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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2006年02月の日誌 ‥‥‥‥

2006/02/01/ (水)  人間の行動認知能力の不確かさ……
2006/02/02/ (木)  人にとっての厳粛な条件である「死」という問題
2006/02/03/ (金)  虚飾を退け、実を取る作法こそが……
2006/02/04/ (土)  生き続ける者たちの真摯な問いかけ様によっては饒舌に語り得る……
2006/02/05/ (日)  生涯「ウォークマン」であり続けることの重要さ……
2006/02/06/ (月)  構造的に破壊されたかに見える神聖な「仕事」概念!
2006/02/07/ (火)  生きる勇気を萎えさせるくだらないマス・メディア情報!
2006/02/08/ (水)  「葬儀写真」の意味を考える……
2006/02/09/ (木)  我が身は自身で守らなければならないご時世……
2006/02/10/ (金)  まともな文化を担保とする人でありたい……
2006/02/11/ (土)  春到来を告げるかのような3つのささやかな出来事!
2006/02/12/ (日)  穏やかな表情が目的ではなく、それが自然な結果となるような生き方……
2006/02/13/ (月)  浅はかな知性が逃げ切るのか、洞察力のある知性が追い詰めるのか……
2006/02/14/ (火)  感情にまかせて、「感情」の正体を探る?
2006/02/15/ (水)  「自己責任」概念と、「要素」を押し潰す「構造」……
2006/02/16/ (木)  切実なかたちでのコンピュータリゼーションが再来?
2006/02/17/ (金)  「瓜田に履を納れず李下に冠を正さず」!
2006/02/18/ (土)  誰だって、やりたい仕事、やりたくない仕事というものがありそうだ……
2006/02/19/ (日)  牧歌的な、職人的仕事観が懐かしい気がする現代仕事事情……
2006/02/20/ (月)  迫り来る悪夢を見ないで済むようでありたい……
2006/02/21/ (火)  差し障りのない夢の話……
2006/02/22/ (水)  「センス(sence)」が決め手のスピード時代?
2006/02/23/ (木)  リコウとバカの境目に潜む「主観的な」認識?
2006/02/24/ (金)  再度、「センス(sence)」というものの不思議さについて思う……
2006/02/25/ (土)  現代における、重っ苦しくも、最重要課題なのが、「公共性」という三文字?
2006/02/26/ (日)  「へそまがり」感覚の実践こそが、脳と「身体感覚」とのバランスに……
2006/02/27/ (月)  「何も足せない、何も引けない」そんな言葉遣いや文章作成……
2006/02/28/ (火)  「気が利いて間が抜ける」愚を犯し、「ほとほと」感に襲われる?






 ニ、三日前に、まだ治療して間もない歯の被せ金属が突然取れてしまった。食事中であり、危うく飲み込んでしまうところであった。さっそく歯医者にて付け直しをしてもらったが、ちなみに、付け方の処置が不十分であったことなどおくびにも出さず、新たな治療費が取られたものだった。
 まあ、それはおくとして、昨日、若干驚いたことがあった。これもまた、「身につけた金属」に関するアクシデントだったのである。
 長年、左手の指に嵌めて身体の一部ともなっていた結婚記念指輪を紛失してしまったのである。ズレ落ちそうになったとか、何かに引っかかって取れそうになったとかを覚えていそうなものであるが、それが紛失時の様子などはいっさい覚えていない。
 基本的な原因は、わかってはいた。体重減量によって指が痩せ細ってしまったからなのである。痩せ細ったとはいささかオーバーな表現かもしれないが、ブカブカな状態であり、アブナイかなあ、などと懸念しないわけではなかったのだ。ひと昔前の肥満の頃には、あまりにも窮屈となったものだった。指に食い込むような感じとなったわけだ。そこで、リングのサイズを拡大してもらった覚えもある。それが、減量以降、想像できないほどに緩くなってしまったのである。

 思えば、もはや三十年以上着用していたことになる。指輪それ自体の価値は大したことはないので、その点ではさほど悔しい思いはないが、何ぶんにも、記念のものであることだし、身体の一部となっていた感のものがなくなってしまうと、妙に寂しい。あちこち探し回ってみたのだが今のところ見当たらない。
 多分、前述のとおりブカブカとなっていたため、何かの拍子に、気がつかないままにスルッと落としてしまったものと思われる。
 しかし、そうだとしても、このような失態に気がつかないで何日かを過ごしていた自分が情けなくなってくる。めったに所持品を紛失させたりしない方で、またそんなことがあったとしても早めに気づいて紛失したと思われる場所を探して見つけたりもしてきた。それが、今回は、どこでどう落としてしまったのかの見当がまるでつかない。「焼きが回った」のかと思わされることが何とも辛い。
 もうだいぶ以前のことになるが、ボーッとしていたことがあり、その時にもまるでバカみたいな失態をしたことがあった。フラフラとタバコを買いに出かけて、自販機にコインだけを投入し、タバコを取り出さずにそのまま帰ってきたのだった。帰宅してもしばらくは気づかず、気づいて慌てて立ち戻った時にはタバコなんぞがあるはずはなかった。
 確かに、ここしばらく、自転車通勤を敢行していることもあってか身体の疲れがあり、また気分も爽快というわけではなかった。どういうものか注意力散漫の状態であったような気もする。何か頭や心の中に引っかかることがあったりすると、にわかに日常的な注意力が低下しがちなたち(性質)なのかもしれない。
 決して歳のせいだとは思えない。というのも、いまだに覚えていることで、6〜7歳の頃にこうした明瞭なチョンボをしたことがあったからである。確か、この日誌にも以前に書いた記憶があるが、小学校の頃、下校時に何を考えていたのかは覚えがないが、学校にランドセルを置いたまま手ぶらで帰宅して、母親から「ランドセルは?」と聞かれてはじめて気がついたというお粗末を仕出かした。帰路は子どもの足で小一時間はかかろうというもので、なぜその間に気がつかないで家までたどり着いてしまったのか、きわめて不思議な出来事なのであった。

 昨今のご時世では、バカなこと、酷いことをする者が少なくない。で、それに対してとかく腹を立てがちな状況でもある。しかし、いざ自身が、自己嫌悪に陥るようなことを仕出かして、人間の行動認知能力の不確かさに気づかされてみると、何だか複雑な心境になったりする。ただし、「確信犯」の犯罪はしっかりと別枠で非難すべきではあろうが…… (2006.02.01)


 昨夜、家内の父が亡くなった。肺炎と心不全のため数日前から入院をしていたが、今回は持ち直すことができずに、88歳で生涯を閉じることになった。心から冥福をお祈りしたい。
 この間、何回か肺炎などによって入院を繰り返していた。が、もとより体力があり、その度に危険水域を突破されてこられた。家内は、お父さんの入院時から病院に出向き、徹夜で付き添っていたりした。
 自分も、長らくお会いしておらず、こんな時にはお見舞いに行くべきであった。それが悔やまれる。きっと持ち直されるに違いないという勝手な楽観的観測と、目先の仕事の調整がつかないことなどがあり、家内との電話により容態の推移を確認するに留まってしまった。

 人にとって辛いことはいくらでもある。現在では、毎日を平凡に過ごすことだけでも大変なことのようであり、辛いことが満ち溢れているようだ。
 また、若いうちは、生きる上での様々な好条件に恵まれており、辛いこともある程度はいなすことができようというものだ。まあ、昨今のご時世では、若い人たちもいろいろな意味で苦境に立たされて、「無限の可能性」などという言葉は空々しいものであるのかもしれないが……。
 しかし、歳をとっていくと身体の老いをはじめとして、社会的条件においてもそうだろうが、日毎に生活条件が悪化し、そしてその分、辛さというものが滲み出してくるようである。まして、時代は、旧き良き時代のごとく老いたる人を尊重するような風潮を吹き飛ばしてしまっているから、悲観的に見れば、老いは、ただただ辛さの増大だと言えてしまうのかもしれない。

 そんな状況の中で、老いる人にとっての何よりも辛いことは、先行者との「死別」、そして自身の死に伴う後続者に対する「死別」であることだろう。とりわけ、自身および相手の者が若い時には想像だにすることのなかった関係において、突然に「死別」が訪れるというのは、何と惨く、悲しく、そして辛いことであろうか。
 生活の中のさまざまな不便が魔法のように解消されるこの現代にあって、決して解消することが不可能なのが、この「死別」の問題である。
 また、普段の生活においては、こうした辛い問題を見て見ぬふりをするのが、生活者の「常套手段」であるはずだ。旧き良き時代にあっては、こうした必然的に訪れる人間にとって最大の不幸を、決して忘れまいとする慣習が息づいていたものと思われる。それらが、人々に心の準備を促していたのであろう。
 しかし、現代の生活者には、明るく便利な環境があるにもかかわらず、そうした肝心の支援が残念ながら失われてしまっているのも、辛さを倍加させている原因なのかもしれない。

 明日からは、通夜や告別式のために家内の実家へ出向く予定である。人にとっての厳粛な条件である「死」という問題を凝視することになる…… (2006.02.02)


 「死別」の悲しみを深く背負う人ほど、この事実に遭遇した直後には実感が与えられない、と言われる。その当事者は、葬儀などの対応で振り回されてしまうからである。また、連日病院で付き添い、疲労が極限に達しているという事情も、自然な感情が撹乱されることになっているのかもしれない。
 そういう点では、もう、何十年も前に、突然、父が他界した時のことを、ふと思い起こしたりした。当時、母親は、連れ合いを亡くしたとは思えないほどに明朗快活であったのだ。不思議な感じさえしたものである。
 しかし、葬儀が終り、人々が去り、そしてわたしなどがひとまず居住地であった名古屋に戻ってから、母は、ポカッと空いてしまった空虚さと、そこから滲み出してくる悲しみに毎日泣いて暮らしていたと、姉から聞いたものだった。まさに、忘却だけしか消しようのない「重症の悲しみ」に直面したようなのであった。

 葬儀その他の社会的慣習をとりおこなうことは、遺族にとって辛いことであるには違いない。が、シニカルな見方をするならば、そのことは、人間生活が生み出した「絶妙な知恵」だとも言えそうである。というのは、遺族にとっては、とりあえずはニ三日であろうが、「空白の時間」経過が必須であるように思えるからだ。
 昨日まで、生きて存在感を示していた家族が、突然に居なくなった事実に何の「緩衝」期間もなくダイレクトに直面することは、あまりにも過酷であるに違いない。それが、葬儀にまつわるいくらか煩雑な対応をしなければならなかったり、多くの参列者たちに接したりする「緩衝」によって、「表向きの顔」を作らなければならないのが、逆に、ひとつの癒しではないかと思うのである。

 昨日、家内と電話で話した際にもふとそんなことを感じたものであった。家内は、さぞかし悲しさで胸が押し潰される心境であったのだろうが、葬儀にまつわる厄介な問題に直面することで、いつもの調子を取り戻していたからである。
 つらい悲しみの上に、厄介な葬儀の段取りまでを背負うことは、泣きっ面に蜂、という悲惨なことのようでもあるが、後者が前者を打ち消しているような印象を受けたのである。
 お寺やら葬儀屋とのやり取りの問題、親戚関係との小難しい問題、そして、葬儀費用の問題など、腑に落ちないいろいろな問題に対しての、日頃の合理的思考が、予想以上に活性化されていたのである。感情の落ち込みが、そうした通常の思考によって凌駕されているとの印象を受けたのであった。
 中でも、葬儀費用をめぐっての現実的な発想は家内ならではの首尾であったかと受けとめた。そして、ただただ世の葬儀屋たちの繁盛だけに結果するような「非現実的」な葬儀はやめ、近しい親族だけでのしめやかな葬儀にしたい、と弟さんなどと相談して決めたというのであった。もちろん仏さまへの想いを軽んじるわけではないのだけれど、派手で空々しい葬儀によって、今後生き続けなければならないお母さんの生活費を食い潰していくことをしっかりと疑問視していたのであろう。その判断には、わたしも大いに共感を覚えたものであった。虚飾を退け、実を取る作法こそが人の世で大事なことであると再認識させられたのであった…… (2006.02.03)


 つい先ほど、葬儀から帰宅した。家内と息子は、家内の実家に残ることとなり、自分一人が二時間半をかけて千葉の先の斎場から戻った。
 今日は、暦の上では春となったにもかかわらず、陽射しの温もりを打ち消すような冷たい風が吹きまくる寒い日であった。
 だが、まあ、家内の父の葬儀をつつがなく終えたことで、皆一様にほっとした雰囲気ではなかっただろうか。たとえ、これから悲しみの日々や、空虚感、その他の変化が訪れようとも、結果的に死に向かうことになった亡父の最期を、不安と恐れと疲労感を伴って寄り添っていた者たちにとっては、ひとつの安らぎが与えられたことになるのだろう……。

