なしとはしないような気がするのである。

 今日、こんなことを書き出した時に、今ひとつ頭の中に別なことがあった。
 もうだいぶ前のことであるが、NHKの番組『ためしてガッテン!』で「似顔絵」について放送していたことがあった。自分がこの番組に興味を示したのは、人の顔などが「似ている」「似ていない」という識別は、単なる視覚の働きというよりも、それとは別の知覚作用が働いていそうだという点であった。
 人間が、顔を会わす無数の人のその顔を識別するのは一体どういうメカニズムを秘めているのかは以前から関心があるところであった。先に、「暗黙知」という概念で書いたことがあった。人が一度自転車乗りを覚えると、終生それを覚えているのは「暗黙知」というかたちとなっているからだと書いたはずだ。しかし、それにしても、どういうふうに「暗黙知」として記憶されるのかなどは未だにわからないままである。

 で、その人の顔の識別なのであるが、番組では、次のように説明されていた。
 人間の脳は、個性的であるに決まっている人の顔を、何の仕組みも設けずに丸腰で何万パターンを覚えようとしているのではない、というのだ。そうではなくて、過去に遭遇した多くの人の顔を元にして、いわゆる「平均顔」というイメージを形成するのだそうである。
 そして、時折に見かける個別の人の顔は、この「平均顔」からの「偏差」(これは自分が勝手に命名している)として捉え直されて知覚されるのだという。つまり、当該の人の顔は、その「平均顔」から較べると目がより離れていて、鼻の下はより長く……といった「偏差」指標で識別したり、記憶したりしているらしいのだ。
 この時、目であるとか、鼻であるとかの個々のパーツの形状よりも、それがどう配置されているかという構成・構造面の点がより重視されるらしい。要するに「福笑い」ごっこなのだそうである。

 まとまりにくい話題となってしまったが、人間の感覚というものは、単一的な刺激と反応というシンプルな関係からはほど遠いメカニズムを持っていそうだということなのである。たぶん、それが「知覚」と呼ばれるものであり、脳の働きが多く関与している特殊なものだろうと思われる。
 昨今、日本語が乱れるとか、言葉が単純化してきたとか、会話が貧弱となってきたとか言われたりしている。そこには、いろいろな問題が潜んでいると思われるが、そのひとつの問題としては、生活環境が、バカチョン的な「刺激-反応」形式の道具類で埋められ尽くしていることにも遠因があるのではなかろうかと、そんなヘンなことを考えたりするのである。もちろん、脳を使わざるを得ない「苦痛、苦労」というものなんぞがどんどん除去される風潮も同じ意味合いの問題だろうと思う。
 要するに、脳が出番となるような生活局面が後退しつつあり、それでいて、脳を働かせて解決するにはちょいと大き過ぎるかもしれない難問(生活苦、人間関係苦、環境問題苦、戦争苦……)が立ちはだかっているのかもしれない。ギブアップを回避するためには、脳の働きを、もっと日常生活面でこまめに鍛えていける環境にしなければならないのか…… (2006.08.16)


 ネット通販の支払いに「クレジットカード」を一部使ってみたり、そのほかに「ネットバンキング」も部分的に利用している。いま時の物騒な情勢をにらむと、一抹の不安が沸き起こらないでもない。しかし、その都度銀行の窓口へと出向かなければならない手間や時間を、どうしても省きたくなるのが実情である。
 ただし、利用上それなりに用心はしているつもりではある。昨日も、あるクレジット会社からのメールでのインフォメーションがあったが、かなり注意深く対応することにした。
 カード利用時の「本人確認」をより厳密にするための手続きを知らせてきたものであった。すぐに、警戒したのは、こうした手口でパスワードなどを詐取する、いわゆる「フィッシング」詐欺のことである。
 つまり、「フィッシング」詐欺とは、金融機関のサイトとまったく同様の「偽」サイトへと誘い込み、仕掛けられた「偽」入力欄にIDやパスワードを入力させて、それらの情報を横取りするという手口である。また同じような、個人情報横取りの手口としては、あらかじめ侵入させた「スパイウェア」のプログラムで、PCオーナーがそんなこととはつゆ知らずに「クレジットカード」の個人情報などを入力するならば、それらが犯人へと自動送信されるというのもある。
 要するに、現時点のネット環境は危険に満ち満ちていると言うほかないのだ。

 それで、昨日も、考え始めると猜疑心が止めどなく膨らんできたのだった。
 まず、そのメールが「偽者」ではないのかを警戒したし、メール内の当該金融機関のサイトに間違いがないかどうかについても目を光らせてみた。
 また、この間に、「スパイウェア」のプログラムの侵入を許していないかどうかも念のためチェックする。ただ、この「スパイウェア」というものは、必ずしも上記のような悪意あるものばかりではなく、通常のアプリケーションソフトが、ユーザの使い勝手を考慮して便宜上設定するものもあったりして、まさに正体のつかみどころがない。一応、ウイルス撃退ソフトが発見したものは削除してしまうことにしている。
 で、まさか、当該クレジットが知らぬうちに荒らされてはいないであろうと、最近の取引リストも念のため確認してみることとした。
 と、ドキッとするような事柄を見つけることになったのである。自分は、ただでさえ「危険がいっぱい!」と認識しているネット環境であるため、海外サイトからのネット通販はしないことにしている。なのに、そのクレジットの取引リストをみると、軒並み「海外ご利用分」という文字が並んでいるではないか。
「あっ、やられた!」と、一瞬頭の中が真っ白となる思いであった。実にありそうなことであるが、海外のハッカーに個人情報を盗まれて、カード偽造か、ネット上での成りすましによって、まんまと悪用されてしまった、というわけか……。
 愕然としながら、自分は、その買い物の詳細を睨んでみた。と、何だかちまちまとした額の数字なのである。日付も見覚えがないわけでもなかった。そして、支払い先を見るならば、ほとんど同じだったのである。「 Amazon の USA 」となっていたのである。なーんだ、自分の買い物じゃないか、と気づいたのである。国内の同社への支払いとばかり思い込んでいたのだけれど、米国本社に対して支払っていたことがわかったというわけなのである……チャンチャン……。

 それにしても、ネット環境の技術的仕組みや、ビジネス的構造などはわかっているようでわからないことが多すぎる。だから、警戒するにしても何にどう警戒すれば安全なのかもわかりづらいのが実情ではなかろうか。そして、事件が多発し、多くの被害者が生まれることになるわけだ。
 そんなことを考えていたら、今日も次のような報道があった。

<サイバー犯罪の摘発最多、不正アクセスが急増
 今年1―6月に全国の警察が検挙したサイバー犯罪は、前年同期比11.8%増の1802件で、上半期としては統計を取り始めた2000年以降最多だったことが17日、警察庁のまとめで分かった。不正アクセス禁止法違反が同33.8%増の265件だった。
 サイバー犯罪はIT(情報技術)を悪用した犯罪。不正アクセス禁止法違反のうち、偽のホームページに誘導してIDやパスワードを入力させる「フィッシング」が102件。推測されやすいパスワードを設定するなど、セキュリティーの甘さにつけ込んだ手口が115件あった。
 不正アクセスで検挙されたのは63人。年齢別にみると、10代が14人、20代が22人、30代が19人だった。
 不正アクセス以外では、ネットオークションで商品代金をだまし取るなどの詐欺が733件、児童買春が169件、児童ポルノは97件でいずれも増加。偽ブランドなどの商標法違反は106件で倍増した。>( NIKKEI NET 2006.08.17 )

 つい先日にも、『あなたの預金が狙われる 国境を越えるサイバー犯罪』というちょっとした衝撃的なTV番組(NHK『危機と闘う テクノクライシス』)があった。現代という時代環境は、まさに便利さとリスクとがピッタリと背中合わせとなっているそんな時代だということか…… (2006.08.17)


 「画像処理」技術はこんなふうに活用できるのだと意表をつかれたものだった。

 先日、TV録画をしてDVDに焼きこんだ番組、<危機と闘う・テクノクライシス 第2回「軍事転用の戦慄 ロボット」>の話である。
 まず基本的に驚くべきは、現代の戦争が「無人……機」(=ロボット)なしでは済まないとんでもない時代となっていることであるに違いない。イスラエル-レバノン戦争にあっても、イスラエルのみならずレバノンもまた「無人偵察機(攻撃機)」を導入して、両国が「効率的殺戮!」に狂奔しているのが現実だ。
 そして、戦場での武器など軍事的ツールが「無人化」するということは、人間が死ぬことなくていいじゃないか、では到底済むことなく、むしろ殺戮行為における「間接性」という側面が、より惨たらしい結果につながる場合も少なくないようである。

 しかし、軍事的ツール、設備はとどまる事を知らず「テクノ化」して行っているようである。湯水のように注がれる軍事予算がそれを可能にしている模様である。なぜそんな予算がつくのかまでを考えれば、「対テロ」対策という「好都合(?)」な大義名分もきっと作用しているのであろう。
 そして、軍事関係者たちは、武器類の「ハイテク化」を目指して、鵜の目鷹の目でいわゆる「民生技術」にアプローチをかけているという。平和的用途で「民生品」として開発された技術の「軍事転用」を図るということである。
 技術者たちの中には、当然、技術が人間の殺戮のために悪用されることを拒絶する良心的な者たちもいる。が、それがすべてでないことは容易に想像されるところだ。
 今日はその点を書こうとしているわけではないのだが、科学者や技術者たちの人間的良心というものは、美しくかつはかないものと感じさせる現代状況が、残念であるとともに恐ろしいと言える。

