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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2006年05月の日誌 ‥‥‥‥

2006/05/01/ (月)  文明が提供する「利己的悪循環」機器なしでも済む季節が……
2006/05/02/ (火)  秀作映画は、監督の頭の中でまず仕上がる?
2006/05/03/ (水)  書斎「整備計画」がいよいよ着手さる……
2006/05/04/ (木)  五月晴れの早朝にウォーキング
2006/05/05/ (金)  大型連休中の街の書店は閑散としている……
2006/05/06/ (土)  「薬師池公園周遊ウォーキングコース」の「新」ルート設定!
2006/05/07/ (日)  「あなたはとてもたくさんの時間を"灰色の男"に盗まれています」
2006/05/08/ (月)  「整理番号券」発行についての真昼の悪夢……
2006/05/09/ (火)  カッワイーィ「悪事」と容赦できない「極悪・巨悪」!
2006/05/10/ (水)  「役に立たない」文章を綴っているというのが実態……
2006/05/11/ (木)  過去の邦画は、なつかしい風景のアーカイブ!
2006/05/12/ (金)  「10の100乗」と「目をグルグルキョロキョロ」の「Google」はさすが!
2006/05/13/ (土)  せめて一日の大半を過ごす空間だけでも、スッキリ、サッパリと……
2006/05/14/ (日)  過去の経験は、その「虫干し」が必要と見つけたり!
2006/05/15/ (月)  酔って寝入るととんでもない夢を見る習性?
2006/05/16/ (火)  「自立」という言葉は、「この印籠が目に入らぬか!」でしかないのかも……
2006/05/17/ (水)  「バラツキ」を深めてしまった時代環境にはそれにふさわしい対応を……
2006/05/18/ (木)  初歩的な凡ミスと、それを復旧する素晴らしいソフトとの遭遇!
2006/05/19/ (金)  かつて「お金」は、本体に対する「影」のようなものであったのかも……
2006/05/20/ (土)  「ラストサムライ」ならぬ、米国の51番目の「ラストステイト」、ジャパン?
2006/05/21/ (日)  尋常ではなくなった凶悪犯罪頻発時代……
2006/05/22/ (月)  悪事の現場に説得用の「オフクロ」が登場という定番が懐かしくさえある?
2006/05/23/ (火)  役に「立つ」動物や、役に「座っている」動物……
2006/05/24/ (水)  せめて「自然現象」による被害だけは最小(少)に食い止めるべし!
2006/05/25/ (木)  バカも休み休み言ってもらいたいものだ。少なくとも週休二日制で!
2006/05/26/ (金)  背後のテーブルの「仲良し三人組」……
2006/05/27/ (土)  「遊びに行きたし かさはなし」「いやでもおうちで 遊びましょう」
2006/05/28/ (日)  「女房がかわいそう」という彼の言葉の真意……
2006/05/29/ (月)  今なお、いや今だからこそこんな映画が必須なのだろう……
2006/05/30/ (火)  今また聞く「大本営化するメディア」という警告!
2006/05/31/ (水)  石油を牛耳る者が、世界を牛耳る?






 あらかじめ天気予報で知らされてはいたものの、今日の天気は一体何だ? 突然の夏日である。こう、「順不同」の勝手をやられたのではたまらない。まさに「お天気屋」さんのご乱心というところか。
 どうも今年の春の季節は「素直ではない」! すっきりと晴れて、穏やかな気温となってもらいたいのに、空模様は定まらず、気温も低い日が続くかと思えば、突然に今日のような夏日がやってくる。人間さまも狂いはじめているようだが、お天気の方も地球環境の急変によって撹乱されてしまったのだろうか。どこか右往左往しているという印象がぬぐい切れない。

 今朝は、夏の朝という雰囲気であったが、そのことに駄目押しするかのような光景に出会った。事務所に来ると、道路の反対側の家並みに住む人が派手に「打ち水」をしていたのである。
 去年の夏であったか、焼けつくようなアスファルトに、ホースでやけくそ気味に散水している年寄りのことを書いたかと思うが、早くもそのお年寄りの仕業に出っくわすことになったのだ。どうもこのお年寄りは、よほど暑いのがお嫌いであるらしい。しかし、事務所の窓を開けると、打ち水されたアスファルトから、涼しい風が流れてくるような気がした。少なくとも、ちょっとしたすがすがしい匂いがしてくるような気がした。

 ちょっとした用事がありクルマを使ったが、陽射しのもとに置かれたクルマの中は、十分に夏そのものであった。窓を開け放ったがそれでも間に合わず、結局、クーラーをオンにせざるを得なかった。
 ふと、クーラーが壊れた時のことを思い起こしたりした。何年前のことであろうか、おふくろを連れて、家内と三人で夏場に旅行をした時のことであった。往路は、天気が悪かったか、あるいはクーラーがまともであったか、不自由はなかった。が、帰路についた途端、クーラーの風が生ぬるいことに気づいた。車外は猛暑であり、アスファルト道路は十分に焼けついていたものだった。
 ようやくクーラーが故障していることを認めざるを得なくなり、窓を全開にして風を入れることにしたものの、風は熱風状態であり、何の役にも立たなかった。
 せっかく、海辺のホテルで残暑をしのいだにもかかわらず、帰りのクルマでうだるような暑さを思い知らされ、やれやれと興醒めしてしまったのだった。
 後日、そのクーラーの故障が、古い年式のクルマであったため、もはや使用禁止扱いとなったフロン・ガス使用の冷却方式であることがわかったのだった。猛暑をしのぐためのクルマのクーラーが、フロン・ガスをもらして、オゾン層に穴を開けたり地球全体の気象状況を悪化させていたというわけだ。典型的な「利己的悪循環」を推進していたのだとわかり、居心地の悪い気分となったものである。

 まだ夏に備える姿勢は早過ぎることであろう。明日は雨天になるとも聞いているし、少なくとも梅雨の前に、すがすがしい五月晴れの期間がなければならないはずだ。文明が提供する「利己的悪循環」機器なしでも十分に快適に過ごせる季節がなくてはならない…… (2006.05.01)


 いつであったか東北を旅行した際、自称「プロカメラマン」に撮影の極意は何かと訊ねたことがあった。その時、確か次のように応えてもらったようだった。
「対象を見つめて、これぞというイメージが頭に浮かぶ。で、撮れた写真がそのイメージにどれくらい近づけるかということかな」
 つまり、はじめにイメージありき、だというのであった。自分も、そんな気がしている。対象側に基準があるわけではなく、あくまでも自身の内にオリジナルがあるというのが正解ではないかと思うのだ。

 連休の谷間ということもあり、帰宅するとDVD鑑賞なぞを楽しんでいる。
 昨晩は、山田洋次監督、真田広之主演、藤沢周平原作の『たそがれ清兵衛』をじっくりと鑑賞した。
(ところで、今、このDVDのコンテンツを再確認すべく、"Google"でサイト検索をかけてみた。あれー、いやにヒットが少ないじゃないか、と思ったら、キーワードを「たそがれ平兵衛」と打ち込んでいたのだった。「平兵衛」なんぞと間違えたのでは藤沢周平に怒られそうである。が、もっと可笑しいと思ったのは、「たそがれ平兵衛」と公式的に間違えてブログを公開している人が何人もいたことなのである……)

 この作品は、劇場で鑑賞して感動したものだった。記憶では、自分と同世代ないしはそれ以上の年代のご夫婦が多く来られていて、ああ、なるほど藤沢周平&山田洋次ファン層なんだな、と思ったことを覚えている。
 それはともかく、この作品は、小さな画面のDVDで、しかも二度目を鑑賞してもしっかりとインパクトを与えるやはり秀作なのだと改めて認識した。
 物語といい、役者の演技といい、画像の美しさといい、万事が地に足のついた非の打ち所がない作品である。山田洋次監督の頭の中には、撮影が始まる前に、こうした映画のイメージが刻まれていたのかと思うと、やはり大したものだと感心した。

 あえてこう思うのにはわけがある。
 同時にレンタルしてきたDVD『蝉しぐれ』(黒土三男監督、市川染五郎主演、藤沢周平原作)が、想像どおりに失望したからであった。この藤沢作品は、NHKでTVドラマ(『金曜時代劇シリーズ』)として放映されたのを観た覚えがあり、TVドラマとしては極上の出来であった。
 そのTVドラマは、内野聖陽、水野真紀、勝野洋、竹下景子などの役者も名演であったし、画像も悪くはなかった。しかも、初のドラマ化への挑戦という点にも評価を与えたかったものだ。多くの視聴者からも好感を抱かれたはずである。
 それに対して、この作品の映画化には、当初から異論を抱いていた。TVドラマでヒットしたものを映画化するというのは、ちょいと古い発想なんじゃないかい、そこには初物への挑戦という緊迫感が端っから欠けているため駄作になる可能性が大いにありそうだと勝手なことを考えたのである。

 つまりここなのである。映画監督は、原作の小説などを自身の頭の中でオリジナルなイメージ化、映像化をはかることになるわけだが、そこに、たとえTVドラマ映像とはいえ、すでに他者が映像化したものが存在すると、どうしても撹乱されることになるのではないかと想像するのである。参考になりそうだと見る向きもあるかもしれないが、やはり邪魔になると考える。
 それから、キャスティングにも誤りがありそうに思えた。市川染五郎(息子の方)では地道な下級武士の役柄は作り事になりそうだとは思えなかったのだろうか。ここに、何か、名の通った役者を張りつけて興行成績を良くしたいという古臭さが匂ってくるようだった。
 TVドラマの映画化というのなら、先ずは、山形県海坂藩の自然風景の映像美が観る者を堪能させてしかるべきだというべきだろうが、この点でも、『たそがれ清兵衛』はさすがにうまくまとめていたが、『蝉しぐれ』に関してはさほどの印象を受けることはなかった。
 まあ、『蝉しぐれ』の方はNHKライブラリーにもDVDがあるようなので後日参照してみたいとは思っている。

 それにしても、映画『たそがれ清兵衛』(DVD)は、藤沢作品のファンならば何度観ても納得できるように、「永久保存版」的な仕上がりになっているかと思った次第である…… (2006.05.02)



 億劫なことに手を染めるには「きっかけ」が必要だ。
 大したことではなく、書斎の整理と掃除のことである。何でも「とりあえず置く」という調子で無秩序状態が増幅され、とんと整理整頓が手つかずのままとなっていた。冬場は、ストーブの火があるため危ないからと、掃除を「自粛」し、夏場は、狭いところで無用に汗をかくのもなんだと思い放置してきた。そして早何年かが過ぎた。
 そろそろこの連休中にでも着手しようかとは考えていた。決して黙殺していたわけではない。しかし、どこからどう手をつければよいかに思案し、消極的な姿勢を引きずっていた。
 が、まるで「黴」のようにいつの間にか増え続ける書籍が、寝室の一角まで占領し始めたことに、家内は業を煮やすに至ったのだった。そして、それらを撤去してもらいたいとのクレームが入ることとなった。で、これが遅ればせながらの「きっかけ」となり、本日、それらの撤去先である書斎を片づけざるを得ないはめとなったのである。

「まるで、ハコダケ(函館)市だよ」
というシャレにもならない冗談を飛ばしながら、先ずは、無用な「箱」をこの際処分することにした。それらの箱というのは、ノートPCであったり、スキャナーであったりするエレクトロニクス製品の空箱である。一応保存していた理由は、故障の修理などで発送しなければならない時のためや、中古品として売りさばく際に箱があると店が喜ぶということなどであった。が、もっともそうした理由が実現した試しはなかった。製造元に発送しなければならないような故障もなければ、中古品として売ったこともないのだ。
 したがって、「ハコダケ」がかさばり、のさばり狭い空間を余計にごちゃごちゃとさせていただけだったのである。これらを潔く(遅ればせながらも)資源ゴミとして処分することにした。すると、どうにか狭い空間にも多少なりとも「整理整頓の方向」が仄見えてきたという次第だったのである。
 これが大事な事であった。「整理整頓」というものは、ビジョンというか方向というか、そんなものが見えてこないと、実践への意欲が湧かないからである。暗中模索状態であると、着手前から疲れの予感と、汗の予感が出鼻を挫き、とりあえずのタバコを吸っていると、「まあ、今日である必要もないか……」という問題据え置き姿勢と気分が、ムクムクと頭をもたげてくるからである。

 それに対して、仮にも「整理整頓の方向」が仄見えてくると、それでは先ず、積み上げた書籍を本棚に収めようとか、いやその前に、斜に構えた本たちを正して本棚に空きスペースを作るべしとか、いやこの際、不用とすべき本を選別すべしとか、いろいろな健気な前向き案が立ち上がってくるのである。こうなるとシメタものであり、たとえ今日片づかずに中断することとなったとしても、明日なり明後日なりにかなりの高い確率で継承されていく可能性が出てもくるのである。
 まさにその通りとなったのであり、今日は、「整理整頓の方向」が仄見えてきたところで戦果アリと認め、決して功を焦らぬ作戦を選ぶことにしたのだった。
 昨夜の寝不足のせいか、本日は妙に身体がかったるい状態であったからである。体調が優れている時ならば、すでに「ビジョン」と「きっかけ」とが揃ったわけであるからどうということはないはずなのである…… (2006.05.03)


 昨日に引き続き行楽日和の良い天気である。抜けるように空は青く、新緑が目に映える。適度に風が吹き、新緑の樹々の葉がそよいでいる。それらの鮮やかさは、妙な表現であるがまるで特撮風景のようだと感じたりした。
 特に、近所にある寺の境内の銀杏の大木なぞは、とても自然のものとは思えず、人工的な工夫を凝らした特撮映像のようにさえ見えたものだ。まさに、今頃の樹々の姿こそは新緑の旬と言うべきなのだろう。負け惜しみではなく、こうした光景を目にすることができるのだから、あえて行楽地に出向くこともないとさえ思えた。

 今朝は朝一番で、やや距離の長いウォーキングをしてみた。薬師池公園を回りこんで、長い坂を含む歩き応えのあるコースである。朝が早いということもあってか、あるいは連休最中で人々は行楽地へと散ったためか、道路にはクルマの影も少なく、何となく年末年始の際の閑散とした雰囲気にも似た空気が漂っていた。
 いつもこんなふうであればいいなあ、と感じていた。もしそうなったとして、間違っても寂しいというようには感じないだろうとも思えた。
 昨今の道路、クルマ事情は、混み合って賑やかなどと暢気なことを言ってる場合ではなく、運転マナーなんぞどこ吹く風の、過度に利己的なドライバーたちが、ほとんど見苦しい混乱状況を日がな一日繰り広げているにしか過ぎないからだ。
 そして、こうした状況は、何も、道路、クルマ事情だけに限られたものではなく、社会全体がこうした風潮で染まっているのだから嘆かわしい。
 自然の変わらぬ律儀さとその輝かしさに較べて、人間界の、ズルズルと滑り落ちて行くかのような無様さを改めて気づかざるを得ない思いがしたものだった。

 明日は、端午の節句、「子どもの日」ということになるが、そんなこともあり、ここしばらく前からは「鯉のぼり」をちらほらと見かけてきた。しかし、それにしてもその数は一頃に較べるとどうも少なくなってきたような気がしないではなかった。これも、少子化傾向の結果なのかと思うと、こちらはちょっと寂しい思いがしたものだ。
 そんな思いで歩いていると、薬師池公園を過ぎて田畑が視野に入るところまで来た時、田畑の広がりの向こうに、多くの「鯉」が垂れ下がるあの光景が目に飛び込んできた。
 田畑の間を流れる小さな川を跨ぐように、十数匹程度の鯉のぼりの「鯉」が川幅いっぱいに張られたロープに繋がって風にそよいでいたのである。この光景は、相模川などで大々的にとり行われるイベントとしては見聞してきたが、地元の小さな川でも実施されていることははじめて知った。
 きっと、気の利いた町内役員さんたちが企画したのであろう。ひょっとしたら、団塊世代のオヤジたちが、もはや息子たちは大人になってしまい、押し入れの奥で眠ったままとなっている鯉のぼりを再び泳がせたくてしょうがなくなったのかもしれない。孫はいつまで待てばいいのかわからないといった、そんな事情もあるのやもしれない。
 川幅何十メートルもある相模川の多重鯉のぼりの壮大な姿ら較べればかわいい光景ではあったが、その背景が想像できただけに、ほほえましい気分にさせられたのだった。

 さすがにサラリーマンふうの者にはほとんど出会うことがなかったが、野球のユニホームを着て自転車で走る子どもたちとは何度も出会った。早朝練習なのか、あるいは今日はちょっとした練習試合の予定となっているのか……。このようなさわやかな五月晴れの空の下であれば、日頃の何もかもを忘れてさぞかし良いプレーができるはずだろうと想像したりした…… (2006.05.04)


 新聞の二面に出ていたとある小説家の新刊エッセイ集が目当てで、近くの書店に出かけた。しかも徒歩で行くことにした。ひょっとしたらそうした新刊本は置いてないような推測も十分に成り立っていた。今までにもそんなことがしばしばあったからだ。
「よかったらお取り寄せしますよ」
という、最も聞きたくない店員からの言葉を聞くために、わざわざ書店へ向かうほど空虚なことはないはずであった。
 だが、わたしにはダメモトの気分が備わっていた。
 大したことではないのだが、連休中は、食後には必ず歩こうと決めていたからである。ろくなこともせずに、のんびりした挙句に、食事だけはしっかりとってしまう連休は、年末年始の休暇と同様に、とにかく警戒すべき時間帯だったからである。このところ不用意にも1、2キロほど体重が増えてしまっていることもあった。

 やはり大型連休中ということであろうか、書店内は閑散としている。普段の休日だとそこそこの客というか、立ち読みの人やら、キャッキャと騒ぐ子どもを連れた家族があちこちにいたりするが、何本かの通路には数えられるほどの人影しかない。
 新刊本のコーナーの「平積み」をざっと見渡して、自分は早くも失望の思いが隠せなかった。お目当ての本が見当たらなかったばかりか、絶対に読みたくはないような、作家とは言い難い著者たちの本が目に飛び込んできたからである。
 まあ、せっかく来たのだからほかのコーナーも覗いてみるかと、文庫本の新刊コーナーや雑誌のコーナーに回ったりした。そうしているうちに、お目当て外の本を何冊か手にすることとなってしまった。