 通夜、葬儀は、上野の菩提寺から僧侶を招いて、父の在住地の市営斎場にてとりおこなわれた。昨日も書いたとおり、費用面やその他の事情を考慮して、内々でしめやかに行うことを主旨として、参列者はわたしを含めて10名という「少数精鋭」であった。今日のような寒風吹き荒ぶこんな日でもあったので、「義理」での参列を強いることになるような諸方面への連絡をしなかったのは正解だったかもしれないとも感じた。
 日程の都合で、部屋は小規模なスペースが空いておらず、公称100名のホールがあてがわれ、そのだだっ広いホールの最前二列ほどに8名が厳粛な思いで座することになった。後方には、何列もの空きチェアが、やや不自然さをかもしながら並んでいた。
 わたしは、通夜のあとの会食時に冗談を言ったものだった。
「ふと振り向いたら、後ろの空き席には、亡くなったお父さんのお友だちの方らしい人たちが天国から大勢お見えになっていたよ……」と。
 冗談を超えて、実際、お父さんを慕っていた姿が見えぬ大勢の方々が詰め寄せて来ておられたはずだと、私には思えたものだった。人生のめぐり合わせに翻弄されるほどに、人の良い人柄であったお父さんを嫌う人は少なかったはずであり、最後の住みかとなった老人ホームでもみんなから慕われ頼りにされていた。参列したいとの申し入れがあったのを、主旨を話してわかってもらったとも聞いている。

 斎場での通夜の後、わたしはてっきりその場で次の日を迎えるものと思っていたのだが、とりあえず家に戻ることとなる。これまでの経験では、斎場の遺族待合室などで仮眠程度をとることはあっても、夜を徹してしまうことが多かったかと思う。だが、次第にそうした傾向も下火になり始めていたかもしれない。なんせ、そうした作法があまりにも疲労度が激しいことは否定できないだろう。
 ただ、家内の実家に戻ったわたしは、結局深夜まで、久しぶりに会う弟さんなどと飲みながら話し込んだりしたものだった。

 話の口火は、家内が亡きお父さんの若い時代の写真を簡易的にアルバム風にしたものやら、お父さんがかつての戦友たちと編んだ記念出版物などをテーブルに広げたことであった。
 その記念出版物に関しては、家内がこう言った。
「わたしたちが知らないところでこんな文章を書いていたのよね」と。
 その言葉を聞いて、わたしは、それが人生、特に父親や男というものの人生なんだろうという思いが、ふと刺激されたのであった。
 家族や、友人、知人は、人生を静かに閉じた「斎場の主人公」に対して、さまざまな角度から、さまざまな想いを寄せるはずであろう。そして概ねそれらは外れていないのであろう。しかし、そうだとしても、それらの断片を集積させたところで、「斎場の主人公」の全貌が明らかになるわけではなさそうだと思えた。まして、「主人公」自身の本質なぞが照らし出されるわけではないのかもしれない、と。
 その「主人公」だけにしかわからないようなものこそが、その「主人公」の人生なのかもしれない、とそう思ったのである。人が人をわかることは不可能なのだという点をあえて強調したいわけではない。そうではなくて、他人がわかり得ない多くの未知数を独りで背負ってゆく部分というものが、人の人生においては結構重い部分なのではないかという、そんな了解を持ちたいと思ったのである。
 家族たちが知らないところでしたためていた文章、家族たちが想像できないような若い時代のきわどく輝かしい顔つきの写真、そうしたものは、明らかに、家族たちとの日常生活からは隔絶された「主人公」の異質な一面なのであり、それが「主人公」にとってのいわば本質であった可能性も否定できないのではなかろうか。

 人が、自身の人生を閉じることになるということは、ひょっとしたら自身でもわからなかった部分をも含めて、すべての他者たちから問いかけに「とりあえず蓋をする」ということなのであろうか。「とりあえず」と書くのは、死者は決して語らない、ということなのではなく、生き続ける者たちの真摯な問いかけ様によっては饒舌に語り得るという含意なのである。問題のすべては、生き残る者がどう生きようとしているかという一点にかかっているということになりそうな気がする…… (2006.02.04)


 今朝は久しぶりに朝寝をしてしまった。例の振動型目覚まし腕時計のスイッチが知らぬ間にoffとなっていたことと、若干疲れが溜まっていたのだろうか、窓外はすっかり明るくなっている。時計を見ると9時前であった。
 だが今日は、取り立てて急ぎの案件もなかったため、良く寝た、と再認識するだけで、急ぐ気分もなくおもむろに起きることとした。
 家内はまだ実家から戻れないであろうことを思い浮かべ、独りの休日をどう過ごそうかと考えたりした。ここしばらくは、雨天であったり、何やかやとあったため、ほとんど運動らしいことをやっていなかったことを思い、先ずはウォーキングをすべしと思いを固めた。

 昨日は遠出をしたりして疲れているのかと思いきや、足は実に軽やかであった。自転車通勤のお陰もあり、足の筋肉はきわめて順調なようである。
 歩を進めながら、唐突に考えていたことは、単純なことであった。いくつまで生き続けることができるかはわからないが、その日が来るまでは、他人の世話にならなくても済むように足腰をしっかりとさせておこう、と。
 昨日、葬儀のあった義父の場合もそうであるし、昨年に入院した際にも関心を向けざるを得なかったのであるが、歩けなくなったお年寄のかわいそうな姿と、周囲の者への依存という光景は、いやに昨今脳裏に刻まれているかのようだ。まして、個としての自由にこだる自分であれば、自身の身体に関しては、とことん自身でコントロールし続けたいと思わざるを得なかった。

 この不安定な経済情勢にあって、人々は、否応なく老後資金のことを心配させられている。確かに、おカネの心配も重要であるというか、不可欠であろう。だが、自分としては、意識が途絶えるその直前まで、自身の足で歩み、自身の身体のことは自身で賄えるようであることを最も望みたい。まあ、みんなそれを望んでいるに違いないとは思うが、そのために何を準備として行っているかは千差万別なのであろう。
 しかし、中高年の時から意図的な体力管理、体力増強策を講じなければ、おそらくは確実に足腰の老化や不自由は到来するものであるに違いないと思える。
 幸いというか、結果的にというか、昨年の入院以来、自分の身体はまさに「一病息災」(一つぐらい病気のある人のほうが、そのために身体に気をつけるので、健康に留意しないじょうぶな人よりもかえって息災であるということ。―― 広辞苑)の謂(いわ)れのもとに置かれるようになった。体重や血糖値の数字を気にせざるを得ないことで、単なる気分の問題ではなく必須のレベルで運動や歩くことを重視するようになったわけだ。せいぜい、「ウォークマン」として長生きし、他人に好かれないまでも嫌われ者とならないように努めたい…… (2006.02.05)


 知人の、ある公務員が、次のようなことを言っていた。
「最近は、仕事という仕事ができなくなりました。常に、コスト削減とそのための組織改変のことばかりに追われるんです……」
 いや、立派に仕事をやっているじゃありませんか、という向きもあるだろう。そうしたコスト削減に向けた一連の課題を消化することが仕事そのものだと。
 ただ、彼の頭の中では、そうしたコスト的課題は一部の課題であるべきで、仕事には、もっと仕事の「アプリケーション(業務内容)」的側面というか、社会的役割とでもいうか、そんなことに注意と関心を向けて、コンテンツと質とを深めたり高めたりする課題がある、と想定しているかのようであった。
 そのとおりだと、わたしも思う。彼は管理職であるため、特に、そうしたコスト面での課題を背負わされているようだが、管理職であっても、「アプリケーション」的課題からは離れられないはずだと考える。

 どうも、こうした誤った風潮が、現在の仕事世界というか、経済社会を席巻しているようである。仕事=コスト削減、収益増大、仕事=金儲け、という等式を誰もが疑わない空気が蔓延している。それらは決して間違いではなかろう。経済におけるコアで骨子の問題だからである。
 しかし、それでいいのか、と問う価値はありそうに思う。なぜなら、われわれは、経済社会にのみ生きているわけではなく、経済的価値だけに寄りすがって生きているわけでもないからである。
 経済領域の事象が、他の領域に決定的とも言えそうな影響力を及ぼしていることは否めない。カネがなければ何も叶わない、と決めつける世代や人々が生じているのは、その何よりの証拠であるのかもしれない。

 今回のライブドア事件が象徴的に世に問うていることは、彼らが身をもって示したカネ儲けと仕事との関係、カネという手段に対する目的というものの不明瞭さ、そして、彼らの仕事の中身に目をやった時に浮かび上がる「アプリケーション」内容の凡庸さ、なおざりさであるように思われる。それは、フジテレビとの経営一体化が話題となった際の、堀江容疑者が語った「インターネットと放送の融合」なんぞという取って付けたような言辞で気づいていた人も少なくなかったはずではある。
 いや、問題視されるべきは、このご時世の「寵児」だけではなく、「本来の仕事」をやせ細らせて過剰に「コスト削減」=「収益向上」にのめり込んだ、現代の組織体すべてではないのかと感じている。
 建築の安全を踏み躙ってカネ儲けに走った建築業界のイカサマ企業、米国食肉業界の圧力に屈して安直な政治的判断に走った米国と日本の政界、乗り物の安全を忘れてしまったかのように収益に即した経営課題を優先させて巨大事故を頻発させるJR、真に視聴者が欲するコンテンツを緊張感をもって探ろうとせずに、旧態依然とした体質維持と安直な番組政策で国民を愚弄しているNHK……。
 これらは、こぞって仕事という神聖な概念を地に捨てて、足蹴にしたのと同値だと思われる。個々の立場でそれぞれの被害を生み出していることは当然非難されて然るべきだが、さらに、仕事という、誰もが携わる貴重な行為を汚すことで人々から大事なものを奪い去った犯罪的意味は甚大だと思う。

 これらが「構造改革」路線の下で行われてしまったことを思い起こすと、仕事の生産性を向上させる意を含んでいたはずの「構造改革」が、まるで反対に、人々の勤労意欲やモラール(士気)を引き下げてしまっていると見受けられる。
 果たして、このパラドックスを、現政府の誰が一体気づいているのだろうか。日経新聞の世論調査では、内閣支持率が大幅に低下しているというが、ここまで杜撰な政治を、いかに寛大な国民であっても見ていられないということなのであろう。かつて「ぶっ壊す!」と大見得を切った小泉氏は、いまこそ自身の内閣をぶっ壊して欲しいものだと切に願う…… (2006.02.06)


 昨夜の雪には参ったが、今日の午後は気温も上がってきた。3時過ぎには春めいた陽射しさえ見受けられ、ようやく春が近づいているかの気配がする。
 まだまだ寒さに対して油断ができない時期であるが、一応、春のはじまりとしての立春も経過したわけでもある。みんなして春だ、春だと叫びまくればこのまま春になったりするのではなかろうか……。いや、それほどに、この冬の陰鬱な肌寒さが、心境に影を落としてしまっているかのようなのである。早く、心も身体も柔らかく包んでくれるような、そんな春の到来が待ち遠しい気分だ。

 寒さは、人の身体を文字どおり萎縮させるだけではなく、心を、そして頭脳活動をも萎縮させ、生気を奪うかのようだ。
 ただでさえ、現在、人々は、うんざりするほどの社会不安やその次元を上回る社会的恐怖にさらされて、心も発想も萎縮させられている。そこへもってきての季節の寒さは、まるで、残酷な「駄目押し」だと言えるような印象を受けるのである。
 一体、季節の寒さや、心を凍らせたり頭脳の働きを鈍らせるかのような不安と恐怖に対して、人はどのようにして自然な活力や希望に満ちた姿勢を保てばいいのだろう? この答えがどこかに有って然るべきはずではなかろうか。

 今、ふと、つまらないことを思い起こした。
 ライブドアの堀江容疑者が、事件発覚後マスメディアのインタビューに応えて、「犯人だ、犯人だと言われまくっていると、ホントにそうなのかと思っちゃうじゃないですか……」と述べていたことである。まるで、マス・メディアが自分を犯人に仕立て上げてでもいるかのような口ぶりに聞こえた。容疑事実に決着が着いていないのでうかつなことは言えないが、よく言うよ、という感触を受けたものである。
 それはともかく、今ここで話題にしたいのは、「……だと言われまくっていると」その気になっちゃうという点なのである。
 われわれは、「マス・メディアが報じる狭く、偏った世界」に慣れ過ぎているのかもしれない。あるいは、頼りきっているのかも……。極端な場合には、頭の中は、何らかのマス・メディアが報じる情報群だけということも大いにありそうな気がする。しかも、頭が良いと思われ、何らかの集団・組織・社会で影響力を持っている人ほどその傾向が強いような気配もありそうだ。

 そして、それはそれでよしとしても、問題は、「その気になってしまう」という点なのである。いや、自分が犯人だと思うというのではなく、それが、実在する世界だと思い込んでしまったり、たとえば、カネがすべての世界というのが現実だと思い込んでしまったりするということなのである。
 マス・メディアが決して報じないローカルな世界(「ど根性ダイコン」でもいい)、つまり自身の身近な空間での出来事に重みを自覚し、自信をもって脳内に収めることが苦手気味になっているのではないのだろうか。
 マス・メディアが報じる世界は、決して客観的で包括的な世界なんぞではなく、ひとつの編集の結果の世界であるはずだろう。真実も混ざってはいるが、ウソもあれば、虚構もありの人為的編集結果の抽象世界以外ではないと言うべきであろう。だから、もちろん、視聴者にそこはかとない生きる勇気を与えるというようなシロモノではないわけだ。どちらかと言えば、カネがすべての世界を頷かせたり、援護射撃をするような刺激的な情報が満載されるのが現実なのだと実感する。

 自分自身、広い意味でのマス・メディアには四六時中接触している部類であるが、やはり安かろう悪かろうの情報に安易に身をゆだねていると、生きる勇気を支える貴重な情報から遠ざかってしまうというリスクを感じたりしている。鳥インフルエンザなどによる伝染も恐いが、無防備な意識の世界に忍び寄り、いつの間にかエイリアンのごとく棲みついてしまう低俗な情報群も大いに警戒すべきなのであろう…… (2006.02.07)


