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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2006年12月の日誌 ‥‥‥‥

2006/12/01/ (金)  慎ましさ、貧しさと向き合う生きざまに宿る……
2006/12/02/ (土)  呪う力が鎮まらないなら、そうあってしかるべし……
2006/12/03/ (日)  近所のリフォーム住宅に、ニューフェイスご一行様ご到来
2006/12/04/ (月)  独居高齢者にDVD機器を活用してもらう作戦?
2006/12/05/ (火)  国民が喜んで納税できる体制づくりこそが先決!
2006/12/06/ (水)  企業人事の王道を選ぶのかどうかが試されている時代
2006/12/07/ (木)  「鳩のように柔和で蛇のように慧(さと)くあれ」
2006/12/08/ (金)  今後の経済発展の内実にかかわる重要な問題であろうに……
2006/12/09/ (土)  都会人は、自分たちと自然との関係を思い出せない……
2006/12/10/ (日)  研ぎ澄まされたまなざしと表現!「分け入っても分け入っても青い山」
2006/12/11/ (月)  NHK番組『ワーキングプアU』を応援したい!
2006/12/12/ (火)  自分のためにも、仕事の中に「人に喜んでもらう」部分を作る
2006/12/13/ (水)  「南仏風」の「バラ」の写真たちの嫁ぎ先が決まった……
2006/12/14/ (木)  「へぇ、これも大神宮様のお陰でございます。……」
2006/12/15/ (金)  実感として気づく「団塊世代の過ち」……
2006/12/16/ (土)  「ちゃんちゃんこ」の丈をすこぶる短くしたようなもの?
2006/12/17/ (日)  「グローバリゼーション」「大増税」「社会福祉削減」&「所得格差社会」!
2006/12/18/ (月)  その「施策」は、決して合理的でも科学的でもない!
2006/12/19/ (火)  「掃き溜めに鶴」の鶴にこそ視線を向けるべき……
2006/12/20/ (水)  「当たりそうな気配」ばかりが込み上げていた子ども時代……
2006/12/21/ (木)  少なくとも、自身の健康管理くらいはまともでなければ……
2006/12/22/ (金)  立て板に水の速さで進んでいったおふくろの入院
2006/12/23/ (土)  痛みがとれるといつもの「がんばりばあちゃん」に……
2006/12/24/ (日)  可愛い光景は見過ごすべきではない……
2006/12/25/ (月)  「年末・年始はどうされますか?」と担当医が問う
2006/12/26/ (火)  クリスマスは過ぎたが、誰もが「千の風に」なる……
2006/12/27/ (水)  自分が犠牲者となる前に騒がなければいけないような時代環境……
2006/12/28/ (木)  どこかに「在りし日の正月」の面影を探そうと……
2006/12/29/ (金)  求心力の存在を忘れ去った遠心力……
2006/12/30/ (土)  マイペースなおふくろと、同様な息子……
2006/12/31/ (日)  常態的なストレスを粉砕し、「頭脳の無意識な働き」を解放!






 自分なんぞは、童話「蟻とキリギリス」でいうならばキリギリスだということになろうか。要するに、「節約、蓄財」の話である。老後のことを心配しないわけではないが、どうもアバウトに過ごしてしまっており、無駄遣いの癖も是正されていない。
 今からでは遅きに失する嫌いもあるが、稼ぐなり貯めるなりを真剣に考えるべきなのであろう。

 今日、昼の弁当を求めて事務所近くのスーパーへ行った。レジで待っていると、突然、男性の小さくはない声が聞こえてきた。隣のレジからであった。
「えっ、これは158円じゃないの?!」
 抗議調の声を張り上げていたのは、痩せた白髪の老人であった。レジのテーブルの上の品物を見ると、ほかにも購入するものがあったが、叫びの対象となっていたのは、複数個が袋詰になったインスタント・ラーメン一個のようであった。
「158円と表示が出てましたよ。ちょっと調べてみてくださいな」
 その老人は、レジスターの液晶表示に表された数字が、展示価格と異なることにいかにも不服だと迫っていたのである。当然のことであろう。
 レジ担当の店員は、「再調査」のために、レジスターのキーをいろいろと打ち込んでいる。が、判明しないようで、店内マイクを使って価格担当者を呼び出そうとしていた。
「じゃあ、サービス・カウンターへ持って行って確かめてもらいましょうかね」
 しっかりした行動的な様子のその老人は、そんな対応で迫ってもいた。

 店頭表示価格とレジ・サイドでの精算とが異なる不手際は確かにハラの立つことである。自分も、とある家電製品量販店でそんなことがあり、即座にレジの場で購入をキャンセルした覚えもある。大した金額ではなく、まあいいか、で済ますことも当然できたが、今やどこのショップも「一桁円」の安さを競い合っているご時世だ。にもかかわらず、店内事務処理の過程でバカなチョンボをするのは店側としては、それこそ「あってはならないこと」だと思ったからであった。
 が、今日、その白髪の老人の行動に目を向けていて心に沁みたのは、店側の不始末ではない。年金生活か貯金の取り崩しか、いずれにしても精一杯に節約、倹約をして過ごしているのに違いないお年寄りの生活をリアルに覗く思いがしたからである。慎ましやかな生活が、実に美しいと思えたのである。
 こう言うと、大袈裟に聞こえそうだが、昨日の話ではないが、「トリッキー」なことをしてビッグ・マネーを動かすという光景は、不快感を煽る醜態でしかないのに対して、身近な食品が「一桁円」でも安いことに配慮する光景は、実にビューティフルこの上ないと感じるのである。人の心をほのぼのとさせるものであり、そう言うものこそを美しいと感じなければいけないと思っている。

 先日の報道で、親の年金を毟り取っていた人でなしの息子に殺害された年金生活の老婆の話が記憶から消えないでいる。働かない息子に年金を奪われてしまい、自分はというと、空腹を紛らわすために家の周囲に生えている雑草を食していたというのである。決して、北朝鮮での話ではない、この飽食の国での実話だというので驚いた。
 悲壮感が漂わずにはいない話であるが、この社会の凝縮されたひとつの現実であり、さすがに美しいとは言えないにしても、アホクサイ成功話なんぞよりも遥かに真に迫る話だと思ったものだ。
 虚飾に満ちた、スカスカなものを追っかけて快感のみを得る人生が一般的となっている現代にあって、真に迫る現実こそを垣間見て、生きている実感を得るということ…… (2006.12.01)


 これを書いている書斎の窓からは、隣家の庭に設えられた電飾のクリスマス・ツリーが良く見える。2メートルほどの高さであろうか、綺麗だ。しかし、それを目にしているのはこれを書いている自分くらいであろう。当の家の庭に向いた戸の中は障子戸が閉じられおりご当人たちは、ツリーを庭に置き去りにしていることになる。
 12月となったからか、夜の街のあちこちで点滅するクリスマス・ツリーの電飾を見かけるようになった。まあ、とりあえずは綺麗ではある。
 だが、当然なのかもしれないが、それらを目にして、子どもの頃や若い頃のような弾んだ気分にはなれない。どうしても暗い世相、悪化している人の世のことがどっかりと胸の内に居座っており、人工的に飾られた綺麗なものが素直に綺麗だとは思えないでいる……。あえて口にするならば、何となく空々しい感じでさえある。

 とくに、今日は朝から気分を害してしまったため、なおさらのことである。まさか! というような出来事を知ってしまったからである。
 わが家のすぐ近くには、毎年春になると桜を満開にさせ、幻想的な雰囲気さえかもし出してくれる小さな観音堂がある。十数本はあろうそうした桜の木々は、いずれもがこの地域の人々とともに何十年も生きて来た古強者であり、年に一度の満開時ときたら、まさしく彼らにとっての誇らしい晴れ舞台そのものであった。町内会の人たちも、境内にビニールなどで集える場所をつくり、花見の酒を交わしたりもしてきた。
 夏は夏でそうした桜の木々と葉の茂みで被われた自然の香漂う境内で、町内の盆踊り大会なども行われた。夜店などをも含む人工の明かりが、境内に被さる桜の木々、茂る枝葉をライトアップする光景は、ちょっとした小さな鎮守の森の中での催しのようで、決して悪くはなかった。
 その観音堂は、ウォーキングの帰路にあるため、自分は毎回、その小さな鎮守の森のような観音堂を眺めては、ほっとした気分ともなっていたものである。

 ところが、今朝、ウォーキングの帰り道、その近くまで来た時、一瞬目を疑う思いとなった。落葉の季節のため、葉を携えてはいないものの、観音堂境内の中空は桜の木々の枝で占められていなければならないはずだった。が、境内は妙に明るくなっており、境内を囲むものは錆びた鉄のフェンスだけとなっていた。フェンスの内側に、その境内を見守るかのように直立していた逞しい桜の木々の立ち姿が、ことごとくなくなっていたのである。そして、境内の隅の一角からは、直径4〜50センチはあろう数多くの古木の、真新しい切断面が痛々しく人目を引いていた。まるで、山林から伐採された木材の集積場のような観があった。
 なぜ? という憤りの混ざった疑問が、腹の内側から胸へと突き上げてくる思いであった。ここまでやるか、どうして、こんなことまでやってしまうんだ、と……。
 理由はわからない。何か事情があるのだろうか。ただ、この町田で自分が過去に見た古木伐採の理由のほとんどは、上品に言えば「宅地化」、ありていに言えば「土地売却」「カネ調達、儲け」のために更地にするという経緯であったかと思う。
 よくは知らないが、この観音堂は言うまでもなく宗教的施設であろう。この土地の所有者も宗教関係者かと思われる。しかし、宗教関係者がここまでの「残酷」な古木伐採敢行を是認するものであろうか。いや、単に、自分が現代の「宗教」というものを、甘く誤解していただけなのかもしれない。宗教に携わる者たちが皆、もっぱら自然を愛し、生命を愛しむものだと見なすことこそ、いま時通用するはずのない見解なのかもしれない。

 ただ、奇妙に明るく、寒々しく変貌させられた観音堂の脇を通り過ぎる際、直情的な自分は、密かにあること「念じ」ていたかもしれない。桜の古木たち、呪う力が鎮まらないなら、そうあってしかるべし、その恨みにこそ道理あり、と…… (2006.12.02)


 長らく売り出し中となっていた近所の家に、ようやく住人が決まったようだ。昼過ぎ頃に、その方たちが引越しのご挨拶に来られた。
 最近は、そんな挨拶とてパスしてしまう人もいるご時世で、その方たちは丁寧に菓子包みを用意してご近所中に挨拶に回っていた。将来何があるかわからないのがご近所同士であろう。杓子定規と思えるくらいの挨拶を欠かさないのが無難だと言えそうだ。

 実を言うと、その家というのは、現在「うちの子」になってしまった猫のクロちゃんを元、飼っていたお宅の住まいなのである。事情があって居なくなり、やがてその家もリフォームされて売りに出された。
 だが、かれこれ半年、一年が経ってもなかなか新しい住人が決まらなかった。後学のためと遊び心で、家内なども売出し中のその家を見せてもらいに言ったようだが、間取りなども気が利いていて悪くはなかったらしい。なのに、スンナリと決まらなかったのは、何でも駐車スペースの問題があったからのようである。
 が、それもなんとかなったのであろう。だから新住人が決まり、その方たちが引越しの挨拶回りをされていたのだ。

 もう、クロちゃんもすっかり「うちの子」になってしまったので、かつての家に人が住むこととなっても覗きに行くこともなかろうかとは思っている。猫は家につく、と言われるが、何年も放置され、しかも新たに可愛がってくれ、餌はもちろん「住まい」の心配までしてくれるご主人が現れたのだから、クロちゃんもきっと昔のことは忘れるようにしているに違いないはずである。
 そう言えば、わが家の玄関先に設置されたクロちゃんの「ハウス」には、もう一週間前くらいから、暖房設備=湯たんぽサービスを開始している。
 去年のひと冬をこれで越したことを肌身でありがたがっていたのであろうか、今年はこれを用意してやると「ハウス」の中に入り浸り状態となっている。時々は、娘猫のグチャも無理やり入り込んで暖を取らしてもらっている模様である。

 外猫のクロちゃん用にこうした「ハウス」を作ってやったのは、そう言えば、ウォーキング途中で見かけた外で飼われている猫の小屋がきっかけであったかもしれない。
 その猫は、市営住宅が遊歩道と接する区域の植込みの陰の「ミーちゃんの家」と書かれた小屋で、住宅の愛猫家たちに可愛がられていた。小屋の上にはコウモリ傘が立てられ、雨を防ぐ配慮がなされていた。また、冬場には、毎日小屋の中に使い捨てカイロをあてがってもらっていた。自分も、ウォーキングの際に何袋かのカイロを差し入れしてあげたものだった。
 猫とて、身体を丸めて寝入ることのできる自分の住処があるとないとでは、きっと生きる姿勢が大いに異なるはずである。朝日を浴びて日向ぼっこをしていたミーちゃんは、どことなく安心感に満ちていたような素振りであった。
 そんな光景が、クロちゃんにもカイロや湯たんぽの取り替えがし易い「ハウス」を作ってやろうという動機を促したのではないかと振り返っている。

 動物たちもそうであるのだから、安全で安心な自分の家を確保することは人であればなおさらのこと大きな励みになるものなのであろう。
 今日、引越しの挨拶に来られた方たちも、やはり今回のリハウスがよほどうれしかったのであろう、何か気力がみなぎった様子が伝わってきたものであった。ローンの返済は、いま時ラクではないでしょうけど、がんばってください、とはまさか口に出しては言わなかったが、受け取った菓子包みを手にしながら、自分はそんなことを心の内側でつぶやいていた…… (2006.12.03)


 先日、以下のようなことを書いた。
「高齢の知人にとある私製DVDビデオを献上しようとし、話の成り行きでコンパクトなビデオ・デッキまで添えて送ることになったものである。」と。
 さっそく実行したら、嬉しそうな声でのお礼の電話が入った。何よりも喜ばれていたのは、わたしが当然視しながらいろいろと考えを巡らせた段取りについてであった。わたしらしい行き届いた配慮だとおっしゃられていたのである。
 と言うのも、わたしが最も気を遣ったのは、TVにコードを接続するDVDプレイヤーを若者たちのようにさり気なく接続することや、その後でDVD鑑賞のための機器の操作が首尾よくできたり、覚えたりできるだろうか、という点に尽きた。
 ただでさえ、日頃、エレクトロニクス製品の使用と言えば、TVと電話くらいであり、音楽はLPレコードを愛用し、FAXも利用されていない状態であったのだ。以前、ちょっとした込み入った文面を急ぎでお送りしたいと思い、FAXで送信しますと言ったら、そんなものは使っていないと言われた。
 機械いじりは苦手という方なのであるが、その上お年寄りの独り暮らしということで、特に不自由を感じないのだから面倒なエレクトロニクス製品は必要ない、という判断のようであった。
 わたしも、その判断を尊重したいものとは思えたが、独り暮らしであればなおのこと、ちょっとした便利で、楽しめる機器があっても良さそうに思えてならなかった。

 そこで、何年か以前には、レコードも悪くはないけれど、現在ではCDしか入手できない時代環境となっていることもあり、どうにかしてCDに慣れてもらおうと挑戦してみたのだ。
 今や、プレイヤーなどはいくらでも安価に入手できる時代となっているので、また、自分は、エレクトロニクス製品を破格で入手する特技もあるため、小型のCDプレイヤーを購入し、その方にふさわしい音楽CDを添えてお送りしたのであった。
 もちろん、その時も、果たして億劫がらずに操作していただけるかと配慮したものであった。CDプレイヤー選定する際には、できるだけ「操作ボタン」が少なく、再生プレイだけが簡単に実現できる機種を探したものであった。
 そして、操作方法も、「取扱説明書」の小さな文字を読まなくても済むように、別途、手製でわかり易さを目指したマニュアルを添えもした。これが効を奏して、CDは無難に聴かれるようになったそうなのである。

 今回の、DVDは、この流れの第二弾ということになるわけだが、今回も、CDプレイヤーと同様、いやそれ以上にいろいろと配慮をさせていただいたのであり、そのことを大変喜ばれたということだったのだ。
 今回、その方に、DVDプレイヤーを使いこなしていただこうと考えた直接的な動機は、次のようなことであった。
 電話にて、自然環境の悪化について話していた時だったであろうか、去年、NHKで放映された『コウノトリがよみがえる里』に大変感動され、その挙句に、その現場、兵庫県豊岡市へ出かけたいと思われたそうなのだ。コウノトリもさることながら、その地域の人々の素晴らしさに痛く胸を打たれ、是非お話がしてみたかったというのである。結局、宿泊施設がないということなどの理由で諦めざるを得なかったそうなのである。
 これを聞いたわたしは、ならば、その番組の録画DVDをお送りしようと思ったのだった。たまたまというか、わたし自身もその番組には感激して録画済みだったのである。
 が、お聞きすると、DVDプレイヤーなんぞはない、そんなものは知らない、という予想通りのつれない返答が返ってきたのである。
 だが、思い立ったら後へは引かない自分である。ならばこの際、と思い今回の「DVD布教活動」に乗り出してしまったのである。
 と言うのも、今後も、お薦めできるDVDコンテンツを送って差し上げれば、傍目からも想像される独り住まいの寂しさが少しでも紛れるであろうし、わたしとのコミュニケーションもより実のあるものになるだろうし、というような思いもあったからである。

 その方は、近所の知り合いに接続してもらうつもりだと言われていた。リモコン操作については、A4の厚紙で念の入った「操作説明カード」を作って添えたため、何とか自力操作ができるようになってくれるものと期待しているのである。
 さてさて、首尾よく進展したとのレスポンスが返ってくるのであろうか…… (2006.12.04)