 冒頭の「画像処理」云々とは、「無人走行車」の製作に関するものであり、砂漠の真ん中の道路を無人で自力走行してゆく文字通りの「自動車」の走行ぶりを競うレースの話なのである。
 ここで、目を引いたのが、オープン市場から比較的低コストで手に入る「民生」部品のみを活用して、極めて低いコストで仕上げた「無人走行車」が優勝したことであった。
 まるで、高校生や大学生向けの技術コンテストで、彼らがおのずからどこでも購入できる安いパーツを入手してロボットなどを作るようなものである。
 そして、ありふれたパーツを寄せ集めながら、それらで目的を達成したことの背景には、優れた着眼点とソフトウェアの開発があったわけで、それが「画像処理」云々ということなのである。
 道なき道で走行可能ルートを探りつつ、なおかつ高速で走行するためには、前方の地形を、可能なかぎり遠くまで、瞬時に認識しなければならないわけだ。この時、「可能なかぎり遠くまで」という条件をクリアするためには、高性能なレーザー機器やらセンサーなどが必要となり、それだけで高額な開発となってしまう。
 だが、前述の優勝車は、ここを「民生品」であるビデオ・カメラで代用し、そのビデオ画像を「画像処理」ソフトを巧みに使って、クルマが走行できる平らな道を発見していくという見事な発想だったのである。言われてみると、なるほどと思える発想だが、この発想を実用にまで持ち込んだ制御ソフトウェアは大したものだと感心させられたのである。
 自分は、その「画像処理」を基点にした制御方式にただただ感心したのではあるが、技術というものの本質は、荒っぽく言えば「知恵」とも言えるソフトウェアなのであり、ハードウェア類は、意外とどこででも入手可能な場合が多いのではないかと思えたのである。金をかけなければ達成されない技術というものも当然あるわけだろうけれど、金をかけずとも可能な場合もあり得るという事実に、非常に好感が持てたのであった…… (2006.08.18)


 暗くなって戻り、自宅の門扉の鍵を手探りしていると、右の視界の暗闇に、黒い塊のようなものがチラリと目に入った。一瞬、何だ? と思ったが、すぐに、ああクロちゃんだなと気づいた。
 その方に目をやると、さほど高くはなく見下ろせる高さの門柱の上で、クロちゃんはスフインクスの格好で寝そべっていた。毎朝、餌をやっているので当たり前と言えば当たり前だが、最近はわたしの姿、顔を見ても逃げることがない。
 ご主人であるわたしの顔を見て逃げるとかというのもヘンな話であるが、クロちゃんにしてみれば一応警戒するに越したことはないのがわたしなのである。というのは、クロちゃんや、その子のグチャたちは、カーポート周辺で寝そべることを好み、ボンネットの上は大のお気に入り。したがってボンネットには、梅の花よろしき彼らの足跡がいつでも残っている。
 クルマの汚れをさほど気にしないというか、無頓着でさえある自分はそれはそれで黙認しているのだが、気を遣うのは、タイヤの近辺で寝そべっていたり、入庫しようとする際に、さぁ、お父ちゃんが帰って来たから餌がもらえるぞ、とばかりにクルマに近寄ってきたりすることなのである。
 そこで、朝、出庫しようとする時に、クルマの周辺に彼らがいたりすると、ちょいとのことではどかなかったりし危険であるため、バタバタと強い足踏み音を出して彼らを追っ払うことにしてきた。彼らにしてみれば、危ないからどきなさい、離れなさいではなく、脅かされていると受けとめるのであろう。親切に毎度毎度、餌をくれるお父ちゃんがなんでそんなに急に怖くなるのか解せないでいるのかもしれない。
 そんなことで、当初は、わたしのことを見ると半分懐き、半分警戒するという具合だったのである。ただ、昨今は、餌をもらう頻度の方がはるかに多いため、懐く姿勢が深まってきたというわけなのである。

 クロちゃんが暗闇に居ると、やはり結構不気味な印象を与えるものである。しかも、そこそこの高さがある門柱の上でこちらを向いていると、ビー玉のような目が二つ輝いていて、そのほかの姿は闇に溶け込んでしまっていて定かではないのだ。見ようによっては、光る目だけが空中に浮かんでいるようでもあり、ハッとさせられるものがある。
「なんだ、クロちゃんか。ごはんはもうもらったんだな。そこで涼んでるのか……」
なぞと、顔を近づけて話しかけると、くりくりした目をまん丸に見開いて、じいーっとこちらを見つめていた。何を言ってるのかは別として、ああこれは餌をくれる親切モードのお父ちゃんだな、と了解している、そんな顔つきであった。

 そう言えば、亡くなったレオが生きていた当時は、わたしがどんなに夜遅く帰宅しても、前述のように門扉の鍵を手探りしていると、庭の奥からスタスタとやって来て、わたしの手の甲に冷たい鼻っ面をくっつけながら臭いを確認し、そして満足したように戻って行ったものだった。
 考えてみると、帰宅した時に、気を許している動物たちが屈託なく出迎えてくれるというのは、かなり気分を和ませてくれるものだと思う。いや、口幅ったいことを一言も言わずに、屈託のなさ、素直さで人に向かい合う動物たちというのは、やはり実にかわいいものだと思わざるを得ない…… (2006.08.19)


 結局、何も借りることなく帰ってきた。近所にあるレンタル・ビデオ屋からなのだが、その道すがら、他愛のないことを考えていた。
 現代という時代は、スーパーやコンビニで食品を調達するように、レンタル・ビデオ屋から「気分調整剤」を調達するのが自然になった時代環境なのか……と。
 レンタル・ビデオを、文化とかカルチャーとか、あるいは情報なぞと大仰に評価する必要もなさそうだ。だいたい、自分自身もそうであるが、そんな大層なモノを求めてそこへ足を運ぶわけではないからだ。要するに、ちょいとした気晴らし、つまり「気分調整」のためのサムシングを手探りに行くのではなかろうか。
 「気分調整」というのがみそなのだと思う。決して、大それた内面状況、たとえば「生きるべきか死すべきか、それが問題だ!」なんぞといった深刻さは埒外である。そんな水準にある者はフラフラとレンタル・ビデオ屋なんかに顔を出さないだろう。
 うつ病に絡まれて沈み切っている者とて同様である。気分転換なんぞが必要のない元気ハツラツな者、気分がどうのこうのと言っている暇さえない忙しい者もまた然りだと言える。

 ちょいと暇ではある者、暇と言うほどでもないのだけれど何かにエネルギー投入しようとするほどにスタンバイOKとなっていない、要するに所在ない者、これらの者たちが考えつきそうなのが、ぱっとしないでいる「気分」をちょいと安易に変えてみたい、という衝動なのであろう。
 変えてみたいと言ったってあくまで可逆的な「転換」なのであって、生き方を変えるような変革なんぞでは決してない。だから、教会へ行ってみようとか、合気道道場の門をくぐってみようとか、刺激が強そうな怪しげな飲み屋へ転がり込んで自暴自棄となってみようとか、もっとリスキーそうな事に手を出すとか、とにかく状況対応に振り回され切ってしまいそうなことなんぞは、完全に視野の外のはずである。
 ただ、青少年の場合は、ちょいと事情が異なるかもしれない。極端に言えば「気分」しかない頭の構造となっているためか、大人たちとは違って思い込みが激しくなってしまう可能性もありそうだからだ。これはこれで、犯罪にもつながるほどに結構深刻な問題でもあるが、今は不問に付す。

 ともかく、ちょっと「気分」を変えてみたいという衝動、わかり易く言えば「気分転換」なのであるが、これが意外とバカにできない現象のように思えるのだ。
 単刀直入に言うと、こうした「気分調整」、「気分転換」を「需要」する、つまり「気分調整」、「気分転換」を動機として何らかの商品やサービスを購入する者たちが社会的に「メジャー」なのではないかと推測できるからなのである。
 市場経済にあっては、「メジャー」な消費セグメンテーション(領域)は自ずから活性化する。そして、そのジャンルに関する広告宣伝費は惜しまれないであろう。となると、これが社会的な風潮に何がしかの色合いや方向性までを加味していくことになりそうである。
 とかく、理屈を口にしたがる人間は、人間社会というのは、人々が深く考えたその結果でその方向性が決まったり、さらに仕組みや構造が決まったりすると考えがちである。
 しかし、現在の社会的現実は、ひょっとしたら、大衆の「気分調整」、「気分転換」という実にささいなアクションがいつの間にか積み重なって生じているのかもしれないのである。
 ということは、われわれ大衆が、ちょいとした「気分調整」、「気分転換」を望んだのであって、社会全体の方向や、まして将来までを選んだつもりではないにもかかわらず、結果としては、えっ、と思うような既成事実が生まれないともかぎらないと言える。