 夕刻の陽に映える浮雲がとても美しい。青空を背景にして、上部が輝くように白く下部は薄いグレーでぼやけ煙った感じがする。浮雲としての存在感がありありとしている。事務所の窓から見上げると、そんなダイナミックな光景が目に入った。
 今日は、空気が昨日よりも春めいた感触である。日当たりの良い場所は暖かく、日陰はまだひんやりとしているが、やはりじわじわと春が忍び寄っていることは間違いない。

 先ほど、先日の葬儀の際に撮ったデジカメ写真のプリントを受け取りに、近所の取次店に足を運んだ。葬儀関係の写真であるため、誰も楽しみにするというものではなかろうが、薄れてゆく人の記憶を助けてくれる記念になるだろうと段取りしたのである。
 デジカメであるため、すでに映り具合は確認していたが、予想通り「手ぶれ」を起こしているものが多数あった。葬儀場内で撮ったものは、さすがにフラッシュを使うことができない上、厳粛さを乱してはいけないという気遣いなどが、手元を狂わせたりしたためである。そういう点では、昨今の新型カメラは「手ぶれ防止機能」がついているためこんなことにはならないはずである。

 葬儀の写真というのは、結構やっかいなものなのである。今書いたとおり、悲しみにくれている人たちや、とにかく厳粛な気分であることを要望する人々の逆鱗に触れないかたちをとらなければならないからである。また、読経中の僧侶の姿も当然残したいため、事前に僧侶からの了解をとっておかなければならない。
 また、本来を言えば、カメラ側の準備体制をも事前にチェックしておかなければならない。フラッシュ無しが相場であるから、可能であれば、物々しくも三脚もしくは一脚を用意しておくべきであろう。
 ただ、状況が状況だけに、自分はカメラ担当と割り切らせてもらえることははなはだ難しい。第一義は、参列者と位置づけられていることが多いからである。そして、どうしても、「写真撮影は必要なのか?」というその場の一般的な雰囲気に押されがちともなってしまう。だから、どうしても、「市民権」を得られたような得られないような中途半端なステイタスで葬儀中の写真を撮ることになってしまうわけだ。

 そもそも、葬儀に関して「写真撮影は必要なのか?」という問題は微妙である。ただ、もちろん自分は、必要だと思っているから敢行するわけなのであるが……。
 まずはじめに言っておけば、自分にカメラの趣味があるからそう思うといったゴリ押しをしているつもりはない。それなりに必要性を実感しているのである。
 先ず、「外堀」的意味あいで言うと、われわれ現代人は、死や死に関することを忌み嫌いつつ、日常生活から遠ざけ、そして記憶からも遠ざけがちだと思う。しかし、その方が馴染むのかもしれないが、事実は事実として受け止めて忘れないことが絶対に必要だと感じる次第である。
 また、遺族や当事者であれ、関係者であれ、事、葬儀という場はいわば「超」日常的状況であるため、通常の心理状態ではなく、ヘンな表現をすれば「舞い上がって」(あるいは「打ち沈んで」)おり、正常に記憶作用を働かすことができない状態にありそうな気がする。極端に言えば、夢の中の出来事のように過ごしてしまう可能性もあるのかもしれない。
 だから、後日、リアルな日常的内面で振り返る材料としての「葬儀写真」というものは、先ずは、なければならないというように考えているのである。
 後日、その写真を見るか見ないかは当事者にお任せすることになるのは言うまでもない。亡くなった方の淡い思い出のみを大事にしたいのであれば、再び見ることもなく仕舞っておいても一向に差し支えない……。

 あと、わたしは、葬儀というものが何であるのかを問うた時、厳粛であることはもちろん問題なしとしても、だからと言って、それは決して僧侶の読経のためだなんぞとは毛頭思わないのだ。シニカルな表現をするならば、僧侶や読経がなくても、参列者たちの祈りがありさえすれば死者は浮かばれるに違いないと考えたい。
 生きている時に、さまざまな公的権威に気を遣わされ、病気になったら医者の権威に押されがちで過ごしたはずの者たちが、死んでからも取り立てて縁があるとは言えない僧侶なくしては浮かばれないと考えるのは、あまりにも紋切型であり過ぎるのではなかろうか。
 大事なことは、遺された者たちが死者を悼み、決してあなたを忘れないと心に刻むことであろうかと思う。そう考えると、僧侶や、仏式などのお定まりの条件に依存し過ぎることなく、遺された者たちが前面に出るような葬儀こそが望ましいと思っている…… (2006.02.08)


 今朝、自転車通勤で危ない目にあった。まあ、昨今のクルマのドライバーは、皆、危険な運転をすると見なして差し支えなさそうではあるが……。
 右側から合流してくるT字路でクルマが止まっていたため、歩道を走っていた自分は自転車を止めざるを得なかった。そのクルマは左折しようとして、右方向(わたしからすれば前方方向)から来るクルマに顔を向けていた。が、なかなか切れ目がない。わたしは、歩道をふさいで止まっているそのクルマの前を行き過ぎようかと思った。が、その女性ドライバーは、わたしの存在に皆目注意を向けずに、反対側から来るクルマの様子にばかり気を取られている。
 わたしの方が、警戒心を抱いた。もし、そのクルマの前を行き過ぎようとしたら、そのクルマは、いつ、クルマの切れ目だとばかりにアクセルを吹かすかもしれないと……。
 しかし、いつまで経ってもクルマの切れ目は来ず、わたしも業を煮やして動きに出た。と、やっぱりそのクルマもジワリと動き出したのであった。まるっきり、わたしの方向に目をやることもなくである。ひやりとした。そして、しばし睨みつけてやった。その女性ドライバーは、自身の不注意に恐縮した顔つきをしていたものだ。

 いま時、自転車を使うのはよほど自身側が注意をしていないとまずいことだと再確認したわけだが、今ひとつ、人(ドライバー)の注意力というものは結構恐ろしいものだと痛感した次第でもあった。
 本来、注意力というものは、置かれた環境にあまねく向けられてこそ意味を持つのであろうが、今朝の人のように、自分の関心が向く対象とその方向にだけ全力を傾け、それ以外の対象は想像だにできない場合だってあるというわけなのである。
 おそらくは、大半の交通事故というものはそんな想像外にしていた対象との遭遇で発生しているのだと思う。

 この間の自転車通勤で、ひやりとしたことは何回かあったが、そのうち記憶に残っているクルマとのケースでは、どういうものか女性ドライバーの場合が気になった。
 今朝の人もそうなのであるが、化粧もせずに、どちらかと言えば起きぬけで家族なりを送っているというような雰囲気なのである。以前の場合なぞは、髪を振り乱し、寝間着の上にコートを引っ掛けているといった身なりであった。
 人さまのことを詮索するつもりはないが、どうも公共的な場に向かって、危険を伴うはずのクルマを走行させる体勢にはないかのような印象が捨て切れなかったものである。
 殿方連中の酒気帯び運転もけしからぬ行為であるが、寝起きという状態で、はたまたプライベートな家庭内の煩雑な雰囲気を丸抱えにしたかのようなスタンスで公共交通に踏み込むというのは、やはりかなりのリスキーさがありそうに思えたのであった。
 もちろん、若い世代のバカが、改造マフラーによる騒音をがなり立て、猛スピードで生活道路を突っ走っているのは何をか言わんやの論外でもある。

 自転車通勤を続けていると、我が身は自身で守らなければならないというこのご時世特有の教訓を改めて自覚させられるのである…… (2006.02.09)


 次第に春めいた陽気となってくるので、それだけでもありがたい気がする。
 事務所で昼休みに昼食を調達するために戸外に出ると、今日はまさに燦々と陽がさし、思いのほか開放的な気分となれた。
 同時に、やはりこのところ気分が滅入る傾向にあったことを改めて実感させられた。何ががどうということがなかったわけではないが、それにしても、心の基調がモノクロめいていて、自分でも処しかねる雰囲気であったようだ。
 原因を、「絶望的」とも見える社会事象や政治事象に求めたところで何がどうなるわけでもない。本来、時代や社会とともにしかありえない人間にとって、心はそれらを映す鏡のようなものなのであろう。ちょうど、海岸で気づくごとく、海の色は、その時の空の色に支配されているようにである。どんよりとした空の下の海は、いかにも寒々しい暗い色となっているが、真っ青に透き通った空の下では、海の様相も明るく活気を帯びたように見えるものだ。

 しかし、現在は、人々の心が光に満ちて輝くごとく映し出す社会状況や時代状況はなさそうだ。あるのは、そうした寂しい状況をかき消すがごとく提供される白々しくそして粗悪なカルチャーもどきだけである。そんなものを吸収しているから、ますます人々の心が濁り、虚ろな状態と成り下がっていくのかもしれない。
 何を書こうとしているのかといえば、もはや、「無防備」で時代や社会に接していてはいけない、というようなことである。まるで、「インフルエンザ菌」が蔓延している人ごみにでもいるかのように、防御策を講じなければ、日に日に心が蝕まれていく、といった印象を持つのだ。
 このイメージは、昨今の犯罪事情や政治状況に目を向ければ、まともな感覚を維持している人であれば十分に感じ取れることではないかと思う。
 今や重大経済犯罪の容疑者として追及されている者と、高々と手を取り合っていた小泉首相や政治家たちが、まともな自己批判もなければ、何の羞恥心も持たず押し通している光景は、いかに政治という病的世界のこととはいえ、目に余る事態だ。
 ことほど左様に、軽挙妄動、出たとこ勝負、口先勝負の首相小泉氏の本質よろしく、政治と社会は壊滅状態になりかけていそうだ。それはすべての方策が後手後手に回ってしまっている現況を見れば明らかなことだと思える。

 こんなことを書いてもしょうがないと思いつつ、ついついキーが弾んでしまった。
 ホントに書きたかったことは、「インフルエンザ菌」に感染しないために、自身で心の活性化を意図的に推進させなければならない、ということなのであった。
 時代や社会が立ち腐れた状況となる場合には、カルチャーや文化自体も惨憺たる状況となっているはずなのであろうが、心ある庶民や国民にできることは、自身で心に通う文化を選び、享受していくことではないかと感じているわけだ。
 最後の最後、時代状況に批判を向けることができる聡明な力は、まともな文化とともにあることから来る重い感覚ではないかと想像している…… (2006.02.10)


 1.あんなに鮮やかな色をした野鳥がいるのだ。
 2.一年がかりの河川工事がようやく終了か。
 3.もうとっくに死んだと思い込んでいた野良猫の「ミーちゃん」が元気だった。

 これらのささやかな出来事は、今朝のウォーキングで気づかされた事柄である。
 ウォーキングに出かけて、まだ近所の歩道を歩いていた時のことだった。中古車展示場の従業員が空を見上げており、上方からは聞きなれない鳥のさえずりが聞こえていた。見上げると、全身が黄緑色をした鳥が四羽ほど中空を舞っていた。大きさは、スズメよりも大きく、ハトよりは小さくスリムかと思えた。
 先ずは、その色の鮮やかさに目を奪われた。もし、ブルーであれば完全に「幸せの青い鳥」といったところであろうが、黄緑の蛍光色のように見事に青空に映えていたのである。とっさに思ったことは、セキセイインコのような鳥が野生化したものではないかということであった。しかし、そうだとしても、野生化してから随分と経ているように思われた。決して、昨日今日カゴから逃げ出したような飛び方ではなかったからだ。いずれもが、大きな翼を広げて、迅速に飛び回っていたのだ。やがて彼らは、電線に止まりひと休みしていた。
 水辺でカワセミに遭遇すると、やはりその色の鮮やかさゆえに、思わずこちらの胸がときめく感じとなるのだが、今朝の鮮やかな黄緑色の鳥たちも、ファンタジックなときめきを与えてくれたようであった。
 そう言えば、いつどこであったかの記憶は定かではないが、かつてこうした鮮やかな黄緑色をした鳥たちが、まるでスズメの群れのように電線に群がって止まっていた光景についての覚えがある。その際には、ファンタジックというよりも、不思議さが先立ち呆然と見つめていたようだった。

 この一年ほど、ウォーキングのコースの一部である遊歩道が、河川工事のため通行止めとなっていた。いつになったら完成するのかと思いながらその部分を迂回していたものである。
 が、今朝わかったのだが、その部分がいよいよ完成間近なのである。別にどうということもないと言えばそうなのだが、地面がならされ、あとはアスファルト工事だけという光景を見せられると、何となくワクワクした気分を誘われるからヘンなものだ。
 ちなみに、いつからの工事であったかと記憶を辿るがはっきりとしない。そこで工事の内容を告示した看板に頼ってみると、昨年の1月からの工事であり、まるまる一年間をかけた「大工事」であったことになる。携わった民間業者はさぞかしこれで潤ったのだろうな、と余計なことまで考えたりもした。それはともかく、もうしばらくすれば、ピカピカの遊歩道を踏みしめることができるようになる。