 一冊は、『和の暮らしモノ図鑑 ニッポンの名前』であった。この本を開いた時には、思わず「こいつはいい!」とつぶやいてしまった。日本の伝統的な衣食住・芸能・冠婚葬祭などにかかわるモノの写真や図柄と名前がふりがなつきで掲載されているのである。
 なぜこんな本を買うことにしたかということだが、時々、過去の生活環境のこまごまとしたことを思い起こして、ふと、あのモノの名は一体何というのだったかと引っ掛かることがある。そして、思い出せずに気持ちが悪いという水準を越えて、記憶に残るほどの大事なモノの名が再確認できないことは残念至極だと思ってしまうのだ。
 これまでにも、『図説 民族探訪辞典』であるとか『江戸庶民の衣食住』であるとか、手掛かりになりそうな本は手元に置いたりしてきた。伝統的なモノの名というのは結構当時の人々の感性が漂っていておもしろかったりもする。
 最近、何かちょっとしたことを知りたい場合、ネットで検索をすると大抵のことは用が足りる。しかし、それが可能なのは、「新しいこと」に偏重している嫌いがないではない。「旧いこと」でマイナーな分野となると途端に頼りなくなるような気がしている。
 しかも、そうした類いのことを覚えている年配の人たちがいつまでも存命するとは到底考えられないわけだ。そんな切ないことにまで踏み込むと、まるで、「絶滅種」を救え! との気負いにも似た使命感めいた気分が刺激されたりもするのである。

 他の一冊は、『写真句行 一茶 生きもの句帖』である。(ちなみに、一茶は、1763年の今日、5月5日が誕生日だとか)
 かつて、このシリーズでは『写真句行 はぐれ雲 山頭火』がえらく気に入って購入したことがあった。絶妙な風景写真が背景となって句が紹介されるというセンスが何とも素晴らしいのである。
 そして今回の「一茶」の句は、蛙、雀、猫、犬はいうにおよばず、蚤、虱に至るまでありとあらゆる動物、小動物を詠んだ句が厳選されているのだから手を出さざるを得なかったわけだ。
<江戸期の俳人小林一茶は、終生家族運に恵まれなかった。その欠落を埋めるかのように小動物を愛した>という、裏表紙の触れ込みは「効果一本!」であっただろう。
 「我と来て遊ぶや親のない雀」の句はあまりにも有名であるが、次のような味わい深い句もある。
「汚れ猫それでも妻は持ちにけり」

 ほかに経済関係の雑誌二冊を手にして、再度、未練たらしく新刊本コーナーへと戻ってみる自分であった。お目当ての作家の本は、「平積み」扱いにされるほどの売れ行きではないのかもしれないぞ、という思いがよぎったからである。
 そして、意外にこんなところに挟まっていたりして……と、新刊本の書棚に目を向けると、何と図星のかたちでそこに挟まる一冊を見つけたのである。
 その本とは、保坂 和志著『途方に暮れて、人生論』というエッセイ集である。なぜだか気になる作家のひとりである。この著作については、また後日書くことになると思うが、今日のところは次の箇所の引用にとどめておく。

<しかし、ひとつだけ言えることがある。《今みたいなこんな時代》を楽しく生きられることより、生きにくいと感じられる方が、本当のところ幸せなのではないか。人生としてずっと充実しているんじゃないか。
 これは幸せ・不幸せを定義するときに私がいつも感じる齟齬(そご)なのだが、自分が生きている時代をただ楽しいと思っている人は、その時代に適合する内面しか持っていない。時代が求めるもの以上の遠いところを見ているからこそ、その人は生きにくいと感じることができる。>

…… (2006.05.05)


 明日は雨だという予報が出ているが、この連休の大半が五月晴れとなりまずは良かった。一年中で自然風景が最も目に優しく映えるこの時期、そして人々がホッとするこの連休が、良い天気に恵まれたことはとにかく喜ばしいことだったと思う。
 全国民にとってほかには良いこととて少ない時代であるから、大らかな自然の恵みだけでも頼りとしたいわけである。
 今頃の季節は、もう5時台には外は朝日で包まれて明るくなっている。自分も最近では6時に起床することが苦しくはない習慣がついている。
 今朝は、6時15分前ほどに一度目が覚め、外は明るいいい天気だな……、などと思いながら6時までうとうととしていた。休日であり、しかも五月晴れの良い天気だとなれば、惰眠をむさぼっていることがもったいなく思えたりもする。
 明日は雨天となるいうから、今朝もウォーキングは遠出をしてみようかという気になっていた。遠出というほどでもないが、往復で7〜8キロの距離の薬師池公園周遊コースのことである。

 そそくさと朝食を済ませ、表のクロ猫たちにも餌をやる。
 ところで、クロは、わたしが玄関のドアを開けると、それに合わせたかのように玄関脇の特製猫小屋の丸い切り抜き穴から頭だけを覗かせる。そして、その下にある餌皿の食べ残しの餌を唐突に食べはじめるのである。食べ残しがない場合には、ニャーォと一声鳴いて餌をせがむことになるが、食べ残しを食べはじめるという動作がおかしい。残っているともらえないとでも考えるのか、それとも、わたしの出現自体が「パプロフの条件反射」でいうトリガーとなっているのか、ムシャムシャと食べ残しに立ち向かうからおもしろい。
 そうこうしていると、クロの娘猫グチャがどこからともなく戻ってきて、足に擦り寄って餌をねだる。こいつにも粉洗剤用のプラスチックの軽量スプーン一杯のキャットフードを餌皿に盛ってやれば、それで外猫たちへの世話は完了となる。

 最近は、朝一から結構、頭がスッキリとしているもんだな、なんぞと感じていた。歩道ですれ違う人に挨拶の声をかけるほどではないにしても、一昔前は、とにかく起きてはいるけれど頭も身体も右往左往しているといった印象が拭えなかった。が、最近はむしろ朝方の方がしゃんとしていて、夕刻あたりがまずかったりする。
 今朝も、野球少年たちが自転車で練習に向かう姿にたびたび出合う。一頃は野球よりもサッカーという雰囲気が広がっていたようだが、最近ではまたまた野球という流れが出てきた観がある。
 歩く人はやはり中高年のご夫婦が目につく。しかも、そうそう、歩きまくった方がいいですよ、と頷きたくなるほどに両者ともに肥えたご夫婦が多い。
 健康に高を括っているのは、三、四十代の男たちかもしれない。気分だけは変えたいのだろうか、新緑の見える道路の脇に愛車を停めて深呼吸なんぞをしている。ニ、三箇所で同じ光景を見たものだ。あんたたちもそう高を括っていたらメキメキ老化していくことになるんだよ、と言いたくなった。
 クルマと言えば、タクシードライバーたちが道路脇の木陰に駐車して仮眠をとったりしている光景もちらほらと目に入った。気の毒なことだと思わざるを得なかった。と、その時、それらのタクシーが、道路のこちら側でも反対側でも、二台づつが連なっていることに気づいた。なるほどなあ、昨今は物騒なご時世だから、一台だけで仮眠などとっていたら、命まで取られかねないからかなあ……、とバカなことまで考えたりした。

 まだ、8時前だからということか、いつもながら水と緑の麗しい公園内は人影がほとんどなかった。と思いきや、まだ店開きしていない茶店の縁台にしっかりと腰掛けて、おにぎりを頬張っているおばさん二人組みがいたりした。朝食抜きの朝駆けで飛んで来た方々なのであろうか。新緑はいいけど、混むのがイヤよね、いっそのこと5時起きで行きましょうよ……、ということだったのかもしれぬ。
 アマチュア・カメラマンも訪れていた。30代といった男性か。赤いリュックを担ぎ、300ミリ程度の望遠レンズをつけたカメラに、中型カメラ用の三脚を携えて、撮影対象を探しあぐねている様子だ。
 余計なことだが、妻帯者であるのだろうか、チョンガーなのだろうか……。前者だとすれば、「息抜き」ということか。「昼までには帰るけど、ちょっと薬師池まで行ってくるね」とでも、寝ている奥さんに言付けて出てきたものか。
 後者だとすれば、やや深刻(?)なのかもしれない。
 連休といえば彼女と一緒に行楽地というのが相場でもなかろうが、事情が許せばカップルであった方が華やぐはず。が、事情が許さないのならばムリは言えないが、よっぽどカメラが好きでしょうがないのならそれも結構だけど、朝の早い自然公園にはおばさんたちはいても若い女の子はいないんじゃないかなあ……、とまるで余計なお世話を考えたりした。それにしても、二極化経済下での若い世代たちの行く末は厳しいものがあるというからなあ……。

 今までのこの「薬師池公園周遊ウォーキングコース」は、公園を越した後、何の変哲もないバス道路をテクテク行き、挙句の果てに、心臓破りの長い坂を登るはめになる。
 が、今日は、ちょいと発想の転換を試みることにした。公園の裏山へ上り、裏山づたいに「山中」の細道を辿っていくコースである。このことを思いついたのは、ひとつが、久々にその山道周囲の風景が見たかったということと、もうひとつは、あの心臓破りの長い坂はもういいなあ〜、という逃げ腰姿勢であった。いや、後者の比重が小さくないというのがホンネかもしれなかった。山道を行けば、とにかくあの長いだけの坂を歩かずに済むのであった。
 しかし、このコースは、逆を歩いたことはしばしばあったが、ほとんど試みたことがなかっただけに、ちょっと当惑したものであった。まあ、間違えるほどに煩雑な地形ではないにしても、ちょっとした「山道」であるため、こっちだったかな、いやあっちだったかもしれない、といった迷いは生じた。
 が、つつがなく予定した箇所に出ることができたことで、これからはこのルートを「薬師池公園周遊コース」の正式ルートにしようと合点したのであった。

 8時台も半ば過ぎようになると、団地のバス停には乗客の待ち行列が出来ていた。仕事ということではないんだろうが、みんなそれぞれの思いを込めてバスの到来を待っているんだな、とまるでどうでもいいことを考えながら帰路についていた…… (2006.05.06)


 昨日の夕刊に、<「中学生はこれを読め」 書店主が推薦リスト、全国波及>(2006年05月06日 朝日夕刊)という記事があった。札幌の本屋のオヤジが、500冊のお薦めをリストアップし、専用の棚を作って、こんなキャンペーンを始めたところ、そのおせっかいが全国に広がっている、というのである。
 「なるほど」と思ってそのリストのサンプル図書を見るとその上位に<ミヒャエル・エンデ「モモ」>とあった。
 さらに「なるほど」と頷いたものである。もう2〜30年も前、研究生活をしていた当時、ドイツ哲学専攻の友人が「おもしろい本があるから原書で読んでみたら」と薦めてくれたことがあった。結局、後日、邦訳本を読んだのだったが、現代という時代が「時間」という人間にとって本質的なものを売り渡しているという痛烈な現代批判の書(童話)であることを知った。
 「時は金なり」ということわざがあり、それはそれで的を射ているわけだが、見方によっては、「時はカネに変えるべし」という解釈が成り立つほどに、現代では「時間観」がゆがめられてしまっている。とくにこの国日本の現在では、「時間」=「人間(の人生)」という意味での「時間観」は死滅してしまい、まさに「モモ」が闘った「灰色の男」たちが操る「時間貯蓄銀行」に、好んで自分の固有の「時間」を預けて、「能率」や「有用性」や「カネ」を得ている人が一般的となったかのようだ。ストレートに言えば、自分自身のすべてを「カネ」に置き換えてしまう生き方を選ぶ人々が、めっきり増えたかのようである。
 一昨日書いた保坂 和志著『途方に暮れて、人生論』でも、「カネのサイクルの外へ!!」という、昔であれば何ということもないテーマが取り上げられるほどに、この国の現在は特殊な状況に成り果てている。今日は、<ミヒャエル・エンデ「モモ」>が主題であるが、保坂氏のエッセイをちょっと引用しておく。

<つまり、最近まで私たちが知っていたカネは、労働やその人の実績に対する報酬や尺度・目安のようなものだった。金持ちはただひたすらカネだけを儲けたわけではなく、カネはいわば副産物であり、それゆえにその人の能力を測る尺度となりえた。だから金持ちが偉そうな顔をするのにもそれなりの理由があった、とも言える。金持ちはそれぞれ、ミニ松下幸之助でありミニ本田宗一郎であるという幻想をみんなが持っていたから、金持ちが偉そうな顔をしていてもあんまり不思議に思わなかったのだ。
 ところが一般人がそういう古い経済観を持っていたあいだに、カネをめぐる状況は激変していた。カネはひたすらカネを増やすことしか考えない人間のところに一番集まるようになっていた。>

 ホリエモンや村上ファンドのことを思い浮かべるのも自由であるが、要するに現在では、芥川作品の仙人や魔術師が囁いたように、人間の最も人間らしいものを放棄せずしてカネを増殖させることはできない、そんな状況となってしまったとでも言うべきなのであろう。
 「人間の最も人間らしいもの」を良心というような説教めいた言葉で表現しようとは思わないが、「モモ」に引きつけて言うならば「時間」ということになろうか。もっとも、自身の「時間観」を失えば、良心なんぞもあったものではないだけでなく、感動も喜びも、そして精神的な苦痛すら消失するものかもしれない。存在するのは、「〜もどき」のモノによって埋め尽くされた「……てゆうカンジ」という錯覚の連鎖だけなのかもしれない。
 この辺のところは、映画化された「モモ」にあっては、「モモ」が「灰色の男」によって時間を奪われそうになる場面が実に印象的かつ説得的であった。小さな女の子ならば欲しがるような「喋るお人形さん」を貰うかわりに「時間を貯蓄」する(=自身の時間を放棄すること?)よう誘惑されるのである。まあ、現在の子どもたちならば、いや大人達もそうだが、「やったー」とでも叫ぶところであろう。もちろん「モモ」は、ただ一言「イヤ!」と言って拒絶したが。
 (実は、偶然なのだが、自分はこの連休中に何枚かのDVDレンタルをしていたが、見落としている「鬼平犯科帳」の何枚かとともに、ヘンな取り合わせであったがその中に「モモ」が含まれていたのである。)

 この時期に、ミヒャエル・エンデが危惧した現代病の深刻化を見据えることは、おおげさに言えば、何はともあれ<緊急課題>であるような気がしている。
 経済状況の格差拡大、二極分化という急激な変化は、自分の「時間観」を放棄してカネに絡め取られていく病的風潮をとてつもなく増強することになるはずだからだ。
 富者たちは、より莫大なカネを得るためにますます自身のプロセスとしての時間を結果としてのカネ儲けへと投資してはばからなくなる。また、貧者たちは、生活苦の不安と恐怖から、日々の糧を得るために目的であるはずの日々のプロセスとしての時間を譲り渡して行こうとする。こうして、富者たちも貧者たちも、こぞって自身の時間、人生を台無しにしながら「〜もどき」のモノを手に入れるためのカネを唯一のターゲットとしはじめている、と言ったら言い過ぎなのだろうか。

 こんな時代に必要なのは何か? とふと考えたりする。
 さしあたって浮かんでくるのは、「虚しさへの鋭い感性と想像力」なのかもしれないと思ったりもする。そこからのリバウンドしかあり得ないのではなかろうかと…… (2006.05.07)

<付録 あなたの時間貯蓄度は?
1.最近何もする気がしない
2.何をしても面白くない
3.理由はないが世の中に対して不満を感じる
4.世の中で起こっていることは自分とは何の関係もないと思う
5.最近喜怒哀楽を感じない
6.人やものに愛を感じない
7.何事も一番大切なことは能率だと思う
8.仕事や勉強は楽しくないがそのことは特に気にならない
9.最近時間が過ぎていくのがとても早い
10.目つきがとげとげしくなった
11.夢を見なくなった
12.周囲が静かだと不安だ
13.仕事はお金のためだけにやっている
14.偉くなり金持ちになれば、友情や愛や名誉は自然と集まってくると思う
15.友達とは自分にとって利益になる人のことだと思う

 大変です!!
 気づいていないかもしれませんが、あなたはとてもたくさんの時間を"灰色の男"に盗まれています。心の中に"時間の花"は残っていますか?
 人間、時には立ち止まることも必要です。あなた自身が"灰色の男"に変わる前に、すべてを忘れてお休みされることをおすすめします…。>(ASMIK ACE ENTERTAMENT DVD 「モモ」より)


 さすがに、一週間も仕事から離れると仕事の勘働きとでもいうものが鈍(なま)る。とくに支障が出るというわけでもないが、何となく上擦った感触とでも言おうか。逆に言えば、休み中は仕事以外のことでしっかりと満喫したということなのであろう。きっと、頭の疲れは解消されているに違いない。

 昼休み、納税のために事務所の最寄郵便局に出向いた。コンビニでもよかったが、あいにく郵便局よりも近いコンビニがなかった。かつては何箇所かあった。このビルの一階がそうだったし、郵便局までの中ほどにもあった。が、いずれも立ち行かなくなったわけだ。コンビニほど人通りの多寡(たか)に左右される商売もないだろう。
 で、郵便局でのことであるが、腹立たしいほどに待たされてしまった。大銀行か市役所並みに「整理番号券」なんぞを発行していたのだ。混むからそうしているのだろうけれど、何で郵便局なんぞが混むのかと合点がいかなかった。
 昔気質のお年寄りたちが吸い寄せられているのならば話はわかるが、そうでもない連中が多いようであった。別に目くじらを立てることもないわけだが、「整理番号券」なんぞを発行して、事務作業をマイペースでやっている局員たちが何となく腹立たしかったということだ。「郵パック」とか、いろいろと目新しいことをやる割りには、根本姿勢が役所風ではないかと感じたのだ。
 どこのショップへ行っても、「顧客を待たせる」というようなことは極力避けようと努力しているはずである。それを、「整理番号券」発行なんぞという姑息な手段を弄する発想が、まだまだだと言いたいのである。

 最初に局に入った時、よそのおばさんが自分の取った「整理番号券」をくれたのだった。大分待たされてイライラして、「もういい! あたしゃ帰る!」と無言の意思表示をしながら、その券をくれたのだった。その番号と、現在時の番号表示とを見比べてみたが、その途端、自分も、「もういい! あたしゃコンビニに行く!」という心境となったものだった。
 ところが、駅前のコンビニへと迂回してみて、腹立たしさが倍増してしまった。バーコード・リーダーを自分が出した納税票にあてるなり、
「申し訳ありません。これは当店では扱っていない種類です」
ときたからである。
 ほかにこの近辺ではコンビニがないことを知っていたのと、ああ、またあの慇懃無礼な郵便局へ戻らなければならないという思いとで、
「あっそう」
と、自分は憮然とした気分となってしまった。
 ただでさえ前向きな好意なんぞを持っているわけではない納税のために、どうしてこんなに苦労しなけりゃならないのかと思うとバカバカしくなってしまった。
 まあ、気を取り直して再び郵便局へと戻るはめになったわけである。そして、慇懃無礼な「整理番号券」発行器の前に進み、ありがたく御上の紙っぺらを押し戴いたのだ。まだ十人以上も待たなければならないことを告げるその紙っぺらをである。