 今日、レンタル・ビデオ屋で、店長お勧めとでもいうようにスポットライトを浴び、ラインナップされていたモノは、『おれたちの大和』であった。もちろん自分は、冷ややかに素通りしたものだ。だが、チラリと目をやると、リリースして間もないこともあるのだろうがその3〜40本のほとんどが貸し出し中となっていたようだ。
 そうした『戦記もの』くらいに目くじらを立てることはないという観測も成り立とうが、何を血迷ったか終戦記念日に「靖国参拝」をする破廉恥な首相が登場する一方で、これに違和感を抱かない二十歳代の若者が少なくないとも言われている現状もある。
 こうした進行中の現状を念頭におく時、ひとつの視点、視座として、現在の市場経済の中で、消費者一個人にとってはちょっとした軽い「気分調整」、「気分転換」であるものが、累積していくととんでもないベクトルを作り出してしまうというメカニズムが潜んでいるとも言えそうな気がするのである。

 そう言えば、つぎのようなセリフもあったようだ。
「これは1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」( これは余談であるが、昨今、「月面着陸」に関する疑惑が注目を浴びているようだ。「冷戦時代」のあの緊迫した時代環境を想起するならば、「ケネディ暗殺」とともに再度吟味されていい史実なのかもしれない…… )
 ひょっとしたら、日常生活での一個人によるささやかな選択が、思いもよらぬシビァなベクトルを形成してしまっている、というのが現代という時代なのかもしれない…… (2006.08.20)


 やはり気にせざるを得ない事実だと思う。以下の新聞報道なのである。

<心の病、30代社員に急増 企業6割で「最多の世代」>( asahi.com 2006.08.21 )
 しばらく前から指摘され続けていた事実だったかと思う。30代のワーカーに仕事が集中して、職場での彼らの稼働時間、残業時間が過剰気味になっているという傾向がそれであった。技術職では典型的だと思われるが、まず仕事環境が急激に革新されてしまい、本来パワフルであったはずの40代以上の経験者たちが、いまひとつ仕事の中身が見えなくなってきたという事情もありそうだ。また、20代の若手では実戦の即戦力になり辛いという面もありそうである。

 とにかく「効率」というものが過度に追求され、所要時間が厳しく問われ始めると、ハードでもソフトでも同じだと思われるが、生産現場では勢い「教育チャンス」を削らなければならなくなる。次世代のメンバーを「オン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)」という形で教育し、育て上げていく時間と労力が惜しまれてしまうのである。もちろん、これが重なって行くと、次の時代の生産パワーが用意されないこととなり、困ることは目に見えている。しかし、当面のジョブの「効率」、「納期」が最優先とされるならば、今、それらの面で奏効する者が手を下して帳尻を合わせるしかないということになるわけだ。
 できる者に仕事が集中し、力不足の者たちが、結局、手を休ませたり、遊んでしまうという不合理が用意に発生してしまうわけである。例は悪いが、引越し作業のように、単発性、一過性の仕事であればそれもよかろう。しかし、会社というのは、まさに継続の組織である。同様の仕事がつつがなく繰り返されてこそ、売上が蓄積するし利益も確保されよう。しかも、昨今のビジネスでは、忙しい仕事とそうでない仕事とが適度に混ざり合うというようなことはあり得なくなっている。すべからく忙しい仕事ばかりだと言っていいのかもしれない。つまり、忙しく、効率よくこなして行かなければ商売にならないというわけだ。
 こうして、できる30代の仕事師のところに集中豪雨のようにノルマが累積していくことになるわけだ。

 記事にはいろいろと記されてある。

<30代の会社員にうつ病や神経症など「心の病」が急増していることが、社会経済生産性本部メンタル・ヘルス研究所の実施したアンケートでわかった。30代に最も多いとした企業は、04年でほぼ半数だったのが、今年には61.0%に増えた。また、6割以上の上場企業が、「心の病」を抱える社員が増えたと回答した。専門家は「急速に進む成果主義や管理職の低年齢化が一因ではないか」と分析している。>

 <急速に進む成果主義>の傾向がベースにあることは疑う余地がないだろう。つけ加えれば、その際の<成果>というものが、きわめて短いスパンでのそれなのである。「当面の」と言っても間違いではなかろう。だから、「明日の」ことはさておいて、「当面の」効率を上げることだけに邁進することになり、できる30代パワーが加熱し、周辺が遊びがちともなり得るのだろう。
 もうひとつ、<管理職の低年齢化>という点にもやはり注目しておかなければならない。いくつかの理由があるのだろうけれど、やはり急激に変化してきた仕事自体の専門分化という点が小さくないのかもしれない。つまり、激しい勢いで専門分化してきた仕事の中身が見えないのでは、ヒト・モノ・カネのどれを取っても管理し切れないという事情が大きいと思われるのである。
 こうなると、従来型の年配管理職では間に合わないという実情が生じてしまうことになる。いくら、人当りが良く、集団をまとめる才があるといっても、それだけで仕事遂行組織を効率よく動かすことはできないということなのであろう。まさに、仕事の中身がよく見えたプロジェクト・マネージャーのような管理職こそが求められるということである。
 こうなると、最新の知識・技術で実務を進めてきた経験者が、ということとなり、30代の中堅に白羽の矢が立つのであろう。

 しかし、ここには結構大きな問題が潜んでいることも事実なのである。つまり、30代の中堅は、最新の知識・技術での「個人的」実務という点ではパワフルであるかもしれないが、集団組織を束ねたり、グループ作業での生産効率を上げるという点ではまだまだ経験が浅い。また、往々にして、個人作業は好むのに対して、チームのリーダーとなることを避けたがる傾向がありそうなのである。特に、技術的ジャンルではこの傾向が強いかもしれない。
 が、会社はそうした30代中堅の意向に耳を貸そうとはしないはずである。ここに、かなりリスキーな局面が発生するものかと思われる。「心の病」の深刻な部分はこうしたところにあるのかもしれないと推定できる。

 ではどうしたら良いのかという対策面では<コミュニケーション問題>が取り沙汰されているようである。

<「職場でのコミュニケーションの機会が減ったか」との質問に対して、「そう思う」「ややそう思う」と答えたのは約6割。「職場での助け合いが少なくなった」と思っている企業も、ほぼ半数あった。
 さらに、コミュニケーションが少なくなった企業で、「心の病が増加傾向」と答えたのは7割超だったのに対し、減少していない企業では半数以下にとどまり、職場環境の違いが反映した結果となった。
 同研究所では「心の病の増加を抑えていくためには、職場内の横のつながりをいかに回復していくかが課題だ」としている。>

 確かに、<コミュニケーション問題>が改善されるならば一定の望ましい職場の空気が生まれるには違いなかろう。しかし、そうした着眼だけで、今広がりつつある深刻な状況を突破していくことが可能なのかははなはだ心もとない気がする…… (2006.08.21)


 今日、とあることを考えていてどういう経緯からかある言葉に行き当たった。趣きがあって悪くない言葉だと気に入ってしまった。
 それは、「影法師」という言葉である。言葉のニュアンスは意味有り気であるが、要するに「人影」であり、まあシルエットだということになろうか。
 この言葉に奇妙な印象を付着させているのは、まず「影」という漢字であり、この一字だけでも「意味深」な雰囲気がないではない。しばしば使われる「影響」という言葉からなのであろうか、あるいは、「何者かの影が予想される……」というような不気味さから来るのであろうか。
 ところで、もし、この不気味なフレイズを次のように言い換えるとおかしなニュアンスとなることに気づく。「何者かの『影法師』が予想される……」では、影で蠢く存在の悪辣さがすっ飛んでしまうようだ。
 「法師」という言葉が、「影法師」という言葉にそこはかとない趣きを与えているのかもしれない。われわれが馴染んでいるのは、あのかわいい「一寸法師」であるに違いない。お椀の舟に箸の櫂を持つ「一寸法師」である。
 元来、「法師」とは、「仏法によく通じてその教法の師となる者。僧。出家」、「(昔、男児は頭髪をそったから)男の子供」、「俗人男子」ということであり、これらから「ある語に添えて『人』の意を表す。多くボウシと濁る」となったようである。(広辞苑)
 つまり、というほどのこともないが、「影」と呼び捨てて、邪険に言い放つと、なぜだかそこはかとなき悪意とじめじめとした空気が漂う。それに対して「影法師」と言えば、どんなに憎々しい人物の人影であっても、上品で愛らしく、月夜の晩のカラッとしたシルエットを想像させたりもする。
 しかし、いま時、「影法師」がどうしたこうしたと言う人はまずいないであろう。
「はい、目撃したことを包み隠さず申し上げます。わたしが帰宅した時、玄関の擦りガラスに一瞬『影法師』が動くのが見えました……」
「あのねぇ、おとぎ話を園児に聞かせてるんじゃないから、ケーサツをおちょくっちゃいけませんよ」
とでもなりかねない。

 ただ、それにしても、すでに死語となったかに見える「影法師」という言葉は、実に感触がいい。人の影というものを大事に考えようとした昔の人たちの上品な想像力が盛り込まれているような印象を受けたりもする。よく知られた言葉、「三尺下がって師の影を踏まず」とはまさにそうした心を表現したものであろう。人の影=「影法師」には、何か無視すべからざるものが宿っているとでも見なしたのであろうか。
 「障子に猫の『影法師』が映っている……」とは言わないで、あくまでも人、人間の尊厳を堅持しようとでもする心遣いが気持ちいいというわけだ。