 ちょっとしたことが起きる時には重なるものなのか、いまひとつ、えっ! と思わされたことがもうひとつあった。もう、何年も姿を見なかった、遊歩道沿いで飼われていたあの「ミーちゃん」が、当時のままの場所で日向ぼっこをしている姿を見つけたのである。それも、当時はよく見かけたものであったセメント・プロックの上にタオルを敷いた所定の場所で鎮座していたのだ。それは、近所の集合住宅の人たちが作ってやっていた、こうもり傘で雨をしのいだ猫小屋の脇なのである。
 自分は、何年も会わずにいた旧知の友人にばったりと出くわしたような感動を覚えた。思わず、「ミーちゃんか? 元気だったんだ。よかったねぇ」と声をかけながら近寄ったものだった。その猫は、覚えていてくれたかどうかはわからないが、ミャーミャーと身体を摺り寄せてきた。毛並みといい、手でなでてやってわかる身体のちょっとした硬さなどから、確かにあの「ミーちゃん」であることがわかった。
 しかし、この日誌にはじめて「ミーちゃん」のことを書いた日付を確認してみると、何と「2003.02.27」であった。まるまる三年が経過していたことになる。当時も、冬の寒い気候をよく耐えていると感心したものだったが、あれから三冬も寒い戸外の小屋で過ごしたのかと思うと、立派なやつだと感心することしきりであった。

 いよいよ、滅入った気分が徐々にあがなわれていく自分にとっての春がそこまで来ている気配が濃厚ということなのだろうか…… (2006.02.11)


 「三寒四温(さんかんしおん)」という、小学校時代に覚えた言葉をふと思い出すような気温変化がめまぐるしい時候だ。今日は、朝から冷え込んで、一日中さえない天候であった。
 体調もあまり優れないことと、ちょっと遅れ気味になっている仕事もあったため、おとなしく書斎で過ごすこととした。
 陽気が良ければ、お気に入りのデジタル一眼レフカメラを持参して、近所に春の兆しでも探しにゆこうかと考えていた。何事につけ、気分を癒し、リフレッシュさせておくことが肝要かと思ったのだろう。そして、そのためには身近なところにさりげなく見出せる風景を、レンズを通して眺めることが悪くないと思ったわけだ。が、今日の天気は戸外でくつろぎ気分でシャッター操作をするには寒過ぎた。手袋なしでも困らないような陽気の日にまわすことにした。
 だが、今年の春は、意図的に自然写真、風景写真に興じてみたいものである。心が和むことを真面目にやらなければいけないという気がしてならない。そうでもしない限り、塞いだ気分は、それにふさわしい事象しか招かず、どうも悪循環を繰り返すような気がする。身体にとってもきっと良くないことは目に見えている。

 先日、とある旧知の知人と会った際、わが身を振り返らざるを得なかった。その彼は、顔つきがいかにも疲労感を漂わせ、しかも険のある目つきに変わっていたのであった。さぞかし、望まぬ境遇の中で苦労をしているのだろうと気の毒にさえ思えたものだった。
 が、その時、ふと思ったものだった。きっと、自分だって同じことであり、歳とともに世俗の苦労と垢とにまみれ、品のない醜い顔つきへと変貌してきたに違いない、と。もちろん、毎日見慣れているがために、ことさら何をも感じないのではあるが、見る人が見れば、ろくなことを言わないに違いないだろうと思ったものだった。
 良からぬことを考え続けているつもりではないため、他人から不信感を誘うような顔つきにはなっていないとは思う。しかし、懸念すべきは、鷹揚とした寛容さや、ゆったりとした和やかさが殺ぎ落とされてしまっているのではなかろうかという点なのである。
 自身でも、そんな気分に浸っていることが少ないと感じる以上、顔つきにそうした雰囲気が表れるわけもないはずであろう。もちろん、そんなものをこしらえたとして、作り笑いと同様にただただ見るに耐えないシロモノとなるだけに違いない。

 おそらく、この現代にあって、文字通りの内面の自足感を、穏やかな表情として具現しているという人は稀有ではないかとも思える。あるとすれば、シンプル・ライフを貫徹している猫や犬などの動物たちの表情くらいなのかもしれない。
 表情と言えば、いつも思い出すのであるが、マス・メディアにもよく顔を出すとある精神医学者のことである。まあ、日頃の映像からもその学者先生の顔つきが決して落ち着きのあるものとは思えなかったが、ある会合で、直接その表情を見た時、わたしは非常に異様な感じに襲われたものだった。本来、心に病のある人を診るのがその方の役目であろうものが、その方自身が心の病を背負っておられるかのような表情だったからである。ミイラ取りがミイラになる、とのたとえもあるが、精神的に不安定な患者との接触でそうなったのか、別な原因があるのかはわかりようもないけれど、とても、何か信じるに足るものを持ち合わせている人には見えなかったのが妙に記憶に残っている。

 穏やかな表情が目的ではなく、それが自然な結果となるような生き方に留意したいと思うわけなのだ…… (2006.02.12)


 しばらくは、その種の投資家たちによって「弄ばれていた」ライブドア株が、ようやく最終売りの動きに入ったようだ。今日は、大量売り注文が殺到して、61円のストップ安に突っ込んだようである。
 昨日の報道で、「堀江貴文容疑者らが有価証券報告書の虚偽記載の疑いで再逮捕される見通しとなったことで、東京証券取引所はマザーズに上場しているライブドア株の上場廃止を決める方針だ。」( asahi.com 2006年02月11日15時08分)と報じられたことにより、価値が「ゼロ」となるよりは……、と見定めた投資家たちの切羽詰った動きなのだと思われる。
 ライブドア株の投資家たちには、フジテレビなどの大型の投資家もいるようだが、膨大な数の個人投資家たちがいたに違いない。
 確かに、株への投資は自己責任が原則であり、個人投資家たちの「被害」は、温情的に贖われる余地はなかろう。
 しかし、マス・メディアで注目を浴び、「虚像としての人気者」を気取っていたホリエモンのその正体は、結局、確信犯的な不正によって、膨大な数の個人投資家たちを騙し、コケにしたという事実(ほぼ確実に立証されることになりそうだが)以外ではないことが明らかになりつつある。
 この期におよんでもなお、「盗人(ぬすっと)に追い銭」的に彼の所業を部分的には評価すべきだと言う能天気な者もいるようである。大衆が株取引に参画することができる環境作りの露払いをしたのだ、とかという意見である。彼を持ち上げつつ、自分も「時流」に乗ろうとした浅はかな連中がカッコをつけて言うならまだしも、一般の庶民がもしそんな見解に立つとするならば、この国には永遠に善悪の基準が樹立されないだろう。そうした甘いことを言っているから、この国の社会は立ち腐れていくに違いない。

 この間、ふと考えたことのひとつに、人は、悪のパースペクティブ(空間的広がり)に関してリアルな想像力を働かせなければいけない、というようなことがある。何気なくそんなことを考えたのである。
 要するに、「ウッソー、そんな悪を仕出かす者はいるはずないじゃない!」というようなカマトトは通用しない時代だということなのだ。現代人が仕出かす悪の可能性というものに対して、相応の感度と類推力を持つ必要がある、と言ってもいい。このことは、決してその人の品位を損なわせるものではなくて、状況に対して冷静であるということになるのだろうと考える。
 むしろ、善人を気取って、そんな悪人はいないと盲信する無責任さの方が、周囲の隣人たちを悲惨な事件に巻き込むという道理をこそ、じっくりと見つめるべきなのかもしれない。
 きわどい表現をするならば、悪に対する「免疫性」を備えるということになるのかもしれない。と言っても、まるで、「免疫注射」をしてもらうがごとく、小悪めいたことを仕出かさなければならないということではない。そんなことをしなくとも、状況をシビァに凝視してまともな想像力を働かせれば、人がなし得る悪業の可能性をそこそこ類推することは可能だと思う。
 むしろ、希望的観測や、根拠のない偏見にとらわれ過ぎていたりするならば、見落とすことになるのかもしれない。これは何も、人が行い得る悪行に限らず、人が犯しがちなヒューマン・エラーを事前に察知することと全く同様の事柄なのではなかろうか。

 ライブドア事件に関して、以前に、「野口英昭エイチ・アイ・エス証券副社長の怪死事件」について書いたことがある。事件の第一報に接した際に、「自殺」だと報じられていたことを、直感的におかしい! と書いたはずである。
 いろいろと理由はあるが、そのひとつは、時代劇を好む自分の役に立たない知識からも来ている。つまり、「切腹」というものの実態なのである。
 聞くところによれば、「自殺」と決め込まれた野口氏の腹部の傷は尋常ではなかったらしい。武士の文化と、精神的な鍛錬を積んだその昔の武士でさえ、「切腹」とは腹を切ることではなく、刺すことに留まったらしいのだ。要するに、そのために「介錯人」が存在したわけなのである。
 それなのに、野口氏の場合には、あまりにも大胆な「割腹」であったこと、しかも首の頚動脈や手首にまで深い切り傷があったとなっては、プロフェッショナルな「他者」による仕業としか言いようがないわけだ。
 こうした「怪死」については、「週刊文春」を皮切りとしてようやくマス・メディアも注目するところとなっているが、不可思議な事件の真実というものは、事実の積み上げで解明されていくものだろうとは思うものの、今ひとつ重要な条件は、洞察力を支援する思考の「スキーム(図式)」ではないかと考えている。

 この思考の「スキーム」というものが、上述した「悪への感度」と親和性を持っているのである。ややこしい事を書いているようなので、話をスッキリとさせたい。

<ライブドア事件の鍵をにぎっているのは、いまだに表に出てこない4つも5つもあったといわれる投資事業組合の正体である。
 ライブドア株に姿を変えた巨額の資金が投資事業組合の間をころがされていくうちに、何十倍にも化けてしまうというウソみたいなボロ儲けの話である。
 あの仕掛けで損をしたのは、ライブドアの作り話にのせられた大衆投資家たちで、ボロ儲けをしたのは、ライブドアと、ライブドアが最初から投資事業組合に引きこんだ連中である。それが誰であったかまだ全くわからないが、当然ながら当局はすでにその名簿を手に入れている。
 その名簿はいわばパンドラの箱で、それが開いたとたん、何が出てくるかわからない。要するに、それはボロ儲けができるにきまっている儲け話に、特定少数の人々を一枚かませてやったという話で、構図としてはリクルート事件の未公開株のバラまき(これもボロ儲けするに決まっている話だった)とよく似ている。
 いったいどういう人々にそれだけのボロ儲けをさせてやったのか。
 いまいちばんウワサされているのは、ブラック社会のヤミ金融の世界につらなる人々である。……
 前社長の堀江貴文容疑者がニッポン放送株の買占めをやった頃から、ウラでヤミ金融の世界と深いかかわりがあるというウワサが強くあったことは前にも書いたことがある。……
 こういう予備知識があったので、ライブドア事件が起きて間もなく、ライブドアの投資事業組合を通じてする怪しげな資金ころがしの中枢にいた野口英昭エイチ・アイ・エス証券副社長の怪死事件の記事を読んだとき、私はすぐに、ついに本件のブラック部分が出てきたとピンときた。
 あの怪死事件の背景をえぐったのは、週刊文春の記事だったが、それとすぐにそれをフォローした週刊ポストの記事を読めば読むほど、警察のとなえる自殺説など全く成り立たない話だということがすぐにわかった。……
 周辺取材をすればするほど、出てくるのは、ブラック金融社会の影ばかりで、野口副社長が沖縄だけでなく、香港のヤミ金融社会にも深く関係していたことがわかってきている。>(立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」より)

 立花隆氏は、今回の事件とかつての大事件とを重ねて表現している。かつての「ロッキード事件」なのであり、その際には、結局は<児玉ルート(右翼の大物・児玉誉士夫元ロッキード社代理人を経由した金の流れ)と小佐野ルート(小佐野賢治元国際興業社主を経由した金の流れ)>という巨大な<ブラック社会>がらみの問題が棚上げにされたままに終わってしまった経緯のことなのである。
 もちろん、その事件では保守政治家たちが関与していたにもかかわらず、闇に葬られてしまったのであった。立花隆氏は、「投資事業組合」という不透明な部分に、同種の気配を感じ取っているようである。「自殺」と決めつけられている野口氏こそは、この辺の事情に詳しい人物であったと言われているが、「悪への感度、洞察力」が少しでもある者ならば、ある濃厚なトレースが見えてくるのではなかろうか。そして、堀江容疑者が「喋れない」のも、決して意地を張っているというレベルの問題ではなく、野口氏の先例が口をかたくさせているのだとすれば了解しやすい…… (2006.02.13)


 大学院に在籍していた当時のことをふと思い出した。その教授を慕って名古屋大学まで行ったわけなのだが、理論的な分野もさることながら、とてもフレンドリーな性格の方で、その教授が他大学へ移籍されてそのあとに来られた教授とは雲泥の差であった。
 思い出したくもない後者の教授のことはさておき、前者の教授のことは折りに触れて思い出す。
 理論的なこともさることながら、教授と飲んで話したことを思い出すことが多い。
 ある時、どんな脈絡かは忘れてしまったが、恐怖や恐れにどう対処すべきか、というような話題になったことがあった。
 その際、その教授は、実に良くわかる例を出しながら、恐怖からは逃げるのではなく、より近づいてこそ浮かぶ瀬もある、とおっしゃったものだ。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」に通じる処世訓であった。

 その例とは、教授が軍隊に駆り出された当時の話であり、やたらに上官から殴られたということにまつわる話であった。その殴られる際、通常はどうしても身を引き、避けるような姿勢となるらしいが、それはかえって被害を大きくすることになり、むしろ身を前に乗り出すのが正解だということだった。
 身を前に乗り出す格好をとると、上官も、こいつは逃げ腰ではないと受けとめるのだそうだが、そんなことよりも、より近くに部下のツラがあると物理的にというか力学的にというか上官の腕には力が入らないということなのであった。上官の拳は、大きな半径の円周で振りかざされると破壊力も大きくなるが、小さな半径のそれだと、よほどフック技が上手くないかぎりは打撃力は小さくとどまってしまう、とおっしゃっていた。自分は、酔った頭で、ナールホドと感心したような記憶がある。
 今思えば大した話でもないわけだが、恐怖に対処するにむしろ接近という逆説的な姿勢で行え、という発想はいまだに忘れられないでいる。