 考えてみれば、「整理番号券」が納得できるのは、喜ばしいことを待たせる時だけにして欲しいものだ。たとえば、先着何名かにプレゼントが出るとか、パチンコ屋で目玉台の権利が提供されるとかというような……。客が何らかの負担をしなければならないようなショッピングなどについては、おとなしく待たせる方法を考えるのではなく、待たせないことをこそ熟慮すべきなはずではないか。
 待たされている間、ブラックな気分でいた自分は、まさしくブラックなことを想像したりしていた。
 ひょっとしたら、あのナチス・ドイツのガス室の前で、シャワーを浴びるのだとウソをついてユダヤ人たちを子どもも含めて並ばせた時にも、几帳面なナチス・ドイツは「整理番号券」を発行していたのではなかったか、と。子どもたちの手に、番号が印刷された紙っぺらが、もし握られていたのだったとしたら…… (2006.05.08)


 不謹慎かもしれないが、思わず笑ってしまった新聞記事があった。

<池に落ちたゴルフボール、潜水服着て盗む 容疑の男逮捕>(朝日,2006年05月09日)
というものである。<潜水服着て>というのが、そこまでやるか、と意表を突かれた思いだったのである。

<…… 調べでは、※※容疑者は9日午前0時半ごろ、※※県※※市※※町上のゴルフ場に侵入し、コース内の池(深さ1〜2メートル)に潜り、ゴルフボール計651個(時価3万2550円相当)を盗んだ疑い。付近を巡回中の署員がゴルフ場から車で出てきた※※容疑者に職務質問し、車内に大量のゴルフボールがあるのを見つけた。「自分が使うつもりだった」と供述しているという。
 池に落ちて拾われなかったボールの所有権はプレーヤーが放棄したとみなされ、ゴルフ場に移る。>

 お目こぼししてやれや、とでも言いたくなるような「事件」だ。平気で人を刺したりする連中や、濡れ手で粟のように膨大なカネを横取りするような連中が闊歩して「急ぎ働き」(鬼平犯科帳!)しているこのご時世で、「ゴルフボール計651個(時価3万2550円相当)を盗んだ疑い」、しかもご苦労なことに「潜水服着て」というのだから、「カッワイーィ」と言ってやりたいではないか。まあ、そこは法治国家なのだから、ゴルフ場に移った所有権を侵害することは見逃せないのは重々わかる。しかし……、という勝手な気分と、無責任なおかしさが残ってしまうのである。

 誤解がないように言っておけば、罪を見逃せというのではなく、ただでさえ大悪党がのさばり庶民が泣いているのだから、そいつらをひっ捕まえることに全力を注いで欲しいということだ。まさに「鬼平」のように、「急ぎ働き」で「人殺し」や「金品強奪」を恐れない極悪な奴等からこそ順上げにして「血祭り」にあげるべきである。
 人の世というのは、順番というものが意外と重要なのであり、正しい順番通りに事をなせば、後の方の処理はせずとも済んでしまうこともあれば、順番を間違えるならば、いくら努力してもそれが「ざる」になることだってあるというものだ。穴の開いたひしゃくで、とにかく水を汲むことを始めるのか、そのひしゃくの穴を塞ぐことから始めるのかでは事の成果が異なるに違いない。もっと決定的な事柄で言うならば、伝染性の病気では、患者の隔離こそが決め手なのであろう。これを後に回して個々の患者の対処療法から始めたのでは瞬く間に手に負えない事態となってしまうはずだ。犯罪はどちらかと言えば、この後者のたとえに似ていることだろう。
 
 先日も、釈然としないことに遭遇した。夕刻、薄暮のため事務所の窓ガラスに赤い光が動くのがいやでも目についた。やはり、近くにパトカーが停まっていたのだった。何事かと外に目をやると、T字路の角に複数の人影があった。
 よく見ると、一人は警官で、もう一人は自転車を脇に停めた女子高校生であった。女子高校生はうな垂れていた。しばらく眺めていたが、どうも自転車の「無灯火」走行で「書類」を作られていたようなのである。
 思わず、「そんなチマチマしたことで、貴重な職務時間を潰していいのかぁ〜」とでも窓から叫びたい心境となったものだ。もっともそんなことをすれば「公務執行妨害」で手前がお縄になってしまうので、密かに、「バァーカ」と呟くに止めた。
 確かに、自転車の「無灯火」走行は危ない。昨今は、スピードを出す者も多いので、予想外の怪我が発生したりもするらしい。しかし、お巡さんヨー、「コスパ」(コストパフォーマンスの略)ちゅうもんを考えないといかんぜよ。維持費の高い公器のパトカーに、二人で乗って、それで小一時間も費やして、女子高校生の「無灯火」走行をひっ捕まえるのなら、むしろ多発している女子学生殺人、幼女殺人の犯人検挙とその防止策を急ぎなさいよ、と。あるいは、飲み屋の前で違法駐車して、飲んだ後そのクルマで飲酒運転で帰る不届き者をこそ一掃しなさいよ、と。

 警官たちがみな「鬼平」のようになれとは言わない。しかし、真底、「極悪・巨悪」をこそ憎む体質だけはしっかりと身につけてもらいたいのだ。でないと、別な意味で「悪事千里を走る」(本来は、悪い行いはすぐ世間に知れわたる意であるが、ここでは悪事が千里四方に伝染するという意味!)という事態が、起きてしまう。
 ただでさえ、弱肉強食や、みんなでやれば恐くないという風潮が席巻するヤバイご時世なのである。また、責任能力無きが如しのマス・メディア環境でもある。「極悪・巨悪」を容赦しない空気こそあれば、おのずから無くなるものは無くなるとも言えそうだ…… (2006.05.09)


 こう毎日何かを書いていて、よくも5年も引きずったものだと我ながら感心する。2001年5月11日からこの日誌を書き始め、今日で5年が過ぎることになるのだ。
 さて、本日は何を書こうかと考えていた。いい加減書く材料も無くなりそうだなとしばし振り返ってみた。すると、早、5年が過ぎようとしていることに気づいたのである。この間、ムリムリ「無欠勤」の精勤を果たした。仕事やその他で終日拘束されたり、体調を崩したり、旅行に出かけたりと障害はいくらでもあった。しかし、何とか辻褄を合わせて継続させてしまった。
 もちろん内容は何にもナイヨーであることは言わずもがなである。ただ、単に一日の出来事を記すだけのメモ風の日誌に終わらせたくはなかった。それはそれでまた意味のあるものだろうとは思うものの、それとは異なって、感じたり考えたりといった内的生活の軌跡とでもいうものを書きたかったということになる。だから、日誌と呼んでもいいわけだが、恥ずかしながら「デイリー・エッセイ」というのが事実に即しているのかもしれない。

 それで、何のために書くのか、という問いがややもすれば生じないわけではない。一体何のためであったのだろうか?
 これを書き始めた最大の理由は「ヒマだったから」、と言うべきなんだろう、やっぱし。ほかに説得力のある理由は見つからない。では、自分にとって、この日誌とは一体何なのだろうか?
 言ってみれば、「愛です」……。なんて、ちょっとある本で読んだ可笑しかったくだりを真似てみた。タネを明かすと次のとおりだ。

<よくよく考えてみると、この「ヒマだったから」は使いようによっては快刀乱麻を断つごとくやっかいな質問をさばき切れる。吉右衛門はここまで考えたのではなかろうか。
 中島らもがどこかで「愛です」と答えれば、たいがいの質問はOKだと書いていたが、この「ヒマだったから」と「愛です」の二本立てでいけば、どんな質問もさばき切れ、またどんな状況も乗り切れそうな気がする。
 たとえば、こんなふうに使う。
「里中さん、この本を書いたきっかけは?」
「ヒマだったから」
「あなたにとって、鬼平とは?」
「愛です」>
(里中哲彦『鬼平犯科帳の真髄』文芸春秋。念のため引用しておくと以下のような文脈が前段にあった。
<あれほどまでに固辞しつづけた吉右衛門が、ついに鬼平役を受諾したのである。引き受けた理由は何であったのか。これをまず訊かずにはいられない。吉右衛門はあるインタビューでこう答えている。
「お引き受けした理由はヒマだったから」
ガクッ。>)

 鬼平も吉右衛門も、中島らもも、今日のところは言及の対象ではない。焦点はあくまで、5年にも渡って御念の入った仕業をしてきたこの日誌のことになる。
 「ヒマだったから」と言うのはいかにもハグラカシだとしても、正直なところ一体どんな動機や目的があったのだろうか。おそらくは何かがあったのだろう。が、実のところ5年も続けてしまうと、初期のそれらを失念してしまう。そして、書くことそれ自体が自己目的化してしまっているようだ。それはあたかも、何のために生きているのか、という問いが意味あり気でありながらほとんどナンセンスなのと似ているかもしれない。何とでも動機、目的らしきものを並べ立てることはできようが、さしてそれらには意味がありそうに思えない。

 あえてでっち上げるならば、「目的のないこと」をしているということにでもなろうか。このご時世、何でも「役に立つこと」、できれば「即、カネになること」が要望されるようである。それ以外のことは、時間を割くだけムダ! 労を注ぐだけモッタイナイ! と相場は決まっていそうだ。
 しかし、ならば前述の問い、「何のために生きているのか」に徹頭徹尾回答しなければならなくなろう。仮に「役に立つこと」、「即、カネになること」という「手」を打つとするならば、それに引き続く「手」はしっかりとした延命策を用意するであろうか。
 「では何のためにカネを得るのか」「役に立つとはどういうことか」というような粘着的な質問が続くならば、結局、暗礁に乗り上げてしまうことは目に見えていそうだ。
 囲碁で、相手の石を斜めに当り当りと追い詰めて逃げられなくする取り方があり、これを「しちょう」と言う。考えてみると、人間の生き様はこれと似たところがありそうで、小賢しくなればなるほど回答のない袋小路へと追い詰められて行きそうである。

 ならばむしろ、格好をつけて言えば「今を生きる」、これがキザであれば、取って付けた目的や動機から離れて、今遭遇している事態だけをリアルに受けとめるというのが、正直でかつ有意味なことなのかもしれぬと思うわけである。
 そうは思うものの、なかなかこうした生き方に徹することは難しい。しがらみのない存在なぞあり得ないからである。
 そんなこんなで、できるだけ自身を不毛なしがらみから外すために、「役に立たない」文章を綴っているというのが実態なのかもしれない…… (2006.05.10)


 五月晴れとはほど遠いぐずな天気が続いている。小雨は降るし、妙にムシムシしている。で、ちょいと歩いたりすれば、汗が噴き出したりもする。このまま梅雨に突入なんていうことにはなるまいな、と心配したりもする。
 しかし、この空気の感触は、品川神社の祭りの頃、つまり六月初旬の梅雨時のもののように思える。やや湿気を含んだどことなく柔らかい空気であり、片や、ワイシャツの内側には温もり以上の熱が滞り、やや汗ばむといった気温である。だから、窓からうっすらとした風が吹き込むと心地良ささえ感じる。まあ、こう味わってみれば、まんざら悪い天候でもなさそうか。

 季節の感触は遠い昔のことを思い起こさせ、それは同時に懐かしい昔の風景の記憶を呼び覚ます。
 記憶の中の風景と言えば、先日昼休みに家電ショップを覗いた際、フロアーに展示された液晶TVが、とある風景を映し出していた。その風景の画像に目を止めたのは、ほかでもない聞き慣れた地名が報じられていたからであった。
 「大阪市東住吉区……」と、わたしが幼少の頃に住んだ聞き覚えのある地名だったのだ。ただ、その地名を報じ、その地域の風景を映し出したニュース番組での文脈は、決して喜ばしいものではなく、「女子高校生が見知らぬ若い男に、後ろから口を塞がれた……」とかいうものだったのである。
 が、TV画面に映し出された周辺地図はまがいもなく自分の故郷のひとつのそれであり、脳裏に刻まれた当時の地図と符合するものであった。で、思わず、見覚えのある風景、光景が出てくるかと他愛ない期待を抱いたりした。が、そこに映し出された街角風景は、どこの街ででも見かけるアスファルト道路と金属製の柵で区切られた歩道、そして何の特徴もない店舗らしき民家が並ぶ街並みでしかなかった。
 自分は一体どんな街角を期待していたのであろうか。そう問うてみると、あまりにも身勝手過ぎる期待であることに気づく。もう、50年以上も昔のことだったからである。
 当時、しばしば通った温泉宿の構えにも似た銭湯の佇まいや、平屋の映画館、そして、踏み切りへと続く商店街を抜ける路地が、両側の建物を繋ぐ橋のような形状になったトンネルを通るかたちになっていたこと、そんな当時の街角風景でも映されるとでも思ったのであろうか。いや、バカな自分はそれらを無意識に期待して、そして、何の変哲もない全国共通の光景を見て、しらぁーとした気分になっていたのだった。

 ところで、最近、自分は記憶に埋もれた、懐かしい昔の光景が、記憶以外の場所にも存在することに、はたと気がついたのである。もちろん当時の記念写真は当然のことであるが、そうした静的なスチール写真はどこか実在感が乏しいものだ。もっと、リアリティのある光景というものが存在するのである。
 いや、以前からそうしたものに気づいてはいた。現に、ホームページにも、そうした手法を活用したことがあった。もったいを付けずに言えば、当時の映画に目星をつける、ということである。映画のロケで背後に映し出された当時の風景は、その風景を知る者にとっては実にリアリティ満載の映像なのである。
 先日も、『男はつらいよ』の初期の作品で、とある地域の田園風景が映されているのを見て感動したという人の話を聞いた。また、『釣りバカ日誌』の、これも初期の作品に、わたしの第二の故郷でもある北品川の川沿い風景が映っていることを知らせてくれた友人もいた。前述のホームページ云々では、『幕末太陽伝』(フランキー堺、石原裕次郎)に北品川駅近辺の当時の光景がしっかりと残されていたことに着目したのであった。

 事ほど左様に、古い邦画の中には、自分が子どもの頃に親しんだ街の光景が歴然として記録されているわけなのである。
 つい先日も、『はだかっ子』という、当時評判が良かった邦画(創作少年文学・近藤健原作、田坂具隆監督、木暮実千代、有馬稲子出演、1961年作品)に、昭和30年代の郊外の風景がたっぷりと映されていることを改めて気づいたのであった。これは小学生当時に原作も映画もともに鑑賞して元気づけられたものであったが、その当時のなつかしい生活風景がまさにリアルに映っているのにはうれしい驚きであった。
 自分は昔、若い頃には、過去を振り返ることをあまり褒めたことがなかった。しかし、昨今は、加齢の結果というよりも、魅力があるのは「過去>現在」だという心境、いやそんな評価をしはじめていたりする。現代批判というか、現代のさまざまに問題を感じる視点はついにここまで来てしまったというわけである…… (2006.05.11)


 デスク上にネット接続のPCがあれば、自分のような「度忘れ」の頻度が増す年寄りでも「鬼に金棒」といったところか。
 いま仮に、とある漫談のタレントで、医療関係の話をネタにしている人物の名が思い出せなかったとする。顔はまるで「夏みかん」のようにデコボコで、よく医者が着る半袖の白衣を着て舞台に立つ漫談家である。
 そんな時、自分はすかさずネット検索の大御所「Google」を開く。とにかく開く。そして、検索の手掛かりとなりそうな「キーワード」を入力する。といっても、一語だけではデータベース側も判断材料不足であろうから、少なくとも「ニ、三語」を「半角スペース」で区切って入れてやる。昨今は、別に「半角スペース」でなくとも自動判断するようでもあるが、一応、従来からのシステム的常識にしたがってオーダーを出す。
 たとえば、「漫談 ドクター 夏みかん」と入力してみる。すると、

<ケーシー高峰を楽しむ司会業から漫談家に転じ昭和43年お色気寄席にてデビューし、「セニョール・グラッチェ」 のギャグで漫談家の地位を確立。 ... 今はなき芸協の機関誌『寿限無』に、ケーシー高峰 ドクター芸協に入会、 とあったんですが、実際に芸協の舞台でドクターを見た ...>

というレスポンスが筆頭で出てきた。そうそう、「ケーシー高峰」と言ったんだ、とようやく溜飲の下がる思いとなるわけだ。
 さすがに、ダメ元で加えた「夏みかん」という語は空振りに終わったようだが、そんなことはお構いなしなのである。
 ちなみに、本筋からはそれるが、なぜ「ケーシー高峰」になったのかというと、先日ラジオ番組でバカなことを話しており、思わず吹き出してしまったからだ。
 いま話題の「認知症」を取り上げ、認知症になる人というのは、性格的に几帳面、正直、責任感が強い人が多いと言っておき、世の中で、この認知症にかかりにくい人もいるのだとのたまう。そして、それは誰か、と会場の客に問いかけるのだ。で、「政治家たちです」と落とすのだ。言うと思ったとおりのことを言ったのだった。
 さらに、では、認知症にかからないためにはどうしたらいいか、と畳み込む。またまた観客に問いかけ、「そこのお父さん、どうです?」と振る。すると、その年配らしき男性は、ケーシーのマイクがその声を拾うほど大きな声で、「政治家になっちゃうんだよ!」とか言い放ったのである。ケーシーは、予期しなかった上出来の返答だと思えたのであろう、「お父さん、こっちに上がって来て、あたしの代わりにやってくれる?」なんぞと言ったというバカバカしい話なのである。
 ケーシー高峰が「落ち」として用意していた答えは、認知症になる前におっ死んじゃうんだという、ちょいと響きのよくないジョークで、まあ会場で反応した「お父さん」のリアクションの方が笑えたと言えるだろう。