 以前、次のようなことを書いたことがあった。
<先日、あるTV番組で、小さな女の子が、朝日だか夕日だかの中で、足元にクッキリと映し出され、当然のことながら本人につきまとう自身の影に対して本当に怯えて泣き叫んでいる光景があった。そんな子がいるんだと驚いたものだったが、……>
 しかし、この<本人につきまとう自身の影>という部分は、いい大人が<怯える>ことはないにしても、暗喩を好む者にとってはちょっとした意味を持つものであるような気もする。
 「影法師」という言葉から考えるもうひとつのポイントは、人影というものが、まるで舞台の「黒衣(くろご)」のように、意思を持った別の存在なのかもしれないというファンタジーをかもし出す点なのかもしれない。
 これはあながちファンタジーとばかりに馬鹿にしたものではないのかもしれない。確かに、光学的な自身の影に余計な邪推を重ねることは不必要であろうが、もし、心の内側に<本人につきまとう自身の影>というようなものを想定した場合、その「影法師」とはどうつき合っていけばよいのか、というメタ・ファンタジーの次元の話となる。
 人は、心の中に度し難い自身の「影法師」を宿しているのかもしれない。
 「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」という、沢庵禅師が言い遺した卓見を思い起こしたりする…… (2006.08.22)


 「下手の考え休むに似たり」(下手な将棋の差し手が良い手を思いつくはずもないのに、あれこれ考え込むのは休んでいるのと同じという意)とあるが、何だか昨今は自分自身のことであるような気さえしている。
 こうしたものも、書くために書いているつもりはないのであって、抱えているさまざまな問題の打開にいくらかでもつながれば、という思いが強くそれで書いている。が、「つもり」というのがクセモノなのかも知れず、当人がそのつもりはなくとも、知らず知らずに流されて、書くために書くという愚を仕出かしていないとは言えないかもしれない。ふとそんなふうに感じてしまう最近なのである。

 確かに、書くことで言語中枢が刺激され活性化され、幾分かの訓練的効果が生じているのかもしれない。
 しかし、紋切型的な形や機能が問題なのではない。
 よく、「立て板に水」のごとく捲くし立てて話す人がいたりする。そうした人は得てして、考えながら話しているのではなく、口先や舌を、パチンコ屋ではないが「全機解放!」にしているに過ぎない場合が多い。フーテンの寅のような香具師の口上を思い浮かべれば一目瞭然である。あるいは、総裁候補となるような政治家たちも、まさにそれに近い。問題含みであったり、微妙な響きを持ったりする部分は巧みに回避され、とにかく通りの良い言葉やフレーズが連射されるわけだ。
 こういうスタイルを、スピード感があって良いとする聴き手側にも問題は潜んでいそうである。逆に、「軽口を叩いていやがる」とシニカルに迎えるべきなのであろう。

 むしろ、たどたどしく言葉を捜して語る人こそ、考えていると言える。まあ、そうでない場合もないわけではなかろうが、概ね、掛値なしの話だと受けとめてもいいのかもしれない。
 それに、たどたどしい話し方というのは、確かにまどろっこしいと感じさせる嫌いはあるが、その進行と展開のゆっくりさが、聴き手側に、聞きながら考えるという時間の余裕を与えることにもつながるはずだ。聴き手を尊重していると言ってもいい。もちろん、そうありたいし、そうでなければ意味がないと思っている。

 ところでこうした事柄で、より大事なことは、上記のようなスタイルのレベルの問題ではなさそうである。話し手なり書き手なりが、「紋切型」の話題やテーマを選ばずに、たとえ厄介ではあっても、自身の胸の内で発酵した、オリジナルな素材を取り上げようとしているかどうかではなかろうか。その当人でなければ取り上げることができない素材を話題にしてこそ、聴き手、読み手にとっての意味が増す。なおかつ、話し手、書き手にとっても、そうであればこそ時間や労力の浪費ではない意味と価値が生じるのだと思う。

 そうは思っているのだが、たとえばこの「公開日誌」(あえてブログとは言わない)の場合には、おのずから制約があるためあまりに個人的、プライベートなことはボツとせざるを得なかったりするのである。で、時として、通りの良さそうな話題へと流れてしまったりするのだろう。
 とかく、「自身の胸の内で発酵した、オリジナルな素材」というものは、まさに公表すべきものではなかったりするケースが多いわけだが、これらをいかに卒なく公表可能なかたちにアレンジしながら書くかというのもまた、一種の職人技なのかもしれない。
 これができるようになれば、文字通り、ここに書くことが、読み手のみならず自身の毎日にとっても大きな意味を持つことになりそうである…… (2006.08.23)


 以前に、このサイトで小説もどきを連載執筆したことがあった。
 『心こそ心まどわす心なれ心に心心ゆるすな』という長ったらしい題で、長ったらしくもほぼ一年、50週間、毎週日曜日にでっち上げ続けたものだった。( 2001.08.26 〜 2002.07.28 )
 どうということもなく思い起こしたら、何とちょうど5年前の今頃の季節に書き始めていたのであった。偶然とはいえ、ちょっと不思議な気がした。そこで、ちょいと読み返してみたり、放っておくと忘れそうなので、覚書なんぞをまとめてみることにした。
 以下に、それを転載しておくこととする。

<あらすじ>
 北品川はその昔、江戸から東海道を下る第一の宿、「品川宿」として栄えた。この北品川には少なくない史実が残されているが、その昔「沢庵和尚」で名を馳せた「東海寺」のあったこともそのひとつである。
 沢庵禅師と時の将軍家光との緊張した関係は、「紫衣事件」などでも知られている。そこからは、沢庵禅師が幕府権力と対峙しながら禅の道を生きたという悲痛さが窺い知れる。そして東海寺とは、そうした沢庵禅師の苦渋に満ちた息遣いが残された寺であったに違いない。
 時は昭和三十年代、三百年以上が経過した北品川に、あだ名を保兵衛という十歳の少年が登場する。その保兵衛はひょんなことから、沢庵禅師、家光、宮本武蔵などの名を耳にする江戸時代初期へとタイム・トラベルをしてしまった。
 場所は、自身が住んでいる、三百年前の北品川、その東海寺の広大な境内の一角である。保兵衛を迎えたのは、東海寺和尚沢庵禅師その人であり、「清流」目黒川、賑わい始める品川宿、広重の版画そのままの品川海岸やその沖などの光景であった。
 が、何よりも宿命的な出会いをすることになったのは、自分と同い年、十歳の少年禅僧「海念」であった。この後二人は、意気投合し、時空を越えた友情に育まれていくことになる。
 不遇な過去に縛られた海念は、沢庵と武蔵の縁によって東海寺で救われつつあったのだが、それにもかかわらず、海念は、沢庵自身が歩んだに違いない苦汁の生き様、その轍へと、避けがたく嵌り込んでゆくこととなる。海念の幼心に刻まれてしまった「過去」が、まるで海念自身を引き回しているかのようである。
 保兵衛と海念は、時空が隔てるまま、その後成人していく十余年間、おのおのの時代環境の中にあって、時代が提起する熾烈な課題を真摯に受けとめて生きる。そして、彼らの視界の片隅には、いつも沢庵禅師の影法師が収まっていたはずなのである。権力の蠢きと、自身の心のざわめきとの双方を凝視して止まなかった和尚の影が……
 そんな中で、三百年以上を隔てながらも、あたかも同時並行的に展開するかのように大きな出来事が二人を捕らえようとしていた。このくだりがクライマックスとなる。
 海念にとっての「由井正雪の乱」がそれであり、保兵衛にとっての「全共闘運動」がそれであった。いずれも、老獪な権力が歯を剥き出しにして生贄を漁る、そんな局面だということになる。
 人の心はどうしたら「自由」となれるのか。老獪で醜悪な権力が人の自由と、自由を願う人の心を奪うことは世事であろう。だが、人が本当に自由を得るためには、もうひとつ承知しておかなければならない視点がありそうである。
 「権力と仏法のはざまに生きた和尚」とも称される沢庵禅師が吐露した言葉は、まさに時空を越えてのタイム・トラベルで現代に届きながらも、今なお現代人の胸中で生々しく共鳴し続けているようではないか。
 「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」(沢庵)