 師走ともなると、仕事本体というよりも、事務的な作業で何やかやと振り回される。
 幸い、今年は資金繰りで頭を痛めることはなく安堵しているが、賞与の決定やその支給処理、また給与事務関連では年末調整処理など、経理事務処理などが煩わしい。
 というのも、こんなご時世であることと、まあ社員数も大したことはないため、給与事務関係については自分で処理しているのである。アウトソーシングで会計事務所と契約をしていることでもあるし、まずまずの既成経理ソフトもあることだし、こんな業務は社長でもできるとばかりにこなしているのである。
 ソフト会社の社長ならば、経理ソフトのアプリケーションくらい使いこなせなくてどうする、というところである。
 しかも、こうした作業を受け持っていると、社員の残業時間などの勤怠状況も把握できるし、この間の社会保険料の料率が上がって、できの悪い政府を戴くと、社員の給与が減り何とかわいそうなことかと厳しい実情に明るくもなる。大きくなる税金負担についても、実感をもって確認できるというものである。

 それはそうと、給与計算事務をソフトでやらせていると、納税や社会保険料の納付は国民の義務ではあるものの、こうした作業は社員のため、会社のためというよりも、国や自治体のためにやっているような奇妙な感覚となってしまうのである。荒っぽく言えば、何でこんな面倒くさい事務を国民側が背負い込まなければならないのか、ということになる。しかも、税金や社会保険料などが、有難く使われているならばまだしも、「有難く使っている」のは平気で不正をする不届き者の公務員だとなれば、バカバカしい気分が拭い切れないわけだ。こちらの問題の方が気になってしかたがない。
 国民は、きちんきちんと端数まで間違いのないように計算し、そしてまた負担するわけである。ところが、政府や官庁での社会保険料や税金の使われ方は想像を絶するほどに杜撰である。最もあくどいものは、贈収賄事件であろう。
 自分のカネを使う時には、できるだけ安い業者を選別するはずなのに、みんなのお宝、税金が出所となると、競争入札という制度を無視して、自分の懐が膨らむリベートを回す業者に、高くても発注するというとんでもないことをするわけである。今、各地の自治体トップがそうした疑惑で取り調べをうけているのは周知の事実である。
 また、社会保険庁のあまりにも杜撰な預り金運用にしても、とんでもない話であった。全国各地にわけのわからない贅沢な関連施設を作ってムダ使いはするし、その結果の後始末については誰も責任をとろうとはしない。それでいて、年金その他の国民からの徴収額をいつの間にか上げてしまうのだから、信義に悖るとともに、国民の前向きな負担感覚を逆撫でするもの以外ではない。若者たちが、負担に消極的となるのもある意味では無理からぬ話であるかもしれない。

 税金の使われ方については、不正が糾されなければならないとともに、マヌケな使い方を総吟味する必要がありそうだ。
 先日も、ある報道で、「確定申告用」のオンライン・システムが、何十億円もの大金を注ぎながら、ほとんど活用されていないというマヌケな珍事があったと報じられた。税務関係官庁がこれなのだから、話にならないと言うべきである。
 税金が「箱物」への巨大支出としてムダ使いされることには、以前から非難があったわけだが、コンピュータ・システムに関してもかなりグレーの色調を帯びているとのことだそうだ。理由はいろいろとあるようだが、発注側担当者がシステム的知識に乏しく、業者の言い成りになる傾向もなしとはしないようでもある。

 いずれにしても、国民から徴収された税や社会保険料などの使い方が厳しく、しっかりと再吟味されて後に、財政危機なら財政危機が問題とされるべきではなかろうか。イージーに徴収額の値上げに走ろうとする選択は、やはり何の突破口も作り出さないように思われてならない…… (2006.12.05)


 現在、何が重要だといって、「めげない力」や「明朗快活」であることではないだろうか。これらを押し潰さんとする環境全般の悪化が強烈だと思えるからだ。
 昨日も、とある大手ソフト会社の部長と話す機会があり、その際に、社内の技術者たちの中にも鬱病になるものがジワジワと増加しているというような話題が出た。とくに、そうした傾向に陥りやすいのは、技術的に優秀だと見なされてきた者たちなのかもしれないとの観測も出てきた。

 先日のTV番組、NHK『クローズアップ現代』でも、仕事の過激さが集中する30代のサラリーマンに少なくない鬱病患者が出ているとの指摘があった。
 結局、仕事というものは、「できる者」により多く負荷がかかっていく傾向が強い。まして、いま時は、どこの企業でも「収益性」や「処理スピード」が凝視され、職場の中での「できる者」たちには過剰に仕事量が集中する。
 これに加えて、「成果主義」という経営方針が打ち出され、それは本来の目的である能力向上への動機づけよりも、ただただ社内の個人間競争関係だけが煽り立てる結果となっていそうである。
 過剰な個人間競争関係が立ち上がってくると、綺麗事のライバル関係なぞはすっ飛んでしまい、潜在的な足の引っ張り合い、泥仕合がまかり通る。そうでなくとも、どんどん希薄になっていくのが、社内での「コミュニケーション」だということになる。現に、その番組や類似報道でも、現時点での企業内の「コミュニケーション」がズタズタとなっており、その状況が、組織的生産性と問題と個人の精神衛生上の問題との双方に暗い影を投げかけているとのことであった。

 本来、組織的なかたちで仕事をすることのメリットは、「相互連携」に基づく組織力というものが、バラバラな個人のパワーとは比較ができないほどのパワフルさを発揮する点にあると言われてきた。個人の中には、天才的なパワーを持つ者がいたりすることがあったりするにせよ、スポーツや芸術ならばいざ知らず、日常的な仕事という地平では、組織力に優るものは先ずないと言ってよかろう。
 しかも、従来の日本の職場にあっては、良くも悪くも「集団主義」がベースになっていて、それはそれで大きな結果を生み出した事実もあったわけである。そして、現在に至る企業の基本カルチャーは、その「集団主義」の中で作り出されてきたことは否定できない。
 それが、ここ何年かでドラスティックに展開された「リストラ」処置とともに、決して試されてきたこともなかったはずの「成果主義」人事を諸手を上げ是認して導入したわけである。
 これからジワジワと現われてくる「さまざまな歪み」こそが、結局はこれからのこの国の経済水準を左右することになるのだろうと思う。中でも、「集団的な組織力」という生産性の問題、別な表現をすれば「個人間のコラボレーション」の問題がもっとシビァに見つめられていいのだろうと考えている。
 この点は、ソフト開発をプロジェクト方式で推進させざるを得ないソフトウェア業界にあっては、死活とも言える重要課題のはずであろう。

 またもうひとつが、「個人の精神衛生問題」や「個人の能力向上の課題」ということになるが、言うまでもなく、これらの課題の大前提は、個人間の「コミュニケーション」であろう。この点が、ズタズタな状態となっているとするならば、いくら「競争意識」を煽ったところで結果的には奏効しない、と推測せざるを得ない。
 そんな企業がこの時代にあるのかどうかは知らないが、こうした点に意を向けて経営方針や職場環境に立ち向かっている会社は、何年か後には、他社に対して大きな水を空けることになるに違いない…… (2006.12.06)


 先日書いた「独居高齢者にDVD機器を活用してもらう作戦」は、成功裏に事が進展したようでホッとしている。嬉々とした声でのお礼の電話が入ったのである。

 近所の方で、ちょいと電気関係に明るい(何でも戦争中は「電気兵(?)」の経歴がある人だとか)人が難なく取り付けてくれたそうである。そして、すぐさま、お気に入りの『コウノトリがよみがえる里』DVDを、ニ連チャンで鑑賞したそうである。
 もう一年以上も前にTVで放映された番組であったため、最初は記憶を手繰り寄せるために、そして二度目はジックリと画面を鑑賞するために、といった按配だったのかもしれないと想像した。
 いずれにしても自分はその報告を聞きながら、大いに満足し、そして久々に手放しで喜べる明るい心境となったものであった。

 今回は、本命のDVDのほかに、「テスト用」(何がテストなんだか判然としないが、要するにDVDプレイヤーの操作に慣れない人が操作の練習をする際の、というほどの意味だったのである)のDVDとして、『誰がために鐘は鳴る』(市販価格500円!)を同梱して送ったのである。それはまさしく、気兼ねなく操作の練習ができるためという意味であったが、併せて、いま時は、「著作権落ち」が理由で往年の名画のDVDが破格の値段で入手できますよ、というインフォメーションをも込めたつもりであった。
 この点も、見事に伝わったようなのである。こういうモノがあるのなら、昔観た洋画で感動したものをショップで探すこともできると言って明るい展望を語っておられたのである。自分はなおのこと大満足となったのであった。

 独居高齢者が、「文明の利器」を活用して、世知辛く暗いこのご時世にあって、楽しみにできることがひとつでも増えることが喜ばしいことでなくて何であろうか、という思いだったのだ。
 人は、気分が沈んだり落ち込んだりした際に、その事を思い描くだけで、とにかくワクワクしてしまうようなことを「ゲット」しておかなければいけないのである。赤ちゃんや幼子の「おめざ(目をさました時に与える菓子の類)」のようなモノが、大の大人にとっても、まして高齢者にとっては必要な時代のように思えるのである。こんな荒廃した「アナーキー」な時代にあって、犬死のごとくにくじけてはならないからである。

 自分の場合も、「おめざ」の必要性は、あながち他人事ではなさそうだ。塞ぎがちとなる気分を立て直すには、ちょっとした「おめざ」のようなモノで沈む気分を往なすのも生活の知恵としては捨て難いはずではないかと感じている。
 そんな視点で周囲を眺め直してみると、子どもたちや青少年たちがゲームソフトにはまり込むのも、また、街のレンタル・ビデオ屋にはさまざまな年代の者たちが引っ切り無しに出入りしていて、まるで必須の手続きをしなければならないために役所に足を運ぶような光景があるのも、頷けるのである。この時代の人々にとっては、「おめざ」のように、やり切れない気分を往なしてくれるモノがなくてはやってられないのかもしれない。
 そんなモノを必要としない人というのは、正真正銘に恵まれたハッピーな人か、あるいは能天気で鈍感な人か、どちらかであるのかもしれぬ。もっとも、「おめざ」を不正に捻り出そうとして、収賄行為やその他破廉恥な行為に踏み込むのは論外である。

 こうしたことを考える根底には以下のような思いが横たわっている。
 本来を言えば、ストレスをはじめとした時代的なやり切れない気分というものは、それらをもたらしている環境側を変革してこそ元を断つことができる筋合いのものであろう。この正論は、あくまでも正論であり続けているに違いない。
 しかし、時代環境はこじれにこじれて一筋縄では行かなくなっているようである。批判し、糾弾する点を追っていたならば、やがて無力感と絶望感に引き込まれてしまうほどに厄介な水準に達しているような気がするのだ。
 いや、何も時代環境、社会環境の度し難い問題に目をつぶれと言うのではない。その受けとめ方に性急さがあっては歯が立たないだろうと思い始めているのである。文字通り、「タフ」に対処して行ってこそ「歯が立つ」といった筋合いのものかもしれないと見当をつけ始めているわけである。
 その際に、禁物なのは、やたら「〜すべき」というアプローチで理想論から惨めな現実を裁断しては始まらないということ、および自分側が「悲壮感」のみで包まれてしまっても出口なしとなってしまう、ということだと直観し始めたのである。

 そのためには、いきり立つ自分の気分を随時往なして行くことが肝要であり、何かワクワクさせられるような、自分なりの「おめざ」を用意しておくのも知恵だと思うわけなのである。
 今、こうありたいと思う心境を言葉に表すならば次のようになろうか。
「鳩のように柔和で蛇のように慧(さと)くあれ」
なーんちゃってね…… (2006.12.07)


 人とのお付き合いも、感じ良く付き合えたり、付き合うことで良い刺激を受けて励みとなったり、勉強になったりする場合は楽しいものだ。その逆の場合にはイライラが募ったり、不快感に襲われたりする。そして、そうしたお付き合いからは次第に足を遠のけることとなろう。

 ビジネスでの他社とのお付き合いもほぼ同様だと言える。ビジネスなのだから、単なる好き嫌いで済ますことはもちろんできない。が、過去を振り返ると、自社と他社との相性というものもあり、好感の持てない会社さんとは結局長続きはしない。
 好き嫌いというとまるで、わがままなように聞こえるかもしれないが、さまざまなビジネス常識のポイントを総合して、一括的な感覚としてそう言っているのである。そうした感覚をベースに置くことが、日常的なやりとりをスムーズならしめるのであり、その時その時に分析的な判断をしていたのでは間に合わないはずである。
 社風と言ったらいいのか、その会社その会社には、やはり独特の行動パターンというか行動傾向というようなものがあり、同種の事情に対しては同じような対処をしてくるもののようである。大体が権威主義的に自社の条件だけを押し付けてくるような会社は、何がどう変わっても同様のスタンスで迫ってくるものであり、また逆に、常にフレンドリーな相談とともに事を進める会社は、どんな場合にも好感が持てる対応をするものだ。

 こうしたことは、会社の社風ということも影響していそうだが、とりわけ仕事の窓口となる担当者の人柄に大きく依存していると言える。だから、わたしは、共同で仕事を進める際、担当者の人柄などをジックリと吟味させていただくことにしている。仕事そのものの魅力もさることながら、相手会社の窓口担当者の方の良し悪しで、仕事の成果の命運が決まりかねないからなのである。
 仕事には、問題やトラブルは不可避であろう。というよりも、それらの塊(かたまり)を手際良く解消していくそのことを仕事と呼ぶのだと考えている。そんな問題含みの仕事というものを共に進める時に、双方の考え方や感じ方に大きな落差があったのでは所詮うまくはゆかないであろう。共有部分の大きいことが望ましい。
 また、仮にそうしたものに差異があった場合でも、双方が歩み寄るという擦り合わせができれば大きな問題とはならない。だがそのためには、ビジネス・ルールや常識というようなものを双方が遵守する状況がなくてはならない。

 こうしたことは当たり前のことだと言えそうである。だが、経済環境やビジネス環境が激変している現在にあっては、何かとこの辺の当然の事柄がしっかりと咀嚼されずに事が運ばれてしまうことも少なくない。スピードが要求され、時間との闘いという状況がそうさせるのかもしれない。
 まさに目先の形式的な取引条件だけが一人歩きをし、契約が締結され、そして仕事が進展してからさまざまな問題が噴出し、やがて手のつけられないほどの混乱状態に突き進んでしまう、というお定まりコースである。

 あまり他社の事をとやかく言ってはいけないが、昨今は私自身の印象では、仕事の担当者の振る舞いが、かなり定型的でなくなり、乱れはじめているように見える。つまり、かつての「仕事師」(プロ)であれば当たり前のように携えていた業務の基本的知識は無いし、それが原因となってかやたらに間違った判断がなされるし、ありていに言えば、それでよく仕事が進んでますね、と言いたいような光景がないではないのだ。
 もちろん、「こうした方」だと判明した場合には、われわれは可能な限り「緊急避難」することにしている。「触らぬ神に祟りなし」ということである。いくら仕事が欲しいからと言っても、「こうした方」と仕事を進めるならば、多少の売上のために膨大な「フォローアップ」のエネルギーを消費せざるを得なくなることは目に見えているからである。そして、「こうした方」はとかく、相手会社がどんなに責務の範囲を超えて「フォローアップ」をしているかという事実には気づかないときている。それが当たり前だと言わぬばかりの「殿様」でいたりするわけである。
 まあ、いわゆる大手企業という会社に「こうした方」は往々にしてふんぞり返っているものかもしれない。

 しかし、「こうした方々」は、状況が刻一刻と変化していることに意を払わないのであろうか。今や、どんなビジネス分野でも、会社間コラボレーションが当然のこととなり始めている時代だ。つまり、他社が保有するビジネス資源と有効に繋がってゆかなければ、市場が求めるモノを提供し続けることは不可能な時代だと言えよう。人材が良い例であるが、自社内に多種のビジネス資源を抱え込んでしまっては、重っ苦しいビジネスしかできないに違いなかろう。
 したがって、他社との有効なリンケージを作ることこそが、大きなビジネス課題となっているはずである。そのためには、仕事担当者という立場では、自社内での良き結節点であるとともに、社外との関係において気の利いた結節点となって行かなければ良い仕事はできないのではなかろうか。
 加えて、どんなに巨大な大手であっても、すでにこれまであった巨大な下請けピラミッド構造は激変しているはずである。つまり、それらは穴だらけのピラミッドと化してしまっている。多くの中小零細企業が壊滅させられたからだ。少なくとも、大手企業に、最良のクオリティかつ最安価なコストというメリットを提供してきた企業の多くは「討ち死に」しているのではなかろうか。

 くどくどと書いたが、果たして、外部企業のパワーに依存せざるを得ない多くの企業は、外部企業パワーに依存している事実、実態をつぶさに掌握しているのだろうか。ソフト業界にあっても、かつてに較べて、外部パワーに依存する質も量もより緻密に管理しなければならない状況となっているにもかかわらず、かつての大手ソフト会社が行ってきた「外注管理」の緻密さが失われて、かなり劣化しているかの印象が拭えない。
 一般製造業では、「偽装請負」という問題がマス・メディアを賑わしているが、実はソフト業界内部にこそこの種の問題が既成事実として潜在し、膨大な数のソフトウェア技術者派遣を「中途半端な形」で不完全燃焼させているようである。
 収益至上主義が、システム構築の質の向上を妨げていたり、今後ますます必須となる質の向上に足枷を作っている現状を、一体誰が長期的展望をもって観察しているのであろうか。そう言えば、最近は「IT大国」という言葉を誰も口にしなくなったようだ…… (2006.12.08)