 で、「Google」での検索の話に戻る。
 ところで、そもそもこの「Google」(グーグル)という言葉は一体どこから来ているのかと気にならないわけでもなかったが、ある情報によると「10の100乗という意味のgoogolと、目をグルグルキョロキョロという意味のgooglyを合わせた」とかであるらしい。まさに、「検索」サイトとして面目躍如たる目のつけどころだと思えた。
 この「Google」についてはいろいろと考えてみる材料があるのだが、昨日も興味深い新聞記事があったものだ。

<米ネット検索大手のグーグルは11日、日本で年内にもインターネット経由の書籍検索サービスを始めると発表した。出版社から書籍の提供を受け、消費者が本の中身をキーワードで検索できる。将来は図書館と提携し、日本で出版されたあらゆる書籍のデータ化も検討する。
 同サービスは04年に米国で始め、その後欧州でも展開。日本でも現在、大手出版社との提携交渉を進めている。
 提携出版社に本を送ってもらい、グーグルが電子データ化して蓄積する。利用者が専用サイト「グーグルブック検索」に言葉を打ち込むと、その言葉を含む本の一覧が表示される。無料会員になれば、それぞれの本で、その言葉が出てくる個所の前後数ページ分の画像も、パソコン画面上で実物同様に見られる。気に入れば販売サイトに飛び、ネット経由で実際の本を買える。グーグルは本の販売につながった場合、手数料を受け取る。
 同社は米英の5図書館と提携し、蔵書をデータ化して検索できるようにする「ネット図書館計画」も進めている。膨大な絶版書籍もネットで見られる画期的な試みとして注目されているが、米国では作家団体や出版社が著作権侵害として問題視するなど、議論も巻き起こしている。
 同社は「現時点で日本の図書館と交渉はしていない」としつつ、「今後は考えていきたい」とコメントしている。>(朝日、2006年05月11日)

 わたしが「凄いなあ」と感心したのは、ネット検索と言えば、主として「商品」がターゲットととなり、その「スペック」や「カカク」だけが取り沙汰されがちである。それに対して、書籍のコンテンツという知的情報の森にまで分け入るというところが「本格派!」だと思えたのだ。しかも、そのアプローチをしっかりとビジネス・モデルに結び付けているのである。この辺が、並みの「検索」業ではないなと感心させられるところなのである。
 おそらく、「IT(通信技術)」というものが人類史に貢献した大きな業績は、言うまでもなくインターネット環境の構築であろう。そして、インターネット環境の最もコアな部分には、広い意味での「検索」という重要なテーマが潜んでいるのではなかろうか。
 それというのも、「検索」とは、言葉の定義や関係性という人間の思考、脳の働きの根幹にかかわる大問題だからである。きっと、「求心的」な方向で研究が進む「脳科学」と、「遠心的」な方向で世界の知的情報が関係づけられていく「Google」のような「検索」環境とが、人間世界の真の情報環境というものを構築していくのだろうと思う。
 そんな巨大な舞台が広がろうとしている矢先に、ケーシー高峰の名前なんぞ検索して探して溜飲下げて何になるっちゅうのか…… (2006.05.12)


 沖縄ではもう梅雨入りのうわさが出ているとかである。やはり、五月晴れらしい天気を飛ばして梅雨が来るというありがたくないパターンになるのだろうか。
 こんな天気の日だからということもあり、今日はいつもどおり事務所に出ることとした。仕事というよりも、PCのメンテナンスやチューニングをする必要に迫られたからであり、そのついでに、雑然としてしまっているデスク回りを整理しようというつもりもあった。

 自宅の書斎の整理も、結局、連休中には「手付」的な段階だけで終わってしまった。自宅の書斎の方は、そう「滞在時間」も長くはないので、むしろ整理作業で重点を置くべきは事務所の自分の部屋のはずである。
 とかく、直面する事柄にのみ関心が奪われてしまい、乱雑な状況は自宅の書斎と変わらない。きっと社員もあきれているはずだと思いながらも長らく酷いありさまを続けてきた。
 当初は、PCの改造作業などもできる十分な作業スペースがあったが、今では、モノや書籍がひしめいて、空きスペースが乏しくなってきた。これでは、PCのケースを開けて内部をいじることもままならない。どうせやるからには、気持ちよく進めたいと思うと、部屋全体をいじるのが先か、という判断に至った次第なのである。

 と、部屋で「飼っている」ニ、三の植木鉢も、手入れが必要なことに気づく。緑は目や気分に良いと考え、そんなものを置き毎日水を差してもきたが、いつの間にか大きくなって鉢が小さくなってしまうものも出てきたのだ。酷いものは、頭でっかちの格好となり、窓から吹き込む風で倒れたりもし始めたのである。
 そこで、先ずは、そんな鉢をアップグレードしたり、土を増してやったりする作業から着手したのだった。こんなことは、休日の日でなければできないからだ。
 部屋の中央のテーブルも、当初はミーティングか何かで使おうかと設置したのだが、結局は書籍や書類、おまけにPCが入っていたダンボール箱などで埋まってしまう惨劇となっている。そこで、これらも整理し尽くすというよりも、ワースト状態をややましな状態へと変化させることとした。
 そして、デスクの上である。ここを上手く整理しないと、デスクの脇に設置したPC複数台を引っ張り出してメンテナンスをすることが首尾よく行かない。しかし、デスクの上も、手がつけにくいほどに混乱を極めていた。
 そのひとつが、デスク上の正面の棚に無造作に積もった書類やDMの山だ。いかに即断即決を回避して、とりあえず置く、という優柔不断な不作為の作為を重ねて来たことかということなのである。最近はまた、一段とDM類が増えた実情も一役買っているのだった。これらも、とりあえず一枚一枚をチェックして、まとめて廃棄するものとシュレッダーにかけるもの、そして残すものに分別したのであった。

 そうこうしているうちに、どうにか大枠では片づき始めたのではあったが、結局、ターゲットであったPCのメンテナンスに手をつけるまでには至らなかった。まあ、明日もこんな天気が続くらしいので、今日と同じことを繰り返せばいいかと思い始めている。
 それにしても、とかく気分や内面の方はスッキリとしにくいのだから、せめて一日の大半を過ごす空間だけでも、スッキリ、サッパリの環境にしておくべきなのだろう…… (2006.05.13)


 今日は通常どおり一日中事務所に詰めていた割りには、予定していたPCのメンテナンス、チューニングの作業が楽勝とはいかなかった。今、いつもよりも遅れた時間帯でこれを書いているくらいである。
 その原因は、やりなれてきた事だと高を括っていても、やはりしばらく離れてしまうとカンが鈍ってしまうということだろうか。これはどうだったかとか、あれはこうではなかったかとか、やたらに経験的知識があやふやとなっていたことに戸惑いを感じてしまった。

 技術的な事柄というものは、必ずしも理屈ではない。理詰めで解消するというよりも、こういう場合にはこうするものと会得しなければ先に進まない場合も多い。いや、確かに、厳密に言うならばその脈絡に理論や論理の面での背景があり、それを杓子定規に了解しなければいけないのだろうが、専門家ならいざ知らず、通常は詳細な理論的背景は端折ったり、大筋での理論面は押さえるとして、あとは実作業での「体得」というかたちで対処するのが一般的なのではないかと思う。
 そして、その「体得」的知識というものは、継続して経験し続けてこそアクティブであり続けるものと思える。まあ、経験が途絶えたとしても、それらに関する関心なりなんなりが頭の中でアクティブであり続ける必要がありそうだ。

 経験という面に加えて、頭の中の方もまったく別のことに長らく関心を移してしまっていると、きっと、脳の方は、これらの情報はさしあたって使いそうもないようだからお蔵に仕舞っておこう、とそう判断するのであろう。それが、万事効率的な活動を強いられた脳の基本パターンだと思える。
 この辺は、昨今のPCにおけるOSの振舞いと似ている。最近の Windows では、しばらく使わないファイル類は効率的処理の観点から、削除という勝手なことはしないまでも圧縮しておきましょう、という提案をしてくる。使用頻度の乏しいファイル類で限られたHDDスペースが手狭になること、あるいはそうしたガラクタで処理速度が落ちることを警戒してのことなのであろう。
 人間の脳の方も、まったく同様の工夫をしているものと思われる。当面の脳活動に役立つ知識は活用されやすい状況にしておくが、使用頻度の乏しくなった知識は、蔵だかどこだかは知らないが、どこかへ仕舞ってしまうのであろう。

 こんなことで、かつてやり慣れたことであっても、そこそこ時間が経過してしまうと、いわゆるカンが鈍るという事態が生じるのであろう。
 あほくさいことに関心を向けているようであるが、ここで配慮しておきたいことは次のような点なのである。
 いつその経験を活用するかはわからないにしても、その経験を生かしたいという願望を持っているならば、時々で良いのだけれど「虫干し」をするがごとく陽の目を見させる必要が大いにある、ということなのである。
 「昔とった杵柄」とはいっても、人間の脳は、いや現代人の脳は、日々直面する膨大な情報変化の波の中で、いわゆる「取捨選択」の目まぐるしさに忙殺されているはずである。しっかりと、その情報・知識はまだまだ使用するつもりなのだ! とでも念を押しておかないと、いつの間にか取り出しにくいどこかへと仕舞われてしまう可能性が大だということではなかろうか。
 こうしたことは、JRその他で、下手をすれば事故につながりそうな不祥事が起こることなどでも同じことなのではないかと推測したりもする。災難は忘れた頃にやって来る、ということわざめいたものがあるが、それもまた同じ事情のような気もする。
 過去の経験を台無しにしないためには、とにかく、それらの「虫干し」を上手に続けることであるに違いない…… (2006.05.14)


 日の出が早くなってきた(ちなみに、今朝の日の出は、4時36分)ということもあるのだろう、今朝は6時前に自然に目覚めてしまった。最近は、起床に関して苦労することはなくなり、目覚ましの類なしでも目が覚めるという自律ぶりである。
 もっとも、昨夜は、久々にほろ酔い加減で寝入ったという背景があった。昨今はほとんどアルコール類を口にしなくなったものだが、昨晩は妙に熱燗の酒が飲みたくなり、わずか一合程度ではあったが気持ちよく酔った。で、疲れていたのだろうか、寝床でラジオを聴きながらいつの間にか寝入ってしまった。確か、一、ニ時間経って、つけっ放しのラジオのスイッチを切ったような記憶が残っている。
 一合程度の晩酌で、途中下車なしで夜明け行きの快速列車に乗れる(?)、というのは実にありがたいことかもしれないと思ったものだ。

 ただ、バカみたいな夢を見たのには恐れ入った。若い頃から、酔って眠るととんでもない夢を見たものだった。
 今朝方の夢というのは書くのも恥ずかしい気がするが、念のため(何が念のためだか……)記録に残しておく。
 実は、カラオケで裕次郎の歌、『赤いハンカチ』を歌って恥さらしをしていたのである。成り行きはこうであった。
 とあるホール、しかしどうもナイトクラブのようなホールではなく、どちらかと言うとパチンコホールのようなのである。で、どういうわけか、あの石原裕次郎が近くにいたりするのだ。比較的若い頃の雰囲気である。
 誰かが、その彼に「歌でも歌ってくれよ」とせがむと、突然『赤いハンカチ』を歌いだすのであった。ところが、歌詞はデタラメで、途中で音程まで外す始末であり、ブーイングが起きてしまう。
 自分は、そんな彼を慰めるかのように話し掛けていた。
「今、どこに住んでるの? 裕さん(裕ちゃんというのは憚る気分を抱いていたようだ)」とか言うと、田園調布だとか言っていたようだ。
 そうこうしていると、実はこの歌はよく覚えていないのさ、とか言い出すのである。それで、自分が頭の部分をちょいと口ずさむと、
「いやぁ、いい声してるじゃないの、オレの代わりに歌ってみてよ」
となってしまったのだ。
 よせばいいのに、自分は、じゃあ、とか言ってマイクを手にしたのである。この辺が自分でも信じられないバカさ加減である。そして、何となく不吉な予感を伴いながら歌いだす……

<アカシアの 花の下で あの娘が窃っと 瞼を拭いた 赤いハンカチよ 怨みに濡れた 目がしらに それでも泪は こぼれて落ちた

北国の 春も逝く日 俺たちだけが しょんぼり見てた 遠い浮雲よ 死ぬ気になれば ふたりとも 霞の彼方に 行かれたものを

アカシアの 花も散って あの娘はどこか 俤匂う 赤いハンカチよ 背広の胸に この俺の こころに遺るよ 切ない影が>

 ところが、出だしは良かったようなのだが、どうも音程がことごとく外れていくのである。これはまずい、こんなはずはないと自分でも自覚しながらも、どんどん外れて行くのが手に取るようにわかる。当然実に惨めな気分になっていくのであった。
 歌い終わったあと、「裕さん」はいなかった。周囲の人たちが明らかに慰めの拍手をしてくれた。ただ、皮肉をぶつけてきた人もいたりする。
「ご本人が上手く歌えないものに挑戦するなんてもってのほかだよ」
とか……。

 で、うなされ気味で目が覚めてみると、5時45分であり、窓の外はすっかり明るくなっている。念のため、夢の中でとちったその歌を、トイレに行きがてらつぶやくように口にしてみるが、音程を外すような難しい旋律でないことは一目瞭然であった。やっぱり、酔って眠るとろくな夢をみないなぁと、酒のせいにするほかなかった…… (2006.05.15)


 うちのある社員のお祖母さんがしばしの入院の後亡くなられたそうだ。この間、その社員は仕事が終わると入院先の病院に見舞いに出かけていたようだった。そのお祖母さんにかわいがられていたようで、やはり悲しそうな表情が隠せないでいた。心よりご冥福を祈りたい。
 これまでにお目にかかったことはないのだが、時折その社員から話は聞いていた。もうだいぶ以前に、その社員があの「管理者養成学校」の受講から戻った時、その社員の変わり果てた(?)様子に驚いたとかであった。真っ黒に日焼けはするは、声はつぶれたようにかすれているは、しかもげっそりと痩せてしまっていたからだ。
 その時、講習を受けてきたのだと言っても納得されず、いろいろ説明した挙句に、「徴兵されて訓練を受けた」ようなものだと言ったら、「おお、そうだったのかい」というように了解されたとか……。
 ひところ、まだそのお祖母さんがお元気だった頃、その社員はお祖母さん手作りの真心のこもったお弁当を毎日携えて来て、周囲の者を羨ましがらせたものであった。ご両親が共働きのため、お祖母さんが毎日孫の勤めのために骨折ってくれるのだと聞いた。

 二、三日前、昼食時に表に出た際、歩道で、とある上品な老婦人とすれ違った。そうした高齢の方がしばしばそうするように、歩行用の手押し車を押されていた。
 そのご婦人が、通りすがりに、微笑みながらほんのちょっと軽い会釈をされたのである。もちろん、見ず知らずの方である。こちらも思わず同じ動作をしたものだった。
 その時、わたしは、お年寄りっていうのは感じがいいものだと感心した。
 とともに、唐突にあることを考えていた。きっと、その老婦人は、これまで幸せな半生を送られてきたのであろう。そしてそのことは、周囲とのつつがない円満な人間関係の維持ということに由来しているのかもしれない、と想像できた。さらに、その円満な人間関係形成のために、いわゆる昔風の「家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従い」という「三従」の道を歩んでこられたのではなかろうかとも想像した。
 そこまで思いを巡らせた時に、人の幸せというものは一体何だろうかと唐突に考えてしまったのである。「三従」の道をしか選べなかった昔のご婦人は、本当に不幸せであったのだろうかと……。また、「三従」の道なんぞ、その言葉さえ知らない現代のご夫人方々は心底幸せなのであろうか、とも……。

 わたしが関心をむけていたのは、言うまでもなく現代の一般的な観念からズレた視点であった。現代では、「従う」ということはイコール「依存する」ということであり、それは一人の人間として恥ずべきことであり、人間はすべからく「自立」したり、「自助努力」に励んだりすべきだと見なされている。
 わたしは、当然視されているこうした一般的観念に、ひょっとしたら誤りがあるのではなかろうかと思わないわけでもないのである。ただし、こうした発言は下手をすれば、女性蔑視であるとか、さらには人権侵害だとの非難の的となりがちである。だから、これまでにも冷静な議論もなされず仕舞いできたのかもしれない。

 結論から言えば、「自立」と「孤立」は無縁のものか、ということなのである。
 先ず、わかりやすい例から挙げてみる。子どもたちの「自立」という問題である。
 日本人たちの居住環境が改善されて以降、子どもたちは、実に早い時期から「子ども部屋」というものを与えられるようになった。受験勉強に追い込むという親たちのご都合主義もあったはずであるが、理由はと言えば、「早く『自立』するように!」であったかと推測する。そこには、個室を与えて閉じ込めれば、自然に「自立」するといった極めて乱暴な思い込みしかなかったのではなかろうか。
 いつぞやも書いたことがあったが、若年者たちが一人前になっていくことに関して「青年宿」(※)といった特殊な伝統的制度が重要視されたことがあった。種々の問題がないとは言えないにしても、こうした制度が重要視するのは、人の「自立」とは、決して「孤立」ではなく、周囲の人々や前後の世代間で上手に関係を取り結ぶということではなかったかと推定する。まさしく、人間関係の網の目の中にこそ、人間の「自立」というものがあるということだったのであろう。

(※)山口県萩市玉江浦に昭和五十年代まで存在していた、若者を宿泊させて漁業を中心とした訓練を行う組織=青年宿。漁業組織の維持という観点から、年齢秩序の序列、競争原理と社会的地位の上昇性・獲得性などに重点が置かれた。各地に類似した制度が見うけられた。

 もっと普遍的な表現をするなら、人間という存在は、人間関係の濃厚な網の目である「共同体(コミュニティ)」の一員であってこそ、充実もすれば幸せ感を得ることも可能な、そんな存在なのかもしれないのだ。
 というのも、「共同体」の網の目の中でこそ、人間が生きていく上で欠かせないさまざまな生きた情報、知識、知恵が伝授されていくからでもある。それらは、たとえ自由に簡単にインターネットからゲットできるはずだと言われていても、そんなものではなさそうな気がしてならない。人間が、知識・情報や知恵というものを入手していく過程は、片側にそれらが有り、もう片側にそれらを吸収する人間たちが居るという図式がありさえすれば済むというものではないはずである。それで済むならば、一体誰が「教育」という問題で悩む必要があるかということでもある。