<解 題>
 この小説執筆のひとつの動機は、子どもの頃から青年期までを過ごした「北品川」という地点への郷愁であっただろう。
 「幕末」の品川宿も、北品川の歴史を彩る見るべき史実であったが、東海寺・沢庵和尚周辺の史的事実は、燻し銀のごとくわたしの関心を引き続けたものであった。
 出身中学校が東海寺の元境内に建てられていたことや、小学校のすぐ脇に、沢庵ゆかりの「弁天社」(安藤広重は『名所江戸百計/品川すさき』でこの「弁天社」を描いている。現在は「利田[かがた]神社」と名を変えている)があったこと、また、この神社のすぐ隣には、「鯨塚」と呼ばれる、江戸時代に品川沖で射止められた鯨を鎮魂する塚が残されていることなども、当該時代への興味を駆り立てる材料となった。
 さらに、昭和三十年代の頃にはすでに、目黒川はほとんどどぶ川のように汚染されていたが、そんな川でも、子ども時代のわれわれには興味深く慣れ親しむ環境なのであった。しかし、その昔、小説の舞台となった頃には、目黒川は「清流」そのものであったと目される点には、ちょっとした驚きと強い興味が喚起されないではいられなかった。
 そうした関心が、三百年前の北品川を何らかの形で蘇らせたいという思いにつながったとも言える。
 したがって、文章化する際には、できるだけ史実に忠実であろうと願い、調査もどきの下調べを行うことも惜しまなかった。
 主題は概ね定まっていた。東海寺の主、沢庵和尚こと沢庵宗彭の試みた「権力と仏法のはざまに生きる」生きざまについて近づいてみること。図らずも「(心の)自由」とは反対概念である「権力」に添うことを選ぶ結果となりながら、自由であり続けようとした沢庵の生き方には、時代を超えたテーマが脈々と息づいていると思えたのである。
 ただし、偉人・沢庵を直接対象とすることは筆者が力量不足であることと、また読者にとっても距離があり過ぎると思えたことにより、少年禅僧の海念や、現代に生きる保兵衛の登場としたわけである。
 なお、この作品は、ホームページによって、週一回の執筆で50週、約一年間に渡って連載し続けたものである。こうした執筆環境であったことから、何よりも読者が興味を持続してゆくことに多大な意を払うことになった。したがって、この作品は「長編」ではあるが、読み始めると、「やめられない止まらない」という「かっぱえびせん」のような「あとに引く」作用が隠されているはずなのである。「一気に読み切る」そんな作品となっているようである。

 読み返してみて感じたことは、「うーむ、色褪せてない!」ということであった。もっとも、端っから「色褪せた」時代ものでもあったので、色褪せようがないと言うべきなのかもしれない。小説を書くならば、やはり時代ものに限るかなあ、と意を深めたりしたものである。
 また、一年間にも渡る毎週日曜日に、よくもこんなことをノルマとして自分に課したものだと、ちょいと感心してみたりした。思えば、大変だったという一言に尽きるものの、それでいて結構充実していたとの記憶も残っている。ストーリーというのは、追い詰められると意外に「湧き上がってくる」という感触めいたものも残った。
 さぁーて、また始めるのか? いや、「金儲け」をマジメに考えなければいけない今は、そんなことをしている場合ではなさそうだし、以前のような「マラソン」的執筆というのも、ちょいと辛過ぎるかな、と予感している。せいぜい、この日誌執筆で、デッサン三昧ということか…… (2006.08.24)


 時間が経つのが速いと感じる。とくに一週間の経過があっという間だと思えるし、一ヶ月もまた速い。
 今日は8月も25日で、夏の盛り8月もあと一週間を残すだけとなった。さぞかし、子ども達は、日向の氷のごとく融けて消失していくかのような夏休み残にうろたえはじめているのではなかろうか。あと一週間、これはきっと、あと一週間「も」あるではなく、あと一週間「しか」ない、と受けとめられているに違いなかろう。それというのも、遣り残した宿題がもたらす重っ苦しいプレッシャーがあったりするからだ。

 そう言えば、自分も、いまだにそんな夢でうなされる(?)ことがある。
 高校時代の夏休みのことだ。ちょうど今頃の時期には、何とも言いようのない心境になっていたようである。あたかも、零細企業のタコ社長の心境、つまりどう算段しても埋まりようのないカネ詰り事態をそれでも何とか資金繰りをしなければならないという切羽詰った心境、それにも通じるものがあったかもしれない。
 今考えれば、どうせいつだって土壇場勝負ばかりをしている自分なのであるから、残り一週間もあったなら、徹夜でも何でもして一気にこなしちゃえばよいと思われる。しかし、当時は今ひとつその根性が立ち上がっていなかったかのようである。どうしたものだったのだろうかと、そんな心境のことがいぶかしく思い出される。

 高校時代の自分は、いわゆる学校がらみの勉強を受験勉強と見なし、それを決して「面白がって」はいなかったようである。「面白がって」いたのは、宗教だ、哲学だ、社会科学だといった、あれこれと青二才の屁理屈が成り立つ感じのジャンルであった。ここに問題が潜んでいたのかもしれない。
 ところで、この「面白がる」という姿勢が重要なのだと思っている。すべからく、人が知識や技能・技術を身につけたり、努力を惜しまなくなるのは、この「面白がる」という姿勢をベースにしてのことだという気がしてならない。
 また、このことは単に勉強や学習という狭い領域の話しだけではなく、世の中の万事が万事当てはまってしまいそうな気もしている。だから逆に言えば、嫌なこと、苦手だと感じることの中に、どうしたら「面白がれる」ものを探せるかという点が、何によらず勝負どころとなりそうだと。

 言う人に言わせれば、この世のすべては興味を持つに値する面白さを持っているようだが、概ね正解ではないかと思う。どんな嫌なことだと思えた対象にも、やがて興味につながっていくような端緒を見いだすことは可能なのであろう。
 翻って考えれば、こうした話というのは、対象側によって決定されることではなく、自身の側がどんな視点をたずさえて、どう対象側に迫るのかという類の問題を言い換えているに過ぎないのだから、すべては自身の視点や姿勢の問題に帰着するといっていいのかもしれない。
 したがって、やるべきこと、やらなければならないことを、より効果的に進めていくためには、何よりも「面白がれる」視点、視角を見いだしたり、作ったりすることが大前提となると思われる。

 妙なアプローチで書いてきたが、通りのよい表現をするならば、要するに「動機づけ」の重要さだということになりそうだ。何か新しいことにチャレンジする際には、どうしてもこの「動機づけ」の段階を飛び越えて、いきなり各論に入っていくということはできないし、何よりも無謀だと思われる。
 そして、この「動機づけ」は、何も年少者やビギナーだけに限られることではなく、まして、「被」教育者、訓練される側の者たちだけの問題でもなさそうだ。教育者自身が教育される必要があるという、いわば逆説が叫ばれたりするのは、教育者が往々にして、自身にはもはや「動機づけ」は不必要だと勘違いするからなのかもしれない。

 要するに、自身を常に「動機づけ」してゆける者こそが、外界、環境をフレッシュなものと感じ、そんなフレッシュな外界に対して新鮮な気分で挑戦してゆけるのかもしれないと思うのである。
 自己を「動機づける力」こそが、今、誰にとっても、どうしても必要なものであるような気がしている…… (2006.08.25)


 昨日、今日と陽が翳っているせいか比較的涼しい。涼しいというよりも、暑くないと言う方が適していよう。午後、畳にゴロリと横になってちょいと昼寝をしたが、いつもはどうにもならないほどに暑い部屋が、窓からほどよい風が流れ込みいい気持ちでうたた寝ができた。もう、こうした陽気が続いてくれてもいいなあ、と思ったものだ。

 昨日もこんな陽気であってくれたので助かった。
 昨日は、まだ残っている夏休みを一日取り、ちょっとした「小旅行」をすることになった。家内のお母さんの様子を見舞う目的で、千葉まで家内に動向したのである。片道だけで優に2、3時間の距離がある。いつものように暑かったならば汗だくとなったはずだが、昨日もいい按配に気温は高くなかった。「良い動機」(?)を持つと万事こうなるものかとこじつけてみたりした。
 お義母さんは、千葉の自宅からやや離れたところにある「老人介護ホーム」に入っている。もうだいぶ以前からの入居だ。義父が同じホームに先に入居していたのだが、今年の2月に先立たれた。それで現在は一人でそこでお世話になっているのである。
 家内が毎週泊りがけで出かけている先は、実家にも立ち寄りはするが、主としてそのホームだということになる。入居のきっかけは、急に視力が不自由となり、一人暮らしが危険だと思われたことによる。

 「ホーム」は、家内の実家のある街中からクルマで20分程度引っ込んだ郊外にある。5階建てのまだ新しい建物であり、最新の設備環境で立派な施設であった。家内の話では、他の「ホーム」の中には高い費用を支払って住環境の悪いところがいくらでもあるとのことで、そこは良心的な部類なのだそうだ。
 こうした施設は、TVなどでは見聞してはいたが実際に訪れるのは今回がはじめてであった。義父の生前に来ておかなければいけなかったはずにもかかわらず、忙しさにかまけて伸び伸びにしてきた親不孝で薄情な自分だったのである。

 お義母さんは、わたしの訪問を大変喜んでくれた。思いのほか元気であり、表向きなのかもしれないが、表情も悪くはなかった。せっかく来てもらったんだからなぞと言って、千葉で開催している「恐竜博」にでも行きましょうかと言っておられた。その「恐竜博」のことは自分も知っており、覗いてみたい気もしないではなかったが時間の都合などからその話は没となった。が、お義母さんの口からそんな「恐竜博」行きの話が出たのには驚きと滑稽さとが入り混じってしまった。今まで顔も出さなかった非礼を責めることもなく、息子の訪問に精一杯報いようとして考えてくれたことがうれしかった。