 小雨まじりで冷え込んだ朝だ。そんな中を傘を携えてウォーキングに出た。こんな日はむしろ身体を動かし、汗でもかいた方が一日のボルテージが高まるであろうとの思いがどこかにあった。
 歩道を行くと、街路樹の銀杏が眩しいほどに黄色の光を放っていた。ついこの間に較べると、枝に残る葉の量が気の毒なほどに少なくなってきたのがわかる。その分、同色の落ち葉が、雨で濡れ黒色となったアスファルトに積もっていた。
 ふと、これら銀杏の存在が、街の人工的環境の中で唯一自然を象徴する存在のように思われてきた。いや、銀杏の樹だけを自然だと見なすのは科学的でないことはわかっているが、こんなにわずかな時間経過で、見る見る変化していく銀杏の葉の変容が、季節とともに変化し続けている自然全体の指標のように思えたのであった。
 大袈裟に言うならば、自分は、この銀杏の樹の変化を通して、大自然の動きを垣間見、感じ取るべきなのかもしれないと思ったようである。
 人工的な施しがない自然環境のど真ん中に居たならば、晩秋が刻々と初冬から冬そのものへと移行してゆく気配を、当然のごとく感じさせられるはずである。しかし、多くの自然物を除去してしまったり、ことごとく人工物で覆い隠してしまった都市環境にあっては、大自然の鼓動とでもいうものがなかなか感じ取れなくなっている。
 そんなものはどうでもいいと言ってしまっては身も蓋もなくなる。だが、決してどうでもいいことではないような気がしている。そう感じるのは単なる感傷でもなさそうな気がしている。われわれは、何か大事な指標を手放してしまって「悪あがき」をしているというような妙なイメージがよぎるのである。
 人はどこまで行っても、やはり自然の一部なのであり、茫漠とした大自然の広がりを意識せずしては何ひとつ理解できないのが人というものなのではないかと……。

 今日は、寒々とした川原や川面にコサギが群れをなして飛来していた。コサギの姿というのは、色は真っ白で、ほっそりとした撫で肩の恰好は、静止して佇んでいるとまるでやや大きめな「徳利」のようにも見える。どうもこれが、都会人の視覚なのかもしれない。それで一羽であればまさに置き去りにされた徳利が川面に立つ、ということになるが、何本もの「徳利」ともなると今度は別のものに見えてきたりもする。あえて言えば、ボーリング場の倒し残されてしまったピンのようだとも……。今日は、寒々とした薄暗い「レーン」に、そんな「ピン」が何本も突っ立っていたものであった。
 それにしても、この川にはそんなに彼らが押し寄せて来るほどに生餌が生じているのだろうかと意表を突かれる思いがした。冬場に、カモメが飛来することは承知しており、そのお目当てが放流されているコイであることも知っていたが、コサギたちが食する小魚が少なくないというのは予想外であった。確か先日にもコサギと小魚の事は書いたこともあったが、そのような関係が決してたまたまということではなかったということになりそうだ。そうしてみると、この川、境川も次第に汚染が収まってきているのかもしれない。小さなことではあるが、喜ばしいことである。
 都市を通過していく川に野鳥が群れる光景は、きっと人々に自然の存在を気づかせ、やがてそうした自然、大自然に自分たちもつながっているのだという事実を想起させるきっかけにならないとは言い切れまい…… (2006.12.09)


 先日、いつもよくDVD録画を撮って楽しんでいるNHKのある番組で、売れっ子の「コピーライター」が、何と「種田山頭火」の「句」が「コピー(広告文、宣伝文句)」を創作する上で非常に刺激となると語っていた。
 自分も「山頭火」は好きであるが、まさか「コピーライター」が関心を寄せるとはこれまた意表を突かれたものであった。なんせ、「山頭火」とは、「消費至上主義」の現代生活に最も縁のない「漂泊の俳人」だったからである。
 といっても、その「コピーライター」は、決して、よくある薄っぺらな「意表突き屋」の仕業をしようとしているようではなかった。よくあるのだ、思いつきのように他分野からもっともらしい材料を引っ張ってきて、根拠薄弱であるにもかかわらず取って付けたような能書きを並べ立てるというパフォーマンスをやる者が。
 だが、この「コピーライター」は、若い頃から「山頭火」を読み、のめり込んでもいたそうで、後日「コピーライター」を職業とした時に、改めて「山頭火」の鋭い感性、人の心を瞬時に鷲掴みする並外れた言葉遣いに、気づかざるを得なかったという経緯のようなのである。そして、自身が「コピー」制作で呻吟するようになり、「山頭火」の天才性を再認識し、自身の創作活動の支えにしようとした、というのが実情のようである。

 確かに「山頭火」の句には、誰よりも自然風景のイメージを短い言葉で射抜いたものが多く、あるものは「観光業」や「旅行業」、「JR」などのTVコマーシャルの「コピー」としては素晴らしいお手本になりそうなものがある。
 たとえば、
「分け入っても分け入っても青い山」「海よ海よふるさとの海の青さよ」「ふるさとの夜がふかいふるさとの夢」「ふとんふんわりふるさとの夢」「からだながしあふあつい湯がわいてあふれて」(さすがにNGとなるであろうがこういうのもある、「ちんぽもおそそも湧いてあふれる湯」……)などなど、自由律不定型句であるだけにそのまま商業「コピー」としてのインパクトが発揮されるものも少なくない。
 前述の「コピーライター」は、「山頭火」の句集には必ずといってよいほど出てくる写真、法衣をきた「山頭火」の後姿の写真と、次の句は、「コピーライター」にとっての命でもあるポスターとして仕上げるならば非の打ち所がないものができる、と語っていたものだ。その句とは、「うしろすがたのしぐれてゆくか」である。
 わたしが、「山頭火」の句をいまさらのように感じ入ったのは、確かこの日誌でも書いた覚えがあるのだが、句がそれにふさわしい写真(素晴らしい写真家[真島満秀氏]である)と見事に組み合わせられて編集された句集を手にした時なのであった。
 決して「山頭火」の句が句だけでは不十分だということが言いたいのではない。想像力を助けるビジュアルなイメージが添えられると、まさに「非の打ち所がない」情感のインパクトで打ちのめされるからである。これこそが、本来的な「マルチメディア」だと言えそうである。

 ところで、わたしは冒頭で「意表を突かれたもの」だと書いたが、実はこの点について関心を向けたかったのである。
 現代という時代環境にはさまざまな新しいスタイルの創作活動が生じている。「コピーライター」もそのひとつだが、新しい創作アプローチや職業が、新しいビジネス・ニーズ、新しい技術要素などの登場とともに数え切れないほど現れている。
 そして、これらは「新しい」という先入観のもとに、闇雲に新しい材料ばかりが追求されて、過去を振り返ってみるという当たり前の視野を閉じてしまっているかのようである。ところが、これが意外と盲点となっているような気がするのだ。
 つまり、アプローチや手法が新しいからといっても、それらが扱い、対象とするものはと言えば、人間にとっては人間的な事実以外に何があるというのだろうか。そして、そうした人間的事実こそは、過去の気の利いた天才たちが「素手で」鷲掴みにしていたりしたのである。だから、そうした過去の宝庫を、現代の「フロンティア」たち、またはそうした職業に勤しむ者たちはもっと「お宝」として重視してよいはずだと思うのである、テクニックの斬新さだけを追い求めるのではなくて…… (2006.12.10)


 現在のこの国の経済状況を一言で言えば、<これまでの戦後最長だった「いざなぎ景気」を追い抜く>景気だそうである。大手企業の収益は拡大し、冬のボーナスもズッシリとしたものだとも聞く。

※<11月の月例経済報告、景気拡大は戦後最長に──消費判断は下方修正
 大田弘子経済財政担当相は22日、11月の月例経済報告を関係閣僚会議に提出した。会議後の記者会見で大田経財相は、2002年に始まった今の景気拡大が今月で4年10カ月となり「いざなぎ景気の期間を超えた」と強調。これまでの戦後最長だった「いざなぎ景気」(1965―70年、4年9カ月)を追い抜いたと表明した。
 11月の月例報告は7―9月期の個人消費が前期比マイナスに転じたことを反映し、景気の基調判断を前月までの「回復している」から「消費に弱さがみられるものの、回復している」と1年11カ月ぶりに下方修正した。ただ大田経財相は「回復基調に大きな変化はなく、今の時点で景気が腰折れする懸念は極めて小さい」と先行きに楽観的な見通しを示した。……>(11月23日/日本経済新聞 朝刊)

 ただ、この記事を読むだけでも、<個人消費が前期比マイナスに転じた>という点が気になるところであろう。このような威勢の良い「景気拡大」でありながら、なぜ「個人消費」という内需の要の数字が伸びていないのであろうか? きわめて「おかしい」事実だと言わなければなるまい。事実、「個人消費」は、「家計調査」でも「新車販売台数」でも、「前年同月比率」という視点での調査では、若干の期間の例外はあったものの、90年代末から今日に至るまで概してマイナス側を推移していると見受けられる。(総務省発表資料)
 こうした傾向を踏まえるならば、現在の「景気拡大」という現象の奇妙な正体が垣間見えるというものである。

 つまり、現在の大企業の収益拡大は、本来的な内需への依存ではなく海外市場への依存によってもたらされているのではないかという点がひとつである。これ自体は悪いことではなかろうが、そのために犠牲にしているものはないかが問われるべきであろう。
 海外企業との「競争」で勝ち抜いているのだから「コスト・ダウン」の成果が含まれているに違いないとも見るべきであろう。
 そして、その「コスト・ダウン」戦術を奏効させたものは、いろいろな根拠が並べ立てられもしようが、要するに、「人件費削減」「労賃削減」が巨大なファクターだったはずなのである。これが、二つ目の点である。
 そして、この二つ目の点こそが、最終的に、国内の「個人消費」を低迷させている大きな原因につながっていると推定されるわけなのだ。しかも、この側面の問題は、社会の下層に大量の「ワーキングプア(努力して働いても報われない人々!)」をも作り出し、新たな経済低迷の芽を日毎に拡大させているとも推定しなければならない。
 こうした危なっかしい「景気拡大」が推進されているのが現在であり、「格差社会」が問題とされる最も大きな社会的危険は、実はここにあるのだと見なせよう。つまり、現在の「景気拡大」とは、残念ながら国民各位が拍手を送れるようなものではないのだ。国内での大量の貧困犠牲者と、将来の社会不安とを引き換えにしながら推進させられている、という図式のようなのである。それに、こうした図式は、広く国民に知らせながらの推進ではなく、綺麗事の言葉であった「痛み」がどうこうというようなたぶらかしで、なし崩し的に推進させられてきたことが嘆かわしい。

 昨晩、NHKのTV番組『NHKスペシャル ワーキングプアU 努力すれば抜け出せますか』という良心的、かつ良識的な番組が放映された。何かと政府に肩入れをしがちだと感ぜられるNHKが、こうした番組を継続させるのは、それほどに、この問題が近い将来、社会全体、国全体に大きな禍根を残す由々しき問題であることを自覚せざるを得ないからだと思われた。
 第二回目のこの番組が注目していた対象は、3領域(女性ワーカーの苦痛、中小零細企業の苦痛、高齢者たちの苦痛)の「ワーキングプア」たちであったかと思う。いずれもが、「グローバリズム」、「既成緩和」、「競争社会」、「自己責任、社会保障削減」というスローガンでなされてきた、要するに「構造改革」路線が、しっかりと刻印してきた社会矛盾なのである。
 10歳、12歳の男の子を抱える母子家庭の母親が、自力で生活費を得るために、昼と夜の複数のパートをこなし、子どもたちが自立できるまでのあと10年は、大丈夫であろうがなかろうが、やるしかない、ともらしていた。わたしの耳には、あたかも懲役10年というような悲痛な響きさえ伝わってきたものだった。
 「グローバリズム」のうねりが、中国の安価な衣類や、安価な労賃の労働力をもたらし、繊維・衣料関係の中小零細企業や自営業者たちの最低限の工賃水準を突き崩し、廃業へと追い込んでいる事実は、全国各地にますます増加している「シャッター」が降ろされた商店街の悲惨さとともに、胸に迫るものがあった。
 さまざまな事情で「年金」が得られなかったり、たとえ得られても少額であるために、70歳、80歳の高齢者たちが、「空き缶」集めで月に一万円〜二万円を必死で稼ごうとしたり、公園清掃のパートに精を出したり……。あるコメンテーターが指摘していたものである。こうした悲惨さは、現在の高齢者だけにとどまるはずはなく、今の若い「ニート」や「フリーター」の何十年後の確実な将来像でもある、と。

 この番組は、現在のこの国の恥ずべき真実を照らし出した、TV番組ではほとんど唯一のものではなかろうかと思う。多くのマス・メディアは、本来言うならば、こうした兆候をこそ国民にいち早く報じるべきであるが、やっていることは、金儲けのCM受注売上に現を抜かし、そのノリで愚にもつかぬ能天気なゴミ番組ばかりを投げ散らかしている。
 まあ、そもそもが、政府自体が、こうした「ワーキングプア」の実態調査自体を避け続けて、「景気拡大」「景気拡大」の念仏を唱えているのだから、恥知らずだと言われてもしかたないのかもしれない。
 現在、米国、ブッシュの「イラク戦略」が、完璧に「行き詰まり」であるとの認識が、昨今マジョリティとなりつつあるようだ。「グローバリズム」経済という、現在はこれしかないという決めつけられ方をしている経済概念も、やがて批判的に受けとめざるを得なくなるような新しい時代が、いつになれば来るのであろうか…… (2006.12.11)


 人が喜ぶ姿に接することは、誰にとっても至福の喜びであるのに違いない。最近のわたしにもそんな実感が与えられた出来事があったりした。なあに、大したことではなく、ここに書くには及ばないようなことであった。しかし、そう言えば、こんな感覚は薄れていたのかもしれないな、と自覚したものであった。
 もし、世知辛いこの時代に、人々がこのことを肌身で感じられたなら、多少は過ごしやすい世の中になろうというものだと思えたのである。

 と、こう考えた時、待てよ、そもそも「仕事、働く」というのは、報酬を得るというだけではなく、あるいはまた自身の能力を高めるということだけでもなく、他の人々が欲すること、つまり「してあげれば喜ぶこと」(傍[はた]楽[らく]!)に身を呈するということではなかったかと、改めて気づいたのである。
 そして、現在の時代環境は、このことの貴重な意味を蔑ろにしていそうだと思い至ったのである。誰もが、働くということは、何はさて置き「報酬」を得ることなのだと了解させられている。いつの間にか、こうした了解がきわめて強烈なものとなってしまったかのようである。それほどに、人々が働くという環境そのものが、金銭で露骨に支配される土壌となってしまったわけだ。

 この風潮の中で、「豊かな社会」特有の特徴まで洗い流されてしまった観がありそうだ。つまり、生産力の高まった時代、すなわち「豊かな社会」の時代にあっては、人々が働く理由は、報酬を得ることよりも、個々人が「自己実現」をしたり、自己の能力を向上させるといった関心の方が切実となる、と言われてきた点は、どうもどこかへ行ってしまったような雰囲気でさえある。リアルに言うならば、人々は、自身の「自己実現」なぞよりも自身の「日々の糧」を確保することに汲々とし始めたということなのだろうか。
 とともに、人々は、自身の「自己実現」という関心事や課題を放棄しはじめていることと表裏一体の形で、「人に喜んでもらう」という仕事本来の動機さえ虚ろなものとさせてはいないかと案じるのである。
 極端に言えば、働くことへの動機と、働くことの動機づけが、専ら「報酬」という金銭の多寡が基準となったり、いろいろなノルマに引き回されたり、終局的には失職するという恐怖に脅かされたり、といったかなり形式上の関心へと移行しているようにも見えるのである。
 いや、こうした傾向は、働く者たちが咎められる筋合いの問題ではなく、むしろそうあらざるを得ない労働環境を作り出してしまった時代側に不具合があると言うべきなのであろう。

 まあ、複雑なことはおくとして、今ここでは、「人に喜んでもらう」という仕事本来の動機に目を向けたいのである。というのも、働く者にとって、いや人間にとって、他者に喜んでもらうという事実ほど貴重なものはないはずだからである。
 そして、この「ありがとう」と「いいえどういたしまして、こちらこそありがとうございました」という充実した相互関係こそが、人々を生かす(活かす)土壌だと思えてならないのである。ボランタリー活動、NPOなどは、まさにこの発想に立脚しているのであろう。
 人は、身体を維持して行くために「日々の糧」を必要とし、そのためにも働かなければならない。しかし、「日々の糧」のリストの中には、「心にとっての糧」(やる気と言ってもいい)というものが明記されているはずであろう。でなければ、労働力の質は日毎に劣化して行くものだと推定される。
 この「心にとっての糧」となるものはいろいろとあるだろうが、何よりも大きい存在が、お客さんなどの相手の人に喜んでいただくこと、要するに「人に喜んでもらう」という契機のはずである。

 昨今のスポーツ選手は、勝利者インタビューなどで盛んに「ファンの方々のお蔭です」と口にする。これはあながちサービス・トーク、セールス・トークだけではなさそうで、きっと選手自身が心の励みと感じているからに違いないのだと思われる。昨今では、アスリート(陸上競技選手)でさえ観客の手拍子を求めたりしており、静寂こそが集中力のために必要なのかと思っていたから意外であった。観客の応援と一体化してこそパワーアップが図れるという事実を示すものであろう。
 現代の仕事環境は、分業その他の事情もあり、自分が関与する仕事が一体誰を喜ばすことになるのかが判然としないケースも少なくなかろう。しかし、サービス産業分野は裾野が拡大しており、その気になれば自身の仕事の成果をすぐそばで受けてくれる顧客がいたりもする。
 仕事は「報酬」のために我慢して耐え抜くもの、往なすもの、「報酬」を得てからそれで「心にとっての糧」をも買えばいい、と考えるのかもしれないが、みんながみんなそうするならば、いざ「報酬」を手にしたところで、今度はその先で待つ仕事師たちの中に「人に喜んでもらう」と心得た仕事師がいる保証はないのではなかろうか。いるのは、自分と同じような味気ない仕事師だけだったりしてね…… (2006.12.12)