 老婦人の自足した、穏やかな笑顔の話からずいぶんと突き進んでしまったものだが、わたしが懸念するのは、「自立、自立」と掛け声をかけながら進めてきた「近代化」という熱いうねりが、ようやく冷めてみると、そこには、形骸化された「自立」、すなわち「孤立」した個人たちだけが悶々と悩んでいる「共同体」の崩壊しかないという現実なのである。こんなはずではなかったに違いない。本当の意味で「自立」した個々人たちが、相互に十分な意思疎通をして、協力し合い、競争し合いながら、過去の足枷であった「共同体」をはるかに凌駕する新しい質の「共同体」にたどり着くのではなかったのか。
 こう考えると、「自立」という言葉は、「自立」し難い条件を抱えた者たちを黙らせるための「この印籠が目に入らぬか!」でしかないとも言えそうな気がするのである……。

 今、構造改革という名の、「自立」主義は、もの凄い勢いで言葉尻だけの帳尻合わせ政治のためのスローガンとなっている。切り捨てられた庶民や、切り捨てられた地方政治はただただ「負け組」としての出口なしの袋小路へと追い込まれつつある。
 見つめるべきは、奇麗事の言い草を成り立たせている現実にそぐわない言葉(ex.「自立」、「改革」、「財政難」……)なのかもしれないと思ったりする…… (2006.05.16)


 各企業の「ITシステム化」の段階は、相変わらず「バラついて」いる模様だ。最先端ほどに進展しているところもあれば、ほとんど手つかずの状態のままの会社もある。その間には、無数の進展段階の会社があることだろう。
 これらにはそれなりの現実的な事情が控えてもいるのだと思われる。そもそも、ITシステム化に馴染まない業種もあるだろうし、「ITシステム化」の必要性が自覚されていても、コスト面や人材面その他でままならぬケースも少なくないはずだ。また、日本の企業の場合、とかく業務方法に特殊性を「誇る」点から、「ウチはパッケージじゃ間に合わないよ」と決めつけるような傾向もあり、それが災いするケースもあるに違いない。
 こうした実情を、ITベンダーとしては、正確に凝視する必要があるのだと痛感する。つまり、「もはや、『ITシステム化』はどの企業も済ませてしまって仕事の需要は無くなってしまった」と早とちりしてはいけない、ということなのである。まあ、こうしたことは決して今始まったことではなく、もう十年もニ十年も前から言われ続けてきたことではある。

 ただ、現時点で言えることは、これは、何も「ITシステム化」に限らないと観測しているのであるが、会社による「バラツキ」、いやいろいろな状況による「バラツキ」というものが際立っているのではないかということなのである。ひょっとしたら、これは、個性化時代という視点だけではなく、競争社会、格差社会が突き進むことによる副作用ではないかという気がしないでもない。
 社会全体が、「護送船団方式」で皆が歩調を合わせるかのように進むなり、停滞するなりしていた時代は、皆が「右に習え」といった画一的動きを示していたのに対して、現時点では、本当の意味での個性化時代となったかどうかは別として、人の組織にしても会社にしても各業界にしても、同質的な内部構造を持っているとは到底言い難い状況になっていそうである。

 簡単な話が、ひと昔前までは、景気の話をすれば必ずといっていいほど、「いやぁ、ウチの業界は行けませんや……」という言葉が出てきたりして、景気の良し悪しは、業界全体に一様に訪れるといった了解事項があったかに思う。しかし、現在では、同じ業界でも、羽振りのいい会社とそうでない会社があることがほぼ常識のようになっている。
 また、人に関しても、われわれ年配者たちは、とかく「今の若い連中は……」という十把一絡げの言い草を口にするが、そんな「若い連中」という集団はもはやいないと言うべきなのかもしれない。つまり、「若い連中」の中には一概に何かの共通点で「一絡げ」にできるようなものはなくなってしまい、実に「細分化」されているのではないかと見えるのだ。
 彼ら自身が自覚していることで言えば、「歳がひとつ違えば話が合わないのよねぇ」という事実もありそうだ。若者カルチャも実に細分化して、極端な言い方をすれば「たこつぼ」的な状況とさえなっていて、容易に部外者からは内実が推定できないとさえ言えそうだ。

 事ほど左様に、情報化の進展だの、「画一的」なんとかだのと言う割りには、社会全体は、決して一様なんぞではなく、「たこつぼ」的とさえ言えるほどに個々バラバラの不均等さを深め、それぞれの比較でいえば、「バラツキ」に満ちた状況となっている、ということではなかろうかと観測するのである。
 いつぞや、首相が「人生いろいろ」と無責任かつ言い逃れ的な発言をして心ある国民の顰蹙を買ったことがあったが、ただし、国民各位の状況、個別会社の状況その他さまざまな存在が、まさに「いろいろ」という「バラツキ」を深めていたのは現実であったのかもしれない。
 それで、何が言いたいのかといえば、「バラツキ」を深めているかに見える時代環境にあっては、すべてが一様であると決めつける憶測をゼッタイに避けなければいけない、ということなのである。
 むしろ、「コレコレはこうしたもの」という決めつけ的な先入観で物事の判断をそうそう間違えることがなかった時代こそ、奇妙な環境であったのかもしれないのだ。それは、徹頭徹尾「右に習え」の潜在的号令が染みついていたから成立していたのかもしれないからだ。
 そして、良い悪いは別として、こうした「バラツキ」を深めてしまった時代環境にあっては、万事、「個別に当り、個別に対処」することで事実を見極める必要があるということでもある。
 就職問題で頭を痛めているとある若い人と話した時にも、次のように話したものだった。
「世間は広い。さらに広くなった。自分の能力を買ってくれる会社は探せば必ずある。自分の能力を厳しく評価する会社があるかと思えば、その水準を大いに歓迎する会社だって必ずあるということだ。というのは、会社は、かつてのように何か全国共通の『統一基準』で人を採用するような時代ではなくなり、『いろいろ』な会社が乱立しているはずだからだ。何も、スポーツ選手が記録を樹立するのじゃないのだから、自分の能力その他を有難がって受け入れてくれるところを探すに超したことはないと思うが……」と、…… (2006.05.17)


 我ながらバカバカしい凡ミスを仕出かしてしまった。PC内のとあるフォルダを消去してしまい、おまけに「ごみ箱」からも念入りに削除してしまったのである。いろいろとPC内を検索してみたが、どうも完璧に「削除」扱いとされてしまったようであった。
 まあ、それっきりで途方に暮れることに終わったのならば、こうしてこんなものを書いているどころではない。何とか「復旧」のメドが立ちつつあるため、やや落ち着きを取り戻してこれを書いているわけだ。

 これまでにも何度かこうしたバカバカしいミスをしなかったわけではなかった。そして、その大半は「まあ、いいか」と、いわば「諦念の悟り」をもって無理矢理一件落着とさせても来た。
 今回も、削除してしまった当該フォルダの中身は、パーフェクトではないにしても、別のフォルダに大半のファイルをバックアップして保管していたので、「まあ、いいか」という気分がないでもなかった。しかし悔しい。
 そこで、「google」あたりでサイト検索するなら、ひょっとすれば「お助けソフト」のフリーウェアでもあるかもしれないと目星をつけてみた。これが幸いしたのである。
 早速、ダウンロードさせていただき、当該のPCで復旧作業を試しているところであるが、消えてしまったファイル類が、まずまず姿を現しはじめているところである。かなり時間がかかりそうな気配であるが、予想以上に復旧作業は確実に進んでいる模様だ。
 ほっとするとともに、こうした凡ミスを見事に救ってくれるソフトが、ネットから無償でダウンロードできることに大変な有り難さを感じている次第なのである。

 ちなみに、その有り難いフリー・ソフトを記載しておきたい。

★URL:http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se192983.html
★概 要:復元ソフト。誤ってごみ箱から削除したファイルの復元とその反対に機密文書等を完全削除。
・動作OS:WindowsXP WindowsMe Windows2000 Windows98 Windows95 WindowsNT
・動作機種:汎用
・ソフトの種類:フリー・ソフト
・作者:加藤 高明

(加藤 高明さん、本当にありがとうございました。ほぼパーフェクトに近いかたちで復旧できそうなので安心する気分と、このソフトのさまざまな点でのスマートさに、快感に近い感覚さえ覚えました。)

 ところで、そもそもこんな凡ミスを仕出かした理由があるとすれば、二つであった。
 ひとつが、直前まで、PCのある機器が不調でそれを修復するのに大いに梃子摺ってしまっていたこと。その修復作業で、精根尽きたような状態になっていて、ボォーとした心境になってしまったことが、まず良くなかった。
 そして、ふたつ目。何あろう、そのフォルダのバックアップをしようと意図して、LAN経由で、別なPCにコピーをしていたのが皮肉である。その際何かが原因してそのコピー作業がつまずき、何回かに渡って中途半端なコピーとなったため、その残骸を消去していたところが、大元のフォルダに手をつけて消去してしまったのである。LANを通じたデータ転送では、くれぐれもコピー元とコピー先との峻別に留意しなければいけないという点が悔やまれる。しかしそれよりも口惜しいのは、バックアップをしようとしてその逆を仕出かした本末転倒さが愚かしい!

 とんだ初歩的なミスをしてしまったが、それを復旧する素晴らしいソフトにめぐり合えたことでよしとしなければならない…… (2006.05.18)


 「お金は大事だよ〜」という保険会社か何かのCMがあったが、そう思う人たちが急速に増える時代となったのであろうか。そう言いながら、何を呑気なことを言っているという気がしないでもないが……。

 昨日の新聞報道で、<「お金が一番大切」高校生の3割 マネーゲーム肯定4割>というものが目についた。( asahi.com 2006.05.18 )

< 「お金が一番大切」と考えている子どもが、中学生で26%、高校生で30%――日本銀行内に事務局を置く金融広報中央委員会が17日発表した「子どものくらしとお金に関する調査」で、そんな結果が出た。マネーゲームで稼ぐことを肯定的にみる割合も中学生の30%、高校生の41%に上る。同委員会は、子どもたちの金融経済をめぐる知識が必ずしも十分でないとして、金融教育の普及に力を入れる方針だ。
 「お金が一番」と答えた割合は、小学生の低学年は25%で、高学年になると12%に減るが、中高で増加に転じる。「小学校時代は家庭や学校での教育が浸透していったん減るが、その後、社会での実体験などを経て変化しているのではないか」と同委員会はみる。
 「お金はコツコツ働いてためるもの」との答えが中学74%、高校66%を占めた一方、「賭け事で稼ぐのは悪くない」も中学34%、高校45%に達し、お金への意識は揺れているようだ。>(同上)

 「お金が大切」なことはわかり切ったことだろう。ただ、留意すべきは、「一番」大切なのかどうかという点になるのだろう。もし、「一番」大切だとするならば、「お金」のためなら何をしても良いという判断でさえ必然的に導き出されることになるはずだ。この辺が恐いところなのだろう。
 だが、ニュース報道で知らされる現実の世間を思うと、「お金」のためなら何でもやる、という風潮が凌駕していそうな気がする。まして、一般人や子どもたちに影響を与えること大である人々、政治家をはじめとして「力、影響力」のある者たちが、しっかりと「お金」に照準を合わせているのは疑いようのない事実だろう。
 先日も、ある作家の「人生論」から次のような部分を引用した。

<つまり、最近まで私たちが知っていたカネは、労働やその人の実績に対する報酬や尺度・目安のようなものだった。金持ちはただひたすらカネだけを儲けたわけではなく、カネはいわば副産物であり、それゆえにその人の能力を測る尺度となりえた。だから金持ちが偉そうな顔をするのにもそれなりの理由があった、とも言える。金持ちはそれぞれ、ミニ松下幸之助でありミニ本田宗一郎であるという幻想をみんなが持っていたから、金持ちが偉そうな顔をしていてもあんまり不思議に思わなかったのだ。
 ところが一般人がそういう古い経済観を持っていたあいだに、カネをめぐる状況は激変していた。カネはひたすらカネを増やすことしか考えない人間のところに一番集まるようになっていた。>(保坂 和志著『途方に暮れて、人生論』)

 つまり、この「市場経済至上主義」のご時世では、「マネーゲーム」という言葉が奇しくも言い表すように、「お金」そのものが他の価値ある貴重な存在を振りほどき、引き離し、ぶっち切りで独走してしまっているのである。
 先日、あるTV番組で、小さな女の子が、朝日だか夕日だかの中で、足元にクッキリと映し出され、当然のことながら本人につきまとう自身の影に対して本当に怯えて泣き叫んでいる光景があった。そんな子がいるんだと驚いたものだったが、今、この文脈でふとそのことを思い起こしてしまった。
 つまり、こういうことなのである。上記の<最近まで私たちが知っていたカネは、労働やその人の実績に対する報酬や尺度・目安のようなものだった。>というのは、かつて「お金」は、本体に対する「影」のようなものであったのかもしれない。あくまでも、<労働やその人の実績>こそが本体なのであり、誰もがそのことを納得してもいたはずだ。
 しかし、このご時世では、そうした「影」が色濃くなってしまい、「影」がどうであるかということにのみ関心が払われ、さらに「影」のダイナミックさのために本体はどう動くべきかという逆転した論理が闊歩することになったと言える。
 そして、本来ならば、前述のあどけない女の子のように、その光景に「怯えて泣き叫ぶ」べきところを、われわれは平然として「まあ、そうしたご時世なんだ」と受け容れてしまっているということになる。

 女の子と言えば、上記「人生論」を引用した時(2006.05.07)には、ミヒャエル・エンデの「モモ」に焦点を合わせたわけだったが、やはり、「お金」という「影」が本体を押し退けて猛威を振るう現代の風潮に対しては、「モモ」の振る舞い方を防波堤にするしかないように思える。つまり、「お金」を得るために、「時間を貯蓄」する(=自身の時間を放棄すること?)という犠牲を払ってしまっていることに覚醒する必要がある。それはさらに「お金」には換えがたい「生きること」(=自分の時間を生きること)自体に目を向けることなのかもしれない。
 こう言えば、そのためにも「お金」が必要だし、大切なのだという表現が浮上してくるはずである。たぶん、誰もがそう思いがちだから現在が現在のような猛威を振るっているのであろう…… (2006.05.19)


 今日は、気温も高いが、風、しかも南風のようだがかなり強い。歩道を歩いていても、 今日は、気温も高いが、風、しかも南風のようだがかなり強い。歩道を歩いていても、何かが落ちてこないかと気遣うほどだ。
 列島を被う低気圧と南西の台湾付近の高気圧という気圧配置のなせる業なのであろう。この暑さでは、自分もそうなのだがもはや上着がいらないどころか、半袖シャツがふさわしい。道行く人もクルマを運転する者もTシャツや半袖姿が目立つ。夏なら夏で、このまま梅雨を迂回して夏になってもらいたいものだと思ったりした。

 今日の休日もまた事務所に出て来ている。先週の土日も両日ともに事務所で過ごした。自宅に居られないわけがあるということでもないが、何かとウィークデイにやり残した作業があったり、事務所でのPC環境でないとはかどらない作業もあったりして、ならばと事務所に来てしまうのだろう。
 天候が安定していないことも原因かもしれない。五月晴れなら五月晴れとすっきりした天候であるならば、カメラを手にしてのアウトドアという手もあるが、やたらに傘マークが予報に出て来たりするとどうしても出足がそがれるというものだ。

 このところ、自分のPC環境をアップグレイドしつつある。これまで、OSは「Windows 2000」を愛用してきたが、ようやく「Windows XP」に移行しつつある。大体、自分は新しいOSにとにかく飛びつくという方ではなく、どちらかと言えば使い慣れたアプリケーションソフトを使い慣れたOS上で使い続けるタイプである。
 気に入ったアプリケーションによっては、OSを選ぶことがあり、新しいOSでは稼動しないこともあったりするため、配慮なくOSを移行させられない場合もあるのだ。
 だから、随分と長い間「Windows 98 SE」に留まったものである。そして、「Windows 2000」に移行したのは、「Windows 98 SE」につきまとっていたOSとしての不安定性を「Windows 2000」が凌駕していることをつぶさに実感したからであった。
 現在でも「Windows 2000」は使い勝手の良いOSだと評価しているし、完全に「Windows XP」へと移行するつもりもない。ただ、「Windows XP」も使い込んでいくと、次第に「住めば都」的な納得感も生まれてくるわけである。また、古いアプリケーションソフト側にも、「Windows XP」対応のアップグレイドが図られたりもし始める。となれば、ようやく、この際OSの移行に踏み切ってもいいかな、と考え始めるのである。
 さらに、新しく登場した周辺機器の中には、インターフェイス・ドライバの関係で、「Windows XP」をOSとする方が、「Windows 2000」であるよりもスムーズな場合が出てきたりもする。加えて、昨今のPCハードウェア環境は、一頃に較べればバカ安である。「Windows XP」が快適な稼動するハードウェアを用意してもそんなに高額とはならない。こうなると、グイッと背中を押されることにもなるわけだ。
 今、こうして書いている時点で、つい先ほどまで夏のような明るさであった空がにわかに暗くなり、不気味な雲で覆われ始めた。そして、雨脚が激しくなってきた。まさに、今年の五月は、「Windows 98 SE」なみの不安定さであり、こちらの自然現象のご乱心ぶりの方が気にかかったりする。

 ところで、こうした自分の、PCのOS環境に対する慎重さ、悪く言えば「保守的」な姿勢は、これはこれでいいのだと自負している。
 それと言うのも、新しいOSになっていくほど、便利さは増していくものの、内部構造などはますます見えなくなり、ユーザーがわからなくて預ける部分が大きくなってゆくからである。つまり、便利さと引き換えに「おんぶに抱っこ」の依存度が急増するのである。こうした「お任せ」スタイルをよしとする向きもあるだろうが、自分はやはり警戒すべきだと感じるのである。
 これは、何もPCのOS環境だけの話ではなく、現代という時代が提供しているモノの環境全般が同じことだと観測している。クルマでもそうであり、ブラックボックスとされた部品がやたらに増えてしまい、ボンネットを開けても容易には内部がわからなくなっているのが実情だ。