 正直言って、顔を出さなければいけないとは思い続けてきた。しかし、結局、自分勝手な甘えの気持ちに寄りかかり、何やかやと流してきてしまったのが実態であったのだ。家内の目から、そんな自分が薄情だと見えていたことも承知していないわけではなかった。過去のいろいろなことが、巡り合わせ悪く絡んで災いしていたという自分側の思いもあるにはあったが、どう考えても、自分の了見が狭かったことを弁解しようがないと思わざるを得ない。
 この間、お義母さんが、冗談にも「長く生き過ぎた……」というような弱音を吐いていることが気持ちのどこかに突き刺さったりしていた。お義父さんに先立たれたということも響いていたと思われたが、自分としても何かやるべきことをやらなければいけないという自然な気持ちが立ち上がりつつもあった。

 以前から目をつけていたこと、お義母さんが若い頃に三味線、清元に熱を入れていたことに再度手を染めてみてはどうかと勧めるということ、この辺に自分のすべきことがありそうな気がしていたのである。のめり込めるものに着手すること、これをおいて生きる支えはなかろうと常々考える自分だったからである。
 そうしたところ、つい先ごろ、同じ事を、家内が「目論見」ていたことを知ったのだった。お義母さんが以前に使っていた三味線をわざわざ浅草の老舗に修理に持って行き、「ホーム」のお義母さんのところへ持ち込んだというのである。
 ただ、事はそう思い通りにうまくは進んでいかない気配のようなのであった。それもわかりそうな気がしていた。若い頃に、思い入れと熱を入れていればいるほどに、年老いていろいろな点で格差を感じないわけではない現時点で、再度アプローチするというのは、ただ辛いの一言に尽きよう。そうした心理構造は何だか手に取るようにわかる気がするのだ。

 今回、「ホーム」のお義母さんの個室で自分が話したこと、促したことの大半は、当然三味線、清元に向かって再出発してはいかがですか、ということに尽きた。だが、お義母さんは、「先ず、糸を伸ばさなければ始まらない……」といった、言ってみれば逃げ口上とも言えることを口にされたりしていた。やはり、越さなければならない目先の障害物だとも見える「小山」は意外に難物のように思われたものであった。
 しかし、どういうことか、これまで家内の前でもやることのなかった清元の触りを、お義母さんはちょこっと口ずさむことになった。わたしが横に座って、顔を向けている前で確かに「口火を切る」かのように口ずさまれたのだった。自分はうれしい気がした。
 錆びついた重い歯車が、そうして動き始めるならば、やがて無用な錆が落ち、振り落とされ、きっと重量感ある歯車がグルッグルッと回り始めるのではないか、そうあって欲しい、と思わずにはいられなかった……。

 個室の扉付近で、「また、気が向いたら来ます」と照れ隠しの口上を述べて別れようとしたら、お義母さんは一階の玄関まで送りたいと言われた。
 丁寧にお辞儀をされるお義母さんの方に向かって、自分は、三味線を弾く手振りをして「再出発してください!」と印象づけさせてもらった。
 帰路の車中で、自分は二つのことに意を向けていたようだ。ひとつは、やはり人と人との関係は、「現場主義」に徹するべきものであり、「現場」に身を運ばなければ何も始まらないということ。もうひとつは、また近々、顔を出さなければ、いや顔を出したい、そうして「小山」に挑もうとしている、そんなお義母さんを誉めてあげなくては……と。

 それにしても、無用な錆を落としたり、振り払ったりすることを意図的にしなければ自分の心は錆だらけになってしまうぞ、と妙なことを自身に言い聞かせたりしていた…… (2006.08.26)


 蝉しぐれならぬ「虫の音しぐれ」とでも言いたいほどに、今夜の戸外は虫の鳴き声が充溢(じゅういつ)していた。突然秋めいた気配なのである。一時的な天候なのではあろうけれど、空気もややひんやりとしており、確かに秋めいた観ありというところだ。
 ついさっき、夕飯の腹ごなしに30分ほど歩いてきた。街路樹やら、植込みなどで緑に囲まれた道路を歩いてきたのだが、虫の音の激しさに驚かされた。まさに、日中の「蝉しぐれ」に匹敵するほどに、その響きわたる音量といい、絶え間のない継続音といい、「しぐれ」という形容を施すに値すると確信させられた。
 虫たちは、もちろん植込みの根元辺りに潜んでいるのだろうが、耳を凝らすと、どうも街路樹の葉が生い茂った部分にまで這い登っているかのように思われた。だから、まるで虫の音のトンネルをくぐるようなすさまじさだったのである。

 歩いていたのは当然車道脇の歩道である。車道には、ひっきりなしにクルマが走行している。かまびすしいとは言え、そんな自然の虫たちの鳴き声に耳を傾けていて、車道を走行するクルマの排気音を意識すると、それらは何と「無粋な音」であることかと思わざるを得なかった。騒音抑制という考えはとっくにどこかへ放棄されたかのような印象である。また、通り過ぎてゆくクルマの中には、マフラー改造車なのかどうか知らないが、ズズーンと内臓にまで響いてくるような異音を発して行くものもある。頭にあるのは自分のドライブの快感だけであり、どんなに他者を不快にさせているかなぞ微塵も想像できない連中なのであろう。そうして走り去るクルマの後部を目で追ってみると、現代の世相を象徴する言葉、「浅ましい」という一言が突き上げてきたものだった。

 足元の前方に、街灯の明かりに映えて何か小さなものの動くのが見えた。風で枯葉のかけらか何かが運ばれてでもいるのかと思ったが、ゆっくりではあるが同じ速度で進む様子から何か虫なのだろうと気づく。しゃがんで見つめてみると、それは弱々しいバッタのようであった。しかも、得意の跳躍を果たすはずの、その後ろ足が一本もぎ取れてしまって不自由そうにノソノソと歩行しているのだった。
 そのバッタは、小学校の校庭の植込みから歩道に出て、車道の方向へ向かおうとしていたのだ。そちらの方がはるかに明るいからである。
 おいおい、そっちへ進んだら犬死ならぬ、哀れな虫死、飛んで火に入る夏の虫になっちゃうぜ……。自分は、バッタの向きを変えるべく指先で頭の部分に触れてやると、そいつは、急いで反対方向へと片足で跳ね上がった。今一度、「ガイド」をしてやることになったが、それでどうやら這い出してきたもとの植込みの下へ潜り込んで行った。
 「浅ましい」文明の無意味な塵になるくらいなら、野鳥の腹に収まって命のバトンタッチをする方が道理だよ、と、まあそこまでの理屈をこねるものでもなかったが。

 交番のある交差点まで来た時、いつものようにとある飲み屋の店先が目に入る。その飲み屋は、「ホルモン焼き」の看板を掲げ、まるで今の季節に即して言えば海岸に仮設で建てられた「海の家」のごとくの佇まいなのである。店本体の前の庭に、仮設風のテーブルと座席が並べ広げられて飲み屋の店舗を構成しているのだ。おそらく、そんな店構えとなっているのは、そこが公営住宅(?)の一角だからではないのかと思う。
 だから、いつもその光景を見るたびに、よくやるよなあ、バイタリティがあるなあ、と思うわけなのである。しかも、斜向かいには交番まであるのだから、飲んだ上での喧嘩騒ぎは起きないだろうし、抜け目のない経営者だと感心してしまうのだ。
 感心する経営者と言えば、自宅に近い電気屋さんにも恐れ入る。以前から「一風変わった」との印象を持ち続けてきたが、今日も、バス通りに面したガラス壁に、よく書くよなあ、こんなこと、というようなキャッチフレーズが大文字で書かれてあった。確か、「よりいっそう愛されたい電気屋です!」とか、歯が浮いて抜けそうになるような文句だったかと思う。「よりいっそう儲けたい」と「愛されたい」とは、やはり両立できないかもしれないよね、と申し上げたい気がしたものだった。

 夜の歩道をさしたる目的もなく歩いていると、小さな生きものたちの、大きな文明の、そして生き残りをかけて悪戦苦闘している地元商店の、そんないろいろな存在の息遣いが、ジワーッと伝わってくるような気がした…… (2006.08.27)


 「伝統的」技術の継承は、やはり困難を極めているよだろうか。
 「団塊世代の「仕事師」たちが停年退職してしまう2007年問題」が一時マス・メディアを賑わしたが、その後の首尾はどうなのであろうか。たぶん、あまり芳しくないのではなかろうか。
 要するに、「伝統的」技術が現在の経済環境にあって市場性や経済的価値があるのならば、あるいは今後にその見通しが期待できるのであれば、誰も心配することなぞないはずである。将来を睨む若い世代が放っておいても参入していくはずだからである。
 と考えるならば、継承されがたい「伝統的」技術などは、現時点および今後にわたって経済的メリットが乏しいと目されるがゆえに見放されてしまうのだろうか。とすれば、自然なかたちでの継承ということがかなり困難だということは否定し難いということになるのだろうか。
 まして、現在の経済環境は、なお一層「3K」拒否の風潮が強まっていそうな気配もある。「伝統的」技術がそのまま「3K」だと言わないまでも、「非」デジタル分野特有の身体や、勘を働かせることが要求されたり、しかもそうしたことから「年季」というような、立ち上がりまでの長い所要時間が要求されたりという、若い世代があまり好まないような条件も足枷となっていそうな気がする。
 今日の新聞報道では、「原子力」関係までが敬遠され始めているらしい。<大学、原子力離れ 溶接・タービン工学など講座姿消す>( asahi.com 2006.08.28 )と題され、<原子力発電所の建設や保守にかかわる溶接やタービン、材料工学といった基盤技術の講座が、主要な大学から次々と姿を消していることが、経済産業省資源エネルギー庁の調査で分かった。エネ庁は稼働中の原発の保守にも影響を及ぼしかねない危機的状況とみて、文部科学省と協力し、講座を復活・新設する大学に助成金を出す「原子力人材育成プログラム」事業を始める方針を固めた。>とある。「核汚染」とかの問題への懸念が、「3K」拒否の感覚へとつながっているのだろうか。