 明日は、仕事の都合をつけて休暇をとるつもりだ。私的なことであるが(いや、ここに書くことはみんな私的なことであった)、家内の実家、千葉の義母のお見舞いに行くつもりなのだ。義母は特に病気で伏せているというわけではないが、90に近い高齢で、老人用施設に入っている。あまり年の瀬が押し迫ってからというのもあわただしい気分なので、この辺でと考えたのである。

 ついては何か土産となるものを持って行きたいと思い、ふと思いついたのが、花の写真であった。実は、先々月に伊豆の河津へ行った際、その地にあった「バラ園」で久しぶりにまあまあ気に入った写真が撮れたのである。
 ちなみに、その「バラ園」は、河津市が市を上げて思い入れと「資金入れ」とをして観光用に作り上げた立派なフランス式庭園の「バラ園」(「河津バガテル公園」)なのである。「1100品種6000本」のバラが育てられている。
 何でも、「パリ・バガテル公園のローズガーデンを忠実に再現したバラ園」とかであり、「パリ・バガテル公園を象徴する建物(オランジェリー)」を再現したいかにもフランスの香りといった建物も素晴らしいものであった。開設に当たっては、フランスから職人さんたちを招き、じっくり腰を据えて設えたのだそうだ。
 最近では、海外に出向く人が多くなったので、現地で現物を楽しんだ人たちも少なくないのであろうが、なんせ出不精な自分なぞは、萩原朔太郎と同様に「ふらんすへ行きたしと思えども、ふらんすはあまりに遠し」の部類なので、国内の河津で有難くフランス式庭園を拝見してきたのであった。自分なぞは、一度出向いた場所にはさして再び訪れたいとは思わない性質だが、この庭園だけは、またいつか来たいと思ったものだった。

 こんな自分を天は憐れんでくれたものか、その日の天候は信じられないほどに「南フランス」のような(と言ってもTV画像で見たに過ぎないが)晴れやかなものであった。前日が小雨まじりの寒い天候であったのだから驚かされたものだった。
 そして、これが、この陽光が、わたしのカメラ熱に拍車をかけたのである。大袈裟ではなく、真夏のような鮮やかな照度であり、しかも、真夏には絶対にあり得ない透明感のある青空と、まさしく浮かびながら流れるといった白い雲などが、ただでさえ見事な庭園の情景に、惜しみないエールを送っているといった幸運だったのである。
 で、わたしは、カメラのブレる心配が皆無の状況の中で、観るバラ観るバラを、まるでそれらを飛び巡る昆虫のような気分ともなりながら撮りまくったのである。
 結構気に入った写真が撮れたことは、帰宅直後にPCでチェックした際確認していたものの、そのプリント・アウトは手つかずのままとなっていた。

 そのフランス風の明るいバラの花の写真を、目が不自由になり始めている義母のために持って行きたいと思い至ったのであった。もちろん、通常の写真サイズでは楽しんでもらえないと思い、思い切って「A4」サイズの光沢紙にプリントすることにしたのである。そこまで大きなサイズでプリントするからには、よほどピントに狂いがなくシャープな画像となっていなければ恥ずかしい。ところが、前述したとおり、当日の天候は信じられないほどに高い照度を与えてくれていたため、一部の駄作を除き、ほとんどのものが絞り込まれた「絞り」によって実にシャープな画像となっていたのである。
 これらを数枚、プリント・アウトした後、自分は、その「A4」サイズの光沢紙をスッポリと封印するかのような「ラミネート」加工までしたのである。壁に沿わせて飾るにしても、額に入れる物々しさよりも、「ラミネート」加工のパネルとなっていた方がふさわしいと思えたからなのであった。

 義母が暮らしている老人用施設は、清潔感あふれた快適なビルではあったが、そこは全国のこうした施設と同様に、何かと気が塞ぐような事が少なくないらしい。会話が途切れず、明るい笑い声が絶えない、というような雰囲気は望むべくもないらしい。
 だから、せめて、個室の壁のいたる所に「南仏風」の明るいバラの花が咲き乱れているならば、少しは気晴らしとなるのではなかろうかと…… (2006.12.13)


 この年の瀬、みんな何を考えているのだろうか?
 もちろん人さまざまであろうが、「あなたの考えていること当ててみましょうか?」と言って継ぐべき二の句として大方決まっているのは、「お金のことでしょ、なんかラクして儲かることはないかっちゅうワケでしょ」なのであろう。

 現代でも「3億円宝くじ」というものが、庶民のどうしようもない落ち込んだ気分の向かう先としての受け皿となっていそうである。
 この点は遠い昔も変わらず、落語なんぞによると「富くじ」というようなものがあり、江戸庶民の淡い夢を、支援したり、たぶらかしたりしたそうである。自分が好きで好きでならなかった「富久(とみきゅう)」(金原亭馬生[志ん生の息子、志ん朝の兄]のものが最も良い)の話は、テープがすり切れるほど聴いたものである。
 その話が好かれる理由は、本来ならばあり得ない「ツキ」に見放された者が、泣きっ面に蜂のアンラッキーにいたぶられながら、最後の最後のドタン場で、一発大逆転を掴むという点以外ではなかろう。
 今、「本来ならばあり得ない」と書いたが、まさにその通りであろうかと思う。「ツキ」とは、目くじら立てて必死の形相で追い求めたって掴めるものではなさそうである。そういう姿勢や雰囲気で迫るならば、ますます遠のいて行ってしまうものだと言えるかもしれない。しかも、それにはそれなりの根拠もありそうな気がする。

 そもそも、「儲」けるという漢字は、「信者」なり「人・諸(諸人)」なりと解することができ、いずれにしても、「多くの人々との人間関係」というものを指し示しているかのごとくである。ということは、「儲ける」ためには、「多くの人々との人間関係」を交えなければならないということであり、「儲け」を「目くじら立てて必死の形相で追い求める」ような「雰囲気の悪い」、さらに言えば「恐い」人間には、人は寄り付かないから、「ツキ」も「儲け」もあったものじゃないということなのであろう。
 それからもうひとつ、「目くじら立てて必死の形相で追い求める」姿勢というのは、当人はそれが最も理に叶っていると信じて止まないわけだが、果たしてそうなのかという疑問が生じるのだ。
 「結果」としての「儲け」を「求める」というワケであるが、「結果」だけが頭の中で渦巻くのだから、そのこと自体によって、いっさいの「プロセス、過程」への注目や観察が完璧に蔑ろになってしまうことが避けられないであろう。となれば、「プロセス、過程」の延長としての「結果」に望ましいものがくるかどうかは皆目わからない、ということであろう。「闇雲」の構えで事に迫るということなのだから、ますます「ツキ」から遠のいてしまうはずである。
 いずれにしても、「目くじら立てて必死の形相で追い求める」姿勢、熱くなってしまう姿勢というのは、「ツキ」に近づく上では最も避けなければいけないものなのであろう。では、どういうアプローチが最適なのであるか。そんなことがわかっていれば、土台こんなことをくどくどと書いてはいないで、あり余る「ツキ」の成果を享受して遊び呆けていることであろう。

 ただひとつ言えそうなことは、「虚心坦懐に面白がる」という姿勢となることなのかもしれない。「ツキ」が離れて行くとそんな悠長なことをしてはいられないはずではある。しかし、そこでこそ凹む気分を、「無心」となって振り払うこと、「虚心坦懐」となることなのであろう。
 が、これは言うまでもなく「宝くじを当てる」ことほどに難しい。しかし、「宝くじを当てる」ために、「宝くじを当てる」ほどに難しいことをやらなければならないというのは、実に道理に叶った話だとは言える……。
 ここで、冒頭の落語の話、「久さん」のご登場になるわけだ。
 この「久さん」こと、どうしようもない太鼓持が、借金尽くめ、出入り禁止などなどで出口なしのドタン場に追い込まれながら、最後に「ツキ」を呼ぶ道理があったとするならば、それは唯一、「遊び心」だったのかもしれないと思うのである。それは、厳しい現実をそれとしてしっかりと受け止めないという、浮いた了見というような意味ではない。いや、そうした了見と無関係かと言われれば説明に困る。
 「久さん」の「遊び心」とは何か。「久さん」は、どんなに困窮のどつぼに嵌ってしまっても、芸人として慣わしなのであろうか「大神宮様の神棚」を大事にしていたのである。ここに、なけなしの銭で買った「富くじ」を収めていたのである。と言っても、信心なんぞという高級なものなんぞではない。それは、「どうぞ富くじを当ててください、もし当たったら、立派な金の鳥居を建てて……、なんて大神宮様を騙したりしてね」と白状しているところからもわかるのである。
 じゃあ何かというと、「困窮のどつぼ」の中に居ても、芸人たちの慣わしに思いっきり沿ってみたり、火事見舞いに行けば出入り禁止が解かれるのと違うかと算段してみたり、はたまたその旦那の家で無邪気にはしゃいでみたり、要するに「困窮のどつぼ」に嵌っているとは思えない「心のゆとり」めいたものを見せるのである。それを「遊び心」だと言ってみたいのである。本来的な意味での「ユーモア」だと了解してもいいし、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」のことわざのお隣さんの心境だと言ってもいいのかもしれない。

 まあ、かくして「久さん」は、「この暮れに千両、おめでたいな〜、おい、久さん、どうするぃ」と言われて、締めの言葉を吐くのである。
「へぇ、これも大神宮様のお陰でございます。ご近所のお祓い(=お払い)をいたします」…… (2006.12.14)


 昨日は、家内のお母さんを千葉の「ケアハウス」までお見舞いに行ってきた。滞在時間は二時間ほどであったが、その前後に交通に要した時間が片道二時間以上であったため、やはり一日仕事となった。結構な重労働となるが、家内は、これを毎週泊りがけで続けている。
 ちなみに、「ケアハウス」には、食事・入浴付きの老人マンションという一般的なケアハウス(「軽費老人ホーム」)と、介護保険が利用できる特定施設入居者生活介護として認可された施設(「有料老人ホーム」)とがあるようだ。義母が過ごしているのは前者の「ケアハウス」である。
 今や全国各地にはこうした「軽費老人ホーム」、「有料老人ホーム」が賑わっているようだが、一般的な話を聞いても、さまざまな問題が潜伏しているようである。中には、何千万円もの初回一時金を払い、加えて月々高額な費用を負担しなければならないものもあるそうだ。それで万事快適な余生が過ごせるのならまだしも、住環境に問題があったり、ケアのあり方に問題があったり、はたまた豊かな会話に乏しい人間関係であったりと、悩ましい問題が少なくなさそうなのである。

 幸い、義母が暮らす「ケアハウス」は新しい高層ビルで、個室も日当たりがよい。また、ケアのあり方も充実している方なのであろう。
「毎月、こんなスケジュールになってるのよ」
と言って、行事スケジュール表を見せてくれたが、今月は、クリスマスの催しや餅つき行事なども盛り込まれ、精一杯喜んでもらおうとしている施設側の熱意が感じられたものだった。
 ただ、やはり共同生活をする施設という点には変わりがないのは言うまでもない。いろいろな形ではあっても、長年、個人生活を営んできた人たちが、こうした空間で暮らすということは、安全という点を考慮してもやはり窮屈でストレスが溜まる生活なのだろうと感ぜざるを得なかった。
 どういうものか、今回は、もし自分がここで暮らすとしたならば……、という想像が何度も立ち上がってきたものだった。
 ちょっと以前までは、そんな想像なぞ浮かぶ余地はなかったはずである。歳をとったとしても、あくまでも元気で自立しながら、最悪の場合でも好き勝手に独居老人として突っ張って行くつもりであった。いや、今もそのつもりでいる。
 が、そうした「確固たる信念」があるにもかかわらず、さしあたって無用な想像が生じるのは一体どうしたものなのだろうか。
 ひょっとしたら、去年の「体験入院」のことやら、このニ、三年で経験することになった成人病関連の身体の不調が「信念」の壁のどこかに、微妙な「クラック」を生じさせていないとは言えないと思えた。

 それにしても、自分なぞは、まるっきり、歳をとって人の手を借りなければならなくなる時のことに目を向けてこなかったことを自覚する。それ以前に、老後の生活などという今や社会的にシビァな問題となっている事柄に関しても考えることを回避してきたようである。
 もちろん、今現在は、身体に支障が生じているわけでもないし、まだまだ経済活動に関する現役なのであるから、そう悲観するばかりが能ではないと確信している。が、それにしても、かなりの能天気さでやり過ごしてきた観は否めないと思っている。
 こんなことに思いを巡らせていたら、現在のこの国の悲惨な現実についても、別の見方をする必要あり、かと思えてきたのであった。
 確かに、現在の「年金制度」問題、「高齢者介護」問題、そして「社会福祉」の劣化問題などの主たる責任は、関係当局や政府の杜撰さや無計画さにあったことは間違いない。しかし、それらを結果的に許してきてしまった国民側にも問題なしとはしない。まして、真っ先に高齢化時代の第一弾となる「団塊世代」自体が、もっと来るべき将来の社会問題として大騒ぎすべきだったのではなかろうか。
 なぜ、そうしたほぼ必然的に訪れる社会問題を、それをそれとして予測し、事前の策を講じる聡明さが発揮できなかったのであろうか。
 たぶん、自分自身もそうであったに違いないのだが、どこかで誤った姿勢を営々としてとり続けてきたからなのかもしれない。それは、<経済主義と私生活主義を掛け合わしたような価値観>(当日誌の 2006/04/18/ (火)の表題)が作り出す姿勢であったような気がしてならない。
 そして、時代や社会の皆がこぞって引き受けざるを得ないような「公共」的問題に対して、あまりにも能天気な振る舞いで蔑ろにしてきたのかもしれないと思うのである。

 こうしたことを強く再認識するがゆえに、「 2006/04/18/ 」にも引用した寺島実郎氏の自己批判的コメントを再度引用しておきたいと思う。

<この世代が身につけた価値観を凝縮するならば、一つは経済主義といえる。もちろん個人差はあるが、団塊の世代が育ち、生きた時代は、日本経済が復興から高度成長に向かう時代であった。政治的にはイデオロギーの対立の時代でもあったが、敗戦を「物量の敗戦」と総括した国民の唯一のコンセンサスは「経済的豊かさの実現」であった。松下幸之助が提唱したPHP(繁栄を通じた平和と幸福)は、この時代の日本人の心に響いた。それ故に、この世代が身につけたものは、程度の差こそあれ、「経済」への思い入れであり、「拝金主義」ともいえるほど経済的価値を重視する傾向を内在させた。
 二つは私生活主義である。私生活主義は個人主義とは異なる。個人主義とは全体が個を押しつぶそうとしても自らの思想・信条を貫く意思に満ちたものであるが、私生活主義とは「他人に干渉したくもされたくもない」というライフスタイルにすぎない。強制や抑圧のない社会と戦後民主主義という環境に育ち、個としての自己主張を身に付けているが、国家や社会の不条理を味わい尽くす体験をすることなく生きてきたことによる虚弱さを内在させている。山崎正和は「柔らかい個人主義」と呼んでいたが、現実は田中康夫の「なんとなくクリスタル」に近い自分の身辺事象へのこだわりというべき心象風景を内在させた世代といえるであろう。
 厳しく自画像を描くならば、戦後日本人の先頭世代として、経済主義と私生活主義を掛け合わしたような価値観の下に行動を選択し、戦後日本なる状況を形成してきた。確かに、音楽や文化などの領域で新しいものを創造した面もあるが、団塊の世代が何かを創造したのかを自問するならば、何かをやり残しているとの思いが強い。>

<我々の周りには、定年を前にして、蕎麦打ちや陶芸に打ち込んだり、急に家庭的な生き方に回帰する人間が増えた。悪いこととは思わないし、内省から生まれるものへの期待もある。だが、私生活主義から一歩も出ない老成ならば問題である。団塊の世代が「傘の雪」となって後代世代にのしかかるのか、社会を支える側に回るのかによって高齢化社会の様相が変わるといっても過言ではない。
 それを「新しい公共」と呼ぶべきが、国家とか権力による強制ではなく、主体的参画によって公的分野を支える行動を志向することが鍵となろう。官対民という構図だけで議論することが多いが、実はいかなる社会においても、官と民の間の「公共」という分野を誰かが支えないと人間社会は成り立たない。団塊の世代が、地域社会の文化・教育・福祉から地球環境まで、もう一度眼を向け直して、自らの関心と適性を判断して、何らかの形で公共という分野で汗を流す方向に向かうならば、高齢化社会は暗い展望に引き込まれる必要はない。カセギ(経済的安定)とツトメ(貢献)は大人が大人である要件であり、そのことを担う団塊の世代の最期の転機における覚悟が問われている。私は「一人一つのNPO」という志を持って、自分の能力、性格、趣味にあった形での参画が鍵だと思っている。>(寺島実郎「団塊の世代の正念場」世界 2005年12月号 連載「脳力のレッスン」より)
…… (2006.12.15)