 もっといやなことは、モノの世界だけではなく、新しい社会制度や文化的なものにあっても、関係する当事者たちからその「中身」がよく見えない、というようなことが増えていそうな気がすることである。「専門性」や「複雑性」という問題がそうしていることもあるのだろうけれど、それにしても、「新しい!」という触込み(前宣伝)だけでうかうかと真に受けてはいけない事態がいろいろとありそうな気配を感じるのだ。
 現在、法制度の分野でも海外(米国)発の「新しい!」触込みの動きが目につく。重大な刑事裁判に国民が参加する「裁判員制度」が09年までに始まることもそうだし、今現時点で問題視されている「共謀罪」法案もそれである。
 自分の不勉強なのかもしれないが、こうした案件は、これまでにこの国内で長い間見つめられ、ジックリと議論されてきたものなのであろうか? これらが不備であったことにより、国民はどれだけ不利益を被り続けてきたというのであろうか? どうも、グローバリゼーションを「急ぎ働き!」でやりこなそうとする勢力によるまさしく「急ぎ働き!」である観が拭い切れないのである。

 できれば、自分が本当に馴染めるPCのOSを手作りで作れれば……、とまでは考えないにしても、お仕着せのOSで振り回されることはできるだけ避けたいと思ったりするわけである。まして、ヨーロッパ(フィンランド)発の、みんなで手作るOS=リナックスというケースも存在している。これこそがまがいもない民主主義であり、その産物だと言えるに違いない。
 「米国発!」の案件をことごとく「新しい!」という触込みで無批判に受け容れていく愚をどうして継続させるのだろうか。「ラストサムライ」ならぬ、米国の51番目の「ラストステイト」、ジャパンだからしょうがないとでも言うのだろうか…… (2006.05.20)


 今朝のニュースショーTV番組では、やはり秋田県での男児殺害事件が話題となっていた。その中で、コメンテーターの一人、寺島実郎氏が、激怒した口調で「社会の歪み」に目を向けていた。
 つまり、今回の事件のような子どもたちへの凶悪犯罪の特徴は、「社会の弱者」への攻撃だと言う点であり、さらに犯人を捕らえてみるとその犯人もまた「社会の弱者」の立場以外ではないという点、要するに「弱者」による「弱者」への攻撃という面が異常なのであり、これらはやはり現在のとてつもなく歪んだ時代と社会が生み落としている現象ではないか、という指摘だったのである。

 まったく同感である。しかし、それだけの指摘ではものたらない。確かに、現在の陰惨な事件はいまだに一部の異常者による者と信じ込んでいる能天気な人も少なくないから、とりあえずは社会状況に目を向けさせることの意味はあろう。
 だが、現状の惨憺たる事態は、もはや総論的レベルの指摘では済まないところまで来ているはずである。各論的な手立てが矢継ぎ早に打ち出されなければ、ここまで崩壊してしまった人間社会は、その復旧が難しくなるものと思われてならない。
 「人間社会の崩壊」と書いてしまったが、文字どおりの弱肉強食の風潮が野放しにされ、強者が弱者を襲う序の口からはるかに突き進んでしまい、弱者がより無防備な弱者に手をかけるというおぞましい事態にまで至れば、「人間社会」も終幕が近いと言わざるを得ないのではなかろうか。

 自分のような荒くれで狷介(けんかい)な男でも、街行くいたいけな子どもたちのあどけない顔つきや立ち振る舞いを見ると思わずしかめっ面もほころんでしまうというものだ。それほどに、何の救いもないこのご時世で子ども達だけが救世主であろう。
 弱さを隠すことなく、無防備をそのままさらしながらも、天真爛漫に他者を頼る姿こそが幼児と子どもたちの特権である。それがまた可愛くてならないわけだ。だから当然のこと、そうした彼らを保護し育成するメカニズムがある。と言っても、このレベルならば人間以外の動物でさえ真っ当している。
 先日も、この季節になるとカルガモの親子たちが池を移動する姿がマス・メディアで報じられるが、カルガモの親でさえ無防備なヒナたちを精一杯守り、導いているわけだ。
 ところが、こんなレベルでさえ真っ当できないばかりか、我が子を手にかけるという動物以下の人でなしに及ぶ者もめずらしくなくなってしまったのが、残念ながら現在の「人間社会」であろう。

 動物たちの世界では、時として「よその子」ならば獲物としたり、恨みで攻撃する場合もある。いつであったか、野良猫の子たちが、母猫の「恋敵」によって大きな痛手を被ったことがあった。
 この辺の惨さを理性で乗り越え、それだけではなく個々の親子関係から子どもたちの保護と育成との役割りを取り出し、社会的レベルへと発展させたところにこそ「人間社会」の優れた面があったはずである。これは何も共同保育のことだけを言っているのではなく、子どもたちを育てていくための文化全般のことを指している。
 たとえば、都会の核家族での母親が孤立して育児過労の末最悪の選択をしてしまうことがあったりするが、これは、子育ての社会的文化を十分継承できなかった若い母親が、突然に、動物的な母と子の関係に追いやられた結果の惨事だと言えそうな気がする。
 人間は、社会や文化を作ることによりそれらを必須としながら、同時に動物的な本能を次第に希薄化させてきた存在だと言える。にもかかわらず、人間が時の社会や文化をしっかりと継承しなかったとするなら、本能の力が最も弱い動物である人間が突如として未開のジャングルに紛れ込むというミスマッチに陥ること以外ではないのだ。
 未開のジャングルはたとえのようでもあるが、現代の大都市の中には、孤独・孤立ジャングルというかたちで厳然として存在するのではないかと、わたしは推定している。

 「弱者」としての子どもたちを殺害するという事件の話から、かなり話は「原点」へと急旋回させてしまった。わたしの関心事は、人間が人間であるために必須の文化というものが、何らかの原因で吸収されなかったり、機能しない状況となれば、人間は人間ではあり得なくなり、どんなことをも仕出かす存在と成り果てるものだろうということなのである。
 動物たちは、DNAに刻まれた遺伝子情報の中の強い本能によって行動を拘束される存在であるが、人間の行動は、動物達に較べるとはるかに弱い本能機能しか持ち合わせないために、良いことのみならず悪事に対する行動の選択肢は無限に近い幅を持ってしまうとさえ言えるのかもしれない。
 陰惨な犯罪が、あたかもDNA上の異常な遺伝子を具現した異常者によって引き起こされるのだと言われたりもするが、それはかなりムリのある解釈のような気がする。人間の行動は、生得的なDNAによって決定されるものではなくて、社会生活の過程で獲得された文化により方向づけられると見なす方がはるかに科学的だからである。

 わたしの「勘働き」では、現在生じている惨憺たる事件群は、この国この社会の本来の文化というものが、重篤的な次元で機能不全に陥ってしまい、その上、文化の担い手である(地域)社会がズタズタな状態とさせられてしまったことに端を発しているのではないかと…… (2006.05.21)


 昔、「ショージ君」という漫画が好きであった。作者は「東海林さだお」であり、抜群の感性だと感心し続けた。現在、同氏は漫画というジャンルからエッセイに移行し、「グルメ」関係のこれまた抱腹絶倒の文章を綴っている。
 今でも「ショージ君」の名場面を何かにつけてふと思い起こすことがある。その中のひとつである。「ショージ君」がいつもながら、チマチマとした良からぬことをたくらんだりするのだ。が、もとより気が小さいため、そんなことをしたら警察に、ないしは機動隊に包囲されるのではないかと想像したりする。
 が、篭城なんぞしてなおも抵抗するという過激なことをも想像だけはする。と、その次に想像するのは、やがて警察が、泣き落としの説得のために、「オフクロ」を現場に引っ張ってきて涙ながらに訴えさせる場面。「サダオやー、出ておいでー」というあの決まり場面なのである。
 で、そこまで想像すると、ようやく悪事への一歩を踏み止まる決意がさだまったりするのである。さらに可笑しいのは、その悪事というのが、道で拾った10円を交番に届けずにくすねるという、いわばどうでもいいようなことだったりするからだ。

 ここで再チェックしたいのは、「ショージ君」の漫画にもしばしば出てきたはずであった、悪事の現場に説得用の「オフクロ」が登場という定番なのである。考えてみると、これは60年代〜70年代頃までの、犯罪者に対する警察の対応の常套手段ではなかったかという気がする。最も現在でも、効き目薄と知りながらも、陰では駆使され続けているのかもしれないが。
 ちなみに、以前に書いた、アル・パチーノ主演、75年のアカデミー受賞作品" Dog Day Afternoon "(邦題『狼たちの午後』)でも、犯人が人質をとって立てこもる銀行の正面に、確か犯人の「オフクロ」が担ぎ出されていた。
 理性の道を踏み外した者に対して、理性を取り戻させるひとつの手立てとして、「オフクロ」による説得ほど決め手となるものはない、と常々警察当局は踏んできたのかもしれない。いわゆる、取り調べ室で実施されていたらしい「泣き落とし」路線の「凶悪現場バージョン」であったのかもしれない。

 どうしてこんなことを書き出したかという点である。昨日の続きという意味合いがあるわけだが、凶悪犯における「キレル」という内的状態の問題に関係しているのである。
 ところで、「キレル」若者というような言い回しで「キレル」という言葉が使われて久しい。そして、その場合、人々が主に関心を向けるのは、「生理的」な側面であったのかもしれない。つまり、脳や心の(理性的)正常回路がまさしく「プッツンと切れて」しまい、それらの機能がアウト・オブ・オーダーとなってしまうことをそう呼んだように思うのだ。
 現に、「米国で凶悪犯罪を犯した少年の場合、Mg摂取量が少なく、この比率が基準値から大きく外れるとキレル子供が出来やすいと云う報告がある。」というような解説をいたるところで目にした覚えがある。
 わたしが、はじめてこの表現に出っくわした時にどう受けとめたかであるが、そうした「生理的」側面のイメージもさることながら、とっさに思い描いたのは、日常的な穏便な人間関係の「チェーン」が「キレル」というイメージなのであった。まあ、ひとつの行動をどういう視点から観察するのかということなのかもしれないが、この辺に、原因として何を重視するのかという見解の相違があったのかもしれない。
 わたしに言わせれば、過剰に「生理的」側面の問題に原因を求め過ぎると、人間関係や社会関係上での様々な深刻な問題が迂回されてしまい、極端な話が、「では、お薬(鎮静剤)三日分出しましょう」に矮小化される恐れがあるということなのだ。

 「キレル」若者というのは、「生理的」側面の問題もなしとはしないけれど、周囲の人々との人間関係においてしっかりと「繋がっていない」(=「キレて」いた)のではないかと、わたしは考えるのだ。つまり、「キレル」行動を起こした際に、「キレた」のではなく、潜伏的に「キレて」いた状態が顕在化するというのが事の真実ではないかと推定するのである。
 それで、「ショージ君」の話、悪事の現場に説得用の「オフクロ」が登場という定番の話に戻るならば、ひょっとしたら、その定番が奏効したのは、何だかんだと言いながらも若者たちが家族との「繋がり」を比較的しっかりと保持していた時代のことであり、現在では、すでに「キレた」状態かもしれない母親が登場してもさしたる意味を持たないのかもしれないと、そう悲観視するのである。
 と言うよりも、家族に限らず日常的な周囲の人々との人間関係が、表面上はともかく、実質的なところで「キレて」いる状態にある者が静かに増加しており、そうした者は結局常識感覚も、周囲の人々との「しがらみ」も持ち合わせないがゆえに、ことさらの抑制力も働かせることなく突拍子もない行動に滑り込むのではないか、とそう思ったりするのである。

 現代という時代環境は、人間にとって必須の人間関係というものが欠落してしまった孤立状態の苦痛を、激しい苦痛として見つめさせないところの「エセ」環境が用意され過ぎているかのようだ。私生活主義を支える便利な消費生活環境があり、ネットやケータイという擬似コミュニケーション環境ありで、それらが「孤独地獄」をそこそこまぎらわせてしまい、やむなく人間関係遮断から抜け出すという勇気を奪い去っているような気がしないでもない。ただこうした状況が人間としての内部を空洞化させていくことは否定できない。
 こうした環境基盤に加えて、「窮鼠猫を噛む」を助長するかのような社会状況の悪化(弱肉強食的競争社会!)が上乗せされれば、まさに「キレた」状態からの犯罪がせっせと人工培養でもされているかのような状況だ、とは言えないだろうか…… (2006.05.22)


 最近、再び自宅周辺に犬の鳴き声が蘇ってきた。飼い犬たちが世代交代してあちこちの家で飼われるようになったからだ。
 数年前頃には、犬声横丁とさえ言っておかしくないほどに各家々で犬たちが健在であり、袋小路となった横丁に見知らぬ人がやってくると、大変な騒ぎとなったものだった。
 先ず、横丁の入口付近の家で変われている中型犬が威嚇と「申し送り」の意味の両面で激しく吠える。すると、それに呼応するかのようにそれぞれの家の犬が大合唱をはじめるのであった。わが家の飼い犬、レオも当時は元気でかつ臆病であったからよく吠えまくったものだ。
 また、ある家の犬が世話になっていた獣医さんが、やがてこの近所の犬たちすべての面倒を見ることになり、いわば「集団検診」とでもいった風情も見受けられたりしたものだ。
 そんなに犬が密集していたものだから、近所に空き巣が入ったという話はついぞ聞かなかった。が、その当時の犬たちも十歳を超え高齢化して、やがて一斉にというようなかたちで亡くなっていった。
 それで一時は、「つわものどもが夢の跡」とでもいうような静けさが支配することになったりもした。それからである、近所の家に空き巣が入ったとか、怪しい人物が下見に来ていたとかの噂を聞くようになったのは……。

 わが家でもというか、わたし自身も再び犬を飼いたいと思い始めたりしていた。が、そうこうしているうちに、再び、近所の家のあちこちで新しい世代の犬たちが飼われるようになってきたのであった。
 現在、わが家の庭では数匹の野良猫たちが気を許して徘徊し、有り難い安全地帯だと決め込んでいるようだ。だから、そこへ新参の犬を投じるのはちょっと筋違いかもしれないと、わたしは犬を飼うことを躊躇ってもいた。そんなところへ持って来ての出来事だけに、自分はちょうどいい按配だと思ったりしているのである。

 各家々のニューフェイスの犬たちの顔つきはいちいち確かめてはいない。ただ、すぐ隣の犬だけは、顔を合わせた。どうも、嫁いだ娘さんのところで飼っている犬を一時的に預かっているのだとも聞いているが、良くはわからない。
 良くはわからないと言えば、その種類もあまり見かけない種類の犬であり、一度種類の名を飼い主から聞かされたが記憶にとどまらなかった。
 その顔つきは、どっかで見覚えがあるように思えたのだが、「大助、花子」とか言う、関西の漫才コンビのダンナの方の顔つきによく似ていることにはたと気づいた。舶来の犬のくせに、妙に頬骨が張っているようで、また目つきも、離れた小さな目でおっとりとした感じなのである。柄は大きいがまだ幼いようで、何だか奇妙なかわいさがある。
「よく見張って、吠えるんだよ」
と言ってやったら、首をかしげて怪訝な顔をしてこちらを見つめていた。

 猫たちは何の役にも立ちはしない。もっとも、ウチの野良猫たちは、実用的な役には立たないものの、わたしのこころに潤いめいたものを与えていることだけは確かである。
 朝、出掛けに玄関の外でわたしを待ち受けて餌をねだる姿や、帰宅すると、これまた餌にありつこうとして鳴きながら寄ってくる光景は、それはそれで貴重なものだと受けとめているのである。夜、門柱の上で背を丸めて座っている姿なぞは、まるでわたしの帰りをお待ちしておりましたとでもいうようで、何とも言えずかわいいものである。
 動物たちは、かわいいと思えば不思議なほどにそう思える存在であり、そうそうそのような存在感を人工物に望むことはできないのではなかろうか。
 最近、若干気になるのは、ここ一、二年、スズメの姿を見ることがめっきり少なくなったことである。各地でもそうしたことがささやかれているようで、ちょっとした異変でも起きているのであろうか…… (2006.05.23)


 最近の天候が「地球温暖化」に影響されていることが次第に明瞭となりつつあるようだ。そうした危惧の念は一般化してきたが、いまひとつ実情が見えず、隔靴掻痒(かっかそうよう)の観があったかと思う。
 <夏の日本列島「北冷西暑」>( asahi.com 2006.05.22)という記事では、「日本気象学会」での発表された報告に、「地球温暖化」に伴った日本列島の気候変化だと目される現象の解説があった。

 <日本列島の夏は北日本が寒く西日本が暑い「北冷西暑」が顕著になり、その原因に地球温暖化が関係していることが、気象庁気象大学校の谷貝(やがい)勇教授(気候学)らの分析でわかった。台風と前線活動が重なり豪雨災害につながるのも特徴の一つで、同教授は防災対策の強化を訴えている。>
というものだ。

 列島の「北冷西暑」という現象は、「地球温暖化」に伴って<シベリア大陸が高温になり、オホーツク海高気圧を強め、冷たい吹き出しが北日本の気温を下げる>ことと、<これに加え、前線が発生し南側に暖かい風が吹き込むと西日本を高温化>するという仕組みで発生するらしい。
 そして、<地球温暖化が始まったとされる70年代半ばから大きくなり、90年代に入ってからさらに顕著になった。>というのである。
 また、この対比だけならばまだしも、上記の<前線が発生し>の「前線」が東西に長く停滞することが問題視されることになる。つまり、<冷たい空気と暖かい湿った風がぶつかる前線の活動が活発になり、豪雨被害をもたらす仕組み>であり、ここに「台風」が絡むとこれまでにはなかった大きな被害が発生し得るのだそうだ。
 それは次のように懸念されている。
 <21世紀に入り、顕著なのが台風と前線が結合した災害だ。60年までは台風と前線が結合した災害はなかったが、80年代終わりころから増え始め、04年は災害をもたらした台風9個のうち4個が前線と結合していた。>

 気象庁によると、<今年の夏も平年並みの北日本に対して、西日本は平年より暑くなりそうで、「北冷西暑」傾向>だというのだが、やはり警戒すべきは、「台風と前線の結合」による「豪雨被害」だということになろう。
 といっても何をどうすればいいのか見当がつきかねるわけだが、少なくとも経験上危惧されてきた地形の箇所には事前の対策が施されるべきなのであろう。
 現代という時代は、過去数十年の事実が通用しないほどに激変している時代である。それは、政治・経済・社会といった人為的環境は言うまでもなく、こうして天然の環境までもがそれに該当し始めているわけだ。
 世知辛い経済的動機とは無縁の科学者たちが検証した事実を有効に生かすことで、この国この社会が「泣きっ面に蜂」という悲惨なことにならないようにしてもらいたい……