 最近つくづくと思うことのひとつは、不安や恐怖の「妄念」によってどんなにか内心を撹乱されているか、ということである。それは場合によっては、現実よりも観念的に増幅されてしまい、だからこそ手にあまるものとなっているのではないかと思ったりする。
 現代人は知性的だと言われたりもするが、実際は、きわめて感情的であり、感情の中でも不安や恐怖感の前ではほとんど無力とさえなっていそうな気がしたりする。
 それには理由がありそうだと思えるのだが、感情のコントロールがきわめて下手になっているのではないかと推測するのである。そして、その理由というのが、感情体験が希薄となっているからではないのかと……。感情体験とはヘンな言葉でもあるが、要するに、感情が誘発される対象と一緒になって喜怒哀楽にのめり込む経験ということが言いたいのである。

 現代人は、どうしても感情抑制的な生活スタイルに慣らされ、クールであることがよしとされている。真っ赤な顔をして怒ることなぞは、みっともないとして一蹴されるのが現代なのであろう。だから、子どもたちとて怒られた経験を持たなかったりする子も多いと聞く。それは果たして良いことなのだろうかと疑問を持つこともある。その結果が、突然に「キレル」ということだとするならば、難しいことを言わずとも、要するに感情体験が希薄な生活をしているからだと言い切ってしまうことも可能なのではなかろうか。
 つまり、感情とは、捉え所のないもののように思われているが、実は、感情が誘発される対象や状況と一体となった「ワンセット」の存在ではないかと思うわけだ。そして、その「ワンセット」を「ワンセット」としてノーマルに経験していれば、感情というものは意外と処しやすいものでもあるのかもしれない、と思うのである。
 ところが、感情が誘発される対象や状況が、現代風のスマートさや知的なものばかりに置き換えられてしまうと、感情自体が自家中毒気味となってしまうのかもしれない。そして、行き場を失ったかに見える感情に対して、現代はホラー映画をはじめとする人工的な感情対象をこれでもかこれでもかという調子で生み出している気配もある。

 どうも、思いの丈(たけ)がうまく表現されていないもどかしさを自身で感じて書いているようだ。言いたいことは、現代は、言われているほどに知的でもクールでもなく、ただ単に感情を抑圧しているに過ぎない時代だという点がひとつである。そして、感情という人間にとって必然的な条件は、抑圧して済むものではないがゆえに、不自然さばかりが募っていくことになっているのではないか、という点が二つ目である。そして、三つ目は、感情の真のコントロールというのは、自然な発露の体験を積み重ねること以外にあり得ないのではないかという推測なのである。
 何も、恐怖だけではなく、喜怒哀楽の感情のすべての対象に、もっともっと十分に接近して体験することが必要ではないのかと…… (2006.02.14)


 <ウサギをサッカーボール代わりに虐待 容疑の3少年逮捕>( asahi.com 2006年02月15日12時10分)という不快感が刺激される報道があった。

 <東京都江東区の小学校で飼育されていたウサギをけり殺したとして、警視庁は15日、同区内の無職少年3人(いずれも18歳)を動物愛護法違反などの疑いで逮捕した、と発表した。少年らはウサギをボール代わりにサッカーをしており、「面白半分でやっていてエスカレートした」などと供述。発覚を免れるため、ウサギの死体を重しと一緒に袋に入れて運河に捨てていたという。
 調べでは、少年3人は昨年5月8日早朝、同区立の小学校に侵入。小屋で飼われていたウサギ1匹を持ち出し、約1キロ離れた公園でけるなどして殺した疑い。公園内のすり鉢状になったローラースケート場で、はい上がってくるウサギを交代でけったという。
 3人のうち2人は同小学校の卒業生。ウサギは生命の大切さを学ぶため飼育されていた。児童らは「ゆきのすけ」と名付けて可愛がっていた。行方がわからなくなってからは児童らがポスターを作るなどして捜していた。>(同上)

 「面白半分」だと供述しているようだが、憐れな小動物をいたぶるどこが「面白い」のであろうか。これら3人の少年の頭脳と生理感覚の方が、検証してみればずっと「面白い」結果が出るのではなかろうか。ただ、そうした検証をするならば、彼らの周囲にいる大人たちや、時代と社会が、よくもここまで狂い出したものだと涙がでるほどに「面白い」気分となることであろう。

 先日、これと似たような事件(事件と呼ぶべきであろう!)が、国際舞台のイラク問題関係で発生していたという。

 <12日付の英日曜大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドは、イラク南部に駐留する英軍兵士が04年初め、イラクの民間人に激しい暴行を加え、その様子をビデオで撮影していたと伝えた。映像の一部とされる暴行の証拠写真が同紙に掲載されたのを受け、国防省は軍警察が捜査を開始したことを明らかにした。英軍のイラク撤退開始が迫っている時期だけに、ブレア首相やブラウン財務相が相次いで真相解明を約束し、事態の沈静化に躍起になっている。
 同紙によると、映像はイラク南部の英軍駐屯地で撮影された。投石などをしていた集団から、10代とみられるイラク人の若者4人を駐屯地内に引き入れ、英兵少なくとも8人が殴るけるの暴行を加えた。ビデオ撮影者が「死ね」などと言いながら、あざ笑う音声も残されているという。>( asahi.com 2006年02月13日10時42分)

 これら二つを並べてみると、やはり、「自己責任」を問うだけでは済まない「構造」が「要素」をそうあらしめているという思いが噴き上げてくる。確かに、いたいけない小動物や、現在も未来もないイラクの若者たちをいたぶる行為は、少年個人たちや英軍兵士たちのためにも厳しく追及されていいはずだ。いや、どちらかと言えば、この側面が再び凝視されていいのかもしれないとさえ感じてはいる。
 しかし、イラク人たちに非人道的なことを行ったかつての米兵たちと同様、今回の英軍兵士たちも、良心や健全な感覚がズタズタにされるような他律的環境の真っ只中に置かれていることが見過ごせない。人間は、やはり環境の産物でしかなく、自身の生命すら虫けらのごとく扱われる環境の中では、良心や健全な感覚をも棚上げにしてしまう存在だと言うべきなのかもしれない。
 そして、ウサギ蹴りの少年たちもまた、「自己責任」の視点をちょいと脇にずらして眺めるならば、「戦闘地域」の兵士さながらの殺伐としたこの国の環境の中で、良心や健全な感覚をも棚上げにしてしまっている姿も見えてくるような気がするのだ。何もないのだろう、「面白い」ことが。いや、笑い転げるような可笑しなことという意味ではなく、生きて何かを積み重ねていくことの意味を感じさせてくれる何かが、ナッシングなのであろうか。
 わたしのような年寄りでさえ、今のこの国には、不正を覆い隠す「構造」以外に何もない、と感じている。

 昨日、朝日新聞の記事で、ライブドア事件に関する特集記事を見かけた。かねてから関心を寄せていたある東大の教授が、「時代が共犯者」だという意味のことを述べていたかと思う。
 その点は、まさに共感できたのだが、若干、ライブドアやホリエモンの肩を持つニュアンスが気になっていた。いつもこうして、知識人たちは、世間を騒がせる事件を時代や社会に還元し過ぎるのではなかろうか、と。そうしたことは百も分かっているのである。それをあえて口にするのは、オウム事件でもそうであったが、被害を被った生身の被害者たちをそっちのけにすることになりはしないか、という意味でもあるのだ。
 が、しかし、前述のウサギ蹴り事件や英国兵士たちによる虐待事件についてわたしが書いた視点は、上記の東大教授の視点といささかも変わりがないことに気づく。つまり、わたし自身も、社会「構造」が個人という「要素」をいたぶり過ぎるこの時代の「巨悪」をこそ重大視しているということなのであろうか。
 けれども、個人として生き判断してゆく上で、時代や社会のせいばかりにして自身の判断基準を放棄することへの嫌悪感もまた残る……。

 われわれは今、二進も三進も(にっちもさっちも)行かないような恐ろしく困難な環境に押し込められていそうである…… (2006.02.15)


 ある顧客のところへ、システム作成のための見積もりに向けた聞き取り調査に、作業担当者と出かけた。規模の大小はともかく、切実さを感じたものであった。
 PCシステムが何もない状態なのではなく、システム畑出身ではない現場担当者が、豊富な業務知識と、PCへの研究心旺盛な意欲とによって自身で作り上げたシステムが稼動している実情であることがわかった。ウィンドウズ以前の往年の汎用ソフトを使って巧みに作り上げたシステムが動いているのである。まさに、「エンドユーザ・コンピューティング」(現場担当者が、Do it yourself. でPC化をはかること)の見本のようなケースである。感心したものであった。

 ではなぜ「ソフト屋」に新たな作成を打診するのかといえば、そこにはそれなりの理由がある。まず、旧い汎用ソフトは、そのベンダーのサポートがなくなっていることもひとつであろう。汎用ソフト側に何か問題があったとしても、対処のしようがないわけだ。また、旧い汎用ソフトのユーザも少なくなっているわけだから、ネットなどでノウハウを仰ぐことも難しくなる。
 また、担当者が自分ひとりで使い続けるならばまだ考えられないこともないが、他の同僚や部下にそれを使わせるとなると、ウィンドウズ以前の環境を知る人は少ないため、使い勝手が伝授しにくいという事情も小さくはなかろう。
 はたまた、仕事というのは、拡大するものであり、データにしても、新しい処理ケースにしてもどんどん増加してゆくものだ。その都度、その担当者がプログラムを修正したり、拡張したりすることは、大変なことである。年齢の問題もあるだろうし、「エンドユーザ・コンピューティング」をするような意欲的な担当者であるから、その方の分掌範囲もどんどん広がり、一担当者であった当時のようにPC業務にまで目を光らせることとて難しくなる。
 さらに、なのである。新規人材の課題も決して小さくはない。若手に対してにせよ、パートタイマーに対してにせよ、その担当者のような業務知識の豊富さとその機械化、PC自動化にまで関心を向けてチャレンジするような執務意欲を期待することは、残念ながらはなはだ困難だと言うべきご時世ではなかろうか。
 とすれば、業務の広い範囲に目を光らせてきたその担当者が余力のあるうちに、扱いやすい最新のシステムへと作り直すことがきわめて合理的な見通しだということになるのであろう。

 団塊世代の「仕事師」たちが停年退職してしまう2007年問題があちこちでささやかれている。上記の話も、本質的には同種の問題なのだと考えられる。何も、リタイアする特殊熟練技術者に関する技術伝承問題だけが深刻なのではなく、一般的な業務でさえ、若手やテンポラリー・ワーカーにどう指導していくかは、結構難なしとはしない課題のように思われる。
 そこで、複雑な業務や作業を、システムとしてPCに置き換えておく必要が生まれて当然なのだと思われるのである。どうしたって、これからの時代は、コスト削減は避けられないのだとすれば、多大な人件費をかけて優秀な人材をゲットすることは非現実的な選択肢とならざるを得ないだろう。だから、安いコストで業務に支障が出ないためには、作業内容を簡略化することが必須であり、そのためには、PCシステムなどに複雑なことは肩代わりさせなければならないということになるわけだ。
 いよいよ、実質的な意味でのコンピュータリゼーションが再来しているのかもしれない…… (2006.02.16)


 主観的な印象でしか過ぎないが、このところ日本の株式市場が冴えない。
 今日も今日で、<東証大引け・急反落――3週間ぶり1万5800円割れ、値下がり銘柄1400超>(NIKKEI NET 2/17 15:37)であった。
 日本の株式市場は、前日の米国市場に大きく左右されるものだが、前日の米国は打って変わって次のようなのである。
<米国株続伸、ダウ61ドル高――4年半ぶり高値、HPなどの好決算で>( 同上 )
 したがって、日本固有の問題であるごとくである。かねてから、日本の株式市場は、外国人投資家の動きに大きな作用をうけていると言われて来たが、どうも、その外国人投資家たちが「手仕舞って」いるかのようである。この点に関しては、次のような解説もあった。
<市場では外国人投資家の売り姿勢継続への警戒感が強まっている。寄り付き前の外国証券経由の現物株売買注文(市場推計、株数ベース)は8営業日連続で売り越し。「週明けも外国人の売り越し基調に変化がないようなら、下値模索の展開も想定する必要がある」(東洋証券の児玉克彦シニアストラテジスト)との声が聞かれた。>( 同上 )

 そして、とりわけ注目したいのは、<新興市場17日・3市場とも続落――マザーズ指数は昨年来安値更新>( 同上 )なのである。実際、トレーダー向けのチャートを追っていても、ここ連日、右肩下がりのチャートばかりが目につく。
 言うまでもなく<新興市場>とは、ベンチャー企業など若い新興企業が多く上場している市場のことであり、「ジャスダック」や、そしてあのライブドアが展開した「東証マザーズ」、そして「大証ヘラクレス」などの株式市場のことだ。
 これらが、軒並み下がり続けており、各市場の指数もそれを如実に表して下げている。もちろん、あのライブドア・ショック以降のことであり、とりわけ顕著なのがこの3日間なのである。