 昨日は、おふくろの83歳の誕生日であった。
 すでに、誕生日の贈り物は購入していたが、昨日、おふくろは孫たちのお呼ばれを受けて外出していたので渡せずじまいであった。それで、今日届けに行くことになった。
 今回は、ちょいと変わったものを用意していた。何という名前なのだかは了解しないのだが、就寝時に首や肩の寒さを防ぐという衣類なのである。これは、寝相の悪い自分も使った覚えがあり、この季節ではありがちな首や肩が妙に寒いという不快さから確かに解放してくれる効果があるのだ。
 衣類関係や、バッグ、小物入れ、財布などはすでにいくつも持っていそうだし、あまりにもありきたりなので、ちょっと目先の変わったものをと考えていて気づいた代物なのである。
 老人は、とにかく風邪を引いてもらうとやっかいであるし、おふくろはどういうわけか暖房があまり好きではないときている。だから、寝る時に、布団を掛けてもスースーとして防げない首回り、肩回りの寒さがカバーできれば寝つきもよくなろうというものであろう。
 届けに行ったついでに、身につけるとどんなふうになるのか興味もあったので、
「開けて、身につけてみたら」
と促した。
 おふくろも、どんなものなのか興味があったとみえて、
「じゃあ、開けてみようかね」
と言った。急く気持ちがあるかのようで、包みを開けていく手振りはうわついていた。やがて、セロハンを透して中が見えるようになると、
「へぇー、いい色じゃない」
とまんざらでもなさそうな声を出した。
「紫は好きな色だよね」
と言うと、頷き、箱を持った手を伸ばして遠目でその品物を眺めていた。
「どんなふうになるんだか、着てごらんよ」
 まあ、就寝時に着用するものだからどんな恰好であろうが問題はなさそうなものであるが、あまりヘンな恰好だと着なくなる恐れもなしとはしないので、念のために確認しておこうと思ったのだ。
 その形状は、要するに「ちゃんちゃんこ」の丈をすこぶる短くしたようなものなのであり、中途半端な恰好だと言えばそう言えなくもない。が、そこはデザイナーによる処理があるだけに、まあまあ突拍子もない印象からは抜け出ていた。
「いいじゃない、紫が似合うよ」
と、自分は取って付けたような誉め方をした。
「そう。旅行に行く時にも持っていけそうね」
「それもいいけど、これからは寒くなるから、毎晩着て寝ることだね。自分も寒い日は同じようなものを着るんだけど、肩が冷えないから助かるよ」

 以前は、身近な人の誕生日などには、「好きなもの買って」と言ってしばしば金銭を渡すことも多かった自分だが、最近は、努めてモノを贈るようにし始めた。何がいいかと思案したり、それを探し回ったりするのは手間隙がかかるわけだが、やはり金銭を渡すというのはあまりにも味気ないと痛感し始めたのである。
 まあ、これで、おふくろも、今年の冬はそう簡単に風邪をひくわけには行かなくなってしまったはずである…… (2006.12.16)


 決して、「公式的」な世の中のがなり声に耳を貸してはならない。いや、もう多くの人々が薄々とは感じ取っている事実ではあろう。
 もし貸すとするならば、友人にカネを貸すのと同様に、レスポンスを期待せず、できればすぐにでも忘れることが肝要となる。それほどに「公式的」な言葉、情報というものは偽りに染まり切っているということだ。
 「愛染(あいぜん。貪愛染着[とんあいせんじゃく]の意。むさぼり愛し、それにとらわれ染まること…広辞苑より)」よろしく、カネや利得、保身のみを貪欲に愛する者たちが、言葉と情報の世界をも牛耳っていることを常識として知っておかなければならない。
 もちろん、こうした「愛染」の本家本元が政治屋たちであり、その集合体としての政府であることは言うを俟たない。常に責任を逃れる立場でしかものが言えない官僚たちだとあげつらっても的外れにはならないであろう。
 耳を傾け、視線を向けるべきは、寡黙な自然、理解されようがされまいが精一杯にかつ慎ましやかに今を生きる自然の被造物たちだと言うべきか。少なくとも、野鳥たちはその儚さとは裏腹に、どんな偽りからも自由でいる。そのさえずりの単調さは、偽りを禁句としたがゆえに、といった潔ささえ感じてしまう。

 夕刻、近所の電気屋さんに足を向けた。決して、液晶TVなんぞを買いにではなく、電子辞書の「単4型」電池が切れてしまったからである。
 が、大抵はそういうことになってしまうのだが、電池以外に余計なモノをも買って帰ることになってしまった。電池とて、4本セットの540円也をレジーにまで運びながら、結局はレジーに山積となっていた同セット50円を選び直して買っているのに、「毛糸の帽子」と「超小型ライト」などの余計なモノを求めてしまった。
 とはいえ、「adidas」のロゴ入りの「中国製」毛糸帽子が「280円」、小型ライトが「298円」であり、「散財」の範疇には入りようがない。
 が、毛糸帽子は既に持っているのであり、その値段に惹かれてついつい買ってしまったという点では、実にささやかな「散財」であったかもしれない。帰宅して、家内から
「安いのはいいけど、どうするつもり?」と言われ、
「まあ、冷え込む夜はそれを被って寝ようかな……」
と歯切れの悪いことを言ったことからするならば、やはりムダ遣いであったのかもしれない。

 毛糸帽子の使い道はおくとして、その安さが「再び」あることを思い起こさせたのである。あることとは、昨今は悪の根源だとさえ思い始めている「グローバリゼーション」という時流のことなのである。
 自分は、もう何年も以前から、この「グローバリゼーション」「グローバリズム」というものが、胡散臭くてしょうがなかった。別に「攘夷派」国粋主義者ということでもないのだが、結局、「グローバリゼーション」とはより一層の「アメリカナイゼーション」のことであり、やがて日本経済は米国の巨大資本(金融資本を含む)に根こそぎやられてしまうに違いない、またさらに、中国の低コスト製品によって国内諸産業が壊滅的な打撃を受けてしまうであろう、というような嫌な予感を無視することができないでいた。
 当時、政府や御用学者たち、マス・メディアなどはこの流れをはやし立て、まるで時の自然な流れであるし、日本の国際化なのだと能天気な言い草を振りまいていたものである。これが「偽り」の第一なのである。
 ややこしくなるため、細かいことは端折らざるを得ないが、経済の国際化、しかも金融資本の自由化までが自然現象であるかのように是認されるというのはまやかし以外の何物でもないはずである。もうすでに始まっているわけだが、この流れが向かうところは、日本企業が次々と外資による「M&A」によって食い荒らされ、買収されてしまうことであろう。
 そして、前述の「中国の低コスト製品」流入のごとく、各種商品の市場価格は安くなるのだろうが、商品が安くなってもそれらを購入する購買者の所得が劇的に下落して行くのである。
 と言うのも、経済の「グローバリゼーション」は、国内の土着中小企業をことごとく「押し潰す」からである。効率の悪い経営、競争力のない経営こそが問題なのだという視点によって、全国各地の地元中小零細企業、自営業者たちは次々に廃業へと追い込まれている。こうした企業関係者たちの膨大な数、いわゆる消費者人口に占める割合に目を向けるならば、たとえ外資が絡む企業のさまざまな商品の価格が低価格となったとしても、庶民にとっては決してありがたいことには結びつかないことがわかる。国内需要も伸びず、経済が好転することにならないことも自明だ。これが、「所得格差社会」の現実がはらむ深刻な問題なのであり、今後ますますこの厳しさが深まって行かざるを得ないようだ。

 もうひとつの「偽り」とは、この「グローバリゼーション」を受け容れて行った時期と重なることになったのだが、この国の「財政逼迫」「財政破綻」の問題である。
 ある人の試算によれば、この国の借金は、優に「1000兆円」を越えており、一日「1000億円」の返済が迫られているという。それらは、まったく一般国民の責任が問われる事柄ではなく、もっぱら政治屋・官僚の無能と悪意とによって積み上げられてきた負債総額なのである。冒頭で書いた、カネや利得、保身に身も下心も染めた、つまり「愛染」の連中が仕出かした罪悪の結果が、「1000兆円」以上の負債額となってこの国の「財政破綻」がカウントダウンされるに至っているのだ。
 しかし、国の「財政逼迫」「財政破綻」という現実が、どう国民に跳ね返っているのかがわかれば、どんな「寛大」な国民でも憤らざるを得ないはずであろう。まさに事実は、最も「ダーティな結果」となっており、この間、矢継ぎ早ででっち上げられた「大増税」施策と「社会福祉削減」がまさにそれだったわけである。国自体の負債発生の原因と責任が完璧に闇に葬られ、ツケだけを「従順」な国民が押し付けられているのである。
 先ほど「所得格差社会」の基盤に「グローバリゼーション」があると書いたが、これに加えて、現政府による「大増税」施策と「社会福祉削減」とが、かつての「中流階層」を「下層階層」へと引き降ろし、低所得な「下層階層」を「ワーキングプア」(努力して働いても決して報われることのない人々)へと追いやっているのだということになる。
 自分は、かねてより今現在のマス・メディアやこれらに群がっている御用学者、有識者たちを批判的に見てきたが、上記のように理不尽な社会的事実がなぜ一般国民の認識に至っていないかを考える時、そうした結果こそはマス・メディア等の「偽り」の振る舞いの帰結だと思わざるを得ないでいる。国民にとって最も大事なことを伝えずしてはずすような仕業をどうして大目に見ることができようか。

 「ワーキングプア」の実態の一部が伝えられた際、多くの国民が他人事であるどころか、自身を見ているかのようだと手紙などのレスポンスで応じたという。庶民における狂いのない直観だと思われる。
 だが、どうも現在、加速中のこの趨勢は、今後ますます規模と速度を早めて「這い上がれない未来」(藤井厳喜著『這い上がれない未来』光文社 2005.12.20。この著作から多くの「公式的」な情報の「偽り」を知ることとなった)が積み上げられていくような気配である。すでに、「この国の状態は、将棋で言えば『詰み』である」(藤井著)とも表現されるが、それが単なる揶揄とは思えないのは、日毎のニュースにてこれまでにはなかったような地獄絵図が、無造作に伝えられ続けているからなのかもしれない…… (2006.12.17)


 「この国の状態は、将棋で言えば『詰み』である」と、昨日引用したが、そうした目で社会事象を見てみると、なるほど、国家財政はすでに「破綻」しているに違いないと思わされてしまう。
 と言うのも、明らかに必要だとしか考えられない出費部分にも「ケチり」始めているからである。

 今日の報道に以下のような記事があった。
 <リハビリ「最長180日」制限、専門医の56%問題視>( asahi.com 2006.12.18)とあり、次のように続く。

< 今春の診療報酬改定で公的医療保険によるリハビリテーションの日数が「最長180日」に制限された問題で、日本リハビリテーション医学会が会員のリハビリ医らにアンケートしたところ、半数以上が「適切でない」と答えていたことが分かった。厚生労働省は制限にあたり、同学会などの意見も参考にしたとしているが、現場との考えの違いが浮き彫りになった。
 ……
 国民健康保険など公的医療保険を使って受けられるリハビリの日数が、発症から90〜180日に制限されたことについて、「適切でない」としたのは56%で、「妥当」は7%だけ。「設定は必要だが、日数に問題」も33%あった。
 ……
 上限を超えてリハビリが打ち切られたり回数が削減されたりした患者がどれだけいるか、との問いには、全患者の「75%以上」が16%、「75%〜50%」が17%、「50%〜25%」が35%だった。
 ……
 アンケートを担当した昭和大医学部教授の水間正澄理事は「障害は一つでないことが多く、リハビリは横断的にしないといけないのに、できなくなったことへの不満が大きかった。学会として、厚労省に見直しを求めていきたい」としている。>

 これまでに、予算を厳密かつ正当に活用してきた省庁でも、ここまで「切り込む」というのはどうかと思えるが、厚生労働省と言えば、マス・メディアでさえその予算使途に不明朗な部分が多いと避難してきた省庁である。しかも、国民が後生大事に預けてきた「年金基金」を大幅に目減りさせるような愚かな「運用」を仕出かしてきたことも周知の事実であり、「年金制度」の運用についても杜撰さが目立ち、若い世代でなくとも現行の「年金制度」がほとんど「破綻」しているだろうと想像する者は少なくない。
 すでに、健康保険料が、一般に加えて高齢者においても負担増となっている。厳しい生活環境にあって何かと健康を害しがちな時に、保険料負担が大きくなったことは、国民にとっては「泣きっ面に蜂」という不幸であった。
 だが、この健康保険の条件をさらに悪化させていたとは驚きである。必要なリハビリを打ち切るというのは、不完全な医療を野放しにするということであり、決して合理的でもなければ、科学的でもないことになる。むしろ、後日の医療費の拡大を促進してしまう結果にはなりはしないか。
 それも、現場の医療関係者でさえ事実に照らして「適切ではない」と言わざるを得ないような暴挙をしていたのだから、信じられない破廉恥な行政である。

 ここまで来ると、「お国の懐も大変なんだろう……」との国民側の「思いやり」では済まなくなるというものだ。つまり、国民の健康状態の向上を司る省庁がここまでやると、大きな不安と危惧の念が否応なく刺激されるのである。余程、大変な事態が熟してしまっているのではないか、という推測が立ち上がってくるのである。
 つまり、厚生労働省は、「将棋で言えば『詰み』」の状態にあるのではなかろうか、そんなところに保険料や年金の掛け金を預けて大丈夫なのか? という疑惑である。
 十年、ニ十年前のこの国であれば、治安問題にしても「世界一安全な国」という神話が成り立っており、その背景では、漠然とした国への信頼感という神話も成立していたかもしれない。
 しかし、この現時点で、一体誰がそうした神話を額面どおり信じているものであろうか。明瞭な形にはなってはいないとしても、これまで国民自身が暗黙のうちに維持してきた「お上への信頼」というようなものは、冷め切り始めてはいないと言い切れるであろうか。このことを、為政者たちは何よりも懸念しなければならないはずである。

 すでに、現代の国民の基本的思考、感情は、これだけの市場経済の高まりの中で「契約」的なものの考え方、感じ方へと完璧に移行しているはずである。いつまでも、合理的な考え方以前の、「お上への信頼感」といった甘い心情を引き摺っているわけがない。
 国との関係であっても、「契約」的な仕組み、ギブ&テイク以外ではないと見なしているのが大多数の現代国民なのであろう。
 責任をもって国が維持しなければならない国内の治安についても歯がゆい思いをさせられているであろう。経済の舵取りとて、「好景気」とはスローガン倒れと言わざるを得ないほどに一般庶民はその「好景気」に恩恵を浴してはいない。そして、せめて身体だけは大事にして、より一層の不幸だけからは逃れたいと思っている庶民に、「やらずぶったくり」という下品な言葉が当てはまってしまう社会福祉行政の劣悪化、と来ている。
 これで、現行の質の悪い為政者たちが安泰だと思い上がっているのだから、この国の庶民、国民はよほどなめられているとしか言いようがなかろう。

 だが、一体どこまで政治的な欺瞞は通用していくのであろうか。こう考えると、現行の為政者たちも内心はビクビクものなのだろうと自ずから見えてくる。庶民ほどに「叩かれ強く」もなく、「忍耐心」もない方々が追い詰められると、どんな醜態ぶりを曝すことになるのだろうか。
 いずれにしても、遠くない将来に、誰もが経験しなかったような「ハード・ランディング」の訪れそうな気配が濃厚である。少なくとも、こんな予感を木っ端微塵に打ち消すほどに、国民は国の容態の悪化の事実を知らされておらず、情報に不透明な霧がかかり過ぎているようだ…… (2006.12.18)


 時として、何も書くことが思い浮かばず、何かを書こうとすればするほどに頭の中が真っ白で、書くという意気込みが空転してしまう場合がある。今日は、そんな雰囲気である。やや寝不足気味だということもあるが、別な原因があるとするならば、最近はろくなことを書いていないな、と振り返ることがあったからかもしれない。
 「ろくなことを書いていない」というのは、さして書きたいと思っていないことを、しかも湿った口調で書いているということ、要するに、愉快な気分では書いてはいない、ということになりそうである。これではいけない、という思いが沸々と湧いてくるのである。それが、何を書くという考えをやんわりと縛るかのようなのである。

 世相批判(首相批判でも可)を書くとしても、これだけ続けて書かざるを得ないほどに材料が次から次へと絶え間がないと、うんざりしてしまうのだ。また、何らかの展望が見通せるような状況について云々しているのならばまだしも、まったく先行きが不透明な状況に対して、それがゆえに生じるネガティブな感情に染まって書くのは、さぞかし身体に悪いのではないかと感じてしまうのである。
 こんな現代にあっては土台難しい注文となりそうだが、もっと、明るく楽しい材料を探して、書くことイコール元気倍増! というような好循環を設定していきたいものだと、切に望んでしまうのである。

 だが、確かに、このご時世の環境は、叩けば埃が、突けば蛇がどっさりと出てくるような褒められたものではなさそうである。のほほんと外から眺めるだけで、明るく楽しい社会的光景なんぞに巡り合おうとすることはほとんどムリな注文のようにも思える。
 で、こうなってくると、何をどう見るかという点が大事なことになってくるわけで、この点を煮詰めるならば、要は、自身のものの見方というものを吟味することが必要であるように思えてくるのである。つまり、その気になって現実を見つめるならば、ほんのりとかもしれないが見えてくるような、生きる元気が鼓舞されるような人々の現実の一側面をこそ探し出すべきだと思えるのである。そうしたものこそが、書くに値することなのではないかと思える。また、そうした事柄であれば、書いていてまさしく明るく楽しい心持となるに違いない。そして、元気づけられた気分となれば、砂漠で光るそうした針のような対象を次から次へとマークすることができるようになるのかもしれない

 世の中は当人のものの見方次第であるとまで言い切るつもりはないが、こんな時期に是非ともしなければいけないと思われることは、「掃き溜めに鶴」のような、そんな鶴を鶴として見逃さないことなのかもしれない。掃き溜め自体をいくら描写したところでどうなるものでもないのだから…… (2006.12.19)


 この季節の今頃は、子どもたちにとってうれしい時期なのだろうな、とふと思った。
 というのも、多分今週の土曜日、天皇誕生日の祭日から来年1月8日の祭日までの二週間を超える冬休みが始まるからである。しかも、この間にはクリスマスもあればお正月もあり、プレゼントやお年玉まで貰えるという、いわばうれしさの書入れ時でもあるからだ。
 自分も小学校時代のことを振り返るならば、朝の登校時の冷え込みが一段と深まっていたのは、それはそれで嫌なものであったが、もうすぐ冬休みだと思うとにわかに気持ちが明るくなりワクワクした気分に満たされたのを思い出す。
 師走の商店街が、年末大売出しと称していつもになく賑わった雰囲気となっていたのも、楽しげな気分に飾りを添えられたように好感が持てた。当時の照明はやたらに「裸電球」が使われていたものだったが、それらが実に明るく暖かい感触を盛り上げていたかに思う。商店街の「福引」というのも、結果的にはいつも大したものが当たらずハズレばかりであったが、あの八角形の福引ドラムを回す際には、どういうものか必ず「当たりそうな気配」ばかりが込み上げてきて、そしてハズレ玉を見るにおよび、たとえようもなくガッカリした気分に浸されたものであった。