[ 追補 ]
 天候に関して書いたついでに以下の点も加えておきたい。
 どうも今年は五月晴れに恵まれないと感じていたが、やはり気のせいでもないようである。
<日照不足、今後1カ月も・気象庁「一部で記録的状態」
 気象庁は22日、東日本と西日本を中心にゴールデンウイーク明けごろから日照不足が続き、今後1カ月間は曇りや雨の日が多い見込みとして、農作物の管理に注意するよう呼び掛けた。
 気象庁によると、主な都市の5月1―20日の日照時間の合計は、福岡が65.1時間で平年の52%、名古屋(75.1時間)が59%、仙台(79.3時間)が62%だった。地域別では、西日本の太平洋側が平年の60%、東日本の太平洋側と西日本の日本海側が61%で「記録的な状態」という。
 気象庁は、晴れる時期があるものの、今後も前線や低気圧の影響が続き、日照時間は平年を下回るとみている。>( NIKKEI NET 2006.05.22)

 やはり、「地球温暖化」に影響された気象変化は、じわじわと目に見えるかたちになりつつあるのだろうか…… (2006.05.24)


 つい先日(18日)、高齢者の負担増を柱とする医療制度改革関連法案が、衆院を通過した。しかも、反対する野党抜きの「強行採決」であった。この法案は、70歳以上で一定所得以上の人の窓口負担を今の2割から3割に引き上げるなど、負担増が目白押しだったのだ。その他にも、長期入院患者のための療養病床の削減が盛り込まれたりして、問題が天こ盛りの法案である。
 医療制度「改革」とはヨクユーよ、であり、国民弱者に「高負担」を推しつけるもの以外の何ものでもない。昨今問題視されている、産科・小児科(脳外科も指摘されはじめた)での医師不足問題など医療制度に対する国民の切実な願望なぞはそっちのけで、自分たちがムダ使いしたと言ってもいい国家財政の窮迫を理由に、制度「改悪」を平気で敢行したいわけだ。
 小泉首相が何とかの一つ覚えで叫ぶ「改革」の中身とは、まさに国民への「負担転嫁」そのものだったのである。どうしてこんな「ダーティな政権」を支持する国民がいたのかと情けない思いがしてならない。

 振り返ってみれば、ハッタリかますこととやることが全く異なる「ダーティな政権」が歴史に残したものは、後先省みない目先の帳尻合わせであったということになる。実質的にはまさしく「弱者いじめ」そのものだと言ってもいい。
 つまり、国家財政悪化の原因を、不正も含めて究明、是正もせずして、ペテンの口先ですべてを国民の「高負担」によって賄わせようとするものだからムチャクチャだ。
 ちょうど、わたしがこのHP日誌を書き始めた時期と、小泉政権が薄っぺらに走り続けた時期とが重なっていたこともあり、当初から「この男はヤバイぞ」と警戒する口調を絶やさないできたものである。たとえ、御用提灯をぶら下げた学者、有識者、マス・メディアなどが、何の実入りがあってか目を曇らせた時にも、もっとしっかりと正体を見るべきだと叱咤激励してきたつもりだ。

 いやそんな、自分が評価しない男のことはともかく、問題は、国民が「高負担」化によって苦しむ実情と近未来こそが当面の大問題だと悟りたい。「格差拡大」傾向であるとか、周辺諸国との「外交悪化」とか、今後、自然発火したり大爆発さえする可能性のある問題も多々指摘されているが、今は何よりも国民に課せられた「高負担」という現実を凝視すべきかと思う。
 この間の推移を改めて、振り返ると、ざっと次のようになる。

<二〇〇五年は、政府が高負担路線へと大きく舵を切った年であった。その前兆として二〇〇〇四年一〇月に厚生年金の保険料が上がり、十二月には配偶者特別控除(上乗せ部分)の原則廃止が決まった。そして二〇〇五年に入ると老齢者控除(所得控除額五〇万円)の廃止、公的年金等控除の六五歳以上の上乗せ廃止、住宅ローン減税の縮小と、立て続けに実質的な増税策が取られ、四月には定率減税の段階的廃止が始まり、国民年金の保険料アップが続いた。
 さらに二〇〇九年をめどとして介護保険料徴収年齢の引き下げが検討されており、二〇〇八年度にはいよいよ消費税率のアップがあると予測されている。>(大前研一『ロウアーミドルの衝撃』、2006.01.25)

 これに、今回の高齢者の負担増を柱とする医療制度改革も上乗せされたわけである。

 正直な感覚で言えば、「百姓は搾れるだけ搾れ」という悪政以外の何ものでもなかろう。見境がないのである。わたしが危惧するのは、国民の苦しみという情のある人間にしか想像できない問題だけではなく、このままでは、現行の「急ぎ働き」路線自体が破綻するだろうということなのである。
 その辺の事情は、年金問題だけを例に挙げても十分に危惧されなければならないはずである。制度が非合理であると、納入意欲を損なう若い世代が増加したりして、それらは雪崩れ現象に帰結することも大いにあり得るからだ。NHK受信料不払いの動向が暗示的にそれを示してもいるとは言えないだろうか……。
 つまり、論理的(現実的)破綻という最も恐い部分をもっと注視すべきだと言いたいのである。

 たとえば、経済「格差」問題の激化にしても、放置しておくならば、逆に国家財政を悪化させることにはならないかという視点なのである。現に、生活保護世帯が<生活保護、100万世帯超す 高齢化響き10年で6割増>となり、
<受給者の増加を受け、国は新年度予算案に生活保護費約1兆9千億円を計上。自治体負担分と合わせると2兆5千億円を超える。このため、厚生労働省は05年度から保護受給者に対する新たな就労・自立支援プログラムを導入する方針だ。>( asahi.com 2006.02.17 )
とある。何をマヌケなことをやっているのかと言いたい。
 また、今回の医療制度「改悪」にしても、医療費の「高負担」を講じれば、高齢者たちは医者にかからなくなりみんな自力で健康を取り戻すとでも言うのだろうか。バカも休み休み言ってもらいたいものだ。少なくとも週休二日制で言ってもらいたいぞ。
 結局は、高齢者たちが医者から遠のき、そして、致命的に健康を害したりすることで「寝たきり」老人が増加したりすることもあながち考えられないではない。高齢化時代が深まる今後、そうした状況悪化ではさらにコスト増=国家財政の悪化という事態になりかねないのではなかろうか。それとも、その時に備え、「姥捨て山」改革という二番底ビジョンでも隠しているのであろうか……

 はっきり言って、現在の政権とその背後の官僚機構は、時代の未来というものをまともに考えてはいない、というか、考える能力に不足しているとしか言えないような気がする。高齢化問題もさることながら、少子化問題にしても、これらの問題は、昨日今日発覚する問題でないことは、誰が片目つぶって3秒考えたとしてもわかり切ったことだろう。もう何十年も前から十分に予測可能な問題だったはずである。
 そして、その事実が足元に迫ってもなお、有効な手が打てず、産科・小児科の医師不足問題なんぞでアタフタとしているありさまである。こんな不手際なことで政権が勤まるならば、大の大人たちが高額なコストでやる必要はなかろう。それこそ、どこぞの大学のサークル・メンバーたちに、「民営化特区」の一課題としてやらせれば、もっと気の利いた成果を上げないともかぎらない。

 こうした、週休二日制を提案したくなるようなバカさ加減について書き出すと、「キレそう」だと案じてきたが、やっぱりほとんど「キレて」しまった…… (2006.05.25)


 年配のご婦人たちが三、四人で徒党を組んで小旅行をする姿はよく見かける。が、年配の男性たちのそうした光景はめずらしいのかもしれない。結構楽しそうにしているそんな三人連れの男連中がいた。傾けるともなく耳を傾けることになったが、実に愉快そうにしていたものだ。多少羨ましい気さえしたものだったが、どうも楽しくあることのその極意とは、「単純さに徹する」ということなのかもしれないと思ったりした。

 時々出かける健康保険組合運営の箱根の保養所へ行って来た。その際に、レストランで背後のテーブルに就いていたのがその「仲良し三人組」なのであった。
 三人組と言えば、子どもの頃の大昔、「お笑い三人組」というタレントたちが何組かいたようだった。NHKの舞台劇に登場していた文字どおりの「お笑い三人組」は、落語家の三遊亭小金馬(現、金馬)、講談の一竜斎貞鳳、物真似の江戸屋猫八の寄席トリオであった。また、「脱線トリオ」(由利 徹、南利明、八波むと志)というドタバタ喜劇のグループも覚えている。はたまた、比較的記憶に新しい「三人組」では、「てんぷくトリオ」(三波伸介、伊東四郎、戸塚睦夫)というメンバーたちもいた。
 これらは、決していちいち覚えていたわけではない。「Google」の検索お助けの力を借りたのである。しかし、どのチームもかなり安定したお笑いを提供していた記憶がある。「三人組」というのは、ジャンケンの三すくみではないが、三者が互いに牽制し合う雰囲気ができたりして、それはそれでまとまるのだろうか。

 当方側も家内とおふくろと自分の三人組ではあったが、食事の際などにさほど会話を交わすほうではない。そんなことから、わたしは、背後のテーブルの年配の男たち「仲良し三人組」の会話に関心が向けられてしまったのである。
 「三人」にとっての共通の知人であろう人たちの名が頻繁に出てきたところから、職場仲間であるとの推察が成り立った。歳の頃は、いずれも六十前後であり、ひょっとしたら定年後に嘱託契約なぞをして現役を延長させている人たちなのかもしれない。
 職種であるが、どうも旅行会社の雰囲気が濃厚であった。国内はもとより、ヨーロッパ各地のこまごまとしたことを互いに披露しあっていた。いや、それだけならば、旅行業でなくとも他の業種でいくらでもそんな人たちはいるだろう。いま時、海外旅行を頻繁にする人たちは、わたしのような出不精な人間でなければどんな業種でもいそうである。
 旅行会社ではないかと目星をつけた理由は、とにかく三人ともが饒舌極まりなかったからでもある。おふくろも、「よく喋る人たちだったねぇ」と後で言っていたくらいである。
 しかも、その話の中身が、まるで、昨今の旅行雑誌のページのように、グルメチックでありまた「小間物」志向的なのである。いちいち覚えてはいられなかったが、よくも年配の男たちの頭の中に、ご婦人たちが関心を持つようなそんな些細なことが詰まっているものだと感心したものだった。
 そうそう、そう言えば、どこだかの店で釜飯を食べた時のエピソードを披露していた人がいた。店の者に「ここの釜飯は、注文後に作るのか」と確認したところ、そのとおりですと言うから頼むと、5分足らずでテーブルに釜飯が到着したのだそうだ。5分で出来上がるはずはないと不審に思い、文句を言ったところ、注文後に作り始めたのではなかったという。そして、ご不満であれば御代は結構です、と言われたと。
 また、どこどこのデパートの地下売り場ではめずらしいモノを並べているとか、へぇー、あの店は無くなったんだ、とか……。
 わたしは、食べ物の話題や「小間物」の話題以外に、きっと何か別な話題に転ずる時があろう、とそれとなく待ってみた。そんなこと待つ必要もないのだけれど、耳を貸してしまった都合上、密かに待った。
 が、一向に、政治の話やら、昨今の社会状況の話やらは出てこない。グルメチックな話題から離れたかと思えば、こんどはそれに派生した「チケット」購入の話題へと突入して行った。どこどこの金融チケットを購入すると、年間で1割2割の得をすることになるんで、自分なんぞは何年か続けたものだとか……。

 わたしは、当初、気の合う者同士が年配になってもああやって男同士でつるんで旅行するのも楽しそうでいいな、と感じたものだった。若い時分は、友人たちと気ままな旅行をしたりもしたが、いわゆる年配になってからというもの、旅行といえば仕事関係の人脈か家族や親戚の者以外にともにすることはなかったからである。多分、世の年配の男たちはそうしたものなのではなかろうか。
 だから、「背後のテーブル」の男たちが、多少羨ましい気がしないでもなかったのである。だが、会話の中身を知ってみると、決して「朋あり遠方より来たる」という論語ふうの濃い中身の「つるみ」ではなかったようだ。わたしが勝手に羨ましく思ったような類ではなく、どちらかと言えば、古川柳にある「友遠方よりお傘をと借りにくる」類の、ライト過ぎる「つるみ」のようなのであった。まあ、そういう「仲良し」ならば……と、わたしは気を取り直したように、目の前の猪口の酒を飲み干したのだった…… (2006.05.26)


 梅雨入り宣言は出ていないものの、どう見てもどう感じても今日の天気は梅雨そのもののような気がする。
 朝早くから雨は降っていた。こんな休日は、「遊びに行きたし かさはなし」と思い込み、「いやでもおうちで 遊びましょう」(童謡『雨』 作詞 北原 白秋  作曲者 弘田龍太郎)と、ごろごろする在宅を決め込むのが良さそうだと思っていた。
 が、まずはそうもいかなかった。夕べより、もし雨ならば、朝一、家内を用先まで送る約束をしていたからだ。バスの乗り継ぎも悪く、クルマの駐車場所もないという用先だと聞いていたのでしかたがなかった。また、事務所にモノを取りに行く用もないではなかったからだ。
 雨の中、クルマで出てみると、「白秋」の心境にはなれない人々が、クルマを走らせたり、傘を都合して歩いていたりする。中でも、犬の散歩ばかりは「雨天決行」が相場のようである。あちこちで傘を差しながら犬を連れた人を見かけた。水をはじくような上等なコートを着せられた犬、きっと後で風呂にでも入れてもらうのだろうと想像させたびしょ濡れの小型座敷犬、人間並みに雨を嫌がる雰囲気の毛の長い大型犬などさまざまであった。しかし犬たちは、一日一回は散歩をしないと気が済まないはずだ。彼らにとっては、雨が降ろうが、風が吹こうが、自分の行動エリアを巡回し、実地検分をしなければ気が休まらないのであろう。だから、雨を嫌がっている様子はあっても、概して、しかめっ面の飼い主よりかは前向きの姿勢が見てとれたものだ。

 しかし、前述の「白秋」の歌詞は何とも「凹んだ」気分、心境が滲む内容であろうか。それも、決してこれは、斜に構え、前屈みが常態となった大人たち向けの演歌の歌詞ではなく、前途あるあどけない子どもたち向けの童謡の歌詞なのである。おそるべきリアリズムだと言うべきであろう。

< 1 雨(あめ)が降ります 雨が降る
遊(あそ)びに行(ゆ)きたし かさはなし
紅緒(べにお)のかっこも 緒(お)がきれた
 
2 雨が降ります 雨が降る
いやでもおうちで 遊びましょう
千代紙(ちよがみ)折(お)りましょう たたみましょう
 
3 雨が降ります 雨が降る
けんけん子きじが 今(いま)ないた
子きじも寒(さむ)かろ さびしかろ
 
4 雨が降ります 雨が降る
お人形(にんぎょう)寝(ね)かせど まだやまぬ
お線香(せんこう)花火(はなび)も みなたいた
 
5 雨が降ります 雨が降る
昼(ひる)も降る降る 夜(よる)も降る
雨が降ります 雨が降る >

 まるで、わが国での「自閉症」症候群第一号とでも言えそうな心理状況ではないか。
 誰であったかが、書いていたものである。これが、当時(大正時代)の時代の陰鬱な空気を反映したものであり、また、子どもたちに大人の心境それ自体をそのままぶつけるという物凄い文学運動でもあったのだとか……。
 だが、子どもたちのこころの中を、ディズニーランド風の荒唐無稽な風でドライに乾かすよりも、リアリズムの多少湿った空気で満たす方が、良い悪いは別にして、わたしは好きである…… (2006.05.27)


 抗癌治療を定期的に受けて、闘病生活をしている知人と久しぶりに会う機会があった。決してよい方向に転じているわけでもなさそうだったが、まずまずの表情であったため、いくらか安堵した。この間、音沙汰がなかったため、具合の方が芳しくないのだろうかと心配していた。

 抗癌治療でいわば体力を下げ切っているため、どうしても身体がだるく、自宅でも何もする気になれずにごろごろとしているらしい。
「身体が思うようにならず気が滅入るから、どうしても身近なものに当たっちゃう。それでついつい口喧嘩。だから、女房がいい迷惑でかわいそうなんだよね。まあ、あと一、ニ年程度のことだから我慢してくれって言ったりもしてるんだけどね……」
 彼の口から、「女房がかわいそう」という言葉が何度か飛び出したものだった。多分、それを口にすることで、この間、悶々とそう感じ続けている自身の心に、外の薄日をわずかでも差し入れたかったのかもしれない、と思えた。
 自分ではどうしようもないこと、それでいながら気にせずにはいられないことに迷い込んでしまう時が、ままあるものだ。そんな時、堂々巡りの空気だけが充満した、日が差し込まない部屋に、障子をわずかに開けてそっと陽射しを入れてみたくもなるものだ。きっと、当該の事をさり気なく他人に対して口にするというのは、そんな心境と似ているような気がする。
 元来が優しい性格の彼は、自身のこの先に対する辛い思いだけでも手に余っているであろうに、そのことでとばっちりを受けていると察する奥さんのことを気遣っている様子なのであった。
 いつぞやも、「オレがいなくなってから困らないように……。土台、あいつにはこんなことは皆目わからないから右往左往するだけなんでね……」というようなことを話してもいたものだ。

 確かに、どちらかと言えば、奥さんは概して「子どもっぽい」印象が拭い切れないタイプの女性のようであり、誰よりも一番彼自身がそれを熟知しているのであろう。
 どうしてこのオレみたいな何の変哲もない凡人にこんな厄介な病が降りかかってしまったのだと、その唐突な宿命に、おそらく彼自身が違和感を禁じえないで来たはずである。誰だってそう思うに違いなかろう。そして、そんな彼が自身に降りかかった宿命への違和感をさらに増幅させずにいられないのが、傍らで相変わらず「子どもっぽい」素振りでそれを甘受するしかない奥さんであるのかもしれない。
 癌というような厄介な大病は、人生をそんなに我を張って生きた覚えもないオレなんぞに似つかわしくはない。が、まあ、こうした「ハズレ」も時にはしょうがないとしても、よりにもよってあんなに無防備で「子どもっぽい」女房のすぐ脇に、まるで何の脈絡もないかのごとく落ちる雷のような唐突な宿命というのは、ちょいと酷なんじゃないか、かわいそう過ぎるんじゃないか……。加えて、オレときたら自分で自分のことが手に負えないもんだから、不条理に重い荷を背負わされてしまったそんな女房の背中の荷の上に、さらにおまけの荷物を上乗せなんぞしてしまっている……。
 「女房がかわいそう」と、何度か繰り返された言葉の足元には、彼のそんな言葉にならないやり切れない思いが、日陰の地面を這う湿気のように淀んでいたのかもしれない。