 今日、この「伝統的」技術云々に関心を向けたのは、もっと古臭い話であり、上述の「市場性や経済的価値」という点からすれば、先ずは論外的な位置にある対象について思いを寄せたからである。
 実は、「木造船」つまり「和船」の話なのであり、とりあえず、自身の趣味的観点から端を発した話である。
 どういうものか自分は、かつての「船大工」が携わった「和船」に興味がある。できれば、比較的小型の「伝馬船(てんまぶね)」ならば、いつかその製作に挑戦してみたいと思うくらいである。
 いままでにも、「伝馬船」や「和船」に関する設計書などの資料はないものかと書籍などに注意を払ったが、そんなものは一向に見つからなかった。同じ「木造船」でも、「洋式」の分野には「設計書」の類がかなりありそうであるが、「和船」の方にはそうしたものがほとんどないようなのである。
 要するに、「和船」づくりは、「船大工」の経験と勘によって大半が賄われてきたようだから、情報伝達、継承のための外的資料は極端に少ないようなのである。まさに、こうした状況にある「伝統的」技術こそが、今、致命的に危機に瀕しているというわけであろう。

 とある「和船」関連サイトを覗いてみると、そのページの冒頭に次のような文面が書かれてあった。
<日本の伝統的な木造和船は船大工さんが高齢化し後継者がいないので 消滅寸前です。木造和船を絶滅から救う運動を始めます。>(『和船船大工弟子入り日記』 http://diary.jp.aol.com/applet/556hcmcxuny/profile )
 どうやら、「船大工」の仕事、「和船」づくりというものは、まるで「忍術」のよう、いや「忍術」にも巻物という秘伝を表した古文書があるわけだから、むしろこの分野こそが「消滅寸前」にある「伝統的」技術だと言えそうな気配のようである。

 どうも、いわゆる「産業的」見地、「ビジネス的」見地からの「伝統的」技術の保護、継承というのは、勝手に決めつけてはいけないが、残念ながら絶望的なのかもしれない。残された方途は、自分が図らずも「趣味的観点から」アプローチしているように、その「趣味的」意味合いの文脈を太くする以外にないのかもしれない。
 とは言っても、決してその文脈がか細いものだと落胆する必要はなさそうな気もしている。現代という時代環境は、便利なモノも旺盛に追求されるとともに、伝統志向であったり、趣きであったり、要は無形の文化などへの心の渇きを充足させるようなものも十分に商品となり得るはずである。まあ、少なくとも民芸的分野の商品となることは間違いないと思われる。
 と言うよりも、是非そうでもして、現状は見捨てられつつある「伝統的」技術が、現代的な「切り口」によって、市場的、商品的価値を復権する、そんな工夫をすべきではいかとまじめに考えるわけなのである…… (2006.08.28)


 ろくなニュースしか報道されない。それを知らされたからといってどうなるものでもなく、ただ「壊れた人間」サンプルが追加されるだけのようだ。奇異なことをターゲットにするのがマス・メディアであるならば、もうそろそろ犯罪のジャンルからは手を引く必要が生まれてきはしないか。
 希少価値のあるものがニュースなのであれば、読者なりを「気分良くさせる」ものがニュースだということになりはしないか。

 そんな視点で眺めた時、次のような記事が目にとまった。
<対話ロボットを病院に寄贈 子ども亡くした親たち>( asahi.com 2006.08.29 )という微笑ましいものだ。
<闘病生活を送る子どもたちの話し相手にと、簡単な会話ができるロボット「よりそいイフボット」が28日、大阪府泉大津市の市立病院に贈られた。白血病で入院中にイフボットの試作機のモニターを務め、14歳の若さで亡くなった木田翔太君の母美恵子さん(53)が代表を務める埼玉県朝霞市の市民団体「全国にとどけよう コミュニケーションロボットと翔ちゃん基金」が寄贈した。
 イフボットは5歳児程度の会話ができ、顔にある108個の発光ダイオードで数十種類の表情もつくる。面会時間後の夜間、独りぼっちになる子どもたちの孤独感を和らげるためにつくられた。……>
 この記事に添付された写真がまたいい。この<対話ロボット>を見つめる闘病生活を送っている子どもたちの表情が何とも可愛い。興味津々かつ優しいその表情が、いかにも<対話ロボット>を大歓迎しているということを物語っているのだ。

 わが子を難病で亡くした母親が、ロボットの名を「翔ちゃん」と名づけてこうした運動をすることも感動的である。悲しみを乗り越えようとして生きるそのお母さんの心の内がよくわかるような気にもなる。とにかく、子どもたち、特に闘病生活を送る子どもたちは寂しいものなのだろうし、心を通わせる対象を探しているに違いない。だから、写真で見る子どもたちの顔つきは明るく輝いていたわけだ。
 わたしがこの記事を見て感じたのは、テクノロジーはこういうふうに役に立って然るべきだという点であった。どういうものだか、ロボットというものに対して今ひとつ違和感を抱いてきた自分であった。だが、現に、心細い気持ちで生きている闘病生活中の子どもたちに笑顔が戻っている写真を見ると、細かいことはさておき、人の気持ちを慰める効果がこうしてあるのならば「いいじゃないか!」と思えたのである。

 現在、人間界は、何かとトゲトゲしい空気で満ち溢れている。「優しさ」や「優しい対話」を、惜しみなく自然に展開できる人間は限りなく少数派となっているのかもしれない。
 とすれば、ロボットに支援してもらう事柄は、労力や物理的パワーだけではなく、心を癒したり、優しさを惜しみなく提供する機能も含まれつつあるのかもしれないではないか。すでに、そうした機能が持つ価値については、あの「大ペット・ブーム」で立証されてもいそうである。
 ただ、ペットの場合はロボットと較べると、いろいろな制約部分を抱えているわけだ。いや、実はその制約に潜んでいる手が掛かったり、命を持つものであるがゆえの病気や死が伴っている点こそが、人間とのコミュニケーションを深めるのだろうが、やはり現代人にとっては重荷ともなるのであろう。
 その点、ロボットは、深みには欠けるという難点があっても、扱い易さが受けるはずであろう。ひょっとしたら、デジタル環境に徹底的に慣らされている現代人にとっては、複雑でナイーブな生きものよりも、精巧なロボットであればそちらの方が馴染みやすいということになるのかもしれない。

 「細かいことはさておき」と前述したわけだが、確かに、真の人間同士の触れ合いが希少価値となり過ぎて、枯渇状況(?)らしき環境が広がったり、病院や独居(老人)というやむを得ず寂しさに耐えなければならない環境もめずらしくなくなった。真の人間同士の対話が希求されつつも、ここは、「対話ロボットの登板!」という代替策が目されても、それはそれでいいのかもしれないと、そんなことを考えたのであった…… (2006.08.29)


 自分の頭の中や心の中は自身で了解できるし、自力でコントロールできると過剰に信じられてしまっているようだ。そう信じられていることは、まあ、概して間違いではないのだろうけれど、これが当然視されるとなると若干問題となりそうな気がする。
 大雑把に言っても、人間の脳の働きは、自覚された意識上の領域と、自覚できない意識下の領域があると考えられている。ひょっとしたら、当人に自覚される部分よりも、自覚されない、できない領域の方が遠大だったりするのかもしれない。
 簡単な話で言えば、自身の行動や発した言葉に関して、「どうして?」と他人に聞かれてすべて明快に答えられるであろうか。いや、中には、そうした「面白味のない人」もいるかもしれないが、大抵は、「うん、よくわかんないんだけどね、何となくそう思うんだ……」と返答せざるを得ない人の方が多いのだろうと推測する。
 また、自分が見る夢なのだから、どうしてそんな夢を見たのかを説明せよ! と言われても困るはずである。「聖人に夢なし馬鹿に苦労なし」という川柳があって、そもそも聖人君子は夢なんぞ見ないものだと大見得を切る向きもあるが、逆に、「聖人君子も夢に責任なし」とかと言って、人格から夢を突き放す考えもあるようだ。どちらかと言えば後者の方が理に叶っていそうである。
 さらに、さまざまに生じる感情というものは、果たして自己制御できるものであろうか。もちろん、不可能に近いだろうと思える。言葉によって自覚された領域の代表格ともいえる理性や知性によって抑えようとすればするほどに、メラメラと燃え盛る感情というものは、誰もが経験するところであるはずだ。