 必ず「当たりそうな気配」を感じたと書いたのは、やや大袈裟ではあるが、それでも、子ども当時の自分は、「貧乏な家庭」の子にこそ「福」が飛び込んで来る、いや来なければいけない! というような勝手な「妄想」を抱いていたようである。
 そうした「妄想」がどこから来ていたのかは定かではないが、おそらく、オスカー・ワイルドの『幸せの王子』の童話やら、 ジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』などから受けた影響もあろうが、人の善意やら神の正義、そして優しい幸運の女神といったイメージを頭のどこかに置いていたのであろう。昔の子どもたちのごく一般的なものの考え方であったと思われる。
 報われない努力や苦労はあり得ないと盲信して憚らない子どもだったのである。というのも、「罰(ばち)が当たる」という現在では笑い飛ばされるような表現を、まさに実体的に受けとめていたのであるから、その裏返しともいうべき、良いことを重ねていればきっと良い事が訪れるという考えを実体的な真実として受けとめていても、さほど不思議なことではなかったわけなのだ。

 そう言えば思い起こす話がある。小学校時代のことであるが、近所の家の人が宝くじに当たったそうなのである。当時の金額で確か50万円とかであり、近所中の噂となったものであった。
 しかし、その噂話は、何ら嫉妬心がないものだったとは言えないにしても、概して「いやぁ、良かった良かった」という雰囲気の広がり方だったのである。
 というのも、その家庭は子沢山で、かなり住環境の悪い借家に住んでいたのだが、ご主人をはじめとして、家族皆が働き者であり、魚の運搬か何かをしていたようだった。周囲の誰もが、そうした彼らの実情に通じていただけに、「良かった良かった」という激励的な噂が広がったのであった。
 その後、その家庭は、これまでの仕事用のオンボロトラックを新調し、すぐ近所の広い貸家に移り、文字通りの家内安全、商売繁盛へと急旋回して行ったのであった。
 こうした実話が、子ども心の自分にますます前述の「幸運観」を強化させたように思われる…… (2006.12.20)


 昨日は何だか気味の悪い日であった。
 われわれの世代で言えば馴染みのある放送作家、前都知事でもあった青島幸男氏が亡くなったかと思えば、これまた良く知られた演劇人であった岸田今日子さんも死去された。いずれも70代前半で、まだまだこれからという歳である。
 これらに加えて、近辺でも心配となる話が重なっていたから何となく不安が煽られるふうであったのだ。

 夕刻、事務所に義理の兄から電話があり、おふくろが胃痛を起こし近くの病院へクルマで連れて行った、食中(あた)りではないかと診断されたけれど、仕事帰りにおふくろのところへ寄るべし、という連絡だったのである。
 おふくろはつい先日83歳となったばかりの高齢であるため、ちょっとした身体の不調でも気にかけてやらなければと思っているだけに、心配となった。それで、昨夕は仕事を早々に切り上げて、おふくろのところに寄ってみた。
 先ず心配になったのは、例の「ノロウイルス」に感染したのではないかという点であった。ノロウイルス (Norovirus) は、非細菌性急性胃腸炎を引き起こすウイルスだと言われており、おふくろは下痢こそないものの、嘔気、嘔吐があったというから、先ずはそれを疑ってみるべきだと思ったのである。
 だが、病院ではそうした診断結果にはならなかったという。前日に外出をして疲れていたところで、何か消化の悪いものを食べたとかと話していた。ただ、病院ではどんな検査をして「ノロウイルス」感染ではないと診断したのか定かでない。
 おふくろの様子を見るかぎりでは、それほど衰弱しているようではなかったようなので、とりあえずは矛を収めて帰宅したのであった。

 帰宅して家内と、おふくろのそんな話をしていたら、家内の知人で仲良くしている女性が、「脳出血(くも膜下出血)」で病院に運び込まれ緊急手術を受けたという、これまた驚きの話題が飛び出してきたのである。緊急手術の後、集中治療室(ICU)に入れられて非常事態を迎えているとのことである。
 その人は、今年のはじめ頃にも軽度の症状が出て、難を逃れたらしいが、血圧も高めであるし、既に弟さんはこの病気で亡くなっているとのことで、決して楽観視は許されない状況だと見える。

 こうした好ましくないいくつかの事柄を耳にした昨日は、否応なくまたまた気分が沈んでしまった。
 そして、今日、事務所に出てから、おふくろの容態が気になり昼頃に電話をしてみたのであった。と、呼び出しても一向に出ないのである。もしや、電話に出られないような状態になっているのではないかと、一瞬、不安が募ったものである。
 そこで、昼休みに、クルマで出かけてみることにした。ほんの10分足らずで行ける距離である。独居老人であるため、元気な時はともかく、身体が不調に陥った際には、心配をして当然のことが起こり得るわけである。何とかしておかなければいけないな、とクルマを運転しながら案じたものである。
 おふくろの家に着いて合鍵でドアを開けてみると、部屋の中はもぬけの殻であった。最悪の心配は消えたものの、さて、身体の調子が悪いというのにどこへ行ってしまったのかが、今度は心配となったのである。
 すぐにひらめいたのは、歩いても5分程度の近くにある行きつけの病院である。一人で薬を貰いにでも出向いたか、あるいは近くに住む姉が付き添ったか、いずれにしても多分そこへ行っているのだろうと見当をつけたのである。
 さっそく、その病院にクルマを向け、駐車場に着いた時、待合室で姉とおふくろが座っているのが見え、姉の方もわたしのクルマに気づいた。
 ああ、やっぱりそうだったかと納得したものであったが、同時に、昨晩や今朝の気分が優れなかったということかと、悪い推測をせざるを得なかった。
 結果的には、病院でも決め手となる原因が見つからず、点滴を受けてしばらく様子を見るというのが当面の手当となったようだ。

 今日、家内は、毎週の決まりごととなっている千葉の義母さんのケアに向かっている。千葉の義母さんも、ケア・ハウスに入るくらいであるから、何かと身体が不自由であり、定期的に娘の手を必要としているのだ。
 こうして、身の近辺でも、身体の不具合で悩む人たちが表面化してきているわけなのである。人の世である以上、高齢化や病気、そしてそれらの看護というような事実は避けられないわけだ。しかも、こうした身近な事実が、この国、この社会の、無造作に悪化させられている社会福祉環境の中で起こっていることが、何とも切ない気分とさせられたのである。責任ある男たるもの、少なくとも自身の健康管理や、いろいろな意味でのセルフコントロールだけは決して手落ちのないようにしておかなければ、手のつけられないことになりかねないと思わざるを得なかった…… (2006.12.21)


 「入院なんていやだ。もし入院をどうしてもしろと言われたら、今、通っているお医者さん換えちゃう」と、かつて子どもっぽい冗談を言っていたおふくろが、緊急入院に至った。糖尿病関係ではなく、「胆管結石」での激痛と軽度の黄疸による緊急を要する入院であった。

 今朝、早朝に姉からの電話が入り、おふくろの容態が心配で朝早く電話連絡をとったところ、昨夜は腹部の激痛が続き眠れなかったようだと聞かされた。そこで、かかりつけの病院へ朝一で連れて行ってくれないかということだったのだ。
 もちろん、自分の側には何の問題もなかった。朝7時に入った電話の際にもすでに目覚めていた。逆に、まるで待ち構えていたかのようなタイミングだとも思えたものだ。
 昨日の診断では、定かな原因も掴めていなかったため、また痛み止めといっても一般的な座薬でしかなかったため、妙に良からぬ予感が拭いきれずにいたのである。
 昨夜以前に、すでに夜通しの「胃痛」を訴えていたことから、自分の経験に照らし合わせてひょっとしたら「尿管結石」ではないのかとも疑っていた。「胃痛」といっても、「尿管結石」の痛みはもっと下の方ではあるものの、痛みの個所が判然としない覚えもあったからだ。
 とにかく、単なる食中りや疲れから来る胃炎なぞではなさそうな変な予感が打ち消せないでいたのである。しかも、現在通っている病院は、「不整脈」症状もあるところから「循環器系」専門の病院だったのである。おふくろの住まいから数分のところに新しく出来たものだから、おふくろは気に入っていたのである。確かに、精一杯対応してくれているのは事実である。
 しかし、「不整脈」症状にはフィットしていても、今回の症状については専門外であり、わたしは今日あたりは、別の専門病院に「はしご」をすべきだろうな、と見当をつけ始めていたのであった。というのも、明日、あさっての休日を控え、激痛が消えずに夜な夜な眠れないというおふくろがかわいそうでならなかったのだ。せめて、確たる原因を掴み切ること、そしてできれば一刻も早くそれに向けた専門的治療をスタートさせなければならないと考えていた。とりあえず、朝一番では現在かかっている「循環器系」病院で応急処置をしてもらい、そのあと内科専門の病院へ連れて行こうと思っていた自分なのであった。

 が、その病院でも新たに極めて疑わしい所見が出ることとなったのだった。その決め手は、一昨日に行った「血液検査」であり、さまざまな指標が、正常値からはるかに逸脱しており、異常な状況を照らし出していたというのである。そして、MRIによる結果が、胆嚢に見過ごせない大きさの結石を写し出していたため、胆嚢周囲が緊急な措置を要する容態だということが伝えられたのであった。
 早速、専門病院での検査および入院が必要となり、その病院から入院可能な専門病院が紹介される運びとなった。最終的には、結局「北里東病院」が受け容れ可能と確認されてすぐに運び込むことになったのである。
 といっても、一応、おふくろの住まいに戻り、最低限必要なものを整える作業が必要であった。姉が付き添いながらそれを進め、それからクルマで「北里東病院」へと直行することになった。

 通っていた「循環器系」専門病院からの「紹介状」とMRIフィルムを含めた種々のデータなどが揃っていたこともあってか、予備検査はスムーズに進展した。入院を前提とした手術の計画が検討され、多少のリスクを伴うが故に、保護者による「手術承認書」をわたしや姉が認めることにもなり、早速、入院第一日目が皮切られることと相成ったのである。
 高齢なおふくろということもあり、担当医からは、さまざまなリスク事項が説明され、中には生命に関わるリスクもなしとはしないとも聞かされるに至った。が、ならばやめます、とは言えない思いが辛いところであり、ただただオペの担当医たちの技量を信じるしかないと思えるのだった。
 内視鏡、カテーテルを駆使したベテランチームによるオペを、休日明けの月曜の午後に実施することまでが、バタバタと確定して行ったのである。
「とんだクリスマスになってしまいますが、やむを得ないですね……」
と、説明をしてくれた女性担当医が最後に語っていたものである。

 集合部屋の空いたベッドに案内され、おふくろはクルマ椅子から痛々しく立ち上がり、そのベッドに横たわるに至った。そのベッドの置かれた空間は、どこかで見覚えがあると思えた。奇しくも、昨年の今ごろに自分が横たわっていたベットと、左側に窓を仰ぐというその位置まで酷似していたのである。
 入院をあれほど毛嫌いしていたおふくろが、そのベッドで苦痛を堪える表情で仰向けになっている。その表情は、見ようによっては、入院がどうのこうのというわがままはもはや万事休すなのだと自分に言い聞かせているようでもあり、また、この激痛の連続が癒されるのはこのベッドしかないと安堵しているかのようでもあった。
 わたしは、去年、わたしが経験した「この空間」に、姉とおふくろとがやって来た時のおふくろの表情を思い出していた。
「どうですか 入院っていうのは?」
と言いながら、いたずらっぽい笑みを浮かべていたものだった。「わたしはいやだよ、入院なんて」という、入院をあくまでも他人事とする心境が見え見えであったのだ。
 そんなおふくろが、有無を言わさずの恰好で入院させられてしまったのである、それもあっと言う間の推移、まるで立て板に水の速度で。何だか哀れでならなかったが、これしかなかった。
「こんなにいい病院に、すぐさま入院できることになったのは、逆に言ってすごくラッキーだったんだからね」
とおふくろを言い聞かせるように言い添えて、わたしたちは病室を後にした…… (2006.12.22)


 一晩点滴を受け続けたおふくろは、腹部の痛みがなくてよく眠れたようで、この二、三日見せることのなかった笑顔を振りまいていた。午前中に家族3人で見舞いに出かけたのである。
 多分、痛みの方は抑えられているはずとは想像していたものの、ちょっと前とは別人のような表情を見せていたのには嬉しい驚きである。これがいつものおふくろなのだと再確認させられたものであった。

 やはり、人にとって間断ない痛みというのは耐え難いだけではなく、恐ろしいほどに人を不安や恐怖の心境に陥れるものなのだ。自分の経験に照らしてみても、尿管結石の際もそうであったが、ちょうど一年前の「脊柱管狭窄症」での痛みが記憶に新しい。腰から脚にかけての痛みが、早朝の3時、4時に始まると、どんな姿勢をとろうが、鎮痛剤を服用しようが、痛みは間断なく続き、容易にはおさまらなかった。とても、再度眠りにつくというような状態ではなくなってしまうのだ。それが、二週間ほど続いたようだった。何らかの鎮痛剤でおさまるのであればまだしも、そんな痛みの継続はさすがに大の男も音をあげてしまう。しかも、当初は確たる原因もわからず、したがって治療法も見当がつかなかった。となると、そうした間断ない痛みが、その先エンドレスで尾を引くのかという不安さえ否定できなかった。睡眠不足と奇妙な不安感とが入り混じり、正直言って生きた心地がしなかったと言ってもよかった。
 が、まあその痛み地獄は,幸い、ペインクリニックのブロック注射療法で除去することになりホッとしたものだった。そんなことを思い起こすと、独居生活のおふくろを襲った腹部の継続的な激痛は、さぞかし残酷なものであっただろう。極端に言えば、こんな苦痛が続くくらいなら死んだ方がましという心境にさえなったとしてもわからないわけではない。

 それが、鎮痛剤含有の点滴によってとりあえず痛みがうそのように抑えられ、それゆえに睡眠不足が重なっていたこともありグッスリと眠れたようなのである。そして、見舞いに訪れた者たちに、満面の笑みを振りまくことができるようになったというわけだ。
 点滴の支柱を引っ張りながら、廊下に出てトイレに一人で行くことも出来たと自慢しているのである。
 こうして痛みがおさまり、気分も落ち着いてくると、いつも通りのおふくろの頭が働き出して、身辺のことをいろいろと思い巡らすことになったようである。
「頼みがあるんだけどね」
と、おふくろは家内に向かって話し始めるのだった。
 それは、毎日配達してもらっている牛乳が、年末年始休みのために数多く配達されてしまうため、しばらくストップしてもらうように牛乳屋さんに連絡して欲しいということであった。ほかにも、気持ちに余裕が出てきたがゆえに思い巡らせた気になる細々としたことを頼んだりするおふくろなのであった。

 回診してきた医者が、あさっての内視鏡による手術のことをおおまかには伝えたようで、おふくろは、いつも通りの口癖で「がんばらなくちゃね」なんぞと言う。
「いや、がんばっちゃダメなんだよ。緊張すると内視鏡がうまく喉を通らないこともあるから、ボケッとしていなくちゃ。もっとも、そうなるようなクスリを飲まされるはずだけどね」
と、わたしは言った。
 それにしても、今年のおふくろは、ずいぶんと心身をいたぶられる羽目になったものである。白内障手術で両目にメスを入れ、そのメスが動くのを見ていなければならないという経験もあった。一部には、失明というリスクもないわけではなかったのだが、幸いにも難なく突破してしまった。そして、今回も、本人および周囲の者たちがハラハラするような手術に立ち向かおうとしている。後10年は長生きしたいのだという粘り腰の生命力がなせる技だと言うべきか。わたしなんぞよりも遥かにガッツがありそうで、うかうかしていてはいけないと、見舞う側が発破を掛けられた思いとなった…… (2006.12.23)


 カワセミの「ホバリング(hovering)」(ヘリコプターが空中で停止した状態にあること)をはじめて見た。いつものとおり境川に沿って遊歩道をウォーキングしていた際にである。
 今朝は日当たりは結構よかったが、それでも気温はずいぶんと低い。まず、こんな時期に川面を飛ぶカワセミを見るのもめずらしい。夏鳥というわけでもないが、夏場や暖かい時期によく見かける野鳥だからだ。
 そして、「ホバリング」という可愛い振る舞いがわたしを喜ばせてくれた。川面から2Meterほど離れた空中で、翼を目にも止まらぬ速さで羽ばたかせて、空中で定位置を保っているのである。なぜそんなことをするのかを想像するならば、水中の小魚を発見するのに、定位置で見定めるためなのであろう。もし、獲物を見つけたならば、その位置から素早く水中へとまっしぐらに飛び込むのだと、ものの本には記されている。

 あいにく、そのカワセミは小魚を見つけることができなかったようで、川の護岸のコンクリートの縁でしばらく休んでいたが、やがて場所を変えるべく飛び去ってしまった。
 再度「ホバリング」を始めたら、たとえ小さ過ぎる構図ではあってもケータイのカメラに収めようと迅速に用意したのだったが、気短なそのカワセミは、「ここにはいないゾ!」と判断したかのようにそそくさと飛び去ってしまったのである。
 だが、腹がオレンジ色、頭や翼がシアン色という何とも派手なツートンカラーのカワセミは、いつ見ても人の心をときめかすものである。だけど、ちょいと目立ち過ぎやしないかい、と言ってやりたい気もしないではない。まあ、動作が極めてすばしっこいので、カラスなんぞの攻撃ターゲットにはならないはずであろう。