 詳しい実情はもちろん自分なぞにはわからないが、直感的にはやはり、個人投資家たちが、ライブドア・ショックによって「不信感」を露わにしているのだろうし、もうひとつ、<外国人投資家の売り姿勢>が影響しているのではなかろうか。
 前者の問題も小さくはなかろうが、問題視すべきは、同じ原因によって<外国人投資家>たちが、ジャパン・バッシングならぬ「ジャパン・パッシング(passing、無視)」し始めていることである。もしそうだとするならば、やはりライブドアなどによる株式市場がらみの不正行為は大きな後遺症を残してしまったと言うべきなのであろう。
 株取引の動きというものは、事実(ファンダメンタルズ)もさることながら、「噂」が大きな駆動力となると言われている。つまり、株の売買は、人間であるトレーダーが多くの未知数を抱えながら行うものであり、常に他のトレーダーたちがどう動くのかという判断が優先されるからであるらしい。だから、事実の道理や論理がどうだということよりも、「噂」というようなものが小さくない影響力を果たしてしまうわけだという。
 ライブドアの当事者たちが厳密な法的事実に照らして不正を行ったかどうかは、もはや別次元の問題となっているかのようである。彼らは、虚偽の「風説の流布」によって株価を操作したとの嫌疑をかけられているわけだが、ライブドア株は、裁判の行方なんぞを待つこともなく、事件のその「風説」だけですでにシッカリと下落してしまっているわけだ。まあ、世に言う「しっぺ返し」ということになるのだろうか。

 だが、「しっぺ返し」を喰らっているのが、当事者たちだけであるならばまだしも、一蓮托生的に、<新興市場>や日本の株式市場全体が、国内投資家に加えて外国人投資家たちによっても不信感のために売られるとするならば、この事態はひょっとしたらこの国の経済の足を引っ張ることにつながっていくかの危惧を生みかねない。
 こうした場合、時の政府が、十分な火消し役を果たさなければならないのであろうが、今、国会では、政府の重鎮がライブドア側から何千万円ものカネを申し受けたとかそうでないとかのアホラシイ論議がなされているようだ。
 真偽のほどはおくとして、世の中全体が、株取引的特徴(事実よりも「噂」が決め手となる!)をジワジワと染み込ませているとすれば、国会においてそうした追求がなされたことだけで、当事者への不信感は増幅されてしまっているはずではなかろうか。

 「瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず李下(りか)に冠(かんむり)を正さず」という中国古来のことわざがある。
 瓜畑で履物を直そうとかがめば、人から瓜を盗んでいるのではないかと疑われ、李(すもも)の木の下で冠をかぶり直せば、李を盗むのではないかと人から疑われかねない。だから、人から疑われるようなまぎらわしいふるまいは慎めということだが、どうも、現在の政治家たちは、そもそも瓜畑や李畑で何を目論んでかうろつくことにご執心のようである…… (2006.02.17)


 今朝は、朝一から気が重かった。休日なのに仕事に急かれていたからではない。確かに、今日のように気温は低いとはいうものの、陽射しが明るい休日に仕事を抱えることは気分が軽やかになるわけがない。しかし、それよりも、その仕事の作業というのが、わずらわしい手作業であり、おまけにこんなことをする必要があるのかという疑問も消せなかったからである。込み入った仕事でも、それをやる必要性や意義がしっかりとしたものであれば遣り甲斐も生まれるものだ。始末に負えないのは、その必要性が曖昧であり、なおかつそれをやることに十分手間がかかるといった類いの作業であろう。
 やり始めてはみたものの、どうも納得がいかない気分が意欲にサイドブレーキをかけているようなのである。やがて、いらいらとし始めたし、段々と軽い頭痛まで呼び起こされてしまった。こんなにはかの行かないことをしていたのでは、計画通りにはとても終わらないし、出来栄えだって満足できるものにはならない、といった予想がたっぶりとプレッシャーとなっていたのである。

 気分を転換しなければ、やってられないと思い、床屋へ行くことにした。あそこは、不思議なほどに気分よくうたた寝ができるので、きっと気分が変わり、思わぬアイディアが浮かぶかもしれないと期待したのだった。
 それが良かった。帰宅して再びPCに戻った時、いや、床屋からの帰り道から何となくこんな方法を工夫すれば案外うまく運ぶかもしれないと考えていたのであった。
 その方法を使ってみた。細かいことはおくとして、要するに、手作業でやっていた作業内容を、何段階かの作業に分解して、その分解した作業をPCによって素早くかつスマートにやらせてしまおうという段取りなのであった。果たしてうまくゆくかと、期待を込めて試してみた。と、予想以上にPCは、いやPC上の汎用ツールソフトは手際よくかつ小奇麗に処理してくれたのである。
 込み入った作業も、また、これを行う必要があるのかないのかおぼろげな作業も、こうなるとおもしろくなって来るのである。あたかも、ゲームソフトで遊んでいるかのような快適な気分になる。つまり、操作上の快適感が他のことを忘れさせてくれるのである。

 仕事というものを、硬直的な思考や感覚で考えていてはいけないんだなあ、ということを感じたものである。まして、仕事というものは辛いものなのだよ、といったしたり顔で構えて、ひたすら忍耐力のみを鍛え上げる作法は、やはり考えものであるように思えたものだった。
 もちろん、仕事である以上何かと苦痛はつきものではあろう。しかし、苦痛に耐える最低限のタフネスは必要であったとしても、あまり苦痛を背負い込み過ぎるというのは、精神主義以外のなにものでもなく、生身の身体が持つわけがなかろう。ストレスばかりの仕事となっては、命を縮めることになりかねない。
 ここで、多少が不可避である仕事というものを、道具などを活用することによって苦痛の軽減を図ったり、できればその道具を使うことによって別の快適感が、仕事を楽しくさせてしまうというマジックを使えたら上出来だと思う次第である。

 苦痛に耐えられない世代が生産人口となってきた現在、オールド世代であれば当たり前のことであった耐えてがんばるという作法をそのまま彼らにあてがっても効を奏さないのが実情であろうと思う。いかに、操作能力感や快適感が伴うような形式へと仕事・作業をアレンジしてやるのかということが、他人に仕事をやってもらう側の工夫のしどころなのかもしれない…… (2006.02.18)


 今日も、朝のウォーキングをのぞき、一日中書斎で仕事をしていた。
 昨日も書いたように、使い慣れた汎用ソフトを多少の操作快適感を伴うかたちで行えるようにしてからというもの、苦にならないどころか、時間が過ぎるのを忘れるような没頭の仕方であっという間に一日を終えようとしている。
 こんなふうに、没頭できるほどに好きな仕事で毎日が過ごせたら、さぞかし精神衛生上良い日々が送れるのだろうなと思ったりした。

 現在、仕事ということで人々が失いかけているのは、こうしたことではなかろうかと想像した。つまり、自分が好きなことを没頭して励み、そうしているから技量も向上し、そうであるから仕事量もそこそこ絶えることがなく、慎ましい生活をする分には経済的な不安を感じることもない。そして、何よりも、没頭してできるほどに好きなことをやっているために、心は申し分なく平静で安定している、といったごとき仕事ぶりのことだ。
 残念ながら自分の場合はそうであるとは言えない。最近、ますますこうした職人的な仕事スタイルに憧れることはあっても、実のところは、いろいろな雑念に撹乱され続けているようである。そして、多くの現代の仕事師、ビジネスマンたちも、本来的なこと以外の雑念に振り回されているのではなかろうか。

 仕事というものを定義するならば、1.生計費の獲得、2.自己実現、3.社会的貢献ということになるのであろう。この3つの構成条件がバランスよく達成できている時に、仕事に携わる者の遣り甲斐や喜びが達成されるのだと言ってよい。
 バブル崩壊前、もちろん「構造改革」路線なんぞが叫ばれるずっと以前は、「1.生計費の獲得」という仕事の条件は、もはや課題とするに足らずとさえ見なされた時代があったかと思われる。戦中戦後の経済低迷期には、仕事=生計のため!であったようだが、もはや戦後は終わったと叫ばれて以降は、食っていくことだけなら容易いことだと感じ始められたはずである。むしろ、若い世代の仕事観でも、「2.自己実現」や「3.社会的貢献」の条件こそが比重が重くなってきたかに見受けられた。われわれの世代、団塊の世代以降には、そうした動向が次第に色濃くなり始めたかに理解している。
 だから、団塊世代の子どもたち世代の仕事観には、ほとんど「条件1.」を素通りしてしまうかのような印象さえあったかもしれない。

 ところが、バブル崩壊、「構造改革」路線推進へと時代が推移していく過程で、人々の意識や行動スタイルとは裏腹に、経済生活的競争が極度に深刻さを加え、確実に、再び「貧困」という問題がのし上がってきたかのようである。その形態も「二極分化」という、これまでのこの国、この社会にはなかった過激さで事が推移しているようである。
 そこから、再び、仕事観においても、「1.生計費の獲得」という条件が否応なく浮上し、それどころか、この条件によって「正常な仕事観」が大きく撹乱されてしまっているとさえ言えるのかもしれない。
 撹乱は、一方で「ニート」というような「変種」を生み出し、他方で過激な金儲け万能主義をも輩出しているようだ。そのいずれもが、仕事という人間にとって不可欠な営為の3条件をうまく捉えきれない失敗から生まれていそうな気がしないでもない。

 牧歌的過ぎると言われるかもしれないが、もう一度、仕事というもののプロトタイプに戻る必要がありそうな気がする。そして、そのためには、人々をカネの苦労だけに追い込む全体経済(およびそのお先棒を担ぐ政治)のあり方が冷静に見直されなければならないのだろう…… (2006.02.19)


 最近はめっぽう早寝早起きの習慣を維持している。昨夜も、10時前には眠っていたようだ。
 TVで、「気候大異変」(NHKスペシャル)とかを見ていて、いつの間にか眠り込んでしまったようである。途中までしか観ていなかったため、サイトで確認してみると以下のようになる。

<去年、スペインと南米アマゾンを数十年ぶりの記録的な干ばつが襲った。「地球シミュレータ」の計算によれば、これは未来の地球の姿の予兆である。百年後、地中海沿岸では耕地の乾燥化が進み、アマゾンにはアラビア半島の面積を超える広大な砂漠が出現するという。第2回は、今後百年間に予測される、温暖化による生態系と人類への影響を探る。
温暖化は、世界の食料事情を激変させる。日本では、北海道で稲の収量が増加するが、他の地域では減少するため全体では10%の減収となる。リンゴの生産適地は本州から北海道へと移動し、西日本の太平洋側で生産されるミカンは、本州内陸部と日本海側で作られるようになる。また、死をもたらす熱帯病のデング熱が徐々に拡大してきているが、百年後には九州南部や米国南部が感染危険地域に入る。海面上昇が進めば、今世紀末には2億6千万もの人々が環境難民になる可能性がある。こうした悲劇を避けるには、どうすればよいのか。シミュレーションによれば、温室効果ガスの排出量を2050年に世界全体で50%削減しなければならない。果たしてそれは可能なのだろうか。>(「NHKオンライン」より)

 予想される温暖化の結果、日本列島の場合、農作物の収穫が大きく変化するという話題は、そんなもんかなあ、で済んだ。たとえば、上記のように、比較的涼しい地域で産出されるリンゴが、7〜80年後には、北海道でしか産出されなくなるというのだ。
 農産物でそれ以上に深刻な問題は、稲作であるらしい。現在の主要稲作地域の田植え時期は、温暖化によって一ヶ月ほど早まることになるらしい。それは想像の範囲内であったが、西日本地域では田植え時期を早めてしまうと、稲穂が実る頃に盛夏とぶつかり生育に多大な弊害が生じるため、逆にこれを避けるために7月とかに遅れた田植えをすることになるという。当然、こんな裏技を行えば収穫量は激減することになるらしく、そんなこんなの問題で、農産物の自給状況が大きな番狂わせとなるという。
 その後の不気味な「デング熱」病が、九州南部で広がる可能性があるという部分も眠らずに観ていたようだ。このデング熱とは、シマ蚊が菌を運んで伝染するため、それが繁殖する熱帯地域に今のところは限られているという。結構、死亡率の高い伝染病であり、どういうわけか二度罹ると出血性の症状となりにわかに死亡率が上昇する悲惨な病気であるようだ。
 台湾南部の高雄市で、2002年であったか、それまでにない大流行となったらしいが、その原因調査の結果は、その年以降、冬場の夜の気温が20度を超える日々が続く天候が始まったからだそうだ。この状況が、上記のシマ蚊の繁殖を促すらしく、同蚊の駆除を徹底的に行って漸く沈静化させたという。しかし、20度以上の夜間という気温状態はどうすることもできず、潜在的な発生可能性を抱え込んだままなのだそうである。
 で、こうした気温上昇が、7〜80年後には日本列島の南端に到達するらしく、同時に、その「デング熱」病もまた広がる懸念が生まれるらしいのである。

 確か、眠いと感じながらも観ていてはらはらさせられたようではあったが、幸い、そのイメージが原因で悪夢にうなされるということにはならなかった。いつもであれば、大抵深層心理が刺激されて、とんでもなく恐ろしい夢を見るところであるが、よほど疲れていたようでぐっすりと眠ってしまったようだ。
 しかし、この世界がこのままの無責任ライフを続ける限り、デング病をはじめとする温暖化にともなうさまざまな巨大な被害は、悪夢を見ないで済んだというようには行かないのではなかろうか…… (2006.02.20)