 わたしは、そんなふうに感じ取れる彼の心理的状況に対して、ただただ無力さ以外に返す術がなかった。日常生活で意味ありとされているありとあらゆる知識が、何の役にも立たないこと、いやむしろそれらは知らん振りをしてそっぽを向く薄情さしかないような気さえしていた。それで無意味ともいえる紋切型のセリフを口にしていた。
「ウチなんかも、四六時中、些細なことで口喧嘩ばかりしてますよ。なんて言うのかなあ、承知で迷惑をかけ合っているのが夫婦なんじゃないですか。我がまま言い合って、行き違いもあって、それで喧嘩して、でもまあ互いに気長に面倒見い見いしながら繋げているのが夫婦っていうもんじゃないですかねぇ……」
 しかし、そう言いながら自分は、あるひとつの厳粛な言葉に注意が向かいつつあった。それは、自分にはまだ明瞭な自覚に至ってはいないけれど、彼の内側では次第に明瞭な自覚として立ち上がりはじめているのかもしれない死別という言葉なのであった。
 「女房がかわいそう」という彼の言葉の真意は、人と人とのどんな関係も死は否応なく終わらせてしまうこと、永遠に継続するものと思い込んでいる勝手さが常日頃の人と人との関係をだらしないものとさせていること、死別が自覚された際には、切なさや愛しさが止め処なく押し寄せてくるであろうこと……、というそんな際どい設定でこそ過不足なく了解され得るのではないかと…… (2006.05.28)


「ニュルンベルク裁判で恐ろしい話を聞きました。500万人のユダヤ人や人種の違う人々が無残に殺されたと……。これらの事実は大変ショックでした。でも私はそれを自分と結びつけられず安心していたのです。"自分に非はない" "私は何も知らなかった" そう考えていました。でもある日犠牲者の銘板を見たのです。ソフィ・ショル、彼女の人生が記されていました。私と同じ年に生まれ、私が総統秘書になった年に処刑されたと。その時私は気づきました。若かったというのは言い訳にならない。目を見開いていれば気づけたのだと……」(T・ユンゲ)

 休日の昨日、『ヒトラー 〜最期の12日間〜』というDVDをレンタルした。
 さわやかであるべき日曜日の午前に鑑賞するコンテンツではないという気もしていた。だが、以前から注目していたことと、レンタル・ショップに訪れたら、このDVDが10枚ほどが貸し出し中となりながら、一枚だけ残っていたのである。まるで、それは「どうか借りてやってください! ダンナ様……」とでも懇願しているように見えた。妙に刺激されてしまったというべきか、「よし、ならば……」という調子で借りたのであった。
 上記の文面は、エピローグで登場した、当時ヒトラー総統の最後の12日間を秘書として働いた、たぶん実在人物なのであろうその女性が語っていたものである。
 ちなみに、この映画は、この秘書が体験した事実に沿って展開される形をとっているわけである。そして、次のようなモノローグのオープニングから始まったのである。

「今なら私も若くて愚かだった当時の私に腹が立ちます。恐ろしい怪物の正体に私は気づけませんでした。ただ夢中で何も考えず秘書の依頼を受けました。熱烈なナチではなかったし断わることもできたはずです。"私は総統本部へ参りません"と。でも好奇心に突き動かされ、愚かにも飛び込みました。思いもよらぬ運命が待っているとも知らずに……。とはいえ、今も自分を許せずにいます……」(T・ユンゲ)

 この映画は、以前に注目を浴びた映画『戦場のピアニスト』に優るとも劣らないシビァなタッチである。前評判に誘われて前者を観たある女性が「悲惨過ぎて、途中で出てこようかと思った……」という感想をもらしていたことがあったが、この映画『ヒトラー』とて、然るべき気弱な女性たちには敬遠される類であるに違いない。これといった「華」なんぞ何もないし、やたらに戦争の惨さと殺人、自殺の場面が連続するのである。おまけに、負傷者の手術場面で手足をノコギリで切断する光景などもリアルに映し出されたりする。これが戦争の史実に基づく映画ではなかったら、「仁義なき……」などのヤクザ映画やタケシ好みの人殺し頻出の映画であったなら、わたしとて途中でキャンセルすることになったかもしれない。
 そして、「悲惨」掛ける「壮絶」割る2のクライマックスは、この映画が「最期の」という言葉を組み込んでいるから当然といえば当然なのであるが、ヒトラーをはじめとする総統本部の連中が相次いで自殺する場面なのである。そのための小道具は、瞬間的に死をもたらす「カプセル」と、ピストルということになる。これらがまた、忠実すぎるほどにリアリズムなのである。
 ヒトラーが、決行の直前に、軍医からその「手順」をヒアリングして、
「『カプセル』を噛んでから、ピストルの引き金を引くわけだね。そんな時間はあるのかね」「1、2秒間の間があります……」という按配なのである。なお、臆病なヒトラーは、「カプセル」の威力を確認するために、愛犬でテストまでやる始末である。
 ヒトラーの自殺は、その悪人性によってまだ観る者を納得させる余地もありそうだが、目を背けたくもなるのが、ヒトラー側近の政治家ゲッベルスのいたいけな子どもたち6人の場合である。
 ゲッベルス夫人が、子ども達に催眠剤を飲ませた上に、ベッドで仰向けに眠る子ども達ひとりひとりに、かの「カプセル」を歯に挟み込み、下あごに手をかけて無理矢理噛ませる場面なのである。いずれの子どもも、そうされて2、3秒後に絶命するのだった。

 この映画を見終わって、わたしが感じたことは、ヒトラーやナチスの正体が、「非人道」なんぞにあるのではなく、端的に言えば「生命に対する敵対者」だという印象であった。数百万人のユダヤ人をガス室で絶命させたこともそうした印象を構成するのであるが、彼らの最期自体もまた、死のカプセルと頭部を打ち抜くピストルによって実に安直に演出されていたのである。死に至らしめる、あるいは至るその強引さは、彼らが「生命の破壊と敵対」者以外の何者でもないと否応なく説得されるのである。
 決してこの映画には、われわれがともすれば(娯楽)映画というものに求めがちな、何らかの快適な感覚を期待してはいけないのである。ラストまで観終えるに足るだけの心理的支援の要素だけが観客のために好意的に支給されているのであり、残りの全ては、何事かへの激しい拒絶感覚を増幅させるために用意されたのだという気がするわけだ。
 そうだからこそ、この映画の毅然とした崇高さに頭が下がる。と同時に、こうした映画が今なお必須であるこの時代の危なさに、はたと気づかされるのである…… (2006.05.29)


「この話は無かったことにしよう……」
という言い草がある。こんな表現はこの国以外の諸外国にもあるのだろうか。
 片方の者が、無理難題を言い出し、相手方が当然いい顔をしない場合などで使われる表現である。その後の関係や雰囲気が悪化することを恐れてか、「まあ、この話は無かったことにしよう……」なぞと言い出されるわけである。この国特有の表現であろう「水に流して」無きものとしよう、というロジックなのかもしれない。
 大体、こういう言い草を平気で吐く者は、思慮分別がないだけでなく、節操もなければ、思いやりもなく、はたまた人間社会の道理というものをわきまえないムチャクチャな奴であることは言をまたない。
 改めてこんな言い草に着目してみるのは、この言い草の根底に潜んでいるのであろう「言葉と事実との関係の軽視・無視」という、人間として最悪の姿勢を問題にしたいからなのである。
 大の大人が一度真顔で口にしたことは、消しようがない事実として人のこころや意識に定着してしまうはずである。言葉とはそうした効力を持ってしまうものなのであり、実は人間社会とは、この点に錨を下ろすことでこそ成立しているとさえ言えるのではなかろうか。

 常々、現在のこの国の立ち腐れ的な荒廃ぶりは一体どう考えられるべきなのかととらわれてきた。嘆かわしい現象をいちいちあげつらってみても、じゃあ何が原因なのかという点になると、いまひとつしっくりとしないもどかしさに足元を掬われる思いがしてもきたものだ。
 決して今、結論めいた認識を得たわけではないのだが、最悪のレベルに問題がありそうだと視線を低く定めてみると、そこに問題点が見えてくる思いがした。
 とりあえず言ってみると「虚偽と隠蔽」だということになろうか。「うそつき」と「しらばっくれ」の横行という情けなさである。要するに、事実を曲げたり、隠したりすることを平気でやってはばからない風潮が、思いのほかしっかりと定着してしまった、という点なのである。
 元来、事実を確定していくために活用される言葉というものが、逆に、「虚偽と隠蔽」のために最大限利用されているのが、残念ながらこの現在ではないかとの印象である。
 時代の激変は、無常観をも刺激したりしながら人々を悲痛な不安に追い込んでいる。しかし、すべてが変わってしまうという過激な時代現象それ自体が人々を苦しめているのではなさそうである。そうではなくて、変わってはならない人間としての普遍的原理そのものが踏み躙られはじめていることが、こころある人々を苦しめている原因であるに違いない。
 つまり、激変する環境に紛れるかのように、人間と言葉との基本的原理そのものが、陵辱(りょうじょく)され続けていることが、人々の一縷の頼みの綱を断ち切ろうとしているのではないかと類推するのである。
 言葉が事実の真相を言い当てること、そして言葉ゆえに、その事実の真相が限りなく多くの人々に共有されていくこと、これが人間にとっての最良かつ最後の防波堤ではなかったのかという思いが強い。

 しかし、大量の言葉が飛び交う情報技術時代としての現在は、その技術的側面が然るべく制御され尽くされてはいないかのように見える。むしろ、広い意味での混乱が常態化し、そのドサクサに紛れて、あるいは空隙を縫うかのようにして、「虚偽と隠蔽」が罷り通っている、という印象が拭い切れないのである。
 おそらく、こう書いたところで、「そんなバカなことはないでしょ」と言う人が大半であるほどに、われわれは日常のマス・メディア環境の中で「与えられるモノしか食べない」習性に慣らされてしまっているわけだ。この絶望的とさえ見える現状が悲惨でならない。
 まずは、「隠し切れない」ほどに醜悪な事実のために、権力に媚びて自立性を失った現行のマス・メディアでさえも報道せざるを得ないそんな不祥事の事実から、決して目を離してはいけないと思われる。たとえば、最もホットな報道でいえば、現行政府下の「社会保険庁」による「年金不正免除」という「虚偽と隠蔽」の典型がそれである。
 そうすれば、まともな感性を持った国民であれば、単に当該事実を糾弾するだけではなく、こうした「虚偽と隠蔽」の「手口」による不祥事が、情報公開がなされない官僚機構の至るところに仕掛けられているのではないかと疑心暗鬼になってくるのではないか。
 われわれは、猫のような小動物に対しては、「猫に鰹節」というような警戒心を持って対処するにもかかわらず(つい一昨日も、たっぷりと餌をやってひもじい思いなどさせたことがない飼い猫に、ちょっとした隙に、お膳の上の干物をかっぱらわれてしまった……)、国民の血税と大切な将来を預けている政府や役人に対しては、何というノー・チェックであることだろうか。驚くべき能天気である。
 そこには、権力というものを誤解している可能性の高いことが推定されてならない。政治家たちのひとつひとつの経験的事実(膨大なカネを使った選挙!)を正確に重ねてゆけば、彼らが正義感も自浄能力も持ち合わせていないことは明々白々ではなかろうか。「密室での鰹節」に手を出さない人種であることなぞを信じようとすることは、猫に対して以上に困難なことだと言わなければならないはずだろう。
 お上のやることに間違いはない、ではなくて、お上のやることに国民が切望するものは何もない、と言ってやるべきなのである。

 実を言えば、こうしたテーマに迫ろうとした背景には、権力自体もさることながら、権力におもねて恥としない現在のマス・メディアの不甲斐なさへの憤りがあった。これは今にはじまったことではなく、かねてより、情報時代を支える技術的分野のハイエンドさに較べて、人的・組織的な主要な担い手であるマス・メディア産業がいかに立ち遅れているか、いやもっと正確に言えば立ち腐れているかに警戒心を絶やしたことはない。マス・メディア産業自体の日常的な判断と行動が、国民の政治的感覚にどんなに大きな影響を与えるかという点なのである。あまりにも、鈍感過ぎるのである。いや、マス・メディアとて、ヤラセ番組という不祥事からカネの流用まで「虚偽と隠蔽」の体質でまみれていることは、周知の事実だと言うべきなのかもしれないが。
 「大本営化するメディア」(浅野 健一著『戦争報道の犯罪――大本営化するメディア』)のもとにあっては、人々はまともな政治感覚や政治的判断をしようがないかもしれないという見過ごせないカラクリが気になるのである。いつの間にか、戦後の数十年は、いつか来た道へと先祖がえりする「メビウスの帯」となってしまったのだろうか…… (2006.05.30)


 石油価格の高騰が目に余る。クルマのガソリン価格は、1リットル136〜7円、ハイオクガソリンはリットル当たり147〜8円という高値止まりとなっている。庶民の経済状況は悪化している上に、こんな贅沢な価格水準ではたまったものではない。だから、大型連休後からは、高値を敬遠する消費者の買い控えが広まってもいるらしい。連休前に比べて、15.2%減っているという。
 ガソリンの高騰で困るのは、クルマを利用するものに限られるわけではない。あの73年のオイルショック・パニックで騒がれたトイレットペーパーやティッシュペーパーが、ジワジワとクローズアップされることになるらしい。もっともあの当時ほどに急迫した形にはならないようであり、価格の値上げ(25%ほどの値上げが7月後半から実施されるという)という範囲内であるらしい。それでも冗談じゃないよ、という話である。
 ガソリン高騰による被害は一般消費者ばかりではなく、生産者でもガソリンを原材料として使わざるを得ない企業は、収益の圧迫で苦しんでいるとのことだ。ゴム製品製造や段ボール製造、プラスチック製造、クリーニング業、そして銭湯など、どちらかと言えば中小企業が担う業種が痛手をこうむっているらしい。
 こんなところにも、「巨大なマネー」が「多数の弱者」を食いものにしている現代経済の最大特徴が端的に表されているわけだ。原油利権に関連して、あのイラク戦争が画策されたのが第一幕・政治の舞台であったとすれば、第二幕・経済の舞台ではその原油価格の吊り上げがまことしやかにでっち上げられているわけだ。この後には、第三幕・自然破壊の舞台が続いているらしく、アラスカに眠る原油をめぐって、今、ブッシュ大統領のお墨付きで着々と油田開発が進行中であるとかだ。空気汚染に酸性雨が未開の地に急速に広がり、シロクマをはじめとする野生生物が危機に瀕しはじめているとのことである。
 現代における富の象徴とも目される石油という存在が、着々と現代を破壊しはじめているということなのであろうか……。どうしてブッシュみたいなおっさんが大統領として納まっているのかが、ますます透き通って見えてくる思いがするわけだ。

 ところで、先日、とある復刻版の対談集(『対談集 発想の原点 松本清張』双葉文庫)を読んでいたら、なるほどと思わされたものであった。
 それは、五木寛之が松本清張に問うかたちの対談(「清張ドキュメンタリーの源泉」昭和51年)である。五木寛之といえば、『青春の門』であり、『青春の門』といえば「筑豊篇」となるわけで、五木寛之と「筑豊(炭田)」とは切り離せない。
 その五木寛之が、筑豊炭田の閉山はエネルギー革命なぞといった奇麗事ではなく、アメリカの軍事的な意図によるものではなかったかと語っていたのである。まさに『日本の黒い霧』を書いた清張との対談でこそ語られていい話題であったかと思えた。
 その辺のところを以下に引用しておく。

五木「……日本の戦後史は謎の連続みたいな気がするんですけれども、私にはいまだによくわからないことの一つに筑豊炭鉱のことがあるんです。筑豊は非常に急速な形で閉山が行われたんですね。それが、ドラマティックと言えるくらいの激しさで行われた。……何故あれほど劇的に、かつ急速に筑豊炭鉱を根絶やしにしてしまわなければならなかったのか、そこのところがどうしてもわからないんですよ」
 ……
五木「……エネルギー革命とか、コストの問題とかいろいろと言われているわけですが、ぼくはどうしても警察予備隊と自衛隊の発足との関係があるような気がしてならない。これはあくまでぼくの推測なんですけども」
 ……
五木「……朝鮮戦争をひっくるめて、やっぱり日本に軍備をさせて、自分たちの身代わりをやらせなければとアメリカが考えたわけです。しかし、その軍備力が、かつての第一次大戦のドイツのように二度と牙をむき出しにするようなことのないような保証が必要である。そのためには自衛隊が活動するエネルギーの基盤というものを、完全にアメリカがコントロール出来るようにしておかなければならない。つまり、警察予備隊を自衛隊にして軍備を強化するのは賛成であるけれども、その代わりその動力の生殺与奪の権を、どこかの国があくまで握るようにするんです。結局そのエネルギー源を百パーセント石油に日本が頼ってしまう方向に持って行く限り、どんなに日本の軍備が拡大し、ナショナリズムが勃興し、そして飼犬が主人の手を噛むような風潮が昂まったとしても、主人は安全なわけですね。ですから、筑豊炭鉱の閉山は安全保証書を出したようなものです」
 ……
松本「それは面白い。ちょっと気が付かなかったな」

 さすがに、勘が鋭い五木寛之だと思った。
 それにしても、石油という現代の富の象徴を媒介にして、この国は何と米国に徹頭徹尾牛耳られていることであろうか。しかも、昨今では、首相をはじめとする日本政府が国民の方を向いてしっかりと自分の足で立とうとせずに、「旦那」の意向ばかりにとらわれた大番頭の卑屈さに成り果てている観が不愉快でたまらない。
 たまには旦那に苦言を呈するしたたかさもを持ってももらいたいところであるが、「火に油(石油)を注ぐ」(イラク戦争支持! 「旦那」が反目している中国との冷ややかな関係構築! などなど)ことで忠犬ぶりを示そうとしている奥行きの狭さには、はなはだ困ったものである…… (2006.05.31)