 つまり、人間の脳の働きには、言葉によって自覚される部分と、言葉では掌握できない、だからコントロールなんぞもできない闇の部分が存在するというわけなのだろう。それが、掛値なしの人間というものであるに違いない。
 これまでの日本の社会では、こうした実態が「お目こぼし」されてきたのではなかったかと思う。いわゆる「大人の寛容さ」がなすわざであり、それに貫かれた「ぬくもりのある文化」がそれである。「若気の至り」という「お目こぼし」文化などは好例であるに違いない。「泣く子と地頭には勝てない」もそうだろうし、あまり良い例ではないだろうが「英雄、色を好む」もこの一角に入るやもしれない。
 また、落語の世界を覗くならば、若い時に遊び呆ける「若旦那」の話が頻出し、そしてその「バカ旦那」をみんなして寛容に手当している情景がおもしろおかしく描かれている。「しょうがない」と見なしていたのであろうし、その「しょうがない」の根拠としては、人間の頭の中の制御不能な領域への直感的な了解があったのではないかと想像するのである。

 ところが、現代という時代では、あのトゲトゲしい言葉「自己責任」「個人責任」に象徴されるように、人のすることは当人がすべて認識しているはずであり、そこから管理責任の一切が当人に帰せられるというベラボウ論理がまかり通っている。
 「法治」国家なのだから、秩序のためには責任を担う者を定めなければならない理屈はわかる。しかし、責任が取れないことまで、個人に押しつけたってそいつはベラボウだとしか言いようがないんじゃあなかろうか。
 それでいて、権力者たちは、明々白々テメエの責任だとわかり切った罪をウヤムヤにしてはばからない。要は、統一的な論理がどうこうではないんだろう。強きを助け、弱きをくじくための方便が必要なのだろうと洞察する。
 いや、権力者たちがどうこうということをことさら書きたかったわけではなかった。そんな「暖簾に腕押し」「豆腐にかすがい」めいたことをいつまでも書いていても、それこそしょうがない。
 それよりも、そんな間尺に合わない権力者たちの間違った考え方、感覚を、庶民までもが、右に倣う、かのようになってしまっている現状が引っかかるのである。

 たとえば、子どもたちというのは、半分は人間、半分が自然、という存在であり、だからこそ躾だ、教育だと叫ばれるのであろう。にもかかわらず、小さな子ども、それは9割方が自然の存在だと見なせようが、それなのに大人の意識界の整然とした理屈世界にそぐわないからといって、ぶったり、叩いたり、蹴ったりということを平気でする。躾だと称するが、実のところ大人側の頭を撹乱させている「自己責任」という言葉の腹いせをぶつけているだけのことではないのか。
 また、自分自身がそうであるにもかかわらず、他人が道理をわきまえて振舞うことをしないからといって、責めて、咎めて、危害まで加えようとする。ひどい場合にはというか、それが定石のようになりつつあるのが恐ろしいが、他人の命までを抹殺しようとしているではないか。昔ならば、「殺意」を抱かれるようなことをするのは並大抵のことではなかったはずだろうが、現在では、人の足を踏んだくらいでも簡単に「殺意」を抱かれてしまうかのようなご時世である。

 こんなとんでもないご時世を巡って、いろいろな人たちが解説をしているようである。 解説というものはどうにでも成り立ち得るだろう。だから、こうして自分も思うところを書いている。ほかにもいろいろと思うところはあるにはあるのだが、今日書いたことは、要するに、人間というものは、個人という「区分け」で閉じていて、その範囲内のことはすべて当人が掌握できていたり、まして管理し切れているような、そんな「見事」な存在ではない! ということなのである。
 こうした視点は、一見、ケジメ無き社会を推奨しているとの誤解を与えかねないが、そうではなくて、脳の、働きの見えない、自覚されない領域の大半が、個人という範疇ではなく、集団や社会や自然環境に否定し難く根ざしているという事実に目を見開くべきだと言いたいのである。言葉を換えて言うならば、そうした部分こそが、人間らしい人間を発露させる重要な部分だということである。
 この国の古き良き時代の、「お目こぼし」文化、「しょうがない」文化というものは、結構そうした理屈をしっかりと踏まえていたのではないかと考えるのは、褒めごろしにでもなるであろうか…… (2006.08.30)


 きっと、今こそ「ベンチャー」企業が、再度、興隆すべきなのだと思う。
 大企業が業績向上を図ることはそれはそれで結構なことではある。だが、その大企業は、一頃のように、下請け層を共に活性化させつつ業績を伸ばしているという実情ではなさそうだからである。

<製造業と下請け企業という二重構造の問題は我が国における格差の原点である。各メーカーは円高の時にもバブル崩壊後の立て直しの際にも、危機に直面するたびに真っ先に下請け企業にしわを寄せてきた。今でも収益確保策として、毎年一定の請負単価カットをノルマ化しているメーカーすらある。史上最高益を上げようが、発注条件の修復はほとんどない。結果として、格差はかつてないほどに拡大している。
 企業格付けや敵対的買収への備えということもあり、各企業の経営者は業績を更に拡大し、配当を増やし株価を上げようと考えている。そのためにはコスト抑制は至上命題ということだろう。トップがそうなら、現場で采配を振るう管理職が下請け企業を顧みるはずがない。また、かつては下請け企業の組合員を守ることを自負していたメーカーの労働組合も変わった。自分が受け取る賞与が純然たる業績比例となったのである。自社の業績のために下請け企業への支払いを抑えよう、と思っている。
 メーカーと下請け企業とは買い手と売り手、本来なら立場は対等のはずだが、わが国においては多くの場合、メーカーが圧倒的に優位、下請け企業は使ってもらっているという関係で、公正な取引条件など存在しない。……>(asahi.com 2006.08.31 「経済気象台」-「製造業と格差拡大」より)

 かつての「二重構造」にあっては、それなりの「合理的」もどきな方針が採られていたかに思う。つまり、「下請け企業」は、低コストで業務を担うがゆえに、大企業にとっては不可欠な存在であり、重要なパートナーだと認識していたはずである。それゆえに、多少のムリは強いても、存立を脅かすような埒外のムリは選ばなかったようである。「現場で采配を振るう管理職」にしても、「下請け企業」をどう収益性に向けて管理するかに意を払ったもので、決して潰さないことを肝に命じていたと思われる。
 しかし、現状は、上記引用文が伝えるとおりとなっていそうである。要するに、大企業とて激烈な闘いの中にあり、自社株の価値水準の維持と上昇とが至上命題となっていそうなのである。いわゆる時価総額のバリューアップである。
 で、そのために、収益向上に直結するコスト抑制が至上命令となり、「下請け企業」との取引条件へのしわ寄せが帰結されることになる。こうした事態がいち早く訪れた建築業界での話を聞いたことがあるが、下請け単価水準の崩れ方は凄まじいものだそうである。そして、製造業全般に及び、ソフト開発業界とて決して例外ではなくなっている模様である。
 こうした厳しい傾向は逃れようがないかのようであり、唯一、「特殊技術」を発揮する下請け企業のみがやや寛大な処遇を受けているのが実態なのであろう。
 ここから、そうした「特殊技術」を最大限ビジネス的に生かすあり方としての「ベンチャー」というビジネス形態が、様々な経営者たちによって羨望されているのかと思われる。
 一般的経済環境が、いわゆる「パイ増大の好景気」とは言えないのであるから、当然、「ベンチャー」という目論見にも一頃のブームとは比べものにならないリスキーさが付着しているはずである。
 しかし、それでもなお、「ベンチャー」への挑戦は消え去っていいものでないことは確かだろう。今後のこの国の経済動向を眺望してみても、ただコスト抑制という片側の課題だけに邁進していて済むわけがないと思われる。新たな経済的価値創造への試みが「ベンチャー」という形で絶え間なく行われなければならないはずだ。

 ところが、その「ベンチャー」企業というものが、現在いまひとつの状況にあるようなのだ。上記引用文と同箇所に次のような一文を見つけた。

< 最近、新聞などのニュースでベンチャービジネスという言葉を見かけることが少なくなってきた。これはどうしたことか。ベンチャービジネスこそ日本経済・産業の発展の鍵を握ると思われてきただけに、気になる。
 ……
……大学においてもベンチャービジネス講座を最近になって新たに開講するところさえある。
 にもかかわらず、ニュースで見かけなくなってきたのは、「ベンチャービジネス」という言い方が持つ「役割」が終わったからではないか。世界語になったベンチャービジネス論のブームは過ぎたようだ。
 最近の若者と接触していると、大学卒業後、スポーツ店などを極めて安易に開業したいという希望者が増えている。これは「ベンチャー」ではない。今日必要なことは、「ベンチャー論」より、強い信念をもった若い人材を育てる「起業論」ではないか。(共生)>(asahi.com 2006.07.28 「経済気象台」-「ベンチャーから起業論へ」より)

 たぶん、「強い信念」という表現の背後には、起業家たちの個人としてのスタンスの問題が先ずあるには違いなかろう。だが、それが実ってゆくためにも、個人的努力を超えた地平での組織的支援体制もまた必須なのだと思われる。全体経済を司る立場にある者たちは、深慮遠謀をもってこの問題を扱っているのだろうか。これもまた市場経済が誘発していくと呑気に考えていたのでは、「安易に開業したいという希望者」の動きを追認するだけではないか…… (2006.08.31)