もう病人なんかじゃないかのようにシャキシャキと振舞っている。
わたしが、姉の用意した身の回りの小物一式入りの手提げ袋を運んで病室に入ると、おふくろは、新しい点滴と取り替えてもらいながら、親しげに若い女性看護士と談笑していた。
「あのワカメが消化せずに残っていたんだもんね。これでスッキリしたわ」
とか、朝の排便の様子なんぞをネタにして話し込んでいる模様である。
看護士さんも、痛みが取れて明るくなっている年寄りの患者は扱いやすいと見えて、気分よく対応していた。
「あなた、名前なんていうの?」
と、胸の名札に手を出して覗き込んだりもしている。
わたしも冗談で余計なことを言っていた。
「このおばあちゃんはね、感じのいい看護士さんだって院長さんに言うつもりみたいだよ。きっと何か褒美がもらえたりしてね、へへ……」
心臓のレントゲンを撮ってもどってくると、今日の主要な検査は早々と終了した様子であった。結石で詰まっている胆管に、臨時の応急措置で樹脂のパイプを挿入することで、とりあえず問題は回避されているようであった。血液検査でも、すべての数字が回復へと向かっているとの説明も受けた。今日から食事も用意されることになるようだが、これで「戻す」ようなことがなくなっていれば、本人も尚のこと安心するのであろう。
こうなってくると、おふくろのことであるから、ベッドに横たわっていても生活周辺のことを細々と思い巡らすようなのである。
「昨夜は、目が覚めたらいろんなこと考えて寝られなくなっちゃってね……」
「日中はできるだけ眠らないようにしていた方がいいかもしれないね。あっ、そうだ、このTVが観られるように、売店でイヤホーンを買って来てやるよ。TVが頼みの綱の人だからね」
わたしは、ベッドの脇の椅子に座り、しばらくおふくろと話でもしようかという体勢になっていた。今日は、姉が風邪をひいて体調を崩してしまったことや、雨の降りもやや激しいこともあり、自分が「右代表」というかたちで一人見舞いに来たのであった。自分の関心は、術後一日目の様子を確認すべし、ということなのであった。
幸い順調に経過しているので安堵しているが、正直言って、この何日かは取越し苦労気味に心配をしていた。なんせ、いつの間にかと言ったらいいのか、83歳の高齢となっていたおふくろである。
いつも元気そうにしているため、ついつい歳のことを忘れさせられていたわけだが、振り返ってみれば、亡父が63歳で亡くなっているから、亡父よりも20年も長生きしていることになる。もちろんその長生きを、先ずは喜ばしいことと受け止めたいし、まだまだ長生きしてもらいたい。だがその一方で、縁起でもないとかと流さずに、心のどこかには、「おふくろの死」という避けられない事態を据え置かなければならないと感じている。それは予感とかなんとかというものではなく、覚悟の問題なのである。人と人との「死別」に対する覚悟ができているのかどうかという切な過ぎる問題であり、これにしっかりと対峙することを、どうも一貫してごまかして来たような気がしてならない。
これは一人おふくろとの関係の問題に尽きることなく、還暦にじわじわと接近する自分の歳になれば当然何らかの自分なりの定見があって然るべきだとも思えたのである。
おふくろは、仰向けで膝を立てて病室の天井を見つめていた。何を考えているのかは知らねども、その薄くなった髪で囲まれた頭の中で、83年間という膨大な時間に渡って蓄えられて来た記憶や想念が、おふくろなりに目まぐるしく蠢いているのだろうな、なぞと突拍子もなく考えていた。
「やることないからねぇ、いろいろと考えちゃうのよ。そうすると眠れなくなったりするのよ……」
「このイヤホーンを使えば、夜中だってTV観てもいいんだからね。気をまぎらわせて、それで眠くなったら寝ちゃえばいいよ」
わたしは、ふと、昨日聴いた小林秀雄の講演テープ『信ずることと考えること』の一節を思い起こしたりしていた。
「魂はあるに決まってるじゃないか。無くてどうする!」
というようなニュアンスであった。歯切れの良い志ん生の口調に似ていたが、その深い思索家の断言は非常に説得力のあるものだと思えた。人間の精神のあり方の一方法である科学が全てだと見なす「科学の奴隷」となるところには、人間の精神の安らぎはあり得ないのだろうと思えたものだ。
小林流の口調で言うならば、
「安らぎなんぞ無いに決まってるじゃないか。有ってどうする!」
ということになりそうだ。
自分の全体重をかけて「信じる」ことがないならば、人間の精神にも行方はないとでもいうことなのかもしれない。
今、一番自分の心境にフィットしているかもしれない文面を引用しておく。
千の風になって (作者不詳)
私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって
畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように
きらめく雪になる
朝は鳥になって
あなたを目覚めさせる
夜は星になって
あなたを見守る
私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
死んでなんかいません
a thousand winds
Author Unknown
Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.
I am a thousand wind that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripend grain.
I am the gentle autumn's rain.
When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.
Do not stad at my grave and cry;
I am not there, I did not die.
…… (2006.12.26)