 昨日は、悪夢が云々と書いたが、久々に、感じの良い夢を見た。
 夢の中でカメラを取り出してシャッターを切っているくらいだから、感動的な光景であったのだろう。農村風景であった。しっとりとした田畑があり、遠方には大きな林が見えた。そしてそれらには、山水画の中の靄か霧のようなものがかかっている。背景の空には雲が立ち込め、雲間からレンブラント風の陽射しが差している。
 この時、こんな味わいのある光景をカメラに収めなくてどうする、という思いが込み上げ、たまたま携えていた一眼レフカメラを操作する。「たまたま携えていた」という点あたりが夢の中のご都合主義なんだろうと、醒めてみると気づく。
 よくこんなことはあるもので、時々、釣りの夢を見ることがある。いかにも魚が釣れそうな水辺に遭遇し、当人は、久々に釣果があるゾ、とわくわくしているのだ。と、そんな時にも、どこからどうやって携えてきたのか、釣り道具が手元にあったりするのだ。まるで、TVドラマ、水戸黄門あたりの筋立てのように、きわめてご都合主義が徹底されているのである。

 そんなことはともかく、前述の夢の続きである。
 どうも、その風景は、学生時代に住んでいた埼玉の田園地帯のようでもあった。当時は、新聞配達のアルバイトをやったこともあり、靄のかかった早朝の田園風景なぞは見慣れていたものである。そして、その田園の間をくねる、舗装がされ切っていない道路をバイクで走ったわけだが、夢の中でも、こんな光景のこんな道であればバイクが欲しいものだと考えていたようだ。確か、夢の中では、以前に使っていたバイクはどうしたのかと思い出そうとして、そうか、転居の際に置いてきてしまったのだと、まるで適当な判断をしていたようだ。しかし、どうして、自転車にも、クルマにも思いを巡らすことなく、バイクとなったところが解せないでいる。
 その後、その田園地帯にある街めいたところを、カメラを持って散策しているようだった。それで、タバコ屋のようなあるショップで店番をしている女性の顔をカメラに収めているようであった。まったく意味不明の行為であるが、その女性の顔をクローズアップで二、三枚写していたようだ。しかも、その女性というのが、どうも白人系の外人であったような印象が残っていて、随分ととがった鼻をしているもんだと感じたりしていた。

 とまあ、どうということもない夢であった。ただ、夢の中で一種の感動に近い自然風景を見るのは久々であり、こうした夢であれば毎晩でも見たい気がしたものだ。かつて見たこうした類の夢のベストワンは、夜空にうごめく色とりどりのオーロラであり、その色の美しさに感激していた。二番手は、自宅の近くからすぐ間近に遠方にあるはずの山岳がくっきりと鮮やかに見えた光景だったかもしれない。望遠鏡か何かを使っていた模様だが、岩肌までもがはっきりと確認できて喜んでいる様子であった。
 こんな夢の話を書いていると、あの漫画家・つげ義春の一連の作品を思い起こしたりする。そして、夢のロジックというか、夢の再把握というのはかなり共通性がありそうだとも思えた…… (2006.02.21)


 たとえば、今、流行りのネット株のトレイドにおいても、ものの本によると知識や技術が不可欠であると同時に、最終的にはそのトレイダーの「センス(sence)」が決め手になるらしい。何となくわかるような気がする。
 と言うのも、株取引というものは、さまざまな数理的知識やテクニックが叫ばれている割りにはどれもこれも画期的に奏効するものではなさそうだからである。以前にも書いたとおり、株式マーケットというのは、「事実ではなく噂によって」動く、つまり人間の感情(勘定)に依拠しているため、そんなにデジタル的な鋭利さでは捉え難いということになりそうである。また、昨今のネット株取引のような、「チャート」や売り買いの「気配値」などを瞬時に捉えて判断するという行動スタイルは、知識や技術というスタティックなものに馴染むよりも、もっとラフでかつ直感的な資質をこそ要求するのだろう。
 そこから、ベテランのトレーダーは、「センス(sence)」が決め手だと結論づけるようなのである。

 わたしは、もともとが、「センス(sence)」というような曖昧模糊とした人間能力に惹かれてきた。「知恵」という東洋的な概念も好きであるし、万国共通概念であるはずの「創造性」という概念もまた興味津々であり続けてきた。もちろん、「暗黙知」という概念なぞは、甘党にとっての大福餅のごとくよだれが出るほどに興味が尽きない。
 そしてまた、この「センス(sence)」というものも、ついつい関心を向けてしまう対象である。広辞苑では、この「センス」の意味を「物事の微妙な感じをさとる働き」と説明している。実にセンスのいい解釈だと思う。その「微妙な感じをさとる」という点が、まさしくエッセンスなのだろうと思う。

 多くの場合、豊富な経験によって、また特殊ケースでは生得的な資質によって、そうした「物事の微妙な感じ」が感じ取れるようになるのであろう。「微妙な感じ」というのは、何も人間特有のものだと言うよりも、私見では動物、植物、つまり生物全体がそれぞれ長い発展史を歩みながら培ってきた特質なのではないかと考えている。
 そして、この辺が高々の歴史しか持ち得ないデジタル思考や技術とその成果物なんぞでは太刀打ちし難い点ではなかろうかと思っている。
 先日も、猫の動作を見ていて今さらのように驚いたことがあった。およそ2センチ程度の幅のアルミの柵の上を、しかも、何箇所かが直角に折れたそのルートを、野良猫の一匹が、別段怖気づくこともなくサラサラと歩いて渡っていたのである。足元を見ながらでもなく、まして、後ろ足の運びを目で確認することなんかもせず、四本の足が一直線の軌跡を描きながら歩き進んでいたのだ。
 これこそが、全身全霊で、歩むべき足元の環境を「微妙に感じ取り」ながら行動していたということなのであろう。普段、えさを与えて高を括って眺めていた猫に、改めて感心したものであった。

 「微妙さ」への感度という点が、「センス」における重要なポイントであることは間違いないのだが、今ひとつ注目すべき点は、スピードということではないかと考える。
 知識・技術のうち、技術の方は実践性を旨としているのだから多少なりともスピードというものに馴染むはずではある。技術を身につけた者は、そうでない者よりも物事を素早くこなすことが可能になるものだ。
 しかし、技術というのは適用範囲が意外と狭く、どうしても対象外という事態が多すぎるように見える。要するに、フレキシブルに対応することが苦手だということになろうか。
 そこで登場するのが、「センス」ということになるわけだ。「センス」は、技術ほどに方法的に洗練されたものではないが、前述のとおりの「微妙さ」への感度を持つとともに、スピィーディな判断や行動と直結していそうな点が優れものなのだと、こう思うわけなのである。
 そういう意味で、現代という何かにつけてスピードを要求する時代にあっては、スピードと高い親和性を持つ「センス」という能力はきわめて重要なのだろうという気がしてならないのである。
 ただ、問題は、「センス」という能力は、スピード時代の教育訓練状況では上手く上達しないという点であるのかもしれない…… (2006.02.22)


 仕事に急かされると、どうしても健康管理が疎かになってしまう。
 自転車通勤も、ウォーキングも、そして食事管理も、このところいずれもが徹底できなくなっている。
 仕事への投入時間を考えると、通勤時間を縮めたいと考えてしまうし、遅い帰りのことを思うと、今日はクルマにしておこうという判断にもなってしまう。
 もちろん、ウォーキングをする時間は惜しくなるし、食事にしても、ファーストフードで済ましがちとなる。
 ただ、体重コントロールだけは欠かさないでいる。せっかくのこれまでの苦労をムダにしたくないためである。
 ただ、急かされている仕事もあとわずかでクリアできるので、悪影響がでないうちに「正常化」を図りたい。

 現在の仕事は、顧客側の担当者が人柄の良い方なので気持ちよく進めている。この点が何より重要なことだと考えている。
 今日も、この仕事の支払いの件で電話にて打ち合せをしたところ、こんなことは初めてといっていいのだが、当初の見積り額をはるかに上回る額を逆に提示していただいたのである。まあ、こちらもサービス価格を念頭に置いて見積もったし、誠意を込めて対処させていただいているからなのであろうが、この点ひとつだけとってもギスギスとした担当者ではないことが了解される。
 決して、そんなことがあったから「人柄の良い方」と称しているわけではない。
 自身の担当する業務に着実に対応されていること、駆引き的な行動や振る舞いが見受けられず、その対応を額面どおりに受けとめてよさそうな方であること、そして何よりも執務姿勢にバックボーンが通っていそうな雰囲気がありそうなことなどを判断材料にしているのである。
 これらは、当たり前という気がしないでもないが、実はこうした仕事師は非常に少なくなった。若い世代に文句を言ってもはじまらないが、中年で相応の実務経験を重ねてきたはずである方が、自社側でやるべきこと、担当者としての自分がやらなくてはならないことをパラリと平気で落として、挙句には、われわれベンダー側に押しつけようとする、そんなタイプも少なくない。

 ところで、その人自身の問題でもあることは言うまでもないが、よく注意して観察してみると、その人の上司であったり会社の体質というものが、意外と現場担当者の人柄に反映していそうな気がしている。
 人柄の良いと思われる方は、外部の人間にとって耳障りな上司や自社に関する愚痴めいたことはめったに口にしない。それに対して、仕事師としてどうかと疑問を抱かされる人は、共通して、まるで判を押したように、自身の上司批判や、会社批判を平気で口にするものだ。しかも、その人自身の責任であろうかと思われることがらの言い訳にそれを使う。まあ、日頃、不平不満が募っていてまともに仕事に没頭できていない状態が手に取るように想像されるわけだ。
 他人のことは言えないが、これらには実に簡単な原因がありそうだと見ている。つまり、自身の認識がどこかで狂ってしまっているのであり、それがトリガーとなって、すべてに渡って悪循環を繰り返していそうだと思うのだ。
 確かに、環境に多くの問題がある場合もあろう。しかし、職場であれば、それらを傍観視せずに改善への働きかけをすべきであろう。そんな人に限って、そうした積極的な行動はなく、ことによったら自身をまるで外部のお客様のような台座においていることだってありそうだ。
 まともな認識力がなければ、正しい状況認識が叶うわけがなく、そして正常な状況認識がなければ、人間のことだから「悪いのはあいつ!」という受けとめ方にすべてが傾いてしまうのであろう。そう決めつける一瞬だけが、つかの間の快楽であり、その代償としては、出口なし! の悪循環が縷々続くことになるわけだ。

 人間は、良くも悪くも「主観的な」認識しかできない定めにありそうだが、この点をどう生かすのかが、リコウとバカの境目なのかもしれない…… (2006.02.23)


 先日、「センス(sence)」ということについて書いた。
 その際、「センス(sence)」はスピィーディな行動を促す、とも書いた。確かにそう思うのだが、時には裏腹に時間がかかるということもあり得る。

 現在、企業向けのホームページを制作している。そして、若干スケジュールが押され気味となっている。去年から依頼を受けていたものであるが、入院やら何やかやと不測の事態が発生して、大幅に当初予定が狂ってしまったのだ。
 しかし、スケジュール遅れは、何も不測の事態発生ということだけではないように受けとめている。要するに、「こだわり」が人一倍に強いからである。可能な限り良いものを提供してあげたいという意欲があり、なおかつ、個々の作業の場面では、自分が気に入るまで試行錯誤をしようとする。特に、デザイン関係については、ほとんど気難し屋の芸術家気取りとなってしまう。だから、デザイン・コンセプトはもちろんのこと、画像処理関係の細かい作業についても、自分の「センス(sence)」に合わないと、何時間もかけた作業を平気で端からやり直したりする。そんなことだから、時間はあっという間にかさんでしまうわけだ。
 さすがに、ウェブ・スクリプトやその他の技術的なことは、今ではさほど悩むことはなく、お定まりどおりにこなすのだが、デザイン的な局面は、大した能力もないくせにやたらにこだわってしまうのである。これが、「センス(sence)」にとらわれると逆に時間がかかってしょうがないという逆説的現象なのである。

 ところで、いわゆる「美的」な「センス(sence)」とでもいうデザイン感覚は、不思議なものだと振り返ってしまう。
 何か論理的な手順というものがあるわけではないのに、「これはダメだ」とか、「よーし、これでいいぞ」という(主観的)判断が成立するからである。「これはダメだ」という場合、何がどうだという明瞭なメッセージがあるわけでは決してないのである。あくまでも、おぼろげながらの感覚的なものである。しかし、だからといって、無視することができない。一言で言えば、満足できないのであり、何かがおかしいという心に引っかかるものが残り続けるのである。
 この場合、どうも、何かの日常的、具体的な悩みごとを抱えたように、言葉レベルの脳が考え続けるというのではなく、感覚を司る脳とでもいうべき分野が悪戦苦闘し続けているようである。そして、全然関係のない行動をしている際に、ふと、「そうか、あそこの部分をこう変えてみたらどうだろう?」という閃きめいたものが生じるのである。
 不思議だと思えるのは、このプロセスなのである。何が駆動力となり、どんな試行錯誤を繰り返して出口を探すものなのか、言語的思考では見当がつかないのである。

 こんなことを、うだうだと書いている余裕がないのでここいらで手仕舞うこととするが、大袈裟に言えば、人間の脳や身体は、決して言語的知能のフェイズだけで司られているわけではないと痛感する。まさしく、総体的に働いているのであろうし、知的分析なんぞという方法で対処できる領域は、場合によってはきわめて限られてさえいるのかもしれない…… (2006.02.24)


