現在、「真偽の証明」という問題が巷間をにぎわせている。大変素晴らしい風潮だと感心する。自分なんぞはオッチョコチョイだから、あのメールはてっきり真実だと思い込んでしまった。誰が推理したってそう思うに違いないと思った。
あれだけ、金融疑惑の総合商社のような事を仕出かす者がいて、他方に、その者を「親族」扱いのパフォーマンスを仕出かした政治家がいらっしゃったとするならば、個室の真ん中に鰹節満載の皿を置き、その部屋へ猫を追い込んだら結果はどうなるかを推理せよ、という難問ほどに難しくはないと思ったものだ。
しかし、現在の世の中では、歴然と証明できないことは口にしてはならぬらしい。だから自分は、某政治家とそのご二男とに深くおわびしなければならないのだ。
おわびだけで済む話ではないので、そんな事実が無かったことを某政治家とそのご二男と一緒になって証明してあげたいとつくづく思ったものである。彼らと一緒になって、まるで「マルサの女」さながらに、家宅捜索さながらに、ありとあらゆる銀行通帳を精査して、それぞれの記帳跡までをしっかりと確認し、決してそんなやましいことなんぞ微塵もなかったことを、調査し証明してあげたいと思ったわけだ。
また、それだけでは不足であろうから、税務署がよくやるような「半面調査」とやらもやってあげたい、と。つまり、メール送信側とされた者の「選挙資金使用状況」をしっかりと調べ、政治家方面なんぞに献金していないこと、そんないかがわしいことなんぞするはずがなかったことを証明してあげたいと思った。
というのも、これは自分が無実の人々を疑ってしまった心の痛みがあるということだけではなく、オッチョコチョイな某議員が疑惑の真実を証明できなかったと同様に、無実側の証明もなされず仕舞いになっているからなのである。
しかし、そう言えば、「真偽の証明」という難しい時事問題に関して言うならば、よくは覚えていないが、ちょいと前に、開戦前のイラクに「大量破壊兵器」が存在するのか、しないのかという、メール問題どころではないシリアスな大問題があったかと思う。その際にも、あるオッチョコチョイが、とある隣人から吹聴された気配に飲みこまれ、ある! と踏んで犯罪的決断をしたのではなかったっけ? その問題なんぞは、未だに一国の国民を地獄的状況へと追い込んだままになっているようだ。
しかも、「ある」ことを吹聴した隣人側は、無いものを探し回った挙句に、無いと事実を追認し、当初の判断が誤っていたことを公表したのではなかったっけ?
が、しかし、当該のオッチョコチョイは、市中引き回しの上……、でもなく、今回のメール問題に対してあっけらかんとした厚顔さで、「事の真偽をよく調べもせずに……」と得意の他人事セリフを吐いていらっしゃるわけだ。
自分としては、根が疑い深いため、無実らしき方々を平気で疑ってしまい、その結果、罪悪感と、自己嫌悪にしばしば落ち込んでしまう。その上、証明されない無実をものの勢いで証明済みのようなパフォーマンスをする方々がいらっしゃったり、自身が下した判断をコロッと忘れ去ったかのような方のド厚かましい素振りを拝見していると、ますます自分がすべて悪かったのだとただただ凹んでしまうのである。
これは大変に、精神衛生上および身体に悪い事態である。したがって、精神衛生と身体のためには、お偉いさんのなさることを見て見ぬふりをするとともに、気合なんぞどこかに捨ててしまったマス・メディアのわけのわからない報道なんぞには接することなく、ただただフワフワと生きるに越したことはないと思ったりするのである…… (2006.03.01)