 今日はまた、例のコサギたちが20羽ほどの群れで立ち寄っていた。そして、そんな群れの中に、どういうつもりなんだか知らないが、真っ黒なカラスが交じっていたものだ。コサギたちが流れに足を差し入れ立っている中で、流れから顔を出した石の上に突っ立っていたのである。一体どういうつもりなんだろうかと考えてみた。が、とうとう意味のありそうなことは浮かばず仕舞いであった。

 帰りの道で、今度は人間たちの可愛い光景をみることができた。
 明らかにおじいちゃんと孫という関係の二人であり、おじいちゃんが旧式の自転車に乗って慎重そうにそろそろとこいでいる。その自転車の後ろの荷台からはロープが延び、その先には子ども用の足こぎスクーターが繋がり、そしてその上にはどう見ても孫と思しき小さな女の子が得意満面、楽チン楽チンの顔をして乗っていたのである。女の子は肩までかかる長い髪をしており、目がパッチリとした可愛い子であった。おじいちゃんの方も目が大きく、ああ、やっぱりなあ、と頷く以外はなかった。
 おじいちゃんは、あんなに可愛い子にせがまれ、「しょうがないなあ、じゃあ、ちょっとだけだよ」とかと応えたはずであろう。内心は自身もうれしくてうれしくてならなかったのだろう。ただ、おじいちゃんくれぐれも気をつけてよと思ったことしきり。
 あの子はいつまで、あのおじいちゃんにああしてもらったことを覚えているのだろうか、などと想像したりした。いや、人の記憶というのは、決して意識上で思い出せるものだけでもなさそうなので、あのひと時の出来事は、とりあえず永遠なのだとさえ言っていいのだろう。おじいちゃん、よかったよかった…… (2006.12.24)


 そろそろ「手術」が終わる頃かと病室へ戻ると、おふくろは搬送ベッドから病室のベッドへと移されているところであった。「手術」向けに施された催眠剤が効いているようで、朦朧とした状態である。「手術」の始まる予定時刻よりも早く病院に着いていたため、自分は駐車場のクルマの中で時間をつぶしていたのだった。
 病室に居た姉と家内が、
「うまく行ったみたいよ」
と、安堵していた。当のご本人は、頭は働いているようだが眠いらしく、目を開けずにそれでもこちらからの問いには一々応えていた。
 まずは、第一段階の応急措置的「手術」をクリアしたことで皆がホッとするひと時であった。
 ところで、今日の「手術」は、本来は「手術」とは呼ばないらしい。というのは、内視鏡、カテーテルを使って然るべき処理をするため、「検査・措置」という範疇となるようなのだ。つまり、身体の外部を切開するのではなく、あくまで内視鏡、カテーテルを口から挿入しての処理であるためにそう呼ばれるそうなのである。
 
 看護士さんに、今日の「手術」の経過が知りたいと申し出た結果、担当医が説明に来るということになった。
 やがて、愛想のいい担当医(執刀医)が、該当部のレントゲン写真入りの大きな茶封筒を持って病室にやって来た。挨拶の後、その写真をもとにして説明してくれた。
 おふくろの症状は、胆管結石によって胆のう内の胆汁が小腸へと流れ出ずに胆のう内に滞ってしまうことによって激痛やその他の不具合を発生させていた。それで、その胆管結石を直ちに取り除ければ一番良かったのだが、従来から心臓の不整脈症状があって、血液をサラサラにするワーファリンとかいうクスリを服用していたため、多少なりとも出血するような措置は避けようということになったのである。
 そこで、胆管を塞いでいる結石の脇を「バイパス」よろしくごく細いパイプを挿入して、胆のう内に滞ってしまった胆汁に道を作ってやろうという応急措置をするのが、今日の「措置」だったのである。そんな推移がその担当医から縷々説明されたのであった。
「この白く写っているのが、『パイプ』ですよ。これで、胆汁が溜まることは防げるためとりあえずの問題は解消されたわけです」
と、担当医は淡々と話してくれた。

 だが、胆管を塞いでしまっている結石をそのままにしておいていいわけがない。そこで、二回目の「措置」が必要となるのである。
 担当医にスケジュールを聞いたところ、次の「措置」は年明けの5日ということであった。この間、容態の推移を見るとともに、上記の「ワーファリン」の服用をストップし別の血液サラサラ化のためのクスリを飲むことになるらしい。そのクスリは、効き目は同じなのだけれど、効き目の持続が短く、服用を止めた次の日から血液はもとの状態に戻るということで、二回目の「措置」までの間はこれで対処するとのことであった。一々が理解し易く納得のできる対応だと思えたものである。
 で、今日の「措置」後の経過が良ければの話だが、次の「措置」までには10日ほどあるわけで、その間には「年末・年始」の病院休暇も挟まれている。入院し続けるのか、一時帰宅とするのかが話題となったのである。「年末・年始はどうされますか?」と問われたのであった。
 まず、そうした話題が担当医から出るということは、今日の「措置」によって痛みや悪化の可能性が小さいことを意味しているわけで、それはありがたいことではあった。
 が、明日からの痛みその他の状況推移を見ながら決めようということで、今日はひとまず保留とすることになった。
 ところで、姉が指摘したのであったが、「歩けるようになったらどんどん歩かなくちゃね」という言葉にはなるほどと思わされるものがあった。高齢者は、一時的にベッドに伏せることになってしまった場合、その状態を継続させると一気に足腰を弱らせて、最悪は「寝たきり」になりかねない傾向がないわけではないからである。人間の身体についてはいろいろな角度から考慮しなければいけないのであって、目先の不具合だけに目を奪われていてはいけないということだ。

 まあ、とりあえず、今日の「措置」が順調に進んだことにより、物事を合理的に解決していくという挑戦姿勢の大事さを再認識させられたような気がしたものであった…… (2006.12.25)


 もう病人なんかじゃないかのようにシャキシャキと振舞っている。
 わたしが、姉の用意した身の回りの小物一式入りの手提げ袋を運んで病室に入ると、おふくろは、新しい点滴と取り替えてもらいながら、親しげに若い女性看護士と談笑していた。
「あのワカメが消化せずに残っていたんだもんね。これでスッキリしたわ」
とか、朝の排便の様子なんぞをネタにして話し込んでいる模様である。
 看護士さんも、痛みが取れて明るくなっている年寄りの患者は扱いやすいと見えて、気分よく対応していた。
「あなた、名前なんていうの?」
と、胸の名札に手を出して覗き込んだりもしている。
 わたしも冗談で余計なことを言っていた。
「このおばあちゃんはね、感じのいい看護士さんだって院長さんに言うつもりみたいだよ。きっと何か褒美がもらえたりしてね、へへ……」

 心臓のレントゲンを撮ってもどってくると、今日の主要な検査は早々と終了した様子であった。結石で詰まっている胆管に、臨時の応急措置で樹脂のパイプを挿入することで、とりあえず問題は回避されているようであった。血液検査でも、すべての数字が回復へと向かっているとの説明も受けた。今日から食事も用意されることになるようだが、これで「戻す」ようなことがなくなっていれば、本人も尚のこと安心するのであろう。
 こうなってくると、おふくろのことであるから、ベッドに横たわっていても生活周辺のことを細々と思い巡らすようなのである。
「昨夜は、目が覚めたらいろんなこと考えて寝られなくなっちゃってね……」
「日中はできるだけ眠らないようにしていた方がいいかもしれないね。あっ、そうだ、このTVが観られるように、売店でイヤホーンを買って来てやるよ。TVが頼みの綱の人だからね」

 わたしは、ベッドの脇の椅子に座り、しばらくおふくろと話でもしようかという体勢になっていた。今日は、姉が風邪をひいて体調を崩してしまったことや、雨の降りもやや激しいこともあり、自分が「右代表」というかたちで一人見舞いに来たのであった。自分の関心は、術後一日目の様子を確認すべし、ということなのであった。
 幸い順調に経過しているので安堵しているが、正直言って、この何日かは取越し苦労気味に心配をしていた。なんせ、いつの間にかと言ったらいいのか、83歳の高齢となっていたおふくろである。
 いつも元気そうにしているため、ついつい歳のことを忘れさせられていたわけだが、振り返ってみれば、亡父が63歳で亡くなっているから、亡父よりも20年も長生きしていることになる。もちろんその長生きを、先ずは喜ばしいことと受け止めたいし、まだまだ長生きしてもらいたい。だがその一方で、縁起でもないとかと流さずに、心のどこかには、「おふくろの死」という避けられない事態を据え置かなければならないと感じている。それは予感とかなんとかというものではなく、覚悟の問題なのである。人と人との「死別」に対する覚悟ができているのかどうかという切な過ぎる問題であり、これにしっかりと対峙することを、どうも一貫してごまかして来たような気がしてならない。
 これは一人おふくろとの関係の問題に尽きることなく、還暦にじわじわと接近する自分の歳になれば当然何らかの自分なりの定見があって然るべきだとも思えたのである。

 おふくろは、仰向けで膝を立てて病室の天井を見つめていた。何を考えているのかは知らねども、その薄くなった髪で囲まれた頭の中で、83年間という膨大な時間に渡って蓄えられて来た記憶や想念が、おふくろなりに目まぐるしく蠢いているのだろうな、なぞと突拍子もなく考えていた。
「やることないからねぇ、いろいろと考えちゃうのよ。そうすると眠れなくなったりするのよ……」
「このイヤホーンを使えば、夜中だってTV観てもいいんだからね。気をまぎらわせて、それで眠くなったら寝ちゃえばいいよ」
 わたしは、ふと、昨日聴いた小林秀雄の講演テープ『信ずることと考えること』の一節を思い起こしたりしていた。
「魂はあるに決まってるじゃないか。無くてどうする!」
というようなニュアンスであった。歯切れの良い志ん生の口調に似ていたが、その深い思索家の断言は非常に説得力のあるものだと思えた。人間の精神のあり方の一方法である科学が全てだと見なす「科学の奴隷」となるところには、人間の精神の安らぎはあり得ないのだろうと思えたものだ。
 小林流の口調で言うならば、
「安らぎなんぞ無いに決まってるじゃないか。有ってどうする!」
ということになりそうだ。
 自分の全体重をかけて「信じる」ことがないならば、人間の精神にも行方はないとでもいうことなのかもしれない。

 今、一番自分の心境にフィットしているかもしれない文面を引用しておく。

千の風になって (作者不詳)

私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって
畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように
きらめく雪になる

朝は鳥になって
あなたを目覚めさせる
夜は星になって
あなたを見守る

私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
死んでなんかいません

a thousand winds
   Author Unknown

Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand wind that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripend grain.
I am the gentle autumn's rain.

When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.

Do not stad at my grave and cry;
I am not there, I did not die.

…… (2006.12.26)


 昨夜は、激しい雨の上に時ならぬ稲光までが襲い、なんという天候かと思わされた。が、今日は打って変わって陽が燦々と照り、春のごとき陽気であった。
 朝の通勤時にも、西方面の丹沢や大山がくっきりと望め久々にすがすがしい気分となった。しかも、この週ともなると年末休暇に入った会社が多いのであろうか、通勤路のクルマの数も減っている様子であった。休みに入った家では、このような陽気であれば、冷たい水を使うような掃除であっても気負わずにできるんだろうな、なぞと考えていた。
 一応、自宅の大掃除その他のことが気にはなっているようなのであるが、もう片方で、今年はというか、今年もというか、ごくごく簡略式で済ませたいものだと考えているようだった。
 去年は自身の入院騒動があり、押し迫った29日に退院ということであったから、必然的に年末恒例のドタバタは一切省くこととあいなった。そして、今年も、突然のおふくろの入院騒ぎで一年が暮れようとしているわけだ。
 年末らしさ、正月らしさをことさら望まなくとも、おふくろは病気は病気であるに違いないが、まあ、みんなで笑顔を見せ合うことのできる状態なのだから、これはこれでよしとするか、といった心境でいる。

 それにしてもこの年の瀬、不幸にも家族を失ってしまった同情すべき人々も少なくないはずであろう。
 米国でも、イラク出兵で亡くなった米兵の数は、すでに「9.11」での犠牲者数を上回ってしまったと聞く。もちろん、相変わらず自爆テロなどが止まないイラクでの犠牲者数は膨大な数に上っているようだ。何の終結も見られない現時点の混乱状態が片方にあって、ここに至る経過で死に至らしめられた人々のことを思うと憐れでならない。現時点の到達点が、仮に平和と輝かしい未来が約束されていたとしても、その犠牲となって命を失ったことは痛ましい出来事のはずだ。なのに、現状のイラクは、何も解決されてはいない。むしろ藪が小突き回されて生きとし生きるものがただただ苦しめられたという印象以外ではなさそうである。にもかかわらず、歯止めのない愚行が続けられようとしている。ブッシュ大統領は、イラク派遣での増兵の意向を強く持っているとのことなのである。
 他人のものであれば何でも粗末に扱いがちとなるのがよくない。役人たちは自分のふところが痛まない他人のカネである税金を無感覚で垂れ流してきたし今も続けている。そして、理性も感受性も乏しい大統領は、他国の国民の生命と自国の兵士たちの命を、いとも簡単に破壊することを厭わない。
 この愚行を正当化しているのは、「正義」という便利な観念であるようだが、一体そんな観念は誰にとって意味を持ち、価値があるのだろうか。あの「9.11」の犠牲者と言うならば、その数以上の犠牲者を湯水のように排出してしまっている現状は最悪としか言いようがなかろう。誰か、あの凶暴な男の狂乱ぶりを止めてやってくれないか。とりあえず、もう一人の北朝鮮の凶暴な男と一緒に……。

 いつの間にか国内にも、家族を失って気が狂うほどに嘆き悲しむ人々が大勢生まれてしまった。まだ、兵士たちの家族という事態にまでは至ってはいないのだが、その代わりに、何の武装も何のパワーも持たない子どもたちが、社会の歪みを一身に受けてみずから命を絶つという、考えようによっては文明国として社会として恥ずかしい事態が制御できないでいるわけだ。
 しかも、政府と来たら、そうした由々しい社会問題を知りながら、何の役にも立たない改悪、教育基本法の改悪をするというバカをやって、何か意味のあることをやったつもりでいる。実に嘆かわしい。ここでも、追い詰められて命を絶った子どもたちがあの世で、自分たちの死がいかにも虚しかったような悔しさをかみしめていそうな気がしてならないのである。
 ここで言わせてもらうならば、自殺原因の「いじめ」とは、もはや悪ガキたち個々人のパーソナリティがどうのこうのという次元の問題なんぞでは決してないだろう。現在の「弱肉強食」の病的社会環境が、まるで膨れ上がる社会矛盾を排泄するかのように、過激に人格黙殺を行い続ける結果、ほとんど必然的とさえ言えるようなかたちで「いじめ」現象が発生しているのではないかと考える。
 超「格差社会」を是認し、社会福祉制度を後退させることを選択した政治社会が、何の武装も何のパワーも持たない子どもたちの世界のあちこちに、数限りない「地雷」を埋めて知らん顔をしているイメージを描いてしまうのである。

 きっと、イラク問題の泥沼化にしても、いじめ自殺問題にしても、多くの者がその原因を薄々感じ取っているのではなかろうか。地球温暖化問題と自分たちの日常生活のありようとが密接に関係していることを感づきながら、知らん振りをして何ら自身の生活を変えようとはしないように…… (2006.12.27)


 今日は、今年の「仕事納め」の日である。
 もう取引先の会社は休暇に入っていたりするため、あくまでも社内内部的な意味にとどまる。午後、大掃除に代えてやや念入りの掃除をはじめた。
 また例年どおり、玄関のドアに新年用のしめ飾りを取り付けたり、新年の挨拶のポスター(もらったカレンダーの一枚目)を貼り付けたりもした。これで、明日の29日から1月3日までの年末年始休暇ということになる。もう少し長くても良さそうな気もする。天皇誕生日の23日から、1月8日の祭日、成人の日までを思い切って休暇としてもそんなに大きな支障も出てこないかもしれない。しかし、2週間を超えた17日間というのは、「社会復帰(?)」が難しくなる長さだと言えないこともなさそうだ。
 ただ、昨今は、「正社員」と「テンプ・スタッフ」との処遇の「格差」が問題ともなっている。「正社員」だけが、優雅に休み、「テンプ・スタッフ」が収入減に響くというのはいささか物議を醸す話となるのかもしれない。
 もっとも、好景気だと言われてはいるものの、それを享受している企業は以外と少なく、仕事そのものがさほど多くない会社にとっては、あえて勤勉さを誇示してもはじまらないのかもしれない。注目すべきは、実はこの問題なのであろう。

 こう考えると、年末・年始という行事の持つ意味も、以前とはかなり異なってきているのやも知れぬ。NHK紅白歌合戦を国民的番組のごとく受けとめ、国民全体がいわば「同質的な幻想」を持ちえた時代というのは、とっくに過ぎ去ってしまったと言うべきなのであろう。
 そして言ってみれば、年末・年始という行事の持つ意味の重さというのは、人々の生活が互いに共通性や同質性を持っていた環境に大きく依存していたようにも思われる。特に、日本の場合には、農村、漁村、山村での共同体的生活こそが、年末・年始の行事、とりわけ「ハレ」としての、新年を迎えることに最大限の意味を与えていたのではないかと思われてならない。当然、自然宗教的な文化がこれらを支えていたに違いない。