 今日は休日だとはいうものの、一日を120〜30%も充実して働いた気がする。
 平日どおり、6時半の起床から現在午後8時前までみっちりと作業に当たっていた。まだまだやりかけの部分を詰めたいところではあるが、そうしているとこの日誌をつける日課が崩れそうなのでとりあえず残りは明日に回すことにした。

 血糖値の治療で、クスリだけは服用しているが、一ヶ月分が底をついたため、通っている診療所に朝一で出かけた。待つ時間が惜しいので一番乗りで済ませてきた。この間の経過は至極良好であり、医者は「大したもんです!」と誉めてくれたほどである。
 まあ、誉めてもらってなんぼのものかとも思うが、仕事の忙しさに直面して健康管理が疎かになりがちとなっていただけに、再度、留意し直すきっかけにはなった。

 久々に陽気のよい天気であったにもかかわらず、一日中書斎に詰めていた。明日はまた雨天だとの予報を聞いていただけにちょっと惜しい気もしたが、戸外を散歩する余裕はなかった。
 ただ、今日あたり暇そうに散歩なんぞしていると、折からの市長選挙、市議会議員選挙の宣伝カーにあちこちで出っくわし気分を壊されるだけのことだったかもしれない。
 書斎で仕事をしていても、つい先ほどまで、そうした宣伝カーの拡声器の音が耳障りでならなかったほどである。候補者名の「連呼」だけをがなり立てるスタイルは、まさに感性を逆撫でされる思いがする。
 しばしば、事務所の近辺には、右翼の街宣車が、戦時中の軍歌を恥ずかし気もなくがなり立てて走っているが、選挙の宣伝カーも五十歩百歩の観がある。
 「あとわずかな時間しかありませんが、最後の最後までガンバッテいます!」と聞こえて来たが、ガンバラナクテいいよと言いたい気がした。何を訴えるわけでもなく、ただただ名前の「連呼」をする「自分本位」のセンスしか持っていないことに、ジワーッとした腹立たしささえ感じるわけだ。

 そう言えば、昨日のTV報道番組で、あるコメンテーターが鋭いことを解説していた。要するに、「自分本位」文化とでもいうような論点であった。
 戦後育ちの団塊世代は、言葉どおりの「個人主義」を生きてきたのではなく、「私生活中心主義」でしかなかった、と言うのだ。
 「個人主義」の本義は、権力やそれに類するものに対して、真っ向から個人として立ち向かう思想と姿勢を持つところにあるはずだが、団塊世代のそれは、「トーストにするか……にするか」といった生活上の瑣末な趣味嗜好に拘泥しているだけで、公共的なことに関してまともな関心さえ持ってこなかった。そして、所得を中心にした経済問題には度外れた関心を示してきた。
 その結果が、団塊ジュニア世代にしっかりと受け継がれ、ホリエモンタイプの若者たちが育ったと見るべきではないか、と。「とりあえずやってみよう。それがどうして悪いというの?」といった、軽いノリの経済的自分本位主義があちこちで見受けられる、というような話であったかと思う。

 いつかは書きたいと思いつつ、正直言って重っ苦しいテーマであることを重々承知してきたために、いつも据え置きとしてきた問題、それが「公共性」という問題なのだと考えている。
 やはり今日もこのテーマに挑む気力と余裕がないが、現代の最重要課題でありながら、重っ苦しさにおいても最高の問題が、この「公共性」という三文字なのだろうと予感している…… (2006.02.25)


 今日も昨日同様、一日目一杯の「御勤め」であった。
 雨の中、市議会議員と市長の選挙の投票を済ませ、素早く事務所に向かい、9時には作業を始めるという熱心ぶりであった。つい先ほど午後8時前に一応作業を終えた。これで、とりあえず「ミニマム」の課題は消化したことになろうか。

 昨晩、また、うとうととしながらあるTV番組を観ていた。脳の働きをテーマとしたものであり、あの養老孟司氏が出演していたからである。
 またも、眠い最中に観ていたためパーフェクトに記憶しているわけではないが、非常に興味深い内容のものであった。
 「身体感覚」というものの重要性が強調されていた。つまり、われわれ現代人は、「前頭葉」の知的働きばかりに目を向けているが、「身体感覚」を司る部分や、「右脳」の機能である「感情」などが脳の働きにとって極めて重要であるとのことであった。
 昨今では脳の働きを、カラー・マップでリアルタイムに表示できる装置が存在するわけだが、それらを駆使すれば、どんな動作をしたりどんな状況の時に、脳のどういう部分が活発に働くかが一目瞭然となる。
 番組では、先ず、日本の昔からの文化が、以外と脳の活性化に役立っていたということを追跡していた。たとえば、フォーク&ナイフを使う洋式作法よりも、箸を使う和風作法のほうが、「身体感覚」とあいまって脳の活動が高まっていることが実証されていた。
 その他、「金魚掬い」や「けんだま」などの遊びが、TVゲームなどよりもはるかに脳活動を高めていることも、説得力をもって伝えていた。

 どうも、脳における「身体感覚」を司る部分と「感情」を司る部分は、いずれも「右脳」にあるようで、現代人は、「前頭葉」と「言語的知性」を司る「左脳」ばかりを酷使する習慣があるようで、この傾向は、決して脳活動にとって好ましいものではないとのことである。
 確かに、そうした傾向の結果だと思われるのが、ストレス症状や不眠という現代病なのだと思われる。要するに、脳を含めた身体全体の自然なバランスを崩しているということなのであろう。
 したがって、「身体感覚」「感情」「右脳」を活性化させることを意図的に行わなければ、何かと精神的・身体的弊害が生まれるということだ。しかし、文化自体が、かつての日本のように「身体感覚」を刺激し続ける文化ではなくなってしまった現在、とかく、デジタル的日常生活においては、これらの低迷が避けられないということになる。
 番組では、「身体感覚」についての「達人」としてはインドの仏教僧が、また、「感情」のコントロール(抑制ではなく活性化させる)についての「達人」としては「能」の舞台役者が紹介されていて、きわめて興味深く思えた。

 これらに関して自分が考えたことは、現代人というのは、自身の「身体感覚」において物事を認識しているというよりも、「生の感覚」を通念やら概念、あるいは知識といった紋切型の情報に置き換えて、さらっとした処理をしているという問題ある生活のことであった。
 先日、何気なく、犬を散歩させている人とその犬に関心を持ったものだった。柴犬のような「かわいい」犬であったが、その時ふと、「かわいい」とはどういうことなのだろうかと、ヘンなことを考えたものであった。それは、要するに、人間の歴史が「決めた」形なりであり、もっと別な形を「かわいい」と感じる個人だっているのかもしれない。
 現に、今名前を思い出せないが、まるで馬面でありかつ目も小さい犬の種類が、結構人気者になったりもしている。自分も、その犬は「かわいい」と実感したものであった。
 つまり、世間一般で使うところの「形容詞」を、何も後生大事にすることはなく、むしろ自身の「生の感覚」を言葉にして表現することこそを大事にすべきなのではないかと、そうおもった次第なのである。
 「へそまがり」感覚の実践こそが、脳と「身体感覚」とのバランスを蘇らせる有力な方法ではないかと密かに感じている…… (2006.02.26)


 毎日文章を書いていると、それなりに言葉・言語に対する感度がやや増すのであろうか。普通は何気なく聞き過ごしたりする他人の言葉遣いに、多少なりとも敏感となるのかもしれない。特に、他人によってさり気なく遣われた言葉に、「ほー、なるほど……」と妙に感心したり、言い得て妙だといった感じを持つことがある。
 昨晩、入浴中にラジオを聴いていたら、NHKの番組で「ラジオ文芸館」という小説の朗読番組に出くわした。日曜日の午後10時過ぎに放送されるもので、しっとりとした雰囲気が好きでしばしば聴いている。
 とりわけ、湯船に浸かりながらのんびりとした気分で聴くのは実に心地良いものである。もともと、落語も好きだが、小説などの朗読もどういうものか好きである。TVドラマを観るよりも、自由な想像力が働くからなのかもしれない。
 ちなみに、小学校一、二年の頃、担任の先生(やさしい女性の先生)が、毎度昼食時に物語の朗読を聴かせてくれて、それが小さからぬ楽しみであったことを覚えている。確か、『蜜蜂マーヤの冒険』であったかと思う。ストーリーはほとんど記憶にないが、その先生が毎回、「それじゃあ、『蜜蜂マーヤの冒険』の続きを読みます……」と言われていたからか、題名だけはしっかりと記憶に残っているのだろう。

 昨晩の「ラジオ文芸館」は、アンコール番組で、『果ての海』という、乙川優三郎作の『むこうだんばら亭』中の一作であった。自分は、乙川優三郎の作品を読んだことはなかった。ただ、好きな藤沢周平のタッチが濃厚だという評価は聞いていた。つまり、時代物であり、藤沢作品と同様に、歴史に埋もれた人々の人情をきめ細かく描く世界なのだ。
 『果ての海』のストーリーは、房総の突端に位置する銚子を舞台に、江戸から流れて行き着いた男と女の話である。男も女も人生の気まぐれな流転を経ているのだが、とりわけ女は、女郎に身をやつすといった不遇さを背負ったりしている。そして、一度は荒んだ心境にも落ちるわけだが、そんな中で、人生の輝きを再び取り返す者もいる。そんな、経緯を淡々とした言葉運びで叙述している作品であった。
 自分は、番組の中ほどで風呂を上がり、続きは寝床の脇のトランジスターで聴いた。
 実に思い入れできる作品であったが、なぜだろうかと考えてみるに、ひとつの理由として、乙川優三郎の文章の言葉遣いが素晴らしいことにあると思えたのだった。
 先ほど、「淡々とした」と形容したが、まさにそのとおりなのである。ムダな言い回しが殺ぎ落とされ、選び抜かれたシンプルな言葉が、決して読者や視聴者を迷わせることなく、著者のねらったイメージをすんなりと共有することができるかのようであったからだ。この結果、視聴者は、快感に近い納得感を次々に得ることになる。

 それにしても、すぐれた作家というものは大したものだと思わざるを得なかった。
 自分も、素人なりに、言葉遣いとはどうあるべきか、文章とはどうあるべきかに関して多少とも苦労を重ねているつもりではある。しかし、最も難しい課題は、ムリ、ムダを排して、的確な言葉のみを連ねて所定のイメージなり、メッセージなりを構成することではないかと感じている。いわば、囲碁における優れた手のように、最も簡略に勝利へと接近する必然性のような、そんな言葉遣いが最高に難しいように思う。誤解の余地を残すほどに手薄であってはいけないし、かと言って、ただただ不快感を刺激するだけの冗漫さや多弁であってもいけない。サントリー・ウイスキーではないが、「何も足せない、何も引けない」そんな言葉遣いや文章作成ができたら素晴らしい、と感じている。
 それは何のためにか? 自分自身が、より充実してこの世界とともに在れることなんだろうと思う。それ以外を望むことは不必要だと思われる…… (2006.02.27

 「気が利いて間が抜ける」という言葉がある。他人事としていたが、今日は、まさしく自身がそうした愚を行ってしまい、ほとほと自身に愛想が尽きている。

 実は、今日は何かと忙しくなりそうだと思い、気が利いたことをしたのである。大したことでもない。朝の通勤の途中、昼食の弁当を購入したのである。多少の待ち時間はかかったが、昼食時に外出したりして時間を失いたくなかったからであった。

 ところがである。その弁当を、ホイッと、仕事関係の書類などを積み上げた箇所に無意識に置いて、すぐさま仕事に取り掛かってしまった。そして、忙殺される半日が過ぎて、すっかり「気を利かせた」特別措置のことをまさにコロリと忘れてしまったのである。
 昼過ぎになると、さてさて、表に出て昼食をするのも時間がもったいないし……、といつものように考えていたのであった。ここら辺が実に恐ろしいところである。そこで、買い置きのコーンフレークに牛乳をかけてサクサクとその場をしのぐ応急措置に打って出ていたのであった……。

 そして、夕刻となった。にわかに空腹感が訪れ、さすがに血糖値が落ちるところまで落ち、低血糖寸前のアブナイ雰囲気となってきた。そこで、再び、第二次応急措置が必要となり、またまた買い置きのカップぞうすいなんぞに湯を注ぎ、フハフハと食したのである。で、やや落ち着いた気分となったわけだが、タバコを吹かし何気なく辺りに目をやったその時、積み上げ書類の上に何かがあるではないか。どこか見覚えのあるベージュ色のポリ袋の包みがあるではないか。あっ、と気づいたのは、わざわざ朝一番に気を利かせて買ったほかほか弁当の包みなのであった。

 これが、冒頭で書いた「ほとほと自身に愛想が尽きている」の内実なのである。そのまま捨てるのも、この「ほとほと」感をただただ増幅させるだけのような気がしてならなかった。これは「無かった」ことにしなくてはならないと決意した。その時、ほぼ腹の具合は充足状態ではあったのだが、とにかくその弁当に手をつけ、半分ほどを腹の中へと「無くす」努力をしたのである。

 常日頃、ドタバタとした行動をとっている際には、記憶が定着しにくいことを警戒し、嫌でも当該のことが目に入るような場所に置いたりしてきた。だが、今日は、その措置を怠ってしまった。それが、「気が利いて間が抜ける」愚を犯し、「ほとほと」感を生み出した原因であったわけということなのだろう…… (2006.02.28)