 ところが、現代の生活にあっては、年末・年始という時間の流れに「特別な区切り」としての意味はほとんど失われてしまったかのようである。
 昔は、この期間、特に正月にあっては、ほとんどの商売、店舗が閉じられて、人々はいわば「自給自足」生活に突入したものであったはずだ。だから、郷里に帰らずに都会で正月を迎えるチョンガーにとっては恐ろしく心細くなるひと時であったわけだ。
 ところが、現在では、コンビニという存在をはじめとして、正月早々から営業をはじめる店舗が少なくなくなっている。むしろ、お年玉をゲットした消費者にすぐさまそれらを吐き出させようとする営業戦略が、多くの正月無休営業の店舗を増やしている。
 正月だからといって、消費者は何も困らない。まあ、困ることがあるとすれば、病院とか役所が閉じられることくらいなのかもしれない。
 もちろん、都会にあっては、人々の生活はほぼ完全に個人主義化して、共同性はきわめて薄弱なものと成り果てている。「みんなのお正月」ではなく、「My New Year」でしかないわけだ。また、新年の意味を支えるはずの宗教的文化なぞあるわけがなく、あるのは雰囲気だけの初詣、しかもそれは神社というビジネス体の営業戦略によってしっかりと演出され尽くされてもいる。

 したがって、年末・年始という時間の流れは、何ほどの特別な意味もなく、単なる「まとまった休暇」以外の何ものでもなくなったと客観視すべきなのかもしれない。すでに、この間を利用して海外旅行をしたりする人々が当たり前のごとく増えているのは、時代の推移を正確に反映していると言うべきなのだろう。
 かくして、時代環境は、正月イコール「単なる360日分の3日」という実にフラットな事実へと変わったのである。にもかかわらず、団塊世代以前の「原日本人」たちは、どこかに「在りし日の正月」の面影を探そうと、涙ぐましい期待感を抱いていたりする。いや、そんなアナクロニストは自分くらいか…… (2006.12.28)


 そう言えば、最近はすっかり「株のデイトレード」に興味を失っている。むしろ嫌気がさしていると言ってもいい。だから、惰性のような気分でチャートはチェックするものの、トレードしてみようとすることがめっきり減ってしまった。現に、去年は年末ギリギリまで気になったりしていた株価も、今日あたりは無頓着となっている。
 どうしてなのだろうかと考えることがある。ひとつ言えることは、「虚しいゲーム」で神経をすり減らし、思い通りになってもならなくとも、「賤しい感情」だけが掻き立てられるのがバカらしいということがあるかもしれない。端的に言って、自分が今最も欲しいと感じている気分とはまったく無関係で正反対のものだけが刺激されるようで、興ざめなのである。

 それと言うのも、昨今の株価の推移は、ファンダメンタルズという各企業の経営的実態から遊離し、「株価を弄ぶ連中」によって勝手なことがなされ過ぎているからだとも言えそうだからである。かつて、そうした動きをとる連中は、「仕手」と呼ばれた資金に物を言わせる賭博的相場師に限られていた。だが、昨今は、その手の仕業が一般化して、いかに他の投資家たちをあざむき相場を我が物とするかというような連中が増え過ぎた気配がある。株を「買う」こと、「売る」ことがその銘柄自体の何らかの条件変動によってということではなく、ただ、チャートに表れた株価の動き、投資家たちの心理状態だけをターゲットにしているかのようなのである。これを、ゲームだと言わずして何と言おうかというわけである。
 多分、インターネットが活用され、一般個人投資家たちにもリアルタイムで株価の動きがウォッチでき、デイトレードなるものが普及するようになったことの、ある意味では必然的な動向なのかもしれないと思われる。株取引というものが、「何のため」という部分、つまり企業への投資という点なぞがどこかへ飛んでしまい、目先で上下して変動するチャートにカネを投じて得した、損したという賭博ゲームに興じること以外ではなくなってしまったかのようなのである。
 それも、一般個人投資家たちがそこそこ得をする可能性があるならばまだしも、このようなゲームとなってしまうと、全体の動きや流れを手前本位で制することが可能な巨額資金運用者の独壇場となりやすい。とすれば、一般個人投資家たちほど、無力な存在はないのであって、大海の荒波に翻弄される木の葉のような惨めさである。そんな者たちもたまには得をする場合もあるにはあるが、確率から言えば他のギャンブルとまったく同様であまりにもリスクが大き過ぎると見える。
 そんなことはわかり切ったことであったが、株取引が、あたかも研究や努力次第では安全性の高い利殖であるかのようなお為ごかしの風潮が広げられてきただけに、たちが悪いと言うべきかもしれない。

 まあ、こうした既成事実的な再確認はさておいても、昨今、自分が意を強めることは、株のデイトレードといった「抽象的!」な「カネ儲け(カネ失い)」行為、つまり「賭博」は、勝つにせよ負けるにせよ「真っ当な感覚」や、「平静な心」を狂わせるもの以外の何物でもなかろう、という点である。自分はギャンブルに目くじらを立てるほどそれが嫌いという者ではなく、場合によっては好む者でもあるが、ギャンブルとはあくまでも気晴らし程度で済ますべきものなのであろう。
 というのも、人間というのは、「真っ当な感覚」や、「平静な心」をどんな場合にでも堅持できるほど立派ではないからだ。ギャンブルの類というのは、異常な興奮を得るために意図的に「真っ当な感覚」や「平静な心」を崖っぷちに追い込むことであるような印象を持つのである。時として、人生には計らずしてそうした状況に遭遇する場合もないとは言えないので、そうした経験があながち無意味だとは思わない。しかし、その場合にも「真っ当な感覚」や「平静な心」を生み出す能力が自身にあるかどうかの問題は見つめられていい当然の要素のはずである。

 しかし、自分も含めて多くの人間は、ほとんどムリなのではなかろうか。たとえ、ポーカーフェイスやハッタリという演技はできたとしても。だから、この事実を踏まえないで安直に崖っぷちに立つということは、ほとんど向こう見ずの暴挙をしているか、無感覚となることを目的とした訓練をしているようなものと言うべきなのかもしれない。
 人間は、豊かで柔軟な感覚、感情を持ってこそ人間なのであって、「真っ当な感覚」ではなく「真っ白な感覚」を作ろうとしたり、「平静な心」ではなく「凍結した心」になろうとする理由なぞ毛頭ないと思われる。
 今、ふと想起したが、芥川龍之介の小説『杜子春』の主題とはまさにこれだったような気がする。仙人になることを拒絶した杜子春は、人間としての豊かで柔軟な感覚、感情と、その上で目指そうとする「真っ当な感覚」や「平静な心」をこそ人間の宝だと洞察したのではなかろうか。
 この洞察は、実に凡庸なことのようにも見えるが、むしろこれに異論を唱えようとする者自身が、救い難い迷いに踏み込んでしまっていることをこそ凝視すべきではないかと思われる。つまり、人間としての「センター(中心核)」を唾棄して、遠心力に任せて外部へ外部へと飛翔のみしようとすることは、結局、拡散し果てること以外ではなさそうに思われるからである。

 ゲーム化され切った株取引を材料にして書いたことは、それに象徴される現代という時代環境全体の、「いわく言い難い趨勢」に対する違和感を書きたかったからなのかもしれない。「センター(中心核)」を失い、求心力を喪失して、ただひたすら遠心力のみに身を任せる恰好となったかのような現代という時代は、果たしてどこに着地するのであろうか。いや、そもそも、着地点なぞ存外の問題だという気配さえ感じてしまう…… (2006.12.29)



「大掃除でもしてんじゃないの?」
と、わたしは、おふくろの家に電話をした。
「じゃあ、あと10分くらいしたら迎えに来てちょうだい」
 久しぶりに自分の家に戻ったので、何やかやとやることがあるのだろうか。そう言えば飼い猫のマミも久しぶりに帰って来た飼主にホッとして甘えているのかもしれない。

 今日、おふくろは、入院先の病院から、一時帰宅をしたのである。医者の判断では、年明けの二度目の「処置」までの年末・年始は帰ってもいいというようなことであった。が、おふくろおよびわれわれは、まあ、この際、病院滞在をベースにしておいた方が無難だろうということになり、その代わり入浴などのためだけの一時帰宅というかたちがよかろうということになったのである。
 本人も、家に戻ればごそごそと動き回ってしまうであろうし、正月料理の場に出るとどうしても余計に食べてしまうだろうから、お仕着せの病院の食事で済ませた方がこの際適切だと考えたようなのである。また、胆嚢がらみの痛みが突発するとの懸念もさることながら、糖尿病も抱えていて体重を減らせと掛かりつけの医者からも言われている折、この際、昨年のわたしのような「体験入院」的経験をしておくに越したことはないとの思案も伏線にあるのかもしれない。現にこの一週間足らずで3キロほど減量できたとのことで、顔を見るとややほっそりとしたかのようであった。

 病院での昼食が終わる昼過ぎに家内が迎えに行った。そして、先ずは自分の家に戻って身の回りの必要なものをかき集めたり、その他自分でしかわからないようなことを済ませたりしたいから、一、二時間は放っておいてほしいとのことだったのだ。それらが済んだら電話をするからということであったが、二時間経っても電話がないためこちらから電話をしてみたというわけなのである。
 一緒に旅行へ行っても、バッグや手提げ袋のものを出したり入れたりに余念がないおふくろであるから、こんな時に、さぞかし手間取ることになるのは目に見えていた。だから、わかったわかったと言って、好きなようにしてもらっていたのである。
 まあ、自分も去年の入院の際には、手元にあれもこれも置いておきたいと、入院前日の荷物準備の際にはそこそこ時間をかけた覚えがあるため、さもありなんと想像はつくのであった。しかも、おふくろの場合には、とにかく激痛が入院を急がせ、事前の十分な用意時間が与えられていなかったため、いざ病院で暇を持て余しはじめるとあれもこれも持ってくるべきだったという思いが生じてくるのであろう。
 病院まで送って行く時に、いろいろと口にしていたが、今日戻る前には、密かに行動スケジュール表やら、家から持って来るもののリストなどを作成していたのだという。おふくろらしい振る舞いだと思えた。

 そして、ようやくわが家を訪れ、入浴という段取りに至ったのであった。
 風呂好きなおふくろが一週間も風呂に入れなかったのだから、さぞかし待ち焦がれていたに違いなかろう。自分も、去年の入院の際にはシャワーは使えたもののいわゆる入浴はままならなかったのが不満であった。ゆっくりと風呂に浸かりたいと切望したものであった。
 おふくろが気づいたかどうかはわからないが、ちょうど昨日、風呂場にちょっとしたものを持ち込んでいたのである。以前から念頭にあったのであるが、銭湯の壁絵、あの富士山があり海があり、帆掛け舟なんぞもあったりなかったり、そして松並木なんぞは必ずあるといった壁絵を、浴室の壁にできるだけ見ごたえのする大きさで設えてみようという趣向のことである。
 先日、何がきっかけであったかふと思いつき、ネットでダウンロードしたその種の絵をA3の用紙にプリントアウトし、貼る場所が場所だけにラミネート加工をして作ったのであった。特におふくろのためというわけではなく、あえて言うならば正月気分の演出という意味であったかもしれない。
 そんなところに、おふくろが風呂に入りに来たのである。何か感想でも話すかと思いきや何も言わなかったところをみると、一週間ぶりの入浴であり、身体を洗うのに専念していたから周囲をゆとりをもって眺めることもなかったのかもしれない。残念ではある。

 おふくろは、まるで軍隊にでも入隊して定刻までに兵舎に戻らなければならないような律儀さで、6時からの夕食に間に合うために病院へ送ってほしいと所望した。わたしは言うとおりにすることにした。クルマの中でおふくろは、久しぶりの入浴でいい気分となり眠くなってきたと言いながら、あれやこれやと病院内での出来事を筋立てなく話していた。
 病院での食事の量がやはり少な目に感ぜられてしまい、日頃の勝手気ままな、結果的には多過ぎる食生活の習慣は変えるべきなんだろうともらしていた。これを機会に、自分なりに改善することにつながれば、糖尿病のための体験入院をも兼ねたこととなり好都合だったのかもしれないと思えた。
 年末晦日の夕刻の病院は打ち沈んで静かである。年末・年始にも帰宅させてもらえない患者たちと、運悪く休みが取れないでいる病院関係者だけの、いわば舞台裏に取り残された立場の人たちだけの世界と言うべきか。
 「ただいま」とひょうきんな声を出しておふくろが病室へ入ると、同室の入り口近くのベッドの女性の患者さんから言葉が返ってきたりした。
「ヒロセさんがいなかったから寂しかったわよ」
と。この患者さんは、何でもガンを患っていて、とても帰宅できるような状態ではないとおふくろから聞かされていた。

 おふくろは、どんなところへ「転がり込んでも」結構、明朗にマイペースでやるもんだなと思わされてしまう。根っから明るい性格なのであろう。
 わたしが毎年買ってあげている「高島」何とかの一冊本となった「暦」、そして日記帖や各種鉛筆などを、今日の帰宅で忘れずに持ってきたから、まあ退屈せずに遊べるでしょ、なんぞとつぶやいてもいた。まんざら冗談でもなく、マイペースなおふくろの実感なのかもしれない。
「明日、おやじの墓参りに行ってくるから」
と、帰り際に言ったら、
「おじいちゃんにあたしのこと(早く良くなるように)頼んどいてよ。まだまだそっちへは行かないからって」
と、思ったとおりの言葉が返ってきた。そして、
「今日は身体を使ったしお風呂にも入ったからおなかぺこぺこになっちゃった」
と…… (2006.12.30)


 通常どおりの時間に起床をして、冷え込む中のウォーキング、そして今年最後の墓参りを午前中に行き、あとは「お釣り」の時間を過ごすこととなった。買い物に出向いても良さそうなものだが、どこもクルマクルマで混んでいそうなので敬遠した。
 となると、気だるい気分でTVの時代劇番組なんぞを観る流れとなりそうだが、いつしか書斎にこもることになっていた。

 それというのは、趣味関係でちょっとした作業が気になっていたからである。日頃TVから録画してDVDに書き込んだものが、ラベル印刷が滞って百数十枚にもなっていたからである。もとより手書きでタイトル名を書くだけという選択はなかった。DVDのラベルを見れば、その内容が彷彿とするようにしておきたいのである。
 ところが、それは楽しい作業ではあるものの、意外と手間の掛かる作業であり、そんなことから、いつの間にか未処理枚数が蓄積してしまったのであった。
 こうなり始めると、なかなか着手しにくい心境となってしまうもので、そうこうしているうちに大変な数に上ってしまったのである。
 そこで、年末のこんな時期に「お釣り」とも言うべき時間ができたので、可能な限りこなそうと手がけはじめたのであった。

 本来の作業は、デジタル化した番組コンテンツをざっと再生してみて、その過程でこれぞという場面を静止画ファイルで取り出し、これに加工を加えてDVDラベル状の画像として仕上げるのである。
 しかし、上記のような枚数が控えているとなると、そう悠長なことはしていられない。何らかの省力化を企てなければ、休暇中に処理し終わらないという推移となりかねない。そうすれば、またまた、積み残し枚数が増え続けることになりそうである。
 そんな事情から、こうなったら体裁を損なわないかぎりにおいてできるだけ手を抜くべし、と決め込まざるを得ない。だが、いざ作業をはじめてみると、早々手の抜きどころが見つからないのであった。どうしても、後で後悔するような仕上げにはしたくないと贅沢なことを望んでしまう。これまでに処理してきた形式とあまりにも異なるようではまずい、と自主規制する心理が働いてしまうのである。

 だが作業を進めるうちに、やがて、手抜きにあらず「正攻法」の処理でありながら、作業効率の上がる工夫があれこれと浮かんできたから「頭脳の無意識な働き」というのはありがたいものだと痛感した。
 たとえば、録画したTV番組というのは、その時その時に場当たり的に録画しているつもりでも、意外とシリーズものが多いのである。たとえば、NHKの、いやほとんどがNHKなのであるが、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のシリーズであったり、『新日本紀行ふたたび』のシリーズであったり、あるいは『クローズアップ現代』であったりという按配である。となると、シリーズごとに共通の表題画像を使用して、それにそのコンテンツ特有のタイトル画像を加えるというスタイルとしてしまうならば、かなりの作業量を減らすことが可能となったのである。
 また、画像処理そのものの方法にしても、思わぬ発想の転換ができ、これまで各コンテンツ毎に手の込んだことをしておりその方法しかないと決め込んでいたものを、共通部分として設定する側にその処理と同等の処理を施しておけばそれで済むということも偶然知ることになったのである。久々に、この種の閃きが生じたのは今年最後のクリーンヒットのような気がしたものであった。何でもないと言えばそうなのだが、こうした閃きというかアイディアが訪れることほど、自分が自分らしいと感じることはないし、前述したごとく「頭脳の無意識な働き」に感謝してしまうことはない。

 そう言えば、今年一年を振り返っても、この種の閃きで喜ばされたり、密かに快感を感じたということは少なかったかの印象を持つのである。これが、長〜い長〜いスランプの証であるような気がしないでもなかった。
 何かに根を詰め、それなりに集中力とエネルギーを注ぐならば、コンディションの良い時には、何がしかの閃きを提供してくれるのが自分の「頭脳の無意識な働き」だと勝手に信じてきたものであった。いや、自分の頭脳というよりも、人間の一般的な頭脳の巧妙さだと言うべきなのであろう。
 しかし、コンディションという条件が意外と厄介なようで、リラックスしたいわば自由な気分とならなければ「頭脳の無意識な働き」というものは奏効しないもののようなのである。妙な緊張や不安な心境というものは、どうも百害あって一利なしと言えそうな気配だ。だから、いわゆる慢性的なストレスというものは、人間の頭脳をして「貧すれば鈍す」の状態に追い込むもの以外ではなさそうだ。

 ということで、今年最後の日誌の話の落とし所は、次のようなことになりそうである。常態的だとさえ言えそうなストレスを粉砕して、くれぐれも「頭脳の無意識な働き」を解放してやろう! と。そのために、どんな積極的なことができるか、というのが来年の緊急課題となりそうである…… (2006.12.31)